【經】復次求佛道善男子善女人。行般若波羅蜜時。諸善根應如是迴向。 |
復た次ぎに、仏道を求むる善男子、善女人は、般若波羅蜜を行ずる時、諸の善根を応に是の如く迴向すべし。 |
復た次ぎに、
『仏道を求める!』、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を行ずる!』時、
是のように、
『諸の善根』を、
『迴向せねばならない!』。
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参考:『大般若経巻170』:『復次大士。住菩薩乘諸善男子善女人等。修行般若波羅蜜多。於諸如來應正等覺及弟子等功德善根。應作如是隨喜迴向。如色不墮欲界色界無色界。既不墮三界則非過去未來現在。隨喜迴向亦應如是。如受想行識不墮欲界色界無色界。既不墮三界則非過去未來現在。隨喜迴向亦應如是。‥‥若菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多。如實知身界不墮欲界色界無色界。如實知觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受不墮欲界色界無色界。若俱不墮三界則非過去未來現在。若非三世則不可以彼有相為方便。有所得為方便。發生隨喜迴向無上正等菩提。何以故。以身界等法自性不生。若法不生則無所有。不可以彼無所有法。隨喜迴向無所有故。若菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多。如實知意界不墮欲界色界無色界。如實知法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受不墮欲界色界無色界。若俱不墮三界則非過去未來現在。若非三世則不可以彼有相為方便。有所得為方便。發生隨喜迴向無上正等菩提。何以故。以意界等法自性不生。若法不生則無所有。不可以彼無所有法。隨喜迴向無所有故』 |
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如色不繫欲界。不繫色界。不繫無色界。不繫法者。不名過去。不名未來不名現在。如受想行識。不繫欲界不繫色界。不繫無色界。不繫法者。不名過去未來現在。十二入十八界亦如是。 |
色の如き、欲界に繋(つな)がれず、色界に繋がれず、無色界に繋がれざれば、不繋の法は、過去と名づけず、未来と名づけず、現在と名づけず。如し受想行識、欲界に繋がれず、色界に繋がれず、無色界に繋がれず、法に繋がれずんば、過去、未来、現在と名づけず。十二入、十八界も亦た、是の如し。 |
例えば、
『色など!』は、
『欲界にも、色界にも、無色界にも!』、
『繋がれず( to be not tied )!』、
『不繋の法( a dharma being not tied )』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
『受想行識など!』は、
『欲界にも、色界にも、無色界にも!』、
『繋がれず!』、
『不繋の法』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
亦た、
『十二入、十八界』も、
『是の通りである!』。
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繋(け):[牛/馬が]つながれる。結ばれた/つながれた/付属させられる( to be tied, to be tethered, attached
)、結び目/きずな( knots )。梵語 grantha の訳、結びつける( tying, binding, stringing together
)の義、阿毘達磨、亦たは唯識の論書に於いては、一般的に煩悩の隠喩として使用されるのが見られ、縛と意味が類似している(In Abhidharma
and Yogâcāra texts, commonly seen used as a metaphor for affliction , close
in meaning to 縛( Skt. bandhana )。『大智度論巻7上注:界繋、同巻8下注:繋』参照。
不繋(ふけ):自由にされた/釈放された( unvettered )、煩悩によって縛られていない( not bound by affliction
)、梵語 apratisaMyukta の訳。 註:繋( grantha )の対語なる、束縛から解放されたの意の梵語 nirgrantha は謂わゆる尼乾子外道、即ち
離繋外道/裸形外道 を指すが故に敢て避くる所となすが如し。 |
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如般若波羅蜜。不繫欲界。不繫色界不繫無色界。不繫法者。不名過去未來現在。禪波羅蜜乃至檀波羅蜜亦如是。內空乃至無法有法空亦如是。 |
般若波羅蜜の如きは、欲界に繋がれず、色界に繋がれず、無色界に繋がれざれば、不繋の法は、過去、未来、現在と名づけず。禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜も亦た是の如く、内空、乃至無法有法空も亦た是の如し。 |
例えば、
『般若波羅蜜など!』は、
『欲界にも、色界にも、無色界にも!』、
『繋がれず!』、
『不繋の法』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
亦た、
『禅、乃至般若波羅蜜や、内空、乃至無法有法空も!』、
『是の通りである!』。
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如四念處。不繫欲界。不繫色界。不繫無色界。不繫法者。不名過去未來現在。乃至八聖道分亦如是。佛十力乃至十八不共法亦如是。 |
四念処の如きは、欲界に繋がれず、色界に繋がれず、無色界に繋がれざれば、不繋の法は、過去、未来、現在と名づけず。乃至八聖道分も亦た是の如く、仏の十力、乃至十八不共法も亦た是の如し。 |
例えば、
『四念処など!』は、
『欲界にも、色界にも、無色界にも!』、
『繋がれず!』、
『不繋の法』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
亦た、
『乃至八聖道分や、仏の十力、乃至十八不共法も!』、
『是の通りである!』。
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如如法性法相法住法位實際不可思議性。戒定慧解脫解脫知見眾。一切種智無錯謬法常捨行。不繫欲界。不繫色界。不繫無色界。不繫法者。不名過去未來現在。 |
如、法性、法相、法住、法位、実際、不可思議性、戒、定、慧、解脱、解脱知見衆、一切種智、無錯謬の法、常捨の行の如きは、欲界に繋がれず、色界に繋がれず、無色界に繋がれざれば、不繋の法は、過去、未来、現在と名づけず。 |
例えば、
『如、法性、法相、法住、法位、実際、不可思議性や!』
『戒、定、慧、解脱、解脱知見衆、一切種智や、無錯謬の法、常捨行など!』は、
『欲界にも、色界にも、無色界にも!』、
『繋がれず!』、
『不繋の法』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
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是迴向所迴向處。行者不繫皆亦如是。如是諸佛亦不繫。諸善根亦不繫。是諸聲聞辟支佛善根亦不繫。不繫法者。不名過去未來現在。 |
是の迴向、迴向する所の処、行者の不繋なることも、皆、亦た是の如し。是の如く、諸仏も亦た不繋なり、諸の善根も亦た不繋なり、是の諸の声聞、辟支仏の善根も亦た不繋なれば、不繋の法は過去、未来、現在と名づけず。 |
是の、
『迴向や、迴向される処や、行者が不繋である!』のは、
皆、
亦た、
『是の通りである!』。
是のように、
『諸仏や、諸善根も不繋であり!』、
是の、
『諸の声聞、辟支仏の善根も!』、
『不繋であり!』、
『不繋の法』が、
『過去や、未来や、現在と!』、
『呼ばれることはない!』。
