巻第十七(上)
大智度論釋初品中禪波羅蜜第二十八
1.何故、禅定に入るのか?
2.五欲を呵る
3.五蓋を除く
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大智度論釋初品中禪波羅蜜第二十八(卷第十七)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


何故、禅定に入るのか?

【經】不亂不味故。應具足禪波羅蜜 乱れず、味わわざるが故に、応に禅波羅蜜を具足すべし。
『心』は、
本より、
『乱れることもなく!』、
『味わうこともない!』が故に、
当然、
『禅波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
  禅波羅蜜(ぜんはらみつ):『大智度論巻17(上)注:褝那波羅蜜』参照。
  褝那波羅蜜(ぜんなはらみつ):梵語dhyaana- paaramitaa、又禅波羅蜜、持訶那波羅蜜に作り、禅定波羅蜜、静慮波羅蜜、或いは禅度無極と名づく。現法楽住静慮、引発神通静慮、饒益有情静慮を修し、能く乱意を対治し、内意を摂持するを云う。『大智度論巻17(上)注:禅』参照。
  (ぜん):梵語 dhyaana、巴梨語 jhaana、又褝那、駄衍那、持阿那に作り、静慮、又は思惟修、思惟修習、或いは棄悪、功徳叢林とも訳す。寂静にして審慮するの意、即ち心一境に住して正審思慮し、定慧均等なる情態を云う。「大毘婆沙論巻141」に、「静は謂わく寂静、慮は謂わく籌量なり。此の四地の中にのみ定慧平等なるが故に静慮と称す。余は随って闕ぐことあれば此の名を得ず」と云い、「瑜伽師地論巻33」に、「静慮と言うは、一の所縁に於いて繋念寂静にして正審思慮す、故に静慮と名づく」と云えり。是れ即ち他想を止め、心を一境に専注して極めて寂静ならしめ、以って正審思慮するを禅と名づけたるなり。此の中、寂静は止にして定を云い、思慮は観にして慧を云う。唯四禅のみ止観均行、定慧平等なるが故に静慮と名づけ、余の四無色定等の如きは定慧平等ならざるが故に禅と称せざることを明にするの意なり。又「大乗義章巻13」に、「禅とは是れ其の中国の言なり、此に翻じて名づけて思惟修習と為し、亦た功徳の叢林と云う。思惟修とは因に従って称を立つ、定の境界に於いて審意籌慮するを名づけて思惟と云い、思心漸にして進むを説いて修習と為す。剋に従わば定を思惟修寂と名づく。此の言は当体に名を為す。禅定の心正しく所縁を取るを名づけて思惟と曰い、思心増進するを説いて修習と為すという可し。功徳の叢林とは果に従って名と為す、智慧神通四無量等は是れ其の功徳なり、衆徳の積聚を説いて叢林と為す。定能く之を生ず、因を果に従えて目づく。是の故に説いて功徳の叢林と為す」と云い、「法界次第初門巻上之下」に、「禅は是れ西土の音、此に棄悪と翻ず。欲界の五蓋等の一切の諸悪を捨するが故に棄悪と云う。或いは功徳叢林と翻じ、或いは思惟修と翻ず」と云い、又「慧苑音義巻上」に、「褝那は此に静慮と云う、謂わく静心思慮なり。旧に翻じて思惟修と為すは略なり」と云えり。是れ思惟修の訳は唯思慮の一義を挙げ、寂静の義を言わざるが故に略となすなり。又禅は能く因となりて智慧神通四無量等の功徳を生ずるが故に功徳叢林とも称す。「法界次第初門巻上之下」に、「無量心、背捨、勝処、一切処、神通変化、及び無漏の観慧等の種種の禅三昧は、悉く四禅中より出づるを以っての故に根本と称す」と云える即ち其の意なり。蓋し禅は心一境性を其の自性となすと雖も、尋伺喜楽等の有無に依りて初禅二禅三禅四禅の四種に分別せらる。「大毘婆沙論巻80」に初禅には尋、伺、喜、楽、心一境性の五支、二禅には内等浄、喜、楽、心一境性の四支、三禅には行捨、正念、正慧、受楽、心一境性の五支、四禅には不苦不楽受、行捨清浄、念清浄、心一境性の四支を摂し、総じて四禅に十八支ありと云えり。之に依るに初禅は有尋有伺にして離生喜楽、二禅は無尋無伺にして定生喜楽、三禅は無尋無伺にして離喜妙楽、四禅は無尋無伺にして捨念清浄なるを見るべし。又四禅には各三種の等至の相あり、三種の等至とは一に味等至、二に浄等至、三に無漏等至なり。味等至とは又味禅とも名づく、即ち愛と相応する定にして、静慮の功徳に味著するを云い、浄等至とは又浄禅とも名づく、無貪等の白浄法と相応する定にして、即ち愛味の過患を了知し、愛と相応せざる相を云い、無漏等至とは愛と相応せず、又味著せられざる定にして、即ち聖者の四諦を観じ、又は現観を修する方便として入る所の定を云うなり。此の中、初の二は有漏定にして、後の一は即ち無漏定なり。凡そ禅定は大小二乗及び外道凡夫等も皆通じて之を修するものなるが故に、形式は同一なるも、所観の法及び其の目的等に於いて大いに異あり。就中、大乗に於いては之を六波羅蜜若しくは十波羅蜜の一とし、禅波羅蜜、又は褝那波羅蜜、静慮波羅蜜と名づけ、菩薩の修すべき必須の要行となすなり。「大品般若経巻1序品」に、「不乱不味の故に、応に褝那波羅蜜を具足すべし」と云い、「大智度論巻17」に広く之を釈し、「問うて曰わく、菩薩の法は一切衆生を度するを以って事と為す。何を以っての故に、林沢閑坐し、山間に静黙して独り其の身を善くし、衆生を棄捨するや。答えて曰わく、菩薩は身は衆生を遠離すと雖も心は常に捨てず、静処に定を求めて実智慧を獲得し、以って一切を度せんとす。譬えば薬を服して身を将い、権りに家務を息むるも、気力平健せば則ち業を修むること故の如くなるが如し。菩薩の宴寂も亦た復た是の如く、禅定力を以って智慧の薬を服し、神通力を得ば還た衆生に在り、或いは父母妻子と作り、或いは師徒宗長、或いは天或は人、下至畜生と作り、種種の語言をもて方便して開導す。(中略)菩薩は此に因りて大悲心を発し、常楽の涅槃を以って衆生を利益せんと欲す。此の常楽の涅槃は実智慧より生じ、実智慧は一心禅定より生ず。譬えば灯を然すが如き、灯は能く照らすと雖も、大風の中に在らば用を為すこと能わず、若し之を密室に置かば其の用乃ち全し。散心中の智慧も亦た是の如し。若し禅定の静室なくんば、智慧ありと雖も其の用全からず。禅定を得ば則ち実智慧生ず。是を以っての故に菩薩は衆生を離れて遠く静処に在りて禅定を求得すと雖も、禅定清浄なるを以っての故に智慧亦た浄し。譬えば油炷浄きが故に其の明も亦た浄きが如し。是を以っての故に、浄智慧を得んと欲する者は此の禅定を行ず。復た次ぎに若し世間の近事を求むるにも、専心なること能わざれば則ち事業成ぜず、何に況んや甚深の仏道にして而も禅定を用いざらんをや。禅定を摂諸乱心と名づく。乱心は軽飄なること鴻毛よりも甚だしく、馳散して停まらず、駃きこと疾風に過ぎ、制止すべからざること獼猴よりも劇しく、暫く現じて転た滅すること掣電よりも甚だし。心相は是の如く禁止すべからず、若し之を制せんと欲せば禅に非ざれば定まらず。偈に説くが如き、禅を守智の蔵と為す、功徳の福田なり。禅を清浄水と為す、能く諸の欲塵を洗う。禅を金剛鎧と為す、能く煩悩の箭を遮る。未だ無余を得ずと雖も涅槃の分已に得。金剛三昧を得て結使の山を摧破し、六神通を得て能く無量の人を度す。囂塵天日を蔽うも大雨は能く之を淹い、覚観の風心を散ずる禅定能く之を滅す」と云えり。是れ菩薩は衆生済度を其の事業となすと雖も、実智慧を獲得し、神通力を得んが為に褝那波羅蜜を修習すべきものなることを説けるものなり。又「瑜伽師地論巻43」には、菩薩の静慮波羅蜜に自性静慮、一切静慮、難行静慮、一切門静慮、善士静慮、一切種静慮、遂求静慮、此世他世楽静慮、清浄静慮の九種の相ありとなせり。就中、自性静慮とは静慮の自性なる心一境性を云い、一切静慮とは世間出世間の静慮、及び其の身心軽安にして現法楽に住する安住静慮、諸の等持を引く引発静慮、有情を饒益する辦事静慮を云い、難行静慮とは無量の有情を利益せんが為に静慮の楽を捨てて還って欲界に生じ、乃至静慮に依止して無上菩提を証するを云い、一切門静慮とは有尋有伺等の四静慮を云い、善士静慮とは無愛味及び慈悲喜捨の四無量と俱行する静慮を云い、一切種静慮とは善静慮、無記変化静慮、奢摩他品静慮、毘鉢舎那品静慮、於自他利正審思惟静慮、能引神通威力功徳静慮、名縁静慮、義縁静慮、止相縁静慮、挙相縁静慮、捨相縁静慮、現法楽住静慮、能饒益他静慮の十三種を云い、遂求静慮とは諸の災患を除き、病を治し飲食を施与し、乃至衆生の所求を果遂せんが為に造作する諸の有情利益の静慮を云い、此世他世楽静慮とは神通記説及び教誡の三示現に依りて有情を調伏し、又悪趣の有情を照触して衆苦を息めしむる等の諸の有情教化の静慮を云い、清浄静慮とは愛味を遠離せる静慮、乃至二障を浄除する静慮等の一切の清浄なる静慮を云うなり。以って菩薩の静慮波羅蜜の修相及び静慮の種別を見るべし。又「金光明最勝王経巻4最浄地陀羅尼品」には、静慮波羅蜜を成就するに五種の相あることを明し、一に諸の善法に於いて摂して散ぜざらしめ、二に常に解脱を願じて二辺に著せず、三に神通を得て衆生の諸の善根を成就せんと願じ、四に法界を浄めんが為に心垢を蠲除し、五に衆生の煩悩の根本を断ぜんが為なりと云えり。是れ静慮波羅蜜を修する時、菩薩の期図すべき意願を説けるものなり。又「大乗入楞伽経巻3集一切法品」には、広く禅を分別して四種の異ありとせり。即ち彼の文に、「四種の禅あり。何等をか四と為す、謂わく愚夫所行の禅baaloopacaarikaM dhyaanam、観察義禅artha-pravicayaM dhy.、攀縁真如禅tathataalambhanaM dhy.、諸如来の禅tathaagataM zubhaM dhy.なり。大慧、云何が愚夫所行の禅なる。謂わく声聞縁覚の諸の修行者は人の無我を知り、自他身の骨鎖相連なるを見て皆是れ無常苦不浄の相なりと。是の如く観察し堅著して捨てず、漸次に増勝して無想滅定に至る。是れを愚夫所行の禅と名づく。云何が観察義禅なる。謂わく自共相人無我を知り已り、亦た外道の自他俱作を離れて、法無我の諸地の相の義に於いて随順して観察す。是れを観察義禅と名づく。云何が攀縁真如禅なる。謂わく若し無我に二あることを分別せば是れ虚妄の念なり、若し如実に彼の念の不起を知らば是れを攀縁真如禅と名づく。云何が諸如来の禅なる。仏地住に入りて自ら聖智三種の楽を証し、諸の衆生の為に不思議の事を作す、是れを諸如来禅と名づく」と云える是れなり。是れ即ち小乗の修行者が但だ人無我を知り、骨鎖等を観じて無常等の相を覚し、漸次に無想滅定に入るを凡夫所行の禅と名づけ、既に法無我の理を知り、其の義に随順して観察するを観察義禅と名づけ、人法二無我を分別せず、如実に念の不起を覚するを攀縁真如禅と名づけ、如来地に住して聖智三種の楽を証し、利益衆生の為に不思議の業用を示現するを如来禅と名づけたるなり。