【論】釋曰。爾時帝釋從佛聞讚般若波羅蜜具足故今問佛。菩薩云何住般若波羅蜜。從禪波羅蜜乃至十八不共法。 |
釈して曰く、爾の時、帝釈は、仏より、般若波羅蜜の具足を讃ずるを聞いて、故に今仏に問わく、『菩薩は、云何が、般若波羅蜜に住して、禅波羅蜜より、乃(すな)わち十八不共法に至る』、と。 |
釈す、
爾の時、
『帝釈』は、
『仏』が、
『般若波羅蜜は具足している、と讃じられる!』のを、
『聞いた!』が故に、
今、
『仏』に、こう問うた、――
『菩薩』は、
何のように
『般若波羅蜜に住して!』、
『禅波羅蜜より!』、
『乃ち( gradually )、十八不共法に至るのですか?』、と。
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佛讚言善哉善哉者。以釋提桓因諸天中主言必可信。問是事斷大眾疑。通達無礙能大利益故言善哉善哉。 |
仏の讃じて、『善い哉、善い哉』、と言えるは、釈提桓因は諸天中の主にして、言必ず信ずべく、是の事を問えば、大衆の疑を断じて通達無礙ならしめ、能く大利益するを以っての故に、『善い哉、善い哉』、と言えり。 |
『仏』が、
『帝釈を讃じて!』、
『善いぞ、善いぞ!』と、
『言われた!』のは、
『釈提桓因は、諸天の主であり!』、
『言( his words )』は、
必ず、
『人』に、
『信じられる!』ので、
是の、
『事を問えば!』、
『大衆の疑を、断じて!』、
『通達無礙にすることができ!』、
大いに、
『大衆』を、
『利益することになる!』ので、
是の故に、
『善いぞ、善いぞ!』と、
『言われたのである!』。
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復次佛以帝釋能捨上妙五欲七寶宮殿能問佛賢聖所行事。是故言善哉。以佛神力故汝能樂問此事。 |
復た次ぎに、帝釈は、能く上妙の五欲、七宝の宮殿を捨てて、能く仏に賢聖の所行の事を問うを以って、是の故に言わく、『善い哉、仏の神力を以っての故に、汝は、能く楽しんで、此の事を問えり』、と。 |
復た次ぎに、
『仏』は、
『帝釈』が、
『上妙の五欲や、七宝の宮殿を『捨てることができ!』、
『仏』に、
『賢聖の所行の事、を問うことができる!』ので、
是の故に、 こう言われたのである、――
善いぞ!
『仏の神力』の故に、
お前は、
是の、
『事』を、
『楽しんで問うことができたのだ!』、と。
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是中更有上妙諸天。觀佛神德無量。今帝釋能於大眾中諮問佛事故。是佛威神。如持心經說。佛光明入身中能問佛事。 |
是の中に、更に上妙の諸天有りて、仏の神徳の無量なるを観る。今、帝釈の、能く大衆中に於いて、仏事を諮問する故(ゆえ)は、是れ仏の威神なり。『持心経』に、『仏の光明、身中に入りて、能く仏事を問う』、と説けるが如し。 |
是の中には、
更に( further more )、
『上妙の諸天が有り!』、
『仏の神徳が、無量である!』のを、
『観たのである!』が、
今、
『帝釈が大衆中に於いて、仏事を諮問することができた!』、
『故( the reason )』も、
『仏の威神である!』。
例えば、
『持心経』に、こう説く通りである、――
『仏の光明が、身中に入った!』ので、
『仏事』を、
『問うことができた!』、と。
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参考:『思益梵天所問経巻1』:『佛告網明。如是如是。如汝所言。若佛不加威神。眾生無有能見佛身。亦無能問。網明當知。如來有光名寂莊嚴。若有眾生遇斯光者。能見佛身不壞眼根。又如來光名無畏辯。若有眾生遇斯光者。能問如來其辯無盡。又如來光名集諸善根。若有眾生遇斯光者。能問如來轉輪聖王行業因緣。又如來光名淨莊嚴。若有眾生遇斯光者。能問如來天帝釋行業因緣。又如來光名得自在。若有眾生遇斯光者。能問如來梵天王行業因緣。又如來光名離煩惱。若有眾生遇斯光者。能問如來聲聞乘所行之道。又如來光名善遠離。若有眾生遇斯光者。能問如來辟支佛所行之道。』 |
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佛答憍尸迦。若菩薩不住色等。是習行般若波羅蜜者。是菩薩見色無常苦等過罪故不住色。若不住色即是能習行般若波羅蜜。 |
仏の答えたまわく、『憍尸迦、若し菩薩、色等に住せざれば、是れ般若波羅蜜を習行するなり』とは、是の菩薩は、色の無常、苦等の過罪を見るが故に、色に住せず。若し色に住せざれば、即ち是れ能く般若波羅蜜を習行するなり。 |
『仏』は、 こう答えられたが、――
憍尸迦!
