【經】復次菩薩摩訶薩欲得如象王視觀者。當學般若波羅蜜。菩薩作是願。使我行時離地四指足不蹈地。我當共四天王天乃至阿迦尼吒天無量千萬億諸天眾圍繞恭敬至菩提樹下者。當學般若波羅蜜 |
復た次ぎに、菩薩摩訶薩は、象王の如く視観するを得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。菩薩は、『我れをして、行く時には、地を離るること四指にして、足は地を踏ましめず。我れ当に四天王天、乃至阿迦尼吒天の無量千万億の諸天衆の囲繞、恭敬せると共に、菩提樹下に至るべし』、と是の願を作さば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。 |
復た次ぎに、
『菩薩摩訶薩』が、
『象王のような!』、
『視観( the observation )』を、
『得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『菩薩』が、こう願うならば、――
わたしが、
『行く!』時には、
『地』を、
『四指だけ!』、
『離れて!』、
『足』に、
『地』を、
『踏ませないように!』。
わたしは、
『四天王天、乃至阿迦尼吒天』の、
『無量千万億の諸天衆に、囲繞、恭敬されて!』、
共に、
『菩提樹の下』に、
『至らねばならぬ!』、と。
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならぬ!』。
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阿迦尼吒(あかにだ):梵名akaniSTha、また阿迦膩陀、阿迦貳吒、阿迦尼師吒、阿迦尼沙託、阿迦尼瑟吒、阿迦尼瑟搋、阿迦尼瑟揥等に作り、訳して色究竟という。即ち天名なり。この天は色界十八天の最上天にして、有形体の天処の究竟なり、故に色究竟天、質礙究竟天と称し、また有頂天と名づく。ここを過ぐれば則ち無色界の天にして、僅かに心識有るのみにして形体無し。また「長阿含経巻20」、「順正理論巻21」、「慧苑音義巻上」、「慧琳音義巻20」等に出づ。 |
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【論】如象王視者。若欲迴身觀時舉身俱轉。大人相者。身心專一。是故若有所觀身心俱迴。 |
象王の如く視るとは、若し身を迴らして、観んと欲する時、身を挙げて倶に転ずればなり。大人の相は、身心専一なれば、是の故に、若し観る所有れば、身心は倶に迴る。 |
『象王のように視る!』とは、
若し、
『身を迴らして、観ようとすれば!』、
『身を挙げて( the whole body )!』、
『倶に( all together )!』、
『転じる( to turn )からである!』。
『大人の相』は、
『身、心が専一であり( his body and mind are single-minded )!』、
是の故に、
若し、
『観る所が有れば( there is any view )!』、
『身、心』は、
『倶に、迴るのである!』。
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専一(せんいつ):一意専心( single-minded, concentrated )。 |
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譬如師子有所搏撮。不以小物故而改其壯勢。佛亦如是。若有所觀若有所說。身與心俱常不分散。所以者何。從無數劫來集一心法。以是業因緣故頂骨與身為一無有分解。 |
譬えば、師子に、搏撮する所有れば、小物なるを以っての故に、其の壯勢を改めざるが如し。仏も亦た是の如く、若しは観る所有り、若しは説く所有らば、身と心と、倶に常に分散せず。所以は何んとなれば、無数劫より来、一心の法を集め、是の業の因縁を以っての故に、頂骨は身と一と為りて、分解する有ること無ければなり。 |
譬えば、
『師子』が、
