立檀波羅蜜者。菩薩語諸眾生。當行布施。貧為大苦無以貧故。作諸惡行墮三惡道。作諸惡行墮三惡道則不可救。眾生聞已捨慳貪心行檀波羅蜜。如後品中廣說。 |
檀波羅蜜に立たしむとは、菩薩は、諸の衆生に語るらく、『当に布施を行じ、貧を大苦と為し、貧を以っての故に、諸の悪道を作して、三悪道に堕つる無からしむべし。諸の悪行を作して、三悪道に堕つれば、則ち救うべからざればなり』、と。衆生聞き已りて、慳貪心を捨て、檀波羅蜜を行ず。後の品中に広説するが如し。 |
『衆生を、檀波羅蜜に立たせる!』とは、
『菩薩』が、
諸の、
『衆生』に、こう語ると、――
当然、
『布施を行わなければならない!』、
『貧』は、
『大苦だからである!』。
『貧』の故に、
『諸の悪行を作して!』、
『三悪道に堕ちる!』者を、
『無くさねばならない!』。
『諸の悪行を作して!』、
『三悪道に墜ちた!』者は、
則ち、
『救うことができないからである!』、と。
『衆生』は、これを聞いて、――
即ち、
『慳貪の心を捨て!』、
『檀波羅蜜』を、
『行うことになるのである!』が、
例えば、
『後の品』中に、
『広く!』、
『説かれた通りである!』。
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参考:『大智度論照明品第八十一巻91』:『須菩提。菩薩摩訶薩應如是行檀波羅蜜。於眾生中無所惜。乃至不惜自身肌肉。何況外物。以是法故能出眾生生死。何等是法。所謂檀波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。乃至十八不共法。令眾生從生死中得脫。復次須菩提。菩薩摩訶薩住檀波羅蜜中布施已。作是言。諸善男子。汝等來持戒。我當供給汝等令無乏短。衣食臥具乃至資生所須盡當給汝。汝等乏少故破戒。我當給汝所須令無所乏。若飲食乃至七寶。汝等住是戒律儀中漸漸當得盡苦。成於三乘而得度脫。若聲聞乘辟支佛乘佛乘。復次須菩提。菩薩摩訶薩住檀波羅蜜中。若見眾生瞋惱。作是言。諸善男子。汝等以何因緣故瞋惱。我當與汝所須。汝等所欲從我取之。悉當給汝令無所乏。若飲食衣服乃至資生所須。是菩薩住檀波羅蜜中教眾生忍辱。‥‥』 |
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復次菩薩於眾生前。種種因緣種種譬喻。而為說法毀呰慳貪。夫慳貪者自身所須惜不能用。見告求者心濁色變。即於現身聲色醜惡。種後世惡業故受形醜陋。先不種布施因緣故今身貧賤。慳著財物多求不息。開諸罪門專造惡事故墮惡道中。 |
復た次ぎに、菩薩は、衆生の前に於いて、種種の因縁、種種の譬喩もて、為に法を説いて、慳貪を毀呰すらく、『夫れ、慳貪とは、自ら身の所須を惜んで、用うる能わず、告求する者を見て、心濁り、色変じて、即ち身の声と色とに醜悪を現し、後世の悪業を種うるが故に、形の醜陋なるを受くるも、先に布施の因縁を種えざるが故に、今の身貧賤にして、財物を慳著し、多く求めて息まず、諸の罪門を開いて、専ら悪事を造り、故に悪道中に堕す。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『衆生の前』に於いて、
種種の、
こう言う、――
夫れ( Now )、
『慳貪』とは、
自ら、
『所有の財産』を、
『惜んで!』、
『用いることができない!』のに、
『告求する( to beg )者を見て!』、
即ち、
『醜悪』を、
『声や、顔色に!』、
『現す!』ので、
後世に、
『悪業を種える!』が故に、
『醜陋の形』を、
『受け!』、
先に、
『布施という!』、
『因緣』を、
『種えなかった!』が故に、
今、
『貧賤の身となり!』、
『財物』を、
『慳貪、執著して!』、
多くを、
『求めて!』、
『息むことがなく( not to stop )!』、
諸の、
『罪の門を開いて!』、
専ら、
『悪事を造る!』が故に、
『悪道』中に、
『堕ちるのである!』。
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毀呰(きし):そしる。
所須(しょしゅ):梵語 upakaraNa, prayojana, artha, kaanta, bhoga, yaacitaka, vara 等の訳、必要な事物(
that which is necessary )、愛する物( loved )、財産/富( possession, property, wealth
)の義。
告求(こくぐう):要求して乞求する( ask for and beg )。
醜陋(しゅうる):醜悪。 |
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復次生死輪轉利益之業無過布施。今世後世隨意。便身之事悉從施得。施為善導能開三樂。天上人中涅槃之樂。 |
復た次ぎに、生死輪転の利益の業には、布施に過ぐる無く、今世、後世、随意に便身の事を、悉く施に従うて得れば、施を善導と為し、能く三楽の天上、人中、涅槃の楽を開く。 |
復た次ぎに、
『生死の輪転』中、
『利益の業』には、
『布施に過ぎるもの!』は、
『無い!』、
『今世、後世の随意の!』、
『便身の事』は、
悉く、
『布施より!』、
『得るのである!』。
『布施』は、
『三楽』、
謂わゆる、
『天上、人中、涅槃の楽を開くことのできる!』、
『善導である( be the pilot )!』。
