【論】問曰。佛已知須菩提所問。今何以更稱而答。 |
問うて曰く、仏は、已に須菩提に問う所を知らしめたまえり。今は、何を以ってか、更に称(あ)げて答えたもう。 |
問い、
『仏』は、
已に、
『須菩提』の、
『問うた!』所を、
『知っていられる!』のに、
今、
何故、
更に、
『問うた!』所を、
『挙げて!』、
『答えられたのですか?』。
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答曰。是摩訶般若波羅蜜有十萬偈三百二十萬言。與四阿含等。此非一坐說盡。又上須菩提所問已答。二事異時異日故。稱第三問而答。 |
答えて曰く、是の摩訶般若波羅蜜は、十万偈、三百二十万言有りて、四阿含と等しければ、此れは一坐に説き尽くしたもうに非ず。又上に須菩提の問える所は、已に答えたまえり。二事は、時を異にし、日を異にするが故に、第三問を挙げて、答えたまえり。 |
答え、
是の、
『摩訶般若波羅蜜』には、
『十万偈』と、
『三百二十万言』とが、
『有り!』、
『四阿含』と、
『偈、言の数』が、
『等しい!』ので、
是の、
『摩訶般若波羅蜜』は、
『一坐』で、
『説き尽くされたものではない!』。
又、
上に、
已に、
『須菩提』の、
『問うた!』所を、
『答えられている!』が、
『二事』は、
『日、時』を、
『異にする!』が故に、
『第三の問』を、
『挙げて!』、
『答えられたのである!』。
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参考:『大智度論巻46釈摩訶衍品第十八』:『爾時須菩提。白佛言世尊。何等是菩薩摩訶薩摩訶衍。云何當知。菩薩摩訶薩發趣大乘。是乘發何處是乘至何處。當住何處誰當乘是乘出者。』 |
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復次有人言。聲聞法中無有不可思議事。不得一日一坐中說盡。佛有無礙解脫。菩薩有不可思議三昧。能令多時作少時。少時作多時。亦能以大色入小。小色作大。又如六十小劫說法華經人謂從旦至食。 |
復た次ぎに、有る人の言わく、『声聞法中には、不可思議の事有ること無く、一日一坐中に説き尽くすを得ざるも、仏には、無礙解脱有り、菩薩には不可思議三昧有りて、能く多時をして少時作らしめ、少時をして多時ならしめ、亦た能く大色を以って小に入れ、小色を大と作す。』と。又六十小劫法華経を説くに、人の、『旦より食に至る。』と謂えるが如し。 |
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『声聞の法』中には、
『不可思議の事が無い!』ので、
『一日一坐』中に、
『説き尽くすことができない!』が、
『仏』には、
『無礙解脱が有り!』、
『菩薩』には、
『不可思議三昧が有る!』ので、
『多くの時』を、
『少しの時』と、
『作すことができ!』、
『少しの時』を、
『多くの時』と、
『作すことができる!』し、
亦た、
『大きな色( 物)』を、
『小さな色』に、
『入れたり!』、
『小さな色』を、
『大きな色』に、
『作すこともできる!』。
又、
例えば、
『法華経』は、
『六十小劫の間』、
『説かれた!』のに、
『人』は、こう謂っている、――
『旦(早朝)より!』、
『食(昼)までだ!』、と。
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参考:『妙法蓮華経巻1序品』:『爾時如來放眉間白毫相光。照東方萬八千佛土。靡不周遍。如今所見是諸佛土。彌勒當知。爾時會中有二十億菩薩。樂欲聽法。是諸菩薩見此光明普照佛土。得未曾有。欲知此光所為因緣。時有菩薩。名曰妙光。有八百弟子。是時日月燈明佛從三昧起。因妙光菩薩說大乘經。名妙法蓮華教菩薩法佛所護念。六十小劫不起于座。時會聽者亦坐一處。六十小劫身心不動。聽佛所說謂如食頃。』 |
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問曰。色有形可見。時無形但有名。云何得以近為遠以遠為近。 |
問うて曰く、色には、形の見るべき有り、時には、形無く、但だ名のみ有り。云何が、近を以って遠と為し、遠を以って近と為すを得る。 |
問い、
『色』には、
『見ることのできる!』、
『形』が、
『有る!』が、
『時』には、
『形が無く!』、
但だ、
『名だけ!』が、
『有る!』。
何故、
『近い!』、
