巻第五十九(下)
大智度論釋校量舍利品第三十七
1.【經】般若波羅蜜を供養する因縁
2.【論】般若波羅蜜を供養する因縁
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大智度論釋校量舍利品第三十七
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若波羅蜜を供養する因縁

【經】復次世尊。有二種法相。有為諸法相。無為諸法相。 復た次ぎに、世尊、二種の法相有り、有為の諸法の相と、無為の諸法の相となり。
復た次ぎに、
世尊!
『法相』には、
『二種有り!』、
『有為の諸法の相と!』、
『無為の諸法の相である!』。
  参考:『大般若経巻129』:『世尊。法性有二。一者有為。二者無為。』
云何名有為諸法相。所謂內空中智慧。乃至無法有法空中智慧。四念處中智慧。乃至八聖道分中智慧。佛十力四無所畏四無礙智。十八不共法中智慧。善法中不善法中。有漏法中。無漏法中。世間法中。出世間法中智慧。是名有為諸法法相。 云何が、有為の諸法の相と名づくる。謂わゆる内空中の智慧、乃至無法有法空中の智慧、四念処中の智慧、乃至八聖道分中の智慧、仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法中の智慧、善法中、不善法中、有漏法中、無漏法中、世間法中、出世間法中の智慧は、是れを有為の諸法の法相と名づく。
何を、
『有為の!』、
『諸法の相』と、
『称するのか?』、――
謂わゆる、
『内空、乃至無法有法空』中の、
『諸法を知る!』、
『智慧( the enlightened mind )や!』、
『四念処、乃至八聖道分』中の、
『諸法を知る!』、
『智慧!』、
『仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法』中の、
『諸法を知る!』、
『智慧!』、
『善法、不善法、有漏法、無漏法、世間法、出世間法』中の、
『諸法を知る!』、
『智慧!』、
是れが、
『有為の諸法という!』、
『法の相である!』。
  智慧(ちえ)、(ち):梵語 jJaana の訳、又智とも訳す。認識的利さ/実践的知識/洞察力/理解力( Cognitive acuity; know-how; insight, intelligence )の義、正しい精神作用(悟った心)の重要な一面であり、事物の本質を知って、その故に、虚妄/有害の悪習を断つ作用をする( An important aspect of the correctly functioning (enlightened) mind that perceives things in their true nature, and therefore acts to sever delusion and harmful habituation. )の意。
  参考:『大般若経巻129』:『云何名為有為法性。謂如實知我智。有情智。命者智。生者智。養者智。士夫智。補特伽羅智。意生智。儒童智。作者智。受者智。知者智。見者智。若色智受智想智行智識智。若眼處智耳處智鼻處智舌處智身處智意處智。若色處智聲處智香處智味處智觸處智法處智。若眼界智色界智眼識界智眼觸智眼觸為緣所生諸受智。若耳界智聲界智耳識界智耳觸智耳觸為緣所生諸受智。若鼻界智香界智鼻識界智鼻觸智鼻觸為緣所生諸受智。若舌界智味界智舌識界智舌觸智舌觸為緣所生諸受智。若身界智觸界智身識界智身觸智身觸為緣所生諸受智。若意界智法界智意識界智意觸智意觸為緣所生諸受智。若地界智水界智火界智風界智空界智識界智若無明智行智識智名色智六處智觸智受智愛智取智有智生智老死愁歎苦憂惱智。若布施波羅蜜多智淨戒波羅蜜多智安忍波羅蜜多智精進波羅蜜多智靜慮波羅蜜多智般若波羅蜜多智。若內空智外空智內外空智空空智大空智勝義空智有為空智無為空智畢竟空智無際空智散空智無變異空智本性空智自相空智共相空智一切法空智不可得空智無性空智自性空智無性自性空智。若真如智法界智法性智不虛妄性智不變異性智平等性智離生性智法定智法住智實際智虛空界智不思議界智。若苦聖諦智集聖諦智滅聖諦智道聖諦智。若四靜慮智四無量智四無色定智。若八解脫智八勝處智九次第定智十遍處智。若四念住智四正斷智四神足智五根智五力智七等覺支智八聖道支智。若空解脫門智無相解脫門智無願解脫門智。若五眼智六神通智。若佛十力智四無所畏智四無礙解智大慈智大悲智大喜智大捨智十八佛不共法智。若無忘失法智恒住捨性智。若一切智智道相智智一切相智智。未來法智現在法智。若欲界繫法智色界繫法智無色界繫法智。若學法智無學法智非學非無學法智。若見所斷法智修所斷法智非所斷法智若有色法智無色法智。若有見法智無見法智。若有對法智無對法智。若有漏法智無漏法智。若有為法智無為法智。若有罪法智無罪法智。若世間法智出世間法智。若雜染法智清淨法智。諸如是等無量門智。皆悉名為有為法性。』
云何名無為諸法法相。若法無生無滅無住無異無垢無淨無增無減諸法自性。云何名諸法自性。諸法無所有性。是諸法自性。是名無為諸法相。 云何が、無為の諸法の法相と名づくる。若し法に、生無く、滅無く、住無く、異無く、垢無く、浄無く、増無く、減無ければ、諸法の自性なり。云何が、諸法の自性と名づくる。諸法には有する所の性無く、是れ諸法の自性なり。是れを無為の諸法の相と名づく。
何を、
『無為の!』、
『諸法の法相』と、
『称するのか?』、――
若し、
『法』が、
『無為であり!』、
謂わゆる、
『生も、滅も、住も、異も無く!』、
『垢も、浄も無く!』、
『憎も、減も無ければ!』、
是の、
『法』は、
『諸法の!』、
『自性である!』。
何を、
『諸法』の、
『自性』と、
『称するのか?』、――
諸の、
『法』には、
『有らゆる性』が、
『無い!』が、
是れが、
『諸法』の、
『自性である!』。
是れを、
『無為』の、
『諸法の相』と、
『称する!』。
  参考:『大般若経巻129』:『未來法智現在法智。若欲界繫法智色界繫法智無色界繫法智。若學法智無學法智非學非無學法智。若見所斷法智修所斷法智非所斷法智若有色法智無色法智。若有見法智無見法智。若有對法智無對法智。若有漏法智無漏法智。若有為法智無為法智。若有罪法智無罪法智。若世間法智出世間法智。若雜染法智清淨法智。諸如是等無量門智。皆悉名為有為法性。』
爾時佛告釋提桓因。如是如是。憍尸迦。過去諸佛因是般若波羅蜜。得阿耨多羅三藐三菩提。過去諸佛弟子。亦因般若波羅蜜。得須陀洹道乃至阿羅漢辟支佛道。未來現在世十方無量阿僧祇諸佛。因是般若波羅蜜。得阿耨多羅三藐三菩提。未來現在諸佛弟子。亦因般若波羅蜜。得須陀洹道乃至辟支佛道。 爾の時、仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、是の如し、憍尸迦。過去の諸仏は、是の般若波羅蜜に因って、阿耨多羅三藐三菩提を得、過去の諸仏の弟子も亦た、般若波羅蜜に因って、須陀洹道、乃至阿羅漢、辟支仏道を得たり。未来と現在世の十方の無量阿僧祇の諸仏は、是の般若波羅蜜に因って、阿耨多羅三藐三菩提を得、未来と現在の諸仏の弟子も亦た、般若波羅蜜に因って、須陀洹道、乃至辟支仏道を得るなり。
爾の時、
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
憍尸迦!
