巻第六十三(上)
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大智度論釋信謗品第四十一之餘(卷六十三)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若を毀呰する因縁

【經】爾時須菩提白佛言。世尊。若善男子善女人。應好攝身口意業無受如是諸苦。或不見佛。或不聞法。或不親近僧。或生無佛世界中。或生人中墮貧窮家。或人不信受其言。 爾の時、須菩提の仏に白して言さく、『世尊、若し善男子、善女人、応に好く身口意の業を摂むれば、是の如き諸苦を受けて、或いは仏を見ず、或いは法を聞かず、或いは僧に親近せず、或いは無仏の世界中に生ず、或いは人中に生じて貧窮の家に堕す、或いは人の其の言を信受せざること無かるべし。
爾の時、
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
『善男子、善女人』が、
好く( well )、
『身、口、意の業』を、
『摂すれば( to control )!』、
是のような、
諸の、
『苦を受けて!』、
或は( likely )、
『仏を見ないとか!』、
『法を聞かないとか!』、
『僧に親近しないとか!』、
或は、
『無仏の世界中に生じるとか!』、
『人中に生じて、貧窮の家に堕ちるとか!』、
或は、
『誰も、其の言を信受しないということ!』が、
『無いはずである!』、と。
  参考:『大般若経巻181』:『爾時具壽善現白佛言。世尊。若有聰明諸善男子善女人等。聞佛所說謗正法者於未來世久受大苦。應善護持身語意業。勿於正法誹謗毀壞。墮三惡趣長時受苦。於久遠時不見諸佛。不聞正法不值遇僧。不得生於有佛國土。雖生人趣下賤貧窮。醜陋頑愚支體不具。諸有所說人不信受。具壽善現復言。世尊。造作增長感匱法業。豈不由習惡語業耶。佛言。善現。如是如是。實由串習惡語業故。造作增長感匱法業。於我正法毘奈耶中。當有愚癡諸出家者。彼雖稱我以為大師。而於我說甚深般若波羅蜜多誹謗毀壞。善現當知。若有謗毀甚深般若波羅蜜多。則為謗毀諸佛無上正等菩提。若有謗毀諸佛無上正等菩提。則為謗毀過去未來現在諸佛一切相智。若有謗毀一切相智則謗毀佛。若謗毀佛則謗毀法。若謗毀法則謗毀僧。若謗毀僧則當謗毀世間正見。若當謗毀世間正見。則當謗毀布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。亦當謗毀內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。亦當謗毀真如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界。亦當謗毀苦聖諦集聖諦滅聖諦道聖諦。亦當謗毀四靜慮四無量四無色定。亦當謗毀八解脫八勝處九次第定十遍處。亦當謗毀四念住四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。亦當謗毀空解脫門無相解脫門無願解脫門。亦當謗毀五眼六神通。亦當謗毀佛十力四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法。亦當謗毀無忘失法恒住捨性。亦當謗毀一切智道相智一切相智。亦當謗毀一切陀羅尼門一切三摩地門。彼由謗毀諸功德聚。則便攝受無數無量無邊罪聚。由彼攝受無數無量無邊罪聚。則便攝受諸大地獄傍生鬼界及人趣中無數無量無邊苦聚。』
須菩提白佛言。世尊。以積集口業故。有是破法重罪耶。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、口業を積集するを以っての故に、是の破法の重罪有りや』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『口業を積集する!』が故に、
是の、
『破法の重罪』が、
『有るのですか?』、と。
佛告須菩提。以積集口業故。有是破法重罪。須菩提。是愚癡人在佛法中出家受戒。破深般若波羅蜜毀呰不受。 仏の須菩提に告げたまわく、『口業を積集するを以っての故に、是の破法の重罪有り。須菩提、是の愚癡の人は、仏法中に在りて、出家し、受戒して、深き般若波羅蜜を破り、毀呰して受けざるなり。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『口業を積集する!』が故に、
是の、
『破法の重罪』が、
『有る!』。
須菩提!
是の、
『愚癡の人』は、
『仏法中に出家して!』、
『戒』を、
『受けながら( receiving )!』、
『深い般若波羅蜜を破って、毀呰し!』、
是の、
『法』を、
『受けることがないのだ( do not accept )!』。
  (じゅ):◯梵語 upaadaana, samaadaana の訳、連れて行く( taking away )、適切な布施を受ける( receiving suitable donations )の義。◯梵語 upasaMpad の訳、手に入れる( to come to, to get )、齎す/与える/僧侶の身分に迎え入れる( to bring or lead near; to give; to receive into the order of priests )の義。
須菩提。若破般若波羅蜜。毀呰般若波羅蜜。則為破十方諸佛一切智。一切智破故。則為破佛寶。破佛寶故破法寶。破法寶故破僧寶破三寶故。則破世間正見。破世間正見故。則為破四念處。乃至破一切種智法。破一切種智法故。則得無量無邊阿僧祇罪。得無量無邊阿僧祇罪已。則受無量無邊阿僧祇憂苦。 須菩提、若し般若波羅蜜を破り、般若波羅蜜を毀呰すれば、則ち十方の諸仏の一切智を破ると為し、一切智破るるが故に、則ち仏宝を破ると為し、仏宝を破るが故に法宝を破り、法宝を破るが故に、僧宝を破り、三宝を破るが故に、則ち世間の正見を破り、世間の正見を破るが故に、則ち四念処を破ると為し、乃至一切種智の法を破り、一切種智の法を破るが故に、則ち無量、無辺、阿僧祇の罪を得、無量、無辺、阿僧祇の罪を得已りて、則ち無量、無辺、阿僧祇の憂苦を受く。
須菩提!
若し、
『般若波羅蜜』を、
『破ったり!』、
『毀呰すれば!』、
則ち、
『十方の諸仏』の、
『一切智』を、
『破ることになり!』、
『一切智が破れる!』が故に、
『仏宝』を、
『破ることになり!』、
『仏宝を破る!』が故に、
『法宝』を、
『破ることになり!』、
『法宝を破る!』が故に、
『僧宝』を、
『破ることになり!』、
『三宝を破る!』が故に、
『世間の正見』を、
『破ることになり!』、
『世間の正見を破る!』が故に、
『四念処を破り!』、
乃至、
『一切種智の法』を、
『破り!』、
『一切種智の法を破る!』が故に、
『無量、無辺、阿僧祇の罪』を、
『得ることになり!』、
『無量、無辺、阿僧祇の罪を得る!』が故に、
『無量、無辺、阿僧祇の憂苦』を、
『受けるのである!』。
須菩提白佛言。世尊。是愚癡人毀呰破壞深般若波羅蜜有幾因緣。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、是の愚癡の人の、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊するは、幾ばくの因縁有りや』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『愚癡の人』が、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰したり!』、
『破壊するには!』、
何れほどの、
『因縁』が、
『有るのですか?』。
  参考:『大般若経巻181』:『時具壽善現復白佛言。世尊。諸愚癡人幾因緣故。謗毀如是甚深般若波羅蜜多。佛言。善現。由四因緣。何等為四。一者為諸邪魔所扇惑故。使愚癡者謗毀如是甚深般若波羅蜜多。二者於甚深法不信解故。使愚癡者謗毀如是甚深般若波羅蜜多。三者不勤精進堅著五蘊諸惡知識所攝受故。使愚癡者謗毀如是甚深般若波羅蜜多。四者多懷瞋恚樂行惡法喜自高舉輕毀他故。使愚癡者謗毀如是甚深般若波羅蜜多。善現。由具如是四因緣故。諸愚癡者謗毀如是甚深般若波羅蜜多』
佛告須菩提。有四因緣。是愚癡人毀呰破是深般若波羅蜜。須菩提言。世尊。何等四。 仏の須菩提に告げたまわく、『四因縁有りて、是の愚癡の人は、是の深き般若波羅蜜を毀呰して破るなり』、と。須菩提の言わく、『世尊、何等か四なる』。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
是の、
『愚癡の人』には、
『四因縁』が、
『有って!』、
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰して!』、
『破るのだ!』、と。
『須菩提』は、こう言った、――
何のような、
『四種』の、
『因縁ですか?』、と。
是愚癡人為魔所使故。欲毀呰破壞深般若波羅蜜。是名初因緣。 『是の愚癡の人は、魔の使う所と為るが故に、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊せんと欲す。是れを初の因縁と名づく。
是の、
『愚癡の人』は、
『魔に使われている!』が故に、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰して!』、
『破壊しようとする!』。
是れを、
『初の因縁』と、
『称する!』。
是愚癡人不信深法。不信不解心不得清淨。是第二因緣故。是愚癡人欲毀呰破壞深般若波羅蜜。 是の愚癡の人の、深法を信ぜざるは、不信、不解の心の、清浄なることを得ざれば、是れ第二の因縁なり。故に、是の愚癡の人の、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊せんと欲す。
是の、
『愚癡の人』は、
『深い法を信じない!』が故に、
『不信、不解の心( unbelieving and ununderstandig mind )』が、
『清浄』を、
『得られない!』、
是れが、
『第二の因縁であり!』、
故に、――
是の、
『愚癡の人』は、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰して!』、
『破壊しようとするのである!』。
是愚癡人與惡知識相隨。心沒懈怠堅著五受眾。是第三因緣故。是愚癡人欲毀呰破壞深般若波羅蜜。 是の愚癡の人は、悪知識と相隨いて、心懈怠に没して、堅く五受衆に著すれば、是れ第三の因縁なり。故に、是の愚癡の人の、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊せんと欲す。
是の、
『愚癡の人』は、
『悪知識に随って!』、
『心』が、
『懈怠の海に!』、
『没する!』と、
『堅く!』、
『五受衆(有漏の色、受、想、行、識)』に、
『著することになり!』、
是れが、
『第三の因縁であり!』、
故に、――
是の、
『愚癡の人』は、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰して!』、
『破壊しようとするのである!』。
  五受衆(ごじゅしゅ):梵語 paJca- upaadaana- skandha の訳、五種の受取る者の集団( five accepting aggregates )の義、取に従属する五種の要素( Five constituents subject to appropriation )、不浄な愛著の対象としての五種の集団( the five aggregates as objects of impure attachment )、有漏の五衆( contaminated five aggregates )の意。『大智度論巻20上注:五取蘊』参照。
是愚癡人多行瞋恚自高輕人。是第四因緣故。是愚癡人。欲毀呰破壞深般若波羅蜜。 是の愚癡の人は、多く瞋恚を行じて、自ら高ぶり、人を軽んずれば、是れ第四の因縁なり。故に、是の愚癡の人の、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊せんと欲す。
是の、
『愚癡の人』は、
『瞋恚を行じることが、多く!』、
『自らを高くして!』、
『人を軽んじる!』、
是れが、
『第四の因縁であり!』、
故に、
是の、
『愚癡の人』は、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰して!』、
『破壊しようとするのである!』。
須菩提。以是四因緣故。是愚癡人欲毀呰破壞深般若波羅蜜 須菩提、是の四因縁を以っての故に、是の愚癡の人は、深き般若波羅蜜を毀呰し、破壊せんと欲す。
須菩提!