『時』を、
『遠くして!』、
『遠い!』、
『時』を、
『近くさせられるのですか?』。
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参考:『大智度論巻47』:『有人言。無礙解脫相應三昧。是諸佛得是三昧已。於諸法中無疑無近無遠皆如觀掌中。』 |
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答曰。以是故說。以不可思議神通力。如人夢中夢有所見自以為覺。夢中復夢。如是展轉故是一夜。以是故更稱其問而答。 |
答えて曰く、是を以っての故に説かく、『不可思議の神通力を以ってす。』と。人の夢中に夢みて、見る所有れば、自ら以って覚(さ)むと為し、夢中にも復た夢みて、是の如く展転するも、故(もと)より是れ一夜なるが如し。是を以っての故に、更に其の問を称げて、答えたまえり。 |
答え、
是の故に、こう説くのである、――
『不可思議』の、
『神通力』を、
『用いる!』、と。
譬えば、
『人』が、
『夢中に夢みて!』、
『見る!』所が、
『有る!』が故に、
自ら、
『覚めている!』と、
『思いながら!』、
復た、
『夢中に夢みて!』、
是のように、
『展転として( one after another )!』、
『夢みる!』が、
故( もと)より、
是れは、
『一夜』の、
『夢でしかないようなものである!』ので、
是の故に、
更に、
其の、
『問』を、
『挙げて!』、
『答えられたのである!』。
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展転(てんでん):梵語 paraMpara の訳、次第に/継続的に( in sequence, successive )、次から次と( One following
the other, one after another )。 |
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是乘何處出至何處住者。佛答。是乘從三界中出。至薩婆若中住。 |
是の乗は、何処より出で、何処に至りて住まるやとは、仏の答えたまわく、『是の乗は、三界中より出で、薩婆若中に至りて住まる。』と。 |
是の、
『乗』は、
『何処から出て!』、
『何処に至るのか?』とは、――
『仏』は、こう答えられている、――
是の、
『乗』は、
『三界』中より、
『出て!』、
『薩婆若』中に、
『至って!』、
『住まる!』、と。
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問曰。是乘為是佛法。為是菩薩法。若是佛法云何從三界出。若是菩薩法云何薩婆若中住。 |
問うて曰く、是の乗は、是れ仏の法と為すや、是れ菩薩の法と為すや。若し是れ仏の法なれば、云何が、三界より出づる。若し是れ菩薩の法なれば、云何が、薩婆若中に住まる。 |
問い、
是の、
『乗』は、
『仏の法ですか?』、
『菩薩の法ですか?』。
若し、
是れが、
『仏の法ならば!』、
何故、
『三界』中より、
『出るのですか?』。
若し、
是れが、
『菩薩の法ならば!』、
何故、
『薩婆若』中に、
『住まることができるのですか?』。
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答曰。是乘是菩薩法乃至金剛三昧。是諸功德清淨變為佛法。是乘有大力。能有所去直以至佛。更無勝處可去故言住。譬如劫盡火燒三千世界勢力甚大。更無所燒故便自滅。摩訶衍亦如是。斷一切煩惱。集諸功德盡其邊際。更無所斷。更無所知。更無所集故。便自歸滅。 |
答えて曰く、是の乗は、是れ菩薩の法なり。乃至金剛三昧まで、是の諸の功徳は清浄にして、変ずれば仏の法と為る。是の乗は大力有りて、能く有る去る所をして、直ちに以って仏に至らしむれば、更に勝処の去るべき無きが故に、住まると言う。譬えば、劫尽の火の、三千世界を焼く勢力は、甚だ大にして、更に焼く所無きが故に、便ち自ら滅するが如し。摩訶衍も亦た是の如く、一切の煩悩を断ち、諸の功徳を集め、其の辺際を尽くして、更に断つ所無く、更に知る所無く、更に集むる所無きが故に、便ち自ら滅に帰す。 |
答え、
是の、
『乗』は、
『菩薩の法である!』が、
是の、
『乗より、乃至金剛三昧まで!』の、
諸の、
『功徳は清浄であり!』、
『仏の法』に、
『変じることになる!』。
是の、
『乗』には、
