【論】釋曰。即時帝釋問。從佛須菩提所聞。是甚深般若為習何法。須菩提言。諸法久久皆歸涅槃故。當習諸法空。是故說。欲習般若當習空。 |
釈して曰く、即時に帝釈の問わく、『仏より須菩提の聞きし所の、是の甚深の般若は、何なる法をか習うと為す』、と。須菩提の言わく、『諸法は久久にして、皆涅槃に帰するが故に、当に諸法の空なるを習うなり』、と。是の故に説かく、『般若を習わんと欲せば、当に空を習うべし』、と。 |
釈す、
即時に、
『帝釈』は、こう問うた、――
『須菩提』が、
『仏』より、
『聞いた!』所の、
是の、
『甚だ深い、般若を習う!』とは、
何のような、
『法』を、
『習うことになるのか?』、と。
『須菩提』は、こう言った、――
『諸法』は、
『久久にして( after a long time )!』、
皆、
『涅槃』に、
『帰する!』が故に、
当然、
『諸法の空』を、
『習わねばならない!』、と。
是の故に、こう説いたのである、――
『般若を習おうとすれば!』、
『空』を、
『習わねばならない!』、と。
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久久(くく):梵語 duura, ciraat の訳、久しくして( after a long time )の義。 |
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帝釋是人天王。於世間自在。能與所須。願作守護。聞是般若波羅蜜。歡喜白佛言。我當作何事守護。隨其所須盡當與之。須菩提及一比丘。出家法敬禮而已。諸惡鬼常惱是人。魔若魔民常惱行者。是故問佛。我當以何事守護。若自守護若遣子弟若遣官屬侍衛隨佛教敕。 |
帝釈は、是れ人、天の王なれば、世間に於いて自在にして、能く須むる所を与うれば、守護と作らんと願うに、是の般若波羅蜜を聞いて、歓喜し、仏に白して言さく、『我れは、何なる事をか作して、守護し、其の須むる所に随いて、当に之を与うべき』、と。須菩提は一比丘の出家法に及んで、敬礼するのみ。諸の悪鬼は、常に是の人を悩まし、魔、若しくは魔民、常に行者を悩ます。是の故に仏に問わく、『我れは、当に何なる事を以ってか、守護すべき。若しは自ら守護し、若しは子弟を遣し、若しは官属、侍衛を遣すも、仏の教勅に随わん』、と。 |
『帝釈』は、
『人、天の王であり!』、
『世間』を、
『自在にすることができ!』、
『所須を与えることができ( can give any needs )!』、
『守護に作りたい!』と、
『願っていた!』ので、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『聞くと!』、
『歓喜して!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
わたしは、
何のような、
『事を作して!』、
『守護すればよいのか?』。
其の、
『所須に随い!』、
『尽く!』、
『与えたいのだ!』、と。
『須菩提』は、
『一比丘の出家法に及んで( attaining one of the regulations of Bhiksu )!』、
『菩薩』を、
『敬礼するだけである!』が、
『諸の悪鬼は!』、
『魔や、魔民も!』、
是の故に、
『仏』に、こう問うたのである、――
わたしは、
何のような、
『事をして!』、
『守護すればよいのか?』、
わたし、
『自らが、守護すればよいのか?』、
『子弟や、官属を遣して、侍衛させるのがよいか?』、
わたしは、
『仏の教勅』に、
『随おう!』、と。
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比丘出家法(びくしゅっけほう):梵語 bhikSu-saMvara の訳、比丘の禁戒( the regulations of Bhiksu )の義。 |
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須菩提知般若有無量力。又知佛意。欲令般若波羅蜜貴重。不用受恩故語帝釋。憍尸迦。般若波羅蜜中。皆空如幻如夢。汝頗見定有一法可守護不。帝釋言不也。 |
須菩提は、般若に無量の力有るを知り、又仏意を知れば、般若波羅蜜の貴重ならしめんと欲し、恩を受くるを用いざるが故に帝釈に語らく、『憍尸迦、般若波羅蜜中には、皆空にして、幻の如く、夢の如し。汝は頗る、定めて一法の守護すべきもの有るを見しや不や』、と。帝釈の言わく、『不なり』、と。 |
『須菩提』は、
『般若』には、
『無量の力が有ること!』を、
『知っていた!』し、
『仏の意』が、
『般若波羅蜜を貴び重んじさせようということである!』のを、
『知っていた!』し、
『帝釈の恩』を、
『受ける!』、
『必要がなかった!』ので、
是の故に、
『帝釈』に、こう語った、――
憍尸迦!
