巻第五十八(下)
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大智度論釋阿難稱譽品第三十六
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若波羅蜜は、五波羅蜜等を導く

【經】爾時慧命阿難白佛言。世尊何以故。不稱譽檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜乃至十八不共法。但稱譽般若波羅蜜。 爾の時、慧命阿難の仏に白して言さく、『世尊、何を以っての故にか、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、乃至十八不共法をば称誉せず、但だ般若波羅蜜のみを称誉したもう』、と。
爾の時、
『慧命阿難』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何故、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅波羅蜜』、
乃至、
『十八不共法』を、
『称誉せず!』、
但だ、
『般若波羅蜜のみ!』を、
『称誉されるのですか?』。
  参考:『大般若経巻106』:『爾時具壽慶喜白佛言。世尊。何緣不廣稱讚布施波羅蜜多淨戒波羅蜜多安忍波羅蜜多精進波羅蜜多靜慮波羅蜜多。但廣稱讚般若波羅蜜多。世尊何緣不廣稱讚內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。但廣稱讚般若波羅蜜多‥‥佛言。慶喜。汝今當知。由此般若波羅蜜多。與彼布施波羅蜜多淨戒波羅蜜多安忍波羅蜜多精進波羅蜜多靜慮波羅蜜多為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多。慶喜當知。由此般若波羅蜜多。與彼內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多。‥‥慶喜當知。由此般若波羅蜜多。與彼菩薩摩訶薩行為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多。慶喜當知。由此般若波羅蜜多。與彼無上正等菩提為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多』
佛告阿難。般若波羅蜜。於五波羅蜜乃至十八不共法為尊導。阿難。於汝意云何。不迴向薩婆若布施。得稱檀波羅蜜不。不也。世尊。 仏の阿難に告げたまわく、『般若波羅蜜を、五波羅蜜、乃至十八不共法に於いて、尊導と為す。阿難、汝が意に於いて云何、薩婆若に迴向せざる布施は、檀波羅蜜と称するを得るや不や』。 『不なり、世尊』。
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
『般若波羅蜜』は、
『五波羅蜜』、
乃至、
『十八不共法』の、
『尊導だからである!』。
阿難!
お前の、
『意』には、何うなのか?――
『薩婆若に迴向しない!』、
『布施』は、
『檀波羅蜜』と、
『称されることがあるだろうか?』。
――
いいえ!
世尊!
  尊導(そんどう):梵語 naayaka, ekanaayaka, vinaayaka, pra-naayaka の訳。尊敬すべき導師( venerable leader )の意。
  参考:『大般若経巻106』:『佛言。慶喜。於意云何。若不迴向一切智智而修布施波羅蜜多。可名真修布施波羅蜜多不。慶喜答言。不也世尊。佛言。慶喜。要由迴向一切智智而修布施波羅蜜多。乃可名為真修布施波羅蜜多。佛言。慶喜。於意云何。若不迴向一切智智而修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。可名真修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多不。慶喜答言。不也世尊。佛言。慶喜。要由迴向一切智智而修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。乃可名為真修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多故。此般若波羅蜜多於彼布施淨戒安忍精進靜慮波羅蜜多為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多。‥‥』
不迴向薩婆若。尸羅羼提毘梨耶禪智慧是般若波羅蜜不。不也。世尊。 『薩婆若に迴向せざる尸羅、羼提、毘梨耶、禅、智慧は、是れ般若波羅蜜なりや不や』。 『不なり、世尊』。
――
『薩婆若に迴向しない!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅や、智慧』は、
『般若波羅蜜だろうか?』。
――
いいえ!
世尊!
以是故。知般若波羅蜜於五波羅蜜乃至十八不共法為尊導。是故稱譽。 『是を以っての故に知る、般若波羅蜜を、五波羅蜜、乃至十八不共法に於いて、尊導と為すと。是の故に称誉せり』、と。
――
是の故に、
『般若波羅蜜』は、
『五波羅蜜、乃至十八不共法』の、
『尊導である!』と、
『知るのであり!』、
是の故に、
『般若波羅蜜』を、
『称誉するのである!』。
阿難白佛言。世尊。云何布施迴向薩婆若。作檀波羅蜜。乃至作般若波羅蜜。 阿難の仏に白して言さく、『世尊、云何が布施は、薩婆若に迴向して、檀波羅蜜と作り、乃至般若波羅蜜と作る』、と。
『阿難』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何故、
『布施』は、
『薩婆若に迴向して!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜』と、
『作るのですか?』。
  参考:『大般若経巻106』:『具壽慶喜復白佛言。世尊。云何迴向一切智智而修布施波羅蜜多。佛言慶喜。以無二為方便。無生為方便。無所得為方便。修習布施波羅蜜多。是名迴向一切智智而修布施波羅蜜多。世尊。云何迴向一切智智而修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。慶喜。以無二為方便。無生為方便。無所得為方便。修習淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。是名迴向一切智智而修淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。‥‥』
佛告阿難。以無二法布施迴向薩婆若。是名檀波羅蜜。以不生不可得。迴向薩婆若。布施是名檀波羅蜜乃至以無二法智慧。迴向薩婆若。是名般若波羅蜜。以不生不可得。迴向薩婆若。智慧是名般若波羅蜜。 仏の阿難に告げたまわく、『無二の法を以ってする布施は、薩婆若に迴向す、是れを檀波羅蜜と名づけ、不生と、不可得を以って薩婆若に迴向する布施は、是れを檀波羅蜜と名づく。乃至無二の法を以ってする、智慧は薩婆若に迴向す、是れを般若波羅蜜と名づけ、不生と不可得を以って、薩婆若に迴向する智慧、是れを般若波羅蜜と名づく』、と。
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
『無二の法を用いた!』、
『布施』は、
『薩婆若に迴向する!』ので、
『檀波羅蜜』と、
『称するのであり!』、
『不生や、不可得を用いて!』、
『薩婆若に迴向する!』
『布施』を、
『檀波羅蜜』と、
『称するのである!』。
乃至、
『無二の法を用いた!』、
『智慧』は、
『薩婆若に迴向する!』ので、
『般若波羅蜜』と、
『称するのであり!』、
『不生や、不可得を用いて!』、
『薩婆若に迴向する!』
『智慧』を、
『般若波羅蜜』と、
『称するのである!』。
阿難白佛言。世尊。云何以不二法。迴向薩婆若。布施是名檀波羅蜜。乃至以不二法。迴向薩婆若。智慧是名般若波羅蜜。 阿難の仏に白して言さく、『世尊、云何が、不二の法を以って、薩婆若に迴向する布施は、是れを檀波羅蜜と名づけ、乃至、不二の法を以って、薩婆若に迴向する智慧は、是れを般若波羅蜜と名づくる』、と。
『阿難』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何故、
『不二の法を用いて!』、
『薩婆若に廻向する!』、
『布施』を、
『檀波羅蜜』と、
『称し!』、
乃至、
『不二の法を用いて!』、
『薩婆若に迴向する!』、
『智慧』を、
『般若波羅蜜』と、
『称するのですか?』。
  参考:『大般若経巻106』:『具壽慶喜復白佛言。世尊。以何無二為方便。迴向一切智智修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。以何無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。世尊。以何無二為方便。迴向一切智智安住內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。以何無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智。安住內空乃至無性自性空。‥‥』
佛告阿難。以色不二法故。受想行識不二法故。乃至阿耨多羅三藐三菩提不二法故。世尊。云何色不二法。乃至阿耨多羅三藐三菩提不二法。 仏の阿難に告げたまわく、『色なる不二の法を以っての故に、受想行識なる不二の法の故に、乃至阿耨多羅三藐三菩提なる不二の法の故なり』、と。『世尊、云何が、色は不二の法なる、乃至阿耨多羅三藐三菩提は不二の法なる』。
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
『色という!』、
『不二の法を用いて!』、
『薩婆若』に、
『迴向するからであり!』、
『受想行識という!』、
『不二の法を用いて!』、
『薩婆若』に、
『迴向するからであり!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提という!』、
『不二の法を用いて!』、
『薩婆若』に、
『迴向するからである!』。
――
世尊!
何故、
『色』が、
『不二の法であり!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提』が、
『不二の法なのですか?』。
  参考:『大般若経巻107』:『佛言慶喜。汝今當知。以色無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。以受想行識無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。慶喜當知。以色無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智安住內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。以受想行識無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智安住內空乃至無性自性空。‥‥』
  参考:『大般若経巻112』:『具壽慶喜復白佛言。世尊。云何以色無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智。修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。』
佛言。色色相空。何以故。檀波羅蜜色不二不別。乃至阿耨多羅三藐三菩提。檀波羅蜜不二不別。五波羅蜜亦如是。 仏の言わく、『色の色相は空なればなり。何を以っての故に、檀波羅蜜と色とは、不二不別にして、乃至阿耨多羅三藐三菩提まで、檀波羅蜜と不二不別なればなり。五波羅蜜も、亦た是の如し。
『仏』は、こう言われた、――
『色』は、
『色相』が、 
『空だからである!』。
何故ならば、
『檀波羅蜜と、色』は、
『不二、不別だからであり!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提と、檀波羅蜜』は、
『不二、不別だからであり!』、
乃至、
『五波羅蜜』も、
『是の通りである!』。
  参考:『大般若経巻112』:『佛言慶喜。色色性空。何以故。以色性空與布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多無二無二分故。世尊。云何以受想行識無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智。修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。慶喜。受想行識受想行識性空。何以故。以受想行識性空與布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多無二無二分故。慶喜。由此故說。以色等無二為方便。無生為方便。無所得為方便。迴向一切智智。修習布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。‥‥』
以是故。阿難。但稱譽般若波羅蜜。於五波羅蜜乃至一切種智為尊導。 是を以っての故に、阿難、但だ般若波羅蜜を称誉するは、五波羅蜜、乃至一切種智に於いて、尊導と為せばなり。
是の故に、
阿難!
但だ、
『般若波羅蜜を称誉する!』のは、
『五波羅蜜、乃至一切種智』の、
『尊導だからである!』。
阿難。譬如地以種散中。得因緣和合故便生。是諸種子依地而生。如是阿難。五波羅蜜依般若波羅蜜得生。四念處乃至一切種智。亦依般若波羅蜜得生。以是故。阿難般若波羅蜜。為五波羅蜜乃至十八不共法尊導。 阿難、譬えば地は、種を以って、中に散ずれば、因縁の和合を得るが故に便ち生じ、是の諸の種子は、地に依りて生ずるが如し。是の如く、阿難、五波羅蜜は、般若波羅蜜に依って生ずるを得、四念処、乃至一切種智も、亦た般若波羅蜜に依って、生ずるを得。是を以っての故に、阿難、般若波羅蜜を、五波羅蜜、乃至十八不共法の尊導と為す。
阿難!
譬えば、
『地』中に、
『種』を、
『散らせば!』、
『種』は、
『因緣の和合を得る!』が故に、
『便ち( as soon as )生じる!』が、
是の、
『諸の種子』は、
『地に依って( to depend on the earth )!』、
『生じるように!』、
是のように、
阿難!
『五波羅蜜』は、
『般若波羅蜜に依って!』、
『生じることができ!』、
『四念処、乃至一切種智』も、
『般若波羅蜜に依って!』、
『生じることができるのである!』。
是の故に、
阿難!
