巻第五十五(上)
大智度論釋幻人聽法品第二十八
1.【經】幻人、化人の聴法
2.【論】幻人、化人の聴法
3.【經】般若波羅蜜を受ける者
4.【論】般若波羅蜜を受ける者
大智度論釋散華品第二十九
1.【經】化華の供養
2.【論】化華の供養
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大智度論釋幻人聽法品第二十八(卷五十五)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】幻人、化人の聴法

【經】爾時諸天子心念。應用何等人聽須菩提所說。 爾の時、諸天子の心の念ずらく、『応に何等の人を用いてか、須菩提の所説を聴かしむべき。』と。
爾の時、
『諸天子』は、
『心』に、こう念じた、――
何のような、
『人を用いて( to appoint )!』、
『須菩提の所説』を、
『聴かせればよいのか?』、と。
  (ゆう):<動詞>[本義]使用/採用する( use, employ )。任用する( appoint )、適用/運用する( apply )、管理/運営/統治する( administer )、力を出す( put forth one's strength )、必要とする/要求する( need )、飲む/食う( drink, eat )、政権を握る/執政する( be in power )、行動する( act )。<名詞>功用/功能( function )、材料/物質( material )、費用/資財( cost, expenses )。<前置詞>因って/由って( with, on )、頼る/依拠する( rely on )、[原因を示す]の為に( because of, for )。<接続詞>是に於いて/因って( hence, therefor, thus )、[目的を示す]~の為に( for )。
須菩提知諸天子心所念。語諸天子言。如幻化人聽法。我應用如是人。何以故。如是人無聞無聽無知無證故。 須菩提の、諸天子の心の所念を知りて、諸天子に語りて言わく、『幻化の如き人、法を聴くが如く、我れは応に是の如き人を用うべし。何を以っての故に、是の如き人には聞く無く、聴く無く、知る無く、証すること無きが故なり。
『須菩提』は、
『諸天子の心』に、
『念じる!』所を、
『知り!』、
『諸天子に語って』、こう言った、――
例えば、
『幻、化の人』が、
『法』を、
『聴くように!』、
わたしは、
是のような、
『人』を、
『用いるだろう!』。
何故ならば、
是のような、
『人』には、
『聞くことも、聴くことも、知ることも、証することも!』、
『無いからである!』。
諸天子語須菩提。是眾生如幻如化聽法者亦如幻如化耶。 諸天子の須菩提に語らく、『是の衆生は幻の如く、化の如し。法を聴く者も、亦た幻の如く、化の如きなりや。』
『諸天子』は、
『須菩提』に、こう語った、――
是の、
『衆生』は、
『幻か、化のようだが!』、
『法を聴く!』者も、
亦た、
『幻か、化のようなのか?』、と。
如是如是。諸天子。眾生如幻。聽法者亦如幻。眾生如化聽法者亦如化。 是の如し、是の如し、諸天子。衆生は幻の如しとは、法を聴く者も、亦た幻の如し。衆生は化の如しとは、法を聴く者も、亦た化の如し。
その通りだ!
その通りだ!
諸天子!
『衆生は幻のようだが!』、
亦た、
『法を聴く者も!』、
『幻のようであり!』。
『衆生は化のようだが!』、
亦た、
『法を聴く者も!』、
『化のようである!』。
諸天子我如幻如夢。眾生乃至知者見者亦如幻如夢。 諸天子、我れは幻の如く、夢の如し。衆生、乃至知者、見者も亦た、幻の如く、夢の如し。
諸天子!
わたしは、
『幻か、夢のようだが!』、
亦た、
『衆生、乃至知者、見者も!』、
『幻か、夢のようである!』。
諸天子色如幻如夢。受想行識如幻如夢。眼乃至意觸因緣生受如幻如夢。內空乃至無法有法空。檀波羅蜜乃至般若波羅蜜如幻如夢。 諸天子、色は幻の如く、夢の如し。受想行識も幻の如く、夢の如し。眼、乃至意触因縁生の受も幻の如く、夢の如し。内空、乃至無法有法空、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜も幻の如く、夢の如し。
諸天子!
『色や、受想行識も!』、
『化か、夢のようであり!』、
『眼、乃至意触因縁生の受も!』、
『化か、夢のようであり!』、
『内空、乃至無法有法空や!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜も!』、
『化か、夢のようである!』。
諸天子。四念處乃至十八不共法如幻如夢須陀洹果如幻如夢。斯陀含果阿那含果。阿羅漢果辟支佛道如幻如夢。 諸天子、四念処、乃至十八不共法も幻の如く、夢の如し。須陀洹果も幻の如く、夢の如し。斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏道も幻の如く、夢の如し。
諸天子!
『四念処、乃至十八不共法も!』、
『幻か、夢のようであり!』、
『須陀洹果』も、
『幻か、夢のようであり!』、
『斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏道』も、
『幻か、夢のようのようである!』。
諸天子。佛道如幻如夢。 諸天子、仏道も幻の如く、夢の如し。
諸天子!
『仏道』も、
『幻か、夢のようのようである!』。
爾時諸天子問須菩提。汝說佛道如幻如夢。汝說涅槃亦復如幻如夢耶。 爾の時、諸天子の須菩提に問わく、『汝は、仏道も幻の如く、夢の如しと説けり。汝は、涅槃も亦復た幻の如く、夢の如しと説くや。』と。
爾の時、
『諸天子』は、
『須菩提』に、こう問うた、――
お前は、こう説いた、――
『仏道』は、
『幻か、夢のようだ!』、と。
お前は、こうも説くのか?――
『涅槃』も、
亦復た、
『幻か、夢のようだ!』と、と。
須菩提語諸天子。我說佛道如幻如夢。我說涅槃亦如幻如夢。若當有法勝於涅槃者。我說亦復如幻如夢。何以故。諸天子。是幻夢涅槃不二不別 須菩提の諸天子に語らく、『我れは、仏道は幻の如く、夢の如しと説きたれば、我れは、涅槃も亦た幻の如く、夢の如しと説けり。若しは当に法の涅槃より勝れたる者有るべし。我れは、亦復た幻の如く、夢の如しと説かん。何を以っての故に、諸天子、是の幻夢と、涅槃と二ならず、別ならざればなり。』
『須菩提』は、
『諸天子』に、こう語った、――
わたしは、こう説いた、――
『仏道』は、
『幻か、夢のようだ!』、と。
わたしは、こうも説いた、――
『涅槃』も、
亦復た、
『幻か、夢のようだ!』、と。
若し、
『涅槃に勝る!』、
『法』が、
『有ったとしても!』、
わたしは、
亦た、こう説くだろう、――
『幻か、夢のようだ!』、と。
何故ならば、
是の、
『幻や、夢は!』、
『涅槃と!』、
『二でも、別でもないからである!』。



【論】幻人、化人の聴法

【論】問曰。上已說如幻如夢。無說者無聽者。今何以故復問。應用何等人隨須菩提意聽法者。 問うて曰く、上に已に、『幻の如く、夢の如く、説く者無く、聴く者無し』と説けり。今は何を以っての故にか、復た『応に、何等の人を用いてか、須菩提の意に随いて、法を聴く者ならしむべき』、と問える。
問い、
上には、
已に、こう説かれている、――
『幻か、夢のようであり!』、
『説く者も、聴く者も!』、
『無い!』と。
今は、
何故、
復た( again )、こう問うのか?――
何のような、
『人を用いて( to appoint )!』、
『須菩提の意に随わせ!』、
『法』を、
『聴かせるのか?』、と。
答曰。諸天子先言須菩提所說不可解。此中須菩提說幻化人喻。 答えて曰く、諸天子の先に言わく、『須菩提の所説は、解すべからず』と。此の中に須菩提は、幻化の人の喩を説けり。
答え、
『諸天子』は、
先に、こう言ったので、――
『須菩提』の、
『所説』は、
『理解しがたい!』、と。
此の中に、
『須菩提』は、
『幻化人の喻』を、
『説いた!』。
  参考:『大智度論巻54』:『諸天子。譬如工幻師。於四衢道中化作佛及四部眾於中說法。於諸天子意云何。是中有說者有聽者有知者不。諸天子。言不也大德。須菩提語諸天子。一切諸法如幻。無說者無聽者無知者。爾時諸天子心念。須菩提所說。欲令易解轉深轉妙。』
今諸天子更作是念。何等人聽與須菩提所說相應。能信受行得道果。須菩提答。如幻化人聽者。則與我說法相應。 今、諸天子の更に是の念を作さく、『何等の人か聴きて、須菩提の所説と相応し、能く信受し、行じて、道果を得ん。』と。須菩提の答うらく、『幻化の如き人聴かば、則ち我が説法と相応せん』と。
今、
『諸天子』は更に、こう念じた、――
何のような、
『人が聴けば!』、
『須菩提の所説に相応して!』、
『信じ、受け、行いながら!』、
『道果』を、
『得られるのか?』、と。
『須菩提』は、こう答えた、――
『幻、化のような!』、
『人が聴けば!』、
『わたしの説く法』と、
『相応するだろう!』、と。
問曰。是化人無心心數法不能聽受。何用說法。 問うて曰く、是の化人には、心心数法無く、聴受すること能わず。何を用ってか、法を説く。
問い、
是の、
『化人』には、
『心、心数法』が、
『無いので!』、
『聴、受することができない!』が、
何を、
『目的として!』、
『法』を、
『説くのか?』。
答曰。非即使幻化人聽。但欲令行者於諸法用心無所著如幻化人。 答えて曰く、即ち幻化の人をして、聴かしむるに非ず。但だ行者をして、諸法に於いて、心を用い、所著無きこと幻化の人の如くならしめんと欲すればなり。
答え、
即ち( that is )、
『幻、化の人に! 、
『聴かせるのではなく!』、
但だ、
『行者に!』、
諸の、
『法』に於いて、
『心』を、
『用いさせ( to control )!』、
『幻、化の人のように!』、
『著する!』所を、
『無くさせたいからである!』。
是幻化人無聞亦無證。眾生如幻如夢。聽法亦如幻如夢。眾生者說法人。聽法者是受法人。 是の幻化の人には、聞く無く、亦た証すること無く、衆生は幻の如く、夢の如し。聴法も、亦た幻の如く、夢の如しとは、衆生とは、説法の人なり、聴法とは、是れ受法の人なり。
是の、
『幻、化の人』には、
『聞くことも、証することも!』、
『無く!』、
『衆生は幻か、夢のようであり!』、
『法を聴くことも!』、
『幻か、夢のようである!』。
『衆生』とは、
『法』を、
『説く!』、
『人であり!』、
『法を聴く!』とは、
『法』を、
『受ける!』、
『人である!』。
須菩提言。不但說法者聽法者如幻如夢。我乃至知者見者皆如幻如夢。色亦如幻如夢。乃至涅槃如幻如夢。即是所說法如幻如夢。 須菩提の言わく、『但だ説法の者、聴法の者のみ、幻の如く、夢の如きにあらず。我、乃至知者、見者も、皆、幻の如く、夢の如し。色も、亦た幻の如く、夢の如し。乃至涅槃も幻の如く、夢の如し。即ち是の所説の法も幻の如く、夢の如し』と。
『須菩提』は、こう言った、――
但だ、
『説法の者や!』、
『聴法の者だけが!』、
『幻か、夢のようではない!』。
『我、乃至知者、見者も!』、
皆、
『幻か、夢のようであり!』、
『色、乃至涅槃』も、
亦た、
『幻か、夢のようであり!』、
即ち、
是の、
『所説の法』も、
『幻か、夢のようである!』、と。
一切眾生中佛為第一。一切諸法中涅槃第一。聞是二事如幻如夢心則驚疑。佛及涅槃最上最妙。云何如幻如夢。 一切の衆生中には、仏を第一と為し、一切の諸法中には、涅槃を第一と為すに、是の二事は幻の如く、夢の如しと聞き、心則ち驚疑すらく、『仏、及び涅槃は最上、最妙なり。云何が幻の如く、夢の如くなる』と。
