巻第五十一(上)
釋勝出品第二十二
1.【經】一切の世間の上に出る
2.【論】一切の世間の上に出る
釋含受品第二十三
3.【經】摩訶衍は虚空に等しい
4.【論】摩訶衍は虚空に等しい
5.【經】無量無辺阿僧祇の衆生を受ける
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大智度論釋勝出品第二十二(卷五十一)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】一切の世間の上に出る

【經】慧命須菩提白佛言。世尊。摩訶衍摩訶衍者。勝出一切世間及諸天人阿修羅。 慧命須菩提の仏に白して言さく、『世尊、摩訶衍、摩訶衍とは、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出すればなり。
『慧命須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『摩訶衍、摩訶衍』とは、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのです!』。
  (しゃ):<代名詞>[這( this )に相当]例:者回(這回)、者般(這般)、者個(這個)等の如し。[形容詞、動詞、動詞句、意味有る句の後に用い、"者"字を付して名詞を作り、以って人、事、物に代えて用う]例:知人者智、自知者明(老子)、射者中(醉翁亭記)、読書者有幾(黃生借書說)。[数詞の後に用いて、上の文に説く所の幾種の人、或は幾件の事に代えて指す]例:二者不可得兼(孟子)。<助詞>[時間の示す名詞の後に用いて停頓を表す]例:昔者,吾舅死於虎,吾夫又死焉,今吾子又死焉(礼記)。[名詞の後に用いて語音上の停頓を示し、並びに下の文を引出して、常に判断を表す]例:仁者天下之表也(礼記)。[句末に用いて断定の語気を表す]例:大人者不失其赤子之心者也(孟子)。[諸に通じる]衆多( many )。
  参考:『大般若経巻56』:『爾時具壽善現白佛言。世尊。言大乘大乘者。超勝一切世間天人阿素洛等最尊最妙。如是大乘與虛空等。譬如虛空普能含受無數無量無邊有情。大乘亦爾。普能含受無數無量無邊有情。又如虛空無來無去無住可見。大乘亦爾。無來無去無住可見。又如虛空前後中際皆不可得。大乘亦爾。前後中際皆不可得三世平等。故名大乘。佛告善現。如是如是。如汝所說。菩薩大乘具如是等無邊功德。善現。如是大乘。當知即是布施淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多。復次善現。如是大乘。當知即是內空。外空。內外空。空空。大空。勝義空。有為空。無為空。畢竟空。無際空。散空。無變異空。本性空。自相空。共相空。一切法空。不可得空。無性空。自性空。無性自性空等。復次善現。如是大乘。當知即是健行三摩地。乃至無染著如虛空三摩地等無量百千三摩地門。復次善現。如是大乘。當知即是四念住四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支。復次善現。如是大乘。當知即是三三摩地乃至十八佛不共法。復次善現。如是大乘。當知即是文字陀羅尼等一切陀羅尼門。善現。如是等無量無邊殊勝功德。當知皆是菩薩摩訶薩大乘』
  参考:『放光般若経巻5』:『須菩提白佛言。唯世尊摩訶衍。摩訶衍者。出諸天世間人阿須倫之上。衍與空等如虛空。與無量無央數眾生而作救護。以此世尊為摩訶衍。菩薩摩訶薩亦不見來時亦不見去時亦不見住處。摩訶衍如是。亦不見前後亦不見中央。世尊。是故摩訶衍名為無有與等者。而無有雙。是故名曰摩訶衍。佛告須菩提。如是如是。須菩提。摩訶衍者六波羅蜜是。復有摩訶衍。所謂諸陀羅尼門。諸三昧門首楞嚴三昧。乃至虛空際解脫無所著三昧。是為菩薩摩訶薩摩訶衍。須菩提。復有摩訶衍。內外空乃至無有空。是為摩訶衍復有摩訶衍。三十七品佛十八法。是為菩薩摩訶薩摩訶衍。如須菩提所言。摩訶衍者出諸天阿須倫世間人民之上。須菩提。假令欲界其中所有實有。不異諦不顛倒有常堅強。亦不變易非為空法。若當爾者。摩訶衍亦不能出過諸天龍阿須倫世間人民上。須菩提。當知欲界劫盡燒時所有皆盡。無常無強亦無堅固用。是故摩訶衍出過世間人民諸天阿須倫之上。若使色界亦當有常常堅固者。摩訶衍亦不能出其上。用色界空無常堅固亦當壞盡亦不久住。是故摩訶衍出過其上。至于無色界皆當滅盡亦如是。須菩提。若色湛然堅固。有常諦不顛倒為是堅固法者。摩訶衍亦復不能過諸天阿須倫世固人民上用色無常無強堅固不諦顛倒故。摩訶衍出過其上。痛想行識皆悉無常亦如是。若眼耳鼻舌身意。色聲香味細滑法及十二因緣。湛然有常堅強牢固諦不顛倒常久安者。摩訶衍亦復不能出過其上。用諸法及十二因緣。無常無堅無強無牢無固不諦顛倒。皆如劫燒非安法故。摩訶衍德出過諸天龍鬼神世間人民上。須菩提。若法性中有所有者不為摩訶衍。以法性無所有故為摩訶衍。假令如真際不可思議。體有所有者亦不為摩訶衍。以如真際不可思議體無所有故為摩訶衍。須菩提。若六波羅蜜有所有者不為摩訶衍。以六波羅蜜無所有故為摩訶衍。出過諸天龍阿須倫世間人民上。若內外空及有無空有所有者不為摩訶衍。以內外空及有無空無所有故為摩訶衍。出過諸天阿須倫世間人民上。若三十七品及十八法有所有者不為摩訶衍。用三十七品及佛十八法無所有故為摩訶衍。出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若八輩地法須陀洹法斯陀含法阿那含法阿羅漢法辟支佛法阿惟三佛法佛法有所有者。不為摩訶衍。用八輩法從須陀洹至佛法無所有故為摩訶衍。出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若八輩從須陀洹斯陀含阿那含阿羅漢辟支佛阿惟三佛佛有所有者不為摩訶衍。用種性從須陀洹上至佛無所有故為摩訶衍。出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若諸天阿須倫世間人民有所有者不為摩訶衍。用諸天阿須倫世間人民無所有故為摩訶衍。出過其上。須菩提。若有菩薩摩訶薩。從初發意乃至佛坐。中間諸可所作。發意以來有所有者不為摩訶衍。用菩薩摩訶薩初發意以來乃至佛坐無所有故為摩訶衍。出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若菩薩摩訶薩金剛慧有所有者。菩薩不覺諸習緒不成薩云若。用金剛慧無所有故菩薩覺諸習緒者成薩云若。以是故出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若如來無所著等正覺三十二大士之相有所有者。如來無所著等正覺。不能出諸天阿須倫世間人民上。無此威德神耀光明巍巍之事。用三十二相無所有故。如來無所著等正覺。威德神耀光明巍巍。出過諸天阿須倫世間人民上。須菩提。若如來無所著等正覺光明有所有者。如來光明不能遍至十方恒邊沙國土。須菩提。用光明無所有故。能遍照恒沙國土。須菩提。若八種聲有所有者。如來音聲不能周遍十方恒邊沙無量國土。若佛法輪有所有者。如來不能轉法輪。諸沙門婆羅門世間人民。諸天鬼神龍諸魔諸梵所不能轉者。須菩提。若眾生有所有者。如來所能為眾生轉法輪。令諸眾生於無餘泥洹界而般泥洹。以眾生非物無所有故。是以如來為轉法輪令得泥洹。當來者亦當復般泥洹』
  :勝出を大般若は超勝と訳し、一切天、人、阿修羅を超えて、最尊、最上であるとし、放光般若は諸天、世人、阿修羅の上に出ると訳す。
世尊。是摩訶衍與虛空等。如虛空受無量無邊阿僧祇眾生。摩訶衍亦如是。受無量無邊阿僧祇眾生。 世尊、是の摩訶衍は、虚空と等し。虚空の無量無辺阿僧祇の衆生を受くるが如く、摩訶衍も亦た是の如く、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。
世尊!
是の、
『摩訶衍』は、
『虚空』と、
『等しいのです!』。
『虚空』が、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるように!』、
『摩訶衍』も、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのです!』。
世尊。是摩訶衍不見來處不見去處不見住處。是摩訶衍前際不可得後際不可得中際不可得。三世等是摩訶衍。世尊。以是故是乘名摩訶衍。 世尊、是の摩訶衍は、来処を見ず、去処を見ず、住処を見ず。是の摩訶衍は、前際を得べからず、後際を得べからず、中際を得べからず、三世の等しき、是れ摩訶衍なり。世尊、是を以っての故に、是の乗を摩訶衍と名づく。』と。
世尊!
是の、
『摩訶衍』は、
『来る処』も、
『去る処』も、
『住まる処』も、
『見えません!』。
是の、
『摩訶衍』は、
『前際』も、
『後際』も、
『中際』も、
『認められません!』。
『三世』が、
『等しい!』のが、
『摩訶衍なのです!』。
世尊!