又「注維摩詰経巻9」には羅什の説を挙げ、禅に大乗禅、小乗禅、外道禅の三種ありとし、智顗の「釈禅波羅蜜次第法門巻1上」、「法華経玄義巻4上」、「法界次第初門巻上之下」等には、世間禅、出世間禅、出世間上上禅の三種を分別し、宗密の「禅源諸詮集都序巻上之一」には又外道禅、凡夫禅、小乗禅、大乗禅、最上上禅の五類の異ありとなせり。五類とは即ち彼の集に、「禅には則ち浅あり深あり、階級殊等なり。謂わく異計を帯し、欣上厭下して修するは是れ外道禅なり。正しく因果を信じ、又欣厭を以って修するは是れ凡夫禅なり。我空偏真の理を悟りて修するは是れ小乗禅なり。我法二空所顕の真理を悟りて修するは是れ大乗禅なり。若し自心は本来清浄にして元と煩悩なく、無漏の智性本と自ら具足し、此の心即ち仏にして畢竟じて異なしと頓悟し、此れに依りて修するは此れ最上上禅なり。亦た如来清浄禅と名づけ、亦た一行三昧と名づけ、亦た真如三昧と名づく。此れは是れ一切の三昧の根本なり。若し能く念念に修習せば、自然に漸く百千の三昧を得ん。達磨門下に展転相伝するもの是れ此の禅なり」と云える是れなり。此の中、外道、凡夫及び小乗の三禅は前の楞伽の愚夫所行の禅に当たり、大乗禅は彼の観察義禅、及び攀縁真如禅に当たり、最上上禅は即ち彼の如来禅に相当するが如し。就中、達磨門下所伝の禅とは、即ち摩訶迦葉以来二十八祖展転相承して菩提達磨に至り、始めて之を支那に伝えたりと称するものにして、其の法は唯心を以って心に伝うべきものとなし、文字語言を離れて驀直に自己の真面目を看取し、以って欣悟成仏すべしとなすに在り。是れ元と楞伽経の謂わゆる如来禅及び真如禅の説に基づけるものなるが如きも、別に又其の機用の頗る発揮せられたるものあり。故に後世には如来禅の名が教内に濫ずるを忌み、祖祖単伝の意にて之を祖師禅と呼び、全く他の諸禅に甄別せんとするに至れり。但し此の一派に於いても夙に南北両宗の別を生じ、漸頓其の証を殊にすと説くと雖も、概して唯坐禅捧喝を事とし、余の諸善万行を修するを斥けて有相となし、廃して之を顧みざりしにより、其の反動として亦た理事双修禅浄合行の思潮を生ぜり。延寿の「万善同帰集巻2」に慧日の説を挙げ、「慈愍三蔵云わく、聖教所説の禅定は心を一処に制して念念相続し、昏掉を離れて平等に心を持す。若し睡眠覆障せば即ち須らく策勤して念仏誦経礼拝行道し、経を講じ法を説きて衆生を教化し、万行廃することなく、修する所の行業は回向して西方浄土に往生すべし。若し能く是の如く禅定を修習せば、是れ仏禅定にして聖教と合し、是れ修定の眼目にして諸仏印可す。一切の仏法は等しくして差別なく、皆一如に成じて最正覚を成ず」と云い、又法照の「浄土五会念仏略法事儀讃序」に、念仏三昧を以って真の無上深妙の禅門なりとし、其の下に、「今の学者は紫金の容を都て撥して有相と為し、髻珠の教を懸に指して文字と為し、無色を語りて則ち真色を捨て、無声を論じて乃ち梵声を厭う。生を無為と号し、行を失道と称し、即ち邪道に顛墜す。良に悲しむべし」と云い、袾宏の「往生集巻下」に天如惟則の言を引き「禅と浄土と理一なりと雖も、而も功並べ施すべからず。今日兼修とは何ん。蓋し兼の義に二あり、足に両船を躡むの兼ならば則ち誠に不可と為すも、円通無礙の兼は何の不可か之あらん。況んや禅の外に浄土なく、則ち即土即心にして原と二物に非ず。安んぞ更に之を兼と謂わんや」と云える皆其の説なり。宗密の「禅源諸詮集都序巻上之二」には当時に於ける禅の諸派に総じて三宗ありと為せり。即ち一二息妄修心宗、二に泯絶無寄宗、三に直顕心性宗なり。息妄修心宗とは、南侁、北秀、保唐、宣什等の門下、並に牛頭、天台、恵稠、求那等の唱道に係る禅を称したるものにして、即ち凡聖功用同じからず、外境内心各分限ありとし、境に背き心を観じて妄念を息滅し、念尽くれば即ち覚悟して知らざる所なしと説くを云い、泯絶無寄宗とは、石頭牛頭下より径山に至る一派の主張を指せるものにして、即ち凡聖等の法は皆夢幻の如くにして都て所有なく、無に達するの智も亦た不可得なりとし、凡そ所作あるは皆是れ迷妄にして本来無事なりと了達し、心に所寄なければ方に顛倒を免るべしと説くを云い、直顕心性宗とは、一切諸法若しは有、若しは空皆唯真性なりとし、即ち相を会して性に帰せしむる一派の説を称したるものにして、之に亦た二類あり、一には語言動作貪瞋慈忍善悪苦楽等は皆即ち仏性にして、此の外に別仏あることなしとし、此の天真自然を了し、道即ち是れ心なれば心を将って還って心を修すべからず、悪亦た是れ心なれば心を将って還って心を断ずべからず。不断不修にして任運自在なるを解脱と名づくと説くを云い、二には妄念本と寂、塵境本と空なり、此の空寂の心即ち霊知不昧なるを我が真性となし、知の一字即ち衆妙の門なり説き、此の空寂の知を頓悟し、其の衆念無形を知り、備に万行を修すと雖も無念を以って宗となさば、則ち罪業自然に断除して功用自然に増進すとなすを云うなり。此の中、息妄修心は即ち北宗禅を指し、泯絶無寄及び直顕心性第一類は、南宗禅中に就き更に其の別あることを示したるものの如く、第二類は即ち宗密の已証を挙げたるものにして、恐らく華厳及び円覚の要旨に基づけるものなるべし。兎に角之に依りて禅家の間に亦た多種の主張ありしを知るなり。又「道行般若経巻2」、「六度集経巻7」、「月灯三昧経巻6」、「旧華厳経巻38」、「瑜伽師地論巻12、63」、「倶舎論巻28」、「同光記巻6、28」、「六門教授習定論」、「成唯識論巻9」、「同述記巻10本」、「仏地経論巻4」、「坐禅三昧経」、「禅法要解」、「思惟略要法」、「禅要経」、「出三蔵記集巻5」、「安楽集巻下」、「摩訶止観巻9上、9下、10上」等に出づ。<(望)
【論】問曰。菩薩法以度一切眾生為事。何以故。閑坐林澤靜默山間。獨善其身棄捨眾生。 問うて曰く、菩薩の法は、一切の衆生を度するを以って、事と為す。何を以っての故にか、林沢に閑坐し、山間に静黙して、独り其の身を善くして、衆生を棄捨する。
問い、
『菩薩の法』は、
一切の、
『衆生』を、
『済度する!』ことが、
『仕事である!』。
何故、
『林沢』に、
『閑坐したり!』、
『山間』に、
『静黙したり!』、
ただ、
『自ら!』の、
『身のみ!』を、
『善くして!』、
『衆生』を、
『捨てて!』、
『顧みないのですか?』。
答曰。菩薩身雖遠離眾生心常不捨。靜處求定得實智慧以度一切。譬如服藥將身權息家務。氣力平健則修業如故。 答えて曰く、菩薩の身は、衆生を遠離すと雖も、心は常に捨てず。静処に定を求むるは、実の智慧を得て、以って一切を度せんとすればなり。譬えば薬を服み、身を将(やしな)いて権(しばら)く家務を息(やす)みて、気力平健なれば、則ち業を修すること故(もと)の如くなるが如し。
答え、
『菩薩』の、
『身』は、
『衆生』を、
『遠離していても!』、
『心』は、
『常に!』、
『捨てることがない!』。
『菩薩』が、
『静処』に、
『定(禅定)』を、
『求める!』のは、
実の、
『智慧』を、
『得て!』、
一切の、
『衆生』を、
『済度しよう!』と、
『思うからである!』。
譬えば、
『薬』を、
『服んで!』、
『身』を、
『保養するように!』、
暫く、
『家務』を、
『休んで!』、
『気力』が、
『回復し!』、
『健康になれば!』、
故(もと)のように、
『家業』を、
『修めることになる!』のと、
『同じことである!』。
  (しょう):やしなう。保養。
  (ごん):しばらく。暫且。
  (そく):やすむ。休息。
菩薩宴寂亦復如是。以禪定力故服智慧藥。得神通力還在眾生。或作父母妻子。或作師徒宗長。或天或人下至畜生。種種語言方便開導。 菩薩の宴寂も、亦復た是の如く、禅定の力を以っての故に、智慧の薬を服んで、神通力を得、還りて衆生に在りて、或は父母、妻子と作り、或は師、徒、宗長と作りて、、或は天、或は人、下は畜生に至るまで、種種の語言、方便もて、開導す。
『菩薩』の、
『宴寂(入禅)』も、
亦た、
是のように、
『禅定』の、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『智慧の薬』を、
『服んで!』、
『神通力』を、
『得!』、
『衆生』中に、
『還って!』、
或は、
『父母』や、
『妻子』と、
『作り!』、
或は、
『師』や、
『弟子』や、
『宗長(一族の長)』と、
『作って!』、
或は、
『天』や、
『人、乃至畜生』を、
種種の、
『語言』や、
『方便』を、
『用いて!』、
『教導するのである!』。
  宴寂(えんじゃく):寂を宴(たのし)む。梵語涅槃 nirvaaNa の新訳、寂滅/穏やかな消滅( serene extinction )の義、入寂して[消滅/死に入って]、穏やかな休養の状態にあること、譬えば悟りを開いた聖者のように( To enter into extinction (death) in a state of calm repose, as do enlightened saints, )、迷妄の火の吹き消された状態として解釈される( interpreted as the condition where the flames of delusion have been blown out )。又円寂と称す、一切智徳を円満し、一切の惑業を寂滅する意。但だ、此に於いては、涅槃よりは、寧ろ、禅( dhyaana )、即ち瞑想/思考/内省、特に深遠にして抽象的な宗教的瞑想( meditation, thought, reflection, (esp.) profound and abstract religious meditation )の状態に在ることを意味する、入禅( dhyaana- praviSTa )を宴寂と訳して、閑寂の地に於いて禅を楽しむの意を取りたるものの如く見ることもできよう。
  開導(かいどう):導く( to guide )、梵語 netRkatva, saMprakaazayati, avakaaza- daana 等の訳、導く/教える/教育する( To lead; to teach, educate )の意。開示し教導する。
復次菩薩行布施持戒忍辱是三事。名為福德門。於無量世中。作天王釋提桓因轉輪聖王閻浮提王。常施眾生七寶衣服。五情所欲今世後世皆令具足。 復た次ぎに、菩薩は、布施、持戒、忍辱を行ずるに、是の三事を、名づけて福徳の門と為し、無量世中に於いて、天王、釈提桓因、転輪聖王、閻浮提王と作りて、常に衆生に、七宝、衣服を施し、五情の欲する所を、今世、後世に皆、具足せしむ。
復た次ぎに、
『菩薩』の、
『行う!』、
『布施』や、
『持戒』や、
『忍辱』であるが、
是の、
『三事』が、
『福徳の門』と、
『呼ばれる!』のは、
『無量世』中に於いて、
『天王』や、
『釈提桓因』や、
『転輪聖王』や、
『閻浮提王』に、
『作り!』、
常に、
『衆生』に、
『七宝』や、
『衣服』を、
『施し!』、
『五情』の、
『欲する!』所を、
『施して!』、
『今世』にも、
『後世』にも、
