巻第六十(上)
大智度論釋挍量法施品第三十八(卷六十)
1.【經】般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与える
2.【論】般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与える
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大智度論釋挍量法施品第三十八(卷六十)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与える

【經】佛告釋提桓因言。憍尸迦。若有善男子善女人。教一閻浮提人行十善道。於汝意云何。以是因緣故得福多不。答言。甚多世尊。 仏の釈提桓因に告げて言わく、『憍尸迦、若し有る善男子、善女人、一閻浮提の人を教えて、十善道を行ぜしむれば、汝の意に於いて云何、是の因縁を以っての故に得る福は多しや、不や』、と。答えて言わく、『甚だ多し、世尊』、と。
『仏』は、
『釈提桓因に告げて!』、こう言われた、――
憍尸迦!
若し、
『有る善男子、善女人』が、
『一閻浮提』中の、
『人に教えて!』、
『十善道』を、
『行わせたとして!』、
お前の、
『意』には、何うなのか?――
是の、
『因縁の故に得られる!』、
『福』は、
『多いだろうか?』、と。
答えて、こう言った、――
『甚だ多い!』、
世尊!
  参考:『大般若経巻130』:『爾時佛告天帝釋言。憍尸迦。若善男子善女人等。教贍部洲諸有情類。皆令修學十善業道。於意云何。是善男子善女人等。由此因緣得福多不。天帝釋言。甚多世尊。甚多善逝。佛言。憍尸迦。若善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多施他讀誦。若轉書寫廣令流布。是善男子善女人等。所獲福聚甚多於前。何以故。憍尸迦。如是般若波羅蜜多祕密藏中。廣說一切無漏之法。聲聞種性補特伽羅修學此法。速入聲聞正性離生。得預流果得一來果得不還果得阿羅漢果。獨覺種性補特伽羅修學此法。速入獨覺正性離生。漸次證得獨覺菩提。菩薩種性補特伽羅修學此法。速入菩薩正性離生漸次修行諸菩薩行。證得無上正等菩提。憍尸迦。如是般若波羅蜜多祕密藏中。廣說一切無漏法者。所謂布施波羅蜜多淨戒波羅蜜多安忍波羅蜜多精進波羅蜜多靜慮波羅蜜多般若波羅蜜多。內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。真如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界。苦聖諦智集聖諦智滅聖諦智道聖諦智。無漏四靜慮四無量四無色定。八解脫八勝處九次第定十遍處。四念住四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。空解脫門無相解脫門無願解脫門。五眼六神通。佛十力四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法。無忘失法恒住捨性。一切智道相智一切相智。一切陀羅尼門一切三摩地門。及餘無量無邊佛法。皆是此中所說一切無漏之法。』
  参考:『大般若経巻503』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。教贍部洲諸有情類。皆令安住十善業道。於意云何。是善男子善女人等。由此因緣得福多不。天帝釋言。甚多世尊。甚多善逝。佛告憍尸迦。若善男子善女人等。書寫般若波羅蜜多甚深經典。施他讀誦。若轉書寫廣令流布。是善男子善女人等。所獲福聚甚多於前。何以故。憍尸迦。甚深般若波羅蜜多祕密藏中。廣說一切無漏之法。諸善男子善女人等。於中已學今學當學。或有已入今入當入聲聞種性正性離生。漸次乃至已正當得阿羅漢果。或有已入今入當入獨覺種性正性離生。漸次乃至已正當得獨覺菩提。或有已入今入當入菩薩種性正性離生。漸次修行諸菩薩行。已得今得當得無上正等菩提。憍尸迦。甚深般若波羅蜜多祕密藏中所說一切無漏法者。謂布施波羅蜜多乃至般若波羅蜜多。若內空乃至無性自性空。若真如乃至不思議界。若斷界乃至無為界。若苦集滅道聖諦。若四念住乃至八聖道支。若四靜慮四無量四無色定。若八解脫九次第定。若空無相無願解脫門。若淨觀地乃至如來地。若極喜地乃至法雲地。若五眼六神通。若如來十力乃至十八佛不共法。若無忘失法恒住捨性。若一切陀羅尼門三摩地門。若一切智道相智一切相智。若餘無量無邊佛法。皆是此中所說一切無漏之法』
佛言。不如是善男子善女人書持般若波羅蜜經卷與他人令讀誦說得福多。 仏の言わく、『是の善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書持して、他人に与え、読誦して説かしめて得る福の多きには如かず。
『仏』は、
こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて、持ち!』、
『他人に与えて!』、
『読誦させ!』、
『説かせた!』時、
是の、
『人の得る!』、
『福の多さ!』には、
『及ばない!』。
何以故。是般若波羅蜜中。廣說諸無漏法。善男子善女人從是中學。已學今學當學。入正法位中。已入今入當入。得須陀洹果。已得今得當得。乃至阿羅漢果。求辟支佛道亦如是。諸菩薩摩訶薩求阿耨多羅三藐三菩提。入正法位中。已入今入當入。得阿耨多羅三藐三菩提。已得今得當得。 何を以っての故に、是の般若波羅蜜中に広く無漏法を説けば、善男子、善女人は、是の中に従いて学び、已に学び、今学び、当に学ぶべくして、正法の位中に入り、已に入り、今入り、当に入るべくして、須陀洹果を得、乃至阿羅漢果を已に得、今得、当に得るべくして、辟支仏道を求むるも、亦た是の如し。諸の菩薩摩訶薩は、阿耨多羅三藐三菩提を求めて、正法の位中に入り、已に入り、今、入り、当に入るべくして、阿耨多羅三藐三菩提を得、已に得、今得、当に得べし。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中には、
広く、
諸の、
『無漏法』を、
『説いている!』が、
『善男子、善女人』は、
是の、
『般若波羅蜜』中より、
諸の、
『無漏法を学び!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『学んで!』、
『正法の位に入り!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『入って!』、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果を得!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『得るからであり!』、
『辟支仏道を求める!』者も、
亦た、
『是の通りであり!』、
諸の、
『菩薩摩訶薩』が、
『阿耨多羅三藐三菩提を求めて!』、
『正法の位に入り!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『入り!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『得るからである!』。
憍尸迦。何等是無漏法。所謂四念處乃至八聖道分。四聖諦內空乃至無法有法空。佛十力乃至十八不共法。善男子善女人。學是法得阿耨多羅三藐三菩提。已得今得當得。 憍尸迦、何等か、是れ無漏法なる。謂わゆる四念処乃至八聖道分、四聖諦、内空乃至無法有法空、仏の十力乃至十八不共法なり。善男子、善女人は是の法を学んで阿耨多羅三藐三菩提を得、已に得、今得、当に得べし。
憍尸迦、
何のようなものが、
『無漏法だろうか?』。
謂わゆる、
『四念処、乃至八聖道分や』、
『四聖諦や』、
『内空、乃至無法有法空や』、
『仏の十力、乃至十八不共法である!』。
『善男子、善女人』は、
是の、
『法を学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得!』、
『過去にも、今も、未来にも!』、
『得るのである!』。
憍尸迦。若有善男子善女人。教一人令得須陀洹果。是人得福德。勝教一閻浮提人行十善道。 憍尸迦、若し有る善男子、善女人、一人を教えて、須陀洹果を得しむれば、是の人の得る福徳は、一閻浮提の人を教えて、十善道を行ぜしむるに勝る。
憍尸迦!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『一人を教えて!』、
『須陀洹果』を、
『得させれば!』、
是の、
『人の得る福徳』は、
『一閻浮提』中の、
『諸人を教えて!』、
『十善道を行わせる!』のに、
『勝るのである!』。
何以故。憍尸迦。教一閻浮提人行十善道。不離地獄畜生餓鬼苦。憍尸迦。教一人得須陀洹果。離三惡道故。乃至阿羅漢果辟支佛道亦如是。 何を以っての故に、憍尸迦、一閻浮提の人を教えて十善道を行ぜしむれば、地獄、畜生、餓鬼の苦を離れしむ。憍尸迦、一人に教えて須陀洹果を得しむれば、三悪道を離るるが故なり。乃至阿羅漢果、辟支仏道も亦た是の如し。
何故ならば、
憍尸迦!
『一閻浮提』中の、
『諸人を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせれば!』、
『地獄、餓鬼、畜生』の、
『苦』を、
『離れさせることになる!』が、
憍尸迦!
『一人を教えて!』、
『須陀洹果を得させれば!』、
『三悪道』を、
『離れさせることになるからである!』。
乃至、
『阿羅漢果や、辟支仏道』も、
『是の通りである!』。
憍尸迦。若善男子善女人。教一閻浮提人。令得須陀洹果斯陀含果阿那含阿羅漢辟支佛道。不如善男子善女人教一人令得阿耨多羅三藐三菩提得福多。 憍尸迦、若し善男子、善女人、一閻浮提の人を教えて、須陀洹果、斯陀含果、阿那含、阿羅漢、辟支仏道を得しむれども、善男子、善女人の一人を教えて、阿耨多羅三藐三菩提を得しめて得る福の多きに如かず。
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
『一閻浮提』中の、
『諸人を教えて!』、
『須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢果や、辟支仏道』を、
『得させても!』、
『善男子、善女人』が、
『一人を教えて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得させて!』、
『福を多く得る!』のには、
『及ばない!』。
何以故。憍尸迦。以菩薩因緣故。生須陀洹果乃至阿羅漢辟支佛。以菩薩因緣故生諸佛。 何を以っての故に、憍尸迦、菩薩の因縁を以っての故に、須陀洹果、乃至阿羅漢、辟支仏を生じ、菩薩の因縁を以っての故に、諸仏を生ずればなり。
何故ならば、
憍尸迦!
