念捨者有二種捨。一者施二者捨諸煩惱。施捨有二種。一者財施。二者法施。三種捨和合名為捨。 |
捨を念ずるとは、二種の捨有り、一には施なり、二には諸の煩悩を捨つるなり。施の捨には二種有り、一には財施なり、二には法施なり。三種の捨の和合を名づけて、捨と為す。 |
『捨を念じる!』とは、――
『捨』には、
『施の捨』には、
『二種有り!』、
一には、
『財』を、
『施すことであり!』、
二には、
『法』を、
『施すことである!』。
是の、
|
捨(しゃ):梵語憂畢叉upekSaaの訳。巴梨語upekkhaa、又はupekhaa、平静、又は無関心の義。(一)心所の名。又行捨とも名づく。十大善地法の一。十一善心所の一。心をして平等正直にして、寂静に住せしむる精神作用を云う。「品類足論巻3」に、「捨とは云何ん、謂わく身平等心平等、身正直心正直にして、無警覚にして寂静に住する是れを名づけて捨となす」と云い、「倶舎論巻4」に、「心平等性にして、無警覚の性なるを説きて名づけて捨となす」と云える是れなり。又「成唯識論巻6」には、「云何が行捨なる、精進と三根とが心をして平等正直にして無功用に住せしむるを性となし、掉挙を対治して静住するを業となす。謂わく、即ち四の法が心をして掉挙等の障を遠離し、静住せしむるを捨と名づく。平等正直にして無功用に住する初中後の位に捨の差別を辨ず。不放逸は先づ雑染を除くに由りて、捨復た心をして寂静にして住せしむ。此れ別体なし、不放逸の如く彼の四法を離れて相用なきが故なり。能く寂静ならしむるは即ち四の法なるが故に、寂静ならしむる所は即ち心等なるが故なり」と云えり。是れ唯識大乗に於いては、説一切有部の如く捨に別体あるを認めず、精進及び無貪無瞋無癡の四法が心をして掉挙等の障を離れ、寂静にして住せしむるを名づけて捨となせるものにして、前の倶舎等の説と異あるを見るべし。又「大毘婆沙論巻95」、「瑜伽師地論巻29」等には、七覚支の中の捨覚支を以って奢摩他品の所摂となせるも、「大般涅槃経巻30」には奢摩他毘鉢舎那の異相を見ざるを捨と名づくとせり。即ち彼の文に「若し色相を取るも、色の常無常相を観ずる能わざる、是れを三昧と名づけ、若し能く色の常無常相を観ずる、是れを慧相と名づけ、三昧と慧と等しく一切法を観ずる、是れを捨相と名づく。(中略)又奢摩他とは名づけて寂静と曰う、能く三業をして寂静を成ぜしむるが故なり。又奢摩他とは名づけて遠離と曰う、能く衆生をして五欲を離れしむるが故なり。又奢摩他とは能清と曰う、能く貪欲瞋恚愚癡の三濁の法を清むるが故なり。是の義を以っての故に、故に定相と名づく。毘婆舎那は名づけて正見となし、亦た了見と名づけ、名づけて能見となし、名づけて遍見と曰い、次第見と名づけ、別相見と名づく。是れを名づけて慧となす。憂畢叉とは名づけて平等と曰い、亦た不諍と名づけ、又不観と名づけ、又不行と名づく。是れを名づけて捨となす」と云える其の説なり。又「摩訶止観巻上」に此の意を承け「止は即ち奢摩他、観は即ち毘婆舎那なり。他と那と等しきが故に即ち憂畢叉は三徳に通ず」と云い、捨を以って中道観の異名となせるは、即ち其の義を転用したるものというべし。又「大毘婆沙論巻42」、「成実論巻6」、「顕揚聖教論巻1」、「入阿毘達磨論巻上」、「倶舎論巻25」、「順正理論巻11」、「大乗義章巻10」、「倶舎論光記巻4」、「成唯識論述記巻6本」等に出づ。(二)三受の一。五受の一。又捨受、不苦不楽受aduhkhaasukha-
vedanaa、或いは不苦不楽覚とも名づく。即ち中容の境を領納することによりて生ずる処中の覚受を云う。「大毘婆沙論巻143」に、「不苦不楽受は、唯不明利不軽躁にして安住するが故に合して一を立つ」と云い、「倶舎論巻3」に、「中は謂わく非悦非不悦なり、是れ即ち不苦不楽受なり。此の処中の受を名づけて捨根となす」と云い、「成唯識論巻5」に、「中容の境相を領し、身に於いて心に於いて、逼に非ず悦に非ざるを不苦不楽受と名づく」と云える是れなり。是れ不苦不楽の処中の受を捨と名づけたるなり。静慮支の中には、第四静慮の四支中に非苦楽受あり、是れ第四静慮は唯捨受に順ずるが故なり。又「大毘婆沙論巻115」に三受業を三界九地に配する中、広果繋の善業及び無色界繋の善業を以って順不苦不楽受業となせり。是れ欲界及び下三静慮地には順不苦不楽受業なしとするの意なり。又「成実論巻6辯三受品」には「雑阿含経巻17」の意に依り、楽受は貪、苦受は瞋、捨受は無明の為に使わることを明し、「不苦不楽受は其の相寂滅なること無色定の如し。寂滅なるを以っての故に煩悩細行す、凡夫は中に於いて解脱の想を生ず。是の故に仏は此の中に無明使ありと説く」と云えり。又八識の中、前六識は皆三受と相応するも、第七第八の二識は唯捨受とのみ相応す。是れ第八識は其の行相極めて微細にして、違順の境相を分別すること能わず、又第七識は恒に内門に転じて転易なく、変異受と相応せざるに由るなり。又「中阿含巻58法楽比丘尼経」、「発智論巻14」、「大毘婆沙論巻142」、「成唯識論巻3、5」、「大乗義章巻7」、「倶舎論光記巻3、28」、「成唯識論述記巻3本、5本」等に出づ。(三)捨失の意。得に対す。即ち已に得せるものを今捨失するを云う。不成就と同義なり。「大毘婆沙論巻63」に、「是の如き九遍知は誰か幾ばくか捨し、誰か幾ばくか得する。答う諸の有情あり、捨なく得なし、謂わく諸の異生なり」と云い、又「大毘婆沙論巻117」に、「不律儀に住する者にして八戒斎を受くる時は、不律儀を捨して律儀を得す。明旦に至る時、律儀を捨するも不律儀を得せず。律儀を得するが故に不律儀を捨し、分斉極まるが故に又律儀を捨す。是の故に非律儀非不律儀と名づく」と云える其の例なり。又「雑阿毘曇心論巻4」、「倶舎論巻21」、「順正理論巻56」、「倶舎論光記巻21」等に出づ。<(望) |
