巻第五十九(上)
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大智度論釋校量舍利品第三十七(卷五十九)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】閻浮提に満ちる舎利と、般若波羅蜜の経巻の比較

【經】佛告釋提桓因言。憍尸迦。若滿閻浮提佛舍利作一分。復有人書般若波羅蜜經卷作一分。二分之中汝取何所。 仏の釈提桓因に告げて言わく、『憍尸迦、若し閻浮提に仏の舎利を満てて、一分と作し、復た有る人、般若波羅蜜の経巻を書きて、一分と作さんに、二分の中、汝は何所(いづ)れを取る』、と。
『仏』は、
『釈提桓因』に告げて、こう言われた、――
憍尸迦!
若し、
『閻浮提に満ちる!』、
『仏の舎利』を、
『一分とし!』、
復た、
有る
『人が書いた!』、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『一分として!』、
是の、
『二分』中には、
お前は、
何ちらの、
『分を取るのか?』、と。
  舎利(しゃり):梵語zariira、身の義。仏の遺骨を云う。『大智度論巻57上注:舎利』参照。
  参考:『大般若経巻127』:『爾時佛告天帝釋言。憍尸迦。假使充滿此贍部洲佛設利羅以為一分。書寫如是甚深般若波羅蜜多復為一分。此二分中汝取何者。時天帝釋即白佛言。世尊。假使充滿此贍部洲佛設利羅以為一分。書寫如是甚深般若波羅蜜多復為一分。於二分中我意寧取如是般若波羅蜜多。何以故。我於諸佛設利羅所。非不信受。非不欣樂。供養恭敬尊重讚歎。然設利羅皆因般若波羅蜜多而出生故。皆是般若波羅蜜多功德勢力所薰修故。乃為一切世間天人阿素洛等。以無量種上妙華鬘塗散等香。衣服瓔珞寶幢幡蓋。眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。』
釋提桓因白佛言。世尊。若滿閻浮提佛舍利作一分。般若波羅蜜經卷作一分。二分之中我寧取般若波羅蜜經卷。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、若し閻浮提に仏の舎利を満てて、一分と作し、般若波羅蜜の経巻を一分と作さば、二分の中より、我れは寧ろ、般若波羅蜜の経巻を取らん』、と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
『閻浮提に満ちる!』、
『仏の舎利』を、
『一分とし!』、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『一分とすれば!』、
わたしは、
『二分』中に、
寧ろ( rather )、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『取ります( to choose )!』。
  (ねい):<形容詞>[本義]安らかな( peaceful )。安定した( satable )、平静な( quiet )。<動詞>安定させる( stabilize )、落ち着かせる( settle down )。<接続詞>むしろ/むしろ~したい( rather, would rather )。<副詞>豈に/どうして~そうなのか( could there be )。
何以故。世尊。我於佛舍利非不恭敬非不尊重。以舍利從般若波羅蜜中生。般若波羅蜜薰修故。是舍利得供養恭敬尊重讚歎。 何を以っての故に、世尊、我れは、仏の舎利に於いて、恭敬せざるに非ず、尊重せざるに非ず、舎利は、般若波羅蜜中より生じ、般若波羅蜜薫修するを以っての故に、是の舎利は、供養、恭敬、尊重、讃歎を得ればなり。
何故ならば、――
世尊!
わたしは、
『仏の舎利』を、
『恭敬しないのでもなく!』、
『尊重しないのでもありません!』が、
『舎利』は、
『般若波羅蜜』中より、
『生じ!』、
『般若波羅蜜』が、
『仏の舎利』を、
『薫修する( to perfume )!』が故に、
是の、
『舎利』は、
『供養、恭敬、尊重、讃歎を得るからです!』。
  薫修(くんじゅう):梵語 vaasanaa, adhivaasita の訳、熏習とも訳す。香気を付けられた( scented, perfumed )、香気を付ける/熏す/染み込ませる/漬ける行為( the act of perfuming or fumigating, infusing, steeping )の義、何か無意識に心に残る影響/記憶より引き出された過去の知覚や知識である現在の意識( the impression of anything remaining unconsciously in the mind, the present consciousness of past perceptions, knowledge derived from memory )の意。
爾時舍利弗問釋提桓因。憍尸迦。是般若波羅蜜不可取。無色無形無對一相。所謂無相。汝云何欲取。何以故。是般若波羅蜜。不為取故出。不為捨故出。不為增減聚散損益垢淨故出。 爾の時、舎利弗の釈提桓因に問わく、『憍尸迦、是の般若波羅蜜は取るべからず。無色、無形、無対の一相にして、謂わゆる無相なればなり。汝は、云何が、取らんと欲する。何を以っての故に、是の般若波羅蜜は、取らんが為めの故に出でず、捨てんが為めの故に出でず、増減、聚散、損益、垢浄せんが為めの故に出でざればなり。
爾の時、
『舎利弗』は、
『釈提桓因』に、こう問うた、――
憍尸迦!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『取ることができず( cannot be obtained )!』、
『無色、無形、無対という!』、
『一相であり!』、
謂わゆる、
『無相なのに!』、
お前は、
『何のようにして!』、
『取ろうとするのか?』。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『取ったり、捨てたりする為や!』、
『増減、聚散、損益することや、垢浄の為には!』、
『出ないからである!』。
  参考:『大般若経巻127』:『爾時舍利子謂天帝釋言。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。既不可取。無色無見無對一相。所謂無相。汝云何取。所以者何。如是般若波羅蜜多。無取無捨無增無減無聚無散無益無損無染無淨。如是般若波羅蜜多。不與諸佛法。不捨異生法。不與菩薩法。不捨異生法。不與獨覺法。不捨異生法。不與聲聞法。不捨異生法。不與無為界。不捨有為界。如是般若波羅蜜多。不與布施波羅蜜多。不與淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。如是般若波羅蜜多。不與內空。不與外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。如是般若波羅蜜多不與真如。不與法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界。如是般若波羅蜜多不與苦聖諦。不與集滅道聖諦。如是般若波羅蜜多不與四靜慮。不與四無量四無色定。如是般若波羅蜜多不與八解脫。不與八勝處九次第定十遍處。如是般若波羅蜜多不與四念住。不與四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。如是般若波羅蜜多不與空解脫門。不與無相無願解脫門。如是般若波羅蜜多不與五眼。不與六神通。如是般若波羅蜜多不與佛十力。不與四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法。如是般若波羅蜜多不與無忘失法。不與恒住捨性。如是般若波羅蜜多不與一切智。不與道相智一切相智。如是般若波羅蜜多不與一切陀羅尼門。不與一切三摩地門。如是般若波羅蜜多不與預流果不與一來不還阿羅漢果如是般若波羅蜜多不與獨覺菩提如是般若波羅蜜多不與菩薩摩訶薩行。如是般若波羅蜜多不與無上正等菩提。』
是般若波羅蜜。不與諸佛法不捨凡人法。不與辟支佛法阿羅漢法學法。不捨凡人法。不與無為性。不捨有為性。不與內空乃至無法有法空。不與四念處乃至一切種智。不捨凡人法。 是の般若波羅蜜は、諸の仏法を与えず、凡人法を捨てず、辟支仏法、阿羅漢法、学法を与えず、凡人法を捨てず、無為性を与えず、有為性を捨てず、内空、乃至無法有法空を与えず、四念処、乃至一切種智を与えず、凡人法を捨てず。
是の、
『般若波羅蜜』は、
諸の、
『仏の法』を、
『与えるのでもなく!』、
『凡人の法』を、
『捨てるのでもなく!』、
『辟支仏の法、阿羅漢の法、声聞有学の法』を、
『与えるのでもなく!』、
『凡人の法』を、
『捨てるのでもなく!』、
『無為の性』を、
『与えるのでもなく!』、
『有為の性』を、
『捨てるのでもなく!』、
『内空乃至無法有法空、四念処乃至一切種智』を、
『与えるのでもなく!』、
『凡人の法』を、
『捨てるのでもない!』。
釋提桓因語舍利弗。如是如是。舍利弗。若有人知是般若波羅蜜。不與諸佛法不捨凡人法。乃至不與一切種智。不捨凡人法。是菩薩摩訶薩能行般若波羅蜜。能修般若波羅蜜。 釈提桓因の舎利弗に語らく、『是の如し、是の如し、舎利弗、若し有る人、是の般若波羅蜜の、諸の仏法を与えずして、凡人法を捨てず、乃至一切種智を与えずして、凡人法を捨てざるを知らば、是の菩薩摩訶薩は、能く般若波羅蜜を行い、能く般若波羅蜜を修むるなり。
『釈提桓因』は、
『舎利弗』に、こう語った、――
その通りだ!
その通りだ!
舎利弗!
若し、
有る
『人』が、こう知れば、――
是の、
『般若波羅蜜』は、
『諸仏の法を与えることもなく!』、
『凡人の法』を、
『捨てることもなく!』、
乃至、
『一切種智を与えることもなく!』、
『凡人の法』を、
『捨てることもない!』、と。
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜を行うことができ!』、
『般若波羅蜜』を、
『修めることができるのである!』。
何以故。般若波羅蜜。不行二法故。不二法相是般若波羅蜜。不二法相是禪波羅蜜。乃至檀波羅蜜。 何を以っての故に、般若波羅蜜は、二法を行ぜざるが故なり。不二法の相は、是れ般若波羅蜜、不二法の相は、是れ禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜なり。
何故ならば、
『般若波羅蜜』は、
『二法』を、
『行わないからである!』。
『不二の法という!』、
『相』が、
『般若波羅蜜であり!』、
『不二の法という!』、
『相』が、
『禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜なのである!』。
  参考:『大般若経巻127』:『爾時天帝釋報舍利子言。如是如是。誠如所說。大德如是般若波羅蜜多實不可取。無色無見無對一相。所謂無相。大德。如是般若波羅蜜多無取無捨無增無減無聚無散。無益無損無染無淨。大德。如是般若波羅蜜多不與諸佛法。不捨異生法。不與菩薩法。不捨異生法。不與獨覺法。不捨異生法。不與聲聞法。不捨異生法。(中略)大德。如是般若波羅蜜多不與菩薩摩訶薩行。大德。如是般若波羅蜜多不與無上正等菩提。大德。若於般若波羅蜜多能如是知。是為真取甚深般若波羅蜜多。亦真修行甚深般若波羅蜜多。何以故。甚深般若波羅蜜多。不隨二行。無二相故。如是靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多。亦不隨二行。無二相故』
爾時佛讚釋提桓因言。善哉善哉。憍尸迦。如汝所說。般若波羅蜜不行二法故。不二法相是般若波羅蜜。不二法相是禪波羅蜜。乃至檀波羅蜜。 爾の時、仏の釈提桓因を讃じて言わく、『善い哉、善い哉、憍尸迦、汝の所説の如く、般若波羅蜜は、二法を行ぜず。故は不二法の相は、是れ般若波羅蜜、不二法の相は、是れ禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜なればなり。
爾の時、
『仏』は、
『釈提桓因を散じて!』、こう言われた、――
善いぞ!
善いぞ!
憍尸迦!
お前の、説くように、――
『般若波羅蜜』は、
『二法』を、
『行わないからである!』。
何故ならば、
『不二の法という!』、
『相』が、
『般若波羅蜜であり!』、
『不二の法という!』、
『相』が、
『禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜だからである!』。
  参考:『大般若経巻127』:『爾時佛讚天帝釋言。善哉善哉。如汝所說。甚深般若波羅蜜多不隨二行。何以故。甚深般若波羅蜜多無二相故。如是靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多亦不隨二行。何以故。如是靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多亦無二相故。憍尸迦。諸有欲令甚深般若波羅蜜多有二相者。則為欲令真如亦有二相。何以故。憍尸迦。甚深般若波羅蜜多與真如無二無二分故。憍尸迦。諸有欲令靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多有二相者。則為欲令真如亦有二相。何以故。憍尸迦。靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多與真如無二無二分故。(中略)憍尸迦。諸有欲令靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多有二相者。則為欲令不思議界亦有二相。何以故。憍尸迦。靜慮精進安忍淨戒布施波羅蜜多與不思議界無二無二分故』
憍尸迦。若人欲得法性二相者。是人為欲得般若波羅蜜二相。 憍尸迦、若し人、法性に二相を得んと欲すれば、是の人は、般若波羅蜜の二相を得んと欲すと為す。
憍尸迦!
若し、
『人』が、
『法性』に、
『二相』を、
『得ようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜』に、
『二相』を、
『得ようとしているのである!』。
何以故。憍尸迦。法性般若波羅蜜無二無別。乃至檀波羅蜜亦如是。 何を以っての故に、憍尸迦、法性と般若波羅蜜とは、無二無別なればなり。乃至檀波羅蜜も、亦た是の如し。
何故ならば、
憍尸迦!
『法性』は、
『般若波羅蜜』と、
『無二、無別であり!』、
乃至、
『檀波羅蜜』も、
『是の通りだからである!』。
若人欲得實際不可思議性二相者。是人為欲得般若波羅蜜二相。何以故。般若波羅蜜。不可思議性無二無別。 若し人、実際、不可思議性の二相を得んと欲せば、是の人は、般若波羅蜜の二相を得んと欲すと為す。何を以っての故に、般若波羅蜜は、不可思議性と無二無別なればなり。
若し、
『人』が、
『実際、不可思議性』に、
『二相』を、
『得ようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜』に、
『二相』を、
『得ようとしている!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』は、
『不可思議性』と、
『無二、無別だからである!』。
釋提桓因白佛言。世尊。一切世間人及諸天阿修羅。應禮拜供養般若波羅蜜。何以故。諸菩薩摩訶薩。般若波羅蜜中。學得阿耨多羅三藐三菩提。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、一切の世間の人、及び諸の天、阿修羅は、応に般若波羅蜜を礼拜し、供養すべし。何を以っての故に、諸の菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜中に学んで、阿耨多羅三藐三菩提を得ればなり。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『一切の世間の人や、諸の天、阿修羅』は、
『般若波羅蜜』を、
『礼拜し!』、
『供養せねばなりません!』。
何故ならば、
『諸の菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜中に学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るからです!』。
世尊。我常在善法堂上坐。我若不在坐時。諸天子來供養我故。為我坐處作禮遶竟還去。諸天子作是念。釋提桓因在是處坐。為諸三十三天說法故。 世尊、我れは、常に善法堂上に在りて坐す。我れ、若し坐に在(お)らざる時には、諸の天子来たりて、我れを供養せんが故に、我が坐処の為めに、礼を作し、遶(めぐ)り竟りて、還り去る。諸の天子の、是の念を作さく、『釈提桓因は、、是の処に在りて坐す。諸の三十三天の為めに、法を説くが故なり』、と。
世尊!