『菩薩という!』、
『因縁』の故に、
『須陀洹果、乃至阿羅漢、辟支仏』を、
『生じるからであり!』、
『菩薩という!』、
『因縁』の故に、
『諸の仏』を、
『生じるからである!』。
以是因緣故。憍尸迦當知。善男子善女人。書般若波羅蜜經卷與他人。令書持讀誦說得福多。 是の因縁を以っての故に、憍尸迦、当に知るべし、善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与え、書持、読誦して説かしめて得る福は多し。
是の、
『因縁』の故に、
憍尸迦、
当然、こう知らねばならない、――
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜の経巻を書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持、読誦させ!』、
『説かせた!』時、
是の、
『人の得られる!』、
『福』は、
『多いのである!』、と。
何以故。是般若波羅蜜中。廣說諸善法。是善法中學。便出生剎利大姓婆羅門大姓居士大家四天王天乃至非有想非無想天。便有四念處乃至一切種智。便有諸須陀洹乃至阿羅漢辟支佛。便有諸佛。 何を以っての故に、是の般若波羅蜜中には、広く諸の善法を説けばなり。是の善法中に学んで、便ち刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家、四天王天、乃至非有想非無想天を出生し、便ち四念処、乃至一切種智有り、便ち諸の須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏有り、便ち諸仏有ればなり。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中には、
広く、
『諸の善法』が、
『説かれている!』が、
是の、
『善法中に学んで!』、
便ち( smoothly )、
『刹利、婆羅門の大姓や!』、
『居士の大家や!』、
『四天王天乃至非有想非無想天を!』、
『出生するのであり!』、
便ち、
『四念処、乃至一切種智』が、
『有るのであり!』、
便ち、
『須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏』が、
『有るのであり!』、
便ち、
『諸の仏』が、
『有るからである!』。
憍尸迦。置一閻浮提人。若有善男子善女人。教四天下世界中眾生。令行十善道。於汝意云何。是人以是因緣故得福多不。答言。甚多世尊。 憍尸迦、一閻浮提の人を置かん。若し有る善男子、善女人、四天下の世界中の衆生を教えて、十善道を行ぜしめんに、汝が意に於いて云何、是の人の是の因縁を以っての故に得る福は多しや不や。答えて言わく、甚だ多し、世尊。
憍尸迦!
『一閻浮提の人を置いて!』、
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『四天下の世界』中の、
『衆生を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせれば!』、
お前の、
『意』には、何うなのか?、――
是の、
『人』が、
是の、
『因縁の故に得られる!』、
『福』は、
『多いだろうか?』。
答えて、こう言った、――
『甚だ多い!』。
世尊!
佛言。不如是善男子善女人書般若波羅蜜經卷與他人令書持讀誦說得福多。餘如上說。 仏の言わく、『是の善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与え、書持、読誦して説かしめて得る福の多きには如かざるなり。余は上に説くが如し。
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』を、
『経巻に書き!』、
『他人に与えて!』、
『書持させ、読誦させ、説かせて得られる!』、
『福の多さ!』に、
『及ばない!』。
餘は、
上に、
『説いた通りである!』。
憍尸迦。置四天下世界中眾生。若教小千世界中眾生令行十善道亦如是。 憍尸迦、四天下の世界中の衆生を置かん。若しは小千世界中の衆生を教えて、十善道を行ぜしめんに、亦た是の如し。
憍尸迦!
『四天下中の衆生を置いて!』、
若し、
『小千世界』中の、
『衆生を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせる!』のも、
亦た、
『是の通りである!』。
憍尸迦。置小千世界中眾生。若教二千中世界中眾生令行十善道。若有善男子善女人。書般若波羅蜜經卷與他人令書持讀誦。是人得福多。餘如上說。 憍尸迦、小千世界の衆生を置かん。若し二千中世界中の衆生を教えて、十善道を行ぜしめんに、若し有る善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与え書持、読誦せしむれば、是の人の福を得ること多し。余は上に説くが如し。
憍尸迦!
『小千世界中の衆生を置いて!』、
若し、
『二千中千世界』中の、
『衆生を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせても!』、
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持させたり!』、
『読誦させたりすれば!』、、
是の、
『人の得る!』、
『福』は、
『多く!』、
餘は、
上に、
『説いた通りである!』。
憍尸迦。置二千中世界中眾生。若教三千大千世界中所有眾生。令行十善道。復有人書般若波羅蜜經卷與他人。令書持讀誦。是人福德多。 憍尸迦、二千中世界中の衆生を置かん。若し三千大千世界中の有らゆる衆生を教えて、十善道を行ぜしめんに、復た有る人、般若波羅蜜の経巻を書きて、他人に与え、書持読誦せしむれば、是の人の福徳多し。
憍尸迦!
『二千中世界中の衆生を置いて!』、
若し、
『三千大千世界』中の、
有らゆる、
『衆生を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせても!』、
復た、
有る、
『人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持させたり!』、
『読誦させたりすれば!』、、
是の、
『人』の、
『福徳』は、
『多いのである!』。
憍尸迦。置三千大千世界中眾生。若教如恒河沙等世界中所有眾生。令行十善道。若復有人書般若波羅蜜經卷與他人。令書持讀誦其福德多。餘如上說。 憍尸迦、三千大千世界中の衆生を置かん。若し恒河沙に等しきが如き世界中の有らゆる衆生を教えて、十善道を行ぜしめんに、若し復た有る人、般若波羅蜜の経巻を書いて他人に与え、書持、読誦せしむれば、其の福徳は多し。余は上に説くが如し。
憍尸迦!
『三千大千世界中の衆生を置いて!』、
若し、
『恒河沙に等しい!』、
『世界』中の、
有らゆる、
『衆生を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせても!』、
若し、
復た、
有る、
『人』が、
『般若波羅蜜』を、
『経巻に書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持させたり!』、
『読誦させたりすれば!』、
其の、
『福徳』は、
『多いのであり!』、
餘は、
上に、
『説いた通りである!』。
復次憍尸迦。有人教一閻浮提眾生。令立四禪四無量心四無色定五神通。於汝意云何。是善男子善女人福德多不。釋提桓因言。甚多世尊。 復た次ぎに、憍尸迦、有る人、一閻浮提の衆生を教えて、四禅、四無量心、四無色定、五神通に立たしむれば、汝が意に於いて云何、是の善男子、善女人の福徳は多しや、不や。釈提桓因の言わく、『甚だ多し、世尊』、と。
復た次ぎに、
憍尸迦!
有る、
『人』が、
『一閻浮提』の、
『衆生を教えて!』、
『四禅、四無量心、四無色定や、五神通に!』、
『立たせたとすれば!』、
お前の、
『意』には、何うなのか?――
是の、
『善男子、善女人の得る!』、
『福徳』は、
『多いだろうか?』。
『釈提桓因』は、こう言った、――
『甚だ多い!』、
世尊!、と。
佛言。不如是善男子善女人書般若波羅蜜經卷與他人令書持讀誦說得福多。何以故。是般若波羅蜜中。廣說諸善法。餘如上說。 仏の言わく、『是の善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書きて、他人に与え、書持、読誦して説かしめて得る福の多きには如かず。何を以っての故に、是の般若波羅蜜中には、広く諸の善法を説けばなり。余は上に説くが如し。
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持させ、読誦させて!』、
『説かせた!』時、
是の、
『人の得る!』、
『福の多さ!』には、
『及ばない!』。
何故ならば、
憍尸迦!
是の、
『般若波羅蜜』中には、
広く、
『諸の善法』が、
『説かれているからであり!』、
餘は、
上に、
『説いた通りだからである!』。
憍尸迦。置閻浮提眾生。復置四天下世界中眾生小千世界中眾生二千中世界中眾生三千大千世界中眾生。憍尸迦。若有人教十方如恒河沙等世界中眾生。令立四禪四無量心四無色定五神通。於汝意云何。是人福德多不。答言。甚多世尊。 憍尸迦、閻浮提の衆生を置かん。復た四天下の世界中の衆生、小千世界中の衆生、二千中世界中の衆生、三千大千世界中の衆生も置かん。憍尸迦、若し有る人、十方の恒河沙に等しきが如き世界中の衆生を教えて、四禅、四無量心、四無色定、五神通に立たしむれば、汝の意に於いて云何、是の人の福徳は多しや不や。答えて言わく、『甚だ多し、世尊』、と。
憍尸迦!
『閻浮提の衆生を置いて!』、
復た、
『四天下や、小千世界や、二中千世界や、三大千世界中の衆生』を、
『置き!』、
憍尸迦!
若し、
『有る人』が、
『十方の恒河沙に等しいほど!』の、
『世界中の衆生を教えて!』、
『四禅、四無量心、四無色定や、五神通に!』、
『立たせたとすれば!』、
憍尸迦!
