巻第五十(下)
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大智度論釋出到品第二十一
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


三界中より出て薩婆若中に住するを説く

【經】佛告須菩提。汝所問是乘何處出至何處住者。佛言。是乘從三界中出。至薩婆若中住。以不二法故。何以故。摩訶衍薩婆若是二法。共不合不散無色無形無對一相所謂無相。 仏の須菩提に告げたまわく、『汝が問う所の是の乗は、何処より出で、何処にか至りて住まるとは、』、仏の言わく、『是の乗は三界中より出で、薩婆若中に至りて住まる。不二の法を以っての故なり。何を以っての故に、摩訶衍、薩婆若の是の二法は、共に合せず散ぜず、無色、無形、無対の一相にして、謂わゆる無相なればなり。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
お前の、
『問うた!』、
是の、
『乗』は、
何処より、
『出て!』、
何処に、
『至って!』、
『住まるのか?』とは、――
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『乗』は、
『三界中より出て!』、
『薩婆若』に、
『至って!』、
『住まる!』。
何故ならば、
『不二という!』、
『法』を、
『用いるからである!』。
何故ならば、
『摩訶衍と!』、
『薩婆若という!』、
是の、
『二法』は、
共に、
『合することもなく!』、
『散じることもなく!』、
『色( color )も無く!』、
『形( shape )も無く!』、
『対( resistance )も無い!』、
『一相であり!』、
謂わゆる、
『無相だからである!』。
  参考:『大般若経巻55』:『復次善現。汝問如是大乘從何處出至何處住者。善現。如是大乘從三界中出。至一切智智中住。由為一切智智而出三界故。然無二故無出無至。所以者何。若大乘若一切智智。如是二法非相應。非不相應。非有色非無色。非有見非無見。非有對非無對。咸同一相所謂無相。無相之法無出無至。何以故。善現。無相之法非已出已至。非當出當至。非今出今至故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令真如有出有至。所以者何。真如不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。真如真如自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性不思議界虛空界斷界離界滅界無性界無相界無作界無為界安隱界寂靜界法定法住本無實際有出有至。所以者何。法界乃至實際。不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。法界法界自性空。乃至實際實際自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令色有出有至。所以者何。色不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。色色自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令受想行識有出有至。所以者何。受想行識不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。受想行識受想行識自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令眼處有出有至。所以者何。眼處不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。眼處眼處自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令耳鼻舌身意處有出有至。所以者何。耳鼻舌身意處不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。耳鼻舌身意處耳鼻舌身意處自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令色處有出有至。所以者何。色處不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。色處色處自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令聲香味觸法處有出有至。所以者何。聲香味觸法處不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。聲香味觸法處聲香味觸法處自性空故。‥‥善現。一來者頻來生。一來者頻來生自性空。乃至三藐三佛陀三藐三佛陀自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令預流向預流果有出有至。所以者何。預流向預流果不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現預流向預流果。預流向預流果自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令一來向一來果。不還向不還果。阿羅漢向阿羅漢果。獨覺向獨覺果。菩薩如來有出有至。所以者何。一來向一來果乃至如來。不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。一來向一來果。一來向一來果自性空。乃至如來如來自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令名字假想施設言說有出有至。所以者何。名字假想施設言說不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。名字假想施設言說名字假想施設言說自性空故。善現。其有欲令無相之法有出有至者。則為欲令無生無滅。無染無淨。無相無為有出有至。所以者何。無生無滅。無染無淨。無相無為。不能從三界中出。亦不能至一切智智中住。何以故。善現。無生無滅無染無淨。無相無為。無生無滅無染無淨。無相無為自性空故。善現。由此緣故。如是大乘從三界中出。至一切智智中住。以無二故無出無至。無相之法無動轉故』
若人欲使實際出。是人為欲使無相法出。若人欲使如法性不可思議性出。是人為欲使無相法出。 若し人、実際をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、如、法性、不可思議性をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。
若し、
『人』が、
『実際』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法をして!』、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『如、法性、不可思議性をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若人欲使色空出。是人為欲使無相法出。若人欲使受想行識空出。是人為欲使無相法出。何以故。須菩提。色空相不出三界。亦不住薩婆若。受想行識空相不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。色色相空。受想行識識相空故。 若し人、色の空をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、受想行識の空をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、須菩提、色の空相は三界を出でず、亦た薩婆若に住せず、受想行識の空相は三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。所以は何んとなれば、色と色相は空にして、受想行識と職相は空なるが故なり。
若し、
『人』が、
『色という!』、
『空』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『受、想、行、識という!』、
『空』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
須菩提!
『色という!』、
『空相』は、
『三界』を、
『出ないからであり!』、
亦た、
『薩婆若』にも、
『住まらないからである!』。
『受、想、行、識という!』、
『空相』は、
『三界』を、
『出ないからであり!』、
亦た、
『薩婆若』にも、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『色』と、
『色の相』とは、
『空であり!』、
『受、想、行、識』と、
『識の相』とは、
『空だからである!』。
若人欲使眼空出。是人為欲使無相法出。若人欲使耳鼻舌身意空出。是人為欲使無相法出。 若し人、眼の空をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、耳鼻舌身意の空をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。
若し、
『人』が、
『眼という!』、
『空』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『耳、鼻、舌、身、意という!』、
『空』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若人欲使乃至意觸因緣生受空出。是人為欲使無相法出。何以故。須菩提。眼空不出三界。亦不住薩婆若。乃至意觸因緣生受空不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。眼眼相空。乃至意觸因緣生受意觸因緣生受相空故。 若し人、乃至意触因縁生の受の空をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、須菩提、眼の空は三界を出でず、亦た薩婆若に住せず、乃至意触因縁生の受の空は三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。所以は何んとなれば、眼の眼相は空にして、乃至意触因縁生の受の意触因縁生の受相は空なるが故なり。
若し、
『人』が、
『乃至意触因縁生の受という!』、
『空』を、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
須菩提!
『眼という!』、
『空』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若』にも、
『住まらないからである!』。
『乃至意触因縁生の受という!』、
『空』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若』にも、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『眼』と、
『眼の相』とは、
『空であり!』、
『乃至意触因縁生の受』と、
『意触因縁生の受相』とは、
『空だからである!』。
若人欲使夢出。是人為欲使無相法出。若人欲使幻焰響影化出。是人為欲使無相法出。何以故。須菩提。夢相不出三界。亦不住薩婆若。幻焰響影化相亦不出三界。亦不住薩婆若。 若し人、夢をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、幻、焔、響、影、化をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、須菩提、夢の相は三界を出でず、亦た薩婆若に住せず、幻、焔、響、影、化の相も亦た三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。
若し、
『人』が、
『夢をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『幻、焔、響、影、化をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
須菩提!
『夢という!』、
『相』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
『幻、焔、響、影、化という!』、
『相』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
須菩提。若人欲使檀波羅蜜出。是人為欲使無相法出。若人欲使尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜出。是人為欲使無相法出。何以故。檀波羅蜜相不出三界。亦不住薩婆若。尸羅波羅蜜乃至般若波羅蜜不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。檀波羅蜜檀波羅蜜相空。尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜般若波羅蜜相空故。 須菩提、若し人、檀波羅蜜をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、檀波羅蜜の相は三界を出でず、亦た薩婆若に住せず、尸羅波羅蜜、乃至般若波羅蜜も三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。所以は何んとなれば、檀波羅蜜と檀波羅蜜相は空にして、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜と般若波羅蜜相は空なるが故なり。
須菩提!
