【論】釋曰。諸天聞般若。大歡喜踊躍。諸天身輕利根。分別著相知有輕重。聞般若波羅蜜畢竟清淨平等實相。大利益眾生。無有過者。是故踊躍歡喜。起身業口業。持供養具蓮華等供養於佛。作是言。我等於閻浮提。見第二法輪轉。 |
釈して曰く、諸天は、般若を聞いて大歓喜し踊躍す。諸天は身軽く、利根にして、著相を分別して、軽重有るを知るに、般若波羅蜜の畢竟清浄、平等実相にして、衆生を大利益し、過有ること無きを聞けば、是の故に、踊躍歓喜して、身業、口業を起し、供養の具の蓮華等を持して仏を供養し、是の言を作さく、『我等は、閻浮提に於いて、第二の法輪の転ずるを見る』、と。 |
釈す、
『諸天』は、
『般若を聞いて!』、
『大歓喜し!』、
『踊躍した!』。
『諸天』は、
『身が軽く、利根であり!』、
『著相を分別して!』、
『軽、重が有る!』のを、
『知り!』、
『般若波羅蜜』は、
『畢竟清浄の平等の実相であり!』、
『衆生を大利益しながら、過が無い!』と、
『聞いた!』ので、
是の故に、
『踊躍、歓喜して!』、
『身業、口業を起し!』、
『蓮華等の供養の具を持って!』、
『仏を供養しながら!』、
こう言った、――
わたし達は、
『閻浮提』に於いて、
『第二の法輪が転じられる!』のを、
『見ているのだ!』、と。
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問曰。初說法令人得道。是名轉法輪。今何以言第二法輪轉。若以佛說名為轉法輪者。皆是法輪何限第二。 |
問うて曰く、初の説法に、人をして道を得しむ、是れを法輪を転ずと名づく。今は、何を以ってか、第二の法輪転ずと言う。若し仏の説きたもうを以って、名づけて法輪を転ずと為さば、皆是れ法輪なり、何んが第二に限らんや。 |
問い、
『初の説法』は、
『人』に、
『道を得させる!』ので、
是れを、
『法輪を転じる!』と、
『称する!』が、
今は、何故、
『第二の法輪が転じられる!』と、
『言うのですか?』。
若し、
『仏が説く!』のを、
『法輪を転じる!』と、
『称すれば!』、
『仏の説法』は、
皆、
『法輪である!』のに、
何故、
『第二』と、
『限るのですか?』。
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答曰。初說法。名定實一法輪。因初轉乃至法盡。通名為轉。 |
答えて曰く、初の説法を、定実の一法輪と名づくるに、初めて転じたもうに因りて、乃至法の尽くるまでを、通じて名づけて、転と為す。 |
答え、
『初の説法』を、
『初めて転じられてより、乃至法が尽きるまでを通じて!』、
『仏の説法』を、
『転じる!』と、
『称する!』。
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転法輪(てんぽうりん):法の輪を回転させること( to turn the wheel of the Dharma )、梵語 dharma- cakra-
pravartana の訳、仏の法は、しばしば乗(乗り物)と呼ばれるが、その乗の車輪を回転させるとは、それを前に進ませるということである( The
Buddha's dharma is often called a 'vehicle' 乘, and to turn the wheels of
a vehicle is to propel it forward. )。 |
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是諸天見是會中。多有人發無上道。得無生法忍。見是利益故。讚言第二轉法輪。 |
是の諸天は、是の会中に、多く、無上道を発して、無生法忍を得る人有るを見れば、是の利益を見るが故に、讃じて、第二の転法輪と言えり。 |
是の、
『諸天』は、
是の、
『会』中に、
『無上道を発して、無生法忍を得る!』、
『人が、多く有る!』のを、
『見て!』、
是の、
『利益を見た!』が故に、
『説を讃えて!』、
『第二の法輪が転じられた!』と、
『言ったのである!』。
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初轉法輪。八萬諸天得無生法忍。阿若憍陳如一人得初道。今無量諸天得無生法忍。是故說第二法輪轉。今轉法輪似如初轉。 |
初の転法輪には、八万の諸天、無生法忍を得、阿若憍陳如一人、初道を得たるに、今、無量の諸天、無生法忍を得たり、是の故に、第二の法輪転ずと説く。今の転法輪の似たること、初転の如くなればなり。 |
『初めて!』、
『法輪が転じられる!』と、
『八万の諸天』が、
『無生法忍』を、
『得て!』、
『阿若憍陳如一人』が、
『初道』を、
『得ただけである!』が、
