巻第五十(上)
釋發趣品第二十之餘
1.【經】七地乃至十地を説く
2.【論】七地乃至八地を釈す
3.【論】九地乃至十地を釈す
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大智度論釋發趣品第二十之餘(卷五十)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


七地乃至十地を説く

【經】云何菩薩不著我。畢竟無我故。 云何が、菩薩は、我に著せざる。畢竟じて我無きが故なり。
何故、   ――七地中に著すべきでない二十法――
『菩薩』は、
『我』に、
『著さないのか?』。
畢竟じて、
『無我だからである!』。
  参考:『大般若経巻54』:『復次善現。菩薩摩訶薩住第七遠行地時。應遠離二十法。何等二十。一者應遠離我執有情執乃至知者執見者執。二者應遠離斷執。三者應遠離常執。四者應遠離相想。五者應遠離因等見執。六者應遠離名色執。七者應遠離蘊執。八者應遠離處執。九者應遠離界執。十者應遠離諦執。十一者應遠離緣起執。十二者應遠離住著三界執。十三者應遠離一切法執。十四者應遠離於一切法如理不如理執。十五者應遠離依佛見執。十六者應遠離依法見執。十七者應遠離依僧見執。十八者應遠離依戒見執。十九者應遠離怖畏空法。二十者應遠離違背空性。復應圓滿二十法。何等二十。一者應圓滿通達空。二者應圓滿證無相。三者應圓滿知無願。四者應圓滿三輪清淨。五者應圓滿悲愍有情。及於有情無所執著。六者應圓滿一切法平等見。及於此中無所執著。七者應圓滿一切有情平等見。及於此中無所執著。八者應圓滿通達真實理趣。及於此中無所執著。九者應圓滿無生忍智。十者應圓滿說一切法一相理趣。十一者應圓滿滅除分別。十二者應圓滿遠離諸想。十三者應圓滿遠離諸見。十四者應圓滿遠離煩惱。十五者應圓滿奢摩他毘缽舍那地。十六者應圓滿調伏心性。十七者應圓滿寂靜心性。十八者應圓滿無礙智性。十九者應圓滿無所愛染。二十者應圓滿隨心所欲。往諸佛土於佛眾會自現其身。善現。菩薩摩訶薩住第七遠行地時。應遠離如是二十法。及應圓滿如是二十法。』
云何菩薩不著眾生。不著壽命。不著眾數乃至知者見者。是諸法畢竟不可得故。 云何が、菩薩は、衆生に著せず、寿命に著せず、衆数の、乃至知者、見者に著せざる。是の諸法は、畢竟じて得べからざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『衆生』や、
『寿命』や、
『衆数(百姓)、乃至知者、見者』に、
『著さないのか?』。
是の、
『諸の法』は、
『畢竟じて!』、
『認められないからである!』。
  衆数(しゅすう):多くの種類。数は称呼、乃ち類似のものの集まり、知者、見者、武士、百姓の如きを云う。
  (しゅ):<動詞>[本義]数える/計る( count )。最上/第一とする( be uppermost )、列挙/枚挙する( enumerate )、責める( scold )、謂う/称説する( say )。<名詞>数目/数量( figure, number )、根本( base, nature )、秩序/方法( method )、技術( art )、気数/命運( destiny, fate )、策略/権謀/術策( tactics )、規律/必然性( law )、道理( reason )、儀式( rites )、易断( divination )、<数詞>若干/屡々( a few, several )。
云何菩薩不著斷見。無有法斷。諸法畢竟不生故。 云何が、菩薩は断見に著せざる。法の断ずること有ること無し。諸法は畢竟じて不生なるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『断見』に、
『著さないのか?』。
何故ならば、
『法』が、
『断じられる!』ことは、
『無いからであり!』、
『諸の法』は、
『畢竟じて!』、
『生じないからである!』。
云何菩薩不著常見。若法不生是不作常。 云何が、菩薩は常見に著せざる。法の不生の若(ごと)き、是れ常を作さざればなり。
何故、
『菩薩』は、
『常見』に、
『著さないのか?』。
若し、
『法が生じなけれれば!』、
『常』と、
『作らないからである!』。
云何菩薩不應取相。無諸煩惱故。 云何が、菩薩は応に相を取るべからざる。諸の煩悩の無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『相』を、
『取るべきでないのか?』。
諸の、
『煩悩』は、
『無いからである!』。
云何菩薩不應作因見。諸見不可得故。 云何が、菩薩は応に因見を作すべからざる。諸見は得べからざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『因見(因果見)』に、
『著してはならないのか?』。
諸の、
『見』は、
『認められないからである!』。
  因見(いんけん):因に著する見。
  参考:『大智度論巻50』:『問曰。餘者可知。因見云何。答曰。一切有為法展轉為因果。是法中著心取相生見。是名因見。所謂非因說因。或因果一異等。』
云何菩薩不著名色。名色處相無故。 云何が、菩薩は名色に著せざる。名色の処に相無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『名色』に、
『著さないのか?』。
『名色の処(在処)』に、
『相』が、
『無いからである!』。
  名色(みょうしき):事物とその名。
云何菩薩不著五眾。不著十八界。不著十二入。是諸法性無故。 云何が、菩薩は五衆に著せず、十八界に著せず、十二入に著せざる。是の諸法の性は無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『五衆、十八界、十二入』に、
『著さないのか?』。
是の、
『諸の法』には、
『性』が、
『無いからである!』。
云何菩薩不著三界。三界性無故。 云何が、菩薩は三界に著せざる。三界の性は無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『三界』に、
『著さないのか?』。
『三界』には、
『性』が、
『無いからである!』。
云何菩薩不應作著心。云何菩薩不應作願。云何菩薩不應作依止。是諸法性無故。 云何が、菩薩は応に著心を作すべからざる。云何が、菩薩は応に願を作すべからざる。云何が、菩薩は応に依止を作すべからざる。是の諸法の性は無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『著心』を、
『作すべきでないのか?』。
何故、
『菩薩』は、
『願』を、
『作すべきでないのか?』。
何故、
『菩薩』は、
『依止( a protector )』と、
『作るべきでないのか?』。
是の、
『諸の法』は、
『性』が、
『無いからである!』。
  依止(えし):根拠( basis )、梵語aazraya、adhiSThaana等の訳、地面/土台( a ground, support )、何物かに属されるもの/何物かに密接に繋属されるもの/何物かが依存したり、休息するもの( that to which anything is annexed or with which anything is closely connected or on which anything depends or rests )、受領者/何等かの性質か物を保持する人、或は物( a recipient, the person or thing in which any quality or article is inherent or retained or received )、座席/休息所/住居( seat, resting-place, dwelling )、避難所( asylum, place of refuge, shelter )、依存/依頼すること( depending on, having recourse to )、援助/庇護( help, assistance, protection )の義。
云何菩薩不著依佛見。作依見不見佛故。 云何が菩薩は、仏見に依るに著さざる。見に依るを作すも、仏を見ざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『仏見』に、
『依ることに!』、
『著さないのか?』。
『見に依っても!』、
『仏』を、
『見ないからである!』。
云何菩薩不著依法見。法不可見故。 云何が菩薩は、法見に依るに著さざる。法は不可見なるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『法見』に、
『依ることに!』、
『著さないのか?』。
『法』は、
『発見されないからである!』。
云何菩薩不著依僧見。僧相無為不可依故。 云何が菩薩は、僧見に依るに著さざる。僧相は無為なれば依るべからざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『僧見』に、
『依ることに!』、
『著さないのか?』。
『僧相』は、
『無為であり!』、
『依られないからである!』。
云何菩薩不著依戒見。罪無罪不著故。是為菩薩住七地中二十法所不應。著 云何が菩薩は、戒見に依るに著せざる。罪と無罪とに著せざるが故なり。是れを菩薩の住する七地中の二十法にして、応に著すべからざる所と為す。
何故、
『菩薩』は、
『戒見』に、
『依ることに!』、
『著さないのか?』。
『罪、無罪』に、
『著さないからである!』。
是れが、
『菩薩』の、
『七地中に住して!』、
『著すべきでない!』、
『二十法である!』。
云何菩薩應具足空。具足諸法。自相空故。 云何が、菩薩は応に空を具足すべき。具足せる諸法の自相は空なるが故なり。
何故、  ――七地中に具足する二十法――
『菩薩』は、
『空』を、
『具足せねばならないのか?』
『具足した(完全に理解された)!』、
『諸法の自相』は、
『空だからである!』。
云何菩薩無相證。不念諸相故。 云何が、菩薩は無相を証する。諸相を念ぜざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『無相』を、
『証する(悟る)のか?』。
諸の、
『相』を、
『念じない(心に留めない)からである!』。
云何菩薩知無作。於三界中不作故。 云何が、菩薩は無作を知る。三界中に於いて、作さざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『無作』を、
『知るのか?』。
『三界』中に、
『(有≒exisistence)』を、
『作さないからである!』。
云何菩薩三分清淨十善道具足故。 云何が、菩薩の三分は清浄なる。十善道具足するが故なり。
何故、
『菩薩』の、
『三分(身口意)』は、
『清浄なのか?』。
『十善』の、
『道(生活)』が、
『具足するからである!』。
云何菩薩一切眾生中慈悲智具足。得大悲故。 云何が、菩薩は一切の衆生中に慈悲の智具足する。大悲を得るが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『一切の衆生』中に、
『慈悲の智』が、
『具足するのか?』。
『心』に、
『大悲』を、
『得たからである!』。
云何菩薩不念一切眾生。淨佛世界具足故。 云何が、菩薩は一切衆生を念ぜざる。仏世界を浄めて具足するが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『一切の!』、
『衆生』を、
『念じないのか?』。
『浄められた!』、
『仏の世界』が、
『具足しているからである!』。
云何菩薩一切法等觀。於諸法不損益故。 云何が、菩薩は一切の法を等観する。諸法に於いて損益せざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『一切の法』を、
『等しく!』、
『観るのか?』。
『諸の法(の実体)』は、
『損なうこともなく!』、
『益すこともないからである!』。
云何菩薩知諸法實相。諸法實相無知故。 云何が、菩薩は諸法の実相を知る。諸法の実相は知ること無きが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『諸法』の、
『実相』を、
『知るのか?』。
『諸法の実相』には、
『知ること!』が、
『無いからである!』。
  :諸法の実相は無論空であるが、又所知の無いことを空と称するからである。
云何菩薩無生忍。為諸法不生不滅不作故。 云何が、菩薩の無生忍なる。諸法は不生、不滅、不作なりと為すが故なり。
何が、
『菩薩』の、
『無生忍(無生を容認すること)か?』。
『諸法』は、
『不生、不滅、不作である!』と、
『思うからである!』。
云何菩薩無生智。知名色不生故。 云何が、菩薩の無生智なる。名色の不生なるを知るが故なり。
何が、
『菩薩』の、
『無生智か?』。
『名色』は、
『不生である!』と、
『知るからである!』。
云何菩薩說諸法一相。心不行二相故。 云何が、菩薩は諸法の一相を説く。心に二相を行ぜざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『諸法』は、
『一相である!』と、
『説くのか?』。
『心』が、
『二相である!』と、
『思わないからである!』。
云何菩薩破分別相。一切法不分別故。 云何が、菩薩は相を分別するを破する。一切法を分別せざるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『相』を、
『分別する!』ことを、
『破るのか?』。
『相だけでなく!』、
『一切の法』を、
『分別しないからである!』。
云何菩薩轉憶想。小大無量想轉故。 云何が、菩薩は憶想を転ずる。小、大を無量の想に転ずるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『憶想』を、
『転じるのか?』。
『小、大に拘わらず!』、
『無量の想』を、
『転じるからである!』。
  :他人想を親戚想に転じ、他想を自想に転じる。
云何菩薩轉見。於聲聞辟支佛地見轉故。 云何が、菩薩は見を転ずる。声聞、辟支仏の地に於いて、見を転ずるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『見』を、
『転じるのか?』。
『声聞、辟支仏地』の、
『見』を、
『転じるからである!』。
  :諸法を観て、声聞、辟支仏の如き見を取らざるを云う。
云何菩薩轉煩惱斷。諸煩惱故。 云何が、菩薩は煩悩を転ずる。諸の煩悩を断ずるが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『煩悩』を、
