【論】釋曰。菩薩摩訶薩初發心時。以肉眼見世界眾生受諸苦患。心生慈愍。學諸禪定修得五通。以天眼遍見六道中眾生受種種身心苦。益加憐愍故。求慧眼以救濟之。得是慧眼已。見眾生心相種種不同。云何令眾生得是實法。故求法眼引導眾生令入法中故名法眼。 |
釈して曰く、菩薩摩訶薩は初発心の時、肉眼を以って、世界の衆生の諸の苦患を受くるを見、心に慈愍を生じて、諸の禅定を学び、五通を修得し、天眼を以って、遍く六道中の衆生の種種の身心の苦を受くるを見、益々憐愍を加うるが故に慧眼を求めて、以って之を救済し、是の慧眼を得已れば、衆生の心相の種種の不同を見る。云何が、衆生をして、是の実法を得しめんと、故に法眼を求む。衆生を引導し、法中に入れしむるが故に法眼と名づく。 |
釈す、
『菩薩摩訶薩』は、
『初発心の時、肉眼を用い!』、
『世界の衆生』が、
『諸の苦患を受ける!』のを、
『見て!』、
『心に、慈愍を生じ!』、
『諸の禅定』を、
『学び!』、
『五通を修得して、天眼を用い!』、
『六道の衆生』が、
『種種の身心の苦を受ける!』のを、
『見て!』、
『益々、憐愍を加える!』が故に、
『慧眼を求めて!』、
『六道の衆生』を、
『救済しようとする!』が、
是の、
『慧眼を得れば!』、
『衆生の心相は、種種に不同である!』と、
『見ることになる!』。
何うして、
『衆生』に、
是の、
『実法』を、
『得させればよいのか?』。
是の故に、
『法眼を求めて、衆生を引導し!』、
『法』中に、
『入らせるので!』、
是の故に、
『法眼』と、
『称するのである!』。
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所謂是人隨信行是人隨法行。初入無漏道鈍根者名隨信行。是人初依信力故得道。名為隨信行。利根者名隨法行。是人分別諸法故得道。是名隨法行。是二人十五心中亦名為無相行。過是已往或名須陀洹。或名斯陀含。或名阿那含。十五心中疾速無人能取其相者。故名無相。 |
謂わゆる是の人は随信行、是の人は随法行なりとは、初めて無漏道に入る鈍根の者を随信行と名づく。是の人は、初めて信力に依るが故に道を得れば、名づけて随信行と為す。利根の者を随法行と名づく。是の人は、諸法を分別するが故に道を得れば、是れを随法行と名づく。是の二人は、十五心中には亦た名づけて、無相行と為し、是を過ぎ已りて往けば、或は須陀洹と名づけ、或は斯陀含と名づけ、或は阿那含と名づく。十五心中は疾速(すみやか)なれば、人の能く其の相を取る者無きが故に無相と名づく。 |
謂わゆる、
是の、
『人』は、
『随信行である!』とか、
是の、
『人』は、
『随法行である!』とは、――
即ち、
『初めて、無漏道に入る!』、
是の、
『人』は、
『信力に依って!』、
『初めて、道を得る!』ので、
是れを、
『随信行』と、
『称する!』。
『利根の者』を、
『随法行』を、
『称する!』が、 是の、
『人』は、
『諸法を分別する!』が故に、
『道を得る!』ので、
是れを、
『随法行』と、
『称するのである!』。
是の、
『二人』を、
『十五心』中には、
『無相行とも!』、
『称され!』、
是の、
『十五心を過ぎて、往けば!』、
或は、
『須陀洹』と、
『称し!』、
或は、
『斯陀含』と、
『称し!』、
或は、
『阿那含』と、
『称するのである!』が、
『十五心』中は、
『疾速に、過ぎ往くので!』、
其の、
『相を取ることのできる!』、
『人が無く!』、
是の故に、
『無相』と、
『称するのである!』。
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十五心(じゅうごしん):八忍八智の十六心中、最後の道比智(道類智)を除く前十五心を見道に摂し、道比智を修道に摂す。『大智度論巻12上注:八忍八智』参照。 |
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有人無始世界來性常質直好樂實事者。有人好行捨離者。有人世世常好善寂者。好實者。用空解脫門得道。以諸實中空為第一故。好行捨者。行無作解脫門得道。好善寂者。行無相解脫門得道。 |
有る人は、無始の世界より来、性は常に質直にして、好んで実事を楽しむ者なり。有る人は、好く捨離を行ずる者なり。有る人は、世世に常に善寂を好む者なり。実を好む者は、空解脱門を用いて、道を得。諸実中には、空を以って、第一と為すが故なり。行捨を好む者は、無作解脱門を行じて、道を得、善寂を好む者は、無相解脱門を行じて道を得。 |
有る人は、
『無始の世界より!』、
『性として!』、
