業報智力者。身口所作業。及此生無作業所受戒業亦惡業。日夜隨生業用生罪福業。是業佛略說三處攝。是名一切業相。 |
業報智力とは、身口の作す所の業、及び此に生ずる無作業、受戒する所の業、亦た悪業、日夜の生に随う業、用より生ずる罪福の業にして、是の業を仏は略説して三処に摂して、是れを一切の業相と名づけたもう。 |
『業報を知る智力』とは、――
『身、口の作す業』と、
是の、
『業より生じる!』、
『無作(外に表れない!)の業』と、
『受戒に係わる業』と、
『悪業』と、
『日夜の生活に随う業』と、
『行動より生じる罪、福の業』とを、
『知る!』、
『智力である!』が、
『仏』は、
是の、
『業』を、こう略説された、――
『三処( 身、口、意、又は過去、未来、現在)に摂して!』、
是れを、
『一切の業相』と、
『呼ぶ!』、と。
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無作業(むさごう):梵語 avijJapti-karman の訳、外に表れない動き( unexpressed activity )の義、又無表業とも訳す。
用(ゆう):<動詞>[本義]使用/採用する( use, employ )、任用/適用する/用いる( appoint, apply )、運営/管理する(
administer )、力を出す( put forth one's strength )、需要がある/必要とする( need )、力が及ぶ(
be in power )、行動する/務める( act )。<名詞>功用/機能/作用/用途( function, use )、費用/資財( cost,
expenses )。<助詞>由って/因って( with, on )、依拠して( rely on )、[原因]~の故に/為に( because
of, for )。<接続詞>それで/是に於いて/従って/だから( hence, therefore, thus )、[目的]~の為に( for
)。
用(ゆう):用いる( to use )、◯梵語 kRtya の訳、適用する/実践に移す( To apply, to put into practice
)、機能[働き]/行動/活躍( Function, action, activity )の義。又◯梵語 paribhoga の訳、楽しみ[特に与えられた事物に関して](
Enjoyment (esp. of given things) )の義、熟語[受用]として見受けられる。 |
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佛知一切眾生有業過去報亦過去。有業過去報在現在。有業過去報在未來。有業過去報在過去現在。有業過去報在過去未來。有業過去報在現在未來。有業過去報在過去未來現在。現在業亦如是。 |
仏の知りたまわく、『一切の衆生の有る業は過去にして、報も亦た過去なり。有る業は過去なるも、報は現在に在り。有る業は過去なるも、報は未来に在り。有る業は過去なるも、報は過去、現在に在り。有る業は過去なるも、報は過去、未来に在り。有る業は過去なるも、報は現在、未来に在り。有る業は過去なるも、報は過去、未来、現在に在り。現在の業も亦た是の如し。 |
『仏』は、こう知っていられる、――
『一切の衆生』の、
有る、
『業』は、
『過去であり!』、
『報』も、
亦た、
『過去である!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『現在に在る!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『未来に在る!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『過去、現在に在る!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『過去、未来に在る!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『現在、未来に在る!』。
有る、
『業』は、
『過去である!』が、
『報』は、
『過去、未来現在に在る!』。
亦た、
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復次善心中。受善不善無記業報。不善心無記心亦如是。 |
復た次ぎに、善心中に善、不善、無記の業報を受け、不善心、無記心も亦た是の如し。 |
復た次ぎに、
『善心』中に、
『善、不善、無記の業報』を、
『受ける!』が、
『不善心、無記心』も、
亦た、
『是の通りである!』。
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復次樂業因緣故受樂報。苦業因緣故受苦報。不苦不樂業因緣故。受不苦不樂報。現報業因緣故。受現報。生報業因緣故受生報。後報業因緣故受後報。不淨業因緣故受惱報。淨業因緣故受無惱報。雜業因緣故受雜報。 |
復た次ぎに、楽業の因縁の故に楽報を受け、苦業の因縁の故に苦報を受け、不苦不楽業の因縁の故に、不苦不楽報を受け、現報の業の因縁の故に、現報を受け、生報の業の因縁の故に、生報を受け、後報の業の因縁の故に、後報を受け、不浄業の因縁の故に、悩報を受け、浄業の因縁の故に、無悩報を受け、雑業の因縁の故に、雑報を受く。 |
復た次ぎに、
『楽業( 楽報を受ける因縁の業)の因縁』の故に、
