【論】問曰。上來佛與須菩提種種因緣破菩薩字。今何以問菩薩句義。 |
問うて曰く、上より来、仏は須菩提の与(ため)に種種の因縁もて、菩薩の字を破したもうに、今何を以ってか、菩薩の句義を問う。 |
問い、
上より、
『仏』は、
『須菩提の与に、種種の因縁を用いて( for Subhuti with many reasons )!』、
『菩薩の字』を、
『破られた!』のに、
今、
『須菩提』は、
何故、
『菩薩の句義』を、
『問うたのですか?』。
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答曰須菩提破菩薩字佛不破。言菩薩字從本已來畢竟空。但五眾中數假名菩薩。而眾生以假名為實。佛言假名無實但從諸法數和合為名。 |
答えて曰く、須菩提は菩薩の字を破るも、仏は破りたまわず。菩薩と言う字は本より已来、畢竟空なるも、但だ五衆中の数を菩薩と仮名したもうに、衆生は仮名を以って実と為せば、仏の言わく、『仮名には実無きも、但だ諸法の数の和合によって名と為すのみ』、と。 |
答え、
『須菩提』が、
『菩薩の字』を、
『破る!』と、
『仏は破らず!』に、こう言われたのである、――
『菩薩の字』は、
『本より!』、
『常に、畢竟空であり!』、
但だ、
『五衆中の数( the multitude of the five aggregates )!』を、
『菩薩』と、
『仮名したのである!』が、
『衆生が、仮名を実と為す!』ので、
『仏』は、こう言ったのである、――
『仮名には、実が無く!』、
但だ、
『諸法の数の和合( the multitude of many dharmas )』に、
『名を為した( have given a name to )だけである!』、と。
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数(しゅ):梵語 saMkhyaata の訳、~の集団/集まり/和合( the multitude of )の義。 |
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復次諸佛法無量無邊不可思議。須菩提因菩薩字空說般若波羅蜜相。今欲聞佛說菩薩字義。因是說般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、諸仏の法は、無量無辺不可思議なるも、須菩提は菩薩の字の空なるに因りて、般若波羅蜜の相を説くに、今仏の説きたまえる菩薩の字義を聞き、是れに因って般若波羅蜜を説かんと欲す。 |
復た次ぎに、
『諸仏の法は、無量無辺不可思議である!』が、
『須菩提』は、
『菩薩という!』、
『字は、空である!』ことに、
『因って!』、
『般若波羅蜜』の、
『相』を、
『説いていた!』が、
今、
『仏』が、
『菩薩の字義を説かれている!』のを、
『聞いて!』、
是の、
『菩薩の字義に因って!』、
『般若波羅蜜』を、
『説こうとした!』。
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復次應問因緣無量無邊。所謂佛音聲有六十種莊嚴。能令諸天專聽。何況人。但音聲令人樂聞。何況說大利益義。 |
復た次ぎに、応に問うべき因縁は無量無辺なり。謂わゆる仏の音声には六十種の荘厳有り、能く諸天をして専ら聴かしむ。何に況んや人をや。但だ音声のみすら人をして楽しんで聞かしむ。何に況んや大利益の義を説くをや。 |
復た次ぎに、
『問わねばならぬ!』、
『因縁』は、
『無量、無辺である!』。
謂わゆる、
『仏の音声には、六十種の荘厳が有り!』、
『諸天すら!』、
『専聴させる( to let concentrate on listening )!』が、
況して、
『人』は、
『言うまでもなく!』、
『但だ、音声だけでも!』、
『人』に、
『楽しんで聞かせるのであり!』、
況して、
『大利益の義が説かれれば!』、
『尚更である!』。
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専聴(せんちょう):心を集中して聴く( to concentrate one's mind on listening to )の義。 |
参考:『摩訶般若波羅蜜経巻6勝出品』:『須菩提。若諸佛六十種莊嚴音聲是有法非無法者。諸佛不能以六十種莊嚴音聲遍至十方無量阿僧祇國土。須菩提。以諸佛六十種莊嚴音聲無法非法。以是故。諸佛能以六十種莊嚴音聲遍至十方無量阿僧祇國土。』 |
