【經】復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜布施時應作如是分別。如是布施得大果報。如是布施得生剎利大姓婆羅門大姓居士大家。如是布施得生四天王天處三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天。因是布施得入初禪二禪三禪四禪無邊空處無邊識處無所有處非有想非無想處。因是布施能生八聖道分。因是布施能得須陀洹道乃至佛道。當學般若波羅蜜 |
復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行じて、布施する時、応に是の如き分別を作すべし、『是の如き布施は、大果報を得ん』、『是の如き布施は、刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家を得ん』、『是の如き布施は、四天王天処、三十三天、夜魔天、兜率陀天、化楽天、他化自在天に生ずるを得ん』、『是の布施に因りて、初禅、二禅、三禅、四禅、無辺空処、無辺識処、無所有処、非有想非無想処に入るを得ん』、『是の布施に因りて、能く八聖道分を生ぜん』、『是の布施に因りて、能く須陀洹道、乃至仏道を得れば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と。 |
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜を行いながら!』、
『布施する!』時には、こう分別せねばならない、――
是のような、
『布施』は、
『大果報』を、
『得られるだろう!』。
是のような、
『布施』は、
『刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家』に、
『生まれることになる!』。
是のような、
『布施』は、
『四天王天処や、三十三天、夜魔天や!』、
『兜率陀天、化楽天や、他化自在天に!』、
『生まれることになる!』。
是のような、
『布施』は、
『初禅、二禅、三禅、四禅や!』、
『無辺空処、無辺識処、無所有処、非有想非無想処に!』、
『入ることになる!』。
是の、
『布施に因って!』、
『八聖道分』を、
『生じさせることになる!』。
是の、
『布施に因って!』、
『須陀洹道、乃至仏道』を、
『得られるだろう!』。
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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刹利(せつり):梵語Satriyaの音訳にして、また刹帝利に作り、王種と訳す。即ち印度四姓の一にして即ち王族、武士階級なり。
居士(こじ):梵語吠奢vaiSyaの訳語にして、また田家、商賈と為し、即ち印度四姓の一にして即ち商人の階級なり。
四姓(ししょう):梵語catvaaro varNaaHの訳語。四種の族姓の意。また四種姓、四姓種、或は四品人とも称す。印度に於ける四種の社会階級を云う。一に婆羅門(braahamaNa)、二に刹帝利(kSatriya)、三に吠奢(vaiSya)、四に首陀羅(zuudra)なり。「長阿含経巻13」に、「世に四姓あり、刹利と婆羅門と居士と首陀羅となり」と云い、「大般涅槃経巻23」に、「四種姓あり、謂わゆる刹利と婆羅門と毘舎と首陀となり」と云えるこれなり。この中、婆羅門とは浄行或は承習と訳し、また梵志、梵種、梵志種、婆羅門種とも云う。僧侶及び学者の階級にして、四姓の最上位に位す。吠陀を学習し教授し、祈祷を司りて神人交通の媒介をなすをその本務とす。これを婆羅門と称するは、祈祷即ちbrahmanを司る者の意より来たりしものなるべし。蓋し古代印度に於いては社会生活全般に亘り、咒術宗教的色彩濃厚なりしを以って神人の媒介者としての婆羅門族の勢力強大にして王族もこれに及ばず、時に活ける神とさえ見做さるるに至れり。刹帝利とはまた刹利麗、或は刹利に作り、田主と訳す。また刹利種と云い、別に王種raajanyaとも称す。国王及び武士の階級にして四姓の第二位に位す。ただし仏典中には多くこれを第一位となせり。政治及び軍事を掌るをその本務とす。これを刹帝利と称するは支配するの義なるkSiより来たりしものなるべし。吠奢とはまた毘舎、毘奢、吠舎、鞞舎に作り、居士、田家、商賈、或は随類と訳し、また工師種、居士種とも名づく。謂わゆる平民の階級にして四姓の第三位に位す。農牧工商等の生産事業に従事する者を云うなり。これを吠奢と称するは、人民の義なるvizより来たりしものなるべし。首陀羅とはまた輸陀羅、戌陀羅、戌達羅、旃陀羅、或は首陀に作り、農、農人と訳し、また悪種、殺生種、田農種、田家種とも云う。最下位に位せる奴隷階級にして、専ら上の三姓に奉仕するを以ってその本務とす。摩奴法典maanava