『常に!』、
『質朴・正直であり!』、
『好んで!』、
『実事』を、
『楽しむ者である!』。
有る人は、
有る人は、
『世世に常に!』、
『善寂』を、
『好む者である!』。
即ち、
『実を好む!』者は
『空解脱門を用いて!』、
『道』を、
『得る!』が、
『諸の実』中には、
『空』を、
『第一とするからである!』。
『行捨を好む!』者は、
『善寂を好む!』者は、
『無相解脱門を行じて!』、
『道』を、
『得るからである!』。
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問曰。何以說得五根。 |
問うて曰く、何を以ってか、『五根を得』、と説く。 |
問い、
何故、
『五根を得る!』と、
『説くのですか?』。
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答曰。有人言。一切聖道名為五根。五根成立故。八根雖皆是善。而三無漏根無有別異。以是故但說五根。 |
答えて曰く、有る人の言わく、『一切の聖道を名づけて、五根と為す、五根成立するが故なり。八根は、皆是れ善なりと雖も、三無漏根は別異有ること無ければ、是を以っての故に但だ五根を説く』、と。 |
答え、
有る人は、こう言っている、――
『一切の聖道』を、
『五根である!』と、
『称する!』のは、
『一切の聖道』が、
『五根により!』、
『成立するからである!』。
『八根( 五根+未知、已知、具知根)は、皆善である!』が、
『未知、已知、具知の三無漏根』は、
『別異( something to be distinguished from the others )』が、
『無い!』ので、
是の故に、
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取果時相應三昧名無間三昧。得是三昧已得解脫智。以是解脫智斷三結得果證。有眾見者。於五受眾中生我若我所。疑者於三寶四諦中不信。齋戒取者。九十六種外道法中。取是法望得苦解脫 |
果を取る時に相応する三昧を、無間三昧と名づけ、是の三昧を得已りて解脱智を得、是の解脱智を以って、三結を断じ、果の証を得。有衆見の者は、五受衆中に於いて、我若しは我所を生じ、疑の者は、三宝、四諦中に於いて信ぜず、斎戒取の者は、九十六種の外道法中に、是の法を取り、苦を得て解脱するを望む。 |
『果を取る時に相応する!』、
『三昧』を、
『無間三昧と称し!』、
是の、
是の、
『解脱智を用いて、三結を断じる!』と、
『果の証』を、
『得ることになる!』。
『有衆見の者』は、
『疑の者』は、
『三宝や、四諦』中に、
『不信』を、
『生じ!』、
『斎戒取の者』は、
『九十六種の外道法』中に、
是の、
『法を取り( to acquire such dharma )!』、
『苦を得て解脱すること!』を、
『望む!』。
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八根(はちこん):信、精進、念、定、慧根の五根、及び未知当知根、已知根、具知根の三無漏根の総称。
三無漏根(さんむろこん):聖者の修めるべき無漏の三種の根力。二十二根に摂して最後の三根と為す。『大智度論巻17下注:二十二根、巻23下注:三無漏根』参照。二十二根の最後の三根を三無漏根と名づけ、意根、楽根、善根、捨根、及び信、勤、念、定、慧の九根は、見道、修道、無学道の三道に依って、三根を立てる。一に未知当知根は、此の九根が見道に在る者であり、見道に在って、未だ曽て知らざる所の四諦の理を知ろうと欲して行動する者、之を未知当知と謂う。二に已知根は、彼の九根の修道に在る者であり、修道に在って、已に四諦の理を知了すと雖も、更に所余の煩悩を断ぜんが為に、彼の四諦の境に於いて数数了知せんとする者であり、之を已知と名づける。三に具知根とは、彼の九根の無学道に在る者であり、無学道に在っては、己が四諦の理を了知せりと為すと知ることを云い、その知と四諦の了知と具有するが故に、具知と名づける。<(丁) |
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問曰。見諦所斷十結得須陀洹果。何以故但說三不說七。 |
問うて曰く、見諦の所断は十結なり。須陀洹果を得るに、何を以っての故にか、但だ三を説いて、七を説かざる。 |
問い、
『見諦の所断は、十結である!』が、
『須陀洹果を得る!』のに、
何故、
『但だ、三を説いて!』、
『七』を、
『説かないのですか?』。
