【論】釋曰。是淨甚深者。淨有二種。一者智慧淨。二者所緣法淨。此二事相待。離智淨無緣淨。離緣淨無智淨。 |
釈して曰く、『是の浄は甚だ深し』とは、浄には二種有り、一には智慧の浄、二には所縁の法の浄なり。此の二事は相待し、智の浄を離れて、縁の浄無く、縁の浄を離れて、智の浄無し。 |
釈す、
是の、
『浄』は、
『甚だ深い!』とは、――
『浄には、二種有り!』、
一には、
『智慧』が、
『浄であり!』、
二には、
『所縁の法』が、
『浄である!』が、
是の、
『二事は相待しており( both are mutually depended )!』、
『智の浄を離れて!』、
『所縁の浄』は、
『無く!』、
『所縁の浄を離れて!』、
『智の浄』は、
『無い!』。
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相待(そうたい):梵語 apekSa, apekSaNa, vyapekSita, anyonyaazraya の訳、相互に期待する( mutually expected )、相互依存( mutually depending, interdependence )の意。 |
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所以者何。一切心心數法從緣生。若無緣則智不生。譬如無薪火無所然。以有智故知緣為淨。無智則不知緣淨。此中智淨緣淨相待世間常法。 |
所以は何んとなれば、一切の心、心数法は、縁より生ず。若し縁無くんば、則ち智生ぜず。譬えば薪無くんば、火の然(も)ゆる所無きが如し。智有るを以っての故に、縁を知りて、浄と為す。智無くんば、則ち縁の浄なるを知らず。此の中には、智の浄と縁の浄と相待すること、世間の常法なり。 |
何故ならば、
一切の、
『心、心数法( 智)』は、
『縁より!』、
『生じるからである!』。
若し、
『縁が無ければ!』、
『智』は、
『生じない!』。
譬えば、
『薪が無ければ!』、
『火の燃やす!』所が、
『無いように!』、
『智が有る!』が故に、
『縁は浄である!』と、
『知るのであり!』、
『智が無ければ!』、
『縁は浄である!』と、
『知ることはない!』。
此の中の、
『智の浄と縁の浄とが、相待する!』のは、
『世間』の、
『常法である!』。
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是中說離智離緣諸法實相本自清淨。為心心數法所緣則污染不清淨。譬如百種美食與毒同器則不可食。 |
是の中に説かく、『智を離れ、縁を離れて、諸法の実相は、本より自ら清浄なり。心心数法の所縁と為れば、則ち汚染して清浄ならず。譬えば、百種の美食と毒と、器を同じうすれば、則ち食うべからざるが如し』、と。 |
是の中には、こう説かれている、――
『智と、縁を離れた!』、
『諸法の実相は本より、自ら清浄である!』が、
『心、心数法に縁じられれば!』、
則ち、
『汚染され!』、
『清浄でなくなる!』。
譬えば、
『百種の美食も!』、
『毒と!』、
『器を同じうすれば!』、
則ち、
『食えなくなるようなものである!』。
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諸法實相常淨。非佛所作。非菩薩辟支佛聲聞一切凡夫所作。有佛無佛常住不壞相。在顛倒虛誑法及果報中則污染不淨。 |
諸法の実相は常に浄にして、仏の所作に非ず、菩薩、辟支仏、声聞、一切の凡夫の所作に非ず、仏有るも、仏無きも、常住の不壊相なるも、顛倒、虚誑の法、及び果報中に在りては、則ち汚染せられて不浄なり。 |
『諸法の実相が、常に浄である!』のは、
『仏が、浄に作したのでもなく( be not made pure by Buddha )!』、
『菩薩、辟支仏、声聞、一切の凡夫』が、
『浄に作したのでもない!』。
『諸法の実相』は、
『仏が有ろうと、無かろうと!』、
『常住』の、
『不壊相である!』が、
『顛倒、虚誑の法や、果報中に在れば!』、
『汚染されて!』、
『不浄となるのである!』。
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是清淨有種種名字。或名如法性實際。或名般若波羅蜜。或名道。或名無生無滅空無相無作無知無得。或名畢竟空等。如是等無量無邊名字。 |
是の清浄には、種種の名字有り、或いは如、法性、実際と名づけ、或いは般若波羅蜜と名づけ、或いは道と名づけ、或いは無生無滅、空無相無作、無知無得と名づけ、或いは畢竟空と名づくる等、是の如き等の無量無辺の名字あり。 |
是の、
『清浄には、種種の名字が有り!』、
或は、
『如、法性、実際』と、
『称され!』、
或は、
『般若波羅蜜』と、
『称され!』、
或は、
『道』と、
『称され!』、
或は、
『無生無滅、空無相無作、無知無得』と、
『称され!』、
或は、