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便身(べんしん):身の周りの便利な事物。 |
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所以者何。好施之人聲譽流布。八方信樂無不愛敬。處大眾中無所畏難死時無悔。其人自念我以財物殖良福田。人天中樂涅槃之門我必得之。 |
所以は何んとなれば、好施の人は、声誉流布して、八方に信楽せられ、愛敬せざる無く、大衆中に処して畏難する所無く、死する時に悔ゆる無し。其の人は、自ら念ずらく、『我れは、財物を以って、良き福田に殖うれば、人、天中の楽、涅槃の門は、我れ必ず、之を得ん』、と。 |
何故ならば、
『布施を好む人』は、
『名声、名誉が流布する!』ので、
『八方に信楽され!』、
『愛敬しない!』者が、
『無い!』ので、
『大衆中に処在しても!』、
『畏難する所( the dificulty to be afraid )』が、
『無く!』、
『死ぬ時にも!』、
『悔いること!』が、
『無い!』ので、
其の、
『人』は、
自ら、こう念じるのである、――
わたしは、
『財物』を、
『良い福田に!』、
『殖えたので!』、
わたしは、
必ず、
『人、天中の楽や、涅槃の門』を、
『得られるだろう!』、と。
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所以者何。施破慳結慈念受者。滅除瞋惱嫉妒心息。恭敬受者則除憍慢。決定心施疑網自裂。知施果報則除邪見及滅無明。如是等諸煩惱破則涅槃門開。 |
所以は何んとなれば、施もて慳結を破り、慈もて受者を念ずれば、瞋悩を滅除して、嫉妒の心息む。受者を恭敬すれば、則ち憍慢を除き、心を決定して施せば、疑網自ら裂く。施の果報を知れば、則ち邪見を除き、及び無明を滅す。是れ等の如く、諸の煩悩破るれば、則ち涅槃の門開く。 |
何故ならば、
『布施で慳結を破って!』、
『慈心で受者を念じれば!』、
『瞋悩を滅除して!』、
『嫉妒の心』が、
『休息する!』。
『受者を恭敬すれば!』、
『心を決定して施せば!』、
『布施の果報を知れば!』、
『邪見を除くことになり!』、
亦た、
『無明』を、
『滅することになる!』。
是れ等のように、
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復次非但開三樂而已。乃能開無量佛道世尊之處。所以者何六波羅蜜。是佛道檀為初門。餘行皆悉隨從。如是等布施有無量功德。以是因緣故。令眾生立檀波羅蜜。檀波羅蜜義如先檀中說。 |
復た次ぎに、但だ三楽を開くのみならず、乃ち能く無量の仏道、世尊の処を開く。所以は何んとなれば六波羅蜜は、是れ仏道にして、檀を初門と為し、余行は皆、悉く随従す。是れ等の如く布施には無量の功徳有り、是の因縁を以っての故に、衆生をして檀波羅蜜に立たしむ。檀波羅蜜の義は、先の檀中に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
『布施』は、
但だ、
『三楽を開くだけでなく!』、
乃ち( at the same time )、
『無量の仏道や、世尊の処』を、
『開くことができる!』。
何故ならば、
『六波羅蜜を仏道だとすれば!』、
『檀が初門であり!』、
『餘の行』は、
『皆、悉く!』、
『随従するからである!』。
是れ等のように、
『布施』には、
『無量の功徳』が、
『有る!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
『衆生』を、
『檀波羅蜜』に、
『立たせるのである!』。
『檀波羅蜜の義』は、
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参考:『大智度論檀相義第十九巻11、12』等参照。 |
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立尸羅者。菩薩於眾生前讚說戒行。汝諸眾生當學持戒。持戒之德拔三惡趣及人中下賤。令得天人尊貴乃至佛道。戒為一切眾生眾樂根本。譬如大藏出諸珍寶。戒為大護能滅眾怖。譬如大軍破賊。戒為莊嚴如著瓔珞。戒為大船能度生死巨海。戒為大乘能致重寶至涅槃城。戒為良藥能破結病。戒為善知識。世世隨逐不相遠離令心安隱。譬如穿井已見濕泥。喜慶自歡無復憂患。戒能成就利益諸行。譬如父母長育眾子。 |
尸羅に立たしむとは、菩薩は、衆生の前の於いて、戒行を讃じて説かく、『汝、諸の衆生は、当に持戒を学ぶべし。持戒の徳は、三悪趣、及び人中の下賎を抜き、天、人の尊貴、乃至仏道を得しむ。戒を、一切の衆生の衆楽の根本と為す。譬えば、大蔵の諸の珍宝を出すが如し。戒を大護と為すに、能く衆怖を滅すこと、譬えば、大軍の賊を破るが如し。戒を荘厳と為すこと、瓔珞を著くるが如し。戒を大船と為す、能く生死の巨海を度すればなり。戒を大乗と為す、能く重宝を致して、涅槃の城に至らしむ。戒を良薬と為す、能く結病を破ればなり。戒を善知識と為す、世世に随逐して、相遠離せず、心をして安隠ならしむること、譬えば井を穿ち已りて、湿泥を見れば、喜慶して自ら歓び、復た憂患無きが如し。戒の能く諸行を成就し利益すること、譬えば父母の、衆子を長育するが如し。 |
『衆生を、尸羅に立たせる!』とは、――
『菩薩』は、
『衆生の前に、戒行を讃じて!』、こう説く、――
お前達!
