【經】欲滿一切眾生所願衣服飲食臥具塗香車乘房舍床榻燈燭等。當學般若波羅蜜 |
一切の衆生の所願の衣服、飲食、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭等を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。 |
一切の、
『衆生の所願』の、
『衣服、飲食、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭等を!』、
『満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
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【論】問曰。有何次第。欲滿一切眾生願。 |
問うて曰く、何の次第有りてか、一切の衆生の願を満てんと欲する。 |
問い、
何のような、
『次第が有って!』、
一切の、
『衆生の所願を!』、
『満たそうとするのですか?』。
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答曰。菩薩業有二種。一為供養諸佛。二為度脫眾生。以供養諸佛。得無量福德。持是福德利益眾生。所謂滿眾生願。如賈客主入海採寶安隱得出利益所親及知識等。菩薩如是入諸佛法海。得無量功德之寶利益眾生。 |
答えて曰く、菩薩の業には二種有り、一には諸仏を供養せんが為、二には衆生を度脱せんが為なり。諸仏を供養するを以って、無量の福徳を得、是の福徳を持して、衆生を利益す。謂わゆる衆生の願を満つるなり。賈客主の海に入りて、宝を採り、安隠に出づるを得て、親しむ所、及び知識等を利益するが如し。菩薩も、是の如く諸仏の法海に入りて、無量の功徳の宝を得て、衆生を利益す。 |
答え、
『菩薩の業』には、
『二種有り!』、
一には、
『諸仏』を、
『供養する為であり!』、
二には、
『衆生』を、
『度脱する為である!』。
『菩薩』は、
『諸仏を供養して!』、
『無量の福徳を得!』、
是の、
『福徳を維持して( to keep up )!』、
『衆生』を、
『利益する!』、
謂わゆる、
『衆生の願』を、
『満たすのである!』。
譬えば、
『賈客主』が、
『海に入って!』、
『宝』を、
『採取し!』、
『海を安隠に出て!』、
『親戚( relatives )や、知識( friends )』を、
『利益するように!』、
『菩薩』は、
是のように、
『諸仏の法という!』、
『海』に、
『入り!』、
『無量の功徳という!』、
『宝』を、
『得て!』、
是の、
『功徳を用いて!』、
『衆生』を、
『利益するのである!』。
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所親(しょしん):梵語 bandhu の訳、関係/関連/縁故( connection, relation, association )の義、血族/親戚/血縁の者(
a kinsman, relative, kindred )の意、又六親に作る。 |
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如小王供養大王能令歡喜。與其所願職位財帛。還其本國利益人物除卻怨賊。菩薩供養諸佛法王故得受記別。以無量善根珍寶得無盡智力。來入眾生善人供養貧者。隨其所須而給與之。魔民邪見外道之屬悉皆破壞。是為供養諸佛。次滿眾生所願。 |
小王の大王を供養して、能く歓喜せしむれば、其の所願の職位、財帛を与えしめ、其の本国に還りて、人、物を利益し、怨賊を除却するが如く、菩薩は、諸仏の法王を供養するが故に、記別を受くるを得て、無量の善根の珍宝を以って、無尽の智力を得、来たりて衆生の善人に入り、貧者を供養して、其の須むる所に随いて、之を給与すれば、魔民、邪見の外道の属は、悉く皆破壊す。是れを諸仏を供養すと為し、次いで衆生の所願を満つ。 |
譬えば、
『小王』が、
『大王を供養して、歓喜させる!』が故に、
其の、
『所願の職位、財帛』を、
『与えさせることができ!』、
『本国に還って!』、
『人( human )や、物( non-human )を利益して!』、
『怨賊』を、
『除却するように!』、
『菩薩』は、
『諸仏という!』、
『法の王を供養する!』が故に、
『記別』を、
『受けることができ!』、
『無量の善根という!』、
『珍宝を用いて!』、
『無尽の智力』を、
『得たならば!』、
『衆生界に来て!』、
『善人に入り!』、
『貧者』を、
『供養して!』、
其の、
『必要とする所に随って!』、
之に、
『給与する!』ので、
『魔民や、邪見の外道の属』は、
是れが、
『諸仏の供養であり!』、
次いで、
『衆生の所願』を、
『満たすのである!』。
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財帛(ざいはく):貨財と布帛、金銭と織物。財産。 |
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問曰。菩薩實能滿一切眾生願不。若悉滿眾生願。餘佛菩薩何所利益。若不悉滿是中。何故說欲滿一切眾生願當學般若波羅蜜。 |
問うて曰く、菩薩は、実に能く、一切の衆生の願を満つや、不や。若し悉く、衆生の願を満てば、餘の仏、菩薩は、何の利益する所ぞ。若し悉くを満てずんば、是の中には、何の故にか、『一切の衆生の願を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と説く。 |
問い、
『菩薩』は、
実に、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことができるのですか?』。
若し、
悉く、
『衆生の願』を、
『満たしてしまえば!』、
何が、
『餘の仏、菩薩』に、
『利益されるのですか?』。
若し、
『悉くを、満たさなければ!』、
何故、
是の中に、こう説くのですか?――
『一切の衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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答曰。有二種願。一者可得願。二者不可得願。不可得願者。有人欲籌量虛空盡其邊際。及求時方邊際。如小兒求水中月鏡中像。如是等願皆不可得。可得願者。鑽木求火穿地得水。修福得人天中生。及得阿羅漢辟支佛果。乃至得諸佛法王。如是等名皆可得願。 |
答えて曰く、二種の願有り、一には可得の願、二には不可得の願なり。不可得の願とは、有る人は、虚空を籌量し、其の辺際を尽くし、及び時、方の辺際を求めんと欲するも、小児の水中の月、鏡中の像を求むるが如し。是れ等の如き願は、皆不可得なり。可得の願とは、木を鑽(き)りて火を求め、地を穿ちて水を得、福を修めて、人天中に生ずるを得、及び阿羅漢、辟支仏の果を得、乃至諸仏の法王を得ること、是れ等の如き、皆可得の願と名づく。 |
答え、
『願』には、
『二種有り!』、
一には、
『可得( obtainable )の願であり!』、
二には、
『不可得( unobtainable )の願である!』。
『不可得の願』とは、
有る人は、
『虚空を籌量して!』、
其の、
『辺際』を、
『尽くしたり!』、
及び、
『時、方の辺際』を、
『求めようとする!』が、
譬えば、
『小児』が、
『水中の月や、鏡中の像』を、
『求めるようなものであり!』、
是れ等の、
『可得の願』とは、
『木を鑽って( be drilling )!』、
『火』を、
『求めようとしたり!』、
『地を穿って( to bore )
『水』を、
『得ようとしたり!』、
『福を修めて!』、
『人、天』中に、
『生まれようとしたり!』、
及び、
『阿羅漢、辟支仏の果』を、
『得ようとしたり!』、
乃至、
『諸仏という!』、
『法王と成ろうとする!』、
是れ等のような、
『願』を、
皆、
『可得の願』と、
『称する!』。
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籌量(ちゅうりょう):推し量る。
方(ほう):地方、大地。
鑽木(さんもく):木をきりもみして火を得ること。 |
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可得願有二種。一謂世間二謂出世間。是中世間願故。滿眾生願。云何得知。以飲食床臥具乃至燈燭所須之物皆給與之。 |
可得の願に二種有り、一を世間と謂い、二を出世間と謂う。是の中は世間の願の故に、衆生の願を満つ。云何が知るを得る。飲食、床、臥具、乃至灯燭なる所須の物を以って、皆之を給与すればなり。 |
『可得の願』には、
『二種有り!』、
一を、
『世間と謂い!』、
二を、
『出世間と謂う!』が、
是の中は、
『世間の願である!』が故に、
