【經】須菩提白佛言。是般若波羅蜜無所作。佛言。作者不可得故。色不可得。乃至一切法不可得故。世尊。若菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。應云何行。 |
須菩提の仏に白して言さく、『是の般若波羅蜜には、所作無し』、と。仏の言わく、『作者の不可得なるが故、色の不可得、乃至一切法の不可得なるが故なり』、と。『世尊、若し菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ぜんと欲せば、応に云何が行ずべし』。 |
『須菩提』は、
『仏』に白して、こう言った、――
是の、
『般若波羅蜜には( in this PrajJaapaaramitaa )!』、
『所作が無いのです( nothing was made )!』。
『仏』は、こう言われた、――
『作者が不可得である( the maker is unrecognizable )!』が故に、
『色、乃至一切法』は、
『不可得だからである!』、と。
――
世尊!
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じようとすれば!』、
何のように、
『行じればよいのですか?』。
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参考:『大般若経巻288』:『爾時具壽善現復白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多無所造作。佛言如是。以諸作者不可得故。善現。色不可得故作者不可得。受想行識不可得故作者不可得。善現。眼處不可得故作者不可得。耳鼻舌身意處不可得故作者不可得。』 |
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佛告須菩提。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。不行色。是行般若波羅蜜。不行受想行識。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智。是行般若波羅蜜。 |
仏の須菩提に告げたまわく、『菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ぜんと欲せば、色を行ぜざる、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。受想行識を行ぜず、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智を行ぜざる、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色を行じなければ( do not understand that it is the form )!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになり!』、
『受想行識、乃至一切種智を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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行(ぎょう):修行、実行する/練習する( to practice )、○梵語 carya, pratipad prayoga 等の訳、引受ける、指導する、行う、遂行する(To
undertake; conduct, do, carry out )、日常的に行う/成し遂げる( to practice; accomplishing,
practicing )等の義、通路、宗教上の行為、行為、又は悟りの最終段階に人を近づかせる為めの行動/運動( a path. Religious
acts, deeds, or exercises aimed at taking one closer to the final goal
of enlightenment )等の意。○梵語 saMskaara, saMskRta の訳、寄せ集める( putting together
)、上手に形づくる( forming well )、 完璧にする( making perfect )、完成( accomplishment )、装飾(
embellishment, adornment )、浄化( purification, cleansing )、準備(making ready,
preparation )、[食事の]仕上げ( dressing (of food) )、[金属の]精錬( refining (of metals)
)、[宝石の]研磨( polishing (of gems) )、 [動物、又は植物の]育成( rearing (of animals or
plants) )等の義、転じて丁寧に造り上げられた[物]の意、更に転じて条件付きの事物/原因を通して生成された法、即ち謂わゆる有為法(Conditioned
things; dharmas produced through causation, i.e., so- called conditioned
phenomena )を指す、即ち心中に投じられた事物の影の意、飽くまでも影であって事物、それ自体ではない。○又心の形成( forming the
mind )、訓練/教育( training, education )の義、思(梵語 cintaa :thought )、又は心行(梵語 caitasika,
citta- pracaara:mental functions, the operation of the mind, mental fuctors
)に同等の意、即ち心の動きを指す、故に行と名づけ、十二因縁の一、五陰の一と為す。 |
参考:『大般若経巻289』:『具壽善現復白佛言。世尊。菩薩摩訶薩應云何行般若波羅蜜多。佛言。善現。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若不行色是行般若波羅蜜多。不行受想行識是行般若波羅蜜多。不行色若常若無常是行般若波羅蜜多。不行受想行識若常若無常是行般若波羅蜜多。不行色若樂若苦是行般若波羅蜜多。不行受想行識若樂若苦是行般若波羅蜜多。不行色若我若無我是行般若波羅蜜多。不行受想行識若我若無我是行般若波羅蜜多。不行色若淨若不淨是行般若波羅蜜多。不行受想行識若淨若不淨是行般若波羅蜜多。何以故。善現。色性尚無所有。況有色若常若無常若樂若苦若我若無我若淨若不淨。受想行識性尚無所有。況有受想行識若常若無常若樂若苦若我若無我若淨若不淨。』 |
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不行色常無常。是行般若波羅蜜。乃至一切種智不行常無常。是行般若波羅蜜。 |
色の常、無常を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の常、無常を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
『色、乃至一切種智』の、