今、
『無量の諸天』が、
『無生法忍』を、
『得た!』ので、
是の故に、
『第二の法輪が転じられた!』と、
『説くのである!』が、
今、
『法輪が転じられる!』と、
『初めて、転じられた!』のに、
『そっくりであり、似ていたからである!』。
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問曰。今轉法輪多人得道。初轉法輪得道者少。云何以大喻小。 |
問うて曰く、今の転法輪に、多くの人道を得、初の転法輪には道を得る者少なし。云何が、大を以って、小を喻う。 |
問い、
『今、法輪を転じられる!』と、
『多くの人』が、
『道を得た!』が、
『初めて、法輪を転じられた!』時、
『道を得た!』者は、
『少かった!』。
何故、
『大を用いて!』、
『小に喻えるのですか?』。
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答曰。諸佛事有二種。一者密。二者現。 |
答えて曰く、諸仏の事には、二種有り、一には密、二には現なり。 |
答え、
『諸仏』の、
『事( work)は二種有り!』、
一には、
『密( implied )』の、
『事であり!』、
二には、
『現( expressed )』の、
『事である!』。
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密(みつ):梵語 abhisaMdhi の訳、暗示された( implied )の義、梵 abhidyotana の顕/現( expressed
)に対す。 |
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初轉法輪。聲聞人見八萬一人得初道。諸菩薩見無數阿僧祇人得聲聞道。無數人種辟支佛道因緣。無數阿僧祇人。發無上道心。無數阿僧祇人。行六波羅蜜道。得諸深三昧陀羅尼門。十方無量眾生。得無生法忍。無量阿僧祇眾生。從初地中乃至十地住。無量阿僧祇眾生。得一生補處。無量阿僧祇眾生。得坐道場聞是法疾成佛道。如是等不可思議相。是名密轉法輪相。譬如大雨大樹則多受小樹則少受。 |
初の転法輪を、声聞人は、八万と一人、初道を得と見、諸の菩薩は、無数阿僧祇の人、声聞道を得、無数の人、辟支仏道の因縁を種え、無数阿僧祇の人、無上道の心を発し、無数阿僧祇の人、六波羅蜜の道を行じて、諸の深き三昧と陀羅尼門を得、十方の無量の衆生、無生法忍を得、無量阿僧祇の衆生、初地中より乃至十地に住し、無量阿僧祇の衆生、一生補処を得、無量阿僧祇の衆生、道場に坐して、是の法を聞くを得、疾かに仏道を成ずと見る。是れ等の不可思議の相は、是れを密の転法輪の相と名づく。譬えば大雨に、大樹は則ち多く受け、小樹は則ち少し受くるが如し。 |
『初めて、法輪が転じられる!』と、
『声聞人』は、
『八万一人』が、
『初道を得た!』と、
『見ただけである!』が、
『諸菩薩』は、
『無数阿僧祇の人が、声聞道を得!』、
『無数の人が、辟支仏道の因縁を種え!』、
『無数阿僧祇の人が、無上道の心を発し!』、
『無数阿僧祇の人が、六波羅蜜を行じて、諸の深三昧陀羅尼門を得!』、
『十方の無量の衆生が、無生法忍を得!』、
『無量阿僧祇の衆生が、初地中乃至十地に住し!』、
『無量阿僧祇の衆生が、一生補処を得!』、
『無量阿僧祇の衆生が、道場に坐しすことができ!』、
是の、
『法を聞いて、疾かに仏道を成じた!』と、
『見たので!』、
是れ等のような、
『不可思議の相』を、
『密の転法輪相』と、
『称する!』。
譬えば、
『大雨』を、
『大樹ならば!』、
『多く!』、
『受けることになる!』が、
『小樹ならば!』、
『少ししか!』、
『受けられないようなものである!』。
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以是故。當知初轉法輪亦大。以後喻前無咎。 |
是を以っての故に、当に知るべし、初の転法輪も亦た大なれば、後を以って前を喻うとも、咎無し。 |
是の故に、こう知ることになる、――
『初じめて転じられた!』、
『法輪』も、
『大であった!』が故に、
『後を用いて、前を喻えても!』、
『咎』は、
『無いのである!』。
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轉法輪非一非二者。為畢竟空及轉法輪果報涅槃故。如是說。是則因中說果。 |
転法輪の一に非ず、二に非ずとは、畢竟空の為めに、転法輪の果報の涅槃に及ぶが故に、是の如く説けり。是れ則ち因中に果を説けり。 |
『転じられた!』、
『法輪』は、
『一でも、二でもない!』とは、――
『法輪』を、
『転じること!』は、
『畢竟空であり!』、
