【論】者言。我等二十法不可得故不著。不可得因緣如先種種說。我見乃至知者見者佛見僧見。是入眾生空故。是見不應著。餘斷常乃至戒見。是法空故不應著。 |
論者の言わく、『我等の二十法は得べからざるが故に著せず。得べからざるの因縁は、先に種種に説けるが如く、我見、乃至知者、見者、仏見、僧見は、是れ衆生空に入るが故に、是の見は、応に著すべからず。余の断、常、乃至戒見は、是れ法空なるが故に、応に著すべからず。 |
論者は言う、――
『我、衆生、寿命』等の、
『二十法』は、
『不可得である(認められない)!』が故に、
『著さない!』。
『不可得である!』、
『因縁』は、――
『我見、乃至知者、見者、仏見、僧見』は、
『衆生という!』、
『空』に、
『入る!』が故に、
是の、
『見』に、
『著してはならず!』、
『余の断、常、乃至戒見』は、
『法という!』、
『空である!』が故に、
『著すべきでないからである!』。
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問曰。餘者可知。因見云何。 |
問うて曰く、余は知るべし。因見は云何。 |
問い、
余の、
『法』は、
『知ることができます!』が、
何を、
『因見』と、
『言うのですか?』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不應作因見。諸見不可得故。』 |
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答曰。一切有為法展轉為因果。是法中著心取相生見。是名因見。所謂非因說因。或因果一異等。 |
答えて曰く、一切の有為法は展転して因、果を為す。是の法中に著心は相を取りて、見を生ず。是れを因見と名づく。謂わゆる因に非ざるを因と説けり。或いは因、果の一、異等なり。 |
答え、
一切の、
『有為法』は、
『展転として!』、
『因となり!』、
『果となる!』が、
是の、
『法』中に、
『著心』が、
『相を取って!』、
『見を生じる!』ので、
是れを、
『因見』と、
『呼ぶのである!』。
謂わゆる、
『因でない!』者を、
『因である!』と、
『説いたり!』、
或は、こう説くことである、――
『因、果』が、
『一である!』とか、
『異である!』等と。
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具足空者。若菩薩能盡行十八空。是名具足空。 |
空を具足すとは、若し菩薩、能く尽く十八空を行ぜば、是れを空を具足すと名づく。 |
『空を具足する!』とは、――
若し、
『菩薩』が、
尽く、
『十八空』を、
『行うことができれば!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称するのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩應具足空。具足諸法。自相空故。』 |
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復次能行二種空。眾生空法空。是名具足空。 |
復た次ぎに、能く二種の空の衆生空、法空を行ぜば、是れを空を具足すと名づく。 |
復た次ぎに、
『二種の空』の、
『衆生空、法空』を、
『行うことができれば!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称する!』。
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復次若菩薩能行畢竟空於中不著。是名具足空。 |
復た次ぎに、若し菩薩、能く畢竟空を行じて、中に於いて著せざれば、是れを空を具足すと名づく。 |
復た次ぎに、
若し、
『菩薩』が、
『畢竟空を行って!』、
是の、
『畢竟空』中に、
『著さなければ!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称する!』。
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問曰。若爾者佛此中何以但說自相空。 |
問うて曰く、若し爾らば、仏は此の中に、何を以ってか、但だ自相空のみを説きたまえる。 |
問い、
若し、
爾うならば、――
『仏』は、
此の中に、
何故、
但だ、
『自相空のみ!』を、
『説かれたのですか?』。
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答曰。此三種空皆是自相空。以住六地菩薩福德故利根。利根故分別諸法取相。以是故。七地中以相空為具足空。佛或時說有為空無為空名具足空。或時說不可得空名具足空。 |
答えて曰く、此の三種の空は、皆是れ自相空なればなり。六地に住する菩薩は福徳を以っての故に、利根なり。利根なるが故に諸法を分別して相を取る。是を以っての故に、七地中には、相の空なるを以って、空を具足すと為す。仏は、或いは時に、有為空、無為空を説きて、空を具足すと名づけ、或いは時に、不可説空を説いて、空を具足すと名づけたまえり。 |
答え、
此の、
『三種の空( 衆生空、法空、畢竟空)』は、
皆、
『自相空である!』。
『六地に住する!』、
『菩薩』は、
『福徳』の故に、
『利根であり!』、
『利根』の故に、
『諸法を分別して!』、
『相』を、
『取る!』ので、
是の故に、
『七地』中には、
『相』が、
『空である!』と、
『思うこと!』、
是れが、
『空』を、
『具足することなのである!』。
『仏』は、
或は時に、こう説かれた、――
『有為空』と、
『無為空』とを、
『具足した空』と、
『呼ぶ!』と、
或は時に、こう説かれた、――
『不可得空』を、
『具足した空』と、
『呼ぶ!』、と。
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無相證者。無相即是涅槃。可證不可修。不可修故不得言知。無量無邊不可分別。故不得言具足。 |
無相を証すとは、無相とは、即ち是れ涅槃なれば、証すべくして修すべからず。修すべからざるが故に『知る』と言うを得ず。無量無辺は分別すべからざるが故に『具足す』と言うを得ず。 |
『無相であるという!』、
『証( 悟り!)』とは、――
『無相』とは、
『涅槃であり!』、
『証する(悟る)ことはできる!』が、
『修めることはできない!』。
『修められない!』が故に、
『知る!』とは、
『言えないのであり!』、
『無相』は、
『無量、無辺であって!』、
『分別することができない!』が故に、
『具足する!』と、
『言うこともできない!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無相證。不念諸相故。』 |