『一切の衆生』中は、
『仏』が、
『第一であり!』、
『一切の諸法』中には、
『涅槃』が、
『第一である!』が、
是の、
『仏や、涅槃の二事』も、
『幻か、夢のようだ!』と、
『聞いて!』、
則ち、
『心より驚いて!』、こう疑った、――
『仏と、涅槃とは!』、
『最上であり!』、
『最妙である!』のに、
何故、
『幻や、夢のようなのか?』、と。
以是故更重問其事。佛及涅槃審如幻如夢耶。須菩提將無誤說。我等將無謬聽。是以更定問。 是を以っての故に、更に重ねて其の事を問わく、『仏、及び涅槃は、審に幻の如く、夢の如しや。須菩提は、将(まさ)に、誤りて説くこと無かるべし。我等も、将に、謬りて聞くこと無し。是を以って更に定んで、問わん』と。
是の故に、
更に、
『重ねて!』、
其の、
『事』を、
『問うたのである!』。
即ち、
『仏や、涅槃は!』、
審に( without doubt )、
『幻や、夢のようなのか?』。
『須菩提』は、
将に( just )、
『間違って説くはず!』が、
『無い!』し、
わたし達も、
将に、
『間違って聴くはず!』が、
『無い!』。
是の故に、
更に、
定んで( without fail )、
『問うことにしよう!』、と。
  (しん):<動詞>[本義]詳らかにする/詳細に考察する( study at large )。知る/知悉する( know )、審査する( check )、審問/審理/審判する( try )、尋ねる/尋問する( inquire )。<副詞>真実/確実に( really, certainly )、仔細に( in detail, carefully )。<形容詞>慎重な/用心深い( cautious )、明確/確定的な( definite )、正しい/偏向せざる( right )、固定/安定した( fixed )。
  (しょう):<動詞>扶助する/支持する( support )、奉行する( follow )、送行する( send )、携帯する( bring )、領導する( lead, guide )、服従する/随従する( be obedient to , submit to )、供養する( provide for )、保養する/休養する( recuperate, rest maintain )、伝達する( express )、進む/行く( advance, go )。<副詞>必ず/必定/当に~すべし( certainly )、要ず/まさに~せんとす( will, be going to )、正に( just )、ほとんど( nearly )、豈/何ぞ/どうして( how can )。<前置詞>~によって/~を以って/~を用いて( by, by means of )、於いて/在って( at, in )。<接続詞>又/且つ( also )、若し( if )、或は( or )。<助詞>動詞の後に在って、動作/行為の趣向、或は親交を表示する。
  (じょう):<形容詞>[本義:乱/動に対す]安定/安隠( stable, smooth and steady )。静穏な( quiet )、固定した( fixed )。<動詞>安定させる( stabilize )、平定する( put down )、樹立する( establish )、決定する( decide )、確定/決定/決心する( determine )、規定する( stipulate )、締結する( agree to )、止める/停止させる( stop )、判定/断定する( conclude )。<副詞>定んで/一定に/確実に( certainly )、全く/結局( at all, after all )。
須菩提語諸天子。我說佛及涅槃正自如幻如夢。 須菩提の諸天子に語らく、『我れは説けり、仏、及び涅槃は、正しく自ら、幻の如く、夢の如しと。
『須菩提』は、
『諸天子』に、こう語った、――
わたしは、
『仏や、涅槃も!』、
『夢のようだ!』と、
『説いた!』が、
正しく、
『自らも!』、
『幻や、夢のようなのだ!』、と。
是二法雖妙。皆從虛妄法出故空。所以者何。從虛妄法故有涅槃。從福德智慧故有佛。是二法屬因緣無有實定。如念佛念法義中說。 是の二法は、妙なりと雖も、皆、虚妄の法より出づるが故に、空なり。所以は何んとなれば、虚妄の法に従うが故に、涅槃有り。福徳の智慧に従うが故に、仏有り。是の二法は、因縁に属し、実定有ること無し』と。『念仏、念法の義』中に説くが如し。
是の、
『仏、涅槃の二法』は、
『妙であっても( be marvellous )!』、
皆、
『虚妄の法より!』、
『出る!』が故に、
『空である!』。
何故ならば、
『虚妄の法に従属する!』が故に、
『涅槃』が、
『有り!』、
『福徳の智慧に従属する!』が故に、
『仏』が、
『有る!』が故に、
是の、
『二法』は、
『因縁に属して!』、
『実定』が、
『無い!』と、
『念仏、念法の義』中に、
『説いた通りだからである!』。
須菩提作是念。般若波羅蜜力假令有法勝涅槃者能令如幻。何況涅槃。何以故。涅槃一切憂愁苦惱畢竟滅。以是故無有法勝涅槃者。 須菩提の是の念を作さく、『般若波羅蜜の力は、仮りに法の涅槃に勝る者有らしめんに、能く幻の如くならしむ。何に況んや、涅槃をや』、と。何を以っての故に、涅槃とは、一切の憂愁、苦悩の畢竟じて滅する、是を以っての故にのみ、法の涅槃に勝る者の無ければなり。
『須菩提』は、こう念じた、――
仮令( even if )、
『涅槃より勝れた!』、
『法』が、
『有ったとしても!』、
『般若波羅蜜』の、
『力』が、
『幻のようにするだろう!』。
況して、
『涅槃を幻にする!』のは、
『言うまでもない!』、と。
何故ならば、
『涅槃』は、
『一切の憂愁、苦悩』が、
『畢竟じて!』、
『滅しており!』、
是の故に、
『涅槃に勝る!』、
『法』は、
『無いからである!』。
問曰。若無法勝涅槃者。何以故說若有法勝涅槃亦復如幻。 問うて曰く、若し、法の涅槃に勝る者無くんば、何を以っての故に、『若し、法の涅槃に勝る有らば、亦復た幻の如くならん』と説く。
問い、
若し、
『涅槃に勝る!』、
『法』が、
『無ければ!』、
何故、こう説くのですか?――
若し、
『涅槃に勝る!』、
『法』が、
『有ったとしても!』、
亦復た、
『幻のようなのだ!』、と。
答曰。譬喻法或以實事。或時假設隨因緣故說。如佛言。若令樹木解我所說者。我亦記言得須陀洹。但樹木無因緣可解。佛為解悟人意故。引此喻耳。 答えて曰く、譬喩の法は、或いは実事を以って、或いは時に仮設の因縁に随っての故に説く。仏の言えるが如し、『若し樹木をして、我が所説を解せしむれば、我れも、亦た記して、須陀洹を得と言わん』と。但だ樹木には、解すべき因縁無く、仏は、人に意を解悟せしめんが為の故に、此の喩を引きたまえるのみ。
答え、
『譬喩の法』は、
或は、
『事実を用いて!』、
『説き!』、
或時には、
『仮設した因縁に随って!』、
『説くのである!』が、
例えば、
『仏』は、こう言われている、――
若し、
『樹木』に、
『わたしの所説』を、
『理解させられれば!』、
わたしも、
亦た、
『記して( to predict )!』、
『須陀洹を得るだろう!』と、
『言うだろう!』、と。
但だ、
『樹木』には、
『理解するような!』、
『因縁( reason )』は、
『無いのである!』が、、
『仏』は、
『人』に、
『意』を、
『解悟させようする!』が故に、
此の、
『喻』を、
『引かれただけである!』。
  参考:『別訳雑阿含経巻8』:『我今若說娑羅樹林。能解義味。無有是處。假使解義。我亦記彼得須陀洹。』
涅槃是一切法中究竟無上法。如眾川萬流大海為上。諸山之中須彌為上。一切法中虛空為上。 涅槃は、是れ一切法中に、究竟じて無上の法なり。衆川、万流には、大海を上と為し、諸山の中には、須弥を上と為し、一切の法中には、虚空を上と為すが如し。
『涅槃』は、
一切の、
『法』中に、
『究竟じて!』、
『無上の法であり!』、
譬えば、
『衆川、万流』中には、
『大海』が、
『上であり!』、
『諸山』中には、
『須弥山』が、
『上であり!』、
『一切の法』中に、
『虚空』が、
『上であるようなものである!』。
涅槃亦如是。無有老病死苦。無有邪見貪恚等諸衰。無有愛別離苦。無怨憎會苦。無所求不得。苦無常虛誑敗壞變異等一切皆無。 涅槃も、亦た是の如く、老病死の苦有ること無く、邪見、貪、恚等の諸衰有ること無く、愛別離苦有ること無く、怨憎会苦無く、所求不得の苦無く、無常、虚誑、敗壊、変異等の一切も、皆無し。
『涅槃』も、
亦た、
是のように、
『老、病、死という!』、
『苦が!』、
『無く!』、
『邪見、貪、恚等の!』、
『諸衰も!』、
『無く!』、
『愛別離という!』、
『苦も!』、
『無く!』、
『怨憎会という!』、
『苦も!』、
『無く!』、
『求不得という!』、
『苦も!』、
『無く!』、
『無常、虚誑、敗壊、変異等の!』、
『一切が!』、
『皆無である!』。
以要言之。涅槃是一切苦盡。畢竟常樂。十方諸佛菩薩弟子眾所歸處。安隱常樂無過是者。終不為魔王魔人所破。 要を以って之を言わば、涅槃は、是れ一切の苦尽き、畢竟常楽、十方の諸仏、菩薩の弟子衆の所帰の処なれば、安隠常楽なること是れに過ぐる者無く、終に魔王、魔人の破る所と為らざるなり。
『要を言えば!』、――
『涅槃』は、
一切の、
『苦が尽きて!』、
『畢竟じて!』、
『常楽であり!』、
十方の、
『諸仏、菩薩、弟子衆』の、
『帰るべき!』、
『処であり!』、
是れに、
『過ぎた!』、
『安隠、常楽』は、
『無い!』ので、
終に、
『魔王、魔人にも!』、
『破られることはない!』。
如阿毘曇中說。有上法者。一切有為法。及虛空非智緣盡。無上法者智緣盡。所謂涅槃。是故知無法勝涅槃者。 阿毘曇中に説けるが如き、『有上の法とは、一切の有為法、及び虚空、非智縁尽なり。無上の法とは、智縁尽なり、謂わゆる涅槃なり』と。是の故に知るらく、『法の涅槃に勝る者無し』と。
例えば、
『阿毘曇』中には、こう説いている、――
『有上の法』とは、
一切の、
『有為法と!』、
『虚空!』、
『非智縁尽とである!』。
『無上の法』とは、
『智縁尽であり!』、
謂わゆる、
『涅槃である!』、と。
是の故に、こう知ることになる、――
『涅槃に勝る!』、
『法』は、
『無い!』、と。
  参考:『阿毘達磨品類足論巻6』:『有上法云何。謂一切有為法及虛空非擇滅。無上法云何。謂擇滅。』
須菩提美般若波羅蜜力大故。言若有法勝涅槃者是亦如幻。 須菩提の般若波羅蜜の力の大なるを美(ほ)むるが故に、言わく、『若し、法の涅槃に勝る者有らば、是れも亦た幻の如くならん』と。
『須菩提』は、
『般若波羅蜜の力』が、
『大である!』のを、
『讃美した!』が故に、
こう言った、――
若し、
『涅槃に勝る!』、
『法』が、
『有れば!』、
是れも、
亦た、
『幻のようであろう!』、と。
  (み):<形容詞>[本義]美味/甘い( delicious )。美しい/見目好い/美事な/きれいな( beautiful, good-looking, handsome, pretty )、魅力的な/清澄な/良好な/気持ちいい/素晴らしい( fair, good, nice, fine )、理想的( ideal )。<動詞>称讃/讃美する( praise )、美しくする/美化する( beautify )。