『諸の衆生』は、
『持戒』を、
『学ばねばならない!』。
『持戒の徳』は、
『人』を、
『三悪趣や、人中の下賎より抜いて!』、
『天、人の尊貴、乃至仏道』を、
『得させるからである!』。
『戒』とは、
『一切の衆生』の、
『衆楽の根本であり!』、
譬えば、
『大蔵より!』、
『諸の珍宝』を、
『出すようなものである!』。
『戒』とは、
『大護であり!』、
『衆怖を滅することができる!』、
譬えば、
『大軍』が、
『賊』を、
『破るようなものである!』。
『戒』とは、
『荘厳である!』、
譬えば、
『瓔珞』を、
『身』に、
『著けるようなものである!』。
『戒』とは、
『大船であり!』、
『生、死という!』、
『巨海』を、
『渡ることができる!』。
『戒』とは、
『大乗であり!』、
『重宝を運んで!』、
『涅槃の城』に、
『至らせることができる!』。
『戒』とは、
『良薬であり!』、
『結使という!』、
『病』を、
『破ることができる!』。
『戒』とは、
『善知識であり!』、
『世世に随逐して、遠離せず!』、
『心』を、
『安隠にさせる!』。
譬えば、
『井を穿って、湿泥が見える!』と、
『喜慶して!』、
『自ら、歓び!』、
復た、
『憂患することが!』、
『無いようなものである!』。
『戒』は、
『諸行』を、
『成就して!』、
『利益することができる!』。
譬えば、
『父母』が、
『衆子』を、
『助長、育成するようなものである!』。
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戒為智梯能入無漏。戒能驚怖諸結。譬如師子能令群獸懾伏。戒為一切諸德之根出家之要。修淨戒者所願隨意。譬如如意珠應念時得。如是等種種讚戒之德。令眾生歡喜發心住尸羅波羅蜜。 |
戒を、智梯と為し、能く無漏に入れしむ。戒は、能く諸結をして、驚怖せしむること、譬えば師子の能く、群獣をして、懾伏せしむるが如し。戒を、一切の諸徳の根、出家の要と為し、浄戒を修する者は、所願随意なること、譬えば、如意珠の、念ずる時に応じて得るが如し。是れ等の如く種種に戒の徳を讃じて、衆生をして、歓喜し、発心して、尸羅波羅蜜に住せしむ。 |
『戒』とは、
『智の階梯であり!』、
『無漏』に、
『入らせることができる!』。
『戒』とは、
『諸結を驚怖させる!』ので、
譬えば、
『師子』が、
『群獣』を、
『懾伏させる( threaten to submit )ようなものである!』。
『戒』とは、
『一切の諸徳の根本であり、出家の要諦である!』、
『浄戒を修める!』者は、
『所願が意のままであり!』、
譬えば、
『如意珠』が、
『念じる時に応じて!』、
『所願』を、
『得させるようなものである!』。
是れ等のように、
種種に、
『戒の徳を讃じて!』、
『衆生を歓喜させ、発心させて!』、
『尸羅波羅蜜』に、
『住させるのである!』。
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住羼提者。於眾生前讚歎忍辱。忍為一切出家之力。能伏諸惡能於眾中現奇特事。忍能守護令施戒不毀。忍為大鎧眾兵不加。忍為良藥能除惡毒。忍為善勝。於生死險道安隱無患。忍為大藏。施貧苦人無極大寶。忍為大舟。能渡生死此岸到涅槃彼岸。忍為[石*從][石*瞿]能瑩明諸德。若人加惡如豬揩金山。益發其明。 |
羼提に住せしむとは、衆生の前に於いて、忍辱を讃歎すらく、『忍を、一切の出家の力と為し、能く諸悪を伏し、能く衆中に於いて、奇特の事を現ぜしむ。忍は、能く守護して、施、戒をして毀(そこな)わざらしむ。忍を、大鎧と為し、衆兵をして加えざらしむ。忍を良薬と為し、能く悪毒を除く。忍を善く勝つと為し、生死の険道に於いて、安隠にして、患無し。忍を大蔵と為し、貧苦の人に施すに、大宝の極まること無し。忍を大舟と為し、能く生死の此岸を渡りて、涅槃の彼岸に到らしむ。忍を、[石*從][石*瞿]と為し、能く諸徳を瑩明すれば、若し人悪を加うれば、猪の金山を揩(す)るが如く、其の明を益々発せしむ。 |
『衆生を、羼提に住させる!』とは、――
『衆生の前』に於いて、
『忍辱を讃歎して!』、こう説く、――
『忍』は、
『一切の出家の力であり!』、
『諸悪を伏することができ!』、
『衆中』に於いて、
『奇特の事』を、
『現すことができる!』。
『忍』は、
『守護して!』、
『施や、戒を!』、
『毀犯させないようにする!』。
『忍』は、
『大鎧であり!』、
『衆兵の害( the harm by weapons )』を、
『加えさせない!』。
『忍』は、
『良薬であり!』、
『悪の毒』を、
『除くことができる!』。
『忍』とは、
『善く勝つということであり!』、
『生、死の険道』に於いても、
『安隠であり!』、
『患が無い!』。
『忍』は、
『大蔵であり!』、
『貧苦の人に施しても!』、
『大宝の尽きること!』が、
『無い!』。
『忍』は、
『大舟であり!』、
『生、死の此岸を渡って!』、
『涅槃の彼岸』に、
『到らせることができる!』。
『忍』は、
『砥石であり!』、
譬えば、
『人が悪を加えても!』、
『猪』が、
『金山を摺るように!』、
其の、
『明』を、
『益々発しさせる!』。
|
[石*從][石*瞿](しょうく):砥石
瑩明(ようみょう):磨いて耀かす。
揩(かい):摩る/磨く/摩擦する。 |
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求佛道度眾生之利器。忍為最妙。行者當作是念。我若以瞋報彼則為自害。又我先世自有是罪不得如意要必當償。若於此人不受餘亦害我俱不得免云何起瞋 |
仏道を求めて、衆生を度する利器は、忍を最妙と為す。行者は、当に是の念を作すべし、『我れ、若し瞋を以って、彼れに報いれば、則ち自ら害すと為す。又我れ先世に、自ら是の罪有れば、如意なるを得ず。要ず必ず、当に償うべし。若し、此の人を、受けずんば、餘も亦た我れを害せんに、倶には免るるを得ず。云何が瞋を起さんや。 |
『仏道を求めて、衆生を度する!』者の、
『利器として!』は、
『忍』が、
『最妙である!』。
『行者』は、こう念じなくてはならない、――
わたしが、
若し、
『瞋を用いて!』、
彼れに、
『報いたならば!』、
則ち、
自ら、
『害することになる!』。
又、
わたしは、
『先世』に於いて、
『自ら、有した!』、
是の、
『罪であるから!』、
『意のままになるはずがなく!』、
当然、
『償わねばならない!』。
若し、
此の、
『人が加える!』、
『害』を、
『受けなかったとしても!』、
餘の、
『人』が、
わたしを、
『害することになろう!』。
倶に( altogether )、
『免れることはできない!』のに、
何故、
|
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復次眾生為煩惱所牽。起諸惡事不得自在。譬如人為非人所持而罵辱良醫。良醫是時但為除鬼不嫌其罵。行者亦如是。眾生加惡向己。不嫌其瞋但為除結。 |
復た次ぎに、衆生は、煩悩に牽かれて、諸の悪事を起せば、自在なるを得ず。譬えば、人、非人に持せらるれば、良医を罵辱するも、良医は、是の時、但だ鬼を除かんが為に、其の罵るを嫌わざるが如し。行者も、亦た是の如く、衆生、悪を加えんと、己に向うに、其の瞋るを嫌わざるは、但だ結を除かんが為なり。 |
