【論】問曰。何因緣故。說是有為法無為法相。 |
問うて曰く、何の因縁の故にか、是の有為法、無為法の相を説く。 |
問い、
何のような、
『因縁』の故に、
是の、
『有為法、無為法の相』を、
『説いたのですか?』。
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答曰。帝釋讚歎般若波羅蜜攝一切法。此中欲說因緣。 |
答えて曰く、帝釈は、『般若波羅蜜は、一切の法を摂す』、と讃歎して、此の中に、因縁を説かんと欲す。 |
答え、
『帝釈』が、
『般若波羅蜜』には、
『一切の法が摂されている( to contain all of the dharmas )!』と、
『讃歎して!』、
此の中に、
『讃歎の因縁』を、
『説こうとしたのである!』。
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有為法相。所謂十八空三十七品乃至十八不共法。略說善不善等乃至世間出世間。是名有為法相。何以故。是作相先無今有已有還無故。與上相違即是無為法相。是二法皆般若波羅蜜中攝。 |
有為法の相は、謂わゆる十八空、三十七品、乃至十八不共法にして、略説すれば善、不善等、乃至世間、出世間、是れを有為法の相と名づく。何を以っての故に、是れ作相にして、先に無くして今有り、已に有りて無に還るが故なり。上と相違すれば、即ち是れ無為法の相なり。是の二法は、皆、般若波羅蜜中に摂す。 |
『有為法の相』とは、
謂わゆる、
『十八空、三十七品、乃至十八不共法である!』が、
略説すれば、
『善、不善等、乃至世間、出世間であり!』、
是れを、
『有為法の相』と、
『称する!』。
何故ならば、
是れは、
『作相であり( a mark of being made )!』、
『先に無くて、今有り!』、
『已に有って、還た無くなるからである!』。
上の、
『相に相違すれば!』、
即ち、
『無為法の相である!』が、
是の、
『二法』は、
皆、
『般若波羅蜜』中に、
『摂されるのである!』。
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作相(さそう):梵語 lakSaNaani-sthaapyante の訳、相の住処( a dwelling of marks )の義、所作の相/作られたという相(
a mark of being made )の意。 |
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有為善法是行處。無為法是依止處。餘無記不善法以捨離故不說。此是新發意菩薩所學。 |
有為の善法は是れ行処にして、無為の法は是れ依止の処なり。余の無記、不善の法は捨離するを以っての故に、説かず。此れは是れ新に意を発せる菩薩の学ぶ所なり。 |
『有為の善法』とは、
即ち、
『行処( the place of practice )であり!』、
『無為の法』とは、
即ち、
『依止処( the resting place )であり!』、
『餘の無記法、不善法』は、
『捨離される!』が故に、
『説かれることはない!』が、
此の、
『説』は、
『新発意の菩薩』の、
『学ぶ所である!』。
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行処(ぎょうじょ):梵語 abhisaMskaara-sthaana の訳、発展の場所( the place of development )の義、修行の場( the place of practice )の意。
依止処(えしじょ):梵語 pratisaraNa, saMnizrayAdhiSThaanaの訳、~の上に休息する( leaning or resting
upon )の義、休息所( the place where one rests upon )の意。 |
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若得般若波羅蜜方便力。應無生忍。則不愛行法不憎捨法。不離有為法。而有無為法。是故不依止涅槃。 |
若し般若波羅蜜の方便力を得れば、応に無生忍なるべく、則ち行法を愛せず、捨法を憎まず、有為法を離れずして、而も無為法有り、是の故に涅槃に依止せず。 |
若し、
『般若波羅蜜という!』、
『方便の力を得たならば!』、
『無生忍』を、
『得たことになり!』、
則ち、
『法』を、
『行うこと!』を、
『愛することもなく!』、
『法』を、
『捨てること!』を、
『悪むこともなく!』、
『有為法を離れて!』、
『無為法』が、
『有るということもなく!』、
是の故に、
『涅槃(無為法の異名)に!』、
『依止することもない!』。
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是以經中說般若波羅蜜中。廣說三乘用無相法故。無生無滅等。以世諦故作是說。非第一義諦。 |
