巻第三十(上)
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大智度論釋初品中善根供養義第四十六(卷第三十)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


諸仏を、意のままに供養する

【經】欲以諸善根供養諸佛恭敬尊重讚歎隨意成就者。當學般若波羅蜜。 諸の善根を以って、諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎を、随意に成就せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。
諸の、
『善根を用いて!』、
『諸仏を供養し!』、
『恭敬、尊重、讃歎すること!』を、
『意のままに!』、
『成就しようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
【論】菩薩既得不離諸佛當應供養。若得值佛而無供具甚為不悅。如須摩提菩薩。秦言妙意。見然燈佛無供養具。周旋求索見賣華女。以五百金錢買得五莖青蓮華以供養佛。又薩陀波崙菩薩。為供養師故。賣身血肉。如是等菩薩既得見佛。心欲供養若無供具其心有礙。 菩薩は、既に諸仏を離れざるを得れば、応当に供養すべし。若し仏に値うを得るも、而も供具無ければ、甚だ悦ばずと為す。須摩提菩薩(秦に妙意と言う)の如きは、然灯仏に見ゆるに、供養の具無く、周旋して、求索し、華を売る女を見、五百金銭を以って、五茎の青蓮華買うを得て、以って仏を供養せり。又薩陀波崙菩薩は、師を供養せんが為の故に、身の血肉を売れり。是れ等の如き菩薩は、既に仏に見ゆるを得るも、心に供養せんと欲し、若し供具無くんば、其の心に礙有り。
『菩薩』が、
既に、
『諸仏を離れずにいれば!』、
当然、
『供養せねばならない!』が、
若し、
『仏に値うことができても( be able to meet )!』、
『供養の具( an article of worship )が無ければ!』、
『甚だ!』、
『悦ばしくないことになる( to feel anxious )!』。
例えば、
『須摩提菩薩(妙意菩薩)など!』は、
『然灯仏を見たが!』、
『供養の具が無かった!』ので、
『周旋求索して( seeking around for )!』、
『華売り女を見て!』、
『五百金銭』で、
『五茎の青蓮華』を、
『買うことができ!』、
其れで、
『仏』を、
『供養したのであった!』し、
又、
『薩陀波崙菩薩』は、
『師を供養する!』為の故に、
自ら、
『身の血、肉』を、
『売ったのである!』が、
是れ等のような、
『菩薩』は、
既に、
『仏を見ることができても!』、
『心』が、
『供養すること!』を、
『欲するので!』、
若し、
『供養の具が無ければ!』、
其の、
『心』に、
『礙( an obstacle )』が、
『有ることになる!』。
  (い):[本義]母猴。作す/行う( do, act, make )、製作/創造する( make, compose )、治める( administer )、成る( become )、是れ( be )、学習/研究する( study )、植える( plant )、設置/建立する( establish )、させる[使役]( let )、考える/思う( think, believe, consider )、演奏する( play )、為に[受け身]( by )、於いて/在り( in )、~と( and )、則ち( then )、若し( if )、或は( or )、~の/之/的( of )、助ける/祐助( help )、言う/説く( tell, speak )、因る/由る( because, for, on account of )、為に/~に替わって/~に与える( for, for the benefit of )、~の為に/~の利益の為に( for, for the sake of )、対して/向って( facing to, toward )。
  不悦(ふえつ):梵語 utkaNTha の訳、首を長くする( having a neck uplifted )の義、切望する/不安/心配( longing for, anxiety )の意。
  須摩提(すまだい、sumati):訳して妙意、好意等という。西方極楽の別名なり。
  然灯仏(ねんとうぶつ):梵にdiipaJkaraに作り、音訳して提和竭羅、提洹竭に作り、また意訳して燃灯仏、普光仏、錠光仏と為し、過去世に於いて釈迦菩薩に成道の記別を授けし仏なり。『修行本起経巻1』によれば、提和衛国(梵diipavatii)に聖王有りて燃盛と名づく、王、命終に臨みし時、国を将って太子錠光に付託せるも、太子は世の無常を知りてまた国をその弟に授け、出家して沙門と為り、後に仏果を成ぜり。時に梵志儒童有り、錠光仏の遊化に値遇し花を買うて仏に供せるに、仏は儒童の為に来世の成道の記を授く、この儒童、即ち後に来る釈迦牟尼仏なり。<(佛)
  薩陀波崙(さっだはろん、sadaaprarudita):菩薩名、意訳して常啼、普慈、常悲等に作る。即ち『摩訶般若波羅蜜経巻27』に所出の菩薩にして、この菩薩、常に声を挙げ涙を流して泣くに由るが故にこの名有り。<(佛)
  参考:『大智度論巻35』:『又如須摩提菩薩。見燃燈佛從須羅娑女買五莖花不肯與之。即以五百金錢得五莖花女猶不與。而要之言。願我世世常為君妻當以相與。菩薩以供養佛故即便許之。』
  参考:『仏説般舟三昧経』:『佛告[颱-台+(犮-乂+又)]陀和。持是行法便得三昧。現在諸佛悉在前立。其有比丘比丘尼。優婆塞優婆夷。如法行持戒完具。獨一處止念西方阿彌陀佛今現在。隨所聞當念。去此千億萬佛剎。其國名須摩提。一心念之。一日一夜若七日七夜。過七日已後見之。譬如人夢中所見。不知晝夜亦不知內外。不用在冥中。有所蔽礙故不見。』
  参考:『大智度論巻96』:『問曰。何以名薩陀波崙。(薩陀秦言常波論名啼)為是父母與作名字。是因緣得名字。答曰。有人言。以其小時喜啼故名常啼。有人言。此菩薩行大悲心柔軟故。見眾生在惡世貧窮老病憂苦為之悲泣。是故眾人號為薩陀波崙。有人言。是菩薩求佛道故遠離人眾在空閑處求心遠離。一心思惟籌量勤求佛道時世無佛。是菩薩世世行慈悲心。以小因緣故生無佛世。是人悲心於眾生欲精進不失。是故在空閑林中。是人以先世福德因緣及今世一心。大欲大精進。以是二因緣故聞空中教聲不久便滅。即復心念。我云何不問。以是因緣故憂愁啼哭七日七夜。因是故天龍鬼神號曰常啼。』
譬如庶民遇見君長。不持禮貺則為不敬。是故諸菩薩求供養具供養諸佛。佛雖不須菩薩心得具足。 譬えば、庶民、遇ま君長を見るに、礼貺を持たざれば、則ち不敬と為すが如く、是の故に、諸菩薩は、供養の具を求めて、諸仏を供養すれば、仏須いたまわずと雖も、菩薩の心に具足を得るなり。
譬えば、
『庶民』が、
『君長に遇見して( to meet unexpectedly )!』、
『礼貺( an article of tribute )』を、
『持っていなければ!』、
『敬うことにならないように!』、
是の故に、
『諸菩薩』は、
『供養の具を求めて!』、
『諸仏』を、
『供養するのである!』が、
『仏が用いられなくても!』、
『菩薩の心』が、
『満足するからである!』。
  礼貺(らいきょう):贈物。
  遇見(ぐうけん):期せずして出会うこと。
  君長(くんちょう):君主( monarch )。
譬如農夫遇好良田。而無種子雖欲加功。無以肆力心大愁憂。菩薩亦如是。得遇諸佛而無供具。設有餘物不稱其意心便有礙。 譬えば農夫、好き良田に遇うも、種子無くんば、功を加えんと欲すと雖も、肆力を以(もち)うること無く、心大に愁憂するが如し。菩薩も亦た是の如く、諸仏に遇うを得れども、供具無ければ、設(も)し餘物有れども、其の意に称わず、心には便ち礙有り。
譬えば、
『農夫』が、
『良好な田に遇っても!』、
『種子が無ければ!』、
『功を加えよう( to work out )としても!』、
『肆力を用いることも無く( not to do one's best )!』、
『心』に、
『大いに愁憂するように!』、
『菩薩』も、
是のように、
『諸仏に遇うことができても!』、
『供養の具が無ければ!』、
設()し、
『餘の物が有っても!』、
其の、
『意に!』、
『称わない!』ので、
『心』には、
便ち( justly )、
『礙』が、
『有ることになる!』。
  肆力(しりき):全力を尽くすこと( do one's best )。
諸善根者。所謂善根果報華香瓔珞衣服幡蓋種種珍寶等。所以者何。或時以因說果。如言一月食千兩金。金不可食。因金得食故言食金。或時以果說因。如見好畫言是好手。手非是畫見畫妙故說言手好。善根果報亦如是。以善根業因緣故。得供養之具。名為善根。 諸の善根とは、謂わゆる善根の果報にして、華香、瓔珞、衣服、幡蓋、種種の珍宝等なり。所以は何んとなれば、或は時に、因を以って果を説けばなり。一月に千両の金を食うと言うが如し。金は食うべからざるも、金に因りて、食を得るが故に金を食うと言う。或は時に、果を以って因を説く。好き画を見て、是れ好き手なりと言うが如し。手は是れ画に非ざるも、画の妙なるを見るが故に、説いて手好しと言う。善根の果報も亦た是の如く、善根の業の因縁を以っての故に、供養の具を得れば、名づけて善根と為すなり。
『諸の善根』とは、
謂わゆる、
『善根の果報であり!』、
『華香、瓔珞、衣服、幡蓋、種種の珍宝等である!』。
何故ならば、
或は時に、
『因を用いて!』、
『果』を、
『説くことがある!』。
例えば、
『一月( by the month )』に、
『千両の金』を、
『食う!』と、
『言うようなものである!』。
『金は食うことができなくても!』、
『金に因って!』、
『食』を、
『得る!』ので、
是の故に、
『金を食う!』と、
『言うのである!』。
或は時に、
『果を用いて!』、
『因』を、
『説くことがある!』。
例えば、
『好い画を見て!』、
是れは、
『好い手である!』と、
『言うようなものである!』。
『手は画ではない!』が、
『画』が、
『妙である!』のを、
『見て!』、
『手が好い!』と、
『言って!』、
『説明するのである!』。
『善根の果報』も、
是のように、
『善根という!』、
『業の因縁』の故に、
『供養の具』を、
『得る!』ので、
是の、
『供養の具』を、
『善根』と、
『称するのである!』。
問曰。若爾者何不即說華香等而說其因。 問うて、若し爾らば、何んが即ち華香等を説かずして、其の因を説く。
問い、
若し、爾うならば、
何故、
即ち( immediately )、
『華香』等を、
『説かずに!』、
其の、
『因』を、
『説くのですか?』。
答曰。供養具有二種。一者財供養。二者法供養。若但說華香等供養。則不攝法供養。今說善根供養。當知則財法俱攝。 答えて曰く、供養の具には、二種有り。一には財の供養、二には法の供養なり。若し但だ華香等の供養を説かば、則ち法の供養を摂せず。今は、善根の供養を説けば、当に知るべし、則ち財、法を倶に摂するを。
答え、
『供養の具』には、
『二種有り!』、
一には、
『財の供養!』、
二には、
『法の供養である!』。
若し、
但だ、
『華、香等の供養だけ!』を、
『説けば!』、
則ち、
『法の供養』を、
『摂しない( not to be contained )ことになる!』が、
今は、
『善根という!』、
『供養』を、
『説いている!』ので、
当然、こう知らねばならない、――
則ち、
『財、法』を、
『倶に( both )、摂することになる!』、と。
供養者若見若聞諸佛功德。心敬尊重迎逆侍送。旋繞禮拜曲躬合手而住避坐安處。勸進飲食華香珍寶等。種種稱讚持戒禪定智慧諸功德。有所說法信受教誨。如是善身口意業是為供養。 供養とは、諸仏の功徳を若しは見、若しは聞きて、心に敬い、尊重し、迎逆し、侍送して、旋繞し、礼拝し、躬を曲げ、合手して住し、安処に坐するを避け、飲食、華香、珍宝等を勧進し、種種に、持戒、禅定、智慧の諸功徳を称讃し、所説の法有らば、教誨を信受し、是の如き善の身口意業、是れを供養と為す。
『供養』とは、
『諸仏の功徳』を、
『見たり、聞いたりした!』時、
『心に敬って、尊重し!』、
『迎逆、侍送したり!』、
『旋繞、礼拝、曲躬したり!』、
『合手して住し、安処に坐するのを避けたり!』、
『飲食、華香、珍宝等を勧進したり!』、
種種に、
『持戒、禅定、智慧の諸功徳を称讃して!』、
『法が説かれれば!』、
『教誨』を、
『信受するような!』、
是のような、
『善い!』、
『身、口、意の業』を、
『供養』と、
『称する!』。
  供養(くよう):贈物をする( to make offerings )、梵語 puujana の訳、尊敬する/尊敬( reverencing, honouring, worship, respect )の義、食物、飲料、衣服等を仏、比丘、教師、先祖等に提供すること( An offering of food, drink, clothing etc. to a buddha, monk, teacher, ancestor etc. )の意。
  迎逆(ぎょうぎゃく):出迎えること。
  侍送(じそう):侍従して見送る。
  旋繞(せんにょう):周囲を右に旋る礼法。囲遶、旋遶。右遶。一般には多く右遶三匝を指す。
  曲躬(ごくきゅう):腰を屈める( bow )。
  合手(がっしゅ):手を合わせる。
  (じゅう):壁の一面を背にして立つ。
  勧進(かんじん):梵語 saMcodayana の訳、しきりに勧める/煽り立てる( urging, exciting, inflaming, arousing )の義。
尊重者。知一切眾生中德無過上故言尊。敬畏之心過於父母師長君王利益重故故言重。 尊重とは、一切の衆生中に、徳の上に過ぐる無きを知るが故に、尊と言い、敬畏の心の父母、師長、君王に過ぐること、利益重きが故なるが故に、重と言う。
『尊重』とは、
『一切の衆生』中に、
『徳』が、
『上に過ぎる者が無い!』と、
『知る!』が故に、
是れを、
『尊』と、
『言い!』、
『敬畏の心』が、
『父母、師長、君王に過ぎる!』のは、
『利益』が、
『重いからである!』が故に、
是れを、
『重』と、
『言う!』。
恭敬者。謙遜畏難故言恭。推其智德故言敬。 恭敬とは、謙遜し、畏難するが故に、恭と言い、其の智徳を推すが故に敬と言う。
『恭敬』とは、
『謙遜し、畏敬する!』が故に、
『恭』と、
『言い!』、
其の、
『智、徳』を、
『推測する( to infer )!』が故に、
是れを、
『敬』と、
『言う!』。
  畏難(いなん):畏れて敬う。難は戁に通じ、敬の意なり。
  (すい):<動詞>[本義]手で押す( push forward )。尋ねる/尋求する( seek )、押し進める( shove )、強引に推す( force )、推薦/推挙する( recommend )、推測/推論する( infer )、計算/推定する( calculate )、尋問する( interrogate )、回避する( shirk )、樹立する( erect )、拒絶する( refuse )、辞退する( decline )、殺す( assassinate )、演繹/推論する( deduce )。
讚歎者。美其功德為讚。讚之不足又稱揚之故言歎。 讃歎とは、其の功徳を美(ほ)むるを讃と為し、之を讃じて足らざれば、又之を称揚するが故に歎と言う。
『讃歎』とは、
其の、
『功徳』を、
『讃美する( to praise )こと!』を、
『讃』と、
『言い!』、
之を、
『讃美して、不足ならば!』、
之を、
『称揚する!』が故に、
『歎』と、
『言う!』。
  (み):ほめる。たたえる。
隨意成就者。若須華供養如意即至。或求得或不求而得。有自然出者。或變化生乃至伎樂供養之具悉皆如是。 随意に成就すとは、若し華を須いて供養すれば、意の如く即ち至り、或は求めて得、或は求めずして得。自然に出づる者有り、或は変化して生じ、乃至伎楽まで供養の具は、悉く皆是の如し。
『意のままに、成就する!』とは、
若し、
『供養する!』のに、
『華が必要ならば!』、
『意のままに!』、
即ち( immediately )、
『至り( be appeared )!』、
或は、
『求めて( to strive for )!』、
『得!』、
或は、
『求めずに!』、
『得るのであり!』、
有るいは、
『自然に!』、
『出たり!』、
或は、
『変化して!』、
『生じるのである!』が、
乃至、
『伎楽まで!』、
『供養の具』は、
悉く、
皆、
『是の通りである!』。
  (ぐ):◯漢語 <動詞>請う/求める( ask, beg, request )、追求/尋求する( strive for, seek )、要求する( ask for, demand )、探検/探求する( explore )、責任を問う( blame )、選択する( select )、懇請する( solicit )、貪求する( be greedy for )。◯梵語 pary-anviS, pary-AiS の訳、探索する/探求する( to seek for, search after )の義、物色/探求する( To search for, to look for )、願望/念願/要求する( to wish for, pray for, ask for )、捜査する( to investigate )等の意。
問曰。菩薩遇得便以供養。何以隨意求索。 問うて曰く、菩薩、遇ま便を得て、以って供養せば、何を以ってか、随意に求索す
問い、
『菩薩』が、
偶然、
『便( an opportunity )を得て!』、
『供養する!』のに、
何故、
『意のままに!』、
『求索する( to ask for )のですか?』。
