巻第二十五(上)
大智度論釋初品中四無畏義第四十
1.四無所畏の相
2.四無所畏の因縁
3.四無所畏と十力
4.四無所畏の解釈
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大智度論釋初品中四無畏義第四十(卷二十五)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


四無所畏の相

四無所畏者。佛作誠言。我是一切正智人。若有沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾。如實言是法不知。乃至不見是微畏相。以是故我得安隱得無所畏安住聖主處。如牛王在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾實不能轉。一無畏也。 四無所畏とは、仏の誠言を作したまわく、『我れは、是れ一切正智の人なり。若し沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆有りて、如実に、『是の法を知らず』、と言わんに、乃至、『是に微な畏相すら見(あらわ)れざらん。是を以っての故に、我れは安隠を得て、無所畏を得、聖主の処に安住すること、牛王の大衆中に在るが如く、師子吼して、能く梵輪を転ず。諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆は、実に転ずる能わず』、と。一の無畏なり。
『四無所畏』とは、――
『仏』は、
『誠言』を、こう作された、――
わたしは、
『一切正智の人である!』。
若し、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆が有り!』、
如実に、こう言ったとしても、――
是の、
『法』は、
『知らないだろう!』、と。
わたしは、
是(ここ)に於いて、
乃至、
『微な畏相すら!』、
『見せないだろう!』。
是の故に、
わたしは、
『安隠を得て!』、
『無所畏を得!』、
例えば、
『牛王(印度に於いて牛は聖獣であるが故に)』が、
『大衆』中に、
『在るように!』、
『聖主』の、
『処(居間)』に、
『安住しながら!』、
『師子吼して!』、
『梵輪』を、
『転じることができるのである!』。
諸の、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆』は、
実に、
『梵輪』を、
『転じることはできない!』。
是れが、
『一の!』、
『無畏である!』。
  四無所畏(しむしょい):仏菩薩に有る四種の無所畏。『大智度論巻5下注:四無所畏』参照。
  参考:『摩訶般若波羅蜜経巻5』:『復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂四無所畏。何等四。佛作誠言。我是一切正智人。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾如實難言。是法不知乃至不見是微畏相。以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾實不能轉。一無畏也。佛作誠言。我一切漏盡。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾如實難言。是漏不盡乃至不見是微畏相。以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾實不能轉。二無畏也。佛作誠言。我說障法。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾如實難言。受是法不障道。乃至不見是微畏相。以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾實不能轉。三無畏也。佛作誠言。我所說聖道。能出世間隨是行能盡苦。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾如實難言。行是道不能出世間不能盡苦。乃至不見是微畏相。以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘眾實不能轉。四無畏也。須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故』。
  参考:『増一阿含経巻19四諦品第二十七』:『聞如是。一時。佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時。世尊告諸比丘。如來出世有四無所畏。如來得此四無所畏。便於世間無所著。在大眾中而師子吼轉於梵輪。云何為四。我今已辦此法。正使沙門.婆羅門.魔.若魔天。蜎飛蠕動之類。在大眾中言我不成此法。此事不然。於中得無所畏。是為第一無所畏。如我今日諸漏已盡。更不受胎。若有沙門.婆羅門。眾生之類。在大眾中言我諸漏未盡者。此事不然。是謂第二無所畏。我今已離愚闇法。欲使還就愚闇之法者。終無此處。若復沙門.婆羅門.魔.若魔天。眾生之類。在大眾中言我還就愚闇之法者。此事不然。是謂如來三無所畏。諸賢聖出要之法。盡於苦際。欲使不出要者。終無此處。若有沙門.婆羅門.魔.若魔天。眾生之類。在大眾中言如來不盡苦際者。此事不然。是謂如來四無所畏。如是。比丘。如來四無所畏在大眾之中。能師子吼轉於梵輪。如是。比丘。當求方便。成四無所畏。如是。諸比丘。當作是學。爾時。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』。
佛作誠言。我一切漏盡。若有沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾。如實言是漏不盡。乃至不見是微畏相。以是故我得安隱得無所畏安住聖主處。如牛王在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾實不能轉。二無畏也。 仏の誠言を作したまわく、『我れは、一切の漏尽きたり。若し沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆有りて、如実に、『是の漏は尽きず』、と言わんに、乃至、『是に微な畏相すら見(あらわ)さざらん。是を以っての故に、我れは安隠を得て、無所畏を得、聖主の処に安住すること、牛王の大衆中に在るが如く、師子吼して、能く梵輪を転ず。諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆は、実に転ずる能わず』、と。二の無畏なり。
『仏』は、
『誠言』を、こう作された、――
わたしは、
『一切の漏が尽きた!』。
若し、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆が有り!』、
『如実に!』、こう言ったとしても、――
是の、
『漏』は、
『尽きてないだろう!』、と。
わたしは、
是に於いて、
乃至、
『微な畏相すら!』、
『見せないだろう!』。
是の故に、
わたしは、
『安隠を得て!』、
『無所畏を得!』、
例えば、
『牛王』が、
『大衆』中に、
『在るように!』、
『聖主』の、
『処』に、
『安住しながら!』、
『師子吼して!』、
『梵輪』を、
『転じることができるのである!』。
諸の、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆』は、
実に、
『梵輪』を、
『転じることはできない!』。
是れが、
『二の!』、
『無畏である!』。
佛作誠言我說障法。若有沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾。如實言受是障法不障道。乃至不見是微畏相。以是故我得安隱得無所畏安住聖主處。如牛王在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾實不能轉。三無畏也。 仏の誠言を作したまわく、『我れは、障法を説けり。若し沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆有りて、如実に、『是の障法は、道を障えず』、と言わんに、乃至、『是に微な畏相すら見さざらん。是を以っての故に、我れは安隠を得て、無所畏を得、聖主の処に安住すること、牛王の大衆中に在るが如く、師子吼して、能く梵輪を転ず。諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆は、実に転ずる能わず』、と。三の無畏なり。
『仏』は、
『誠言』を、こう作された、――
わたしは、
『障法を説いた!』。
若し、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆が有り!』、
『如実に!』、こう言ったとしても、――
是の、
『障法』は、
『道を障()えない(邪魔しない)!』、と。
わたしは、
是に於いて、
乃至、
『微な畏相すら!』、
『見せないだろう!』。
是の故に、
わたしは、
『安隠を得て!』、
『無所畏を得!』、
例えば、
『牛王』が、
『大衆』中に、
『在るように!』、
『聖主』の、
『処』に、
『安住しながら!』、
『師子吼して!』、
『梵輪』を、
『転じることができるのである!』。
諸の、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆』は、
実に、
『梵輪』を、
『転じることはできない!』。
是れが、
『三の!』、
『無畏である!』。
佛作誠言。我所說聖道能出世間。隨是道能盡諸苦。若有沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾。如實言行是道不能出世間。不能盡苦。乃至不見是微畏相。以是故我得安隱得無所畏安住聖主處。如牛王在大眾中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵若復餘眾實不能轉。四無畏也。 仏の誠言を作したまわく、『我が所説の聖道は、能く世間を出で、是の道に随えば、能く諸苦を尽くす。若し沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆有りて、如実に、『是の道は、世間を出づる能わずして、苦を尽くす能わず』、と言わんに、乃至、『是に微な畏相すら見さざらん。是を以っての故に、我れは安隠を得て、無所畏を得、聖主の処に安住すること、牛王の大衆中に在るが如く、師子吼して、能く梵輪を転ず。諸の沙門、婆羅門、若しは天、若しは魔、若しは梵、若しは復た余の衆は、実に転ずる能わず』、と。四の無畏なり。
『仏』は、
『誠言』を、こう作された、――
わたしの説いた、
『聖法』は、
『世間』を、
『出ることができ!』、
是の、
『道に随えば!』、
『諸の苦』を、
『尽くすことができる!』。
若し、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆が有り!』、
『如実に!』、こう言ったとしても、――
是の、
『道』は、
『世間を出られず!』、
『苦』を、
『尽くせない!』、と。
わたしは、
是に於いて、
乃至、
『微な畏相すら!』、
『見せないだろう!』。
是の故に、
わたしは、
『安隠を得て!』、
『無所畏を得!』、
例えば、
『牛王』が、
『大衆』中に、
『在るように!』、
『聖主』の、
『処』に、
『安住しながら!』、
『師子吼して!』、
『梵輪』を、
『転じることができるのである!』。
諸の、
『沙門、婆羅門や、天や、魔や、梵や、余の衆』は、
実に、
『梵輪』を、
『転じることはできない!』。
是れが、
『四の!』、
『無畏である!』。



四無所畏の因縁

問曰。以何事故說四無所畏。 問うて曰く、何事を以っての故にか、四無所畏を説く。
問い、
何のような、
『事』の為の故に、
『四無所畏』を、
『説かれたのですか?』。
答曰。有人言。佛自稱一切智一切見。世間一切經書技術智巧方便甚多無量。若一切眾生共知一切事猶尚難。況佛一人而有一切智。或有是事有是難。佛將無有畏而欲斷是疑妄。斷是難故佛說四無所畏。 答えて曰く、有る人の言わく、『仏は、自ら、『一切智、一切見なり』、と称したまえるも、世間の一切の経書、技術、智巧、方便は甚だ多くして、無量なり。若し一切の衆生共に、一切事を知るすら、猶尚お難し。況んや仏一人にして、一切智有るをや。或は是の事有りとも、是の難有らん。仏は、畏有ること無きを将(も)って、是の疑妄を断ち、是の難を断たんと欲するが故に、仏は、四無所畏を説きたまえり』、と。
答え、
有る人は、こう言っている、――
『仏』は、
自ら、
『一切智、一切見である!』と、
『称されている!』が、
『世間』の、
一切の、
『経書、技術、智巧、方便』は、
『甚だ多く!』、
『無量である!』。
若し、
一切の、
『衆生が共に!』、
一切の、
『事』を、
『知るのだとしても!』、
猶お、
一切を、
『知る!』のは、
『難しい!』。
況して、
『仏一人に!』、
『一切智など!』、
『有るはずがない!』。
或は、
是の、
『事が有ったとしても!』、
是の、
『難(非難)』は、
『有るはずである!』。
『仏』は、
『畏の無い!』が故に、
是の、
『疑惑、妄見』を、
『断とう!』と、
『思われ!』、
是の、
『難』を、
『断とう!』と、
『思われた!』が故に、
『仏』は、
『四無所畏』を、
『説かれたのである!』、と。
  (しょう):<動詞>扶助する/支持する( support )、奉行する( follow )、送行する( send )、携帯する( bring )、領導する( lead, guide )、服従する/随従する( be obedient to , submit to )、供養する( provide for )、保養する/休養する( recuperate, rest maintain )、伝達する( express )、進む/行く( advance, go )。<副詞>必ず/必定/当に~すべし( certainly )、要ず/まさに~せんとす( will, be going to )、正に( just )、ほとんど( nearly )、豈/何ぞ/どうして( how can )。<前置詞>~によって/~を以って/~を用いて( by, by means of )、於いて/在って( at, in )。<接続詞>又/且つ( also )、若し( if )、或は( or )。<助詞>動詞の後に在って、動作/行為の趣向、或は親交を表示する。
復次若佛未出世間。外道等種種因緣。欺誑求道求福人。或食種種果。或食種種菜。或食種種草根。或食牛屎。或日一食稊稗。或二日或十日。一月二月一食。或噏風飲水或食水衣。如是等種種食。或衣樹皮樹葉草衣鹿皮。或衣板木。或在地臥。或臥杵上枝上灰上棘上。或寒時入水。或熱時五熱自炙。或入水死入火死投巖死斷食死。 復た次ぎに、若し仏、未だ世間に出でたまわざれば、外道等、種種の因縁もて、求道求福の人を欺誑して、或は種種の果を食い、或は種種の菜を食い、或は種種の草根を食い、或は牛屎を食い、或は日に稊稗を一食し、或は二日、或は十日、一月、二月に一食し、或は風を噏(す)うて、水を飲み、或は水衣を食い、是れ等の如く種種に食して、或は樹皮、樹葉、草衣、鹿皮を衣とし、或は板木を衣とし、或は地に在りて臥し、或は杵上、枝上、灰上、棘上に臥し、或は寒時に水に入り、或は熱時に五熱もて自ら炙り、或は水に入りて死し、火に入りて死し、巌より投じて死し、食を断ちて死せん。
復た次ぎに、
若し、
『仏』が、
未だ、
『世間』に、
『出られなければ!』、
『外道』等が、
種種の、
『因縁』で、
『求道の人』や、
『求福の人』を、
『虚誑して!』、
或は、
種種の、
『果』を、
『食い!』、
或は、
種種の、
『菜』を、
『食い!』、
或は、
種種の、
『草の根』を、
『食い!』、
或は、
『牛の屎(くそ)』を、
『食い!』、
或は、
『日ごとに!』、
『稊稗(いぬびえ)』を、
『一食し!』、
或は、
『二日とか!』、
『十日、一月、二月とか!』に、
『一食し!』、
或は、
『風を噏()って!』、
『水』を、
『飲み!』、
或は、
『水衣(水苔)』を、
『食い!』、
是れ等のような、
種種の、
『食』を、
『食い!』、
或は、
『樹皮、樹葉、草衣、鹿皮』を、
『衣とし!』、
或は、
『板木』を、
『衣とし!』、
或は、
『地』に、
『臥せ!』、
或は、
『杵上、枝上、灰上、棘上』に、
『臥せ!』、
或は、
『寒時』に、
『水』に、
『入り!』、
或は、
『熱時』に、
自ら、
『五熱』に、
『炙り!』、
或は、
『水』に、
『入って!』、
『死に!』、
或は、
『火』に、
『入って!』、
『死に!』、
或は、
『巌より!』、
『身を投げて!』、
『死に!』、
『食』を、
『断って!』、
『死ぬだろう!』。
  牛屎(ごし):うしのくそ。牛糞。
  稊稗(ていひ):ひえ。いぬびえ。善からぬ穀。転じて、つまらぬこと。
  (きゅう):すう。吸。
  水衣(すいえ):水藻の名。あおさ。池沢中に生じ、青緑色、紙を製し、又食用となる。水苔。
  (しょ):きね。きねに似たる武器の名。
  (ざい):に。おいて。於。
  五熱(ごねつ):身の四方には火を焚き、上は日に炙る。「法苑珠林巻79」に、「癡犬と言うは、即ち是れ外道は五熱に身を炙るも、心の本を識らず(四面に火を安き、上には日有りて炙る)」と云える即ち是れなり。