是の故に、
是の、
『乗』を、
『摩訶衍』と、
『呼ぶのです!』。
佛告須菩提。如是如是。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂六波羅蜜。檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。 仏の須菩提に告げたまわく、『是の如し、是の如し。菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、謂わゆる六波羅蜜、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜にして、是れを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』とは、
謂わゆる、
『六波羅蜜であり!』、
即ち、
『檀波羅蜜』、
『尸羅波羅蜜』、
『羼提波羅蜜』、
『毘梨耶波羅蜜』、
『禅波羅蜜』、
『般若波羅蜜』を、
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』と、
『称するのである!』。
復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍所謂一切陀羅尼門一切三昧門所謂首楞嚴三昧。乃至離著虛空不染三昧。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。 復た次ぎに、須菩提、菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、謂わゆる一切の陀羅尼門、一切の三昧門、謂わゆる首楞厳三昧、乃至離著虚空不染三昧にして、是れを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』は、
謂わゆる、
『一切の陀羅尼門』、
『一切の三昧門であり!』、
謂わゆる、
『首楞厳三昧』、
『乃至離著虚空不染三昧』を、
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』と、
『称するのである!』。
復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂內空乃至無法有法空。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。 復た次ぎに、須菩提、菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、謂わゆる内空、乃至無法有法空にして、是れを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』は、
謂わゆる、
『内空』、
『乃至無法有法空であり!』、
是れを、
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』と、
『称するのである!』。
復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂四念處乃至十八不共法。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。 復た次ぎに、須菩提、菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、謂わゆる四念処、乃至十八不共法にして、是れを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』は、
謂わゆる、
『四念処』、
『乃至十八不共法であり!』、
是れを、
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』と、
『称するのである!』。
如須菩提所言。是摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提の言う所の如く、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。
『須菩提の言うように!』、――
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』の、
『上に!』、
『出るのだ!』。
  参考:『大般若経巻56』:『復次善現。汝言大乘超勝一切世間天人阿素洛等最尊最妙者。如是如是。如汝所說。所以者何。善現。若欲界是真如。非虛妄。非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以欲界非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。善現。若色無色界是真如。非虛妄。非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以色無色界非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。善現。若色是真如。非虛妄。非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以色非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。善現。若受想行識是真如。非虛妄。非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以受想行識非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。善現。若眼處是真如。非虛妄。非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以眼處非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。善現。若耳鼻舌身意處是真如。非虛妄非顛倒。非假設。是諦是實。有常有恒。無變無易。有實性者。則此大乘非尊非妙。不超一切世間天人阿素洛等。以耳鼻舌身意處非真如。是虛妄。是顛倒。是假設。非諦非實。無常無恒。有變有易。都無實性故。此大乘是尊是妙。超勝一切世間天人阿素洛等。』
須菩提。若欲界當有實不虛妄不異諦不顛倒。有常不壞相非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し欲界に、当に実にして虚妄ならず、諦に異ならず、顛倒ならざる有り、常、不壊の相にして、法無きに非ざる者有るべくんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
若し、
『欲界』に、
『実であり!』、
『虚妄でなく!』、
『諦(真理)に異ならず!』、
『顛倒でない!』者が、
『有り!』、
『常、不壊相であり!』、
『法が無いことがない!』者が、
『有るはずだとすれば!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
  (たい):梵語satyaの訳。巴梨語sacca、審実不虚の疑。即ち真実にして謬らず、万世に亘りて易らざる不磨の事実を云う。「増一阿含経巻17」に、「実有にして虚ならず、世尊の説く所なるが故に名づけて諦と為す」と云い、「大毘婆沙論巻77」に、「実の義は是れ諦の義なり、真の義、如の義、不顛倒の義、無虚誑の義は是れ諦の義なり」と云い、又「四諦論巻1」に、「諦の義に七あり。一に不到は是れ諦の義なり、譬えば火相の如し。二に実有は是れ諦の義なり、経中に説くが如し。三に無変異は是れ諦の義なり。四に無二行は是れ諦の義なり、譬えば樹提伽蛇達多の行の如し。五に不更起は是れ諦の義なり、此の智に従わば更に起らず、火輪智に同じからず。六に不相違は是れ諦の義なり、譬えば業及び聖域の如し。七に文義相称は是れ諦の義なり、何を以っての故に、苦と言わば必ず苦を義となす。此の七義に由るが故に名づけて諦となす」と云える是れなり。是れ皆如来所説の理法の真実不虚なるを諦と名づけたるなり。蓋し諸経論等に諦の種別を説けるもの少なからず、謂わゆる四諦、二諦、三諦、十諦、十六諦等なり。就中、四諦と即ち苦諦集諦滅諦道諦にして、「中阿含巻8衆集経」を始め広く諸経論に宣説せられたる所なり。二諦は謂わゆる真諦俗諦にして、又勝義諦世俗諦とも名づく。即ち勝義に於いて審実なるを真諦とし、世俗に於いて審実なるを俗諦とす。「大般涅槃経巻13」、「中論巻4」、「大毘婆沙論巻77」等に明す所なり。又前の四諦に各真諦俗諦の別ありとし、或いは俗諦に世間世俗、道理世俗、証得世俗、勝義世俗の四種、勝義諦に世間勝義、道理勝義、証得勝義、勝義勝義の四種を立て、又七種の二諦、十種の二諦等の語あり。三諦は謂わゆる空諦仮諦中道第一義諦にして、「菩薩瓔珞本業経巻上」等に之を説き、之に亦た隔歷の三諦、円融の三諦あり。其の他又「仁王般若波羅蜜経巻上」には空諦色諦心諦の三諦を説き、「旧華厳経巻25」には世諦、第一義諦、相諦、差別諦、説成諦、本諦、生諦、尽無生智諦、令入道智諦、一切菩薩次第成就諸地起如来智諦の十諦を説き、「菩薩瓔珞本業経巻上賢聖学観品」には有諦無諦等の十六諦を説き、又「金七十論」には自性等の二十五諦を説けり。又「成実論巻11」、「二諦義巻上」、「摩訶止観巻3上」、「法華経玄義巻2下」、「中観論疏巻10本」、「大乗義章巻1、3本」、「倶舎論光記巻22」、「大乗法苑義林章巻2本」等に出づ。<(望)
須菩提。以欲界虛妄憶想分別和合名字等有一切無常相無法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、欲界の虚妄、憶想、分別の名字等と和合して有り、一切は常相無く、法無きを以って、是を以っての故に、摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。
須菩提!
『欲界』が、
『虚妄であり!』、
『憶想、分別』が、
『名字等と和合して!』、
『有り!』、
『一切の世間』は、
『無常相であり!』、
『法』が、
『無い!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。色界無色界若當實有不虛妄不異諦不顛倒。有常不壞相非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、色界、無色界は、若し当に実に有りて、虚妄ならず、諦に異ならず、顛倒せず、常に不壊の相、無法に非ざる者有るべくんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
『色界、無色界』が、
若し、
『実に有り!』、
『虚妄でもなく!』、
『諦に異なることもなく!』、
『顛倒することもなく!』、
『常に!』、
『不壊相であり!』
『無法でない!』者が、
『有るはずならば!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
須菩提。以色界無色界虛妄憶想分別和合名字等有一切無常破壞相無法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、色界、無色界の、虚妄にして憶想分別の名字等に和合して有り、一切の無常、破壊の相にして、法無きを以って、是を以っての故に、摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
『色界、無色界』が、
『虚妄であり!』、
『憶想、分別』が、
『名字等に和合して!』、
『有り!』、
『一切は!』、
『無常、破壊の相であり!』、
『法』が、
『無い!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若色當實有不虛妄不異諦不顛倒有常不壞相非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し色は、当に実に有り、虚妄ならず、諦に異ならず、顛倒ならず、常、不壊の相にして無法に非ざる者有るべくんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
『色』が、
若し、
『実に有り!』、
『虚妄でもなく!』、
『諦に異なることもなく!』、
『顛倒することもなく!』、
『常に!』、
『不壊相であり!』
『無法でない!』者が、
『有るはずならば!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
須菩提。以色虛妄憶想分別和合名字等有一切無常破壞相無法。以是故是摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。受想行識亦如是。 須菩提、色の虚妄にして、憶想分別の名字等に和合して有り、一切は無常、破壊の相にして法無きを以って、是を以っての故に、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。受想行識も亦た是の如し。
須菩提!
『色』が、
『虚妄であり!』、
『憶想、分別』が、
『名字等に和合して!』、
『有り!』、
『一切は!』、
『無常、破壊の相であり!』、
『法』が、
『無い!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
『受想行識』も、
亦た、
『是の通りである!』。
須菩提。若眼乃至意。色乃至法。眼識乃至意識。眼觸乃至意觸。眼觸因緣生受乃至意觸因緣生受。若當實有不虛妄不異諦不顛倒有常不壞相非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し眼乃至意、色乃至法、眼識乃至意識、眼触乃至意触、眼触因縁生の受乃至意触因縁生の受は、若し当に実に虚妄ならず、諦に異ならず、顛倒せざる有り、常、不壊の相にして法無きに非ざる者有るべくんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わざるなり。
須菩提!
若し、
『眼、乃至意』、
『色、乃至法』、
『眼識、乃至意識』、
『眼触、乃至意触』、
『眼触因縁生の受、乃至意触因縁生の受』が、
若し、
『実に有り!』、
『虚妄でもなく!』、
『諦に異なることもなく!』、
『顛倒することもなく!』、
『常に!』、
『不壊相であり!』
『無法でない!』者が、
『有るはずならば!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
須菩提。以眼乃至意觸因緣生受虛妄憶想分別和合名字等有一切無常破壞相無法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、眼乃至意触因縁生の受の虚妄にして、憶想、分別の名字等に和合して有り、一切は無常、破壊の相にして、法無きを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。
須菩提!
『眼、乃至意触因縁生の受』が、
『虚妄であり!』、
『憶想、分別』が、
『名字等に和合して!』、
『有り!』、
『一切は!』、
『無常、破壊の相であり!』、
『法』が、
『無い!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若法性是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し法性は是れ有法にして無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
若し、
『法性』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
須菩提。以法性無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、法性の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。
須菩提!
『法性』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若如實際不可思議性是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し如、実際、不可思議性は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
若し、
『如、実際、不可思議性』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
須菩提。以如實際不可思議性無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、如、実際、不可思議性の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
『如、実際、不可思議性』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若檀波羅蜜是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以檀波羅蜜。無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し檀波羅蜜は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。檀波羅蜜の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『檀波羅蜜』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『檀波羅蜜』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
若尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以尸羅波羅蜜乃至般若波羅蜜無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 若し尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。尸羅波羅蜜、乃至般若波羅蜜の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
若し、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『尸羅、乃至般若波羅蜜』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若內空乃至無法有法空。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以內空乃至無法有法空無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し内空、乃至無法有法空は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。内空、乃至無法有法空の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『内空、乃至無法有法空』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『内空、乃至無法有法空』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若四念處乃至十八不共法。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以四念處乃至十八不共法無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し四念処、乃至十八不共法は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。四念処、乃至十八不共法の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『四念処、乃至十八不共法』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『四念処、乃至十八不共法』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若性人法是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以性人法無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し性人法は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。性人法の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『性人(性地/種性地)法』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『性人法』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
  性人(しょうにん):十地中第二性地の人。即ち声聞人は煖法より乃ち世間第一法に至るまで、菩薩に於いては順忍を得るも諸法の実相に愛著するもまた邪見を生ぜずして禅定の水を得る者をいう。乃ち「舎利弗阿毘曇論巻8」に、「云何が性人なる。若しは人の次第して凡夫の勝法に住し、若しは法即ち滅して、正決定に上る、是れを性人と名づく。云何が性人なる。若しは人の性法を成就せる。云何が性法なる。若しは無常、苦、空、無我、涅槃、寂滅を思惟するも、心定まらず、未だ如実を正決定するに上らざる人、若しは受想思触思惟覚観あり、見慧解脱にして、無癡、順信、悦喜、心進信、欲放逸ならず、意識界、意界を念ず、若しは如実の身戒、口戒、是れを性法と名づく。若し人、是の法を成就せば、是れを性人と名づく」と云える是れなり。
須菩提。若八人法須陀洹法斯陀含法阿那含法阿羅漢法辟支佛法佛法。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以八人法乃至佛法無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し八人法、須陀洹法、斯陀含法、阿那含法、阿羅漢法、辟支仏法、仏法は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。八人法、乃至仏法の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『八人法』や、
『須陀洹法、斯陀含法、阿那含法、阿羅漢法』や、
『辟支仏法、仏法』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『八人法、乃至仏法』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
  八人(はちにん):十地中の第三八人地、即ち苦法忍より乃ち道比智忍に至るまで、この十五心。
須菩提。若性人是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以性人無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し性人は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。性人の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『性人』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『性人』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若八人須陀洹乃至佛是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以八人乃至佛無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し八人、須陀洹、乃至仏は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。八人、乃至仏の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『八人、須陀洹、乃至仏』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『八人、乃至仏』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若一切世間及諸天人阿修羅。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以一切世間及諸天人阿修羅無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し一切の世間、及び諸天、人、阿修羅は、是れ有法にして、無法に非ずんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。一切の世間、及び諸天、人、阿修羅の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『一切の世間』や、
『諸の天、人、阿修羅』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『一切の世間』や、
『諸の天、人、阿修羅』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若菩薩摩訶薩從初發心乃至道場。於其中間諸心。若當是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以菩薩從初發心乃至道場諸心無法非法。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し菩薩摩訶薩の初発心より乃至道場までの、其の中間に於ける諸心は、若し当に是れ有法にして、無法に非ざるべくんば、是の摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。菩薩の初発心より乃至道場までの諸心の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、摩訶衍は一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提!