  便(べん):直接/即座に/躊躇なく/敏速に/容易に/気持ちよく( directly, Immediately, readily, promptly; easily, comfortably. )、機会/好機( an occasion, an opportunity )、◯梵語 avataara の訳、[特に天より神性を]降下すること/地上に神性を現すこと( descent (especially of a deity from heaven), appearance of any deity upon earth )の義、人を捉える機会[仏典]( opportunity of catching any one (Buddhist literature) )の意。◯梵語 avataara-prekSin の訳、機会を伺う/過失を見つける( watching opportunities, espying faults )の義。
  求索(ぐさく):要求する( ask for )、尋求する( seek )。
答曰。福德從心於所愛重。持用供養得福增多。如阿育王小兒時。以所重土持用奉佛。得閻浮提王。一日之中起八萬塔。若大人雖以多土投缽而無所得非所重故。有人偏貴重華。以其所貴持供養佛得福增多。乃至寶物亦如是。 答えて曰く、福徳は、心に従い、愛重する所に於いて、持用して供養すれば、福を得ること増々多し。阿育王の如きは、小児の時、重んずる所の土を以って、持用して仏に奉ぐるに、閻浮提の王を得て、一日の中に、八万の塔を起てたり。若し大人なれば、多くの土を以って、鉢に投ずと雖も、所得無く、重んずる所に非ざるが故なり。有る人は、偏に華を貴重するに、其の貴ぶ所を以って、持ちて仏に供養すれば、福を得ること増々多し。乃至宝物も亦た是の如し。
問い、
『福徳』は、
『心に従属する!』ので、
『愛重する!』所を、
『持用して!』、
『供養すれば!』、
『得られる!』、
『福』は、
『増々多いのである!』。
例えば、
『阿育王など!』は、
『小児の時』、
『重んじる!』、
『土を持って!』、
『仏』に、
『奉げた!』ので、
『閻浮提』の、
『王となることができ!』、
『一日の中』に、
『八万の塔』を、
『起てたのである!』が、
若し、
『大人』が、
『多くの土』を、
『鉢に投げ入れても!』、
『得る!』所が、
『無い!』のは、
『重んじる!』所を、
『鉢』に、
『入れたのではないからである!』。
有る、
『人』は、
偏に、
『華』を、
『貴重していた!』が、
其の、
『貴ぶ!』所を、
『仏』に、
『供養した!』ので、
『得た!』が、
『福』が、
『増々多いのである!』。
乃至、
『宝物まで!』、
『是の通りである!』。
  持用(じゆう):持参して使用する( to bring out to use )、梵語 niryaata? の訳、運び出す( to export )の義。
  阿育王(あいくおう):梵にazokaに作り、また阿輸迦、阿輸伽、阿恕伽、阿戍笴、阿儵に作り、意訳して無憂王と為し、また有るは愛喜見王(梵devaanaJpriya priyadrazi)とこれを称す。中印度摩竭陀国孔雀王朝の第三世なり。西暦前三世紀印度を統一し、仏教を保護せる最有力なる統治者と為る。その祖父は即ち孔雀王朝の開祖旃陀羅笈多(梵candragupta)にして、その父を賓頭沙羅王(梵bindusaara)と為し、その母を瞻婆城の一婆羅門女阿育薇達那(梵azokaavadaana)と為す。王は幼時に甚だ狂暴にしてその父王の寵愛を得ず、德叉尸羅(梵takSaziila)叛変に値えるに、父王は彼をして前に往かしめて征討し、その戦死せんことを望めるも、然るに阿育は反ってよく叛乱を平定して威権を大いに振い、遂に父王の崩ぜし後に於いて、その兄弟を殺して王位に登上せり。或いは云わく、阿育は九十九位の兄弟を殺して死せしめ、王位に登上せし後もなお狂暴を極めて大臣及び婦女を殺戮し、並びに牢獄を造りて無辜の百姓を残害せり。これに因り旃陀(暴悪)阿育王(梵caNDaazoka)と称さる。<(佛)
復次隨時所宜。若寒時應以薪火上衣溫室被褥及以飲食。熱時應以冰水扇蓋涼室。生薄之服上妙之食。風雨之時就送供具。如是等隨時供養。又隨土地所宜。隨受者所須。皆持供養。 復た次ぎに、時の宜しき所に随い、若し寒時なれば、応に薪火、上衣、温室、被辱を以って、及び飲食を以ってすべく、熱時には応に氷水、扇蓋、涼室、生薄の服、上妙の食を以って、風雨の時には、供具を就送し、是れ等の如く時に随いて供養し、又土地の宜しき所に随い、受者の須うる所に随い、皆持ちて供養す。
復た次ぎに、
『時の宜しき所に随い( as the circumstances of time )!』、
若し、
『寒時ならば!』、
『薪火、上衣、温室、被辱や、飲食』を、
『供養し!』、
『熱時には!』、
『氷水、扇蓋、涼室、生薄の服、上妙の食』を、
『供養し!』、
『風雨の時には!』、
『供養の具』を、
『発送し!』、
是のように、
『時』の、
『宜しき所に随って!』、
『供養するのであり!』、
又、
『土地の宜しき所に随い( as the circumstances of place )!』、
『受者の須うる所に随い( as the need of the recipient )!』、
皆、
『持参して!』、
『供養する!』。
  所宜(しょぎ):宜しき所。都合( circumstances )。
  上衣(じょうえ):上着。
  被褥(ひにく):寝具。
  生薄(しょうはく):薄い生地。
  就送(じゅそう):送る任務に就く( take upon oneself to send )。発送する( send out )。
  (じゅ):<動詞>[本義]髙処に至る( move to highland )。接近する( come close to, move towards )、帰する/帰属して、忠誠を誓う( belong to, come over and pledge allegiance )、就任する( assume the office of )、同行する( go with )、完成する( accomplish )、終わる( end )、順応する( accommodate oneself to, suit, fit, yield )、被る/~される( ~ed by )、登る/開始する( ascend, start )。<副詞>早くも( as early as )、するやいなや( as soon as )、僅かに( only )。<前置詞>に於いて/~に在りて( in, at, on )、従り( from )。
復次隨意供養者。有菩薩知佛無所須。又知諸物虛誑如幻一相所謂無相。為教化眾生故。隨眾生國土所重引導故供養。 復た次ぎに、随意に供養すとは、有る菩薩は、仏には須うる所無きを知り、又諸物は虚誑なること幻の如く、一相にして謂わゆる無相なるを知るも、衆生を教化せんが為の故に、衆生国土の重んずる所に随いて、引導するが故に供養す。
復た次ぎに、
『意のままに、供養する!』とは、――
有る、
『菩薩』は、
『仏』には、
『必要な物が無い!』と、
『知りながら!』、
又、
『諸物は虚誑であり、幻のように!』、
『一相、謂わゆる無相である!』と、
『知りながら!』、
『衆生を教化する!』為の故に、
『衆生の国土で重んじられている!』、
『物』に、
『随って!』、
『衆生』を、
『引導する!』為の故に、
『供養するのである!』。
  国土(こくど):梵語 kSetra の訳、土地( land )の義。
復有菩薩得甚深禪定。生菩薩神通。以神通力故。飛到十方佛前。或於佛國若須遍雨天華。即滿三千世界持供養佛。或雨天栴檀。或雨真珠光明鮮發。或雨七寶。或雨如意珠大如須彌。或雨妓樂音聲清妙。或以身如須彌。以為燈炷供養諸佛。如是等名為財供養。 復た有る菩薩は、甚だ深き禅定を得て、菩薩の神通を生じ、神通力を以っての故に、十方の仏前に飛到し、或は仏国に於いて、若しは遍く天華を雨ふらすを須うれば、即ち三千世界を満てて、持ちて仏を供養し、或は天の栴檀を雨ふらし、或は真珠の光明鮮やかに発するを雨ふらし、或は七宝を雨ふらし、或は如意珠の大なること、須弥の如きを雨ふらし、或は妓楽、音声の清妙なるを雨ふらし、或は身の須弥の如きを以って、以って灯炷と為して、諸仏を供養す。是れ等の如きを、名づけて財の供養と為す。
復た、
有る、
『菩薩』は、
『甚だ深い禅定を得て!』、
『菩薩の神通を生じ!』、
『神通力を用いる!』が故に、
『十方に飛んで!』、
『仏前に!』、
『到り!』、
或は、
『仏の国土』に於いて、
若し、必要ならば、――
遍く、
『天華を雨ふらして!』、
『三千世界を満たして!』、
『仏』を、
『供養し!』、
或は、
『天の栴檀や、光明の鮮やかに発する真珠や!』、
『七宝や、須弥山ぐらい大きな如意珠』を、
『雨ふらし!』、
或は、
『清浄な妓楽や、音声』を、
『雨ふらして!』、
『仏』を、
『供養し!』、
或は、
『須弥山のような!』、
『身を灯炷として!』、
『諸仏』を、
『供養する!』。
是れ等のような、
『供養』を、
『財の供養』と、
『称する!』。
  灯炷(とうちゅ):灯芯。蝋燭。
又菩薩行六波羅蜜。以法供養諸佛。或有菩薩。行一地法供養諸佛。乃至十地行法供養。或時菩薩得無生法忍。自除煩惱及眾生煩惱。是法供養。或時菩薩住於十地。以神力故令地獄火滅。於餓鬼道皆得飽滿。令畜生得離恐怖。令生人天漸住阿惟越致地。如是等大功德力故。名為法供養以是故說欲得善根成就當學般若波羅蜜 又、菩薩は、六波羅蜜を行じ、法を以って諸仏を供養す。或は有る菩薩は、一地の法を行じて、諸仏を供養し、乃至十地の法を行じて、供養し、或は時に、菩薩は、無生法忍を得て、自らの煩悩、及び衆生の煩悩を除き、是の法を供養す。或は時に、菩薩は十地に住して、神力を以っての故に、地獄の火をして滅せしめ、餓鬼道に於いて、皆飽満を得しめ、畜生をして、恐怖を離るるを得しめ、人天に生ぜしめて、漸く阿惟越致の地に住せしむ。是れ等の如く大功徳の力の故に、名づけて法の供養と為し、是を以っての故に説かく、『善根の成就を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と。
又、
『菩薩』は、
『六波羅蜜を行うという!』、
『法を用いて!』、
『諸仏』を、
『供養するので!』、
或は有る、
『菩薩』は、
『一地の法を行って!』、
『諸仏』を、
『供養し!』、
乃至、
『十地の法を行って!』、
『諸仏』を、
『供養する!』し、
或は時に、
『菩薩』は、
『無生法忍を得て!』、
『自らの煩悩と、衆生の煩悩を除くという!』、
『法を用いて!』、
『供養し!』、
或は時に、
『菩薩』は、
『十地に住して!』、
『神力を用いる!』が故に、
『地獄』に於いては、
『火』を、
『滅しさせ!』、
『餓鬼道』に於いて、
皆に、
『飽満させ!』、
『畜生』に於いて、
『恐怖』を、
『離れさせて!』、
『人、天に生じさせ!』、
漸く( gradually )、
『阿惟越致』に、
『住させる!』。
是れ等のような、
『供養』を、
『大功徳の力』の故に、
『法の供養』と、
『称する!』。
是の故に、こう説かれている、――
『善根を成就させようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
  阿惟越致(あゆいおっち):また阿鞞跋致、阿毘跋致等に作り、梵にavinivartaniiya、avairartika、avivartika等に作り、意訳して不退、不退転、無退等に為す。また悪趣、二乗の地に堕ちざるを指し、初地以上の菩薩をいう。<(望)



衆生の飲食、衣服等を満たす

【經】欲滿一切眾生所願衣服飲食臥具塗香車乘房舍床榻燈燭等。當學般若波羅蜜 一切の衆生の所願の衣服、飲食、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭等を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。
一切の、
『衆生の所願』の、
『衣服、飲食、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭等を!』、
『満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
【論】問曰。有何次第。欲滿一切眾生願。 問うて曰く、何の次第有りてか、一切の衆生の願を満てんと欲する。
問い、
何のような、
『次第が有って!』、
一切の、
『衆生の所願を!』、
『満たそうとするのですか?』。
答曰。菩薩業有二種。一為供養諸佛。二為度脫眾生。以供養諸佛。得無量福德。持是福德利益眾生。所謂滿眾生願。如賈客主入海採寶安隱得出利益所親及知識等。菩薩如是入諸佛法海。得無量功德之寶利益眾生。 答えて曰く、菩薩の業には二種有り、一には諸仏を供養せんが為、二には衆生を度脱せんが為なり。諸仏を供養するを以って、無量の福徳を得、是の福徳を持して、衆生を利益す。謂わゆる衆生の願を満つるなり。賈客主の海に入りて、宝を採り、安隠に出づるを得て、親しむ所、及び知識等を利益するが如し。菩薩も、是の如く諸仏の法海に入りて、無量の功徳の宝を得て、衆生を利益す。
答え、
『菩薩の業』には、
『二種有り!』、
一には、
『諸仏』を、
『供養する為であり!』、
二には、
『衆生』を、
『度脱する為である!』。
『菩薩』は、
『諸仏を供養して!』、
『無量の福徳を得!』、
是の、
『福徳を維持して( to keep up )!』、
『衆生』を、
『利益する!』、
謂わゆる、
『衆生の願』を、
『満たすのである!』。
譬えば、
『賈客主』が、
『海に入って!』、
『宝』を、
『採取し!』、
『海を安隠に出て!』、
『親戚( relatives )や、知識( friends )』を、
『利益するように!』、
『菩薩』は、
是のように、
『諸仏の法という!』、
『海』に、
『入り!』、
『無量の功徳という!』、
『宝』を、
『得て!』、
是の、
『功徳を用いて!』、
『衆生』を、
『利益するのである!』。
  所親(しょしん):梵語 bandhu の訳、関係/関連/縁故( connection, relation, association )の義、血族/親戚/血縁の者( a kinsman, relative, kindred )の意、又六親に作る。
如小王供養大王能令歡喜。與其所願職位財帛。還其本國利益人物除卻怨賊。菩薩供養諸佛法王故得受記別。以無量善根珍寶得無盡智力。來入眾生善人供養貧者。隨其所須而給與之。魔民邪見外道之屬悉皆破壞。是為供養諸佛。次滿眾生所願。 小王の大王を供養して、能く歓喜せしむれば、其の所願の職位、財帛を与えしめ、其の本国に還りて、人、物を利益し、怨賊を除却するが如く、菩薩は、諸仏の法王を供養するが故に、記別を受くるを得て、無量の善根の珍宝を以って、無尽の智力を得、来たりて衆生の善人に入り、貧者を供養して、其の須むる所に随いて、之を給与すれば、魔民、邪見の外道の属は、悉く皆破壊す。是れを諸仏を供養すと為し、次いで衆生の所願を満つ。
譬えば、
『小王』が、
『大王を供養して、歓喜させる!』が故に、
其の、
『所願の職位、財帛』を、
『与えさせることができ!』、
『本国に還って!』、
『人( human )や、物( non-human )を利益して!』、
『怨賊』を、
『除却するように!』、
『菩薩』は、
『諸仏という!』、
『法の王を供養する!』が故に、
『記別』を、
『受けることができ!』、
『無量の善根という!』、
『珍宝を用いて!』、
『無尽の智力』を、
『得たならば!』、
『衆生界に来て!』、
『善人に入り!』、
『貧者』を、
『供養して!』、
其の、
『必要とする所に随って!』、
之に、
『給与する!』ので、
『魔民や、邪見の外道の属』は、
悉く、
皆、
『破壊することになる!』。
是れが、
『諸仏の供養であり!』、
次いで、
『衆生の所願』を、
『満たすのである!』。
  財帛(ざいはく):貨財と布帛、金銭と織物。財産。
問曰。菩薩實能滿一切眾生願不。若悉滿眾生願。餘佛菩薩何所利益。若不悉滿是中。何故說欲滿一切眾生願當學般若波羅蜜。 問うて曰く、菩薩は、実に能く、一切の衆生の願を満つや、不や。若し悉く、衆生の願を満てば、餘の仏、菩薩は、何の利益する所ぞ。若し悉くを満てずんば、是の中には、何の故にか、『一切の衆生の願を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と説く。
問い、
『菩薩』は、
実に、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことができるのですか?』。
若し、
悉く、
『衆生の願』を、
『満たしてしまえば!』、
何が、
『餘の仏、菩薩』に、
『利益されるのですか?』。
若し、
『悉くを、満たさなければ!』、
何故、
是の中に、こう説くのですか?――
『一切の衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
答曰。有二種願。一者可得願。二者不可得願。不可得願者。有人欲籌量虛空盡其邊際。及求時方邊際。如小兒求水中月鏡中像。如是等願皆不可得。可得願者。鑽木求火穿地得水。修福得人天中生。及得阿羅漢辟支佛果。乃至得諸佛法王。如是等名皆可得願。 答えて曰く、二種の願有り、一には可得の願、二には不可得の願なり。不可得の願とは、有る人は、虚空を籌量し、其の辺際を尽くし、及び時、方の辺際を求めんと欲するも、小児の水中の月、鏡中の像を求むるが如し。是れ等の如き願は、皆不可得なり。可得の願とは、木を鑽(き)りて火を求め、地を穿ちて水を得、福を修めて、人天中に生ずるを得、及び阿羅漢、辟支仏の果を得、乃至諸仏の法王を得ること、是れ等の如き、皆可得の願と名づく。