『搏撮する所が有れば( there is something to catch and carry )!』、
『小物であっても!』、
其の、
『壯勢( strong force )』を、
『改めないように!』、
『仏』も、
是のように、
『観る所や、説く所がが有れば( there is something to view or teach )!』、
『身と、心と!』は、
『倶にあり!』、
『分散することがない!』。
何故ならば、
『無数劫已来!』、
『一心という!』、
『法』を、
『集められた!』ので、
是の、
『業の因縁』の故に、
『頂骨と、身骨と!』が、
『一であり、分解しないからである!』。
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搏撮(はくさつ):捕捉して運ぶ( catch and carry )。
壯勢(しょうせい):強い力( strong force )。 |
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又以世世破憍慢故不輕眾生觀則俱轉。如尼陀阿波陀那中說。舍婆提國除糞人。而佛以手摩頭教令出家猶不輕之。 |
又、世世に憍慢を破るを以っての故に、衆生を軽んぜず、観れば則ち倶に転ず。『尼陀阿波陀那』中に説けるが如し、『舎婆提国の除糞人を、仏は手を以って、頭を摩で、教えて出家せしむ』、と。猶お之を軽んじたまわず。 |
又、
世世に、
『憍慢を破る!』が故に、
『衆生』を、
『軽んじない!』ので、
『衆生を観れば!』、
『倶に!』、
『転じられるのである!』。
例えば、
『尼陀阿波陀那』中には、こう説かれている、――
『舎婆提国の除糞人』を、
『仏』は、
『手で、頭を摩でられる!』と、
『教えて!』、
『出家させられた!』、と。
『仏』は、
猶お( yet )、
是のような、
『人』でも、
『軽んじられないからである( do not make light of )!』。
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尼陀阿波陀那(にだあぱだな):尼陀那(梵 nidaana :因縁)と、阿波陀那(梵 avadaana :譬喻)。又経の名。
尼陀(にだ):また尼提に作る。除糞人の名。仏これを度すに大阿羅漢と為れり。「賢愚経巻6尼提度縁品」参照、また「大荘厳論経巻7」、「出曜経巻1」、「大智度論巻26、巻34」等に出づ。
阿波陀那(あぱだな):梵語avadaana、また略して婆陀と云い、譬喩、出曜、解語と訳す。即ち十二部経の一なり。凡そ経典中に、譬喩或は寓言を以って深遠甚妙の教義を説き明す部分は、即ち阿波陀那と称す。<(佛) |
参考:『賢愚経巻6』:『尼提度緣品第三十 如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時舍衛城中。人民眾多。居止隘迮。廁溷尟少。大小便利。多往出城。或有豪尊。不能去者。便利在器中。雇人除之。時有一人。名曰尼提。極貧至賤。無所趣向。仰客作除糞。得價自濟。爾時世尊。即知其應度。獨將阿難。入於城內。欲拔濟之。到一里頭。正值尼提。持一瓦器。盛滿不淨。欲往棄之。遙見世尊。極懷鄙愧。退從異道。隱屏欲去。垂當出里。復見世尊。倍用鄙恥。迴趣餘道。復欲避去。心意匆忙。以瓶打壁。瓶即破壞。屎尿澆身。深生慚愧。不忍見佛。是時世尊。就到其所。語尼提言。欲出家不。尼提答言。如來尊重。金輪王種。翼從弟子。悉是貴人。我下賤弊惡之極。云何同彼。而得出家。世尊告曰。我法清妙。猶如淨水。悉能洗除一切垢穢。亦如大火能燒諸物。大小好惡。皆能焚之。我法亦爾。弘廣無邊。貧富貴賤。男之與女。有能修者。皆盡諸欲。是時尼提。聞佛所說。信心即生。欲得出家。佛使阿難將出城外。大河水邊。洗浴其身。已得淨潔。將詣祇洹。為說經法。苦切之理。生死可畏。涅槃永安。霍然意解。獲初果證。合掌向佛。求作沙門。佛即告曰善來比丘。鬚髮自落。法衣在身。佛重解說四諦要法。諸漏得盡。成阿羅漢。三明六通。皆悉具足。爾時國人。聞尼提出家。咸懷怨心。而作是言。云何世尊。