『般若波羅蜜』は、
『五波羅蜜、乃至十八不共法』の、
『尊導なのである!』。
  参考:『大般若経巻126』:『慶喜當知。譬如大地以種散中眾緣和合則得生長。應知大地與種生長。為所依止為能建立。如是般若波羅蜜多。及所迴向一切智智。與布施淨戒安忍精進靜慮波羅蜜多。為所依止為能建立令得生長故。此般若波羅蜜多於彼布施乃至靜慮波羅蜜多。為尊為導故。我但廣稱讚般若波羅蜜多。‥‥』
爾時釋提桓因白佛言。世尊。佛說善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念者。功德未盡。何以故。受持般若波羅蜜乃至正憶念。則受三世諸佛無上道。所以者何。欲得薩婆若。當從般若波羅蜜中求。欲得般若波羅蜜。當從薩婆若中求。 爾の時、釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、仏は、善男子、善女人の般若波羅蜜を受持、乃至正憶念する者の、功徳を説きたまえるも、未だ尽くしたまわず。何を以っての故に、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念すれば、則ち三世の諸仏より、無上道を受くればなり。所以は何んとなれば、薩婆若を得んと欲せば、当に般若波羅蜜中より求むべく、般若波羅蜜を得んと欲せば、当に薩婆若中より求むべければなり。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『仏の説かれた!』、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく、憶念すること!』の、
『功徳』は、
未だ、
『尽くされていない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
則ち、
『三世の諸仏の無上道』を、
『受けることになるからである!』。
何故ならば、
『薩婆若を得ようとすれば!』、
『般若波羅蜜』中に、
『求めなければならず!』、
『般若波羅蜜を得ようとすれば!』、
『薩婆若』中に、
『求めなければならないからです!』。
  参考:『大般若経巻126』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。今者如來應正等覺。於此般若波羅蜜多。一切功德說猶未盡。所以者何。我從世尊。所受般若波羅蜜多。功德深廣量無邊際。諸善男子善女人等。於此般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。廣為有情宣說流布。所獲功德亦無邊際。』
世尊。受持般若波羅蜜乃至正憶念故。十善道現於世間。四禪四無量心四無色定乃至十八不共法現於世間。受持般若波羅蜜乃至正憶念故。世間便有剎利大姓婆羅門大姓居士大家四天王天乃至阿迦尼吒諸天。受持般若波羅蜜乃至正憶念故。便有須陀洹乃至阿羅漢辟支佛菩薩摩訶薩。受持般若波羅蜜乃至正憶念故。諸佛出於世間。 世尊、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念するが故に、十善道は世間に現れ、四禅、四無量心、四無色定、乃至十八不共法は世間に現る。般若波羅蜜を受持、乃至正憶念するが故に、世間には便ち刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家、四天王天、乃至阿迦尼吒の諸天有り。般若波羅蜜を受持、乃至正憶念するが故に、便ち須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏、菩薩摩訶薩有り。般若波羅蜜を受持、乃至正憶念するが故に、諸仏は世間に出でたもう。
世尊!
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念する!』が故に、
便ち、
『十善道』が、
『世間』に、
『現われ!』、
『四禅、四無量心、四無色定、乃至十八不共法』が、
『世間』に、
『現われ!』、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念する!』が故に、
便ち、
『刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家や!』
『四天王天、乃至阿迦尼吒天』が、
『世間』に、
『有り!』、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念する!』が故に、
便ち、
『須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏、菩薩摩訶薩』が、
『有り!』、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念する!』が故に、
則ち、
『諸の仏』が、
『世間』に、
『出るのである!』。
  参考:『大般若経巻126』:『世尊。若有於此甚深般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。解說書寫廣令流布。由此便有十善業道出現世間。世尊。若有於此甚深般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。解說書寫廣令流布。由此便有四靜慮四無量四無色定五神通等出現世間。‥‥世尊。若有於此甚深般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。解說書寫廣令流布。由此便有佛十力四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法出現世間。‥‥世尊。若有於此甚深般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。解說書寫廣令流布。由此便有菩薩摩訶薩及菩薩摩訶薩行出現世間。世尊。若有於此甚深般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。解說書寫廣令流布。由此便有一切如來應正等覺及以無上正等菩提出現世間』
爾時佛告釋提桓因。憍尸迦。善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念。我不說但有爾所功德。何以故。憍尸迦。是善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念。不離薩婆若心。無量戒眾成就。定眾慧眾解脫眾解脫知見眾成就。 爾の時、仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、善男子、善女人の般若波羅蜜を受持、乃至正憶念すれば、我れは、但だ爾所(そこばく)の功徳有りとは説かず。何を以っての故に、憍尸迦、是の善男子、善女人の般若波羅蜜を受持、乃至正憶念すれば、薩婆若の心を離れずして無量の戒衆成就し、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆成就すればなり。
爾の時、
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
わたしは、
但だ、
『爾所の( some )!』、
『功徳が有る!』と、
『説くだけではない!』。
何故ならば、
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
便ち、
『薩婆若の心を離れることなく!』、
『無量の戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆』を、
『成就するからである!』。
  参考:『大般若経巻126』:『爾時佛告天帝釋言。憍尸迦。我不說此甚深般若波羅蜜多。但有如前所說功德。何以故。如是般若波羅蜜多具足無邊勝功德故。』
  参考:『大般若経巻126』:『復以無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。是善男子善女人等。成就無量殊勝戒蘊。成就無量殊勝定蘊。成就無量殊勝慧蘊。成就無量殊勝解脫蘊。成就無量殊勝解脫智見蘊。憍尸迦。是善男子善女人等。當知如佛。何以故。決定趣向阿耨多羅三藐三菩提故。』
復次憍尸迦。是善男子善女人。能受持般若波羅蜜乃至正憶念。不離薩婆若心。當知是人為如佛。 復た次ぎに、憍尸迦、是の善男子、善女人が、能く般若波羅蜜を受持、乃至正憶念して、薩婆若の心を離れざれば、当に知るべし、是の人を、仏の如しと為す。
復た次ぎに、
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念し!』、
『薩婆若の心を離れなければ!』、
是の、
『人は、仏のようである!』と、
『知ることになるだろう!』。
復次憍尸迦。一切聲聞辟支佛。所有戒眾定眾慧眾解脫眾解脫知見眾。不及是善男子善女人戒眾乃至解脫知見眾。百分千分千億萬分。乃至算數譬喻所不能及。何以故。善男子善女人。於聲聞辟支佛地中。心得解脫。更不求大乘法故。 復た次ぎに、憍尸迦、一切の声聞、辟支仏の有らゆる戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆は、是の善男子、善女人の戒衆、乃至解脱知見衆の百分、千分、千億万分にも及ばず、乃至算数、譬喩の及ぶ能わざる所なり。何を以っての故に、善男子、善女人は、声聞、辟支仏地中に於いて、心に解脱を得れば、更に、大乗の法を求めざるが故なり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
一切の、
『声聞、辟支仏』の、
有らゆる、
『戒衆、定衆、慧衆、解脱衆、解脱知見衆』は、
是の、
『善男子、善女人』の、
『戒衆、乃至解脱知見衆』の、
『百分、千分、千億万分にも!』、
『及ばず!』、
乃至、
『算数、譬喩して!』、
『及ぶことのできない所である!』。
何故ならば、
『声聞、辟支仏の地』中に於いて、
『心に、解脱を得た!』、
『善男子、善女人』は、
更に、
『大乗の法』を、
『求めないからである!』。
  参考:『大般若経巻126』:『憍尸迦。是善男子善女人等。超過聲聞及獨覺地。何以故。解脫一切聲聞獨覺下劣心故。憍尸迦。一切聲聞獨覺所成就戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫智見蘊。於此善男子善女人等所成就戒蘊定蘊慧蘊解脫蘊解脫智見蘊。百分不及一。千分不及一。百千分不及一。俱胝分不及一。百俱胝分不及一。千俱胝分不及一。百千俱胝分不及一。百千俱胝那庾多分不及一。數分算分計分喻分乃至鄔波尼殺曇分亦不及一。』
  参考:『大般若経巻126』:『何以故。憍尸迦。是善男子善女人等。超過一切聲聞獨覺下劣心想。於諸聲聞獨覺乘法終不稱讚。於一切法無所不知。謂能正知都無所有。』
復次憍尸迦。若有善男子善女人。書持般若波羅蜜經卷。供養恭敬尊重。華香瓔珞乃至伎樂。亦得今世後世功德。 復た次ぎに、憍尸迦、若し有る善男子、善女人、般若波羅蜜の経巻を書持し、華香、瓔珞、乃至伎楽もて供養、恭敬、尊重せば、亦た今世、後世の功徳を得ん。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
有る、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』の、
『経巻を書写、受持して!』、
『華香、瓔珞、乃至伎楽で!』、
『供養、恭敬、尊重すれば!』、
亦た、
『今世、後世の功徳』を、
『得るのである!』。
  参考:『大般若経巻126』:『憍尸迦。若善男子善女人等。不離一切智智心。以無所得為方便。於此般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。廣為有情宣說流布。或復書寫種種嚴飾。復以無量上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。是善男子善女人等。我說獲得現在未來無量無邊殊勝功德』
爾時釋提桓因白佛言。世尊。是善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念。不離薩婆若心。供養般若波羅蜜。恭敬尊重華香乃至伎樂。我常當守護是人 爾の時、釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、是の善男子、善女人が、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念して、薩婆若の心を離れず、般若波羅蜜を供養し、華香、乃至伎楽もて恭敬、尊重せば、我れは常に、当に是の人を守護すべし』、と。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念して!』、
『薩婆若の心を離れることなく!』、
『般若波羅蜜の経巻を供養して!』、
『華香、乃至伎楽で!』、
『恭敬、尊重すれば!』、
わたしは、
常に、
是の、
『人』を、
『守護せねばなりません!』、と。
  参考:『大般若経巻126』:『時天帝釋復白佛言。世尊。若善男子善女人等。不離一切智智心。以無所得為方便。於此般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟。廣為有情宣說流布。或復書寫眾寶嚴飾。復以種種上妙花鬘塗散等香衣服纓絡寶幢幡蓋眾妙珍奇伎樂燈明。盡諸所有供養恭敬尊重讚歎。我等諸天常隨衛護。不令一切人非人等種種惡緣之所擾害』



【論】般若波羅蜜は、五波羅蜜等を導く

【論】釋曰。阿難雖多聞力能分別空。而未離欲故不能深入。雖常侍佛不數問難空事。今佛讚歎般若波羅蜜。亦讚歎行者。是故阿難白佛言。世尊。何以不稱歎餘波羅蜜及諸法。而獨稱歎般若波羅蜜。 釈して曰く、阿難は、多聞の力もて、能く空を分別すと雖も、未だ欲を離れざるが故に、深く入る能わず、常に仏に侍ると雖も、数(しばし)ば空事を問難せず。今、仏は般若波羅蜜を讃歎し、亦た行者を讃歎したまえば、是の故に阿難の仏に白して言さく、『世尊、何を以ってか、余の波羅蜜、及び諸の法を称歎せず、独り、般若波羅蜜を称歎したもうや』、と。
釈す、
『阿難』は、
『多聞の力で!』、
『空』を、
『分別することができる!』が、
未だ、
『欲を離れない!』が故に、
『深く!』、
『入ることができず!』、
常に、
『仏に侍していたが!』、
数ば( frequently )、
『空の事』を、
『問難した( to query and argue again and again )わけでもない!』。
今、
『仏』は、
『般若波羅蜜を讃歎し!』、
亦た、
『行者をも!』、
『讃歎された!』ので、
是の故に、
『阿難』は、
『仏に白して!』、こう言ったのである、――
世尊!