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須菩提從佛聞是事。未發意人當發阿耨多羅三藐三菩提。發意者未行六波羅蜜當令行。行者不清淨當令清淨。清淨行者當令住阿鞞跋致地。成就眾生具足佛法。乃至一生補處。 |
須菩提は、仏より、是の事を聞く、『未発意の人は、当に阿耨多羅三藐三菩提を発すべし。発意の者、未だ六波羅蜜を行ぜざれば、当に行ぜしむべし。行者は、清浄ならざれば当に清浄ならしむべし。清浄の行者は、当に阿鞞跋致の地に住せしめ、衆生を成就し、仏法を具足せしむること、乃至一生補処なるべし』、と。 |
『須菩提』は、
『仏』より、是の事を聞いた、――
『未発意の人』は、
『阿耨多羅三藐三菩提の意』を、
『発さねばならない!』。
『発意の者』が、
未だ、
『六波羅蜜を行じていなければ!』、
『行じさせねばならい!』。
『行者』が、
『清浄でなければ!』、
『清浄にせねばならない!』。
『清浄の行者』は、
『阿鞞跋致地に住させ!』、
『衆生』を、
『成就させて!』、
乃至、
『一生補処まで!』、
『仏法』を、
『具足させねばならない!』、と。
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如是等種種無量因緣利益故。佛以須菩提為問主。語一切十方世界在會眾生。 |
是れ等の如き種種無量の因縁もて利益せんが故に、仏は須菩提を以って、問主と為し、一切の十方の世界の会に在る衆生に語りたまえり。 |
是れ等のような、
『種種、無量の因縁を用いて!』、
『衆生』を、
『利益する為め!』の故に、
『仏』は、
『須菩提を問主として!』、
『一切の十方の世界の会』中の、
『衆生に語られたのである!』。
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佛告須菩提。無句義是菩薩句義。阿耨多羅三藐三菩提。無處所亦無我無名。於是中無依止處即是法空。無我名者無得道者。 |
仏の須菩提に告げたまわく、『句義無き、是れ菩薩の句義なり。阿耨多羅三藐三菩提には処所無く、亦た我無く、名無ければ、是の中に於いて依止の処無し。即ち是れ法空にして、我、名無ければ道を得る者も無し』、と。 |
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『句義の無い!』のが、
『菩薩』の、
『句義である!』。
『阿耨多羅三藐三菩提』には、
『処所も、我も、名』も、
『無い!』ので、
是の中には、
『依止する処』が、
『無い!』。
即ち、
是の、
『阿耨多羅三藐三菩提の法』は、
『空であり!』、
是の中には、
『我も、名も!』、
『無く!』、
即ち、
『道を得る!』者も、
『無いのである!』。
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佛謂須菩提若汝知無我無我所。得阿羅漢者。菩薩亦如是。於阿耨多羅三藐三菩提中無我無我所。譬如鳥飛虛空無有足跡。菩薩句義亦如是。行諸法虛空中無依止著處。以是故言無菩薩句義。 |
仏の須菩提に謂わく、『汝、無我、無我所を知りて、阿羅漢を得たる者なるが若(ごと)く、菩薩も亦た是の如く、阿耨多羅三藐三菩提中に我無く、我所無し。譬えば鳥の虚空を飛ぶに、足跡有ること無きが如し。菩薩の句義も亦た是の如く、諸法の虚空中に行ずれば、依止して著する処無し。是を以っての故に菩薩の句義無し、と言えり』、と。 |
『仏』は、
『須菩提』に、こう謂われた( to tell Subhuti that )、――
お前が、
『無我や、無我所を知って!』、
『阿羅漢』を、
『得たように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『阿耨多羅三藐三菩提』中には、
『我も、我所も!』、
『無いのである!』。
譬えば、
『鳥が、虚空を飛べば!』、
『足跡』が、
『無いように!』、
『菩薩の句義』も、
是のように、
『諸法の虚空中を行じる!』ので、
『依止する処も、著す処も!』、
『無い!』ので、
是の故に、
『菩薩の句義』は、
『無い!』と、
『言ったのである!』、と。
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問曰。何等是菩薩句義。 |
問うて曰く、何等か、是れ菩薩の句義なる。 |
問い、
『菩薩の句義』とは、何のようなものですか?