若し、
『人』が、
『檀波羅蜜をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
『檀波羅蜜という!』、
『相』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜という!』、
『相』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『檀波羅蜜』と、
『檀波羅蜜の相』とは、
『空であり!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』と、
『般若波羅蜜の相』とは、
『空だからである!』。
若人欲使內空出。乃至無法有法空出。是人為欲使無相法出。何以故。須菩提。內空相乃至無法有法空相不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。內空內空性空。乃至無法有法空無法有法空性空故。 若し人、内空をして出でしめ、乃至無法有法空をしてをして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、須菩提、内空の相、乃至無法有法空の相は三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。所以は何んとなれば、内空と内空性は空にして、乃至無法有法空と無法有法空性は空なるが故なり。
若し、
『人』が、
『内空をして!』、
『三界より!』、
『出させようとし!』、
『乃至無法有法空をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
須菩提!
『内空、乃至無法有法空』の、
『相』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『内空』と、
『内空の性』とは、
『空であり!』、
『乃至無法有法空』と、
『無法有法空の性』とは、
『空だからである!』。
若人欲使四念處出。是人為欲使無相法出。何以故。四念處性不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。四念處四念處性空故。若人欲使四正勤四如意足五根五力七覺分八聖道分出。是人為欲使無相法出。何以故。八聖道分性不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。八聖道分八聖道分性空故。乃至十八不共法亦如是。 若し人、四念処をして出でしめんと欲せば、是の人は無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、四念処の性は、三界を出でず、亦た薩婆若にも住せざればなり。所以は何んとなれば、四念処と四念処の性は空なるが故なり。若し人、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道分をして出でしめんと欲せば、是の人は無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、八聖道分の性は三界を出でず、亦た薩婆若にも住せざればなり。所以は何んとなれば、八聖道分と八聖道分性は空なるが故なり。乃至十八不共法も亦た是の如し。
若し、
『人』が、
『四念処をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
『四念処』の、
『性』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『四念処』と、
『四念処の性』とは、
『空だからである!』。
若し、
『人』が、
『四正勤、四如意足、五根、五力、七覚分、八聖道分をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
『四正勤、乃至八聖道分』の、
『性』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『八聖道分』と、
『八聖道分の性』とは、
『空だからである!』。
乃至、
『十八不共法』も、
亦た、
『是の通りである!』。
須菩提。若人欲使阿羅漢出生處。是人為欲使無相法出。若人欲使辟支佛出生處。是人為欲使無相法出。若人欲使多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀出生處。是人為欲使無相法出。 須菩提、若し人、阿羅漢をして生処より出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、辟支仏をして生処より出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。若し人、多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀をして生処より出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為す。
須菩提!
若し、
『人』が、
『阿羅漢をして!』、
『生処より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『辟支仏をして!』、
『生処より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
若し、
『人』が、
『多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三仏陀をして!』、
『生処より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何以故。須菩提。阿羅漢性辟支佛性佛性不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。阿羅漢阿羅漢性空。辟支佛辟支佛性空。佛佛性空故。 何を以っての故に、須菩提、阿羅漢の性、辟支仏の性、仏の性は三界を出でず、亦た薩婆若に住せざればなり。所以は何んとなれば、阿羅漢と阿羅漢性は空なり、辟支仏と辟支仏性は空なり、仏と仏性は空なるが故なり。
何故ならば、
須菩提!
『阿羅漢、辟支仏、仏』の、
『性』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『阿羅漢』と、
『阿羅漢の性』とは、
『空であり!』、
『辟支仏』と、
『辟支仏の性』とは、
『空だからであり!』、
『仏』と、
『仏の性』とは、
『空だからである!』。
若人欲使須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果辟支佛道佛道一切種智出。是人為欲使無相法出。如上說。 若し人、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切種智をして出でしめんと欲せば、是の人は、無相の法をして出でしめんと欲すと為すこと、上に説けるが如し。
若し、
『人』が、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切種智をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』ことも、
上に、
『説いた通りである!』。
若人欲使名字假名施設相但有語言出。是人為欲使無相法出。何以故。名字空不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。名字相名字相空故。乃至施設亦如是。 若し人、名字、仮名の施設する相の但だ語言有るのみをして出でしめんと欲せば、是の人は無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、名字の空は三界を出でず、亦た薩婆若にも住せざるが故なり。所以は何んとなれば、名字相は名字の相の空なるが故に、乃至施設するも亦た是の如ければなり。
若し、
『人』が、
『名字、仮名』の、
『施設する!』、
『相であり!』、
但だ、
『語言』が、
『有るだけなのに!』、
是れを、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
『名字という!』、
『空』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若』にも、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『名字の相(名義)』は、
『名字の相という!』、
『空だからである!』。
乃至、
『施設(仮設)の相』も、
『是の通りである!』。
若人欲使不生不滅法不垢不淨無作法出。是人為欲使無相法出。何以故。不生乃至無作法性不出三界。亦不住薩婆若。所以者何。不生性乃至無作性性空故。 若し人、不生不滅の法、不垢不浄無作の法をして出でしめんと欲せば、是の人は無相の法をして出でしめんと欲すと為す。何を以っての故に、不生、乃至無作の法の性は三界を出でず、亦た薩婆若にも住せざるが故なり。所以は何んとなれば、不生の性、乃至無作の性は、性空なるが故なり。
若し、
『人』が、
『不生不滅、不垢不浄、無作の法をして!』、
『三界より!』、
『出させようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『出させようとするのである!』。
何故ならば、
『不生、乃至無作の法』の、
『性』は、
『三界』を、
『出ず!』、
亦た、
『薩婆若にも!』、
『住まらないからである!』。
何故ならば、
『不生、乃至無作』の、
『性』は、
『性として!』、
『空だからである!』。
須菩提。以是因緣故。摩訶衍從三界中出。至薩婆若中住。不動法故 須菩提、是の因縁を以っての故に、摩訶衍は三界中より出でて、薩婆若中に至りて住す。不動の法なるが故なり。
須菩提!
