【論】釋曰。上佛彌勒須菩提釋提桓因。共說隨喜義。舍利弗雖默然聽聞是般若波羅蜜隨喜義甚深無量無邊。大利益眾生。雖漏盡寂滅發歡喜心。從坐起合掌白佛言。能作隨喜斷諸戲論。利益無量眾生。令入佛道者。是般若波羅蜜。 |
釈して曰く、上に、仏、弥勒、須菩提、釈提桓因、共に随喜の義を説くに、舎利弗黙然たりと雖も、是の般若波羅蜜の随喜の義の甚深にして無量、無辺、大いに衆生を利益するを聴聞すれば、漏尽にして寂滅せりと雖も、歓喜心を発し、坐より起ち合掌して、仏に白して言さく、『能く随喜を作し、諸の戯論断じて、無量の衆生を利益し、仏道に入らしむる者は、是れ般若波羅蜜なり』、と。 |
釈す、
上に、
『仏、弥勒、須菩提、釈提桓因』が、
『舎利弗は、黙然としていた!』が、
是の、
『般若波羅蜜の随喜の義』は、
『甚だ深く、無量、無辺であり!』、
『衆生を、大いに利益する!』と、
『聴聞し!』、
『漏尽し、寂滅してはいた!』が、
『歓喜心を発して!』、
『坐より起ち!』、
『合掌しながら!』、
『仏に白して!』、こう言った、――
『随喜を作させて、諸の戯論を断じ!』、
『無量の衆生を利益して!』、
『仏道』に、
『入らせる!』者とは、
是れが、
『般若波羅蜜です!』、と。
|
|
|
|
|
佛可其語故言是。般若波羅蜜中說諸法實相。諸法實相中無戲論垢濁故。名畢竟清淨。畢竟清淨故。能遍照一切五種法藏。所謂過去未來現在無為及不可說。 |
仏は、其の語を可としたまいて、故に言わく、『是なり!』、と。般若波羅蜜中に、諸法の実相を説き、諸法の実相中には、戯論の垢濁無きが故に畢竟じて清浄なりと名づく。畢竟じて清浄なるが故に、能く一切の五種の法蔵を遍照す、謂わゆる過去、未来、現在、無為、及び不可説なり。 |
『仏』は、
『舎利弗の語を可として!』、こう言われた、――
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『諸法の実相を説いたのである!』が、
『諸法の実相』中には、
『戯論という!』、
『垢濁』が、
『無い!』が故に、
是れを、
『畢竟清浄である!』と、
『称し!』、
『諸法の実相が、畢竟清浄である!』が故に、
『一切の五種の法蔵』を、
『遍く!』、
『照すことができる!』。
謂わゆる、
『過去、未来、現在、無為、不可説という!』、
『法蔵である!』。
|
是(ぜ):[承認/同意の表示]その通りだ/そうだ/正しい( indeed, yes, right )。[指示代名詞]これ/それ( demonstrative pronoun this, that )。[解釈/分類/存在/適合等の表示]~だ/~である( am, is, are, be, been, being )。
可(か):許可/同意( approve; permit; allow )。可能( can; may )。価値がある/~するに堪える( be worth
doing; need doing )。適合/相称う( accord with )。当然( should )。善い/好い( good )。合意/正しいと認める(
correct; right )。適切/義務/適応( appropriate; due; fit )。 |
参考:『十住毘婆沙論巻10』:『復次佛經始終相違如經中說。諸比丘我新得道。又言我得往古諸佛所得道。世間有智尚離終始相違。何況出家一切智人而有相違。以終始相違故。當知非一切智人。是故汝說金剛三昧唯一切智人得。是事不然。無一切智人故。一切智三昧亦不成。答曰。汝莫說此。佛實是一切智人。何以故。凡一切法有五法藏。所謂過去法。未來法。現在法。出三世法。不可說法。唯佛如實遍知是法。如汝先難所知法無量無邊故無一切智人者。我今當答。若所知法無量無邊。智亦無量無邊。以無量無邊智知無量無邊法無咎。若謂是知亦應以智知是則無窮者。今當答。法應以智知。智如世間人言。我是智者我是無智者。我是麁智者。我是細智者。以是因緣以智知智故。則無無窮過。如以現在智知過去智則盡知一切法無有遺餘。』 |
|
|
是故舍利弗言。世尊。般若波羅蜜。能照一切法。畢竟淨故。 |
是の故に舎利弗の言わく、『世尊、般若波羅蜜は、能く一切の法を照らす、畢竟じて浄なるが故なり』、と。 |
是の故に、
『舎利弗』は、
『仏』に、こう言った、――
世尊!