是の、
『四因縁』の故に、
是の、
『愚癡の人』は、
『深い般若波羅蜜』を、
『毀呰し、破壊しようとするのである!』。



【論】般若を毀呰する因縁

【論】問曰。口業是破法。何以言攝身口意業。 問うて曰く、口業は、是れ法を破る。何を以ってか、『身、口、意業を摂す』と言う。
問い、
『口の業』が、
『法』を、
『破るのに!』、
何故、 こう言うのですか?――
『身、口、意の業』を、
『摂せよ!』、と。
答曰。意業是口業之本。若欲攝口業先攝意業。意業攝故身口業亦善。身口業善意業亦善。是中須菩提自說因緣。莫受是諸苦或不見佛等。 答えて曰く、意業は、是れ口業の本なれば、若し口業を摂せんと欲すれば、先に意業を摂す。意業を摂するが故に、身口業も亦た善なり。身口業善なれば、意業も亦た善なり。是の中に須菩提は、自ら因縁を説かく、『是の諸苦を受けて、或いは仏を見ざること等莫かれ』、と。
答え、
『意業』は、
『口業』の、
『本である!』、
若し、
『口業を摂しようとすれば!』、
先に、
『意業』を、
『摂せねばならず!』、
『意業が摂される!』が故に、
『身、口の業』も、
『善となり!』、
『身、口の業が善ならば!』、
『意の業』も、
『善だからである!』。
是の中に、
『須菩提』は、
自ら、
『因縁』を、こう説いている、――
是の、
『諸苦を受けて!』、
或は、
『仏』等を、
『見ないということがないようにせよ!』、と。
世間人以身業為重口業為輕。是故須菩提問。但以口業得如是罪耶。 世間の人は、身業を以って重しと為し、口業を軽しと為す。是の故に須菩提の問わく、『但だ口業を以って、是の如き罪を得るや』、と。
『世間の人』は、
『身業は重いとし!』、
『口業』は、
『軽いとする!』ので、
是の故に、
『須菩提』は、こう問うた、――
但だ( nothing else besides )、
『口業だけでも!』、
是のような、
『罪』を、
『得るのですか?』、と。
佛可其意示言。是愚癡人自無急事。又無使作者。亦無所得。而自以舌故。作如是罪是為大狂。是狂人未來世。在我法中出家。 仏は、其の意を可とし、示して言わく、『是の愚癡の人は、自ら急事無く、又作さしむる者も無く、亦た所得も無く、而も自ら舌を以っての故に、是の如きの罪を作せり。是れを大狂と為す。是の狂人、未来世に、我が法中に在りて出家せん』、と。
『仏』は、
『須菩提の意を可とし!』、
『須菩提に示して!』、こう言われた、――
是の、
『愚癡の人』は、
自ら、
『事を急ごうとすること!』も、
『無く!』、
又、
『使作する( to order )』者も、
『無く!』、
又、
『得る( to recognize )!』所も、
『無く!』、
而も、
自ら、
『舌を用いる!』が故に、
是のような、
『罪』を、
『作す!』ので、
是れを、
『大狂』と、
『称するのである!』。
是の、
『狂人』も、
『未来世』には、
わたしの、
『法』中に、
『出家することになる!』。
  
出家者五眾。受戒者有七眾。是聲聞人。著聲聞法佛法。過五百歲後。各各分別有五部。從是已來以求諸法決定相故。自執其法不知佛。為解脫故。說法而堅著語言。故聞說般若諸法畢竟空如刀傷心。皆言決定之法。今云何言無。於般若波羅蜜無得無著相中。作得作著相故。毀呰破壞言非佛教。 出家の者は、五衆なり。受戒の者は七衆有りて、是れ声聞人にして声聞法に著す。仏法は五百歳を過ぎて後に、各各分別して、五部有り。是れより已来、諸法に決定相を求むるを以っての故に、自ら其の法に執して、仏を知らず、解脱の為の故に法を説いて、語言に堅著し、故に『般若の諸法は畢竟じて空なり』と説くを聞いて、刀の如く心を傷つけ、皆の言わく、『決定の法なり。今、云何が、無しと言う』、と。般若波羅蜜の無得、無著の相の中に於いて、得を作し、著相を作すが故に、毀呰し、破壊して、『仏の教に非ず』と言う。
『出家の者』には、
『五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)』が、
『有り!』、
『受戒の者』には、
『七衆(五衆+優婆塞、優婆夷)』が、
『有る!』が、
是れが、
『声聞人であり!』、
『声聞法』に、
『著している!』。
『仏法』が、
『五百歳を過ぎて!』後、
『声聞人』は、
『各各、分別して( to leave each other )!』、
『五部』を、
『有するようになり!』、
是れ以来、
『諸法の決定相を求める!』が故に、
『自法に執して!』、
『仏』を、
『知ることなく!』、
『解脱の為め!』の故に、
『法を説きながら!』、
『語言』に、
『堅く著する!』が故に、
『般若波羅蜜に説かれた!』、
『諸法の畢竟空を聞いて!』、
『刀のように!』、
『心を傷つけ!』、
皆、こう言った、――
『決定の法』を、
今、何故、
『無い、と言うのか?』、と。
『般若波羅蜜という!』、
『無得、無著( unrecognizable and unattachable )の相』中に於いて、
『得を作して( doing recognize and )!』、
『相に著するを作す( doing attach to the attributes )!』が故に、
『般若波羅蜜を毀呰し、破壊して!』、
『仏教でない!』と、
『言う!』。
  五部:「摩訶僧祇律私記」には、以下の五部を挙ぐ、謂わゆる一には曇摩崛多、二には弥沙塞、三には迦葉維、四には薩婆多、即ち説一切有部、五には摩訶僧祇、即ち大衆部なり。
  参考:『摩訶僧祇律巻40摩訶僧祇律私記』:『中天竺昔時。暫有惡王御世。諸沙門避之四奔。三藏比丘星離。惡王既死更有善王。還請諸沙門還國供養。時巴連弗邑有五百僧。欲斷事而無律師。又無律文無所承案。即遣人到祇洹精舍。寫得律本于今傳賞。法顯於摩竭提國巴連弗邑阿育王塔南天王精舍。寫得梵本還楊州。以晉義熙十二年歲在丙辰十一月。於鬥場寺出之。至十四年二月末都訖。共禪師譯梵本為秦焉。故記之。佛泥洹後。大迦葉集律藏為大師宗。具持八萬法藏。大迦葉滅後。次尊者阿難亦具持八萬法藏。次尊者末田地亦具持八萬法藏。次尊者舍那婆斯亦具持八萬法藏。次尊者優波崛多世尊記無相佛。如降魔因緣中說。而亦能具持八萬法藏。於是遂有五部名生。初曇摩崛多別為一部。次彌沙塞別為一部。次迦葉維復為一部。次薩婆多。薩婆多者。晉言說一切有。所以名一切有者。自上諸部義宗各異。薩婆多者。言過去未來現在中陰各自有性。故名一切有。於是五部並立紛然競起。各以自義為是。時阿育王言。我今何以測其是非。於是問僧佛法斷事云何。皆言法應從多。王言若爾者。當行籌知何眾多。於是行籌取本眾籌者甚多。以眾多故。故名摩訶僧祇。摩訶僧祇者大眾名也佛說犯戒罪報輕重經』
佛憐愍眾生故。為說是道非道。今般若中是道非道盡為一相所謂無相。是故先生疑後定心。於空法生邪見。邪見得力故。於大眾中。處處毀壞般若波羅蜜。毀壞般若波羅蜜故。則破十方三世諸佛一切智等諸佛功德。破佛功德故即破三寶。三寶破故則破世間樂因緣。所謂世間正見。 仏は、衆生を憐愍するが故に、為に是道と非道とを説きたまえり。今、般若中には、是道、非道は尽く、一相と為る、謂わゆる無相なり。是の故に先に生ぜし疑は、後に心に定まり、空法に於いて邪見を生じ、邪見、力を得るが故に、大衆中に於いて、処処に般若波羅蜜を毀壊し、般若波羅蜜を毀壊するが故に、則ち十方三世の諸仏の一切智等の諸仏の功徳を破り、仏の功徳を破るが故に、即ち三宝を破り、三宝を破るが故に、則ち世間の楽の因縁を破る、謂わゆる世間の正見なり。
『仏』は、
『衆生を憐愍された!』が故に、
『衆生の為に』、
『是道であるとか、非道である!』と、
『説かれた!』が、
今、
『般若』中には、
『道、非道』は、
『尽く、 一相であり!』、
謂わゆる、
『無相である!』、と。
是の故に、
先に、
『疑を生じ!』、
後に、
『心を決定して!』、
『空法』に於いて、
『邪見』を、
『生じ!』、
『邪見に力を得る!』が故に、
『大衆』中に於いて、
処処に、
『般若波羅蜜』を、
『毀壊し!』、
『般若波羅蜜を毀壊する!』が故に、
『十方、三世の諸仏の一切智』等の、
『諸仏の功徳』を、
『破り!』、
『仏の功徳を破る!』が故に、
即ち、
『三宝』を、
『破り!』、
『三宝を破る!』が故に、
則ち、
『世間の楽』の、
『因縁である!』、
謂わゆる、
『世間の正見』を、
『破ることになる!』。
  是道(ぜどう):正しい道( the right/correct way )、梵語 maarga の訳、道路( a way/road/path )の義、比喩的に正しい道の意。
  非道(ひどう):間違った道( the illegal/unreasonable/wicked way )、梵語 amaarga の訳、悪い道( a bad/evil way )の義、比喩的に間違った道の意。
若破世間正見。則破出世間樂因緣。出世間正見。所謂四念處乃至一切種智。是法名為無量無邊福德因緣。破是法故得無量無邊罪。得無量無邊罪故。受無量無邊憂愁苦惱。 若し世間の正見を破れば、則ち出世間の楽の因縁なる、出世間の正見を破る、謂わゆる四念処、乃至一切種智にして、是の法を名づけて、無量、無辺の福徳の因縁と為す。是の法を破るが故に、無量、無辺の罪を得、無量、無辺の罪を得るが故に、無量、無辺の憂愁と苦悩とを受く。
若し、
『世間の正見を破れば!』、
則ち、
『出世間の楽』の、
『因縁である!』、
『出世間の正見』、
謂わゆる、
『四念処、乃至一切種智』を、
『破ることになる!』。
是の、
『法(般若波羅蜜)』を、
『無量、無辺の福徳の因縁』と、
『称し!』、
是の、
『法を破る!』が故に、
『無量、無辺の罪』を、
『得て!』、
『無量、無辺の罪を得る!』が故に、
『無量、無辺の憂愁、苦悩』を、
『受けるのである!』。
問曰。先已說破法因緣。所謂愛著法等。須菩提何以更問。 問うて曰く、先には、已に破法の因縁、謂わゆる法に愛著する等を説けり。須菩提は、何を以ってか、更に問う。
問い、
先に、
已に、こう説きながら、――
『破法の因縁』は
謂わゆる、
『法』に、
『愛著すること等である!』、と。
『須菩提』は、
何故、
更に、
『問うたのですか?』。
答曰。先論中說。今經中說。先不遍說。今遍廣說。所謂四因緣。 答えて曰く、先の論中に説けるを、今経中に説く。先には遍く説かざれば、今遍く広説す。謂わゆる四因縁なり。
答え、
先は、
『論』中に、
『説くだけである!』が、
今は、
『経』中にも、
『説かれており!』、
先は、
『遍く!』、
『説かなかった!』が、
今、
『遍く!』、
謂わゆる、
『四因縁』を、
『広説するのである!』。
是人為魔所使。若魔若魔人來入其心中。轉其身口令破般若波羅蜜。如阿難。佛三問閻浮提樂壽命。亦樂魔入身故三不答佛。阿難得初道猶為魔嬈。何況凡人。 是の人は、魔の使う所と為るとは、若しは魔、若しは魔人来たりて、其の心中に入り、其の身口を転じて、般若波羅蜜を破せしむ。阿難の如きは、仏、三たび『閻浮提は楽なり。寿命も亦た楽なり』、と問いたまえるに、魔の身に入るが故に、三たび仏に答えず。阿難は、初道を得たるも、猶お魔の為に嬈(みだ)さる。何に況んや凡人をや。
是の、
『人』が、
『魔』に、
『使われる!』とは、――
若し、
『魔や、魔人が来て!』、
其の、
『心』中に、
『入れば!』、――
其の、
『身、口を転じて!』、
『般若波羅蜜』を、
『破らせる!』。
例えば、
『阿難など!』は、――
『仏は三たび!』、こう問われたが、――
『閻浮提は楽であり!』、
亦た、
『寿命』も、
『楽である!』、と。
『阿難』は、
『魔が、身に入った!』が故に、
『三たび!』、
『答えなかった!』。
『阿難』は、
『初道を得ていながら!』、
猶お、
『魔の為めに!』、
『嬈されたのである( being disuturbed )!』。
況して、
『凡人』は、
『言うまでもない!』。
  参考:『長阿含経巻2』:『佛告阿難。諸有修四神足。多修習行。常念不忘。在意所欲。可得不死一劫有餘。阿難。佛四神足已多修行。專念不忘。在意所欲。如來可止一劫有餘。為世除冥。多所饒益。天人獲安。爾時。阿難默然不對。如是再三。又亦默然。是時阿難為魔所蔽。曚曚不悟。佛三現相而不知請。』
復次魔有四種。五眾魔煩惱魔死魔自在天子魔。四魔中多煩惱魔自在天子魔故。令不信般若。自貪著法憎嫉他法。愚癡顛倒故。能破般若波羅蜜。 復た次ぎに、魔には四種有り、五衆魔、煩悩魔、死魔、自在天子魔なり。四魔中には、煩悩魔、自在天子魔多きが故に、般若を信じざらしむれば、自らの法に貪著して、他の法を憎嫉し、愚癡の顛倒の故に、能く般若波羅蜜を破す。
復た次ぎに、
『魔には、四種有り!』、
『五衆魔』、
『煩悩魔』、
『死魔』、
『自在天子魔である!』が、
『四魔』中には、
『煩悩魔と、自在天子魔が多く!』、
『般若』を、
『信じさせない!』ので、
『自法に貪著して!』、
『他法』を、
『憎嫉することになり!』、
『愚癡の顛倒』の故に、
『般若波羅蜜』を、
『破らせるのである!』。
有人言。初因緣煩惱魔。後第四自在天子魔。是二種魔所使故。名為魔所使。 有る人の言わく、『初の因縁は、煩悩魔なり。後は、第四の自在天子魔なり。是の二種の魔に使わるるが故に、名づけて、魔に使わると為す』、と。
有る人は、こう言っている、――
初は、
『煩悩魔』を、
『因縁とし!』、
後には、
『第四の自在天子魔』を、
『因縁とし!』、
是の、
『二種の魔に使われる!』が故に、
『魔に使われる!』と、
『称する!』。
堅著邪見貪愛自法。慧根鈍故不識佛意。不信不受甚深般若故破。 邪見に堅著して、自法を貪愛すれば、慧根鈍るが故に仏意を識らず、甚深の般若波羅蜜を信じず、受けざるが故に破す。
『邪見に、堅著して!』、
『自法を、貪愛すれば!』、
『慧根』が、
『鈍になる!』が故に、
『仏意を識らず( do not understand the Buddha's intention )!』、
『甚だ深い般若波羅蜜を!』、
『信受しない!』が故に、
『破るのである!』。
有人利根堪信魔又不來。但隨惡師教故破般若。有人雖屬惡知識。諸結使薄故。勤精進能信般若波羅蜜。是故二事和合為一。亦屬惡知識。亦深著五眾結使。厚生懈怠心。是故不信般若。 有る人は利根にして信ずるに堪(た)うれば、魔も又来たらず、但だ悪師の教に随うが故に般若を破る。有る人は悪知識に属すと雖も、諸の結使薄きが故に、精進に勤むれば、能く般若波羅蜜を信ず。是の故に二事を和合して一と為し、亦たは悪知識に属する、亦たは深く五衆の結使に著すれば、厚く懈怠の心を生ず、是の故に般若を信ぜざるなり。
有る、
『人』は、
『利根であり!』、
『般若波羅蜜を信受すること!』に、
『堪任する( to bear )!』が故に、
又、
『魔』が、
『来ることもない!』が、
但だ( however )、
『悪師の教に随えば!』、
是の故に、
『般若』を、
『破ることになる!』。
有る、
『人』は、
『悪知識に属しながら!』、
『諸結使が薄いが故に、勤精進して!』、
『般若波羅蜜』を、
『信じることができる!』。
是の故に、
『二事が和合して!』、
『一事』を、
『為すのである!』。
則ち、
一には、
『悪知識』に、
『属することであり!』、
二には、
『五衆に深く著する!』、
『結使が厚く!』、
『懈怠心を生じる!』ので、
是の故に、
『般若波羅蜜』を、
『信じないのである!』。