『過去の諸仏』は、
是の、
『般若波羅蜜に因って!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得!』、
『過去の諸仏の弟子』も、
亦た、
『般若波羅蜜に因って!』、
『須陀洹道、乃至阿羅漢、辟支仏道』を、
『得たのであり!』、
『未来、現在世の十方、無量阿僧祇の諸仏』は、
是の、
『般若波羅蜜に因って!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得!』、
『未来、現在の諸仏の弟子』も、
亦た、
『般若波羅蜜に因って!』、
『須陀洹道、乃至辟支仏道』を、
『得るのである!』。
何以故。般若波羅蜜中廣說三乘義。以無相法故。無生無滅法故。無垢無淨法故。無作無起不入不出不增不損不取不捨法故。以俗法故。非以第一義。 何を以っての故に、般若波羅蜜中には広く、三乗の義を説けばなり。無相の法を以っての故に、無生無滅の法の故、無垢無浄の法の故、無作無起、不入不出、不増不損、不取不捨の法の故に、俗法を以っての故なり。第一義を以ってに非ず。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中には
『三乗の義』が、
『広説されているからである!』。
『三乗の法』は、
『無相の法である!』が故に、
『無生、無滅』の、
『法であり!』、
『無生、無滅の法である!』が故に、
『無垢、無浄』の、
『法であり!』、
『無垢、無浄の法である!』が故に、
『無作、無起、不入、不出、不増、不減、不取、不捨』の、
『法である!』が、
是の故に、
『三乗の法』は、
『俗法を用いて!』、
『説かれたのであり!』、
是の故に、
『第一義を用いて!』、
『説かれたのではない!』。
何以故。是般若波羅蜜非此非彼。非高非下。非等非不等。非相非無相。非世間非出世間。非有漏非無漏。非有為非無為。非善非不善。非過去非未來非現在。 何を以っての故に、是の般若波羅蜜は、此れに非ず、彼れに非ず、高に非ず、下に非ず、等に非ず、不等に非ず、相に非ず、無相に非ず、世間に非ず、出世間に非ず、有漏に非ず、無漏に非ず、有為に非ず、無為に非ず、善に非ず、不善に非ず、過去に非ず、未来に非ず、現在に非ざればなり。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『此れでもなく、彼れでもない!』、
『高でもなく、下でもない!』、
『等でもなく、不等でもない!』、
『相でもなく、無相でもない!』、
『世間でもなく、出世間でもない!』、
『有漏でもなく、無漏でもない!』、
『有為でもなく、無為でもない!』、
『善でもなく、不善でもない!』、
『過去でも、未来でも、現在でもないからである!』。
何以故。憍尸迦。般若波羅蜜不取聲聞辟支佛法。亦不捨凡夫法。 何を以っての故に、憍尸迦、般若波羅蜜は、声聞、辟支仏の法を取らず、亦た凡夫の法を捨てざればなり。
何故ならば、
憍尸迦!
『般若波羅蜜』は、
『声聞、辟支仏の法』を、
『取ることもなく!』、
亦た、
『凡夫の法』を、
『捨てることもないからである!』。
釋提桓因白佛言。世尊。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。知一切眾生心。亦不得眾生乃至知者見者。亦不得是菩薩。不得色。不得受想行識。不得眼乃至意。不得色乃至法。不得眼觸因緣生受乃至意觸因緣生受。不得四念處乃至十八不共法。不得阿耨多羅三藐三菩提。不得諸佛法。不得佛。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じて、一切の衆生の心を知り、亦た衆生、乃至知者、見者を得ず、亦た是れ菩薩なりと得ず、色を得ず、受想行識を得ず、眼、乃至意を得ず、色、乃至法を得ず、眼触因縁生の受、乃至意触因縁生の受を得ず、四念処、乃至十八不共法を得ず、阿耨多羅三藐三菩提を得ず、諸仏の法を得ず、仏を得ざるなり。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜を行って!』、
一切の、
『衆生』の、
『心』を、
『知りながら!』、
亦た、
『衆生について!』は、
乃至、
『知者、見者すら!』、
『得ることもない( do not recognize )!』。
亦た、
是れが、
『菩薩である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『色である、受想行識である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『眼、乃至意である、色、乃至法である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『眼触因縁生の受、乃至意触因縁生の受である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『四念処、乃至十八不共法である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『阿耨多羅三藐三菩提である!』と、
『得ることもなく!』、
亦た、
『諸仏の法である、仏である!』と、
『得ることもない!』。
  参考:『大般若経巻129』:『時天帝釋復白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多。是大波羅蜜多。是無上波羅蜜多。是無等等波羅蜜多。世尊。菩薩摩訶薩修行如是甚深般若波羅蜜多。雖知一切有情心行境界差別。而不得我。不得有情命者生者養者士夫數取趣者意生儒童作者受者知者見者。是菩薩摩訶薩亦不得色。不得受想行識。是菩薩摩訶薩亦不得眼處不得耳鼻舌身意處。是菩薩摩訶薩亦不得色處。不得聲香味觸法處。是菩薩摩訶薩亦不得眼界。不得色界眼識界及眼觸眼觸為緣所生諸受。是菩薩摩訶薩亦不得耳界。不得聲界耳識界及耳觸耳觸為緣所生諸受。是菩薩摩訶薩亦不得鼻界。不得香界鼻識界及鼻觸鼻觸為緣所生諸受。是菩薩摩訶薩亦不得舌界。不得味界舌識界及舌觸舌觸為緣所生諸受。是菩薩摩訶薩亦不得身界。不得觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受。是菩薩摩訶薩亦不得意界。不得法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受是菩薩摩訶薩亦不得地界。不得水火風空識界。是菩薩摩訶薩亦不得無明。不得行識名色六處觸受愛取有生老死愁歎苦憂惱。是菩薩摩訶薩亦不得布施波羅蜜多。不得淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多是菩薩摩訶薩亦不得內空。不得外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。是菩薩摩訶薩亦不得真如。不得法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界是菩薩摩訶薩亦不得苦聖諦。不得集滅道聖諦。是菩薩摩訶薩亦不得四靜慮。不得四無量四無色定。是菩薩摩訶薩亦不得八解脫。不得八勝處九次第定十遍處。是菩薩摩訶薩亦不得四念住。不得四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。是菩薩摩訶薩亦不得空解脫門。不得無相無願解脫門。是菩薩摩訶薩亦不得五眼。不得六神通。是菩薩摩訶薩亦不得佛十力。不得四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法。是菩薩摩訶薩亦不得無忘失法。不得恒住捨性。是菩薩摩訶薩亦不得一切智。不得道相智一切相智。是菩薩摩訶薩亦不得一切陀羅尼門。不得一切三摩地門。是菩薩摩訶薩亦不得預流。不得一來不還阿羅漢。是菩薩摩訶薩亦不得預流向預流果。不得一來向一來果不還向不還果阿羅漢向阿羅漢果。是菩薩摩訶薩亦不得獨覺。不得獨覺菩提。是菩薩摩訶薩亦不得菩薩摩訶薩。不得菩薩摩訶薩法。是菩薩摩訶薩亦不得三藐三佛陀。不得三藐三佛陀法。何以故。非此般若波羅蜜多因有所得而現前故。所以者何。甚深般若波羅蜜多都無自性亦不可得。能得所得及二依處。性相皆空不可得故』
何以故。般若波羅蜜不為得法故出。何以故。般若波羅蜜性無所有不可得。所用法不可得。處亦不可得。 何を以っての故に、般若波羅蜜は、法を得んが為めの故に出でざればなり。何を以っての故に、般若波羅蜜の性は、無所有、不可得にして、所用の法も不可得、処も亦た不可得なればなり。
何故ならば、
『般若波羅蜜』は、
『法を得る為に( for the sake of recognizing a Dharma )!』、
『出るのではないからである!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』は、
『性』が、
『無所有であり( be nothing )!』、
『不可得であり( be unrecognizable )!』、
『用うべき( to be praticable )!』、
『法も、処も!』、
『不可得だからである!』。
  所用(しょゆう):◯梵語 kaarya, vidhiiyateの訳、造られる/作される/為される/実践/遂行される/実行可能な( to be made or done or practised or performed, practicable, feasible )の義。
佛告釋提桓因。如是如是。憍尸迦。如汝所說。菩薩摩訶薩長夜行般若波羅蜜。阿耨多羅三藐三菩提不可得。何況菩薩及菩薩法。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、是の如し、憍尸迦、汝の所説の如し、菩薩摩訶薩は、長夜に般若波羅蜜を行ずるも、阿耨多羅三藐三菩提は得べからざるなり。何に況んや、菩薩、及び菩薩の法をや』、と。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
憍尸迦!