『般若波羅蜜』中には、
『皆、空であり!』、
『幻か、夢のようなのだ!』。
お前は、
頗る、
『一法でも守護すべき者が、定んで有る!』のを、
『見たのか?』、と。 『帝釈』は、こう言った、――
『見たことはない!』、と。
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若可見者。不名為般若波羅蜜畢竟空。若不可見。云何說言我當作何事守護。 |
『若し見るべくんば、名づけて般若波羅蜜は畢竟じて空なりと為さず。若し見るべからざれば、云何が説いて、『我れは、当に何なる事を作してか、守護すべき』、と。 |
――
若し、
『見ることができれば!』、
『般若波羅蜜は、畢竟空である!』と、
『称されることはない!』し、
若し、
『見ることができなければ!』、
何故説いて、こう言うのか?――
わたしは、
何のような、
『事を作して!』、
『守護すればよいのか?』、と。
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復次憍尸迦。若行者如所說。般若中住。即是守護。若菩薩如般若中所說。一心信受思惟正憶念。入禪定觀諸法實相。得畢竟空智慧。應無生法忍入菩薩位。如是人不惜身命。何況外物。 |
復た次ぎに、憍尸迦、若し行者、所説の如く、般若中に住すれば、即ち是れ守護なり。若し菩薩、般若中の所説の如く、一心に信受し、思念し、正憶念し、禅定に入りて、諸法の実相を観、畢竟空の智慧を得、無生法忍に応じて、菩薩位に入れば、是の如き人は、身命を惜まず、何に況んや外物をや。 |
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
『行者』が、
『所説のように!』、
『般若』中に、
『住すれば!』、
即ち、
若し、
『菩薩』が、
『般若中の所説のように!』、
『一心に信受、思惟して!』、
『正しく!』、
『憶念し!』、
『禅定に入って!』、
『諸法の実相』を、
『観!』、
『畢竟空であるという!』、
『智慧』を、
『得!』、
『無生法忍に応じて!』、
『菩薩位』に、
『入れば!』、
是のような、
『人』は、
『身命』を、
『惜まないのである!』。
況して、
『外物』を、
『惜むはずがない!』。
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是人不須守護。守護名遮諸苦惱令得安樂。是人離一切世間法故。無有憂愁苦惱。得世間事不以為喜。失世間事不以為憂。所謂常不離如所說般若波羅蜜行。 |
是の人は、守護を須(ま)たず。守護を、諸の苦悩を遮りて、安楽を得しむと名づくるに、是の人は、一切の世間の法を離るるが故に、憂愁、苦悩の有ること無く、世間の事を得るも、以って喜と為さず、世間の事を失うも、以って憂と為さず。謂わゆる常に所説の如き、般若波羅蜜の行を離れず。 |
是のような、
『人』は、
『守護』を、
『須たない( does not need )!』。
『守護』とは、
『諸の苦悩を遮り!』、
『安楽』を、
『得させるということである!』が、
是の、
『人』は、
『一切の世間の法を離れる!』が故に、
『憂愁、苦悩』が、
『無く!』、
『世間の事』を、
『得たとしても!』、
『喜ぶことはなく!』、
『世間の事』を、
『失っても!』、
『憂うることはない!』。
謂わゆる、
『常に、所説のような!』、
『般若波羅蜜の行』を、
『離れないということである!』。
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若人少時應行後還失者。宜須守護。若常不離如所說般若波羅蜜。則不須守護。 |
若し人、少時に行に応じて、後還た失わば、宜しく守護を須つべし。若し常に所説の如き般若波羅蜜を離れざれば、則ち守護を須たず。 |
若し、
『人』が、
少時( in a short time )、
『行に応じた( agree to do the practice )!』後、
『還って( again )!』、
『失えば( neglect to do )!』、
宜しく( should )、
『守護』を、
『須たねばならない!』が、
若し、
常に、
『所説のような!』、
『般若波羅蜜』を、
『離れなければ!』、
則ち( therefor )、
『守護』を、
『須つことはない!』。
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如伽羅夜叉。以拳打舍利弗頭。舍利弗時入滅盡定不覺打痛。般若波羅蜜氣分。即是滅盡定。是故若人若非人不能得便。 |
伽羅夜叉、拳を以って舍利弗の頭を打つに、舍利弗は、時に滅尽定に入りて、打痛を覚えざるが如く、般若波羅蜜の気分は、即ち是れ滅尽定なり。是の故に若しは人、若しは非人も、便を得る能わず。 |
例えば、
『伽羅夜叉』が、
『拳を用いて!』、
『舎利弗の頭』を、
『打った!』が、