『衆生の願』が、
『満たすことができるのである!』。
何故、知ることができるのか?――
『飲食、床褥、臥具、乃至灯燭等の所須の物』を、
皆、
『給与するからである!』。
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問曰。菩薩何以故與眾生易得願。不與難者。 |
問うて曰く、菩薩は何を以っての故にか、衆生に得易き願を与えて、難き者を与えざる。 |
問い、
『菩薩』は、
何故、
『衆生に!』、
『得易い!』、
『願』を、
『与えて!』、
『得難い!』、
『願』を、
『与えないのですか?』。
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答曰。願有下中上。下願令致今世樂因緣。中願與後世樂因緣。上願與涅槃因緣。是故先與下願。次及中願然後上願。 |
答えて曰く、願に下、中、上有り。下の願は、今世の楽を致(いた)らしむる因縁、中の願は、後世の楽を与うる因縁、上の願は、涅槃を与うる因縁なれば、是の故に先に下の願を与え、次いで中の願に及び、然る後に上の願なり。 |
答え、
『願』には、
『下、中、上が有り!』、
『下の願』は、
『今世の楽』を、
『致す( to bring about )!』、
『因縁であり!』、
『中の願』は、
『後世の楽』を、
『与える!』、
『因縁であり!』、
『上の願』は、
是の故に、
先に、
『下の願を与え!』、
次いで、
『中の願に及び!』、
その後が、
『上の願である!』。
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致(ち):<動詞>[本義]手渡す/差し出す/送る( deliver, extend, send )。招く/招致する/結果を齎す( incur, result in, cause )、造る/齎す/引き起こす( create, bring about, cause )、獲得/取得する( gain, get )、言い表す/述べる( express )、献げる/奉献する( sacrifice )、報告する/伝達する/報いる( pass on, repay, requite )、施行/実行する( carry out )、還る/帰還する( return )、放置する( place, put )、力を尽くす( devote oneself, make efforts to )、到る/到達する( arrive, reach )。<副詞>至って/極めて( very )。 |
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復次眾生多著今樂少求後樂。涅槃樂者轉復少也。若說多者少亦攝之。 |
復た次ぎに、衆生は多く、今の楽に著し、少し、後の楽を求め、涅槃の楽は、転た復た少なれば、若し多くの者に説けば、少も亦た之を摂するなり。 |
復た次ぎに、
『衆生』には、
『今世の楽』に、
『著する!』者が、
『多く!』、
『後世の楽』を、
『求める!』者は、
『少ない!』が、
『涅槃の楽』は、
『転た復た( more and more )!』、
『少ない!』ので、
若し、
『多くの者に説けば!』、
亦た、
『少ない!』者をも、
『摂する( to grasp )からである!』。
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復次此經前後。多說後世涅槃道。少說今世利事。菩薩法者。常與眾生種種利益不應有捨。所以者何。初心但欲令諸眾生行大乘法。以不堪受化。次與聲聞辟支佛道。若復不能當與十善四梵行等令修福德。若眾生都不樂者。如是眾生不應遺捨。當與今世利益。所謂飲食等也。 |
復た次ぎに、此の経は、前後に多く、後世の涅槃の道を説き、少し、今世の利事を説くも、菩薩の法は常に衆生に、種種の利益を与うれば、応に捨つること有るべからず。所以は何んとなれば、初心は、但だ諸の衆生をして、大乗の法を行ぜしめんと欲するも、化を受くるに堪えざるを以って、次いで声聞、辟支仏の道を与え、若し復た能わざれば、当に十善、四梵行等を与えて、福徳を修せしむべし。若し衆生、都(みな)楽しまざれば、是の如き衆生を、応に遺捨すべからずして、当に今世の利益を与うべし、謂わゆる飲食等なり。 |
復た次ぎに、
此の、
『経』は、
前から後まで、
『後世の涅槃の道』を、
『説くこと!』が、
『多く!』、
『今世の利事』を、
『説くこと!』は、
『少ない!』が、
『菩薩の法』では、
常に、
『衆生』に、
『種種の利益』を、
『与えて!』、
『衆生』を、
『捨てるようなこと!』は、
『有るはずがないからである!』。
何故ならば、
『菩薩』は、
『初心』に於いては、
但だ、
『諸の衆生』に、
『大乗の法』を、
『行わせようとするだけである!』が、
『衆生』が、
『化を受けること!』に、
『堪えられない!』ので、
次に、
『声聞や、辟支仏に至る!』、
『道』を、
『与えた!』が、
若し、
復た、
『道を行うこと!』に、
『堪えることができなければ!』、
当然、
『十善や、四梵行( 慈、悲、喜、捨無量)を与えて!』、
『福徳』を、
『修めさせなくてはならない!』。
若し、
『衆生』が、
都て( any )、
『道』を、
『楽しまなくても!』、
是のような、
『衆生』を、
『遺捨してはならず( should not forsake )!』、
当然、
『今世の利益』を、
『与えねばならない!』。
謂わゆる、
『飲食等である!』。
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四梵行(しぼんぎょう):また四梵堂、四梵処、四梵住に作り、即ち慈悲喜捨の四無量心なり。よくこの四無量心を修むれば即ち大梵天に生ずとの外道の唱うる所に係わる。 |
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復次凡夫雖能與人飲食等。滿彼願者皆有因緣。若今世事若後世事。聲聞辟支佛。雖無因緣滿眾生願而所益甚少。菩薩摩訶薩。行檀波羅蜜業因緣故。得為國王或為大長者財富無量。四方眾生若來求者盡滿足之。 |
復た次ぎに、凡夫は、能く人に飲食等を与うと雖も、彼の願を満たす者には、皆、因縁の、若しは今世の事、若しは後世の事有り。声聞、辟支仏は、因縁無しと雖も、衆生の願を満たすも、益する所は、甚だ少なし。菩薩摩訶薩は、檀波羅蜜を行ずる業の因縁の故に、国王と為り、或は大長者と為るを得て、財富無量なれば、四方の衆生、若し来たりて求むれば、尽く之を満足す。 |
復た次ぎに、
『凡夫』は、
『人』に、
『飲食等を!』、
『与えることができても!』、
彼の、
『人の願を満たす!』者には、
皆、
『今世や、後世の因縁』が、
『有る!』。
『声聞、辟支仏』は、
『因縁が無くても!』、
『衆生の願を満たす!』が、
『益する物』が、
『甚だ少ない!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『檀波羅蜜を行う!』、
『業の因縁』の故に、
『国王や、大長者』と、
『為ることができ!』、
『財富が無量である!』が故に、
『四方の衆生が来て求めれば!』、
『尽くを!』、
『満足させることができる!』。
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如頻頭居士為大檀越。坐七寶大床金剛為腳敷以天褥。以赤真珠上為帳幔。左右立侍各八萬四千。皆莊嚴琦妙開四大門。恣所求者晝夜六時鳴鼓又放光明。十方無量眾生。有聞鼓聲光明觸身者無不悉來。 |
頻頭居士の如きは、大檀越為りて、七宝の大床の金剛を脚と為し、敷くに天辱を以ってし、赤真珠を以って、上より帳幔と為すに坐し、左右に立ちて侍る八万四千は、皆、荘厳すること奇妙にして、四大門を開き、求むる所の者を恣(ほしいまま)にて、昼夜、六時に鼓を鳴らして、又光明を放つ。十方の無量の衆生は、鼓声を聞き、光明身に触るる者有らば、悉く来たらざる無し。 |
例えば、
『頻頭居士など!』は、
『大檀越であった!』が、
『金剛を脚とし!』、
『天辱を敷き!』、
『赤真珠の帳幔を上より垂した!』、
『七宝の大床』に、
『坐し!』、
『左右には!』、
各、
『奇妙に荘厳した!』、
『八万四千の侍者』を、
『立たせ!』、
『四大門を開いて!』、
『求める!』者を、
『恣に( allow )!』、
『来させ!』、
『昼、夜六時に!』、
『鼓を鳴らして!』、
『光明を放った!』ので、
『十方の無量の衆生』が、
有るいは、
『鼓声を聞いて!』、
『光明』が、
『身に触れる!』と、
悉く、
『来ないこと!』が、
『無かった!』。
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天褥(てんにく):天の褥。
琦妙(きみょう):奇妙、珍奇。
頻頭居士(びんづこじ):不明。或いは頻頭娑羅王/頻婆娑羅王?