『畢竟空』等と、
『称されるのであり!』、
是れ等のような、
『無量、無辺の名字』が、
『有る!』。
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舍利弗觀是般若波羅蜜相。雖不可見不可聞不可說不可破壞而誹謗得無量罪。信受正行則得無上果報。 |
舎利弗の観ずらく、『是の般若波羅蜜の相は、不可見、不可聞、不可説、不可破壊なりと雖も、誹謗すれば無量の罪を得、信受、正行すれば、則ち無上の果報を得』、と。 |
『舍利弗』は、こう観た、――
是の、
『般若波羅蜜』は、
『不可見、不可聞、不可説、不可破壊の相でありながら!』、
『誹謗すれば!』、
『無量の罪』を、
『得ることになり!』、
『信受して、正しく行じれば!』、
『無常の果報』を、
『得ることになる!』、と。
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舍利弗發希有歡喜心。而白佛言。世尊。是淨甚深。佛答。汝所見者以為希有。實相中復過汝所見。一切法中。畢竟淨無所著。乃至淨體亦不著。是名畢竟清淨。 |
舍利弗の希有の歓喜心を発して、仏に白して言さく、『世尊、是の浄は、甚だ深しや』、と。仏の答えたまわく、『汝の所見は、以って希有と為すも、実相中には、復た汝の所見を過ぎたり。一切の法中に、畢竟じて浄にして、所著無く、乃至浄の体にも、亦た著せず、是れを畢竟じて清浄なりと名づく』、と。 |
『舍利弗』は、
『希有の歓喜心を発し!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『浄』は、
『甚だ深いのですか?』、と。
『仏』は、こう答えられた、――
お前の、
『見た!』所は、
『希有である!』が、
『実相』中は、
復た( even more )、
『お前の見た!』所を、
『過ぎている!』。
『一切の法』中は、
『畢竟じて浄であり!』、
『著する!』所が、
『無い!』が故に、
乃至、
『浄の体すら!』、
『著することがなければ!』、
是れを、
『畢竟清浄』と、
『称するのである!』。
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復次清淨主。所謂十方三世諸佛。諸佛亦不著是清淨。是故言畢竟清淨故 |
復た次ぎに、清浄の主は、謂わゆる十方三世の諸仏たるも、諸仏も、亦た是の清浄に著したまわず。是の故に言わく、『畢竟じて清浄なるが故に』、と。 |
復た次ぎに、
『清浄の主( the king of pureness )』とは、
謂わゆる、
『十方の三世の諸仏である!』が、
『諸仏』も、
是の、
『清浄』に、
『著されることはない!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『畢竟じて!』、
『清浄だからである!』、と。
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是清淨。般若波羅蜜。能令一切賢聖無邊苦盡。有是大利益。而亦不著是般若波羅蜜。如是有無量因緣畢竟清淨。是淨甚深。 |
是の清浄の般若波羅蜜は、能く一切の賢聖をして、無辺の苦を尽くさしむ。是の大利益有れども、亦た是の般若波羅蜜にも著せず。是の如き無量の因縁有りて、畢竟じて清浄なれば、是の浄は甚だ深し。 |
是の、
『清浄という!』、
『般若波羅蜜』は、
『一切の賢聖』に、
『無辺の苦』を、
『尽くさせる!』が、
是の、
『大利益が有りながら!』、
是の、
『般若波羅蜜』にも、
『著することがない!』。
是のような、
『無量の因縁が有り!』、
『畢竟清浄である!』が故に、
是の、
『浄』は、
『甚だ深いのである!』。
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舍利弗問。何法畢竟清淨故是淨甚深。佛答。色等諸法清淨故。是淨甚深。所以者何。色等諸法本末因果清淨故。是淨甚深。 |
舍利弗の問わく、『何なる法か、畢竟じて清浄なるが故に、是の浄は甚だ深き』、と。仏の答えたまわく、『色等の諸法の清浄なるが故に、是の浄は甚だ深し。所以は何んとなれば、色等の諸法は、本末、因果清浄なるが故に、是の浄は甚だ深し』、と。 |
『舍利弗』は、 こう問うた、――
何の、
『法が、畢竟じて清浄である!』が故に、
是の、
『浄』が、
『甚だ深いのですか?』、と。
『仏』は、 こう答えられた、――
何故ならば、――
『色等の諸法』は、
『本末も、因果も清浄である!』が故に、
是の、
『浄』は、
『甚だ深いのである!』、と。
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如上品中說。菩薩於色等法中觀行斷故。得如是清淨。以是故。名色等清淨。 |
上の品中に説くが如く、菩薩は、色等の法中に、観、行断ずるが故に、是の如き清浄を得、是を以っての故に、色等の清浄と名づくるなり。 |
