巻第五十六(下)
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大智度論釋滅諍亂品第三十一
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】般若波羅蜜を受持して得る今世・後世の功徳

【經】爾時釋提桓因白佛言。世尊。甚奇希有。諸菩薩摩訶薩。是般若波羅蜜。若聞受持親近讀誦為他人說正憶念時。得如是今世功德。 爾の時、釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、甚だ奇にして希有なり。諸の菩薩摩訶薩の、是の般若波羅蜜を若しは聞きて受持、親近、読誦して、他人の為に説き、正憶念せしむる時、是の如き今世の功徳を得るとは。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
甚だ奇異です!
希有のことです!
諸の、
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
『般若波羅蜜』を、
若しは、
『聞いて!』、
『受持し!』、
『親近し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させる!』時、
是のような、
『今世の功徳』を、
『得られるのです!』。
  参考:『大般若経巻100』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。甚奇希有。是菩薩摩訶薩於此甚深般若波羅蜜多。受持讀誦精勤修學如理思惟。書寫解說廣令流布。攝受如是現法功德。成熟有情嚴淨佛土。從一佛國趣一佛國。親近承事諸佛世尊。隨所欣樂殊勝善根。由於諸佛供養恭敬尊重讚歎即得成滿。於諸佛所聽聞正法。乃至無上正等菩提終不忘失所聞法要。速能攝受族姓圓滿。母圓滿。生圓滿。眷屬圓滿。相好圓滿。光明圓滿。眼圓滿。耳圓滿。音聲圓滿。陀羅尼圓滿。三摩地圓滿。復以善巧方便之力。變身如佛。從一世界趣一世界。至無佛國。讚說布施波羅蜜多。讚說淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。讚說內空。讚說外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。讚說真如讚說法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界。讚說苦聖諦。讚說集滅道聖諦。讚說四靜慮。讚說四無量四無色定。讚說八解脫。讚說八勝處九次第定十遍處。讚說四念住。讚說四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。讚說空解脫門。讚說無相解脫門無願解脫門。讚說五眼。讚說六神通。讚說佛十力。讚說四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法。讚說無忘失法。讚說恒住捨性。讚說一切智。讚說道相智一切相智。讚說一切陀羅尼門。讚說一切三摩地門。讚說佛寶。讚說法寶苾芻僧寶。復以善巧方便之力。為諸有情宣說法要。隨宜安置三乘法中。永令解脫生老病死。證無餘依般涅槃界。或復拔濟諸惡趣苦。令天人中受諸快樂 』
  参考:『大般若経巻101』:『時天帝釋復白佛言。世尊。般若波羅蜜多甚為希有。若有攝受般若波羅蜜多。則為攝受布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。若有攝受般若波羅蜜多。則為攝受內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。‥‥爾時佛告天帝釋言。如是如是。如汝所說。般若波羅蜜多甚為希有。若於般若波羅蜜多能攝受者。則能攝受布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。若於般若波羅蜜多能攝受者。則能攝受內空外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空。』
亦成就眾生淨佛世界。從一佛界至一佛界供養諸佛所欲供養之具隨意即得。從諸佛聞法。至得阿耨多羅三藐三菩提終不中忘。 亦た衆生を成就して、仏の世界を浄め、一仏界より、一仏界に至りて、諸仏を供養するに、供養せんと欲する所の具を意の随(まま)に、即ち得て、諸仏より法を聞けば、阿耨多羅三藐三菩提を得るに至るまで、終に中忘せざるとは。
亦た、
『衆生を成就して!』、
『仏世界を浄めながら!』、
『一仏世界より!』、
『一仏世界に至り!』、
『供養の具を欲しいだけ!』、
『意のままに、即座に得て!』、
『諸仏』を、
『供養し!』、
『諸仏より!』、
『法を聞いて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るまで!』、
終に、
『中間に於いて( in the midst of the way )!』、
『聞いた法』を、
『忘れることがないのです!』。
  中忘(ちゅうもう):中途に於いて忘れる。
亦得家成就母成就生成就眷屬成就相成就光明成就眼成就耳成就三昧成就陀羅尼成就。 亦た家の成就、母の成就、生の成就、眷属の成就、相の成就、光明の成就、眼の成就、耳の成就、三昧の成就、陀羅尼の成就を得るとは。
亦た、
『家の成就(例えば浄飯王家)』、
『母の成就(例えば摩訶摩耶)』、
『生の成就(例えば悉達陀)』、
『眷属成就(例えば阿難陀、舎利弗)』、
『相の成就(例えば三十二相)』、
『光明成就(例えば常光明遍照三千大千国土)』、
『眼の成就(例えば五眼)』、
『耳の成就(例えば天耳)』、
『三昧成就(例えば師子遊戯三昧)』、
『陀羅尼成就』を、
『得られるのです!』。
是菩薩以方便力變身如佛。從一界至一界。到無佛處。讚檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。讚四禪四無量心四無色定。讚四念處乃至十八不共法。以方便力說法。以三乘法度脫眾生。所謂聲聞辟支佛佛乘。 是の菩薩は、方便力を以って身を変ずること仏の如く、一界より一界に至り、無仏の処に到りて、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜を讃じ、四禅、四無量心、四無色定を讃じ、四念処、乃至十八不共法を讃じ、方便力を以って、法を説き、三乗の法を以って、衆生を度脱す。謂わゆる声聞、辟支仏、仏乗なり。
是の、
『菩薩』は、
『方便の力を用いて!』、
『仏のように!』、
『身』を、
『変じて!』、
『一界より、一界に至りながら!』、
『無仏の処に到ると!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜や!』、
『四禅、四無量心、四無色定や!』、
『四念処、乃至十八不共法を!』、
『讃じ!』、
『方便の力を用いて!』、
『法を説き!』、
『三乗の法を用いて!』、
謂わゆる、
『声聞乗、辟支仏乗、仏乗を用いて!』、
『衆生』を、
『度脱するのです!』。
世尊。快哉希有。受是般若波羅蜜。為已總攝五波羅蜜乃至十八不共法。亦攝須陀洹果乃至阿羅漢果辟支佛道佛道一切智一切種智。 世尊、快き哉、希有なること。是の般若波羅蜜を受くれば、已に総じて、五波羅蜜、乃至十八不共法を摂すと為し、亦た須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切智、一切種智を摂するなり。
世尊!
愉快です!
希有です!
是の、
『般若波羅蜜を受ければ!』、
已に、
『総じて!』、
『五波羅蜜、乃至十八不共法』を、
『摂する( to be contained )ことになり!』。
亦た、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切智、一切種智』を、
『摂することになるのです!』。
佛告釋提桓因。如是如是。憍尸迦。受是般若波羅蜜。為已總攝五波羅蜜乃至一切種智。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『是の如し、是の如し、憍尸迦、是の般若波羅蜜を受くれば、已に総じて、五波羅蜜、乃至一切種智を摂すと為す。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
憍尸迦!
是の、
『般若波羅蜜を受ければ!』、
已に、
『総じて!』、
『五波羅蜜、乃至一切種智』を、
『摂することになるのだ!』。
復次憍尸迦。是般若波羅蜜。受持親近讀誦為他說正憶念。是善男子善女人所得今世功德。汝一心諦聽。釋提桓因言。唯世尊受教。 復た次ぎに、憍尸迦、是の般若波羅蜜を受持、親近、読誦し、他の為に説きて、正憶念せしむれば、是の善男子、善女人の得る所の今世の功徳を、汝、一心に諦聴せよ、』。釈提桓因の言わく、『唯、世尊、教を受けん。』と。
復た次ぎに、
憍尸迦!
是の、
『般若波羅蜜』を、
『受持して!』、
『親近し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させれば!』、
是の、
『善男子、善女人が得る!』、
『今世の功徳』を、
お前は、
『一心に( Intently )!』、
『諦聴せよ( Listen well )!』、――
『釈提桓因』は、こう言った、――
唯( Sir )!
世尊!
『教え!』を、
『受けます!』、と。
  (ゆい):はい( yes, sir )、◯梵語 bho, bhos の訳、人に向かって呼びかける辞、’オー’、’モシ’、’モシモシ’、’アー’( A vocative particle used in addressing persons, and translateable by 'o', 'sir', 'oh', 'halloo', 'ah' )の義。◯梵語 hi の訳、実に/確かに( indeed, assuredlyl, surely, of course, certainly )の義。
  参考:『大般若経巻101』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。於此般若波羅蜜多受持讀誦精勤修學如理思惟。書寫解說廣令流布。是善男子善女人等。現法後法功德勝利。汝應諦聽極善作意。吾當為汝分別解說。天帝釋言。唯然大聖。願時為說。我等樂聞。佛言。憍尸迦。若有種種外道梵志。若諸惡魔及魔眷屬。若餘暴惡增上慢者。於此菩薩摩訶薩所。欲為讎隙凌辱違害。彼適興心速遭殃禍。自當殄滅不果所願。何以故。憍尸迦。是菩薩摩訶薩以應一切智智心。用無所得為方便。長夜修行布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。以大悲願而為上首。若諸有情為慳貪故長夜鬥諍。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住布施波羅蜜多。若諸有情長夜破戒。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住淨戒波羅蜜多。若諸有情長夜忿恚。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住安忍波羅蜜多。若諸有情長夜懈怠。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住精進波羅蜜多。若諸有情長夜心亂。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住靜慮波羅蜜多。若諸有情長夜愚癡。是菩薩摩訶薩於內外法一切悉捨。方便令彼安住般若波羅蜜多。若諸有情流轉生死。長夜恒為貪瞋癡等隨眠纏垢之所擾亂。是菩薩摩訶薩能以種種善巧方便。令彼斷滅永離生死。』
佛告釋提桓因。憍尸迦。若有外道諸梵志若魔若魔民若增上慢人。欲乖錯破壞菩薩般若波羅蜜心。是諸人適生此心。即時滅去終不從願。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、若し有る外道の諸の梵志、若しは魔、若しは魔民、若しは増上慢の人の、菩薩の般若波羅蜜の心を乖錯し、破壊せんと欲せば、是の諸人は、適ま此の心を生ぜんに、即時に、滅去して、終に願に従わざらん。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
若し、
『外道の諸の梵志や、魔や、魔民や、増上慢の人が有り!』、
『菩薩』に、
『般若波羅蜜の心』を、
『乖離、違錯させ!』、
『破壊させようとしても!』、
是の、
『諸の人』が、
適ま( accidentally )、
此の、
『乖離の心』を、
『生じたとしても!』、
即時に、
『滅尽して!』、
『除去する!』ので、
終に、
『魔の願』に、
『従うことはないだろう!』。
  乖錯(かいしゃく):乖離と違錯。そむきたがう。
何以故。憍尸迦。菩薩摩訶薩長夜行檀波羅蜜。行尸羅羼提毘梨耶禪般若波羅蜜。 何を以っての故に、憍尸迦、菩薩摩訶薩は長夜に檀波羅蜜を行じ、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜を行ずればなり。
何故ならば、
憍尸迦!