『常や、無常を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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不行色若苦若樂。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智若苦若樂。是行般若波羅蜜。 |
色の若しは苦、若しは楽を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の若しは苦、若しは楽を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
『色、乃至一切種智』の、
『苦や、楽を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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不行色是我非我。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智是我非我。是行般若波羅蜜。 |
色の是れ我、非我を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の是れ我、非我を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
『色、乃至一切種智』の、
『我や、非我を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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不行色淨不淨。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智淨不淨。是行般若波羅蜜。 |
色の浄、不浄を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の浄、不浄を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
『色、乃至一切種智』の、
『浄や、不浄を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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何以故。是色無所有性。云何有常無常苦樂我無我淨不淨。受想行識亦無所有性云何有常無常乃至淨不淨。乃至一切種智無所有性。云何有常無常乃至淨不淨。 |
何を以っての故に、是の色には有らゆる性無きに、云何が常無常、苦楽、我無我、浄不浄有らん。受想行識も亦た、有らゆる性無きに、云何が常無常、乃至浄不浄有らん。乃至一切種智は有らゆる性無きに、云何が常無常、乃至浄不浄有らん。 |
何故ならば、
是の、
『色や、受想行識や、乃至一切種智には!』、
『有らゆる!』、、
『性が無いのに!』、
何故、
『常無常や、苦楽や、我無我や、浄不浄が!』、
『有るのか?』。
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復次須菩提。菩薩摩訶薩。行般若波羅蜜時。不行色不具足。是行般若波羅蜜。不行受想行識不具足。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智不具足。是行般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、須菩提、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ずる時、色の不具足を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。受想行識の不具足を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の不具足を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
復た次ぎに、
須菩提!
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色の不具足を行じなければ
( do not understand that the form is incomplete )!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになり!』、
『受想行識、乃至一切種智の不具足を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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何以故。色不具足者。是不名色。如是亦不行。是行般若波羅蜜。受想行識不具足者。是不名識。如是亦不行。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智。不具足者。是不名一切種智。如是亦不行。是行般若波羅蜜。 |
何を以っての故に、色の具足せざる者は、是れを色と名づけずして、是の如きも亦た行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。受想行識の具足せざる者は、是れを識と名づけずして、是の如きも亦た行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の具足せざるを行ぜざれば、是れを一切種智と名づけずして、是の如きも亦た行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
何故ならば、
『色が不具足ならば( the form is incomplete )!』、
『色』と、
『称されないからであり!』、
是のようにも、亦た( and also )、
『行じなければ( do not understand so)!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
『受想行識、乃至一切種智が不具足ならば!』、
『一切種智』と、
『称されず!』、
是のようにも、亦た、
『行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになる!』。
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須菩提白佛言。未曾有也。世尊。善說求菩薩道善男子善女人礙不礙相。佛言。如是如是。須菩提。佛善說求菩薩道善男子善女人礙不礙相。 |
須菩提の仏に白して言さく、『未曽有なり、世尊は善く、菩薩道を求むる善男子、善女人の礙と不礙の相を説きたまえり』、と。仏の言わく、『是の如し、是の如し、須菩提、仏は善く、菩薩道を求むる善男子、善女人の礙と不礙の相を説けり。 |
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
未曽有です( unexperienceable )!
『世尊』は、
『菩薩道を求める善男子、善女人』の、
『礙と、不礙の相』を、
『善く、説かれました( have explained very well )!』、と。
『仏』は、こう言われた、――
その通りだ!
その通りだ!
須菩提!
