巻第六十六(上)
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大智度論釋歎信行品第四十五(卷六十六)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若波羅蜜を聞いて信受する

【經】爾時釋提桓因作是念。若善男子善女人得聞般若波羅蜜經耳者。是人於前世佛作功德與善知識相隨。何況受持親近讀誦正憶念如說行。 爾の時、釈提桓因の是の念を作さく、『若し善男子、善女人にして般若波羅蜜の経を聞くを得る耳(のみ)なりとも、是の人は、前世の仏に於いて、功徳を作し、善知識と相随えるなり。何に況んや、受持、親近、読誦、正憶念して、説の如く行ずるをや。
爾の時、
『釈提桓因』は、 こう念じた、――
若し、
『善男子、善女人』が、
但だ、
『般若波羅蜜』を、
『聞くこと!』を、
『得ただけでも( can only )!』、
是の、
『人は、前世に於いて!』
『仏に随って( be learning from Buddha )!』、
『功徳』を、
『作りながら!』、
『善知識』と、
『相随ったのである( be learning from each other )!』。
況して、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『親近し、読誦し、正しく憶念して如説に行えば!』、
『言うまでもない!』。
  相随(そうずい):梵語 anugata, anukuula, anusahita の訳、従われる/従う/伴われる( followed by, following, accompanied )の義、互いに手本としながら( be learning from each other )の意。
  参考:『大般若経巻297』:『時天帝釋作是念言。若善男子善女人等。曾於過去無量如來應正等覺。親近供養發弘誓願。種諸善根多善知識之所攝受。今乃得聞如是般若波羅蜜多功德名字。況能書寫讀誦受持。如理思惟為他演說。或能隨力如說修行。當知是人已於過去無量佛所。親近承事供養恭敬。尊重讚歎植眾德本。曾聞般若波羅蜜多。聞已受持思惟讀誦。為他演說如教而行。或於此經能問能答。由斯福力今辦是事。若善男子善女人等。已曾供養無量如來應正等覺功德純淨。聞此般若波羅蜜多。其心不驚不恐不怖聞已信樂如說修行。當知是人多俱胝劫。已曾修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多故。於今生能成此事。』
當知是善男子善女人多親近諸佛。能得聽受如說行能問能答。當知是善男子善女人於前世多供養親近諸佛故。聞是深般若波羅蜜不驚不怖不畏。當知是人亦於無量億劫。行檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。 当に知るべし、是の善男子、善女人は、多く諸仏に親近して、能く聴受し、如説に行じ、能く問い、能く答えたらん。当に知るべし、是の善男子、善女人は、前世に於いて、多く諸仏を供養し、親近せるが故に、是の深般若波羅蜜を聞いて、驚かず、怖れず、畏れざるなり。当に知るべし、是の人は、亦た無量億劫に於いて、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行じたらん。
当然、こう知らねばならぬ、――
是の、
『善男子、善女人』は、
『多く、諸仏に親近した!』が故に、
『聴受して、如説に行じることができた!』ので、
『問うたり、答えたりすることができたのである!』、と。
当然、こう知らねばならぬ、――
是の、
『善男子、善女人は、前世に於いて!』、
『多く、諸仏を供養し親近した!』が故に、
是の、
『深い般若波羅蜜を聞きながら!』、
『驚くことも、怖畏することもないのである!』、と。
当然、こう知らねばならぬ、――
是の、
『人は、無量億劫中に!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『行じてきたのである!』、と。
爾時舍利弗白佛言。世尊。若有善男子善女人聞是深般若波羅蜜不驚不怖不畏。聞已受持親近如說習行。當知是善男子善女人如阿鞞跋致菩薩摩訶薩。 爾の時、舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、若し有る善男子、善女人、是の深般若波羅蜜を聞いて驚かず、怖れず、畏れず、聞き已りて受持し、親近し、如説に習行せば、当に知るべし、是の善男子、善女人は、阿鞞跋致の菩薩摩訶薩なるが如し。
爾の時、
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
『聞いて!』、
『驚懼せず!』、
『怖畏せず!』、
『聞いてから!』、
『受持し!』、
『親近して!』、
『如説に!』、
『習行すれば!』、
当然、こう知らねばなりません、――
是の、
『善男子、善女人』は、
『阿鞞跋致』の、
『菩薩摩訶薩のようである!』、と。
  参考:『大般若経巻297』:『爾時具壽舍利子白佛言。世尊。若善男子善女人等。聞此般若波羅蜜多甚深義趣。其心不驚不恐不怖。聞已書寫讀誦受持。如理思惟為他演說。或復隨力如教修行。當知是人如不退位諸菩薩摩訶薩。何以故。世尊。如是般若波羅蜜多。義趣甚深極難信解。若於先世不久修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。豈暫得聞即能信解。世尊。若善男子善女人等。聞說般若波羅蜜多毀訾誹謗。當知是人先世於此甚深般若波羅蜜多亦曾毀謗。何以故。世尊。是善男子善女人等。聞說如是甚深般若波羅蜜多。由宿習力不信不樂心不清淨。世尊。是善男子善女人等。未曾親近諸佛菩薩及弟子眾未曾請問。云何應行布施波羅蜜多。云何應行淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。』
何以故。世尊。是般若波羅蜜甚深。若先世不久行檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。終不能信解深般若波羅蜜。 何を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜は甚深にして、若し先世に久しく、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行ぜざれば、終に深般若波羅蜜を信解する能わざればなり。
何故ならば、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深い!』ので、
若し、
『先世より、久しく!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『行じてこなければ!』、
終に、
『深い般若波羅蜜』を、
『信解できないからです( having not full confidence in )!』。
  信解(しんげ):梵語 zraddhadhaana, zraadha, adhimukti の訳、信頼をもつ/信じる( having faith, trustful, believing, confidence )の義、仏の教に善福の信頼をもつこと( possessing full faith in the instructions of Buddha )の意。
世尊。若有善男子善女人呰毀深般若波羅蜜者。當知是人前世亦呰毀深般若波羅蜜。何以故。是善男子善女人聞說深般若波羅蜜時。無信無樂心不清淨。當知是善男子善女人。先世不問不難諸佛及弟子。云何應行檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。云何應修內空乃至云何應修無法有法空。云何應修四念處。乃至云何應修八聖道分。云何應修佛十力。乃至云何應修十八不共法。 世尊、若し有る善男子、善女人、深般若波羅蜜を呰毀すれば、当に知るべし、是の人は、前世にも亦た深般若波羅蜜を呰毀したらん。何を以っての故に、是の善男子、善女人は、深き般若波羅蜜を説くを聞く時、無信、無楽なるは、心清浄ならざればなり。当に知るべし、是の善男子、善女人は、先世に諸仏、及び弟子に問わず、難ぜず。云何が応に、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行ずべく、云何が応に、内空を修すべく、乃至云何が無法有法空を修すべく、云何が応に四念処を修すべく、乃至云何が応に八聖道分を修すべく、云何が仏の十力を修すべく、乃至云何が応に十八不共法を修すべき。
世尊!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰すれば!』、
当然、こう知るべきです、――
是の、
『人は、前世にも!』、
『深い般若波羅蜜』を、
『呰毀したのである!』。
何故ならば、
是の、
『善男子、善女人』は、
是の、
『深い般若波羅蜜が説かれる!』のを、
『聞いた!』時、
『信じることがなく!』、
『楽しまなかった!』が故に
『心』が、
『清浄でないからである!』、と。
当然、こう知るべきです、――
是の、
『善男子、善女人は、先世に!』
『諸仏と弟子』に、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『問うこともなく!』、
『難じることもなければ!』、
何故、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『行じることができるのでしょう?』。
何故、
『内空乃至無法有法空や、四念処乃至八聖道分』を、
『修めることができるのでしょう?』。
何故、
『仏の十力乃至十八不共法』を、
『修めることができるのでしょう?』。
釋提桓因語舍利弗。是深般若波羅蜜。若有善男子善女人。不久行檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。不行內空乃至無法有法空。不行四禪四無量心四無色定。不行四念處乃至八聖道分。不行佛十力乃至十八不共法。如是人不信解是深般若波羅蜜。有何可怪。 釈提桓因の舍利弗に語らく、『是の深般若波羅蜜は、若し有る善男子、善女人、久しく檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行ぜず、内空、乃至無法有法空を行ぜず、四禅、四無量心、四無色定を行ぜず、四念処、乃至八聖道分を行ぜず、仏の十力、乃至十八不共法を行ぜざれば、是の如き人の、是の深般若波羅蜜を信解せざること、何の怪しむべき有らん。
『釈提桓因』は、
『舍利弗』に、こう語った、――
是の、
『深い般若波羅蜜』は、
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『久しく!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を
『行じることもなく!』、
亦た、
『内空乃至無法有法空、四禅、四無量心、四無色定』を、
『行じることもなく!』、
亦た、
『四念処乃至八聖道分』を、
『行じることもなく!』、
亦た、
『仏の十力乃至十八不共法』を、
『行じることなければ!』、
是のような、
『人』が、
是の、
『深い、般若波羅蜜を信解しなかったとしても!』、
何のような、
『怪しむべきこと!』が、
『有るのか?』、と。
大德舍利弗。我禮般若波羅蜜。禮般若波羅蜜是禮一切智。 大徳舍利弗、我れは、般若波羅蜜を礼す。般若波羅蜜を礼するは、是れ一切智を礼するなり。
大徳舍利弗!