是の、
『因縁』の故に、
『摩訶衍(大乗)』が、
『三界』中より、
『出て!』、
亦た、
『薩婆若』中にも、
『住まる!』のは、
是れが、
『動かない!』、
『法だからである!』。



三界中より出て薩婆若中に住するを釈す

【論】問曰。佛已知須菩提所問。今何以更稱而答。 問うて曰く、仏は、已に須菩提に問う所を知らしめたまえり。今は、何を以ってか、更に称(あ)げて答えたもう。
問い、
『仏』は、
已に、
『須菩提』の、
『問うた!』所を、
『知っていられる!』のに、
今、
何故、
更に、
『問うた!』所を、
『挙げて!』、
『答えられたのですか?』。
答曰。是摩訶般若波羅蜜有十萬偈三百二十萬言。與四阿含等。此非一坐說盡。又上須菩提所問已答。二事異時異日故。稱第三問而答。 答えて曰く、是の摩訶般若波羅蜜は、十万偈、三百二十万言有りて、四阿含と等しければ、此れは一坐に説き尽くしたもうに非ず。又上に須菩提の問える所は、已に答えたまえり。二事は、時を異にし、日を異にするが故に、第三問を挙げて、答えたまえり。
答え、
是の、
『摩訶般若波羅蜜』には、
『十万偈』と、
『三百二十万言』とが、
『有り!』、
『四阿含』と、
『偈、言の数』が、
『等しい!』ので、
是の、
『摩訶般若波羅蜜』は、
『一坐』で、
『説き尽くされたものではない!』。
又、
上に、
已に、
『須菩提』の、
『問うた!』所を、
『答えられている!』が、
『二事』は、
『日、時』を、
『異にする!』が故に、
『第三の問』を、
『挙げて!』、
『答えられたのである!』。
  参考:『大智度論巻46釈摩訶衍品第十八』:『爾時須菩提。白佛言世尊。何等是菩薩摩訶薩摩訶衍。云何當知。菩薩摩訶薩發趣大乘。是乘發何處是乘至何處。當住何處誰當乘是乘出者。』
復次有人言。聲聞法中無有不可思議事。不得一日一坐中說盡。佛有無礙解脫。菩薩有不可思議三昧。能令多時作少時。少時作多時。亦能以大色入小。小色作大。又如六十小劫說法華經人謂從旦至食。 復た次ぎに、有る人の言わく、『声聞法中には、不可思議の事有ること無く、一日一坐中に説き尽くすを得ざるも、仏には、無礙解脱有り、菩薩には不可思議三昧有りて、能く多時をして少時作らしめ、少時をして多時ならしめ、亦た能く大色を以って小に入れ、小色を大と作す。』と。又六十小劫法華経を説くに、人の、『旦より食に至る。』と謂えるが如し。
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『声聞の法』中には、
『不可思議の事が無い!』ので、
『一日一坐』中に、
『説き尽くすことができない!』が、
『仏』には、
『無礙解脱が有り!』、
『菩薩』には、
『不可思議三昧が有る!』ので、
『多くの時』を、
『少しの時』と、
『作すことができ!』、
『少しの時』を、
『多くの時』と、
『作すことができる!』し、
亦た、
『大きな色(物)』を、
『小さな色』に、
『入れたり!』、
『小さな色』を、
『大きな色』に、
『作すこともできる!』。
又、
例えば、
『法華経』は、
『六十小劫の間』、
『説かれた!』のに、
『人』は、こう謂っている、――
『旦(早朝)より!』、
『食()までだ!』、と。
  参考:『妙法蓮華経巻1序品』:『爾時如來放眉間白毫相光。照東方萬八千佛土。靡不周遍。如今所見是諸佛土。彌勒當知。爾時會中有二十億菩薩。樂欲聽法。是諸菩薩見此光明普照佛土。得未曾有。欲知此光所為因緣。時有菩薩。名曰妙光。有八百弟子。是時日月燈明佛從三昧起。因妙光菩薩說大乘經。名妙法蓮華教菩薩法佛所護念。六十小劫不起于座。時會聽者亦坐一處。六十小劫身心不動。聽佛所說謂如食頃。』
問曰。色有形可見。時無形但有名。云何得以近為遠以遠為近。 問うて曰く、色には、形の見るべき有り、時には、形無く、但だ名のみ有り。云何が、近を以って遠と為し、遠を以って近と為すを得る。
問い、
『色』には、
『見ることのできる!』、
『形』が、
『有る!』が、
『時』には、
『形が無く!』、
但だ、
『名だけ!』が、
『有る!』。
何故、
『近い!』、
『時』を、
『遠くして!』、
『遠い!』、
『時』を、
『近くさせられるのですか?』。
  参考:『大智度論巻47』:『有人言。無礙解脫相應三昧。是諸佛得是三昧已。於諸法中無疑無近無遠皆如觀掌中。』
答曰。以是故說。以不可思議神通力。如人夢中夢有所見自以為覺。夢中復夢。如是展轉故是一夜。以是故更稱其問而答。 答えて曰く、是を以っての故に説かく、『不可思議の神通力を以ってす。』と。人の夢中に夢みて、見る所有れば、自ら以って覚(さ)むと為し、夢中にも復た夢みて、是の如く展転するも、故(もと)より是れ一夜なるが如し。是を以っての故に、更に其の問を称げて、答えたまえり。
答え、
是の故に、こう説くのである、――
『不可思議』の、
『神通力』を、
『用いる!』、と。
譬えば、
『人』が、
『夢中に夢みて!』、
『見る!』所が、
『有る!』が故に、
自ら、
『覚めている!』と、
『思いながら!』、
復た、
『夢中に夢みて!』、
是のように、
『展転として( one after another )!』、
『夢みる!』が、
故(もと)より、
是れは、
『一夜』の、
『夢でしかないようなものである!』ので、
是の故に、
更に、
其の、
『問』を、
『挙げて!』、
『答えられたのである!』。
  展転(てんでん):梵語 paraMpara の訳、次第に/継続的に( in sequence, successive )、次から次と( One following the other, one after another )。
是乘何處出至何處住者。佛答。是乘從三界中出。至薩婆若中住。 是の乗は、何処より出で、何処に至りて住まるやとは、仏の答えたまわく、『是の乗は、三界中より出で、薩婆若中に至りて住まる。』と。
是の、
『乗』は、
『何処から出て!』、
『何処に至るのか?』とは、――
『仏』は、こう答えられている、――
是の、
『乗』は、
『三界』中より、
『出て!』、
『薩婆若』中に、
『至って!』、
『住まる!』、と。
問曰。是乘為是佛法。為是菩薩法。若是佛法云何從三界出。若是菩薩法云何薩婆若中住。 問うて曰く、是の乗は、是れ仏の法と為すや、是れ菩薩の法と為すや。若し是れ仏の法なれば、云何が、三界より出づる。若し是れ菩薩の法なれば、云何が、薩婆若中に住まる。
問い、
是の、
『乗』は、
『仏の法ですか?』、
『菩薩の法ですか?』。
若し、
是れが、
『仏の法ならば!』、
何故、
『三界』中より、
『出るのですか?』。
若し、
是れが、
『菩薩の法ならば!』、
何故、
『薩婆若』中に、
『住まることができるのですか?』。
答曰。是乘是菩薩法乃至金剛三昧。是諸功德清淨變為佛法。是乘有大力。能有所去直以至佛。更無勝處可去故言住。譬如劫盡火燒三千世界勢力甚大。更無所燒故便自滅。摩訶衍亦如是。斷一切煩惱。集諸功德盡其邊際。更無所斷。更無所知。更無所集故。便自歸滅。 答えて曰く、是の乗は、是れ菩薩の法なり。乃至金剛三昧まで、是の諸の功徳は清浄にして、変ずれば仏の法と為る。是の乗は大力有りて、能く有る去る所をして、直ちに以って仏に至らしむれば、更に勝処の去るべき無きが故に、住まると言う。譬えば、劫尽の火の、三千世界を焼く勢力は、甚だ大にして、更に焼く所無きが故に、便ち自ら滅するが如し。摩訶衍も亦た是の如く、一切の煩悩を断ち、諸の功徳を集め、其の辺際を尽くして、更に断つ所無く、更に知る所無く、更に集むる所無きが故に、便ち自ら滅に帰す。
答え、
是の、
『乗』は、
『菩薩の法である!』が、
是の、
『乗より、乃至金剛三昧まで!』の、
諸の、
『功徳は清浄であり!』、
『仏の法』に、
『変じることになる!』。