『般若波羅蜜』が、
『一切の法を照すことができる!』のは、
『諸法の実相』が、
『畢竟清浄だからです!』、と。
|
|
|
|
|
般若波羅蜜。能守護菩薩救諸苦惱。能滿所願。如梵天王守護三千大千世界故。眾生皆禮。 |
般若波羅蜜は、能く菩薩を守護して、諸の苦悩を救い、能く願う所を満つること、梵天王の、三千大千世界を守護するが故に、衆生は皆礼するが如し。 |
『般若波羅蜜を、礼すべし!』とは、――
『般若波羅蜜』は、
『菩薩を守護して、諸の苦悩を救い!』、
『所願』を、
『満たさせからである!』。
譬えば、
『梵天王』が、
『三千大千世界』を、
『守護する!』が故に、
『衆生が、皆!』、
『梵天王』に、
『礼するようなものである!』。
|
|
|
|
|
三界中三毒泥所不污故。言不著三界。 |
三界中の三毒の泥に汚されざるが故に言わく、『三界に著せず』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『三界中の三毒という!』、
『泥に!』、
『汚されない!』が故に、
こう言うのである、――
『三界』に、
『著すことがない!』、と。
|
|
|
|
|
破一切愛等百八煩惱我見等六十二見故。言破無明黑闇。 |
一切の愛等の百八煩悩と、我見等の六十二見とを破るが故に言わく、『無明の黒闇を破る』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
一切の、
『愛等の百八煩惱や、我見等の六十二見を!』、
『破る!』が故に、
こう言うのである、――
『無明の黒闇』を、
『破る!』、と。
|
|
|
|
|
諸法中智慧最上。一切智慧中。般若波羅蜜為上。以智慧為本。分別四念處等三十七品。是故言一切助道法中最上。 |
諸法中に智慧は最上なり。一切の智慧中に、般若波羅蜜を上と為す、智慧を以って本と為し、四念処等の三十七品を分別す。是の故に言わく、『一切の助道法中に最上なり』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『諸法』中に、
『智慧』が、
『最上であり!』、
『一切の智慧』中には、
『般若波羅蜜』が、
『上であり!』、
『智慧を本として!』、
『四念処等の三十七品』を、
『分別する!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『一切の助道法』中に、
『最上である!』、と。
|
|
|
|
|
能斷生老病死等諸怖畏苦惱故言安隱。 |
能く生老病死等の諸の怖畏、苦悩を断ずるが故に言わく、『安隠なり』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『生老病死』等の、
『諸の怖畏や、苦悩』を、
『断じることができる!』が故に、
こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『安隠にする!』、と。
|
|
|
|
|
是般若波羅蜜中。攝五眼故。言能與光明。 |
是の般若波羅蜜中に五眼を摂するが故に、言わく『能く光明を与う』、と。 |
是の、
『般若波羅蜜』中に、
『五眼』を、
『摂する( to be contained )!』が故に、
こう言う、――
『光明』を、
『与えることができる!』、と。
|
|
|
|
|
離有邊無邊等諸二邊故。言能示正道。 |
有辺、無辺等の諸の二辺を離るるが故に、言わく『能く正道を示す』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『右辺、無辺』等の、
『諸の二辺』を、
『離れる!』が故に、
こう言うのである、――
『正道』を、
『示すことができる!』、と。
|
|
|
|
|
菩薩住金剛三昧。斷一切煩惱。微習令無遺餘。得無礙解脫故。言一切種智。 |
菩薩は、金剛三昧に住して、一切の煩悩、微習を断じ、遺余無からしめ、無礙解脱を得るが故に、言わく、『一切種智なり』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『菩薩を、金剛三昧に住させて!』、
『一切の煩惱、微細の習気を断たせて、遺餘を無くさせ!』、
『無礙解脱を得させる!』が故に、
こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『一切種智である!』、と。
|
|
|
|
|
復次知一切法總相別相一切種智因緣故。名一切種智。 |
復た次ぎに、一切法の総相、別相と、一切種智の因縁を知るが故に、一切種智と名づく。 |
復た次ぎに、
『般若波羅蜜を得れば!』、
『一切法の総相、別相を知り!』、
『一切種智を得る!』、
『因縁を知る!』が故に、
こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『一切種智である!』、と。
|
|
|
|
|
能生十方三世無量諸佛法故。言諸菩薩母。 |
能く十方、三世の無量の諸仏の法を生ずるが故に、言わく、『諸の菩薩の母なり』、と。 |
『般若波羅蜜を得れば!』、
『十方、三世の無量の諸仏』の、
『法』を、
『知る!』が故に、
こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『諸菩薩の母である!』、と。
|
|
|
|
|
一切法中各各自相空故。言不生不滅。 |
一切の法中の各各の自相は、空なるが故に、言わく、『不生、不滅なり』、と。 |
『般若波羅蜜を得れば!』、
『一切法』中の、
『各各の自相』は、
『空である!』が故に、
こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『不生、不滅である!』、と。
|
|
|
|
|
斷常是諸見本。諸見是諸結使本。諸結使是一切生死中苦本。是故言遠離生死。 |
断と、常とは、是れ諸見の本なり。諸見は、是れ諸の結使の本なり。諸の結使は、是れ一切の生死中の苦の本なり。是の故に言わく、『生死を遠離す』、と。 |
『般若波羅蜜を得れば!』、
『断、常は諸見の本であり!』、
『諸見は諸結使の本であり!』、
『諸結使』は、
『一切の生死中の苦』の、
『本である!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『般若波羅蜜を得れば!』、
『生死』を、
『遠離することになる!』、と。
|
|
|
|
|
能令眾生信三寶等諸善法寶得諸善法寶故。得世間出世間樂。能令眾生得二種樂故。言無救者作護。 |
能く、衆生をして、三宝等の諸の善法の宝を信ぜしむるに、諸の善法の宝を得るが故に、世間、出世間の楽を得れば、能く、衆生をして、二種の楽を得しむるが故に、言わく、『救無き者の、護と作る』、と。 |
『般若波羅蜜』は、
『衆生』に、
『三宝』等の、
『諸の善法の宝』を、
『信じさせて!』、
『諸善法の宝を得させる!』が故に、
『世間、出世間の楽』を、
『得させ!』、
『衆生』に、
『二種の楽』を、
『得させる!』が故に、
こう言うのである、――
『救の無い者の!』、
『護( a guardian )』と、
『作る!』、と。
|
|
|
|
|
是般若波羅蜜相。乃至十方諸佛所不能壞。所以者何。畢竟不可得故何況餘人。故言具足波羅蜜。 |
是の般若波羅蜜の相は、乃至十方の諸仏すら、壊する能わざる所なり。所以は何んとなれば、畢竟じて不可得なるが故なり。何に況んや、余人をや。故に言わく、『波羅蜜を具足す』、と。 |
是の、
『般若波羅蜜の相』は、
乃至、
『十方の諸仏にすら!』、
『壊られない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜の相』は、
『畢竟じて不可得だからである!』。
況して、
『余人』に、
『壊られるはずがない!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『波羅蜜』を、
『具足する!』、と。
|
|
|
|
|
是般若波羅蜜中。無自性故。說諸法不轉。生死中不還入涅槃。不生故不轉。不滅故不還。故言能轉三轉十二行法輪。三轉十二行法輪義如先說。 |
是の般若波羅蜜中には、自性無きが故に、諸法は、生死中に転ぜず、還って涅槃に入らずと説く。不生の故に、転ぜず、不滅の故に還らず、故に言わく、『能く三転十二行の法輪を転ず』、と。三転十二行の法輪の義は、先に説けるが如し。 |
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『自性』が、
『無い!』が故に、
こう説かれている、――
『諸法は、転じることがなく!』、
『生死中より、還って!