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若菩薩摩訶薩。行般若波羅蜜時。如是知色不繫三界。不繫法者。不名過去未來現在。若法不過去未來現在者。不可以取相有所得法迴向阿耨多羅三藐三菩提。何以故。是色無生。若法無生則無法。無法中不可迴向。受想行識亦如是。 |
若し菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ずる時、是の如く、色の三界に不繋にして、不繋の法を、過去、未来、現在と名づけずと知れば、若し法が、過去、未来、現在にあらざれば、相を取りて得る所の有る法を以って、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すべからず。何を以っての故に、是の色は無生なればなり。若し法にして無生なれば、則ち無法なり。無法中には迴向すべからず。受想行識も亦た是の如し。 |
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜を行う!』時、
是のように、
『色は、三界に繋がれず!』、
『不繋の法』が、
『過去、未来、現在と呼ばれない!』と、
『知れば!』、
若し、
『法が過去でも、未来でも、現在でもなければ!』、
『相を取って、得た!』所の、
有る、
『法を用いて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向できるはずがない!』。
何故ならば、
若し、
『法が無生ならば!』、
則ち、
『法』は、
『無いことになり!』、
『無法』中には、
『法を、法に!』、
『迴向できるはずがない!』。
亦た、
『受想行識も!』、
『是の通りである!』。
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檀波羅蜜乃至般若波羅蜜四念處乃至無錯謬法常捨行。不繫三界。不繫法者。亦非過去未來現在。若非過去未來現在法者。不可以取相有所得法迴向阿耨多羅三藐三菩提。何以故是法無生。若法無生則無法。無法中不可迴向。菩薩摩訶薩。如是迴向則無雜毒。 |
檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜、四念処、乃至無錯謬の法、常捨の行は、三界に繋がれざれば、不繋の法は、亦た過去、未来、現在に非ず。若し過去、未来、現在の法に非ざれば、相を取りて、得る所の有る法を以って、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すべからず。何を以っての故に、是の法は無生なればなり。若し法に生無ければ、則ち法無し。無法中には迴向すべからず。菩薩摩訶薩は、是の如く迴向すれば、則ち毒を雑うること無し。 |
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜、四念処、乃至無錯謬の法、常捨の行』も、
『三界に繋がれず!』、
『不繋の法』は、
亦た、
『過去、未来、現在ではない!』。
若し、
『過去、未来、現在の法でなければ!』、
『相を取って、得た!』所の、
有る、
『法を用いて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向できるはずがない!』。
何故ならば、
若し、
『法が無生ならば!』、
則ち、
『法』は、
『無いことになり!』、
『無法』中には、
『法を、法に!』、
『迴向できるはずがない!』。
『菩薩摩訶薩』が、
是のように、
『迴向すれば!』、
則ち、
『毒を雑えること!』は、
『無い!』。
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若求佛道善男子善女人。以取相得法。以諸善根。迴向阿耨多羅三藐三菩提。是名邪迴向。 |
若し、仏道を求むる善男子、善女人、取相を以って、法を得、諸の善根を以って、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば、是れを邪迴向と名づく。 |
若し、
『仏道を求める!』、
『善男子、善女人』が、
『相を取って!』、
『法』を、
『得ながら!』、
『諸の善根』を、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『迴向すれば!』、
是れを、
『邪な迴向』と、
『称する!』。
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若邪迴向諸佛所不稱譽。用是邪迴向。不能具足檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。不能具足四念處乃至八聖道分內空乃至無法有法空佛十力乃至無錯謬法常捨行。不能具足淨佛世界成就眾生。若不能淨佛世界成就眾生。則不能得阿耨多羅三藐三菩提。何以故。是迴向雜毒故。 |
若し邪迴向なれば、諸仏の称誉せざる所なり。是の邪迴向を用いては、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜を具足する能わず、四念処、乃至八聖道分、内空、乃至無法有法空、仏の十力、乃至無錯謬の法、常捨の行を具足する能わず、仏の世界を浄めて、衆生を成就する能わず、若し、仏の世界を浄めて、衆生を成就すること能わざれば、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得る能わず。何を以っての故に、是の迴向には、毒を雑うるが故なり。 |
若し、
『邪な迴向ならば!』、
『諸仏』に、
『称誉されることはない!』ので、
是の、
『迴向を用いて!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜や!』、
『四念処、乃至八聖道分や!』、
『内空、乃至無法有法空や!』、
『仏の十力、乃至無錯謬の法、常捨行を!』、
『具足することができず!』、
若しくは、
『仏世界を浄めて!』、
『衆生を成就すること!』を、
『具足することができない!』ので、
則ち、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることができないのである!』。
何故ならば、
是の、
『迴向』には、
『毒を雑えているからである!』。
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復次菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。應作是念。如諸佛所知諸善根迴向是真迴向。我亦應以是法相迴向。是名正迴向。 |
復た次ぎに、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ずる時、応に是の念を作すべし、『諸仏の知りたもう所の如き、諸の善根の迴向は、是れ真の迴向なり。我れも亦た、応に是の法相を以って迴向すべし』、と。
是れを正迴向と名づく。 |
復た次ぎに、
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜を行う!』時、こう念じねばならない、――
『諸仏の所知のような( as that being well known by Buddhas )!』、
『諸の善根の迴向』は、
『真の( true )!』、
『迴向であり!』、
わたしも、
是の、
『法相を用いて!』、
『迴向せねばならない!』、と。
是れを、
『正しい迴向』と、
『称する!』。
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爾時佛讚須菩提。善哉善哉。如汝所為為作。佛事。為諸菩薩摩訶薩。說所應迴向法。以無相無得無出無垢。無淨無法性自相空常性空法性如實際故。 |
爾の時、仏の須菩提を讃じたまわく、『善い哉、善い哉、汝の為す所の如きを、仏事を作すと為す。諸の菩薩摩訶薩の為めに説ける、所応の迴向法は、無相、無得、無出、無垢、無浄、無法性、自相空、常性空なる法性、如、実際なるを以っての故なり。 |
爾の時、
『仏』は、
『須菩提』を、こう讃じられた、――
善いぞ!
善いぞ!
お前の、
『為す所( that is done )』は、
『仏事』を、
『作したことになる!』。
お前は、
『諸の菩薩摩訶薩の為に!』、
『所応の迴向法を!
