【論】者言。戒清淨者。初地中多行布施。次知持戒勝於布施。所以者何。持戒則攝一切眾生。布施則不能普周一切。持戒遍滿無量。 |
論者の言わく、戒清浄とは、初地中には多く布施を行じて、次に持戒は、布施に於いて勝ることを知ればなり。所以は何んとなれば、持戒は、則ち一切の衆生を摂するも、布施は、則ち一切に普周(あまね)きこと能わず、持戒の遍満すること無量なればなり。 |
論者は言う、――
『戒( 持戒)』が、
『清浄である!』とは、――
『行者』は、
初地中に、
次地中に、
何故ならば、
『持戒』は、
則ち、
『一切』の、
『衆生』を、
『摂(おさ)めることになる hold/attract !』が、
『布施』は、
則ち、
『一切』を、
『普遍して!』、
『摂められない!』ので、
『持戒すれば!』、
其の、
『利益』は、
『無量の衆生』に、
『遍満するからである!』。
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摂(しょう):<動詞>[本義]引っぱる/牽く( drag )。執る/持つ( hold )、捕捉する( arrest )、補助/佐助する( assist, help )、吸引する/引きつける( attract )、写真を撮る( take a photograph of )、代る/代理する( represent )、扱う/取り扱う( treat )、集まる/収斂/収束する[摂心/摂念]( converge )、整頓/整理する( arrange )、統括する( govern )、制御/抑制する[摂持]( control )。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩戒清淨。若菩薩摩訶薩不念聲聞辟支佛心及諸破戒障佛道法。是名戒清淨。』 |
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如不殺生戒則施一切眾生命。如眾生無量無邊。福德亦無量無邊。略說諸能破佛道事。此中皆名破戒。離是破戒垢皆名清淨。乃至聲聞辟支佛心尚是戒垢何況餘惡。 |
不殺生戒の如きは、則ち一切の衆生に命を施し、衆生の無量無辺なるが如く、福徳も亦た無量無辺なり。諸の能く仏道を破はするの事を略説すれば、此の中には、皆、破戒と名づけ、是の破戒の垢を離るるを、皆、清浄と名づく。乃至声聞、辟支仏の心すら、尚お是れ戒垢なり。何に況んや、余悪をや。 |
例えば、
『不殺生戒ならば!』、
則ち、
『一切の衆生』に、
『命』を、
『施すことになる!』ので、
『衆生』が、
『無量、無辺である!』ように、
亦た、
『福徳』も、
『無量、無辺なのである!』。
諸の、
『仏道を破る!』、
『事』を、
『略説すれば!』、
此の中の、
『事』は、
皆、
『破戒』と、
『呼ばれることになり!』、
是の、
『破戒という!』、
『垢』を、
『離れれば!』、
皆、
『清浄』と、
『呼ばれるのである!』が、
乃至、
『声聞、辟支仏の心すら!』、
尚お、
是れは、
『戒』の、
『垢であり!』、
況して、
『余の悪』は、
『言うまでもない!』。
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知恩報恩者有人言。我宿世福德因緣應得。或言。我自然尊貴汝有何恩。墮是邪見。是故佛說。菩薩當知恩。眾生雖有宿世樂因。今世事不和合則無由得樂。 |
恩を知り、恩に報ゆるとは、有る人の言わく、『我が宿世の福徳の因縁は、応に得べし。』と。或いは言わく、『我れ自然に尊貴なり、汝に何の恩か有らん。』と。是の邪見に堕すれば、是の故に仏の説きたまわく、『菩薩は、当に恩を知るべし。衆生は、宿世の楽因有りと雖も、今世の事和合せざれば、則ち楽を得るに由無し。 |
『恩を知って、恩に報ゆる!』とは、――
有る、
『人』は、
或は、こう言っている、――
わたしの、
『宿世』の、
『福徳』の、
『因縁である!』から、
是れが、
『得られる!』のも、
『当然である!』、と。
或は、こう言っている、――
わたしは、
お前に、
何のような、
『恩』が、
『有るというのか?』、と。
是のような、
『邪見』に、
『堕ちる!』ので、
是の故に、
『仏』は、こう説かれた、――
『菩薩ならば!』、
当然、
『恩を知るはずだ!』、――
『衆生』は、
『宿世に!』、
『今世に!』、
『事』が、
『和合しなければ!』、
『楽を得る!』、
『由( way/opportunity )』が、
『無いことになる!』。
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由(ゆ):<動詞>芽吹く/萌芽( sprout )、経由する( pass through, by way of )、歩く( walk )、以って/用いる(
use )、任用する( appoint )、任せる/聴す( allow, let )、従う( follow, obey )、ぶらつく( stroll
about )、順守する( conform to )。<名詞>理由/原因( reason )、起源( origin )、機会( opportunity
)、法式/規約( code )、方法( way )。<接続詞>~の為に/~の結果( because of, due to )。<前置詞>[起点を表す]~より/自り/従り(
from )。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩知恩報恩。若菩薩摩訶薩行菩薩道。乃至小恩尚不忘。何況多。是名知恩報恩。』 |
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譬如穀種在地無雨則不生。不可以地能生穀故言雨無恩。雖所受之物是宿世所種。供奉之人敬愛好心豈非恩分。 |
譬えば、穀を種えて地に在るも、雨無ければ、則ち生ぜず。地の能く穀を生ずるを以っての故に、雨に恩無しと言うべからざるが如し。所受の物は、是れ宿世に種えし所なりと雖も、供奉する人の、敬、愛、好心は、豈恩分に非ざらんや。 |
譬えば、
『穀』を、
『地』に、
『種えても!』、
『雨』が、
『無ければ!』、
『生じない!』ので、
『地』が、
『穀』を、
『生じさせる!』が故に、
『雨』には、
『恩が無い!』と、
『言うことができないように!』、
若し、
『受けた物』が、
『宿世に!』、
『種えた!』、
『因縁だとしても!』、
『供奉する人』の、
『敬、愛、好の心』が、
何故、
『恩分でないことになるのか?』。
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復次知恩者。是大悲之本開善業初門。人所愛敬名譽遠聞。死則生天終成佛道。不知恩人甚於畜生。 |
復た次ぎに、恩を知るとは、是れ大悲の本にして、善業を開く初門なり。人に愛敬せられ、名誉遠く聞こえて、死すれば則ち天に生じ、終に仏道を成ず。恩を知らざる人は、畜生よりも甚だし。 |
復た次ぎに、
『恩を知る!』とは、
是れは、
『大悲』の、
『根本であり!』、
『善業』の、
『初門』を、
『開くことである!』。
『恩を知れば!』、
『人』には、
『愛し!』、
『敬われて!』、
『名声』は、
『遠く!』、
『聞えて!』、
『死ねば!』、
『天』に、
『生まれることになり!』、
終には、
『仏の道』を、
『成就することになる!』ので、
『恩を知らない!』、
『人』は、
『畜生』にも、
『甚だ劣るのである!』。
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如佛說本生經。有人入山伐木迷惑失道。時值暴雨日暮飢寒。惡虫毒獸欲來侵害。是人入一石窟。窟中有一大熊。見之恐怖而出。熊語之言。汝勿恐怖。此舍溫煖可於中宿。時連雨七日。常以甘果美水供給此人。 |
仏の本生経に説きたまえるが如し。有る人、山に入りて木を伐らんとし、迷惑して道を失す。時に暴雨に値い、日暮れて飢寒し、悪虫毒獣来たりて侵害せんと欲す。是の人、一石窟に入るに、窟中に一大熊有り。之を見て恐怖し、出でんとするに、熊之に語りて言わく、『汝、恐怖する勿かれ。此の舎温煖なれば、中に於いて宿るべし。』と。時に雨ふること七日を連ぬるに、常に甘果、美水を以って、此の人に供給す。 |
『本生経』などには、
『仏』は、こう説かれている、――
有る、
『人』が、
『山に入って!』、
『木』を、
『伐っている!』と、
『迷って!』、
『道』を、
『見失い!』、
『時々!』、
『暴雨』に、
『値(あ)いながら!』、
『日が暮れると!』、
『飢えて!』、
『寒くなってきた!』し、
『悪獣、毒虫』が、
『来て!』、
『侵害するようになった!』。
是の、
『人』が、
『一石窟』に、
『入ってみる!』と、
『石窟』中に、
『一大熊』が、
『居る!』のが、
『見えた!』ので、
『恐怖して!』、
『石窟』を、
『出ようとした!』。
『熊』は、
是の人に語って、こう言った、――
お前は、
『恐怖するな!』。
此の、
『舎( いえ)』は、
『温煖である!』、
此の、
『舎の中』で、
『宿るがよい!』。
この時、
『雨』は、
『七日』、
『連続した!』が、
『熊』は、
常に、
『甘い果』や、
『美い水』を、
此の、
『人』に、
『供給していた!』。
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参考:『方広大荘厳経巻5』:『請憶昔日為熊身 見人凍餓而溫養 彼歸路逢畋獵者 將來共屠心不恨 尊以精進堅固力 為菩提故修諸行 當伏魔王及軍眾 今正是時宜出家』
参考:『根本説一切有部毘奈耶破僧事巻15』:『世尊復告諸苾芻曰。提婆達多。復有無恩無報之行。汝等諦聽。往昔婆羅[病-丙+尼]斯城有一貧人。常取柴樵賣以活命。其人復於一時。執持繩斧往趣林邊。將欲伐柴。即逢非時大暴風雨。七日不息。為避風雨漸次經歷。遂至山邊見一石窟。即欲入中將至窟門。見熊在內驚怖卻走。熊見驚走便呼彼云。善男子來。汝勿怖我其人雖復聞彼熊呼。猶懷恐怖。躊躇而立不前不卻。熊見彼住即抱入窟。不令驚懼。與諸美果堪食樹根。養經七日至第八日。熊自出外看其風雨。見風雨歇。即與美果發遣令去。其人長跪合掌白言。我蒙供養身命得活。我從今後何以報恩。熊即報曰。汝但勿向外人道說。我在此住者。即為報恩。其人即便遶熊行道經一匝已。報其熊曰。我終不敢報餘人知。說此語已便即而去。其人行至婆羅[病-丙+尼]斯城門。見一獵師欲行遊獵。先共相識。獵師問曰。汝多日不還家中。婦兒眷屬悉皆憂惱言。為被風雨漂。及虎狼食。將作汝死。已度大雨禽獸多死。汝今云何得活。時採薪人說熊收養廣如上說。獵師問曰。彼熊今在何山何窟。願汝視我。時採柴人報獵師曰。我今縱死亦不能卻入山林。獵師報曰。多以巧言種種勸化。我若殺得。與汝多分。我取一分。其人即起貪心。遂便卻迴。視彼熊處行至窟邊。遙指熊視。是時獵師於其窟門。多積柴薪以火。熏之。時熊被煙火逼困苦欲死即說頌曰 我此山中住 不害於一人 食果及樹根 常起慈悲念 我今命欲盡 當復作何計 自念過去業 善惡今得報 時熊說此頌已即便命終。時彼獵師知熊死已。即入窟中取熊剝皮分作三分。語彼樵人。汝取肉二分。我取一分。時採樵人以手取肉。當取肉時兩手俱落。獵師見以唱言。奇哉奇哉。獵師已肉亦不將行。便卻入城。以希奇事聞奏於王。說向國人。王既聞已親自往看。收取熊皮往詣寺中。打鍾集眾。遂將熊皮安僧眾前。王禮僧已。為諸僧眾說如上事。寺中上坐證阿羅漢果。以頌報國王曰 大王今當知 此非實熊身 是勝上菩薩 當獲無上果 應三世供養 大王須起塔 時王聞已敕諸大臣。取種種香木。往詣熊窟所焚燒其身起塔安置種種花香懸繒幡蓋灑掃供養。國王大臣及諸人等。共立制約。每一年中同集供養。共立制已禮塔而去。一切人民若有來禮彼塔及供養者。皆得生天。佛告諸苾芻。往昔熊者。今我身是。昔採樵惡人者。今提婆達多是。昔時早已無恩無報。今時亦復無恩無愧。汝等當知』 |
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七日雨止。熊將此人示其道逕。熊語人言。我是罪身多有怨家。若有問者莫言見我。人答言爾。 |
七日にして雨止む。熊、此の人を将いて、其の道逕を示すに、熊の人に語りて言わく、『我れは是れ罪身なれば、多く怨家有り。若しは問う者有らん、我れを見たりと言う莫かれ。』と。人答えて言わく、『爾り。』と。 |
『雨』が、
『七日目に!』、
『止む!』と、
『熊』は、
此の、
『人を将( ひき)いて!』、
其の、
『道径』を、
『示しながら!』、
『熊』は、
此の、
『人に語って!』、こう言った、――
わたしは、
『罪( 殺生)』の、
『身であり!』、
『多くの!』、
『怨家』が、
『有る!』。
若し、
わたしを、
『問う!』者が、
『有っても!』、
わたしを、
『見た!』と、
『言ってはならない!』、と。
此の、
『人』は、
『答えて!』、こう言った、――
『爾うしよう!』、と。
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此人前行見諸獵者。獵者問言。汝從何來。見有眾獸不。答言。我見一大熊。此熊於我有恩不得示汝。獵者言。汝是人當以人類相親。何以惜熊。今一失道何時復來。汝示我者與汝多分。 |
此の人、前行して諸の猟者を見る。猟者の問うて言わく、『汝は、何より来たる。衆獣有るを見るや不や。』と。答えて言わく、『我れは、一大熊を見たるも、此の熊は、我れに於いて恩有れば、汝に示すことを得ず。』と。猟者の言わく、『汝は、是れ人なり。当に人類を以って、相親しむべし。何を以ってか、熊を惜む。今、一たび道を失はば、何れの時にか、復た来たらん。汝、我れに示さば、汝に多分を与えん。』と。 |
此の、
『人』が、
『前へ進む!』と、
諸の、
『猟者』が、
『見えた!』。