わたしは、
『般若波羅蜜』を、
『礼する!』。
『般若波羅蜜』を、
『礼する!』とは、――
則ち、
『一切智』を、
『礼するということである!』。
佛告釋提桓因。如是如是。憍尸迦。禮般若波羅蜜是禮一切智。何以故。憍尸迦。諸佛一切智皆從般若波羅蜜生。一切智即是般若波羅蜜。以是故憍尸迦。善男子善女人欲住一切智。當住般若波羅蜜。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、是の如し、憍尸迦、般若波羅蜜を礼するは、是れ一切智を礼するなり。何を以っての故に、憍尸迦、諸仏の一切智は、皆、般若波羅蜜より生ずれば、一切智は、即ち是れ般若波羅蜜なればなり。是を以っての故に、憍尸迦、善男子、善女人は、一切智に住せんと欲せば、当に般若波羅蜜に住すべし。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
憍尸迦!
『般若波羅蜜』を、
『礼する!』とは、
則ち、
『一切智』を、
『礼するということである!』。
何故ならば、
憍尸迦!
『諸仏の一切智』は、
皆、
『般若波羅蜜』より、
『生じるからであり!』、
即ち、
『一切智』が、
『般若波羅蜜だからである!』。
是の故に、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『一切智に住しようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』に、
『住さねばならぬのである!』。
若善男子善女人欲生道種智。當習行般若波羅蜜。欲斷一切諸結及習。當習行般若波羅蜜。 若し、善男子、善女人、道種智を生ぜんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべく、一切の諸結、及び習を断ぜんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。
若し、
『善男子、善女人』が、
『道種智を生じさせようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならぬ!』し、
『一切の諸結、習を断じようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならぬ!』。
善男子善女人欲轉法輪。當習行般若波羅蜜。 善男子、善女人、法輪を転ぜんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。
若し、
『善男子、善女人』が、
『法輪を転じようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならぬ!』。
善男子善女人欲得須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果。當習行般若波羅蜜。欲得辟支佛道。當習行般若波羅蜜。欲教眾生令得須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果辟支佛道。當習行般若波羅蜜。 善男子、善女人、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべく、辟支仏道を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべく、衆生を教えて、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏道を得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。
若し、
『善男子、善女人』が、
『須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならず!』、
若し、
『辟支仏道を得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならず!』、
又、
『衆生に教えて!』、
『須陀洹果乃至阿羅漢果、辟支仏道』を、
『得させようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならないのである!』。
若善男子善女人欲教眾生令得阿耨多羅三藐三菩提。若欲總攝比丘僧。當習行般若波羅蜜 若し、善男子、善女人、衆生を教えて、阿耨多羅三藐三菩提を得しめんと欲し、若しは比丘僧を総じて摂めんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。
若し、
『善男子、善女人』が、
『衆生を教えて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得させようとし!』、
若しは、
『比丘僧を総摂しようとすれば
to controll his all-over sangha )!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
  総摂(そうしょう):梵語 abhisamas, saMgrah の訳、一緒に置く/集める/群にする( to put together, collect, group )、一緒に把む/執る( seize or hold together )の義、( to controll an all-over group )の意。



【論】般若波羅蜜を聞いて信受する

【論】釋曰。釋提桓因是諸天主。利根智勝信佛法故倍復增益。如火得風愈更熾盡。聞須菩提以種種因緣讚般若波羅蜜佛以深理成其所讚。 釈して曰く、釈提桓因は、是れ諸天の主なり。利根にして、智勝れ、仏法を信ずるが故に倍して、復た増益すること、火の風を得て、愈更(いよいよさら)に、熾(も)え尽すが如し。須菩提の種種の因縁を以って、般若波羅蜜を讃ずるを聞き、仏は深理を以って、其の讃ずる所を成じたもう。
釈す、
『釈提桓因』は、
『諸天の主である!』が、
『利根であって!』、
『智』に、
『勝れながら!』、
『仏』の、
『法』を、
『信じる!』が故に、
『倍して復た(more and more)!』、
『智』が、
『増益した( to increase )!』。
譬えば、
『火が、風を得て!』、
『愈更に、熾え尽きる( to burn up and out )!』のと、
『同じである!』。
『須菩提』は、
『種種の因縁』で、
『般若波羅蜜』を、
『讃じた!』が、
『仏』は、
『須菩提の讃じる!』所を、
『深理を用いて!』、
『成じられた( to finish it )!』。
帝釋發希有心作是念。若善男子善女人得聞般若經耳者。是人於前世多供養諸佛作大功德。今世得遇好師同學等善知識。因先世供養佛。緣今世善知識故。聞般若波羅蜜能信。何況讀誦思惟正憶念修習禪定籌量分別義趣能成辦事者。 帝釈の希有の心を発して、是の念を作さく、『若し、善男子、善女人、般若経を聞くを得るのみならん、是の人は、前世に多く、諸仏を供養して、大功徳を作せば、今世に好き師、同学等の善知識に遇うを得るなり。先世に仏を供養せるに因り、今世の善知識に縁じ、故に般若波羅蜜を聞いて、能く信ず。何に況んや、読誦、思惟、正憶念して、禅定を修習し、義趣を籌量、分別して、能く事を成辦する者をや。
『帝釈』は、
『希有の心を発して!』、 こう念じた、――
若し、
『善男子、善女人』が、
但だ、
『般若経』を、
『聞いただけでも!』、
是の、
『人』は、
『前世』に、
『多く、諸仏を供養して!』、
『大功徳』を、
『作した!』が故に、
『今世』に、
『好師や、同学』等の、
『善知識』に、
『遇うことができ!』、
『先世』に、
『諸仏を供養したこと!』が、
『因となり!』、
『今世』の
『善知識』が、
『縁となった!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『聞いて!』、
『信じることができるのである!』。
況して、
『先世』に、
『般若波羅蜜』を、
『読誦し!』、
『思惟し!』、
『正憶念して!』、
『禅定』を、
『修習し!』、
『般若波羅蜜の義趣』を、
『籌量し!』、
『分別して!』、
『事( his works )』を、
『成辦する( to accomplish )ことのできた!』者は、
『尚更である!』。
當知是人從過去諸佛及弟子聞深般若波羅蜜義。信受不怖不畏。何以故。是人於無量阿僧祇劫行六波羅蜜等諸功德。是故雖未得阿鞞跋致地。於深法中不疑不悔。譬如新劈乾毳隨風東西濕毳紲緻則不可動。 当に知るべし、是の人は、過去の諸仏、及び弟子より、深般若波羅蜜の義を聞いて信受し怖れず、畏れず。何を以っての故に、是の人は、無量阿僧祇劫に於いて、六波羅蜜等の諸功徳を行ずれば、是の故に、未だ阿鞞跋致の地を得ずと雖も、深法中に於いて疑わず、悔いず。譬えば、乾毳を新に劈(さ)けば、風に随いて東西し、湿毳の紲(ひも)は緻(こまか)なれば、則ち動かすべからざるが如し。
当然、こう知らねばならぬ、――
是の、
『人』は、
『過去の諸仏と弟子』より、
『深い般若波羅蜜の義を聞いても!』、
『信受して!』、
『怖畏しなかったのである!』、と。
何故ならば、
是の、
『人』は、
『無量阿僧祇劫』に於いて、
『六波羅蜜』等の、
『諸の功徳』を、
『行ってきたからである!』。
是の故に、
未だ、
『阿鞞跋致の地を得ていない!』のに、
『深い法』中に於いて、
『疑うこともなく!』、
『悔いることもないのである!』。
譬えば、
『乾いた毳(にこげ)』を、
『新に劈けば( be newly divided into two sections )!』、
『風に随って!』、
『東西する( to move from east to west )!』が、
『湿った毳』は、
『紲となり( become a rope )!』、
『緻であり( being dense )!』、
『動かせないようなものである!』。
  (ひゃく):たたき切る/切り裂く/裂き割る( chop, cleave, split )。他本には、擘(ひゃく)に作るものあり。擘は、開く/分ける( open, devide )の義。
  (せち):索/紐/縄( cable, cord, rope )。
  (ち):緻密/精密( delicate, fine, dense )
