【經】欲以道種慧具足一切智。當習行般若波羅蜜。欲以一切智具足一切種智。當習行般若波羅蜜 |
道種慧を以って、一切智を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。一切智を以って、一切種智を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。 |
『道種慧( 道種智)を用いて!』、
『一切智を具足しようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
『一切智を用いて!』、
『一切種智を具足しようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
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一切智(いっさいち):三智の一。内外一切の法相を了知する智を云う。『大智度論巻37上注:一切智』参照。
一切種智(いっさいしゅち):三智の一。一切法の寂滅相及び行類差別に了達する仏所得の智を云う。『大智度論巻37上注:一切種智』参照。 |
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【論】問曰。一切智一切種智。有何差別。 |
問うて曰く、一切智と、一切種智と、何なる差別か有る。 |
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答曰。有人言無差別。或時言一切智。或時言一切種智。 |
答えて曰く、有る人の言わく、『差別無し。或は時に一切智と言い、或は時に一切種智と言うのみ』、と。 |
答え、
有る人は、こう言っている、――
『差別は無い!』、
或る時には、
『一切智』と、
『言い!』、
或る時には、
『一切種智』と、
『言うだけだ!』、と。
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有人言總相是一切智。別相是一切種智。因是一切智。果是一切種智。略說一切智。廣說一切種智。一切智者。總破一切法中無明闇。一切種智者。觀種種法門破諸無明。一切智譬如說四諦。一切種智譬如說四諦義。一切智者。如說苦諦。一切種智者。如說八苦相。一切智者。如說生苦。一切種智者。如說種種眾生處處受生。 |
有る人の言わく、『総相は、是れ一切智にして、別相は是れ一切種智なり。因は是れ一切智にして、果は是れ一切種智なり。略説すれば一切智にして、広説すれば一切種智なり。一切智は、総じて一切法中の無明の闇を破し、一切種智は、種種の法門を観て、諸の無明を破す。一切智は譬えば、四諦を説くが如く、一切種智は譬えば、四諦の義を説くが如し。一切智は、苦諦を説くが如く、一切種智は、八苦の相を説くが如し。一切智は、生苦を説くが如く、一切種智は、種種の衆生の処処の受生を説くが如し』、と。 |
有る人は、こう言っている、――
『総相』は、
『一切智であり!』、
『別相』は、
『一切種智である!』。
『因』は、
『一切智であり!』、
『果』は、
『一切種智である!』。
『略説すれば!』、
『一切智であり!』、
『広説すれば!』、
『一切種智である!』。
『一切智』は、
『一切種智』は、
種種の、
『法門を観察して!』、
『諸の無明(愚癡)』を、
『破る!』。
『一切智』は、
譬えば、
『四諦』を、
『説くようなものであり!』、
『一切種智』は、
譬えば、
『四諦の義( meaning )』を、
『説くようなものである!』。
『一切智』は、
例えば、
『苦諦』を、
『説くようなものであり!』、
『一切種智』は、
例えば、
『八苦の相』を、
『説くようなものである!』。
『一切智』は、
例えば、
『生苦』を、
『説くようなものであり!』、
『一切種智』は、
例えば、
『種種の衆生の処処の受生』を、
『説くようなものである!』、と。
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復次一切法名眼色乃至意法。是諸阿羅漢辟支佛。亦能總相知無常苦空無我等。知是十二入故。名為一切智。 |
復た次ぎに、一切法を、眼色、乃至意法と名づくれば、是れ諸の阿羅漢、辟支仏も亦た能く総相もて、無常、苦、空、無我等を知り、是れ十二入なりと知るが故に、名づけて、一切智と為す。 |
復た次ぎに、
『一切の法』を、
『眼、色、乃至意、法の十二入だとすれば!』、
是の、
『諸の阿羅漢、辟支仏』も、
亦た、
『無常、苦、空、無我』等の、
『総相』を、
『知ることができ!』、
是れが、
『十二入である!』と、
『知る!』が故に、
是れを、
『一切智』と、
『称する!』。
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聲聞辟支佛尚不能盡別相知一眾生生處好醜事業多少。未來現在世亦如是。何況一切眾生。如一閻浮提中金名字。尚不能知。何況三千大千世界。於一物中種種名字若天語若龍語。如是等種種語言名金尚不能知。何況能知金因緣生處好惡貴賤因而得福因而得罪因而得道。如是現事尚不能知。何況心心數法。所謂禪定智慧等諸法。 |
声聞、辟支仏すら、尚お尽く別相をもて、一衆生の生処、好醜、事業の多少を知る能わず、未来、現在世も亦た是の如し。何に況んや、一切の衆生をや。一閻浮提中の金の名字の如きすら尚お知る能わず、何に況んや三千大千世界の一物中に於ける種種の名字をや。若しは天語、若しは龍語、是れ等の如き種種の語言もて、金に名づくるすら、尚お知る能わず、何に況んや、能く金の因縁、生処、好悪、貴賎を知るをや。因にして福を得る、因にして罪を得る、因にして道を得る、是れ等の現事すら、尚お知る能わず、何に況んや、心心数法の謂わゆる禅定、智慧等の諸法をや。 |
『声聞、辟支仏』は、
尚お、
『一衆生』の、
『生処、好醜、事業の多少』等の、
『別相』を、
『尽く知ることはできない!』、
『未来、現在世』も、
亦た、
『是の通りである!』。
況して、
『一切の衆生』の、
『別相』を、
『尽く知るはずがない!』。
尚お、
例えば、
『一閻浮提』中の、
『金の名字( gold, or, oro, χρυσός 等)すら!』、
『知ることができない!』、
況して、
『三千大千世界』中の、
『一物中の種種の名字』を、
『知るはずがない!』。
尚お、
例えば、
『天の語、龍の語など!』、
是れ等のような、
『種種の語言』の、
『金の呼称すら!』、
『知ることができない!』、
況して、
『金』の、
『因縁や、生処、好悪、貴賎』を、
『知るはずがない!』。
尚お、
例えば、
是の、
『因』は、
『福を得るのか?』、
『罪を得るのか?』、
『道を得るのか?』、
是れ等のような、
『現象的な!』、
『事すら!』、
『知ることができない!』。
況して、
『心、心数法のような!』、
謂わゆる、
『禅定、智慧等の諸法』を、
『知るはずがない!』。
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佛盡知諸法總相別相故。名為一切種智。 |
仏は、尽く諸法の総相、別相を知りたもうが故に、名づけて一切種智と為す。 |
『仏』は、
尽く、
『諸の法』の、
『総相、別相』を、
『知っていられる!』が故に、
是れを、
『一切種智』と、
『称するのである!』。
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復次後品中佛自說一切智是聲聞辟支佛事。道智是諸菩薩事。一切種智是佛事。聲聞辟支佛。但有總一切智。無有一切種智。 |
復た次ぎに、後の品中に仏の自ら説きたまわく、『一切智は、是れ声聞、辟支仏の事にして、道智は、是れ諸の菩薩の事、一切種智は、是れ仏の事なり。声聞、辟支仏は、但だ総なる一切智有るも、一切種智有ること無し』、と。 |
復た次ぎに、
『後の品』中に、
『仏』は、
自ら、こう説かれている、――
『一切智』は、
『声聞、辟支仏』の、
『事であり!』、
『道種智』は、
『諸の菩薩』の、
『事であり!』、
『一切種智』は、
『仏』の、
『事である!』。 『声聞、辟支仏』には、
但だ、
『総体的な!』、
『一切智』は、
『有る!』が、
『個別的な!』、
『一切種智』は、
『無い!』。
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参考:『大品般若経巻21三慧品』:『爾時須菩提白佛言。世尊。世尊說一切種智。佛告須菩提。我說一切種智。須菩提言。佛說一切智說道種智說一切種智。是三種智有何差別。佛告須菩提。薩婆若是一切聲聞辟支佛智。道種智是菩薩摩訶薩智。一切種智是諸佛智。須菩提白佛言。世尊。何因緣故。薩婆若是聲聞辟支佛智。佛告須菩提。一切名所謂內外法。是聲聞辟支佛能知。不能用一切道一切種智。須菩提言。世尊。何因緣故道種智是諸菩薩摩訶薩智。佛告須菩提。一切道菩薩摩訶薩應知。若聲聞道辟支佛道。菩薩道應具足知。亦應用是道度眾生。亦不作實際證。須菩提白佛言。世尊。如佛說菩薩摩訶薩應具足佛道。不應以是道實際作證耶。佛告須菩提。是菩薩未淨佛土未成就眾生。是時不應實際作證。須菩提白佛言。世尊。菩薩住道中應實際作證。佛言不也。世尊。住非道中實際作證。佛言不也。世尊。住道非道實際作證。佛言不也。世尊。住非道亦非非道實際作證。佛言不也。世尊。菩薩摩訶薩住何處應實際作證。佛告須菩提。於汝意云何。汝住道中不受諸法故。漏盡得解脫不。須菩提言。不也世尊。汝住非道漏盡得解脫不。不也世尊。汝住道非道漏盡得解脫不。不也世尊。汝住非道亦非非道漏盡得解脫不。不也世尊。我無所住不受諸法漏盡心得解脫。佛告須菩提菩薩摩訶薩亦如是。無所住應實際作證。須菩提言。世尊。云何為一切種智相。佛言。一相故名一切種智。所謂一切法寂滅相。復次諸法行類相貌。名字顯示說佛如實知。以是故名一切種智。須菩提白佛言。世尊。一切智道種智一切種智。是三智結斷有差別有盡有餘不。佛言。煩惱斷無差別。諸佛煩惱習一切悉斷。聲聞辟支佛煩惱習不悉斷。』 |