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知無作者。三事雖通是知。二事更義立其名。無作但有知名。 |
無作を知るとは、三事は通じて是れ知なりと雖も、二事は義を更(あらた)めて其の名を立て、無作は但だ知の名有るのみ。。 |
『無作である!』と、
『知る!』とは、――
『空、無相、無作』の、
『三事』は、
通じて、
『知ることである!』が、
『二事( 空、無相)』は、
『義( 意味)』を、
更に、
『確認して!』、
其の、
『名』を、
『立てたのである!』が、
『無作のみ!』は、
但だ、
『名』が、
『知られているだけである!』。
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更(きょう):<動詞>[本義]改変する/改める( change )。代える/代替する/置き換える( replace )、続く/連続する( continue )、返済する/補償する( repay, compensate for )、報いる( repay, requite )。<副詞>[動作/行為の重複を表す]再び/復た/又( again )、[程度に深みを加える]更に( further, further more, more )、[所説の範囲外にも在ることを表す]他に/外に/別に( besides, also )、[意想外に出ることを表す]それどころか/予想外に( on the contrary, unexpectedly )。<接続詞>と/与/和( and )。 |
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知無作。於三界中不作故。』 |
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三分清淨者。所謂十善道身三口四意三。是名三分。上以說三解脫門故。此中不復說。三分清淨者。或有人身業清淨口業不清淨。口業清淨身業不清淨。或身口業清淨意業不清淨。或有世間三業清淨。而未能離著。是菩薩三業清淨及離著故。是名三分清淨。 |
三分清浄とは、謂わゆる十善道の身三、口四、意三にして、是れを三分と名づく。上に三解脱門を説くを以っての故に、此の中には復た説かざるなり。三分清浄とは、或いは有る人は身業清浄なるも口業は清浄ならず、口業清浄なるも身業は清浄ならず、或いは身、口清浄なるも意業清浄ならず、或いは世間の三業清浄なるも、未だ著を離るる能わざる有り。是の菩薩は三業清浄にして、及び著を離るるが故に、是れを三分清浄と名づく。 |
『三分』が、
『清浄である!』とは、――
謂わゆる、
『十善道であり!』、
『身の三(不殺、不盗、不邪婬)』と、
『口の四(不妄語、不両舌、不綺語、不悪口)』と、
『意の三(不貪、不瞋、不邪見)』、
是れを、
『三分』と、
『称する!』。
上に、
『三解脱門を説いた!』が故に、
此の中には、
もう、
『説かない!』。
『三分』が、
『清浄である!』とは、――
或は、
有る人は、
『身業が清浄である!』が、
『口業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『口業は清浄である!』が、
『身業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『身、口業は清浄である!』が、
『意業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『世間』の、
『三業』は、
『清浄である!』が、
未だ、
『著』を、
『離れられないのである!』が、
是の、
『菩薩』は、
『三業が清浄でありながら!』、
『著』を、
『離れる!』が故に、
是れを、
『三分が清浄である!』と、
『称するのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩三分清淨十善道具足故。』 |
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一切眾生中具足慈悲智者。悲有三種。眾生緣法緣無緣。此中說無緣大悲名具足。所謂法性空乃至實相亦空。是名無緣大悲。菩薩深入實相。然後悲念眾生。譬如人有一子。得好寶物則深心愛念欲以與之。 |
一切の衆生中に慈悲の智を具足すとは、悲に三種有り、衆生縁、法縁、無縁なり。此の中には無縁の大悲を説いて、具足と名づく。謂わゆる法の性は空にして、乃至実相も亦た空なれば、是れを無縁の大悲と名づく。菩薩は深く実相に入りて、然る後に衆生を悲念す。譬えば人に一子有り、好き宝物を得れば、則ち深心に愛念するを以って、之に与えんと欲するが如し。 |
一切の、
『衆生』中に、
『慈悲の智』を、
『具足する!』とは、――
『悲』には、
此の中には、 『無縁』の、
『大悲を説いて!』、
『具足する!』と、
『称するのである!』。
謂わゆる、
『法』の、
『性』が、
『空であり!』、
乃至、
『実相』も、
『空であるならば!』、
是れを、
『無縁の大悲』と、
『称する!』。
『菩薩』は、
深く、
『実相』に、
『入って!』、
その後に、
『衆生』を、
『悲念するのである!』。
譬えば、
『一子が有り!』、
則ち、
『深心』に、
『子』を、
『愛念して!』、
是の、
『宝物』を、
『与えようとするようなものである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩一切眾生中慈悲智具足。得大悲故。』 |
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不念一切眾生者。所謂淨世界具足故。 |
一切の衆生を念ぜずとは、謂わゆる世界を浄むること具足するが故なり。 |
一切の、
『衆生』を、
『念じない!』とは、――
謂わゆる、
『世界』を、
『浄めて!』、
『具足するからである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不念一切眾生。淨佛世界具足故。』 |
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問曰。若不念眾生者。云何能淨佛世界。 |
問うて曰く、若し衆生を念ぜざれば、云何が能く、仏世界を浄むる。 |
問い、
若し、
『衆生を念じなければ!』、
何故、
『仏世界』を、
『浄められるのですか?』。
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答曰。菩薩令眾生住十善道。為莊嚴佛國。雖莊嚴未得無礙莊嚴。今菩薩教化眾生不取眾生相。諸善根福德清淨。諸善根福德清淨故。是無礙莊嚴。 |