わたしは、
常に、
『善法堂上』の、
『坐処』に、
『坐している!』が、
わたしが、
若し、
『善法堂上』の、
『坐処』に、
『坐していない!』時でも、
『諸天子が来れば!』、
『わたしを!』、
『供養する!』為の故に、
わたしの、
『坐処に礼をして!』、
『坐処を遶りながら!』、
『還り去る!』。
『諸天子』は、こう念じているからである、――
『釈提桓因』は、
是の、
『坐処に坐して!』、
『諸の三十三天の為に!』、
『法』を、
『説かれる!』が故に、
是の、
『坐処』を、
『礼するのである!』、と。
如是世尊。在所處書是般若波羅蜜經卷。受持讀誦為他演說。是處十方世界中諸天龍夜叉揵闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽。皆來禮拜般若波羅蜜供養已去。 是の如く、世尊、処する所に在りて、是の般若波羅蜜の経巻を書き、受持し、読誦して、他の為に演説せば、是の処を、十方の世界中の、諸の天、龍、夜叉、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽は、皆来たりて、般若波羅蜜を礼拜し、供養し已りて去らん。
是のように、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜の在る!』、
『処』に於いて、
是の、
『経巻を書き!』、
『受持し、読誦しながら!』、
『他人の為に!』、
『演説すれば!』、
是の、
『処』には、
『十方の世界』中の、
『諸天、龍、夜叉、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽』が、
皆、来て、
『般若波羅蜜を礼拜し!』、
『供養して!』、
『去るのである!』。
何以故。是般若波羅蜜中。生諸佛及一切眾生樂具故。諸佛舍利亦是一切種智住處因緣。以是故。世尊。二分中我取般若波羅蜜。 何を以っての故に、是の般若波羅蜜中に、諸仏、及び一切の衆生の楽具を生ずるが故なり。諸の仏舎利も、亦た是れ一切種智の住処の因縁なり。是を以っての故に、世尊、二分中に、我れは般若波羅蜜を取る。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中に、
『諸仏や、一切の衆生を楽にする!』、
『具』を、
『生じるからである!』。
諸の、
『仏の舎利』も、
是のように、
『一切種智の住処という!』、
『因緣である!』が、
是の故に、
世尊!
わたしは、
『二分』中に、
『般若波羅蜜』を、
『取るのである!』。
  樂具(らくぐ):梵語 sukhAvaha の訳、楽を齎す者( that which is bringing pleasant )の義。
復次世尊。我若受持讀誦般若波羅蜜。心深入法中。我是時不見怖畏相何以故。世尊。是般若波羅蜜。無相無貌無言無說。世尊。無相無貌無言無說。是般若波羅蜜。乃至是一切種智。 復た次ぎに、世尊、我れは、若し般若波羅蜜を受持し、読誦して、心深く法中に入らば、我れは是の時、怖畏の相を見せざらん。何を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜には、相無く、貌無く、言無く、説無ければなり。世尊、相無く、貌無く、言無く、説無き、是れ般若波羅蜜なり。乃至是れ一切種智なり。
復た次ぎに、
世尊!
わたしが、
若し、
『般若波羅蜜を受持、読誦して!』、
『心』が、
『法』中に、
『深く入れば( to understand deeply )!』、
わたしは、
是の時、
『怖畏の相』を、
『見せないだろう!』。
何故ならば、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』には、
『相、貌、言、説』が、
『無いからである!』。
世尊!
『相、貌、言、説の無い!』のが、
『般若波羅蜜であり!』、
『乃至一切種智なのである!』。
世尊。般若波羅蜜。若當有相非無相者。諸佛不應知一切法無相無貌無言無說得阿耨多羅三藐三菩提。為弟子說諸法無相無貌無言無說。 世尊、般若波羅蜜、若し当に相有るべくして、相無きに非ずんば、諸仏は、応に一切法の相無く、貌無く、言無く、説無きを知りて、阿耨多羅三藐三菩提を得、弟子の為めに、諸法の相無く、貌無く、言無く、説無きを説きたもうべからず。
世尊!
若し、
『般若波羅蜜』が、
『有相であり!』、
『無相であるはずがなければ!』、
『諸仏』は、
『一切の法』には、
『相、貌、言、説が無いと、知り!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得て!』、
『弟子の為に!』、
『諸法』には、
『相、貌、言、説が無い!』と、
『説くはずがない!』。
世尊。用般若波羅蜜實是無相無貌無言無說故。諸佛知一切諸法無相無貌無言無說得阿耨多羅三藐三菩提。為弟子說諸法亦無相無貌無言無說。 世尊、般若波羅蜜を用うるに、実に是れ相無く、貌無く、言無く、説無きが故に、諸仏は、一切の諸法の相無く、貌無く、言無く、説無きを知り、阿耨多羅三藐三菩提を得て、弟子の為めに、諸法も亦た、相無く、貌無く、言無く、説無しと説きたまえり。
世尊!
『般若波羅蜜を用いながら!』、
実に、
是れには、
『相、貌、言、説』が、
『無い!』が故に、
『諸仏』は、
『一切の法』には、
『相、貌、言、説が無いと、知り!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得て!』、
『弟子の為に!』、
『諸法にも!』、
『相、貌、言、説が無い!』と、
『説くのである!』。
以是故。世尊。是般若波羅蜜。一切世間諸天人阿修羅。應供養恭敬尊重讚歎華香瓔珞乃至幡蓋。 是を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜を、一切の世間の諸の天、人、阿修羅は、応に華香、瓔珞、乃至幡蓋もて供養、恭敬、尊重、讃歎すべし。
是の故に、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』を、
『一切の世間の諸天、人、阿修羅』は、
『華香、瓔珞乃至幡蓋を用いて!』、
『供養、恭敬、尊重、讃歎すべきである!』。
復次世尊。若有人受持般若波羅蜜親近讀誦說正憶念及書寫供養華香乃至幡蓋。是人不墮地獄畜生餓鬼道中。不墮聲聞辟支佛地。乃至得阿耨多羅三藐三菩提。常見諸佛從一佛界至一佛界。供養諸佛。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。 復た次ぎに、世尊、若し有る人、般若波羅蜜を受持して親近、読誦し、説いて正しく憶念せしめ、乃至書写して、華香、乃至幡蓋を供養せば、是の人は、地獄、畜生、餓鬼道中に堕ちず、声聞、辟支仏地に堕ちず、乃至阿耨多羅三藐三菩提を得るまで、常に諸仏に見えて、一仏界より、一仏界に至り、諸仏を供養し、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎せん。
復た次ぎに、
世尊!
若し、
『有る人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『親近、読誦し!』、
『説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させ!』、
及び、
『経巻を書写して!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『供養すれば!』、
是の、
『人』は、
『地獄、畜生、餓鬼道中や!』、
『声聞、辟支仏の地に!』、
『堕ちることなく!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提を得るまで!』、
常に、
『諸仏に見えながら!』、
『一仏界より!』、
『一仏界に至り!』、
『諸仏を供養しながら!』、
『華香、乃至幡蓋を用いて!』、
『恭敬、尊重、讃歎するだろう!』。
復次世尊。滿三千大千世界。佛舍利作一分。書般若波羅蜜經卷作一分。是二分中。我故取般若波羅蜜。 復た次ぎに、世尊、三千大千世界に、仏の舎利を満てるを一分と作し、般若波羅蜜の経巻を書くを一分と作さば、是の二分中に、我れは、故(もと)より般若波羅蜜を取らん。
復た次ぎに、
世尊!
『三千大千世界に満ちる!』、
『仏の舎利』を、
『一分とし!』、
『般若波羅蜜を書写した!』、
『経巻』を、
『一分とすれば!』、
是の、
『二分』中に於いて、
わたしは、
故のように( still )、
『般若波羅蜜』を、
『取るだろう!』。
  (こ):<名詞>[本義] 原因/理由( cause, reason )。事/事情( thing )、事故( accident )、旧友/昔馴染み( old friend )、旧習/因習( outmoded conventions )、先祖( ancestors )、古い事物( the stale )、古くささ( staleness )。<形容詞>古い/昔の/前の( ancient, old, former )。<動詞>死ぬ( die )、衰老する( be old and feeble )。<副詞>故意に/わざと/計画的に( deliberately, on purpose )、本来/本より/初めて( first, originally )、本のように/本のままに( still )。<接続詞>此のゆえに/所以に/此れに因って/此の為に( therefor )。
  参考:『大般若経巻127』:『世尊假使充滿於此三千大千世界佛設利羅以為一分。書寫如是甚深般若波羅蜜多復為一分。此二分中我意寧取如是般若波羅蜜多。何以故。一切如來應正等覺及三千界佛設利羅。皆從般若波羅蜜多而出生故。又三千界佛設利羅。皆由般若波羅蜜多功德勢力所薰修故。得諸天人阿素洛等供養恭敬尊重讚歎。由此因緣。諸善男子善女人等。供養恭敬尊重讚歎佛設利羅。決定不復墮三惡趣。常生天人受諸快樂。富貴自在隨心所願。乘三乘法而趣涅槃。世尊。若見如來應正等覺。若見所寫甚深般若波羅蜜多。此二功德平等無異。何以故。如是般若波羅蜜多與諸如來應正等覺。平等無二無二分故。』
何以故。世尊。是般若波羅蜜中。生諸佛舍利。以是故。舍利得供養恭敬尊重讚歎。是善男子善女人。供養恭敬舍利故。受天上人中福樂。常不墮三惡道。如所願漸以三乘法入涅槃。 何を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜中に、諸の仏舎利を生ずれば、是を以っての故に、舎利は、恭敬、恭敬、尊重、讃歎を得て、是の善男子、善女人は、舎利を供養し、恭敬するが故に、天上、人中の福楽を受け、常に三悪道に墜ちず、所願の如くして、漸く三乗の法を以って、涅槃に入ればなり。
何故ならば、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』中に、
諸の、
『仏の舎利』を、
『生じるからであり!』、
是の故に、
『舎利』は、
『供養、恭敬、尊重、讃歎』を、
『得るからであり!』、
是の、
『善男子、善女人』は、
『舎利を供養、恭敬する!』が故に、
『天上、人中の福楽を受け!』、
常に、
『三悪道』に、
『堕ちることなく!』、
『願の通りに!』、
漸く( in due time )、
『三乗の法を用いて!』、
『涅槃に入るからである!』。
是故世尊。若有見現在佛。若見般若波羅蜜經卷等無異。何以故。世尊。是般若波羅蜜與佛無二無別故 是の故に、世尊、若しは、現在の仏に見ゆること有らん、若しは、般若波羅蜜の経巻を見んに、等しくして異無し。何を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜は、仏と無二無別なるが故なり。
是の故に、
世尊!
若し、
『現在の仏』に、
『見える( to meet )こと!』が、
『有れば!』、
若しは、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『見たならば!』、
是の、
『二』は、
『等しくして!』、
『異が無い!』。
何故ならば、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』は、
『仏』と、
『無二、無別だからである!』。



【論】閻浮提に満ちる舎利と、般若波羅蜜の経巻の比較

【論】問曰。上以起七寶塔。校供養般若波羅蜜。義已具足。今佛何以以舍利經卷對校。 問うて曰く、上に、七宝の塔を起つるを以って、般若波羅蜜を供養するに校(くら)ぶれば、義は、已に具足せり。今、仏は、何を以ってか、舎利と経巻を以って、対校したもう。
問い、
上に、
『七宝の塔を起てること!』を、
『般若波羅蜜を供養すること!』と、
『校べた( to contest )!』ので、
已に、
『義( meaning )』が、
『具足している!』のに、
今、
『仏』は、
何故、
『舎利と、経巻とを!』、
『対校されれた( to compare )のですか?』。
答曰。先明七寶塔是舍利住處。今但明舍利以對經卷。舍利雖不及般若。而滿閻浮提。般若妙故但明經卷。 答えて曰く、先には、七宝の塔を明かす、是れ舎利の住処なればなり。今は、但だ舎利を明かして、以って経巻に対す。舎利は、般若に及ばずと雖も、而も閻浮提を満て、般若は妙なるが故に、但だ経巻のみを明かす。
答え、
先に、
『七宝の塔』は、
『舎利の住処である!』と、
『明かされた!』ので、
今は、
但だ、
『舎利を明かして!』、
『経巻』と、
『対比された!』。
『舎利』は、
『般若波羅蜜に及ばない!』が故に、
『閻浮提』を、
『満たし!』、
『般若波羅蜜』は、
『玄妙である!』が故に、
但だ、
『経巻』を、
『明かされたのである!』。
復次出家人多貪智慧。智慧是解脫因緣故。在家人多貪福德。福德是樂因緣故。出家人多貪意識所知物。在家人多貪五識所知物。 復た次ぎに、出家人は、多く智慧を貪る。智慧は、是れ解脱の因縁なるが故なり。在家人は、多く福徳を貪る。福徳は、是れ楽の因縁なるが故なり。出家人は、多く意識の知る所の物を貪り、在家人は、多く五識の知る所の物を貪る。
復た次ぎに、
『出家人』に、
『智慧』を、
『貪る!』者が、
『多い!』のは、
『智慧』が、
『解脱する為の!』、
『因縁だからである!』。
『在家人』に、
『福徳』を、
『貪る!』者が、
『多い!』のは、
『福徳』が、
『楽の為の!』、
『因縁だからである!』。
『出家人』には、
『意識で知る!』所の、
『物を貪る!』者が、
『多く!』、
『在家人』には、
『五識で知る!』所の、
『物を貪る!』者が、
『多い!』。
  所知(しょち):梵語 jJeya の訳、知られたこと( to be known )、修得された/理解された/確信された/調査された/了解された/質問されたこと( to be learnt or understood or ascertained or investigated or perceived or inquired about )の義。
釋提桓因已證福樂。果報最大。於在家人中最為尊勝。以是故。佛問釋提桓因。 釈提桓因は、已に福楽の果報の最大なるを証すれば、在家人中に於いて、最も尊勝と為す。是を以っての故に、仏は、釈提桓因に問いたまえり。
『釈提桓因』は、
已に、
『福楽を証しており( to realize )!』、
『果報』が、
『最大である!』が故に、
『在家人』中に於いて、
『最も( exceedingly )!』、
『尊勝である!』。
是の故に、
『仏』は、
『釈提桓因』に、
『問われた!』。
釋提桓因言。我於二分中取般若波羅蜜經卷。此中自說因緣。世尊。我不敢輕慢不恭敬舍利。我知供養芥子許舍利功德無量無邊。乃至得佛功德不盡。何況滿閻浮提。 釈提桓因の言わく、『我れは、二分中に於いて、般若波羅蜜の経巻を取る』、と。此の中に自ら、因縁を説かく、『世尊、我れは、敢て軽慢して、舎利を恭敬せざるにあらず。我れは、芥子許りの舎利を供養する功徳の無量、無辺なること、乃至仏を得るまで、功徳の尽きざるを知る。何に況んや、閻浮提を満てんをや。
『釈提桓因』は、こう言った、――
わたしは、
『二分』中に於いて、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『取る!』、と。
此の中に、
自ら、
『因緣』を、こう説いている、――
世尊!
わたしは、
『敢て( dare not )、憍慢して!』、
『舎利』を、
『恭敬しないのではない!』。
わたしは、
『芥子粒ほどの、舎利を供養する!』、
『功徳が無量、無辺であること!』を、
『知っており!』、
乃至、
『仏を得るまで!』、
『功徳が尽きないこと!』も、
『知っている!』。
況して、
『閻浮提に満ちるほどの!』、
『舎利の功徳』は、
『言うまでもない!』。
世尊。菩薩受身便有舍利。人所不貴。得成佛時。舍利以般若熏修故。人所恭敬尊重供養。是故二分中我取勝者。 世尊、菩薩は、身を受くれば、便ち舎利有るも、人の貴ばざる所にして、仏と成るを得た時、舎利は、般若の熏修するを以っての故に、人の恭敬、尊重、供養する所なり。是の故に、二分中に、我れは勝者を取れり。
世尊!
