【論】問曰。五千比丘中上有千餘上座。所謂漚樓頻螺迦葉等。何以止說此四人名。 |
問うて曰く、五千の比丘中に上は、千餘の上坐有り、謂わゆる漚楼頻螺迦葉等なり。何を以ってか、此の餘人の名を説くに止むる。 |
問い、
『五千の比丘』中に、
上は、
『千餘の上座』が、
『有った!』。
謂わゆる、
『漚楼頻螺迦葉等である!』。
何故、
此の、
『四人を説く!』に、
『止めたのですか?』。
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答曰。是四比丘是現世無量福田。舍利弗是佛右面弟子。目揵連是佛左面弟子。須菩提修無諍定行空第一。摩訶迦葉行十二頭陀第一。世尊施衣分坐常深心憐愍眾生。佛在世時若有人欲求今世果報者。供養是四人輒得如願。是故是多知多識比丘及四眾讚般若波羅蜜。 |
答えて曰く、是の四比丘は、是れ現世の無量の福田なり。舎利弗は、是れ仏の右面の弟子、目揵連は、是れ仏の左面の弟子、須菩提は、無諍定を修めて、行空第一、摩訶迦葉は行十二頭陀第一にして、世尊は衣を施し、坐を分かちて常に深心に衆生を憐愍したもう。仏の在世の時、若し有る人、今世の果報を求めんと欲する者、是の四人を供養すれば、輒(たやす)く願いの如きを得れば、是の故に、是の多知多識の比丘、及び四衆は般若波羅蜜を讃歎せり。 |
答え、
是の、
『四比丘は、現世の無量の福田であり!』、
『舎利弗』は、
『仏の右面』の、
『弟子であり!』、
『目揵連』は、
『仏の左面』の、
『弟子であり!』、
『須菩提』は、
『無諍定を修めた!』、
『行空第一であり!』、
『摩訶迦葉は、行十二頭陀第一であり!』、
『仏』は、
是の、
『摩訶迦葉』に、
『衣を施し!』、
『坐を分かちて!』、
『常に、深心より!』、
『衆生』を、
『憐愍されたのである!』。
若し、
『仏の在世の時!』、
有る、
『人が、今世の果報を求めようとして!』、
是の、
『四人』を、
『供養すれば!』、
輒く( immediately )
『願のように!』、
『得られる!』ので、
是の故に、
是の、
『多知多識の比丘と四衆』が、
『般若波羅蜜』を、
『讃じたのである!』。
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参考:『別訳雑阿含巻6』:『如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤 獨園。爾時尊者摩訶迦葉。在於邊遠。草敷而住。衣被弊壞。染色變脫。鬚髮亦長。來詣佛所。爾時世尊。大眾圍遶。而為說法。時諸比丘。見迦葉已。皆生是念。彼尊者。不知出家所有威儀。衣色變穢。鬚髮亦長。威儀不具。爾時世尊。知諸比丘心之所念。為欲令彼生欽尚故。遙見迦葉。即語之言。善來迦葉。尋分半座。命令共坐。我當思惟。汝先出家。我後出家。是故命汝。與爾分座摩訶迦葉。聞斯教已。即懷惶悚。便起合掌。頂禮佛足。白佛言。世尊。是我大師。我是弟子。云何與師同共同坐。第二第三。亦作是言。佛告迦葉。實如汝言。我是汝師。汝是弟子。即命迦葉。汝可於彼所應坐處。於中而坐。時尊者迦葉。即奉佛教。敷座而坐。爾時世尊。為欲令彼諸比丘等。益增厭惡。自呵責故。為欲讚歎摩訶迦葉功德尊重與佛齊故。告諸比丘。我修離欲之定。入于初禪。作意思惟。迦葉比丘。亦欲離惡不善。有覺有觀。入于初禪。亦復晝夜。欲入初禪二禪三禪。及第四禪。亦復如是。我若發心欲入慈心。無嫌怨心。無惱心。遍廣心。善修無量。於其東方。作如是心。南西北方。四維上下。亦作是心。我於晝夜。欲修是心。摩訶迦葉。亦復如是。欲入慈心。無嫌怨心。無惱心。遍廣心。善修無量。於其東方。作如是心。南西北方。四維上下。亦作是心。我若修於悲喜捨心。我於晝夜。常入此心。摩訶迦葉。亦復如是。於晝夜中。常入此心。我欲滅除惱壞。卻於色想。除若干想。入無邊虛空。亦欲晝夜常入此定。識處不用處。非想非非想處。亦復如是。我亦欲入神通等定。能以一身。作無量身。以無量身。還作一身。我欲觀察諸方上下。入于石壁。