是人世世多集瞋恚成其性。瞋相者是不信相。是人剛強自高。輕賤說法人。我智德如是尚不能解。況汝愚賤而能知之。以是瞋恚憍慢多故。破般若波羅蜜 是の人は、世世に多く瞋恚を集めて、其の性を成ぜり。瞋の相とは、是れ不信の相なり。是の人は、剛強にして、自ら高ぶり、説法人を軽賎すらく、『我が智徳は是の如くなるも、尚お解す能わず、況んや汝の愚賎にして、而も能く之を知るをや』、と。是の瞋恚と憍慢との多きを以っての故に、般若波羅蜜を破す。
是の、
『人』は、
『世世に多く、瞋恚を集めた!』が故に、
其れが、
『性』と、
『成り!』、
『瞋の相』は、
『不信』の、
『相である!』が故に、
是の、
『人』は、
『剛強に、自高して!』、
『説法人』を、
『軽賎して!』、
こう言うのである、――
わたしの、
『智、徳は是れほどなのに!』、
尚お、
『理解することはできない!』。
況して、
お前のような、
『愚賎』が、
『知るはずがない!』、と。
是の、
『瞋恚や、憍慢が多い!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『破るのである!』。
  剛強(ごうきょう):性情堅強。強情。



【經】難信、難解の因縁

【經】須菩提白佛言。世尊。是般若波羅蜜。不勤精進。種不善根。惡友相得人。難信難解。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は、勤めて精進せずして、不善根を種え、悪友と相得る人には、信じ難く、解し難し』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『精進に勤めることなく、不善根を種え!』、
『悪友と相得るような( being congenial to a evil friend )!』、
『人』には、
『信じ難く!』、
『解し難いのです!』、と。
  相得(そうとく):相得る、肌が合う/気が合う( get along well, be congenial )。
  悪友(あくう):梵語 akalyaaNa- mitrataa の訳、不吉な交友関係( a inauspicious friendship )の義、邪悪なる友( a evil companion )の意。
  参考:『大般若経巻182』:『具壽善現復白佛言。世尊。不勤精進未種善根具不善根。為惡知識所攝受者。於佛所說甚深般若波羅蜜多實難信解。佛言。善現。如是如是。如汝所說。不勤精進未種善根具不善根。為惡知識所攝受者。於此所說甚深般若波羅蜜多實難信解。具壽善現復白佛言。如是般若波羅蜜多。云何甚深難信難解。佛言。善現。色非縛非解。何以故。以色無所有性。為色自性故。受想行識非縛非解。何以故。以受想行識無所有性。為受想行識自性故。眼處非縛非解。何以故。以眼處無所有性。為眼處自性故。耳鼻舌身意處非縛非解。何以故。以耳鼻舌身意處無所有性。為耳鼻舌身意處自性故。色處非縛非解。何以故。以色處無所有性。為色處自性故。聲香味觸法處非縛非解。何以故。以聲香味觸法處無所有性。為聲香味觸法處自性故。』
佛言。如是如是。須菩提。是深般若波羅蜜不勤精進。種不善根惡友相得人難信難解。 仏の言わく、『是の如し、是の如し、須菩提、是の深き般若波羅蜜は、勤めて精進せず、不善根を種えて、悪友を相得る人には、信じ難く、解き難し』、と。
『仏』は、こう言われた、――
その通りだ!
その通りだ!
須菩提!
是の、
『深い般若波羅蜜』は、
『精進に勤めず、不善根を種え!』、
『悪友と相得るような!』、
『人』には、
『信じ難く!』、
『解し難い!』、と。
須菩提白佛言。世尊。是般若波羅蜜云何甚深難信難解。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は、云何が甚だ深くして信じ難く、解き難き』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
何故、
『甚だ深く!』、
『信じ難く、解し難いのですか?』、と。
須菩提。色不縛不解。何以故。無所有性。是色受想行識不縛不解。何以故。無所有性。是受想行識檀波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是檀波羅蜜尸羅波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是尸羅波羅蜜。羼提波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是羼提波羅蜜。毘梨耶波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是毘梨耶波羅蜜。禪波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是禪波羅蜜。般若波羅蜜不縛不解。何以故。無所有性。是般若波羅蜜。 『須菩提、色は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ色なればなり。受想行識は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ受想行識なればなり。檀波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ檀波羅蜜なればなり。尸羅波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ尸羅波羅蜜なればなり。羼提波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ羼提波羅蜜なればなり。毘梨耶波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ毘梨耶波羅蜜なればなり。禅波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ禅波羅蜜なればなり。般若波羅蜜は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ般若波羅蜜なればなり』。
須菩提!
『色』は、
『縛でもなく( not what binds )!』、
『解でもない( not what releases )!』、
何故ならば、
『無所有の性( the nature of non-existing )』が、
『色だからである!』。
『受想行識』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『無所有の性』が、
『受想行識だからである!』。
『檀、尸羅、羼提、毘利耶、禅、般若波羅蜜』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『無所有の性』が、
『禅、乃至般若波羅蜜だからである!』。
  (ばく):梵語 bandhana の訳、縛ること/結びつけること/縄/紐( binding, tying, bond, tie, rope, code )、束縛/拘束/結びつけること/接合( restraint, joining, junction )の義、煩悩の譬喻( a metaphor for affliction )。
  (げ):梵語 vimokSa の訳、又解脱と訳す、解放( release, deliverance from )の義、煩悩より解放される( released from afflictions )の意。
須菩提。內空不縛不解。何以故。無所有性。是內空乃至無法有法空不縛不解。何以故。無所有性。是無法有法空四念處不縛不解。何以故。無所有性。是四念處乃至一切智。一切種智不縛不解。何以故。無所有性。是一切種智。 『須菩提、内空は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ内空なればなり。乃至無法有法空は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ無法有法空なればなり。四念処は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ四念処なればなり。乃至一切智、一切種智は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、無所有の性、是れ一切種智なればなり』。
須菩提!
『内空、乃至無法有法空』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『無所有の性』が、
『内空、乃至無法有法空だからである!』。
『四念処、乃至一切智』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『無所有の性』が、
『四念処、乃至一切智だからである!』。
『一切種智』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『無所有の性』が、
『一切種智だからである!』。
須菩提色本際不縛不解。何以故。本際無所有性。是色受想行識。乃至一切種智本際不縛不解何以故。本際無所有性。是一切種智。 須菩提、色の本際は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、本際は無所有の性にして、是れ色なればなり。受想行識、乃至一切種智の本際は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、本際は無所有の性にして、是れ一切種智なればなり。
須菩提!
『色の本際』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『本際の無所有の性』が、
『色だからである!』。
『受想行識、乃至一切種智の本際』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『本際の無所有の性』が、
『一切種智だからである!』。
  本際(ほんざい):原初の実在/始まり( Original reality )、 梵語 koTi, 又はpuurva- koTi の訳。先行する( puurva : former , prior , preceding , previous to , earlier than )究極( koTi : end or top of anything , the highest point )の義。最初/究極の前世の意。前際に同じ。
須菩提。色後際不縛不解。何以故。後際無所有性。是色受想行識。乃至一切種智。後際不縛不解。何以故。後際無所有性。是一切種智。 須菩提、色の後際は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、後際は無所有の性にして、是れ色なればなり。受想行識、乃至一切種智の後際は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、後際は無所有の性にして、是れ一切種智なればなり。
須菩提!
『色の後際』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『後際の無所有の性』が、
『色だからである!』。
『受想行識、乃至一切種智の後際』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『後際の無所有の性』が、
『一切種智だからである!』。
  後際(ごさい):未来の時( future time )、梵語 aparaanta, aparaanta- koTi の訳、最高端( the extreme end, term )の義、最後の時/究極的未来( end of time )の意。
須菩提。現在色不縛不解。何以故。現在無所有性。是色受想行識。乃至現在一切種智不縛不解。何以故。現在無所有性。是一切種智。 須菩提、現在の色は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、現在は無所有の性にして、是れ色なればなり。受想行識、乃至現在の一切種智は縛にあらず、解にあらず、何を以っての故に、現在は無所有の性にして、是れ一切種智なればなり。
須菩提!
『現在の色』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『現在の無所有の性』が、
『色だからである!』。
『現在の受想行識、乃至一切種智』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』、
何故ならば、
『現在の無所有の性』が、
『一切種智だからである!』。
須菩提白佛言。世尊。是般若波羅蜜不勤精進。不種善根惡友相得。懈怠少進喜忘無巧便慧。如此之人實難信難解。 須菩提の、仏に白して言さく、『世尊、是の般若波羅蜜は、勤めて精進せず、善根を種えず、悪友を相得て、懈怠して進少なく、喜んで忘れ、巧便の慧無き、此の如き人は、実に信じ難く、解き難し』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『精進に勤めずして!』、
『善根を種えず!』、
『悪友と相得て!』、
『懈怠して、精進少く!』、
『喜んで忘れ!』、
『巧便の慧が無いような!』、
此のような、
『人』には、
『実に信じ難く、解し難いのです!』、と。
  参考:『大般若経巻183』:『具壽善現復白佛言。世尊。諸有不勤精進。未種善根具不善根。惡友所攝。隨魔力行。懈怠增上。精進微劣。失念惡慧補特伽羅。於此般若波羅蜜多實難信解。佛言。善現。如是如是。如汝所說。不勤精進。未種善根。具不善根。惡友所攝。隨魔力行。懈怠增上。精進微劣。失念惡慧補特伽羅。於此般若波羅蜜多實難信解。所以者何。善現。色清淨即果清淨。果清淨即色清淨。何以故。是色清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。受想行識清淨即果清淨。果清淨即受想行識清淨。何以故。是受想行識清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。善現。眼處清淨即果清淨。果清淨即眼處清淨。何以故。是眼處清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。耳鼻舌身意處清淨即果清淨。果清淨即耳鼻舌身意處清淨。何以故。是耳鼻舌身意處清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。善現。色處清淨即果清淨。果清淨即色處清淨。何以故。是色處清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。聲香味觸法處清淨即果清淨。果清淨即聲香味觸法處清淨。何以故。是聲香味觸法處清淨與果清淨。無二無二分無別無斷故。‥‥』
如是如是。須菩提。是般若波羅蜜不勤精進。不種善根惡友相得繫屬於魔。懈怠少進喜忘無巧便慧。如此之人實難信難解。 『是の如し、是の如し、須菩提、是の般若波羅蜜は、勤めて精進せず、善根を種えず、悪友相得て、魔に繋属し、懈怠して進少なく、喜んで忘れ、巧便の慧無き、此の如き人には、実に信じ難く、解き難し』。
その通りだ!
