問曰。摩訶衍中。有菩薩四無礙智不。 |
問うて曰く、摩訶衍中に、菩薩の四無礙智有りや不や。 |
問い、
『摩訶衍』中に、
『菩薩』の、
『四無礙智』は、
『有りますか?』。
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答曰有。何者是。義無礙智者。義名諸法實相不可言說。義名字語言不別異。前後中亦如是。是名義不應離名字語言別有義。三事等故名為義。 |
答えて曰く、有り。何者か、是れなる。義無礙智とは、義を諸法の実相にして、言説すべからずと名づく。義、名字、語言を別異せず、前、後、中も亦た是の如し。是れを義と名づくるに、応に名字、語言を離れて、別に義有るべからず。三事の等しきが故に名づけて、義と為す。 |
答え、
有る!
何のようなものか?――
『義無礙智』とは、
『義』とは、
諸の、
『法の実相であり!』、
『言で!』、
『説くことはできない!』が、
『義と!』、
『名字( 法)と!』、
『語言( 辞)と!』は、
『別異せず!』、
『義、名字、語言』の、
『前、後、中』も、
『同様である!』。
是れを、
『義と称する!』が、
『名字、語言を離れて!』、
『義』が、
『有るのではない!』。
『義、名字、語言』の、
『三事が等しい!』のを、
『義』と、
『称するのである!』。
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復次一切諸法義。了了知通達無滯。是名義無礙智。 |
復た次ぎに、一切の諸法義を、了了と知りて、通達、無滞なる、是れを義無礙智と名づく。 |
復た次ぎに、
一切の、
『諸法の義』を、
『了了として知り!』、
『通達して!』、
『滞らなければ!』、
是れを、
『義無礙智』と、
『称する!』。
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法無礙智者。法名一切義。名字為知義故。 |
法無礙智とは、法を一切の義の名字と名づけ、義を知らんが為の故なり。 |
『法無礙智』とは、
『法』を、
一切の、
『義の名字と称し!』、
『義を知る!』為の、
『故( cause≒根拠 )である!』。
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故(こ):<名詞>[本義] 原因/理由( cause, reason )。事/事情( thing )、事故( accident )、旧友/昔馴染み( old friend )、旧習/因習( outmoded conventions )、先祖( ancestors )、古い事物( the stale )。<形容詞>古い/昔の/前の( ancient, old, former )。<動詞>死ぬ( die )、衰老する( be old and feeble )。<副詞>故意に/わざと/計画的に( deliberately, on purpose )、本来/本より/初めて( first, originally )、本のように/本のままに( still )。<接続詞>此のゆえに/所以に/此れに因って/此の為に( therefor )。 |
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復次菩薩入是法無礙智中。常信法不信人。常依法不依非法。依法者無非法事。何以故是人一切諸名字。及語言知自相離故。 |
復た次ぎに、菩薩は是の法無礙智中に入りて、常に法を信じて、人を信ぜず。常に法に依りて、非法に依らず、法に依れば非法の事無し。何を以っての故に、是の人の一切の諸の名字、及び語言は、自相を離ると知るが故なり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
是の、
『法無礙智中に入って!』、
常に、
常に、
『法に依って!』、
『非法』に、
『依らない!』。
『法に依る!』ので、
『非法の事』が、
『無い!』。
何故ならば、
是の、
『人』が、
一切の、
『諸の名字、語言』は、
『自相を離れている!』と、
『知るからである!』。
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復次以是法無礙智分別三乘。雖分別三乘而不壞法性。所以者何。法性一相所謂無相。是菩薩用是語言說法知語言空。如響相所說法示眾生。令信知同法性。所說名字言語通達無滯。是名法無礙智。 |
復た次ぎに、是の法無礙智を以って、三乗を分別すれば、三乗を分別すと雖も、法性を壊らず。所以は何んとなれば、法性は一相、謂わゆる無相なればなり。是の菩薩は、是の語言を用いて、法を説き、語言の空なること、響の相の如しと知り、所説の法を衆生に示して、信知して法性に同ぜしむ。所説の名字、言語に通達して無滞なる、是れを法無礙智と名づく。 |
復た次ぎに、
是の、
『法無礙智を用いて!』、
『三乗』を、
『分別すれば!』、
『三乗を分別しても!』、
『法性』を、
『壊らない!』。
何故ならば、
『法性』は、
『一相であり!』、
『謂わゆる無相だからである!』。
是の、
『菩薩』は、
是の、
『語言を用いて!』、
『法』を、
『説きながら!』、
『語言』は、
『響の相のように!』、
『空である!』と、
『知り!』、
『語言で説かれた!』、
『法を用いて!』、
『衆生』に、
『示し!』、
『信知させて!』、
『法性』に、
『同じさせる!』が、
是の、
『菩薩』が、
『所説』の、
『名字、言語』に、
『通達していて!』、
『滞らなければ!』、
是れを、
『法無礙智である!』と、
『称する!』。
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辭無礙智者。以語言說名字義。種種莊嚴語言。隨其所應能令得解。 |
辞無礙智とは、語言を以って、名字の義を説き、種種に語言を荘厳し、其の所応に随って、能く解を得しむ。 |
『辞無礙智』とは、
『語言を用いて!』、
『名字の義』を、
『説いたり!』、
種種に、
『語言』を、
『荘厳して!』、
其の、
『衆生に応じて!』、
『理解』を、
『得させることである!』。
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所謂天語龍夜叉揵闥婆阿脩羅迦樓羅摩睺羅伽等非人語。釋梵四天王等世主語人語。一語二語多語略語廣語女語男語過去未來現在語。如是等語言能令各各得解。自語他語無所毀譽。所以者何。是一切法不在語中語是非實義。若語是實義。不可以善語說不善。但為入涅槃故。說令解莫著語言。 |
謂わゆる天語、龍、夜叉、犍闥婆、阿脩羅、迦楼羅、摩睺羅伽等の非人の語、釈、梵、四天王等の世主の語、人語の一語、二語、多語、略語、広語、女語、男語、過去、未来、現在の語なり。是れ等の如き語言を、能く各各をして、解を得しめ、自語、他語に毀誉する所無し。所以は何んとなれば、是の一切の法は語中に在らず、語は是れ実義に非ざればなり。若し語にして、是れ実義ならば、善語を以って、不善を説くべからず。但だ涅槃に入れしめんが為の故に、説いて解せしめ、語言に著すこと莫し。 |
謂わゆる、
『天の語や!』、
『龍、夜叉、犍闥婆、阿脩羅、迦楼羅、摩睺羅伽等の非人の語や!』、
『釈、梵、四天王等の世主の語や!』、
『人語の一語や、二語や、多くの語や!』、
『略語や、広語や!』、
『女語や、男語や!』、
『過去の語や、未来の語や、現在の語や!』、
是れ等のような、
『語言を!』、
各各に、
『理解させ!』、
『自の語にも!』、
『他の語にも!』、
『貶されたり、誉められる!』所が、
『無いことである!』。
何故ならば、
是の、
『一切の法』は、
『語中に在るのではなく!』、
『語』が、
『実義ではないからである!』。
若し、
『語が実義ならば!』、