『楽報』を、
『受け!』、
『苦業の因縁』の故に、
『苦報』を、
『受け!』、
『不苦不楽業の因縁』の故に、
『不苦不楽報』を、
『受け!』、
『現報の業の因縁』の故に、
『現報』を、
『受け!』、
『生報の業の因縁』の故に、
『生報』を、
『受け!』、
『後報の業の因縁』の故に、
『後報』を、
『受け!』、
『不浄業の因縁』の故に、
『悩報』を、
『受け!』、
『浄業の因縁』の故に、
『無悩報』を、
『受け!』、
『雑業の因縁』の故に、
『雑報』のを、
『受ける!』。
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現報(げんぽう):現在善悪の業を造り、現身に善悪の果を受くるの意。三報の一。『大智度論巻24下注:三報』参照。
生報(しょうほう):此の生に善悪の業を作り、来生に苦楽の果報を受くの意。三報の一。『大智度論巻24下注:三報』参照。
後報(ごほう):此の世に於いて善悪の業を造り、二生以後に於いて其の果報を得るの意。三報の一。『大智度論巻24上注:三報』参照。
三報(さんぽう):三種の果報の意。一に現報、二に生報、三に後報なり。「成実論巻8三報業品」に、「問うて曰わく、経中に仏三種の業を説く、現報と生報と後報との業なり。何ものか是れなる。答えて曰わく、若し此の身に業を造りて即ち此の身に受くる、是れを現報と名づく。此の世に業を造りて次の来世に受くる、是れを生報と名づく。此の世に業を造り次の世を過ぎて受くる、是れを後報と名づく。次の世を過ぐるを以っての故に名づけて後と為す」と云える是れなり。又「慈悲水懺法巻中」に、「現報業とは現在に悪を作し現身に報を受くるなり。生報業とは此の生に善を作し悪を作し、来生に報を受くるなり。後報業とは或いは是の過去無量生の中に善を作し悪を作し、此の生の中に於いて受け、或いは未来無量生の中に在りて方に其の報を受くるなり」と云えり。廬山慧遠に「釈三報論一巻」の著ありしも、今之を伝えず。又「梁高僧伝巻6」、「大明三蔵法数巻11」等に出づ。<(望) |
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復次二種業。必受報業不必受報業。必受報業不可得離。或待時待人待處受報。如人應共轉輪聖王受福。待轉輪聖王好世。出是時。乃受是為待時。待人者。人即是轉輪聖王。待處者轉輪聖王所出處。 |
復た次ぎに、二種の業あり、必受報の業と、不必受報の業なり。必受報の業は、離るるを得べからず。或は時を待ち、人を待ち、処を待って報を受く。人の応に転輪聖王と共に福を受くべきは、転輪聖王の好世に出づるを待って、是の時乃ち受くれば、是れを時を待つと為す。人を待つとは、人とは即ち是れ転輪聖王なり。処を待つとは、転輪聖王の所出の処なり。 |
復た次ぎに、
『業』には、
『二種有り!』、
『必ず!』、
『報を受ける!』、
『業』と、
『必ずしも!』、
『報を受けない!』、
『業とである!』。
『必ず!』、
『報を受ける!』、
『業』は、
『離れることができない!』ので、
或は、
『時を待って!』、
『人を待って!』、
『処を待って!』、
『報』を、
『受けることになる!』。
例えば、
『人』が、
『転輪聖王と共に!』、
『福』を、
『受けることになっていれば!』、
即ち、
『転輪聖王』が、
『好世に出る!』のを、
『待って!』、
是の時、
ようやく、
『福を受ける!』ので、
是れを、
『時を待つ!』と、
『呼ぶのである!』、
『人を待つ!』とは、
『処を待つ!』とは、
『転輪聖王の出る!』所の、
『処』を、
『待つのである!』。
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復次是必受報業。不待技能功勳。若好若醜不求自來。如天上生人福樂自至地獄中人罪苦自追。不待因緣此業深重故。 |
復た次ぎに、是の必ず報を受くる業は、技能、功勲を待たず。若しは好、若しは醜の、求めずとも自ら来たること、天上に生ぜし人は福楽自ら至り、地獄中の人は罪苦自ら追うが如く、因縁を待たざるは、此の業の深く重きが故なり。 |
復た次ぎに、
是の、
『必ず!』、
『報を受ける業』は、
『技能、功勲』を、
『待たずに!』、
『好や!』、
『醜が!』、
『求めなくても!』、
『自ら来るのである!』。
例えば、
『天上に生まれた人』は、
『福楽』が、
『自ら至り!』、
『地獄中の人』は、
『罪苦』が、
『自ら追うようなものである!』。
是れが、
『因縁を待たない!』のは、
此の、
『業』が、
『深く重いからである!』。
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復次必受報業。如毘琉璃軍殺七萬二千諸得道人及無量五戒優婆塞。如目連等大神通人所不能救。如薄拘羅後母投著火中湯中水中而不死。如佛遊諸國。雖出家行乞不須膳供。而五百乘車載王所食。葉中生粳米。隨飯百味羹。如是等善惡業必受。餘者不必受。 |
復た次ぎに、必ず報を受くる業は、毘琉璃の軍の七万二千の諸の得道の人、及び無量の五戒の優婆塞を殺せしが如きは、目連等の如き大神通の人の救う能わざる所なり。薄拘羅の如きは後母火中、湯中、水中に投著するも死なず。仏の如きは諸国に遊びて、出家行乞すと雖も、膳供を須(もち)いたまわざるに、而も五百乗の車に、王所食の葉中に生ぜし粳米を載せて、飯と百味の羹に随えり。是れ等の如き善悪の業は必ず受け、余の者は必ずしも受けず。 |