『法輪を転じる!』、
『果報は涅槃である!』が故に、
是のように、
『一でも、二でもない!』と、
『説くのであり!』、
是れは、
『因』中に、
『果を説いたのである!』。
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法輪即是般若波羅蜜。是般若波羅蜜。無起無作相故。無轉無還。 |
法輪とは、即ち是れ般若波羅蜜なり。是の般若波羅蜜は、無起、無作の相なるが故に、転無く、還無し。 |
『法輪』とは、
『般若波羅蜜である!』が、
是の、
『般若波羅蜜は無起、無作の相である!』が故に、
『転じることも、還らすことも!』、
『無い!』。
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如十二因緣中說。無明畢竟空故。不能實生諸行等。無明虛妄顛倒。無有實定故。無法可滅 |
十二因縁中に説くが如き、無明は畢竟じて空なるが故に、実に諸行等を生ずる能わず。無明は虚妄、顛倒にして、実定有ること無きが故に、法の滅すべき無し。 |
例えば、
『十二因縁』中に、こう説く通りである、――
『無明』は、
『畢竟じて空である!』が故に、
『諸行』等を、
『実に生じさせることはなく!』、
『無明』は、
『虚妄の顛倒であり、定実が無い!』が故に、
『滅すべき法』は、
『無いのである!』、と。
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說世間生法故。名為轉。說世間滅法故。名為還。般若波羅蜜中。無此二事故。說無轉無還。 |
世間の生法を説くが故に名づけて、転と為し、世間の滅法を説くが故に名づけて、還と為す。般若波羅蜜中には、此の二事無きが故に、『転無く、還無し』と説く。 |
『世間に生じる!』、
『法を説く!』が故に、
『転じる!』と、
『称し!』、
『世間より滅する!』、
『法を説く!』が故に、
『還らす!』と、
『称する!』が、
『般若波羅蜜』中には、
此の、
『二事が無い!』が故に、
『転じることも、還らすことも無い!』と、
『説くのである!』。
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無法有法空故。無轉是有法空。無還是無法空。 |
無法有法空の故にとは、転無きは是れ有法空にして、還無きは是れ無法空なり。 |
『無法有法空である!』が故に、
『転じる!』者が、
『無ければ!』、
『有法空であり!』、
『還らす!』者が、
『無ければ!』、
『無法空である!』。
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問曰。須菩提何以作是問。有法無法空故。般若波羅蜜。不為轉不為還故出。而佛還以空答。 |
問うて曰く、須菩提は、何を以ってか、是の問を作さく、『有法無法空の故に、般若波羅蜜は、転ぜられ、還らさるるが故に出でず』、と。而も仏は還って、空を以って答えたまえる。 |
問い、
『須菩提』は、
何故、こう問うたのであり、――
『有法無法空』の故に、
『般若波羅蜜』は、
『転じられたり、還らされたりする!』が故に、
『出たのではないのですか?』、と。
而も、
『仏』は、
『還って!』、
『空であるからだ!』と、
『答えられたのですか?』。
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答曰。有人說。諸法有四種相。一者說有。二者說無。三者說亦有亦無。四者說非有非無。 |
答えて曰く、有る人の説かく、『諸法には四種の相有り、一には、『有』と説き、二には、『無』と説き、三には、『亦有亦無』と説き、四には、『非有非無』と説く』、と。 |
答え、
有る人は、こう説いている、――
『諸法』には、
『四種の相が有り!』、
一には、
『有る!』と、
『説き!』、
二には、
『無い!』と、
『説き!』、
三には、
『有ったり、無かったりだ!』と、
『説き!』、
四には、
『有るでもなく、無いでもない!』と、
『説かれるからである!』、と。
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是中邪憶念故。四種邪行。著此四法故。名為邪道。是中正憶念故。四種正行中不著故。名為正道。 |
是の中に、邪憶念の故に、四種に邪行して、此の四法に著するが故に、名づけて邪道と為す。是の中に、正憶念の故に、四種の正行中に著せざるが故に、名づけて正道と為す。 |
是の、
『四種の相』中に、
『邪に( wrongly )!』、
『憶念する!』が故に、
『四種の邪行があり!』、
此の、
『四法』に、
『著する!』が故に、
是れを、
『邪道』と、
『称し!』、
是の、