若し、
『菩薩が、色等に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行するということである!』、と。
是の、
『菩薩』は、
『色の無常、苦等の過罪を見る!』が故に、
『色』に、
『住しない!』が、
若し、
『色に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することができたということである!』。
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凡夫人見色著色故起顛到煩惱。失是般若波羅蜜道。以是故不住者。能習行般若波羅蜜。五眾十二入十八界亦如是。 |
凡夫人は、色を見て、色に著するが故に、顛倒の煩悩を起し、是の般若波羅蜜の道を失う。是を以っての故に、住しざる者は、能く般若波羅蜜を習行す。五衆、十二入、十八界も亦た是の如し。 |
『凡夫人』は、
『色を見て、色に著する!』が故に、
『顛倒の煩悩』を、
『起す!』ので、
是の、
『般若波羅蜜の道』を、
『失う!』が、
是の故に、
『色に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することができるのであり!』、
亦た、
『五衆、十二入、十八界』も、
『是の通りである!』。
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問曰。何以故。不住六波羅蜜等。各各自習其行。 |
問うて曰く、何を以っての故に、六波羅蜜等に住せざれば、各各、自ら其の行を習う。 |
問い、
何故、
『六波羅蜜等に住しなければ!』、
各各、
『自行』を、
『習う( to repeat )ことになるのですか?』。
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答曰。是六波羅蜜等皆是善法行法。以是故說不住六度等。言各習其行。眾界入為習行般若波羅蜜。若於是法中不著則斷愛著。斷愛著故色等諸法中清淨習。 |
答えて曰く、是の六波羅蜜等は、皆是れ善法の行法なり。是を以っての故に、六度等に住せざるを説いて、各其の行を習うと言う。衆、界、入は般若波羅蜜を習行せんが為めにして、若し是の法中に於いて、著せざれば、則ち愛著を断じ、愛著を断ずるが故に、色等の諸法中に清浄に習えばなり。 |
答え、
是の、
『六波羅蜜は、皆善法の行法であり!』、
是の故に、
『六度(六波羅蜜)等に住しない!』と、
『説き!』、
各各が、
『自行を習う!』と、
『言うのである!』。
『衆界入』は、
『般若波羅蜜を習行する為めの法であり!』、
是の、
『法中に著さなければ!』、
『愛著』を、
『断じることなり!』、
『愛著を断じる!』が故に、
『色等の諸法』中に、
『清浄に習うからである!』。
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此中說不住因緣。所謂不得色等法住處。不得色等法習處。 |
此の中に住せざる因縁を説かく、謂わゆる、色等の法の住する処を得ず、色等の法の習う処を得ず、と。 |
此の中に、
『 不住の因縁』が、
『説かれており!』、
謂わゆる、
『色等の法』の、
『住処』を、
『得ず( do not recognize )!』、
『色等の法』の、
『習処』を、
『得ないからである!』、と。
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復次佛以此事難解故更說因緣。不習色者是菩薩見色過故不住色中。不住故不習。習色名取色相。若常若無常等。 |
復た次ぎに、仏は、此の事の難解なるを以っての故に、更に因縁を説きたまわく、『色を習わずとは、是れ菩薩は、色の過を見るが故に、色中に住せず、住せざるが故に習わず』、と。色を習うを色相を取ると名づく。若しは常、若しは無常等なり。 |
復た次ぎに、
『仏』は、
此の、
『事』は、
『難解である!』が故に、
更に、
『因縁』を、
『説かれたのである!』が、
『色を習わない!』とは、
是の、
『菩薩』は、
『色の過を見る
( observing the falsehood of outward appearances )!』が故に、
『色』中に、
『住さず!』、
『色中に住しない!』が故に、
『色』を、
『習わないのである!』。
『色を習えば!』、
『常とか、無常とかの色相』を、
『取ることになる!』。