答えて曰く、菩薩は衆生をして十善道に住せしむるを、仏国を荘厳すと為す。荘厳すと雖も、未だ無礙の荘厳を得ず。今、菩薩、衆生を教化して、衆生の相を取らしめざれば、諸の善根の福徳は清浄なり。諸の善根の福徳の清浄なるが故に、是れ無礙の荘厳なり。 |
答え、
『菩薩』が、
『衆生』を、
『十善道』に、
『住まらせる!』ことが、
『仏』の、
『国』を、
『荘厳することである!』が、
『荘厳しても!』、
未だ、
『無礙』の、
『荘厳』を、
『得たわけではない!』。
今、
『菩薩』は、
『衆生を教化して!』、
『衆生相』を、
『取らせない!』が故に、
『衆生』の、
『諸の善根、福徳』が、
『清浄になり!』、
『諸の善根、福徳が清浄である!』が故に、
是れを、
『無礙の荘厳』と、
『称するのである!』。
|
善根福徳(ぜんこんのふくとく):十善を行じて、福徳の報を得る。十善を行じても、衆生を差別すれば、必ずしも福徳の報を得るわけではないことを云う。差別想無き十善を以って、世界を浄めるの意。
無礙荘厳(むげのしょうごん):衆生を教化して仏世界を浄むるも、十善中にに差別想を生ずれば、即ち久しく清浄なる能わず。今、差別想無き十善を得ば、永く清浄たることを得て、無礙清浄の仏国たらんの意。 |
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一切法等觀者。如法等忍中說。此中佛自說。於諸法不增損。 |
一切法を等観すとは、法の等忍中に説けるが如し。此の中に仏は、自ら、『諸法に於いて増損せず』と説きたまえり。 |
一切の、
例えば、
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『諸法』に於いては、
『増益することもなく!』、
『損減することもない!』、と。
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参考:『大智度論巻5』:『云何名法等忍。善法不善法有漏無漏有為無為等法。如是諸法入不二入法門。入實法相門。如是入竟。是中深入諸法實相時。心忍直入無諍無礙。是名法等忍。』
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩一切法等觀。於諸法不損益故。』 |
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知諸法實相者。如先種種因緣廣說。 |
諸法の実相を知るとは、先に種種の因縁もて、広く説けるが如し。 |
『諸法』の、
『実相』を、
『知る!』とは、――
先に、
種種の、
『因縁』を、
『広く説いた通りである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知諸法實相。諸法實相無知故。』 |
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無生法忍者。於無生滅諸法實相中。信受通達無礙不退。是名無生忍。 |
無生法忍とは、生滅無き諸法の実相中に於いて、信受すること通達無礙にして退かざる、是れを無生忍と名づく。 |
『無生法忍』とは、――
『無生滅という!』、
『諸法の実相』中に、
『信受、通達して!』、
『無礙、不退である!』こと、
是れを、
『無生忍』と、
『称する!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無生忍。為諸法不生不滅不作故。』 |
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無生智者。初名忍後名智。麤者忍細者智。佛自說。知名色不生故。 |
無生智とは、初を忍と名づけ、後を智と名づく。麁なる者は忍、細なる者は智なり。仏は自ら、『名色の生ぜざるを知るが故に』と説きたまえり。 |
『無生智』とは、
初には、
『忍と呼ばれ!』、
後に、
『智』と、
『呼ばれるのである!』が、
復た、
『無生を麁覚すれば!』、
『忍』と、
『称し!』、
『無生を細観すれば!』、
『智』と、
『称する!』。
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『名色』は、
『不生である!』と、
『知る!』が故に、
是れを、
『無生智』と、
『称する!』、と。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無生智。知名色不生故。』 |
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說諸法一相者。菩薩知內外十二入。皆是魔網虛誑不實。於此中生六種識。亦是魔網虛誑。何者是實唯不二法。無眼無色乃至無意無法等是名實。令眾生離十二入故。常以種種因緣說是不二法。 |
諸法は一相なりと説くとは、菩薩は『内外の十二入は皆是れ魔網、虚誑にして実にあらず』と知るも、此の中に於いて生ずる六種の識も亦た是れ魔網、虚誑なり。何者か、是れ実なる。唯不二の法の、眼無く色無く、乃至意無く法無き等のみ、是れを実と名づく、衆生をして、十二入を離れしむるが故に、常に種種の因縁を以って、是の不二の法を説く。 |
『諸法』は、
『一相である!』と、
『説く!』とは、――
『菩薩』は、こう知る、――
『内、外の十二入』は、
皆、
『魔網であり!』、
『虚誑であり!』、
『不実である!』が、
此の中には、
『六種』の、
『識』を、
『生じる!』ので、
是れも、
『魔網であり!』、
『虚誑である!』。
何者が、
『実だろうか?』、――
但だ、
『眼、色、乃至意、法』等は、
『無いという!』、
『不二の法』、
是れだけが、
『実』と、
『呼ばれるのである!』、と。
『菩薩』は、
是のように、
『知り!』、
即ち、
『衆生』を、
『十二入より!』、
『離れさせる!』が故に、
常に、
種種の、
『因縁』を、
『用いて!』、
是の、
『不二の法』を、
『説くのである!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩說諸法一相。心不行二相故。』 |
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破分別相者。菩薩住是不二法中。破所緣男女長短大小等。分別諸法。 |
相を分別するを破すとは、菩薩は、是の不二の法中に住して、縁ずる所の男女、長短、大小等を破りて、諸法を分別す。 |
『相』を、
『分別する!』ことを、
『破る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『不二の法中に住まって!』、