『四種の相』中に、
『正しく( correctly )!』、
『憶念する!』が故に、
『四種』の、
『正行』中に、
『著すことがない!』ので、
是の故に、
『正道』と、
『称するのである!』。
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是中破非有非無故。名無法有法空。佛說乃至破非有非無故。說無有轉無有還。 |
是の中に、非有非無を破るが故に、無法有法空と名づく。仏は、乃至非有非無を破るを説きたまわんが故に説きたまわく、『転有ること無く、還有ること無し』、と。 |
是の、
『四種の相』中の、
『非有非無を破る!』が故に、
『無法有法空』と、
『称する!』が、
『仏』は、
『有、無、乃至非有非無』を、
『説いて!』、
『破ろうとされた!』が故に、
『転じることも、還らすことも!』、
『無い!』と、
『説かれたのである!』。
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破非有非無有二種。一者用上三句破。二者用涅槃實相破。 |
非有非無を破るに二種有り、一には上の三句を用いて破り、二には、涅槃の実相を用いて破る。 |
『非有非無を破る!』には、
『二種有り!』、
一には、
『上の三句を用いて!』、
『破り!』、
二には、
『涅槃の実相を用いて!』、
『破るのである!』が、
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須菩提雖知佛以涅槃破有無。是中有新發意菩薩。或錯謬故。用三句。破非有非無。於無法有法空中。還生邪見。是故佛說有法無法亦自相空。是故說般若波羅蜜無轉無還。 |
須菩提は、仏の、涅槃を以って有無を破るを知ると雖も、是の中には新発意の菩薩有れば、或いは錯謬せんが故に、三句を用いて、非有非無を破り、無法有法空中に於いて、還って邪見を生ぜり。是の故に、仏の説きたまわく、『無法有法空も亦た自相は空なり。是の故に般若波羅蜜には、転無く、還無しと説けり』、と。 |
『須菩提』は、
『仏』は、
『涅槃を用いて!』、
『有、無を破ろうとされた!』のを、
『知りながら!』、
是の中の、
有る、
『新発意』の、
『菩薩』が、
『或は、錯謬するかもしれない!』が故に、
『三句を用いて!』、
『非有非無』を、
『破った!』ので、
還って、
『無法有法空』中に於いて、
『邪見』を、
『生じることになった!』。
是の故に、
『仏』は、こう説かれたのである、――
『有法無法空』も、
亦た、
『自相』は、
『空であり!』、
是の故に、
『般若波羅蜜には転じることも、還らすことも無い!』と、
『説いたのである!』、と。
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般若波羅蜜中。無般若波羅蜜相。一切法無相故。乃至檀波羅蜜亦如是。內空乃至一切種智相空亦如是。 |
般若波羅蜜中には、般若波羅蜜の相無し。一切の法は無相なるが故なり。乃至檀波羅蜜も亦た是の如く、内空、乃至一切種智の相の空なるも亦た是の如し。 |
『般若波羅蜜』中に、
『般若波羅蜜の相が無い!』のは、
『一切法』が、
『無相だからであり!』、
乃至、
『檀波羅蜜』も、
『是の通りであり!』、
又、
『内空の相、乃至一切種智の相が空である!』のも、
『是の通りである!』。
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爾時須菩提及大眾。歡喜讚歎般若波羅蜜作是言。大波羅蜜所謂般若波羅蜜。 |
爾の時、須菩提、及び大衆は、歓喜して、般若波羅蜜を讃歎し、是の言を作さく、『大波羅蜜とは、謂わゆる般若波羅蜜なり』、と。 |
爾の時、
『須菩提と大衆は、歓喜して!』、
『般若波羅蜜を讃歎しながら!』、こう言った、――
『大波羅蜜』とは、
『謂わゆる、般若波羅蜜である!』、と。
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大波羅蜜者。所謂一切法雖自性空。而般若波羅蜜。能利益菩薩。令得阿耨多羅三藐三菩提。雖得亦無所得。雖轉法輪亦無所轉。 |
大波羅蜜とは、謂わゆる一切の法は、自性空なりと雖も、般若波羅蜜は、能く菩薩を利益して、阿耨多羅三藐三菩提を得しめ、得と雖も、亦た所得無く、法輪を転ずと雖も、亦た転ずる所無し。 |
『大波羅蜜』とは、
謂わゆる、
『一切法』は、
『自性』が、
『空でありながら!』、
『般若波羅蜜』は、
『菩薩を利益して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得させ!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得させながら!』、