『善語を用いて!』、
『不善』を、
『説くことはできないだろう!』。
但だ、
『涅槃に入らせる!』為の故に、
『法』を、
『説いて!』、
『理解させるだけで!』、
『語言』に、
『著する!』ことが、
『無いからである!』。
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龍(りゅう):梵語那伽naagaの訳。巴梨名同じ。又曩誐に作り、其の長を龍王、或いは龍神と称す。八部衆の一。多く水中に住して雲を呼び、雨を起すと信ぜられたる蛇形の鬼類を云う。「新華厳経巻43」に、「譬えば難陀、跋難陀、摩那斯龍王及び余の大龍の雨を降らす時の如き、滴は車軸の如くにして辺際あることなく、是の如く雨ふらすと雖も雲終に尽きず。此れは是れ諸龍の無作の境界なり」と云い、「大智度論巻3」に、「復た次ぎに大龍王の大海より出でて大雲を起し、遍く虚空を覆い、大電光を放ちて明に天地を照らし、大洪雨を澍ぎて万物を潤沢するが如し」と云える是れなり。是れ龍は主として大海の中に住し、時に雲雨電光等の事象を現ずるものとなすなり。蓋し諸経論中に龍に関する説話を記載せるもの頗る多く、就中、仏伝中に現るるものを挙ぐれば、「過去現在因果経巻1」、「修行本起経巻上」、「普曜経巻2」、「方広大荘厳経巻3」等に、仏降誕の時、難陀及び優波難陀龍王は虚空の中に在りて清浄水を吐き、一温一凉、以って太子の身に潅げりと云い、「過去現在因果経巻3」、「有部毘奈耶破僧事巻5」等には、尼連禅河中に伽陵伽と名づくる盲龍あり、仏に値いて其の眼開くことを得たりと云い、「仏本行集経巻31」、「有部毘奈耶破僧事巻5」等に、仏菩提樹下より起ちて牟枝噒陀龍王池辺に至り、一樹下に坐して思惟せらるるに、七日洪雨止まず、龍王乃ち出でて仏を七匝し、七頭を以って仏の上を覆い、之を守護せしことを記し、「五分律巻15」、「四分律巻32」、「有部毘奈耶雑事巻21」等には伊羅葉龍王の過去の本縁を説き、「仏本行集経巻1」、「善見律毘婆沙巻2」等には阿波邏羅龍王の帰仏、「増一阿含経巻14」、「太子瑞応本起経巻下」、「過去現在因果経巻4」、「仏本行集経巻40」、「方広大荘厳経巻12」等には、仏が優楼頻螺迦葉教化の時、火神堂中に於いて毒龍を降伏せられたることを敍し、又「大智度論巻14」に、「蘇陀蘇摩王経」を引き、仏の前身たる大力毒龍が身命を惜まずして禁戒を完うせし因縁を載せり。此等の説話は古来喧伝せられたるものにして、現に印度ブハルフートbharhut、サールナートハsaarnaatha、サンチーsanci、アマラーヴァチーamaraavatii及び瓜哇ボロブドールburobudur等の古塔に其の雕刻を存し、多く人身にして蛇形を冠せり。又「正法念処経巻18畜生品」に依るに、龍王は畜生趣の所摂にして、愚癡瞋恚の者此の報を受けて戯楽城に生まるとし、之に法行と非法行の二種あり、法行龍王は七頭にして、之を象面龍王、婆修吉龍王、得叉迦龍王、跋陀羅龍王、盧醯多龍王、鉢摩梯龍王、雲鬘龍王、阿跋多龍王、一切道龍王、鉢婆呵龍王と名づけ、瞋恚の心薄く、福徳を憶念して法行に随順するが故に熱沙の苦を受けず、善心を以って時に雨を降らし、世間の五穀を成熟せしむ。非法行龍王は其の名を波羅摩梯龍王、毘諶林婆龍王、迦羅龍王、睺楼睺羅龍王と云い、法行に順せずして不善を行じ、父母に孝せず、沙門及び婆羅門を敬せざるが故に、彼の城中に於いて常に熱沙の為に焼かれ、又閻浮提に大悪身を現じ、悪雲雨を起し、一切の五穀をして悉く弊悪ならしむと云い、又「長阿含巻18閻浮提州品」に、閻浮提の有らゆる龍王には凡べて三患あることを説き、一に諸龍は皆熱風熱沙を被りて身に著し、皮肉骨髄を焼かるる苦悩あり、二に悪風暴起して其の宮内を吹き、宝飾衣を失いて龍身自現するの苦悩あり、三に宮中に在りて娯楽する時、金翅大鳥来たりて搏撮す。諸龍怖懼して常に熱悩を懐く。唯阿耨達池の龍王のみ此の三患なしと云えり。以って其の種別及び日常の苦患を見るべし。又「長阿含経巻19龍鳥品」には、龍に卵生、胎生、湿生、化生の別あり。次の如く卵胎湿化の四種の金翅鳥の為に食せらると云い、「仏母大孔雀明王経巻上」には、龍王は或いは地上を行くあり、常に空に居るあり、恒に妙高山に依るあり、水中に依止するあり、或いは一首、二頭、乃至多頭の龍王あり、又無足、二足、四足乃至多足の龍王ありと云い、又「法華経巻1序品」等には難陀、跋難陀、娑伽羅、和修吉、徳叉迦、阿那婆達多、摩那斯、優鉢羅の八大龍王来会して聴法せしことを記し、「瑜伽師地論巻2」には、七金山八支徳水中の龍宮に持地、歓喜近喜、馬騾、目支隣陀、意猛、持国、大黒、黳羅葉の八大龍王住することを記し、「仏母大孔雀明王経巻中」には、仏世尊龍王以下小白龍王に至る一百六十余の龍王の名を挙げ、此等は皆福徳龍王にして、若し其の名を称せば大利益を獲得し、且つ彼等は或時は震響し、或時は光明を放ち、或時は甘雨を降らして苗稼を成熟すべきことを説き、「大雲輪請雨経巻上」には、難那龍王乃至尼羯吒龍王の名を挙げ、此等の龍王には各陀羅尼あり、一切衆生の為に安楽を施し、瞻部洲に甘雨を降注して一切の樹木叢林薬草苗稼を増長せしむべしとなし、又「増一阿含経巻18」、「大宝積経巻86大神変会」、「大智度論巻30」等には龍境界不可思議の説を出せり。又「海龍王経巻2授決品」には龍王の子威首、「同巻3女宝錦受決品」には龍王の女宝錦、「同巻4法供養品」には海龍王の授決作仏を説き、「法華経巻4提婆達多品」にも、八歳の龍女南方成仏の事を記せり。又龍王の住所は龍宮と称せられ、「長阿含巻19龍鳥品」に、「大海の水底に娑竭龍王宮あり、縦広八万由旬にして宮牆七重あり、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹周匝厳飾し、皆七宝より成り、乃至無数の鳥相和して鳴くこと亦復た是の如し。須弥山王と佉陀羅山との二山の中間に難陀、婆難陀二龍王宮あり、各各縦広六千由旬にして宮牆七重あり、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹周匝校飾し、七宝を以って成じ、乃至無数の衆鳥相和鳴すること亦復た是の如し」と云い、又「正法念処経巻68身念処品」に、閻浮提の南方軍闍羅山を過ぎて一大海あり、海水の下五百由旬に龍王宮あり、種種の衆宝を以って荘厳し、毘琉璃宝、因陀羅青宝、頗梨の欄楯七宝荘厳し、光明摩尼種種の衆宝を以って殿堂を荘厳し、重閣殿は猶お日光の如く、是の如き無量の宮殿あり、徳叉迦龍王は自業を以っての故に此の宮殿に住すと云えり。又「大方等大集経巻45」に娑伽羅龍王は「日蔵授記大集経」を抄して彼の宮中に置くと云い、「龍樹菩薩伝」に大龍菩薩は龍樹を接して龍宮に入り、七宝蔵を開きて諸の方等深奥の経典を授けたりとし、龍王を以って大乗経典の守護者となすに至れり。按ずるに那伽naagaは蛇の神格化せるものにして、印度神話には之を人面蛇尾の半神となし、其の種族一千あり、迦葉波kazyaapaの婦カッドルkadruの生む所にして、地下或いはパーターラpaataalaに住すとなせり。仏典に記載せらるるものは多く、此等の神話より発達せしものなるべし。又印度には太古以来那伽と名づくる種族あり、非アーリヤン人種にして、現に東北印度アッサムassam地方及び緬甸西北部等に広く散在して龍蛇を崇拜し、多数の種別あり。且つ龍城naagapuraの名は今も尚お各地に存せり。されば龍王教化等の説話は、或いは此等那伽種族の帰仏を意味するやも知るべからずというべし。支那に於いても古くより龍の信仰行われ、「翻訳名義集巻4」に、「那伽は秦に龍と云う。説文に云わく、龍は鱗蟲の長なり、能く幽に能く明に、能く小に能く大に、能く長に能く短なり。春分にして天に登り、秋分にして地に入る、順なりと。広雅に云わく、鱗あるを鮫龍と曰い、翼あるを応龍と曰い、角あるを虬龍と曰い、角なきを螭龍と曰い、まだ天に升らざるを蟠龍と曰う」と云い、且つ頗る龍を尊び、天子を龍に比し、龍顔、龍車、龍座、龍舟等の呼称あり。是れ恐らく支那特有の思想にして、印度と其の起原を異にするものならん。又「中阿含経巻29龍象経」、「大楼炭経巻1」、「因縁僧護経」、「新華厳経巻64、67」、「弘道広顕三昧経」、「大方等大集経巻44」、「菩薩処胎経巻7」、「摩訶僧祇律巻20」、「大智度論巻3、4、12、16」、「立世阿毘曇論巻6」、「大唐西域記巻3、8」、「玄応音義巻23」、「慧琳音義巻9」、「異部宗輪論述記」、「法苑珠林巻6」、「華厳経探玄記巻2」等に出づ。<(望)
