【論】釋曰。字等語等者。是陀羅尼於諸字平等無有愛憎。又此諸字因緣未會時。亦無終歸亦無現在亦無所有。但住吾我心中。憶想分別覺觀心說。是散亂心說不見實事。如風動水則無所見。等者與畢竟空涅槃同等。菩薩以此陀羅尼。於一切諸法通達無礙。是名字等語等。 |
字等語等とは、是の陀羅尼は諸字に於いて平等にして愛憎有ること無く、又此の諸字は、因縁の未だ会せざる時には亦た終帰無く、亦た現在無く、亦た無所有にして但だ吾我心中に住して、憶想、分別、覚観の心もて説くのみなれば、是れ散乱心の説にして、実事を見ざること、風の水を動かせば、則ち所見無きが如し。等とは畢竟空、涅槃と同等なればなり。菩薩は、此の陀羅尼を以って、一切の諸法に於いて通達、無礙なれば、是れを字等、語等と名づく。 |
釈す、
『字等、語等』とは、
是の、
『字等、語等の陀羅尼』は、
『諸字に於いて!』、
『平等であり!』、
『愛憎が無く!』、
此の、
『諸字』は、
『諸字の因縁に、未だ会わない!』時には、
『終帰が無く( there is not any issue )!』、
『現在も無く( there is not any present being )!』、
『所有も無く( there is not any things existing )!』、
但だ、
『吾我心中に住して!』、
『憶想、分別、覚観の心が説くだけである!』。
是の、
『散乱心の説』には、
『実事を見ない!』ので、
譬えば、
『風が水を動かせば!』、
『見る所が無くなるようなものである!』。
『等』とは、
『字、語』が、
『畢竟空や、涅槃』と、
『同等だからである!』。
『菩薩』は、
此の、
『字等、語等の陀羅尼を用いれば!』、
『一切の諸法』に、
『通達して!』、
『無礙である!』。
是れを、
『字等、語等』と、
『称する!』。
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字等(じとう):梵語 akSara-samataa の訳、文字/語に於ける平等性( the equality in letter or word
)の義。
語等(ごとう):梵語 vaak-samataa の訳、語/句/文章に於ける平等性( the equality in word, phrase or sentence )の義。
終帰(しゅうき):梵語 paryavasaana の訳、最後/終結( the end, termination )、結末/問題点( issue )の義。 |
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問曰。若略說則五百陀羅尼門。若廣說則無量陀羅尼門。今何以說是字等陀羅尼。名為諸陀羅尼門。 |
問うて曰く、若し略説すれば、則ち五百陀羅尼門なり。若し広説すれば、則ち無量の陀羅尼門なり。今は何を以ってか、是の字等の陀羅尼を説いて、名づけて諸の陀羅尼門と為す。 |
問い、
若し、
『略説すれば!』、
『五百の陀羅尼門があり!』、
若し、
『広説すれば!』、
『無量の陀羅尼門がある!』のに、
今は
何故、
是の、
『字等の陀羅尼を説くだけで!』、
『諸の陀羅尼門と称するのですか?』。
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答曰。先說一大者。則知餘者皆說。此是諸陀羅尼初門。說初餘亦說。 |
答えて曰く、先に一の大を説けば、則ち餘の者を皆説けりと知る。此れは是れ諸の陀羅尼の初門なるも、初を説けば、餘も亦た説けり。 |
答え、
先に、
『大を一説けば!』
『餘の者は、皆説かれた!』と、
『知ることになる!』ので、
此の、
『字等語等の門は、諸の陀羅尼の初門でありながら!』、
『初の門を説けば!』、
『餘の門も説かれたことになるのである!』。
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復次諸陀羅尼法。皆從分別字語生。四十二字是一切字根本。因字有語因語有名因名有義。菩薩若聞字因字。乃至能了其義。是字初阿後荼。中有四十。 |
復た次ぎに、諸の陀羅尼の法は、皆字語を分別するより生ず。四十二字は、是れ一切字の根本なり。字に因って語有り、語に因って名有り、名に因って義有り。菩薩は若し字を聞けば、字に因って、乃至能く其の義を了す。是の字は初は阿、後は荼にして中に四十有り。 |
復た次ぎに、
『諸の陀羅尼の法』は、
皆、
『字、語を分別することにより!』、
『生じる!』が、
『四十二字は、一切の字の根本であり!』、
『字に因って!』、
『語』が、
『有り!』、
『語に因って!』、
『名( a sentence )』が、
『有り!』、
『名に因って!』、
『義( the meaning )』が、
『有る!』。
『菩薩』が、
若し、
『字を聞けば、字に因って!』、
其の、
『義』を、
『了することができる( can understand the meaning )!』。
是の、
『字』は、
『初が阿、後が荼であり!』、
『中に、四十有る!』。
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名(みょう):◯梵語 naaman の訳、名/名称/固人名/名詞/実体/本質( a name, appellation, personal name,
noun, substance, essence )の義。◯梵語 naama の訳、~と呼ばれる/名為( by name id est named, called )、全く/確かに/勿論( indeed, certainly, of cause )、のような/外見的には( quasi, only in appearance )、しかしながら/にもかかわらず( however, nevertheless )の義。 |
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得是字陀羅尼。菩薩若一切語中聞阿字即時隨義。所謂一切法從初來不生相。阿提秦言初。阿耨波陀秦言不生。 |
是の字陀羅尼を得たる菩薩は、若し一切の語中に阿字を聞けば、即時に義に随う。謂わゆる一切法は、初より来、不生の相なり、と。阿提を秦に初と言い、阿耨波陀を秦に不生と言えばなり。 |
是の、
『字陀羅尼を得た菩薩』が、
若し、
『一切の語』中に、
『阿字( a )』を、
『聞けば!』、
即時に、
『義』に、
『随う!』。
謂わゆる、
『一切の法』は、
『初より!』、
『不生相である!』、と。
何故ならば、
『阿提( aadi )』を、
秦に、
『初と言い!』、
『阿耨波陀( anutpaada )』を、
秦に、
『不生と言うからである!』。
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阿提(あだい):梵語aadi。最初/開始( biginning, commencement )の義。
阿耨波陀(あのくはだ):梵語anutpaada。不生( non-production, not coming into existence )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『阿字門。一切法初不生故。』 |
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若聞羅字即隨義知一切法離垢相。羅闍秦言垢。若聞波字即時知一切法入第一義中。波羅木陀秦言第一義。若聞遮字即時知一切諸行皆非行。遮梨夜秦言行。 |