『仏』は、
『菩薩道を求める善男子、善女人』の、
『礙と、不礙の相』を、
『善く、説いたのだ!』、と。
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参考:『大般若経巻290』:『爾時具壽善現白佛言。世尊。甚奇。如來應正等覺。善為大乘諸善男子善女人等。宣說種種著不著相。佛言。善現。如是如是如汝所說。一切如來應正等覺。善為大乘諸善男子善女人等。宣說種種著不著相。令學般若波羅蜜多離諸染著速得究竟』 |
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復次須菩提。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不行色不礙。是行般若波羅蜜。不行受想行識不礙。是行般若波羅蜜。不行眼不礙。是行般若波羅蜜。不行耳鼻舌身不礙。是行般若波羅蜜。不行意不礙。是行般若波羅蜜。不行檀波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。不行尸羅波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。不行羼提波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。不行毘梨耶波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。不行禪波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。不行般若波羅蜜不礙。是行般若波羅蜜。乃至不行一切種智不礙。是行般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、須菩提、若し菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ずる時、色の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。受想行識の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。眼の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。耳鼻舌身の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。意の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。檀波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。尸羅波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。羼提波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。毘梨耶波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。禅波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。般若波羅蜜の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。乃至一切種智の不礙を行ぜざれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり。 |
復た次ぎに、
須菩提!
若し、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜を行じる!』時、
『色や、受想行識の不礙を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになり!』、
『眼や、耳鼻舌身意の不礙を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、 『行じたことになり!』
『檀波羅蜜や、乃至般若波羅蜜の不礙を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、 『行じたことになり!』
乃至、
『一切種智の不礙を行じなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『行じたことになるのである!』。
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参考:『大般若経巻290』:『復次善現。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若不行色著不著相是行般若波羅蜜多。不行受想行識著不著相是行般若波羅蜜多。善現。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若不行眼處著不著相是行般若波羅蜜多。不行耳鼻舌身意處著不著相是行般若波羅蜜多。善現。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜多時。若不行色處著不著相是行般若波羅蜜多。不行聲香味觸法處著不著相是行般若波羅蜜多。』 |
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須菩提。菩薩摩訶薩如是行般若波羅蜜時。知色是不礙。知受想行識是不礙。乃至知一切種智是不礙。知須陀洹果不礙。知斯陀含果不礙。知阿那含果不礙。知阿羅漢果不礙。知辟支佛道不礙。知阿耨多羅三藐三菩提道不礙。 |
須菩提、菩薩摩訶薩は、是の如く般若波羅蜜を行ずる時、色は是れ不礙なりと知り、受想行識は是れ不礙なりと知り、乃至一切種智は不礙なりと知り、須陀洹果は是れ不礙なりと知り、斯陀含果は是れ不礙なりと知り、阿那含果は是れ不礙なりと知り、阿羅漢果は是れ不礙なりと知り、辟支仏道は是れ不礙なりと知り、阿耨多羅三藐三菩提道は是れ不礙なりと知る。 |
須菩提!
『菩薩摩訶薩』が、
是のように、
『般若波羅蜜を行じる!』時、
『色や、受想行識、乃至一切種智』は
『不礙である!』と、
『知り!』、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道』は、
『不礙である!』と、
『知り!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の道』は、
『不礙である!』と、
『知るのである!』。
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爾時慧命須菩提白佛言。未曾有也。世尊。是甚深法。若說亦不增不減。若不說亦不增不減。 |
爾の時、慧命須菩提の仏に白して言さく、『未曽有なり、世尊、是の甚深の法は、若しは説きても、亦た不増、不減なり、若しは説かざるも、亦た不増、不減なり』、と。 |
爾の時、
『慧命須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
未曽有です!
世尊!