復た次ぎに、
『衆生』は、
『煩悩に牽かれて!』、
『諸の悪事を起す!』が故に、
『自在』を、
『得られない!』。
譬えば、
『人』が、
『非人に魅せられて!』、
『良医』を、
『罵辱した( to curse )としても!』、
『良医』は、
是の時、
但だ、
『鬼を除く為に!』、
其の、
『罵辱を!』、
『嫌うことがないように!』、
『行者』も、
是のように、
『悪を加えようとして!』、
『己に向かって来ても!』、
其の、
『瞋』を、
『嫌わない!』のは、
但だ、
『結』を、
『除こうとするからである!』。
|
非人(ひにん):梵語 amaanuSa の訳、又鬼神に作る、人に非ざる者( anything but a man )の義、超人( superhuman
)の意。
持(じ):大般若には魅著と訳す。魅は即ち梵語 graha の訳にして、捕捉( seizing, holding )の義、魔術的影響より連続してして、全人格を所有するに至る有らゆる状態( any state which proceeds from magical influences and takes possession of the whole man )の意、又梵語 graaha の訳にして、捉える/捕捉する( seizure, grasping, laying hold of )の義。
罵辱(めにく):梵語 aa√(kruz), durukta, paribhaaSa の訳、口汚く呼びかける( to call to anyone
in an abusive manner )、瞋りと、威嚇的な言葉で責め立てる( to assail with angry and menacing
words )、がみがみ言う( scold at )、罵る( curse, revile )の義。 |
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復次行忍之人。視前罵辱者。如父母視嬰孩。見其瞋罵益加慈念愛之踰深。又復自念彼人加惡於我。是業因緣前世自造今當受之若以瞋報更造後苦何時解已。若今忍之永得離苦。是故不應起瞋。如是種種因緣。訶瞋恚生慈悲入眾生忍中。 |
復た次ぎに、行忍の人の、前の罵辱する者を視ること、父母の嬰孩を視るが如く、其の瞋罵を見て、益々慈念を加え、之を愛すること、踰(いよい)よ深し。又復た自ら念ずらく、『彼の人の我れに悪を加うるは、是れ業の因縁にして、前世に自ら造りたれば、今当に之を受くべし。若し瞋を以って報いれば、更に後の苦を造り、何れの時にか、解き已らん。若し今、之を忍べば、永く苦を離るるを得ん。是の故に応に瞋を起すべからず。是の如き種種の因緣もて、瞋恚を訶して、慈悲を生ずれば、衆生忍中に入るなり。 |
復た次ぎに、
『行忍の人』は、
前の、
譬えば、
『父母』が、
『嬰孩( baby and infant )』を、
『視るようなものであり!』、
其の、
『瞋、罵するのを見て!』、
益々、
『慈念を加えて!』、
『益々深く!』、
『愛するようになる!』、
又復た、
自ら、こう念じるのである、――
彼の、
『人』が、
わたしに、
『悪を加える!』のは、
『業』の、
『因緣であって!』、
『前世』に、
自ら、
『造ったものであり!』、
当然、
今、
『受けねばならない!』。
若し、
『瞋で報いれば!』、
更に、
『後の苦』を、
『造ることになり!』、
何時になったら、
『解けるのか?』、
『知れたものではない!』。
若し、
今、
『之を、忍べば!』、
永く、
『苦』を、
『離れることができる!』。
是の故に、
『瞋』を、
『起してはならないのである!』、と。
是のような、
種種の、
『因緣』で、
『瞋恚を訶して!』、
『慈悲』を、
『生じれば!』、
是の故に、
『衆生忍』中に、
『入ることになる!』。
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踰(ゆ):いよいよ/更に加えて( even more )。 |
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入眾生忍中已作是念。十方諸佛所說法。皆無有我亦無我所。但諸法和合假名眾生。如機關木人。雖能動作內無有主身亦如是。但皮骨相持隨心風轉。念念生滅無常空寂無有作者。無罵者亦無受者。本末畢竟空故。但顛倒虛誑故。凡夫心著。如是思惟已則無眾生。無眾生已法無所屬。但因緣和合無有自性。 |
衆生忍中に入り已れば、是の念を作さく、『十方の諸仏の所説の法は、皆、我有ること無く、亦た我所も無く、但だ諸法和合を仮に、衆生と名づくること、機関の木人の、能く動作すと雖も、内に主有ること無きが如し。身も亦た是の如く、但だ皮、骨相持して、心風の転ずるに随いて、念念生滅し、無常、空寂にして、作者有ること無ければ、罵者も無く、亦た受者も無し。本末畢竟じて空なるが故に、但だ顛倒の虚誑故に、凡夫の心著すのみ』、と。是の如く思惟し已れば、則ち衆生無く、衆生無ければ、已に法の所属無く、但だ因緣の和合なれば、自性有ること無し。 |
『衆生忍中に入れば!』、こう念じることになる、――
『十方の諸仏の説かれた!』、
『法( 五衆、十二入、十八界)』は、
皆、
『我も、我所も!』、
『無く!』、
但だ、
『諸法の和合』を、
仮に、
『衆生』と、
『称するのであり!』、
譬えば、
『機関の木人』が、
『動作することができても!』、
内に、
『主』が、
『無いようなものである!』。
『身』も、
是のように、
但だ、
『皮と、骨とが!』、
『互に!』、
『支持しながら!』、
『心という!』、
『風が転じるがままに!』、
『念念( every thought-moment )』が、
『生、滅するだけである!』が故に、
『心』は、
『無常であり!』、
『空寂である!』が故に、
『身』には、
『作者も、罵者も、受者も!』、
『無く!』、
『心、身』は、
『本から、末まで!』、
『畢竟空である!』が故に、
『身も、心も!』、
『虚誑であり!』、
『顛倒である!』が故に、
『凡夫の心』が、
『衆生の心、身』に、
『著するだけである!』、と。
是のように、
『思惟すれば!』、
則ち、
『衆生』は、
『無くなり!』、
『衆生が無ければ!』、
但だ、
『因縁の和合である!』が故に、
『衆生』には、
『自性が無いのである!』。
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念念(ねんねん):梵語 pratikSaNam, pratikSaNa, kSaNa, citta-kSaNa の訳、継続的思考の瞬間毎思考瞬間、毎瞬間(
successive thought-moments, every thought-moment, every moment )の義。 |
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如眾生和合強名眾生。法亦如是即得法忍。得是眾生忍法忍故。能得阿耨多羅三藐三菩提。何況諸餘利益。眾生聞是已住羼提波羅蜜。 |