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復次菩薩常行善法。正語正業等。積習純厚故名習色。 |
復た次ぎに、菩薩は常に善法を行じて、正語、正業等積習して、純ら厚きが故に、色を習うと名づく。 |
復た次ぎに、
『菩薩』が、
『常に、善法を行じれば!』、
『正語、正業』等が、
『積習して( being aggregated successively )!』、
『純厚になる( be pure and substantial )!』が故に、
是れを、
『色を習う!』と、
『称するのである!』。
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積習(しゃくじゅう):継続的に積み重なる( aggregated successively )。
純厚(じゅんこう):純粋で実質的( pure and substantial )。 |
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今菩薩欲行般若故。散壞是色不習。所以者何。過去色已滅。未來色未有故不可習。現在色生時即滅故不住。若住一念尚無習。何況念念滅。是故此中說不習色因緣。三世色不可得。乃至十八不共法亦如是。 |
今、菩薩は般若を行ぜんと欲するが故に、是の色を散壊すれば、習わず。所以は何んとなれば、過去の色は已に滅し、未来の色は未だ有らざるが故に、習うべからず。現在の色は、生時に既に滅するが故に住せず。若し住すること一念なれば、尚お習無し。何に況んや、念念に滅するをや。是の故に、此の中に、色を習わざる因縁を説かく、『三世の色は、得べからず、乃至十八不共法も亦た是の如し』、と。 |
今、
『菩薩は、般若を行じようとする!』が故に、
是の、
『色』を、
『散壊して( to break up )!』、
『習わないのである!』が、
何故ならば、
『過去』の、
『色』は、
『已に、滅し!』、
『未来』の、
『色』は、
『未だ、有ることがない( does not exist yet )!』ので、
是の故に、
『色』を、
『習うことはできず!』、
『現在』の、
『色』は、
『生時に即滅する!』が故に、
『住することがない!』。
若し、
『一念ぐらい住したとしても!』、
尚お、
『習すること( the repetition )!』は、
『無い!』。
況して、
『念念に滅すれば!』、
『尚更である!』。
是の故に、
此の中に、
『色を習わない!』、
『因縁』が、
『説かれている!』。
謂わゆる、
『三世の色』は、
『不可得であり!』、
乃至、
『十八不共法』も、
『是の通りである!』、と。
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若能如是觀諸法散壞不取相。是名能習色等諸法實相。 |
若し、能く是の如く、諸法の散壊を観て、相を取らざれば、是れを能く、色等の諸法の実相を習うと名づく。 |
若し、
是のように、
『諸法の散壊、を観て!』、
『相』を、
『取らなければ!』、
是れが、
『色等の諸法』の、
『実相』を、
『習うということである!』。
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爾時舍利弗從佛聞是義。歡喜深入空智。白佛。般若波羅蜜甚深。佛然可成其所讚。色等諸法如故甚深。 |
爾の時、舍利弗は、仏より、是の義を聞いて歓喜し、空智に深入して、仏に白さく、『般若波羅蜜は、甚深なり』、と。仏は然可して、其の讃ずる所を成じたまわく、『色等の諸法の如の故に甚深なり』、と。 |
爾の時、
『舍利弗』は、
『仏より!』、
是の、
『義を聞いて、歓喜し!』、
『深く、空智に入り( to understand deeply the emptiness )!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深いです!』、と。
『仏』は、
『舎利弗の讃じる所を、然可して
( agreeing on what is praised by Sariputra )!』、
『般若波羅蜜の義を成就する為め!』に、こう言われた、――
『色等の諸法』の、
『如である!』が故に、
『甚だ深いのである!』、と。
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然可(ねんか):同意( agree )。 |