無有障礙。猶如虛空。坐臥空中。如彼鴈王。履地如水。履水如地。身至梵天。手捫日月。若我晝夜欲修是定。迦葉比丘。亦復如是。欲入於彼神通等定。能以一身。作無量身。以無量身。還為一身。觀察四方四維上下。能以此身。入于石壁。無有障閡猶如虛空。坐臥空中。如彼鴈王。履地如水。履水如地。身至梵天。手捫日月。亦欲晝夜常入此定。天眼天耳。及他心智。宿命漏盡。亦復如是。爾時世尊。我彼無量大眾之中。稱讚迦葉功德。尊重如是。種種與己齊等。時諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
参考:『別訳雑阿含巻6』:『佛告迦葉。世間若有聲聞弟子。都無至心。實非世尊。而言世尊。實非羅漢。而言羅漢。非一切智。言一切智。如是之人。頭當破壞作於七分。我於今日。實是知者。實是見者。實是羅漢。而言羅漢。實等正覺。言等正覺。我所敷演。實有因緣。非無因緣。而說法要。實有乘出。非無乘出。實有對治。非無對治。實有精進。非不精進。能斷結漏。非不能斷。迦葉。汝今應作是學。諸有所聽。是善法儀應當至心受持莫忘。尊重憶念。捨於亂心。宜應專意觀五受陰增長損減。常應觀彼六入生滅安心。住於四念處中。修七覺意。轉令增廣。證八解脫。繫念隨身。未曾放捨增長慚愧。爾時如來。為我種種分別法要。示教利喜。我於爾時。尋隨佛後。未曾捨離。每作是念。佛若坐者。我當以此僧伽梨價直十萬兩金者。與如來敷之。佛知我心之所念故。出道而住。我疾牒衣。以敷坐處。白佛言。世尊願就此坐。佛即坐上。既坐上已。語迦葉言。此衣輕軟。迦葉白佛。實爾世尊。唯願世尊。憐愍我故。當受此衣。佛告迦葉。汝能受我[仁-二+商]那納衣不。迦葉答言。我能受之。爾時如來。即受迦葉所著大衣。我於是時。自從佛手受是[仁-二+商]那糞掃之衣。佛授我已即便起去。我隨佛後。遶佛三匝。為佛作禮。即還所止。我於八日。學得三果。至第九日。盡諸有漏。得阿羅漢。』 |
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問曰。是阿羅漢最後身所作已辦。何以復讚歎般若波羅蜜。 |
問うて曰く、是の阿羅漢は、最後身にして、所作已に辦じたるに、何を以ってか、復た般若波羅蜜を讃歎する。 |
問い、
是の、
『阿羅漢は、最後身であり!』、
『所作( the work what must be done )』は、
『已に、辦じている( has been already accomplished )!』。
何故、復た( why yet )、
『般若波羅蜜』を、
『讃歎するのですか?』。
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答曰。人皆知阿羅漢得無漏道。以菩薩智慧雖大結使未斷故不貴。又以是阿羅漢有慈悲心助佛揚化故。以之為證。 |
答えて曰く、人は皆、阿羅漢の無漏道を得たるを知り、菩薩は智慧大なりと雖も、結使の未だ断ぜざるを以っての故に貴ばず。又是の阿羅漢は慈悲心有りて、仏の化を揚げたもうを助くるを以っての故に、之を以って証と為す。 |
答え、
『人』は、
皆、
『阿羅漢』は、
『無漏道を得ている、と知る!』が故に、
『貴び!』、
『菩薩は、智慧は大である!』が、
『結使が未だ断たれていない、と知る!』が故に、
『貴ばないからであり!』、
又、
是の、
『四阿羅漢には、慈悲心が有って!』、
『仏が、揚化される( Buddha's energetically teaching )!』のを、
『助ける!』が故に、
是の、
『阿羅漢を用いて!』、
『証とされたのである!』。
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揚(よう):<動詞>[本義]持ち上げる( raise, lift )。高く飛ぶ( fly high )、籾殻を風にとばす( winnow )、声を挙げる( aloud )、発揮/発揚する( develop, make the most of )、活発さを見せる/威勢のいい( display vigor, high-spirited )、顕示/誇耀する( show, praise )、伝播/宣伝する( propagate )、仰ぐ( lift )。 |