新發意菩薩亦如是。不久修德作福。淺薄隨他人語。不能信受般若波羅蜜。若久修福德不隨他語。則能信受深般若波羅蜜不驚不怖。 新発意の菩薩も亦た是の如く、徳を修め、福を作すこと久しからざれば、浅薄にして、他人の語に随い、般若波羅蜜を信受する能わざるも、若し久しく、福徳を修めて、他の語に随わざれば、則ち能く深般若波羅蜜を信受して驚かず、怖れざるなり。
『新発意の菩薩』も、
是のように、
『久しく!』、
『徳を修めることもなく!』、
『福を作すこともなく!』、
『浅薄であり!』、
『他人の語』に、
『随う!』ので、
是の故に、
『般若波羅蜜』を、
『信受することができない!』が、
若し、
『久しく、福徳を修めれば!』、
『他人の語』に、
『随うこともない!』が故に、
『深い、般若波羅蜜を信受することができ!』、
『驚くこともなく!』、
『怖れることもないのである!』。
帝釋思惟念般若波羅蜜有無量功德。時舍利弗知帝釋所念而白佛言。世尊。善男子善女人。雖未入菩薩位。能信受深般若波羅蜜。不驚不怖如說修行。是人大福德智慧信力故。當知如阿鞞跋致無異。 帝釈の思惟し、般若波羅蜜に無量の功徳有るを念ずる時、舍利弗の帝釈の所念を知りて、仏に白して言さく、『世尊、善男子、善女人は、未だ菩薩位に入らずと雖も、能く深般若波羅蜜を信受して驚かず、怖れず、如説に修行すれば、是の人は、大福徳と智慧と信力の故に、当に知るべし、阿鞞跋致の如きに異無し』、と。
『帝釈が、思惟して!』、
『般若波羅蜜には、無量の功徳が有る!』と、
『念じた!』時、
『舍利弗』は、
『帝釈』の、
『念じる!』所を、
『知り!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『善男子、善女人』が、
『未だ、菩薩位に入らなくても!』、
『深い、般若波羅蜜を信受して!』、
『驚くこともなく、怖れることもなく!』、
『如説に、修行すれば!』、
是の、
『人』は、
『大福徳の智慧、信力』の故に、こう知らねばなりません、――
『阿毘跋致など!』と、
『異が無い!』、と。
此中佛自說因緣。般若波羅蜜甚深無相可取可信可受。若能信受是為希有。如人空中種殖是為甚難。一切凡夫得勝法則捨本事。如得禪定樂捨五欲樂。乃至依有頂處捨無所有處功德。不能無所依止而有所捨。如尺蠖尋條安前足進後足盡樹端更無所依止還歸本處。 此の中に、仏は自ら因縁を説きたまわく、『般若波羅蜜は甚深にして、相の取るべき、信ずべき、受くるべき無し。若し能く信受すれば、是れを希有と為す。人の空中に種殖するは、是れを甚だ難しと為すが如し。一切の凡夫は、勝法を得れば、則ち本事を捨つること、禅定の楽を得れば、五欲の楽を捨て、乃至有頂処に依れば、無所有処の功徳を捨て、依止する所無ければ、捨つる所有る能わざるが如し。尺蠖の條を尋ねて、前足を安(お)いて後足を進むるに、樹端を尽して、更に依止する所無ければ、還た本処に帰るが如し』、と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『因縁』を、こう説かれた、――
『般若波羅蜜は、甚だ深く!』、
『取、信、受すべき相』が、
『無い!』ので、
若し、
『信受することができれば!』、
『希有である!』。
譬えば、
『人が、空中に種を殖える!』のは、
『甚だ難しいようなものである!』、と。
『一切の凡夫』は、
『勝法を得れば!』、
『本の事( the previous things )』を、
『捨てるのであり!』、
譬えば、
『禅定の楽を得て!』、
『五欲の楽』を、
『捨てるようなものである!』が、
乃至、
『有頂処に依って!』、
『無所有処の功徳』を、
『捨ててしまえば!』、
『依止する所が無い!』のに、
『捨てる!』所は、
『有ることができなくなる!』。
譬えば、
『尺蠖( a inchworm )』が、
『條を尋ねて( seeking a twig )!』、
『前足を安いて( arranging his front feet on it )!』、
『後足を進めながら( to move forward his rear feet )!』、
『樹端が尽きて!』、
『更に、依止する所が無ければ!』、
『還た、本処に帰るようなものである!』。
  尺蠖(しゃくかく):尺取り虫( inchworm )。
是菩薩未得道。於般若波羅蜜無所依止。而能修福德捨五欲。是事希有。是中說因緣。是人先世信受久行六波羅蜜。大集諸福德。與信相違則毀呰般若波羅蜜。如厚福德者從久積集。不信毀呰者亦從久習。 是の菩薩は、未だ道を得ず、般若波羅蜜には依止する所無けれども、而も能く福徳を修めて、五欲を捨つ、是の事は希有なり。是の中に因縁を説かく、『是の人は、先世に信受して、久しく六波羅蜜を行じ、大いに諸の福徳を集す』、と。信と相違すれば、則ち般若波羅蜜を毀呰す。福徳厚き者の、久しきより積集せるが如く、毀呰する者を信ぜざるも亦た、久しきより習えばなり。
是の、
『菩薩は、未だ道を得ていない!』し、
『般若波羅蜜』には、
『依止する!』所が、
『無い!』が、
『福徳を修めて!』、
『五欲』を、
『捨てることができた!』。
是の、
『事』が、
『希有なのである!』。
是の中に、
『因縁』を、こう説いている、――
是の、
『人』は、
『先世に、般若波羅蜜を信受して!』、
『六波羅蜜』を、
『久しく!』、
『行いながら!』、
『諸の福徳』を、
『大いに!』、
『集めたのである!』が、
『先世に、信と相違すれば!』、
則ち、
『般若波羅蜜』を、
『毀呰したはずである!』。
譬えば、
『福徳の厚い!』者は、
『久しく!』、
『積集したからであるように!』、
『毀呰する者を信じない!』のも、
『久しく!』、
『六波羅蜜を習ったからなのである!』。
問曰。若先世毀呰誹謗應墮地獄。何緣復得聞般若。 問うて曰く、若し、先世に毀呰、誹謗すれば、応に地獄に堕すべし。何に縁りてか、復た般若を聞くを得る。
問い、
若し、
先世に、
『般若』を、
『毀呰、誹謗すれば!』、
当然、
『地獄』に、
『堕ちるはずである!』が、
何のような、
『縁』の故に、
復た、
『般若』を、
『聞くことができたのか?』。
答曰。有人言。是人墮地獄罪畢還來毀呰。不說次後身。 答えて曰く、有る人の言わく、『是の人は、地獄に堕ち、罪畢(おわ)りて、還来して毀呰せるも、次後の身なりと説かず』、と。
答え、
有る人は、こう言っている、――――
是の、
『人』は、
『地獄に堕ちて!』、
『罪』が、
『畢ったので( to finish )!』、
『人間に還来して( return to the mankind )!』、
『般若』を、
『毀呰したのであり!』、
『次後の身( the next body )』が、
『般若を毀呰する!』と、
『説いたのではない!』、と。
有人言。作業積集厚重則能與果報。是人前世雖不信。而積業未厚。則未得果報。以餘福德故生人中續復不信。 有る人の言わく、『作業積集して厚く重ければ、則ち能く果報を与う。是の人は、前世に信ぜずして、業を積むこと未だ厚からざれば、則ち未だ果報を得ずと雖も、餘の福徳を以っての故に、人中に生じ、続いて復た信ぜざるなり』、と。
有る人は、こう言っている、――
『作業( that what is done )』が、
『積集して( being aggregated )!』、
『厚く重くなる!』が故に、
則ち、
『果報』を、
『与えることができるのであり!』、
是の、
『人』は、
『前世に、般若を信じなかった!』が、
『積業( that what is aggregated )』が、
『未だ、厚くない!』ので、
則ち、
『果報』を、
『未だ、得なくても!』、
『餘の福徳の故に、人中に生じて!』、
『続いて!』、
『復た、信じないのである!』。
復次有人言。五逆罪次後身必受餘罪。不爾或次後身或久後身。 復た次ぎに、有る人の言わく、『五逆罪は、次後の身必ず受くるも、余罪は爾らず、或は次後の身、或は久しき後の身なり』、と。
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『五逆罪』は、
必ず
『次後の身』が、
『受けることになる!』が、
『餘の罪』は、
爾うでなく、
或は、
『次後の身』が、
『受け!』、
或は、
『久しき後の身』が、
『受けるのである!』、と。
爾時帝釋語舍利弗。是般若波羅蜜畢竟空無所有故甚深。菩薩不久行功德。則著心堅固信力微弱不信般若波羅蜜。乃至一切智何足怪。 爾の時、帝釈の舍利弗に語らく、『是の般若波羅蜜は、畢竟じて空、無所有なるが故に、甚だ深し。菩薩は、久しく功徳を行ぜざれば、則ち著心堅固にして、信力微弱なれば、般若波羅蜜、乃至一切智を信ぜず。何ぞ怪しむに足らん』、と。
爾の時、
『帝釈』は、
『舍利弗』に、こう語った、――
是の、
『般若波羅蜜は、畢竟空であり!』、
『無所有である!』が故に、
『甚だ深い!』。
『菩薩』が、
『久しく、功徳を行じていなければ!』、
『著心が、堅固である!』が故に、
『信力』が、
『微弱である!』。
若し、
『般若波羅蜜、乃至一切智を信じなくても!』、
何うして、
『怪しむ!』に、
『足ろうか?』。
帝釋思惟籌量。信般若波羅蜜福德無量。不信者得罪深重。深愛敬般若波羅蜜故發是言。我當禮是般若。何以故禮般若波羅蜜則為禮一切智。禮一切智者則禮三世十方諸佛。 帝釈の思惟、籌量すらく、『般若波羅蜜を信ずる福徳は無量なるも、信ぜざれば、得る罪は深重なり』、と。般若波羅蜜を深く愛し、敬うが故に、是の言を発す、『我れは当に是の般若を礼すべし』、と。何を以っての故に、般若波羅蜜を礼すれば、則ち一切智を礼すと為し、一切智を礼すれば、則ち三世十方の諸仏を礼するなり。
『帝釈の思惟、籌量した!』のは、こうである、――
『般若波羅蜜を信じる!』、
『福徳』は、
『無量である!』が、
『般若波羅蜜を信じなければ!』、
『深重な!』、
『罪を得ることになる!』、と。
『帝釈は、般若波羅蜜を深く愛敬する!』が故に、こう言を発した、――
わたしは、
是の、
『般若』を、
『礼せねばならない!』、と。
何故ならば、
『般若波羅蜜を礼すれば!』、
『一切智』を、
『礼したことになり!』、
『一切智を礼すれば!』、
『三世十方の諸仏』を、
『礼することになるからである!』。