その通りだ!
須菩提!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『精進に勤めずして!』、
『善根を種えず!』、
『悪友と相得て!』、
『魔に繋属し!』、
『懈怠して、精進少く!』、
『喜んで忘れ!』、
『巧便の慧が無いような!』、
此のような、
『人』には、
『実に信じ難く、解し難いのである!』。
何以故。色淨果亦淨。受想行識淨果亦淨。乃至阿耨多羅三藐三菩提淨果亦淨。 『何を以っての故に、色は浄なれば、果も亦た浄なり、受想行識は浄なれば、果も亦た浄なり、乃至阿耨多羅三藐三菩提は浄なれば、果も亦た浄なればなり』。
何故ならば、
『色、受想行識が浄ならば!』、
亦た、
『果も浄だからである!』。
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提が浄ならば!』、
亦た、
『果も浄だからである!』。
復次須菩提。色淨故。即般若波羅蜜淨。般若波羅蜜淨即色淨。受想行識淨。故即般若波羅蜜淨。般若波羅蜜淨。即受想行識淨。乃至一切種智淨。即般若波羅蜜淨。般若波羅蜜淨。即一切種智淨。色淨般若波羅蜜淨。無二無別無斷無壞。乃至一切種智淨。般若波羅蜜淨。無二無別無斷無壞。 『復た次ぎに、須菩提、色は浄なるが故に、即ち般若波羅蜜は浄なり。般若波羅蜜の浄は、即ち色の浄なり。受想行識は浄なるが故に、即ち般若波羅蜜は浄なり。般若波羅蜜の浄は、即ち受想行識の浄なり。乃至一切種智の浄は、即ち般若波羅蜜の浄なり。般若波羅蜜の浄は、即ち一切種智の浄なり。色の浄と、般若波羅蜜の浄とは、無二無別にして、無断無壊なり。乃至一切種智の浄と、般若波羅蜜の浄とは、無二無別にして、無断無壊なり』。
復た次ぎに、
須菩提!
『色、受想行識が浄である!』が故に、
即ち、
『般若波羅蜜』は、
『浄であり!』、
『般若波羅蜜が浄ならば!』、
即ち、
『色、受想行識』は、
『浄である!』。
乃至、
『一切種智が浄ならば!』、
即ち、
『般若波羅蜜』は、
『浄であり!』、
『般若波羅蜜が浄ならば!』、
即ち、
『一切種智』は、
『浄である!』。
『色の浄と、般若波羅蜜の浄』は、
『無二、無別であり!』、
『無断、無壊であり!』、
乃至、
『一切種智の浄と、般若波羅蜜の浄』は、
『無二、無別であり!』、
『無断、無壊である!』。
  参考:『大般若経巻183』:『復次善現。色清淨即般若波羅蜜多清淨。般若波羅蜜多清淨即色清淨。何以故。是色清淨與般若波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。受想行識清淨即般若波羅蜜多清淨。般若波羅蜜多清淨即受想行識清淨。何以故。是受想行識清淨與般若波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。』
復次須菩提。不二淨故色淨。不二淨故。乃至一切種智淨。何以故。是不二淨色淨。乃至一切種智淨。無二無別故。我淨眾生淨。乃至知者見者淨故色淨。受想行識淨。乃至一切種智淨。色淨乃至一切種智淨故。我眾生乃至知者見者淨。何以故。我眾生乃至知者見者淨。色淨乃至一切種智淨。不二不別無斷無壞 復た次ぎに、須菩提、不二の浄の故に、色は浄なり。不二の浄の故に、乃至一切種智は浄なり。何を以っての故に、是の不二の浄と、色の浄、乃至一切種智の浄とは、無二無別なるが故なり。我の浄、衆生の浄、乃至知者、見者の浄の故に色は浄なり、受想行識は浄なり、乃至一切種智の浄なり。色の浄、乃至一切種智の浄の故に、我、衆生、乃至知者、見者は浄なり。何を以っての故に、我、衆生、乃至知者見者の浄と、色の浄、乃至一切種智の浄とは、不二不別にして、無断、無壊なればなり。
復た次ぎに、
須菩提!
『不二は浄である!』が故に、
『色』は、
『浄であり!』、
『不二は浄である!』が故に、
乃至、
『一切種智』は、
『浄である!』。
何故ならば、
是の、
『不二の浄と、色の浄、乃至一切種智の浄』は、
『無二であり!』、
『無別だからである!』。
『我の浄と、衆生の浄、乃至知者、見者の浄』の故に、
『色、受想行識、乃至一切種智』は、
『浄であり!』、
『色の浄、乃至一切種智の浄』の故に、
『我、衆生、乃至知者、見者』は、
『浄である!』。
何故ならば、
『我、衆生、乃至知者、見者の浄』と、
『色、乃至一切種智の浄』とは、
『不二、不別であり!』、
『無断、無壊だからである!』。
  参考:『大般若経巻184』:『復次善現。我清淨即眼處清淨。眼處清淨即我清淨。何以故。是我清淨與眼處清淨。無二無二分無別無斷故。我清淨即耳鼻舌身意處清淨。耳鼻舌身意處清淨即我清淨。何以故。是我清淨與耳鼻舌身意處清淨。無二無二分無別無斷故。有情清淨即眼處清淨。眼處清淨即有情清淨。何以故。是有情清淨與眼處清淨。無二無二分無別無斷故。有情清淨即耳鼻舌身意處清淨。耳鼻舌身意處清淨即有情清淨。何以故。是有情清淨與耳鼻舌身意處清淨。無二無二分無別無斷故。』



【論】難信、難解の因縁

【論】釋曰。爾時須菩提白佛言。是般若波羅蜜甚深故。懈怠隨惡知識。種不善根故難信。與上相違。名為信般若波羅蜜。佛可其言。 釈して曰く、爾の時、須菩提の仏に白して言わく、『是の般若波羅蜜は、甚深なるが故に、懈怠して悪知識に随えば、不善根を種うるが故に信じ難し。上と相違すれば、名づけて般若波羅蜜を信ずと為す』、と。仏は、其の言を可としたまえり。
釈す、
爾の時、
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
是の、
『般若波羅蜜は甚だ深い!』が故に、
『懈怠すれば!』、
『悪知識に随って、不善根を種える!』が故に、
『信じること!』が、
『難しい!』が、
『上に相違して、懈怠しなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『信じることになる!』、と。
『仏』は、
『須菩提の言』を、
『可とされた!』。
須菩提更問是般若波羅蜜。云何甚深故難信。 須菩提の更に問わく、『是の般若波羅蜜は、云何が甚深なるが故に信じ難き』、と。
『須菩提』は、
更に、こう問うた、――
是の、
『般若波羅蜜』は、
何故、
『甚だ深い!』が故に、
『信じ難いのですか?』、と。
佛答。色等諸法無縛無解。三毒是縛。三解脫門是解。是三毒等諸煩惱虛誑不實。從和合因緣生。無自性故無縛。無縛故無解。破是三毒故。三解脫門亦空。 仏の答えたまわく、『色等の諸法は、無縛、無解なり』、と。三毒は是れ縛なり、三解脱門は、是れ解なり。是の三毒等の諸煩悩は虚誑、不実にして、和合の因縁より生じ、自性無きが故に縛無く、縛無きが故に解無し。是の三毒を破るが故に、三解脱門も亦た空なり。
『仏』は、 こう答えられた、――
『色等の諸法』には、
『縛も、解も!』、
『無いからである!』、と。
『三毒は、縛であり!』、
『三解脱門は、解である!』が、
是の、
『三毒等の諸煩悩』は、
『虚誑であり、不実であり!』、
『和合した因縁より、生じて!』、
『自性が無い!』が故に、
『縛』は、
『無く!』、
『縛が無い!』が故に、
『解』も、
『無く!』、
是の、
『三毒を破る!』が故に、
『三解脱門』も、
亦た、
『空である!』。
復次取相著法顛倒。一切煩惱等是縛縛法。若實定有自性者則不可解。若實定有誰能破者。若破即墮斷滅中。若取相顛倒等諸煩惱。虛誑不實亦無所斷。 復た次ぎに、取相、著法、顛倒、一切の煩悩は等しく是れ縛なり。縛法に、若し実に定んで自性有れば、則ち解すべからず。若し実に定んで有らば、誰か能く破する者ならんや。若し破すれば、即ち断滅中に堕す。若し取相、顛倒等の諸の煩悩、虚誑にして不実なれば、亦た断ずる所無し。
復た次ぎに、
『相を取って、法に著し!』、
『顛倒するような!』、
『一切の煩悩』等が、
『縛である!』が、
『縛の法』に、
若し、
『実に、定んで!』、
『自性』が、
『有れば!』、
則ち、
是の、
『縛』を、
『解くことができない!』。
若し、
『実に、定んで!』、
『自性』が、
『有れば!』、
誰に、
『自性』を、
『破ることができるのか?』。
若し、
『自性を破れば!』、
則ち、
『断滅』中に、
『堕ちることになり!』、
若し、
『取相、顛倒等の諸煩悩』が、
『虚誑であり!』、
『不実ならば!』、
亦た、
『断じる!』所も、
『無いはずである!』。
復次一切心心數法。憶想分別取相皆縛在緣中。若入諸法實相中。知皆是虛誑。 復た次ぎに、一切の心心数法の憶想、分別、取相は、皆縁中に在りて縛す。若し諸法の実相中に入れば、皆是れ虚誑なるを知る。
復た次ぎに、
『一切の心、心数法』を、
『憶想し、分別して!』、
『相』を、
『取れば!』、
皆、
『縁( assumptions )』中に、
『縛されることになる!』が、
若し、
『諸法の実相中に、入れば!』、
『皆、是れは虚誑である!』と、
『知る!』。
  (えん):状況( condition )、◯梵語 kaaraNa の訳、原因/理由/有らゆる事物の原因( cause, reason, the cause of anything )、手段( instrument, means )、動機/原理( motive origin, principle )、有る所生(生産物)に常に先立つ原因( a cause which is invariably antecedent to some product )、要素/構成要素( an element, elementary matter )、劇や詩の構想( the origin or plot of a play or poem )、その上に意見や判断が構築される目印、証拠、法的手段、文書( that on which an opinion or judgement is founded (a sign, mark; a proof; a legal instrument, document) )、感覚器官( an organ of sense )、行為( an action )、作因/手段となるもの/状況/条件( an agency, instrumentality, condition )、[存在の原因]父( "the cause of being", a father )、[創造の原因]神( "cause of creation", a deity )、肉体( the body )等の義。◯梵語 pratiitya の訳、認められた( acknowledged, recognized )、 確証/実験/安楽/慰藉( confirmation, experiment, comfort, consolation )の義、◯梵語 pratyaya の訳、説明/根拠/宗教上の瞑想/着想/信念/確信/協同原因/理解/分析/解決/知性/信頼/習慣/根本的観念或は着想/概念/知恵/信頼/証拠/意識/観念/定義/欲望/仮説/根拠( explanation, basis, religious meditation, idea, conviction, co-operating cause, understanding, analysis, solution, intellect, faith, custom, usagel, fundamental notion or idea, conception, intelligence, trust, proof, consciousness, notion, definition, want, assumption, ground )の義。間接的原因/二次的原因/関連した条件/表面的条件( Indirect cause, secondary cause, associated conditions, causal situation, causal condition )の意。
如上品中說。心清淨相者。即是非心相是縛。空故解亦空。如是等種種因緣故。色等諸法不縛不解。 上の品中に説かく、『心が清浄の相なれば、即ち是れ心相に非ず』、と。是の縛は空なるが故に、解も亦た空なり。是れ等の如き種種の因縁の故に、色等の諸法は縛にあらず、解にあらず。
上の、
『往生品』中に、こう説かれているように、――
『心が、清浄相ならば!』、
是の、
『相』は、
『心相でない!』、と。
是の、
『縛は、空である!』が故に、
『解』も、
『空である!』。
是れ等のような、
『種種の因縁』の故に、
『色等の諸法』は、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』。
  参考:『大品巻2往生品、大論巻40往生品』:『如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。得天耳神通智證。是菩薩。如實知他眾生心若欲心。如實知欲心。離欲心。如實知離欲心。瞋心。如實知瞋心。離瞋心。如實知離瞋心。癡心。如實知癡心。離癡心。如實知離癡心。渴愛心。如實知渴愛心。無渴愛心。如實知無渴愛心。有受心。如實知有受心。無受心。如實知無受心。攝心。如實知攝心。散心。如實知散心。小心。如實知小心。大心。如實知大心。定心。如實知定心。亂心。如實知亂心。解脫心。如實知解脫心。不解脫心。如實知不解脫心。有上心。如實知有上心。無上心。如實知無上心。亦不著是心。何以故。是心非心相不可思議故。自性空故。自性離故。自性無生故。不作是念。我得他心智證。除為薩婆若心。』