『菩薩摩訶薩』が、
長夜に、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』を、
『行うからである!』。
  長夜(じょうや):凡夫の世世に亘って生死に流転することの譬喩。無明の昏冥。
以眾生長夜貪諍故。菩薩悉捨內外物。安立眾生於檀波羅蜜中。 衆生は長夜に貪りて、諍うを以っての故に、菩薩は、悉く内外の物を捨てて、衆生を檀波羅蜜中に安立す。
『衆生』が、
長夜に、
『貪り!』、
『諍う!』が故に、
『菩薩』は、
悉く、
『内、外の物』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『檀波羅蜜』中に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜破戒故。菩薩悉捨內外法。安立眾生於戒。 衆生は長夜に戒を破るを以っての故に、菩薩は、悉く内外の法を捨てて、衆生を戒に安立す。
『衆生』が、
長夜に、
『戒』を、
『破る!』が故に、
『菩薩』は、
悉く、
『内、外の法』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『戒』に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜鬥諍故。菩薩悉捨內外法。安立眾生於忍辱。 衆生は長夜に闘諍するを以っての故に、菩薩は、悉く内外の法を捨てて、衆生を忍辱に安立す。
『衆生』が、
長夜に、
『闘い!』、
『諍う!』が故に、
『菩薩』は、
悉く、
『内、外の法』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『忍辱』に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜懈怠故。菩薩悉捨內外法。安立眾生於精進。 衆生は長夜に懈怠するを以っての故に、菩薩は、悉く内外の法を捨てて、衆生を精進に安立す。
『衆生』は、
長夜に、
『懈(おこた)り!』、
『怠ける!』が故に、
『菩薩』は、
悉く!、
『内、外の法』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『精進』に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜亂心故。菩薩悉捨內外法。安立眾生於禪。 衆生は長夜に心を乱すを以っての故に、菩薩は、悉く内外の法を捨てて、衆生を禅に安立す。
『衆生』は、
長夜に、
『心』が、
『乱れる!』が故に、
『菩薩』は、
悉く、
『内、外の法』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『禅』に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜愚癡故。菩薩悉捨內外法。安立眾生於般若波羅蜜。 衆生は長夜に愚癡なるを以っての故に、菩薩は、悉く内外の法を捨てて、衆生を般若波羅蜜に安立す。
『衆生』は、
長夜に、
『愚であり( be foolish )!』、
『癡である( be idiotic )!』が故に、
『菩薩』は、
悉く、
『内、外の法』を、
『捨てて!』、
『衆生』を、
『般若波羅蜜』に、
『安立させるからである!』。
以眾生長夜為愛結故。流轉生死。是菩薩摩訶薩以方便力故。斷眾生愛結。安立於四禪四無量心四無色定四念處乃至八聖道分空無相無作三昧。安立眾生於須陀洹果乃至阿羅漢果辟支佛道佛道。 衆生は長夜に愛結の為を以っての故に、生死に流転すれば、是の菩薩摩訶薩は、方便力を以っての故に、衆生の愛結を断じて、四禅、四無量心、四無色定、四念処、乃至八聖道分、空、無相、無作三昧に安立し、衆生を、須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道に安立す。
『衆生』は、
長夜に、
『愛結』の故に、
『生、死』に、
『流転する!』ので、
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『方便の力を用いる!』が故に、
『衆生』の、
『愛結』を、
『断じて!』、
『四禅、四無量心、四無色定や!』、
『四念処、乃至八聖道分、空、無相、無作三昧』に、
『安立させ!』、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道』に、
『衆生』を、
『安立させるのである!』。
憍尸迦。是為菩薩摩訶薩行般若波羅蜜得現世功德。後世功德。得阿耨多羅三藐三菩提。菩薩轉法輪所願滿足。入無餘涅槃。憍尸迦。是為菩薩摩訶薩後世功德。 憍尸迦、是れを菩薩摩訶薩の般若波羅蜜を行じて得る現世の功徳と為す。後世の功徳は、阿耨多羅三藐三菩提を得。菩薩の法輪を転じ、願う所を満足して、無余涅槃に入るなり。憍尸迦、是れを菩薩摩訶薩の後世の功徳と為す。
憍尸迦!
是れは、
『菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜を行って!』、
『得られる!』、
『現世の功徳である!』が、
『後世の功徳』は、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることである!』。
『菩薩』は、
『法輪を転じながら!』、
『所願を満足する!』と、
『無余涅槃』に、
『入ることになる!』が、
憍尸迦!
是れが、
『菩薩摩訶薩』の、
『後世』の、
『功徳である!』。
復次憍尸迦。善男子善女人。是般若波羅蜜。若聞受持親近讀誦為他說正憶念。其所住處魔若魔民若外道梵志增上慢人。欲輕毀難問破壞般若波羅蜜。終不能成其人惡心轉滅功德轉增。聞是般若波羅蜜故。漸以三乘道得盡眾苦。 復た次ぎに、憍尸迦、善男子、善女人は、是の般若波羅蜜を、若し聞きて受持、親近、読誦し、他の為に説き、正憶念するに、其の住する所に処する魔、若しくは魔民、若しくは外道の梵志、増上慢の人の般若波羅蜜を軽毀、難問、破壊せんと欲するも、終に成ずる能わず。其の人の、悪心は転た滅し、功徳は転た増し、是の般若波羅蜜を聞くが故に、漸く三乗の道を以って、衆苦を尽くすを得しむ。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜』を、
若し、
『聞いて!』、
『受持し!』、
『親近し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させれば!』、
其の、
『住する処』の、
『魔や、魔民や、外道の梵志や、増上慢の人』が、
『軽毀し、難問して!』、
『般若波羅蜜』を、
『破壊しようとしても!』、
終に、
『成功することなく!』、
其の、
『人』の、
『悪心』を、
転た( gradually )、
『滅しさせ!』、
『功徳』を、
転た、
『増させて!』、
是の、
『般若波羅蜜を聞く!』が故に、
漸く( presently )、
『三乗の道を用いて!』、
『衆苦』を、
『尽くさせることができるのである!』。
  参考:『大般若経巻101』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。於此般若波羅蜜多受持讀誦。精勤修學如理思惟書寫解說廣令流布。其地方所若有惡魔及魔眷屬。或有種種外道梵志及餘暴惡增上慢者。憎嫉般若波羅蜜多欲為障礙。詰責違拒令速隱沒終不能成。彼因暫聞般若聲故。眾惡漸滅功德漸生。後依三乘得盡苦際。憍尸迦。如有妙藥名曰莫耆。是藥威勢能銷眾毒。有大毒蛇飢行求食。遇見生類欲螫噉之。其生怖死走投妙藥。蛇聞藥氣尋便退走。何以故。憍尸迦。由此莫耆具大威力。能伏眾毒益身命故。當知般若波羅蜜多具大勢力亦復如是。若善男子善女人輩受持讀誦精勤修學如理思惟書寫解說廣令流布。諸惡魔等於此菩薩摩訶薩所欲為惡事。由此般若波羅蜜多威神力故。令彼惡事於其方所自當殄滅。何以故。憍尸迦。由此般若具大威力。能摧惡法增眾善故。憍尸迦。云何般若波羅蜜多。能滅惡法增長眾善。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅貪欲瞋恚愚癡。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅無明行識名色六處觸受愛取有生老死愁歎苦憂惱純大苦蘊。增彼對治。‥‥憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅獨覺取。增彼對治。能滅獨覺向獨覺果取。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅菩薩摩訶薩取。增彼對治。能滅三藐三佛陀取。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅菩薩摩訶薩法取。增彼對治。能滅無上正等菩提取。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅聲聞乘取。增彼對治。能滅獨覺乘無上乘取。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。乃至能滅般涅槃取。增彼對治。憍尸迦。如是般若波羅蜜多。能滅一切魔所住法。及能生長一切善事。是故般若波羅蜜多。有無數量大威神力』
譬如憍尸迦有藥名摩祇。有蛇飢行索食。見虫欲噉。虫趣藥所。藥氣力故。蛇不能前即便還去。何以故。是藥力能勝毒故。 譬えば、憍尸迦、薬に摩祇と名づくる有るが如し、蛇の飢えて行き、食を索むる有り、虫を見て噉わんと欲す。虫、薬の所に趣くに、薬気の力の故に、蛇は前(すす)む能わず、即便ち還って去る。何を以っての故に、是の薬の力は、能く毒に勝るが故なり。
譬えば、こうである、――
憍尸迦!
有る、
『薬』を、
『摩祇と称する!』が、、
有る、
『蛇が飢えて!』、
『食を探しに行き!』、
『虫』を、
『見つけて!』、
『食おうとした!』が、
『虫』が、
『薬の所に趣く!』と、
『薬気の力』の故に、
『蛇』は、
『前進することができず!』、
即ち、
『還って!』、
『去るのである!』が、
何故ならば、
『薬の力』が、
『毒』に、
『勝るからである!』。
  摩祇(まぎ):梵名maghii。又摩蛇、摩醯、莫耆、摩蚳に作る。蛇の毒を滅除する薬の名。
憍尸迦。摩祇藥有如是力。是善男子善女人。是般若波羅蜜若受持親近讀誦為他說正憶念。若有種種鬥諍起。欲來破壞者。以般若波羅蜜威力故。隨所起處即疾消滅。其人即生善心增益功德。 憍尸迦、摩祇の薬には、是の如き力有り、是の善男子、善女人、是の般若波羅蜜を若し受持して親近、読誦し、他の為に説いて正憶念せしむれば、若し種種の闘諍の起り、来たりて破壊せんと欲する者有らば、般若波羅蜜の威力を以っての故に、起す所の処に随いて、即ち疾かに消滅し、其の人は、即ち善心を生じて、功徳を増益せん。
憍尸迦!