復た次ぎに、
『必ず!』、
『報を受ける!』、
『業』とは、――
例えば、
『毘琉璃の軍のように!』、
『七万二千の諸の道を得た人』と、
『無量の五戒の優婆塞』とを、
『殺したりすれば!』、
例えば、
『目連等のような!』、
『大神通の人』にも、
『救うことができず!』、
例えば、
『薄拘羅のように!』、
『後母( 継母)』が、
『火中、湯中、水中』に、
『投げ込んでも!』、
『死なず!』、
例えば、
『仏など!』は、
『諸国に遊びながら!』、
『出家、行乞されていた!』のに、
『膳供(食物)』を、
『必要とされなかった!』し、
而も、
『五百の車乗』が、
『王の所食の葉( 稲?)中に生じた!』、
『粳米( うるちまい)を載せて!』、
『飯と百味の羹(あつもの)』に、
『随ったのである!』が、
是れ等のような、
『善、悪の業』は、
『必ず!』、
『受けねばならず!』、
『余の者』は、
『必ずしも!』、
『受けることにはならないのである!』。
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毘琉璃(びるり):憍薩羅国の王。波斯匿王の太子。釈種に怨を懐き、王と為りて後、迦毘羅城を攻略して釈種を鏖滅せりと云えり。『大智度論巻9上注:毘琉璃王』
薄拘羅(はっくら):仏の大弟子にして長寿の比丘の名。『大智度論巻38下注:薄拘羅』参照。
膳供(ぜんぐ):そなえもの。膳に供する食物。 |
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欲界受三種業報處。樂受業苦受業不苦不樂受業。色界受二種業報處。樂受業不苦不樂受業。無色界受一種業報處。不苦不樂受業。 |
欲界は、三種の業報を受くる処、楽受業、苦受業、不苦不楽受業なり。色界は二種の業報を受くる処、楽受業、不苦不楽受業なり。無色界は一種の業報を受くる処、不苦不楽受業なり。 |
『欲界』は、
『三種』の、
『業報を受ける!』、
『処であり!』、
謂わゆる、
『楽受業、苦受業、不苦不楽受業である!』。
『色界』は、
『二種』の、
『業報を受ける!』、
『処であり!』、
謂わゆる、
『楽受業、不苦不楽受業である!』。
『無色界』は、
『一種』の、
『業報を受ける!』、
『処であり!』、
謂わゆる、
『不苦不楽受業である!』。
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或待事者依是事得受業報。如弗迦羅婆王。池中生千葉金色蓮華大如車輪。因是大會快樂。多人出家得道。 |
或は事を待つとは、是の事に依って、業報を受くるを得。弗迦羅婆王の如きは、池中に千葉金色の蓮華の大なること車輪の如きを生ずるに、是に大会し快楽するに因りて、多人出家し道を得たり。 |
或は、
『事を待つ!』とは、――
是の、
『事に依って!』、
『業報』を、
『受けることができるからである!』。
例えば、
『弗迦羅婆王など!』は、
『池』中に、
『千葉、金色で!』、
『車輪のように大きな!』、
『蓮華』が、
『生じた!』ので、
是( ここ)に、
『大会』を、
『集めて!』、
『快楽した!』が故に、
『多くの人』が、
『出家して!』、
『道を得たのである!』。
|
弗迦羅婆(ふからば):王名。委細不明。 |
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佛知一切眾生造諸業處。或欲界色界無色界。欲界在何道中。若天道在何天中。若人中在何天下。若閻浮提在何國。若是國在何城何聚落。何精舍何土地若是城在何里何巷。何舍在何處。 |
仏一切の衆生の諸業を造る処を知りたまわく、『或は欲界なりや、色界なりや、無色界なりや。欲界には何道中に在りや、若し天道なれば、何天中に在りや、若し人中なれば、何天下に在りや、若し閻浮提なれば何国に在りや。若し是の国なれば、何城、何聚落、何精舎、何土地に在りや。若し是の城なれば、何里、何巷、何舎に在りや、何の処に在りや』、と。 |
『仏』は、
『一切の衆生』の、
『諸業を造る!』、
『処』を、
こう知っていられる、――
或は、
『欲界なのか?』、
『色界なのか?』、
『無色界なのか?』、
若し、
『欲界ならば!』、
『何道』中に、
『在るのか?』。
若し、
『天道』中ならば、
『何天』中に、
『在るのか?』。
若し、
『人間』中ならば、
『何天下』に、
『在るのか?』。
若し、
『閻浮提』ならば、
『何国』に、
『在るのか?』。
若し、
『是の国』ならば、
『何城、何聚落、何精舎、何土地』に、
『在るのか?』。
若し、
『是の城』ならば、
『何里、何巷、何舎』に、
『在り!』、
何のような、
『処』に、
『在るのか?』、と。
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知是業何等時作。過去一世二世乃至百千萬世。是業果報幾已受幾未受幾必受幾不必受。 |
是の業の何等の時に作りしやを知りたまわく、『過去の一世なりや、二世なりや、乃至百千万世なりや。是の業の果報は幾ばくにして已に受くるや、幾ばくにして未だ受けずや、幾ばくにして必ず受くや、幾ばくにして必ずしも受けずや』、と。 |
『仏』は、
是の、
『業』は、
何のような、
『時』に、
『作られたのか?』を、
こう知っていられる、――
是の、
『業が作られた!』のは、
『過去』の、
『一世の時なのか?』、
『二世の時なのか?』、