『転じるのか?』。
諸の、
『煩悩』が、
『断たれているからである!』。
  :菩薩に於いて煩悩は、煩悩に非ざるを云う。
云何菩薩等定慧地。所謂得一切種智故。 云何が、菩薩は、定、慧の地を等しくする。謂わゆる一切種智を得るが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『定、慧』の、
『地( ground≒level )』が、
『等しいのか?』。
謂わゆる、
『一切種智』を、
『得たからである!』。
云何菩薩調意。於三界不動故。 云何が、菩薩は意を調う。三界に於いて動ぜざるが故なり。
何故、
『菩薩』の、
『意』は、
『調えられている(乱れない)のか?』。
『三界』は、
『動かないからである!』。
云何菩薩心寂滅。制六根故。 云何が、菩薩は心寂滅する。六根を制するが故なり。
何故、
『菩薩』の、
『心』は、
『寂滅しているのか?』。
『六根』を、
『制しているからである!』。
云何菩薩無礙智。得佛眼故。 云何が、菩薩の無礙智なる。仏眼を得るが故なり。
何故、
『菩薩』の、
『智』は、
『無礙なのか?』。
『仏』の、
『眼』を、
『得たからである!』。
云何菩薩不染愛。捨六塵故。是為菩薩住七地中具足二十法 云何が、菩薩は染愛せざる。六塵を捨つるが故なり。是れを菩薩は七地中に住して二十法を具足すると為す。
何故、
『菩薩』は、
『愛』に、
『染まらないのか?』。
『六塵』を、
『捨てたからである!』。
是れが、
『菩薩』の、
『七地中に住して!』、
『具足する!』、
『二十法である!』。
云何菩薩順入眾生心。菩薩以一心知一切眾生心及心數法。 云何が、菩薩は衆生の心に順入する。菩薩は一心を以って一切の衆生の心及び心数法を知る。
何のように、  ――八地中に具足する初の五法――
『菩薩』は、
『衆生心』に、
『従順に!』、
『入るのか?』。
『菩薩』は、
『一心で!』、
『一切の!』、
『衆生の心、心数法』を、
『知るのである!』。
  参考:『大般若経巻54』:『復次善現。菩薩摩訶薩住第八不動地時。應圓滿四法。何等為四。一者應圓滿悟入一切有情心行。二者應圓滿遊戲諸神通。三者應圓滿見諸佛土。如其所見而自嚴淨種種佛土。四者應圓滿供養承事諸佛世尊。於如來身如實觀察。善現。菩薩摩訶薩住第八不動地時。應圓滿如是四法。』
云何菩薩遊戲諸神通。以是神通從一佛國至一佛國。亦不作佛國想。 云何が、菩薩は諸の神通を遊戯する。是の神通を以って一仏国より一仏国に至るも、亦た仏国の想を作さず。
何のように、
『菩薩』は、
諸の、
『神通』を、
『遊戯するのか?』、
是の、
『神通を用いて!』、
『一仏国より!』、
『一仏国に!』、
『至るのである!』が、
亦た、
『仏国である!』と、
『想うこともない!』。
云何菩薩觀諸佛國。自住其國見無量諸佛國。亦無佛國想。 云何が、菩薩は諸の仏国を観る。自ら其の国に住して、無量の諸仏の国を見るも、亦た仏国の想無し。
何のように、
『菩薩』は、
諸の、
『仏国』を、
『観るのか?』。
自ら、
其の、
『国』に、
『住まったまま!』、
諸の、
『無量』の、
『仏国』を、
『観るのである!』が、
亦た、
是れが、
『仏国だという!』、
『想』も、
『無い!』。
云何菩薩如所見佛國自莊嚴其國。住轉輪聖王地。遍至三千大千世界以自莊嚴。 云何が、菩薩は見る所の仏国の如く、自ら其の国を荘厳する。転輪聖王の地に住して、遍く三千大千世界に至り、以って自ら荘厳す。
何のように、
『菩薩』は、
自ら、
『見た!』、
『仏国のように!』、
其の、
『国』を、
『荘厳するのか?』。
『転輪聖王の地』に、
『住まりながら!』、
遍く、
『三千大千世界』に、
『至り!』、
其の、
『知見』を、
『用いて!』、
自らの、
『国』を、
『荘厳するのである!』。
云何菩薩如實觀佛身。如實觀法身故。是為菩薩住八地中具足五法。 云何が、菩薩は如実に仏身を観る。如実に法身を観るが故なり。是れを菩薩は八地中に住して五法を具足すと為す。
何故、
『菩薩』は、
『如実に!』、
『仏身』を、
『観るのか?』。
『如実に!』、
『法身』を、
『観るからである!』。
是れが、
『菩薩』の、
『八地中に住して!』、
『具足する!』、
『五法である!』。
云何菩薩知上下諸根。菩薩住佛十力。知一切眾生上下諸根。 云何が、菩薩は上下の諸根を知る。菩薩は仏の十力に住して、一切の衆生の上下の諸根を知る。
何のように、  ――八地中に次第に具足する五法――
『菩薩』は、
『上、下』の、
『諸根』を、
『知るのか?』。
『菩薩』は、
『仏』の、
『十力』中に、
『住まって!』、
『一切の衆生』の、
『上、下の諸根』を、
『知るのである!』。
云何菩薩淨佛世界。淨眾生故。 云何が、菩薩は仏世界を浄むる。衆生を浄むるが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『仏』の、
『世界』を、
『浄めるのか?』。
『衆生』を、
『浄める!』が故に、
『浄められるのである!』。
云何菩薩如幻三昧。住是三昧能成辦一切事。亦不生心相。 云何が、菩薩の如幻三昧なる。是の三昧に住して、能く一切の事を成辦するも、亦た心相を生ぜず。
何を、
『菩薩』の、
『如幻三昧』と、
『言うのか?』。
是の、
『三昧に住まれば!』、
『一切の事』を、
『成辦( achieve )することができる!』が、
亦た、
『心』に、
『相()』を、
『生じることもない!』。
云何菩薩常入三昧。菩薩得報生三昧故 云何が、菩薩は常に三昧に入る。菩薩は報生三昧を得るが故なり。
何故、
『菩薩』は、
常に、
『三昧』に、
『入っているのか?』。
『菩薩』は、
謂わゆる、
『報生三昧』を、
『得るからである!』。
云何菩薩隨眾生所應善根受身。菩薩知眾生所應生善根。而為受身成就眾生故。是為菩薩住八地中具足五法。 云何が、菩薩は衆生の応ずる所の善根に随うて身を受くる。菩薩の衆生の応ずべき所を知りて善根を生ずるは、身を受けて衆生を成就せんが為の故なり。是れを菩薩は八地中に住して五法を具足すと為す。
何のように、
『菩薩』は、
『衆生に定まった!』、
『善根に随って!』、
『身』を、
『受けるのか?』。
『菩薩』が、
『衆生に定まった!』、
『分を知って!』、
『善根』を、
『生じる!』のは、
『身を受けて!』、
『衆生』を、
『成就する為である!』。
是れが、
『菩薩』の、
『八地中に住して!』、
『具足する!』、
『五法である!』。
  所応(しょおう):随って行動すること( to act accordingly )、梵語 yojya, saMaayukta の訳、結びつく( to be joined or united )、定められる( to be fixed on or directed to )、任命される( to be appointed to or entrusted with )、促がされる( to be led towarads or urged )、雇われる( to be used or employed or set to work )、付加される( to be added to )、供給される( to be supplied or furnished with )、共有される( to be shared in )、結びつけられる( to be connected )。
云何菩薩受無邊世界所度之分。十方無量世界中眾生。如諸佛法所應度者而度脫之。 云何が、菩薩は無辺の世界の度す所の分を受くる。十方無量の世界中の衆生は、諸仏の法の如く、応に度すべき所の者は、之を度脱す。
何のように、  ――九地中に具足すべき十二法――
『菩薩』は、
『無辺の世界』の、
『度すべき分』を、
『受けるのか?』。
『十方、無量』の、
『世界中の衆生』で、
『諸仏の法で度する!』に、
『相応しいような!』者を、
『度脱するのである!』。
云何菩薩得如所願。六波羅蜜具足故。 云何が、菩薩は願う所の如きを得る。六波羅蜜具足するが故なり。
何故、
『菩薩』は、
『願った通り!』に、
『得られるのか?』。
即ち、
『六波羅蜜』が、
『具足するからである!』。
云何菩薩知諸天龍夜叉犍闥婆。諸辭辯力故。 云何が、菩薩は、諸の天龍、夜叉、犍闥婆を知る。諸の辞辯の力の故なり。
何のように、
『菩薩』は、
諸の、
『天、龍、夜叉、乾闥婆』を、
『知るのか?』、
諸の、
『辞辯(言辞・辯説)』の、
『力による!』。
云何菩薩胎生成就。菩薩世世常化生故。 云何が、菩薩は胎生を成就する。菩薩は世世常に化生するが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『胎生』が、
『成就するのか?』。
『菩薩』は、
『世世、常に!』、
『化生するからである!』。
  :化生:無因縁の生を云う。
云何菩薩家成就。常在大家生故。 云何が、菩薩は家を成就する。常に大家に在りて生ずるが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『家』が、
『成就するのか?』。
常に、
『大家』に、
『生まれるからである!』。
云何菩薩所生成就。若剎利家生若婆羅門家生故。 云何が、菩薩は生ずる所を成就する。若しは刹利の家に生じ、若しは婆羅門の家に生ずるが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『所生の家』が、
『成就するのか?』。
『刹利の家か!』、
『婆羅門の家に!』、
『生まれるからである!』。
云何菩薩姓成就。如過去菩薩所生姓。從此中生故。 云何が、菩薩は性を成就する。過去の菩薩の生ずる所の姓の如き、此の中より生ずるが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『姓』が、
『成就するのか?』、
『過去の菩薩』の、
『所生の姓』と、
『同じように!』、
此の中に、
『生まれるからである!』。
云何菩薩眷屬成就。純諸菩薩摩訶薩為眷屬故。 云何が、菩薩は眷属を成就する。純(もっぱ)ら諸の菩薩摩訶薩を眷属と為すが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『眷属』が、
『成就するのか?』。
純(もっぱ)ら、
『諸の菩薩摩訶薩だけ!』を、
『眷属にするからである!』。
云何菩薩出生成就。生時光明遍照無量無邊世界。亦不取相故。 云何が、菩薩は出生を成就する。生時の光明は遍く無量無辺の世界を照らして、亦た相を取らざるが故なり。
何のように、
『菩薩』は、
『出生』が、
『成就するのか?』。
『生時に!』、
『光明』が、
『無量、無辺の世界』を、
『遍く、照らす!』のは、
亦た、
『生時/光明/無量/無辺/世界の相』を、
『取らないからである!』。
云何菩薩出家成就。出家時無量百千億諸天侍從出家。是一切眾生必至三乘 云何が、菩薩は出家を成就する。出家の時、無量百千億の諸天侍従して出家し、是の一切の衆生は必ず三乗に至ればなり。
何のように、
『菩薩』の、
『出家』は、
『成就するのか?』。
『出家の時』には、
『無量百千億の諸天』が、
『侍従して!』、
『出家する!』ので、
是の、
『一切の衆生』は、
必ず、
『三乗』に、
『至るからである!』。
云何菩薩莊嚴佛樹成就。是菩提樹以黃金為根。七寶為莖節枝葉。莖節枝葉。光明遍照十方阿僧祇三千大千世界。 云何が、菩薩は仏樹を荘厳して成就する。是の菩提樹は黄金を以って根と為し、七宝を茎節、枝葉と為し、茎節、枝葉の光明は遍く十方阿僧祇の三千大千世界を照らす。
何のように、
『菩薩』は、
『佛樹』を、
『荘厳して!』、
『成就するのか?』。
是の、
『菩提樹』は、
『根』を、
『黄金で!』、
『作り!』、
『茎、節、枝、葉』を、
『七宝で!』、
『作って!』、
『茎、節、枝、葉の光明』が、
『十方阿僧祇の三千大千世界』を、
『遍く、照らすからである!』。
云何菩薩一切諸善功德成滿具足。菩薩得眾生清淨佛國亦淨。是為菩薩。住九地中具足十二法。 云何が、菩薩は一切の諸の善功徳を成満し具足する。菩薩は衆生の清浄なるを得て、仏国も亦た浄し。是れを菩薩は九地中に住して十二法を具足すと為す。
何のように、
『菩薩』は、
一切の、
『諸の善功徳』が、
『成満して!』、
『具足するのか?』。
『菩薩』が、
『衆生』の、
『清浄』を、
『成就すれば!』、
亦た、
『仏国』も、
『浄まるからである!』。
是れが、
『菩薩』の、
『九地中に住して!』、
『具足する!』、
『十二法である!』。
云何菩薩住十地中當知如佛。若菩薩摩訶薩具足六波羅蜜四念處乃至十八不共法一切種智。具足滿斷一切煩惱及習。是為菩薩摩訶薩住十地中當知如佛。 云何が、菩薩は十地中に住する。当に仏の如きなるを知るべし。若し菩薩摩訶薩は六波羅蜜を具足して、四念処、乃至十八不共法、一切種智を具足して、一切の煩悩、及び習を断ずるを具足して満つれば、是れを菩薩摩訶薩は十地中に住し、当に仏の如くなるを知るべしと為す。
何のように、
『菩薩』は、
『十地』中に、
『住まるのか?』。
当然、こう知らねばならぬ、――
『十地』中の、
『菩薩』は、
『仏のようである!』、と。
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『六波羅蜜』や、
『四念処、乃至十八不共法』や、
『一切種智』を、
『具足し!』、
『一切の煩悩と習』の、
『断滅』を、
『具足して!』、
『満たせば!』、
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『十地』中に、
『住まっているのであり!』、
当然、こう知らねばならない、――
『仏』と、
『同じである!』、と。
須菩提。菩薩摩訶薩住是十地中。以方便力故行六波羅蜜。行四念處乃至十八不共法。過乾慧地性地八忍地見地薄地離欲地已作地辟支佛地菩薩地。過是九地住於佛地。是為菩薩十地。 須菩提、菩薩摩訶薩は、是の十地中に住して、方便の力を以っての故に六波羅蜜を行じ、四念処、乃至十八不共法を行じ、乾慧地、性地、八忍地、見地、薄地、離欲地、已作地、辟支仏地、菩薩地を過ぎ、是の九地を過ぎて、仏地に住す。是れを菩薩の十地と為す。
須菩提!
『菩薩摩訶薩』は、
是の、
『十地中に住まり!』、
『方便』の、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『六波羅蜜』や、
『四念処、乃至十八不共法』を、
『行うのである!』が、
『乾慧地、性地、八忍地、見地、薄地、離欲地、已作地』や、
『辟支仏地』も、
『菩薩地』も、
『過ぎて!』、
是の、
『九地を過ぎて!』、
『仏地』に、
『住まれば!』、
是れが、
『菩薩』の、
『十地である!』。
如是須菩提。是名菩薩摩訶薩大乘發趣 是の如し、須菩提、是れを菩薩摩訶薩は、大乗に発趣すと名づく。
是の通りである!
須菩提!