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十結(じっけつ):又十使とも云う。十種の煩悩。見結、疑結、戒道結、欲染結、瞋恚結、色染結、無色染結、無明結、慢結、掉結、或は有身見、辺執見、邪見、見取、戒禁取、貪、瞋、慢、無明、疑を云う。『大智度論巻3下注結、巻7上注九十八結、巻32下注八十八結』参照。 |
参考:『舎利弗阿毘曇論巻26』:『云何十結。見結疑結戒道結。欲染結瞋恚結色染結無色染結。無明結慢結掉結。』
参考:『十住毘婆沙論巻16』:『煩惱煩惱垢者。使所攝名為煩惱纏所攝名為垢。使所攝煩惱者。貪瞋慢無明身見邊見見取戒取邪見疑。是十根本隨三界見諦思惟所斷分別故名九十八使。非使所攝者。不信無慚無愧諂曲戲侮堅執懈怠退沒睡眠佷戾慳嫉憍不忍食不知足。亦以三界見諦思惟所斷分別故有一百九十六纏垢。』 |
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答曰。若說有眾見已說一切見結。如經說有眾見為六十二見根本故。 |
答えて曰く、若し有衆見を説けば、已に一切の見結を説く。経に説けるが如く、有衆見を、六十二見の根本と為すが故なり。 |
答え、
若し、
『有衆見を説けば!』、
已に、
『一切の見結』を、
『説くことになり!』、
例えば、
『経』に、こう説かれた通りだからである、――
『有衆見』は、
『六十二見の根本である!』、と。
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参考:『摩訶般若波羅蜜経巻19』:『須菩提。譬如我見中悉攝六十二見。如是須菩提。是深般若波羅蜜悉攝諸波羅蜜。』 |
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若人著我復思惟我。為是常為是無常。若謂無常墮斷滅中。而生邪見無有罪福。若謂為常墮常見中。而生齋戒取計望得道。或修後世福德。樂欲得此二事故。取戒求苦樂因緣故。謂天所作便生見取。若說有眾見則攝是二見邊見邪見。若說齋戒取已說見取。 |
若し人、我に著して、復た、『我は是れ常と為すや、是れ無常と為すや』、と思惟すれば、若しは『無常なり』、と謂いて、断滅中に堕し、邪見を生ずれば、罪福有ること無く、若しは、『常と為す』、と謂いて常見中に堕して、斎戒取を生じ、計りて道を得んことを望み、或は後世の福徳と楽とを修め、此の二事を得んと欲するが故に、戒を取りて、苦楽の因縁を求むるが故に、『天の所作なり』、と謂いて、便ち見取を生ず。若し有衆見を説けば、則ち是の二見の辺見と邪見とを摂し、若し斎戒取を説けば、已に見取を説く。 |
若し、
『人が、我に著して!』、
復た、
『我は常であるとか、無常である!』と、
『思惟すれば!』、
若し、
『無常である、と謂えば!』、
『断滅中に墜ちて!』、
『罪福など無い!』と、
『邪見に墜ちるだろう!』。
若し、
『常である、と謂えば!』、
『常見中に墜ちて、斎戒取を生じ!』、
『道を得よう、と計望して!』、
『後世の福徳と楽を得る業』を、
『修め!』、
此の、
『福徳、楽の二事を得ようとする!』が故に、
『戒を取って、苦楽の因縁を求める!』が故に、
『苦楽は、天の所作である!』と、
『謂って!』、
便ち( then )、
『見取』を、
『生じる!』。
若し、
『有衆見を説けば!』、
是の、
『辺見、邪見の二見』を、
『摂することになり!』、
若し、
『斎戒取を説けば!』、
已に、
『見取!』を、
『説くことになる!』。
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計望(けもう):予期/悕冀。悕望/希望。 |
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餘四結未拔根本故。不說是十結。於三界四諦所斷分別。有八十八須陀洹乃至辟支佛。分別聲聞辟支佛道如先說。 |
餘の四結は、未だ根本を抜かざるが故に、説かず。是の十結は、三界に於いて、四諦の所断なるも、分別すれば八十八有り。須陀洹、乃至辟支仏を分別すれば声聞と、辟支仏道にして、先に説けるが如し。 |
『餘の四結( 貪、瞋、癡、慢)』は、
『未だ、根本を抜かない!』が故に、
『説かない!』。
是の、
『十結』は、
『三界』の、
『四諦所断であり』、
『分別すれば!』
『八十八結』、
『有る!』。
『須陀洹、乃至辟支仏』を、
『分別すれば!』、
『声聞、辟支仏道であり!』、
例えば、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