『所得』が、
『無く!』、
『法輪を転じながら!』、
『転じる!』所が、
『無いからである!』。
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問曰。若諸法空。般若波羅蜜空。阿耨多羅三藐三菩提亦空。不應讚般若為摩訶波羅蜜。 |
問うて曰く、若し諸法は空にして、般若波羅蜜も空、阿耨多羅三藐三菩提も亦た空なれば、応に般若を讃じて、摩訶波羅蜜と為すべからず。 |
問い、
若し、
『諸法も、般若波羅蜜も、阿耨多羅三藐三菩提も!』、
『皆、空ならば!』、
『般若波羅蜜は、摩訶波羅蜜である!』と、
『讃じるべきではない!』。
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答曰。此中說一切法自性空故。自性空中。亦無自性空。是故名摩訶波羅蜜。 |
答えて曰く、此の中に説かく、『一切の法は、自性空なり』、と。故に、自性の空中には、亦た自性空も無し。是の故に、摩訶波羅蜜と名づく。 |
答え、
此の中に、こう説かれている、――
『一切法』は、
『自性』が、
『空である!』が故に、
『自性空』中には、
亦た、
『自性空』も、
『無い!』ので、
是の故に、
『摩訶波羅蜜』と、
『称するのである!』、と。
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若無空相不應作難。以畢竟空故無所礙。而能行諸善法。得阿耨多羅三藐三菩提。世俗法故非第一義。 |
若し空相無ければ、応に難を作すべからず。畢竟じて空なるを以っての故に所礙無く、而も能く諸の善法を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得ること、世俗の法なるが故に、第一義に非ず。 |
若し、
『空相が無ければ!』、
『皆、空なのに!』と、
『難じるべきではない!』。
『畢竟空を用いる!』が故に、
『礙うる所が無くなって!』、
『諸善法』を、
『行じることができ!』、
而も、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることができる!』のは、
『畢竟空』が、
『世俗法だからであり!』、
『第一義ではないからである!』。
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諸佛雖說法令他得道。破煩惱從此至彼名為轉。今我等諸煩惱。虛誑顛倒妄語無有定相。若無定相為何所斷。若無所斷亦無轉無還。是故說雖轉法輪亦無轉還。 |
諸仏は、法を説いて、他をして道を得しめ、煩悩を破りて、此より彼に至らしむるを、名づけて転と為すと雖も、今我等は、諸の煩悩の虚誑、顛倒して、妄語するも、定相有ること無し。若し定相無ければ、何をか断ずる所と為す。若し断ずる所無ければ、亦た転ずる無く、還らす無し。是の故に説かく、『法輪を転ずと雖も、亦た転も還も無し』、と。 |
『諸仏』は、
『法を説いて!』、
『他人に!』、
『道を得させ!』、
『煩悩を破って!』、
『此より、彼に!』、
『至らせる!』ので、
是れを、
『転じる!』と、
『称する!』が、
今、
わたし達は、
『諸煩悩』が、
『虚誑( deceiving )し!』、
『顛倒( inverting )する!』が故に、
『妄語しても( to speach falsely )!』、
『定相』が、
『無い!』。
若し、
若し、
『所断の法が無ければ!』、
『転じることも、還らすことも!』、
『無いはずであり!』、
是の故に、こう説かれたのである、――
『法輪を転じながら!』、
『転じることも、還らすことも!』、
『無い!』、と。
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何以故。是般若波羅蜜中。無有法。五眼所能見。 |
何を以っての故に、是の般若波羅蜜中には、法の五眼の能く見る所有ること無ければなり。 |
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『五眼に見られる!』、
『法』は、
『無いからである!』。
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若轉若還一切法。從本已來畢竟不生故。是自性空畢竟空。非轉相非還相。 |
若しは転じ、若しは還らすも、一切の法は、本より以来、畢竟じて不生なるが故に、是の自性は空、畢竟じて空にして、転相に非ず、還相に非ず。 |
『転じようが、還らそうが!』、
『一切法』は、
『本より!』、
『畢竟じて不生である!』が故に、
是の、