爾時佛可其言。復說讚般若波羅蜜因緣。所謂諸佛一切智慧。皆從般若中生。是故言若有菩薩欲住一切智中乃至總攝比丘僧。當習行般若波羅蜜 爾の時、仏は、其の言を可として、復た般若波羅蜜を讃ずる因縁を説きたまえり。謂わゆる諸仏の一切の智慧は、皆般若中より生ず。是の故に言わく、『若し有る菩薩、一切智中に住し、乃至比丘僧を総摂せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし』、と。
爾の時、
『仏』は、
『帝釈の言』を、
『可として( to agree )!』、
復た、
『般若波羅蜜を讃じる因縁』を、
『説かれた!』。
謂わゆる、――
『諸仏』の、
『一切の智慧』は、
『皆、般若波羅蜜中より生じる!』、と。
是の故に、こう言われた、――
有る、
『菩薩』が、
若し、
『一切智中に住して!』、
乃至、
『比丘僧』を、
『総摂しようとすれば( want to govern )!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない( must practise repeatedly )!』、と。
  習行(じゅうぎょう):梵語 abhyaasa, pratisevyamaana の訳、乗算/反復/繰り返し( multiplication, reduplication, repetition )の義。反復的修行( a repetitious practice )、経典中に伝えられた義を、有る同一の言葉/文句を繰り返すという反復方法を以って教育すること( inculcation of a truth conveyed in sacred writings by means of repeating the same word or the same passage )、絶えず繰り返される練習( repeated or permanent exercise )の意。



【經】般若波羅蜜を習行する

【經】釋提桓因白佛言。世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜時。云何名住般若波羅蜜禪波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸羅波羅蜜檀波羅蜜。云何住內空乃至無法有法空。云何住四禪四無量心四無色定五神通。云何住四念處乃至八聖道分。云何住佛十力乃至十八不共法。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ぜんと欲する時、云何が般若波羅蜜、禅波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、羼提波羅蜜、尸羅波羅蜜、檀波羅蜜に住すと名づくる。云何が、内空、乃至無法有法空に住する。云何が四禅、四無量心、四無色定、五神通に住する。云何が四念処、乃至八聖道分に住する。云何が、仏の十力、乃至十八不共法に住する。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じようとする!』時
何故、
『般若、禅、毘梨耶、羼提、尸羅、檀波羅蜜』に、
『住することになるのですか?』。
何故、
『内空、乃至無法有法空』に、
『住するのですか?』、
何故、
『四禅、四無量心、四無色定、五神通』に、
『住するのですか?』、
何故、
『四念処、乃至八聖道分』に、
『住するのですか?』、
何故、
『仏の十力、乃至十八不共法』に、
『住するのですか?』。
  参考:『大般若経巻297』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。諸菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多時。云何住色云何住受想行識。云何習色。云何習受想行識。云何住眼處。云何住耳鼻舌身意處。云何習眼處。云何習耳鼻舌身意處。云何住色處。云何住聲香味觸法處。云何習色處。云何習聲香味觸法處。』
世尊。菩薩摩訶薩云何習行般若波羅蜜乃至檀波羅蜜內空乃至十八不共法。 世尊、菩薩摩訶薩は、云何が般若波羅蜜、乃至檀波羅蜜、内空、乃至十八不共法を習行する。
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
何のように、
『般若乃至檀波羅蜜や、内空、乃至十八不共法』を、
『習行するのですか?』。
佛語釋提桓因。善哉善哉。憍尸迦。汝能樂問是事。皆是佛神力。 仏の釈提桓因に語りたまわく、『善い哉、善い哉、憍尸迦、汝が、能く楽しんで是の事を問うは、皆、是れ仏の神力なり』。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう語られた、――
善いぞ、善いぞ!
憍尸迦!
お前が、
是の、
『事を問う!』のを
『楽しむことができた!』のは、
皆、
『仏の神力である!』。
憍尸迦。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。若不住色中為習行般若波羅蜜。若不住受想行識中為習行般若波羅蜜。眼耳鼻舌身意色聲香味觸法。眼界乃至意識界亦如是。 憍尸迦、若し菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ずる時、若し色中に住せざれば、般若波羅蜜を習行すと為す。若し受想行識中に住せざれば、般若波羅蜜を習行すと為す。眼耳鼻舌身意、色声香味触法、眼界、乃至意識界も亦た是の如し。
憍尸迦!
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
若し、
『色中に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行する(≒住する)ことになり!』、
若し、
『受想行識中に、住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することになり!』、
亦た、
『眼耳鼻舌身意、色声香味触法、眼界乃至意識界』も、
『是の通りである!』。
  参考:『大般若経巻297』:『爾時佛告天帝釋言。憍尸迦。善哉善哉。汝於今者承佛神力。能問如來如是深義。諦聽諦聽善思念之。當為汝說。憍尸迦。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若於色不住不習。是為住習色。若於受想行識不住不習。是為住習受想行識。何以故。憍尸迦。以所住習色乃至識不可得故。憍尸迦。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若於眼處不住不習。是為住習眼處。若於耳鼻舌身意處不住不習。是為住習耳鼻舌身意處。何以故。憍尸迦。以所住習眼處乃至意處不可得故。憍尸迦。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若於色處不住不習。是為住習色處。若於聲香味觸法處不住不習。是為住習聲香味觸法處。何以故。憍尸迦。以所住習色處乃至法處不可得故。』
憍尸迦。若菩薩摩訶薩不住般若波羅蜜中。為習般若波羅蜜。不住禪波羅蜜中為習禪波羅蜜。不住毘梨耶波羅蜜中為習毘梨耶波羅蜜。不住羼提波羅蜜中為習羼提波羅蜜。不住尸羅波羅蜜中為習尸羅波羅蜜。不住檀波羅蜜中為習檀波羅蜜。 憍尸迦、若し菩薩摩訶薩、般若波羅蜜中に住せざれば、般若波羅蜜を習うと為し、禅波羅蜜中に住せざれば、禅波羅蜜を習うと為し、毘梨耶波羅蜜中に住せざれば、毘梨耶波羅蜜を習うと為し、羼提波羅蜜中に住せざれば、羼提波羅蜜を習うと為し、尸羅波羅蜜中に住せざれば、尸羅波羅蜜を習うと為し、檀波羅蜜中に住せざれば、檀波羅蜜を習うと為す。
憍尸迦!
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜中に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習うことになり!』、
『禅波羅蜜中に住しなければ!』、
『禅波羅蜜』を、
『習うことになり!』、
『毘梨耶波羅蜜中に住しなければ!』、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『習うことになり!』、
『羼提波羅蜜中に住しなければ!』、
『羼提波羅蜜』を、
『習うことになり!』、
『尸羅波羅蜜中に住しなければ!』、
『尸羅波羅蜜』を、
『習うことになり!』、
『檀波羅蜜中に住しなければ!』、
『檀波羅蜜』を、
『習うことになるのである!』。
如是憍尸迦。是名菩薩摩訶薩不住般若波羅蜜為習般若波羅蜜。 是の如し、憍尸迦、是れを菩薩摩訶薩の、般若波羅蜜に住せざるを、般若波羅蜜を習うと為すと名づく。
是のように、
憍尸迦!
是れが、
『菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習うことになるというのである!』、と。
憍尸迦。不住內空中為習內空。乃至不住無法有法空為習無法有法空。不住四禪為習四禪。不住四無量心為習四無量心。不住四無色定為習四無色定。不住五神通為習五神通。不住四念處為習四念處。乃至不住八聖道分為習行八聖道分。不住佛十力為習行佛十力。乃至不住十八不共法。為習行十八不共法。 憍尸迦、内空中に住せざるを、内空を習うと為し、乃至無法有法空に住せざるを、無法有法空を習うと為す。四禅に住せざるを、四禅を習うと為し、四無量心に住せざるを、四無量心を習うと為し、四無色定に住せざるを、四無色定を習うと為し、五神通に住せざるを、五神通を習うと為し、四念処に住せざるを、四念処を習うと為し、乃至八聖道分に住せざるを、八聖道分を習行すと為し、仏の十力に住せざるを、仏の十力を習行すと為し、乃至十八不共法に住せざるを、十八不共法を習行すと為す。
憍尸迦、
『内空、乃至無法有法空中に住しなければ!』、
『無法有法空』を、
『習うことになり!』、
『四禅、四無量心、四無色定、五神通中に住しなければ!』、
『五神通』を、
『習うことになり!』、
『四念処、乃至八聖道分中に住しなければ!』、
『八聖道分』を、
『習うことになり!』、
『仏の十力、乃至十八不共法中に住しなければ!』、
『十八不共法』を、
『習うことになる!』。
何以故。憍尸迦。是菩薩不得色可住可習處。乃至十八不共法不得十八不共法可住可習處。 何を以っての故に、憍尸迦、是の菩薩は、色の住すべき、習うべき処を得ず、乃至十八不共法まで、十八不共法の住すべき、習うべき処を得ざればなり。
何故ならば、
憍尸迦!