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参考:『大智度論巻28』:『問曰。如佛說有四種沙門果。四種聖人須陀洹乃至阿羅漢。五種佛子須陀洹乃至辟支佛。三種菩提阿羅漢菩提辟支佛菩提佛菩提。果中聖中佛子中菩提中皆無菩薩。云何言菩薩勝一切聲聞辟支佛智慧。答曰。佛法有二種。一者聲聞辟支佛法。二者摩訶衍法。聲聞法小故。但讚聲聞事不說菩薩事。摩訶衍廣大故。說諸菩薩摩訶薩事。發心修行十地入位。淨佛世界成就眾生得佛道。此法中說菩薩次佛。應如供養佛。能如是觀諸法相是為福田。能勝聲聞辟支佛如是。摩訶衍經中。處處讚菩薩摩訶薩智慧勝聲聞辟支佛。如寶頂經中說。轉輪聖王少一不滿千子。雖有大力諸天世人所不貴重。有真轉輪聖王種。處在胎中。初受七日便為諸天所貴重。所以者何。九百九十九人。不能嗣轉輪聖王種令世人得二世樂。是雖在胎必能紹胄聖王。是故恭敬。諸阿羅漢辟支佛。雖得根力覺意六神通諸禪智慧力於實際得證為眾生福田。十方諸佛所不貴重。菩薩雖在諸結使煩惱欲縛三毒胎中。初發無上道意。未能有所作。而為諸佛所貴。以其漸漸當行六波羅蜜。得方便力入菩薩位。乃至得一切種智。度無量眾生。不斷佛種法種僧種。不斷天上世間淨樂因緣故。』 |
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菩薩法眼有二種。一者分別知聲聞辟支佛方便得道門。二者知菩薩方便行道門。聲聞辟支佛事先已處處說。今當分別菩薩法。 |
菩薩の法眼には二種有り、一には声聞、辟支仏の方便なる、得道の門を分別して知り、二には菩薩の方便なる、行道の門を知る。声聞、辟支仏の事は、先に已に処処に説けるも、今当に菩薩法を分別すべし。 |
『菩薩の法眼には、二種有り!』、
一には、
『声聞、辟支仏の方便である!』、
『得道の門』を、
『分別して知り!』、
二には、
『菩薩の方便である!』、
『行道の門』を、
『知ることである!』。
『声聞、辟支仏の事』は、
先に、
『処処に!』、
『説いた!』ので、
今は、
『菩薩法』を、
『分別せねばならない!』。
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若菩薩知是菩薩深行六波羅蜜。薄諸煩惱故。用信根精進根。及方便為度眾生故受身。是菩薩生死肉身未得法性神通法身。以是故不說三根。未離欲故。今世行布施。功德信根精進根。後世生刹利大姓乃至他化自在天。先知因後知果。 |
若しは菩薩の知るらく、『是の菩薩は六波羅蜜を深く行じて、諸煩悩を薄らしむるが故に、信根、精進根、方便を用いて、衆生を度する為めの故に身を受くるも、是の菩薩は生死の肉身にして、未だ法性、神通の法身を得ざれば、是を以っての故に三根なりと説かず、未だ欲を離れざるが故なり。今世に行ずる布施の功徳は信根と精進根にして、後世に刹利の大姓、乃至他化自在天に生ず』、と。先に因を知りて、後に果を知ればなり。 |
若し、
『菩薩』が、こう知れば、――
是の、
『菩薩は、深く六波羅蜜を行じて!』、
『諸煩悩を薄れさせた!』が故に、
『信根、精進根、方便を用いて!』、
『衆生を度する為め!』の故に、
『身』を、
『受けたのである!』が、
是の、
『菩薩は、生死の肉身であり!』、
『未だ、法性、神通の法身を得ていない!』ので、
是の故に、
『三根(三無漏根)を具える!』と、
『説かない!』のは、
未だ、
『欲』を、
『離れないからである!』。
是の、
『菩薩の、今世に行じる!』、
『布施の功徳』は、
『今世には!』、
『信根と!』、
『精進根であり!』、
『後世には!』、
『刹利の大姓、乃至他化自在天』に、
『生じることである!』、と。
『先に!』、
『因』を、
『知る!』が故に、
『後に!』、
『果』を、
『知るのである!』。
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復次是菩薩不退者如先說。不退轉相亦如後阿鞞跋致品中說。與此相違名為退。不退菩薩有二種。一者受記。二者未受記。如首楞嚴三昧四種受記中說。 |
復た次ぎに、是の菩薩は不退なりとは、先に説ける不退転の相の如く、亦た後の阿毘跋致品中に説けるが如し。此れと相違するを名づけて退と為す。不退の菩薩には二種有り、一には受記、二には未だ受記せず。首楞厳三昧の四種受記中に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩が、不退である!』とは、――
例えば、
『先に説いた!』、
『不退転の相であり!』、