頻婆娑羅(びんばしゃら):王名、梵名にbimbisaaraといい、また頻婆娑羅王、頻頭娑羅王、頻浮婆王、民弥沙囉王、瓶沙王、萍沙王、缾沙王等に作り、意訳して影勝王、影堅王、顔貌端正王、光沢第一王、好顔色王、諦実王、形牢王と為す。即ち釈尊と同時代の摩竭陀国王にして、西蘇納加王朝(梵zaizunaaga)の第五世なり。その皇后を韋提希夫人(vedehii)と為し、一太子を生ず、即ち阿闍世王(ajaatazatru)なり。頻婆娑羅王と夫人と均しく釈尊に帰依し、深く仏法を信ず。釈尊の道を証せし前に在りて、王かつて祈請すらく、釈尊、道を得し後に於いて先ず王舎城に至りてその供養を受けんことをと。釈尊これを黙許し、後に釈尊仏果を証得せしに、即ち先に王舎城に至りて法を説き、王もまた迦蘭陀に於いて竹林精舎を建て、仏弟子の止住に供して僧伽に供養し、仏教を護持して最初の外護者と為る。晩年には並べて宮殿内の塔寺に於いて釈尊の髪と爪を安置してこれを礼拝せしも、後に太子の阿闍世王、王位を簒奪せるを以って獄中に卒せり。<(望)
恣(し):<動詞>[本義]放縦/拘束を振り捨てる/自ら甘やかす( throw off restraint, indulge oneself )。任す(
allow, let )、代える/更迭する( change )。<副詞>奔放に/気ままに( wantonly, to one's heart's
content )。 |
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欲得種種飲食者。長者見其大集。即時默然仰視虛空。於時空中雨種種百味之食隨意皆得。若眾生不自取者。左右給使分布與之。足滿乃止。須飲食衣被臥具寶物等。皆亦如是。恣眾生所欲已然後說法。令離四食皆住阿鞞跋致地。如是等菩薩神通力故。能滿眾生願。 |
種種の飲食を得んと欲する者には、長者、其の大集を見て、即時に黙然として、虚空を仰視すれば、時に於いて、空中より種種の百味の食を雨ふらし、随意に皆得。若し衆生、自ら取らざれば、左右給使して、分布して、之を与え、足満して乃ち止む。飲食、衣服、臥具、宝物等を須むれば、皆、亦た是の如く、衆生の所欲を恣にし已りて、然る後に法を説き、四食を離れしめて、皆阿鞞跋致の地に住せしむ。是れ等の如く菩薩は、神通力の故に、能く衆生の願を満つ。 |
『種種の飲食を得ようとする!』者には、
『長者』は、
其の、
『大集を見て!』、
即時に、
『黙然とし!』、
『虚空』を、
『仰視すれば!』、
その時、
『空』中より、
『種種の百味の食』が、
『雨のように降るので!』、
『意のままに!』、
皆、
『得ることになる!』が、
若し、
『衆生』が、
『自ら、取らなければ!』、
『左右の侍者が給使して( standing near )!』、
『分布して!』、
『与え!』、
『満足して!』、
乃ち( only just )、
『止めるのである!』。
『必要な!』、
『飲食、衣服、臥具、宝物等も!』、
皆、
『是の通りである!』。
『衆生』の、
『欲する!』所を、
『恣に!』、
『与え已る!』と、
その後、
『法を説いて!』、
『四食( 段食、触食、思食、識食)を離れさせ!』、
皆、
『阿鞞跋致の地』に、
『住させるのであり!』、
是れ等のようにして、
『菩薩』は、
『神通力』の故に、
『衆生の願』を、
『満たすことができるのである!』。
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給使(きゅうし):梵語 upasthaana の訳、侍する/給仕すること( standing near )の義。
四食(しじき):梵語catraara aahaaraaH或いはaahaara-catuSkaに作り、衆生の生命を長養する段、触、思、識等の四種の食物を指す。『雑阿毘曇心論巻10』、『成唯識論巻4』、『集異門足論巻8』等によれば、即ち(一)段食(梵kavaDijkaaraaahaaara、kavlii-kaaraahaara):欲界の香、味、触の三塵を以って体と為し、分段して飲噉し、口、鼻を以って分分にこれを受く。段食はまた粗(梵odaarika)、細(suukSma)の二種に分かち、前者は普通の食物中の飯、麺、魚、肉等の如く、後者は酥、油、香気及び諸の飲料等の如し。(二)触食(sparzaakaaraahaara):また細滑食、楽食に作り、触の心所を以って体と為し、所触の境に対して喜楽の愛を生起して身を長養すれば、これを有漏の根、境、識和合の所生と為す。例としては、戯劇を観ること終日して食わざるに、また饑えを感ぜざるが如し。また孔雀、鸚鵡等の卵を生みおわりて、則ち時時親附して覆育し、これを温暖して、楽触を生ぜしむるに、卵は則ちこの温熱を受けて資養を得るが如し、故にまた温食と称す。人の衣服、洗浴等もまた触食と為す。(三)思食(manaH-saJcetanaakaaraahaara):また意志食、意念食、業食に作り、第六意識思の所欲の境に於いて希望の念を生じ、以って諸根を滋長し相続する者にして、これ即ち『成実論』に謂う所の「思願を以っての活命」なり。例えば、魚、亀等出でて陸地に至り諸の卵を生みし後に、細沙を以ってこれを覆いて、また反って水に入るに、もし彼の諸卵、母を思いて忘れざれば便ち腐壊せず、もし母を思わざれば即ち便ち腐壊するが如し。また人の梅を望みて渇きを止むるが如き、精神の食料に等し。(四)識食(vijJaanaakaaraahaara):漏識有らば段、触、思の三食の勢力に由って増長し、第八阿頼耶識を以って体と為し、衆生の身命を支持して壊せざる者にして、無色界及び地獄の衆生の如く、識を以って食と為す。<(佛) |
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問曰。佛在時眾生尚有飢餓。天不降雨眾生困弊。佛猶不能滿一切眾生之願。云何菩薩能滿其願。 |
問うて曰く、仏の在す時すら、衆生には尚お飢餓有りて、天は、雨を降らさず、衆生困弊す。仏すら、猶お一切の衆生の願を満つる能わず。云何が、菩薩にして、能く其の願を満つる。 |
問い、
『仏の在世の時すら!』、
『衆生』には、
『天』が、
『雨を降らさないので!』、
『衆生』は、
『困難、疲弊したのである!』。
『仏すら!』、
猶お、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことはできない!』のに、
『菩薩』が、
何故、
其の、
『願』を、
『満たすことができるのですか?』。
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答曰。菩薩住於十地。入首楞嚴三昧。於三千大千世界。或時現初發意行六波羅蜜。或現阿鞞跋致。或現一生補處。於兜率天上為諸天說法。或從兜率天上來下。生淨飯王宮。或現出家成佛。或現大眾中轉法輪度無量眾生。或現入涅槃起七寶塔。遍諸國土令眾生供養舍利。或時法都滅盡。菩薩利益如是。何況於佛。而佛身有二種。一者真身二者化身。眾生見佛真身。無願不滿。 |
答えて曰く、菩薩は、十地に住して、首楞厳三昧に入れば、三千大千世界に於いて、或は時に、初発意より、六波羅蜜を行ずるを現し、或は阿鞞跋致を現し、或は一生補処を現して、兜率天上に於いて、諸天の為に法を説き、或は兜率天上より来下して、浄飯王の宮に生じ、或は出家して仏と成るを現し、或は大衆中に法輪を転じて、無量の衆生を度するを現し、或は涅槃に入りて、七宝の塔を起て、遍く諸の国土の、衆生をして、舎利を供養せしむるを現し、或は時に、法都て滅尽す。菩薩の利益は、是の如し、何に況んや仏に於いてをや。而も仏身には、二種有り、一には真身、二には化身なり。衆生、仏の真身を見れば、願の満てざる無し。 |
答え、
『菩薩』は、
『十地に住して!』、
『首楞厳三昧』に、
『入る!』と、
『三千大千世界』に於いて、
或は時に、
『初発意より!』、
『六波羅蜜を行うまで!』を、
『現し!』、
或は、
『阿鞞跋致の地に!』、
『住すること!』を、
『現し!』、
或は、
『一生補処』に、
『住すること!』を、
『現して!』、
『兜率天上』に於いて、
『諸天の為に!』、
『法を説き!』、
或は、
『兜率天上より、来下して!』、
『浄飯王の宮』に、
『生じ!』、
或は、
『出家して!』、
『仏と成ること!』を、
『現し!』、
或は、
『大衆中に法輪を転じて!』、
『無量の衆生を度すること!』を、
『現し!』、
或は、
『涅槃に入って!』、
『七宝の塔を起てること!』を、
『現し!』、
遍く、
『諸の国土の衆生』に、
『舎利を供養させ!』、
或は時に、
『菩薩の利益』とは、
是の通りである!