お前の、
『意』には、何うなのか?――
是の、
『人』の、
『福徳』は、
『多いだろうか?』。
答えて、こう言った、――
『甚だ多い!』。
世尊!、と。
佛言。不如是善男子善女人書般若波羅蜜經卷與他人令書持讀誦說得福多。何以故。是般若波羅蜜中。廣說諸善法。餘如上說。 仏の言わく、『是の善男子、善女人の般若波羅蜜の経巻を書き、他人に与えて、書持、読誦し説かしめて得る福の多きには如かず。何を以っての故に、是の般若波羅蜜中には、広く諸善法を説けばなり。余は上に説くが如し。
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人に与え!』、
『書持させ、読誦させて!』、
『説かせた!』時、
是の、
『人の得る!』、
『福の多さ!』には、
『及ばない!』。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中には、
広く、
『諸の善法』が、
『説かれているからであり!』、
餘は、
上に、
『説いた通りだからである!』。
復次憍尸迦。若有善男子善女人。受是般若波羅蜜。書持讀誦說正憶念。是人福德勝教閻浮提人行十善道立四禪四無量心四無色定五神通 復た次ぎに、憍尸迦、若し有る善男子、善女人、是の般若波羅蜜を受けて、書持、読誦し説きて正憶念すれば、是の人の福徳は、閻浮提の人に教えて、十善道を行ぜしめ、四禅、四無量心、四無色定、五神通に立たしめんに勝る。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『書持したり!』、
『読誦したり!』、
『説いたり!』して、
『正しく!』、
『憶念させれば!』、
是の、
『人』の、
『福徳』は、
『閻浮提の諸人を教えて!』、
『十善道を行わせたり!』、
『四禅、四無量、四無色定、五神通に立たせる!』のに、
『勝る!』。
正憶念者。受持親近般若波羅蜜。乃至正憶念。不以二法。不以不二法。受持親近禪波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸波羅蜜檀波羅蜜。乃至正憶念。不以二法。不以不二法。為阿耨多羅三藐三菩提。正憶念。內空乃至一切種智。不以二法。不以不二法。 正憶念とは、般若波羅蜜を受持、親近し、乃至正憶念するに、二法を以ってせず、不二法を以ってせず。禅波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、羼提波羅蜜、尸羅波羅蜜、檀波羅蜜を受持、親近して、乃至正憶念するまで、二法を以ってせず、不二法を以ってせず、阿耨多羅三藐三菩提の為めに内空、乃至一切種智を正憶念するに、二法を以ってせず、不二法を以ってせざるなり。
『正しく憶念する!』とは、――
『般若波羅蜜を受持、親近して!』、
乃至、
『正しく憶念する!』のに、
『二法も、不二法も!』、
『用いず!』、
『禅、毘梨耶、羼提、尸羅、檀波羅蜜を受持、親近して!』、
乃至、
『正しく憶念する!』のに、
『二法も、不二法も!』、
『用いず!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得る!』為に、
『内空、乃至一切種智』を、
『正しく憶念する!』のに、
『二法も、不二法も!』、
『用いないからである!』。
復次憍尸迦。若有善男子善女人。為他人種種因緣。演說般若波羅蜜義。開示分別令易解。 復た次ぎに、憍尸迦、若し有る善男子、善女人、他人の為めに種種の因縁もて、般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して、易解ならしめん。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若しは、
『有る善男子、善女人』は、
『他人の為に!』、
『種種の因縁を用いて!』、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させるだろう!』。
  開示(かいじ):梵語 nidarzana の訳、指し示す/見せる/導く/告知する/宣言する/教える( pointing to, showing, indicating, announcing, proclaiming, teaching )の義。
憍尸迦。何等是般若波羅蜜義。憍尸迦。般若波羅蜜義者。不應以二相觀。不應以不二相觀。非有相非無相。不入不出不增不損不垢不淨不生不滅不取不捨不住非不住非實非虛非合非散非著非不著非因非不因非法非不法非如非不如非實際非不實際。 憍尸迦、何等か、是れ般若波羅蜜の義なる。憍尸迦、般若波羅蜜の義とは、応に二相を以って観ずべからず、応に不二相を以って観ずべからず、非有相非無相、不入不出、不増不損、不垢不浄、不生不滅、不取不捨、不住非不住、非実非虚、非合非散、非著非不著、非因非不因、非法非不法、非如非不如、非実際非不実際なればなり。
憍尸迦!
何のようなものが、
『般若波羅蜜』の、
『義なのか?』。
憍尸迦!
『般若波羅蜜の義』とは、――
『二相』を、
『用いて!』、
『観るべきでなく!』、
『不二相』を、
『用いて!』、
『観るべきでない!』。
謂わゆる、
『有相でも、無相でもなく!』、
『入でも、出でもなく!』、
『増でも、損でもなく!』、
『垢でも、浄でもなく!』、
『生でも、滅でもなく!』、
『取でも、捨でもなく!』、
『住でも、不住でもなく!』、
『実でも、虚でもなく!』、
『合でも、散でもなく!』、
『著でも、不著でもなく!』、
『因でも、不因でもなく!』、
『法でも、不法でもなく!』、
『如でも、不如でもなく!』、
『実際でもなく、不実際でもないからである!』。
憍尸迦。若善男子善女人。能以是般若波羅蜜義。為他人種種因緣演說。開示分別令易解。是善男子善女人。所得福德甚多。勝自受持般若波羅蜜親近讀誦說正憶念。 憍尸迦、若し善男子、善女人能く、是の般若波羅蜜の義を以って、他人の為めに種種の因縁もて、演説し、開示し、分別して易解ならしむれば、是の善男子、善女人の所得の福徳は甚だ多く、自ら般若波羅蜜を受持して、親近し読誦し、説いて正憶念するに勝る。
憍尸迦!
若し、
『有る善男子、善女人』が、
『他人の為に!』、
『種種の因縁を用いて!』、
是の、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させれば!』、
是の、
『善男子、善女人の得られる!』、
『福徳は甚だ多く!』、
自ら、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『親近、読誦し、説いて!』、
『正しく憶念する!』のに、
『勝るのである!』。
復次憍尸迦。善男子善女人。自受持般若波羅蜜。親近讀誦說正憶念。亦為他人種種因緣。演說般若波羅蜜義。開示分別令易解。是善男子善女人。所得功德甚多。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の自ら般若波羅蜜を受持し、親近し、読誦し、説いて正憶念し、亦た他人の為に種種の因縁もて、般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して易解せしむる、是の善男子、善女人の所得の功徳は甚だ多し。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
自ら、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『親近、読誦し、説いて!』、
『正しく!』、
『憶念しながら!』、
亦た、
『他人の為に!』、
『因縁を用いて!』、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させれば!』、
是の、
『善男子、善女人の得る!』、
『功徳』は、
『甚だ多いのである!』。
釋提桓因白佛言。世尊。善男子善女人。應如是演說般若波羅蜜義開示分別令易解。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、善男子、善女人は、応に是の如く、般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して、易解せしむべし』、と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『善男子、善女人』は、
是のように、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『理解』を、
『容易にさせねばならない!』、と。
佛告釋提桓因。如是憍尸迦。是善男子善女人。應如是演說般若波羅蜜義開示分別令易解。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、憍尸迦、是の善男子、善女人は、応に是の如く、般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して易解せしむべし。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』は、
是のように、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『理解』を、
『容易にさせねばならない!』。
憍尸迦。善男子善女人。如是演說般若波羅蜜義。開示分別令易解。得無量無邊阿僧祇福德。 憍尸迦、善男子、善女人は、是の如く般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して、易解せしめて、無量無辺阿僧祇の福徳を得ればなり。
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
是のように、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示、分別して!』、
『理解』を、
『容易にさせれば!』、
『無量、無辺、阿僧祇』の、
『福徳』を、
『得るからである!』。
若有善男子善女人。供養十方無量阿僧祇諸佛。盡其壽命隨其所須。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋供養。若復有善男子善女人。種種因緣。為他人廣說般若波羅蜜義。開示分別令易解。是善男子善女人功德甚多。 若し有る善男子、善女人、十方の無量阿僧祇の諸仏を供養し、其の寿命の尽くるまで、其の須(もと)むる所に随うて、恭敬し、尊重し、讃歎し、華香乃至幡蓋を供養せんに、若し復た有る善男子、善女人、種種の因縁もて、他人の為めに般若波羅蜜の義を広説し、開示し、分別し、易解せしむれば、是の善男子、善女人の功徳は甚だ多し。
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『十方、無量阿僧祇』の、
『諸仏』を、
『供養しながら!』、
其の、
『寿命が尽きるまで!』、
其の、
『須めるがままに( enough for )!』、
『恭敬、尊重、讃歎し!』、
『華香、乃至幡蓋を供養したとしても!』、
若し、
復た、
有る、
『善男子、善女人』が、
『種種の因縁』で、
『他人の為に!』、
『般若波羅蜜の義を広説し!』、
『開示し、分別して!』、
『容易に、理解させれば!』、
是の、
『善男子、善女人の得る!』、
『功徳』は、
『甚だ多い!』。
  (しゅ):<名詞>[本義]髭( beard, moustache )。飾り房( tassel )、須臾/寸時( moment )。<動詞>待ち受ける( await )、停留する( stay )、需要/必要とする( need )、[助動詞]必ず( must, should )。<副詞>終に( at last )、本より( originally )、必然的に( inevitably )。<接続詞>却って( but, yet, while )、然しながら( although, even if )。
何以故。諸過去未來現在諸佛。皆於是般若波羅蜜中學。得阿耨多羅三藐三菩提。已得今得當得。 何を以っての故に、諸の過去、未来、現在の諸仏は、皆是の般若波羅蜜中に学びて、阿耨多羅三藐三菩提を得、已に得、今得、当に得べければなり。
何故ならば、
『諸の過去や、未来や、現在の諸仏』は、
皆、
是の、
『般若波羅蜜中に学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得!』、
『過去にも、今にも、未来にも!』、
『得るからである!』。
復次憍尸迦。若善男子善女人。於無量無邊阿僧祇劫。行檀波羅蜜。不如是善男子善女人以般若波羅蜜為他人演說其義開示分別令易解其福甚多。以無所得故。 復た次ぎに、憍尸迦、若し善男子、善女人、無量無辺阿僧祇劫に、檀波羅蜜を行ぜんに、是の善男子、善女人の般若波羅蜜を以って、他人の為めに、其の義を演説し、開示し、分別して易解せしむる、其の福の甚だ多きには如かず。無所得を以っての故なり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
『無量無辺阿僧祇の劫』に於いて、
『檀波羅蜜』を、
『行ったとしても!』、
是の、
『善男子、善女人』が、
『他人の為に!』、
『般若波羅蜜の義を演説し、開示し、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させれば!』、
是の、
『人の得られる!』、
『福の甚だ多い!』のには、
『及ばない!』。
是の、
『福』は、
『無所得だからである( nothing to be recognized )!』。
云何名有所得。憍尸迦。若菩薩摩訶薩。用有所得故布施。布施時作是念。我與彼受。所施者物。是名得檀不得波羅蜜。 云何が有所得と名づくる。憍尸迦、若し菩薩摩訶薩、有所得を用っての故に布施せば、布施する時、是の念を作さん、『我れは与え、彼れは受く、施す所は物なり』、と。是れを檀を得て、波羅蜜を得ずと名づく。
何を、
『有所得と言うのか?』、――
憍尸迦!