『菩薩』が、
『身を受ければ!』、
便ち( simultaneously )、
『舎利が有るが!』、
『人』に、
『貴ばれることはない!』。
『仏を成ることができた!』時、
『舎利』は、
『般若波羅蜜に薫修された!』が故に、
『人』に、
『恭敬、尊重、供養されるのであり!』、
是の故に、
『二分』中に於いて、
わたしは、
『勝れた!』者を、
『取るのである!』。
問曰。舍利弗知釋提桓因以世諦故言取般若波羅蜜。何以故難。 問うて曰く、舎利弗は、釈提桓因の世諦を以っての故に、『般若波羅蜜を取る』と言うを知り、何を以っての故にか、難ずる。
問い、
『舎利弗』は、
『釈提桓因』が、
『世諦』の故に、
『般若波羅蜜を取る!』と、
『言った!』と、
『知りながら!』、
何故、
『難じるのですか?』。
答曰。釋提桓因在家中。為煩惱所縛五欲所覆。而能說般若波羅蜜。是事希有。以是故舍利弗質問。欲令釋提桓因更問佛深義故難。 答えて曰く、釈提桓因は、在家中に、煩悩の為めに縛され、五欲に覆わるれど、而も能く般若波羅蜜を説く。是の事は、希有なれば、是を以っての故に、舎利弗は、質問し、釈提桓因をして、更に仏に、深義を問わしめんと欲するが故に、難ぜり。
答え、
『釈提桓因』は、
『在家』中に於いて、
『煩悩に縛され!』、
『五欲』に、
『覆われている!』のに、
而も、
『般若波羅蜜』を、
『説くことができる!』が、
是の、
『事』は、
『希有である!』。
是の故に、
『舎利弗』は、
『釈提桓因に質問して!』、
更に、
『深い義』を、
『仏に問わせようとした!』ので、
是の故に、
『難じたのである!』。
釋提桓因順舍利弗意答言如是。釋提桓因意。於一切法中無二相。不以舍利為小。不以般若波羅蜜為大。般若波羅蜜無二無分別相。為利益新發意菩薩故。致以世諦如是說般若波羅蜜。能令眾生心無二無分別。以是利益故我取般若。 釈提桓因は、舎利弗の意に順じて、答えて言わく、『是の如し』、と。釈提桓因の意は、『一切法中に於いて、二相無く、舎利を以って小と為さず、般若波羅蜜を以って大と為さず、般若波羅蜜は無二、無分別の相なるも、新発意の菩薩を利益せんが為めの故に、世諦を以って、是の如く般若波羅蜜を説くに致(いた)り、能く衆生心をして、無二無分別ならしめ、是の利益を以っての故に、我れは般若を取れり』、となり。
『釈提桓因』は、
『舎利弗』の、
『意に順って!』、
『その通りだ!』と、
『答えた!』。
『釈提桓因』の、
『意』は、こうである、――
『一切法』中には、
『二相が無い!』ので、
『舎利を、小とすることもなく!』、
『般若波羅蜜』を、
『大とすることもない!』。
『般若波羅蜜』は、
『無二、無分別の相である!』が、
『新発意』の、
『菩薩』を、
『利益しようとする!』が故に、
『世諦を用いて!』、
是のように、
『般若波羅蜜を説く!』に、
『致り( to incur to )!』、
『衆生』の、
『心』を、
『無二、無分別にさせる!』ので、
是の、
『利益』の故に、
わたしは、
『般若波羅蜜』を、
『取るのである!』。
是時佛讚釋提桓因。善哉善哉。以能分別諸法亦能善說般若相故。所謂無二相。是故讚歎。 是の時、仏の、釈提桓因を讃じたまわく、『善い哉、善い哉』、と。能く諸法を分別し、亦た能く般若の相を善説するを以っての故に、謂わゆる無二の相なり、是の故に讃歎したまえり。
是の時、
『仏』は、
『釈提桓因』を、
『善いぞ、善いぞ!』と、
『讃じられた!』。
『諸法を分別することができ!』、
『般若波羅蜜の相』、
謂わゆる、
『無二の相』を、
『善く説くことができた!』ので、
是の故に、
『釈提桓因』を、
『讃歎されたのである!』。
佛此中自說譬喻。若人欲分別法性實際等作二分。是人為欲分別般若波羅蜜作二分。帝釋自說般若。又聞佛重說。其心清淨深信歡喜言。一切世間所應禮敬。 仏は、此の中に、自ら譬喩を説きたまわく、『若し人、法性、実際等を分別して、二分と作さんと欲せば、是の人は、般若波羅蜜を分別して、二分と作さんと欲すと為す』、と。帝釈は、自ら般若を説き、又仏の重ねて説きたもうを聞くに、其の心清浄に深信し、歓喜して言わく、『一切の世間の応に礼敬する所なり』、と。
『仏』は、
此の中に、
自ら、
『譬喩』を、こう説かれた、――
若し、
『人』が、
『法性、実際等を分別して!』、
『二分』を、
『作そうとすれば!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜を分別して!』、
『二分』を、
『作そうとするのである!』、と。
『帝釈』は、
自ら、
『般若波羅蜜』を、
『説いている!』し、
又、
『仏が、重ねて説かれる!』のを、
『聞いていた!』ので、
其の、
『心が清浄である!』が故に、
『深く信じ!』、
『歓喜して!』、
こう言った、――
『一切の世間』に、
『礼敬されねばならない!』、と。
帝釋此中自說因緣。一切菩薩學是般若得阿耨多羅三藐三菩提。 帝釈は、此の中に、自ら因縁を説かく、『一切の菩薩は、是の般若を学びて、阿耨多羅三藐三菩提を得ればなり』、と。
『帝釈』は、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説いている、――
『一切の菩薩』は、
是の、
『般若波羅蜜を学んで!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るからである!』、と。
又此中以己身為喻。己身喻佛。般若經卷喻坐處。有人言。己身喻般若。坐處喻舍利。是故二分中我取般若。 又此の中に、己の身を以って、喩と為さく、『己の身を仏に喩え、般若の経巻を坐処に喩う』、と。有る人の言わく、『己の身を般若に喩え、坐処を舎利に喩うれば、是の故に、二分中に、我れは、般若を取れり』、と。
又、
此の中に、
『釈提桓因』は、
『己身( one's own body )を用いて!』、こう喻えた、――
『己身』を、
『仏』に、
『喻え!』、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『坐処』に、
『喻える!』、と。
有る人は、こう言っている、――
『己身』を、
『般若波羅蜜』に、
『喻えたのであり!』、
『坐処』を、
『舎利』に、
『喻えたので!』、
是の故に、
わたしは、
『般若波羅蜜を取ったのである!』、と。
  己身(こしん):梵語 aatma-kaaya の訳、自己の身( one's own body )の義。
復次世尊我若受持般若讀誦。是時乃至不見怖畏相。何況實怖畏。所以者何。一切諸法無相無言無說故。般若波羅蜜能令人得是無相法故無所畏。 復た次ぎに、世尊、我れ、若し般若を受持して、読誦せば、是の時より乃至、怖畏の相すら見せざらん。何に況んや、実の怖畏をや。所以は何んとなれば、一切の諸法に相無く、言無く、説無きが故に、般若波羅蜜は、能く人をして、是の無相の法を得しむるが故に、畏るる所無ければなり。
復た次ぎに、
世尊!
わたしが、
若し、
『般若波羅蜜』を、
『受持して!』、
『読誦するならば!』、
是の時、
乃至、
『怖畏の相すら!』、
『見せないだろう!』。
況して、
『実に!』、
『怖畏するはずがない!』。
何故ならば、
『一切の諸法』には、
『相、言、説が無い!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
是の、
『無相の法』を、
『人』に、
『得させることができ!』、
是の故に、
『怖畏する!』所が、
『無いからである!』。
受持供養般若者。不墮三惡趣及二乘道。世世不離諸佛。常供養十方諸佛。是故般若波羅蜜。一切世間所應供養。 般若を受持し、供養する者は、三悪趣、及び二乗の道に堕ちず、世世に諸仏を離れず、常に十方の諸仏を供養す。是の故に、般若波羅蜜は、一切の世間の、応に供養すべき所なり。
『般若波羅蜜を受持し、供養する!』者は、
『三悪趣や、二乗道に堕ちることなく!』、
世世に、
『諸仏』を、
『離れず!』、
常に、
『十方の諸仏』を、
『供養する!』ので、
是の故に、
『般若波羅蜜』は、
『一切の世間』に、
『供養されねばならないのである!』。
復次佛開其初以舍利滿閻浮提。帝釋既悟二事勝負。為一切眾生故。廣增至三千大千世界。此中自說因緣。見般若波羅蜜。與見佛無異 復た次ぎに、仏、其の初を開くに、舎利の閻浮提を満てるを以ってしたもうに、帝釈は、既に二事の勝負を悟り、一切の衆生の為めの故に、広増して、三千大千世界に至る。此の中に、自ら因縁を説かく、『般若波羅蜜を見るは、仏を見ると異無し』、と。
復た次ぎに、
『仏』が、
其の、
『初』を、
『舎利を閻浮提に満たして!』、
『開かれる!』と、
『釈提桓因』は、
既に、
『二事』の、
『勝、負』を、
『悟り!』、
『一切の衆生の為に!』、
『広増して( to increase )!』、
『三千大千世界に至り!』、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説いた、――
『般若波羅蜜を見る!』のは、
『仏に見える!』のと、
『異が無い!』、と。



【經】舎利、経巻:般若波羅蜜の住処

【經】復次世尊。如佛住三事示現說十二部經。修多羅祇夜乃至優婆提舍。復有善男子善女人。受持誦說是般若波羅蜜等無異。何以故。世尊。是般若波羅蜜中。生三事示現及十二部經。修多羅乃至優波提舍故。 復た次ぎに、世尊、仏の三事示現に住して、十二部経の修多羅、祇夜、乃至優婆提舎を説きたもうが如きも、復た有る善男子、善女人の是の般若波羅蜜を受持し、誦して説くことも、等しくして異無し。何を以っての故に、世尊、是の般若波羅蜜中に、三事示現、及び十二部経の修多羅、乃至優波提舎を生ずるが故なり。
復た次ぎに、
世尊!
例えば、
『仏』が、
『三事示現に住して!』、
『十二部経』の、
『修多羅、祇夜、乃至優婆提舎』を、
『説かれる!』のと、
復た、
有る、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜を受持して!』、
『誦したり!』、
『説いたりする!』のと、
是の、
『二事は等しく!』、
『異』が、
『無いのである!』。
何故ならば、
世尊!
是の、
『般若波羅蜜』中に於いて、
『三事示現や、十二部経の修多羅乃至優波提舎』を、
『生じるからである!』。
  三事示現(さんじじげん):三事を現じて示導するの意。即ち神足、観他心、教誡を以って衆生を示導するを云う。『大智度論巻10上注:三示現』参照。
  三示現(さんじげん):梵語triiNi praatihaaryaaNiの訳。巴梨語tiiNi paaTihaariyaani、三種の示現の意。又三教化、三神足、三変現、三変化、三神変、三示導、或いは三輪、三業輪とも名づく。即ち身口意三業の徳用を示現するを云う。一に如意足示現Rddhi- praatihaarya(巴梨語iddhi- paaThaariya)、二に占念示現aadezanaa- p.(巴aadesanaa- p.)、三に教訓示現anuzaasana- p.(巴anusaasana- p.)なり。「中阿含巻35傷歌邏経」に、「三示現あり、如意足示現、占念示現、教訓示現なり」と云い、「長阿含経巻1」に、「世尊は三事を以って教化す、一に曰わく神足、二に曰わく観他心、三に曰わく教誡なり」と云える是れなり。此の中、如意足示現とは又神足変化示現、神足変化、神通示現、神足教化、無量神足、神通変現、神力神変、神境神変、神変示導、或いは神通輪、神変輪、身輪とも名づく。沙門梵志の大威徳大福祐大威神ありて、一身を以って変じて無数と為し、無数の身を以って還って合して一と為し、石壁に礙えられざること空を行くが如く、地に没すること水の如く、水を履むこと地の如く、結加趺坐するも虚空に上昇すること猶お鳥の翔るが如く、無礙自在なるを云う。六通の中の神境通を以って其の自性と為す。占念示現とは又他心示現、言教教化、観察他心神足、観他心、知他心随意説法、記説変現、記説神変、記心示導、或いは記心輪、他心輪、意輪とも名づく。沙門梵志の他相を以って他意を占い、天声非人声を聞きて他意を占い、他念他思他説を以って他意を占い、過去未来現在を占い、或いは心心所有の法等を占うを云う。六通の中の他心通を以って其の自性と為す。教訓示現とは又教誡示現、漏尽示現、訓誨教化、教誡神足、教誡変現、教導神変、教誡神変、教誡示導、或いは教誡輪、説法輪、口輪とも名づく。沙門梵志の道迹を行じ已りて諸漏既に尽き、無漏を以って心解脱、慧解脱、自知、自覚、自作証成就し、生已に尽き、梵行已に立ち、所作已に辦じ、更に有を受けじと知り、之を以って他に説き、他更に他の為に説き、是の如く展転して無量百千に至るを云う。六通の中の漏尽通を以って其の自性と為す。蓋し六通の中、唯此の三種を立てて示現と為すことは、特に勝用あるが為めなり。「倶舎論巻27」に、「此の三種は所化の生を引いて、初めて発心せしむるに最も勝れたるが故なり。或いは此れ能く正法に憎背すると、及び処中との者を引いて発心せしむるが故なり。能示能導に示導の名を得。又唯此の三は、仏法に於いて次の如く帰伏し、信受し、修行せしむれば示導の名を得。余の三は爾らず。三示導に於いては教誡最も尊し。唯此れ定んで通に由りて成ずる所なるが故に、定んで能く他の利楽の果を引くが故なり」と云える即ち其の意なり。「大乗法苑義林章巻6末」には、之を神変輪、記心輪、教誡輪と名づけ、広く七門を開いて詳らか其の相を辨ぜり。彼の説に依るに、初に神変の相に略して二種あり、一に能変、二に能化なり。能く自性ある物を転じて余物と成らしむるを能変と云い、欲に随って諸の未有の事を為作するを能化と云う。能変に十八種あり、一に振動、二に熾然、三に流布、四に示現、五に転変、六に往来、七に巻、八に舒、九に衆像、身に入り、十に同類往趣、十一に顕、十二に隠、十三に所作自在、十四に他の神通を制し、十五に能く辯才を施し、十六に能く憶念を施し、十七に能く安楽を施し、十八に大光明を放つ是れなり。能化に三種あり、一に化して身と為り、二に化して境と為り、三に化して語と為るを云う。次に記心の相に六種あり、一に有纏、有随眠、離纏、離随眠の心を記し、二に有染、邪願、無染、正願の心を記し、三に劣と中と勝との三界五趣の心を記し、四に三受相応の心を記し、五に一を以って一を記し、一を以って多心を記し、六に諸仏菩薩は諸の有情の諸根の勝劣、種種の勝解、種種の界行を記する是れなり。次に教誡の相に五種あり、一に遮止、二に開許、三に諫誨、四に訶擯、五に慶慰なり。蓋し此等の三示現は如来の身口意三業の徳用を説けるものにして、之に由りて能く衆生をして煩悩悪業を離脱し、以って正道に向わしむるものなり。故に「法華玄論巻1」に、「三事示現は即ち是れ如来の三業に物を利するなり。他心輪は謂わく意業に物を利し、神通輪は謂わく身業に物を利し、説法輪は謂わく口業に物を利するなり」と云えり。又「増一阿含経巻15」、「長阿含経巻8、16」、「雑阿含経巻8」、「無上依経巻下」、「大乗大集地蔵十輪経巻2」、「大般若波羅蜜多経巻469」、「集異門足論巻6」、「大毘婆沙論巻103」、「瑜伽師地論巻25、27、37」、「同記巻9下」、「法華経玄義巻6上」、「金光明経文句巻2」、「浄名玄論巻7」、「法華玄論巻2」等に出づ。<(望)