『猟者』は、
『問うて!』、こう言った、――
お前は、
何処から、
『来たのか?』。
有るいは、
『衆獣』を、
『見なかったか?』、と。
『答えて!』、こう言った、――
わたしは、
『一大熊』を、
『見た!』が、
わたしは、
此の、
お前に、
此の、
『熊』を、
『示す訳にはいかない!』、と。
『猟者』は、
こう言った、――
お前は、
『人であるからには!』、
当然、
『人の類』と、
『親しむべきだ!』。
何故、
『熊』を、
『惜むのか?』。
今、
『一たび!』、
『人の道』を、
『失ってしまえば!』、
『何時になっても!』、
『二度と!』、
『機会は来るまい!』。
お前が、
わたしに、
此の、
『熊』を、
『示せば!』、
お前にも、
『多分』が、
『与えられるだろう!』、と。
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前行(ぜんぎょう):すすみゆく。 |
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此人心變即將獵者示熊處所。獵者殺熊即以多分與之。此人展手取肉二肘俱墮。獵者言。汝有何罪。答言。是熊看我如父視子。我今背恩。將是此罪。獵者恐怖不敢食肉。持施眾僧。 |
。此の人、心変じて、即ち猟者を将いて、熊の処る所を示す。猟者、熊を殺して、即ち多分を以って、之に与う。此の人、手を展げて肉を取らんとするに、二肘倶に堕つ。猟者の言わく、『汝に、何の罪か有る。』と。答えて言わく、『是の熊の、我れを看ること、父の子を視るが如し。我れ、今、恩に背けば、将に是れ此の罪なるべし。』と。猟者、恐怖して、敢て肉を食わず、持して衆僧に施す |
此の、
『人』は、
『心が変って!』、
即座に、
『猟者を将いて!』、
『熊の居場所』を、
『示した!』。
『猟者』は、
此の、
『人』が、
『手を展( ひろ)げて!』、
『肉』を、
『取ろうとする!』と、
『二肘』が、
『倶に(どちらも)!』、
『堕ちた!』。
『猟者』は、
こう言った、――
『答えて!』、こう言った、――
此の、
『熊』は、
わたしを、
『看てくれた!』が、
まるで、
『父』が、
『子を視るようであった!』。
わたしは、
正しく、
『猟者』は、
『恐怖して!』、
『肉を食う!』、
『勇気』を、
『失い!』、
『持参して!』、
『衆僧』に、
『施した!』。
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爾時上座六通阿羅漢語諸下座。此是菩薩。未來世當得作佛。莫食此肉。即時起塔供養。王聞此事敕下國內。不知恩人無令住此。又以種種因緣讚知恩者。知恩之義遍閻浮提人皆信行。 |
爾の時、上座の六通阿羅漢の諸の下座に語らく、『此れは是れ菩薩なり、未来世には、当に仏と作るを得べし。此の肉を食うこと莫かれ。』と。即時に塔を起てて供養す。王、此の事を聞きて、国内に勅下すらく、『恩を知らざる人をして、此に住せしむる無かれ。』と。又、種種の因縁を以って、恩を知る者を讃ずれば、恩を知るの義、閻浮提に遍くして、人は、皆、信行せり。 |
爾の時、
『上座』の、
『六通の阿羅漢』が、
『諸の下座』に、こう語った、――
此れは、
『菩薩であり!』、
『未来世』には、
『仏』と、
『作られるはずである!』。
此の、
『肉』を、
『食ってはならない!』、と。
即時に、
『国王』は、
此の、
『事を聞く!』と、
『国内』に、
『勅』を、こう下した、――
『恩を知らない!』、
『人』を、
此の、
『国』に、
『住まらせてはならない!』、と。
又、
種種の、
『因縁』で、
『恩を知る!』者を、
『讃えた!』ので、
『恩を知るという!』、
『事』の、
『義(意味)』を、
『閻浮提の人』は、
皆、
『信じて!』、
『行ったのである!』。
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復次菩薩作是念。若人有惡事於我。我猶尚應度。何況於我有恩。 |
復た次ぎに、菩薩の是の念を作さく、『若し人、我れに於いて悪事有りとも、我れは猶尚お応に度すべし。何に況んや、我れに於いて恩有るをや。』と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、こう念じる、――
若し、
『人』が、
わたしに、
『悪事』を、
『働いていたとしても!』、
わたしは、
尚お、
益々、
此の、
『人』を、
『度さねばならない!』。
況して、
わたしが、
『恩を蒙っていれば!』、
『尚更である!』、と。
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住忍辱力者。如忍波羅蜜中廣說。 |
忍辱の力に住すとは、忍波羅蜜中に広く説けるが如し。 |
『忍辱』の、
『力』に、
『住まる!』とは、――
例えば、
『忍辱波羅蜜』中に、
『広説した通りである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩住忍辱力。若菩薩於一切眾生無瞋無惱。是名住忍辱力。』 |
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問曰。種種因緣是忍辱相。此中何以但說不瞋不惱。 |
問うて曰く、種種の因縁は、是れ忍辱相なり。此の中には、何を以ってか、但だ不瞋、不悩のみを説く。 |
問い、
種種の、
『因縁( 因縁譚)』は、
『忍辱』の、
『相である!』が、
此の中には、
何故、
但だ、
『不瞋、不悩だけ!』を、
『説くのですか?』。
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答曰。此是忍辱體。先起瞋心然後身口惱他。是菩薩初行故。但說眾生忍不說法忍。 |
答えて曰く、此れは、是れ忍辱の体なればなり。先に瞋心を起して、然る後に、身口、他を悩ます。是の菩薩の初行なるが故に、但だ衆生忍を説いて、法忍を説かず。 |
答え、
此の、
『不瞋、不悩』は、
『忍辱』の、
『体だからである!』。
先に、
その後に、
『身、口』が、
『他』を、
『悩ますのである!』。
是の、
『菩薩』は、
初めて、
『忍辱』を、
『行う!』が故に、
但だ、
『衆生』を、
『忍ぶことのみ!』を、
『説いて!』、
『法』を、
『忍ぶことまで!』は、
『説かれていない!』。
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受歡喜者。菩薩見是持戒故身口清淨。知恩忍辱故心清淨。三業清淨故。則自然生歡喜。譬如人香湯沐浴著好新衣。瓔珞莊嚴鏡中自觀心生歡喜。 |
歓喜を受くとは、菩薩は、是の持戒を見るが故に、身口清浄なり。恩を知りて忍辱するが故に、心清浄なり。三業清浄なるが故に、則ち自然に歓喜を生ず。譬えば、人の香湯に沐浴し、好き新衣を著け、瓔珞もて荘厳するに、鏡中に自ら観て、心に歓喜を生ずるが如し。 |
『歓喜を受ける!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『持戒』を、
『見る( 出会う)!』が故に、
『身、口』が、
『清浄になり!』、
『恩を知って!』、
『忍辱する!』が故に、
『心』が、
『清浄になり!』、
『三業』が、
『清浄である!』が故に、
則ち、
『自然に!』、
『歓喜を生じる!』。
譬えば、
『人』が、
『好香』の、
『湯』で、
『沐浴し!』、
『好しい!』、
『新衣』を、
『著け!』、
『瓔珞』で、
『身』を、
『荘厳してから!』、
『鏡』中に、
『自ら!』を、
『観れば!』、
『心』に、
『歓喜』を、
『生じるようなものである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩受歡喜。所謂成就眾生以此為喜。是名受歡喜。』 |
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菩薩亦如是。得是善法自莊嚴。戒是禪定智慧根本。我今得是淨戒。無量無邊福德皆應易得。以是自喜。 |
菩薩も亦た是の如く、是の善法(持戒)を得て、自ら荘厳するに、『戒は、是れ禅定、智慧の根本なり。我れ今、是の浄戒を得れば、無量無辺の福徳、皆、応に得易かるべし。』と、是を以って自ら喜ぶなり。 |
『菩薩』も、
是のように、
是の、
『持戒という!』、
『善法』を、
『得て!』、
『自ら!』を、
『荘厳するのである!』。
『戒』とは、
『禅定』と、
『智慧』との、
『根本である!』が、
わたしは、
今、
是の、
『浄戒』を、
『得ることができた!』ので、
当然、
『無量、無辺の福徳』も、
皆、
『易(たやす)く!』、
『得られるはずである!』と、
是の故に、
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菩薩住是戒忍中教化眾生。令得生他方佛前及生天上人中受樂。或令得聲聞辟支佛乘。佛乘者。觀眾生樂著。如長者觀小兒共戲亦與之同戲。更以少異物與之令捨前所好。菩薩亦如是。教化眾生令得人天福樂。漸漸誘進令得三乘。以是故言受歡喜樂。 |
菩薩は、是の戒、忍中に住して、衆生を教化し、他方の仏前に生まれ、及び天上、人中に生まれて楽を受くるを得しむ。或いは声聞、辟支仏乗、仏乗を得しむる者あり、衆生の楽著するを観ればなり。長者の小児の共に戯るるを観て、亦た之と同じく戯れ、更に少しの異物を以って、之に与えて、前に好む所を捨てしむるが如し。菩薩も亦た是の如く、衆生を教化して、人天の福楽を得しめ、漸漸に誘い進みて、三乗を得しむ。是を以っての故に、楽を受けて歓喜すと言えり。 |
『菩薩』は、
是の、
『持戒、忍辱中に住まって!』、
『衆生を教化し!』、
『他方』の、
『仏前』に、
『生じさせたり!』、
『天上、人中』に、
『生まれさせて!』、
『楽を得させたり!』、
或は、
『声聞、辟支仏』の、
『乗』を、
『得させるのである!』。
『仏乗』とは、
『衆生を観察すれば!』、
『楽』に、
『著している!』ので、
譬えば、
『長者』が、
『小児』が、
共に、
『戲れている!』のを、
『観て!』、
自らも、
更に、
『珍しい物』を、
『少しばかり!』、
『与えて!』、
前に、
『好んでいた!』、
『物』を、
『捨てさせるように!』、
亦た、
『菩薩』も、
是のように、
次第に、
『誘引しながら!』、
『進ませて!』、
『三乗』を、
『得させる!』ので、
是の故に、こう言うのである、――
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不捨一切眾生者。善修集大悲心。誓度眾生故。發心牢固故。不為諸佛賢聖所輕笑故。恐負一切眾生故不捨。譬如先許人物後若不與則是虛妄罪人。以是因緣故不捨眾生。 |
一切の衆生を捨てずとは、善く大悲心を修集するに、衆生を度せんと誓えるが故に、発心の牢固なるが故に、諸仏、賢聖の軽笑する所と為らざるが故に、一切の衆生を負うことを恐るるが故に、捨てず。譬えば先に人に、物を許して、後に若し与えざれば、則ち是れ虚妄の罪人なるが如し。是の因縁を以っての故に、衆生を捨てず。 |
『一切の衆生を捨てない!』とは、――
『大悲心』を、
『集める!』ことを、
『善く!』、
『修めて!』、
『誓って!』、
『衆生』を、
『度する!』が故に、
『心』を、
『発(おこ)して!』、
『堅固である!』が故に、
諸の、
『仏、賢聖』に、
『軽んじられることもなく!』、
『笑われることもない!』が故に、
『一切の衆生』を、
『負えないのではないか?』と、
『恐れる!』が故に、
是の故に、
譬えば、
先に、
『人』に、
『物を与えよう!』と、
『許して!』、
後に、
『与えなければ!』、
則ち、
是の、
『人のような!』、
『虚妄罪』を、
『恐れる!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
『衆生』を、
『捨てないのである!』。
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恐(く):<動詞>[本義]恐れる/恐懼/驚恐する( fear, dread )。脅す/恐れさせる/脅迫する( terrify, intimidate
)、不安に思う( be afraid )。<副詞>恐らく[概算して足らざるを不安に思う]( I am afraid ( estimate and
feel anxious ) )。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩不捨一切眾生。若菩薩念欲救一切眾生故。是名不捨一切眾生。』 |
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入大悲心者。如先說。此中佛自說。本願大心為眾生故。所謂為一一人故。於無量劫代受地獄苦。乃至令是人集行功德作佛入無餘涅槃。 |
大悲心に入るとは、先に説けるが如し。此の中には、仏自ら、本願の大心の、衆生の為の故なるを説きたまえり。謂わゆる一一の人の為の故に、無量劫に於いて代わりて、地獄の苦を受け、乃至是の人をして、功徳を集行して、仏と作り、無余涅槃に入れしむ。』と。 |
『大悲心( 悲心三昧)に入る!』とは、――
先に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれた、――
『本願である!』、
『大悲心』は、
『衆生』の為の故に、
『起したのである!』、と。
謂わゆる、――
『一一』の、
『人』に、
『代って!』、
『無量劫』に、
『地獄の苦』を、
『受ける!』。
乃至、
是の、
『人をして!』、
『功徳』を、
『集めて!』、
『行わせ!』、