皆、
『具足させるからである!』。
如經中說。轉輪聖王以十善教民。後世皆生天上。世世利益眾生令得快樂。 経中に説くが如し、『転輪聖王は、十善を以って民に教しえて、後世に皆、天上に生ぜしめ、世世に衆生を利益して、快楽を得しむ』、と。
例えば、
『経』中には、こう説かれている、――
『転輪聖王』は、
『十善』を、
『民』に、
『教えて!』、
『後世』には、
皆を、
『天上』に、
『生まれさせ!』、
『世世』に、
『衆生』を、
『利益して!』、
『快楽』を、
『得させる!』、と。
  参考:『過去現在因果経巻1』:『爾時普光如來。復經少時。入般涅槃。善慧比丘。護持正法。滿二萬歲。以三乘法。教化眾生。所利益者。不可稱計。爾時善慧比丘。於彼命終。即便上生。為四天王。以三乘法。化諸天眾。盡彼天壽。下生人間。為轉輪聖王。王四天下。七寶具足。一金輪寶。二白象寶。三紺馬寶。四神珠寶。五玉女寶。六主藏臣寶。七主兵臣寶。千子具足。皆悉勇健。能伏怨敵。以正法治。無諸憂惱。常以十善。化諸人民。於此壽終。生忉利天。為彼天主。壽終下生。為轉輪聖王。終其壽命。乃至生於第七梵天。上為天王。下為聖主。各三十六反。其間或為仙人。或為外道六師。或為婆羅門。或為小王。如是變現。不可稱數』
此樂無常還復受苦。菩薩因此發大悲心。欲以常樂涅槃利益眾生。此常樂涅槃。從實智慧生實智慧從一心禪定生。譬如然燈。燈雖能照在大風中不能為用。若置之密宇其用乃全。 此の楽は、無常なれば、還って復た苦を受く。菩薩は、此に因りて、大悲心を発し、常楽の涅槃を以って、衆生を利益せんと欲す。此の常楽の涅槃は、実の智慧より生じ、実の智慧は、一心と禅定より生ずること、譬えば然灯の、灯は能く照らすと雖も、大風中に在らば、用を為す能わず、若し、之を密宇に置けば、其の用を乃ち全うするが如し。
此の、
『楽』は、
『無常であり!』、
還って、
復た、
『苦』を、
『受けることになる!』ので、
『菩薩』は、
此れに、
『因って!』、
『大悲心』を、
『発し!』、
『常楽』の、
『涅槃』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『利益しよう!』と、
『思う!』が、
此の、
『常楽』の、
『涅槃』は、
『実の!』、
『智慧』より、
『生じて!』、
『実の智慧』は、
『一心、禅定』より、
『生じる!』。
譬えば、
『灯』が、
『然えていた!』として、
『灯』は、
『照らすことができる!』が、
『大風』中には、
『用(働き)』を、
『為さない!』が、
『密屋』中ならば、
『用』を、
『全うするようなものである!』。
  密宇(みつう):密屋。
散心中智慧亦如是。若無禪定靜室。雖有智慧其用不全。得禪定則實智慧生。以是故菩薩雖離眾生遠在靜處求得禪定。以禪定清淨故智慧亦淨。譬如油炷淨故其明亦淨。以是故欲得淨智慧者。行此禪定。 散心中の智慧も亦た是の如く、若し禅定の静室無ければ、智慧有りと雖も、其の用を全うせず。禅定を得れば則ち、実の智慧生ず。是を以っての故に、菩薩は、衆生を離れて、遠く静処に在りと雖も、禅定を求めて得れば、禅定の清浄なるを以っての故に、智慧も亦た浄なり。譬えば油と炷と浄なるが故に、其の明も亦た浄なるが如し。是を以っての故に、浄なる智慧を得んと求むる者は、此の禅定を行ずるなり。
『散心』中の、
『智慧』も、
亦た、
是のように、
若し、
『禅定』という、
『静室』が、
『無ければ!』、
『智慧』が、
『有ったとしても!』、
其の、
『用』を、
『全うせず!』、
『禅定』という、
『静室』を、
『得れば!』、
則ち、
『実の智慧』を、
『生じるのである!』。
是の故に、
『菩薩』は、
『衆生』を、
『離れて!』、
遠く、
『静処』に、
『在ったとしても!』、
求めて、
『禅定』を、
『得ることができれば!』、
『禅定』には、
『自、他』の、
『分別』が、
『無くて!』、
『清浄である!』が故に、
『智慧』も、
亦た、
『清浄になる!』、
譬えば、
『油』や、
『炷』が、
『浄い!』が故に、
其の、
『明』も、
『浄いからである!』。
是の故に、
『清浄な!』、
『智慧』を、
『得よう!』と、
『思う!』者は、
此の、
『禅定』を、
『行うのである!』。
復次若求世間近事。不能專心則事業不成。何況甚深佛道而不用禪定。 復た次ぎに、若し世間の近事を求むるに、専心する能わざれば、則ち事業成ぜず。何に況んや、甚深なる仏道にして、禅定を用いざるをや。
復た次ぎに、
若し、
『世間』の、
『近事(俗事)』を、
『求めても!』、
『専心することができなければ!』、
則ち、
『事業』を、
『成功させられない!』。
況して、
甚だ深い、
『仏道』が、
『禅定』を、
『用いずに!』、
『得られるはずがない!』。
  近事(こんじ):卑近( intimate )にして理解し易き( easy to understand )事。
禪定名攝諸亂心。亂心輕飄甚於鴻毛。馳散不停駛過疾風。不可制止劇於獼猴。暫現轉滅甚於掣電。心相如是不可禁止。若欲制之非禪不定。 禅定を、諸の乱心を摂すと名づく。乱心の軽飄なること、鴻毛よりも甚だしく、馳散して停まらず、駛(はや)きこと疾風に過ぎ、制止すべからざること、獼猴より劇しく、暫く現れて転(うた)た滅すること、掣電よりも甚だし。心相は、是の如く禁止すべからず。若し之を制せんと欲せば、禅に非ざれば、定まらず。
『禅定』とは、
諸の、
『乱心』を、
『摂する( hold )ことである!』。
『乱心』は、
『軽飄すれば(翻えれば)!』、
『鴻毛』よりも、
『甚だしく!』、
『馳(はし)れば!』、
『散らばって!』、
『停まらず!』、
『駛(はし)れば!』、
『疾風』に、
『過ぎ!』、
『制止できない!』のは、
『獼猴(さる)』よりも、
『劇しく!』、
『暫く!』、
『現れて!』、
『滅する!』のは、
『掣電(電光)』よりも、
『甚だしく!』、
『転じる!』が、
『心の相』の、
是のような、
『事』は、
『制止できない!』、
若し、
此の、
『心』を、
『制止しよう!』と、
『思っても!』、
『心』は、
『禅でなければ!』、
『定まらないのである!』。
  (しょう):おさめる。引く/執持する/捕える/助ける/集中する/扱う( drag/attract, hold, arrest, help/assist, converge, treat )。
  軽飄(きょうひょう):軽くひるがえるさま。
  鴻毛(こうもう):白鳥の羽毛。
  馳散(ちさん):馳せちる。
  獼猴(みこう):猿のたぐい。
  掣電(せいでん):電光を引く。速くして引き留められざるの喩。
  禁止(ごんし):制止。
  無余(むよ):無余涅槃。完全なる涅槃の意。
如偈說
 禪為守智藏  功德之福田 
 禪為清淨水  能洗諸欲塵 
 禪為金剛鎧  能遮煩惱箭 
 雖未得無餘  涅槃分已得 
 得金剛三昧  摧碎結使山 
 得六神通力  能度無量人 
 囂塵蔽天日  大雨能淹之 
 覺觀風散心  禪定能滅之
偈に説くが如し、
禅を智の蔵を守る、功徳の福田と為し、
禅を能く諸欲の塵を洗う、清浄の水と為す。
禅を能く煩悩の箭を遮る、金剛の鎧と為せば、
未だ無余涅槃を得ずと雖も、分は已に得たり。
金剛三昧を得て、結使の山を摧砕し、
六神通の力を得て、能く無量の人を度す。
囂塵天日を蔽うも、大雨は能く之を淹(した)す、
覚観の風心を散らすも、禅定は能く之を滅す。
譬えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
『禅』は、
『智慧』の、
『蔵を守る!』、
『功徳の福田である!』。
『禅』は、
『諸欲』の、
『塵を洗う!』、
『清浄な水である!』。
『禅』は、
『煩悩』の、
『箭を遮る!』、
『金剛の鎧である!』。
『禅』を、
『得れば!』、
未だ、
『無余涅槃』を、
『得なくても!』、
『無余涅槃』の、
『分』は、
『得たことになる!』。
『禅』という、
『金剛三昧を得れば!』、
『結使』の、
『山』を、
『打ち砕き!』、
『六神通』の、
『力』を、
『得て!』、
『無量』の、
『人』を、
『済度することができる!』。
『街巷』の、
『塵』が、
『天日』を、
『蔽うほどだとしても!』、
『大雨』は、
『塵』を、
『洗い流すことができる!』。
『覚、観』の、
『風』が、
『心』を、
『散らしたとしても!』、
『禅定』は、
『覚、観の風』を、
『滅することができる!』。
  摧砕(ざいさい):打ち砕く。
  囂塵(ごうじん):騒がしく埃っぽい。巷塵。
  (えん):ひたす。水浸しにする( flood, submerge )。
  覚観(かくかん):感覚と観察。
復次禪定難得。行者一心專求不廢乃當得之。諸天及神仙猶尚不能得。何況凡夫懈怠心者。 復た次ぎに、禅定は得難し。行者は一心に専求して廃せざれば、乃ち当に之を得べし。諸天、及び神仙すら猶尚お得る能わず。何に況んや、凡夫の懈怠心の者をや。
復た次ぎに、
『禅定』は、
『得る!』のが、
『難しい!』。
『行者』が、
若し、
『一心』に、
専ら、
『求め続けて!』、
『止めなければ!』、
なんとか、
『禅定』を、
『得られるだろう!』。
諸の、
『天』や、
『神仙』すら、
猶お、
『禅定』は、
『得られない!』。
況して、
『凡夫』の、
『懈怠心の者』に、
『得られるはずがない!』。
如佛在尼拘盧樹下坐禪。魔王三女。說偈問言
 獨坐林樹間  六根常寂默 
 有若失重寶  無援愁苦毒 
 容顏世無比  而常閉目坐 
 我等心有疑  何求而在此
仏の尼倶盧樹下に在りて、坐禅したもうが如し。魔王の三女の偈を説きて問うて言わく、
独り林樹の間に坐し、六根常に寂黙したもう、
重宝を失うが若き有りて、愁えの苦毒を援くる無けん。
容顔は世に無比なるも、而も常に閉目して坐したまえば、
我等の心に疑有り、何をか求めて此に在(いま)せる。
例えば、
『仏』が、
『尼倶盧樹の下』で、
『坐禅されている!』と、
『魔王』の、
『三女』が、
『偈』を、
『説きながら!』、
『問うて!』、こう言った、――
独り、
『林樹の間』に、
『坐り!』、
『六根』を、
『常に!』、
『寂黙していれば!』、
有るいは、
『珍重すべき!』、
『宝』を、
『失い!』、
『愁の苦毒(痛毒)』を、
『助ける!』者も、
『無くなるだろう!』。
常に、
『目』を、
『閉ざして!』、
『坐っているのに!』、
『容顔(かんばせ)』は、
『世に!』、
『比(たぐい)が無いほどです!』。
わたし達の、
『心』には、
『疑(うたがい!)』が、
『有ります!』、
何を、
『求めて!』、
『此(ここ)にいるのですか?』、と。
  寂黙(じゃくもく):黙って静かなるさま。
  苦毒(くどく):酷い苦しみ。
  容顔(ようげん):顔かたち。