是の、
『乗』には、
『大力が有る!』ので、
『去る者』が、
『有れば!』、
是の、
『乗を用いて!』、
直ちに、
『仏』に、
『至らせることができる!』が、
更に、
『勝れた!』、
『去るべき処』が、
『無い!』が故に、
『仏』に、
『住まる!』と、
『言うのである!』。
譬えば、
『劫尽の火』が、
『三千大千世界を焼く!』時、
『勢力』は、
『甚だ大である!』が、
更に、
『焼く所が無くなれば!』、
故に、
『自ら!』、
『滅してしまうように!』、
亦た、
『摩訶衍』も、
是のように、
一切の、
『煩悩』を、
『断じて!』、
諸の、
『功徳』を、
『集めて!』、
其の、
『辺際』を、
『尽くしてしまえば!』、
更に、
『断じる!』所も、
『知る!』所も、
『集める!』所も、
『無い!』が故に、
自ら、
『消滅』に、
『帰するのである!』。
不二法者。斷諸菩薩著故說。此中佛自說。大乘薩婆若是二法不一故不合。不異故不散。六情所知盡虛妄故。無色無形無對一相。 不二の法とは、諸の菩薩の著を断ずるが故に説く。此の中に、仏の自ら説きたまわく、『大乗、薩婆若の是の二法は、一ならざるが故に合せず、異ならざるが故に散ぜず。六情の知る所は、尽く虚妄なるが故に、無色、無形、無対にして一相なり。』と。
『不二の法』とは、――
諸の、
『菩薩の著』を、
『断じる!』為の故に、
『説かれたのである!』。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『大乗』と、
『薩婆若』との、
是の、
『二法』は
『一法でない!』が故に、
『合することなく!』、
是の、
『二法』は、
『異ならない!』が故に、
『散ずることもない!』。
『六情』の、
『知る!』所は、
『尽く虚妄である!』が故に、
『色、形、対が無く!』、
『一相である!』、と。
問曰。先言不一故不合。今何以言一相。 問うて曰く、先には、『一ならざるが故に、合せず。』と言い、今は、何を以ってか、『一相なり。』と言う。
問い、
先には、
こう言ったのに、――
『一法でない!』が故に、
『合しない!』、と。
今は、
何故、こう言うのですか?――
『一相である!』、と。
答曰。此中言一相。所謂無相。無相則無有出至佛道。為引導凡夫人故。說言一相。 答えて曰く、此の中に言う一相とは、謂わゆる無相なり。無相なれば、則ち出でて仏道に至るものの有ること無し。凡夫人を引導せんが為の故に説いて、一相と言う。
答え、
此の中に言われている、――
『一相』とは、
謂わゆる、
『無相であり!』、
『無相ならば!』、
則ち、
『三界より出して!』、
『仏道』に、
『至らせる!』者も、
『無いことになる!』が、
『凡夫人』を、
『引導する!』為の故に、
『説いて!』、
『一相』と、
『言うのである!』。
實際者。是諸法末後。實相無出無入。若有狂人欲使實際出至佛道者。此人則欲使無相法出。如法性法相如先說。 実際とは、是れ諸法の末後の実相にして、出無く、入無し。若し有る狂人、実際をして出でしめ、仏道に至らんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして出でしめんと欲す。如、法性、法相は先に説けるが如し。
『実際』とは、
『諸法』の、
『末後の( lastly )!』、
『実相であり!』、
此の中に、
『出、入する!』者は、
『無い!』。
若し、
有る、
『狂人』が、
『実際』を、
『三界より出して!』、
『仏道』に、
『至らせようとすれば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『三界より!』、
『出させようとすることになる!』。
『如、法性、法相』は、
先に、
『説いた通りである!』。
不可思議性者。有人言。即是如法性實際無量無邊心心數法滅。故言不可思議。 不可思議の性とは、有る人の言わく、『即ち是れ如、法性、実際にして無量無辺なれば、心心数法滅するが故に、不可思議と言う。』と。
『不可思議の性』とは、――
有る人は、こう言っている、――
即ち、
是れは、
『如、法性、実際であり!』、
『無量、無辺』の、
『心、心数法』が、
『滅している!』が故に、
是れを、
『不可思議だ!』と、
『言うのである!』、と。
復有人言。過實際涅槃更求諸法實。若有若無。是名不可思議。 復た有る人の言わく、『実際、涅槃を過ぎて、更に諸法の実を求むるに、若しは有り、若しは無し。是れを不可思議と名づく。』と。
復た、
有る人は、こう言っている、――
『実際、涅槃を過ぎても!』、
更に、
『諸法』の、
『実』を、
『求めれば!』、
是れは、
『有ることもあり!』、
『無いこともある!』ので、
是れを、
『不可思議』と、
『称するのである!』。
復次一切諸佛法無有能思惟籌量者。故名不可思議。 復た次ぎに、一切の諸仏の法は、能く思惟し、籌量する者の有ること無し。故に不可思議と名づく。』と。
復た次ぎに、
一切の、
『諸仏』は、
『思惟、籌量することのできる!』者が、
『無い!』ので、
是の故に、
『不可思議』と、
『称するのである!』、と。
復有人言。一切諸法分別思惟皆同涅槃相。是不可思議。 復た有る人の言わく、『一切の諸法は、分別し思惟するに、皆同じく涅槃の相なれば、是れ不可思議なり。』と。
復た、
有る人は、こう言っている、――
一切の、
『諸法』は、
『分別、思惟すれば!』、
皆、
『涅槃の相』と、
『同じになる!』ので、
是れが、
『不可思議である!』、と。
若人欲使空中出。此人則欲使無相法中出。此中佛自說。五眾空相不能出三界。不能至薩婆若。五眾中五眾相空故。十二入乃至意觸因緣生受空亦如是。夢等空譬喻亦如是。自相空故無出無至。 若し人、空をして、中より出ださしめんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして、中より出ださしめんと欲す。此の中に、仏は、自ら説きたまわく、『五衆の空相は、三界より出す能わず。薩婆若に至る能わず。五衆中に五衆の相は空なるが故なり。十二入、乃至意触因縁生の受の空なるも、亦た是の如し。夢等の空の譬喩も亦た是の如く、自相は空なるが故に、出す無く至る無し。』と。
若し、
『人』が、
『空』を、
『三界中より出させたい!』と、
『思えば!』、
是の、
『人』は、
『無相の法』を、
『三界中より出させよう!』と、
『思っているのである!』。
此の中に、
『仏』は、自ら、こう説かれている、――
『五衆という!』、
『空相』は、
『三界より!』、
『出ることもできず!』、
亦た、
『薩婆若』に、
『至ることもできない!』、
『五衆』中の、
『五衆の相』が、
『空だからである!』、と。
『十二入、乃至意触因縁生の受』も、
亦た、
『空であり!』、
亦た、
是れと、
『同じである!』。
『夢等の空の譬喩』も、
亦た、
是のように、
『自相』が、
『空である!』が故に、
『出る!』者も、
『至る!』者も、
『無い!』。
若人欲使六波羅蜜出。此人則為欲使無相法出。何以故。六波羅蜜因緣和合故無自性。自性無故空。菩薩著六波羅蜜。墮邪道故為說空。十八空乃至一切種智亦如是。 若し人、六波羅蜜をして、出だしめんと欲せば、此の人は則ち無相の法をして出だしめんと欲す。何を以っての故に、六波羅蜜は、因縁和合なるが故に、自性無く、自性無きが故に空なればなり。菩薩は、六波羅蜜に著せば、邪道に堕つるが故に為に空なりと説く。十八空、乃至一切種智も亦た是の如し。
若し、
『六波羅蜜』に、
『世間より!』、
『出させようとすれば!』、
此の、
『人』は、
『無相の法』に、
『出させようとしたことになる!』。
何故ならば、
『六波羅蜜』は、
『因縁』の、