dharma-zaastra,I.88-91に「諸の婆羅門には吠陀を学び、これを教え、自他の為に供犠をなし、施をなし、またこれを受くることを定む。刹帝利には民を護り、施と供犠をなし、吠陀を学び、諸の欲境に著せざることを命ず。吠奢には諸の家畜を護り、施と供犠をなし、吠陀を学び、商業と金貸と農耕に従事することを命ず。首陀羅には不平なく専ら彼の諸姓に仕うることを常に業とすることを命ず」と云えり。以って四姓の分限を見るべし。按ずるに利倶吠陀巻10原人の歌Rg-veda
puruSa-suukta X,90,12に「彼の口は婆羅門たり、その双臂は王族と成れり、その腿部は今毘舎とせらるるものなり、その両足より首陀羅生まれ出でたり」と云うに依れば、四姓の起源は遠く利倶吠陀時代に求め得べく、即ちアーリヤ人種の印度侵入後、幾ばくもなくしてその発生を見しが如し。四姓は元と征服者たるアーリヤ人種と被征服者たる印度先住民とを区別し、前者をaarya-varNaと称し、後者をdaasa-varNaと呼びしに初まる。aaryaは敬虔なる人、高貴なる人の義にして、daasaは蛮族、または奴隷の意なり。またvarNaは色の義にして、これアーリヤ人は白色人種、先住民は黒色人種なりしに由る。四姓の原語もまたvarNaなれば、四姓の別は元と皮膚の色より起これるものなるを知るべし。後先住民たるdaasa
varNaは、首陀羅(恐らく先住民の中の一種族の名)の名に依りて呼ばれ、またアーリヤ人種中にも職業の分化を生じ、かつそれが世襲となりし結果、更に婆羅門、刹帝利、吠奢の三姓を生じ、遂に印度住民の間に四姓の別を見るに至りしものの如し。四姓制度の確立は恐らく婆羅門至上主義の成立せし梵書時代に在るべく、その中、アーリヤ人種たる婆羅門、刹帝利、吠奢の三種は再生族dvi-jaと称せられ、特に宗教的生命を賦与されしも、首陀羅は一生族eka-jaatiと呼ばれ、何等の宗教的特権もなき賎民として遇せられたり。かくして婆羅門教は四姓制度の基礎の上に築かれ、久しく威力を振いたりしが、釈尊はこれ等の四姓の別を重視せず、仏法に帰すれば悉く同一種族にして、全くそれ等の別なしとなせり。これ仏教が印度宗教史上に印する重要なる意義の一なり。「長阿含経巻6小縁経」に、「夫れ不善の行には不善の報あり。黒冥の行をなさば則ち黒冥の報あり。もしこの報をして独り刹利と居士と首陀羅種とのみに在らしめ、婆羅門種に在らざらしめば、則ち婆羅門種はまさに自ら言うを得べし、我が婆羅門種を最も第一となす、余は卑劣なり。我が種は清白にして、余は黒冥なり。我が婆羅門種は梵天より出で、梵の口より生じ、現に清浄を得、後もまた清浄なりと。もし不善の行を行ぜば不善の報あり、黒冥の行をなさば黒冥の報あり、この報は必ず婆羅門種、刹利、居士、首陀羅種に在らしめば、則ち婆羅門は、独り我が種は清浄にして最も第一たりと称するを得ず。(中略)今は現に婆羅門種を見るに、嫁娶産生世と異なることなし。而も自ら詐りて我れはこれ梵種にして梵の口より生じ、現に清浄を得、後もまた清浄なりと称す。婆悉吒、汝今まさに知るべし、今我が弟子は種姓同じからず所出各異あるも、我が法中に於いて出家修道せんに、もし人ありて汝は誰の種姓なるかと問わば、まさに彼れに答えて言うべし、我れはこれ沙門釈種の子なりと」と云い、また「増一阿含経巻21」に、「今四大河水あり、阿耨達泉より出づ。云何が四となす、謂わゆる恒伽、新頭と婆叉と私陀となり。彼の恒伽の水牛の頭口より出でて東に向かって流れ、新頭は南流して師子の口より出で、私陀は西流して象の口中より出で、婆叉は北流して馬の口中より出づ。この時、四大河水は阿耨達泉を繞りおわりて、恒伽は東海に入り、新頭は南海に入り、婆叉は西海に入り、私陀は北海に入る。その時、四大河は海に入りおわりてまた本の名字なく、ただ名づけて海となす。これまたかくの如し、四姓あり。云何が四と為す、刹利と婆羅門と長者と居士種となり。如来の所に於いて鬚髪を剃除し、三法衣を著け、出家学道せばまた本姓なく、ただ沙門釈迦の子なりと言う。然る所以は、如来の衆は、それなお大海のごとく、四諦はこれ四大河の如く、結使を除去して無畏涅槃城に入る。