是れを、
『菩薩摩訶薩』が、
『大乗に発趣する!』と、
『称する!』。



七地乃至八地を釈す

【論】者言。我等二十法不可得故不著。不可得因緣如先種種說。我見乃至知者見者佛見僧見。是入眾生空故。是見不應著。餘斷常乃至戒見。是法空故不應著。 論者の言わく、『我等の二十法は得べからざるが故に著せず。得べからざるの因縁は、先に種種に説けるが如く、我見、乃至知者、見者、仏見、僧見は、是れ衆生空に入るが故に、是の見は、応に著すべからず。余の断、常、乃至戒見は、是れ法空なるが故に、応に著すべからず。
論者は言う、――
『我、衆生、寿命』等の、
『二十法』は、
『不可得である(認められない)!』が故に、
『著さない!』。
『不可得である!』、
『因縁』は、――
先に、
種種に、
『説いたように!』、
『我見、乃至知者、見者、仏見、僧見』は、
『衆生という!』、
『空』に、
『入る!』が故に、
是の、
『見』に、
『著してはならず!』、
『余の断、常、乃至戒見』は、
『法という!』、
『空である!』が故に、
『著すべきでないからである!』。
問曰。餘者可知。因見云何。 問うて曰く、余は知るべし。因見は云何。
問い、
余の、
『法』は、
『知ることができます!』が、
何を、
『因見』と、
『言うのですか?』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不應作因見。諸見不可得故。』
答曰。一切有為法展轉為因果。是法中著心取相生見。是名因見。所謂非因說因。或因果一異等。 答えて曰く、一切の有為法は展転して因、果を為す。是の法中に著心は相を取りて、見を生ず。是れを因見と名づく。謂わゆる因に非ざるを因と説けり。或いは因、果の一、異等なり。
答え、
一切の、
『有為法』は、
『展転として!』、
『因となり!』、
『果となる!』が、
是の、
『法』中に、
『著心』が、
『相を取って!』、
『見を生じる!』ので、
是れを、
『因見』と、
『呼ぶのである!』。
謂わゆる、
『因でない!』者を、
『因である!』と、
『説いたり!』、
或は、こう説くことである、――
『因、果』が、
『一である!』とか、
『異である!』等と。
具足空者。若菩薩能盡行十八空。是名具足空。 空を具足すとは、若し菩薩、能く尽く十八空を行ぜば、是れを空を具足すと名づく。
『空を具足する!』とは、――
若し、
『菩薩』が、
尽く、
『十八空』を、
『行うことができれば!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称するのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩應具足空。具足諸法。自相空故。』
復次能行二種空。眾生空法空。是名具足空。 復た次ぎに、能く二種の空の衆生空、法空を行ぜば、是れを空を具足すと名づく。
復た次ぎに、
『二種の空』の、
『衆生空、法空』を、
『行うことができれば!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称する!』。
復次若菩薩能行畢竟空於中不著。是名具足空。 復た次ぎに、若し菩薩、能く畢竟空を行じて、中に於いて著せざれば、是れを空を具足すと名づく。
復た次ぎに、
若し、
『菩薩』が、
『畢竟空を行って!』、
是の、
『畢竟空』中に、
『著さなければ!』、
是れを、
『空を具足する!』と、
『称する!』。
問曰。若爾者佛此中何以但說自相空。 問うて曰く、若し爾らば、仏は此の中に、何を以ってか、但だ自相空のみを説きたまえる。
問い、
若し、
爾うならば、――
『仏』は、
此の中に、
何故、
但だ、
『自相空のみ!』を、
『説かれたのですか?』。
答曰。此三種空皆是自相空。以住六地菩薩福德故利根。利根故分別諸法取相。以是故。七地中以相空為具足空。佛或時說有為空無為空名具足空。或時說不可得空名具足空。 答えて曰く、此の三種の空は、皆是れ自相空なればなり。六地に住する菩薩は福徳を以っての故に、利根なり。利根なるが故に諸法を分別して相を取る。是を以っての故に、七地中には、相の空なるを以って、空を具足すと為す。仏は、或いは時に、有為空、無為空を説きて、空を具足すと名づけ、或いは時に、不可説空を説いて、空を具足すと名づけたまえり。
答え、
此の、
『三種の空(衆生空、法空、畢竟空)』は、
皆、
『自相空である!』。
『六地に住する!』、
『菩薩』は、
『福徳』の故に、
『利根であり!』、
『利根』の故に、
『諸法を分別して!』、
『相』を、
『取る!』ので、
是の故に、
『七地』中には、
『相』が、
『空である!』と、
『思うこと!』、
是れが、
『空』を、
『具足することなのである!』。
『仏』は、
或は時に、こう説かれた、――
『有為空』と、
『無為空』とを、
『具足した空』と、
『呼ぶ!』と、
或は時に、こう説かれた、――
『不可得空』を、
『具足した空』と、
『呼ぶ!』、と。
無相證者。無相即是涅槃。可證不可修。不可修故不得言知。無量無邊不可分別。故不得言具足。 無相を証すとは、無相とは、即ち是れ涅槃なれば、証すべくして修すべからず。修すべからざるが故に『知る』と言うを得ず。無量無辺は分別すべからざるが故に『具足す』と言うを得ず。
『無相であるという!』、
『証(悟り!)』とは、――
『無相』とは、
『涅槃であり!』、
『証する(悟る)ことはできる!』が、
『修めることはできない!』。
『修められない!』が故に、
『知る!』とは、
『言えないのであり!』、
『無相』は、
『無量、無辺であって!』、
『分別することができない!』が故に、
『具足する!』と、
『言うこともできない!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無相證。不念諸相故。』
知無作者。三事雖通是知。二事更義立其名。無作但有知名。 無作を知るとは、三事は通じて是れ知なりと雖も、二事は義を更(あらた)めて其の名を立て、無作は但だ知の名有るのみ。。
『無作である!』と、
『知る!』とは、――
『空、無相、無作』の、
『三事』は、
通じて、
『知ることである!』が、
『二事(空、無相)』は、
『義(意味)』を、
更に、
『確認して!』、
其の、
『名』を、
『立てたのである!』が、
『無作のみ!』は、
但だ、
『名』が、
『知られているだけである!』。
  (きょう):<動詞>[本義]改変する/改める( change )。代える/代替する/置き換える( replace )、続く/連続する( continue )、返済する/補償する( repay, compensate for )、報いる( repay, requite )。<副詞>[動作/行為の重複を表す]再び/復た/又( again )、[程度に深みを加える]更に( further, further more, more )、[所説の範囲外にも在ることを表す]他に/外に/別に( besides, also )、[意想外に出ることを表す]それどころか/予想外に( on the contrary, unexpectedly )。<接続詞>と/与/和( and )。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知無作。於三界中不作故。』
三分清淨者。所謂十善道身三口四意三。是名三分。上以說三解脫門故。此中不復說。三分清淨者。或有人身業清淨口業不清淨。口業清淨身業不清淨。或身口業清淨意業不清淨。或有世間三業清淨。而未能離著。是菩薩三業清淨及離著故。是名三分清淨。 三分清浄とは、謂わゆる十善道の身三、口四、意三にして、是れを三分と名づく。上に三解脱門を説くを以っての故に、此の中には復た説かざるなり。三分清浄とは、或いは有る人は身業清浄なるも口業は清浄ならず、口業清浄なるも身業は清浄ならず、或いは身、口清浄なるも意業清浄ならず、或いは世間の三業清浄なるも、未だ著を離るる能わざる有り。是の菩薩は三業清浄にして、及び著を離るるが故に、是れを三分清浄と名づく。
『三分』が、
『清浄である!』とは、――
謂わゆる、
『十善道であり!』、
『身の三(不殺、不盗、不邪婬)』と、
『口の四(不妄語、不両舌、不綺語、不悪口)』と、
『意の三(不貪、不瞋、不邪見)』、
是れを、
『三分』と、
『称する!』。
上に、
『三解脱門を説いた!』が故に、
此の中には、
もう、
『説かない!』。
『三分』が、
『清浄である!』とは、――
或は、
有る人は、
『身業が清浄である!』が、
『口業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『口業は清浄である!』が、
『身業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『身、口業は清浄である!』が、
『意業』が、
『清浄でなく!』、
或は、
有る人は、
『世間』の、
『三業』は、
『清浄である!』が、
未だ、
『著』を、
『離れられないのである!』が、
是の、
『菩薩』は、
『三業が清浄でありながら!』、
『著』を、
『離れる!』が故に、
是れを、
『三分が清浄である!』と、
『称するのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩三分清淨十善道具足故。』
一切眾生中具足慈悲智者。悲有三種。眾生緣法緣無緣。此中說無緣大悲名具足。所謂法性空乃至實相亦空。是名無緣大悲。菩薩深入實相。然後悲念眾生。譬如人有一子。得好寶物則深心愛念欲以與之。 一切の衆生中に慈悲の智を具足すとは、悲に三種有り、衆生縁、法縁、無縁なり。此の中には無縁の大悲を説いて、具足と名づく。謂わゆる法の性は空にして、乃至実相も亦た空なれば、是れを無縁の大悲と名づく。菩薩は深く実相に入りて、然る後に衆生を悲念す。譬えば人に一子有り、好き宝物を得れば、則ち深心に愛念するを以って、之に与えんと欲するが如し。
一切の、
『衆生』中に、
『慈悲の智』を、
『具足する!』とは、――
『悲』には、
『三種有り!』、
一には、
『衆生』を、
『縁じる!』、
『悲であり!』、
二には、
『法』を、
『縁じる!』、
『悲であり!』、
三には、
『無縁』の、
『悲である!』が、
此の中には、
『無縁』の、
『大悲を説いて!』、
『具足する!』と、
『称するのである!』。
謂わゆる、
『法』の、
『性』が、
『空であり!』、
乃至、
『実相』も、
『空であるならば!』、
是れを、
『無縁の大悲』と、
『称する!』。
『菩薩』は、
深く、
『実相』に、
『入って!』、
その後に、
『衆生』を、
『悲念するのである!』。
譬えば、
『一子が有り!』、
『好い!』、
『宝物』を、
『得た!』ので、
則ち、
『深心』に、
『子』を、
『愛念して!』、
是の、
『宝物』を、
『与えようとするようなものである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩一切眾生中慈悲智具足。得大悲故。』
不念一切眾生者。所謂淨世界具足故。 一切の衆生を念ぜずとは、謂わゆる世界を浄むること具足するが故なり。
一切の、
『衆生』を、
『念じない!』とは、――
謂わゆる、
『世界』を、
『浄めて!』、
『具足するからである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不念一切眾生。淨佛世界具足故。』
問曰。若不念眾生者。云何能淨佛世界。 問うて曰く、若し衆生を念ぜざれば、云何が能く、仏世界を浄むる。
問い、
若し、
『衆生を念じなければ!』、
何故、
『仏世界』を、
『浄められるのですか?』。
答曰。菩薩令眾生住十善道。為莊嚴佛國。雖莊嚴未得無礙莊嚴。今菩薩教化眾生不取眾生相。諸善根福德清淨。諸善根福德清淨故。是無礙莊嚴。 答えて曰く、菩薩は衆生をして十善道に住せしむるを、仏国を荘厳すと為す。荘厳すと雖も、未だ無礙の荘厳を得ず。今、菩薩、衆生を教化して、衆生の相を取らしめざれば、諸の善根の福徳は清浄なり。諸の善根の福徳の清浄なるが故に、是れ無礙の荘厳なり。
答え、
『菩薩』が、
『衆生』を、
『十善道』に、
『住まらせる!』ことが、
『仏』の、
『国』を、
『荘厳することである!』が、
『荘厳しても!』、
未だ、
『無礙』の、
『荘厳』を、
『得たわけではない!』。
今、
『菩薩』は、
『衆生を教化して!』、
『衆生相』を、
『取らせない!』が故に、
『衆生』の、
『諸の善根、福徳』が、
『清浄になり!』、
『諸の善根、福徳が清浄である!』が故に、
是れを、
『無礙の荘厳』と、
『称するのである!』。
  善根福徳(ぜんこんのふくとく):十善を行じて、福徳の報を得る。十善を行じても、衆生を差別すれば、必ずしも福徳の報を得るわけではないことを云う。差別想無き十善を以って、世界を浄めるの意。
  無礙荘厳(むげのしょうごん):衆生を教化して仏世界を浄むるも、十善中にに差別想を生ずれば、即ち久しく清浄なる能わず。今、差別想無き十善を得ば、永く清浄たることを得て、無礙清浄の仏国たらんの意。
一切法等觀者。如法等忍中說。此中佛自說。於諸法不增損。 一切法を等観すとは、法の等忍中に説けるが如し。此の中に仏は、自ら、『諸法に於いて増損せず』と説きたまえり。
一切の、
『法』を、
『等しく!』、
『観る!』とは、――
例えば、
『法等忍』中に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『諸法』に於いては、
『増益することもなく!』、
『損減することもない!』、と。
  参考:『大智度論巻5』:『云何名法等忍。善法不善法有漏無漏有為無為等法。如是諸法入不二入法門。入實法相門。如是入竟。是中深入諸法實相時。心忍直入無諍無礙。是名法等忍。』
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩一切法等觀。於諸法不損益故。』
知諸法實相者。如先種種因緣廣說。 諸法の実相を知るとは、先に種種の因縁もて、広く説けるが如し。
『諸法』の、
『実相』を、
『知る!』とは、――
先に、
種種の、
『因縁』を、
『広く説いた通りである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知諸法實相。諸法實相無知故。』
無生法忍者。於無生滅諸法實相中。信受通達無礙不退。是名無生忍。 無生法忍とは、生滅無き諸法の実相中に於いて、信受すること通達無礙にして退かざる、是れを無生忍と名づく。
『無生法忍』とは、――
『無生滅という!』、
『諸法の実相』中に、
『信受、通達して!』、
『無礙、不退である!』こと、
是れを、
『無生忍』と、
『称する!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無生忍。為諸法不生不滅不作故。』
無生智者。初名忍後名智。麤者忍細者智。佛自說。知名色不生故。 無生智とは、初を忍と名づけ、後を智と名づく。麁なる者は忍、細なる者は智なり。仏は自ら、『名色の生ぜざるを知るが故に』と説きたまえり。
『無生智』とは、
初には、
『忍と呼ばれ!』、