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復次聲聞辟支佛。雖於別相有分。而不能盡知故。總相。受名佛一切智一切種智皆是真實。聲聞辟支佛但有名字。一切智譬如晝燈。但有燈名無有燈用。 |
復た次ぎに、声聞、辟支仏は、別相に於いて分有りと雖も、尽くを知る能わざるが故に、総相の名を受く。仏の一切智、一切種智は、皆是れ真実なるも、声聞、辟支仏は、但だ名字の一切智有るのみにして、譬えば昼の灯の、但だ灯の名有るも、灯の用有ること無きが如し。 |
復た次ぎに、
『声聞、辟支仏』にも、
『別相』に於いて、
『分』を、
『有する!』が、
『別相』の、
『尽く!』を、
『知ることはできない!』ので、
是の故に、
『総相の名』を、
『受けるのである!』が、
『仏』の、
『一切智や、一切種智』が、
皆、
『真実である!』のに、
『声聞、辟支仏』は、
但だ、
『名字』の、
『一切智』を、
『有するだけである!』。
譬えば、
『昼の灯』には、
但だ、
『灯の名が有るだけで!』、
『灯の用』が、
『無いようなものである!』。
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如聲聞辟支佛。若有人問難。或時不能悉答不能斷疑。如佛三問舍利弗而不能答。若有一切智云何不能答。以是故但有一切智名勝於凡夫。無有實也。 |
声聞、辟支仏の如きは、若し有る人問難すれば、或は説きに悉くを答うる能わざれば、疑を断ずる能わず。仏の、三たび舍利弗に問いたまえるも、答う能わざるが如し。若し一切智有らば、云何が答う能わざる。是を以っての故に、但だ一切智の名有りて、凡夫に於いて勝るも、実有ること無きなり。 |
例えば、
『声聞、辟支仏など!』は、
若し、
有る、
『人』が、
『問難しても!』、
或は、時に、
『悉くを答えらえずに!』、
『疑』を、
『断じられない!』ので、
例えば、
『仏』が、
『舍利弗』に、
『三たび!』、
『問われたのに!』、
『舍利弗には!』、
『答えられなかったようなものである!』。
若し、
『一切智が有れば!』、
何故、
『答えられないのか?』。
是の故に、
『声聞、辟支仏』には、
『一切智という!』、
『名』が、
『有るだけに!』、
『凡夫よりは勝っている!』が、
『実』は、
『無いのである!』。
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是故佛是實一切智一切種智。有如是無量名字。或時名佛為一切智人。或時名為一切種智人。如是等略說一切智一切種智種種差別。 |
是の故に仏は、是れ実の一切智、一切種智にして、是の如き無量の名字有り、或は時に、仏を名づけて、一切智の人と為し、或は時に名づけて、一切種智の人と為す。是れ等の如く、一切智、一切種智の種種に差別を略説せり。 |
是の故に、
『仏』は、
『実』に、
『一切智、一切種智であり!』、
是のような、
『無量の名字』が、
『有る!』ので、
或は時に、
『仏』を、
『一切智の人』と、
『呼び!』、
或は時に、
『一切種智の人』と、
『呼ぶのである!』。
是れ等のように、
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参考:『大智度論巻3』:『問曰。若諸阿羅漢。所作已辦逮得己利不須聽法。何以故說般若波羅蜜時。共五千阿羅漢。答曰。諸阿羅漢雖所作已辦。佛欲以甚深智慧法試。如佛問舍利弗。如波羅延經阿耆陀難中偈說 種種諸學人 及諸數法人 是人所行法 願為如實說 中云何學人。云何數法人。爾時舍利弗默然。如是三問三默。佛示義端告舍利弗。有生不。舍利弗答。世尊有生。有生者欲為滅。有為生法故名學人。以智慧得無生法故。名數法人。是經此中應廣說。』 |
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問曰。如經中說。行六波羅蜜三十七品十力四無所畏等諸法得一切智。何以故。此中說但用道種智得一切智。 |
問うて曰く、経中に、『六波羅蜜、三十七品、十力、四無所畏等の諸法を行じて、一切智を得』、と説けるが如くんば、何を以っての故に、此の中には、『但だ道種智を用いて、一切智を得』、と説く。 |
問い、
『経』中に、こう説く通りならば、――
『六波羅蜜、三十七品、十力、四無所畏』等の、
『諸の法を行って!』、
『一切智』を、
『得る!』、と。
何故、
此の中には、こう説くのですか?――
但だ、
『道種智を用いて!』、
『一切智』を、
『得る!』、と。
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参考:『摩訶般若波羅蜜経巻21方便品』:『是菩薩摩訶薩如般若波羅蜜所說當學。如禪波羅蜜所說當學乃至如檀波羅蜜所說當學。是菩薩摩訶薩當得一切智。』 |
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答曰。汝所說六波羅蜜等即是道。知是道行是道。得一切智何所疑。 |
答えて曰く、汝が所説の六波羅蜜等は、即ち是れ道なり。是の道を知り、是の道を行きて、一切智を得るに、何んが疑う所ぞ。 |
答え、
お前の説いた、
『六波羅蜜』が、
即ち、
『道である!』。
是の、
『道を知り!』、
是の、
『道を行って!』、
『一切智』を、
『得る!』のに、
何故、
『疑わしいのか?』。
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復次初發心。乃至坐道場。於其中間一切善法。盡名為道。此道中分別思惟而行。是名道智。如此經後說道智是菩薩事。 |
復た次ぎに、初発心、乃至道場に坐するまでの、其の中間に於いて、一切の善法を、尽く名づけて、道と為す。此の道中に、分別し思惟して、行う、是れを道智と名づく。此の経の後に、『道智は、是れ菩薩事なり』、と説くが如し。 |
復た次ぎに、
『初発心、乃至道場に坐るまで!』の、
其の、
此の、
『道』中に、
『分別、思惟して!』、
『行くこと!』、
是れを、
『道智』と、
『称する!』。
例えば、
此の、
『経の後』に、こう説く通りである、――
『道智』は、
『菩薩の事である!』、と。
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参考:『摩訶般若波羅蜜経巻5広乗品』:『復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂苦智集智滅智道智盡智無生智法智比智世智他心智如實智。云何名苦智。知苦不生是名苦智。云何名集智。知集應斷是名集智。云何名滅智。知苦滅是名滅智。云何名道智。知八聖道分是名道智。云何名盡智。知諸婬恚癡盡是名盡智。云何名無生智。知諸有中無生是名無生智。云何名法智。知五蔭本事是名法智。云何名比智。知眼無常乃至意觸因緣生受無常是名比智。云何名世智。知因緣名字是名世智。云何名他心智。知他眾生心是名他心智。云何名如實智。諸佛一切種智是名如實智。須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故。』
参考:『摩訶般若波羅蜜経巻21三慧品』:『佛告須菩提。薩婆若是一切聲聞辟支佛智。道種智是菩薩摩訶薩智。一切種智是諸佛智。』 |
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問曰。佛道事已備故不名道智。阿羅漢辟支佛諸功德未備。何以不名道智。 |
問うて曰く、仏は、道事已に備わりたるが故に、道智と名づけず。阿羅漢、辟支仏は、諸の功徳未だ備わらざるに、何を以ってか、道智と名づけざる。 |
問い、
『仏』には、
已に、
『道の事』が、
『備わっている!』ので、
是の故に、
『道智』と、
『呼ばないならば!』、
『阿羅漢、辟支仏』には、
未だ、
『諸の功徳』が、
『備わっていない!』のに、
何故、
『道智』と、
『呼ばないのですか?』。
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答曰。阿羅漢辟支佛道。自於所行亦辦。是故不名道智道是行相故。 |
答えて曰く、阿羅漢、辟支仏道は、自ら所行に於いては、亦た辦ぜり。是の故に道智と名づけず。道とは、是れ行相なるが故なり。 |
答え、