是の、
『甚深の法は説かれても、説かれなくても!』、
『増しもせず!』、
『減りもしません!』。
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参考:『大般若経巻291』:『爾時具壽善現白佛言。甚奇世尊。如是般若波羅蜜多甚深法性。若說若不說俱不增不減。佛言。善現。如是如是如汝所說。如是般若波羅蜜多甚深法性。若說不說俱無增減。善現。假使如來應正等覺。盡其壽住讚毀虛空。而彼虛空無增無減。如是般若波羅蜜多甚深法性亦復如是。若讚若毀不增不減。善現。譬如幻士於毀讚時不減不增無憂無喜。如是般若波羅蜜多甚深法性亦復如是。若說不說如本無異。』 |
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佛語須菩提。如是如是。是甚深法。若說亦不增不減。若不說亦不增不減。譬如佛盡形壽若讚若毀虛空。讚時亦不增不減。毀時亦不增不減。 |
仏の須菩提に語りたまわく、『是の如し、是の如し、是の甚深の法は、若しは説くも、亦た不増、不減なり、若しは説かざるも、亦た不増、不減なり。譬えば仏の形寿を尽くして、虚空を若しは讃じ、若しは毀(そし)るに、讃ずる時にも、亦た不増、不減にして、毀る時にも、亦た不増、不減なるが如し。 |
『仏』は、
『須菩提』に、こう語られた、――
その通りだ!
その通りだ!
是の、
『甚深の法は説かれても、説かれなくても!』、
『増すこともなく!』、
『減ることもない!』。
譬えば、
『仏』が、
『形寿を尽して( through his life )!』、
『虚空を讃じようが、毀ろうが( to praise or blame the sky )!』、
『虚空』は、
『讃じられた!』時、
『増えることもなく、減ることもなく!』、
亦た、
『毀られた!』時、
『増えることもなく、減ることもないようなものである!』。
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須菩提。如幻人。若讚時不增不減。毀時亦不增不減。讚時不喜毀時不憂。須菩提。諸法相亦如是。若說亦如本不異。若不說亦如本不異 |
須菩提、幻人の、若しは讃ずる時にも不増、不減、毀る時にも亦た不増不減にして、讃ずる時にも喜ばず、毀る時にも憂えざるが如し。須菩提、諸法の相も亦た是の如く、若しは説くも、亦た本の如く異ならず、若しは説かざるも、亦た本の如く異ならず。 |
須菩提!
譬えば、
『幻人』が、
『讃じられた!』時、
『増えもせず!』、
『減りもせず!』、
『毀られた!』時、
『増えもせず!』、
『減りもせず!』、
『讃じられた!』時、
『喜ばず!』、
『毀られた!』時
『憂えないようなものである!』。
須菩提!
『諸法の相』も、
是のように、
『説かれても!』、
『本のように!』、
『異ならず!』、
『説かれなくても!』、
『本のように!』、
『異ならないのである!』。
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須菩提白佛言。世尊。諸菩薩摩訶薩所為甚難。修行是般若波羅蜜時。不憂不喜。而能習行般若波羅蜜。於阿耨多羅三藐三菩提亦不轉還。 |
須菩提の仏に白して言さく、『世尊、諸の菩薩摩訶薩の所為は甚だ難く、是の般若波羅蜜を修行する時、憂えず、喜ばず。而も能く般若波羅蜜を習行すれば、阿耨多羅三藐三菩提に於いても、亦た転還せず。 |
『須菩提』は、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
諸の、
『菩薩摩訶薩の所為
( that which should be done by BodhisattvaM. )』は、
『甚だ!』、
『為し難い!』のに、
是の、
『般若波羅蜜を修行する!』時、
『憂うこともなく、喜ぶこともなくして!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行することができれば( could practice unceasingly )!』、
亦た、
『阿耨多羅三藐三菩提から!』、
『転還することもないのです( never return )!』。
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所為(しょい):梵語 kRtya の訳、為されるべき( to be done )の義、為されたこと( that which is done )の意。
習行(じゅうぎょう):梵語 abhyaasa の訳、何かを加える行為( the act of adding anything )の義、重複/繰り返すこと(
reduplication, repetition )の意。