後に、
『智』と、
『呼ばれるのである!』が、
復た、
『無生を麁覚すれば!』、
『忍』と、
『称し!』、
『無生を細観すれば!』、
『智』と、
『称する!』。
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『名色』は、
『不生である!』と、
『知る!』が故に、
是れを、
『無生智』と、
『称する!』、と。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無生智。知名色不生故。』
說諸法一相者。菩薩知內外十二入。皆是魔網虛誑不實。於此中生六種識。亦是魔網虛誑。何者是實唯不二法。無眼無色乃至無意無法等是名實。令眾生離十二入故。常以種種因緣說是不二法。 諸法は一相なりと説くとは、菩薩は『内外の十二入は皆是れ魔網、虚誑にして実にあらず』と知るも、此の中に於いて生ずる六種の識も亦た是れ魔網、虚誑なり。何者か、是れ実なる。唯不二の法の、眼無く色無く、乃至意無く法無き等のみ、是れを実と名づく、衆生をして、十二入を離れしむるが故に、常に種種の因縁を以って、是の不二の法を説く。
『諸法』は、
『一相である!』と、
『説く!』とは、――
『菩薩』は、こう知る、――
『内、外の十二入』は、
皆、
『魔網であり!』、
『虚誑であり!』、
『不実である!』が、
此の中には、
『六種』の、
『識』を、
『生じる!』ので、
是れも、
『魔網であり!』、
『虚誑である!』。
何者が、
『実だろうか?』、――
但だ、
『眼、色、乃至意、法』等は、
『無いという!』、
『不二の法』、
是れだけが、
『実』と、
『呼ばれるのである!』、と。
『菩薩』は、
是のように、
『知り!』、
即ち、
『衆生』を、
『十二入より!』、
『離れさせる!』が故に、
常に、
種種の、
『因縁』を、
『用いて!』、
是の、
『不二の法』を、
『説くのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩說諸法一相。心不行二相故。』
破分別相者。菩薩住是不二法中。破所緣男女長短大小等。分別諸法。 相を分別するを破すとは、菩薩は、是の不二の法中に住して、縁ずる所の男女、長短、大小等を破りて、諸法を分別す。
『相』を、
『分別する!』ことを、
『破る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『不二の法中に住まって!』、
『縁じる!』所の、
『男女、長短、大小』等を、
『破って!』、
諸の、
『法』を、
『分別することである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩破分別相。一切法不分別故。』
轉憶想者。破內心憶想分別諸法等。 憶想を転ずとは、内心の憶想を破し、諸法の等を分別す。
『憶想』を、
『転じる!』とは、――
『内心』の、
『憶想』を、
『破って!』、
『諸の法』は、
『等しい!』と、
『分別することである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉憶想。小大無量想轉故。』
轉見者。是菩薩先轉我見邊見等邪見。然後入道。今轉法見涅槃見。以諸法無定相。 見を転ずとは、是の菩薩は先に我見、辺見等の邪見を転じて、然る後に道に入るも、今は、法見、涅槃見を転ずるを以って、諸法に定相無し。
『見』を、
『転じる!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
先に、
『我見、辺見』等の、
『邪見』を、
『転じて!』、
その後、
『道』に、
『入ったのである!』が、
今、
『法見』や、
『涅槃見』までも、
『転じた!』が故に、
『諸の法』には、
『定相』が、
『無くなったのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉見。於聲聞辟支佛地見轉故。』
轉涅槃者。轉聲聞辟支佛見直趣佛道。 涅槃を転ずとは、声聞、辟支仏の見を転じて、直ちに仏道に趣く。
『涅槃』を、
『転じる!』とは、――
『声聞、辟支仏という!』、
『見』を、
『転じて!』、
直ちに、
『仏道』に、
『趣くことである!』。
 
轉煩惱者。菩薩以福德持戒力故。折伏麤煩惱安隱行道。唯有愛見慢等微細者在。今亦離細煩惱。 煩悩を転ずとは、菩薩は福徳の持戒の力を以って、麁の煩悩を折伏すれば、安隠にして道を行ずるも、唯だ愛、見、慢等の微細なる者有りて在れば、今亦た細なる煩悩を離る。
『煩悩』を、
『転じる!』とは、――
『菩薩』は、
『福徳、持戒の力』の故に、
『麁』の、
『煩悩』を、
『折伏して!』、
『安穏』の、
『道』を、
『行くのである!』が、
唯だ、
『愛、見、慢』等の、
『微細な煩悩』が、
『残っている!』ので、
今、
亦た、
『微細な煩悩をも!』、
『離れるのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩轉煩惱斷。諸煩惱故。』
復次菩薩用實智慧觀是煩惱即是實相。譬如神通人能轉不淨為淨 復た次ぎに、菩薩は実の智慧を用いて観れば、是の煩悩は、即ち是れ実相なり。譬えば、神通の人の能く不浄を転じて、浄と為すが如し。
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『実の智慧』を、
『用いて!』、
『観れば!』、
是の、
『煩悩』は、
『実相である!』。
譬えば、
『神通の人』が、
『不浄を転じて!』、
『浄』と、
『為すようなものである!』。
等定慧地者。菩薩於初三地慧多定少。未能攝心故。後三地定多慧少。以是故不得入菩薩位。今眾生空法空定慧等故。能安隱行菩薩道。從阿鞞跋致地。漸漸得一切種智。慧地 定、慧の地を等しうすとは、菩薩は初の三地に於いては、慧多くして定少く、未だ心を摂する能わざるが故に、後の三地には、定多くして慧少く、是を以っての故に菩薩位に入るを得ず。今衆生空、法空の定、慧等しきが故に、能く安隠に菩薩道を行じ、阿鞞跋致地より、漸漸に一切種智慧の地を得。
『定、慧の地』を、
『等しくする!』とは、――
『菩薩』は、
『初の三地』に於いて、
『慧が多く!』、
『定』が、
『少ない!』が故に、
未だ、
『心』を、
『摂(おさ)められない!』し、
『後の三地』に於いては、
『定が多く!』、
『慧』が、
『少ない!』ので、
是の故に、
『菩薩の位』に、
『入ることができない!』が、
今(七地)、
『衆生空、法空』の、
『定、慧』は、
『等しい!』が故に、
『安穏に!』
『菩薩』の、
『道』を、
『行うことができ!』、
『阿鞞跋致の地』より、
次第に、
『一切種智慧の地』を、
『得るのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩等定慧地。所謂得一切種智故。』
調意者。是菩薩先憶念老病死三惡道。慈愍眾生故調伏心意。今知諸法實相故不著三界。不著三界故調伏。 意を調うとは、是の菩薩は、先に老病死の三悪道を憶念して、衆生を慈愍するが故に、心意を調伏するも、今は、諸法の実相を知るが故に、三界に著せず、三界に著せざるが故に、調伏す。
『意』を、
『調える!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
先に、
『老、病、死』の、
『三悪道』を、
『憶念して!』、
『衆生を慈愍する!』が故に、
『心意』を、
『調伏するのである!』が、
今、
『諸の法』の、
『実相を知る!』が故に、
『三界』に、
『著することなく!』、
『三界に著さない!』が故に、
『調伏する!』と、
『言うのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩調意。於三界不動故。』
心寂滅者。菩薩為涅槃故。先於五欲中折伏五情。意情難折伏故。今住七地意情寂滅。 心寂滅すとは、菩薩は、涅槃の為の故に、先に五欲中に於いて、五情を折伏するは、意情の折伏し難きが故なるも、今、七地に住して、意情寂滅す。
『心』が、
『寂滅する!』とは、――
『菩薩』は、
『涅槃』の為に、
先に、
『五欲』中に、
『五情』を、
『折伏する!』のは、
『意情』は、
『折伏することが!』、
『難しいからである!』が、
今は、
『七地に住まる!』が故に、
『意情』が、
『寂滅するのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩心寂滅。制六根故。』
無礙智者。菩薩得般若波羅蜜。於一切實不實法中無礙。得是道慧將一切眾生令入實法。得無礙解脫得佛眼。於一切法中無礙。 無礙智とは、菩薩は般若波羅蜜を得れば、一切の実、不実の法中に於いて、無礙なり。是の道慧を得て、一切の衆生を将いて、実法に入らしめ、無礙解脱を得て、仏眼を得て、一切の法中に於いて、無礙ならしむ。
『無礙の智』とは、――
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を得て!』、
一切の、
『実、不実』の、
『法』中に、
『無礙となり!』、
是の、
『道慧』を、
『得た!』が故に、
一切の、
『衆生』を、
『実法に入らせて!』、
『無礙解脱、仏眼』を、
『得させ!』、
『一切の法』中に、
『礙』を、
『無くさせるのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩無礙智。得佛眼故。』
問曰。是七地中何以說得佛眼。 問うて曰く、是の七地中に、何を以ってか、仏眼を得るを説く。
問い、
是の、
『七地』中に、
何故、
『仏眼』を、
『得られる!』と、
『説くのですか?』。
答曰。是中應學佛眼。於諸法無礙似如佛眼。 答えて曰く、是の中には応に仏眼を学ぶべし。諸法に於いて無礙なれば、仏眼の如きに似たればなり。
答え、
是の中では、
当然、
『仏眼』を、
『学ぶべきである!』。
諸の、
『法中に無礙である!』のは、
『仏眼』に、
『似ているからである!』。
不染愛者。是菩薩雖於七地得智慧力。猶有先世因緣有此肉身。入禪定不著。出禪定時有著氣隨此肉眼所見。見好人親愛。或愛是七地智慧實法。是故佛說。於六塵中行捨心不取好惡相。(七地竟) 染愛せずとは、是の菩薩は、七地に於いて智慧の力を得と雖も、猶お先世の因縁有りて、此の肉身有れば、禅定に入れば著せざるも、禅定を出づる時には、著気有りて、此の肉眼の見る所に随い、好人を見れば親愛し、或いは是の七地の智慧、実法を愛す。是の故に仏の説きたまわく、『六塵中に於いて捨心を行じ、好悪の相を取らざれ』と。(七地竟れり)
『愛』に、
『染まらない!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
『七地』に於いて、
『智慧の力』を、
『得た!』が、
猶お、
『先世』の、
『因縁』が、
『有って!』、
此の、
『肉身』を、
『有するので!』、
『禅定に入れば!』、
此の、
『肉身』に、
『著することはない!』が、
『禅定を出れば!』、
『著』の、
『気配』が、
『有るので!』、
此の、
『肉眼』の、
『所見』に、
『随うことになり!』、
『好人』を、
『見れば!』、
『親愛するのであり!』、
或は、
是の、
『七地』の、
『智慧』や、
『実法』を、
『愛する!』ので、
是の故に、
『仏』は、こう説かれたのである、――
『六塵』中に、
『捨心を行って!』、
『好、悪の相』を、
『取るな!』、と。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩不染愛。捨六塵故。』
順入眾生心者。菩薩住是八地中。順觀一切眾生心之所趣。動發思惟深念順觀。以智慧分別。知是眾生永無得度因緣。是眾生過無量阿僧祇劫然後可度。是眾生或一劫二劫乃至十劫可度。是眾生或一世二世乃至今世可度。是眾生或即時可度者。是熟是未熟。是人可以聲聞乘度。是人可以辟支佛乘度。譬如良醫診病知差久近可治不可治者。 衆生心に順入すとは、菩薩は是の八地中に住して、一切の衆生の心の趣く所を順観するに、思惟を動発して、深念し順観し、智慧を以って分別して知るらく、『是の衆生は、永く度を得る因縁無し』、『是の衆生は、無量阿僧祇劫を過ぎて、然る後に度すべし』、『是の衆生は、或いは一劫、二劫乃至十劫に度すべし』、『是の衆生は或いは一世、二世乃至今世に度すべし』、『是の衆生は或いは即時に度すべき者なり』、『是れは熟せり』、『是れは未だ熟せず』、『是の人は声聞乗を以って度すべし』、『是の人は辟支仏乗を以って度すべし』と。譬えば良医の、病を診て、差(い)ゆることの久近、可治、不可治の者なるを知るが如し。
『衆生の心』に、  ――八地――
『順じて!』、
『入る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『八地中に住まり!』、
一切の、
『衆生心』の、
『趣向する!』所に、
『順じて!』、
『観察しながら!』、
『思惟(思索)を動発して!』、
『深く念じながら!』、
『順じて!』、
『観察し!』、
『智慧を用いて!』、
『分別して!』、こう知る、――
是の、
『衆生』は、
『永く!』、
『得度の因縁』が、
『無い!』とか、
是の、
『衆生』は、
『無量阿僧祇劫を過ぎれば!』、
その後、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『一劫、二劫、乃至十劫すれば!』、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『一世、二世、乃至今世』に、
『度すことができる!』とか、
是の、
『衆生』は、
或は、
『即時に!』、
『度することのできる者である!』とか、
是の、
『衆生』は、
『善根』が、
『熟している!』とか、
是の、
『衆生』は、
『善根』が、
『未熟である!』とか、
是の、
『人』は、
『声聞乗を用いて!』、
『度さねばならぬ!』とか、
是の、
『人』は、
『辟支仏乗を用いて!』、
『度さねばならぬ!』、と。
譬えば、
『良医』が、
『病を診て!』、
『治癒は久しい!』とか、
『治癒は近い!』とか、
『治せる!』とか、
『治せない!』とかを、
『知るようなものである!』。
  順観(じゅんかん):逆らわずにあるがままを観る!
  動発(どうほつ):起こしてうごかす。発動。
  深念(じんねん):深く心にかける。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩順入眾生心。菩薩以一心知一切眾生心及心數法。』
遊戲諸神通者。先得諸神通。今得自在遊戲。能至無量無邊世界。菩薩住七地中時欲取涅槃。爾時有種種因緣。及十方諸佛擁護。還生心欲度眾生。好莊嚴神通隨意自在。乃至無量無邊世界中無所罣礙。見諸佛國亦不取佛國相。 諸の神通を遊戯すとは、先に諸の神通を得れば、今は自在に遊戯するを得て、能く無量無辺の世界に至る。菩薩は七地中に住して時に涅槃を取らんと欲し、爾の時、種種の因縁有りて、十方の諸仏の擁護したもうに及び、還って心を生じて衆生を度せんと欲す。好く神通を荘厳し、意に随うて自在なれば、乃至無量無辺の世界中に罣礙する所無く、諸の仏国を見るも、亦た仏国の相を取らず。