夜叉(やしゃ):梵名yakSa。巴梨名yakkha、又藥叉、悦叉、閲叉、野叉に作り、捷疾、軽捷、勇健、能噉、傷者、苦活、祠祭、貴人、或いは威徳と訳す。八部衆の一。即ち地上又は空中等に住し、威勢ありて人を悩害し、或いは正法を守護する鬼類を云う。「長阿含巻12大会経」に、「北方の天王を毘沙門と名づく、諸の悦叉衆を領す」と云い、「大毘婆沙論巻133」に、「山頂(須弥山)の四角に各一峯あり、其の高広の量各五百なり。藥叉神あり、金剛手と名づく。中に於いて止住して諸天を守護すと云えり。是れ夜叉は毘沙門天王の所領にして、忉利天等に在りて諸天を守護することを説けるものなり。其の種類に関しては、「大智度論巻12」に地行、虚空、宮殿飛行の三種ありとし、地行夜叉は常に種種の歓楽音楽飲食を得、虚空夜叉は大力ありて至る所風の如く、宮殿飛行夜叉は種種の娯楽便身の物ありと云い、「注維摩詰経巻1」にも羅什の説を挙げ、夜叉に三種あり、一は地に在り、二は虚空に在り、三は天夜叉なり。地夜叉は但だ財施を以っての故に空を飛ぶこと能わず、天夜叉は車馬を施したるを以って能く飛行すと云い、又「順正理論巻31」に、「大勢鬼とは謂わく諸の藥叉及び邏刹婆、恭畔荼等なり。受くる所の富楽は諸天と同じ、或いは樹林に依り、或いは霊廟に住し、或いは山谷に居り、或いは空宮に処す」と云えり。是れに依るに夜叉には地行等の別あり。各種種の歓楽を受け、又威勢あるものなるを知るべし。蓋し夜叉は毘沙門天王の眷属とせらるるものにして、「起世経巻6四天王品」に、「毘沙門天王に五夜叉あり、恒に常に随逐して左右に侍衛す、防護の為の故なり。何者をか五となす、一を五丈と名づけ、二を曠野と名づけ、三を金山と名づけ、四を長身と名づけ、五を身毛と名づく」と云い、「大方等大集経巻52毘沙門天王品」には、毘沙門天王に無病、吉祥等の十六夜叉大臣大力軍将、並びに因陀羅、蘇摩、婆楼那、伊奢那、阿吒薄拘等の五十の夜叉軍将ありと云い、「金光明最勝王経巻1序品」には、毘沙門天王を上首とし、庵婆、持庵、蓮花光蔵、蓮花面、顰眉、現大怖、動地、呑食等の三万六千の藥叉衆来会すと云い、又「大日経疏巻5」には胎蔵界曼荼羅外金剛部中、北門に毘沙門天王を置き、其の作用に摩尼跋陀羅、布嚕那跋陀羅、半只迦、沙多祁哩、醯摩嚩多、毘灑迦、阿吒嚩迦、半遮羅の夜叉八大将を画くべしと云えり。又夜叉は正法守護神として諸経に其の名を掲ぐるもの多く、「薬師如来本願経」には宮毘羅、跋折羅等の十二夜叉大将が其の経の受持者を衛護せんと誓えりと云い、「陀羅尼集経巻3」に達哩底囉瑟吒等の十六大藥叉将(即ち般若十六善神)が、般若波羅蜜の名を念ずる者を擁護せんと願じたることを説き、「金光明最勝王経巻9諸天藥叉護持品」に、「宝王藥叉王及び満賢王、曠野、金毘羅、賓度羅黄色、此等の藥叉王に各五百の眷属あり、此の経を聴く者を見ば皆来たりて共に擁護せん」と云い、又「大毘婆沙論巻180」に二国将に戦わんとする時、護国藥叉先づ闘うと云い、「孔雀王呪経巻上」には鉤鉤孫陀等約百九十七の夜叉が諸国に住して怨敵を降伏すと云い、「大唐西域記巻3迦溼弥羅国の條」に、迦膩色迦王の時「大毘婆沙論」を結集し、之を石函に緘封して窣堵波を建て、藥叉神に命じて其の国を周衛せしめたりと云える如き即ち皆是れなり。此の中、阿吒薄拘即ち曠野鬼神に関し、「大吉義神呪経巻3」に、「諸の夜叉、羅刹鬼等あり、種種の形を作す、師子象虎、鹿馬牛驢駝羊等の形なり。或いは大頭にして其の身痩小なるを作し、或いは青形を作し、或時は腹赤くして一頭両面、或いは三面あり、或時は四面、麁毛竪髪して師子の毛の如し。或いは復た二頭、或いは復た剪頭、或時は一目にして鋸歯長く出で、麁唇下に垂れ、或いは復た喭鼻し、或いは復た耳を耽れ、或いは復た項を聳やかし、此の異形を以って世の為に畏を作す。或いは矛戟并びに三岐戈を持し、或時は剱を捉り、或いは鉄椎を捉り、或いは刀杖を捉り、声を掲げて大に叫びて甚だ怖懼すべく、力能く地を動ぜしむ。曠野鬼神は是の如き等の百千種の形あり、阿羅迦夜叉は彼の国に在りて住し、彼の国王となる。是の故に名づけて曠野の主となす。彼の曠野国中に於いて善化処あり、凡そ二十の夜叉鬼母あり、彼の諸子の夜叉等は身形姝大にして甚だ大力あり、能く見る者をして大驚懼を生じ普く皆怖畏せしめ、又復た能く見る者をして錯乱迷酔して守を失し猖狂放逸ならしむ。人の精気を飲み、諸の人民の為に此の患を為す者なり」と云い、「南本涅槃経巻15」、「観仏三昧海経巻2」にも亦た其の畏るべき状を説けり。又彼の訶利帝母即ち鬼子母神も大夜叉女神にして、「有部毘奈耶雑事巻31」に、「我が男女を取りて食に充つ、則ち是れ悪賊藥叉なり」と云えり。此等は夜叉を以って人の精気を奪い、肉血を噉う獰悪の鬼類となせるものなり。按ずるに梵語夜叉yakSaは「尊敬する」「祭祀する」又は「躁動する」の義なる語根yakSより来たれる名詞にして、半人半神の群を指すものと称せらる。「注維摩詰経巻1」に貴人と訳し、又「慧琳音義巻23」に、「夜叉。此に祠祭鬼と云う。謂わく俗間に祠祭し、以って恩福を求むる者なり、旧に翻じて捷疾鬼となすなり」と云えるは、即ち其の義に合するものとなすべし。又「大日経疏巻1」に密迹力士を以って夜叉王なりとし、之を金剛手、或いは執金剛と名づけ、「秘中最秘釈」には如来の心密の主を表するが故に秘密主と名づくと云い、且つ其の語義を釈し、西方に夜叉を秘密と為すは、其の身口意速疾隠秘にして了知すべきこと難きが故なりと云えり。是れ夜叉は其の行動速疾隠秘なりとなすなり。又「長阿含経巻20」、「大方等大集経巻50、56」、「金光明最勝王経巻6」、「大吉義神呪経巻4」、「立世阿毘曇論巻1、4」、「玄応音義巻18、21」、「慧琳音義巻27」等に出づ。<(望)
揵闥婆(けんだつば):八部衆の一。帝釈天の雅楽を司る神の名。『大智度論巻25下注:乾闥婆』参照。
乾闥婆(けんだつば):梵名gandharva。巴梨名gandhabba、又健達縛、乾達婆、健闥縛、犍達婆、彦達婆、犍沓和、乾沓和、乾沓惒、揵塔和、乾沓婆、巘沓嚩に作る。尋香行、香行、尋香、齅香、食香、食香前、或いは香陰と訳し、又尋香神、香神、香音神、楽神、或いは執楽天の称あり。八部衆の一。帝釈天の雅楽を司る神の名。「長阿含経巻18世記経閻浮提品」に、「雪山の右面に城あり、毘舎離と名づく。其の城の北に七黒山あり、七黒山の北に香山あり。其の山には常に歌唱伎楽音楽の声あり。山に二窟あり、一を名づけて昼となし、二を善昼と名づく。天の七宝より成り、柔濡香潔にして、猶お天衣の如し。妙音乾闥婆王は五百の乾闥婆を従えて、其の中に在りて止まる」と云い、又「註維摩経巻1」に、「乾闥婆とは、什曰わく天の楽神なり。地上の宝山中に処す。天は楽を作さんと欲する時、是の神の体の上に相出づることあり。然る後天に上るなり」と云い、「維摩経玄疏巻5」に、「乾闥婆は此に翻じて香陰と云う。此れは是れ凌空の神にして酒肉を噉わず、唯香を須いて五陰を資く。又云わく、是れ天主幢倒の楽神にして十宝山に居り、身に異相現ずれば、即ち天に上りて楽を奏す。往世に好んで伎楽を観聴し、戒緩にして鬼神に堕し、楽神と作る。布施の果報なれば諸天に似たり」と云い、又「慧琳音義巻11」に、「善く能く琴を弾じ、種種の雅楽も悉く皆能く妙なり。常に上界の諸天のために楽を設く。