上の品中には、こう説かれている、――
『菩薩』は、
『色等の法』中に、
『観も、行も断じている( viewing and practicing are stopped )!』が故に、
是のような、
『清浄』を、
『得られるのであり!』、
是の故に、
『色等は清浄である!』と、
『称するのである!』。
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観行(かんぎょう):梵語 vyavacaara, vipazyanaa- carita の訳、視ることと実践すること( looking and practice
)の義。 |
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是淨能破一切法中戲論無明能與畢竟空智慧光明。是故言淨明。 |
是の浄は、能く一切の法中の戯論の無明を破し、能く畢竟空の智慧の光明を与うれば、是の故に言わく、『浄は明なり』、と。 |
是の、
『浄』は、
『一切の諸法』中の、
『戯論や、無明』を、
『破ることができ!』、
『畢竟空という!』、
『智慧の光明』を、
『与えることができる!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『浄』は、
『明である!』、と。
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行檀波羅蜜等諸菩薩妙法故。得是淨明。 |
檀波羅蜜等の諸菩薩の妙法を行ずるが故に、是の浄の明を得。 |
『檀波羅蜜』等の、
『諸の菩薩の、妙法を行う!』が故に、
是の、
『浄の明』を、
『得るのである!』。
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是淨能與有餘涅槃故。言是淨明。今與無餘涅槃故。言是淨不相續。 |
是の浄は、能く有余涅槃を与うるが故に言わく、『是の浄は明なり』、と。今、無余涅槃を与うるが故に言わく、『是の浄は相続せず』、と。 |
是の、
『浄』は、
『有余涅槃を与えることができる!』が故に、 こう言うのであるが、――
今は、
『無余涅槃を与える!』が故に、 こう言うのである、――
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先以空等三三昧捨諸善法。後壽命自然盡故。色等五眾不去。亦不相續故淨不相續。 |
先に空等の三三昧を以って、諸の善法を捨つれば、後に寿命の自然に尽くるが故に、色等の五衆は去らずして、亦た相続せざるが故に、浄は相続せず。 |
先に、
『空等の三三昧を用いて!』、
『諸の善法』を、
『捨てれば!』、
後に、
『寿命が、自然に尽きる!』が故に、
『色等の五衆』は、
『去ることもなく!』、
『相続することもない!』ので、
是の故に、
『浄』は、
『相続しないのである!』。
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以百八諸煩惱不能遮覆污染淨故。言淨無垢。 |
百八の諸煩悩は、浄を遮覆し、汚染する能わざるが故に言わく、『浄は無垢なり』、と。 |
『百八の諸煩悩』は、
『浄を遮覆することも、汚染することもできない
( cannot cover or impurify the pureness )!』が故に、こう言うのである、――
『浄』は、
『無垢である!』、と。
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行如是諸法實相不二道。從苦法忍乃至十五心是名得。第十六心得沙門果。是名著。 |
是の如き諸法の実相の不二の道を行うに、苦法忍より、乃至十五心は、是れを得と名づけ、第十六心に沙門果を得れば、是れを著と名づく。 |
是のような、
『諸法の実相という!』、
『不二の道を行じる!』、
『苦法忍より、乃至十五心』を、
『得( to obtain )』と、
『称し!』、
『第十六心という!』、
『沙門果を得ること!』を、
『著( to desire )』と、
『称する!』。
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著者著不墮落。得之別名也。 |
著とは、堕落せざるに著し、得の別名なり。 |
『著』とは、――
『堕落しないこと!』に、
『著すことであり!』、
是の、
『著』は、
『得の別名である!』。
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復次行六波羅蜜。乃至生柔順忍。是名得。能生無生法忍入菩薩位。是名著。是清淨法中。用無所得心。無此二事故。名無得無著。 |
復た次ぎに、六波羅蜜を行じて、乃至柔順忍を生ずるまで、是れを得と名づけ、能く無生法忍を生じて、菩薩位に入れば、是れを著と名づく。是の清浄法中には、無所得の心を用いて、此の二事無きが故に、無得無著と名づく。 |