『諸の神通』を、
『遊戯する!』とは、――
先に、
諸の、
『神通』を、
『得ている!』が、
今は、
『自在の遊戯を得て!』、
『無量無辺の世界』に、
『至ることができる!』。
『菩薩』は、
『七地中に住まる!』時、
『涅槃』を、
『取りたい!』と、
『思った!』が、
爾の時、
種種の、
『因縁』が、
『有って!』、
十方の、
『諸の仏』が、
『擁護するに!』、
『及んで!』、
還って、
『衆生を度そうとする!』、
『心』を、
『生じ!』、
好く、
『神通を荘厳して!』、
『随意の!』、
『自在となり!』、
乃至、
『無量、無辺の世界』中に、
『罣礙する!』所が、
『無くなり!』、
諸の、
『仏』の、
『国』を、
『見たのである!』が、
亦た、
『仏の国だという!』、
『相』を、
『取ることもない!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩遊戲諸神通。以是神通從一佛國至一佛國。亦不作佛國想。』
觀諸佛國者。有菩薩以神通力飛到十方。觀諸清淨世界。取相欲自莊嚴其國。有菩薩佛將至十方。示清淨世界。取淨國相自作願行。如世自在王佛。將法積比丘至十方。示清淨世界。或有菩薩自住本國。用天眼見十方清淨世界。初取淨相後得不著心故還捨。 諸の仏国を観るとは、有る菩薩は神通力を以って十方に飛到し、諸の清浄世界を観るに、相を取りて、自ら其の国を荘厳せんと欲す。有る菩薩は、仏将いて十方に至り、清浄世界を示すに、浄国の相を取りて、自ら作願して行ぜり。世自在王仏の、法積比丘を将いて十方に至り、清浄世界を示すが如し。或いは有る菩薩は、自ら本国に住して、天眼を用って十方の清浄世界を見るに、初めは浄国の相を取るも、後に不著の心を得るが故に還って捨つ。
『諸の仏国』を、
『観る!』とは、――
有る、
『菩薩』は、
『神通力を用いて!』、
『十方』に、
『飛んで!』、
『到り!』、
諸の、
『清浄の世界』を、
『観たのである!』が、
『相を取って!』、
『自国』を、
『荘厳したい!』と、
『思った!』。
有る、
『菩薩』は、
『仏が将(ひき)いて!』、
『十方に至り!』、
『清浄の世界』を、
『示された!』ので、
『浄国の相を取って!』、
自ら、
『願って!』、
『行った!』。
例えば、
『世自在王仏』は、
『法積比丘を将いて!』、
『十方に至り!』、
『清浄の世界』を、
『示されたのである!』。
或は、
有る、
『菩薩』は、
自ら、
『本国に住まり!』、
『天眼を用いて!』、
『十方』の、
『清浄の世界』を、
『見た!』が、
初は、
『浄相』を、
『取っていたものが!』、
後には、
『著さない!』、
『心』を、
『得た!』が故に、
還た、
此の、
『浄相をも!』、
『捨てたのである!』。
  飛到(ひとう):飛んでいたる。
  世自在王仏(せじざいおうぶつ):世自在王は梵楼夷亘羅lokeezvara-raajaの訳。法蔵比丘の本師たる過去仏の名。又世間自在王仏、世饒王仏、饒王仏とも訳す。「無量寿経巻上」に、「仏阿難に告ぐ、乃往過去久遠無量不可思議無央数劫に錠光如来世に興出し、無量の衆生を教化し度脱し、皆道を得しめて乃ち滅度を取れり。次に如来あり、名づけて光遠と曰う。(中略)次を処世と名づく。此の如きの諸仏皆悉く已に過ぐ。爾の時、次に仏あり、世自在王如来応供等正覚明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師仏世尊と名づく。時に国王あり、仏の説法を聞いて心に悦予を懐き、尋ち無上正真道意を発し、国を棄て王を捐てて行じて沙門と作り、号して法蔵と曰う。(中略)時に世饒王仏、法蔵比丘に告ぐ、汝が修行する所の荘厳仏土は汝自ら当に知るべしと。(中略)是に於いて世自在王仏は即ち為に広く二百十億の諸仏刹土の天人の善悪、国土の麁妙を説き、其の心願に応じて悉く現じて之を与う。(中略)阿難仏に白さく、彼の仏の国土の寿量幾何ぞや。仏言わく、其の仏の寿命四十二劫なり」と云える是れなり。是れ即ち世自在王仏は過去の錠光仏乃至処世仏等の五十三仏に次いで世に出興し、阿弥陀仏の因位たる法蔵比丘の師となり、為に二百十億の諸仏刹土の相を説き、又之を示現して悉く覩見せしめ、以って法蔵比丘をして其の心中の行願を選択摂取し、四十八願を発起せしめたることを説けるものなり。其の名称に関しては、了慧の「無量寿経鈔巻2」に、「世自在王とは是れ別号なり。義寂云わく旧本には楼夷亘羅と名づく。此れ梵音を存す。之を翻じて名づけて自在王と為すと。憬興云わく、一切法に於いて自在を得るが故なりと。玄一云わく、世間の利益自在なるが故に世自在と言い、亦た世饒と言う。即ち自在の義を王と為すなりと。如来応供等とは是れ通号なり」と云えり。以って諸師の解意を見るべし。但し此の中、錠光以下の過去仏の数及び其の出現の順位は経に依りて同じからず。即ち「大阿弥陀経巻上」には、楼夷亘羅仏を以って過去提惒竭羅仏(即ち錠光)より第三十四次に出世すとし、「平等覚経巻1」には第三十七次の出世とし、「梵文無量寿経」並びに「西蔵本」には第八十一次の出現とし、共に錠光仏以後順次に諸仏相次いで世に出興すとなせり。然るに「大宝積経巻17無量寿如来会」には過去仏として四十二仏、「大乗無量寿荘厳経巻上」には三十八仏を列ね、共に逆次に世自在王仏を最初、然灯仏を最後の出現となし、又「十住毘婆沙論巻5易行品」には、無量寿仏、世自在王仏以下然灯仏に至る九十二仏を列挙し、亦た逆次出現となせるものの如し。又「不空羂索神変真言経巻15出世解脱壇像品」には、此の世間自在王仏を毘盧遮那仏の右方の脇士、阿弥陀仏を左方の脇士となし、又「救拔焔口餓鬼陀羅尼経」には、釈尊が過去に婆羅門たりし時、観世音菩薩及び世間自在威徳如来の所に於いて餓鬼陀羅尼を受け施を散じたることを記せり。此の中、世間自在威徳如来は恐らく世自在王仏と同一梵名なるべし。又「仏名経巻11、12」、「大智度論巻50」、「無量寿経義疏巻上(慧遠)」、「同経義記巻上(玄一)」、「同経連義述文賛巻中」等に出づ。<(望)
  法積比丘(ほうしゃくびく):阿弥陀仏因位の名。『大智度論巻10下注:法蔵比丘』参照。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩觀諸佛國。自住其國見無量諸佛國。亦無佛國想。』
如所見佛國自莊嚴其國者。如先說。是八地名轉輪地。如轉輪王寶輪至處無礙無障無諸怨敵。菩薩住是地中。能雨法寶滿眾生願無能障礙。亦能取所見淨國相而自莊嚴其國。 見る所の仏国の如く、自ら其の国を荘厳すとは、先に説くが如く、是の八地を転輪の地と名づく。転輪王の宝輪の至る処は、無礙無障にして、諸の怨敵無きが如く、菩薩は是の地中に住して、能く法宝を雨ふらし、衆生の願を満たすに、能く障礙するもの無く、亦た能く見る所の浄国の相を取りて、自ら其の国を荘厳す。
『所見の仏国のように!』、
自らの、
『国』を、
『荘厳する!』とは、――
先に説いたように、――
是の、
『八地』を、
『転輪地』と、
『称し!』、
『転輪王の輪宝』の、
『至る処』には、
諸の、
『障礙、怨敵』が、
『存在しないように!』、
『菩薩』が、
是の、
『地中に住まれば!』、
何のような、
『障礙』も、
『存在せずに!』、
『法宝の雨を降らして!』、
『衆生の願』を、
『満たすことができる!』。
亦た、
『所見の!』
『浄国の相』を、
『取って!』、
自らの、
『国』を、
『荘厳することができる!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如所見佛國自莊嚴其國。住轉輪聖王地。遍至三千大千世界以自莊嚴。』
如實觀佛身者。觀諸佛身如幻如化。非五眾十二入十八界所攝。若長若短若干種色。隨眾生先世業因緣所見。此中佛自說。見法身者。是為見佛。法身者。不可得法空。不可得法空者。諸因緣邊生。法無有自性。 如実に仏身を観るとは、諸仏の身は幻の如く、化の如く、五衆、十二入、十八界の摂する所に非ず、若しは長、若しは短、若しは千種の色なるも、衆生の先世の業の因縁に随いて見る所なり。此の中に仏は、自ら、『法身を見れば、是れを仏を見ると為す』と説きたまえり。法身とは、不可得の法空なり。不可得の法空とは、諸の因縁の辺に生ずる法にして、自性有ること無し。
『如実に!』、
『仏身』を、
『観る!』とは、――
諸の、
『仏身』を、こう観ることである、――
譬えば、
『幻のようであり!』、
『化のようである!』、
是の、
『仏身』は、
『五衆、十二入、十八界』の、
『所摂ではない!』。
『仏身』が、
『長かったり!』、
『短かったり!』、
『千種の色であったりする!』のは、
『衆生』の、
『先世の業の因縁に随う!』、
『所見なのだ!』、と。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『法身を見れば!』、
是れが、
『仏』を、
『見るということである!』、と。
『法身』とは、
『認識できない!』、
『法空である!』。
『認識できない法空』とは、
諸の、
『因縁の辺』に、
『生じた!』、
『法であり!』、
是の、
『法』には、
『自性』が、
『存在しない!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如實觀佛身。如實觀法身故。是為菩薩住八地中具足四法。』
知上下諸根者。如十力中說。菩薩先知一切眾生心所行。誰鈍誰利誰布施多誰智慧多。因其多者而度脫之。 上下の諸根を知るとは、十力中に説けるが如し。菩薩は、先に一切の衆生の心の行ずる所の、誰か鈍なる、誰か利なる、誰か布施多き、誰か智慧多きを知り、其の多き者に因りて、之を度脱す。
『上、下の諸根』を、
『知る!』とは、――
例えば、
『十力』中に、こう説いたように、――
『菩薩』は、
先に、
『一切の衆生』の、
『心の所行』を、
『知るからである!』が、
即ち、
誰の、
『根』が、
『鈍いのか?』、
誰の、
『根』が、
『利いのか?』、
誰の、
『布施』が、
『多いのか?』、
誰の、
『智慧』が、
『多いのか!』、
其の、
『心行』の、
『多い!』者に、
『随って!』、
此の、
『衆生』を、
『度脱するのである!』。
  参考:『大智度論巻24』:『知眾生上下根智力者。佛知眾生是利根鈍根中根。利智名為上。鈍智名為下。佛用是上下根智力。分別一切眾生。是利根是中根是鈍根。是人如是根。今世但能得初果。更不能得餘。是人但能得第二第三第四果。是人但能得初禪。是人但能得第二第三第四禪。乃至滅盡定亦如是。是人當作時解脫證。是人當作不時解脫證。是人能得於聲聞中第一。是人能得於辟支佛中第一。是人具足六波羅蜜。能得阿耨多羅三藐三菩提。如是知已。或為略說得度。或為廣說得度。或為略廣說得度。或以軟語教或以苦語教或以軟苦語教。佛亦分別。是人有餘根。應令增生信根。是人應令生精進念定慧根。是人用信根入正位。是人用慧根入正位。是人利根為結使所遮。如鴦群梨摩羅等。是人利根不為結使所遮。如舍利弗目連等。知根雖鈍而無遮。如周利般陀伽。有根鈍而遮者。知是人見諦所斷根鈍思惟所斷根利。思惟所斷鈍見諦所斷利。是人一切根同鈍同利。是人一切根不同鈍不同利。是人先因力大。是人今緣力大。是人欲縛而得解。是人欲解而得縛。譬如鴦群梨摩羅。欲殺母害佛而得解脫。如一比丘。得四禪增上慢故還入地獄。知是人必墮惡道。是人難出是人易出。是人疾出是人久久乃出。如是等一切眾生上下根相皆悉遍知。無能壞無能勝。是名第四力。』
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知上下諸根。菩薩住佛十力。知一切眾生上下諸根。』
淨佛世界者。有二種淨。一者菩薩自淨其身。二者淨眾生心令行清淨道。以彼我因緣清淨故。隨所願得清淨世界。 仏世界を浄むとは、二種の浄有り。一には菩薩は、自ら其の身を浄め、二には衆生の心を浄めて、清浄の道を行ぜしめ、彼我の因縁の清浄なるを以っての故に、願う所に随って、清浄の世界を得。
『仏世界』を、
『浄める!』とは、――
『浄』には、
『二種有り!』、
一には、
『菩薩』が、
『自らの身』を、
『浄めること!』。
二には、
『衆生の心を浄めて!』、
『清浄の道』を、
『行わせることである!』が、
是のようにして、
『彼、我』の、
『因縁』を、
『清浄にする!』が故に、
『所願に随って!』、
『清浄の世界』が、
『得られるのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩淨佛世界。淨眾生故。』
入如幻三昧者。如幻人一處住所作幻事遍滿世界。所謂四種兵眾宮殿城郭。飲食歌舞殺活憂苦等。菩薩亦如是。住是三昧中。能於十方世界變化遍滿其中。先行布施等充滿眾生。次說法教化破壞三惡道。然後安立眾生。於三乘一切所可利益之事無不成就。是菩薩心不動。亦不取心相。 如幻三昧に入るとは、幻人の一処に住して、作す所の幻事遍く世界を満たすが如し。謂わゆる四種の兵衆、宮殿、城郭、飲食、歌舞、殺活、憂苦等なり。菩薩も亦た是の如く、是の三昧中に住して、能く十方の世界に於いて変化して、遍く其の中に満ち、先に布施等を行じて、衆生を充満せしめ、次に説法教化して、三悪道を破壊せしめ、然る後に衆生を三乗に於いて安立して、一切の利益すべき所の事の、成就せざる無し。是の菩薩は心動かず、亦た心相を取らず。
『如幻三昧』に、
『入る!』とは、――
譬えば、
『幻人』が、
『一処に住まって!』、
『作す!』所の、
『幻事』が、
遍く、
『世界』を、
『満たすようなものである!』。
謂わゆる、
『四種の兵衆(象、馬、車、歩兵衆)』や、
『宮殿、城郭』や、
『飲食、歌舞』や、
『殺活、憂苦』等が、
『世界』を、
『満たすように!』、
『菩薩』も、
是のように、
是の、
『三昧中に住まり!』、
十方の、
『世界』を、
『変化して!』、
遍く、
『世界』中を、
『満たすのである!』が、
先に、
『布施等を行って!』、
『衆生に!』、
『財』を、
『充満させ!』、
次に、
『説法し!』、
『衆生を教化して!』、
『三悪道』を、
『破壊し!』、
その後に、
『衆生』を、
『三乗』中に、
『安穏に!』、
『立たせる!』が故に、
一切の、
『利益すべき事』で、
『成就しない!』ものが、
『無い!』。
是の、
『菩薩』の、
『心』は、
『動かない!』が、
亦た、
『心の相(動|不動)』を、
『取ることもない!』。
  不取心相(しんそうをとらず):心の状態を意識しない。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩如幻三昧。住是三昧能成辦一切事。亦不生心相。』
常入三昧者。菩薩得如幻等三昧。所役心能有所作。今轉身得報生三昧。如人見色不用心力。住是三昧中。度眾生安隱勝於如幻三昧。自然成事無所役用。如人求財。有役力得者有自然得者。 常に三昧に入るとは、菩薩は如幻等の三昧を得れば、役する所の心に、能く作す所有りて、今の身を転じて報生三昧を得。人の色を見るに、心力を用いざるが如く、是の三昧中に住すれば、衆生を度するに安隠なること、如幻三昧に勝れ、自然に事を成すも、役用する所なく、人の財を求むるに、力を役して得る者有り、自然に得る者有るが如し。
『常に!』、
『三昧』に、
『入る!』とは、――
『菩薩』が、