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佛道於世間中最大。是般若能與此事故。名為大波羅蜜。一切法中智慧第一故。言尊波羅蜜。能正導五度故。名第一波羅蜜。五度不及故。名為勝波羅蜜。如五情不及意能自利利人故。名為妙波羅蜜。一切法中無有過者故。名無上波羅蜜。無有法與同者故。名無等波羅蜜。 |
仏道は、世間中に於いて最大なるに、是の般若は能く此の事に与(くみ)するが故に、名づけて大波羅蜜と為す。一切法中に智慧は第一なるが故に、尊波羅蜜と言い、能く五度を正導するが故に、第一波羅蜜と名づけ、五度は及ばざるが故に、名づけて勝波羅蜜と為すこと、五情の意に及ばざるが如し。能く自ら利し、人を利するが故に名づけて、妙波羅蜜と為し、一切法中に過ぐる者の有ること無きが故に、無上波羅蜜と名づけ、法の与(とも)に同じき者有ること無きが故に、無等波羅蜜と名づく。 |
『仏道』は、
『世間』中に、
『最大であり!』、
是の、
『般若』は、
此の、
『仏道の事』に、
『与する( to take part in )!』が故に、
是れを、
『大波羅蜜』と、
『称し!』、
『一切法』中に、
『智慧』が、
『第一である!』が故に、
是の、
是の、
『般若』は、
『五度』を、
『正導する( to lead correctly )!』が故に、
是れを、
『第一波羅蜜』と、
『称し!』、
是の、
『般若』は、
『五度』が、
『及ばない( to be short )!』が故に、
是れを、
『勝波羅蜜』と、
『称する!』。
例えば、
『五情( 眼耳鼻舌身)』が、
『意』に、
『及ばないようなものである!』。
是の、
『般若』は、
『自ら利して!』、
『人を利する!』が故に、
是れを、
『妙波羅蜜』と、
『称し!』、
是の、
『般若』は、
『一切法』中に、
『過ぎる者が無い!』が故に、
是れを、
『無上波羅蜜』と、
『称し!』、
是の、
『般若』は、
『同等の法』が、
『無い!』が故に、
是れを、
『無等波羅蜜』と、
『称する!』。
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諸佛名無等從般若波羅蜜生故。名無等等波羅蜜。是般若波羅蜜畢竟清淨。不可以戲論破壞故。名如虛空波羅蜜。般若波羅蜜中。一切法自相不可得故。名為自相空波羅蜜。此波羅蜜中一切法自性空故。諸法因緣和合生。無有自性故。名為自性空波羅蜜。 |
諸仏を無等と名づくるは、般若波羅蜜より生ずるが故に、無等等波羅蜜と名づく。是の般若波羅蜜は、畢竟清浄にして、戯論を以って破壊すべからざるが故に如虚空波羅蜜と名づけ、般若波羅蜜中には、一切法の自相は不可得なるが故に名づけて、自相空波羅蜜と為し、此の波羅蜜中に一切法の自性は空なるが故に、諸法は因縁和合の生にして、自性有ること無きが故に、名づけて自性空波羅蜜と為す。 |
『諸仏を無等と称する!』のは、
『般若波羅蜜より!』、
『生じるからである!』が故に、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『無等等波羅蜜』と、
『称する!』。
是の、
『般若波羅蜜は、畢竟清浄であり!』、
『戯論を用いても!』、
『破壊できない!』が故に、
是れを、
『如虚空波羅蜜』と、
『称し!』、
『般若波羅蜜』中には、
『一切法の自相』が、
『不可得である!』が故に、
是れを、
『自相空波羅蜜』と、
『称し!』、
此の、
『自相空波羅蜜』中には、
『一切法』は、
『自性』が、
『空である!』が故に、
『諸法は、因縁和合の生であり!』、
『自性』が、
『無い!』が故に、
是れを、
『自性空波羅蜜』と、
『称する!』。