答え、
『願』には、
『二種有り!』、
一には、
『可得( obtainable )の願であり!』、
二には、
『不可得( unobtainable )の願である!』。
『不可得の願』とは、
有る人は、
『虚空を籌量して!』、
其の、
『辺際』を、
『尽くしたり!』、
及び、
『時、方の辺際』を、
『求めようとする!』が、
譬えば、
『小児』が、
『水中の月や、鏡中の像』を、
『求めるようなものであり!』、
是れ等の、
『願』は、
皆、
『不可得なのである!』。
『可得の願』とは、
『木を鑽って( be drilling )!』、
『火』を、
『求めようとしたり!』、
『地を穿って( to bore
『水』を、
『得ようとしたり!』、
『福を修めて!』、
『人、天』中に、
『生まれようとしたり!』、
及び、
『阿羅漢、辟支仏の果』を、
『得ようとしたり!』、
乃至、
『諸仏という!』、
『法王と成ろうとする!』、
是れ等のような、
『願』を、
皆、
『可得の願』と、
『称する!』。
  籌量(ちゅうりょう):推し量る。
  (ほう):地方、大地。
  鑽木(さんもく):木をきりもみして火を得ること。
可得願有二種。一謂世間二謂出世間。是中世間願故。滿眾生願。云何得知。以飲食床臥具乃至燈燭所須之物皆給與之。 可得の願に二種有り、一を世間と謂い、二を出世間と謂う。是の中は世間の願の故に、衆生の願を満つ。云何が知るを得る。飲食、床、臥具、乃至灯燭なる所須の物を以って、皆之を給与すればなり。
『可得の願』には、
『二種有り!』、
一を、
『世間と謂い!』、
二を、
『出世間と謂う!』が、
是の中は、
『世間の願である!』が故に、
『衆生の願』が、
『満たすことができるのである!』。
何故、知ることができるのか?――
『飲食、床褥、臥具、乃至灯燭等の所須の物』を、
皆、
『給与するからである!』。
問曰。菩薩何以故與眾生易得願。不與難者。 問うて曰く、菩薩は何を以っての故にか、衆生に得易き願を与えて、難き者を与えざる。
問い、
『菩薩』は、
何故、
『衆生に!』、
『得易い!』、
『願』を、
『与えて!』、
『得難い!』、
『願』を、
『与えないのですか?』。
答曰。願有下中上。下願令致今世樂因緣。中願與後世樂因緣。上願與涅槃因緣。是故先與下願。次及中願然後上願。 答えて曰く、願に下、中、上有り。下の願は、今世の楽を致(いた)らしむる因縁、中の願は、後世の楽を与うる因縁、上の願は、涅槃を与うる因縁なれば、是の故に先に下の願を与え、次いで中の願に及び、然る後に上の願なり。
答え、
『願』には、
『下、中、上が有り!』、
『下の願』は、
『今世の楽』を、
『致す( to bring about )!』、
『因縁であり!』、
『中の願』は、
『後世の楽』を、
『与える!』、
『因縁であり!』、
『上の願』は、
『涅槃』を、
『与える!』、
『因縁である!』。
是の故に、
先に、
『下の願を与え!』、
次いで、
『中の願に及び!』、
その後が、
『上の願である!』。
  (ち):<動詞>[本義]手渡す/差し出す/送る( deliver, extend, send )。招く/招致する/結果を齎す( incur, result in, cause )、造る/齎す/引き起こす( create, bring about, cause )、獲得/取得する( gain, get )、言い表す/述べる( express )、献げる/奉献する( sacrifice )、報告する/伝達する/報いる( pass on, repay, requite )、施行/実行する( carry out )、還る/帰還する( return )、放置する( place, put )、力を尽くす( devote oneself, make efforts to )、到る/到達する( arrive, reach )。<副詞>至って/極めて( very )。
復次眾生多著今樂少求後樂。涅槃樂者轉復少也。若說多者少亦攝之。 復た次ぎに、衆生は多く、今の楽に著し、少し、後の楽を求め、涅槃の楽は、転た復た少なれば、若し多くの者に説けば、少も亦た之を摂するなり。
復た次ぎに、
『衆生』には、
『今世の楽』に、
『著する!』者が、
『多く!』、
『後世の楽』を、
『求める!』者は、
『少ない!』が、
『涅槃の楽』は、
『転た復た( more and more )!』、
『少ない!』ので、
若し、
『多くの者に説けば!』、
亦た、
『少ない!』者をも、
『摂する( to grasp )からである!』。
復次此經前後。多說後世涅槃道。少說今世利事。菩薩法者。常與眾生種種利益不應有捨。所以者何。初心但欲令諸眾生行大乘法。以不堪受化。次與聲聞辟支佛道。若復不能當與十善四梵行等令修福德。若眾生都不樂者。如是眾生不應遺捨。當與今世利益。所謂飲食等也。 復た次ぎに、此の経は、前後に多く、後世の涅槃の道を説き、少し、今世の利事を説くも、菩薩の法は常に衆生に、種種の利益を与うれば、応に捨つること有るべからず。所以は何んとなれば、初心は、但だ諸の衆生をして、大乗の法を行ぜしめんと欲するも、化を受くるに堪えざるを以って、次いで声聞、辟支仏の道を与え、若し復た能わざれば、当に十善、四梵行等を与えて、福徳を修せしむべし。若し衆生、都(みな)楽しまざれば、是の如き衆生を、応に遺捨すべからずして、当に今世の利益を与うべし、謂わゆる飲食等なり。
復た次ぎに、
此の、
『経』は、
前から後まで、
『後世の涅槃の道』を、
『説くこと!』が、
『多く!』、
『今世の利事』を、
『説くこと!』は、
『少ない!』が、
『菩薩の法』では、
常に、
『衆生』に、
『種種の利益』を、
『与えて!』、
『衆生』を、
『捨てるようなこと!』は、
『有るはずがないからである!』。
何故ならば、
『菩薩』は、
『初心』に於いては、
但だ、
『諸の衆生』に、
『大乗の法』を、
『行わせようとするだけである!』が、
『衆生』が、
『化を受けること!』に、
『堪えられない!』ので、
次に、
『声聞や、辟支仏に至る!』、
『道』を、
『与えた!』が、
若し、
復た、
『道を行うこと!』に、
『堪えることができなければ!』、
当然、
『十善や、四梵行(慈、悲、喜、捨無量)を与えて!』、
『福徳』を、
『修めさせなくてはならない!』。
若し、
『衆生』が、
都て( any )、
『道』を、
『楽しまなくても!』、
是のような、
『衆生』を、
『遺捨してはならず( should not forsake )!』、
当然、
『今世の利益』を、
『与えねばならない!』。
謂わゆる、
『飲食等である!』。
  四梵行(しぼんぎょう):また四梵堂、四梵処、四梵住に作り、即ち慈悲喜捨の四無量心なり。よくこの四無量心を修むれば即ち大梵天に生ずとの外道の唱うる所に係わる。
復次凡夫雖能與人飲食等。滿彼願者皆有因緣。若今世事若後世事。聲聞辟支佛。雖無因緣滿眾生願而所益甚少。菩薩摩訶薩。行檀波羅蜜業因緣故。得為國王或為大長者財富無量。四方眾生若來求者盡滿足之。 復た次ぎに、凡夫は、能く人に飲食等を与うと雖も、彼の願を満たす者には、皆、因縁の、若しは今世の事、若しは後世の事有り。声聞、辟支仏は、因縁無しと雖も、衆生の願を満たすも、益する所は、甚だ少なし。菩薩摩訶薩は、檀波羅蜜を行ずる業の因縁の故に、国王と為り、或は大長者と為るを得て、財富無量なれば、四方の衆生、若し来たりて求むれば、尽く之を満足す。
復た次ぎに、
『凡夫』は、
『人』に、
『飲食等を!』、
『与えることができても!』、
彼の、
『人の願を満たす!』者には、
皆、
『今世や、後世の因縁』が、
『有る!』。
『声聞、辟支仏』は、
『因縁が無くても!』、
『衆生の願を満たす!』が、
『益する物』が、
『甚だ少ない!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『檀波羅蜜を行う!』、
『業の因縁』の故に、
『国王や、大長者』と、
『為ることができ!』、
『財富が無量である!』が故に、
『四方の衆生が来て求めれば!』、
『尽くを!』、
『満足させることができる!』。
如頻頭居士為大檀越。坐七寶大床金剛為腳敷以天褥。以赤真珠上為帳幔。左右立侍各八萬四千。皆莊嚴琦妙開四大門。恣所求者晝夜六時鳴鼓又放光明。十方無量眾生。有聞鼓聲光明觸身者無不悉來。 頻頭居士の如きは、大檀越為りて、七宝の大床の金剛を脚と為し、敷くに天辱を以ってし、赤真珠を以って、上より帳幔と為すに坐し、左右に立ちて侍る八万四千は、皆、荘厳すること奇妙にして、四大門を開き、求むる所の者を恣(ほしいまま)にて、昼夜、六時に鼓を鳴らして、又光明を放つ。十方の無量の衆生は、鼓声を聞き、光明身に触るる者有らば、悉く来たらざる無し。
例えば、
『頻頭居士など!』は、
『大檀越であった!』が、
『金剛を脚とし!』、
『天辱を敷き!』、
『赤真珠の帳幔を上より垂した!』、
『七宝の大床』に、
『坐し!』、
『左右には!』、
各、
『奇妙に荘厳した!』、
『八万四千の侍者』を、
『立たせ!』、
『四大門を開いて!』、
『求める!』者を、
『恣に( allow )!』、
『来させ!』、
『昼、夜六時に!』、
『鼓を鳴らして!』、
『光明を放った!』ので、
『十方の無量の衆生』が、
有るいは、
『鼓声を聞いて!』、
『光明』が、
『身に触れる!』と、
悉く、
『来ないこと!』が、
『無かった!』。
  天褥(てんにく):天の褥。
  琦妙(きみょう):奇妙、珍奇。
  頻頭居士(びんづこじ):不明。或いは頻頭娑羅王/頻婆娑羅王?
  頻婆娑羅(びんばしゃら):王名、梵名にbimbisaaraといい、また頻婆娑羅王、頻頭娑羅王、頻浮婆王、民弥沙囉王、瓶沙王、萍沙王、缾沙王等に作り、意訳して影勝王、影堅王、顔貌端正王、光沢第一王、好顔色王、諦実王、形牢王と為す。即ち釈尊と同時代の摩竭陀国王にして、西蘇納加王朝(梵zaizunaaga)の第五世なり。その皇后を韋提希夫人(vedehii)と為し、一太子を生ず、即ち阿闍世王(ajaatazatru)なり。頻婆娑羅王と夫人と均しく釈尊に帰依し、深く仏法を信ず。釈尊の道を証せし前に在りて、王かつて祈請すらく、釈尊、道を得し後に於いて先ず王舎城に至りてその供養を受けんことをと。釈尊これを黙許し、後に釈尊仏果を証得せしに、即ち先に王舎城に至りて法を説き、王もまた迦蘭陀に於いて竹林精舎を建て、仏弟子の止住に供して僧伽に供養し、仏教を護持して最初の外護者と為る。晩年には並べて宮殿内の塔寺に於いて釈尊の髪と爪を安置してこれを礼拝せしも、後に太子の阿闍世王、王位を簒奪せるを以って獄中に卒せり。<(望)
  (し):<動詞>[本義]放縦/拘束を振り捨てる/自ら甘やかす( throw off restraint, indulge oneself )。任す( allow, let )、代える/更迭する( change )。<副詞>奔放に/気ままに( wantonly, to one's heart's content )。
欲得種種飲食者。長者見其大集。即時默然仰視虛空。於時空中雨種種百味之食隨意皆得。若眾生不自取者。左右給使分布與之。足滿乃止。須飲食衣被臥具寶物等。皆亦如是。恣眾生所欲已然後說法。令離四食皆住阿鞞跋致地。如是等菩薩神通力故。能滿眾生願。 種種の飲食を得んと欲する者には、長者、其の大集を見て、即時に黙然として、虚空を仰視すれば、時に於いて、空中より種種の百味の食を雨ふらし、随意に皆得。若し衆生、自ら取らざれば、左右給使して、分布して、之を与え、足満して乃ち止む。飲食、衣服、臥具、宝物等を須むれば、皆、亦た是の如く、衆生の所欲を恣にし已りて、然る後に法を説き、四食を離れしめて、皆阿鞞跋致の地に住せしむ。是れ等の如く菩薩は、神通力の故に、能く衆生の願を満つ。
『種種の飲食を得ようとする!』者には、
『長者』は、
其の、
『大集を見て!』、
即時に、
『黙然とし!』、
『虚空』を、
『仰視すれば!』、
その時、
『空』中より、
『種種の百味の食』が、
『雨のように降るので!』、
『意のままに!』、
皆、
『得ることになる!』が、
若し、
『衆生』が、
『自ら、取らなければ!』、
『左右の侍者が給使して( standing near )!』、
『分布して!』、
『与え!』、
『満足して!』、
乃ち( only just )、
『止めるのである!』。
『必要な!』、
『飲食、衣服、臥具、宝物等も!』、
皆、
『是の通りである!』。
『衆生』の、
『欲する!』所を、
『恣に!』、
『与え已る!』と、
その後、
『法を説いて!』、
『四食(段食、触食、思食、識食)を離れさせ!』、
皆、
『阿鞞跋致の地』に、
『住させるのであり!』、
是れ等のようにして、
『菩薩』は、
『神通力』の故に、
『衆生の願』を、
『満たすことができるのである!』。
  給使(きゅうし):梵語 upasthaana の訳、侍する/給仕すること( standing near )の義。
  四食(しじき):梵語catraara aahaaraaH或いはaahaara-catuSkaに作り、衆生の生命を長養する段、触、思、識等の四種の食物を指す。『雑阿毘曇心論巻10』、『成唯識論巻4』、『集異門足論巻8』等によれば、即ち(一)段食(梵kavaDijkaaraaahaaara、kavlii-kaaraahaara):欲界の香、味、触の三塵を以って体と為し、分段して飲噉し、口、鼻を以って分分にこれを受く。段食はまた粗(梵odaarika)、細(suukSma)の二種に分かち、前者は普通の食物中の飯、麺、魚、肉等の如く、後者は酥、油、香気及び諸の飲料等の如し。(二)触食(sparzaakaaraahaara):また細滑食、楽食に作り、触の心所を以って体と為し、所触の境に対して喜楽の愛を生起して身を長養すれば、これを有漏の根、境、識和合の所生と為す。例としては、戯劇を観ること終日して食わざるに、また饑えを感ぜざるが如し。また孔雀、鸚鵡等の卵を生みおわりて、則ち時時親附して覆育し、これを温暖して、楽触を生ぜしむるに、卵は則ちこの温熱を受けて資養を得るが如し、故にまた温食と称す。人の衣服、洗浴等もまた触食と為す。(三)思食(manaH-saJcetanaakaaraahaara):また意志食、意念食、業食に作り、第六意識思の所欲の境に於いて希望の念を生じ、以って諸根を滋長し相続する者にして、これ即ち『成実論』に謂う所の「思願を以っての活命」なり。例えば、魚、亀等出でて陸地に至り諸の卵を生みし後に、細沙を以ってこれを覆いて、また反って水に入るに、もし彼の諸卵、母を思いて忘れざれば便ち腐壊せず、もし母を思わざれば即ち便ち腐壊するが如し。また人の梅を望みて渇きを止むるが如き、精神の食料に等し。(四)識食(vijJaanaakaaraahaara):漏識有らば段、触、思の三食の勢力に由って増長し、第八阿頼耶識を以って体と為し、衆生の身命を支持して壊せざる者にして、無色界及び地獄の衆生の如く、識を以って食と為す。<(佛)
問曰。佛在時眾生尚有飢餓。天不降雨眾生困弊。佛猶不能滿一切眾生之願。云何菩薩能滿其願。 問うて曰く、仏の在す時すら、衆生には尚お飢餓有りて、天は、雨を降らさず、衆生困弊す。仏すら、猶お一切の衆生の願を満つる能わず。云何が、菩薩にして、能く其の願を満つる。
問い、
『仏の在世の時すら!』、
『衆生』には、
尚お、
『飢餓』が、
『有り!』、
『天』が、
『雨を降らさないので!』、
『衆生』は、
『困難、疲弊したのである!』。
『仏すら!』、
猶お、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことはできない!』のに、
『菩薩』が、
何故、
其の、
『願』を、
『満たすことができるのですか?』。
答曰。菩薩住於十地。入首楞嚴三昧。於三千大千世界。或時現初發意行六波羅蜜。或現阿鞞跋致。或現一生補處。於兜率天上為諸天說法。或從兜率天上來下。生淨飯王宮。或現出家成佛。或現大眾中轉法輪度無量眾生。或現入涅槃起七寶塔。遍諸國土令眾生供養舍利。或時法都滅盡。菩薩利益如是。何況於佛。而佛身有二種。一者真身二者化身。眾生見佛真身。無願不滿。 答えて曰く、菩薩は、十地に住して、首楞厳三昧に入れば、三千大千世界に於いて、或は時に、初発意より、六波羅蜜を行ずるを現し、或は阿鞞跋致を現し、或は一生補処を現して、兜率天上に於いて、諸天の為に法を説き、或は兜率天上より来下して、浄飯王の宮に生じ、或は出家して仏と成るを現し、或は大衆中に法輪を転じて、無量の衆生を度するを現し、或は涅槃に入りて、七宝の塔を起て、遍く諸の国土の、衆生をして、舎利を供養せしむるを現し、或は時に、法都て滅尽す。菩薩の利益は、是の如し、何に況んや仏に於いてをや。而も仏身には、二種有り、一には真身、二には化身なり。衆生、仏の真身を見れば、願の満てざる無し。
答え、
『菩薩』は、
『十地に住して!』、
『首楞厳三昧』に、
『入る!』と、
『三千大千世界』に於いて、
或は時に、
『初発意より!』、
『六波羅蜜を行うまで!』を、
『現し!』、
或は、
『阿鞞跋致の地に!』、
『住すること!』を、
『現し!』、
或は、
『一生補処』に、
『住すること!』を、
『現して!』、
『兜率天上』に於いて、
『諸天の為に!』、
『法を説き!』、
或は、
『兜率天上より、来下して!』、
『浄飯王の宮』に、
『生じ!』、
或は、
『出家して!』、
『仏と成ること!』を、
『現し!』、
或は、
『大衆中に法輪を転じて!』、
『無量の衆生を度すること!』を、
『現し!』、
或は、
『涅槃に入って!』、
『七宝の塔を起てること!』を、
『現し!』、
遍く、
『諸の国土の衆生』に、
『舎利を供養させ!』、
或は時に、
『法』が、
都て、
『滅尽するのである!』。
『菩薩の利益』とは、
是の通りである!