( returning back from the transmigration in the world )』、
『涅槃』に、
『入ることはない!』、と。
『諸法は、不生である!』が故に、
『滅に、転じることなく( do not turn to the extinction )!』、
『不滅である!』が故に、
『涅槃』に、
『還ることもない!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『三転十二行の法輪を説いて!』、
『行法』を、
『転じさせる!』、と。
『三転十二行の法輪の義』は、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
|
生死(しょうじ):梵語 janana- manaNa の訳、生と死( birth and death )の義、輪廻(梵語 saMsaara
: transmigration )の意。 |
|
|
|
一切法有二分。若有若無。是般若中有亦不應取。無亦不應取。離是有無。即是諸法性。是故言能示諸法性。如是等無量因緣。讚歎般若。後當廣說。 |
一切の法には、二分有り、若しは有、若しは無なり。是の般若中には、有も亦た応に取るべからず。無も亦た応に取るべからず。是の有無を離るれば、即ち是れ諸の法性なり。是の故に言わく、『能く諸の法性を示す』、と。是れ等の如き、無量の因縁もて、般若を讃歎するも、後には当に広く説くべし。 |
『一切の法』には、
『有と、無の二分が有る!』が、
是の、
『般若』中には、
『法』が、
『有ろうが、無かろうが!』、
『取るはずがなく!』、
是の、
『有、無』を、
『離れるということ!』が、
即ち、
『諸法の!』、
『性なのであり!』、
是の故に、こう言うのである、――
『般若波羅蜜』は、
『諸法の性』を、
『示すことができる!』、と。
是れ等のような、
『無量の因縁』の故に、
『舎利弗』が、
『般若を!』、
『讃歎したのである!』が、
後にも、
『讃歎の因縁』を、
『広説せねばならない!』。
|
|
|
|
|
是般若波羅蜜是無相相。有人心未淳熟。求其定相。不能得便生慢心。是故舍利弗問應云何供養。 |
是の般若波羅蜜は、是れ無相の相なり。有る人は、心未だ淳熟ならざれば、其れに定相を求め、得る能わずして、便ち慢心を生ず。是の故に、舎利弗の問わく、『応に云何が供養すべし』、と。 |
是の、
『般若波羅蜜』は、
『無相という!』、
『相である!』が、
有る人は、
『心が、未だ淳熟していない( the mind is not completely ripened yet )!』ので、
『般若波羅蜜の定相( the settled mark of PrajP. )』を、
『求めても!』、
『得ることができず!』、
便ち( then )、
『慢心( a despising mind )』を、
『生じることになる!』。
是の故に、
『舎利弗』は、こう問うたのである、――
何のように、
『般若波羅蜜』を、
『供養すればよいのか?』、と。
|
淳熟(じゅんじゅく):梵語 paripakva の訳、完全に熟した/料理された/装われた( completely ripened or cooked
or dressed )の義、完成/成就した( accomplished )の意。
定相(じょうそう):梵語 niyata lakSaNa の訳、固定した/確かな目印/特質( a fixed or sure mark or characteristic
)の義。 |
|
|
|
佛教言當如供養佛。以人從久遠已來深著眾生相。於貴法情薄。是故言如供養世尊。 |
仏の教えて言わく、『当に仏を供養するが如くすべし』、と。人は、久遠より已来、深く衆生相に著して、法を貴ぶに於いては情薄し。是の故に言わく、『世尊を供養するが如し』、と。 |
『仏』は、
『舎利弗に教えて!』、こう言われた、――
『仏』を、
『供養するようにせよ!』、と。
『人』は、
久遠より、
『衆生の相』に、
『深く!』、
『著してきた!』ので、
『法を貴ぶ!』、
『情( the interest )』が、
『薄く!』、
是の故に、
『仏』は、こう言われたのである、――
『世尊を!』、
『供養するようにせよ!』、と。
|
|
|
|
|
智者觀之佛與般若等無異。所以者何。般若修集即變為一切智。 |
智者の、之を観ずるに、仏と般若と等しくして、異無し。所以は何んとなれば、般若を修集すれば、即ち変じて一切智と為ればなり。 |
『智者が、般若を観れば!』、
『仏と、般若とは等しく!』、
『異』が、
『無い!』。
何故ならば、
『般若が修集されると( PrajnaP. had been constantly practiced )!』、
即ち( soon )、
『一切種智』に、
『変じるからである!』。
|
修集(しゅうじゅう):梵語 samuda-aagamaaya, abhiyoga の訳、の為めに集めて学ぶ( correcting and studying to )の義、修練/勤勉/精力的努力/忍耐/不断の修行( trial, application, energetic effort, exertion, perseverance in, constant practice )の意。 |
|
|
|
此中佛自說因緣。是般若波羅蜜中。出生賢聖等。出生十善道等世間出世間法乃至一切種智。 |
此の中に仏は、自ら因縁を説きたまわく、『是の般若波羅蜜中に、賢聖等を出生し、十善道等の世間、出世間の法を、乃至一切種智まで出生す』、と。 |