是の、
『菩薩』は、
『住したり、習うべき処であるような!』、
『色、乃至十八不共法』を、
『得ない( does not recognize )からである!』。
復次憍尸迦。菩薩摩訶薩不習色。若不習色是名習色受想行識。乃至十八不共法亦如是。 復た次ぎに、憍尸迦、菩薩摩訶薩は、色を習わず。若し色を習わざれば、是れを色を習うと名づく。受想行識、乃至十八不共法も亦た、是の如し。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『菩薩摩訶薩』は、
『色』を、
『習わない!』。
若し、
『色を習わなければ!』、
『色を習うことになり!』、
亦た、
『受想行識、乃至十八不共法』も、
『是の通りである!』。
何以故。是菩薩摩訶薩色前際不可得。中際不可得。後際不可得。乃至十八不共法亦如是。 何を以っての故に、是の菩薩摩訶薩には、色の前際は不可得、中際は不可得、後際は不可得なればなり。乃至十八不共法も、亦た是の如し。
何故ならば、
是の、
『菩薩摩訶薩』には、
『色』の、
『前際、中際、後際
past time, present time and future time )!』が、
『不可得であり!』、
乃至、
『十八不共法の前際、中際、後際』も、
『是の通りだからである!』。
舍利弗白佛言。世尊。是般若波羅蜜甚深。 舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は甚だ深し』、と。
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深いです!』、と。
  参考:『大般若経巻298』:『時舍利子復白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多難可測量。佛言如是。舍利子。色真如難測量故般若波羅蜜多難可測量。受想行識真如難測量故般若波羅蜜多難可測量。舍利子。眼處真如難測量故般若波羅蜜多難可測量。耳鼻舌身意處真如難測量故般若波羅蜜多難可測量。』
佛言。色如甚深故。般若波羅蜜甚深。受想行識如甚深故。般若波羅蜜甚深。乃至十八不共法亦如是。 仏の言わく、『色の如の甚深なるが故に、般若波羅蜜は甚深なり。受想行識の如の甚深なるが故に、般若波羅蜜は甚深なり。乃至十八不共法も亦た是の如し』、と。
『仏』は、 こう言われた、――
『色』の、
『如が、甚だ深い!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深いのであり!』、
『受想行識』の、
『如が、甚だ深い!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深いのである!』。
乃至、
『十八不共法の如』も、
『是の通りである!』、と。
舍利弗言。世尊。是般若波羅蜜難可測量。佛言。色難可測量故。般若波羅蜜難可測量。受想行識乃至十八不共法難可測量故。般若波羅蜜難可測量。 舍利弗の言わく、『世尊、是の般若波羅蜜は測量すべきこと難し。』、と。仏の言わく、『色の測量すべきこと難きが故に、般若波羅蜜は測量すべきこと難し。受想行識、乃至十八不共法の測量すべきこと難きが故に、般若波羅蜜は測量すべきこと難し』。
『舍利弗』は、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜を測量する!』のは、
『難しいです!』、と。
『仏』は、こう言われた、――
『色を測量することが、難しい!』が故に、
『般若波羅蜜を測量する!』のが、
『難しく!』、
『受想行識、乃至十八不共法を測量することが、難しい!』が故に、
『般若波羅蜜を測量する!』のが、
『難しいのである!』。
世尊。是般若波羅蜜無量。佛言。色無量故。般若波羅蜜無量。受想行識乃至十八不共法無量故。般若波羅蜜無量。 『世尊、是の般若波羅蜜は無量なり』。仏の言わく、『色の無量なるが故に、般若波羅蜜は無量なり。受想行識、乃至十八不共法の無量なるが故に、般若波羅蜜は無量なり』、と。
――
是の、
『般若波羅蜜』は、
『無量です!』。
『仏』は、こう言われた、――
『色が、無量である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『無量であり!』、
『受想行識、乃至十八不共法が無量である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『無量である!』。
佛告舍利弗。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不行色甚深為行般若波羅蜜。不行受想行識。乃至不行十八不共法甚深。為行般若波羅蜜。 仏の舍利弗に告げたまわく、『若し菩薩摩訶薩の、般若波羅蜜を行ずる時、色の甚深なるを行ぜざるを、般若波羅蜜を行ずと為し、受想行識を行ぜず、乃至十八不共法の甚深なるを行ぜざるを、般若波羅蜜を行ずと為す。
『仏』は、
『舍利弗』に、こう告げられた、――
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色が甚だ深い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになり!』、
『受想行識乃至十八不共法が甚だ深い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになる!』。
  (ぎょう):思う( think )、梵語 cintaa の訳、考察/思索( consideration, thought )の義。心行に同じ。『大智度論巻11下、同巻64上注:行』参照。
  参考:『大般若経巻298』:『爾時舍利子白佛言。世尊。云何菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多。佛言。舍利子。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。不行色甚深性是行般若波羅蜜多。不行受想行識甚深性是行般若波羅蜜多。何以故。舍利子。色甚深性則非色。受想行識甚深性則非受想行識故。舍利子。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。不行眼處甚深性是行般若波羅蜜多。不行耳鼻舌身意處甚深性是行般若波羅蜜多。』
何以故。色甚深相為非色。受想行識乃至十八不共法甚深相。為非十八不共法。如是不行為行般若波羅蜜。 何を以っての故に、色の甚深の相は、色に非ずと為し、受想行識、乃至十八不共法の甚深の相は、十八不共法に非ずと為し、是の如く行ぜざるを、般若波羅蜜を行ずと為せばなり。
何故ならば、
『色が、甚だ深いという!』、
『相( the aspect )』は、
『色でなく!』、
『受想行識乃至十八不共法が甚だ深いという!』、
『相』は、
『十八不共法でないからである!』。
是のように、
『色乃至十八不共法を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
舍利弗。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不行色難測量。為行般若波羅蜜。不行受想行識乃至不行十八不共法難測量。為行般若波羅蜜。 舍利弗、若し菩薩摩訶薩の、般若波羅蜜を行ずる時、色の測量し難きを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為し、受想行識を行ぜず、乃至十八不共法の測量し難きを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為す。
舍利弗!
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色は測量し難い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになり!』、
『受想行識乃至十八不共法は測量し難い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになる!』。
何以故。色難測量相為非色。受想行識乃至十八不共法難測量相。為非十八不共法。 何を以っての故に、色の測量し難き相は、色に非ずと為し、受想行識、乃至十八不共法の測量し難き相は、十八不共法に非ずと為せばなり。
何故ならば、
『色の、測量し難いという!』、
『相』は、
『色でなく!』、
『受想行識乃至十八不共法の、測量し難いという!』、
『相』は、
『十八不共法でないからである!』。
舍利弗。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不行色無量。為行般若波羅蜜。不行受想行識乃至不行十八不共法無量。為行般若波羅蜜。 舍利弗、若し菩薩摩訶薩の、般若波羅蜜を行ずる時、色の無量なるを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為し、受想行識を行ぜず、乃至十八不共法の無量なるを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為す。
舍利弗!