況して、
『仏の利益』は、
『言うまでもない!』が、
而し、
『仏の身には二種有り!』、
一には、
『仏』の、
『真身であり!』、
二には、
『化身である!』。
『衆生』が、
『仏の真身を見れば!』、
『満たされない願』は、
『無い!』。
  首楞厳三昧(しゅりょうごんさんまい):梵にzuuraMgama-samaadhiに作り、意訳して健相三昧、健行定、勇健定、勇伏定、大根本定に作り、諸法を堅固に摂持する三昧の義なり。『大智度論巻47』によれば、首楞厳三昧とは、秦に健相と言い、諸の三昧を分別して、その行相、多少、深浅を知り、大将の諸の兵力の多少を知るが如し。また次ぎに、菩薩はこの三昧を得れば、諸の煩悩魔及び魔人もよく壊する者無く、譬えば転輪聖王の主兵、宝将の往至する所に降伏せざる者の無きが如し、と云い、また『首楞厳三昧経巻1』によれば、首楞厳三昧は初地乃至九地の菩薩のよく得る所に非ず、ただ十地の菩薩のみよくこの三昧を得ること有り。謂わゆる首楞厳三昧は、即ち心を修治してなお虚空の如く、現在の衆生の諸心を観察して衆生の諸根の利鈍を分別し、決定して衆生の因果等の一百項を了知す。この三昧は一事、一縁、一義を以って知るべからず、一切の禅定、解脱、三昧、神通、如意、無礙の智慧は皆摂して首楞厳中に在り、譬えば陂泉、江河の諸流は皆大海に入るが如し。故に菩薩の所有禅定は皆首楞厳三昧中に在り、所有三昧門、禅定門、辯才門、解脱門、陀羅尼門、神通門、明解脱門等の諸法は悉く皆摂して首楞厳三昧に在り、と云い、『南本涅槃経巻25』によれば、仏性は即ち首楞厳三昧なり、この首楞厳三昧に五種の名有り、(一)首楞厳三昧、(二)般若波羅蜜、(三)金剛三昧、(四)師子吼三昧、(五)仏性なり。首楞の意は一切畢竟を指し、厳の意は即ち堅なり。一切に畢竟じて堅固なるを得、これを首楞厳と名づけ、故に首楞厳を称して仏性と為す、と云えり。<(望)
佛真身者。遍於虛空光明遍炤十方。說法音聲亦遍十方無量恒河沙等世界。滿中大眾皆共聽法說法不息。一時之頃各隨所聞而得解悟。如劫盡已。眾生行業因緣故。大雨澍下間無斷絕。三大所不能制。惟有劫盡十方風起。更互相對能持此水。 仏の真身とは、虚空に遍くし、光明は遍く、十方を照し、説法の音声も亦た十方、無量の恒河沙に等しき世界を遍くし、中に満つる大衆、皆共に、法を聽くも、説法息まずして、一時の頃に各所聞に随いて、解悟を得。劫尽き已りて、衆生の行業の因縁の故に、大雨澍(うるお)し下りて、間に断絶無く、三大の制す能わざる所にして、惟(た)だ劫尽きて、十方の風の起る有り、更に互いに相対して、能く此の水を持するが如し。
『仏の真身』は、
『虚空に遍くして!』、
『光明が、遍く十方を照し!』、
『説法の音声』も、
『十方の無量恒河沙に等しい世界に!』、
『遍くし!』、
『世界に満ちる大衆』が、
『皆、共に法を聽く!』が、
『説法は息むことがない!』ので、
『一時の頃( at once )』に、
各が、
『所聞に随って!』、
『解悟を得るのである( to attain enlightenment )!』。
譬えば、
『劫が尽きて!』、
『衆生の行業の因緣』の故に、
『大雨』が、
『間断無く!』、
『澍(うるお)し下る!』と、
『三大( 地、火、風大)』も、
『雨』を、
『制することができない!』が、
惟だ( only then )、
『劫が尽きて!』、
『十方より!』、
『風』が、
『起り!』、
更に互いに( taking turns )、
『相対して( be oppositely located each other )!』、
此の、
『水』を、
『保持するようなものである!』。
  (しょう):てらす。照。
  一時之頃(いちじのあいだ):梵語 ekadaa の訳、同時に/即時に( at the same time, at once )の義。
如是法性身佛有所說法。除十住菩薩。三乘之人皆不能持。惟有十住菩薩不可思議方便智力悉能聽受。眾生其有見法身佛。無有三毒及眾煩惱寒熱諸苦。一切皆滅無願不滿。如如意珠尚令眾生隨願皆得。豈況於佛。 是の如き法性身の仏には、所説の法有るも、十住の菩薩を除いて、三乗の人は、皆持する能わず。惟だ十住の菩薩の不可思議の方便の智力有りて、悉く、能く聴受す。衆生は、其の法身仏を見ること有れば、三毒、及び衆の煩悩、寒熱の諸苦有ること無く、一切は皆滅して、願の満てざる無し。如意珠の如きすら、尚お衆生をして、願に随いて、皆得しむ。豈に況んや、仏に於いてをや。
是のような、
『法性身の仏』には、
『説かれた!』、
『法』が、
『有る!』が、
『十住の菩薩を除けば!』、
『三乗の人』は、
誰も、
『受持することができず!』、
惟だ、
『十住の菩薩』の、
『不可思議の方便の智力を有する!』者のみ、
『悉く!』を、
『聴受することができる!』。
『衆生』は、
其の、
有るいは、
『法身の仏を見る!』者は、
『三毒や、衆煩悩、寒熱』等の、
『諸の苦が無く!』、
『一切の苦』が、
『皆、滅して!』、
『願』の、
『満たされないこと!』が、
『無い!』。
『如意珠を見てすら!』、
尚お、
『衆生の願』は、
『意のままに!』、
『得られるのであるから!』、
況して、
『仏の法身』を、
『見れば!』、
『言うまでもない!』。
珠與一切世間之願。佛與一切出世間願。若言佛不能悉滿眾生所願。是語不然。 珠は、一切の世間の願を与え、仏は一切の出世間の願を与う。若し、『仏は、悉く衆生の所願を満つる能わず』、と言わば、是の語は然らず。
『珠』は、
一切の、
『世間の願』を、
『与え!』、
『仏』は、
一切の、
『出世間の願』を、
『与える!』ので、
若し、こう言えば、――
『仏』は、
『衆生の所願』を、
『悉く、満たすことはできない!』、と。
是の、
『語』は、
『間違っている!』。
復次釋迦文尼佛王宮受身現受人法。有寒熱飢渴睡眠。受諸誹謗老病死等。內心智慧神德。真佛正覺無有異也。 復た次ぎに、釈迦文尼仏は、王宮に身を受けて、人法を受くるを現せば、寒熱、飢渴、睡眠有りて、諸の誹謗、老病死等を受けたもうも、内心の智慧、神徳、真仏の正覚に異なること有ること無きなり。
復た次ぎに、
『釈迦文尼仏』は、
『王宮に身を受け!』、
『人法を受けること!』を、
『現されたので!』、
『寒熱、飢渴、睡眠や、諸の誹謗、老病死等の!』、
『諸苦を受けること!』が、
『有った!』が、
『内心』の、
『智慧、神徳、真仏の正覚』が、
『異なること!』は、
『無いのである!』。
欲滿眾生所願悉皆能滿。而不滿者以無數世來常滿眾生衣食之願而不免苦。今但以涅槃無為常樂益之。如人憐愍所親。不與雜毒美食。如是世間願者生諸結使。又復離時心生大苦。是故不以為要。 衆生の所願を満てんと欲せば、悉く皆、能く満てんも、而も満てざるは、無数の世より来(このかた)、常に衆生の衣食の願を満てども、苦を免れざるを以って、今但だ、涅槃なる無為の常楽を以って、之を益す。人の所親を憐愍すれば、雑毒の美食を与えざるが如し。是の如き世間の願は、諸の結使を生じて、又復た離るる時、心に大苦を生ずれば、是の故に、以って要と為さず。
『衆生の所願』を、
『満たそうとすれば!』、
『悉くを皆!』、
『満たすことができる!』が、
『満たさない!』のは、
『無数の世より!』、
常に、
『衆生の衣食の願』を、
『満たして来た!』が、
而し、
『苦』を、
『免れることはない!』ので、
今は、但だ、
『涅槃という!』、
『無為の常楽』で、
『利益するのである!』。
譬えば、
『人が、親属を憐愍すれば!』、
『毒を雑えた美食』を、
『与えないようなものである!』。
是のような、
『世間の願』は、
『諸の結使を生じ!』、
復た、
『離れる時には!』、
『心』に、
『大苦を生じさせる!』ので、
是の故に、
『必要である!』とは、
『思われなかったのである!』。
復次有人言。釋迦牟尼佛。已滿眾生所願。而眾生自不能得。如毘摩羅詰經說。佛以足指案地。即時國土七寶莊嚴。我佛國如是。為多怒害者現佛國異。 復た次ぎに、有る人の言わく、『釈迦牟尼仏は、已に衆生の所願を満てたまえるも、衆生は自ら得る能わず。毘摩羅詰経に説くが如し、『仏、足指を以って、地を案(お)したまえば、即時に、国土を七宝荘厳す。我が仏国は、是の如けれど、怒害する者多きが為、仏国を異にして現す』、と。
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『釈迦牟尼仏』は、
已に、
『衆生の所願』を、
『満たされた!』が、
而し、
『衆生、自ら!』が、
『得ることができないだけである!』、と。
例えば、
『毘摩羅詰経』には、こう説かれている、――
『仏』が、
『足指』で、
『地』を、
『按される( to press down )!』と、
即時に、
『国土』は、
『七宝で荘厳された!』。
わたしの、
『仏国土』は、
『是の通りである!』が、
『多くの怒害する者の為に!』、
『仏の国土』を、
『異ならせて!』、
『現すのである!』、と。
  毘摩羅詰経(びまらきつきょう):『維摩詰所説経』。
  参考:『維摩詰所説経巻1仏国品』:『爾時舍利弗。承佛威神作是念。若菩薩心淨則佛土淨者。我世尊本為菩薩時意豈不淨。而是佛土不淨若此。佛知其念即告之言。於意云何。日月豈不淨耶。而盲者不見。對曰不也。世尊。是盲者過非日月咎。舍利弗。眾生罪故不見如來佛土嚴淨。非如來咎。舍利弗。我此土淨而汝不見。爾時螺髻梵王語舍利弗。勿作是意。謂此佛土以為不淨。所以者何。我見釋迦牟尼佛土清淨。譬如自在天宮。舍利弗言。我見此土。丘陵坑坎荊蕀沙礫。土石諸山穢惡充滿。螺髻梵言。仁者心有高下。不依佛慧故。見此土為不淨耳。舍利弗。菩薩於一切眾生。悉皆平等。深心清淨。依佛智慧則能見此佛土清淨。於是佛以足指按地。即時三千大千世界若干百千珍寶嚴飾。譬如寶莊嚴佛無量功德寶莊嚴土。一切大眾歎未曾有。而皆自見坐寶蓮華。佛告舍利弗。汝且觀是佛土嚴淨。舍利弗言。唯然世尊。本所不見。本所不聞。今佛國土嚴淨悉現。佛語舍利弗。我佛國土常淨若此。為欲度斯下劣人故。示是眾惡不淨土耳。譬如諸天共寶器食隨其福德飯色有異。如是舍利弗。若人心淨便見此土功德莊嚴。當佛現此國土嚴淨之時。寶積所將五百長者子皆得無生法忍。八萬四千人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。佛攝神足。於是世界還復如故。求聲聞乘三萬二千天及人。知有為法皆悉無常。遠塵離垢得法眼淨。八千比丘不受諸法漏盡意解』
又如龍王等心降雨。在人為水。餓鬼身上皆為炭火。 又、龍王の等心に雨を降らすに、人に在りては、水と為り、餓鬼の身上には、皆、炭火と為るが如し。
又、
譬えば、
『龍王』が、
『等心に( in equal mind )!』、
『雨』を、
『降らせる!』と、
『人』に於いては、
『水』と、
『為るだけである!』が、
『餓鬼の身上』に於いては、
皆、
『炭火と!』、
『為るようなものである!』。
  参考:『大宝積経巻42』:『佛亦知餓鬼先世所種。佛為一切眾生故。問餓鬼前。世所種行今為餓鬼。餓鬼曰。先身雖見佛。不知有佛。雖見法不知有法。雖見比丘僧不知有比丘僧。我亦不作福。教他人亦不作福。作福有何等福。不作福有何種罪。見人作福。言恒笑之。見人作罪。意常歡喜。佛問餓鬼。生此餓鬼之中以來。至今更歷幾百年歲。餓鬼報言。我生中七萬歲。佛問餓鬼。生中七萬歲。食飲何種。為得何食。餓鬼報言。我先世種行至惡。遇值小水。即化不見。至於大水。便為鬼神龍羅剎所逐。言汝先世種惡。今何以來近此江海。雖值大龍普天放雨。謂呼得雨漬其身。方便礫石熱沙。或值炭火以墮其身。佛問餓鬼。生中七萬歲。由來飲食何等。餓鬼報佛言。或有世間父母親里。稱其名字。為作追福者。便小得食。不作福者。不得飲食。諸餓鬼叉手白佛言。從來飢渴。佛天中天。慈愍一切眾生。今賜餓鬼小飲食。佛語阿難。捉缽取水。用布施餓鬼。阿難便捉缽取水。與餓鬼。餓鬼白佛言。今此一缽水。不飽一人。況乃八萬四千。佛語諸餓鬼。八萬四千。捉此缽水。至心布施佛及諸弟子。諸八萬四千餓鬼。捉此缽水。長跪布施。以我先世不布施。今生餓鬼中。如今無所有。持此缽水。布施佛及諸弟子。使諸餓鬼緣此功德遠離三惡道。後所生得師如佛無異。餓鬼過水與阿難。阿難捉水與佛嘗一口。過與千二百五十弟子。各嘗一口。佛語諸餓鬼。入大江飲水。』
問曰。若能滿一切眾生願者。則眾生有邊無有受諸飢寒苦者。何以故。一切眾生皆滿所願。願離苦得樂故。 問うて曰く、若し能く、一切の衆生の願を満てば、則ち衆生には辺有れば、諸の飢寒の苦を受くる者有ること無けん。何を以っての故に、一切の衆生、皆所願を満てば、離苦得楽を願うが故なり。
問い、
若し、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことができれば!』、
『衆生は有辺である!』が故に、
『諸の飢、寒の苦を受ける!』者は、
『無いことになる!』。
何故ならば、
『一切の衆生』が、
皆、
『所願』を、
『満たしたならば!』、
『願う!』のは、
『苦を離れて!』、
『楽を得ることだからである!』。
答曰。滿一切者名字一切。非實一切。如法句偈說
 一切皆懼死  莫不畏杖痛 
 恕己可為譬  勿殺勿行杖
答えて曰く、一切を満つとは、名字の一切にして、実の一切に非ず。『法句の偈』に説けるが如し、
一切は皆、死を懼れ、杖痛を畏れざる莫(な)し、
己を恕(ゆる)して譬と為すべし、
殺す勿(な)かれ、杖を行ずる勿かれ。
答え、
『一切を満たす!』とは、
『実の一切ではなく!』、
『名字の( in name only )!』、
『一切である!』。
『法句経の偈』には、こう説かれている、――
一切は、
皆、
『死を懼れ( to fear death )!』、
『杖の痛みを畏れない!』者は、
『無い!』。
譬えば、
『己を恕す( to forgive yourself )ように!』、
『殺すな( don't kill )!』、
『杖で打つな( don't strike with a cane )!』。
  参考:『法句経巻1刀杖品』:『 一切皆懼死  莫不畏杖痛  恕己可為譬  勿殺勿行杖  能常安群生  不加諸楚毒  現世不逢害  後世長安隱 』
雖言一切畏杖痛。如無色眾生。無身故則無杖痛。色界眾生。雖可有身亦無杖痛。欲界眾生亦有不受杖痛。而言一切。謂應得杖者說言一切。非實一切。以是故菩薩滿一切眾生所願。謂應可得者。然菩薩心無齊限。 『一切は杖痛を畏る』、と言うと雖も、無色の衆生の如きは、身無きが故に、則ち杖痛無く、色界の衆生には、身有るべしと雖も、亦た杖痛無く、欲界の衆生も亦た、杖痛を受けざる有り。而も『一切』と言うは、応に杖を得べき者を謂いて、説いて一切と言い、実の一切に非ず。是を以っての故に、菩薩の、一切の衆生の所願を満てるは、応に得べき者を謂い、然れども菩薩の心には、斉限無し。