亦た尋香神と名づくるなり」と云える是れなり。是れ乾闥婆神は常に地上の宝山中に住し、時ありて忉利天に昇りて楽を奏すとなせるものなり。又諸経中には之を以って東方持国天の眷属となし、東方を守護する神となせり。「長阿含巻12大会経」に、「復た東方提頭賴吒天王dhataraTThaあり、乾沓惒神を領す」と云い、「仏母大孔雀明王経巻上」に、「東方に大天王あり、名づけて持国と曰う。是れ彦達嚩の主なり。無量百千の彦達嚩を以って眷属となし、東方を守護す」と云い、「大智度論巻54」に、「東方を提多羅吒と名づく、乾闥婆及び毘舎闍に主たり」と云える是れなり。是れ印度の神話にcitrarathaを以って乾闥婆と主領となすの説より転じたるものなるが如し。又此の乾闥嚩には多数の王及び眷属あるが如く、「法華経巻1序品」に、「四の乾闥婆王あり、楽manojJa乾闥婆王、楽音manojJasvara乾闥婆王、美madhura乾闥婆王、美音madhurasvara乾闥婆王なり。各若干百千の眷属と倶なり」と云い、「大宝積経巻1三律儀会」に、「十億の乾闥婆王あり、歌詠讃歎す」と云い、又「新華厳経巻1世主妙荘厳品」に、「復た無量の乾闥婆王あり、所謂持国dhRtaraaSTra乾闥婆王、樹光drumakiMnaraprabha乾闥婆王、浄目zucinetraratisaMbhava乾闥婆王、華冠puSpadrumakusumitamakuTa乾闥婆王、普音raticaraNasamantasvara乾闥婆王、楽揺動妙目pramuditapralamhasumayana乾闥婆王、妙音師子幢manojJarutasiMhadhvaja乾闥婆王、普放宝光明samantaratnakiraNamuktaprabha乾闥婆王、金剛樹華幢vajradrumakesaradhvaja乾闥婆王、楽普現荘厳sarvavyuuharatisvabhaavanayasaMdarzana乾闥婆王なり。是の如き等を而も上首と為し、其の数無量なり。皆大法に於いて深く信解を生じ、歓喜愛重して勤修して倦まず」と云い、又「大方等大集経巻52提頭賴吒天王護持品」には、仏は楽勝提頭賴吒天王、並びに其の子乾闥婆衆等をして、閻浮提の東方第四分を護持せしむることを説き、其の下に、般支迦、般遮羅、郎伽羅、扇陀、奚摩跋多、質多斯那、那荼王、褝那離沙婆、尸婆迦、牟真隣陀、毘湿婆蜜多羅、除珍達羅斯等の乾闥婆大臣大力軍将、好長耳、好長鼻、善充満、佉陀梨鉢帝の四大刹多羅、楽欲、著欲、憘歌の三兄弟大力軍将、隷利迦、槃梯等の十一兄弟、薩陀曼都、耶闍曼多等の三十三乾闥婆眷属の名を列ね、「大宝積経巻64乾闥婆授記品」には、三億六千万の乾闥婆衆が世尊を供養して記別を受けしことを記せり。多くは宝山中に住すと説くも、「玄応音義巻7」には大海中にも亦た有り、修羅に属すと云い、又「慧琳音義巻11」には、緊那羅女は多く此の神の妻室となると云えり。普通に八部衆の一として之を仏説法の会衆に加え、又「法華経巻7観世音菩薩普門品」には、之を観世音示現の三十三身の一とし、「補陀落海会軌」には其の形像を説きて、「乾闥婆身は頂上に八角の冠あり、身相は赤肉色にして身は大牛王の如く、左定は簫笛を執り、右慧は宝剱を持し、大威力相を具し、髪髻は焔鬘冠あり」と云い、又「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経」、並びに「千手観音造次第法儀軌」には、之を観音二十八部衆の一となせり。蓋し印度古神話の伝うる所に依れば、吠陀時代の乾闥婆は、概して天の秘密及び真実を知りて之を顕示し、常に虚空の中に在りて諸天の為に蘇摩soma液を供し、且つ医薬に精しく、星座を整え、女人の好む所となり、帝釈宮に於いては常に諸天の宴席に侍して、歌を唱え楽を奏すとなし、又「阿他婆吠陀atharva-
veda」には、六千三百三十三の乾闥婆神ありと云えり。之に依るに此の神は古くより帝釈天の宴席に侍し、唱歌奏楽を事とすと信ぜられたるを見るべし。又「毘紐古記viSNu-
puraaNa」の説に依れば、此の神は諧調を鼓吹し、又ガームドハヤンダフgaaMdhayandah(辯説の女神)の為に盃を傾けつつ梵天より生ぜしが故に、乾闥婆と名づくtじょ云い、後代の神話には、之を迦葉波kaazyapa仙と其の妃アリシュターariSTaaとの間に生まれたる子なりとし、又「ハリヴァムサharivaMsa」には、梵天の鼻より生まれたりと云い、或いは迦葉波仙の妃なる牟尼muniの生む所なりとも云い、又「毘紐古記」には、此の神は下界に於いて龍と戦い、尽く其の宝を奪いたるにより、龍王は同胞の女ナルマダーnarmadaaを遣わして援を毘紐viSNuに乞い、毘紐即ち身を化して其の軍を破れることを記せり。又西域に於いては、作楽を生業とする者を称して乾闥婆と呼べり。「法華経玄賛巻2」に、「西域には此に由りて散楽を呼んで健闥婆と為す。専ら香気を尋ね、楽を作して乞求するが故なり。楽の中に二類あり、一は絲竹に非ず、鼓磐の類なり。二は是れ絲竹、簫筝の輩なり」と云い、又「唯識二十論述記巻上」に、「其れ西域に俳優を呼んで亦た尋香と云う。此等は王侯に事えず、生業を作さず。唯諸家の飲食等の香を尋ねて便ち其の門に往き、諸伎楽を作して飲食を求め、能く幻術を作す」と云える是れなり。一説に乾闥婆は香に住する神にして楽神に非ざるべしと云うも、乾闥婆には香の義あると同時に、亦た楽の義も含まれたれば、古来多く之を楽神として叙述せしものなるべし。又「中阿含経巻33釈問経」、「起世因本経巻10」、「金光明最勝王経巻1」、「大仏頂首楞厳経巻6」、「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌経」、「法華曼荼羅形色法経」、「尊勝仏頂修瑜伽法儀軌巻上」、「童子経念誦法」、「陀羅尼雑集巻4」、「大智度論巻10」、「法華経文句巻2下」、「華厳経疏巻5」、「観音義疏巻下」、「翻梵語巻7」、「玄応音義巻21、23」、「慧苑音義巻上」、「翻訳名義集巻4」等に出づ。<(望)
阿修羅(あしゅら):六道の一。十界の一。戦闘を事とする一類の鬼類を云う。『大智度論巻25上注:阿修羅』参照。
伽楼羅(かるら):梵名garuDa。巴梨名gauLa、又加楼羅、迦留羅、伽婁羅、伽楼羅、誐嚕拏、伽留荼、揭路荼、蘗嚕拏、或いは加嚕荼に作る。項癭、大嗉項、又は食吐悲苦声と訳す。一に蘇鉢刺尼suparNiに作る。金翅鳥、或いは妙翅鳥は其の翻なり。「慧苑音義巻上」に、「迦楼羅は此に食吐悲苦声という。謂わく此の鳥は凡べて龍を取り得て、先づ嗉中に内れ、後吐いて之を食す。其の龍猶お活く。此の時、楚痛して悲苦の声を出せばなり。或いは曰わく、此に大嗉項鳥という。謂わく此の鳥は常に龍を嗉内に貯う。其の項の麁を益たせばなり。旧に金翅、妙翅というは且く状に就いて名づく。敵対翻に非ず。然も其の翅に種種の宝色あり、唯だ金のみに非ざるなり」と云い、又「倶舎論光記巻8」には、「迦楼羅は此に項癭という。或いは蘇鉢刺尼と名づく、此に妙翅という。翅殊妙なればなり。旧に金翅鳥と名づくるは正しく目する所に非ず」といえり。蓋し是れ恐らくは鷲の如き猛性なる鳥の一類を神話化したるものにして、元より実在の動物に非ざるも、古来印度人は鳥類の巨魁として、斯の如き大怪鳥の存在を認容せり。「長阿含経巻19」に依るに、金翅鳥には卵生胎生湿生化生の四種ありとし、大海の北岸に究羅睒摩羅なる一大樹あり、其の樹下の囲り七由旬、高さ百由旬、枝葉四方に布くこと五十由旬なり。樹東に卵生龍王宮、卵生金翅鳥王宮あり。其の宮は各縦広六千由旬にして、七重の宮牆、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり。周匝校飾、七宝を以ってなり、乃至、無数の衆鳥相和して悲鳴せり。又樹南に胎生龍王宮、胎生金翅鳥王宮、樹西に湿生龍王宮、湿生金翅鳥王宮、樹北に化生龍王宮、化生金翅鳥王宮あり。