『摩祇薬』には、
是のような、
『力』が、
『有る!』が、
是の、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『受持して!』、
『親近し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させれば!』、
若し、
種種の、
『闘諍が起きて!』、
『破壊しに!』、
『来ようとしても!』、
『般若波羅蜜の威力を用いる!』が故に、
『起った!』、
『処( a reason )』に、
『随って!』、
即ち、
『疾かに!』、
『消滅することになる!』ので、
其の、
『人』には、
即ち、
『善心』が、
『生じて!』、
其の、
『功徳』を、
『増益するのである!』。
何以故。是般若波羅蜜能滅諸法諍亂。 何を以っての故に、是の般若波羅蜜は、能く諸法の諍乱を滅すればなり。
何故ならば、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『諸法に於ける!』、
『諍乱』を、
『滅することができるからである!』。
何等諸法所謂婬怒癡無明乃至大苦聚。諸蓋結使纏。我見人見眾生見斷見常見垢見淨見有見無見。如是一切諸見。慳貪犯戒瞋恚懈怠亂意無智。常想樂想淨想我想。如是等愛行。 何等か、諸法なる。謂わゆる婬怒癡、無明、乃至大苦聚、諸の蓋、結、使、纏、我見、人見、衆生見、断見、常見、垢見、浄見、有見、無見、是の如き一切の諸見、慳貪、犯戒、瞋恚、懈怠、乱意、無智、常想、楽想、浄想、我想、是の如き等の愛行。
『諸法』とは、
何のようなものか?――
謂わゆる、
『婬、怒、癡や!』、
『無明、乃至大苦聚や!』、
『諸の蓋、結、使、纏や』、
又、
『我見、人見、衆生見、断見、常見、垢見、浄見、有見、無見という!』、
是のような、
『一切の諸見や!』、
『慳貪、犯戒、瞋恚、懈怠、乱意、無智や!』、
『常想、楽想、浄想、我想という!』、
是れ等のような、
『愛行であり!』、
著色。著受想行識。著檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。著內空外空內外空乃至無法有法空。著四念處乃至十八不共法。著一切智一切種智。著涅槃。是一切法諍亂盡能滅。不令增長 色に著し、受想行識に著し、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜に著し、内空、外空、内外空、乃至無法有法空に著し、四念処、乃至十八不共法に著し、一切智、一切種智に著し、涅槃に著する、是の一切の法の諍乱を、尽く能く滅して、増長せしめず。
又、
『色や、受想行識や!』、
『檀、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜や!』、
『内空、外空、内外空、乃至無法有法空や!』、
『四念処、乃至十八不共法や!』
『一切智、一切種智、涅槃』に、
『著すことであるが!』、
是の、
『一切の法に於ける!』、
『諍乱』を、
尽く、
『滅することができ!』、
『増長させないのである!』。



【論】般若波羅蜜を受持して得る今世・後世の功徳

【論】釋曰。聞者。若從佛若菩薩若餘說法人邊。聞般若波羅蜜。是十方三世諸佛法寶藏聞已。用信力故受。念力故持。得氣味故常來承奉。諮受故親近。親近已或看文或口受故言讀。為常得不忘故誦。宣傳未聞故言為他說。 釈して曰く、聞くとは、若しは仏、若しは菩薩より、若しは余の説法人の辺にて、般若波羅蜜を聞く。是れ十方、三世の諸仏の法宝の蔵なり。聞き已りて信力を用うるが故に受く、念力の故に持(たも)つ。気味を得るが故に常に来たりて承奉す。諮受するが故に親近す。親近し已りて或いは文を看、或いは口に受くるが故に読と言う。常に忘れざるを得んが為の故に誦す。未だ聞かざるを宣べ伝うるが故に他の為に説くと言う。
釈す、
『聞くとは!』、――
『般若波羅蜜』は、
『十方、三世の諸仏』の、
『法宝』の、
『蔵である!』と、
是のように、
『仏より!』、
『聞くか!』、
或は、
『菩薩や、余の説法人の辺に!』於いて、
『聞くことである!』。
『般若波羅蜜を聞いて!』、
『信という!』、
『力を用いる!』が故に、
『受ける( to accept )ことになり!』、
『念という!』、
『力を用いる!』が故に、
『持つ( to hold )ことになり!』、
『般若波羅蜜の気味( fragrance )を得る!』が故に、
『常に来て!』、
『承奉し( to carry out the Prajna-paramita's teaching )!』、
『教を諮受する( to listen and receive the teaching )!』が故に、
『般若波羅蜜』に、
『親近し( to become familiar with )!』、
『般若波羅蜜に親近して!』、
『文を看たり、口づから受けたりする!』が故に、
『読む!』と、
『言い!』、
『常に忘れないようにする!』為の故に、
『誦し!』、
『般若波羅蜜を宣伝して( to give publicity )も!』、
『未だ聞かない!』者の為の故に、
『他人の為に説く!』と、
『言う!』。
  気味(けみ):梵語 gandha の訳、臭い/香り/芳香ある物質/芳香/香気/白檀の粉抹( smell, odur, a fragrant substance, fragrance, scent, pounded sandalwood )、関係/結びつき( connection, relationship )の義。
  承奉(じょうぶ):命を承けて行い奉る。承命奉行。
  諮受(しじゅ):聞く( to listen )、聞く/受ける/問うて教を受ける( to hear, receive, to question and receive the teaching )。
  親近(しんごん):親しくなる/親密になる( to become familiar (intimate) with, to become close )。
聖人經書直說難了故解義。觀諸佛法不可思議。有大悲於眾生故說法。不以邪見戲論求佛法。 聖人の経書は、直だ説いて了し難きが故に義を解す。諸仏の法は不可思議なりと観るも、衆生に於いて大悲有るが故に法を説けば、邪見、戯論を以って仏法を求めず。
『聖人の経書の直説』は、
『解了し難い!』が故に、
『義』を、
『解説し!』、
『諸仏の法』は、
『不可思議であると観察する!』が、
『衆生』に於いて、
『大悲』が、
『有る!』が故に、
『衆生』の為に、
『法』を、
『説く!』ので、
是の故に、
『邪見や、戯論を用いて!』、
『仏法』を、
『求めない!』。
如佛意旨不著故說法亦不著。除四顛倒等諸邪憶念故。住四念處正憶念中。但為得道故不為戲論。名為正憶念。 仏の意旨の如きにも著せざるが故に、法を説きて、亦た著せず。四顛倒等の諸の邪憶念を除くが故に、四念処の正憶念中に住するも、但だ道を得んが為の故にして、戯論の為にあらざれば、名づけて正憶念と為す。
『仏の意旨( wishes )であろうと著さない!』が故に、
『法』を、
『説いても!』、
『著すことなく!』、
『四顛倒等の邪憶念を除滅する!』が故に、
『四念処という!』、
『正憶念』中に、
『住する!』が、
但だ、
『道を得る為であり、戯論の為でない!』が故に、
『正憶念』と、
『称する!』。
  意旨(いし):梵語 iSTi の訳、望む/要求/要望する( wish, request, desire )、探索すること/獲得しようと努力すること( seeking, striving to get )、有らゆる欲望の対象( any desired object )の義。
正憶念是一切善法之根本。修習行者初入。名為正憶念。常行得禪定故名為修。 正憶念は、是れ一切の善法の根本にして、修習して行ずる者の、初めて入るを、名づけて正憶念と為す。常に行ずれば、禅定を得るが故に、名づけて修と為す。
『正憶念』は、
『一切の善法の根本であり!』、
『善法を修め、習い、行う!』者が、
『初めて!』、
『入る!』が故に、
是れを、
『正憶念』と、
『称し!』、
『正憶念を常行すれば!』、
『禅定を得る!』が故に、
『修める!』と、
『称する!』。
今世功德者如先說義。今釋提桓因。更說今世功德。所謂教化眾生乃至令眾生得三乘。 今世の功徳とは、先に説ける義の如し。今、釈提桓因は、更に今世の功徳を説く。謂わゆる衆生を教化し、乃至衆生をして三乗を得しむ。
『今世の功徳』とは、 ――
前に、
『義』を、
『説いた通りである!』が、
今、
『釈提桓因』は、
更に、
『今世の功徳』を、
『説いたのである!』。
謂わゆる、
『衆生』を、
『教化する!』こと、
乃至、
『衆生』に、
『三乗を得させることである!』、と。
先說般若波羅蜜攝三乘令解其義。是故言般若波羅蜜中攝五波羅蜜乃至一切種智。 先に般若波羅蜜には、三乗を摂すと説けば、其の義を解せしめんとして、是の故に、『般若波羅蜜中には、五波羅蜜、乃至一切種智を摂す』と言えり。
『釈提桓因』は、
先に、
『般若波羅蜜』は、
『三乗を摂する!』と、
『説き!』、
其の、
『義』を、
『理解させようとして!』、
是の故に、
『般若波羅蜜』中には、
『五波羅蜜、乃至一切種智を摂する!』と、
『言った!』。
佛可其所說者。欲令人信故。 仏の、其の説く所を可(ゆる)したもうは、人をして信ぜしめんと欲するが故なり。
『仏』が、
是の、
『釈提桓因』の、
『所説』を、
『可とされた!』のは、
『人』に、
『信じさせよう!』と、
『思われたからである!』。
所得今世功德汝一心諦聽者。上略說今世功德。佛今欲廣說其事。難信故。言一心諦聽。 得る所の今世の功徳を、汝一心に諦聴せよとは、上に今世の功徳を略説すれば、仏は今、其の事を広説せんと欲したまい、信じ難きが故に、『一心に諦聴せよ。』と言えり。
『得られる今世の功徳』を、
お前は、
『一心に!』、
『諦聴せよ!』とは、――
上に、
『釈提桓因』が、
『今世の功徳』を、
『略説した!』ので、
『仏』は、
今、
『釈提桓因の説いた!』、
『事』を、
『広説しようとされた!』が、
是の、
『事は信じ難い!』が故に、
『一心に諦聴せよ!』と、
『言われたのである!』。
復次因小果大難信故。言一心諦聽。帝釋雖信受。人不知故言唯世尊。 復た次ぎに、因は小にして、果の大なること信じ難きが故に、『一心に諦聴せよ』と言う。帝釈は信受すと雖も、人は知らざるが故に、『唯、世尊』と言えり。
復た次ぎに、
『因が小でありながら、果が大である!』のは、
『信じ難い!』が故に、
『仏』が、
『一心に諦聴せよ!』と、
『言われる!』と、
『釈提桓因』は、
『信じ難い!』、
『事』を、
『信受した!』が、
『人に知られていない!』が故に、
『唯、世尊!』と、
『言ったのである!』。
是般若波羅蜜。雖不可破壞。而宣示實相。語言可破。語言破故。信心未定者亦可破。是故說若外道梵志等來欲破壞般若波羅蜜。 是の般若波羅蜜は、破壊すべからずして、実相を宣示すと雖も、語言は破すべし。語言破するが故に、信心の未だ定まらざる者は、亦た破すべし。是の故に説かく、『若しは外道の梵志等来たりて、般若波羅蜜を破壊せんと欲す。』と。
是の、
『般若波羅蜜』は、
『破壊されない!』が、
而し、
『実相を宣示する( to be crarified )!』為の、
『語言』は、
『破ることができ!』、
『語言が破れる!』が故に、
『信心』が、
未だ、
『定まらない!』者も、
『破られることになる!』ので、
是の故に、こう説くのである、――
若し、
『外道の梵志等が来て!』、
『般若波羅蜜』を、
『破壊しようとすれば!』、と。
  宣示(せんじ):告げられた( to be told )、梵語 aarocayitavya, aarocana の訳、輝かす/輝かされる( shining, to be shone )の義、説明される/明了にされる( to be explained, crafified )の意。
梵志者。是一切出家外道。若有承用其法者。亦名梵志。梵志愛著其法。聞實相空法不信故欲破壞魔若魔民如先說。 梵志とは、是れ一切の出家の外道なり。若し其の法を承け用うる者有らば、亦た梵志と名づく。梵志は、其の法を愛著し、実相の空なる法を聞いて信ぜざるが故に、破壊せんと欲す。魔、若しくは魔民は、先に説けるが如し。
『梵志』とは、――
一切の、
『出家の外道』を、
『梵志』と、
『称し!』、
其の、
『家の法を承用する( to study )!』者も、
『梵志』と、
『称する!』。
『梵志』は、
其の、
『家』の、
『法』に、
『愛著する!』が故に、
『実相は空であるという!』、
『法』を、
『聞いても!』、
『信じようとせず!』、
是の故に、
『破壊しようとするのである!』。
『魔や、魔民』は、
先に、
『説いた通りである!』。
  承用(じょうゆう):梵語 aagama? の訳、近づく( coming near, approaching )の義、読む/研究する( reading, studying )の意。
增上慢人者。是佛弟子得禪定未得聖道自謂已得是人聞無須陀洹乃至無阿羅漢無道無涅槃。便發增上慢生忿惱心。欲破是實相空法。是般若波羅蜜神力故。令彼惡心即時滅去終不成願。 増上慢の人とは、是れ仏の弟子にして、禅定を得るも、未だ聖道を得ざるに、自ら已に得たりと謂う。是の人は、須陀洹無く、乃至阿羅漢無く、道無く、涅槃無きことを聞きて、便ち増上慢を発して、忿を生じ、心を悩まし、是の実相の空なる法を破せんと欲するに、是の般若波羅蜜の神力の故に、彼れの悪心をして、即時に滅去して、終に願を成ぜざらしむ。
『増上慢( having an erroneous conception regarding one's self )の人』は、
『禅定を得ただけ!』の、
『仏弟子でありながら!』、
未だ、
『聖道』を、
『得ていないのに!』、
自ら、
『已に、得た!』と、
『謂う!』。
是の、
『人』は、
『須陀洹、乃至阿羅漢も、涅槃も無い!』と、
『聞いて!』、
便ち( easily )、
『増上慢を発し!』、
『忿悩の心』を、
『生じて!』、
是の、
『実相である!』、
『空の法』を、
『破ろうとする!』。
是の、
『般若波羅蜜』は、
『神力』の故に、
彼の、
『悪心』を、
即時に、