この故に諸比丘、諸有の四姓の鬚髪を剃除し、信堅固を以って出家学道する者は、彼れまさに本の名字を滅して自ら釈迦の弟子と称すべし」と云い、また「雑阿含経巻20」に、「また問う大王、かくの如き四姓は悉く皆平等なり、何の差別かあらん。まさに知るべし大王、四種姓は皆悉く平等にして、勝如差別の異あることなし。(中略)この故に大王まさに知るべし、四姓は世間に言説して差別を為すのみ。乃至業に依る。真実には差別なし」と云えり。以って四姓制度に対する仏の態度を見るを得べし。また「中阿含巻39婆羅婆堂経」には、刹利、梵志、鞞舎の三種姓の者出家して沙門となり、梵行を行ずるが故に、この三姓の他に第四沙門種あることを説き、「白衣金幢二婆羅門縁起経巻下」には、刹帝利境界、婆羅門境界、毘舎境界、首陀境界、及び沙門境界の五類の境界ありとし、この五の中に於いて沙門は最尊最上なりとなせり。これ四姓以外に沙門種を認めたるものというべし。また「長阿含経巻22世本縁品」、「大楼炭経巻6」、「起世経巻10」、「起世因本経巻10」、「中阿含巻30憂婆離経、巻37鬱痩歌邏経、阿摂惒経、巻59一切智経」、「梵志頞波羅延問種尊経」、「増一阿含経巻34」、「出曜経巻13沙門品」、「摩登伽経巻上」、「大般涅槃経巻23」、「雑阿毘曇心論巻3」、「成実論巻7」等に出づ。<(望) |
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【論】菩薩摩訶薩知諸法實相。無取無捨無所破壞。行不可得般若波羅蜜。以大悲心還修福行。福行初門先行布施。 |
菩薩摩訶薩は、諸法の実相には、取無く、捨無く、破壊する所無きを知り、不可得の般若波羅蜜を行じ、大悲心を以って、還って福行を修す。福行の初門は、先に布施を行ず。 |
『菩薩摩訶薩』は、
『諸法の実相には取も、捨も、破壊する所も無い!』と、
『知って!』、
『不可得の( unrecognizable )!』、
『般若波羅蜜』を、
『行いながら!』、
『大悲心を用いて!』、
『還って!』、
『福徳の行』を、
『修めるのである!』が、
『福行の初門』は、
『布施を!』、
『先に( primarily )!』、
『行うことである!』。
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菩薩行般若波羅蜜。智慧明利能分別施福。施物雖同福德多少隨心優劣。 |
菩薩は、般若波羅蜜を行ずるに、智慧明利にして、能く施福を分別すらく、『施物は同じと雖も、福徳の多少は、心の優劣に随う』、と。 |
『菩薩』は、
『般若波羅蜜を行って!』、
『智慧が明利であり!』、
『施福』を、
『分別することができる!』、――
謂わゆる、
『施物が同じでも!』、
『福徳の多、少』が、
『有り!』、
則ち、
『心の優、劣』に、
『随う!』、と。
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如舍利弗以一缽飯上佛。佛即迴施狗而問舍利弗。汝以飯施我我以飯施狗誰得福多。舍利弗言。如我解佛法義。佛施狗得福多。舍利弗者於一切人中智慧最上。而佛福田最為第一。不如佛施狗惡田得福極多。以是故知大福從心生不在田也。如舍利弗千萬億倍不及佛心。 |
舎利弗の、一鉢の飯を以って、仏に上(ささ)ぐるが如し。仏は、即ち迴して狗に施し、舎利弗に問いたまわく、『汝は、飯を以って我れに施し、我れは、飯を以って狗に施す。誰か福を得ること多き』、と。舎利弗の言わく、『我が仏法の義を解するが如くんば、仏の狗に施して、福を得ること多し。舎利弗は、一切の人中に於いて、智慧最上にして、仏の福田を最も第一と為すに、仏、狗の悪田に施したもうも、福を得たもうこと、極めて多きに如かず』、と。是を以っての故に知る、大福は、心より生じて、田に在らず。舎利弗の、千万億倍、仏心に及ばざるが如し。 |
例えば、
『舎利弗』が、
『一鉢の飯』を、
『仏に上げたようなものである!』。
『仏』は、
即ち、
『飯を迴らして( to turn the food round )!』、
『狗( a dog )に!』、
『施し!』、
而も、
『舎利弗』に、こう問われた、――
『舎利弗』は、こう言った、――
わたしは、
『仏法』を、こう理解している、――
『仏』が、
『狗に施して、得られた!』、
『福の方が、多い!』、と。
『舎利弗の智慧』は、
『一切の人』中の、
『最上である!』が、
『仏という!』、
『福田』は、