若し、
『菩薩摩訶薩』の、
『初発心乃至道場まで!』の、
其の、
『中間』に於ける、
『諸の心』が、
若し、、
『有法であり!』、
『無法ではないはずだ!』とすれば、
是の、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないだろう!』。
『菩薩摩訶薩の初発心乃至道場まで』の、
『諸の心』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若菩薩摩訶薩如金剛慧。若是有法非無法者。是菩薩摩訶薩。不能知一切結使及習無法非法得一切種智。 須菩提、若し菩薩摩訶薩の金剛の如き慧にして、若し是れ有法にして、無法に非ずんば、是の菩薩摩訶薩は、一切の結使及び習の無法にして、非法なるを知り、一切種智を得る能わず。
須菩提、
若し、
『菩薩摩訶薩』の、
『金剛のような慧』が、
若し、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『一切の結使と習』は、
『無法であり!』、
『法ではない!』と、
『知ることができず!』、
『一切種智』を、
『得られないのである!』。
須菩提。以菩薩摩訶薩如金剛慧無法非法。是故菩薩知一切結使及習無法非法。得一切種智。以是故摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、菩薩摩訶薩の金剛の如き慧の無法にして、法に非ざるを以って、是の故に菩薩は、一切の結使及び習の無法にして、法に非ざるを知りて、一切種智を得。是を以っての故に摩訶衍は、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出するなり。
須菩提、
『菩薩摩訶薩』の、
『金剛のような慧』は、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『菩薩』は、
『一切の結使と習とが!』、
『無法であり、法でない!』と、
『知り!』、
『一切種智』を、
『得るのであり!』、
是の故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若諸佛三十二相。是有法非無法者。諸佛威德不能照然勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、若し諸仏の三十二相は、是れ有法にして、無法に非ざれば、諸仏の威徳は、照然として、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出する能わず。
須菩提!
若し、
『諸仏の三十二相』が、
『有法であって!』、
『無法でなければ!』、
『諸仏の威徳は照らすことができず!』、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出られないであろう!』。
須菩提。以諸佛三十二相無法非法。以是故諸佛威德照然勝出一切世間及諸天人阿修羅。 須菩提、諸仏の三十二相の無法にして、法に非ざるを以って、是の故に、諸仏の威徳は照然として、一切の世間、及び諸の天、人、阿修羅を勝出す。
須菩提!
『諸仏の三十二相』は、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『諸仏の威徳が明るく照らして!』、
『一切の世間』と、
『諸の天、人、阿修羅』との、
『上に!』、
『出るのである!』。
須菩提。若諸佛光明是有法非無法者。諸佛光明不能普照恒河沙等世界。 須菩提、若し諸仏の光明は、是れ有法にして、無法に非ずんば、諸仏の光明は、普く恒河沙に等しき世界を照らす能わず。
須菩提!
若し、
『諸仏の光明』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
『諸仏の光明』は、
『恒河沙に等しい世界』を、
『普く!』、
『照らすことができないだろう!』。
須菩提。以諸佛光明無法非法。以是故諸佛能以光明普照恒河沙等世界。 須菩提、諸仏の光明の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、諸仏は、能く光明を以って、普く恒河沙に等しき世界を照らすなり。
須菩提!
『諸仏の光明』は、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『諸仏』は、
『光明を用いて!』、
普く、
『恒河沙に等しい世界』を、
『照らすことができるのである!』。
須菩提。若諸佛六十種莊嚴音聲。是有法非無法者。諸佛不能以六十種莊嚴音聲遍至十方無量阿僧祇世界。 須菩提、若し諸仏の六十種に荘厳せる音声は、是れ有法にして、無法に非ずんば、諸仏は、六十種に荘厳せる音声を以って、遍く十方の無量阿僧祇の世界に至ること能わざらん。
須菩提!
若し、
『諸仏』の、
『六十種に荘厳された音声』が、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
『諸仏』は、
『六十種に荘厳された音声を用いて!』、
遍く、
『十方の無量、阿僧祇の世界』に、
『至ることができないだろう!』。
須菩提。以諸佛六十種莊嚴音聲無法非法。以是故諸佛能以六十種莊嚴音聲。遍至十方無量阿僧祇世界。 須菩提、諸仏の六十種に荘厳せる音声の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、諸仏は、能く六十種に荘厳せる音声を以って、遍く十方の無量、阿僧祇の世界に至るなり。
須菩提!
『諸仏』の、
『六十種に荘厳された音声』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『諸仏』は、
『六十種に荘厳された音声を用いて!』、
遍く、
『十方の無量、阿僧祇の世界』に、
『至ることができるのである!』。
須菩提。諸佛法輪若是有法非無法者。諸佛不能轉法輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵及世間。餘眾所不能如法轉者。 須菩提、諸仏の法輪は、若し是れ有法にして、無法に非ずんば、諸仏は、法輪の諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、及び世間の余衆の如法に転ずる能わざる所の者を転ずる能わず。
須菩提!
『諸仏の法輪』が、
若し、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
『諸仏』は、
『諸の沙門、婆羅門、天、魔、梵、及び世間の余の衆』の、
『如法に転じられない!』所の、
『法輪』を、
『転じられないであろう!』。
須菩提。以諸佛法輪無法非法。以是故諸佛轉法輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵及世間。餘眾所不能如法轉者。 須菩提、諸仏の法輪の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、諸仏は、法輪の諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、及び世間の余の衆の如法に転ずる能わざる所の者を転ずるなり。
須菩提!
『諸仏の法輪』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『諸仏』は、
『諸の沙門、婆羅門、天、魔、梵、及び世間の余の衆』が、
『如法に転じられない!』所の、
『法輪』を、
『転じるのである!』。
須菩提。諸佛為眾生轉法輪。是眾生若實有法非無法者。不能令是眾生於無餘涅槃而般涅槃。 須菩提、諸仏は、衆生の為に法輪を転ずるに、是の衆生にして、若し実に有法にして、無法に非ざれば、是の衆生をして、無余涅槃に於いて、而も般涅槃せしむる能わず。
須菩提!
『諸仏』は、
『衆生』の為に、
『法輪』を、
『転じている!』が、
是の、
『衆生』が、
実に、
『有法であり!』、
『無法でなければ!』、
是の、
『衆生』を、
『無余涅槃(小乗涅槃:灰身涅槃)より!』、
『転じて!』、
『般涅槃(大乗涅槃:平等境界)させられない!』。
須菩提。以諸佛為眾生轉法輪是眾生無法非法。以是故。眾生於無餘涅槃中已滅今滅當滅 須菩提、諸仏は、衆生の為の、法輪を転ずるに、是の衆生の無法にして、法に非ざるを以って、是を以っての故に、衆生は、無余涅槃中に於いて、已に滅し、今滅し、当に滅すべし。
須菩提!
『諸仏』は、
『衆生』の為に、
『法輪』を、
『転じている!』が、
是の、
『衆生』が、
『無法であり!』、
『法でない!』が故に、
是の故に、
『衆生』は、
『無余涅槃』中に於いて、
『過去、現在、未来の三世』に、
『滅するのである!』。



【論】一切の世間の上に出る

【論】者言。須菩提上以五事問摩訶衍。佛已答竟。須菩提歡喜讚歎作是言。世尊。是摩訶衍有大力勢。破壞人天世間。已能於中勝出。 論者の言わく、須菩提は上の五事を以って、摩訶衍を問い、仏は、已に答え竟れり。須菩提の歓喜讃歎して、是の言を作さく、『世尊、是の摩訶衍は、大力勢有りて、人、天の世間を破壊し已りて、能く中に於いて勝出す。
論者は、こう言う、――
『須菩提』は、
上に、
『摩訶衍について!』、
『五事を問い!』、
『仏』が、
『答えられる!』と、
『須菩提』は、
『歓喜、讃歎して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『摩訶衍』には、
『大力勢が有る!』ので、
『人、天』の、
『世間』を、
『破って!』、
是の中より、
『上に!』、
『出るのです!』、と。