聽此賤人出家學道。我等如何。為其禮拜。設作供養。請佛及僧。斯人若來。污我床席。展轉相語。乃聞於王。王聞亦怨恨。情用反側。即乘羽葆之車。與諸侍從。往詣祇洹。欲問如來所疑之事。既到門前。且小停息祇洹門外。有一大石。尼提比丘。坐於石岩。縫補故衣。有七百天人。各持華香。而供養之。右遶敬禮。時王睹見。深用歡喜。到比丘所。而語之言。我欲見佛。願為通白。比丘即時。身沒石中。踊出於內。白世尊曰。波斯匿王。今者在外。欲得來入覲省諮問。佛告尼提。從汝本道。往語令前。尼提尋時。還從石出。如似出水。無有罣礙。即語王言。白佛已竟。王可進前。王作此念。向所疑事。且當置之。先當請問。此比丘者。有何福行。神力乃爾。王入見佛。稽首佛足。右遶三匝。卻坐一面。白世尊言。向者比丘。神力難及。入石如水。出石無孔。姓字何等。願見告示。世尊告曰。是王國中。極賤之人。我已化度。得阿羅漢。大王故來。欲問斯義。王聞佛語。慢心即除。欣悅無量。因告王曰。凡人處世。尊卑貴賤。貧富苦樂。皆由宿行。而致斯果仁慈謙順。敬長愛小。則為貴人。凶惡強梁。憍恣自大。則為賤人波斯匿王。白世尊言。大聖出世。多所潤濟。如此凡陋下賤之人。拔其苦毒。使常安樂。此尼提者。有何因緣。生於賤處。復種何德。得遇聖尊。稟受仙化。尋成應真。唯願世尊。敷演分別。佛告王曰諦聽善持。吾當解說令汝開悟。乃往過去。迦葉如來。出現世間。滅度之後。有比丘僧凡十萬人。中有一沙門。作僧自在。身有疾患服藥自下。憍驁恃勢。不出便利。以金銀澡槃。就中盛尿令一弟子擔往棄之。然其弟子。是須陀洹。由在彼世。不能謙順。自恃多財。秉捉僧事。暫有微患。懶不自起。驅役聖人。令除糞穢。以是因緣。流浪生死。恒為下賤五百世中。為人除糞。乃至於今。由其出家。持戒功德。今值我世。聞法得道。佛告大王。欲知爾時僧自在者。今尼提比丘是。波斯匿王。白世尊言。如來出世。實為奇特。利益無量苦惱眾生。佛告大王。善哉善哉。如汝所言。佛又告曰。三界輪轉。無有定品。積善仁和。生於豪尊。習惡放恣。便生卑賤。王大歡喜。無有慢心。即起長跪。執尼提足。而為作禮。懺悔自謝。願除罪咎。世尊爾時。因為廣說法微妙之義。所謂論者。施論戒論。生天之論。欲不淨想。出要為樂。爾時大會。聞佛所說。各獲道證。信受奉行』 |
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足離地四指者。佛若常飛。眾生疑怪謂佛非是人類則不歸附。若足到地則眾生以為與常人不異不生敬心。是故雖為行地四指不到而輪跡現。 |
足の地を離るること、四指にしてとは、仏、若し常に飛びたまわば、衆生は疑怪して、『仏は、是れ人類に非ず』、と謂いて、則ち帰附せず。若し足、地に到らば、則ち衆生は以って、常人と異ならずと為し、敬心を生ぜず。是の故に、地を行くを為すに、四指到らずと雖も、輪跡現わる。 |
『足が、地を四指だけ離れる!』とは、
『仏』が、
若し、
『常に、飛ばれたならば!』、
『衆生』は、
『疑怪して!』、
『仏は、人でない!』と、
『謂い!』、
則ち、
『仏』に、
『帰附しないだろう( do not submit to Buddha )!』。
若し、
『足が、地に到れば!』、
『衆生』は、
『仏』を、
『常人と、異ならない!』と、
『思って!』、
則ち、
『敬心』を、
『生じることはないだろう!』。
是の故に、
『地を行く!』為に、
『足は!』、
『四指だけ!』、
『到らない!』のに、
『地には!』、
『輪跡』が、
『現われるのである!』。
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帰附(きふ):他の権威に服従する/帰順( submit to the authority of another )。 |
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問曰。如佛常放丈光足不到地。眾生何以故不盡敬附。 |
問うて曰く、仏の如きは常に、丈光を放ちて、足は地に到らざるに、衆生は、何を以っての故にか、尽くは敬附せず。 |
問い、
『仏など!』は、
『常に、丈光を放って!』、
『足』は、