『大力が有る!』ので、
『去る者』が、
『有れば!』、
是の、
『乗を用いて!』、
直ちに、
『仏』に、
『至らせることができる!』が、
更に、
『勝れた!』、
『去るべき処』が、
『無い!』が故に、
『仏』に、
『住まる!』と、
『言うのである!』。
譬えば、
『劫尽の火』が、
『三千大千世界を焼く!』時、
『勢力』は、
『甚だ大である!』が、
更に、
『焼く所が無くなれば!』、
故に、
『自ら!』、
『滅してしまうように!』、
亦た、
『摩訶衍』も、
是のように、
一切の、
『煩悩』を、
『断じて!』、
諸の、
『功徳』を、
『集めて!』、
其の、
『辺際』を、
『尽くしてしまえば!』、
更に、
『断じる!』所も、
『知る!』所も、
『集める!』所も、
『無い!』が故に、
自ら、
『消滅』に、
『帰するのである!』。
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不二法者。斷諸菩薩著故說。此中佛自說。大乘薩婆若是二法不一故不合。不異故不散。六情所知盡虛妄故。無色無形無對一相。 |
不二の法とは、諸の菩薩の著を断ずるが故に説く。此の中に、仏の自ら説きたまわく、『大乗、薩婆若の是の二法は、一ならざるが故に合せず、異ならざるが故に散ぜず。六情の知る所は、尽く虚妄なるが故に、無色、無形、無対にして一相なり。』と。 |
『不二の法』とは、――
諸の、
『菩薩の著』を、
『断じる!』為の故に、
『説かれたのである!』。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『大乗』と、
『薩婆若』との、
是の、
『二法』は
『一法でない!』が故に、
『合することなく!』、
是の、
『二法』は、
『異ならない!』が故に、
『散ずることもない!』。
『六情』の、
『知る!』所は、
『尽く虚妄である!』が故に、
『色、形、対が無く!』、
『一相である!』、と。
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問曰。先言不一故不合。今何以言一相。 |
問うて曰く、先には、『一ならざるが故に、合せず。』と言い、今は、何を以ってか、『一相なり。』と言う。 |
問い、
先には、
こう言ったのに、――
『一法でない!』が故に、
『合しない!』、と。
今は、
何故、こう言うのですか?――
『一相である!』、と。
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答曰。此中言一相。所謂無相。無相則無有出至佛道。為引導凡夫人故。說言一相。 |
答えて曰く、此の中に言う一相とは、謂わゆる無相なり。無相なれば、則ち出でて仏道に至るものの有ること無し。凡夫人を引導せんが為の故に説いて、一相と言う。 |
答え、
此の中に言われている、――
『一相』とは、
謂わゆる、
『無相であり!』、
『無相ならば!』、
則ち、
『三界より出して!』、
『仏道』に、
『至らせる!』者も、
『無いことになる!』が、
『凡夫人』を、
『引導する!』為の故に、
『説いて!』、
『一相』と、
『言うのである!』。
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實際者。是諸法末後。實相無出無入。若有狂人欲使實際出至佛道者。此人則欲使無相法出。如法性法相如先說。 |
実際とは、是れ諸法の末後の実相にして、出無く、入無し。若し有る狂人、実際をして出でしめ、仏道に至らんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして出でしめんと欲す。如、法性、法相は先に説けるが如し。 |
『実際』とは、
『諸法』の、
『末後の( lastly )!』、
『実相であり!』、
此の中に、
『出、入する!』者は、
『無い!』。
若し、
有る、
『狂人』が、
『実際』を、
『三界より出して!』、
『仏道』に、
『至らせようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『三界より!』、
『出させようとすることになる!』。
『如、法性、法相』は、
先に、
『説いた通りである!』。
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不可思議性者。有人言。即是如法性實際無量無邊心心數法滅。故言不可思議。 |
