巻第二十八(上)
大智度論初品中欲住六神通釋論第四十三
1.六神通に住する
2.衆生の意の趣向する所を知る
3.声聞、辟支仏の智慧に勝る
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大智度論初品中欲住六神通釋論第四十三(卷二十八)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


六神通に住する

【經】菩薩摩訶薩欲住六神通。當學般若波羅蜜 菩薩摩訶薩、六神通に住せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』が、
『六神通』に、
『住まろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
【論】問曰。如讚菩薩品中。言諸菩薩皆得五神通。今何以言欲住六神通。 問うて曰く、『讃菩薩品』中の如きに言わく、『諸菩薩は、皆五神通を得』、と。今は何を以ってか、『六神通に住せんと欲す』、と言う。
問い、
『讃菩薩品(序品)』中などは、こう言っているが、――
諸の、
『菩薩』は、
皆、
『五神通』を、
『得ている!』、と。
今は、
何故、こう言うのですか?――
『六神通』に、
『住まりたい!』と、
『思えば!』、と。
  六神通(ろくじんづう):仏菩薩の定慧力に依りて示現する六種の無礙自在の妙用を云う。『大智度論巻18下注:六神通』参照。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻1序品第一』:『復有菩薩摩訶薩。皆得陀羅尼及諸三昧行空無相無作。已得等忍得無閡陀羅尼悉是五通言必信受無復懈怠。已捨利養名聞。說法無所悕望。度深法忍得無畏力過諸魔事。一切業障悉得解脫。巧說因緣法。從阿僧祇劫以來發大誓願。顏色和悅常先問訊所語不麤。於大眾中而無所畏。無數億劫說法巧出。』
  参考:『大智度論巻5』:『【經】悉是五通。【論】如意天眼天耳他心智自識宿命。云何如意。如意有三種。能到轉變聖如意。能到有四種。一者身能飛行如鳥無礙。二者移遠令近不往而到。三者此沒彼出。四者一念能至。轉變者。大能作小小能作大一能作多多能作一。種種諸物皆能轉變。外道輩轉變極久不過七日。諸佛及弟子轉變自在無有久近。聖如意者。外六塵中不可愛不淨物。能觀令淨。可愛淨物。能觀令不淨。是聖如意法唯佛獨有。是如意通從修四如意足生。是如意足通等。色緣故。次第生。不可一時得。天眼通者。於眼。得色界四大造清淨色。是名天眼。天眼所見。自地及下地六道中眾生諸物。若近若遠若覆若細諸色無不能照。見天眼有二種。一者從報得。二者從修得。是五通中天眼從修得非報得。何以故。常憶念種種光明得故。復次有人言。是諸菩薩輩得無生法忍力故。六道中不攝。但為教化眾生故。以法身現於十方。三界中未得法身菩薩。或修得或報得。問曰。是諸菩薩功德。勝阿羅漢辟支佛。何以故。讚凡夫所共小功德天眼。不讚諸菩薩慧眼法眼佛眼。答曰有三種天。一假號天二生天三清淨天。轉輪聖王諸餘大王等。是名假號天。從四天王天乃至有頂生處。是名生天。諸佛法身菩薩辟支佛阿羅漢。是名清淨天。是清淨天修得天眼。是謂天眼通。佛法身菩薩清淨天眼。一切離欲五通凡夫所不能得。聲聞辟支佛亦所不得。所以者何。小阿羅漢小用心。見一千世界。大用心見二千世界。大阿羅漢小用心。見二千世界。大用心見三千大千世界。辟支佛亦爾。是名天眼通。云何名天耳通。於耳。得色界四大造清淨色。能聞一切聲天聲人聲三惡道聲。云何得天耳通。修得常憶念種種聲。是名天耳通。云何識宿命通。本事常憶念日月年歲至胎中。乃至過去世中。一世十世百世千萬億世。乃至大阿羅漢辟支佛。知八萬大劫。諸大菩薩及佛知無量劫。是名識宿命通。云何名知他心通。知他心若有垢若無垢。自觀心生住滅時。常憶念故得。復次觀他人喜相瞋相怖相畏相。見此相已然後知心。是為他心智初門。是五通略說竟』
答曰。五通是菩薩所得。今欲住六神通是佛所得。若菩薩得六神通可如來難。 答えて曰く、五通は、是れ菩薩の所得なるも、今住せんと欲する六神通は、是れ仏の所得なり。若し菩薩、六神通を得れば、如来難じたもうべし。
答え、
『五通』は、
『菩薩の所得である!』が、
今、
『住まろうとする!』、
『六神通』は、
『仏の所得だからである!』。
若し、
『菩薩』が、
『六神通を得れば!』、
『仏』に、
『難じられるだろう!』。
  五通(ごつう):四根本静慮に依りて得する五種の神通を云う。『大智度論巻16下注:五通』参照。
  (か):<動詞・助動詞>許可/同意/承認する( approve, permit, allow )、できる/さしつかえない( can, may )、~するに堪える/~する必要がある( be worth doing, need doing )、相称う/適合する( accord with )、~となるはずだ/~すべきだ( should, ought to )。<形容詞>善い/好い( good )、その通りだ/正しい/確かだ/是( correct, right )。
問曰。往生品中說。菩薩住六神通至諸佛國。云何言菩薩皆得五通。 問うて曰く、往生品中に説かく、『菩薩は、六神通に住して、諸仏国に至る』、と。云何が、『菩薩は、皆五通を得』、と言える。
問い、
『往生品』には、こう説かれているのに、――
『菩薩』は、
『六神通に住まって!』、
『諸の仏国』に、
『至る!』、と。
何故、こう言うのですか?――
『菩薩』は、
皆、
『五通』を、
『得ている!』、と。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻2往生品第四』:『復次舍利弗。有菩薩摩訶薩得六神通。不生欲界色界無色界。從一佛國至一佛國。供養恭敬尊重讚歎諸佛。』
答曰。第六漏盡神通有二種。一者漏習俱盡。二者漏盡而習不盡。習不盡故言皆得五通。漏盡故言住六神通。 答えて曰く、第六漏神通には、二種有りて、一には漏と習と倶に尽き、二には漏尽くるも、習は尽きず。習尽きざるが故に、『皆、五通を得』と言い、漏尽くるが故に、『六神通に住す』、と言う。
答え、
『第六の漏神通』には、
『二種有り!』、
一には、
『漏と、習と!』が、
『倶に( all )!』、
『尽き!』、
二には、
『漏だけが尽きて!』、
『習』は、
『尽きていない!』。
『習』が、
『尽きていない!』が故に、こう言い、――
皆が、
『五通を得ている!』、と。
『漏』が、
『尽きている!』が故に、こう言う、――
『六神通』に、
『住まる!』、と。
  (ろ):諸の煩悩の意。『大智度論巻20下注:漏』参照。
  (じゅう):煩悩の滅して後未だ除こらざる残気を云う。『大智度論巻11上注:習気』参照。
問曰。若菩薩漏盡。云何復生云何受生。一切受生皆由愛相續故有。譬如米雖得良田時澤終不能生。諸聖人愛糠已脫故。雖有有漏業生因緣不應得生。 問うて曰く、若し、菩薩にして漏尽くれば、云何が復生し、云何が受生する。一切の受生は、皆、愛の相続するに由るが故に有り。譬えば米の良き田、時、沢を得と雖も、終に生ずる能わざるが如く、諸聖人の愛の糠は已に脱するが故に、有漏業の生の因縁有りと雖も、当に生を得べからず。
問い、
若し、
『菩薩の漏』が、
『尽きていれば!』、
何故、
『復生したり( to resurrect )!』、
『受生する( to be born )のですか?』。
一切の、
『受生』は、
皆、
『愛の相続』を、
『経由する!』が故に、
『有り!』、
譬えば、
『米( hulled rice )』が、
『良い田畑、時沢( timely rain and dew )を得ても!』、
終に、
『籾( unhulled rice )』を、
『生じさせることができないように!』、
諸の、
『聖人』は、
『愛という!』、
『糠』を、
『脱している!』が故に、
『有漏の業という!』、
『生の因縁が有っても!』、
『生』を、
『得るはずがないのである!』。
  復生(ふくしょう):梵語 ut(√pad), utpatti の訳、興起する/誕生する/誕生/生産( to arise, bone, birth, production )の義、復活する/復活( to resurrect, resurrection )の意。
  受生(じゅしょう):梵語 upa(√pad), upapatti の訳、或る状態に入ること( to enter into any state )、生起/出現/産出( happening, occurring, becoming visible, appearing, taking place, production )の義、生まれる/誕生( to be born, birth )の意。
  (あい):十二縁起中の愛支、即ち食愛、婬愛、及び資具愛等にして、未だ四方に追求して労倦を辞せざるに至らざる位の意。又は愛結の意、境に染著する貪煩悩を云う。『大智度論巻17下注:愛』参照。
  (しょう):十二縁起中の生支。過去の業力に由りて正しく当来の果を結するを云う。『大智度論巻21上注:生』参照。
  (う):十二縁起中の有支。異熟の果体、及び能く之を引く業等を云う。『大智度論巻7上注:有』参照。
  (まい):こめ。穀の皮を去りたる者( hulled rice )。
  時沢(じたく):時にかなった雨( timely rain and dew )。沢はうるおうこと。時潤 。
答曰。先已說菩薩入法位。住阿鞞跋致地。末後肉身盡得法性生身。雖斷諸煩惱。有煩惱習因緣故。受法性生身非三界生也。 答えて曰く、先に已に、『菩薩は、法位に入りて、阿鞞跋致に住すれば、末後の肉身尽きて、法性生身を得』、と説けり。諸の煩悩を断ずと雖も、煩悩の習の因縁有るが故に法性生身を受くるは、三界の生に非ざるなり。
答え、
先に、こう説いたが、――
『菩薩』は、
『法位に入って!』、
『阿鞞跋致地に住すれば!』、
『末後の肉身の尽きた!』時に、
『法性生身』を、
『得る!』、と。
諸の、
『煩悩を断じていても!』、
『煩悩の習という!』、
『因縁が有る!』が故に、
『法性生身』を、
『受けるのであり!』、
是れは、
『三界』の、
『生ではない!』。
  法性生身(ほっしょうしょうじん):法性を証する者の受くる身。『大智度論巻16下注:法性生身』参照。
  参考:『大智度論巻27』:『菩薩得無生法忍。煩惱已盡習氣未除故因習氣受。及法性生身能自在化生。有大慈悲為眾生故。亦為滿本願故。還來世間。具足成就餘殘佛法故。十地滿坐道場。以無礙解脫力故。得一切智一切種智斷煩惱習。』
問曰。阿羅漢煩惱已盡習亦未盡。何以不生。 問うて曰く、阿羅漢は煩悩已に尽くるも、習は亦た未だ尽きざるに、何を以ってか、生ぜざる。
問い、
『阿羅漢』は、
已に、
『煩悩』は、
『尽きている!』が、
亦た、
『習』は、
未だ、
『尽きていない!』のに、
何故、
『生じないのですか?』。
答曰。阿羅漢無大慈悲。無本誓願度一切眾生。又以實際作證已離生死故 答えて曰く、阿羅漢には、大慈悲無く、本、一切の衆生を度せんと誓願すること無く、又実際を以って、証を作し已れば、生死を離るるが故なり。
答え、
『阿羅漢』は、
『大慈悲が無く!』、
本、
『一切の衆生を度そう!』と、
『誓願する!』ことも、
『無い!』が故に、
又、
『実際を用いて!』、
『証を作してしまえば!』、
『生死』を、
『離れるからである!』。
  実際(じっさい):阿羅漢の住すべき涅槃を云う。『大智度論巻6下注:実際、真如』参照。
復次先已答有二種漏盡。此中不說菩薩得漏盡通。自言欲得六神通者。當學般若波羅蜜。六神通義如後品中佛所說。上讚菩薩品。亦已說菩薩五神通義。 復た次ぎに、先に已に、『二種の漏尽有り』、と答うるに、此の中には、『菩薩は、漏神通を得』、と説かずして、自ら、『六神通を得んと欲すれば、当に般若波羅蜜を学ぶべし』、と言える六神通の義は、後の品中の仏の所説の如し。上の『讃菩薩品』にも、亦た已に菩薩の五神通の義を説けり。
復た次ぎに、
先に已に、
『二種の漏尽が有る!』と、
『答えた!』が、
此の中には、
『菩薩』は、
『漏神通を得る!』とは、
『説かずに!』、
自ら( in addition )、
『六神通を得ようとすれば!』、
『般若波羅蜜を学ばねばならぬ!』と、
『言われた!』のは、
『六神通の義』は、
『後の品』中に、
『仏が説かれた通りだからであり!』、
上の、
『讃菩薩品』にも、
已に、
『菩薩の五神通の義』は、
『説かれている!』。
  (じ):<名詞>[本義]鼻( nose )。開始/起源( beginning, origin )。<代名詞>自己/自身/自らの( self, oneself, one's own )。<介詞>由り/従り( from, since )、於いて/在りて( at, in )。<副詞>おのずから/自然に/当然( naturally )、本より/本来/初より( originally, at first )、相変らず/以前から( remain the same, as before )、自ら/自分で/親しく( personally, in person )、他に/別に/更に( besides, in addition )。<連詞>「非と連用する:自非」若し/仮に( if )、たとえ~であっても( even if, even though, granted that )、却って/而れども( but )、因って/由って( because )。<動詞>用いる/使用する( use, employ )、是れ( be, really )。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻2往生品第四』:『如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。得天眼神通智證。亦見十方如恒河沙等世界中眾生生死。乃至生天上。四神通亦如是。是菩薩摩訶薩漏盡神通。雖得漏盡神通。不墮聲聞辟支佛地。乃至阿耨多羅三藐三菩提。亦不依異法。亦不著是漏盡神通。漏盡神通事及己身皆不可得。自性空故。自性離故。自性無生故。不作是念。我得漏盡神通。除為薩婆若心。』
問曰。神通有何次第。 問うて曰く、神通には、何なる次第か有る。
問い、
『神通』には、
何のような、
『次第( order )』が、
『有るのですか?』。
  次第(しだい):順序/次序( order, sequence )、次第に/次々と/相次いで( one after another )。
答曰。菩薩離五欲得諸禪有慈悲故。為眾生取神通。現諸希有奇特之事。令眾生心清淨。何以故。若無希有事。不能令多眾生得度。 答えて曰く、菩薩は、五欲を離れて、諸禅を得るも、慈悲有るが故に、衆生の為に神通を取り、諸の希有、奇特の事を現して、衆生の心をして清浄ならしむ。何を以っての故に、若し希有の事無くんば、多くの衆生をして、度を得しむる能わざればなり。
答え、
『菩薩』は、
『五欲を離れて!』、
『諸禅』を、
『得ても!』、
『慈悲有る!』が故に、
『衆生』の為に、
『神通を取って!』、
諸の、
『希有、奇特の事』を、
『現し!』、
『衆生』の、
『心』を、
『清浄にさせる!』。
何故ならば、
若し、
『希有の事が無ければ!』、
『多くの衆生』に、
『度』を、
『得させられないからである!』。
菩薩摩訶薩。作是念已繫心身中虛空。滅麤重色相。常取空輕相。發大欲精進心。智慧籌量心力能舉身。未籌量已。自知心力大能舉其身譬如學趠。常壞色麤重相。常修輕空相。是時便能飛。 菩薩摩訶薩は、是の念を作し已りて、心を身中の虚空に繋け、麁重なる色相を滅して、常に空の軽相を取り、大欲の精進の心を発し、智慧もて信力を籌量して、能く身を挙げ、未だ籌量し已らざるに、自ら心力の大なること、能く其の身を挙ぐるを知る。譬えば趠を学ぶに、常に色の麁重の相を壊りて、常に軽空の相を修すれば、是の時便ち能く飛ぶが如し。
『菩薩摩訶薩』は、
是のような、
『事』を、
『念じる!』と、
『心』を、
『身中の虚空に繋け!』、
『麁重なる!』、
『色相』を、
『滅して!』、
常に、
『空の軽相』を、
『取り!』、
『大欲の精進心を発して!』、
『智慧』で、
『心力を籌量すれば!』、
『身』を、
『挙げることができる!』。
未だ、
『心力を籌量できなければ!』、
自ら、
『心力が大きければ!』、
其の、
『身を挙げられる!』と、
『知るからである!』。
譬えば、
『跳躍を学ぶ!』時、
常に、
『色という!』、
『麁重の相』を、
『壊って!』、
常に、
『軽い!』、
『虚空の相』を、
『修めれば!』、
是の時、
便ち( immediately )、
『飛ぶことができるようなものである!』。
  (ちょう):とぶ。跳。こえる。超。跳躍。
二者亦能變化諸物。令地作水水作地風作火火作風。如是諸大皆令轉易。令金作瓦礫瓦礫作金。如是諸物各能令化。變地為水相。常修念水令多不復憶念地相。是時地相如念即作水。如是等諸物皆能變化。 二には、亦た能く諸物を変化すれば、地をして水に作らしめ、水をして地に作らしめ、風をして火に作らしめ、火をして風に作らしむ。是の如き諸大をして、皆転ぜしむること易く、金をして瓦礫に作し、瓦礫をして金に作さしめ、是の如く諸物をして、各各能く化せしめ、地を変じて水相を為さんに、常に修めて、水を念じて多からしめ、復た地相を憶念せざれば、是の時地相は、念ずるが如く即ち水に作る。是れ等の如く、諸物をして、皆能く変化せしむ。
二には、
亦た、
『諸の物』を、
『変化させることができ!』、
『地を、水に作したり!』、
『水を、地に作したり!』、
『風を、火に作したり!』、
『火を、風に作したりして!』、
是のように、
『諸の大』を、
皆、
『転じさせる!』ことは、
『容易であり!』、
『金を、瓦礫に作したり!』、
『瓦礫を、金に作したり!』、
是のように、
『諸の物』を、
各、
『変化させることができる!』。
例えば、
『地を変じて!』、
『水相にする!』のは、
常に、
『水を念じる!』ことを、
『修めて!』、
『多くさせ!』、
復た、
『地相』を、
『憶念しなければ!』、
是の時、
『地相』は、
『念じたように!』、
即ち、
『水』と、
『作るのであり!』、
是れ等のように、
『諸の物』を、
皆、
『変化させることができる!』。
  転易(てんやく):かわる。うつりかわる。
  修念(しゅねん):身を修め、心を慎んで念ずること。
問曰。若爾與一切入有何等異。 問うて曰く、若し爾らば、一切入と何等の異か有る。
問い、
若し、爾うならば、
『一切入』と、
何のような、
『異』が、
『有るのですか?』。
  一切入(いっさいにゅう):青黄赤白地水火風空識の十法の一一は一切処に遍在すると観る定。『大智度論巻11上注:十徧処』参照。
答曰。一切入是神通初道。先已一切入背捨勝處柔伏其心。然後易入神通。 答えて曰く、一切入は、是れ神通の初道にして、先に已に一切入、背捨、勝処もて、其の心を柔伏すれば、然る後には、神通に入ること易し。
答え、
『一切入』は、
『神通』の、
『初道であり!』、
先に、
已に、
『一切入や、八背捨や、八勝処を用いて!』、
其の、
『心』を、
『柔伏すれば!』、
その後、
『神通に入る!』ことは、
『容易である!』。
  背捨(はいしゃ):色貪等の心を棄背する八種の定力。『大智度論巻16下注:八解脱』参照。
  勝処(しょうじょ):欲界色処を観じて貪を対治する八種の定。『大智度論巻16下注:八勝処』参照。
  柔伏(にゅうぶく):屈伏して柔軟ならしめること。
復次一切入中。一身自見地變為水餘人不見。神通則不然。自見實是水他人亦見實水。 復た次ぎに、一切入中は、一身にして、自ら、地変じて水と為るを見るも、余人は見ず。神通は則ち然らずして、自ら実に是れ水なるを見れば、他人も亦た実の水を見る。
復た次ぎに、
『一切入』中は、
『一身であり!』、
自ら、
『地が変じて水と為る!』のを、
『見る!』が、
余の、
『人』が、
『見ることはない!』。
『神通』は、、
則ち、
『そうでなく!』、
自ら、
『実に水である!』と、
『見れば!』、
他の人も、
『実の水』を、
『見るのである!』。
問曰。一切入亦是大定。何以不能令是實水己身他人皆見。 問うて曰く、一切入も亦た是れ大定なり。何を以ってか、是の実の水をして、己身と、他人と皆、見しむ能わず。
問い、
『一切入』は、
『大定であるのに!』、
何故、
是の、
『実の水』を、
『己の身にも!』、
『他の人にも!』、
皆に、
『見させられないのですか?』。
答曰。一切入觀處廣。但能令一切是水相。而不能令實是水。神通不能遍一切。而能令地轉為水便是實水。以是故二定力各別。 答えて曰く、一切入は観る処広けれど、但だ能く一切をして、是れ水相ならしむるも、実に是れ水ならしむる能わず。神通は、一切を遍く能わざるも、能く地を転じて、水と為らしむれば、便ち是れ実の水なり。是を以っての故に、二定の力は、各別なり。
答え、
『一切入』は、
『観る処』が、
『広い!』が、
但だ、
『一切の!』、
『相』を、
『水にするだけで!』、
是れを、
『実の!』、
『水にすることはできない!』。
『神通』は、
『一切を!』、
『遍く!』、
『変化することはできない!』が、
『地』を、
『水』に、
『為らせれば!』、
是れは、
便ち( just )、
『実の水である!』。
是の故に、
『二定の力』は、
各、
『別である!』。
問曰。二定變化事為實為虛。若實云何石作金地作水。若虛云何聖人而行不實。 問うて曰く、二定の変化の事は、実と為すや、虚と為すや。若し実なれば、云何が石を金に作し、地を水に作す。若し虚ならば、聖人にして、而も不実を行ぜんや。