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『有所得を用いて( using what is recognized )!』、
『布施しながら!』、
若し、
『布施する!』時、こう念じれば、――
『わたしが、与える!』とか、
『彼れが、受ける!』とか、
『施された、物である!』、と。
是れは、
『檀であると、認められる!』が、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
我持戒此是戒。是名得戒不得波羅蜜。 『我れは戒を持(たも)つ、此れは是れ戒なり』と、是れを戒を得て、波羅蜜を得ずと名づく。
若し、
『持戒する!』時、こう念じれば、――
『わたしは、持戒している!』とか、
『此れが、戒である!』、と。
是れは、
『戒であると、認められても!』、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
我忍辱為是人忍辱。是名得忍辱不得波羅蜜。 『我れは忍辱す。是の人の為に忍辱す』と、是れを忍辱を得て、波羅蜜を得ず
若し、
『忍辱する!』時、こう念じれば、――
『わたしは、忍辱している!』とか、
『是の人の為に、忍辱している!』、と。
是れは、
『忍辱であると、認められても!』、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
我精進為是事懃精進。是名得精進不得波羅蜜。 『我れは精進す。是の事の為めに精進を懃(つと)む』と、是れを精進を得て、波羅蜜を得ずと名づく。
若し、
『精進する!』時、こう念じれば、――
『わたしは、精進している!』とか、
『是の事の為に、懃めて精進する!』、と。
是れは、
『精進であると、認められても!』、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
我修禪所修是禪。是名得禪不得波羅蜜。 『我れは禅を修む。修むる所は是れ禅なり』と、是れを禅を得て、波羅蜜を得ずと名づく。
若し、
『修禅する!』時、こう念じれば、――
『わたしは、修禅している!』とか、
『修めているのは、禅である!』、と。
是れは、
『禅であると、認められても!』、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
我修慧所修是慧。是名得慧不得波羅蜜。 『我れは慧を修む、修むる所は是れ慧なり』と、是れを慧を得て、波羅蜜を得ずと名づく。
若し、
『慧を修める!』時、こう念じれば、――
『わたしは、慧を修めている!』とか、
『修めているのは、慧である!』、と。
是れは、
『慧であると、認められても!』、
『波羅蜜である!』とは、
『認められない!』。
憍尸迦。是善男子善女人。如是行者不得具足檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。 憍尸迦、是の善男子、善女人、是の如く行ずれば、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を具足するを得ず。
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』が、
是のように、
『行えば!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『具足できないのである!』。
釋提桓因白佛言。世尊。菩薩摩訶薩云何修具足檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、云何が檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を修めて具足する』、と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
何のように、
『修めれば!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『具足することになるのか?』、と。
佛告釋提桓因。菩薩摩訶薩布施時。不得與者。不得受者。不得所施物。是人得具足檀波羅蜜。乃至修般若波羅蜜時。不得智不得所修智。是人得具足般若波羅蜜。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『菩薩摩訶薩は、布施する時、与うる者を得ず、受くる者を得ず、施す所の物を得ざれば、是の人は檀波羅蜜を具足するを得、乃至般若波羅蜜を修むる時、智を得ず、修むる所の智を得ざれば、是の人は般若波羅蜜を具足するを得。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』が、
『布施する!』時、
『与者や、受者であるとも、施される物であるとも!』、
『得ることがなければ( do not to recognize )!』、
是の、
『人』は、
『檀波羅蜜』を、
『具足することができ!』、
乃至、
『般若波羅蜜を修める!』時、
『智であるとも、修められる智であるとも!』、
『得ることがなければ!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜』を、
『具足することができるのである!』。
憍尸迦。是為菩薩摩訶薩具足檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。善男子善女人。如是行般若波羅蜜。當為他人演說其義。開示分別令易解。禪波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸羅波羅蜜檀波羅蜜。演說其義。開示分別令易解。 憍尸迦、是れを菩薩摩訶薩の檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜を具足すと為す。善男子、善女人は、是の如く般若波羅蜜を行ずれば、当に他人の為めに其の義を演説し、開示し、分別して、易解せしめ、禅波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、羼提波羅蜜、尸羅波羅蜜、檀波羅蜜の、其の義を演説し、開示し、分別して易解せしむべし。
憍尸迦!
是れが、
『菩薩摩訶薩』が、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜』を、
『具足するということである!』。
『善男子、善女人』が、
是のように、
『般若波羅蜜を行えば!』、
『他人』の為めに、
『般若波羅蜜の義を演説し!』、
『開示し、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させ!』、
『禅、毘梨耶、羼提、尸羅、檀波羅蜜の義を演説し!』、
『開示し、分別して!』、
『容易に!』、
『理解させるはずである!』。
何以故。憍尸迦。未來世當有善男子善女人。欲說般若波羅蜜。而說相似般若波羅蜜。有善男子善女人。發阿耨多羅三藐三菩提心。聞是相似般若波羅蜜失正道。善男子善女人。應為是人具足演說般若波羅蜜義開示分別令易解。 何を以っての故に、憍尸迦、未来世に、当に善男子、善女人有りて、般若波羅蜜を説かんと欲して、而も相似の般若波羅蜜を説くべし。有る善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発して、是の相似の般若波羅蜜を聞かば、正道を失わん。善男子、善女人は、応に是の人の為に般若波羅蜜の義を具足して演説し、開示し、分別して、易解せしむべし。
何故ならば、
憍尸迦!