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財施是一切善法根本故。行者作是念。上四念因緣故。得差煩惱病。今以何因緣故得是四念。則是先世今世。於三寶中少有布施因緣故。所以者何。眾生於無始世界中。不知於三寶中布施故福皆盡滅。是三寶有無量法。是故施亦不盡必得涅槃。 |
財施とは、是れ一切の善法の根本なるが故に、行者は是の念を作さく、『上の四念の因縁の故に、煩悩の病を差ゆるを得たり。今は、何の因縁を以っての故にか、是の四念を得ん。則ち是れ先世、今世の三宝中に、少しく布施すること有る因縁故なり』、と。所以は何んとなれば、衆生は、無始の世界中に於いて、三宝中に布施するを知らざるが故に、福は皆、尽く滅すればなり。是の三宝には、無量の法有りて、是の故に施も亦た尽きずして、必ず涅槃を得。 |
『財の施』は、
『行者』は、
是の、
『念を作すことになる!』、――
上の、
『四念( 念仏、念法、念僧、念戒)』の、
『因縁』の故に、
『煩悩という!』、
『病』を、
『治癒することができた!』が、
今、
何のような、
『因縁を用いて!』、
是の、
『四念』を、
『得るのだろうか?』、
則ち、
是れは、
『先世、今世』の、
『三宝に布施した!』ことが、
『少し有った!』という、
『因縁』の故に、
是の、
『四念』を、
『得られたのである!』。
何故ならば、
『衆生』は、
『無始の世界』中より、
『三宝に布施する!』ことを、
『知らなかった!』が故に、
『布施の福』が、
『皆、尽く!』、
『滅していた!』が、
是の、
『三宝』には、
『無量の法』が、
『有る!』ので、
是の故に、
『布施すれば!』、
『福』が、
『尽きることなく!』、
必ず、
『涅槃』を、
『得られるからである!』。
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差(しゃ):<動詞>[本義]間違える/錯誤/当を失する( mistake )、標準に達しない( fall short of )、負債がある( owe
)、指定する/選任する/派遣する/差し遣わす( assign, dispatch, send on an errand )、選択する( select
)、病が癒える( be recoverd )、等級をつける( grade )。<名詞>区別/差異( difference )、等級( grade,
rank )、限界/界限( limit )。<副詞>むしろ/やや( rather )。<形容詞>奇異( strange )、好ましくない/低級(
poor, bad )、不揃い/平でない( uneven )。 |
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復次過去諸佛初發心時。皆以少多布施為因緣。如佛說是布施是初助道因緣。 |
復た次ぎに、過去の諸仏は、初発心の時、皆少多の布施を以って、因縁と為したまえり。仏の、是の布施は、是れ初の助道の因縁なりと説きたまえるが如し。 |
復た次ぎに、
『過去の諸仏』は、
例えば、
『仏』が、こう説かれた通りである、――
是の、
『布施』が、
『初めて!』の、
『道を助けた!』、
『因縁である!』、と。
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参考:『摩訶般若波羅蜜経巻23』:『是菩薩摩訶薩若行檀那波羅蜜時。自行布施亦教人布施。讚歎布施功德。歡喜讚歎行布施者。以是布施因緣故得大財富。是菩薩遠離慳心。布施眾生食飲衣服香華瓔珞房舍臥具燈燭種種資生所須盡給與之。菩薩摩訶薩行是布施及持戒。生天人中得大尊貴。以是持戒布施故得禪定眾。以是布施持戒禪定故得智慧眾解脫眾解脫知見眾。是菩薩因是布施持戒禪定眾智慧眾解脫眾解脫知見眾故。過聲聞辟支佛地入菩薩位。入菩薩位已得淨佛國土成就眾生得一切種智。得一切種智已轉法輪。轉法輪已以三乘法度脫眾生生死。如是須菩提。菩薩以是布施次第行次第學次第道。是事皆不可得。何以故。自性無所有故。』 |
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復次人命無常財物如電。若人不乞猶尚應與。何況乞而不施。以是應施作助道因緣。 |
復た次ぎに、人命の無常にして、財物は電(いなづま)の如し。若し人乞わずとも、猶尚お応に与うべし。何に況んや乞うて、施さざるをや。是を以っての故に、応に施して、助道の因縁と作すべし。 |
復た次ぎに、
『人命』は、
『無常であり!』、
『財物』は、
『電光』と、
『同じである!』。
若し、
『人』に、
