【經】如舍利弗所言。如我諸法亦如是無自性。 |
舎利弗の言う所の如し。我の如く、諸法も、亦た是の如く、自性無し。 |
『舍利弗』の言うように、――
『我のように!』、
『諸の法』も、
是のように、
『自性』が、
『無い!』。
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参考:『大般若経巻67』:『爾時具壽善現。復答舍利子言。如尊者所云。何緣故說。諸法亦。爾都無自性者。舍利子。諸法都無和合自性。何以故。和合有法自性空故。時舍利子問善現言。何法都無和合自性。善現答言。舍利子。色都無和合自性。受想行識都無和合自性。舍利子。眼處都無和合自性。耳鼻舌身意處都無和合自性。舍利子。色處都無和合自性。聲香味觸法處都無和合自性。舍利子。眼界都無和合自性。色界眼識界及眼觸眼觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。耳界都無和合自性。聲界耳識界及耳觸耳觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。鼻界都無和合自性。香界鼻識界及鼻觸鼻觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。舌界都無和合自性。味界舌識界及舌觸舌觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。身界都無和合自性。觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。意界都無和合自性。法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受都無和合自性。舍利子。地界都無和合自性。水火風空識界都無和合自性。舍利子。無明都無和合自性。行識名色六處觸受愛取有生老死愁歎苦憂惱都無和合自性。舍利子。內空都無和合自性。外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空都無和合自性』 |
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舍利弗。諸法和合生故無自性。 |
舎利弗、諸法は、和合の生なるが故に、自性無し。 |
舍利弗!
『諸の法』は、
『和合の生である!』が故に、
『自性』が、
『無いのだ!』。
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舍利弗。何等和合生無自性 |
舎利弗、何等かの和合の生に、自性無き。 |
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舍利弗。色和合生無自性。受想行識和合生無自性。眼和合生無自性。乃至意和合生無自性。色乃至法眼界。乃至法界地種。乃至識種眼觸。乃至意觸眼觸因緣生受。乃至意觸因緣生受和合生無自性。檀波羅蜜乃至般若波羅蜜和合生無自性。四念處乃至十八不共法和合生無自性。 |
舎利弗、色なる和合の生には自性無く、受想行識なる和合の生には自性無し。眼なる和合の生には自性無く、乃至意なる和合の生にも自性無し。色、乃至法、眼界、乃至法界、地種、乃至識種、眼触、乃至意触、眼触因縁生の受、乃至意触因縁生なる和合の生にも自性無し。檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜なる和合の生には自性無く、四念処、乃至十八不共法なる和合の生にも自性無し。 |
舍利弗!
『色という!』、
『受想行識という!』、
『眼という!』、
乃至、
『色、乃至法や!』、
『眼界、乃至法界や!』、
『地種、乃至識種や!』、
『眼触、乃至意触や!』、
『眼触因縁生の受、乃至意触因縁生の受という!』、
『檀波羅蜜、乃至般若波羅蜜という!』、
『四念処、乃至十八不共法という!』、
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復次舍利弗。一切法無常亦不失。 |
復た次ぎに、舎利弗、一切の法は無常にして、亦た失(う)せず。 |
復た次ぎに、
舍利弗!