其の縦広荘厳等は具に彼の卵生宮の如し。中に就き、卵生金翅鳥若し龍を食わんと欲する時は、究羅睒摩羅樹の東方より飛下し、翅を以って大海水を搏つに、海水披くこと二百由旬、乃ち卵生龍を取りて随意に之を食う。胎生金翅鳥は樹南より飛下し、水披くこと四百由旬、胎生龍を食う。亦た樹東より飛下して卵生龍を食うことを得。湿生金翅鳥は樹西より飛下し、水披くこと八百由旬、湿生龍を食う。又樹の東及び南より飛下して卵生胎生の諸龍を食う。化生金翅鳥は樹北より飛下し、水披くこと千六百由旬、化生龍を取りて之を食う。又樹の余方より飛下して他の諸種の龍を食うことを得。但だ沙竭龍王、難陀龍王、跋難陀龍王、伊那婆羅龍王、提頭賴吒龍王、善見龍王、阿盧龍王、伽拘羅龍王、伽毘羅龍王、阿波羅龍王、伽[少/兔]龍王、瞿伽[少/兔]龍王、阿耨達龍王、善住龍王、優睒伽波頭龍王、得叉伽龍王等の諸大龍王は食する能わず、又其等諸大龍王の附近に住するものも其の害を免るるを得といえり。又「立世阿毘曇論巻2」には、四洲の中間四処に各迦楼羅の住処ありとし、其の弗毘提と鬱単越との中間に在るものは、洲形団円にして囲り一千由旬あり。悉く是れ深浮留林にして、迦楼羅鳥は其の林中に住在す。洲外の水下に龍の住居あり。迦楼羅鳥則ち此の龍を捉え来たり、樹上に於いて食す。其の残余は猶お象骨の如く、狼藉として地上に在り。四洲に臭気あるは之が為なり。其の弗毘提と剡浮提との中間に在るものは、洲中に樹あり、曲深浮留と名づく。根茎枝幹竝びに皆具足し、形相愛すべし。其の葉繁密にして久しく住すれども凋まず、風雨入らず。世の精巧なる装飾華鬘及び衆宝耳璫の如く、亦た傘蓋高下相覆うが如し。高さ百由旬、下本洪直五十由旬、枝葉四もに布き径百由旬あり。鞞那低耶伽婁羅王其の樹上に住在す。此の王は嘗て摩那斯龍王と威力を角し、為に曲深浮留樹を摧曲せらる。因りて龍鳥二王共に誓願を立てて永く善友たらんことを約せりと云えり。「観音義疏巻下」には、伽楼羅が龍を以って常食となせる縁由を記して、先に此の鳥は龍と約すらく、汝は須弥を遶りて断たしめよ。我れは海を搏って泥を見せしめん。我れ如かざれば、子を輸して汝の為に給使せしめん。汝如かざれば、子を輸して我れに与え噉わしめよと。然るに天の力は須弥を持して之を断ぜしめず。故に龍は遂に子を輸して伽楼羅に噉わしむるに至れるなりと云い、「観仏三昧海経巻1」には、此の鳥の業報は応に諸龍を食すべし。閻浮提に於いて一日に一龍王及び五百の小龍を食し、明日は弗婆提に於いて、第三日は瞿耶尼に於いて、第四日は鬱単越に於いて各一龍王及び五百の小龍を食し、斯の如く周りては復た始め、八千歳を経と云えり。又「華厳経探玄記巻2」に、「海龍王経に依るに、其の鳥両翅相去ること三百三十六万里。閻浮提には止だ一足を容る。涅槃経に依るに、此の鳥は能く龍魚七宝等を食消す。唯だ金剛を除く、消すること能わざるを以ってなり。又応に命終すべき龍を食す」と云い、「教律異相巻48」には、此の鳥の扇ぐ所の風、若し眼に入る時は、人をして明を失せしむ。故に人間に来たらずと記せり。又其の身長に関しては、「菩薩従兜術天降神母胎説広普経巻7」に金翅鳥王身長八千由旬、左右の翅各長さ四千由旬ありとし、「大楼炭経巻4」には、身高四十里、衣広八十里、衣長四十里、衣重二両半と云えり。但し此の鳥は常に龍を食となすと雖も、沙竭等の諸大龍王、及び仏に帰依するもの、並びに過去に三帰を受けて化作を縷繋せるものは、其の害を免るるを得とす。即ち「増一阿含経巻19」に、「若し龍王をして仏に事うることあらしめば、金翅鳥は能く食噉すること能わず。然る所以は如来は常に四等の心を行ず。是を以っての故に鳥、龍を食すること能わず」と云い、「海龍王経巻4」に、噏気、大噏気、能羅、無量色の四大龍王が仏を請ぜしに、仏為に皂衣を脱して之に附与し以って金翅鳥の害毒を除去せしことを記し、又「菩薩従兜術天降神母胎説広普経巻7」に、化生龍王が如来の八関斎を受持せる故を以って、金翅鳥王の毒害を免れたることを説ける如き是れなり。又「観仏三昧海経巻1」に依るに、此の鳥死相現ずる時、諸龍毒を吐きて食を得るに由なし。諸山を巡遊して永く安きことを得ず。金剛山に至りて暫く住せる後、山より直下して大水際に至り、更に風輪際に至るに、風の為に吹かれて復た金剛山に還る。是の如きこと七返にして遂に命終す。其の毒を以っての故に十宝山をして同時に火起らしむ。爾の時難陀龍王此の山を焼かんことを懼れ、即ち車軸の如き大雨を降らす。是に於いて鳥肉散じ尽くして唯心のみ在り。其の心亦た前の如く直下すること七返にして復た金剛山に還住す。難陀龍王此の鳥心を取りて以って明珠とし、転輪王は得て如意珠となすと云い、又「浄名経疏巻2」には是れ畜生道の摂なり、慢多きが故に堕す。施を行ずるを以っての故に頸に如意珠あり。龍を以って食となすと云えり。又大乗諸経典の中には之を以って所謂八部衆の一とし、天、龍、阿修羅等と共に仏説法の会座に於ける一類の有情として之を列せり。「法華経巻1」に大威徳mahaa-
tejas、大身mhaa- kaaya、大満mahaa- puurNa、如意maharddhi- praaptaの四大伽楼羅王の名を挙げ、「旧華厳経巻1」に大勇猛力、無畏宝髻、勇猛浄眼、不退荘厳、持大海光、持法堅固、勝根光明、充満普現、普遊諸方、普眼等観等の諸大伽楼羅王の名を挙げたる如き其の例なり。蓋し印度伝来の神話に依れば、迦楼羅は鳥類の王にして、毘瑟笯の乗御なり。迦葉波仙とヴィナターvinataaとの間に設けられたる子にして、其の生まるるや身光赫奕たりしを以って、諸天は之を火天と誤認して礼拝せり。ウンナチunnati又は毘那夜迦vinaayakaaを婦として、サムパーチsampaatiと名づくる子を挙ぐ。其の母ヴィナターは龍の母カドルーkadruuと不和なりしを以って、迦楼羅は遂に龍の大仇敵たりしと云う。是れ蛇を食う鳥を神話化せしものならん。「マハーブハーラタmahaabhaarata」に依れば、迦楼羅の父母は、其の子に婆羅門を除いて其の他の悪人を食うことを許したりしに、彼れは一婆羅門と其の婦とを呑みしを以って、婆羅門は怒りて迦楼羅の咽を焼き、其れをして終に吐き出さしめたりと云い、又迦楼羅は其の母が龍母カドルーの為に苦しめらるるを見、之を救わんが為に甘露を盗みたるに、帝釈天は怒りて之と戦い、甘露を奪い返したるも、而も迦楼羅の為に其の金剛杵を損ぜられたりと云える説話あり。其の異名は頗る多く、或いは親の名に因みてkaazyapii(迦葉波の子)、vainateya(ヴィナターの子)と呼ばれ、鳥類の王首としてsuparNa(妙翅)、garutmaan(具翼)と称せられ、或いはシャールマリンzaalmalin、タールクシャtaarkSya、毘那夜迦vinaayaka等の名あり。又其の性状に因みてsitaanana(白面)、rakta-
pakSa(赤翅)、zveta- rohita(白赤)、panna- ganaazana(伏龍)、又はciraad(長食)、viSNu- ratha(毘瑟笯の乗御)、amRtaaharaNa(食甘露者)、sudhaa-