衆生の和合を強いて衆生と名づくるが如く、法も亦た是の如くんば、即ち法忍を得、是の衆生忍と、法忍を得るが故に、能く阿耨多羅三藐三菩提を得。何に況んや、諸余の利益をや。衆生は、是れを聞き已りて、羼提波羅蜜に住す。 |
『衆生』が、
『和合』を、
強いて、
『衆生』と、
『称するように!』、
『法』も、
亦た、
是のように、
『忍ぶことができれば!』、
即ち、
『法忍』を、
『得ることになり!』、
『衆生忍と、法忍と!』を、
『得る!』が故に、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることができる!』、
況して、
『諸余の利益』は、
『言うまでもない!』、と。
『衆生』は、
是のように、
『聞いて!』、
『羼提波羅蜜』に、
『住するのである!』。
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立毘梨耶者。教眾生言汝莫懈怠。若能精進諸善功德悉皆易得。若懈怠者見木有火而不能得何況餘事。是故勸令精進。若人隨方便精進無願不得。凡得勝法非無因緣。皆從精進生。 |
毘梨耶に立たしむとは、衆生に教えて言わく、『汝、懈怠する莫れ。若し能く精進すれば、諸の善功徳は、悉く皆得易し。若し懈怠せば、木に火有るを見るも、得る能わざらん。何に況んや余事をや。是の故に勧めて精進せしむ。若し人、方便に随いて精進すれば、願の得ざる無し。凡そ勝法を得んには、因緣無きに非ず、皆精進より生ず』、と。 |
『衆生を毘梨耶に立たせる!』とは、――
『衆生を教えて!』、こう言うことである、――
お前は、
『懈怠してはならない!』。
若し、
『精進することができれば!』、
諸の、
『善功徳』が、
悉く、
『皆、得易くなるからである!』。
若し、
『懈怠すれば!』、
『木に火が有る!』のを、
『見ても!』、
『得られないであろう!』。
況して、
『余事』を、
『得られるはずがない!』。
是の故に、
お前に、
『勧めて!』、
『精進させるのである!』。
若し、
『人』が、
『方便に随って!』、
『精進すれば!』、
『得られない!』、
『願』は、
『無いであろう!』。
凡そ、
『勝れた法を得る!』のに、
『因縁が無いはずがない!』、
皆、
『精進によって!』、
『生じるのである!』、と。
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精進有二相。一能集生諸善法。二能除諸惡法。復有三相。一欲造事。二精進作。三不休息。復有四相。已生惡法斷之令滅。未生惡法能令不生。未生善法能令發生。已生善法能令增長。如是等名精進相。 |
精進には、二相有り、一には能く集めて諸の善法を生ぜしめ、二には能く諸の悪法を除く。復た三相有り、一には事を造らんと欲し、二には精進して作し、三には休息せず。復た四相有り、已に生ぜし悪法は、之を断じて滅せしめ、未だ生ぜざる悪法は、能く生ぜざらしめ、未だ生ぜざる善法は、能く発生せしめ、已に生ぜし善法は、能く増長せしむ。是れ等の如きを、精進の相と名づく。 |
『精進』には、
『二相が有り!』、
一には、
『業因緣を集めて!』、
『諸の善法』を、
『生起させ!』、
二には、
復た、
復た、
『四相が有り!』、
已に、
『生起した!』、
『悪法を断じて!』、
『除滅させ!』、
未だ、
『生起しない!』、
『悪法』を、
『生起させず!』、
未だ、
『生起しない!』、
『善法』を、
『発生させ!』、
已に、
『生起した!』、
『善法』を、
『増長させる!』。
是れ等を、
『精進の相』と、
『称する!』。
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精進故能助成一切善法。譬如火得風助其然乃熾。又如世間勇健之人能越山渡海。道法精進乃至能得佛道何況餘事。眾生聞已皆立精進波羅蜜。 |
精進の故に、能く一切の善法を助成す。譬えば、火の風の助くるを得て、其の然乃ち熾(さかん)なるが如し。又、世間の勇健の人の、能く山を越え、海を渡るが如く、道法に精進して、乃ち能く仏道を得るに至る。何に況んや、余事をや。衆生は、聞き已りて、皆精進波羅蜜に立つ。 |
『精進する!』が故に、
譬えば、
『火』が、
『風の助力を得て!』、
『燃焼』が、
『熾(さかん)になるようなものである!』。
又、
『世間の勇健の人』が、
『山を越えて!』、
『海』を、
『渡るように!』、
『道法に精進して!』、
乃ち( barely )、
『仏道を得る!』に、
『至るようなものである!』。
況して、
『餘の事』は、
『言うまでもない!』。
『衆生』は、
是のように、
『聞いて!』、
皆、
『精進波羅蜜』に、
『立つのである!』。
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復次菩薩見有未發阿耨多羅三藐三菩提者。為讚歎阿耨多羅三藐三菩提法。於一切諸法中。最為第一極為尊貴。能饒益一切令得諸法實相不誑之法 |
復た次ぎに、菩薩は、未だ阿耨多羅三藐三菩提を発さざる者有るを見て、為に阿耨多羅三藐三菩提の法を讃歎すらく、『一切の諸法中に於いて、最も第一と為し、極めて尊貴と為し、能く一切を饒益して、諸法の実相の不誑の法を得しむ。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
未だ、
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発さない者が有る!』のを、
『見て!』、
是の、
『人の為に!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の法』を、
『讃歎して!』、
こう言う、――
『阿耨多羅三藐三菩提』は、
『一切の法』中に於いて、
『最も、第一であり!』、
『極めて!』、
『尊貴でありながら!』、
『一切の衆生を饒益して!』、
『諸法の実相という!』、
『虚誑でない法』を、
『得させる!』。
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饒益(にょうやく):梵語 paala, artha, hita, anu√(grah) 等の訳、報酬/利益/利得( rewards, benetits,
profit )、利益/報酬を与える( to bring benefit or reward )の義。 |
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有大慈悲。具一切智金色身相第一微妙三十二相八十隨形好無量光明無量戒定智慧解脫解脫知見三達無礙。於一切法無礙解脫。得如是者一切眾生中最為上尊。應受一切世間供養。 |
大慈悲有りて、一切智、金色身相、第一微妙なる三十二相、八十随形好、無量の光明、無量の戒、定、智慧、解脱、解脱知見、三達、一切法に無礙なる無礙解脱を具う。是の如きを得る者は、一切の衆生中に、最も上尊と為し、応に一切の世間の供養を受くべし。 |
『阿耨多羅三藐三菩提を得た!』者は、
『大慈悲が有り!』、
『一切智を具足し!』、