若し羅字を聞けば、即ち義に随って、『一切法は離垢の相なり』、と知る。羅闍を秦に垢と言えばなり。若し波字を聞けば、即時に『一切法は第一義中に入る』、と知る。波羅木陀を秦に第一義と言えばなり。若し遮字を聞けば、即時に『一切の諸行は皆行に非ず』、と知る。遮利夜を秦に行と言えばなり。 |
若し、
『羅字( ra )を聞けば、即ち義に随って!』、
『一切法は、離垢の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『羅闍( rajas )』を、
『秦に、垢と言うからである!』。
若し、
『波字( pa )を聞けば、即時に!』、
『一切法は、第一義中に入る!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『波羅木陀( pramaartha )』を、
『秦に、第一義と言うからである!』。
若し、
『遮字( ca )を聞けば、即時に!』、
『一切の諸行は、皆行でない!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『遮利夜( carya )』を、
『秦に、行と言うからである!』。
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羅闍(らじゃ):梵語rajas。塵( dust )の義、不純/垢穢( impurity, dirt )の意。
波羅木陀(はらもくだ):梵語paramaartha。第一義( the highest truth )の義。
遮梨夜(しゃりや):梵語carya, caryaa。実行/実践( practising, performing )の義、修行( the practice
of discipline )の意。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『羅字門。一切法離垢故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『波字門。一切法第一義故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『遮字門。一切法終不可得故。諸法不終不生故。』 |
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若聞那字即知一切法不得不失不來不去。那秦言不。若聞邏字即知一切法離輕重相。邏求秦言輕。若聞陀字即知一切法善相。陀摩秦言善。 |
若し那字を聞けば、即ち『一切法は不得、不失、不来、不去なり』、と知る。那を秦に不と言えばなり。若し邏字を聞けば、即ち『一切法は軽重の相を離る』、と知る。邏求を秦に軽と言えばなり。若し陀字を聞けば、即ち『一切法は、善相なり』、と知る。陀摩を秦に善と言えばなり。 |
若し、
『那字( na )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は不得、不失、不来、不去である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『那( na )』を、
『秦に、不と言うからである!』。
若し、
『邏字( la )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は軽、重の相を離れる!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『邏求( laghu )』を、
『秦に、軽と言うからである!』。
若し、
『陀字( da )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は善相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『陀摩( dama )』を、
『秦に、善と言うからである!』。
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那(な):梵語na。否定( not, no, neither )、空虚( vacant, empty )、似た( like, as, as it
were )の義。
邏求(らぐ):梵語laghu。軽( light )の義。
陀摩(だま):梵語dama。自制/刑罰/善い( self-command, self-restraint, self-control, punishment,
fine )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『那字門。諸法離名性相不得不失故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『邏字門。諸法度世間故。亦愛支因緣滅故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『陀字門。諸法善心生故。亦施相故。』 |
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若聞婆字即知一切法無縛無解。婆陀秦言縛。若聞荼字即知諸法不熱相。南天竺荼闍他秦言不熱。若聞沙字即知人身六種相。沙秦言六。 |
若し婆字を聞けば、即ち『一切法は無縛、無解なり』、と知る。婆陀を秦に縛と言えばなり。若し荼字を聞けば、即ち『諸法は不熱の相なり』、と知る。南天竺の荼闍他を秦に不熱と言えばなり。若し沙字を聞けば、即ち『人身は、六種の相なり』、と知る。沙を秦に六と言えばなり。 |
若し、
『婆字( ba )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は無縛、無解である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『婆陀( bandha )』を、
『秦に、縛と言うからである!』。
若し、
『荼字( Da )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は不熱の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『南天竺の荼闍他』を、
『秦に、不熱と言うからである!』。
若し、
『沙字( Sa )を聞けば!』、
即ち、
『人身は、六種の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『沙( SaS )』を、
『秦に、六と言うからである!』。
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婆陀(ばだ):梵語bandha, bandhana、結/縛( tying, binding )の義。baddhaは縛せらるの義。
荼闍他(だじゃた):南天竺の俗語Dahati(焼く dahati の義)に関連ありや?。
沙(しゃ):梵語SaS。六( six )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『婆字門。諸法婆字離故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『荼字門。諸法荼字淨故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『沙字門。諸法六自在王性清淨故。』 |
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若聞和字即知一切諸法離語言相。和(于波反)波他秦言語言。若聞多字即知諸法在如中不動。多他秦言如。若聞夜字即知諸法入實相中不生不滅。夜他跋秦言實。 |