『如幻』等の、
『三昧』を、
『得た!』時には、
『使役される心』は、
『感受等の所作』を、
『有するのである!』が、
今、
『身を転じて!』、
『報生三昧』を、
『得ても!』、
譬えば、
『人』が、
『色』を、
『見るように!』、
『身を転じる!』為の、
『心力』を、
『用いることはない!』。
是の、
『報生三昧中に住まれば!』、
『衆生』を、
『度して!』、
『安穏にさせる!』ので、
是れは、
『如幻三昧』に、
『勝るのであり!』、
『自然に!』、
『事』を、
『成就させる!』が故に、
『特殊な!』、
『用(働き)』を、
『使役するのではない!』。
譬えば、
『人』が、
『財』を、
『求める!』のに、
有る者は、
『力』を、
『使役して!』、
『得る!』し、
有る者は、
『自然』に、
『得る!』のと、
『同じである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩常入三昧。菩薩得報生三昧故』
  :生まれながら自然に布施等をして、教えられなくても布施する。即ち清浄世界の有様である。
隨眾生所應善根受身者。菩薩得二種三昧二種神通行得報得。知以何身以何語以何因緣以何事以何道以何方便。而為受身。乃至受畜生身而化度之(八地竟) 衆生の応ずる所の善根に随うて身を受くとは、菩薩は二種の三昧、二種の神通を得、行得、報得なり。何の身を以って、何の語を以って、何の因縁を以って、何の事を以って、何の道を以って、何の方便を以ってするやを知り、為に身を受けて、乃至畜生の身を受くるまで、之を化度す。(八地竟れり)
『衆生の応じる!』所の、
『善根に随って!』、
『身』を、
『受ける!』とは、――
『菩薩』は、
『行得、報得』の、
『二種の三昧、二種の神通とを得て!』、――
何のような、
『身』を、
『用いて!』、
何のような、
『語』を、
『用いて!』、
何のような、
『因縁』を、
『用いて!』、
何のような、
『事』を、
『用いて!』、
何のような、
『道』を、
『用いて!』、
何のような、
『方便』を、
『用いれば!』、
乃至、
『畜生の身』を、
『受けることに為るのか?』を、
『知り!』、
乃至、
『畜生』の、
『身』を、
『受けて!』、
之を、
『化度するのである!』。
  行得(ぎょうとく):修行して得る功徳。
  報得(ほうとく):自然に得る果報の功徳。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩隨眾生所應善根受身。菩薩知眾生所應生善根。而為受身成就眾生故。』



九地乃至十地を釈す

受無邊世界所度之分者。無量阿僧祇十方世界六道中眾生。是菩薩教化所應度者而度之。是世界有三種有淨不淨有雜。是三種世界中眾生。所可應度有利益者。皆攝取之。譬如然燈為有目之人不為盲者。菩薩亦如是。或先有因緣者。或始作因緣者。 無辺の世界の度す所の分を受くとは、無量阿僧祇十方の世界の六道中の衆生を、是の菩薩は教化して、応に度すべき所の者は、之を度すなり。是の世界に、三種有り、有るは浄、不浄、有るは雑なり。是の三種の世界中の衆生の、度に応ずべき所に利益有らば、皆、之を摂取す。譬えば然灯は目有る人の為にして、盲者の為にあらざるが如く、菩薩も亦た是の如し。或いは先に因縁有る者なり。或いは始めて因縁を作す者なり。
『無辺の世界』の、   ――九地――
『度す所の分』を、
『受ける!』とは、――
『無量、阿僧祇』の、
『十方の世界』の、
『六道』中の、
『衆生である!』が、
是の、
『菩薩』は、
此の中の、
『度すことのできる!』者を、
『教化して!』、
『度すからである!』。
是の、
『世界』には、
『三種有り!』、
有るいは、
『浄』、
有るいは、
『不浄』、
有るいは、
『浄不浄を雑えた!』、
『世界である!』が、
是の、
『三種の世界』中の、
『衆生』を、
『度すに相応しい!』、
『利益』を、
『有していれば!』、
皆、
之を、
『摂取するのであり!』、
譬えば、
『然灯』は、
『眼を有する!』、
『人の為に!』、
『利益する!』が、
『眼の無い!』、
『人の為には!』、
『利益しないようなものである!』。
『菩薩』も、
亦た、
是のように、
先に、
『因縁』が、
『有るか?』、
有るいは、
『因縁』を、
『作り!』、
『始めた!』者の為に、
之を、
『教化して!』、
『度すのである!』。
  (ぞう):浄、不浄のまじりたるもの。
  摂取(しょうしゅ):つかみとる。収めとる。
  然灯(ねんとう):もえるともしび。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩受無邊世界所度之分。十方無量世界中眾生。如諸佛法所應度者而度脫之。』
復次三千大千世界名一世界。一時起一時滅。如是等十方如恒河沙等世界是一佛世界。如是一佛世界數。如恒河沙等世界是一佛世界海。如是佛世界海數。如十方恒河沙世界是佛世界種。如是世界種十方無量。是名一佛世界。於一切世界中取如是分。是名一佛所度之分。 復た次ぎに、三千大千世界を一世界と名づけ、一時に起り、一時に滅す。是の如き等の十方の恒河沙に等しきが如き世界は、是れ一仏世界なり。是の如き一仏世界の数の恒河沙に等しきが如き世界は、是れ一仏世界海なり。是の如き仏世界海の数の十方の恒河沙の如き世界は、是れ仏世界の種なり。是の如き世界の種の十方に無量なる、是れを一仏世界と名づけ、一切の世界中に於いて是の如き分を取る、是れを一仏の度する所の分と名づく。
復た次ぎに、
『三千大千世界』を、
『一世界』と、
『称して!』、
是れは、
『一時に起り!』、
『一時に滅するのである!』が、
是れ等のような、
『十方』の、
『恒河沙に等しい!』ほどの、
『世界』、
是れを、
『一仏世界』と、
『称するのである!』が、
是のような、
『一仏世界を数えて!』、
『恒河沙にも等しい!』ほどの、
『世界』、
是れを、
『一仏世界海』と、
『称し!』、
是のような、
『一仏世界海を数えて!』、
『十方の恒河沙ほど!』の、
『世界』、
是れを、
『仏世界種』と、
『称し!』、
是のような、
『世界種』の、
『十方、無量』の、
『世界種』、
是れを、
『一仏世界』と、
『称する』。
『一切の世界』中の、
是のような、
『分』を、
『取るならば!』、
是れを、
『一仏の度する分』と、
『称する!』。
得如所願者。是菩薩福德智慧具足故。無願不得。聽者聞無量無邊世界所度之分。疑不可得。以是故次說所願如意。此中佛自說六波羅蜜具足。五度則福德具足。般若則智慧具足。 願う所の如きを得とは、是の菩薩は福徳と智慧具足するが故に、願うて得られざる無し。聴者、無量無辺の世界の度する所の分と聞きて、『得べからず』と疑う。是を以っての故に、次に『願う所は意の如し』と説く。此の中に、仏の自ら『六波羅蜜を具足すればなり』と説きたまえるは、五度は則ち福徳具足し、般若は則ち智慧具足すればなり。
『所願のように!』、
『得る!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
『福徳』と、
『智慧』とが、
『具足する!』が故に、
『願って!』、
『得られない!』所が、
『無い!』が、
『聴者』は、
『度すべき分』が、
『無量、無辺の世界である!』と、
『聞いても!』、
『度せるはずがない!』と、
『疑う!』ので、
是の故に、
次に、
『所願』が、
『意のままだ!』と、
『説いたのである!』。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『六波羅蜜』が、
『具足するからである!』、と。
謂わゆる、
『五波羅蜜』で、
『福徳』が、
『具足し!』、
『般若波羅蜜』で、
『智慧』が、
『具足するのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩得如所願。六波羅蜜具足故。』
知諸天龍夜叉犍闥婆語者。我上說福德智慧具足所願如意。知他人種種語。即是所願事。 諸の天、龍、夜叉、犍闥婆の語を知るとは、我れは上に、『福徳と智慧具足すれば、願う所は意の如し』と説けり。他人の種種の語を知るは、即ち是れ願う所の事なり。
『諸の天、龍、夜叉、犍闥婆』の、
『語』を、
『知る!』とは、――
わたしは、
上に、こう説いた、――
『福徳』と、
『智慧』が、
『具足して!』、
『所願』が、
『意のままである!』、と。
謂わゆる、――
『他人』の、
種種の、
『語』を、
『知る!』ことが、
即ち、
『願う!』所の、
『事である!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩知諸天龍夜叉犍闥婆。諸辭辯力故。』
復次菩薩得宿命智清淨故。知處處生一切語。 復た次ぎに、菩薩は、宿命智の清浄なるを得るが故に、処処の生の一切の語を知る。
復た次ぎに、
『菩薩の得た!』、
『宿命』の、
『智』が、
『清浄である!』が故に、
『処処の生』の、
『一切の語』を、
『知るのである!』。
復次得願智故。知立名者心強作種種名字語言。 復た次ぎに、願智を得るが故に、名を立つる者の心を知り、強いて種種の名字、語言を作す。
復た次ぎに、
『願智を得た!』が故に、
『名字を成立させた!』者の、
『心』を、
『知って!』、
強いて、
『種種の名字、語言』を、
『作すのである!』。
  願智(がんち):願の如く妙智を得ること。『大智度論巻17下注:願智』参照。
  :菩薩は語言の不実を知るが故に、言葉の本義に従って、語言を作す。
復次菩薩得解眾生語言三昧故。通一切語無礙。 復た次ぎに、菩薩は解衆生語言三昧を得るが故に、一切の語言に通じて無礙なり。
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『解衆生語言三昧を得た!』が故に、
『一切の語』に、
『通達して!』、
『無礙である!』。
復次自得四無礙智。又復學佛四無礙智。以是故知眾生語言音聲。 復た次ぎに、自ら四無礙智を得、又復た仏の四無礙智を学べば、是を以っての故に、衆生の語言、音声を知る。
復た次ぎに、
自ら、
『四無礙智を得て!』、
又更に、
『仏』の、
『四無礙智』を、
『学ぶ!』ので、
是の故に、
『衆生』の、
『語言、音声』を、
『知るのである!』。
  四無礙智(しむげち):説法に関する法、義、辞、楽説の四種の無礙智。『大智度論巻17下注:四無礙解』参照。
處胎成就者。有人言。菩薩乘白象與無量兜率諸天圍遶恭敬供養。侍從入母胎。 処胎成就すとは、有る人の言わく、『菩薩は白象に乗り、無量の兜率の諸天に囲遶、恭敬、供養、侍従されて、母胎に入る』と。
『胎』に、
『処する!』ことが、
『成就する!』とは、――
有る人は、こう言っている、――
『菩薩』は、
『白象に乗り!』、
『無量の兜率』の、
『諸天』に、
『囲繞され!』、
『恭敬され!』、
『供養され!』、
『侍従されて!』、
『母』の、
『胎』中に、
『入った!』、と。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩胎生成就。菩薩世世常化生故。』
有人言。菩薩母得如幻三昧力故。令腹廣大無量。一切三千大千世界菩薩及天龍鬼神皆得入出胎中。有宮殿臺觀。先莊嚴床座。懸繒幡蓋散花燒香。皆是菩薩福德業因緣所感。然後菩薩來下處之。亦以三昧力故下入母胎。於兜率天上如故。 有る人の言わく、『菩薩の母は如幻三昧の力を得るが故に、腹をして広大無量ならしめ、一切の三千大千世界の菩薩、及び天、龍、鬼神皆胎中に入出することを得れば、宮殿、台観有り、先に床座を荘厳し、繒、幡、蓋を懸け、花を散らし、香を焼(た)く。皆、是れ菩薩の福徳の業の因縁の感ずる所なり。然る後に菩薩来下して、之に処す。亦た三昧力を以っての故に下りて、母胎に入れば、兜率天上に於いては、故(もと)の如し。』と。
有る人は、こう言っている、――
『菩薩の母』は、
『如幻三昧』の、
『力』を、
『得た!』が故に、
『腹』を、
無量に、
『広く!』、
『大きくした!』ので、
一切の、
『三千大千世界』の、
『菩薩と、天、龍、鬼神』が、
皆、
『入ることができ!』、
『出ることができ!』、
『胎』中には、
『宮殿』や、
『台観』が、
『有った!』ので、
諸の、
『菩薩と、天、龍、鬼神』は、
先に、
『繒、幡、蓋を懸け!』、
『花を散らし!』、
『香を焼いて!』、
『床座』を、
『荘厳したのである!』が、
皆、
是れは、
『菩薩』の、
『福徳業』の、
『因縁』に、
『感じさせられたのであり!』、
その後、
『菩薩』は、
『下り来たって!』、
此の、
『胎』中に、
『処した!』が、
亦た、
『三昧の力』の故に、
『母胎』に、
『下って!』、
『入っても!』、
『兜率天』上に、
『故(もと)のように!』、
『処()られたのである!』。
  所感(かんずるところ):心に感じおもうこと。菩薩の所応の母胎をさとるを云う。
生成就者。菩薩欲生時。諸天龍鬼神莊嚴三千大千世界。是時有七寶蓮花座自然而有。從母胎中有無量菩薩先出坐蓮華上。叉手讚歎俟待。菩薩及諸天龍鬼神仙聖諸玉女等。皆合手一心欲見菩薩生。然後菩薩從母右脅出。如滿月從雲中出。放大光明照無量世界。是時有大名聲遍滿十方世界。唱言某國菩薩末後身生。 生成就すとは、菩薩の生ぜんと欲する時、諸の天、龍、鬼神三千大千世界を荘厳せり。是の時、七宝の蓮花座自然に有り、母胎中より、無量の菩薩先に出でて、蓮華上に坐し、叉手し讃歎し俟待す。菩薩、及び諸の天、龍、鬼神、仙聖、諸の玉女等、皆手を合わせて、一心に菩薩の生ずるを見んと欲す。然る後、菩薩母の右脅より出づれば、満月の雲中より出づるが如く、大光明を放ちて、無量の世界を照らす。是の時、大名声有りて、十方の世界に遍満し、唱えて言わく、『某国の菩薩の末後の身生ぜり』と。
『生』が、
『成就する!』とは、――
『菩薩』が、  ――本生――
『生まれようとする!』時、
諸の、
『天、龍、鬼神』が、
『三千大千世界』を、
『荘厳したのである!』が、
是の時、
有る、
『七宝の蓮華座』が、
『自然に!』、
『出現したのであり!』、
『母胎中より!』、
有る、
『無量の菩薩』が、
先に出て、
『蓮華座上に坐る!』と、
『叉手し!』、
『讃歎しながら!』、
『菩薩が生まれる!』のを、
『待ち構えており!』、
『菩薩』と、
『諸の天、龍、鬼神、神仙、聖』と、
『諸の玉女』等が、
皆、
『手を合せて!』、
『一心に!』、
『菩薩が生まれる!』のを、
『見ようとしていた!』。
その後、
『菩薩』は、
まるで、
『満月』が、
『雲』中より、
『出るように!』、
『母』の、
『右脅より!』、
『出られ!』、
『大光明を放って!』、
『無量の世界』を、
『照らした!』。
是の時、
『大歓声が興って!』、
遍く、
『十方の世界』を、
『満たして!』、
『唱えながら!』、
こう言ったのである、――
『某国の菩薩』の、
『末後の身』が、
『生まれた!』、と。  ――本生竟る――
  叉手(さしゅ):両手の十指を交互に叉す合掌。指は伸ばす、或いは曲げる。
  俟待(じたい):まつ。待つ。
  名声(みょうしょう):ほまれ。世の評判。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩出生成就。生時光明遍照無量無邊世界。亦不取相故。』