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『因縁』を、こう説かれた、――
是の、
『般若波羅蜜』中に、
『賢聖』等を、
『出生し!』、
『十善道』等の、
『世間、出世間の法』を、
『出生し!』、
乃至、
『一切種智』を、
『出生するからである!』、と。
|
|
|
|
|
爾時帝釋作是念者。帝釋意以舍利弗漏盡離欲人。如似著法人讚歎般若。今舍利弗自說因緣。菩薩為般若守護故。以方便力。能隨喜福德迴向。而不破般若波羅蜜相。是事希有故。尊敬般若波羅蜜。是故問佛云何供養。 |
爾の時、帝釈の是の念を作すとは、帝釈の意に以(おもえ)らく、『舎利弗は、漏尽、離欲の人なるに、著法の人の般若を讃歎するに似たるが如し』となり。今、舎利弗は、自ら因縁を説かく、『菩薩は、般若に守護せらるるが故に、方便力を以って、能く福徳を随喜して廻向するも、般若波羅蜜の相を破らず、是の事の希有なるが故に、般若波羅蜜を尊敬し、是の故に、仏に云何が供養せんと問えり』、と。 |
爾の時、
『帝釈』は、 こう念じた、――
何のような、
『因縁』の故に、
『舎利弗』は、
是の、
『事』を、
『問うたのだろうか?』とは、――
『帝釈の意』は、こうである、――
『舎利弗』は、
『漏尽であり!』
『離欲の人なのに!』、
譬えば、
『法に著しながら、般若を讃歎する!』、
『人』に、
『似ている!』。
今、
『舎利弗』は、
自ら、
『因縁』を、こう説いた、――
『菩薩は、般若に守護される!』が故に、
『方便の力を用いて!』、
『随喜の福徳を回向しながら!』、
而も、
『般若波羅蜜の相』を、
『破ることはないのだ!』、と。
是の、
『事は希有である!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『尊敬し!』、
是の故に、
『仏』に、こう問うたのである、――
何のように、
『供養するのか?』、と。
|
|
|
|
|
復次憍尸迦。般若波羅蜜自力勢故。勝五波羅蜜。 |
復た次ぎに、『憍尸迦、般若波羅蜜は、自らの力勢の故に、五波羅蜜に勝る』とは、 |
復た次ぎに、
憍尸迦!
『般若波羅蜜』は、
自らの、
『力勢』の故に、
『五波羅蜜』に、
『勝るのだ!』とは、――
|
|
|
|
|
問曰。五波羅蜜應以五盲人作喻。何以乃說百千。 |
問うて曰く、五波羅蜜は、応に五盲人を以って喻と作すべし。何を以ってか、乃ち百千を説く。 |
問い、
『五波羅蜜』には、
『五盲人を用いて!』、
『喻』と、
『作さねばならない!』のに、
何故、
乃ち( unexpectedly )、
『百千の盲人』を、
『説くのですか?』。
|
|
|
|
|
答曰。此中說其力勢不論多少。 |
答えて曰く、此の中には、其の力勢を説くも、多少を論ぜず。 |
答え、
此の中では、
『般若波羅蜜』の、
『力勢』を、
『説いたのであり!』、
『五波羅蜜』の、
『多少』を、
『論じるのではないからである!』。
|
|
|
|
|
復次若言導五不足為貴故說百千。 |
復た次ぎに、若し『五を導く』と言わば、貴しと為すに足らず、故に百千を説けり。 |
復た次ぎに、
若し、
『五人を導く!』、と言えば、――
『貴ばれるには、不足である!』が故に、
『百千の盲人』を、
『説くのである!』。
|
|
|
|
|
復次波羅蜜亦多。如賢劫三昧中有八萬四千種波羅蜜。廣說則無量。 |
復た次ぎに、波羅蜜も亦た多し。賢劫三昧中の如きには、八万四千種の波羅蜜有り。広く説けば、則ち無量なり。 |
復た次ぎに、
『波羅蜜』も、
亦た、
『多いからである!』。
譬えば、
『賢劫三昧経』中には、
『広説すれば!』、
『無量』の、
『波羅蜜』が、
『有るのである!』。
|
|
参考:『現在賢劫千仏名経』:『爾時喜王菩薩白佛言。世尊。今此眾中頗有菩薩摩訶薩得是三昧。亦得八萬四千波羅蜜門。諸三昧門陀羅尼門者不。佛告喜王。今此會中有菩薩大士。得是三昧。亦能入八萬四千諸波羅蜜。及諸三昧陀羅尼門。此諸菩薩於是賢劫中。皆當得阿耨多羅三藐三菩提。』 |
|
|
問曰。檀波羅蜜亦有眼。所以者何。信有罪福。破邪見等無明故能布施。何以故喻無眼。 |
問うて曰く、檀波羅蜜にも、亦た眼有り。所以は何んとなれば、罪福有るを信じ、邪見等の無明を破るが故に、能く布施す。何を以っての故にか、眼無きに喻う。 |
問い、
『檀波羅蜜』にも、
何故ならば、
『罪、福という!』、
『果報が有る!』と、
『信じて!』、
『邪見』等の、
『無明を破る!』が故に、
『布施をするからです!』。
何故、
『眼が無い!』ことに、
『喩えるのですか?』。
|
|
|
|
|
答曰。布施中智慧是客來非正體。譬如四大常和合不得相離。諸波羅蜜和合亦如是。 |
答えて曰く、布施中の智慧は、是れ客来にして、正体に非ず。譬えば、四大は常に和合して、相離るるを得ざるが如く、諸の波羅蜜の和合も亦た是の如し。 |
答え、
『布施』中の、
『智慧』は、
『客来ではあり( being added )!』、
『正体ではない( be not original being )!』が、
譬えば、
『四大』が、
常に、
『和合して!』、
『相離れないように!』、
『六波羅蜜』が、
常に、
『和合して、相離れないのも!』、
『是の通りである!』。
|
客来(かくらい):梵語 aagantuka の訳、付加された/付着した事物( anything added or adhering )の義、客(
guest, stranger )の意。
正体(しょうたい):梵語 dravya, dravya- bhuuta の訳、真実の存在( a true existing being )、実体(