若し和字を聞けば、即ち『一切の諸法は語言の相を離る』、と知る。和波他を秦に語言と言えばなり。若し多字を聞けば、即ち『諸法は如中に在りて不動なり』、と知る。多他を秦に如と言えばなり。若し夜字を聞けば、即ち『諸法は実相中に入れば、不生不滅なり』、と知る。夜他跋を秦に実と言えばなり。 |
若し、
『和字( va )を聞けば!』、
即ち、
『一切の諸法は語言の相を離れる!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『和波他( vaada )』を、
『秦に、語言と言うからである!』。
若し、
『多字( ta )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は如中に在りて、不動である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『多他( tathaa )』を、
『秦に、如と言うからである!』。
若し、
『夜字( ya )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は実相中に入れば、不生不滅である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『夜他跋( yathaavat )』を、
『秦に、実と言うからである!』。
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和波他(わはた):梵語vaada。話す/演説/談話/おしゃべり( speaking of, speech, discourse, talk )の義。
多他(たた):梵語tathaa。如/その通り/このように( so, thus, in that manner )の義。
夜他跋(やたばつ):梵語yathaavat。実に/正に/正しく/適切に/正確に( duly, properly, rightly, suitably,
exactly )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『和字門入諸法語言道斷故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『多字門。入諸法如相不動故』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『夜字門。入諸法如實不生故。』 |
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若聞吒字即知一切法無障礙相。吒婆秦言障礙。若聞迦字即知諸法中無有作者。迦羅迦秦言作者。若聞娑字即知一切法一切種不可得。薩婆秦言一切。 |
若し吒字を聞けば、即ち『一切法は無障礙の相なり』、と知る。吒婆を秦に障礙と言えばなり。若し迦字を聞けば、即ち『諸法中に作者有ること無し』、と知る。迦羅迦を秦に作者と言えばなり。若し娑字を聞けば、即ち『一切法、一切種は不可得なり』、と知る。薩婆を秦に一切と言えばなり。 |
若し、
『吒字( STa )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は無障礙の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『吒婆( STambha )』を、
『秦に、障礙と言うからである!』。
若し、
『迦字( ka )を聞けば!』、
即ち、
『諸法中に、作者は無い!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『迦羅迦( kaaraka )』を、
『秦に、作者と言うからである!』。
若し、
『娑字( sa )を聞けば!』、
即ち、
『一切法、一切種は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『薩婆( sarva )』を、
『秦に、一切と言うからである!』。
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吒婆(たば):梵語stambha, STambha。機能停止/障礙/抑止( stoppage, obstruction, suppression
)の義。
迦羅迦(からか):梵語kaaraka。作者/生産者/創造者( who or what does or produces or creates )の義。
薩婆/娑婆(さば):梵語sarva。全体/全体の/全ての/皆( whole, entire, all, every )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『咤字門。入諸法折伏不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『迦字門。入諸法作者不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『娑字門。入諸法時不可得故。諸法時來轉故。』 |
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若聞摩字即知一切法離我所。摩迦羅秦言我所。若聞伽字即知一切法底不可得。伽陀秦言底。若聞陀字即知四句如去不可得。多陀阿伽陀秦言如去。 |
若し摩字を聞けば、即ち『一切法は我所を離る』、と知る。魔迦羅を秦に我所と言えばなり。若し伽字を聞けば、即ち『一切法の底は不可得なり』、と知る。伽陀を秦に底と言えばなり。若し陀字を聞けば、即ち『四句の如去は不可得なり』、と知る。多陀阿伽陀を秦に如去と言えばなり。 |
若し、
『摩字( ma )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は我所を離れる!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『摩迦羅( mamakaara )』を、
『秦に、我所と言うからである!』。
若し、
『伽字( ga )を聞けば!』、
即ち、
『一切法の底は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『伽陀( gaadha )』を、
『秦に、底と言うからである!』。
若し、
『陀字( tha )を聞けば!』、
即ち、
『四句の如去は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『多陀阿伽陀( tathaagata )』を、
『秦に、如去と言うからである!』。
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魔迦羅(まから):梵語mamakaara。有る事物に関する興味( interesting one's self about anything )の義、我に属する者(
those what/who belongs to one's self )の意。
伽陀(がだ):梵語gaadha。水中の足の着く場所( ground for standing on in water )の義。底/浅瀬( ford
)の意。
多陀阿伽陀(ただあかだ):梵語tathaagata。是の如き( being such a state )の義、来る時も去る時も同じ道を通る者/仏陀( he
who comes and goes in the same way id est Buddha )の意。