『未来の世』の、
有る、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を説こうとしながら!』、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説くことになるからである!』。
有る、
『善男子、善女人』が、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発しながら!』、
是の、
『相似の般若波羅蜜を聞けば!』、
『正道』を、
『失うのである!』から、
当然、
『善男子、善女人』は、
是の、
『人の為に!』、
『般若波羅蜜の義を具足して、演説し!』、
『開示し、分別して!』、
『容易に、理解させねばならない!』。
  参考:『大般若経巻135』:『憍尸迦。諸善男子善女人等。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說般若波羅蜜多。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說靜慮波羅蜜多。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說精進波羅蜜多。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說安忍波羅蜜多。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說淨戒波羅蜜多。應以如是無所得慧及以種種巧妙文義。宣說布施波羅蜜多。何以故。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似般若波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似般若波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說般若波羅蜜多。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似靜慮波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似靜慮波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說靜慮波羅蜜多。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似精進波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似精進波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說精進波羅蜜多。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似安忍波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似安忍波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說安忍波羅蜜多。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似淨戒波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似淨戒波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說淨戒波羅蜜多。憍尸迦。於當來世有善男子善女人等。為他宣說相似布施波羅蜜多。初發無上菩提心者。聞彼所說相似布施波羅蜜多。心便迷謬失於中道。是故應以無所得慧及以種種巧妙文義。為發無上菩提心者。宣說布施波羅蜜多』
釋提桓因白佛言。世尊。何等是相似般若波羅蜜。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、何等か、是れ相似の般若波羅蜜なる』、と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何が、
『相似の!』、
『般若波羅蜜なのか?』、と。
  参考:『大般若経巻136』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。云何名說相似般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。佛言。憍尸迦。若善男子善女人等。說有所得般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。如是名說相似般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。時天帝釋復白佛言。世尊。云何諸善男子善女人等。說有所得般若波羅蜜多。名說相似般若波羅蜜多。佛言。憍尸迦。若善男子善女人等。為發無上菩提心者。說色若常若無常。說受想行識若常若無常。說色若樂若苦。說受想行識若樂若苦。說色若我若無我。說受想行識若我若無我。說色若淨若不淨。說受想行識若淨若不淨。若有能依如是等法修行般若。是行般若波羅蜜多。復作是說。行般若者。應求色若常若無常。應求受想行識若常若無常。應求色若樂若苦。應求受想行識若樂若苦。應求色若我若無我。應求受想行識若我若無我。應求色若淨若不淨。應求受想行識若淨若不淨。若有能求如是等法修行般若。是行般若波羅蜜多。憍尸迦。若善男子善女人等。如是求色若常若無常。求受想行識若常若無常。求色若樂若苦。求受想行識若樂若苦。求色若我若無我。求受想行識若我若無我。求色若淨若不淨。求受想行識若淨若不淨。依此等法行般若者。我說名為行有所得相似般若波羅蜜多。憍尸迦。如前所說。當知皆是說有所得相似般若波羅蜜多』
佛言。有善男子善女人。說有所得般若波羅蜜。是為相似般若波羅蜜。 仏の言わく、『有る善男子、善女人、所得有る般若波羅蜜を説けば、是れを相似の般若波羅蜜と為す』、と。
『仏』は、こう言われた、――
有る、
『善男子、善女人』が、
『有所得( recognizable )の!』、
『般若波羅蜜』を、
『説けば!』、
是れが、
『相似の!』、
『般若波羅蜜である!』、と。
釋提桓因白佛言。世尊。云何善男子善女人。說有所得般若波羅蜜。是為相似般若波羅蜜。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、云何が、善男子、善女人、所得有る般若波羅蜜を説いて、是れを相似の般若波羅蜜と為す』、と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何故、
『善男子、善女人』が、
『有所得の!』、
『般若波羅蜜』を、
『説けば!』、
是れが、
『相似の!』、
『般若波羅蜜なのか?』、と。
佛言。善男子善女人。說有所得般若波羅蜜。是相似般若波羅蜜者。說色無常作是言。能如是行。是行般若波羅蜜。行者求色無常。是為行相似般若波羅蜜。 仏の言わく、『善男子、善女人、所得有る般若波羅蜜を説けば、是れ相似の般若波羅蜜なりとは、『色は無常なり』と説いて、『能く是の如く行ずれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり』、と是の言を作さば、行者は、色の無常なるを求めん。是れを相似の般若波羅蜜を行ずと為す。
『仏』は、こう言われた、――
『善男子、善女人』が、
『有所得の!』、
『般若波羅蜜』を、
『説けば!』、
是れが、
『相似の!』、
『般若波羅蜜である!』とは、――
『色は無常である!』と、
『説いて!』、こう言えば、――
是のように、
『行うことができれば!』、
『般若波羅蜜を行うことになる!』、と。
『行者』は、
『色』の、
『無常』を、
『求めることになる( to seek )!』が、
是れが、
『相似の般若波羅蜜』を、
『行うということである!』。
說受想行識無常作是言。能如是行。是行般若波羅蜜。行者求受想行識無常。是為行相似般若波羅蜜。 受想行識の無常を説いて、『能く是の如く行ずれば、是れ般若波羅蜜を行ずるなり』と、是の言を作さば、行者は、受想行識の無常を求めん。是れを相似の般若波羅蜜を行ずと作す。
『受想行識は無常である!』と、
『説いて!』、こう言えば、――
是のように、
『行うことができれば!』、
『般若波羅蜜を行うことになる!』、と。
『行者』は、
『受想行識』の、
『無常』を、
『求めることになる!』が、
是れが、
『相似の般若波羅蜜』を、
『行うということである!』。
說眼無常乃至說意無常。說色無常乃至說法無常。說眼界無常色界眼識界無常。乃至說意界法界意識界無常。說地種無常。乃至說識種無常。說眼識界無常。乃至說意識界無常。說眼觸無常。乃至說意觸無常。說眼觸因緣生受無常。乃至說意觸因緣生受無常。廣說如五眾。說色苦。乃至說意觸因緣生受苦。說色無我。乃至說意觸因緣生受無我。皆如五眾說。 眼の無常を説き、乃至意の無常を説き、色の無常を説き、乃至法の無常を説き、眼界の無常、色界、眼識界の無常を説き、乃至意界、法界、意識界の無常を説き、地種の無常を説き、乃至識種の無常を説き、眼識界の無常を説き、乃至意識界の無常を説き、眼触の無常を説き、乃至意触の無常を説き、眼触因縁生の受の無常を説き、乃至意触因縁生の受の無常を説くも、広説せる五衆の如く、色の苦を説き、乃至意触因縁生の受の苦を説き、色の無我を説き、乃至意触因縁生の受の無我を説き、皆五衆の如く説かん
『眼、乃至意』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『色、乃至法』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『眼界、色界、眼識界、乃至意界、法界、意識界』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『地種、乃至識衆』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『眼識界、乃至意識界』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『眼触、乃至意触』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『眼触因縁生の受、乃至意触因縁生の受』は、
『無常である!』と、
『説き!』、
『広説した五衆のように!』、
『色、乃至意触因縁生の受の苦や、無我を!』、
皆、
『五衆のように!』、
『説けば!』、
行者行檀波羅蜜時。為說色無常苦無我。乃至意觸因緣生受。說無常苦無我。尸羅波羅蜜乃至般若波羅蜜亦如是。行四禪四無量心四無色定。為說無常苦無我。行四念處為說無常苦無我。乃至行薩婆若時。為說無常苦無我。作如是教。能如是行者。是為行般若波羅蜜。憍尸迦。是名相似般若波羅蜜。 行者の檀波羅蜜を行ずる時、為めに色の無常、苦、無我なるを説き、乃至意触因縁生の受を、無常、苦、無我なりと説き、尸羅波羅蜜、乃至般若波羅蜜も亦た是の如し。四禅、四無量心、四無色定を行ずるにも、為めに無常、苦、無我なるを説き、四念処を行ずるにも、為めに無常、苦、無我なるを説き、乃至薩婆若を行ずる時にも、為めに無常、苦、無我なるを説きて、是の如き教を作さく、『能く是の如く行ずれば、是れを般若波羅蜜と行ずと為す』と。憍尸迦、是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
『行者』は
『檀波羅蜜を行う!』時、
『檀波羅蜜の為に!』、
『色、乃至意触因縁生の受は無常、苦、無我である!』と、
『説き!』、
『尸羅、乃至般若波羅蜜を行う!』時も、
亦た、
『是の通りであり!』、
『四禅、四無量、四無色定、四念処、乃至薩婆若を行う!』時も、
『薩婆若の為に!』、
『無常、苦、無我である!』と、
『説き!』、
『人』に、こう教える、――
是のように、
『行うことができれば!』、
『般若波羅蜜』を、
『行うことになる!』、と。
憍尸迦!
是れが、
『相似の!』、
『般若波羅蜜である!』。
復次憍尸迦。若善男子善女人。當來世說相似般若波羅蜜。作是言。汝善男子修行般若波羅蜜。汝修行般若波羅蜜時。當得初地乃至當得十地。禪波羅蜜乃至檀波羅蜜亦如是。行者以相似有所得。以總相修是般若波羅蜜。憍尸迦。是名相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、憍尸迦、若し善男子、善女人、当来の世に、相似の般若波羅蜜を説きて、是の言を作さん、『汝、善男子、般若波羅蜜を修行せよ。汝が、般若波羅蜜を修行する時、当に初地を得べく、乃至当に十地を得べし。禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜も亦た是の如し』、と。行者は相似、有所得を以って、総相を以って、是の般若波羅蜜を修すれば、憍尸迦、是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
『未来の世』に、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説いて!』、
こう言えば、――
お前のような!
『善男子』は、
『般若波羅蜜』を、
『修行せよ!』。
お前が、
『般若波羅蜜を修行する!』時、
『初地を得ることになり!』、
乃至、
『十地までも!』、
『得ることになるだろう!』。
『禅、乃至檀波羅蜜』も、
亦た、
『是の通りである!』、と。
『行者』が、
是の、
『相似、有所得の!』、
『般若波羅蜜』を、
『行い!』、
是の、
『総相』の、
『般若波羅蜜』を、
『修めれば!』、
憍尸迦!