『仏と作らせて!』、
『無余涅槃』に、
『入らせる!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩入大悲心。若菩薩如是念。我為一一眾生故。如恒河沙等劫地獄中受勤苦。乃至是人得佛道入涅槃。如是名為為一切十方眾生忍苦。是名入大悲心。』 |
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問曰。無有代受罪者。何以作是願。 |
問うて曰く、代わりて罪を受くる者有ること無し。何を以ってか、是の願を作す。 |
問い、
『代って!』、
『罪を受ける!』者は、
『無い!』のに、
何故、
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答曰。是菩薩弘大之心深愛眾生。若有代理必代不疑。 |
答えて曰く、是の菩薩は、弘大の心もて、深く衆生を愛すればなり。若しは代理すること有れば、必ず代わること、疑わざれ。 |
答え、
是の、
『菩薩』の、
『広大な心』は、
『衆生』を、
『深く愛する!』ので、
若し、
『人』の、
『代理をする!』ことが、
『有れば!』、
『必ず!』、
『代って!』、
『疑わないのである!』。
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理(り):<動詞>[本義]玉石を雕琢する( carve and polish )。管理する( administer )、整理する/秩序づける( put in order )、処理/辦理する( treat, handle )、復習/習熟する( review, revise )、奏する( play )、区別/辨別/識別する( distinquish )、顧みる( pay attention to, notice to )、訴える( appeal )、修繕する( repair )、処理する( manage )。<名詞>紋理/條理( vein, grain )、法律( law )、裁判官( judge )、道理/義理( reason )、使者/使節( emissary, envoy )、自然科学( natural science )、物理学( physics )、獄吏( prison officer, jailer )。<形容詞>整然とした( orderly )。
代理(だいり):職務を短時間代行する( act as agent )、代行する/代りを務める/代理する( act for )、委任状( procuratory
)、代理人の任務( surrogacy )。 |
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復次菩薩見人間有天祠。用人肉血五藏祀羅剎鬼。有人代者則聽。菩薩作是念。地獄中若當有如是代理我必當代。眾人聞菩薩大心如是。則貴敬尊重之。所以者何。是菩薩深念眾生踰於慈母故。 |
復た次ぎに、菩薩の見るらく、『人間には天祠有って、人の血肉、五臓を用ちいて、羅刹鬼を祀る。人の代わる者有れば、則ち聴す。』、と。菩薩の是の念を作さく、『地獄中にも、若しは当に是の如き代理すること有るべし。我れは、必ず当に代わるべし。』、と。衆人、菩薩の大心の是の如きを聞いて、則ち之を貴敬、尊重す。所以は何んとなれば、是の菩薩の深く衆生を念ずること、慈母を踰ゆるが故なり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『人間』には、
『天祠が有り!』、
『人( 祈願する人)』の、
『肉、血、五臓を用いて!』、
『羅刹鬼(悪鬼)』を、
『祀っている!』が、
是れに、
『代る!』、
『人(生贄の代理)』が、
『有れば!』、
『代る!』のを、
『許される!』のを、
『見て』、
『菩薩』は、こう念じる、――
『地獄』中に、
若し、
是のような、
『代理』が、
『有れば!』、
わたしは、
『必ず!』、
『代るだろう!』、と。
『衆人』が、
『菩薩の大心』が、
『是のようである!』のを、
『聞けば!』、
則ち、
『尊敬し!』、
『貴重することになる!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩』の、
『衆生』を、
『念じる!』ことの、
『深さ!』は、
譬えば、
『慈母すら!』、
『踰(こ)えるからである!』。
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信師恭敬諮受者。菩薩因師得阿耨多羅三藐三菩提。云何不信恭敬供養師。雖智德高明。若不恭敬供養。則不能得大利。譬如深井美水若無綆者無由得水。 |
師を信じて恭敬し諮受すとは、菩薩は、師に因りて、阿耨多羅三藐三菩提を得ればなり。云何が、師を信じて、恭敬、供養せざる。智徳高明なりと雖も、若し恭敬、供養せざれば、則ち大利を得る能わず。譬えば深井の美水に若し綆無くんば、水を得るに由無きが如し。 |
『師を信じて!』、
『恭敬し!』、
『諮受する!』とは、――
『菩薩』は、
『師に因って!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るのである!』。
何故、
『師』を、
『信じずに!』、
『恭敬、供養しないのか?』。
若し、
『智、徳』が、
『高く!』、
『明かるくとも!』、
『師』を、
『恭敬せず!』、
『供養しなければ!』、
則ち、
『大利』を、
『得ることはできないからである!』。
譬えば、
『深井』の、
『美水』に、
若し、
『綆(つるべ縄 well rope )』が、
『無ければ!』、
『水を得る!』、
『手段が無い!』のと、
『同じである!』。
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綆(きょう):つるべなわ。井戸を汲むに用いる縄の義。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩信師恭敬諮受。若菩薩於諸師如世尊想是名信師恭敬諮受。』 |
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若破憍慢高心。宗重敬伏則功德大利歸之。又如雨墮不住山頂必歸下處。若人憍心自高則法水不入。若恭敬善師則功德歸之。 |
若し憍、慢、高心を破りて、宗重、敬伏すれば、則ち功徳、大利は之に帰す。又雨堕つるに山頂に住まらず、必ず下処に帰するが如し。若し人、憍心もて、自ら高くすれば、則ち法水入らず。若し善師を恭敬すれば、則ち功徳は之に帰す。 |
若し、
『憍慢、高心を破って!』、
『宗重し!』、
『敬伏すれば!』、
則ち、
『功徳、大利』が、
『帰することになる!』。
又、
譬えば、
『雨が降れば!』、
『山頂』に、
『住まることなく!』、
必ず、
『下処』に、
『帰するように!』、
若し、
『人』が、
『憍慢の心』で、
『自高すれば!』、
則ち、
『法の水』が、
『入らないことになり!』、
若し、
『善師』を、
『恭敬すれば!』、
則ち、
『功徳』が、
『帰するのである!』。
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宗重(しゅうじゅう):尊び重んずる。尊重。
敬伏(きょうぶく):敬って帰伏する。帰伏。 |
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復次佛說。依止善師。持戒禪定智慧解脫皆得增長。譬如眾樹依於雪山。根莖枝葉華果皆得茂盛以是故。佛說於諸師宗敬之如佛。 |
復た次ぎに、仏の説きたまわく、『善師に依止すれば、持戒、禅定、智慧、解脱、皆、増長することを得。譬えば衆樹の雪山に依りて、根茎、枝葉、華果、皆茂盛なるを得るが如し。是を以っての故に、仏は、『諸の師に於いては、之を敬うこと仏の如し。』と説きたまえり。 |
復た次ぎに、
『仏』は、こう説かれた、――
『善師に依止すれば!』、
『持戒、禅定、智慧、解脱』は、
皆、
『増長することができる!』。
譬えば、
『衆樹』は、
『雪山に依って!』、
『根茎、枝葉、華果』が、
皆、
『茂盛(繁茂)することができる!』のと、
『同じである!』。
是の故に、
『仏』は、こう説くのである、――
諸の、
『師』を、
『仏のように!』、
『宗敬せよ!』、と。
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参考:『大宝積経巻112』:『譬如一切水種百穀藥木皆得增長。菩薩亦爾。自心淨故慈悲普覆一切眾生。皆令增長一切善法。』 |
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問曰。惡師云何得供養信受。善師不能視之如佛。何況惡師。佛何以故。此中說於諸師尊如世尊想。 |
問うて曰く、悪師にして、云何が、供養、信受を得ん。善師すら、之を視るに、仏の如くなる能わず。何に況んや、悪師をや。仏は、何を以っての故にか、此の中に、『諸の師に於いて尊ぶこと、世尊を想うが如し。』と説きたまえる。 |
問い、
『悪師』が、
何故、
『供養、信受』を、
『得られるのですか?』。
『善師すら!』、
『仏のように!』、
『弟子』を、
『視ることはできません!』。
況して、
『悪師』は、
『尚更です!』。
『仏』は、
何故、
此の中に、こう説かれたのですか?――
諸の、
『師』を、
『世尊を想うように!』、
『尊べ!』、と。
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答曰。菩薩不應順世間法。順世間法者。善者心著惡者遠離。菩薩則不然。若有能開釋深義解散疑結。於我有益則盡心敬之不念餘惡。 |
答えて曰く、菩薩は、応に世間の法に順ずべからず。世間の法に順ずとは、善なる者には心著して、悪なる者を遠離するなり。菩薩は、則ち然らず、若し能く深義を開釈し、疑結を解散すること有りて、我れに於いて益有れば、則ち心を尽くして、之を敬いて、余の悪を念ぜざるなり。 |
答え、
『菩薩』は、
当然、
『世間の法』に、
『順じてはならない!』。
『世間の法』に、
『順じる!』者は、
『善ならば!』、
『心』が、
『著し!』
『悪ならば!』、
『遠離するのである!』が、
『菩薩ならば!』、
若し、
有る者が、
『深義』を、
『開いて!』、
『解釈し!』、
『疑結』を、
『解いて!』、
『散らすことができれば!』、
わたしに於いて、
是の、
『人』は、
『有益であり!』、
則ち、
『心を尽くして!』、
『敬うだけである!』。
是の故に、
『余の悪』を、
『念じることはない!』。
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如弊囊盛寶不得以囊惡故不取其寶。又如夜行嶮道弊人執炬。不得以人惡故不取其照。菩薩亦如是。於師得智慧光明不計其惡。 |
弊嚢に宝を盛るに、嚢悪しきを以っての故に、其の宝を取らざるを得ざるが如し。又嶮道を夜行するに、弊人炬を執るも、人の悪しきを以っての故に其の照を取らざることを得ざるが如し。菩薩も亦た是の如く、師に於いて、智慧の光明を得るも、其の悪を計らず。 |
譬えば、
『弊嚢( 破れ袋)』に、
『宝』を、
『盛ろうとして!』、
『嚢』が、
『悪いからという!』、
『理由で!』、
其の、
『宝』を、
『取らない訳ではない!』し、
又、
『険道』を、
『夜行して!』、
『弊人( 賎人)』が、
『炬』を、
『執ったとしても!』、
『人』が、
『悪いという!』、
『理由で!』、
其の、
『照明』を、
『取らない訳にはいかないように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『師より』、
『智慧の光明』を、
『得るのである!』から、
其の、
『悪』を、
『計算しないのである!』。
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復次弟子應作是念。師行般若波羅蜜無量方便力。不知以何因緣故有此惡事。如薩陀波崙。聞空中十方佛教。汝於法師莫念其短常生敬畏。 |
復た次ぎに、弟子は、応に是の念を作すべし、『師は、般若波羅蜜を行じて、方便力は無量なり。何の因縁を以ってか、此の悪事有るを知らず。』と。薩陀波崙の、空中に、十方の仏の、汝、法師に於いて、其の短を念ずる莫かれ、常に敬畏を生ぜよと教うるを聞けるが如し。 |
復た次ぎに、
『弟子』は、こう念じなくてはならない、――
『師』は、
『般若波羅蜜を行って!』、
『方便の力』が、
『無量である!』が故に、
何のような、
『因縁』の故に、
此の、
『悪が有るのか?』、
『知れない!』。
譬えば、
『薩陀波崙( sadaa- prarudita )』は、
『空』中に、
『十方の仏』が、
『教える!』のを、
『聞いた!』、
――
お前は、
『法の師』に於いては、
其の、
『短所』を、
『念じてはならない!』、
常に、
『敬畏の心』を、
『生じよ!』、と。
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薩陀波崙(さだはろん):勤苦求法の菩薩の名。『大智度論巻21(下)注:薩陀波倫菩薩』参照。 |