  尼拘盧(にくろ):梵語。印度の樹木の名。『大智度論巻8(上)注:尼拘律樹』参照。
爾時世尊。以偈答曰
 我得涅槃味  不樂處染愛 
 內外賊已除  汝父亦滅退 
 我得甘露味  安樂坐林間 
 恩愛之眾生  為之起慈心
爾の時の世尊の偈を以って答えて曰く、
我れ涅槃の味を得れば、染愛に処するを楽しまず、
内外の賊は已に除こり、汝が父も亦た滅退せり。
我れ甘露の味を得れば、安楽にして林間に坐す、
恩愛の衆生あれば、之が為に慈心を起せり。
爾の時、
『世尊』は、
『偈』で答えて、こう言われた、――
わたしは、
『涅槃』の、
『味』を、
『得たので!』、
『染愛』に、
『処する!』ことを、
『楽しまない!』。
『内外』の、
『賊』は、
已に、
『除かれ!』、
お前の、
『父』も、
『姿を消して!』、
『退いた!』。
わたしは、
『甘露』の、
『味』を、
『得て!』、
『安楽』に、
『林間』に、
『坐っている!』が、
『恩愛』に、
『苦しむ!』、
『衆生の為に!』、
『慈悲』の、
『心』を、
『起した!』、と。
  染愛(せんあい):汚染された愛( defiled love )、梵語 saamiSa の訳、肉を供する( provided with meat )の義。梵語 raaga の訳、何等かの感覚、又は情熱/特に恋情/愛情、又は同情/熱烈な欲望( any feeling or passion, (especially) love, affection or sympathy for, vehement desire of )の義。切望すること( craving )、汚染された愛著/世俗の愛著( defiled attachment, worldly attachments )の意。
  恩愛(おんあい):愛情( affection )、梵語 priya の訳、愛/親切( love, kindness/favour )の義、梵語 tRSNA の訳、欲求/渇望( desire, avidity )の義、特に両親/配偶者/子供に対していだく類の愛情( Especially the kind of affection that a person has for parents, spouse, children, etc. )を言う。
是時三女。心生慚愧而自說言。此人離欲不可動也。即滅去不現。 是の時、三女は、心に慚愧を生じて、自ら説いて言わく、『此の人は、欲を離れて、動かすべからざるなり』、と。即ち滅し去りて現れず。
是の時、
『三女』は、
『心』に、
『慚愧』を、
『生じる!』と、
自ら、
『説明して!』、こう言った、――
此の、
『人』は、
『欲』を、
『離れている!』ので、
『動かせない!』、と。
そして、
『姿』を、
『消して!』、
『去り!』、
『三女』は、
『見えなくなった!』。



五欲を呵る

問曰。行何方便得禪波羅蜜。 問うて曰く、何なる方便を行じてか、禅波羅蜜を得る。
問い、
何のような、
『方便』を、
『行って!』、
『禅波羅蜜』を、
『得るのですか?』。
答曰。卻五事(五塵)除五法(五蓋)行五行。 答えて曰く、五事を却(しりぞ)け、五法を除き、五行を行う。
答え、
『五事(色、声、香、味、触=五塵)』を、
『拒絶し!』、
『五法(貪欲、瞋恚、随眠、掉悔、疑法=五蓋)』を、
『除去して!』、
『五行(欲、精進、念、巧慧、一心)』を、
『行う!』。
  (きゃく):しりぞける。除去する/避ける/拒絶する( get rid of, avoid, refuse )。
  五蓋(ごがい):心性を蓋覆して善法を生じさせない貪等の煩悩。即ち貪欲、瞋恚、睡眠、掉悔、疑法をいう。一に貪欲蓋とは、五欲の境に執著し、以って心性を蓋する者を云い、二に瞋恚蓋とは、違情の境に於いて忿怒を懐き、以って心性を蓋する者を云い、三に睡眠蓋とは、心昏身重にして、其の用を為さず、以って心性を蓋する者を云い、四に掉悔蓋とは、心の躁動は之を掉と謂い、所作の事に於いて心に憂悩する、之を悔と謂い、以って心性を蓋する者を云い、五に疑法とは、法に於いて猶豫して、決断無く、以って心性を蓋する者を云う。「法界次第上之上」に、「通じて蓋と名づくる者は、蓋は覆蓋を以って義と為し、能く行者の清浄心の善なるを覆蓋して、開発することを得ざれば、故に名づけて蓋と為す」と曰い、又「大智度論巻17」、「大乗義章巻5本」、「三蔵法数巻24」に詳し。<(丁)、又『大智度論巻31(下)注:五蓋』参照。
  五行(ごぎょう):欲、精進、念、巧慧、一心。
  参考:『阿毘曇甘露味論巻下』:『禪定品第十二 得禪定一心心不分散智慧清淨。譬如油燈離風處明清淨。云何禪定。八禪定四禪四無色定。四禪初禪二三四禪。是諸禪定三禪味淨。無漏愛相應是謂有味。善有漏禪是謂淨。無煩惱是謂無漏。有頂中二種定。有味及淨。無無漏定善法。空閑靜處坐若立若臥若行若步定意智巧心中軟信。如是心應入禪定。禪相應欲精進念慧一心。是諸善法。趣初禪定。離欲離惡不善法。有覺有觀離欲生得喜樂。是謂初禪。染著外入是謂貪欲。瞋恚睡眠調戲疑。此諸蓋是謂惡不善法。是二內外惡法斷是謂離。心迴轉緣是謂覺。心受行思惟是謂觀。惡不善法斷。力得禪是謂離欲。心生悅是謂喜。身心安隱是謂樂。心繫緣中是謂一心。是初禪五支。婬欲大苦罪不樂離力安隱出。如是思惟欲等。諸善法心中生。是謂得初禪道。』
云何卻五事當呵責五欲。哀哉眾生常為五欲所惱而猶求之不已。此五欲者得之轉劇。如火炙疥。五欲無益如狗咬骨。五欲增諍如鳥競肉。五欲燒人如逆風執炬。五欲害人如踐惡蛇。五欲無實如夢所得。五欲不久如假借須臾。 云何が、五事を却(しりぞ)くる。当に五欲を呵責すべし。哀しきかな、衆生は常に五欲に悩ませられ、而も猶お之を求めて已(や)まず。此の五欲は、之を得れば転(うた)た劇しきこと、火に疥(はたけ)を炙るが如く、五欲の無益なること、狗の骨を咬(か)むが如く、五欲の諍を増すこと、鳥の肉を競うが如く、五欲の人を焼くこと、逆風に炬(たいまつ)を執(と)るが如く、五欲の人を害すること、悪蛇を践むが如く、五欲に実無きこと、夢の所得の如く、五欲の久しからざること、仮借の須臾なるが如し。
何故、
『五事』を、
『拒絶するのか?』、――
『五欲』を、
『呵(しか)らなくてはならない!』のは、
『当然である!』。
哀しいかな!
『衆生』は、
常に、
『五欲』に、
『悩まされながら!』、
猶お、
『五欲』を、
『求めて!』、
『止まることがない!』。
此の、
『五欲』とは、――
譬えば、
『疥癬』を、
『火』に、
『炙るように!』、
『五欲』を、
『得れば得るほど!』、
『どんどん劇しくなる!』。
譬えば、
『狗(いぬ)』が、
『骨』を、
『咬()むように!』、
『五欲』には、
『益』が、
『無い!』。
譬えば、
『鳥』が、
『肉』を、
『競いあうように!』、
『五欲』は、
『諍(いさかい)』を、
『増す!』。
譬えば、
『炬(たいまつ)』を、
『風に逆らって』に、
『手に持つように!』、
『五欲』は、
『人』を、
『焼く!』。
譬えば、
『悪蛇(毒蛇)』を、
『足』で、
『践みつけたように!』、
『五欲』は、
『人』を、
『害する!』。
譬えば、
『夢』に、
『所得』が、
『無いように!』、
『五欲』には、
『実』が、
『無い!』。
譬えば、
『暫時!』、
『物』を、
『借用するように!』、
『五欲』の、
『楽』は、
『久しくない!』。
  (か):しかる/小言を言う( scold )。笑い声( laughing sound )。
  仮借(かしゃく):借用。
  須臾(しゅゆ):暫時。
世人愚惑貪著五欲至死不捨。為之後世受無量苦。譬如愚人貪著好果。上樹食之不肯時下。人伐其樹樹傾乃墮身首毀壞痛惱而死。 世人は愚惑にして、五欲を貪著し、死に至るまで捨てずして、之が為に後世に無量の苦を受く。譬えば愚人の好果に貪著して、樹に上りて之を食い、時に下るを肯(うべな)わず。人、其の樹を伐りて、樹傾きて乃ち墮ち、身首と毀壊して、痛みに悩んで死ぬるが如し。
『世人』は、
『愚にも!』、
『五欲』に、
『惑わされて!』、
『貪著し!』、
『五欲』を、
『死ぬまで!』、
『捨てない!』ので、
『五欲』の為に、
『後世』に、
『無量の苦』を、
『受けるのである!』。
譬えば、
『愚人』が、
『好もしい!』、
『果(このみ)』に、
『貪著し!』、
『樹上』に、
『上って!』、
『食っていた!』が、
『時』が、
『至っても!』、
『下りようとせず!』、
『人』が、
其の、
『樹』を、
『伐りたおし!』、
『樹』が、
『傾いてから!』、
『ようやく!』、
『地』に、
『墮ちて!』、
『身』も、
『首』も、
『壊れて!』、
『傷つき!』、
『痛み!』に、
『悩みながら!』、
『死んでしまう!』のと、
『同じである!』。
又此五欲得時須臾。樂失時為大苦。如蜜塗刀舐者。貪甜不知傷舌。 又此の五欲は、得る時は須臾にして、楽の失われる時、大苦と為ること、蜜を刀に塗りて舐むる者の、甜(あま)きを貪りて、舌を傷つくるを知らざるが如し。
又、
此の、
『五欲』は、
『得る(味わう)!』、
『時間』は、
『暫くであっても!』、
『楽』の、
『失われる!』時には、
『大苦となる!』。
譬えば、
『蜜』を、
『塗った!』、
『刀』を、
『舐める!』者が、
『甘さ!』を、
『貪りながら!』、
『舌』を、
『傷つけている!』のを、
『知らないようなものである!』。
五欲法者與畜生共。有智者識之能自遠離。 五欲の法は、畜生と共にして、有智の者は、之を識りて、能く自らを遠離す。
『五欲』という、
『法(もの)』は、
『畜生』と、
『共通である!』と、
『智慧』の、
『有る!』者は、
『識っているので!』、
自らを、
『五欲』から、
『遠ざけることができる!』。
如說。有一優婆塞。與眾估客遠出治生。是時寒雪夜行失伴。在一石窟中住。 説の如し、有る一優婆塞、衆(あまた)の估客と遠く出でて、治生す。是の時、寒雪に夜行して伴を失い、一石窟中に在りて住す。
例えば、
こう説かれている、――
有る、
『一優婆塞』は、
『多くの!』、
『估客(商人)』と、
『遠くに!』、
『出むいて!』、
『生計を立てていた!』。
是の時、
『寒雪』中を、
『夜行して!』、
『仲間』を、
『見失った!』ので、
『一石窟』中に、
『住まって!』、
『宿とした!』。
  估客(こきゃく):商人。
  治生(じしょう):生計を立てる。自営生計。
  寒雪(かんせつ):冷たい冬の雪。
時山神變為一女。來欲試之。說此偈言
 白雪覆山地  鳥獸皆隱藏 
 我獨無所恃  惟願見愍傷
時に山神変じて一女と為り、来たりて之を試さんと欲し、此の偈を説いて言わく、
白雪の山地を覆えば、鳥獣は皆隠蔵するも、
我れ独り恃む所無し、惟だ願わくは愍傷せられんことを。
爾の時、
『山神』は、
『身』を、
『一女』に、
『変じる!』と、