或有菩薩化生蓮華。於四生中菩薩胎生化生。於四種人中菩薩生剎利婆羅門二姓中。生此二種姓人所貴故。 或いは有る菩薩は、蓮華に化生す。四生中に於いて、菩薩は胎生、化生し、四種の人中に於いて、菩薩は刹利、婆羅門の二姓中に生ず。此の二種姓に生ずれば、人の貴ぶ所なるが故なり。
或は、
有る、
『菩薩』は、
『蓮華』上に、
『化生するのである!』が、
『四生(胎生、卵生、湿生、化生)』中には、
『菩薩』は、
『胎生か!』、
『化生( self-prodeced )かである!』。
『四種の人』中に、
『菩薩』が、
『刹利、婆羅門の二姓』中に、
『生まれる!』のは、
此の、
『二種の姓に生まれれば!』、
『人』に、
『貴ばれるからである!』。
  化生(けしょう):梵語 upapaaduka の訳、自己産生( self-produced )。
家成就者。婆羅門家有智慧。剎利家有力勢。婆羅門利益後世。剎利利益今世。是二種於世有益。是故菩薩在此中生。 家成就すとは、婆羅門の家は智慧有り、刹利の家は力勢有り、婆羅門は後世を利益し、刹利は今世を利益す。是の二種は、世に於いて益する有り。是の故に菩薩は、此の中に在りて生ず。
『家』が、
『成就する!』とは、――
『婆羅門』の、
『家』には、
『智慧』が、
『有り!』、
『刹利』の、
『家』には、
『力勢』が、
『有る!』。
『婆羅門』の、
『家』は、
『後世』を、
『利益し!』、
『刹利』は、
『家』は、
『今世』を、
『利益する!』。
是の、
『二種の家』は、
『世間』に於いて、
『有益であり!』、
是の故に、
『菩薩』は、
此の、
『二種』中に、
『生まれるのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩家成就。常在大家生故。云何菩薩所生成就。若剎利家生若婆羅門家生故。』
復次諸功德法家。所謂不退轉生。是名家生成就。 復た次ぎに、諸の功徳法の家に、謂わゆる不退転の生ずるなり、是れを家生成就すと名づく。
復た次ぎに、
諸の、
『功徳法という!』、
『家』に、
謂わゆる、
『不退転』が、
『生じるので!』、
是れを、
『家に生まれる!』ことが、
『成就した!』と、
『称するのである!』。
姓成就者。菩薩兜率天上觀世間。何姓為貴能攝眾生。即於是姓中生。如七佛中初三佛。憍陳如姓中生。次三佛迦葉姓中生。釋迦文尼佛憍曇姓中生。 姓成就すとは、菩薩は兜率天上に世間を、『何れの姓か、貴ばれて能く衆生を摂する』と観じ、即ち是の姓中に於いて生じたまえり。七仏中の初の三仏は、憍陳如の姓中に生まれ、次の三仏は迦葉の姓中に生まれたまえるが如く、、釈迦文尼仏は、憍曇の姓中に生まれたまえり。
『姓』が、
『成就する!』とは、――
『菩薩』は、
『兜率天上より!』、
『世間』を、こう観察された、――
何の、
『姓』が、
『貴ばれていて!』、
『衆生』を、
『摂めることができるのか?』と。
そして、
是の、
『姓』中に、
『生まれられたのである!』。
例えば、こうである、――
『七仏』中に、
初の、
『三仏(毘婆尸仏、尸棄仏、毘舎浮仏)』は、
『憍陳如』の、
『姓』中に、
『生まれ!』、
次の、
『三仏(拘留孫仏、俱那含仏、迦葉仏)』は、
『迦葉』の、
『姓』中に、
『生まれ!』、
今の、
『釈迦文尼仏』は、
『憍曇』の、
『姓』中に、
『生まれられたのである!』。
  七仏(しちぶつ):過去世に出世せる七仏の意。『大智度論巻9下注:過去七仏』参照。
  憍陳如(きょうちんにょ):梵名kaauNDinya,巴梨名koNDaJJa,新には憍陳如と称す。。又拘鄰とも云う。尊者の姓なり。訳して火器,了本際と曰う。玄應音義巻二十四に、「憍陳那,舊云憍陳如,訛也。此云火器,是姓也」と云える是れなり。<(丁)
  迦葉(かしょう):梵名kaazyapa、飲光と訳す。過去七仏中第六迦葉仏の姓なり。『大智度論巻4上注:迦葉仏』参照。
  憍曇(きょうどん):梵名gautama、又gotamaに作る。巴梨名gotama、又裘曇、瞿答摩、喬答摩、驕答摩、具譚、俱譚に作る。地最勝、泥土、地種、暗牛、牛糞種、或いは滅悪と訳す。即ち釈尊の姓なり。『大智度論巻21下注:瞿曇』参照。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩性成就。如過去菩薩所生姓。從此中生故。』
  参考:『増一阿含経巻45』:『聞如是。一時。佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時。眾多比丘集普會講堂。各生此念。今如來甚奇。甚特。過去取般涅槃者。亦復知彼姓名.種族.持戒.翼從。皆悉分明。三昧。智慧.解脫.解脫見慧。身壽有長短。皆悉知之。云何。諸賢。為是如來分別法處。極為清淨。知彼諸佛姓字所出之處乎。為是諸天來至佛所而告此耶。爾時。世尊以天耳徹聞眾多比丘各興此論。便往至諸比丘所。在中央坐。爾時。世尊告諸比丘。汝等集此為何等論。欲說何法。諸比丘白佛言。我等集此。論正法之要。諸人各興此論議。如來甚奇。甚特。乃能知過去諸佛世尊名字姓號。智慧多少。靡不貫博。甚可奇雅。云何。諸賢。為是如來分別法界。極為清淨。知彼諸佛姓字所出之處乎。為是諸天來至佛所而告此耶。爾時。世尊告諸比丘。汝等欲得聞過去諸佛神智之力乎。姓字名號.壽命長短耶。諸比丘對曰。今正是時。唯願世尊敷演其義。佛告諸比丘。汝等善思念之。吾當與汝廣演其義。爾時。眾多比丘從佛受教。世尊告曰。比丘當知。過去九十一劫有佛出世。號毘婆尸如來.至真.等正覺。復次。三十一劫有佛出世。名式詰如來.至真.等正覺。復於彼三十一劫內有佛。名毘舍羅婆如來出世。於此賢劫中有佛出世。名拘屢孫如來。復於賢劫中有佛出世。名拘那含牟尼如來.至真.等正覺。復於賢劫中有佛出世。名曰迦葉。復於賢劫中。我出現世。釋迦文如來.至真.等正覺。爾時。世尊便說此偈 九十一劫中  有佛毘婆尸  三十一劫中  式詰如來出  復於彼劫中  毘舍如來現  今日賢劫中  四佛復出世  拘孫那迦葉  如日照世間  欲知名字者  其號悉如是  毘婆尸如來者出剎利種。式詰如來亦出剎利種。毘舍羅婆如來亦出剎利種。拘屢孫如來出婆羅門種。拘那含牟尼如來出婆羅門種。迦葉如來出婆羅門種。如我今出剎利種。爾時。世尊便說此偈 前佛有現者  皆出剎利種  拘孫至迦葉  出於婆羅門  最尊無能及  我今天人師  諸根而淡泊  出於剎利姓  毘婆尸如來姓瞿曇。式詰如來亦出瞿曇。比舍羅婆亦出瞿曇。迦葉如來出迦葉姓。拘樓孫.拘那含牟尼亦出迦葉姓。同上而無異。我今如來姓瞿曇。爾時。世尊便說此偈 如初諸三佛  出於瞿曇種  後三至迦葉  出於迦葉姓  如我今現在  天人所奉敬  諸根而淡泊  出於瞿曇姓  比丘當知。毘婆尸如來姓拘鄰若。式詰如來亦出拘鄰若。毘舍羅婆如來亦出拘鄰若。拘屢孫如來出婆羅墮。拘那含牟尼如來亦出婆羅墮。迦葉如來亦出婆羅墮。如我今如來.至真.等正覺出於拘鄰若。爾時。世尊便說此偈 如初諸三佛  出於拘鄰若  後三至迦葉  出於婆羅墮  如我今現在  天人所奉敬  諸根而淡泊  出於拘鄰若  毘婆尸如來坐波羅利華樹下而成佛道。式詰如來坐分陀利樹下而成佛道。毘舍羅婆如來坐波羅樹下而成佛道。拘屢孫如來坐尸利沙樹下而成佛道。拘那含牟尼如來坐優頭跋羅樹下而成佛道。迦葉如來坐尼拘留樹下而成道果。如我今日如來坐吉祥樹下而成佛道。爾時。世尊便說此偈 初一成佛道  波羅利樹下  式坐分陀利  毘舍坐波羅  拘孫坐尸利  拘那跋羅下  迦葉拘留樹  吉祥我成道  七佛天中天  照明於世間  因緣坐諸樹  各成其道果  毘婆尸如來弟子有十六萬八千之眾。式詰如來弟子之眾有十六萬。毘舍羅婆如來弟子之眾十萬。拘屢孫如來弟子之眾有八萬人。拘那含牟尼如來弟子之眾有七萬人。迦葉如來弟子之眾有六萬眾。如我今日弟子之眾。有千二百五十人。皆是阿羅漢。諸漏永盡。無復諸縛。爾時。世尊便說此偈 百千六萬八  毘婆尸弟子  百千及六萬  式詰弟子眾  百千比丘眾  毘舍婆弟子  拘孫八萬眾  拘那含七萬  迦葉六萬眾  皆是阿羅漢  我今釋迦文  千二百五十  皆是真人行  布現於法教  遺法餘弟子  其數不可計  毘婆尸如來侍者。名曰大導師。式詰如來侍者。名曰善覺。毘舍羅婆如來侍者。名曰勝眾。拘屢孫如來侍者。名曰吉祥。拘那含牟尼如來侍者。名曰毘羅先。迦葉如來侍者。名曰導師。我今侍者。名曰阿難。爾時。世尊便說此偈 大道及善覺  勝眾與吉祥  毘羅先導師  阿難第七侍  此人供養聖  無有不得時  諷誦又受持  不失其義理  毘婆尸如來壽八萬四千歲。式詰如來壽七萬歲。毘舍羅婆如來壽六萬歲。拘屢孫如來壽五萬歲。拘那含如來壽四萬歲。迦葉如來壽二萬歲。如我今日壽極減少。極壽不過百歲。爾時。世尊便說斯偈 初佛八萬四  次佛七萬歲  毘舍婆六萬  拘留壽五萬  一萬二萬年  是拘那含壽  迦葉壽二萬  唯我壽百年。如是。諸比丘。如來觀知諸佛姓名號字。皆悉分明。種類出處靡不貫練。持戒.智慧.禪定.解脫皆悉了知。爾時。阿難白世尊言。如來亦說。過去恒沙諸佛取滅度者。如來亦知。當來恒沙諸佛方當來者。如來亦知。如來何故不記爾許佛所造。今但說七佛本末。佛告阿難。皆有因緣本末故。如來說七佛之本末。過去恒沙諸佛。亦說七佛本末。將來彌勒出現世時。亦當記七佛之本末。若師子應如來出時。亦當記七佛之本末。若承柔順佛出世時。亦當記七佛之本末。若光焰佛出現世時。亦當記七佛之名號。若無垢佛出現世時。亦當記迦葉之本末。若寶光佛出現世時。亦當記釋迦文之本末。爾時。世尊便說此偈 師子柔順光  無垢及寶光  彌勒之次第  皆當成佛道  彌勒記式佛  師子記毘舍  柔順記拘孫  光焰記牟尼  無垢記迦葉  皆說曩所緣  寶光成三佛  亦當記我號  過去諸三佛  及以將來者  皆當記七佛  曩所之本末  由此因緣故。如來記七佛名號耳。爾時。阿難白世尊言。此經名何等。當云何奉行。佛告阿難。此經名曰記佛名號。當念奉行。爾時。阿難及諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
復次菩薩初深心牢固。是名諸佛姓。有人言。得無生法忍是諸佛姓。是時得佛一切種智氣分故。如聲聞法中姓地人。 復た次ぎに、菩薩の初めより深心牢固なる、是れを諸仏の姓と名づく。有る人の言わく、『無生法忍を得れば、是れ諸仏の姓なり。是の時、仏の一切種智の気分を得るが故なり。声聞法中の姓地の人の如し』と。
復た次ぎに、
『菩薩』が、
初めて、
『深心』が、
『牢固になれば!』、
是れを、
『諸仏の姓』と、
『称する!』。
有る人は、こう言っている、――
『無量法忍を得れば!』、
是れが、
『諸仏の姓である!』が、
是の時、
『仏』の、
『一切種智の気分』を、
『得る!』が故に、
『声聞法』中の、
『姓地(性地)の人』と、
『同じである!』、と。
  姓地(しょうじ):種姓地、或いは性地とも称す。十地中の第二地なり。『大智度論巻19上注:十地』参照。
眷屬成就者。皆是智人善人世世集功德。此中佛自說。純以菩薩為眷屬。如不可思議經中說。瞿毘耶是大菩薩。一切眷屬皆是住阿毘跋致地。菩薩以方便三昧變化力。為男為女共為眷屬。如轉輪聖王居士寶。是夜叉鬼神現作人身與人共事。 眷属成就すとは、皆是れ智人、善人にして、世世に功徳を集めたるなり。此の中に仏の説きたまわく、『純ら菩薩を以って眷属と為す』と。不可思議経中に説くが如し、『瞿毘耶は、是れ大菩薩なり。一切の眷属は、皆是れ阿鞞跋致地に住する菩薩にして、方便三昧の変化の力を以って、男と為り、女と為りて共に眷属と為る』、と。転輪聖王の居士宝の、是れ夜叉、鬼神なるも人身を現作し、人と共に事(つか)うるが如し。
『眷属』が、
『成就する!』とは、――
皆、
是れは、
『智人、善人であり!』、
『世世に集めた!』、
『功徳』が、
『成就したからである!』。
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
純ら、
『菩薩のみ!』、
『眷属とする!』、と。
例えば、
『不可思議経(華厳経)』中には、こう説いている、――
『劬毘耶』は、
『大菩薩である!』。
『一切の眷属』は、
皆、
『阿鞞跋致地』に、
『住まる!』、
『菩薩であり!』、
『方便三昧』の、
『変化力』を、
『用いて!』、
『男と為った!』者や、
『女と為った!』者達が、
『共に!』、
『眷属と為っている!』、と。
譬えば、
『転輪聖王の居士宝』が、
『夜叉』や、
『鬼神でありながら!』、
『人と作って!』、
『人といっしょに!』、
『奉仕するようなものである!』。
  瞿毘耶(くびや):梵名goppii又はgoppa、又瞿夷、瞿波等に作り牛女等と訳す。悉達太子の妃の名。又「華厳経」に於いて、善財童子の尋ねる四十一人目の善知識。又『80華厳経巻74』、『60華厳経巻56』、『40華厳経巻27』等に出づ。
  居士宝(こじほう):転輪聖王の七宝の一。『大智度論巻21下注:転輪聖王』参照。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩眷屬成就。純諸菩薩摩訶薩為眷屬故。』
  参考:『40華厳経巻27』:『爾時善財童子。入普現法界影像光明宮殿。周遍觀察。釋女瞿波。見在堂內一切菩薩大集會中。坐於普現一切宮殿影像摩尼寶王大蓮華藏師子之座。八萬四千采女眷屬之所圍遶是諸采女。莫不皆從釋種中生。悉於過去修菩薩行。同種菩薩一切善根。布施。愛語。利行。同事。攝諸群品。一切智境。常現在前。已集種種佛菩提行。恒住平等無盡大悲。普攝眾生。猶如一子。慈心滿足。廣大清淨。普能隨順一切眾生。曾於過去修集種種不可思議善巧方便。皆於阿耨多羅三藐三菩提。得不退轉。深入菩薩諸波羅蜜。具修菩薩一切學處。心常遠離妄想執著。厭離生死。愛樂正法。雖行諸有。心常清淨。恒勤觀察一味法界。速疾趣求薩婆若道。離諸蓋網。超眾患難。得淨法身。化現無量。調伏成熟一切世間。成就甚深功德大海。從普賢行之所出生。速疾增長勇健大力。智燈慧日圓滿普照。爾時善財童子。即前頂禮釋女瞿波。右旋圍遶。合掌而立。作如是言。聖者。我已先發阿耨多羅三藐三菩提心。而未知菩薩云何於生死中。而能不著生死過患。菩薩云何了法自性。而能不住一切聲聞辟支佛地。菩薩云何住於佛地。而能遍入諸菩薩地。菩薩云何住菩薩位。而能入佛種種境界。菩薩云何超於世間。而能成就世間之法。菩薩云何證得法身。而能示現種種色身。菩薩云何得無相法。而隨諸眾生現眾色相。菩薩云何知法無說。而為眾生廣說諸法。菩薩云何知眾生空。而恒不捨化眾生事。菩薩云何常知諸佛不生不滅。而勤供養無有退轉。菩薩云何超過一切幻化境界。而常起幻調伏眾生。菩薩云何深信諸法本性如空。而成就無邊方便智慧。菩薩云何知一切法無有執著。而常供養一切諸佛深心不退。菩薩云何深入諸行無業無報。而修善行無有休息。時彼釋女。告善財言。善哉善哉。善男子。汝今能問一切菩薩所修諸行種性體相。若有能修普賢行願。乃能發起如是之問。汝今諦聽。善思念之。我當承佛威神之力。為汝宣說。善男子。若諸菩薩。修習十法。則能圓滿因陀羅網普智光幢菩薩之行。何等為十。一者依止諸善知識。二者獲得廣大信解。三者發起清淨樂欲。四者積集廣大福智。五者於佛聽聞正法。六者親近三世諸佛。七者同修菩薩妙行。八者得佛共所護念。九者大悲本願悉皆清淨。十者能以智力永斷生死。若諸菩薩成就此法。則能圓滿因陀羅網普智光幢菩薩之行。善男子。若諸菩薩。親近承事諸善知識。則能精進勇猛。不退修習。出生廣大平等無盡佛法。佛子菩薩。復以十法。事善知識。常令歡喜。何等為十。一於身命財無所吝惜。二於世資具心不貪求。三知一切法本性平等。四一切智願恒不退捨。五常樂觀察實相法界。六於諸有海心不厭離。七知法無住猶如虛空。八發無障礙菩薩大願。九普現其身遍諸剎海。十淨修菩薩無礙智輪善男子。以此十法。承事一切真善知識。皆令歡喜。所行無逆。至一切智。』