『乞われなくても!』、
猶お、
『人命、財物』は、
『与えるべきである!』。
況して、
『乞われながら!』、
『施さない!』など、
『言うまでもない!』。
是の故に、
『施して!』、
『助道の因縁』と、
『作すべきなのである!』。
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復次財物是種種煩惱罪業因緣。若持戒禪定智慧種種善法。是涅槃因緣。以是故財物尚應自棄。何況好福田中而不布施。 |
復た次ぎに、財物は、是れ種種の煩悩、罪業の因縁なり。持戒、禅定、智慧、種種の善法の若(ごと)きは、是れ涅槃の因縁なり。是を以っての故に、財物は尚お応に自ら棄つべし。何に況んや、福田中に布施せざるをや。 |
復た次ぎに、
『財物』は、
種種の、
『煩悩、罪業』の、
『因縁である!』が、
『持戒、禅定、智慧』や、
是の故に、
『財物』は、
『乞われなくても!』、
尚お、
自ら、
『棄てるべきであり!』、
況して、
『福田』中に、
『布施しない!』ことなど、
『言うまでもない!』。
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譬如有兄弟二人。各擔十斤金行道中更無餘伴。兄作是念我何以不殺弟取金。此曠路中人無知者。弟復生念欲殺兄取金。兄弟各有惡心。語言視瞻皆異。兄弟即自悟還生悔心。我等非人與禽獸何異。同生兄弟而為少金故而生惡心。兄弟共至深水邊。 |
譬えば、有る兄弟の二人の如し、各十斤の金を擔いて行く道中、更に余の伴無し。兄の是の念を作さく、『我れは何を以ってか、弟を殺して、金を取らざる。此の曠路中には、人の知る者無けん』、と。弟も復た念を生じて、兄を殺して、金を取らんと欲す。兄弟に各悪心有れば、語言、視瞻、皆異なる。兄弟は即ち自ら悟りて、還って悔心を生ずらく、『我等は人に非ず、禽獣と何か異なる。同生の兄弟にして、而も少しの金の為の故に、悪心を生ぜり』、と。兄弟は、共に深水の辺に至れり。 |
譬えば、
有る、
『兄弟の二人』が、そうである、――
各、
『十斤( 1斤=500g)の金』を、
『擔(にな)いながら!』、
『旅行していたが!』、
『道』中に、
『余の伴侶』は、
『無かった!』。
是の時、
『兄』は、こう思った、――
わたしは、
何故、
『弟を殺して!』、
『金』を、
『取らないのか?』。
此の、
『曠野の路』中には、
『知る人』が、
『無いのに!』、と。
『弟』にも、
復た、
『兄を殺して!』、
『金』を、
『取りたい!』という、
是のような、
『思い!』が、
『生じた!』。
『兄弟』には、
各、
『悪心が有った!』ので、
『語言(言葉遣い!)』も、
『視瞻(目つき!)』も、
皆、
『常とは!』、
『異なっていた!』。
『兄弟』は、
そこで、
自ら、
『非を!』、
『悟り!』、
還って、
『後悔の心』が、生じた、――
わたし達は、
『人でない!』。
何処が、
『禽獣』と、
『異なるのか?』。
わたし達は、
『同生』の、
『兄弟なのに!』、
少しばかりの、
『金の為に!』、
『悪心を生じた!』。
『兄弟』は、
|
擔(たん):担う。背負う。
曠路(こうろ):曠野の路。人気のないみち。
視瞻(しせん):目つき。
悔心(けしん):後悔の心。
同生(どうしょう):父を同じくする者。
深水(じんすい):深い川。 |
|
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兄以金投著水中。弟言。善哉善哉。弟尋復棄金水中。兄復言。善哉善哉。兄弟更互相問。何以故言善哉。各相答言。我以此金故。生不善心欲相危害今得棄之故言善哉。二辭各爾。 |
兄は、金を以って、水中に投著す。弟の言わく、『善い哉、善い哉』、と。弟は尋いで復た金を水中に棄つ。兄の復た言わく、『善い哉、善い哉』、と。兄弟は更に互に相問わく、『何を以っての故にか、善い哉と言える』、と。各相答えて言わく、『我れは、此の金を以っての故に、不善心を生じて、相危害せんと欲す。今、之を棄つるを得るが故に、善い哉と言えり』、と。二の辞は、各爾り。 |
『兄』が、
『金』を、
『水中に投げる!』と、
『弟』が、こう言った、――
『善いぞ!』、
『善いぞ!』、と。
『弟』も、
『兄』に、
『続いて!』、
復た、
『金』を、
『水中に棄てる!』と、
『兄』も、
復た、こう言った、――
『善いぞ!』、
『善いぞ!』と。
『兄弟』は、
互に、こう問うた、――
各は、こう答えた、――
わたしは、
此の、
『金』の故に、
『不善心』を、
『生じて!』、
『お前を!』、
『危害しよう!』と、
『思った!』が、
今、
是の、
『金』を、
『棄てることができた!』ので、
故に、
『善いぞ!』と、
『言ったのだ!』、と。
『二人』は、
|
投著(とうじゃく):なげる。著は動作をあらわす語につく助辞。
辞(じ):<名詞>[本義]訴訟( legal case, lawsuit )。自白/自供( oral confession )、言辞/文辞( word,
diction, speech, statement )、指令の語( order )、口実/言訳( excuses )。<動詞>講説( speak,
