【經】我得阿耨多羅三藐三菩提時。十方如恒河沙等世界中眾生聞我名者。必得阿耨多羅三藐三菩提。欲得如是等功德者。當學般若波羅蜜 |
我が阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、十方の恒河沙に等しきが如き世界中の衆生、我が名を聞けば、必ず、阿耨多羅三藐三菩提を得ん。是れ等の如き功徳を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。 |
わたしが、
『阿耨多羅三藐三菩提を得た!』時、
『十方の恒河沙に等しいほどの!』、
『世界中の衆生』が、
わたしの、
『名』を、
『聞けば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るだろう!』と、
是れ等のような、
『功徳を得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
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【論】問曰。有人生值佛世在佛法中。或墮地獄者如提婆達俱迦利訶多釋子等。三不善法覆心故墮地獄。此中云何言去佛如恒河沙等世界。但聞佛名便得道耶。 |
問うて曰く、有る人は、生まれながらに、仏の世に値い、仏法中に在りて、或は地獄に堕す者なり。提婆達、倶迦利、訶多釈子等の如きは、三不善法の心を覆うが故に、地獄に堕せり。此の中に、云何が、仏を去りたる恒河沙に等しきが如き世界に、但だ仏名を聞きて、便ち道を得んや。 |
問い、
有る、
『人』は、
『仏の世に値って、生まれ( to happen to birth in Buddha's land )!』、
『仏法中に在りながら( in the Buddha's teachings )!』、
或は、
『地獄』に、
『堕ちるのであり!』、
例えば、
『提婆達、倶迦利、訶多釈子』等は、
『三不善法に心を覆われる!』が故に、
『地獄』に、
『堕ちたのである!』。
此の中には、
何故、こう言うのですか?――
『仏を去る( being apart from the Buddha )!』、
『恒河沙に等しいほどの世界』が、
但だ、
『仏の名を聞くだけで!』、
便ち( easily )、
『道』を、
『得られるのですか?』。
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値(ち):<動詞>[本義]置く/放置( place )。持つ( hold )、偶然( happen to )、当る/当直( be on duty )、当る/の価値がある( be worth )。<名詞>価値( value )、価格( price )。
倶迦利(くかり):梵名kokaalika、また俱迦離、俱伽離、俱伽梨、仇伽離、瞿迦梨等に作り、訳して悪時者、牛守と訳す。提婆達多の弟子なり。<(丁)
訶多釈子(かたしゃくし):妄語比丘の名。『大智度論巻11下注:訶多』参照。 |
参考:『雑阿含経巻48(1278)』:『如是我聞。一時。佛住王舍城迦蘭陀竹園。時。有瞿迦梨比丘。是提婆達多伴黨。來詣佛所。稽首佛足。退坐一面。爾時。世尊告瞿迦梨比丘。瞿迦梨。汝何故於舍利弗.目揵連清淨梵行所。起不清淨心。長夜當得不饒益苦。瞿迦梨比丘白佛言。世尊。我今信世尊語。所說無異。但舍利弗.大目揵連心有惡欲。如是第二.第三說。瞿迦梨比丘。提婆達多伴黨於世尊所再三說中。違反不受。從座起去。去已。其身周遍生諸皰瘡。皆如栗。漸漸增長。皆如桃李。時。瞿迦梨比丘患苦痛。口說是言。極燒。極燒。膿血流出。身壞命終。生大缽曇摩地獄。時。有三天子。容色絕妙。於後夜時來詣佛所。稽首佛足。退坐一面。時。一天子白佛言。瞿迦梨比丘。提婆達多伴黨今已命終。時。第二天子作是言。諸尊當知。瞿迦梨比丘命終墮地獄中。第三天子即說偈言 士夫生世間 斧在口中生 還自斬其身 斯由其惡言 應毀便稱譽 應譽而便毀 其罪生於口 死墮惡道中 博弈亡失財 是非為大咎 毀佛及聲聞 是則為大過 彼三天子說是偈已。即沒不現。爾時。世尊夜過晨朝。來入僧中。於大眾前敷座而坐。告諸比丘。昨後夜時。有三天子來詣我所。稽首我足。退坐一面。第一天子語我言。世尊。瞿迦梨比丘。提婆達多伴黨今已命終。第二天子語餘天子言。瞿迦梨比丘命終墮地獄中。第三天子即說偈言 士夫生世間 斧在口中生 還自斬其身 斯由其惡言 應毀便稱譽 應譽而便毀 其罪口中生 死則墮惡道 說是偈已。即沒不現。諸比丘。汝等欲聞生阿浮陀地獄眾生其壽齊限不。諸比丘白佛。今正是時。唯願世尊為諸大眾說阿浮陀地獄眾生壽命齊限。諸比丘聞已。當受奉行。佛告比丘。諦聽。善思。當為汝說。譬如拘薩羅國。四斗為一阿羅。四阿羅為一獨籠那。十六獨籠那為一闍摩那。十六闍摩那為一摩尼。二十摩尼為一佉梨。二十佉梨為一倉。滿中芥子。若使有人百年百年取一芥子。如是乃至滿倉芥子都盡。阿浮陀地獄眾生壽命猶故不盡。如是二十阿浮陀地獄眾生壽等一尼羅浮陀地獄眾生壽。二十尼羅浮陀地獄眾生壽等一阿吒吒地獄眾生壽。二十阿吒吒地獄眾生壽等一阿波波地獄眾生壽。二十阿波波地獄眾生壽等一阿休休地獄眾生壽。二十阿休休地獄眾生壽等一優缽羅地獄眾生壽。二十優缽羅地獄眾生壽等一缽曇摩地獄眾生壽。二十缽曇摩地獄眾生壽等一摩訶缽曇摩地獄眾生壽。比丘。彼瞿迦梨比丘命終墮摩訶缽曇摩地獄中。以彼於尊者舍利弗.大目揵連比丘生惡心.誹謗故。是故。諸比丘。當作是學。於彼燒燋炷所。尚不欲毀壞。況毀壞有識眾生。佛告諸比丘。當如是學。佛說此經已。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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答曰。上已說有二種佛。一者法性生身佛。二者隨眾生優劣現化佛。為法性生身佛故。說乃至聞名得度。為隨眾生現身佛故。說雖共佛住隨業因緣有墮地獄者。 |
答えて曰く、上に已に、『二種の仏有り。一には法性生身の仏、二には衆生の優劣に随いて現わるる化仏なり』、と説けり。法性生身の仏の為の故に、乃至『名を聞いて、度を得』、と説き、衆生に随って身を現す仏の為の故に、『仏と共に住すと雖も、業因緣に随って、地獄に堕つる者有り』、と説く。 |
答え、
上に、
已に、こう説いた、――
『二種の仏が有り!』、
一には、
『法性生身』の、
『仏であり!』、
二には、
『衆生の優劣に随って、現われる!』、
『化仏である!』、と。
是の、
『法性生身の仏である!』が故に、
乃至、
『名を聞くだけで!』、
『道を得る!』と、
『説き!』、
『衆生に随って、身を現す仏である!』が故に、
『仏と共に住しながら!』、
『業因緣に随って、地獄に堕ちる者が有る!』と、
『説いたのである!』。