『自性空、畢竟空である!』、
『一切法』は、
『転相でもなく、還相でもない!』。
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畏墮常故不轉。畏墮滅故不還。畏墮有故不轉。畏墮無故不還。畏著世間故不轉。畏著涅槃故不還。如是自性空畢竟空十八空等無量諸空。是空解脫門。不轉不還無相無作。亦如是 |
常に堕するを畏るるが故に転ぜず、滅に堕するを畏るるが故に還らさず、有に堕するを畏るるが故に転ぜず、無に堕するを畏るるが故に還らさず、世間に著するを畏るるが故に転ぜず、涅槃に著するを畏るるが故に還らさず、是の如き自性空、畢竟空、十八空等の無量の諸空は、是れ空解脱門にして転ぜず、還らさず。無相、無作なることも亦た是の如し。 |
『常に堕ちる!』のを、
『畏れる!』が故に、
『転じるのでもなく!』、
『滅に堕ちる!』のを、
『畏れる!』が故に、
『還らすのでもない!』。
『有に堕ちる!』のを、
『畏れる!』が故に、
『転じるのでもなく!』、
『無に堕ちる!』のを、
『畏れる!』が故に、
『還らすのでもない!』。
『世間に著する!』のを、
『畏れる!』が故に、
『転じるのでもなく!』、
『涅槃に著する!』のを、
『畏れる!』が故に、
『還らすのでもない!』。
是のような、
『自性空、畢竟空、十八空等の無量の諸空』は、
『空解脱門であり!』、
『転じることも、還らされることもない!』。
亦た、
『無相、無作』も、
『是の通りである!』。
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入是三解脫門。捨我我所心。是名說得解脫。 |
是の三解脱門に入りて、我、我所の心を捨つれば、是れを名づけて、解脱を得と説く。 |
是の、
『三解脱門に入って!』、
『我、我所の心』を、
『捨てれば!』、
是れを、
『解脱を得る!』と、
『説くのである!』。
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能如是不取相不著心。說般若波羅蜜。教照等 |
『能く是の如く相を取らず、不著の心もて、般若波羅蜜を説いて教え、照らす』等とは、―― |
是のように、
『相を取らない!』、
『不著の心』で、
『般若波羅蜜を説き!』、
『教え、照す等ができれば!』とは、――
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說者。若案文若口傳。 |
説くとは、若しは文を案じ、若しは口もて伝うるなり。 |
『説く!』とは、――
『文を案じたり!』、
『口』で、
『伝えることである!』。
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教者為人讚般若。令受持讀誦正憶念。 |
教うとは、人の為に般若を讃じて、受持、読誦、正憶念せしむるなり。 |
『教える!』とは、――
『人の為め!』に、
『般若波羅蜜を讃じて!』、
『受持させ、読誦させて!』、
『正しく!』、
『憶念させることである!』。
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照者如人執燈照物。若人不知般若。以智慧明照之令知。 |
照らすとは、人の灯を執りて、物を照すが如し。若し人、般若を知らずんば、智慧の明を以って、之を照らして、知らしむなり。 |
『照らす!』とは、――
譬えば、
『人』が、
『灯を執って!』、
『物』を、
『照らすように!』、
若し、
『人』が、
『般若』を、
『知らなければ!』、
『智慧の明』で、
『般若を照らし!』、
『知らせることである!』。
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開者如寶藏閉門雖有好物而不能得。若開其門則隨意所取。如人疑不信般若者。開邪疑扉折無明關。是人則隨意所取。 |
開くとは、宝蔵の門を閉づれば、好物有りと雖も得る能わず、若し其の門を開けば、則ち意に随うて取る所あるが如く、人の疑いて、般若を信ぜざるが如きは、邪疑の扉を開き、無明の関を折れば、是の人は則ち意に随うて取る所あり。 |
『開く!』とは、――
『宝蔵』は、
『門を閉じれば!』、
『好物が有っても!』、
『得られない!』が、
若し、
『門を開けば!』、
『取る!』所が、
『意のままであるように!』、
若し、
『人』が、
『般若』を、
『疑って!』、
『信じなくても!』、
『邪疑』の、
『扉』を、
『開いて!』、
『無明』の、
『関(the door bar)』を、
『折れば!』、
是の、
『人』は、
『取る!』所が、
『意のままなのである!』。