此中佛自說因緣。色等諸法有為作法。從因緣和合生故。無有定性故。說無所有性。是色等諸法。 此の中に、仏は自ら因縁を説きたまえり。色等の諸法は有為の作法にして、因縁の和合より生ずるが故に、定性有ること無く、故に説きたまわく、『無所有の性は、是れ色等の諸法なり』、と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『因縁』を、
『説かれた!』。
『色等の諸法』は、
『有為の作法であり!』、
『因縁の和合より、生じる!』が故に、
『定性』が、
『無い!』。
是の故に、こう説かれたのである、――
『無所有の性』とは、
是れが、
『色等の諸法である!』、と。
復次色等諸法三世中不縛不解。如破三世中說。是時須菩提。知般若波羅蜜非甚深非不甚深。 復た次ぎに、『色等の諸法は、三世中に縛ならず、解ならず』と、三世を破す中に説くが如く、是の時、須菩提は、般若波羅蜜の甚深に非ず、不甚深に非ざるを知る。
復た次ぎに、
『色等の諸法』は、
『三世』中に、
『縛でもなく!』、
『解でもない!』。
『破三世』中に、こう説かれた通りである、――
是の時、
『須菩提』は、こう知った、――
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深くもなく!』、
『甚だ深くないでもない!』、と。
如後品中說。若謂般若波羅蜜甚深。則遠離般若波羅蜜。以是故白佛言。世尊惡人以般若波羅蜜甚深難解非謂善人。 後の品中に説くが如し、『若し般若波羅蜜は甚だ深しと謂わば、則ち般若波羅蜜を遠離す』、と。是を以っての故に仏に白して言さく、『世尊、悪人の、般若波羅蜜を以って、甚だ深く、解し難きこと、善人を謂うに非ず』、と。
『後の品』中には、こう説かれている、――
若し、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深い!』と、
『謂えば!』、
則ち、
『般若波羅蜜』を、
『遠離することになる!』、と。
是の故に、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『悪人』には、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深く!』、
『解し難いです!』が、
是れは、
『善人』を、
『謂うのではありません!』、と。
  参考:『大品巻21方便品』:『須菩提。若菩薩摩訶薩作是念。若能如是行如是修。是行般若波羅蜜。我今行般若波羅蜜修般若波羅蜜。若如是取相。則遠離般若波羅蜜。若遠離般若波羅蜜。則遠離檀那波羅蜜。乃至遠離一切種智。何以故。般若波羅蜜無有著處亦無著者。自性無故。』
惡人者不與般若相應。不一心勤精進。不種解般若波羅蜜善根。隨破壞般若。惡師 悪人は、般若と相応せず、一心に精進に勤めず、般若波羅蜜を解く善根を種えず、般若を破壊する悪師に随うなり。
『悪人は、般若に相応せず!』、
『一心に精進に勤めることもなく!』、
『般若波羅蜜を解する為め!』の、
『善根』を、
『種えることもなく!』、
『般若波羅蜜を破壊しようとする!』、
『悪師』に、
『随う!』。
懈怠者。著世間樂不願出世間。如此人若有精進少不足言。諸煩惱亂心故。喜忘善不善法相不破憍慢。不除邪見戲論故。求諸法實相。不知分別諸法相好醜。是名無巧便慧。有如是等惡法故。是人難解甚深般若。佛可其意言如是如是。 懈怠とは、世間の楽に著して、出世間を願わざればなり。此の如き人は、若し精進有りても、少なくして言うに足らず。諸の煩悩に心を嬈(みだ)さるるが故に、喜んで、善不善の法相を忘れ、憍慢を破らず、邪見の戯論を除かざるが故に、諸法に実相を求めて、諸の法相の好醜を分別するを知らず、是れを巧便の慧無しと名づく。是れ等の如き悪法有るが故に、是の人は、甚深の般若を解し難し。仏は、其の意を可として、言わく、『是の如し、是の如し』、と。
『懈怠する!』者は、
『世間の楽に著して!』、
『出世間』を、
『願わない!』ので、
此のような、
『人』は、
若し、
『精進が有っても、少しなので!』、
『言う!』に、
『足らず!』、
『諸煩悩が、心を乱す!』が故に、
『善、不善の法相を喜んで忘れ!』、
『憍慢の心』を、
『破ることなく!』、
『邪見、戯論を除かない!』が故に、
『諸法の実相』を、
『求めながら!』、
『諸法の相の好、醜』を、
『分別すること!』を、
「知らない!』ので、
是れを、
『巧便の慧が無い!』と、
『称する!』。
是の、
『人』は、
是れ等のような、
『悪法を有する!』が故に、
『甚だ深い般若』を、
『解し難いのである!』。
『仏』は、
『須菩提の意を可として!』、こう言われた、――
その通りだ!
その通りだ!、と。
問曰。須菩提說中無有魔事。佛說中何以益魔事。 問うて曰く、須菩提の説中には、魔事有ること無し。仏の説中には、何を以ってか、魔事を益す。
問い、
『須菩提』の、
『説』中には、
『魔事』は、
『無い!』のに、
『仏』の、
『説』中には、
何故、
『魔事』が、
『益されたのですか?』。
答曰。須菩提直說內外因緣不具足。佛今具足說故。言是人為魔所使。 答えて曰く、須菩提は、直だ内外の因縁を説くも、具足せず。仏は今説を具足せんが故に言わく、『是の人は、魔の使う所と為る』、と。
答え、
『須菩提』は、
直だ( only )、
『内、外の因縁』を、
『説くだけで!』、
『具足していない!』ので、
『仏』は、
今、
『説を、具足しようとして( to complete the explanation )!』、
こう言われた、――
是の、
『人』は、
『魔に、使われているのだ!』、と。
佛更欲說甚深難解相告須菩提。色等諸法淨故果亦淨。四念處。是色等諸法果。何以故。觀色等諸法不淨無常等。即得身念處。餘念如上說。 仏は更に、甚深難解の相を説かんと欲して、須菩提に告げたまわく、『色等の諸法は、浄なるが故に、果も亦た浄なり』、と。四念処は、是れ色等の諸法の果なり。何を以っての故に、色等の諸法の不浄、無常等を観ずれば、即ち身念処を得ればなり。余の念は、上に説くが如し。
『仏』は、
更に、
『甚だ深く、解し難い相』を、
『説こうとして!』、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『色等の諸法は、浄である!』が故に、
亦た、
『果』も、
『浄である!』、と。
『四念処』は、
『色等の諸法』の、
『果である!』。
何故ならば、
『色等の諸法』に、
『不浄、無常』等を、
『観れば!』、
即ち、
『身念処』を、
『得るからである!』。
『餘の念』も、
上に、
『説いた通りである!』。
是中四念處性無漏。斷煩惱為涅槃故清淨。見果淨故知因亦淨。 是の中の四念処の性は無漏にして、煩悩を断じ、涅槃と為すが故に清浄なり。果の浄なるを見るが故に、因も亦た浄なるを知る。
是の中、
『四念処の性』は、
『無漏であり!』、
『煩悩を断じて!』、
『涅槃と為す!』が故に、
『清浄なのである!』が、
『四念処という!』、
『果が浄である、と見る!』が故に、
『因である!』、
『色等も、浄である!』と、
『知るのである!』。
問曰。先說觀色不淨無常等得身念處。云何言果淨故知因亦淨。 問うて曰く、先に説かく、『色の不浄、無常等を観て、身念処を得る』、と。云何が、『果の浄なるが故に、因も亦た浄なるを知る』と言う。
問い、
先には、こう説いた、――
『色の不浄、無常等を観て!』、
『身念処』を、
『得る!』と。
何故、こう言うのか?――
『果は浄である!』が故に、
『因も、亦た浄である!』と、
『知る!』、と。
答曰。不淨觀是初入門非實觀。是故不入十六聖行。是十六行中。觀無常苦空無我。不觀不淨。淨顛倒故生婬欲。破淨故言不淨非是實。是故不淨不入十六聖行。但是得解觀。 答えて曰く、不浄観は、是れ初入の門にして、実の観に非ず。是の故に十六聖行に入らず。是の十六行中に、無常、苦、空、無我を観て、不浄を観ず。浄の顛倒の故に婬欲を生ずれば、浄を破るが故に不浄を言うも、是れ実に非ず。是の故に不浄は、十六聖行に入らず、但だ是れ得解の観なり。
答え、
『不浄観』は、
『初入の門であり!』、
『実の観法ではない!』。
是の故に、
『十六聖行』に、
『入ることがない!』。
是の、
『十六行』中には、
『無常、苦、空、無我を観る!』が、
『不浄』を、
『観ない!』。
是の故に、
若し、
『浄顛倒に堕ちれば!』、
『婬欲を生じるので!』、
『浄を破る為め!』の故に、
『不浄である!』と、
『言うのであり!』、
是の、
『色等の諸法』が、
『実に!』、
『不浄なのではない!』。
是の故に、
『不浄観』は、
『十六聖行』に、
『入らず!』、
但だ、
『解を得る為め!』の、
『観なのである!』。
是般若中不觀常不觀無常。不觀淨不觀不淨等。常無常淨不淨空實等諸觀滅。戲論滅是色實相。色實相淨故果亦淨。 是の般若中には、常を観ず、無常を観ず、浄を観ず、不浄等を観ず、常無常、浄不浄、空実等の諸観滅し、戯論滅すれば、是れ色の実相なり。色の実相は浄なるが故に、果も亦た浄なり。
是の、
『般若』中には、
『常無常、浄不浄等を観ない!』ので、
『常無常、浄不浄、空実』等の、
『諸観』が、
『滅するのである!』が、
『戯論が滅すれば!』、
是れが、
『色』の、
『実相であり!』、
『色の実相』は、
『浄である!』が故に、
『果』も、
『亦た、浄なのである!』。
復次佛此中自說因緣。般若波羅蜜如虛空。畢竟淨無所染污。是般若波羅蜜 復た次ぎに、仏は、此の中に自ら因縁を説きたまわく、『般若波羅蜜は、虚空の如く、畢竟じて浄にして、染汚する所無き、是れ般若波羅蜜なり』、と。
復た次ぎに、
『仏』は、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説かれている、――
『般若波羅蜜は、虚空のように!』、
『畢竟じて、浄であり!』、
『染汚する所( that to be polluted )』が、
『無い!』が、
是れが、
『般若波羅蜜なのである!』。
觀色等。諸法實相不生不滅。行六波羅蜜。修四念處等。如是可得般若波羅蜜。是般若波羅蜜三種因緣。正觀正行正修。是故言般若波羅蜜淨故。色等諸法淨。色等諸法淨故。般若波羅蜜淨。 色等の諸法の実相の不生、不滅なるを観て、六波羅蜜を行じ、四念処等を修す。是の如くすれば、般若波羅蜜を得べし。是の般若波羅蜜の三種の因縁は、正観、正行、正修なれば、是の故に言わく、『般若波羅蜜浄なるが故に、色等の諸法浄なり。色等の諸法浄なるが故に、般若波羅蜜浄なり』、と。
『色等の諸法』の、
『実相』は、
『不生、不滅である!』と、
『観て!』、
『六波羅蜜を行じて!』、
『四念処』等を、
『修めれば!』、
是のようにすれば、
『般若波羅蜜』を、
『得ることもできる!』。
是の、
『般若波羅蜜の因縁』は、
『三種であり!』、
『正観、正行、正修である!』。
是の故に、こう言う、――
『般若波羅蜜が浄である!』が故に、
『色等の諸法』は、
『浄であり!』、
『色等の諸法が浄である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『浄である!』、と。
所以者何。色等諸法般若波羅蜜。實相中無二無別。不異不別不離不散故不斷不壞。 所以は何んとなれば、色等の諸法と、般若波羅蜜とは、実相中には無二、無別にして、不異、不別、不離、不散なるが故に、不断、不壊なればなり。
何故ならば、
『色等の諸法と、般若波羅蜜』とは、
『実相』中には、
『無二、無別であり!』、
『不異、不別であり!』、
『不離、不散である!』が故に、
『不断、不壊だからである!』。
復次如我法乃至十方三世中求不可得。於五眾中。但有假名眾生乃至知者見者亦如是。如我空無所有清淨故。一切法亦如是 復た次ぎに、我法の、乃至十方の三世中に求めて、得べからずして、五衆中に於いて、但だ仮名のみ有るが如く、衆生、乃至知者、見者も亦た是の如し。我の如く空にして、無所有なれば、清浄なるが故に、一切法も亦た是の如し。
復た次ぎに、
『我法』が、
乃至、
『十方、三世』中に、
『求めても!』、
『不可得であり( being not recognized )!』、
『五衆』中に、
『求めても!』、
『但だ、仮名しか無いように!』、
『衆生、乃至知者、見者』も、
亦た、
『是の通りである!』。
『我が、空であり!』、
『無所有である( nothing existing )!』が故に、
『清浄であるように!』、
『一切の法』も、
亦た、
『是の通りである!』。



【經】婬の浄と、色乃至一切種智の浄との不二、不別

【經】復次須菩提。婬淨故色淨。乃至一切種智淨。何以故。婬淨色淨乃至一切種智淨不二不別。瞋癡淨故色淨。乃至一切種智淨。何以故。瞋癡淨色淨。乃至一切種智淨不二不別。 復た次ぎに、須菩提、婬の浄なるが故に、色は浄なり、乃至一切種智も浄なり。何を以っての故に、婬の浄と、色の浄、乃至一切種智の浄とは不二、不別なればなり。瞋、癡は浄なるが故に、色は浄にして、乃至一切種智も浄なり。何を以っての故に、瞋、癡の浄と、色の浄、乃至一切種智の浄は不二、不別なればなり。
復た次ぎに、
須菩提!