四句(しく):総じて有得べき事象を、有句、無句、亦有亦無句、非有非無句の四句を以っていう。
如去(にょこ):過去の諸仏の如く去りし者の意。如来を指す。『大智度論巻42下注:如来』参照。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『磨字門。入諸法我所不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『伽字門。入諸法去者不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『他字門。入諸法處不可得故。』 |
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若聞闍(社音)字即知諸法生老不可得。闍提闍羅秦言生老。若聞濕波字即知一切法不可得。如濕波字不可得。濕簸字無義故不釋。若聞馱字即知一切法中法性不可得。馱摩秦言法。 |
若し闍字を聞けば、即ち『諸法の生老は不可得なり』、と知る。闍提闍羅を秦に生老と言えばなり。若し湿波字を聞けば、即ち『一切法は皆不可得なり』、と知る。湿波の字の不可得なるが如し。湿簸の字に義無きが故に釈せず。若し馱字を聞けば、即ち『一切法中の法性は不可得なり』、と知る。馱摩を秦に法と言えばなり。 |
若し、
『闍字( ja )を聞けば!』、
即ち、
『諸法の生老は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『闍提闍羅( jaati-jaala )』を、
『秦に、生老と言うからである!』。
若し、
『湿波字( sva )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は皆不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『湿波の字が不可得であるように!』、
『湿簸の字は義が無い!』が故に、
『釈すことはない!』。
若し、
『馱字( dha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法中に、法性は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『馱摩( dharma )』を、
『秦に、法と言うからである!』。
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闍提(じゃてい):梵語jaati。誕生/生産( birth, procuction )の義。
闍羅(じゃら):梵語jaraa。老いること/老年( the act of becoming old, old age )の義。
湿波(しっぱ):梵字sva。自己( own, one's own, my own, your own, his own, her own )の義。
駄摩(だま):梵語dharma, dharman。建立された/堅固なる事( that which is established or firm )の義、言葉/法令/経に依って建立されたる義(
the sense or meaning or notion that is established by word or words or
law or doctrine )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『闍字門。入諸法生不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『簸字門。入諸法簸字不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『馱字門。入諸法性不可得故。』 |
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若聞賒字即知諸法寂滅相。賒多(都餓反)秦言寂滅。若聞呿字即知一切法虛空不可得。呿伽秦言虛空。若聞叉字即知一切法盡不可得。叉耶秦言盡。 |
若し賒字を聞けば、即ち『諸法は寂滅相なり』、と知る。賒多を秦に寂滅と言えばなり。若し呿字を聞けば、即ち『一切法は虚空、不可得なり』、と知る。呿伽を秦に虚空と言えばなり。若し叉字を聞けば、即ち『一切法は尽にして不可得なり』、と知る。叉耶を秦に尽と言えばなり。 |
若し、
『賒字( za )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は寂滅相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『賒多( zaanta )』を、
『秦に、寂滅と言うからである!』。
若し、
『呿字( kha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は虚空であり、不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『呿伽( khaga )』を、
『秦に、虚空と言うからである!』。
若し、
『叉字( kSa )を聞けば!』、
即ち、
『一切法の尽は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『叉耶( kSaya )』を、
『秦に、尽と言うからである!』。
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賒多(しゃた):zaanta。息む/静まる/終る/消える( abated, subsided, ceased, stopped, extinguished
)の義、寂静/寂滅( calm, cessation )の意。
呿伽(きゃが):梵語khaga。空気/風( air, wind )の義。
叉耶(しゃや):梵語kSaya。喪失/消耗/終了( loss, waste, end, termination )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『賒字門。入諸法定不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『呿字門。入諸法虛空不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『叉字門。入諸法盡不可得故。』 |
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若聞哆字即知諸法邊不可得。阿利迦哆度求那秦言是事邊得何利。若聞若字即知一切法中無智相。若那秦言智。若聞他字即知一切法義不可得。阿他秦言義。 |
若し哆字を聞けば、即ち『諸法の辺は不可得なり』、と知る。阿利迦哆度求那を秦に是の事の辺に何の利か得んと言えばなり。若し若字を聞けば、即ち『一切法中に智相無し』、と知る。若那を秦に智と言えばなり。若し他字を聞けば、即ち『一切法の義は不可得なり』、と知る。阿他を秦に義と言えばなり。 |
若し、
『哆字( sta )を聞けば!』、
即ち、
『諸法の辺は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『阿利迦哆度求那』を、
『秦に、”是の事の辺に何のような利を得るのか?”と言うからである!』。
若し、
『若字( Ja )を聞けば!』、
即ち、
『一切法中に智相は無い!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『若那( jJaana )』を、