問い、
『二定が変化した!』、
『事( works )』は、
『実ですか?』、
『虚ですか?』。
若し、
『実ならば!』、
何のように、
『石を、金に作したり!』、
『地を、水に作すのですか?』。
若し、
『虚ならば!』、
何故、
『聖人』が、
『不実を行うのですか?』。
答曰。皆實聖人無虛也。三毒已拔故。以一切法各各無定相故。可轉地或作水相。如酥膠蠟是地類。得火則消為水則成濕相。水得寒則結成冰而為堅相。石汁作金金敗為銅或還為石。眾生亦如是。惡可為善善可為惡。以是故知一切法無定相故。用神通力變化實而不誑。若本各各定相則不可變 答えて曰く、皆実にして、聖人には虚無し。三毒を已に抜きたるが故に、一切の法には、各各定相無きを以っての故に、地を転じて、或は水相を作すべし。酥、膠、蝋は、是れ地の類にして、火を得れば則ち消えて水と為り、則ち湿相を成ず。水は寒を得れば、則ち氷を結成して、堅相を為す。石汁は、金と作るも、金を敗るれば、銅と為り、或は還って石と為るが如し。衆生も亦た是の如く、悪は善と為るべく、善は悪と為るべし。是を以っての故に、一切法には定相無きを知り、故に神通力を用いて、変化すること、実にして、誑らず。若し本より、各各定相ならば、則ち変ずべからず。
答え、
皆、
『実であり!』、
『聖人』には、
『虚( falseness )が無く!』、
『三毒』が、
『抜けている!』が故に、
『一切の法』は、
各各、
『定相』が、
『無い!』が故に、
『地を転じて!』、
或は、
『水相』を、
『作すこともできる!』。
譬えば、
『酥( cheese )、膠( glue )、蝋( wax )』が、
『地の類であり!』、
『火を得れば!』、
『消滅して!』、
『水と為り!』、
則ち、
『湿相』を、
『呈することになる!』が、
『水』が、
『寒を得れば!』、
『結成して!』、
『氷と為り!』、
則ち、
『堅相』を、
『呈することになり!』、
『石汁』は、
『金と作る!』が、
『金が腐敗すれば!』、
『銅と為り!』、
或は、
『石』に、
『還るように!』、
『衆生』も、
是のように、
『悪』は、
『善』に、
『為ることができ!』、
『善』は、
『悪』に、
『為ることができる!』。
是の故に、
『一切法』には、
『定相が無い!』と、
『知る!』が故に、
『神通力を用いて!』、
『変化させたとしても!』、
『実であり!』、
『欺瞞ではない!』。
若し、
本より、
各各、
『定相だとすれば!』、
則ち、
『変化するはずがない!』。
  (そ):乳を煮て凝れる者を酥と云う。チーズの如し。
  (きょう):にかわ。動物の皮革を煮て作り、物を粘著するに用いるもの。
  (ろう):蜜滓。蜜蜂の作す所にして、蜂蜜を取りたる後の残滓を云う。蜜蝋。
  (しょう):滅なり、長の対。大より小となり、有より無となるなり。消化、消滅と言うが如し。故に氷雪の溶解するをも亦た消と謂う。とける。溶解。
  石汁(しゃくじゅう):珍宝の名。蓋し能く金を作すべき液体の如し。「大智度論巻16」に、「我れ当に大方便を作して財を給足し、其れをして充満せしむべし。便ち大海に入りて諸の異宝を求め、山に登り危を履みて以って妙薬を求め、深石窟に入りて諸の異物石汁珍宝を求め、以って衆生に給す」と云い、「同論巻47」に、「譬えば、石汁一斤の、能く千斤の銅を変じて、金と為すが如し。」と云える是れなり。
  (はい):やぶれる。物の毀壊することを云う。腐敗と言えるが如し。
  (い):事に手を加えてしあげること。作。作為。行。物に手を加えてつくりあげること。造。造作。物事の本の姿を変ずること。変。変異。
  (こう):いつわる。あざむく。欺。まどわす。たぶらかす。惑。だます。騙。
三者諸賢聖神通。於六塵中隨意自在。見好能生厭想。見醜能生樂想。亦能離好醜想行捨心。是名三種神通。 三には、諸賢聖の神通は、六塵中に於いて、随意に自在にして、好を見て、能く厭想を生じ、醜を見て、能く楽想を生じ、亦た能く好醜の想を離れて、捨心を行ず。是れを三種の神通と名づく。
三には、
諸の、
『賢聖の神通』は、
『六塵』中に於いて、
『随意であり!』、
『自在である!』ので、
是の故に、
『好( beautiful )を見て!』、
『厭想』を、
『生じることができ!』、
『醜( not beautiful )を見て!』、
『楽想』を、
『生じることができる!』し、
亦た、
『好、醜の想を離れて!』、
『捨心』を、
『行うこともできる!』。
是れを、
『三種の神通』と、
『称する!』。
此自在神通唯佛具足。菩薩得是神通。遊諸佛國於諸異國語言不同。及在遠微細眾生不聞故。求天耳通常憶念種種多眾大聲取相修行。常修習故。耳得色界四大造清淨色。得已便得遠聞。於天人音聲麤細遠近通達無礙。 此の自在の神通は、唯だ仏のみ具足す。菩薩は、是の神通を得て、諸仏の国に遊ぶも、諸の異国に於いては、語言不同にして、及び遠くに在れば、微細なる衆生は聞えざるが故に、天耳通を求め、常に種種多衆の大声を憶念し、相を取りて修行すれば、常に修習するが故に、耳に色界の四大造の清浄なる色を得、得已りて便ち遠く聞くを得、天人の音声に於いて、麁細、遠近通達無礙なり。
此の、
『自在の神通』は、
唯だ、
『仏のみ!』が、
『具足する!』が、
『菩薩』は、
是の、
『神通を得て!』、
諸の、
『仏国に遊ぶ!』が、
諸の、
『異国の語言』は、
『同じでないし!』、
及び、
『遠くに在れば!』、
『微細な衆生の声』が、
『聞えない!』ので、
是の故に、
『天耳通を求め!』、
常に、
『種種多衆の大声を憶念し!』、
其の、
『相を取りながら!』、
『修行し!』、
常に、
『取相』を、
『修習する!』が故に、
『色界四大造の清浄の色である!』、
『耳』を、
『得て!』、
是の、
『耳を得た!』時には、
便ち、
『遠くまで!』、
『聞くことができる!』ので、
『天、人』の、
『麁、細、遠、近の声』に於いて、
『通達、無礙である!』。
問曰。如禪經中說。先得天眼見眾生而不聞其聲故。求天耳通既得天眼天耳。見知眾生身形音聲。而不解語言種種憂喜苦樂之辭故。求辭無礙智。但知其辭而不知其心故。求知他心智。知其心已。未知本所從來故。求宿命通。既知所來欲治其心病故。求漏盡通。得具足五通已。不能變化故所度未廣。不能降化邪見大福德人。是故求如意神通。應如是次第。何以故。先求如意神通。 問うて曰く、『禅経』中に説けるが如きは、『先に天眼を得て、衆生を見るも、其の声を聞かざるが故に、天耳通を求め、既に天眼、天耳を得て、衆生の身形、音声を見知するも、語言と、種種の憂喜、苦楽の辞を解せざるが故に、辞無礙智を求め、但だ其の辞を知るも、其の心を知らざるが故に、知他心智を求め、其の心を知り已るも、未だ本の従来せる所を知らざるが故に、宿命通を求め、既に来たる所を知りて、其の心病を治せんと欲するが故に、漏尽通を求め、五通を具足するを得已るも、変化すること能わざるが故に、度する所の未だ広からずして、邪見、大福徳の人を降化する能わざれば、是の故に如意神通を求む』、と。応に是の如く次第すべし。何を以っての故にか、先に如意神通を求むるや。
問い、
『禅経など!』には、こう説かれている、――
先に、
『天眼を得て!』、
『衆生を見る!』が、
其の、
『声が聞えない!』が故に、
『天耳通』を、
『求める!』。
既に、
『天眼、天耳を得て!』、
『衆生の身形、音声を見知した!』が、
其の、
『語言や、種種の憂喜、苦楽の辞( words )を解しない!』が故に、
『辞無礙智』を、
『求め!』、
但だ、
其の、
『辞を知るだけでは!』、
其の、
『心を知らない!』が故に、
『知他心智』を、
『求め!』、
其の、
『心を知った!』が、
未だ、
『来た所を知らない!』が故に、
『宿命通』を、
『求める!』。
既に、
『来た所を知った!』が、
其の、
『心病を治そうとする!』が故に、
『漏神通』を
『求め!』、
既に、
『五通を具足した!』が、
『変化することができない!』が故に、
未だ、
『広く度することができず!』、
『邪見、大福徳の人』を、
『降伏、教化することができない!』ので、
是の故に、
『如意神通』を、
『求める!』、と。
当然、
是のような、
『次第でなくてはならない!』のに、
何故、
『先に!』、
『如意神通』を、
『求めたのですか?』。
  降化(ごうけ):降伏と教化。屈伏さえて教えこむ。
  禅経(ぜんきょう):不明。蓋し坐禅三昧経には非ざるが如し。
  (じ):梵語 nirukti の訳、或る語の語源的解釈( etymological interpretation of a word )、或る語の修辞的解釈、又は語源( an artificial explanation or derivation of a word )の義。
  参考:『阿毘曇毘婆沙論巻53』:『爾時菩薩。以福德力故。端正而坐。是時惡魔。將三十六億魔軍。皆作種種惡貌形色。詣菩提樹下。爾時菩薩語惡魔言。汝作一無限施會。如汝所作無限施會。我復倍汝百千萬數。魔語菩薩。我之施會。以汝為證。誰證汝耶。爾時菩薩。即以相好莊嚴之手。按地出大音聲。魔軍聞聲。尋即破壞。是時菩薩。以業報天眼。見一由旬色。不聞其聲。便起天耳通。一由旬外。雖聞其聲。不見其色。次起天眼通。雖見色聞聲。不知其心為何所念。次起他心智通。知帝釋眷屬心生歡喜。魔王眷屬。心生愁惱。爾時菩薩。復作是念。惡魔為以何事。發是惡心。皆因五欲具。貪著五欲。皆由煩惱。以是事故。便起漏盡通。故作是說。欲次第降魔故。初中後夜。起通明現在前』
答曰。眾生麤者多細者少。是故先以如意神通。如意神通能兼麤細度人多故是以先說。 答えて曰く、衆生は麁なる者多く、細なる者少なし。是の故に先に如意神通を以ってす。如意神通の能く麁、細を兼ねて人を度すること多きが故なり。是を以って先に説けり。
答え、
『衆生』には、
『麁( 粗野:coarse )な者が多く!』、
『細( 精緻:fine )な者』は、
『少ない!』ので、
是の故に、
『如意神通』を、
『先にするのである!』。
何故ならば、
『如意神通』は、
『麁、細を兼ねる!』ので、
『人を度す!』ことが、
『多いからである!』。
是の故に、
『先に!』、
『説くのである!』。
復次諸神通。得法異數法異。得法者多先求天眼以易得故。行者用日月星宿珠火。取是等光明相。常懃精進善修習故晝夜無異。若上若下若前若後。等一明徹無所罣礙。是時初得天眼神通。餘次第得如先說。 復た次ぎに、諸の神通は、得法を異にし、数法を異にす。得法とは、多く先に天眼を求むるは、得易きを以っての故なり。行者は、日月、星宿、珠火を用いて、是れ等の光明の相を取り、常に精進を懃め、善く修習するが故に昼夜に異無し。若しは上、若しは下、若しは前、若しは後等一に明徹して罣礙する所無し。是の時、初めて天眼神通を得、余は次第に得ること、先に説けるが如し。
復た次ぎに、
諸の、
『神通』は、
『法を得るのと、法を数えるのと!』では、
其の、
『次第( order )』が、
『異なる!』。
『得法の次第』とは、
『天眼』を、
『先に、求める!』のは、
『天眼』が、
『得易いからである!』。
『行者』は、
『日月、星宿、珠火を用いて!』、
是れ等の、
『光明の相を取りながら!』、
常に、
『精進に懃めて!』、
『善く!』、
『修習すれば!』、
是の故に、
『昼、夜を異にせず!』、
『上下、左右、前後等しく!』、
『明徹であり!』、
『罣礙される( be obstructed )こと!』が、
『無くなり!』、
是の時、
『初めて!』、
『天眼神通』を、
『得るのであり!』。
『次第に!』、
『余の神通』を、
『得るのである!』が、
是れは、
『先に!』、
『説いた通りである!』。
復次佛如所自得。為人說次第。佛初夜分得一通一明。所謂如意通宿命明。中夜分得天耳通天眼明。後夜分得知他心智通漏盡明。求明用功重故在後說。通明次第得如四沙門果。大者在後。 復た次ぎに、仏は、自ら得たもう所の如く、人の為に次第に説きたまえり。仏は初夜の分に、一通、一明を得たまえり。謂わゆる如意通、宿命明なり。中夜の分に、天耳通、天眼明を得、後夜の分に、知他心智通、漏尽明を得たまえり。明を求むるは、用功の重きが故なること、後に在りて説かん。通と、明とは次第に得て、四沙門果の如く、大なる者は、後に在り。
復た次ぎに、
『仏』は、
自ら、
『得られた通りに!』、
『人』の為に、
『次第に( in order )!』、
『説かれたのである!』。
『仏』は、
『初夜の分』に、
『一通、一明』、
謂わゆる、
『如意通、宿命明』を、
『得られ!』、
『中夜の分』に、
『天耳通、天眼明』を、
『得られ!』、
『後夜の分』に、
『知他心智通、漏尽明』を、
『得られたのである!』が、
『通でなく!』、
『明を求められた!』のは、
其の、
『用功( 梵語 vyaapaara (performance) )』が、
『重いからである!』が、
是れは、
『後に!』、
『説く通りである!』。
『通と、明と!』は、
『次第に得る!』が、
譬えば、
『四沙門果のように!』、
『大きな者』が、
『後に在る!』。
  宿命明(しゅくみょうみょう):三明の一。自他の宿命を明らかに了知して通達無礙なる智明を云う。『大智度論巻16下注:三明』参照。
  天眼明(てんげんみょう):三明の一。衆生の邪法、正法の因縁に由りて悪趣、善趣に生ずる等を具に見、悉く了知して通達無礙なる智明を云う。『大智度論巻16下注:三明』参照。
  漏尽明(ろじんみょう):三明の一。如実に四諦の理を証知して、後有を受けざる等の事を悉く了知して通達無礙なるを云う。『大智度論巻16下注:三明』参照。
  参考:『大智度論巻2』:『問曰。神通明有何等異。答曰。直知過去宿命事。是名通。知過去因緣行業。是名明。直知死此生彼。是名通。知行因緣際會不失。是名明。直盡結使不知更生不生。是名通。若知漏盡更不復生。是名明。是三明大阿羅漢大辟支佛所得。』
問曰。若天眼易得故在前。菩薩何以不先得天眼。 問うて曰く、若し天眼の得易きが故に、前に在らば、菩薩は、何を以ってか、先に天眼を得ざる。
問い、
若し、
『天眼は得易い!』が故に、
『前に!』、
『在るならば!』。
『菩薩』は、
何故、
『先に!』、
『天眼を得ないのですか?』。
答曰。菩薩於諸法皆易無難。餘人鈍根故有難有易。 答えて曰く、菩薩は、諸法に於いては、皆易くして、難きこと無し。余人は鈍根なるが故に、難き有り、易き有り。
答え、
『菩薩』は、
『諸の法』は、
皆、
『容易に得られて!』、
『得難い!』者は、
『無い!』が、
『余人』は、
『鈍根である!』が故に、
『得難い者と、得易い者と!』が、
『有る!』。
復次初夜時魔王來欲與佛戰。菩薩以神通力種種變化令魔兵器皆為瓔珞。降魔已續念神通。欲令具足。生心即入便得。具足神通降魔已。自念一身云何得大力。便求宿命明自知世世積福德力故。中夜時魔即還去寂寞無聲。慈愍一切故。念魔眾聲。生天耳神通及天眼明。用是天耳聞十方五道眾生苦樂聲。聞聲已欲見其形。而以障蔽不見故求天眼後夜時既見眾生形。欲知其心故求他心智知眾生心。皆欲離苦求樂。是故菩薩求漏盡神通。於諸樂中漏盡最勝。令眾生得之。 復た次ぎに、初夜の時に魔王来たりて、仏と戦わんと欲す。菩薩は、神通力を以って、種種に変化し、魔の兵器をして皆、瓔珞と為らしめ、魔を降し已りて、続いて神通を念じ、具足ならしめんと欲すれば、心を生じて、即ち入り、便ち得たまい、神通を具足して、魔を降し已り、自ら、『一身にして、云何が大力を得ん』、と念じて、便ち宿命明を求めたもう、自ら、世世に、福徳の力を積めるを知るが故なり。中夜の時に、魔は、即ち還って去れば、寂漠として声無きに、一切を慈愍するが故に、魔衆の声を念じて、天耳神通、及び天眼明を生じ、是の天耳を用いて、十方の五道の衆生の苦楽の声を聞き、声を聞き已りて、其の形を見んと欲するも、障(さわり)に蔽(おお)われて見えざるを以っての故に、天眼を求め、後夜の時に、既に衆生の形を見て、其の心を知らんと欲するが故に、他心智を求めて、衆生の心の皆苦を離れて楽を求むるを知り、是の故に菩薩は、漏尽神通を求めて、諸の楽中に於いて、漏尽最勝なれば、衆生をして、之を得しめたまえり。
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『初夜の時』に、
『魔王が来て!』、
『仏』と、
『戦おうとした!』が、
『菩薩は神通力を用いて!』、
『種種に変化し!』、
『魔の兵器』を、
皆、
『瓔珞にして!』、
『魔を降してしまう!』と、
『続いて!』、
『神通が具足するように!』と、
『念じ!』、
『心を生じて!』、
即ち( suddenly )、
『神通に!』、
『入り( to become to understand )!』、
便ち( immediately )、
『神通を!』、
『得られた( had obtained )!』。
『神通を具足して、魔を降してしまう!』と、
自ら、
是の、
『一身』中に、
何うすれば、
『大力を得られるのだろうか?』と、
『念じて!』、
便ち、
『宿命明』を、
『求められた!』。
自ら、
『世世に積んだ!』、
『福徳の力』を、
『知ろうとされたのである!』。
『中夜の時』には、
『魔が、還り去ってしまった!』ので、
『寂漠として!』、
『魔の声』も、
『無くなっていたが!』、
『一切の衆生を慈愍する!』が故に、
『魔衆の声を念じて( to remind )!』、
『天耳神通と、天眼明と!』を、
『生じ!』、
是の、
『天耳を用いて!』、
『十方の五道の衆生』の、
『苦、楽の声』を、
『聞き!』、
『聞いてしまう!』と、
其の、
『形』を、
『見ようとされた!』が、
『障礙に蔽われて!』、
『見えない!』が故に、
『天眼』を、
『求められた!』。
『後夜の時』には、
既に、
『衆生の形を見られた!』ので、
其の、
『心を知ろうとされた!』が故に、
『他心智』を、
『求められた!』。
『衆生の心』が、
皆、
『苦を離れて、楽を求めようとする!』のを、
『知り!』、
是の故に、
『菩薩』は、
『漏尽神通を求め!』、
諸の、
『楽』中には、
『漏尽』が、
『最勝である!』が故に、
『衆生』に、
『漏尽』を、
『得させられたのである!』。
問曰。菩薩已得無生法忍。世世常得果報神通。今何以自疑既見眾生而不知其心。 問うて曰く、菩薩は、已に無生法忍を得て、世世に常に果報の神通を得たるに、今何を以ってか、自ら疑い、既に衆生を見て、而も其の心を知らざる。
問い、
『菩薩』は、
已に、
『無生法忍』を、
『得ていられる!』ので、
世世に、
常に、
『果報の神通』を、
『得られたはずである!』。
今は、
何故、
自らの、
『力』を、
『疑い!』、
既に、
『衆生』を、
『見ていながら!』、
其の、
『心』を、
『知らないのですか?』。
答曰。有二種菩薩。一者法性生身菩薩。二者為度眾生故。方便受人法。身生淨飯王家。出四城門。問老病死人。是菩薩坐樹王下具六神通。 答えて曰く、二種の菩薩有り、一には法性生身の菩薩、二には衆生を度せんが為の故に、方便して人法を受け、身を浄飯王の家に生じ、四城門を出でて、老病死の人に問う。是の菩薩は、樹王の下に坐して、六神通を具う。
答え、
『菩薩』には、
『二種有り!』、
一には、
『法性生身の菩薩』、
二には、
『衆生を度す!』為の故に、
『方便して!』、
『人法を受け!』、
『身』を、
『浄飯王の家』に、
『生まれさせる!』と、
『四門より出城して!』、
『老、病、死の人』を、
『問うた!』。
是の、
『菩薩』は、
『樹王の下に坐して!』、
『六神通』を、
『具足したのである!』。
  出四城門(しゅつしじょうもん):釈尊太子たりし時、王城の四方の城門より出づるに老、病、死の苦を見て深く人生の無常を感じ、出家の因縁となしたる故事を云う。『大智度論巻28上注:四門出遊』参照。
  四門出遊(しもんしゅつゆう):又四門遊観とも称す。仏陀が太子の時、東西南北の門を出遊し出家を決意した故事をいう。即ち、釈尊が悉達太子でおられた時、王城から遊びに出た際、まず東門を出ると淨居天が出家を決意させるために老人となって、世の無常を観じさせる。次に南門を出ると病人となって、西門を出ると死人となって、最後に北門を出ると沙門となって現われたので、遂に堅く出家することを決意する。「太子瑞応本起経巻上」には、東門を病人、南門を老人、西門を死人、北門を沙門に配置している。しかるに「buddhacarita III,V.」、「仏所行讃巻1」、「仏本行経巻2」、「長阿含経巻1大本経」、「衆許摩訶帝経巻4」等には遊観について記しているが、門そのものの記載はない。「mahaavastu vol.II,177ff.」、「中阿含巻26、36」には宮中において無常を感じて出家したことを記している。解説:四門出遊の話はパーリ文の「四ニカーヤ」には現われないが、「DN.II,mahaapadaana-s.(前述の大本経)」では毘婆尸(vipassin)菩薩が出家する以前に王子であった時、車で宮殿から遊園に行く途中、老人、病人、死人を見て深刻に内省し、御者と語る話がある。また、パーリ文では仏伝に取り入れられたものとして「vimaanavatthu」が最も古い。後世、四門出遊の伝説が定型化したことを物語っている。文献:「五分律巻15」、「根本説一切有部毘奈耶破僧事巻3」、「過去現在因果経巻2」、「仏本行集経巻15」、「修行本起経巻下」、「mahaavastu,II,140ff.」、「普曜経巻3出観品」、「方広大荘厳経巻5感夢品」、「異出菩薩本起経」等に出づ。<(望 補遺I)