況して、
『仏の利益』は、
『言うまでもない!』が、
而し、
『仏の身には二種有り!』、
一には、
『仏』の、
『真身であり!』、
二には、
『化身である!』。
『衆生』が、
『仏の真身を見れば!』、
『満たされない願』は、
『無い!』。
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首楞厳三昧(しゅりょうごんさんまい):梵にzuuraMgama-samaadhiに作り、意訳して健相三昧、健行定、勇健定、勇伏定、大根本定に作り、諸法を堅固に摂持する三昧の義なり。『大智度論巻47』によれば、首楞厳三昧とは、秦に健相と言い、諸の三昧を分別して、その行相、多少、深浅を知り、大将の諸の兵力の多少を知るが如し。また次ぎに、菩薩はこの三昧を得れば、諸の煩悩魔及び魔人もよく壊する者無く、譬えば転輪聖王の主兵、宝将の往至する所に降伏せざる者の無きが如し、と云い、また『首楞厳三昧経巻1』によれば、首楞厳三昧は初地乃至九地の菩薩のよく得る所に非ず、ただ十地の菩薩のみよくこの三昧を得ること有り。謂わゆる首楞厳三昧は、即ち心を修治してなお虚空の如く、現在の衆生の諸心を観察して衆生の諸根の利鈍を分別し、決定して衆生の因果等の一百項を了知す。この三昧は一事、一縁、一義を以って知るべからず、一切の禅定、解脱、三昧、神通、如意、無礙の智慧は皆摂して首楞厳中に在り、譬えば陂泉、江河の諸流は皆大海に入るが如し。故に菩薩の所有禅定は皆首楞厳三昧中に在り、所有三昧門、禅定門、辯才門、解脱門、陀羅尼門、神通門、明解脱門等の諸法は悉く皆摂して首楞厳三昧に在り、と云い、『南本涅槃経巻25』によれば、仏性は即ち首楞厳三昧なり、この首楞厳三昧に五種の名有り、(一)首楞厳三昧、(二)般若波羅蜜、(三)金剛三昧、(四)師子吼三昧、(五)仏性なり。首楞の意は一切畢竟を指し、厳の意は即ち堅なり。一切に畢竟じて堅固なるを得、これを首楞厳と名づけ、故に首楞厳を称して仏性と為す、と云えり。<(望) |
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佛真身者。遍於虛空光明遍炤十方。說法音聲亦遍十方無量恒河沙等世界。滿中大眾皆共聽法說法不息。一時之頃各隨所聞而得解悟。如劫盡已。眾生行業因緣故。大雨澍下間無斷絕。三大所不能制。惟有劫盡十方風起。更互相對能持此水。 |
仏の真身とは、虚空に遍くし、光明は遍く、十方を照し、説法の音声も亦た十方、無量の恒河沙に等しき世界を遍くし、中に満つる大衆、皆共に、法を聽くも、説法息まずして、一時の頃に各所聞に随いて、解悟を得。劫尽き已りて、衆生の行業の因縁の故に、大雨澍(うるお)し下りて、間に断絶無く、三大の制す能わざる所にして、惟(た)だ劫尽きて、十方の風の起る有り、更に互いに相対して、能く此の水を持するが如し。 |
『仏の真身』は、
『虚空に遍くして!』、
『光明が、遍く十方を照し!』、
『説法の音声』も、
『十方の無量恒河沙に等しい世界に!』、
『遍くし!』、
『世界に満ちる大衆』が、
『皆、共に法を聽く!』が、
『説法は息むことがない!』ので、
『一時の頃( at once )』に、
各が、
『所聞に随って!』、
『解悟を得るのである( to attain enlightenment )!』。
譬えば、
『劫が尽きて!』、
『衆生の行業の因緣』の故に、
『大雨』が、
『間断無く!』、
『澍(うるお)し下る!』と、
『三大( 地、火、風大)』も、
『雨』を、
『制することができない!』が、
惟だ( only then )、
『劫が尽きて!』、
『十方より!』、
『風』が、
『起り!』、
更に互いに( taking turns )、
『相対して( be oppositely located each other )!』、
此の、
『水』を、
『保持するようなものである!』。
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炤(しょう):てらす。照。
一時之頃(いちじのあいだ):梵語 ekadaa の訳、同時に/即時に( at the same time, at once )の義。 |
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如是法性身佛有所說法。除十住菩薩。三乘之人皆不能持。惟有十住菩薩不可思議方便智力悉能聽受。眾生其有見法身佛。無有三毒及眾煩惱寒熱諸苦。一切皆滅無願不滿。如如意珠尚令眾生隨願皆得。豈況於佛。 |
是の如き法性身の仏には、所説の法有るも、十住の菩薩を除いて、三乗の人は、皆持する能わず。惟だ十住の菩薩の不可思議の方便の智力有りて、悉く、能く聴受す。衆生は、其の法身仏を見ること有れば、三毒、及び衆の煩悩、寒熱の諸苦有ること無く、一切は皆滅して、願の満てざる無し。如意珠の如きすら、尚お衆生をして、願に随いて、皆得しむ。豈に況んや、仏に於いてをや。 |
是のような、
『法性身の仏』には、
『説かれた!』、
『法』が、
『有る!』が、
『十住の菩薩を除けば!』、
『三乗の人』は、
誰も、
『受持することができず!』、
惟だ、
『十住の菩薩』の、
『不可思議の方便の智力を有する!』者のみ、
『悉く!』を、
『聴受することができる!』。
『衆生』は、
其の、
有るいは、
『法身の仏を見る!』者は、
『三毒や、衆煩悩、寒熱』等の、
『諸の苦が無く!』、
『一切の苦』が、
『皆、滅して!』、
『願』の、
『満たされないこと!』が、
『無い!』。
『如意珠を見てすら!』、
尚お、
『衆生の願』は、
『意のままに!』、
『得られるのであるから!』、
況して、
『仏の法身』を、
『見れば!』、
『言うまでもない!』。
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珠與一切世間之願。佛與一切出世間願。若言佛不能悉滿眾生所願。是語不然。 |
珠は、一切の世間の願を与え、仏は一切の出世間の願を与う。若し、『仏は、悉く衆生の所願を満つる能わず』、と言わば、是の語は然らず。 |
『珠』は、
『仏』は、
若し、こう言えば、――
『仏』は、
『衆生の所願』を、
『悉く、満たすことはできない!』、と。
是の、
『語』は、
『間違っている!』。
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復次釋迦文尼佛王宮受身現受人法。有寒熱飢渴睡眠。受諸誹謗老病死等。內心智慧神德。真佛正覺無有異也。 |
復た次ぎに、釈迦文尼仏は、王宮に身を受けて、人法を受くるを現せば、寒熱、飢渴、睡眠有りて、諸の誹謗、老病死等を受けたもうも、内心の智慧、神徳、真仏の正覚に異なること有ること無きなり。 |
復た次ぎに、
『釈迦文尼仏』は、
『王宮に身を受け!』、
『人法を受けること!』を、
『現されたので!』、
『寒熱、飢渴、睡眠や、諸の誹謗、老病死等の!』、
『諸苦を受けること!』が、
『有った!』が、
『内心』の、
『智慧、神徳、真仏の正覚』が、
『異なること!』は、
『無いのである!』。
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欲滿眾生所願悉皆能滿。而不滿者以無數世來常滿眾生衣食之願而不免苦。今但以涅槃無為常樂益之。如人憐愍所親。不與雜毒美食。如是世間願者生諸結使。又復離時心生大苦。是故不以為要。 |
衆生の所願を満てんと欲せば、悉く皆、能く満てんも、而も満てざるは、無数の世より来(このかた)、常に衆生の衣食の願を満てども、苦を免れざるを以って、今但だ、涅槃なる無為の常楽を以って、之を益す。人の所親を憐愍すれば、雑毒の美食を与えざるが如し。是の如き世間の願は、諸の結使を生じて、又復た離るる時、心に大苦を生ずれば、是の故に、以って要と為さず。 |
『衆生の所願』を、
『満たそうとすれば!』、
『悉くを皆!』、
『満たすことができる!』が、
『満たさない!』のは、
『無数の世より!』、
常に、
『衆生の衣食の願』を、
『満たして来た!』が、
而し、
『苦』を、
『免れることはない!』ので、
今は、但だ、
『涅槃という!』、
『無為の常楽』で、
『利益するのである!』。
譬えば、
『人が、親属を憐愍すれば!』、
『毒を雑えた美食』を、
『与えないようなものである!』。
是のような、
『世間の願』は、
『諸の結使を生じ!』、
復た、
『離れる時には!』、
『心』に、
『大苦を生じさせる!』ので、
是の故に、
『必要である!』とは、
『思われなかったのである!』。