不転還(ふてんかん):梵語 avinivartin の訳、転還しない( not turning back )の義、不退転(梵 avaivartika
: never returning )に同じ。 |
参考:『大般若経巻291』:『具壽善現復白佛言。世尊。諸菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多甚為難事。謂此般若波羅蜜多。若修不修無增無減亦無向背。而勤修學如是般若波羅蜜多。乃至無上正等菩提曾無退轉。何以故。世尊。諸菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多。如修虛空都無所有。世尊。如虛空中。無色可施設。無受想行識可施設。所修般若波羅蜜多亦復如是。』 |
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何以故。世尊。修般若波羅蜜。如修虛空。如虛空中。無般若波羅蜜。無禪無毘梨耶無羼提無尸羅無檀波羅蜜。如虛空中。無色無受想行識。亦無內空外空內外空乃至無法有法空。無四念處。乃至無八聖道分。無佛十力。乃至無十八不共法。無須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果。無辟支佛道。無阿耨多羅三藐三菩提。修般若波羅蜜亦如是。 |
何を以っての故に、世尊、般若波羅蜜を修するは、虚空を修するが如し。虚空中に、般若波羅蜜無く、禅無く、毘梨耶無く、羼提無く、尸羅無く、檀波羅蜜無きが如し。虚空中に、色無く、受想行識無く、亦た内空、外空、内外空、乃至無法有法空無く、四念処無く、乃至八聖道分無く、仏の十力無く、乃至十八不共法無く、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果無く、辟支仏道無く、阿耨多羅三藐三菩提無きが如きは、般若波羅蜜を修するも、亦た是の如し。 |
何故ならば、
世尊!
『般若波羅蜜を修める!』のは、
『虚空』を、
『修めるようなものでありながら!』、
譬えば、
『虚空』中には、
『般若波羅蜜も、禅、毘梨耶、羼提、尸羅、檀波羅蜜も!』、
『無く!』、
亦た、
『色も、受想行識も、内空乃至無法有法空も!』、
『無く!』、
亦た、
『四念処、乃至八聖道分も!』、
『無く!』、
亦た、
『仏の十力、乃至十八不共法も!』、
『無く!』、
亦た、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道も!』、
『無く!』、
亦た、
『阿耨多羅三藐三菩提も!』、
『無いように!』、
『般若波羅蜜を修めること!』も、
亦た、
『是の通りだからです!』。
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世尊。應禮是諸菩薩摩訶薩能大莊嚴。世尊。是人為眾生大莊嚴勤精進。如為虛空大莊嚴勤精進。 |
世尊、応に礼すべし。是の諸の菩薩摩訶薩は、能く大荘厳すればなり。世尊、是の人の、衆生の為に大荘厳して、勤精進するは、虚空の為に大荘厳して、勤精進するが如し。 |
世尊!
是の、
『菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜を用いて!』、
『大いに莊嚴することができれば!』、
当然、
『礼せねばなりません!』。
世尊!
是の、
『人が、衆生の為めに!』、
『大いに莊嚴し!』、
『勤めて精進する!』のは、
譬えば、
『虚空の為めに!』、
『大いに莊嚴し!』、
『勤めて精進するようなものだからです!』。
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参考:『大般若経巻291』:『爾時具壽善現復白佛言。世尊。是菩薩摩訶薩能擐如是大功德鎧。我等有情皆應敬禮。世尊。若菩薩摩訶薩。為諸有情擐功德鎧勤精進者。如為虛空擐功德鎧發勤精進。世尊。若菩薩摩訶薩。為欲成熟解脫有情。擐功德鎧勤精進者。如為虛空成熟解脫擐功德鎧發勤精進。世尊。若菩薩摩訶薩。為一切法擐大功德鎧勤精進者。如為虛空擐大功德鎧發勤精進。世尊。若菩薩摩訶薩。為拔有情令出生死。擐功德鎧勤精進者。如為舉虛空置高勝處擐大功德鎧發勤精進。世尊。菩薩摩訶薩。得大精進波羅蜜多。為如虛空諸有情類。速脫生死發趣無上正等菩提。世尊。菩薩摩訶薩。得不思議無等神力。為如虛空諸法性海。擐大功德鎧發趣無上正等菩提。世尊。菩薩摩訶薩。最極勇健。為如虛空諸佛無上正等菩提。擐功德鎧發勤精進。世尊。菩薩摩訶薩。為如虛空諸有情類。勤修苦行欲證無上正等菩提。甚為希有。』 |
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世尊。是人欲度眾生。如欲度虛空。 |
世尊、是の人の衆生を度せんと欲するは、虚空を度せんと欲するが如し。 |
世尊!