譬如三人度惡道。一者於夜逃遁獨脫其身。二者以錢求免。三者如大王將大軍眾摧破寇賊。舉軍全濟無所畏難。 譬えば、三人、悪道を度るが如し。一は、夜に於いて逃遁し、独り其の身を脱る。二は、銭を以って免るるを求む。三は、大王の大軍衆を将いて、寇賊を摧破し、軍を挙げて全て済うに、畏るる所の難無きが如し。
譬えば、
『三人』が、
『悪道を度(わた)る!』のに、
『似ている!』、――
一には、  ――声聞の譬喩――
『夜中に遁走して!』、
『独りだけで!』、
其の、
『身』を、
『脱れるようなものであり!』、
二には、  ――辟支仏の譬喩――
『銭を用いて!』、
『脱れる道』を、
『求めるようなものであり!』、
三には、  ――菩薩の譬喩――
『大王』が、
『大軍衆を将(ひき)いて!』、
『寇賊(盗賊)』を、
『摧破する!』のに、
『全軍』に、
『傷ひとつ!』、
『付けることなく!』、
『畏るべき!』、
『難』が、
『無いようなものである!』。
  逃遁(とうとん):逃げのがれる。逃走。
  寇賊(こうぞく):盗賊。
三乘亦如是。如阿羅漢。不能知一切總相別相。亦不能破魔王。又不能降伏外道。厭老病死直趣涅槃。 三乗も、亦た是の如く、阿羅漢の如きは、一切の総相、別相を知る能わず、亦た魔王を破る能わず、又外道を降伏する能わず、老病死を厭うて、直ちに涅槃に趣く。
『三乗』も、
亦た、
是のように、
例えば、
『阿羅漢』は、
『一切の法』の、
『総相、別相』を、
『知ることができず!』、
亦た、
『魔王』を、
『破ることもできず!』、
又、
『外道』を、
『降伏することもできず!』、
但だ、
『老、病、死』を、
『厭うて!』、
直ちに、
『涅槃』に、
『趣くのである!』。
如辟支佛入諸法實相深於聲聞少有悲心以神通力化度眾生。能破煩惱不能破魔人及外道。 辟支仏の如きは、諸法の実相に入ること、声聞より深く、少しは悲心有りて神通力を以って衆生を化度し、能く煩悩を破るも、魔人、及び外道を破る能わず。
例えば、
『辟支仏』は、
『諸法の実相に入る!』のが、
『声聞よりも!』、
『深く!』、
『悲心』も、
『少しは!』、
『有る!』ので、
『神通力を用いて!』、
『衆生を化度するぐらいには!』、
『煩悩』を、
『破ることができる!』が、
而し、
『魔人や、外道』を、
『破ることはできない!』。
如菩薩從初發心於一切眾生起大慈悲。雖未得佛。於其中間利益無量眾生。決定知諸法實相。具足六波羅蜜故。破諸魔王及壞外道。斷煩惱習。具足一切種智。總相別相悉知悉了。成阿耨多羅三藐三菩提。 菩薩の如きは、初発心より、一切の衆生に於いて、大慈悲を起し、未だ仏を得ずと雖も、其の中間に於いて、無量の衆生を利益し、決定して諸法の実相を知り、六波羅蜜を具足するが故に、諸の魔王を破り、及び外道を壊り、煩悩の習を断ち、一切種智を具足して、総相別相を悉く知り、悉く了らかにし、阿耨多羅三藐三菩提を成ず。
例えば、
『菩薩』は、
『初発心より!』、
一切の、
『衆生』中に於いて、
『大慈悲』を、
『起し!』、
未だ、
『仏』の、
『心』を、
『得ていない!』のに、
其の、
『得るまでの間』には、
『無量』の、
『衆生』を、
『利益し!』、
『決定して!』、
『諸法の実相』を、
『知り!』、
『六波羅蜜を具足する!』が故に、
諸の、
『魔王』や、
『外道』を、
『破壊し!』、
諸の、
『煩悩』の、
『習』を、
『断ち!』、
『一切種智を具足すれば!』、
悉く、
『総相』と、
『別相』とを、
『了知し!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『成就するのである!』。
三人雖俱免生死。然方便道各異。是故須菩提讚歎。摩訶衍摧破一切世間勝出人天阿修羅上 三人は、倶に生死を免ると雖も、然も方便道は、各異なり。是の故に須菩提の讃歎すらく、『摩訶衍は、一切の世間を摧破して、人、天、阿修羅を上に勝出す』、と。
『三人』は、
皆、
『生死』を、
『免れるのである!』が、
然し、
『方便の道』は、
各が、
『異なっている!』。
是の故に、
『須菩提』は、
『摩訶衍』を、こう讃歎した、――
『一切の世間を摧破して!』、
『人、天、阿修羅』の、
『上に!』、
『出るのである!』、と。
譬如虛空含受一切國土而虛空故不盡。摩訶衍亦如是。含受三世諸佛及諸弟子。摩訶衍亦不滿。 譬えば虚空は、一切の国土を含受するも、虚空は故(もと)より尽きざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、三世の諸仏、及び諸の弟子を含受するも、摩訶衍は亦た満たず。
譬えば、
『虚空』が、
一切の、
『国土』を、
『含受しながら!』、
『虚空』は、
故(もと)のまま、
『尽きない!』のと、
『同じである!』。
亦た、
是のように、
『摩訶衍』も、
『三世』の、
『諸仏と諸弟子』とを、
『含受しながら!』、
『摩訶衍』は、
亦た、
『満ちることもないのである!』。
又如虛空常相故無入相無出相無住相。是乘亦如是。無未來世入處。無過去世出處。無現在世住處。破三時故三世等名摩訶衍。 又虚空は、常相なるが故に、入相無く、出相無く、住相無きが如く、是の乗も、亦た是の如く、未来世の入処無く、過去世の出処無く、現在世の住処無く、三時を破るが故に、三世等しく、摩訶衍と名づく。
又、
『虚空』が、
『常相である!』が故に、
『入る相』も、
『出る相』も、
『住まる相』も、
『無いように!』、
是の、
『乗』も、
是のように、
『未来世』には、
『入る処』が、
『無く!』、
『過去世』には、
『出る処』が、
『無く!』、
『現在世』には、
『住まる処』が、
『無く!』、
『三時を破る!』が故に、
『三世が!』、
『等しい!』ので、
是れを、
『摩訶衍』と、
『称するのである!』。
問曰。佛應讚須菩提所歎言善哉。何以更說摩訶衍。 問うて曰く、仏は、応に須菩提の歎ずる所を讃じて、『善い哉』、と言うべし。何を以ってか、更に摩訶衍を説きたまえる。
問い、
『仏』は、
『須菩提』の、
『歎じた!』所を、
『讃じて!』、――
『善いぞ!』と、
『言われるべきである!』のに、
何故、
更に、
『摩訶衍』を、
『説かれたのですか?』。
答曰。佛將欲順須菩提所歎而讚說。以上說摩訶衍遠故。今略說摩訶衍相然後廣述。須菩提所讚摩訶衍者。所謂六波羅蜜諸陀羅尼門。三昧門。十八空四念處乃至十八不共法等。 答えて曰く、仏は、将に須菩提の歎ずる所に順じて、讃説せんと欲したまえり。上には、摩訶衍を説くこと遠きを以っての故に、今、摩訶衍の相を略説し、然る後に広述したまえり。須菩提の讃ずる所の摩訶衍とは、謂わゆる六波羅蜜、諸の陀羅尼門、三昧門、十八空、四念処、乃至十八不共法等なり。
答え、
『仏』は、
正しく( just )、
『須菩提の歎じた!』所に、
『順じて!』、
『讃説しよう!』と、
『思われたのである!』が、
上に、
『摩訶衍を説いた!』のが、
『遠い!』が故に、
今、
『摩訶衍の相』を、
『略説し!』、
その後、
『広く!』、
『述べられたのである!』、――
『須菩提の讃じた!』所の、
『摩訶衍』とは、
謂わゆる、
『六波羅蜜』、
『諸の陀羅尼門、三昧門』、
『十八空』、
『四念処、乃至十八不共法である!』等、と。
  参考:『大智度論巻50』:『佛告須菩提。汝所問是乘何處出至何處住者。佛言。是乘從三界中出。至薩婆若中住。以不二法故。何以故。摩訶衍薩婆若是二法。共不合不散無色無形無對一相所謂無相。‥‥』
如須菩提所說摩訶衍。破壞一切世間。勝出人天阿修羅上者。是事實爾。何以故。是三界虛誑如幻如夢。無明虛妄因緣故。有因果無有定實。一切無常破壞磨滅皆是空相。以摩訶衍與三界相違故能摧破勝出。 須菩提の説く所の如き、摩訶衍の、一切の世間を破壊して、人、天、阿修羅の上なる者を勝出すとは、是の事は実に爾り。何を以っての故に、是の三界の虚誑なること、幻の如く、夢の如く、無明なる虚妄の因縁の故に有れば、因果に、定まりたる実有ること無く、一切は無常にして、破壊し、磨滅すること、皆、是れ空相なり。摩訶衍と三界と相違するを以っての故に、能く摧破して、勝出す。
『須菩提』は、こう説いたが、――
一切の、
『世間を破壊して!』、
『人、天、阿修羅』の、
『上に!』、
『出る!』、と。
是の、
『事』は、
『実にそうである!』。
何故ならば、
是の、
『三界』は、
『虚誑であって!』、
『幻のようであり!』、
『夢のようであり!』、
『無明という!』、
『虚誑の因縁』の故に、
『有るだけで!』、
『因にも!』、
『果にも!』、
『定まった実』が、
『無く!』、
一切は、
『無常である!』が故に、
『破壊し!』、
『磨滅すれば!』、
是れは、
皆、
『空相なのである!』が、
『摩訶衍』は、
『三界と相違する!』が故に、
『三界を摧破して!』、
『三界の上に!』、
『出るのである!』。
若三界定實常不虛妄。是摩訶衍不能摧破勝出。何以故。力等故。五眾十二入十八界六觸生諸受亦如是。 若し、三界は定んで実、常にして虚妄ならずんば、是の摩訶衍は、摧破して勝出する能わず。何を以っての故に、力等しきが故なり。五衆、十二入、十八界、六触生の諸受も、亦た是の如し。
若し、
『三界』が、
『決定して!』、
『実、常であり!』、
『虚妄でなければ!』、
是の、
『摩訶衍』は、
『三界を摧破して!』、
『上に!』、
『出ることができない!』。
何故ならば、
『力』が、
『等しいからである!』。
『五衆、十二入、十八界、六触生の諸受』も、
亦た、
『是の通りである!』。
若法性是有法非無法者。摩訶衍不能破世間得勝出。須菩提以法性非有故。摩訶衍能得勝出世間。 若し、法性は是れ法有り、法無きに非ずんば、摩訶衍は、世間を破りて、勝出を得る能わず。須菩提!法性は、有るに非ざるを以っての故に、摩訶衍は、能く世間を勝出するを得るなり。
若し、
『法性』が、
『有法であり!』、
『無法でないとすれば!』、
『摩訶衍』が、
『世間を破って!』、
『世間の上に!』、
『出ることはできないだろう!』。
須菩提!