是れを、
『相似の般若波羅蜜』と、
『称するのである!』。
  参考:『大般若経巻145』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。為發無上菩提心者。宣說般若波羅蜜多。或說靜慮波羅蜜多。或說精進波羅蜜多。或說安忍波羅蜜多。或說淨戒波羅蜜多。或說布施波羅蜜多。作如是言。來善男子。我當教汝修學般若乃至布施波羅蜜多。若依我教而修學者。速入菩薩正性離生。既入菩薩正性離生。便得菩薩無生法忍。既得菩薩無生法忍。便得菩薩不退神通。既得菩薩不退神通。能歷十方一切佛土。從一佛國至一佛國。供養恭敬尊重讚歎一切如來應正等覺。由此速疾證得無上正等菩提。憍尸迦。是善男子善女人等。以有相為方便。有所得為方便。及時分想。教他修學般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。是為宣說相似般若乃至布施波羅蜜多』
復次憍尸迦。善男子善女人。欲說般若波羅蜜作是言。汝善男子修行般若波羅蜜已。當過聲聞辟支佛地。是名相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の、般若波羅蜜を説かんと欲して、是の言を作さく、『汝、善男子、般若波羅蜜を修行し已らば、当に声聞、辟支仏の地を過ぐべし』、と。是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を説こうとして!』、こう言えば、――
お前のような、
『善男子』が、
『般若波羅蜜を修行すれば!』、
『声聞、辟支仏の地』を、
『過ぎるはずだ!』、と。
是れを、
『相似の般若波羅蜜』と、
『称する!』。
復次善男子善女人。為求佛道者如是說。汝善男子善女人。修行般若波羅蜜已。入菩薩位。得無生法忍。得無生法忍已。便住菩薩神通。從一佛界至一佛界。供養諸佛恭敬尊重讚歎。如是說者。是名相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、善男子、善女人の、仏道を求むる者の為に、是の如く説かく、『汝、善男子、善女人、般若波羅蜜を修行し已らば、菩薩位に入りて、無生法忍を得ん。無生法忍を得已らば、便ち菩薩の神通に住して、一仏界より、一仏界に至りて、諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎せん』、と。是の如く説かば、是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
『善男子、善女人』が、
『仏道を求める者の為に!』、こう説けば、――
お前のような、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を修行すれば!』、
『菩薩位に入って!』、
『無生法忍』を、
『得ることになり!』、
『無生法忍を得れば!』、
便ち( easily )、
『菩薩』の、
『神通』に、
『住することになり!』、
『一仏界より、一仏界に至って!』、
『諸仏を供養し!』、
『恭敬、尊重、讃歎するだろう!』、と。
是のように、
『説けば!』、
是れを、
『相似の般若波羅蜜』と、
『称する!』。
復次憍尸迦。善男子善女人。為求佛道者如是說。汝善男子善女人。學是般若波羅蜜。受持讀誦說正憶念。當得無量無邊阿僧祇功德。如是說者。是名相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の、仏道を求むる者の為に、是の如く説かく、『汝、善男子、善女人、是の般若波羅蜜を学びて、受持し、読誦し、説き、正憶念せば、当に無量無辺阿僧祇の功徳を得べし』、と。是の如く説かば、是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『仏道を求める者の為に!』、こう説けば、――
お前のような、
『善男子、善女人』は、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『受持、読誦し、説いて!』、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
『無量、無辺、阿僧祇の!』、
『功徳』を、
『得ることになる!』、と。
是のように、
『説けば!』、
是れを、
『相似の般若波羅蜜』と、
『称する!』。
復次善男子善女人。為求佛道者說。如過去未來現在諸佛功德善本。從初發心至成得佛。都合集迴向阿耨多羅三藐三菩提。如是說者。是名相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、善男子、善女人の仏道を求むる者の為に説かく、『過去、未来、現在の諸仏の如く、功徳、善本を、初発心より、得仏を成ずるに至るまで、都べて、合集して、阿耨多羅三藐三菩提に迴向せよ』、と。是の如く説かば、是れを相似の般若波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
『善男子、善女人』が、
『仏道を求める者の為に!』、こう説けば、――
『過去、未来、現在の諸仏のように!』、
『初発心、乃至仏と成るまで!』、
都ての、
『功徳、善本を合集して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『廻向せよ!』、と。
是のように、
『説けば!』、
是れを、
『相似の般若波羅蜜』と、
『称する!』。
  得仏(とくぶつ):梵語 bodhi-praapta の訳、完全な智慧を獲得する( to gain the perfect knowledge )の義、仏と為る( to become the Buddha )の意。
  参考:『大般若経巻145』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。告住菩薩種性者言。汝於過去未來現在一切如來應正等覺。從初發心乃至證得無餘涅槃。所有善根皆應隨喜一切合集。為諸有情迴向無上正等菩提。憍尸迦。是善男子善女人等。以有相為方便。有所得為方便。作如是說。是說相似般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多』
釋提桓因白佛言。世尊。云何善男子善女人。為求佛道者。不說相似般若波羅蜜。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、云何が善男子、善女人の仏道を求むる者の為に、相似の般若波羅蜜を説かざる』、と。
『釈提桓因』は、
 『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何うすれば、
『善男子、善女人』は、
『仏道を求める!』者の為に、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説くことがないのか?』、と。
  参考:『大般若経巻146』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。云何名為宣說真正般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。佛言。憍尸迦。若善男子善女人等。說無所得般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。如是名為宣說真正般若靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。時天帝釋復白佛言。世尊。云何諸善男子善女人等。說無所得般若波羅蜜多。名說真正般若波羅蜜多。佛言。憍尸迦。若善男子善女人等。為發無上菩提心者。宣說般若波羅蜜多。作如是言。汝善男子。應修般若波羅蜜多。不應觀色若常若無常。不應觀受想行識若常若無常。何以故。色色自性空。受想行識受想行識自性空。是色自性即非自性。是受想行識自性亦非自性。若非自性即是般若波羅蜜多。於此般若波羅蜜多色不可得。彼常無常亦不可得。受想行識皆不可得。彼常無常亦不可得。所以者何。此中尚無色等可得。何況有彼常與無常。』
佛言。若善男子善女人。為求佛道者。說般若波羅蜜。善男子善女人。汝修行般若波羅蜜。莫觀色無常。何以故。色色性空。是色性非法。若非法即名為般若波羅蜜。般若波羅蜜中。色非常非無常。何以故。是中色尚不可得。何況常無常。憍尸迦。善男子善女人。如是說者。是名不說相似般若波羅蜜。受想行識亦如是。 仏の言わく、『若し善男子、善女人、仏道を求むる者の為に、般若波羅蜜を説かく、『善男子、善女人、汝般若波羅蜜を修行するに、色の無常を観る莫(な)かれ。何を以っての故に、色の色性は空なればなり。是の色性は、法に非ず、若し法に非ざれば、即ち名づけて、般若波羅蜜と為す。般若波羅蜜中に、色は常に非ず、無常に非ず。何を以っての故に、是の中に色すら、尚お得べからず。何に況んや、常、無常をや』、と。憍尸迦、善男子、善女人、是の如く説かば、是れを相似の般若波羅蜜を説かずと名づく。受想行識も亦た是の如し。
『仏』は、こう言われた、――
若し、
『善男子、善女人』が、
『仏道を求める!』者の為に、
『般若波羅蜜』を、こう説けば、――
善男子、善女人!
お前は、
『般若波羅蜜を修行しながら!』、
『色』を、
『無常である!』と、
『観てはならない!』。
何故ならば、
『色という!』、
『色の性( the own nature of a form )』が、
『空である!』が故に、
是の、
『色の性』は、
『法でない!』。
若し、
『色が、法でなければ!』、
即ち( that is )、
『般若波羅蜜である!』。
『般若波羅蜜』中に、
『色』は、
『常でもなく!』、
『無常でもない!』。
何故ならば、
是の中には、
『色すら!』、
『尚お、不可得であり( do not recognize )!』、
況して、
『常や、無常』は、
『言うまでもないからである!』、と。
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
是のように、
『説けば!』、
是れは、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説かなかったことになる!』。
亦た、
『受想行識』も、
『是の通りである!』。
  色色(しきしき):梵語 ruupa-antara の訳、色の中身( the interior part or content of a form )の義。
  色性(しきしょう):梵語 ruupa-svabhaava : 色の自性( the own nature of a form )の義。
復次憍尸迦。善男子善女人。為求佛道者說。汝善男子善女人修行般若波羅蜜。於諸法莫有所過莫有所住。何以故。般若波羅蜜中。無有法可過可住。所以者何。一切法自性空。自性空是非法。若非法即是為般若波羅蜜。般若波羅蜜中。無有法可入可出可生可滅。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の仏道を求むる者の為に説かく、『汝、善男子、善女人、般若波羅蜜を修行するに、諸法に於いて、過ぐる所を有する莫かれ、住する所を有する莫かれ。何を以っての故に、般若波羅蜜中には、法の過ぐるべき、住すべき有る無ければなり。所以は何んとなれば、一切法の自性は空なればなり。自性空なれば、是れ法に非ず、若し法に非ざれば、即ち是れを般若波羅蜜と為す。般若波羅蜜中には、法の入るべき、出づべき、生ずべき、滅すべき有ること無し。』、と。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『仏道を求める!』者の為に、こう説けば、――
お前のような、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を修行して!』、
『諸法』中に、
『過ぎたり、住したりするような!』、
『法』が、
『有ってはならない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中には、
『過ぎたり、住したりするような!』、
『法』が、
『無いからである!』。
何故ならば、
『一切法』は、
『自性』が、
『空であり!』、
『自性が空ならば!』、
是れは、
『法でないからである!』。
若し、
『一切法が、法でなければ!』、
即ち、
『般若波羅蜜であり!』、
『般若波羅蜜』中には、
『入、出したり、生、滅するような!』、
『法』が、
『無いからである!』。
憍尸迦。是善男子善女人如是說。是名不說相似般若波羅蜜。廣說如上。與相似相違。是名不說相似般若波羅蜜。 憍尸迦、是の善男子、善女人、是の如く説けば、是れを相似の般若波羅蜜を説かずと名づけ、上の如く広説して、相似と相違すれば、是れを相似の般若波羅蜜を説かずと名づく。
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』が、
是のように、
『説けば!』、
是れは、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説かなかったことになる!』。
上のように、
『広説して!』、
『相似の般若波羅蜜』と、
『相違すれば!』、
是れが、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説かないということである!』。
如是憍尸迦。善男子善女人。應如是演說般若波羅蜜義。若如是說般若波羅蜜義。所得功德勝於前者 是の如く、憍尸迦、善男子、善女人は、応に是の如く般若波羅蜜の義を演説すべし。若し是の如く般若波羅蜜の義を説かば、得る所の功徳は、前の者に勝らん。
是のように、
憍尸迦!