『阿羅漢、辟支仏道』も、
自らの、
『行うべき!』所は、
已に、
『辦じている( be accomplished )!』。
是の故に、
『道智』と、
『呼ばれないのである!』が、
何故ならば、
『道』とは、
『行相だからである!』。
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辦(べん):<動詞>[本義]処理/統御/遂行する( handle, manage, do )。為す/行う( do )、創設/経営/管理/運営する(
found, run )、準備する( prepare )、懲罰する( punish )、完成する/成し遂げる( accomplish, achieve
)。 |
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復次此經中說聲聞辟支佛。聲聞中不攝三道故。此中不說佛道大故名為道智。聲聞辟支佛道小故不名道智。 |
復た次ぎに、此の経中に声聞、辟支仏を説くも、声聞中には三道を摂せざるが故に、此の中に説かず。仏道は大なるが故に名づけて、道智と為すも、声聞、辟支仏道は小なるが故に、道智と名づけず。 |
復た次ぎに、
此の、
『経』中には、
『仏、菩薩』以外に、
『声聞、辟支仏』を、
『説く!』が、
『声聞』中には、
『辟支仏、菩薩、仏の三道』を、
『摂しない( not contain )!』が故に、
此の中に、
『説かないのである!』。
又、
『仏の道』は、
『大である!』が故に
『道智』と、
『呼ばれる!』が、
『声聞、辟支仏の道』は、
『小である!』が故に、
『道智』と、
『呼ばれない!』。
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復次菩薩摩訶薩。自行道亦示眾生各各所行道。以是故說名菩薩行道智得一切智。 |
復た次ぎに、菩薩摩訶薩は、自ら道を行い、亦た衆生に各各所行の道を示す。是を以っての故に説かく、『菩薩と名づくるは、道智を行じて、一切智を得』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩摩訶薩』は、
自ら、
『道を行いながら!』、
亦た、
『衆生』にも、
各各の、
『行うべき道』を、
『示す!』ので、
是の故に、こう説くのである、――
『菩薩とは!』、
『道智を行って!』、
『一切智』を、
『獲得する者である!』、と。
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問曰。何等是一切智所知一切法。 |
問うて曰く、何等か、是れ一切智の所知の一切法なる。 |
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答曰。如佛告諸比丘。為汝說一切法。何等是一切法。所謂眼色耳聲鼻香舌味身觸意法。是十二入名一切法。 |
答えて曰く、仏の諸の比丘に告げたまえるが如し、『汝が為に一切法を説かん。何等か、是れ一切法なる。謂わゆる眼色、耳声、鼻香、舌味、身触、意法にして、是の十二入を一切法と名づく』、と。 |
答え、
例えば、
『仏』は、
『諸の比丘』に、こう告げられている、――
お前の為に、
『一切法』を、
『説こう!』。
『一切法』とは、何のようなものか?――
謂わゆる、
『眼、色、耳、声、鼻、香、舌、味、身、触、意、法であり!』、
是の、
『十二入』を、
『一切法というのである!』、と。
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復有一切法。所謂名色如佛說利眾經中偈
若欲求真觀 但有名與色
若欲審實知 亦當知名色
雖癡心多想 分別於諸法
更無有異事 出於名色者 |
復た一切法有り。謂わゆる名色なり。仏の、利衆経中の偈に説きたまえるが如し、
若し真を求めて観んと欲せば、但だ名と色と有るのみ
若し実を審かに知らんと欲せば、亦た当に名色を知るべし
疑心多想なりと雖も、諸法を分別すれば
更に異事の、名色を出づる者の有ること無し、と。
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復た、
『一切法が有り!』、
謂わゆる、
『名色( mental and material existence )である!』。
例えば、
『仏』は、
『利衆経中の偈』に、こう説かれている、――
若し、
『真を求めて!』、
『観ようとしても!』、
但だ、
『名と、色と!』が、
『有るだけだ!』。
若し、
『実を審らかにして!』、
『知ろうとしても!』、
亦た、
『名と、色と!』を、
『知ることになる!』。
『癡心』には、
『想が多い!』が、
諸の、
『法』を、
『分別すれば!』、
『名と色を出るような!』、
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名色(みょうしき):名前と形状( name and form )、梵語 naama- ruupa, kaaya の訳、名色の名義は、初期ウパニシャッドに於いては、有らゆる万有の物理的現象の意味に用いられてきたが、仏教に於いては、心と身、或いは精神と肉体との存在を示唆している( the term 'name and form' was used in the early Upaniṣads to denote all of the physical phenomena in the universe, but in Buddhism, refers to mind and body, or psycho-physical existence )。それは五つの集合 [五蘊]と訳され 、即ち人は、受、想、行、識を名 naama と為し、及び色 ruupa、形状である( It is interpreted as the five aggregates 五蘊 , i. e., a 'body,' sensation 受, perception 想, volition 行, and consciousness 識 being the 'name' and rūpa 色 the 'form' )。最初の四は心であり、後の一は身である( the first-named four are mental and the last material )。色は、物質としての最小の微粒子として看做され、可触である( Rūpa is described as the minutest particle of matter, that which has resistance );胎児の胚体が名色であり、名付けられるべき何物かである( the embryonic body or fetus is a nāmarūpa, something that can be named )。 |
参考:『増一阿含第8経巻42』:『聞如是。一時。佛在羅閱城迦蘭陀竹園所。與大比丘眾五百人俱。是時。眾多比丘時到。著衣持缽。入羅閱城乞食。是時。眾多比丘便作是念。我等入城乞食。日猶故早。我等可至外道異學。與共論議。是時。眾多比丘便至外道異學所。時。諸外道遙見諸沙門來。各各自謂言。各各寂寞。勿有高聲語言。沙門瞿曇弟子今來此間。然沙門之法。稱譽寂寞之人。令知我等正法。不亂有亂。爾時。眾多比丘便至外道異學所。共相問訊。在一面坐。爾時。外道問諸比丘。汝等。沙門瞿曇與諸弟子說此妙法。是諸比丘盡解一切諸法而自遊戲不干。我等亦復與諸弟子說此妙法而自遊戲。我之所說。與汝有何等異。有何差別。說法戒.教一類無異。是時。眾多比丘聞外道異學所說。亦不稱善。復非言惡。即從坐起。各退而去。是時。眾多比丘自相謂言。我等當持此義。往白世尊。若如來有所說者。我當念奉行。爾時。眾多比丘入羅閱城乞食已。還至房中。收攝衣缽。往至世尊所。頭面禮足。住在一面。爾時。眾多比丘以此緣本。盡向如來說之。爾時。世尊告諸比丘。彼外道異學問此義已。汝等應持此語報之。一論.一義.一演。乃至十論.十議.十演。說此語時有何等義。設汝持此語往問者。彼人則不能報之。彼外道異學遂增愚惑。所以然者。非彼所有境界。是故。比丘。我不見天及人民.魔.若魔天.釋.梵天王能報此語者。除如來及如來弟子從吾聞者。此則不論。一論.一義.一演。我雖說此義。由何故而說乎。一切眾生由食而存。無食則死。彼比丘平等厭患。平等解脫。平等觀察。平等分別其義。平等盡苦際。同一義而不二。我所說者。正謂此耳。一義.一論.一演。乃至十論.十義.十演。我雖說此義。由何說乎。名與色。彼何等謂名。所謂痛.想.念.更.思惟。是謂名也。彼云何名為色耶。四大及四大所造色。是謂名為色。以此緣本。故名為色也。二論.二義.二演者。由此因緣故。我今說之。若比丘平等厭患。平等解脫。平等觀察。平等分別其義。平等盡其苦際。三論.三義.三演。由何等故而說此義乎。所謂三痛。云何為三。所謂苦痛.樂痛.不苦不樂痛。彼云何名為樂痛。所謂心中樂想。亦不分散。是謂名為樂痛。彼云何名為苦痛。所謂心中憒亂而不定一。思惟若干想。是謂名苦痛。彼云何名為不苦不樂痛。所謂心中無苦無樂想。復非一定。復非亂想。亦不思惟法與非法。恒自寂默。心無有記。是故名為不苦不樂痛。是謂三痛。若比丘平等厭患。