『一切の法』は、
『無常である!』が、
『失われることがない!』。
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参考:『大般若経巻67』:『復次舍利子。諸法非常亦無散失。何以故。若法非常無盡性故。時舍利子問善現言。何法非常亦無散失。善現答言。舍利子。色非常亦無散失。受想行識非常亦無散失。舍利子。眼處非常亦無散失。耳鼻舌身意處非常亦無散失。舍利子。色處非常亦無散失。聲香味觸法處非常亦無散失。舍利子。眼界非常亦無散失。色界眼識界及眼觸眼觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。耳界非常亦無散失。聲界耳識界及耳觸耳觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。鼻界非常亦無散失。香界鼻識界及鼻觸鼻觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。舌界非常亦無散失。味界舌識界及舌觸舌觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。身界非常亦無散失。觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。意界非常亦無散失。法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受非常亦無散失。舍利子。地界非常亦無散失。水火風空識界非常亦無散失。舍利子。苦聖諦非常亦無散失。集滅道聖諦非常亦無散失。舍利子。無明非常亦無散失。行識名色六處觸受愛取有生老死愁歎苦憂惱非常亦無散失。舍利子。內空非常亦無散失。外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空非常亦無散失』 |
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舍利弗問須菩提何等法無常亦不失。 |
舎利弗の、須菩提に問わく、『何等の法か、無常にして、亦た失せざる。』と。 |
『舍利弗』は、
『須菩提』に、こう問うた、――
何のような、
『法』が、
『無常でありながら!』、
『失われないのか?』、と。
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須菩提言。色無常亦不失。受想行識無常亦不失。何以故。若法無常即是動相即是空相。以是因緣故。舍利弗。一切有為法無常亦不失。 |
須菩提の言わく、『色は無常にして、亦た失せず。受想行識は無常にして、亦た失せず。何を以っての故に、若し、法にして無常なれば、即ち是れ動相にして、即ち是れ空相なり。是の因縁を以っての故に、舎利弗、一切の有為法は無常にして、亦た失せず。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『色』は、
『無常である!』が、
『失われず!』、
『受想行識』も、
『無常である!』が、
『失われない!』。
何故ならば、
若し、
『法』が、
『無常ならば!』、
『動相であり!』、
是れは、
即ち、
『空相だからである!』。
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
『一切の有為法』は、
『無常でありながら!』、
『失われないのだ!』。
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若有漏法若無漏法。若有記法若無記法。無常亦不失。何以故。若法無常即是動相即是空相。以是因緣故。舍利弗。一切作法無常亦不失。 |
若しは有漏法、若しは無漏法、若しは有記法、若しは無記法は無常にして、亦た失せず。何を以っての故に、若し法にして無常なれば、即ち是れ動相にして、即ち是れ空相なり。是の因縁を以っての故に、舎利弗、一切の作法は無常にして、亦た失せず。 |
若し、
『法』が、
『有為法であろうが、無為法であろうが!』、
『有記法であろうが、無記法であろうが!』、
『無常でありながら!』、
『失われない!』。
何故ならば、
若し、
『法が無常ならば!』、
即ち、
是れは、
『動相であり!』、
『空相であるからだ!』。
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
一切の、
『作法( 有為法)』は、
『無常でありながら!』、
『失われないのである!』。
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作法(さほう):梵語karman、又はkaraNaの訳。又事業、業と訳し、単に作とも訳す。行為、行いの義。『大智度論巻52下注:作法、作者』参照。 |
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復次舍利弗。一切法非常非滅。 |
復た次ぎに、舎利弗、一切の法は常に非ず、滅に非ず。 |
復た次ぎに、
舍利弗!
『一切の法』は、
『常でもなく!』、
『滅でもない!』。
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舍利弗言。何等法非常非滅。 |
舎利弗の言わく、『何等の法か、常に非ず、滅に非ざる。』と。 |
『舍利弗』は、こう言った、――
何のような、
『法』が、
『常でもなく!』、
『滅でもないのか?』、と。