  参考:『普曜経巻3四出観品』:『佛告比丘。時諸天人勸發菩薩。父王白淨。寐夢睹見菩薩出家。樂於寂然諸天圍繞。又見剃頭身著袈裟。時從夢覺。即遣人問。太子在宮不。侍者答曰。太子在耳。時白淨王入太子宮。今觀太子必當出家。所以者何。如我於今所見變應。心自念言。太子將無欲行遊觀。當敕四衢嚴治道路。學調伎樂普令清淨。卻後七日太子當出。使道平正莫令不淨。勿使見非諸不可意。即時受教皆當如法。嚴治已竟懸繒幡蓋。兵眾圍繞導從前後。爾時菩薩出東城門。菩薩威聖之所建立。於時諸天化作老人。頭白齒落目冥耳聾。短氣呻吟執杖僂步住於中路。菩薩知之故復發問。此為何人。頭白齒落羸瘦乃爾。御者答言。是名老人。諸貌已盡形變色衰。飲食不化氣力虛微。命在西垂餘壽無幾。故曰老矣。菩薩即曰。是則世法而有此難。一切眾生皆有斯患。人命速駛猶山水流宿夜逝疾難可再還。老亦然矣。不亦苦哉。一心專精思惟正義。御者答曰。不獨此人遇苦患也。天下皆爾。俗之常法。聖尊父母親里知識。皆致此老。咸同是業。菩薩時曰。不解句義愚人自大。不覺老至自沒塵埃。便可迴還。用是五樂不益於事。自睹如幻空中之電。還入宮中思惟經典愍念十方。宜以法藥必療治之。菩薩後日復欲出遊。王敕外吏嚴治道路。去諸不淨。菩薩駕乘出南城門。復於中路見疾病人。水腹身羸臥于道側。氣息張口命將欲絕。菩薩知之故復發問。告御者曰。此為何人。御者曰。此名病人。已至死地命在須臾。骨節欲解餘壽如髮。菩薩即曰。萬物無常有身皆苦。生皆有此何得免之。吾身不久亦當然矣。不亦痛乎。有身有苦無身乃樂。即還入宮。復於異日報王遊觀。王敕外吏嚴治道路。太子乘駕出西城門。見一死人。著于床上。家室圍繞舉之出城。涕淚悲哭椎胸呼嗟。頭面塵垢淚下如雨。何為棄我獨逝而去。菩薩知之而復問曰。此為何人。御者答曰。此是死人。人生有死猶春有冬。身沒神逝宗家別離。人物一統無生不終。菩薩答曰。夫死痛矣。精神懅矣。生當有此老病死苦。莫不熱中迫而就之。不亦苦乎。吾見死者。形壞體化而神不滅。是故聖人以身為患。而愚者寶之至死無厭。吾不能復以死受生。往來五道勞我精神。便迴車還。思度十方。復於異日。報王出遊。出北城門。見一沙門。寂靜安徐淨修梵行。諸根寂定目不妄視。威儀禮節不失道法。衣服整齊手執法器。菩薩問之。此為何人。御者答曰。此名比丘。以棄情欲。心意寂然猶如太山。不可傾動。難污如空。屈伸低仰不失儀則。心如蓮華悉無所著。亦如明珠六通清徹。無一蔽礙。慈愍一切欲度十方。菩薩即言。善哉。唯是為快。是吾所樂。心意寂靜自愍度彼。善業快利成甘露果。』
復次菩薩神通先有而未具足。今於三夜所得。是佛神通行人法故。自疑無咎。 復た次ぎに、菩薩の神通は、先に有るも、未だ具足せず。今、三夜に於ける所得は、是れ仏の神通なり。人法を行ずるが故に、自ら疑うも、咎無し。
復た次ぎに、
『菩薩の神通』は、
先に、
『有る!』が、
未だ、
『具足していない!』。
今の、
『三夜に得た!』、
『神通』は、
『仏の神通である!』が、
『人法を行う!』が故に、
自ら、
『神通の力を疑ったとしても!』、
『咎』は、
『無い!』。
問曰。六神通次第。常初天眼後漏盡通。亦有不爾時耶。 問うて曰く、六神通の次第は、常に天眼を初として、漏尽通を後とするも、亦た爾らざる時有りや。
問い、
『六神通の次第』は、
常に、
『初が天眼であり!』、
『後が!』、
『漏尽通です!』が、
亦た、
『爾うでない!』、
『時も!』、
『有るのですか?』。
答曰。多先天眼後漏盡智。或時隨所好修。或先天耳或先神足。 答えて曰く、多くは天眼を先にし、漏尽智を後にするも、或は時に好む所に随って修すれば、或は天耳を先にし、或は神足を先にす。
答え、
『多く!』は、
『天眼が先であり!』、
『漏尽智』は、
『後である!』が、
或は、
時に、
『好みのままに!』、
『修める!』ので、
或は、
『天耳』が、
『先であり!』、
或は、
『神足』が、
『先である!』。
有人言。初禪天耳易得。有覺觀四心故。二禪天眼易得。眼識無故心攝不散故。三禪如意通易得。身受快樂故。四禪諸通皆易得。一切安隱處故。宿命等三神通義。如十力中說 有る人の言わく、『初禅には天耳得易し、覚観の四心有るが故なり。二禅は天眼得易し、眼識無きが故に、心摂して散ぜざるが故なり。三禅は如意通得易し、身に快楽を受くるが故なり。四禅は諸通皆得易し、一切の安隠処なるが故なり』、と。宿命等の三神通の義は、十力中に説けるが如し。
有る人は、こう言っている、――
『初禅』は、
『天耳が得易い!』、
『覚、観、喜、楽の四心』が、
『有るからである!』。
『二禅(喜、楽の二心有り)』は、
『天眼が得易い!』、
『眼識が無い!』が故に、
『心』が、
『摂して( to gather together )!』、
『散乱しないからである!』。
『三禅』は、
『如意通が得易い!』、
『身』に、
『快楽を受けるからである!』。
『四禅』は、
『諸通が皆得易い!』、
『一切が安隠な!』、
『処だからである!』、と。
『宿命等の三神通の義』は、
『十力』中に、
『説いた通りである!』。
  四禅(しぜん):覚観喜楽の有無に関する四種の禅定。『大智度論巻7下注:四禅』参照。
  (しょう):含む/包含する( contain )、梵語 saMgraha, samavasaraNa, anugraha, parigraha の訳、保持する/持つ/含める/[或るグループ/組に]属する/集める/寄せ集める/結びつける( To hold, have, include; to be included (within a certain group or set, etc.); collect, gather together, combine )、受け取る/受け容れる( taking, accepting, receiving )の義。取締る/指図する/専心する/包含する( To control, direct, attend to, emblace )、所属する/属する/一部となる/傘下に入る( To relate to, belong to, be part of, fall under, be affiliated with )の意。
  参考:『大智度論巻24』:『佛有十力者。是處不是處如實知一力也。知眾生過去未來現在諸業諸受。知造業處知因緣知報二力也。知諸禪解脫三昧定垢淨分別相如實知三力也。知他眾生諸根上下相如實知四力也。知他眾生種種欲五力也。知世間種種無數性六力也。知一切道至處相七力也。知種種宿命。共相共因緣一世二世乃至百千世劫初劫盡。我在彼眾生中如是姓名。飲食苦樂壽命長短。彼中死是間生是間死還生是間。此間生名姓飲食苦樂。壽命長短亦如是八力也。佛天眼淨過諸天人眼見眾生死時生時端正醜陋。若大若小若墮惡道若墮善道。如是業因緣受報。是諸眾生惡身業成就。惡口業成就。惡意業成就。謗毀聖人邪見邪見業成就。是因緣故身壞死時入惡道。生地獄中。是諸眾生善身業成就。善口業成就。善意業成就不謗聖人正見正見業成就。是因緣故身壞死時入善道生天上九力也。佛諸漏盡故。無漏心解脫。無漏智慧解脫。現在法中自識知我生已盡持戒已作後有盡。如實知十力也。』



衆生の意の趣向する所を知る

【經】欲知一切眾生意所趣向。當學般若波羅蜜 一切の衆生の意の趣向する所を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。
一切の、
『衆生の意』の、
『趣向する!』所( where one is going to )を、
『知ろうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  趣向(しゅこう):梵語 gamana の訳、行くこと/到達すること( going to or approaching )。おもむきむかう/目的を定めてそれに向う。
【論】問曰。六通中已說知他心通。今何以重說。 問うて曰く、六神通中に已に知他心通を説けるに、今何を以ってか、重ねて説く。
問い、
『六神通』中には、
已に、
『知他心通』が、
『説かれている!』。
今、
何故、
『重ねて!』、
『説くのですか?』。
答曰。知他心通境界少。但知欲界色界現在眾生心心數法。不知過去未來及無色界眾生心心數法。凡夫通於上四禪地隨所得通處已下。遍知四天下眾生心心數法。聲聞通於上四禪地隨所得通處已下遍知千世界眾生心心數法。辟支佛通於上四禪地隨所得通處已下遍知百千世界眾生心心數法。 答えて曰く、知他心通は、境界少なくして、但だ欲界、色界の現在の衆生の心、心数法を知り、過去、未来、及び無色界の衆生の心、心数法を知らず。凡夫の通は、上に四禅地の通を得る所の処に随い、已下に於いて、遍く四天下の衆生の心、心数法を知る。声聞の通は、上の四禅の地の通を得る所の処に随い、已下に於いて、遍く千世界の衆生の心、心、心数法を知る。辟支仏の通は、上の四禅地の通を得る所の処に随い、已下に於いて、遍く百千世界の衆生の心、心数法を知る。
答え、
『知他心通』は、
『境界が少ない!』ので、
但だ、
『欲界、色界の現在の衆生』の、
『心、心数法』を、
『知るだけで!』、
『過去、未来、及び無色界の衆生』の、
『心、心数法』を、
『知らない!』。
『凡夫の通』は、
『上の四禅』の、
『通を得た処に随って!』、
其の、
『処より以下』の、
『四天下の衆生の心、心数法』を、
『遍く、知り!』、
『声聞の通』は、
『上の四禅』の、
『通を得た処に随って!』、
其の、
『処より已下』の、
『千世界の衆生の心、心数法』を、
『遍く、知り!』、
『辟支仏の通』は、
『上の四禅』の、
『通を得た処に随って!』、
其の、
『処より已下』の、
『百千世界の衆生の心、心数法』を、
『遍く、知るのである!』。
  参考:『阿毘曇毘婆沙論巻49』:『初禪地者。緣欲界初禪二禪地者。緣欲界乃至第二禪第三禪地者。緣欲界乃至第三禪第四禪地者。緣欲界乃至第四禪。他心智不知無色界。問曰。何故他心智不知無色界。答曰。他心智不知上地法。初禪他心智。不知第二禪心。乃至第三禪他心智。不知第四禪心。』
上地鈍根者。不能知下地利根者心心數法。凡夫不知聲聞心心數法。聲聞不知辟支佛心心數法。辟支佛不知佛心心數法。以是故說欲知一切眾生心所趣向當學般若波羅蜜。 上地の鈍根の者は、下地の利根の者の心、心数法を知る能わず。凡夫は、声聞の心、心数法を知らず。声聞は辟支仏の心、心数法を知らず。辟支仏は、仏の心、心数法を知らず。是を以っての故に説かく、『一切の衆生の心の趣向する所を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と。
『上地の鈍根の者』は、
『下地の利根の者』の、
『心、心数法』を、
『知ることができない!』ので、
『凡夫』は、
『声聞の心、心数法』を、
『知らず!』、
『声聞』は、
『辟支仏の心、心数法』を、
『知らず!』、
『辟支仏』は、
『仏の心、心数法』を、
『知らない!』。
是の故に、こう説くのである、――
一切の、
『衆生の心』の、
『趣向する!』所を、
『知ろうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
問曰。以何智能知一切眾生心心數法。 問うて曰く、何なる智を以ってか、能く一切の衆生の心、心数法を知る。
問い、
何の、
『智を用いて!』、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ることができるのですか?』。
答曰。諸佛有無礙解脫。入是解脫中。能知一切眾生心心數法。諸大菩薩得相似無礙解脫。亦能知一切眾生心心數法。新學菩薩欲得是大菩薩無礙解脫及佛無礙解脫。以此無礙解脫知一切眾生心心數法。大菩薩欲得佛無礙解脫。以是故雖已說知他心通。更說欲知一切眾生心所趣向當學般若波羅蜜。 答えて曰く、諸仏には無礙解脱有りて、是の解脱中に入れば、能く一切の衆生の心、心数法を知る。諸の大菩薩は、相似せる無礙解脱を得て、亦た能く一切の衆生の心、心数法を知る。新学の菩薩は、是の大菩薩の無礙解脱、及び仏の無礙解脱を得て、此の無礙解脱を以って、一切の衆生の心、心数法を知らんと欲す。大菩薩は、仏の無礙解脱を得んと欲し、是を以っての故に、已に知他心通を説くと雖も、更に説かく、『一切の衆生の心の趣向する所を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と。
答え、
『諸の仏』には、
『無礙解脱が有る!』ので、
是の、
『解脱中に入れば!』、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ることができる!』。
『諸の大菩薩』は、
『相似の無礙解脱を得る!』ので、
亦た、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ることができる!』。
『新学の菩薩』は、
是の、
『大菩薩の無礙解脱と、仏の無礙解脱を得て!』、
此の、
『無礙解脱を用いて!』、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ろうとする!』。
『大菩薩』は、
『仏』の、
『無礙解脱』を、
『得ようとしている!』。
是の故に、
已に、
『知他心通を説いた!』のに、
更に、こう説くのである、――
一切の、
『衆生の心』の、
『趣向する!』所を、
『知ろうとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
  無礙解脱(むげげだつ):唯仏のみ煩悩障礙、定障礙、一切法障礙の三種の礙を解脱せりの意。『大智度論巻18下注:解脱、同巻21下注:無礙解脱』参照。
問曰。心所趣向。心為去為不去。若去此則無心猶若死人。若不去云何能知。如佛言依意緣法意識生意。若不去則無和合。 問うて曰く、心の趣向する所とは、心は去ると為すや、去らずと為すや。若し去らば、此に則ち心無く、猶お死人の若し。若し去らずんば、云何が能く知る。仏の言えるが如し、『意の法を縁ずるに依りて、意識生ず』、と。意にして、若し去らずんば、則ち和合無けん。
問い、
『心の趣向する!』とは、――
『心』は、
『去るのか?』、
『去らないのか?』。
若し、
『心が去れば!』、
此処には、
『心』が、
『無く!』、
猶お( almost )、
『死人のようである!』。
若し、
『去らなければ!』、
何故、
『趣向する!』所を、
『知るのか?』。
例えば、
『仏』は、こう言われた、――
『意』が、
『法を縁じる!』と、
『意識』が、
『生じる!』、と。
若し、
『意が去らなければ!』、
『法』と、
『和合する!』ことも、
『無いだろう!』。
  猶若(ゆにゃく):如し。
答曰。心不去不住而能知。如般若波羅蜜中說。一切法無來無去相。云何言心有來去。又言諸法生時無所從來。滅時無所去。若有來去即墮常見。諸法無有定相。以是故但以內六情外六塵和合生六識。及生六受六想六思。以是故心如幻化。能知一切眾生心心數法。無有知者無有見者。 答えて曰く、心は去らずして、住せざるも、能く知る。般若波羅蜜中に説けるが如し、『一切法は、無来無去の相なり』、と。云何が、『心に来去有り』、と言う。又言わく、『諸法の生時に、従りて来たる所無く、滅時に去る所無し』、と。若し来去有らば、即ち常見に堕せん。諸法には定相有ること無く、是を以っての故に、但だ内の六情と、外の六塵の和合するを以って、六識生じ、及び六受、六想、六思生ず。是を以っての故に、心は幻化の如く、能く一切の衆生の心、心数法を知るも、知者有ること無く、見者有ること無し。
答え、
『心』は、
『去ることもなく!』、
『住まることもない!』が、
而し、
『知ることができる!』。
『般若波羅蜜』中に、こう説かれている通りである、――
一切の、
『法』には、
『来相も、去相も!』、
『無い!』、と。
何故、こう言うのか?――
『心』には、
『来ることや、去ること!』が、
『有る!』、と。
『般若波羅蜜』は、こうも言っている、――
諸の、
『法』は、
『生じる!』時には、
『来る処』が、
『無く!』、
『滅する!』時には、
『去る処』が、
『無い!』、と。
若し、
『来ることや、去ることが有れば!』、
即ち、
『常見』に、
『堕ちるだろう!』。
諸の、
『法』には、
『定相』が、
『無い!』ので、
是の故に、
但だ、
『内の六情と、外の六塵との和合』の故に、
『六識』を、
『生じ!』、
及び、
『六受、六想、六思』を、
『生じるだけである!』。
是の故に、
『心』は、
『幻、化のように!』、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ることができる!』が、
是の、
『心、心数法を知る者も、見る者も!』、
『無いのである!』。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻6』:『須菩提。汝所言是摩訶衍不見來處不見去處不見住處。如是如是。須菩提。是摩訶衍不見來處不見去處不見住處。何以故。須菩提。一切諸法不動相故。是法無來處無去處無住處。何以故。須菩提。色無所從來亦無所去亦無所住受想行識無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。色法無所從來亦無所去亦無所住。受想行識法無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。色如無所從來亦無所去亦無所住。受想行識如無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。色性無所從來亦無所去亦無所住。受想行識性無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。色相無所從來亦無所去亦無所住。受想行識相無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。眼眼法眼如眼性眼相無所從來亦無所去亦無所住。耳鼻舌身意。意法意如意性意相。無所從來亦無所去亦無所住。色聲香味觸法亦如是。須菩提。地種地種法地種如地種性地種相。無所從來亦無所去亦無所住。水火風空識種。識種法識種如識種性識種相亦如是。須菩提。如如法如如如性如相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。實際實際法實際如實際性實際相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。不可思議。不可思議法。不可思議如。不可思議性。不可思議相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。檀那波羅蜜。檀那波羅蜜法。檀那波羅蜜如。檀那波羅蜜性。檀那波羅蜜相。無所從來亦無所去亦無所住。尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜般若波羅蜜。般若波羅蜜法。般若波羅蜜如。般若波羅蜜性。般若波羅蜜相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。四念處四念處法四念處如四念處性四念處相。無所從來亦無所去亦無所住。乃至十八不共法亦如是。須菩提。菩薩菩薩法菩薩如菩薩性菩薩相。無所從來亦無所去亦無所住。佛佛法佛如佛性佛相。無所從來亦無所去亦無所住。阿耨多羅三藐三菩提。阿耨多羅三藐三菩提法如性相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。有為法有為法法有為法如有為法性有為法相。無所從來亦無所去亦無所住。須菩提。無為法無為法法無為法如無為法性無為法相。無所從來亦無所去亦無所住。以是因緣故。須菩提。是摩訶衍不見來處不見去處不見住處。須菩提。汝所言是摩訶衍前際不可得後際不可得中際不可得。是衍名三世等。以是故。說名摩訶衍。』
如歎摩訶衍品中言。若一切眾生心心數法。性實有不虛誑者。佛不能知一切眾生心心數法。以一切眾生心心數法性實虛誑無來無去故。佛知一切眾生心心數法。 『歎摩訶衍品』中に言うが如し、『若し一切の衆生の心、心数法の性、実に有りて、虚誑ならざれば、仏は、一切の衆生の心、心数法を知る能わず。一切の衆生の心、心数法の性は、実に虚誑にして、無来、無去なるを以っての故に、仏は、一切の衆生の心、心数法を知りたもう』、と。
『歎摩訶衍品』中にも、こう言っている、――
若し、
一切の、
『衆生の心、心数法』の、
『性』が、
『実に有って!』、
『虚誑でなければ!』、
『仏』は、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知ることができないだろう!』。
一切の、
『衆生の心、心数法』の、
『性』が、
『実に虚誑であり!』、
『来ることも、去ることも無い!』が故に、
『仏』は、
一切の、
『衆生の心、心数法』を、