お前の説くように!――
『菩薩摩訶薩』は、
長夜に( for an extremely long time )、
『般若波羅蜜を行っている!』が、
『阿耨多羅三藐三菩提』は、
『不可得なのである!』。
況して、
『菩薩や、菩薩の法は!』、
『言うまでもない!』、と。
  長夜(じょうや):梵語 diirgha-raatram の訳、長い時間/期間にわたり( for a long time or period )の義。
爾時釋提桓因白佛言。世尊。菩薩摩訶薩但行般若波羅蜜。不行餘波羅蜜耶。 爾の時、釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、但だ般若波羅蜜を行じて、余の波羅蜜を行ぜずや』、と。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
但だ、
『般若波羅蜜を行うだけで!』、
『餘の波羅蜜』を、
『行わないのか?』、と。
  参考:『大般若経巻129』:『時天帝釋復白佛言。世尊。菩薩摩訶薩。為但行般若波羅蜜多。亦行餘五波羅蜜多耶。佛言。憍尸迦。菩薩摩訶薩。以無所得為方便。具行六種波羅蜜多。行布施時。不得施者不得受者不得施及施物。行淨戒時。不得淨戒不得惡戒不得持淨戒者。行安忍時。不得安忍不得忿恚不得行安忍者。行精進時。不得精進不得懈怠不得行精進者。行靜慮時。不得靜慮不得散亂不得行靜慮者。行般若時。不得般若不得惡慧不得行般若者。復次憍尸迦。菩薩摩訶薩。甚深般若波羅蜜多為尊為導。修習一切波羅蜜多令速圓滿。是菩薩摩訶薩行布施時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修布施波羅蜜多無所執著速得圓滿。是菩薩摩訶薩行淨戒時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修淨戒波羅蜜多無所執著速得圓滿。是菩薩摩訶薩行安忍時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修安忍波羅蜜多無所執著速得圓滿。是菩薩摩訶薩行精進時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修精進波羅蜜多無所執著速得圓滿。是菩薩摩訶薩行靜慮時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修靜慮波羅蜜多無所執著速得圓滿。是菩薩摩訶薩行般若時。甚深般若波羅蜜多為尊為導。所修般若波羅蜜多無所執著速得圓滿。復次憍尸迦。是菩薩摩訶薩。於一切法以無所得為方便。修習般若波羅蜜多故無執著。令所修習速得圓滿。是菩薩摩訶薩。於色以無所得為方便。修習般若波羅蜜多。於受想行識以無所得為方便。修習般若波羅蜜多。由此因緣無所執著。令所修習速得圓滿。‥‥是菩薩摩訶薩於三藐三佛陀。以無所得為方便。修習般若波羅蜜多。於無上正等菩提。以無所得為方便。修習般若波羅蜜多。由此因緣無所執著。令所修習速得圓滿。憍尸迦。如贍部洲所有諸樹枝條莖幹花葉果實。雖有種種形色不同。而其陰影都無差別。如是布施淨戒安忍精進靜慮波羅蜜多。雖各有異而由般若波羅蜜多攝受。迴向一切智智。以無所得為方便故亦無差別』
佛告釋提桓因言。憍尸迦。菩薩盡行六波羅蜜法。以無所得故。行檀波羅蜜。不得施者不得受者不得財物。行尸羅波羅蜜。不得戒不得持戒人不得破戒人。乃至行般若波羅蜜。不得智慧不得智慧人不得無智慧人。 仏の釈提桓因に告げて言わく、『憍尸迦、菩薩は、尽く六波羅蜜の法を行ず。得る所の無きを以っての故に檀波羅蜜を行じて、施者を得ず、受者を得ず、財物を得ず、尸羅波羅蜜を行じて、戒を得ず、持戒の人を得ず、破戒の人を得ず、乃至般若波羅蜜を行じて、智慧を得ず、智慧の人を得ず、智慧無き人を得ず。
『仏』は、
『釈提桓因』に告げて、こう言われた、――
憍尸迦!
『菩薩』は
尽く、
『六波羅蜜という!』、
『法』を、
『行っている!』。
是の、
『法』には、
『所得( to be attained )』が、
『無い( be nothing )!』が故に、
『檀波羅蜜を行っても!』、
『施者も、受者、財物も!』、
『得られず( cannot be attained )!』、
『尸羅波羅蜜を行っても!』、
『戒も、持戒の人、破戒の人も!』、
『得られず!』、
乃至、
『般若波羅蜜を行っても!』、
『智慧も、智慧の人、智慧の無い人も!』、
『得られないのである!』。
憍尸迦。菩薩摩訶薩行布施時。般若波羅蜜為作明導。能具足檀波羅蜜。菩薩摩訶薩行持戒時。般若波羅蜜為作明導。能具足尸羅波羅蜜。菩薩摩訶薩行忍辱時。般若波羅蜜為作明導。能具足羼提波羅蜜。菩薩摩訶薩行精進時。般若波羅蜜為作明導。能具足毘梨耶波羅蜜。菩薩摩訶薩行禪時。般若波羅蜜為作明導。能具足禪波羅蜜。菩薩摩訶薩觀諸法時。般若波羅蜜為作明導。能具足般若波羅蜜。一切法以無所得故。所謂色乃至一切種智。 憍尸迦、菩薩摩訶薩の布施を行ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く檀波羅蜜を具足せしめ、菩薩摩訶薩の持戒を行ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く尸羅波羅蜜を具足せしめ、菩薩摩訶薩の忍辱を行ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く羼提波羅蜜を具足せしめ、菩薩摩訶薩の精進を行ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く毘梨耶波羅蜜を具足せしめ、菩薩摩訶薩の禅を行ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く禅波羅蜜を具足せしめ、菩薩摩訶薩の諸法を観ずる時には、般若波羅蜜は、為めに明を作して導き、能く般若波羅蜜を具足せしむるは、一切の法には、所得無きを以っての故なり。謂わゆる色、乃至一切種智なり。
憍尸迦!
『菩薩摩訶薩』が、
『布施を行う!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って( being a wise guide )!』、
『檀波羅蜜』を、
『具足させ!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『持戒を行う!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って!』、
『尸羅波羅蜜』を、
『具足させ!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『忍辱を行う!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って!』、
『羼提波羅蜜』を、
『具足させ!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『精進を行う!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って!』、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『具足させ!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『禅を行う!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って!』、
『禅波羅蜜』を、
『具足させ!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『諸法を見る!』時には、
『般若波羅蜜』が、
『菩薩の為に!』、
『明導と作って!』、
『般若波羅蜜』を、
『具足させるのである!』。
『一切の法』、
謂わゆる、
『色、乃至一切種智』には、
『所得』が、
『無いからである!』。
憍尸迦。譬如閻浮提諸樹種種葉種種華種種果種種色其蔭無差別。諸波羅蜜入般若波羅蜜中至薩婆若無差別亦如是。以無所得故。 憍尸迦、譬えば閻浮提の諸樹は種種の葉、種種の華、種種の果、種種の色、其の蔭に差別無きが如く、諸の波羅蜜は、般若波羅蜜中に入れば、薩婆若に至るに、差別無きことも、亦た是の如く、所得無きを以っての故なり。
憍尸迦!
譬えば、
『閻浮提』の、
『諸樹』は、
『種種の葉!』、
『種種の華!』、
『種種の果!』、
『種種の色である!』が、
其の、
『蔭』には、
『差別』が、
『無いように!』、
『諸の波羅蜜』が、
『般若波羅蜜中に入れば!』、
『薩婆若に至ること!』に、
『差別』が、
『無い!』のも、
亦た、
是のように、
『所得』が、
『無いからである!』。
釋提桓因白佛言。世尊。般若波羅蜜。大功德成就。世尊。般若波羅蜜一切功德成就。世尊。般若波羅蜜無量功德成就。無邊功德成就。無等功德成就。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、般若波羅蜜には大功徳成就せり。世尊、般若波羅蜜には一切の功徳成就せり。世尊、般若波羅蜜には無量の功徳成就し、無辺の功徳成就し、無等の功徳成就せり。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『般若波羅蜜』には、
『大功徳』が、
『成就している!』。
世尊!
『般若波羅蜜』には、
『一切の功徳』が、
『成就している!』。
世尊!