『最も第一である( the most primary )!』
是の故に、
『仏』が、
『狗という!』、
『悪田』に、
『施されても!』、
『得られる!』、
『福が、極めて多い!』のには、
『及びません!』、と。
是の故に、こう知ることになる、――
『大福』は、
『心より、生じるのであり!』、
『田』中に、
『在るのではない!』。
例えば、
『舎利弗』が、
『千万億倍』も、
『仏の心』に、
『及ばないようなものである!』。
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参考:『優婆塞戒経巻7』:『善男子。世間福田凡有二種。一功德田。二報恩田。壞此二田名五逆罪。是五逆罪有三因緣。一者有極惡心。二者不識福德。三者不見正果。若人異想殺阿羅漢不得逆罪。父母亦爾。若無慚愧不觀報恩心無恭敬。但作方便不作根本。雖非逆罪亦得大報。善教授故。生憐愛故。能堪忍故。難作作故。受大苦故。是故父母名報恩田。若復有人殺父母已。雖復修善是善無報。是故我說。人所蔭處乃至少時。慎勿毀折枝條花葉。善男子。我涅槃後有諸弟子當作是說。若以異想異名殺父母不得逆罪。即曇無德。或復說言。雖以異想殺於父母故得逆罪。即彌沙塞。或復有說。異想異名殺於父母俱得逆罪。即薩婆多。何以故。世間真實是可信故。父母真實想亦不轉。惡心殺之即得逆罪。實是父母無父母想不發惡心。父母雖死不得逆罪。何以故。具足四事乃得逆罪。一者實是父母作父母想。二者惡心。三者捨心。四者作眾生想。具是四事逆罪成就。若不具者則不成就。若為憐愍故。若為恭敬故。若為受法故。若為怖畏故。若為名稱故。授與死具雖不手殺亦得逆罪。若為他使令殺父母。啼哭憂愁而為之者。如是罪相初中後輕。欲殺父母誤中他人不得逆罪。欲殺他人誤中父母亦復如是。欲殺母時誤殺相似。殺已藏刀。復中母身不得逆罪。母有異見兒有異殺。但得殺罪不得逆罪。是五逆罪殺父則輕殺母則重。殺羅漢重於殺母。出佛身血重殺羅漢。破僧復重出佛身血。有物重意輕。有物輕意重。有物重意重。有物輕意輕。物重意輕。如無惡心殺於父母。物輕意重者。如以惡心殺於畜生。物重意重者。以極惡心殺所生母。物輕意輕者。如以輕心殺於畜生。如是惡業。有方便重根本成已輕。有方便根本輕成已重。有方便根本重成已輕。有根本輕方便成已重。物是一種。以心力故得輕重果。善男子。有人以食欲施於我。未與我間轉施餓狗。我亦稱讚如是人者。是大施主。若是福田若非福田。心不選擇而施與者。是人獲得無量福德。何以故心善淨故。』 |
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問曰。如汝說福田妙故得福多。而舍利弗施佛不得大福。 |
問うて曰く、汝が説けるが如くんば、『福田の妙なるが故に、福を得ること多し』、と。而るに、舎利弗は、仏に施して、大福を得ずや。 |
問い、
お前は、こう説いているが、――
『福田が妙である!』が故に、
『得る福』が、
『多い!』、と。
而し、
『舎利弗』は、
『仏に施しても!』、
『大福を得られないのですか?』。
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答曰。良田雖復得福多而不如心。所以者何。心為內主田是外事故。或時布施之福在於福田。 |
答えて曰く、良田も、復た福を得ること多しと雖も、心には如かず。所以は何んとなれば、心を、内の主と為すも、田は、是れ外の事なるが故なり。或いは時に、布施の福は、福田に在り。 |
答え、
『良田』にも、
復た、
『福を得ること!』が、
『多い!』が、
而し、
『心』には、
『及ばない!』。
何故ならば、
『心は、内の主である!』が、
『田』は、
『外の事だからである!』。
或いは、時に、
『布施の福』が、
『福田』に、
『在ることもある!』。
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如億耳阿羅漢。昔以一華施於佛塔。九十一劫人天中受樂。餘福德力得阿羅漢。又如阿輸迦王。小兒時以土施佛王閻浮提。起八萬塔最後得道。施物至賤小兒心簿。但以福田妙故得大果報。當知大福從良田生。 |
億耳阿羅漢の如きは、昔一華を以って、仏塔に施すに、九十一劫、人天中に楽を受け、餘の福徳の力もて、阿羅漢を得たり。又阿輸迦王の如きは、小児の時、土を以って、仏に施して、閻浮提に王となり、八万の塔を起てて、最後に道を得たり。施物、至賎にして、小児の心薄きも、但だ福田の妙なるを以っての故に、大果報を得れば、当に知るべし、大福は、良田より生ず。 |
例えば、
『億耳阿羅漢』は、