『知るのである!』、と。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻6勝出品』:『須菩提。若法性是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。以法性無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若如實際不可思議性。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。以如實際不可思議性無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若檀那波羅蜜。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以檀那波羅蜜無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。若尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜般若波羅蜜。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以尸羅波羅蜜乃至般若波羅蜜無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若內空乃至無法有法空。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以內空乃至無法有法空無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若四念處乃至十八不共法。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以四念處乃至十八不共法無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若性人法是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以性人法無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若八人法須陀洹法斯陀含法阿那含法阿羅漢法辟支佛法佛法。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以八人法乃至佛法無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若性地人是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以性地人無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若八人法須陀洹乃至佛。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以八人乃至佛無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若一切世間及諸天人阿修羅。是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以一切世間及諸天人阿修羅無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若菩薩摩訶薩從初發心乃至道場。於其中間諸心若是有法非無法者。是摩訶衍不能勝出一切世間及諸天人阿修羅。以菩薩從初發心乃至道場於其中間諸心無法非法。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若菩薩摩訶薩如金剛慧是有法非無法者。是菩薩摩訶薩不能知一切結使及習無法非法得一切種智。須菩提。以菩薩摩訶薩如金剛慧無法非法。是故菩薩知一切結使及習無法非法得一切種智。以是故。摩訶衍勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若諸佛三十二相。是有法非無法者。諸佛威德不能照然勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。以諸佛三十二相無法非法。以是故。諸佛威德照然勝出一切世間及諸天人阿修羅。須菩提。若諸佛光明是有法非無法者。諸佛光明不能普照如恒河沙等國土。須菩提。以諸佛光明無法非法。以是故。諸佛能以光明普照如恒河沙等國土。須菩提。若諸佛六十種莊嚴音聲是有法非無法者。諸佛不能以六十種莊嚴音聲遍至十方無量阿僧祇國土。須菩提。以諸佛六十種莊嚴音聲無法非法。以是故。諸佛能以六十種莊嚴音聲遍至十方無量阿僧祇國土。須菩提。諸佛法輪若當是有法非無法者。諸佛不能轉法輪諸沙門婆羅門若天若魔若梵。及世間餘眾所不能如法轉者。須菩提。以諸佛法輪無法非法。以是故。諸佛轉法輪諸沙門婆羅門若天若魔若梵及世間餘眾不能如法轉者。須菩提。諸佛為眾生轉法輪。是眾生若實有法非無法者。不能令是眾生於無餘涅槃而般涅槃。須菩提。以諸佛為眾生轉法輪是眾生無法非法。以是故。能令眾生於無餘涅槃中。已滅今滅當滅』
譬如比丘貪求者不得供養。無所貪求則無所乏短。心亦如是。若分別取相則不得實法。不得實法故不能通達知一切眾生心心數法。若不取相無所分別則得實法。得實法故能通達。知一切眾生心心數法無所罣礙。 譬えば、比丘、貪求すれば、供養を得ず、貪求する所無ければ、則ち乏短する所無きが如く、心も亦た是の如く、若し分別して相を取れば、則ち実法を得ず、実法を得ざるが故に一切の衆生の心心数法を通達して知る能わず。若し相を取らずして、分別する所無ければ、則ち実法を得、実法を得るが故に能く、一切の衆生の心、心数法を通達して知り、罣礙する所無し。
譬えば、
『比丘』が、
『貪って求めれば!』、
『供養』を、
『得られない!』が、
若し、
『貪って求めなければ!』、
『乏短する( be short of )こと!』が、
『無いように!』、
是のように、
『心』も、
若し、
『相を取って!』、
『分別すれば!』、
則ち、
『実法』を、
『得ることができず!』、
『実法を得られない!』が故に、
一切の、
『衆生の心、心数法を知る!』ことに、
『通達できないのである!』が、
若し、
『相を取らずに!』、
『分別しなければ!』、
則ち、
『実法』を、
『得ることになり!』、
『実法を得る!』が故に、
一切の、
『衆生の心、心数法を知る!』ことに、
『通達して!』、
『罣礙されないのである!』。
問曰。一切眾生諸心可得悉知不。若悉知則眾生有邊。若不知何以故說欲知一切眾生心所趣向。云何佛有一切種智。 問うて曰く、一切の衆生の諸心の得べきを、悉く知るや、不や。若し悉く知らば、則ち衆生には、辺有らん。若し知らずんば、何を以っての故にか、『一切の衆生の、心の趣向する所を知らんと欲す』、と説き、云何が、仏に一切種智有らん。
問い、
一切の、
『衆生』の、
諸の、
『認識できる!』、
『心』を、
悉く、
『知るのか?』、
『知らないのか?』。
若し、
『悉く知れば!』、
則ち、
『衆生』は、
『有辺だということになる!』。
若し、
『知らなければ!』、
何故、こう説くのか?――
一切の、
『衆生の心』の、
『趣向する!』所を、
『知ろうとする!』、と。
何故、
『仏』には、
『一切種智』が、
『有るのか?』。
答曰。一切眾生心心數法可得悉知。何以故如經中說。一切實語中佛最第一。若不能悉知一切眾生心得其邊際者。佛何以言悉知。亦不名一切智人。而佛語皆實。必應實有一切智人。 答えて曰く、一切の衆生の心、心数法の得べきを、悉く知りたもう。何を以っての故に、経中に説けるが如し、『一切の実語中に、仏は最も第一なり』、と。若し悉く、一切の衆生の心を知りて、其の辺際を得る能わざれば、仏を、何を以ってか、『悉く知る』、と言えるに、亦た一切智の人と名づけざらん。而も仏語は皆実なれば、必ず応に実に、一切智有る人なるべし。
答え、
一切の、
『衆生』の、
『得ることのできる!』、
『心、心数法』を、
『悉く、知るからである!』。
何故ならば、
『経』中に、こう説かれているからである、――
一切の、
『実語( truth-speaking )』中には、
『仏』が、
『最も第一である!』、と。
若し、
一切の、
『衆生の心』を、
『悉く知って!』、
其の、
『辺際』を、
『得られなければ!』、
何故、
『仏』は、
『悉く知る!』と、
『言われたのか?』。
お前は、
亦た、
『仏』を、
『一切智の人』と、
『呼ばないのか?』。
而も、
『仏の語』は、
皆、
『実である!』が故に、
必ず、
『実に!』、
『一切智を有する人であるはずだ!』。
復次眾生雖無邊。一切種智亦無邊。譬如函大蓋亦大。若智慧有邊眾生無邊者應有是難。今智慧及眾生俱無邊故。汝難非也。 復た次ぎに、衆生は、無辺なりと雖も、一切種智も亦た無辺なり。譬えば函大なれば、蓋も亦た大なるが如し。若し智慧有辺にして、衆生無辺ならば、応に是の難有るべし。今、智慧、及び衆生は倶に辺無きが故に、汝が難は非なり。
復た次ぎに、
『衆生は無辺である!』が、
亦た、
『一切種智』も、
『無辺である!』。
譬えば、
『函が大きければ!』、
『蓋』も、
『大きいようなものである!』。
若し、
『智慧が有辺であり!』、
『衆生』が、
『無辺ならば!』、
是の、
『難( to be blaming )』も、
『有るだろう!』が、
今は、
『智慧も、衆生も!』、
倶に( all )、
『無辺である!』が故に、
お前の、
『難』は、
『非である( to be wrong )!』。
復次若言有邊無邊。此二於佛法中是置答。是十四事虛妄無實無益故。不應以為難。 復た次ぎに、若し、有辺、無辺を言わば、此の二は、仏法中に於いて、是れ置答なり。是の十四事は、虚妄、無実、無益なるが故に、応に以って難を為すべからず。
復た次ぎに、
若し、
『有辺である!』とか、
『無辺である!』と、
『言えば!』、
此の、
『二』は、
『仏法』中には、
是の、
『答』を、
『置かねばならない!』。
是の、
『有、無等の十四事』は、
『虚妄であり!』、
『無実、無益である!』が故に、
是の、
『十四事を用いて!』、
『難じてはならない!』。
  置答(ちとう):四種答の一。即ち虚妄、無実、無益の論を避けんが為に、捨て置きて答えざるを云う。『大智度論巻26下、同巻35下注:四記』参照。
  十四事(じゅうしじ):置きて答えざる無益の語に十四種の別あるを云う。『大智度論巻7上注:十四無記』参照。
  十四事:無益な十四の問い。即ち(1)世界及び我は常なり。(2)世界及び我は無常なり。(3)世界及び我は、または有常にして、または無常なり。(4)世界及び我は、また有常に非ず、また無常にも非ず。(5)世界及び我は有辺なり。(6)無辺なり。(7)または有辺にして、または無辺なり。(8)または有辺に非ずして、または無辺に非ず。(9)死後に神有りて後世に去る。(10)神の後世に去るもの無し。(11)または神の去るもの有り、または神の去るもの無し。(12)死後に、また神の去るもの有るに非ず、また神の後世に去るもの無きにも非ず。(13)これ身にして、これ神なり。(14)身、異なり、神、異なる。『大智度論巻2下』参照。
問曰。若有邊無邊二俱不實。而佛處處說無邊。如眾生有癡愛已來。無始無邊十方亦無邊際。 問うて曰く、若し有辺、無辺の二倶に不実ならば、仏は処処に無辺を説きたまわく、『衆生に、癡愛有りてより已来(このかた)、無始、無辺なるが如く、十方も亦た無辺際なり』、と。
問い、
若し、
『有辺、無辺の二』が、
倶に、
『不実だとしても!』、
『仏』は、
処処に、
『無辺』を、こう説かれている、――
『衆生に癡愛が有って以来( since )』、
『無始であり( to have no biggining )』、
『無辺である( to be unlimited )ように!』、
亦た、、
『十方の世界や、衆生』も、
『無辺際である( to be boundless )!』、と。
答曰眾生無邊。佛智慧無邊。是為實。若人著無邊取相戲論故。佛說是邪見。譬如世間常無常二俱顛倒入十四難中。而佛多以無常度眾生少用有常。若著無常取相戲論。佛說是邪見虛妄。若不著無常。知無常即是苦苦即是無我無我即是空。能如是依無常觀。入諸法空便是實。以是故知無常入真諦中。是實十四難中。以著因緣故說是邪見。 答えて曰く、衆生の無辺なる、仏の智慧の無辺なる、是れを実と為す。若し人、無辺に著して相を取らば、戯論するが故に、仏は、是れを邪見なりと説きたまえり。譬えば世間の常、無常の二は倶に顛倒にして、十四難中に入るも、仏は多く無常を以って、衆生を度したまい、少し有常を用いたもうが如し。若し無常に著して相を取らば、戯論せん。仏は、是れ邪見にして、虚妄なりと説きたもう。若し無常に著せずして、無常なれば、即ち是れ苦なり、苦なれば、即ち是れ無我なり、無我なれば、即ち是れ空なりと知り、能くかくの如く無常の観に依りて、諸法の空に入れば、便ち是れ実なり。是を以っての故に、無常を知りて、真諦中に入れば、是れ実なり。十四難中は、著する因縁を以っての故に是れ邪見なりと説きたもう。
答え、
『衆生は無辺であり!』、
『仏』の、
『智慧』も、
『無辺である!』、
是れが、
『実である!』。
若し、
『人』が、
『無辺に著すれば!』、
『相を取って!』、
『戯論する!』が故に、
『仏』は、
是れは、
『邪見である!』と、
『説かれた!』。
譬えば、
『世間』の、
『常、無常の二』は、
『倶に、顛倒であり!』、
『十四難』中に、
『入る!』が、
『仏』は、
『無常』を、
『多く用いて!』、
『衆生』を、
『度し!』、
『有常』も、
『少しは!』、
『用いられるようなものである!』。
若し、
『人』が、
『無常に著して!』、
『相を取って!』、
『戯論すれば!』、
『仏』は、
是れは、
『邪見、虚妄である!』と、
『説かれ!』、
若し、
『人』が、
『無常に著さず!』、
『無常ならば、即ち苦である!』、
『苦ならば、即ち無我である!』、
『無我ならば、即ち空である!』と、
『知り!』、
是のように、
『無常観に依って!』、
『諸法の空に入ることができれば!』、
即ち、
是れは、
『実なのである!』。
是の故に、
『無常を知って!』、
『真諦中に入れば!』、
即ち、
是の、
『無常』は、
『実である!』が、
『十四難』中に於いては、
『著する因縁を用いられる!』が故に、
是れを、
『邪見である!』と、
『説かれたのである!』。
是故說無常以明無邊。無邊故眾生厭生死長久。譬如波梨國四十比丘。俱行十二淨行來至佛所。佛為說厭行。 是の故に無常を説いて、以って無辺を明かし、無辺なるが故に衆生は、生死の長久なるを厭う。譬えば波梨国の四十比丘の倶に十二浄行を行い、仏所に来至するに、仏は為に厭行を説きたもうが如し。
是の故に、
『仏』が、
『無常を説いて!』、
『生死は無辺である!』と、
『明かされる!』と、
『無辺である!』が故に、
『衆生』は、
『生死が長久である!』ことを、
『厭うのである!』。
譬えば、
『波梨国の四十比丘』が、
倶に、
『十二浄行を行いながら!』、
『仏所』に、
『来至する!』と、
『仏』は、
是の、
『比丘』の為に、
『厭行』を、
『説かれたようなものである!』。
  波梨国(はりこく):毘舎離国の都城に近き聚落の名。
  十二浄行(じゅうにじょうぎょう):比丘の身心を修治して煩悩の塵垢を払うに十二種の行あるを云う。『大智度論巻6下注:十二頭陀行』参照。
  厭行(えんぎょう):生死を厭うて遠離すべき行。
  参考:『雑阿含経巻33』:『如是我聞。一時。佛住毘舍離獼猴池側重閣講堂。時。有四十比丘住波梨耶聚落。一切皆修阿練若行.糞掃衣.乞食。學人未離欲。來詣佛所。稽首佛足。退住一面。爾時。世尊作是念。此四十比丘住波梨耶聚落。皆修阿練若行.糞掃衣.乞食。學人未離欲。我今當為說法。令其即於此生不起諸漏。心得解脫。爾時。世尊告波梨耶聚落四十比丘。眾生無始生死。無明所蓋。愛繫其頸。長夜生死輪轉。不知苦之本際。諸比丘。於意云何。恒水洪流趣於大海。中間恒水為多。汝等本來長夜生死輪轉。破壞身體流血為多。諸比丘白佛。如我解世尊所說義。我等長夜輪轉生死。其身破壞流血甚多。多於恒水百千萬倍。佛告比丘。置此恒水。乃至四大海水為多。汝等長夜輪轉生死。其身破壞血流為多。諸比丘白佛。如我解世尊所說義。我等長夜輪轉生死。其身破壞流血甚多。踰四大海水也。佛告諸比丘。善哉。善哉。汝等長夜輪轉生死。所出身血甚多無數。過於恒水及四大海。所以者何。汝於長夜。曾生象中。或截耳.鼻.頭.尾.四足。其血無量。或受馬身。駝.驢.牛.犬諸禽獸類。斷截耳.鼻.頭.足四體。其血無量。汝等長夜或為賊盜。為人所害。斷截頭.足.耳.鼻。分離四體。其血無量。汝等長夜身壞命終。棄於[土*(蒙-卄)]間。膿壞流血。其數無量。或墮地獄.畜生.餓鬼。身壞命終。其流血出亦復無量。佛告比丘。色為是常。為非常耶。比丘白佛。無常。世尊。佛告比丘。若無常者。是苦耶。比丘白佛。是苦。世尊。佛告比丘。若無常.苦者。是變易法。聖弟子寧復於中見是我.異我.相在不。比丘白佛。不也。世尊。受.想.行.識亦復如是。佛告比丘。若所有色。過去.未來.現在。若內.若外。若麤.若細。若好.若醜。若遠.若近。彼一切非我.不異我.不相在。如是如實知。受.想.行.識亦復如是。聖弟子如是觀者。於色厭離。於受.想.行.識厭離。厭已不樂。不樂已解脫。解脫知見。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。佛說是法時。四十比丘波梨耶聚落住者不起諸漏。心得解脫。佛說此經已。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻14』:『復次須菩提。說法者受十二頭陀。一作阿蘭若。二常乞食。三納衣。四一坐食。五節量食六中後不飲漿。七塚間住。八樹下住。九露地住。十常坐不臥。十一次第乞食。十二但三衣。聽法人不受十二頭陀。不作阿蘭若。乃至不受但三衣。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。』
佛問比丘五恒伽河藍牟那薩羅由阿脂羅婆提摩醯。從所來處流入大海。其中間水為多少。比丘言。甚多。 仏の比丘に問いたまわく、『五恒伽河の藍牟那、薩羅由、阿脂羅婆提、摩醯の所来の処より、流れて大海に入るに、其の中間の水を多少と為すや』、と。比丘の言わく、『甚だ多し』、と。
『仏』は、
『比丘』に、こう問われた、――
『五恒伽河の藍牟那、薩羅由、阿脂羅婆提、摩醯』が、
『所来の処(水源)より!』、
『流れて!』、
『大海』に、
『入るまで!』の、
其の、
『中間の水量』は、
『多いだろうか?』、と。
『比丘』は、こう言った、――
『甚だ多いです!』、と。
  五恒伽河(ごごうがが):梵語恒伽gaGgaaは印度北部に流るる大河の名。現今之をガンジスGangesと言う。即ち五恒伽河とは恒伽本流に合流する四支流を併せて云うものなるべし。『大智度論巻6下注:四大河』参照。
  藍牟那(らんむな):梵名yamunaa、恒伽の支流の名。『大智度論巻6下注:四大河』参照。
  薩羅由(さらゆ):梵名sarayu、恒伽の支流の名。『大智度論巻6下注:四大河』参照。
  阿脂羅婆提(あしらばだい):梵名airaavati、恒伽の支流の名。『大智度論巻6下注:四大河』参照。
  摩醯(まけい):梵名mahii、恒伽の支流の名。『大智度論巻6下注:四大河』参照。
佛言。但一人一劫中作畜生時。屠割剝刺。或時犯罪截其手足。斬其身首。如是等血多於此水。如是無邊大劫中。受身出血不可稱數。啼哭流淚及飲母乳亦如是。計一劫中一人積骨。過於鞞浮羅大山。(丹注云此山天竺以人常見易信故說也)如是無量劫中受生死苦。諸比丘聞是已。厭患世間即時得道。 仏の言わく、『但だ一人にして、一劫中に畜生と作りて、時に屠、割、剥、刺され、或は時に罪を犯して、其の手足を截(き)られ、其の身より首を斬らるるに、是れ等の如き血は、此の水よりも多し。是の如く無辺の大劫中に、身を受けて血を出すこと称数するべからず。啼哭して流す涙、及び飲める母乳も、亦た是の如し。一劫中に一人の積める骨を計うれば、鞞浮羅大山に過ぐ。是の如く無量劫中に生死の苦を受くるなり』、と。諸の比丘、是れを聞き已りて、世間を厭患し、即時に道を得たり。
『仏』は、こう言われた、――
但だ、
『一人』が、
『一劫』中に、
或る時には、
『畜生と作って!』、
『屠られたり!』、
『割られたり!』、
『剥がれたり!』、
『刺されたり!』し、
或る時には、
『罪を犯して!』、
其の、
『手、足』を、
『切断され!』、
其の、
『身より!』、
『斬首されて!』、
是れ等のようにして、
『流れる血』は、
此の、
『水よりも!』、
『多いのである!』が、
是のようにして、
『無量大劫』中に、
『身を受けて!』、
『出す血』は、
『数を称えることができないほどであり!』、
亦た、
『啼哭して流す涙や、飲む母乳も!』、
『是の通りである!』。
但だ、
『一劫』中に、
『一人が積む!』、
『骨を計えれば!』、
『鞞浮羅大山』を、
『過ぎるほどである!』。
是のように、
『無量劫』中に、
『生死の苦』を、
『受けるのである!』、と。
諸の、
『比丘』は、
是れを聞いて、――
『世間を厭患して!』、
即時に、
『道を得たのである!』。
  屠割剥刺(とかつはくし):屠は殺す、割は刀を以って之を裂く、剥は刀を以って之が皮を奪い去る、刺は刀を以って之を殺すことを言う。
  啼哭(たいこく):声を挙げて泣く。
  鞞浮羅大山(びふらだいせん):王舎城五山の一。『大智度論巻28上注:毘富羅山』参照。