『金色の身相や!』、
『第一に微妙な三十二相、八十随形好や!』、
『無量の光明や!』、
『無量の戒、定、智慧、解脱、解脱知見や!』、
『三達( 宿命明、天眼明、漏尽明≒三明)や!』、
『一切法に無礙である無礙解脱を!』、
『具足するのであり!』、
是のような、
『大慈悲、智慧を得る!』者は、
『一切の衆生』中に、
『最も!』、
『上尊であり!』、
当然、
『一切の世間の供養』を、
『受けねばならない!』。
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若人但心念佛。尚得無量無盡福德。何況精進布施持戒供養承事禮拜者。語眾生言佛事如是。汝等當發無上道心。懃修精進行如法者得之不難。眾生聞是已。便發無上道心。 |
若し人、但だ心に仏を念ずれば、尚お無量、無尽の福徳を得。何に況んや、精進して布施、持戒、供養、承事、礼拝する者をや。衆生に語りて言わく、『仏事は、是の如し。汝等、当に無上道の心を発すべし。懃修し、精進して、如法に行ずれば、之を得ること難からず』、と。衆生、是れを聞き已りて、便ち無上道の心を発す。 |
若し、
『人』が、
但だ、
『心に、仏を念じるだけでも!』、
尚お、
『無量、無尽の福徳』を、
『得ることになる!』。
況して、
『精進して!』、
『布施、持戒、供養、承事、礼拝する!』者が、
『福徳を得る!』のは、
『言うまでもない!』。
『衆生に語って!』、こう言う、――
『仏事』とは、
是のような、
『事である!』。
お前達は、
当然、
『無上道の心』を、
『発さねばならぬ!』。
若し、
『懃修、精進して!』、
『如法』に、
『行えば!』、
是の、
『無量の福徳を得ること!』も、
『難しくはない!』、と。
『衆生』は、
是れを聞いて、
便ち( easily )、
『無上道の心』を、
『発すことになる!』。
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承事(じょうじ):梵語 pari√(car), apaciti の訳、義務として委任される( being entrusted with duties
)、奉仕/服従する/仕える( to serve, obey, minister )の義。 |
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若發心者不可但空爾。而得當行檀波羅蜜。行檀波羅蜜。次行尸羅波羅蜜羼提波羅蜜禪波羅蜜般若波羅蜜。行五波羅蜜。則是毘梨耶波羅蜜。 |
若し心を発せば、但だ空のみを得るべからず、当に檀波羅蜜を行ずべし。檀波羅蜜を行ずれば、次いで尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜を行じ、五波羅蜜を行ずれば、則ち是れ毘梨耶波羅蜜なり。 |
若し、
『心を発せば!』、
但だ、
『空を得るだけでなく!』、
『檀波羅蜜を行えば!』、
次いで、
『尸羅、羼提、禅、般若波羅蜜』を、
『行わねばならないが!』、
『五波羅蜜を行えば!』、
則ち、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『行ったことになるのである!』。
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爾(に):<形容詞>[本義]窓の花柄格子( figure, decorative pattern )。華麗な様子( luxuriant )、近い(
near )、浅近( shallow )。<代名詞>第二人称/汝( you )、彼れ/彼のような( that )、此れ/此のような( this
)。<助詞>形容詞・副詞を作る語尾/然、のみ/耳/而已、しかり/是( yes )。 |
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若不發大乘心者。當教辟支佛道。若無辟支佛道者。教行聲聞道。若無聲聞道者。教令離色受無色定寂滅安樂。若無無色定者。教令離欲受色界種種禪定樂。若無禪者。教令修十善道人天中受種種樂。莫自懈怠 |
若し大乗心を発さざれば、当に辟支仏道を教うべし。若し辟支仏道無くんば、声聞道を教えて行わしめ、若し声聞道無くんば、教えて色を離れ、無色定の寂滅、安楽を受けしめ、若し無色定無くんば、教えて欲を離れ、色界の種種の禅定の楽を受けしめ、若し禅無くんば、教えて十善道を修め、人、天中の種種の楽を受けしめて、自ら懈怠する莫れ。 |
若し、
『衆生』が、
『大乗の心を発さなければ!』、
『辟支仏の道』を、
『教えねばならない!』、
若し、
『辟支仏の道が無ければ!』、
教えて、
『声聞の道』を、
『行わせねばならない!』。
若し、
『声聞の道が無ければ!』、
教えて、
『色を離れさせて!』、
『無色定の寂滅や、安楽を!』を、
『受けさせ!』、
若し、
『無色定が無ければ!』、
教えて、
『欲を離れさせて!』、
『色界の種種の禅定の楽』を、
『受けさせ!』、
若し、
『禅が無ければ!』、
教えて、
『十善道を修めさせて!』、
『人、天中の種種の楽』を、
『受けさせて!』、
自ら、
『懈怠してはならない!』。
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空無所得。貧窮下賤種種懃苦甚為可患。懈怠法者最為弊惡。破壞今世後世利益善道。眾生聞已集諸善法懃行精進。 |
空、無所得なれど貧窮、下賎、種種の懃苦は、甚だ患うべしと為す。懈怠の法は、最も弊悪と為し、今世、後世の利益の善道を破壊す。衆生聞き已りて、諸の善法を集め、懃行し精進す。 |
『空、無所得』中に於いて、
『貧窮、下賎や、種種の懃苦』は、
『甚だ!』、
『厭患すべきであるが!』、
『懈怠の法』が、
『最も!』、
『弊悪である!』のは、
是れが、
『今世、後世の利益や、善道を!』、
『破壊するからである!』、と。
『衆生』は、
是れを、
『聞いて!』、
『諸の善法を集め!』、
『懃行して、精進するのである!』。
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立禪者。菩薩於眾生前。讚歎禪定清淨樂內樂自在樂離罪樂今世後世樂聖所受樂梵天王樂遍身受樂深厚妙樂。汝諸眾生何以著五欲不淨樂。與畜生同受諸罪垢樂而捨是妙樂。若汝能捨小樂則得大樂。汝不見田夫棄少種子後獲大果。 |
禅に立たしむとは、菩薩は、衆生の前に於いて、禅定の清浄の楽、内楽、自在の楽、罪を離るる楽、今世後世の楽、聖の受くる所の楽、梵天王の楽、遍身に受くる楽、深厚なる妙楽を讃歎すらく、『汝、諸の衆生は、何を以ってか、五欲の不浄の楽に著して、畜生と同じく諸の罪垢の楽を受けて、是の妙楽を捨つる。若し汝、能く小楽を捨てなば、則ち大楽を得ん。汝、田夫の少しの種子を棄てて、後に大果を獲るを見ずや。 |
『衆生を、禅に立たせる!』とは、
『菩薩』は、
『衆生の前』に於いて、
『禅定という!』、
『清浄の楽、内の楽、自在の楽、罪を離れた楽、今世と後世の楽』、
『聖人の受ける楽、梵天王の楽、遍身に受ける楽』等の、
『深、厚の妙楽』を、
『讃歎して!』、
こう言う、――
お前達!