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諸法中無有自法故。名為諸法空波羅蜜。以此眾生空法空故。破諸法令無所有。無所有亦無所有。是名無法有法空波羅蜜。菩薩行是般若波羅蜜。無有功德而不攝者。如日出時華無不敷故。名開一切功德波羅蜜。 |
諸法中には、自法有ること無きが故に名づけて、諸法空波羅蜜と為し、此の衆生空、法空を以っての故に、諸法を破りて、無所有ならしめ、無所有も亦た無所有なれば、是れを無法有法空波羅蜜と名づけ、菩薩は、是の般若波羅蜜を行ずるに、功徳有りて、摂せざる者無きこと、日出づる時、華の敷(ひら)かざる無きが如きが故に、開一切功徳波羅蜜と名づく。 |
是の、
『般若波羅蜜』中には、
『諸法』中に、
『自法が無い!』が故に、
是れを、
『諸法空波羅蜜』と、
『称し!』、
是の、
『諸法空波羅蜜の衆生空、法空を用いる!』が故に、
『諸法を破って!』、
『無所有にし!』、
亦た、
『無所有』も、
『無所有である!』が故に、
是れを、
『無法有法空波羅蜜』と、
『称し!』、
『菩薩』は、
是の、
『般若波羅蜜を行じれば!』、
『摂することのない( being not obatained )!』、
『功徳』が、
『無い!』のは、
譬えば、
『日が出る!』時、
『敷かない華』が、
『無いようなものである!』が故に、
是れを、
『開一切功徳波羅蜜』と、
『称する!』。
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是菩薩心中般若波羅蜜日出。成就一切諸功德皆令清淨。般若波羅蜜。是一切善法之本。是故名為成就一切功德波羅蜜。世間無有法能傾動者故。名不可破壞波羅蜜。 |
是の菩薩の心中に般若波羅蜜の日出でて、一切の諸功徳を成就し、皆清浄ならしむれば、般若波羅蜜は是れ一切善法の本なり。是の故に名づけて成就一切功徳波羅蜜と為す。世間には、法の、能く傾動せしむる者有ること無きが故に、不可破壊波羅蜜と名づく。 |
是の、
『菩薩の心』中に、
『般若波羅蜜の日が出れば!』、
『一切の諸功徳を成就して!』、
『諸功徳を皆!』、
『清浄にする!』ので、
『般若波羅蜜』は、
『一切の善法の本であり!』、
是の故に、
『成就一切功徳波羅蜜』と、
『称し!』、
『世間』には、
是の、
『菩薩の心を傾動させる!』、
『法』は、
『無い!』が故に、
是れを、
『不可破壊波羅蜜』と、
『称する!』。
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是諸阿羅漢讚歎因緣。所謂三世佛皆從般若波羅蜜生。所謂無比布施乃至無比智慧。世間中無有與等者故言無比。是六波羅蜜畢竟清淨無有過失。故名為無比。無比即是無等等。 |
是の諸阿羅漢の讃歎する因縁とは、謂わゆる三世の仏も、皆般若波羅蜜より生じ、謂わゆる無比の布施、乃至無比の智慧は、世間中に与に等しき者の有ること無きが故に無比と言い、是の六波羅蜜は畢竟清浄にして、過失有ること無きが故に名づけて無比と為す。無比とは、即ち是れ無等等なり。 |
是の、
『諸の阿羅漢( 舎利弗、目揵連、須菩提、摩訶迦葉)』が、
『般若波羅蜜を讃歎する!』、
『因縁』とは、
謂わゆる、
『三世の仏も皆!』
『般若波羅蜜より!』、
『生じたからであり!』、
謂わゆる、
『無比の布施、乃至無比の智慧』は、
『世間』中に、
『同等の者』が、
『無い!』が故に、
是れを、
『無比』と、
『言い!』、
是の、
『六波羅蜜は、畢竟清浄であり!』、
『過失』が、
『無い!』が故に、
是れを、
『無比』と、
『称する!』が、
是の、
『無比』が、
『無等等なのである!』。
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復次無等等諸佛名無等。與諸佛等故名為無等等。 |
復た次ぎに、無等等の諸仏を無等と名づけ、諸仏と等しきが故に名づけて、無等等と為す。 |
復た次ぎに、