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復次有人言。釋迦牟尼佛。已滿眾生所願。而眾生自不能得。如毘摩羅詰經說。佛以足指案地。即時國土七寶莊嚴。我佛國如是。為多怒害者現佛國異。 |
復た次ぎに、有る人の言わく、『釈迦牟尼仏は、已に衆生の所願を満てたまえるも、衆生は自ら得る能わず。毘摩羅詰経に説くが如し、『仏、足指を以って、地を案(お)したまえば、即時に、国土を七宝荘厳す。我が仏国は、是の如けれど、怒害する者多きが為、仏国を異にして現す』、と。 |
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『釈迦牟尼仏』は、
已に、
『衆生の所願』を、
『満たされた!』が、
而し、
『衆生、自ら!』が、
『得ることができないだけである!』、と。
例えば、
『毘摩羅詰経』には、こう説かれている、――
『仏』が、
『足指』で、
『地』を、
『按される( to press down )!』と、
即時に、
『国土』は、
『七宝で荘厳された!』。
わたしの、
『仏国土』は、
『是の通りである!』が、
『多くの怒害する者の為に!』、
『仏の国土』を、
『異ならせて!』、
『現すのである!』、と。
|
毘摩羅詰経(びまらきつきょう):『維摩詰所説経』。 |
参考:『維摩詰所説経巻1仏国品』:『爾時舍利弗。承佛威神作是念。若菩薩心淨則佛土淨者。我世尊本為菩薩時意豈不淨。而是佛土不淨若此。佛知其念即告之言。於意云何。日月豈不淨耶。而盲者不見。對曰不也。世尊。是盲者過非日月咎。舍利弗。眾生罪故不見如來佛土嚴淨。非如來咎。舍利弗。我此土淨而汝不見。爾時螺髻梵王語舍利弗。勿作是意。謂此佛土以為不淨。所以者何。我見釋迦牟尼佛土清淨。譬如自在天宮。舍利弗言。我見此土。丘陵坑坎荊蕀沙礫。土石諸山穢惡充滿。螺髻梵言。仁者心有高下。不依佛慧故。見此土為不淨耳。舍利弗。菩薩於一切眾生。悉皆平等。深心清淨。依佛智慧則能見此佛土清淨。於是佛以足指按地。即時三千大千世界若干百千珍寶嚴飾。譬如寶莊嚴佛無量功德寶莊嚴土。一切大眾歎未曾有。而皆自見坐寶蓮華。佛告舍利弗。汝且觀是佛土嚴淨。舍利弗言。唯然世尊。本所不見。本所不聞。今佛國土嚴淨悉現。佛語舍利弗。我佛國土常淨若此。為欲度斯下劣人故。示是眾惡不淨土耳。譬如諸天共寶器食隨其福德飯色有異。如是舍利弗。若人心淨便見此土功德莊嚴。當佛現此國土嚴淨之時。寶積所將五百長者子皆得無生法忍。八萬四千人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。佛攝神足。於是世界還復如故。求聲聞乘三萬二千天及人。知有為法皆悉無常。遠塵離垢得法眼淨。八千比丘不受諸法漏盡意解』 |
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又如龍王等心降雨。在人為水。餓鬼身上皆為炭火。 |
又、龍王の等心に雨を降らすに、人に在りては、水と為り、餓鬼の身上には、皆、炭火と為るが如し。 |
又、
譬えば、
『龍王』が、
『等心に( in equal mind )!』、
『雨』を、
『降らせる!』と、
『人』に於いては、
『水』と、
『為るだけである!』が、
『餓鬼の身上』に於いては、
皆、
『炭火と!』、
『為るようなものである!』。
|
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参考:『大宝積経巻42』:『佛亦知餓鬼先世所種。佛為一切眾生故。問餓鬼前。世所種行今為餓鬼。餓鬼曰。先身雖見佛。不知有佛。雖見法不知有法。雖見比丘僧不知有比丘僧。我亦不作福。教他人亦不作福。作福有何等福。不作福有何種罪。見人作福。言恒笑之。見人作罪。意常歡喜。佛問餓鬼。生此餓鬼之中以來。至今更歷幾百年歲。餓鬼報言。我生中七萬歲。佛問餓鬼。生中七萬歲。食飲何種。為得何食。餓鬼報言。我先世種行至惡。遇值小水。即化不見。至於大水。便為鬼神龍羅剎所逐。言汝先世種惡。今何以來近此江海。雖值大龍普天放雨。謂呼得雨漬其身。方便礫石熱沙。或值炭火以墮其身。佛問餓鬼。生中七萬歲。由來飲食何等。餓鬼報佛言。或有世間父母親里。稱其名字。為作追福者。便小得食。不作福者。不得飲食。諸餓鬼叉手白佛言。從來飢渴。佛天中天。慈愍一切眾生。今賜餓鬼小飲食。佛語阿難。捉缽取水。用布施餓鬼。阿難便捉缽取水。與餓鬼。餓鬼白佛言。今此一缽水。不飽一人。況乃八萬四千。佛語諸餓鬼。八萬四千。捉此缽水。至心布施佛及諸弟子。諸八萬四千餓鬼。捉此缽水。長跪布施。以我先世不布施。今生餓鬼中。如今無所有。持此缽水。布施佛及諸弟子。使諸餓鬼緣此功德遠離三惡道。後所生得師如佛無異。餓鬼過水與阿難。阿難捉水與佛嘗一口。過與千二百五十弟子。各嘗一口。佛語諸餓鬼。入大江飲水。』 |
|
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問曰。若能滿一切眾生願者。則眾生有邊無有受諸飢寒苦者。何以故。一切眾生皆滿所願。願離苦得樂故。 |
問うて曰く、若し能く、一切の衆生の願を満てば、則ち衆生には辺有れば、諸の飢寒の苦を受くる者有ること無けん。何を以っての故に、一切の衆生、皆所願を満てば、離苦得楽を願うが故なり。 |
問い、
若し、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たすことができれば!』、
『衆生は有辺である!』が故に、
『諸の飢、寒の苦を受ける!』者は、
『無いことになる!』。
何故ならば、
『一切の衆生』が、
皆、
『所願』を、
『満たしたならば!』、
『願う!』のは、
『苦を離れて!』、
『楽を得ることだからである!』。
|
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|
答曰。滿一切者名字一切。非實一切。如法句偈說
一切皆懼死 莫不畏杖痛
恕己可為譬 勿殺勿行杖 |
答えて曰く、一切を満つとは、名字の一切にして、実の一切に非ず。『法句の偈』に説けるが如し、
一切は皆、死を懼れ、杖痛を畏れざる莫(な)し、
己を恕(ゆる)して譬と為すべし、
殺す勿(な)かれ、杖を行ずる勿かれ。
|
答え、
『一切を満たす!』とは、
『実の一切ではなく!』、
『名字の( in name only )!』、
『一切である!』。
『法句経の偈』には、こう説かれている、――
一切は、
皆、
『死を懼れ( to fear death )!』、
『杖の痛みを畏れない!』者は、
『無い!』。
譬えば、
『己を恕す( to forgive yourself )ように!』、
『殺すな( don't kill )!』、
『杖で打つな( don't strike with a cane )!』。
|
|
参考:『法句経巻1刀杖品』:『 一切皆懼死 莫不畏杖痛 恕己可為譬 勿殺勿行杖 能常安群生 不加諸楚毒 現世不逢害 後世長安隱 』 |
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雖言一切畏杖痛。如無色眾生。無身故則無杖痛。色界眾生。雖可有身亦無杖痛。欲界眾生亦有不受杖痛。而言一切。謂應得杖者說言一切。非實一切。以是故菩薩滿一切眾生所願。謂應可得者。然菩薩心無齊限。 |
『一切は杖痛を畏る』、と言うと雖も、無色の衆生の如きは、身無きが故に、則ち杖痛無く、色界の衆生には、身有るべしと雖も、亦た杖痛無く、欲界の衆生も亦た、杖痛を受けざる有り。而も『一切』と言うは、応に杖を得べき者を謂いて、説いて一切と言い、実の一切に非ず。是を以っての故に、菩薩の、一切の衆生の所願を満てるは、応に得べき者を謂い、然れども菩薩の心には、斉限無し。 |
一切は、
『杖の痛みを畏れる!』と、
『言う!』が、
例えば、
『無色の衆生など!』は、
『身が無い!』が故に、
『杖の痛み!』も、
『無いことになり!』、
『色界の衆生』は、
『身が有ったとしても!』、
『杖の痛み!』は、
『無い!』し、
『欲界の衆生』にも、
『杖の痛み!』を、
『受けない!』者も、
『有る!』。
而も、
『一切と、言うのは!』、
『杖を受けることのできる!』者を、
『説いて!』、
『一切と!』、
『言うのであり!』、
『実の!』、
『一切を!』、
『言うのではない!』。
是の故に、
『菩薩』が、
『一切の衆生』の、
『所願』を、
『満たす!』のは、
『願』を、
『得ることのできるだろう!』者を、
『謂うのである!』が、
然し、
『菩薩の心』には、
『斉限』が、
『無いのである!』。