参考:『摩訶般若波羅蜜経巻28』:『爾時薩陀波崙菩薩報空中言。我當從教。何以故。我欲為一切眾生作大明。欲集一切諸佛法。欲得阿耨多羅三藐三菩提故。薩陀波崙菩薩復聞空中聲言。善哉善哉。善男子。汝於空無相無作之法應生信心。以離相心求般若波羅蜜。離我相乃至離知者見者相。當遠離惡知識。當親近供養善知識。何等是善知識。能說空無相無作無生無滅法及一切種智。令人心入歡喜信樂。是為善知識。善男子。汝若如是行不久當聞般若波羅蜜。若從經卷中聞。若從菩薩所說聞。善男子。汝所從聞是般若波羅蜜處應生心如佛想。善男子。汝當知恩應作是念。所從聞是般若波羅蜜者。即是我善知識。我用聞是法故。疾得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。親近諸佛常生有佛國土中。遠離眾難得具足無難處。善男子。當思惟籌量是功德。於所從聞法處。生心如佛想。汝善男子。莫以世利心故隨逐法師。但為愛法恭敬法故。隨逐說法菩薩。爾時當覺知魔事。若惡魔與說法菩薩作五欲因緣。假為法故令受。若說法菩薩入實法明。以功德力故。受而無所染。又以三事故受是五欲。以方便力故。欲令眾生種善根故。欲與眾生同其事故受。汝於是中莫生污心當起淨想。自念我未得漚和拘舍羅。大師以方便法。為度眾生令獲福德故受是諸欲。於菩薩智慧。無著無礙不為欲染。善男子。即當觀諸法實相。何等諸法實相。所謂一切法不垢不淨。何以故。一切法自性空無眾生無人無我。一切法如幻如夢如響如影如焰如化。善男子。觀是諸法實相已當隨法師。汝不久當成就般若波羅蜜。』 |
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復次菩薩作是念。法師好惡非是我事。我所求者唯欲聞法以自利益。如泥像木像無實功德。因發佛想故得無量福德。何況是人智慧方便能為人說。以是故。法師有過於我無咎。 |
復た次ぎに、菩薩の是の念を作すらく、『法師の好悪は、是れ我が事に非ず。我が求むる所は、唯だ法を聞いて、以って自ら利益せんと欲するのみ。泥像、木像に実の功徳無くとも、仏想を発すに因るが故に、無量の福徳を得るが如し。何に況んや、是の人の智慧と、方便ともて、能く人の為に説くをや。是を以っての故に、法師に過有りとも、我れに於いては咎無し。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、こう念じる、――
『法師』が、
『好いか?』、
『悪いか?』は、
わたしの、
『求める!』、
『事ではない!』。
わたしが、
『求める!』のは、
唯だ、
『法を聞いて!』、
自ら、
『利益しよう!』と、
『思うだけだ!』。
譬えば、
『泥像』や、
『木像』には、
『実の功徳』は、
『無い!』が、
『仏の想』を、
『発す!』、
『因縁である!』が故に、
『得られる!』、
『福徳』は、
『無量である!』。
況して、
是の、
『人』の、
『智慧、方便』は、
『人』に、
『説くことができる!』。
是の故に、
『法師』に、
『過失』が、
『有っても!』、
わたしにすれば、
『罪咎』は、
『無いことになる!』。
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如世尊想者。我先說。菩薩異於世人。世人分別好醜。好者愛著猶不如佛。惡者輕慢了不比數。菩薩則不然。觀諸法畢竟空。從本已來皆如無餘涅槃相。觀一切眾生視之如佛。何況法師。有智慧利益。以能作佛事故視之如佛。 |
世尊を想うが如しとは、我が先に説かく、『菩薩は、世人に異なり。』と。世人は、好醜を分別して、好なれば、愛著するも、猶お仏には如かず。悪しくば、軽慢して了(つい)に比数せず。菩薩は、則ち然らず、諸法の畢竟空なるを観ずれば、本より已来、皆、無余涅槃の如く、一切の衆生を観ずれば、之を視ること仏の如し。何に況んや、法師の智慧、利益有りて、以って能く仏事を作すをや。故に之を視ること仏の如し。 |
『世尊を想うようだ!』とは、――
わたしは、
先に、こう説いた、――
『菩薩』は、
『世人』と、
『異なる!』。
『世人』は、
『好、醜を分別して!』、
『好ならば!』、
『愛著する!』が、
猶お、
『仏を愛著する!』には、
『及ばない!』。
『醜ならば!』、
『軽慢して!』、
了( つい)に、
『仏』と、
『比較しようとはしない!』。
『菩薩』は、
『然( そ)うでなく!』、
諸の、
『法』は、
『畢竟じて空であり!』、
本より、
皆、
『無余涅槃』の、
『相と同じだ!』と、
『観て!』、
一切の、
『衆生』は、
『仏』と、
『同じである!』と、
『観るので!』、
況して、
『法師』には、
『智慧、利益が有り!』、
其れで、
『仏の仕事』を、
『作すことができる!』が故に、
之を、
『仏のようだ!』と、
『視るのである!』。
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比数(ひしゅ):くらべかぞえる。物の数に入れる。 |
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勤求諸波羅蜜者。菩薩作是念。是六波羅蜜是無上正真道因緣。我當一心行是因緣。 |
諸の波羅蜜を勤求すとは、菩薩の是の念を作さく、『是の六波羅蜜は、是れ無上、正真の道の因縁なり。我れは当に、一心に是の因縁を行ずべし。』と。 |
『諸の波羅蜜』を、
『勤求する!』とは、――
『菩薩』は、こう念じるからである、――
是の、
『六波羅蜜』は、
『無上、正真に至る!』、
『道を得る!』、
『因縁である!』が故に、
わたしは、
『一心に!』、
是の、
『因縁』を、
『行わねばならない!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩勤求諸波羅蜜。若菩薩一心求諸波羅蜜無異事。是名勤求諸波羅蜜。是為菩薩摩訶薩住二地中滿足八法。』 |
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譬如商人農夫。隨所適國土。所須之物地之所宜種子。勤修求辦事無不成。又如今世行布施後得大富。持戒後得尊貴。修禪定智慧得道。菩薩亦如是。行六波羅蜜則得成佛。 |
譬えば、商人、農夫の適する所の国土、須むる所の物、地の宜しき所に随いて子(たね)を種え、勤めて修し、求め、辦ずれば、事として成らざる無きが如し。、勤修し求辦すれば、事の成らざる無きが如し。又今世に布施を行ずれば、後に大富を得、持戒すれば、後に尊貴を得、禅定、智慧を修むれば、道を得るが如く、菩薩も亦た是の如く、六波羅蜜を行ずれば、則ち仏と成るを得。 |
譬えば、
『商人、農夫』が、
『適当な国土』や、
『必要な物資』や、
『適切な土地』に、
『随って!』、
『子(たね)』を、
『種え!』、
『努力して!』、
『整備し( repair )!』、
『援助/利を求め( seek help/profit )!』、
『処理すれば( manage )!』、
『成就しない!』、
『事』が、
『無いようなものである!』。
又、
『今世』に、
『布施すれば!』、
『後世』に、
『大富を得!』、
『持戒すれば!』、
『後世』に、
『尊貴を得!』、
『禅定を修めれば!』、
『智慧の道』を、
『得るように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『六波羅蜜』を、
『行えば!』、
則ち、
『仏』と、
『成ることができるのである!』。
|
修(しゅ):<動詞>[本義]飾る/装飾する( embellish, decorate )。修繕/修理する( repair )、建造する( build
)、学習/鍛練する( study, train oneself )、[仏教/道教]修行する( practice Buddhism or Taoism
)、整える/統治する( put in order, administer )、実行する( practice, carry out )、編纂する(
compile )、設ける/備える( be ready )、遵守する( follow )、改訂/改正する( revise, amend )。<形容詞>長い(
long )、高い/大きい( tall, big )、遠い( distant )、善い/好い( good )。
求(ぐう):<名詞>[本義]皮衣/裘( fur coat )。<動詞>請求する/請う/乞う( ask, beg, request )、追求/尋求する(
strive for, seek )、要求/索取する( demand, ask for )、探索する( explore )、責める( blame
)、選択する( select )、懇請する/誘う( solicit )、渇望/切望する/貪婪にする( greedy for )。
辦(べん):処理/処分する/扱う( manage, do, handle, deal with )。 |
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勤求道者。常一心勤求六波羅蜜。所以者何。若軟心漸進。則為煩惱所覆魔人所壞。以是故佛說。於二地中勤求莫懈。(二地竟) |
道を勤求すとは、常に一心に、六波羅蜜を勤求するなり。所以は何んとなれば、若し軟心もて漸進すれば、則ち煩悩の覆う所、魔人の壊する所と為ればなり。是を以っての故に、仏の説きたまわく、『二地中に於いては、勤求して、懈ること莫かれ。』と。 |
『道を勤求する!』とは、――
常に、
『一心に!』、
『六波羅蜜』を、
『求めよう!』と、
『勤めることである!』。
何故ならば、
若し、
『心』を、、
『軟弱にして!』、
『漸進( advance gradually )すれば!』、
則ち、
『煩悩』に、
『善根』を、
『覆われ!』、
『魔人』に、
『善心/菩提心』を、
『壊されるからである!』。
是の故に、
『仏』は、こう説かれた、――
『二地』中には、
『勤求して!』、
『懈ってはならない!』、と。 ――二地竟る――
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漸進(ぜんしん):ゆっくり前進する( advance gradually, progress step by step )。 |
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多學問無厭足者。菩薩知多學問是智慧因緣。得智慧則能分別行道。如人有眼所至無礙。是故菩薩作是願十方諸佛有所說法我盡受持。聞持陀羅尼力故。得清淨天耳力故。得不忘陀羅尼力故。 |
多く学問して厭足する無しとは、菩薩の知るらく、『多く学問すれば、是れ智慧の因縁なり、智慧を得れば、則ち能く行道を分別す。』と。人に眼有れば、至る所無礙なるが如し。是の故に、菩薩は、是の願を作さく、『十方の諸仏の説きたもう所の法を、我れ尽く受持せん』、と。聞持陀羅尼の力の故に、清浄の天耳を得たる力の故に、不忘陀羅尼を得たる力の故なり。 |
『多く!』、
『学問をして!』、
『厭足しない!』とは、――
『菩薩』は、こう知るからである、――
『学問の多い!』のは、
『智慧』の、
『因縁であり!』、
『智慧を得れば!』、
『道』を、
『分別して!』、
『行くことができる!』。
譬えば、
『人』に、
『眼が有れば!』、
何処にでも、
『無礙に!』、
『到達できるようなものである!』。
是の故に、
『菩薩』は、
是の、
『願を作して!』、こう言うが、――
『十方』に、
『諸仏の説かれた!』、
『法』が、
『有れば!』、
わたしは、
『尽く!』を、
『受持しよう!』、と。
是の、
『菩薩』は、
『聞持陀羅尼、清浄天耳、不忘陀羅尼』の、
『力を得た!』が故に、
『尽く!』を、
『受持できるのである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩摩訶薩多學問無厭足諸佛所說法。若是此間世界若十方世界諸佛所說盡欲聞持。是名多學問無厭足。』 |
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譬如大海能受持一切十方諸水。菩薩亦如是。能受持十方諸佛所說之法。 |
譬えば、大海の能く、一切十方の諸水を受持するが如く、菩薩も亦た是の如く、能く十方の諸仏の説きたもう所の法を受持す。 |
譬えば、
『大海』が、
一切の、
『十方』の、
『諸の河川』を、
『受持することができるように!』、
『菩薩』も、
亦た、
是のように、
『十方』の、
『諸仏の説かれた法』を、
『受持することができるのである!』。
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註:菩薩とは、謂わゆる無生法忍を得た法身の菩薩であり、一肉身の菩薩を言うのではない。仏道を成就せんと趣向する三世十方の有らゆる菩薩を、あたかも一菩薩の如く扱うが故の菩薩であり、或は一肉身の菩薩の菩提に志す一瞬の心を示す、抽象的な概念としての菩薩である。仏/菩薩という言葉には常に是のような概念が付き纏っていることを知らねばならない。而るに是れも亦た実在の菩薩なのである。 |
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淨法施者。如苗中生草除穢則茂。菩薩亦如是。法施時不求名利後世果報。乃至為眾生故。不求小乘涅槃。但以大悲於眾生。隨佛轉法輪 |
法施を浄むとは、苗中に草を生ずるに、穢を除けば、則ち茂るが如し。菩薩も亦た是の如く、法施の時、名利、後世の果報を求めず、乃至衆生の為の故に、小乗の涅槃を求めずして、但だ大悲を以って、衆生に於いて、仏に随うて、法輪を転ずるのみ。 |
『法施を浄める!』とは、――
譬えば、
『苗中に生じた!』、
『草』は、
『穢』を、
『除けば!』、
則ち、
『茂る!』のと、
『同じである!』。
是のように、
『菩薩』も、
『法施する!』時、
『名利、後世の果報』を、
『求めず!』、
乃至、
『衆生』の為の故に、
『小乗の涅槃』を、
『求めず!』、
但だ、
『衆生』の為に、
『大悲』を、
『用いて!』、
『仏に随って!』、
『法輪』を、