不可思議の性とは、有る人の言わく、『即ち是れ如、法性、実際にして無量無辺なれば、心心数法滅するが故に、不可思議と言う。』と。 |
『不可思議の性』とは、――
有る人は、こう言っている、――
即ち、
是れは、
『如、法性、実際であり!』、
『無量、無辺』の、
『心、心数法』が、
『滅している!』が故に、
是れを、
『不可思議だ!』と、
『言うのである!』、と。
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復有人言。過實際涅槃更求諸法實。若有若無。是名不可思議。 |
復た有る人の言わく、『実際、涅槃を過ぎて、更に諸法の実を求むるに、若しは有り、若しは無し。是れを不可思議と名づく。』と。 |
復た、
有る人は、こう言っている、――
『実際、涅槃を過ぎても!』、
更に、
『諸法』の、
『実』を、
『求めれば!』、
是れは、
『有ることもあり!』、
『無いこともある!』ので、
是れを、
『不可思議』と、
『称するのである!』。
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復次一切諸佛法無有能思惟籌量者。故名不可思議。 |
復た次ぎに、一切の諸仏の法は、能く思惟し、籌量する者の有ること無し。故に不可思議と名づく。』と。 |
復た次ぎに、
一切の、
『諸仏』は、
『思惟、籌量することのできる!』者が、
『無い!』ので、
是の故に、
『不可思議』と、
『称するのである!』、と。
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復有人言。一切諸法分別思惟皆同涅槃相。是不可思議。 |
復た有る人の言わく、『一切の諸法は、分別し思惟するに、皆同じく涅槃の相なれば、是れ不可思議なり。』と。 |
復た、
有る人は、こう言っている、――
一切の、
『諸法』は、
『分別、思惟すれば!』、
皆、
『涅槃の相』と、
『同じになる!』ので、
是れが、
『不可思議である!』、と。
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若人欲使空中出。此人則欲使無相法中出。此中佛自說。五眾空相不能出三界。不能至薩婆若。五眾中五眾相空故。十二入乃至意觸因緣生受空亦如是。夢等空譬喻亦如是。自相空故無出無至。 |
若し人、空をして、中より出ださしめんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして、中より出ださしめんと欲す。此の中に、仏は、自ら説きたまわく、『五衆の空相は、三界より出す能わず。薩婆若に至る能わず。五衆中に五衆の相は空なるが故なり。十二入、乃至意触因縁生の受の空なるも、亦た是の如し。夢等の空の譬喩も亦た是の如く、自相は空なるが故に、出す無く至る無し。』と。 |
若し、
『人』が、
『空』を、
『三界中より出させたい!』と、
『思えば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『三界中より出させよう!』と、
『思っているのである!』。
此の中に、
『仏』は、自ら、こう説かれている、――
『五衆という!』、
『空相』は、
『三界より!』、
『出ることもできず!』、
亦た、
『薩婆若』に、
『至ることもできない!』、
『五衆』中の、
『五衆の相』が、
『空だからである!』、と。
『十二入、乃至意触因縁生の受』も、
亦た、
『空であり!』、
亦た、
是れと、
『同じである!』。
『夢等の空の譬喩』も、
亦た、
是のように、
『自相』が、
『空である!』が故に、
『出る!』者も、
『至る!』者も、
『無い!』。
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若人欲使六波羅蜜出。此人則為欲使無相法出。何以故。六波羅蜜因緣和合故無自性。自性無故空。菩薩著六波羅蜜。墮邪道故為說空。十八空乃至一切種智亦如是。 |
若し人、六波羅蜜をして、出だしめんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして出だしめんと欲す。何を以っての故に、六波羅蜜は、因縁和合なるが故に、自性無く、自性無きが故に空なればなり。菩薩は、六波羅蜜に著せば、邪道に堕つるが故に為に空なりと説く。十八空、乃至一切種智も亦た是の如し。 |
若し、