譬如大熱鐵丸以著擘起毳上直燒下過熱勢無損但更無可燒者。般若波羅蜜智慧。破一切有法乃至涅槃。直過無礙智力不減。直更無法可破。是故言設有法勝涅槃。智慧力亦能破 譬えば大熱の鉄丸を以って、起毳上に著(お)いて擘すれば、直ちに焼きて下に過ぎ、熱勢の損する無く、但だ更に焼くべき者の無きが如く、般若波羅蜜の智慧も、一切の有らゆる法、乃至涅槃を破り、直ちに過ぐれば、無礙の智力は減ぜず、直だ更に法の破るべき無し。是の故に言わく、『設し法の涅槃に勝るもの有りとも、智慧の力は、亦た能く破らん』と。
譬えば、
『大熱の鉄丸』を、
『起毳( nap raising )上に置けば!』、
『布を擘()きながら!』、
直ちに、
『下に!』、
『通過する!』が、
『熱の勢』の、
『損なわれること!』は、
『無く!』、
但だ、
『更に、焼くべき者』が、
『無くなるだけであるように!』、
『般若波羅蜜という!』、
『智慧』は、
一切の、
『有らゆる法、乃至涅槃を破りながら!』、
直ちに、
『通過するだけで!』、
『無礙の智力』は、
『減らない!』、
但だ、
『更に、破るべき法』が、
『無くなるだけである!』。
是の故に、こう言う、――
設(たと)い、
『涅槃に勝る!』、
『法が有ったとしても!』、
亦た、
『智慧の力』で、
『破ることができる!』、と。
  (ひゃく):裂く。
  起毳(きぜい):起毛。毳はにこげ。



【經】般若波羅蜜を受ける者

【經】爾時慧命舍利弗。摩訶目揵連。摩訶拘絺羅。摩訶迦旃延。富樓那。彌多羅尼子。摩訶迦葉。及無數千菩薩。問須菩提。般若波羅蜜如是甚深。難見難解難知寂滅微妙。誰當受者。 爾の時、慧命舎利弗、摩訶目揵連、摩訶拘絺羅、摩訶迦旃延、富楼那弥多羅尼子、摩訶迦葉、及び無数千の菩薩の須菩提に問わく、『般若波羅蜜の是の如く甚深にして、難見、難解、難知、寂滅、微妙なれば、誰か当に受くべき者なる』と。
爾の時、
『慧命舎利弗、摩訶目揵連、摩訶拘絺羅、摩訶迦旃延』、
『富楼那弥多羅尼子、摩訶迦葉』及び、
『無数千の菩薩』は、
『須菩提』に、こう問うた、――
『般若波羅蜜』は、
是のように、
『甚深』、
『難見』、
『難解』、
『難知』、
『寂滅』、
『微妙である!』。
是れを、
『受けるべき( should be abele to accept )!』者とは、
『誰だろう?』、と。
爾時阿難語諸大弟子及諸菩薩。阿鞞跋致諸菩薩摩訶薩。能受是甚深難見難解難知寂滅微妙般若波羅蜜。正見成就人。漏盡阿羅漢。所願已滿亦能受之。 爾の時、阿難の諸大弟子、及び諸菩薩に語らく、『阿鞞跋致の諸の菩薩摩訶薩は、能く是の甚深、難見、難解、難知、寂滅、微妙なる般若波羅蜜を受けん。正見成就せる人、漏尽の阿羅漢、所願已に満てるも、亦た能く、之を受けん』と。
爾の時、
『阿難』が、
『諸の大弟子』、及び『諸の菩薩』に、こう語った、――
『阿鞞跋致』の、
諸の、
『菩薩摩訶薩』は、
是の、
『甚深、難見、難解、難知、寂滅、微妙』の、
『般若波羅蜜』を、
『受けることができる!』し、
『正見を成就した人や!』、
『漏尽の阿羅漢や!』、
『所願の已に満ちた者も!』、
是の、
『甚深、難見、難解、難知、寂滅、微妙』の、
『般若波羅蜜』を、
『受けることができる!』。
復次善男子善女人多見佛。於諸佛所多供養種善根。親近善知識有利根。是人能受。不言是法非法。 復た次ぎに、善男子、善女人の多く仏を見て、諸仏の所に於いて、多く供養して、善根を種え、善知識に親近する、利根有あらば、是の人は能く受けて、是法、非法を言わざらん。
復た次ぎに、
『善男子、善女人』が、
多く、
『仏を見ることができ!』、
『諸仏の所』に於いて、
多く、
『供養して!』、
『種種の善根』を、
『種えたり!』、
『善知識に親近するほど!』の、
『利根』が、
『有れば!』、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜を受けることができ!』、
こう言うことはないであろう、――
『是れは法である!』とか、
『是れは法でない!』、と。
須菩提言。不以空分別色。不以色分別空。受想行識亦如是。 須菩提の言わく、『空を以って色を分別せざれ、色を以って空を分別せざれ。受想行識も亦た、是の如し。
『須菩提』は、こう言った、――
『空を用いて!』、
『色』を、
『分別してはならない!』し、
『色を用いて!』、
『空』を、
『分別してもならない!』。
『受想行識』も、
亦た、
『是の通りである!』。
不以無相無作分別色。不以色分別無相無作。受想行識亦如是。 無相、無作を以って、色を分別せざれ。色を以って無相無作を分別せざれ。受想行識も亦た、是の如し。
『無相、無作を用いて!』、
『色』を、
『分別してはならない!』し、
『色を用いて!』、
『無相、無作』を、
『分別してもならない!』。
『受想行識』も、
亦た、
『是の通りである!』。
不以無生無滅寂滅離分別色。不以色分別無生無滅寂滅離。受想行識亦如是。眼乃至意觸因緣生受亦如是。 無生、無滅、寂滅、離を以って、色を分別せざれ。色を以って、無生、無滅、寂滅、離を分別せざれ。受想行識も亦た、是の如し。眼、乃至意触因縁生の受も亦た、是の如し。
『無生、無滅、寂滅、離を用いて!』、
『色』を、
『分別してはならない!』し、
『色を用いて!』、
『無生、無滅、寂滅、離』を、
『分別してもならない!』。
『受想行識』も、
亦た、
『是の通りであり!』、
『眼、乃至意触因縁生の受』も、
亦た、
『是の通りである!』。
檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。內空乃至無法有法空。四念處乃至十八不共法。一切三昧門。一切陀羅尼門。須陀洹乃至阿羅漢辟支佛佛一切智。不以空分別一切智。不以一切智分別空。 檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜、内空、乃至無法有法空、四念処、乃至十八不共法、一切の三昧門、一切の陀羅尼門、須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏、仏、一切智も、空を以って一切智を分別せざれ。一切智を以って、空を分別せざれ。
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜』、
『内空、乃至無法有法空』、
『四念処、乃至十八不共法』、
『一切の三昧門』、
『一切の陀羅尼門』、
『須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏、仏、一切智』は、
『空を用いて!』、
『一切智』を、
『分別してはならない!』し、
『一切智を用いて!』、
『空』を、
『分別してはならない!』。
不以空分別一切種智。不以一切種智分別空。無相無作無生無滅寂滅離亦如是。 空を以って、一切種智を分別せざれ。一切種智を以って、空を分別せざれ。無相、無作、無生、無滅、寂滅、離も亦た、是の如し。
『空を用いて!』、
『一切種智』を、
『分別してはならない!』し、
『一切種智を用いて!』、
『空』を、
『分別してはならない!』。
『無相、無作、無生、無滅、寂滅、離』も、
亦た、
『是の通りである!』。
須菩提語諸天子言。是般若波羅蜜甚深。誰能受者。是般若波羅蜜中。無法可示。無法可說。若無法可示無法可說。受人亦不可得。 須菩提の諸天子に語りて言わく、『是の般若波羅蜜は甚深なれば、誰か能く受くる者ぞ。是の般若波羅蜜中には、法の示すべき無く、法の説くべき無ければなり。若し法の示すべき無く、法の説くべき無くんば、受くる人も、亦た得べからざらん』、と。
『須菩提』は、
『諸天子に語って!』、こう言った、――
是の、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深い!』が、
誰が、
『受けることができるのか?』。
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『示すべき!』、
『法』が、
『無く!』、
『説くべき!』、
『法』も、
『無いので!』、
若し、
『示すべき!』、
『法』が、
『無く!』、
『説くべき!』、
『法』が、
『無ければ!』、
『受ける!』、
『人』も、
『得られないからである!』、と。
爾時舍利弗語須菩提言。般若波羅蜜中廣說三乘之教。及攝取菩薩之法。從初發意地乃至十地。檀波羅蜜乃至般若波羅蜜。四念處乃至八聖道分。佛十力乃至十八不共法。護持菩薩之教。 爾の時、舎利弗の須菩提に語りて言わく、『般若波羅蜜中には広く、三乗の教、及び菩薩を摂取する法、初発意の地より、乃至十地、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜、四念処、乃至八聖道分、仏の十力、乃至十八不共法、菩薩を護持する教を説く。
爾の時、
『舎利弗』は、
『須菩提に語って!』、こう言った、――
『般若波羅蜜』中には、
広く、
こう説かれている、――
謂わゆる、
『三乗の教』、
『菩薩を摂取する法』、
『初発意の地、乃至十地』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜』、
『四念処、乃至八聖道分』、
『仏の十力、乃至十八不共法』、
『菩薩を護持する教である!』、と。
菩薩摩訶薩如是行般若波羅蜜。常化生不失神通。遊諸佛國具足善根。隨其所欲供養諸佛即得如願。從諸佛所聽受法教。至薩婆若初不斷絕。未曾離三昧時。當得捷疾辯利辯不盡辯不可斷辯隨應辯義辯一切世間最上辯 菩薩摩訶薩は、是の如く般若波羅蜜を行じて、常に化生して神通を失わず、諸の仏国に遊びて善根を具足し、其の欲する所に随いて、諸仏を供養すれば、即ち願の如きを得、諸仏より聴受する所の法教は、薩婆若に至るまで、初より断絶せず、未だ曽て三昧の時を離れざれば、当に捷疾の辯、利なる辯、尽きざる辯、断ずべからざる辯、随い応ずる辯、義の辯、一切世間の最上の辯を得べし。
『菩薩摩訶薩』は、
是のように、
『般若波羅蜜を行い!』、
常に、
『世間に化生する!』が、
『神通』を、
『失わず!』、
諸の、
『仏国に遊びながら!』、
『善根』を、
『具足し!』、
其の、
『欲するがままに!』、
諸の、
『仏』を、
『供養する!』が故に、
即ち( and then )、
『願いの通りに!』、
『成就し!』、
諸の、
『仏より聴受した!』所の、
『法』を、
『教えながら!』、
乃至、
『薩婆若( all-knowledge )まで!』、
『初のままに!』、
『断絶させず!』、
未だ曽て、
『三昧の時を離れない!』が故に、
『捷疾の辯( agile speaking )と!』、
『利の辯( sharp speaking )と!』、
『不尽の辯( endless speaking )と!』、
『不可断の辯( speaking that cannot be stopped )と!』、
『隨応する辯( following speaking )と!』、
『義の辯( reasonable speaking )と!』、
『一切世間の最上の辯とを!』、
『得るのである!』。
  捷疾(しょうしつ):機敏。
須菩提言。如是如是。如舍利弗言。般若波羅蜜廣說三乘之教。及護持菩薩之教。乃至菩薩摩訶薩。得一切世間最上辯不可得故。 須菩提の言わく、『是の如し、是の如し。舎利弗の言の如く、般若波羅蜜は、広く三乗の教、及び菩薩を護持する教を説きて、乃至菩薩摩訶薩も、一切世間の最上の辯を得るは、得べからざるが故なり。
『須菩提』は、こう言った、――
その通りだ!