出家成就者。如釋迦文菩薩。夜於宮殿見諸婇女皆如死狀。十方諸天鬼神齎持幡華供養之具。奉迎將出。是時車匿雖先受淨飯王敕。而隨菩薩意自牽馬至。四天王使者接捧馬足踰城而出。為破諸煩惱及魔人示一切眾人在家之穢。如此大功德貴重之人猶尚出家。況諸凡細。如是等因緣名出家成就。 出家成就すとは、釈迦文菩薩の如し、夜、宮殿に於いて諸の婇女を見るに、皆死にたるが如き状(さま)なり。十方の諸天、鬼神は幡華の供養の具を齎持して、奉迎将出す。是の時、車匿は先に浄飯王の勅を受くと雖も、菩薩の意に随うて自ら馬を牽きて至り、四天王の使者は接して馬の足を捧げ、城を踰えて出づ。諸の煩悩、及び魔人を破らんが為に、一切の衆人に在家の穢を示したまえり。此の如き大功徳の貴重の人すら、猶尚お出家す。況んや諸の凡細なるをや。是の如き等の因縁を、出家成就すと名づく。
『出家』が、
『成就する!』とは、――
例えば、
『釈迦文菩薩』は、
夜、
『宮殿』に於いて、
諸の、
『婇女』の、
『寝ている!』のを、
『見る!』と、
皆、
『死人のような!』、
『状態であった!』。
十方の、
『諸天、鬼神』は、
『幡、華』等の、
『供養の具』を、
『持ち来たって!』、
『迎え奉り!』、
『菩薩を将いて!』、
『城を出た!』。
是の時、
『車匿』が、
先に、
『浄飯王の勅を受けて!』、
『菩薩』を、
『城』中に、
『留めなくてはならない!』のに、
『菩薩の意に随って!』、
自ら、
『馬』を、
『牽いて来る!』と、
『四天王の使者』が、
『馬の足』を、
『持って!』、
『捧げ!』、
『城』を、
『踰えて!』、
『出た!』。
諸の、
『煩悩、魔人を破る!』為に、
一切の、
『衆人』に、
『在家の垢穢』を、
『示されたのである!』。
此の、
『大功徳』の、
『貴重される人』すら、
尚お、
『出家されたのである!』。
況して、
諸の、
『凡庸、微細の人』は、
『尚更であろう!』。
是れ等のような、
『因縁』を、
『出家が成就する!』と、
『称する!』。
  齎持(さいじ):持ち来たる。
  奉迎(ぶぎょう):迎えに出る。
  将出(しょうしゅつ):先に立って送り出す。
  車匿(しゃのく):太子出家時の馭者の名。『大智度論巻33上注:車匿』参照。
  浄飯王(じょうぼんおう):浄飯は梵名首図馱那zuddhodanaの訳。巴梨名suddhodana、又輸頭檀那、輸頭檀、閲頭檀、悦頭檀に作り、白浄、或いは真浄とも訳す。中印度迦毘羅kapila城主にして月種懿摩弥ikSvaaku王の苗裔に属し、即ち釈尊の父なり。「仏本行集経巻5賢劫王種品」、並びに「起世経巻10」等に依るに、王は師子頬siGhahanu王の長子にして、三弟一妹ありと云い、「五分律巻15」には王の父は尼休羅と云い、唯三弟のみありとし、「巴梨文大史mahaavaMsa,ii」には、王の父はsiihahanu、母はkaccaanaaにして、四弟二妹ありとなせり。既にして王は隣国なる拘利koliya族天臂devadaha城主善覚subhuutiの二女を娶りて妃とし、又父王の後を襲うて位に即けり。妃の名に関しては、「巴梨文大史」及び、「梵文大事mahaavastu ii」等には摩耶maayaa、並びに摩訶波闍波提pajapat(pahaaprajaapat)とし、「仏本行集経」には為意、及び摩訶波闍波提とし、「衆許摩訶帝経巻2」には摩耶及び摩賀摩耶mahaamaayaaとなせり。又二人の納妃に関し、「有部毘奈耶破僧事巻2」に、初め善悟(善覚)王は師子頬王に勧めて幻化(摩耶)及び大幻化(摩賀摩耶)の二人を納れ、以って太子の妃となさんとせしも、師子頬王は先王の要誓に随い、独り次女大幻化のみを娶りて其の妃となせり。然るに他日に至り太子は般荼婆国の叛乱を平らげて功ありしにより、師子頬王は即ち先誓を解き、更に彼の長女幻化を迎えて太子の妃となせりと云えり。其の中、摩耶は太子悉達多siddhaartha即ち釈尊を産み、七日にして薨ぜりしにより、太子は摩訶波闍波提に養育せられたり。太子長ずるに及び、王は阿私陀asita仙の説を聞き、其の出家せんことを恐れたるも、太子は阻止せられず、入山学道せられたるを以って大いに愁悩せり。太子成道の後、故国に還りて王を省し、時に王子難陀及び孫子羅睺羅等亦た出家せしにより、王は再び嗣子を失いて憂慮し、仍りて父母の許可なくして出家するを得ざるの制を設けんことを請い、仏は之を聴許せりと伝う。尋いで仏成道第五年に当り、王は病に罹り、仏及び難陀、羅睺羅等を見んことを望み、遂に薨去せらる。年寿詳ならず。「浄飯王般涅槃経」には、仏は王の臨終に際して迦毘羅城に帰り、厚く孝意を表せられたることを記せり。又「雑宝蔵経巻1王子以肉済父母縁」、「大方便仏報恩経巻1孝養品」等には王の過去本生の説を載せり。又「太子瑞応本起経巻上」、「修行本起経」、「過去現在因果経巻1」、「出曜経巻2」、「四分律巻34」、「大智度論巻3」、「釈迦譜巻2」、「玄応音義巻4」等に出づ。<(望)
  貴重(きじゅう):貴ばれ重んじられること。
  凡細(ぼんさい):貴重の対。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩出家成就。出家時無量百千億諸天侍從出家。是一切眾生必至三乘』
莊嚴佛樹成就者。莊嚴菩提樹如先說。佛此中自說。是菩提樹以黃金為根。七寶為莖節枝葉。莖節枝葉光明遍照十方無數阿僧祇諸佛世界。或有佛以菩薩七寶莊嚴佛樹。或有不如是者。所以者何。諸佛神力不可思議。為眾生故現種種莊嚴。 仏樹を荘厳すること成就すとは、菩提樹を荘厳すること先に説けるが如し。仏は此の中に自ら説きたまわく、『是の菩提樹は、黄金を以って根と為し、七宝を茎節、枝葉と為す。茎節、枝葉の光明は遍く十方の無数阿僧祇の諸仏の世界を照らす』と。或いは有る仏は、菩薩の七宝を以って、仏樹を荘厳す。或いは是の如くならざる者有り。所以は何んとなれば、諸仏の神力は不可思議にして、衆生の為の故に、種種の荘厳を現ずればなり。
『仏樹』の、
『荘厳』が、
『成就する!』とは、――
『菩提樹』を、
『荘厳する!』とは、――
先に、
『説いた通りである!』。
『仏』は、
自ら、こう説かれているが、――
是の、
『菩提樹』は、
『根』は、
『黄金』で、
『造られ!』、
『茎、節、枝、葉』は、
『七宝』で、
『造られている!』。
『茎、節、枝、葉の光明』は、
遍く、
十方の、
『無数阿僧祇の諸仏の世界』を、
『照らしている!』、と。
或は、
有る、
『仏』は、
『菩薩という!』、
『七宝』で、
『仏樹を荘厳している!』。
或は、
有る、
『仏』は、
是のようには、
『荘厳しない!』。
何故ならば、
『諸仏』の、
『神力』は、
『不可思議であり!』、
『衆生』の為に、
『種種の荘厳』を、
『現すからである!』。
  菩薩七宝(ぼさつのしっぽう):菩薩の所有なる六波羅蜜、六神通、四如意足、浄慧、妙行、四摂法、方便の七種の宝を云う。即ち「旧華厳経巻43」に、「波羅蜜は金輪、諸通を象宝と為し、神足を馬宝と為し、浄慧を無上珠、妙行を女宝と為し、四摂法は蔵臣、方便は主兵宝なり」と云える是れなり。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩莊嚴佛樹成就。是菩提樹以黃金為根。七寶為莖節枝葉。莖節枝葉。光明遍照十方阿僧祇三千大千世界。』
一切諸善功德成滿具足者。菩薩住七地中。破諸煩惱自利具足。住八地九地利益他人。所謂教化眾生淨佛世界。自利利他深大故。一切功德具足。如阿羅漢辟支佛。自利雖重利他輕故不名具足。諸天及小菩薩雖能利益他。而自未除煩惱故亦不具足。是名功德具足。(九地竟) 一切の諸の善、功徳成満して具足すとは、菩薩は七地中に住し、諸の煩悩を破して、自利を具足し、八地、九地に住して他人を利益す。謂わゆる衆生を教化して、仏世界を浄むるなり。自利、利他深大なるが故に、一切の功徳具足す。阿羅漢、辟支仏の如きは、自利重しと雖も、利他軽きが故に、具足すと名づけず。諸天、及び小菩薩は、能く他を利益すと雖も、自ら未だ煩悩を除かざるが故に、亦た具足せず。是れを功徳具足すと名づく。(九地竟れり)
『一切の!』、
『諸の善功徳』を、
『成満して!』、
『具足する!』とは、――
『菩薩』は、
『七地中に住まって!』、
諸の、
『煩悩』を、
『破り!』、
自ら、
『利益』を、
『具足し!』、
『八地、九地中に住まって!』、
他の、
『人』を、
『利益する!』。
謂わゆる、
『衆生を教化して!』、
『仏世界』を、
『浄めるのである!』が、
『自ら利することも!』、
『他を利することも!』
『深く大きい!』が故に、
一切の、
『功徳』を、
『具足することになる!』。
例えば、
『阿羅漢、辟支仏』は、
自らを、
『利益する!』ことが、
『重い!』が、
他を、
『利益する!』ことは、
『軽い!』ので、
是の故に、
『具足』と、
『称されることはない!』。
諸の、
『天、小菩薩』は、
他を、
『利益することができる!』が、
自ら、
『煩悩』を、
『除いていない!』が故に、
亦た、
『具足ではない!』。
是れを、
『功徳』が、
『具足する!』と、
『称するのである!』。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩一切諸善功德成滿具足。菩薩得眾生清淨佛國亦淨。是為菩薩。住九地中具足十二法。』
當知如佛者。菩薩坐如是樹下入第十地。名為法雲地。譬如大雲澍雨連下無間。心自然生無量無邊清淨諸佛法念念無量。爾時菩薩作是念。欲界魔王心未降伏。放眉間光令百億魔宮闇蔽不現。魔即瞋惱集其兵眾來逼菩薩。菩薩降魔已。十方諸佛慶其功勳。皆放眉間光從菩薩頂入。 当に仏の如くなるを知るべしとは、菩薩は是の如き樹下に坐して、第十地に入るを、名づけて法雲地と為す。譬えば大雲より雨を澍(そそ)げば、連なり下りて間(ひま)無きが如く、心に自然に無量無辺の清浄なる諸仏の法を生じて、念念に無量なり。爾の時、菩薩は、『欲界の魔王の心は、未だ降伏せず』と、是の念を作し、眉間の光を放ちて、百億の魔宮の闇蔽をして、現われざらしむ。魔は即ち瞋悩して、其の兵衆を集め、来たりて菩薩に逼る。菩薩は魔を降し已るに、十方の諸仏は、其の功勲を慶び、皆、眉間の光を放ちて、菩薩の頂より入らしむ。
当然、   ――十地――
『仏』と、
『同じである!』と、
『知らねばならぬ!』とは、――
『菩薩』は、
是のような、
『菩提樹下に坐って!』、
『第十地』に、
『入られたのである!』が、
是れを、
『法雲地』と、
『称する!』。
譬えば、
『大雲の澍(そそ)ぐ!』、
『雨』が、
『間断なく!』、
『連なって!』、
『降り!』、
『落ちるように!』、
『心』に、
自然に、
『無量、無辺の清浄な!』、
『諸仏の法』が、
『生じ!』、
念念に(一瞬毎に)、
『無量の!』、
『諸仏の法』が、
『興る!』。
爾の時、
『菩薩』は、
『欲界』の、
『魔王の心』が、
未だ、
『降伏していない!』のを、
『念じる!』と、
『眉間より!』、
『光を放って!』、
『百億の魔宮』の、
『闇蔽(暗闇)』を、
『出現させなくした!』。
『魔』は、
そこで、
『瞋恚、憂悩して!』、
其の、
『兵衆を集めて来る!』と、
『菩薩』に、
『逼った!』。
『菩薩』は、
『魔』を、
『降伏してしまう!』と、
『十方の諸仏』は、
其の、
『功勲』を、
『慶んで!』、
皆、
『眉間より!』、
『光』を、
『放つ!』と、
其の、
『光』は、
『菩薩の項より!』、
『入った!』。
  闇蔽(あんぺい):やみでおおう。
  瞋悩(しんのう):いかりなやむ。
  参考:『大智度論巻50』:『云何菩薩住十地中當知如佛。若菩薩摩訶薩具足六波羅蜜四念處乃至十八不共法一切種智。具足滿斷一切煩惱及習。是為菩薩摩訶薩住十地中當知如佛。』
是時十地所得功德變為佛法。斷一切煩惱習。得無礙解脫。具十力四無所畏四無礙智十八不共法大慈大悲等無量無邊諸佛法。 是の時、十地の所得なる功徳変じて、仏法と為り、一切の煩悩の習を断じ、無礙解脱を得、十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、大慈大悲等の無量無辺の諸仏の法を具う。
是の時、
『菩薩』は、
『十地で得た!』、
『功徳』が、
『仏法』に、
『変じて!』、
一切の、
『煩悩の習』を、
『断ち!』、
『無礙解脱を得て!』、
『十力』、
『四無所畏』、
『四無礙智』、
『十八不共法』、
『大慈大悲』等の、
『無量、無辺の諸の仏法』を、
『具足した!』。
是時地為六種震動。天雨華香。諸菩薩天人皆合手讚歎。 是の時、地は為に六種に震動し、天は華香を雨ふらし、諸の菩薩、天人は皆、手を合わせて讃歎す。
是の時、
『地』が、
『六種』に、
『震動し!』、
『天』が、
『華、香の雨』を、
『降らす!』と、
『諸の菩薩、天、人』が、
皆、
『手を合せて!』、
『讃歎した!』。
是時放大光明遍照十方無量世界。十方諸佛菩薩天人大聲唱言。某方某國某甲菩薩。坐於道場成具佛事。是其光明。是名十地當知如佛。 是の時、大光明を放ちて、遍く十方の無量の世界を照らすに、十方の諸仏、菩薩、天人の大声に唱えて言わく、『某方、某国の某甲菩薩は、道場に坐して、仏地を成具す。是れは其の光明なり』と。是れを十地は、当に仏の如くなるを知るべしと名づく。
是の時、
『菩薩』は、
『大光明を放って!』、
遍く、
『十方の無量の世界』を、
『照らし!』、
『十方の諸仏、菩薩、天、人』は、
『大声で唱えて!』、こう言った、――
『某方、某国の某甲という!』、
『菩薩』が、
『道場に坐って!』、
『仏事』を、
『成就し!』、
『具足した!』が、
是れは、
其の、
『菩薩』の、
『光明である!』、と。
是れを、
『十地』は、
『仏と同じだ!』と、
『知らねばならない!』と、
『称するのである!』。
復次佛此中更說第十地相。所謂菩薩行六波羅蜜。以方便力故。過乾慧地乃至菩薩地住於佛地。佛地即是第十地。菩薩能如是行十地。是名發趣大乘 復た次ぎに、仏は此の中に更に第十地の相を説きたまえり。謂わゆる『菩薩は、六波羅蜜を行ずるに、方便の力を以っての故に、乾慧地、乃至菩薩地を過ぎて、仏地に住す。仏地とは、即ち是れ第十地なり。菩薩の能く是の如く十地を行ずる、是れを大乗に発趣すと名づく。』と。
復た次ぎに、
『仏』は、
此の中に更に、
『第十地の相』を、
『説かれている!』、
謂わゆる、
『菩薩』が、
『六波羅蜜を行えば!』、
『方便の力』の故に、
『乾慧地、乃至菩薩地を過ぎて!』、
『仏の地』に、
『住まることになる!』、と。
即ち、
『仏』の、
『地』とは、
『第十地である!』が、
『菩薩』が、
是のように、
『十地』を、
『行うことができれば!』、
是れを、
『大乗に発趣する!』と、
『称する!』。


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