一切は、
『杖の痛みを畏れる!』と、
『言う!』が、
例えば、
『無色の衆生など!』は、
『身が無い!』が故に、
『杖の痛み!』も、
『無いことになり!』、
『色界の衆生』は、
『身が有ったとしても!』、
『杖の痛み!』は、
『無い!』し、
『欲界の衆生』にも、
『杖の痛み!』を、
『受けない!』者も、
『有る!』。
而も、
『一切と、言うのは!』、
『杖を受けることのできる!』者を、
『説いて!』、
『一切と!』、
『言うのであり!』、
『実の!』、
『一切を!』、
『言うのではない!』。
是の故に、
『菩薩』が、
『一切の衆生』の、
『所願』を、
『満たす!』のは、
『願』を、
『得ることのできるだろう!』者を、
『謂うのである!』が、
然し、
『菩薩の心』には、
『斉限』が、
『無いのである!』。
  斉限(さいげん):限度。
福德果報亦無有量。但眾生無量阿僧祇劫罪厚障故而不能得。 福徳の果報も亦た量有ること無く、但だ衆生の無量、阿僧祇劫の罪の厚き障の故に、而も得るを得ず。
『菩薩』の、
『福徳という!』、
『果報』も、
『無量である!』が、
但だ、
『衆生の無量、阿僧祇の罪』が、
『厚く障る!』が故に、
『願を!』、
『得られないだけである!』。
如舍利弗弟子羅頻周比丘。持戒精進乞食。六日而不能得。乃至七日命在不久。有同道者乞食持與。鳥即持去。時舍利弗語目揵連。汝大神力守護此食令彼得之。即時目連持食往與。始欲向口變成為泥。 舎利弗の弟子の羅頻周比丘の如きは、持戒して、乞食を精進するも、六日して、得る能わず。乃至七日にして、命の在ること久しからず。同道の者の、乞食して持ちて与うる有るも、鳥、即ち持ち去れり。時に舎利弗の、目揵連に語らく、『汝、大神力もて、此の食を守護し、彼れをして、之を得しめよ』、と。即時に目連は、食を持して、往きて与うるに、始めて口を向けんと欲すれば、変成して泥と為る。
例えば、
『舎利弗の弟子』の、
『羅頻周比丘など!』は、
『持戒して!』、
『乞食』を、
『精進した!』が、
『六日の間』、
『食』を、
『得ることができず!』、
乃ち( whereupon )、
『七日に至って!』、
『命の在る!』のが、
『久しくないことになった!』。
有る、
『道を同じくする!』者が、
『乞食し!』、
『持参して!』、
『与えた!』が、
『鳥』が、
即座に、
『持ち去った!』。
その時、
『舎利弗』は、
『目揵連』に、こう語った、――
お前の、
『大神力で!』、
此の、
『食』を、
『守護し!』、
彼れに、
此の、
『食』を、
『得させよ!』、と。
即時に、
『目連』は、
『食を持参し!』、
彼の所へ、
『往って!』、
『与えた!』が、
『食に!』、
『口を向けようと!』、
『し始める!』と、
『食は変じて!』、
『泥に!』、
『成った!』。
  羅頻周(らひんしゅう):また羅云珠に作る。舎利弗の弟子なり。『雑譬喩経』参照。
  参考:『雑譬喩経』:『羅云珠者舍利弗弟子也。本曾奪辟支佛食。以是罪故生餓鬼中。無量劫受苦。畢餓鬼身生人中。五百世受飢餓罪。以末後身值佛在世。出家學道服三法衣。遊行乞食無肯施者。或五日或七日不得。目連愍之乞食持與。適墮缽中為大鳥搏去。舍利弗乞食施之。適入缽中變成泥土。大迦葉乞食施之。適持向口口即時合無有入處。佛以食施以大悲力故。即得入口氣味殊特。復以種種方便兼為說法。時羅云珠聞上妙法悲喜交集。一心思惟得應真道』
又舍利弗乞食持與而口自合。最後佛來持食與之。以佛福德無量因緣故令彼得食。是比丘食已。心生歡喜倍加信敬。佛告比丘。有為之法皆是苦相為說四諦。即時比丘漏盡意解。得阿羅漢道。 又、舎利弗、乞食し持して与うるも、口自ら合す。最後に仏来たりて、食を持して、之を与えたもうに、仏の福徳の無量の因緣を以っての故に、彼れをして、食を得しむ。是の比丘は、食し已りて、心に歓喜を生じ、倍して信敬を加う。仏は比丘に、『有為の法は、皆是れ苦相なり』、と告げ、為に四諦を説きたまえば、即時に比丘の漏尽きて、意解け、阿羅漢の道を得たり。
又、
『舎利弗』が、
『乞食して!』、
『持って!』、
『与えた!』が、
『口』が、
『自ら!』、
『合してしまった!』ので、
最後に、
『仏が来て!』、
『食を持ち!』、
此の、
『比丘』に、
『与える!』と、
『仏の福徳という!』、
『無量の因縁』の故に、
彼れに、
『食』を、
『得させることができた!』。
是の、
『比丘』は、
『食い已る!』と、
『心』に、
『歓喜』を、
『生じて!』、
『前に倍して!』、
『信、敬』を、
『加えた!』。
『仏』は、
『比丘』に、こう告げて、――
『有為の法』は、
皆、
『苦である!』、と。
『比丘の為に!』、
『四諦の法を説かれる!』と、
即時に、
『比丘の漏が尽きて!』、
『意( the mind )』が、
『解けて( to release the restrain )!』、
『阿羅漢という!』、
『道』を、
『得たのである!』。
  意解(いげ):◯梵語 mano-jalpa の訳、精神のつぶやき( mental chatter )の義。◯梵語 saMkalpa の訳、心中に形成された概念/考え/意見( conception or idea or notion formed in the mind or heart )の義。雑念の束縛が解け、関心を向けること( to release the restrain of idle thoughts and devote interest )の意。
有薄福眾生罪甚此者佛不能救。又知眾生不可得故。深達法性故。諸佛無有憶想分別。是可度是不可度。心常寂滅意無增減。以是故。菩薩欲滿一切眾生願。彼以罪故而不能得。菩薩無咎。 有る薄福の衆生は、罪甚だしければ、此の者を、仏は救う能わず。又衆生の不可得なるを知るが故に、深く法性に達するが故に、諸仏は、『是れ度すべし』、『是れ度すべからず』、と憶想、分別すること有ること無く、心常に寂滅すれば、意の増減する無し。是を以っての故に、菩薩は、一切の衆生の願を満てんと欲するも、彼の罪を以っての故に、得る能わざれば、菩薩には咎無し。
有る、
『薄福の衆生』は、
『罪』が、
『甚だしい!』ので、
『仏』にも、
此の、
『衆生』を、
『救うことはできない!』し、
又、
『諸仏』は、
『衆生』は、
『不可得である( be unrecognizable )!』と、
『知る!』が故に、
『法性』に、
『深く!』、
『通達する( to obtain )!』が故に、
即ち、
『是れは度すことができる!』とか、
『是れは度すことができない!』と、
『憶想、分別される!』ことが、
『無く!』、
『諸仏』の、
『心』は、
常に、
『寂滅している!』ので、
『意』が、
『増えることも、減ることも!』、
『無い!』。
是の故に、
『菩薩』は、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たそうとする!』が、
彼れの、
『罪』の故に、
『得られなくても!』、
『菩薩』には、
『咎』が、
『無いのである!』。
飲食者略說麤細二種。餅飯等百味之食。經雖說四食眾生久住。而此但說揣食。餘者無色不可相與。若施揣食則與三食。何以故因揣食故增益三食。如經所說。檀越施食則與受者五事利益。 飲食とは、略説すれば、麁細の二種なり。餅、飯等の百味の食は、経に四食を説くと雖も、衆生は久しく住して、此れを但だ揣食なりと説き、餘は無色にして、相与うべからず。若し揣食を施せば、則ち三食を与うるなり。何を以っての故に、揣食に因るが故に、三食を増益すればなり。経の所説の如きは、『檀越、食を施せば、則ち受者に五事の利益を与う』、と。
『飲食を略説すれば!』、
『麁、細の二種』を、
『説くだけである!』。
『餅や、飯等の百味の食』を、
『経』には、
『四食(段食、触食、思食、識食)である!』と、
『説かれている!』が、
『衆生』は、
世に、
『久しく!』、
『住しながら!』、
此れを、
但だ、
『揣食だけしか!』、
『説かない!』。
餘の、
『三食』は、
『無色であり!』、
『与えることができない!』が、
若し、
『揣食を施せば!』、
則ち、
『三食』を、
『与えたことになる!』。
何故ならば、
『揣食に因る!』が故に、
『三食』を、
『増益するからである!』。
『経』には、こう説かれている、――
『檀越( a munificent master )』が、
『食』を、
『施せば!』、
『受者』に、
『五種の利益(命、色、力、楽、辯)』を、
『与えることになる!』、と。
  揣食(たんじき):段食を指す。揣は摶、団に通じて手で丸めるの意なり。手で丸めた飯、摶飯。即ち手で飯を丸めるは印度の通常の食事の礼法なれば、この語は即ち通常の食事を指すなり。
  :『増一阿含経巻24』参照。
  五事利益(ごじりやく):檀越の布施により施主及び僧の得る五種の利益。(1)命、(2)色、(3)力、(4)楽、或いは安、(5)膳、或いは辯。『大智度論巻3(下)』、『増一阿含経巻24』参照。
飲總說二種。一者草木酒。所謂蒲桃甘蔗等及諸穀酒。二者草木漿。甘蔗漿蒲桃漿石蜜漿安石榴漿梨奈漿波盧沙果漿等及諸穀漿。 飲には、総じて二種を説き、一には草木の酒、謂わゆる蒲桃、甘蔗等、及び諸穀の酒なり、二には草木の漿、甘蔗の漿、蒲桃の漿、石蜜の漿、安石榴の漿、梨那の漿、波盧沙果の漿等、及び諸穀の漿なり。
『飲』には、
総じて、
『二種を説き!』、――
一には、
『草木の酒( wine )であり!』、
謂わゆる、
『蒲桃、甘蔗等の酒や!』、
『諸の穀物の酒である!』。
二には、
『草木の漿( juice )であり!』、
『甘蔗、蒲桃、石蜜、安石榴、梨那、波盧沙果の漿や!』、
『諸の穀物の漿である!』。
  蒲桃(ぶどう):葡萄。
  漿(しょう):絞り汁( juice )。
  石蜜(しゃくみつ):◯梵語 phaaNita の訳、甘蔗や、他の植物の濃縮ジュース( the inspissated juice of the sugar cane and other plants )の義。◯梵語 zarkara- madhu の訳、小石状の砂糖菓子( a sweet pebble )の義、氷砂糖( a crystal sugar )の意。
  安石榴(あんざくろ):ざくろ。
  梨那(りな):不明。
  波盧沙果(ぱるしゃか):不明。
  参考:『根本説一切有部毘奈耶巻36』:『佛言。應為受取作淨應食。苾芻不知如何作淨。佛言。有五種作淨。云何為五。謂火淨刀淨爪淨蔫乾淨鳥啄淨。是謂為五。復有五種作淨。謂拔根淨手折淨截斷淨劈破淨無子淨。云何火淨。謂以火觸著。云何刀淨。謂以刀損壞云何爪淨。謂以爪甲傷損。云何蔫乾淨。謂自蔫乾不堪為種。云何鳥啄淨。謂鳥[此/束]啄損。』
如是和合人中飲食及天飲食。所謂修陀甘露味天果食等。摩頭摩陀婆漿等。眾生各各所食。或食穀者或食肉者或食淨者不淨者來皆飽滿。 是の如き和合の人中の飲食と、及び天の飲食の謂わゆる修陀甘露味、天果の食等、摩頭摩陀婆の漿等は、衆生の各各食する所にして、或は穀を食う者、或は肉を食う者、或は食の浄なる者、不浄なる者来たりて、皆飽満す。
是のように、
『和合した!』、
『人中の飲、食と!』、
及び、
『天の飲、食である!』、
謂わゆる、
『修陀甘露味や、天の果食等と、摩頭摩陀婆の漿等』は、
『衆生』の、
各各の、
『食う所』の、
『飲、食であり!』、
或は、
『穀物を食う者や、肉を食う者や!』、
『食の浄い者、不浄の者が来て!』、
皆が、
『飽満するのである!』。
  修陀甘露味(しゅだかんろみ):不明。
  摩頭摩陀婆(まづまだば):不明。
  浄食(じょうじき):比丘の食用に適する五種の清淨なる食物。五種の浄食。即ち(一)火浄食:宜しく煮たる食物、或いは熟れるを待ちて然る後にこれを食う。(二)刀浄食:果物は宜しく刀を以ってその皮と核とを取り去りて然る後にこれを食う。(三)爪浄食:果物を宜しく指の爪を以ってその皮殻を取り去りて然る後にこれを食う。(四)蔫乾(えんけん、乾燥)浄食:果物中のすでに乾燥して更に種子と為る能わざるを取りてこれを食う。(五)鳥啄浄食:即ち鳥の啄む所の残りの物を取りてこれを食う。<(佛)
衣服者。衣有二種。或從眾生生。所謂綿絹毛毳皮韋等。或從草木生。所謂布氎樹皮等。有諸天衣無有經緯。自然樹出光色輕軟。臥具者。床榻被褥幃帳枕等。 衣服とは、衣には二種有り、或は衆生より生じ、謂わゆる綿、絹、毛毳、皮韋等なり。或は草木より生じ、謂わゆる布、氎、樹皮等なり。有る諸の天衣には、経緯有ること無く、自然に樹より出で、光色、軽軟なり。臥具とは、床榻、被辱、幃帳、枕等なり。
『衣服』とは、
『衣』には、
『二種有り!』、
或は、
『衆生より生じ!』、
謂わゆる
『綿、絹、毛、毳、皮、韋等である!』。
或は、
『草木より生じ!』、
謂わゆる、
『布、氎、樹皮等であり!』、
有る、
『諸の天衣』は、
『経、緯が無く!』、
『自然に樹より出て!』、
『光の色であり!』、
『軽く軟らかい!』。
『臥具』とは、
『床、榻、被、辱、幃、帳、枕等である!』。
  綿(めん):羊毛/獣毛( wool )。
  (い):なめし革( tanned leather )。皮革。
  (ぜい):にこ毛/極めて細い毛( fine hair )。
  (ふ):綿布/麻布( cotton cloth, linen )。
  (じょう):細かい綿布( fine cotton cloth )。
  (けい):布の縦糸( the warp of fabrique )。
  (い):布の横糸( the weft of fabrique )。
  (しょう):寝台( bed )。
  (とう):寝椅子( couch )。
  (ひ):掛け布団( quilt )。
  (にく):敷布団( mattress )。
  (い):壁幕/カーテン( curtain that forms wall )。
  (ちょう):蚊帳( mosquite net )。
塗香者。有二種。一者栴檀木等摩以塗身。二者種種雜香擣以為末以塗其身。及熏衣服并塗地壁。乘者。所謂象馬車輿等。房舍者。所謂土木寶物所成樓閣殿堂宮觀等。以障寒熱風雨賊盜之屬。燈燭者。所謂脂膏蘇油漆蠟明珠等。諸物者。是一切眾生所須之物。不可具說故略言諸物。 塗香には、二種有り、一には栴檀木等を摩し、以って身に塗り、二には、種種の雑香を擣きて、以って末と為し、以って其の身に塗り、及び衣服を熏じ、並びに地、壁に塗る。乗とは、謂わゆる象、馬、車、輿等なり。房舎とは、謂わゆる土、木、宝物の所成なる楼閣、殿堂、宮観等にして、以って寒熱、風雨、賊盗の属を障(さ)う。灯燭とは、謂わゆる脂、膏、蘇油、漆、蝋、明珠等なり。諸物とは、是れ一切の衆生の所須の物にして、具(つぶさ)に説くべからざるが故に、略して、諸物と言う。
