【經】舍利弗。菩薩摩訶薩能如是行般若波羅蜜。惡魔不能得其便。世間眾事所欲隨意。十方各如恒河沙等諸佛。皆悉擁護是菩薩。令不墮聲聞辟支佛地。四天王天乃至阿迦尼吒天。皆亦擁護是菩薩不令有礙。是菩薩所有重罪現世輕受。何以故。是菩薩摩訶薩用普慈加眾生故。舍利弗。是菩薩摩訶薩如是行。是名與般若波羅蜜相應 |
舎利弗、菩薩摩訶薩は、是の如く般若波羅蜜を行ずれば、悪魔は、其の便を得る能わずして、世間の衆事は欲する所を意のままにし、十方の各に恒河沙に等しきが如き諸仏、皆悉く、是の菩薩を擁護して、声聞、辟支仏の地に堕せざらしめ、四天王天、乃至阿迦尼吒天、皆是の菩薩を擁護して、礙有らしめず、是の菩薩の有らゆる重罪は現世に受くること軽し。何を以っての故に、是の菩薩摩訶薩は、普き慈を用いて、衆生に加うるが故なり。舎利弗、是の菩薩摩訶薩、是の如く行ずれば、是れを般若波羅蜜と相応すと名づく。 |
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』が、
是のように、
『般若波羅蜜を行じれば!』、
『悪魔』も、
其の、
『便( the opportunity of doing evil )』を、
『得ることができず!』、
『世間の衆事( the worldly affairs )』も、
『欲する!』所が、
『意のままであり!』、
『十方の各に恒河沙に等しいほどの諸仏』が、
皆、悉く
是の、
『菩薩を擁護して!』、
『声聞、辟支仏の地』に、
『堕ちないようにさせ!』、
『四天王天、乃至阿迦尼吒天』も、
皆、
是の、
『菩薩を擁護して!』、
『礙( any obstacle )も!』、
『無くさせる!』。
是の、
『菩薩』は、
有らゆる、
『重罪』を、
『現世』に於いて、
『軽く受ける!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『普き慈を用いて( with universal benevolence )!』、
『衆生に加えた( to treat every living beings )からである!』。
舎利弗!
是の、
『菩薩』が、
是のように、
『般若波羅蜜』を、
『行じれば!』、
是れを、
『般若波羅蜜と相応する!』と、
『称する!』。
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【論】釋曰。今讚是菩薩。如上行般若波羅蜜得大功德是名菩薩。智慧功力果報得此五利。 |
釈して曰く、今、是の菩薩の、上の如く般若波羅蜜を行じて、大功徳を得るを讃じ、是れを菩薩の智慧の功力の果報にして、此の五利を得と名づく。 |
釈す、
今、
是の、
『菩薩』が、
上のように、
『般若波羅蜜を行じて!』、
『大功徳を得る!』のを、
『讃じた!』が、
是れは、
『菩薩』の、
『智慧の功力の果報』が、
此の、
『五利』を、
『得させたのである!』。
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問曰。魔是欲界主。菩薩是人肉眼不得自在。云何不能得其便。 |
問うて曰く、魔は、欲界の主なるに、菩薩は是れ人にして、肉眼は自在を得ず。云何が、其の便を得る能わざる。 |
問い、
『魔は、欲界の主である!』が、
『菩薩は人であり!』、
『肉眼』に、
『自在を得ることはない!』。
『魔』は、
何故、
其の、
『便』を、
『得ることができないのですか?』。
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答曰。如此中佛自說。諸佛諸大天擁護故。 |
答えて曰く、此の中に仏の自ら説きたまえるが如く、諸仏、諸大天の擁護するが故なり。 |
答え、
此の中に、
『仏』が、自ら説かれたように、――
『諸仏や、諸大天』が、
『擁護するからである!』。
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復次是菩薩行畢竟不可得自相空故。於一切法中皆不著。不著故無違錯。無違錯故魔不能得其便。譬如人身不瘡雖臥毒屑中毒亦不入。若有小瘡則死無疑。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、畢竟、不可得、自相空を行ずるが故に、一切法中に於いて、皆著せず。著せざるが故に違錯すること無く、違錯無きが故に、魔は其の便を得る能わず。譬えば人身に瘡(きず)つかざれば、毒屑中に臥すと雖も、亦た入らず、若し小瘡有れば、則ち死すること疑無きが如し。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