talk )、告別/別辞( bid farewell, say good-bye to )、辞退する( decline )、尋問/審問する(
try, interrogate )、派遣する( dispatch, expel )、解雇/免職する( dismiss )。 |
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以是故知財為惡心因緣常應自捨。何況施得大福而不施。如說
施名行寶藏 亦為善親友
終始相利益 無有能壞者
施為好密蓋 能遮飢渴雨
施為堅牢船 能度貧窮海
慳為凶衰相 為之生憂畏
洗之以施水 則為生福利
慳惜不衣食 終身無歡樂
雖云有財物 與貧困無異
慳人之室宅 譬如丘塚墓
求者遠避之 終無有向者
如是慳貪人 智者所擯棄
命氣雖未盡 與死等無異
慳人無福慧 於施無堅要
臨當墮死坑 戀惜生懊恨
涕泣當獨去 憂悔火燒身
好施者安樂 終無有是苦
人修布施者 名聞滿十方
智者所愛敬 入眾無所畏
命終生天上 久必得涅槃
如是等種種訶慳貪讚布施。是名念財施。 |
是を以っての故に知る、財は、悪心の為の因縁なれば、常に応に自ら捨つべし。何に況んや、施せば大福を得るに、而も施さざるをや。説の如し、
施を宝蔵に行くと名づけ、亦た善なる親友と為す、
終始相利益するも、能く壊る者の有ること無し。
施を好密なる蓋と為す、能く飢渴の雨を遮うればなり、
施を堅牢なる船と為す、能く貧窮の海を度すればなり。
慳を凶衰の相と為す、之が為に憂畏を生ずればなり、
之を洗うに施の水を以うれば、則ち福利を生ずと為す。
慳惜して衣食せずんば、終に身に歓楽無く、
財物有りと云うと雖も、貧困と異なる無し。
慳人の室宅は、譬えば丘塚墓の如く、
求者は之を遠く避け、終に向者の有ること無し。
是の如き慳貪の人は、智者の擯棄する所なれば、
命気未だ尽きずと雖も、死と等しく異なる無し。
慳人に福慧無く、施すに於いて堅要無けれど、
当に死坑に堕せんとするに臨みて、恋惜は懊恨を生ず。
涕泣するも当に独り去り、憂悔の火に身を焼くべきに、
好施の者は安楽にして、終に是の苦の有ること無し。
人にして布施を修すれば、名聞は十方に満ち、
智者の愛敬する所となりて、衆に入りて所畏無く、
命終れば天上に生じ、久しくして必ず涅槃を得。
是れ等の如き種種に慳貪を訶して、布施を讃ずれば、是れを財施を念ずと名づく。 |
是の故に、こう知る、――
『財』は、
『悪心の因縁である!』が故に、
常に、
『自ら!』、
『捨てなくてはならない!』。
況して、
『施せば!』、
『大福』を、
『得られるのに!』、
『施さないとは!』。
例えば、こう説く通りである、――
『施』を、
『宝蔵に行く!』と、
『称し!』、
亦た、
『善い親友』とも、
『称する!』。
『施』は、
『現在世に!』、
『利益』が、
『有るばかりでなく!』、
『未来世の!』、
『福報』は、
『誰にも壊されない!』。
『施』は、
『好密な!』、
『蓋( umbrella )である!』、
何故ならば、
『飢渴の雨』を、
『遮ることができる!』。
『施』は、
『堅牢な!』、
『船である!』、
何故ならば、
『貧窮の海』を、
『渡ることができる!』。
『慳( 物を惜む!)』は、
『凶衰』の、
『相である!』。
『慳』の為に、
『憂畏』が、
『生じるからだ!』。
『慳の垢』を、
『洗う!』のに、
『施の水』を、
『用いれば!』、
則ち、
『福利』を、
『生じることになる!』。
『慳惜して!』、
『衣食を用いなければ!』、
『身の終りまで!』、
『歓楽する!』ことが、
『無い!』。
『財物が有っても!』、
『貧困』と、
『異ならない!』。
『慳人』の、
『室宅( 家庭)』は、
『食を求める!』者すら、
遠回りして、
之を、
『避ける!』ので、
終に、
『向かう!』者が、
『無い!』。
是のような、
『慳貪の人』は、
『智者』には、
『擯(しりぞ)けられ!』、
『棄てられて!』、
『命』の、
『気配』が、
『尽きていなくても!』、
『死』と、
『等しく!』、
『異ならない!』。
『慳人』には、
『福』も、
『慧』も、
『無く!』、
『施すことに!』、
『堅固な要塞』が、
『有る訳がない!』のに、
『死の坑』に、
『堕ちようとする!』に、
『臨んで!』、
『恋惜して!』、
『懊恨(懊悩)』を、
『生じる!』。
『慳人』は、
『泣きながら!』、
『独りで!』、
『世』を、
『去り!』、
『憂悲』と、
『後悔』の、
『火』に、
『身を焼くことになる!』のに、
『施を好む!』者は、
『安楽であり!』、
『最後まで!』、
是の、
『苦しみ!』が、
『無い!』。
『人』は、
『布施を修めれば!』、
『名聞』が、
『十方』に、
『満ちて!』、
『智者』には、
『愛し!』、
『敬われ!』、
『衆( people )中に入っても!』、
『畏れる!』所が、
『無く!』、
『命』が、
『終れば!』、
『天上に生じて!』、
『久しくすれば!』、
『必ず!』、
『涅槃を得ることになる!』。
是れ等のように、
種種に、
『慳貪を訶って!』、
『布施』を、
『讃じれば!』、
是れを、
『財施を念じる!』と、
『称するのである!』。