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佛語不但眼見色甚深。以般若波羅蜜分別色入如實故甚深。如雨渧渧不名甚深和合眾流入於大海乃名甚深。色等亦如是。 |
仏の語りたまわく、『但だ眼に見る色の甚深なるにあらず、般若波羅蜜の色を分別して、如実に入るを以っての故に甚深なり。雨の渧渧たるを甚深と名づけず、衆流に和合して、大海に入りて、乃ち甚深と名づくるが如く、色等も亦た是の如し』、と。 |
『仏』は、 こう語られた、――
但だ、
『眼に見る!』、
『色』が、
『甚だ深いだけではない!』。
『般若波羅蜜を用いて、色を分別すれば!』、
『如実に入る( to understand as it truly is )!』が故に、
『甚だ深いのである!』。
譬えば、
『雨の渧渧( raindrops )』を、
『甚だ深い!』と、
『称することはない!』が、
『衆流に和合して、大海に入れば!』、
乃ち( then )、
『甚だ深い!』と、
『称するようなものであり!』、
亦た、
『色等の諸法』も、
『是の通りである!』。
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渧渧(たいたい):滴滴に同じ。 |
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天眼肉眼見淺而不深。若以慧眼觀則深不可測。甚深故難可測量。唯有諸佛乃盡其底。 |
天眼、肉眼の見は浅くして、深からず。若し慧眼を以って観れば、則ち深くして測るべからず。甚深なるが故に、測量すべきこと難し。唯だ諸仏のみ有りて、乃ち其の底を尽したもう。 |
『天眼、肉眼で見る!』所は、
『浅くて!』、
『深くない!』が、
若し、
『慧眼で観れば!』、
『深さは、測ることができない!』。
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深い!』が故に、
『測量すること!』が、
『難しく!』、
乃ち( indeed )、
『般若波羅蜜の底』を、
『尽す!』のは、
唯だ( only )、
『諸仏』が、
『有るだけである!』。
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甚深不可測量故名無量。無有智慧能取色等實相。若常若無常籌量有過罪故。 |
甚深にして測量すべからざるが故に、無量と名づく。智慧有る者の、能く色等の実相を取る無し。若しは常、若しは無常なるを籌量すれば、過罪有るが故なり。 |
『甚だ深く、測量できない!』が故に、
『無量』と、
『称する!』が、
『色等の実相を取ることのできる!』、
『智慧』が、
『無い!』のは、
『実相が常や、無常である、と籌量すれば!』、
『過罪』が、
『有るからである!』。
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是時舍利弗及諸聽者作是念。般若波羅蜜不可測量無有量。菩薩當云何行。 |
是の時、舍利弗、及び諸の聴者の是の念を作さく、『般若波羅蜜は測量すべからず、量有ること無きに、菩薩は、当に云何が行ずべき』、と。 |
是の時、
『舍利弗と、諸の聴者』とは、 こう念じた、――
『般若波羅蜜』が、
『測量できず!』、
『無量ならば!』、
『菩薩』は、
何のように、
『般若波羅蜜』を、
『行じればよいのか?』、と。
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佛知其念告舍利弗。菩薩摩訶薩若行色等甚深者。則為失般若波羅蜜。若不行色甚深是為得般若波羅蜜。 |
仏は、其の念を知りて、舍利弗に告げたまわく、『菩薩摩訶薩は、若し色等の甚深なるを行ぜば、則ち般若波羅蜜を失すと為し、若し色の甚深なるを行ぜざれば、是れを般若波羅蜜を得と為す』、と。 |
『仏』は、
『舍利弗等の念を知って!』、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』が、
若し、
『色』等は、
『甚だ深い!』と、
『行じれば( to understand )!』、
則ち、
『般若波羅蜜』を、
『失うことになる!』。
若し、
『色』等は、
『甚だ深い!』と、
『行じなければ!』、
是れは、
『般若波羅蜜』を、
『得たということである!』、と。