昔、
『一華』を、
『仏塔に!』、
『施しただけで!』、
『九十一劫』に、
『人、天中の楽を!』、
『受けたが!』、
『餘の福徳力』で、
『阿羅漢』を、
『得たのである!』。
又、
『阿輸迦王』は、
『小児の時』に、
『閻浮提の王となり!』、
『八万の塔を起てて!』、
『最後には!』、
『道を得たのである!』が、
『施物は至って賎しく!』、
『小児の心力は薄い!』が、
但だ、
『福田が妙である!』が故に、
『大果報を得たのである!』。
当然、こう知らねばならない、――
『大福』は、
『良田より、生じる!』、と。
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億耳(おくに):また二十億耳とも称す。
二十億耳(にじゅうおくに):阿羅漢名。『大智度論巻29上』参照。
阿輸迦王(あしゅかおう):王名。『大智度論巻2上注:阿輸迦』参照。 |
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若大中之上三事都具。心物福田三事皆妙。如般若波羅蜜初品中說。佛以好華散十方佛。 |
若し大中の上なれば、三事を都て具えて、心、物、福田の三事の、皆妙なること、般若波羅蜜の初品中に、『仏は、好華を以って、十方の仏に散ず』、と説けるが如し。 |
若し、
『大中の上ならば!』、
『三事』を、
『皆、具足することになり!』、
『心、物、福田』の、
『三事』が、
『皆、妙である!』。
例えば、
『般若波羅蜜の初品』中に、こう説かれる通りである、――
『仏は、好華を用いて!』、
『十方の仏上に!』、
『散らされた!』、と。
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復次又如以般若波羅蜜心布施。無所著故得大果報。 |
復た次ぎに、又般若波羅蜜の心を以ってするが如き布施は、著する所無きが故に、大果報を得。 |
復た次ぎに、
又、
『般若波羅蜜の心を用いるような!』、
『布施』には、
『著する所が無い!』が故に、
『大果報を得るのである!』。
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復次為涅槃故施亦得大報。以大悲心為度一切眾生故布施亦得大報。 |
復た次ぎに、涅槃の為の故に施せば、亦た大報を得、大悲心を以って、一切の衆生を度せんが為の故に布施すれば、亦た大報を得。 |
復た次ぎに、
『涅槃を求める!』為の故に、
『施しても!』、
『大報』を、
『得ることになり!』、
『大悲心を用いて!』、
『一切の衆生を度そうとする!』が故に、
『布施しても!』、
『大報を得る!』。
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復次大果報者。如是中說生剎利家乃至得佛者是。 |
復た次ぎに、大果報とは、是の中に説けるが如く、刹利の家に生じ、乃至仏を得る者是れなり。 |
復た次ぎに、
『大果報』とは、
是の中に説かれているように、――
『刹利の家に生まれたり、仏を得るということ!』が、
『是れである!』。
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問曰。云何布施得生剎利家。乃至得佛。 |
問うて曰く、云何が布施して、刹利の家に生ずるを得、乃至仏を得る。 |
問い、
何故、
『布施して!』、
『刹利の家』に、
『生まれることができ!』、
乃至、
『仏』を、
『得ることができるのですか?』。
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答曰。若有人布施及持戒故。得人天中富貴。如有人至心布施持戒故生剎利家。剎利者王及大臣。若著於智慧經書而不惱眾生。布施持戒故生婆羅門家。若布施持戒減少而樂著世樂生居士大家。居士者小人而巨富。 |
答えて曰く、若しは有る人は、布施、及び持戒するが故に人、天中の富貴なるを得、有る人の如き、至心に布施、持戒するが故に、刹利の家に生ず。刹利とは、王、及び大臣なり。若しは智慧、経書に著するも、衆生を悩さず、布施、持戒するが故に、婆羅門の家に生ず。若しは布施、持戒すること減少して、楽しんで世楽に著すれば、居士の大家に生ず。居士とは、小人にして、巨富なり。 |
答え、
例えば、
有る人は、
『布施も、持戒もする!』が故に、
『人、天中の富貴に!』、
『生まれることができ!』、
有る人は、