『和合である!』が故に、
『自性』が、
『無く!』、
『自性』が、
『無い!』が故に、
『空だからである!』。
『菩薩』が、
『六波羅蜜に著すれば!』、
『邪道』に、
『堕ちる!』ので、
是の、
『菩薩』の為に、
『空である!』と、
『説かれたのである!』。
『十八空、乃至一切種智』も、
亦た、
『是の通りである!』。
問曰。六波羅蜜有道俗。俗可著故可說空。出世間六波羅蜜三十七品。乃至十八不共法無所著故。何以說空。 問うて曰く、六波羅蜜に道、俗有り。俗なれば、著すべきが故に空なりと説くべし。出世間の六波羅蜜、三十七品、乃至十八不共法は、著する所無きが故に、何を以ってか、空なりと説く。
問い、
『六波羅蜜』には、
『道の法』と、
『俗の法』とが、
『有り!』、
『俗の法』は、
『著すことができる!』が故に、
『空である!』と、
『説けばよい!』が、
『出世間』の、
『六波羅蜜』や、
『三十七品、乃至十八不共法』には、
『著する!』所が、
『無い!』のに、
何故、
『空である!』と、
『説くのですか?』。
答曰。諸菩薩漏未盡。以福德智慧力故行是法。或取相愛著故。凡夫法虛妄顛倒。此法從凡夫法邊生。云何是實。以是故佛說是亦空。以喻無相法。是大乘即是無相。無相云何有出有至 答えて曰く、諸の菩薩は漏未だ尽きず、福徳の智慧力を以っての故に、是の法を行じ、或いは相を取りて愛著するが故なり。凡夫の法は虚妄の顛倒にして、此の法は、凡夫の法の辺より生ず。云何が是れ実なる。是を以っての故に、仏は、『是れも亦た空なり』と説き、以って無相の法に喩えたまえり、『是の大乗は、即ち是れ無相なり。無相なれば、云何が、出づること有り、至ること有らん。』と。
答え、
諸の、
『菩薩』は、
『漏が尽きていなくても!』、
『福徳という!』、
『智慧の力』を、
『用いる!』が故に、
是の、
『法』を、
『行う!』ので、
或は、
『法』に、
『相を取って!』、
『愛著するからである!』。
『凡夫の法』は、
『虚妄であり!』、
『顛倒である!』が、
此の、
『出世間の法』も、
『凡夫の法』の、
『辺より!』、
『生じる!』のに、
何故、
是の、
『法』が、
『実であるのか?』。
是の故に、
『仏』は、
是れも、
亦た、
『空である!』と、
『説き!』、
是の、
『空を用いて!』、
『無相の法』に、
『喩えられたのである!』。
是の、
『大乗』は、
即ち、
『無相である!』。
『大乗という!』、
『法』が、
『無相なのに!』、
何故、
『出るとか!』、
『至るとか!』が、
『有るのか?』。
諸法皆空但有名字相假名語言。今名字等亦空。以喻無相。第一義中不可得。世俗法中有相。名字等假名相義如先說。 諸法は、皆、空にして、但だ名字の相、仮名、語言有るのみ。今、名字等も亦た空なれば、以って無相に喩え、第一義中には得べからざるも、世俗法中には相有り。名字等の仮名の相の義は先に説けるが如し。
諸の、
『法』は、
皆、
『空であり!』、
但だ、
『名字の相、仮名の語言』が、
『有るだけである!』が、
今、
『名字』等も、
亦た、
『空である!』が故に、
『名字等を用いて!』、
『無相』に、
『喩えたが!』、
『第一義』中には、
『名字の相』を、
『認められないとしても!』、
『世俗法』中には、
『相』は、
『有るのである!』。
『名字』等の、
『仮名の相、義』は、
先に、
『説いた通りである!』。
用如是法從三界出至薩婆若中住。非是實法。亦無所動 是の如き法を用いて、三界より出で、薩婆若中に至りて住まれば、是れ実の法なるに非ず、亦た動かす所も無し。
是のような、
『法を用いて!』、
『三界を出て!』、
『薩婆若』中に、
『至って!』、
『住まるのである!』が、
是れは、
『実の法でもなく!』、
亦た、
『動かす!』所も、
『無い!』。



大乗の住処無きことを説く

【經】須菩提。汝所問是乘何處住者。須菩提。是大乘無住處。何以故。一切法無住相故。是乘若住不住法住。 須菩提、汝が問う所の、是の乗は何処に住まるとは、須菩提、是の大乗には住処無し。何を以っての故に、一切の法は住相無きが故なり。是の乗にして、若し住せば、不住の法住せん。
須菩提!
お前の、
『問うた!』所の、
是の、
『乗』は、
『何処に!』、
『住まるのか?』とは、――
須菩提!
是の、
『大乗』には、
『住まる処』が、
『無いのである!』。
何故ならば、
『一切の法』には、
『住の相』が、
『無い!』が故に、
是の、
『乗』が、
若し、
『住まれば!』、
『不住の法』が、
『住まることになろう!』。
  参考:『大般若経巻55』:『復次善現。汝問如是大乘為何所住者。善現。如是大乘都無所住。所以者何。以一切法皆無所住。何以故。諸法住處不可得故。善現。然此大乘住無所住。善現。如真如性非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以真如性無住無不住。何以故。善現。真如性真如性空故。善現。如法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性不思議界虛空界斷界離界滅界無性界無相界無作界無為界安隱界寂靜界。法定法住本無實際性。非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以法界性乃至實際性無住無不住。何以故。善現。法界性法界性空乃至實際性實際性空故。善現。如色性。非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以色性無住無不住。何以故。善現。色性色性空故。善現。如受想行識性非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以受想行識性無住無不住。何以故。善現。受想行識性受想行識性空故。善現。如眼處性非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以眼處性無住無不住。何以故。善現眼處性眼處性空故。善現。如耳鼻舌身意處性非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以耳鼻舌身意處性無住無不住。何以故。善現。耳鼻舌身意處性耳鼻舌身意處性空故。善現。如色處性非住非不住。大乘亦爾非住非不住。所以者何。以色處性無住無不住。何以故。善現色處性色處性空故。』
須菩提。譬如法性。不生不滅不垢不淨。無起無作非住非不住。須菩提。是乘亦如是。非住非不住。何以故。法性相乃至無作相。非住非不住。所以者何。法性相性空故。乃至無作性無作性性空故。諸餘法亦如是。 須菩提、譬えば法性の、不生不滅、不垢不浄、無起無作、住に非ず不住に非ざるが如く、須菩提、是の乗も亦た是の如く、住に非ず、不住に非ず。何を以っての故に、法性の相は、乃至無作相まで、住に非ず、不住に非ざればなり。所以は何んとなれば、法性の相は、性として空なるが故なり。乃至無作の性まで、無作の性は、性として空なるが故なり。諸余の法も亦た是の如し。
須菩提!
譬えば、
『法性』が、
『不生不滅、不垢不浄、無起、無作であり!』、
『住でも、不住でもないように!』、
須菩提!
是の、
『乗』も、
是のように、
『住まるのでもなく!』、
『住まらないのでもない!』。
何故ならば、
『法性の相、乃至無作の相』は、
『住まるのでもなく!』、
『住まらないのでもないからである!』。
何故ならば、
『法性の相、乃至無作の性』は、
『性として!』、
『空だからであり!』、
『諸余の法』も、
亦た、
『是の通りだからである!』。
須菩提。以是因緣故。是乘無住處。以不住法不動法故 須菩提、是の因縁を以っての故に、是の乗は住処無し。不住の法、不動の法を以っての故なり。
須菩提!