『般若波羅蜜』には、
『無量、無辺、無等の功徳』が、
『成就している!』。
  参考:『大般若経巻129』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多成就廣大殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就一切殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無量殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就圓滿殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無邊殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無對殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無盡殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無分限殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就無等等殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就難思議殊勝功德。如是般若波羅蜜多成就不可說殊勝功德。世尊。若善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多。眾寶嚴飾以無量種上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。依此經說如理思惟。有善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多。施他受持廣令流布。此二福聚何者為多。佛言。憍尸迦。我還問汝。隨汝意答。若善男子善女人等。從他請得佛設利羅。以寶函盛置高勝處。復持無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。有善男子善女人等。從他請得佛設利羅分施與他如芥子許。令彼敬受如法安置。復以無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。於意云何。如是前後二種福聚何者為多。天帝釋言。世尊。如我解佛所說法義。若善男子善女人等。從他請得佛設利羅。以寶函盛置高勝處。復持無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。有善男子善女人等。從他請得佛設利羅。分施與他如芥子許。令彼敬受如法安置。復以無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。此二福聚後者為多。何以故。一切如來應正等覺本以大悲觀有情類。應於諸佛設利羅所歸敬供養而得度者。以金剛喻三摩地力。碎金剛身令如芥子。復以深廣大悲神力加持。如是佛設利羅令於如來般涅槃後。有得一粒如芥子量。種種供養其福無邊。於天人中受諸妙樂。乃至最後得盡苦際。故施他者其福為多』
世尊。若有善男子善女人。書是般若波羅蜜經卷。恭敬供養尊重讚歎華香乃至幡蓋。如般若波羅蜜所說正憶念。復有善男子善女人。書般若波羅蜜經卷與他人。其福何所為多。 世尊、若し有る善男子、善女人は、是の般若波羅蜜の経巻を書き、華香、乃至幡蓋もて恭敬、供養、尊重、讃歎し、般若波羅蜜の所説の如く正しく憶念し、復た有る善男子、善女人は、般若波羅蜜の経巻を書きて、他人に与うれば、其の福の何所(いづれ)をか、多しと為す。
世尊!
若し、
有る、
『善男子、善女人』は、
是の、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『恭敬、供養、尊重、讃歎し!』、
『般若波羅蜜』を、
『所説のように!』、
『正しく!』、
『憶念したとし!』、
復た、
有る、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書いて!』、
『他人』に、
『与えたとすれば!』、
何の、
『福が多い!』と、
『思われるのか?』、と。
佛告釋提桓因。憍尸迦。我還問汝。隨汝意報我。若有善男子善女人。供養諸佛舍利。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。若復有人分舍利如芥子許。與他人令供養。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。其福何所為多。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、我れは問を汝に還さん。汝が意の随(まま)に我れに報(こた)えよ。若し有る善男子、善女人、諸仏の舎利を供養し、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎せんに、若しは復た有る人は、舎利より芥子の如き許(ばか)りを分けて、他人に与えて、供養せしめ、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎せしむるに、其の福の何所をか、多しと為す』、と。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
わたしは、
『還って!』、
『お前に問おう!』。
お前は、
『意のままに!』、
『報えよ!』。
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『諸仏の舎利を供養し!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『恭敬、尊重、讃歎したとし!』。
復た、
有る、
『人』は、
『舎利』を、
『芥子粒ほどに!』、
『分け!』、
『他人に与えて!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『供養、恭敬、尊重、讃歎させたとすれば!』、
何の、
『福が多い!』と、
『思うのか?』、と。
釋提桓因白佛言。世尊。如我從佛聞法中義。若有善男子善女人。自供養舍利。乃至幡蓋。若復有人分舍利如芥子許。與他人令供養。其福甚多。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、我れ仏より聞ける法中の義の如きは、若しは有る善男子、善女人自ら舎利を乃至幡蓋もて供養せんに、若し復た有る人舎利の芥子の如き許りを分けて、他人に与えて供養せしむれば、其の福は甚だ多しと。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
わたしが、
『仏より!』、
『聞いた!』所の、
『法中の義』は、こうである、――
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
自ら、
『乃至幡蓋を用いて!』、
『舎利』を、
『供養していたとしても』、
復た、
有る、
『人』が、
『舎利』を、
『芥子粒ほど!』に、
『分け!』、
『他人』に、
『与えて!』、
『供養させたとすれば!』、
其の、
『福』は、
『甚だ多い!』。
世尊。佛見是福利眾生故。入金剛三昧中。碎金剛身作末舍利。何以故。有人佛滅度後。供養佛舍利。乃至如芥子許。其福報無邊乃至苦盡故。 世尊、仏は、是の福の衆生を利するを見たもうが故に、金剛三昧中に入りて、金剛身を砕き、末舎利と作したまえり。何を以っての故に、有る人は、仏の滅度の後、仏の舎利を供養すれば、乃至芥子許りなりとも、其の福報は無辺にして、乃至苦尽くるが故なり。
世尊!
『仏』は、
是の、
『福』が、
『衆生を利する!』のを、
『見られた!』が故に、
『金剛三昧中に入って!』、
『金剛身を砕き!』、
『末舎利( the powdered body )と!』、
『作された( to make into )のである!』。
何故ならば、
有る、
『人』が、
『仏が滅度された!』後、
『仏の舎利』を、
乃至
『芥子粒ばかりも!』、
『供養すれば!』、
其の、
『福報は無辺であり!』、
乃至、
『苦』が、
『尽きるからである!』。
佛告釋提桓因。如是如是。憍尸迦。若善男子善女人。書般若波羅蜜經卷。供養恭敬華香乃至幡蓋。若復有人書般若波羅蜜經卷。與他人令學。是善男子善女人其福甚多。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、是の如し、憍尸迦、若しは善男子、善女人、般若波羅蜜の経巻を書いて、華香、乃至幡蓋もて供養、恭敬せんに、若しは復た有る人、般若波羅蜜の経巻を書きて、他人に与えて学ばしむれば、是の善男子、善女人の其の福は甚だ多し。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
憍尸迦!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の
『経巻』を、
『書いて!』、
『華香、乃至幡蓋』を以って、
『供養、恭敬した!』としても、
若し、
復た、
有る、
『人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『書き!』、
『他の!』、
『人』に、
『与えて!』、
『学ばせた!』ならば、
是の、
『善男子、善女人』の、
『受ける!』、
『福』は、
『甚だ!』、
『多い!』のである。
   参考:『大般若経巻130』:『爾時佛讚天帝釋言。善哉善哉。如汝所說。憍尸迦。若善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多。眾寶嚴飾以無量種上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。依此經說如理思惟。有善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多。施他受持廣令流布。此二福聚後者為多。何以故。由施他者能令無量無邊有情得法喜故。復次憍尸迦。若善男子善女人等。能如般若波羅蜜多所說義趣。廣為有情分別解說令得正解。是善男子善女人等所獲福聚。復勝施他此經功德多百千倍。憍尸迦。敬此法師當如敬佛。亦如奉事尊梵行者。何以故。憍尸迦。當知般若波羅蜜多即是如來應正等覺。當知如來應正等覺即是般若波羅蜜多。當知般若波羅蜜多不異如來應正等覺。當知如來應正等覺不異般若波羅蜜多。』