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法性生身佛者。無事不濟。無願不滿。所以者何。於無量阿僧祇劫積集一切善本功德。一切智慧無礙具足。為眾聖主諸天及大菩薩希能見者。譬如如意寶珠難見難得。若有見者所願必果。如喜見藥。其有見者眾患悉除。如轉輪聖王。人有見者無不富足。如釋提桓因。有人見者隨願悉得。如梵天王眾生依附恐怖悉除。如人念觀世音菩薩名者悉脫厄難。是事尚爾。何況諸佛法性生身。 |
法性生身の仏には、事の済わざる無く、願の満てざる無し。所以は何んとなれば、無量阿僧祇劫に於いて、一切の善本の功徳を積集せる、一切の智慧と無礙具足して、衆(あまた)の聖主、諸天、及び大菩薩の為に、希に能く見らるる者なればなり。譬えば、如意宝珠の難見、難得なるに、若し見る者有らば、所願は必ず果たすが如く、喜見薬の、其の見る者有らば、衆患悉く除こるが如く、転輪聖王の、人に見る者有らば、富足せざる無きが如く、釈提桓因の、人の見る者有らば、願に随いて、悉く得るが如く、梵天王の衆生の依附すれば、恐怖悉く除こるが如く、人の観世音菩薩の名を念ずれば、悉く、厄難を脱るるが如き、是の事すら、尚お爾り、何に況んや、諸仏の法性生身をや。 |
『法性生身の仏』には、
『済われない!』、
『事』が、
『無く!』、
『満たされない!』、
『願』が、
『無い!』。
何故ならば、
『無量阿僧祇劫』に於いて、
『一切の善本の功徳を積集し!』、
『一切の智慧と無礙とが!』、
『具足しているからであり!』、
『衆聖主や、諸天や、大菩薩だけが!』、
『希に!』、
『見ることのできる者である!』。
譬えば、
『如意宝珠など!』は、
『難見、難得でありながら!』、
若し、
『見る者が有れば!』、
必ず、
『所願』が、
『果たされ( to be filled )!』、
『喜見薬など!』は、
其れを、
『見る者が有れば!』、
『衆患』が、
『悉く除かれ!』、
『転輪聖王など!』は、
若し、
『見る人が有れば!』、
『富足しない!!』者が、
『無く!』、
『釈提桓因など!』は、
若し、
『見る人が有れば!』、
『願のままに!』、
『悉くを得!』、
『梵天王など!』は、
若し、
『衆生が依附すれば( a living being attachs to him )!』、
『恐怖』が、
『悉く除かれ!』、
『人』が、
是れ等の、
『事すら!』、
尚お( yet )、
『爾うである( it is true )!』が、
況して、
『諸仏の法性生身』は、
『尚更である!』。
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喜見薬(きけんやく):不明。一説に、これ阿伽陀( agada、無病薬と訳す)薬なりとす。 |
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問曰。釋迦文佛亦是法性生身分無有異體。何以故。佛在世時有作五逆罪人飢餓賊盜如是等惡。 |
問うて曰く、釈迦文仏も亦た是の法性生身の分にして、異体有ること無きに、何を以っての故にか、仏在世の時にも、五逆罪を作せる人、飢餓、賊盗、是れ等の如き悪有る。 |
問い、
『釈迦文仏』も、
亦た、
『法性生身の分であり!』、
『異体』は、
『無いのに!』、
何故、
『仏の在世の時にすら!』、
『五逆罪を作す人や、飢餓や、賊盗や!』、
是れ等のような、
『悪』が、
『有るのですか?』。
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答曰。釋迦文佛本誓。我出惡世欲以道法度脫眾生。不為富貴世樂故出。若佛以力與之則無事不能。又亦是眾生福德力薄罪垢深重故。不得隨意度脫。又今佛但說清淨涅槃。而眾生譏論誹謗言。何以多畜弟子化導人民。此亦是繫縛法。但以涅槃法化猶尚譏謗。何況雜以世樂。 |
答えて曰く、釈迦文仏の本誓いたまわく、『我れ悪世に出でて、道法を以って、衆生を度脱せんと欲す』、と。富貴、世楽の為の故に出でたまわず。若し、仏、力を以って之に与うれば、則ち事の能わざる無けれども、、又亦た是の衆生の福徳の力薄く、罪垢深重なるが故に、随意に度脱するを得ず。又、今の仏、但だ清浄の涅槃を説きたまえば、衆生、譏論し、誹謗して、『何を以ってか、多く弟子を蓄え、人民を化導する。此れも亦た是れ繋縛の法なり』、と言わん。但だ涅槃の法を以って化すことすら、猶尚お譏謗す。何に況んや、雑うるに世楽を以ってするをや。 |
答え、
『釈迦文仏』は、
本、こう誓われた、――
わたしは、
『悪世に出て!』、
『道法を用いて!』、
『衆生』を、
『度脱しよう!』、と。
『仏』は、
『富貴や、世楽の為に!』、
『世に!』、
『出られたのではないのである!』。
若し、
『仏』が、
『力を用いて( with power )!』、
『衆生』に、
『与えられれば( to help )!』、
則ち、
『できない事』は、
『無いのである!』が、
又亦た、
是の、
『衆生』は、
『福徳の力が薄く!』、
『罪垢が深重である!』が故に、
『意のままに!』、
『度脱することができない!』。
今も、
『仏』は、
但だ、
『清浄』の、
『涅槃』を、
『説かれただけなのに!』、
『衆生』は、
『譏論し誹謗して( to blame and slander )!』、こう言う、――
何故、
『弟子を、多く蓄えて!』、
『人民』を、
『化導するのか?』。
此の、
『涅槃という!』、
『法も!』、
『繋縛の法なのに!』、と。
但だ、
『涅槃の法を用いて!』、
『化導することすら!』、
猶尚お、
『譏謗されるのである!』。
況して、
『世楽を雑えて、化導すれば!』、
『尚更であろう!』。
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如提婆達欲令足下有千輻相輪故。以鐵作模燒而爍之。爍已足壞身惱大呼。爾時阿難聞已涕泣白佛。我兄欲死願佛哀救 |
提婆達の如きは、足下をして、千輻相輪を有らしめんと欲するが故に、鉄を以って、摸を作り、焼いて之を爍(や)き、爍き已りて足壊れ、身悩みて大いに呼べり。爾の時、阿難は聞き已りて、涕泣し、仏に白さく、『我が兄、死せんと欲す。願わくは、仏、哀れんで救いたまえ』、と。 |
例えば、
『提婆達など!』は、
『足下』に、
『千輻相輪』を、
『有しようとして!』、
『鉄で作った!』、
『模を焼いて( to burn the model )!』、
『足下を爍き( to burn his soles )!』、
『爍いてしまう!』と、
『足が壊れて( his sole is hurted )!』、
『身が悩み( his body is in agony )!』、
『大いに呼んだ( be crying out )!』。
爾の時、
『阿槃』は、
『呼ぶ声を聞いて、涕泣しながら!』、
『仏』に、こう白した、――
わたしの、
『兄が、死のうとしています!』。
願わくは、
仏!