亦た、
『後に阿毘跋致品』中に、
『説く通りである!』。
此の、
『不退と相違すれば!』、
『退』と、
『呼ばれる!』。
『不退の菩薩』には、
『二種有り!』、
一には、
『不退の記を受けた!』、
『菩薩であり!』、
二には、
『未だ、記を受けない!』、
『菩薩である!』。
例えば、
『首楞厳三昧の四種受記』中に、
『説かれた通りである!』。
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四種受記(ししゅじゅき):首楞厳三昧経中に説く四種の受記、即ち一には未だ発心せざるに授記に与(あずか)る。二には適(たまたま)発心して授記に与る。三には密かに記を授ける。四には無生法忍を得て現前に記を授かると云う。『大智度論巻4下』参照。 |
参考:『首楞厳三昧経巻2』:『授記凡有四種。何謂為四。有未發心而與授記。有適發心而與授記。有密授記。有得無生法忍現前授記。是謂為四。』 |
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具足神通者。於十方恒河沙世界中。一時能變化無量身供養諸佛。聽法說法度眾生。如是等除佛無能及者。是為末後身菩薩。與此相違者名不具足。復次各各自地中無所少。名為具足。各各地中未成就是不具足。 |
神通を具足する者は、十方の恒河沙の世界中に於いて、一時に能く無量の身に変化して、諸仏を供養し、法を聴いて、法を説き、衆生を度す。是れ等の如きは、仏を除いて、能く及ぶ者無し。是れを末後身の菩薩と為し、此れと相違する者を、不具足と名づく。復た次ぎに、各各の自地中に少(か)く所無ければ、名づけて具足と為し、各各の地中に未だ成就せざれば、是れ不具足なり。 |
『神通を具足する!』者は、
『十方の恒河沙に等しい世界』中に於いて、
『一時に!』、
『無量の身』に、
『変化して!』、
『諸仏を供養しながら、法を聴いたり、法を説いたりして!』、
『衆生』を、
『度すことができる!』が、
是れ等は、
『仏を除けば!』、
『及ぶことのできる!』者が、
『無いのであり!』、
是れは、
『末後身』の、
『菩薩である!』。
此の、
『菩薩と相違すれば!』、
『不具足の菩薩』と、
『呼ばれる!』。
復た次ぎに、
『各各の自地』中に、
『少く所が無ければ( there is nothing of which is short )!』、
『具足』と、
『称され!』、
『各各の地』中に、
『未だ、成就しなければ( it is not complete )!』、
『不具足』と、
『呼ばれる!』。
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得神通有二種。有用者有不用者。未得神通者。有菩薩新發意故未得神通。或未離欲故。懈怠心故。行餘法故。是為未得。與上相違是為得。淨佛世界未淨世界如先說。 |
神通を得るには二種有りて、用有る者と、不用有る者となり。未だ神通を得ざる者とは、有る菩薩は新発意なるが故に未だ、神通を得ず、或は未だ欲を離れざるが故に、懈怠の心の故に、餘法を行ずるが故に、是れを未だ得ずと為す。上と相違すれば、是れを得と為す。仏世界を浄むると、未だ世界を浄めざるとは、先に説けるが如し。 |
『神通を得る!』には、
『二種有り!』、
『用の有るもの( having the adequate functions )!』と、
『不用の有るもの( having the inadequate functions )である!』。
『未だ、神通を得ない!』とは、
有る、
『菩薩』は、
『新発意である!』が故に、
未だ、
『神通』を、
『得ていない!』し、
或は、
『未だ、欲を離れない!』が故に、
『懈怠心である!』が故に、
『餘法を行じている!』が故に、
『神通』を、
『得ない!』ので、
是れを、
『未だ得ない!』と、
『称し!』、
『上に相違すれば!』、
『得た!』と、
『称する!』。
『仏世界を浄める、未だ世界を浄めない!』とは、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
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浄仏世界(じょうぶっせかい):浄仏土に同じ。衆生を教化して、十善道等を行わしむること。『摩訶般若波羅蜜経巻1習応品』、『大智度論巻37』参照。 |
参考:『摩訶般若波羅蜜経巻1習応品』:『舍利弗。空行菩薩摩訶薩。不墮聲聞辟支佛地。能淨佛土成就眾生。疾得阿耨多羅三藐三菩提。』