( the appropriate manner of the merit-transferring )』、
『説いた!』が、
是の、
『法』は、
『無相、無得、無出、無垢、無浄、無法性、自相空、常性空の!』、
『法性、如、実際だからである!』。
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所応(しょおう):◯所応作、梵語 karaNiiya の訳、作すべき( to be done )の義。◯梵語 samaayukta の訳、結合/連結/統一された(
joined, connected, united )の義、相応しい( be appropriate )の意。 |
参考:『大般若経巻171』:『爾時世尊讚具壽善現言。善哉善哉。善現。汝今已為佛所作事。謂為菩薩摩訶薩等。善說無倒隨喜迴向。如是所說隨喜迴向以無相為方便。無所得為方便。無生為方便。無滅為方便。無染為方便。無淨為方便。無性自性為方便。自相空為方便。自性空為方便。真如為方便。法界為方便。法性為方便。不虛妄性為方便。實際為方便故。善現。假使三千大千世界一切有情。皆得成就十善業道四靜慮四無量四無色定五神通。於汝意云何。是諸有情功德多不。善現答言。甚多世尊。甚多善逝。佛言。善現。若善男子善女人等。於諸如來應正等覺及弟子等功德善根。起無染著隨喜迴向。所獲功德甚多於前。善現。是善男子善女人等。所起如是隨喜迴向。為最為勝為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等』 |
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須菩提。若三千大千世界中眾生。皆當得十善道四禪四無量心四無色定五神通。於須菩提意云何。是眾生得福多不。甚多世尊。佛言。不如是。善男子善女人於諸善根心不著。迴向阿耨多羅三藐三菩提。最上第一最妙無上無與等。 |
『須菩提、若しは三千大千世界中の衆生は、皆、当に十善道、四禅、四無量心、四無色定、五神通を得べけん。須菩提の意に於いては云何』。『是の衆生の得る福は多しや不や。甚だ多し、世尊』。仏の言わく、『是の善男子、善女人の、諸の善根に於いて、心著せずして、阿耨多羅三藐三菩提に迴向することの、最上、第一、最妙、無上、無与等なるには如かず。 |
須菩提!
若し、
『三千大千世界中の衆生』が、
皆、
『十善道、四禅、四無量心、四無色定、五神通』を、
『得るはずだとすれば!』、
須菩提!
お前の、
『意』には、何うなのか?――
是の、
『衆生の得られる!』
『福は多いだろうか?』。
――
『甚だ多い!』。
世尊!
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『諸の善根に著さない!』、
『心』で、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』には、
『及ばない!』、
是の、
『迴向』は、
『最上、第一、最妙、無上、無与等だからである!』。
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復次須菩提。若三千大千世界中眾生。皆當作須陀洹乃至阿羅漢辟支佛。若有善男子善女人。盡形壽供養恭敬尊重讚歎。衣服飲食臥具醫藥供給所須。於須菩提意云何。是善男子善女人。是因緣故得福德多不。甚多世尊。佛言。不如是。善男子善女人。於諸善根心不著。迴向阿耨多羅三藐三菩提。最上第一最妙無上無與等。 |
『復た次ぎに、須菩提、若し三千大千世界中の衆生は、皆、当に須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏と作るべくして、若し有る善男子、善女人、形寿を尽くして、供養、恭敬、尊重、讃歎して、衣服、飲食、臥具、医薬の須うる所を供給せん。須菩提の意に於いて云何、是の善男子、善女人の、是の因縁の故に得る福徳は多しや不や』。『甚だ多し、世尊』。仏の言わく、『是の善男子、善女人の、諸の善根に於いて、心著せずして、阿耨多羅三藐三菩提に迴向することの、最上、第一、最妙、無上、無与等なるには如かず。 |
復た次ぎに、
須菩提!
若し、
『三千大千世界中の衆生』が、
皆、
『須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏に!』、
『作るはずだとして!』、
若し、
『有る善男子、善女人』が、
『形寿を尽くして( till the end of one's life )!』、
是の、
『須陀洹等を供養、恭敬、尊重、讃歎し!』、
『衣服、飲食、臥具、医薬や!』、
『所須( that is necessary )を!』、
『供給すれば!』、
『須菩提の意』には、何うなのか?――
是の、
『善男子、善女人』が、
是の、
『因縁の故に得られる!』、
『福徳は多いだろうか?』。
――
『甚だ多い!』。
世尊!
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『諸の善根に著さない!』、
『心』で、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』には、
『及ばない!』、
是の、
『迴向』は、
『最上、第一、最妙、無上、無与等だからである!』。
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尽形寿(じんぎょうじゅ):梵語 yaavad- aayuS- paryavasaanam の訳、一生涯にわたり( till the end of one's
life )の義。 |
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復次須菩提。若三千大千世界中眾生。皆發阿耨多羅三藐三菩提心。十方如恒河沙等世界中一一眾生。如恒河沙等劫。恭敬尊重讚歎供養是菩薩。衣服飲食臥具醫藥供給所須。於須菩提意云何。是善男子善女人。是因緣故得福多不。甚多世尊。無量無邊阿僧祇不可以譬喻為比。世尊。若是福德有形者。十方如恒河沙。等世界所不受。 |
復た次ぎに、須菩提、若し三千大千世界中の衆生、皆、阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、十方の恒河沙に等しきが如き世界中の一一の衆生、恒河沙に等しきが如き劫、是の菩薩を恭敬、尊重、讃歎、供養し、衣服、飲食、臥具、医薬の須うる所を供給せん。須菩提の意に於いて云何、是の善男子、善女人の、是の因縁の故に得る福は多しや不や。甚だ多し、世尊。無量、無辺、阿僧祇の譬喩を以ってしても、比と為すべからず。世尊、若し、是の福徳に、形有らば、十方の恒河沙に等しきが如き、世界にも受けざる所なり。 |
復た次ぎに、
須菩提!
若し、
『三千大千世界中の衆生』が、
皆、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を!』、
『発して!』、
『十方の恒河沙に等しいほどの世界』中の、
『一一の衆生』が、
『恒河沙に等しいほどの劫』、
是の、
『菩薩を恭敬、尊重、讃歎、供養し!』、
『衣服、飲食、臥具、医薬や!』、
『所須を!』、
『供給すれば!』、
『須菩提の意』には、何うなのか?――
是の、
『善男子、善女人』が、
是の、
『因縁の故に得られる!』、
『福は多いだろうか?』。
――
『甚だ多い!』。
世尊!
是の、
『福は無量、無辺、阿僧祇であり!』、
『譬喻を用いて!』、
『比べることはできない!』。
世尊!
若し、
是の、
『福に、形が有れば!』、
『十方の恒河沙に等しいほどの世界には!』、
『受けることができません!』。
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佛告須菩提。善哉善哉。如汝所言。雖爾不如善男子善女人於諸善根心不著迴向阿耨多羅三藐三菩提。最上第一最妙無上無與等。是無著迴向功德。比前功德。百倍千倍百千億倍。乃至算數譬喻所不能及。 |
仏の須菩提に告げたまわく、『善い哉、善い哉、汝が言う所の如し。爾りと雖も、善男子、善女人の、諸の善根に於いて、心著せずして、阿耨多羅三藐三菩提に迴向するの最上、第一、最妙、無上、無与等なるには如かず。是の無著の迴向の功徳は、前の功徳に比して、百倍、千倍、百千億倍、乃至算数譬喩の、及ぶ能わざる所なり。 |
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
善いぞ!
善いぞ!