『滅去させる!』ので、
終に、
『願望』を、
『成就させることはない!』。
  増上慢(ぞうじょうまん):梵語 abhimaana の訳、傷害の意図/虚栄心/自負高慢( intention to injure, self-conceit, pride, haughtiness )、愛情/欲望( affection, desire )の義。概念[特に自己に関する間違った概念]( conception (especially an erroneous one regarding one's self) )の意。
如人以手障鉾但自傷其手鉾無所損。何以故。菩薩於內外法不著。眾生從無始世界來。常著內外法故起鬥諍。菩薩捨內外著處。自安立六波羅蜜。教化眾生令捨內外鬥法。安立眾生於六波羅蜜。是無量世修集福德力。鬥諍根盡故。雖有鬥亂事來。不能得便。 人の手を以って、鉾を障うれば、但だ自ら其の手を傷つけて、鉾に損する所無きが如し。何を以っての故に、菩薩は、内外の法に著せざるも、衆生は、無始の世界より来(このかた)、常に内外の法に著するが故に、闘諍を起す。菩薩は、内外の著処を捨て、自ら六波羅蜜に安立し、衆生を教化して、内外の闘法を捨てしめ、衆生をして六波羅蜜に安立せしむれば、是の無量世に修集せし、福徳の力もて、闘諍の根尽くるが故に、闘乱の事の来たる有りと雖も、便を得る能わざればなり。
譬えば、
『人』が、
『手を用いて!』、
『鉾( a spear )』を、
『障(さえぎ)れば!』、
自ら、
『手を傷つけるだけで!』、
『鉾が損なわれること!』が、
『無いようなものである!』。
何故ならば、
『菩薩』は、
『内、外』の、
『法』に、
『著さない!』のに、
『衆生』は、
『無始の世界』以来、
常に、
『内、外の法に著する!』が故に、
『闘諍』を、
『起すからであり!』、
『菩薩』は、
『内、外』の、
『著する処を捨てて!』、
自ら、
『六波羅蜜』に、
『安立し!』、
『衆生を教化して!』、
『内、外』の、
『闘諍の法』を、
『捨てさせ!』、
『衆生』を、
『六波羅蜜』に、
『安立させる!』ので、
是の、
『菩薩』の、
『無量世に修集した!』、
『福徳の力』で、
『闘諍の根』が、
『尽きる!』が故に、
有る、
『闘諍、悩乱の事が来たとしても!』、
『便( the opotunity to distress )』を、
『得られないからである!』。
譬如毒蛇欲食蝦蟆常隨逐之。蝦蟆到摩祇藥所蛇聞藥氣毒即消歇。是壞法惡人亦復如是。欲壞行般若波羅蜜人常隨逐之。以般若力勢故。瞋恚邪見之毒即時消滅。有降伏得道者。有作弟子者。有復道還去者。 譬えば、毒蛇の、蝦蟇を食わんと欲して、常に之を随逐するに、蝦蟇、摩祇薬の所に到れば、蛇は薬気を聞きて、毒、即ち消歇するが如く、是の壊法の悪人も、亦復た是の如く、般若波羅蜜を行ずる人を壊せんと欲して、常に之に随逐するも、般若の力勢を以っての故に、瞋恚、邪見の毒は、即時に消滅し、降伏して道を得る者有り、弟子と作る者有り、道を復(もど)りて還って去る者有り。
譬えば、
『毒蛇』が、
『蝦蟇( a toad )を食おうとして!』、
常に、
『随逐する( to pursuit )!』が、
『蝦蟇』が、
『摩祇薬の所』に、
『到る!』と、
『蛇』は、
『薬気を聞いて( to smell the incense )!』、
即ち、
『毒』が、
『消歇する( to vanish )のである!』が、
是の、
『法を壊る悪人』も、
是のように、
『般若波羅蜜を行う人』を、
『壊ろうとして!』、
常に、
『随逐する!』が、
『般若波羅蜜の力勢』の故に、
『瞋恚、邪見の毒』が、
即時に、
『消滅する!』ので、
有るいは、
『降伏して!』、
『道』を、
『得る者となり!』、
有るいは、
『弟子』と、
『作り!』、
有るいは、
『道を復(もど)って!』、
『還り去るのである!』。
  消歇(しょうけつ):消散( to vanish )。
是般若波羅蜜。能破無明等諸結使。滅諸斷常邪見等。能滅著五眾乃至涅槃。何況瞋恚嫉妒鬥亂之事而不能滅 是の般若波羅蜜は、能く無明等の諸の結使を破りて、諸の断常の邪見等を滅し、能く五衆、乃至涅槃に著するを滅す。何に況んや、瞋恚、嫉妬の闘乱の事の滅する能わざるをや。
是の、
『般若波羅蜜』は、
『無明』等の、
『諸の結使』を、
『破ることができ!』、
『断、常』等の、
『諸の邪見』を、
『滅することができ!』、
『五衆、乃至涅槃』に、
『著する!』のを、
『滅することができる!』。
況して、
『瞋恚、嫉妒、闘乱のような!』、
『事』を、
『滅しられないはずがない!』。




【經】般若波羅蜜を受持すれば悪法滅し、善法増す

【經】復次憍尸迦。三千大千世界中。諸四天王天諸釋提桓因諸梵天王。乃至阿迦尼吒天。常守護是善男子善女人能受持供養讀誦為他說正憶念般若波羅蜜者。 復た次ぎに、憍尸迦、三千大千世界中の諸の四天王天、諸の釈提桓因、諸の梵天王、乃至阿迦尼吒天の、常守護するは、是の善男子、善女人は、能く般若波羅蜜を受持、供養、読誦し、他の為に説いて正憶念せしむる者なればなり。
復た次ぎに、
憍尸迦!
『三千大千世界』中の、
『諸の四天王天』、
『諸の釈提桓因』、
『諸の梵天王、乃至阿迦尼吒天』が、
常に、
『守護する!』のは、
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜』を、
『受持して!』、
『供養し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させる者だからである!』。
  参考:『大般若経巻101』:『復次憍尸迦。若善男子善女人等。於此般若波羅蜜多。至心聽聞受持讀誦。精勤修學如理思惟書寫解說廣令流布。是菩薩摩訶薩。常為三千大千世界四大天王。及天帝釋。堪忍界主大梵天王。極光淨天。遍淨天。廣果天。淨居天等。并諸善神。皆同擁護。不令一切災橫侵惱。如法所求無不滿足。十方世界現在諸佛亦常護念如是菩薩。令惡法滅善法增長。所謂增長布施波羅蜜多令無損減。增長淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多令無損減。何以故。以無所得為方便故。增長內空令無損減。增長外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空令無損減。何以故。以無所得為方便故。‥‥』
十方現在諸佛。亦共擁護是善男子善女人能聞受持供養讀誦為他說正憶念般若波羅蜜者。是善男子善女人。不善法滅善法轉增。 十方の現在の諸仏も、亦た共に擁護するは、是の善男子、善女人は能く、般若波羅蜜を聞きて、受持、供養、読誦し、他の為に説き、正憶念する者なれば、是の善男子、善女人の不善法を滅し、善法を転た増せしむればなり。
『十方、現在の諸仏』も、
『諸天と、共に擁護する!』のは、
是の、
『善男子、善女人』が、
『般若波羅蜜を聞いて!』、
『受持し!』、
『供養し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させる者である!』が故に、
是の、
『善男子、善女人』の、
『不善法を滅して!』、
『善法』を、
転た( increasingly )、
『増させるからである!』。
所謂檀波羅蜜轉增。以無所得故。乃至般若波羅蜜轉增。以無所得故。內空轉增乃至無法有法空轉增。以無所得故。四念處乃至十八不共法轉增。以無所得故。諸三昧門。諸陀羅尼門。一切智一切種智轉增。以無所得故。 謂わゆる檀波羅蜜の転た増すこと、所得無きを以っての故なり。乃至般若波羅蜜の転た増すこと、所得無きを以っての故なり。内空の転た増すこと、乃至無法有法空の転た増すこと、所得無きを以っての故なり。四念処、乃至十八不共法の転た増すこと、所得無きを以っての故なり。諸の三昧門、諸の陀羅尼門、一切智、一切種智の転た増すこと、所得無きを以っての故なり。
謂わゆる、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜』が、
『転た増す!』のは、
『所得』が、
『無いからであり!』、
『内空、乃至無法有法空』が、
『転た増す!』のは、
『所得』が、
『無いからであり!』、
『四念処、乃至十八不共法』が、
『転た増す!』のは、
『所得』が、
『無いからであり!』、
『諸の三昧門、諸の陀羅尼門、一切智、一切種智』が、
『転た増す!』のは、
『所得』が、
『無いからである!』。
是善男子善女人所說人皆信受。親友堅固不說無益之語。不為瞋恚所覆。不為憍慢慳貪嫉妒所覆。 是の善男子、善女人は、説く所を、人は皆、信受し、親友堅固にして、無益の語を説かず、瞋恚の為に覆われず、憍慢、慳貪、嫉妬の為に覆われず。
是の、
『善男子、善女人の所説』は、
『人が、皆信受するので!』、
『親友( friendship )』が、
『堅固になり( to become firmer )!』、
『無益の語を説かず!』、
『瞋恚や、憍慢、慳貪、嫉妒に!』、
『覆われることがない!』。
  親友(しんぬ):◯梵語 mitra の訳、友人/友情( a friend, friendship )の義。◯梵語 kalyaaNa-mitra の訳、善知識とも訳す。有益な友情( a benefical friendship )、美徳の友/好意ある友( a friend of virtuel, a well-wishing friend )の義。◯梵語 saMstuta の訳、共に称讃/讃美される( praised or hymned together )、同類に数えられる( counted together )の義。
  参考:『大般若経巻101』:『是菩薩摩訶薩。發言威肅聞皆敬受。稱量談說詞無錯亂。深知恩義堅事善友。不為慳嫉忿恨覆惱諂誑矯等之所隱蔽。憍尸迦。是菩薩摩訶薩。自離斷生命。教他離斷生命。讚說離斷生命法。歡喜讚歎離斷生命者。自離不與取。教他離不與取。讚說離不與取法。歡喜讚歎離不與取者。自離欲邪行。教他離欲邪行。讚說離欲邪行法。歡喜讚歎離欲邪行者。自離虛誑語。教他離虛誑語。讚說離虛誑語法。歡喜讚歎離虛誑語者。自離離間語。教他離離間語。讚說離離間語法。歡喜讚歎離離間語者。自離麤惡語。教他離麤惡語。讚說離麤惡語法。歡喜讚歎離麤惡語者。自離雜穢語。教他離雜穢語。讚說離雜穢語法。歡喜讚歎離雜穢語者。自離貪欲。教他離貪欲。讚說離貪欲法。歡喜讚歎離貪欲者。自離瞋恚。教他離瞋恚。讚說離瞋恚法。歡喜讚歎離瞋恚者。自離邪見。教他離邪見。讚說離邪見法。歡喜讚歎離邪見者‥‥』
是人自不殺生。教人不殺生。讚不殺生法。亦歡喜讚歎不殺生者。 是の人は、自ら殺生せず、人に教えて殺生せざらしめ、殺生せざる法を讃じ、亦た殺生せざる者を歓喜し、讃歎す。
是の、
『人』は、
『自ら、殺生せずして!』、
『他人にも!』、
『不殺生( not killing )』を、
『教え!』、
『不殺生の法を讃歎して!』、
『不殺生の者を!』、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
  不殺生(ふせっしょう):梵語 ahiMsaa の訳、何物をも傷つけないこと/害を与えないこと( not injuring anything, harmlessness )の義。
自遠離不與取。亦教人遠離不與取。讚遠離不與取法。亦歡喜讚歎遠離不與取者。 自ら不与取を遠離し、亦た人に教えて不与取を遠離せしめ、不与取を遠離する法を讃歎し、亦た不与取を遠離する者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『不与取を遠離して!』、
『他人にも!』、
『不与取( not stealing )』を、
『遠離させ!』、
『不与取を遠離する法を讃歎して!』、
『不与取を遠離する者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
  不与取(ふよしゅ):梵語 adattaadaana, adattaadaayin の訳、与えられない物を自発的に取ること( taking what is not given voluntarily, taking what has not been given )の義。盗み( stealing )の意。
自不邪婬教人不邪婬。讚不邪婬法。亦歡喜讚歎不邪婬者。 自ら邪婬せず、人に教えて邪婬せざらしめ、邪婬せざる法を讃じ、亦た邪婬せざる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『邪婬せずして!』、
『他人にも!』、
『不邪婬( not committing adultery )』を、
『教え!』、
『不邪婬の法を讃歎して!』、
『不邪婬の者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
  不邪婬(ふじゃいん):梵語 kaama-mithyaacaara-virati の訳、愛に於ける不適切な行為の停止( the stopping of improper conduct of love/pleasure )の義。
自不妄語教人不妄語。讚不妄語法。亦歡喜讚歎不妄語者。兩舌惡口無利益語亦如是。 自ら妄語せず、人に教えて妄語せざらしめ、妄語せざる法を讃じ、亦た妄語せざる者を歓喜し、讃歎す。両舌、悪口、無利益語も、亦た是の如し。
自ら、
『妄語せずして!』、
『他人にも!』、
『不妄語( not lying )』を、
『教え!』、
『不妄語の法を讃歎して!』、
『不妄語の者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『両舌( speaking divisively )や!』、
『悪口( speaking harshly )や!』、
『無利益語( speaking idly )も!』、
亦た、
『是の通りである!』。
  不妄語(ふもうご):梵語 mRSaa-vaada-virati の訳、嘘言の停止( the stopping of lying )の義。
  不両舌(ふりょうぜつ):梵語 paizunyaat-prati-virati の訳、中傷的な談話の停止( the stopping of slanderous speaking )の義、 不和を起させる談話の停止( the stopping of speaking divesevely )の意。