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斉限(さいげん):限度。 |
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福德果報亦無有量。但眾生無量阿僧祇劫罪厚障故而不能得。 |
福徳の果報も亦た量有ること無く、但だ衆生の無量、阿僧祇劫の罪の厚き障の故に、而も得るを得ず。 |
『菩薩』の、
『福徳という!』、
『果報』も、
『無量である!』が、
但だ、
『衆生の無量、阿僧祇の罪』が、
『厚く障る!』が故に、
『願を!』、
『得られないだけである!』。
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如舍利弗弟子羅頻周比丘。持戒精進乞食。六日而不能得。乃至七日命在不久。有同道者乞食持與。鳥即持去。時舍利弗語目揵連。汝大神力守護此食令彼得之。即時目連持食往與。始欲向口變成為泥。 |
舎利弗の弟子の羅頻周比丘の如きは、持戒して、乞食を精進するも、六日して、得る能わず。乃至七日にして、命の在ること久しからず。同道の者の、乞食して持ちて与うる有るも、鳥、即ち持ち去れり。時に舎利弗の、目揵連に語らく、『汝、大神力もて、此の食を守護し、彼れをして、之を得しめよ』、と。即時に目連は、食を持して、往きて与うるに、始めて口を向けんと欲すれば、変成して泥と為る。 |
例えば、
『舎利弗の弟子』の、
『羅頻周比丘など!』は、
『持戒して!』、
『乞食』を、
『精進した!』が、
『六日の間』、
『食』を、
『得ることができず!』、
乃ち( whereupon )、
『七日に至って!』、
『命の在る!』のが、
『久しくないことになった!』。
有る、
『道を同じくする!』者が、
『乞食し!』、
『持参して!』、
『与えた!』が、
『鳥』が、
即座に、
『持ち去った!』。
その時、
『舎利弗』は、
『目揵連』に、こう語った、――
お前の、
『大神力で!』、
此の、
『食』を、
『守護し!』、
彼れに、
即時に、
『目連』は、
『食を持参し!』、
彼の所へ、
『往って!』、
『与えた!』が、
『食に!』、
『口を向けようと!』、
『し始める!』と、
『食は変じて!』、
『泥に!』、
『成った!』。
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羅頻周(らひんしゅう):また羅云珠に作る。舎利弗の弟子なり。『雑譬喩経』参照。 |
参考:『雑譬喩経』:『羅云珠者舍利弗弟子也。本曾奪辟支佛食。以是罪故生餓鬼中。無量劫受苦。畢餓鬼身生人中。五百世受飢餓罪。以末後身值佛在世。出家學道服三法衣。遊行乞食無肯施者。或五日或七日不得。目連愍之乞食持與。適墮缽中為大鳥搏去。舍利弗乞食施之。適入缽中變成泥土。大迦葉乞食施之。適持向口口即時合無有入處。佛以食施以大悲力故。即得入口氣味殊特。復以種種方便兼為說法。時羅云珠聞上妙法悲喜交集。一心思惟得應真道』 |
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又舍利弗乞食持與而口自合。最後佛來持食與之。以佛福德無量因緣故令彼得食。是比丘食已。心生歡喜倍加信敬。佛告比丘。有為之法皆是苦相為說四諦。即時比丘漏盡意解。得阿羅漢道。 |
又、舎利弗、乞食し持して与うるも、口自ら合す。最後に仏来たりて、食を持して、之を与えたもうに、仏の福徳の無量の因緣を以っての故に、彼れをして、食を得しむ。是の比丘は、食し已りて、心に歓喜を生じ、倍して信敬を加う。仏は比丘に、『有為の法は、皆是れ苦相なり』、と告げ、為に四諦を説きたまえば、即時に比丘の漏尽きて、意解け、阿羅漢の道を得たり。 |
又、
『舎利弗』が、
『乞食して!』、
『持って!』、
『与えた!』が、
『口』が、
『自ら!』、
『合してしまった!』ので、
最後に、
『仏が来て!』、
『食を持ち!』、
此の、
『比丘』に、
『与える!』と、
『仏の福徳という!』、
『無量の因縁』の故に、
彼れに、
『食』を、
『得させることができた!』。
是の、
『比丘』は、
『食い已る!』と、
『心』に、
『歓喜』を、
『生じて!』、
『前に倍して!』、
『信、敬』を、
『加えた!』。
『仏』は、
『比丘』に、こう告げて、――
『比丘の為に!』、
『四諦の法を説かれる!』と、
即時に、
『比丘の漏が尽きて!』、
『意( the mind )』が、
『解けて( to release the restrain )!』、
『阿羅漢という!』、
『道』を、
『得たのである!』。
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意解(いげ):◯梵語 mano-jalpa の訳、精神のつぶやき( mental chatter )の義。◯梵語 saMkalpa の訳、心中に形成された概念/考え/意見(
conception or idea or notion formed in the mind or heart )の義。雑念の束縛が解け、関心を向けること(
to release the restrain of idle thoughts and devote interest )の意。 |
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有薄福眾生罪甚此者佛不能救。又知眾生不可得故。深達法性故。諸佛無有憶想分別。是可度是不可度。心常寂滅意無增減。以是故。菩薩欲滿一切眾生願。彼以罪故而不能得。菩薩無咎。 |
有る薄福の衆生は、罪甚だしければ、此の者を、仏は救う能わず。又衆生の不可得なるを知るが故に、深く法性に達するが故に、諸仏は、『是れ度すべし』、『是れ度すべからず』、と憶想、分別すること有ること無く、心常に寂滅すれば、意の増減する無し。是を以っての故に、菩薩は、一切の衆生の願を満てんと欲するも、彼の罪を以っての故に、得る能わざれば、菩薩には咎無し。 |
有る、
『薄福の衆生』は、
『罪』が、
『甚だしい!』ので、
『仏』にも、
此の、
『衆生』を、
『救うことはできない!』し、
又、
『諸仏』は、
『衆生』は、
『不可得である( be unrecognizable )!』と、
『知る!』が故に、
『法性』に、
『深く!』、
『通達する( to obtain )!』が故に、
即ち、
『是れは度すことができる!』とか、
『是れは度すことができない!』と、
『憶想、分別される!』ことが、
『無く!』、
『諸仏』の、
『心』は、
常に、
『寂滅している!』ので、
『意』が、
『増えることも、減ることも!』、
『無い!』。
是の故に、
『菩薩』は、
『一切の衆生』の、
『願』を、
『満たそうとする!』が、
彼れの、
『罪』の故に、
『得られなくても!』、
『菩薩』には、
『咎』が、
『無いのである!』。
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飲食者略說麤細二種。餅飯等百味之食。經雖說四食眾生久住。而此但說揣食。餘者無色不可相與。若施揣食則與三食。何以故因揣食故增益三食。如經所說。檀越施食則與受者五事利益。 |
飲食とは、略説すれば、麁細の二種なり。餅、飯等の百味の食は、経に四食を説くと雖も、衆生は久しく住して、此れを但だ揣食なりと説き、餘は無色にして、相与うべからず。若し揣食を施せば、則ち三食を与うるなり。何を以っての故に、揣食に因るが故に、三食を増益すればなり。経の所説の如きは、『檀越、食を施せば、則ち受者に五事の利益を与う』、と。 |
『飲食を略説すれば!』、
『麁、細の二種』を、
『説くだけである!』。
『餅や、飯等の百味の食』を、
『経』には、
『四食(段食、触食、思食、識食)である!』と、
『説かれている!』が、
『衆生』は、
世に、
『久しく!』、
『住しながら!』、
此れを、
餘の、
『三食』は、
『無色であり!』、
『与えることができない!』が、
若し、
『揣食を施せば!』、
則ち、
『三食』を、
『与えたことになる!』。
何故ならば、
『揣食に因る!』が故に、
『三食』を、
『増益するからである!』。
『経』には、こう説かれている、――
『檀越( a munificent master )』が、
『食』を、
『施せば!』、
『受者』に、
『五種の利益(命、色、力、楽、辯)』を、
『与えることになる!』、と。
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揣食(たんじき):段食を指す。揣は摶、団に通じて手で丸めるの意なり。手で丸めた飯、摶飯。即ち手で飯を丸めるは印度の通常の食事の礼法なれば、この語は即ち通常の食事を指すなり。