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関(かん):心張り棒( door bar )。 |
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示者如人眼視不明指示好醜。如人有小信小智者。示是道非道是利是失等。 |
示すとは、人の眼の、視ること不明なるに、指もて好醜を示すが如く、人の小信、小智有る者なるが如きに、是れ道なり、道に非ず、是れ利なり、是れ失なり等を示すなり。 |
『示す!』とは、――
譬えば、
『人』が、
『眼』で、
『視て!』、
『明らかでなければ!』、
『指』で、
『好、醜』を、
『示すように!』、
例えば、
『人の有する!』、
『信、智』が、
『少なければ!』、
是れは、
『道であるとか、道でない!』と、
『示し!』、、
是れは、
『利であるとか、失である!』等を、
『示すことである!』。
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分別者分別諸法是善是不善是罪是福是世間是涅槃經書。略說難解難信。能廣為分別解說。令得信解。 |
分別すとは、諸法を是れ善なり、是れ不善なり、是れ罪なり、是れ福なり、是れ世間なり、是れ涅槃なりと分別するなり。経書の略説にして難解難信なるを、能く広く為に分別し、解説して、信解を得しむなり。 |
『分別する!』とは、 ――
『諸法』を、
是れは、
『善であるとか、不善である!』と、
『分別し!』、
是れは、
『罪であるとか、福である!』と、
『分別し!』、
是れは、
『世間であるとか、涅槃である!』と、
『分別することであり!』、
『経書』が、
『略説されていて!』、
『難信であり!』、
『難解である!』が為に、
『広く!』、
『分別して!』、
『解説し!』、
『人』に、
『信、解』を、
『得させることである!』。
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顯現者佛為種種眾生說種種法。或時毀呰善法。助不善法。趣令眾生得解。 |
顕現とは、仏は、種種の衆生の為に、種種の法を説きたまい、或いは時に善法を毀呰して、不善法を助け、趣(うな)がして衆生をして、解を得しめたもう。 |
『顕現する!』とは、――
『仏』は、
『種種の衆生の為め!』に、
『種種の法』を、
『説かれた!』ので、
或は時に、
『善法を毀呰して!』、
『不善法』を、
『助けられたとしても!』、
『趣( the purport )』は、
『衆生』に、
『解を得させるためである!』。
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趣(しゅ):<動詞>催促する/促がす( urge )、趨向/傾向がある( tend )、急いで向かう( hurry off to )、追いかける/夢中になる(
catch up )、取る( take )、あざ笑う( ridicule )、<副詞>速やか/疾速( at once, quickly )。<形容詞>緊急の/切迫した(
urgent )。<名詞>趣旨/意味( purport )、目的( objective )、興趣/趣味( delight, pleasure,
interest )、志趣/傾向( inclination )、情趣( flavor )、品行( conduct )。 |
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說法者說佛意。趣以應眾生令知輕重相。 |
法を説くとは、仏の意趣を説いて、以って衆生に応じて、軽重の相を知らしむ。 |
『法を説く!』とは、――
『仏の意趣を説くこと!』で、
『衆生に応じて!』、
『罪の軽、重の相』を、
『知らせることである!』。
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意趣(いしゅ):思想と旨趣、意向( thought and purpose )。 |
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解釋者。如囊中寶物繫口則人不知。若為人解經卷囊。解釋義理。又如重物披析令輕。種種因緣譬喻。解釋本末令易解。 |
解釈とは、嚢中の宝物は、口を繋げば則ち人知らざるが如く、若しは人の為に、経巻の嚢を解いて、義理を解釈すなり。又重き物を、披析して軽からしむるが如く、種種の因縁、譬喩もて、本末を解釈して、解し易からしむなり。 |
『解釈する!』とは、――
『嚢』中の、
『宝物』は、
『嚢の口』を、
『締めれば!』、
則ち、
『人』が、
『知らないように!』、
若しは、
『人の為め!』に、
『経巻』の、