是の、
『因縁』の故に、
是の、
『乗』には、
『住まる処』が、
『無い!』。
何故ならば、
是の、
『乗』は、
『住まらない法であり!』、
『動かない法だからである!』。



大乗の住処無きことを釈す

【論】問曰。上言是乘到薩婆若更無勝法可去。今何以復說是乘無住處。 問うて曰く、上に言わく、『是の乗は、薩婆若に到り、更に勝法の去るべき無し』と。今は何を以ってか、復た説かく、『是の乗には、住処無し。』と。
問い、
上には、こう言ったのに、――
是の、
『乗』は、
『薩婆若』に、
『到達する!』が、
更に、
『勝れた!』、
『去る為の法』は、
『無い!』、と。
今は、
何故復た、こう説くのですか?――
是の、
『乗』には、
『住処が無い!』、と。
答曰。先說以空不二法故言住。如幻如夢。雖有坐臥行住非實是住。菩薩亦如是。雖言到薩婆若住。亦無定住。佛此中自說。一切法從本已來無住相云何獨大乘有住。若有所住以畢竟空法住。 答えて曰く、先には説いて、空、不二法を以っての故に、『住まる』と言えるも、幻の如く、夢の如きに坐臥行住有りと雖も、実に是れ住まるに非ず。菩薩も亦た是の如く、『薩婆若に到りて住まる』と言うと雖も、亦た定んで住まること無し。仏は此の中に自ら説きたまわく、『一切の法は、本より已来、住相無し。云何が独り大乗のみ住まること有らん。若し住まる所有らば、畢竟空の法を以って住まるなり。』と。
答え、
先には、
『空、不二法を説こうとした!』が故に、
『住まる!』と、
『言った!』が、
譬えば、
『幻、夢』に、
『坐、臥、行、住』が、
『有ったとしても!』、
是れが、
『実』の、
『住でないように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『薩婆若に到って!』、
『住まる!』と、
『言ったとしても!』、
亦た、
『住』が、
『定まる!』ことは、
『無いのである!』。
『仏』は、
此の中に、自ら、こう説かれている、――
『一切の法』には、
本より、
『住の相』が、
『無い!』。
何故、
独り、
『大乗にのみ!』、
『有るのか?』。
若し、
『住まる所』が、
『有ったとすれば!』、
『畢竟空という!』、
『法を用いて!』、
『住まったのだ!』、と。
譬如如法性法相實際非住非不住不生不滅不垢不淨不起不作。 譬えば、如、法性、法相、実際の如く、住に非ず、不住に非ずして、不生不滅、不垢不浄、不起不作なりとは、
譬えば、
『如、法性、法相、実際のように!』、
『住でもなく、不住でもない!』、
『不生であり、不滅である!』、
『不垢であり、不浄である!』、
『不起であり、不作である!』とは、――
不住者。自相中不住。非不住者。異相中不住。 不住とは、自相中に住まらざるなり。不住に非ずとは、異相中に住まらざるなり。
『住でない!』とは、――
『自相』中に、
『住まらないからであり!』、
『不住でない!』とは、――
『異相』中にも、
『住まらないからである!』。
不住者。說空破有。非不住者。說世諦方便有住。 不住とは、空を説いて有を破するなり。不住に非ずとは、世諦を説けば、方便に住有ればなり。
『住でない!』とは、――
『空を説いて!』、
『有』を、
『破るからである!』。
『不住でもない!』とは、――
『世諦を説けば!』、
『方便として!』、
『住が有るからである!』。
不住者。說無常破常相。非不住者。破滅相。 不住とは、無常を説いて、常相を破す。不住に非ずとは、滅相を破す。
『住でない!』とは、――
『無常を説いて!』、
『常相』を、
『破る為である!』。
『不住でない!』とは、――
『住を説いて!』、
『滅相』を、
『破る為である!』。
此中佛自說。法性法性相空。何以故。自相空故。乃至無起無作。諸餘法亦如是 此の中に仏の自ら説きたまわく、『法性と、法性の相とは空なり。何を以っての故に、自相の空なるが故なり。乃至無起、無作まで諸余の法も亦た是の如し。』と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『法性』と、
『法性の相』とは、
『空である!』。
何故ならば、
『自相』が、
『空だからである!』。
乃至、
『無起や!』、
『無作も!』、
諸の、
『余の法』も、
『是の通りである!』、と。



一切法の不可得なることを説く

【經】須菩提。汝所問誰當乘是乘出者。無有人乘是乘出者。何以故。是乘及出者所用法及出時。是一切法皆無所有。若一切法無所有。用何等法當出。 須菩提、汝が問う所の、誰か当に是の乗に乗りて出づべき者なるとは、人の是の乗に乗りて出づる者の有ること無し。何を以っての故に、是の乗、及び出づる者、用うる所の法、及び出づる時、是の一切の法は、皆所有無ければなり。若し一切の法に所有無ければ、何等の法を用いて、当に出づべき。
須菩提!
お前の、
『問うた!』所の、
誰が、
是の、
『乗に乗って!』、
『世間』を、
『出るのか?』とは、――
是の、
『乗に乗って!』、
『出る人』は、
『無いのである!』。
何故ならば、
是の、
『乗』や、
『出る者』や、
『用いられる法』や、
『出る時』など、
是のような、
『一切の法』は、
皆、
『所有(存在物)』が、
『無いからである!』。
若し、
『一切の法』に、
『所有』が、
『無ければ!』、
何のような、
『法を用いて!』、
『出ることになるのか?』。
  参考:『大般若経巻55』:『復次善現。汝問誰復乘是大乘而出者。善現。都無乘是大乘出者。所以者何。若所乘乘。若能乘者。由此為此。所出所至。及出至時。如是一切皆無所有都不可得。何以故。善現。以一切法皆無所有都不可得。畢竟淨故。如何可言有乘乘者由為出至及出至時。善現當知。我無所有不可得故。乘大乘者亦不可得所以者何。畢竟淨故。如是有情命者。生者。養者。士夫。補特伽羅。意生。儒童。作者。使作者。起者。使起者。受者。使受者。知者。見者。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。真如無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是法界。法性。不虛妄性。不變異性。平等性。離生性。不思議界。虛空界。斷界。離界。滅界。無性界。無相界。無作界。無為界。安隱界。寂靜界。法定。法住。本無。實際。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。色無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是受想行識無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。眼處無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是耳鼻舌身意處無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。色處無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是聲香味觸法處。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。眼界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是色界眼識界及眼觸眼觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。耳界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是聲界耳識界及耳觸耳觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。鼻界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是香界鼻識界及鼻觸鼻觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。舌界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是味界舌識界及舌觸舌觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。身界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是觸界身識界及身觸身觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。善現當知。意界無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故。如是法界意識界及意觸意觸為緣所生諸受。無所有不可得故。乘大乘者亦不可得。所以者何。畢竟淨故‥‥善現。內空中極喜地。離垢地。發光地。焰慧地。極難勝地。現前地。遠行地。不動地。善慧地。法雲地性不可得故。說極喜地乃至法雲地不可得。乃至無性自性空中極喜地。離垢地。發光地。焰慧地。極難勝地。現前地。遠行地。不動地。善慧地。法雲地性不可得故。說極喜地乃至法雲地不可得。何以故。此中極喜地。離垢地。發光地。焰慧地。極難勝地。現前地。遠行地。不動地。善慧地。法雲地性。非已可得。非當可得。非現可得。畢竟淨故。善現。內空中淨觀地。種姓地。第八地。具見地。薄地。離欲地。已辦地。獨覺地。菩薩地。如來地性不可得故。說淨觀地乃至如來地不可得。乃至無性自性空中淨觀地。種姓地。第八地。具見地。薄地。離欲地。已辦地。獨覺地。菩薩地。如來地性不可得故。說淨觀地乃至如來地不可得。何以故。此中淨觀地。種姓地。第八地。具見地。薄地。離欲地。已辦地。獨覺地。菩薩地。如來地性。非已可得。非當可得。非現可得。畢竟淨故。善現。內空中成熟有情性不可得故。說成熟有情不可得。乃至無性自性空中成熟有情性不可得故。說成熟有情不可得。何以故。此中成熟有情性。非已可得。非當可得。非現可得。畢竟淨故。善現。內空中嚴淨佛土性不可得故。說嚴淨佛土不可得。乃至無性自性空中嚴淨佛土性不可得故。說嚴淨佛土不可得。何以故。此中嚴淨佛土性。非已可得。非當可得。非現可得。畢竟淨故。如是善現。諸菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多時。雖觀一切法皆無所有不可得畢竟淨故無乘大乘而出至者然以無所得為方便。乘於大乘出三界生死至一切智智。利益安樂一切有情。窮未來際常無斷盡』
何以故。我不可得乃至知者見者不可得。畢竟淨故。 何を以っての故に、我の得べからざればなり。乃至知者、見者まで得べからざるは、畢竟じて浄なるが故なり。
何故ならば、
『我』は、
『認識できず!』、
乃至、
『知者、見者までも!』、