  毘富羅山(びふらせん):毘富羅vipulaは梵名。巴梨名vepulla、又毘布羅、毘浮羅、尾布羅、鞞浮羅に作り、広博脇、広普、方、或いは大と訳す。王舎城五山の一。中印度旧王舎城の東北に在る山の名なり。「雑阿含経巻49」に、「王舎城の第一なるを毘富羅山と名づく」と云い、又「大唐西域記巻9」に、山城(旧王舎城)北門の西(恐らくは東の誤)に毘布羅山あり、山の西南崖の陰に数十の温泉あり、浴する者は宿疾多く差ゆ。温泉の左右に窣堵波及び精舎の基址鱗次し、山水相帯するが故に隠淪の士多く集まる。温泉の西に卑鉢羅石室あり、又山上に窣堵波あり、是れ如来説法の処にして、今露形外道多く住し苦行を修習すと云える是れなり。又「雑阿含経巻34」に、此の山の名が過去世以来屡変じたることを伝え、即ち迦羅迦孫提kakusandha仏の時には長竹paaciinavaMsa山と称し、周囲の住民を低弥羅tivaraaと名づけ、時に人寿四万歳にして、即ち四日にして山頂に往反することを得。拘那含牟尼koNaagamana仏の時には朋迦vaGkaka山と称し、周囲の住民を阿毘迦appiyaaと名づけ、人寿三万歳、三日にして山頂に往反することを得。迦葉kassapa仏の時には宿波羅首supassa山と称し、周囲の住民を赤馬rohitassaaと名づけ、人寿二万歳、二日にして山頂に往反することを得。今の釈迦牟尼仏に至りて毘富羅山と称し、周囲の住民を摩竭提maagadhakaaと名づけ、人寿百歳にして即ち須臾に往反することを得と云えり。毘富羅山の名称に関しては、「瑜伽師地論略纂巻4」に、「広博脇山とは旧に毘富羅山と云う。其の形状は非天の脇の如きなり」とあり。又「長阿含巻12大会経」、並びに「仏母大孔雀明王経巻中」等には、此の山を以って金毘羅kumbhiira神の住処となし、「雑阿含経巻34」、「大智度論巻31」、「瑜伽師地論巻9」等には、一人一劫中の骨を積まば即ち此の山に過ぐべしと云えり。現今其の山頂に塔及び支提の廃址あり。又「増一阿含経巻32」、「大三摩惹経」、「仏本行集経巻48」、「摩訶僧祇律巻1」、「大智度論巻28」、「翻梵語巻9」、「釈迦方志巻下」、「A.Cunningham-Ancient geography of India」等に出づ。<(望)
復次聞十方眾生無邊故。心生歡喜受不殺戒。得無邊福德。以是因緣故。初發意菩薩一切世間眾生皆應供養。何以故。為度無邊世界眾生故。功德亦無邊。有如是等益故說無邊。以是故說悉知一切眾生心所趣向。如日照天下一時俱至無不遍明 復た次ぎに、十方の衆生の無辺なるを聞くが故に、心に歓喜を生じて、不殺戒を受くれば、無辺の福徳を受く。是の因縁を以っての故に、初発意の菩薩を、一切の世間の衆生は、皆、応に供養すべし。何を以っての故に、無辺の世界の衆生を度せんが為の故に、功徳も亦た無辺なればなり。是れ等の如き益有るが故に、無辺を説く。是を以っての故に説かく、『悉く、一切の衆生心の趣向する所を知る』、と。日の天下を照せば、一時に倶に至りて、遍く明さざる無きが如し。
復た次ぎに、
『十方の衆生は無辺である!』と、
『聞く!』が故に、
『心』に、
『歓喜』を、
『生じて!』、
『身』に、
『不殺生の戒』を、
『受ければ!』、
則ち、
『無辺( unlimited )の福徳』を、
『得ることになる!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
『初発意の菩薩』を、
一切の、
『世間の衆生』は、
皆、
『供養せねばならない!』。
何故ならば、
『無辺の世界の衆生を度す!』為の故に、
亦た、
『功徳』も、
『無辺だからである!』。
是れ等のような、
『益が有る!』が故に、
『無辺』を、
『説くのであり!』、
是の故に、こう説くのである、――
悉く、
『一切の衆生の心』の、
『趣向する!』所を、
『知る!』、と。
譬えば、
『日』が、
『天下を照す!』と、
一時に、
『光』が、
『倶に至って!』、
遍く、
『明るくならない!』ことが、
『無いようなものである!』。



声聞、辟支仏の智慧に勝る

【經】菩薩摩訶薩欲勝一切聲聞辟支佛智慧。當學般若波羅蜜 菩薩摩訶薩は、一切の声聞、辟支仏の智慧に勝れんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし。
『菩薩摩訶薩』が、
一切の、
『声聞、辟支仏の智慧』に、
『勝ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
【論】問曰。何等是聲聞辟支佛智慧。 問うて曰く、何等か、是れ声聞、辟支仏の智慧なる。
問い、
何のような、
『智慧』が、
『声聞、辟支仏の智慧ですか?』。
答曰。以總相別相。觀諸法實相。是聲聞智慧。如經中說。初以分別諸法智慧。後用涅槃智慧。分別諸法智慧是別相。涅槃智慧是總相。 答えて曰く、総相、別相を以って、諸法の実相を観る、是れ声聞の智慧なり。経中に説けるが如し、『初めに、諸法を分別する智慧を以ってし、後に涅槃の智慧を用う』、と。諸法を分別する智慧は、別相にして、涅槃の智慧は総相なり。
答え、
『総相と、別相を用いて!』、
諸の、
『法の実相』を、
『観察する!』こと、
是れが、
『声聞の智慧である!』。
『経』中に、こう説く通りである、――
初めには、
『諸法を分別する!』、
『智慧』を、
『用いて!』、
後には、
『涅槃という!』、
『智慧』を、
『用いる!』、と。
諸の、
『法を分別する!』、
『智慧』が、
『別相であり!』、
『涅槃( out of sound )を知る!』、
『智慧』が、
『総相である!』。
  涅槃(ねはん):梵語 nirvaaNa の訳、騒音から脱れる( out of sound )、吹き消される/[ランプ/火のように]消される( blown or put out, extinguished (as a lamp or fire) の義、穏やかになった/静められた/命の火が消された( calmed, quieted, having the fire of life extinguished )の意。
  参考:『大智度論巻31』:『聖人智慧雖度眾生。破諸煩惱性不可得故是亦為空。又人謂五眾十二入十八界皆空。但如法性實際。是其實性。佛欲斷此疑故。但分別說五眾如法性實際皆亦是空是名性空。復次有為性三相生住滅。無為性亦三相不生不住不滅。有為性尚空。何況有為法。無為性尚空。何況無為法。以是種種因緣性不可得名為性空。自相空者一切法有二種相總相別相。是二相空故名為相空。問曰。何等是總相何等是別相。答曰。總相者如無常等。別相者諸法雖皆無常而各有別相。如地為堅相火為熱相。』
  参考:『雑阿含経巻14(347)』:『佛告須深。無生故無老死。不離生滅而老死滅耶。須深白佛言。如是。世尊。無生故無老死。不離生滅而老死滅。如是。乃至無無明故無行。不離無明滅而行滅耶。須深白佛。如是。世尊。無無明故無行。不離無明滅而行滅。佛告須深。作如是知.如是見者。為有離欲.惡不善法。乃至身作證具足住不。須深白佛。不也。世尊。佛告須深。是名先知法住。後知涅槃。彼諸善男子獨一靜處。專精思惟。不放逸住。離於我見。不起諸漏。心善解脫』
復次知是法為解是法為縛。是流轉是來還是生是滅是味是患是逆是順是此岸是彼岸是世間是出世間。如是等分別二門諸法。名為聲聞智慧。 復た次ぎに、『是の法を解と為し、是の法を縛と為し、是れ流転なり、是れ来還なり、是れ生なり、是れ滅なり、是れ味なり、是れ患なり、是れ逆なり、是れ順なり、是れ此岸なり、是れ彼岸なり、是れ世間なり、是れ出世間なり』、と知りて、是れ等の如く、二門に諸法を分別するを名づけて、声聞の智慧と為す。
復た次ぎに、
『是の法は解であり、是の法は縛である!』、
『是れは流転であり!是の法は来還である!』、
『是れは生であり、是れは滅である!』、
『是れは味であり、是れは患である!』、
『是れは逆であり、是れは順である!』、
『是れは此岸であり、是れは彼岸である!』、
『是れは世間であり、是れは出世間である!』と、
是れ等のように、
諸の、
『法』を、
『二門に分別する!』、
是れを、
『声聞の智慧』と、
『称するのである!』。
  来還(らいげん):此の間に死して果報の道より、此の間に還り来たるの意。
  (み):七処善の一。或いは七諦の一。『大智度論巻28上注:七処善、七諦』参照。
  (げん):七処善の一。或いは七諦の一。『大智度論巻28上注:七処善、七諦』参照。
  七処善(しちじょぜん):七処の善の意。又単に七善とも名づく。即ち色等の五蘊に就き如実に其の果と因と滅と対治道と味と患と離との七種を観察するを云う。「雑阿含経巻2」に、「云何が比丘、七処善なる。比丘如実に色を知り、色の集、色の滅、色滅の道跡、色の味、色の患、色の離を如実に知るなり。是の如く受想行識、識の集、識の滅、識滅の道跡、識の味、識の患、識の離を如実に知るなり」と云い、又「発智論巻9」に、「七処善と三義観とは、能く此の法は毘奈耶の中に於いて速かに諸漏を尽くすと説くが如し。云何が七となす、謂わく如実に色と色の集と色の滅と色の滅に趣く行と色の味と色の患と色の出とを知るなり。如実に受想行識の七を知るも亦た爾り。此の智は当に法智乃至道智と言うべきや。答う、如実に色を知るは是れ四智なり。謂わく法と類と世俗と苦智なり」と云える是れなり。是れ色等の五蘊に於いて一一如実に、其の果と因と滅と対治の道と、又其の愛味と過患と出離とを観察するを名づけて七処善となすの意なり。「大毘婆沙論巻108」に法類世俗等の四智を以って此の七処を観ずる相を明かし、如実に色の果を知るに、法智は欲界の色の果を知り、類智は色界の色の果を知り、世俗智は一切の色の果を知り、苦智は有漏の色の果の非常苦空非我を知りて、皆色の果を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の因を知るに、法智は欲界の色の因を知り、類智は色の因を知り、世俗智は一切の色の因を知り、集智は有漏の色の因集生縁を知りて、皆色の因を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の滅を知るに、法智は欲界の色の滅を知り、類智は色界の色の滅を知り、世俗智は一切の色の滅を知り、滅智は有漏の色の滅静妙離を知りて、皆色の滅を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の道を知るに、法智は欲界の色の対治道を知り、類智は色界の色の対治道を知り、世俗智は一切の色の対治道を知り、道智は有漏の色の対治の道如行出を知りて、皆色の対治道を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の愛味を知るに、四智は皆色の集を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の過患を知るに、四智は皆色の苦を観察するが故に立てて一善となし、如実に色の出離を知るに、四智は皆色の滅を観察するが故に立てて一善となすと云い、又受想行識に就きても上の如く如実に観察するが故に、五蘊合して三十五処善ありと雖も、一一の蘊各七に過ぎざるが故に唯七ありと説くと云えり。又此の中、初の四処善は見道位を説き、後の三処善は修道位を説く。又彼の蘊処界を観ずる三義観の唯有漏なるに対し、是れは有漏無漏に通ずるなり。又「大毘婆沙論巻2」、「順正理論巻61」、「倶舎論光記巻23」、「同要解巻9」等に出づ。<(望)
  七諦(しちたい):七種の諦理の意。即ち真実不虚なる迷悟因果の理を七種に分類せるもの。一に愛味諦、二に過患諦、三に出離諦、四に法性諦、五に勝解諦、六に聖諦、七に非聖諦なり。「瑜伽師地論巻46」に、「或は七諦を立つ、一には愛味諦、二には過患諦、三には出離諦、四には法性諦、五には勝解諦、六には聖諦、七には非聖諦なり」と云える是れなり。此の中、愛味諦とは又味諦、或は愛実とも名づく。即ち集諦の理にして、諸の有漏法は能く愛心を生じて実に生死流転の因となるを云い、過患諦とは又患諦、或いは苦実とも名づく、即ち苦諦の理にして、諸の有漏の果は実に四苦八苦等の過患に満つるを云い、出離諦とは又離諦、或いは解脱実とも名づく、即ち道諦の理にして、八正道等は実に苦の因を滅して生死を出離すべき対治道なるを云い、法性諦とは又法諦、或いは法実とも名づく、即ち滅諦の理にして、二無我所顕の真如法性の理を云い、勝解諦とは又解諦、或いは解実とも名づく、亦た道諦の理にして即ち二空所顕の理に於いて空の行相をなし、意解思惟するを云い、聖諦とは又聖実と名づく、亦た滅諦の理にして、即ち聖所知の一切寂静の境界を云い、非聖諦とは又非聖実と名づく、苦集二諦の理にして、即ち凡夫所繋の境界を云うなり。但し「大乗法苑義林章巻2末」に、「余処に或いは七諦を立つ、愛味と過患と出離と応知と応断と応証と応修となり。単と重との二観に四諦を観ず、第二観の中に道諦を除く」と云えるは、「発智論巻8」等所説の七処善を以って七諦となせるものにして、今の七諦と義に於いて別なるが如し。又「菩薩地持経巻8」、「菩薩善戒経巻7菩薩功徳品」、「瑜伽論略纂巻12」、「同記巻11下」、「雑集論述記巻10」、「法苑義鏡」等に出づ。<(望)
  参考:『長阿含巻7蔽宿経』:『婆羅門言。迦葉。我有親族知識。遇患困病。我往問言。諸沙門.婆羅門各懷異見。言諸有殺生.盜竊.邪婬.兩舌.惡口.妄言.綺語.貪取.嫉妒.邪見者。身壞命終。皆入地獄。我初不信。所以然者。初未曾見死已來還。說所墮處。若有人來說所墮處。我必信受。汝今是我所親。十惡亦備。若如沙門語者。汝死必入大地獄中。今我相信。從汝取定。若審有地獄者。汝當還來。語我使知。然後當信。迦葉。彼命終已。至今不來。彼是我親。不應欺我。許而不來。必無後世』
復次三種智慧知五受眾。如是集如是散如是出是味是患是離。三解脫門相應智。如是等分別三門諸法。 復た次ぎに、三種の智慧は、五受衆を、『是の如きは集なり、是の如きは散なり、是の如きは出なり』、と知り、『是れ味なり、是れ患なり、是れ離なり』と、三解脱門相応の智は、是れ等の如く三門に諸法を分別す。
復た次ぎに、
『三種の智慧』は、
『五受衆』を、
『是のように集まり、是のように散じ、是のように出る!』と、
『知り!』、
『三解脱門相応の智』は、
『禅定』の、
『是れが味であり、是れが患であり、是れが離である!』と、
『知り!』、
是れ等のように、
『諸の法』を、
『三門』に、
『分別する!』。
  五受衆(ごじゅしゅ):煩悩より生じ、或いは煩悩を生ずる有漏の五蘊(五衆)の意。『大智度論巻20上注:五取蘊』参照。
  三解脱門(さんげだつもん):空、無相、無作の三種の解脱の門を云う。『大智度論巻18下注:三解脱門』参照。
復次四種智慧。四念處智法智比智他心智世智。苦智集智滅智道智。不淨智無常智苦智無我智。無常智苦智空智無我智。法智比智盡智無生智。如是等分別四門諸法。 復た次ぎに、四種の智慧は、四念処の智;法智、比智、他心智、世智;苦智、集智、滅智、道智;不浄智、無常智、苦智、無我智;無常智、苦智、空智、無我智;法智、比智、尽智、無生智;是れ等の如く、四門に諸法を分別す。
復た次ぎに、
『四種の智慧』は、
『四念処の智』、
『法智、比智、他心智、世智』、
『苦智、集智、滅智、道智』、
『不浄智、無常智、苦智、無我智』、
『無常智、苦智、空智、無我智』、
『法智、比智、尽智、無生智』と、
是れ等のように、
『諸の法』を、
『四門に分別する!』。
  四念処(しねんじょ):身受心法の四種の念処の意。『大智度論巻15下注:四念処』参照。
  法智(ほうち):四諦の理を縁じて欲界の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  比智(ひち):四諦の理を縁じて色無色界の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  他心智(たしんち):現在他相続中の能縁の心を縁ずる智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  世智(せち):多く世俗の境を取る智にして、有漏の慧の総称。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  苦智(くち):五取蘊に於いて非常苦空無我の四行相を作し、苦諦所属の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  集智(じっち):有漏の因性に於いて因集生縁の四行相を作し、集諦所属の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  滅智(めっち):択滅無為に於いて滅静妙離の四行相を作し、滅諦所属の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  道智(どうち):聖道に於いて道如行出の四行相を作し、道諦所属の煩悩を断ずる無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  不浄智(ふじょうち):四念処中に身は是れ不浄なりと観じて浄顛倒を破する無漏智。『大智度論巻15下注:四念処、同巻18上注:四顛倒』参照。
  無常智(むじょうち):四念処中に心は是れ無常なりと観じて常顛倒を破する無漏智。『大智度論巻15下注:四念処、同巻18上注:四顛倒』参照。
  苦智(くち):四念処中に受は是れ苦なりと観じて楽顛倒を破する無漏智。『大智度論巻15下注:四念処、同巻18上注:四顛倒』参照。
  無我智(むがち):四念処中に法は是れ無我なりと観じて我顛倒を破する無漏智。『大智度論巻15下注:四念処、同巻18上注:四顛倒』参照。
  尽智(じんち):無学位に於いて我れ已に苦を知る、我れ已に集を断ず、我れ已に滅を証す、我れ已に道を修せりと遍知し、漏尽の得と俱生する無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  無生智(むしょうち):無学位に於いて我れ已に苦を知る、復た更に知るべからず、我れ已に集を断ず、復た更に断ずべからず、我れ已に滅を証す、復た更に証すべからず、我れ已に道を修す、復た更に修すべからずと遍知し、非択滅の得と俱生する無漏智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
復次從苦法智忍慧。乃至空空三昧無相無相三昧。無作無作三昧智。於其中間所有智慧。盡是聲聞智慧略說厭世間。念涅槃離三界。斷諸煩惱得最上法所謂涅槃是名聲聞智慧。 復た次ぎに、苦法智忍の慧より、乃至空空三昧、無相無相三昧、無作無作三昧の智まで、其の中間に於ける有らゆる智慧は、尽く是れ声聞の智慧にして、略説すれば、世間を厭うて、涅槃を念じ、三界を離れ、諸煩悩を断じて、最上の法、謂わゆる涅槃を得る、是れを声聞の智慧と名づく。
復た次ぎに、
『苦法智忍の慧、乃至空空、無相無相、無作無作三昧の智まで!』の、
其の、
『中間』の
有らゆる、
『智慧』は、
『尽く、声聞の智慧であり!』、
略説すれば、
『世間を厭い!』、
『涅槃を念じて!』、
『三界』を、
『離れ!』、
『諸の煩悩を断じて!』、
『最上の法』、
謂わゆる、
『涅槃』を、
『得る!』こと、
是れを、
『声聞の智慧』と、
『称するのである!』。
  苦法智忍(くほうちにん):世間第一法の無間に欲界の苦聖諦の境を縁じて之を忍可する無漏智。『大智度論巻12上注:八忍八智』参照。
  空空三昧(くうくうさんまい):無学位に於いて、先に起せる空三昧に於いても空相を思惟するを云う。譬えば死屍を焼くには杖を以って廻転す、屍既に尽き已らば杖も亦た焼くべきが如し。『大智度論巻7上注:三三昧』参照。
  無相無相三昧(むそうむそうさんまい):無学位に於いて、先に起せる無相三昧に於いても無相を思惟するを云う。『大智度論巻7上注:三三昧』参照。
  無作無作三昧(むさむささんまい):無学位に於いて、先に起せる無作三昧に於いても無作を思惟するを云う。『大智度論巻7上注:三三昧』参照。
復次如般若波羅蜜義品中說。菩薩智慧相與聲聞智慧是一智慧。但無方便無大誓莊嚴無大慈大悲。不求一切佛法不求一切種智知一切法。但厭老病死。斷諸愛繫直趣涅槃為異。 復た次ぎに、般若波羅蜜義品中に説けるが如し、『菩薩の智慧と、声聞の智慧とは、相与(あいとも)に是れ一智慧なるも、但だ方便無く、大誓の荘厳無く、大慈大悲無くして、一切の仏法を求めず、一切種智を求めて、一切法を知らざれば、但だ老病死を厭うて、諸の愛繋を断じて、直ちに涅槃に趣くを異と為す』、と。
復た次ぎに、
『般若波羅蜜義品』中に、こう説く通りである、――
『菩薩の智慧』は、
『声聞の智慧』と、
『同一の智慧である!』が、
但だ、
『声聞の智慧』には、
『方便も、大誓の荘厳も、大慈大悲も無い!』が故に、
『一切の仏法を求めることもなく!』、
『一切智を求めて!』、
『一切法』を、
『知ることもなく!』、
但だ、
『老、病、死を厭い!』、
諸の、
『愛繋を断じて!』、
直ちに、
『涅槃』に、
『趣くだけであり!』、
是が、
『菩薩の智慧』との、
『差異である!』。
  般若波羅蜜義品(はんにゃはらみつぎほん):「大智度論巻18釈初品中般若波羅蜜第二十九、乃至同巻23初品中十一智釈論第三十八」を云う。
  参考:『大智度論巻18釈般若相義第三十』:『聲聞法中雖有四諦。以無常苦空無我觀諸法實相。以智慧不具足不利。不能為一切眾生。不為得佛法故。雖有實智慧。不名般若波羅蜜。如說佛入出諸三昧。舍利弗等乃至不聞其名。何況能知。何以故。諸阿羅漢辟支佛初發心時。無大願無大慈大悲。不求一切諸功德。不供養一切三世十方佛。不審諦求知諸法實相。但欲求脫老病死苦故。諸菩薩從初發心弘大誓願有大慈悲。求一切諸功德。供養一切三世十方諸佛。有大利智求諸法實相。除種種諸觀。』
問曰。聲聞如是。辟支佛智慧云何。 問うて曰く、声聞にして是の如くんば、辟支仏の智慧は云何。
問い、
『声聞』が、
是のような、
『智慧ならば!』、
『辟支仏』の、
『智慧』は、
何うですか?