復た次ぎに、
『六波羅蜜を行じながら!』、
『乃至柔順忍を生じる!』までを、
『得』と、
『称し!』、
『無生法忍を生じて!』、
『菩薩位に入ることができれば!』、
是れを、
『著』と、
『称する!』。
是の、
『清浄法』中には、
『無所得の心を用いる!』ので、
此の、
『得、著の二事』が、
『無く!』、
是の故に、
『得、著が無い!』と、
『称する!』。
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行如是法知一切法畢竟空。畢竟空故不取相。不取相故。不起不作三種業。不作業故。一切世間無生。 |
是の如き法を行じて、一切の法の畢竟じて空なるを知れば、畢竟じて空なるが故に、相を取らず、相を取らざるが故に、三種の業を起こさず、作らず、業を作らざるが故に、一切の世間は無生なり。 |
是のような、
『法を行じながら!』、
『一切法は畢竟空である!』と、
『知れば!』、
『畢竟空である!』が故に、
『相』を、
『取らず!』、
『相を取らない!』が故に、
『三種の業』を、
『起すことも、作すこともなく!』、
『業を作さない!』が故に、
『一切の世間に於いて!』、
『無生である!』。
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世間所謂三界。此中二因緣故不生。一者三種生業不起故。二者三界自性不可得故。 |
世間とは、謂わゆる三界なり。此の中に、二因縁の故に、不生なり。一には、三種の生業を起こさざるが故に、二には、三界の自性は不可得なるが故なり。 |
『世間』とは、
謂わゆる、
『三界である!』が、
『二因縁』の故に、
此の、
『三界』中に、
『生じることはない!』。
謂わゆる、
一には、
『世間に生じる為め!』の、
『三種の業』を、
『起さない!』が故に、
二には、
『三界』は、
『自性』が、
『不可得である!』が故に、
是の、
『三界』に、
『生じることがないのである!』。
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此中佛總說因緣。所謂三界自性空。是故說三界色等諸法自性不可得。 |
此の中に、仏は総じて、因縁を説きたまえり、謂わゆる、『三界の自性は空なり』、と。是の故に説きたまわく、『三界の色等の諸法の自性は不可得なり』、と。 |
此の中に、
『仏』は、
『因縁を総説された!』、――
謂わゆる、
『三界の自性』は、
『空である!』、と。
是の故に、 こう説かれたのである、――
『三界』の、
『色等の諸法』の、
『自性』は、
『不可得である( cannot be obtained )!』、と。
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是淨無知諸法鈍故。如上品中說。 |
是の浄の知る無きは、諸法の鈍なるが故なりとは、上の品中に説けるが如し。 |
是の、
『浄に、知ることが無い!』のは、
『諸法』が、
『鈍だからである!』。
例えば、
『上の品(信毀品)』中に、
『説いた通りである!』。
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一切諸法性常不生。不生故不可得。不可得故畢竟清淨。 |
一切の諸法の性は、常にして不生なり。不生なるが故に不可得なり。不可得なるが故に畢竟じて清浄なり。 |
『一切の諸法の性』は
『常に、不生であり!』、
『不生である!』が故に、
『不可得であり!』、
『不可得である!』が故に、
『畢竟じて!』、
『清浄である!』。
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舍利弗得聲聞波羅蜜。佛為一切智人。是二人問答故。諸菩薩貪著是般若波羅蜜。 |
舍利弗は、声聞の波羅蜜を得るも、仏は一切智の人為り。是の二人の問答の故に、諸の菩薩は、是の般若波羅蜜に貪著す。 |
『舎利弗』は、
『声聞の波羅蜜』を、
『得ている!』し、
『仏』は、
『一切智』の、
『人である!』。
是の、
『二人が問答した!』が故に、
『諸の菩薩』は、
是の、
『般若波羅蜜』に、
『貪著することになった!』。
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是故舍利弗。欲斷其貪著故。說言世尊般若波羅蜜。雖有如是功德。畢竟清淨故。於薩婆若亦無益無損。 |
是の故に、舍利弗は、其の貪著を断ぜんと欲するが故に説いて言わく、『世尊、般若波羅蜜に、是の如き功徳有りと雖も、畢竟じて清浄なるが故に、薩婆若に於いて、益無く損無し』と。 |
是の故に、
『舍利弗』は、
『菩薩』の、
『貪著』を、
『破ろうとした!』が故に、
『般若波羅蜜を説いて!』、こう言った、――
世尊!