復次憍尸迦。善男子善女人。如般若波羅蜜中義。為他人說開示分別令易解。是善男子善女人勝於前善男子善女人功德。所從聞般若波羅蜜。當視其人如佛。亦如高勝梵行人。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人、般若波羅蜜中の義の如く、他人の為めに説きて、開示、分別して、解し易からしむれば、是の善男子、善女人は、前の善男子、善女人の功徳に勝る。従いて般若波羅蜜を聞く所は、当に其の人を、仏の如く、亦た髙勝の梵行人の如く視るべし。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』中の、
『義の通りに!』、
『他人の為に!』、
『説いて!』、
『開示し!』、
『分別して!』、
其の、
『義』を、
『解り易くすれば!』、
是の、
『善男子、善女人』は、
前の、
『善男子、善女人の功徳』に、
『勝るだろう!』。
『般若波羅蜜を聞かせてくれる!』、
『人』は、
『仏』を、
『視るようにすべきであり!』、
亦た、
『髙勝の梵行人』を、
『視るようにすべきである!』。
何以故。當知般若波羅蜜即是佛。般若波羅蜜不異佛。佛不異般若波羅蜜。 何を以っての故に、当に知るべし、般若波羅蜜は即ち是れ仏なればなり。般若波羅蜜は仏に異ならず、仏は般若波羅蜜に異ならず。
何故ならば、
こう知らねばならない、――
『般若波羅蜜とは、即ち仏であり( this is the Buddha )!』、
『般若波羅蜜』は、
『仏』と、
『異ならず!』、
『仏』は、
『般若波羅蜜』と、
『異ならないからである!』。
 
過去未來現在諸佛。皆從般若波羅蜜中。學得阿耨多羅三藐三菩提及高勝梵行人。高勝梵行人者。所謂阿鞞跋致。菩薩摩訶薩。亦學是般若波羅蜜。當得阿耨多羅三藐三菩提。 過去未来現在の諸仏は、皆般若波羅蜜中に従って学び、阿耨多羅三藐三菩提、及び髙勝の梵行人を得。髙勝の梵行人とは、謂わゆる阿鞞跋致の菩薩摩訶薩なり、亦た是の般若波羅蜜を学んで、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
『過去、未来、現在の諸仏』も、
皆、
『般若波羅蜜中に従いながら!』、
『学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提、及び髙勝の梵行人』を、
『得たのである!』。
『髙勝の梵行人』とは、
謂わゆる、
『阿鞞跋致の菩薩摩訶薩であり!』、
亦た、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることになるのである!』。
  参考:『大般若経巻130』:『何以故。憍尸迦。過去未來現在諸佛。皆依般若波羅蜜多精勤修學。證得無上正等菩提。憍尸迦。尊梵行者當知即是住不退轉地菩薩摩訶薩。是菩薩摩訶薩亦依般若波羅蜜多精勤修學。證得無上正等菩提。憍尸迦。聲聞種性補特伽羅亦依如是甚深般若波羅蜜多精勤修學。證得預流一來不還阿羅漢果獨覺種性補特伽羅亦依如是甚深般若波羅蜜多精勤修學。漸次證得獨覺菩提。菩薩種性補特伽羅亦依如是甚深般若波羅蜜多精勤修學。超諸聲聞及獨覺地。證入菩薩正性離生。復漸修行證得無上正等菩提。以是故。憍尸迦。若善男子善女人等。欲以無量上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。現在如來應正等覺。當書如是甚深般若波羅蜜多。以無量種上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。憍尸迦。我觀是義。初得無上正等覺時。作是思惟。我依誰住。誰堪受我供養恭敬尊重讚歎。作是念時。都不見有一切世間若天若魔若梵若沙門若婆羅門人非人等與我等者。況當有勝。復自思惟。我依此法已證無上正等菩提。此法微妙甚深寂靜。我當還依此法而住供養恭敬尊重讚歎。何謂此法。所謂般若波羅蜜多。憍尸迦。我已成佛。尚遵如是甚深般若波羅蜜多依止而住。供養恭敬尊重讚歎。況善男子善女人等。欲求無上正等菩提。而不於此甚深般若波羅蜜多至心歸依精勤修學。以無量種上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。憍尸迦。若善男子善女人等。求聲聞乘或獨覺乘。亦應於此甚深般若波羅蜜多至心歸依精勤修學。以無量種上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。何以故。憍尸迦。如是般若波羅蜜多能生菩薩摩訶薩眾。從此菩薩摩訶薩眾生諸如來應正等覺。依諸如來應正等覺聲聞獨覺而得生故。以是故憍尸迦。若求大乘求獨覺乘求聲聞乘。諸善男子善女人等。皆應於此甚深般若波羅蜜多至心歸依精勤修學。以無量種上妙花鬘塗散等香衣服瓔珞寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。所以者何。求聲聞者於此般若波羅蜜多精勤修學。究竟證得阿羅漢果。求獨覺者於此般若波羅蜜多精勤修學。究竟證得獨覺菩提。求大乘者於此般若波羅蜜多精勤修學。究竟證得阿耨多羅三藐三菩提』
聲聞人亦學是般若波羅蜜。得阿羅漢道。求辟支佛道人。亦學是般若波羅蜜。得辟支佛道。菩薩亦學是般若波羅蜜。得入菩薩位。以是故。憍尸迦。善男子善女人。欲供養現在諸佛。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。當供養般若波羅蜜。 声聞人も亦た是の般若波羅蜜を学んで、阿羅漢道を得。辟支仏道を求むる人も亦た是の般若波羅蜜を学んで、辟支仏道を得。菩薩も亦た是の般若波羅蜜を学んで、菩薩位に入るを得。是を以っての故に、憍尸迦、善男子、善女人は、現在の諸仏を供養して、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎せんと欲せば、当に般若波羅蜜を供養すべし。
『声聞人』も、
亦た、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『阿羅漢道』を、
『得るのであり!』、
『辟支仏道を求める人』も、
亦た、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『辟支仏道』を、
『得るのであり!』、
『菩薩』も、
亦た、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『菩薩位』に、
『入ることができるのである!』。
是の故に、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『現在の諸仏を供養して!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『恭敬、尊重、讃歎しようと!』、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『供養せねばならないのである!』。
我見是利益。初得阿耨多羅三藐三菩提時作如是念。誰有可供養恭敬尊重讚歎依止住者。 我れは是の利益を見て、初めて阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、是の如き念を作さく、『誰か供養、恭敬、尊重、讃歎し、依止し住すべき者有らん』、と。
わたしは、
是の、
『利益を見た!』ので、
初めて、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得た!』時、
こう念じたのである、――
誰か、
『供養され、恭敬、尊重、讃歎され!』、
『依止して、住されるべき!』者が、
『有るのか?』、と。
憍尸迦。我一切世間中。若天若魔若梵若沙門婆羅門中。不見與我等者。何況有勝者。 憍尸迦、我れは一切の世間中の若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは沙門、婆羅門中に、我れと等しき者を見ず。何に況んや、勝る者有るをや。
憍尸迦!
わたしは、
『一切の世間』中に、
『天や、魔や、梵や、沙門、婆羅門』中に、
わたしと、
『等しい!』者を、
『見たことがない!』。
況して、
『勝れた!』者など、
『有るはずがない!』。
我自思念。我所得法自致作佛。我供養是法恭敬尊重讚歎。當依止住依是法。何等是法。所謂般若波羅蜜。 我れは自ら思念すらく、『我が得たる所の法は、自ら仏と作るを致せり。我れは是の法を供養し、恭敬、尊重、讃歎し、当に依止して住し、是の法に依るべし。何等か是の法なる、謂わゆる般若波羅蜜なり』、と。
わたしは、
自ら、こう思念した、――
わたしの、
『得た法』が、
自ら、
『仏と作ること( to become a Buddha )!』を、
『致した( to cause )のである!』。
わたしは、
是の、
『法』を、
『供養して、恭敬、尊重、讃歎し!』、
『依止して、住し!』、
是の、
『法』に、
『依らねばならない( should depend on )!』、
是の、
『法』とは、何か?――
謂わゆる、
『般若波羅蜜である!』、と。
  作仏(さぶつ):梵語 bodhi-praapta の訳、完全な知識に到達した( attained to the perfect knowledge )の義、仏と成る( to become a buddha )の意。
憍尸迦。我自供養是般若波羅蜜。恭敬尊重讚歎已依止住。何況善男子善女人。欲得阿耨多羅三藐三菩提。而不供養般若波羅蜜恭敬尊重讚歎華香瓔珞乃至幡蓋。何以故。般若波羅蜜中。生諸菩薩摩訶薩。諸菩薩摩訶薩中生諸佛。 憍尸迦、我れは自ら是の般若波羅蜜を供養し、恭敬、尊重、讃歎し已りて、依止して住せり。何に況んや、善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲して、般若波羅蜜を供養し、華香、瓔珞、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎せざるをや。何を以っての故に、般若波羅蜜中に、諸の菩薩摩訶薩を生じて、諸の菩薩摩訶薩中に、諸仏を生ずればなり。
憍尸迦!