『畢竟空、不可得空、自相空を行じる!』が故に、
『一切法』中に、
『皆、著することなく!』、
『著さない!』が故に、
『違錯( any violation)』が、
『無く!』、
『違錯が無い!』が故に、
『魔』も、
其の、
『便』を、
『得ることができない!』。
譬えば、
『人身に瘡つかなければ( be not wounded )!』、
『毒屑中に臥しても( lying asleep in the poisonous powder )!』、
『毒』が、
『入ることはない!』が、
若し、
『小瘡でも有れば!』、
『疑無く!』、
『死ぬようなものである!』。
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又是菩薩於諸佛中心不著。於諸魔中心不瞋。是故魔不得便。 |
又、是の菩薩は、諸仏中に於いても、心著せず、諸魔中に於いても、心瞋らざれば、是の故に魔は、便を得ざるなり。 |
又、
是の、
『菩薩』は、
『諸仏』中にも、
『心』の、
『著することがなく!』、
『諸魔』中に、
『心』の、
『瞋ることがない!』ので、
是の故に、
『魔』は、
『便』を、
『得られないのである!』。
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復次菩薩深入忍波羅蜜慈三昧故。一切外惡不能中傷。所謂水火刀兵等。世間眾事者資生所須。所謂治生諧偶。種蒔果樹曠路作井安立客舍如法理事皆得如意。若欲造立塔寺作大福德。若作大施。若欲說法教度眾生皆得如意。如是等世間眾事若大若小皆得如法隨意。所以者何。是菩薩世世集無量福德智慧因緣故。 |
復た次ぎに、菩薩は忍波羅蜜、慈三昧に深く入るが故に、一切の外悪も、中傷する能わず、謂わゆる水火、刀兵等なり。世間の衆事とは、資生の所須にして、謂わゆる治生の偕偶、華樹の種蒔、曠路の作井、客舎の安立、如法の理事は皆、意の如し。若しは塔寺を造立せんと欲して、大福徳を作し、若しは大施を作すにも、若しは説法して、衆生を教度せんと欲するにも、皆意の如くなるを得。是れ等の如き世間の衆事の若しは大、若しは小なるに、皆如法にして意のままなるを得。所以は何んとなれば、是の菩薩は世世に無量の福徳、智慧の因縁を集むるが故なり。 |
復た次ぎに、
『菩薩は忍波羅蜜、慈三昧に深く入る!』が故に、
『一切の外悪』、
謂わゆる、
『水火も、刀兵等も!』、
『中傷することができない( cannot slander )!』。
『世間の衆事』とは、
『資生の所須であり( that which is necessary to live )!』、
『治生の偕偶( partner of livelihood )や!』、
『果樹を種蒔すること( seeding and planting )や!』、
『曠路の作井( well-sinking in waste-area )や!』、
『客舎を安立すること( building a guest house )や!』、
『如法に理事すること( right governance )は!』、
皆、
『意のままになり!』、
若し、
『塔寺を造立しようして!』、
『大福徳を作したり!』、
『大施を作したとしても!』、
若し、
『説法して!』、
『衆生』を、
『教度しようとしても!』、
皆、
『意のままに!』、
『得ることになり!』、
是れ等のような、
『世間の衆事を、大であれ、小であれ!』、
皆、
『如法に、随意に!』、
『得るのである!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩は、無量の福徳を得る為めの!』、
『智慧の因縁』を、
『世世に、集めてきたからである!』。
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資生(ししょう):生活に役立つ。
治生(じしょう):生計を謀る。暮らしを立てる。
諧偶(げぐう):和合。偕偶、即ち配偶。
種蒔(しゅじ):種をまく。
曠路(こうろ):広い道路。曠野の道路。
作井(させい):井戸を掘る。
安立(あんりゅう):建立。家族を安んじ生計を立つ。
客舎(きゃくしゃ):旅客舎。旅館。
理事(りじ):事物を処理する。 |