『舎利弗』は、その時、
『滅尽定に入っていた!』ので、
『打痛』を、
『覚えなかったようなものである!』。
『般若波羅蜜』の、
『気分( something remaining in the mind )』とは、
『即ち、滅尽定であり!』、
是の故に、
『人や、非人』は、
『便( the oppotunity to chatch )!』を、
『得られないのである!』。
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伽羅夜叉(きゃらやしゃ):梵名 kaalaka- yakSa 、伽羅は夜叉の名。舍利弗の瞑想中に知覚されないまま、頭を殴って殺した夜叉( A yakṣa
who smote Śāriputra on the head while in meditation, without his perceiving
it. )。 |
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略說二種因緣不須守護。若人若非人不得便。一者從身乃至一切諸法皆厭離。無我無我所故。皆無所著。如斬草木不生憂愁。二者得上妙法故。為十方諸佛菩薩諸天守護。 |
略説すれば二種の因縁ありて、守護を須たざるに、若しは人、若しは非人、便を得ず。一には身より、乃至一切諸法を皆厭離して、無我無我所なるが故に、皆所著無きこと、草木を斬りて、憂愁を生ぜざるが如く、二には上妙の法を得るが故に、十方の諸仏、菩薩、諸天に守護さるればなり。 |
『略説すれば!』、
『二種の因縁』の故に、
『守護を須たなくても!』、
『人や、非人』が、
『便を得られないのである!』。
一には、
『身、乃至一切の諸法』を、
『皆、遠離しており!』、
『我や、我所』が、
『無いからである!』。
譬えば、
『草木を斬っても!』、
『憂愁』を、
『生じないようなものである!』。
二には、
『上妙の法を得る!』が故に、
『十方の諸仏、菩薩、諸天』が、
『守護となるからである!』。
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復次譬如人欲守護虛空。虛空雨不能壞。風日不能乾。刀杖等不能傷。若有人欲守護虛空者。徒自疲苦於空無益。若人欲守護行般若波羅蜜菩薩亦如是。 |
復た次ぎに、譬えば、人の虚空を守護せんと欲するが如し。虚空は、雨も壊る能わず、風日も乾く能わず、刀杖等も傷つく能わず。若し有る人、虚空を守護せんと欲せば、徒らに自ら疲れ苦しむも、空に於いては無益なり。若し人、般若波羅蜜を行ずる菩薩を守護せんと欲すれば、亦た是の如し。 |
復た次ぎに、
譬えば、
『人』が、
『虚空』を、
『守護しようとしても!』、
『虚空』は、
『雨に壊られることもなく!』、
『風、日に乾かされることもなく!』、
『刀杖等に、傷つけられることもない!』ので、
若し、
『虚空を守護しようとする!』、
『人』が、
『有ったとしても!』、
徒らに( in vain )、
『自ら!』を、
『疲れさせ!』、
『苦しめるだけで!』、
『空』には、
『益』が、
『無いようなものであり!』、
若し、
『人』が、
『般若波羅蜜を行じる!』、
『菩薩』を、
『守護しようとすれば!』、
亦た、
『是の通りなのである!』。
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欲令此事明了故問。汝能守護空及夢中所見人及影響幻化人不。 |
此の事をして、明了ならしめんと欲するが故に問わく、『汝は、能く空、及び夢中の所見の人、及び影、響、幻、化人を守護するや不や』、と。 |
『須菩提』は、
此の、
『事』を、
『明了にさせようとした!』が故に、
こう問うた、――
お前は、
『空や、夢中の所見の人や、影、響、幻、化の人』を、
『守護することができるのか?』、と。
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答言不也。此法但誑心眼。暫現已滅。云何可守護。行般若菩薩亦如是。觀五眾如夢等虛誑。 |
答えて言わく、『不なり。此の法は但だ、心眼を誑し、暫く現じ已りて滅するに、云何が守護すべき』、と。『般若波羅蜜を行ずれば、亦た是の如く、五衆を観るも、夢等の如く虚誑なり』、と。 |
『帝釈は答えて!』、こう言った、――
『守護することはできない!』。
此の、
『法』は、
但だ、
『心や、眼』を、
『誑すだけであり!』、
暫く、
『現れただけで!』、
『滅するのである!』、
何のようにして、
『守護することができるのか?』、と。
『般若を行じる菩薩』も、
是のように、
『五衆は、夢等のような虚誑である!』と、
『観るのである!』。
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虚誑(ここう):虚偽( deceit )、◯梵語 lapana の訳、口( the mouth )、演説/談話( speaking, talking