『地に到らない!』のに、
『衆生』は、
何故、
『尽くは( do not allways to )!』、
『敬順、帰附しないのですか?』。
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答曰。眾生無量劫中積罪甚重。無明垢深於佛生疑。謂是幻師以術誑人。或言足不蹈地生性自爾。如鳥能飛有何奇特。 |
答えて曰く、衆生は、無量劫中に罪を積むこと甚だ重く、無明の垢深ければ、仏に於いて、疑を生じ、『是れ幻師なり、術を以って人を誑す』、と謂い、或いは、『足、地を踏まざること、生まれながらに性は、自ら爾り。鳥の能く飛ぶが如きに、何なる奇特有らんや』、と。 |
答え、
『衆生』は、
『無量劫中に積んだ!』、
或いは、こう謂い、――
是れは、
『幻師』が、
『術を用いて!』、
『人』を、
『誑すのである!』、と。
或いは、こう言う、――
『足が、地を踏まない!』のは、
『生まれながら!』の、
『性』が、
『自ら、爾うだからである( be like so naturally )!』。
譬えば、
『鳥が、飛ぶことができたとしても!』、
何のような、
『奇特』が、
『有るのか?』、と。
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或有眾生。罪重因緣故不見佛相。直謂大威德沙門而已。譬如人重病欲死名藥美食皆謂臭穢。是故不盡敬附。 |
或いは、有る衆生は、罪重き因縁の故に、仏相を見ずして、直(た)だ、『大威徳の沙門なるのみ』、と謂う。譬えば人病重くして、死なんと欲すれば、名薬、美食を、皆、『臭穢なり』、と謂うが如し。是の故に尽くは、敬附せず。 |
或いは、
有る、
『衆生』は、
『罪が重いという、因縁』の故に、
『仏を見ても!』、
『仏の相』を、
『見ずに!』、
直だ、
『大威徳の沙門にすぎない!』と、
『謂うだけである!』。
譬えば、
『人』が、
『重病で、死にそうになれば!』、
『名薬や、美食も!』、
皆、
『臭く、穢い!』と、
『謂うようなものであり!』、
是の故に、
『尽くは!』、
『敬順、帰附しないのである!』。
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共四天王乃至阿迦尼吒無量千萬億諸天眾恭敬圍繞至菩提樹下者。是諸佛常法。佛為世尊。至菩提樹下欲破二種魔。一者結使魔。二者自在天子魔。欲成一切智。是諸天眾云何不恭敬侍送。 |
四天王、乃至阿迦尼吒の無量千万億の諸天衆の恭敬、囲繞せると共に、菩提樹下に至るとは、是れ諸仏の常法なり。仏は、世尊と為りて、菩提樹下に至るに、二種の魔を破らんと欲したもう。一には結使の魔、二には自在天子の魔なり。一切智を成ぜんと欲するに、是の諸天衆、云何が、恭敬し、侍送せざらんや。 |
『四天王や、阿迦尼吒の無量、千万億の諸天衆に恭敬、囲繞され!』、
共に、
『菩提樹下』に、
『至る!』とは、――
是れは、
『諸仏』の、
『常法である( the constant norm )!』。
『仏』は、
『世尊と為って!』、
『菩提樹下に至る!』と、
『二種の魔』を、
『破ろうとされる!』。
謂わゆる、
一には、
『結使という!』、
『魔であり!』、
二には、
『自在天子という!』、
『魔である!』。
『仏』が、
『一切智を成じようとされている!』のに、
是の、
『諸天衆』が、
何故、
『仏』を、
『恭敬し、侍送しないのか?』。
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常法(じょうほう):梵語 dharmataa, nitya-zabda, nityo dharmaH の義、変らざる軌範( the constant norm, eternal principle, norm )の義。 |
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又諸天世世佐助擁護菩薩。乃至出家時令諸宮人婇女淳惛而臥。捧馬足踰城出。今日事辦。我等當共侍送至菩提樹下。 |