『諸の衆生』は、
何故、
『五欲という!』、
『不浄の楽』に、
『著し!』、
『畜生と同じように!』、
『諸の罪垢の楽』を、
『受けて!』、
是の、
『妙楽』を、
『捨てるのか?』。
若し、
お前が、
お前は、
『田夫』が、
少しの、
『種子を棄てて!』、
後に、
『大果を獲る』のを、
『見たことがないのか?』。
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如人獻王少物而得大報。如少鉤餌而得大魚。所捨甚少而所獲大多。智者亦如是。能棄世間之樂。得甚深禪定快樂。既得此樂反觀欲樂甚為不淨。如從獄出如病疹得差更不求藥 |
人の、王に少物を献げて、大報を得るが如く、少しく餌を鉤して、大魚を得るが如く、捨つる所は甚だ少なるも、獲る所は大に多し。智者も亦た是の如く、能く世間の楽を棄てて、甚だ深き禅定の快楽を得、既に此の楽を得れば、反って欲楽を観れば、甚だ不浄と為し、獄より出づるが如く、病疹の差ゆるを得れば、更に薬を求めざるが如し。 |
譬えば、
『人』が、
『王に、少しの物を献げるだけで!』、
『大報』を、
『得るように!』、
『鉤に少しの餌をつけるだけで!』、
『大魚』を、
『得るように!』、
『捨てる!』所は、
『甚だ少ない!』のに、
『獲る!』所は、
『大いに多いのである!』。
『智者』は、
是のように、
『世間の楽を棄てることができ!』、
『甚だ深い、禅定の快楽』を、
『得るのであり!』、
既に、
此の、
『楽を得てしまえば!』、
反って、
『五欲の楽を観れば!』、
『甚だ!』、
『不浄である!』ので、
譬えば、
『獄より!』、
『出たかのように!』、
『思い!』、
『病、疹が差えて!』、
『更に、薬を求めることがないように!』、
『思うのである!』。
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復次禪定名實智初門。令智慧澄靜能照諸法。如燈在密室其明得用。若依禪定得四無量背捨勝處神通辯才等諸甚深功德悉皆具得。能令瓦石變成如意寶珠何況餘事。 |
復た次ぎに、禅定を実智の初門と名づくれば、智慧をして、澄静ならめ、能く諸法を照さしむ。灯の密室に在れば、其の明の用を得るが如く、若し禅定に依れば、四無量、背捨、勝処、神通、辯才等を得て、諸の甚だ深き功德を、悉く皆具に得て、能く瓦石をして、如意宝珠に変成せしむ。何に況んや、余事をや。 |
復た次ぎに、
『禅定』とは、
『実智の初門であり!』、
『智慧を澄静にして!』、
『諸法』を、
『照らすことができる!』。
譬えば、
『灯が密室に在れば!』、
其の、
『明』が、
『用を得る( be useful )ように!』、
若し、
『禅定に依れば!』、
『四無量、八背捨、八勝処、六神通、辯才等を得て!』、
『諸の甚だ深い功德』を、
『悉く、皆、具足して得ることができ!』、
『瓦石』を、
『如意宝珠』に、
『変成することができるのである!』。
況して、
『餘の事』は、
『言うまでもない!』。
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隨意所為無不能作。入地如水履水如地。手捉日月身不焦冷。化為種種禽獸之身。而不受其法。或時變身充滿虛空。或時身若微塵。或輕如鴻毛。或重若太山。或時以足指按地。天地大動如動草葉。如是等神通變化力皆從禪得。眾生聞是已。立於禪波羅蜜。 |
意の所為に随いて、作す能わざる無く、地に入ること水の如く、水を履むこと地の如く、手に日月を捉りて、身の焦げ、冷ゆるなく、化して種種の禽獣の身と為りて、而も其の法を受けず。或は時に身を変じて虚空に充満し、或は時に身を若しは微塵、或は軽きこと鴻毛の如く、或は重きこと太山の若(ごと)く、或は時に足指を以って、地を按せば、天地大動して、草葉を動かすが如し。是れ等の如き神通、変化の力は、皆禅より得。衆生は、是れを聞き已りて、禅波羅蜜に立つ。 |
『意の為すがままに!』、
『作すことのできないこと!』が、
『無い!』ので、
例えば、
『水に入るように!』、
『地』に、
『入ったり!』、
『地を履むように!』、
『水』を、
『履んだり!』、
『手で日月を捉えながら!』、
『身』は、
『焦げることも、冷えることもなく!』、
『種種の禽獣』の、
『身に変化しても!』、
其の、
『法( the habits )』を、
『受けることなく!』、
或は時に、
『身を変じて!』、
『虚空に!』、
『充満し!』、
或は時に、
『身』が、
『微塵( the dust )や、鴻毛( a goose feather )のように!』、
『軽くなり!』、
或は、
『太山のように!』、
『重くなり!』、
或は時に、
『足指で地を按すと( to press )!』、
『天、地』が、
『草、葉を動かすように!』、
『大いに動くことになる!』が、
是れ等のような、
『神通、変化の力』は、
『衆生』は、
是れを聞いて、
『禅波羅蜜』に、
『立つのである!』。
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微塵(みじん):梵語 rajas の訳、蒸気/霧の粒( the sphere of vapour or mist )、塵/花粉( the dust
or pollen of flowers )の義。 |