『善男子、善女人』は、
是のように、
『般若波羅蜜』の、
『義』を、
『説くべきである!』。
若し、
是のように、
『般若波羅蜜の義を説けば!』、
『得られる功徳』は、
『前の功徳』に、
『勝るだろう!』。



【論】般若波羅蜜の経巻を書いて、他人に与える

【論】者言。佛更欲以異門明般若波羅蜜勝故。問帝釋言。若有人教一閻浮提人行十善道。其福多不。 論者の言わく、仏は、更に異門を以って、般若波羅蜜の勝れたるを明さんと欲するが故に、帝釈に問うて言わく、『若し有る人、一閻浮提の人を教えて、十善道を行ぜしめんに、其の福多しや不や』、と。
論者は、こう言う、――
『仏』は、
更に、
『異門( the alternative way )を用いて!』、
『般若波羅蜜が勝れている!』のを、
『明かそうとし!』、
『帝釈に問うて!』、こう言われた、――
若し、
有る、
『人』が、
『一閻浮提の人を教えて!』、
『十善道』を、
『行わせれば!』、
是の、
『人の得る!』、
『福』は、
『多いだろうか?』、と。
  異門(いもん):梵語 paryaaya の訳、代りの( alternative, substitute )の義、別の方法( the alternative way )の意。
如經中廣說。此中說所以勝因緣。所謂般若波羅蜜。廣說諸無漏法。成三乘道入涅槃。不復還十善道。但善有漏法。受世間無常福樂。還復墮苦是故不如。 経中に広説するが如く、此の中に、勝る所以の因縁を説く。謂わゆる般若波羅蜜なり、広説すれば、諸の無漏法にして、三乗の道と成るも、涅槃に入らば、復た還らず。十善道は、但だ善の有漏法なり、世間の無常の福楽を受くれば、還って復た苦に墮つれば、是の故に如かず。
『経』中に、
『広く説かれているように!』、
此の中には、
『勝るとする!』所の、
『因縁』を、
『説いたのである!』。
謂わゆる、
『般若波羅蜜』は、
諸の、
『無漏の法を広説して!』、
『三乗の道( the ways of the three wagons )』を、
『成し( to attain )!』、
『涅槃』に、
『入らせる!』と、
復た( never again )、
『世間』に、
『還ることはない!』が、
『十善道』は、
但だ、
『善の有漏法であり!』、
『世間』で、
『無常の福楽』を、
『受ければ!』、
復た、還って( again cyclicly )、
『苦に!』、
『堕ちる!』ので、
是の故に、
『般若波羅蜜』には、
『及ばない!』。
復次先是世間法。後是出世間法。先是能生生死法。後是能滅生死法。先是無常樂因緣。後是常樂因緣。先是凡夫聖人共法。後但是為聖人法。如是等差別。 復た次ぎに、先は是れ世間の法にして、後は是れ出世間の法なり。先は是れ能く生死の法を生じ、後は是れ能く生死の法を滅す。先は是れ無常の楽の因縁にして、後は是れ常の楽の因縁なり。先は是れ凡夫、聖人の共法にして、後は但だ是れ聖人の為めの法なり。是の如き等に差別す。
復た次ぎに、
先(十善道)は、
『世間』の、
『法である!』が、
後(般若波羅蜜)は、
『出世間』の、
『法である!』。
先は、
『生死』の、
『法』を、
『生じさせる!』が、
後は、
『生死』の、
『法』を、
『滅しさせる!』。
先は、
『無常』の、
『楽』の、
『因縁である!』が、
後は、
『常』の、
『楽』の、
『因縁である!』。
先は、
『凡夫』と、
『聖人』と、
『共通の!』、
『法である!』が、
後は、
但だ、
『聖人』の為めの、
『法である!』。
是れ等のように、
『差別する!』。
無漏法者。三十七品十八不共法。乃至無量諸佛法。欲令是事了了易解故更說因緣。所謂教一人。令得須陀洹果得大福德。勝於教閻浮提人行十善道。雖行十善未免三惡道故。乃至得阿羅漢辟支佛道亦如是。 無漏法とは、三十七品、十八不共法、乃至無量の諸仏の法なるも、是の事をして、了了に易解せしめんと欲するが故に、更に因縁を説く、謂わゆる一人を教えて、須陀洹果を得しめて得る大福徳は、閻浮提の人を教えて、十善道を行ぜしむるに勝る。十善を行ずと雖も、未だ三悪道を免れざるが故なり。乃至阿羅漢、辟支仏道を得しむるも亦た是の如し。
『無漏法』とは、
『三十七品』と、
『十八不共法、乃至無量の諸仏の法である!』が、
是の、
『事』を、
了了に( clearly )、
易しく( easily )、
『理解させよう!』と、
『思われた!』が故に、
更に、
『因縁』を、
『説かれた!』、――
謂わゆる、
『一人を教え!』、
『須陀洹果を得させて!』、
『大福徳』を、
『得る!』のは、
『一閻浮提の人を教え!』、
『十善道を行わせる!』、
『福徳』に、
『勝る!』、と。
何故ならば、
『十善を行うだけ!』では、
未だ、
『三悪道』を、
『免れさせないからであり!』、
乃至、
『阿羅漢、辟支仏道を得させる!』のも、
『是の通りである!』、と。
佛更說譬喻。若有人教一閻浮提人。令得聲聞辟支佛道。不如有人教一人令得阿耨多羅三藐三菩提是人得福多。何以故。須陀洹至辟支佛。皆從菩薩生故。 仏の更に譬喩を説きたまわく、『若し有る人、一閻浮提の人を教えて、声聞、辟支仏道を得しめんに、有る人の、一人を教えて、阿耨多羅三藐三菩提を得しむれば、是の人の得る福多きに如かず。何を以っての故に、須陀洹より辟支仏に至るまで、皆、菩薩より生ずるが故なり』、と。
『仏』は、
更に、
『譬喩』を、こう説かれた、――
若し、
『有る人』が、
『一閻浮提の人を教えて!』、
『声聞、辟支仏道』を、
『得させても!』、
『有る人』が、
『一人を教えて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得させれば!』、
是の、
『人の得られる!』
『福の多さ!』には、
『及ばない!』。
何故ならば、
『須陀洹、乃至辟支仏』は、
皆、
『菩薩より!』、
『生じるからである!』、と。
是般若波羅蜜中。種種說佛道因緣。是故書般若波羅蜜經卷與人。勝以十善教四天下乃至如恒河沙等世界。 是の般若波羅蜜中に、種種に仏道の因縁を説く。是の故に、般若波羅蜜の経巻を書いて、人に与うれば、十善を以って、四天下、乃至恒河沙に等しきが如き世界を教うるに勝る。
是の、
『般若波羅蜜』中には、
種種に、
『仏道の因縁』を、
『説いている!』ので、
是の故に、こう説くのである、――
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人』に、
『与えれば!』、
『十善』を、
『四天下、乃至恒河沙に等しい世界』に、
『教える!』のに、
『勝る!』、と。
復次教閻浮提人。乃至恒河沙等世界人。令行四禪等乃至五神通亦如是。但四禪等是離欲人。與十善差別 復た次ぎに、閻浮提の人、乃至恒河沙に等しき世界の人を教えて、四禅等、乃至五神通を行ぜしむるも、亦た是の如し。但だ四禅等は、是れ離欲の人なれば、十善と差別す。
復た次ぎに、
『閻浮提、乃至恒河沙等の世界』の、
『人を教えて!』、
『四禅等、乃至五神通』を、
『行わせる!』のも、
亦た、
『是の通りである!』。
但だ、
『四禅等は、離欲の人である!』が故に、
『十善』とは、
『差別する!』。
復次若有人教一閻浮提人。乃至如恒河沙世界。令行十善道四禪四無量心四無色定五神通。不如是人受持般若波羅蜜讀誦說正憶念得福多。 復た次ぎに、若し有る人、一閻浮提の人、乃至恒河沙の如き世界を教えて、十善道、四禅、四無量心、四無色定、五神通を行ぜしめんに、是の人の般若波羅蜜を受持して、読誦し説いて正憶念して得る福の多きに如かず。
復た次ぎに、
若し、
有る、
『人』が、
『一閻浮提、乃至恒河沙ほどの世界』の、
『人を教えて!』、
『十善道や、四禅、四無量心、四無色定、五神通』を、
『行わせても!』、
是の、
『人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『読誦したり、説いたりして!』、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
是の、
『人の得る!』、
『福の多さ!』には、
『及ばない!』。
得福多者。上以般若經卷與他人。今自行般若為異。先十善道乃至五神通別說。今合說。 福を得ること多しとは、上には、般若波羅蜜の経巻を以って、他人に与え、今は自ら般若を行ずるを、異と為す。先には十善道、乃至五神通を別けて説き、今は合して説く。
『得られる!』、
『福が多い!』とは、――
上には、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『他人に与え!』、
今は、
『般若波羅蜜』を、
『自ら行う!』ので、
『異なっている!』し、
先には、
『十善道、乃至五神通』を、
『別に!』、
『説いた!』が、
今は、
『合せて!』、
『説いている!』。
問曰。何以不解受持讀誦說。但解正憶念。 問うて曰く、何を以ってか、受、持、読、誦、説を解かず、但だ正憶念のみを解く。
問い、
何故、
『受持したり!』、
『読誦したり!』、
『説いたりする!』ことを、
『解説せず!』、
但だ、
『正しく!』、
『憶念すること!』を、
『解説するのですか?』。
答曰。受持讀誦說福德多。以正憶念能具二事。所謂福德智慧。是故別說。 答えて曰く、受、持、読、誦、説は福徳多く、正憶念を以って、能く二事、謂わゆる福徳と智慧とを具うれば、是の故に別に説く。
答え、
『受持したり!』、
『読誦したり!』、
『説いたりする!』ことの、
『福徳』は、
『多い!』が、
『正しく憶念すれば!』、