『乃至百千万世の時なのか?』。
是の、
『業の果報』は、
『幾ばくの時』には、
已に、
『受けているのか?』。
『幾ばくの時』には、
未だ、
『受けていないのか?』。
『幾ばくの時』には、
『必ず!』、
『受けるのか?』。
『幾ばくの時』には、
『必ずしも!』、
『受けていないのか?』、と。
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知善不善所用事物。所謂刀杖教敕殺等。自殺遣人殺。諸餘惡業亦如是。 |
善、不善の所用の事物を知る、謂わゆる刀杖、教勅して殺す等、自ら殺す、人を遣して殺すなり。諸余の悪業も亦た是の如し。 |
『善、不善』の、
『用いられた!』、
『事物』を、こう知っている、――
謂わゆる、
『刀や、杖で殺したのか、教えて殺させたのか?』等、
『自らの手で殺したのか、人を遣して殺させたのか?』。
『諸余の悪業』も、
亦た、
『是の通りである!』。
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善業亦如是。知如是布施持戒修善。施中所施何等土地。房舍衣服飲食醫藥臥具七寶財物。戒中受戒自然戒心生戒口言戒一行戒少分戒多分戒滿分戒一日戒七善道戒十戒具足戒定共戒。善福中修初禪二三四禪慈心悲喜捨心。如是等善業因緣。 |
善業も亦た是の如し。是の如く布施、持戒、修善を知る。施中には、施す所は何等の土地、房舎、衣服、飲食、医薬、臥具、七宝、財物なりや。戒中には、戒を受くるは、自然戒なりや、心生の戒なりや、口言の戒なりや。一行の戒なりや。少分の戒なりや。多分の戒なりや。満分の戒なりや。一日の戒なりや。七善道の戒なりや。十戒なりや。具足戒なりや。定共戒なりや。善福中に修せるは、初禅なりや。二、三、四禅なりや。慈心なりや。悲、喜、捨心なりや。是れ等の如きは善業の因縁なり。 |
『善業』も、
亦た、
『是の通りであり!』、
是のように、
『布施、持戒、修善を知る!』、――
『施』中には、――
『施す!』所は、
何のような、
『土地なのか?』、
『房舎なのか?』、
『衣服なのか?』、
『飲食なのか?』、
『医薬なのか?』、
『臥具なのか?』、
『七宝なのか?』、
『財宝なのか?』。
『戒』中には、、――
『戒を受ける!』のは、
『自然の戒なのか?』、
『心生の戒なのか?』、
『口言の戒なのか?』、
『一行(例:殺のみ!)の戒なのか?』、
『少分(二、三、四戒のみ!)の戒なのか?』、
『多分(五、乃至九戒!)の戒なのか?』、
『満分(十戒具足!)の戒なのか?』、
『一日の戒なのか?』、
『七善道(身三、口四善道)の戒なのか?』、
『十戒(身三、口四、意三善道)なのか?』、
『具足戒(比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒)なのか?』、
『定共戒(禅定相応の戒)なのか?』。
『善福( 修善)』中には、――
『修める!』のは、
『初禅なのか?』、
『二、三、四禅なのか?』、
『慈(慈無量)心なのか?』、
『悲、喜、捨心なのか?』。
是れ等のような、
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自然戒(じねんかい):仏の如く自然、無師にして具足戒を得るを云う。
心生戒(しんしょうかい):五比丘の如く、道を得るに随い、即ち具足戒を得るを云う。
口言戒(くごんかい):三宝に帰命し、我れ仏に随いて出家すと三唱し、即ち具足戒を得るを云う。
定共戒(じょうぐかい):定と共に生ずる律儀の意。『大智度論巻22下注:静慮律儀』参照。 |
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参考:『十誦律巻56』:『佛在王舍城。語諸比丘。十種明具足戒。何等十。佛世尊自然無師得具足戒。五比丘得道即得具足戒。長老摩訶迦葉自誓即得具足戒。蘇陀隨順答佛論故得具足戒。邊地持律第五得受具足戒。摩訶波闍波提比丘尼受八重法即得具足戒。半迦尸尼遣使得受具足戒。佛命善來比丘得具足戒。歸命三寶已三唱我隨佛出家即得具足戒。白四羯磨得具足戒。是名十種具足戒。』
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若慳貪若瞋恚若怖畏若邪見若惡知識等。種種惡業因緣福業因緣。若信若憐愍若恭敬若禪定若智慧若善知識等。種種善業因緣。 |
若しは慳貪、若しは瞋恚、若しは怖畏、若しは邪見、若しは悪知識等は、種種の悪業の因縁なり。福業の因縁の若しは信、若しは憐愍、若しは恭敬、若しは禅定、若しは智慧、若しは善知識等は、種種の善業の因縁なり。 |
『悪業の因縁を知る!』とは、――
『福業の因縁を知る!』とは、――
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是諸業自在。一切天及人。是諸業相無能轉者。於億千萬世。常隨逐眾生不捨。如債主隨人。得因緣具足便與果報。如地中種子。得因緣時節和合便生。 |
是の諸業は、自在にして、一切の天、及び人には、是の諸業の相を能く転ずる者無く、億千万世に於いて、常に衆生を随逐して捨てず。債主の如く、人に随いて、因縁の具足するを得れば、便ち果報を与え、地中の種子の因縁を得て、時節和合すれば、便ち生ずるが如し。 |
是の、
『諸業』は、
是の、
『諸業の相』を、
『転じられる!』者は、
『無い!』。
『億、千万世』中に、
常に、
『衆生』を、
『随逐して!』、