是を以って、経中に説かく、『般若波羅蜜中には、広く三乗を説いて、無相の法を用うるが故に、無生、無滅等なるも、世諦を以っての故に、是の説を作し、第一義諦に非ず』、と。 |
是の故に、
『経』中に、こう説くのである、――
『般若波羅蜜』中には、
『三乗の義を広説して!』、
『無相法を用いる!』が故に、
『有為法は無生、無滅等である!』と、
『説く!』が、
『世諦を用いる!』が故に、
『無生、無滅等である!』と、
『説くのであり!』、
『第一義諦を用いて!』、
『説くのではない!』。
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菩薩行是諸法實相。雖能觀一切眾生。心亦不得眾生。雖能行一切法。亦不得一切法。何以故。以得無所得般若波羅蜜故。 |
菩薩は、是の諸法の実相を行じて、能く一切の衆生を観ると雖も、心は亦た衆生を得ず、能く一切法を行ずと雖も、亦た一切法を得ず。何を以っての故に、所得無き般若波羅蜜を得るを以っての故なり。 |
『菩薩』が、
是の、
『諸法の実相を行えば!』、
『一切の衆生( の実相)』を、
『観ながら!』、
『心』に、
『衆生』を、
『得ることがなく( do not recognize )!』、
『一切の法』を、
『行じながら( to practice )!』、
亦た、
『一切の法』を、
『得ることがない!』。
何故ならば、
『無所得という( nothing to be recognized )!』、
『般若波羅蜜』を、
『得るからである!』。
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行一切法(ぎょういっさいほう):梵語 sarva-dharma-caraNa の訳、一切法の実践( the practice of the all dharmas )の義。 |
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佛可其所歎。菩薩常習是行。乃至阿耨多羅三藐三菩提不可得。何況餘法。 |
仏は、其の歎ずる所を可としたまわく、『菩薩は、常に是の行を習い、乃至阿耨多羅三藐三菩提まで得べからず、何に況んや、余の法をや』、と。 |
『仏』は、
『釈提桓因の歎じた!』所を、
『可として( to approve )!』、こう言われた、――
『菩薩』は、
常に、
是の、
『行を習っている( to practice repeatedly )ので!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提すら!』、
『得られないのである!』、
況して、
『餘の法』は、
『言うまでもない!』。
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習行(じゅうぎょう):梵語 abhyaasa の訳、反復/何かを付け加える行為( reduplication of, repetition, the
act of adding anything )の義、修行を繰り返すこと( the repetition of practice )の意。 |
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帝釋意念。若般若是究竟法者。行人但行般若波羅蜜。何用餘法。 |
帝釈の意に念ずらく、『若し般若は是れ究竟の法なれば、行人は、但だ般若波羅蜜のみを行じて、何んが余の法を用うる』、と。 |
『帝釈』は、
『意』に、こう念じた、――
若し、
『般若波羅蜜が究竟の法ならば!』、
『行人』は、
但だ、
『般若波羅蜜だけ!』を、
『行うはずだが!』、
何故、
『餘の法』を、
『用いるのか?』、と。
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佛答菩薩行六波羅蜜。以般若波羅蜜用無所得法和合故。此即是行般若波羅蜜。若但行般若不行五法。則功德不具足不美不妙。 |
仏の答えたまわく、『菩薩の六波羅蜜を行ずるは、般若波羅蜜は無所得の法を用いて、和合するを以っての故なり。此れは即ち是れ般若波羅蜜を行ずるなり。若し但だ般若を行じて、五法を行ぜざれば、則ち功徳具足せずして、美ならず、妙ならざればなり。 |
『仏』は、こう答えられた、――
『菩薩が、六波羅蜜を行う!』のは、――
『般若波羅蜜』が、
『無所得の法を用いて!』、
『餘の波羅蜜』に、
『和合するからであり!』、
此れが、
即ち、
『般若波羅蜜』を、
『行うということだからである!』。
若し、
但だ、
『般若波羅蜜だけを行って!』、
『五法』を、
『行わなければ!』、
則ち、
『般若波羅蜜』の、
『功徳が具足せず!』、
『美妙でない( not be agreeable )からである!』。