『縁じる!』所の、
『男女、長短、大小』等を、
『破って!』、
諸の、
『法』を、
『分別することである!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩破分別相。一切法不分別故。』 |
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轉憶想者。破內心憶想分別諸法等。 |
憶想を転ずとは、内心の憶想を破し、諸法の等を分別す。 |
『憶想』を、
『転じる!』とは、――
『内心』の、
『憶想』を、
『破って!』、
『諸の法』は、
『等しい!』と、
『分別することである!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉憶想。小大無量想轉故。』 |
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轉見者。是菩薩先轉我見邊見等邪見。然後入道。今轉法見涅槃見。以諸法無定相。 |
見を転ずとは、是の菩薩は先に我見、辺見等の邪見を転じて、然る後に道に入るも、今は、法見、涅槃見を転ずるを以って、諸法に定相無し。 |
『見』を、
『転じる!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
先に、
『我見、辺見』等の、
『邪見』を、
『転じて!』、
その後、
『道』に、
『入ったのである!』が、
今、
『法見』や、
『涅槃見』までも、
『転じた!』が故に、
『諸の法』には、
『定相』が、
『無くなったのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉見。於聲聞辟支佛地見轉故。』 |
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轉涅槃者。轉聲聞辟支佛見直趣佛道。 |
涅槃を転ずとは、声聞、辟支仏の見を転じて、直ちに仏道に趣く。 |
『涅槃』を、
『転じる!』とは、――
『声聞、辟支仏という!』、
『見』を、
『転じて!』、
直ちに、
『仏道』に、
『趣くことである!』。
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轉煩惱者。菩薩以福德持戒力故。折伏麤煩惱安隱行道。唯有愛見慢等微細者在。今亦離細煩惱。 |
煩悩を転ずとは、菩薩は福徳の持戒の力を以って、麁の煩悩を折伏すれば、安隠にして道を行ずるも、唯だ愛、見、慢等の微細なる者有りて在れば、今亦た細なる煩悩を離る。 |
『煩悩』を、
『転じる!』とは、――
『菩薩』は、
『福徳、持戒の力』の故に、
『麁』の、
『煩悩』を、
『折伏して!』、
『安穏』の、
『道』を、
『行くのである!』が、
唯だ、
『愛、見、慢』等の、
『微細な煩悩』が、
『残っている!』ので、
今、
亦た、
『微細な煩悩をも!』、
『離れるのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉煩惱斷。諸煩惱故。』 |
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復次菩薩用實智慧觀是煩惱即是實相。譬如神通人能轉不淨為淨 |
復た次ぎに、菩薩は実の智慧を用いて観れば、是の煩悩は、即ち是れ実相なり。譬えば、神通の人の能く不浄を転じて、浄と為すが如し。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『実の智慧』を、
『用いて!』、
『観れば!』、
是の、
『煩悩』は、
『実相である!』。
譬えば、
『神通の人』が、
『不浄を転じて!』、
『浄』と、
『為すようなものである!』。
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等定慧地者。菩薩於初三地慧多定少。未能攝心故。後三地定多慧少。以是故不得入菩薩位。今眾生空法空定慧等故。能安隱行菩薩道。從阿鞞跋致地。漸漸得一切種智。慧地 |
定、慧の地を等しうすとは、菩薩は初の三地に於いては、慧多くして定少く、未だ心を摂する能わざるが故に、後の三地には、定多くして慧少く、是を以っての故に菩薩位に入るを得ず。今衆生空、法空の定、慧等しきが故に、能く安隠に菩薩道を行じ、阿鞞跋致地より、漸漸に一切種智慧の地を得。 |
『定、慧の地』を、
『等しくする!』とは、――
『菩薩』は、
『初の三地』に於いて、
『慧が多く!』、
『定』が、
『少ない!』が故に、
未だ、
『心』を、
『摂(おさ)められない!』し、
『後の三地』に於いては、
『定が多く!』、
『慧』が、
『少ない!』ので、
是の故に、
『菩薩の位』に、
『入ることができない!』が、
今( 七地)、
『衆生空、法空』の、
『定、慧』は、
『等しい!』が故に、
『安穏に!』
『菩薩』の、
『道』を、
『行うことができ!』、
『阿鞞跋致の地』より、
次第に、
『一切種智慧の地』を、
『得るのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩等定慧地。所謂得一切種智故。』 |
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調意者。是菩薩先憶念老病死三惡道。慈愍眾生故調伏心意。今知諸法實相故不著三界。不著三界故調伏。 |
意を調うとは、是の菩薩は、先に老病死の三悪道を憶念して、衆生を慈愍するが故に、心意を調伏するも、今は、諸法の実相を知るが故に、三界に著せず、三界に著せざるが故に、調伏す。 |
『意』を、
『調える!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
先に、
『老、病、死』の、
『三悪道』を、
『憶念して!』、
『衆生を慈愍する!』が故に、
『心意』を、
『調伏するのである!』が、
今、
『諸の法』の、
『実相を知る!』が故に、
『三界』に、
『著することなく!』、
『三界に著さない!』が故に、
『調伏する!』と、
『言うのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩調意。於三界不動故。』 |
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心寂滅者。菩薩為涅槃故。先於五欲中折伏五情。意情難折伏故。今住七地意情寂滅。 |
心寂滅すとは、菩薩は、涅槃の為の故に、先に五欲中に於いて、五情を折伏するは、意情の折伏し難きが故なるも、今、七地に住して、意情寂滅す。 |
『心』が、
『寂滅する!』とは、――
『菩薩』は、