『無等等の諸仏』を、
『無等』とも、
『称する!』が、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『諸仏と!』、
『等しい!』が故に、
是れを、
『無等等』と、
『称する!』。
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問曰。三世諸佛中已有釋迦文佛。何以別說。 |
問うて曰く、三世の諸仏中には、已に釈迦文仏有り。何を以ってか、別に説く。 |
問い、
『三世の諸仏』中には、
已に、
『釈迦文仏(世尊)』が、
『有る!』のに、
何故、
『別に!』、
『説くのですか?』。
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答曰。今座上眾皆由釋迦文佛得度。感恩重故別說。如舍利弗說。我師不出者我等永為盲冥。諸阿羅漢知三世諸佛皆從般若波羅蜜中出。以是故。諸阿羅漢說。世尊諸菩薩摩訶薩。欲遍知一切法。當習般若波羅蜜。 |
答えて曰く、今の座上の衆は、皆釈迦文仏由り、度を得れば、恩を感ずること重きが故に別に説く。舎利弗の、『我が師出でざれば、我等は永く盲冥為(た)らん』、と説けるが如く、諸阿羅漢は、三世の諸仏は皆般若波羅蜜中より出づるを知り、是を以っての故に、諸阿羅漢の説かく、『世尊、諸菩薩摩訶薩、遍く一切法を知らんと欲すれば、当に般若波羅蜜を習うべし』、と。 |
答え、
今、
『座上の衆は、皆!』、
『釈迦文仏に由って、度を得た!』ので、
『重く、恩を感じた!』が故に、
『別に、説いたのである!』。
例えば、
『舎利弗』が、こう説いたように、――
『わたしの師が、世に出られなければ!』、
『わたし達は、永く!』、
『盲冥であっただろう!』、と。
『諸の阿羅漢』は、こう知っており、――
『三世の諸仏は、皆!』、
『般若波羅蜜』中より、
『出られた!』、と。
是の故に、
『諸の阿羅漢』は、こう説いたのである、――
世尊!
『諸菩薩摩訶薩が、遍く一切法を知ろうとすれば!』、
『般若波羅蜜』を、
『習わねばなりません!』、と。
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阿羅漢讚歎菩薩時心生恭敬。是故說禮敬供養。天人阿修羅者。說三善道。三惡道無所別知故不說。 |
阿羅漢の菩薩を讃歎する時、心に恭敬を生ずれば、是の故に『礼敬し、供養す』と説く。天、人、阿修羅とは、三善道を説けり。三悪道には別知する所無きが故に説かず。 |
『阿羅漢が、菩薩を讃歎する!』時、
『心』に、
『恭敬( the respect )』を、
『生じた!』ので、
是の故に、 こう説くのである、――
『礼敬し( to bow )!』、
『供養する( and make offerings )!』、と。
『天、人、阿修羅』とは、
『三善道』を、
『説いたのであり!』、
『三悪道』は、
『阿羅漢には、別に知る所が無かった!』が故に、
『説かなかった!』。
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佛聞羅漢讚歎已。佛印可言。如是如是。應當禮敬供養行般若波羅蜜者。汝雖無一切智慧。而說不錯故。重言如是如是。何以故。此中佛自說。因菩薩故出生人道天道。乃至一切諸菩薩。為安樂一切眾生故。 |
仏は、阿羅漢の讃歎を聞き已りたまい、仏の印可して言わく、『是の如し、是の如し。応当に般若波羅蜜を行ずる者を礼敬、供養すべし。汝は、一切智慧無しと雖も、説いて錯たざるが故に、重ねて、是の如し、是の如しと言えり』、と。何を以っての故に、此の中に、仏の自ら説きたまわく、『菩薩に因るが故に、人道、天道、乃至一切の諸菩薩を、一切の衆生を安楽ならしめんが為めの故に出生す』、と。 |
『仏』は、
『阿羅漢が讃歎する!』のを、
『聞かれた!』が、
『仏』は、
『印可して( approving )!』、こう言われた、――
その通りだ!