如是等種種苦行法中。求天上求涅槃。亦教弟子令不捨是法。如是引致少智眾生以得供養。譬如螢火虫日未出時少多能照。若日出時千光明照。月及眾星皆無有明豈況螢火。若佛未出世。諸外道輩小明照世得供養。 是れ等の如き、種種の苦行法中に、天上を求め、涅槃を求め、亦た弟子を教えて、是の法を捨てざらしめ、是の如く少智の衆生を引致して、以って供養を得。譬えば蛍火虫の如し、日未だ出でざる時には、少多を能く照らすも、若し日出づる時には、千光明照すれば、月及び衆星皆、明有ること無く、豈況んや蛍火をや。若し仏未だ世に出でざれば、諸の外道の輩、小しく世を明照して、供養を得ん。
是れ等のような、
種種の、
『苦行の法』中に、
『天上』に、
『生まれよう!』と、
『求めたり!』、
『涅槃』を、
『得よう!』と、
『求めて!』、
亦た、
『弟子を教えて!』、
是の、
『法』を、
『捨てさせず!』、
是のように、
『少智の衆生』を、
『誘引、招致して!』、
それで、
『供養』を、
『得るのである!』。
譬えば、
『蛍火虫』が、
『日が出ていない!』時には、
『少しばかり!』を、
『照らすことができる!』が、
若し、
『日が出た!』時には、
『千光』が、
『明照する!』が故に、
『月や、衆星』が、
皆、
『明るくなくなるのであり!』、
況して、
『蛍火など!』、
『言うまでもないようなものである!』。
若し、
『仏』が、
『世に出ていられなければ!』、
諸の、
『外道の輩』が、
『世間』を、
『少しだけ!』、
『明照して!』、
『供養』を、
『得るのである!』。
  引致(いんち):ひきよせる。めしつれる。ひき立てる。拘引する。
  蛍火虫(けいかちゅう):ほたる。
佛出世時以大智光明。滅諸外道及其弟子皆不復得供養。以失供養利故。便妄語謗佛及佛弟子。如孫陀利經中說。自殺孫陀利而謗佛。語眾人言。世間弊人尚不為是。是人世間禮法尚不能知。何況涅槃。 仏の世に出でたもう時には、大智の光明を以って、諸の外道、及び其の弟子を滅すればば、皆、復た供養を得ず。供養の利を失うを以っての故に、便ち妄語して、仏及び仏弟子を謗る。『孫陀利経』中に説けるが如く、自ら孫陀利を殺せしに、仏を謗りて、衆人に語りて言わく、『世間の弊人すら、尚お是れを為さず。是の人は世間の礼法すら、尚お知る能わず。何に況んや、涅槃をや』、と。
『仏』が、
『世に出られた!』時には、
『大智の光明』で、
諸の、
『外道と!』、
其の、
『弟子と!』を、
『滅される!』ので、
皆は、
復た(もう)、
『供養』を、
『得られなくなり!』、
諸の、
『外道』は、
『供養という!』、
『利を失う!』が故に、
便ち、
『妄語して!』、
『仏と仏弟子と!』を、
『謗ったのである!』。
例えば、
『孫陀利経』中には、こう説かれている、――
諸の、
『外道たち!』は、
自ら、
『孫陀利』を、
『殺しておきながら!』、
而も、
『衆人に語って!』、こう言ったのである、――
是のような、
『事』は、
『世間の弊人(悪人)すら!』、
尚お、
『為さない!』。
是の、
『人』は、
『世間の礼法すら!』、
尚お、
『知ることができないのだ!』。
況して、
『涅槃の事など!』、
『知るはずがない!』、と。
  孫陀利(そんだり):梵名sundarii。又須陀利、酸陀利、酸陀難提に作り、好首、或いは可愛と訳す。仏を誹謗せんが為に外道に謀殺されし婬女の名。仏曽て舎衛国祇園精舎に在りし時、其の徳望既に高く、国王人民挙りて仏を供養し、復た諸外道を尊重する者なし。時に国中の外道之を嫉み、謀りて仏を毀けんと欲し、婬女孫陀利をして強いて朝暮に仏所に至り、又屡精舎に往来せしめ、諸人為に仏及び諸弟子の持戒徳行を疑うに至れり。後諸外道は更に孫陀利を殺害して其の尸を祇樹に埋め、王宮に至りて彼の女の所在を知らずと揚言す。王其の女は常に何処に在りしやを問うに、常に沙門瞿曇の所を往来せりと答えたるを以って、王は即ち吏兵を遣わして祇樹の間を捜索し、果して孫陀利の死屍を得たり。是に於いて悪声里巷に満ち、比丘等城に入りて乞食するも、人遙かに之を見て罵辱し、復た供養する者なし。時に仏諸比丘に告げて曰わく、我れ此の妄謗を被るも七日を過ぎざるのみと。乃ち阿難をして城に入りて法を説かしめ、為に諸里皆悉く実なきを覚り、後其の外道の所為なること露見するに及び、王大いに怒りて諸外道を国外に放逐せりと云える是れなり。「興起行経巻上孫陀利宿縁経」、及び「孛経抄」等に各孫陀利過去の宿縁を説けり。又「六度集経巻5釈家畢罪経」、「仏五百弟子自説本起経世尊品」、「義足経巻上須陀利経」、「菩薩処胎経巻7行品」、「大智度論巻25」、「翻梵語巻6」等に出づ。<(望)
  参考:『興起行経巻上孫陀利宿縁経』:『佛說孫陀利宿緣經第一。聞如是。一時佛在阿耨大泉。與大比丘五百人俱。皆是阿羅漢。六通神足。大有名稱。端正姝好。各有眾相。不長不短。不白不黑。不肥不瘦。色猶紅蓮華。皆能伏心意。唯除一比丘。何者阿難是也。舍利弗。自從華座起。整衣服。偏露右臂。右膝跪蓮華座。向佛叉手。問世尊言。世尊無事不見。無事不聞。無事不知。世尊無雙比。眾惡滅盡。諸善普備。諸天龍神。帝王臣民。一切眾生。皆欲度之。世尊今故現有殘緣。願佛自說此緣。使天人眾生聞者開解。以何因緣。孫陀利來誹謗。以何因緣。坐奢彌跋提被謗。及五百羅漢。以何因緣。世尊頭痛。以何因緣。世尊骨節疼痛。以何因緣。世尊脊背強。以何因緣。剛木刺其腳。以何因緣。地婆達兜。以崖石擲。以何因緣。多舌女人。帶杅大眾中。有漏無漏。前來相誹謗曰。何以不自說家事乃為他說為。我今臨產。當須酥油。以何因緣。於毘蘭邑。與五百比丘食馬麥。以何因緣。在鬱祕地。苦行經六年。謂呼當得佛。佛語舍利弗。還復華座。吾當為汝說先世諸因緣。舍利弗即便還復本座。阿耨大龍王。聞佛當說緣法。踊躍歡喜。即為佛作七寶交露蓋。蓋中雨栴檀末香。周遍諸座。無數諸天龍鬼神乾沓和阿須倫迦樓羅甄陀羅摩休勒。皆來詣佛。叉手作禮。圍遶而立。佛便為舍利弗說。往昔過去世。波羅奈城中。有博戲人。名曰淨眼。巧於歌戲。爾時有婬女。名曰鹿相。端正姝好。嚴淨無比。時淨眼往至鹿相所。語此女曰。當共出外詣樹園中。求於好地。共相娛樂。女答曰可爾。鹿相便歸。莊嚴衣服。詣淨眼家。淨眼即嚴駕好車。與鹿相共載。出波羅奈城。至於樹園。共相娛樂。經於日夜。淨眼睹其衣服珍妙。便生貪心。當殺此女取其衣服。復念殺已當云何藏之。時此園中。有辟支佛。名樂無為。去其所止不遠。淨眼又念。此辟支佛。晨入城乞食後。我當殺鹿相。埋其廬中。持衣而歸。誰知我處。明旦辟支佛。即入城乞食。淨眼於後。便殺鹿相。脫衣服取。埋屍著樂無為廬中。平地如故。便乘車從餘門入城。爾時波羅奈國王。名梵達。國人不見鹿相。遂徹國王。眾人白王。鹿相不見。王即召群臣。遍詣里巷戶至覓之。諸臣受教。如命覓之。遍覓不得。便復出城。見樹間眾鳥飛翔其上。眾人便念。城中已遍不得。此必有以當共往彼。即尋便往到樂無為廬前。搜索得屍。諸臣語樂無為曰。已行不淨。胡為復殺。辟支佛。默然不答。問如此至三。不答如前。樂無為。手腳著土。此是先世因緣。故默不答。眾臣便反縛樂無為。拷打問辭。樹神人現出半身。語眾人曰。莫拷打此人。眾臣曰。何以不打。神曰。此無是法。終不行是。諸臣雖聞神言。不肯聽用。將此樂無為。徑詣王所。白王曰。此道士。行不淨已。又復殺之。王聞是語。瞋恚大喚。語諸大臣看是道士。行於非法。應當爾耶。王敕諸臣。急縛驢[馬*太]。打鼓遍巡。然後出城南門。將至樹下。鐵鉾[矛*贊]之。貫著竿頭。聚弓射之。若不死者。便斬其頭。諸臣受教。急縛驢[馬*太]。打鼓巷至巡之。國人見之。皆怪所以。或有信者或不信者。眾人集觀。喚呼悲傷。於是淨眼。在破牆中。藏聞眾人云云聲。便於牆中。傾顧盜視。見樂無為反縛驢[馬*太]眾人逐行。見已心念。此道士無故見[打- 丁+王]當死。此不應有愛欲。我自殺鹿相。非道士殺。我自受死。當活道士。淨眼念已。便出走趣大眾。普喚上官曰。莫困殺此道士。非道士殺鹿相。是我殺之耳。願放此道士。縛我隨罪治我。諸上官皆驚愕曰。何能代他受罪。即共解辟支佛縛。便捉淨眼。反縛如前。諸上官等。皆向辟支佛。作禮懺悔。我等愚癡。無故[打- 丁+王]困道士。當以大慈原赦我罪。莫使我將來受此重殃。如是至三。樂無為辟支佛。默然不答。辟支佛心念。我不宜更入波羅奈城乞食。我但當於此眾前取滅度耳。辟支佛。便於眾前。踊升虛空。於中往反。坐臥住立。腰以下出煙。腰以上出火。或復腰以下出火。腰以上出煙。或左脅出煙。右脅出火。或左脅出火。右脅出煙。或腹前出煙。背上出火。或腹前出火。背上出煙。或腰以下出火。腰以上出水。或腰以下出水。腰以上出火。或左脅出火。右脅出水。或左脅出水。右脅出火。或腹前出水。背上出火。或腹前出火。背上出水。或左肩出水。右肩出火。或左肩出火。右肩出水。或兩肩出水。或兩肩出火。然後舉身出煙。舉身出火。舉身出水。即於空中。燒身滅度。於是大眾。皆悲涕泣。或有懺悔。或有作禮者。取其舍利。於四衢道。起偷婆。諸上官即將淨眼。詣王梵達。此人殺鹿相。非是道士殺。王便瞋此監司。前時何為妄白虛事云。此人殺人。今云非也。乃使我作虛妄之人抂困道士。諸臣白王。於時頻問道士。何為殺人也。時道士默不見答。叉手腳復著土。以是故。臣等謂呼其殺人。王便敕臣。驢駄此人。於城南先以鉾[矛*贊]之。然後立竿貫頭。聚弓射之。若不死者。便斫其頭。諸臣受教。即以驢[馬*太]。打鼓遍巡已。出城南詣樹下。以鉾[矛*贊]貫木。聚弓射之。然後斫頭。佛語舍利弗。汝乃知爾時淨眼者不。則我身是。舍利弗。汝復知鹿相者不。則今孫陀利是。舍利弗。汝知爾時梵達王不。則今執杖釋種是舍利弗。我爾時殺鹿相。[打- 丁+王]困辟支佛。以是罪故。無數千歲。在泥犁中煮。及上劍樹。無數千歲在畜生中。無數千歲在餓鬼中。爾時餘殃。今雖作佛。故獲此孫陀利謗於。是佛自說宿命因緣偈曰 我先名淨眼  乃是博戲人  辟支名樂無  無過致困苦  此有真淨行  為眾所擾惱  毀辱而縛束  復欲驅出城  見此辟支佛  困辱被繫縛  我起慈悲心  使令得解脫  以是因緣故  久受地獄苦  乃爾時殘殃  今故被誹謗  我今斷後生  便盡於是世  坐此孫陀利  故得其誹謗  因緣終不脫  亦不著虛空  當護三因緣  終始不可犯  我自成尊佛  得為三界將  故說先因緣  阿耨大泉中  佛語舍利弗。汝觀如來。眾惡皆盡。諸善普備。能度天龍鬼神帝王臣民蠉飛蠕動。皆使得度無為安樂。雖有是功德。猶不免於宿緣。況復愚冥未得道者。不攝身口意。此等當如何。佛語舍利弗。汝當學是。及諸羅漢。并一切眾生。當護身三口四意三。舍利弗。汝當學是。并及一切。佛說是時。舍利弗及五百羅漢。阿耨大龍王天龍鬼神乾沓和阿須倫迦樓羅甄陀羅摩休勒。聞佛所說。歡喜受行』
  孫陀利(そんだり):須陀利(すだり)、仏を誹謗せんが為に外道に謀殺されし婬女の名。仏かつて舎衛国祇園精舎に在りし時、その徳望既に高く、国王人民挙りて仏を供養し、復た外道を尊重する者なし。時に国中の外道これを嫉み、謀りて仏を毀(きずつ)けんと欲し、婬女孫陀利をして強いて朝暮に仏所に至り、またしばしば精舎に往来せしめ、諸人為に仏及び諸弟子の持戒徳行を疑うに至れり。後諸外道は更に孫陀利を殺害してその屍を祇園樹林に埋め、王宮に至りて彼の女の所在を知らずと揚言す。王その女は常に何処に在りしやを問うに、常に沙門瞿曇の所を往来せりと答えたるを以って、王は即ち吏兵を遣わして祇樹の間を捜索し、果たして孫陀利の死屍を得たり。ここに於いて悪声里巷に満ち、比丘等城に入りて乞食するも、人遙かにこれを見て罵辱し、復た供養する者なし。時に仏諸比丘に告げて曰はく、われこの妄謗を被るも七日を過ぎざるのみと。乃ち阿難をして城に入りて法を説かしめ、為に諸里ようやく実なきを覚り、後にその外道の所為なること露見するに及び、王大いに怒りて諸外道を国外に放逐せり。『孫陀利宿縁経(仏説興起行経巻上)』によれば、釈尊は過去に浄眼(じょうげん)という博戯人(ばくち打ち)であった。ある日、鹿相(ろくそう)という婬女を誘い波羅奈(はらな)城外の樹園に遊んだ時、鹿相の着衣等に目がくらみ殺して奪う。これが為に地獄の罪を受けたのであるが、人として生まれた今、孫陀利となって生まれ変わった鹿相に謗られる。また『仏五百弟子自説本起経』によれば、仏は、かつて須陀利という仙人を誹謗したために、その娘に五百の弟子と共に誹謗されたとある。(『大智度論巻9上』参照)
佛欲滅如是等誹謗故。自說實功德四無所畏言我獨是一切智人。無有能如實言佛不能知。我不畏是事。我獨一切諸漏及習盡。無有能如實言佛漏未盡。我不畏是事。我說遮涅槃道法。無有能如實言。是法不能遮涅槃。佛不畏是事。佛說苦盡道達到涅槃。無有能如實言。是道不能到涅槃。佛不畏是事。 仏は、是れ等の如き誹謗を滅せんと欲するが故に、自ら、実の功徳なる、四無所畏を説いて言わく、『我れ独り、是れ一切智の人なり。能く如実に、仏は知る能わずと言う有ること無ければ、我れは是の事を畏れず。我れ独り、一切の諸漏、及び習尽きたり。能く如実に仏の漏は未だ尽きずと言う有ること無ければ、我れは是の事を畏れず。我れは涅槃の道を遮る法を説けり。能く如実に、是の法は涅槃を遮る能わずと言うもの有ること無ければ、仏は、是の事を畏れず。仏は、苦尽くる道は涅槃に到達すと説けり。能く如実に、是の道は涅槃に到る能わずと言う有ること無ければ、仏は是の事を畏れず』、と。
『仏』は、
是れ等のような、
『誹謗』を、
『滅しよう!』と、
『思われた!』が故に、
自ら、
『実の功徳である!』、
『四無所畏』を、
『説いて!』、
こう言われた、――
わたし、
独りだけが、
『一切智』の、
『人である!』。
如実に、
『仏は知らない!』と、
『言うことのできる!』者は、
『無い!』ので、
わたしは、
是の、
『事』を、
『畏れない!』。
わたし、
独りだけが、
『一切の漏と、習と!』が、
『尽きている!』。
如実に、
『仏の漏は未だ尽きていない!』と、
『言うことのできる!』者は、
『無い!』ので、
わたしは、
是の、
『事』を、
『畏れない!』。
わたしは、
已に、
『涅槃の道』を、
『遮る法』を、
『説いた!』。
如実に、
『是の法は、涅槃を遮ることができない!』と、
『言うことのできる!』者は、
『無い!』ので、
わたしは、
是の、
『事』を、
『畏れない!』。
わたしは、
已に、
『苦の尽きる道』は、
『涅槃に到達する!』と、
『説いた!』。
如実に、
『是の道は、涅槃に到達することができない!』と、
『言うことのできる!』者は、
『無い!』ので、
わたしは、
是の、
『事』を、
『畏れない!』、と。



四無所畏と十力

略說是四無所畏體。一者正知一切法。二者盡一切漏及習。三者說一切障道法。四者說盡苦道。是四法中若有如實言不能盡遍知。佛不畏是事。何以故。正遍知了了故。 是の四無所畏の体を略説すれば、一には一切法を正知し、二には一切の漏及び習を尽くし、三には一切の障道の法を説き、四には尽苦の道を説くことなり。是の四法中に、若しは如実に、『尽く遍く知る能わず』、と言うこと有らんにも、仏は、是の事を畏れたまわず。何を以っての故に、正しく遍く知りて、了了なるが故なり。
是の、
『無所畏の体(本質)を略説すれば!』、――
一には、
一切の、
『法』を、
『正知すること!』、
二には、
一切の、
『漏と習と!』を、
『尽くすこと!』、
三には、
一切の、
『道を障える法』を、
『説くこと!』、
四には、
『苦を尽くす!』為の、
『道』を、
『説くことである!』。
是の、
『四法』中に、
若し、
『如実に!』、こう言ったとしても、――
尽くを、
『遍く!』、
『知ることはできない!』、と。
『仏』は、
是の、
『事』を、
『畏れない!』。
何故ならば、
『正しく遍く知って!』、
『了了とされているからである!』。
  (たい):体質或は体性を指す。即ち法の主質、又は其の存立の根本条件となるべき実体を云う。『大智度論巻32上注:体』参照。
初二無畏為自功德具足故。後二無畏為具足利益眾生故。 初の二無畏は、自らの功徳の具足せるが為の故にして、後の二無畏は、具足して衆生を利益するが為の故なり。
『初の二無畏』は、
自らの、
『功徳』が、
『具足している!』が故に、
『説かれ!』、
『後の二無畏』は、
具足して、
『衆生』を、
『利益された!』が故に、
『説かれた!』。
復次初第三第四無畏中說智。第二無畏中說斷。智斷具足故。所為事畢。 復た次ぎに、初、第三、第四無畏中には、智を説き、第二無畏中には断を説いて、智、断具足するが故に、為す所の事畢(おわ)れり。
復た次ぎに、
『初、第三、第四無畏』中には、
『智』が、
『説かれており!』、
『第二無畏』中には、
『断』が、
『説かれている!』が、
『智、断が具足する!』が故に、
『為すべき事』が、
『畢(おわ)ったのである!』。
問曰。十力皆名智。四無所畏亦是智。有何等異。 問うて曰く、十力は、皆智と名づけ、四無所畏も亦た是れ智なり。何等の畏か有る。
問い、
『十力』は、
皆、
『智であり!』、
『四無所畏』も、
亦た、
『智である!』。
何のような、
『異』が、
『有るのですか?』。
  十力(じゅうりき):仏のみ成就する十種の智力。即ち是処不是処、業報、禅定解脱三昧、上下根、種種欲、種種性、一切至処道、宿命、生死、漏尽に関する十種の智力を云う。『大智度論巻16上注:十力、巻24上』参照。
答曰。廣說佛諸功德是力。略說是無畏。 答えて曰く、仏の諸功徳を広説すれば、是れ力、略説すれば、是れ無畏なり。
答え、
『仏の諸功徳』を、
『広く!』、
『説けば!』、
『力であり!』、
『略して!』、
『説けば!』、
『無畏である!』。
復次能有所作是力。無所疑難是無畏。智慧集故名力。散諸無明故名無畏。集諸善法故名力。滅諸不善法故名無畏。自有智慧故名力。無能壞者故名無畏。智慧猛健是力。堪受問難是無畏。集諸智慧是名力。智慧外用是無畏。 復た次ぎに、能く所作有る、是れ力、疑難する所無き、是れ無畏なり。智慧の集まるが故に、力と名づけ、諸の無明を散ずるが故に、無畏と名づく。諸の善法を集むるが故に、力と名づけ、諸の不善法を滅するが故に、無畏と名づく。自ら智慧を有するが故に、力と名づけ、能く壊る者無きが故に、無畏と名づく。智慧の猛健なる、是れ力、問難を堪受する、是れ無畏なり。諸の智慧を集むる、是れを力と名づけ、智慧の外用、是れ無畏なり。
復た次ぎに、
『作す!』所の、
『能力』が、
『力であり!』、
『疑難する!』所の、
『無い!』のが、