『秦に、智と言うからである!』。
若し、
『他字( tha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法の義は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『阿他( artha )』を、
『秦に、義と言うからである!』。
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阿利迦哆度求那(ありかたどぐな):不詳。
若那(にゃな):梵語jJaana。 知識/高級な知識/善悪の観念( knowing, the higher knowledge, conscience
)の義。
阿他(あた):梵語artha。概念/意味/観念/事物/対象/実体( sense, meaning, notion, thing, object,
substance )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『哆字門。入諸法有不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『若字門。入諸法智不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『拖字門。入諸法拖字不可得故。』 |
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若聞婆字即知一切法不可破相。婆伽秦言破。若聞車字即知一切法無所去。伽車提秦言去。若聞濕麼字即知諸法牢堅如金剛石。阿濕麼秦言石。若聞火字即知一切法無音聲相。火夜秦言喚來。 |
若し婆字を聞けば、即ち『一切法は不可破の相なり』、と知る。婆伽を秦に破と言えばなり。若し車字を聞けば、即ち『一切法は去る所無し』、と知る。伽車提を秦に去と言えばなり。若し湿麼字を聞けば、即ち『諸法の牢堅なること金剛石の如し』、と知る。阿湿麼を秦に石と言えばなり。若し火字を聞けば、即ち『一切法は音声相無し』、と知る。火夜を秦に喚来と言えばなり。 |
若し、
『婆字( bha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は不可破の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『婆伽( bhaaga )』を、
『秦に、破と言うからである!』。
若し、
『車字( cha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は去る所が無い!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『伽車提( gacchati )』を、
『秦に、去と言うからである!』。
若し、
『湿麼字( zma )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は金剛石のように牢堅である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『阿湿麼( azman )』を、
『秦に、石と言うからである!』。
若し、
『火字( hva )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は音声の相が無い!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『火夜( hvaya )』を、
『秦に、喚来( calling 'Come on' )と言うからである!』。
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婆伽(ばが):梵語bhaaga。部分/一部/破片( part, potion, fraction )の義。
伽車提(がしゃてい):梵語gacchati。到達する/触れる/去る( achieve, feel, go )の義。
阿湿麼(あしま):梵語azman。石/岩/貴石( a stone, rock precious stone )。
火夜(かや):梵語hvaya。梵名詞 huu の二人称・単数・現在・命令形。梵 huu は軽蔑/悲嘆等の叫び( an exclamation of
contempt, grief etc. )の義。即ち「おい/どうか!」と呼ぶ( calling 'Come on' or 'Please'
etc. )の意。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『婆字門。入諸法破壞不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『車字門。入諸法欲不可得故。如影五陰亦不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『摩字門。入諸法摩字不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『火字門。入諸法喚不可得故。』 |
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若聞蹉字即知一切法無慳無施相。末蹉羅秦言慳。若聞伽字即知諸法不厚不薄。伽那秦言厚。若聞他(上荼反)字即知諸法無住處。南天竺他那秦言處。 |
若し蹉字を聞けば、即ち『一切法は無慳、無施の相なり』、と知る。末蹉羅を秦に慳と言えばなり。若し伽字を聞けば、即ち『諸法は厚からず、薄からず』、と知る。伽那を秦に厚と言えばなり。若し他字を聞けば、即ち『諸法は住処無し』、と知る。南天竺の他那を秦に処と言えばなり。 |
若し、
『蹉字( tsa )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は無慳・無施の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『末蹉羅( maatsarya )』を、
『秦に、慳と言うからである!』。
若し、
『伽字( gha )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は厚くもなく、薄くもない!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『伽那( ghana )』を、
『秦に、厚と言うからである!』。
若し、
『他字( Tha )を聞けば!』、
即ち、
『諸法は住処が無い!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『南天竺の他那( Thaana : staana )』を、
『秦に、処と言うからである!』。
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末蹉羅(まさら):梵語maatsarya。嫉み/不快/不満足( envy, jelousy, displeasure, dissatisfaction
)の義、慳む/物惜しみする( parsimonious )の意。
伽那(がな):梵語ghana。堅い/しっかりした/密度が高い/厚い( hard, firm, dense, thick )の義。
他那(たな):南天竺の梵語Thaana。梵語にはstaana。適切な場所( proper or right place )、~の為めの場所( place