『転じるのである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩淨法施。有所法施乃至不求阿耨多羅三藐三菩提。何況餘事。是名不求名利法施。』 |
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法施相莊嚴佛國相。受世間無量勤苦住慚愧處。不捨阿蘭若住處。少欲知足如先說。 |
法施の相、仏国を荘厳する相、世間の無量の勤苦を受く、慚愧の処に住す、阿蘭若住処を捨てず、少欲知足は、先に説くが如し。 |
『法施の相』、
『仏国を荘厳する相』、
『世間の無量の勤苦を受ける相』、
『慚愧の処に住する相』、
『阿蘭若の住処を捨てない相』、
『少欲知足の相』は、
先に、
『説いた通りである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩淨法施。有所法施乃至不求阿耨多羅三藐三菩提。何況餘事。是名不求名利法施。云何菩薩淨佛世界。以諸善根迴向淨佛世界。是名淨佛世界。云何菩薩受世間無量勤苦不以為厭。諸善根備具故。能成就眾生亦莊嚴佛界。乃至具足薩婆若終不疲厭。是名受無量勤苦不以為厭。云何菩薩住慚愧處。恥諸聲聞辟支佛意。是名住慚愧處。是為菩薩摩訶薩住三地中滿足五法。云何菩薩不捨阿蘭若住處。能過聲聞辟支佛地。是名不捨阿蘭若住處。云何菩薩少欲。乃至阿耨多羅三藐三菩提尚不欲。何況餘欲。是名少欲。云何菩薩知足。得一切種智。是名知足。云何菩薩不捨頭陀功德。觀諸深法忍。是名不捨頭陀功德。』 |
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問曰。種種因緣在生死中不厭。何以故。但二因緣說不厭。 |
問うて曰く、種種の因縁は、生死中に在りて厭わず。何を以っての故にか、但だ二因縁のみを、『厭わず。』と説く。 |
問い、
種種の、
『因縁』で、
『生死』中に、
『在る!』ことを、
『厭わない!』のに、
何故、
但だ、
『二因縁( 成就衆生、荘厳仏界)』の故に、
『無量の勤苦を厭わない!』と、
『説くのですか?』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩受世間無量勤苦不以為厭。諸善根備具故。能成就眾生亦莊嚴佛界。乃至具足薩婆若終不疲厭。是名受無量勤苦不以為厭。』 |
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答曰。是善根備具故。在生死中苦惱薄少。譬人有瘡良藥塗之其痛差少。 |
答えて曰く、是の善根備具するが故に、生死中に在りて、苦悩薄少なり。譬えば、人に瘡有るも、良薬を之に塗れば、其の痛差(い)えて少きが如し。 |
答え、
是の、
『善根を備具する!』が故に、
『生死』中に、
『在りながら!』、
『苦悩』が、
『薄く!』、
『少ないからである!』。
譬えば、
『人』に、
『瘡が有っても!』、
『良薬』を、
『塗れば!』、
其の、
『痛み!』が、
『愈えて!』、
『少なくなるようなものである!』。
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菩薩得善根清淨故。今世憂愁嫉妒惡心等悉皆止息。若更受身得善根果報。自受福樂。亦種種因緣利益眾生。隨其所願自淨世界。世界嚴淨勝於天宮視之無厭。能慰釋大菩薩心。何況凡夫。以是故。雖有多因緣。但說二事無厭。 |
菩薩は、善根を得て清浄なるが故に、今世の憂愁、嫉妬、悪心等、悉く皆、止息す。若し更に、身を受くれば、善根の果報を得て、自ら福楽を受けて、亦た種種の因縁もて衆生を利益し、其の願う所に随うて、自ら世界を浄むれば、世界の厳浄なること、天宮に勝り、之を視て、厭うもの無く、能く釈大菩薩の心すら慰む。何に況んや、凡夫をや。是を以っての故に、多く因縁有りと雖も、但だ二事にのみ厭うこと無しと説く。 |
『菩薩』は、
『心』に、
『善根を得て!』、
『清浄である!』が故に、
『今世』の、
『憂愁、嫉妒、悪心』等が、
皆、
『悉く!』、
『止んでおり!』、
若し、
更に、
『身を受けても!』、
『善根の果報』を、
『得る!』が故に、
自ら、
『福楽』を、
『受ける!』し、
亦た、
種種の、
自ら、
『願いのままに!』、
『世界』を、
『浄め!』、
『天宮にも勝る!』ほど、
『世界』を、
『厳浄する!』ので、
之を、
『視て!』、
『厭きる!』者が、
『無く!』、
『釈提桓因』等の、
『大菩薩の心すら!』、
『慰めるほどである!』ので、
況して、
『凡夫』は、
『尚更である!』。
是の故に、
『因縁』は、
『多く!』、
『有っても!』、
但だ、
『二事の因縁』の故に、
『厭わない!』と、
『説くのである!』。
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慚愧雖有種種。此中大者聲聞辟支佛心。菩薩發心欲廣度一切眾生。得少苦惱便欲獨取涅槃。是可慚愧。譬如有人大設餚膳請呼眾人。慳吝心起便自獨食。甚可慚愧。(三地竟) |
慚愧に、種種有りと雖も、此の中に、大なる者は、声聞、辟支仏の心なり。菩薩は発心して、広く一切の衆生を度せんと欲すれば、少しの苦悩を得て、便ち独り涅槃を取らんと欲せば、是れ慚愧すべし。譬えば、有る人、大いに餚膳を設けて、請うて衆人を呼ぶに、慳吝の心起りて、便ち自ら独り食わば、甚だ慚愧すべきが如し。(三地竟れり) |
『慚愧』は、
『種種有る!』が、
此の中の、
『大きな慚愧』とは、
『声聞、辟支仏道』を、
『得ようとする!』、
『心である!』。
『菩薩』は、
『心を発して!』、
『一切の衆生』を、
『弘く度そう!』と、
『思う!』ので、
『少しばかり!』の、
『苦悩を得ただけで!』、
独り、
『涅槃』を、
『取ろうとすれば!』、
是れは、
『慚愧すべき!』、
『事なのである!』。
譬えば、
有る人が、
『餚膳』を、
『大いに設けて!』、
『衆人』を、
『招待したのに!』、
『慳吝』の、
『心が起って!』、
自ら、
『独りで!』、
『食ったとすれば!』、
是れは、
甚だ、
『慚愧すべきである!』のと、
『同じである!』。 ――三地竟る――
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餚膳(こうぜん):さかなと膳部。料理。
請呼(しょうこ):こうてよびよせる。招待。 |
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不捨阿蘭若住處者。離眾獨住。若過聲聞辟支佛心。是名離眾。一切法以無所得空故。不取不著相。乃至阿耨多羅三藐三菩提亦不取。用無有著心故。 |
阿蘭若住処を捨てずとは、衆を離れて独り住するに、若し声聞、辟支仏の心を過ぐれば、是れを衆を離ると名づく。一切の法は、所得無く、空なるが故に、相を取らず、著せず、乃至阿耨多羅三藐三菩提も、亦た取らず、無有著の心を用うる故なり。 |
『阿蘭若という!』、
『住処』を、
『捨てない!』とは、――
『衆を離れて!』、
独り、
『阿蘭若』に、
『住まりながら!』、
若し、
『声聞、辟支仏の心』を、
『超過すれば!』、
是れを、
『衆を離れる!』と、
『称する!』。
『一切の法』は、
『無所得、空である!』が故に、
『相を取ることもなく!』、
『相に著することもない!』。
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提まで!』も、
亦た、
『相』を、
『取らない!』のは、
『著の無い!』、
『心』を、
『用いるからである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩不捨阿蘭若住處。能過聲聞辟支佛地。是名不捨阿蘭若住處。』 |
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菩薩常集諸功德無厭足。得無上道則足。更無勝法故。飲食衣服臥具知足者。是善法因緣。不以為要故不說。 |
菩薩は、常に諸の功徳を集めて、厭足すること無く、無上道を得れば、則ち足る。更に勝法無きが故なり。飲食、衣服、臥具の知足は、是れ善法の因縁なるも、以って要と為さざるが故に説かず。 |
『菩薩』は、
常に、
諸の、
『功徳を集めて!』、
『厭足する!』ことが、
『無い!』が、
『無上の道』を、
『得れば!』
『満足することになる!』。
更に、
『勝れた法』は、
『無いからである!』。
若し、
『飲食、衣服、臥具』に、
『足る!』を、
『知れば!』、
是れも、
『必要だ!』と、
『思われない!』が故に、
『説かれない!』。
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不捨頭陀功德者。如後覺魔品中說無生法忍。此中以無生法忍為頭陀。菩薩住於順忍觀無生法忍。是十二頭陀為持戒清淨故。持戒清淨為禪定故。禪定為智慧故。無生忍法即是真智慧。無生法忍是頭陀果報。果中說因故。 |
頭陀の功徳を捨てずとは、後の覚魔品中に説く、無生法忍の如し。此の中に、無生法忍を以って、頭陀と為す。菩薩は、順忍に住して、無生法忍を観れば、是の十二頭陀は、持戒清浄の為の故なり、持戒清浄は、禅定の為の故なり、禅定は、智慧の為の故なり、無生忍法は、即ち是れ真の智慧なり。無生法忍は、是れ頭陀の果報なり。果中に因を説くが故なり。 |
『頭陀』の、
『功徳』を、
『捨てない!』とは、――
例えば、
後の、
『覚魔品中に説かれた!』、
『無生法忍』と、
『同じである!』。
此の中には、
『無生法忍』を、
『頭陀としている!』が、
『菩薩』は、
『柔順忍に住まって!』、
『無生法忍』を、こう観て、――
是の、
『十二頭陀』は、
『持戒』を、
『清浄にする為であり!』、
『持戒』が、
『清浄である!』のは、
『禅定の為であり!』、
『禅定』は、
『智慧の為である!』が、
是の、
『無生法忍』は、
『真の!』、
『智慧である!』が故に、
『無生法忍』は、
『頭陀』の、
『果報なのである!』、と。
則ち、
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十二頭陀(じゅうにづだ):身心を修治して煩悩の塵垢を払う行に十二種の別あるを云う。『大智度論巻6(下)注:十二頭陀行』参照。
順忍(じゅんにん):心柔智順にして、実相の離に於いて乖角せざるの意。三忍の一。『大智度論巻41(下)注:柔順忍、三種忍法』参照。
無生法忍(むしょうほうにん):諸法無生の理を観じて、之を諦忍するを云う。『大智度論巻19(下)注:無生法忍、同巻41(下)注:無生忍、三種忍法』参照。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩不捨頭陀功德。觀諸深法忍。是名不捨頭陀功德。』
参考:『摩訶般若波羅蜜経巻14両過品』:『復次須菩提。聽法人欲書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。說法人懈惰不欲為說。當知是為菩薩魔事。須菩提。說法之人心不懈惰。欲令書持般若波羅蜜。聽法者不欲受之。二心不和。當知是為魔事。復次須菩提。聽法人欲書持般若波羅蜜讀誦乃至正憶念。說法者欲至他方。當知是為魔事。須菩提。說法人欲令書持般若波羅蜜。聽法者欲至他方。二心不和。當知是為魔事。復次須菩提。說法人貴重布施衣服飲食臥具醫藥資生之物。聽法人少欲知足行遠離行。攝念精進一心智慧。兩不和合。不得書持般若波羅蜜受持讀誦問義正憶念。當知是為魔事。須菩提。說法人少欲知足行遠離行。攝念精進一心智慧。聽法者貴重布施衣服飲食臥具醫藥資生之物。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。復次須菩提。說法者受十二頭陀。一作阿蘭若。二常乞食。三納衣。四一坐食。五節量食六中後不飲漿。七塚間住。八樹下住。九露地住。十常坐不臥。十一次第乞食。十二但三衣。聽法人不受十二頭陀。不作阿蘭若。乃至不受但三衣。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。須菩提。聽法者受十二頭陀。作阿蘭若。乃至但受三衣。說法人不受十二頭陀。不作阿蘭若。乃至不受但三衣。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。』