答曰。聲聞智慧即是辟支佛智慧。但時節利根福德有差別。時名佛不在世亦無佛法。以少因緣出家得道。名辟支佛。利根名異法相是同。但智慧深入得辟支佛道。福德名有相。或一相二相。乃至三十一相。若先佛法中得聖法。法滅後成阿羅漢。名為辟支佛。身無有相。有辟支佛第一疾者四世行。久者乃至百劫行。如聲聞疾者三世。久者六十劫。此義先已廣說。 答えて曰く、声聞の智慧は、即ち是れ辟支仏の智慧なるも、但だ時節、利根、福徳には差別有り。時とは、仏在世したまわず、亦た仏法無しと名づけ、少しの因縁を以って出家して、道を得るを辟支仏と名づく。利根とは、法を異にするも、相は是れ同じと名づけ、但だ智慧深く入りて、辟支仏道を得るなり。福徳とは相有ること、或は一相、二相、乃至三十一相なり。若し先に仏法中に聖法を得て、法の滅せる後に、阿羅漢と成るを名づけて、辟支仏と為す。身に相有ること無き、有る辟支仏は、第一に疾き者は四世に行じ、久しき者は乃至百劫に行ず。声聞の如きは、疾き者は三世、久しき者は六十劫なり。此の義は、先に已に広説せり。
答え、
『声聞の智慧』とは、
即ち、
『辟支仏の智慧である!』が、
但だ、
『時節、利根、福徳』に、
『差異』が、
『有るだけである!』、――
『時節』とは、
『仏が世に在られず!』、
亦た、
『仏法』も、
『無い!』が、
少しの、
『因縁で出家する!』と、
『道』を、
『得る!』ので、
是れを、
『辟支仏』と、
『称する!』。
『利根』とは、
『声聞と、辟支仏とは!』は、
『法()が異なりながら!』、
『相』は、
『同じだからである!』が、
但だ、
『智慧が深く入って!』、
『辟支仏道』を、
『得るからである!』。
『福徳』とは、
『仏の三十二相』中、
『一相か、二相か、乃至三十一相』を、
『有する!』者は、
若しは、
先に、
『仏』の、
『法』中に於いて、
『聖法』を、
『得たからであり!』、
『法が滅した!』後、
『阿羅漢』を、
『成就する!』ので、
是れを、
『辟支仏』と、
『称するのである!』。
『身に相が無ければ!』、
有る、
『辟支仏』の、
『第一に疾い!』者は、
『四世修行して!』、
『辟支仏道』を、
『得!』、
『久しい!』者は、
『乃至百劫修行して!』、
『道』を、
『得ることになる!』が、
『声聞など!』は、
『疾い!』者が、
『三世』、
『久しい!』者は、
『六十劫』で、
『阿羅漢果』を、
『得ることになる!』
此の、
『義』は、
『先に!』、
『已に、広説した通りである!』。
  参考:『大智度論巻18』:『問曰。何者是智慧。答曰。般若波羅蜜攝一切智慧。所以者何。菩薩求佛道。應當學一切法得一切智慧。所謂聲聞辟支佛佛智慧。是智慧有三種。學無學非學非無學。非學非無學。智者如乾慧地不淨安那般那欲界繫四念處煖法頂法忍法世間第一法等。學智者苦法智忍慧乃至向阿羅漢第九無礙道中金剛三昧慧。無學智者阿羅漢第九解脫智。從是已後一切無學智。如盡智無生智等。是為無學智求辟支佛道智慧亦如是。問曰。若辟支佛道亦如是者。云何分別聲聞辟支佛。答曰。道雖一種而用智有異。若諸佛不出佛法已滅。是人先世因緣故。獨出智慧不從他聞。自以智慧得道。如一國王出在園中遊戲。清朝見林樹華果蔚茂甚可愛樂。王食已而臥。王諸夫人婇女。皆共取華毀折林樹。王覺已見林毀壞而自覺悟。一切世間無常變壞皆亦如是。思惟是已無漏道心生斷諸結使得辟支佛道。具六神通即飛到閑靜林間。如是等因緣。先世福德願行果報。今世見少因緣。成辟支佛道如是為異。復次辟支佛有二種。一名獨覺。二名因緣覺。因緣覺如上說。獨覺者。是人今世成道。自覺不從他聞。是名獨覺辟支迦佛。獨覺辟支迦佛有二種。一本是學人在人中生。是時無佛佛法滅。是須陀洹已滿七生。不應第八生自得成道。是人不名佛。不名阿羅漢。名為小辟支迦佛。與阿羅漢無異。或有不如舍利弗等大阿羅漢者。大辟支佛亦於一百劫中。作功德增長智慧。得三十二相分。或有三十一相或三十二十九相乃至一相。於九種阿羅漢中。智慧利勝於諸深法中總相別相。能入久修習定。常樂獨處。如是相名為大辟支迦佛。以是為異。』
問曰。如佛說有四種沙門果。四種聖人須陀洹乃至阿羅漢。五種佛子須陀洹乃至辟支佛。三種菩提阿羅漢菩提辟支佛菩提佛菩提。果中聖中佛子中菩提中皆無菩薩。云何言菩薩勝一切聲聞辟支佛智慧。 問うて曰く、仏の説きたもうが如きは、『四種の沙門果有り、四種の聖人は、須陀洹乃至阿羅漢なり。五種の仏子は須陀洹、乃至辟支仏なり。三種の菩提は阿羅漢の菩提、辟支仏の菩提、仏の菩提なり』、と。果中にも、聖中にも、仏子中にも、菩提中にも、皆菩薩無し。云何が、『菩薩は、一切の声聞、辟支仏の智慧に勝る』、と言う。
問い、
例えば、
『仏』は、こう説かれている、――
『四種の沙門果が有り!』、
『四種の聖人』は、
『須陀洹、乃至阿羅漢であり!』、
『五種の仏子』は、
『須陀洹、乃至阿羅漢、辟支仏であり!』、
『三種の菩提( the enlightened intellect )』は、
『阿羅漢、辟支仏、仏の菩提である!』、と。
此の、
『果、聖人、仏子、菩提』中には、
皆、
『菩薩』が、
『無い!』。
何故、こう言うのですか?――
『菩薩』は、
一切の、
『声聞、辟支仏の智慧』に、
『勝る!』、と。
答曰。佛法有二種。一者聲聞辟支佛法。二者摩訶衍法。聲聞法小故。但讚聲聞事不說菩薩事。摩訶衍廣大故。說諸菩薩摩訶薩事。發心修行十地入位。淨佛世界成就眾生得佛道。此法中說菩薩次佛。應如供養佛。能如是觀諸法相是為福田。能勝聲聞辟支佛 答えて曰く、仏法には、二種有り、一には声聞、辟支仏の法、二には摩訶衍の法なり。声聞法は小なるが故に、但だ声聞事を讃じて、菩薩事を説かず。摩訶衍は広大なるが故に、諸の菩薩摩訶薩の事を、発心して、十地を修行し、位に入りて、仏世界を浄め、衆生を成就して、仏道を得るまで説けば、此の法中には、『菩薩は仏に次いで、応に仏を供養するが如くすべし。能く是の如く、諸法の相を観ずれば、是れを福田と為し、能く声聞、辟支仏に勝る』、と説く。
答え、
『仏法』には、
『二種有り!』、
一には、
『声聞、辟支仏』の、
『法であり!』、
二には、
『摩訶衍という!』、
『法である!』。
『声聞の法』は、
『小である!』が故に、
但だ、
『声聞の法を説いて!』、
『菩薩の事』を、
『説かない!』。
『摩訶衍』は、
『広大である!』が故に、
諸の、
『菩薩摩訶薩の事である!』、
『発心すること!』、
『十地を修行すること!』、
『法位に入ること!』、
『仏世界を浄めること!』、
『衆生を成就すること!』、
『仏道を得ること!』を、
『説く!』ので、
此の、
『摩訶衍の法』中には、こう説くのである、――
『菩薩』は、
『仏に次ぐ!』が故に、
『仏のように!』、
『供養せねばならぬ!』、
是のように、
『諸法の相』を、
『観察することができる!』が故に、
是れは、
『福田として!』、
『声聞、辟支仏』に、
『勝ることができる!』、と。
如是。摩訶衍經中。處處讚菩薩摩訶薩智慧勝聲聞辟支佛。如寶頂經中說。轉輪聖王少一不滿千子。雖有大力諸天世人所不貴重。有真轉輪聖王種。處在胎中。初受七日便為諸天所貴重。所以者何。九百九十九人。不能嗣轉輪聖王種令世人得二世樂。是雖在胎必能紹胄聖王。是故恭敬。 是の如く、摩訶衍経中には、処処に菩薩摩訶薩の智慧の声聞、辟支仏に勝れるを讃ず。宝頂経中に説くが如し、『転輪聖王の一を少(か)きて千子に満てざるは、大力有りと雖も、諸天、世人に貴重せられず。有る真の転輪聖王の種は、処して胎中に在りて、初めて七日を受くるに、便ち諸天の為に、貴重せらる。所以は何んとなれば、九百九十九人は、転輪聖王の種を嗣(つ)ぎて、世人をして、二世の楽を得しむる能わざればなり。是れは胎に在りと雖も、必ず能く聖王を紹胄すれば、是の故に恭敬す。
是のように、
『摩訶衍経』中には、
処処に、
『菩薩摩訶薩』が、
『声聞、辟支仏に勝ること!』を、
『説いている!』。
例えば、
『宝頂経』中には、こう説かれている、――
『転輪聖王』は、
『一子が少なくて!』、
『千子』に、
『満たなければ!』、
『大力を有していても!』、
『諸天』に、
『貴重されない!』が、
有る、
『真の転輪聖王の種( a seed )』が、
『胎中に処して!』、
初めて、
『七日』を、
『受ければ(過ぎれば)!』、
便ち( as soon as )、
『諸天』に、
『貴重される!』。
何故ならば、
『九百九十九人では!』、
『転輪聖王を嗣ぐ種( seeds )をして!』、
『世人』に、
『二世の楽』を、
『得させられないからである!』
是の、
『一人』は、
『胎中に在っても!』、
必ず、
『転輪聖王』を、
『紹胄する(嗣ぐ)ことができる!』ので、
是の故に、
『恭敬するのである!』。
  宝頂経(ほうちょうきょう):不明。
  転輪聖王(てんりんじょうおう):七宝を成就し、四徳を具足して須弥四洲を統一し、正法を以って世を治御する大帝王を云う。『大智度論巻21下注:転輪聖王』参照。
  便(べん):<形容詞>便利/容易な( convenient, easy )、敏捷な( nimble )、簡便な( simple, easy, informal )、近くて便利な( close and convenient )、幸運な/吉の( lucky )。<動詞>~に利が有る/~の為になる/~に価値が有る( go a long way in, go far towards, be of value to )、~に習熟する/妙を得る( be practiced at, have the knack of )。<名詞>尿/屎( excrement )、有利な機会( when you have time, when it is cenvinient )。<副詞>すぐに( as soon as )。<連詞>仮令/たとい( even if )。<形容詞>静かで快適な( quiet and comfortable )、優美で上品な( slim and graceful )、敏捷な( nimble )、雄辯な( eloquent )。
  (ざい):あり。おいて。於に同じ。
  紹胄(しょうちゅう):先の業と血すじを継ぐこと。
  参考:『中阿含巻11』:『世尊告曰。比丘。汝等欲得從如來聞三十二相耶。謂大人所成。必有二處真諦不虛。若在家者。必為轉輪王。聰明智慧。有四種軍。整御天下。由己自在。如法法王成就七寶。彼七寶者。輪寶.象寶.馬寶.珠寶.女寶.居士寶.主兵臣寶。是為七。千子具足。顏貌端正。勇猛無畏。能伏他眾。彼必統領此一切地乃至大海。不以刀杖。以法教令。令得安樂。若剃除鬚髮。著袈裟衣。至信.捨家.無家.學道者。必得如來.無所著.等正覺。名稱流布。周聞十方』
諸阿羅漢辟支佛。雖得根力覺道六神通諸禪智慧力於實際得證為眾生福田。十方諸佛所不貴重。 諸の阿羅漢、辟支仏は根、力、覚、道、六神通、諸禅、智慧力を得、実際に於いて証を得て、衆生の福田と為ると雖も、十方の諸仏には、貴重せられず。
『諸の阿羅漢、辟支仏』は、
『五根、五力、七覚支、八正道、六神通、諸禅、智慧力を得て!』、
『実際の証を得る!』が故に、
『衆生』の、
『福田である!』が、
『十方』の、
『諸仏には!』、
『貴重されない!』。
  諸禅(しょぜん):色界の四禅。『大智度論巻7下注:四禅』参照。
  智慧(ちえ):十智。『大智度論巻18下注:十智』参照。
  (りき):十力。『大智度論巻18上注:十力』参照。
  実際(じっさい):涅槃の実証を云う。『大智度論巻6下注:真如、実際』参照。
菩薩雖在諸結使煩惱欲縛三毒胎中。初發無上道意。未能有所作。而為諸佛所貴。以其漸漸當行六波羅蜜。得方便力入菩薩位。乃至得一切種智。度無量眾生。不斷佛種法種僧種。不斷天上世間淨樂因緣故。 菩薩は、諸結使、煩悩、欲縛、三毒の胎中に在りと雖も、初めて無上道の意を発せば、未だ所作有る能わざるも、諸仏に貴ばる。其の漸漸に、当に六波羅蜜を行じて、方便力を得て、菩薩位に入り、乃至一切種智を得て、無量の衆生を度し、仏種、法種、僧種を断ぜず、天上、世間の浄楽の因縁を断たざるを以っての故なり。
『菩薩』は、
諸の、
『結使、煩悩、欲縛、三毒の胎中に在りながら!』、
初めて、
『無上道の意』を、
『発せば!』、
未だ、
『所作( that which is done )が無くても!』、
諸の、
『仏』に、
『貴ばれる!』。
何故ならば、
其れが、
漸漸に( gradually )、
『六波羅蜜を行いながら!』、
『方便力を得て!』、
『菩薩位に入り!』、
乃至、
『一切種智』を、
『得て!』、
無量の、
『衆生を度しながら!』、
『仏種、法種、僧種を断絶させず!』、
『天上、世間に於ける!』、
『浄楽の因縁』を、
『断たないからである!』。
  漸漸(ぜんぜん):ゆっくりと。物の変移の徐にして速かならざるに云う。
又如迦羅頻伽鳥。在㲉中未出。發聲微妙勝於餘鳥。菩薩摩訶薩亦如是。雖未出無明㲉。說法議論之音。勝於聲聞辟支佛及諸外道。 又、迦羅頻伽鳥の㲉中に在って未だ出でざるに、声を発すれば、微妙なること、余鳥に勝るが如く、菩薩摩訶薩も亦た是の如く、未だ無明の㲉を出でざるに、説法、論議の音は、声聞、辟支仏、及び諸外道に勝る。
又、
『迦羅頻伽鳥』が、
未だ、
『㲉( shell )中より出ない!』のに、
『声を発すれば!』、
『微妙さ!』が、
『余鳥に!』、
『勝るように!』、
『菩薩摩訶薩』も、
是のように、
未だ、
『無明の㲉より出ない!』のに、
『説法、議論の音』は、
『声聞、辟支仏、及び諸外道』に、
『勝る!』。
  迦羅頻伽(からひんが):天に住する美声の鳥。『大智度論巻25上注:迦陵頻伽』参照。
  (こく):卵の堅いから。
如明網經中說。慧命舍利弗白佛言。世尊。是諸菩薩所說若能解者大得功德。何以故。是諸菩薩乃至得聞其名字得大利益。何況聞其所說。世尊。譬如人種樹。不依於地而欲得其根莖枝葉成其果實。是難可得。諸菩薩行相亦如是。不住一切法。而現住生死。在諸佛世界。於中自恣樂說智慧法。誰有聞是大智慧。遊戲自恣樂說法。而不發阿耨多羅三藐三菩提意者。 『明網経』中に説けるが如し、慧命舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、是の諸菩薩の所説を、若し能く解すれば、大いに功徳を得ん。何を以っての故に、是の諸菩薩は、乃至、其の名字を聞くを得れば、大利益を得ればなり。何に況んや、其の所説を聞くをや。世尊、譬えば人の樹を種うるに、地に依らざれば、其の根茎、枝葉を得て、其の果実を成ぜんと欲するも、是れを得べきこと難きが如く、諸菩薩の行相も亦た是の如く、一切法に住せずして、生死に住するを現し、諸仏の世界に在りて、中に於いて自ら恣(ほしいまま)に智慧の法を楽説すれば、誰か、是の大智慧遊戯して、自ら恣に法を楽説するを聞き、阿耨多羅三藐三菩提を発さざる者有らん』、と。
例えば、
『明網経』中には、こう説かれている、――
『慧命舍利弗』が、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
是の、
『諸の菩薩の所説』を、
若し、
『理解できれば!』、
大いに、
『功徳』を、
『得ることになるでしょう!』。
何故ならば、
是の、
『諸の菩薩』は、
乃至、
其の、
『名字を聞いただけでも!』、
『大利益』を、
『得るからです!』。
況して、
其の、
『所説を聞けば!』、
『尚更でしょう!』。
世尊!