for )、~の原因/対象( cause or object of )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『嗟字門。入諸法嗟字不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『伽字門。入諸法厚不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『他字門。入諸法處不可得故。』 |
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若聞拏字即知一切法及眾生不來不去不坐不臥不立不起。眾生空法空故。南天竺拏秦言不。若聞頗字。即知一切法因果空故。頗羅秦言果。若聞歌字即知一切法五眾不可得。歌大秦言眾。 |
若し拏字を聞けば、即ち『一切法及び衆生の不来、不去、不坐、不臥、不立、不起なるは衆生空、法空なるが故なり』、と知る。南天竺の拏を秦に不と言えばなり。若し頗字を聞けば、即ち『一切法の因の果なるは空なるが故なり』、と知る。頗羅を秦に果と言えばなり。若し歌字を聞けば、即ち『一切法の五衆は不可得なり』、と知る。歌大を秦に衆と言えばなり。 |
若し、
『拏字( Na:na )を聞けば!』、
即ち、
『一切法と衆生が不来、不去、不坐、不臥、不立、不起である!』のは、
『衆生空、法空だからである!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『南天竺の拏( Na )』を、
『秦に、不と言うからである!』。
若し、
『頗字( pha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法の因が果となる!』のは、
『空だからである!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『頗羅( phala )』を、
『秦に、果と言うからである!』。
若し、
『歌字( ska )を聞けば!』、
即ち、
『一切法中の五衆は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『歌大( skandha )』を、
『秦に、衆と言うからである!』。
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拏(だ):南天竺の梵語Na。梵語にはna。不/無/非( not, nor, neither )の義。
頗羅(はら):梵語phala。果実/帰結/結果( fruit, consequence, result )の義。
歌大(かだい):梵語skandha。群れ/大量の人や物/集合体( troop, multitude, aggregate )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『拏字門。入諸法不來不去不立不坐不臥故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『頗字門。入諸法遍不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『歌字門。入諸法聚不可得故。』 |
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若聞醝字即知醝字空諸法亦爾。若聞遮字即知一切法不動相。遮羅地秦言動。若聞吒字即知一切法此彼岸不可得。吒羅秦言岸。若聞茶字即知一切法必不可得。波茶秦言必。 |
若し醝字を聞けば、即ち『醝字は空にして諸法も亦た爾り』、と知る。若し遮字を聞けば、即ち『一切法は不動相なり』、と知る。遮羅地を秦に動と言えばなり。若し吒字を聞けば、即ち『一切法の此彼の岸は不可得なり』、と知る。吒羅を秦に岸と言えばなり。若し茶字を聞けば、即ち『一切法は必ず不可得なり』、と知る。波茶を秦に必と言えばなり。 |
若し、
『醝字( ysa )を聞けば!』、
即ち、
『醝字は空であり!』、
『諸法も同じである!』と、
『知る!』。
若し、
『遮字( ca )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は不動の相である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『遮羅地( carati )』を、
『秦に、動と言うからである!』。
若し、
『吒字( Ta )を聞けば!』、
即ち、
『一切法の此岸、彼岸は不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『吒羅』を、
『秦に、岸と言うからである!』。
若し、
『茶字( Dha )を聞けば!』、
即ち、
『一切法は必ず不可得である!』と、
『知る!』。
何故ならば、
『波茶( baaDham )』を、
『秦に、必と言うからである!』。
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醝(さ):梵字ysa。
遮羅地(しゃらち):梵語carati。歩く/動く/行く( walk, move, travel )の義。
吒羅(たら):不詳。
茶(ちゃ):梵語Dha。『大智度論巻48下注:荼』参照。
波荼(はだ):梵語baaDham。必ず( certainly, assuredly )の義。 |
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『醝字門。入諸法醝字不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『遮字門。入諸法行不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『咤字門。入諸法傴不可得故。』
参考:『大品般若経巻5広乗品』:『荼字門入諸法邊竟處不可得故。不終不生故。』 |
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茶外更無字。若更有者是四十二字枝派。是字常在世間相似相續故。入一切語故無礙。如國國不同無一定名。故言無名。聞已便盡故言滅。諸法入法性皆不可得。而況字可說。諸法無憶想分別故不可示。 |
茶の外に更に字無く、若し更に有れば、是れは四十二字の枝派なり。是の字は常に世間に在りて相似相続するが故に、一切の語に入るが故に無礙なり。国と国と不同なるが如く、一定名無きが故に、無名と言い、聞き已れば便ち尽くるが故に滅と言い、諸法は法性に入れば、皆不可得なれば、況んや字の可説なるをや。諸法には憶想、分別無きが故に不可示なり。 |
『茶字の外には、更に字は無く!』、
若し、
『更に有れば!』、
是の、
『字』は、
『四十二字の枝派である!』。
是の、
『字』は、
『常に世間に在って!』、
『相似が相続する!』が故に、
『無礙であり!』、
亦た、
『一切の語に入る!』が故に、
『無礙であり!』、
『国と国とが同じでないように!』、
『一定した名が無い!』が故に、
『無名と言い!』、
『聞いてしまえば!』、
『便ち尽きる!』が故に、
『滅と言い!』、
『諸法』は、
『法性に入れば!』、
『皆、不可得である!』が、
況して、
『字など!』、
『可説であるはずがなく!』、
『諸法は憶想、分別が無い!』が故に、
『字を用いても!』、
『不可示なのである!』。
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参考:『大品般若経巻5広乗品』:『過荼無字可得。何以故。更無字故。諸字無礙無名亦不滅。亦不可說不可示不可見不可書。須菩提當知。一切諸法如虛空。須菩提。是名陀羅尼門。』 |