『兄を哀れんで、救ってください!』、と。
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佛即伸手就摩其身發至誠言。我看羅睺羅與提婆達等者彼痛當滅。是時提婆達眾痛即除。執手觀之知是佛手便作是言。淨飯王子以此醫術足自生活。 |
仏は、即ち手を伸ばして、其の身に就けて摩で、至誠を発して言たまわく、『我れ羅睺羅を看るに、提婆達と等しくんば、彼の痛は、当に滅すべし』、と。是の時、提婆達の衆痛即ち除こり、手を執りて、之を観るに、是れ仏の手なるを知り、便ち是の言を作さく、『浄飯王の子は、此の医術を以ってすれば、自ら生活するに足らん』、と。 |
『仏』は、
即ち( soon )、
『手を伸ばして!』、
『提婆達』の、
『身に就けて!』、
『摩でながら!』、
『至誠心を発して( to show favorable mind )!』、こう言われた、――
わたしが、
『羅睺羅を看る!』のが、
『提婆達を看る!』のと、
『等しければ!』、
彼れの、
『痛み!』は、
『滅するだろう!』、と。
是の時、
『提婆達』は、
『衆痛が、即座に除かれ!』、
其の、
『手を執って、観る!』と、
是れは、
『仏の手である!』と、
『知り!』、
便ち( and then )、こう言った、――
『浄飯王の王子』も、
此の、
『医術を用いれば!』、
自ら、
『生活するに!』、
『足るだろう!』、と。
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佛告阿難。汝觀提婆達不。用心如是云何可度。若好世人則無是咎。如是眾生若以世樂不得度也。是事種種因緣上已廣說。以是故說聞佛名有得道者有不得者。 |
仏の阿難に告げたまわく、『汝は、提婆達を観しや、不や。心を用いて是の如きに、云何が度すべき』、と。若し好世の人なれば、則ち是の咎無し。是の如き衆生、若し世楽を以ってせんにも、度を得ざるなり。是の事の種種の因縁は、上に已に広く説けり。是を以っての故に説かく、『仏の名を聞いて、道を得る者有り、得ざる者有り』、と。 |
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
お前は、
『提婆達を観たか?』、――
わたしが、
『心を用いたのに( be with concentrated attention )!』、
『是の通りである!』、
何故、
『提婆達』を、
『度することができるのか?』、と。
若し、
『好世の人ならば!』、
是のような、
『咎( sinfulness )』は、
『無いはずである!』。
是のような、
『衆生』は、
若し、
『世楽を用いて!』、
『度そうとしても!』、
『度すことはできない!』。
是の、
『事の種種の因縁』は、
上に、
『已に、広く説いた通りである!』。
是の故に、こう説かれた、――
『仏の名を聞いて!』、
有る者は、
『道』を、
『得!』、
有る者は、
『道』を、
『得ないのである!』、と。
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用心(ゆうしん):注意しながら( with concentrated attention, attentively )、動機/意図( motive,
intention )。
咎(く):梵語 doSa の訳、悪の重さ/邪悪さ/罪の重さ( badness, wickedness, sinfulness )の義。 |
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復次佛身無量阿僧祇種種不同。有佛為眾生說法令得道者。有佛放無量光明眾生遇之而得道者。有以神通變化指示其心而得道者。有佛但現色身而得道者。有佛遍身毛孔出眾妙香眾生聞之而得道者。有佛以食與眾生令得道者。有佛眾生但念而得道者。有佛能以一切草木之聲而作佛事令眾生得道者。有佛眾生聞名而得道者。為是佛故說言我作佛時其聞名者皆令得度。 |
復た次ぎに、仏身は、無量阿僧祇にして、種種不同なり。有る仏は、衆生の為に法を説いて、道を得しむる者なり。有る仏は、無量の光明を放ち、衆生之に遇わば、道を得る者なり。有るいは神通変化を以って、其の心を指示し、道を得しむる者なり。有る仏は、但だ色身を現して、道を得しむる者なり。有る仏は遍身の毛孔より、衆妙香を出して、衆生之を聞かば、道を得る者なり。有る仏は、食を以って衆生に与えて、道を得しむる者なり。有る仏は、衆生但だ念ぜば、道を得る者なり。有る仏は、能く一切の草木の聲を以って、仏事を作し、衆生をして、道を得しむる者なり。有る仏は、衆生名を聞かば、道を得る者なれば、是の仏の為の故に、説いて言わく、『我れ、仏と作らん時、其の名を聞く者をして、皆、度を得しめん』、と。 |
復た次ぎに、
『仏の身』は、
『無量、阿僧祇であり!』、
『種種、不同である!』。
有る、
『仏は、法を説いて!』、
『衆生に!』、
『道を得させ!』、
有る、
『仏は、無量の光明を放たれる!』ので、
『衆生』は、
是の、
『光明に遇って!』、
『道を得!』、
有る、
『仏は、神通、変化を用いて!』、
『仏の心』を、
『衆生に指示して!』、
『道を得させ!』、
有る、
『仏は但だ、色身を現すだけで!』、
『衆生』に、
『道を得させ!』、
有る、
『仏は遍身の毛孔より、衆妙香を出される!』ので、
『衆生』は、
是の、
『妙香を聞いて!』、
『道を得!』、
有る、
『仏』は、
『衆生』に、
『食を与えて!』、
『道を得させ!』、
有る、
『仏』は、
『衆生』は、
『但だ、念じるだけで!』、
『道を得!』、
有る、
『仏』は、
『一切の草木の聲に、仏事を作させて!』、
『衆生』に、
『道を得させるのである!』が、
有る、
『仏』は、
『衆生が!』、
『名を聞くだけで!』、