是の、
『人』が、
『衆生』を、
『度そうとする( will the living beings to across the river )!』のは、
譬えば、
『虚空』を、
『度そうとするようなものだからです!』。
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世尊。是諸菩薩摩訶薩大莊嚴。為虛空等眾生大莊嚴。 |
世尊、是の諸の菩薩摩訶薩の大荘厳、虚空に等しき衆生の為の大荘厳なり。 |
世尊!
是の、
『諸の菩薩摩訶薩が、大荘厳する( to prepare splendidly )!』のは、
『虚空に等しい!』、
『衆生の為めに!』、
『大荘厳するのです!』。
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莊嚴(しょうごん):梵語 saMbhaara の訳、準備/糧食/必需品( preparation, provisions, necessaries
)の義、飾ること( to decorate something with )の意。 |
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世尊。是人大莊嚴欲度眾生。為如舉虛空。 |
世尊、是の人の大荘厳して、衆生を度せんと欲するは、虚空を挙ぐるが如しと為す。 |
世尊!
是の、
『人』が、
『大荘厳して!』、
『衆生』を、
『度そうとする!』のは、
譬えば、
『虚空』を、
『挙げる( to lift )ようなものです!』。
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世尊。諸菩薩摩訶薩大精進力。欲度眾生故。發阿耨多羅三藐三菩提心。 |
世尊、諸の菩薩摩訶薩は、大精進の力もて衆生を度せんと欲するが故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発すなり。 |
世尊!
『諸の菩薩摩訶薩』は、
『大精進の力で、衆生を度そうとする!』が故に、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発すのです!』。
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世尊。諸菩薩摩訶薩大莊嚴。欲度眾生故。發阿耨多羅三藐三菩提心。 |
世尊、諸の菩薩摩訶薩は、大荘厳もて衆生を度せんと欲するが故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。 |
世尊!
『諸の菩薩摩訶薩』は、
『大莊嚴して、衆生を度そうとする!』が故に、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発すのです!』。
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世尊。諸菩薩摩訶薩大勇猛。為度如虛空等眾生故。發阿耨多羅三藐三菩提心。 |
世尊、諸の菩薩摩訶薩は、大勇猛もて虚空に等しきが如き衆生を度せんが為の故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。 |
世尊!
『諸の菩薩摩訶薩』は、
『大勇猛で、虚空に等しいほどの衆生を度そうとする!』が故に、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発すのです!』。
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何以故。世尊。若三千大千世界滿中諸佛。譬如竹葦甘蔗稻麻叢林。諸佛若一劫若減一劫說法。一一佛度無量無邊阿僧祇眾生。令入涅槃。世尊。是眾生性亦不減亦不增。 |
何を以っての故に、世尊、若しは三千大千世界の中に満つる諸の仏、譬えば竹葦、甘蔗、稲麻の叢林の如き諸の仏、若しは一劫、若しは減一劫法を説き、一一の仏が、無量無辺阿僧祇の衆生を度して、涅槃に入れしめたまわん。世尊、是の衆生の性は、亦た減ぜず、亦た増せず。 |
何故ならば、
世尊!
若し、
譬えば、
『竹、葦、甘蔗、稲、麻、叢林のように!』、
『三千大千世界』中に、
『諸仏』を、
『満たしたとして!』、
若し、
『一劫か、減一劫、説法して!』、
『一一の仏が、無量阿僧祇の衆生を度して!』、
『涅槃』に、
『入らせたとしても!』、
世尊!