参考:『大智度論巻37』:『能淨佛世界成就眾生者。菩薩住是空相應中無所復礙。教化眾生令行十善道及諸善法以眾生行善法因緣故佛土清淨。以不殺生故壽命長。以不劫不盜故。佛土豐樂應念即至。如是等眾生行善法則佛土莊嚴。』 |
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成就眾生者有二種。有先自成功德然後度眾生者。有先成就眾生後自成功德者。如寶華佛欲涅槃時觀二菩薩心。 |
衆生を成就する者には、二種有り、有るいは先に自ら功徳を成じて、然る後に衆生を度する者なり。有るいは先に衆生を成就して、後に自ら功徳を成ずる者なり。宝華仏の涅槃したまわんと欲する時、二菩薩の心を観たもうが如し。 |
『衆生を成就する!』者には、
『二種有って!』、
有るいは、
先に、
『自ら!』、
『功徳を成じて!』、
その後、
『衆生』を、
『度す者であり!』、
有るいは、
先に、
『衆生』を、
『成就して!』、
後に、
『自ら!』、
『功徳を成じる者である!』。
例えば、
『宝華仏が、涅槃しようとする!』時、
『二菩薩の心』を、
『観られたようなものである!』。
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所謂彌勒釋迦文菩薩。彌勒菩薩自功德成就弟子未成就。釋迦文菩薩弟子成就自身未成就。成就多人難自成則易。作是念已。入雪山谷寶窟中身放光明。是時釋迦文菩薩見佛。其心清淨一足立七日七夜以一偈讚佛。以是因緣故超越九劫。如是等知成就眾生不成就眾生者。 |
謂わゆる弥勒、釈迦文菩薩なり。弥勒菩薩は自ら功徳成就して、弟子は未だ成就せず。釈迦文菩薩は弟子成就して、自らの身は未だ成就せず。『多人を成就するは難く、自ら成ずるは則ち易し』と、是の念を作し已りて、雪山に入り、谷の宝窟中に身より光明を放ちたまえば、是の時、釈迦文菩薩は仏を見て、其の心清浄となり、一足にて立つこと七日七夜、一偈を以って仏を讃ず。是の因縁を以っての故に、超越すること九劫なり。是れ等の如く、衆生を成就すると、衆生を成就せざる者を知る。 |
謂わゆる、
『弥勒菩薩と、釈迦文菩薩である!』が、
『弥勒菩薩』は、
『自ら、功徳を成就しながら!』、
『弟子』は、
『未だ、成就せず!』、
『釈迦文仏』は、
『弟子が、成就していながら!』、
『自身』は、
『未だ、成就していなかった!』。
『宝華仏』が、
『多人を成就するのは難しいが、自らを成就するのは易しい!』と、
是のように、
『谷の宝窟』中に於いて、
爾の時、
『釈迦文菩薩』は、
『仏を見て!』、
『心』が、
『清浄となり!』、
『一足で、七日七夜立ちながら!』、
『一偈を用いて!』、
『仏を讃じた!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
『九劫を超越して!』、
『仏を得られたのである!』が、
是れ等のように、
『衆生を成就する者と、衆生を成就しない者と!』を、
『知るのである!』。
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参考:『大智度論4』:『問曰。菩薩幾時能種三十二相。答曰。極遲百劫。極疾九十一劫。釋迦牟尼菩薩。九十一大劫行辦三十二相。如經中言。過去久遠有佛名弗沙。時有二菩薩。一名釋迦牟尼。一名彌勒。弗沙佛。欲觀釋迦牟尼菩薩心純淑未。即觀見之。知其心未純淑。而諸弟子心皆純淑。又彌勒菩薩心已純淑。而弟子未純淑。是時弗沙佛。如是思惟。一人之心易可速化。眾人之心難可疾治。如是思惟竟。弗沙佛。欲使釋迦牟尼菩薩疾得成佛。上雪山上。於寶窟中入火定。是時釋迦牟尼菩薩。作外道仙人。上山採藥。見弗沙佛坐寶窟中入火定放光明。見已心歡喜。信敬翹一腳立。叉手向佛一心而觀。目未曾眴七日七夜。以一偈讚佛。 天上天下無如佛 十方世界亦無比 世界所有我盡見 一切無有如佛者 七日七夜諦觀世尊目未曾眴。超越九劫於九十一劫中。得阿耨多羅三藐三菩提。問曰。若釋迦牟尼菩薩。聰明多識能作種種好偈。何以故。七日七夜一偈讚佛。答曰。釋迦牟尼菩薩。貴其心思不貴多言。若更以餘偈讚佛心或散亂。是故七日七夜以一偈讚佛。問曰。釋迦牟尼菩薩。何以心未純淑。而弟子純淑。彌勒菩薩自心純淑。而弟子未純淑。答曰。釋迦牟尼菩薩。饒益眾生心多。自為身少故。彌勒菩薩。多為己身少為眾生故。』
参考:『大智度論巻30初品中諸仏称讃其命釈論』:『‥‥問曰。若諸佛出於三界不著世間。無有我及我所。視於外道惡人大菩薩阿羅漢一等無異。云何讚歎菩薩。答曰。佛雖無吾我無有憎愛於一切法心無所著。憐愍眾生以大慈悲心引導一切故。分別善人而有所讚。亦欲破壞惡魔。所願以佛讚歎故。無量眾生愛樂菩薩恭敬供養。後皆成就佛道。以是故諸佛讚歎菩薩。‥‥』 |