『法には!』、
『性』が、
『無い!』が故に、
『摩訶衍』は、
『世間の上に!』、
『出られるのである!』。
問曰。有為法因緣和合虛誑故言無。如法性實際不思議性是無為。實法名為實際。云何言無。 問うて曰く、有為法は、因縁和合にして、虚誑なるが故に、無しと言う。如、法性、実際、不思議性は、是れ無為、実法なれば、名づけて実際と為す。云何が無しと言える。
問い、
『有為法』は、
『因縁の和合であり!』、
『虚誑である!』が故に、
『無い( non-existant )!』と、
『言うのである!』が、
『如、法性、実際、不可思議性』は、
『無為であり!』、
『実法であり!』、
『実際と!』、
『呼ばれている!』のに、
何故、
『無い!』と、
『言うのですか?』。
答曰。無為空故言無。 答えて曰く、無為は、空なるが故に、無しと言えり。
答え、
『無為』は、
『空である!』が故に、
『無い!』と、
『言うのである!』。
復次佛說離有為無為法不可得。有為法實相即是無為法。 復た次ぎに、仏の説きたまわく、『有為を離れて、無為法は得べからず。有為法の実相は、即ち是れ無為法なり。』、と。
復た次ぎに、
『仏』は、こう説かれている、――
『有為法を離れて!』、
『無為法』は、
『認められない!』。
『有為法』の、
『実相』が、
『無為法だからである!』、と。
復次觀是有為法虛誑如如法性實際。是實以人於法性取相起諍故言無法性。或說有或說無。各有因緣故無咎。如實際不可思議性亦如是。 復た次ぎに、是の有為法は虚誑にして、如、法性、実際の如きは、是れ実なりと観れば、人は、法性に於いて相を取り、諍を起すを以っての故に、無しと言えり。法性は、或いは有りと説き、或いは無しと説くも、各因縁有るが故に、咎無し。如、実際、不可思議性も、亦た是の如し。
復た次ぎに、
是の、
『有為法』は、
『虚誑である!』が、
例えば、
『如、法性、実際』は、
『実である!』。
『人』は、
『法性という!』、
『相』を、
『取り!』、
『相』中に、
『諍』を、
『起す!』が故に、
是の故に、
『法性』は、
『無い!』と、
『言うのであり!』、
或は、
『有る!』と、
『説いたり!』、
『無い!』と、
『説いたりしても!』、
各には、
『因縁が有る!』が故に、
『咎』は、
『無い!』。
『如、実際、不可思議性』も、
亦た、
『是の通りである!』。
世間檀波羅蜜著故有。出世間檀波羅蜜無故空。為破慳貪故言有檀波羅蜜。破邪見故言檀波羅蜜無。 世間の檀波羅蜜は、著の故に有り、出世間の檀波羅蜜は、無の故に空なり。慳貪を破らんが為の故に檀波羅蜜有りと言い、邪見を破らんが故に、檀波羅蜜無しと言う。
『世間』の、
『檀波羅蜜』は、
『著する!』が故に、
『有り!』、
『出世間』には、
『檀波羅蜜』が、
『無い!』が故に、
『空である!』が、
『慳貪を破る!』為の故に、
『檀波羅蜜は有る!』と、
『言い!』、
『邪見を破る!』為の故に、
『檀波羅蜜は無い!』と、
『言うのである!』。
為度初學者說言有。若聖人心中說言無。如檀波羅蜜。乃至若眾生實有非是無法。不應令強滅入無餘涅槃。 初学を度せんが為には、説いて有りと言うも、若し聖人の心中を説かば無しと言う。檀波羅蜜の如く、乃至若しは衆生も、実に有りて、是れ無法なるに非ざれば、応に強いて滅せしめて、無余涅槃に入るべからず。
『初学を度す!』為の故に、
『説いて!』、
『有る!』と、
『言ったとしても!』、
『聖人の心』中を、
『説けば!』、
『無い!』と、
『言うだろう!』が、
『檀波羅蜜のように!』、
乃至は、
『衆生なども!』、
『実に有って!』、
『無法ではない!』が故に、
『強いて滅して!』、
『無余涅槃』に、
『入るべきではない!』。
問曰。從三十二相已後何以不說言摩訶衍勝出。 問うて曰く、三十二相より已後、何を以ってか、説いて『摩訶衍勝出す』と言わざる。
問い、
『三十二相』以後は、
何故、
『説いて!』、こう言わないのですか?――
『摩訶衍』は、
『上に!』、
『出る!』、と。
答曰。應當說直文煩故不說。 答えて曰く、応当に説くべし。直だ文の煩わしきが故に説かず。
答え、
当然、
『説くべきである!』が、
直ちに、
『文が繁雑になる!』が故に、
『説かなかったのである!』。
復次三十二相乃至為眾生轉法輪。亦是摩訶衍。但名字異耳。 復た次ぎに、三十二相、乃至衆生の為に法輪を転ずるは、亦た是れ摩訶衍にして、但だ名字異なるのみ。
復た次ぎに、
『三十二相』、
乃至、
『衆生』の為に、
『法輪』を、
『転じることも!』、
亦た、
『摩訶衍であり!』、
但だ、
『名字』が、
『異なるだけである!』。
復次上總相說摩訶衍勝出。不知云何勝出。今別相說。 復た次ぎに、上に総相を、『摩訶衍は勝出す』と説くも、云何が勝出するやを知らざれば、今別相を説く。
復た次ぎに、
上に、
『総相』を、
『摩訶衍が上に出る!』と、
『説いた!』が、
何故、
『上に出るのか!』は、
『知らない!』が故に、
今、
『別相』を、
『説くのである!』。
所謂佛三十二相莊嚴身故。勝一切眾生。佛光明勝日月諸天一切光明。佛音聲勝一切音樂世界妙聲諸天梵音。佛法輪勝轉輪聖王寶輪及諸外道一切法輪。無障無礙。餘法輪所利益微淺。或一世二世極至千萬世。佛法輪能令永入無餘涅槃不復還入生死。 謂わゆる仏は、三十二相の身を荘厳するが故に、一切の衆生に勝る。仏の光明は、日月、諸天の一切の光明に勝る。仏の音声は、一切の音楽、世界の妙音、諸天の梵音に勝る。仏の法輪は、転輪聖王の宝輪、及び諸の外道の一切の法輪に勝れて、無障無礙なり。余の法輪の利益する所は微浅にして、或いは一世、二世、極まりて千万世に至るも、仏の法輪は、能く永く無余涅槃に入らしめ、復た還って生死に入らしめず。
謂わゆる、
『仏』は、
『三十二相が身を荘厳する!』が故に、
『一切の衆生』に、
『勝り!』、
『仏』の、
『光明』は、
『日、月、諸天の一切の光明』に、
『勝り!』、
『仏』の、
『音声』は、
『一切の音楽、世間の妙声、諸天の梵音』に、
『勝り!』、
『仏』の、
『法輪』は、
『転輪聖王の宝輪』と、
『諸外道の一切の法輪』とに、
『勝って!』、
『障礙する!』者が、
『無く!』、
『余の法輪』は、
『利益する!』所が、
『微浅であり!』、
『一世、二世、乃至千万世である!』が、
『仏の法輪』は、
『永く!』、
『無余涅槃』に、
『入らせて!』、
『還って!』、
『生死』に、
『入らせない!』。
復次若眾生實有者。佛不應令眾生入涅槃永拔其根。此過於殺一身有如是大咎。 復た次ぎに、若し、衆生に実有らば、仏は、応に衆生をして涅槃に入らしめ、永く其の根を抜かしむべからず。此れ一身を殺すに過ぎたり。是の如き大咎有り。
復た次ぎに、
若し、
『衆生』が、
『実に!』、
『有れば!』、
『仏』が、
『衆生』を、
『涅槃』に、
『入らせて!』、
其の、
『根』を、
『永く抜かれるはずがなく!』、
此れは、
『一身』を、
『殺すに!』、
『過ぎるという!』、
是のような、
『大咎』が、
『有る!』。
以眾生顛倒心見我故。佛欲破其顛倒。說言涅槃無眾生可滅故無咎。有如是功德故。摩訶衍能勝出一切世間。 衆生の顛倒心は、我を見るを以っての故に、仏は、其の顛倒を破らんと欲し、説いて、『涅槃あり』、と言うも、衆生の滅すべき無きが故に咎無し。是の如き功徳有るが故に、摩訶衍は、能く一切の世間を勝出す。
『衆生』は、
『顛倒の心』に、
『我』を、
『見る!』が故に、
『仏』は、
其の、
『顛倒』を、
『破ろう!』と、
『思い!』、
『涅槃を説いて!』、
『有る!』と、
『言われた!』が、
『滅すべき!』、
『衆生』が、
『無い!』が故に、
是れには、
『咎』が、
『無い!』。
是のような、
『功徳が有る!』が故に、
『摩訶衍』は、
『一切の世間の上』に、
『出るのである!』。
問曰。一切世間者十方六道眾生。何以獨說勝出諸天人阿修羅。 問うて曰く、一切の世間とは、十方、六道の衆生なり。何を以ってか、独り、諸の天、人、阿修羅のみ勝出すと説きたもう。
問い、
『一切の世間』とは、
『十方』の、
『六道』の、
『衆生である!』が、
何故、
独り、
『諸の天人、阿修羅の上に出る!』と、
『説かれたのですか?』。
答曰。六道中三是善道。三是惡道。摩訶衍尚能破三善道勝出。何況惡道。 答えて曰く、六道中の三は、是れ善道なり。三は、是れ悪道なり。摩訶衍は、尚お能く三善道を破りて、勝出す。何に況んや、悪道をや。
答え、
『六道』中の、
『三は善道である!』が、
『三』は、
『悪道である!』が、
『摩訶衍』は、
尚お、
『三善道すら破って!』、
『上に!』、
『出るのであり!』、
況して、
『悪道』は、
『言うまでもない!』。
問曰。龍王經中說。龍得菩薩道。何以說是惡道。 問うて曰く、龍王経中に説かく、『龍は、菩薩道を得。』と。何を以ってか、是れ悪道なりと説ける。
問い、
『龍王経』中には、こう説いている、――
『龍』は、
『菩薩道』を、
『得る!』、と。
何故、
是れを、
『悪道である!』と、
『説くのですか?』。
  参考:『仏説海龍王経巻2分別名品』:『分別名品第八 佛說此章句偈時。海龍王眷屬萬三千龍。皆發無上正真道意。則更啟曰。廣宣此言。唯然世尊。我等亦當逮是無盡之藏總持也。當為一切眾生之類廣說經法。爾時賢者舍利弗白佛言至未曾有。世尊。乃令諸龍發無上正真道意。人反不能發大道也。佛告舍利弗。是萬三千龍。迦葉佛時皆作沙門。從迦葉如來一反聞菩薩行。同時歡喜讚曰。善哉善哉。說大乘事不可思議。與族黨知友俱行分衛。貪利不慎不護禁戒。以是之故。壽終之後墮於龍中。彼時從迦葉佛聞大乘教。讚迦葉佛。因由報應德本之緣。今聞吾說諮嗟大乘。講無盡藏總持。皆發無上正真道意。舍利弗。觀是至心之奇特。今吾授決。恒沙等劫供養諸佛積累道品。自致得成無上正真道。號曰慧上智上法上梵上。得成佛時以是四事。號世界曰無垢藏。劫名大欣。皆同一劫得成無上正真道最正覺。猶如賢劫當興千佛』
答曰。眾生無量無邊。龍得道者少。 答えて曰く、衆生は無量、無辺なるも、龍の道を得る者は少し。
答え、
『衆生』は、
『無量であり!』、
『無辺である!』が、
『龍』の、
『道を得た!』者が、
『少ないからである!』。
復次有人言。大菩薩變化身教化故作龍王身 復た次ぎに、有る人の言わく、『大菩薩は、身を変化して教化するが故に、龍王の身と作る。』と。
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『大菩薩』は、
『身』を、
『変化して!』、
『教化する!』が故に、
『龍王』の、
『身』と、
『作るのである!』、と。



大智度論釋含受品第二十三


【經】摩訶衍は虚空に等しい

【經】佛告須菩提汝所言衍與空等。如是如是。 仏の、須菩提に告げたまわく、『汝の言う所の衍の、空と等しきこと、是の如し、是の如し。
『仏』は、こう告げられた、――
お前の言う所の、――
『衍(梵yaana 乗り物)』は、
『空』と、
『等しい!』とは、
その通りである!
その通りである!。
  (えん):梵語 yaana の音訳、有らゆる種類の乗り物、馬車、荷車、船、駕籠等( a vehicle of any kind, carriage, waggon, vessel, ship, palanquin, etc. )の義。
  参考:『大般若経巻57』:『復次善現。汝言如是大乘與虛空等者。如是如是。如汝所說。所以者何。善現。譬如虛空非有東南西北四維上下方分可得。大乘亦爾。非有東南西北四維上下方分可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有長短方圓高下邪正形色可得。大乘亦爾。非有長短方圓高下邪正形色可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有青黃赤白黑紫縹等顯色可得。大乘亦爾。非有青黃赤白黑紫縹等顯色可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非過去非未來非現在。大乘亦爾。非過去非未來非現在。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非增非減非進非退。大乘亦爾。非增非減非進非退。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非雜染非清淨。大乘亦爾。非雜染非清淨。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非生非滅非住非異。大乘亦爾。非生非滅非住非異。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非善非非善非有記非無記。大乘亦爾。非善非非善非有記非無記。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非見非聞非覺非知。大乘亦爾。非見非聞非覺非知。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非所知非所達。大乘亦爾。非所知非所達。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非遍知非永斷非作證非修習。大乘亦爾。非遍知非永斷非作證非修習。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非異熟非有異熟法。大乘亦爾。非異熟非有異熟法。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有貪法非離貪法。大乘亦爾。非有貪法非離貪法。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有瞋法非離瞋法。大乘亦爾。非有瞋法非離瞋法。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有癡法非離癡法大乘亦爾。非有癡法非離癡法。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非墮欲界非墮色界非墮無色界。大乘亦爾。非墮欲界非墮色界非墮無色界。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有初地發心可得乃至非有第十地發心可得。大乘亦爾。非有初地發心可得乃至非有第十地發心可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有淨觀地種性地第八地具見地薄地離欲地已辦地獨覺地菩薩地如來地可得。大乘亦爾。非有淨觀地乃至如來地可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有預流向預流果一來向一來果不還向不還果阿羅漢向阿羅漢果獨覺向獨覺果菩薩如來可得。大乘亦爾。非有預流向預流果乃至菩薩如來可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有聲聞地獨覺地正等覺地可得。大乘亦爾。非有聲聞地獨覺地正等覺地可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非有色非無色。非有見非無見非有對非無對非相應非不相應。大乘亦爾。非有色非無色。非有見非無見非有對非無對。非相應非不相應。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非常非無常非樂非苦非我非無我非淨非不淨。大乘亦爾。非常非無常。非樂非苦。非我非無我。非淨非不淨。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非空非不空非有相非無相非有願非無願。大乘亦爾。非空非不空。非有相非無相。非有願非無願。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非寂靜非不寂靜非遠離非不遠離。大乘亦爾。非寂靜非不寂靜。非遠離非不遠離。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非明非暗。大乘亦爾。非明非暗。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非蘊處界非離蘊處界。大乘亦爾。非蘊處界。非離蘊處界。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非可得非不可得。大乘亦爾。非可得非不可得。故說大乘與虛空等。善現。又如虛空非可說非不可說。大乘亦爾。非可說非不可說。故說大乘與虛空等。善現。由如是等無量因緣。故說大乘與虛空等』
須菩提。摩訶衍與空等。須菩提。如虛空無東方無南方西方北方四維上下。須菩提。摩訶衍亦如是。無東方無南方西方北方四維上下。 須菩提、摩訶衍は、空と等し。須菩提、虚空に東方無く、南方、西方、北方、四維、上下無きが如く、須菩提、摩訶衍も、亦た是の如く、東方無く、南方、西方、北方、四維、上下無し。
須菩提!