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凡夫鈍根故言甚深。若有一心福德利根者為非甚深。譬如水深淺無定若於小兒則深長者則淺。乃至大海於人則深。於羅睺阿修羅王則淺。 |
凡夫は、鈍根なるが故に、『甚深なり』、と言う。若し一心、福徳、利根有る者なれば、甚深に非ずと為す。譬えば、水の深浅に定無く、若し、小児に於いては、則ち深きも、長者には、則ち浅く、乃至大海は、人に於いては、則ち深きも、羅睺阿修羅王に於いては、則ち浅きが如し。 |
『凡夫は、鈍根である!』が故に、
『甚だ深い!』と、
『言う!』が、
若し、
『一心や、福徳の利根が有れば!』、
『甚だ深いのではない、と為す( to think it is not very deep )!』。
譬えば、
『水の深浅に、定が無く!』、
『小児には、深くても!』、
『長じれば、浅く!』、
乃至、
『大海』が、
『人には、深くても!』、
『羅睺阿修羅王には、浅いようなものである!』。
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如是於凡夫人新發意懈怠者為甚深。於久積德阿鞞跋致則淺。諸佛如羅睺阿修羅王。於一切法無有深者。得無礙解脫故。以是故知為眾生及時節利鈍初久懈怠精進故。分別說深淺不可測量無有量亦如是。 |
是の如く、凡夫人、新発意、懈怠の者に於いては、甚深と為すも、久しく徳を積める、阿鞞跋致には則ち浅し。諸仏は、羅睺阿修羅王の如く、一切法に於いて、深き者有ること無し、無礙解脱を得たるが故なり。是を以っての故に知る、衆生、及び時節を利鈍、初久、懈怠、精進と為すと、故(ことさら)に分別して、深浅を説きたもうに、測量すべからざる、量の有ること無きも亦た、是の如し。 |
是のように、
『凡夫人や、新発意、懈怠の者には、甚だ深くても!』、
『久しく、徳を積んだ!』、
『阿毘跋致』には、
『浅い!』。
『諸仏』には、
『羅睺阿修羅王のように!』、
『一切法』中に、
『深い者は無い!』が、
『諸仏』は、
『無礙解脱』を、
『得られたからである!』。
是の故に、こう知る、――
『衆生や、時節』が
『利、鈍や、初、久や、懈怠、精進である!』と、
『故に、分別して( discriminating intentionally )!』、
『深浅』を、
『説かれた!』が、
是れ等が、
『測量できず、無量であること!』も、
『是の通りである!』。
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此中佛自說因緣。色等法甚深相為非色。何以故。怖畏心沒疑悔故以色為甚深。色相則無深如先說。 |
此の中に、仏は自ら因縁を説きたまえり、『色等の法甚深の相なれば、色に非ずと為す』、と。何を以っての故に、怖畏の心疑悔に没するが故に、色を以って、甚深と為せばなり。色相には則ち深なる無きこと、先に説くが如し。 |
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『因縁』を、こう説かれている、――
『色等の法』の、
『甚だ深い相』は、
『色でない!』、と。
何故ならば、
『怖畏心が没したり、疑ったり、悔いたりする!』が故に、
『色』を、
『甚だ深いと為す( to think it is very deep )からである!』。
『色の相』に、
『深さが無い!』のは、
『先に説いた通りである!』。
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舍利弗白佛言。世尊。是般若波羅蜜甚深。甚深相難見難解。 |
舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は甚深なれば、甚深の相は難見、難解なり』、と。 |
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜は甚だ深い!』が、
『甚だ深い相』は、
『見ることも、理解することも難しい!』、と。
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問曰。上說菩薩不行甚深為行般若波羅蜜。今舍利弗何以復說甚深。 |
問うて曰く、上に説かく、『菩薩は、甚深なるを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為す』、と。今、舍利弗は、何を以ってか、復た『甚深なり』と説く。 |
問い、
上には、こう説かれている、――
『菩薩』が、