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諸佛稱譽如先說。與此相違名為不稱譽。親近諸佛無量壽命無量比丘僧純菩薩為僧不修苦行如初品末說。 |
諸仏の称誉とは、先に説けるが如し。此れと相違するを名づけて、不称誉と名づく。諸仏に親近すると、無量の寿命と、無量の比丘僧と、純ら菩薩を僧と為すと、苦行を修せざるは、初品の末に説けるが如し。 |
『諸仏の称誉』は、
『先に!』、
『説いた通りであり!』、
此れと、
『相違すれば!』、
『不称誉である!』。
『諸仏に親近する!』、
『無量の寿命!』、
『無量の比丘僧!』、
『純ら菩薩だけを、僧と為す!』、
『苦行を修めない!』は、
『初品の末』に、
『説いた通りである!』。
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一生補處者。或以相知者。如阿私陀仙人觀其身相知今世成佛。珊若婆羅門見乳糜知今日成佛者應食如遍吉菩薩觀世音菩薩文殊師利菩薩等。見是菩薩如諸佛相知當成佛。如是等 |
一生補処の者は、或は相を以って知る者なり。阿私陀仙人の、其の身相を観て、今世に成仏するを知り、刪若婆羅門は、乳糜を見て、今日成仏する者は応に食すべきを知るが如し。遍吉菩薩、観世音菩薩、文殊師利菩薩等は、是の菩薩の諸仏の如き相を見て、当に成仏するを知るが如し。是れ等の如し。 |
『一生補処』とは、
或は、
『相を用いて!』、
『知る者である!』。
例えば、
『阿私陀仙人』が、
『菩薩の相を観て!』、
『今世に成仏するだろう!』と、
『知り!』、
『刪若婆羅門』が、
『乳糜を見て!』、
『今日成仏する者が、食うはずである!』と、
『知るようなものであり!』、
例えば、
『遍吉菩薩や、観世音菩薩や、文殊師利菩薩等』は、
是の、
『菩薩の、諸仏のような相を見て!』、
『成仏するはずだ!』と、
『知るようなものである!』。
是れ等のように、
『相を用いて!』、
『知るのである!』。
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刪若(さんにゃ):梵語 saJjaya の訳、又刪闍耶に作る。或は六師外道中の刪闍夜毘羅胝子か。
乳糜(にゅうび):梵語 madhu-paayasa の訳、甘い乳粥( delicious rice pudding )の意。 |
参考:『仏本行集経巻25』:『是時善生村主二女。聞於彼天如是告已。歡喜踊躍。遍滿其體不能自勝。速疾集聚一千牸牛。而[(殼-一)/牛]乳取轉。更將飲五百牸牛。更別日[(殼-一)/牛]此五百牛轉持乳。將飲於二百五十牸牛。後日[(殼-一)/牛]此二百五十牸牛之乳。還更飲百二十五牛。後日[(殼-一)/牛]此一百二十五牸牛乳。飲六十牛。後日[(殼-一)/牛]此六十牛乳。飲三十牛。後日[(殼-一)/牛]此三十牛乳。飲十五牛。後日[(殼-一)/牛]此十五牛乳。著於一分淨好粳米。為於菩薩。煮上乳糜。其彼二女。煮乳糜時。現種種相。或復出於滿花瓶相。或現功德河水淵相。或時現於萬字之相。或現功德千輻輪相。或復現於斛領牛相。或現象王龍王之相。或現魚相。或時復現大丈夫相。或復現於帝釋形相。或時有現梵王形相。或復現出乳糜。向上涌沸。上至半多羅樹。須臾還下。或現乳糜向上。高至一多羅樹訖已還下。或現出高一丈夫狀。還入彼器。無有一渧。離於彼器而落餘處。煮乳糜時。別有一善解海算數占相師。來至彼之處。見其乳糜出現如是諸種相貌。善占觀已。作如是語。希有希有。是誰得此乳糜而食。彼人食已。不久而證甘露妙藥』 |
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坐道場者。有菩薩見菩薩行處。地下有金剛地持是菩薩。又見天龍鬼神持種種供養具送至道場。如是等知坐道場。 |
道場に坐すとは、有る菩薩は、菩薩の行処の地下に金剛地有りて、是の菩薩を持するを見、又天、龍、鬼神の種種の供養の具を持ちて、道場に送至するを見て、是れ等の如く、道場に坐するを知る。 |
『道場に坐する!』とは、
有る、
『菩薩』は、
『菩薩の行処を見る!』と、
『地下に有る金剛地』が、
是の、
『菩薩』を、
『保持していたり!』、
又、
『行処を見る!』と、
『天、龍、鬼神が種種の供養の具を持して!』、
『道場』に、
『送至している!』ので、
是れ等のようにして、
『道場に坐す!』と、
『知るのである!』。