参考:『大智度論巻68両不和合品』:『釋曰。一切有為法因緣和合故生。眾緣離則無。譬如攢燧求火有鑽有母二事因緣得火。書寫般若乃至正憶念亦如是。內外因緣和合故生。所謂師弟子同心同事故乃得書成。是故佛告須菩提。聽法人信等五善根發故。欲書持般若乃至正憶念。說法者五蓋覆心故不欲說。問曰。若五蓋覆心故不欲說何以作師。答曰。是人著世間樂不觀空無常。雖能心知口說不能自行。弟子雖必欲行而不能知。不能知故更無餘處。必諮此人或時師悲心發故欲令書持般若。弟子信等五善根鈍不發故。著世間樂故。不欲受書持乃至正憶念。問曰。若不欲受持何以名為聽法者。答曰。少多聽受讀誦不能究竟成就故。但名聽法。若二人善心共同能得般若波羅蜜。若不同則不能得是名魔事。內煩惱發外天子魔作因緣。雖是般若菩薩應覺是魔事防令不起。若自失當具足若弟子失當教令得。復次師或慈悲心薄捨弟子至他方。或不宜水土四大不和。或善法無所增益。或水旱不適。或土地荒亂。如是等種種因緣故至他方。弟子亦種種因緣不能追隨。貴重利養者如上五蓋覆心等。復次是二人皆有信有戒。而一人以十二頭陀莊嚴戒。一人不能。問曰。一人何以故不能。答曰。佛所結戒弟子受持。十二頭陀不名為戒。能行則戒莊嚴。不能行不犯戒。譬如布施能行則得福不能行者無罪。頭陀亦如是。是故兩不和合則是魔事。十二頭陀者行者以居家多惱亂。故捨父母妻子眷屬出家行道。而師徒同學還相結著心復嬈亂。是故受阿蘭若法令身遠離憒鬧住於空閑。遠離者最近三里能遠益善。得是身遠離已。亦當令心遠離五欲五蓋。若受請食若眾僧食起諸漏因緣。所以者何。受請食者若得作是念。我是福德好人故得。若不得則嫌恨請者。彼為無所別識不應請者請應請者不請。或自鄙薄懊惱自責而生憂苦。是貪憂法則能遮道。僧食者入眾中當隨眾法。斷事擯人料理僧事處分。作使心則散亂妨廢行道。有如是等惱亂事故。受常乞食法。好衣因緣故。四方追逐墮邪命中。若受人好衣則生親著。若不親著檀越則恨。若僧中得衣如上說。眾中之過。又好衣是未得道者生貪著處。好衣因緣招致賊難。或至奪命。有如是等患故受弊納衣法。行者作是念。求一食尚多有所妨。何況小食中食後食。若不自損則失半日之功。不能一心行道。佛法為行道故。不為益身。如養馬養豬。是故斷數數食受一食法。有人雖一食而貪心極噉。腹脹氣塞妨廢行道。是故受節量食法。節量者略說隨所能食三分留一分。則身輕安穩易消無患。於身無損。則行道無廢。如經中舍利弗說。我若食五口六口足之。以水則足支身。於秦人中食不十口許。有人雖節量食過中飲漿則心樂著。求種種漿果漿蜜漿等。求欲無厭。不能一心修習善法。如馬不著轡勒左右噉草不肯進路。若著轡勒則不噉草意斷隨人意去。是故受中後不飲漿。無常空觀是入佛法門。能厭離三界。塚間常有悲啼哭聲死屍狼藉。眼見無常後或火燒鳥獸所食不久滅盡。因是屍觀一切法中易得無常相空相。又塚間住若見死屍嗅爛不淨易得。九相觀是離欲初門。是故受塚間住法能作不淨無常等觀已得道。事辦捨至樹下。或未得道者心則不大厭取是相樹下思惟。如佛生時成道時轉法輪時般涅槃時皆在樹下。行者隨諸佛法常處樹下。如是等因緣故受樹下坐法。行者或觀樹下如半舍無異蔭覆涼樂又生愛者。我所住者好彼樹不如。如是等生漏故至露地住作是思惟。樹下有二種過。一者雨漏濕冷。二者鳥屎污身毒蟲所住。有如是等過。空地則無此患。露地住則著衣脫衣隨意快樂。月光遍照空中明。淨心易入空三昧。身四儀中坐為第一。食易消化氣息調和。求道者大事未辦。諸煩惱賊常伺其便不宜安臥。若行若立則心動難攝。亦不可久故受常坐法。若欲睡時脅不著席。行者不著於味不輕眾生。等心憐愍故。次第乞食不擇貧富故。受次第乞食法。行者少欲知足衣趣蓋形不多不少故。受但三衣法。白衣求樂故多畜種種衣。或有外道苦行故裸形無恥。是故佛弟子捨二邊處中道行。住處食處常用故事多。衣不須日日求故略說。是十二頭陀。佛意欲令弟子隨道行捨世樂。故讚十二頭陀。是佛意常以頭陀為本有因緣。不得已而聽餘事。如轉法輪時五比丘初得道。白佛言。我等著何等衣。佛言。應著納衣。又受戒法盡壽著納衣。乞食樹下住。弊棄藥。於古四聖種中。頭陀即是三事。佛法唯以智慧為本。不以苦為先。是法皆助道隨道故諸佛常讚歎』 |
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不捨戒不取戒相者。是菩薩知諸法實相故。尚不見持戒。何況破戒。雖種種因緣不破戒。此最為大入空解脫門故。 |
戒を捨てず、戒相を取らずとは、是の菩薩は、諸法の実相を知るが故に、尚お持戒すら見ず、何に況んや、破戒をや。種種の因縁ありと雖も、破戒せざれば、此れを最も大と為す、空解脱門に入るが故なり。 |
『戒』を、
『捨てず!』、
『戒の相』を、
『取らない!』とは、――
是の、
『菩薩』は、
諸の、
『法』の、
『実相』を、
『知る!』が故に、
尚お、
『持戒すら!』、
『見ることはない!』。
況して、
『破戒』は、
『尚更である!』。
種種の、
『因縁』で、
『破戒しないだけである!』が、
此の、
『事』が、
『最も大である!』のは、
是れが、
『空解脱門』に、
『入るからである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩不捨戒。不取戒相。是名不捨戒。』 |
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污穢諸欲者。如先說。此中佛說。知是心相虛誑不實故。乃至不生欲心。何況受欲。 |
諸欲を汚穢とするとは、先に説くが如し。此の中に、仏の説きたまわく、『是の心相の虚誑、不実なるを知るが故に、乃至欲心を生ぜず。何に況んや、欲を受くるをや。』と。 |
諸の、
『欲』を、
『汚穢とする!』とは、
先に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、こう説かれている、――
是の、
『心の相』は、
『虚誑、不実である!』と、
『知る!』が故に、
乃至、
『欲心すら!』、
『生じない!』。
況して、
『欲』を、
『受けるはずがない!』、と。
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汚穢(おえ):けがれてきたない。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩穢惡諸欲。欲心不生故。是名穢惡諸欲。』 |
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厭世間心者。如世間不可樂相中說。此中佛說厭心。果報所謂無作解脫門。捨一切所有者。如先說。 |
世間の心を厭うとは、世間不可楽相中に説けるが如し。此の中に、仏の説きたまわく、『心を厭える果報とは、謂わゆる無作解脱門なり。』と。一切の所有を捨つとは、先に説くが如し。 |
『世間』の、
『心』を、
『厭う!』とは、――
例えば、
『世間不可楽』の、
『相』中に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、こう説かれている、――
『厭心の果報』とは、
謂わゆる、
『無作解脱門である!』、と。
『一切の所有』を、
『捨てる!』とは、
先に、
『説いた通りである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩厭世間心。知一切法不作故。是名厭世間心。』
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩捨一切所有。不惜內外諸法故。是名捨一切所有。』
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩厭世間心。知一切法不作故。是名厭世間心。』
参考:『大智度論巻23』:『一切世間不可樂想者。若念世間色欲滋味車乘服飾盧觀園宅種種樂事則生樂想。若念世間眾惡罪事。則心生厭想。何等惡事。惡事有二種。一者眾生。二者土地。眾生有八苦之患。生老病死恩愛別離怨憎同處所求不得。略而言之五受眾苦眾生之罪。婬欲多故不別好醜。不隨父母師長教誨。無有慚愧與禽獸無異。瞋恚多故不別輕重。瞋毒狂發乃至不受佛語。不欲聞法。不畏惡道。杖楚橫加不知他苦。入大闇中都無所見。愚癡多故所求不以道。不識事緣。如搆角求乳。無明覆故。雖蒙日照永無所見。慳貪多故其舍如塚人不向之。憍慢多故不敬賢聖不孝父母。憍逸自壞永無所直。邪見多故不信今世後世不信罪福不可共處。如是等諸煩惱多故。弊敗為無所直。惡業多故造無間罪。或殺父母或傷害賢聖或要時榮貴讒賊忠貞殘害親戚。復次世間眾生善好者少。弊惡者多。或時雖有善行貧賤鄙陋。或雖富貴端政而所行不善。或雖好布施而貧乏無財。或雖富有財寶。而慳惜貪著不肯布施。或見人有所思默無所說。便謂憍高自畜不下接物。或見好下接物恩惠普潤。便謂欺誑諂飾。或見能語善論。便謂恃是小智以為憍慢。或見質直好人。便共欺誑調捉引挽陵易。或見善心柔濡。便共輕陵踏蹴不以理遇。若見持戒清淨者。便謂所行矯異輕賤不數。如是等眾生弊惡無一可樂土地。惡者一切土地多衰無吉。寒熱飢渴疾病惡疫毒氣侵害老病死畏無處不有。身所去處眾苦隨之無處得免。雖有好國豐樂安隱。多為諸煩惱所惱則不名樂土。一切皆有二種苦。身苦心苦。無國不有如說 有國土多寒 或有國多熱 有國無救護 或有國多惡 有國常飢餓 或有國多病 有國不修福 如是無樂處 眾生土地有如是惡。思惟世間無一可樂。欲界惡事如是。上二界死時退時。大生懊惱甚於下界。譬如極高處墮摧碎爛壞。問曰。無常想苦想無我想一切世間不可樂想。有何等異而別說。答曰。有二種觀。總觀別觀。前為總觀此中別觀。復有二種觀。法觀眾生觀。前為呵一切法觀。此中觀眾生罪惡不同。復次前者無漏道。此中有漏道。前見諦道今思惟道。如是等種種差別。一切地中攝緣三界法。是名一切世間不可樂想。』 |
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不沒心者。先已種種因緣說。菩薩聞是不沒不畏相 |
心を没せずとは、先に已に種種の因縁もて説かく、『菩薩是れを聞きても、没せず、畏れざる相なり。』と。 |
『心を没しない!』とは、――
先に、
已に、
種種の、
『因縁』で、こう説いた、――
『菩薩』は、
是れを、
『聞いて!』も、
『没することもなく!』、
『畏れることもない!』が、
是の、
『相』を、
『心が没しない!』と、
『称する!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩心不沒。二種識處心不生故。是名心不沒。』 |
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不生二識處者。二識處所謂眼色中不生眼識。乃至意法中不生意識。菩薩住是不二門中。觀六識所知皆是虛誑無實。作大誓願。令一切眾生住不二法中離是六識。 |
二識処を生ぜずとは、二識処は、謂わゆる眼、色中に眼識を生ぜず、乃至意、法中に意識を生ぜず。菩薩は、是の不二門中に住して、六識の知る所を観れば、皆、是れ虚誑、無実なれば、大誓願を作さく、『一切の衆生をして、不二法中に住して、是の六識を離れしめん。』、と。 |
『二識処を生じない!』とは、――
『二識処』とは、
謂わゆる、
『眼、色、乃至身、触』中に、
『眼、乃至身識』を、
『生じず!』、
『意、法』中に、
『意識』を、
『生じないからである!』。
『菩薩』は、
是の、
『不二門中に住まって!』、
『六識の知る!』所は、
皆、
『虚誑、無実である!』と、
『観て!』、
『大誓願』を、こう作すのである、――
『一切の衆生』を、
『不二門』中に、
『住まらせて!』、
是の、
『六識より!』、
『離れさせよう!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩心不沒。二種識處心不生故。是名心不沒。』 |
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不惜一切物者。不惜一切物中雖有種種因緣。此因緣最大。所謂菩薩知一切法畢竟空。不憶念滅一切取相。是故於受者不求恩。惠施中無高心。如是具清淨檀波羅蜜。(四地竟) |
一切の物を惜まずとは、一切の物を惜まざる中に、種種の因縁有りと雖も、此の因縁最大なり。謂わゆる、菩薩は、一切の法の畢竟じて空なるを知りて、憶念せず、一切の取相を滅す。是の故に受者に於いて、恩を求めず、恵施する中に、高心無く、是の如く清浄の檀波羅蜜を具するなり。(四地竟れり) |
『一切の物を惜まない!』とは、――
種種の、
『因縁が有って!』、
此の中の、
『最大の因縁』は、
謂わゆる、
『菩薩』は、
『一切の法』は、
『畢竟空である!』と、
『知って!』、
『憶念せず!』、
『一切の法』に於いて、
『相』を、
『取る!』ことを、
『滅するからである!』。
是の故に、
『受者』に、
『恩を返すよう!』、
『求めず!』、
『恵施する!』中にも、
『高心』が、
『無い!』。
是のようにして、
『清浄な!』、
『檀波羅蜜』を、
『具えるのである!』。 ――四地竟る――
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩不惜一切物。於一切物不著不念。是名不惜一切物。是為菩薩於四地中不捨十法。』 |
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遠離親白衣者。行者以妨道故出家。若復習近白衣。則與本無異。以是故。行者先求自度然後度人。 |
白衣に親しむを遠離すとは、行者は道を妨ぐるを以っての故に、出家すればなり。若し復た、習いて白衣に近づかば、則ち本と異無し。是を以っての故に、行者は先に求めて、自ら度し、然る後に人を度すなり。 |
『白衣』に、
『親しむ!』ことを、
『遠離する!』とは、――
『行者』は、
『家に居れば!』、
『道を妨げられる!』が故に、
『出家したのである!』から、
若し、
復た、
『白衣』に、
『習近(親近)すれば!』、
則ち、
『本と!』、
『異ならないことになる!』。
是の故に、
『行者』は、
先に、
『自ら!』、
『度する!』ことを、
『求めて!』、
『その後に!』、
『人』を、
『度すのである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離親白衣。菩薩出家所生從一佛界至一佛界。常出家剃頭著染衣。是名遠離親白衣。』 |
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若未能自度而欲度人者。如不知浮人欲救於溺相與俱沒。是菩薩遠離親白衣。則能集諸清淨功德。深念佛故。變身至諸佛國。出家剃頭著染衣。所以者何。常樂出家法。不樂習近白衣故。 |
若し、未だ自ら度する能わざるに、人を度せんと欲せば、浮くことを知らざる人の、溺れたるを救わんと欲すれど、相与倶(とも)に没するが如し。是の菩薩、白衣に親しむを遠離すれば、則ち能く諸の清浄の功徳を集め、深く仏を念ずるが故に、身を変じて、諸の仏国に至り、出家、剃頭し、染衣を著く。所以は何んとなれば、常に出家の法を楽しんで、習いて白衣に近づくを楽しまざるが故なり。 |
若し、
未だ、
自ら、
『度すことができない!』のに、
『人』を、
『度そうとすれば!』、
譬えば、
『浮く!』ことを、
『知らない人』が、
『溺れた!』者を、
『救おうとすれば!』、
『皆!』、