  参考:『大般若経巻127』:『世尊。若有如來應正等覺住三示導。為諸有情宣說正法。所謂契經。應頌。記別。諷頌。自說。因緣。本事。本生。方廣。希法。譬喻。論義。若善男子善女人等。於此般若波羅蜜多。受持讀誦廣為他說。此二功德平等無異。何以故。若彼如來應正等覺。若三示導。若所宣說十二分教。皆依般若波羅蜜多而出生故。世尊。若十方界如殑伽沙一切如來應正等覺住三示導。為諸有情宣說正法。所謂契經應頌記別諷頌自說因緣本事本生方廣希法譬喻論義。若善男子善女人等。於此般若波羅蜜多。受持讀誦廣為他說。此二功德平等無異。何以故。若十方界如殑伽沙一切如來應正等覺。若三示導。若所宣說十二分教。皆依般若波羅蜜多而出生故。世尊。若善男子善女人等。以無量種上妙花鬘塗散等香。衣服瓔珞寶幢幡蓋。眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。十方世界如殑伽沙一切如來應正等覺。有善男子善女人等。書寫般若波羅蜜多。亦以無量上妙花鬘塗散等香。衣服瓔珞寶幢幡蓋。眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。此二功德平等無異。何以故。彼諸如來應正等覺皆依般若波羅蜜多而出生故』
  参考:『長阿含巻1大本経』:『如來又以三事示現。一曰神足。二曰觀他心。三曰教誡。即得無漏.心解脫.生死無疑智』
  参考:『阿毘達磨集異門足論巻6』:『三示導者。一神變示導。二記心示導。三教誡示導。神變示導者。云何神變云何示導。而說神變示導耶。答神變者。謂諸神變現神變已神變當神變。謂諸所有變一為多變多為一。或顯或隱。若知若見。各別領受牆壁山巖崖岸等障身過無礙。如是廣說乃至梵世身自在轉。是名神變。示導者。謂有苾芻雖於多種神變境界各別領受。若不令他知見。但名神變自在。不名示導。若有苾芻能於多種神變境界各別領受。亦能令他知見名神變自在。亦名示導。是故所說神變示導。要能令他見等見了等了調伏隨順。乃名神變。亦名示導。由此說名神變示導。記心示導者。云何記心云何示導。而說記心示導耶。答記心者。如世尊說。苾芻當知。謂有一類或。由占相或由言說。隨記他心。彼意如此。彼意如是。彼意轉變。或隨記過去。或隨記未來。或隨記現在。或隨記久所作。或隨記久所說。或隨記少。謂隨記心。或隨記多。謂隨記心所法。諸所隨記一切如實非不如實。或有一類不由占相不由言說隨記他心。然由天神或由非人。聞彼聲故隨記他心。彼意如此。彼意如是。彼意轉變。廣說如前。或有一類不由天神不由非人。聞彼聲故隨記他心。然由內心知他有情心所尋伺。隨記他心。彼意如此。彼意如是。彼意轉變。廣說如前。復有一類不由內心。知他有情心所尋伺。隨記他心。然由現見他有情住無尋無伺三摩地。見已念言。如是具壽。無尋無伺意行微妙。如是具壽從此定出。當起如此如此尋伺。諸所隨記一切如實非不如實。如是具壽從此定出。當起如是如是尋伺。諸所隨記一切如實非不如實。是名記心。示導者。謂有苾芻。雖由占相或由言說隨記他心。廣說乃至。如是具壽從此定出。當起如是如是尋伺。諸所隨記一切如實非不如實。若不令他知見。但名記心自在。不名示導若。有苾芻或由。占相或由言說隨記他心。廣說乃至。如是具壽從此定出。當起如是如是尋伺。諸所隨記一切如實非不如實。亦能令他知見名記心自在。亦名示導。是故所說記心示導。要能令他見等見了等了調伏隨順。乃名記心亦名示導。由此說名記心示導。教誡示導者。云何教誡云何示導。而說教誡示導耶。答教誡者如世尊說。苾芻當知。謂有苾芻為他宣說。此是苦聖諦應遍知。此是苦集聖諦應永斷。此是苦滅聖諦應作證。此是趣苦滅道聖諦應修習。是名教誡。示導者。謂有苾芻雖能為他宣說。此是苦聖諦應遍知。乃至此是趣苦滅道聖諦應修習。若他聞已不起諦順忍。不得現觀邊世俗智。但名教誡自在不名示導。若有苾芻能為他宣說。此是苦聖諦應遍知。乃至此是趣苦滅道聖諦應修習。亦能令他聞已起諦順忍。得現觀邊世俗智。名教誡自在亦名示導。是故所說教誡示導。要能令他見等見了等了調伏隨順。乃名教誡亦名示導。由此說名教誡示導』
復次世尊。十方諸佛住三事示現。說十二部經。脩多羅乃至優波提舍。復有人受般若波羅蜜。為他人說等無異。何以故。般若波羅蜜中生諸佛。亦生十二部經。修多羅乃至優波提舍。 復た次ぎに、世尊、十方の諸仏の、三事示現に住して、十二部経の修多羅、乃至優波提舎を説きたもうと、復た有る人の、般若波羅蜜を受けて、他人の為めに説くと、等しくして、異無し。何を以っての故に、般若波羅蜜中に、諸仏を生じ、亦た十二部経の修多羅、乃至優波提舎を生ずればなり。
復た次ぎに、
世尊!
『十方の諸仏』は、
『三事示現に住して!』、
『十二部経という!』、
『修多羅乃至優波提舎』を、
『説き!』、
復た、
『有る人』は、
『般若波羅蜜を受けて!』、
『他人の為に!』、
『説くのである!』が、
是の、
『二事は等しく!』、
『異』が、
『無い!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中に於いて、
『諸仏が生じ!』、
亦た、
『十二部経という!』、
『修多羅、乃至優波提舎』が、
『生じるからである!』。
復次世尊。若有供養十方如恒河沙等世界中諸佛。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。復有人書般若波羅蜜經卷。恭敬尊重讚歎華香乃至幡蓋。其福正等。何以故。十方諸佛皆從般若波羅蜜中生。 復た次ぎに、世尊、若し有るもの、十方の恒河沙に等しきが如き、世界中の諸仏を供養し、華香、乃至幡蓋もて恭敬、尊重、讃歎するも、復た有る人、般若波羅蜜の経巻を書き、華香、乃至幡蓋もて、恭敬、尊重、讃歎するも、其の福は、正しく等し。何を以っての故に、十方の諸仏は、皆、般若波羅蜜中より、生ずればなり。
復た次ぎに、
世尊!
若し、
『有る人』が、
『十方の恒河沙にも等しい!』、
『世界中の諸仏を供養しながら!』、
『華香、乃至幡蓋で!』、
『恭敬、尊重、讃歎し!』、
復た、
『有る人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書写して!』、
『華香、乃至幡蓋で1』、
『恭敬、尊重、讃歎したとすれば!』、
是の、
『二人の福』は、
『正しく!』、
『等しいのである!』。
何故ならば、
『十方の諸仏』は、
皆、
『般若波羅蜜』中より、
『生じるからである!』。
復次世尊。善男子善女人。聞是般若波羅蜜。受持讀誦正憶念。亦為他人說。是人不墮地獄道畜生餓鬼道。亦不墮聲聞辟支佛地。何以故。當知是善男子善女人。正住阿鞞跋致地中故。是般若波羅蜜。遠離一切苦惱衰病。 復た次ぎに、世尊、善男子、善女人、是の般若波羅蜜を聞きて、受持し、読誦、正憶念して、亦た他人の為めに説かば、是の人は、地獄道、餓鬼、畜生道に堕ちず、亦た声聞、辟支仏地にも堕ちず。何を以っての故に、当に知るべし、是の善男子、善女人は、正しく阿鞞跋致地中に住するが故に、是の般若波羅蜜が、一切の苦悩、衰病を遠離すればなり。
復た次ぎに、
世尊、
有る、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜を聞いて!』、
『受持し、読誦し!』、
『正しく!』、
『憶念して!』、
亦た、
『他人の為めに!』、
『説けば!』、
是の、
『人』は、
『地獄、畜生、餓鬼道に堕ちることなく!』、
亦た、
『声聞、辟支仏の地』に、
『堕ちることもない!』。
何故ならば、
当然、こう知らねばならない、――
是の、
『善男子、善女人』は、
『阿鞞跋致の地』中に、
『正しく!』、
『住している!』が故に、
是の、
『般若波羅蜜』が、
『一切の苦悩、衰病』を、
『遠離するからである!』。
復次世尊。若有善男子善女人。書是般若波羅蜜經卷。受持親近供養恭敬尊重讚歎。是人離諸恐怖。 復た次ぎに、世尊、若し有る善男子、善女人、是の般若波羅蜜の経巻を書きて、受持し、親近、供養、恭敬、尊重、讃歎せば、是の人は、諸の恐怖を離れん。
復た次ぎに、
世尊!
若し、
『有る善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜を書写した!』、
『経巻』を、
『受持、親近、供養、恭敬、尊重、讃歎すれば!』、
是の、
『人』は、
『諸の恐怖』を、
『離れるだろう!』。
世尊。譬如負債人。親近國王供給左右。債主反更供養恭敬是人。是人不復畏怖。何以故。世尊。此人依近國王。憑恃有力故。如是世尊。諸佛舍利是般若波羅蜜薰修故。得供養恭敬。 世尊、譬えば、負債人の、国王に親近して、左右に供給せば、債主の、反って更に、是の人を供養し、恭敬して、是の人は、復た畏怖せざるが如し。何を以っての故に、世尊、此の人は、国王に近づくに依り、有力を憑恃するが故なり。是の如く、世尊、諸仏の舎利は、是れ般若波羅蜜薫修するが故に、供養、恭敬を得。
世尊!
譬えば、
『負債人』が、
『国王に親近して!』、
『左、右から!』、
『供給すれば!』、
『債主』は、
反って、
是の、
『人』を、
『更に、供養、恭敬することになる!』ので、
是の、
『人』は、
『復た、畏怖することがないようなものである!』。
何故ならば、
世尊!
此の、
『人』は、
『国王に近づき、依存して!』、
『有力者』に、
『憑恃する( to depend on )からである!』。
是のように、
世尊!
諸の、
『仏の舎利』は、
『般若波羅蜜に薫修される!』が故に、
『供養、恭敬』を、
『得るのである!』。
  憑恃(ひょうじ):依頼/依存する( rely or depend on )。
世尊。當知般若波羅蜜如王。舍利如負債人負債人依王故得供養。舍利亦依般若波羅蜜修薰故得供養。 世尊、当に知るべし、般若波羅蜜は王の如く、舎利は負債人の如し。負債人は、王に依るが故に、供養を得、舎利も亦た、般若波羅蜜の薫修するに依るが故に、供養を得るなり。
世尊!
こう知らねばならない、――
『般若波羅蜜を王として!』、
『舎利を負債人とすれば!』、
『負債人( one who is indebted )』は、
『王に依存する!』が故に、
『供養』を、
『得るのである!』が、
『舎利』も、
亦た、
『般若波羅蜜によって薫修される!』が故に、
『供養』を、
『得るのである!』。
  負債人(ふさいにん):梵語 RNavat の訳、負債ある人/恩義ある( one who is in debt, indebted )の義。
世尊。當知諸佛一切種智亦從般若波羅蜜修薰故得成就。以是故。世尊。二分中。我取般若波羅蜜。何以故。世尊。般若波羅蜜中生諸佛舍利三十二相。般若波羅蜜中亦生佛十力四無所畏四無礙智十八不共法大慈大悲。 世尊、当に知るべし、諸仏の一切種智も、亦た般若波羅蜜の薫修するに従るが故に、成就するを得るなり。是を以っての故に、世尊、二分中に、我れは、般若波羅蜜を取れり。何を以っての故に、世尊、般若波羅蜜中に、諸仏の舎利、三十二相を生じ、般若波羅蜜中に、亦た仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、大慈、大悲を生ずればなり。
世尊!
こう知らねばならない、――
『諸仏の一切種智』も、
亦た、
『般若波羅蜜によって薫修される!』が故に、
『成就すること!』を、
『得るのであり!』、
是の故に、
世尊!
『二分』中に、
わたしは、
『般若波羅蜜』を、
『取るのである!』。
何故ならば、
世尊!
『般若波羅蜜』中に、
『諸仏』の、
『舎利や、三十二相を!』、
『生じるからであり!』、
『般若波羅蜜』中に、
亦た、
『仏』の、
『十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、大慈大悲を!』、
『生じるからである!』。
世尊。般若波羅蜜中生五波羅蜜。使得波羅蜜名字。般若波羅蜜中生諸佛一切種智。 世尊、般若波羅蜜中に、五波羅蜜を生じて、波羅蜜の名字を得しめ、般若波羅蜜中に、諸仏の一切種智を生ず。
世尊!
『般若波羅蜜』中に、
『五波羅蜜を生じて!』、
『波羅蜜の名字』を、
『得させるからであり!』、
『般若波羅蜜』中に、
『諸仏』の、
『一切種智』を、
『生じるからである!』。
復次世尊。所在三千大千世界中。若有受持供養恭敬尊重讚歎般若波羅蜜。是處若人若非人。不能得其便。是人漸漸得入涅槃。 復た次ぎに、世尊、在る所の三千大千世界中に、若し般若波羅蜜を受持し、供養、恭敬、尊重、讃歎する有らば、是の処には、若しは人、若しは非人、其の便を得る能わずして、是の人は、漸漸にして、涅槃に入るを得ん。
復た次ぎに、
世尊!
有る、
『三千大千世界』中に於いて、
若し、
『般若波羅蜜』を、
『受持、供養、恭敬、尊重、讃歎する!』者が、
『有れば!』、
是の、
『処』は、
『人や、非人』が、
其の、
『便( the chance to injure )』を、
『得ることができない!』ので、
是の、
『人』は、
漸漸に( increasingly )、
『涅槃』に、
『入ることができるだろう!』。
世尊。般若波羅蜜為大利益。如是於三千大千世界中能作佛事。世尊。所在處。有般若波羅蜜則為有佛。 世尊、般若波羅蜜の大利益を為すこと是の如く、三千大千世界中に於いて、能く仏事を作す。世尊、在る所の処に、般若波羅蜜有らば、則ち、仏有りと為す。
世尊!
『般若波羅蜜』は、
是のように、
『大利益』を、
『為し( to perform )!』、
『三千大千世界』中に於いて、
『仏事( the work of Buddha )』を、
『作すので!』、
世尊!
『所在の処( in where one abide )』に、
『般若波羅蜜が有れば!』、
則ち、
『仏』が、
『有るということなのである!』。
  (じ):梵語 kaarya の訳、作られる/為される/実行される/遂行される( to be made or done or practised or performed )の義、為されねばならない仕事/業務( work or business to be done )の意。
世尊。譬如無價摩尼寶在所住處非人不得其便。若男子若女人有熱病。以是珠著身上。熱病即時除差。若有風病若有冷病若有雜熱風冷病。以珠著身上皆悉除愈。 世尊、譬えば、無価の摩尼宝所住の処に在るが如きは、非人も、其の便を得ず、若しは男子、若しは女人に、熱病有るに、是の珠を以って身上に著くれば、熱病は即時に除差し、若しは風病有り、若しは冷病有り、若しは熱、風、冷を雑えたる病有るに、珠を以って、身上に著くれば、皆悉く、除愈す。
世尊!