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美妙(みみょう):梵語 pratiruupa の訳、喜ばしい/美しい( agreeable, beautiful )の義。 |
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譬如愚人不識飲食種具聞鹽是眾味主便純食鹽失味致患。 |
譬えば、愚人の、飲食の種を識らず、具(つぶさ)に塩は是れ衆味の主なりと聞きて、便ち純(もっぱ)ら塩を食えば、味を失いて患を致すが如し。 |
譬えば、
『愚人』は、
『飲食の種を識らない( do not know the kinds of food )!』ので、
具に( in detail )、
『塩』は、
『衆味の主である( the essence of the taste )!』と、
『聞いて!』、
便ち( therefor )、
純ら( only )、
『塩を、食っていた!』ので、
『味を失い( to lose the taste )!』、
『患を致した( to invite sickness )ようなものである!』。
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具(ぐ):<動詞>[本義]準備/備辦( prepare )。具備/有( have, possess )、評決( verdict )。<名詞>用具/道具(
tool )、才能( talent )、飯食( food )。<副詞>詳らかに/詳細に( in detail )、皆/都/全く/悉く( entirely,
completely )。
種(しゅ):<名詞>植物の種子( seed )、人種/部族/品種/血統( race, clan, breed, strain )、種類/類別(
sort, kind )、動植物の種/種類( species )。<動詞>種をまく( sow )、植える/栽培する( grow, plant,
cultivate )、繁殖/養育する( breed, bring up )。 |
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行者亦如是。欲除著心故。但行般若反墮邪見。不能增進善法。若與五波羅蜜和合。則功德具足義味調適。 |
行者も亦た是の如く、著心を除かんと欲するが故に、但だ般若のみを行ぜば、反って邪見に堕し、善法を増進する能わざらん。若し五波羅蜜と和合すれば、則ち功徳具足して、義の味は調適す。 |
『行者』も、
是のように、
『著心を除こうとする!』が故に、
但だ、
『般若波羅蜜だけを行えば!』、
反って、
『邪見に堕ちることになり!』、
『善法』を、
『増進することができなくなる!』が、
若し、
『五波羅蜜を和合すれば!』、
則ち、
『功徳が具足して!』、
『義の味』が、
『調適する( to adapt )ことになる!』。
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調適(じょうじゃく):適応/順応( adaptation )。 |
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雖眾行和合般若為主。若布施等諸法。離般若波羅蜜。則有種種差別。至般若波羅蜜中。皆一相無有差別。 |
衆行和合すと雖も、般若を主と為せば、若し布施等の諸法が、般若波羅蜜を離るれば、則ち種種に差別すること有るも、般若波羅蜜中に至るまで、皆、一相にして、差別有ること無し。 |
『般若波羅蜜』に、
『衆行が和合しても!』、
『般若波羅蜜』が、
『主であり!』、
若し、
『布施等の諸法』が、
『般若波羅蜜』を、
『離れれば!』、
則ち、
『種種の差別』を、
『有することになる!』が、
『般若波羅蜜中に至れば( to arrive in )!』、
『皆、一相となり!』、
『差別が無くなる!』。
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譬如閻浮提阿那婆達多池四大河流一大河有五百小川歸之俱入大海則失其本名合為一味無有別異。又如樹木枝葉華果眾色別異蔭則無別。 |
譬えば、閻浮提の阿那婆達多池より、四大河流れ、一大河に五百の小川有りて、之に帰するも、倶に大海に入れば、則ち其の本の名を失い、合して一味と為り、別異有ること無きが如し。又、樹木は枝葉、華果の衆色の別異あるも、蔭は則ち別無きが如し。 |
譬えば、
『閻浮提の阿那婆達多池より!』、
『四大河が流れ!』、
『一大河ごとに!』、
『五百の、小川が有って!』、
『大河に、帰入している!』が、
『大海に、倶に入れば!』、
『一一の大河、小川』は、
『名を失って!』、
『一味と為り!』、
倶に、
『別異』が、
『無くなるようなものである!』。