『摩訶衍』が、
『空』に、
『等しい!』のは、――
須菩提!
譬えば、
『虚空』には、
『東方も、南方も、西方も、北方も、四維も、上下も!』、
『無いように!』、
須菩提!
是のように、
『摩訶衍』にも、
『東方も、南方も、西方も、北方も、四維も、上下も!』、
『無いのである!』。
須菩提。如虛空非長非短非方非圓。須菩提。摩訶衍亦如是。非長非短非方非圓。 須菩提、虚空は長に非ず、短に非ず、方に非ず、円に非ざるが如く、須菩提、摩訶衍も、亦た是の如く、長に非ず、短に非ず、方に非ず、円に非ず。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『長くもなく!』、
『短くもなく!』、
『方でもなく!』、
『円でもないように!』、
須菩提!
是のように、
『摩訶衍』も、
『長くもなく!』、
『短くもなく!』、
『方でもなく!』、
『円でもないのである!』。
須菩提。如虛空非青非黃非赤非白非黑。摩訶衍亦如是。非青非黃非赤非白。非黑以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空は青に非ず、黄に非ず、赤に非ず、白に非ず、黒に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、青に非ず、黄に非ず、赤に非ず、白に非ず、黒に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『青でもなく!』、
『黄でもなく!』、
『赤でもなく!』、
『白でもなく!』、
『黒でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『青でもなく!』、
『黄でもなく!』、
『赤でもなく!』、
『白でもなく!』、
『黒でもない!』ので、
是の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非過去非未來非現在。摩訶衍亦如是。非過去非未來非現在。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空は過去に非ず、未来に非ず、現在に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、過去に非ず、未来に非ず、現在に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『過去でもなく!』、
『未来でもなく!』、
『現在でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『過去でもなく!』、
『未来でもなく!』、
『現在ない!』ので、
是の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空不增不減。摩訶衍亦如是。不增不減。 須菩提、虚空の増せず、減ぜざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、増せず、減ぜず。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『増しもせず!』、
『減りもしないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『増しもせず!』、
『減りもしない!』。
須菩提。如虛空無垢無淨。摩訶衍亦如是。無垢無淨。 須菩提、虚空に垢無く、浄無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、垢無く、浄無し。
須菩提!
譬えば、
『虚空』には、
『垢も無く!』、
『浄も無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『垢も無く!』、
『浄も無い!』。
須菩提。如虛空無生無滅無住無異。摩訶衍亦如是。無生無滅無住無異。 須菩提、虚空に生無く、滅無く、住無く、異無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、生無く、滅無く、住無く、異無し。
譬えば、
『虚空』には、
『生も無く!』、
『滅も無く!』、
『住も無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『生も無く!』、
『滅も無く!』、
『住も無い!』。
須菩提。如虛空非善非不善非記非無記。摩訶衍亦如是。非善非不善非記非無記。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の善に非ず、不善に非ず、記に非ず、無記に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、善に非ず、不善に非ず、記に非ず、無記に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』が、
『善でもなく!』、
『不善でもなく!』、
『記でもなく!』、
『無記でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『善でもなく!』、
『不善でもなく!』、
『記でもなく!』、
『無記でもない!』ので、
是の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
如虛空無見無聞無知無識。摩訶衍亦如是。無見無聞無知無識。 虚空に見無く、聞無く、知無く、識無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、見無く、聞無く、知無く、識無し。
譬えば、
『虚空』には、
『見も無く!』、
『聞も無く!』、
『知も無く!』、
『識も無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『見も無く!』、
『聞も無く!』、
『知も無く!』、
『識も無い!』。
如虛空不可知不可識不可見不可斷不可證不可修。摩訶衍亦如是。不可知不可識不可見不可斷不可證不可修。以是故說摩訶衍與空等。 虚空の知るべからず、識るべからず、見るべからず、断ずべからず、証すべからず、修むべからざるが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、知るべからず、識るべからず、見るべからず、断ずべからず、証すべからず、修むべからず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』が、
『不可知であり!』、
『不可識であり!』、
『不可見であり!』、
『不可断であり!』、
『不可証であり!』、
『不可修であるように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『不可知であり!』、
『不可識であり!』、
『不可見であり!』、
『不可断であり!』、
『不可証であり!』、
『不可修である!』ので、
是の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
如虛空非染相非離相。摩訶衍亦如是。非染相非離相。 虚空の染相に非ず、離相に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、染相に非ず、離相に非ず。
譬えば、
『虚空』が、
『染相でもなく!』、
『離相でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『染相でもなく!』、
『離相でもない!』。
如虛空不繫欲界不繫色界不繫無色界。摩訶衍亦如是。不繫欲界不繫色界不繫無色界。 虚空の欲界に繋せず、色界に繋せず、無色界に繋せざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、欲界に繋せず、色界に繋せず、無色界に繋せず。
譬えば、
『虚空』が、
『欲界に繋かるでもなく!』、
『色界に繋かるでもなく!』、
『無色界に繋かるでもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『欲界に繋かるでもなく!』、
『色界に繋かるでもなく!』、
『無色界に繋かるでもない!』。
如虛空無初發心亦無二三四五六七八九第十心。摩訶衍亦如是。無初發心乃至無第十心。 虚空に初発心無く、亦た二三四五六七八九第十心無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、初発心無く、乃至第十心無し。
譬えば、
『虚空』には、
『初発心も、二、三、四、五、六、七、八、九、第十の心も!』、
『無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『初発心、乃至第十の心が!』、
『無い!』。
如虛空無乾慧地姓地八人地見地薄地離欲地已辦地。摩訶衍亦如是。無乾慧地乃至已作地。 虚空に乾慧地、姓地、八人地、見地、薄地、離欲地、已辨地無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、乾慧地、乃至已作地無し。
譬えば、
『虚空』には、
『乾慧地、性地、八人地、見地、薄地、離欲地、已辦地が!』、
『無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『乾慧地、乃至已作地が!』、
『無い!』。
如虛空無須陀洹果無斯陀含果無阿那含果無阿羅漢果。摩訶衍亦如是。無須陀洹果乃至無阿羅漢果。 虚空に須陀洹果無く、斯陀含果無く、阿那含果無く、阿羅漢果無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、須陀洹果無く、乃至阿羅漢果無し。
譬えば、
『虚空』には、
『須陀洹果も、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果が!』、
『無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果が!』、
『無い!』。
如虛空無聲聞地無辟支佛地無佛地。摩訶衍亦如是。無聲聞地乃至無佛地。以是故說摩訶衍與空等。 虚空に声聞地無く、辟支仏地無く、仏地無きが如く、摩訶衍にも、亦た是の如く、声聞地無く、乃至仏地無し。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』には、
『声聞地も、辟支仏地も、仏地も!』、
『無いように!』、
是のように、
『摩訶衍』にも、
『声聞地、乃至仏地が!』、
『無い!』ので、
是の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しい!』、と。
如虛空非色非無色。非可見非不可見。非有對非無對非合非散。摩訶衍亦如是。非色非無色非可見非不可見。非有對非無對非合非散。以是故說摩訶衍與空等。 虚空の色に非ず、無色に非ず、可見に非ず、不可見に非ず、有対に非ず、無対に非ず、合に非ず、散に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、色に非ず、無色に非ず、可見に非ず、不可見に非ず、有対に非ず、無対に非ず、合に非ず、散に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』が、
『色でも、無色でもなく!』、
『可見でも、不可見でもなく!』、
『有対でも、無対でもなく!』、
『合でも、散でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『色でも、無色でもなく!』、
『可見でも、不可見でもなく!』、
『有対でも、無対でもなく!』、
『合でも、散でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非常非無常非樂非苦非我非無我。摩訶衍亦如是非常非無常非樂非苦非我非無我。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の常に非ず、無常に非ず、楽に非ず、苦に非ず、我に非ず、無我に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、常に非ず、無常に非ず、楽に非ず、苦に非ず、我に非ず、無我に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』が、
『常でも、無常でもなく!』、
『楽でも、苦でもなく!』、
『我でも、無我でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『常でも、無常でもなく!』、
『楽でも、苦でもなく!』、
『我でも、無我でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非空非不空非相非無相非作非無作。摩訶衍亦如是。非空非不空非相非無相非作非無作。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の空に非ず、不空に非ず、相に非ず、無相に非ず、作に非ず、無作に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、空に非ず、不空に非ず、相に非ず、無相に非ず、作に非ず、無作に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
譬えば、
『虚空』が、
『空でも、不空でもなく!』、
『相でも、無相でもなく!』、
『作でも、無作でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『空でも、不空でもなく!』、
『相でも、無相でもなく!』、
『作でも、無作でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非寂滅非不寂滅非離非不離。摩訶衍亦如是。非寂滅非不寂滅非離非不離。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の寂滅に非ず、不寂滅に非ず、離に非ず、不離に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、寂滅に非ず、不寂滅に非ず、離に非ず、不離に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『寂滅でも、不寂滅でもなく!』、
『離でも、不離でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『寂滅でも、不寂滅でもなく!』、
『離でも、不離でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非闇非明。摩訶衍亦如是。非闇非明。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の闇に非ず、明に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、闇に非ず、明に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『闇でもなく!』、
『明でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『闇でもなく!』、
『明でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非可得非不可得。摩訶衍亦如是。非可得非不可得。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の可得に非ず、不可得に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、可得に非ず、不可得に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『可得でもなく!』、
『不可得でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『可得でもなく!』、
『不可得でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。如虛空非可說非不可說。摩訶衍亦如是。非可說非不可說。以是故說摩訶衍與空等。 須菩提、虚空の可説に非ず、不可説に非ざるが如く、摩訶衍も、亦た是の如く、可説に非ず、不可説に非ず。是を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『可説でもなく!』、
『不可説でもないように!』、
是のように、
『摩訶衍』も、
『可説でもなく!』、
『不可説でもない!』ので、
是の故に、こう説いた、――
『摩訶衍』は、
『空』と、
『等しいのである!』、と。
須菩提。以是諸因緣故。說摩訶衍與空等 須菩提、是の諸の因縁を以っての故に、摩訶衍は、空と等しと説けり。
須菩提!