『甚だ深い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』、と。
今、
『舍利弗』は、
何故、復た、
『甚だ深い!』と、
『説くのですか?』。
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答曰。舍利弗非定心說甚深。得佛意趣為人故說甚深。是故此中說世尊不應於新發意菩薩前說是般若波羅蜜。新學菩薩聞是深智慧則心沒。應當在阿鞞跋致菩薩前說。阿鞞跋致智慧深故信而不沒。譬如深水不應使小兒渡應教大人令渡。 |
答えて曰く、舍利弗は、定心もて、甚深なるを説くに非ず。仏の意趣を得て、人の為の故に、『甚深なり』と説けり。是の故に、此の中に説かく、『世尊、応に新発意の菩薩の前に於いて、是の般若波羅蜜を説くべからず。新発意の菩薩、是の深き智慧を聞かば、則ち心没せん。応当に、阿鞞跋致の菩薩の前に在りて説くべし。阿鞞跋致の智慧は深きが故に、信じて没せざらん。譬えば、深水の、応に小児をして渡らしむべからず、大人を教えて渡らしむべきなるが如し』、と。 |
答え、
『舍利弗』は、
『定心( 惑心の対)』で、
『甚だ深い!』と、
『説いたのではない!』、
『仏』の、
『意趣』を、
『得て( to understand )!』、
『人の為め!』の故に、
『甚だ深い!』と、
『説いたのである!』。
是の故に、
此の中に、こう説かれている、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』を、
『新発意の菩薩の前』で、
『説いてはなりません!』。
若し、
『新発意の菩薩』が、
是の、
『深い智慧』を、
『聞けば!』、
則ち、
『心』が、
『没するでしょう!』。
是の、
『般若波羅蜜』は、
『阿鞞跋致の菩薩の前』で、
『説くべきです!』。
『阿鞞跋致の智慧は深い!』が故に、
『信じて!』、
『没することがありません!』。
譬えば、
『深い水』は、
『小児に、渡らせるべきでない!』が、
『大人に教えて!』、
『渡らせるのはかまわないようなものです!』。
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帝釋問舍利弗。若為新發意菩薩說有何等過。 |
帝釈の舍利弗に問わく、『若し新発意の菩薩の為に説かば、何等の過か有る』、と。 |
『帝釈』は、
『舍利弗』に、こう問うた、――
若し、
『新発意の菩薩に説けば!』、
何のような、
『過』が、
『有るのか?』、と。
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舍利弗答。是新發意者則不信心沒。心沒故生疑悔怖畏。若受一切空法。我云何當墮斷滅中。若不受者佛所說法何可不受。是故怖畏生疑悔。若心定則生惡邪毀呰。毀呰果報如地獄品中說。此中略說種三惡道業因緣。久久難得無上道 |
舍利弗の答うらく、『是れ新発意の者なれば、則ち信ぜずして、心没し、心没するが故に疑悔と怖畏とを生ずらく、『若し一切空なる法を受くれば、我れは、云何が当に断滅中に堕すべき。若し受けざれば、仏の所説の法を、何ぞ受けざるべし』、と。是の故に怖畏は、疑悔を生じ、若し心定まれば、則ち悪邪の毀呰を生じ、毀呰すれば果報は、地獄品中に説けるが如し。此の中には略説すらく、『三悪道の業の因縁を種うれば、久久にして、無上道を得難し』、と。 |
『舍利弗』は、 こう答えた、――
是の、
『新発意の者』は、
『般若波羅蜜を信じられずに!』、
『心』が、
『没し!』、
『心が没する!』が故に、
『疑悔と怖畏』を、
『生じるからである!』。
――
若し、
『一切は空法である、と受ければ( to accept that all are empty )!』、
わたしは、
何故、
『断滅』中に、
『堕ちねばならないのか?』。
若し、
『受けなければ!』、
何うして、
『仏の所説の法』を、
『受けなくてもよいのか?』、と。
是の故に、
『般若波羅蜜を怖畏して!』、
『疑悔』を、
『生じることになる!』が、
若し、
『心が定れば!』、
『悪邪を生じて!』、
『般若波羅蜜を毀呰することになり!』、
『毀呰の果報』は、
『地獄品』中に、
『説いた通りである!』。
此の中には、
『三悪道の業因縁を種えれば!』、
『久久に、無上道を得ることは難しい!』と、
『略説している!』。
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