a substance )の義。 |
|
|
|
不能趣道。道者菩薩十地道。城者一切種智等諸佛法。 |
道を趣く能わずとは、道とは、菩薩の十地の道なり。城とは、一切種智等の諸仏の法なり。 |
『道に趣くことができない!』とは、――
『道』とは、
『菩薩』の、
『十地という!』、
『道であり!』、
『城』とは、
『一切種智』等の、
『諸の仏』の、
『法である!』。
|
|
|
|
|
復次道者。八聖道分。城者涅槃。 |
復た次ぎに、道とは、八聖道分なり。城とは、涅槃なり。 |
復た次ぎに、
『道とは、八聖道分であり!』、
『城』とは、
『涅槃である!』。
|
|
|
|
|
如盲人雖有手足力。不能得隨意有所至。得有眼人示導。則隨意所往皆能成辦 |
盲人は、手足の力有りと雖も、随意に所至有るを得る能わず。有眼の人の示導を得れば、則ち随意に往く所は、皆、能く成辦するが如し。 |
譬えば、こうである、――
『盲人』は、
『手足』の、
『力』が、
『有ったとしても!』、
『随意に!』、
|
所至(しょし):到達された/達成された/到着した[時間内に]( Well reached or attained; Arrived ( in time))、梵語
saMpraapta, adhva- maarga, adhvaana- maarga, adhipreta, gati, niryuuhyate
等の訳。
成辦(じょうべん):成し遂げる/成就する( to achieve, accomplishment )。梵語 niSpatti, pariniSpatti, saMpaada )の訳。 |
|
|
|
五波羅蜜。雖各各有事。能不得般若示導。尚不得二乘。何況無上道。五波羅蜜。得般若波羅蜜將導故。得波羅蜜名字。至成佛道。 |
五波羅蜜は、各各に事能有りと雖も、般若の示導を得ずんば、尚お二乗をすら得ず、何に況んや、無上道をや。五波羅蜜は、般若波羅蜜の将導を得るが故に、波羅蜜の名字を得て、仏道を成ずるに至る。 |
『五波羅蜜』は、
各各に、
『事能が有る( having the ability of the work )!』が、
『般若波羅蜜の示導を得なければ( without the guidance of PrajnaP. )!』、
『二乗すら!』、
『得ることはない!』。
況して、
『無上道は!』、
『言うまでもない!』。
『五波羅蜜』は、
『般若波羅蜜』の、
『将導を得る( getting the help of PrajnaP. )!』が故に、
『波羅蜜の名字』を、
『得て!』、
『仏道』を、
『成就する!』に、
『至るのである!』。
|
事(じ):官職[government post]、政事/事務[post;duty, powers of office]、職業[occupation]、事情[matter,
thing, business, affair, job, work]、事業[achievements]、事故/事件[accident]、交媾/性交[intercourse]、情況/情勢[condition,
state]、侍奉/供奉[serve, wait upon]、做[作]/從事[be engaged in]、使用/役使[enslave]、奉行/遂行[pursue]、治理/辦理/処理/執行[administer]、任用/任命[appoint]。◯梵語
artha, bhaava, vastu 等の訳、事件/事物/実体/明白な現象/明瞭な現象( An event, a thing; an entity,
manifest phenomenon, distinct phenomenon )の義。◯梵語 dravya の訳、事物/物質( Matter,
substance )の義。◯梵語 sthaana の訳、情態/類型/種類/要因( A situation; type, kind, factor
)の義。◯梵語 upasthaana の訳、奉仕/奉持( service )の義。◯梵語 kriyaa の訳、作用/活動/動作( Function,
activity, motion )の義。◯領域/状態/条件/情勢( Realm, state, condition, scene )の義。◯華厳の教学に於いては、四法界(事法界、理法界、理事無礙法界、事事無礙法界)の一であり、無差別の原理である理に対し、個々の現象であるとして言及される(
In Huayan teaching, one of the four dharmadhātu, that of individual phenomena,
mentioned in contrast to the realm of undifferentiated principle 理 )。又梵語
kārya, kṛtya; , adhikaraṇa, abhyāsa, arthatā, arthâkāra, avakāśa, ākāra,
ākṛti, ātma-bhāva, ānuśaṃsa, ārambaṇa, ārambha, ārāgaṇa, ārādha, ālambana,
upadhi, upasthita, karaṇa, karaṇīya, karmatas, karman, karmânta, *kāra,
kāraṇā, kārā, kiṃcana, kṛta, kriyāvat, caryā, ceṣṭa, ceṣṭita, jñeya-vastu,