hara(盗甘露者)、sureendra- jit(勝帝釈)、vajra- jit(伏金剛杵)等の異称あり。密教に於いては此の鳥王を以って大梵天、毘瑟笯天、大自在天等が衆生を悲愍して之を拔済せんが為に化現せる身なりとし、或いは文殊の化身なりとも云い、胎蔵界外金剛部南方諸天中に、迦楼羅王及び迦楼羅女を列せり。迦楼羅王は南西隅に近く摩尼阿修羅衆の左内側に在り、荷葉に坐し、左方に向い、鳥頭人身髻髪にして翼を有し、二手に篳篥を執りて吹けり。迦楼羅女は王の外側に在りて右方を向き、両手に螺を持して吹き、余の形像は略ぼ王と同じ。種子は共に(伽ga)、三昧耶形は王は篳篥、女は螺なり。蓋し迦楼羅の形像は頗る多樣にして、印度サンチー塔門の浮彫にあらわれたる菩提樹下諸動物蝟集中に見ゆるものは、単なる鳥形をなし、後世印度に行われたるものは、頭翼爪嘴は鷲の如く、体及び四肢は人間の如くにして、面は白く翼は赤く、其の体は金色なり。又「金剛光焔止風雨陀羅尼経」には、「蝋を持って大身蘗嚕荼王を模捏せよ。結跏趺坐、身量八指、両翅股開き、首に華鬘を戴き、面状は神面、觜状は鷹觜にして、右手に九頭四足の蛇龍王を把り、左手に三頭四足の蛇龍王を執り、純金をもて荘厳して彩色間飾し、身の諸の衣服は天の衣服の如くせよ」と云い、「阿娑縛抄巻163迦楼羅の巻」には、「一の絵図あり、形迦陵頻鳥の如く、觜あり。横に三鈷杵を含み、左右に各虵を執り、左右足は各虵を踏む」云々と云い、又「図像抄巻10」には「迦楼羅王雑密言経」を引きて、「其の身分は臍より已上は天王形の如く、唯鼻のみ鷹の觜の如くにして、而も緑色をなす。臍より已下は亦た鷹の如く、蠡髻に宝冠あり。髪鬚は肩を被い、臂腕に皆宝環釧あり。天衣瓔珞あり。遍身金色にして、翅は鳥の如く、而も両向して舒び、其の尾は下に向って散ず。四臂あり、二の正手は大印を結び、両手の指頭相交じり、左は右を押して虚心合掌し、印を以って心に当つ。余の二手は垂下して五指を舒べ、施願の勢をなす。其の觜、脛及び爪は皆是れ綵金剛珍の所成なり。金山の上に一の金架あり、架上に覆うに錦衾を以ってす。本尊は衾上に於いて正立して忿怒形を作し、牙歯を露出す。傘を以って之を覆い、首に円光あり、宝冠を戴く」とあり。其の他、又鳥身にして那羅延(即ち毘瑟笯)の乗御たるもの等あり。又「大楼炭経巻3」、「起世因本経巻5」、「新華厳経巻1」、「速疾立験魔醯首羅天説迦婁羅阿尾奢法」、「文殊師利菩薩根本大教王経金翅鳥王品」、「迦楼羅及諸天密言経」、「大方広菩薩蔵文殊師利根本儀軌経巻3」、「法華経文句巻2下」、「観音義疏巻下」、「華厳経探玄記巻2」、「大日経疏巻6」、「慧琳音義巻1、12」、「翻訳名義集巻4」、「諸説不同記巻9」等に出づ。<(望)
金翅鳥(こんじちょう):梵名蘇鉢刺尼suparNiの訳。又迦楼羅garuDaとも名づく。大怪鳥の名。『大智度論巻25下注:迦楼羅』参照。
摩睺羅伽(まごらか):梵名mahoraga、又摩呼羅伽、摩護囉伽、莫呼勒伽、莫呼洛伽、莫呼洛、摩休洛、摩伏勒に作り、大腹行、大胷行、大胷腹行、大蟒、大蟒蛇、或いは大蟒神と訳す。八部衆の一。「注維摩経巻1」に、「什曰わく、是れ地龍にして而も腹行なり。肇曰わく、摩睺羅伽は大蟒神なり」と云い、「維摩経略疏巻2」に、「摩睺羅迦は此れは是れ蟒神なり、亦た地龍と云う。無足腹行の神なり。即ち世間の廟神は人の酒肉を受くるに悉く悉く蟒腹に入る。毀戒邪諂にして嗔多く施少く、酒肉を貪嗜し、戒緩にして鬼神に堕し、多くの嗔蟲其の身に入りて此れを唼食す」と云い、又「慧苑音義巻1」に、「摩睺羅伽。摩睺は此に大と云うなり。羅伽は胷腹行と云うなり。此れ畜龍の類に摂せらる。旧に蟒神と云うは相似たるも翻名は正対に非ざるなり」と云えり。是れ摩睺羅を以って無足腹行の蟒神となせるものなり。然るに「新華厳経巻1世主妙厳品」には善慧、清浄威音、勝慧荘厳髻、妙目主、如灯幢為衆所帰、最勝光明幢、師子臆、衆妙荘厳音、須弥堅固、可愛楽光明等の無量の摩睺羅伽王ありと云い、又「慧琳音義巻11」に、「是れ楽神の類なり、或いは非人と曰い、或いは大蟒神と云う。其の形は人身にして、而も蛇首なり」と云えり。又「現図胎蔵界曼荼羅」には、其の北辺(向って左辺)に三体の摩睺羅伽を安じ、中央の一は両手の臂を屈して拳にし、頭指を舒べて各胸に当て、左膝を竪てて坐し、左方の一は蛇冠を戴きて右方を向き、右方の一は両手に笛を吹けり。但し胎蔵図像並びに旧図様には、別に此の三体の東方(向って上方)に楽音衆即ち緊那羅二体を図し、之を総じて摩睺羅伽種族と呼べり。「諸説不同記巻10」に、「又別題に楽音衆あり、私に云わく是れ惣題なり。(中略)今按ずるに摩睺羅伽楽音衆と言うべきか」と註せり。種子は(麼ma)或いは(伽ga)、真言は南麼三曼多勃駄喃蘗囉嚂蘗囉嚂なり。又「大日経巻2普通真言蔵品」、「同疏巻10」、「翻梵語巻7」、「慧琳音義巻1、25、27」、「翻訳名義集巻4」等に出づ。<(望) |
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復次用是語言。能令眾生隨法義行。所以者何。言語皆入諸法實相中。是名辭無礙智。 |
復た次ぎに、是の語言を用うれば、能く衆生をして、法義に随いて行ぜしむ。所以は何んとなれば、言語は皆、諸法の実相中に入ればなり。是れを辞無礙智と名づく。 |
復た次ぎに、
是の、
『語言を用いれば!』、
『衆生』に、
『法の義』に、
『随って!』、
『行わせることができる!』。
何故ならば、
『言語』は、
皆
『諸の法』の、
『実相』中に、
『入らせるからである!』。
是れを、
『辞無礙智』と、
『称する!』。
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入(にゅう):<動詞>[本義]はいる/進入する( enter, come into )。参加/加入する( join, be admitted to, become a member of )、受納する( accept )、相応ずる/互に適応する( conform to )、到達する( attain )、侵入する( invade )、占領/占拠する( take in )。<名詞>収入( income )。
入(にゅう):梵語 praveza の訳、入る/入口/浸透/侵入( entering, entrance, a place of entrance,
penetration or intrusion into )の義、真実に目覚める/理解し始める/真実に心を向けて、知識を発展させる( To
awaken to the truth; begin to understand; to relate the mind to reality
and thus evolve knowledge )の意。◯梵語 aayatana の訳、休息所/土台/座席/場所/家庭/家/住居( resting-place,
support, seat, place, home, house, abode )の義、阿毘達磨及び唯識に於いて、感覚の界域を指す術語であり(
In Abhidharma and Yogâcāra, this is a technical term referring to the fields
of the senses )、感覚[六根]と、その対境[六境]の接する処( the place of the meeting between
the organs and their objects )の意、処に同じ、六根及び六境を総じて十二入と称す。 |
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樂說無礙智者。菩薩於一字中。能說一切字。一語中能說一切語。一法中能說一切法。於是中所說皆是法皆是實皆是真。皆隨可度者而有所益。 |
楽説無礙智とは、菩薩は、一字中に、能く一切の字を説き、一語中に能く一切の語を説き、一法中に能く一切法を説き、是の中の所説に於いて、皆、是れ法、皆是れ実、皆是れ真、皆度す可き者の随いて、益する所有り。 |
『楽説無礙智』とは、
『菩薩』は、
『一字』中に、
『一切の字』を、
『説くことができ!』、
『一語』中に、
『一切の語』を、
『説くことができ!』、
『一法』中に、
『一切の法』を、
『説くことができる!』し、
是の中に、
『説かれた義、名字、語言』は、
皆、
『法であり!』、
『実であり!』、
『真であり!』、
皆、
『度すべき者』に、
『応じて!』、
『有益である!』。