譬えば、
『人』が、
『樹を種えても!』、
『地に依らなければ!』、
其の、
『根茎、枝葉を得て!』、
其の、
『果実』を、
『成長させようとしても!』、
是れを、
『得られるようにする!』のは、
『難しいようなものです!』。
『諸の菩薩の行相』も、
是のように、
『一切の法中に住しないまま!』、
『生死』中に、
『住すること!』を、
『現して!』、
『諸仏の世界』中に於いて、
『自ら恣に!』、
『智慧の法』を、
『楽説するのですから!』、
誰か、
是の、
『大智慧で遊戯しながら!』、
『自ら恣に楽しみ!』、
『説法する!』のを、
『聞いて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の意』を、
『発さない!』者が、
『有るでしょうか?』、と。
  参考:『思益梵天所問経巻2』:『爾時舍利弗白佛言。世尊。若有能入是菩薩隨宜所說法中者。得大功德。所以者何。世尊。乃至聞是上人名字尚得大利。何況聞其所說。譬如有樹不依於地在虛空中。而現根莖枝葉華果甚為希有。此人行相亦復如是。不住一切法。而於十方現有行有生死。亦有如是智慧辯才。世尊。若有善男子善女人。聞是智慧自在力者。其誰不發阿耨多羅三藐三菩提心。爾時有一菩薩。名曰普華。在會中坐。謂長老舍利弗。仁者已得法性。佛亦稱汝於智慧人中為最第一。何以不能現如是智慧辯才自在力耶。舍利弗言。普華。佛諸弟子隨其智力能有所說。普華言。舍利弗。法性有多少耶。舍利弗言無也。普華言。汝何以言。佛諸弟子隨其智力能有所說。舍利弗言。隨所得法而有所說。普華言。汝證法性無量相耶。舍利弗言然。普華言。汝云何言隨所得法而有所說。如法性無量相。得亦如是。如得說亦如是。何以故。法性無量故。舍利弗言。法性非得相。普華言。若法性非得相者。汝出法性得解脫耶。舍利弗言不也。普華言。何故爾耶。舍利弗言。若出法性得解脫者。則壞法性。普華言。是故舍利弗。如仁者得道法性亦爾。舍利弗言。我為聽來非為說也。普華言。一切法皆入法性。此中寧有說者聽者不。舍利弗言不也。普華言。若然者。汝何故言我為聽來非為說耶。舍利弗言。佛說二人得福無量。一者專精說法。二者一心聽受。是故汝今應說。我當聽受。普華言。汝入滅盡定能聽法耶。舍利弗言。入滅盡定。無有二行而聽法也。普華言。汝信佛說一切法是滅盡相不。舍利弗言然。一切法皆滅盡相。我信是說。普華言。若然者。舍利弗。常不能聽法。所以者何。一切法常滅盡相故。舍利弗言。汝能不起于定而說法耶。普華言。頗有一法非是定耶。舍利弗言。無也。普華言。是故常知一切凡夫常在於定。舍利弗言。以何定故。一切凡夫常在定耶。普華言。以不壞法性三昧故。舍利弗言。若然者。凡夫聖人無有差別。普華言。如是如是。我不欲令凡夫聖人有差別也。所以者何。聖人無所斷。凡夫無所生。是二不出法性平等之相。舍利弗言。何等是諸法平等相。普華言。如舍利弗所得知見。舍利弗。汝生賢聖法耶。答言不也。汝滅凡夫法耶答言不也。汝得賢聖法耶。答言不也。汝見凡夫法耶。答言不也。舍利弗。汝何知見說言得道。答言汝不聞。凡夫如即是漏盡解脫如。漏盡解脫如即是無餘涅槃如。舍利弗。是如名不異如不壞如。應以是如知一切法。爾時舍利弗白佛言。世尊。譬如大火一切諸炎皆是燒相。如是諸善男子。所說法皆入法性。佛告舍利弗。如汝所言。是諸善男子。所說法皆入法性。爾時網明菩薩謂舍利弗。佛說仁者於智慧人中為最第一。以何智慧得第一耶。舍利弗言。所謂聲聞因聲得解。以是智慧。說我於中為第一耳。非謂菩薩。網明言。智慧是戲論相耶。答言不也。網明言。智慧非平等相耶。答言如是。網明言。今仁者。得平等智慧。云何。說智慧有量。答言善男子。以法性相故智慧無量。隨入法性多少故。智慧有量。網明言。無量法終不作有量。仁者何故說智慧有量。即時舍利弗默然不答』
爾時會中有普華菩薩。語舍利弗。佛說耆年於諸弟子中智慧第一。今耆年於諸法法性不得耶。何以不以大智慧自恣樂說法。舍利弗言。諸佛弟子如其境界則能有說。 爾の時、会中に普華菩薩有り、舍利弗に語らく、『仏は、耆年は、諸弟子中に於いて智慧第一なりと説きたまえるに、今、耆年は、諸法の法性を得ずや。何を以ってか、大智慧を以って、自ら恣に、法を楽説せざる』、と。舍利弗の言わく、『諸の仏弟子は、其の境界の如きは、則ち能く説有り』、と。
爾の時、
『会』中に、
『普華菩薩が有って!』、
『舍利弗』に、こう語った、――
『耆年( Oldman )』を、
『仏』は、
『諸の弟子中の智慧第一である!』と、
『説かれた!』が、
今、
『耆年』は、
『諸法の法性』を、
『得られていないのですか?』。
何故、
『大智慧を用いて!』、
『自ら恣に!』、
『説法を楽しまれないのですか?』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
諸の、
『仏の弟子』は、
其の、
『境界ならば!』、
『説くことのできる!』時も、
『有るのだが!』、と。
普華菩薩復問。法性有境界不。舍利弗言。無也。若法性無境界。云何耆年言如其境界則能有說。舍利弗言。隨所得而說。 普華菩薩の復た問わく、『法性には、境界有りや、不や』、と。舍利弗の言わく、『無きなり』、と。『若し法性に境界無くんば、云何が耆年は、其の境界の如きは、則ち能く説有り、と言う』。舍利弗の言わく、『所得に随いて、説く』、と。
『普華菩薩』は、
復た、
こう問うた、――
『法性』には、
『境界』が、
『有りますか?』、と。
『舎利弗』は、こう答えた、――
『無い!』、と。
復た、
こう問うた、――
若し、
『法性』に、
『境界』が、
『無ければ!』、
何故、
『耆年』は、こう言ったのですか?――
其の、
『境界ならば!』、
『説くことのできる!』時も、
『有る!』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
『得たままに( as I recognized it )!』、
其の、
『境界』を、
『説くのだ!』、と。
普華又問。耆年。以無量相法性為證耶。舍利弗言爾。普華言。今云何言隨所得而說。如所得法性無量。說亦應無量。法性無量非量相。舍利弗語普華言。法性非得相。普華言。若法性非得相。汝離法性得解脫不。舍利弗言。不也。何以故。法性不壞相故。 普華の又問わく、『耆年は、無量の相を以って、法性を証すと為すや』、と。舍利弗の言わく、『爾り』、と。普華の言わく、『今は云何が、所得に随いて説く、と言う。所得の法性の無量なるが如く、説も亦た応に無量なるべし。法性は無量にして、量相に非ず』、と。舍利弗の普華に語りて言わく、『法性は、得相に非ず』、と。普華の言わく、『若し法性にして、得相に非ずんば、汝は法性を離れて、解脱を得や、不や』、と。舍利弗の言わく、『不なり。何を以っての故に、法性は相を壊らざるが故なり』、と。
『普華』は、
又、こう問うた、――
『耆年』は、
『無量の相として!』、
『法性』を、
『証しようとされるのか?』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
『爾の通りだ!』、と。
『普華』は、こう言った、――
今は、
何故、こう言われるのか?――
『得たままに!』、
『法性の境界』を、
『説くのだ!』、と。
『得る!』所の、
『法性』が、
『無量であるように!』、
亦た、
『説』も、
『無量でなければならない!』。
『法性』は、
『無量の相であって!』、
『量相ではないのだ!』、と。
『舍利弗』は、
『普華に語って!』、こう言った、――
『法性』は、
『得相( the mark of ’recognizable’ )ではない!』、と。
『普華』は、こう言った、――
若し、
『法性が得相でなければ!』、
お前は、
『法性を離れて!』、
『解脱』を、
『得るのか?』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
そうではない!
何故ならば、
『法性』は、
『相( the mark of infinity and boundlessness )』は、
『壊れないからだ!』、と。
普華言。汝所得聖智亦如法性耶。舍利弗言。我欲聞法非說時也。普華言。一切法定在法性中。有聞者說者不。舍利弗言。無也。 普華の言わく、『汝が所得の聖智も亦た法性の如しや』、と。舍利弗の言わく、『我が法を聞かんと欲するは、説く時に非ざればなり』、と。普華の言わく、『一切の法は、定んで法性中に在れば、聞者、説者の有りや、不や』、と。舍利弗の言わく、『無きなり』、と。
『普華』は、こう言った、――
お前の、
『得た!』所の、
『聖智』も、
亦た、
『法性』と、
『同じなのか?』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
わたしは、
『法を聞こうとしている!』、
『法』を、
『説く時ではない!』、と。
『普華』は、こう言った、――
一切の、
『法』が、
『法性中に在る!』と、
『定まれば!』、
『聞者や、説者』は、
『有るのか?』、
『無いのか?』、と。
『舎利弗』は、こう言った、――
『無い!』、と。
普華言。汝何以言我欲聞法非說時。舍利弗言。佛說二人得福無量。一心說者。一心聽者。普華言。汝入滅盡定中能聽法不。舍利弗言。善男子。滅盡定中無聽法也。 普華の言わく、『汝は、何を以ってか、我れは法を聞かんと欲す、説く時に非ず、と言う』、と。舍利弗の言わく、『仏の説きたまわく、二人は福を得ること無量なり、一心に説く者と、一心に聴く者となり、と』、と。普華の言わく、『汝は、滅尽定中に入りて、能く法を聴くや、不や』、と。舍利弗の言わく、『善男子、滅尽定中に法を聴くこと無きなり』、と。
『普華』は、こう言った、――、
お前は、
何故、こう言うのか?――
わたしは、
『法を聞こうとしている!』、
『法』を、
『説く時ではない!』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
『仏』が、こう説かれたからだ、――
『二人の得る!』、
『福は無量である!』、
『一心に説く者と!』、
『一心に聴く者とである!』と、と。
『普華』が、こう言った、――
お前は、
『滅尽定中に入って!』、
『法』を、
『聴くことができるのか?』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
善男子!
『滅尽定』中に、
『法を聴くこと!』は、
『無い!』。
  滅尽定(めつじんじょう):無所有処の染を離れて入る定。『大智度論巻17下注:滅尽定』参照。
  滅尽定:六識、心心数を滅尽して起たしめざる禅定であり、不還果以上の聖者が、仮に涅槃の想に入らんとしてこの定に入る。極めて長きは七日であるという。
普華言。汝信受一切法常滅相不。舍利弗言。信是事。普華言。法性常滅無聽法也。何以故。諸法常滅相故。 普華の言わく、『汝は、一切法の常に滅相なるを信受すや、不や』、と。舍利弗の言わく、『是の事を信ず』、と。普華の言わく、『法性にして常に滅すれば、聴法無けん。何を以っての故に、諸法の常に滅相なるが故なり』、と。
『普華』は、こう言った、――
お前は、こう信じるのか?――
一切の、
『法』は、
『常に滅相である!』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
是の、
『事』は、
『信じている!』、と。
『普華』は、こう言った、――
『法性』は、
『常に滅している!』、
『聴法( the dharma of listenning )』は、
『無い!』。
何故ならば、
諸の、
『法』は、
『常に滅相だからである!』。
舍利弗言。汝能不起于定而說法不。普華言。無有法非定相者。舍利弗言。若爾者今一切凡夫皆是禪定。普華言爾。一切凡夫皆是禪定。 舍利弗の言わく、『汝は、能く定より起たずして、法を説くや、不や』、と。普華の言わく、『法の定相に非ざる者有ること無し』、と。舍利弗の言わく、『若し爾らば、今一切の凡夫は、皆是れ禅定ならん』、と。普華の言わく、『爾り。一切の凡夫は、皆是れ禅定なり』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
お前は、
『禅定より起たずに!』、
『法』を、
『説くことができるのか?』、と。
『普華』は、こう言った、――
『禅定の相でない!』、
『法』は、
『無い!』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
若し、
爾うならば、
今、
『一切の凡夫』は、
皆、
『禅定なのか?』、と。
『普華』は、こう言った、――
爾うだ!
『一切の凡夫』は、
皆、
『禅定なのだ!』、と。
  (う)、(お):於いて:<前置詞>[時/場所に関して]在って/到って/対して/向かって/従り(自り)/[比較]より/[受動]よって( in, at, for, of, to, when, from, than, by )。
舍利弗言。以何等禪定故。一切凡夫皆是。普華言。以不壞法性三昧故。一切凡夫皆是禪定。舍利弗言。若爾者凡夫聖人無有差別。普華言。我亦不欲令凡夫聖人有差別。何以故。諸聖人無有滅法。凡夫人亦無生法。是二皆不出法性等相。 舍利弗の言わく、『何等の禅定を以っての故にか、一切の凡夫は、皆是れなる』、と。普華の言わく、『法性を壊らざる三昧を以っての故に、一切の凡夫は、皆、是れ禅定なり』、と。舍利弗の言わく、『若し爾らば、凡夫と聖人とに差別有ること無けん』、と。普華の言わく、『我れも亦た、凡夫と聖人とをして、差別有らしめんと欲せず。何を以っての故に、諸の聖人には、滅法有ること無く、凡夫人も亦た生法無ければ、是の二は、皆法性等の相を出でざればなり』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
『一切の凡夫』が、
皆、
『禅定である!』とは、
何のような、
『禅定』を、
『考えているのか?』、と。
『普華』は、こう言った、――
『一切の凡夫』が、
皆、
『禅定である!』のは、
是の、
『禅定』は、
『法性を壊らない!』、
『三昧だからである!』。
『舍利弗』は、こう言った、――
若し、
爾うならば、
『凡夫と、聖人とは!』、
『差別』が、
『無いことになるぞ!』。
『普華』は、こう言った、――
わたしも、
亦た、
『凡夫と、聖人を差別しよう!』とは、
『思わない!』。
何故ならば、
諸の、
『聖人』には、
『滅法』が、
『無く!』、
亦た、
『凡夫人』にも、
『生法』が、
『無い!』ので、
是の、
『二』は、
皆、
『法性等の相』を、
『出ないからである!』。
舍利弗言。善男子。何等是法性等相。答言。耆年得道時所知見者是。又問。生聖法耶。不也。滅凡夫法耶。不也。得聖法耶。不也。見知凡夫人法耶。不也。耆年以何知見故得聖道。 舍利弗の言わく、『善男子、何等か、是れ法性等の相なる』、と。答えて言わく、『耆年の道を得る時、知見する所の者是れなり』、と。又問わく、『聖法を生ずや』、『不なり』。『凡夫法を滅するや』、『不なり』。『聖法を得や』、『不なり』。『凡夫人の法を見知すや』、『不なり、耆年は、何なる知見を以っての故にか、聖道を得たりや』。
『舍利弗』は、こう言った、――
善男子!
何のようなものが、
『法性等の相なのか?』。
答えて、こう言った、――
『耆年』が、
『道を得た!』時に、
『知見したものである!』。
又、こう問うた、――
『聖法』を、
『生じるのか?』。
――
『生じない!』。
――
『凡夫法』を、
『滅するのか?』。
――
『滅しない!』。
――
『聖法』を、
『得るのか?』。
――
『得ない!』。
――
『凡夫人の法』を、
『知見するのか?』。
――
『知見しない!』。
何のような、
『知見を用いた!』が故に、
『耆年』は、
『聖道を得たのか?』。
舍利弗言。凡夫人如。比丘得解脫如。比丘入無餘涅槃如。是如一如如無別。普華言。舍利弗。是名法性相如不壞如用是如。當知一切法皆如。 舍利弗の言わく、『凡夫人の如と、比丘の解脱得る如と、比丘の無余涅槃に入る如と、是の如は、一如にして、如に別無し』、と。普華の言わく、『舍利弗、是れを法の性相の如と名づけ、如を壊らずに、是の如を用うれば、当に、一切法は、皆、如なるを知るべし』、と。
『舍利弗』は、こう言った、――
『凡夫人という!』、
『如( suchness )も!』、
『比丘』が、
『解脱に入るという!』、
『如も!』、
『比丘』が、
『無余涅槃に入るという!』、
『如も!』、
是の、
『如は一如であり!』、
『如』には、
『別が無いのである!』、と。
『普華』が、こう言った、――
舍利弗!