  不悪口(ふあっく):梵語 paruSa-vacana-virati の訳、乱暴な会話の停止( the stopping of rough speaking )の義。
  無利益語(むりやくご):綺語の異訳。
  不綺語(ふきご):梵語 saMbhinna-pralaapa-prati-virati の訳、無駄な談話の停止( the stopping of idle talking )の義。
自不貪教人不貪。讚不貪法。亦歡喜讚歎不貪者。不瞋惱不邪見亦如是。 自ら貪らず、人に教えて貪らざらしめ、貪らざる法を讃じ、亦た貪らざる者を歓喜し、讃歎す。瞋悩せず、邪見せざるも、亦た是の如し。
自ら、
『貪らずして!』、
『他人にも!』、
『不貪( not being greedy )』を、
『教え!』、
『不貪の法を讃歎して!』、
『不貪の者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『不瞋悩( not being angly )や!』、
『不邪見( not having wrong views )も!、
亦た、
『是の通りである!』。
  不貪(ふとん):梵語 abhidhyaayaaH prativirati の訳、( the stopping of desiring )の義。
  不瞋悩(ふしんのう):梵語 vyaapaadaat prativirati の訳、不瞋恚の異訳、悪意の停止( the stopping of evil intent )の義。
  不邪見(ふじゃけん):梵語 mithyaa- dRSteH prativirati の訳、不正確な見解の停止( the stopping of incorrect view )の義。
自行檀波羅蜜。教人行檀波羅蜜。讚行檀波羅蜜法。亦歡喜讚歎行檀波羅蜜者。 自ら檀波羅蜜を行じ、人に教えて檀波羅蜜を行ぜしめ、檀波羅蜜を行ずる法を讃じ、亦た檀波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『檀波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『檀波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『檀波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『檀波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自行尸羅波羅蜜。教人行尸羅波羅蜜。讚尸羅波羅蜜。亦歡喜讚歎行尸羅波羅蜜者。 自ら尸羅波羅蜜を行じ、人に教えて尸羅波羅蜜を行ぜしめ、尸羅波羅蜜を讃じ、亦た尸羅波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『尸羅波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『尸羅波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『尸羅波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『尸羅波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自行羼提波羅蜜。教人行羼提波羅蜜。讚羼提波羅蜜。亦歡喜讚歎行羼提波羅蜜者。 自ら羼提波羅蜜を行じ、人に教えて羼提波羅蜜を行ぜしめ、羼提波羅蜜を讃じ、亦た羼提波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『羼提波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『羼提波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『羼提波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『羼提波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自行毘梨耶波羅蜜。教人行毘梨耶波羅蜜。讚毘梨耶波羅蜜。亦歡喜讚歎行毘梨耶波羅蜜者。 自ら毘梨耶波羅蜜を行じ、人に教えて毘梨耶波羅蜜を行ぜしめ、毘梨耶波羅蜜を讃じ、亦た毘梨耶波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『毘梨耶波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『毘梨耶波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『毘梨耶波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『毘梨耶波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自行禪波羅蜜。教人行禪波羅蜜。讚禪波羅蜜。亦歡喜讚歎行禪波羅蜜者。 自ら禅波羅蜜を行じ、人に教えて禅波羅蜜を行ぜしめ、禅波羅蜜を讃じ、亦た禅波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『禅波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『禅波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『禅波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『禅波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自行般若波羅蜜。教人行般若波羅蜜。讚般若波羅蜜。亦歡喜讚歎行般若波羅蜜者。 自ら般若波羅蜜を行じ、人に教えて般若波羅蜜を行ぜしめ、般若波羅蜜を讃じ、亦た般若波羅蜜を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『般若波羅蜜を行いながら!』、
『他人にも!』、
『般若波羅蜜を行うこと!』を、
『教え!』、
『般若波羅蜜を行う法を讃歎して!』、
『般若波羅蜜を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自修內空教人修內空。讚內空亦歡喜讚歎修內空者。乃至自修無法有法空。教人修無法有法空。讚無法有法空。亦歡喜讚歎修無法有法空者。 自ら内空を修し、人に教えて内空を修せしめ、内空を讃じ、亦た内空を修する者を歓喜し、讃歎す。乃至自ら無法有法空を修し、人に教えて無法有法空を修せしめ、無法有法空を讃じ、亦た無法有法空を修する者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『内空、乃至無法有法空を修めながら!』、
『他人にも!』、
『内空、乃至無法有法空を修めること!』を、
『教え!』、
『内空、乃至無法有法空を讃歎して!』、
『内空、乃至無法有法空を修める者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自入一切三昧中。教人入一切三昧中。讚一切三昧。亦歡喜讚歎入一切三昧者。 自ら一切の三昧中に入り、人に教えて一切の三昧中に入らしめ、一切の三昧を讃じ、亦た一切の三昧に入る者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『一切の三昧中に入りながら!』、
『他人にも!』、
『一切の三昧中に入ること!』を、
『教え!』、
『一切の三昧を讃歎して!』、
『一切の三昧中に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自得陀羅尼。教人得陀羅尼讚陀羅尼。亦歡喜讚歎得陀羅尼者。 自ら陀羅尼を得、人に教えて陀羅尼を得しめ、陀羅尼を讃じ、亦た陀羅尼を得る者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『陀羅尼を得て!』、
『他人にも!』、
『陀羅尼を得ること!』を、
『教え!』、
『陀羅尼を讃歎して!』、
『陀羅尼を得る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自入初禪。教人入初禪。讚初禪。亦歡喜讚歎入初禪者。二禪三禪四禪亦如是。 自ら初禅に入り、人に教えて初禅に入らしめ、初禅を讃じ、亦た初禅に入る者を歓喜し、讃歎す。二禅、三禅、四禅も亦た是の如し。
自ら、
『初禅に入り!』、
『他人にも!』、
『初禅に入ること!』を、
『教え!』、
『初禅を讃歎して!』、
『初禅に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『二禅、三禅、四禅』も、
亦た、
『是の通りである!』。
自入慈心中。教人入慈心中。讚慈心亦歡喜讚歎入慈心者。悲喜捨心亦如是。 自ら慈心中に入り、人に教えて慈心中に入らしめ、慈心を讃じ、亦た慈心に入る者を歓喜し、讃歎す。悲、喜、捨心も亦た是の如し。
自ら、
『慈心中に入り!』、
『他人にも!』、
『慈心中に入ること!』を、
『教え!』、
『慈心を讃歎して!』、
『慈心に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『悲、喜、捨心』も、
亦た、
『是の通りである!』。
自入無邊空處。教人入無邊空處。讚無邊空處。亦歡喜讚歎入無邊空處者。無邊識處無所有處非有想非無想處亦如是。 自ら無辺空処に入り、人に教えて無辺空処に入らしめ、無辺空処を讃じ、亦た無辺空処に入る者を歓喜し、讃歎す。無辺識処、無所有処、非有想非無想処も亦た是の如し。
自ら、
『無辺空処に入り!』、
『他人にも!』、
『無辺空処に入ること!』を、
『教え!』、
『無辺空処を讃歎して!』、
『無辺空処に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『無辺識処、無所有処、非有想非無想処』も、
亦た、
『是の通りである!』。
自修四念處。教人修四念處。讚四念處亦歡喜讚歎修四念處者。四正勤四如意足五根五力七覺分八聖道分亦如是。 自ら四念処を修し、人に教えて四念処を修せしめ、四念処を讃じ、亦た四念処を修する者を歓喜し、讃歎す。四正勤、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道分も、亦た是の如し。
自ら、
『四念処を修め!』、
『他人にも!』、
『四念処を修めること!』を、
『教え!』、
『四念処を讃歎して!』、
『四念処を修める者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
『四正勤、四如意足、五根五力、七覚分、八聖道分』も、
亦た、
『是の通りである!』。
自修空無相無作三昧。教人修空無相無作三昧。讚空無相無作三昧。亦歡喜讚歎修空無相無作三昧者。 自ら空、無相、無作三昧を修し、人に教えて空、無相、無作三昧を修せしめ、空、無相、無作三昧を讃じ、亦た空、無相、無作三昧を修する者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『空、無相、無作三昧を修め!』、
『他人にも!』、
『空、無相、無作三昧を修めること!』を、
『教え!』、
『空、無相、無作三昧を讃歎して!』、
『空、無相、無作三昧を修める者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自入八解脫中。教人入八解脫。讚八解脫。亦歡喜讚歎入八解脫者。 自ら八解脱中に入り、人に教えて八解脱に入らしめ、八解脱を讃じ、亦た八解脱に入る者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『八解脱中に入り!』、
『他人にも!』、
『八解脱に入ること!』を、
『教え!』、
『八解脱を讃歎して!』、
『八解脱に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自入九次第定中。教人入九次第定。讚九次第定。亦歡喜讚歎入九次第定者。 自ら九次第定中に入り、人に教えて九次第定に入らしめ、九次第定を讃じ、亦た九次第定に入る者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『九次第定中に入り!』、
『他人にも!』、
『九次第定に入ること!』を、
『教え!』、
『九次第定を讃歎して!』、
『九次第定に入る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自修佛十力四無所畏四無礙智大慈大悲十八不共法亦如是。 自ら仏の十力、四無所畏、四無礙智、大慈、大悲、十八不共法を修するも、亦た是の如し。
自ら、
『仏』の、
『十力』を、
『修め!』、
亦た、
『四無所畏、四無礙智、大慈大悲、十八不共法』も、
『是の通りである!』。
自行不謬錯法。自行常捨法。教人行不謬錯法常捨法。讚不謬錯法常捨法。亦歡喜讚歎行不謬錯法常捨法者。 自ら錯謬せざる法を行じて、自ら常に捨つる法を行じ、人に教えて錯謬せざる法と、常に捨つる法を行ぜしめ、錯謬せざる法と、常に捨つる法を讃じ、亦た錯謬せざる法と、常に捨つる法を行ずる者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『不謬錯の法、常捨の法を行い!』、
『他人にも!』、
『不謬錯の法、常捨の法を行うこと!』を、
『教え!』、
『不謬錯の法、常捨の法を讃歎して!』、
『不謬錯の法、常捨の法を行う者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
自得一切種智。教人得一切種智。讚一切種智。亦歡喜讚歎得一切種智者。 自ら一切種智を得て、人に教えて一切種智を得せしめ、一切種智を讃じて、亦た一切種智を得る者を歓喜し、讃歎す。