来て、
『優婆塞』を、
『試そうとし!』、
此の、
『偈』を説いて、こう言った、――
『山』も、
『地』も、
『白雪』に、
『覆われ!』、
『鳥』も、
『獣』も、
皆、
『隠れてしまいました!』。
わたしだけが、
独り、
『恃(たの)むべき!』、
『宿』が、
『有りません!』。
惟()だ、
『願わくは!』、
『愍傷(あわれみ!)』を、
『見せられんことを!』、と。
  隠蔵(おんぞう):隠匿。覆い隠す。
  愍傷(みんしょう):憐れんで心をいためる。
優婆塞兩手掩耳。而答偈言
 無羞弊惡人  說此不淨言 
 水漂火燒去  不欲聞汝聲 
 有婦心不欲  何況造邪婬 
 諸欲樂甚淺  大苦患甚深 
 諸欲得無厭  失之為大苦 
 未得願欲得  得之為所惱 
 諸欲樂甚少  憂苦毒甚多 
 為之失身命  如蛾赴燈火
優婆塞の両手に耳を掩(おお)いて、偈に答えて言わく、
無羞の弊悪人は、此の不浄の言を説く、
水漂わせ火焼き去るとも、汝が声を聞くを欲せず。
婦有れば心に欲せず、何に況んや邪婬に造るをや、
諸欲の楽は甚だ浅くとも、大苦の患は甚だ深し。
諸欲を得るも厭くこと無く、之を失えば大苦と為す、
未だ得ざれば願うて得んと欲し、之を得れば悩さる。
諸欲の楽は甚だ少なく、憂いの苦毒は甚だ多し、
之が為に身命を失うこと、蛾の灯火に赴くが如し。
『優婆塞』は、
『両手』で、
『耳』を、
『掩(おお)う!』と、
『偈』に答えて、こう言った、――
『低劣邪悪な!』、
『人』が、
『羞恥する!』ことも、
『無く!』、
此の、
『不浄の言』を、
『説いた!』が、
わたしは、
『水、火』の、
『災い!』に、
『遭おうとも!』、
お前の、
『声』を、
『聞きたくはない!』。
わたしには、
『妻』が、
『有るので!』、
お前を、
『欲しい!』とは、
『思わない!』。
況して、
『邪婬』を、
『遂げたいものか?』。
諸の、
『欲』の、
『楽しみ!』は、
『甚だ浅く!』、
『大苦』の、
『災患』は、
『甚だ深い!』。
諸の、
『欲』は、
『得て!』も、
『飽きる!』こと、
『無く!』、
『失えば!』、
『大いに!』、
『苦しめられる!』し、
未だ、
『得ていなければ!』、
『得たい!』と、
『願い!』、
『得てしまえば!』、
『悩まされる!』。
諸の、
『欲』の、
『楽』は、
『甚だ少なく!』、
『憂い!』の、
『苦毒』は、
『甚だ多い!』が、
『欲』の為に、
『身』や、
『命』を、
『失う!』のは、
譬えば、
『蛾』が、
『灯火』に、
『飛び込むようなものだ!』、と。
  無羞(むしゅう):無恥。恥知らず。
  弊悪(へいあく):低劣邪悪。
  (こ):さる、往く/離れる( go away, leave )、除去する( remove, wipe off )、距てる( be apart from, be at a distance of )、往く[来るの対]( go )、失う( lose )、棄捨する( throw away )、死亡する( die )、故国を捨てる/逃亡する( go into exile, flee from home )、助辞。動詞の下に在る時は、動作の起動/継続を表す( used after a verb or a V—O construction to indicate that an action is to take place or continue )。
  (ぞう):いたる、目的地に到る( arrive, go to )、目的を達する( achieve, attain )。つくる、製造/製作/創造する( make, build, create )、建立する( set up )。
  (げん):わずらう、うれう、心配する( worry about )。わずらい、災難( disaster )。
  (ふ):往く/到達する( go to, attend )、跳び込む( jump into )。
山神聞此偈已。即擎此人送至伴中。是為智者呵欲不可。著五欲者。名為妙色聲香味觸。欲求禪定皆應棄之。 山神は、此の偈を聞き已りて、即ち此の人を擎(かか)げ、送りて伴中に至る。是れを智者欲の著すべからざるを呵すと為す。五欲とは、名づけて、妙なる色、声、香、味、触と為し、禅定を欲求すれば、皆、応に之を棄つべし。
『山神』は、
此の、
『偈』を、
『聞く!』と、
即座に、
『此の人』を、
『擎(かか)げて!』、
『仲間の所』へ、
『送り届けた!』。
是れは、
『智者』が、
『欲』に、
『著してはならない!』と、
『呵ったのである!』。
『五欲』とは、――
『妙なる!』、
『色、声、香、味、触である!』が、
『禅定』を、
『求めようとすれば!』、
当然、
之を、
『皆、棄てなくてはならない!』。
  (きょう):かかげる。挙げる/執持する/支える( lift up, hold up, prop up/support )。
  欲求(よくぐう):欲念もて、要求すること( desire )。
云何棄色。觀色之患。若人著色諸結使火。盡皆熾然燒害人身。如火燒金銀。煮沸熱蜜雖有色味燒身爛口。急應捨之。若人染著妙色美味亦復如是。 云何が色を棄つる。色の患を観よ。若し人、色に著すれば、諸の結使の火は、尽く皆熾然して、人身を焼害す。火焼せる金銀、煮沸せる熱蜜は、色、味有りと雖も、身を焼き、口を爛れしむれば、急ぎ応に之を捨つべきが如し。若し人、妙色、美味に染著すれば、亦復た是の如し。
何故、
『色』を、
『棄てるのか?』、――
『色』の、
『患(わずらい!)』を、
『観るからである!』。
若し、
『人』が、
『色』に、
『著すれば!』、
諸の、
『結使の火』は、
『皆、尽く!』、
『燃え盛って!』、
『人の身』を、
『焼き!』、
『殺すだろう!』、
譬えば、
『火』に、
『焼けた!』、
『金銀』や、
『煮沸した!』、
『熱い!』、
『蜜』には、
『色』や、
『味』が、
『有っても!』、
『身を焼き!』、
『口を爛れさせる!』ので、
『急いで!』、
之を、
『捨てなくてはならない!』が、
若し、
『人』が、
『妙色』や、
『美味』に、
『著すれば!』、
亦た、
『まったく!』、
『是の通りなのである!』。
  熾然(しねん):盛んに燃えるさま。
復次好惡在人色無定也。何以知之。如遙見所愛之人即生喜愛心。若遙見怨家惡人即生怒害心。若見中人則無怒無喜。若欲棄此喜怒。當除邪念及色一時俱捨。譬如洋金燒身。若欲除之。不得但欲棄火而留金。要當金火俱棄。 復た次ぎに、好悪は人に在りて、色には定まりたる無きなり。何を以ってか、之を知る。遙かに所愛の人を見れば、即ち喜愛の心を生ずるが如く、若し遙かに怨家の悪人を見れば、即ち怒害の心を生じ、若し中人を見れば、則ち怒無く、喜無し。若し此の喜怒を棄てんと欲せば、当に邪念を除いて、色をも一時に倶に捨つるに及ぶべし。譬えば洋金の身を焼くに、若し之を除かんと欲せば、但だ火を棄てて、金を留めんと欲するを得ず、要(かなら)ず当に金と火と倶に棄つべきが如し。
復た次ぎに、
『好、悪』は、
『人』に、
『在るのであり!』、
『色』には、
『定まった!』ものが、
『無い!』。
何故、
之が、知れるのか?と言えば、――
例えば、
遙かに、
『愛する!』所の、
『人』を、
『見れば!』、
『喜び!』や、
『愛する!』、
『心』を、
『生じ!』、
遙かに、
『怨家』の、
『憎らしい人』を、
『見れば!』、
『怒り!』や、
『害する!』、
『心』を、
『生じる!』が、
若し、
『中ぐらい!』の、
『人』を、
『見れば!』、
『喜び!』や、
『怒り!』の、
『心』が、
『無いからある!』。
若し、
此の、
『喜び!』や、
『怒り!』を、
『棄てよう!』と、
『思えば!』、
『邪念』は、
当然、
『除かなくてはならない!』が、
『色』も、
同時に、
『捨てる!』に、
『及ばなくてはならない!』。
譬えば、
若し、
『洋金(溶けた金)』が、
『身』を、
『焼く!』のを、
『除こうとすれば!』、
但だ、
『火』のみを、
『棄てて!』、
『金』を、
『留めようとする!』のは、
『妥当でなく!』、
必ず、
『金』と、
『火』とを、
『いっしょに!』、
『棄てなくてはならないように!』。
  中人(ちゅうにん):中等の人。
  怨家(おんけ):仇敵の家。
  怒害(ぬがい):怒って殺害せんとする心。
  (ぎゅう):およぶ/および。動詞:追いつく/追い抜く( catch up with, overtake )、至る/到達する( attain, reach )、悩まされる( suffer from )、関連する( implecated in )。接続詞:と( and )、又( also )。副詞:程度を表す、極( very )に相当する。
  洋金(ようこん):梵語 kvathita- suvarNa の訳、溶けた/沸いた金( molten or boiled gold )の義。洋銅 kvathita- taamra 、即ち溶けた銅( molten copper )からの類推。
如頻婆娑羅王。以色故身入敵國。獨在婬女阿梵婆羅房中。憂填王以色染故。截五百仙人手足。如是等種種因緣。是名呵色欲。 頻婆娑羅王の如きは、色を以っての故に身敵国に入り、独り婬女阿梵婆羅の房中に在り。憂填王は、色染を以っての故に、五百仙人の手足を截(き)れり。是の如き等の種種の因縁は、是れを色欲を呵すと名づく。
例えば、
『頻婆娑羅王』は、
『色欲』の故に、
『身』を、
『敵国』に、
『入れて!』、
独り、
『婬女阿梵婆羅』の、
『房』中に、
『在った!』し、
『憂填王』は、
『色染』の故に、
『五百仙人』の、
『手足』を、
『切断したのである!』が、
是れ等のような、
種種の、
『因縁』を、
『色欲を呵る!』と、
『称する!』。