是れが、
『法の性、相という!』、
『如であり!』、
是の、
『如を壊らずに!』、
『如』を、
『用いれば!』、
当然、
『一切の法』は、
『皆、如である!』と、
『知ることになる!』、と。
  (にょ):諸法の真実如常の性の意。実相。『大智度論巻6下注:真如』参照。
舍利弗白佛言。世尊。譬如大火聚無物不燒。是諸上人所說亦如是。一切法皆入法性。 舍利弗の仏に白して言さく、『世尊、譬えば大火聚の物の焼かざる無きが如く、是の諸上人の所説も亦た是の如く、一切の法は、皆法性に入るなり』、と。
『舍利弗』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
譬えば、
『大火聚』の、
『焼かない物』が、
『無いように!』、
是の、
『諸の上人』の、
『所説』も、
『是のように!』、
一切の、
『法』は、
皆、
『法性に入るのです!』、と。
又如毘摩羅詰經中說。舍利弗等諸聲聞皆自說言。我不堪任詣彼問疾。各各自說。昔為毘摩羅詰所呵。如是等處處經中說菩薩智慧勝於聲聞辟支佛。 又『毘摩羅詰経』中に説けるが如し、舍利弗等の諸声聞の皆、自ら説いて言わく、『我れは、彼に詣(いた)りて疾を問うに堪任せず』、と。各各自ら、昔毘摩羅詰に呵せらるるを説けり。是れ等の如く、処処の経中に、菩薩の智慧の声聞、辟支仏に勝るを説けり。
又、
『毘摩羅詰経』中には、こう説かれている、――
『舍利弗等の諸声聞』は、皆、
自ら、
『説いて!』、こう言った、――
わたしは、
彼の、
『毘摩羅詰の所に詣(いた)って!』、
『疾を問う( to visit the sick )ことには!』、
『堪任できません( I am not qualified )!』、と。
各各は、
自ら、
昔、
『毘摩羅詰に呵られたこと!』を、
『説いた!』
是れ等のように、
『処処の経』中に、こう説かれている、――
『菩薩の智慧』は、
『声聞、辟支仏』に、
『勝る!』、と。
  毘摩羅詰(びまらきつ):又維摩詰と称す。『大智度論巻28上注:維摩詰、維摩詰所説経』参照。
  維摩詰(ゆいまきつ):梵名。具に毘摩羅詰利帝vimalakiirtiと称す。又毘摩羅鞊栗致、毘摩羅詰に作り、略して維摩と云い、浄名、無垢称、或いは滅垢鳴と訳す。中印度毘舎離城の長者にして深く善本を植え、無生忍を得て辯才無礙に、仏の威儀に住して心大なること海の如く、又資財無量にして諸の貧民を摂し、奉戒清浄にして諸の毀禁を摂し、忍調の行を以って諸の恚怒を摂し、大精進を以って諸の懈怠を摂し、一心禅寂にして諸の乱意を摂し、決定の慧を以って諸の無智を摂す。嘗て仏が同城菴羅樹園に住して説法せられし時、病を以って往かず。仍りて仏は舍利弗等の諸大弟子及び菩薩等をして其の疾を問わしめんとするも、皆任に堪えざるの故を以って之を辞す。遂に文殊師利を起たしめ、衆皆随従して彼れの疾を問い、両大士の間に酬対往復を重ね、為に大乗不可思議解脱の甚深の実義を発揮する所あり。維摩経は即ち其の筆録なりと伝えらる。其の名称に関しては吉蔵の「維摩経義疏巻1」に、「外国に毘摩羅詰と称す、羅什、僧肇は翻じて浄名と為すなり。道生、曇詵は無垢称と云う。真諦三蔵云わく、具に梵本を存せば毘摩羅詰利帝と言うべし。毘は称して滅と為し、摩羅を垢と為し、吉利帝を鳴と為す。合して之を言わば滅垢鳴と謂う。初(浄名)は所得に従って名と為し、次(無垢称)は所離に従って目と為す。滅垢は猶お是れ所離なり。声天下に聞こゆるを以っての故に称して鳴と為す。鳴も亦た名の義なるのみ。言に闊略ありと雖も而も意は異なきなり」と云い、「玄応音義巻8」に、「或いは毘摩羅詰と言い、亦た鼻磨羅鶏利帝と言う。此に訳して無垢称と云う、称とは名称なり。或いは浄名と為すも其の義一なり」と云い、又聖徳太子の「維摩経義疏巻上」に、「維摩詰は是れ西国の音なり、秦に浄名と言う。和光同塵、衆累の為に染せられず、故に浄名と称するなり」とあり。又「維摩経巻下見阿閦仏品」には、維摩詰を以って東方阿閦仏妙喜世界より来生せるものなりとし、「大方等大集経薪35陀羅尼品」には、東方無尽徳世界の日行蔵菩薩なりとし、又「同巻48本事品」には、過去三十一劫毘舎浮如来の時、世に在りし一婆羅門の子弗沙毘離なりとなせり。又「大唐西域記巻7吠舍釐国の條」に、「伽藍の東北三里に窣堵波あり、是れ毘摩羅詰の故宅の基趾なり。多く霊異あり。此を去る遠からず一の神舎あり。其の状甎を塁ぬ。伝え云う、積石は即ち無垢称長者の現疾説法の処なり」と云い、又継業の「西域行程」にも、「此れより河を渡り、北して毘耶離城に至る。維摩の方丈の故跡あり」と云えり。是れ維摩詰を以って実在の人となせるものなるが如きも、恐らくは然らざるべく、彼の遺址の如きは後人之を設定せしものなるべし。後世支那等に於いて維摩文殊問答の相を彫画せるもの多く、唐段成式の「寺塔記」には長安平康坊菩薩寺仏殿に維摩変を壁画すと云い、又竇夫子の「大番故敦煌郡莫高窟陰処士公修功徳記」には、敦煌千仏洞に薬師浄土等と共に維摩変相を画作すと記し、現に同第一、第八、第五十二、第七十四、第八十四、第百十七、第百四十九等の諸窟に其の壮麗なる壁画を存せり。本邦にても和銅年中、法隆寺五重塔内に其の相を塑造せしを始め、奈良興福寺、法華寺、近江石山寺等にも各像を安じ皆国宝たり。又「月上女経巻上」、「善思童子経巻上」、「大方広如来不思議境界経」、「大智度論巻10」、「注維摩詰経巻1」、「維摩義記巻1本」、「維摩経玄疏巻2」、「居士分灯録」等に出づ。<(望)
  維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう):梵名vimalakiirti-nirdeza、三巻。方等部(縮黄7、正14)姚秦鳩摩羅什訳。略して維摩経と云い、或いは不可思議解脱経とも称す。維摩詰所証の不可思議解脱の法門を説き、声聞著有の執を弾斥せるもの。凡べて十四品あり。「第一仏国品」には、仏一時大比丘衆及び諸菩薩等と倶に毘耶離城菴羅樹園中に在りし時、長者の子宝積あり、五百の長者の子と共に各宝蓋を持し、来たりて之を仏に供養するに、仏は威神力を以って諸の宝蓋を合して一蓋と成し、以って三千大千世界を覆い、其の中に大千世界の広長の相、並びに十方諸仏説法等の相を現ぜしむるに、衆未曽有なりと歎じ、宝積は偈を以って仏を讃ぜしことを敍し、次に仏は宝積が浄仏国土の行を問えるに対し、若し浄土を得んと欲せば当に其の心を浄むべく、心浄きに随って則ち仏土亦た浄しと説き、次に舍利弗の為に足指を以って地を按じて即時に此の三千大千世界をして厳浄の仏国たらしめ、以って仏の心浄きが故に其の土も清浄なることを示し、「第二方便品」には、毘耶離城中の長者維摩詰が身に疾を現じ、為に国王大臣等皆往きて之を問うに、彼れは此の身の無常にして厭うべく、仏の法身の楽うべきことを教え、以って菩提心を発さしめたることを記し、「第三弟子品」、「第四菩薩品」には仏は舍利弗、大目揵連、大迦葉、阿難等の諸大弟子、及び弥勒菩薩、光厳童子、持世菩薩等をして彼れの疾を問わしめんとするに、各皆曽て維摩の為に説伏せられたることを述べ、其の任に堪えずとして命に応ずるものなきを叙述し、「第五文殊師利問疾品」には、仏は遂に文殊師利をして問疾せしむるに、諸菩薩大弟子等皆之に随従し、既に維摩の室に到れば、室内は空にして唯一床あり、彼れ独り之に臥せり。文殊は先づ疾の所因を問うに、維摩は我が病は癡と有愛とより生じ、一切の衆生病むが故に我れ亦た病むと答え、室の空なる所以を問うに諸仏の国土も亦た皆空なりと答え、有疾の菩薩を慰喩する法を問えるに対し、身の無常有苦無我空寂なることを説示し、当に医王と作りて衆病を療治すべしと語り、以って其れをして歓喜せしむべしと答え、有疾の菩薩が其の心を調伏するの法を問えるに対し、病は前世の妄想顛倒より生じて実法あることなく、病本は即ち攀縁に在ることを知り、攀縁を断じて無所得に住し、以って其の心を調伏すべしと答えたることを説述し、「第六不思議品」には、舍利弗が彼の室中に衆の坐すべき牀座なきを念じたるに対し、維摩は舍利弗に対し、法を求むる為に来たりしか、牀座の為に来たりしかと反問し、法には処所なく、若し処所に著せば法を求むる者に非ずと語り、次いで神通力を以って東方須弥相世界須弥灯王仏の所より三万二千の高広の師子座を室内に運び、衆をして之に就かしむるに、諸菩薩は皆其の座上に坐することを得たるも、大弟子等は登るを得ず。仍りて維摩は彼等をして須弥灯王如来を礼せしめ、以って其の座に就くを得しめたりと云い、又舎利弗が小室内に此の如き高広の多数の座を容受し得たるを見て未曽有なりと歎じたるに対し、不可思議解脱に住する菩薩は須弥の高広を以って芥子中に入るるも亦た増減する所なしと語りしことを記し、且つ種種の不可思議解脱の力用を敍し、「第七観衆生品」には、菩薩は衆生の如幻を観じ、而も慈悲喜捨を行じて以って衆生を度し、又無住に住して而も一切法を立つることを明かし、次に舍利弗は天女の散ぜる華が諸大弟子に著して堕せざるを見、之を取り去らんとするに、天女は分別ある者には華著し、分別の想を断ぜる菩薩には著せずと語れりと云い、更に室内所現の八未曽有難得の法、女身相の畢竟不可得なること等を説き、「第八仏道品」には、文殊が仏道に通達する相を問えるに対し、非道を行ずるを通達仏道となすと云い、貪欲を行ずることを示すも染著を離れ、乃至愚癡を行ずることを示すも世間出世間の慧に通達し、妻妾采女あることを示すも常に五欲の淤泥を遠離すと説き、有身無明有愛等は即ち如来の種なりとし、煩悩を断ぜる声聞は遂に発心の期なしと云い、普賢色身菩薩の問いに対し、我れは智度を母とし、方便を父とし、法喜を妻とし、慈悲心を女とし、畢竟空を舎となすと答え、「第九入不二法門品」には、維摩の請に依りて法自在菩薩以下文殊に至る三十二菩薩は各順次に其の所楽の入不二法門を説き、最後に維摩に至り但だ黙然たりしを以って、文殊は文字語言なきを真の入不二法門となすと歎じ、「第十香積仏品」には、既に食時至れるを以って舍利弗は心に食を念じたるに依り、維摩は其の意を知り、化菩薩をして上方衆香国香積仏の所より甘露味の香食を持せしめ、衆会を飽かしむるも猶お故の如くにして尽くることなきを敍し、更に彼の衆香菩薩の為に釈迦牟尼仏説法化度の相を説き、且つ此の世界の十事の善法、並びに浄土に生ずべき八法の行を教示し、「第十一菩薩行品」には、維摩は文殊等と共に仏の住せらるる菴羅樹園に到りて右遶七匝し、座定まるや、舍利弗は仏の問いに対して菩薩大士の不可思議自在神力の所為を見たることを述べ、又阿難の問いに対して香気の芬郁たる由来を説き、又衆香世界の菩薩の為に有為を尽くさず、無為に住せざる菩薩所行の尽無尽解脱法門を説示し、「第十二見阿閦仏品」には、先づ維摩が仏の問いに対して自ら如来を観ずる相を説き、次に舍利弗が維摩来生の処を問えるに対し、仏は妙喜世界無動如来の所より没して此の間に来生せしものなるを明かし、時に大衆渇仰して彼の世界及び無動如来を見んことを求めたるを以って、維摩は為に神通力を以って彼の世界を断取して此の土に置き、大衆をして之を見せしめたることを記し、「第十三法供養品」には、先づ釈提桓因が此の経受持の功徳を述べ、仏は之を讃じ、諸仏の菩提は皆是れより生ずと説き、次に過去薬王如来出現の時、王子月蓋が供養中、法供養の最も勝ることを聞き、出家学道して常に法供養を行ぜし因縁を明かし、法供養を最第一の供養となすと云い、「第十四嘱累品」には、弥勒に此の経を付囑し、最後に阿難の問いに対して此の経の名を宣示し、巻を終れり。本経は僧肇の「注維摩詰経序」に依るに、後秦弘始八年姚興の命に依り、鳩摩羅什が義学沙門千二百人と共に長安大寺に於いて訳出せるものなりとせり。又異訳数本あり、「出三蔵記集巻2新集異出経録」には、呉支謙訳の「維摩詰経二巻」、西晋竺法護訳の「維摩詰経一巻」、及び「刪維摩詰一巻」、西晋竺叔蘭訳の「異維摩詰三巻」、及び今の経を列ねて四人異出となし、「法経録巻1」には、此の中の「刪維摩詰」を除きて四経同本異訳とし、「歴代三宝紀巻4、7」には、別に後漢厳仏調訳の「古維摩詰経一巻」、東晋祇多蜜訳の「維摩詰経四巻」を掲げ、「開元釈教録巻11、14」には、厳仏調本を第一訳(闕)、支謙本を第二訳(存)、竺叔蘭本を第三訳、竺法護本を第四訳、祇多蜜本を第五訳(以上闕)、今の経を第六訳、唐玄奘訳の「説無垢称経六巻」を第七訳(以上存)となせり。又本経は印度以来盛んに行われ、「大智度論巻9、15、17、28、30、92、95、98」、「宝髻経四法優婆提舎」、「弥勒菩薩所問経論巻3」、「入大乗論巻下」、「大乗集菩薩学論巻1」、「大乗宝要義論巻8、9」等に皆之を引用せり。注疏の主なるものに「注十巻(晋僧肇)」、「義記残巻(六朝佚名)」、「義記八巻(隋慧遠)」、「玄疏六巻(隋智顗)」、「玄論八巻(隋吉蔵)」、「義疏六巻(隋吉蔵)」、「略疏十巻(唐湛然)」、「集解関中疏二巻(唐道液)」、「義疏三巻(聖徳太子)」等あり。<(望)
  堪任(たんにん):任に堪える。適任。
問曰。何因緣故。菩薩智慧勝聲聞辟支佛。 問うて曰く、何なる因縁の故にか、菩薩の智慧は、声聞、辟支仏に勝る。
問い、
何のような、
『因縁』の故に、
『菩薩の智慧』が、
『声聞、辟支仏』に、
『勝るのですか?』。
答曰。如一本生經中說。菩薩智慧於無量阿僧祇劫已來合集眾智。於無量劫中無苦不行無難不為。為求法故。赴火投巖受剝皮苦。出骨為筆以血為墨以皮為紙書受經法。如是等為法故受無量苦。以智慧故世世供養其師視之如佛。 答えて曰く、一本生経中に説けるが如し、『菩薩の智慧は、無量阿僧祇劫より已来、衆智を合集し、無量劫中に於いて、苦の行ぜざる無く、難の為さざる無く、法を求めんが為の故に、火に赴き、巌より投じ、皮を剥ぐ苦を受け、骨を出して筆と為し、血を以って墨と為し、皮を以って紙と為し、経法を書受す。是れ等の如く、法の為の故に、無量の苦を受け、智慧を以っての故に、世世に其の師を供養し、之を視ること仏の如し』、と。
答え、
『一本生経』中には、こう説かれている、――
『菩薩の智慧』は、
『無量、阿僧祇劫以来!』、
『衆智』を、
『合集したものであり!』、
『無量劫』中に、
『行わない!』、
『苦』は、
『無く!』、
『為さない!』、
『困難』は、
『無く!』、
『法を求める!』為の故に、
『火に赴いたり!』、
『巌より身を投じたり!』、
『皮を剥ぐ苦を受けて!』、
更に、
『骨を出して、筆とし!』、
『血を用いて、墨とし!』、
『皮を用いて、紙として!』、
『経法』を、
『書受する!』。
是れ等のように、
『法』の為の故に、
『無量の苦を受けながら!』、
『智慧』を、
『求める!』為の故に、
『世世に!』、
其の、
『師』を、
『供養して!』、
之を、
『仏を視るように!』、
『視たからである!』、と。
  参考:『40華厳経巻40』:『復次善男子。言常隨佛學者。如此娑婆世界。毘盧遮那如來。從初發心。精進不退。以不可說不可說身命而為布施。剝皮為紙。折骨為筆。刺血為墨。書寫經典。積如須彌。為重法故。不惜身命。何況王位。城邑聚落。宮殿園林。一切所有。及餘種種難行苦行。乃至樹下成大菩提。示種種神通起種種變化。現種種佛身。處種種眾會。或處一切諸大菩薩眾會道場。或處聲聞及辟支佛眾會道場。或處轉輪聖王小王眷屬眾會道場。或處剎利及婆羅門長者居士眾會道場。乃至或處天龍八部人非人等眾會道場。處於如是種種眾會。以圓滿音。如大雷震。隨其樂欲成熟眾生。乃至示現入於涅槃。如是一切我皆隨學。如今世尊毘盧遮那。如是盡法界。虛空界。十方三世一切佛剎所有塵中。一切如來皆亦如是。於念念中。我皆隨學。如是虛空界盡眾生界盡。眾生業盡。眾生煩惱盡。我此隨學無有窮盡。念念相續無有間斷身語意業無有疲厭』
一切所有經書悉皆誦讀解說。於無量阿僧祇劫常思惟籌量。尋求諸法好醜深淺善不善漏不漏常不常有無等。思惟分別問難。為智慧故供養諸佛及菩薩聲聞。聽法問難信受正憶念如法行。如是智慧因緣具足故。云何不勝阿羅漢辟支佛 一切の有らゆる経書を悉く、皆誦読、解説し、無量阿僧祇劫に於いて常に思惟、籌量し、諸法の好醜、深浅、善不善、漏不漏、常不常、有無等を尋求して、思惟、分別、問難し、智慧の為の故に諸仏、及び菩薩、声聞を供養し、法を聞いて問難し、信受し、正憶念して、如法に行ず。是の如き智慧の因縁具足するが故に、云何が、阿羅漢、辟支仏に勝れざらんや。
一切の、
有らゆる、
『経書』を、
悉く、
皆、
『誦読、解説し!』、
無量阿僧祇劫に於いて、
常に、
『思惟、籌量し!』、
諸の、
『法』の、
『好醜、深浅、善不善、漏不漏、常不常、有無等』を、
『尋求し!』、
『思惟し!』、
『分別し!』、
『問難しながら!』、
『智慧を求める!』為の故に、
『諸の仏、菩薩、声聞を供養して!』、
『聴法し!』、
『問難し!』、
『信受し!』、
『正憶念して!』、
『如法に!』、
『修行する!』。
是のように、
『智慧を得る!』、
『因縁』が、
『具足している!』のに、
何故、
『阿羅漢や、辟支仏に!』、
『勝らないのか?』。
復次菩薩智慧五波羅蜜佐助莊嚴。有方便力於一切眾生有慈悲心故。不為邪見所妨。住十地中故。智慧勢力深大。大故勝於聲聞辟支佛。以大因故小者自壞。阿羅漢辟支佛無是事。以是故言欲勝聲聞辟支佛智慧當學般若波羅蜜 復た次ぎに、菩薩の智慧は、五波羅蜜に佐助、荘厳せられ、方便力有りて、一切の衆生に於いて慈悲心有るが故に、邪見に妨げられず、十地中に住するが故に、智慧の勢力深大にして、大なるが故に声聞、辟支仏に勝る。大因を以っての故小なる者は自ら壊る。阿羅漢、辟支仏には、是の事無く、是を以っての故に言わく、『声聞、辟支仏に勝らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学すべし』、と。
復た次ぎに、
『菩薩の智慧』は、
『五波羅蜜に佐助、荘厳される!』が故に、
『大方便力』が、
『有り!』、
『一切の衆生』に於いて、
『慈悲心』を、
『有する!』が故に、
是の、
『智慧』は、
『邪見に妨げられず!』、
『菩薩』は、
『十地中に住する!』が故に、
『智慧の勢力』が、
『深大であり!』、
『智慧が大である!』が故に、
『声聞、辟支仏』に、
『勝るのである!』。
『菩薩の智慧』は、
『因縁が大である!』が故に、
『勢力』が、
『大である!』が、
『因縁が小である!』者は、
自ら、
『智慧を壊ることになる!』。
是の故に、こう言う、――
『声聞、辟支仏の智慧』に、
『勝ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
  参考:『大智度論巻75』:『須菩提白佛言。世尊。何等是十地。菩薩具足已得阿耨多羅三藐三菩提。佛言。菩薩摩訶薩具足乾慧地性地八人地見地薄地離欲地已作地辟支佛地菩薩地佛地。具足是地得阿耨多羅三藐三菩提。須菩提。菩薩摩訶薩學是十地已。非初心得阿耨多羅三藐三菩提。亦不離初心得阿耨多羅三藐三菩提。‥‥所謂菩薩從初發心來行般若波羅蜜。具足初地乃至十地。是十地皆佐助成無上道。十地者乾慧地等。乾慧地有二種。一者聲聞二者菩薩。聲聞人獨為涅槃故勤精進持戒心清淨堪任受道。或習觀佛三昧或不淨觀。或行慈悲無常等觀。分別集諸善法捨不善法。雖有智慧不得禪定水。則不能得道故名乾慧地。於菩薩則初發心乃至未得順忍。性地者聲聞人從煖法。乃至世間第一法。於菩薩得順忍。愛著諸法實相亦不生邪見得禪定水。八人地者。從苦法忍乃至道比智忍是十五心。於菩薩則是無生法忍入菩薩位。見地者初得聖果。所謂須陀洹果。於菩薩則是阿鞞跋致地。薄地者。或須陀洹或斯陀含。欲界九種煩惱分斷故。於菩薩過阿鞞跋致地乃至未成佛。斷諸煩惱餘氣亦薄。離欲地者。離欲界等貪欲諸煩惱。是名阿那含。於菩薩離欲因緣故得五神通。已作地者。聲聞人得盡智無生智得阿羅漢。於菩薩成就佛地。辟支佛地者。先世種辟支佛道因緣。今世得少因緣出家。亦觀深因緣法成道名辟支佛。辟支迦秦言因緣亦名覺。菩薩地者。從乾慧地乃至離欲地如上說。復次菩薩地。從歡喜地乃至法雲地皆名菩薩地。有人言。從一發心來。乃至金剛三昧名菩薩地。佛地者。一切種智等諸佛法。菩薩於自地中行具足。於他地中觀具足。二事具故名具足。』


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