譬えば、
『無価摩尼宝』が、
『所住の処に在れば!』、
『非人』は、
其の、
『便』を、
『得ることができず!』、
若し、
『男子や、女人に熱病が有っても!』、
是の、
『珠』を、
『身』上に、
『著けるだけで!』、
即時に、
『熱病』が、
『除差( to get well )し!』、
若し、
『風病や、冷病、熱風冷を雑えた病が有っても!』、
是の、
『珠』を、
『身』上に、
『著けるだけで!』、
皆、
『悉く!』、
『除愈するようなものである!』。
  除差(じょさ):病がいえる。除愈。
  除愈(じょゆ):病がいえる。除差。
  参考:『大般若経巻128』:『世尊。若此三千大千世界。或餘世界所有王都城邑聚落。其中若有受持讀誦書寫解說供養恭敬尊重讚歎如是般若波羅蜜多。是處有情不為一切人非人等之所惱害。唯除決定惡業應受。漸次修學隨其所願。乃至證得三乘涅槃。世尊。如是般若波羅蜜多具大威力。隨所在處與諸有情作大饒益。世尊。如是般若波羅蜜多有大神用。於此三千大千國土作大佛事。世尊。若世界中流行如是甚深般若波羅蜜多。當知是處則為有佛出現世間利樂一切。世尊。譬如無價大寶神珠。具無量種勝妙威德。隨所住處有此神珠。人及非人終無惱害。設有男子或復女人。為鬼所執身心苦惱。若有持此神珠示之。由珠威力鬼便捨去。諸有熱病或風或痰或熱風痰合集為病。若有繫此神珠著身。如是諸病無不除愈。此珠在暗能作照明。熱時能涼。寒時能暖。隨地方所有此神珠。時節調和不寒不熱。若地方處有此神珠。蛇蝎等毒無敢停止。設有男子或復女人。為毒所中楚痛難忍。若有持此神珠令見。珠威勢故毒即消滅。若諸有情身嬰癩疾惡瘡腫皰目睞翳等。眼病耳病鼻病舌病喉病身病。帶此神珠眾病皆愈。若諸池沼泉井等中。其水濁穢或將枯涸。以珠投之水便盈滿。香潔澄淨具八功德。若以青黃赤白紅紫碧綠雜綺種種色衣。裹此神珠投之於水。水隨衣綵作種種色。如是無價大寶神珠威德無邊說不可盡。若置箱篋亦令其器具足成就無邊威德。設空箱篋由曾置珠。其器仍為眾人愛重。時具壽慶喜問天帝釋言。憍尸迦。如是神珠。為天獨有。人亦有耶。天帝釋言。大德。人中天上俱有此珠。若在人中形小而重。若在天上形大而輕。又人中者相不具足。若在天上其相周圓。天上有者威德殊勝。比人中珠過無量倍。時天帝釋復白佛言。世尊。甚深般若波羅蜜多亦復如是。為眾德本能滅無量惡不善法。隨所在處令諸有情身心苦惱悉皆銷滅。人非人等不能為害。世尊。所說無價大寶神珠。非但喻於甚深般若波羅蜜多。亦喻如來一切智智。世尊。如是般若波羅蜜多。具足無量殊勝功德。亦能引發世出世間無量清淨殊勝功德。』
若闇中是寶能令明。熱時能令涼。寒時能令溫。珠所住處其地不寒不熱時節和適。其處亦無諸餘毒螫。若男子女人為毒蛇所螫。以珠示之毒即除滅。 若し闇中なれば、是の宝は、能く明かるからしめ、熱時なれば、能く涼しからしめ、寒時なれば、温かならしめ、珠の所住の処の、其の地は寒からず、熱からず、時節に和適し、其の処は、亦た諸余の毒の螫(さ)すこと無からしめ。若し男子、女人、毒蛇に螫さるるに、珠を以って、之に示せば、毒は即ち除滅す。
是の、
『宝』は、
若し、
『闇中ならば、明かるくし!』、
『熱時ならば、涼しくし!』、
『寒時ならば、温かくし!』、
『珠の所住の処』の、
其の、
『地』は、
『寒くもなく!』、
『熱くもなく!』、
『時節』は、
『和順して( be gentle )!』、
『快適であり( be comfortable )!』、
亦た、
其の、
『処』には、
『諸余の毒螫( stings )』が、
『無い!』が、
若し、
『男子、女人』が、
『毒蛇に螫されても( be stung by Cobra )!』、
『珠』を、
『蛇に示せば!』、
即ち( instantly )、
『毒』が、
『除滅する( be extinguished )のである!』。
  毒螫(どくしゃ):毒針( a sting )。
  (しゃ):刺す( to sting )。
復次世尊。若男子女人眼痛膚曀盲瞽。以珠示之即時除愈。若有癩瘡惡腫。以珠著其身上病即除愈。 復た次ぎに、世尊、若し男子、女人の眼痛み、膚曀(くも)り、盲瞽なるに、珠を以って之に示せば、即時に除愈し、若し癩瘡、悪腫有るに、珠を以って其の身上に著くれば、病は即ち除愈す。
復た次ぎに、
世尊!
若し、
『男子、女人』が、
『眼が痛み!』、
『膚が曀り( the skin becomes dark )!』、
『盲瞽となっても( to become blind )!』、
『珠』を、
是の、
『人に示せば!』、
即時に、
『病』が、
『除愈し!』、
若し、
『癩瘡、悪腫が有っても!』、
其の、
『身上』に、
『珠』を、
『著ければ!』、
即ち、
『病』は、
『除愈するのである!』。
  膚曀(ふあい):皮膚が黒ずむ。
  盲瞽(もうく):めくら。盲は眸が亡く、瞽は瞳が無いこと。
復次世尊。是摩尼寶所在水中。水隨作一色。若以青物裹著水中。水色即為青。若黃赤白紅縹物裹著水中。水隨作黃赤白紅縹色。如是等種種色物裹著水中。水隨作種種色。世尊若水濁以珠著中水即為清。是珠其德如是。 復た次ぎに、世尊、是の摩尼宝の在る所が水中なれば、水は随って、一色を作す。若し、青の物を以って、裹(つつ)みて水中に著くれば、水の色は、即ち青と為り、若し黄、赤、白、紅、縹色の物を以って裹みて、水中に著くれば、水は随って、黄、赤、白、紅、縹色を作し、是の如き等、種種の色の物に裹みて、水中に著くれば、水は随って、種種の色を作す。世尊、若し水濁りたるに、珠を以って中に著くれば、水は即ち清く為る。是の珠の、其の徳は是の如し。
復た次ぎに、
世尊!
是の、
『摩尼宝』が、
『水中に在れば!』、
『水』は、
『珠に随って!』、
『一色と作る!』。
若し、
『青い物で裹んで( be wrapped in blue clothes )!』、
『水中に著ければ!』、
即ち、
『水色』は、
『青に為り!』、
若し、
『黄、赤、白、紅、縹( light indigo )の物に裹んで!』、
『水中に著ければ!』、
『水は色に随って!』、
『黄、赤、白、紅、縹色に作る!』。
是れ等のような、
『種種の色の物に裹んで!』、
『水中に著ければ!』、
『水は色に随って!』、
『種種の色に作る!』。
世尊!
若し、
『水が濁っていても!』、
『珠を水中に著ければ!』、
『水』は、
即ち( immediately )、
『清く為る!』。
是の、
『珠の徳』は、
『是の通りである!』。
  縹色(ひょうしき):はなだいろ。薄い青。空色。
爾時阿難問釋提桓因言。憍尸迦。是摩尼寶為是天上寶。為是閻浮提寶。 爾の時、阿難の釈提桓因に問うて言わく、『憍尸迦、是の摩尼宝は、是れ天上の宝と為すや、是れ閻浮提の宝と為すや』、と。
爾の時、
『阿難』は、
『釈提桓因に問うて!』、こう言った、――
憍尸迦!
是の、
『摩尼宝』は、
『天上の宝ですか、閻浮提の宝ですか?』、と。
釋提桓因語阿難是天上寶。閻浮提人亦有是寶。但功德相少不具足。天上寶清淨輕妙不可以譬喻為比。 釈提桓因の阿難に語らく、『是れ天上の宝なれど、閻浮提の人にも、亦た是の宝有り。但だ功徳の相は少なく、具足せず。天上の宝は、清浄、軽妙にして、譬喩を以って比と為すべからず。
『釈提桓因』は、
『阿難』に、こう語った、――
是れは、
『天上の宝である!』が、
亦た、
『閻浮提の人』にも、
是の、
『宝』は、
『有るが!』、
但だ、
『功徳の相( the attribute of the merit )』が、
『少なく!』、
『具足していない( be incomplete )だけである!』。
『天上の宝』の、
『清浄、軽妙さ!』は、
『譬喻を用いて!』、
『比べることはできない!』。
  軽妙(きょうみょう):あっさりしていて面白味のあること。軽快で妙味がある。
復次世尊。是摩尼寶若著篋中舉珠出。其功德薰篋故人皆愛敬。如是世尊。在所住處。有書般若波羅蜜經卷。是處則無眾惱之患。亦如摩尼寶所著處則無眾難。 復た次ぎに、世尊、是の摩尼宝を、若し篋中に著くれば、珠を挙げて出すに、其の功徳の、篋を薫ずるが故に、人は、皆愛敬す。是の如く、世尊、所住の処に在りて、般若波羅蜜の経巻を書くこと有らば、是の処は、則ち衆悩の患無きこと、亦た摩尼宝の所著の処の如く、則ち衆難無し。
復た次ぎに、
世尊!
是の、
『摩尼宝』を、
若し、
『篋中に著ければ( to put in a case )!』、
『珠を挙げて!』、
『篋より出しても!』、
其の、
『功徳』が、
『篋を薫じる!』が故に、
『人』は、
皆、
是の、
『篋』を、
『愛敬することになる!』。
是のように、
世尊!
『所住の処( one's abiding place )』に、
『般若波羅蜜を書写した!』、
『経巻』が、
『有れば!』、
是の、
『処』は、
『衆悩』の、
『患( the distress )』が、
『無くなり!』、
亦た、
『摩尼宝が著けられた!』、
『処のように!』、
『衆難』が、
『無いのである!』。
世尊。佛般泥洹後。舍利得供養。皆般若波羅蜜力。禪波羅蜜乃至檀波羅蜜。內空乃至無法有法空。四念處乃至十八不共法。一切智法相法住法位法性實際不可思議性一切種智。是諸功德力。 世尊、仏の般泥洹の後、舎利の供養を得るは、皆、般若波羅蜜の力、禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜、内空、乃至無法有法空、四念処、乃至十八不共法、一切智、法相、法住、法位、法性、実際、不可思議性、一切種智、是の諸の功徳の力なり。
世尊!
『仏が般涅槃された!』後に、
『舎利』が、
『供養を得る!』のは、
皆、
『般若波羅蜜の力であり!』、
『禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜や!』、
『内空、乃至無法有法空や!』、
『四念処、乃至十八不共法や!』、
『一切智や!』、
『法相、法住、法位、法性、実際、不可思議性、一切種智』等の、
是の、
『諸の功徳の力である!』。
善男子善女人作是念。是佛舍利一切智。一切種智。大慈大悲。斷一切結使及習。常捨行不錯謬法。等諸佛功德住處。以是故。舍利得供養。 善男子、善女人の是の念を作さく、『是の仏の舎利は、一切智、一切種智、大慈、大悲、一切の結使、及び習を断じ、常に捨して、錯謬ならざる法を行ずる等の、諸の仏の功徳の住処なり』、と。是を以っての故に、舎利は供養を得るなり。
『善男子、善女人』は、こう念じて、――
是の、
『仏の舎利』は、
『一切智、一切種智、大慈大悲や!』、
『一切の結使や、習を断じることや!』、
『常捨の行や!』、
『不錯謬の法』等の、
『諸仏の功徳』の、
『住処である!』、と。
是の故に、
『舎利』が、
『供養』を、
『得るのである!』。
世尊。舍利是諸功德寶。波羅蜜住處不垢不淨。波羅蜜住處不生不滅。波羅蜜不入不出。波羅蜜不增不損。波羅蜜不來不去不住。波羅蜜是佛舍利。是諸法相波羅蜜住處。以是諸法相波羅蜜薰修故。舍利得供養。 世尊、舎利は、是れ諸の功徳宝波羅蜜の住処、不垢不浄波羅蜜の住処、不生不滅波羅蜜、不入不出波羅蜜、不増不損波羅蜜、不来不去不住波羅蜜なり。是の仏の舎利は、是れ諸法相波羅蜜の住処なり。是の諸法相波羅蜜の薫修するを以っての故に、舎利は供養を得るなり。
世尊!
『舎利』は、
諸の、
『功徳宝という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
『不垢不浄という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
『不生不滅という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
『不入不出という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
『不増不損という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
『不来不去不住という!』、
『波羅蜜』の、
『住処である!』。
是の、
『仏の舎利』は、
『諸の法相という!』、
『波羅蜜』の、
『住処であり!』、
是の、
『諸の法相という!』、
『波羅蜜が薫修する!』が故に、
『舎利』が、
『供養を得るのである!』。
  波羅蜜(はらみつ):梵語 paaramitaa の訳、彼岸に渡る( crossing over to the other shore )の義、苦の岸より楽の岸に運ぶ者( that what carries people from the shore of pain to the shore of comfort )の意。
復次世尊。置三千大千世界滿中舍利。如恒河沙等諸世界滿其中舍利作一分。有人書般若波羅蜜經卷作一分。二分之中。我取般若波羅蜜。何以故。是般若波羅蜜中生諸佛舍利。是般若波羅蜜修薰故。舍利得供養。 復た次ぎに、世尊、三千大千世界の中に満てる舎利を置き、恒河沙にも等しきが如き、諸の世界の、其の中に舎利を満てて、一分と作し、有る人の、般若波羅蜜を書きたる経巻を一分と作さば、二分の中、我れは般若波羅蜜を取らん。何を以っての故に、是の般若波羅蜜中に、諸の仏の舎利を生じ、是の般若波羅蜜薫修するが故に、舎利は供養を得ればなり。
復た次ぎに、
世尊!