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色が無量である、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになり!』、
『受想行識乃至十八不共法は無量である、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じることになる!』。
  参考:『大般若経巻299』:『復次舍利子。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。不行色無量性是行般若波羅蜜多。不行受想行識無量性是行般若波羅蜜多。何以故。舍利子。色無量性則非色。受想行識無量性則非受想行識故。舍利子。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。不行眼處無量性是行般若波羅蜜多。不行耳鼻舌身意處無量性是行般若波羅蜜多。何以故。舍利子。眼處無量性則非眼處。耳鼻舌身意處無量性則非耳鼻舌身意處故。舍利子。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。不行色處無量性是行般若波羅蜜多。不行聲香味觸法處無量性是行般若波羅蜜多。何以故。舍利子。色處無量性則非色處。聲香味觸法處無量性則非聲香味觸法處故。』
何以故。色是無量相為非色。受想行識乃至十八不共法無量相。為非十八不共法。 何を以っての故に、色の是れ無量の相なるは、色に非ずと為し、受想行識、乃至十八不共法の無量の相は、十八不共法に非ずと為せばなり。
何故ならば、
『色の、無量であるという!』、
『相』は、
『色でなく!』、
『受想行識乃至十八不共法の、無量であるという!』、
『相』は、
『十八不共法でないからである!』。
舍利弗白佛言。世尊。是般若波羅蜜甚深。甚深相難見難解不可思量。不應在新發意菩薩前說。何以故。新發意菩薩聞是甚深般若波羅蜜。或當驚怖心生疑悔。不信不行是甚深般若波羅蜜。當在阿鞞跋致菩薩摩訶薩前說。是菩薩聞是甚深般若波羅蜜不驚不怖心不疑悔。則能信行。 舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は甚深なるも、甚深の相は難見、難解にして思量すべからず。応に新発意の菩薩の前に在りて説くべからず。何を以っての故に、新発意の菩薩、是の甚深の般若波羅蜜を聞かば、或は当に驚怖して、心に疑悔を生じ、信ぜず、行ぜざらん。是の甚深の般若波羅蜜は、当に阿鞞跋致の菩薩摩訶薩の前に在りて説くべし。是の菩薩は、是の甚深の般若波羅蜜を聞いて、驚かず、怖れず、心に疑悔せざれば、則ち能く信行せん』、と。
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜は甚だ深い!』が
『甚だ深い相』は、
『難見、難解であり!』、
『思量できない( cannot be considered )!』ので、
『般若波羅蜜の相』を、
『新発意の菩薩の前で!』、
『説くべきではありません!』。
何故ならば、
『新発意の菩薩』が、
是の、
『甚だ深い、般若波羅蜜を聞けば!』、
或は、
『驚怖し、疑悔を生じて!』、
『信じることも、行じることもないからです!』。
是の、
『甚だ深い、般若波羅蜜』は、
『阿毘跋致の菩薩摩訶薩の前で!』、
『説かれるべきです!』。
是の、
『菩薩ならば!』、
是の、
『甚だ深い、般若波羅蜜を聞いても!』、
『驚怖することもなく!』、
『心に疑悔することもない!』ので、
則ち、
『信じることができ!』、
『行じることになるでしょう!』。
  思量(しりょう):深く考える( consider )。
  参考:『大般若経巻299』:『爾時舍利子。白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多既最甚深。難測無量難可信解。不應在彼新學大乘菩薩前說勿彼聞此甚深般若波羅蜜多。其心驚惶恐怖疑惑不能信解。但應在彼不退轉位菩薩前說。彼聞如是甚深般若波羅蜜多。心不驚惶不恐不怖亦無疑惑。聞已信解受持讀誦。如理思惟為他演說。時天帝釋問舍利子言。大德。若在新學大乘菩薩前。說如是甚深般若波羅蜜多有何過失。舍利子言。憍尸迦。若在新學大乘菩薩前。說如是甚深般若波羅蜜多。彼聞驚惶恐怖疑惑。不能信解或生毀謗。由斯造作增長能感墮惡趣業。沒三惡趣久處生死。難得無上正等菩提。是故不應在彼新學菩薩前說甚深般若波羅蜜多。』
釋提桓因問舍利弗。若在新發意菩薩摩訶薩前。說是深般若波羅蜜有何等過。 釈提桓因の舍利弗に問わく、『若し新発意の菩薩の前に在りて、是の深般若波羅蜜を説かば、何等の過か有らん』、と。
『釈提桓因』は、
『舍利弗』に、こう問うた、――
若し、
『新発意の菩薩の前』で、
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
『説けば!』、
何のような、
『過( mistake )』が、
『有るのか?』、と。
舍利弗報釋提桓因。憍尸迦。若在新發意菩薩前。說是深般若波羅蜜。或當驚怖呰毀不信。是新發意菩薩或有是處。若新發意菩薩聞是深般若波羅蜜毀呰不信。種三惡道業。是業因緣故。久久難得阿耨多羅三藐三菩提 舍利弗の釈提桓因に報(こた)うらく、『憍尸迦、若し新発意の菩薩の前に在りて、是の深般若波羅蜜を説かば、或は当に驚怖し、毀呰して信ぜざるべし。是の新発意の菩薩は、或は是の処有らん。若し新発意の菩薩、是の深般若波羅蜜を聞いて、呰毀し信ぜざれば、三悪道の業を種えん。是の業の因縁の故に、久久にして、阿耨多羅三藐三菩提を得ること難からん』、と。
『舍利弗』は、
『釈提桓因』に、こう答えた、――
憍尸迦!
若し、
『新発意の菩薩の前』で、
是の、
『深い般若波羅蜜を説けば!』、
或は、
『驚怖し( to surprise )!』、
『毀呰し( to slander )!』、
『信じない!』ので、
是の、
『新発意の菩薩』は、
或は、
『是処( the suitable place )』が、
『有るだろう!』。
若し、
『新発意の菩薩』が、
是の、
『深い般若波羅蜜を聞いて!』、
『毀呰し!』、
『信じなければ!』、
『三悪道』の、
『業』を、
『種えることになり!』、
是の、
『業の因縁』の故に、
久久に、
『阿耨多羅三藐三菩提を得る!』のが、
『難しいだろう!』、と。
  驚怖(きょうふ):驚く( surprise )。
  毀呰(きし):謗る( slander )。
  (ぜ):<形容詞>[本義]正しい( right )。的確/正確な( correct )、凡( every, any )。<代名詞>此れ/其れ( this, that )。<動詞>訂正する( correct )、賛同/肯定( praise, justify )、従う( follow )、[肯定判断]である( be )、存在( be, exist )、[適合表示]相応しい( be suit )。<連詞>而し( although )、に因り( because of )、亦たは/又は( whether ... or )、或は( or )。<名詞>業務/事務( affairs )。
  (しょ):場所( place )、居住/生活( dwell )、懲罰( punish )、処理( manage )、処置/所求( treat )、審理/裁決( judge )、担当/統括( ake charge of, preside over )。



【論】般若波羅蜜を習行する

【論】釋曰。爾時帝釋從佛聞讚般若波羅蜜具足故今問佛。菩薩云何住般若波羅蜜。從禪波羅蜜乃至十八不共法。 釈して曰く、爾の時、帝釈は、仏より、般若波羅蜜の具足を讃ずるを聞いて、故に今仏に問わく、『菩薩は、云何が、般若波羅蜜に住して、禅波羅蜜より、乃(すな)わち十八不共法に至る』、と。
釈す、
爾の時、
『帝釈』は、
『仏』が、
『般若波羅蜜は具足している、と讃じられる!』のを、
『聞いた!』が故に、
今、
『仏』に、こう問うた、――
『菩薩』は、
何のように
『般若波羅蜜に住して!』、
『禅波羅蜜より!』、
『乃ち( gradually )、十八不共法に至るのですか?』、と。
佛讚言善哉善哉者。以釋提桓因諸天中主言必可信。問是事斷大眾疑。通達無礙能大利益故言善哉善哉。 仏の讃じて、『善い哉、善い哉』、と言えるは、釈提桓因は諸天中の主にして、言必ず信ずべく、是の事を問えば、大衆の疑を断じて通達無礙ならしめ、能く大利益するを以っての故に、『善い哉、善い哉』、と言えり。
『仏』が、
『帝釈を讃じて!』、
『善いぞ、善いぞ!』と、
『言われた!』のは、
『釈提桓因は、諸天の主であり!』、
『言( his words )』は、
必ず、
『人』に、
『信じられる!』ので、
是の、
『事を問えば!』、
『大衆の疑を、断じて!』、
『通達無礙にすることができ!』、
大いに、
『大衆』を、
『利益することになる!』ので、
是の故に、
『善いぞ、善いぞ!』と、
『言われたのである!』。
復次佛以帝釋能捨上妙五欲七寶宮殿能問佛賢聖所行事。是故言善哉。以佛神力故汝能樂問此事。 復た次ぎに、帝釈は、能く上妙の五欲、七宝の宮殿を捨てて、能く仏に賢聖の所行の事を問うを以って、是の故に言わく、『善い哉、仏の神力を以っての故に、汝は、能く楽しんで、此の事を問えり』、と。
復た次ぎに、
『仏』は、
『帝釈』が、
『上妙の五欲や、七宝の宮殿を『捨てることができ!』、
『仏』に、
『賢聖の所行の事、を問うことができる!』ので、
是の故に、 こう言われたのである、――
善いぞ!
『仏の神力』の故に、
お前は、
是の、
『事』を、
『楽しんで問うことができたのだ!』、と。
是中更有上妙諸天。觀佛神德無量。今帝釋能於大眾中諮問佛事故。是佛威神。如持心經說。佛光明入身中能問佛事。 是の中に、更に上妙の諸天有りて、仏の神徳の無量なるを観る。今、帝釈の、能く大衆中に於いて、仏事を諮問する故(ゆえ)は、是れ仏の威神なり。『持心経』に、『仏の光明、身中に入りて、能く仏事を問う』、と説けるが如し。
是の中には、
更に( further more )、
『上妙の諸天が有り!』、
『仏の神徳が、無量である!』のを、
『観たのである!』が、
今、
『帝釈が大衆中に於いて、仏事を諮問することができた!』、
『故( the reason )』も、
『仏の威神である!』。
例えば、
『持心経』に、こう説く通りである、――
『仏の光明が、身中に入った!』ので、
『仏事』を、
『問うことができた!』、と。
  参考:『思益梵天所問経巻1』:『佛告網明。如是如是。如汝所言。若佛不加威神。眾生無有能見佛身。亦無能問。網明當知。如來有光名寂莊嚴。若有眾生遇斯光者。能見佛身不壞眼根。又如來光名無畏辯。若有眾生遇斯光者。能問如來其辯無盡。又如來光名集諸善根。若有眾生遇斯光者。能問如來轉輪聖王行業因緣。又如來光名淨莊嚴。若有眾生遇斯光者。能問如來天帝釋行業因緣。又如來光名得自在。若有眾生遇斯光者。能問如來梵天王行業因緣。又如來光名離煩惱。若有眾生遇斯光者。能問如來聲聞乘所行之道。又如來光名善遠離。若有眾生遇斯光者。能問如來辟支佛所行之道。』
佛答憍尸迦。若菩薩不住色等。是習行般若波羅蜜者。是菩薩見色無常苦等過罪故不住色。若不住色即是能習行般若波羅蜜。 仏の答えたまわく、『憍尸迦、若し菩薩、色等に住せざれば、是れ般若波羅蜜を習行するなり』とは、是の菩薩は、色の無常、苦等の過罪を見るが故に、色に住せず。若し色に住せざれば、即ち是れ能く般若波羅蜜を習行するなり。
『仏』は、 こう答えられたが、――
憍尸迦!