何故、
『餘の波羅蜜や、諸の法を称歎せずに!』、
独り、
『般若波羅蜜だけを!』、
『称歎されるのですか?』、と。
  問難(もんなん):何度も質疑応答する( query and argue again and again )。梵語 praznaM pRSTaH の訳、尋問する/系統だって質問する/尋ねる( to cross-examine, interrogate, inquire )の義、論争/反駁/討論する( to dispute, argue against, debate with )の意。
問曰。佛從初以來。常說六波羅蜜名。今阿難何以言不稱說。 問うて曰く、仏は初より以来、常に六波羅蜜の名を説きたまえるに、今、阿難は、何を以ってか、称説せずと言う。
問い、
『仏』は、
初より、
『常に!』、
『六波羅蜜の名』を、
『説いていられるのに!』、
今、
『阿難』は、
何故、
『称歎しない!』と、
『言うのですか?』。
答曰。雖說名字不為稱美。皆為入般若中故說。 答えて曰く、名字を説くと雖も、称美せんが為めにあらず、皆、般若中に入れしめんが為めの故に説きたもう。
答え、
『名字』を、
『説かれたが!』、
『称美する為ではない!』。
皆、
『般若波羅蜜』中に、
『入れる為に!』、
『説かれたのである!』。
佛語阿難。一切有為法中智慧第一。一切智慧中度彼岸。般若波羅蜜第一。 仏の阿難に語りたまわく、『一切の有為法中、智慧は第一なり。一切の智慧中、彼岸に度す、般若波羅蜜は第一なり』と。
『仏』は、
『阿難』に、こう語られた、――
『一切の有為法』中には、
『智慧』が、
『第一であり!』、
『一切の智慧』中には、
『彼岸に度す般若波羅蜜』が、
『第一である!』、と。
  参考:『大品般若経巻1習応品』:『舍利弗。菩薩摩訶薩能如是行。為行般若波羅蜜。譬如滿閻浮提竹麻稻茅。諸比丘其數如是。智慧如舍利弗目揵連等。欲比菩薩行般若波羅蜜智慧百分不及一。千分百千億分乃至算數譬喻所不能及。何以故。菩薩摩訶薩用智慧度脫一切眾生故。舍利弗。置滿閻浮提如舍利弗目揵連等。若滿三千大千國土如舍利弗目揵連等。復置是事。若滿十方如恒河沙等國土。如舍利弗目揵連等智慧。欲比菩薩行般若波羅蜜智慧。百分不及一。千分百千億分。乃至算數譬喻所不能及。復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。一日修智慧。出過一切聲聞辟支佛上。舍利弗白佛言。世尊。聲聞所有智慧。若須陀洹斯陀含阿那含阿羅漢辟支佛智慧佛智慧。是諸眾智無有差別。不相違背無生性空。若法不相違背無生性空。是法無有別異。云何世尊言菩薩摩訶薩行般若波羅蜜一日修智慧出過聲聞辟支佛上。佛告舍利弗。於汝意云何。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜一日修智慧。心念我行道慧益一切眾生。當以一切種智知一切法。度一切眾生。諸聲聞辟支佛智慧。為有是事不。舍利弗言。不也世尊。舍利弗。於汝意云何。諸聲聞辟支佛頗有是念。我等當得阿耨多羅三藐三菩提度一切眾生。令得無餘涅槃不。舍利弗言。不也世尊。佛告舍利弗。以是因緣故。當知諸聲聞辟支佛智慧。欲比菩薩摩訶薩智慧。百分不及一千分百千億分。乃至算數譬喻所不能及。』
譬如行路雖有眾伴導師第一。般若亦如是。雖一切善法各各有力。般若波羅蜜。能示導出三界到三乘。 譬えば、行路に、衆伴有りと雖も、導師が第一なるが如く、般若も亦た是の如く、一切の善法に各各力有りと雖も、般若波羅蜜は、能く示導して、三界を出で、三乗に到らしむ。
譬えば、
『行路( a traveller )』に、
『衆伴( many companions )が有ったとしても!』、
『導師( a leader )』が、
『第一であるように!』、
『般若波羅蜜』も、
是のように、
『一切の善法』の、
各各に、
『力』が、
『有ったとしても!』、
『般若波羅蜜』は、
『道を示し、導いて!』、
『三界を出て!』、
『三乗に到らせることができる!』。
  行路(ぎょうろ):通行人( passerby )。梵語 adhvaana の訳、旅人( traveller )の義。
若無般若波羅蜜。雖行布施等善法。隨受業行果報有盡。以有盡故。尚不能得小乘涅槃。何況無上道。 若し般若波羅蜜無くんば、布施等の善法を行ずと雖も、業行の果報を受くるに随いて、尽くる有り。尽くる有るを以っての故に、尚お小乗の涅槃すら、得る能わず。何に況んや、無上道をや。
若し、
『般若波羅蜜が無ければ!』、
『布施等の、善法を行っても!』、
『行業の果報』は、
『受けるに随って!』、
『尽きることが有り!』、
『行業の果報には、尽きることが有る!』が故に、
尚お、
『小乗の涅槃すら!』、
『得ることができない!』。
況して、
『無上の道』は、
『尚更である!』。
若布施等善法。能觀如佛道相不二。不生不滅不得不失畢竟空寂。是名迴向薩婆若。 若し、布施等の善法を、能く仏道の相の如く、不二、不生、不滅、不得、不失にして、畢竟じて空寂なりと観れば、是れを薩婆若に迴向すと名づく。
若し、
『布施等の善法』を、
『仏道の相のように!』、
『不二、不生、不滅、不得、不失であり!』、
『畢竟じて空寂である!』と、
『観ることができれば!』、
是れを、
『薩婆若に迴向する!』と、
『称する!』。
是布施福世世常受果報而不盡。後當得一切種智。如布施。一切法亦如是相。 是の布施の福は、世世に常に果報を受けて尽きず、後には当に一切種智を得べし。布施の若く、一切法も亦た、是の如き相なり。
是の、
『布施の福』は、
世世に常に、
『果報を受けても!』、
『尽きることがなく!』、
後には、
『一切種智』を、
『得ることになる!』が、
『布施のように!』、
『一切の法』が、
是のような、
『相である!』。
問曰。佛何以不答不二因緣。還以不二解。 問うて曰く、仏は、何を以ってか、不二の因縁を答えたまわず、還って不二を以って解きたもう。
問い、
『仏』は、
何故、
『不二の因縁』を、
『説かれず!』、
還って( again )、
『不二を用いて!』、
『解かれたのですか?』。
答曰。阿難不問不二因緣。但問何法不二。是故佛答色等諸法不二故。般若波羅蜜。能令五事等作波羅蜜故。但稱譽般若波羅蜜。 答えて曰く、阿難は、不二の因縁を問わず、但だ何なる法か不二なると問えり。是の故に仏の答えたまわく、『色等の諸の法は、不二なるが故に、般若波羅蜜は、能く五事等をして、波羅蜜と作らしむ。故に但だ、般若波羅蜜を称誉せり』、と。
答え、
『阿難』は、
『不二の因縁』を、
『問わずに!』、
但だ、こう問うた、――
何のような、
『法』が、
『不二ですか?』、と。
是の故に、
『仏』は、こう答えられた、――
『色等の諸法が、不二である!』が故に、
『般若波羅蜜』は、
『五事等の諸法』を、
『波羅蜜』に、
『作らせるので!』、
是の故に、
但だ、
『般若波羅蜜だけを!』、
『称誉するのである!』、と。
佛欲令是義了了易解故。作是喻譬。如大地能生萬物。般若波羅蜜亦如是。 仏は、是の義をして、了了に易(たやす)く解せしめんと欲するが故に、是の譬喩を作したまえり、『大地の能く万物を生じるが如く、般若波羅蜜も、亦た是の如し』、と。
『仏』は、
是の、
『義』を、
『了了と、容易に!』、
『理解させようとして!』、
是の、
『譬喩』を、作られた、――
『大地』が、
『万物』を、
『生じさせることができるように!』、
『般若波羅蜜』も、
亦た、
『是の通りである!』、と。
能持一切善法種子者。從發心來。除般若波羅蜜。餘一切善法。 能く一切の善法の種子を持(たも)つとは、発心してより来、般若波羅蜜を除く、余の一切の善法なり。
『一切の善法』の、
『種子』を、
『保持することができる!』とは、――
『発心以来の!』、
『般若波羅蜜を除く!』、
『餘の一切の善法である!』。
是因緣和合者。是佛道中一心信忍精進不休不息。欲受通達不壞。有如是等法。事得成辦者。是增長者。從發心起學諸波羅蜜。從一地至一地乃至佛地是。 是の因緣和合とは、是れ仏道中の一心、信、忍、精進、不休不息、欲受、通達、不壊にして、是れ等の如き法有りて、事の成辦するを得る者にして、是れ増長すれば、発心より起ちて、諸波羅蜜を学び、一地より、一地、乃至仏地に至るまで、是れなり。
是の、
『因縁の和合』とは、――
是の、
『仏道』中には、
『一心や、信や、忍や、精進や、不休不息や!』、
『欲受や、通達や、不壊等のような!』、
是れ等のような、
『法が有る!』ので、
『事』が、
『成辦する( to accomplish )のであり!』、
是れが、
『増長すれば!』、
『発心より起って!』、
『諸の波羅蜜を学び!』、
『一地より!』、
『一地に至って!』、
乃ち( gradually )、
『仏地』に、
『至るまで!』が、
是の、
『因縁の和合ということである!』。
問曰。帝釋何以故。言佛說行者受持般若功德未盡。 問うて曰く、帝釈は、何を以っての故にか、『仏は、行者の般若を受持する功徳を説きたもうも、未だ尽くしたまわず』と言う。
問い、
『帝釈』は、
何故、こう言ったのですか?――
『仏』は、
『行者が、般若波羅蜜を受持する!』、
『功徳』を、
『説かれた!』が、
未だ、
『尽くされていない!』、と。
答曰。般若波羅蜜無量無邊。功德亦無量無邊。說未究竟。中間外道梵志及魔來故傍及異事。今還欲續聞。 答えて曰く、般若波羅蜜は無量無辺、功徳も亦た無量無辺なるに説きて未だ究竟せざる中間に、外道の梵志、及び魔の来たるが故に、傍にして、異事に及びたもう。今は還って、続いて聞かんと欲するなり。
答え、
『般若波羅蜜』は、
『無量、無辺であり!』、
亦た、
『功徳』も、
『無量、無辺である!』が、
『仏』が、
『般若波羅蜜を説かれている!』と、
『究竟するまでの間』に、
『外道の梵志や、魔が!』、
『来た!』が故に、
『般若波羅蜜の事を傍にして!』、
『異事』に、
『及ばれた( to do along with )!』ので、
『帝釈』は、
今、
『般若波羅蜜に還って!』、
『続き!』を、
『聞こうとしたのである!』。
帝釋深愛福德果報。樂聞般若功德聽無厭足。今更欲聞說故。自說因緣。世尊。若人受持般若波羅蜜乃至正憶念。則受三世諸佛無上道功德智慧。所以者何。般若中應求一切種智。一切種智中應求般若。 帝釈は、福徳の果報を深く愛すれば、般若の功徳を聞くを楽しんで、聴いて厭足無し。今は更に説を聞かんと欲するが故に、自ら因縁を説かく、『世尊、若し人、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念せば、則ち三世の諸仏の無上道の功徳と智慧を受けん。所以は何んとなれば、般若中には、応に一切種智を求むべく、一切種智中には、応に般若を求むべければなり。
『帝釈』は、
『福徳の果報を深く愛していた!』ので、
『般若波羅蜜の功徳』を、
『楽しんで聞き!』、
『厭足すること!』が、
『無かった!』ので、
今、
更に、
『般若波羅蜜が説かれる!』のを、
『聞こうとする!』が故に、
自ら、
『因緣』を、こう説いた、――
世尊!