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須菩提言。色非常非滅。何以故。性自爾。受想行識非常非滅。何以故。性自爾。乃至意識因緣生受非常非滅。何以故。性自爾。以是因緣故。舍利弗。諸法和合生無自性。 |
須菩提の言わく、『色は常に非ず、滅に非ず。何を以っての故に、性の自ら爾なればなり。受想行識は常に非ず、滅に非ず。何を以っての故に、性の自ら爾なればなり。乃至意識因縁生の受も常に非ず、滅に非ず。何を以っての故に、性の自ら爾なればなり。是の因縁を以っての故に、舎利弗、諸法なる和合の生には自性無きなり』。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『色』は、
『常でもなく!』、
『滅でもない!』。
何故ならば、
『色の性』は、
『自ら!』、
『爾う( like so )だからである!』。
『受想行識』は、
『常でもなく!』、
『滅でもない!』。
何故ならば、
『色の性』は、
『自ら!』、
『爾うだからである!』。
乃至、
『意識因縁生の受』も、
『常でもなく!』、
『滅でもない!』。
何故ならば、
『色の性』は、
『自ら!』、
『爾うだからである!』。
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
『諸の法という!』、
『和合の生』には、
『自性』が、
『無いのである!』。
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如舍利弗所言。何因緣故色畢竟不生。受想行識畢竟不生。 |
舎利弗の言う所の如く、何の因縁の故にか、色は畢竟じて生ぜざる、受想行識は畢竟じて生ぜざる。 |
『舍利弗』の言うように、
何のような、
『因縁』の故に、
『色』は、
『畢竟じて!』、
『不生であり!』、
『受想行識』は、
『畢竟じて!』、
『不生なのか?』。
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須菩提言。色非作法。受想行識非作法。何以故。作者不可得故。舍利弗。眼非作法。何以故。作者不可得故。乃至意亦如是。眼界乃至意觸因緣生受亦如是。 |
須菩提の言わく、『色は作法に非ず、受想行識は作法に非ざればなり。何を以っての故に、作者の得べからざるが故なり。舎利弗、眼は作法に非ず。何を以っての故に、作者の得べからざるが故なり。乃至意も亦た是の如く、眼界、乃至意触因縁生の受も亦た是の如し。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『色も!』、
『受想行識も!』、
『作法(有為法)でないからである!』。
何故ならば、
『作者』が、
『認められないからである!』。
舍利弗!
『眼』は、
『作法ではない!』。
何故ならば、
『作者』が、
『認められないからであり!』、
乃至、
『意』も、
『是の通りである!』。
『眼界、乃至意触因縁生の受』も、
亦た、
『是の通りである!』。
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作法(さほう):◯梵語 karaNa の訳、行為( the act of making, doing, producing, effecting
)、行うこと/造ること/成し遂げること/引き起こすこと( doing, making, effecting, causing )の義。又行為,
事, 事業, 令作, 作, 作法, 具, 成, 成所作, 成辨, 所作, 所化, 時間, 立, 能作, 造作等に訳す。◯梵語 saMskRta-dharma,
kRtaka の訳、造られた事物/被造物( Thing that are made; created things; artificial things.
)。◯梵語 karman, kriyaa, dharmaakara の訳、例えば禁酒/浄行等の仏教徒の修行者の行動に伴う日常行為に関する規則/儀礼/行儀作法(
Regulations, protocol, rules of decorum, regarding daily behavior that
are followed by renunciant Buddhist practitioners, such as not drinking
alcohol, not having sex, as well as rules governing salutations and so
forth )。又羯磨と音訳し、受戒等の儀式を遂行すること( To perform ceremonies, such as ordination
ceremonies. )。
作者(さしゃ):梵語 kaaraka の訳、主宰, 人作, 作, 作者, 作者, 使作者, 所作, 所造, 能, 能令, 能作, 能作者, 能行( making
, doing , acting , who or what does or produces or creates )の義。 |
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復次舍利弗。一切諸法皆非起非作。何以故。作者不可得故。以是因緣故。舍利弗。色畢竟不生。受想行識畢竟不生。 |
復た次ぎに、舎利弗、一切の諸法は、皆起に非ず、作に非ず。何を以っての故に、作者の得べからざるが故なり。是の因縁を以っての故に、舎利弗、色は畢竟じて生ぜず、受想行識は畢竟じて生ぜず。 |
復た次ぎに、
舍利弗!