若し、
『菩薩が、色等に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行するということである!』、と。
是の、
『菩薩』は、
『色の無常、苦等の過罪を見る!』が故に、
『色』に、
『住しない!』が、
若し、
『色に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することができたということである!』。
凡夫人見色著色故起顛到煩惱。失是般若波羅蜜道。以是故不住者。能習行般若波羅蜜。五眾十二入十八界亦如是。 凡夫人は、色を見て、色に著するが故に、顛倒の煩悩を起し、是の般若波羅蜜の道を失う。是を以っての故に、住しざる者は、能く般若波羅蜜を習行す。五衆、十二入、十八界も亦た是の如し。
『凡夫人』は、
『色を見て、色に著する!』が故に、
『顛倒の煩悩』を、
『起す!』ので、
是の、
『般若波羅蜜の道』を、
『失う!』が、
是の故に、
『色に住しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することができるのであり!』、
亦た、
『五衆、十二入、十八界』も、
『是の通りである!』。
問曰。何以故。不住六波羅蜜等。各各自習其行。 問うて曰く、何を以っての故に、六波羅蜜等に住せざれば、各各、自ら其の行を習う。
問い、
何故、
『六波羅蜜等に住しなければ!』、
各各、
『自行』を、
『習う( to repeat )ことになるのですか?』。
答曰。是六波羅蜜等皆是善法行法。以是故說不住六度等。言各習其行。眾界入為習行般若波羅蜜。若於是法中不著則斷愛著。斷愛著故色等諸法中清淨習。 答えて曰く、是の六波羅蜜等は、皆是れ善法の行法なり。是を以っての故に、六度等に住せざるを説いて、各其の行を習うと言う。衆、界、入は般若波羅蜜を習行せんが為めにして、若し是の法中に於いて、著せざれば、則ち愛著を断じ、愛著を断ずるが故に、色等の諸法中に清浄に習えばなり。
答え、
是の、
『六波羅蜜は、皆善法の行法であり!』、
是の故に、
『六度(六波羅蜜)等に住しない!』と、
『説き!』、
各各が、
『自行を習う!』と、
『言うのである!』。
『衆界入』は、
『般若波羅蜜を習行する為めの法であり!』、
是の、
『法中に著さなければ!』、
『愛著』を、
『断じることなり!』、
『愛著を断じる!』が故に、
『色等の諸法』中に、
『清浄に習うからである!』。
此中說不住因緣。所謂不得色等法住處。不得色等法習處。 此の中に住せざる因縁を説かく、謂わゆる、色等の法の住する処を得ず、色等の法の習う処を得ず、と。
此の中に、
『 不住の因縁』が、
『説かれており!』、
謂わゆる、
『色等の法』の、
『住処』を、
『得ず( do not recognize )!』、
『色等の法』の、
『習処』を、
『得ないからである!』、と。
復次佛以此事難解故更說因緣。不習色者是菩薩見色過故不住色中。不住故不習。習色名取色相。若常若無常等。 復た次ぎに、仏は、此の事の難解なるを以っての故に、更に因縁を説きたまわく、『色を習わずとは、是れ菩薩は、色の過を見るが故に、色中に住せず、住せざるが故に習わず』、と。色を習うを色相を取ると名づく。若しは常、若しは無常等なり。
復た次ぎに、
『仏』は、
此の、
『事』は、
『難解である!』が故に、
更に、
『因縁』を、
『説かれたのである!』が、
『色を習わない!』とは、
是の、
『菩薩』は、
『色の過を見る
observing the falsehood of outward appearances )!』が故に、
『色』中に、
『住さず!』、
『色中に住しない!』が故に、
『色』を、
『習わないのである!』。
『色を習えば!』、
『常とか、無常とかの色相』を、
『取ることになる!』。
復次菩薩常行善法。正語正業等。積習純厚故名習色。 復た次ぎに、菩薩は常に善法を行じて、正語、正業等積習して、純ら厚きが故に、色を習うと名づく。
復た次ぎに、
『菩薩』が、
『常に、善法を行じれば!』、
『正語、正業』等が、
『積習して( being aggregated successively )!』、
『純厚になる( be pure and substantial )!』が故に、
是れを、
『色を習う!』と、
『称するのである!』。
  積習(しゃくじゅう):継続的に積み重なる( aggregated successively )。
  純厚(じゅんこう):純粋で実質的( pure and substantial )。
今菩薩欲行般若故。散壞是色不習。所以者何。過去色已滅。未來色未有故不可習。現在色生時即滅故不住。若住一念尚無習。何況念念滅。是故此中說不習色因緣。三世色不可得。乃至十八不共法亦如是。 今、菩薩は般若を行ぜんと欲するが故に、是の色を散壊すれば、習わず。所以は何んとなれば、過去の色は已に滅し、未来の色は未だ有らざるが故に、習うべからず。現在の色は、生時に既に滅するが故に住せず。若し住すること一念なれば、尚お習無し。何に況んや、念念に滅するをや。是の故に、此の中に、色を習わざる因縁を説かく、『三世の色は、得べからず、乃至十八不共法も亦た是の如し』、と。
今、
『菩薩は、般若を行じようとする!』が故に、
是の、
『色』を、
『散壊して( to break up )!』、
『習わないのである!』が、
何故ならば、
『過去』の、
『色』は、
『已に、滅し!』、
『未来』の、
『色』は、
『未だ、有ることがない( does not exist yet )!』ので、
是の故に、
『色』を、
『習うことはできず!』、
『現在』の、
『色』は、
『生時に即滅する!』が故に、
『住することがない!』。
若し、
『一念ぐらい住したとしても!』、
尚お、
『習すること( the repetition )!』は、
『無い!』。
況して、
『念念に滅すれば!』、
『尚更である!』。
是の故に、
此の中に、
『色を習わない!』、
『因縁』が、
『説かれている!』。
謂わゆる、
『三世の色』は、
『不可得であり!』、
乃至、
『十八不共法』も、
『是の通りである!』、と。
若能如是觀諸法散壞不取相。是名能習色等諸法實相。 若し、能く是の如く、諸法の散壊を観て、相を取らざれば、是れを能く、色等の諸法の実相を習うと名づく。
若し、
是のように、
『諸法の散壊、を観て!』、
『相』を、
『取らなければ!』、
是れが、
『色等の諸法』の、
『実相』を、
『習うということである!』。
爾時舍利弗從佛聞是義。歡喜深入空智。白佛。般若波羅蜜甚深。佛然可成其所讚。色等諸法如故甚深。 爾の時、舍利弗は、仏より、是の義を聞いて歓喜し、空智に深入して、仏に白さく、『般若波羅蜜は、甚深なり』、と。仏は然可して、其の讃ずる所を成じたまわく、『色等の諸法の如の故に甚深なり』、と。
爾の時、
『舍利弗』は、
『仏より!』、
是の、
『義を聞いて、歓喜し!』、
『深く、空智に入り( to understand deeply the emptiness )!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深いです!』、と。
『仏』は、
『舎利弗の讃じる所を、然可して
agreeing on what is praised by Sariputra )!』、
『般若波羅蜜の義を成就する為め!』に、こう言われた、――
『色等の諸法』の、
『如である!』が故に、
『甚だ深いのである!』、と。
  然可(ねんか):同意( agree )。
佛語不但眼見色甚深。以般若波羅蜜分別色入如實故甚深。如雨渧渧不名甚深和合眾流入於大海乃名甚深。色等亦如是。 仏の語りたまわく、『但だ眼に見る色の甚深なるにあらず、般若波羅蜜の色を分別して、如実に入るを以っての故に甚深なり。雨の渧渧たるを甚深と名づけず、衆流に和合して、大海に入りて、乃ち甚深と名づくるが如く、色等も亦た是の如し』、と。
『仏』は、 こう語られた、――
但だ、
『眼に見る!』、
『色』が、
『甚だ深いだけではない!』。
『般若波羅蜜を用いて、色を分別すれば!』、
『如実に入る( to understand as it truly is )!』が故に、
『甚だ深いのである!』。
譬えば、
『雨の渧渧( raindrops )』を、
『甚だ深い!』と、
『称することはない!』が、
『衆流に和合して、大海に入れば!』、
乃ち( then )、
『甚だ深い!』と、
『称するようなものであり!』、
亦た、
『色等の諸法』も、
『是の通りである!』。
  渧渧(たいたい):滴滴に同じ。
天眼肉眼見淺而不深。若以慧眼觀則深不可測。甚深故難可測量。唯有諸佛乃盡其底。 天眼、肉眼の見は浅くして、深からず。若し慧眼を以って観れば、則ち深くして測るべからず。甚深なるが故に、測量すべきこと難し。唯だ諸仏のみ有りて、乃ち其の底を尽したもう。
『天眼、肉眼で見る!』所は、
『浅くて!』、
『深くない!』が、
若し、
『慧眼で観れば!』、
『深さは、測ることができない!』。
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深い!』が故に、
『測量すること!』が、
『難しく!』、
乃ち( indeed )、
『般若波羅蜜の底』を、
『尽す!』のは、
唯だ( only )、
『諸仏』が、
『有るだけである!』。
甚深不可測量故名無量。無有智慧能取色等實相。若常若無常籌量有過罪故。 甚深にして測量すべからざるが故に、無量と名づく。智慧有る者の、能く色等の実相を取る無し。若しは常、若しは無常なるを籌量すれば、過罪有るが故なり。