『無畏である!』。
『智慧』の、
『集積』が、
『力であり!』、
『諸の無明』を、
『散らすこと!』が、
『無畏である!』。
『諸の善法』を、
『集める!』が故に、
『力と呼ばれ!』、
『諸の不善法』を、
『滅する!』が故に、
『無畏と呼ばれる!』。
『自ら!』、
『智慧を有する!』が故に、
『力と呼ばれ!』、
『誰にも!』、
『壊られない!』が故に、
『無畏と呼ばれる!』。
『智慧』が、
『勇猛・健全である!』のが、
『力であり!』、
『問難』を、
『堪受する!』のが、
『無畏である!』。
『諸の智慧』を、
『集める!』のが、
『力であり!』、
『智慧』を、
『外に用いる!』のが、
『無畏である!』。
譬如轉輪聖王七寶成就是力。得是七寶已。周四天下無不降伏。是名無畏。又如良醫善知藥方是名力。合和諸藥與人是名無畏。 譬えば転輪聖王の七宝成就せるが如きは、是れ力なり、是の七宝を得已りて、四天下を周くし、降伏せざる無き、是れを無畏と名づく。又良医の薬方を善く知るが如き、是れを力と名づけ、諸薬を合和して、人に与うる、是れを無畏と名づく。
譬えば、
『転輪聖王』が、
『七宝』を、
『成就するようなこと!』が、
『力であり!』、
是の、
『七宝を得て!』、
『四天下を周く統一して!』、
『降伏しない!』者が、
『無いようなこと!』、
是れを、
『無畏』と、
『称する!』。
又、
『良医』が、
『薬方』を、
『善く知るようなこと!』が、
『力であり!』、
『諸薬を合和して!』、
『人に与える!』のが、
『無畏である!』。
  転輪聖王(てんりんじょうおう):七宝を成就し、四徳を具足して須弥四洲を統一し、正法を以って世を治御する大帝王を云う。『大智度論巻21下注:転輪聖王』参照。
  七宝(しっぽう):転輪聖王の成就せる七種の宝物、即ち女宝、象宝、馬宝、主蔵臣、主兵臣、珠宝、輪宝を云う。『大智度論巻21下注:転輪聖王』参照。
自利益是名力。利益他是無畏。自除煩惱是名力。除他煩惱是無畏。無能沮壞是名力。不難不退是無畏。自成己善是名力。能成他善是無畏。巧便智是名力。用巧智是無畏。 自ら利益する、是れを力と名づけ、他を利益すれば、是れ無畏なり。自ら煩悩を除く、是れを力と名づけ、他の煩悩を除けば、是れ無畏なり。能く沮壊する無き、是れを力と名づけ、難とせずして退かざれば、是れ無畏なり。自ら己の善を成ずるを、力と名づけ、能く他の善を成ずれば、是れ無畏なり。巧便の智は、是れを力と名づけ、巧を用うる智は、是れ無畏なり。
自ら、
『利益する!』のを、
『力』と、
『称し!』、
他を、
『利益する!』のが、
『無畏である!』。
自ら、
『煩悩を除く!』のを、
『力』と、
『称し!』、
他の、
『煩悩を除く!』のが、
『無畏である!』。
誰にも、
『沮壊されない!』のを、
『力』と、
『称し!』、
『困難とせずに!』、
『退かない!』のが、
『無畏である!』
自ら、
『善根を成就する!』のを、
『力』と、
『称し!』、
他の、
『善根を成就させる!』のが、
『無畏である!』。
『巧方便を生じる!』、
『智』を、
『力』と、
『称し!』、
『巧方便を用いる!』、
『智』が、
『無畏である!』。
  沮壊(そえ):妨げてやぶる。
  巧便(ぎょうべん):巧みな方便。又善巧方便とも称す。『大智度論巻25上注:善巧方便』参照。
  善巧方便(ぜんぎょうほうべん):梵語傴和拘舎羅upaaya- kauzalyaの訳。巴梨語upaaya- kusala、善巧なる方便の意。又方便善巧、善権方便、権巧方便、善方便、巧方便、権方便と云い、或いは単に善巧、善権、巧便、方便とも称す。即ち機宜に順じて施設する巧妙の智用を云う。「大般若経巻337巧便学品」に、「勝菩薩摩訶薩、般若波羅蜜多を遠離し、方便善巧して布施浄戒安忍精進静慮波羅蜜多を修行すとは、何を以っての故に、是の善男子善女人等は疾く無上正等菩提を証し、有情を利楽すること辺際なきが故なり」と云い、「大方広善巧方便経巻1」に、「云何が是れ菩薩摩訶薩の善巧方便なる。願わくは仏世尊、広く分別して説かんことを。仏、智上菩薩摩訶薩に告げて言わく、善男子、汝今当に知るべし、善巧方便を具する菩薩摩訶薩は、一の方便を以って普く一切の衆生をして理の如く修行せしむ。何を以っての故に、善巧方便を具する菩薩摩訶薩は、乃至彼の傍生異類の諸の悪趣の中に於いても、菩薩亦平等の一切智心を以って其の方便を施す。即ち是の如き善根を以って一切の衆生に廻向し、諸の衆生をして二法を修行せしむ。何等をか二と為す、所謂一切智心と廻向心となり。善男子、是の如きを名づけて菩薩摩訶薩の善巧方便と為す」と云い、又世親の「無量寿経憂波提舎」に、「何者か菩薩の巧方便廻向なる。菩薩の巧方便廻向とは、謂わく礼拝等の五種の修行に集むる所の一切の功徳善根を説いて自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲するが故に、一切の衆生を摂取して共に同じく彼の安楽仏国に生ぜんと作願す。是れを菩薩の巧方便廻向成就と名づく」と云える是れなり。是れ菩薩自ら善巧智力を以って種種の方便を施設し、己が善根を廻して一切衆生に施し、以って衆生を饒益せんと期するを善巧方便と名づけたるなり。又曇鸞の「往生論註巻下」に、「巧方便とは、謂わく菩薩願ずらく、己が智慧の火を以って一切衆生の煩悩の草木を焼き、若し一衆生として成仏せざるものあらば我れ作仏せじと。而も衆生未だ尽く成仏せざるに、菩薩は已に自ら成仏す。譬えば火㮇をもて一切の草木を摘み、焼きて尽くさしめんと欲するも、草木未だ尽きざるに火㮇已に尽くるが如し。其の身を後にするも而も身先だつを以っての故に巧方便と名づく」と云えり。是れ菩薩自ら己の善根を廻施し、其の身を後にすと雖も、而も衆生に先だって成仏することを得るを明かせるなり。又吉蔵の「法華義疏巻4上」に仏の方便善巧を説き、「外国に傴和拘舎羅と称す。傴和を称して方便と為し、拘舎羅を名づけて勝智と為す。謂わく方便勝智なり。(中略)方便は是れ善巧の名、善巧とは智用なり。理実には三なきも方便力を以って是の故に三と説く、故に善巧と名づく。問う、三なきに三と説くを云何ぞ善巧と名づくる。答う、三なきも三と説くに由りて衆生遂に実益を得、故に善巧と名づく」と云えり。是れ三乗を以って方便善巧の説となすの意なり。又「仏地経論巻7」に、「経に曰わく、身語及び心の化は善巧方便の業なり。論じて曰わく、有義は是れ成所作智を顕すと。謂わく智能く身語心の化を起し、機宜に称順するが故に善巧と名づけ、加行絶えざるが故に方便と名づけ、此れを即ち業と名づく」と云えり。是れ善巧方便は四智の中の成所作智を以って体となすことを説けるものなり。又「大宝積経巻51菩薩蔵会」には、諸法の中に於いて広く善巧を分別して、蘊法善巧、界法善巧、処法善巧、諦法善巧、無礙解善巧、依趣善巧、資糧善巧、道法善巧、縁起善巧、一切法善巧の十種善巧を説き、「瑜伽師地論巻45菩提分品」には、菩薩は内に一切仏法を修証するによりて、於諸有情悲心倶行顧恋不捨、於一切行如実遍知、恒於無上正等菩提所有妙智深心欣楽、顧恋有情為依止故不捨生死、於一切行如実遍知為依止故輪転生死而心不染、欣楽仏智為依止故熾然生死の六種の方便善巧、外に一切有情を成熟するによりて、能令有情以少善根感無量果、能令有情少用功力引摂広大無量善根、於仏聖教憎背有情除其恚悩、於仏聖教処中有情令其趣入、於仏聖教已趣入者令其成熟、於仏聖教已成熟者令得解脱の六種、合十二種の方便善巧を修し、又憎背の有情乃至成熟者等の四種の有情の義利を成辦せんが為に、随順会通、共立要契、異分意楽、逼迫所生、施恩報恩、究竟清浄の六種の方便善巧を修することを明かし、又「同巻47」には更に憎背聖教有情除其恚悩、処中有情令其趣入、已趣入者令其成熟、已成熟者令得解脱、於諸世間一切異論、於諸菩薩浄戒律儀受持毀犯能正観察、於諸正願、於声聞乗、於独覚乗、於其大乗の十種の方便善巧を挙げ、又「成唯識論巻9」には廻向方便善巧、拔済方便善巧の二種を出せり。又「慧上菩薩問大善権経巻上」、「大般若経巻328至330」、「同巻338至341」、「同585」、「旧華厳経巻37、38」、「正法華経巻1善権品」、「十住毘婆沙論巻15」、「瑜伽師地論巻27、57」、「同論記巻7上、11上、下、16上」、「菩薩地持経巻7菩提品」、「同巻8菩提分品」、「顕揚聖教論巻14成善巧品」、「辯中辺論巻中辯真実品」、「同述記巻中」、「仏地経論巻6」、「大乗義章巻15」、「摩訶止観巻4上」、「大乗玄論巻4」、「大乗法苑義林章巻2末」、「法華経玄賛巻3」、「成唯識論述記巻10本」等に出づ。<(望)
  巧智(ぎょうち):たくみな智慧。
一切智一切種智是名力。一切智一切種智顯發是無畏。十八不共法是名力。十八不共法顯發於外是無畏。遍通達法性是名力。若有種種問難不復思惟。即時能答是無畏。得佛眼是名力。佛眼見已可度者為說法是無畏。得三無礙智是名力。得應辯無礙是無畏。無礙智是名力。樂說無礙智是無畏。一切智自在是名力。種種譬喻種種因緣莊嚴語言說法是無畏。破魔眾是名力。破諸外道論議師是無畏。如是等種種因緣。分別力無畏。 一切智、一切種智は、是れを力と名づけ、一切智、一切種智顕発すれば、是れ無畏なり。十八不共法は、是れを力と名づけ、十八不共法外に顕発すれば、是れ無畏なり。遍く法性に通達する、是れを力と名づけ、若し種種の問難有るに、復た思惟せずして、即時に能く答うれば、是れ無畏なり。仏眼を得るは、是れを力と名づけ、仏眼に見已りて、度すべき者の為に法を説けば、是れ無畏なり。三無礙智を得るは、是れを力と名づけ、辯に応ずる無礙を得るは、是れ無畏なり。無礙の智は、是れを力と名づけ、楽説無礙の智は、是れ無畏なり。一切智もて自在なる、是れを力と名づけ、種種の譬喩、種種の因縁もて語言を荘厳して、法を説けば、是れ無畏なり。魔衆を破るは、是れを力と名づけ、諸の外道の論議師を破れば、是れ無畏なり。是れ等の如き種種の因縁もて、力と無畏とを分別す。
『一切智、一切種智』は、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『一切智、一切種智』が、
『顕発すれば!』、
『無畏である!』。
『十八不共法』は、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『十八不共法』が、
『外に顕発すれば!』、
『無畏である!』。
『法性』に、
『遍く通達する!』のを、
『力』と、
『称し!』、
若し、
『種種の問難が有り!』、
復た、
『思惟せずに!』、
『即時に!』、
『答えられれば!』、
是れは、
『無畏である!』。
『仏眼を得る!』のは、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『仏眼で見て!』、
『度すべき!』者の為に、
『法』を、
『説けば!』、
是れは、
『無畏である!』。
『三無礙智(法、義、辞無礙)を得る!』のは、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『辯(説法)に応じて!』、
『無礙を得れば!』、
是れは、
『無畏である!』。
『無礙の智』は、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『楽説無礙の智』を、
『無畏』と、
『称する!』。
『一切智を用いて!』、
『自在である!』のを、
『力』と、
『称し!』、
『種種の譬喩や、因縁を用いて!』、
『語言を荘厳し!』、
『法』を、
『説けば!』、
是れは、
『無畏である!』。
『魔衆を破る!』のは、
是れを、
『力』と、
『称し!』、
『諸の外道の論議師』を、
『破れば!』、
『無畏である!』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』で、
『力と、無畏と!』を、
『分別した!』。
  顕発(けんほつ):あらわれ発する。
  四無礙智(しむげち):無礙自在の解智を四種に分類したるもの。即ち法無礙、義無礙、辞無礙、楽説無礙なり。『大智度論巻17下注:四無礙解』参照。



四無所畏の解釈

問曰。何等名無所畏。 問うて曰く、何等をか、無所畏と名づくる。
問い、
何のような者を、
『無所畏』と、
『称するのですか?』。
答曰。得無所疑無所忌難。智慧不卻不沒衣毛不豎。在在法中如說即作是無畏。 答えて曰く、疑う所無く、忌難する所無きを得て、智慧却かず、没せず、衣毛竪たず、在法中に在りて、説くが如く即ち作す、是れ無畏なり。
答え、
『仏』には、
『疑う!』所も、
『忌難する!』所も、
『無く!』、
『智慧』が、
『却くこともなく!』、
『没することもなく!』、
『衣毛』の、
『豎(よだ)つこともなく!』、
『仏』は、
『法』中に、、
『在って(於いて)!』、
『在り!』、
『説いた通り!』、
『そのままに!』、
『作される!』。
是れが、
『無畏である!』。
  忌難(きなん):いみきらう。
  衣毛(えもう):体を覆う毛。身の毛。
  (じゅ):たつ。よだつ。豎毛は、寒さ、又は恐怖で身の毛が立つこと。
  (ざい):<動詞>[本義]生存/存在する( be living, exist )。~に処する/居る( be at, be on )、~に依る/掛かる( depend on, rest with, be in )、属す/所属する( be a member of an organization, join or belong an organization )、観察する( inspect )、挨拶する/安否を問う/問訊する( greet, express regards )、到る/到着する( arrive )。<介詞>[動作/情況の及ぶ場所、時間、範囲等]~に/で/於いて( in, on, at )、従り( from )。<副詞>正しく( just, be in )。<助詞>[動詞の後に在りて、可能を表示する]得に相当する。<名詞>地方/場所/処( place )。
問曰。云何當知佛無所畏。 問うて曰く、云何が、当に仏の無所畏なるを知るべき。
問い、
何故、
『仏』が
『無所畏である!』と、
『知れるのですか?』。
答曰。若有所畏不能將御大眾。能攝能捨能苦切治或軟語教。如佛一時驅遣舍利弗目連等。還復憐愍心受。 答えて曰く、若し所畏有れば、大衆を将御する能わざるに、能く摂(おさ)め、能く捨て、能く苦切して治し、或は軟語して教えたまえばなり。仏の、一時、舍利弗、目連等を駆遣し、還って復た憐愍心もて受けたまえるが如し。
答え、
若し、
『畏れる所が有れば!』、
『大衆』を、
『将(ひき)いて!』、
『統御することができない!』のに、
『仏』は、
『大衆』を、
『摂める(納め取る)ことができ! 、
『捨てることができ!』、
『苦切して治すことができ!』、
或は、
『軟語して!』、
『教えられるからである!』。
例えば、
『仏』は、
一時、
『舍利弗や!』、
『目連等を!』、
『駆遣して(追い出して)!』、
還って復た、
『憐愍』を、
『心に起して!』、
『受けられたようなものである!』。
  将御(しょうご):すべおさめる。ひきいておさめる。統御。
  苦切(くせつ):苦しむ。慈心の故の麁悪語を苦切語と云う。『大智度論巻25上注:苦切語』参照。
  苦切語(くせつご):慈心故、弟子を教化せんが為の故に苦しんで言う所の麁悪語。柔軟語に対す。「大智度論巻26」に、「仏は苦切して語りたまえる、諸比丘汝狂愚の人とは、苦切語に二種有り、一には垢心もて瞋罵す、二には衆生を憐愍し教化せんと欲するが故なり。離欲の人は、垢心有りて瞋罵する無し。何に況んや仏をや。仏は憐愍教化の故に苦切語有り。有る衆生は、軟語善教して道に入らず、要を検して苦切麁教を須い、乃ち法に入るを得。良馬は鞭影を見て便ち去り、鈍驢は痛手を得て乃ち行くが如し。亦た有る瘡は、軟薬唾咒を得て便ち差え、有る瘡は刀もて破り其の悪肉を出し、塗るには悪薬を以ってして乃ち愈ゆる者なるが如し。復た次ぎに、苦切語に五種有り、一には但綺語、二には悪口亦綺語、三には悪口亦綺語妄語、四には悪口亦綺語妄語両舌、五には煩悩無き心の苦切語にして、弟子を教えて善不善法を分別せしめんが為の故、衆生を苦難の地より抜かんが故なり。(中略)復た次ぎに、提婆達の仏に、仏は已に老いたまいぬ、常楽閑静にして、林中に入り、禅を以って自ら娯しみたもうべく、僧を、我れに付すべしと白せるを以って、仏の言わく、舎利弗目揵連等の、大智慧有りて善軟清浄の人すら、尚お僧をして属せしめず。何に況んや汝の狂人死人嗽唾の人をやと。是の如き等の因縁の故に、仏は諸法に於いて著す所無しと雖も、而も教化せんが為の故に苦切語を現したもう」と云える即ち是れなり。
  駆遣(くけん):ひまを出す。追い出す。