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復次是菩薩行般若波羅蜜。於一切法中心不著。心不著故結使薄。結使薄故能生深厚善根。深厚善根生故所願如意。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、般若波羅蜜を行じて、一切法中に於いて、心著せず、心著せざるが故に結使薄く、結使薄きが故に、能く深厚の善根を生じ、深厚の善根生ずるが故に、所願意の如し。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩は、般若波羅蜜を行じて!』、
『一切法』中に、
『心』が、
『著することなく!』、
『心が著さない!』が故に、
『結使』が、
『薄れ!』、
『結使が薄い!』が故に、
『深厚の善根』を、
『生じることができ!』、
『深厚の善根が生じる!』が故に、
『所願』が、
『意のままである!』。
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復次是菩薩行般若波羅蜜故。諸大天皆敬念是菩薩讚歎稱揚其名。諸龍鬼等聞諸天稱說。亦來助成其事。是故世間眾事皆得如意。 |
復た次ぎに、是の菩薩の般若波羅蜜を行ずるが故に、諸大天は、皆是の菩薩を敬念し、讃歎して其の名を称揚し、諸龍、鬼等は諸天の称説するを聞きて、亦た来たりて其の事を助成すれば、是の故に世間の衆事は、皆意の如きを得。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩が、般若波羅蜜を行じる!』と、
『諸の大天』は、
皆、
是の、
『菩薩を敬念して!』、
其の、
『名』を、
『讃歎、称揚し!』、
『諸の龍や、鬼等』は、
『諸天が称説するのを、聞いて!』、
亦た、
『菩薩の所に来て!』、
其の、
『事( works )』を、
『助成する!』ので、
是の故に、
『世間の衆事』を、
皆、
『意のままに!』、
『得るのである!』。
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復次是菩薩為諸佛所念。威德所加皆得如意。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、諸仏に念ぜられ、威徳を加えらるれば、皆意の如きを得。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
『諸仏に念じられ!』、
『威徳』を、
『加えられる!』ので、
皆( 世間の衆事を)、
『意のままに!』、
『得るのである!』。
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問曰。十方諸佛心等。何以偏念是菩薩。 |
問うて曰く、十方の諸仏の心は等しきに、何を以ってか、偏に是の菩薩を念ずる。 |
問い、
十方の、
『諸仏』は、
『心が等しい( their benevolence is impartial )!』のに、
何故、
『偏に( only )!』、
是の、
『菩薩だけ』を、
『念じるのですか?』。
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答曰。是菩薩智慧功德大故。諸佛心雖平等。法應念是菩薩以勸進餘人。又是菩薩得佛智慧氣分故。別知善惡賞念好人無過於佛。是故佛念。 |
答えて曰く、是の菩薩は智慧、功徳大なるが故に、諸仏の心は、平等なりと雖も、法は、応に是の菩薩を念じ、以って餘の人に勧進すべし。又、是の菩薩は、仏の智慧の気分を得るが故に、善悪を別知し、好人を賞念するも仏に於いては過無し。是の故に仏は念じたまえり。 |
答え、
是の、
『菩薩の智慧、功徳は大である!』が故に、
『諸仏』の、
『心』は、
『平等であっても( being in equality )!』、
『法( in reason )』は、
是の、
『菩薩を念じて!』、
『餘人に勧進すべきである( must recommend him to others )!』。
又、
是の、
『菩薩』は、
『仏の智慧』の、
『気分( the impression )』を、
『得ている!』が故に、
『仏が、善悪を別知して!』、
『好人を賞念されたとしても!』、
『過』は、
『無いのであり!』、
是の故に、
『仏』は、
『念じられたのである!』。
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勧進(かんじん):すすめる。奨励。
気分(きぶん):梵語 vaasanaa の訳、室を香で満たす行為( the act of perfuming or fumigating )の義、心に無意識に残る何物かの印象(