若し、
『人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
則ち、
『三世の諸仏の無上道の功徳と、智慧とを!』、
『受けることになるだろう!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中に、
『一切種智を!』、
『求ねばならず!』、
『一切種智』中に、
『般若波羅蜜を!』、
『求めねばならないからである!』。
如上品未說。行者若受持般若波羅蜜發心求阿耨多羅三藐三菩提。為度眾生故。集般若波羅蜜等諸功德。所謂十善道乃至十八不共法。現於世間。是善法因緣故。有剎利大姓乃至諸佛。 上の品の如きには、未だ説きたまわざるも、行者は、若し般若波羅蜜を受持すれば、発心し、阿耨多羅三藐三菩提を求め、衆生を度せんが為の故に、般若波羅蜜等の諸の功徳、謂わゆる十善道、乃至十八不共法を集めて、世間に於いて現わし、是の善法の因縁の故に、刹利の大姓、乃至諸仏有り』、と。
上の品には、未だ説かれていないが、――
『行者』が、
若し、
『般若波羅蜜を受持すれば!』、
『発心して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『求めることになり!』、
『衆生を度する!』為の故に、
『般若波羅蜜』の、
『諸の功徳』を、
『集めることになる!』。
謂わゆる、
『十善道、乃至十八不共法を集めて!』、
『世間』に、
『現わすので!』、
是の、
『善法の因緣』の故に、
『刹利の大姓、乃至諸仏』が、
『有るのである!』、と。
佛告天帝是人不但得如上功德。亦得無量戒眾等功德。 仏の天帝に告げたまわく、『是の人は、但だ上の如き功徳を得るにあらず、亦た無量の戒衆等の功徳を得』、と。
『仏』は、
『天帝』に、こう告げられた、――
是の、
『人』は、
但だ、
上のような、
『功徳』を、
『得るだけでなく!』、
無量の、
『戒衆等の功徳』を、
『得るのである!』、と。
戒眾者。是菩薩行般若波羅蜜。於一切眾生中。修畢竟無畏施。 戒衆とは、是の菩薩は、般若波羅蜜を行じて、一切の衆生中に於いて、畢竟の無畏施を修むるなり。
『戒衆』とは、――
是の、
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を行うので!』、
『一切の衆生』中に於いて、
『畢竟の無畏施』を、
『修めることになる!』。
  無畏施(むいせ):梵語 abhaya-daana の訳、無畏を施すこと( the donation of fearlessness )の義、不殺は、命を与えることになる( not killing is to give his life )の意。
眾生十方中數無量無邊。三世中數亦無量無邊。六道四生種類。各各相亦無量無邊。於此無量無邊眾生中。施第一所愛樂物。所謂壽命。是故得無量戒眾果報。 衆生は、十方中の数、無量無辺なり、三世中の数も、亦た無量無辺なり。六道、四生の種類、各各の相も、亦た無量無辺なり。此の無量無辺の衆生中に於いて、第一に愛楽する所の物、謂わゆる寿命を施す、是の故に無量の戒衆の果報を得るなり。
『衆生』は、
『十方』中の、
『数が!』、
『無量、無辺であり!』、
『三世』中の、
『数も!』、
『無量、無辺であり!』、
『六道や、四生等の種類や!』、
『各各の相も!』、
『無量、無辺である!』が、
此の、
『無量、無辺の衆生』中に於いて、
『第一に愛楽する!』所、
謂わゆる、
『寿命』を、
『施すことになる!』ので、
是の故に、
『無量の戒衆の果報』を、
『得るのである!』。
如是不殺等戒。但說名字則二百五十。毘尼中略說。則八萬四千。廣說則無量無邊。 是の如き不殺等の戒は、但だ名字のみを説けば、則ち二百五十なり。毘尼中に略説すれば、則ち八万四千、広説すれば、則ち無量、無辺なり。
是れ等の、
『不殺等の戒』は、
但だ、
『名字だけでも!』、
則ち、
『二百五十戒』が、
『説かれている!』が、
『毘尼』中には、
『略説すれば、八万四千戒であり!』、
『広説すれば、無量、無辺である!』。
是戒凡夫人。或一日受或一世或百千萬世。菩薩世世於一切眾生中施無畏。乃至入無餘涅槃。是名無量戒眾。乃至解脫知見眾亦如是隨義分別。 是の戒を、凡夫人は或いは一日受け、或いは一世、或いは百千万世なり。菩薩は、世世に一切の衆生中に於いて、無畏を施し、乃至無余涅槃に入る。是れを無量の戒衆と名づく。乃至解脱知見衆も、亦た是の如く義に随って分別す。
是の、
『戒』を、
『凡夫人』は、
或いは、
『一日だけ!』、
『受け!』、
或いは、
『一世だけ!』、
『受け!』、
或いは、
『百千万世に!』、
『受ける!』が、
『菩薩』は、
『世世、乃至無余涅槃に入るまで!』、
『一切の衆生』中に、
『無畏』を、
『施す!』ので、
是れを、
『無量の戒衆』と、
『称するのであり!』、
乃至、
『解脱知見衆まで!』、
是のように、
『定、慧、解脱、解脱知見の義に随って!』、
『分別することになる!』。
是五眾功德勝於二乘不可計量。若人書寫供養般若波羅蜜。得今世後世功德。 是の五衆の功徳の二乗に勝ること、計量すべからず。若し人、般若波羅蜜を書写し供養せば、今世後世の功徳を得ん。
是の、
『五衆の功徳』は、
『二乗より!』、
『計量できないほど!』、
『勝れている!』。
若し、
『人』が、
『般若波羅蜜を書写し、供養すれば!』、
『今世、後世の功徳』を、
『得るだろう!』。
問曰。今世後世功德深重。書持供養輕微。云何得二世功德。 問うて曰く、今世、後世の功徳は深重にして、書持、供養は軽微なり。云何が、二世の功徳を得ん。
問い、
『今世、後世の功徳は深く重い!』が、
『書写、供養の業』は、
『軽微である!』。
何故、
『二世の功徳』を、
『得られるのですか?』。
答曰供養有二種。一者效他供養。二者深心供養。知般若功德。深心供養故。得二世功德。 答えて曰く、供養には二種有り、一には他に效(なら)いて供養し、二には深心に供養す。般若の功徳を知りて、深心に供養するが故に、二世の功徳を得るなり。
答え、
『供養には!』、
『二種有り!』、
一には、
『他に效って( to follow the example of another person )!』、
『供養し!』、
二には、
『般若波羅蜜の功徳を知って!』、
『深心より!』、
『供養することである!』が、
『深心より供養する!』が故に、
『二世の功徳』を、
『得るのである!』。
是般若有種種門入。若聞持乃至正憶念者。智慧精進門入。書寫供養者。信及精進門入。若一心深信。則供養經卷勝。若不一心雖受持而不如。 是の般若には、種種の門より入る有り。若し聞持、乃至正憶念すれば、智慧と精進の門より入り、書写、供養すれば、信及び精進の門より入る。若し一心に深く信ずれば、則ち経巻を供養するに勝る。若し一心ならざれば、受持すと雖も、如かず。
是の、
『般若波羅蜜に入る!』には、
『種種の門』が、
『有る!』が、
若し、
『聞持して!』、
乃至、
『正しく、憶念すれば!』、
『智慧と、精進の門より!』、
『入ることになり!』、
若し、
『書写、供養すれば!』、
『信や、精進の門より!』、
『入ることになる!』。
若し、
『一心に、深く信じれば!』、
『経巻』を、
『供養すること!』に、
『勝る!』が、
若し、
『一心でなければ!』、
『聞いて、受持していても!』、
『経巻の供養にも!』、
『及ばない!』。
復次有如意寶珠。是無記色法無心無識以眾生福德因緣故生。有人供養者。能令人隨意所得。何況般若波羅蜜。是無上智慧諸佛之母。諸法寶中是第一寶。 復た次ぎに、有る如意宝珠は、是れ無記の色法の無心、無識なるも、衆生の福徳の因縁を以っての故に生じ、有る人供養せば、能く人をして、得る所意の随(まま)ならしむ。何に況んや、般若波羅蜜の、是れ無上の智慧、諸仏の母、諸の法宝中の是れ第一宝なるをや。
復た次ぎに、
譬えば、
有る、
『如意宝珠』は、
『無記の色法であり!』、
『無心、無識でありながら!』、
『衆生』の、
『福徳の因縁』の故に、
『生じるので!』、
有る、
『人が供養すれば!』、
『得る!』所を
『意のままにさせることができる!』。
況して、
『般若波羅蜜』は、
『無上の智慧として!』、
『諸仏』の、
『母であり!』、
『諸の法宝』中の、
『第一の宝なので!』、
『言うまでもない!』。
若人如所聞一心信受供養。云何不得二世功德。但人不一心供養。又先世重罪故。雖供養般若而不得如上功德。般若無咎 若し、人、聞く所の如く、一心に信受し供養せば、云何が、二世の功徳を得ざらん。但だ人は、一心に供養せず、又先世の重罪の故に、般若を供養して、上の如き功徳を得ずと雖も、般若には咎無し。
若し、
『人』が、
『聞いた通りに!』、
『一心に信受して!』、
『供養すれば!』、
何故、
『二世の功徳』を、
『得られないことがあろうか?』。
但だ、
『人』が、
『一心に供養しなかったり、又は先世の重罪』の故に、
『般若波羅蜜を供養して!』、
『上のような功徳』を、
『得られなかったとしても!』、
『般若波羅蜜』に、
『咎』は、
『無いのである!』。


【經】般若波羅蜜を読誦し説く処に、無量の諸天が来る

【經】佛告釋提桓因。憍尸迦。是善男子善女人。欲讀誦說般若波羅蜜時。無量百千諸天皆來聽法。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、是の善男子、善女人の般若波羅蜜を読誦して説かんと欲する時、無量百千の諸天、皆来たりて法を聴かん。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』を、
『読誦して!』、
『説こうとする!』時、
『無量、百千の諸天が来て!』、
皆、
『法』を、
『聞くだろう!』。
  参考:『大般若経巻126』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。書寫如是甚深般若波羅蜜多。種種莊嚴置清淨處。供養恭敬尊重讚歎。時此三千大千世界。所有四大王眾天三十三天夜摩天睹史多天樂變化天他化自在天。已發阿耨多羅三藐三菩提心者。恒來是處。觀禮讀誦如是般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。右繞禮拜合掌而去。所有梵眾天梵輔天梵會天大梵天光天少光天無量光天極光淨天淨天少淨天無量淨天遍淨天廣天少廣天無量廣天廣果天。已發阿耨多羅三藐三菩提心者。恒來是處。觀禮讀誦如是般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。右繞禮拜合掌而去。‥‥憍尸迦。是善男子善女人等。應作是念。今此三千大千世界。并餘十方無邊世界。所有四大王眾天三十三天夜摩天睹史多天樂變化天他化自在天梵眾天梵輔天梵會天大梵天光天少光天無量光天極光淨天淨天少淨天無量淨天遍淨天廣天少廣天無量廣天廣果天無繁天無熱天善現天善見天色究竟天。及餘無量有大威德。諸龍藥叉健達縛阿素洛揭路茶緊捺洛莫呼洛伽人非人等。常來至此。觀禮讀誦我所書寫甚深般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。右繞禮拜合掌而去。‥‥憍尸迦。是善男子善女人等。由此三千大千世界。并餘十方無邊世界。所有四大王眾天三十三天夜摩天睹史多天樂變化天他化自在天梵眾天梵輔天梵會天大梵天光天少光天無量光天極光淨天淨天少淨天無量淨天遍淨天廣天少廣天無量廣天廣果天無繁天無熱天善現天善見天色究竟天。及餘無量有大威德。諸龍藥叉健達縛阿素洛揭路茶緊捺洛莫呼洛伽人非人等。常來至此隨逐擁護。不為一切人非人等之所惱害。唯除宿世定惡業因現在應熟。或轉重業現世輕受。憍尸迦。是善男子善女人等。由此般若波羅蜜多大威神力。獲如是等現世種種功德勝利。謂諸天等已發無上菩提心者。或依佛法已獲殊勝利樂事者。敬重法故恒來至此。隨逐擁護增其勢力。所以者何。是善男子善女人等。已發無上正等覺心。恒為救拔諸有情故。恒為成熟諸有情故。恒不棄捨諸有情故。恒為利樂諸有情故。彼諸天等亦復如是。由此因緣常隨擁護』
是善男子善女人。說般若波羅蜜法。諸天子益其膽力。是諸法師若疲極不欲說法。諸天益其膽力故便更能說。善男子善女人。受持是般若波羅蜜乃至正憶念。供養華香乃至伎樂故。亦得是今世功德。 是の善男子、善女人、般若波羅蜜の法を説くに、諸天子、其の胆力を益さば、是の諸の法師、若し疲極して法を説かんと欲せずとも、諸天の、其の胆力を益すが故に、便ち更に能く説かん。善男子、善女人は、是の般若波羅蜜を受持、乃至正憶念し、華香、乃至伎楽を供養するが故に、亦た是の今世の功徳を得。
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜の法』を、
『説く!』と、
諸の、
『天子』が、
其の、
『善男子の胆力』を、
『益すだろう!』。
是の、
『諸の法師』が、
若し、
『疲極して( be worn out )!』、
『法』を、
『説こうとしなくても!』、
『諸の天子』が、
其の、
『胆力を益す!』が故に、
便ち( easily )、
更に( again )、
『説くことができるのである!』。
『善男子、善女人』は、
是の、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念し!』、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『華香、乃至伎楽で!』、
『供養する!』が故に、
亦た、
是の、
『今世の功徳』を、
『得るのである!』。
  疲極(ひごく):梵語 parizraanta の訳、疲れ切った( thoroughly fatiqued, worn out )の義。
  胆力(たんりき):物を畏れない力。
復次憍尸迦。是善男子善女人。於四部眾中說般若波羅蜜時心無怯弱。若有論難亦無畏想。何以故。是善男子善女人。為般若波羅蜜所護持故。 復た次ぎに、憍尸迦、是の善男子、善女人は、四部衆中に於いて、般若波羅蜜を説く時、心に怯弱無く、若しは論難有るも、亦た畏想無し。何を以っての故に、是の善男子、善女人は、般若波羅蜜の為めに護持せらるるが故なり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』は、
『四部の衆』中に於いて、
『般若波羅蜜を説く!』時、
『心』に、
『怯弱が無く( be not cowardly )!』、
若し、
『論難が有っても!』、
『畏の想( the perception of fear )』が、
『無い!』。
何故ならば、
是の、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜に!』、
『護持されているからである!』。
  怯弱(こにゃく):梵語 avaliina の訳、[小鳥のように]うずくまる/へたり込む/縮こまる( sitting down (as a bird), cowering down in, hiding one's self in )の義、臆病/卑怯/縮こまる/隠れる( cowardice, to cower, hide )の意。
  畏想(いそう):梵語 bhaya-saMjJaa の訳、畏の想( the perception of fear )の義、畏を覚知する( to perceive fear )の意。
般若波羅蜜中。亦分別一切法。若世間若出世間。若有漏若無漏。若善若不善。若有為若無為。若聲聞法若辟支佛法。若菩薩法若佛法。善男子善女人。住內空乃至住無法有法空故。不見有能難般若波羅蜜者。亦不見受難者。亦不見般若波羅蜜。 般若波羅蜜中には、亦た一切法を分別す。若しは世間、若しは出世間、若しは有漏、若しは無漏、若しは善、若しは不善、若しは有為、若しは無為、若しは声聞法、若しは辟支仏法、若しは菩薩法、若しは仏法なり。善男子、善女人は、内空に住し、乃至無法有法空に住するが故に、能く般若波羅蜜を難ずる者の有るを見ず、亦た難を受くる者を見ず、亦た般若波羅蜜を見ず。
『般若波羅蜜』中には、
亦た、
『一切の法』を、こう分別するが、――
『世間か、出世間か?』、
『有漏か、無漏か?』、
『善か、不善か?』、
『有為か、無為か?』、
『声聞法か、辟支仏法か?』、
『菩薩の法か、仏の法か?』、と。
『善男子、善女人』は、
『内空、乃至無法有法空に住する!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『難じる!』者が、
『有る!』と、
『見ることなく!』、
亦た、
『難を受ける者である!』と、
『見ることもなく!』、
亦た、
『般若波羅蜜である!』と、
『見ることもない!』。
如是善男子善女人。為般若波羅蜜所護持故。無有能難壞者。 是の如き善男子、善女人は、般若波羅蜜の為めに護持せらるるが故に、能く難壊する者の有ること無し。
是のような、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜に、護持されている!』が故に、
『論難して、破壊する!』者が、
『無いのである!』。
復次善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念時。不沒不畏不怖。何以故。是善男子善女人。不見是法沒者恐怖者。 復た次ぎに、善男子、善女人は、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念する時、没せず、畏れず、怖れず。何を以っての故に、是の善男子、善女人は、是の法に没する者も、恐怖する者も見ざればなり。
復た次ぎに、
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念すれば!』、
是の時、
『沈没することもなく!』、
『畏怖することもない!』。
何故ならば、
是の、
『善男子、善女人』は、
是の、
『法』に、
『沈没する!』者を、
『見ず!』、
是の、
『法』を、
『恐怖する!』者も、
『見ないからである!』。
憍尸迦。善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念。華香供養乃至幡蓋。亦得是今世功德。 憍尸迦、善男子、善女人は、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念して、華香、乃至幡蓋を供養せば、亦た是の今世の功徳を得ん。
憍尸迦!