その通りだ!
『般若波羅蜜を行じる!』者を、
『礼敬し、供養せねばならない!』。
お前には、
『一切智慧が無い!』のに、
『説いて!』、
『錯たなかった!』、と。
是の故に、
『仏』は、
『言を重ねて!』、こう言われたのである、――
その通りだ!
その通りだ!、と。
何故ならば、
此の中に、
『仏が自ら!』、こう説かれているからである、――
『菩薩に因る( it is caused by Bodhisattva that )!』が故に、
『人道、天道、乃至一切の諸菩薩』は、
『一切の衆生を安楽にする為め!』の故に、
『出生するのである!』。
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說刹利大姓乃至阿迦尼吒。須陀洹乃至諸佛皆如先說。 |
刹利の大姓、乃至阿迦尼吒、須陀洹乃至諸仏を説くは、皆先に説けるが如し。 |
『刹利の大姓乃至阿迦尼吒、須陀洹乃至諸仏が説かれた!』が、
皆、
『先に説いた通りである!』。
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問曰。若因菩薩有飲食等及諸寶物。人何以力作求生受諸辛苦乃得。 |
問うて曰く、若し菩薩に因りて、飲食等、及び諸の宝物有れば、人は何を以ってか、力作し、生を求めて、諸の辛苦を受けて、乃(すなわ)ち得るや。 |
問い、
若し、
『菩薩に因って!』、
『飲食等や、諸宝物』が、
『有るならば!』、
何故、
『人は、力作して生を求め( people are with effort wanting to live )!』、
『諸の辛苦を受けて!』、
『乃ち、得る( to obtain finally )のですか?』。
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力作(りきさ):~に努力する/力を注ぐ( to put effort into )。 |
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答曰。飢餓劫時人雖設其功力亦無所得。以眾生罪重故。 |
答えて曰く、飢餓劫の時、人は、其の功力を設くと雖も、亦た所得無し。衆生の罪の重きを以っての故なり。 |
答え、
『飢餓劫の時( a period of starvation )』、
『人』は、
『功力を設けても( making persevering efforts )!』、
『所得』が、
『無い!』のは、
『衆生』の、
『罪』が、
『重いからである!』。
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菩薩世世讚歎布施持戒善心。是三福因緣故。有上中下。上者念便即得。中者人中尊重供養自至。下者施功力乃得。以是故說因菩薩得實而不虛。樂因緣甚多不可稱計。今佛略說天樂人樂涅槃樂皆由菩薩得。 |
菩薩は、世世に布施、持戒、善心を讃歎し、是の三福の因縁の故に、上中下有り。上の者は、念ずれば便即(すなわ)ち得、中の者は人中の尊重、供養自ら至り、下の者は功力を施して、乃ち得。是を以っての故に、『菩薩に因りて得』と説くも、実にして虚しからず。楽の因縁は甚だ多く、称計すべからざれば、今仏は、略説したまわく、『天楽、人楽、涅槃楽は、皆菩薩に由りて得』、と。 |
『菩薩』は、
『世世に布施、持戒、善心を讃歎した!』ので、
是の、
『三福の因縁』の故に、
『上、中、下』が、
『有り!』、
『上の菩薩』は、
『念じただけで!』、
『便即ち( as soon as )!』、
『得ることができ!』、
『中の菩薩』は、
『人』中の、
『尊重、供養』が、
『自ら、至り!』、
『下の菩薩』は、
『功力を施して( making efforts )!』、
『乃ち( then )!』、
『得る!』ので、
是の故に、
『菩薩に因って得ると、説かれた!』のは、