その通りだ!
『舍利弗の言うように!』、
『般若波羅蜜』は、
『三乗の教や、菩薩を護持する教』を、
『広く!』、
『説く!』が故に、
乃至、
『菩薩摩訶薩』が、
『一切の世間』の、
『最上の辯』を、
『得る!』のは、
是の、
『辯』が、
『不可得( unrecognizable )だからである!』。
我乃至知者見者不可得。色受想行識。檀波羅蜜乃至般若波羅蜜不可得。內空乃至無法有法空不可得。四念處乃至八聖道分。佛十力乃至一切種智。亦不可得故。 我、乃至知者、見者は得べからず。色受想行識、檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜は得べからず。内空、乃至無法有法空は得べからず。四念処、乃至八聖道分、仏の十力、乃至一切種智も、亦た得べからざるが故なり。
『我、乃至知者、見者』は、
存在しないが故に!
『得られず( cannot be recognized )!』、
『色受想行識も!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜も!』、
『得られない!』し、
『内空、乃至無法有法空』は、
『得られず!』、
『四念処、乃至八聖道分』、
『仏の十力、乃至一切種智も!』、
亦た、
『得られないからである!』。
舍利弗語須菩提。何因緣故。般若波羅蜜中。廣說三乘而不可得。何因緣故。般若波羅蜜中護持菩薩。何因緣故。菩薩摩訶薩得捷疾辯。乃至一切世間最上辯不可得故。 舎利弗の須菩提に語らく、『何の因縁の故にか、般若波羅蜜中には、広く三乗を説きて、而も得べからざる。何の因縁の故にか、般若波羅蜜中には、菩薩を護持する。何の因縁の故にか、菩薩摩訶薩は、捷疾の辯、乃至一切世間の最上の辯を得て、得べからざるが故なる』と。
『舎利弗』は、
『須菩提』に、こう語った、――
何のような、
『因縁』の故に、
『般若波羅蜜』中に、
『広く説かれた!』、
『三乗』が、
『得られないのか?』
何のような、
『因縁』の故に、
『般若波羅蜜』中に、
『菩薩』は、
『護持されるのか?』。
何のような、
『因縁』の故に、
『菩薩摩訶薩の得た!』、
『捷疾の辯、乃至一切世間の最上の辯』が、
『得られないのか?』。
須菩提語舍利弗言。以內空故。般若波羅蜜。廣說三乘不可得。外空乃至無法有法空故。廣說三乘不可得。 須菩提の舎利弗に語りて言わく、『内空を以っての故に、般若波羅蜜の広説せる三乗は不可得なり。外空、乃至無法有法空の故に、広説せる三乗は不可得なり。
『須菩提』は、
『舎利弗に語って!』、こう言った、――
『内空を用いる!』が故に、
『般若波羅蜜の広説する!』、
『三乗』は
『得られない!』し、
『外空、乃至無法有法空』の故に、
『広説する!』、
『三乗』は、
『得られないのである!』。
內空故護持菩薩。乃至一切世間最上辯不可得。外空乃至無法有法空故。護持菩薩。乃至一切世間最上辯不可得。 内空の故に菩薩の護持、乃至一切世間の最上の辯は不可得なり。外空、乃至無法有法空の故に、菩薩の護持、乃至一切世間の最上の辯は不可得なり。
『内空』の故に、
『菩薩を護持すること!』、
乃至、
『一切世間の最上の辯』は、
『得られない!』し、
『外空、乃至無法有法空』の故に、
『菩薩を護持すること!』、
乃至、
『一切世間の最上の辯』は、
『得られないのである!』。



【論】般若波羅蜜を受ける者

【論】者言。是時諸大弟子舍利弗等。語須菩提。是般若波羅蜜法甚深難解。以諸法無定相故為甚深。諸思惟觀行滅故難見。亦不著般若波羅蜜故。名難解難知。滅三毒及諸戲論故名寂滅。得是智慧妙味故。常得滿足更無所求。餘一切智慧皆麤澀叵樂故言微妙。 論者の言わく、是の時の諸の大弟子の舎利弗等の須菩提に語れる、『是の般若波羅蜜の法は、甚深にして難解なり』とは、諸法に定相無きを以っての故に甚深と為し、諸の思惟、観行滅するが故に難見となし、亦た般若波羅蜜にも著せざるが故に、難解、難知と名づけ、三毒、及び諸の戯論を滅するが故に寂滅と名づけ、是の智慧の妙味を得るが故に常に満足を得て、更に求むる所無く、余の一切の智慧の皆、麁渋にして、楽しむべからざるが故に、微妙と言えり。
論者は言う、――
是の時、
諸の、
『大弟子の舎利弗』等は、
『須菩提』に、こう語った、――
是の、
『般若波羅蜜』という、
『法』は、
『甚だ深く!』、
『理解し難い!』、と。
諸の、
『法』は、
『定相が無い!』が故に、
『甚だ深く!』、
諸の、
『思惟、観、行』が、
『滅している!』が故に、
『見難く!』、
亦た、
『般若波羅蜜に著さない!』が故に、
『理解し難く、知り難い!』と、
『称して!』、
『三毒と諸の戯論を滅した!』が故に、
『寂滅である!』と、
『称するのであり!』、
是の、
『智慧の妙味を得た!』が故に、
『常に満足することができて!』、
更に、
『求める!』所が、
『無いのであり!』、
余の、
『一切の智慧』は、
皆、
『麁渋であって!』、
『楽しめない!』が故に、
是れを、
『微妙だ!』と、
『言うのである!』。
  (は):かたし。不可。
  麁渋(そじゅう):滑らかならざること。
諸大弟子作是言。般若波羅蜜智慧甚深。世間人智慧淺薄。但貪著福德果報。而不樂修福德。著有則情勇。破有則心怯。本所聞習邪見經書堅著不捨。如是人常樂世樂。以是故言誰能信受。是深般若波羅蜜。若無信受。何用說為 諸の大弟子の是の言を作さく、『般若波羅蜜の智慧は甚深にして、世間の人の智慧は浅薄にして、但だ福徳の果報に貪著して、福徳を修むるを楽しまず。有に著すれば、則ち情勇むも、有を破すれば、則ち心怯ゆ。本聞き習いたる所の邪見の経書に堅著して捨てず。是の如き人は、常に世楽を楽しむ』と。是を以っての故に言わく、『誰か能く、是の般若波羅蜜を信受せん。若し信受する無くんば、何の用の為に説く』と。
諸の、
『大弟子』は、こう言ったのである、――
『般若波羅蜜』の、
『智慧』は、
『甚だ深い!』が、
『世間の人』の、
『智慧』は、
『浅く薄い!』、
但だ、
『福徳』という、
『果報』に、
『貪著するのみ!』で、
『福徳』を、
『修めること!』を、
『楽しまない!』、
『有に著する!』ので、
『情意( the mind of desire )』は、
『勇ましい!』が、
『有が破れれば!』、
『心』に、
『怯えるのに!』、
本、
『聞いて、習った!』所の、
『邪見や、経書』に、
『堅く著して!』、
『捨てることがない!』。
是のような、
『人』は、
常に、
『世間の楽』を、
『楽しむ!』ので、
是の故に、こう言うことになる、――
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
誰か、
『信受できるのか?』。
若し、
『信受する者が無ければ!』、
何の為に、
『説くのか?』と、と。
阿難助。答有四種人能信受。是故大德須菩提所說必有信受。不空說也。 阿難の助けて答うらく、『四種の人の、能く信受する有り。是の故に大徳須菩提の所説にも、必ず信受する有れば、説いて空しからざるなり。
『阿難が助けて!』、こう答えた、――
『四種』の、
『人』が、
『信受することができる!』ので、
是の故に、
『大徳須菩提の所説』には、
必ず、
『信受する!』者が、
『有り!』、
即ち、
『空しく!』、
『説くのではない!』、と。
一者阿鞞跋致菩薩摩訶薩。知一切法不生不滅。不取相無所著故是則能受。 一には、阿鞞跋致の菩薩摩訶薩は、一切法の不生不滅なるを知りて、相を取らず、所著無きが故に、是れ則ち能く受くるなり。
一には、
『阿鞞跋致の菩薩摩訶薩』は、
一切の、
『法』は、
『不生、不滅である!』と、
『知って!』、
『相を取らず!』、
『著する!』所が、
『無い!』が故に、
是れは、
則ち( therefor )、
『受けることができる!』。
二者漏盡阿羅漢。漏盡故無所著。得無為最上法。所願已滿更無所求故。常住空無相無作三昧。隨順般若波羅蜜故。則能信受。 二には、漏尽の阿羅漢は、漏尽きたるが故に所著無く、無為の最上の法を得て、所願已に満つれば、更に求むる所無きが故に、常に空、無相、無作三昧に住して、般若波羅蜜に随順するが故に、則ち能く信受す。
二には、
『漏の尽きた!』、
『阿羅漢』は、
『漏の尽きている!』が故に、
『有為法』中には、
『著する!』所が、
『無く!』、
『無為』という、
『最上の法を得た!』が故に、
已に、
『願う所が満ちて!』、
更に、
『求める!』所が、
『無い!』ので、
常に、
『空、無相、無作三昧に住して!』、
『般若波羅蜜』に、
『随順する!』が故に、
則ち、
『信受することができる!』。
三者三種學人正見成就。漏雖未都盡四信力故亦能信受。 三には、三種の学人は、正見成就して、漏は未だ都べては尽きざると雖も、四信の力の故に、亦た能く信受す。
三には、
『三種の学人』は、
『正見』が、
『成就している!』が故に、
未だ、
『漏が尽きていなくても!』、
『四信(真如+三宝)の力』の故に、
『信受することができる!』。
  四信(ししん):真如、及び三宝を信ずるを云う。『大智度論巻18下注:四信』参照。
四者有菩薩。雖未得阿鞞跋致。福德利根智慧清淨。常隨善知識。是人亦能信受。 四には、有る菩薩は、未だ阿鞞跋致を得ずと雖も、福徳の利根、智慧の清浄なれば、常に善知識に随う。是の人も、亦た能く信受するなり。
四には、
有る、
『菩薩』は、
未だ、
『阿鞞跋致』を、
『得ていない!』が、
『福徳(善行の果報)』の、
『利根、智慧』が、
『清浄である!』が故に、
常に、
『善知識』に、
『随う!』ので、
亦た、
是の、
『人も!』、
『信受することができる!』。
信受相不言是法非佛菩薩大弟子所說。雖聞般若波羅蜜諸法皆畢竟空。不以愛先法故而言非法。 信受の相は、『是の法は、仏、菩薩、大弟子の所説に非ず』と言わず、般若波羅蜜を聞いて、諸法は皆畢竟じて空なりと雖も、先の法を愛するを以っての故には、『法に非ず』と言わず。
『信受の相』とは、――
是の、
『般若波羅蜜という!』、
『法』を、
『仏、菩薩、大弟子の所説ではない!』と、
『言わない!』し、
『般若波羅蜜を聞いて!』、
『諸法』は、
皆、