『甚だ深く、測量できない!』が故に、
『無量』と、
『称する!』が、
『色等の実相を取ることのできる!』、
『智慧』が、
『無い!』のは、
『実相が常や、無常である、と籌量すれば!』、
『過罪』が、
『有るからである!』。
是時舍利弗及諸聽者作是念。般若波羅蜜不可測量無有量。菩薩當云何行。 是の時、舍利弗、及び諸の聴者の是の念を作さく、『般若波羅蜜は測量すべからず、量有ること無きに、菩薩は、当に云何が行ずべき』、と。
是の時、
『舍利弗と、諸の聴者』とは、 こう念じた、――
『般若波羅蜜』が、
『測量できず!』、
『無量ならば!』、
『菩薩』は、
何のように、
『般若波羅蜜』を、
『行じればよいのか?』、と。
佛知其念告舍利弗。菩薩摩訶薩若行色等甚深者。則為失般若波羅蜜。若不行色甚深是為得般若波羅蜜。 仏は、其の念を知りて、舍利弗に告げたまわく、『菩薩摩訶薩は、若し色等の甚深なるを行ぜば、則ち般若波羅蜜を失すと為し、若し色の甚深なるを行ぜざれば、是れを般若波羅蜜を得と為す』、と。
『仏』は、
『舍利弗等の念を知って!』、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』が、
若し、
『色』等は、
『甚だ深い!』と、
『行じれば( to understand )!』、
則ち、
『般若波羅蜜』を、
『失うことになる!』。
若し、
『色』等は、
『甚だ深い!』と、
『行じなければ!』、
是れは、
『般若波羅蜜』を、
『得たということである!』、と。
凡夫鈍根故言甚深。若有一心福德利根者為非甚深。譬如水深淺無定若於小兒則深長者則淺。乃至大海於人則深。於羅睺阿修羅王則淺。 凡夫は、鈍根なるが故に、『甚深なり』、と言う。若し一心、福徳、利根有る者なれば、甚深に非ずと為す。譬えば、水の深浅に定無く、若し、小児に於いては、則ち深きも、長者には、則ち浅く、乃至大海は、人に於いては、則ち深きも、羅睺阿修羅王に於いては、則ち浅きが如し。
『凡夫は、鈍根である!』が故に、
『甚だ深い!』と、
『言う!』が、
若し、
『一心や、福徳の利根が有れば!』、
『甚だ深いのではない、と為す( to think it is not very deep )!』。
譬えば、
『水の深浅に、定が無く!』、
『小児には、深くても!』、
『長じれば、浅く!』、
乃至、
『大海』が、
『人には、深くても!』、
『羅睺阿修羅王には、浅いようなものである!』。
如是於凡夫人新發意懈怠者為甚深。於久積德阿鞞跋致則淺。諸佛如羅睺阿修羅王。於一切法無有深者。得無礙解脫故。以是故知為眾生及時節利鈍初久懈怠精進故。分別說深淺不可測量無有量亦如是。 是の如く、凡夫人、新発意、懈怠の者に於いては、甚深と為すも、久しく徳を積める、阿鞞跋致には則ち浅し。諸仏は、羅睺阿修羅王の如く、一切法に於いて、深き者有ること無し、無礙解脱を得たるが故なり。是を以っての故に知る、衆生、及び時節を利鈍、初久、懈怠、精進と為すと、故(ことさら)に分別して、深浅を説きたもうに、測量すべからざる、量の有ること無きも亦た、是の如し。
是のように、
『凡夫人や、新発意、懈怠の者には、甚だ深くても!』、
『久しく、徳を積んだ!』、
『阿毘跋致』には、
『浅い!』。
『諸仏』には、
『羅睺阿修羅王のように!』、
『一切法』中に、
『深い者は無い!』が、
『諸仏』は、
『無礙解脱』を、
『得られたからである!』。
是の故に、こう知る、――
『衆生や、時節』が
『利、鈍や、初、久や、懈怠、精進である!』と、
『故に、分別して( discriminating intentionally )!』、
『深浅』を、
『説かれた!』が、
是れ等が、
『測量できず、無量であること!』も、
『是の通りである!』。
此中佛自說因緣。色等法甚深相為非色。何以故。怖畏心沒疑悔故以色為甚深。色相則無深如先說。 此の中に、仏は自ら因縁を説きたまえり、『色等の法甚深の相なれば、色に非ずと為す』、と。何を以っての故に、怖畏の心疑悔に没するが故に、色を以って、甚深と為せばなり。色相には則ち深なる無きこと、先に説くが如し。
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『因縁』を、こう説かれている、――
『色等の法』の、
『甚だ深い相』は、
『色でない!』、と。
何故ならば、
『怖畏心が没したり、疑ったり、悔いたりする!』が故に、
『色』を、
『甚だ深いと為す( to think it is very deep )からである!』。
『色の相』に、
『深さが無い!』のは、
『先に説いた通りである!』。
舍利弗白佛言。世尊。是般若波羅蜜甚深。甚深相難見難解。 舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は甚深なれば、甚深の相は難見、難解なり』、と。
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜は甚だ深い!』が、
『甚だ深い相』は、
『見ることも、理解することも難しい!』、と。
問曰。上說菩薩不行甚深為行般若波羅蜜。今舍利弗何以復說甚深。 問うて曰く、上に説かく、『菩薩は、甚深なるを行ぜざれば、般若波羅蜜を行ずと為す』、と。今、舍利弗は、何を以ってか、復た『甚深なり』と説く。
問い、
上には、こう説かれている、――
『菩薩』が、
『甚だ深い、と行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』、と。
今、
『舍利弗』は、
何故、復た、
『甚だ深い!』と、
『説くのですか?』。
答曰。舍利弗非定心說甚深。得佛意趣為人故說甚深。是故此中說世尊不應於新發意菩薩前說是般若波羅蜜。新學菩薩聞是深智慧則心沒。應當在阿鞞跋致菩薩前說。阿鞞跋致智慧深故信而不沒。譬如深水不應使小兒渡應教大人令渡。 答えて曰く、舍利弗は、定心もて、甚深なるを説くに非ず。仏の意趣を得て、人の為の故に、『甚深なり』と説けり。是の故に、此の中に説かく、『世尊、応に新発意の菩薩の前に於いて、是の般若波羅蜜を説くべからず。新発意の菩薩、是の深き智慧を聞かば、則ち心没せん。応当に、阿鞞跋致の菩薩の前に在りて説くべし。阿鞞跋致の智慧は深きが故に、信じて没せざらん。譬えば、深水の、応に小児をして渡らしむべからず、大人を教えて渡らしむべきなるが如し』、と。
答え、
『舍利弗』は、
『定心(惑心の対)』で、
『甚だ深い!』と、
『説いたのではない!』、
『仏』の、
『意趣』を、
『得て( to understand )!』、
『人の為め!』の故に、
『甚だ深い!』と、
『説いたのである!』。
是の故に、
此の中に、こう説かれている、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』を、
『新発意の菩薩の前』で、
『説いてはなりません!』。
若し、
『新発意の菩薩』が、
是の、
『深い智慧』を、
『聞けば!』、
則ち、
『心』が、
『没するでしょう!』。
是の、
『般若波羅蜜』は、
『阿鞞跋致の菩薩の前』で、
『説くべきです!』。
『阿鞞跋致の智慧は深い!』が故に、
『信じて!』、
『没することがありません!』。
譬えば、
『深い水』は、
『小児に、渡らせるべきでない!』が、
『大人に教えて!』、
『渡らせるのはかまわないようなものです!』。
帝釋問舍利弗。若為新發意菩薩說有何等過。 帝釈の舍利弗に問わく、『若し新発意の菩薩の為に説かば、何等の過か有る』、と。
『帝釈』は、
『舍利弗』に、こう問うた、――
若し、
『新発意の菩薩に説けば!』、
何のような、
『過』が、
『有るのか?』、と。
舍利弗答。是新發意者則不信心沒。心沒故生疑悔怖畏。若受一切空法。我云何當墮斷滅中。若不受者佛所說法何可不受。是故怖畏生疑悔。若心定則生惡邪毀呰。毀呰果報如地獄品中說。此中略說種三惡道業因緣。久久難得無上道 舍利弗の答うらく、『是れ新発意の者なれば、則ち信ぜずして、心没し、心没するが故に疑悔と怖畏とを生ずらく、『若し一切空なる法を受くれば、我れは、云何が当に断滅中に堕すべき。若し受けざれば、仏の所説の法を、何ぞ受けざるべし』、と。是の故に怖畏は、疑悔を生じ、若し心定まれば、則ち悪邪の毀呰を生じ、毀呰すれば果報は、地獄品中に説けるが如し。此の中には略説すらく、『三悪道の業の因縁を種うれば、久久にして、無上道を得難し』、と。
『舍利弗』は、 こう答えた、――
是の、
『新発意の者』は、
『般若波羅蜜を信じられずに!』、
『心』が、
『没し!』、
『心が没する!』が故に、
『疑悔と怖畏』を、
『生じるからである!』。
――
若し、
『一切は空法である、と受ければ( to accept that all are empty )!』、
わたしは、
何故、
『断滅』中に、
『堕ちねばならないのか?』。
若し、
『受けなければ!』、
何うして、
『仏の所説の法』を、
『受けなくてもよいのか?』、と。
是の故に、
『般若波羅蜜を怖畏して!』、
『疑悔』を、
『生じることになる!』が、
若し、
『心が定れば!』、
『悪邪を生じて!』、
『般若波羅蜜を毀呰することになり!』、
『毀呰の果報』は、
『地獄品』中に、
『説いた通りである!』。
此の中には、
『三悪道の業因縁を種えれば!』、
『久久に、無上道を得ることは難しい!』と、
『略説している!』。


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