『塗香』には、
『二種有り!』、
一には、
『栴檀木』等を、
『摩擦して!』、
『身に塗るものであり!』、
二には、
『種種の雑香を擣いて( to thresh )!』、
『粉抹にし( to powder )!』、
『身に、塗ったり!』、
『衣服を、熏じたり!』、
『地や、壁に塗るものである!』。
『乗』とは、
謂わゆる、
『象、馬、車、輿等である!』。
『房舎』とは、
謂わゆる、
『土、木、宝物で成る!』、
『楼閣、殿堂、宮殿等であり!』、
『寒熱、風雨、賊盗の属』を、
『遮るものである!』。
『灯燭』とは、
謂わゆる、
『脂、脂、蘇油、漆、蝋、明珠等である!』。
『諸物』とは、
一切の、
『衆生の必要な物であり!』、
『具に( specifically )!』、
『説くことができない!』が故に、
略して、
『諸物』と、
『言うのである!』。
  (とう):つく/搗く/脱穀する( thresh )。
  (し):人や、動植物の油性成分( fat )。
  (こう): クリーム状の油脂( greese )。
  蘇油(そゆ):梵語 ghRta, ghee の訳、澄ましバター( clarified butter )。
問曰。此中何以不說燒香妙華等。 問うて曰く、此の中に、何を以ってか、焼香、妙華等を説かざる。
問い、
此の中に、
何故、
『焼香や、妙華等』を、
『説かないのですか?』。
答曰。說諸物者皆已攝之。 答えて曰く、諸物を説けば、皆已に之を摂すればなり。
答え、
『諸物を説けば!』、
皆、
已に、
『摂する( to be contained )からである!』。
問曰。若爾者但應略說三種。飲食衣服莊嚴之具。 問うて曰く、若し爾らば、但だ応に三種の飲食、衣服、荘厳の具を略説すべし。
問い、
若し、爾うならば、
但だ、
『飲食、衣服、荘厳の具の三種』を、
『略説すべきです!』。
答曰。此諸物是所須要者。若慈念眾生以飲食為先。次以衣服以身垢臭須以塗香。次以臥具寒雨須房舍。黑闇須燈燭。 答えて曰く、此の諸物は、是れ須要とする所なれば、若し、衆生を慈念すれば、飲食を以って、先と為し、次いで、衣服を以ってし、身垢の臭きを以って、須(もち)うるに、塗香を以ってし、次に、臥具を以ってし、寒雨には、房舎を須い、黒闇には灯燭を須う。
答え、
此の、
『諸物』は、
『衆生』の、
『必要とすべき所であり!』、
若し、
『衆生を慈念すれば!』、
『飲食を、先にすることになり!』、
次に、
『衣服であり!』、
次に、
『身垢が臭い!』が故に、
『塗香』を、
『必要とし!』、
次は、
『臥具であり!』、
『寒雨には!』、
『房舎』が、
『必要であり!』、
『黒闇には!』、
『灯燭』が、
『必須である!』。
  慈念(じねん):梵語 premaanugata の訳、慈愛と追逐( love and following )の義、慈愛を以って見守る( to follow with love )の意。
  塗香(づこう):梵語 gandha の訳、白檀の粉抹( pouded sandal-wood )。
問曰。華香亦能除臭。何故不說。 問うて曰く、華香も亦た、能く臭きを除くに、何の故にか説かざる。
問い、
『華香( sweet-scented flowers )』も、
『臭い!』を、
『除くことができるのに!』、
何故、
『説かないのですか?』。
答曰。華非常有亦速萎爛。利益少故是故不說。燒香者。寒則所須。熱時為患。塗香寒熱通用。寒時雜以沈水。熱時雜以栴檀以塗其身。是故但說塗香。 答えて曰く、華は常に有る非ずして、亦た速かに萎爛すれば、利益少なきが故に、是の故に説かず。焼香は、寒ければ則ち須うる所なれど、熱時には、患と為すも、塗香は、寒熱通用し、寒時には雑うるに沈水を以ってし、熱時には雑うるに栴檀を以ってし、以って其の身に塗る。是の故に但だ塗香を説く。
答え、
『華』は、
『常に有るのでもなく!』、
亦た、
『速かに、萎縮・腐爛して!』、
『利益』が、
『少ないので!』、
是の故に、
『説かない!』し、
『焼香』は、
『寒時には、必要である!』が、
『熱時』には、
『患となる( be in distress )!』が、
『塗香』は、
『寒、熱を通じて用いられ!』、
『寒時には、沈水を雑え!』、
『熱時には、栴檀を雑えて!』、
『身』に、
『塗るので!』、
是の故に、
但だ、
『塗香だけを!』、
『説くのである!』。
  (げん):梵語 aadiinava の訳、災難/苦痛/不安( distress, pain, uneasiness )の義。
  沈水(じんすい):梵語 agaru の訳、沈香( Aquilaria agallocha )の義。
問曰。若行檀波羅蜜。得無量果報。能滿一切眾生所願。何故言欲滿眾生願當學般若波羅蜜。 問うて曰く、若し檀波羅蜜を行じて、無量の果報を得ば、能く一切の衆生の所願を満てん。何の故にか、『衆生の願を満てんと発せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と言う。
問い、
若し、
『檀波羅蜜を行って!』、
『無量の果報を得れば!』、
当然、
『一切の衆生の所願』を、
『満たすはずなのに!』、
何故、こう言うのですか?――
『衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
答曰。先已說以般若波羅蜜和合故。得名檀波羅蜜。今當更說。所可滿眾生願者。非謂一國土一閻浮提。都欲滿十方世界六趣眾生所願。非但布施所能辦故。以般若波羅蜜。破近遠相。破一切眾生相非一切眾生相。除諸礙故彈指之頃化無量身。遍至十方能滿一切眾生所願。如是神通利益要從般若出生。以是故。菩薩欲滿一切眾生願。當學般若波羅蜜 答えて曰く、先に已に説かく、『般若波羅蜜和合するを以っての故に、檀波羅蜜と名づくるを得』、と。今当に更に説くべし、満つるべき所の衆生の願とは、一国土、一閻浮提を謂うに非ず、都て、十方の世界の六趣の衆生の所願を満てんと欲すれば、但だ布施の能く辦ずる所に非ざるが故に、般若波羅蜜を以って、近、遠の相を破り、一切の衆生の相と、一切の衆生の相に非ざるを破り、諸の礙を除くが故に、弾指の頃に、無量の身を化し、遍く十方に至りて、能く一切の衆生の所願を満つ。是の如き神通の利益は、要ず、般若より出生すれば、是を以っての故に、菩薩は、一切の衆生の願を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべきなり。
答え、
先に、
已に、こう説いたが、――
『般若波羅蜜が和合する!』が故に、
『檀波羅蜜』と、
『称することができる!』、と。
今は、
更に、こう説かねばならぬ、――
『満たさねばならぬ!』、
『衆生の願』は、
『一国土や、一閻浮提を!』、
『謂うのではなく!』、
都て、
『十方の世界の六趣の衆生の所願』を、
『満たそうとするのであり!』、
但だ、
『布施だけでは!』、
『辦じられない( cannot be accomplished )ので!』、
是の故に、
『般若波羅蜜を用いて!』、
『近いとか、遠いとか!』の、
『相』を、
『破り!』、
『一切の衆生である( complete living entities )とか!』、
『一切の衆生でない( not complete living entities )とか!』の、
『相』を、
『破って!』、
諸の、
『礙( obstacles )』を、
『除く!』が故に、
『弾指の頃( for a moment )に!』、
『無量の身を化作し!』、
『遍く、十方に至り!』、
『一切の衆生』の、
『所願』を、
『満たすことができるのである!』が、
是のような、
『神通の利益』は、
要ず( should )、
『般若波羅蜜より!』、
『出生する!』ので、
是の故に、
『菩薩』が、
『一切の衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならないのである!』。
  一切衆生(いっさいしゅじょう):梵語 sarva-bhuuta の訳、生き物の全部( complete/all living-entities/beings )の義。
  非一切衆生(ひいっさいしゅじょう):梵語 asarva-bhuuta の訳、生き物の一部( not complete/all living-entities/beings )の義。
  弾指之頃(だんじのきょう):梵語 acchaTaa-saMghaata-maatram の訳、指を弾くほど間( for a moment such as a snap with the fingers )の義。



衆生を、六波羅蜜に立たせる

【經】復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲使如恒河沙等世界眾生。立於檀波羅蜜。立於尸羅羼提毘梨耶禪般若波羅蜜。當學般若波羅蜜 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩、恒河沙に等しきが如き世界の衆生をして、檀波羅蜜に立たしめ、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜に立たしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』が、
『恒河沙に等しいほど!』の、
『世界の衆生』を、
『檀波羅蜜や、尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜』に、
『立たせようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
【論】問曰。是義次第有何因緣。 問うて曰く、是の義の次第には、何の因縁か有る。
問い、
是の、
『義の次第』には、
何のような、
『因縁』が、
『有るのですか?』。
答曰。利有三種。今世利後世利畢竟利。復有三種樂。今世後世出世樂。前說今世利樂。此說後世出世利樂。以是故。令眾生住六波羅蜜。菩薩愍念眾生。過於父母念子。慈悲之心徹於骨髓。 答えて曰く、利には三種有りて、今世の利、後世の利、畢竟の利なり。復た三種の楽有り、今世、後世、出世の楽なり。前には今世の利、楽を説けば、此に後世、出世の利、楽を説く。是を以っての故に、衆生をして、六波羅蜜に住せしむるは、菩薩は衆生を愍念すること、父母の子を念ずるに過ぎ、慈悲の心、骨髄に徹すればなり。
答え、
『利』には、
『三種有り!』、
『今世の利と!』、
『後世の利と!』、
『畢竟の利である!』。
『楽』にも、
『復た、三種有り!』、
『今世の楽と!』、
『後世の楽と!』、
『出世の楽である!』。
前には、
『今世』の、
『利、楽』を、
『説いて!』、
此には、
『後世、出世』の、
『利、楽』を、
『説くのであるが!』、
是の、
『後世と、出世の利、楽の為』の故に、
『衆生』を、
『六波羅蜜』に、
『住させるのである!』が、
『菩薩』が、
『衆生を愍念する!』のは、
『父母が、子を念じる!』のに、
『過ぎ!』、
『菩薩』の、
『慈悲の心』が
『骨髄』に、
『徹しているからである!』。
先以飲食充足其身除飢渴苦。次以衣服莊嚴其身。令得受樂。菩薩心不滿足。復作是念眾生已得今世樂。復更思惟令得後世樂。若以世間六波羅蜜教之。則得人天中樂。久後還來輪轉生死。當復以出世間六波羅蜜。令得無為常樂。 先に、飲食を以って、其の身を充足して、飢渴の苦を除き、次いで衣服を以って、其の身を荘厳し、楽を受くるを得しむ。菩薩の心は、満足せずして、復た是の念を作さく、『衆生は、已に今世の楽を得たり』、と。復た更に思惟すらく、『後世の楽を得しむるに、若し世間の六波羅蜜を以って、之に教うれば、則ち、人天中の楽を得るも、久しき後に、還って来たりて、生死に輪転せん。当に復た出世間の六波羅蜜を以って、無為の常楽を得しむべし』、と。
『菩薩』は、
先に、
『飲食で!』、
其の、
『身を充足して!』、
『飢渴の苦』を、
『除き!』、
次に、
『衣服で!』、
其の、
『身を荘厳して!』、
『楽』を、
『受けさせる!』が、
『菩薩の心』は、
『満足せず!』、
復た、こう念じることになる、――
『衆生』は、
已に、
『今世の楽を得た!』が、
復た更に、こう思惟する、――
『後世の楽を得させる!』のに、
若し、
『世間』の、
『六波羅蜜』を、
『教えれば!』、
則ち、
『人、天中の楽』を、
『得ることになる!』が、
久しい後には、
還って来て、
『生、死』中を、
『輪転することになる!』。
復た( more over )、
『出世間の六波羅蜜を教えて!』、
『無為の常楽』を、
『得させねばならない!』、と。
復次先以衣服華香等莊嚴其身。今以功德莊嚴其心。若有三種莊嚴則為具足無有過者。一者衣服七寶等。二者福德。三者道法。菩薩欲具足三種莊嚴眾生故。先說功德果報。今說功德因緣。 復た次ぎに、先に、衣服、華香等を以って、其の身を荘厳し、今、功徳を以って、其の心を荘厳す。若し三種に荘厳する有らば、則ち具足すと為し、過有ること無きは、一には衣服、七宝等、二には福徳、三には道法なり。菩薩、三種を具足して、衆生を荘厳せんと欲するが故に、先に功徳の果報を説き、今功徳の因緣を説く。
復た次ぎに、
先に、
『衣服、華香等で!』、
其の、
『身』を、
『荘厳し!』、
今、
『功徳で!』、
其の、
『心』を、
『荘厳した!』が、
若し、
有る、
『衆生』を、
『三種に!』、
『荘厳すれば!』、
則ち、
『具足して!』が、
『過』が、
『無いことになる!』。
『具足して、過が無い!』とは、
一には、
『衣服や、七宝等であり!』、
二には、
『福徳であり!』、
三には、
『道法である!』。
『菩薩』は、
『三種の荘厳を具足して!』、
『衆生』を、
『荘厳しようとする!』が故に、
先に、
『功徳の果報』を、
『説き!』、
今、
『功徳の因縁』を、
『説くのである!』。
復次前說雖有大施而眾生罪故不能悉得。如餓鬼經說。雖與其食而不得噉。變成炭火不淨之物。又菩薩不捨一切。當作方便令眾生得衣食利益。是故教修福業自行自得。菩薩善知因緣。不可強得教令得之。以是故次第教眾生住六波羅蜜。 復た次ぎに、前に説かく、『大施有りと雖も、衆生は、罪の故に悉くを得る能わず』、と。餓鬼経に説けるが如し、『其れに食を与うと雖も、噉うを得ず、変じて炭火、不浄の物と成る』、と。又菩薩は、一切を捨てず、当に方便を作して、衆生をして、衣食を得しめて、利益すべし。是の故に、教えて福業を修せしめ、自ら行じて、自ら得。菩薩は、善く、強いて得しむべからざる因縁を知り、教えて之を得しむ。是を以っての故に、次第に教えて、衆生をして六波羅蜜に住せしむ。