わたしは、
自ら、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『供養して!』、
『恭敬、尊重、讃歎する!』と、
是の、
『般若波羅蜜』に、
『依止して!』、
『住したのである!』。
況して、
『善男子、善女人』が、
『阿耨多羅三藐三菩提を得ようとしながら!』、
『般若波羅蜜』を、
『華香、瓔珞、乃至幡蓋を用いて!』、
『供養、恭敬、尊重、讃歎しないはずがない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中に、
『諸の菩薩摩訶薩』を、
『生じ!』、
『諸の菩薩摩訶薩』中に、
『諸仏』を、
『生じるからである!』。
以是故。憍尸迦。善男子善女人。若求佛道。若求辟支佛道。若求聲聞道。皆應供養般若波羅蜜恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋 是を以っての故に、憍尸迦、善男子、善女人、若しは仏道を求め、若しは辟支仏道を求め、若しは声聞道を求めんに、皆、応に般若波羅蜜を供養し、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎すべし。
是の故に、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
若し、
『仏道、辟支仏道、声聞道』を、
『求めていれば!』、
皆、
『般若波羅蜜を供養すべきであり!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『恭敬、尊重、讃歎せねばならない!』。



【論】般若波羅蜜を供養する因縁

【論】問曰。何因緣故。說是有為法無為法相。 問うて曰く、何の因縁の故にか、是の有為法、無為法の相を説く。
問い、
何のような、
『因縁』の故に、
是の、
『有為法、無為法の相』を、
『説いたのですか?』。
答曰。帝釋讚歎般若波羅蜜攝一切法。此中欲說因緣。 答えて曰く、帝釈は、『般若波羅蜜は、一切の法を摂す』、と讃歎して、此の中に、因縁を説かんと欲す。
答え、
『帝釈』が、
『般若波羅蜜』には、
『一切の法が摂されている( to contain all of the dharmas )!』と、
『讃歎して!』、
此の中に、
『讃歎の因縁』を、
『説こうとしたのである!』。
有為法相。所謂十八空三十七品乃至十八不共法。略說善不善等乃至世間出世間。是名有為法相。何以故。是作相先無今有已有還無故。與上相違即是無為法相。是二法皆般若波羅蜜中攝。 有為法の相は、謂わゆる十八空、三十七品、乃至十八不共法にして、略説すれば善、不善等、乃至世間、出世間、是れを有為法の相と名づく。何を以っての故に、是れ作相にして、先に無くして今有り、已に有りて無に還るが故なり。上と相違すれば、即ち是れ無為法の相なり。是の二法は、皆、般若波羅蜜中に摂す。
『有為法の相』とは、
謂わゆる、
『十八空、三十七品、乃至十八不共法である!』が、
略説すれば、
『善、不善等、乃至世間、出世間であり!』、
是れを、
『有為法の相』と、
『称する!』。
何故ならば、
是れは、
『作相であり( a mark that is made )!』、
『先に無くて、今有り!』、
『已に有って、還た無くなるからである!』。
上の、
『相に相違すれば!』、
即ち、
『無為法の相である!』が、
是の、
『二法』は、
皆、
『般若波羅蜜』中に、
『摂されるのである!』。
  作相(さそう):梵語 lakSaNaani-sthaapyante の訳、地位を占めた相( a mark that stands upon or gets upon or takes up a position on )の義、作られた相( a mark/ characteristic that is made )の意。
有為善法是行處。無為法是依止處。餘無記不善法以捨離故不說。此是新發意菩薩所學。 有為の善法は是れ行処にして、無為の法は是れ依止の処なり。余の無記、不善の法は捨離するを以っての故に、説かず。此れは是れ新に意を発せる菩薩の学ぶ所なり。
『有為の善法』とは、
即ち、
『行処( the place of practice )であり!』、
『無為の法』とは、
即ち、
『依止処( the resting place )であり!』、
『餘の無記法、不善法』は、
『捨離される!』が故に、
『説かれることはない!』が、
此の、
『説』は、
『新発意の菩薩』の、
『学ぶ所である!』。
  行処(ぎょうじょ):梵語 abhisaMskaara-sthaana の訳、発展の場所( the place of development )の義、修行の場( the place of practice )の意。
  依止処(えしじょ):梵語 pratisaraNa, saMnizrayAdhiSThaanaの訳、~の上に休息する( leaning or resting upon )の義、休息所( the place where one rests upon )の意。
若得般若波羅蜜方便力。應無生忍。則不愛行法不憎捨法。不離有為法。而有無為法。是故不依止涅槃。 若し般若波羅蜜の方便力を得れば、応に無生忍なるべく、則ち行法を愛せず、捨法を憎まず、有為法を離れずして、而も無為法有り、是の故に涅槃に依止せず。
若し、
『般若波羅蜜という!』、
『方便の力を得たならば!』、
『無生忍』を、
『得たことになり!』、
則ち、
『法』を、
『行うこと!』を、
『愛することもなく!』、
『法』を、
『捨てること!』を、
『悪むこともなく!』、
『有為法を離れて!』、
『無為法』が、
『有るということもなく!』、
是の故に、
『涅槃(無為法の異名)に!』、
『依止することもない!』。
是以經中說般若波羅蜜中。廣說三乘用無相法故。無生無滅等。以世諦故作是說。非第一義諦。 是を以って、経中に説かく、『般若波羅蜜中には、広く三乗を説いて、無相の法を用うるが故に、無生、無滅等なるも、世諦を以っての故に、是の説を作し、第一義諦に非ず』、と。
是の故に、
『経』中に、こう説くのである、――
『般若波羅蜜』中には、
『三乗の義を広説して!』、
『無相法を用いる!』が故に、
『有為法は無生、無滅等である!』と、
『説く!』が、
『世諦を用いる!』が故に、
『無生、無滅等である!』と、
『説くのであり!』、
『第一義諦を用いて!』、
『説くのではない!』。
菩薩行是諸法實相。雖能觀一切眾生。心亦不得眾生。雖能行一切法。亦不得一切法。何以故。以得無所得般若波羅蜜故。 菩薩は、是の諸法の実相を行じて、能く一切の衆生を観ると雖も、心は亦た衆生を得ず、能く一切法を行ずと雖も、亦た一切法を得ず。何を以っての故に、所得無き般若波羅蜜を得るを以っての故なり。
『菩薩』が、
是の、
『諸法の実相を行えば!』、
『一切の衆生(の実相)』を、
『観ながら!』、
『心』に、
『衆生』を、
『得ることがなく( do not recognize )!』、
『一切の法』を、
『行じながら( to practice )!』、
亦た、
『一切の法』を、
『得ることがない!』。
何故ならば、
『無所得という( nothing to be recognized )!』、
『般若波羅蜜』を、
『得るからである!』。
  行一切法(ぎょういっさいほう):梵語 sarva-dharma-caraNa の訳、一切法の実践( the practice of the all dharmas )の義。
佛可其所歎。菩薩常習是行。乃至阿耨多羅三藐三菩提不可得。何況餘法。 仏は、其の歎ずる所を可としたまわく、『菩薩は、常に是の行を習い、乃至阿耨多羅三藐三菩提まで得べからず、何に況んや、余の法をや』、と。
『仏』は、
『釈提桓因の歎じた!』所を、
『可として( to approve )!』、こう言われた、――
『菩薩』は、
常に、
是の、
『行を習っている( to practice repeatedly )ので!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提すら!』、
『得られないのである!』、
況して、
『餘の法』は、
『言うまでもない!』。
  習行(じゅうぎょう):梵語 abhyaasa の訳、反復/何かを付け加える行為( reduplication of, repetition, the act of adding anything )の義、修行を繰り返すこと( the repetition of practice )の意。
帝釋意念。若般若是究竟法者。行人但行般若波羅蜜。何用餘法。 帝釈の意に念ずらく、『若し般若は是れ究竟の法なれば、行人は、但だ般若波羅蜜のみを行じて、何んが余の法を用うる』、と。