自ら、
『一切種智を得!』、
『他人にも!』、
『一切種智を得ること!』を、
『教え!』、
『一切種智を讃歎して!』、
『一切種智を得る者』を、
『歓喜し!』、
『讃歎する!』。
是菩薩摩訶薩。行六波羅蜜時。所有布施與眾生共已迴向阿耨多羅三藐三菩提。以無所得故。所有持戒忍辱精進禪定智慧與眾生共已迴向阿耨多羅三藐三菩提。是亦無所得故。 是の菩薩摩訶薩は、六波羅蜜を行ずる時の有らゆる布施を、衆生と共にし已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向す、所得無きを以っての故なり。有らゆる持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を衆生と共にし已りて、阿耨多羅三藐三菩提に迴向す、是れも亦た、所得無きが故なり。
是の、
『菩薩摩訶薩』が、
『六波羅蜜を行う!』時の、
有らゆる、
『布施を、衆生と共にして!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『廻向する!』のは、
是の、
『布施』が、
『無所得だからであり!』、
有らゆる、
『持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を、衆生と共にして!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『廻向する!』のも、
亦た、
『無所得だからである!』。
  参考:『大般若経巻102』:『憍尸迦。是菩薩摩訶薩行六波羅蜜多時。所行布施波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提。所護淨戒波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提。所修安忍波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提。所起精進波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提。所入靜慮波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提。所學般若波羅蜜多。以無所得為方便。與一切有情同共迴向阿耨多羅三藐三菩提』
是善男子善女人。如是行六波羅蜜時作是念。我若不布施。當生貧窮家。不能成就眾生淨佛世界。亦不能得一切種智。 是の善男子、善女人は、是の如く六波羅蜜を行ずる時、是の念を作さく、『我れ若し布施せずんば、当に貧窮の家に生まれて、衆生を成就し、仏世界を浄むること能わず、亦た一切種智を得ることも能わざるべし。
是の、
『善男子、善女人』が、
是のように、
『六波羅蜜を行う!』時、こう念じる、――
わたしが、
若し、
『布施しなければ!』、
『貧窮の家に生まれることになり!』、
『衆生を成就して!』、
『仏世界』を、
『浄めることができず!』、
亦た、
『一切種智』を、
『得ることもできないだろう!』、と。
  参考:『大般若経巻102』:『憍尸迦。是菩薩摩訶薩行六波羅蜜多時。常作是念。我若不行布施波羅蜜多。當生貧賤家尚無勢力。何由成熟有情嚴淨佛土。況當能得一切智智。我若不護淨戒波羅蜜多。當生諸惡趣尚不能得下賤人身。何由成熟有情嚴淨佛土。況當能得一切智智。我若不修安忍波羅蜜多。當諸根殘缺容貌醜陋。不具菩薩圓滿色身。若得菩薩圓滿色身。行菩薩行有情見者必獲無上正等菩提。若不得此圓滿色身。則不能成熟一切有情嚴淨佛土。況當能得一切智智。我若懈怠不起精進波羅蜜多。尚不能獲菩薩勝道。何由成熟一切有情嚴淨佛土。況當能得一切智智。我若心亂不入靜慮波羅蜜多。尚不能起菩薩勝定。何由成熟有情嚴淨佛土。況當能得一切智智。我若無智不學般若波羅蜜多。尚不能得諸巧便慧超二乘地。何由成熟有情嚴淨佛土。況當能得一切智智』
我若不持戒。當生三惡道中。尚不得人身。何況能成就眾生淨佛世界。得一切種智。 我れ若し持戒せずんば、当に三悪道中に生じて、尚お人身すら得ざるべし。何に況んや、能く衆生を成就して、仏世界を浄め、一切種智を得んをや。
わたしが、
若し、
『持戒しなければ!』、
『三悪道中に生まれることになり!』、
尚お、
『人身すら!』、
『得られないだろう!』。
況して、
『衆生を成就し!』、
『仏世界を浄めて!』、
『一切種智を得られるだろうか?』。
我若不修忍辱。則當諸根毀壞色不具足。不能得菩薩具足色身。眾生見者必至阿耨多羅三藐三菩提。亦不能得以具足色身成就眾生淨佛世界得一切種智。 我れ若し忍辱を修せずんば、則ち当に諸根毀壊して、色を具足せず、菩薩の色身を具足して、衆生の見る者をして、必ず、阿耨多羅三藐三菩提に至らしむること得る能わず、亦た色身を具足するを以って、衆生を成就して、仏世界を浄むるを得て、一切種智を得ること能わざるべし。
わたしが、
若し、
『忍辱を修めなければ!』、
『諸根が毀壊して( to be annihilated )!』、
『色』が、
『具足しないことになり!』、
『衆生が見れば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提に至るような!』、
『菩薩の具足した色身』を、
『得ることができず!』、
亦た、
『具足した色身を用いて!』、
『衆生を成就し、仏世界を浄めて!』、
『一切種智』を、
『得ることもできないだろう!』。
我若懈怠不能得菩薩道。亦不能得成就眾生淨佛世界得一切種智。 我れ若し懈怠せば、菩薩道を得る能わず、亦た衆生を成就して、仏世界を浄むることを得て、一切種智を得る能わざらん。
わたしが、
若し、
『懈怠すれば!』、
『菩薩』の、
『道』を、
『得ることができず!』、
亦た、
『衆生を成就して、仏世界を浄め!』、
『一切種智』を、
『得ることもできないだろう!』。
我若亂心不能得生諸禪定。不能以此禪定成就眾生淨佛世界得一切種智。 我れ若し乱心せば、諸の禅定を生ずるを得ること能わず、此の禅定を以って、衆生を成就し、仏世界を浄めて、一切種智を得ること能わざらん。
わたしが、
若し、
『乱心すれば!』、
諸の、
『禅定』を、
『生じることができず!』、
此の、
『禅定を用いて!』、
『衆生を成就し、仏世界を浄めて!』、
『一切種智』を、
『得ることもできないだろう!』。
我若無智不能得方便智以方便智過聲聞辟支佛地成就眾生淨佛世界得一切種智。 我れに若し智無くんば、方便の智を得て、方便の智を以って、声聞、辟支仏の地を過ぎ、衆生を成就して、仏世界を浄め、一切種智を得ること能わざらん。
わたしが、
若し、
『無智ならば!』、
『方便の智』を、
『得て!』、
『方便の智を用いて!』、
『声聞、辟支仏の地を過ぎ!』、
『衆生を成就して、仏世界を浄め!』、
『一切種智』を、
『得ることもできないだろう!』。
是菩薩復作是思惟。我不應隨慳貪故不具足檀波羅蜜。不應隨犯戒故不具足尸羅波羅蜜。不應隨瞋恚故不具足羼提波羅蜜。不應隨懈怠故不具足毘梨耶波羅蜜。不應隨亂意故不具足禪波羅蜜。不應隨癡心故不具足般若波羅蜜。若不具足檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。我終不能出到一切種智。 是の菩薩の復た是の思惟を作さく、『我れは応に慳貪に随うが故に、檀波羅蜜を具足せざるべからず。我れは応に犯戒に随うが故に、尸羅波羅蜜を具足せざるべからず。我れは応に瞋恚に随うが故に、羼提波羅蜜を具足せざるべからず。我れは応に懈怠に随うが故に、毘梨耶波羅蜜を具足せざるべからず。我れは応に乱意に随うが故に、禅波羅蜜を具足せざるべからず。我れは応に癡心に随うが故に、般若波羅蜜を具足せざるべからず。若し檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を具足せずんば、我れは終に、出でて一切種智に到ること能わざらん。』と。
是の、
『菩薩』は、
復た、こう思惟する、――
わたしは、
『慳貪に随う!』が故に、
『檀波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならず!』、
『犯戒に随う!』が故に、
『尸羅波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならず!』、
『瞋恚に随う!』が故に、
『羼提波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならず!』、
『懈怠に随う!』が故に、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならず!』、
『乱意に随う!』が故に、
『禅波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならず!』、
『癡心に随う!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『具足せずにいてはならない!』。
若し、
『檀波羅蜜や!』、
『尸羅波羅蜜や!』、
『羼提波羅蜜や!』、
『毘梨耶波羅蜜や!』、
『禅波羅蜜や!』、
『般若波羅蜜を!』、
『具足しなければ!』、
わたしは、
終に、
『世間を出て!』、
『一切種智』に、
『到ることができないだろう!』、と。
  参考:『大般若経巻102』:『憍尸迦。是菩薩摩訶薩學六波羅蜜。多常作是念。我不應隨慳貪勢力。若隨彼力則我布施波羅蜜多不得圓滿。若我布施波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。我不應隨破戒勢力。若隨彼力則我淨戒波羅蜜多不得圓滿。若我淨戒波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。我不應隨忿恚勢力。若隨彼力則我安忍波羅蜜多不得圓滿。若我安忍波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。我不應隨懈怠勢力。若隨彼力則我精進波羅蜜多不得圓滿。若我精進波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。我不應隨心亂勢力。若隨彼力則我靜慮波羅蜜多不得圓滿。若我靜慮波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。我不應隨無智勢力。若隨彼力則我般若波羅蜜多不得圓滿。若我般若波羅蜜多不圓滿者。終不能成一切智智。憍尸迦。是菩薩摩訶薩不離一切智智心。以無所得為方便。於此般若波羅蜜多受持讀誦。精勤修學如理思惟。書寫解說廣令流布。獲得如是現法後法功德勝利』
如是善男子善女人。是般若波羅蜜。受持親近讀誦為他說正憶念。亦不離薩婆若心。得是今世後世功德。 是の如き善男子、善女人は、是の般若波羅蜜を受持して、親近、読誦し、他の為に説いて、正憶念せしめ、亦た薩婆若の心を離れずんば、是の今世、後世の功徳を得ん。
是のような、
『善男子、善女人』が、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『受持して!』、
『親近し!』、
『読誦し!』、
『他人に説いて!』、
『正しく!』、
『憶念させ!』、
亦た、
『薩婆若』の、
『心』を、
『離れなければ!』、
是の、
『今世、後世』の、
『福徳』を、
『得るだろう!』。
釋提桓因白佛言世尊。希有。是菩薩摩訶薩。般若波羅蜜。為迴向薩婆若心故。亦為不高心故。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、希有なり、是の菩薩摩訶薩の般若波羅蜜は、薩婆若の心に廻向する為の故に、亦た心をして高ぶらせない為の故なり。』と。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『般若波羅蜜が希有である!』のは、
『菩薩摩訶薩の般若波羅蜜』は、
『薩婆若という!』、
『心に廻向させる!』為の故の、
『法であり!』、
亦た、
『心を高ぶらせない!』為の故の、
『法なのです!』、と。
  廻向(えこう):梵語 pariNamana の訳、変化/変容/変質すること( change, transformation, changing into )の義、有る者の功徳を他人に提供すること( to offer one's merit to others )、有る者の功徳を他の救済に献げる( to devote one's merits to the salvation of others )の意。
  参考:『大般若経巻102』:『爾時天帝釋白佛言。世尊。如是般若波羅蜜多甚為希有。調伏菩薩令不高心。而能迴向一切智智。佛言。憍尸迦。云何般若波羅蜜多調伏菩薩令不高心。而能迴向一切智智。天帝釋言。世尊。菩薩摩訶薩行世間布施波羅蜜多時。若於佛所而行布施。便作是念。我能施佛。若於菩薩獨覺聲聞孤窮老病道行乞者而行布施。便作是念。我能施菩薩獨覺聲聞孤窮老病道行乞者。是菩薩摩訶薩無方便善巧行布施故。遂起高心不能迴向一切智智。菩薩摩訶薩行世間淨戒波羅蜜多時。便作是念。我能行淨戒波羅蜜多。我能滿淨戒波羅蜜多。是菩薩摩訶薩無方便善巧行淨戒故。遂起高心不能迴向一切智智。菩薩摩訶薩行世間安忍波羅蜜多時。便作是念。我能行安忍波羅蜜多。我能滿安忍波羅蜜多。是菩薩摩訶薩無方便善巧行安忍故。遂起高心不能迴向一切智智。菩薩摩訶薩行世間精進波羅蜜多時。便作是念。我能行精進波羅蜜多。我能滿精進波羅蜜多。是菩薩摩訶薩無方便善巧行精進故。遂起高心不能迴向一切智智。菩薩摩訶薩行世間靜慮波羅蜜多時。便作是念。我能行靜慮波羅蜜多。我能滿靜慮波羅蜜多。是菩薩摩訶薩無方便善巧行靜慮故。遂起高心不能迴向一切智智。菩薩摩訶薩行世間般若波羅蜜多時。便作是念。我能行般若波羅蜜多。我能滿般若波羅蜜多。是菩薩摩訶薩無方便善巧行般若故。遂起高心不能迴向一切智智。』
佛告釋提桓因。憍尸迦。云何菩薩摩訶薩般若波羅蜜。為迴向薩婆若心故。亦為不高心故。 仏の釈提桓因に告げたまわく、『憍尸迦、云何が、菩薩摩訶薩の般若波羅蜜は、薩婆若の心に廻向する為の故にして、亦た心を高ぶらせざる為の故なる。』と。
『仏』は、
『釈提桓因』に、こう告げられた、――
憍尸迦!