the impression of anything remaining unconsciously in the mind )、微少分( a
particle )の意。
賞念(しょうねん):賞歎。 |
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復次佛念不欲令墮聲聞辟支佛故。所以者何。入空無相無作。以佛念故而不墮落。譬如魚子母念故得生不念則壞。 |
復た次ぎに、仏は念じたもうは、声聞、辟支仏に堕せしめんと欲したまわざるが故なり。所以は何んとなれば、空、無相、無作に入れば、仏の念じたもうを以っての故に、堕落せず。譬えば魚子の母念ずるが故に、生を得、念ぜざれば、則ち壊するが如し。 |
復た次ぎに、
『仏が念じられる!』のは、
『声聞、辟支仏』に、
『堕させようとは!』、
『思われないからである!』。
何故ならば、
『菩薩が空、無相、無作に入れば!』、
『仏が念じられる!』が故に、
『堕落しないのである!』。
譬えば、
『魚子』は、
『母に念じられる!』が故に、
『生』を、
『得て!』、
『念じられなければ!』、
則ち、
『壊れるようなものである!』。
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諸大天擁護者。不欲令失其所行。諸天效佛念故。又諸天以菩薩行般若波羅蜜。都無所著不樂世樂。但欲教化眾生故住於世間。知其尊貴故念。 |
諸大天の擁護するは、其の所行を失わしめんと欲せず、諸天は仏に效(なら)いて念ずるが故なり。又、諸天は菩薩の般若波羅蜜を行じて、都(みな)所著無く、世楽を楽しまず、但だ衆生を教化せんと欲するが故に、世間に住するを以って、其の尊貴を知るが故に念ず。 |
『諸大天が擁護する!』のは、
『菩薩の所行』を、
『失わせよう!』とは、
『思わないからであり!』、
『諸天』は、
『仏に效って( imitating the Buddha )!』、
『念じるからである!』。
又、
『諸天』は、
『菩薩が般若波羅蜜を行じながら!』、
『都、所著が無く( has not any attachment to )!』、
『世楽』を、
『楽しむこともなく!』、
『但だ、衆生を教化しようとする!』が故に、
『世間』に、
『住する!』ので、
其の、
『尊貴であること!』を、
『知る!』が故に、
『念じるのである!』。
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所有重罪者。先世重罪應入地獄。以行般若波羅蜜故現世輕受。譬如重囚應死有勢力者護則受鞭杖而已。又如王子雖作重罪以輕罰除之。以是王種中生故。菩薩亦如是。能行是般若波羅蜜得實智慧故。即入佛種中生。佛種中生故雖有重罪云何重受。 |
有らゆる重罪とは、先世の重罪にして、応に地獄に入るべくも、般若波羅蜜を行ずるを以っての故に、現世に軽く受くるなり。譬えば重囚の応に死すべきに、勢力者の護ること有れば、則ち鞭杖を受くるのみなるが如し。又、王子は重罪を作すと雖も、軽罰を以って、之を除くは、是れが王種中に生ずるを以っての故なるが如し。菩薩も亦た是の如く、能く是の般若波羅蜜を行ずれば、実の智慧を得るが故に、即ち仏種中に入りて生じ、仏種中に生ずるが故に、重罪有りと雖も、云何が重く受けんや。 |
『有らゆる重罪』とは、
『先世の重罪であり!』、
『当然、地獄に入らねばならない!』のに
『般若波羅蜜を行じる!』が故に、
『現世に!』、
『軽く受けるのである!』。
譬えば、
『重罪の囚人』は、
『当然、死なねばならない!』が、
有る、
『勢力者』に、
『護られれば!』、
則ち、
『鞭杖』を、
『受けるだけであるようなものである!』。
又、
『王子』が、
『重罪を作しながら!』、
『軽罰を受けるだけで!』、
是の、
『重罪』を、
『除く!』のは、
是れが、
『王種』中に、
『生まれたからであるように!』、
『菩薩』も、
是のように、
是の、
『般若波羅蜜を行じて!』、
『実の智慧を得ることができた!』が故に、
『仏種中に入って!』、
『生じる!』ので、
『仏種中に生じる!』が故に、
『重罪が有った!』としても、
何故( Cannot )、
『重く!』、
『受けるのか?』。
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復次譬如鐵器中空故在水能浮中實則沒。菩薩亦如是。行般若波羅蜜智慧心虛故不沒重罪。凡人無智慧故沈沒重罪。 |