お前が言う通りだとしても、――
『善男子、善女人』が、
『諸の善根に著さない!』、
『心』で、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』には、
『及ばない!』、
是の、
『迴向』は、
『最上、第一、最妙、無上、無与等だからである!』。
是の、
『無著の迴向の功徳』を、
『前の功徳に比べれば!』、
『百倍、千倍、百千億倍であり!』、
乃至、
『算数や、譬喻には!』、
『及ぶことのできない所である!』。
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何以故。是善男子善女人。取相得法行十善道四禪四無量心四無色定五神通。取相得法供養須陀洹。恭敬尊重讚歎。衣服飲食臥具醫藥供給所須。乃至取相供養菩薩故。 |
何を以っての故に、是の善男子、善女人は相を取り、法を得て、十善道、四禅、四無量心、四無色定、五神通を行じ、相を取り、法を得て、須陀洹を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、衣服、飲食、臥具、医薬の須むる所を供給し、乃至相を取りて、菩薩を供養するが故なり。 |
何故ならば、
是の、
『善男子、善女人』は、
『相を取って、法を得ながら!』、
『十善道、四禅、四無量心、四無色定、五神通』を、
『行い!』、
『相を取って、法を得ながら!』、
『須陀洹を供養、恭敬、尊重、讃歎し!』、
『衣服、飲食、臥具、医薬や!』、
『所須を!』、
『供給し!』、
乃至、
『相を取って!』、
『菩薩』を、
『供養するからである!』。
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爾時四天王天與二萬諸天子。合掌禮佛作是言。世尊。菩薩摩訶薩最大迴向。以方便力故。以無所得故。以無相法故。以無覺法故。諸善根迴向阿耨多羅三藐三菩提如是迴向不墮二法。 |
爾の時、四天王天と二万の諸の天子は合掌して、仏を礼し、是の言を作さく、『世尊、菩薩摩訶薩の最大の迴向は、方便力を以っての故に、無所得を以っての故に、無相の法を以っての故に、無覚の法を以っての故に、諸の善根を、阿耨多羅三藐三菩提に迴向するも、是の如き迴向は、二法に堕せず』、と。 |
爾の時、
『四天王天と二万の諸天子は合掌して!』、
『仏を礼する!』と、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』の、
『最大の迴向』は、
『方便力を用いる!』が故に、
『無所得を用いる!』が故に、
『無相法を用いる!』が故に、
『無覚法を用いる!』が故に、
『諸の善根』を、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』ので、
是のような、
『迴向』は、
『二法』に、
『堕ちることがないのです!』、と。
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参考:『大般若経巻171』:『爾時四大天王與其眷屬二萬天子俱。踊躍歡喜便起合掌。頂禮佛足白言。世尊。如是菩薩摩訶薩乃能發起如是廣大隨喜迴向。謂彼菩薩摩訶薩方便善巧。以無相為方便。無所得為方便。無染著為方便。無思作為方便。於諸如來應正等覺及弟子等功德善根。發生隨喜迴向無上正等菩提。如是所起隨喜迴向。不墮二法不二法中。』 |
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爾時釋提桓因。亦與無數三十三天及餘諸天子。持天華瓔珞擣香澤香天衣幡蓋鼓天伎樂。以供養佛。作如是言。世尊。菩薩摩訶薩最大迴向。以方便力故。以無所得故。以無相法故。以無覺法故。諸善根迴向阿耨多羅三藐三菩提。如是迴向不墮二法。 |
爾の時、釈提桓因も、亦た無数の三十三天、及び余の諸天子と与に、天華、瓔珞、擣香、沢香、天衣、幡蓋を持ち、天の伎楽を鼓して、以って仏を供養し、是の如き言を作さく、『世尊、菩薩摩訶薩の最大の迴向は、方便力を以っての故に、無所得を以っての故に、無相の法を以っての故に、無覚の法を以っての故に、諸の善根を阿耨多羅三藐三菩提に迴向するも、是の如き迴向は二法に堕せず』、と。 |
爾の時、
『釈提桓因』も、
『無数の三十三天、餘の諸天子と与に!』、
『天華、瓔珞、擣香、沢香、天衣、幡蓋を持ち!』、
『天の伎楽を鼓( う)ちながら!』、
『仏』を、
『供養する!』と、
こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩の最大の迴向』は、
『方便力を用いる!』が故に、
『無所得を用いる!』が故に、
『無相法を用いる!』が故に、
『無覚法を用いる!』が故に、
『諸の善根』を、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』ので、
是のような、
『迴向』は、
『二法』に、
『堕ちることがないのです!』、と。
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須夜摩天王與千天子。刪兜率陀化樂他化自在諸天王。各與千天子俱。供養佛已。作如是言。世尊。菩薩摩訶薩最大迴向。以方便力故。以無所得故。以無相法故。以無覺法故。諸善根迴向阿耨多羅三藐三菩提。如是迴向不墮二法。 |
須夜摩天王は、千天子と与に、刪兜率陀、化楽、他化自在の諸の天王は、各千天子と倶に、仏を供養し已りて、是の如き言を作さく、『世尊、菩薩摩訶薩の最大の迴向は、方便力を以っての故に、無所得を以っての故に、無相の法を以っての故に、無覚の法を以っての故に、諸の善根を阿耨多羅三藐三菩提に迴向するも、是の如き迴向は二法に堕せず』、と。 |
『須夜摩天王は、千天子と与に!』、
『刪兜率陀、化楽、他化自在の諸天王は、各千天子と与に!』、
『仏を供養する!』と、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩の最大の迴向』は、
『方便力を用いる!』が故に、
『無所得を用いる!』が故に、
『無相法を用いる!』が故に、
『無覚法を用いる!』が故に、
『諸の善根』を、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向する!』ので、
是のような、
『迴向』は、
『二法』に、
『堕ちることがないのです!』、と。
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爾時諸梵天王。與無數百千億那由他諸天俱。詣佛所頭面禮佛足。發大音聲作如是言。未曾有也。世尊。菩薩摩訶薩為般若波羅蜜所護。以方便力故。勝前善男子善女人取相有所得者。 |
爾の時、諸の梵天王は、無数百千億那由他の諸天と倶に、仏所に詣でて、頭面に仏足を礼し、大音声を発して、是の如き言を作さく、『未曽有なり、世尊。菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜に護られ、方便力を以っての故に、前の善男子、善女人の相を取りて、所得有る者に勝る』、と。 |
爾の時、
『諸梵天王は、無数百千億那由他の諸天と倶に!』、
『仏所に詣り!』、
『頭面』に、
『仏の足を礼する!』と、
『大音声を発して!』、こう言った、――
未曽有です!
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜に護られ、方便力を用いる!』が故に、
前の、
『取相、有所得の善男子、善女人に!』、
『勝ります!』、と。
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光音天乃至阿迦尼吒天。與無數百千億那由他諸天俱。詣佛所頭面禮佛足。發大音聲作如是言。未曾有也。世尊。菩薩摩訶薩為般若波羅蜜所護。以方便力故。勝前善男子善女人取相有所得者。 |
光音天、乃至阿迦尼吒天は、無数、百千億、那由他の諸天と倶に、仏所に詣でて、頭面に仏足を礼し、大音声を発して、是の如き言を作さく、『未曽有なり、世尊。菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜に護られて、方便力を以っての故に、前の善男子、善女人の相を取りて、所得有る者に勝る』、と。 |
『光音天、乃至阿迦尼吒天は、無数百千億那由他の諸天と倶に!』、
『仏所に詣り!』、
『頭面』に、
『仏の足を礼する!』と、
『大音声を発して!』、こう言った、――
未曽有です!