平等解脫。平等觀察。平等分別其義。平等盡其苦際。我所說三論.三義.三演者。正謂此耳。四義.四論.四演。由何等故復說此義乎。所謂四諦。云何為四。所謂苦.習.盡.道聖諦。彼云何為苦諦。所謂生苦.老苦.病苦.死苦.憂悲惱苦.怨憎會苦.恩愛別苦.所欲不得苦。彼云何名為習諦。所謂愛本與欲相應者。是謂名為習諦。彼云何名為苦盡諦。所謂彼愛永盡無餘。更不復生。是謂名苦盡諦。彼云何名為苦要諦。所謂賢聖八品道。正見.正治.正語.正命.正業.正方便.正念.正三昧。是名為八品之道也。若比丘平等厭患。平等解脫。平等分別其義。平等觀察。平等盡其苦際。是謂四論.四義.四演。我所說者。正謂此耳。五論.五義.五演。我今所說由何等故說。所謂五根。云何為五。信根.精進根.念根.定根.慧根。云何名為信根。所謂賢聖弟子。信如來道法。彼如來.至真.等正覺.明行成為.善逝.世間解.無上士.道法御.天人師。號佛.眾祐。出現於世。是謂名為信根。彼云何名為精進根。所謂身心意并勤勞不倦。滅不善法。使善增益。順心執持。是謂名為精進根。彼云何名為念根。所謂念根者。所誦不忘。恒在心懷。總持不失。有為.無漏之法。終不忘失。是謂名為念根。彼云何名為定根。所謂定根者。心中無錯亂。無若干想。恒專精一意。是謂名為三昧根。彼云何名智慧根。所謂知苦.知習.知盡.知道。是謂名智慧之根。此名五根也。比丘於中平等解脫。平等分別其義。平等盡其苦際。五論.五義.五演。我所說者。正謂此耳。六論.六義.六演。我所說者由何等故乎。所謂六重之法也。云何為六。於是。比丘恒身行慈心。若在閑淨室中。常若一心。可尊可貴。恒與和合。是謂比丘第一重法。復次。口行慈心。終無虛妄。可敬可貴。是謂第二重法。復次。意行慈。不起憎嫉。可敬可貴。是謂第三重法。復次。若得法利之養。缽中遺餘。與諸梵行之人等心施與。是謂第四重法可敬可貴。復次。奉持禁戒。無所脫失。賢人之所貴。是謂第五重法可敬可貴。復次。正見賢聖得出要。得盡苦際。意不錯亂。與諸梵行之人等修其行。是謂第六之法可敬可貴。爾時。比丘平等厭患。平等解脫。平等分別其義。平等盡於苦際。六論.六義.六演。我所說者。正謂此耳。身。所謂天及人也。或有眾生。若干種身一想。所謂梵迦夷天最初出時。或有眾生。一想一身。所謂光音天是也。或有眾生。一身若干想。所謂遍淨天是也。或有眾生。空處無量。所謂空處天是也。或有眾生。識處無量。所謂識處天是也。或有眾生。無所有處無量。所謂不用處天是也。或有眾生。有想無想處無量。所謂有想無想天是也。是謂。比丘。七神止處。於是。比丘平等解脫。乃至平等盡於苦際。七論.七義.七演。我所說者。正謂此耳。八論.八義.八演。我所說者由何等故而說此乎。所謂世間八法是隨世迴轉。云何為八。利.衰.毀.譽.稱.譏.苦.樂。是謂世間八法隨世迴轉。若比丘於中平等解脫。乃至盡於苦際。八論.八義.八演。我所說者。正謂此耳。九論.九義.九演。我所說者由何故而說此乎。所謂九眾生居處。云何為九。若有眾生。若干種身。所謂天及人。或有眾生。若干種身一想。謂梵迦夷天最初出時是也。或有眾生。一想一身。所謂光音天是也。或有眾生。一身若干想。所謂遍淨天也。或有眾生。空處無量。所謂空處天是也。或有眾生。識處無量。所謂識天也。或有眾生。無有處無量。所謂不用處天是也。或有眾生。有想無想處無量。所謂有想無想天是也。無想眾生及諸所生之類。為九神止處。於是。比丘平等解脫。乃至盡於苦際。九論.九義.九演。我所說者。正謂此耳。十論.十義.十演。由何等說乎。所謂十念。念佛.念法.念比丘僧.念戒.念施.念天.念休息.念安般.念身.念死。是謂十念。若比丘平等解脫。乃至盡於苦際。十論.十義.十演。如是。比丘。從一至十。比丘當知。若外道異學聞此語者。猶不能熟視顏色。況欲報之。其有比丘解此義者。於現法中最尊第一之人。若復比丘.比丘尼思惟此義。乃至十歲。必成二果。若阿羅漢.若阿那含。比丘且捨十歲。若一年之中思惟此義者。必成二果。終無中退。比丘且捨一年。其四部之眾十月。若至一月思惟此義者。必成二果。亦不中退。且捨一月。若四部之眾七日之中思惟此義。必成二果。終不有疑。爾時。阿難在世尊後。執扇扇佛。爾時。阿難白佛言。世尊。此法極為甚深。若所在方面有此法者。當知便遇如來。唯然。世尊。此法名何等。當云何奉行。佛告阿難。此經名為十法之義。當念奉行。爾時。阿難及諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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復次一切法。所謂色無色法。可見不可見。有對無對。有漏無漏。有為無為。心非心。心相應非心相應。共心生不共心生。隨心行不隨心行。從心因不從心因。如是等無量二法門攝一切法。如阿毘曇攝法品中說。 |
復た次ぎに、一切法とは、謂わゆる色、無色法にして、可見、不可見、有対、無対、有漏、無漏、有為、無為、心、非心、心相応、非心相応、共心生、不共心生、随心行、不随心行、従心因、不従心因、是れ等の如き無量の二法門に一切法を摂すること、阿毘曇摂法品中に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『色、無色の法であり!』、
『可見法と、不可見法』、
『有対法と、無対法』、
『有漏法と、無漏法』、
『有為法と、無為法』、
『心法と、非心法』、
『心相応法と、非心相応法』、
『共心生法と、不共心生法』、
『随心行法と、不随心行法』、
『従心因法と、不従心因法』、
是れ等のような、
『無量の二法の門』に、
『一切法』を、
『摂するのであり!』、
例えば、
『阿毘曇』の、
『摂法品』中に、
『説かれた通りである!』。
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参考:『品類足論巻5辯摂等品』:『有所知法。所識法。所通達法。所緣法。增上法。有色法無色法。有見法。無見法。有對法。無對法。有漏法。無漏法。有為法。無為法。有諍法。無諍法。世間法。出世間法。墮界法。不墮界法。有味著法。無味著法。耽嗜依法。出離依法。心法。非心法。心所法。非心所法。心相應法。心不相應法。心俱有法。非心俱有法。隨心轉法。非隨心轉法。心為因法。非心為因法。心為等無間法。非心為等無間法。心為所緣法。非心為所緣法。心為增上法。非心為增上法。心果法。非心果法。心異熟法。非心異熟法。業法。非業法。業相應法。業不相應法。業俱有法。非業俱有法。隨業轉法。非隨業轉法。業為因法。非業為因法。業為等無間法。非業為等無間法。業為所緣法。非業為所緣法。業為增上法。非業為增上法。業果法。非業果法。業異熟法。非業異熟法。有法。非有法。有相應法。有不相應法。有俱有法。非有俱有法。隨有轉法。非隨有轉法。有為因法。非有為因法。有為等無間法。非有為等無間法。有為所緣法。非有為所緣法。有為增上法。非有為增上法。有果法。非有果法。有異熟法。非有異熟法。所遍知法。非所遍知法。所應斷法。非所應斷法。所應修法。非所應修法。所應證法。非所應證法。所應習法。非所應習法。有罪法。無罪法。黑法。白法。有覆法。無覆法。順退法。非順退法。有記法。無記法。已生法。非已生法。正生法。非正生法。已滅法。非已滅法。正滅法。非正滅法。緣起法。非緣起法。緣已生法。非緣已生法。因法。非因法。有因法。非有因法。因已生法。非因已生法。因相應法。因不相應法。結法。非結法。順結法。非順結法。取法。非取法。有執受法。無執受法。順取法。非順取法。煩惱法。非煩惱法。染污法。不染污法。雜染法。非雜染法。纏法。非纏法。所纏法。非所纏法。順纏法。非順纏法。有所緣法。無所緣法。有尋法。無尋法。有伺法。無伺法。有喜法。無喜法。有警覺法。無警覺法。有事法。無事法。有緣法。無緣法。有上法。無上法。遠法。近法。有量法。無量法。見法。非見法。見處法。非見處法。見相應法。見不相應法。異生法法。非異生法法。共異生法。不共異生法。定法。非定法。順熱惱法。非順熱惱法。根法。非根法。聖諦所攝法。非聖諦所攝法。俱有法。非俱有法。相應法。不相應法。果法。非果法。有果法。無果法。異熟法。非異熟法。有異熟法。無異熟法。因緣法。非因緣法。有因緣法。無因緣法。離法。非離法。有離法。無離法。相續法。非相續法。有相續法。無相續法。』 |
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復次一切法。所謂善法不善法無記法。見諦所斷思惟所斷不斷法。有報法無報法。非有報非無報法。如是等無量三法門攝一切法。 |
復た次ぎに、一切法とは謂わゆる善法と不善法と無記法、見諦所断と思惟所断と不断法、有報法と無報法と非有報非無報法、是れ等の如き無量の三法の門に一切法を摂す。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『善法と、不善法と、無記法』、
『見諦所断の法と、思惟所断の法と、不断の法』、
『有報の法と、無報の法と、非有報非無報の法』、
是れ等のような、
『無量の三法の門』に、
『一切法』を、
『摂する!』。