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所謂樂修妒路者。為說修妒路。樂祇夜者為說祇夜。樂弊迦蘭陀者為說弊迦蘭陀。樂伽陀優陀那阿波陀那一筑多闍陀為頭離頞浮陀達摩優波提舍。皆為說是經。 |
謂わゆる修妒路を楽しむ者には、為に修妒路を説き、祇夜を楽しむ者には、為に祇夜を説き、弊迦蘭陀を楽しむ者には、為に弊迦蘭陀を説き、伽陀、優陀那、阿波陀那、一築多、闍陀、為頭離、阿浮陀達磨、優波提舎を楽しめば、皆為に是の経を説く。 |
謂わゆる、
『修妒路を楽しむ!』者の為には、
『修妒路』を、
『説き!』、
『祇夜を楽しむ!』者の為には、
『祇夜』を、
『説き!』、
『弊迦蘭陀を楽しむ!』者の為には、
『弊迦蘭陀』を、
『説き!』、
『伽陀、優陀那、阿波陀那、一築多、闍陀、為頭離、阿浮陀達磨、優波提舎』を、
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修妒路(しゅとろ):梵名suutra、経、契経等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
祇夜(ぎや):梵名geya、応頌、重頌等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
弊迦蘭陀(へいからんだ):梵名vyaakaraNa、授記、授決、記別等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
伽陀(かだ):梵名gaathaa、頌、不重頌等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
優陀那(うだな):梵名udaana、自説、無問自説等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
尼陀那(にだな):梵名nidaana、因縁、縁起等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
阿波陀那(あぱだな):梵名avadaana、譬喩、解語等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
一築多(いっちくた):梵名itivRttaka、本事、如是語等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
闍陀(じゃだ):梵名jaataka、生、本生等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
為頭離(いづり):梵名vaipulya、方等、方広等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
頞浮陀達摩(あぶだだつま):梵名adbhuta- dharma、未曽有法、希法等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。
優波提舎(うぱだいしゃ):梵名upadeza、論義、義等と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経、巻23下本文』参照。 |
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隨一切眾生根樂說。若好信者為說信根。好精進者為說精進根。好懃念者為說念根。好攝心者為說定根。好智慧者為說慧根。如五根等一切善根亦如是。 |
一切の衆生の根に随いて、説くを楽しみ、若し信を好む者の為には、信根を説き、精進を好む者の為には、精進根を説き、懃めて念ずることを好む者の為には、念根を説き、心を摂することを好む者の為には、定根を説き、智慧を好む者の為には、慧根を説き、五根等の如く一切の善根も亦た是の如し。 |
一切の、
『衆生の根に随って!』、
『説くことを!』、
『楽しむ!』ので、 若し、
『信を好む!』者の為には、
『信根』を、
『説き!』、
『精進を好む!』者の為には、
『精進根』を、
『説き!』、
『懃めて念ずることを好む!』者の為には、
『念根』を、
『説き!』、
『心を摂することを好む!』者の為には、
『定根』を、
『説き!』、
『智慧を好む!』者の為には、
『慧根』を、
『説き!』、
是れ等の、
『五根等のように!』、
『一切の善根』も、
『是の通りである!』。
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復次二萬一千婬欲人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說二萬一千瞋恚人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說二萬一千愚癡人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說二萬一千等分人根。為是根故。佛說八萬四千治法根。隨是諸根。樂說治法次第。菩薩樂說是名樂說無礙智。 |
復た次ぎに、二万一千の婬欲の人の根には、是の根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説き、是の諸根に随いて、楽しんで治法の次第を説きたまえば、菩薩は説くを楽しむ。二万一千の瞋恚の人の根には、是の根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説き、是の諸根に随いて、楽しんで治法の次第を説きたまえば、菩薩は説くを楽しむ。二万一千の愚癡の人の根には、是の根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説き、是の諸根に随いて、楽しんで治法の次第を説きたまえば、菩薩は説くを楽しむ。二万一千の等分の人の根には、是の根の為の故に、仏は八万四千の治法の根を説き、是の諸根に随いて、楽しんで治法の次第を説きたまえば、菩薩は説くを楽しむ。是れを楽説無礙智と名づく。 |
復た次ぎに、
『婬欲の人』には、
『二万一千の根( faculties )が有る!』ので、
是の、
『根』の為の故に、
『仏』は、
『八万四千』の、
『治法の根』を、
『説き!』、
是の、
『諸の根に随って!』、
『治法の次第』を、
『楽しんで!』、
『説かれる!』と、
『菩薩』が、
『瞋恚の人』には、
『二万一千の根が有る!』ので、
是の、
『根』の為の故に、
『仏』は、
『八万四千』の、
『治法の根』を、
『説き!』、
是の、
『諸の根に随って!』、
『治法の次第』を、
『楽しんで!』、
『説かれる!』と、
『菩薩』が、
『愚癡の人』には、
『二万一千の根が有る!』ので、
是の、
『根』の為の故に、
『仏』は、
『八万四千』の、
『治法の根』を、
『説き!』、
是の、
『諸の根に随って!』、
『治法の次第』を、
『楽しんで!』、
『説かれる!』と、
『菩薩』が、
『婬欲、瞋恚、愚癡が等分の人』には、
『二万一千の根が有る!』ので、
是の、
『根』の為の故に、
『仏』は、
『八万四千』の、
『治法の根』を、
『説き!』、
是の、
『諸の根に随って!』、
『治法の次第』を、
『楽しんで!』、
『説かれる!』と、
『菩薩』が、
是れを、
『説く!』ことを、
『楽しむ!』ので、
是れを、
『楽説無礙智』と、
『称する!』。
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復次菩薩用是無礙智。若一劫若半劫。各各莊嚴說法。亦不壞諸法性相。 |
復た次ぎに、菩薩は是の無礙智を用いて、若しは一劫、若しは半劫、各各説法を荘厳し、亦た諸の法性の相を壊らず。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
是の、