『六波羅蜜』に、
『世間より!』、
『出させようとすれば!』、
此の、
『人』は、
『無相の法』に、
『出させようとしたことになる!』。
何故ならば、
『六波羅蜜』は、
『因縁』の、
『和合である!』が故に、
『自性』が、
『無く!』、
『自性』が、
『無い!』が故に、
『空だからである!』。
『菩薩』が、
『六波羅蜜に著すれば!』、
『邪道』に、
『堕ちる!』ので、
是の、
『菩薩』の為に、
『空である!』と、
『説かれたのである!』。
『十八空、乃至一切種智』も、
亦た、
『是の通りである!』。
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問曰。六波羅蜜有道俗。俗可著故可說空。出世間六波羅蜜三十七品。乃至十八不共法無所著故。何以說空。 |
問うて曰く、六波羅蜜に道、俗有り。俗なれば、著すべきが故に空なりと説くべし。出世間の六波羅蜜、三十七品、乃至十八不共法は、著する所無きが故に、何を以ってか、空なりと説く。 |
問い、
『六波羅蜜』には、
『道の法』と、
『俗の法』とが、
『有り!』、
『俗の法』は、
『著すことができる!』が故に、
『空である!』と、
『説けばよい!』が、
『出世間』の、
『六波羅蜜』や、
『三十七品、乃至十八不共法』には、
『著する!』所が、
『無い!』のに、
何故、
『空である!』と、
『説くのですか?』。
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答曰。諸菩薩漏未盡。以福德智慧力故行是法。或取相愛著故。凡夫法虛妄顛倒。此法從凡夫法邊生。云何是實。以是故佛說是亦空。以喻無相法。是大乘即是無相。無相云何有出有至 |
答えて曰く、諸の菩薩は漏未だ尽きず、福徳の智慧力を以っての故に、是の法を行じ、或いは相を取りて愛著するが故なり。凡夫の法は虚妄の顛倒にして、此の法は、凡夫の法の辺より生ず。云何が是れ実なる。是を以っての故に、仏は、『是れも亦た空なり』と説き、以って無相の法に喩えたまえり、『是の大乗は、即ち是れ無相なり。無相なれば、云何が、出づること有り、至ること有らん。』と。 |
答え、
諸の、
『菩薩』は、
『漏が尽きていなくても!』、
『福徳という!』、
『智慧の力』を、
『用いる!』が故に、
是の、
『法』を、
『行う!』ので、
或は、
『法』に、
『相を取って!』、
『愛著するからである!』。
『凡夫の法』は、
『虚妄であり!』、
『顛倒である!』が、
此の、
『出世間の法』も、
『凡夫の法』の、
『辺より!』、
『生じる!』のに、
何故、
是の故に、
『仏』は、
是れも、
是の、
『空を用いて!』、
『無相の法』に、
『喩えられたのである!』。
是の、
『大乗』は、
即ち、
『無相である!』。
『大乗という!』、
『法』が、
『無相なのに!』、
何故、
『出るとか!』、
『至るとか!』が、
『有るのか?』。
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諸法皆空但有名字相假名語言。今名字等亦空。以喻無相。第一義中不可得。世俗法中有相。名字等假名相義如先說。 |
諸法は、皆、空にして、但だ名字の相、仮名、語言有るのみ。今、名字等も亦た空なれば、以って無相に喩え、第一義中には得べからざるも、世俗法中には相有り。名字等の仮名の相の義は先に説けるが如し。 |
諸の、
『法』は、
皆、
『空であり!』、
但だ、
『名字の相、仮名の語言』が、
『有るだけである!』が、
今、
『名字』等も、
亦た、
『空である!』が故に、
『名字等を用いて!』、
『無相』に、
『喩えたが!』、
『第一義』中には、
『名字の相』を、
『不可得だとしても!』、
『世俗法』中には、
『相』は、
『有るのである!』。
『名字』等の、
『仮名の相、義』は、
先に、
『説いた通りである!』。
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用如是法從三界出至薩婆若中住。非是實法。亦無所動 |
是の如き法を用いて、三界より出で、薩婆若中に至りて住まれば、是れ実の法なるに非ず、亦た動かす所も無し。 |
是のような、
『法を用いて!』、
『三界を出て!』、
『薩婆若』中に、
『至って!』、
『住まるのである!』が、
是れは、
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