『嚢』を、
『解いて!』、
『経巻』の、
『義理』を、
『解釈したり!』、
又は、
『重い物』を、
『披析して( by deviding )!』、
『軽くするように!』、
『種種の因縁、譬喻を用いて!』、
『本末を解釈し!』、
『解し易くすることである1』。
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披析(ひしゃく):分開と分析( devide and analyse )。 |
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淺易者。如深水難渡有人分散此水令淺則渡者皆易。般若波羅蜜。如水甚深。論議方便力故。種種說能令淺易。乃至小智之人皆能信解。 |
浅く易しとは、深水は、渡り難くとも、有る人此の水を分散して浅からしむれば、則ち渡る者皆易きが如し。般若波羅蜜は、水の甚だ深きが如く、論義の方便力の故に、種種に説いて、能く浅く易しからしむれば、乃至小智の人すら、皆能く信解すなり。 |
『浅く易しい!』とは、――
譬えば、
『深水は渡り難い( it is difficult that one crosses a deep river )!』が、
有る、
『人』が、
此の、
『水を分散して!』、
『浅くすれば!』、
『渡る!』者が、
皆、
『易しくなるように!』、
『般若波羅蜜』も、
『水のように、甚だ深い!』が、
『論議という!』、
『方便力を用いる!』が故に、
『種種に説いて!』、
『般若波羅蜜の義』を、
『浅くして!』、
『解し易くすれば!』、
乃至、
『小智の人すら!』、
皆、
『信解することができるのである!』。
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能以十種為首說甚深義。是名清淨說般若波羅蜜義。 |
能く十種を以って首と為し、甚深の義を説く、是れを清浄に、般若波羅蜜の義を説くと名づく。 |
『説、教、照、開、示、分別、顕現、説法、解釈、浅易』の、
『十種を首として!』、
『甚だ深い義』を、
『説けば!』、
是れを、
『清浄に、般若波羅蜜の義を説く!』と、
『称する!』。
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第一義中實無所說。畢竟空故無說。無說故無受。無受故無證。無證故無滅諸煩惱者。若無滅煩惱則無福田。 |
第一義中には、実に所説無く、畢竟じて空なるが故に説無し、説無きが故に受無し、受無きが故に証無し、証無きが故に諸の煩悩を滅する者無し。若し煩悩を滅すること無ければ、則ち福田無し。 |
『第一義』中には、
『実に所説は無く、畢竟空である!』が故に、
『説』が、
『無く!』、
『説が無い!』が故に、
『受』も、
『無く!』、
『受が無い!』が故に、
『証』も、
『無く!』、
『証が無い!』が故に、
『諸煩悩を滅する!』者も、
『無い!』。
若し、
『煩悩』を、
『滅すること!』が、
『無ければ!』、
則ち、
『福田』も、
『無いことになる!』。
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受者名信受讀誦 |
受とは、信受し、読誦すと名づく。 |
『受』とは、――
『信受して!』、
『読誦することである!』。
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行是法。得沙門果無生法忍。是名為證。 |
是の法を行じて、沙門果、無生法忍を得れば、是れを名づけて、証と為す。 |
是の、
『法を行じて!』、
『沙門果である!』、
『無生法忍』を、
『得れば!』、
是れを、
『証』と、
『称する!』。
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證時諸煩惱滅。得有餘涅槃。得有餘涅槃故。是畢定福田。 |
証する時、諸の煩悩滅して、有余涅槃を得、有余涅槃を得るが故に、是れ畢定せる福田なり。 |
『証する!』時、
『諸煩悩が滅して!』、
『有餘涅槃』を、
『得る!』が、
『有余涅槃を得る!』が故に、
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畢定者。諸法同無餘涅槃性故。說無畢定福田 |
畢定とは、諸法は、無余涅槃の性と同じきが故に、畢定せる福田無しと説く。 |
『畢定し』とは、――
『諸法の性』は、
『無余涅槃の性』と、
『同じである!』が故に、
『畢定の福田』は、
『無い!』と、
『説くのである!』。
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