『涅槃』の為に、
先に、
『五欲』中に、
『五情』を、
『折伏する!』のは、
『意情』は、
『折伏することが!』、
『難しいからである!』が、
今は、
『七地に住まる!』が故に、
『意情』が、
『寂滅するのである!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩心寂滅。制六根故。』 |
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無礙智者。菩薩得般若波羅蜜。於一切實不實法中無礙。得是道慧將一切眾生令入實法。得無礙解脫得佛眼。於一切法中無礙。 |
無礙智とは、菩薩は般若波羅蜜を得れば、一切の実、不実の法中に於いて、無礙なり。是の道慧を得て、一切の衆生を将いて、実法に入らしめ、無礙解脱を得て、仏眼を得て、一切の法中に於いて、無礙ならしむ。 |
『無礙の智』とは、――
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を得て!』、
一切の、
『実、不実』の、
『法』中に、
『無礙となり!』、
是の、
『道慧』を、
『得た!』が故に、
一切の、
『衆生』を、
『実法に入らせて!』、
『無礙解脱、仏眼』を、
『得させ!』、
『一切の法』中に、
『礙』を、
『無くさせるのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無礙智。得佛眼故。』 |
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問曰。是七地中何以說得佛眼。 |
問うて曰く、是の七地中に、何を以ってか、仏眼を得るを説く。 |
問い、
是の、
『七地』中に、
何故、
『仏眼』を、
『得られる!』と、
『説くのですか?』。
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答曰。是中應學佛眼。於諸法無礙似如佛眼。 |
答えて曰く、是の中には応に仏眼を学ぶべし。諸法に於いて無礙なれば、仏眼の如きに似たればなり。 |
答え、
是の中では、
当然、
『仏眼』を、
『学ぶべきである!』。
諸の、
『法中に無礙である!』のは、
『仏眼』に、
『似ているからである!』。
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不染愛者。是菩薩雖於七地得智慧力。猶有先世因緣有此肉身。入禪定不著。出禪定時有著氣隨此肉眼所見。見好人親愛。或愛是七地智慧實法。是故佛說。於六塵中行捨心不取好惡相。(七地竟) |
染愛せずとは、是の菩薩は、七地に於いて智慧の力を得と雖も、猶お先世の因縁有りて、此の肉身有れば、禅定に入れば著せざるも、禅定を出づる時には、著気有りて、此の肉眼の見る所に随い、好人を見れば親愛し、或いは是の七地の智慧、実法を愛す。是の故に仏の説きたまわく、『六塵中に於いて捨心を行じ、好悪の相を取らざれ』と。(七地竟れり) |
『愛』に、
『染まらない!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
『七地』に於いて、
『智慧の力』を、
『得た!』が、
猶お、
『先世』の、
『因縁』が、
『有って!』、
此の、
『肉身』を、
『有するので!』、
『禅定に入れば!』、
『禅定を出れば!』、
『著』の、
『気配』が、
『有るので!』、
此の、
『肉眼』の、
『所見』に、
『随うことになり!』、
『好人』を、
『見れば!』、
『親愛するのであり!』、
或は、
是の故に、
『仏』は、こう説かれたのである、――
『六塵』中に、
『捨心を行って!』、
『好、悪の相』を、
『取るな!』、と。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不染愛。捨六塵故。』 |
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順入眾生心者。菩薩住是八地中。順觀一切眾生心之所趣。動發思惟深念順觀。以智慧分別。知是眾生永無得度因緣。是眾生過無量阿僧祇劫然後可度。是眾生或一劫二劫乃至十劫可度。是眾生或一世二世乃至今世可度。是眾生或即時可度者。是熟是未熟。是人可以聲聞乘度。是人可以辟支佛乘度。譬如良醫診病知差久近可治不可治者。 |
衆生心に順入すとは、菩薩は是の八地中に住して、一切の衆生の心の趣く所を順観するに、思惟を動発して、深念し順観し、智慧を以って分別して知るらく、『是の衆生は、永く度を得る因縁無し』、『是の衆生は、無量阿僧祇劫を過ぎて、然る後に度すべし』、『是の衆生は、或いは一劫、二劫乃至十劫に度すべし』、『是の衆生は或いは一世、二世乃至今世に度すべし』、『是の衆生は或いは即時に度すべき者なり』、『是れは熟せり』、『是れは未だ熟せず』、『是の人は声聞乗を以って度すべし』、『是の人は辟支仏乗を以って度すべし』と。譬えば良医の、病を診て、差(い)ゆることの久近、可治、不可治の者なるを知るが如し。 |
『衆生の心』に、 ――八地――
『順じて!』、
『入る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『八地中に住まり!』、
一切の、
『衆生心』の、
『趣向する!』所に、
『順じて!』、
『観察しながら!』、
『思惟( 思索)を動発して!』、
『深く念じながら!』、
『順じて!』、
『観察し!』、
『智慧を用いて!』、
『分別して!』、こう知る、――
是の、
『衆生』は、
『永く!』、
『得度の因縁』が、
『無い!』とか、
是の、
『衆生』は、
『無量阿僧祇劫を過ぎれば!』、
その後、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『一劫、二劫、乃至十劫すれば!』、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『一世、二世、乃至今世』に、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『即時に!』、
『度することのできる者である!』とか、
是の、
『衆生』は、
『善根』が、
『熟している!』とか、
是の、
『衆生』は、
『善根』が、
『未熟である!』とか、
是の、
『人』は、
『声聞乗を用いて!』、
『度さねばならぬ!』とか、
是の、
『人』は、
『辟支仏乗を用いて!』、
『度さねばならぬ!』、と。
譬えば、
『良医』が、
『病を診て!』、
『治癒は久しい!』とか、
『治癒は近い!』とか、
『治せる!』とか、
『治せない!』とかを、
『知るようなものである!』。