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答曰。天竺語法眾字和合成語。眾語和合成句。如菩為一字提為一字。是二不合則無語。若和合名為菩提。秦言無上智慧。薩埵或名眾生。或是大心。為無上智慧故出大心名為菩提薩埵。願欲令眾生行無上道。是名菩提薩埵。 |
答えて曰く、天竺の語法は、衆字和合して語を成じ、衆語和合して句を成ず。菩を一字と為し、提を一字と為すに、是の二合せざれば、則ち語無く、若し和合すれば名づけて菩提と為すが如きを、秦には、『無上の智慧』、と言う。薩埵を或は衆生と名づけ、或は是れ大心にして、無上の智慧の為めの故に、大心を出すを名づけて菩提薩埵と為し、願いて、『衆生をして、無上道を行ぜしめん』と欲すれば、是れを菩提薩埵と名づく。 |
答え、
『天竺の語法』は、
『衆字が和合して!』、
『語』を、
『成し!』、
『衆語が和合して!』、
『句』を、
『成す!』が、
例えば、
『菩の一字と、提の一字』と、
是の、
『二字が和合しなければ!』、
『語』は、
『無く!』、
『和合すれば!』、
『菩提を称して!』、
秦には、
『無上の智慧』と、
『称する!』、
『薩埵』とは、
或は、
『衆生』と、
『称する!』が、
或は、
『大心』とも、
『称し!』、
『無上の智慧の為め!』の故に、
『大心を出す( to show magnanimity )!』者を、
『菩提薩埵』と、
『称し!』、
『衆生に無上道を行じさせたい!』と、
『願う!』者を、
『菩提薩埵』と、
『称する!』。
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薩埵(さった):梵語 sattva の訳、存在/実在( being, existence, entity, reality )、本質/性質/気質/性格(
true essence, nature, disposition of mind, character )、精神( spiritual essence,
spirit, mind )、活力/生命/意識/性格の強さ/強さ/堅固さ/精力/決意/勇気/自制/良識/智慧/寛大さ( vital breath,
life, consciousness, strength of character, strength, firmness, energy,
resolution, courage, self- command, good sense, wisdom, magnanimity )の義、敵味方に関係なく親切にして寛大な態度(
behaviour that is kind, generous and forgiving, especially towards an enemy
of a rival )の意。 |
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復次此品佛及佛弟子。種種因緣說菩薩摩訶薩義。菩提一語薩埵一語。二語和合故名為義。若說名字語句皆同一事無所在。今須菩提問以何定相法為菩薩句義。天竺言波陀。秦言句。是波陀有種種義。如後譬喻中說。 |
復た次ぎに、此の品の仏及び仏弟子は、種種の因縁もて、菩薩摩訶薩の義を説きたもうに、菩提の一語と薩埵の一語の二語和合するが故に名づけて義と為す。若し名字、語句を説けば、皆同一事にして、所在無し。今、須菩提の問えるは、『何なる定相の法を以って、菩薩の句義と為すや』、となり。天竺に『波陀』と言うは、秦には『句』と言う。是の波陀にも種種の義有り、後の譬喻中に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
此の品の、
『仏や仏弟子は、種種の因縁を用いて!』、
『菩薩摩訶薩の義』を、
『説かれている!』が、
『菩提の一語、薩埵の一語の、二語が和合する!』が故に、
是れを、
『義』と、
『称されるのであり!』、
若し、
『名字の語句を説けば!』、
皆、
『空という!』、
『同一事であり!』、
此の、
『語句の所在』は、
『無いのである!』。
今、
『須菩提』は、こう問うた――
何のような、
『定相の法』が、
『菩薩の句義なのか?』、と。
『句義』とは、
『天竺に言う!』
『波陀( pada )』を、
秦に、
『句』と、
『言うのである!』が、
此の、
『波陀に有る!』、
『種種の義』は、
後の、
『譬喻』中に、
『説く通りである!』。
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所在(しょざい):其のある所。ありか。すみか。
波陀(ぱだ):梵語 pada の音訳、語句と訳す。一歩/足跡/足( a step, footstep, mark, the foot itself