『善男子、善女人』は、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念し!』、
『般若波羅蜜の経巻』を、
『華香、乃至幡蓋で!』、
『供養すれば!』、
亦た、
是の、
『今世の功徳』を、
『得るのである!』。
復次憍尸迦。善男子善女人受持般若波羅蜜乃至正憶念。書持經卷華香供養乃至幡蓋。是人為父母所愛宗親知識所念。諸沙門婆羅門所敬。十方諸佛及菩薩摩訶薩辟支佛阿羅漢乃至須陀洹所愛敬。一切世間若天若魔若梵及阿修羅等皆亦愛敬。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人は、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念して、経巻を書持し、華香、乃至幢蓋を供養せば、是の人は、父母の愛する所、宗親、知識の念ずる所、諸の沙門、婆羅門の敬う所、十方の諸仏、及び菩薩摩訶薩、辟支仏、阿羅漢乃至須陀洹の愛敬する所と為り、一切の世間の若しは天、若しは魔、若しは梵、及び阿修羅等も、皆亦た愛敬せん。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念し!』、
『経巻を書写して!』、
『受持し!』、
『華香、乃至幡蓋で!』、
『供養すれば!』、
是の、
『人』は、
『父母に愛され!』、
『宗親、知識に念じられ!』、
『諸の沙門、婆羅門に!』、
『敬われ!』、
『十方の!』、
『諸仏、菩薩摩訶薩、辟支仏、阿羅漢乃至須陀洹』に、
『愛されて!』、
『敬われ!』、
『一切の世間の!』、
『天、魔、梵、及び阿修羅等も!』、
皆、
『愛して』、
『敬うだろう!』。
是人行檀波羅蜜。檀波羅蜜無有斷絕時。尸羅波羅蜜。羼提波羅蜜。毘梨耶波羅蜜。禪波羅蜜。般若波羅蜜。亦無有斷絕時。 是の人は、檀波羅蜜を行すれば、檀波羅蜜の断絶する時の有ること無く、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜も亦た、断絶する時の有ること無ければなり。
是の、
『人』が、
『檀波羅蜜を行えば!』、
『檀波羅蜜には!』、
『断絶する!』時が、
『無く!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』も、
亦た、
『断絶する!』時が、
『無いからである!』。
修內空不斷。乃至修無法有法空不斷。修四念處不斷。乃至修十八不共法不斷。修諸三昧門不斷。修諸陀羅尼門不斷。諸菩薩神通不斷。成就眾生淨佛世界不斷。乃至修一切種智不斷。是人亦能降伏難論毀謗。 内空を修めて断ぜず、乃至無法有法空を修めて断ぜず、四念処を修めて断ぜず、乃至十八不共法を修めて断ぜず、諸の三昧門を修めて断ぜず、諸の陀羅尼門を修めて断ぜず、諸の菩薩の神通を断ぜず、衆生を成就して、仏世界を浄むること断ぜず、乃至一切種智を修めて断ぜざれば是の人は、亦た能く難論、毀謗を降伏す。
是の、
『人』が、
『内空、乃至無法有法空』を、
『断じることなく!』、
『修め!』、
『四念処、乃至十八不共法』を、
『断じることなく!』、
『修め!』、
『諸の三昧門、諸の陀羅尼門』を、
『断じることなく!』、
『修め!』、
『諸の菩薩の神通』を、
『断じることなく!』、
『修め!』、
『衆生を成就して!』、
『仏世界』を、
『断じることなく!』、
『浄め!』、
乃至、
『一切種智』を、
『断じることなく!』、
『修めれば!』、
是の、
『人』は、
亦た、
『論難したり、毀謗する!』者を、
『降伏することができるのである!』。
善男子善女人。受持般若波羅蜜乃至正憶念。不離薩婆若心。書持經卷華香供養乃至幡蓋。亦得是今世後世功德。 善男子、善女人は、般若波羅蜜を受持、乃至正憶念し、薩婆若心を離れず、経巻を書持して、華香、乃至幡蓋を供養せば、亦た今世、後世の功徳を得ん。
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく、憶念して!』、
『薩婆若の心』を、
『離れず!』、
『経巻を書写して、受持し!』、
『華香、乃至幡蓋で!』、
『供養すれば!』、
亦た、
是の、
『今世、後世の功徳』を、
『得るのである!』。
復次憍尸迦。善男子善女人。書持經卷在所住處。三千大千世界中。所有諸四天王天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。皆來到是處。見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の書持せる経巻の所住の処に在(お)いては、三千大千世界中の有らゆる諸の四天王天の阿耨多羅三藐三菩提心を発する者、皆来たりて、是の処に到り、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて、供養せらるるを見て、礼拝して、還り去るなり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人の書写し、受持した!』、
『経巻の住する!』、
『処に於いて!』、
『三千大千世界』中の、
『有らゆる諸四天王天』の、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発した者が、皆来て!』、
是の、
『処に至り!』、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦したり、説かれて!』、
『供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拝して!』、
『還り!』、
『去るのである!』。
三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天。梵眾天梵輔天梵會天大梵天。光天少光天無量光天光音天。淨天少淨天無量淨天遍淨天。無蔭行天福德天廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。皆來到是處。見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。 三十三天、夜摩天、兜率陀天、化楽天、他化自在天、梵衆天、梵輔天、梵会天、大梵天、光天、少光天、無量光天、光音天、浄天、少浄天、無量浄天、遍浄天、無蔭行天、福徳天、広果天の阿耨多羅三藐三菩提を発する者も、皆来たりて、是の処に到り、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて、供養せらるるを見て、礼拝して還り去る。
『三十三天、夜摩天、兜率陀天、化楽天、他化自在天や!』、
『梵衆天、梵輔天、梵会天、大梵天や!』、
『光天、少光天、無量光天、光音天や!』、
『浄天、少浄天、無量浄天、遍浄天や!』、
『無蔭行天、福徳天、広果天』の、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発した者も、皆来て!』、
是の、
『処に至り!』、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦したり、説かれて!』、
『供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拝して!』、
『還り!』、
『去るのである!』。
淨居諸天所謂無誑天無熱天妙見天喜見天色究竟天。皆來到是處。見是般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。 浄居の諸天、謂わゆる無誑天、無熱天、妙見天、喜見天、色究竟天、皆来たりて、是の処に到り、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて、供養せらるるを見て、礼拝して還り去る。
『浄居の諸天』、
『謂わゆる無誑天、無熱天、妙見天、喜見天、色究竟天の諸天も!』、
『皆来て!』、
是の、
『処に至り!』、
是の、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦したり、説かれて!』、
『供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拝して!』、
『還り!』、
『去るのである!』。
復次憍尸迦。十方世界中。諸四天王天。乃至廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心。及淨居天并餘諸天。龍鬼神揵闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽。亦來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。 復た次ぎに、憍尸迦、十方の世界中の、諸の四天王天、乃至広果天の、阿耨多羅三藐三菩提心を発する、及び淨居天并びに余の諸の天、龍、鬼神、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽も、亦た来て、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて、供養せらるるを見て、礼拝して還り去る。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『十方の世界』中の、
『諸の四天王天、乃至広果天』の、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発した者や!』、
『浄居天や、餘の諸の天や!』、
『龍、鬼神、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽も来て!』、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦したり、説かれて!』、
『供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拝して!』、
『還り!』、
『去るのである!』。
是善男子善女人應作是念。十方世界中諸四天王天。乃至廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心。及淨居天并餘諸天。龍鬼神揵闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽。來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜。我則法施已。 是の善男子、善女人は、応に是の念を作すべし、『十方の世界中の諸の四天王天、乃至広果天の阿耨多羅三藐三菩提心を発する、及び淨居天、并びに余の諸の天、龍、鬼神、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽も来たりて、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて、供養せらるるを見て、礼拝す。我れは、則ち法を施し已れり』、と。
是の、
『善男子、善女人』は、こう念じるだろう、――
『十方の世界』中の、
『諸の四天王天、乃至広果天』の、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発した者や!』、
『浄居天や、餘の諸の天や!』、
『龍、鬼神、揵闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽が来て!』、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦したり、説かれて、供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拜している!』。
わたしが、
『法』を、
『施したのだ!』、と。
憍尸迦。三千大千世界中。所有諸四天王天。乃至阿迦尼吒天。乃至十方世界中。諸四天王天。乃至阿迦尼吒天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。護持是善男子善女人。諸惡不能得便。除其宿命重罪。 憍尸迦、三千大千世界中の、有らゆる諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天、乃至十方の世界中の諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天の、阿耨多羅三藐三菩提心を発する者は、是の善男子、善女人を護持して、諸悪をして便を得る能わざらしめ、其の宿命の重罪を除かしめん。
憍尸迦!
『三千大千世界』中の、
有らゆる、
『諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天や!』、
乃至、
『十方の世界』中の、
『諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天の!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発した!』者が、
是の、
『善男子、善女人を護持して!』、
『諸悪』に、
『便( the chance to injure )』を、
『得させない!』ので、
是の、
『善男子の宿命』の、
『重罪』が、
『除かれるのである!』。
憍尸迦。是善男子善女人。亦得是今世功德。所謂諸天子發阿耨多羅三藐三菩提心。皆來到是處。何以故。憍尸迦。諸天子發阿耨多羅三藐三菩提心。欲救護一切眾生。不捨一切眾生。安樂一切眾生故。 憍尸迦、是の善男子、善女人も、亦た是の今世の功徳を得ん。謂わゆる諸の天子の阿耨多羅三藐三菩提心を発するもの、皆来たりて、是の処に到らん。何を以っての故に、憍尸迦、諸の天子は、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、一切の衆生を救護し、一切の衆生を捨てず、一切の衆生を安楽ならしめんと欲するが故なり。
憍尸迦!
是の、
『善男子、善女人』も、
亦た、
是の、
『今世の功徳』、
『得たのである!』。
謂わゆる、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発した!』、
『諸の天子が、皆来て!』、
是の、
『処』に、
『到るのである!』。
何故ならば、
憍尸迦!