『帝釈』は、
『意』に、こう念じた、――
若し、
『般若波羅蜜が究竟の法ならば!』、
『行人』は、
但だ、
『般若波羅蜜だけ!』を、
『行うはずだが!』、
何故、
『餘の法』を、
『用いるのか?』、と。
佛答菩薩行六波羅蜜。以般若波羅蜜用無所得法和合故。此即是行般若波羅蜜。若但行般若不行五法。則功德不具足不美不妙。 仏の答えたまわく、『菩薩の六波羅蜜を行ずるは、般若波羅蜜は無所得の法を用いて、和合するを以っての故なり。此れは即ち是れ般若波羅蜜を行ずるなり。若し但だ般若を行じて、五法を行ぜざれば、則ち功徳具足せずして、美ならず、妙ならざればなり。
『仏』は、こう答えられた、――
『菩薩が、六波羅蜜を行う!』のは、――
『般若波羅蜜』が、
『無所得の法を用いて!』、
『餘の波羅蜜』に、
『和合するからであり!』、
此れが、
即ち、
『般若波羅蜜』を、
『行うということだからである!』。
若し、
但だ、
『般若波羅蜜だけを行って!』、
『五法』を、
『行わなければ!』、
則ち、
『般若波羅蜜』の、
『功徳が具足せず!』、
『美妙でない( not be agreeable )からである!』。
  美妙(みみょう):梵語 pratiruupa の訳、喜ばしい/美しい( agreeable, beautiful )の義。
譬如愚人不識飲食種具聞鹽是眾味主便純食鹽失味致患。 譬えば、愚人の、飲食の種を識らず、具(つぶさ)に塩は是れ衆味の主なりと聞きて、便ち純(もっぱ)ら塩を食えば、味を失いて患を致すが如し。
譬えば、
『愚人』は、
『飲食の種を識らない( do not know the kinds of food )!』ので、
具に( in detail )、
『塩』は、
『衆味の主である( the essence of the taste )!』と、
『聞いて!』、
便ち( therefor )、
純ら( only )、
『塩を、食っていた!』ので、
『味を失い( to lose the taste )!』、
『患を致した( to invite sickness )ようなものである!』。
  具(ぐ):<動詞>[本義]準備/備辦( prepare )。具備/有( have, possess )、評決( verdict )。<名詞>用具/道具( tool )、才能( talent )、飯食( food )。<副詞>詳らかに/詳細に( in detail )、皆/都/全く/悉く( entirely, completely )。
  (しゅ):<名詞>植物の種子( seed )、人種/部族/品種/血統( race, clan, breed, strain )、種類/類別( sort, kind )、動植物の種/種類( species )。<動詞>種をまく( sow )、植える/栽培する( grow, plant, cultivate )、繁殖/養育する( breed, bring up )。
行者亦如是。欲除著心故。但行般若反墮邪見。不能增進善法。若與五波羅蜜和合。則功德具足義味調適。 行者も亦た是の如く、著心を除かんと欲するが故に、但だ般若のみを行ぜば、反って邪見に堕し、善法を増進する能わざらん。若し五波羅蜜と和合すれば、則ち功徳具足して、義の味は調適す。
『行者』も、
是のように、
『著心を除こうとする!』が故に、
但だ、
『般若波羅蜜だけを行えば!』、
反って、
『邪見に堕ちることになり!』、
『善法』を、
『増進することができなくなる!』が、
若し、
『五波羅蜜を和合すれば!』、
則ち、
『功徳が具足して!』、
『義の味』が、
『調適する( to adapt )ことになる!』。
  調適(じょうじゃく):適応/順応( adaptation )。
雖眾行和合般若為主。若布施等諸法。離般若波羅蜜。則有種種差別。至般若波羅蜜中。皆一相無有差別。 衆行和合すと雖も、般若を主と為せば、若し布施等の諸法が、般若波羅蜜を離るれば、則ち種種に差別すること有るも、般若波羅蜜中に至るまで、皆、一相にして、差別有ること無し。
『般若波羅蜜』に、
『衆行が和合しても!』、
『般若波羅蜜』が、
『主であり!』、
若し、
『布施等の諸法』が、
『般若波羅蜜』を、
『離れれば!』、
則ち、
『種種の差別』を、
『有することになる!』が、
『般若波羅蜜中に至れば( to arrive in )!』、
『皆、一相となり!』、
『差別が無くなる!』。
譬如閻浮提阿那婆達多池四大河流一大河有五百小川歸之俱入大海則失其本名合為一味無有別異。又如樹木枝葉華果眾色別異蔭則無別。 譬えば、閻浮提の阿那婆達多池より、四大河流れ、一大河に五百の小川有りて、之に帰するも、倶に大海に入れば、則ち其の本の名を失い、合して一味と為り、別異有ること無きが如し。又、樹木は枝葉、華果の衆色の別異あるも、蔭は則ち別無きが如し。
譬えば、
『閻浮提の阿那婆達多池より!』、
『四大河が流れ!』、
『一大河ごとに!』、
『五百の、小川が有って!』、
『大河に、帰入している!』が、
『大海に、倶に入れば!』、
『一一の大河、小川』は、
『名を失って!』、
『一味と為り!』、
倶に、
『別異』が、
『無くなるようなものである!』。
又、
『樹木』の、
『枝、葉、華、果という!』、
『衆色( the various forms )』は、
『別異であっても!』、
『蔭』には、
『別異』が、
『無いようなものである!』。
  衆色(しゅしき):梵語 vizvaruupa の訳、多くの色彩の/色を雑えた( many-coloured, variegated )の義、種種の形態( various forms )の意。
問曰。蔭亦有差別。樹大則蔭大。枝葉華果大小種種異形。云何無差別。 問うて曰く、蔭にも亦た差別有り。樹大なれば、則ち蔭も大なり。枝葉、華果の大小、種種に形を異にするに、云何が差別無き。
問い、
『蔭』にも、
亦た、
『差別』が、
『有る!』、――
『樹』が、
『大きければ!』、
『蔭』も、
『大きいはずだ!』し、
『枝、葉、華、果』が、
『大きい!』とか、
『小さい!』とか、
『形』は、
『種種に!』、
『異なる!』のに、
何故、
『蔭』に、
『差別』が、
『無いのですか?』。
答曰。蔽光故影現。無光之處即名為蔭。蔭不以大小異形為義。 答えて曰く、光を蔽うが故に影現われ、光無き処を、即ち名づけて蔭と為す。蔭は、大小、異形を以って、義と為すにあらず。
答え、
『光を蔽う!』が故に、
『影』が、
『現われる!』が、
『光の無い!』、
『処』を、
『蔭』と、
『称するだけであり!』、
『蔭』の、
『大、小や、異形であること( being heterotypic )!』が、
『蔭』の、
『義ではない( be not substance )!』。
  (ぎ):梵語 artha の訳、目的/意図/原因/動機/理由/利益/効用/実利/事物/対象物/感覚の対象/実体/富/財産/富裕/金銭/事情/関心事/感覚/意味/観念( aim, purpose, cause, motive, reason, advantage, use, utility, thing, object, object of the senses, substance, wealth, property, opulence, money, affair, concern, sense, meaning, notion )等の義、事物の本質に関する特徴的様相( The distinctive features of a substance )の意。
  異形(いぎょう):種種の形の( different in form, heterotypic )の義。
問曰。行般若波羅蜜。受誦乃至正憶念。此事為難。書持般若經卷。與他人為易。功德尚不應等。云何言勝。 問うて曰く、般若波羅蜜を行ずるに、受して誦し、乃至正憶念すること、此の事を難しと為し、般若の経巻を書持して、他人に与えるは、易しと為す。功徳は、尚お応に等しかるべからず。云何が勝ると言う。
問い、
『般若波羅蜜を行じて!』、
『受持、読誦し!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すること!』、
此の、
『事』は、
『難しい!』が、
『般若波羅蜜の経巻を書いて!』、
『受持し!』、
『他人』に、
『与えれば!』、
此の、
『事』は、
『易しい!』ので、
是れ等の、
『二功徳』は、
尚お( still )、
『等しいはずがない!』。
何故、
『勝る!』と、
『言うのですか?』。
答曰。獨行讀誦正憶念雖難。或以我心故功德小。以經卷與他者有大悲心。作佛道因緣。無吾我故功德為大。 答えて曰く、独り、読誦を行じて、正しく憶念するは、難しと雖も、或いは我心を以っての故に功徳は小ならん。経巻を以って他に与うる者には、大悲心有りて、仏道の因縁と作り、吾我無きが故に、功徳を大と為す。