『三千大千世界中に満ちる!』、
『舎利』を、
『置いて!』、
『恒河沙に等しい!』ほどの、
『世界中に満ちる!』、
『舎利』を、
『一分とし!』、
『有る人の書写した!』、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『一分とすれば!』、
是の、
『二分』中に、
わたしは、
『般若波羅蜜』を、
『取るだろう!』。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』中に、
『諸仏の舎利』を、
『生じ!』、
『般若波羅蜜が薫修する!』が故に、
『舎利』が、
『供養を得るからである!』。
世尊。若有善男子善女人。供養舍利恭敬尊重讚歎其功德。報不可得邊。受人中天上福樂。所謂剎利大姓婆羅門大姓居士大家。四天王天處乃至他化自在天中受福樂。亦以是福德因緣故。當得盡苦。 世尊、若し、有る善男子、善女人、舎利を供養して、其の功徳を恭敬、尊重、讃歎すれば、報は、辺を得べからずして、人中、天上に福楽を受けん。謂わゆる刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家、四天王天処、乃至他化自在天中の福楽を受け、亦た是の福徳の因縁を以っての故に、当に苦を尽くすことを得べし。
世尊!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『舎利』を、
『供養』して、
其の、
『功徳』を、
『恭敬、尊重、讃歎すれば!』、
其の、
『報』は、
『辺』を、
『得ることができず!』、
『人中、天上』の、
『福楽』を、
『受けるだろう!』。
謂わゆる、
『刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家や』、
『四天王天処、乃至他化自在天』中の、
『福楽』を、
『受けて!』、
是の、
『福徳の因縁』の故に、
『苦』を、
『尽くすことになるのである!』。
若受是般若波羅蜜。讀誦說正憶念。是人能具足禪波羅蜜。乃至能具足檀波羅蜜。能具足四念處。乃至能具足十八不共法。過聲聞辟支佛地。住菩薩位。住菩薩位已。得菩薩神通。從一佛界至一佛界。 若し、是の般若波羅蜜を受けて、読誦し、説き、正憶念せば、是の人は、能く禅波羅蜜を具足し、乃至能く檀波羅蜜を具足し、能く四念処を具足し、乃至能く十八不共法を具足し、声聞、辟支仏の地を過ぎて、菩薩位に住し、菩薩位に住し已りて、菩薩の神通を得、一仏界より、一仏界に至らん。
若し、
是の、
『般若波羅蜜を受けて!』、
『読誦し!』、
『説いて!』、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
是の、
『人』は、
『禅波羅蜜、乃至檀波羅蜜や!』、
『四念処、乃至十八不共法を!』、
『具足して!』、
『声聞、辟支仏の地を過ぎて!』、
『菩薩位』に、
『住し!』、
『菩薩位に住しながら!』、
『菩薩の神通を得て!』、
『一仏界より!』、
『一仏界に至るのである!』。
是菩薩為眾生故受身。隨其所應成就眾生。若作轉輪聖王。若作剎利大姓。若作婆羅門大姓成就眾生。 是の菩薩は、衆生の為めの故に身を受け、其の応ずる所に随いて、衆生を成就し、若しは転輪聖王と作りて、若しは刹利の大姓と作りて、若しは婆羅門の大姓と作りて、衆生を成就せん。
是の、
『菩薩』は、
『衆生の為に!』、
『身』を、
『受けて!』、
其の、
『衆生に応じて( be according to this people
『衆生』を、
『成就し!』、
若しは、
『転輪聖王や、刹利の大姓や、婆羅門の大姓と作って!』、
『衆生』を、
『成就するのである( to bring to maturity )!』。
  成就(じょうじゅ):梵語 paripaacana の訳、料理する/熟成させる( cooking, ripening )の義、円熟させる( to bring to maturity )の意。
以是故。世尊。我不為輕慢不恭敬。故不取舍利。以善男子善女人供養般若波羅蜜則為供養舍利故。 是を以っての故に、世尊、我れは、軽慢の為に、恭敬せざるが故に、舎利を取らざるにあらず。善男子、善女人の般若波羅蜜を供養すれば、則ち舎利を供養すと為すを以っての故なり。
是の故に、
世尊!
わたしは、
『軽慢して!』、
『恭敬しない!』が故に、
『舎利』を、
『取らないのではない!』。
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を供養すれば!』、
『舎利』を、
『供養することになるからである!』。
復次世尊。有人欲見十方無量阿僧祇諸世界中現在諸佛法身色身。是人應聞受持般若波羅蜜讀誦正憶念為他人廣說。如是善男子善女人。當見十方無量阿僧祇世界中諸佛法身色身。 復た次ぎに、世尊、有る人、十方の無量阿僧祇の諸の世界中の現在の諸仏の法身、色身を見んと欲せば、是の人は、応に般若波羅蜜を聞きて受持し、読誦し、正憶念して、他人の為めに、広説すべし。是の如き善男子、善女人は、当に十方の無量阿僧祇の世界中の諸仏の法身、色身を見るべし。
復た次ぎに、
世尊!
有る、
『人』が、
『十方の無量、阿僧祇の諸世界中に現在する!』、
『諸仏』の、
『法身や、色身を!』、
『見ようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜を聞いて、受持し、読誦し!』、
『正しく憶念して!』、
『他人の為に!』、
『広く説かねばならない!』が、
是のような、
『善男子、善女人』は、
『十方の無量、阿僧祇の世界』中の、
『諸仏』の、
『法身と、色身とを!』、
『見ることになるのである!』。
是善男子善女人行般若波羅蜜。亦應以法相修念佛三昧。 是の善男子、善女人、般若波羅蜜を行ぜば、亦た応に法相を以って、念仏三昧を修すべし。
是の、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を行いながら!』、
『法相を用いて!』、
『念仏三昧』を、
『修めることなるだろう!』。
  :般若波羅蜜を行ずるとは、則ち(理想的)仏土建立を修めることでなくてはならない。
復次善男子善女人。欲見現在諸佛。應當受是般若波羅蜜乃至正憶念 復た次ぎに、善男子、善女人、現在の諸仏を見んと欲せば、応当に、是の般若波羅蜜を受けて、乃至正憶念すべし。
復た次ぎに、
若し、
『善男子、善女人』が、
『現在の諸仏を見ようとすれば!』、
是の、
『般若波羅蜜を受けて!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念せねばならない!』。



【論】舎利、経巻:般若波羅蜜の住処

【論】復次佛住三事示現。說十二部經者。 復た次ぎに、仏は三事示現に住して、十二部経を説くとは。
復た次ぎに、
『仏』は、
『三事示現に住して!』、
『十二部の経』を、
『説かれる!』とは、――
問曰。一切說法人中。無與佛等者。佛說十二部經。則無不備具。云何善男子但受持讀誦般若與佛等無異。 問うて曰く、一切の説法人中、仏に等しき者無く、仏、十二部経を説きたまえば、則ち備具せざる無し。云何が、善男子の但だ、般若を受持し、読誦すること、仏と等しくして、異無き。
問い、
『一切の説法人』中に、
『仏』に、
『等しい!』者が、
『無く!』、
『仏』が、
『十二部の経を説かれれば!』、
『備具しないこと!』が、
『無い!』のに、
何故、
『善男子』は、
但だ、
『般若波羅蜜を受持、読誦するだけ!』で、
『仏に等しく!』、
『異が無いのですか?』。
答曰。此中佛欲稱歎般若為大故。於十二部經中般若為最勝。 答えて曰く、此の中に、仏は、般若を大と為すと称歎せんと欲したもうが故に、十二部経中に於いて、般若を最勝と為したまえり。
答え、
此の中に、
『仏』は、
『般若波羅蜜』は、
『大である!』と、
『称歎しようとされた!』が故に、
『十二部経』中には、
『般若波羅蜜』を、
『最勝であるとされた!』。
所以者何說是般若波羅蜜。多有發菩薩心。說十二部經。雜發三乘意故。不以菩薩功德比佛無量身。此說法身菩薩但說般若勸導大乘。佛雜說勸導三乘故。等無異。 所以は何んとなれば、是の般若波羅蜜を説けば、多く菩提心を発す有り、十二部経を説けば、雑えて三乗の意を発すが故なり。菩薩の功徳を以って、仏の無量の身に比し、此れを法身なりと説くにあらず、菩薩は、但だ般若を説いて、大乗に勧導し、仏は雑えて説いて、三乗に勧導するが故に、等しくして異無きなり。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜を説けば!』、
『菩提心を発す!』者が、
『多く有る!』が、
『十二部経を説けば!』、
『三乗の意を雑えて!』、
『菩提心を発すからである!』。
『菩薩の功徳』を、
『仏の無量の身に比べて!』、
此の、
『功徳が法身である!』と、
『説くのではない!』。
『菩薩』は、
但だ、
『般若波羅蜜を説いて!』、
『大乗』を、
『勧導するだけである!』が、
『仏』は、
『大乗に声聞乗を雑えて、説き!』、
『三乗に勧導される!』が故に、
『等しくして!』、
『異が無いのである!』。
復次三事示現及十二部經根本者。所謂般若波羅蜜是。供養十方如恒河沙等諸佛。若復有供養般若經卷。亦等無異。 復た次ぎに、三事示現、及び十二部経の根本は、謂わゆる般若波羅蜜、是れなり。十方の恒河沙に等しきが如き諸仏を供養するに、若しは復た有るいは、般若波羅蜜の経巻を供養すれば、亦た等しくして、異無し。
復た次ぎに、
『三事示現と、十二部経の根本』は、
謂わゆる、
『般若波羅蜜である!』。
『十方』の、
『恒河沙に等しいほど!』の、
『諸仏』を、
『供養しても!』、
若し、
復た、
有るいは、
『般若波羅蜜』の、
『経巻』を、
『供養すれば!』、
亦た、
『等しくして!』、
『異が無い!』。
此中佛說般若。所以福德勝因緣。所謂般若能破一切苦惱衰病怖畏等。 此の中に仏は、般若の福徳の勝れたる所以の因縁を説きたまえり。謂わゆる、『般若は、能く一切の苦悩、衰病、怖畏等を破す』、と。
此の中に、
『仏』は、
『般若波羅蜜』の、
『福徳が勝る!』、
『因縁』を、こう説かれた、――
謂わゆる、
『般若波羅蜜』は、
『一切の苦悩、衰病、怖畏等を!』、
『破るからである!』、と。
如負債人依王。王喻般若。負債人喻舍利。舍利是先世業因緣所成。因緣中應償諸對。以般若波羅蜜薰修故。宿命因緣諸對。及飢渴寒熱所不能得。而得諸天世人所見供養。如負債人依王反為債主所敬。 負債人の王に依るが如きは、王を般若に喩え、負債人を舎利に喩うるなり。舎利は、是れ先世の業の因縁の所成なり。因縁中の、応に諸の対を償うべきに、般若波羅蜜の薫修するを以っての故に、宿命の因縁の諸の対は、飢渴、寒熱に及ぶまで、得る能わざる所となり、而も諸天、世人に供養せらるる所となること、負債人の王に依りて、反って債主の為めに敬わるるが如し。
譬えば、
『負債人が、王に依る!』とは、
『王』を、
『般若波羅蜜』に、
『喻え!』、
『負債人』を、
『舎利』に、
『喻えたものである!』が、
『舎利』は、
『先世の業という!』、
『因縁』の、
『所成であり( that which is performed )!』、
『因縁』中に、
『諸対( many opponents )に!』、
『償われねばならない( should be recompensed )!』者が、
『有ったとしても!』、
『般若波羅蜜に薫修される!』が故に、
『宿命の因縁の諸対や、飢渴、寒熱』が、
『負債』を、
『得ることはできないのである!』。
而も、
『諸天、世人に供養されることができる!』ので、
譬えば、
『負債人』が、
『王に依る!』が故に、
反って、
『債主』に、
『敬われるようなものである!』。
  (しょう):つぐなう。むくいる。酬報。
  (たい):敵対者/相手( opponent )。
  (けん):らる、せらる。受け身を表す辞。所見も同じ。
先說無諸衰病及怖畏。以明內。今說摩尼寶人非人不得其便。以明外。 先に、諸の衰病、及び怖畏無しと説くは、以って内を明かし、今、摩尼宝は、人、非人も、其の便を得ずと説くは、以って外を明かす。
先には、
『諸の衰病や、怖畏が無い!』と、
『説いて!』、
『内の患』を、
『明らかにし!』、
今、
『摩尼宝は、人や非人も其の便を得られない!』と、
『説いて!』、
『外の患』を、
『明らかにした!』。
是人供養般若波羅蜜故。若今世若後世。若身衰心病盡皆能除。諸善願事隨意能與。得是般若波羅蜜大寶故。無諸怖畏無所乏短。譬如無價寶珠所願皆得。 是の人は、般若波羅蜜を供養するが故に、若しは今世、若しは後世に、若しは身の衰、心の病も尽く、皆能く除き、諸の善の願う事は、意に随うて、能く与(あずか)る。是の般若波羅蜜の大宝を得るが故に、諸の怖畏無く、乏短する所無し。譬えば、無価の宝珠の如く、願う所を、皆得。
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜を供養する!』が故に、
『今世や、後世に!』、
若し、
『身が衰え、心が病んだとしても!』、
『尽く、皆が!』、
『除かれるのであり!』、
諸の、
『善い願事』は、
『意のままに!』、
『与えられ!』、
是の、
『般若波羅蜜という!』、
『大宝を得る!』が故に、
『諸の怖畏も、乏短する所も!』、
『無くなるのであり!』、
譬えば、
『無価の宝珠のように!』、
『願う!』所が、
『皆、得られるのである!』。
問曰。摩尼寶珠。於頗梨金銀車磲馬瑙琉璃珊瑚琥珀金剛等中。是何等寶。 問うて曰く、摩尼宝珠は、頗梨、金銀、車磲、馬瑙、琉璃、珊瑚、琥珀、金剛等中に於いて、是れ何等の宝なる。
問い、
『摩尼宝珠』は、
『頗梨、金銀、車磲、馬瑙、琉璃、珊瑚、琥珀、金剛等の中では!』、
何のような、
『宝ですか?』。
答曰。有人言。此寶珠從龍王腦中出。人得此珠毒不能害入火不能燒。有如是等功德。 答えて曰く、有る人の言わく、『此の宝珠は、龍王の脳中より出で、人、此の珠を得れば、毒も、害する能わず、火に入りても、焼く能わず。是の如き等の功徳なり』と。
答え、
有る人は、こう言っている、――
此の、
『宝珠』は、
『龍王』の、
『脳』中より、
『出る!』。
此の、
『珠』を、
『人が得る!』と、
『毒に害されず!』、
『火に入っても!』、
『焼かれない!』。
是れ等が、
此の、
『珠』の、
『功徳である!』、と。
有人言。是帝釋所執金鋼用。與阿修羅鬥時。碎落閻浮提。 有る人の言わく、『是れ帝釈の執る所の金鋼にして、阿修羅と闘う時に用い、閻浮提に砕け落つ』、と。
有る人は、こう言っている、――
是の、
『珠』は、
『帝釈』の、
『執る所の( to be held )!』、
『金鋼(金剛)である!』、
『阿修羅と闘う時に、用いられ!』、
『閻浮提』に、
『砕け落ちたのである!』、と。
有人言。諸過去久遠佛舍利。法既滅盡舍利變成此珠以益眾生。 有る人の言わく、『諸の過去の久遠の仏の舎利なり。法既に滅し尽くすに、舎利変じて、此の珠と成り、以って衆生を益するなり』、と。
有る人は、こう言っている、――
諸の、
『過去、久遠より!』の、
『仏』の、
『舎利である!』。
既に、
『法は滅尽した!』が、