)の義、欺瞞/虚偽( deception, mendacity )の意。◯梵語 visaMvaadana の訳、自らの言葉、或いは約束を破ること(
the breaking one's word or promise )の義。 |
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如無為法如法性實際不可思議性。無能守護者。亦無所利益。行般若菩薩。知身如如法性實際不分別得。供養利時不喜。破壞失時不憂。如是人何須守護。 |
無為法、如、法性、実際、不可思議性は、能く守護する者無く、亦た利益する所も無きが如く、般若を行ずる菩薩は、身は如、法性、実際の如きを知りて、分別して得ざれば、供養して利する時にも喜ばず、破壊して失う時にも憂えず。是の如き人は、何んが守護を須たん。 |
例えば、
『無為法、如、法性、実際、不可思議性』を、
『守護することのできる!』者は、
『無く!』、
亦た、
『利益する!』所も、
『無いように!』、
『般若波羅蜜を行じる菩薩』も、
『身は如、法性、実際のように!』、
『分別して、得ることはできない!』と、
『知る!』ので、
『供養して!』、
『利する!』時にも、
『喜ばず!』、
『破壊して!』、
『失う!』時にも、
『憂えない!』。
是のような、
『人』が、
何故、
『守護』を、
『須つのか?』。
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爾時帝釋貪貴是如夢等智慧。菩薩得是智慧力。不須外守護故。問須菩提。云何菩薩知是如夢等空法。 |
爾の時、帝釈は、是の夢等の如き智慧を貪り貴ぶらく、『菩薩は、是の智慧力を得て外の守護を須たず』と、故に須菩提に問わく、『云何が、菩薩は、是の夢等の如き空法を知る』、と。 |
爾の時、
『帝釈』は、
是の、
『夢等のような!』、
『智慧』を、
『貪るように貴んだ!』。
何故ならば、
『菩薩』が、
是の、
『智慧力を得れば!』、
『外の守護』を、
『須たないからである!』。
『帝釈』は、
『須菩提』に、こう問うた、――
何のようにして、
『菩薩』は、
『夢等のような!』、
『空法を知るのか?』、と。
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如所知見不念夢等者。夢等喻五眾。五眾人所著不著夢等。欲令離著事故。以不著事為喻。欲令觀五眾如夢。於夢亦復生著。是故帝釋問。如夢亦不著是夢。 |
如(も)し知見する所あれば、夢等を念ぜずとは、夢等を五衆に喻う。五衆は、人の著する所なるも、夢等は著せざれば、著する事を離れしめんと欲するが故に、著せざる事を以って喻と為し、五衆の夢の如くなるを観せしめんと欲するに、夢に於いても、亦復た著を生ずれば、是の故に帝釈の問わく、『夢の如きにも、亦た是の夢に著せず』、と。 |
如し、
『知見する所があれば!』、
『夢』を、
『念じることがない!』等とは、――
『夢』等は、
『五衆』に、
『喻えたものである!』。
『五衆』は、
『人』の、
『著する所である!』が、
『人』は、
『夢』等に、
『著することはない!』。
『所著の事を離れさせようとして!』、
『所著でない事』に、
『喻えたのであり!』、
『五衆』は、
『夢のようだ!』と、
『観させようとしたのである!』が、
復た、
『夢にも!』、
『著を生じる!』ので、
是の故に、
『帝釈』は、こう問うたのである、――
如し( if )、
『夢があれば!』、
是の、
『夢』にも、
『著さないのか?』、と。
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凡夫人以夢喻五眾。即復著夢作是言。定有夢法眠睡時生。是名念夢。 |
凡夫人は、夢を以って五衆を喻うれば、即ち復た夢に著して、是の言を作さく、『定んで夢法有り、眠睡時に生ず』、と。是れを『夢を念ず』と名づく。 |
『凡夫人』は、
『夢』を、
『五衆』に、
『喻える!』と、
即ち、
復た( again )、
『夢に著して!』、こう言う、――
定んで( certainly )、
『夢の法が有り( there is a dharma called dream )!』、
『眠睡する!』時、
『生じる!』、と。
是れが、
『夢』を、
『念じるということである!』。
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是夢惡是夢好。如是分別是名念是夢。夢得好事則心高。得惡事則心愁。 |
是の夢は悪し、是の夢は好しと、是の如く分別す、是れを是の夢はと念ずと名づく。夢に好事を得れば、則ち心高ぶり、悪事を得れば、則ち心愁うればなり。 |
是の、
『夢』は、
『悪であり!』、
是の、
『夢』は、
『好である!』と、
是のように、
『夢』を、
『分別すれば!』、
是れが、
『是の夢』を、