経:『増一阿含経巻24』参照。
五事利益(ごじりやく):檀越の布施により施主及び僧の得る五種の利益。(1)命、(2)色、(3)力、(4)楽、或いは安、(5)膳、或いは辯。『大智度論巻3(下)』、『増一阿含経巻24』参照。 |
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飲總說二種。一者草木酒。所謂蒲桃甘蔗等及諸穀酒。二者草木漿。甘蔗漿蒲桃漿石蜜漿安石榴漿梨奈漿波盧沙果漿等及諸穀漿。 |
飲には、総じて二種を説き、一には草木の酒、謂わゆる蒲桃、甘蔗等、及び諸穀の酒なり、二には草木の漿、甘蔗の漿、蒲桃の漿、石蜜の漿、安石榴の漿、梨那の漿、波盧沙果の漿等、及び諸穀の漿なり。 |
『飲』には、
総じて、
『二種を説き!』、――
一には、
『草木の酒( wine )であり!』、
謂わゆる、
『蒲桃、甘蔗等の酒や!』、
『諸の穀物の酒である!』。
二には、
『草木の漿( juice )であり!』、
『甘蔗、蒲桃、石蜜、安石榴、梨那、波盧沙果の漿や!』、
『諸の穀物の漿である!』。
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蒲桃(ぶどう):葡萄。
漿(しょう):絞り汁( juice )。
石蜜(しゃくみつ):◯梵語 phaaNita の訳、甘蔗や、他の植物の濃縮ジュース( the inspissated juice of the sugar
cane and other plants )の義。◯梵語 zarkara- madhu の訳、小石状の砂糖菓子( a sweet pebble
)の義、氷砂糖( a crystal sugar )の意。
安石榴(あんざくろ):ざくろ。
梨那(りな):不明。
波盧沙果(ぱるしゃか):不明。 |
参考:『根本説一切有部毘奈耶巻36』:『佛言。應為受取作淨應食。苾芻不知如何作淨。佛言。有五種作淨。云何為五。謂火淨刀淨爪淨蔫乾淨鳥啄淨。是謂為五。復有五種作淨。謂拔根淨手折淨截斷淨劈破淨無子淨。云何火淨。謂以火觸著。云何刀淨。謂以刀損壞云何爪淨。謂以爪甲傷損。云何蔫乾淨。謂自蔫乾不堪為種。云何鳥啄淨。謂鳥[此/束]啄損。』 |
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如是和合人中飲食及天飲食。所謂修陀甘露味天果食等。摩頭摩陀婆漿等。眾生各各所食。或食穀者或食肉者或食淨者不淨者來皆飽滿。 |
是の如き和合の人中の飲食と、及び天の飲食の謂わゆる修陀甘露味、天果の食等、摩頭摩陀婆の漿等は、衆生の各各食する所にして、或は穀を食う者、或は肉を食う者、或は食の浄なる者、不浄なる者来たりて、皆飽満す。 |
是のように、
『和合した!』、
『人中の飲、食と!』、
及び、
『天の飲、食である!』、
謂わゆる、
『修陀甘露味や、天の果食等と、摩頭摩陀婆の漿等』は、
『衆生』の、
各各の、
『食う所』の、
『飲、食であり!』、
或は、
『穀物を食う者や、肉を食う者や!』、
『食の浄い者、不浄の者が来て!』、
皆が、
『飽満するのである!』。
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修陀甘露味(しゅだかんろみ):不明。
摩頭摩陀婆(まづまだば):不明。
浄食(じょうじき):比丘の食用に適する五種の清淨なる食物。五種の浄食。即ち(一)火浄食:宜しく煮たる食物、或いは熟れるを待ちて然る後にこれを食う。(二)刀浄食:果物は宜しく刀を以ってその皮と核とを取り去りて然る後にこれを食う。(三)爪浄食:果物を宜しく指の爪を以ってその皮殻を取り去りて然る後にこれを食う。(四)蔫乾(えんけん、乾燥)浄食:果物中のすでに乾燥して更に種子と為る能わざるを取りてこれを食う。(五)鳥啄浄食:即ち鳥の啄む所の残りの物を取りてこれを食う。<(佛) |
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衣服者。衣有二種。或從眾生生。所謂綿絹毛毳皮韋等。或從草木生。所謂布氎樹皮等。有諸天衣無有經緯。自然樹出光色輕軟。臥具者。床榻被褥幃帳枕等。 |
衣服とは、衣には二種有り、或は衆生より生じ、謂わゆる綿、絹、毛毳、皮韋等なり。或は草木より生じ、謂わゆる布、氎、樹皮等なり。有る諸の天衣には、経緯有ること無く、自然に樹より出で、光色、軽軟なり。臥具とは、床榻、被辱、幃帳、枕等なり。 |
『衣服』とは、
『衣』には、
『二種有り!』、
或は、
『衆生より生じ!』、
謂わゆる
『綿、絹、毛、毳、皮、韋等である!』。
或は、
『草木より生じ!』、
謂わゆる、
『布、氎、樹皮等であり!』、
有る、
『諸の天衣』は、
『経、緯が無く!』、
『自然に樹より出て!』、
『光の色であり!』、
『軽く軟らかい!』。
『臥具』とは、
『床、榻、被、辱、幃、帳、枕等である!』。
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綿(めん):羊毛/獣毛( wool )。
韋(い):なめし革( tanned leather )。皮革。
毳(ぜい):にこ毛/極めて細い毛( fine hair )。
布(ふ):綿布/麻布( cotton cloth, linen )。
氎(じょう):細かい綿布( fine cotton cloth )。
経(けい):布の縦糸( the warp of fabrique )。
緯(い):布の横糸( the weft of fabrique )。
床(しょう):寝台( bed )。
榻(とう):寝椅子( couch )。
被(ひ):掛け布団( quilt )。
辱(にく):敷布団( mattress )。
幃(い):壁幕/カーテン( curtain that forms wall )。
帳(ちょう):蚊帳( mosquite net )。 |
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塗香者。有二種。一者栴檀木等摩以塗身。二者種種雜香擣以為末以塗其身。及熏衣服并塗地壁。乘者。所謂象馬車輿等。房舍者。所謂土木寶物所成樓閣殿堂宮觀等。以障寒熱風雨賊盜之屬。燈燭者。所謂脂膏蘇油漆蠟明珠等。諸物者。是一切眾生所須之物。不可具說故略言諸物。 |
塗香には、二種有り、一には栴檀木等を摩し、以って身に塗り、二には、種種の雑香を擣きて、以って末と為し、以って其の身に塗り、及び衣服を熏じ、並びに地、壁に塗る。乗とは、謂わゆる象、馬、車、輿等なり。房舎とは、謂わゆる土、木、宝物の所成なる楼閣、殿堂、宮観等にして、以って寒熱、風雨、賊盗の属を障(さ)う。灯燭とは、謂わゆる脂、膏、蘇油、漆、蝋、明珠等なり。諸物とは、是れ一切の衆生の所須の物にして、具(つぶさ)に説くべからざるが故に、略して、諸物と言う。 |
『塗香』には、
『二種有り!』、
一には、
『栴檀木』等を、
『摩擦して!』、
『身に塗るものであり!』、
二には、
『種種の雑香を擣いて( to thresh )!』、
『粉抹にし( to powder )!』、
『身に、塗ったり!』、
『衣服を、熏じたり!』、
『地や、壁に塗るものである!』。
『乗』とは、
謂わゆる、
『象、馬、車、輿等である!』。
『房舎』とは、
謂わゆる、
『土、木、宝物で成る!』、
『楼閣、殿堂、宮殿等であり!』、
『寒熱、風雨、賊盗の属』を、
『遮るものである!』。
『灯燭』とは、
謂わゆる、
『脂、脂、蘇油、漆、蝋、明珠等である!』。
『諸物』とは、
一切の、
『衆生の必要な物であり!』、
『具に( specifically )!』、
『説くことができない!』が故に、
略して、
『諸物』と、
『言うのである!』。
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擣(とう):つく/搗く/脱穀する( thresh )。
脂(し):人や、動植物の油性成分( fat )。
膏(こう): クリーム状の油脂( greese )。
蘇油(そゆ):梵語 ghRta, ghee の訳、澄ましバター( clarified butter )。 |
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問曰。此中何以不說燒香妙華等。 |
問うて曰く、此の中に、何を以ってか、焼香、妙華等を説かざる。 |
問い、
此の中に、
何故、
『焼香や、妙華等』を、
『説かないのですか?』。