『道を得る!』ので、
是の、
『仏を説く!』が故に、こう言うのである、――
わたしが、
『仏に作る!』時には、
わたしの、
『名を聞く!』者に、
皆、
『度』を、
『得させよう!』、と。
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指示(しじ):梵語 apadeza の訳、指摘/指示する( pointing out )の義。 |
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復次聞名不但以名便得道也。聞已修道然後得度。如須達長者。初聞佛名內心驚喜。詣佛聽法而能得道。又如貰夷羅婆羅門。從雞泥耶結髮梵志所。初聞佛名心即驚喜。直詣佛所聞法得道。是但說聞名聞名為得道因緣非得道也 |
復た次ぎに、名を聞くは、但だ名を以って、便ち道を得るにあらず。聞き已りて、道を修め、然る後に度を得るなり。須達長者の如きは、初めて仏名を聞くに、内心驚喜し、仏に詣(いた)って法を聴き、能く道を得たり。又貰夷羅婆羅門の如きは、鶏泥耶結髪梵志の所より、初めて仏名を聞き、心即ち驚喜して、直ちに仏所に詣って法を聞き、道を得たり。是れ但だ名を聞くと説くも、名を聞くは、道を得る因縁にして、道を得るに非ざるなり。 |
復た次ぎに、
『名を聞く!』とは、
但だ、
『名を聞くだけで!』、
便ち( easily )、
『道』を、
『得るのではない!』。
『名を聞いて!』、
『道を修めてから!』、
その後に、
『道』を、
『得るのである!』。
例えば、
『須達長者など!』は、
初めて、
『仏名を聞いた!』時、
『内心』に、
『驚喜し!』、
『仏所に詣り( to come to Buddha's abode )!』、
『法を聴いて!』、
『道を得ることができたのである!』。
又、
『貰夷羅婆羅門など!』は、
『鶏泥耶結髪梵志の所で!』、
初めて、
『仏の名を聞いただけ!』で、
即ち、
『心』が、
『驚喜し!』、
直ちに、
『仏所に詣り!』、
『法を聞いて!』、
『道を得たのである!』。
是れは、
但だ、
『”名を聞く”としか説かれていない!』が、
『名を聞く!』のは、
『道を得る因縁であり!』、
『道を得ることではない!』。
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須達長者(しゅだつちょうじゃ):梵名sudatta、また須達多、蘇達多等に作り、善与、善給、善授、善温等に作る。舎衛国給孤獨長者の本名なり。祇洹精舎の施主。『大智度論巻2下注:須達多、巻7下注:祇樹給孤獨園』参照。
詣(けい):行く/訪問する( go to, visit )、梵語 aagamiSTha の訳、来詣とも訳す、誰かの所へ、願い/欣びを以って飛んで行く(
approaching any one with great willingness or rapidity; coming with pleasure
or quickly; go to )の義。
仏所(ぶっしょ):◯梵語 tathaagata-paada-muula の訳、仏の足裏( Buddha's sole )の義、◯梵語 buddha-vihaara
の訳、仏の所住( Buddha's abode )の意。
貰夷羅(せいら):また施羅に作り、即ち王舎城の梵志なり。『増一阿含経巻46放牛品』参照。
鶏泥耶(けいないや):また翅甯に作り、即ち王舎城の梵志なり。『増一阿含経巻46放牛品』参照。 |
参考:『増一阿含経巻46放牛品』:『聞如是。一時。佛在羅閱城迦蘭陀竹園所。與大比丘眾五百人俱。爾時。羅閱城中有梵志。名曰施羅。備知諸術。外道異學經籍所記。天文.地理靡不貫練。又復教授五百梵志童子。又彼城中有異學之士。名曰翅甯。多有所知。為頻毘娑羅王所見愛敬。隨時供養給與梵志所須之施。爾時。如來名稱遠布。如來.至真.等正覺.明行成為.善逝.世間解.無上士.道法御.天人師。號佛.眾祐。度人無量。出現世間。是時。翅甯梵志興此念。如來名號甚為難聞。今我欲往問訊。親近禮敬。是時。翅甯梵志便往佛所。頭面禮足。在一面坐。爾時。梵志白世尊言。沙門瞿曇。為姓何等。佛告梵志。吾姓剎利。梵志問曰。諸婆羅門各有此論。吾姓最豪。無有出者。或言。姓白。或言。姓黑。婆羅門自稱言。梵天所生。今。沙門瞿曇。欲何等論說。佛告之曰。梵志當知。其有婚姻嫁娶。便當求豪貴之姓。然我正法之中。無有高下.是非之名姓也。梵志復白言。云何。瞿曇。生處清淨。然後法得清淨。佛告梵志。汝用法清淨。生處清淨為乎。梵志又曰。諸婆羅門各興此論。吾姓最豪。無有出者。或言。姓白。或言。姓黑。婆羅門自稱言。梵天所生。佛告梵志。若當剎利女適婆羅門家。設生男兒者當從何姓。梵志報曰。彼當言婆羅門種。所以然者。由父形故。得有此兒。佛告梵志。若復婆羅門女出適剎利家。生男兒者彼當從何姓。梵志報曰。彼人當是剎利種。所以然者。由父遺形故。得有此兒。佛告梵志。熟自思惟。然後報吾。汝今所說前與後皆不相應。云何。梵志。設驢從馬後生駒者。當言是馬。為是驢也。梵志報曰。如此之類當言驢馬。所以然者。由驢遺形故。得此駒也。佛告梵志。汝熟思惟。然後報吾。汝今所說前後不相應。汝前所說剎利女出適婆羅門家。若生兒者。便言婆羅門種。今驢逐馬生駒者。便言驢馬。將不違前語乎。設復。梵志。若馬逐驢生駒者。名之云何。梵志報曰。當名為馬驢。佛告之曰。云何。梵志。馬驢.驢馬豈復有異乎。若復有人言寶一斛。復有人言一斛寶。此二義豈有異乎。梵志報曰。此是一義。所以然者。寶一.一寶此義不異也。佛告梵志。云何馬驢.驢馬此非一義乎。梵志報言。今。沙門瞿曇。雖有斯言。然婆羅門自稱言。吾姓最豪。無有出者。佛告梵志。汝先稱譽其母。後復歎說其父。若復父亦是婆羅門種。母亦是婆羅門種。後生二兒。彼時其中一兒。多諸技術。無事不覽。第二子者了無所知。是時。父母為敬待何者。