『婬』が、
『浄である!』が故に、
『色』は、
『浄であり!』、
乃至、
『一切種智』は、
『浄なのである!』。
何故ならば、
『婬の浄と!』、
『色の浄、乃至一切種智の浄とは!』、
『不二、不別だからであり!』、
『瞋、癡』が、
『浄である!』が故に、
『色』は、
『浄であり!』、
乃至、
『一切種智』は、
『浄なのである!』。
何故ならば、
『瞋、癡の浄と!』、
『色の浄、乃至一切種智の浄とは!』、
『不二、不別だからである!』。
  参考:『大般若経巻201』:『復次善現。貪清淨即色清淨。色清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與色清淨。無二無二分無別無斷故。貪清淨即受想行識清淨。受想行識清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與受想行識清淨。無二無二分無別無斷故。善現。貪清淨即眼處清淨。眼處清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與眼處清淨。無二無二分無別無斷故。‥‥善現。貪清淨即預流果清淨。預流果清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與預流果清淨。無二無二分無別無斷故。貪清淨即一來不還阿羅漢果清淨。一來不還阿羅漢果清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與一來不還阿羅漢果清淨。無二無二分無別無斷故。善現。貪清淨即獨覺菩提清淨。獨覺菩提清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與獨覺菩提清淨。無二無二分無別無斷故。善現。貪清淨即一切菩薩摩訶薩行清淨。一切菩薩摩訶薩行清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與一切菩薩摩訶薩行清淨。無二無二分無別無斷故。善現。貪清淨即諸佛無上正等菩提清淨。諸佛無上正等菩提清淨即貪清淨。何以故。是貪清淨與諸佛無上正等菩提清淨。無二無二分無別無斷故‥‥復次善現。瞋清淨即色清淨。色清淨即瞋清淨。何以故。是瞋清淨與色清淨。無二無二分無別無斷故。瞋清淨即受想行識清淨。受想行識清淨即瞋清淨。何以故。是瞋清淨與受想行識清淨。無二無二分無別無斷故。』
復次須菩提。無明淨故諸行淨。諸行淨故識淨。識淨故名色淨。名色淨故六入淨。六入淨故觸淨。觸淨故受淨。受淨故愛淨。愛淨故取淨。取淨故有淨。有淨故生淨。生淨故老死淨。老死淨故。般若波羅蜜淨。般若波羅蜜淨故。乃至檀波羅蜜淨。檀波羅蜜淨故內空淨。內空淨故乃至無法有法空淨。無法有法空淨故四念處淨。四念處淨故乃至一切智淨。一切智淨故一切種智淨。何以故。是一切智淨一切種智淨。不二不別無斷無壞。 復た次ぎに、須菩提、無明の浄なるが故に、諸行は浄なり。諸行の浄なるが故に、識は浄なり。識の浄なるが故に、名色は浄なり。名色の浄なるが故に、六入は浄なり。六入の浄なるが故に、触は浄なり。触の浄なるが故に、受は浄なり。受の浄なるが故に、愛は浄なり。愛の浄なるが故に、取は浄なり。取の浄なるが故に、有は浄なり。有の浄なるが故に、生は浄なり。生の浄なるが故に、老死は浄なり。老死の浄なるが故に、般若波羅蜜は浄なり。般若波羅蜜の浄なるが故に、乃至檀波羅蜜は浄なり。檀波羅蜜の浄なるが故に、内空は浄なり。内空の浄なるが故に、乃至無法有法空は浄なり。無法有法空の浄なるが故に、四念処は浄なり。四念処の浄なるが故に、乃至一切智は浄なり。一切智の浄なるが故に、一切種智は浄なり。何を以っての故に、是の一切智の浄と、一切種智の浄とは、不二不別にして無断、無壊なればなり。
復た次ぎに、
須菩提!
『無明が浄である!』が故に、
『諸行』は、
『浄であり!』、
『諸行が浄である!』が故に、
『識』は、
『浄であり!』、
『識が浄である!』が故に、
『名色』は、
『浄であり!』、
『名色が浄である!』が故に、
『六入』は、
『浄であり!』、
『六入が浄である!』が故に、
『触』は、
『浄であり!』、
『触が浄である!』が故に、
『受』は、
『浄であり!』、
『受が浄である!』が故に、
『愛』は、
『浄であり!』、
『愛が浄である!』が故に、
『取』は、
『浄であり!』、
『取が浄である!』が故に、
『有』は、
『浄であり!』、
『有が浄である!』が故に、
『生』は、
『浄であり!』、
『生が浄である!』が故に、
『老死』は、
『浄であり!』、
『老死が浄である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『浄であり!』、
『般若波羅蜜が浄である!』が故に、
『乃至檀波羅蜜』は、
『浄であり!』、
『檀波羅蜜が浄である!』が故に、
『内空』は、
『浄である!』、
『内空が浄である!』が故に、
『乃至無法有法空』は、
『浄であり!』、
『無法有法空が浄である!』が故に、
『四念処』は、
『浄であり!』、
『四念処が浄である!』が故に、
『乃至一切智』は、
『浄であり!』、
『一切智が浄である!』が故に、
『一切種智』は、
『浄である!』。
何故ならば、
是の、
『一切智の浄と、一切種智の浄とは!』、
『不二、不別であり!』、
『無断、無壊だからである!』。
  参考:『大般若経巻204』:『復次善現。色清淨故受清淨。受清淨故色清淨。何以故。是色清淨與受清淨。無二無二分無別無斷故。受清淨故想清淨。想清淨故受清淨。何以故。是受清淨與想清淨。無二無二分無別無斷故。想清淨故行清淨。行清淨故想清淨。何以故。是想清淨與行清淨。無二無二分無別無斷故。行清淨故識清淨。識清淨故行清淨。何以故。是行清淨與識清淨。無二無二分無別無斷故。識清淨故眼處清淨。眼處清淨故識清淨。何以故。是識清淨與眼處清淨。無二無二分無別無斷故。眼處清淨故耳處清淨。耳處清淨故眼處清淨。何以故。是眼處清淨與耳處清淨。無二無二分無別無斷故。‥‥空界清淨故識界清淨。識界清淨故空界清淨。何以故。是空界清淨與識界清淨。無二無二分無別無斷故。識界清淨故無明清淨。無明清淨故識界清淨。何以故。是識界清淨與無明清淨。無二無二分無別無斷故。無明清淨故行清淨。行清淨故無明清淨。何以故。是無明清淨與行清淨。無二無二分無別無斷故。行清淨故識清淨。識清淨故行清淨。何以故。是行清淨與識清淨。無二無二分無別無斷故。識清淨故名色清淨。名色清淨故識清淨。何以故。是識清淨與名色清淨。無二無二分無別無斷故。名色清淨故六處清淨。六處清淨故名色清淨。何以故。是名色清淨與六處清淨。無二無二分無別無斷故。六處清淨故觸清淨。觸清淨故六處清淨。何以故。是六處清淨與觸清淨。無二無二分無別無斷故。觸清淨故受清淨。受清淨故觸清淨。何以故。是觸清淨與受清淨。無二無二分無別無斷故。受清淨故愛清淨。愛清淨故受清淨。何以故。是受清淨與愛清淨。無二無二分無別無斷故。愛清淨故取清淨。取清淨故愛清淨。何以故。是愛清淨與取清淨。無二無二分無別無斷故。取清淨故有清淨。有清淨故取清淨。何以故。是取清淨與有清淨。無二無二分無別無斷故。有清淨故生清淨。生清淨故有清淨。何以故。是有清淨與生清淨。無二無二分無別無斷故。生清淨故老死愁歎苦憂惱清淨。老死愁歎苦憂惱清淨故生清淨。何以故。是生清淨與老死愁歎苦憂惱清淨。無二無二分無別無斷故。老死愁歎苦憂惱清淨故布施波羅蜜多清淨。布施波羅蜜多清淨故老死愁歎苦憂惱清淨。何以故。是老死愁歎苦憂惱清淨與布施波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。布施波羅蜜多清淨故淨戒波羅蜜多清淨。淨戒波羅蜜多清淨故布施波羅蜜多清淨。何以故。是布施波羅蜜多清淨與淨戒波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。淨戒波羅蜜多清淨故安忍波羅蜜多清淨。安忍波羅蜜多清淨故淨戒波羅蜜多清淨。何以故。是淨戒波羅蜜多清淨與安忍波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。安忍波羅蜜多清淨故精進波羅蜜多清淨。精進波羅蜜多清淨故安忍波羅蜜多清淨。何以故。是安忍波羅蜜多清淨與精進波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。精進波羅蜜多清淨故靜慮波羅蜜多清淨。靜慮波羅蜜多清淨故精進波羅蜜多清淨。何以故。是精進波羅蜜多清淨與靜慮波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。靜慮波羅蜜多清淨故般若波羅蜜多清淨。般若波羅蜜多清淨故靜慮波羅蜜多清淨。何以故。是靜慮波羅蜜多清淨與般若波羅蜜多清淨。無二無二分無別無斷故。般若波羅蜜多清淨故內空清淨。內空清淨故般若波羅蜜多清淨。何以故。是般若波羅蜜多清淨與內空清淨。無二無二分無別無斷故。內空清淨故外空清淨。外空清淨故內空清淨。何以故。是內空清淨與外空清淨。無二無二分無別無斷故。』
復次須菩提。般若波羅蜜淨故色淨。乃至般若波羅蜜淨故一切智淨。是般若波羅蜜淨。一切智淨。不二不別故。 復た次ぎに、須菩提、般若波羅蜜の浄なるが故に、色は浄なり。乃至般若波羅蜜の浄なるが故に、一切智は浄なり。是の般若波羅蜜の浄と、一切智の浄とは、不二、不別なるが故なり。
復た次ぎに、
須菩提!
『般若波羅蜜が浄である!』が故に、
『色』は、
『浄であり!』、
乃至、
『般若波羅蜜』が浄である!』が故に、
『一切智』は、
『浄である!』。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜の浄と、一切智の浄とは!』、
『不二、不別だからである!』。
須菩提。禪波羅蜜淨故乃至一切智淨。毘梨耶波羅蜜。羼提波羅蜜。尸羅波羅蜜。檀波羅蜜淨故乃至一切智淨。內空淨故乃至一切智淨。四念處淨故乃至一切智淨。 須菩提、禅波羅蜜の浄なるが故に、乃至一切智は浄なり。毘梨耶波羅蜜、羼提波羅蜜、尸羅波羅蜜、檀波羅蜜の浄なるが故に、乃至一切智は浄なり。内空の浄なるが故に、乃至一切智は浄なり。四念処の浄なるが故に、乃至一切智は浄なり。
須菩提!
『禅波羅蜜が浄である!』が故に、
『乃至一切智』は、
『浄である!』、
『毘梨耶、羼提、尸羅、檀波羅蜜が浄である!』が故に、
『乃至一切智』は、
『浄である!』、
『内空が浄である!』が故に、
『乃至一切智』は、
『浄である!』、
『四念処が浄である!』が故に、
『乃至一切智』は、
『浄である!』。
復次須菩提。一切智淨故乃至般若波羅蜜淨。如是一一如先說。 復た次ぎに、須菩提、一切智の浄なるが故に、乃至般若波羅蜜は浄なり。是の如き一一は、先に説けるが如し。
復た次ぎに、
須菩提!
『一切智が浄である!』が故に、
『乃至般若波羅蜜』は、
『浄である!』。
是のような、
『一一』は、
『先に説く通りである!』。
復次須菩提。有為淨故無為淨。何以故。有為淨無為淨。不二不別無斷無壞故。 復た次ぎに、須菩提、有為の浄なるが故に、無為は浄なり。何を以っての故に、有為の浄と、無為の浄とは、不二、不別、無断、無壊なるが故なり。
復た次ぎに、
須菩提!