『念じるということであり!』、
『夢』中に、
『好事を得れば!』、
『心』が、
『高ぶり!』、
『悪事を得れば!』、
『心』が、
『愁うることになる!』。
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又用此夢譬喻。得是如夢實智慧。是名念用夢。 |
又、此の夢を用いて、是れ夢の如しと得るは、実の智慧なりと譬喻すれば、是れを夢を用うるを念ずと名づく。 |
又、
此の、
『夢を用いて!』、
是れは、
『夢のようなものである、と得る
( recognizing that it is like a dream )!』のが、
『実の智慧である!』と、
『譬喻すれば!』、
是れが、
『夢を用いること!』を、
『念じるということである!』。
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聞是譬喻。我因此夢得知諸法如夢。是名念我夢。餘喻亦如是。 |
是の譬喩を聞きて、我れは、此の夢に因れば、諸法の夢の如きを知るを得んとす、是れを我が夢を念ずと名づく。余の喻も、亦た是の如し。 |
是の、
『譬喩を聞いて!』、こう言えば、――
わたしは、
此の、
『夢に因って!』、
『諸法は夢のようだ!』と、
『知れば!』、
是れが、
『わたしの夢』を、
『念じるということである!』。
餘の、
『喻』も、
『亦た、是の通りである!』。
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爾時須菩提答帝釋。若行者不念色是色人色非人色樹色山色是四大若四大所造色等。不念是色若常若無常等。不以色故心生憍慢。 |
爾の時、須菩提の帝釈に答うらく、『若し行者、色を是の色は、人の色なり、樹の色なり、山の色なり、是れ四大、若しくは四大所造の色なり等と念ぜず、是の色は、若しは常、若しは無常等と念ぜずんば、色を以っての故に、心に憍慢を生ぜざらん。 |
爾の時、
『須菩提』は、
『帝釈』に、こう答えた、――
若し、
『行者』が、
是の、
『色』は、
『人の色である!』とか、
『非人の色である!』とか、
『樹の色である!』とか、
『山の色である!』とか、
是れは、
『四大である!』とか、
『四大所造の色である!』等と、
是のように、
『色』を、
『念じず!』、
是の、
『色』は、
『常であるとか、無常である!』等と、
『念じなければ!』、
『色』の故に、
『心』に、
『憍慢を生じることはない!』。
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不念色是我所非我所入無我門直至諸法實相中。 |
色は、是れ我所なり、我所に非ずと念ぜずんば、無我の門に入りて、直ちに諸法の実相中に至らん。 |
『色』は、
『我所であるとか、我所でない!』と、
『念じなければ!』、
則ち、
『無我の門に入って!』、
直ちに、
『諸法の実相』中に、
『至ることになる!』。
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是人能不念夢。不念是夢等用是夢等譬喻。破著五眾。破著故於夢中亦不錯。 |
是の人は、能く夢を念ぜず、是の夢等を念ぜず、是の夢等を用いて譬喻し、五衆に著するを破れば、著を破するが故に、夢中に於いても、亦た錯たず。 |
是の、
『人』が、
『夢を念じず! 』、
『是の夢』等を、
『念じず!』、
『是の夢等を用いて、五衆に譬喻し!』、
『五衆に著すること!』を、
『破れば!』、
『著を破る!』が故に、
『夢』中にも、
『錯つことがない( does not fall in disorder )!』。
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若不能破色著。是人於色錯於夢亦錯。受想行識乃至一切種智亦如是。幻焰響影化等亦如是。 |
若し、色の著を破する能わずんば、是の人は、色に於いて錯ち、夢に於いても亦た錯たん。受想行識、乃至一切種智も亦た是の如し。幻、焔、響、影、化等も亦た是の如し。 |
若し、
『色』の、
『著』を、
『破ることができなければ!』、
是の、
『人』は、
『色』に於いて、
『錯ち!』、
亦た、
『夢』に於いても、
『錯つ!』。
『受、想、行、識乃至一切種智』も、
亦た、
是の通りであり、
『幻、焔、響、影、化』等も、
亦た、
是の通りである。
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諸菩薩知諸法如夢。於夢亦不念 |
諸の菩薩は、諸法の夢の如きを知れば、夢に於いても亦た念ぜず。 |
『諸の菩薩』は、
『諸法』は、
『夢のようだ!』と、
『知りながら!』、
亦た、
『夢』を、
『念じることもない!』。
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