是の、
諸の、
『因縁』の故に、こう説いたのである、――
『摩訶衍』は、
『空』に、
『等しい!』、と。



【論】摩訶衍は虚空に等しい

【論】者言。須菩提讚衍如虛空。佛即廣述成其事。如虛空無十方。是摩訶衍亦無十方。無長短方圓青黃赤白等。是摩訶衍亦如是。 論者の言わく、須菩提の衍の虚空の如きを讃ずるに、仏は、即ち広述して、其の事を成じたまえり、『虚空に、十方無きが如く、是の摩訶衍にも、亦た十方無し。長短、方円、青黄赤白等無きこと、是の摩訶衍も、亦た是の如し。』と。
論者は言う、――
『須菩提』が、
『衍』は、
『虚空のようだ!』と、
『讃じる!』と、
『仏』は、
即ち、
其の、
『事』を、
『広く述べて!』、こう完成された、――
譬えば、
『虚空』に、
『十方』が、
『無いように!』、
是の、
『摩訶衍』にも、
『十方』が、
『無いのだ!』。
亦た、
『虚空』には、
『長短、方円、青黄赤白等』が、
『無い!』が、
是の、
『摩訶衍』も、
亦た、
『是の通りである!』、と。
問曰。虛空應爾。是無為法無色無方。摩訶衍是有為法是色法。所謂布施持戒等。云何言與虛空等。 問うて曰く、虚空は、応に爾るべく、是れ無為法にして、無色、無方なり。摩訶衍は、是れ有為法、是れ色法なり。謂わゆる布施、持戒等を、云何が、『虚空と等し。』と言う。
問い、
『虚空』は、
当然、爾のように、――
『無為法であり!』、
『無色、無方であろう!』が、
『摩訶衍』は、
『有為法であり!』、
『色法である!』。
謂わゆる、
『布施、持戒』等を、
何故、
『虚空と等しい!』と、
『言うのですか?』。
答曰。六波羅蜜有二種。世間出世間。世間者是有為法色法不同虛空。出世間者與如法性實際智慧和合故似如虛空。從得無生忍已後無所分別如虛空。 答えて曰く、六波羅蜜には二種有り。世間、出世間なり。世間は、是れ有為法、色法にして、虚空と同じからず。出世間は、如、法性、実際と智慧との和合なるが故に、似たること虚空の如し。無生忍を得てより已後、分別する所無く、虚空の如し。
答え、
『六波羅蜜』には、
『二種有り!』、
『世間の六波羅蜜!』、
『出世間の六波羅蜜である!』。
『世間の六波羅蜜』は、
『有為法、色法である!』が故に、
『虚空』と、
『同じではない!』が、
『出世間の六波羅蜜』は、
『如、法性、実際』と、
『智慧』との、
『和合である!』が故に、
是れは、
『虚空に!』、
『似ており!』、
『無生法忍を得てからは!』、
『虚空のように!』、
『分別する!』所』が、
『無い!』。
復次如佛以無礙智觀實相如虛空。餘人則不然。智慧未畢竟清淨故。 復た次ぎに、仏の如きは、無礙智を以って、実相を虚空の如しと観たもうも、余人の、則ち然らざるは、智慧未だ畢竟じて清浄ならざるが故なり。
復た次ぎに、
『仏』は、
『無礙智を用いて!』、
『実相』を、
『虚空のようだ!』と、
『観られるのである!』のに、
『余の人』が、
『そうでない!』のは、
『智慧』が、
未だ、
『畢竟じて!』、
『清浄でないからである!』。
復次佛前後說諸法畢竟空。如無餘涅槃相如虛空不應致疑。餘法亦如是。乃至如虛空非說非不說亦如是。 復た次ぎに、仏は、前後に諸法の畢竟空にして、無余涅槃の相の如し、虚空の如しと説きたまえば、応に疑いを致すべからず。余法も、亦た是の如く、乃至虚空の説に非ず、不説に非ざるが如きまで、亦た是の如し。
復た次ぎに、
『仏』は、
『前、後』に、こう説かれている、――
『諸の法』は、
『畢竟空であり!』、
譬えば、
『涅槃の相や!』、
『虚空のようである!』、と。
是の故に、
当然、
『疑』を、
『懐くべきでない!』。
『余の法』も、
亦た、
『是の通りであり!』、
乃至、
『虚空など!』が、
『可説でもなく!』、
『不可説でもない!』まで、
亦た、
『是の通りである!』。
  参考:『大智度論巻49』:『如世尊想者。我先說。菩薩異於世人。世人分別好醜。好者愛著猶不如佛。惡者輕慢了不比數。菩薩則不然。觀諸法畢竟空。從本已來皆如無餘涅槃相。觀一切眾生視之如佛。何況法師。有智慧利益。以能作佛事故視之如佛。』
問曰。如虛空言無所有便足。何以說無種種相。 問うて曰く、虚空の如きは、『所有無し』と言えば、便ち足る。何を以ってか、種種の相無しと説きたまえる。
問い、
例えば、
『虚空など!』は、
『所有(有らゆるもの!)』が、
『無い!』と、
『言うだけで!』、
便ち、
『十分である!』。
何故、
種種の、
『相が無い!』と、
『説かれたのですか?』。
答曰。初發心菩薩於內外種種因緣法中著心。以是故佛說如虛空無是種種相。摩訶衍亦如是 答えて曰く、初発心の菩薩は、内外の種種の因縁の法中に於いて、心を著す。是を以っての故に、仏は、『虚空の如く、是の種種の相無し。摩訶衍も、亦た是の如し。』と説きたまえり。
答え、
『初発心の菩薩』は、
『内、外』の、
『種種の因縁の法』中に於いて、
『心』が、
『著する!』ので、
是の故に、
『仏』は、こう説かれたのである、――
譬えば、
『虚空』には、
是の、
『種種の相』が、
『無いように!』、
『摩訶衍』も、
亦た、
『是の通りである!』、と。
 



【經】無量無辺阿僧祇の衆生を受ける

【經】須菩提。如汝所言。如虛空受無量無邊阿僧祇眾生。摩訶衍亦受無量無邊阿僧祇眾生。如是如是。 須菩提、汝が言う所の如き、『虚空の、無量無辺阿僧祇の衆生を受くるが如く、摩訶衍も、亦た無量無辺阿僧祇の衆生を受く。』とは、是の如し、是の如し。
須菩提!
お前は、こう言ったが、――
譬えば、
『虚空』が、
『無量、無辺、阿僧祇』の、
『衆生』を、
『受けるように!』、
『摩訶衍』も、
亦た、
『無量、無辺、阿僧祇』の、
『衆生』を、
『受けるのである!』、と。
その通りだ!
その通りだ!
  参考:『大般若経巻57』:『復次善現。汝言。譬如虛空普能含受無數無量無邊有情。大乘亦爾。普能含受無數無量無邊有情者。如是如是。如汝所說。所以者何。善現。有情無所有故。當知虛空亦無所有。虛空無所有故。當知大乘亦無所有。由如是義故。說大乘普能含受無數無量無邊有情。何以故。善現。若有情。若虛空。若大乘。如是一切皆無所有不可得故。復次善現。有情無數無量無邊故。當知虛空亦無數無量無邊。虛空無數無量無邊故。當知大乘亦無數無量無邊。由如是義故。說大乘普能含受無數無量無邊有情。何以故。善現。若有情無數無量無邊。若虛空無數無量無邊。若大乘無數無量無邊。如是一切皆無所有不可得故。復次善現。有情無所有故。當知虛空亦無所有。虛空無所有故。當知大乘亦無所有。大乘無所有故。當知無數亦無所有。無數無所有故。當知無量亦無所有。無量無所有故。當知無邊亦無所有。無邊無所有故。當知一切法亦無所有。由如是義故。說大乘普能含受無數無量無邊有情。何以故。善現。若有情。若虛空。若大乘。若無數。若無量。若無邊。若一切法。如是一切皆無所有不可得故。復次善現。我無所有故。當知有情亦無所有。有情無所有故。當知命者亦無所有。命者無所有故。當知生者亦無所有。生者無所有故。當知養者亦無所有。養者無所有故。當知士夫亦無所有。士夫無所有故。當知補特伽羅亦無所有。補特伽羅無所有故。當知意生亦無所有。意生無所有故。當知儒童亦無所有。儒童無所有故。當知作者亦無所有。作者無所有故。當知使作者亦無所有。使作者無所有故。當知起者亦無所有。起者無所有故。當知使起者亦無所有。使起者無所有故。當知受者亦無所有。受者無所有故。當知使受者亦無所有。使受者無所有故。當知知者亦無所有。知者無所有故。當知見者亦無所有。見者無所有故。當知虛空亦無所有。虛空無所有故。當知大乘亦無所有。大乘無所有故。當知無數亦無所有。無數無所有故。當知無量亦無所有。無量無所有故。當知無邊亦無所有。無邊無所有故。當知一切法亦無所有。由如是義故。說大乘普能含受無數無量無邊有情。何以故。善現。若我乃至見者若虛空。若大乘。若無數。若無量。若無邊。若一切法。如是一切皆無所有不可得故。復次善現。我乃至見者無所有故。當知真如亦無所有。真如無所有故。當知法界亦無所有。法界無所有故。當知法性亦無所有。法性無所有故。當知不虛妄性亦無所有。不虛妄性無所有故。當知不變異性亦無所有。不變異性無所有故。當知平等性亦無所有。平等性無所有故。當知離生性亦無所有。離生性無所有故。當知不思議界亦無所有。不思議界無所有故。當知虛空界亦無所有。虛空界無所有故。當知斷界亦無所有。斷界無所有故。當知離界亦無所有。離界無所有故當知滅界亦無所有。滅界無所有故。當知無性界亦無所有。無性界無所有故。當知無相界亦無所有。無相界無所有故。當知無作界亦無所有。無作界無所有故。當知無為界亦無所有。無為界無所有故當知安隱界亦無所有。安隱界無所有故。當知寂靜界亦無所有。寂靜界無所有故。當知法定亦無所有。法定無所有故。當知法住亦無所有。法住無所有故。當知本無亦無所有。本無無所有故。當知實際亦無所有。實際無所有故。當知虛空亦無所有。虛空無所有故。當知大乘亦無所有。大乘無所有故。當知無數亦無所有。無數無所有故。當知無量亦無所有。無量無所有故。當知無邊亦無所有。無邊無所有故。當知一切法亦無所有。由如是義故。說大乘普能含受無數無量無邊有情。何以故。善現若我乃至見者。若真如乃至實際。若虛空。若大乘。若無數。若無量。若無邊。若一切法如是一切皆無所有不可得故』
須菩提。眾生無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍亦無所有。以是因緣故摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故是眾生虛空摩訶衍。是法皆不可得故。 須菩提、衆生は、所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍も、亦た所有無し。是の因縁を以っての故に、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、是の衆生、虚空、摩訶衍は、是の法は、皆得べからざるが故なり。
須菩提!