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先意業分別故有口業。口業因緣故身業作字。字是色法。或眼見或耳聞。眾生強作名字。無因緣。以是故不可見不可書。諸法常空如虛空相。何況字。說已便滅。是文字陀羅尼。是諸陀羅尼門。 |
先に意業の分別するが故に口業有り、口業の因縁の故に身業字を作すに、字は是れ色法にして或は眼に見、或は耳に聞くを、衆生は強いて名字を作すも因縁無し。是を以っての故に不可見、不可書なり。諸法は常に空なること虚空相の如ければ、何に況んや字の説き已りて便ち滅するをや。是の文字陀羅尼は、是れ諸の陀羅尼の門なり。 |
先に、
『意業が分別する!』が故に、
『口業』が、
『有り!』、
『口業の因縁』の故に、
『身業』が、
『字を作す( to write characters )!』が、
『字は色法であって!』、
『眼に見たり!』、
『耳に聞いたりする!』のを、
『衆生』が、
『強いて!』、
『名字を作すだけであり!』、
是の故に、
『字』には、
『因縁が無い!』。
是の故に、
『諸の字』は、
『不可見であり!』、
『不可書である!』。
『諸法』は、
『常に空であって!』、
『虚空のような相である!』、
況して、
『字は説き已れば、便ち滅する!』ので、
『尚更である!』が故に、
是の、
『文字陀羅尼』は、
『諸陀羅尼の門なのである!』。
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問曰。知是陀羅尼門因緣者。應得無量無邊功德。何以但說二十。 |
問うて曰く、是の陀羅尼門の因縁を知れば、応に無量、無辺の功徳を得べきに、何を以ってか、但だ二十を説く。 |
問い、
是の、
『陀羅尼門の因縁を知れば!』、
『無量、無辺の功徳』を、
『得られるはずである!』が、
何故、
『但だ、二十の功徳だけ!』を、
『説くのですか?』。
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答曰。佛亦能說諸餘無量無邊功德。但以廢說般若波羅蜜故。但略說二十。 |
答えて曰く、仏は亦た能く諸余の無量、無辺の功徳を説きたもうも、但だ般若波羅蜜を説くを廃するを以っての故に、但だ二十を略説したまえり。 |
答え、
『仏』には、
『諸余の無量、無辺の功徳を説くこともできる!』が、
但だ、
『般若波羅蜜を説く!』のを、
『廃する( to abandon )ことになる!』が故に、
但だ、
『二十の功徳のみ!』を、
『略説されたのである!』。
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得強識念者。菩薩得是陀羅尼。常觀諸字相。修習憶念故得強識念。得慚愧者。集諸善法厭諸惡法故。生大慚愧心。得堅固者。集諸福德智慧故。心得堅固如金剛。乃至阿鼻地獄事尚不退阿耨多羅三藐三菩提。何況餘苦。 |
識、念を強むるを得とは、菩薩は是の陀羅尼を得れば、常に諸字の相を観て、修習し憶念するが故に識、念を強むるを得るなり。慚愧するを得とは、諸の善法を集め、諸の悪法を厭うが故に大慚愧を生ずればなり。心に堅固を得とは、諸の福徳の智慧を集むるが故に心に堅固なること金剛の如きを得、乃至阿鼻地獄の事すら尚お阿耨多羅三藐三菩提を退かず。何に況んや餘の苦をや。 |
『識、念を強めることができる!』とは、――
『菩薩』が、
是の、
『陀羅尼を得れば!』、
常に、
『諸字の相を観て、修習し憶念する!』が故に、
『識、念を強めることができるのである!』。
『慚愧することができる!』とは、――
『諸の善法を集めて!』、
『諸の悪法を厭う!』が故に、
『大慚愧』を、
『生じるからである!』。
『心が堅固になる!』とは、――
『諸の福徳の智慧を集める!』が故に、
『心』が、
『金剛のように!』、
『堅固になり!』、
乃至、
『阿鼻地獄の事すら!』、
尚お、
『阿耨多羅三藐三菩提より!』、
『退かせることがなく!』、
況して、
『餘の苦』は、
『言うまでもないからである!』。
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得經旨趣者。知佛五種方便說法。故名為得經旨趣。一者知作種種門說法。二者知為何事故說。三者知以方便故說。四者知示理趣故說。五者知以大悲心故說。 |
経の旨趣を得とは、仏の五衆の方便の説法を知るが故に名づけて、経の旨趣を得と為す。一には種種の門を作して法を説くを知り、二には何事の為めの故にか説くを知り、三には方便を以っての故に説くを知り、四には理趣を示さんが故に説くを知り、語には大悲心を以っての故に説くを知る。 |
『経の旨趣を得る!』とは、――
『仏』の、
『五種の方便の説法を知る!』が故に、
是れを、
『経の旨趣を得る!』と、
『称する!』。
一には、
『仏は、種種の門を作して!』、
『法を説かれる!』と、
『知り!』、
二には、
『何事かを為そうとされた!』が故に、
『法を説かれる!』と、
『知り!』、
三には、
『方便を用いられた!』が故に、
『法を説かれる!』と、
『知り!』、
四には、
『理趣を示そうとされた!』が故に、
『法を説かれる!』と、
『知り!』、
五には、
『大悲心』の故に、
『法を説かれる!』と、
『知る!』。
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得智慧者。菩薩因是陀羅尼。分別破散諸字言語亦空。言語空故名亦空。名空故義亦空。得畢竟空即是般若波羅蜜智慧。樂說者。既得如是畢竟清淨無礙智慧。以本願大悲心度眾生。故樂說易。 |
智慧を得とは、菩薩は是の陀羅尼に因って、諸字を分別破散すれば、言語も亦た空なり、言語の空なるが故に名も亦た空なり、名の空なるが故に義も亦た空なりと畢竟空を得れば、即ち是れ般若波羅蜜の智慧なり。楽説とは、既に是の如き畢竟清浄無礙の智慧を得れば、本願の大悲心を以って衆生を度するが故に楽説すること易し。 |
『智慧を得る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『陀羅尼に因って!』、
『諸字を分別し、破散すれば!』、
『言語』も、
『空であり!』、
『言語が空である!』が故に、
『名』も、
『空であり!』、
『名が空である!』が故に、
『義』も、
『空である!』と、
『畢竟空を得ることになれば!』、
是れが、
『般若波羅蜜という!』、
『智慧なのである!』。
『楽説が無礙である!』とは、――
既に、
是のような、
『畢竟清浄の無礙の智慧を得たならば!』、
『本願の大悲心を用いて!』、
『衆生』を、
『度したとしても!』、
是の故に、
『易すく!』、
『楽説できるのである!』。
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得陀羅尼者。譬如破竹初節既破餘者皆易。菩薩亦如是。得是文字陀羅尼。諸陀羅尼自然而得。無疑悔心者。入諸法實相中。雖未得一切智慧。於一切深法中無疑無悔。 |
陀羅尼を得とは、譬えば竹を破るに初の節を既に破れば、餘の者は皆易きが如く、菩薩も亦た是の如く、是の文字陀羅尼を得れば、諸の陀羅尼は自然に得。疑悔心無しとは、諸法の実相中に入れば、未だ一切の智慧を得ざると雖も、一切の深法中に於いて、無疑無悔なり。 |
『陀羅尼を得る!』とは、――
譬えば、
『竹を破る!』の、
『初の節が、既に破れれば!』、
『餘の節を破る!』のは、
『皆、易すいように!』、
『菩薩』も、
是のように、
是の、
『文字陀羅尼を得れば!』、
『諸の陀羅尼』は、
『自然に得られるのである!』。
『疑悔の心が無い!』とは、――