  参考:『増一阿含経巻41馬王品(二)』:『聞如是。一時。佛在釋翅闇婆梨果園。與大比丘眾五百人俱。是時。尊者舍利弗.尊者目乾連於彼夏坐已。將五百比丘在人間遊化。漸漸來至釋翅村中。爾時。行來比丘及住比丘各各自相謂言。共相問訊。又且聲音高大。爾時。世尊聞諸比丘音響高大。即告阿難曰。今此園中是誰音響。聲大乃爾。如似破木石之聲。阿難白佛言。今舍利弗及目連將五百比丘來在此。行來比丘久住比丘。共相問訊。故有此聲耳。佛告阿難曰。汝速遣舍利弗.目乾連比丘。不須住此。是時。阿難受教已。即往至舍利弗.目乾連比丘所。即語之曰。世尊有教。速離此去。不須住此。舍利弗報曰。唯然受教。爾時。舍利弗.目乾連即出彼園中。將五百比丘涉道而去。爾時。諸釋聞舍利弗.目乾連比丘為世尊所遣。即往至舍利弗.目乾連比丘所。頭面禮足。白舍利弗曰。諸賢。欲何所趣向。舍利弗報曰。我等為如來所遣。各求安處。是時。諸釋白舍利弗言。諸賢。小留意。我等當向如來懺悔。是時。諸釋即往至世尊所。頭面禮足。在一面坐。白世尊言。唯願世尊原捨遠來比丘過咎。唯願世尊以時教誨。其中遠來比丘初學道者。新來入法中。未覲尊顏。備有變悔之心。猶如茂苗不遇潤澤。便不成就。今此比丘亦復如是。不覲如來而去者。恐能有變悔之心。是時。梵天王知如來心中所念。猶如力士屈伸臂頃。從梵天沒。來至如來所。頭面禮足。在一面立。爾時。梵天王白世尊言。唯願世尊原捨遠來比丘所作愆過。以時教誨。其中或有比丘未究竟者。便懷變悔之心。彼人不睹如來顏像。便有變意。還就本業。亦如新生犢子。生失其母。憂愁不食。此亦如是。若新學比丘不得睹如來者。便當遠離此正法。爾時。世尊便受釋種之諫。及梵天王犢子之喻。是時。世尊顧盻阿難。便生斯念。如來以受諸人民及天人之諫。是時。阿難即往至舍利弗.目乾連比丘所。而語之曰。如來欲得與眾僧相見。天及人民皆陳啟此理。爾時。舍利弗告諸比丘曰。汝等各收攝衣缽。共往世尊所。然如來已受我等懺悔。是時。舍利弗.目揵連將五百比丘至世尊所。頭面禮足。在一面坐。是時。佛問舍利弗曰。吾向者遣諸比丘僧。於汝意云何。舍利弗言。向者如來遣諸眾僧。我便作是念。如來好遊閑靜。獨處無為。不樂在鬧。是故遣諸聖眾耳。佛告舍利弗曰。汝後復生何念。聖眾是時誰之累。舍利弗白佛言。時我。世尊。復生此念。我亦當在閑靜獨遊。不處市鬧中。佛告舍利弗曰。勿作是語。亦莫生此念。云我當在閑靜之處也。如今聖眾之累。豈非依舍利弗.目乾連比丘乎。爾時。世尊告大目乾連曰。我遣諸眾僧。汝有何念。目乾連白佛言。如來遣眾僧。我便生斯念。如來欲得獨處無為。故遣聖眾耳。佛告目乾連。汝後復生何念。目乾連白佛言。然今如來遣諸聖眾。我等宜還收集之。令不分散。佛告目乾連。善哉。目連。如汝所說。眾中之標首。唯吾與汝二人耳。自今已往。目乾連當教誨諸後學比丘。使長夜之中永處安隱之處。無令中退。墮落生死。若有比丘成就九法者。於現法中不得長大。云何為九。與惡知識從事親近。非事恒喜遊行。恒抱長患。好畜財貨。貪著衣缽。多虛乾妄亂意非定。無有慧明。不解義趣。不隨時受誨。是謂。目連。若比丘成就此九者。於現法中不得長大有所潤及。設有比丘能成就九者便有所成辦。云何為九。與善知識從事。修行正法不著邪業。恒遊獨處不樂人間。少病無患。亦復不多畜諸財寶。不貪著衣缽。勤行精進無有亂心。聞義便解更不中受。隨時聽法無有厭足。是謂。目連。若有比丘成就此九法者。於現法中多所饒益。是故。目連。當念勤加往誨諸比丘。使長夜之中致無為之處。爾時。世尊便說此偈 常念自覺悟  勿著於非法  所修應正行  得度生死難  作是而獲是  作此獲此福  眾生流浪久  斷於老病死  以辦更不習  復更造非行  如此放逸人  成於有漏行  設有勤加心  恒在心首者  展轉相教誡  便成無漏人  是故。目乾連。當與諸比丘而作是誨。當念作是學。是時。世尊與諸比丘說極妙之法。令發歡喜之心。是時。諸比丘聞法已。於彼眾中六十餘比丘漏盡意解。爾時。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』
若有所忌難者。諸論議師輩住憍慢山頂。以外智慧心狂醉。皆言天下唯有我一人更無餘人。自於經書決定知故。破他經書。論議以惡口訾毀。如狂象無所護惜。如是狂人菴跋咤長爪薩遮祇尼揵昆盧坻等。諸大論議師皆降伏。若有所畏則不能爾。 若し忌難する所有れば、諸の論議師の輩、憍慢の山頂に住して、外の智慧を以って、心狂酔すれば、皆、『天下に唯だ我れ一人有りて、更に余人無し』、と言い、自ら、経書に於いて、決定して知るが故に、他の経書を破り、論議すれば、悪口を以って訾毀すること、狂象の護惜する所無きが如し。是の如き狂人は菴跋咤、長爪、薩遮祇尼揵、昆盧坻等の諸大論議師にして、皆、降伏せり。若し畏るる所有れば、則ち爾る能わず。
若しは、
『忌難する所が有れば!』とは、――
諸の、
『論議師の輩』は、
『憍慢の山頂に住まり!』、
『外在する智慧(経書等)』に、
『心』が、
『狂酔している!』が故に、
皆、こう言いながら、――
『天下』に、
『智慧有る!』者は、
わたし、
『一人』が、
『有るだけで!』、
更に、
『余の人』は、
『無い!』、と。
自らの、
『経書を知って!』、
『心』を、
『決定する!』が故に、、
他の、
『経書』を、
『破り!』、
『論議すれば!』、
『悪口で!』、
『訾毀する!』ので、
譬えば、
『狂象』が、
何物をも、
『護惜しないようなものである!』。
是のような、
『狂人』は、
『菴跋咤や、長爪や、薩遮祇尼揵や、昆盧坻等!』の、
『諸の大論議師であり!』、
皆、
『仏』に、
『帰順して!』、
『降伏したので!』、
『仏』を、
『忌難する!』者は、
『無くなったのである!』。
若し、
『畏れる所が有れば!』、
則ち、
『爾うであるはずがない!』。
  訾毀(しき):人の過失をそしってやぶること。
  護惜(ごしゃく):まもりおしむ。
  菴跋咤(あんばった):不明。
  長爪(ちょうそう):又長爪梵志と云う。舎利弗の母の弟。婆羅門の論議師なりしが後仏弟子と作る。『大智度論巻25上注:長爪梵志』
  長爪梵志(ちょうそうぼんし):長爪は梵語diirgha- nakhaの訳。巴梨語diigha- nakha、仏弟子の一人にして、其の爪長かりしが故に此の名あり。「撰集百縁経巻10長爪梵志縁」に依るに、長爪は王舎城蛭駛梵志の子にして、其の姉を舎利と名づく。聡明博達にして論議を善くし、常に舎利と論戦を試み、勝たざるなし。然るに舎利妊娠するに及びて之に勝つこと能わず。是れ胎子の福徳力に由ることを思い、乃ち遊方して広く四韋陀典十八種術を学ばんと欲し、南天竺に詣り、若し第一師たらずんば爪を剪らじと誓い、孜孜として勤学せり。既にして姉舎利は一男児を産む。是れ即ち舎利弗にして聡明人に過ぎ、八歳にして婆羅門と論議して之を降し、其の名十六大国に聞こえ、後出家して仏弟子となり、阿羅漢果を得たり。時に長爪之を聞きて乃ち仏所に来詣し、世尊と論議せしも勝つこと能わず、遂に亦た出家して仏弟子となり、阿羅漢果を得たりと云えり。「有部毘奈耶出家事巻1」にも長爪を以って舎利弗の叔父とし、且つ其の名は俱瑟恥羅なりと云い、「大智度論巻1」にも舎利弗の舅とし、摩訶倶稀羅mahaakauSThilyaと同人となせり。されど「雑阿含経巻34」等には之を別人となせるが如く、又南方所伝にも俱稀羅と同人となすものなし。恐らく別人なるべし。長爪の事由に関し、「大毘婆沙論巻98」に多説を挙げ、「彼の梵志は身爪倶に長きに由りて、且く説いて長爪梵志と為す。問う、彼れ復た何の縁ありて此の長爪を留むるや。答う、彼の貪習業は剪るべきことなきが故なり。有るは是の説をなす、彼れ恒に山居し、爪髪長しと雖も人の剪剃するものなし。復た有説は彼れ在家の時、楽って絃管を習い、後出家すと雖も猶お長爪を愛するが故に之を剪らず。有余師説かく、彼れ外道法中に在りて出家す。外道法の中に爪を留むる者あり、故に彼れを説いて長爪梵志となすと」と云えり。又「別訳雑阿含経巻11」、「長爪梵志請問経」、「大毘婆沙論巻99」等に出づ。<(望)
  薩遮祇尼揵(さっしゃぎにけん):又薩遮尼揵子とも称す。尼乾陀若提子を祖とする外道の一派。『大智度論巻21下注:尼揵子論師』参照。
  昆盧坻(こんるぢ):不明。
及憍陳如等五出家人。漚樓頻螺迦葉等千結髮仙人舍利弗目揵連摩訶迦葉等。於佛法中出家。及百千釋子。并諸閻浮提大王。波斯尼示王。頻婆娑羅王。旃陀波殊提王。優填王。弗迦羅婆利王。梵摩達王等。皆為弟子。諸在家婆羅門皆度。一切世間智慧。為大國王所師仰。梵摩喻弗迦羅婆利鳩羅檀陀等。皆為弟子。有得初道有得第二第三第四道。諸大鬼神阿羅婆迦鞞沙迦等。諸大龍王阿波羅羅伊羅缽多羅等。鴦群梨摩羅諸惡人等。皆降化歸伏。 及び憍陳如等の五出家人、漚楼頻螺迦葉等の千結髪仙人、舍利弗、目揵連、摩訶迦葉等は仏法中に出家し、及び百千の釈子、並びに諸の閻浮提の大王たる波斯尼示王、頻婆娑羅王、旃陀波殊提王、優填王、弗迦羅婆利王、梵摩達王等は、皆弟子と為る。諸の在家の婆羅門は、皆一切の世間の智慧を度して、大国の王の為に師仰せられ、梵摩喻、弗迦羅婆利、鳩羅檀陀等は、皆弟子と為って、有るいは初道を得、有るいは第二、第三、第四道を得、諸の大鬼神の阿羅婆迦鞞沙迦等、諸の大龍王の阿波羅羅、伊羅鉢多羅等、鴦群梨摩羅、諸の悪人等、皆、降化帰伏せり。
及び、
『憍陳如等の五出家人(比丘)』、
『漚楼頻螺迦葉等の千結髪仙人』、
『舍利弗、目揵連、摩訶迦葉等』は、
『仏』の、
『法』中に於いて、
『出家し!』、
及び、
『百千の釈子と!』、
『諸の閻浮提の大王である!』、
『波斯尼示王、頻婆娑羅王、旃陀波殊提王、優填王、弗迦羅婆利王、梵摩達王等』は、
皆、
『弟子となり!』、
『諸の在家の婆羅門』は、
皆、
一切の、
『世間の智慧を度(わた)って!』、
『出世間の智慧』を、
『得て!』、
『大国の王』に、
『師のように!』、
『仰がれ!』、
『梵摩喻、弗迦羅婆利、鳩羅檀陀等』は、
皆、
『弟子となって!』、
有る者は、
『初道』を、
『得!』、
有る者は、
『第二、第三、第四道』を、
『得!』、
『諸の大鬼神の阿羅婆迦鞞沙迦等』、
『諸の大龍王の阿波羅羅、伊羅缽多羅等』、
『鴦群梨摩羅等の諸惡人等』は、
皆、
『降化して!』、
『仏』に、
『帰伏した!』。
  憍陳如(きょうちんにょ):又阿若憍陳如とも称す。仏弟子。五比丘の一。『大智度論巻22下注阿若憍陳如、五比丘』参照。
  漚楼頻螺迦葉(うるびらかしょう):本事火外道なりしが後仏弟子と作る。迦葉三兄弟の一。『大智度論巻21下注:優楼頻螺迦葉』参照。
  結髪仙人(けっぱつせんにん):漚楼頻螺迦葉及び伽耶迦葉、那提迦葉の三兄弟は、皆火神(梵 agni )を信奉する事火外道であり、長兄の漚楼頻螺には五百の弟子、中兄には三百、小弟には二百の弟子が有り、皆頭上に螺髻状に髪を結っていたが故に、又螺髻梵志とも呼ばれいた。
  波斯尼示王(はしにじおう):又波斯匿王とも称す。憍薩羅国王。『大智度論巻25上注:波斯匿王』参照。
  波斯匿王(はしのくおう):波斯匿はpasenadiは巴梨名。梵名鉢邏犀那恃多prasenajit、又鉢羅犀那折多、鉢囉洗曩喩那、或いは卑先匿に作り、勝軍、勝光、和悦、月光、又は明光と訳す。仏陀時代に於ける中印度舎衛城主なり。父は同城主梵授brahmadatta(又は摩羅、或いはマハー・コーサラmahaa- kosala)にして、仏降誕の日を以って生まれたりと伝え、長じて呾叉始邏takSazilaa国に学び、尋いで王位を紹ぎ、憍薩羅及び迦尸国を領有し、大いに威を遠近に振るえり。其の即位及び釈迦族との結婚に関し、「増一阿含経巻26」に、如来成道未だ久しからざる時、王は即位し、釈種の女を娶らんと欲し、仍りて一大臣を迦毘羅衛国に遣して之を求む。時に釈種は其の族を与うるを欲せざるも、王が暴悪にして来たりて国界を侵さんことを恐れ、乃ち摩訶男mahaanaama(大名)の婢の一女の面貌端正なる者を選び、釈種の女と称して之を送る。王喜び立てて第一夫人となし、後一男を挙げ毘流勒viDuuDabhaと名づくと云えり。王は初め暴悪無信なりしが如く、「増一阿含経巻43」に、王が非法を行じ、聖律教を犯し、比丘尼の阿羅漢道を得たる者を讖し、十二年中之を宮内に閉在して共に交通し、又仏と法と比丘僧とに事えず、篤信の心を以って阿羅漢に向うことなかりしを伝え、「有部毘奈耶雑事巻26」には、王は哥羅王子を疑い、遂に其の手を截りしことを記せり。王の帰仏の機縁並びに其の年序は明らかならざるも、「雑阿含経巻46」に王は嘗て仏に対し、此の間に富蘭那迦葉等の六師あり、皆宿重の沙門なるも猶お正覚を成ずと言わず。然るに世尊は年少にして、出家後未だ久しからざるに、自ら称して正覚を証得となすは何の所以あるかを問い、時に仏は刹利王子、龍子、小火及び比丘の四種は小なりと雖も軽んずべからざるを諭されたるに依り、王は其の過を知りて深く懺悔せしことを記し、又「仏所行讃巻4受祇洹精舎品」に、仏は成道後伽維羅衛城を開化し、尋いで憍薩羅国に往き給うに、王は仏所に詣り、善悪の法を聴きて仏を信敬すと記し、「中阿含巻60愛生経」に、王は仏が一時舎衛国に在りて、愛生ずる時即ち愁慼懊悩を生ずと説き給いしを聞き、更に之を末利malikaa夫人(既に帰仏せり)に質して其の義を悟り、仍りて三宝に自帰して優婆塞となれりと云うに依れば、祇洹精舎建立の後、王は親しく仏所に往詣し、且つ末利夫人の慫慂に基づき優婆塞となりしものとなすべきが如し。王が帰仏の後屡仏の教化を蒙り、篤く仏教を信じたることは「長阿含巻6小縁経」、「中阿含巻59法荘厳経」、「雑阿含経巻42、46」、「増一阿含経巻13、51」、「勝軍王所問経」等に共に記する所にして、特に「増一阿含経巻3清信士品」には、「我が弟子中、第一の優婆塞にして、(中略)善本を建立するは王波斯匿是れなり」と云えり。蓋し王の君臨せし憍薩羅国は、摩揭陀国と共に当時中印度に於ける強大国にして、其の国威が四方を圧したることは事実なり。王は曽て其の妹コーサラ・デーヴィーkosala- devii(一説其の姉、即ち韋提希)を摩揭陀国王頻婆娑羅bimbisaaraに嫁せしめ、其の化粧料として之に迦尸kaazi国を附せしが、王の晩年に至り、頻婆娑羅王の子阿闍世ajaatazatru(未生怨)との間に迦尸国に関して爭いを生じ、阿闍世は軍を起して憍薩羅を攻め、王は初め戦利あらず、舎衛城に敗走せしが、尋いで阿闍世を破りて之を擒となし、後赦して摩揭陀に還らしめたりと云う。事は「雑阿含経巻46」、「撰集百縁経巻1長者七日作王縁」等に記する所の如し。又「有部毘奈耶雑事巻8」、及び「西蔵仏伝」等に依るに、王は戦後幾ばくもなく(一説三年の後)太子毘流勒の為に害せられんとせしを以って、難を王舎城に避け、救を阿闍世王に求めたるも果たさず、城外蘿菔園に於いて身体羸弱し、地に倒れて口に塵土を銜み、遂に命終すとなせり。但し「増一阿含経巻26」に、王は寿に随って在世し、後命終を取り、便ち毘流勒を立てて王と為すと云えば、或いは毘流勒太子の王追放の説は事実に非ざるやも知るべからず。其の年寿に関し、「中阿含巻59法荘厳経」に、王は我れ年八十、世尊も亦た八十なりと語りしことを伝え、又「有部毘奈耶雑事巻8」にも同文を出し、其の下に毘流勒が父王を追放せし後、迦毘羅衛城を攻略すと記するを以って見るに、王は迦毘羅衛滅亡の直前、年八十を以って薨去せりとなすべきが如し。又「雑阿含経巻42」には、王の身は極めて肥大なりしことを伝え、「増一阿含経巻25」、「法句譬喩経巻3広衍品」等には、王は五欲中、味を以って最も妙となせりと云えり。又彼の九十単堕法中、第四十八観軍戒は比丘が王の戦軍を観、第八十一突入王宮戒は比丘が王の寝室に入りし因縁によりて制せられたるものなり。又「増一阿含経巻18、28」、「十二遊経」、「出曜経巻8、20」、「舎衛国王夢見十事経」、「賢愚経巻2」、「法句譬喩経巻1」、「人王般若波羅蜜経巻上序品」、「四分律巻15、16、18」、「有部毘奈耶雑事巻7、12」、「同出家事巻1」、「仁王般若経疏巻上2」、「大唐西域記巻6(室羅伐悉底国)」、「慧琳音義巻10、26」等に出づ。<(望)
  頻婆娑羅王(びんばしゃらおう):中印度摩揭陀国王、王舎城の主。『大智度論巻17上注:頻婆娑羅王』参照。
  優填王(うてんおう):憍賞弥国の王。『大智度論巻17上注:優填王』参照。
  旃陀波殊提王(せんだばしゅだいおう):不明。但し「翻梵語巻4」に、「栴陀婆殊提王、応に栴施鉢刺樹多、亦た栴陀波周他と云うべし。訳して栴陀は悪性と曰い、鉢刺樹多は明なり、亦た華と云う。(大智度論)第二十五巻」と云えり。
  弗迦羅婆利王(ふつからばりおう):不明。但し「翻梵語巻4」に、「迦羅婆利王、訳して自在語と曰う」と曰えり。
  梵摩達王(ぼんまだつおう):梵摩達brahmadatta。不明。『大智度論巻16下注:梵摩達哆、長寿王』参照。
  師仰(しごう):師として仰ぐ。
  梵摩喩(ぼんまゆ):梵名frahmaayu、仏に帰依せし婆羅門の名。又梵摩渝に作る。「梵摩渝経」に依れば、仏の三十二相の真偽を疑えるも、後に仏の広長舌相、馬陰蔵相等の三十二相を見るに至りて、欣喜感歎の余り、乃ち仏に帰依せり。其の後、仏之が為に至道の要を解説するに、梵摩渝之を聞きて、心開き意解けて阿那含果を証し、久しからずして即ち命終せりと云えり。又「中阿含巻41梵摩経」に出づ。<(佛)
  弗迦羅婆利(ふつからばり):釈尊に度せられたる外道の師。「仏所行讃巻4守財酔象調伏品」に、「復た憍薩羅国に帰りて、外道の師、弗迦羅婆梨、及び諸の梵志衆を度す」と云う。
  鳩羅檀陀(くらだんだ):不明。但し「翻梵語巻6」には、「訳して曰わく、鳩羅とは親なり、亦た是れ姓なり。檀陀とは、罰なり、亦た強と云う」と云えり。
  四道(しどう):断惑証理の道程を四種に類別せるもの。即ち加行道、無間道、解脱道、勝進道』を云う。『大智度論巻17下注:四道』参照。
  阿羅婆迦鞞沙迦(あらばかびしゃか):鬼神、或いは夜叉の名。「菩薩念仏三昧経巻1」には、「復た阿羅婆迦夜叉、伽陀婆夜叉、金毘羅夜叉、修脂路摩夜叉、摩羅陀利夜叉有り。是の如き等の夜叉神王に大威力有り」と云い、「翻梵語巻7」並びに「多羅葉記巻下」には、「阿羅婆迦は此に不断と云い、鞞沙迦は此に一切と云う」と云えり。
  阿波羅羅(あぱらら):龍王の名。「翻梵語巻7」に、「阿波羅龍王、亦た阿波羅羅と云い、訳して阿波羅羅とは、無流涎と曰う」と云い、「僧伽吒経巻1」には、「復た八千龍王有り、其の名を阿波羅羅龍王、伊羅鉢龍王、提弥羅龍王、君婆娑羅龍王、君婆尸利龍王、須難陀龍王、須賒佉龍王、伽婆尸利沙龍王と曰う。是の如き八千龍王倶に皆霊鷲山に向いて世尊の所に詣り、頭面に礼足して仏を繞ること三匝にして却って一面に住す」と云えり。
  伊羅鉢多羅(いらはったら):龍王の名。「翻梵語巻7」に、「伊羅鉢多羅、亦た伊羅鉢と云い、訳して伊羅を香鉢、多羅を葉と曰う」と云えり。又『大智度論巻25上注:阿波羅羅』参照。
  鴦群梨摩羅(おうぐりまら):仏弟子の名。多く人を殺せしも仏の化導を蒙りて、遂に阿羅漢果を証せり。『大智度論巻24下注:央掘摩羅』参照。