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参考:『品類足論巻5辯摂等品』:『有三法。謂善法。不善法。無記法。學法。無學法。非學非無學法。見所斷法。修所斷法。非所斷法。見所斷為因法。修所斷為因法。非所斷為因法。有見有對法。無見有對法。無見無對法。異熟法。異熟法法。非異熟非異熟法法。劣法中法妙法。小法大法無量法。可意法。不可意法。非可意非不可意法。樂俱行法。苦俱行法。不苦不樂俱行法。俱生法。俱住法。俱滅法。非俱生法。非俱住法。非俱滅法。心俱生法。心俱住法。心俱滅法。非心俱生法。非心俱住法。非心俱滅法。有三界。謂欲界恚界害界。復有三界。謂出離界無恚界無害界。復有三界。謂欲界色界無色界。復有三界。謂色界無色界滅界。有三有。謂欲有色有無色有。有三漏。謂欲漏有漏無明漏。有三世。謂過去世未來世現在世。有三言依事。謂過去言依事。未來言依事。現在言依事。有三苦性。謂苦苦性壞苦性行苦性。有三法。謂有尋有伺法。無尋唯伺法。無尋無伺法。有三地。謂有尋有伺地。無尋唯伺地。無尋無伺地。有三業。謂身業語業意業。復有三業。謂善業不善業。無記業。復有三業。謂學業無學業非學非無學業。復有三業。謂見所斷業。修所斷業。非所斷業。復有三業。謂順現法受業。順次生受業。順後次受業。復有三業。謂順樂受業。順苦受業。順不苦不樂受業』 |
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復次一切法。所謂過去法未來法現在法。非過去未來現在法。欲界繫法色界繫法無色界繫法不繫法。從善因法。從不善因法從無記因法。從非善非不善非無記因法。有緣緣法無緣緣法。有緣緣亦無緣緣法。非有緣緣非無緣緣法。如是等無量四法門攝一切法。 |
復た次ぎに、一切法とは謂わゆる過去法と未来法と現在法と非過去未来現在法、欲界繋法と色界繋法と無色界繋法と不繋法、従善因法と従不善因法と従無記因法と従非善非不善非無記因法、有縁縁法と無縁縁法と有縁縁亦無縁縁法と非有縁縁非無縁縁法、是れ等の如き無量の四法の門に一切法を摂す。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『過去法と、未来法と、現在法と、非過去未来現在法』、
『欲界繋法と、色界繋法と、無色界繋法と、不繋法』、
『従善因法と、従不善因法と、従無記因法と、従非善非不善非無記因法』、
『有縁縁法と、無縁縁法と、有縁縁亦無縁縁法と、非有縁縁非無縁縁法』、
是れ等のような、
『無量の四法の門』に、
『一切法』を、
『摂する!』。
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参考:『品類足論巻5辯摂等品』:『有四念住。謂身念住。受念住。心念住。法念住。有四正斷。謂為令已生惡不善法得永斷故。勤修正斷。為令未生惡不善法永不生故。勤修正斷。為令未生善法生故。勤修正斷。為令已生善法堅住不忘修滿倍復增廣智作證故。勤修正斷。有四神足。謂欲三摩地斷行成就神足。勤三摩地斷行成就神足。心三摩地斷行成就神足。觀三摩地斷行成就神足。有四靜慮。謂初靜慮。第二靜慮。第三靜慮。第四靜慮。有四聖諦。謂苦聖諦。集聖諦。滅聖諦。道聖諦。有四無量。謂慈無量。悲無量。喜無量。捨無量。有四無色。謂空無邊處。識無邊處。無所有處。非想非非想處。有四聖種。謂隨所得衣喜足聖種。隨所得食喜足聖種。隨所得臥具喜足聖種。樂斷樂修聖種。有四沙門果。謂預流果一來果不還果阿羅漢果。有四智。謂法智類智他心智世俗智。復有四智。謂苦智集智滅智道智。有四無礙解。謂法無礙解。義無礙解。詞無礙解。辯無礙解。有四緣。謂因緣。等無間緣。所緣緣。增上緣。有四食。謂段食若麤若細。觸食意思食識食。有四瀑流。謂欲瀑流。有瀑流。見瀑流。無明瀑流。有四軛。謂欲軛有軛見軛無明軛。有四取。謂欲取見取戒禁取我語取。有四法。謂過去法未來法現在法。非過去非未來非現在法。復有四法。謂欲界繫法。色界繫法。無色界繫法。不繫法。復有四法。謂善為因法。不善為因法。無記為因法。非善為因非不善為因非無記為因法。復有四法。謂緣有所緣法。緣無所緣法。緣有所緣緣無所緣法。非緣有所緣非緣無所緣法』 |
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復次一切法。所謂色法心法心數法。心不相應諸行法。無為法四諦及無記無為。如是等無量五法門攝一切法。 |
復た次ぎに、一切法とは謂わゆる色法と心法と心数法と心不相応諸行法と無為法、四諦及び無記無為、是れ等の如き無量の五法の門に一切法を摂す。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『色法と、心法と、心数法と、心不相応諸行法と、無為法』、
『四諦の法と、無記の無為法』、
是れ等のような、
『無量の五法の門』に、
『一切法』を、
『摂する!』。
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参考:『品類足論巻5辯摂等品』:『有五蘊。謂色蘊受蘊想蘊行蘊識蘊。有五取蘊。謂色取蘊受取蘊想取蘊行取蘊識取蘊。有五趣。謂捺落迦趣傍生趣鬼趣人趣天趣。有五煩惱部。謂見苦所斷煩惱部。見集所斷煩惱部。見滅所斷煩惱部。見道所斷煩惱部。修所斷煩惱部。有五法。謂色法心法心所法。心不相應行法。無為法。』 |
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復次一切法。所謂五眾及無為苦諦所斷法。集諦滅諦道諦思惟所斷法不斷法。如是等無量六法門攝一切法。七八九十等諸法門。是阿毘曇分別義。 |
復た次ぎに、一切法とは謂わゆる五衆及び無為、苦諦所断の法と集諦と滅諦と道諦と思惟所断の法と不断の法、是れ等の如き無量の六法の門に一切法を摂す。七、八、九、十等の諸法の門、是れ阿毘曇分別の義なり。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『五衆の諸法と、無為法』、
『苦諦所断の法と、集諦、滅諦、道諦、思惟所断の法と、不断の法』、
是れ等のような、
『無量の六法の門』に、
『一切法』を、
『摂する!』、
亦た、
『七、八、九、十等の諸法の門』にも、
是のように、
『一切法』を、
『摂する!』が、
是れは、
『阿毘曇の分別する!』、
『義である!』。
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参考:『品類足論巻5辯摂等品』:『有六界。謂地界水界火界風界空界識界。有六法。謂見苦所斷法。見集所斷法。見滅所斷法。見道所斷法。修所斷法。非所斷法。有七隨眠。謂欲貪隨眠。瞋隨眠。有貪隨眠。慢隨眠。無明隨眠。見隨眠。疑隨眠。有七識住。謂有色有情身異想異。如人一分天。是初識住。有色有情身異想一。如梵眾天劫初時。是第二識住。有色有情身一想異。如極光淨天。是第三識住。有色有情身一想一。如遍淨天。是第四識住。無色有情超一切色想。滅有對想不思惟種種想入無邊空。空無邊處具足住。如空無邊處天。是第五識住。無色有情超一切空無邊處入無邊識。識無邊處具足住。如識無邊處天。是第六識住。無色有情超一切識無邊處入無所有。無所有處具足住。如無所有處天。是第七識住。有七覺支。謂念等覺支。擇法等覺支。精進等覺支。喜等覺支。輕安等覺支。定等覺支。捨等覺支。有八解脫。謂有色觀諸色。是初解脫。內無色想觀外色。是第二解脫。淨解脫身作證具足住。是第三解脫。超一切色想滅有對想不思惟種種想。入無邊空。空無邊處具足住。是第四解脫。超一切空無邊處入無邊識。識無邊處具足住。是第五解脫。超一切識無邊處入無所有。無所有處具足住。是第六解脫。超一切無所有處入非想非非想處具足住。是第七解脫。超一切非想非非想處。入想受滅身作證具足住。是第八解脫。有八勝處。謂內有色想觀外色少。若好顯色。若惡顯色。於彼諸色勝知勝見。具如是想是初勝處。內有色想觀外色多。若好顯色。若惡顯色。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第二勝處。內無色想觀外色少。若好顯色若惡顯色。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第三勝處。內無色想觀外色多。若好顯色。若惡顯色。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第四勝處。內無色想觀外諸色。若青青顯青現青光。猶如烏莫迦華。或如婆羅[病-丙+尼]斯深染青衣。若青青顯青現青光。內無色想觀外諸色。若青青顯青現青光。亦復如是。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第五勝處。內無色想觀外諸色。若黃黃顯黃現黃光。猶如羯尼迦花。或如婆羅[病-丙+尼]斯深染黃衣。若黃黃顯黃現黃光。內無色想觀外諸色。若黃黃顯黃現黃光。亦復如是。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第六勝處。內無色想觀外諸色。若赤赤顯赤現赤光。猶如槃豆時縛迦花。或如婆羅[病-丙+尼]斯深染赤衣。若赤赤顯赤現赤光。內無色想觀外諸色。若赤赤顯赤現赤光。亦復如是。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第七勝處。內無色想觀外諸色。若白白顯白現白光。猶如烏殺斯星。或如婆羅[病-丙+尼]斯極鮮白衣。若白白顯白現白光。內無色想觀外諸色。若白白顯白現白光。亦復如是。於彼諸色勝知勝見。具如是想是第八勝處。有八聖道支。謂正見正思惟正語正業正命正精進正念正定』