dravyaka, dharman, nikāya, nimitta, niṣevaṇa, paricaryā, paryupāsayati,
prakaraṇa, prakāra, prakṛti, praśna, bhāvita, yātrā, yukti, vastuka, vastu-śabda,
vidhāna, vidhi, viṣaya, vṛtta, vṛtti, vyāpṛti, saṃgati, sattva, saṃbhava,
sevat, sevā 等の訳。
能(のう):才能,能力[ability]、有能の人[a talented person]、功を作す能力[energy]、能の量的簡称[power]、能够[可能]、作す能力有るの意[can,
be able to, be capable of]。◯梵語 zakti の訳、可能/才能/能力( Can; capability, ability
)の義。◯梵語 saamarthya の訳、有能な/才能ある( Efficient, able, capable, talented )の義。◯才能/力/能力/作用/行動(
alent, power, ability. Function, activity )の義。◯巧みに( Skillfully, well, proficiently
)の義。◯客体的[所、客]に対する主体[主]、或いは主体的側面。 有る活躍、或いは作用の受領者ではなく、その主宰者をいう( Subject (主)
or subjective aspect as opposed to object(ive) (所, 客). The agent of a given
activity or function, rather than the recipient of such activity )。◯梵語
śakta, samartha, *anubhāva, alam, asaṃśaya, upagama, karmaṇya, kāma, *kāraka,
kuśala, kevalam, kriyā, kṣama, kṣamatva, *dakṣa, paṇḍita, parākrama, parikuśala,
pari-prâp(āp), pratibala, pravīṇa, bhavyatva, mahā-, yatnatas, yogyatā,
vṛtti, śakya, śakyate, *saṃbhava, saśakya, sidhyet 等の訳。 |
|
|
|
帝釋問。汝自說諸波羅蜜和合互相佐助。如四大不得相離。如是者。般若波羅蜜亦待五法。何以獨說以般若故五法得波羅蜜名字。 |
帝釈の問わく、『汝が、自ら説かく、諸の波羅蜜は和合し、互いに相佐助すること、四大の相離るるを得ざるが如しと。是の如くんば、般若波羅蜜も亦た五法を待たん。何を以ってか、独り、般若を以っての故に、五法は、波羅蜜の名字を得と説く』、と。 |
『帝釈』は、こう問うたのである、――
お前は、
自ら、こう説いた、――
『諸の波羅蜜』が、
『和合して!』、
『相佐助する( to help each other )!』のは、
譬えば、
『四大』が、
『相離れないようなものだ!』、と。
若し、
是の通りならば、
『般若波羅蜜』も、
『他の五法』を、
『待つことになる!』。
何故、
『独り( only )、般若を用いる!』が故に、
『五波羅蜜』は、
『波羅蜜の名字』を、
『得ることができるのか?』、と。
|
佐助(さじょ):幇助、支持。 |
|
|
|
答曰。雖六事和合互相佐助。但般若波羅蜜力大故。五法因得波羅蜜名字。譬如合散雖眾藥各各有力。石勢大故名為石散。又如大軍摧敵雖各各有力。主將力大故主得名字。 |
答えて曰く、六事和合して、互いに相佐助すと雖も、但だ般若波羅蜜の力の大なるが故に、五法は、因りて、波羅蜜の名字を得。譬えば散、合するに、衆薬、各各に力有りと雖も、石勢大なるが故に、名づけて石散と為すが如し。又大軍の敵を摧くに、各各力有りと雖も、主将の力大なるが故に、主、名字を得るが如し。 |
答え、
『六事』は、
『和合して!』、
『相佐助するのである!』が、
但だ、
『般若波羅蜜の力は大である!』が故に、
『五法は、般若に因って!』、
『波羅蜜の名字』を、
『得るのである!』。
譬えば、――
『散を合する( to blend some powdered medicines )!』のに、
『衆薬には、各各に力が有る!』が、
『石散の勢( the potential of mineral powder )』が、
『大である!』が故に、
是れを、
『石散』と、
『称するようなものである!』。
又、
『大軍が、敵を摧く!』時、
『各各に、力が有りながらも!』
『主将の力』が、
『大である!』が故に、
『主将』が、
『勝者の名字』を、
『得るようなものである!』。
|
|
|
|
|
舍利弗已問供養般若事。今問行者云何生般若波羅蜜。 |
舎利弗は已に、般若を供養する事を問えば、今問わく、『行者は、云何が般若波羅蜜を生ずる』、と。 |
『舎利弗』は、
已に、こう問うたので、――
『般若を供養する!』とは、
何のような、
『事なのか?』、と。
今、 こう問うたのである、――
『行者』は、
何のように、
『般若波羅蜜』を、
『生じさせるのか?』、と。
|
|
|
|
|
佛答若行者觀色等諸法不生相。是則生般若波羅蜜。 |
仏の答えたまわく、『若し、行者、色等の諸法に、不生の相を観れば、是れ則ち、般若波羅蜜を生ずるなり』、と。 |
『仏』は、 こう答えられた、――
若し、
『行者』が、
『色等の諸法』に、
『不生の相』を、