一切の、
『諸の法』は、
皆、
『起されることもなく!』、
『作されることもない!』。
何故ならば、
『作者』が、
『認められないからである!』。
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
『色』は、
『畢竟じて!』、
『不生であり!』、
『受想行識』は、
『畢竟じて!』、
『不生なのである!』。
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如舍利弗所言。何因緣故畢竟不生。是不名為色畢竟不生。是不名為受想行識。 |
舎利弗の言う所の如く、何の因縁の故にか、畢竟じて生ぜざる、是れを名づけて色と為さず、畢竟じて生ぜざる、是れを名づけて受想行識と為さざる。 |
『舍利弗』の言うように、
何のような、
『因縁』の故に、
『畢竟じて不生ならば!』、
『畢竟じて不生ならば!』、
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須菩提言。色性空。是空無生無滅無住異。受想行識性空。是空無生無滅無住異。眼乃至一切有為法性空。是空無生無滅無住異。以是因緣故。舍利弗。畢竟不生是不名色。畢竟不生是不名受想行識。 |
須菩提の言わく、『色の性は空なり。是の空は無生、無滅にして、住異無し。受想行識の性は空なり。是の空は無生、無滅にして、住異無し。眼、乃至一切の有為法の性は空なり。是の空は無生、無滅にして、住異無し。是の因縁を以っての故に、舎利弗、畢竟じて不生なるに、是れを色と名づけず、畢竟じて不生なるに、是れを受想行識と名づけず。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『色』の、
『性は空であり!』、
是の、
『空』には、
『生、滅、住、異』が、
『無い!』。
『受想行識』の、
『性は空であり!』、
是の、
『空』には、
『生、滅、住、異』が、
『無い!』。
『眼、乃至一切の有為法』の、
『性は空であり!』、
是の、
『空』には、
『生、滅、住、異』が、
『無い!』。
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
『畢竟じて不生ならば!』、
『畢竟じて不生ならば!』、
是れを、
『受想行識』と、
『呼ぶことはない!』。
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如舍利弗所言。何因緣故畢竟不生法。當教是般若波羅蜜耶。 |
舎利弗の言う所の如く、何の因縁の故にか、畢竟じて生ぜざる法に、当に、是の般若波羅蜜を教うべきや。 |
『舍利弗』の言うように、――
何のような、
『因縁』の故に、
『畢竟じて不生である!』、
『法( 菩薩)』に、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『教えねばならぬのか?』。
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参考:『大般若経巻70』:『爾時具壽善現復答舍利子言。如尊者所云。何緣故說我豈能以畢竟不生般若波羅蜜多教誡教授畢竟不生諸菩薩摩訶薩者。舍利子。畢竟不生即是般若波羅蜜多。般若波羅蜜多即是畢竟不生。何以故。畢竟不生與般若波羅蜜多無二無二分故。舍利子。畢竟不生即是菩薩摩訶薩。菩薩摩訶薩即是畢竟不生。何以故。畢竟不生與菩薩摩訶薩無二無二分故。舍利子。由此緣故我作是說。我豈能以畢竟不生般若波羅蜜多教誡教授畢竟不生諸菩薩摩訶薩』 |
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須菩提言。畢竟不生即是般若波羅蜜。般若波羅蜜即是畢竟不生。般若波羅蜜畢竟不生無二無別。以是因緣故。舍利弗。我說畢竟不生。當教是般若波羅蜜耶 |
須菩提の言わく、『畢竟じて生ぜざれば、即ち是れ般若波羅蜜なり。般若波羅蜜は、即ち是れ畢竟じて生ぜず。般若波羅蜜と、畢竟じて生ぜざるとは、無二無別なり。是の因縁を以っての故に、舎利弗、我れは、畢竟じて生ぜざるに、『当に、是の般若波羅蜜を教うべし』と説けりや。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『畢竟じて不生ならば!』、
『般若波羅蜜』は、
『般若波羅蜜と!』、
『畢竟じて不生である!』こととは、
『無二、無別であり!』、
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
わたしは、
『畢竟じて不生である!』者に、
是の、
『般若波羅蜜を教えねばならぬ!』と、
『説いたのだろうか?』。
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如舍利弗所言。何因緣故離畢竟不生。無菩薩行阿耨多羅三藐三菩提。 |
舎利弗の言う所の如く、何の因縁の故にか、畢竟じて生ぜざるを離れて、菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を行ずる無き。 |
『舍利弗』の言うように、――
何のような、
『因縁』の故に、