『至心に( sencerely )!』、
『布施、持戒する!』が故に、
『刹利の家』に、
『生まれる!』。
『刹利』とは、
『王や!』、
『大臣である!』。
若し、
『智慧や、経書に著していても!』、
『衆生を悩すことなく、布施、持戒する!』が故に、
『婆羅門の家』に、
『生まれ!』、
若し、
『布施や、持戒が減少し!』、
『世楽に著することを、楽しめば!』、
『居士の大家』に、
『生じることになる!』。
『居士』とは、
『小人でありながら( a mean person )!』、
『巨富である!』。
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若布施持戒清淨小勝厭患家業。好樂聽法供養善人生四天王處。所以者何。在彼有所須欲心生皆得常見。此間賢聖善人心生供養以近修福處故。 |
若しは布施して、持戒清浄なること小しく勝り、家業を厭患して、聴法を好んで楽しみ、善人に供養すれば、四天王処に生ず。所以は何んとなれば、彼に在りて、須(もち)うる所の欲有れば、心の生ずるがままに、皆得、常に此の間の賢聖、善人を見て、心生ずるがままに供養し、修福の処に近づくを以っての故なり。 |
若し、
『布施、持戒清浄』が、
『小人に、勝り!』、
『家業を厭患して!』、
『聴法を楽しむことを、好み!』、
『善人』に、
『供養すれば!』、
即ち、
『四天王処』に、
『生じることになる!』。
何故ならば、
彼の、
『四天王処』に於いては、
『所須の欲( anything that is necessary )』が、
『心に生じるままに!』、
『皆、得られる!』ので、
常に、
此の、
『閻浮提の賢聖、善人を見て!』、
『心に生じるままに!』、
『供養することができ!』、
『福徳を修める!』為の、
『処(福田)に!』、
『近づくことができるからである!』。
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四天王処(してんのうじょ):四天王天ともいう。六欲天の初天。『大智度論巻9上』参照。 |
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若布施持戒清淨。供養父母及其所尊心欲求勝。生三十三天。若布施持戒清淨。而好學問其心柔和。生夜摩天。若布施持戒清淨令二事轉勝。好樂多聞分別好醜。愛樂涅槃心著功德生兜率天。 |
若しは布施、持戒清浄にして、父母及び其の尊ぶ所を供養し、心の欲するがままに、勝つことを求むれば、三十三天に生ず。若しは布施、持戒清浄にして、而も学問を好んで、其の心柔和なれば、夜魔天に生ず。若しは布施、持戒清浄にして、二事をして、転た勝らしめ、多聞を楽しむを好み、好醜を分別し、涅槃を楽しむを愛し、心は功徳に著すれば、兜率天に生ず。 |
もし、
『布施し、持戒清浄であり!』、
『父母や、尊ぶ所を供養しながら!』、
『心に欲するがままに!』、
『勝つこと!』を、
『求めれば!』、
即ち、
『三十三天』に、
『生じる!』。
若し、
『布施し、持戒清浄であり!』、
『学問を好んで!』、
『心が柔和ならば!』、
『夜魔天』に、
『生じる!』。
若し、
『布施し、持戒清浄であり!』、
『布施、持戒の二事』を、
『転た( increasingly )!』、
『勝れさせながら!』、
『多聞を楽しむことを、好み!』、
『好、醜を分別して!』、
『涅槃を楽しむこと!』を、
『愛して!』、
『心』が、
『功徳』に、
『著すれば!』、
即ち、
『兜率天』に、
『生じることになる!』。
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三十三天(さんじゅうさんてん):六欲天中の第二天。『大智度論巻9上』参照。
夜摩天(やまてん):六欲天中の第三天。『大智度論巻9上』参照。
兜率天(とそつてん):六欲天中の第四天。『大智度論巻9上』参照。 |
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若布施深心持戒多聞好樂學問自力生活生化樂天。若布施時清淨持戒轉深好樂多聞。自貴情多不能自苦從他求樂生他化自在天。他所思惟懃心方便。化作女色五欲奪而自在。譬如庶民苦身自業強力奪之。 |
若し布施し、深心に持戒し、多く聞きて学問を楽しむを好み、自ら生活に力(つと)むれば、化楽天に生ず。若しは布施し、時には清浄の持戒転た深く、好んで、楽しみ、多く聞くとも、自ら貴ぶ情多くして、自ら苦しむ能わざるに、他より楽を求むれば、他化自在天に生じ、他の思惟し、勤心し、方便し、化作する所の女色、五欲を奪いて自在なり。譬えば庶民は、身を苦しんで、自ら業するに、強力して、之を奪うが如し。 |