『認識できないからであり!』、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
不可思議性不可得。畢竟淨故。眾入界不可得。畢竟淨故。 不可思議なる性は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。衆入界は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『不可思議性』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
『衆、入、界』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
檀波羅蜜不可得。畢竟淨故。乃至般若波羅蜜不可得。畢竟淨故。 檀波羅蜜は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。乃至般若波羅蜜は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『檀波羅蜜』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
乃至、
『般若波羅蜜』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
內空不可得。畢竟淨故。乃至無法有法空不可得。畢竟淨故。 内空は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。乃至無法有法空は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『内空』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
乃至、
『無法有法空』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
四念處不可得。乃至十八不共法不可得。畢竟淨故。 四念処は得べからず、乃至十八不共法は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『四念処』が、
『認識できず!』、
乃至、
『十八不共法』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
須陀洹不可得。乃至阿羅漢辟支佛菩薩佛不可得。畢竟淨故。 須陀洹は得べからず、乃至阿羅漢、辟支仏、菩薩、仏は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『須陀洹』が、
『認識できず!』、
乃至、
『阿羅漢、辟支仏、菩薩、仏』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
須陀洹果乃至阿羅漢果辟支佛道佛道一切種智不可得。畢竟淨故。 須陀洹果乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切種智は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『須陀洹果』
乃至、
『阿羅漢果、辟支仏道、仏道、一切種智』が、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
不生不滅不垢不淨無起無作不可得畢竟淨故。 不生不滅、不垢不浄、無起無作は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『不生不滅、不垢不浄、無起無作』は、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
過去世未來世現在世生住滅不可得。畢竟淨故。 過去世、未来世、現在世の生、住、滅は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『過去世、未来世、現在世の生、住、滅』は、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
增減不可得畢竟淨故。 増、減は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『増、減』は、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
何法不可得故不可得。法性不可得故不可得。如實際不可思議性法性法相法位檀波羅蜜不可得故不可得。乃至般若波羅蜜不可得故不可得。內空不可得故不可得。乃至無法有法空不可得故不可得。四念處不可得故不可得。乃至十八不共法不可得故不可得。須陀洹不可得故不可得。乃至佛不可得故不可得。須陀洹果不可得故不可得。乃至佛道不可得故不可得。不生不滅乃至不起不作不可得故不可得。 何なる法か得べからざるが故に得べからざる。法性は得べからざるが故に得べからず。如、実際、不可思議性、法性、法相、法位、檀波羅蜜は得べからざるが故に得べからず。乃至般若波羅蜜は得べからざるが故に得べからず。内空は得べからざるが故に得べからず。乃至無法有法空は得べからざるが故に得べからず。四念処は得べからざるが故に得べからず。乃至十八不共法は得べからざるが故に得べからず。須陀洹は得べからざるが故に得べからず。乃至仏は得べからざるが故に得べからず。須陀洹果は得べからざるが故に得べからず。乃至仏道は得べからざるが故に得べからず。不生不滅、乃至不起不作は得べからざるが故に得べからず。
何の、
『法』が、
『認識できない!』が故に、
『認識できないのか?』、――
『如、実際、不可思議性、法性、法相、法位、檀波羅蜜』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『乃至般若波羅蜜』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『内空』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『乃至無法有法空』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『四念処』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『乃至十八不共法』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『須陀洹』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『乃至仏』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『須陀洹果』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『乃至仏道』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
『不生不滅、乃至不起、不作』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
復次須菩提。初地不可得故不可得。乃至第十地不可得故不可得。畢竟淨故。云何為初地乃至十地。所謂乾慧地性地八人地見地薄地離欲地已作地辟支佛地菩薩地佛地。內空中初地不可得。乃至無法有法空中初地不可得。內空乃至無法有法空中第二第三第四第五第六第七第八第九第十地不可得。 復た次ぎに、須菩提、初地は得べからざるが故に得べからず。乃至第十地は得べからざるが故に得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。云何が、初地、乃至十地と為す。謂わゆる乾慧地、性地、八人地、見地、薄地、離欲地、已作地、辟支仏地、菩薩地、仏地なり。内空中の初地は得べからず。乃至無法有法空中の初地は得べからず。内空、乃至無法有法空中の第二、第三、第四、第五、第六、第七、第八、第九、第十地は得べからざればなり。
復た次ぎに、
須菩提!
『初地』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』、
『乃至第十地』は、
『認識できない!』が故に、
『認識できない!』。
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
何を、
『初地乃至十地』、と言うのか?――
謂わゆる、
『乾慧地、性地、八人地、見地、薄地、離欲地と!』、
『已作地、辟支仏地、菩薩地、仏地である!』が、
『内空』中に、
『初地』は、
『認識できず!』、
『乃至無法有法空』中にも、
『初地』は、
『認識できず!』、
『内空、乃至無法有法空』中には、
『第二、三、四、五、六、七、八、九、十地』は、
『認識できない!』。
何以故。須菩提。初地非得非不得。乃至十地非得非不得。畢竟淨故。內空乃至無法有法空中成就眾生不可得。畢竟淨故。 何を以っての故に、須菩提、初地は得に非ず、不得に非ず。乃至十地は得に非ず、不得に非ず、畢竟じて浄なるが故なり。内空、乃至無法有法空中に衆生を成就すること得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
何故ならば、
須菩提!
『初地』を、
『得るでもなく!』、
『得ないでもなく!』、
『乃至十地』を、
『得るでもなく!』、
『得ないでもない!』のは、
是れが、
『畢竟じて浄だからである!』、
『内空、乃至無法有法空』中に、
『成就された!』、
『衆生』が、
『認められない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
內空乃至無法有法空中淨佛世界不可得。畢竟淨故。 内空、乃至無法有法空中に、浄仏世界は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『内空、乃至無法有法空』中に、
『浄められた!』、
『仏世界』が、
『認められない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
內空乃至無法有法空中五眼不可得。畢竟淨故。 内空、乃至無法有法空中に五眼は得べからず、畢竟じて浄なるが故なり。
『内空、乃至無法有法空』中に、
『五眼』が、
『認められない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『浄だからである!』。
如是須菩提。菩薩摩訶薩以一切諸法不可得故乘是摩訶衍出薩婆若 是の如し、須菩提、菩薩摩訶薩は、一切の諸法の得べからざるを以っての故に、是の摩訶衍に乗りて、薩婆若に出づるなり。
是のように、
須菩提!