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行(ぎょう):あるく。左右の足を交互にあげて進む。
親友(しんぬ):したしいとも。
終始(しゅうし):いつも。始めから終わりまで。始終。
相(そう):あい。共に。目的語の人称代名詞をかねる辞。
好密(こうみつ):目が細かくこのもしい。
蓋(がい):かさ。日傘、雨傘の類。
飢渇(きかつ):うえとかわき。
堅牢(けんろう):堅固。丈夫。
貧窮(びんぐ):まずしくきわまる。
慳(けん):おしむ。
凶衰(きょうすい):わざわい。災害と衰亡。
憂畏(うい):うれえおそれる。
慳惜(けんじゃく):おしむ。物惜しみする。
衣食(えじき):衣服と食物。
慳(けん):おしむ。
室宅(しったく):すまい。家。
丘(く):おか。王者のはか。丘墓。
塚(ちょう):つか。高大に盛り上がったはか。墳墓。
墓(ぼ):はか。土を盛らない庶民のはか。
向(こう):したう。心をむける。
慳貪(けんどん):おしみむさぼる。慳惜と貪欲。
擯棄(ひんき):退け棄てる。
命気(みょうけ):いのちといき。寿命と気息。
慳人(けんにん):物惜しみするひと。
福慧(ふくえ):福報と智慧。
堅要(けんよう):堅固な要害。障害物。
死坑(しきょう):死のあな。死を坑に譬えていうもの。
恋惜(れんじゃく):いとしみおしむ。
懊恨(おうこん):なやみうらむ。
涕泣(たいきゅう):なみだを流して泣く。
憂悔(うけ):うれいてくやむ。
好施(こうせ):ほどこしをこのむ。
名聞(みょうもん):名声。
愛敬(あいきょう):愛し敬う。
衆(しゅ):多くのひと。
命終(みょうじゅう):いのちのおわり。またその時。 |
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云何念法施。行者作是念。法施利益甚大。法施因緣故一切佛弟子等得道。 |
云何が法施を念ずる。行者の是の念を作さく、『法施の利益は甚大なり。法施の因縁の故に、一切の仏弟子等、道を得』、と。 |
何のように、
『法』を、
『施す!』ことを、
『念じるのか?』、――
『行者』が、
是の、
『念を作すことである!』、――
『法の施』の、
『利益』は、
『甚だ大きい!』。
『法の施』の、
『因縁』の故に、
一切の、
『仏弟子』等が、
『道』を、
『得るからである!』、と。
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復次佛說二種施中法施為第一。何以故。財施果報有量。法施果報無量。財施欲界報。法施三界報。亦出三界報。若不求名聞財利力勢。但為學佛道弘大慈悲。度眾生生老病死苦。是名清淨法施。若不爾者為如市易法。 |
復た次ぎに、仏の説きたまわく、『二種の施中には、法施を第一と為す。何を以っての故に、財施の果報は有量なれど、法施の果報は無量なればなり。財施は、欲界の報あり、法施には三界の報ありて、亦た三界を出づる報あり。若し名聞、財利、力勢を求めず、但だ仏道を学びて、大慈悲を弘め、衆生の生老病死の苦を度せんが為なれば、是れを清浄の法施と名づく。若し爾らずんば、法を市易するが如しと為す。 |
復た次ぎに、
『仏』は、こう説かれている、――
『二種の施』中には、
『法』を、
『施す!』ことが、
『第一である!』。
何故ならば、
『財を施す!』、
『果報』は、
『有量である!』が、
『法を施す!』、
『果報』は、
『無量だからである!』。
又、
『財を施せば!』、
『欲界』の、
『果報があり!』、
『法を施せば!』、
『三界』の、
『果報ばかりでなく!』、
亦た、
『三界を出るという!』、
『果報もある!』。
『法を施す!』時、
若し、
『名聞、財利、力勢』を、
『求めず!』、
但だ、
『仏道を学んで!』、
『大慈悲の心』を、
『拡げ!』、
『衆生の生老病死の苦』を、
『度す為に!』、
『法を施せば!』、
是れを、
『清浄な法施』と、
『称し!』、
若し、
爾うでなければ、
是れを、
『法を売買するようだ!』と、
『称する!』。
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市易(しやく):貿易。交易。売買。 |
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復次財施施多財物減少。法施施多法更增益。財施是無量世中舊法。法施聖法初來未得。名為新法。財施但能救諸飢渴寒熱等病。法施能除九十八諸煩惱等病。如是等種種因緣。分別財施法施。行者應念法施。 |
復た次ぎに、財施は施すこと多ければ、財物減少し、法施は施すこと多ければ、法は更に増益す。財施は、是れ無量世中の旧法にして、法施は聖法の初より来(このかた)、未だ得ざれば、名づけて新法と為す。財施は、但だ能く諸の飢渴、寒熱等の病を救い、法施は、能く九十八の諸煩悩等の病を除く。是れ等の如き種種の因縁もて、財施、法施を分別して、行者は応に法施を念ずべし。 |
復た次ぎに、
『財施』は、
『多く!』、
『施せば!』、
『施すほど!』、
則ち、
『財物』が、
『減少する!』が、
『法施』は、
『多く!』、
『施せば!』、
『施すほど!』、
更に、
『法』が、
『増益する!』。