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順観(じゅんかん):逆らわずにあるがままを観る!
動発(どうほつ):起こしてうごかす。発動。
深念(じんねん):深く心にかける。 |
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩順入眾生心。菩薩以一心知一切眾生心及心數法。』 |
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遊戲諸神通者。先得諸神通。今得自在遊戲。能至無量無邊世界。菩薩住七地中時欲取涅槃。爾時有種種因緣。及十方諸佛擁護。還生心欲度眾生。好莊嚴神通隨意自在。乃至無量無邊世界中無所罣礙。見諸佛國亦不取佛國相。 |
諸の神通を遊戯すとは、先に諸の神通を得れば、今は自在に遊戯するを得て、能く無量無辺の世界に至る。菩薩は七地中に住して時に涅槃を取らんと欲し、爾の時、種種の因縁有りて、十方の諸仏の擁護したもうに及び、還って心を生じて衆生を度せんと欲す。好く神通を荘厳し、意に随うて自在なれば、乃至無量無辺の世界中に罣礙する所無く、諸の仏国を見るも、亦た仏国の相を取らず。 |
『諸の神通』を、
『遊戯する!』とは、――
先に、
今は、
『自在の遊戯を得て!』、
『無量無辺の世界』に、
『至ることができる!』。
『菩薩』は、
『七地中に住まる!』時、
『涅槃』を、
『取りたい!』と、
『思った!』が、
爾の時、
種種の、
『因縁』が、
『有って!』、
十方の、
『諸の仏』が、
『擁護するに!』、
『及んで!』、
還って、
『衆生を度そうとする!』、
『心』を、
『生じ!』、
好く、
『神通を荘厳して!』、
『随意の!』、
『自在となり!』、
乃至、
『無量、無辺の世界』中に、
『罣礙する!』所が、
『無くなり!』、
諸の、
亦た、
『仏の国だという!』、
『相』を、
『取ることもない!』。
|
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩遊戲諸神通。以是神通從一佛國至一佛國。亦不作佛國想。』 |
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觀諸佛國者。有菩薩以神通力飛到十方。觀諸清淨世界。取相欲自莊嚴其國。有菩薩佛將至十方。示清淨世界。取淨國相自作願行。如世自在王佛。將法積比丘至十方。示清淨世界。或有菩薩自住本國。用天眼見十方清淨世界。初取淨相後得不著心故還捨。 |
諸の仏国を観るとは、有る菩薩は神通力を以って十方に飛到し、諸の清浄世界を観るに、相を取りて、自ら其の国を荘厳せんと欲す。有る菩薩は、仏将いて十方に至り、清浄世界を示すに、浄国の相を取りて、自ら作願して行ぜり。世自在王仏の、法積比丘を将いて十方に至り、清浄世界を示すが如し。或いは有る菩薩は、自ら本国に住して、天眼を用って十方の清浄世界を見るに、初めは浄国の相を取るも、後に不著の心を得るが故に還って捨つ。 |
『諸の仏国』を、
『観る!』とは、――
有る、
『菩薩』は、
『神通力を用いて!』、
『十方』に、
『飛んで!』、
『到り!』、
諸の、
『清浄の世界』を、
『観たのである!』が、
『相を取って!』、
『自国』を、
『荘厳したい!』と、
『思った!』。
有る、
『菩薩』は、
『仏が将( ひき)いて!』、
『十方に至り!』、
『清浄の世界』を、
『示された!』ので、
『浄国の相を取って!』、
例えば、
『世自在王仏』は、
『法積比丘を将いて!』、
『十方に至り!』、
『清浄の世界』を、
『示されたのである!』。
或は、
有る、
『菩薩』は、
自ら、
『本国に住まり!』、
『天眼を用いて!』、
『十方』の、
『清浄の世界』を、
『見た!』が、
初は、
『浄相』を、
『取っていたものが!』、
後には、
還た、
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飛到(ひとう):飛んでいたる。
世自在王仏(せじざいおうぶつ):世自在王は梵楼夷亘羅lokeezvara-raajaの訳。法蔵比丘の本師たる過去仏の名。又世間自在王仏、世饒王仏、饒王仏とも訳す。「無量寿経巻上」に、「仏阿難に告ぐ、乃往過去久遠無量不可思議無央数劫に錠光如来世に興出し、無量の衆生を教化し度脱し、皆道を得しめて乃ち滅度を取れり。次に如来あり、名づけて光遠と曰う。(中略)次を処世と名づく。此の如きの諸仏皆悉く已に過ぐ。爾の時、次に仏あり、世自在王如来応供等正覚明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師仏世尊と名づく。時に国王あり、仏の説法を聞いて心に悦予を懐き、尋ち無上正真道意を発し、国を棄て王を捐てて行じて沙門と作り、号して法蔵と曰う。(中略)時に世饒王仏、法蔵比丘に告ぐ、汝が修行する所の荘厳仏土は汝自ら当に知るべしと。(中略)是に於いて世自在王仏は即ち為に広く二百十億の諸仏刹土の天人の善悪、国土の麁妙を説き、其の心願に応じて悉く現じて之を与う。(中略)阿難仏に白さく、彼の仏の国土の寿量幾何ぞや。仏言わく、其の仏の寿命四十二劫なり」と云える是れなり。是れ即ち世自在王仏は過去の錠光仏乃至処世仏等の五十三仏に次いで世に出興し、阿弥陀仏の因位たる法蔵比丘の師となり、為に二百十億の諸仏刹土の相を説き、又之を示現して悉く覩見せしめ、以って法蔵比丘をして其の心中の行願を選択摂取し、四十八願を発起せしめたることを説けるものなり。其の名称に関しては、了慧の「無量寿経鈔巻2」に、「世自在王とは是れ別号なり。義寂云わく旧本には楼夷亘羅と名づく。此れ梵音を存す。之を翻じて名づけて自在王と為すと。憬興云わく、一切法に於いて自在を得るが故なりと。玄一云わく、世間の利益自在なるが故に世自在と言い、亦た世饒と言う。即ち自在の義を王と為すなりと。如来応供等とは是れ通号なり」と云えり。以って諸師の解意を見るべし。但し此の中、錠光以下の過去仏の数及び其の出現の順位は経に依りて同じからず。即ち「大阿弥陀経巻上」には、楼夷亘羅仏を以って過去提惒竭羅仏(即ち錠光)より第三十四次に出世すとし、「平等覚経巻1」には第三十七次の出世とし、「梵文無量寿経」並びに「西蔵本」には第八十一次の出現とし、共に錠光仏以後順次に諸仏相次いで世に出興すとなせり。然るに「大宝積経巻17無量寿如来会」には過去仏として四十二仏、「大乗無量寿荘厳経巻上」には三十八仏を列ね、共に逆次に世自在王仏を最初、然灯仏を最後の出現となし、又「十住毘婆沙論巻5易行品」には、無量寿仏、世自在王仏以下然灯仏に至る九十二仏を列挙し、亦た逆次出現となせるものの如し。又「不空羂索神変真言経巻15出世解脱壇像品」には、此の世間自在王仏を毘盧遮那仏の右方の脇士、阿弥陀仏を左方の脇士となし、又「救拔焔口餓鬼陀羅尼経」には、釈尊が過去に婆羅門たりし時、観世音菩薩及び世間自在威徳如来の所に於いて餓鬼陀羅尼を受け施を散じたることを記せり。此の中、世間自在威徳如来は恐らく世自在王仏と同一梵名なるべし。又「仏名経巻11、12」、「大智度論巻50」、「無量寿経義疏巻上(慧遠)」、「同経義記巻上(玄一)」、「同経連義述文賛巻中」等に出づ。<(望)