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜に護られ、方便力を用いる!』が故に、
前の、
『取相、有所得の善男子、善女人に!』、
『勝ります!』、と。
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爾時佛告四天王天乃至阿迦尼吒諸天子。若三千大千世界中所有眾生。皆發阿耨多羅三藐三菩提心。是一切菩薩。念過去未來現在諸佛及聲聞辟支佛諸善根。從初發意乃至法住。於其中間所有善根。并餘一切眾生所有善根。所謂布施持戒忍辱精進一心智慧。檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。戒眾定眾慧眾解脫眾解脫知見眾。如是等諸餘無量佛法一切和合隨喜。隨喜已迴向阿耨多羅三藐三菩提。以取相有所得故。 |
爾の時、仏の、四天王天、乃至阿迦尼吒の諸天子に告げたまわく、『若し、三千大千世界中の有らゆる衆生が、皆、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さば、是の一切の菩薩は、過去、未来、現在の諸仏、及び声聞、辟支仏の諸善根と、初発意より、乃至法住まで、其の中間に於ける有らゆる善根、並びに一切の衆生の有らゆる善根、謂わゆる布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜、戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆を念じ、是の如き等の諸余の無量の仏法の一切を和合して随喜し、随喜し已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向せん。相を取り、得る所有るを以っての故なり。 |
爾の時、
『仏』は、
『四天王天、乃至阿迦尼吒の諸天子』に、こう告げられた、――
若し、
『三千大千世界』中の、
有らゆる、
『衆生』が、
皆、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発して!』、
是の、
『一切の菩薩』が、
『過去、未来、現在の諸仏と声聞、辟支仏の諸善根や!』、
『初発意、乃至法住の中間の、有らゆる善根や!』、
『餘の一切の衆生の、有らゆる善根』、
謂わゆる、
『布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧や!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜や!』、
『戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆を!』、
『念じながら!』、
是れ等のような、
『餘の無量の仏法』の、
『一切を和合して!』、
『随喜し!』、
『随喜したならば!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『迴向したとしても!』、
『相を取って!』、
『所得』が、
『有るのですから!』、‥‥
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法住(ほうじゅう):◯法が留まる( dharma abiding )、法の住居( dharma abode )、法中に留まる( to abide
in the Dharma )。梵語 dharma- sthiti, dharma- sthititaa の訳、法が真直ぐ/堅固に/倒れずに立つ(
standing upright or firmly, not falling )、法が立つ/留まる/居住/逗留する( standing, staying,
remaining, abiding, stay, residence, sojourn in or on or at )等の義。◯実相 [如]
が、有らゆる事物中に留まる( thusness abiding in all things )、又は有らゆる事物の住居としての実相( or,
thusness as the abode of all things )の意。◯術語 [法住] の定義を正確に言葉にする難しさは、その術語が内部と外部の事物の間で揺れ動くという事実に関連している。何故ならば、非永続性[従属的な生起]と、如[実相]とが、有らゆる法中に常住しているからであり、それを法住と呼びうるからである(
The difficulty in precision in the wording of the definition is related
to the fact that the term 法住 oscillates between something inside and outside
things. Because impermanence/ dependent arising/ thusness abides 住 constantly
in all things 法, it can be called dharma- abiding )。一方、それは、有らゆる現象がその中に留まるような、有らゆる法の住居とも考えられる(On
the other hand it can be taken as the abode of all dharma as all phenomena
abide in it )。◯同様の曖昧さは、如来蔵[人心は皆如来の種子を隠蔵する蔵/子宮の意]という術語中にも付きまとう、――(子宮(周囲)という如来なのか、又は如来の胎芽(内部)なのか)(
A similar ambivalence 'abides' in (or haunts) the term tathāgatagarbha
(the womb (around) tathāgata or the embryo of tathāgata (inside)) )。◯正当な大乗に於いては、寧ろ 「有らゆる事物に住するような、如[実相]として、法住を捉えているように見える(
Orthodox Mahāyāna seems to take 法住 rather as 'the thusness (as) abiding
in all things.' )。 |
参考:『大般若経巻171』:『爾時佛告四大王眾天三十三天夜摩天睹史多天樂變化天他化自在天梵眾天梵輔天梵會天大梵天光天少光天無量光天極光淨天淨天少淨天無量淨天遍淨天廣天少廣天無量廣天廣果天無繁天無熱天善現天善見天色究竟天等言。假使三千大千世界一切有情。皆發阿耨多羅三藐三菩提心。普於過去未來現在十方世界一切如來應正等覺。從初發心至得無上正等菩提。轉妙法輪入無餘依般涅槃後。乃至法滅於其中間。所有修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多相應善根。若安住內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空相應善根。若安住真如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界相應善根。若安住苦聖諦集聖諦滅聖諦道聖諦相應善根。若修習四靜慮四無量四無色定相應善根。若修習八解脫八勝處九次第定十遍處相應善根。若修習四念住四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支相應善根。若修習空解脫門無相解脫門無願解脫門相應善根。若修習五眼六神通相應善根。若修習佛十力四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法相應善根。若修習無忘失法恒住捨性相應善根。若修習一切智道相智一切相智相應善根。若修習一切陀羅尼門一切三摩地門相應善根。若修習諸菩薩摩訶薩行相應善根。若修習諸佛無上正等菩提相應善根。若諸弟子所有善根。若諸如來應正等覺戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫知見蘊及餘無量無邊佛法。若諸如來所說正法。若依彼法。修習施性戒性修性三福業事。若依彼法。精勤修學得預流果。得一來果。得不還果。得阿羅漢果。得獨覺菩提。得入菩薩正性離生。若諸有情修布施淨戒安忍精進靜慮般若等所引善根。如是一切合集稱量。以有相為方便。有所得為方便。有染著為方便。有思作為方便。有二不二為方便。現前隨喜既隨喜已。迴向無上正等菩提。有善男子善女人等。發趣無上正等菩提。普於過去未來現在十方世界一切如來應正等覺。從初發心至得無上正等菩提。轉妙法輪入無餘依般涅槃後。乃至法滅於其中間。所有修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多相應善根。若安住內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空相應善根。若安住真如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界相應善根。若安住苦聖諦集聖諦滅聖諦道聖諦相應善根。若修習四靜慮四無量四無色定相應善根。若修習八解脫八勝處九次第定十遍處相應善根。若修習四念住四正斷四神足五根五力七等覺支。八聖道支相應善根。若修習空解脫門無相解脫門無願解脫門相應善根。若修習五眼六神通相應善根。若修習佛十力四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法相應善根。若修習無忘失法恒住捨性相應善根。若修習一切智道相智。一切相智相應善根。若修習一切陀羅尼門一切三摩地門相應善根。若修習諸菩薩摩訶薩行相應善根。若修習諸佛無上正等菩提相應善根。若諸弟子所有善根。若諸如來應正等覺。戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫知見蘊及餘無量無邊佛法。若諸如來所說正法。若依彼法修習施性戒性修性三福業事。若依彼法精勤修學。得預流果。得一來果。得不還果。得阿羅漢果。得獨覺菩提。得入菩薩正性離生。若諸有情修布施淨戒安忍精進靜慮般若等所引善根。如是一切合集稱量。以無相為方便。無所得為方便。無染著為方便。無思作為方便。無二不二為方便。現前隨喜既隨喜已。迴向無上正等菩提。是善男子善女人等隨喜迴向。為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等。於前有情隨喜迴向。百倍為勝。千倍為勝。百千倍為勝。俱胝倍為勝。百俱胝倍為勝。千俱胝倍為勝。百千俱胝倍為勝。百千俱胝那庾多倍為勝。數倍算倍計倍喻倍。乃至鄔波尼殺曇倍亦最為勝』 |