  頻婆娑羅王(びんばしゃらおう):頻婆娑羅 bimbisaara は梵名。又頻婆沙羅、頻鞞娑邏、頻毘娑羅、頻頭娑羅、頻頭嗏羅、頻浮娑羅、頻浮娑、民弥沙囉、萍比沙、蓱沙、萍沙、洴沙、瓶沙、缾沙に作り、影勝、影堅、顔色端正、顔貌端正、色像端正、色像殊妙、光沢第一、好顔色、形牢、謨実、摸実、或いは諦実と訳す。シャーイシュナーガ zaizunaaga 王朝の第五世にして、姓を洗尼 zreNika(巴 senika )と称し、仏在世に中印度摩揭陀国に君臨せし王なり。「有部毘奈耶出家事巻1」に、王は大蓮華 mahaapadma 王の太子にして、釈尊と同日に誕生せりとし、其の命名の由来を記し、「大蓮華王は子誕して光に遇い、便ち子の瑞なりと謂い、是の念を作して言わく、我が子の威徳は日の出づる時の如く、我が子の威光は能く世界を照らす。其の光影殊勝なるを以って用って休祥を表し、因りて遂に名づけて影勝太子と為す」と云い、「西蔵訳律蔵」にも略ぼ同一記事を掲げ、且つ母の名をビンビー bimbii となせり。大蓮華王の時、摩揭陀は央伽 aNga 国王と戦いて敗れ、永く輸税すべき盟を立てしが、王子頻婆娑羅は央伽王使の課税せるを見、父王より四兵を得て遂に彼の王を殺し、其の都城占波 campaa の主となり、父王の没後群臣の請を受けて摩揭陀の王位を継ぐ。王は又拘薩羅 kosalaa よりコーサラデーヴィー kosaladevii、毘提訶 videha より韋提希 vedehii を迎えて后となし、益々国勢を張り、後韋提希は阿闍世 ajaatazatru を生めり。王が釈尊に帰依して優婆塞となり、僧伽に供養し、厚く仏教を保護せしことは事実にして、諸経律に其の事蹟を伝うるもの少なからず。「修行本起経巻下出家品」等に、釈尊始め出家して摩揭陀に到り給いし時、王は其の深志を懐けるを知り、他日仏道を成ぜば先づ我れを度せんことを願じたりと記し、「方広大荘厳経巻7頻婆娑羅王勧受俗利品」には、当時王は釈尊に対し、国を分ちて統治せんと勧めたるも、釈尊は其の志を翻さざりしと云い、「中阿含巻11頻婆娑羅王迎仏経」等には、仏は三迦葉を度し、尋いで来たりて王の為に四諦等の法を説き、王は優婆塞となれりと云い、又「巴梨文大史 mahaavaMsa,ii」には、王は仏より五歳の年少にして、十五歳の時王位を継承し、即位十六年に至り仏に帰依すとなせり。又「四分律巻33」には、王は初め太子たりし時、六願を発す、即ち一に父の寿終らば王と為らん、二に治国中に仏出世せん、三に我が身世尊を見ん、四に仏を見已りて歓喜の心を生ぜん、五に正法を聞くことを得ん、六に信解を得んと願じたりと云い、「蓱沙王五願経」にも同一記事を掲げ、但だ此の中第四願を略して凡べて五願となし、且つ王は元と徳差伊羅 takSazilaa 国王弗迦沙 pukkuza(?)と文書を往復して互いに愛敬し、遂に彼の王をして亦た仏の化を受けしめたりと云えり。王の晩年に関しては、「撰集百縁経巻6功徳意供養塔生天縁」に、王は毎日三時に臣属を将いて仏所に詣り、常に世尊を礼覲せしが、年漸く老大し、身体転た重くして往詣する能わざるに至り、仏の髪爪を索めて之を後宮内の塔寺に安置したりと云い、又「有部毘奈耶破僧事巻17」には、太子阿闍世は提婆達多と共謀して大悪逆の心を起し、王を弑せんと欲して之を後宮に囚閉し、食を送らしめず、后妃韋提希之を見て自ら忍ぶ能わず、窃かに酥蜜を麨に和して王に上り、又王は遙かに牕牖より耆闍崛山に向かって仏影を拝し、以って自ら存活せしに、阿闍世は之を聞きて其の牕牖を閉塞し、且つ王の足下を刺して立つことを得ざらしむ。時に仏は大目揵連をして王の所に詣りて慰問せしめ、又韋提希は阿闍世が其の子の疾患を憂うるを見て、父王頻婆娑羅も亦た昔時阿闍世の疾患を憂いたることを説き、父の慈愛を語るに、阿闍世は逆心頓に止みて王を赦さんと告げたるにより、諸臣競走して王の所に詣らんとするに、王は其の走声を聞き、更に苦刑の加わらんことを懼れ、遂に迷悶して命終せしことを記せり。此の事実は「観無量寿経」にも亦た略して伝うる所なり。大史に王は十五歳にして即位し、五十二年間在位せりと云うに依れば、其の寿は六十七歳に当たるとなすべく、即ち「善見律毘婆沙巻2」に、阿闍世王登位八年仏涅槃すというの説に合する所なり。又「長阿含巻5闍尼沙経」、「同巻17沙門果経」、「雑阿含経巻17」、「阿羅漢具徳経」、「衆許摩訶帝経巻11」、「仏本行集経巻23」、「撰集百縁経巻2頻婆娑羅請仏縁」、「法句譬喩経巻1惟念品」、「同巻4道利品」、「小品般若経巻2明呪品」、「採花違王上仏授決号妙花経」、「大般涅槃経巻19」、「五分律巻17、18」、「十誦律巻36」、「毘奈耶巻4」、「阿育王経巻2」、「分別功徳論巻5」、「大智度論巻2」、「倶舎論巻29」、「翻梵語巻4」、「大唐西域記巻8」、「玄応音義巻3、5、25、26」、「慧琳音義巻76」、「観無量寿仏経義疏巻中」等に出づ。<(望)
  阿梵婆羅(あぼんばら):又菴婆羅婆利(あんばらばり)、菴婆羅女(あんばらにょ)、菴婆婆梨(あんばばり)に作る。毘舎離(びしゃり)の婬女。毘舎離の貴族の子弟五百と先に仏を請ずることを諍い、国の財産を半分を分け与えると言っても肯わなかった。 仏に菴婆羅樹林を施し、それを菴羅樹園(あんらじゅおん)という。 菴婆羅樹(あんばらじゅ)とはマンゴーのこと。『大智度論巻8(下)注:菴婆羅婆利』参照。
  憂填王(うでんおう):又優填王に作る。『大智度論巻17(上)注:優填王』参照。
  優填王(うでんおう):優填 udayana は梵名。又嗢陀演那、鄔陀衍那、優陀延に作る。具に嗢陀演那伐蹉 udayana- vatsaといい、出愛、又は日子と訳す。憍賞弥国の王なり。「優填王経」等に依るに、仏は一時憍賞弥国にありし時、無比(一に無比摩建儞迦、又は帝女に作る)と名づくる女あり、容色端正にして、世に比なし。父、摩因提(又吉星に作る)は、仏の巍巍たる相好を覩て、無比女をして仏に侍せしめんとせしも、仏之を受けず。乃ち国王優填に送るに、王は大に悦び、納れて妃となす。後、妃の奸言を信じて、正后(又舎摩、或いは舎摩嚩底)を射殺せんとするや、箭は后を繞りて三匝し、還りて王の前に到る。王驚き懼れ后に謂って曰わく、汝は天女たるか、将た龍女たるか、乃至羅刹女たるか。后答えて曰わく、我れ天女にあらず、乃至羅刹女にあらず。大王、我れは仏所に於いて正法を聴聞し、五戒を受持して優婆夷となり、大王を哀愍するが為に、今慈心定に入れり。王は我れに於いて害心を生ずと雖も、我が慈願に由りて傷損なきを得。大王、如来に帰命して安隠を獲よと。王乃ち仏所に到り、仏の教化を受けて遂に三宝に帰し、優婆塞となれり。王は其の後、終身自ら守り、復た敢て犯さざりきと云えり。是れ王の帰仏の因縁を説けるものなり。又王は仏像の造立に関係ありとせられ、「増一阿含経巻28」には、仏一時、三十三天に上りて母后摩耶夫人の為に説法し給い、久しく閻浮提に還り来たらず、優填王之を憂い、為に病を得て甚だ篤し。群臣議して如来の形像を作り、以って王の病を癒えしめんとし、勅を受け、牛頭栴檀を以って高さ五尺の形像を作れり。王の病忽ち癒ゆ。波斯匿王之を聞き、紫磨黄金を以って亦た同じく高さ五尺の形像を作りしかば、閻浮提の内に始めて二個の形像あるに至れりと云えり。「大方便仏報恩経巻3」、「観仏三昧海経巻6」、「大乗造像功徳経巻上」等にも、亦た此の因縁を載録せるも、就中、「観仏三昧海経」には、之を金像とし、「造像功徳経」には、高さ七尺の坐像となせり。又「造立形像福報経」、並びに「作仏形像経」には、優填王は年始めて十四にして仏所に至り、造像の功徳を請問せしことを記し、仏の三十三天上昇の事等をいわず。又「大唐西域記巻12」に依るに、此の像は仏滅後、空中より飛んで于闐国北曷労落迦城に至り、後媲摩城に安置すと云い、且つ之を二丈余の彫檀立像となせり。支那にも此の像は渡来せられ、後又奝然によりて本邦嵯峨清涼寺に奉安せられたりと伝えて有名なり。又「優填王政論」には、仏は王の為に王たるべき十種の心得を説けることを記せり。蓋し王を憍賞弥国の主とすることは、諸経論一致すれども、「増一阿含経巻28」に、優填を拔嗟国王とし、優陀延を南海の主として之を並べ挙げたるは、注意を要すべき所なり。又「増一阿含経巻3」、「法句譬喩経巻4」、「大宝積経巻97優陀延王会」、「大乗日子王所問経」、「瑜伽師地論略纂巻16」、「瑜伽論記巻17上」、「優填王所造栴檀釈迦瑞像歴記」、「清涼寺縁起」等に出づ。<(望)、又「阿毘達磨大毘婆沙論巻61」には、次の記事を見る、「昔王有り、塢陀衍那と号す。諸の宮室を将いて水跡山に詣り、男子を除きて純ら女人と五伎楽を奏す。意を縦にして嬉戯楽音し、清妙の香気馚馥たり。諸女人に命じて形を露わして舞わしむ。時に五百の離欲の仙人、神境通に乗じて此の上を経て過ぎ、有るは妙色を見、有るは妙声を聞き、有るは妙香を嗅ぎて皆神通を退す。此の山の上に堕ちて、折翼の鳥の如く、復た飛ぶ能わず。王見て問うて曰わく、「汝等は是れ誰なる」と。諸仙答えて曰わく、「我れは是れ仙人なり」と。王復た問うて言わく、「汝は非想非非想処の根本定を得るや不や」と。仙人答えて言わく、「我等は未だ得ず」と。王の乃至問わく、「汝等は初静慮を得たりと為すや不や」と。仙の乃至答わく、「我等は曽て得たりしが、今已に退せり」と。時に王瞋忿して是の如き言を作す、「不離欲の人にして如何が我が宮人婇女を観る。極めて宜しき所に非ず」と。便ち利剣を抜いて五百仙人の手足を断截す」と。又「阿毘曇毘婆沙論巻32」にも同種の記事を載す。
云何呵聲。聲相不停暫聞即滅。愚癡之人不解聲相無常變失故。於音聲中妄生好樂。於已過之聲念而生著。 云何が声を呵する。声相は停まらずして、暫く聞けば即ち滅す。愚癡の人は、声相の無常にして変失するを解せざるが故に、音声中に於いて、妄に好楽を生じ、已に過ぎたる声を念じて、著を生ず。
何故、
『声』を、
『呵るのか?』、――
『声相』は、
『停滞することなく!』、
暫く、
『聞えていても!』、
すぐに、
『滅して!』、
『聞えなくなる!』。
『愚癡の人』は、
『声相』が、
『無常であり!』、
『変失する!』ことを、
『理解しない!』が故に、
『音声』中に、
『妄に( unrestrainedly )!』、
『好楽』を、
『生じ!』、
『過ぎ去った!』、
『声を念じて!』、
『著』を、
『生じる!』。
  (もう):みだり/みだりに。虚妄/極めて真実ならざること( unreal )、不法に( illegally )、見さかいなく/自制せず( unrestrainedly )。本義:でたらめ/乱雑( at random )。
如五百仙人在山中住。甄陀羅女於雪山池中浴。聞其歌聲即失禪定。心醉狂逸不能自持。譬如大風吹諸林樹。聞此細妙歌聲柔軟清淨。生邪念想。是故不覺心狂。今世失諸功德。後世當墮惡道。 五百仙人の如きは、山中に在りて住するに、甄陀羅女、雪山の池中に於いて浴し、其の歌声を聞いて、即ち禅定を失い、心酔し、狂逸して、自持する能わざること、譬えば、大風の諸の樹林を吹くが如くして、此の細妙の歌声の柔軟、清浄なるを聞いて、邪念の想を生じ、是の故に心狂を覚えず、今世には諸の功徳を失い、後世には当に悪道に堕つべし。
例えば、
『五百仙人』などは、
『山』中に、
『住しておりながら!』、
『雪山の池』中に、
『水浴して!』、
『歌う!』、
『甄陀羅の女』の、
『声』を、
『聞いて!』、
即ち、
『禅定』を、
『失って!』、
『心酔し!』、
『狂逸して!』、
『自制することができず!』、
譬えば、
『大風』が、
『諸の林樹』を、
『吹くようであった!』。
此の、
『細妙、柔軟、清浄な!』、
『歌声』を、
『聞いて!』、
『邪念』の、
『妄想』を、
『生じた!』ので、
是の故に、
『心』の、
『狂った!』ことも、
『覚えず!』、
『今世』には、
諸の、
『功徳(神力)』を、
『失い!』、
『後世』には、