復た次ぎに、
前には、こう説いた、――
『大施が有っても!』、
『衆生』は、
『罪』の故に、
『悉くを、得ることはできない!』、と。
例えば、
『餓鬼経』には、こう説かれている、――
其れに、
『食』を、
『与えても!』、
『噉うことができない!』。
『食は変じて!』、
『炭火や、不浄の物』に、
『成るからである!』、と。
又、
『菩薩』は、
『一切の衆生を捨てず!』、
『方便を作して( to do skillful means )!』、
『衆生』に、
『衣、食を得させて!』、
『利益せねばならない!』ので、
是の故に、
『菩薩』は、
『衆生に教えて!』、
『福業』を、
『修めさせ!』、
自らも、
『福業を行って!』、
『福徳』を、
『得るのである!』が、
『菩薩』は、
善く、
『強いて、得させることはできない!』、
『因縁』を、
『知り!』、
『教えて!』、
『福徳』を、
『得させる!』ので、
是の故に、
次第に、
『衆生を教えて!』、
『六波羅蜜』に、
『住させるのである!』。
  参考:『過去現在因果経巻3』:『爾時菩薩。次觀餓鬼。見其恒居黑闇之中。未曾暫睹日月之光。還是其類。亦不相見。受形長大。腹如太山。咽頸若針。口中恒有大火熾燃。常為飢渴之所燋迫。千億萬歲。不聞食聲。設值天雨灑其上者變成火珠。或時過臨江海河池。水即化為熱銅燋炭。動身舉步聲。如人牽五百乘車。支體節節。皆悉火然。菩薩既見受如是等種種諸苦。起大悲心。而自思惟。斯等皆為本造慳貪積財不施故。令今者受斯罪報。若人見彼受此苦痛。宜應惠施勿生吝惜。設使無財。亦應割肉以用布施。』
問曰。菩薩志願。令十方一切眾生住六波羅蜜。何故但說如恒河沙世界眾生。 問うて曰く、菩薩は、志願して、十方の一切の衆生をして、六波羅蜜に住せしむ。何の故にか、但だ、恒河沙の如き世界の衆生を説く。
問い、
『菩薩は志願して!』、
『十方の一切の衆生』を、
『六波羅蜜』に、
『住させようとしている!』のに、
何故、
但だ、
『恒河沙ほどの世界の衆生』を、
『説くのですか?』。
答曰。為聽法者聞恒河沙故。又於新發意菩薩。以無邊無量為多多則致亂。若大菩薩。不以恒河沙為數。 答えて曰く、聴法の者の、恒河沙と聞ける為の故なり。又新発意の菩薩に於いては、無量、無辺を以って、多しと為し、多ければ、則ち乱を致せばなり。若し大菩薩なれば、恒河沙を以って、数と為さず。
答え、
『聴法する者』が、
『恒河沙と聞いた!』が故に、
『恒河沙』と、
『言うのである!』。
又、
『新発意の菩薩』には、
『無量、無辺は多過ぎ!』、
『多過ぎれば!』、
『乱』を、
『致す( to cause )からである!』。
若し、
『大菩薩ならば!』、
『恒河沙』は、
『数にも!』、
『為らないであろう!』。
復次說如恒河沙者。是無邊無量數。如後品中說。 復た次ぎに、恒河沙の如きを説けば、是れ無辺、無量の数なること、後の品中に説けるが如し。
復た次ぎに、
『恒河沙ぐらいだ!』と、
『説けば!』、
是れは、
『無辺、無量の数』を、
『説いたのであり!』、
例えば、
『後の品』中に、
『説く通りである!』。
  参考:『大智度論巻82』:『釋曰。須菩提聞菩薩摩訶薩大利根相。所謂一波羅蜜邊能生五波羅蜜。行一波羅蜜即能具五波羅蜜。如上品中說。是事希有。故問佛。是菩薩發心已來為幾時能得如是方便。佛答。是菩薩發心已來。除大菩薩於餘眾生無量億阿僧祇劫。或有菩薩發心已來。無量億阿僧祇劫大罪因緣覆心故。不見佛不親近供養。是故問。是菩薩為供養幾佛。佛答。是菩薩為已供養如恒河沙等諸佛。上言無量億阿僧祇。今言恒河沙者。多數理同故。有菩薩久發心雖多以華香供養諸佛。而未能種善根。作是念我必當得果報。深心行六波羅蜜故。若以深心行六波羅蜜。為阿耨多羅三藐三菩提故作功德。是名種善根。是故第三問種何等善根。佛答。是菩薩從初發心已來。具足行六波羅蜜。一切福德無不作者。一切善法無不修集。須菩提聞已歡喜白佛言。希有世尊。是菩薩能如是行方便。所謂未斷諸煩惱未離生死。而能勝斷煩惱離生死法者。無始生死已來集諸惡法。菩薩心後來而能用後來心不隨先所集惡心。是為希有。一切眾生無恩於菩薩。而菩薩常欲利益是諸眾生。或欲奪菩薩命割截身體。菩薩欲以第一佛樂。智慧命欲與眾生。如是等是為希有。』
復次如恒河沙者。已說十方諸世界。此中亦不言一恒河沙。不應為難。以是故。說如恒河沙世界無咎。恒河沙世界義如先說。 復た次ぎに、恒河沙の如しとは、已に十方の世界を説き、此の中にも亦た、一恒河沙と言わざれば、応に難を為すべからず。是の故に、恒河沙の如き世界と説いて、咎無し。恒河沙世界の義は、先に説けるが如し。
復た次ぎに、
『恒河沙ほどだ!』とは、
已に、
『十方の諸の世界である!』と、
『説いた!』し、
此の中にも、
『一恒河沙である!』とは、
『言ってない!』ので、
当然、
『難ずべきではない!』。
是の故に、
『恒河沙ほどの世界』と、
『説いたとしても!』、
『咎』は、
『無い!』。
『恒河沙の世界という!』、
『義』は、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
眾生者。於五眾十八界十二入六種十二因緣等眾多法中。假名眾生。是天是人是牛是馬。眾生有二種。動者靜者。動者生身口業。靜者不能。有色眾生無色眾生。無足二足四足多足眾生。世間出世間眾生。大者小者賢聖凡夫。邪定正定不定眾生苦樂不苦不樂眾生。上中下眾生。學無學非學非無學眾生。有想無想非有想非無想眾生。欲界色界無色界眾生。 衆生とは、五衆、十八界、十二入、六種、十二因縁等の衆多の法中に於いて、仮に衆生と名づけ、是れ天なり、是れ人なり、是れ牛なり、是れ馬なり。衆生には二種有り、動の者、静の者なり。動の者は身、口の業を生ずるも、静の者は能わず。有色の衆生、無色の衆生、無足、二足、四足、多足の衆生、世間と出世間の衆生、大の者と小の者、賢聖と凡夫、邪定、正定、不定の衆生、苦、楽、不苦不楽の衆生、上、中、下の衆生、学、無学、非学非無学の衆生、有想、無想、非有想非無想の衆生、欲界、色界、無色界の衆生なり。
『衆生』とは、
『五衆(色衆、受、想、行、識衆)や!』、
『十八界(眼界乃至意界、色界乃至法界、眼識界乃至意識界)や!』、
『十二入( 眼入乃至意入、色入乃至法入)や!』、
『六種(地、水、火、風、空、識種)や!』、
『十二因縁(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)等の!』、
『衆多の法』中に、
仮に、
『衆生』と、
『称し!』、
是れが、
『天であり!』、
『人であり!』、
『牛であり!』、
『馬なのである!』。
『衆生』には、
『二種有り!』、
『動の者と!』、
『静の者である!』。
『動の者』は、
『身、口の業』を、
『生じさせる!』が、
『静の者』は、
『生じさせることができない!』。
『衆生』を、
『分別すれば!』、
『有色の衆生と、無色の衆生とか!』、
『無足と、二足と、四足と、多足の衆生とか!』、
『世間と、出世間の衆生とか!』、
『大の者と、小の者とか!』、
『賢聖と、凡夫とか!』、
『邪定と、正定と、不定の衆生とか!』、
『苦と、楽と、不苦不楽の衆生とか!』、
『上、中、下の衆生とか!』、
『学と、無学と、非学非無学の衆生とか!』、
『有想と、無想と、非有想非無想の衆生とか!』、
『欲界と、色界と、無色界の衆生等である!』。
欲界眾生者有三種。以善根有上中下故。上者六欲天。中者人中富貴。下者人中卑賤。以面類不同故。四天下別異。不善亦有三品。上者地獄。中者畜生。下者餓鬼。 欲界の衆生には、三種有り、善根に上、中、下有るを以っての故に、上の者は六欲天、中の者は人中の富貴、下の者は人中の卑賎にして、面類の不同なるを以っての故に、四天下に別異す。不善にも亦た三品有り、上の者は地獄、中の者は畜生、下の者は餓鬼なり。
『欲界の衆生』には、
『三種有り!』、
『善根』には、
『上、中、下が有る!』が故に、
上は、『六欲天となり!』、
中は、『人中の富貴となり!』、
下は、『人中の卑賎となり!』、
『面類』が、
『不同である!』が故に、
『南瞻部州、西牛貨洲、北瞿盧洲、東勝神洲という!』、
『四天下』に、
『別異する!』、
『不善』にも、
『三品が有る!』が故に、
上は、『地獄となり!』、
中は、『畜生となり!』、
下は、『餓鬼となる!』。
復次欲界眾生有十種。三惡道人及六天。地獄有三種。熱地獄寒地獄黑闇地獄。畜生有三種。空行陸行水行晝行夜行晝夜行。如是等差別。 復た次ぎに、欲界の衆生には、十種有り、三悪道、人、及び六天なり。地獄には、三種有り、熱地獄、寒地獄、黒闇地獄なり。畜生には、三種有り、空行、陸行、水行と、昼行、夜行、昼夜行なり。是れ等の如く差別す。
復た次ぎに、
『欲界の衆生』には、
『十種有り!』、
『三悪道と!』、
『人と!』、
『六天である!』。
『地獄』には、
『三種有り!』、
『熱地獄と!』、
『寒地獄と!』、
『黒闇地獄である!』。
『畜生』には、
『三種有り!』、
『空行、陸行、水行や!』、
『昼行、夜行、昼夜行であり!』、
是れ等のように、
『差別する!』。
鬼有二種。弊鬼餓鬼。弊鬼如天受樂。但與餓鬼同住即為其主。餓鬼腹如山谷咽如針身。惟有三事黑皮筋骨。無數百歲不聞飲食之名何況得見。復有鬼火從口出飛蛾投火以為飲食。有食糞涕唾膿血洗器遺餘。或得祭祀或食產生不淨。如是等種種餓鬼。 鬼には、二種有り、弊鬼と餓鬼なり。弊鬼は天の如く、楽を受くるも、但だ餓鬼と同住して、即ち其の主と為る。餓鬼は、腹、山谷の如く、咽は針の如く、身には惟だ三事の黒き皮と筋と骨と有りて、無数百歳、飲食の名すら聞かず、何に況んや見るを得るをや。復た有る鬼は、火を口より出して、飛べる蛾に火を投じて、以って飲食と為し、有るいは糞、涕、唾、膿血、器を洗いし遺余を食い、或は祭祀に得て、或は産生の不浄を食う。是れ等の如き種種の餓鬼あり。
『鬼』には、
『二種有り!』、
『弊鬼と!』、
『餓鬼である!』。
『弊鬼』は、
『天のように!』、
『楽』を、
『受ける!』が、
但だ、
『餓鬼と同住しており!』、
即ち、
其の、
『主である!』。
『餓鬼』は、
『腹』が、
『山や!』、
『谷のようであり!』、
『咽』が、
『針のようであり!』、
『身』には、
惟だ、
『黒い皮、筋、骨の三事』が、
『有るだけであり!』、
無数百歳の間、
『飲食』は、
『名すら!』、
『聞くことなく!』、
況して、
『見た者など!』、
『言うまでもない!』。
復た、
有る、
『鬼』は、
『火を口より出し!』、
『火』を、
『飛んでいる蛾』に、
『投じて!』、
其の、
『蛾』を
『飲食としている!』。
有るいは、
『糞、涕、唾、膿血、器を洗った残滓』を、
『食い!』、
有るいは、
『祭祀の供物を得て!』、
『食い!』、
有るいは、
『産生時の不浄』を、
『食う!』。
是れ等のような、
『種種の餓鬼』が、
『有る!』。
六欲天者。四王天等。於六天中間別復有天。所謂持瓔珞天戲忘天心恚天鳥足天樂見天。此諸天等皆六天所攝。 六欲天とは、四王天等なり。六天の中間にも別に復た天有り、謂わゆる持瓔珞天、戯忘天、心恚天、鳥足天、楽見天にして、此の諸の天等は、皆六天の所摂なり。
『六欲天』とは、
『四王天等である!』が、
復た、
『六天の中間』にも、
『別の!』、
『天が有る!』。
謂わゆる、
『持瓔珞天や!』、
『戯忘天や!』、
『心恚天や!』、
『鳥足天や!』、
『楽見天であり!』、
此の、
『諸の天等』は、
皆、
『六天』の、
『所摂である( be contained )!』。
有人言欲界眾生。應有十一種。先說五道今益阿修羅道。 有る人の言わく、『欲界の衆生には、応に十一種有るべし』、と。先に五道を説けば、今阿修羅道を益さん。
有る人は、こう言っている、――
『欲界の衆生』には、
『十一種』、
『有るはずだ!』、と。
先に、
『五道を説いた!』が、
今、
『阿修羅道』を、
『益すことにする!』。
問曰。阿修羅即為五道所攝。是阿修羅非天非人。地獄苦多畜生形異。如是應鬼道所攝。 問うて曰く、阿修羅を、即ち五道の所摂と為す。是の阿修羅は、天に非ず、人に非ず、地獄は苦多く、畜生は形異なり。是の如くんば、応に鬼道の所摂なるべし。
問い、
『阿修羅』は、
即ち、
『五道』の、
『所摂である!』。
是の、
『阿修羅』は、
『天でもなく、人でもなく!』、
『地獄は、苦が多く!』、
『畜生とは、形が異なる!』ので、
是のような、
『阿修羅』は、
『鬼道』の、
『所摂でなくてはならない!』。
  阿修羅(あしゅら):梵名をasuraと作し、略して修羅と称す。六道の一、八部衆の一、十界の一と為す。また阿須羅、阿索羅、阿蘇羅、阿素羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪と作し、意訳して非天、非同類、不端正と為す。旧訳には不酒、不飲酒と為す。阿修羅は印度最古の諸神の一にして、戦闘に属する一類の鬼神にして、経には常に悪神と視られ、帝釈天(因陀羅神)と争闘して休まず。『増一阿含経巻3阿須倫品』によれば、その身の形は広長八万四千由旬、口の縦広千由旬なり、と。別に『長阿含経巻20阿須倫品』、『大楼炭経巻2阿須倫品』、『起世因本経巻5』には均しくその住処と事蹟を載せ、阿修羅の業因に関しては、諸経に多く挙ぐるは、瞋、慢、疑等の三種の生因を出だし、仏、首迦長者の為に業報の差別を説くに、経には即ち十種の阿修羅の生因を挙ぐ、即ち(一)身行微悪、(二)口行微悪、(三)意行微悪、(四)起憍、(五)起慢、(六)起我慢、(七)起大慢、(八)起邪慢、(九)起慢慢、(十)迴諸善根なり。この外に、阿修羅の持用する所の琴を説くに称して阿修羅琴と為し、阿修羅が何種の曲調を聴聞せんと欲すれば、則ち曲音は自然に弾出す、これもまた阿修羅の具有せる福徳なり。阿修羅の形像は多種に説かれ、或いは九頭千眼、口中より火を出だし、九百九十手、六足、身形は須弥山の四倍と為し、或いは千頭二千手、万頭二万手、三頭六手、或いは三面青黒色、忿怒裸形相、六臂等と謂えり。<(望)
答曰。不然。阿修羅力與三十三天等。何以故。或為諸天所破。或時能破諸天。如經中說。釋提桓因為阿修羅所破。四種兵眾入藕根孔以自藏翳。受五欲樂與天相似。為佛弟子。如是威力。何得餓鬼所攝。以是故應有六道。 答えて曰く、然らず。阿修羅は力、三十三天に等し。何を以っての故に、或は諸天の破る所と為し、或は時に能く諸天を破ればなり。経中に説くが如し、『釈提桓因は、阿修羅の破る所と為り、四種の兵衆、耦根の孔に入り、以って自ら翳を蔵(かく)せり。五欲の楽を受くること、天と相似す。仏弟子と為る』、と。是の如き威力を、何んが餓鬼の所摂たり得ん。是を以っての故に、応に六道有るべし。
答え、
間違っている!