)、印/特徴( a sign, token, characteristic )、地位/住居( a position, rank, station,
abode, home )、一部/部分( a part, portion, division )の義、一連の韻文の一句/一行/一部( a portion
of a verse, quarter or a line of stanza )、一語( a word )の意。『大智度論巻44下注:句』参照。
名為(みょうい):梵語 aakhyaayate の訳、~と呼ばれる/列挙される( to be called or enumerated )の義。 |
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問曰。但以鳥飛虛空足明句義。何以種種廣說。 |
問うて曰く、但だ鳥の虚空を飛ぶを以って、句義を明せば足るに、何を以ってか、種種に広説したもう。 |
問い、
但だ、
『鳥が虚空を飛ぶ!』という、
『譬喻を用いれば!』、
『句義を明かす!』に、
『足る!』のに、
何故、
『種種の譬喻を用いて!』、
『広説されたのですか?』。
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答曰。眾生聽受種種不同。有好義者。有好譬喻者。譬喻可以解義。因譬喻心則樂著。如人從生端政加以嚴飾益其光榮。此譬喻中多以譬喻明義如後所說。所謂如夢如影如響如佛所化。是事虛誑如先說菩薩義亦如是。但可耳聞虛誑無實。以是故菩薩不應自高。 |
答えて曰く、衆生の聴受は種種に同じからずして、義を好む者有り、譬喻を好む者有り。譬喻は以って義を解すべきも、譬喻に因りて、心則ち楽著す。人の生ずるより端政なるに、加うるに厳飾を以ってすれば、其の光栄を益すが如し。此の譬喻中には多く、譬喻を以って義を明かすこと、後の所説の如し。謂わゆる『夢の如く、影の如く、響の如く、仏の所化の如し』とは、是の事の虚誑なること先に説けるが如し。菩薩の義も亦た是の如く、但だ耳に聞くべくも、虚誑にして実無し。是を以っての故に、菩薩は応に自ら高ぶるべからず。 |
答え、
『衆生の聴受は種種であり、同じでない!』ので、
『義を好む者も有り!』、
『譬喻を好む者も有る!』。
『譬喻を用いて!』、
『義』を、
『理解することもでき!』、
『譬喻に因って!』、
『心』が、
『楽著する( should be delightful )!』ので、
譬えば、
『人が、生まれなながらに端政であっても!』、
『厳飾』を、
『加えれば!』、
其の、
『光栄』を、
『益すようなものである!』。
此の、
『譬喻』中には、
『後の所説のように!』、
『譬喻を用いて義を明かすのが、多い!』。
謂わゆる、
『夢、影、響、仏の所化のように!』とは、
是の、
『事が、虚誑である!』のは、
『先に、説いた通りであり!』、
『菩薩の義も、是のように!』、
但だ、
『耳に聞こえるだけであり!』、
『虚誑であり、実が無い!』ので、
是の故に、
『菩薩』は、
『自ら、高ぶるべきではない!』。
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聴受(ちょうじゅ):梵語 zravaNa の訳、聞く行為( the act of hearing )の義、聞いて知識を獲得すること/学習( acquiring knowledge by hearing, learning, study )の意。
楽著(らくじゃく):梵語 abhiram の訳、喜ぶ/楽しむ( to delight in, to please )の義。
端政(たんじょう):梵語 abhiruupa の訳、凜々しい/美丈夫な/美しい( handsome, beautiful )の義。
厳飾(ごんじき):梵語 maNDana の訳、装飾/装飾品( adorning, ornament, decoration )の義。
光栄(こうよう):名誉/栄光( honor, glory )。 |
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如法性法相實際等句無有定義。如幻人無五眾乃至諸佛法。如佛無五眾乃至一切法。如有為法中無無為法。如無為法中無有為法。無為法不生不滅等。諸法中無不生不滅相亦無異相。如三十七品無清淨相。何以故。有人著是三十七品法。即是結使。 |
如、法性、法相、実際等の句も、定義有ること無きこと、幻人に五衆乃至諸仏法無きが如く、仏に五衆乃至一切法無きが如く、有為法中に無為法無きが如く、無為法中に有為法無きが如し、無為法の不生、不滅等なればなり。諸法中に不生、不滅の相無く、亦た異相無きこと、三十七品に清浄相無きが如し。何を以っての故に、有る人は是の三十七品の法に著すれば、即ち是れ結使なればなり。 |
『如、法性、法相、実際等の句義』に、