若有所畏不能獨在樹下師子座處坐。欲得阿耨多羅三藐三菩提時。魔王軍眾化作師子虎狼熊羆之首。或一眼或多眼或一耳或多耳。擔山吐火四邊圍遶。佛以手指按地。眴息之頃即皆消滅。諸天阿修羅鞞摩質帝隸釋提婆那民梵天王等。引導其心皆為弟子。 若し畏るる所有れば、独り、樹下に在りて師子座に処坐する能わざるに、阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲したもう時、魔王の軍衆、師子、虎狼、熊羆の首の、或は一眼、或は多眼、或は一耳、或は多耳なるを化作し、山を擔い、火を吐いて、四辺より囲繞せるに、仏、手指を以って地を按したまえば、眴息の頃にして即ち皆、消滅するに、諸の天の阿修羅の鞞摩質帝隸、釈提婆那民梵天王等、其の心を引導して、皆弟子と為れり。
若し、
『畏れる所が在れば!』、
独り、
『樹』下の、
『師子座』に、
『処坐することはできない!』。
『仏』は、
『阿耨多羅三藐三菩提を得ようとされた!』時、
『魔王の軍衆』が、
或は、
『一眼や、多眼』、
『一耳や、多耳』の、
『師子、虎狼、熊羆の首』を、
『化作し!』、
『山を擔い!』、
『火を吐きながら!』、
『四辺より!』、
『囲遶した!』が、
『仏』が、
『手指』で、
『地を押される!』と、
皆、
『眴息の頃』に、
『消滅してしまい!』、
『諸の天、阿修羅の鞞摩質帝隸、釈提婆那民梵天王等』が、
其の、
『心』を、
『引導して!』、
皆、
『弟子となったのである!』。
  処坐(しょざ):おちついてすわる。安坐。
  熊羆(ゆうひ):くまと、ひぐま。
  (たん):になう/担う。
  (あん):押す。おさえる。
  眴息之頃(けんそくのきょう):まばたきしたり、一息ついたりする間。短い時間。
  阿修羅(あしゅら):梵名asura。巴梨名同じ。又阿素羅、阿須羅、阿素洛、阿索羅、阿蘇羅、阿須倫、阿須輪に作り、略して又修羅と云う。非天、不端正、非善戯、又は非同類と訳す。六道の一。十界の一。闘戦を事とする一類の鬼類を云う。「婆藪槃豆法師伝」に、「毘伽羅論に阿修羅を解して非善戯と謂う。即ち応に此の名を以って之を訳すべし。諸天は恒に善を以って戯楽となすも、其れは恒に悪を以って戯楽となす、故に此の名あり。亦た非天と名づくることを得」と云い、又「大毘婆沙論巻172」に、「素洛は是れ天なり、彼れ天に非ざるが故に阿素洛と名づく。又素洛を端正と名づく。彼れ端正に非ざるが故に阿素洛と名づく。彼れ諸天を憎嫉するを以って、所得の身形をして端正ならざらしむるが故なり。又素洛を同類と名づく。彼れ先に天と相近うして住す、然も同じからざるが故に阿素洛と名づく」と云い、「慧苑音義巻上」には、「阿は此に無と云う、素は極なり、妙なり。羅は戯なり。此の類は形、天に似たりと雖も、而も天の妙戯なきを言う。案ずるに婆沙論に訳して非天となすは、此の類は天趣の所摂なりと雖も、謟詐多く、天の実徳なきが故に非天と曰う。人の悪を行ずれば名づけて非人と曰うが如し」と云えり。蓋し此等は皆阿修羅の阿を否定語となせるものなるも、一説には阿修羅は「存在す」の義なる語根asが名詞形asuとなりて、呼吸又は霊魂を意味し、更に之に後接字raが附け加わりたるものとなせり。然るに「注維摩経巻1」に羅什の説を出して、阿修羅は秦に不飲酒と翻ずと云い、「法華経文句巻2」には、「阿修羅は此に無酒と云う。四天下に華を採りて大海に醞したるに、魚龍の業力にて其の味変ぜず、瞋妬して誓って酒を断つが故に無酒神と言う」と云い、「華厳経探玄記巻2下」にも亦た不酒の訳を出し、「玄応音義巻3」にも、「阿は無なり、又非と云う。素洛を酒と云い、又天と云う。無酒神と名づけ、亦た非天と名づく」と云い、「同巻22」に、「阿素洛は此に不酒と云う。又障蔽と言い、亦た非天と云う」と云えるも、素洛を酒となすは正しからず。故に「慧苑音義巻上」に、「旧に翻じて不酒と為すは訳人の謬なり。梵語中、窣唎を酒と名づく。而も素羅と声近し。即ち阿字を訓じて不となすが故に不酒と云う。斯れ乃ち失の甚だしきものなり」と云えり。蓋し梵語窣唎suraaは搾出の義にして、時に蘇摩soma即ち酒と同義に用いらるる語なれば、慧苑の言うが如く、声相近きが故に、古来之を混一して誤訳せしものならん。其の他、道安は訳して質諒と云い、「大乗義章巻8」には劣天と云い、「玄応音義巻22」には障蔽と云うも、並びに皆的翻に非ざるなり。阿修羅に関する説話は諸経中に甚だ多し。「増一阿含経巻3阿須倫品」に依るに、阿須倫の形は広長八万四千由旬、口は縦広千由旬なり。若し日を触犯せんと欲する時は、倍して十六万八千由旬の身を化し、日月の前に往くに日月王之を見て恐怖を懐き、復た光明あらず。阿須倫の形は甚だ畏るべきが故なり。されど日月は威徳あるが故に、遂に阿須倫の為に捉えられざることを記せり。此れ所謂羅睺羅阿修羅にして、印度にては日月蝕は、此の羅睺羅阿修羅が日月を触犯せし結果なりと信ぜざれたるが故なり。按ずるに阿修羅は印度最古神の一にして、「梨倶吠陀」中には最勝なる性霊の義に用いられ、又古くは帝釈天、火天、水天等の称にも用いられき。彼の波斯の善神なるアフラahuraも全く此の阿修羅と同義なりと雖も、中古以来、印度人は之を畏るべき鬼神として認むるに至れり。「長阿含経巻20阿須倫品」に羅呵(即ち羅睺羅)阿須倫の住処等を詳説せる中、羅呵阿須倫城は須弥山の北、大海の水底に在り、縦広八万由旬にして七宝を以って合成せり。中に王の小城あり、名づけて輪輸摩跋吒と云う。其の城内に講堂を立つ、七尸利沙と名づく。堂の周囲に四の園林あり、東を娑羅、南を極妙、西を睒摩、北を楽林と云う。羅呵阿須倫王時に若し娑羅園に詣りて遊観せんと欲し、毘摩質多阿須倫王を念ずれば毘摩質多即ち至り、波羅呵阿須倫王を念ずれば、波羅呵即ち至り、睒摩羅阿須倫王を念ずれば睒摩羅即ち至り、乃至、大臣阿須倫、小阿須倫等悉く至りて共に相娯楽すと云い、又「同経巻21戦闘品」には、羅呵阿須倫王は忉利天、及び日月諸天が常に虚空に在りて、其の頂上を遊行するを見て大瞋恚を起し、日月を取って自ら之を耳璫となさんと欲し、即ち捶打阿須倫、舎摩梨阿須倫、毘摩質多阿須倫、大臣阿須倫及び小阿須倫を具し、行く行く難陀等の龍王、伽楼羅鬼神、持華鬼神、常楽鬼神及び四天王を敗り、進んで天帝釈と共に戦闘することを記せり。「起世経巻8」、「起世因本経巻8」並びに「大楼炭経巻5」等に出す所も亦た略ぼ之に同じ。又「起世経巻5阿修羅品」には、此の四大阿修羅王は須弥の四面の海中に住すとし、即ち須弥山の東面、山を去ること千由旬を過ぎて大海の下に鞞摩質多羅阿修羅王の住処あり、縦広八万由旬にして七重の城壁等あり。王の宮殿を設摩婆帝と名づけ、其の中央の集会処あり、七頭と云う。七頭の周囲に四の園林あり。鞞摩質多羅王は諸の小阿修羅の輩と、此の園林に遊戯し、常に五阿修羅を其の侍者となす。次に須弥山の南面、千由旬を過ぎて大海水の下に踊躍阿修羅王の住処あり。須弥の西面亦た千由旬にして大海水の下に奢婆羅阿修羅王の住処あり。須弥の北面亦た千由旬にして大海水の下に羅睺羅阿修羅王の住処あり。各縦広八万由旬にして、七重の城壁等悉く鞞摩質多羅の住処の如しと云えり。此の中、鞞摩質多羅及び羅睺羅阿修羅を説くこと精細なりと雖も、大旨前の長阿含の羅呵阿須倫の記事に同じ。又「大楼炭経巻2阿須倫品」には、阿修羅の住地を五所となせり。即ち須弥山の下、深さ四十万里(一万由旬)にして抄多尸利と名づくる阿須倫の城郭あり、広長各三百三十六万里(八万四千由旬)、七宝を以ってこれを作る。四門あり、一一の門辺に千の阿須倫ありて居止し、抄多尸利は身高二万八千里、乃至或いは二千里あり。又此の城の東西南北は、各四万里(千由旬)にして城郭あり、亦た七宝を以って作り、各四門を設く。其の門辺に亦た各三百の阿須倫ありて居止す。其の中、南を波陀呵と名づけ、西を波利、北を羅呼と名づく(東は王名欠く)と云えり。又「正法念処経」には「巻18」より「巻21」の四巻に亘りて、四大阿修羅王の住処、宮殿、園林、侍者、婇女、業因及び寿命等を詳述せり。其の説に依るに阿修羅の住地は、海底地下八万四千由旬の間に四層をなせり。即ち其の第一層の住地は地に入ること二万一千由旬、羅睺阿修羅王之に住す。身量広大にして須弥山王の如く、所住の城を光明と名づけ、縦広八千由旬あり、園林房舎皆宝を以って荘厳せり。心に大憍慢を懐き、時に天女を見んと欲して虚空に上り、須弥の側に至るに日その目を障えて見る能わず。即ち右手を挙げて日光輪を障え、諸天の園林遊戯の処を諦観す。是れ所謂日蝕なり。又手を以って月を障う、是れ所謂月蝕なり。羅睺阿修羅王は過去に婆羅門たりし時、一仏塔の焼かるるを救い、自ら念を作すらく、此の塔を救いし福に因りて、願わくは大身を得んと。又外道の中に多く布施を行じたるを以って、其の報を受け、余の阿修羅は他の殺生を見て強迫して放たしめ、或いは父祖不殺の法を習い、諸善を行ぜざるに由りて死して彼の道に堕す。人の五百歳を一日一夜として、其の寿五千歳に満つ。第二層の住地は羅睺阿修羅の下、更に二万一千由旬に在り。地を月鬘と名づく。勇健阿修羅王(経に或いは陀摩睺、又花鬘に作る)の所在にして、其の大城を双遊戯と名づけ、縦広八万由旬あり、山池林樹皆歓楽を極む。時に人界を殄滅せんと欲して、龍王の所に至りて之を説くに、龍王見て大瞋恚を起し、因って大水を震動す。水動ずるが故に大地亦た震動す。是れ所謂地震なり。勇健阿修羅王は、過去に他物を劫奪して之を外道離欲の人に供養せしを以って此の報を受け、余の衆は外道不離欲の者及び破戒の人を供養せしを以って死して彼の中に生ず。人の六百歳を一日一夜として其の寿六千歳に満つ。第三層の住地は勇健阿修羅の下、更に二万一千由旬の処に在り、地を修那婆と名づけ、王を花鬘と称す。所住の大城を鋡毘羅と云い、縦広八千由旬あり。時に人天を破滅せんと欲して龍王の宮殿に至るに、彼れ阿修羅の声を聞きて大瞋恚を生じ、身より電光を出して之と大いに闘う。若し龍衆敗るる時往きて之を天使に告ぐるに、天使亦た瞋恚して口中より煙を出す。是れ所謂彗星の出現なり。花鬘阿修羅王は、過去に飲食を以って、破戒の病人に施与して斯の報を受け、余衆は節会の日に於いて、相撲射戯摴蒲囲碁種種博戯し、及び不浄施を行じたるを以って死して此の中に堕す。人の七百歳を一日一夜として其の寿七千歳に満つ。第四層の住地は花鬘阿修羅の下、亦た二万一千由旬に在り、地を不動と名づく。毘摩質多羅鉢呵娑阿修羅王の住所にして広博六万由旬あり。其の城を鋡毘羅と名づく、縦広一万三千由旬あり。此の王は諸阿修羅の中に於いて勝自在を得、大力勢あり。放逸憍慢にして一切地の下に住す。時に悪龍の勧によりて、羅睺、勇健、花鬘の三阿修羅王と共に諸天に挑戦し、三阿修羅王敗れて本処に還るや、毘摩質多羅は大瞋恚を生じ、眼赤くして血の如く、乃ち大戦鼓を撃ち、進んで帝釈天と奮闘力戦す。其の勝敗は、若し閻浮提の人父母に孝養し、沙門婆羅門を恭敬すれば天上に生ずる者多く、天をして大力ならしむるが故に天勝ち、之に反すれば阿修羅勝利を得るなり。毘摩質多羅王は前世に邪見心を以って持戒の者に施したるを以って其の報を受け、余の衆は自身の為に葉樹一切の諸物を守掌し、己の用いざる所を人に恵めるが故に、死して彼の中に生ずと云えり。其の他、「雑阿含経巻40」には鞞盧闍那子婆稚阿修羅王及び毘摩質多羅阿修羅王を説き、「法華経巻1」には婆稚阿修羅王、佉羅騫駄阿修羅王、毘摩質多羅阿修羅王、羅睺阿修羅王の四王名を列ね、「新華厳経巻1」には羅睺阿修羅王、毘摩質多羅阿修羅王、巧幻術阿修羅王、大眷属阿修羅王、大力阿修羅王、遍照阿修羅王、堅固行妙荘厳阿修羅王、広大因慧阿修羅王、出現勝徳阿修羅王、妙好音声阿修羅王等の名を出せり。阿修羅の業因に関しては、諸経に多く瞋慢疑の三種を説くと雖も、「仏為首迦長者説業報差別経」には具に十種挙げたり。即ち一に身に微悪を行ず、二に口に微悪を行ず、三に意に微悪を行ず、四に憍慢を起す、五に我慢を起す、六に増上慢を起す、七に大慢を起す、八に邪慢を起す、九に慢慢を起す、十に諸の善根を廻らして阿修羅趣に向わしむと云える是れなり。又諸経論には別に阿修羅を立てて六趣とし、或いは又単に五趣を説きて、阿修羅を他の趣の所摂となせり。「大毘婆沙論巻172」には、「有余部は阿素洛を立てて第六趣となす」と云い、「大智度論巻30」には、「法華経に六趣の衆生ありと説く。諸の義旨を観ずるに、六道あるべし。復た次ぎに善悪を分別するが故に六道あり、善に上中下あり、故に三善道あり。天、人、阿修羅なり。悪に上中下あり、故に地獄、畜生、餓鬼道あり」と云えり。此等は阿修羅を立てて一趣とするの説なり。又単に五趣を説き、「正法念処経巻18」には阿修羅を鬼道及び畜生の所摂とし、鬼道の所摂は魔身餓鬼にして、神通力あり。畜生の所摂は海底地下に住すと云い、「大毘婆沙論巻172」、並びに「雑阿毘曇心論巻8」等には或いは天趣の所摂、或いは鬼趣の所摂とし、又「仏地経論巻6」には、「阿素洛は種類不定にして、或いは天、或いは鬼、或いは復た傍生あり」と云えり。此等は皆阿修羅を余趣の所摂となすの説なり。其の形像に関しても多説あり。「胎蔵界七集巻下」には「伽陀経」を引き、毘摩質多羅阿修羅王は九頭あり、頭に千眼あり、口中より火を出し、九百九十手あり、唯六脚あり、其の形は大須弥山に四倍すと云い、「観音経義疏記巻4」には阿修羅は千頭二千手、万頭二万手、或いは三頭六手ありと云い、又「補陀落海会軌」には阿修羅は三面青黒色、忿怒裸形相にして六臂あり、左右の第一手は合掌、左の第二手は火頗胝、第三手は刀杖を執り、右の第二手は水頗胝、第三手は鎰を持すと云えり。「胎蔵界曼荼羅外金剛部」には阿修羅、摩尼阿修羅の二種を列せり。「諸説不同記巻9」に、摩尼阿修羅は現図にては、成就仙衆の左に在り、周身赤色にして甲を被り、髪冠にして赤髪なり。其の冠の繒は屈曲して上に向えり。右手は臂を屈して内に向け、刀を執り、左手は拳にして腰に叉し右に向う。二使者あり、一使者は右に在り、右手に杖を執る。左手は見えず。右膝を少しく竪て、面を尊に向けて坐す。一使者は左に在り、右手は肘を開き竪て、掌を竪て、四指を屈し、左手は拳にして杖を持ち、上に半月ありと云い、又阿修羅衆は摩尼阿修羅の左に在り、通身赤色にして甲を被り、髪冠にして赤髪なり。冠の繒は上に向えり。甲の上に青き石革帯を著く。右手は拳を竪てて棒を持し、左は拳にして腰に叉す。二使者あり、一使者は右に在り、右手は肘を竪て掌を仰げ、指端を右に向け、掌に坏器を持し、左手は掌を仰げ、少しく頭指を屈して心に当つ。一使者は左に在り、右手は肘を竪てて鉾を持し、左手は掌を仰げ、名小指を屈して臍下に当て、指端を垂下す。面を右方に向け、左脚にて右を押し交坐すと云えり。又「秘蔵記」には「阿修羅衆は二人各剣を持す。摩尼阿修羅衆は赤肉色なり。閻魔杖を持す。並びに二侍女あり」と云えり。但し此の説は現図曼荼羅に合せず。又「長阿含巻10釈提桓因問経」、「同巻12大会経」、「帝釈所問経」、「大智度論巻10、21」、「彰所知論巻上」、「大唐西域記巻9」、「慧琳音義巻11、26」、「翻梵語巻7」等に出づ。<(望)
  鞞摩質帝隷(びましっていれい):阿修羅王の名。『大智度論巻25上注:阿修羅』参照。
  釈提婆那民(しゃくだいばなみん):須弥山頂なる忉利天の主の名。又釈提桓因等に作る。『大智度論巻21上注:釈提桓因、因陀羅』参照。
若有所畏不能在此大眾中說法。以無所畏故。能為如是諸天鬼神大眾中說法故。名無所畏。 若し畏るる所有れば、此の大衆中に在りて、説法する能わず。畏るる所の無きを以っての故に、能く是の如き諸の天、鬼神、大衆中の為に説法するが故に、無所畏と名づく。
若し、
『畏れる所が有れば!』、
此の、
『大衆中に在って!』、
『法』を、
『説くことはできない!』。
『畏れる所の無い!』が故に、
是のような、
『諸の天、鬼神、大衆中に在って!』、
『法』を、
『説かれたのであり!』、
是の故に、
『無所畏』と、
『称するのである!』。
復次佛於一切眾生。最尊最上盡到一切法彼岸。得大名聞故。自說無所畏。 復た次ぎに、仏は、一切の衆生に於いて、最尊、最上にして、尽くを、一切法の彼岸に到らしめ、大名聞を得たもうが故に、自ら、『無所畏なり』、と説きたまえり。
復た次ぎに、
『仏』は、
一切の、
『衆生』に於いて、
『最尊であり!』、
『最上であり!』、
一切の、
『衆生』を、
尽く、
『一切法の彼岸に到らせて!』、
『大名聞』を、
『得られた!』が故に、
自ら、こう説かれたのである、――
何処にも、
『畏れる!』所が、
『無い!』、と。
復次且置是佛功德。佛一切世間功德亦無能及者。所畏法一切已拔根本故。 復た次ぎに、且く、是の仏の功徳を置いて、仏には、一切の世間の功徳も、亦た能く及ぶ者無し。畏るる所の法の一切は、已に根本を抜きたるが故なり。
復た次ぎに、
是の、
『仏の功徳』を、
『且く!』、
『置くとして!』、
『仏』には、
亦た、
一切の、
『世間の功徳』で、
『及ぶことのできる!』者が、
『無い!』。
一切の、
『畏るべき法』は、
已に、
『根本』を、
『抜いてしまわれたからである!』。
所畏法者。弊家生弊生處惡色無威儀麤惡語等。弊家生者。如首陀羅。所謂擔死人除糞養雞豬。捕獵屠殺酤酒兵伍等。卑賤小家。若在大眾中則多怖畏。 畏るる所の法とは、弊家の生、弊なる生処、悪色、無威儀、粗悪語等なり。弊家の生とは、首陀羅の如し、謂わゆる擔死人、糞を除く、鶏猪を養う、捕猟、屠殺、酤酒、兵伍等の卑賎小家は、若し大衆中に在れば、則ち多く怖畏すればなり。
『畏るべき法』とは、――
『弊家に生まれる!』、
『悪処に生まれる!』、
『醜悪なる肉身である!』、
『威儀/威厳の無い!』、
『語/言葉が粗悪である等である!』。
『弊家に生まれる!』とは、
例えば、
『首陀羅である!』。
謂わゆる、
『死人を担う人』、
『糞を掃除する人』、
『鶏猪を養う人』、
『捕猟、屠殺、酤酒、兵伍等の人であり!』、
『卑賎・小家の人である!』が、
若し、
『大衆中に在れば!』、
則ち、
『怖畏する!』ことが、
『多いからである!』。
  弊家(へいけ):わるい家がら。
  弊生処(へいしょうじょ):わるい生処。
  悪色(あくしき):醜悪なる肉身。
  威儀(いぎ):容姿動作が厳正で礼式に適っていること。威厳あるたちいふるまい。
  麁悪語(そあくご):きたないことば。