『財施』は、
『法施』は、
『聖法』の、
『初めより!』、
『得られなかった!』ので、
是れを、
『新法』と、
『称する!』。
『財施』は、
但だ、
諸の、
『飢渴、寒熱等の病』を、
『救うだけだが!』、
『法施』は、
『九十八種』の、
諸の、
『煩悩等の病』を、
『除く!』。
是れ等のように、
種種の、
『因縁を用いて!』、
『財施、法施』を、
『分別して!』、
『行者』は、
『法施』を、
『念じなければならない!』。
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問曰。何等是法施。 |
問うて曰く、何等か、是れ法施なる。 |
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答曰。佛所說十二部經。清淨心為福德與他說。是名法施。復有以神通力令人得道。亦名法施。 |
答えて曰く、仏の所説の十二部経を、清浄心もて、福徳を他に与えんが為に説く、是れを法施と名づく。復た神通力を以って、人をして道を得しむる有れば、亦た法施と名づく。 |
答え、
『仏が説かれた!』、
『十二部の経』を、
『清浄心』で、
『他人』に、
『福徳を与える!』為に、
『説けば!』、
是れを、
『法施』と、
『称し!』、
復た、
有る者が、
『神通力を用いて!』、
『人』に、
『道』を、
『得させれば!』、
是れも、
『法施』と、
『呼ばれる!』。
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如網明菩薩經中說。有人見佛光明。得道者生天者。如是等口雖不說令他得法故。亦名法施。 |
網明菩薩経中に説けるが如し、『有る人は、仏の光明を見て、道を得る者なり。天に生ずる者なり』、と。是れ等の如く、口に説かずと雖も、他をして法を得しむるが故に、亦た法施と名づく。 |
例えば、
『網明菩薩経』中には、こう説かれている、――
有る人は、
『仏』の、
『光明を見て!』、
『道』を、
『得る者である!』、
有るいは、
『天』に、
『生じる者である!』、と。
是れ等のように、
『口で説かなくても!』、
『他』に、
『法』を、
『得させられれば!』、
亦た、
『法施』と、
『称するのである!』。
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参考:『勝思惟梵天所問経巻1』:『爾時網明童子菩薩即從坐起。整服右肩右膝著地。頂禮佛足合掌向佛。動此三千大千世界。觀察三千大千世界一切眾生。而白佛言。世尊。我欲少問。若佛聽者。乃敢諮請。佛言。網明。恣汝所問。我當解說悅可爾心。於是網明童子菩薩。既蒙聽許心大歡喜。即白佛言。世尊。如來身相超百千萬日月光明。我自惟念。若有眾生能見佛身及思惟者。甚為希有。我復思惟。若有眾生能見佛身及思惟者。皆是如來威神之力。佛言。網明。如是如是。如汝所言。若佛如來不加威神。眾生無有能見佛身及思惟者。亦無有能問如來者。何以故。網明。如來有光名寂莊嚴。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能見佛身思惟佛身不壞眼根。網明。如來有光名無畏辯。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來其辯無盡。網明。如來有光名集一切諸善根本。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來轉輪聖王行業因緣。如來有光名淨莊嚴。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來天帝釋王行業因緣。如來有光名曰自在。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來大梵天王行業因緣。如來有光名離煩惱。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來聲聞乘人所行之道。如來有光名善遠離。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來緣覺乘人所行之道。如來有光名益一切智智。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。能問如來最上佛乘大乘之道。如來有光名曰住益佛來去時足下光明。若以此光觸諸眾生。遇斯光者。隨所壽終生於天上。如來有光名一切莊嚴。若佛入城放斯光明。眾生遇者得樂歡喜。諸莊嚴具莊嚴其城。如來有光名曰分散。若以此光觸諸世界。無量無邊世界震動。如來有光名曰生樂。若以此光觸諸眾生。能滅地獄眾生苦惱。如來有光名曰上慈。若以此光觸諸眾生。能令畜生不相殺害。如來有光名曰涼樂。若以此光觸諸眾生。能滅餓鬼飢渴熱惱。如來有光名曰明淨。若以此光觸諸眾生。能令盲者得眼能視。如來有光名曰聽聰。若以此光觸諸眾生。能令聾者得耳聞聲。如來有光名曰止息。若以此光觸諸眾生。住十不善惡業道者。能令安住十善業道。如來有光名曰慚愧。若以此光觸諸眾生。能令狂者皆得正念。如來有光名曰離惡。若以此光觸諸眾生。令邪見者皆得正見。如來有光名曰能捨。若以此光觸諸眾生。