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立般若波羅蜜者。菩薩教諸眾生當學智慧。智慧者其明第一名為慧眼。若無慧眼雖有肉眼猶故是盲。雖云有眼與畜生無異。若有智慧自別好醜不隨他教。若無智慧隨人東西。如牛駱駝穿鼻隨人。 |
般若波羅蜜に立たしむとは、菩薩は諸の衆生を教うらく、『当に智慧を学ぶべし。智慧は、其の明第一なるを名づけて、慧眼と為す。若し慧眼無くんば、肉眼有りと雖も、猶お故に是れ盲なり。眼有りと云うと雖も、畜生と異無し。若し智慧有れば、自ら好醜を別ち、他の教に随わず。若し智慧無くんば、人に随いて東西すること、牛、駱駝の鼻を穿ちて、人に随うが如し。 |
『衆生を、般若波羅蜜に立たせる!』とは、
『菩薩』は、
『諸の衆生』を、こう教える、――
当然、
『智慧を学ぶべきである!』。
『智慧』は、
其の、
若し、
『慧眼が無ければ!』、
『肉眼』が、
『有ったとしても!』、
『慧眼が無い!』が故に、
是れは、
『盲なのであり!』、
『眼が有る!』とは、
『云いながら( saying )!』、
『畜生』と、
『異ならない!』。
若し、
『智慧が有れば!』、
自ら、
『好、醜を分別して!』、
『他人の教』に、
『随うことはない!』が、
若し、
『智慧が無ければ!』、
『他人』の、
『言うがままに!』、
『東奔西走することになり!』、
『牛や、駱駝が鼻を穿たれて!』、
『人』に、
『随うようなものである!』。
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一切有為法中智慧為上。聖所親愛能破有為法故。如經中說。於諸寶中智慧寶為最。一切利器中慧刀利為最。住智慧山頂無有憂患。觀諸苦惱眾生無不悉見。 |
一切の有為法中には、智慧を上と為す。聖に親愛せられ、能く有為法を破るが故なり。経中に説けるが如く、『諸宝中に於いて、智慧の宝を最と為し、一切の利器中には、慧の刀の利を最と為し、智慧の山頂に住すれば、憂患有ること無く、諸の苦悩の衆生を観て、悉くを見ざること無し。 |
『一切の有為法』中には、
『智慧を上位とする!』のは、
『聖人に親愛され!』、
『有為法』を、
『破ることができるからである!』。
『経』中には、こう説かれている、――
『諸の宝』中には、
『智慧という!』、
『宝』が、
『最であり( the best )!』、
『一切の利器』中には、
『智慧という!』、
『山頂に住すれば!』、
『憂、患する!』ことが、
『無い!』ので、
『智者』は、
『諸の苦悩の衆生を観て!』、
悉く、
『見ないということ!』が、
『無い!』、
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智慧刀能斷無始煩惱生死連鎖。智慧力故能具六波羅蜜。得不可思議無量佛道成一切智。何況聲聞辟支佛及世間勝事。是智慧增長清淨不可沮壞。名為波羅蜜。眾生聞已住般若波羅蜜。 |
智慧の刀は、能く無始の煩悩の生死の連鎖を断じ、智慧の力の故に、能く六波羅蜜を具え、不可思議、無量の仏道を得て、一切智を成ず。何に況んや、声聞、辟支仏、及び世間の勝事をや。是の智慧増長し、清浄にして沮壊すべからざるを、名づけて波羅蜜と為す。衆生は聞き已りて、般若波羅蜜に住す。 |
『智慧という!』、
『刀』は、
『無始よりの煩悩や、生死の連鎖』を、
『断じ!』、
『智慧という!』、
『力』の故に、
『六波羅蜜を具足することができ!』、
『不可思議、無量の仏道を得て!』、
『一切智』を、
『成就するのである!』。
況して、
『声聞、辟支仏や、世間の勝事』は、
『言うまでもない!』。
是の、
『智慧が増長する!』と、
『清浄になって!』、
『阻害したり!』、
『破壊されることがなくなる!』ので、
是れを、
『波羅蜜』と、
『称するのである!』。
『衆生』は、
是のように聞いて、
『般若波羅蜜』に、
『住するのである!』。
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復次菩薩或時不以口教。或現神足光明。令眾生住六波羅蜜。或現種種餘緣。乃至夢中為作因緣使其覺悟。令眾生住六波羅蜜。是故經言欲令眾生住六波羅蜜。當學般若波羅蜜 |
復た次ぎに、菩薩は或は時に口を以って教えずして、或は神足、光明を現して、衆生をして六波羅蜜に住せしめ、或は種種の餘の緣、乃至夢中に作さるる因縁を現して、其れをして覚悟せしめ、衆生をして六波羅蜜に住せしむ。是の故に経に言わく、『衆生をして、六波羅蜜に住せしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
或は時に、
『口で教えずに!』、
或は、
或は、
種種の、
『餘の因縁』を、
『現したり!』、
乃至、
『夢中に作られる!』、
『因縁』を、
『現して!』、
其の、
『衆生を覚寤させて!』、
『六波羅蜜』に、
『住させる!』。
是の故に、
『経』に、こう言うのである、――
『衆生を六波羅蜜に住させようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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