為當敬待有智者。為當敬待無所知者。梵志報曰。其父母應當敬待高德聰明者。不應敬待無有智者。所以然者。今此一子無事不了。無事不閑。正應敬待此子。不應敬待無智之子。佛告梵志。若彼二子。一聰明者。便復興意作殺.盜.淫泆十惡之法。彼一子不聰明者。守護身.口.意行。十善之法一無所犯。彼父母應當敬待何者。梵志報曰。彼父母應當敬待行十善之子。彼行不善之人復敬待為。佛告梵志。汝先歎其多聞。後歎其戒。云何。梵志。若復有二子。一子父專正。母不專正。一子父不專正。母專正。彼子若母正.父不正者。無事不閑。博知經術。第二子父正.母不正者。既不博學。但持十善。然其父母應敬待何者。為當敬待母淨父不淨者。為當敬待父淨母不淨者。梵志報曰。應當敬待母淨之子。所以然者。由知經書。博諸伎術故。所謂第二子父淨母不淨。雖復持戒而無智慧。竟何所至。有聞則有戒。佛告梵志。汝前歎說父淨。不歎說母淨。今復歎說母淨。不歎說父淨。先歎聞德。後歎禁戒。復歎說戒。後方說聞。云何。梵志。若彼二梵志子。其中一子多聞博學。兼持十善。其第二子既有智慧。兼行十惡。彼父母應當敬待何者。梵志報曰。應當敬父淨.母不淨之子。所以然者。由其博覽諸經。曉諸技術。由父淨生得此子。兼行十善。無所觸犯。一切具足諸德本故。佛告之曰。汝本說其姓。後說其聞。不說其姓。後復說戒。不說聞。後復說其聞。不說其戒。汝今歎說父母聞.戒。豈不違前言乎。梵志白佛言。沙門瞿曇雖有斯言。然婆羅門自稱言。我姓最豪貴。無有出者。世尊告曰。諸有嫁娶之處則論姓。然我法中無有此義。汝頗聞邊國遠邦及餘邊地人乎。梵志報曰。唯然。聞之。有此諸人。世尊告曰。彼土人民有二種之姓。云何為二。一者人。二者奴。此二姓亦復不定。又問。云何不定。世尊告曰。或作人。後作奴。或作奴。後作人。然眾生之類。盡同一類而無若干。若復。梵志。天地敗毀。世間皆空。是時。山河石壁草木之徒。皆悉燒盡。人亦命終。若天地還欲成時。未有日月年歲之限。爾時。光音天來至此間。是時。光音天福德稍盡。無復精光。展轉相視。興起欲想。欲意偏多者便成女人。欲意少者成男子。展轉交接。便成胞胎。由此因緣。故最初有人。轉生四姓。流布天下。當以此方便。知人民盡出於剎利種。爾時。梵志白世尊言。止。瞿曇。如僂者得申。盲者得眼目。冥者得見明。沙門瞿曇亦復如是。無數方便與我說法。我今自歸沙門瞿曇。唯願與我說法。聽為優婆塞。爾時。梵志復白世尊。唯願如來當受我請。將諸比丘眾當至我家。爾時。世尊默然受請。是時。梵志見佛默然受請。即從坐起。頭面禮足。便退而去。還至家中。辦具飲食。敷諸坐具。香汁灑地。普自吐言。如來當於此坐。爾時。施羅梵志將五百弟子。至翅甯梵志家。遙見彼家敷好坐具。見已。問翅甯梵志。汝今欲與男女嫁娶。為欲請摩竭國頻毘娑羅王乎。翅甯梵志報曰。我亦不請頻毘娑羅王。亦無嫁娶之事。我今欲施設大福業。施羅梵志問曰。願聞其意。欲施何福業。爾時。梵志偏露右肩。長跪叉手。白世尊自陳姓名施羅。當知有釋種子出家學道。成無上至真.等正覺。我今請佛及比丘僧。是故辦具種種坐具耳。是時。施羅梵志語翅甯梵志。汝今言佛乎。報曰。吾今言佛。又問。甚奇。甚特。今乃聞佛音響。如來竟為所在。吾欲見之。翅甯報曰。今在羅閱城外竹園中住。將五百弟子自相娛樂。欲往見者。宜知是時。此梵志即將五百弟子。往至佛所。到已。共相問訊。在一面坐。爾時。施羅梵志便生此念。沙門瞿曇為端正。身作黃金色。我等經籍亦有斯言。如來出世之時。實不可遇。猶如優曇缽花時時乃現。若成就三十二相.八十種好。當趣二處。若在家者當作轉輪聖王。七寶具足。若出家學道者。必成無上道。為三界世祐。我今欲觀佛三十二相。爾時。梵志唯見三十相。而不睹二相。起狐疑猶豫。不見廣長舌.陰馬藏。爾時。施羅梵志即以偈問曰 吾聞三十二 大人之相好 今不見二相 竟為在何所 貞潔陰馬藏 其相甚難喻 頗有廣長舌 舐耳覆面不 願出廣長舌 使我無狐疑 又使我見之 永無疑結網』 |
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問曰。此經言聞諸佛名即時得道。不言聞名已修道乃得。 |
問うて曰く、此の経には、『諸仏の名を聞かば、即時に道を得』、と言いて、『名を聞き已りて、道を修め、乃ち得』、と言わず。 |
問い、
此の、
『経』は、
『諸仏の名を聞けば!』、
『即時に、道を得る!』とは、
『言っている!』が、
『名を聞き、道を修めたならば!』、
『乃ち、得る( and only then to attain )!』とは、
『言っていない!』。
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答曰。今言即時不言一心中。但言更無異事聞之故言即時。譬如經中說。修慈心時即修七覺意。難者言。慈三昧有漏是緣眾生法。云何得即時修七覺。答者言。從慈起已即修七覺。更無餘法故言即時。即時有二種。一者同時。二者雖久更無異法。即是心而得修七覺亦名即時。 |
答えて曰く、今、『即時に』、と言うも、『一心中に』、と言わざるは、但だ、『更に異事の、之を聞くこと無き』、を言うが故に、『即時に』、と言えり。譬えば、経中に、『慈心を修する時、即ち七覚意を修す』、と説くが如きに、難者の言わく、『慈三昧は、有漏にして、是れ衆生を縁ずる法なり。云何が、即時に七覚を修するを得る』、と。答者の言わく、『慈より起ち已りて、即ち七覚を修し、更に世の法無きが故に、即時と言う。即時には二種有りて、一には同時、二には久しと雖も、更に異法無ければ、是の心に即して、七覚を修するを得るを、亦た即時と名づく』、と。 |
答え、
今は、
『即時に!』とは、
『言った!』が、
『一心中に!』とは、
『言わなかった!』、
但だ、
『更に、所聞の異事が無いこと!』を、
『言おうとする!』が故に、
『即時に!』と、
『言ったのである!』。
譬えば、
『経』中には、こう説かれているが、――
『慈心を修める!』時、
『即ち!』、
『七覚意を修めることになる!』と、