  首陀羅(しゅだら):印度四姓中最下位なる奴隷階級を云う。『大智度論巻32下注:四姓』参照。
  擔死人(たんしにん):横死人を担って捨てに行く人。
  酤酒(こしゅ):酒をうる。
  捕猟(ぶろう):狩りとる。猟師。
  兵伍(ひょうご):軍隊編成上の最下級の組。伍は兵五人をいう。兵隊。
佛從本已來常生轉輪聖王種中。所謂頂生王快見王娑竭王摩訶提婆王。如是等名日種王家中生。亦以是故無所畏。 仏は、本より已来、常に転輪聖王の種中に生じたもう。謂わゆる頂生王、快見王、娑竭王、摩訶提婆王なり。是れ等の如きを日種の王家中に生ずと名づけ、亦た是を以っての故に、畏るる所無し。
『仏』は、
本より、
常に、
『転輪聖王』の、
『種』中に、
『生まれられる!』。
謂わゆる、
『頂生王、快見王、娑竭王、摩訶提婆王であり!』、
是れ等の、
『王のように!』、
『日種』の、
『王家』中に、
『生まれられる!』ので、
是の故に、
『畏れる!』所が、
『無いのである!』。
  頂生王(ちょうしょうおう):印度太古の転輪聖王を云う。『大智度論巻8下注:頂生王』参照。
  快見王(けけんおう):蓋し快目王の如し。『大智度論巻25上注:快目王、乞眼婆羅門』参照。
  快目王(かいもくおう):快目は梵名須提羅sudhiraの訳。印度太古の転輪聖王にして、悪婆羅門の乞えるに随い、眼を施したるにより知られる。「賢愚経巻6快目王眼施縁品」に、「過去久遠無量無辺不可思議阿僧祇劫、此の閻浮提に一大城あり、富迦羅跋と名づく。時に国王あり、須提羅と名づけ、此には快目と言う」と云える是れなり。
  乞眼婆羅門(こつげんばらもん):眼を乞える婆羅門の意。因位修行中の菩薩に対し、眼目の施与を乞える悪婆羅門を云う。蓋し諸経中に眼目を施与せし説話を載するもの少なからず。就中、「賢愚経巻6」に依るに、往昔此の閻浮提富迦羅跋城に須提羅大王あり、八万四千の小国、六万の山川、八十億の聚落に主領たり。時に辺陬に波羅陀跋弥と名づくる一小王あり、縱逸荒迷にして国事頽廃す。其の臣労度達なる者、王を極諫せしも聴かず。仍りて叛逆を企て、事未だ発せざるに露れて却って王の為に攻めらる。労度達僅かに身を以って免れ、往きて須提羅大王に依附し、其の情を具陳す。大王即ち八万四千の諸国の兵衆を挙げて、将に波羅陀跋弥を討たんとす。波羅陀跋弥大いに窮し、乃ち輔相等の議に従い、盲婆羅門を遣わして須提羅大王の眼を乞わしむ。王乃ち眼を剜りて之に与う。然るに勝願を以っての故に、尋いで平復して本の如し。盲婆羅門即ち本国に還り、実を以って波羅陀跋弥王に告ぐ、王之を聞きて悩悶憤結して死す。爾の時の須提羅大王は釈迦、波羅陀跋弥は調達、乞眼婆羅門は舎衛城の盲婆羅門なりと云えり。是れ仏陀が過去因位に北印度富迦羅拔城puSkaraavatiiに国王たりし時、悪婆羅門の乞いによりて其の眼を施与せられしを説くなり。此の説話は頗る有名にして、法顕、玄奘等の諸師は皆其の地に夙に窣堵婆の建立ありしを伝う。「高僧法顕伝犍陀衛国の下」に、「仏は菩薩たりし時、亦た此の国に於いて眼を以って人に施す。其の処に亦た大塔を起す、金銀校飾す」と云い、「洛陽伽藍記巻5」に、「復た西に行くこと七日にして、如来が眼を挑り人に施せし処に至る。亦た塔寺あり」と云い、「大唐西域記巻2健馱邏国布色羯邏伐底城の下」に、「伽藍の側に窣堵波あり、高さ数百尺、無憂王の建つる所なり。木に雕り石に文し、頗る人工に異なり。是れ釈迦仏昔し国王と為りて菩薩の行を修し、衆生の欲に従って恵施して倦まず、身を喪うこと遺のごとし。此の国土に於いて千生に王となり、即ち斯の勝地に千生、眼を捨つ」と云える皆即ち其の記事なり。又「弥勒菩薩所問本願経」には、「乃往去世に王あり、号して月明と云う。端正姝好にして威神巍巍たり。宮よりして道に出づるに盲者を見る、貧窮飢餓にして道に随って乞匃す。往きて王の所に趣き、王に白して言わく、王独り尊貴にして安隠快楽に、我れ独り貧窮にして、加うるに復た眼盲たりと。爾の時、月明王は此の盲人を見て之を哀れみ、涙を出して盲者に謂う、何等の薬ありてか卿の病を愈すことを得ん。盲者答えて曰わく、唯王の眼を得ば、能く我が病眼を愈して乃ち視ることを得んと。爾の時、月明王自ら両眼を取りて盲者に施与し、其の心静然として一の悔意なし。月明王は即ち我が身是れなり」とあり。是れ亦た仏陀が過去に国王たりし時、眼を盲人に施与せられしとなすものなるも、前の「賢愚経」の説話と自ら同一ならざるを見るべし。又「撰集百縁経巻4尸毘王剜眼施鷲縁」には、「過去無量世の中に波羅㮏国に王あり、名づけて尸毘と云う。国土を治正し、人民熾盛にして豊楽極まりなし。時に尸毘王は常に恵施を好み、賑給して乏を済い、諸の財宝頭目髄脳に於いて、来たりて乞う者あれば遂に悋惜せず。精誠感応して天宮殿を動かし、其の所を安せず。時に天帝釈是の念を作して言わく、我が此の宮殿は何の因縁ありてか動揺すること是の如くなる。将に我れ今命尽きんと欲するに非ざる耶と。是の念を作し已りて、尋いで自ら観察して尸毘王を見るに、財宝を惜まず、来たりて乞う者あれば皆悉く施与す。精誠感応して我が宮殿を動かし、物所に安んぜず。我れ今当に往きて其の善心の虚たるや実たるやを試むべしと。即便ち化して一大鷲身となり、飛来して王に詣で、王に啓白して言わく、我れ大王の好んで布施を喜び、衆生に逆らわざるを聞く。我れ今故に来たりて求索する所あり。唯願わくは大王、我が心願を遂げよと。時に王聞き已りて甚だ歓喜を懐き、即ち鷲に答えて言わく、汝の求むる所に従って遂に恡惜せじと。鷲、王に白して言わく、我れ亦た金銀珍宝及び諸の財物を須いず、唯王の眼を須いて以って善饍と為さん。願わくは王今双眼を賜わるべしと。時に尸毘王は鷲の語を聞き已りて大歓喜を生じ、手に利刀を執りて自ら双眼を剜り、以って彼の鷲に施す。苦痛を憚らず、毛髪も悔恨の心あることなし。爾の時、天地六種に震動し、諸の天花を雨ふらす。(中略)彼の時の尸毘王は則ち我が身是れなり」とあり。「福蓋正行所集経巻7」、「巴梨本生経」、并びに「梵文本生鬘論」等にも亦た皆此の説話を載す。是れ帝釈鷲となりて眼を乞うとなすなり。又「六度集経巻4」には法施(一に法慧に作る)太子鑿眼の本生因縁を出せり。此の説話は全く阿育王の太子法益王子壊目の故事に同じ。恐らくはかの法益王子の紀伝は、此の法施太子の本生に基づきて脚色せられたるものなるべし。又「大智度論巻12」には舎利弗施眼の故事を挙げ、「舎利弗の如きは、六十劫の中に於いて菩薩の道を行じ、布施の河を渡らんと欲する時、乞人あり来たりて其の眼を乞う。舎利弗言わく、眼は任うる所なし、何を以って之を索むるや。若し我が身及び財物を須いば当に以って相与うべしと。答えて言わく、汝が身及び財物を須いず、唯眼を得んと欲す。若し汝実に檀を行ぜば、眼を以って与えられよと。爾の時、舎利弗一眼を出して之に与う。乞者は眼を得て舎利弗の前に於いて之を嗅ぎ、臭を嫌いて唾して地に棄て、又脚を以って蹹む。舎利弗思惟して言わく、此の如きの弊人等は度すべこと難し。眼実に用なくして強いて之を索め、既に得て而も棄て、又脚を以って蹹む。何ぞ弊の甚だしき。此の如きの人輩は度す可からざるなり。自調して早く生死を脱せんには如かずと。思惟すること是に已りて、菩薩の道に於いて退し、小乗に廻向す。是れを不到彼岸と名づく」と云えり。是れ舎利弗退菩提の因縁を説けるものにして、菩薩の布施行の広大なるを比顕せるものというべし。又「阿育王息壊目因縁経」、「大乗起信論義記巻下本」等に出づ。<(望)
  娑竭王(しゃかつおう):閻浮提に出現せし王の名。「大楼炭経巻6」に依るに、世界生じて以来久しく閻浮提は善良の地なりしも、遂に悪不善の者出でたるに及んで、衆人其の中より最も大尊端正姝好威神巍巍たる人を選んで主と為し、大王と号して一切を教令統治せしむ。其の子孫に就いては、「同経」に、「大王、法を以って治行し、十善事を奉じて遍く天下の人民を教え、行ぜしむること父の子を愛するが如し。天下の人民の王を敬うこと、子の父を敬うが如し。大王に子あり、名づけて真と曰う、真王に子あり、名づけて斉と曰う、斉王に子あり、名づけて頂生と曰う、頂生王に子あり、名づけて遮留と曰う、遮留に子あり、遮留王に子あり、和行と名づく、和行王に子あり、留至と名づく、留至王に子あり、日と名づく、日王に子有り、波那と名づく、波那王に子あり、大波那と名づく、大波那王に子あり、沙竭と名づく。沙竭王に子あり、大善見と名づく。大善見王に子あり、提炎と名づく、提炎王に子あり、染と名づく、染王に子あり、迷留と名づく、迷留王に子あり、摩留と名づく、摩留王に子あり、精進力と名づく、精進力王に子あり、堅賎と名づく、堅賎王に子あり、十車と名づく、十車王に子あり、舎羅と名づく、舎羅王に子あり、十丈と名づく、十丈王に子あり、百丈と名づく、百丈王に子あり、那和檀と名づく、那和檀に子あり、真闍と名づく、真闍王に子あり、波延と名づく、後の諸王も甚だ衆多なり」と云えり。此の中の大波那王の子にして、沙竭と名づけ、大善見王の父たる者、恐らく是の娑竭王たる者ならん。
  摩訶提婆王(まかだいばおう):拘留孫如来出世時、世界を統治せし王の名。「増一阿含経巻2序品」に依れば、摩訶提婆王、過去世に於いて法を以って教化し、之を訓うるに徳を以ってすること、八万四千歳に及びし後、我れ今已に人中の福を食せり、宜しく当に自ら昇天の徳を勉むべしとて、鬚髪を剃除し、三法衣を著けて、信堅固なるを以って、出家学道し、蓿を離れんとす。爾の時、王は太子の長寿と名づくる者をして、位を紹がしめんとし、法を以って治化し、吾が言教に違失有らしむること勿かれと諭せば、長寿も亦た善く王教を護りて、未だ曽て暫しも捨てず、法を以って治化すれば、阿曲有るもの無し。未だ旬日を経ざるに、便ち復た転輪聖王と作るを得。乃ち阿難は、優多羅比丘に此の増一阿含を授与するに、其の所以を述べて、何を以っての故に、汝は前に転輪聖王と作りし時、王教を失せず、今復た此の法を以って、相嘱累するも、正教を失せざらんと伝えしことを記せり。
  参考:『増一阿含経巻1序品』:『‥‥時。尊者阿難告優多羅曰。我今以此增一阿含囑累於汝。善諷誦讀。莫令漏減。所以者何。其有輕慢此尊經者。便為墮落為凡夫行。何以故。此。優多羅。增一阿含。出三十七道品之教。及諸法皆由此生。時。大迦葉問阿難曰。云何。阿難。增一阿含乃能出生三十七道品之教。及諸法皆由此生。阿難報言。如是。如是。尊者迦葉。增一阿含出生三十七品。及諸法皆由此生。且置增一阿含一偈之中。便出生三十七品及諸法。迦葉問言。何等偈中出生三十七品及諸法。時。尊者阿難便說此偈 諸惡莫作  諸善奉行  自淨其意  是諸佛教  所以然者。諸惡莫作。是諸法本。便出生一切善法。以生善法。心意清淨。是故。迦葉。諸佛世尊身.口.意行。常修清淨。迦葉問曰。云何。阿難。增壹阿含獨出生三十七品及諸法。餘四阿含亦復出生乎。阿難報言。且置。迦葉。四阿含義。一偈之中。盡具足諸佛之教。及辟支佛.聲聞之教。所以然者。諸惡莫作。戒具之禁。清白之行。諸善奉行。心意清淨。自淨其意。除邪顛倒。是諸佛教。去愚惑想。云何。迦葉。戒清淨者。意豈不淨乎。意清淨者。則不顛倒。以無顛倒。愚惑想滅。諸三十七道品果便得成就。以成道果。豈非諸法乎。迦葉問曰。云何。阿難。以此增一付授優多羅。不囑累餘比丘一切諸法乎。阿難報言。增一阿含則是諸法。諸法則是增一阿含。一無有二。迦葉問曰。以何等故。以此增一阿含囑累優多羅。不囑累餘比丘乎。阿難報曰。迦葉當知。昔者九十一劫。毘婆尸如來.至真.等正覺。出現於世。爾時。此優多羅比丘名曰伊俱優多羅。爾時彼佛以增一之法囑累此人。使諷誦讀。自此以後三十一劫。次復有佛名式詰如來.至真.等正覺。爾時。此優多羅比丘名目伽優多羅。式詰如來復以此法囑累其人。使諷誦讀。即彼三十一劫中。毘舍婆如來.至真.等正覺。復出於世。爾時。此優多羅比丘名龍優多羅。復以此法囑累其人。使諷誦讀。迦葉當知。此賢劫中有拘留孫如來.至真.等正覺。出現於世。爾時。優多羅比丘名雷電優多羅。復以此法囑累其人。使諷誦讀。此賢劫中次復有佛。名拘那含如來.至真.等正覺。出現於世。爾時。優多羅比丘名天優多羅。復以此法囑累其人。使諷誦讀。此賢劫中次復有佛。名迦葉如來.至真.等正覺。出現於世。爾時。優多羅比丘名梵優多羅。復以此法囑累其人。使諷誦讀。迦葉當知。今釋迦文如來.至真.等正覺。出現於世。今此比丘名優多羅。釋迦文佛雖般涅槃。比丘阿難猶存於世。世尊以法盡以囑累我。我今復以此法授與優多羅。所以者何。當觀其器。察知原本。然後授法。何以故。過去時於此賢劫中。拘留孫如來.至真.等正覺.明行成為.善逝.世間解.無上士.道法御天人師。號佛.眾祐。出現於世。爾時。有王名摩訶提婆。以法治化。未曾阿曲。壽命極長。端正無雙。世之希有。八萬四千歲中於童子身而自遊戲。八萬四千歲中以太子身以法治化。八萬四千歲中復以王法治化天下。迦葉當知。爾時。世尊遊甘梨園中。食後如昔常法。中庭經行。我及侍者。爾時世尊便笑。口出五色光。我見已。前長跪白世尊曰。佛不妄笑。願聞本末。如來.至真.等正覺。終不妄笑。爾時。迦葉。佛告我言。過去世時於此賢劫中。有如來名拘留孫至真.等正覺。出現於世。復於此處為諸弟子而廣說法。復次。於此賢劫中。復有拘那含如來.至真.等正覺。出現於世。爾時彼佛亦於此處而廣說法。次復。此賢劫中迦葉如來.至真.等正覺。出現於世。迦葉如來亦於此處而廣說法。爾時。迦葉。我於佛前長跪白佛言。願令後釋迦文佛亦於此處。與諸弟子具足說法。此處便為四如來金剛之座。恒不斷絕。爾時。迦葉。釋迦文佛於彼坐。便告我言。阿難。昔者此坐。賢劫之中有王出世。名摩訶提婆。乃至八萬四千歲以王法教化。訓之以德。經歷年歲。便告劫比言。若見我首有白髮者。便時告吾。爾時。彼人聞王教令。復經數年。見王首上有白髮生。便前長跪白大王曰。大王當知。首上已生白髮。時王告彼人言。捉取金鑷。拔吾白髮。著吾手中。爾時。彼人受王教令。便執金鑷。前拔白髮。爾時。大王見白髮已。便說此偈 於今我首上  已生衰耗毛  天使已來至  宜當時出家  我今已食人中之福。宜當自勉昇天之德。剃除鬚髮。著三法衣。以信堅固。出家學道。離於眾苦。爾時。王摩訶提婆便告第一太子。名曰長壽。卿今知不。吾首已生白髮。意欲剃除鬚髮。著三法衣。以信堅固。出家學道。離於眾苦。汝紹吾位。以法治化。勿令有失。違吾言教。造凡夫行。所以然者。若有斯人。違吾言者。便為凡夫之行。凡夫者。長處三塗.八難之中。爾時。王摩訶提婆以王之位授太子已。復以財寶賜與劫比。便於彼處剃除鬚髮。著三法衣。以信堅固。出家學道。離於眾苦。於八萬四千歲善修梵行。行四等心。慈.悲.喜.護。身逝命終。生梵天上。時。長壽王憶父王教。未曾暫捨。以法治化。無有阿曲。未經旬日。便復得作轉輪聖王。七寶具足。所謂七寶者。輪寶.象寶.馬寶.珠寶.玉女寶.典藏寶.典兵寶。是謂七寶。復有千子。勇猛智慧。能除眾苦。統領四方。時。長壽王以前王法。如上作偈 敬法奉所尊  不忘本恩報  復能崇三業  智者之所貴  我觀此義已。以此增一阿含授與優多羅比丘。何以故。一切諸法皆有所由。時。尊者阿難告優多羅曰。汝前作轉輪聖王時。不失王教。今復以此法而相囑累。不失正教。莫作凡夫之行。汝今當知。若有違失如來善教者。便墮凡夫地中。何以故。時。王摩訶提婆不得至竟解脫之地。未得解脫至安隱處。雖受梵天福報。猶不至究竟。如來善業。乃名究竟安隱之處。快樂無極。天.人所敬。必得涅槃。以是之故。優多羅。當奉持此法。諷誦讀念。莫令缺漏‥‥』
弊生處者。安陀羅舍婆羅(裸國也)兜呿羅(小月氏)修利安息大秦國等。在此邊國中生。若在大眾中則多怖畏。佛在迦毘羅婆中國生故無所畏。 弊なる生処とは、安陀羅舎婆羅、兜呿羅、修利、安息、大秦国等なり。此の辺国中に在りて生ずるに、若し大衆中に在れば、則ち多く怖畏す。仏は迦毘羅婆の中国に在りて、生じたまえるが故に、畏るる所無し。
『悪い生処』とは、
『安陀羅舎婆羅や!』、
『兜呿羅、修利、安息、大秦国等である!』、
此の、
『辺国中に生まれて!』、
若し、
『大衆中に在れば!』、
則ち、
『多く!』、
『怖畏することになる!』。
『仏』は、
『迦毘羅婆という!』、
『中国に生まれられた!』が故に、
『畏れる!』所が、
『無いのである!』。
  安陀羅舎婆羅(あんだらしゃばら):梵名(?)裸国、又は裸人国と称す。「大智度論巻25」に、「弊生処とは安陀羅舎婆羅(裸国也)、兜呿羅等」と云い、「西域求法高僧伝巻下」に、「羯荼(今のスマトラ島の北部)より北に行くこと十日余にして裸人国に至る。東に向いて岸を望むに二里許りなるべし。但だ椰子樹、檳榔樹を見る、森然として愛すべし。彼れ舶の至るを見るや、争うて小艇に乗ず。百数に盈つるあり。皆椰子芭蕉及び藤竹器を将って来たりて市易を求む。其の愛する所は但だ鉄のみ」と記せる是れなり。現今印度の属領たるnicobar諸島は、嘗て裸人国と称せられたりと伝え、森林鬱蒼たるのみならず、スマトラより舟行十日にして達し、且つ寄港の地が甚だ狭く、東西二里と云えるに合するが如し。されば安陀羅舎婆羅は恐らく今のnicobarの北部に在る小島を指したるものならん。又同書に裸人国の所由を記して、「丈夫は悉く皆体を露わし、婦女は片葉を以って形を遮る。商人戯れに其の衣を授くれば、即ち手を揺りて用いず」と云えり。<(望)
  兜呿羅(ときゃら):梵名tukhaara、又はtuHkhaara、tuSaara。葱嶺pamirsの西南、烏滸水(縛芻oxus)の上流に在りし国の名。『大智度論巻25上注:覩貨邏国』参照。