『畢竟じて!』、
『空であったとしても!』、
先に、
『聞いた!』所の、
『法』を、
『愛する!』が故に、
こう言うことはない、――
『般若波羅蜜』は、
『法でない!』。
問曰。自上已來阿難都無言論。今何以代須菩提答。 問うて曰く、上より已来、阿難には、都べて言論無し。今は何を以ってか、須菩提に代りて答う。
問い、
上来、
『阿難』には、
何のような、
『言論も!』、
『無かった!』が、
今は、
何故、
『須菩提に代って!』、
『答えたのですか?』。
答曰。阿難是第三轉法輪。將能為大眾師。是世尊近侍。雖得初道以漏未盡故。雖有多聞智慧。自以於空智慧中未能善巧。若說空法自未入故皆是他事。是故無言。 答えて曰く、阿難は、是れ第三の転法輪の将にして、能く大衆の師と為る。是の世尊の近侍は、初道を得と雖も漏の未だ尽きざるを以っての故に、多聞の智慧有りと雖も、自ら空の智慧中に於いて、未だ善巧なる能わざるを以って、若しは空法を説くも、自ら未だ入らざるが故に、皆、是れ他事なれば、是の故に言無し。
答え、
『阿難』は、
『仏、舎利弗に次いで!』、
『第三の転法輪の将であり!』、
『大衆の師と為ることができる!』。
是れは、
『世尊の近侍であり!』、
『初道を得ていながら!』、
未だ、
『漏』が、
『尽きていなかったし!』、
『多聞の智慧が有りながら!』、
自ら、
『空の智慧中には!』、
未だ、
『善巧ではない!』と、
『思っていた!』ので、
若し、
『空法が説かれていても!』、
自ら、
『空法』中に、
『入らない( to begin to understand )!』が故に、
是れは、
皆、
『他人の事なのであり!』、
是の故に、
『言』が、
『無かったのである!』。
或時說諸有事。則能問能答。如後品中。問佛言。世尊何以故但讚歎般若波羅蜜。不讚五波羅蜜。 或いは時に、諸有の事を説くに、則ち能く問い、能く答う。後の品中の如きに、仏に問うて言わく、『世尊、何を以っての故にか、但だ般若波羅蜜を讃歎して、五波羅蜜を讃じたまわず』と。
或いは、
時に、
『阿難』は、
諸の、
『有(不空)である!』、
『事』を、
『説く!』時には、
則ち、
『問うこともでき!』、
『答えることもできた!』。
『後の品』中には、
『阿難』は、
『仏に問うて!』、こう言っている、――
世尊!
何故、
但だ、
『般若波羅蜜のみ!』を、
『讃歎して!』、
他の、
『五波羅蜜』を、
『讃歎されないのですか?』、と。
  参考:『大品般若経巻9尊導品』:『爾時慧命阿難白佛言。世尊。何以不稱譽檀那波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜乃至十八不共法。但稱譽般若波羅蜜。佛告阿難。般若波羅蜜於五波羅蜜乃至十八不共法。為尊導。阿難。於汝意云何。不迴向薩婆若布施。得稱檀那波羅蜜不。不也世尊。不迴向薩婆若。尸羅羼提毘梨耶禪那智慧是般若波羅蜜不。不也世尊。以是故知。般若波羅蜜於五波羅蜜乃至十八不共法為尊導。是故稱譽。』
此中問人誰能信是深般若波羅蜜者。非是空事故阿難便答。 此の中に問わく、『人は、誰か能く、此の般若波羅蜜を信ずる者なる』と。是れ空事に非ざるが故に、阿難は便ち答えたり。
此の中には、こう問うているが、――
『人』中の、
誰が、
是の、
『深い般若波羅蜜』を、
『信じることのできる者なのか?』、と。
是れは、
『空に関する!』、
『事でない!』が故に、
『阿難』にも、
『便ち( easily )!』、
『答えられたのである!』。
須菩提常樂說空事不喜說有。 須菩提は、常に楽しんで、空事を説きて、有を説くを喜ばず。
『須菩提』は、
常に、
『空の事』を、
『説くこと!』を、
『楽しんでいた!』が、
『有の事』を、
『説くこと!』は、
『喜ばなかった!』。
又以阿難是時樂說心生。是故聽答。阿難煩惱未盡故智慧力鈍。然信力猛利故。於甚深般若波羅蜜中。能如法問答。 又阿難の、是の時、楽説の心生ずるを以って、是の故に答うるを聴したまえり。阿難の煩悩は、未だ尽きざるが故に智慧力鈍し。然るに信力猛利なるが故に、甚深の般若波羅蜜中に於いて、能く如法に問答せり。
又、
『阿難』は、
是の時、
『説くこと!』を、
『楽しむ!』、
『心』が、
『生じていた!』ので、
是の故に、
『仏』は、
『阿難』に、
『説くこと!』を、
『聴された( to permit )!』。
『阿難』は、
未だ、
『煩悩が尽きていない!』が故に、
『智慧の力』が、
『鈍い!』が、
然し、
『信の力』が、
『猛利である!』が故に、
『甚だ深い般若波羅蜜』中に於いて、
『如法に!』、
『問答することができた!』。
問曰。般若波羅蜜無所有。無有一定法。云何四種人信受不言非法。 問うて曰く、般若波羅蜜には所有無く、一定法も有ること無し。云何が、四種の人の信受して、非法なりと言わざる。
問い、
『般若波羅蜜』には、
『所有( any opinion )が無く!』、
『一定法( a fixed dharma )も!』、
『無い!』のに、
何故、
『四種の人は信受して!』、
『法でない!』と、
『言わないのですか?』。
答曰。今須菩提此中自說因緣。不以空分別色。色即是空空即是色。以是故般若波羅蜜無所失無所破。若無所破則無過罪。是故不言非法。 答えて曰く、今、須菩提は、此の中に自ら因縁を説かく、『空を以って、色を分別せざれ。色は、即ち是れ空なり。空は、即ち是れ色なり』と。是を以っての故に、般若波羅蜜には失う所無く、破る所無し。若し破る所無くんば、則ち過罪無けん。是の故に、非法なりと言わず。
答え、
今、
『須菩提』は、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説いている、――
『空を用いて!』、
『色』を、
『分別してはならない!』。
『色』とは、
即ち(that is)、
『空であり!』、
『空』とは、
即ち、
『色だからである!』と。
是の故に、
『般若波羅蜜』中には、
『失われる!』所も、
『破れる!』所も、
『無いのであり!』。
若し、
『破れる所』が、
『無ければ!』、
則ち、
『過罪も!』、
『無いことになる!』ので、
是の故に、
『法でない!』と、
『言わないのである!』。
空即是般若波羅蜜。不以空智慧破色令空。亦不以破色因緣故有空。空即是色色即是空。故 空は、即ち是れ般若波羅蜜なり。空の智慧を以って、色を破りて、空ならしむるにあらず。亦た色の因縁を破るを以っての故に、空有るにあらず。空は、即ち是れ色なり。色は、即ち是れ空なるが故なり。
『空』とは、
即ち、
『般若波羅蜜である!』とは、――
『空』という、
『智慧を用い!』、
『色を破って!』、
『色』を、
『空にするのではない!』。
亦た、
『色』の、
『因縁を破る!』が故に、
『空』が、
『有るのでもない!』。
何故ならば、
『空』とは、
即ち、
『色であり!』、
『色』とは、
即ち、
『空だからである!』。
以般若波羅蜜中破諸戲論。有如是功德。故無不信受。無相無作無生無滅寂滅遠離亦如是。乃至一切種智皆應廣說。 般若波羅蜜中に、諸の戯論を破れば、是の如き功徳有るを以っての故に、信受せざる無し。無相、無作、無生、無滅、寂滅、遠離も亦た、是の如し。乃至一切種智も、皆、応に広く説くべし。
『般若波羅蜜』中に、
諸の、
『戯論を破れば!』、
是のような、
『功徳』が、
『有る!』が故に、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『信受しない!』者は、
『無くなり!』、
『無相、無作、無生、無滅、寂滅、遠離』も、
亦た、
『是の通りであり!』、
乃至、
『一切種智まで』、
皆、
是のように、
『広く説かねばならない!』。
問曰。諸大弟子問是義。須菩提何以乃答諸天子。 問うて曰く、諸の大弟子の是の義を問えるに、須菩提は、何を以ってか、乃ち諸天子に答うる。
問い、
諸の、
『大弟子』が、
是の、
『義』を、
『問うと!』、
何故、
『須菩提』は、
乃ち( actually )、
『諸天子に!』、
『答えたのですか?』。
  乃(ない):<代名詞>お前の/汝の( your )、彼れの( his )、此の( this )、此のように( so )。<動詞>是れ( be )。<副詞>ちょうど今( just now )、只だ/僅かに( only then )、不意に/なんと( unexpectedly, actually )、同時に( at the same time )、そこで/そうすると/是に於いて( then, where upon )。<接続詞>しかし/しかしながら( but, however )。
答曰。諸大弟子已得阿羅漢。但自為疑故問益利事少。諸天子發心為菩薩。利益深故為說。 答えて曰く、諸の大弟子は、已に阿羅漢を得て、但だ自らの疑を為すが故に問えば、益利する事少なし。諸天子は、心を発して、菩薩と為れば、利益すること深きが故に為に説けり。
答え、
『諸の大弟子』は、
已に、
『阿羅漢を得ていた!』が、
但だ、
自らの、
『疑い!』の為に、
『問うた!』ので、
其の、
『益利( the benefit )の事』が、
『少ない!』が、
『諸天子』は、
『発心して!』、
『菩薩と為れば!』、
其の、
『利益が深い!』が故に、
『諸天子』の為に、
『説いたのである!』。
復次雖為諸天子說。即是答諸大弟子。 復た次ぎに、諸天子の為に説くと雖も、即ち是れ諸の大弟子に答うるなり。
復た次ぎに、
『諸天子』の為に、
『説いた!』が、
即ち( that is )、
『諸の大弟子』に、
『答えたことになる!』。
上說諸法空。今說深般若波羅蜜中眾生畢竟空。以是故般若波羅蜜中無有說者何況有聽受者。若能如是解諸法空。心無。所著則能信受。 上には諸法の空なるを説き、今は深き般若波羅蜜中に衆生は畢竟じて空なりと説く。是を以っての故に、般若波羅蜜中に説者有ること無し。何に況んや、聴受する者の有るをや。若し能く是の如く、諸法の空なるを解して、心に所著無くんば、則ち能く信受せん。
上には、こう説いたので、――
諸の、
『法』は、
『空である!』、と。
今、こう説くのである、――
『深い般若波羅蜜』中には、