『難者』が、こう言うと、――
『慈三昧』は、
『有漏であり!』、
是れは、
『衆生を縁じる!』、
『法である!』。
何故、
『即時に!』、
『無漏の七覚』を、
『修めることになるのか?』、と。
『答者』が、こう言うようなものである、――
『慈三昧より起って!』、
其の、
『中間には、更に餘の法が無い!』が故に、
『即時に!』と、
『言うのである!』。
『即時には、二種有り!』、
一には、
『同時である!』ことを、
『言い!』、
二には、
『久しい間であろうと!』、
『中間には、更に異法が無い!』ことを、
『言うのである!』。
『慈を修める!』、
是の、
『心のままで!』、
『七覚を修めることができれば!』、
是れも、
亦た、
『即時と、称される!』。
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復次有眾生福德淳熟結使心薄應當得道。若聞佛名即時得道。又復以佛威力故聞即得度。譬如熟癰若無治者得小因緣而便自潰。亦如熟果。若人無取微風因緣便自隨落。譬如新淨白氎易為受色。為是人故說若聞佛名。即時得道。譬如鬼神著人聞仙人咒名即時捨去。 |
復た次ぎに、有る衆生は、福徳淳熟して、結使の心薄ければ、応当に道を得べくして、若し仏名を聞けば、即時に道を得。又復た、仏の威力を以っての故に、聞けば、即ち度を得。譬えば熟癰の若しは治者無くとも、小因縁を得て、便ち自ら潰れるが如く、亦た熟果の若しは人の取る無くとも、微風の因縁もて、便ち自ら随って落つるが如し。譬えば新浄なる白氎の易(たやす)く為に色を受くるが如し。是の人の為の故に説かく、『若し仏名を聞けば、即時に道を得』、と。譬えば、鬼神の人に著するに、仙人の名を咒するを聞きて、即時に捨てて去るが如し。 |
復た次ぎに、
有る、
『衆生』は、
『福徳が淳熟して!』、
『結使の心が薄れている!』が故に、
当然、
『道』を、
『得られる!』ので、
若し、
『仏の名を聞けば!』、
即時に、
『道』を、
『得るだろう!』。
又復た、
『仏の威力を用いる!』が故に、
『聞けば!』、
即ち、
『度』を、
『得るのである!』。
譬えば、
『熟癰( a ripened abscess )』が、
若し、
『治者が無くても!』、
『小因縁を得れば!』、
便ち( easily )、
『自ら潰れるようなものであり!』、
亦た、
『熟果( a ripened fluit )』が、
若し、
『人が取らなくても!』、
『微風の因縁により!』、
便ち、
『風に随って!』、
『自ら落ちるようなものである!』。
譬えば、
『新浄の白氎( a new white cloth )』が、
『易く( easily )!』、
『色を受ける( to be dyed to a certain color )ようなものであり!』、
是の、
『人の為に!』、こう説かれたのである、――
若し、
『仏の名を聞けば!』、
即時に、
『道』を、
『得るだろう!』、と。
譬えば、
『鬼神』が、
『人に著いても!』、
『仙人』が、
『鬼神の名を咒する!』のを、
『聞いて!』、
即時に、
『捨てて!』、
『去るようなものである!』。
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淳熟(じゅんじゅく):完全に熟した( completely ripened )、梵語 vipaaka, paripakva の訳、完全に料理された/装われた( completely cooked or dressed )の義、完全に成熟/完成/成就/円熟した( Quite ripe, mature, accomplished, perfect. )の意。
癰(よう):梵語 kiTibha, vraNa の訳、虫/シラミ/発疹の一種( a bug, a louse, a kind of exanthema )、傷/腫物/潰瘍/膿瘍/腫瘍/癌( a wound, sore, ulser, abscess, tumour, cancer )の義。
白氎(びゃくじょう): 氎は梵語劫貝 karpaasa の訳、パンヤ/綿( the cotton tree, cotton )の義、白い木綿( bleached cotton cloth )の意。 |
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問曰。過如恒河沙等世界誰傳此名令彼得聞。 |
問うて曰く、恒河沙に等しきが如き世界を過ぐるに、誰か、此の名を伝えて、彼れをして、聞くを得しむる。 |
問い、
『恒河沙に等しいほどの世界を過ぎて!』、
此の、
『名を、誰が伝えて!』、
『彼れに!』、
『聞かせるのですか?』。
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答曰。佛以神力舉身毛孔放無量光明。一一光上皆有寶華。一一華上皆有坐佛。一一諸佛各說妙法以度眾生。又說諸佛名字。以是故聞。如放光中說。 |
答えて曰く、仏の神力を以って、身の毛孔を挙げて、無量の光明を放ちたもうに、一一の光上には、皆宝華有り、一一の華上に皆、坐仏有り、一一の諸仏は、各妙法を説いて、以って衆生を度し、又諸仏の名字を説きたまえば、是を以っての故に、放光中に説くが如きを聞く。 |
答え、
『仏』が、
『神力を用いて!』、
『身の毛孔を挙げて!』、
『無量の光明』を、
『放たれる!』と、
『一一の光上に!』、
皆、
『宝華が有り!』、
『一一の華上に!』、
皆、
『坐仏が有り!』、
『一一の諸仏』は、
各、
『妙法を説いて!』、
『衆生』を、
『度されるのであり!』、
又、
『諸仏』の、
『名字も!』、
『説かれる!』ので、
是の故に、
『放光中に説かれた!』、
『名』を、
『聞くのである!』。