『観れば!』、
是れは、
『般若波羅蜜』を、
『生じたのである!』、と。
|
|
|
|
|
舍利弗復問。云何觀色等不生故。般若波羅蜜生。 |
舎利弗の復た問わく、『云何が、色等の不生を観ずるが故に、般若波羅蜜生ずる』、と。 |
『舎利弗』は復た、こう問うた、――
何故、
『色等は不生であると、観る!』が故に、
『般若波羅蜜』が、
『生じるのですか?』、と。
|
|
|
|
|
答曰。色等因緣和合起。行者知色虛妄不令起。不起故不生。不生故不得。不得故不失。 |
答えて曰く、『色等は、因縁和合して起る。行者、色の虚妄なるを知れば、起たしめず。起たざるが故に生ぜず、生ぜざるが故に得ず、得ざるが故に失わず』、と。 |
『仏は答えて!』、こう言われた、――
『色等』は、
『因縁が和合して!』、
『起される( to be raised )!』ので、
『行者』が、
『色は虚妄であると、知れば!』、
『色』を、
『起させず!』、
『色』は、
『起きない( do not arise )!』が故に、
『生じず( should not be born )!』、
『色』は、
『生じない!』が故に、
『得られることもなく( should not be obtained )!』、
『色』は、
『得られない!』が故に、
『失われることもない( should not be abandoned )!』。
|
|
|
|
|
爾時舍利弗問意。般若無生。緣處行者亦無生。如是般若與何法合。終歸何處住。得何果報。 |
爾の時、舎利弗の問意は、『般若に、生無くんば、縁処の行者も亦た生無し。是の如き般若は、何なる法と合して、終に何処に帰りて住し、何の果報をか得ん』、と。 |
爾の時の、
『舎利弗の問意』は、こうである、――
『般若が無生ならば!』、
『所縁の処( the place in where st./sb. were cognising )である!』、
『行者』も、
『無生である!』。
是のような、
『般若』が、
何のような、
『法』と、
『合することになり!』、
終には、
何のような、
『処に!』、
『帰って、住し!』、
何のような、
『果報』を、
『得るのか?』、と。
|
|
|
|
|
答曰。般若波羅蜜無生相故無所合。若般若波羅蜜有法合者。若善若不善等。是不名般若波羅蜜。今無所合故。入般若波羅蜜數中。 |
答えて曰く、『般若波羅蜜は、生相無きが故に、合する所無し。若し般若波羅蜜に有る法合せば、若しは善、若しは不善等なりとも、是れを般若波羅蜜と名づけず。今、合する所無きが故に、般若波羅蜜の数中に入る』、と。 |
『仏は答えて!』、こう言われた、――
『般若波羅蜜には!』、
『生相が無い!』が故に、
『合する!』所』が、
『無い!』。
若し、
『般若波羅蜜』に、
有る、
『法』が、
『合すれば!』、
是の、
『法』が、
『善であっても!』、
『不善等であっても!』、
是れを、
『般若波羅蜜』と、
『称することはない!』。
今、
是の、
『法』には、
『合する!』所が、
『無い!』が故に、
是れは、
『般若波羅蜜の数( the category of PrajnaP. )』中に、
『入るのである!』。
|
|
|
|
|
問曰。若爾者帝釋已知一切法不合。何以獨問薩婆若不合。 |
問うて曰く、若し爾らば、帝釈は已に一切法の合せざるを知る。何を以ってか、独り、薩婆若の合せざるを問える。 |
問い、
若し、爾うならば、
『帝釈』は、
已に、
『一切の法は、合しない!』と、
『知りながら!』、
何故、
独り、
『薩婆若と合しないことだけ!』を、
『問うたのですか?』。
|
|
|
|
|
答曰。帝釋貴重深著是般若。於薩婆若愛未斷故。言乃至薩婆若亦不合耶。佛答。般若波羅蜜薩婆若亦不合。一切法畢竟無生故。 |
答えて曰く、帝釈は、是の般若を貴ぶこと重く、深く著するも、薩婆若に於いては、愛の未だ断ぜざるが故に、言わく、『乃至薩婆若も、亦た合せざるや』、と。仏の答えたまわく、『般若波羅蜜は、薩婆若とも亦た合せず、一切の法は畢竟じて、生無きが故なり』、と。 |
答え、
『帝釈』は、
是の、
『般若』を、
『重く貴び!』、
『深く著している!』が、
『薩婆若』に於いては、
未だ、
『愛』が、
『断じられていない!』が故に、
こう言った、――
乃至、
『薩婆若とも!』、
『合しないのか?』、と。
『仏』は、 こう答えられた、――
『般若波羅蜜』が、
『一切の法』は、
即ち、
『畢竟じて!』、
『無生だからである!』、と。
|
|
|
|
|
此中佛破斷滅邪見故。說合般若波羅蜜。不如凡夫人取相著名作起有為法合。如佛心合。 |
此の中に、仏は、断滅の邪見を破せんが故に説きたまわく、『般若波羅蜜に合するは、凡夫人の相を取りて、名に著し、有為法を作起して、合するが如きにあらず、仏心の如く合するなり』、と。 |
此の中に、
『仏』は、
『断、滅』の、
『邪見』を、
『破ろうとされた!』が故に、
こう説かれたのである、――
『般若波羅蜜と合する!』とは、
『凡夫人が、薩婆若の相を取り、名に著し!』、
『有為法を作起して( conceiving a conditioned dharma )!』、
『般若波羅蜜』と、
『合するようなことではない!』。
『仏心のように!』、
『般若波羅蜜』と、
『合するのである!』。
|
|
|
|
|
問曰。云何如佛心合。 |
問うて曰く、云何が、仏心の如く合する。 |
問い、
何のように、
『仏心のように!』、
『合するのですか?』。
|
|
|
|
|
答曰。一切相虛誑故。不取相。一切法。中有無常等過咎故不受。吾我心縛著世間。皆動相故不住。能生種種苦惱。後變異故不著。一切世間顛倒。顛倒果報不實如幻如夢。無所滅故不斷。 |