『捨てない!』ので、
譬えば、
『債主』が、
『人』に、
『随逐するように!』、
『因縁が具足すれば!』、
譬えば、
『地中の種子』が、
『因縁を得て!』、
『時節』に、
『和合すれば!』、
すぐにも、
『芽』を、
『生じるようなものである!』。
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是業能令眾生六道中受生駛疾於箭。一切眾生皆有諸業報分。如父母遺財。諸子皆應得分。是業果報時到不可遮止。如劫盡火隨眾生應生處處處安置。如大國王隨其所應而與官職。人命終時是業來蔭覆其心。如大山映物。 |
是の業は能く衆生をして、六道中に生を受けしめむること、箭よりも駛疾し、一切の衆生は、皆諸業の報分有ること、父母の財を遺すに、諸子皆応に分を得べきが如し。是の業の果報の時到りて、遮止すべからざること、劫尽の火の如く、衆生の、応に生ずべき処に随いて、処処に安置すること、大国王の其の所応に随いて、官職を与うるが如く、人命の終る時、是の業来たりて、其の心を蔭覆すること、大山の物に映るが如し。 |
是の、
『業』が、
『衆生に!』、
『六道の生』を、
『受けさせる!』のは、
譬えば、
『箭より!』、
『疾かであり!』、
一切の、
『衆生』が、
皆、
是の、
『業の報分』を、
『有する!』のは、
譬えば、
『父母』の、
『遺した!』、
『財産』を、
『諸子』が、
皆、
『応分に!』、
『得るようなものであり!』、
是の、
『業の果報』が、
『時』が、
『到れば!』、
『遮止できない!』のは、
譬えば、
『劫尽の時』の、
『火のようであり!』、
『衆生』を、
『生じるべき!』、
『処』に、
『随って!』、
『六道』中の
『処処に!』、
『安置する!』のは、
譬えば、
『大国の王』が、
其の、
『相応する!』所に、
『随って!』、
『臣』に、
『官職』を、
『与えるようなものであり!』、
『人命の終る!』時、
是の、
譬えば、
『大山』が、
其の、
『影』を、
『物に映すようなものである!』。
|
駛疾(ししつ):はやい。迅速。 遮止(しゃし):さえぎりとどめる。制止。
蔭覆(おんぷく):おおいかくす。隠蔽。 |
|
|
|
是業能與種種身。如工畫師作種種像。若人以正行業則與好報。若以邪行業則與惡報。如人事王隨事得報。如是等分別諸業相果報。 |
是の業の能く種種の身を与うること、工画師の種種の像を作るが如し。若し人、正行を以ってすれば、業は則ち好報を与え、若し邪行を以ってすれば、業は則ち悪報を与うること、人の王に事うるに、事に随いて報を得るが如し。是れ等の如く諸業の相と果報を分別す。 |
是の、
『業』が、
種種の、
『身』を、
『与えることができる!』のは、
譬えば、
『工画師』が、
種種の、
『像』を、
『作るようなものであり!』、
若し、
『人』が、
『正行』を、
『用いていれば!』、
『業』は、
『好報』を、
『与えることになり!』、
若し、
『邪行』を、
『用いていれば!』、
『業』は、
『悪報』を、
『与えることになる!』ので、
譬えば、
『人』が、
『王』に、
『事(つか)えれば!』、
『仕事に応じて!』、
『報』を、
『得るようなものである!』。
是れ等のように、
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復次如分別業經中。佛告阿難。行惡人好處生。行善人惡處生。阿難言。是事云何。佛言。惡人今世罪業未熟。宿世善業已熟。以是因緣故。今雖為惡而生好處。或臨死時善心心數法生。是因緣故亦生好處。行善人生惡處者。今世善未熟。過世惡已熟。以是因緣故。今雖為善而生惡處。或臨死時不善心心數法生。是因緣故亦生惡處。 |
復た次ぎに、『分別業経』中の如し。仏の阿難に告げたまわく、『行悪の人は好処に生じ、行善の人は悪処い生ず』、と。阿難の言わく、『是の事や、云何』、と。仏の言わく、『悪人は今世に罪業未だ熟せず、宿世の善業已に熟したれば、是の因縁を以っての故に、今悪を為すと雖も、好処に生じ、或は死に臨んで、時に善の心、心数法生じて、是の因縁の故に亦た好処に生ずるなり。行善の人の悪処に生ずとは、今世の善、未だ熟せず、過世の悪已に熟すれば、是の因縁を以っての故に、今善を為すと雖も、悪処に生じ、或は死に臨んで、時に不善の心、心数法生じて、是の因縁の故に、亦た悪処に生ず。 |
復た次ぎに、
『分別業経』中には、こうある、――
『仏』は、
『阿難』に、こう告げられた、――
『阿難』は、こう言った、――
『仏』は、こう言われた、――
『悪人』でも、
『今世』に、
未だ、
『宿世の罪業』が、
『熟さず!』、
已に、
『宿世の善業』が、
『熟していれば!』、
是の、
『因縁』の故に、
今、
『悪を為していても!』、
『好処』に、
『生まれるのであり!』、
或は、
『死に臨んで!』、
時に、
『善の心、心数法』が、
『生じた!』ので、
是の、
『善を行う人』が、、
『悪処』に、
『生まれる!』とは、――
即ち、
『今世』に、
未だ、
『過去世の善』が、
『熟さず!』、
已に、
『過去世の悪』が、
『熟している!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
今、
『善を為していても!』、
『悪処』に、
『生じるのであり!』、
或は、
『死に臨んで!』、
時に、
『不善の心、心数法』が、
『生じる!』ので、
是の、