  覩貨邏国(とからこく):覩貨邏tukhaaraは梵名。又はtuHkhaara、tuSaara。又覩貨羅、覩佉羅、覩火羅、吐火羅、吐呼羅、吐豁羅、兜呿羅、兜佉羅、兜佉勒、都佉に作る。葱嶺pamirsの西南、烏滸水(縛芻oxus)の上流に在りし国の名。「大唐西域記巻1」に、「鉄門を出でて覩貨邏国に至る。(旧に吐火羅国と曰うは訛なり)其の地は南北千余里、東西三千余里、東は葱嶺を阨し、西は波刺斯に接し、南は大雪山にして北は鉄門に拠り、縛芻大河中境を西流す。数百年より王族嗣を絶ち、酋豪力競して各君長を擅にす。川に依り険に拠り、分れて二十七国と為り、画野区分すと雖も総じて突厥に役属す。気序既に温に疾疫亦た衆く、冬末春初に霖雨相継ぐ。故に此の境已南、濫波已北は、其の国の風土並びに温疾多し。而して諸僧徒は十二月十六日を以って安居に入り、三月十五日安居を解く。斯れ乃ち其の多雨なるに拠り、亦た是れ設教時に随うなり。其の俗は則ち志性恇怯、容貌鄙陋なるも、粗ぼ信義を知り、甚だ欺詐ならず。語言去就は稍諸国に異に、字源は二十五言、転じて相生じ、之を用いて物に備え、書は以って横読し、左より右に向う。文記漸く多く、逾に窣利より広し、多く氎を衣し少しく褐を服す。貨は金銀等の銭を用い、模様は諸国に異なれり」と云えり。是れ唐初に於ける当国の情勢を記述せるものなり。就中、鉄門は現今のbuzghala khAnaにして、kesh(samarkandの南方に位し、西域記の羯霜那に相当す)の南約五十哩、derbentの西約八哩に在り。又大雪山はhindu- kush山脈を指すを以って、其の地域はoxus河の流域を占め、今の露領bokharaとafghanistanの一部を含み、又其の一部は前漢代の所謂大夏bactriaと疆域を同じくせしものなるを知るなり。按ずるにtukhaaraなる名称は梵文マハーブハーラタmahaabhaarata等に出で、又ブリハト・サンヒターbRhat- saMhitaa並びに諸種のプラーナpuraaNa等には、tuSaaraを以って中国madhya- deza(即ち印度)の西北方、或いは北方に於ける住民の名なりとし、「正法念処経巻68」には閻浮提北方の二十国を列ぬる中、第十六を都佉国と名づけ、其の土は縦広五百由旬なりとし、「仏母大孔雀明王経巻中」には毘沙門王子は衆徳威厳を具して覩火羅に住在し、一俱胝の藥叉を眷属と為すと云い、「大智度論巻25」には弊生処の随一として兜呿羅を挙げ、「阿毘曇毘婆沙論巻41」には一音異解を解説し、其の下に兜佉羅人に関説する所あり。蓋し此の地方は元とイラン民族の住地にして、古ペルシャ帝国の一部なりしが、アレキサンドル大王の遠征により之に服属し、尋いで大王の死後、マケドニア帝国の瓦解と共に、其の南部なるバクトリアは希臘人を王とし独立せり。是れ所謂大夏なり。是れより先き月氏族あり、元と遊牧の民にして、支那の西陲敦厚、祇連の間に拠りしが、秦漢の交、匈奴に逐われて一時天山の北方に逃避し、次いで又烏孫民族に圧迫せられて大移住を試み、漢武帝の頃、ソグヂアナsogdiana地方の南半を占拠し、又バクトリア方面をも統御し、幾ばくもなく之を亡し、代わりて其の地に君臨せり。蓋し月氏は西史に伝うるtokharoi、或いはtokhariと称する民族にしてバクトリアを統治せし以来、此の地方はtokhaara、又はtokharestanと呼ばるるに至り、支那にては両漢三国を通じて之を月氏国と称せり。尋いで土酋(翕侯yabghu)の一なる貴霜kushan種勃興し、丘就郤kujra kadophises(?)、閻膏珍wena kadophises(?)迦膩色迦kanishka等の諸王相次いで武威を振るい、北はsir daria(jaxartes)、西は安息parthia、東は葱嶺pamirsを越えて于闐khotan地方に及び、南はhindu- kushを度りて西北印度地方に跨がる大版図を形成せり。然るに西紀320年頃印度内地に崛多gupta王朝興起し、貴霜王朝は為に其の圧迫を受けてバクトリアの故地に跼蹐し、一方西部より新興の薩珊波斯saasan persia帝国の侵略を蒙り、後五世紀に及び更に嚈達(又は挹怛ephthal)の寇掠に会い、西紀450年頃其の配下に隷せり。「北史西域列伝巻85」に、「吐火羅国は葱嶺の西五百里に都し、挹怛と雑居す。都城は方二里、勝兵十万人あり、皆善く戦う。其の俗は仏を奉ず」と記せるは、即ち此の時代に於ける当国の状勢を伝えたるものなるが如し。尋いで第六世紀末に及びて突厥tUrkの侵入を受け、亦た遂に之に役属するに至れり。上記「大唐西域記」に、覩貨邏は突厥に役属すと云い、又「同巻12」に安呾羅縛、活、瞢揵、阿利尼、曷邏胡、訖栗瑟摩、鉢利曷、呬摩呾羅、鉢鐸創那、淫薄健、屈浪拏、達摩悉鉄帝(主として今のbadakhshaan及びpamir地方)等の諸国を以って覩貨邏の故地なりとし、且つ「唐書突厥列伝巻140下」に、突厥乙毘沙鉢羅葉護可汗に隷属せる諸国の随一として吐火羅を挙げたるに徴して之を知るを得べし。支那には随唐代に至りて入貢し、前記「北史西域列伝」の連文に随大業中、使を遣わして朝貢すと記し、又「唐書西域列伝巻146下吐火羅の條」に、「其の王を葉護と号す。武徳、貞観の時再び入献す。永徽元年大鳥を献ず」と云い、又其の連文に、「顕慶中、其の阿緩城(現今のkunduz)を以って月氏都督府と為し、小城を析して二十四州と為し、王阿史那に都督を授く。後二年子を遣わして来朝し、俄にして又馬瑙鐙樹の高さ三尺なるを献ず。神龍元年王那都泥利は弟僕羅を遣わして入朝し、留まりて宿衛せしむ。開元天宝の間、数ば馬驢、異薬、乾陀婆羅二百品、紅碧玻璃を献ず。乃ち其の君骨咄禄頓達度を冊して吐火羅葉護挹怛王と為す。其の後鄰胡の羯師は吐蕃を謀引して吐火羅を攻む。是に于いて葉護失里忙伽羅は安西の兵の助討を匃う。帝為に師を出して之を破る。乾元の初、西域九国と与に兵を発し、天子の為に賊を討つ。粛宗詔して朔方の行営に隷せしむ」と云い、「通典巻193」に、「龍朔元年吐火羅に州県を置き、王名遠をして西域図記を進めしむ。並びに于闐以西、波斯以東の十六国に都督府及び州八十、県一百、軍府百二十六を分置し、仍お吐火羅国に碑を立て以って聖徳を紀せんことを請う。帝之に従う」と云うに依るに、覩貨邏は西紀七世紀の頃唐に内附せしを見るべし。後亜刺比亜人の征服を受け、之に隷属したることは、唐開元十五年五天竺を歴渉して、安西に還帰せる慧超の「往五天竺国伝」に、「又此の犯引国より北行廿日にして吐火羅国王の住城に至る。名づけて縛底恥(bakhdi即ちbalkh)と為す。見今大寔(taazi即ちアラビア人)の兵馬、彼れに在りて鎮押す。其の王逼られ、走りて東に向うこと一月程、蒲持山(現今のbadakhshan歟)に在りて住し、見に大寔の所管に属す。言音は諸国と別なり、罽賓国と共に少しく相似たりとなすも多分同じからず。衣は、皮毬氎布等を著し、上国王に至り、下黎庶に及び皆皮毬を以って上服と為す。土地には駞騾、羊馬、氎布、蒲桃足り、食は唯餅を愛す。土地寒冷にして冬天には霜雪あり。国王首領及び百姓等甚だ三宝を敬し、寺足り僧足る。小乗の法を行じ、肉及び葱韮を食し、外道に事えず。男人は竝びに鬚髪を剪り、女人は髪を在く。土地には山足る」と記するに依りて知るを得るなり。按ずるに仏教は此の地方に於いて夙に伝播せられ、阿育王の時伝道師をバクトリアに派遣せしことは、「阿育王法勅」並びに「善見律毘婆沙巻2」等に之を記し、又ターラナータの「印度仏教史第五章」には、覩貨邏tho- gar王ミナラminara(恐らくは那先比丘経の弥蘭milinda王)の時、提多迦dhiitikaは五百の阿羅漢と共に此の地に来化し、後迦溼弥羅kha- che国の上座も亦た来たりて教法を流布し、王及び王子イマシャimaSyaの治世中、五十の大伽藍に僧は溢れたりと云い、「同第十三章」には迦膩色迦王時代の妙音dbyaGs- sgrogsを覩貨邏の人なりとし、「倶舎論光記巻1」には、「阿毘曇心論」の作者法勝が土火羅縛蠋の人なるを伝え、又「出三蔵記集巻2」には、「増一阿含経」、及び「中阿含経」の訳者なる前秦曇摩難提、「大唐西域求法高僧伝巻上」には、「阿毘曇毘婆沙論」の訳者なる東晋浮陀跋摩、「開元釈教録巻9」には、「無垢浄光大陀羅尼経」の訳者なる弥陀山、及び義浄の訳場に於いて証梵義に当れる達磨末磨を共に覩貨邏の人となせり。此の地方の仏徒は主として迦溼弥羅地方に往来して説一切有部の教系を承け、葱嶺を越えて庫車kucha、喀喇沙弥karashar、吐魯番turfan並びに支那等の諸地に之を伝えたるが如し。現に庫車附近のkizilに存する千仏洞の壁上に、西蔵文を以って覩貨邏tho- gar王aanandavarmaaはmendra王等と共にmitradatta等の画工をして絵画を描かしめたることを記し、又覩貨邏人かと想像せらるる画家が壁画を描くの状を写出せり。されば覩貨邏人が彼の洞窟寺の完成に力を致せしことを察するを得べし。又吐魯番地方出土の所謂回鶻文字を以って書せられたる古代土耳古経典中、「弥勒下生経」の奥書に、同経が印度語より覩貨邏語tokhrI、覩貨邏語より突厥tUrk語に訳せられたることを記し、又「同daza- karma- buddhaavadaana- maala(十業仏譬喩鬘)」にh、其の経が曲先kuizan語より覩貨邏語、覩貨邏語より突厥語に訳せられたることを記せり。之に依るに古くは覩貨邏語に訳せられたる仏典の存せしことを知るなり。但しミューラーF.W.K.Muller、ジークE.Sieg、ジークリンクW.Siegling等は、庫車、吐魯番地方出土の仏典等に使用せられたる一種の古代印欧語を以って覩貨邏語Tocharischと名づけたるも、果して其の語が覩貨邏地方の言語なりしや否や遽に信ずべからず。寧ろレヴィS.Leviが之を亀茲地方等の土語と解せるを妥当となすべきが如く、又一般に覩貨邏語といわば覩貨邏地方(古のバクトリア)及び其の北方の語と解すべきものなるが如し。又「隋書西域列伝巻48」、「梵語雑名」等に出づ。<(望)
  修利(しゅり):不明。
  安息国(あんそくこく):波斯地方に在りし古王国の名。西史にparthiaと称するもの是れなり。西紀前250年、アルサケス一世arsakes I.の建設せし王国にして、其の王朝をアルサクarsak朝(arsakides)と呼べり。安息の称は一般に此の王朝の名に基づけりとするも、希臘人straboの記する所に依れば、其の国人は既に自ら「アルサカ」と称したるが如し。アルサケス王の後、ミトラダテス一世mithradates I.あり。西紀前175年に即位し、大いに威武を振るうてmedia(裏海の西南の地方)、ilyrcania(裏海の東南沿岸の地方)、bactria(アフガニスタンの東北部)を征して大帝国の基礎を樹てたり。後諸王も亦た西方に其の勢力を張り、西紀前90年頃ミトラダテス二世出世して更に其の領地を拡大し、euphrates河を以って其の西境となすに至れり。支那との交通は前漢以来開かれたるが如く、「史記大宛列伝巻63」には、西紀前119年、張騫が前漢武帝の命を帯びて大月氏に至れる時、其の副使は安息にも赴き、当時安息王は二万騎をして之を王都を去る数千里なる東界に迎えしめたることを記し、且つ当時の国情を敍して、安息は大月氏の西数千里ばかりに在り、其の俗土著にして田を耕し、稲麦を田す。城邑は大宛の如く、其の属小大数百城、地方数千里あり。最も大国たり。嬀水に臨む。市民商賈するに車及び船を用い、旁国に行くこと或いは数千里なるものあり。銀を以って銭となす。銭は其の王の面の如くし、王死すれば輒ち銭を更ため王面に效う。革に画き旁行を以って書記をなす。其の西は則ち條枝なり。北に奄蔡、黎軒ありと云えり。「前漢書西域伝巻66安息国の條」には、北は康居、東は烏弋山離、西は條支に接すと云い、又『後漢書西域伝巻78』には安息国は和櫝城に居る。洛陽を去ること二万五千里。北は康居に接し、南は烏弋山離に接す。地方数千里、小城数百、戸口勝兵最も殷盛たり。其の東界なる木鹿城は号して小安息となす。洛陽を去る二万里なりと云えり。されば安息は西は條支即ちティグリス、ユーフラテス両河下流の地に及び、北は奄蔡即ちaral海以北の地、東北は康居即ち嬀水(amu河)以東の地に接し、東南は烏弋山離即ちarachosia(アフガニスタンの東南部)と境し、而して和櫝城即ちhecatonpylos(裏海の東南なる現今のdamghan)を以って首都とし、木鹿mouru城即ち現今のメルヴを以って東都となせるものなるが如し。又「後漢書西域伝巻78」に、西紀101年獅子及び條支の大鳥を漢に献じたりと伝うる安息王満屈は、年代よりせばpacorusに相当すべし。斯くて安息は一時頗る繁栄せしも、其の後内乱相次ぎ、遂に西紀226年、ササン王朝sassanidsの鼻祖アルタクセルクセスarta- xerxesの為に亡ぼされたり。建国以来約480年なり。又「魏書列伝巻90」、「周書列伝巻42」、「北史列伝巻85」所載の安息国、並びに穆国、烏般曷国等の安息の故地等は、アルサク王朝の末葉の事情を伝えたるものなるべし。仏教との関係は後漢桓帝の初、同国の三蔵と伝うる安世高が支那に来遊して多数の経論を翻伝せしを嚆矢とし、安玄、曇無諦、安法欽等の諸三蔵亦た此の国より支那に渡来して仏教の宣布に努め、其の訳出する所は主として小乗に属し、経律論の三蔵に渉れり。之に依りて後漢三国時代の頃、彼の地方の仏教が盛んなりしことを知るなり。但し近時に至り学者の中には安世高を始め、安を姓とする諸三蔵は恐らく安国(bokhara)の産にして、今の安息国の出には非ざるべしと説くものあり。其の可否未だ詳ならず。又「大宝積経巻10」、「阿育王息壊目因縁経」、「菩薩善戒経巻2不可思議品」、「十住毘婆沙論巻14」、「釈迦牟尼如来像法滅尽之記」、「前漢書張騫李広利伝巻31」、「出三蔵記集巻14」、「高僧伝巻1」、「開元釈教録巻1、2」等に出づ。<(望)
  大秦国(たいしんこく):亜細亜の西端、地中海の東岸に在りし古国の名。又海西、犂鞬、払菻等の異称あり。古くより支那と交通せし国にして当時世界の極西に在りと信ぜられ、大秦の称は其の国人長大平正にして、漢人に類するより起れるものなりと云う。「後漢書西域伝巻78安息国の條」に、「和帝永元九年、都護班超は甘英を遣わして大秦に使せしむ。條支に抵りて大海に臨み度らんと欲す、而るに安息西界の船人は英に謂いて曰わく、海水広大にして往来する者、善風に逢わば三月にして乃ち度ることを得るも、若し遅風に遇わば亦た二歳なるものあり。故に入海の人皆三歳の糧を齎す。海中善く人をして土を思い恋慕せしめ、数死亡する者ありと、英之を聞きて乃ち止む」と云い、又「同大秦国の條」に、大秦国は一に犂鞬と名づく。海西に在るを以って亦た海西国と云う。方数千里にして四百余城あり、数十の小国役属す。城邑の周囲百余里あり、宮室は皆水精を以って宮柱器物を作り、又金銀奇宝頗る多く、織物、香等を出す。外国の珍異なる者皆之より出で、安息、天竺と交市して国民富饒なり。桓帝延熹九年大秦王安敦、使を遣わして日南より象牙、犀角、瑇瑁等を献ず。或いは云わく、其の国の西に弱水あり、西王母の居所に近く、又日の没する所に幾しと。或いは云わく、安息より陸路海北を繞り、海西に出でて大秦に至ると。或いは云わく、数百里の飛橋あり、以って海北を度るべしと云い、又「三国志巻30の註」に引用せる「魏略西戎伝」に、安息より当国に至る順路並びに其の国状を詳述し、安息国界の安谷城より海路西行せば、西海(即ち現今のペルシャ湾及び紅海一体の海水)を経て二月乃至三歳にして達し、又陸路に依らば安谷城より直に北行して海北に往き、更に西行して海西に往き、後南行して遂に到達すべき地なりとなせり。之に依るに当国は波斯の西方に当り、方数千里にして四百余城を有し、織物又は奇宝等を産し、国民富饒にして夙に波斯、印度、支那等と交通せしものなるを知るなり。其の位置に関し、ヒルトhirthは之を当時羅馬領たりしシリアsyriaに比定し、且つ犂鞬の称はレケムrekemの音写にして、即ち希臘人の所謂ペトラpetra城を指せるものなりとし、白鳥庫吉氏は又之を当時羅馬領たりし埃及に比定し、且つ犂鞬は其の都城なるアレキサンドリアalexandriaの音写なるべしとし、藤田豊八氏は「魏略」の説を誤となして大秦と犂鞬とを別国とし、大秦は左或いは西方の義なる古代波斯語のダシナdazinaの音写にして、即ち安息人が其の西方なる羅馬領を呼びし名称なりとし、又犂鞬はラガragha(又はrhagA)の音写にして、古代メディアmedia地方に在りしゾロアスターzoroasterの宗教的国家なりとなせり。漢魏時代の大秦国に関しては是の如く諸説あるも、現今本邦の学者は多く埃及比定説に従えり。然るに大秦の名は屡仏典中にも散見する所にして、其の多くは本と希臘領たりし大夏bactriaを指せるものなるが如し。即ち「那先比丘経巻上」に、「今北方大秦yonaka国に在り、国を舎竭saagalaと名づく」と云い、「同巻下」に、「王(弥蘭)言わく、我れ本と大秦国に生まる、国を阿茘散alasandaと名づく」と云い、「巴梨文大史mahaavaMsa xxix.」に、ヨーナyona人摩訶曇無勒棄多mahaadhammarakkhitaは三万の比丘と与にヨーナの城市アラサンダalasandaより来至すと云い、又「仏使比丘迦旃延説法没尽偈百二十章」に、「将に三悪王あり、大秦は前に在り、撥羅は後に在り、安息は中央に在り」と云い、「菩薩善戒経巻2菩薩地不可思議品」に、栗特、月支、大秦、安息等の声は細声なりと云える如き、皆即ち安息の東北方叟那yona即ち大夏を指して大秦となせるものと認め得べきを以ってなり。但し唐建中二年景浄の撰せる「大秦景教流行中国碑頌並序」には、「景尊弥施訶(messiah)は真威を戢隠し、人に同じて代に出で、神天は慶を宣べ、室女は聖を大秦に誕す。(中略)西域図記及び漢魏の史策を案ずるに、大秦国は南は珊瑚の海を統べ、北は衆宝の山を極め、西は仙境の花林を望み、東は長風の弱水に接す。其の土は火浣布、返魂香、明月珠、夜行璧を出す。人には楽康あり、法は景に非ざれば行われず、主は徳に非ざれば立たず。土宇広闊にして文物昌明なり」とあり。是れ恐らくはシリアを指して大秦と名づけたるものにして、即ち文中の珊瑚の海は紅海、衆宝の山はタウルスtaurus山、花林は羅馬、弱水はユウフラテスeuphrates河に当り、且つ聖を大秦に誕すと云うは、即ち景教nestrianismの祖基督が其の地に産せしことを意味せしものなるべし。若し然りとすれば唐代にはシリアを指して大秦と名づけたるものとなすべし。又「通典巻193大秦国の註」に杜環の「経行記」を引き、「払菻国は苫国の西に有り、山を隔つること数千里、亦た大秦と曰う。(中略)西は西海に枕し、南は南海に枕し、北は可薩、突厥に接す」と云い、「旧唐書列伝巻148」に、「払菻国は一に大秦と名づく。西海の上に在り、東南は波斯に接す」と云い、又「大唐西域記巻11波刺斯国の條」に、「西北は払懍国に接す。境壌風俗は波刺斯に同じ。(中略)払懍国の西南の海島に西女国あり」と記し、「釈迦方志巻下波刺斯国の條」にも、「西北は払懍国に接す。伯狗子を出す。本赤頭の鴨穴中に生ず」と云えり。是れ払菻を以って大秦の一名とし、波斯国の西北に接すとなすの説なり。但し払菻の名称及び其の位置に関しては諸説あり、ヒルトは、此の語はベトレヘムbethlehemの音写にしてシリアを指し、即ち大秦国と同一地方を意味するものとなし、藤田氏は払菻はシリア語のフリムphrim(即ちヘブライ語のエフライムephraim)の音写にして、同じくシリアを指せるものとし、又白鳥氏は此の語はルトルムrutrumの音写にして、元と土耳其人が羅馬を呼びしウルムurumより転じたるものとなし、広く東羅馬帝国を指せるものなりとなせり。之を要するに大秦国の称は必ずしも一定の地域を指さず、時代に依りて埃及、大夏或いはシリア等を指せしものの如し。後宋代には之を波斯と混同せしが如く、「仏祖統紀巻39の註」に、「波斯国は西海に在り、此に大秦と云う」と云えり。又「大宝積経巻10」、「大荘厳論経巻15」、「大般涅槃経巻19」、「漢書列伝巻31張騫伝」、「同巻66上」、「梁書列伝巻48」、「晋書列伝巻67」、「随書列伝巻32裴矩伝」、「同巻48波斯」、「唐書西域列伝巻146下」、「釈迦方志巻上」、「唐会要巻49」、「大宋僧史略巻下」、「仏祖統紀巻32」等に出づ。<(望)