又、諸天は、世世に菩薩を佐助し、擁護して、乃至出家の時には、諸の宮人、婇女をして、淳く惛(くら)まして、臥せしめ、馬の足を捧げて、城を踰(こ)えて出し、今日事辦ずるに、『我等は、当に共に侍送して、菩提樹下に至るべし』、となり。 |
又、
『諸天』は、
世世に、
『菩薩』を、
『佐助し!』、
『擁護してきたのであり!』、
乃至、
『出家された!』時には、
『諸の宮人や、婇女』を、
『淳く、惛沈させて( let be muddled deeply )!』、
『臥せさせ!』、
『馬の足を捧げて!』、
『城壁を踰えて!』、
『出させ!』、
今日、
『事が辦じた( the works have been accomplished )!』ので、
こう言ったのである、――
わたし達も、
『共に、侍送して!』、
『菩提樹下に、至らねばならぬ!』、と。
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問曰。何以不說剎利婆羅門等無量人侍送。而但說諸天。 |
問うて曰く、何を以ってか、刹利、婆羅門等の無量の人の侍送するを説かずして、但だ諸天のみを説く。 |
問い、
何故、
『刹利や、婆羅門』等の、
『無量の人が侍送する!』と、
『説かずに!』、
但だ、
『諸天のみ!』を、
『説くのですか?』。
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答曰。佛獨於深林中求菩提樹。非是人行處。是故不說。又以人無天眼他心智故。不知佛當成道。是故不說。 |
答えて曰く、仏は独り、深林中に於いて、菩提樹を求めたもうは、是れ人の行処に非ざればなり。是の故に説かず。又、人に天眼、他心智無きを以っての故に、仏の当に成道したもうべきを知らず。是の故に説かず。 |
答え、
『仏』が、
独り、
『深林』中に、
『菩提樹』を、
『求められた!』のは、
是れは、
『人』の、
『行処ではないからであり!』、
是の故に、
『人』は、
『説かれなかったのである!』。
又、
『人』には、
『天眼も、他心智も無い!』が故に、
『仏が、成道されようとしている!』のを、
『知らない!』ので、
是の故に、
『説かれなかったのである!』。
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復次諸天貴於人故但說天。 |
復た次ぎに、諸天は、人よりも、貴きが故に、但だ天を説く。 |
復た次ぎに、
『諸天』は、
『人より!』、
『貴い!』が故に、
但だ、
『天のみ!』を、
『説くのである!』。
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復次諸佛常樂閑靜處。諸天能隱身不現不妨閑靜。是故但說諸天從。 |
復た次ぎに、諸仏は、常に閑静処を楽しみたまえば、諸天は、能く身を隠して、現わさざれば、閑静を妨げず。是の故に但だ、諸天のみ従うと説く。 |
復た次ぎに、
『諸仏』は、
『常に、閑静処を楽しまれる!』が、
『諸天』は、
『身を隠して、現わさないことができ!』、
『閑静処』を、
『妨げない!』ので、
是の故に、
但だ、
『諸天だけが、従う!』と、
『説かれたのである!』。
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復次菩薩見五比丘捨菩薩而去。而菩薩獨至樹下。是故作是願 |
復た次ぎに、菩薩は、五比丘の菩薩を捨てて、去るを見たまえば、而して菩薩は、独り樹下に至りたもうに、是の故に、是の願を作したまえり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『五比丘』に、
『捨てられ!』、
『去られる!』と、
『菩薩』は、
是の故に、
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見(けん):[受け身]~られる。 |
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