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参考:『中阿含巻44分別大業経』:『我聞如是。一時。佛遊王舍城。在竹林迦蘭哆園。爾時。尊者三彌提亦遊王舍城。住無事禪屋中。於是。異學哺羅陀子中後彷徉。往詣尊者三彌提所。共相問訊。卻坐一面。賢三彌提。我欲有所問。聽我問耶。尊者三彌提答曰。賢哺羅陀子。欲問便問。我聞已當思。異學哺羅陀子便問曰。賢三彌提。我面從沙門瞿曇聞。面從沙門瞿曇受。身.口業虛妄。唯意業真諦。或有定。比丘入彼定無所覺。尊者三彌提告曰。賢哺羅陀子。汝莫作是說。莫誣謗世尊。誣謗世尊者為不善也。世尊不如是說。賢哺羅陀子。世尊無量方便說。若故作業。作已成者。我說無不受報。或現世受。或後世受。若不故作業。作已成者。我不說必受報也。異學哺羅陀子至再三語尊者三彌提曰。賢三彌提。我面從沙門瞿曇聞。面從沙門瞿曇受。身.口業虛妄。唯意業真諦。或有定。比丘入彼定無所覺。尊者三彌提亦再三告曰。賢哺羅陀子。汝莫作是說。莫誣謗世尊。誣謗世尊者為不善也。世尊不如是說。賢哺羅陀子。世尊無量方便說。若故作業。作已成者。我說無不受報。或現世受。或後世受。若不故作業。作已成者。我不說必受報也。異學哺羅陀子問尊者三彌提。若故作業。作已成者。當受何報。尊者三彌提答曰。賢哺羅陀子。若故作業。作已成者。必受苦也。異學哺羅陀子復問尊者三彌提曰。賢三彌提。汝於此法.律學道幾時。尊者三彌提答曰。賢哺羅陀子。我於此法.律學道未久。始三年耳。於是。異學哺羅陀子便作是念。年少比丘尚能護師。況復舊學上尊上尊人耶。於是。異學哺羅陀子聞尊者三彌提所說。不是不非。即從座起。奮頭而去。彼時。尊者大周那去尊者三彌提晝行坐處不遠。於是。尊者大周那謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者。彼盡誦習。善受持已。即從座起。往詣尊者阿難所。共相問訊。卻坐一面。謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者。盡向尊者阿難說之。尊者阿難聞已。語曰。賢者周那。得因此論。可往見佛。奉獻世尊。賢者周那。今共詣佛。具向世尊而說此義。或能因是得從世尊聞異法也。於是。尊者阿難.尊者大周那共往詣佛。尊者大周那稽首佛足。卻坐一面。尊者阿難稽首佛足。卻住一面。彼時。尊者阿難語曰。賢者大周那。可說。可說。於是。世尊問曰。阿難。周那比丘欲說何事。尊者阿難白曰。世尊。今自當聞。於是。尊者大周那謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者盡向佛說。世尊聞已。告曰。阿難。看三彌提比丘癡人無道。所以者何。異學哺羅陀子問事不定。而三彌提比丘癡人一向答也。尊者阿難白曰。世尊。若三彌提比丘因此事說。所有覺者是苦。當何咎耶。世尊呵尊者阿難曰。看。阿難比丘亦復無道。阿難。此三彌提癡人。彼異學哺羅陀子盡問三覺。樂覺.苦覺.不苦不樂覺。阿難。若三彌提癡人為異學哺羅陀子所問。如是答者。賢哺羅陀子。若故作樂業。作已成者。當受樂報。若故作苦業。作已成者。當受苦報。若故作不苦不樂業。作已成者。當受不苦不樂報。阿難。若三彌提癡人為異學哺羅陀子所問。如是答者。異學哺羅陀子眼尚不敢視三彌提癡人。況復能問如是事耶。阿難。若汝從世尊問分別大業經者。於如來倍復增上心靖得喜。於是。尊者阿難叉手向佛白曰。世尊。今正是時。善逝。今正是時。若世尊為諸比丘說分別大業經者。諸比丘聞已。當善受持。世尊告曰。阿難。諦聽。善思念之。我當為汝具分別說。尊者阿難白曰。唯然。時。諸比丘受教而聽。佛言。阿難。或有一不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生善處天中。阿難。或有一離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生惡處地獄中。阿難。或有一不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生惡處地獄中。阿難。或有一離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生善處天中。阿難。若有一不離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生善處天中者。若有沙門.梵志得天眼。成就天眼而見彼。見已。作是念。無身惡行。亦無身惡行報。無口.意惡行。亦無口.意惡行報。所以者何。我見彼不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生善處天中。若更有如是比不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護者。彼一切身壞命終。亦生善處天中。如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣耶。若所見所知極力捫摸。一向著說。此是真諦。餘皆虛妄。阿難。若有一離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生惡處地獄中者。若有沙門.梵志得天眼。成就天眼而見彼。見已。作是念。無身妙行。亦無身妙行報。無口.意妙行。亦無口.意妙行報。所以者何。我見彼離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生惡處地獄中。若更有如是比離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護者。