『衆生』は、
『畢竟じて空である!』、と。
是の故に、
『般若波羅蜜』中には、
『説く!』者が、
『無いのであり!』、
況して、
『聴く!』者は、
『有るはずがない!』。
若し、
是のように、
『諸の法』は、
『空である!』と、
『理解して!』、
『心』の、
『著する所()』が、
『無くなれば!』、
則ち、
『般若波羅蜜』を、
『信受することができる!』。
爾時須菩提。說深般若波羅蜜。舍利弗讚歎助成其事。般若波羅蜜。非但以空故可受。亦廣說有三乘。三乘義如先說。 爾の時、須菩提の深き般若波羅蜜を説くに、舎利弗は讃歎して、其の事を成ずるを助く、『般若波羅蜜の、但だ空なるを以っての故に受くべきに非ず。亦た広く、三乗有りと説けばなり』と。三乗の義は、先に説けるが如し。
爾の時、
『須菩提』が、
『深い般若波羅蜜』を、
『説く!』と、
『舎利弗は讃歎して!』、
其の、
『事(仕事)』を、
『助成して!』、
こう言った、――
『般若波羅蜜』は、
但だ、
『空』の故に、
『信受されるのではない!』。
亦た、
『三乗が有る!』と、
『広く説いているのだ!』、と。
『三乗の義』は、
先に、
『説いた通りである!』。
攝取菩薩者。以般若波羅蜜。利益諸菩薩令得增長。 菩薩を摂取すとは、般若波羅蜜を以って、諸の菩薩を利益し、増長を得しむるなり。
『菩薩を摂取する( holding together )!』とは、――
『般若波羅蜜を用いて!』、
『諸の菩薩』を、
『利益して!』、
『増長させることである!』。
復次攝取者。是般若波羅蜜中有十地。令菩薩從一地至一地乃至第十地。十地義從六波羅蜜。乃至一切種智義如先說。 復た次ぎに、摂取とは、是の般若波羅蜜中に十地有りて、菩薩をして、一地より、一地、乃至第十地に至らしむ。十地の義、六波羅蜜より、乃至一切種智の義は、先に説けるが如し。
復た次ぎに、
『摂取』とは、――
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『十地が有り!』、
『菩薩』を、
『一地より!』、
『一地に!』、
『至らせ!』、
乃至、
『第十地に!』、
『至らせるからである!』。
『十地の義と!』、
『六波羅蜜、乃至一切種智の義と!』は、
先に、
『説いた通りである!』。
化生者。說般若波羅蜜行報。 化生とは、般若波羅蜜を説く行報なり。
『化生』とは、――
『般若波羅蜜を説く!』、
『行業』の、
『果報』である。
行般若波羅蜜。於一切法無礙故得捷疾辯。 般若波羅蜜を行じて、一切法に於いて無礙なるが故に、捷疾の辯を得。
『般若波羅蜜を行えば!』、
『一切の法』に於いて、
『礙( an obstruction )が無くなる!』が故に、
『捷疾の辯( ajile speaking )』を、
『得ることになる!』。
有人雖能捷疾。鈍根故不能深入。以能深入故利。是利辯 有る人は、能く捷疾なりと雖も、鈍根なるが故に、深入する能わず。能く深入するを以っての故に利なり。是れ利の辯なり。
有る、
『人』は、
『捷疾である( be agile )!』が、
『鈍根である( be dull faculties )!』が故に、
『般若波羅蜜』中に、
『深くまで!』、
『入ることができない!』。
『般若波羅蜜』中に、
『深く入れる!』が故に、
『利である( be sharp faculties )!』。
是れが、
『利の辯である!』。
說諸法實相。無邊無盡故。名樂說無盡辯。 諸法の実相を説いて無辺、無尽なるが故に、楽説無尽の辯と名づく。
諸の、
『法の実相』は、
『無辺、無尽である!』と、
『説く!』が故に、
是れを、
『楽説無尽の辯』と、
『称する!』。
般若中無諸戲論故無能問難。斷絕者。名不可斷辯。 般若中には、諸の戯論無きが故に、能く問難して、断絶する者無きを、不可断の辯と名づく。
『般若』中には、
諸の、
『戯論が無い!』が故に、
『問難して!』、
『断絶させられる!』者が、
『無い!』ので、
是れを、
『不可断の辯』と、
『称する!』。
斷法愛故隨眾生所應而為說法。名隨應辯。 法愛を断ずるが故に、衆生の所応に随いて、為に法を説くを、随応の辯と名づく。
『法愛( the avidity for dharma )を断じる!』が故に、
『衆生の応じる!』所に、
『随いながら!』、
『衆生の為に!』、
『法を説く!』ので、
是れを、
『隨応の辯』と、
『称する!』。
說趣涅槃利益之事故。名義辯。 涅槃に趣く利益の事を説くが故に、義の辯と名づく。
『涅槃に趣く!』為の、
『利益の事を説く!』が故に、
『義の辯』と、
『称する!』。
說一切世間第一之事。所謂大乘。是名世間最上辯。 一切の世間の第一の事、謂わゆる大乗を説く、是れを世間の最上の辯と名づく。
『一切の世間』に於いて、
『第一の事』、
謂わゆる、
『大乗』を、
『説く!』が故に、
是れを、
『世間最上の辯』と、
『称する!』。
須菩提然其問言如是如是。 須菩提の、其の問を然りとして言わく、『是の如し、是の如し』と。
『須菩提』は、
其の、
『問』に、
『同意して!』、こう言った、――
その通りだ!
その通りだ!、と。
  (ねん):<動詞>[本義]燃の本字/燃える( burn )。明白に知る( understand )、目をくらます/照曜する( dazzle )、同意する( agree )、形づくる( form )、宜しくする/適合する( fit )。<接続詞>而るに( but )、然りと雖も( although )、而も/その上( thereupon )、而して/然る後( then )。<形容詞>然り/是なり( yes )。<代名詞>此の如く/此の様に/其の様に( so, like that )。<助詞>[形容詞/副詞の語尾に付して状態を表す]、[句末に用いて断定の語気を表す]なり。
舍利弗作是念。須菩提常樂說空。何以故。受我所說般若波羅蜜廣說三乘之教。應當更有因緣。 舎利弗の、是の念を作さく、『須菩提は、常に空を説くを楽しむに、何を以っての故にか、我が所説の般若波羅蜜の、広く三乗の教を説くことを受くる。応当に更に因縁有るべし』と。
『舎利弗』は、こう念じた、――
『須菩提』は、
常に、
『空』を、
『説くこと!』を、
『楽しんでいる!』が、
何故、
わたしの、
『所説』を、
『受けた( to accept )のか?』。
わたしは、こう説いたのであるから、――
『般若波羅蜜』は、
『三乗の教』を、
『広く説いている!』、と。
更に、
『受けた!』、
『因縁』が、
『有るはずだ!』、と。
須菩提答。般若波羅蜜雖廣說三乘法。非有定相。皆以十八空和合故說。攝取菩薩七種辯亦如是。以空智慧故 須菩提の答うらく、『般若波羅蜜は、広く三乗の法を説くも、定相有るに非ず。皆、十八空の和合を以っての故に説く。菩薩を摂取する七種の辯も亦た、是の如く、空の智慧を以っての故なり』と。
『須菩提』は、こう答えた、――
『般若波羅蜜』が、
『三乗の法を広く説く!』のは、
『三乗の法』に、
『定相』が、
『有るからではない!』。
皆、
『十八空の和合である!』が故に、
『広く説くのである!』。
『菩薩を摂取する!』、
『七種の辯』も、
是のように、
『空の智慧を用いる!』が故に、
『菩薩を摂取するのである!』、と。



大智度論釋散華品第二十九
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】化華の供養

【經】爾時釋提桓因。及三千大千世界中四天王天。乃至阿迦尼吒諸天作是念。慧命須菩提為雨法雨。我等寧可化作華散佛菩薩摩訶薩。比丘僧須菩提及般若波羅蜜上。 爾の時、釈提桓因、及び三千大千世界中の四天王天、乃至阿迦尼吒の諸天の、是の念を作さく、『慧命須菩提は為に、法の雨を雨ふらせり。我等は、寧ろ華を化作して、仏、菩薩摩訶薩、比丘僧、須菩提、及び般若波羅蜜上に散ずべし』と。
爾の時、
『釈提桓因と!』、
『三千大千世界中の四天王天、阿迦尼吒の諸天』は、こう念じた、――
『慧命須菩提』は、
わたし達の為に、
『法の雨』を、
『雨降らした!』が、
わたし達は、
寧ろ( rather )、
『華を化作して!』、
『仏や、菩薩摩訶薩、比丘僧、須菩提と、般若波羅蜜上に!』、
『散らすことにしよう!』、と。
釋提桓因及三千大千世界中諸天。化作華散佛菩薩摩訶薩比丘僧及須菩提上。亦供養般若波羅蜜。 釈提桓因、及び三千大千世界中の諸天は、華を化作して、仏、菩薩摩訶薩、比丘僧、及び須菩提上に散らし、亦た般若波羅蜜を供養す。
『釈提桓因と、三千大千世界中の諸天』は、
『華を化作して!』、
『仏や、菩薩摩訶薩、比丘僧、須菩提の上に!』、
『散らして!』、
亦た、
『般若波羅蜜をも!』、
『供養した!』。
是時三千大千世界華。悉周遍於虛空中。化成華臺端嚴殊妙。 是の時、三千大千世界の華は、悉く虚空中を周遍し、華台の端厳殊妙なるを化成す。
是の時、
『三千大千世界の華』は、
悉く、
『虚空中を周辺しながら!』、
『端厳、殊妙な華台』を、
『化成した!』。
須菩提心念。是諸天子所散華天上未曾見。如是華比是華。是化華非樹生華。是諸天子所散華。從心樹生非樹生華。 須菩提の心に念ずらく、『是れは諸天子の散ずる所の華なり。天上にも、未だ曽て、是の如き華の比(たぐい)を見ず。是の華は、是れ化華にして、樹生の華に非ず。是の諸天子の散ずる所の華は、心樹より生じ、樹生の華に非ず』と。
『須菩提』は、
『心』に、こう念じた、――
是れは、
『諸天子の散らした!』、
『華である!』が、
是のような、
『華の類』は、
『天上』に於いても、
未だ曽て、
『見られたことがない!』。
是の、
『華』は、
『化生の華であって!』、
『樹生の華ではない!』。
是の、
『諸天子の散らした!』、
『華』は、
『心樹の生であって!』、
『樹生の華ではない!』、と。
釋提桓因知須菩提心所念。語須菩提言。大德。是華非生華。亦非意樹生 釈提桓因の須菩提の心の所念を知りて、須菩提に語りて言わく、『大徳、是の華は非生の華なり。亦た意樹の生にも非ず』と。
『釈提桓因』は、
『須菩提の心』に、
『念じる!』所を、
『知り!』、
『須菩提に語って!』、こう言った、――
大徳!