『定義』が、
『無い!』のは、
譬えば、
『幻人』に、
『五衆乃至諸仏法』が、
『無く!』、
『仏』に、
『五衆乃至一切法』が、
『無く!』、
『有為法』中に、
『無為法』が、
『無く!』、
『無為法』中に、
『有為法』が、
『無いようなものである!』。
何故ならば、
『無為法』は、
『不生、不滅等だからである!』。
『諸法』中に、
『不生、不滅』の、
『相』が、
『無く!』、
亦た、
『異相( other characteristics )』が、
『無い!』のは、
例えば、
『三十七品』に、
『清浄相』が、
『無いようなものである!』。
何故ならば、有る人はこう言っている、――
是の、
『三十七品の法に著する!』のも、
『即ち、結使だからである!』、と。
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異相(いそう):梵語 anya-lakSaNa の訳、別の特徴( other or different characteristic )の義。 |
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如我乃至知者見者淨相不可得。 |
我乃至知者、見者の浄相は不可得なるが如し。 |
『我乃至知者、見者』の、
『浄相』が、
『得られないようなものである!』とは、――
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問曰。我乃至知者見者等云何淨。 |
問うて曰く、我乃至知者、見者等にして、云何が浄なる。 |
問い、
『我乃至知者、見者』等が、
何故、
『浄なのですか?』。
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答曰。種種求覓我相不可得。是名我淨第一義中無淨無不淨。譬如洗臭死狗乃至皮毛血肉骨髓都盡。是時非狗非豬。不得言淨不得言不淨。我乃至知者見者亦如是。以無我空智慧求我相不可得是時非有我非無我。 |
答え、種種に我相を求覓するも不可得なれば、是れを我の浄と名づけ、第一義中には浄無く、不浄無し。譬えば臭き死狗の乃至皮毛、血肉、骨髄を洗うて、都(すべ)て尽せば、是の時狗に非ず、豬に非ずして、浄と言うを得ず、不浄と言うを得ざるが如し。我乃至知者、見者も亦た是の如く、無我の空智慧を以って我相を求むれば不可得にして、是の時我有るに非ず、我無きに非ず。 |
答え、
『我相』を、
『種種に求覓しても( if you had sought after by many kind of means )!』、
『不可得ならば!』、
是れを、
『我が浄である!』と、
『称する!』が、
『第一義』中には、
『浄も、不浄も!』、
『無い!』。
譬えば、
『臭い死狗』の、
『乃至皮毛、血肉、骨髄まで洗って!』、
『都て、尽せば!』、
是の時、
『狗でも、豬でもなくなり!』
『浄とも、不浄とも!』、
『言えないようなものである!』。
『我乃至知者、見者』も、
是のように、
『無我や空の智慧を用いて!』、
『我相を求めれば!』、
『不可得であり!』、
是の時、
『我』は、
『有るのでも、無いのでもない!』。
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如日出無闇劫盡時無一切物。如佛五眾戒中破戒不可得。如日月星宿真珠等諸天鬼神龍王光。於佛光中則不現。從大福德神通力生故。菩薩句義亦如是。入是般若波羅蜜智慧光中則不現。因是譬喻教諸菩薩當學一切法不取相。無所得故 |
日出に闇無く、劫尽の時に一切の物無きが如く、仏の五衆の戒中に破戒は不可得なるが如く、日月星宿、真珠等、諸天鬼神龍王の光の、仏光中に於いては則ち現れざるは、大福徳の神通力より生ずるが故なるが如し。菩薩の句義も亦た是の如く、是の般若波羅蜜の智慧光中に入れば、則ち現れず。是の譬喻に因りて、諸菩薩に教うれば、当に一切法を学ぶも、相を取らざるべし、無所得なるが故なり。 |
譬えば、
『日が出れば!』、
『闇』が、
『無くなり!』、
『劫の尽きる!』時には、
『一切の物』が、
『無くなるように!』、
譬えば、
『仏の五衆中の戒』中に、
『破戒』が、
『不可得であるように!』、
譬えば、
『日月、星宿、真珠等や、諸天、鬼神、龍王の光』が、
『大福徳の神通力より生じたが故の、仏光』中には、
『現れないように!』、
『菩薩の句義』も、
是のように、
是の、
『般若波羅蜜の智慧光中に入れば!』、
『即ち、現れないのである!』が、
是の、
『譬喻に因って!』、
『諸菩薩に教えれば!』、
『一切法を学びながら!』、
『相を取るはずがない!』。
何故ならば、
『一切法』は、
『無所得だからである!』。
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