参考:『品類足論巻6辯摂等品』:『有九結。謂愛結恚結慢結無明結見結取結疑結嫉結慳結。有九有情居。謂有色有情身異想異。如人及一分天。是初有情居。有色有情身異想一。如梵眾天劫初時。是第二有情居。有色有情身一想異。如極光淨天。是第三有情居。有色有情身一想一。如遍淨天。是第四有情居。有色有情無想無異想。如無想有情天。是第五有情居。無色有情超一切色想。滅有對想。不思惟種種想入無邊空。空無邊處具足住。如空無邊處天。是第六有情居。無色有情超一切空無邊處。入無邊識。識無邊處具足住。如識無邊處天。是第七有情居。無色有情超一切識無邊處入無所有。無所有處具足住。如無所有處天。是第八有情居。無色有情超一切無所有處入非想非非想處具足住。如非想非非想處天。是第九有情居。有十遍處。謂地遍滿一類想。上下傍布無二無量。是初遍處。水遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第二遍處。火遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第三遍處。風遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第四遍處。青遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第五遍處。黃遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第六遍處。赤遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第七遍處。白遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第八遍處。空遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第九遍處。識遍滿一類想。上下傍布無二無量。是第十遍處。有十無學法。謂無學正見正思惟正語正業正命正精進正念正定正勝解正智。有十一法。謂有漏色。無漏色。有漏受。無漏受。有漏想。無漏想。有漏行。無漏行。有漏識。無漏識。及無為法。有十二處。謂眼處色處耳處聲處鼻處香處舌處味處身處觸處意處法處。有十八界。謂眼界色界眼識界。耳界聲界耳識界。鼻界香界鼻識界。舌界味界舌識界。身界觸界身識界。意界法界意識界。有二十二根。謂眼根耳根鼻根舌根身根。女根男根命根意根。樂根苦根喜根憂根捨根。信根精進根念根定根慧根。未知當知根已知根具知根。有九十八隨眠。謂欲界繫三十六。色界繫三十一。無色界繫三十一如前說。』 |
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復次一切法。所謂有法無法。空法實法。所緣法能緣法。聚法散法等。 |
復た次ぎに、一切法とは、謂わゆる有法と無法、空法と実法、所縁法と能縁法、聚法と散法等なり。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『有法と、無法』、
『空法と、実法』、
『所縁の法と、能縁の法』、
『聚法と、散法等である!』。
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復次一切法。所謂有法無法。亦有亦無法。空法實法。非空非實法。所緣法能緣法。非所緣非能緣法。 |
復た次ぎに、一切法とは、謂わゆる有法と無法と亦有亦無の法、空法と実法と非空非実の法、所縁の法と能縁の法と非所縁非能縁の法なり。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『有法と、無法と、亦有亦無の法』、
『空法と、実法と、非空非実の法』、
『所縁の法と、能縁の法と、非所縁非能縁の法である!』。
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復次一切法。所謂有法無法。亦有亦無法。非有非無法。空法不空法。空不空法非空非不空法。生法滅法生滅法。非生非滅法。不生不滅法。非不生非不滅法。不生不滅亦非不生非不滅法。非不生非不滅亦非不不生亦非不不滅法。 |
復た次ぎに、一切法とは、謂わゆる有法と無法と亦有亦無の法と非有非無の法、空法と不空の法と空不空の法と非空非不空の法、生法と滅法と生滅の法と非生非滅の法、不生不滅の法と非不生非不滅の法と、不生不滅亦非不生非不滅の法と、非不生非不滅亦非不不生亦非不不滅の法なり。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
謂わゆる、
『有法と、無法と、亦有亦無の法と、非有非無の法』、
『空法と、不空法と、空不空の法と、非空非不空の法』、
『生法と、滅法と、生滅の法と、非生非滅の法』、
『不生不滅の法と、非不生非不滅の法と、不生不滅亦非不生非不滅の法と、非不生非不滅亦非不不生亦非不不滅の法である!』。
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復次一切法。所謂有法無法有無法非有非無法捨是四句。法空不空生滅不生不滅五句皆亦如是。如是等種種無量阿僧祇法門所攝諸法。以是無礙智慧。盡遍知上諸法。名為一切智一切種智。 |
復た次ぎに、一切法とは、謂わゆる有法と無法と有無の法と非有非無の法と是の四句を捨つる法、空と不空と生と滅と不生不滅の五句も皆亦た是の如く、是れ等の如き種種、無量、阿僧祇の法門の所摂の諸法なり。是の無礙の智慧を以って、尽く遍く、上の諸法を知るを名づけて、一切智、一切種智と為す。 |
復た次ぎに、
『一切法』とは、
『有法と、無法と、有無の法と、非有非無の法と、是の四句を捨てた法』や、
『空と、不空と、生と、滅と、不生不滅の五句の法』も、
皆、
亦た、
是の通りであり、
是れ等のような、
『種種、無量、阿僧祇の法門に摂する!』、
『諸の法である!』。
是の、
『無礙の智慧を用いて!』、
上の、
『諸法』を、
『尽く、遍く!』、
『知れば!』、
是れを、
『一切智、一切種智』と、
『称する!』。
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問曰。一切眾生皆求智慧。云何獨佛一人得一切智。 |
問うて曰く、一切の衆生は、皆智慧を求むるに、云何が独り仏一人のみ、一切智を得るや。 |
問い、
一切の、
『衆生』は、
皆、
『智慧』を、
『求めている!』のに、
何故、
『仏、一人のみ!』が、
独り、
『一切智』を、
『得るのですか?』。
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答曰。佛於一切眾生中第一故。獨得一切智。如佛所說。無足二足四足多足。有色無色有想無想非有想非無想等。一切眾生中佛最第一。譬如須彌山於眾山中自然最第一。如四大中火最有力能照能燒。佛亦如是。於一切眾生中。最第一故得一切智。 |
答えて曰く、仏は一切の衆生中に於いて第一なるが故に、独り一切智を得。仏の所説の如きには、『無足、二足、四足、多足、有色、無色、有想、無想、非有想非無想等の一切の衆生中に仏は最も第一なり』、となり。譬えば須弥山の衆山中於いて自然に最も第一なるが如く、四大中に火最も力有りて、能く照らし、能く焼くが如く、仏も亦た是の如く、一切の衆生中に於いて最も第一なるが故に、一切智を得たもう。 |
答え、
『仏』は、
一切の、
『衆生』中の、
『第一である!』が故に、
独り、
『一切智』を、
『得られたのである!』。
例えば、
『仏』は、こう説かれているが、――
『無足、二足、四足、多足、有色、無色、有想、無想、非有想非無想』等の、
一切の、
『衆生』中に、
『仏』は、
『最も第一である!』、と。
譬えば、
『須弥山』が、
『衆山』中に、
『自然に!』、
『最も第一であるように!』、
『四大』中には、
『火』が、
『最も有力であり!』、
『照らしたり、焼いたりできるように!』、
亦た、
『仏』も、
是のように、
一切の、
『衆生中に最も第一である!』が故に、
『一切智』を、
『得られたのである!』。