『与(とも)に!』、
『没むようなものである!』。
是の、
『菩薩』が、
『白衣』に、
『親しむ!』ことを、
『遠離すれば!』、
則ち、
『諸の清浄の功徳』を、
『集めることができ!』、
深く、
『仏を念じる!』が故に、
『身を変じて!』、
『諸の仏国』に、
『至り!』、
『出家して!』、
『剃頭し!』、
『染衣を著けることになる!』。
何故ならば、
常に、
『出家の法』を、
『楽しんで!』、
『白衣』に、
『習近する!』ことを、
『楽しまないからである!』。
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遠離比丘尼者。如初品中說。 |
比丘尼を遠離すとは、初品中に説けるが如し。 |
『比丘尼を遠離する!』とは、――
『初品』中に、
『説いた通りである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離比丘尼。不共比丘尼住。乃至彈指頃亦不生念。是名遠離比丘尼。』
参考:『大智度論巻3共摩訶比丘僧釈論』:『佛言女人為戒垢。女人非戒垢。是戒垢因故。言女人為戒垢。如人從高處墮未至地言此人死。雖未死知必死故。言此人死。』 |
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問曰。菩薩等心視一切眾生。云何不得共住。 |
問うて曰く、菩薩は等心もて、一切の衆生を見る。云何が、共住するを得ざる。 |
問い、
『菩薩』は、
『等心』で、
『一切の衆生』を、
『視る!』のに、
何故、
『共に!』、
『住むことができないのですか?』。
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答曰。是菩薩未得阿鞞跋致。未斷諸漏集諸功德人所樂著。以是故不得共住。又為離人誹謗。若誹謗者墮地獄故。 |
答えて曰く、是の菩薩は、未だ阿鞞跋致を得ず、未だ諸の漏を断ぜざるも、諸の功徳を集むれば、人の楽著する所なり。是を以っての故に、共住するを得ず。又人の誹謗を離れんが為なり、若し誹謗すれば、地獄に堕つるが故なり。 |
答え、
是の、
『菩薩』は、
未だ、
『阿鞞跋致』を、
『得ていない!』し、
未だ、
『諸の漏』を、
『断じていない!』のに、
諸の、
『功徳』や、
『人の楽著する』所を、
『集めている!』ので、
是の故に、
『共に住む!』のは、
『適当でない!』。
又、
『人の誹謗』を、
『離れる!』為にも、
『共に住むことはできない!』。
何故ならば、
『誹謗すれば!』、
『地獄』に、
『堕ちるからである!』。
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遠離慳惜他家者。菩薩作是念。我自捨家尚不貪不惜。云何貪惜他家。菩薩法欲令一切眾生得樂。彼人助我與眾生樂。云何慳惜。眾生先世福德因緣。今世少有功夫故得供養我。何以慳嫉。 |
他家に慳惜するを遠離すとは、菩薩は、是の念を作さく、『我れは、自ら家を捨つるも、尚お貪らず、惜まず。云何が、他家の貪惜せん。菩薩の法は、一切の衆生をして、楽を得しむるに、彼の人は、我れを助けて、衆生に楽を与う。云何が、慳惜せん。衆生は、先世の福徳の因縁と、今世の少しく功夫有るが故に供養を得るに、我れ、何を以ってか、慳嫉せん。』と。 |
『他家』に、
『慳惜する!』ことを、
『遠離する!』とは、――
『菩薩』は、
こう念じるからである、――
わたしは、
自ら、
『家』を、
『捨てたほどであり!』、
尚( ねが)って、
『貪ることもなく!』、
『惜むこともない!』。
何故、
『他家』を、
『貪ったり!』、
『惜んだりするのか?』。
『菩薩の法』は、
一切の、
『衆生』に、
『楽を得させたい!』と、
『思うものである!』。
彼の、
『人』は、
わたしを助けて、
『衆生』に、
『楽を与えている!』。
何故、
わたしが、
『慳惜するのか?』。
『衆生』には、
先世に、
『福徳の因縁』と、
今世に、
『少しの功夫』が、
『有る!』が故に、
わたしは、
『供養』を
『得ているのである!』。
何故、
『慳んだり!』、
『嫉んだりするのか?』、と。
|
尚(じょう):<副詞>[本義]尚且つ( still, yet, even )。ねがう/希望する( wish )、殆ど( nearly )。<動詞>尊ぶ/尊崇する(
worship, revere )、重視する( pay attention to )、敬愛する( hold somebody in high
esteem )、助ける/祐助する( assist )、ほめる/誇示する( show off )、なお/まさる/上回る/超過する( surpass
)、奉ぐ( present )、増やす/加える( increase )、えらぶ/推挙/選抜する( value highly )、好む/愛好する(
like )。<名詞>志向/願望( aspirations )。<形容詞>久しい/遠い/久遠( remote, ages ago )、自負する/驕傲になる(
be conceited )、気高い/高尚な( noble )。
慳惜(けんじゃく):けちって物をおしむ。
功夫(くふう):てだて。思慮をめぐらすこと。工夫。
供養(くよう):飲食物をもって自らを養うこと。
慳嫉(けんしつ):おしんでねたむ。吝嗇と嫉妬。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離慳惜他家。菩薩如是思惟。我應安樂眾生。他今助我安樂云何生慳。是名遠離慳惜他家。』 |
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遠離無益談說者。此即是綺語。為自心他心解愁事。說王法事賊事大海山林藥草寶物諸方國土如是等事。無益於福無益於道。 |
無益の談説を遠離すとは、此れは、即ち是れ綺語にして、自心、他心の愁事を解かんが為に、王法の事、賊の事、大海、山林、薬草、宝物、諸方の国土、是の如き等の事を説くも、福に於いて無益、道に於いても無益なり。 |
『無益の談説』を、
『遠離する!』とは、――
此の、
『無益の談説』とは、
『綺語である!』。
即ち、
『自心、他心』の、
『愁事』を、
『解く!』為の故に、
『王法の事、賊の事、大海、山林、薬草、宝物、諸方の国土』等、
是れ等の、
『事を説く!』のは、
則ち、
『福』にも、
『道』にも、
『無益だからである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離無益談處。若有談處。或生聲聞辟支佛心我當遠離。是名遠離無益談處。』 |
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菩薩愍念一切眾生沒在無常苦火。我當救濟。云何安坐空說無益之事。如人失火四邊俱起。云何安處其內語說餘事。此中佛說。若說聲聞辟支佛事。猶為無益之言。何況餘事。 |
菩薩の愍念すらく、『一切の衆生は没して、無常の苦火に在り。我れは当に救済すべし。云何が安坐して、空しく無益の事を説かん。人失火して、四辺倶に起るが如く、云何が其の内に安処し、語りて余の事を説かんや。』と。此の中に、仏の説きたまわく、『若し声聞、辟支仏の事を説かば、猶お無益の言と為す。何に況んや、余の事をや。』と。 |
『菩薩』は、こう憐愍する、――
一切の、
『衆生』は、
『無常、苦の火』中に、
『没している!』ので、
わたしは、
『救済しなくてはならない!』。
何故、
『安坐して!』、
『空しく!』、
『無益の事』を、
『説いているのか?』。
譬えば、
『人』が、
『失火して!』、
『四辺』に、
何故、
其の、
『内』に、
『安処して!』、
余の、
『事』を、
『語っているのか?』、と。
此の中に、
『仏』は、こう説かれている、――
若し、
『声聞、辟支仏』の、
『事』を、
『説けば!』、
猶お、
『無益の言』を、
『語ることになる!』。
況して、
『余の事ならば!』、
『尚更である!』、と。
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猶(ゆ):<名詞>[本義]猿/猴に賊する獣の名( a kind of monkey )。<動詞>の如し/に同じ( like )、躊躇する/優柔不断/ぐずぐずする(
shilly-shally )。<副詞>尚お( still, yet )、過ぎる/過分( too )。 |
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遠離瞋恚者。心中初生名瞋心。以未定故。瞋心增長事定打斫殺害。是名惱心。惡口讒謗。是名訟心。若殺害打縛等。是名鬥心。菩薩大慈悲眾生故。則不生是心。常防此惡心不令得入。 |
瞋恚を遠離すとは、心中に初めて生ずるを、瞋心と名づく。未だ定まらざるが故なり。瞋心増長して、事定まり、打斫、殺害すれば、是れを悩心と名づけ、悪口、讒謗すれば、是れを訟心と名づけ、若しくは殺害、打縛等は、是れを闘心と名づく。菩薩は衆生を大慈悲するが故に、則ち是の心を生ぜず。常に此の悪心を防いで、入るを得しめず。 |
『瞋恚を遠離する!』とは、――
『心』中に、
初めて、
『生じて!』、
未だ、
『定まらない!』のを、
『瞋心』と、
『呼び!』、
『瞋心が増長して!』、
『事が定まり!』、
『打、斫し!』、
『殺害すれば!』、
是れを、
『悩心』と、
『呼ぶ!』。
『悪口し!』、
『讒謗すれば!』、
若し、
『殺害、打、縛等に及べば!』、
是れを、
『闘心』と、
『呼ぶのである!』が、
『菩薩』は、
『衆生』を、
『大慈悲する!』が故に、
是の、
『心』を、
『生じさせず!』、
常に、
『心』を、
『防禦して!』、
此の、
『悪心』を、
『入らせない!』。
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打斫(だしゃく):うつことと切ること。
讒謗(ざんぼう):讒訴してそしる。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離瞋恚。不令瞋心惱心鬥心得入。是名遠離瞋恚。』 |
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遠離自大蔑人者。不見內外法。所謂受五眾不受五眾。 |
自大し人を蔑むを遠離すとは、内外の法を見ざればなり。謂わゆる受けたる五衆と、受けざる五衆となり。 |
『自ら尊大にする!』ことと、
『人を軽蔑する!』こととを、
『遠離する!』とは、――
『内、外』に、
『法』を、
『見ないからである!』。
謂わゆる、
『五衆』を、
『受ける!』と、
『見ることもなく!』、
『五衆』を、
『受けない!』と、
『見ることもない!』。
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自大(じだい):自ら大物だと思うこと。 |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離自大。所謂不見內法故。是名遠離自大。云何菩薩遠離蔑人。所謂不見外法故。是名遠離蔑人。』 |
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遠離十不善道者。菩薩觀十不善道中過罪種種因緣。如先說。此中佛說十不善道破小乘。何況大乘。 |
十不善道を遠離すとは、菩薩は、十不善道中に、過罪の種種の因縁を観ること、先に説くが如し。此の中に、仏の説きたまわく、『十不善道は、小乗すら破す。何に況んや、大乗をや。』と。 |
『十不善道を遠離する!』とは、――
『菩薩』は、
『十不善道』中に、
『過罪に至る!』、
『種種の因縁』を、
『観るからである!』。
例えば、
先に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、こう説かれている、――
『十不善道』は、
『小乗』を、
『破る!』。
況して、
『大乗』は、
『言うまでもない!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離十不善道。是十不善道能障八聖道。何況阿耨多羅三藐三菩提。是名遠離十不善道。』 |
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遠離大慢者。菩薩行十八空。不見諸法定有大小相。 |
大慢を遠離すとは、菩薩は、十八空を行じて、諸法に、定んで大、小の相有るを見ず。 |
『大慢を遠離する!』とは、――
『菩薩』が、
『十八空』を、
『行えば!』、
『諸法の大小の相』が、
『定まって有る!』と、
『見ることはない!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離大慢。是菩薩不見法可作大慢者。是名遠離大慢。』 |
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遠離自用者。拔七種憍慢根本故。又深樂善法故。 |
自ら用うるを遠離すとは、七種の憍慢の根本を抜くが故なり。又深く善法を楽しむが故なり。 |
『自用を遠離する!』とは、――
『七種の憍慢』の、
『根本』を、
『抜くからであり!』、
又、
『善法』を、
『深く楽しむからである!』。
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七種憍慢(しちしゅきょうまん):憍慢に七種の別あるを云う。『大智度論巻49(下)注:憍、慢、憍慢、七慢』参照。