『無礙智を用いて!』、
『一劫とか!』、
『半劫とか!』、
各各、
『説法』を、
『荘厳する!』ので、
亦た、
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是菩薩或隱身不現。而為眾生用一切毛孔說法。隨其所應不失本行。 |
是の菩薩は、或は身を隠して現われず、而も衆生の為に一切の毛孔を用いて法を説き、其の所応に随いて、本行を失わず。 |
是の、
『菩薩』は、
或は、
而も、
其の、
『衆生の心に応じながらも!』、
『本来の!』、
『菩薩の行』を、
『失うことがない!』。
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是菩薩智慧無量。一切論議師不能窮盡亦不能壞。 |
是の菩薩の智慧は無量にして、一切の論議師も窮尽する能わず、亦た壊る能わず。 |
是の、
『菩薩の智慧は無量であり!』、
『一切の論議師には!』、
『窮めて!』、
『尽くすことができず!』、
亦た、
『壊ることもできない!』。
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是菩薩得是無礙智轉身受生時。一切五通仙人所有經書咒術智慧技能自然悉知。 |
是の菩薩は、是の無礙智を得れば、身を転じて生を受くる時、一切の五通仙人の有らゆる経書、咒術、智慧、技能を自然に悉く知る。 |
是の、
『菩薩』が、
是の、
『無礙智を得る!』と、
『身を転じて!』、
『生』を、
『受けた!』時にも、
一切の、
『五通の仙人』の、
『有らゆる経書、咒術、智慧、技能』を、
『自然に!』、
『悉く知ることになる!』。
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所謂四韋陀六鴦伽咒術。知日月五星經原夢經地動鬼語鳥語獸語四足獸鬼著人語國王相占豐儉日月五星鬥相醫藥章算數卜歌舞伎樂。如是等工巧技術諸經盡知明達。過一切人及諸外道。亦不自高亦不惱他。知是俗事不為涅槃。 |
謂わゆる四韋陀、六鴦伽、咒術、知日月五星経、原夢経、地動、鬼語、鳥語、獣語、四足獣、鬼著人の語、国王の相占、豊倹、日月、五星、闘相、医薬、章、算数、卜、歌舞、伎楽、是れ等の如き工巧、技術の諸経を尽く知り、明達して、一切の人、及び諸の外道に過ぎ、亦た自高せず、亦た他を悩ませず、是の俗事を知りて、涅槃の為とせず。 |
謂わゆる、
『四韋陀、六鴦伽、咒術、知日月五星経、原夢経、地動や!』、
『鬼語、鳥語、獣語、四足獣、鬼著人の語や!』、
『国王の相占、豊倹、日月、五星、闘相、医薬、章、算数、卜、歌舞、伎楽』、
是れ等のような、
『工巧、技術の諸経』を、
悉く、
『知って!』、
『明達(熟達)し!』、
一切の、
『人や、諸の外道を過ぎながら!』、
『自ら高ぶらず!』、
『他』を、
『悩ますこともなく!』、
是の、
『俗事を知りながらも!』、
『涅槃』を、
『目的としない!』。
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四韋陀(しいだ):韋陀は梵語veda。四種の婆羅門根本聖典なり。外道十八大経に摂す。『大智度論巻25上注:吠陀、十八大経』参照。
六鴦伽(ろくおうが):鴦伽は梵語aGga、即ち支分、部分の義。蓋し外道十八大経中所摂の六論の如し。『大智度論巻25上注:十八大経』参照。
原夢(げんむ):夢の根本を推求するの意。占夢。
地動(じどう):地の動くを以って、吉凶を推求する意。
豊倹(ぶけん):豊富と倹約。ゆたかとつづまやか。
五星(ごしょう):五箇の星の意。又五執とも云う。一に水星budha、又能星、辰星、鉤星、司農とも名づく。二に金星zukra、又太白、殷星、太正、熒星、明星とも名づく。三に火星aGgaaraka、又熒惑、赤星、執法、罰星と名づく。四に木星bRhaspati、又歳星、摂提、重華、経星と名づく。五に土星zanizcara、又鎮星、地候とも名づく。「大方等大集経巻40」に、「虚空の中を見るに諸の列宿日月五星あり、昼夜運行して各常度を守り、為に天下に於いて照明を作す」と云い、「宿曜経巻上」に、「五星は速を以って遅に至る。即ち辰星、大白、熒惑、歳、鎮なり。排して次第を為し、行度緩急斯に於いて彰る」と云える是れなり。此の中、歳星は木曜、即ち五行の中の木の精にして東方蒼帝の子なり。熒惑星は火曜、即ち火の精にして南方赤帝の子なり。鎮星は土曜、即ち土の精にして中方黄帝の子なり。太白星は金曜、即ち金の精にして西方白帝の子なり。辰星は水曜、即ち水の精にして北方黒帝の子なり。此の五星は天を一周するに遅速同じからず、鎮星は二十九年半、歳星は十二年、熒惑星は二歳、太白及び辰星は各一歳にして、人命星に至る毎に吉凶等しからず。「七曜攘災決」には一一其の攘災の法を明せり。彼の真言の行者が曼荼羅を建立し、行法を修せんとするに、先づ良晨を定むることは、此等宿曜諸尊の本誓と相契いて、以って能く吉祥にして諸障を離れ、円満に其の法を成就せんことを期するに由れるものなり。又「大方広菩薩文殊師利根本儀軌経巻3」、「七曜星辰別行法」、「梵天火羅九曜」、「宿曜儀軌」、「金光明経巻2四天王品」、「同巻3正論品」、「大日経疏巻4」等に出づ。<(望)
章(しょう):ふみ。文書。文章。てほん。儀表。表。亀鑑。軌範。
卜(ぼく):うらなうこと。卜相。卜占。卜筮。
工巧(くぎょう):大工。細工。
明達(みょうたつ):あきらかに事理に通じること。
自高(じこう):みずからたかぶる。自大。 |
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是菩薩成就四無礙智故。色力光明殊於諸梵。諸梵恭敬愛樂尊重心無所著。為如是等一切諸天所尊重恭敬亦無所著。但生無常苦空無我心。亦以神通發起諸天令心渴仰而為說法無盡無壞。斷除疑悔令住阿耨多羅三藐三菩提。是名摩訶衍中菩薩四無礙智力能度眾生。是名四無礙智義
大智度論卷第二十五 |
是の菩薩は、四無礙智を成就するが故に、色、力、光明を諸梵に殊にすれば、諸梵恭敬、愛楽、尊重するも、心に著する所無く、是れ等の如き一切の諸天に尊重、恭敬せらるるも、亦た著する所無く、但だ無常、苦、空、無我の心を生じて、亦た神通を以って、諸天を発起し、心に渇仰せしめ、為に法を説いて尽くること無く、壊るること無く、疑悔を断除して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。是れを摩訶衍中の菩薩の四無礙智の力は能く衆生を度すと名づけ、是れを四無礙智の義と名づく。
大智度論巻第二十五 |
是の、
『菩薩』は、
『四無礙智を成就する!』が故に、
『色、力、光明』が、
『諸の梵より!』も、
『殊勝であり!』、
諸の、
『梵』に、
『恭敬、愛楽、尊重される!』が、
『心』が、
是の、
『色、力、光明』に、
『著することはなく!』、
是れ等のような、
一切の、
『諸天』に、
『尊重、恭敬されながら!』、
是の、
『尊重、恭敬に!』、
『著することもなく!』、
但だ、
『無常、苦、空、無我』の、
『心』を、
『生じるだけで!』、
亦た、
『神通を用いて!』、
諸の、
是の、
『天』の為に、
『法を説いて!』、
『尽きることもなく!』、
『壊られることもなく!』、
『疑、悔を断除して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『住まらせる!』。
是れを、
『摩訶衍』中の、
『菩薩の四無礙智の力』は、
『衆生を度することができる!』と、
『称し!』、
是れを、
『四無礙智の義』と、
『称する!』。
大智度論巻第二十五 |
発起(ほっき):発憤してたたせる。他の人を発揚し鼓動すること。 |
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