諸の、
『悪道』に、
『堕ちることになったのである!』。
  甄陀羅(けんだら):梵語 kiMnara 、『大智度論巻17上注:緊那羅』参照。
  緊那羅(きんなら):梵語 kiMnara 、巴利 kinnara 、天上の音楽家、其の身は天、人、畜生分よりなる( A heavenly musician, whose body is part god, part human, and part animal. )、緊那羅は、素晴らしい音楽を奏で、それに合わせて歌ったり、踊ったりすると言われている( The kiṃnaras are said to sing and dance to the wonderfully sublime music that they make. )、八部衆の一( They are one of the eight kinds of spiritual beings )。
  心酔(しんすい):酔ったようにうっとりする。
  狂逸(ごういつ):狂って走り回る。
  自持(じじ):自制する( control oneself, restrain onese )。
有智之人觀聲。念念生滅前後不俱。無相及者。作如是知則不生染著。若斯人者諸天音樂尚不能亂。何況人聲。如是等種種因緣。是名呵聲欲。 有智の人の、声の念念に生滅して、前後倶ならず、相及ぶ者無きを観て、是の如き知を作せば、則ち染著を生ぜず。若し斯(こ)の人なれば、諸天の音楽すら、尚お乱す能わず、何に況んや、人の声をや。是の如き等の種種の因縁は、是れを声欲を呵すと名づく。
『有智の人』は、
こう観る、――
『声』は、
『念念に( for an instant )!』、
『生じて!』、
『滅する!』ので、
『声』の、
『前、後』が、
『いっしょでなく!』、
『声』を、
『捕えられる!』者は、
『無い!』、と。
是のような、
『知覚( consciousness )』を、
『作せば!』、
則ち、
『染著』を、
『生じることはない!』。
若し、
斯()の、
『人』ならば、
『諸天』の、
『音楽すら!』、
『乱すことができない!』し、
況して、
『人』の、
『声など!』は、
『言うまでもないのである!』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』を、
『声欲を呵る!』と、
『称する!』。
  (ち):しる、動詞:知る/識る( know )、了解/理解する( understand )、主管/管理する( administer )、識別する( distinguish )、認識する( appreciate )、親友になる( be close freinds )、了解/知覚する( perceive )。名詞:知識/知覚( knowledge, consciousness )、智に同じ:智慧/才智( wisdom, ability )。
云何呵香。人謂著香少罪。染愛於香開結使門雖復百歲持戒能一時壞之。 云何が、香を呵する。人は、香に著するは少罪なりと謂うも、香に染愛すれば、結使の門を開き、百年持戒すと雖も、能く一持に之を壊(やぶ)ればなり。
何故、
『香』を、
『呵るのか?』、――
『人』は、
こう謂うが、――
『香』に、
『著する!』のは、
『少罪である!』、と。
若し、
『香』に、
『染愛すれば!』、
『結使の門』を、
『開くことになり!』、
『持戒』の、
『百年』を、
『一時に!』、
『壊すことができるからである!』。
如一阿羅漢。常入龍宮食已以缽授與沙彌令洗。缽中有殘飯數粒。沙彌嗅之大香。食之甚美。便作方便入師繩床下。兩手捉繩床腳。其師至時與繩床俱入龍宮。龍言。此未得道何以將來。師言。不覺。 一阿羅漢の如し、常に龍宮に入り、食し已りて、鉢を以って沙弥に授与して、洗わしむ。鉢中に、残飯の数粒有り。沙弥、之を嗅ぐに大いに香あり。之を食すれば甚だ美なり。便ち方便を作して、師の縄床の下に入り、両手に縄床の脚を捉う。其の師、時至りて縄床と倶に、龍宮に入る。龍の言わく、『此れは未だ道を得ず。何を以ってか将(ひき)いて来たる』、と。師の言わく、『覚えず』、と。
例えば、
『一阿羅漢』は、
常に、
『龍宮』に、
『入って!』、
『食』を、
『求めて!』、
食い已ると、
『鉢』を、
『沙弥』に、
『授けて!』、
『洗わせていた!』。
『鉢』中には、
『数粒』の、
『残飯』が、
『有った!』が、
『沙弥』が、
之を、
『嗅ぐと!』、
『大いに香り!』、
之を、
『食うと!』、
『甚だ美味かった!』。
そこで、
『沙弥』は、
『功夫して!』、
『師』の、
『縄床の下』に、
『入り!』、
『両手』で、
『縄床の脚』を、
『捉えた!』。
其の、
『師』は、
『時が至る!』と、
『縄床といっしょに!』、
『龍宮』に、
『入った!』。
『龍』は、
こう言った、――
此れは、
未だ、
『道』を、
『得ていない!』のに、
何故、
『将(ひき)いて!』、
『来たのですか?』、と。
『師』は、
こう言った、――
『気がつかなかった!』、と。
  沙弥(しゃみ):二十歳以下の見習い比丘。
  縄床(じょうしょう):縄を以って製し、容易に組合わせ得る一種の牀を云う。十八物の一。
  十八物(じゅうはちもつ):大乗比丘の常に随身すべき十八種の物を云う。又十八種物と称す。一に楊枝、二に澡豆、三に三衣、四に瓶、五に鉢、六に座具、七に錫杖、八に香炉、九に漉水嚢、十に手巾、十一に刀子、十二に火燧、十三に鑷子、十四に縄牀、十五に経、十六に律、十七に仏像、十八に菩薩像なり。「梵網経巻下」に、「若し仏子、常に応に二時に頭陀し、冬夏に坐禅して結夏安居すべし。常に楊枝、澡豆、三衣、瓶、鉢、坐具、錫杖、香炉、漉水嚢、手巾、刀子、火燧、鑷子、縄牀、経、律、仏像、菩薩像を用うべし。而も菩薩は頭陀を行ぜん時、及び遊方の時、百里千里に行来せんに、此の十八種の物常に其の身に随うべし。頭陀とは正月十五日より三月十五日に至り、八月十五日より十月十五日に至る。是の二時の中に、此の十八種の物常に其の身に随うこと鳥の二翼の如くせよ」と云える是れなり。就中、楊枝とは梵語憚哆家瑟詑 dantakaSTha の訳、又歯木とも称す。即ち歯を揩(ぬぐ)い、舌を刮(こす)りて口中の臭気を除き、且つ消食の助となす具を云う。澡豆とは穢手を洗浄するに用うる大豆小豆等の類を云う。三衣とは僧伽梨 saNghaaTii 、鬱多羅僧 uttaraasaNga 、安陀会 antarvaasa の三種の衣を云う。瓶とは梵語軍持 kuNDikaa の訳にして、即ち浄水飲水を盛る容器を云う。鉢とは梵語鉢多羅 paatra の略称、応量器と訳す。飯羹を盛る食器にして、之に木、鉄、瓦、匏(ひさご)の四種あり。座具とは梵語尼師壇 niSiidana の訳、坐臥の時、地上牀上或いは臥具の上に展ぶる布を云う。錫杖とは梵語隙棄羅 khakkara の訳、頭部に鐶を附し、之を震動して声を出さしむる杖を云う。遊行の時害虫を駆遣し、或いは乞食の時人を警覚する為に用うるなり。香炉とは又奩と併称して香炉奩と称す。香を焚くに用うる器を云う。漉水嚢とは梵語 parisraavaNa の訳にして、水中の虫を濾過する為に用うる布嚢を云う。手巾とは梵語 snaatra- zaaTaka の訳にして、手等を拭うに用うる小布を云う。刀子とは梵語 zastraka の訳。即ち剃髪、截爪、裁衣等に用うる小刀を云う。火燧とは火を得るの具にして、即ち陽熱を受けて火を発する円偏の珠、又は相鑽りて火を出す木片を云う。鑷子とは梵語 ajapadakadaNDa の訳にして、鼻毛を抜くに用うる抜鑷を云う。縄床とは縄を以って製し、容易に組合わせ得る一種の牀を云う。経は経巻、律は戒本、仏像及び菩薩像は知るべし。蓋し此の十八種物は大乗比丘の護持すべき所にして、其の一を欠かば軽垢罪を犯ず。就中、更に重中軽の三品あり、即ち三衣を離するは捨堕にして重垢、鉢を離するは突吉羅にして中垢、其の余は軽垢なり。又此の十八種の数え方に就いては異説あり。智顗の「菩薩戒義疏巻下」に出す所は前掲の如し。勝荘の「梵網経菩薩戒本述記巻下末」には、三衣を開きて三となし、経と律、仏像と菩薩像とを合して各一となし、義寂の「梵網経菩薩戒本疏巻下末」には、楊枝と澡豆を除き、三衣を開きて三となし、以って十八種となせり。又「梵網経菩薩戒本疏巻3」、「梵網経古迹記撮要巻3」、「菩薩戒経疏註巻下之二」、「大乗比丘十八物図」、「十八種物図便蒙鈔」、「真言宗持物図釈」等に出づ。<(望)
沙彌得飯食之。又見龍女身體端正香妙無比心大染著。即作要願。我當作福奪此龍處居其宮殿。龍言。後莫將此沙彌來。沙彌還已一心布施持戒。專求所願。願早作龍。是時遶寺足下水出。自知必得作龍。徑至師本入處大池邊。以袈裟覆頭而入。即死變為大龍。福德大故即殺彼龍舉池盡赤。 沙弥は飯を得て、之を食い、又龍女の身体の端正なるを見るに、香は、妙にして無比なること、心に大いに染著して、即ち要願を作さく、『我れ当に福を作して、此の龍の処居する其の宮殿を奪うべし』、と。龍の言わく、『後には、此の沙弥を将いて来たる莫かれ』、と。沙弥は、還り已りて、一心に布施、持戒して、専ら所願を求むらく、『願わくは、早かに龍と作らんことを』、と。是の時、寺を遶(めぐ)るに、足下に水出づれば、自ら、必ず龍と作るを得るを知り、径(ただち)に、師の本入れる処の大池の辺に至って、袈裟を以って頭を覆いて入る。即ち死し、変じて大龍と為りて、福徳の大なるが故に、即ち彼の龍を殺せば、池を挙げて尽く赤し。
『沙弥』は、
『飯』を、
『得て!』、
『食い!』、
又、
『龍女』の、
『身』が、
『端正( beautiful )である!』のを、
『見た!』が、
『香り!』が、
『比(たぐい)無く!』、
『絶妙であったので!』、
『心』が、
『大いに!』、
『染著して!』、
即ち、
『要願』を、こう作した、――
わたしは、
『福』の、
『業』を、
『作して!』、
此の、
『龍の住居である!』、
『宮殿』を、
『奪わなければならない!』、と。
『龍』は、
こう言った、――
今後、
此の、
『沙弥』を、
『将いて!』、
『来ないでください!』、と。
『沙弥』は、
『還ると!』、
一心に、
『布施』や、
『持戒をし!』、
専ら、
『願う!』所を、こう求めた、――
願わくは、
『早く!』、
『龍』と、
『作れますように!』、と。
是の時、
『沙弥』は、
『寺』を、
『迴っている!』と、
『足下』に、
『水』が、
『出た!』ので、
自ら、こう知ることになった、――
必ず、
『龍』と、
『作ることができる!』、と。
直ちに、
以前、
『師』の、
『入った処である!』、
『池の辺』に、
『至り!』、
『袈裟』で、
『頭』を、
『覆(おお)って!』、
『入る!』と、
すぐに、
『死んで!』、
『大龍』に、
『変じた!』が、