何故、
『菩薩摩訶薩の般若波羅蜜』が、
『薩婆若という!』、
『心に廻向させる!』為の故の、
『法であり!』、
亦た、
『心を高ぶらせない!』為の故の、
『法なのか?』、と。
釋提桓因白佛言。世尊。菩薩摩訶薩若行世間檀波羅蜜。布施諸佛辟支佛聲聞及諸貧窮乞丐行路人。是菩薩無方便故生高心。 釈提桓因の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、若し世間の檀波羅蜜を行じて、諸の仏、辟支仏、声聞、及び諸の貧窮、乞丐、行路人に布施せば、是の菩薩は、方便無きが故に、高心を生ぜん。
『釈提桓因』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』が、
若し、
『世間の檀波羅蜜を行って!』、
『諸の仏、辟支仏、声聞や、諸の貧窮、乞丐、行路人』に、
『布施すれば!』、
是の、
『菩薩』は、
『方便が無い!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるでしょう!』。
  乞丐(こつがい):丐は乞の意。物を乞うこと。
若行世間尸羅波羅蜜。言我行尸羅波羅蜜我能具足尸羅波羅蜜。無方便故生高心。 若し世間の尸羅波羅蜜を行じて、『我れは尸羅波羅蜜を行ず、我れは能く尸羅波羅蜜を具足す』と言わば、方便無きが故に高心を生ぜん。
若し、
『世間の尸羅波羅蜜を行って!』、こう言えば、――
わたしは、
『尸羅波羅蜜』を、
『行っている!』とか、
わたしは、
『尸羅波羅蜜』を、
『具足することができた!』、と。
是の、
『菩薩』には、
『方便が無い!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるでしょう!』。
言我行羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜。我行般若波羅蜜。我修般若波羅蜜。以是世間般若波羅蜜。無方便故生高心。 『我れは羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜を行ず。我れは般若波羅蜜を行ず。我れは般若波羅蜜を修す。』と言わば、是の世間の般若波羅蜜には方便無きを以っての故に、高心を生ぜん。
若し、こう言えば、――
わたしは、
『羼提波羅蜜を行っている!』とか、
『毘梨耶波羅蜜を行っている!』とか、
『禅波羅蜜を行っている!』とか、
『般若波羅蜜を行っている!』とか、
わたしは、
『般若波羅蜜を修めた!』、と。
是れは、
『世間の般若波羅蜜であり!』、
『方便が無い!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるでしょう!』。
世尊。菩薩修世間四念處時。自念言。我修四念處。我具足四念處。無方便力故生高心。 世尊、菩薩は、世間の四念処を修する時、自ら念じて、『我れは四念処を修す。我れは四念処を具足す』と言わば、方便無きが故に、高心を生ぜん。
世尊!
『菩薩』が、
『世間の四念処を修める!』時、
自ら、こう念じれば、――
わたしは、
『四念処を修めた!』とか、
『四念処を具足した!』、と。
是れには、
『方便の力が無い!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるでしょう!』。
我修四正懃四如意足五根五力七覺分八聖道分。自念言。我修空無相無作三昧。我修一切三昧門。當得一切陀羅尼門。我修佛十力四無所畏十八不共法。我當成就眾生。我當淨佛世界。我當得一切種智。著吾我無方便力故生高心。 『我れは四正勤、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道分を修す』、自ら念じて、『我れは空、無相、無作三昧を修す。我れは一切の三昧門を修すれば、当に一切の陀羅尼門を得べし。我れは仏の十力、四無所畏、十八仏不共法を修す。我れは当に衆生を成就すべし。我れは当に仏世界を浄むべし。我れは当に一切種智を得べし』と言わば、吾我に著して、方便無きを以っての故に、高心を生ぜん。
若し、こう言うか、――
わたしは、
『四正勤を修めた!』とか、
『四如意足を修めた!』とか、
『五根、五力を修めた!』とか、
『七覚分を修めた!』とか、
『八聖道分を修めた!』とか、
自ら、こう念じれば、――
わたしは、
『空、無相、無作三昧を修めた!』とか、
『一切の三昧門を修めた!』とか、
わたしは、
『一切の陀羅尼門を得るだろう!』とか、
『仏の十力、四無所畏、十八不共法を修めた!』とか、
わたしは、
『衆生を成就するだろう!』とか、
『仏世界を浄めるだろう!』とか、
『一切種智を得るだろう!』、と。
是れは、
『吾我に著して!』、
『方便の力が無い!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるでしょう!』。
世尊。如是菩薩摩訶薩行世間善法。著吾我故生高心。 世尊、是の如く菩薩摩訶薩が、世間の善法を行ぜば、吾我に著するが故に、高心を生ぜん。
世尊!
是のような、
『菩薩摩訶薩』は、
『世間の善法を行いながら!』、
『吾我に著する!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じるのです!』。
世尊。若菩薩摩訶薩行出世間檀波羅蜜。不得施者不得受者不得施物。如是菩薩摩訶薩行出世間檀波羅蜜。為迴向薩婆若故。亦不生高心。 世尊、若し菩薩摩訶薩が、出世間の檀波羅蜜を行じて、施者を得ず、受者を得ず、施物を得ざれば、是の如き菩薩摩訶薩は、出世間の檀波羅蜜を行じて、薩婆若に廻向するが為の故に、亦た高心を生ぜず。
世尊、
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『出世間の檀波羅蜜を行えば!』、
『施者も、受者も、施物も!』、
『不可得である( be unrecognizable )!』が故に、
是のような、
『菩薩摩訶薩』が、
『出世間の檀波羅蜜を行う!』のは、
『薩婆若に廻向させる為である!』が故に、
『高ぶる心』を、
『生じないのです!』。
行尸羅波羅蜜。尸羅不可得。行羼提波羅蜜。羼提不可得。行毘梨耶波羅蜜。毘梨耶不可得。行禪波羅蜜。禪不可得。行般若波羅蜜。般若不可得。修四念處。四念處不可得。乃至修十八不共法。十八不共法不可得。修大慈大悲。大慈大悲不可得。乃至修一切種智。一切種智不可得。 尸羅波羅蜜を行ずれば、尸羅は得べからず。羼提波羅蜜を行ずれば、羼提は得べからず。毘梨耶波羅蜜を行ずれば、毘梨耶は得べからず。禅波羅蜜を行ずれば、禅は得べからず。般若波羅蜜を行ずれば、般若は得べからず。四念処を修すれば、四念処は得べからず。乃至十八不共法を修すれば、十八不共法は得べからず。大慈大悲を修すれば、大慈大悲は得べからず。乃至一切種智を修すれば、一切種智は得べからず。
『尸羅波羅蜜を行いながら!』、
『尸羅』は、
『不可得であり!』、
『羼提波羅蜜を行いながら!』、
『羼提』は、
『不可得であり!』、
『毘梨耶波羅蜜を行いながら!』、
『毘梨耶』は、
『不可得であり!』、
『禅波羅蜜を行いながら!』、
『禅』は、
『不可得であり!』、
『般若波羅蜜を行いながら!』、
『般若』は、
『不可得であり!』、
『四念処を修めながら!』、
『四念処』は、
『不可得であり!』、
『乃至十八不共法を修めながら!』、
『十八不共法』は、
『不可得であり!』、
『大慈、大悲を修めながら!』、
『大慈、大悲』は、
『不可得であり!』、
『乃至一切種智ながら!』、
『一切種智』は、
『不可得なのです!』。
世尊。如是菩薩摩訶薩般若波羅蜜。為迴向薩婆若故。亦為不生高心故 世尊、是の如き菩薩摩訶薩の般若波羅蜜は、薩婆若に廻向せんが為の故にして、亦た高心を生ぜざらんが為の故なり。
世尊!