『諸法の実相中に入れば!』、
『未だ、一切の智慧を得ていなくても! 』、
『一切の深法中に入ることになる!』ので、
『疑、悔』が、
『無いのである!』。
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聞善不喜聞惡不瞋者。各各分別諸字。無讚歎無毀呰故。聞善不喜聞惡不瞋。不高不下者。憎愛斷故。善巧知眾生語者。得解一切眾生言語三昧故。 |
善を聞いて喜ばず、悪を聞いて瞋らずとは、諸字を各各分別すれば、讃歎する無く、毀呰する無きが故に善を聞いて喜ばず、悪を聞いて瞋らざるなり。高ぶらず、下らずとは、憎愛の断ずるが故なり。善巧して衆生の語を知るとは、一切の衆生の言語を解する三昧を得るが故なり。 |
『善を聞いて喜ばす、悪を聞いて瞋らず!』とは、――
『諸字を各各分別すれば!』、
『讃歎することも、毀呰することも無い!』が故に、
『善を聞いても喜ばず!』、
『悪を聞いても瞋らないのである!』。
『高ぶらず、下らず!』とは、――
『憎、愛』が、
『断じられたからである!』。
『衆生の語を善巧して知る!』とは、――
『一切の衆生の言語を解する!』、
『三昧』を、
『得たからである!』。
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巧分別五眾十二入十八界十二因緣四緣四諦者。五眾等義如先說。巧分別眾生諸根利鈍。知他心天耳宿命。巧說是處非處者。如十力中說。巧知往來坐起等者。如阿鞞跋致品中所說。 |
五衆、十二入、十八界、十二因縁、四緣、四諦を巧みに分別するとは、五衆等の義は先に説けるが如し。衆生の諸根の利鈍を巧みに分別す。知他心天耳宿命。是処非処を巧みに説くとは、十力中に説けるが如し。巧みに往来、坐起等を知るとは、阿鞞跋致品中の所説の如し。 |
『五衆、十二入、十八界、十二因縁、四緣、四諦を巧みに分別する!』とは、――
『先に説いた!』、
『五衆等の義の通りである!』。
『衆生の諸根の利鈍を巧みに分別する!』と、
『知他心、天耳、宿命』と、
『是処、非処を巧みに説く!』とは、――
『十力』中に、
『説いた通りである!』。
『往来、坐起等を巧みに知る!』とは、――
『阿鞞跋致品』中に、
『説かれている通りである!』。
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日月歲節者。日名從旦至旦。初分中分後分。夜亦三分。一日一夜有三十時。春秋分時十五時屬晝。十五時屬夜。餘時增減。五月至晝十八時夜十二時。十一月至夜十八時晝十二時。一月或三十日或三十日半。或二十九日或二十七日半。 |
日月、歳節とは、日を旦(あした)より旦に至る初分、中分、後分、夜も亦た三分なりと名づく。一日一夜に三十時有り、春、秋分の時は十五時は昼に属し、十五時は夜に属す。餘の時は増減して五月至れば昼は十八時、夜は十二時なり。十一月至れば夜は十八時、昼は十二時なり。一月は或は三十日、或は三十日と半ば、或は二十九日、或は二十七日と半ばなり。 |
『日月、歳節』とは、
『日』とは、
『旦より、旦に至る!』、
『昼の初分、中分、後分』と、
『夜の初分、中分、後分であり!』、
『一日一夜』には、
『三十時有り!』
『春分、秋分の時』には、
『十五時は昼に属し!』、
『十五時は夜に属する!』が、
餘の時は増減して、
『五月に至れば! 』、
『昼は十八時!』、
『夜は十二時!』、
『十一月に至れば!』、
『夜は十八時!』、
『昼は十二時である!』。
『一月』は、
『三十日か、三十日半か!』、
『二十九日か、二十七日半である!』。
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有四種月。一者日月。二者世間月。三者月月。四者星宿月。日月者。三十日半。世間月者。三十日。月月者。二十九日。加六十二分之三十。星宿月者。二十七日。加六十七分之二十一。閏月者。從日月世間月二事中出。是名十三月。或十二月或十三月名一歲。是歲三百六十六日。周而復始。 |
四種の月有り、一には日の月、二には世間の月、三には月の月、四には星宿の月なり。日の月とは三十日と半ばなり。世間の月とは三十日なり。月の月とは二十九日に六十二分の三十を加う。星宿の月とは二十七日に六十七分の二十一を加う。閏月とは日の月と世間の月の二事中より出でて是れを十三月と名づく。或は十二月、或は十三月を一歳と名づく。是の歳は三百六十六日を周りて亦た始まる。 |
『四種の月が有り!』、
一には、『日の月で、三十日半であり!』、
二には、『世間の月で、三十日であり!』、
三には、『月の月で、二十九日に六十二分の三十を加え!』、
四には、『星宿の月で、二十七日に六十七分の二十一を加える!』。
『閏月』は、
『日の月、世間の月の二事中より出て!』、
『十三月』と、
『称する!』。
『十二ヶ月、或は十三ヶ月』を、
『一歳と称して!』、
是の、
『歳は三百六十六日周る!』と、
『復た始まることになる!』。
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菩薩知日中分時。前分已過後分未生。中分中無住處。無相可取。日分空無所有。到三十日時二十九日已滅。云何和合成月。月無故。云何和合而為歲。 |
菩薩の知るらく、『日は、中分の時には前分は既に過ぎ、後分は未だ生ぜず、中分中に住処無く、相の取るべき無し。日分は空にして無所有なり。三十日に到る時、二十九日は已に滅すれば、云何が和合して月を成ぜんや。月無きが故に云何が和合して歳と為さんや』、と。 |
『菩薩』は、こう知る、――
『日』は、
『中分の時( the mid-time between previous and following )』には、
『前分は已に過ぎ!』、
『後分は未だ生じず!』、
『中分の中』には、
『日の住処』は、
『無い!』ので、
『日』には、
『取るべき相』が、
『無く!』、
『日分が空である!』が故に、
『日』は、
『無所有である!』。
『月』は、
『三十日に到る!』時、
『二十九日』は、
『已に滅している!』のに、
何うして、
『日を和合して!』、
『月を成すのか?』。
『歳』は、
『月が無い!』が故に、
何うして、
『月を和合すれば!』、
『歳と為るのか?』。
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以是故。佛言。世間法如幻如夢。但是誑心法。菩薩能知世間日月歲和合。能知破散無所有。是名巧分別。如是等種種分別。是名菩薩摩訶薩摩訶衍 大智度論卷第四十八(釋第十九品) |
是を以っての故に、仏の言わく、『世間の法は幻の如く、夢の如く、但だ是れ心を誑す法なるも、菩薩は能く世間の日、月、歳の和合を知り、能く破散して無所有なるを知れば、是れを巧みに分別すと名づく』、と。是れ等の如く種種の分別、是れを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく。
大智度論巻第四十八 |
是の故に、
『仏』は、こう言われた、――
『世間の法』は、
『幻か、夢のように!』、
但だ、
『心を誑すだけ!』の、
『法である!』が、
『菩薩』は、
『世間』の、
『日、月、歳の和合』を、
『知ることができ!』、
『破散すれば!』、
『無所有である!』と、
『知ることができる!』ので、
是れを、
『巧みに分別する!』と、
『称するのである!』、と。
是れ等のように、
『種種に分別すれば!』、
是れを、
『菩薩摩訶薩の摩訶衍』と、
『称するのである!』。
大智度論巻第四十八 |
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