『衆生』には、
『所有(実体)が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』にも、
『所有が無い!』、と。
是の、
『因縁』の故に、
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇』の、
『衆生』を、
『受けるのである!』。
何故ならば、
是の、
『衆生や!』、
『虚空や!』、
『摩訶衍というような!』、
是の、
『法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無所有。阿僧祇無所有故。當知無量無所有。無量無所有故。當知無邊無所有。無邊無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇に所有無し。阿僧祇に所有無きが故に、当に知るべし、無量に所有無し。無量に所有無きが故に、当に知るべし、無辺に所有無し。無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無量』には、
『所有が無い!』、と。
『無量』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。是摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。是眾生虛空摩訶衍阿僧祇無量無邊。是一切法不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、是の摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、是の衆生、虚空、摩訶衍、阿僧祇、無量、無辺、是の一切の法は得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
是の、
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』。
何故ならば、
是の、
『衆生や!』、
『虚空や!』、
『摩訶衍や!』、
『阿僧祇や!』、
『無量や!』、
『無辺というような!』、
是の、
『一切の法』は、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我無所有。乃至知者見者無所有故。當知如法性實際無所有。如法性實際無所有故當知乃至無量無邊阿僧祇無所有。無量無邊阿僧祇無所有故當知一切法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我には所有無し、乃至知者、見者にも所有無きが故に、当に知るべし、如、法性、実際に所有無し。如、法性、実際に所有無きが故に、当に知るべし、乃至無量、無辺、阿僧祇にもに所有無し。無量、無辺、阿僧祇に所有無きが故に、当に知るべし、一切の法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『如、法性、実際』には、
『所有が無い!』、と。
『如、法性、実際』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『乃至無量、無辺、阿僧祇』には、
『所有が無い!』、と。
『無量、無辺、阿僧祇』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。是眾生乃至知者見者。實際乃至無量無邊阿僧祇。是一切法不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、是の衆生、乃至知者、見者、実際、乃至無量、無辺、阿僧祇、是の一切の法は得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』。
何故ならば、
是の、
『衆生、乃至知者、見者や!』、
『実際、乃至無量、無辺、阿僧祇というような!』、
是の、
『一切の法』は、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我無所有。乃至知者見者無所有故。當知不可思議性無所有。不可思議性無所有故。當知色受想行識無所有。色受想行識無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無所有。阿僧祇無所有故。當知無量無所有。無量無所有故。當知無邊無所有。無邊無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我に所有無く、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、不可思議性に所有無し。不可思議性に所有無きが故に、当に知るべし、色受想行識に所有無し。色受想行識に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇に所有無し。阿僧祇に所有無きが故に、当に知るべし、無量に所有無し。無量に所有無きが故に、当に知るべし、無辺に所有無し。無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『不可思議性』には、
『所有が無い!』、と。
『不可思議性』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『色、受想行識』には、
『所有が無い!』、と。
『色、受想行識』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無量』には、
『所有が無い!』、と。
『無量』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。當知摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。須菩提。我乃至知者見者等。一切法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、当に知るべし、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、須菩提、我、乃至知者、見者等、一切の法は、皆得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
当然、こう知らねばならぬ、――
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
須菩提!
『我、乃至知者、見者』等の、
『一切の法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我無所有。乃至知者見者無所有故。當知眼無所有。耳鼻舌身意無所有。眼乃至意無所有故當知虛空無所有。虛空無所有故當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無所有。阿僧祇無所有故。當知無量無所有。無量無所有故。當知無邊無所有。無邊無所有故當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我に所有無く、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、眼に所有無く、耳鼻舌身意に所有無し。眼、乃至意に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇に所有無し。阿僧祇に所有無きが故に、当に知るべし、無量に所有無し。無量に所有無きが故に、当に知るべし、無辺に所有無し。無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『眼にも!』、
『耳鼻舌身意にも!』、
『所有が無い!』、と。
『眼、乃至意』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無量』には、
『所有が無い!』、と。
『無量』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。須菩提。我乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、須菩提、我、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
須菩提!
『我、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我無所有乃至知者見者無所有故。當知檀波羅蜜無所有。尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜無所有。般若波羅蜜無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知無量無邊阿僧祇無所有。無量無邊阿僧祇無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我に所有無く、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、檀波羅蜜に所有無く、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜に所有無し。般若波羅蜜に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、無量無辺阿僧祇に所有無し。無量無辺阿僧祇に所有無きが故に、当に知るべし、無辺に所有無し。無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『檀波羅蜜にも!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜にも!』、
『所有が無い!』、と。
『般若波羅蜜』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無量』には、
『所有が無い!』、と。
『無量』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。我眾生乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、我、衆生、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
『我、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我無所有。乃至知者見者無所有故。當知內空無所有。乃至無法有法空無所有。無法有法空無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無量無邊無所有。阿僧祇無量無邊無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我に所有無く、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、内空に所有無く、乃至無法有法空に所有無し。無法有法空に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇無量無辺に所有無し。阿僧祇無量無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『内空にも!』、
『乃至無法有法空にも!』、
『所有が無い!』、と。
『無法有法空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。我眾生乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、我、衆生、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
『我、衆生、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我眾生乃至知者見者無所有故。當知四念處無所有。四念處無所有故。乃至十八不共法無所有。十八不共法無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無量無邊無所有。阿僧祇無量無邊無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我、衆生、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、四念処に所有無し。四念処に所有無きが故に、乃至十八不共法に所有無し。十八不共法に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇無量無辺に所有無し。阿僧祇無量無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我、衆生、乃至知者、見者』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『四念処』には、
『所有が無い!』、と。
『四念処』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『乃至十八不共法』には、
『所有が無い!』、と。
『十八不共法』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提。是摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。我眾生乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、是の摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、我、衆生、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
是の、
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
『我、衆生、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我眾生無所有。乃至知者見者無所有故。當知性地無所有。乃至已作地無所有。已作地無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知阿僧祇無量無邊無所有。阿僧祇無量無邊無所有故。當知一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我、衆生に所有無く、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、性地に所有無く、乃至已作地に所有無し。已作地に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、阿僧祇無量無辺に所有無し。阿僧祇無量無辺に所有無きが故に、当に知るべし、一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我、衆生にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『性地にも!』、
『乃至已作地にも!』、
『所有が無い!』、と。
『已作地』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』、と。
『阿僧祇、無量、無辺』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。是摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。我眾生乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、是の摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、我、衆生、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
是の、
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
『我、衆生、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我眾生乃至知者見者無所有故。當知須陀洹無所有。須陀洹無所有故。當知斯陀含無所有。斯陀含無所有故。當知阿那含無所有。阿那含無所有故。當知阿羅漢無所有。阿羅漢無所有故。當知乃至一切諸法。無所有。 復た次ぎに、須菩提、我、衆生、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、須陀洹に所有無し。須陀洹に所有無きが故に、当に知るべし、斯陀含に所有無し。斯陀含に所有無きが故に、当に知るべし、阿那含に所有無し。阿那含に所有無きが故に、当に知るべし、阿羅漢に所有無し。阿羅漢に所有無きが故に、当に知るべし、乃至一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我、衆生にも!』、
『乃至知者、見者にも!』、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『須陀洹』には、
『所有が無い!』、と。
『須陀洹』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『斯陀含』には、
『所有が無い!』、と。
『斯陀含』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿那含』には、
『所有が無い!』、と。
『阿那含』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『阿羅漢』には、
『所有が無い!』、と。
『阿羅漢』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。須菩提摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故須菩提。我乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、須菩提、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、須菩提、我、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
須菩提!
『我、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
復次須菩提。我乃至知者見者無所有故。當知聲聞乘無所有。聲聞乘無所有故。當知辟支佛乘無所有。辟支佛乘無所有故。當知佛乘無所有。佛乘無所有故。當知聲聞人無所有。聲聞人無所有故。當知須陀洹無所有。須陀洹無所有故。乃至佛無所有。佛無所有故。當知一切種智無所有。一切種智無所有故。當知虛空無所有。虛空無所有故。當知摩訶衍無所有。摩訶衍無所有故。當知乃至一切諸法無所有。 復た次ぎに、須菩提、我、乃至知者、見者に所有無きが故に、当に知るべし、声聞乗に所有無し。声聞乗に所有無きが故に、当に知るべし、辟支仏乗に所有無し。辟支仏乗に所有無きが故に、当に知るべし、仏乗に所有無し。仏乗に所有無きが故に、当に知るべし、声聞人に所有無し。声聞人に所有無きが故に、当に知るべし、須陀洹に所有無し。須陀洹に所有無きが故に、当に知るべし、乃至仏に所有無し。仏に所有無きが故に、当に知るべし、一切種智に所有無し。一切種智に所有無きが故に、当に知るべし、虚空に所有無し。虚空に所有無きが故に、当に知るべし、摩訶衍に所有無し。摩訶衍に所有無きが故に、当に知るべし、乃至一切の諸法に所有無し。
復た次ぎに、
須菩提!
『我、乃至知者、見者』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『声聞乗』には、
『所有が無い!』、と。
『声聞乗』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『辟支仏乗』には、
『所有が無い!』、と。
『辟支仏乗』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『仏乗』には、
『所有が無い!』、と。
『仏乗』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『声聞人』には、
『所有が無い!』、と。
『声聞人』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『須陀洹』には、
『所有が無い!』、と。
『須陀洹』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『仏』には、
『所有が無い!』、と。
『仏』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『一切種智』には、
『所有が無い!』、と。
『一切種智』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『虚空』には、
『所有が無い!』、と。
『虚空』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』、と。
『摩訶衍』には、
『所有が無い!』が故に、
当然、こう知ることになる、――
『乃至一切の諸法』には、
『所有が無い!』、と。
以是因緣故。摩訶衍受無量無邊阿僧祇眾生。何以故。我乃至一切諸法皆不可得故。 是の因縁を以っての故に、摩訶衍は、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。何を以っての故に、我、乃至一切の諸法は、皆、得べからざるが故なり。
是の、
『因縁』の故に、
『摩訶衍』は、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』、と。
何故ならば、
『我、乃至一切の諸法』は、
皆、
『認められないからである!』。
譬如須菩提涅槃性中受無量無邊阿僧祇眾生。是摩訶衍亦受無量無邊阿僧祇眾生。 譬えば、須菩提、涅槃性中に、無量無辺阿僧祇の衆生を受くるが如く、是の摩訶衍も、亦た無量無辺阿僧祇の衆生を受くるなり。
譬えば、――
須菩提!
『涅槃の性』中に、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるように!』、
是の、
『摩訶衍』も、
亦た、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』。
以是因緣故。須菩提。如虛空受無量無邊阿僧祇眾生。是摩訶衍亦如是。受無量無邊阿僧祇眾生 是の因縁を以っての故に、須菩提、虚空の無量無辺阿僧祇の衆生を受くるが如く、是の摩訶衍も、亦た是の如く、無量無辺阿僧祇の衆生を受く。
是の、
『因縁』の故に、
須菩提!
譬えば、
『虚空』が、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるように!』、
是の、
『摩訶衍』も、
是のように、
『無量、無辺、阿僧祇の衆生』を、
『受けるのである!』。


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