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参考:『雑阿含第882経巻31』:『如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。爾時。世尊告諸比丘。譬如百草藥木。皆依於地而得生長。如是種種善法。皆依不放逸為本。如上說。乃至涅槃。譬如黑沈水香是眾香之上。如是種種善法。不放逸最為其上。譬如堅固之香。赤栴檀為第一。如是一切善法。一切皆不放逸為根本。如是。乃至涅槃。譬如水陸諸華。優缽羅華為第一。如是一切善法。皆不放逸為根本。乃至涅槃。譬如陸地生華。摩利沙華為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。乃至涅槃。譬如。比丘。一切畜生跡中。象跡為上。如是一切諸善法。不放逸最為根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切畜生。師子為第一。所謂畜生主。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切屋舍堂閣。以棟為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。譬如一切閻浮果。唯得閻浮名者。果最為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如是一切俱毘陀羅樹。薩婆耶旨羅俱毘陀羅樹為第一。如是一切善法。不放逸為根本。如上說。乃至涅槃。譬如諸山。以須彌山王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切金。以閻浮提金為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切衣中。伽尸細氎為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切色中。以白色為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如眾鳥。以金翅鳥為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如諸王。轉輪聖王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切天王。四大天王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切三十三天。以帝釋為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如焰摩天中。以宿焰摩天王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如兜率陀天。以兜率陀天王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如化樂天。以善化樂天王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如他化自在天。以善他化自在天子為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如梵天。大梵王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如閻浮提一切眾流皆順趣大海。其大海者最為第一。以容受故。如是一切善法皆順不放逸。如上說。乃至涅槃。譬如一切雨渧皆歸大海。如是一切善法皆順趣不放逸海。如上說。乃至涅槃。譬如一切薩羅。阿耨大薩羅為第一。如是一切善法。不放逸為第一。如上說。乃至涅槃。譬如閻浮提一切河。四大河為第一。謂恒河.新頭.搏叉.司陀。如是一切善法。不放逸為第一。如上說。乃至涅槃。譬如眾星光明。月為第一。如是一切善法。不放逸為第一。如上說。乃至涅槃。譬如諸大身眾生。羅睺羅阿修羅最為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如諸受五欲者。頂生王為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如欲界諸神力。天魔波旬為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切眾生。無足.兩足.四足.多足。色.無色。想.無想。非想.非無想。如來為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如所有諸法。有為.無為。離貪欲為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切諸法眾。如來眾為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。譬如一切所有諸界苦行。梵行聖界為第一。如是一切善法。不放逸為其根本。如上說。乃至涅槃。佛說此經已。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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問曰。佛何以故於一切眾生中獨最第一。 |
問うて曰く、仏は何を以っての故にか、一切の衆生中に於いて、独り最も第一なる。 |
問い、
『仏』は、
何故、
一切の、
『衆生』中に於いて、
『独りだけ!』、
『最も、第一なのですか?』。
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答曰。如先答得一切智故。今當更說。佛自利益亦利益他故。於眾生中最第一。如一切照中日為第一。一切人中轉輪聖王最第一。一切蓮華中青蓮華為第一。一切陸生華須曼色第一。一切木香中牛頭栴檀為第一。一切珠中如意珠為第一。一切諸戒中聖戒為第一。一切解脫中不壞解脫為最第一。一切清淨中解脫為第一。一切諸諦中空觀為第一。一切諸法中涅槃為第一。如是等無量各各第一。佛亦如是。於一切眾生中最為第一故。獨得一切智。 |
答えて曰く、先に、『一切智を得たまえるが故に』、と答うるが如きも、今、当に更に説くべし、仏は、自ら利益して、亦た他を利益するが故に、衆生中に於いて最も第一なること、一切の照中には、日を第一と為し、一切の人中には、転輪聖王を最も第一、一切の蓮華中には青蓮華を第一と為し、一切の陸生の華には、須曼の色を第一、一切の木香中には、牛頭栴檀を第一と為し、一切の珠中には、如意珠を第一と為し、一切の諸戒中には、聖戒を第一と為し、一切の解脱中には、不壊解脱を最も第一と為し、一切の清浄中には、解脱を第一と為し、一切の諸諦中には、空観を第一と為し、一切の諸法中には涅槃を第一と為す、是れ等の如き無量は各各第一なるが如く、仏も亦た是の如く、一切の衆生中に於いて最も第一と為すが故に、独り、一切智を得たまえり。 |
答え、
先に、
『一切智を得られたからである!』と、
『答えた通りである!』が、
今、
更に、説かねばならないだろう、――
『仏』は、
『自ら利益して!』、
亦た、
『他をも!』、
『利益する!』が故に、
『衆生』中に於いて、
『最も!』、
『第一である!』が、
例えば、
一切の、
一切の、
『人』中には、
『転輪聖王』が、
『最も第一であり!』、
一切の、
『蓮華』中には、
『青蓮華』が、
『第一であり!』、
一切の、
『陸生の華』中には、
『須曼の色』が、
『第一であり!』、
一切の、
『木香』中には、
『牛頭栴檀』が、
『第一であり!』、
一切の、
『珠』中には、
『如意珠』が、
『第一であり!』、
一切の、
『諸戒』中には、
『聖戒』が、
『第一であり!』、
一切の、
『解脱』中には、
『不壊解脱』が、
『最も第一であり!』、
一切の、
『清浄』中には、
『解脱』が、
『第一であり!』、
一切の、
『諸諦』中には、
『空観』が、
『第一であり!』、
一切の、
『諸法』中には、
『涅槃』が、
『第一であり!』、
是れ等のように、
無量の、
『各各が!』、
『第一であるように!』、
亦た、
『仏』も、
是のように、
一切の、
『衆生』中に於いて、
『最も第一である!』が故に、
独り、
『一切智』を、
『得られたのである!』。
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須曼(しゅまん):花の名。『大智度論巻27上注:蘇摩那華、俱蘇摩』参照。
蘇摩那華(そまなけ):蘇摩那sumanasは梵名。又はsumanaa、巴梨名sumanaa、又蘇磨那、蘇曼那、蘇末那、修摩那、須摩那、須曼那、須末那に作り、好喜、悦意、善称意、好意、善摂意、或いは称意と訳す。肉荳蔲(ニクズク)の一種。学名Rosa glandulifera、又はChrisanthemum indicum等に配せらる。灌木にして黄白の花を開き、甚だ香気あり。「長阿含経巻18」に、「又叢林あり、修摩那と名づく、縦広五十由旬なり」と云い、「新華厳経巻78」に、「譬えば波利質多羅華を一日衣に熏ずるに、薝蔔迦華、婆利師華、蘇摩那華を千歳熏ずと雖も亦た及ぶ能わざるが如し」と云える是れなり。其の語義に関し、「慧苑音義巻下」に、「蘇摩那花は此に悦意花と云う。其の形色倶に媚び、見る者をして心を悦ばしむ、故に之に名づくるなり」と云い、又「翻訳名義集巻8」に、「須曼那は或いは須末那と云い、又蘇摩那と云う。此に善摂意と云い、又称意華と云う。其の色黄白にして極めて香し。樹は大に高きも三四尺に至らず。下に垂るること蓋の如し」と云えり。又「中阿含巻14大善見王経」、「法華経巻6法師功徳品」、「大荘厳論経巻2」、「法華経義疏巻11」、「玄応音義巻3、21」、「慧琳音義巻12、26」、「翻梵語巻10」等に出づ。<(望)