『有為が浄である!』が故に、
『無為』は、
『浄である!』。
何故ならば、
『有為の浄と、無為の浄とは!』、
『不二、不別であり!』、
『無断、無壊だからである!』。
復次須菩提。過去淨故未來現在淨。未來淨故過去現在淨。現在淨故過去未來淨。何以故。現在淨過去未來淨。不二不別無斷無壞故 復た次ぎに、須菩提、過去の浄なるが故に、未来、現在は浄なり。未来の浄なるが故に、過去、現在は浄なり。現在の浄なるが故に、過去、未来は浄なり。何を以っての故に、現在の浄と、過去、未来の浄とは、不二、不別、無断、無壊なるが故なり。
復た次ぎに、
須菩提!
『過去が浄である!』が故に、
『未来、現在』は、
『浄であり!』、
『未来が浄である!』が故に、
『過去、現在』は、
『浄であり!』、
『現在が浄である!』が故に、
『過去、未来』は、
『浄である!』。
何故ならば、
『現在の浄と、過去、未来の浄とは!』、
『不二、不別であり!』、
『無断、無壊だからである!』。



【論】婬の浄と、色乃至一切種智の浄との不二、不別

【論】問曰。佛說三毒是垢穢不淨。此中云何言婬欲等淨故色等亦淨。 問うて曰く、仏の説きたまわく、『三毒は、是れ垢穢にして、不浄なり』、と。此の中には、云何が、『婬欲等の浄なるが故に、色等も亦た浄なり』、と言う。
問い、
『仏』は、
こう説かれている、――
『三毒』は、
『垢穢であり!』、
『不浄である!』、と。
此の中には、
何故、こう言うのですか?――
『婬欲』等は、
『浄である!』が故に、
『色』等も、
『浄である!』、と。
答曰。佛說三毒實性清淨故。色等諸法亦清淨。三毒淨色等淨故。不二不別。欲廣說三毒清淨及三毒清淨果報因緣故。說無明淨故。諸行亦淨。 答えて曰く、仏の説きたまわく、『三毒は、実に性清浄なるが故に、色等の諸法も亦た清浄なり。三毒の浄と、色等の浄の故は、不二、不別なればなり』、と。広く三毒の清浄、及び三毒の清浄の果報の因縁を広げて説かんと欲したもうが故に、説きたまわく、『無明の浄なるが故に、諸行も亦た浄なり』、と。
答え、
『仏』は、 こう説かれたが、――
『三毒』は、
実に、
『性』が、
『清浄である!』が故に、
『色等の諸法』も、
亦た、
『清浄である!』。
『三毒が浄であり!』、
『色等が浄である!』が故に、
『不二、不別である!』、と。
更に、
『三毒の清浄と、三毒清浄の果報との!』、
『因縁』を、
『広説しようとされた!』が故に、 こう説かれた、――
『無明が浄である!』が故に、
『諸行も!』、
『亦た、浄である!』、と。
無明淨者。所謂無明畢竟空。如破無明十喻中說。從十二因緣。乃至一切種智亦如是。是故色等無明等。諸法清淨故。般若波羅蜜清淨。般若波羅蜜清淨故。諸菩薩所行法。所謂禪波羅蜜。乃至一切種智皆清淨。禪波羅蜜等諸法亦如是。 無明の浄とは、謂わゆる無明の畢竟空なり。無明を破す十喩中に説けるが如く、十二因縁より、乃至一切種智も亦た是の如し。是の故に、色等、無明等の諸法の清浄なるが故に、般若波羅蜜も清浄なり。般若波羅蜜の清浄なるが故に、諸菩薩の所行の法、謂わゆる禅波羅蜜、乃至一切種智も、皆清浄なり。禅波羅蜜等の諸法も亦た是の如し。
『無明の浄』とは、
謂わゆる、
『無明』の、
『畢竟空である!』が、
例えば、
『無明を破る十喻』中に、
『説いた通りであり!』、
亦た、
『十二因縁より、乃至一切種智』も、
『是の通りである!』。
是の故に、
『色等や、無明等の諸法が清浄である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『清浄であり!』、
『般若波羅蜜が清浄である!』が故に、
『諸菩薩の所行の法』、
謂わゆる、
『禅波羅蜜、乃至一切種智』は、
『皆、清浄であり!』、
『禅波羅蜜等の諸法』も、
亦た、
『是の通りである!』。
復次用十八空故。色等乃至一切種智空。乃至一切種智空故。十八空亦空一切種智不離十八空。十八空不離一切種智。是故言不二不別。 復た次ぎに、十八の空を用うるが故に、色等、乃至一切種智は空なり。乃至一切種智の空なるが故に、十八の空も亦た空なり。一切種智は、十八の空を離れず、十八の空は、一切種智を離れず、是の故に言わく、『不二、不別なり』、と。
復た次ぎに、
『十八空を用いる!』が故に、
『色等、乃至一切種智』は、
『空であり!』、
『色等、乃至一切種智が空である!』が故に、
『十八空』も、
『亦た、空であり!』、
『一切種智が、十八空を離れず!』、
『十八空』も、
『一切種智を離れない!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『不二であり!』、
『不別である!』、と。
空者即是清淨。今色乃至一切種智一法為首。餘法各各為首。展轉皆清淨。 空とは、即ち是れ清浄なり。今、色乃至一切種智の一法を首と為し、余の法の各各を首と為して展転するに、皆、清浄なり。
『空』とは、
即ち、
『清浄ということである!』が、
今、
『色、乃至一切種智』の、
『一法』を、
『首と為し!』、
『餘法』の、
『各各』を、
『首と為せば!』、
展転して( successively )、
皆、
『清浄となる!』。
  為首(いしゅ):正面に立つ( headed by )、先頭に立つ( stand at the head )、前景に( in the foreground )。
  展転(てんでん):梵語 paraMparaa の訳、不断の一連続( an uninterrupted series )の義、順番に/次第に/継続した( in order, in sequence, successive )の意。
復次諸法多無量故。略說有為無為。有為法實相。即是無為法。 復た次ぎに、諸法は多く無量なるが故に、略して有為と無為とを説き、有為法の実相は、即ち是れ無為法なり。
復た次ぎに、
『諸法』は、
『多く!』、
『無量である!』が故に、
略説すれば、
『有為と!』、
『無為であり!』、
『有為法の実相』が、
即ち、
『無為法である!』。
知淨行者。於諸法中求常樂我淨不可得。若不可得。是為實知有為法。實知不可得。即是無為法。是故說有為法淨故。無為法清淨。 浄を知る行者は、諸法中に於いて、常、楽、我、浄を求むるも、不可得なり。若し不可得なれば、是れを実に、有為法を知ると為す。実に不可得を知れば、即ち、是れ無為法なり。是の故に説かく、『有為法の浄なるが故に、無為法は清浄なり』、と。
『浄を知る行者』は、
『諸法』中に於いて、
『常、楽、我、浄』を、
『求めても!』、
『不可得である( cannot recognize )!』が、
若し、
『不可得ならば!』、
是れが、
『実に!』、
『有為法を知るということである!』が、
実に、
『法は、不可得である!』と、
『知れば!』、
即ち、
是れが、
『無為法なのである!』。
是の故に、こう説く、――
『有為法が、浄である!』が故に、
『無為法』は、
『清浄である!』、と。
復次因有為法故。知無為法。聖人得是無為法。說有為法相。是故說有為法清淨故。無為法清淨。無為法清淨故。有為法清淨。 復た次ぎに、有為法に因るが故に、無為法を知る。聖人は、是れ無為法なりと得て、有為法の相を説く。是の故に説かく、『有為法の清浄なるが故に、無為法は清浄なり。無為法の清浄なるが故に、有為法は清浄なり』、と。
復た次ぎに、
『有為法に因る!』が故に、
『無為法』を、
『知るのであり!』、
『聖人』は、
是の、
『無為法を得て( recognizing the unconditioned dharma )!』、
『有為法の相』を、
『説くのであり!』、
是の故に、こう説く、――
『有為法が清浄である!』が故に、
『無為法』は、
『清浄であり!』、
『無為法が清浄である!』が故に、
『有為法』は、
『清浄である!』、、と。
有為法在三世中故說。過去世清淨故。未來世亦清淨。未來世清淨故。過去世亦清淨。 有為法は、三世中に在るが故に説かく、『過去世の清浄なるが故に、未来世も亦た清浄なり。未来世の清浄なるが故に、過去世も亦た清浄なり』、と。
『有為法は、三世中に在る!』が故に、こう説く、――
『過去世が清浄である!』が故に、
『未来世』も、
『清浄であり!』、
『未来世が清浄である!』が故に、
『過去世』も、
『清浄である!』、と。
所以者何。如過去世破壞散滅無所有故空。未來世。未生未有故空。二世無故。現在亦無。何以故。有先有後知有現在。 所以は何となれば、過去世の破壊、散滅して所有無きが故に空なるが如く、未来世は、未だ生ぜず、未だ有らざるが故に空なり。二世無きが故に、現在も亦た無し。何を以っての故に、先有り、後有りて、現在有るを知ればなり。
何故ならば、
『過去世は破壊、散滅しており!』、
『無所有である!』が故に、
『過去世』が、
『空であるように!』、
『未来世は未だ生じず!』、
『未だ、存在しない!』が故に、
『未来世』が、
『空ならば!』、
『二世』が、
『皆、空・無である!』が故に、
『現在』も、
『亦た、空・無である!』。
何故ならば、
『先にも、後にも有れば!』、
『現在も有る!』と、
『知るからである!』。
復次有為法。念念生滅故無住時。住時無故。無現在世。三世空故。有為法空。有為法空故。無為法空。空即是畢竟清淨不破不壞。無戲論如虛空。 復た次ぎに、有為法は、念念に生滅するが故に、住時無く、住時無きが故に、現在世無し。三世の空なるが故に、有為法は空なり。有為法の空なるが故に、無為法は空なり。空とは、即ち是れ畢竟じて清浄、不破、不壊、無戯論なること、虚空の如し。
復た次ぎに、
『有為法』は、
『念念に、生滅する!』が故に、
『住する!』時が、
『無く!』、
『住する、時が無い!』が故に、
『現在世』は、
『無いのである!』が、
『三世が空である!』が故に、
『有為法』は、
『空であり!』、
『有為法が空である!』が故に、
『無為法』も、
『空である!』。
『空ならば!』、
即ち、
『畢竟じて清浄であり!』、
『破壊することもなく!』、
『虚空のように!』、
『戯論』が、
『無い!』。
如是般若波羅蜜畢竟清淨。三世諸佛法藏。破是能宣示實相般若言說文字故墮地獄。 是の如き般若波羅蜜は、畢竟じて清浄なる、三世の諸仏の法蔵なれば、是の能く実相を宣示する般若の言説、文字を破るが故に、地獄に堕つ。
是のような、
『般若波羅蜜は、畢竟じて清浄であり!』、
『三世の諸仏』の、
『法蔵である!』。
是の、
『実相を宣示する( explaining clearly the real aspect )ことのできる!』、
『般若の言説・文字を破る!』が故に、
『地獄』に、
『堕ちるのである!』。
  実相(じっそう):梵語 satya- lakSaNa, svabhaava- lakSaNa, dharma- svabhaava, dharmataa の訳、真実の相( real aspect )の義、事物の有るがままの相( true form of things as they are )の意。
問曰。若不信般若墮地獄。信者得作佛。若有五逆罪破戒邪見懈怠之人。信是般若。是人得成佛不。復有持戒精進者。而不信般若。是云何墮地獄。 問うて曰く、若し般若を信ぜざれば、地獄に堕ち、信ずれば仏と作るを得とすれば、若し、有る五逆罪、破戒、邪見、懈怠の人、是の般若を信ずれば、是の人は、仏と成るを得るや、不や。復た有る持戒、精進の者、般若を信ぜざれば、是れ云何が地獄に堕つる。
問い、
若し、
『般若を信じずに!』、
『地獄』に、
『堕ちれば!』、
『信じる!』者は、
『仏』と、
『作れるはずである!』。
若し、有る、
『五逆罪、破戒、邪見、懈怠の人でも!』、
是の、
『般若』を、
『信じれば!』、
是の、
『人』は、
『仏』と、
『成ることができるのですか?』。
復た、有る者が、
『持戒、精進しても!』、
『般若』を、
『信じなければ!』、
是の、
『人』が、
何故、
『地獄』に、
『堕ちるのですか?』。