能令慳者破慳貪心修行布施。如來有光名無悔熱。若以此光觸諸眾生。令毀禁者皆得持戒。如來有光名曰安利。若以此光觸諸眾生。能令瞋者皆行忍辱。如來有光名曰勤修。若以此光觸諸眾生。令懈怠者皆行精進。如來有光名曰一心。若以此光觸諸眾生。令忘念者皆得禪定。如來有光名曰能解。若以此光觸諸眾生。令愚癡者皆得智慧。如來有光名無垢淨。若以此光觸諸眾生。令不信者皆得正信。如來有光名曰能持。若以此光觸諸眾生。令少聞者皆得多聞。如來有光名曰威儀。若以此光觸諸眾生。無慚愧者皆得慚愧。如來有光名曰安隱。若以此光觸諸眾生。令多欲者斷除婬欲。如來有光名曰歡喜。若以此光觸諸眾生。令多怒者斷除瞋恚。如來有光名曰照明。若以此光觸諸眾生。令多癡者觀十二緣斷除愚癡。如來有光名曰遍行。若以此光觸諸眾生。令等分者斷除等分。網明如來有光名曰示現一切種色。若以此光觸諸眾生。能令遇者皆見佛身種種異色無量種色過百千萬色。網明。當知如來若以一劫。若餘殘劫。依於如來光明說法不可窮盡。是故如來應正遍知光明功德。無量無邊不可窮盡』 |
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是法施應觀眾生心性煩惱多少智慧利鈍。應隨所利益而為說法。譬如隨病服藥則有益。有婬欲重有瞋恚重有愚癡重。有兩兩雜三三雜。婬重者為說不淨觀。瞋重者為說慈心。癡重者為說深因緣。兩雜者說兩觀。三雜者說三觀。若人不知病相。錯投藥者病則為增。 |
是の法施は、応に衆生の心性、煩悩の多少、智慧の利鈍を観ずべく、応に利益する所に随うて、為に法を説くべし。譬えば病に随いて、薬を服めば、則ち益有るが如く、有るいは婬欲重く、有るいは瞋恚重く、有るいは愚痴重く、有るいは両両雑え、三三雑うれば、婬重くんば、為に不浄観を説き、瞋重くんば、為に慈心を説き、癡重くんば、為に深き因縁を説き、両を雑うれば両観を説き、三雑うれば三観を説く。若し人、病相を知らずして、錯ちて薬を投ぜば、病は即ち為に増さん。 |
是の、
『法施』は、
『衆生』の、
『心性』、
『煩悩の多少』、
『智慧の利鈍』を、
『観察しなければならず!』、
『利益する!』所の、
『衆生に随って!』、
『法』を、
『説かなければならない!』。
譬えば、
『病に応じて!』、
『薬』を、
『服めば!』、
則ち、
『益が有る!』のと、
『同じである!』。
有る者は、
有る者は、
有る者は、
有る者は、
『煩悩』を、
『両(ふたつ)づつ!』、
『雑(まじ)え!』、
有る者は、
『煩悩』が、
『三(みっつ)づつ!』、
『雑えるのである!』が、
有る人が、
若し、
『淫( 貪 or 婬)が重ければ!』、
『不浄観』を、
『説き!』、
若し、
若し、
『癡を重ければ!』、
『深い因縁』を、
『説き!』、
若し、
『両を雑えていれば!』、
『両の観』を、
『説き!』、
若し、
『三を雑えていれば!』、
『三の観』を、
『説く!』。
若し、
『人』が、
『病の相』を、
『知らずに!』、
『薬』を、
『誤って!』、
『投じれば!』、
則ち、
『病』が、
『増すからである!』。
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若著眾生相者。為說但有五眾此中無我。若言無眾生相者。即為說五眾相續有。不令墮斷滅故。求富樂者為說布施。欲生天者為說持戒。 |
若し衆生相に著せば、為に『但だ五衆有りて、此の中には我無し』、と説き、若し、『衆生相無し』と言わば、即ち為に『五衆の相続有り』、と説く、断滅に堕せしめざらんが故なり。富楽を求むる者には、為に布施を説き、天に生ぜんと欲する者には、為に持戒を説く。 |
有る者が、
若し、
『衆生という!』、
『相』に、
『著していれば!』、
是の、
『人』の為には、こう説く、――
但だ、
『五衆』が、
『有るだけで!』、
此の中には、
『我』は、
『無い!』、と。
若し、こう言えば、――
是の、
『人』の為には、こう説く、――
是の、
『人』を、
『断滅』に、
『堕ちいらせない為である!』。
若し、
是の、
若し、
『天』に、
『生まれたい!』と、
『思っていれば!』、
是の、
『人』の為には、
『持戒』を、
『説くのである!』。
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人中多所貧乏者。為說天上事。惱患居家者。為說出家法。著錢財居家者。為說在家五戒法。若不樂世間。為說三法印。無常無我涅槃。依隨經法自演作義理。譬喻莊嚴法施為眾生說。如是等種種利益。故當念法施。 |
人中に貧乏する所多き者には、為に天上の事を説き、悩患する居家の者には、為に出家の法を説き、銭、財に著する居家の者には、為に在家の五戒の法を説き、若し世間を楽しまざれば、為に三法印の無常、無我、涅槃を説き、経法に依って随い、自ら演じて、義理、譬喩を作りて、法施を荘厳し、衆生の為に説く。是れ等の如き、種種の利益の故に当に法施を念ずべし。 |
若し、
『人』中に、
『多く!』の、
『物』が、
『欠乏しておれば!』、
是の、
若し、
『悩み!』、
『患う!』、
『居家の者ならば!』、
是の、
若し、
『銭、財に著する!』、
『居家の者ならば!』、
是の、
『人』の為には、
『在家の五戒の法』を、