是のように、
『菩薩摩訶薩』の、
『般若波羅蜜』は、
『薩婆若』に、
『廻向させる!』為の故の、
『法であり!』、
亦た、
『高ぶる心』を、
『生じさせない!』為の故の、
『法なのです!』。



【論】般若波羅蜜を受持すれば悪法滅し、善法増す

【論】問曰。先已說魔若魔民等。三種人欲破壞般若。今何以故重說。 問うて曰く、先に已に、魔、若しくは魔民等の三種の人の般若を破壊せんと欲することを説けり。今、何を以っての故にか、重ねて説く。
問い、
先に、
已に、――
『魔や、魔民等の三種の人』が、
『般若を破壊しようとする!』と、
『説いたのに!』、
今は、
何故、
『重ねて!』、
『説くのですか?』。
答曰。佛先說三種人來求便恐怖欲令愁惱。中來者不為惱人但欲破毀般若波羅蜜。不隨其願不能得破。後來三種人。雖欲生心破壞即時滅去。 答えて曰く、仏は先に、三種の人の来たりて、便を求め、恐怖して愁悩せしめんと欲することを説きたまい、中の来たる者は、人を悩ませんが為にあらず、但だ般若波羅蜜を破毀せんと欲するに、其の願に随わざれば、破するを得ること能わず。後に来たる三種の人は、心を生じて、破壊せんと欲すと雖も、即時に滅し去る。
答え、
『仏』は、
先に、こう説かれた、――
『三種の人(空舎、曠野、人の住処)が来て!』、
『便を求め( to seek the opportunity )!』、
『恐怖して( to terrify )!』、
『愁悩させようとする( to intend to worry somebody )!』、と。
中頃に来る、――
『三種の人(魔、外道、増上慢)』は、
『人を悩ます為に来るのではなく!』、
但だ、
『般若波羅蜜』を、
『破毀しようとするのである!』が、
『菩薩』が、
其の、
『願に随わない!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『破ることができない!』。
後に来る、――
『三種の人(外道、魔、増上慢)』は、
『悪心を生じて!』、
『実相の空法』を、
『破壊しようとする!』が、
彼の、
『悪心』は、
即時に、
『滅去するのである!』。
  参考:『大品般若経巻8』:『佛告釋提桓因言。憍尸迦。若菩薩摩訶薩。若比丘若比丘尼若優婆塞若優婆夷。若諸天子若諸天女。是般若波羅蜜若聽受持親近讀誦。為他說正憶念不離薩婆若心。諸天子。是人魔若魔民不能得其便。何以故。是善男子善女人。諦了知色空。空不能得空便。無相不能得無相便。無作不能得無作便。諦了知受想行識空。空不能得空便。乃至無作不能得無作便。乃至諦了知一切種智空。空不能得空便。乃至無作不能得無作便。何以故。是諸法自相性不可得。無事可得便。誰受惱者。復次憍尸迦。是善男子善女人。人非人不能得其便。何以故。是善男子善女人。一切眾生中善修慈心悲喜捨心。以無所得故。憍尸迦。是善男子善女人終不橫死。何以故。是善男子善女人行檀那波羅蜜。於一切眾生等心供給故。復次憍尸迦。三千大千世界四天王天三十三天。夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天。梵天光音天遍淨天廣果天。是諸天中有發阿耨多羅三藐三菩提心者。未聞是般若波羅蜜未受持親近。是諸天子。今應聞受持親近讀誦正憶念不離薩婆若心。復次憍尸迦。諸善男子善女人。聞是般若波羅蜜。受持親近讀誦正憶念不離薩婆若心。是諸善男子善女人。若在空舍若在曠野若人住處終不怖畏。何以故。是善男子善女人明於內空以無所得故。明於外空乃至無法有法空。以無所得故。』
  参考:『大品般若経巻8』:『復次憍尸迦。善男子善女人。是般若波羅蜜。若聞受持親近讀誦為他說正憶念。其所住處魔若魔民若外道梵志增上慢人。欲輕毀難問破壞般若波羅蜜。終不能成其人惡心轉滅功德轉增。聞是般若波羅蜜故。漸以三乘道得盡眾苦。』
  参考:『大品般若経巻8』:『佛告釋提桓因。憍尸迦。若有外道諸梵志若魔若魔民若增上慢人。欲乖錯破壞菩薩般若波羅蜜心。是諸人適生此心。即時滅去終不從願。』
所語人皆信受者。是菩薩常令不善法斷滅。善法轉增。所謂檀波羅蜜。乃至一切種智。是人修集福德智慧故。成大威德。設使妄語人皆信受。何況實語 語る所を、人、皆信受すとは、是の菩薩は、常に不善法をして、断絶せしめ、善法をして、転た増さしむ。謂わゆる檀波羅蜜、乃至一切種智なり。是の人は、福徳の智慧を修集するが故に、大威徳を成ず。設使(たと)い、妄語するも、人は、皆信受す、何に況んや、実語をや。
『語る!』所を、
『人』が、
『皆、信受する!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
常に、
『不善法』を、
『断滅しながら!』、
『善法』を、
謂わゆる、
『檀波羅蜜、乃至一切種智』を、
『転た( increasingly )、増すからである!』。
是の、
『人』は、
『福徳の智慧を修集する!』が故に、
『大威徳』を、
『成就している!』ので、
設(たと)い、
『妄語したとしても!』、
『人』は、
『皆、信受するであろう!』。
況して、
『実語すれば!』、
『尚更である!』。
親友堅固者。是人於一切眾生中。深有慈悲心。何況親友於我有益。 親友堅固なりとは、是の人は、一切の衆生中に、深く慈悲心有り。何に況んや、親友の我れに於いて益有るをや。
『親友( the friendship )』が、
『堅固である( be firm )!』とは、――
是の、
『人』は、
『一切の衆生』中に於いて、
深く、
『慈悲心』が、
『有るからである!』。
況して、
『親友』が、
『わたしに、有益である!』のは、
『言うまでもない!』。
是菩薩愛敬佛道。知身口無常故。不說無益之言。以善法增長故。瞋恚等煩惱不能覆心。行者作是念。結使雖起智慧思惟不令覆心。結使若起今世不善後世不善妨於佛道。設使心起結使不起口業。設口業起不成身業。設身業起不至大惡如凡夫人也。 是の菩薩は、仏道を愛敬し、身口の無常なるを知るが故に、無益の言を説かず。善法の増長するを以っての故に、瞋恚等の煩悩の、心を覆う能わず。行者の是の念を作さく、『結使は、起ると雖も、智慧もて思惟せば、心を覆わしめず。結使、若し起らば、今世の不善と、後世の不善と、仏道を妨げん。設使い、心に結使を起すとも、口業は起さず、設い口業起るとも、身業を成ぜず、設い身業起るとも、大悪の凡夫人の如きには至らざるなり』、と。
是の、
『菩薩』は、
『仏道を愛敬して!』、
『身、口』が、
『無常である!』と、
『知る!』が故に、
『無益』の、
『言』を、
『説かず!』、
『善法が増長している!』が故に、
『瞋恚等の煩悩』に、
『心』を、
『覆われない!』ので、
『行者』は、こう念じるのである、――
『結使が起っても!』、
『智慧で思惟すれば!』、
『心』が、
『覆われることはない!』。
『結使が起れば!』、
『今世、後世の不善』が、
『仏道』を、
『妨げることになる!』。
設い( even if )、
『心』に、
『結使』を、
『起させたとしても!』、
則ち、
『口業』を、
『起すことはない!』。
設い、
『口業が起きたとしても!』、
『身業』を、
『成ずることはない!』。
設い、
『身業が起きたとしても!』、
『凡夫人のような!』、
『大悪』に、
『至ることはない!』、と。
是菩薩雖卑陋鄙賤。以行勝法故。得在勝人數中。是今世功德。 是の菩薩は、卑陋、鄙賤なりと雖も、勝法を行ずるを以っての故に、勝人の数中に在るを得、是れ今世の功徳なり。
是の、
『菩薩』は、
『卑陋、鄙賤だとしても!』、
『勝法を行う!』が故に、
『勝人の数』中に、
『在る!』。
是れは、
『今世の功徳である!』。
是人深樂善法故。能於善法四種正行求。二乘人不能具足四行。以不深樂善法故。 是の人は、深く善法を楽(ねが)うが故に、能く善法に於いて、四種の正行を求む。二乗の人は、四行を具足する能わず、深く善法を楽わざるが故なり。
是の、
『人』は、
『善法』を、
『深く!』、
『楽しむ!』が故に、
『四種の正行(自行、教他、讃行、歓喜)を用いて! 、
『善法』を、
『求めることができる!』。
『二乗の人』が、
『四行を具足しない!』のは、
『善法』を、
『深く、楽しまないからである!』。
所謂自不殺生慈悲一切。深自利故亦教他慈。是一切賢聖法故。常讚歎是菩薩。常欲令人得樂故。見有不殺者歡喜愛樂。乃至一切種智亦如是。 謂わゆる自ら殺生せず、一切を慈悲するは、深く自利するが故なり。他に教えて慈せしむるは、是れ一切の賢聖の法なるが故なり。常に讃歎するは、是の菩薩は、常に人をして、楽を得しめんと欲するが故に、不殺の者有るを見れば、歓喜し、愛楽するなり。乃至一切種智も、亦た是の如し。
『四行』とは、
謂わゆる、
『自ら、殺生せず!』、
『一切を慈悲する!』のは、
『深く!』、
『自らを利するからである!』。
亦た、
『他を、教えて!』、
『一切を慈悲させる!』のは、
是れが、
『一切の賢聖』の、
『法だからであり!』、
常に、
『讃歎する!』のは、
是の、
『菩薩』が、
常に、
『人』に、
『楽を得させたいからであり!』、
是の故に、
『不殺の者が有る!』のを、
『見て!』、
即ち、
『歓喜し!』、
『愛楽するのである!』。
乃至、
『一切種智まで!』、
亦た、
『是の通りである!』。
上四種行廣說。今略說一切功德。總攝入六波羅蜜中。所得果報與眾生共之。 上の四種の行を広説すれば、今、略説すらく、『一切の功徳を略説すれば、総じて六波羅蜜中に摂入し、得る所の果報は、衆生と之を共にす』、と。
上に、
『四種の行』を、
『広説した!』ので、
今、
『略説すれば!』、こういうことである、――
『一切の功徳』は、
総じて、
『六波羅蜜中に摂入され( be contained )!』、
『所得の果報』を、
『衆生』と、
『共にするのである!』、と。
是菩薩未入正位。諸煩惱未盡故。或時起慳等諸煩惱。爾時應作是思惟諫喻其心。若不布施我自失四事功德。所謂後身生貧窮。貧窮故自不能利益何能利他。若不利他則不能成就眾生。若不能成就眾生。亦不能淨佛世界。何以故。以眾生淨故。世界清淨。若不具足是等眾事。云何當得一切種智。 是の菩薩は、未だ正位に入らずして、諸の煩悩未だ尽きざるが故に、或いは時に、慳等の諸の煩悩を起すも、爾の時には、応に是の思惟を作して、其の心を諌喩すべし、『若し布施せずんば、我れは四事の功徳を失わん。謂わゆる後身は生まれながらにして貧窮なり、貧窮なるが故に、自ら利益する能わず、何ぞ能く他を利せんをや。若し他を利せずんば、則ち衆生を成就する能わず、若し衆生を成就すること能わずんば、亦た仏世界を浄むることも能わざらん。何を以っての故に、衆生の浄なるを以っての故に、世界清浄なればなり。若し是れ等の衆事を具足せずんば、云何が、当に一切種智を得べき』、と。
是の、
『菩薩』は、
未だ、
『正位に入らず!』、
未だ、
『諸の煩悩が尽きていない!』が故に、
或は、
時に、
『慳等の諸煩悩』を、
『起すことになる!』が、
爾の時には、
是のように、
『思惟して!』、
其の、
『心』を、
『諌喩せねばならない!』、――
若し、
『布施しなければ!』、
わたしは、
自ら、
『四事の功徳』を、
『失うことになるだろう!』。
謂わゆる、
『後身』が、
『貧窮の家に生まれ!』、
『貧窮である!』が故に、
『自ら!』を、
『利益することができない!』。
何うして、
『他人』を、
『利益することができるのか?』。
若し、
『他人を利益しなければ!』、
『衆生』を、
『成就できないことになる!』。
若し、
『衆生を成就できなければ!』、
『仏世界』を、
『浄めることもできない!』。
何故ならば、
『衆生が浄い!』が故に、
『世界』が、
『清浄だからである!』。
若し、
是れ等の、
『衆事』が、
『具足しなければ!』、
何故、
『一切種智』を、
『得られるのか?』、と。
  諌喩(けんゆ):いさめさとす。
以要言之。無方便者雖行六波羅蜜。內不能離我心。外取諸法相。所謂我是施者彼是受者是布施物。是因緣故。不能到佛道。與此相違是有方便。 要を以って之を言わば、方便無き者は、六波羅蜜を行ずと雖も、内に我心を離るる能わず、外に諸法の相を取る。謂わゆる『我れは、是れ施者なり。彼れは是れ受者なり、是れは布施物なり。』と。是の因縁の故に、仏道に到る能わず、此れと相違すれば、是れ方便有り。
『要を言えば!』、こうである、――
『方便の無い!』者は、
『六波羅蜜を行っても!』、
内には、
『我心』を、
『離れられず!』、
外には、
『諸法の相を取ることになる!』、――
謂わゆる、
『わたしは、施者である!』とか、
『彼れは、受者である!』とか、
『是れは、布施の物である!』、と。
是の、
『因緣』の故に、
『仏道』に、
『到ることができない!』。
此れと、
『相違すれば!』、
『方便』が、
『有るということである!』。
問曰。若世間波羅蜜等非是正道。是般若波羅蜜中。佛何以說。 問うて曰く、若し世間の波羅蜜等は、是れ正道に非ずんば、是の般若波羅蜜中に、仏は何を以ってか、説きたまえる。
問い、
若し、
『世間』の、
『波羅蜜』等が、
『正道でなければ!』、
是の、
『般若波羅蜜』中に、
何故、
『仏』は、
『説かれているですか?』。
答曰。此是行者初門。與正道相似故。先行相似法。後得真道
大智度論卷第五十六
答えて曰く、此れは是れ行者の初門なれば、正道と相似するが故に、先に相似の法を行じて、後に真の道を得るなり。
大智度論巻第五十六
答え、
此の、
『世間の波羅蜜』は、
『行者の初門であり!』、
『正道』と、
『相似する!』が故に、
先に、
『相似した法を行えば!』、
後に、
『真の道』を、
『得られるからである!』。

大智度論巻第五十六


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