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復有善男子善女人。發阿耨多羅三藐三菩提心。念過去未來現在諸佛及聲聞辟支佛。從初發意乃至法住。於其中間所有善根。并餘一切眾生所有善根。所謂布施持戒忍辱精進一心智慧。檀波羅蜜乃至無量諸佛法。一切和合稱量。以無所得故。無二法故。無相法故。不著法故。無覺法故。是最上隨喜。第一最妙無上無與等隨喜。隨喜已迴向阿耨多羅三藐三菩提。是善男子善女人功德。勝前善男子善女人功德。百倍千倍百千億倍乃至算數譬喻所不能及。 |
復た有る善男子、善女人は、阿耨多羅三藐三菩提の心を発して、過去、未来、現在の諸仏、及び声聞、辟支仏の、初発意より乃至法住までの、其の中間の有らゆる善根、並びに余の一切の衆生の有らゆる善根、謂わゆる布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧、檀波羅蜜、乃至無量の諸仏の法を念じて、一切を和合し、称量するも、無所得を以っての故に、二法無きが故に、相法無きが故に、法に著せざるが故に、覚法無きが故に、是れを最上の随喜し、第一、最妙、無上、無与等の随喜し、随喜し已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向せん。是の善男子、善女人の功徳は、前の善男子、善女人の功徳に勝ること、百倍、千倍、百千億倍、乃至算数、譬喩の及ぶ能わざる所なり。 |
復た、
有る、
『善男子、善女人』が、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発して!』、
『過去、未来、現在の諸仏と声聞、辟支仏の諸善根や!』、
『初発意、乃至法住の中間の、有らゆる善根や!』、
『餘の一切の衆生の、有らゆる善根』、
謂わゆる、
『布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧や!』、
『檀波羅蜜、乃至無量の諸仏法』を、
『念じて!』、
『一切の善根、功徳』を、
『和合して!』、
『称量しても!』、
是れは、
『無所得である!』が故に、
『無二法である!』が故に、
『無相法である!』が故に、
『不著法である!』が故に、
『無覚法である!』が故に、
是の、
『最上、第一、最妙、無与等の随喜を用いて!』、
『随喜し!』、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば!』、
是の、
『善男子、善女人の功徳』は、
前の、
『善男子、善女人の功徳』に、
『百倍、千倍、百千億倍』、
『勝り!』、
乃至、
『算数、譬喻』の、
『及ぶ所ではないのである!』。
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称量(しょうりょう):梵語 tulanaa の訳、格付けする/量りにかける/~と同等( rating, weighing, equalness with
)の義。 |
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爾時須菩提白佛言。世尊。世尊說。善男子善女人和合諸善根稱量。隨喜迴向。最上第一最妙無上無與等。世尊。云何名隨喜最上乃至無與等。 |
爾の時、須菩提の仏に白して言さく、『世尊、世尊の説きたまえる、善男子、善女人の諸の善根を和合し、称量して、随喜する迴向の最上、第一、最妙、無上、無与等とは、世尊、云何が随喜は最上、乃至無与等なりと名づくる』、と。 |
爾の時、
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『世尊』は、こう説かれました、――
『善男子、善女人』が、
『諸善根を和合して、随喜する!』、
『迴向』は、
『最上、第一、最妙、無上、無与等である!』、と。
何故、
『随喜は、最上乃至無与等である!』と、
『称するのですか?』
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参考:『大般若経巻172』:『爾時具壽善現白佛言。世尊。如世尊說。是善男子善女人等隨喜迴向。為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等。世尊齊何。說是隨喜迴向。為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等。佛言善現。是善男子善女人等。普於過去未來現在十方世界一切如來應正等覺。聲聞獨覺菩薩。及餘一切有情諸善根等。不取不捨不矜不蔑。非有所得。非無所得。又知諸法無生無滅。無染無淨。無增無減。無去無來。無聚無散。無入無出。作如是念。如彼過去未來現在諸法真如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界。我亦如是隨喜迴向。善現。齊是菩薩摩訶薩所起隨喜迴向。我說為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等。善現。如是隨喜迴向。勝餘隨喜迴向。百倍千倍百千倍。俱胝倍。百俱胝倍。千俱胝倍。百千俱胝倍。百千俱胝那庾多倍。數倍算倍計倍喻倍。乃至鄔波尼殺曇倍。是故我說如是所起隨喜迴向。為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等』 |
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佛言。若善男子善女人。念過去未來現在諸法。不取不捨不念非不念不得非不得。是諸法中亦無有法生者滅者若垢若淨。諸法不增不減不來不去不合不散不入不出。如過去未來現在諸法相如如相法性法住法位。我亦如是隨喜。隨喜已迴向阿耨多羅三藐三菩提。如是迴向最上第一最妙無上無與等。 |
仏の言わく、『若し善男子、善女人の念ずらく、過去、未来、現在の諸法を、取らず、捨てず、念ぜず、念ぜざるに非ず、得ず、得ざるに非ざれば、是の諸法中にも、亦た法の生ずる者、滅する者、若しは垢、若しは浄なる有ること無し。諸法は増せず、減ぜず、来ず、去らず、合せず、散ぜず、入らず、出でず。過去、未来、現在の諸法の相の、如相、法性、法住、法位の如きが如く、我れは亦た是の如きを随喜せんと。随喜し已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば、是の如き迴向は、最上、第一、最妙、無上、無与等なり。 |
『仏』は、こう言われた、――
若し、
『善男子、善女人』が、こう念じて、――
『過去、未来、現在』の、
『諸の法』を、
『取ることもなく、捨てることもなく!』、
『念じるでもなく、念じないでもなく!』、
『得るでもなく、得ないでもなければ!』、
是の、
『諸の法』中には、
『法』を、
『生じる者も、滅する者も!』、
『無く!』、
『法』が、
『垢であるとか、浄であるということも!』、
『無く!』、
『諸の法』は、
『増えもせず、減りもせず!』、
『来ることもなく、去ることもなく!』、
『合することもなく、散じることもなく!』、
『入ることもなく、出ることもない!』。
『過去、未来、現在』の、
諸の、
『法相』が、
『如相や、法性、法住、法位のようであるように!』、
わたしも、
是のように、
『随喜し、随喜したならば!』、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向しよう!』、と。
是のような、
『迴向』が、
『最上、第一、最妙、無上、無与等なのである!』。
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須菩提。是隨喜法比餘隨喜。百倍千倍百千億倍乃至算數譬喻所不能及。 |
須菩提、是の随喜の法は、余の随喜に比して、百倍、千倍、百千億倍、乃至算数譬喩の及ぶ能わざる所なり。 |
須菩提!