答え、
独りで、
『読誦を行いながら!』、
『正しく!』、
『憶念すること!』は、
『難しい!』が、
或いは、
『我心の行である!』が故に、
『功徳』は、
『小さい!』。
若し、
『経巻を、他人に与えれば!』、
『大悲心が有って!』、
『仏道の因縁』を、
『作しながら!』、
『吾我の心が無い!』が故に、
『功徳』は、
『大である!』。
如佛問帝釋。若人自供養舍利。復有人以舍利與他令供養。其福何所為多。答曰。與他人令供養得福多。以無吾我慈悲心與故。 仏の帝釈に問いたまえるが如し、『若し人、自ら供養せん、復た有る人は、舎利を以って他に与えて供養せしめん。其の福は、何所をか、多しと為す』、と。答えて曰く、『他人に与えて供養せしむることの、福を得ること多し、吾我無き、慈悲心を以って与うるが故なり』、と。
例えば、こうである、――
『仏』は、
『帝釈』に、こう問われた、――
有る、
『人』は、
『自ら!』、
『舎利』を、
『供養していた!』が、
復た、有る、
『人』は、
『他人に!』、
『舎利を与えて!』、
『供養させた!』。
其の、
『福』は、
『何の人が!』、
『多いのか?』、と。
『帝釈』は、こう答えた、――
『他人に与えて、供養させた!』、
『人の方』が、
『多く!』、
『福を得ることになる!』。
『吾我の無い!』、
『慈悲心を用いて!』、
『舎利』を、
『与えたからである!』、と。
佛雖不用福德。見有如是大利益眾生故。是以入金剛三昧自碎其身。 仏は、福徳を用いずと雖も、是の如く大いに衆生を利益すること有るを見るが故に、是を以って、金剛三昧に入りて、自ら其の身を砕きたもう。
『仏』は、
『福徳を用いられない!』が、
是のように、
『衆生を、大利益すること!』が、
『福徳には有る!』と、
『見られた!』ので、
是の故に、
『金剛三昧に入って!』、
自ら、
『身を、砕かれたのである!』。
問曰若福德在心。佛何用碎身如芥子令人供養 問うて曰く、若し福徳、心に在らば、仏は、何んが砕きし身の芥子の如きを用いて、人をして供養せしめたもう。
問い、
若し、
『福徳』が、
『心』に、
『在れば!』、
『仏』は、
何故、
『身を、芥子ほどに砕いた!』、
『舎利を用いて!』、
『人』に、
『供養させられるのですか?』。
答曰。信淨心從二因緣生。一者內正憶念。二者外有良福田。 答えて曰く、信浄の心は二因縁より生ず、一には内の正憶念、二には外に有る良き福田なり。
答え、
『信浄の心( the gracious mind )』は、
『二因縁より、生じる!』、――
一には、
内に、
『正しく!』、
『般若波羅蜜を憶念することによって!』、
『生じ!』、
二には、
外に、
『良い!』、
『福田が有ることによって!』、
『生じる!』。
  信浄(しんじょう)、浄信(じょうしん):梵語 prasaada の訳明瞭/鮮明/透徹/清浄( clearness, brightness, pellucidness, purity )の義、冷静/静穏/興奮の欠如( calmness, tranquillity, absence of excitement )、慈悲/親切/親切な行為/好意/援助/瞑想( graciousness, kindness, kind behaviour, favour, aid, mediation )の意。
譬如有好穀子田又良美所收必多。是故心雖好必因舍利。然後得大果報。 譬えば、好き穀子(もみ)有りて、田も又良美なれば、収する所も必ず多きが如し。是の故に心好しと雖も、必ず舎利に因り、然る後に大果報を得るなり。
譬えば、
『好い、穀子が有り!』、
又、
『田』も、
『良美ならば!』、
必ず、
『収穫する!』所が、
『多いようなものであり!』、
是の故に、
『心が、好くても!』
必ず( necessarily )、
『舎利』に、
『因らねばならず!』、
その後、
『大果報』を、
『得るのである!』。
佛既可其言。復更自說。有人書寫經卷與人。復有人於大眾中廣解其義。其福勝前。視是人如佛。若次佛。如佛。若次佛義如先說。 仏は既に其の言を可とし、復た更に自ら説きたまわく、『有る人は、経巻を書写して人に与うるに、復た有る人は、大衆中に於いて、広く其の義を解かば、其の福は前に勝り、是の人を視ること、仏、若しくは仏に次ぐが如くならん』。と。仏、若しくは仏に次ぐが如しの義は、先に説けるが如し。
『仏』は、
既に、
『釈提桓因』の、
『言』を、
『可とされた!』ので、
復た、
更に、自らこう説かれた、――
有る、
『人』は、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書写して!』、
『人』に、
『与えただけだが!』、
復た、
有る、
『人』は、
『大衆』中に於いて、
『般若波羅蜜の義』を、
『広く!』、
『解説した!』。
是の、
『人の福』は、
『前の福』に、
『勝っている!』ので、
是の、
『人』を、
『仏か、仏に次ぐように!』、
『視よ!』、と。
『仏か、仏に次ぐように!』の、
『義』は、
『先に説いた通りである!』。
佛以二種因緣。證般若波羅蜜為勝。一者三世聖人。從中學成聖道。二者我以此法故。得成無上聖。我今還師仰此法。法者諸法實相。所謂般若波羅蜜。 仏は、二種の因縁を以って、般若波羅蜜を証して、勝と為したもう。一には三世の聖人は、従って中に学び、聖道を成したもう。二には我れは、此の法を以っての故に、無上の聖と成るを得れば、我れは今、還って、此の法を師と仰ぐ。法とは、諸法の実相にして、謂わゆる般若波羅蜜なり。
『仏』は、
『二種の因縁を用いて!』、
『般若波羅蜜が勝る!』と、こう証された、――
一には、
『三世の聖人』は、
『般若波羅蜜中に従って、学びながら!』、
『聖道』を、
『成就したのであり!』、
二には、
わたしは、
『般若波羅蜜を用いた!』が故に、
『無上の聖道』を、
『成就することができたのである!』が、
わたしは、
今、
還って( again )、
此の、
『法』を、
『師仰するのである( to study under )!』。
此の、
『法』とは、
『諸の、法の実相であり!』、
『謂わゆる、般若波羅蜜である!』、と。
憍尸迦。我更無所求。而猶推尊般若供養。何況善男子。不以種種供具供養般若波羅蜜。 憍尸迦、我れは更に求むる所無けれども、猶お推して般若を尊び、供養す。何に況んや、善男子、種種の供具を以って、般若波羅蜜を供養せざるをや。
憍尸迦!
わたしには、
更に、
『求める!』所は、
『無い!』が、
而し、
猶お、
『般若波羅蜜を尊んで!』、
『供養するよう!』、
『推薦する!』。
況して、
『善男子』が、
『種種の供養の具を用いて!』、
『般若波羅蜜』を、
『供養しないことがあろうか?』。
此中說因緣。般若是菩薩根本因緣。菩薩是諸佛根本因緣。諸佛是一切世間。大利益安樂因緣。 此の中に因縁を説きたまわく、『般若は是れ菩薩の根本の因縁なり。菩薩は、是れ諸仏の根本の因縁なり。諸仏は、是れ一切世間の大利益、安楽の因縁なり。
此の中に、
『因縁』を、こう説かれている、――
『般若波羅蜜』とは、
『菩薩』の、
『根本的因縁であり!』、
『菩薩』は、
『諸仏』の、
『根本的因縁である!』が、
『諸仏』は、
『一切の世間を大利益する!』、
『安楽の因縁である!』、と。
是故聲聞辟支佛人。欲疾安隱入三解脫門者。猶尚供養般若波羅蜜。何況菩薩。 是の故に、声聞、辟支仏の人は、疾かに安隠にして、三解脱門に入らんと欲せば、猶尚お、般若波羅蜜を供養すべし、何に況んや菩薩をや。
是の故に、
『声聞、辟支仏の人すら!』、
疾かに、
『安隠に( at ease )!』、
『三解脱門』に、
『入ろうとすれば!』、
猶尚お( even )、
『般若波羅蜜』を、
『供養せねばならない!』。
況して、
『菩薩』は、
『尚更である!』。
  安隠(あんのん):梵語 kSema の訳、休息/気楽/安心を与える( giving rest or ease or security )の義、気楽に/気楽に住まる( at ease, abiding at ease )の意。
  猶尚(ゆうしょう):<副詞>[状況が変らないことを示す]なお( still, yet )。<接続詞>[常に況/安と共に有りて、対比を示す]なお( even )。
供養具者。所謂以一心聽受。乃至正憶念。及以華香。乃至幡蓋
大智度論卷第五十九
供養の具とは、謂わゆる一心に聴受し、乃至正憶念するを以ってし、及び華香、乃至幡蓋を以ってするなり。
大智度論巻第五十九
『供養具』とは、――
謂わゆる、
『供養する!』のに、
『一心、聴受、乃至正憶念』を、
『用い!』、
及び、
『華香、乃至幡蓋』を、
『用いることである!』。

大智度論巻第五十九


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