『説き!』、
若し、
『世間を楽しまなければ!』、
是の、
『人』の為に、
『諸行無常、諸法無我、涅槃寂静』という、
『三法印』を、
『説き!』、
『経法に随って!』、
自ら、
『義理を演繹して!』、
『譬喩』を、
『作り!』、
『法施を荘厳して!』、
『衆生』の為に、
『説く!』。
是れ等のような、
種種の、
『利益』の故に、
当然、
『法施』を、
『念じなければならない!』。
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貧乏(びんぼう):まずしい。貨財をかく。
悩患(のうげん):なやみうれう。
三法印(さんぽういん):三種の法印の意。即ち仏教の教説として印可せらるる範疇に、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三種あるを云う。『大智度論巻14上注:三法印、巻22上』参照。
依随(えずい):たよってしたがう。
演作(えんさ):敷衍して作る。作って延べ説く。 |
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捨煩惱者。三結乃至九十八使等皆斷除卻。是名為捨。念捨是法如捨毒蛇如捨桎梏。得安隱歡喜。 |
煩悩を捨つとは、三結、乃至九十八使等は、皆断除して却(しりぞ)く。是れを名づけて捨と為す。是の法を捨てんと念ずること、毒蛇を捨つるが如く、桎梏を捨つるが如くなれば、安隠、歓喜を得。 |
『煩悩を捨てる!』とは、
『三結、乃至九十八使』等の、
『煩悩』を、
皆、
『断じ!』、
『除いて!』、
『却(しりぞ)ける!』こと、
是れを、
『捨』と、
『称する!』。
是の、
『法』を、
『捨てよう!』と、
『念じて!』、
譬えば、
『毒蛇、桎梏』を、
『捨てるようにすれば!』、
則ち、
『安隠、歓喜』を、
『得るからである!』。
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除却(じょきゃく):のぞきさる。
三結(さんけつ):三種の結煩悩の意。即ち見結、戒取結、疑結なり。『大智度論巻3下注:結、巻41下注:結』参照。
九十八使(くじゅうはっし):見惑八十八使、修惑十使の総称。『大智度論巻7上注:九十八随眠、巻14下注:九十八使』参照。 |
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復次念捨煩惱亦入念法中。 |
復た次ぎに、煩悩を捨てんと念ずれば、亦た念法中に入る。 |
復た次ぎに、
『煩悩』を、
『捨てよう!』と、
『念じる!』者は、
亦た、
『念法』中に、
『入ることになる!』。
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問曰。若入念法中。今何以更說。 |
問うて曰く、若し念法中に入らば、今は何を以ってか、更に説く。 |
問い、
若し、
『捨を念じて!』、
『念法』中に、
『入るならば!』、
今は、
何故、
更に、
『念捨』を、
『説くのですか?』。
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答曰。捨諸煩惱。是法微妙難得無上無量。是故更別說。 |
答えて曰く、諸の煩悩を捨つる、是の法は微妙にして得難く、無上、無量なれば、是の故に更に別に説けり。 |
答え、
諸の、
『煩悩』を、
『捨てるという!』、
是の、
『法』は、
『微妙であり!』、
『得難く!』、
『無上、無量である!』ので、
是の故に、
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復次念法與念捨異。念法念佛法微妙諸法中第一。念捨念諸煩惱罪惡捨之為快。行相別。是為異。 |
復た次ぎに、念法と念捨とは異なり。念法、念仏の法の微妙なること、諸法中に第一なり。念捨は、諸の煩悩、罪悪を念じて、之を捨つれば、快しと為す。行相別なれば、是れを異と為す。 |
復た次ぎに、
『念法』と、
『念捨』とは、
『異なるからである!』。
『念法、念仏という!』、
是の、
『法』が、
『微妙である!』のは、
諸の、
『法』中に、
『第一である!』が、
『念捨』は、
諸の、
『煩悩、罪悪を念じて!』、
之を、
『捨てれば!』、
『愉快である!』ので、
是のように、
『行』の、
『相』が、
『別であり!』、
是れを、
『異なる!』と、
『称するのである!』。
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如是等種種因緣。行者當念捨。念捨者是初學禪智。中畏生增上慢。 |
是れ等の如き種種の因縁に、行者は当に捨を念ずべし。捨を念ずる者は、是れ初学の禅智中に、増上慢を生ずるを畏るるなり。 |
是れ等のような、
種種の、
『因縁』で、
『行者』は、
当然、
『捨』を、
『念じねばならない!』。
何故ならば、
『捨を念じる!』者は、
『初学』の、
『禅、智中に生じる!』、
『増上慢』を、
『畏れるからである!』。
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