法積比丘(ほうしゃくびく):阿弥陀仏因位の名。『大智度論巻10下注:法蔵比丘』参照。 |
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩觀諸佛國。自住其國見無量諸佛國。亦無佛國想。』 |
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如所見佛國自莊嚴其國者。如先說。是八地名轉輪地。如轉輪王寶輪至處無礙無障無諸怨敵。菩薩住是地中。能雨法寶滿眾生願無能障礙。亦能取所見淨國相而自莊嚴其國。 |
見る所の仏国の如く、自ら其の国を荘厳すとは、先に説くが如く、是の八地を転輪の地と名づく。転輪王の宝輪の至る処は、無礙無障にして、諸の怨敵無きが如く、菩薩は是の地中に住して、能く法宝を雨ふらし、衆生の願を満たすに、能く障礙するもの無く、亦た能く見る所の浄国の相を取りて、自ら其の国を荘厳す。 |
『所見の仏国のように!』、
自らの、
『国』を、
『荘厳する!』とは、――
先に説いたように、――
是の、
『八地』を、
『転輪地』と、
『称し!』、
『転輪王の輪宝』の、
『至る処』には、
諸の、
『障礙、怨敵』が、
『存在しないように!』、
『菩薩』が、
是の、
『地中に住まれば!』、
何のような、
『障礙』も、
『存在せずに!』、
『法宝の雨を降らして!』、
『衆生の願』を、
『満たすことができる!』。
亦た、
『所見の!』
『浄国の相』を、
『取って!』、
自らの、
『国』を、
『荘厳することができる!』。
|
|
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如所見佛國自莊嚴其國。住轉輪聖王地。遍至三千大千世界以自莊嚴。』 |
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如實觀佛身者。觀諸佛身如幻如化。非五眾十二入十八界所攝。若長若短若干種色。隨眾生先世業因緣所見。此中佛自說。見法身者。是為見佛。法身者。不可得法空。不可得法空者。諸因緣邊生。法無有自性。 |
如実に仏身を観るとは、諸仏の身は幻の如く、化の如く、五衆、十二入、十八界の摂する所に非ず、若しは長、若しは短、若しは千種の色なるも、衆生の先世の業の因縁に随いて見る所なり。此の中に仏は、自ら、『法身を見れば、是れを仏を見ると為す』と説きたまえり。法身とは、不可得の法空なり。不可得の法空とは、諸の因縁の辺に生ずる法にして、自性有ること無し。 |
『如実に!』、
『仏身』を、
『観る!』とは、――
諸の、
『仏身』を、こう観ることである、――
譬えば、
『幻のようであり!』、
『化のようである!』、
是の、
『仏身』は、
『五衆、十二入、十八界』の、
『所摂ではない!』。
『仏身』が、
『長かったり!』、
『短かったり!』、
『千種の色であったりする!』のは、
『衆生』の、
『先世の業の因縁に随う!』、
『所見なのだ!』、と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『法身を見れば!』、
是れが、
『仏』を、
『見るということである!』、と。
『法身』とは、
『認識できない法空』とは、
諸の、
『因縁の辺』に、
『生じた!』、
『法であり!』、
是の、
|
|
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如實觀佛身。如實觀法身故。是為菩薩住八地中具足四法。』 |
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知上下諸根者。如十力中說。菩薩先知一切眾生心所行。誰鈍誰利誰布施多誰智慧多。因其多者而度脫之。 |
上下の諸根を知るとは、十力中に説けるが如し。菩薩は、先に一切の衆生の心の行ずる所の、誰か鈍なる、誰か利なる、誰か布施多き、誰か智慧多きを知り、其の多き者に因りて、之を度脱す。 |
『上、下の諸根』を、
『知る!』とは、――
例えば、
『十力』中に、こう説いたように、――
『菩薩』は、
先に、
『一切の衆生』の、
『心の所行』を、
『知るからである!』が、
即ち、
誰の、
『根』が、
『鈍いのか?』、
誰の、
『根』が、
『利いのか?』、
誰の、
『布施』が、
『多いのか?』、
誰の、
『智慧』が、
『多いのか!』、
其の、
『心行』の、
『多い!』者に、
『随って!』、
此の、
『衆生』を、
『度脱するのである!』。
|
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参考:『大智度論巻24』:『知眾生上下根智力者。佛知眾生是利根鈍根中根。利智名為上。鈍智名為下。佛用是上下根智力。分別一切眾生。是利根是中根是鈍根。是人如是根。今世但能得初果。更不能得餘。是人但能得第二第三第四果。是人但能得初禪。是人但能得第二第三第四禪。乃至滅盡定亦如是。是人當作時解脫證。是人當作不時解脫證。是人能得於聲聞中第一。是人能得於辟支佛中第一。是人具足六波羅蜜。能得阿耨多羅三藐三菩提。如是知已。或為略說得度。或為廣說得度。或為略廣說得度。或以軟語教或以苦語教或以軟苦語教。佛亦分別。是人有餘根。應令增生信根。是人應令生精進念定慧根。是人用信根入正位。是人用慧根入正位。是人利根為結使所遮。如鴦群梨摩羅等。是人利根不為結使所遮。如舍利弗目連等。知根雖鈍而無遮。如周利般陀伽。有根鈍而遮者。知是人見諦所斷根鈍思惟所斷根利。思惟所斷鈍見諦所斷利。是人一切根同鈍同利。是人一切根不同鈍不同利。是人先因力大。是人今緣力大。是人欲縛而得解。是人欲解而得縛。譬如鴦群梨摩羅。欲殺母害佛而得解脫。如一比丘。得四禪增上慢故還入地獄。知是人必墮惡道。是人難出是人易出。是人疾出是人久久乃出。如是等一切眾生上下根相皆悉遍知。無能壞無能勝。是名第四力。』
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知上下諸根。菩薩住佛十力。知一切眾生上下諸根。』 |
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淨佛世界者。有二種淨。一者菩薩自淨其身。二者淨眾生心令行清淨道。以彼我因緣清淨故。隨所願得清淨世界。 |