『舎利が変じて!』、
此の、
『珠に成り!』、
『衆生を益するのである!』、と。
有人言。眾生福德因緣故。自然有此珠。譬如罪因緣故地獄中自然有治罪之器。 有る人の言わく、『衆生の福徳の因縁の故に、自然に此の珠有り。譬えば罪の因縁の故に、地獄中に自然に、治罪の器有るが如し』、と。
有る人は、こう言っている、――
『衆生の福徳という!』、
『因縁』の故に、
此の、
『珠』が、
『自然に!』、
『有るのである!』。
譬えば、
『罪の因縁』の故に、
『地獄』中に、
『治罪の器( the tools for punishment )』が、
『自然に有るようなものである!』。
此寶珠名如意。無有定色清徹輕妙。四天下物皆悉照現。如意珠義如先說。 此の宝珠を、如意と名づけ、定まりたる色有ること無く、清徹、軽妙にして、四天下の物を皆、悉く照らし現わす。如意珠の義は、先に説けるが如し。
此の、
『宝珠』を、
『如意と称し!』、
『定まった色が無く!』、
『清徹、軽妙であり!』、
『四天下の物』を、
皆、悉く、
『照して、現わす!』。
『如意珠の義』は、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
  清徹(しょうてつ):清くすきとおること。
是寶常能出一切寶物。衣服飲食隨意所欲盡能與之。亦能除諸衰惱病苦等。 是の宝は、常に能く、一切の宝物、衣服、飲食を出し、意の欲する所に随うて、悉く、能く之に与え、亦た能く、諸の衰悩、病苦等を除く。
是の、
『宝』は、
常に、
『一切の宝物を出すことができる!』ので、
『衣服、飲食』を、
『意に欲するがままに!』、
『尽く、与えることができ!』、
亦た、
『諸の衰悩、病苦等を!』、
『除くことができる!』。
是寶珠有二種。有天上如意寶。有人間如意寶。諸天福德厚故珠德具足。人福德薄故珠德不具足。 是の宝珠には、二種有り。有るは天上の如意宝、有るは人間の如意宝なり。諸天の福徳の厚きが故に、珠の徳具足し、人の福徳の薄きが故に珠の徳具足せず。
是の、
『宝珠』には、
『二種』有り、
有るいは、
『天上』の、
『如意宝であり!』、
有るいは、
『人間』の、
『如意宝である!』。
『諸天の福徳』は、
『厚い!』が故に、
『天の珠』は、
『功徳』が、
『具足する!』が、
『人の福徳』は、
『薄い!』が故に、
『人の珠』は、
『功徳』が、
『具足していない!』。
是珠所著房舍函篋之中。其處亦有威德。 是の珠を著くる所の房舎、函篋の中は、其の処も、亦た威徳有り。
是の、
『珠』を、
『房舎や、函篋中に著ける!』と、
其の、
『処』にも、
『威徳が有る!』。
般若波羅蜜亦如是者。如如意寶珠。能與在家人今世富樂隨意所欲。般若波羅蜜能與出家求道人三乘解脫樂。隨意所願。 般若波羅蜜も亦た是の如しとは、如意宝珠の、能く在家の人に、今世の富楽を与えて、意の欲する所に随うが如く、般若波羅蜜は、出家、求道の人に、三乗の解脱の楽を与えて、意の願う所に随う。
『般若波羅蜜』も、
亦た、
『是の通りである!』とは、――
『如意宝珠』が、
『在家の人』に、
『今世の富楽』を、
『意の欲するがままに!』、
『与えることができるように!』、
『般若波羅蜜』は、
『出家して、道を求める人』に、
『三乗の解脱の楽』を、
『意に願うがままに!』、
『与えることができる!』。
如意寶珠在所著處。非人不得其便。般若波羅蜜亦如是。行者心與相應。惡邪羅剎不能入其心中沮壞道意奪智慧命。復次般若波羅蜜所在處。魔若魔民地神夜叉諸惡鬼等不能得便。 如意宝珠は、著くる所の処に在りて、非人も、其の便を得ざるが如く、般若波羅蜜も亦た是の如く、行者の心と相応して、悪邪、羅刹も、其の心中に入りて、道意を沮壊し、智慧の命を奪う能わず。復た次ぎに、般若波羅蜜の所在の処は、魔、若しくは魔民、地神、夜叉、諸の悪鬼等も、便を得る能わず。
『如意宝珠を著けた!』、
『処』に於いては、
『非人』が、
其の、
『便』を、
『得られないように!』、
『般若波羅蜜』も、
是のように、
『行者』の、
『心』に、
『相応すれば!』、
『悪邪、羅刹』が、
其の、
『心中に入って!』、
『道意を沮壊し( to obstruct and break )!』、
『智慧の命( the principle of wisdom )を!』、
『奪うことができない!』。
復た次ぎに、
『般若波羅蜜の在る!』、
『処』は、
『魔や、魔民や、地神や、夜叉や、諸悪鬼等が!』、
『便』を、
『得ることができない!』。
如寶珠能除四百四病。根本四病風熱冷雜。般若波羅蜜亦能除八萬四千病。根本四病貪瞋癡等分。婬欲病分二萬一千。瞋恚病分二萬一千。愚癡病分二萬一千。等分病分二萬一千。以不淨觀除貪欲。以慈悲心除瞋恚。以觀因緣除愚癡。總上三藥或不淨或慈悲或觀因緣除等分病。 宝珠の能く四百四病の根本の四病の風、熱、冷、雑を除くが如く、般若波羅蜜も亦た、能く八万四千の病の根本の四病の貪、瞋、癡、等分を除く。婬欲病の分は二万一千、瞋恚病の分は二万一千、愚癡病の分は二万一千、等分病の分は二万一千なり。不浄観を以って、貪欲を除き、慈悲心を持って、瞋恚を除き、観因縁を以って、愚癡を除き、上の三薬の或いは不浄、或いは慈悲、或いは観因縁を総じて、等分病を除く。
『宝珠』が、
『四百四の病の根本である!』、
『風、熱、冷、雑の四病』を、
『除くことができる!』ように、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
『八万四千の病の根本である!』、
『貪、瞋、癡、等分』を、
『除くことができる!』。
謂わゆる、
『婬欲病の分は、二万一千であり!』、
『瞋恚病の分は、二万一千であり!』、
『愚癡病の分は、二万一千であり!』、
『等分病の分は、二万一千である!』が、
即ち、
『不浄観を用いて!』、
『貪欲』を、
『除き!』、
『慈悲心を用いて!』、
『瞋恚』を、
『除き!』、
『観因縁を用いて!』、
『愚癡』を、
『除き!』、
上の、
『不浄観、慈悲心、観因縁の三薬を総じて!』、
『等分病』を、
『除くのである!』。
  等分(とうぶん):梵語 sama-bhaaga の訳、等しい分け前( an equal share )の義。
如寶珠能除黑闇。般若亦如是能除三界黑闇。 宝珠の能く、黒闇を除くが如く、般若も亦た是の如く、能く三界の黒闇を除く。
譬えば、
『宝珠』が、
『黒闇』を、
『除くことができるように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『三界の黒闇』を、
『除くことができる!』。
如寶珠能除熱。般若亦如是能。除婬欲瞋恚熱。 宝珠の能く熱を除くが如く、般若も亦た是の如く、能く婬欲、瞋恚の熱を除く。
譬えば、
『宝珠』が、
『熱』を、
『除くことができるように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『婬欲、瞋恚の熱』を、
『除くことができる!』。
如寶珠能除冷。般若亦如是能除無明不信不恭敬懈怠等冷心。 宝珠の能く冷を除くが如く、般若も亦た是の如く、能く無明、不信、不恭敬、懈怠等の冷心を除く。
譬えば、
『宝珠』が、
『冷』を、
『除くことができるように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『無明、不信、不恭敬、懈怠等の冷心』を、
『除くことができる!』。
日月皆諸寶所成。日能作熱月能作冷。雖俱利益眾生。以不能兼故。不名為如意。 日月は、皆、諸宝の成ずる所にして、日は能く熱を作し、月は能く冷を作して、倶に衆生を利益すと雖も、兼ぬること能わざるを以っての故に、名づけて、如意と為さず。
『日、月』は、
『諸宝の所成であり( that which is made by the jewels )!』、
『日』は、
『熱』を、
『作ることができ!』、
『月』は、
『冷』を、
『作ることができる!』、
倶に( either )、
『衆生を利益する!』が、
『熱、冷を兼ねることができない!』が故に、
『如意』と、
『称されることはない!』。
寶珠所在處。毒蛇等諸惡蟲所不能害。般若亦如是。貪欲等毒所不能病。 宝珠の所在の処は、毒蛇等の諸の悪虫の、害する能わざる所なり。般若も亦た是の如く、貪欲等の病ましむ能わざる所なり。
『宝珠が在る!』、
『処』は、
『毒蛇』等の、
『諸の悪虫』に、
『害されないように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『貪欲』等の、
『毒』に、
『病ませることがない!』。
若有人毒蛇所螫。持寶珠示之即時除愈。有人為貪欲等毒蛇所螫。得般若波羅蜜。貪恚毒即除。如難陀鴦群梨摩羅等。 若し有る人、毒蛇に螫さるるに、宝珠を持して、之に示せば、即時に除愈す。有る人、貪欲等の毒蛇の為めに螫さるるに、般若波羅蜜を得れば、貪恚の毒は、即ち除こる。難陀、鴦群梨摩羅等の如し。
若し、
有る、
『人』が、
『毒蛇に螫されても!』、
『宝珠を持って!』、
是の、
『人に示せば!』、
即時に、
『毒』が、
『除愈する!』が、
有る、
『人』は、
『貪欲等の毒蛇に螫されても!』、
『般若波羅蜜を得れば!』、
『貪、恚の毒』が、
即時に、
『除かれる!』。
例えば、
『難陀や、鴦群梨摩羅等と!』、
『同じである!』。
  難陀(なんだ):梵名nanda、仏弟子の名。『大智度論巻24下注:難陀』参照。
  鴦群梨摩羅(おうぐんりまら):梵名aGguli-maalya、仏弟子の名。『大智度論巻24下注:央掘摩羅』参照。
有人眼痛盲瞽以寶珠示之即時除愈。般若波羅蜜亦如是。有人以無明疑悔顛倒邪見等破慧眼。得般若即時明了。 有る人は、眼痛、盲瞽なるに、宝珠を以って、之に示せば、即時に除愈す。般若波羅蜜も亦た是の如く、有る人、無明、疑悔、顛倒、邪見等を以って、慧眼を破るに、般若を得れば、即時に明了なり。
有る、
『人』は、
『眼』が、
『痛んで!』、
『盲瞽( be blind )である!』が、
是の、
『人に、宝珠を示せば!』、
『即時に、除愈するように!』、
亦た、
『般若波羅蜜』も、
是のように、
有る、
『人』が、
『無明、疑、悔、顛倒、邪見等に!』、
『慧眼』を、
『破られても!』、
『般若波羅蜜を得れば!』、
即時に、
『明了となる!』。
如人癩瘡癰腫。以寶珠示之即時除愈。般若亦如是。五逆癩罪等得般若即時消滅。 人の癩瘡、癰腫に、宝珠を以って之に示せば、即時に除愈するが如く、般若も亦た是の如く、五逆の癩罪等も、般若を得れば、即時に消滅す。
譬えば、
『人の癩、瘡、癰腫』に、
『宝珠を示せば!』、
即時に、
『除愈するように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『五逆の癩罪』等も、
『般若波羅蜜を得れば!』、
『即時に、消滅する!』。
如以種種色裹寶珠著水中隨作一色。般若亦如是。行者得般若力故。心則柔軟無所著。隨信手五根等。亦隨順四禪四無量心背捨勝處及一切入。復次於須陀洹斯陀含阿那含阿羅漢辟支佛地。隨順遍學無所違逆。 種種の色を以って、宝珠を裹みて、水中に著くれば、随って一色に作るが如く、般若も亦た是の如く、行者は、般若の力を得るが故に、心則ち柔軟となり、著する所無く、信手五根等に随い、亦た四禅、四無量心、背捨、勝処、及び一切入に随順す。復た次ぎに、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支仏の地に於いて、随順して、遍く学び、違逆する所無し。
例えば、
『宝珠』を、
『種種の色』の、
『布に裹んで!』、
『水中』に、
『著ければ!』、
『布の色に随って!』、
『水』が、
『一色と作るように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『行者』は、
『般若波羅蜜の力を得る!』が故に、
『心が柔軟になって!』、
『著する!』所が、
『無くなり!』、
『信手等の五根(信、精進、念、定、慧)に随い!』、
亦た、
『四禅、四無量心、背捨、勝処、一切入』に、
『随順することになる!』。
復た次ぎに、
『須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支仏の地』に於いて、
『般若波羅蜜に随順し!』、
『三乗を遍く学びながら!』、
『違逆する!』所が、
『無い!』。
  信手(しんしゅ):信を手に譬う。仏の宝山に入りて、信心を以って手と為し、宝を採るが故に、信手と云う。「大智度論巻1」に、「経中に説かく、信を手と為す。人に手有らば、宝山中に入りて、自在に能く取るも、若し手無くんば、取る所の有る能わざるが如し」と云える是れなり。
第六縹色者。是虛空色。行者得般若觀諸法空。心亦隨順不著。如是等種種者。入一切諸法。皆隨順無礙。 第六の縹色とは、是れ虚空の色なり。行者は、般若を得て、諸法の空なるを観るに、心も亦た随順して、著せず。是の如き等の種種の者が、一切の諸法に入りて、皆随順して、無礙なり。
『第六の縹色』とは、
『虚空』の、
『色である!』。
『行者』は、
『般若を得て!』、
諸の、
『諸法』は、
『空である!』と、
『観る!』が、
亦た、
『心』は、
『随順して!』、
『著することがない!』。
是れ等のような、
『種種の行者』は、
『一切の諸法に入り( to understand all the dharma deeply )!』、
『皆、随順して!』、
『無礙である!』。
如水渾濁雜色不淨。以珠著中皆清淨一色。般若亦如是。人有種種煩惱邪見戲論擾心渾濁。得般若則清淨一色。 水、渾濁して、雑色、不浄なるに、珠を以って中に著くれば、清浄、一色となる。般若も亦た是の如く、人に、種種の煩悩、邪見、戯論有り、心を擾(みだ)して渾濁するに、般若を得れば、則ち清浄の一色となる。
例えば、
『水が渾濁して( to become muddy )!』、
『色を雑えて、不浄であっても!』、
『珠を、水中に著ければ!』、
『皆、清浄となり!』、
『一色となるように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
是のように、
『人』に、
『種種の煩悩、邪見、戯論が有って!』、
『心を擾し( to disturb the mind )!』、
『渾濁させても!』、
『般若波羅蜜を得れば!』、
『清浄となって!』、
『一色である!』。
如如意珠有無量功德。般若功德亦如是。今當別相說般若功德。 如意珠に、無量の功徳有るが如く、般若の功徳も、亦た是の如し。今、当に別相もて、般若の功徳を説くべし。
『如意珠』には、
『無量の功徳』が、
『有るように!』、
『般若波羅蜜の功徳』も、
是のように、
『無量である!』が、
今は、
『般若波羅蜜の功徳』の、
『別相』を、
『説かねばならない!』。
是如意珠但能除惡鬼。不能壞魔天。般若則能除二事。 是の如意珠は、但だ能く悪鬼を除きて、魔天を壊る能わず。般若は、則ち能く二事を除く。
是の、
『如意珠』は、
但だ、
『悪鬼を除くのみ!』で、
『魔天』を、
『壊ることはできない!』が、
『般若波羅蜜』は、
是の、
『二事』を、
『除くことができる!』。
珠能治身病。般若能治身心病。 珠は能く身病を治し、般若は能く身心の病を治す。