『実であって!』、
『虚ではない!』。
『楽の因縁』は、
『甚だ多く!』、
『称計しがたい( being uncountable )!』が、
今、
『仏は略して!』、こう説かれたのである、――
『天楽、人楽、涅槃楽』は、
『皆、菩薩に由って得られる!』、と。
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此中佛自說。菩薩住六波羅蜜自行布施。亦教眾生行布施。雖眾生自行布施。無菩薩教導則不能行。 |
此の中に、仏は自ら説きたまわく、『菩薩は、六波羅蜜に住して、自ら布施を行じ、亦た衆生に教えて、布施を行ぜしむ』、と。衆生は自ら布施を行ずと雖も、菩薩の教導無ければ、則ち行ずる能わざるなり。 |
此の中に、
『仏は自ら!』、こう説かれた、――
『菩薩は、六波羅蜜に住して!』、
『自ら、布施を行じながら!』、
『衆生に教えて!』、
『布施を行じさせる!』、と。
『衆生が、自ら布施を行じたとしても!』、
『菩薩の教導が無ければ!』、
『布施』を、
『行じることはないのである!』。
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問曰。除解脫樂此二種樂。是眾生生結使處。貪欲因緣故生恚。菩薩何以教導此結使因緣。 |
問うて曰く、解脱の楽を除けば、此の二種の楽は、是れ衆生の結使を生ずる処にして、貪欲の因縁の故に恚を生ずるに、菩薩は何を以ってか、此の結使の因縁を教導する。 |
問い、
『解脱( 涅槃)の楽を除けば!』、
此の、
『二種の楽( 天楽、人楽)』は、
『衆生が、結使を生じる!』、
『処であり!』、
『貪欲の因縁』の故に、
『恚』を、
『生じるのである!』が、
『菩薩』は、
何故、
此の、
『結使の因縁を得るよう!』、
『教導するのですか?』。
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答曰。菩薩無咎。所以者何。菩薩慈悲清淨心。與眾生樂因緣教修福事。若眾生不能清淨行福德者。於菩薩何咎。如人好心作井。盲人墮中而死。作者無罪。如人設好食施人。不知量者多食致患。施者無罪。 |
答えて曰く、菩薩には咎無し。所以は何んとなれば、菩薩は、慈悲の清浄心もて、衆生に楽の因縁を与え、福事を教えて修めしむれば、若し、衆生、清浄に福徳を行ずる能わざれば、菩薩に於いて、何をか咎むる。人、好心もて井(いど)を作るに、盲人、中に堕ちて死するも、作る者に罪無きが如し。人、好食を設けて、人に施すに、量を知らざる者、多く食いて、患を致すも、施す者に罪無きが如し。 |
答え、
『菩薩に、咎は無い!』、
何故ならば、
『菩薩の慈悲という!』、
『清浄心』の故に、
『衆生』に、
『楽の因縁』を、
『与えて!』、
『衆生に教えて!』、
『福事』を、
『修めさせたとして!』、
若し、
『衆生』が、
『清浄に!』、
『福徳』を、
『行じれなかったとしても!』、
何うして、
『菩薩』を、
『咎めるのか?』。
譬えば、
『人』が、
『好心』の故に、
『井( a well )』を、
『作り!』、
『盲人』が、
『井』中に、
『堕ちて!』、
『死んだとしても!』、
『井を作った!』者には、
『罪』が、
『無いようなものであり!』。
又、
『人』が、
『量を知らない!』者が、
『多く食って!』、
『患( disease )』を、
『致した( to catch )としても!』、
『施す!』者には、
『罪』が、
『無いようなものである!』。
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復次若諸佛菩薩。不教眾生作福德因緣。則無天無人無阿修羅。但長三惡道。無從罪得出者。 |
復た次ぎに、若し諸仏、菩薩、衆生を教えて、福徳の因縁を作さしめざれば、則ち天無く、人無く、阿修羅無く、但だ三悪道を長じて、罪より出づるを得る者無し。 |