『阿修羅』は、
『力』が、
『三十三天と!』、
『等しいからである!』。
何故ならば、
或は、
『諸天』に、
『破られたり!』、
或は時に、
『諸天』を、
『破ることができるからである!』。
例えば、
『経』中には、こう説かれている、――
『釈提桓因』は、
『阿修羅に破られて!』、
『四種の兵衆(象兵、馬兵、歩兵、車兵)』が、
『耦根(蓮根)の孔』に、
『隠れた!』とか、
『阿修羅』は、
『五欲の楽を受ける!』ので、
『天』に、
『相似している!』とか、
『阿修羅』が、
『仏の弟子』と、
『為った!』、と。
是のような、
『威力が有るのに!』、
何うして、
『餓鬼』の、
『所摂であり得るのか?』。
是の故に、
当然、
『六道』が、
『有るはずである!』。
  参考:『増一阿含経巻21』:『云何佛國境界不可思議。如來身者。為是父母所造耶。此亦不可思議。所以然者。如來身者。清淨無穢受諸天氣。為是人所造耶。此亦不可思議。所以然者。以過人行。如來身者。為是大身。此亦不可思議。所以然者。如來身者。不可造作。非諸天所及。如來壽為短耶。此亦不可思議。所以然者。如來有四神足。如來為長壽耶。此亦不可思議。所以然者。然復如來故興世間周旋。與善權方便相應。如來身者。不可摸則。不可言長.言短。音聲亦不可法則。如來梵音。如來智慧.辯才不可思議。非世間人民之所能及。如是佛境界不可思議。如是。比丘。有此四處不可思議。非是常人之所思議。然此四事無善根本。亦不由此得修梵行。不至休息之處。乃至不到涅槃之處。但令人狂惑。心意錯亂。起諸疑結。所以然者。比丘當知。過去久遠。此舍衛城中有一凡人。便作是念。我今當思議世界。是時。彼人出舍衛城。在一華池水側。結跏趺坐。思惟世界。此世界云何成。云何敗。誰造此世界。此眾生類為從何來。為從何出。為何時生。是時。彼人思議。此時便見池水中有四種兵出入。是時。彼人復作是念。我今狂惑。心意錯亂。世間無者。我今見之。時。彼人還入舍衛城。在里巷之中作是說。諸賢當知。世界無者。我今見之。是時。眾多人報彼人曰。云何世間無者。汝今見之。時。此人報眾多人曰。我向者作是思惟。世界為從何生。便出舍衛城。在華池側。作是思議。世界為從何來。誰造此世界。此眾生類從何而來。為誰所生。若命終者當生何處。我當思議。此時。便見池水中有四種兵出入。世界無者。我今見之。是時。眾多人報彼人曰。如汝實狂愚。池水之中那得四種兵。諸世界狂愚之中。汝最為上。是故。比丘。我觀此義已。故告汝等耳。所以然者。此非善本功德。不得修梵行。亦復不得至涅槃處。然思議此者。則令人狂。心意錯亂。然比丘當知。彼人實見四種之兵。所以然者。昔日諸天與阿須倫共鬥。當共鬥時。諸天得勝。阿須倫不如。是時。阿須倫便懷恐怖。化形極使小。從藕根孔中過。佛眼之所見非餘者所及。是故。諸比丘。當思議四諦。所以然者。此四諦者。有義.有理。得修梵行。行沙門法。得至涅槃。是故。諸比丘。捨離此世界之法。當求方便。思議四諦。知是。諸比丘。當作是學。爾時。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
復次如阿修羅甄陀羅乾沓婆鳩槃茶夜叉羅刹浮陀等大神。是天阿修羅。民眾受樂小減諸天。威德變化隨意所作。是故人疑言。是修羅非修羅。修羅秦言大也。說者言。是阿修羅非修羅。阿修羅道初得名。餘者皆同一道。 復た次ぎに、阿修羅、甄陀羅、乾沓婆、鳩槃荼、夜叉、羅刹、浮陀等の如き大神は、是れ天なり。阿修羅の民衆は、楽を受くるも、小しく諸天の威徳に減じ、変化して所作随意なり。是の故に人の疑いて言わく、『是れ修羅なりや、修羅に非ずや』、と。説者の言わく、『是れ阿修羅は、修羅に非ざれば、阿修羅道を初めて名づくるを得。餘も皆、同一の道なり。
復た次ぎに、
『阿修羅、甄陀羅、乾沓婆、鳩槃荼、夜叉、羅刹、浮陀等のような!』、
『大神』は、
『天である!』。
『阿修羅の民衆』は、
『楽を受ける!』が、
『諸天よりも!』、
『やや少ない!』。
『威徳、変化』は、
『所作』を、
『意のままにする!』。
是の故に、
『人は疑って!』、こう言う、――
是れは、
『修羅( a deity )なのか?』、
『修羅でないのか?』、と。
『説者(論者)』は、こう言う、――
是れは、
『阿修羅であって、修羅ではない!』が故に、
初めて、
『阿修羅道』と、
『称することができるのである!』。
餘の、
『甄陀羅等』も、
皆、
『同一の!』、
『阿修羅道である!』。
  (げん):<動詞>[本義]減少させる/する( reduce )。不足する/~よりも少ない( be not enough, be insufficient )、誅殺する/殺す( kill )、軽減する/軽くする( lighten )、節約する( save )。
  (しょう):<形容詞>[本義]小さい( small, little, minor )。年少( young )、やや/少し( slightly, a little )、ほぼ( nearly )、狭い/狹量な( narrow, narrow-minded )、粗末な/つつましい( humble )、暫時/暫く( for a short time )。<名詞>微細な事物( small matters )、小人/卑劣な人( mean man )。
  甄陀羅(けんだら):梵にkiJnaraに作り、また緊那羅、緊捺洛、緊拏羅、緊擔路、真陀羅等に作り、或いは称して歌神、歌楽神、音楽天と為す。梵にkiJと作すは疑問詞にして、naraを人の意と為せば、意訳して疑神、疑人、人非人と作す。原、印度神話中の神なるも後に仏教に入りて八部衆の一と為す。<(望)
  乾沓婆(けんとうば):梵にgandharvaに作り、また乾闥婆、健達縛、犍闥婆、彦達婆、乾沓和等に作り、意訳して食香、尋香行、香陰、香神、尋香主等と為す。緊那羅と同じく帝釈天の奏楽を司る神にして、また尋香神、楽神、執楽天に作る。八部衆の一にして酒肉を食わず、ただ香気を以って食と為すという。<(望)
  鳩槃荼(くばんだ):梵にkumbhaaNDaに作り、また倶槃荼、究槃荼、弓槃荼、鳩満拏等に作り、意訳して甕形鬼、冬瓜鬼、厭魅鬼と為す、即ち増長天に隷属する二部の鬼類の一なり。<(望)
  夜叉(やしゃ):梵にyakSaに作り、八部衆の一なり。通常羅刹(梵raakSasa)と并び称さる。また藥叉、悦叉、閲叉、野叉等に作り、意訳して軽捷、勇健、能噉、貴人、威徳、祠祭鬼、捷疾鬼と為す。女性を夜叉女(yakSiNii)と称す。地上或いは空中に住して威勢を以って人を悩害す、或いは正法を守護する鬼類と為す。『大智度論巻10』には、三種の夜叉を挙ぐ、即ち(一)飛行夜叉:常に種種の歓楽、音楽、飲食等を得。(二)虚空夜叉:大力を具有し、行走すること風の如し。(三)宮殿飛行夜叉:種種の娯楽及び便身の物を有す。<(佛)
  羅刹(らせつ):梵にraakSasaに作り、悪鬼の名と為す。また羅刹娑(羅刹婆を誤写と為す)、羅叉娑、羅乞察娑、阿落刹娑等に作り、意訳して可畏、速疾鬼、護者と為す。女なれば則ち羅刹女、羅叉私(raakSasii)と称す。悪鬼の総名にして、男羅刹なれば黒身、朱髪、緑眼と為し、女羅刹なれば則ち絶美の婦人にして、人を魅する力を富有し、専ら人の血肉を食うという。<(佛)
  浮陀(ふだ):不明。或いは梵名puutanaに作り、また富単那、富多那、布怛那に作り、意訳して臭鬼、臭餓鬼と為し、また熱病鬼、災恠鬼(さいけき、災怪鬼)と称す。この鬼は乾闥婆と与に皆持国天の眷属と為し、東方を守護す。『慧琳音義巻12、18』によれば、富単那鬼を餓鬼の中の福報最勝の者と為し、それに易えて極めて臭穢にして、よく人畜に災害を与うと為す。
  修羅(しゅら):梵に sura ( a god, divinity, deity )に作り、意訳して神、天と為す。もしこれ女性名詞 suraa ならばまさに酒( spirituous liquor, wine )と訳すべし。また阿(梵a)は否定を表す接頭語なり。<(望)
  秦言大也:他本には(此言不飲酒)に作る。今、不可信頼の故に削除す。
問曰。經說有五道。云何言六道。 問うて曰く、経には五道有りと説くに、云何が、六道なりと言う。
問い、
『経』には、
『五道が有る!』と、
『説かれている!』のに、
何故、
『六道だ!』と、
『言うのですか?』。
  参考:『別訳雑阿含経(349)巻16』:『如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時佛告諸比丘。譬如五輻車輪其有力者旋轉速疾。一切眾生。亦復如是。為無明覆。輪轉五道。所謂人天地獄餓鬼及以畜生。如是無始生死。是故比丘。當斷諸有。應作善法。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
答曰。佛去久經流遠。法傳五百年後。多有別異部部不同。或言五道或言六道。若說五者。於佛經迴文說五。若說六者。於佛經迴文說六。 答えて曰く、仏去りたもうこと久しく、経の流るること遠ければ、法を五百年の後に伝うるも、多く別異有りて、部部不同なれば、或は五道なりと言い、或は六道なりと言う。若し五を説く者は、仏の経に於いて、文を迴らして、五を説き、若し六を説く者は、仏の経に於いて、文を迴らして、六を説く。
答え、
『仏が去られて、久しく!』、
『経は、遠くまで流れて!』、
『法』を、
『五百年の後に!』、
『伝えた!』が、
『法の別異』が、
『多く!』、
『有り!』、
『部部ごとに!』、
『法が、不同である!』が故に、
或は、
『五道である!』と、
『言い!』、
或は、
『六道である!』と、
『言い!』、
若し、
『五を説く者ならば!』、
『仏の経を迴文して( turning over the pages )!』、
『五である!』と、
『説き!』、
若し、
『六を説く者ならば!』、
『仏の経を迴文して!』、
『六である!』と、
『説くのである!』。
又摩訶衍中法華經說有六趣眾生。觀諸義旨應有六道。 又摩訶衍中の法華経には、六趣の衆生有るを説き、諸の義旨を観れば、応に六道有るべし。
又、
『摩訶衍中の法華経』には、
『六趣の衆生が有る!』と、
『説かれている!』ので、
『諸の義旨( meaning )を観察すれば!』、
当然、
『六道』が、
『有るはずである!』。
  参考:『妙法蓮華経随喜功徳品巻6』:『佛告彌勒。我今分明語汝。是人以一切樂具。施於四百萬億阿僧祇世界六趣眾生。又令得阿羅漢果。所得功德。不如是第五十人。聞法華經一偈隨喜功德。百分千分百千萬億分不及其一。乃至算數譬喻所不能知。阿逸多。如是第五十人展轉聞法華經隨喜功德。尚無量無邊阿僧祇。何況最初於會中聞而隨喜者。其福復勝無量無邊阿僧祇。不可得比。』
復次分別善惡故有六道。善有上中下故。有三善道。天人阿修羅。惡有上中下故。地獄畜生餓鬼道。若不爾者惡有三果報。而善有二果。是事相違。若有六道於義無違。 復た次ぎに、善悪を分別するが故に六道有り。善に上、中、下有るが故に、三善道なる天、人、阿修羅有り、悪に上、中、下有るが故に、地獄、畜生、餓鬼道なり。若し爾らずんば、悪に三果報有るも、善には二果有れば、是の事相違す。若し六道有れば、義に於いて違無し。
復た次ぎに、
『善、悪を分別する!』が故に、
『六道が有り!』、
『善』には、
『上、中、下有る!』が故に、
『天、人、阿修羅の三善道』が、
『有り!』、
『悪』にも、
『上、中、下有る!』が故に、
『地獄、畜生、餓鬼の三不善道』が、
『有るのである!』。
若し、爾うでなければ、――
『悪』には、
『三果報』が、
『有るのに!』、
『善』には、
『二果報のみ!』、
『有ることになり!』、
是の、
『事の数』が、
『相違する!』が、
若し、
『六道』が、
『有れば!』、
『義』に於いて、
『相違すること!』が、
『無くなるからである!』。
問曰。善法亦有三果。下者為人中者為天上者涅槃。 問うて曰く、善法にも亦た三果有り。下なれば人と為り、中なれば天と為り、上なれば涅槃す。
問い、
『善法』にも、
『三果が有り!』、
下は、『人と為り!』、
中は、『天と為り!』、
上は、『涅槃です!』。
答曰。是中不應說涅槃。但應分別眾生果報住處。涅槃非報故。善法有二種。一者三十七品能至涅槃。二者能生後世樂。今但說受身善法。不說至涅槃善法。世間善有三品。上分因緣故天道果報。中分因緣故人道果報。下分因緣故阿修羅道果報。 答えて曰く、是の中には、応に涅槃を説くべからず。但だ応に衆生の果報の住処を分別すべし。涅槃は報に非ざるが故なり。善法には二種有り、一には三十七品にして、能く涅槃に至る。二には能く後世の楽を生ず。今は但だ、身を受くる善法を説いて、涅槃に至る善法を説かず。世間の善には、三品有り、上分の因縁の故に、天道の果報なり、中分の因縁の故に、人道の果報なり、下分の因縁の故に、阿修羅道の果報なり。
答え、
是の中には、
『涅槃を説くべきでなく!』、
但だ、
『衆生の果報としての!』、
『住処だけ!』を、
『説かねばならない!』。
『涅槃』は、
『果報としての!』、
『住処ではないからである!』。
『善法』には、
『二種有り!』、
一には、
『三十七品であり!』、
『涅槃』に、
『至ることができる!』が、
二には、
『後世』の、
『楽』を、
『生じることができるだけである!』が、
今は、
但だ、
『果報の身を受ける!』、
『善法だけ!』を、
『説いて!』、
『涅槃に至る!』、
『善法は!』、
『説かない!』。
『世間の善』には、
『三品有り!』、
『上分の因縁』の故に、
『天道の果報』を、
『得!』、
『中分の因縁』の故に、
『人道の果報』を、
『得!』、
『下分の因縁』の故に、
『阿修羅道の果報』を、
『得る!』。
問曰。汝自說阿修羅。與天等力受樂與天不異。云何今說善下分。為阿修羅果報。 問うて曰く、汝は、自ら、『阿修羅は、天と等しき力にして、楽を受くること天と異ならず』、と説けるに、云何が、今は、『善の下分を、阿修羅の果報なりと為す』、と説く。
問い、
お前は、
自ら、こう説いたのに、――
『阿修羅』は、
『力』は、
『天と!』、
『等しく!』、
『楽を受ける!』のも、
『天と!』、
『異ならない!』、と。
何故、
今は、こう説くのか?――
『善の下分』が、
『阿修羅という!』、
『果報である!』、と。
答曰。人中可得出家受戒以至於道。阿修羅道。結使覆心得道甚難。諸天雖隨結使心直信道。阿修羅眾心多邪曲不時近道。以是故阿修羅。雖與天相似。以其近道難故故在人下。如龍王金翅鳥。力勢雖大亦能變化故。在畜生道中。阿修羅道亦如是。 答えて曰く、人中は、出家、持戒して、以って道に至るを得べくも、阿修羅道は、結使心を覆いて、道を得ること甚だ難し。諸天は、結使に随うと雖も、心直くして道を信ずるも、阿修羅衆の心は、多く邪曲して時にも道に近づかず。是を以っての故に、阿修羅は、天と相似すと雖も、其の道に近づくことの難きを以っての故に、故(ことさら)に人の下に在(お)く。龍王、金翅鳥は、力勢大にして、亦た能く変化すと雖も、故に畜生道中に在くが如く、阿修羅道も亦た是の如し。
答え、
『人』中は、
『出家、持戒すれば!』、
『道に!』、
『至ることもできる!』が、
『阿修羅道』は、
『結使が心を覆うので!』、
『道を得ること!』が、
『甚だ難しい!』。
『諸天』は、
『結使に随いながら!』、
『心が素直で!』、
『道』を、
『信じる!』が、
『阿修羅衆』は、
『心が、多く邪曲しており!』、
『時宜を得ても!』、
『道に!』、
『近づくことがない!』。
是の故に、
『阿修羅』は、
『天と相似しながら!』、
其の、
『道に!』、
『近づくこと!』が、
『難しい!』が故に、
故意に、
『人の下』に、
『在()くのである!』。
『龍王や、金翅鳥』が、
『力勢が大であり!』、
『変化することもできる!』のに、
故意に、
『畜生道』中に、
『在くように!』、
『阿修羅道』も、
亦た、
『是の通りである!』。
  (じ):<名詞>[本義]季節( quarter( of a year ), season )。時間単位の古称/十二分の一昼夜/2時間( one of the 12two-hour periods into which the day was traditionally divided )、時間/時候/時期( time )、時の風俗( fashion )、時の運/命運( fortune )、時機/機会( opportunity )、歳月( days )、時勢( current situation )、気候/天気( climate )。<形容詞>時宜に適う( fashionable )、その時代の( current, present )。<副詞>時々/常々( now and then )、時たま( sometimes )、特定の時に応じて( according to the fixed period )、その時( then, at the time )。<代名詞>此の( this )。<動詞>時に適う/時宜に合する( at the right moment, in good timely )、時を伺い( wait )。
問曰。若龍王金翅鳥。力勢雖大猶為畜生道攝。阿修羅亦應餓鬼道攝。何以更作六道。 問うて曰く、若し龍王、金翅鳥の力勢、大なりと雖も、猶お畜生道に摂せらるれば、阿修羅も亦た応に餓鬼道に摂すべし。何を以ってか、更に六道と作す。
問い、
若し、
『龍王や、金翅鳥が!』、
『力勢が大であっても!』、
猶お、
『畜生道』に、
『摂される( to be contained )ならば!』、
『阿修羅』は、
当然、
『餓鬼道』に、
『摂されなければならない!』。
何故、
更に、
『六道』と、
『作すのですか?』。
答曰。是龍王金翅鳥雖復受樂。傍行形同畜生故畜生道攝。地獄餓鬼形雖似人。以其大苦故不入人道。阿修羅力勢既大。形似人天故。別立六道是為略說。欲界眾生色無色界眾生。如後品中說。 答えて曰く、是の龍王、金翅鳥は、復た楽を受くと雖も、傍(かたわら)を行き、形畜生に同じきが故に、畜生道に摂せらる。地獄、餓鬼は、形人に似たりと雖も、其の大苦なるを以っての故に、人道に入れず。阿修羅は、力勢既に大にして、形は人、天に似たるが故に、別に六道を立つ。是れを欲界の衆生を略説すと為す。色、無色界の衆生は、後の品中に説くが如し。
答え、
是の、
『龍王や、金翅鳥』も、
復た( also )、
『楽を受ける!』が、
『諸天の傍( the sides of the road )を行き!』、
『形が、畜生と同じである!』が故に、
『畜生道』に、
『摂せられ!』、
『地獄や、餓鬼』は、
『形が、人に似ていても!』、
其の、
『大苦を受ける!』が故に、
『人道』に、
『入らず!』、
『阿修羅』は、
『力勢が大であり!』、
『形が人、天に似ている!』が故に、
別に、
『阿修羅道を立てて!』、
『六道』と、
『作すのである!』。
是れは、
『欲界の衆生』を、
『略説したものである!』が、
『色、無色界の衆生』は、
『後の品』中に、
『説く通りである!』。
  (ぼう):<副詞>[本義]側に/近くに( beside, be close to )。<動詞>依る/依附する( depend on )、[国を統治する支配者を]輔佐する( assist a ruler in governing a coutry )、付き沿う( follow )、伴う( accompany )。<名詞>側/近く( side )、他人( other )、傍系( side )。<形容詞>広い/広大な( extensive )。


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