『般若波羅蜜』には、
是のような、
『功徳が有りながら!』、
『畢竟じて!』、
『清浄である!』が故に、
『薩婆若』に於いても、
『益することも、損じることも!』、
『無いのです!』。
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如夢如幻。中雖有得失。亦無益無損。 |
夢の如き、幻の如き中には、得失有りと雖も、亦た益無く、損無し。 |
譬えば、
『夢、幻』中には、
『得、失が有りながら!』、
『益することも、損じることも!』、
『無いようなものです!』。
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如虛空畢竟清淨無所有。亦因是虛空有所成濟。亦不得言空有所作。亦不得言空無所益。檀波羅蜜。因般若波羅蜜有所作。是故言般若波羅蜜無益無損。 |
虚空は畢竟じて清浄、無所有なるも、亦た是の虚空に因りて、成済する所有れば、亦た『空には、所作有り』と言うを得ず、亦た『空には、益する所無し』と言うを得ざるが如く、檀波羅蜜は、般若波羅蜜に因りて、所作有り。是の故に言わく、『般若波羅蜜には益無く、損無し』、と。 |
譬えば、
『虚空』が、
『畢竟じて清浄であり!』、
『無所有であり!』、
是の、
『虚空に因って!』、
『成済する( to be achieved )!』所が、
『有りながら!』、
『空』には、
『作す所が有る!』と、
『言うこともできず!』、
『空』には、
『益する所が無い!』と、
『言うこともできないように!』、
『檀波羅蜜』は、
『般若波羅蜜に因って!』、
『作す!』所が、
『有る!』ので、
是の故に、こう言うのです、――
『般若波羅蜜』には、
『益することも、損じることも!』、
『無い!』、と。
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成済(じょうさい):成就/成し遂げる( achieve )。 |
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般若波羅蜜。觀一切法有失不淨。無常苦空無我不生不滅非不生非不滅等。種種因緣讚歎。滅諸觀戲論斷語言道。是故說般若波羅蜜清淨。於諸法無所受。 |
般若波羅蜜は、一切法の失、不浄、無常、苦、空、無我、不生不滅、非不生非不滅等有るを観て、種種の因縁もて、諸観、戯論を滅し、語言の道を断ずるを讃歎すれば、是の故に説かく、『般若波羅蜜は清浄にして、諸法に於いて、受くる所無し』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『一切法』には、
『失、不浄、無常、苦、空、無我、不生不滅、非不生非不滅等が有る!』と、
『観ながら!』、
『種種の因縁を用いて!』、
『諸観、戯論を滅し、語言の道を断じること!』を、
『讃歎する!』ので、
是の故に、こう説くのである、――
『般若波羅蜜は、清浄であり!』、
『諸法』に於いて、
『受ける所が無い!』、と。
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滅諸觀戲論斷語言道。即是入法性相。是故此中說法性不動故 |
諸観、戯論を滅して、語言の道を断ずれば、即ち是れ法の性相に入る。是の故に此の中に説かく、『法性の不動なるが故に』、と。 |
『諸観、戯論を滅して、語言の道を断じれば!』、
即ち、
『法の性、相』に、
『入ったことになる!』ので、
是の故に、
此の中に、こう説くのである、――
『法の性』は、
『不動だからである!』、と。
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入(にゅう):梵語 praveza の訳、入る/浸透する/侵入する( entering, entrance, penetration or intrusion
into )の義、真実に目覚める/理解し始める/心を真実に関連づけて知識を発展させる( To awaken to the truth; begin
to understand; to relate the mind to reality and thus evolve knowledge
)の意。 |
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