『阿耨多羅三藐三菩提を発した!』、
『諸の天子』が、
『一切の衆生を救護して!』、
『捨てることなく!』、
『安楽にしようとするからである!』。
爾時釋提桓因白佛言。世尊。善男子善女人。云何當知。諸四天王天乃至阿迦尼吒天來。及十方世界中諸四天王天。乃至阿迦尼吒天。來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜時。 爾の時、釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、善男子、善女人は云何が当に、諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天の来たりて、及び十方の世界中の諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天の来たりて、般若波羅蜜受け、読誦し、説いて供養せらるるを見て、礼拝する時を知るべき』、と。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『善男子、善女人』は、
何故、こう知ることになるのですか?――
『諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天や!』、
『十方の世界中の諸の四天王天、乃至阿迦尼吒天が来て!』、
『般若波羅蜜が受持、読誦したり、説かれて、供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拜する時である!』と。
  参考:『大般若経巻127』:『時天帝釋復白佛言。世尊。是善男子善女人等。云何覺知於此三千大千世界并餘十方無邊世界。所有四大王眾天三十三天夜摩天睹史多天樂變化天他化自在天梵眾天梵輔天梵會天大梵天光天少光天無量光天極光淨天淨天少淨天無量淨天遍淨天廣天少廣天無量廣天廣果天無繁天無熱天善現天善見天色究竟天。及餘無量有大威德諸龍藥叉健達縛阿素洛揭路茶緊捺洛莫呼洛伽人非人等來至其所。觀禮讀誦彼所書寫甚深般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。合掌右繞歡喜護念。爾時佛告天帝釋言。憍尸迦。是善男子善女人等。若見如是甚深般若波羅蜜多所安置處有妙光明。或聞其處異香芬馥若天樂音。當知爾時有大神力威德熾盛諸天龍等來至其所。觀禮讀誦彼所書寫甚深般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。合掌右繞歡喜護念。復次憍尸迦。是善男子善女人等。修淨妙行嚴潔其處。至心供養如是般若波羅蜜多。當知爾時有大神力威德熾盛諸天龍等來至其所。觀禮讀誦彼所書寫甚深般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。合掌右繞歡喜護念。憍尸迦。隨其如是具大神力威德熾盛諸天龍等來至其處。此中所有邪神惡鬼。驚怖退散無敢住者。由此因緣。是善男子善女人等。心便廣大。所修善業倍復增長。一切所為無有障礙。以是故。憍尸迦。若此般若波羅蜜多。隨所在處周匝除去諸不淨物。掃拭塗治香水散灑。敷設寶座而安置之。燒香散華張施幰蓋。寶幢幡鐸間飾其中。衣服纓絡金銀寶器。眾妙珍奇伎樂燈明。無量雜綵莊嚴其處。若能如是供養般若波羅蜜多。便有無量具大神力威德熾盛諸天龍等來至其處。觀禮讀誦彼所書寫甚深般若波羅蜜多。供養恭敬尊重讚歎。合掌右繞歡喜護念。』
佛告釋提桓因。憍尸迦。若善男子善女人。見大淨光明。必知有大德諸天來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜時。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、若し善男子、善女人、大浄光明を見ば、必ず大徳の諸天の来たる有りて、般若波羅蜜を見、受け、読誦し、説き、供養し、礼拝する時なるを知らん。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
『大浄の光明を見れば!』、必ず、こう知るからである、――
有る、
『大徳の諸天が来て!』、
『般若波羅蜜』が、
『受持、読誦し、説いて供養される!』のを、
『見て!』、
『礼拜している時なのだ!』、と。
復次憍尸迦。若善男子善女人。若聞異妙香必知有大德諸天來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜時。 復た次ぎに、憍尸迦、若し善男子、善女人にして、若し異なる妙香を聞かば、必ず大徳の諸天の来たる有りて、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて供養せらるるを見て、礼拝する時なるを知ればなり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
『異妙な( be strange and excellent )!』、
『香』を、
『聞けば!』、
必ず、こう知るからである、――
有る、
『大徳の諸天が来て!』、
『般若波羅蜜が受持、読誦し、説いて供養されている!』のを、
『見て!』、
『礼拜している時なのだ!』、と。
復次憍尸迦。善男子善女人。行淨潔故諸天來到其處見般若波羅蜜。受讀誦說供養歡喜禮拜。是中有小鬼輩。即時出去不能堪任。是大德諸天威德故。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人の行の浄潔なるが故に、諸天来たりて、其の処に到り、般若波羅蜜の受け、読誦し、説いて供養するを見て、歓喜し、礼拝するに、是の中に小鬼の輩有らば、即時に出で去らん。是の大徳の諸天の威徳に堪任する能わざるが故なり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』の、
『行い!』が、
『浄潔である!』が故に、
『諸天が来て!』、
其の、
『処に到り!』、
『般若波羅蜜が受持し、読誦し、説いて供養される!』のを、
『見て!』、
『歓喜し、礼拜する!』と、
是の中に、
『小鬼の輩が有っても!』、
即時に、
『中より出て!』、
『去る!』のは、
是の、
『大徳の諸天の威徳』に、
『堪任できない( cannot endure )からである!』。
以是大德諸天來故。是善男子善女人生大心。以是故。般若波羅蜜所住處。四面不應有諸不淨。應然燈燒香散眾名華眾香塗地眾蓋幢幡種種嚴飾。 是の大徳の諸天の来たるを以っての故に、是の善男子、善女人は大心を生ず。是を以っての故に、般若波羅蜜の所住の処は、四面応に諸の不浄有るべからず、応に灯を然(もや)し、香を焼(た)き、衆(あまた)の名華を散らし、衆の香を地に塗り、衆の蓋、幢、幡もて種種に厳飾すべし。
是の、
『大徳の諸天が来た!』が故に、
是の、
『善男子、善女人』は、
『大心』を、
『生じるのである!』が、
是の故に、
『般若波羅蜜の住する処』は、
『四面に、諸の不浄が有ってはならず!』、
『灯を燃やして、香を焼いたり!』、
『衆の名華を散らして、衆の香を地に塗ったり!』、
『衆の蓋、幢、幡で種種に厳飾せねばならないのである!』。
復次憍尸迦。善男子善女人。說法時終無疲極。自覺身輕心樂。隨法偃息。臥覺安隱無諸惡夢。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人は、法を説く時、終に疲極無く、自ら身の軽きを覚えて、心楽しく、法に随いて偃息し、臥して安隠を覚え、諸の悪夢無し。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『法を説く!』時には、
終に、
『疲極することが無く!』、
自ら、
『身心が、軽快、安楽である!』と、
『覚り!』、
『法に随って( according to the regulations )!』、
『偃息する( resting )!』時には、
『臥覚が安隠であり( to sleep and awake peacefully )!』、
『諸の悪夢が無い!』。
  偃息(えんそく):休養する/停止する( to rest, cease )。
  臥覚(がかく):横になって睡る( to lie down and sleep )、横臥と覚醒( liing and awaking )。
夢中見諸佛三十二相八十隨形好比丘僧恭敬圍遶而為說法。在諸佛邊聽受法教。所謂六波羅蜜四念處乃至十八不共法。分別六波羅蜜義四念處乃至十八不共法。亦分別其義。 夢中に見るらくは、諸の仏の三十二相、八十随形好、比丘僧の恭敬、囲遶し、為めに法を説き、諸の仏の辺に在りて、法教、謂わゆる六波羅蜜、四念処乃至十八不共法、六波羅蜜の義を分別し、四念処乃至十八不共法も、亦た其の義を分別するを聴受す。
『夢中に見る!』のは、
『諸仏の三十二相、八十随形好』が、
『比丘僧に恭敬、囲遶され!』、
『比丘僧の為に!』、
『法』を、
『説いていられる!』。
『比丘僧』は、
『諸仏の辺』に於いて、
『法の教』、
謂わゆる、
『六波羅蜜や、四念処乃至十八不共法』を、
『聴受しており!』、
『諸仏』は、
『比丘僧の為に!』、
『六波羅蜜の義』を、
『分別され!』、
亦た、
『四念処乃至十八不共法の義』も、
『分別される!』。
亦見菩提樹莊嚴殊妙。見諸菩薩趣菩提樹得阿耨多羅三藐三菩提。見諸佛成已轉法輪。見百千萬菩薩共集法論義。應如是求薩婆若。應如是成就眾生。應如是淨佛世界。 亦た、菩提樹の荘厳の殊妙なるを見、諸の菩薩の菩提樹に趣きて、阿耨多羅三藐三菩提を得るを見、諸の仏成り已りて、法輪を転ずるを見、百千万の菩薩共に法を集めて、義を、『応に是の如く薩婆若を求むべし』、『応に是の如く衆生を成就すべし』、『応に是の如く仏の世界を浄むべし』と論ずるを見る。
亦た、
『夢中に見る!』、――
『菩提樹』の、
『荘厳』は、
『殊妙である!』のを。
亦た、
『見る!』、――
『諸の菩薩』が、
『菩提樹に趣いて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得る!』のを。
亦た、
『見る!』、――
『諸仏』が、
『道を成し已って( to accomplish the Buddha's way )!』、
『法輪を転じられる!』のを。
亦た、
『見る!』、――
『百千万の菩薩が!』、
『共に、法を集めて義を論じる!』のを、――
是のように、
『薩婆若』を、
『求めねばならない!』、と。
是のように、
『衆生』を、
『成就せねばならない!』、と。
是のように、
『仏世界』を、
『浄めねばならない!』、と。
亦見十方無數百千萬億諸佛。亦聞其名號。某方某界某佛。若干百千萬菩薩。若干百千萬聲聞恭敬圍繞說法。復見十方無數百千萬億諸佛般涅槃。復見無數百千萬億諸佛七寶塔。見供養諸佛塔恭敬尊重讚歎華香乃至幢蓋。 亦た十方の無数百千万億の諸の仏を見て、亦た其の名号と、某方某界の某仏は、若干百千万の菩薩と、若干百千万の声聞に恭敬、囲繞されて、法を説くを聞く。復た十方の無数百千万億の諸仏の般涅槃を見る。復た無数百千万億の諸仏の七宝の塔を見、諸仏の塔に華香、乃至幢蓋を供養し、恭敬、尊重、讃歎するを見る。
亦た、
『見る!』、――
『十方の!』、
『無数、百千万億の諸仏を!』。
亦た、
『聞く!』、――
『十方の無数、百千万億の諸仏』の、
『名号』は、
『某方、某界、某仏である!』と、
若しは、
『千百千万の菩薩や、声聞に恭敬、囲遶されて!』、
『法』が、
『説かれる!』のを。
復た、
『見る!』、――
『十方の!』、
『無数、百千万億の諸仏が!』、
『般涅槃される!』のを。
復た、
『見る!』、――
『無数、百千万億の諸仏の!』、
『七宝の塔を!』。
復た、
『見る!』、――
『諸仏の塔が恭敬、尊重、讃歎されて!』、
『華香乃至幢蓋で、供養される!』のを。
憍尸迦。是善男子善女人。見如是善夢。臥安覺安。諸天益其氣力。自覺身體輕便。不大貪著飲食衣服臥具湯藥。於此四供養其心輕微。譬如比丘坐禪從禪定起心與定合。不貪著飲食其心輕微。 憍尸迦、是の善男子、善女人は、是の如き善夢を見て、臥して安く、覚めて安く、諸天、其の気力を益せば、自ら身体の軽便なるを覚えて、大いには飲食、衣服、臥具、湯薬に貪著せず、此の四供養に於いて、其の心の軽微なること、譬えば、比丘の坐禅して、禅定より起つに、心は定と合するが如く、飲食に貪著せず、其の心は軽微なり。
憍尸迦、
是の、
『善男子、善女人』は、
是のような、
『善い夢を見て!』、
『臥覚』が、
『安隠であり!』、
『諸の天が!』、
是の、
『善男子』の、
『気力』を、
『増益する!』が故に、
自ら、
『身体』が、
『軽便である( be nimble and easy )!』と、
『覚知し!』、
『飲食、衣服、臥具、湯薬に貪著しない!』ので、
此の、
『四供養』に於いて、
其の、
『心』が、
『軽微である( be slight )!』。
譬えば、
『比丘』が、
『坐禅して、禅定より起つ!』と、
『心が、定と合している!』ので、
『飲食』に、
『貪著せず!』、
其の、
『心』が、
『軽微であるようなものである!』。
  軽便(きょうべん):軽快容易( be nimble and easy )。
  参考:『大般若経巻127』:『憍尸迦。是善男子善女人等。見如是類諸善夢相。若睡若覺身心安樂。諸天神等益其精氣。令彼自覺身體輕便。由是因緣不多貪染飲食醫藥衣服臥具。於四供養其心輕微。如瑜伽師入勝妙定。由彼定力滋潤身心。從定出已。於諸美膳其心輕微此亦如是。何以故。憍尸迦。是善男子善女人等。由此三千大千世界。并餘十方無邊世界。一切如來應正等覺聲聞菩薩天龍藥叉健達縛阿素洛揭路茶緊捺洛莫呼洛伽人非人等。具大神力勝威德者。慈悲護念以妙精氣冥注身心。令其志勇體充盛故。』
何以故。憍尸迦。諸天法。應以諸味之精益其氣力故。十方諸佛。及天龍鬼神阿修羅揵闥婆迦樓羅緊那羅摩睺羅伽。亦益其氣力。 何を以っての故に、憍尸迦、諸天の法は、応に諸味の精を以って、其の気力を益すべきなるが故なり。十方の諸仏、及び天、龍、鬼神、阿修羅、揵闥婆、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽も、亦た其の気力を益す。
何故ならば、
憍尸迦!