是の、
『華』は、
『樹生』の、
『華でもなく!』、
亦た、
『意樹に生じた!』、
『華でもない!』。
須菩提語釋提桓因言。憍尸迦。汝言是華非生華。亦非意樹生。憍尸迦。是若非生法不名為華。 須菩提の釈提桓因に語りて言わく、『憍尸迦、汝は言えり、是の華は非生の華にして、亦た意樹の生にも非ずと。憍尸迦、是れ若し非生の法なれば、名づけて華と為さず』と。
『須菩提』は、
『釈提桓因に語って!』、こう言った、――
憍尸迦!
お前は、こう言ったが、――
是の、
『華』は、
『樹生』の、
『華でもなく!』、
亦た、
『意樹に生じた!』、
『華でもない!』、と。
憍尸迦!
是れが、
若し、
『生法( the living thing )でなければ!』、
『華』と、
『呼ばれることはないのだ!』、と。
釋提桓因語須菩提言。大德。但是華不生色亦不生。受想行識亦不生。 釈提桓因の須菩提に語りて言わく、『大徳、但だ是の華のみ、不生なりや。色も亦た不生、受想行識も亦た不生なりや』と。
『釈提桓因』は、
『須菩提に語って!』、こう言った、――
大徳!
但だ、
是の、
『華だけが!』、
『不生なのか?』。
亦た、
『色や、受想行識も!』、
『不生なのか?』、と。
須菩提言。憍尸迦。非但是華不生色亦不生。若不生是不名為色。受相行識亦不生。若不生是不名為識。六入六識六觸六觸因緣生諸受亦如是。 須菩提の言わく、『憍尸迦、但だ是の華のみ不生なるに非ず。色も亦た不生なり。若し不生ならば、是れを名づけて色と為さず。受想行識も亦た不生なり。若し不生ならば、是れを名づけて識と為さず。六入、六識、六触、六触因縁生の諸受も、亦た是の如し。
『須菩提』は、こう言った、――
憍尸迦!
但だ、
是の、
『華だけが!』、
『不生なのではない! 』。
亦た、
『色も、受想行識も!』、
『不生なのだ!』。
若し、
『不生ならば!』、
『色や、受想行識と!』、
『呼ばれることはない!』。
亦た、
『六入、六識、六触因縁生の諸受』も、
『是の通りである!』。
檀波羅蜜不生。若不生是不名檀波羅蜜。乃至般若波羅蜜不生。若不生是不名般若波羅蜜。 檀波羅蜜は不生なり。若し不生ならば、是れを檀波羅蜜と名づけず。乃至般若波羅蜜も不生なり。若し不生ならば、是れを般若波羅蜜と名づけず。
『檀波羅蜜』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『檀波羅蜜』と、
『呼ばれることはない!』。
『乃至般若波羅蜜』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『般若波羅蜜』と、
『呼ばれることはない!』。
內空不生。若不生是不名內空。乃至無法有法空不生。若不生是不名無法有法空。 内空も不生なり。若し不生ならば、是れを内空と名づけず。乃至無法有法空も不生なり。若し不生ならば、是れを無法有法空と名づけず。
『内空』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『内空』と、
『呼ばれることはない!』。
『乃至無法有法空』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『無法有法空』と、
『呼ばれることはない!』。
四念處不生。若不生是不名四念處。乃至十八不共法不生。若不生是不名十八不共法。乃至一切種智不生。若不生是不名一切種智 四念処も不生なり。若し不生ならば、是れを四念処と名づけず。乃至十八不共法も不生なり。若し不生ならば、是れを十八不共法と名づけず。乃至一切種智も不生なり。若し不生ならば、是れを一切種智と名づけず。
『四念処』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『四念処』と、
『呼ばれることはない!』。
『乃至十八不共法』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『十八不共法』と、
『呼ばれることはない!』。
『乃至一切種智』も、
『不生であり!』、
若し、
『不生ならば!』、
『一切種智』と、
『呼ばれることはない!』。



【論】化華の供養

【論】釋曰。釋提桓因及諸天。聞須菩提所說般若義。一切法盡是實相無所分別雖說空於諸法無所破。亦不失諸行業果報。 釈して曰く、釈提桓因、及び諸天は、須菩提の所説の般若の義を聞くらく、『一切の法は、尽く是れ実相にして、分別する所無し。空を説くと雖も、諸法に於いて、破る所無ければ、亦た諸の行業の果報を失わず』と。
釈す、
『釈提桓因、及び諸天』は、
『須菩提の説いた!』、
『般若の義』を、こう聞いた、――
『一切の法』は、
『尽く、実相であり!』、
『分別する!』所が、
『無く!』、
『空を説いたとしても!』、
『諸法』には、
『破る!』所が、
『無い!』ので、
『諸の行業』の、
『果報』も、
『失われることはない!』、と。
聲聞人。於佛前能說是甚深法故。釋提桓因等。皆歡喜作是念。須菩提所說法無礙無障。譬如時雨如有國土溉灌種蒔及種種用水。常苦不足。若時雨普降無不霑洽。無不如願。 声聞人にして、仏前に於いて、能く是の甚深の法を説きたり。故に釈提桓因等、皆、歓喜して、是の念を作さく、『須菩提の所説の法は、無礙、無障なり。譬えば時雨の如し。有る国土を種蒔くに漑潅するが如くんば、種種に水を用うるに及んで、常に足らざるを苦しむに。若し時雨、普く降りて、霑洽せざる無くんば、如かざる願の無きが如し』、と。
『声聞人』が、
『仏の前』に於いて、
是のような、
『甚深』の、
『法』を、
『説くことができた!』ので、
『釈提桓因』等は、
皆、
『歓喜』して、こう念じた、――
『須菩提の説く!』所の、
『法』には、
『障礙が!』、
『無いのだ!』。
譬えば、
『時雨のようなものだ!』、
有る、
『国土が潅漑して!』、
『種を蒔き!』、
種種に、
『水』を、
『用いようとして!』、
常に、
『不足』に、
『苦しんでいる!』時、
若し、
『時雨』が、
『普く降って!』、
『潤さない!』所が、
『無ければ!』、
『叶わない!』、
『願』が、
『無いようなものである!』。
  時雨(じう):必要な時に降る雨。
  漑潅(がいかん):そそぐ。潅漑。
  霑洽(てんごう):うるおす。
  (にょ):<動詞>[本義]随従する( follow )。~の様だ/~と同様だ( like, as if )、及ぶ/上に比び得る( can be compared with )、去る/往く( go )、遭遇する( meet )、[例を挙げるを表す]例えば/~の如し( for instance, for example, such as )、~となるだろう/応当( should )。<前置詞>~に従って/~に応じて( in accordance with, comply with )。<接続詞>若し( if )、~と/与/和( and )、[選択関係を表す]或は( or )、而し( but )、[結果を示す]そして( then )。<助詞>[語末に用いて、"然"に相当する]。
小乘法亦如是。初種種讚歎布施持戒禪定無常等諸觀有量有限。末後說涅槃。此中須菩提所明。從初發心乃至佛道。唯說諸法實相無所分別。譬如大雨遍滿閻浮提無所不潤。 小乗の法も亦た是の如く、初めに種種に布施、持戒、禅定、無常等の諸観の有量、有限なるを讃歎し、末後に涅槃を説く。此の中に、須菩提の明す所は、『初発心より、乃至仏道は、唯だ、諸法の実相には、分別する所無く、譬えば大雨、閻浮提を遍満すれば、潤さざる所無きが如しと説くのみ』となり。
『小乗の法』も、
是のように、
初は、
種種に、
『布施、持戒、禅定、無常等の諸観のような!』、
『有量、有限の法』を、
『讃歎し!』、
最後に、
『涅槃』を、
『説くのである!』が、
此の中に、
『須菩提が明らかにした!』所は、
『初発心より、乃至仏道』を、
唯だ、こう説いたのである、――
諸の、
『法の実相』には、
『分別する!』所が、
『無く!』、
譬えば、
『大雨(空の譬喩))』が、
『閻浮提を遍く満たせば!』、
『潤されない!』所が、
『無いようなものだ!』、と。
又如地。先雖有穀子。無雨則不生。行者亦如是。雖有因緣不得法雨發心者退。未發者住。若得法雨發心者增長。未發者發。以是故說如雨法雨。 又地に、先に穀子有りと雖も、雨無ければ、則ち生ぜざるが如し。行者も亦た是の如く、因縁有りと雖も、法雨を得ざれば、発心せる者は退き、未発の者は、住まらん。若し法雨を得ば、発心の者は増長し、未発の者は発せん。是を以っての故に、法雨を雨ふらすが如しと説けり。
又、
『地』に、
先に、
『穀子( seeds )が有っても!』、
『雨が無ければ!』、
『生じないように!』、
『行者』も、
是のように、
『因縁が有っても!』、
『法雨を得られなければ!』、
『発心する!』者は、
『道』を、
『退き!』、
『発心していない!』者は、
『道』に、
『住まる!』が、
若し、
『法雨を得れば!』、
『発心した!』者は、
『道』を、
『増長し!』、
『発心していない!』者は、
『道』に、
『発心するので!』、
是の故に、こう説くのである、――
『法の雨』を、
『雨降らすようなものである!』、と。
復次譬如惡風塵土諸熱毒氣等得雨則消滅。法雨亦如是。惡覺觀塵土三不善毒邪見惡風邪師惡蟲及諸惡知識等。得般若波羅蜜法雨。則皆除滅。 復た次ぎに、譬えば悪風、塵土、諸熱、毒気等は、雨を得れば、則ち消滅するが如し。法雨も亦た是の如く、悪の覚観の塵土、三不善の毒、邪見の悪風、邪師の悪虫、及び諸悪の知識等も、般若波羅蜜の法雨を得れば、則ち皆、除滅す。
復た次ぎに、
譬えば、
『悪風、塵土、諸熱、毒気』等が、
『雨を得れば!』、
皆、
『消滅するように!』、
『法雨』も、
是のように、
『悪覚、悪観の塵土』、
『三不善の毒』、
『邪見の悪風』、
『邪師の悪虫』、
及び、
『諸の悪知識』等も、
『般若波羅蜜という!』、
『法雨』を、
『得れば!』、
則ち、
皆、
『除滅されるのである!』。
人蒙時雨故供養天。諸天聞法雨大利益。欲供養故作是念。我等寧可作華散佛諸大菩薩比丘僧及須菩提亦供養般若波羅蜜。 人は、時雨を蒙るが故に、天を供養す。諸天は、法雨の大利益を聞いて、供養せんと欲し、故に是の念を作さく、『我等は、寧ろ華を作りて、仏、諸大菩薩、比丘僧、及び須菩提に散じて、亦た般若波羅蜜を供養すべし』と。
『人』は、
『時雨を蒙る!』が故に、
『天』を、
『供養する!』が、
『諸天』は、
『法雨の大利益』を、
『聞いて!』、
『供養しようとする!』が故に、こう念じた、――
わたし達は、
寧ろ、
『華を作って!』、
『仏や、諸大菩薩や、比丘僧と須菩提』に、
『散じて!』、
亦た、
『般若波羅蜜にも!』、
『供養するのがよいだろう!』、と。
以須菩提善說般若敬之重故。甄名供養。 須菩提の善く般若を説くを以って、之を敬うことの重きが故に、名を甄(あ)げて供養す。
『須菩提』が、
『般若を善く説くので!』、
『須菩提』を、
『重く敬う!』が故に、
『名』を、
『挙げて!』、
『供養したのである! 」。