彼一切身壞命終。亦生惡處地獄中。如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣耶。若所見所知極力捫摸。一向著說。此是真諦。餘皆虛妄。阿難。若有一不離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生惡處地獄中者。若有沙門.梵志得天眼。成就天眼而見彼。見已。作是念。有身惡行。亦有身惡行報。有口.意惡行。亦有口.意惡行報。所以者何。我見彼不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生惡處地獄中。若更有如是比不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護者。彼一切身壞命終。亦生惡處地獄中。如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣耶。若所見所知極力捫摸。一向著說。此是真諦。餘皆虛妄。阿難。若有一離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生善處天中者。若有沙門.梵志得天眼。成就天眼而見彼。見已。作是念。有身妙行。亦有身妙行報。有口.意妙行。亦有口.意妙行報。所以者何。我見彼離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生善處天中。若更有如是比離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護者。彼一切身壞命終。亦生善處天中。如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣耶。若所見所知極力捫摸。一向著說。此是真諦。餘皆虛妄。阿難。於中若有一沙門.梵志得天眼。成就天眼。作如是說無身惡行。亦無身惡行報。無口.意惡行。亦無口.意惡行報。者。我不聽彼。若作是說。我見彼不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生善處天中。我聽彼也。若作是說若更有如是比不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護者。彼一切身壞命終。亦生善處天中。者。我不聽彼。若作是說如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣邪。者。我不聽彼。若所見所知極力捫摸。一向著說此是真諦。餘皆虛妄。者。我不聽彼。所以者何。阿難。如來知彼人異。阿難。於中若有一沙門.梵志得天眼。成就天眼。作如是說無身妙行。亦無身妙行報。無口.意妙行。亦無口.意妙行報。我不聽彼。若作是說。我見彼離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生惡處地獄中。我聽彼也。若作是說若更有如是比離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護者。彼一切身壞命終。亦生惡處地獄中。者。我不聽彼。若作是說如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣邪。者。我不聽彼。若所見所知極力捫摸。一向著說此是真諦。餘皆虛妄。者。我不聽彼。所以者何。阿難。如來知彼人異。阿難。於中若有一沙門.梵志得天眼。成就天眼。作如是說。有身惡行。亦有身惡行報。有口.意惡行。亦有口.意惡行報。我聽彼也。若作是說我見彼不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生惡處地獄中。者。我聽彼也。若作是說若更有如是比不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護者。彼一切身壞命終。亦生惡處地獄中。者。我不聽彼。若作是說如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣邪。者。我不聽彼。若所見所知極力捫摸。一向著說此是真諦。餘皆虛妄。者。我不聽彼。所以者何。阿難。如來知彼人異。阿難。於中若有一沙門.梵志得天眼。成就天眼。作如是說有身妙行。亦有身妙行報。有口.意妙行。亦有口.意妙行報。者。我聽彼也。若作是說。我見彼離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生善處天中。者。我聽彼也。若作是說若更有如是比離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。彼一切身壞命終。亦生善處天中。者。我不聽彼。若作是說如是見者。則為正見。異是見者。則彼智趣邪。者。我不聽彼。若所見所知極力捫摸。一向著說此是真諦。餘皆虛妄。者。我不聽彼。所以者何。阿難。如來知彼人異。阿難。若有一不離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生善處天中者。彼若本作不善業。作已成者。因不離.不護故。彼於現法中受報訖而生於彼。或復因後報故。彼不以此因.不以此緣。身壞命終。生善處天中。或復本作善業。作已成者。因離.護故。未盡應受善處報。彼因此緣此故。身壞命終。生善處天中。或復死時生善心。心所有法正見相應。彼因此緣此。