仏世界を浄むとは、二種の浄有り。一には菩薩は、自ら其の身を浄め、二には衆生の心を浄めて、清浄の道を行ぜしめ、彼我の因縁の清浄なるを以っての故に、願う所に随って、清浄の世界を得。 |
『仏世界』を、
『浄める!』とは、――
『浄』には、
『二種有り!』、
一には、
『菩薩』が、
『自らの身』を、
『浄めること!』。
二には、
『衆生の心を浄めて!』、
『清浄の道』を、
『行わせることである!』が、
是のようにして、
『彼、我』の、
『因縁』を、
『清浄にする!』が故に、
『所願に随って!』、
『清浄の世界』が、
『得られるのである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩淨佛世界。淨眾生故。』 |
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入如幻三昧者。如幻人一處住所作幻事遍滿世界。所謂四種兵眾宮殿城郭。飲食歌舞殺活憂苦等。菩薩亦如是。住是三昧中。能於十方世界變化遍滿其中。先行布施等充滿眾生。次說法教化破壞三惡道。然後安立眾生。於三乘一切所可利益之事無不成就。是菩薩心不動。亦不取心相。 |
如幻三昧に入るとは、幻人の一処に住して、作す所の幻事遍く世界を満たすが如し。謂わゆる四種の兵衆、宮殿、城郭、飲食、歌舞、殺活、憂苦等なり。菩薩も亦た是の如く、是の三昧中に住して、能く十方の世界に於いて変化して、遍く其の中に満ち、先に布施等を行じて、衆生を充満せしめ、次に説法教化して、三悪道を破壊せしめ、然る後に衆生を三乗に於いて安立して、一切の利益すべき所の事の、成就せざる無し。是の菩薩は心動かず、亦た心相を取らず。 |
『如幻三昧』に、
『入る!』とは、――
譬えば、
『幻人』が、
『一処に住まって!』、
『作す!』所の、
『幻事』が、
遍く、
『世界』を、
『満たすようなものである!』。
謂わゆる、
『四種の兵衆( 象、馬、車、歩兵衆)』や、
『宮殿、城郭』や、
『飲食、歌舞』や、
『殺活、憂苦』等が、
『世界』を、
『満たすように!』、
『菩薩』も、
是のように、
是の、
『三昧中に住まり!』、
十方の、
『世界』を、
『変化して!』、
遍く、
『世界』中を、
『満たすのである!』が、
先に、
次に、
『説法し!』、
『衆生を教化して!』、
『三悪道』を、
『破壊し!』、
その後に、
『衆生』を、
『三乗』中に、
『安穏に!』、
『立たせる!』が故に、
一切の、
『利益すべき事』で、
『成就しない!』ものが、
『無い!』。
是の、
『菩薩』の、
『心』は、
『動かない!』が、
亦た、
『心の相(動|不動)』を、
『取ることもない!』。
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不取心相(しんそうをとらず):心の状態を意識しない。 |
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如幻三昧。住是三昧能成辦一切事。亦不生心相。』 |
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常入三昧者。菩薩得如幻等三昧。所役心能有所作。今轉身得報生三昧。如人見色不用心力。住是三昧中。度眾生安隱勝於如幻三昧。自然成事無所役用。如人求財。有役力得者有自然得者。 |
常に三昧に入るとは、菩薩は如幻等の三昧を得れば、役する所の心に、能く作す所有りて、今の身を転じて報生三昧を得。人の色を見るに、心力を用いざるが如く、是の三昧中に住すれば、衆生を度するに安隠なること、如幻三昧に勝れ、自然に事を成すも、役用する所なく、人の財を求むるに、力を役して得る者有り、自然に得る者有るが如し。 |
『常に!』、
『三昧』に、
『入る!』とは、――
『菩薩』が、
『如幻』等の、
『三昧』を、
『得た!』時には、
『使役される心』は、
『感受等の所作』を、
『有するのである!』が、
今、
『身を転じて!』、
『報生三昧』を、
『得ても!』、
譬えば、
『人』が、
『色』を、
『見るように!』、
『身を転じる!』為の、
『心力』を、
『用いることはない!』。
是の、
『報生三昧中に住まれば!』、
『衆生』を、
『度して!』、
『安穏にさせる!』ので、
是れは、
『如幻三昧』に、
『勝るのであり!』、
『自然に!』、
『事』を、
『成就させる!』が故に、
『特殊な!』、
『用(働き)』を、
『使役するのではない!』。
譬えば、
『人』が、
『財』を、
『求める!』のに、
有る者は、
有る者は、
『自然』に、
『得る!』のと、
『同じである!』。
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参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩常入三昧。菩薩得報生三昧故』 |
註:生まれながら自然に布施等をして、教えられなくても布施する。即ち清浄世界の有様である。 |
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隨眾生所應善根受身者。菩薩得二種三昧二種神通行得報得。知以何身以何語以何因緣以何事以何道以何方便。而為受身。乃至受畜生身而化度之(八地竟) |
衆生の応ずる所の善根に随うて身を受くとは、菩薩は二種の三昧、二種の神通を得、行得、報得なり。何の身を以って、何の語を以って、何の因縁を以って、何の事を以って、何の道を以って、何の方便を以ってするやを知り、為に身を受けて、乃至畜生の身を受くるまで、之を化度す。(八地竟れり) |
『衆生の応じる!』所の、
『善根に随って!』、
『身』を、
『受ける!』とは、――
『菩薩』は、
『行得、報得』の、
『二種の三昧、二種の神通とを得て!』、――
何のような、
『身』を、
『用いて!』、
何のような、
『語』を、
『用いて!』、
何のような、
『因縁』を、
『用いて!』、
何のような、
『事』を、
『用いて!』、
何のような、
『道』を、
『用いて!』、
何のような、
『方便』を、
『用いれば!』、
乃至、
『畜生の身』を、
『受けることに為るのか?』を、
『知り!』、
乃至、
『畜生』の、
『身』を、
『受けて!』、
之を、
『化度するのである!』。
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行得(ぎょうとく):修行して得る功徳。
報得(ほうとく):自然に得る果報の功徳。 |
参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩隨眾生所應善根受身。菩薩知眾生所應生善根。而為受身成就眾生故。』 |
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