是の、
『随喜の法』を、
『餘の随喜に比べれば!』、
『百倍、千倍、百千億倍であり!』、
乃至、
『算数や、譬喻の!』、
『及ばない所なのである!』。
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復次須菩提。求佛道善男子善女人。於過去未來現在諸佛及聲聞辟支佛。從初發心乃至法住。於其中間所有善根。若布施乃至智慧。檀波羅蜜乃至無量諸佛法。及餘一切眾生所有善根。若欲隨喜者。應如是隨喜。作是念。 |
復た次ぎに、須菩提、仏道を求むる善男子、善女人は、過去、未来、現在の諸仏、及び声聞、辟支仏の初発心より、乃至法住までの、其の中間に於ける有らゆる善根の、若しは布施、乃至智慧、檀波羅蜜、乃至無量の諸仏の法、及び余の一切の衆生の有らゆる善根に於いて、若し随喜せんと欲すれば、応に是の如く随喜して、是の念を作すべし、―― |
復た次ぎに、
須菩提!
『仏道を求める!』、
『善男子、善女人』が、
『過去、未来、現在の諸仏や、声聞、辟支仏』の、
『初発心より、乃至法住までの中間に於ける!』、
有らゆる、
『善根である!』、
『布施、乃至智慧や!』、
『檀波羅蜜、乃至無量の諸仏の法』や、
『餘の一切の衆生』の、
有らゆる、
『善根』を、
若し、
『随喜しようとすれば!』、
当然、こう念じなければならない、――
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参考:『大般若経巻172』:『復次善現。住菩薩乘諸善男子善女人等。欲於過去未來現在十方世界一切如來應正等覺。從初發心至得無上正等菩提。轉妙法輪入無餘依般涅槃後。乃至法滅。於其中間所有一切布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多相應善根。若戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫智見蘊。若餘無量無邊佛法。若諸聲聞獨覺菩薩功德善根。若餘有情所有施性戒性修性三福業事。及餘善法合集稱量。現前發起無倒隨喜迴向心者。應作是念。如解脫色亦如是。如解脫受想行識亦如是。如解脫眼處亦如是。如解脫耳鼻舌身意處亦如是。如解脫色處亦如是。如解脫聲香味觸法處亦如是。如解脫眼界亦如是。如解脫色界眼識界及眼觸眼觸為緣所生諸受亦如是。如解脫耳界亦如是。如解脫聲界耳識界及耳觸耳觸為緣所生諸受亦如是。如解脫鼻界亦如是。如解脫香界鼻識界及鼻觸鼻觸為緣所生諸受亦如是。如解脫舌界亦如是。如解脫味界舌識界及舌觸舌觸為緣所生諸受亦如是。如解脫身界亦如是。如解脫觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受亦如是。如解脫意界亦如是。如解脫法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受亦如是。如解脫地界亦如是。如解脫水火風空識界亦如是。如解脫無明亦如是。如解脫行識名色六處觸受愛取有生老死愁歎苦憂惱亦如是。如解脫布施波羅蜜多亦如是。如解脫淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多亦如是。如解脫內空亦如是。如解脫外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空亦如是。如解脫真如亦如是。如解脫法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界亦如是。如解脫苦聖諦亦如是。如解脫集滅道聖諦亦如是。如解脫四靜慮亦如是。如解脫四無量四無色定亦如是。如解脫八解脫亦如是。如解脫八勝處九次第定十遍處亦如是。如解脫四念住亦如是。如解脫四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支亦如是。如解脫空解脫門亦如是。如解脫無相無願解脫門亦如是。如解脫五眼亦如是。如解脫六神通亦如是。如解脫佛十力亦如是。如解脫四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法亦如是。如解脫無忘失法亦如是。如解脫恒住捨性亦如是。如解脫一切智亦如是。如解脫道相智一切相智亦如是。如解脫一切陀羅尼門亦如是。如解脫一切三摩地門亦如是。如解脫戒蘊亦如是。如解脫定慧解脫解脫知見蘊亦如是。如解脫過去未來現在一切法亦如是。如解脫過去未來現在十方世界一切如來應正等覺亦如是。如解脫一切佛菩提涅槃亦如是。如解脫無數無量無邊佛法亦如是。如解脫一切佛弟子亦如是。如解脫一切佛弟子諸根成熟亦如是。如解脫一切佛弟子般涅槃亦如是。如解脫一切佛弟子諸法亦如是。如解脫一切獨覺亦如是。如解脫一切獨覺諸根成熟亦如是。如解脫一切獨覺般涅槃亦如是。如解脫一切獨覺諸法亦如是。如解脫一切如來應正等覺及佛弟子獨覺法性亦如是。如解脫一切有情亦如是。如解脫一切法性亦如是。如解脫一切隨喜迴向亦如是。如諸法性。無縛無解。無染無淨。無起無盡。無生無滅。無取無捨。我於如是功德善根。現前隨喜迴向無上正等菩提。如是隨喜非能隨喜。無所隨喜故。如是迴向非能迴向。無所迴向故。如是所起隨喜迴向。非轉非息。無生滅故。善現。是菩薩摩訶薩隨喜迴向。為最為勝。為尊為高。為妙為微妙。為上為無上無等無等等。善現。若菩薩摩訶薩成就如是隨喜迴向。疾證無上正等菩提』 |
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布施與解脫等。戒忍精進禪智與解脫等。色與解脫等。受想行識亦與解脫等。內空與解脫等。乃至無法有法空亦與解脫等。四念處與解脫等。乃至八聖道分亦與解脫等。佛十力與解脫等。乃至一切種智亦與解脫等。戒眾定眾慧眾解脫眾解脫知見眾亦與解脫等。隨喜與解脫等。過去未來現在諸法與解脫等。十方諸佛與解脫等。諸佛迴向與解脫等。諸佛與解脫等。諸佛滅度與解脫等。諸佛弟子聲聞辟支佛與解脫等。諸佛弟子滅度與解脫等。諸佛法相與解脫等。諸聲聞辟支佛法相與解脫等。一切諸法相亦與解脫等。 |
布施は解脱と等しく、戒、忍、精進、禅、智は解脱と等しく、色は解脱と等しく、受想行識は解脱と等しく、内空は解脱と等しく、乃至無法有法空も亦た解脱と等しく、四念処は解脱と等しく、乃至八聖道分も亦た解脱と等しく、仏の十力は解脱と等しく、乃至一切種智も亦た解脱と等しく、戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆も亦た解脱と等しく、随喜は解脱と等しく、過去、未来、現在の諸法は解脱と等しく、十方の諸仏は解脱と等しく、諸仏の迴向は解脱と等しく、諸仏は解脱と等しく、諸仏の滅度は解脱と等しく、諸仏の弟子の声聞、辟支仏は解脱と等しく、諸仏の弟子の滅度は解脱と等しく、諸仏の法相は解脱と等しく、諸の声聞、辟支仏の法相は解脱と等しく、一切の諸法の相も亦た解脱と等しい。 |