又、
『樹木』の、
『枝、葉、華、果という!』、
『衆色( the various forms )』は、
『別異であっても!』、
『蔭』には、
『別異』が、
『無いようなものである!』。
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衆色(しゅしき):梵語 vizvaruupa の訳、多くの色彩の/色を雑えた( many-coloured, variegated )の義、種種の形態( various forms )の意。 |
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問曰。蔭亦有差別。樹大則蔭大。枝葉華果大小種種異形。云何無差別。 |
問うて曰く、蔭にも亦た差別有り。樹大なれば、則ち蔭も大なり。枝葉、華果の大小、種種に形を異にするに、云何が差別無き。 |
問い、
『蔭』にも、
『樹』が、
『大きければ!』、
『蔭』も、
『大きいはずだ!』し、
『枝、葉、華、果』が、
『大きい!』とか、
『小さい!』とか、
『形』は、
『種種に!』、
『異なる!』のに、
何故、
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答曰。蔽光故影現。無光之處即名為蔭。蔭不以大小異形為義。 |
答えて曰く、光を蔽うが故に影現われ、光無き処を、即ち名づけて蔭と為す。蔭は、大小、異形を以って、義と為すにあらず。 |
答え、
『光を蔽う!』が故に、
『影』が、
『現われる!』が、
『光の無い!』、
『処』を、
『蔭』の、
『大、小や、異形であること( being heterotypic )!』が、
『蔭』の、
『義ではない( be not substance )!』。
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義(ぎ):梵語 artha の訳、目的/意図/原因/動機/理由/利益/効用/実利/事物/対象物/感覚の対象/実体/富/財産/富裕/金銭/事情/関心事/感覚/意味/観念( aim, purpose, cause, motive, reason, advantage, use, utility, thing, object, object of the senses, substance, wealth, property, opulence, money, affair, concern, sense, meaning, notion )等の義、事物の本質に関する特徴的様相( The distinctive features of a substance )の意。
異形(いぎょう):種種の形の( different in form, heterotypic )の義。 |
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問曰。行般若波羅蜜。受誦乃至正憶念。此事為難。書持般若經卷。與他人為易。功德尚不應等。云何言勝。 |
問うて曰く、般若波羅蜜を行ずるに、受して誦し、乃至正憶念すること、此の事を難しと為し、般若の経巻を書持して、他人に与えるは、易しと為す。功徳は、尚お応に等しかるべからず。云何が勝ると言う。 |
問い、
『般若波羅蜜を行じて!』、
『受持、読誦し!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すること!』、
此の、
『事』は、
『難しい!』が、
『般若波羅蜜の経巻を書いて!』、
『受持し!』、
『他人』に、
『与えれば!』、
此の、
『事』は、
『易しい!』ので、
是れ等の、
『二功徳』は、
尚お( still )、
『等しいはずがない!』。
何故、
『勝る!』と、
『言うのですか?』。
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答曰。獨行讀誦正憶念雖難。或以我心故功德小。以經卷與他者有大悲心。作佛道因緣。無吾我故功德為大。 |
答えて曰く、独り、読誦を行じて、正しく憶念するは、難しと雖も、或いは我心を以っての故に功徳は小ならん。経巻を以って他に与うる者には、大悲心有りて、仏道の因縁と作り、吾我無きが故に、功徳を大と為す。 |
答え、
独りで、
『読誦を行いながら!』、
『正しく!』、
『憶念すること!』は、
『難しい!』が、
或いは、
『我心の行である!』が故に、
『功徳』は、
『小さい!』。
若し、
『経巻を、他人に与えれば!』、
『大悲心が有って!』、
『仏道の因縁』を、
『作しながら!』、
『吾我の心が無い!』が故に、
『功徳』は、
『大である!』。
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如佛問帝釋。若人自供養舍利。復有人以舍利與他令供養。其福何所為多。答曰。與他人令供養得福多。以無吾我慈悲心與故。 |