復た次ぎに、
若し、
『諸仏、菩薩』が、
『衆生に教えて!』、
『福徳の因縁』を、
『作させなければ!』、
則ち、
『天、人、阿修羅』は、
『無く!』、
但だ、
『三悪道を長じて( increasing the three wrong ways )!』、
『罪より、出られる!』者が、
『無いことになる!』。
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復次眾生樂因緣故生貪。貪因緣故生恚。恚因緣故生苦。苦因緣故生罪。今欲免眾生於第五罪中。是故與樂。 |
復た次ぎに、衆生は、楽の因縁の故に貪を生じ、貪の因縁の故に恚を生じ、恚の因縁の故に苦を生じ、苦の因縁の故に罪を生ずるも、今は、衆生を第五の罪中より免れしめんと欲すれば、是の故に楽を与うるなり。 |
復た次ぎに、
『衆生』は、
『楽の因縁』の故に、
『貪』を、
『生じ!』、
『貪の因縁』の故に、
『恚』を、
『生じ!』、
『恚の因縁』の故に、
『苦』を、
『生じ!』、
『苦の因縁』の故に、
『罪』を、
『生じる!』が、
今は、
『衆生』を、
『第五の罪』中より、
『免れさせようとして!』、
是の故に、
『楽』を、
『与えるのである!』。
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復次非定樂因緣生貪欲。或正憶念故。樂為善福因緣。邪憶念故生貪欲。今為正憶念樂故。令生福德因緣。 |
復た次ぎに、定んで、楽の因縁の故に貪欲を生ずるには非ず。或は正憶念の故に、楽を善福の因縁と為し、邪憶念の故に貪欲を生ず。今、正憶念して楽と為すが故に、福徳の因縁を生ぜしむ。 |
復た次ぎに、
『楽の因縁』は、
『貪欲を生じる!』と、
『定っているのではない!』。
或は、
『正憶念( the thorough memory )』の故に、
『楽』が、
『善福の因縁と為るのであり!』、
『邪憶念( the unthorough memory )』故に、
『楽』が、
『貪欲を生じるのである!』が、
今は、
『正憶念の楽である!』が故に、
『福徳の因縁』を、
『生じさせるのである!』。
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正憶念(しょうおくねん):梵語 yonizo-manaskaara の訳、完全な意識( thorough consciousness )の義、正確に記憶すること(
to memorize correctly )の意。 邪憶念(じゃおくねん):梵語 ayonizo-manaskaara? の訳、不完全な意識( unthorough consciousness )の義、不正確に記憶すること( to memorize incorrectly )。 |
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復次唯佛一人無錯無失。是菩薩未成就佛道。未得佛眼故。以三種樂故。教化可度眾生。諸佛但以解脫樂教化眾生 |
復た次ぎに、唯だ仏一人のみ、錯無く、失無し。是の菩薩は、未だ仏道を成就せず、未だ仏眼を得ざるが故に、三種の楽を以っての故に、教化して、衆生を度すべきも、諸仏は、但だ解脱の楽を以って、衆生を教化したもう。 |
復た次ぎに、
唯だ、
『仏一人だけ!』が、
『錯( any mistake )、失( any error )』が、
『無いのである!』が、
是の、
『菩薩』は、
『未だ仏道を成就せず、未だ仏眼を得ていない!』が故に、
『三種の楽を用いて、教化し!』、
『衆生』を、
『度さねばならない!』が、
『諸仏』は、
『但だ、解脱の楽を用いて!』、
『衆生』を、
『教化されるだけである!』。
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