俱蘇摩(くそま):梵名kusuma、巴梨語同じ。又拘蘇摩、拘藪摩に作る。華と訳す。即ち華の通称なり。「慧苑音義巻上」に、「此の一名に通あり、別あり。謂わく但だ果木の諸花を通じて拘蘇摩と名づく。又一華あり、独り拘蘇摩と名づく。其の花の大小は銭の如く、色甚だ鮮白に、衆多の細葉を円集して共に成ず。状は此の方の白菊花の如し」と云えり。就中、別とは梵名sumanaにして美と訳し、素馨属の植物にして、学名Rosa glandulifera、或いはChrysanthemum indicumと称するものに当れり。又「同巻上」に、「俱蘇摩とは花の名なり、具に俱蘇摩那と云う。俱蘇は此に悦という、摩那は意なり。其の華は色美に気香し、形状端正にして、之を見聞するもの悦意せざるはなし」と云い、又「同巻下」に、「蘇摩那花は此に悦意と云う」と云い、「翻訳名義集巻8」に、「須曼那は或いは須末那と云い、又蘇摩那と云う。此に善摂意と云い、又称意華と云う。其の色は黄白にして極めて香し。樹は大に高きも三四尺に至らず。下に垂るること蓋の如し」と云えり。是れ梵名sumanasにして悦意と訳し、学名Azadirachta indica、或いはGuilandina bonducの植物を指すなり。之に依るに蘇摩那華を呼んで、時に俱蘇摩と称したるを知るべし。又「翻梵語巻10」、「異部宗輪論述記」等に出づ。<(望)
牛頭栴檀(ごづせんだん):香木の名。『大智度論巻2上注:牛頭栴檀』参照。
聖戒(しょうかい):無漏の戒の意。八聖道支中の正語、正命、正業を指す。「中阿含巻58法楽比丘尼経」に、「復た問うて曰わく、賢聖、八支聖道は三聚を摂し、三聚は八支聖道を摂すと為すや。法楽比丘尼答えて曰わく、八支聖道は三聚を摂し、三聚は八支聖道を摂するに非ず。正語、正業、正命、此の三道支は、聖戒聚の摂する所なり。正念、正定、此の二道支は、聖定聚の摂する所、正見、正志、正方便、此の三道支は、聖慧聚の摂する所なり。是れを八支聖道は三聚を摂し、三聚は八支聖道を摂するに非ずと謂う」と云える、即ち是れなり。『大智度論巻18上注:八正道』参照。
不壊解脱(ふえげだつ):又不時解脱とも称す。即ち利根の者が時を待つことなく解脱するの意。『大智度論巻18下注:解脱』参照。 |
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復次佛從初發意。以大誓莊嚴一切衰沒眾生。欲拯濟故盡遍行諸善道。無善不集無苦不行。皆集一切諸佛功德。如是等種種無量因緣故。佛於一切眾生中。獨第一。 |
復た次ぎに、仏は初発意より、大誓を以って荘厳し、一切の衰没の衆生を、拯済せんと欲するが故に、尽く遍く、諸の善道を行じ、善の集めざる無く、苦の行ぜざる無く、皆一切の諸仏の功徳を集めためえば、是れ等の如き種種の無量の因縁の故に、仏は一切の衆生中に於いて独り第一なり。 |
復た次ぎに、
『仏』は、
『初発意より!』、
一切の、
『衰没した!』、
『衆生』を、
『拯済(救済)しようとされた!』が故に、
諸の、
『善道』を、
『尽く、遍く行って!』、
『善』の、
『集めない!』者は、
『無く!』、
『苦行』の、
『行わない!』者は、
『無く!』、
一切の、
是れ等のような、
『種種、無量の因縁』の故に、
『仏』は、
一切の、
『衆生』中に於いて、
『独り!』、
『第一なのである!』。
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問曰。三世十方諸佛亦有是功德。何以故。言佛獨第一。 |
問うて曰く、三世、十方の諸仏にも、亦た是の功徳有り。何を以っての故にか、『仏は、独り第一なり』、と言う。 |
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答曰。除諸佛為餘眾生故。言佛獨第一。諸佛等一切功德。 |
答えて曰く、諸仏を除ける余の衆生の為の故に、『仏は、独り第一なり』、と言えるも、諸仏は、一切の功徳を等しうす。 |
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復次薩婆若多者。薩婆秦言一切若秦言智多秦言相一切如先說。名色等諸法。 |
復た次ぎに、薩婆若多とは、薩婆を秦に一切と言い、若を秦に智と言い、多を秦に相と言う。一切は先に説けるが如く、色等の諸法を名づく。 |
復た次ぎに、
『薩婆若多』とは、
『薩婆( sarva- )』を、
『若( jJa )』を、
『多( -taa )』を、
『一切』とは、
先に説いたように、――
『色』等の、
『諸の法をいう!』。
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薩婆若多(さばにゃた):梵語 sarvajJataa の訳、全知( omniscience )の義。
薩婆(さば):梵語 sarva の訳、有らゆる( of all sorts )、全く/完全に/有らゆる部分が/何処でも( altogether,
wholly, completely, in all parts, everywhere )の義。
若(にゃ):梵語 jJa の訳、知識/知性/魂を持つこと/賢明( knowing, intelligent, having a soul, wise
)の義。
多(た):梵語 taa の訳、[接尾語( in fine compositi or 'at the end of a compound' )として]相/目印/象徴(梵語 lakSmii ≒ a mark, sign, token )の義。 |
参考:『大智度論巻27』:『復有一切法。所謂名色如佛說利眾經中偈 若欲求真觀 但有名與色 若欲審實知 亦當知名色 雖癡心多想 分別於諸法 更無有異事 出於名色者』 |
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佛知是一切法一相異相漏相非漏相作相非作相等一切法。各各相各各力各各因緣各各果報各各性各各得各各失。一切智慧力故。一切世一切種盡遍解知。以是故說欲以道種智具足得一切智。當習行般若波羅蜜。欲以一切智具足一切種智。當習行般若波羅蜜。 |
仏は、是の一切法の一相と異相、漏相と非漏相、作相と非作相等の一切法の各各の相、各各の力、各各の因縁、各各の果報、各各の性、各各の得、各各の失を知る、一切の智慧力の故に、一切世、一切種を尽く、遍く解き知りたまえば、是を以っての故に、『道種智を以って、一切智を具足して得んと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし、一切智を以って、一切種智を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし』、と説きたまえり。 |
『仏』は、
是の、
『一切法』の、
『一相と、異相』、
『漏相と、非漏相』、
『作相と、非作相』等の、
『一切法』の、
『各各の相、力、因縁、果報、性、得、失』を、
『知る!』、
一切の、
『智慧の力』の故に、
『一切世、一切種』を、
尽く遍く、
『理解して!』、
『知っていられる!』ので、
是の故に、こう説かれたのである、――
『道種智を用いて!』、
『一切智』を、
『具足して!』、
『得ようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行すべきである!』。
『一切智を用いて!』、
『一切種智』を、
『具足しようとすれば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行すべきである!』、と。
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問曰。如佛得佛道時。以道智得具足一切智一切種智。今何以言以一切智得具足一切種智。 |
問うて曰く、仏の仏道を得たまえる時の如きは、道智を以って、具足せる一切智、一切種智を得たまえり。今は何を以ってか、『一切智を以って、具足せる一切種智を得』、と言う。 |
問い、
『仏』が、
『仏道を得られた!』時などは、
『道智を用いて!』、
『具足した!』、
『一切智、一切種智』を、
『得られたのである!』。
今は、
何故、こう言うのか?――
『一切智を用いて!』、
『具足した!』、
『一切種智』を、
『得る!』、と。
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答曰。佛得道時。以道智雖具足得一切智得具足一切種智。而未用一切種智。如大國王得位時境土寶藏皆已得。但未開用 |
答えて曰く、仏の道を得たまえる時、道智を以って、具足して一切智を得、具足せる一切種智を得と雖も、未だ一切種智を用いたまわず。大国の王の、位を得る時には、境土、宝蔵を皆已に得たるも、但だ未だ開きて用いざるが如し。 |
答え、
『仏』が、
『道を得られた!』時には、
『道智を用いて!』、
『具足した!』、
『一切智や、一切種智』を、
『得られたのである!』が、
未だ、
『一切種智』は、
『用いられないからである!』。
譬えば、
『大国の王』が、
『位を得た!』時には、
已に、
『境土や、宝蔵』を、
『得ている!』が、
但だ、
未だ、
『開くこともなく!』、
『用いることもないようなものである!』。
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