『二事、謂わゆる福徳と智慧と!』を、
『具えることができる!』ので、
是の故に、
『正憶念』を、
『別に、説くのである!』。
如人採藥草乃至合和而未服之於病無損服乃除病。正憶念如服藥病愈。是故但解正憶念。 人の薬草を採り、乃至和合するに、未だ之を服せざれば、病を損なうこと無く、服すれば乃ち病を除くが如きに、正憶念は薬を服して、病愈ゆるが如し。是の故に、但だ正憶念を解く。、
譬えば、
『人』が、
『薬草』を、
『採取し、乃至和合しても!』、
未だ、
『服まなければ!』、
『病を損なうこと!』が、
『無い!』が、
若し、
『服めば!』、
乃ち( therefor )、
『病』を、
『除くことになるように!』、
『正しく憶念すれば!』、
『薬を服んだように!』、
『病』を、
『除くことになる!』ので、
是の故に、
『正しく憶念すること!』を、
『解説するのである!』。
正憶念相。所謂非二非不二。行般若波羅蜜。二不二義如先說。 正憶念の相とは、謂わゆる二に非ず、不二に非ずして、般若波羅蜜を行ずるなり。二不二の義は先に説くが如し。
『正しく!』、
『憶念するという!』、
『相』は、
謂わゆる、
『非二、非不二の相であり!』、
『般若波羅蜜を行う相である!』。
『二、不二の義』は、
先に、
『説いた通りである!』。
初以書經卷勝舍利。中以經卷與人。勝教人行十善乃至五通。今受持讀誦說。於受持邊正憶念最勝 初に経巻を書くを以って、舎利に勝り、中に経巻を人に与うるを以って、人に教えて、十善、乃至五通を行ぜしむるに勝り、今は受持し、読誦し、説くに、受持の辺に於いては、正憶念最勝なり。
初は、
『経巻を、書けば!』、
『舎利』に、
『勝り!』、
中は、
『経巻を、人に与えれば!』、
『人を教えて!』、
『十善、乃至五通を行わせる!』のに、
『勝り!』、
今は、
『経巻を受持し、読誦して、説く!』が、
『受持の辺では( on the periphery of the remembering )!』、
『正しく憶念すること!』が、
『最勝である!』。
  受持(じゅじ):梵語 dhaaraNaa の訳、保持すること( the act of holding or retaining )の義、記憶して忘れないこと( to remember and do not forget )の意。
今如諸佛憐愍眾生故。為解其義令易解。勝自行正憶念。 今、諸仏の如く、衆生を憐愍するが故に、為に其の義を解いて、易解せしむることを、自ら行じて正憶念するに勝る。
今、
『諸仏のように!』、
『衆生を憐愍する!』が故に、
『衆生の為に!』、
『般若波羅蜜の義を解いて!』、
『容易に!』、
『理解させれば!』、
自ら、
『般若波羅蜜を行って!』、
『正しく憶念すること!』に、
『勝る!』。
是時佛欲廣分別福德故說言。若有人盡形壽。供養十方佛。不如為他解說般若義。此中說勝因緣。三世諸佛皆學是般若。成無上道。 是の時、仏の広く、福徳を分別せんと欲したもうが故に説いて言わく、『若し有る人、形寿を尽くして、十方の仏を供養せんに、他の為に般若の義を解説するに如かず』、と。此の中に勝る因縁を説かく、『三世の諸仏は、皆是の般若を学んで、無上道を成ずればなり』、と。
是の時、
『仏』は、
『福徳』を、
『広く!』、
『分別しようとし!』、
『福徳を説いて!』、こう言われた、――
若し、
『有る人』が、
『形寿を尽くして!』、
『十方の仏』を、
『供養したとしても!』、
『他人の為に!』、
『般若波羅蜜の義を解説する!』には、
『及ばない!』、と。
此の中に、
『般若波羅蜜の勝る因縁』を、こう説かれた、――
『三世の諸仏』は、
皆、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『無上道』を、
『成じる( to attain )からである!』、と。
復次若菩薩。於無量劫。行六波羅蜜。以有所得故。不如為人解說般若波羅蜜。有所得者。所謂以我心於諸法中取相故。 復た次ぎに、若し菩薩、無量劫に於いて、六波羅蜜を行ずとも、所得有るを以っての故に、人の為に般若波羅蜜を解説するに如かず。所得有りとは、謂わゆる我心を以って、諸法中に相を取るが故なり。
復た次ぎに、
若し、
『菩薩』が、
『無量劫』に、
『六波羅蜜を行っても!』、
若し、
『所得( something to be attained )』が、
『有る!』と、
『思えば!』、
是の故に、
『人の為に!』、
『般若波羅蜜を解説する!』には、
『及ばない!』。
『所得が有る!』とは、
謂わゆる、
『我心で( with the self-attached mind )!』、
『諸法』中に、
『相』を、
『取るからである!』。
  我心(がしん):梵語 aatma-citta, aatma-sneha の訳、我に執する心( self-attached mind )の義、永続的/不変的な我に執著すること( attachment to an enduring, unchanging self )の意。
佛更欲說般若正義故。答帝釋。菩薩以無所得。行六波羅蜜則得具足。具足即是般若波羅蜜正義。 仏の更に、般若の正義を説かんと欲するが故に、帝釈に答えたまわく、『菩薩は、無所得を以って、六波羅蜜を行ずれば、則ち具足するを得』、と。具足すれば、即ち是れ般若波羅蜜の正義なり。
『仏』は、
更に、
『般若波羅蜜』の、
『正義』を、
『説こうとされた!』が故に、
『帝釈』に、こう答えられた、――
『菩薩』が、
『無所得を用いて!』、
『六波羅蜜』を、
『行えば!』、
則ち、
『六波羅蜜』を、
『具足することができる!』、と。
『六波羅蜜を具足すれば!』、
即ち、
是れが、
『般若波羅蜜の正義である!』。
有人未來世。說相似般若者。會中人聞說正憶念作是思惟。何者是邪憶念。是故說相似般若波羅蜜相。如人知是道非道故。能捨非道行正道。 有る人の未来世に、相似の般若を説くとは、会中の人の、正憶念を説くを聞きて、是の思惟を作さく、『何者か、是れ邪憶念なる』、と。是の故に、相似の般若波羅蜜の相を説きたまえり。人の是れ道なるか、道に非ざるか知るが故に、能く道に非ざるを捨てて、正道を行くが如し。
『有る人』が、
『未来世』に、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説く!』とは、――
『会中の人』が、
『正しく憶念せねばならぬ!』と、
『説かれる!』のを、
『聞いて!』、
こう思惟する、――
何が、
『邪な!』、
『憶念だろうか?』、と。
是の故に、
『相似の般若波羅蜜』の、
『相』を、
『説かれたのである!』。
譬えば、
『人』が、
『道か、非道かを知る!』が故に、
『非道を捨てて!』、
『正道』を、
『行くようなものである!』。
復次憐愍未來世眾生。不見佛及諸大菩薩。但見經書。邪憶念故墮著音聲。說相似般若波羅蜜。 復た次ぎに、未来世の衆生の、仏、及び諸大菩薩を見ず、但だ経書を見て、邪憶念するが故に音声に堕著するを憐愍して、相似の般若波羅蜜を説きたまえり。
復た次ぎに、
『未来世の衆生』は、
『仏も、諸大菩薩も見ることなく!』、
但だ、
『経書を見るだけならば!』、
『邪に、憶念する!』が故に、
『音声に著する!』に、
『堕ちる!』ので、
是の、
『衆生を憐愍する!』が故に、
『相似の般若波羅蜜』を、
『説かれたのである!』。
相似者。名字語言同而心義異。如以著心取相。說五眾等無常乃至無生無滅。是相似般若。 相似とは、名字、語言は同じうして、心と義とを異にす。著心を以って、相を取り、五衆等の無常、乃至無生無滅を説くが如き、是れ相似の般若なり。
『相似』とは、
『正義』と、
『名字、語言は同じである!』が、
『心の義』が、
『異なるからである!』。
例えば、
『著心で( with an attached mind )!』、
『相』を、
『取り!』、
『五衆』等の、
『無常、乃至無生、無滅』を、
『説けば!』、
是れが、
『相似の般若波羅蜜である!』。
  著心(じゃくしん):梵語 abhiniveza-citta? の訳、拘われた心/執する心( the mind to be occupied with, the mind that is attached to ))の義。
若以不著心不取相說五眾無常。但為破常顛倒故。不著無常是真實般若。如是說法。人教捨相似般若波羅蜜。修習真般若波羅蜜。是名說般若波羅蜜正義。勝前功德 若し著せざる心を以って、相を取らずして、五衆の無常を説けば、但だ常の顛倒を破せんが為めの故なれば、無常にも著せず、是れ真実の般若なり。是の如く法を説く人は教えて、相似の般若波羅蜜を捨てて、真の般若波羅蜜を修習せしむ。是れを般若波羅蜜の正義を説くと名づけて、前の功徳に勝る。
若し、
『不著の心で( with an unattached mind )!』、
『相を取ることなく!』、
但だ、
『常という!』、
『顛倒を破る!』為の故に、
『五衆は無常である!』と、
『説きながら!』、
而も、
『無常』にも、
『著さなければ!』、
是れが、
『真実の!』、
『般若波羅蜜である!』。
是のように、
『説法する人』が、
『相似の!』、
『般若波羅蜜を捨てること!』を、
『教えて!』、
『真実の!』、
『般若波羅蜜』を、
『修習させれば!』、
是れが、
『般若波羅蜜の正義』を、
『説くということであり!』、
是れは、
『前の功徳』に、
『勝るのである!』。


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