  迦毘羅婆(かびらば):仏誕生の故国の名。『大智度論巻25上注:迦毘羅衛』参照。
  迦毘羅衛(かびらえ):梵名kapila- vastu。巴梨名kapila- vatthu。又劫比羅伐窣堵、迦比羅皤窣堵、劫毘羅筏窣覩、迦毘羅婆蘇覩、迦畢羅伐窣都、迦毘羅跋私兜、迦毘羅跋私臭、迦比羅婆修斗、迦比羅修斗、迦尾攞縛婆多、迦毘羅婆蘇、迦毘羅施兜、迦毘羅拔兜、迦比羅跋臰、迦維羅衛兜、迦維羅閲、迦維羅衛、迦惟羅越に作り、或いは略して迦毘羅、迦夷羅、又は迦維とも云う。蒼城、蒼住所、黄赤城、黄頭居処、黄髪仙人住処、赤沢国、妙徳城等と訳す。又別に迦比羅那迦羅kapila- nagara、伽紬羅竭の称あり。「仏本行集経巻5」、「衆許摩訶帝経巻2」、「有部毘奈耶破僧事巻2」及び「西蔵所伝」等に依るに、昔補多落potara国に甘蔗尾嚕荼迦ikSvaak- vidudhaka王あり、其の四王子故ありて王に逐われ、雪山側の婆儗囉bhagirathi河辺なる迦毘羅kapila仙人の住処に来たり、尋いで国土を建てて迦毘羅国と名づく。尾嚕荼迦王の後、能仁、烏羅迦目迦、若迦抳、賀悉帝、拏布囉迦、烏布囉迦、乃至五万五千の王相次いで皆此の地に都し、後又十車、九十車、百車、昼車、最勝、窂、十弓、九十弓、百弓、最勝弓、昼弓、窂弓、星賀賀努と次第し、以って釈尊の父なる浄飯王に至れりとせり。但だし他の諸経等に出せるものは、必ずしも之に一致せず。又「増一阿含経巻26」、「四分律巻41」等に依るに、憍薩羅国波斯匿prasenajit王は、迦毘羅衛の釈種が純血なる血統を保持せし故を以って、其の王女を得て后となさんと欲し、之を釈種に求む。釈種忌みて浄飯王の甥摩訶那摩mahaanaamaの婢の子を憍薩羅に送れり。波斯匿王之を容れて第一夫人となし、毘流勒viruuDhaka王子を生む。王子長じて射術を学ばんが為に迦毘羅衛に留まるに、釈種は婢の子なるの故を以って之を辱しむ。後王子憍薩羅王となり、好苦梵志の勧言によりて迦毘羅衛を征せんとす。而も仏の祖国の滅亡を畏れて再三軍を退きしも、終に之を陥れて多数の釈種を虐殺せしことを伝え、且つ「大唐西域記巻6」には、大城の西北なる数百千の窣堵波を以って当時殺戮に遇える釈種の尸骸を収めし所なりとせり。但し「五分律巻21」には、波斯匿王の后となれる釈種女を舎夷国の女となせり。又「長阿含巻4遊行経」等には、釈尊涅槃の後、当国の釈種民衆は遺骨の分配を受け、塔を起して供養せりと云えり。又「仁王般若波羅蜜経巻下受持品」には、此の国を十六大国の一に数え、「仏母大孔雀明王経巻中」には、劫毘羅kapila- vastu国を常謹護藥叉の住処、迦毘羅衛kapilala- vastuを羯吒微羯吒の住処となし、又「修行本起経巻上」には、「迦夷衛は三千の日月、万二千の天地の中央なり。過去来今の諸仏は皆此の地に生まる」と云えり。其の位置は夙に学者の間に異説ありしが、千八百九十五六年の頃、ゴラックプルgorakhpurの北方、ウスカuska停車場の西北三十八哩の地に、ニグリーヴァnigliiva並びに藍毘尼園lumbinii- vanaの阿育王石柱発見せられ、其の後二年ペッペpeppeが仏の遺骨を包蔵せるピプラヴァpiprava古塔を発掘せるより、遂に古迦毘羅衛城の位置は争うべからざる確定を見るに至れり。此の重大なる発見は西蔵仏教の研究者ワッデルL.A.Waddellの功労とすべきもの少なからずという。故城址は藍毘尼園の西北十五哩のティロラコットtilora- kot及びニグリーヴァ附近に在り。今は只僅かに崩壊せる城壁に、千古の俤を留むるのみ。又「長阿含巻2遊行経」、「同巻12大会経」、「仏本行集経巻7」、「大荘厳論経巻3」、「普曜経巻2」、「仏所行讃巻1」、「大三摩惹経」、「有部毘奈耶巻17」、「有部毘奈耶雑事巻39」、「高僧法顕伝」、「慧苑音義巻下」、「慧琳音義巻6、10、26」、「梵語雑名」、「翻訳名義集巻7」、「翻梵語巻2、8、9」等に出づ。<(望)
惡色者。有人身色枯乾羸瘦人不喜見。若在大眾則亦有畏。佛金色光潤如火照赤金山。有如是色故無所畏。 悪色とは、有る人の身色は、枯乾、羸痩にして、人見るを喜ばず。若し大衆に在れば、則ち亦た畏るる有り。仏の金色は光に潤いて、火に照らさるる赤金山の如し。是の如き色有るが故に畏るる所無し。
『醜悪な肉身』とは、
有る人の、
『身色』は、
『枯乾して!』、
『羸痩している!』ので、
『人』が、
『見る!』のを、
『喜ばない!』が故に、
若し、
『大衆中に在れば!』、
則ち、
『畏れる!』ことが、
『有ることになる!』。
『仏』の、
『金色の身』は、
『光』に、
『潤(うるお)って!』、
譬えば、
『火に照らされた!』、
『赤い!』、
『金山のようである!』。
是のような、
『身色を有する!』が故に、
『畏れる!』所が、
『無いのである!』。
  身色(しんしき):身の色。身体の様相。
  枯乾(こけん):かれてかわく。
  羸痩(るいそう):弱々しくやせる。
  光潤(こうにん):ひかってつやがある。光沢。
  赤金山(しゃくこんせん):赤く金色にかがやく山。
無威儀者。進止行步坐起無有人儀。則有怖畏。佛無是事。 無威儀とは、進止、行歩、坐起に人儀有ること無ければ、則ち怖畏有り。仏には、是の事無し。
『威儀が無い!』とは、――
『進止、行歩、坐起』に、
『人儀( human appearances )』が、
『無ければ!』、
則ち、
『怖畏する!』ことが、
『有るからである!』が、
『仏』には、
是の、
『事』が、
『無い!』。
  進止(しんし):すすむことと、とまること。
  行歩(ぎょうぶ):あゆみ。あるくこと。
  坐起(ざき):すわることと、たつことと。
  人儀(にんぎ):人らしさ。人としての体裁。
麤惡語者。有人惡音聲蹇吃重語無有次第。人所不喜則多怖畏。佛無是畏。所以者何。佛語真實柔軟次第易了。不疾不遲不少不多不沒不垢不調戲。勝於迦陵毘伽鳥音。辭義分明不中傷物。離欲故無染。滅瞋故無礙。除愚故易解。法喜增長故可愛。遮罪故安隱。 麁悪語とは、有る人は悪しき音声、蹇吃、語を重ねて次第有ること無く、人の喜ばざる所なれば、則ち多く怖畏す。仏には、是の畏無し。所以は何となれば、仏の語は真実、柔軟、次第して了り易く、疾からず、遅からず、少なからず、多からず、没せず、垢ならず、調戯ならず、迦陵毘伽鳥の音に勝り、辞義分明にして、物を中傷せず、欲を離るるが故に染無く、瞋を滅するが故に礙無く、愚を除くが故に解し易く、法喜増長するが故に愛すべく、罪を遮するが故に安隠なればなり。
『麁悪な語』とは、
有る、
『人』は、
『醜悪な音声』、
『蹇吃(どもり)』、
『語を重ねるばかり!』で、
『語に次第が無く!』、
『人』に、
『喜ばれない!』ので、
則ち、
『怖畏する!』ことも、
『多くなる!』が、
『仏』には、
是の、
『畏』が、
『無い!』。
何故ならば、
『仏の語』は、
『真実であり!』、
『柔軟であり!』、
『次第があって、了解し易く!』、
『疾くもなく、遅くもなく!』、
『少なくもなく、多くもなく!』、
『没することもなく!』、
『垢に染まることもなく!』、
『調戯(冗談・卑猥)でもなく!』、
『迦陵毘伽鳥の妙音に勝り!』、
『辞義の分別が明了であり!』、
『物(人)を中傷せず!』、
『欲を離れた!』が故に、
『汚染』が、
『無く!』、
『瞋を滅した!』が故に、
『障礙』が、
『無く!』、
『愚を除いた!』が故に、
『易しく!』、
『理解され!』、
『法の喜が増長する!』が故に、
『人』に、
『愛され!』、
『罪を遮る!』が故に、
『人』を、
『安隠にする!』。
  蹇吃(けんきつ):どもる。又言葉が出にくい。
  重語(じゅうご):ことばをかさねる。同じ事をなんどもいう。
  調戯(ちょうげ):あざけりたわむれる。
  迦陵毘伽(かりょうびが):声の美妙なる鳥の名。『大智度論巻25上注:迦陵頻伽』参照。
  迦陵頻伽(かりょうびんが):梵名kalaviGka。巴梨名karaviika、又歌羅頻伽、羯邏頻迦、羯羅頻伽、羯羅頻迦、迦羅頻伽、迦陵毘伽、羯陵頻伽に作り、或いは略して迦陵頻、迦婁賓、迦陵、羯毘、迦毘、鶡鵯、鶡脾、頻迦に作る。好声と訳す。雀又は其の類の鳥の名。声の美妙を以って有名なり。「大般若波羅蜜多経巻381」に、「発言婉約にして頻迦の音の如し」と云い、「大仏頂首楞厳経巻1」に、「迦陵の仙音十方界に遍し」と云い、「菩薩瓔珞本業経巻1」に、「音は羯毘鳥の如く、柔軟にして無瑕なり」といえるは、共に仏音の勝妙なるを此の鳥の鳴声に比顕したるものなり。「新華厳経巻78」並びに「大智度論巻28」等に、「譬えば迦陵頻伽鳥の如きは、卵殻中に在りても大勢力あり。一切の鳥の及ぶ能わざる所なり」と云えり。。是れ果して今の鳥を指せるものなりや詳ならず。一説に、此の鳥は雀の一種にして、羽毛美しく、音声も亦た清婉に、現今ベンゴール語にてブルブルbulbulと称するものなりとし、多くの種類ありて、劣等なるは紅雀に酷似し、音声清美なれども吟詠せず。其の優なるものは極めて我が藪鶯に類似し、音声吟詠共に清美なりとせり。又「釈迦譜巻5」に、「仏に八種の音声あり、今海辺に鳥あり、名づけて羯随という。其の音哀亮にして頗る万一に似たり。王此の鳥を求め得たるも、旬日鳴かず。時に青衣、鏡に映ずること厳荘なり。鳥其の像を見て驚翥し鳴かんと欲す。青衣、鏡を転ずるに、還って便ち響を輟む。王曰わく、若し能く鳥をして鳴かしめば夫人となさんと。青衣即ち諸鏡を四壁に懸く。鳥、影を見て顧眄し、廻惶悲鳴す。震迅清暢にして和雅なり。王之を聞きて乃ち悟り、正真道の意を起し、乃ち青衣を拜して第二夫人と為す」と云えるは、或いは今のブルブルの類を指すか。又「漢訳阿弥陀経」には、極楽浄土に此の鳥の住することを説き、「浄土曼荼羅」等にも人頭鳥身の奇形を以って之を描写すと雖も、「梵文阿弥陀経」には迦陵頻伽の名の代わりに、クラーウンチャkrauJcaなる鳥名を出せり。是れ或いは帝釈鷸(しぎ)の一種なりと云い、又は蒼鷺の一種とも云えり。又「長阿含巻1人仙経」、「大智度論巻35」、「玄応音義巻1、巻7」、「慧苑音義巻下」、「慧琳音義巻13、23」、「宗鏡録巻9」、「翻訳名義集巻6」、「翻梵語巻7」等に出づ。<(望)
  辞義(じぎ):ことばの意味。
  分明(ぶんみょう):はっきりしてあきらか。
  中傷(ちゅうしょう):讒言して人の名誉を傷つけること。ことばで人を傷つけること。
  (もつ):もの。ひと。天地間に存在する一切のもの。万物。
  可愛(かあい):愛される。所愛。
隨他心隨解脫義深語妙。有因緣故言有理。譬喻故善顯示。事訖故善會事。觀種種眾生心故雜說。久久皆入涅槃故一味。如是等種種無量莊嚴語故。佛於語中無所畏。 他の心に随い、解脱に随い、義は深く、語は妙にして、有るいは因縁の故に言に理有り、譬喩の故に善く顕示し、事訖るが故に善く事に会い、種種の衆生の心を観るが故に雑えて説き、久久にして皆涅槃に入るが故に一味なり。是れ等の如き種種、無量に語を荘厳したもうが故に、仏は語中に於いて、畏るる所無し。
『仏の語』は、
『他心にも!』、
『解脱にも!』、
『随い!』、
『義が深く!』、
『語が妙であり!』、
『因縁を有する!』が故に、
『言にも!』、
『理が有り!』、
『譬喩する!』が故に、
『善く!』、
『顕示(明示)し!』、
『事が確立する!』が故に、
『善く!』、
『事に合致し!』、
『種種の衆生心を観る!』が故に、
『苦切語/柔軟語を雑えて!』、
『説き!』、
『やがては皆涅槃に入る!』が故に、
『説を雑えても!』、
『一味である!』。
是れ等のように、
『種種無量に!』、
『語』を、
『荘厳される!』が故に、
『仏』は、
『語』中に於いて、
『畏るる所が無い!』。
  (こつ):<動詞>[本義]完了/確立/終了する( complete, settled, be over )。~まで/迄/~に至るまで/到/至( till, up to, up untill )。<副詞>尽く/都て( all )、畢竟じて/終局的に/結局/常に( eventually, continuously, always )。<助詞>["了"に相当する/動詞の後に用いて、動作の已に完成したるを表示する]。
  (え):<動詞>[本義]集める/集まる/会合/聚集する( get together, assemble )。会う/会見する( meet, see )、会う/合致/協調一致/符合する( accord with )、[体力/智力に於いて]能くする/出来る( can, be able to )、知る/通暁/了解する( know )、会見/訪問/探訪する( visit )、理解/把握する( comprehend, understand, grasp )、すべきだ/応当/応須/まさに~すべし/すべからく~すべし( should, ought to )。<名詞>器物の蓋( lid, cover )、集会/集まり/会合/会議( meeting, gathering, party, conference )、機会/適切な時期( opportunity, occasion )、定期市場( fair )、災厄( adversity )、少しの間( a little while )。<副詞>確かに/定んで/確実/必然的に/必ず( certainly, definitely )、ちょうどその時/するやいなや/図らずも( just, right, happen to )、みな/すべて/皆/都( all )。<接続詞>~と~と/与/和( and )。
佛但以如是等世間法尚無所畏。何況出世間法。以是故說佛有四無所畏。 仏は、但だ是れ等の如き世間の法を以ってすら、尚お畏るる所無し。何に況んや、出世間の法をや。是を以っての故に説かく、『仏には四無所畏有り』、と。
『仏』は、
但だ、
是れ等のような、
『世間』の、
『法』を、
『用いてすら!』、
尚お、
『畏れる!』所が、
『無いのであり!』、
況して、
『出世間』の、
『法』を、
『用いられれば!』、
尚更、
『畏れる!』所が、
『無い!』ので、
是の故に、こう説くのである、――
『仏』には、
『四無所畏』が、
『有る!』、と。
問曰。佛十力中有無所畏不。若有無所畏不應但言四。若有所畏云何言無畏成就。 問うて曰く、仏の十力中にも、無所畏有りや不や。若し無所畏有らば、応に但だ四と言うべからず。若し所畏有らば、云何が、『無畏成就す』、と言う。
問い、
『仏』の、
『十力』中に、
『無所畏』は、
『有るのですか?』。
若し、
『無所畏が有れば!』、
但だ、
『四有るだけだ!』と、
『言うべきではない!』。
若し、
『所畏が有れば(無所畏が無ければ)!』、
何故、
『無畏』が、
『成就した!』と、
『言うのですか?』、と。
答曰。一智在十處名為佛。成就十力。如一人知十事隨事受名。是十力四處出用。是無所畏。是處不是處力。漏盡力。即是初二無畏。八力雖廣。說是第三第四無畏。以是故十力中雖有無畏。別說亦無失。 答えて曰く、一智の十処に在るを名づけて、仏の成就せる十力と為す。一人にして、十事を知り、事に随いて、名を受くるが如し。是の十力の四処に出でて用うる、是れ無所畏なり。是処不是処の力、漏尽の力は、即ち是れ初の二無畏なり。八力は広説すと雖も、是れ第三、第四の無畏なり。是を以っての故に十力中に、無畏有りと雖も、別に説いて、亦た失無し。
答え、
『一智』が、
『十処に在る!』のが、
『仏の成就された!』、
『十力である!』。
譬えば、
『一人』が、
『十事を知り!』、
『事に随って!』、
『異名(算術・医術等)』を、
『受けるように!』、
是の、
『十力(一智)』が、
『四処に出て!』、
『四事』に、
『用いる!』と、
是れが、
『四無所畏である!』。
是の、
『十力』中の、
『是処不是処の力』と、
『漏尽の力』とは、
即ち、
『初の!』、
『二無畏であり!』。
『余の八力』は、
『広説されて!』、
『八である!』が、
是れは、
『第三、第四』の、
『無畏である!』。
是の故に、
『十力』中に、
『無畏が有って!』、
『別に説いても!』、
亦た、
『失』は、
『無い!』。


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