『諸天の法』は、
『諸味の精( the essence of foods )を用いて!』、
是の、
『善男子、善女人の気力』を、
『益すからであり!』、
亦た、
『十方の諸仏や!』、
『龍、鬼神、阿修羅、揵闥婆、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽も!』、
其の、
『気力』を、
『益すからである!』。
如是憍尸迦。善男子善女人。欲得今世如是功德。應當受持般若波羅蜜親近讀誦說正憶念。亦不離薩婆若心。 是の如く、憍尸迦、善男子、善女人は、今世の是の如き功徳を得んと欲せば、応当に般若波羅蜜を受持し、親近し、読誦し、説き、正憶念して、亦た薩婆若の心を離れざるべし。
是のように、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『今世』に、
是のような、
『功徳を得ようとすれば!』、
『般若波羅蜜を受持して、親近、読誦し!』、
『般若波羅蜜を説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させなくてはならず!』、
亦た、
『薩婆若の心』を、
『離れてはならない!』。
憍尸迦。善男子善女人。雖不能受持乃至正憶念。應當書持經卷恭敬供養尊重讚歎華香瓔珞乃至幡蓋。 憍尸迦、善男子、善女人は、受持、乃至正憶念する能わずと雖も、応当に経巻を書持し、華香、瓔珞、乃至幡蓋もて恭敬、供養、尊重、讃歎すべし。
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を受持して!』、
乃至、
『正しく!』、
『憶念させられなくても!』、
『経巻を書写、受持して!』、
『華香、瓔珞、乃至幡蓋で!』、
『恭敬、供養、尊重、讃歎すればよいのである!』。
憍尸迦。若善男子善女人。聞是般若波羅蜜。受持讀誦說正憶念書經卷恭敬供養尊重讚歎華香乃至幢蓋。是善男子善女人功德甚多。勝於供養十方諸佛及弟子。恭敬尊重讚歎衣服飲食臥具湯藥。諸佛及弟子。般涅槃後起七寶塔。恭敬供養尊重讚歎華香乃至幢蓋 憍尸迦、若し善男子、善女人は、是の般若波羅蜜を受持し、読誦し、説いて、正憶念するを聞き、経巻を書いて、華香、乃至幢蓋もて恭敬し、供養し、尊重し、讃歎せば、是の善男子、善女人の功徳は甚だ多く、十方の諸仏、及び弟子を供養し、衣服、飲食、臥具、湯薬もて恭敬、尊重、讃歎し、諸仏、及び弟子の般涅槃の後、七宝の塔を起て、華香、乃至幢蓋もて、恭敬、供養、尊重、讃歎するに勝る。
憍尸迦!
若し、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜を受持し、読誦し!』、
『般若波羅蜜を説いて!』、
『正しく、憶念させるということ!』を、
『聞いて!』、
『経巻を書写して!』、
『華香、乃至幢蓋で!』、
『恭敬、供養、尊重、讃歎すれば!』、
是の、
『善男子、善女人の功徳は、甚だ多く!』、
『十方の諸仏や、弟子』を、
『衣服、飲食、臥具、湯薬で!』、
『供養、恭敬、尊重、讃歎したり!』、
『諸仏や、弟子の般涅槃した!』後に、
『七宝の塔を起て!』、
『華香、乃至幢蓋で!』、
『恭敬、供養、尊重、讃歎するよりも!』、
是の、
『善男子、善女人の功徳』は、
『勝るのである!』。



【論】般若波羅蜜を読誦し説く処に、無量の諸天が来る

【論】問曰。天上自有般若。何以來至說法人所益其膽力。 問うて曰く、天上にも、自ら般若有り。何を以ってか、来たりて説法人の所に至り、其の胆力を益す。
問い、
『天上』にも、
自ら、
『般若が有る!』のに、
何故、
『説法人の所に来て!』、
其の、
『胆力』を、
『益すのですか?』。
答曰。天上雖有般若。諸天憐愍眾生故來。天來惡鬼遠去。益法師膽力令其樂說。又使眾生益加信敬。以是故來。 答えて曰く、天上にも般若有りと雖も、諸天は衆生を憐愍するが故に来たり。天来たれば、悪鬼は遠く去り、法師の胆力を益して、其れをして、楽しんで説かしめ、又衆生をして、益々信敬を加えしむ。是を以っての故に来たるなり。
答え、
『天上』にも、
『般若は有るが!』、
『諸天』は、
『衆生』を、
『憐愍する!』が故に、
『来るのであり!』、
『天が来れば!』、
『悪鬼が遠くへ去って!』、
『法師の胆力』を、
『増益させる!』ので、
是の、
『法師』に、
『楽しんで説かせることになり!』、
又、
『衆生』に、
『信敬』を、
『益々加えさせることになる!』ので、
是の故に、
『来るのである!』。
有人言。天甘露味微細沾洽能入孔孔。使善男子四大諸情柔軟輕利樂有所說。 有る人の言わく、『天の甘露味は微細なれば、沾洽して能く孔孔に入り、善男子の四大、諸情をして、柔軟、軽利ならしめ、説く所有るを楽しましむ』、と。
有る人は、こう言っている、――
『天の甘露味』は、
『微細であり!』、
『沾洽する( to moisten and penetrate )!』ので、
『孔孔( the pores )に入ることができ!』、
『善男子』の、
『四大(地水火風)や、諸情(眼耳鼻舌身意)』を、
『柔軟、軽利にさせ!』、
『善男子』に、
『所説が有る!』のを、
『楽しませるのである!』、と。
  沾洽(てんごう):湿らせて浸透する( moisten and penetrate )。
問曰。一切說般若者。皆得諸天甘露味。令其樂說不。 問うて曰く、一切の般若を説く者は、皆、諸の天の甘露味を得れば、其れをして、説くを楽しましむや、不や。
問い、
一切の、
『般若波羅蜜を説く!』者は、
皆、
『説くことを楽しませる!』、
『甘露味』を、
『得るのですか?』。
答曰。不也。若有行者一心求佛道。折伏結使。衣服淨潔所說法處清淨。華香幡蓋香水灑地無諸不淨。是故諸天歡喜亦利益。諸聽法者 答えて曰く、不なり。若し有る行者、一心に仏道を求めて、結使を折伏し、衣服を浄潔にして、法を説く所の処は、華香、幡蓋もて清浄ならしめ、香水を地に灑(そそ)いで、諸の不浄を無からしめば、是の故に、諸天は歓喜し、又諸の聴法の者を利益す。
答え、
『皆が、得るのではない!』。
若し、
有る、
『行者』が、
『一心に、仏道を求めて!』、
『結使を折伏し!』、
『衣服』を、
『浄潔にし!』、
『説法の処』を、
『清浄にして!』、
『華香や、幡蓋で荘厳し!』、
『地に、香水を灑いで( to splay scented water )!』、
『諸の不浄』を、
『無くせば!』、
是の故に、
『諸天は歓喜して!』、
『諸の聴法の者を!』、
『利益するのである!』。
說法者。雖不多讀內外經書。深入般若波羅蜜義故。心不怯弱不沒不畏不恐。何以故。般若波羅蜜中無有定法可執可難可破故。 法を説く者は、内外の経書を読むこと多からずと雖も、深く般若波羅蜜の義に入るが故に、心怯弱ならず、没せず、畏れず、恐れず。何を以っての故に、般若波羅蜜中には、定法の執すべき、難ずべき、破すべき有ること無きが故なり。
『法を説く!』者は、
『内外の経書を多く読んでいなくても!』、
『般若波羅蜜の義』に、
『深く!』、
『入っている!』が故に、
『心は怯弱でなく!』、
『法に沈没することもなく!』、
『法を恐畏することもない!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』中には、
『執著したり、論難したり、破壊するような!』、
『定まった法』が、
『無いからである!』。
復次是般若波羅蜜中。亦分別說諸法世間出世間常無常善不善等無法不有。以備有諸法故不怯不畏。若但有一法則多所闕故有恐畏。 復た次ぎに、是の般若波羅蜜中にも、又諸法を分別して、世間、出世間、常、無常、善、不善等を説き、法として有らざる無く、諸の法を備えて有(も)つが故に、怯えず、畏れず。若し但だ一法有るのみなれば、則ち闕(か)くる所の多きが故に、恐畏有り。
復た次ぎに、
是の、
『般若波羅蜜』中にも、
亦た、
『諸法を分別して!』、
『世間か出世間か、常か無常か、善か不善か?』等を、
『説くので!』、
『般若波羅蜜中に無い!』、
『法』が、
『無く!』、
有らゆる、
『諸法を備える!』が故に、
『法に怯えることもなく!』、
『法を畏れることもない!』。
若し、
但だ、
『一法しか無ければ!』、
『欠けた所が多い!』が故に、
『恐、畏』が、
『有ることになる!』。
是菩薩行般若波羅蜜。煩惱折薄。諸福德增益薰身故威德可敬。 是の菩薩は、般若波羅蜜を行じて、煩悩折れて薄れ、諸の福徳増益して、身を熏ずるが故に威徳ありて敬うべし。
是の、
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を行って!』、
『煩悩が折れて、薄れ!』、
『増益した!』、
『諸の福徳』が、
『身を熏じる!』が故に、
是の、
『威徳』が、
『敬われるのである!』。
身是功德住處故。雖形體醜陋無所能作。猶為人所愛重。何況自然端正能利益人。 身は、是れ功徳の住処なるが故に、形体醜陋にして、能く作す所無しと雖も、猶お人の愛重する所と為る。何に況んや、自然に端正にして、能く人を利益するをや。
『身』とは、
『功徳の住処である!』が故に、
『形体が醜陋で!』、
何も、
『作すことのできる!』所が、
『無くても!』、
猶お、
『人』に、
『愛重されるのである!』。
況して、
『自然に端正であり( be naturally good-looking )!』、
『人を利益することができれば!』、
『尚更である!』。
問曰。若諸佛沙門婆羅門所愛敬可爾。父母愛念何足稱。 問うて曰く、若し諸の仏、沙門、婆羅門の愛敬する所なれば、爾るべし。父母の愛念は、何ぞ称するに足らん。
問い、
若し、
『諸仏や、沙門、婆羅門』に、
『愛敬されれば!』、
『爾うかもしれない!』が、
『父母』に、
『愛念されることが!』、
何故、
『称讃されるに!』、
『足るのですか?』。
答曰。人雖父母所生。不順父母教則不愛念。菩薩於恭順之中倍復殊勝。供養恭敬尊重道德故。沙門婆羅門。愛敬平實至誠口不妄言。深愛後世功德不著今世樂。接養下人不自高大。若見他有過。尚不說其實。何況讒毀。若必不得已終不盡說。給恤孤窮不私附己。如是等事。皆是般若波羅蜜力。 答えて曰く、人は、父母の所生なりと雖も、父母の教に順ぜざれば、則ち愛念せず。菩薩は、恭順の中に於いても倍して、復た殊勝なり、供養、恭敬、道徳を尊重するが故に、沙門、婆羅門愛敬し、平実、至誠にして、口に妄言せず、深く後世の功徳を愛して、今世の楽に著せず、下人を接養して自ら高大せず、若しは他に過有るを見んにも、尚お其の実を説かず、何に況んや讒毀するをや。若し必ず、已(や)むを得ざるも、終に尽くは説かず。恤を孤窮に給して、私に己に附せず。是の如き等の事は、皆、是れ般若波羅蜜の力なり。
答え、
『人』は、
『父母より生まれる!』が、
『父母の教』に、
『順じなければ( do not obey )!』、
『愛念されることはない!』。
『菩薩』は、
『恭順する者』中に於いて、
『倍も!』、
『復た殊勝であり!』、
『供養、恭敬して!』、
『道徳( the virtue of Buddha's way )を尊重する!』が故に、
『沙門や、婆羅門に!』、
『愛敬され!』、
『平等、質実、至誠である!』が故に、
『口』は、
『妄言せず!』、
『後世の功徳を深く愛する!』が故に、
『今世の楽』に、
『著することなく!』、
『下人を接養しながら!』、
『自ら、高大することなく!』、
若し、
『彼れに!』、
『過が有る!』のを、
『見ても!』、
尚お、
『実』を、
『説かないぐらいであるから!』、
況して、
『讒言したり( to speak badly )!』、
『毀謗する( to slander )はずがない!』。
若し、
『必ず、已むを得ない( be necessary )時でも!』、
終に、
『尽くは!』、
『説くことをせず!』、
『孤窮( lonly and poor peaple )』には、
『給恤して( to give and help )!』、
『私に( to oneself )!』、
『附する( to enclose )ことがない!』が、
是れ等のような、
『事』は、
皆、
『般若波羅蜜』の、
『力である!』。
  平実(ひょうじつ):公平実直。分けへだてなく実がある。
  至誠(しじょう):まごころを尽くす。