『菩薩摩訶薩』は、
一切の、
『諸法』は、
『認識できない!』と、
『思う!』が故に、
是の、
『摩訶衍に乗り!』、
『三界を出て!』、
『薩婆若(阿耨多羅三藐三菩提)』に、
『至るのである!』。



一切法の不可得なることを釈す

【論】者言。出者行是乘到佛道邊出。又復以成就故名出。以是乘成就薩婆若。是名為出。 論者の言わく、出づとは、是の乗を行じて、仏道の辺に到りて出づるなり。又復た、成就するを以っての故に、出づと名づく。是の乗を以って、薩婆若を成就す、是れを名づけて、出づと為す。
論者は、こう言う、――
『出る!』とは、――
是の、
『乗を行えば!』、
『仏道の辺に到って!』、
『三界』を、
『出るからであり!』、
又復た、
『仏道』を、
『成就する!』が故に、
『出る(超出する)のであり!』、
是の、
『乗を用いて!』、
『薩婆若』を、
『成就する!』ので、
是れを、
『出る!』と、
『呼ぶのである!』。
此中佛自說空因緣。乘者是六波羅蜜所用。法者是慈悲方便等諸法六波羅蜜所不攝。出者是菩薩。是三法皆空。 此の中に、仏は、自ら空の因縁を説きたまわく、『乗とは、是れ六波羅蜜なり。用うる所の法とは、是れ慈悲、方便等の諸法にして、六波羅蜜の摂せざる所なり。出づる者は、是れ菩薩なり。是の三法は、皆空なり。』と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『空の因縁』を、こう説かれた、――
『乗』とは、――
是れは、
『六波羅蜜である!』。
『用いる所の法』とは、――
『慈悲、方便等の諸法である!』が、
『六波羅蜜』には、
『包摂されない!』。
『出る!』者とは、――
是れは、
『菩薩である!』。
是の、
『三法』は、
皆、
『空である!』、と。
此中佛復說因緣。我不可得乃至知者見者不可得。畢竟空故。五眾十二入十八界檀波羅蜜。乃至十八不共法須陀洹乃至薩婆若。不生不滅不垢不淨。乃至三世三相增減等。是名法空。我乃至知者見者。須陀洹乃至佛。是名眾生空。 此の中に、仏は、復た因縁を説きたまわく、『我は得べからず、乃至知者、見者は得べからず、畢竟じて空なるが故なり。五衆、十二入、十八界、檀波羅蜜、乃至十八不共法、須陀洹、乃至薩婆若、不生不滅、不垢不浄、乃至三世、三相、増減等は、是れを法空と名づく。我、乃至知者、見者、須陀洹、乃至仏は、是れを衆生空と名づく。』と。
此の中に、
『仏』は、
復た、
『因縁』を、こう説かれた、――
『我』は、
『認識できず!』、
乃至、
『知者、見者』も、
『認識できない!』のは、
是れが、
『畢竟じて!』、
『空だからである!』。
『五衆、十二入、十八界』や、
『檀波羅蜜、乃至十八不共法』や、
『須陀洹、乃至薩婆若』や、
『不生不滅、不垢不浄、乃至三世、三相、増減』等は、
是れを、
『法空』と、  ――法と呼ばれる空――
『称する!』。
『我、乃至知者、見者』や、
『須陀洹、乃至仏』は、
是れを、
『衆生空』と、  ――衆生と呼ばれる空――
『称する!』、と。
問曰。有二種不可得。一者有法智慧少故不能得。二者有大智慧推求不能得。此云何不可得。 問うて曰く、二種の得べからざること有り、一には、法有り、智慧少きが故に得る能わず。二には、大智慧有り、推求するも得る能わず。此れは云何が、得べからざる。
問い、
『不可得( unknowable )』には、
『二種有る!』が、――
一には、
『法が有っても!』、
『智慧が少ない!』が故に、
『得られない!』。
二には、
『大智慧が有り!』、
『推求した!』が、
『得られない!』。
此れは、
何故、
『得られないのですか?』。
答曰。是法無故不可得。 答えて曰く、是の法は、無きが故に得べからず。
答え、
是の、
『法』は、
『無い!』が故に、
『得られない( unperceivable )のである!』。
問曰。一切法本末不可得。於人有何利益。 問うて曰く、一切法の本末を得べからずんば、人に於いては、何の利益か有らん。
問い、
『一切の法』の、
『本末』が、
『得られなければ!』、
『人』には、
何のような、
『利益が有るのですか?』。
  本末(ほんまつ):梵語 puurvaaparaanta の訳、始と終( beginnig and end )の義、或る事物の根源から終局に至る全体の過程( the whole course of an event from beginning to end )、根本的事柄と付随的事柄( the fundamental and the incidental )。
答曰。此中佛自說。畢竟清淨故。 答えて曰く、此の中に、仏の自ら説きたまわく、『畢竟じて清浄なるが故なり。』と。
答え、
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『畢竟じて!』、
『清浄だからである!』、と。
畢竟者。若行者依無而破有。於有得清淨。於無未清淨。以依止故。 畢竟とは、若し行者、無に依りて、有を破らば、有に於いては、清浄を得るも、無に於いては未だ清浄ならず。依止するを以っての故なり。
『畢竟』とは、――
若し、
『行者』が、
『無に依って!』、
『有』を、
『破れば!』、
則ち、
『有』に於いては、
『清浄』を、
『得られる!』が、
『無』に於いては、
『清浄』を、
『得られない!』。
何故ならば、
『無』に、
『依止するからである!』。
此中佛自說不可得因緣。一切眾生不可得一切法不可得。譬如如法性實際等乃至不作不起不可得。 此の中に、仏は、自ら不可得の因縁を説きたまわく、『一切の衆生は、得べからず。一切の法は得べからず。譬えば如、法性、実際等、乃至不作、不起の得べからざるが如し。』と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、
『不可得の因縁』を、こう説かれている、――
一切の、
『衆生』が、
『不可得であり!』、
一切の、
『法』が、
『不可得である!』のは、
譬えば、
『如、法性、実際』等や、
『不生不滅、乃至不作不起』が、
『不可得である!』のと、
『同じである!』、と。
復次十八空故。法性不可得。乃至不起不作 復た次ぎに、十八空の故に、法性は不可得なり。乃至不起、不作なり。
復た次ぎに、
『十八空』の故に、
『法性』は、
『不可得であり!』、
乃至、
『不起、不作』は、
『不可得である!』。
十八空中。無初地乃至十地。無成就眾生。無淨佛世界。無五眼。以十八空故空。畢竟清淨故不可得。 十八空中には、初地、乃至十地無く、成就せる衆生無く、浄仏世界無く、五眼無し。十八空を以っての故に空なれば、畢竟じて清浄なるが故に不可得なり。
『十八空』中に、
『初地、乃至十地』も、
『成就した衆生』も、
『浄められた仏世界』も、
『五眼』も、
『無い!』のは、
則ち、
『十八空』を、
『用いた!』が故に、
『空であり!』、
『畢竟じて!』、
『清浄である!』が故に、
『認識できないからである!』。
菩薩用不可得法。乘是乘出薩婆若
大智度論卷第五十(釋第十九品訖第二十品)
菩薩は不可得の法を用いて、是の乗に乗り、薩婆若に出づるなり。
大智度論巻第五十(第十九品を釈して、第二十品を訖う)
『菩薩』は、
『不可得という!』、
『法』を、
『用い!』、
是の、
『乗に乗って!』、
『薩婆若に向って!』、
『出発するのである!』。

大智度論巻第五十


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