『畢竟じて不生である!』者を、
『離れれば!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を行う!』、
『菩薩』が、
『無いのか?』。
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須菩提言。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見畢竟不生異般若波羅蜜。亦不見畢竟不生異菩薩。畢竟不生及菩薩無二無別。 |
須菩提の言わく、『菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ずる時、畢竟じて生ぜざるを般若波羅蜜と異なりと見ず、亦た畢竟じて生ぜざるを菩薩と異なりと見ず、畢竟じて生ぜざると、及び菩薩とは無二無別なればなり。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜を行う!』時、
『畢竟じて不生である!』者を、
『般若波羅蜜』と、
『異なる!』と、
『見ることなく!』、
亦た、
『畢竟じて不生である!』者を、
『畢竟じて不生である!』者は、
『菩薩』とは、
『無二であり!』、
『無別だからである!』。
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不見畢竟不生異色。何以故。是畢竟不生及色無二無別。不見畢竟不生異受想行識。何以故。畢竟不生受想行識無二無別。乃至一切種智亦如是。 |
畢竟じて生ぜざるを色に異なりと見ず。何を以っての故に、是の畢竟じて生ぜざると、及び色とは無二無別なればなり。畢竟じて生ぜざるを受想行識に異なりと見ず。何を以っての故に、畢竟じて生ぜざると、受想行識とは無二無別なればなり。乃至一切種智も、亦た是の如し。 |
『畢竟じて不生である!』者を、
『色』と、
『異なる!』とも、
『見ない!』。
何故ならば、
是の、
『畢竟じて不生である!』者は、
『色』と、
『無二であり!』、
『無別だからである!』。
『畢竟じて不生である!』者を、
『受想行識』と、
『異なる!』とも、
『見ない!』。
何故ならば、
是の、
『畢竟じて不生である!』者は、
『受想行識』と、
『無二であり!』、
『無別だからである!』。
乃至、
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以是因緣故。舍利弗。離畢竟不生。無菩薩行阿耨多羅三藐三菩提。 |
是の因縁を以っての故に、舎利弗、畢竟じて生ぜざるを離れて、菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を行ずる無きなり。 |
是の、
『因縁』の故に、
舍利弗!
『畢竟じて不生である!』者を、
『離れて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を行う!』、
『菩薩』は、
『無いのである!』。
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如舍利弗所言。何因緣故。菩薩聞作是說。心不沒不悔不驚不怖不畏是名菩薩行般若波羅蜜。 |
舎利弗の言う所の如く、何の因縁の故にか、菩薩は、是の説を作すを聞いて、心没せず、悔いず、驚かず、怖れず、畏れず、是れを菩薩が、般若波羅蜜を行ずと名づくる。 |
『舍利弗』の言うように、――
何のような、
『因縁』の故に、
『菩薩』は、
是の、
『説』が、
『作される!』のを、
『聞いて!』、
『心』が、
『没することもなく!』、
『悔いることもなく!』、
『驚くこともなく!』、
『怖れることもなく!』、
『畏れることもなければ!』、
是れを、
『菩薩』が、
『般若波羅蜜を行う!』と、
『称するのだろうか?』。
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須菩提言。菩薩摩訶薩。不見諸法有覺知相。見一切諸法。如夢如幻如炎如影如化。 |
須菩提の言わく、『菩薩摩訶薩は諸法に覚知する相有るを見ず。一切の諸法は、夢の如く、幻の如く、炎の如く、影の如く、化の如しと見ればなり。 |
『須菩提』は、こう言った、――
『菩薩摩訶薩』は、
諸の、
『法』には、
『覚知の相が有る!』と、
『見ず!』、
一切の、
『諸の法』は、
『夢か、幻か、炎か、影か、化のようだ!』と、
『見るからである!』。
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舍利弗。以是因緣故。菩薩聞作是說。心不沒不悔不驚不怖不畏 |
舎利弗、是の因縁を以っての故に、菩薩は、是の説を作すを聞いて、心没せず、悔いず、驚かず、怖れず、畏れざるなり。 |
舍利弗!
是の、
『因縁』の故に、
『菩薩』は、
是の、
『説』が、
『作される!』のを、
『聞いても!』、
『心』が、
『没することもなく!』、
『悔いることもなく!』、
『驚くこともなく!』、
『怖れることもなく!』、
『畏れることもないのである!』。
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