  接養(せつよう):近づけてやしなう。
  高大(こうだい):高ぶり大物ぶること。
  讒毀(ざんき):おとしめてそしる。
是人功德遠聞故。諸天世人皆所愛敬。是供養般若波羅蜜故。世世常得六波羅蜜等。無有斷絕時。 是の人は、功徳の遠く聞こゆるが故に、諸天、世人に、皆愛敬せらる。是れ般若波羅蜜を供養するが故に、世世に常に六波羅蜜等を得て、断絶する時の有ること無ければなり。
是の、
『人』は、
『功徳』が、
『遠くまで!』、
『聞こえる!』が故に、
是の、
『人』は、
『諸天、世人の皆に!』、
『愛敬される!』。
是れは、
『般若波羅蜜を供養する!』が故に、
世世に常に、
『六波羅蜜等を得て!』、
『断絶する!』時が、
『無いからである!』。
是人福德智慧名聞故。若有問難毀謗悉能降伏。 是の人は、福徳、智慧、名聞の故に、若し問難、毀謗有らば、悉く能く降伏す。
是の、
『人』は、
『福徳、智慧、名聞』の故に、
若し、
『問難、毀謗する者が有っても!』、
悉くを、
『降伏することができる!』。
復次諸天為供養般若波羅蜜故。來至般若所住處。 復た次ぎに、諸の天は、般若波羅蜜を供養せんが為めの故に来たりて、般若の所住の所に至れり。
復た次ぎに、
諸の、
『天』は、
『般若波羅蜜を供養する!』為の故に、
『般若波羅蜜の住する処にまで!』、
『来るのである!』。
復次山河樹木土地城廓。一切鬼神皆屬四天王。四天王來故。皆隨從共來。是諸鬼神中。有不得般若經卷者。是故來至般若波羅蜜處。供養讀誦禮拜。亦為利益善男子故。此亦是今世功德 復た次ぎに、山河、樹木、土地、城郭の一切の鬼神は、皆四天王に属し、四天王来たるが故に、皆随従して、共に来たれり。是の諸の鬼神中に、般若の経巻を得ざる者有り。是の故に来たりて、般若波羅蜜の処に至り、供養し、読誦し、礼拝せり。亦た善男子を利益せんが為めの故なれば、此れも亦た、是れ今世の功徳なり。
復た次ぎに、
『山河、樹木、土地、城郭』の、
『一切の鬼神』は、
皆、
『四天王』に、
『属する!』ので、
『四天王が来る!』が故に、
皆、
『四天王に随従して!』、
『共に来るのである!』。
是の、
『諸の鬼神』中には、
『般若波羅蜜の経巻を得ていない!』者も、
『有る!』ので、
是の故に、
『般若波羅蜜の処まで来て!』、
『般若波羅蜜』を、
『供養、読誦、礼拝するのである!』が、
是れは、
亦た、
『善男子』を、
『利益することになる!』が故に、
此れも、
亦た、
『今世』の、
『功徳なのである!』。
以諸天善神來故天帝破肉眼人疑故。問云何知大德天來。答時見大光明若聞殊異之香。亦以如先說住處清淨故。 諸の天の善神来たるを以っての故に、天帝は、肉眼の人の疑を破らんが故に、問わく、『云何が、大徳の天の来たるを知る』と。答うらく、『時に、大光明を見、若しくは殊異の香を聞ぎ、亦た先に説くが如く、住処の清浄なるを以っての故なり』、と。
『諸天や、善神が来る!』が故に、
『天帝』は、
『肉眼の人』の、
『疑』を、
『破ろうとする!』が故に、
こう問うた、――
是の、
『善男子、善女人』は、
何故、
『大徳の天が来た!』と、
『知るのですか?』、と。
こう答えられた、――
『大光明を見たり!』、
『殊異の香を聞いたりして!』、
『知るのである!』が、
亦た、
『先に説いたように!』、
『住処が清浄だからである!』、と。
問曰。人身不淨內充外淨何益。 問うて曰く、人の身は、不浄内に充つ。外の浄は、何んが益する。
問い、
『人身』は、
『不浄』が、
『内に充ちている!』のに、
『外を浄めて!』、
何のように、
『益する( to further one's job )のですか?』。
  (やく):増す/助ける( increase, help )。梵語 anugraha の訳、利益、饒益等にも訳し、助成/親切/好意を見せること/利益を提供すること/善事を増進させること( assistance, favour, kindness, showing favour, conferring benefits, promoting or furthering a good object )の意。
答曰。淨其住處及以衣服則外無不淨。外無不淨故諸天歡喜。 答えて曰く、其の住処、及以(およ)び衣服を浄むれば、則ち外に不浄無く、外に不浄無きが故に、諸天歓喜す。
答え、
其の、
『住処や、衣服を浄めれば!』、
『外に!』、
『不浄が無いことになり!』、
『外に、不浄が無い!』が故に、
『諸天』は、
『歓喜するのである!』。
譬如國王大人來處。群細庶民避去。諸大德天來。小鬼去亦如是。大天威德重故。舊住小鬼避去。是諸大天來近故。是人心則清淨廣大。 譬えば、国王、大人の来たる処は、群細の庶民の避けて去るが如く、諸の大徳の天来たるに、小鬼の去ることも、亦た是の如く、大天の威徳の重きが故に旧住の小鬼避けて去る。是の諸の大天の近く来たる故は、是の人の心は、則ち清浄広大なり。
譬えば、
『国王や、大人の来る処』は、
『群細の庶民』が、
『避けて!』、
『去るように!』、
『諸の大徳の天が来れば!』、
『小鬼が去る!』のも、
是のように、
『大天の威徳が重い!』が故に、
『旧住する( inhabiting it )!』、
『小鬼』が、
『避けて去るのである!』が、
是の、
『諸の大徳の天が来て!』、
『近づいた!』、
『故( the reason )』は、
是の、
『人の心』が、
『清浄、広大だったからである!』。
  群細(ぐんさい):群集零細。
  旧住(くじゅう):昔から住む。
行者若欲令大德天來。當如經所說。惡鬼遠去故身心輕便。所以者何。近諸惡鬼令人身心漸惡。 行者は、若し大徳の天をして、来たらしめんと欲せば、当に経の説く所の如くすべし。悪鬼の遠く去るが故に、身心軽便ならん。所以は何んとなれば、諸の悪鬼に近づけば、人の身心をして、漸く悪しからしむればなり。
『行者』が、
若し、
『大徳の天』に、
『来させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『経に!』、
『説かれたようにせねばならず!』、
『悪鬼が遠く去る!』が故に、
『身心』が、
『軽便になるのである!』。
何故ならば、
諸の、
『悪鬼に近づけば!』、
『人の身心』を、
『漸漸に( gradually )!』、
『悪くさせるからである!』。
  参考:『大智度論巻58』:『復次憍尸迦。善男子善女人。書持經卷在所住處。三千大千世界中。所有諸四天王天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。皆來到是處。見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天。梵眾天梵輔天梵會天大梵天。光天少光天無量光天光音天。淨天少淨天無量淨天遍淨天。無蔭行天福德天廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。皆來到是處。見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。淨居諸天所謂無誑天無熱天妙見天喜見天色究竟天。皆來到是處。見是般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。復次憍尸迦。十方世界中。諸四天王天。乃至廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心。及淨居天并餘諸天。龍鬼神揵闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽。亦來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜還去。是善男子善女人應作是念。十方世界中諸四天王天。乃至廣果天。發阿耨多羅三藐三菩提心。及淨居天并餘諸天。龍鬼神揵闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩[目*侯]羅伽。來見般若波羅蜜。受讀誦說供養禮拜。我則法施已。憍尸迦。三千大千世界中。所有諸四天王天。乃至阿迦尼吒天。乃至十方世界中。諸四天王天。乃至阿迦尼吒天。發阿耨多羅三藐三菩提心者。護持是善男子善女人。諸惡不能得便。除其宿命重罪。憍尸迦。是善男子善女人。亦得是今世功德。所謂諸天子發阿耨多羅三藐三菩提心。皆來到是處。』
譬如近瞋人喜令人瞋。近美色則令人好色情發。是人內外惡因緣遠離故。臥安覺安無諸惡夢。若夢但見諸佛。如經所說。 譬えば、瞋人に近づけば、喜んで人をして瞋らしめ、美色に近づけば、則ち人をして、好色の情を発さしむるが如し。是の人は、内外の悪因縁を遠離するが故に、臥して安く、覚めて安く、諸の悪夢無く、若し夢みれば、但だ、諸仏を見ること、経に説く所の如し。
譬えば、
『瞋った人に近づけば!』、
『人を!』、
『喜んで!』、
『瞋らせ!』、
『美色に近づけば!』、
『人に!』、
『好色の情を!』、
『発させるようなものである!』が、
是の、
『人』は、
『内、外』の、
『悪因緣』を、
『遠離する!』ので、
是の故に、
『臥、覚が安隠であり!』、
『諸の悪夢』が、
『無い!』ので、
若し、
『夢を見ても!』、
但だ、
『諸仏を見るだけである!』のは、
『経に!』、
『説かれた通りである!』。
問曰。般若波羅蜜在佛身中。若供養一佛。則供養般若波羅蜜。何以言供養十方佛不如供養般若波羅蜜。 問うて曰く、般若波羅蜜は、仏の身中に在り。若し一仏を供養すれば、則ち般若波羅蜜を供養す。何を以ってか、『十方の仏を供養するは、般若波羅蜜を供養するに如かず』と言う。
問い、
『般若波羅蜜』は、
『仏身中に在る!』ので、
若し、
『一仏を供養すれば!』、
『般若波羅蜜』を、
『供養することになる!』のに、
何故、こう言うのですか?――
『十方の仏を供養しても!』、
『般若波羅蜜を供養する!』には、
『及ばない!』、と。
答曰。供養者心。若供養佛取人相。人畢竟不可得。以取相故福田雖大而功德薄少。供養般若波羅蜜者則如所聞。般若中不取人相不取法相。用是心供養故福德大。 答えて曰く、供養する者の心に、若し仏を供養して、人の相を取らば、人は畢竟じて不可得なれば、相を取るを以っての故に、福田は大なりと雖も、功徳は薄少なり。般若波羅蜜を供養する者は、則ち聞く所の如く、般若中に人の相を取らず、法の相を取らず、是の心を用いて供養するが故に福徳大なり。
答え、
『供養する者の心』が、
若し、
『仏を供養する!』のに、
『人という!』、
『相を!』、
『取れば!』、
『人』は、
『畢竟じて不可得なのに!』、
『相』を、
『取る!』が故に、
『仏という!』、
『福田が大であっても!』、
『功徳』は、
『薄少である!』が、
若し、
『般若波羅蜜を供養すれば!』、
『般若波羅蜜』中には、
『人相も、法相も!』、
『取らず!』、
是の、
『心を用いて、供養する!』が故に、
『福徳』が、
『大なのである!』。
復次般若波羅蜜。是一切十方諸佛母亦是諸佛師。諸佛得是身三十二相八十隨形好及無量光明神通變化。皆是般若波羅蜜力。以是故。供養般若波羅蜜勝。以是等因緣故。勝供養十方諸佛。非不敬佛
大智度論卷第五十八
復た次ぎに、般若波羅蜜は、是れ一切の十方の諸仏の母にして、亦た是れ諸仏の師なり。諸仏の、是の身に、三十二相、八十随形好、及び無量の光明、神通、変化を得るは、皆、是れ般若波羅蜜の力なり。是を以っての故に、般若波羅蜜を供養すること勝れり。是れ等の因縁を以っての故に、十方の諸仏を供養するに勝ること、仏を敬わざるに非ず。
大智度論巻第五十八
復た次ぎに、
『般若波羅蜜』は、
一切の、
『十方の諸仏』の、
『母であり!』、
亦た、
『諸仏』の、
『師でもある!』。
『諸仏』が、
是の、
『身』に、
『三十二相、八十随形好や、無量の光明、神通変化』を、
『得る!』のも、
皆、
『般若波羅蜜』の、
『力であり!』、
是の故に、
『般若波羅蜜を供養する!』ことが、
『勝るのである!』。
是れ等の、
『因縁』の故に、
『十方の諸仏を供養すること!』に、
『勝っても!』、
『仏を敬わないのではない!』。

大智度論巻第五十八


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