『珠』は、
『身』の、
『病』を、
『治すだけである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『身、心』の、
『病』を、
『治すことができる!』。
珠能治人神所治病。般若能治一切天龍鬼神所不能治病。 珠は能く人、神の治する所の病を治し、般若は能く、一切の天、龍、鬼神の治する能わざる所の病を治す。
『珠』は、
『人、鬼神が治す!』所の、
『病』を、
『治すだけである!』が、
『般若』は、
『一切の天、龍、鬼神が治すことのできない!』所の、
『病』を、
『治すことができる!』。
珠能治世世曾所治病。般若能治無始世界來未曾所治病。如是等種種差別。 珠は、能く世世に曽て治する所の病を治し、般若は、能く無始の世界より来、未だ曽て治する所ならざる病を治す。是の如き等に種種に差別あり。
『珠』は、
『世世に!』、
『曽て治した!』所の、
『病』を、
『治すだけである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『無始の世界以来の!』、
『未だ、曽て治したことのない!』所の、
『病』を、
『治すことができる!』。
是れ等のように、
『如意珠と、般若波羅蜜』を、
『種種に差別する!』。
珠能照所住處夜闇。般若能照一切煩惱相應無明黑闇及不共無明一切法中不了癡黑闇。 珠は、能く所住の処の夜闇を照らし、般若は、能く一切の煩悩相応の無明の黒闇、及び無明と共にせざる、一切法中の了せざる癡の黒闇を照らす。
『珠』は、
『所住の処』の、
『夜の闇』を、
『照すだけである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『一切の煩悩に相応する!』、
『無明の黒闇』を、
『照し!』、
『無明以外の、一切法中に明了でない!』、
『愚癡の黒闇』を、
『照すことができる!』。
珠但能破所住處熱。不能破餘處熱。般若力乃至無量世界劫盡大火一吹能滅。何況一處熱。 珠は、但だ能く所住の処の熱を破り、余処の熱を破る能わず。般若の力は、乃至無量の世界の劫尽の大火を、一吹して能く滅す。何に況んや、一処の熱をや。
『珠』は、
但だ、
『所住の処』の、
『熱』を、
『破ることができるだけで!』、
『余の処』の、
『熱』を、
『破ることができない!』が、
『般若波羅蜜の力』は、
乃至、
『無量の世界』の、
『劫尽の大火』を、
『一吹で、滅することができる!』。
況して、
『一処の熱』は、
『言うまでもない!』。
珠但能除形質火日之熱。般若能除三毒心熱。 珠は、但だ能く、形質と、火と、日の熱を除き、般若は、能く三毒の心熱を除く。
『珠』は、
但だ、
『形質an image of any figure )の火や、日の熱』を、
『除くだけである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『三毒(貪、瞋、癡)という!』、
『心の熱』を、
『除くことができる!』。
珠能除風雨寒雪。般若能除十方無量世界眾生不信不恭敬懈怠心等寒。 珠は、能く風雨、寒雪を除き、般若は、能く十方の無量の世界の衆生の、不信、不恭敬、懈怠心等の寒を除く。
『珠』は、
但だ、
『風、雨、寒、雪』を、
『除くだけである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『十方の無量の世界』中の、
『衆生の不信、不恭敬、懈怠心等の寒』を、
『除くことができる!』。
珠能卻外毒螫。不能除四大毒蛇。般若能畢竟除此二種毒。 珠は、能く外の毒の螫すを却(しりぞ)け、四大の毒蛇を除く能わず。般若は、能く畢竟じて、此の二種の毒を除く。
『珠』は、
『外』の、
『毒虫が螫す!』のを、
『却ける( to avoid )だけで!』、
『身』の、
『四大の毒蛇』を、
『除くことはできない!』が、
『般若』は、
畢竟じて!、
此の、
『二種の毒』を、
『除くことができる!』。
  参考:『大智度論巻12』:『如佛說毒蛇喻經中。有人得罪於王。王令掌護一篋。篋中有四毒蛇。王敕罪人令看視養育。此人思惟。四蛇難近。近則害人。一猶叵養。而況於四。便棄篋而走。王令五人拔刀追之。復有一人口言附順。心欲中傷而語之言。養之以理此亦無苦。其人覺之馳走逃命。至一空聚有一善人方便語之。此聚雖空是賊所止處。汝今住此必為賊害慎勿住也。於是復去至一大河。河之彼岸即是異國。其國安樂坦然清淨無諸患難。於是集眾草木縛以為筏進。以手足竭力求渡。既到彼岸安樂無患。王者魔王。篋者人身。四毒蛇者四大。五拔刀賊者五眾。一人口善心惡者。是染著空聚是六情。賊是六塵。一人愍而語之是為善師。大河是愛。筏是八正道。手足懃渡是精進。此岸是世間。彼岸是涅槃。度者漏盡阿羅漢。菩薩法中亦如是。若施有三礙。我與彼受所施者財。是為墮魔境界未離眾難。如菩薩布施三種清淨無此三礙得到彼岸。為諸佛所讚。是名檀波羅蜜。以是故名到彼岸。此六波羅蜜能令人渡慳貪等煩惱染著大海到於彼岸。以是故名波羅蜜。』
珠不能治邪見毒。般若能除。珠能治肉眼。般若能治慧眼。珠能治近見眼。般若能治遠見眼。珠能治肉眼。肉眼不作珠。般若能治慧眼。慧眼即作般若。珠能治肉眼後病復發。般若治慧眼畢竟清淨。 珠は、邪見の毒を治する能わざるも、般若は能く除く。珠は、能く肉眼を治し、般若は能く慧眼を治す。珠は、能く近見の眼を治し、般若は、能く遠見の眼を治す。珠は、能く肉眼を治するも、肉眼は珠と作らず。般若は、能く慧眼を治し、慧眼は即ち般若と作る。珠は、能く肉眼を治すも、後には病、復た発る。般若、慧眼を治せば、畢竟じて清浄なり。
『珠』は、
『邪見の毒』を、
『除くことができない!』が、
『般若波羅蜜』は、
『除くことができる!』。
『珠』は、
『肉眼』を、
『治すことができる!』が、
『般若波羅蜜』は、
『慧眼』を、
『治すことができる!』。
『珠』は、
『近くを見る!』、
『眼』を、
『治すことができる!』が、
『般若波羅蜜』は、
『遠くを見る!』、
『眼』を、
『治すことができる!』。
『珠』は、
『肉眼を治すことができる!』が、
『肉眼』が、
『珠に作ることはなく!』、
『般若波羅蜜』は、
『慧眼を治すことができ!』、
『慧眼』は、
『即ち、般若波羅蜜と作る!』。
『珠』は、
『肉眼を治すことができる!』が、
『後に、復た!』、
『病が発り!』、
『般若波羅蜜』が、
『慧眼を治せば!』、
『畢竟じて!』、
『清浄である!』。
珠能治癩瘡惡腫。般若能治身癩心癩。 珠は、能く癩瘡、悪腫を治し、般若は、能く身の癩、心の癩を治す。
『珠』は、
『身の癩瘡や、悪腫を!』、
『治すことができる!』が、
『般若』は、
『身の癩も、心の癩も!』、
『治すことができる!』。
問曰。四種病中攝一切病何以故別說眼痛癩病等。 問うて曰く、四種の病中に、一切の病を摂するに、何を以っての故にか、別して、眼痛、癩病等を説く。
問い、
『四種(風、熱、冷、雑)病』中に、
『一切の病』を、
『摂する( be contained )!』のに、
何故、
『眼痛、癩病』等を、
『別に、説くのですか?』。
答曰。眼是身中第一所用最貴。是故別說。諸病中癩病最重。宿命罪因緣故難治。是故更說。 答えて曰く、眼は、是れ身中の第一に用うる所にして、最も貴し。是の故に別に説けり。諸病中に癩病は最も重く、宿命の罪の因縁の故に治し難し。是の故に更に説けり。
答え、
『眼』は、
『身』中に、
『第一に用いられる!』ので、
『最も貴重である!』。
是の故に、
『別けて!』、
『説かれた!』。
『諸病』中に、
『癩病は最も重く!』、
『宿命の罪を因緣とする!』が故に、
『治し難く!』、
是の故に、
『更に( again )!』、
『説かれたのである!』。
珠能令水隨所裹色。般若能隨順心數善法。 珠は、能く水をして、裹む所の色に随わしむ。般若は、能く心数をして善法に随順せしむ。
『珠』は、
『水』を、
『裹みの色』に、
『随わせる!』が、
『般若波羅蜜』は、
『心数法( mental workings )』を、
『善法』に、
『随わせる!』。
珠不能轉人心。般若能轉一切眾生心性所樂所欲。 珠は、人心を転ずる能わず。般若は、能く一切の衆生の心性の楽う所、欲する所を転ず。
『珠』は、
『人』の、
『心』を、
『転じることができない!』が、
『般若』は、
『一切の衆生』の、
『心性の楽しみ、欲する!』所を、
『転じることができる!』。
珠能令所著處濁水清非一切水。般若力能令六覺濁心即時清淨。又於諸龍王鬼神王人王等。貪恚濁心能令清淨。 珠は、能く、著する所の処の濁水をして、清からしむるも、一切の水に非ず。般若の力は、能く、六覚の濁心をして、即時に清浄ならしめ、又諸の龍王、鬼神王、人王等の貪恚の濁心をして、清浄ならしむ。
『珠』は、
『著けられた処』の、
『濁水』を、
『清めることができる!』が、
『一切の処』の、
『水』を、
『清めることはできない!』。
『般若波羅蜜の力』は、
『六覚で濁った!』、
『心を!』、
『即時に、清浄にするだけでなく!』、
『諸の龍王、鬼神王、人王等の貪、恚で濁った!』、
『心をも!』、
『清浄にすることができる!』。
  六覚(ろっかく):六識、謂わゆる眼識、乃至意識を云う。「大智度論巻36」に、「識衆とは、内外の六入和合するが故に生ずる六覚を、名づけて識と為す。内に縁ずる力の大なるを以っての故に、名づけて眼識と為し、乃至名づけて意識と為す」と云える是れなり。
珠能使所著函篋房舍有威德。般若力能度十方無量世界阿僧祇眾生。令有威德。 珠は、能く著くる所の函篋、房舎をして、威徳有らしめ、般若の力は、能く十方の無量の世界の阿僧祇の衆生を度して、威徳有らしむ。
『珠』は、
『著けた!』所の、
『函篋、房舎』に、
『威徳を有らせる!』が、
『般若波羅蜜の力』は、
『十方、無量の世界』の、
『阿僧祇の衆生を度して!』、
『威徳を有らせることができる!』。
珠功德力入函篋。函篋不能與人隨意功德。舍利得般若薰修故。有人供養。必還得般若而得成佛。 珠の功徳の力は、函篋に入るるに、函篋は、人に随意の功徳を与うる能わず。舎利は、般若の熏修を得るが故に、有る人供養すれば、必ず還って、般若を得、而も成仏するを得。
『珠を、函篋に入れる!』と、
『珠の功徳力』は、
『人』に、
『随意の功徳』を、
『与えることができなくなる!』が、
『舎利』が、
『般若波羅蜜を得る!』と、
『舎利』が、
『般若波羅蜜』に、
『薫修される!』が故に、
『有る人』が、
『舎利を供養すれば!』、
必ず、還って、
『般若波羅蜜』を、
『得ることになり!』、
而も、
『仏』と、
『成ることになる!』。
是函篋凡夫之人所貴。舍利凡夫聖人所貴。函篋世間受樂人所貴。舍利出世間世間受樂人所貴。 是の函篋は、凡夫の人の貴ぶ所、舎利は凡夫、聖人の貴ぶ所なり。函篋は世間の楽を受くる人に貴ばれ、舎利は出世間と世間の楽を受くる人に貴ばる。
是の、
『珠の入った!』、
『函篋』は、
『凡夫だけに!』、
『貴ばれる!』が、
『般若波羅蜜に薫修された!』、
『舎利』は、
『凡夫にも、聖人にも!』、
『貴ばれる!』。
『函篋』は、
『世間の楽を受ける!』、
『人』に、
『貴ばれ!』、
『舎利』は、
『出世間と、世間の楽を受ける!』、
『人』に、
『貴ばれる!』。
般若是如意寶珠。函篋是舍利。舍利中雖無般若。般若所薰故得供養。 般若は是れ如意宝珠なり、函篋は是れ舎利なり。舎利中に、般若無しと雖も、般若に薫じられたるが故に、供養を得。
『般若波羅蜜』は、
『如意宝珠であり!』、
『函篋』は、
『舎利である!』。
『舎利』中に、
『般若波羅蜜は無い!』が、
『般若波羅蜜に熏じられる!』が故に、
『供養を得るのである!』。
復次諸聖法中般若第一。無可譬喻。以世間人貴是寶珠故。以珠為喻。 復た次ぎに、諸の聖法中、般若の第一なること、譬喩すべき無きも、世間の人の是の宝珠を貴ぶを以っての故に、珠を以って喩と為す。
復た次ぎに、
『諸の聖法』中、
『般若波羅蜜』は、
『第一であり!』、
『譬喻すべき!』者が、
『無い!』が、
『世間の人』が、
是の、
『宝珠を貴ぶ!』が故に、
『珠を用いて!』、
『喻えるのである!』。
人見如意寶珠所願皆得。若見珠所住處。亦得少願。行者亦如是。得是般若波羅蜜義即入佛道。若見般若所住舍利供養故。得今世後世無量福樂久必得道。如是總相別相應當知。 人は如意宝珠を見れば、願う所を皆得、若し珠の所住の処を見れば、亦た少しの願を得。行者も亦た是の如く、是の般若波羅蜜の義を得れば、即ち仏道に入り、若し般若の所住の舎利を見れば、供養するが故に、今世、後世の無量の福楽を得、久しくして必ず、道を得。是の如く総相、別相を応当に知るべし。
『人』が、
『如意宝珠を見れば!』、
『願う!』所を、
『皆、得ることになり!』、
若し、
『珠の住する!』、
『処』を、
『見るだけでも!』、
亦た、
『願』を、
『少しは、得ることになる!』。
『行者』も、
是のように、
是の、
『般若波羅蜜の義を得れば!』、
即ち( promptly )、
『仏の道』に、
『入ることになる!』。
若し、
『般若波羅蜜の住する!』、
『舎利を見て!』、
『供養すれば!』、
是の故に、
『今世、後世に!』、
『無量の福楽』を、
『得て!』、
『久しくすれば、必ず!』、
『道』を、
『得ることになる!』。
是のように、
『舎利と、宝珠』の、
『総相、別相』を、
『知らねばならない!』。
問曰。般若若有如是功德者。何以故。說舍利是五波羅蜜乃至一切種智所住處故得供養。 問うて曰く、般若に、若し是の如き功徳有らば、何を以っての故にか、『舎利は、是れ五波羅蜜、乃至一切種智の所住の処なるが故に、供養を得』と説く。
問い、
『般若波羅蜜』に、
若し、
是のような、
『功徳が有れば!』、
何故、こう説くのですか?――
『舎利』は、
『五波羅蜜蜜、乃至一切種智が住する!』、
『処である!』が故に、
『供養を得る!』、と。
  参考:『大智度論巻59、大品巻10法称品』:『世尊。佛般泥洹後。舍利得供養。皆般若波羅蜜力。禪波羅蜜乃至檀波羅蜜。內空乃至無法有法空。四念處乃至十八不共法。一切智法相法住法位法性實際不可思議性一切種智。是諸功德力。善男子善女人作是念。是佛舍利一切智。一切種智。大慈大悲。斷一切結使及習。常捨行不錯謬法。等諸佛功德住處。以是故。舍利得供養。』
答曰。先已說。一切諸法般若波羅蜜為首為明導。譬如王來必有將從。但舉其主名。餘者已盡得。讚般若波羅蜜。是義先已說 答えて曰く、先に、已に説かく、『一切の諸法に、般若波羅蜜を首と為し、明導と為す。例えば、王来たらば、必ず将従有るが如く、但だ其の主の名を挙ぐれば、余の者は、已に尽く得たり』、と。般若波羅蜜を讃ずる、是の義は、先に已に説けり。
答え、
先に、
已に、こう説いた、――
『一切の諸法』は、
『般若波羅蜜』を、
『首領とし!』、
『明導( a clever leader )とする!』。
譬えば、
『王が来れば!』、
『将従( the generals and attendants )』が、
『必ず、有るように!』、
其の、
『主の名を挙げるだけでも!』、
已に、
尽く、
『餘の者を挙げたことになる!』、と。
『般若波羅蜜を讃じる!』、
『義』は、
『先に!』、
『已に説かれている!』。


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