答曰。破般若有二種。一者佛口所說。弟子誦習書作經卷。愚人謗言非是佛說。是魔若魔民所作。亦是斷滅邪見人手筆。莊嚴口力者說。或言雖是佛說。其中處處餘人增益。或有人著心分別取相。說般若波羅蜜。口說空法而心著有。 答えて曰く、般若を破すに、二種有り、一には、仏の口の所説を、弟子が誦習し、書きて経巻と作せるに、愚人が謗りて言わく、『是れ仏説に非ず。是れ魔、若しくは魔民の所作なり。亦た是れ断滅邪見の人の手筆もて、口の力を荘厳せる者の説なり』、と。或いは言わく、『是れ仏説なりと雖も、其の中の処処に、余人増益す』、と。或いは有る人は、著心もて分別し、相を取りて、般若波羅蜜を説けば、口に空法を説けど、心は有に著す。
答え、
『般若を破る!』には、
『二種有り!』、
一には、
『仏の口の所説』を、
『弟子』が、
『読誦、修習、書写して!』、
『経巻と作す!』と、
『愚人が謗って!』、こう言う、――
是れは、
『仏』の、
『所説ではない!』、
是れは、
『魔か、魔民』の、
『所作であるとか!』、
亦たは、
『断滅、邪見人の手と筆』が、
『口力( having the power of speach )の者』を、
『荘厳し!』、
是の、
『経巻』を、
『説いたのである!』、と。
或は、こう言う、――
是れは、
『仏の説である!』が、
その中には、
『処処に!』、
『餘人が増益している!』、と。
或は、
有る、
『人』は、
『著心を用いて!』、
『分別し、取相して!』、
『般若波羅蜜』を、
『説くので!』、
『口には!』、
『空法』を、
『説きながら!』、
『心』は、
『有』に、
『著している!』。
初破者墮大地獄。不得聖人說般若意故。第二破著心論議者。是不名為破般若。如調達出佛身血祇域亦出佛身血。雖同一名出血。心異故。一人得罪一人得福。如畫作佛像一人以像不好故破一人以惡心故破。以心不同故。一人得福一人得罪。破般若波羅蜜者亦如是。 初の破する者は、大地獄に堕つ。聖人の説きたまえる般若の意を得ざるが故なり。第二の破は、著心もて論義する者にして、是れを名づけて、般若を破すと為さず。調達、仏身より血を出し、祇域も亦た仏身より血を出せるに、同一に血を出すと名づくと雖も、心異なるが故に、一人は罪を得、一人は福を得るが如し。画きて、仏像を作せるに、一人は像の好ましからざるを以っての故に破し、一人は悪心を以っての故に破す、心の同じからざるを以っての故に、一人は福を得、一人は罪を得るが如く、般若波羅蜜を破す者も亦た是の如し。
初の、
『般若波羅蜜を破る!』者は、
『大地獄』に、
『堕ちる!』。
『聖人の所説』の、
『般若波羅蜜の意』を、
『得ない( cannot attain )からである!』。
第二の、
『般若波羅蜜を破る!』者は、
『著心を用いて!』、
『論義する者である!』が、
是れを、
『般若を破ることになる!』とは、
『思わない!』。
譬えば、
『調達(提婆達多)』が、
『仏身より!』、
『血を出させた!』のと、
『祇域(耆婆)』が、
『仏身より!』、
『亦た血を出させた!』のと、
『血を出させた!』と、
『称する!』のはと、
『同一である!』が、
『心が異なる!』が故に、
『一人』は、
『罪』を、
『得て!』、
『一人』は、
『福』を、
『得るようなものであり!』、
又、
『仏像を画作する!』時、
『一人』は、
『像が、好ましくなかった!』が故に、
『破り!』、
『一人』は、
『悪心を用いた!』が故に、
『破れば!』、
『心が同じでない!』が故に、
『一人』は、
『福』を、
『得ることになり!』、
『一人』は、
『罪』を、
『得るようなものである!』。
亦た、
『般若波羅蜜』を、
『破る!』者も、
『是の通りである!』。
  祇域(ぎいき):医師にして仏弟子の名。梵名 jiivaka, jiivika 。『大智度論巻26下注:耆婆』参照。
  参考:『四分律行事鈔資持記上三』:『十出血者耆婆治病。針刺出血生梵天一劫。調達推山迸石傷足墮阿鼻一劫』
復次或有人破般若。雖不瞋不輕佛。自用心憶想分別是甚深法。一切智人所說。應有深妙法。云何言都空。 復た次ぎに、或いは有る人は、般若を破るに、瞋らず、仏を軽んぜずと雖も、自ら心を用いて、是の甚だ深い法を憶想、分別すらく、『一切智人の所説には、応に深妙の法有るべし。云何が、都(す)べて空なりと言う』、と。
復た次ぎに、
或いは、
有る人が、
『般若を破りながら!』、
『仏』を、
『瞋るのでもなく!』、
『軽んじるのでもない!』が、
自ら、
『心を用いて!』、
是の、
『甚だ深い法』を、こう憶想、分別する、――
『一切智の人の所説』には、
『深妙の法』が、
『有るはずだ!』。
何故、
『都、空である( all is empty )!』と、
『言うのか?』、と。
佛以無著心。為度眾生故說法。是人以著心取相故。起口業毀呰。破壞般若。能起身業。手麾非撥指毀令去。 仏は、無著の心を以って、衆生を度せんが為の故に法を説きたまえるに、是の人は、著心の相を取るを以っての故に、口業を起こして毀呰し、般若を破壊す。能く身業を起こして、手もて非を麾(ふ)り、指を撥(はじ)いて、毀(やぶ)りて、去らしむ。
『仏』は、
『無著の心を用いて!』、
『衆生を度す!』為の故に、
『法』を、
『説かれた!』が、
是の、
『人』は、
『著心に、相を取る!』が故に、
『口業を起して!』、
『般若』を、
『毀呰し、破壊し!』、
『身業を起して!』、
『手を用いて!』、
『非である( that is wrong )!』と、
『麾(ふりはら)い!』、
『指を撥いて( plucking one's finger )!』、
『毀って!』、
『去らせるのである!』。
  (き):振り動かす。旌旗を揺らして、軍に指揮する。
  (はつ):はじく。はらう。払いのける( dispel )。
與二種不信相違故。名二種信。一者知般若實義。信得如說果報。二者信經卷言語文字。得功德少。 二種の不信と相違するが故に、二種の信と名づく。一には、般若波羅蜜の実義を知りて信ずれば、説の如き果報を得。二には経巻の語言、文字を信ずれば、得る功徳は少なし。
『二種の不信』と、
『相違する!』が故に、
『二種の信と称し!』、
一には、
『般若の実義を知って!』、
『信じる!』が故に、
『所説のように!』、
『果報を得ることができ!』、
二には、
『経巻の言語、文字だけ!』を、
『信じる!』が故に、
『功徳を得ても!』、
『少しである!』。
邪見罪重故。雖持戒等身口業好。皆隨邪見惡心。如佛自說喻譬。如種苦種。雖復四大所成皆作苦味。邪見人亦如是。雖持戒精進皆成惡法。與此相違名為正見。 邪見の罪の重きが故に、持戒等の身口の業好しと雖も、皆、邪見の悪心に随う。仏の自ら喻譬に、『苦の種を種うれば、復た四大所成なりと雖も、皆苦味を作すが如し』と説きたまえるが如く、邪見人も亦た是の如く、持戒、精進すと雖も、皆、悪法を成ず。此れと相違するを名づけて、正見と為す。
『邪見の罪は、重い!』が故に、
『持戒』等の、
『身、口の業』が、
『好ましくても!』、
皆、
『邪見の悪心』に、
『随うことになる!』。
『仏』が、
自ら、
『譬喻』を、こう説かれている、――
譬えば、
『苦の種を、種えれば!』、
復た、
『四大の所成であったとしても!』、
皆、
『苦味』と、
『作るように!』、
『邪見の人』も、
是のように、
『持戒、精進したとしても!』、
皆、
『悪法』を、
『成じる( to accomplish )!』。
此れと、
『相違すれば!』、
『正見』と、
『称されるのである!』、と。
  参考:『法句譬喩経巻3愛身品』:『如真人教  以道活身  愚者嫉之  見而為惡  行惡得惡  如種苦種  惡自受罪  善自受福  亦各須熟  彼不相代  習善得善  亦如種甜』
五逆罪人惡罪常覆心。疑今世後世業果。何況能信甚深般若。雖復書經卷供養望免惡罪。去般若大遠。 五逆罪の人は、悪罪常に心を覆うて、今世後世の業果を疑う、何に況んや、能く甚深の般若を信ずるをや。復た経巻を書いて、供養し、悪罪を免れんことを望むと雖も、般若を去ること大いに遠し。
『五逆罪の人』は、
『悪罪が、常に心を覆う!』が故に、
『今世、後世の業果』を、
『疑うことになる!』。
況して、
『甚だ深い般若』を、
『信じることができるはずがない!』。
復た、
『経巻を書いて、供養し!』、
『悪罪を免れよう!』と、
『望んだとしても!』、
『般若を去って( the distance from prajna is )!』、
『大いに( very )!』、
『遠ざかることになる( long )!』。
或有遇善知識。先世精進福德。利智第一信般若波羅蜜清淨因緣。能得如所說果報。 或いは善知識に遇い、先世に精進せる福徳有りて、利智第一なれば、般若波羅蜜を信ずる清浄の因縁は、能く所説の如き果報を得しむ。
或いは、
『善知識に遇い!』、
『先世に精進した!』、
『福徳の利智』が、
『有る!』が故に、
『利智が第一であって!』、
『般若波羅蜜を信じるという!』、
『清浄』の、
『因縁』が、
『所説のように!』、
『果報』を、
『得させるのである!』。
如阿闍世王。殺父之罪。蒙佛文殊師利善知識故。除其重罪。得如所說般若果報。受無上道記 阿闍世王の殺父の罪の如く、仏、文殊尸利の善知識を蒙るが故に、其の重罪を除いて、所説のごとき般若の果報を得、無上道の記を受く。
例えば、
『阿闍世王など!』は、
『殺父の罪が有りながら!』、
『仏や、文殊師利という!』、
『善知識』を、
『蒙る( receiving )』が故に、
其の、
『重罪』が、
『除かれ!』、
『所説のような!』、
『般若波羅蜜の果報を得て!』、
『無上道の記』を、
『受けたのである!』。
  参考:『北本涅槃経巻10』:『爾時文殊師利法王之子。復於佛前而說偈言 於他言語  隨順不逆  亦不觀他  作以不作  但自觀身  善不善行  世尊。如是說此法藥非為正說。於他語言隨順不逆者。唯願如來垂哀正說。何以故。世尊。常說一切外學九十五種皆趣惡道。聲聞弟子皆向正路。若護禁戒攝持威儀安慎諸根。如是等人深樂大法趣向善道。如來何故於九部中見有毀他則便呵責。如是偈義為何所趣。佛告文殊師利。善男子。我說此偈亦不盡為一切眾生。爾時唯為阿闍世王。諸佛世尊。若無因緣終不逆說。有因緣故乃說之耳。善男子。阿闍世王害其父已來至我所。欲折伏我作如是問。云何世尊。有一切智非一切智耶。若一切智。調達往昔無量世中常懷惡心隨逐如來欲為殺害。云何如來聽其出家。善男子。以是因緣。我為是王。而說此偈 於他語言  隨順不逆  亦不觀他  作以不作  但自觀身  善不善行  佛告大王。汝今害父已作逆罪。最重無間應當發露以求清淨。何緣乃更見他過咎。善男子。以是義故。我為彼王而說是偈。復次善男子。亦為護持不毀禁戒成就威儀。見他過者而說是偈。若復有人受他教誨遠離眾惡。復教他人令遠眾惡如是之人則我弟子。爾時世尊。為文殊師利。而說偈言 一切畏刀杖  無不愛壽命  恕己可為喻  勿殺勿行杖  爾時文殊師利。復於佛前而說偈言 非一切畏杖  非一切愛命  恕己可為喻  勤作善方便  如來。說是法句之義亦是未盡。何以故。如阿羅漢。轉輪聖王玉女象馬主藏大臣。若諸天人及阿修羅執持利劍能害之者。無有是處。勇士烈女馬王獸王。持戒比丘雖復對至而不恐怖。以是義故。如來說偈亦是有餘。若言恕己可為喻者是亦有餘。何以故。若使羅漢以己喻彼。則有我想及以命想。若有我想及以命想則應擁護。凡夫亦應見阿羅漢悉是行人。若如是者即是邪見。若有邪見命終之時即應生於阿鼻地獄。又復羅漢設於眾生生害心者。無有是處。無量眾生亦復無能害羅漢者。佛言。善男子。言我想者。謂於眾生生大悲心無殺害想。謂阿羅漢平等之心。勿謂世尊無有因緣而逆說也。昔日於此王舍城中有大獵師。多殺群鹿請我食肉。我於是時雖受彼請。於諸眾生生慈悲心。如羅睺羅。而說偈言 當令汝長壽  久久住於世  受持不害法  猶如諸佛壽  是故我說是偈 一切畏刀杖  無不愛壽命  恕己可為喻  勿殺勿行杖  佛言。善哉善哉。文殊師利。為諸菩薩摩訶薩故。諮問如來如是密教。』


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