是の、
『衆生の性』は、
『減ることもなく!』、
『増えることもないのです!』。
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参考:『大般若経巻291』:『何以故。世尊。假使三千大千世界滿中如來應正等覺。如竹麻葦甘蔗等林。若經一劫或一劫餘。為諸有情常說正法。各度無量無邊有情。令入涅槃究竟安樂而有情界不增不減。所以者何。以諸有情皆無所有性遠離故。世尊。假使十方各如殑伽沙數世界滿中如來應正等覺。如竹麻葦甘蔗等林。若經一劫或一劫餘。為諸有情常說正法。各度無量無邊有情。令入涅槃究竟安樂。而有情界不增不減。所以者何。以諸有情皆無所有性遠離故。世尊。假使十方一切世界滿中如來應正等覺。如竹麻葦甘蔗等林。若經一劫或一劫餘。為諸有情常說正法。各度無量無邊有情。令入涅槃究竟安樂。而有情界不增不減。所以者何。以諸有情皆無所有性遠離故。世尊。由是因緣我作是說。菩薩摩訶薩為如虛空諸有情類成熟解脫勤修苦行。欲證無上正等菩提。甚為希有。』 |
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何以故。眾生無所有故。眾生離故。乃至十方世界中諸佛所度眾生亦如是。 |
何を以っての故に、衆生は無所有なるが故なり、衆生は離るるが故なり。乃至十方の世界中の、諸仏の度したもう所の衆生も、亦た是の如し。 |
何故ならば、
『衆生は無所有である( all living beings are not existing )!』が故に、
『衆生』は、
『離である( being separate from existence )!』が故に、
乃至、
『十方の世界中の諸仏に度される!』、
『衆生』も、
『是の通りだからです!』。
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世尊。以是因緣故。我如是說。是人欲度眾生故。發阿耨多羅三藐三菩提心。為欲度虛空。 |
世尊、是の因縁を以っての故に、我れは是の如く、是の人の、衆生を度せんと欲するが故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発せるは、虚空を度せんと欲すと為すと説けり。 |
世尊!
是の、
『因縁』の故に、
わたしは、 こう説くのです、――
是の、
『人が、衆生を度そうとする!』が故に、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発す!』のは、
『虚空』を、
『度そうとしているのです!』、と。
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是時有一比丘作是言。我當禮般若波羅蜜。般若波羅蜜中。雖無法生無法滅。而有戒眾定眾慧眾解脫眾解脫知見眾。而有諸須陀洹諸斯陀含諸阿那含諸阿羅漢諸辟支佛。有諸佛。而有佛寶法寶比丘僧寶。而有轉法輪 |
是の時、有る一比丘の是の言を作さく、『我れは当に般若波羅蜜を礼すべし。般若波羅蜜中に、法の生無く、法の滅無しと雖も、而も戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆有り、而して諸の須陀洹、諸の斯陀含、諸の阿那含、諸の阿羅漢、諸の辟支仏有り、諸の仏有り、而して仏宝、法宝、比丘僧宝有り、而して転法輪有ればなり』、と。 |
是の時、
有る、
『一比丘』が、 こう言った、――
わたしは、
『般若波羅蜜』を、
『礼せねばならない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中には、
『法の生も、滅も!』、
『無い!』が、
而し、
『戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆』が、
『有り!』、
而も、
『諸の須陀洹、乃至諸の阿羅漢、諸の辟支仏も、諸仏も!』、
『有り!』、
亦た、
『仏宝、法宝、比丘僧宝』が、
『有り!』、
是の故に、
『法輪の転じられること!』が、
『有るからです!』。
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参考:『大般若経巻291』:『爾時會中有一苾芻竊作是念。我應敬禮甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅。而有戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫智見蘊施設可得。亦有預流果一來果不還果阿羅漢果施設可得。亦有獨覺菩提施設可得。亦有無上正等菩提施設可得。亦有佛法僧寶施設可得。亦有轉妙法輪度有情類施設可得。佛知其念告言。苾芻。如是如是。甚深般若波羅蜜多微妙難測』 |
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