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答曰。說諸物者皆已攝之。 |
答えて曰く、諸物を説けば、皆已に之を摂すればなり。 |
答え、
『諸物を説けば!』、
皆、
已に、
『摂する( to be contained )からである!』。
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問曰。若爾者但應略說三種。飲食衣服莊嚴之具。 |
問うて曰く、若し爾らば、但だ応に三種の飲食、衣服、荘厳の具を略説すべし。 |
問い、
若し、爾うならば、
但だ、
『飲食、衣服、荘厳の具の三種』を、
『略説すべきです!』。
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答曰。此諸物是所須要者。若慈念眾生以飲食為先。次以衣服以身垢臭須以塗香。次以臥具寒雨須房舍。黑闇須燈燭。 |
答えて曰く、此の諸物は、是れ須要とする所なれば、若し、衆生を慈念すれば、飲食を以って、先と為し、次いで、衣服を以ってし、身垢の臭きを以って、須(もち)うるに、塗香を以ってし、次に、臥具を以ってし、寒雨には、房舎を須い、黒闇には灯燭を須う。 |
答え、
此の、
『諸物』は、
『衆生』の、
『必要とすべき所であり!』、
若し、
『衆生を慈念すれば!』、
『飲食を、先にすることになり!』、
次に、
『衣服であり!』、
次に、
『身垢が臭い!』が故に、
『塗香』を、
『必要とし!』、
次は、
『臥具であり!』、
『寒雨には!』、
『房舎』が、
『必要であり!』、
『黒闇には!』、
『灯燭』が、
『必須である!』。
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慈念(じねん):梵語 premaanugata の訳、慈愛と追逐( love and following )の義、慈愛を以って見守る( to follow
with love )の意。
塗香(づこう):梵語 gandha の訳、白檀の粉抹( pouded sandal-wood )。 |
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問曰。華香亦能除臭。何故不說。 |
問うて曰く、華香も亦た、能く臭きを除くに、何の故にか説かざる。 |
問い、
『華香( sweet-scented flowers )』も、
『臭い!』を、
『除くことができるのに!』、
何故、
『説かないのですか?』。
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答曰。華非常有亦速萎爛。利益少故是故不說。燒香者。寒則所須。熱時為患。塗香寒熱通用。寒時雜以沈水。熱時雜以栴檀以塗其身。是故但說塗香。 |
答えて曰く、華は常に有る非ずして、亦た速かに萎爛すれば、利益少なきが故に、是の故に説かず。焼香は、寒ければ則ち須うる所なれど、熱時には、患と為すも、塗香は、寒熱通用し、寒時には雑うるに沈水を以ってし、熱時には雑うるに栴檀を以ってし、以って其の身に塗る。是の故に但だ塗香を説く。 |
答え、
『華』は、
『常に有るのでもなく!』、
亦た、
『速かに、萎縮・腐爛して!』、
『利益』が、
『少ないので!』、
是の故に、
『説かない!』し、
『焼香』は、
『寒時には、必要である!』が、
『熱時』には、
『患となる( be in distress )!』が、
『塗香』は、
『寒、熱を通じて用いられ!』、
『寒時には、沈水を雑え!』、
『熱時には、栴檀を雑えて!』、
『身』に、
『塗るので!』、
是の故に、
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患(げん):梵語 aadiinava の訳、災難/苦痛/不安( distress, pain, uneasiness )の義。
沈水(じんすい):梵語 agaru の訳、沈香( Aquilaria agallocha )の義。 |
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問曰。若行檀波羅蜜。得無量果報。能滿一切眾生所願。何故言欲滿眾生願當學般若波羅蜜。 |
問うて曰く、若し檀波羅蜜を行じて、無量の果報を得ば、能く一切の衆生の所願を満てん。何の故にか、『衆生の願を満てんと発せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と言う。 |
問い、
若し、
『檀波羅蜜を行って!』、
『無量の果報を得れば!』、
当然、
『一切の衆生の所願』を、
『満たすはずなのに!』、
何故、こう言うのですか?――
『衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
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答曰。先已說以般若波羅蜜和合故。得名檀波羅蜜。今當更說。所可滿眾生願者。非謂一國土一閻浮提。都欲滿十方世界六趣眾生所願。非但布施所能辦故。以般若波羅蜜。破近遠相。破一切眾生相非一切眾生相。除諸礙故彈指之頃化無量身。遍至十方能滿一切眾生所願。如是神通利益要從般若出生。以是故。菩薩欲滿一切眾生願。當學般若波羅蜜 |
答えて曰く、先に已に説かく、『般若波羅蜜和合するを以っての故に、檀波羅蜜と名づくるを得』、と。今当に更に説くべし、満つるべき所の衆生の願とは、一国土、一閻浮提を謂うに非ず、都て、十方の世界の六趣の衆生の所願を満てんと欲すれば、但だ布施の能く辦ずる所に非ざるが故に、般若波羅蜜を以って、近、遠の相を破り、一切の衆生の相と、一切の衆生の相に非ざるを破り、諸の礙を除くが故に、弾指の頃に、無量の身を化し、遍く十方に至りて、能く一切の衆生の所願を満つ。是の如き神通の利益は、要ず、般若より出生すれば、是を以っての故に、菩薩は、一切の衆生の願を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべきなり。 |
答え、
先に、
已に、こう説いたが、――
『般若波羅蜜が和合する!』が故に、
『檀波羅蜜』と、
『称することができる!』、と。
今は、
更に、こう説かねばならぬ、――
『満たさねばならぬ!』、
『衆生の願』は、
『一国土や、一閻浮提を!』、
『謂うのではなく!』、
都て、
『十方の世界の六趣の衆生の所願』を、
『満たそうとするのであり!』、
但だ、
『布施だけでは!』、
『辦じられない( cannot be accomplished )ので!』、
是の故に、
『般若波羅蜜を用いて!』、
『近いとか、遠いとか!』の、
『相』を、
『破り!』、
『一切の衆生である( complete living entities )とか!』、
『一切の衆生でない( not complete living entities )とか!』の、
『相』を、
『破って!』、
諸の、
『礙( obstacles )』を、
『除く!』が故に、
『弾指の頃( for a moment )に!』、
『無量の身を化作し!』、
『遍く、十方に至り!』、
『一切の衆生』の、
『所願』を、
『満たすことができるのである!』が、
是のような、
『神通の利益』は、
要ず( should )、
『般若波羅蜜より!』、
『出生する!』ので、
是の故に、
『菩薩』が、
『一切の衆生の願を満たそうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならないのである!』。
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一切衆生(いっさいしゅじょう):梵語 sarva-bhuuta の訳、生き物の全部( complete/all living-entities/beings
)の義。
非一切衆生(ひいっさいしゅじょう):梵語 asarva-bhuuta の訳、生き物の一部( not complete/all living-entities/beings
)の義。
弾指之頃(だんじのきょう):梵語 acchaTaa-saMghaata-maatram の訳、指を弾くほど間( for a moment such as a snap with the fingers )の義。 |
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