憍(きょう):梵語末陀madaの訳。心所の名。七十五法の一。百法の一。他に対せずして但だ自ら自己の種性色力財位智等に染著し、心をして高挙ならしむる精神作用を云う。「倶舎論巻4」に、「憍とは謂わく自法に染著するを先となし、心をして傲逸ならしめ、顧みるところなき性なり」と云い、「成唯識論巻6」に、「云何が憍となす。自の盛なることに於いて深く染著を生じて、酔傲するを性となし、能く不憍を障えて染の依たるを業となす」と云える是れなり。蓋し憍は染著高挙の義なること慢と等しきも、慢は他に対して挙恃する相を云うが故に自他の別あり。又有部にては之を七十五法の中、小煩悩地法の一とし、別体ありとなすも、唯識家にては百法の中、小随煩悩の一とし、貪愛の一分を体とし、貪を離れて別の相用なしとせり。又「大毘婆沙論巻42、43」、「倶舎論巻21」、「同光記巻4、21」、「成唯識論述記巻6末」、「百法問答鈔巻1」等に出づ。<(望)
慢(まん):梵語maanaの訳。巴梨語同じ。心所の名。七十五法の一。百法の一。他に対して自ら挙恃する精神作用を云う。「大毘婆沙論巻43」に、「心挙恃し、心自ら取る、是れを慢と謂う」と云い、「倶舎論巻4」に、「慢は謂わく他に対して心の自挙する性なり。自他の徳類の差別を称量して心自ら挙恃し、他を凌懱するが故に名づけて慢と為す」と云える是れなり。即ち見修所断の煩悩にして三界に通じ、説一切有部にては之を不定地法に摂し、又六随眠、十随眠の一とし、唯識家にては六根本煩悩の一となすなり。蓋し慢には多種の別あり、「大毘婆沙論巻43」、「倶舎論巻19」等には、慢、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、卑慢、邪慢の七種あることを説き、又「発智論巻20」、「大毘婆沙論巻199」、「倶舎論巻19」等には、我勝慢、我等慢、卑慢、有勝我慢、有等我慢、有劣我慢、無勝我慢、無等我慢、無劣我慢の九類を分別せり。此の中、九慢は七慢の中の慢と過慢と卑慢との三類より離出せしものにして、即ち初及び後は各順次に慢と過慢と卑慢とに当り、中の三は順次に卑慢と慢と過慢とを開せるなり。又「瑜伽師地論巻58」に、慢は諸見、諸有情、受用欲、諸後有の四処に於いて起るものとなし、之に不惑乱慢と惑乱慢の二種あることを説き、下劣に於いて己を計して勝となし、等に於いて等と計して憍慢を生ずるを不惑乱慢とし、余の六慢を惑乱慢と名づけ、又鄙劣の資具を受用するに由りて自ら富楽と謂うを不惑乱慢と名づけ、邪行に由りて後有勝なりと謂うを惑乱慢とし、正行に由りて後有勝なりと謂うを不惑乱慢と名づくと云えり。又「法華経論巻下」には、法華七喩を以って七種の増上慢に配し、火宅喩は顛倒求諸功徳増上慢心、窮子喩は声聞一向決定増上慢心、雲雨喩は大乗一向決定増上慢心、化城喩は実無謂有増上慢心、繋珠喩は散乱増上慢心、頂珠喩は実有功徳増上慢心、医師喩は実無功徳増上慢心を対治するの意なりとし、法蔵の「梵網経菩薩戒本疏巻5」には、聡明慢、世智慢、高貴慢、耆年慢、大姓慢、高門慢、解慢、福慢、富慢、宝慢の十種の別を出せり。又慢は自心高挙の性なるが故に俗に自慢或いは高慢と云う。又「品類足論巻1」、「大毘婆沙論巻49、50」、「成唯識論巻4」、「倶舎論光記巻4、9」、「摩訶止観巻5上」、「成唯識論述記巻6末」、「大乗法相宗名目巻2上」等に出づ。<(望)
憍慢(きょうまん):梵語adhi-maanaの訳。巴梨語同じ。自ら高ぶり他を下げすむ心状なり。「修行道地経巻1集散品」に、「常に寂然として定を行ずることを得。当に憍慢、及び軽戯を捨つべし」と云い、「法華経巻4安楽行品」に、「諸仏世尊に於いて無上の父の想を生じ、憍慢心を破せば法を説くに障礙なし」と云い、「無量寿経巻下」に、「憍慢と弊と懈怠とは、以って此の法を信じ難し」と云える其の例なり。「大般涅槃経巻11現病品」には九慢の一に数え、「成実論巻10憍慢品」には、九慢の総名として之を挙げ、又「仏為首迦長者説業報差別経」には、阿修羅の報を招くべき十業の一とせり。<(望)
七慢(しちまん):七種の慢の意。即ち己を恃みて高挙する煩悩に七種の別あるを云う。一に慢maana、二に過慢adhi-maana、三に慢過慢maanaati-m.、四に我慢asmi-m.、五に増上慢abhi-m.、六に卑慢uuna-m.、七に邪慢mithyaa-m.なり。「品類足論巻1辯五事品」に、「慢結とは云何、謂わく七慢類なり。即ち慢、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、卑慢、邪慢なり。慢とは劣に於いて己れ勝なりと謂い、或いは等に於いて己れ等しと謂う。此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。過慢とは等に於いて己れ勝なりと謂い、或いは勝に於いて己れ等しと謂う。此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。慢過慢とは勝に於いて己れ勝なりと謂う、此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。我慢とは五取蘊等に於いて随って観じて我或いは我所を執す、此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。増上慢とは未だ得ざる所の上勝証の法に於いて我れ已に得たりと謂い、未だ至らざる所の上勝証の法に於いて我れ已に至れりと謂い、未だ触せざる所の上勝証の法に於いて我れ已に触せりと謂い、未だ証せざる所の上勝証の法に於いて我れ已に証せりと謂う。此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。卑慢とは他の多く勝なるに於いて自ら少しく劣なりと謂う、此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す。邪慢とは実に徳なきに於いて我れ徳ありと謂う、此の正慢已慢当慢に由りて心高挙し心恃蔑す」と云える是れなり。此の中、増上慢と邪慢とは倶に未得の処に於いて起ると雖も、増上慢は通じて、有と無と、已得と未得と、等功徳と勝功徳と似功徳と実功徳との処に於いて起り、邪慢は唯無及び未得等の処に於いてのみ起る。又増上慢は内外道、異生及び聖者に通じ、邪慢は唯外道異生に限るを異とす。此の七は皆見所断修所断に通じ、又欲色無色の三界に通ずるなり。但し諸経論に出せる名称及び順位は異同あり、「舍利弗阿毘曇論巻19」には、慢、不如慢、勝慢、増上慢、我慢、邪慢、慢中慢とし、「鞞婆沙論巻3」には、慢増上慢、慢増慢、我慢、欺慢、不如慢、邪慢とし、「文殊問経巻上」には、憍慢、慢慢、増上慢、我慢、不如慢、勝慢、邪慢とし、又「成実論巻10」には、慢、大慢、慢慢、我慢、増上慢、不如慢、邪慢、傲慢の八慢を挙げたり。又「大方等大集経巻2」、「大毘婆沙論巻43」、「倶舎論巻19」、「同光記巻19」、「大乗五蘊論」、「成唯識論述記巻6末」、「大乗法相宗名目巻2上」、「大明三蔵法数巻30」等に出づ。<(望) |
参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離自用。是菩薩不見是法可自用者。是名遠離自用。』 |
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遠離顛倒者。一切法中常樂淨我不可得故。 |
顛倒を遠離すとは、一切法中に常、楽、浄、我を得べからざるが故なり。 |
『顛倒を遠離する!』とは、――
一切の、
『法』中に、
『常、楽、浄、我』が、
『認められないからである!』。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離顛倒顛倒處不可得故。是名遠離顛倒。』 |
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遠離三毒者。三毒義如先說。又此三毒所緣無有定相。(五地竟) |
三毒を遠離すとは、三毒の義は先に説くが如し。又此の三毒の縁ずる所に定相有ること無し。(五地竟れり) |
『三毒を遠離する!』とは、――
『三毒の義』は、
先に、
『説いた通りである!』が、
又、
此の、
『三毒の所縁( 心)』にも、
『定相』が、
『無いからである!』。 ――五地竟る――
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩遠離婬怒癡。婬怒癡處不可見故。是名遠離婬怒癡處。』 |
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六波羅蜜者如先說。此中佛說。三乘之人皆以此六波羅蜜得到彼岸。 |
六波羅蜜とは、先に説くが如し。此の中に、仏の説きたまわく、『三乗の人は、皆、此の六波羅蜜を以って、彼岸に到るを得。』と。 |
『六波羅蜜』とは、
先に、
『説いた通りである!』が、
此の中に、
『仏』は、こう説かれている、――
『三乗の人』は、
皆、
此の、
『六波羅蜜を用いて!』、
『彼岸』に、
『到ることができる!』、と。
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参考:『大智度論巻49』:『云何菩薩住六地中具足六法。所謂六波羅蜜。諸佛及聲聞辟支佛。住六波羅蜜中能度彼岸是名具足六法。』 |
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問曰。此是菩薩地。何以故說聲聞辟支佛得到彼岸。 |
問うて曰く、此れは是れ菩薩の地なり。何を以っての故にか、『声聞、辟支仏は、彼岸に到るを得。』と説く。 |
問い、
此の、
何故、こう説くのですか?――
『声聞、辟支仏』が、
『彼岸』に、
『到ることができる!』、と。
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答曰。佛今說六波羅蜜多有所能。大乘法中則能含受小乘。小乘則不能。 |
答えて曰く、仏の、今説きたまわくは、『六波羅蜜は、多く能くする所有り。大乗法中には、則ち能く小乗を含受するも、小乗は、則ち能わず。』と。 |
答え、
『仏』は、
今、こう説かれたのである、――
『六波羅蜜』には、
『大乗法』中には、
則ち、
『小乗』を、
『含受することができる!』が、
『小乗法』中には、
則ち、
『大乗』を、
『含受することはできない!』、と。
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是菩薩住六地中。具足六波羅蜜。觀一切諸法空。未得方便力。畏墮聲聞辟支佛地。佛將護故說不應生聲聞辟支佛心。 |
是の菩薩は、六地中に住して、六波羅蜜を具足し、一切の諸法の空を観れども、未だ方便力を得ざれば、声聞、辟支仏の地に堕せんことを畏る。仏は将に護らんとしたもうが故に、『応に声聞、辟支仏の心を生ずべからず。』と説きたまえり。 |
是の、
『菩薩』は、
『六地中に住まる!』と、
則ち、
『六波羅蜜を具足して』、
『一切の諸法』に、
『空』を、
『観ることになる!』が、
未だ、
『方便力を得ていない!』ので、
『声聞、辟支仏の地』に、
『堕ちる!』のを、
『畏れる!』。
『仏』は、
是の、
『菩薩』を、
『将(ひき)いて!』、
『護られる!』が故に、
こう説かれた、――
『声聞、辟支仏』の、
『心』を、
『生じてはならない!』、と。
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菩薩深念眾生故。大悲心故。知一切諸法畢竟空故。施時無所惜。見有求者不瞋不憂。布施之後心亦不悔。福德大故信力亦大。深清淨信敬諸佛。具足六波羅蜜。雖未得方便。無生法忍般舟三昧。於深法中亦無所疑。作是念。一切論議皆有過罪。唯佛智慧滅諸戲論。無有闕失故。而能以方便修諸善法。是故不疑(六地竟)
大智度論卷第四十九 |
菩薩は、深く衆生を念ずるが故に、大悲心の故に、一切の諸法の畢竟空なるを知るが故に、施す時に惜む所無く、求むる者有るを見て瞋らず、憂えず、布施の後の心も亦た悔いず、福徳の大なるが故に、信力も亦た大なり。諸仏を深く清浄に信敬して、六波羅蜜を具足すれば、未だ方便、無生法忍、般舟三昧を得ずと雖も、深法中に於いて、亦た疑う所無ければ、是の念を作さく、『一切の論議は、皆、過罪有り。唯だ仏の智慧のみ、諸の戯論を滅して、闕失有ること無きが故に、而も能く方便を以って、諸の善法を修すれば、是の故に疑わず。』と。(六地竟れり)
大智度論巻第四十九 |
『菩薩』は、
『衆生』を、
『深く!』、
『念じる!』が故に、
『心』に、
『大悲』を、
『有する!』が故に、
『一切の諸法』は、
『畢竟空である!』と、
『知る!』が故に、
則ち、
『施す!』時には、
『惜む!』所が、
『無く!』、
『求める者が有る!』のを、
『見ても!』、
『瞋ることもなく!』、
『憂うることもなく!』、
『布施した!』後にも、
『心』に、
『悔いることなく!』、
『福徳が大である!』が故に、
亦た、
『信力』も、
『大であり!』、
諸の、
『仏』を、
『深く清浄に!』、
『信敬して!』、
『六波羅蜜』を、
『具足する!』が故に、
未だ、
『方便』も、
『無生法忍』も、
『般舟三昧』も、
『得ていない!』が、
亦た、
『深法』中に、
『疑う!』所が、
『無い!』ので、
こう念じている、――
一切の、
唯だ、
『仏の智慧( 般若波羅蜜)』のみ!、
諸の、
『戯論を滅して!』、
『欠失』が、
『無い!』が故に、
而も、
『方便を用いて!』、
諸の、
『善法』を、
『修めることができる!』が故に、
是の故に、
『仏』の、
『智慧』を、
『疑うことはない!』、と。 ――六地竟る――
大智度論巻第四十九 |
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