答えて曰く、『一切の相は、虚誑なるが故に、相を取らず。一切の法中には、無常等の過咎有るが故に、受けず。吾我の心は、世間に縛著し、皆、動相なるが故に、住せず。能く種種の苦悩を生じて、後に変異するが故に、著せず。一切の世間は顛倒にして、顛倒の果報の不実なること、幻の如く、夢の如く、滅する所無きが故に、断ぜず。 |
答え、
『一切の相』は、
『虚誑である!』が故に、
『相』を、
『取らず!』、
『一切の法』中には、
『無常等の過咎が有る!』が故に、
『法』を、
『受けず!』、
『吾我の心は、世間に縛著する!』が、
『世間』は、
『皆、動相である!』が故に、
『住することなく!』、
『世間の楽』は、
『種種の苦悩を生じて!』、
『後に変異する!』が故に、
『著することなく!』、
『一切の世間は顛倒であり!』、
『顛倒の果報は不実で幻か、夢のようであり!』、
『滅する所が無い!』が故に、
『断じることもない!』。
|
|
|
|
|
是故佛不著法不生高心。入畢竟空善相中。深入大悲以救眾生。菩薩應如佛心合。 |
是の故に、仏は、法に著せず、高心を生ぜず、畢竟空の善相中に入り、深く大悲に入りて、以って衆生を救う。菩薩は、応に仏の心の如く合すべし』、と。 |
是の故に、
『仏』は、
『法に著すこともなく!』、
『高心』を、
『生じることもなく!』、
『畢竟空という!』、
『善相』中に、
『入って!』、
『深く、入った!』、
『大悲を用いて!』、
『衆生を救われる!』ので、
『菩薩』は、
『仏心のように!』、
『一切法』と、
『合しなければならないのである!』。
|
高心(こうしん):梵語 cittasamunnati の訳、傲慢/高慢( pride of heart, haughtiness )、尊大/自負心/うぬぼれ( conceit, arrogance )の義。 |
|
|
|
帝釋歡喜讚言希有。是般若波羅蜜。不破壞諸法。不生不得不失故。而能成就菩薩。令得至佛。 |
帝釈は、歓喜して讃じて言わく、『希有なり。是の般若波羅蜜は、諸法を破壊せず、不生、不得、不失なるが故に、而も能く菩薩を成就して、仏に至るを得しむ』、と。 |
『帝釈は歓喜しながら!』、
『般若波羅蜜を讃じて!』、こう言った、――
希有である!
是の、
『般若波羅蜜』が、
『諸法を破壊しない!』のは、
『諸法』が、
『不生、不得、不失だからである!』が、
而も、
『菩薩を成就して!』、
『仏』に、
『至らせることができるのである!』、と。
|
|
|
|
|
須菩提言。若菩薩用有所得。如是分別一切智等一切法若合若不合。是菩薩則失般若波羅蜜。 |
須菩提の言わく、『若し菩薩、有所得を用って、是の如く、一切智等の一切法の若しは合、若しは不合を分別せば、是の菩薩は、則ち般若波羅蜜を失わん』、と。 |
『須菩提』は、 こう言った、――
若し、
『菩薩』が、
『有所得の心を用いて!』、
是のように、
『一切智等の一切法が!』、
『合するとか、合しないとか!』、
『分別すれば!』、
是の、
『菩薩』は、
『般若波羅蜜』を、
『失うことになるだろう!』、と。
|
|
|
|
|
佛然可其言如是。更有因緣。菩薩若取汝所說。一切法無合不合取是空相。言般若空無所有不牢固。是亦失般若波羅蜜。 |
仏は、其の言を然可したまわく、『是の如し。更に因縁有り、菩薩は、若し汝が所説の、一切法に合、不合無きを取らば、是の空相を取りて、般若は空、無所有にして、牢固ならずと言わん。是れも亦た、般若波羅蜜を失うなり』、と。 |
『仏』は、
其の、
『言を然可された( agreeing his word )』、――
その通りだ!が、
更に、
『因縁』が、
『有る!』。
『菩薩』が、
若し、
『一切法には合も、不合も無いという!』、
お前の、
『所説を取り!』、
是の、
『空相』を、
『取る!』が故に、
こう言えば、――
『般若波羅蜜』は、
『空であり、無所有であり!』、
『牢固でない!』、と。
是れも、
『般若波羅蜜』を、
『失うことになるのである!』、と。
|
然可(ねんか):同意。応許。允許。その通りだと同意して許す。 |
|
|
|
須菩提知般若波羅蜜不可得相。是故問。若信般若波羅蜜。信何法。般若波羅蜜空亦不可得。為決定心信於何法。 |
須菩提は、般若波羅蜜の不可得の相を知り、是の故に問わく、『若し、般若波羅蜜を信ぜば、何なる法をか信ぜん。般若波羅蜜は、空なれば、亦た不可得なり。決定心は、何なる法をか、信ずると為すや』、と。 |
『須菩提』は、
『般若波羅蜜』の、
『不可得の相』を、
『知り!』、
是の故に、こう問うた、――
若し、
『般若波羅蜜を信じれば!』、
何のような、
『法』を、
『信じたことになりますか?』。
『般若波羅蜜は、空である!』が故に、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『不可得である( be unrecognizable )!』のに、
『決定心』は、
|
|
|
|
|
佛言色等一切法不可信。何以故。色等一切法自性不可得故。不可信 |
仏の言わく、『色等の一切の法は、信ずべからず。何を以っての故に、色等の一切の法は、自性不可得なるが故に、信ずべからず』、と。 |
『仏』は、 こう言われた、――
『色』等の、
『一切の法』は、
『信じることができない!』。
何故ならば、
『色等の一切の法』は、
『自性を得られない( cannot obtain their natures )!』が故に、
『信じることができないからである!』、と。
|
|
|
|
|