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『布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧』は、
『解脱』に、
『等しく!』、
『色、受想行識』は、
『解脱』に、
『等しく!』、
『内空、乃至無法有法空や!』、
『四念処、乃至八聖道分や!』、
『仏の十力、乃至一切種智や、戒、定、慧、解脱、解脱知見衆』は、
『解脱』に、
『等しく!』、
『随喜』は、
『解脱』に、
『等しく!』、
『過去、未来、現在の諸法や!』、
『十方の諸仏や、諸仏の迴向』は、
『解脱』に、
『等しく!』、
『諸仏や、諸仏の滅度や!』、
『諸仏の弟子の声聞、辟支仏や、諸仏の弟子の滅度や!』、 『諸仏の法相や、諸の声聞、辟支仏の法相』は、 『解脱』に、
『等しく!』、
『一切の諸法の相』も、
『解脱』に、
『等しい!』。
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我以是諸善根相隨喜功德。迴向阿耨多羅三藐三菩提。亦與解脫等。不生不滅故。 |
我れは、是の諸の善根の相を随喜する功徳を以って、阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば、亦た解脱と等しからん、不生、不滅なるが故に。 |
わたしが、
是の、
『諸の善根の相を随喜する!』、
『功徳』を
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『迴向すれば!』、
亦た、
『解脱』に、
『等しい!』、
何故ならば、
『一切の法』は、
『不生、不滅だからである!』、と。
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須菩提。是名諸菩薩摩訶薩隨喜功德最上第一最妙無上無與等。 |
須菩提、是れを諸の菩薩摩訶薩の随喜の功徳は、最上、第一、最妙、無上、無与等なりと名づく。 |
須菩提!
是れを、
『諸の菩薩摩訶薩の随喜の功徳』は、
『最上、第一、最妙、無上、無与等である!』と、
『称する!』。
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須菩提。菩薩成就是隨喜功德。當疾得阿耨多羅三藐三菩提。 |
須菩提、菩薩は、是の随喜の功徳を成就すれば、当に疾かに、阿耨多羅三藐三菩提を得べし。 |
須菩提!
『菩薩』は、
是の、
『随喜の功徳』を、
『成就すれば!』、
疾かに、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることになるだろう!』。
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復次須菩提。十方如恒河沙等諸佛及弟子。現在若有求佛道善男子善女人。盡形壽供養是諸佛及弟子。一切所須供養恭敬尊重讚歎。衣服飲食臥具醫藥。是諸佛滅度後。晝夜懃修供養恭敬尊重讚歎。華香乃至旛蓋伎樂。以取相有所得故。持戒忍辱精進禪定修智慧。以取相有所得故。 |
復た次ぎに、須菩提、十方の恒河沙に等しきが如き諸仏、及び弟子、現在し、若しは仏道を求むる善男子、善女人有らん、形寿を尽くして、是の諸の仏、及び弟子の、一切の須むる所の供養、恭敬、尊重、讃歎、衣服、飲食、臥具、医薬を供養し、是の諸の仏の滅度の後には、昼夜に懃修して華香、乃至幡蓋、伎楽を供養し、恭敬、尊重、讃歎するも、相を取りて、所得有るを以っての故なり。持戒、忍辱、精進、禅定して、智慧を修むるも、相を取りて、所得有るを以っての故なり。 |
復た次ぎに、
須菩提!
『十方の恒河沙に等しいほど!』の、
『諸仏や、弟子』を、
『現在』、
若し、
『仏道を求める善男子、善女人が有ったとして!』、
『形寿を尽くして!』、
是の、
『諸仏や、弟子!』、
一切の、
『所須の衣服、飲食、臥具、医薬を用いて!』、
『供養し、恭敬、尊重、讃歎し!』、
是の、
『諸仏の滅度した!』後にも、
『華香、乃至幡蓋、伎楽を用いて!』、
『昼夜に懃修して!』、
『供養、恭敬、尊重、讃歎した!』が、
『諸仏』等の、
『相を取って!』、
『所得が有るからであり!』、
『持戒、忍辱、精進、禅定し、智慧を修めても!』、
『持戒』等の、
『相を取って!』、
『所得が有るからである!』。
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復有善男子善女人。發意求阿耨多羅三藐三菩提。行檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜時。以不取相無所得法方便力諸善根。迴向阿耨多羅三藐三菩提。是福德最上第一最妙無上無與等。勝前福德百倍千倍百千億倍乃至算數譬喻所不及。 |
復た有る善男子、善女人は、意を発して阿耨多羅三藐三菩提を求め、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行ずる時、相を取らず、所得の法無き方便力を以って、諸の善根を、阿耨多羅三藐三菩提に迴向す。是の福徳は、最上、第一、最妙、無上、無与等にして、前の福徳に勝ること、百倍、千倍、百千億倍、乃至算数、譬喩の及ばざる所なり。 |
復た、
『有る善男子、善女人』は、
『発意して、阿耨多羅三藐三菩提を求め!』、
『檀、尸羅、羼提、毘利耶、禅、般若波羅蜜を行う!』時、
『相を取ることなく、所得の法は無いという!』、
『方便力を用いて!』、
『諸の善根』を、
『阿耨多羅三藐三菩提に迴向すれば!』、
是の、
『福徳は最上、第一、最妙、無上、無与等であり!』、
『前の福徳』に、
『百倍、千倍、百千億倍』、
『勝り!』、
乃至、
『算数、譬喻』の、
『及ばない所である!』。
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如是須菩提。菩薩摩訶薩行檀波羅蜜時。尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜時。以方便力故。諸善根應迴向阿耨多羅三藐三菩提。以不取相無所得法故 |
是の如し、須菩提、菩薩摩訶薩の、檀波羅蜜を行ずる時、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜の時、方便力を以っての故に、諸の善根を応に阿耨多羅三藐三菩提に迴向すべきは、相を取らずして、所得の法無きを以っての故なり。 |
是のように、
須菩提!
『菩薩摩訶薩』が、
『檀、尸羅、羼提、毘利耶、禅、般若波羅蜜を行う!』時、
『方便力を用いる!』が故に、
『諸の善根』が、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『迴向されることになるのは!』、
『相を取ることなく!』、
『所得の法』が、
『無いからである!』。
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