  (けん):<名詞>[本義]陶器を造る道具/轆轤( potter's wheel )。<動詞>陶器を造る( make pottery )、識別/鑑別する( discriminate )、審査する( examine )、選抜/選択する( select )、顕彰/表彰する( commend )、培う( bring up )。
是般若波羅蜜。多說諸法空。又上欲得如化人聽法隨其相故。以化華供養。 是の般若波羅蜜には、多く諸法の空を説く。又上には、化人の法を聴くが如きを得て、其の相に随わんと欲するが故に、化華を以って供養す。
是の、
『般若波羅蜜』は、
多く、
『諸法の空』を、
『説き!』、
又、
上には、
『化人のように!』、
『法を聴くことができれば!』と、
『思った!』ので、
其の、
『化人の相に隨う!』が故に、
『化華』を、
『供養したのである!』。
復次諸天當歡喜時。便稱心供養。不容多還取故。即作化華散佛須菩提諸菩薩比丘僧及般若波羅蜜。 復た次ぎに、諸天は、当に歓喜せんとする時、便ち心に称(かな)う供養は、多く還ってて取ること容れざるが故に、即ち化華を作して、仏、須菩提、諸の菩薩、比丘僧、及び般若波羅蜜に散ず。
復た次ぎに、
『諸天』が、
『歓喜しようとした!』時、
便ち、
『心』に、
『称うような!』、
『供養は!』、
多く、
『還って取ること!』が、
『容易でない!』が故に、
即ち、
『化華を作って!』、
『仏や、須菩提、諸菩薩、比丘僧と、般若波羅蜜』上に、
『散らしたのである!』。
華散佛上是供養佛寶。散諸菩薩須菩提及般若波羅蜜。是供養法寶。散諸比丘僧是供養僧寶。作是念已。隨意變化供養三寶。大福德成就故。心生所願皆得如意不從他求。 『華を仏上に散ずる、是れ仏宝を供養するなり。諸菩薩、須菩提、及び般若波羅蜜に散ずる、是れ法宝を供養するなり。諸の比丘僧に散ずる、是れ僧宝を供養するなり』と、是の念を作し已りて、意の随(まま)に変化して、三宝を供養するに、大福徳成就するが故に、心に生ぜし所願は、皆意の如くなるを得て、他より求めず。
『華』を、
『仏上に散らした!』のは
『仏宝』を、
『供養するのであり!』、
諸の、
『菩薩、須菩提と、般若波羅蜜に散らした!』のは、
『法宝』を、
『供養するのであり!』、
諸の、
『比丘僧に散らした!』のは、
『僧宝』を、
『供養するのである!』と、
是のように、
『念じてしまう!』と、
『意のままに変化し!』、
『三宝を供養して!』、
『大福徳』を、
『成就させた!』が故に、
『心』に、
『願いが生じて!』、
皆、
『意のままになり!』、
『他によって!』、
『福徳』を、
『求めなくなった!』。
問曰。華臺端嚴為是誰力。 問うて曰く、華台の端厳なるは、是れ誰の力と為す。
問い、
『華台が端厳である!』のは、
誰の、
『力ですか?』。
答曰是諸天力。諸天福德自在故。小能為大。 答えて曰く、是れ諸天の力なり。諸天の福徳の自在なるが故に、小を能く大と為す。
答え、
是れは、
『諸天』の、
『力である!』。
『諸天の福徳』は、
『自在である!』が故に、
『小』を、
『大にすることができる!』。
有人言是佛神力。佛以此般若波羅蜜有大功德。因時少而果報甚大成就佛道。是故現此奇特。 有る人の言わく、『是れ仏の神力なり。仏は、此の般若波羅蜜には大功徳有りて、因時には少なるも、果報は甚大なるを以って、仏道を成就したまい、是の故に、此の奇特を現わしたまえり』と。
有る人は、こう言っている、――
是れは、
『仏』の、
『神力である!』。
『仏』は、
此の、
『般若波羅蜜』には、
『大功徳が有り!』、
『因時には少なくても!』、
『果報は甚大である!』が故に、
『仏道』を、
『成就されたのである!』が、
是の故に、
此の、
『奇特』を、
『現されたのである!』、と。
須菩提即時分別知非實華。釋提桓因知須菩提覺是化華。語須菩提言。大德是華非生華。非生華者。言是華無生空無所出。 須菩提は、即時に分別して知るらく、『実の華に非ず』と。釈提桓因は、須菩提の是れ化華なりと覚りたるを知り、須菩提に語りて言わく、『大徳、是の華は、非生の華なり』と。非生の華とは、是の華無生、空にして、所出無きを言う。
『須菩提』は、
即時に、
『分別して!』、
『実の華ではない!』と、
『知った!』。
『釈提桓因』は、
『須菩提』が、
是れは、
『化華である!』と、
『覚った!』のを、
『知り!』、
『須菩提に語って!』、こう言った、――
大徳!
此の、
『華』は、
『非生の華である!』、と。
『非生の華』とは、
是の、
『華は無生、空であって!』、
『所出( the parents )』が、
『無いということである!』。
須菩提說是般若波羅蜜。諸法無生空寂故以無生華供養。 須菩提の説かく、『是の般若波羅蜜は、諸法は無生にして、空寂なるが故に無生の華を以って供養す』、と。
『須菩提』は、こう説いた、――
是の、
『般若波羅蜜を供養する!』には、
『諸法は無生、空寂である!』が故に、
『無生の華を用いて!』、
『供養するのである!』、と。
意樹者諸天隨意所念則得。以要言之。天樹隨意所欲應念則至。故言意樹。 意樹とは、諸天の意の念ずる所に随うて、則ち得るなり。要を以って之を言わば、天樹は、意の欲する所に随い、念に応じて、則ち至る。故に意樹と言えり。
『意樹』とは、
『諸天』は、
『意のままに!』、
『念じる!』所を、
『得るからである!』。
『要点を言えば!』、――
『天樹」は、
『意の欲するがままに!』、
『念に応じて!』、
『至る( to come )!』が故に、
是れを、
『意樹』と、
『言うのである!』。
  (し):<動詞>[本義]到る( arrive, reach )。来る/去る( come, go )。<形容詞>最高/最大の( perfect, best, first-rare )、深い( deep )、適当な( proper, suitable )、親しい/親密な( close, intimate )、真摯な/正直な( honest )、周到な( considerate, thoughtful )。<副詞>大いに/最高に( great, maximum )、極めて/最も( very )、必ず/定めて( certainly )。<名詞>夏至/冬至( solstice )、至道( very reason )、聖人( saint )、標準/基準( standard, criterion )。<接続詞>尚お/乃ち/乃至/すら( and even, down to, even )、~に関して( as far, as to )。<前置詞>まで( till, to, untill )。
釋提桓因難須菩提。故言是華無生。何以言是華不從樹生。 釈提桓因の須菩提を難ずるが故に言わく、『是の華は無生なり。何を以ってか、是の華は樹より生ぜずと言う』と。
『釈提桓因』は、
『須菩提を難じた!』が故に、こう言った、――
是の、
『華』には、
『生』が、
『無いのに!』、
何故、こう言うのか?――
是の、
『華』は、
『樹より生じない!』、と。
須菩提反質言。若不生何以名華。不生法中無所分別。所謂是華是非華。 須菩提の質を反して言わく、『若し不生なれば、何を以ってか、華と名づくる。不生の法中には、分別する所無し。謂わゆる是の華は、是れ華に非ざるなり』と。
『須菩提』は、
『質( the question )を反して!』、こう言った、――
若し、
『不生ならば!』、
何故、
『華』と、
『呼ぶのか?』。
『不生の法』中には、
『分別する!』所が、
『無い!』。
謂わゆる、
是の、
『華』は、
『華でないのだ!』、と。
是時釋提桓因心伏而問。但是華無生。諸法亦無生。 是の時、釈提桓因の心伏して、問わく、『但だ是の華のみ、無生なりや。諸法も、亦た無生なりや』と。
是の時、
『釈提桓因』は、
『心伏して!』、こう問うた、――
但だ、
是の、
『華のみ!』が、
『無生なのか?』、
亦た、
『諸の法』も、
『無生なのか?』、と。
須菩提答。非但是華不生。色亦不生。何以故。若一法空則一切法皆空。若行者於一法中了了決定知空。則一切法中皆亦明了。 須菩提の答うらく、『但だ是の華の不生なるのみに非ず、色も亦た不生なり』と。何を以っての故に、若し一法空なれば、則ち一切法は皆空なればなり。若し行者、一法中に了了決定して、空を知れば、則ち一切法中に、皆亦た明了なり。
『須菩提』は、こう答えた、――
但だ、
是の、
『華のみ!』が、
『不生なのではなく!』、
亦た、
『色』も、
『不生である!』。
何故ならば、
若し、
『一法』が、
『空ならば!』、
則ち、
『一切の法』は、
『皆、空だからである!』。
若し、
『行者』が、
『一法』中に於いて、
『空である!』と、
『了了、決定して!』、
『知れば!』、
『一切の法』中にも、
『皆、空である!』と、
『明了、決定して!』、
『知ることになるのだ!』、と。
若五眾不生則非五眾相。乃至一切種智亦如是。 若し五衆不生なれば、則ち五衆の相に非ず。乃至一切種智も亦た、是の如し。
若し、
『五衆が不生ならば!』、
『五衆という!』、
『相ではない!』し、
乃至、
『一切種智』も、
亦た、
『是の通りである!』。
五眾從因緣和合生無有定性。但有假名。 五衆は、因縁の和合より生ずれば、定性有ること無く、但だ仮名有るのみ。
『五衆』は、
『因縁の和合より!』、
『生じる!』が故に、
『定まった性』が、
『無く!』、
但だ、
『五衆という!』、
『仮名』が、
『有るだけである!』。
假名實相者。所謂五眾如法性實際。須菩提所說不違此理何以故。聖人知名字是俗諦。實相是第一義諦。有所說者隨凡夫人。 仮名の実相とは、謂わゆる五衆の如、法性、実際なるも、須菩提の所説は、此の理に違わず。何を以っての故に、聖人は、『名字は、是れ俗諦なり。実相は、是れ第一義諦なり』と知りて、説く所有らば、凡夫人にも随いたまえばなり。
『仮名の実相』とは、――
謂わゆる、
『五衆』の、
『如、法性、実際である!』が、
『須菩提の説く!』所は、
此の、
『理』と、
『違わない!』。
何故ならば、
『聖人』は、
『名字は俗諦であり!』、
『実相は第一義諦である!』と、
『知っているので!』、
『所説が有れば!』、
『凡夫人に随って!』、
『説くからである!』。
第一義諦中無彼此亦無諍。乃至一切種智亦如是。眾生空乃至知者見者空故。須陀洹但有假名。乃至佛亦如是 第一義中には、彼此無ければ、亦た無諍なり。乃至一切種智も亦た、是の如し。衆生は空なり、乃至知者、見者も空なり。故に須陀洹も、但だ仮名有るのみ、乃至仏も、亦た是の如し。
『第一義諦』中には、
『彼、此が無いので!』、
亦た、
『諍( any argument )』も、
『無く!』、
乃至、
『一切種智』も、
是のように、
『諍』が、
『無い!』。
『衆生も、乃至知者、見者も空である!』が故に、
『須陀洹』は、
但だ、
『仮名』が、
『有るだけであり!』、
乃至、
『仏』も、
『是の通りである!』。

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