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復次諸大菩薩以本願欲至無佛法處稱揚佛名。如此品中說者是故得聞。復有大功德人從虛空中聞佛名號。如薩陀波崙菩薩。又有從諸天聞。或從樹木音聲中聞。或從夢中。 |
復た次ぎに、諸大菩薩は、本願を以って、仏法無き処に至りて、仏名を称揚せんと欲す。此の品中に説けるが如きは、是の故に聞くを得。復た有る大功徳の人は、虚空中より仏の名号を聞く。薩陀波崙菩薩の如きは、又有るいは諸天より聞き、或は樹木の音声中より聞き、或は夢中による。 |
復た次ぎに、
『諸大菩薩』は、
『本願』の故に、
『仏法の無い処に至って!』、
『仏名を称揚しよう!』と、
『思うのである!』。
此の、
『品中に説かれたような!』者は、
是の故に、
『名』を、
『聞くことができるのである!』。
復た、
有る、
『大功徳の人』は、
『虚空』中より、
『仏の名号』を、
『聞いている!』。
例えば、
『薩陀波崙菩薩など!』は、
又有るいは、
『諸天より!』、
『聞き!』、
或は、
『樹木の音声中より!』、
『聞き!』、
或は、
『夢中より!』、
『聞いたのである!』。
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薩陀波崙(さだはろん):厭くことなく般若波羅蜜を求める菩薩の名。摩訶般若波羅蜜経巻27常啼品の主人公。『大智度論巻30上、下注:薩陀波崙』参照。 |
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復次諸佛有不可思議力故自往語。或以聲告。又如菩薩作願誓度一切眾生。以是故說我成佛時過如恒河沙等世界眾生聞我名皆得成佛欲得是者當學般若波羅蜜 |
復た次ぎに、諸仏には、不可思議の力有るが故に自ら往きて語りたまい、或は聲を以って告げたもう。又、菩薩の如きは、願を作して、一切の衆生を度せんと誓えば、是を以っての故に説かく、『我れ仏と成る時には、恒河沙に等しきが如き世界を過ぐるも、衆生、我が名を聞けば、皆、仏と成るを得ん』、と。是れを得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。 |
復た次ぎに、
『諸仏』には、
『不可思議の力が有る!』が故に、
『自ら往きて!』、
『語り!』、
或は、
『樹木の聲を用いて!』、
『告げられる!』。
又、
『菩薩など!』は、
『願を作して!』、
『一切の衆生を度そう!』と、
『誓う!』ので、
是の故に、こう説かれたのである、――
わたしが、
『仏と成った!』時には、
『恒河沙に等しいほどの世界を過ぎた!』、
『世界中の衆生』が、
わたしの、
『名を聞けば!』、
皆、
『仏』と、
『成ることができるだろう!』。
是れを、
『得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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問曰。上欲得諸功德及諸所願。是諸事皆是眾行和合所成。何以故。但說當學般若波羅蜜。 |
問うて曰く、上に諸功徳、及び諸所願を得んと欲するに、是の諸事は、皆是れ衆行和合の所成なるに、何を以っての故にか、但だ、『当に、般若波羅蜜を学ぶべし』、と説く。 |
問い、
上の、
『諸功徳や、諸所願を得ようとする!』のは、
是の、
『諸事』は、
皆、
『衆行の和合』の、
『成じる所である!』のに、
何故、
但だ、こう説くのですか?――
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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答曰。是經名般若波羅蜜。佛欲解說其事。是故品品中皆讚般若波羅蜜。 |
答えて曰く、是の経を、般若波羅蜜と名づくるは、仏、其の事を解説せんと欲したまえばなり。是の故に、品品中に、皆般若波羅蜜を讃ずるなり。 |
答え、
是の、
『経』を、
『般若波羅蜜』と、
『名づけた!』のは、
『仏』が、
其の、
『般若波羅蜜の事』を、
『解説しようとされたからであり!』、
是の故に、
『品品』中に、
皆、
『般若波羅蜜』を、
『讃じられているのである!』。
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復次般若波羅蜜是諸佛母。父母之中母功最重。是故佛以般若為母。般舟三昧為父。三昧唯能攝持亂心令智慧得成。而不能觀諸法實相。般若波羅蜜。能遍觀諸法分別實相。無事不達。無事不成。功德大故。名之為母以是故行者雖行六波羅蜜及種種功德和合能具眾願。而但說當學般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、般若波羅蜜は、是れ諸仏の母にして、父母中に母の功最も重し。是の故に仏は、般若を以って母と為し、般舟三昧を、父と為したもう。三昧は、唯だ能く乱心を摂持して、智慧をして、成ずるを得しむるも、諸法の実相を観ずる能わず。般若波羅蜜は、能く遍く諸法の観て、実相を分別すれば、事の達せざる無く、事の成ぜざる無く、功徳大なるが故に、之を名づけて母と為す。是を以っての故に、行者は、六波羅蜜、及び種種の功徳の和合を行じて、能く衆願を具すと雖も、但だ、『当に般若波羅蜜を学ぶべし』、と説けり。 |
復た次ぎに、
『般若波羅蜜』は、
『諸仏の母であり!』、
『父母』中には、
『母の功( the merits of mother )』が、
『最も重い!』ので、
是の故に、
『仏』は、
『般若』を、
『母とされたのである!』。
『般舟三昧』は、
『父である!』が、
『三昧』は、
『乱心を摂持することができる!