若し、
『布施して、深心に持戒しながら!』、
『多聞して、学問を楽しむことを好み!』、
『自ら、生活に力めれば( to do one's job with effort )!』、
『化楽天』に、
『生じる!』。
若し、
『布施して、時には清浄の持戒が転た深まり!』、
『多聞を楽しむことを好むが!』、
『自らを貴ぶ情が多く、自らを苦しむことができない!』ので、
『他人より、楽を求めれば!』、
『他化自在天』に、
『生じ!』、
『他人の思惟、勤心、方便して化作した!』、
『女色や、五欲( 色声香味触)を!』、
『奪って!』、
『自在にする!』。
譬えば、
『庶民が、身を苦しめて!』、
『自ら作った!』、
『業( an achievement )』を、
強いて、
『力で!』、
『奪うようなものである!』。
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化楽天(けらくてん):六欲天中の第五天。『大智度論巻9上』参照。
他化自在天(たけじざいてん):六欲天中の第六天。『大智度論巻9上』参照。
他所思惟(たしょしゆい):他人の思考内容。
懃心方便(ごんしんほうべん):ねんごろに手立てをつくす。
女色(にょしき):女子の色相。女子の肉体。 |
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復次布施時以願因緣故生天上。如經說。有人少行布施持戒不知禪定。是人聞有四天王天心常志願。佛言。是人命終生四天上必有是處。乃至他化自在天亦如是。 |
復た次ぎに、布施する時、願の因縁を以っての故に、天上に生ず。経に説けるが如し、『有る人、少しく布施、持戒を行ずるも、禅定を知らず。是の人は、四天王天有るを聞き、心に常に志願す。仏の言わく、是の人の命終わりて、四天上に生ずること、必ず、是の処有り。乃至他化自在天も亦た是の如しと』、と。 |
復た次ぎに、
『布施する!』時、
『願の因縁』の故に、
『天上』に、
『生じる!』。
例えば、
『経』に、こう説く通りである、――
有る、
『人』は、
『布施や、持戒を少し行うだけで!』、
『禅定』を、
『知らなかった!』が、
是の、
『人』は、
『四天王天』が、
『有るということ!』を、
『聞いて!』、
『心』に、
『常に!』、
『志願していた( to desire vehemently )!』。
『仏』は、こう言われた、――
是の、
『人』は、
『命が終われば!』、
『四天王天』上に、
『生じることになる!』が、
必ず、
是の、
『処が有る( be in condition )からだ!』。
乃至、
『他化自在天であっても!』、
『是の通りである!』、と。
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志願(しがん):梵語 praNidhaana の訳、熱烈な欲望( vehement desire )の義。
是処(ぜしょ):梵語 sthaana の訳、貯蔵処/保管所/立ち場所/居場所/適切な場所( storing-place or storage, place
of standing or staying, proper or right space )の義、状況/事情/~の原因/対象( state,
condition, cause or object of )の意。 |
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復次有人布施持戒修布施時其心得樂。若施多樂亦多。如是思惟捨五欲除五蓋入初禪乃至非有想非無想天如是。四禪四無色定義如上說。 |
復た次ぎに、有る人は、布施、持戒するに、布施を修する時、其の心に、楽を得、若し施多ければ、楽も亦た多し。是の如く思惟して、五欲を捨て、五蓋を除いて、初禅に入る。乃至非有想非無想天も是の如し。四禅、四無色定の義は、上に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
有る、
『人は布施、持戒していた!』が、
『布施を修める!』時、
其の、
若し、
『多く施せば!』、
『楽』も、
『多かったのである!』。
是のように、
『思惟して!』、
『五欲を捨てて、五蓋を除けば!』、