身壞命終。生善處天中。阿難。如來知彼人為如是也。阿難。若有一離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生惡處地獄中者。彼若本作善業。作已成者。因離.護故。彼於現法中受報訖而生於彼。或復因後報故。彼不以此因.不以此緣。身壞命終。生惡處地獄中。或復本作不善業。作已成者。因不離.不護故。未盡應受地獄報。彼因此緣此。身壞命終。生惡處地獄中。或復死時生不善心。心所有法邪見相應。彼因此緣此。身壞命終。生惡處地獄中。阿難。如來知彼人為如是也。阿難。若有一不離殺.不與取.邪婬.妄言。乃至邪見。此不離.不護已。身壞命終。生惡處地獄中者。彼即因此緣此。身壞命終。生惡處地獄中。或復本作不善業。作已成者。因不離.不護故。未盡應受地獄報。彼因此緣此。身壞命終。生惡處地獄中。或復死時生不善心。心所有法邪見相應。彼因此緣此。身壞命終。生惡處地獄中。阿難。如來知彼人為如是也。阿難。若有一離殺.不與取.邪婬.妄言乃至邪見。此離.護已。身壞命終。生善處天中者。彼即因此緣此。身壞命終。生善處天中。或復本作善業。作已成者。因離.護故。未盡應受報。彼因此緣此。身壞命終。生善處天中。或復死時生善心。心所有法正見相應。彼因此緣此。身壞命終。生善處天中。阿難。如來知彼人為如是也。復次。有四種人。或有人無有似有。或有似無有。或無有似無有。或有似有。阿難。猶如四種奈。或奈不熟似熟。或熟似不熟。或不熟似不熟。或熟似熟。如是。阿難。四種奈喻人。或有人無有似有。或有似無有。或無有似無有。或有似有。佛說如是。尊者阿難及諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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問曰。熟不熟義可爾。臨死時少許時心。云何能勝終身行力。 |
問うて曰く、熟すと熟せざるの義は爾るべし。死に臨んで、時に少しばかりの時の心、云何が能く終身の行力に勝るや。 |
問い、
『業』が、
『熟すか、熟さないか?』は、
『そうだと思います!』が、
『死に臨んだ!』時の、
『少時の心』が、
何故、
『終身の行力』に、
『勝るのですか?』。
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答曰。是心雖時頃少而心力猛利。如火如毒雖少能成大事。是垂死時心決定猛健故。勝百歲行力。是後心名為大心。以捨身及諸根事急故。如人入陣不惜身命名為健。如阿羅漢。捨是身著故得阿羅漢道。 |
答えて曰く、是の心は、時頃少なしと雖も、心力猛利なれば、火の如く、毒の如く、少しと雖も、能く大事を成せば、是の死に垂(なんなん)とする時、心決定して猛健なるが故に、百歳の行力に勝れば、是の後心を名づけて、大心と為す。身及び諸根を捨つる事の急なるを以っての故なり。人の陣に入れば、身命を惜まざるが如し。名づけて健と為すは、阿羅漢の、是の身の著を捨つるが故に阿羅漢道を得るが如し。 |
答え、
是の、
『心』は、
『時間は少ない!』が、
『心力』が、
『猛利である!』が故に、
譬えば、
『火や、毒のように!』、
『少なくても!』、
『大事』を、
『成すことができ!』、
是の、
『死のうとする!』時の、
『心』は、
『決定しており!』、
『猛健である!』が故に、
『百年修行した!』、
『行力』にも、
『勝るからである!』。
是の、
『最後の心』を、
『大心と称する!』のは、
『身と、諸根を捨てる!』、
『事』が、
『切迫しているからであり!』、
譬えば、
『陣に入ったように!』、
『身、命』を、
『惜まない!』ので、
是れを、
『健と称する!』のは、
譬えば、
『阿羅漢』が、
是の、
『身の著を捨てる!』が故に、
『阿羅漢道』を、
『得るようなものである!』。
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時頃(じきょう):少しの間。時の経過。
猛健(みょうごん):たけくすこやか。いさましくつよい。勇猛強健。 |
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如是等種種罪福業報。轉報亦應如是。知聲聞人但知惡業罪報善業福報。不能如是細分別。佛悉遍知是業及業報。智慧勢力無礙無盡無能壞故。是名第二力。 |
是れ等の如き種種の罪福の業報の報に転ずること、亦た応に是の如く知るべし。声聞人は、但だ悪業の罪報と、善業の福報を知るも、是の如き細かに分別する能わず。仏の悉く遍く、是の業、及び業報を知りたもうは、智慧の勢力の無礙、無尽にして、能く壊るもの無きが故なれば、是れを第二の力と名づく。 |
『仏』は、
是れ等のような、
種種の、
『罪、福の業報』が、
『報』に、
『転じるという!』ことも、
亦た、
当然、
『是のように!』、
『知っていられる!』が、
『声聞人』は、
但だ、
『悪業の悪報』と、
『善業の福報』とを、
『知るだけで!』、
是のように、
『細かく!』、
『業報』を、
『分別することはできない!』。
『仏』が、
是の、
『業』と、
『業報』とを、
『悉く!』、
『遍く知っていられる!』のは、
『智慧の勢力』が、
『無礙、無尽であり!』、
『破壊できる!』者が、
『無いからであり!』、
是れを、
『第二の力』と、
『称する!』。
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