仏の帝釈に問いたまえるが如し、『若し人、自ら供養せん、復た有る人は、舎利を以って他に与えて供養せしめん。其の福は、何所をか、多しと為す』、と。答えて曰く、『他人に与えて供養せしむることの、福を得ること多し、吾我無き、慈悲心を以って与うるが故なり』、と。 |
例えば、こうである、――
『仏』は、
『帝釈』に、こう問われた、――
有る、
『人』は、
『自ら!』、
『舎利』を、
『供養していた!』が、
復た、有る、
『人』は、
『他人に!』、
『舎利を与えて!』、
『供養させた!』。
其の、
『福』は、
『何の人が!』、
『多いのか?』、と。
『帝釈』は、こう答えた、――
『他人に与えて、供養させた!』、
『人の方』が、
『多く!』、
『福を得ることになる!』。
『吾我の無い!』、
『慈悲心を用いて!』、
『舎利』を、
『与えたからである!』、と。
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佛雖不用福德。見有如是大利益眾生故。是以入金剛三昧自碎其身。 |
仏は、福徳を用いずと雖も、是の如く大いに衆生を利益すること有るを見るが故に、是を以って、金剛三昧に入りて、自ら其の身を砕きたもう。 |
『仏』は、
『福徳を用いられない!』が、
是のように、
『衆生を、大利益すること!』が、
『福徳には有る!』と、
『見られた!』ので、
是の故に、
『金剛三昧に入って!』、
自ら、
『身を、砕かれたのである!』。
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問曰若福德在心。佛何用碎身如芥子令人供養 |
問うて曰く、若し福徳、心に在らば、仏は、何んが砕きし身の芥子の如きを用いて、人をして供養せしめたもう。 |
問い、
若し、
『仏』は、
何故、
『身を、芥子ほどに砕いた!』、
『舎利を用いて!』、
『人』に、
『供養させられるのですか?』。
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答曰。信淨心從二因緣生。一者內正憶念。二者外有良福田。 |
答えて曰く、信浄の心は二因縁より生ず、一には内の正憶念、二には外に有る良き福田なり。 |
答え、
『信浄の心( the gracious mind )』は、
『二因縁より、生じる!』、――
一には、
内に、
『正しく!』、
『般若波羅蜜を憶念することによって!』、
『生じ!』、
二には、
外に、
『良い!』、
『福田が有ることによって!』、
『生じる!』。
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信浄(しんじょう)、浄信(じょうしん):梵語 prasaada の訳明瞭/鮮明/透徹/清浄( clearness, brightness, pellucidness,
purity )の義、冷静/静穏/興奮の欠如( calmness, tranquillity, absence of excitement )、慈悲/親切/親切な行為/好意/援助/瞑想(
graciousness, kindness, kind behaviour, favour, aid, mediation )の意。 |
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譬如有好穀子田又良美所收必多。是故心雖好必因舍利。然後得大果報。 |
譬えば、好き穀子(もみ)有りて、田も又良美なれば、収する所も必ず多きが如し。是の故に心好しと雖も、必ず舎利に因り、然る後に大果報を得るなり。 |
譬えば、
『好い、穀子が有り!』、
又、
『田』も、
『良美ならば!』、
必ず、
『収穫する!』所が、
『多いようなものであり!』、
是の故に、
『心が、好くても!』
必ず( necessarily )、
『舎利』に、
『因らねばならず!』、
その後、
『大果報』を、
『得るのである!』。
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佛既可其言。復更自說。有人書寫經卷與人。復有人於大眾中廣解其義。其福勝前。視是人如佛。若次佛。如佛。若次佛義如先說。 |
仏は既に其の言を可とし、復た更に自ら説きたまわく、『有る人は、経巻を書写して人に与うるに、復た有る人は、大衆中に於いて、広く其の義を解かば、其の福は前に勝り、是の人を視ること、仏、若しくは仏に次ぐが如くならん』。と。仏、若しくは仏に次ぐが如しの義は、先に説けるが如し。 |
『仏』は、
既に、
『釈提桓因』の、
『言』を、
『可とされた!』ので、
復た、
更に、自らこう説かれた、――
有る、
『人』は、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書写して!』、