『初禅』に、
『入ることになる!』が、
乃至、
『非有想非無想天まで!』、
『是の通りである!』。
『四禅、四無色定の義』は、
上に、
『説いた通りである!』。
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復次有人布施佛及佛弟子從其聞說道法。是人因此布施故心得柔軟。智慧明利即生八聖道分。斷三結得須陀洹果。乃至佛道亦如是。因是布施聞其說法。便發阿耨多羅三藐三菩提心。 |
復た次ぎに、有る人は、仏、及び仏弟子に布施して、其れより、道法を説くを聞く。是の人は、此の布施に因るが故に、心に柔軟を得て、智慧明利となりて、即ち八聖道分を生じ、三結を断じて、須陀洹果を得。乃至仏道も亦た是の如く、是の布施に因って、其の法を説くを聞き、便ち阿耨多羅三藐三菩提の心を発す。 |
復た次ぎに、
有る、
『人』は、
『仏や、仏弟子に布施して!』、
『道法』が、
『説かれる!』のを、
『聞いた!』。
是の、
『人』は、
此の、
『布施に因る!』が故に、
『心が柔軟になった!』ので、
『智慧』が、
『明利になり!』、
即ち、
『八聖道分を生じて!』、
『三結を断じ!』、
『須陀洹果』を、
『得たのである!』が、
乃至、
『仏道も、是のように!』、
是の、
『布施に因って!』、
『法が説かれる!』のを、
『聞くことになり!』、
便ち( easily )、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発すのである!』。
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復次未離欲布施生人中富貴及六欲天中。若離欲心布施生梵世天上乃至廣果天。若離色心布施生無色天中。離三界布施為涅槃故得聲聞道。布施時惡厭憒鬧好樂閑靜喜深智慧得辟支佛。布施時起大悲心欲度一切。為第一甚深畢竟清淨智慧得成佛道 |
復た次ぎに、未離欲にして布施すれば、人中の富貴、及び六欲天中に生じ、若し離欲の心もて布施すれば、梵世天上、乃至広果天に生じ、若し離色の心もて布施すれば、無色天中に生ず。三界を離るる布施は、涅槃の為なるが故に、声聞道を得、布施する時、憒鬧を悪厭し、閑静を好楽し、深き智慧を喜べば、辟支仏を得、布施する時、大悲心を起して、一切を度せんと欲し、第一に甚だ深き畢竟清浄なる智慧の為なれば、仏道を成ずるを得。 |
復た次ぎに、
若し、
『未離欲の心で!』、
『布施すれば!』、
『人中の富貴や、六欲天』中に、
『生じる!』。
若し、
『離欲の心で!』、
『布施すれば!』、
『梵世天上、乃至広果天』に、
『生じる!』。
若し、
『離色の心で!』、
『布施すれば!』、
『無色天』中に、
『生じる!』。
若し、
『三界を離れて!』、
『布施し、涅槃を求めれば!』、
『声聞道』を、
『得る!』。
若し、
『布施する!』時、
『憒鬧を悪厭し( to dislike the crowd of people )!』、
『閑静を好楽し( to like to retire into a lonely place )!』、
『深い智慧を喜べば!』、
『辟支仏』を、
『得る!』。
若し、
『布施する!』時、
『大悲心を起して!』、
『一切を度そうと、思い!』、
『第一に甚だ深い畢竟清浄の智慧を求めれば!』、
『仏道』を、
『成ずることができる!』。
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梵世天(ぼんせてん):色界の諸天を指す。
広果天(こうかてん):色界第四禅八天中の第三天の名。
悪厭(あくえん):梵語 jugupsita の訳、嫌われる( disliked )の義、ぞっとするほど嫌だ( abhorring anything
)の意。
憒鬧(けにょう):梵語 saMkiirNa の訳、一緒に吐き出される( poured together )、群れる/満ちる/混ざった/混乱した(
crowed with, full of, mingled, confused )の義。
閑静(げんじょう):梵語 pratisaMlayana の訳、隠居する( retirement into a lonely place )の意。
好楽(こうらく):梵語 abhi√(laS) の訳、渇望する/願う( to desire or wish for )。 |
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