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有魔者宿世遮他行道及種種求佛道因緣。不喜行慈好行空等餘法。如是等因緣以宿世破他行道故有魔破壞。 |
魔を有すとは、宿世に他の行道を遮り、種種に仏道の因縁を求むるに及んで、慈を行ずるを喜ばず、空等の餘法を行ずるを好む。是れ等の如き因縁は、宿世に他の行道を破るを以っての故に、魔の破壊する有り。 |
『魔が有る!』とは、
『宿世に!』、
『他人の行道』を、
『遮りながら!』、
『種種に!』、
『仏道の因縁を求める!』に、
『及んで!』、
是の、
『菩薩』は、
『慈』を、
『行じる!』のを、
『喜ばず!』、
『空等の餘法』を、
『行じる!』のを、
『好む!』ので、
是れ等のような、
『因縁』は、
『宿世に、他人の行道を破った!』が故に、
『魔に、破壊されるようなこと!』が、
『有るのである!』。
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問曰。云何末後身菩薩受惡業報為魔來壞。 |
問うて曰く、云何が末後の身の菩薩にして、悪業の報を受け、魔来たりて壊ると為すや。 |
問い、
何故、
『末後身の菩薩( the bodhisattva of his last body )』が、
『悪業の報』を、
『受け!』、
『魔』に、
『来られて!』、
『壊られるのですか?』。
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答曰。菩薩以種種門入佛道。或從悲門或從精進智慧門入佛道。是菩薩行精進智慧門不行悲心。好行精進智慧故。譬如貴人雖有種種好衣或時著一餘者不著。菩薩亦如是。修種種行以求佛道。或行精進智慧道。息慈悲心。 |
答えて曰く、菩薩は種種の門を以って、仏道に入れば、或は悲門より、或は精進、智慧門より仏道に入る。是の菩薩は、精進、智慧門を行ずるも、悲心を行ぜず。精進、智慧を行ずるを好むが故なり。譬えば貴人の、種種の好衣有りと雖も、或は時に一を著けて、餘を著けざるが如し。菩薩も亦た是の如く、種種の行を修して、以って仏道を求むれば、或は精進、智慧の道を行じて、慈悲心を息(や)む。 |
答え、
『菩薩』は、
『種種の門を用いて!』、
『仏道』に、
『入る!』ので、
或は、
或は、
『精進、智慧門より!』、
『仏道』に、
『入る!』。
是の、
『菩薩』は、
『精進、智慧門を行じて!』、
『悲心』を、
『行じず!』、
『精進、智慧』を、
『行じること!』を、
『好むからである!』。
譬えば、
『貴人』が、
『種種の好衣を有しながら!』、
或時には、
『一衣を著けて!』、
『餘者を著けないようなものである!』。
『菩薩』も、
是のように、
『種種の行を修めて!』、
『仏道』を、
『求める!』ので、
或は、
『精進、智慧の道を行じて!』、
『慈悲心』を、
『息める( to rest )のである!』。
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破行道者。增上慢故。諸長壽天龍鬼神不識方便者。見作惡行因緣若不受報生斷滅見。是故佛現受報。是故雖無罪因緣實魔來。以方便力故現有魔。如是等一切聲聞辟支佛諸菩薩種種方便門令眾生入道。是名法眼淨 |
行道を破るとは、増上慢の故なり。諸の長寿天、龍、鬼神は、方便を識らざる者なれば、悪行の因縁を作すも、若しは報を受けざるを見て、断滅見を生ず。是の故に仏は報を受くるを現したまい、是の故に罪の因縁無しと雖も、実に魔来たり、方便力を以っての故に魔有るを現す。是れ等の如く、一切の声聞、辟支仏、諸菩薩は種種の方便門もて、衆生をして道に入らしむ。是れを法眼浄と名づく。 |
『行道を破る!』とは、
『増上慢である!』が故に、
『破るのである!』。
『諸の長寿天や、龍、鬼神のような!』、
『方便を識らない!』者は、
『悪行の因縁を作しても、報を受けないこともある!』のを、
『見て!』、
是の故に、
『断滅見』を、
『生じる!』ので、
是の故に、
『仏』は、
『報を受けること!』を、
『現された!』。
是の故に、
『仏には、罪の因縁が無い!』のに、
『実に!』、
『魔が来た!』のは、
『方便力を用いられた!』が故に、
『魔が有る!』のを、
『現された!』。
是れ等のように、
『一切の声聞、辟支仏、諸菩薩』は、
『種種の方便門より!』、
『衆生』を、
『道に入らせる!』ので、
是れを、
『法眼浄』と、
『称するのである!』。
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