『人』に、
『与えただけだが!』、
復た、
有る、
『人』は、
『大衆』中に於いて、
『般若波羅蜜の義』を、
『広く!』、
『解説した!』。
是の、
『人の福』は、
『前の福』に、
『勝っている!』ので、
是の、
『人』を、
『仏か、仏に次ぐように!』、
『視よ!』、と。
『仏か、仏に次ぐように!』の、
『義』は、
『先に説いた通りである!』。
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佛以二種因緣。證般若波羅蜜為勝。一者三世聖人。從中學成聖道。二者我以此法故。得成無上聖。我今還師仰此法。法者諸法實相。所謂般若波羅蜜。 |
仏は、二種の因縁を以って、般若波羅蜜を証して、勝と為したもう。一には三世の聖人は、従って中に学び、聖道を成したもう。二には我れは、此の法を以っての故に、無上の聖と成るを得れば、我れは今、還って、此の法を師と仰ぐ。法とは、諸法の実相にして、謂わゆる般若波羅蜜なり。 |
『仏』は、
『二種の因縁を用いて!』、
『般若波羅蜜が勝る!』と、こう証された、――
一には、
『三世の聖人』は、
『般若波羅蜜中に従って、学びながら!』、
『聖道』を、
『成就したのであり!』、
二には、
わたしは、
『般若波羅蜜を用いた!』が故に、
『無上の聖道』を、
『成就することができたのである!』が、
わたしは、
今、
還って( again )、
此の、
『法』を、
『師仰するのである( to study under )!』。
此の、
『法』とは、
『諸の、法の実相であり!』、
『謂わゆる、般若波羅蜜である!』、と。
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憍尸迦。我更無所求。而猶推尊般若供養。何況善男子。不以種種供具供養般若波羅蜜。 |
憍尸迦、我れは更に求むる所無けれども、猶お推して般若を尊び、供養す。何に況んや、善男子、種種の供具を以って、般若波羅蜜を供養せざるをや。 |
憍尸迦!
わたしには、
而し、
猶お、
『般若波羅蜜を尊んで!』、
『供養するよう!』、
『推薦する!』。
況して、
『善男子』が、
『種種の供養の具を用いて!』、
『般若波羅蜜』を、
『供養しないことがあろうか?』。
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此中說因緣。般若是菩薩根本因緣。菩薩是諸佛根本因緣。諸佛是一切世間。大利益安樂因緣。 |
此の中に因縁を説きたまわく、『般若は是れ菩薩の根本の因縁なり。菩薩は、是れ諸仏の根本の因縁なり。諸仏は、是れ一切世間の大利益、安楽の因縁なり。 |
此の中に、
『因縁』を、こう説かれている、――
『般若波羅蜜』とは、
『菩薩』の、
『根本的因縁であり!』、
『菩薩』は、
『諸仏』の、
『根本的因縁である!』が、
『諸仏』は、
『一切の世間を大利益する!』、
『安楽の因縁である!』、と。
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是故聲聞辟支佛人。欲疾安隱入三解脫門者。猶尚供養般若波羅蜜。何況菩薩。 |
是の故に、声聞、辟支仏の人は、疾かに安隠にして、三解脱門に入らんと欲せば、猶尚お、般若波羅蜜を供養すべし、何に況んや菩薩をや。 |
是の故に、
『声聞、辟支仏の人すら!』、
疾かに、
『安隠に( at ease )!』、
『三解脱門』に、
『入ろうとすれば!』、
猶尚お( even )、
『般若波羅蜜』を、
『供養せねばならない!』。
況して、
『菩薩』は、
『尚更である!』。
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安隠(あんのん):梵語 kSema の訳、休息/気楽/安心を与える( giving rest or ease or security )の義、気楽に/気楽に住まる(
at ease, abiding at ease )の意。
猶尚(ゆうしょう):<副詞>[状況が変らないことを示す]なお( still, yet )。<接続詞>[常に況/安と共に有りて、対比を示す]なお(
even )。 |
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供養具者。所謂以一心聽受。乃至正憶念。及以華香。乃至幡蓋
大智度論卷第五十九 |
供養の具とは、謂わゆる一心に聴受し、乃至正憶念するを以ってし、及び華香、乃至幡蓋を以ってするなり。
大智度論巻第五十九 |
『供養具』とは、――
謂わゆる、
『供養する!』のに、
『一心、聴受、乃至正憶念』を、
『用い!』、
及び、
『華香、乃至幡蓋』を、
『用いることである!』。
大智度論巻第五十九 |
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