( being able to concentrate and hold one's scattered mind )』ので、
『智慧』を、
『成じさせることができる!』が、
而し、
『諸法の実相』を、
『観ることはできない!』。
『般若波羅蜜』は、
遍く、
『諸法を観て!』、
『実相を分別することができる!』ので、
『達せられない事や、成じられない事』が、
『無く!』、
『功徳が大である!』が故に、
『母』と、
『称されるのである!』。
是の故に、
『行者』は、
『六波羅蜜や、種種の功徳を行うこと!』を、
『和合して!』、
『衆願』を、
『具する( to achieve )ことができる!』が、
而し、
但だ、
『般若波羅蜜を学ばねばならぬ!』と、
『説くのである!』。
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功(く):功績/仕事/利益( meritorious service, work, merit )。梵語 prayatna の訳、忍耐の成果/継続的尽力、或は努力/活発な努力(
percevering effor, continued exertion or endeavour, active efforts )の義、利益/価値ある行い/(
merits, meritorious deeds )、伎術/能力/効力/効果( skill, ablity, effectiveness,
effect )の意。
般舟三昧(はんじゅうさんまい):梵語 pratyutpanna-samaadhi の訳、仏を現前に観る三昧の名。『大智度論巻9上注:般舟三昧』参照。 |
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復次如般若後品中說。若無般若波羅蜜餘五事不名波羅蜜。雖普修眾行亦不能滿具諸願。如種種畫彩若無膠者亦不中用。眾生從無始世界中來。雖修布施持戒忍辱精進一心智慧。受世間果報已而復還盡。所以者何。離般若波羅蜜故。 |
復た次ぎに、般若の後の品中に、『若し、般若波羅蜜無くんば、餘の五事を、波羅蜜と名づけず』、と説けるが如く、普く衆行を修すと雖も、亦た諸願を満具する能わざること、種種の画彩に若し膠無くんば、亦た中用ならざるが如し。衆生は、無始の世界中より来(このかた)、布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を修すと雖も、世間の果報を受け已れば、復た還って尽く。所以は何んとなれば、般若波羅蜜を離るるが故なり。 |
復た次ぎに、
『般若波羅蜜の後品』中に、こう説かれているように、――
若し、
『般若波羅蜜が無ければ!』、
『餘の五事』が、
『波羅蜜と呼ばれることはない!』、と。
普く、
『衆行を修めたとしても!』、
『諸願』を、
『満具することができない( cannot be sutisfyed completely )!』。
譬えば、
『種種の画彩( various colors )』に、
若し、
『膠が無ければ!』、
『役に立たないようなものである!』。
『衆生』は、
『無始の世界中より!』、
『布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を修めて来たとしても!』、
『世間』に於いて、
『果報の身』を、
『受けたならば!』、
復た( also )
『還って( again )!』、
『尽きるのである!』。
何故ならば、
『般若波羅蜜』を、
『離れたからである!』。
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中用(ちゅうゆう):役に立つ/有用である( be of use )。 |
参考:『摩訶般若波羅蜜巻21方便品』:『須菩提白佛言。世尊。若諸波羅蜜無差別相。云何般若波羅蜜。於五波羅蜜中第一最上微妙。佛告須菩提。如是如是。諸波羅蜜雖無差別。若無般若波羅蜜。五波羅蜜不得波羅蜜名字。因般若波羅蜜。五波羅蜜得波羅蜜名字。須菩提。譬如種種色身。到須彌山王邊皆同一色。五波羅蜜亦如是。因般若波羅蜜到薩婆若中一種無異。不分別是檀那波羅蜜是尸羅波羅蜜是羼提波羅蜜是毘梨耶波羅蜜是禪那波羅蜜是般若波羅蜜。何以故。是諸波羅蜜無自性故。以是因緣故。諸波羅蜜無差別。』 |
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今以佛恩以般若波羅蜜修行六事故得名波羅蜜。成就佛道使佛佛相續而無窮盡。 |
今、仏恩を以って、般若波羅蜜を以って、六事を修行するが故に、波羅蜜と名づくるを得、仏道を成就して、仏と仏とをして、相続せしめ、窮尽無からしむ。 |
今、
『仏恩』の故に、
『般若波羅蜜を用いて!』、
『六事を修行する!』が故に、
『波羅蜜』と、
『称されることができ!』、
『仏道を成就しながら!』、
『仏と、仏を相続させ!』、
『仏法の窮尽を!』、
『無くするのである!』。
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復次菩薩行般若波羅蜜時。普觀諸法皆空。空亦復空。滅諸觀得無礙般若波羅蜜。以大悲方便力還起諸功德業。此清淨業因緣故無願不得。餘功德離般若波羅蜜無有無礙智慧。云何言欲得諸願當學檀波羅蜜等。 |
復た次ぎに、菩薩は、般若波羅蜜を行ずる時、普く諸法は、皆空なりと観るに、空も亦復た空なれば、諸観を滅して、無礙の般若波羅蜜を得、大悲の方便力を以って、還って諸の功徳の業を起し、此の清浄業の因縁の故に、願の得ざる無し。餘の功徳は、般若波羅蜜を離るれば、無礙の智慧有ること無し。云何が、『諸願を得んと欲せば、当に檀波羅蜜等を学ぶべし』、と言う。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を行う!』時、
普く、
『諸法』は、
『皆、空である!』と、
『観る!』ので、
『空も、亦復た空であり!』、
『諸観を滅することになり!』、
『無礙の般若波羅蜜』を、
『得て!』、
『大悲の方便力を用いて!』、
還って( again )、
『諸の功徳業』を、
『起す!』と、
此の、
『清浄業の因縁』の故に、
『願の得られないということ!』が、
『無くなる!』。
『餘の功徳』は、
『般若波羅蜜を離れれば!』、
『無礙の智慧』が、
『無い!』のに、
何故、こう言うのか?――
『諸願を得ようとすれば!』、
当然、
『檀波羅蜜等を!』、
『学ばねばならない!』、と。
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復次又以五波羅蜜離般若不得波羅蜜名字。五波羅蜜如盲。般若波羅蜜如眼。五波羅蜜如坏瓶盛水。般若波羅蜜如盛熟瓶。五波羅蜜如鳥無兩翼。般若波羅蜜如有翼之鳥。如是等種種因緣故般若波羅蜜能成大事。以是故言欲得諸功德及願當學般若波羅蜜
大智度論卷第三十四 |
復た次ぎに、又五波羅蜜の般若を離るれば、波羅蜜の名字を得ざるを以って、五波羅蜜は盲の如く、般若波羅蜜は眼の如し。五波羅蜜は坏瓶に水を盛るが如く、般若波羅蜜は熟瓶に盛るが如し。五波羅蜜は鳥に両翼無きが如く、般若波羅蜜は翼有る鳥の如し。是れ等の如き種種の因縁の故に、般若波羅蜜は能く大事を成ず。是を以っての故に言わく、『諸の功徳、及び願を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし』、と。
大智度論巻第三十四 |
復た次ぎに、
又
『五波羅蜜が般若を離れれば!』、
『波羅蜜の名字』を、
『得られないということ!』は、――
譬えば、
『五波羅蜜は、盲のようである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『眼のようであるとか!』、
『五波羅蜜は、坏瓶に水を盛るようである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『熟瓶に盛るようであるとか!』、
『五波羅蜜は、鳥に両翼が無いようである!』が、
『般若波羅蜜』は、
『翼の有る鳥のようであるということであり!』、
是れ等のような、
『種種の因縁』の故に、
『般若波羅蜜』は、
『大事』を、
『成すことができ!』、
是の故に、こう言うのである、――
『諸の功徳や、願を得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
大智度論巻第三十四 |
坏瓶(はいびょう):日干しの瓶。生瓶。
熟瓶(じゅくびょう):堅く焼かれた瓶。 |
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