復た次ぎに、譬えば鉄器は中の空なるが故に、水に在りて、能く浮くも、中実なれば、則ち没するが如し。菩薩も亦た是の如く、般若波羅蜜の智慧を行じて、心虚しきが故に重罪に没せず。凡人は智慧無きが故に重罪に沈没す。 |
復た次ぎに、
譬えば、
『鉄器』は、
『中が空である!』が故に、
『水に!』、
『浮くことができる!』が、
『中が実ならば!』、
則ち、
『没することになるように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『般若波羅蜜の智慧を行じて!』、
『心が虚である!』が故に、
『重罪』に、
『没しない!』が、
『凡人』は、
『智慧が無い!』が故に、
『重罪』に、
『沈没するのである!』。
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復次佛此中自說因緣所以得五功德者。用普慈加眾生故。 |
復た次ぎに、仏は、此の中に自ら、因縁を説きたまわく、『五功徳を得る所以(ゆえ)は、普く慈を用って衆生に加うるが故なり』、と。 |
復た次ぎに、
『仏』は、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説かれている、――
『五功徳を得る所以( the reason of obtaining the five virtues )』は、
『普き慈( the univarsal benevolence )』を、
『衆生』に、
『加えるからである!』、と。
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問曰。先言行般若波羅蜜故具五功德。今何以言用普慈加眾生故。 |
問うて曰く、先に、『般若波羅蜜を行ずるが故に、五功徳を具う』、と言い、今は何を以ってか、『普き慈を用って衆生に加うるが故に』、と言う。 |
問い、
先には、こう言いながら、――
『般若波羅蜜を行じる!』が故に、
『五功徳』を、
『具える!』、と。
今は、何故、こう言うのか?――
『普き慈を用いて!』、
『衆生』に、
『加えるからである!』、と。
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答曰。能生無量福無過於慈。是慈因般若波羅蜜生。得無量利益。 |
答えて曰く、能く無量の福を生ずれば、慈に於いて過無し。是の慈は、般若波羅蜜に因りて生ずれば、無量の利益を得るなり。 |
答え、
是の、
『慈』は、
『無量の福を生じさせる!』が故に、
『過』が、
『無いのであり!』、
是の、
『慈』は、
『般若波羅蜜に因って、生じて!』、
『無量の利益』を、
『得させるものである!』。
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復次惡魔不得便。諸佛所念重罪今世輕受。是般若波羅蜜力。世間眾事所欲隨意諸天擁護是大慈力。 |
復た次ぎに、悪魔の便を得ず、諸仏に念ぜられ、重罪を今世に軽く受くるは、是れ般若波羅蜜の力なり。世間の衆事の欲する所の意のままなる、諸天の擁護するは、是れ大慈の力なり。 |
復た次ぎに、
『悪魔が、便を得ないこと!』、
『諸仏に、念じられること!』、
『重罪を、今世に軽く受けること!』、
『世間の衆事の欲する所が随意であること!』、
『諸天が擁護すること!』、
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復次有二種緣。一者眾生。二者法。是菩薩若緣眾生則是慈心。若緣法則是行般若波羅蜜。是慈從般若波羅蜜生。隨順般若波羅蜜教。是故說慈無咎 |
復た次ぎに、二種の縁有り、一には衆生、二には法なり。是の菩薩は、若し衆生を縁ずれば、則ち是れ慈心にして、若し法を縁ずれば、則ち是れ般若波羅蜜を行ずるなり。是の慈は、般若波羅蜜より生じて、般若波羅蜜の教に隨順すれば、是の故に慈を説くも、咎無し。 |
復た次ぎに、
『二種の縁が有り!』、
一には、
『衆生を縁じ( to contact all living beings )!』、
二には、
『法を縁じる( to contact a dharma )!』。
是の、
『菩薩』が、
若し、
『衆生を縁じれば!』、
是れは、
『慈心であり!』、
若し、
『法を縁じれば!』、
是れは、
『般若波羅蜜を行じるのである!』。
是の、
『慈』は、
『般若波羅蜜より、生じて!』、
『般若波羅蜜の教』に、
『隨順する!』ので、
是の故に、
『慈を説かれても!』、
『咎』は、
『無いのである!』。
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