『福徳』が、
『大であった!』が故に、
彼の、
『龍』を、
『即座に!』、
『殺すことができ!』、
『池』中が、
『血に染まって!』、
『真赤になったのである!』。
  要願(ようがん):要求と願求。種種の事物を自己の所有に帰すべく願うの意。
  (よう):①腰( waist )、招く( invite )、盟約/約束/誓約する( ally, promise, pledge )、探求/追求する( seek, pursue )、要撃する( intercept )、出迎える( meet )、制限/抑制/禁止する( keep within bounds, restrain, prohibit )、脅迫/強要する( force, coerce )、会合/結合する( join, meet )、審察/査察する( examine, verify, check )。②要点/要職( important point, important position, )、重要/重大な( important, essential )、簡要な( concise and to the point )、勢力のある( powerful and influential )、要求する/種種の事物を自己の所有となるよう希望する( want, ask for, beg )、希望する( wish to, want to )、扼守する/要所を守る( hold (a strategic point), guard )、応当/必須( should, must )、即将/そうなろうとする( be going to )。
  (きょう):小路/円の直径/直ちに( narrow path, diameter, direct )。
未爾之前諸師及僧呵之。沙彌言。我心已定心相已出。時師將諸眾僧就池觀之。如是因緣由著香故。 未だ爾らざる前、諸の師、及び僧の、之を呵するに、沙弥の言わく、『我が心は、已に定まれり』、と。心相已に出でたれば、時に師は、諸の衆僧を将い、池に就いて之を観しむ。是の如き因縁は、香に著するに由るが故なり。
未だ、
『爾うならない!』、
『前の時』に、
諸の、
『師』や、
『衆僧』が、
此の、
『沙弥』を、
『呵る!』と、
『沙弥』は、
わたしの、
『心』は、
『定まっています!』と、
『言った!』が、
是の、
『心の相』が、
此の、
『池』に、
『出たのである!』。
その時、
『師』は、
諸の、
『衆僧』を、
『将いて!』、
『池』に、
『近づき!』、
『沙弥の心相』を、
『観察させた!』。
是のような、
『因縁』は、
『香』に、
『著する!』ことに、
『由るからである!』。
  (しゅう):接近する/近づく( come close to, move towards )、帰する/属する( belong to )、赴任する( assume the office of )、完成/成功する( accomplish )、終る/尽きる( end )、適応する/適する/身をゆだねる( accommodate oneself to, suit, fit, yield )、登る/開始する( ascend, start )。
  参考:『衆経撰雑譬喩巻上(10)』:『行者求道。不得貪著好美色。若貪破人功德之本。譬如昔有一阿羅漢。常入龍宮食。為龍說法。食已出於龍宮。持缽授與沙彌令洗缽中殘數粒飯。沙彌噉之大香甚美。便作方便入師繩床下。兩手捉繩床腳。至時與繩床俱入龍宮。龍曰。此未得道何以將來。師言。不覺不知。沙彌得飯食。又見龍女身體端正香妙無比。心大貪著即作誓願。我當奪此龍處居其宮。龍言。後更莫復將此沙彌來。沙彌還已一心布施持戒。專求所願早作龍身。是時遶寺。足下水出。自知必得作龍。徑至師本所入處大池水邊。以袈裟覆頭而入水中。即死返為大龍。福德大故即殺彼王舉池盡赤。未爾之前。諸師眾僧皆呵罵之。沙彌言。我心已定諸相已出。將諸眾僧就池見之。以是因緣故不當貪著好香美色。喪失善根見墮惡道』
復次有一比丘。在林中蓮華池邊經行。聞蓮華香其心悅樂過而心愛。池神語之言。汝何以故捨彼林下禪淨坐處而偷我香。以著香故諸結使臥者皆起。 復た次ぎに、有る一比丘は、林中の蓮華の池の辺に在りて経行して、蓮華の香を聞くに、其の心悦楽し、過(あやま)ちて心に愛す。池神の之に語りて言わく、『汝は、何を以っての故に、彼の林下に禅する、浄き坐処を捨て、我が香を偷(ぬす)む。香に著するを以っての故に、諸の結使の臥する者、皆起きん』、と。
復た次ぎに、
有る、
『一比丘』は、
『林』中の、
『蓮華』の、
『池の辺』で、
『経行していた!』が、
『蓮華』の、
『香』を、
『聞いて!』、
『心』に、
『悦楽』を、
『生じ!』、
『過(あやま)って!』、
『心より!』、
『愛するようになった!』。
『池の神』が、
此の、
『比丘』に語って、こう言った、――
お前は、
何故、
『林』下の、
『坐禅すべき!』、
『浄らかな坐処』を、
『捨てて!』、
わたしの、
『香』を、
『偷(ぬす)むのか?』。
『香』に、
『著する!』が故に、
諸の、
『寢ていた!』、
『結使』が、
皆、
『起きるのだぞ!』、と。
  経行(きょうぎょう):歩き回ること( to walk around )、梵語 caGkrama, caGkramaNa の訳、歩き回ること/歩き回る場所( walking about, a place for walking about )の義、有る特定の場所に於いて静かに徐ろに歩き回ること、特に食後の小休止や、重労働や、坐禅の後等に睡気を覚すために行う( To quietly and slowly walk around a certain area, especially to take a break after eating, hard work or sitting meditation, to clear up drowsiness. )、習慣的には長時間の坐禅の間に於いて行われる( Customarily done in between long periods of meditation. )。
時更有一人來入池中。多取其花掘挽根莖狼籍而去。池神默無所言。比丘言。此人破汝池取汝花。汝都無言。我但池岸邊行。便見呵罵言偷我香 時に更に、有る一人来たりて池中に入り、多く其の花を取り、掘りて根茎を挽き、狼藉して去る。池神、黙して言う所無し。比丘の言わく、『此の人は、汝が池を破り、汝が花を取るも、汝は都べて無言なり。我れは但だ、池の岸辺を行くのみなるに、便ち呵罵して、『我が香を偷む』と言わる』、と。
その時、
更に、
有る、
『一人』が来て、
『池の中』に、
『入る!』と、
其の、
『花』を、
『多く!』、
『取り!』、
『根、茎』を、
『掘って!』、
『引き抜き!』、
『狼藉して!』、
『去っていった!』が、
『池の神』は、
『黙っていて!』、
『何も!』、
『言わなかった!』。
『比丘』は、
こう言った、――
此の、
『人』は、
お前の、
『池』を、
『破ったり!』、
お前の、
『花』を、
『取ったりした!』が、
お前は、
『何も!』、
『言わなかった!』。
わたしは、
但だ、
『池』の、
『岸辺』を、
『歩いていただけ!』なのに、
お前に、
『罵られて!』、こう言われた、――
わたしの、
『香』を、
『偷(ぬす)んだ!』、と。
  呵罵(かめ):罵って叱りつける。
池神言。世間惡人常在罪垢糞中不淨沒頭。我不共語也。汝是禪行好人。而著此香破汝好事。是故呵汝。 池神の言わく、『世間の悪人は、常に罪の垢、糞中に在れば、不浄にして頭まで没せり。我れは共に語らざるなり。汝は是れ禅、行の好人なるも、此の香に著せば、汝の好事を破らん。是の故に汝を呵せり』、と。
『池の神』は、
こう言った、――
『世間の悪人』は、
常に、
『罪』の、
『垢、糞』中に、
『在って!』、
『不浄であり!』、
此の中に、
『頭まで!』、
『没している!』。
わたしは、
是の、
『悪人』とは、
『いっしょに!』、
『語ることはしない!』。
お前は、
『坐禅』と、
『経行』の、
『好ましい!』、
『人である!』が、
而し、
此の、
『香』に、
『著すれば!』、
お前の、
『好ましい!』、
『事業(行い!)』が、
『破られる!』ので、
是の故に、
お前を、
『呵ったのだ!』、と。
譬如白疊鮮淨。而有黑物點汚眾人皆見。彼惡人者。譬如黑衣點墨人所不見。誰問之者。如是等種種因緣。是名呵香欲。 譬えば、白畳の鮮浄なるに、有る黒き物点汚せば衆人皆見るが如し。彼の悪人なる者は、譬えば黒き衣に墨を点ずるも、人の見ざる所なるが如し。誰か之を問う者ならんや。是の如き等の種種の因縁は、是れを香欲を呵すと名づく。
譬えば、
『真白な!』、
『白い布』を、
有る、
『黒い物』で、
『汚した!』ならば、
『衆人』は、
皆、
之を、
『見ることになる!』が、
彼の、
『悪人』は、
譬えば、
『黒い衣』を、
『墨』で、
『汚したようなものであり!』、
『人』が、
之を、
『見ることはない!』、
誰が、
之を、
『問うだろうか?』。
是れ等の、
種種の、
『因縁』は、
是れを、
『香欲を呵る!』と、
『称する!』。
  白畳(びゃくじょう):白い木綿の布。或いは絹布の一種とも云う。
  鮮浄(せんじょう):一点の汚れもないこと。好美清浄。
  点汚(てんお):シミを付ける/汚す/曇らせる/にじませる/汚点を付ける( stain, sully, tarnish, smear, blemish )。
  点墨(てんぼく):墨でよごす。
  (てん):原義:白玉上の斑点( a flaw in a piece of jade )、欠点/汚点( defect, stain )、けがす/よごす/汚点をつける( smear, stain )。
  参考:『別訳雑阿含経巻16(358)』:『爾時復有一比丘。在俱薩羅國依止彼林。眼視不明請醫占之。醫語之言。比丘。若能嗅蓮華香眼還得明。彼比丘即信其言。又語之曰。我於何處得斯蓮花。醫即答言。汝若欲得蓮花香者。當詣蓮花池所。時彼比丘即用其言。至彼池所端坐嗅香。爾時天神見其如是。即說偈言 池中所生華  香氣甚馝馥  汝都不見主  云何偷花香  而汝於今者  真實得名盜  大仙汝何故  而盜於彼香  比丘說偈答言 天神汝當知  蓮華生池中  我不傷根莖  亦不偷盜取  但遠嗅香氣  以何因緣故  名為偷香者  我不受此語  天神復說偈言 池中有香花  不問其主取  檀越不施與  世人名為盜  大仙汝偷香  一向成盜罪  時有一人來入此池。以鎌芟截蓮花根葉重負而去。比丘見已。復說偈言 斯人入池中  斬拔花根子  狼籍而踐蹈  重擔而齎歸  何故不遮彼  語言汝盜取  天神說偈答言 彼人入池者  恒作於惡業  譬如乳兒母  而著於黑衣  雖有諸唌唾  都不見污辱  汝如白淨衣  易受其點污  是故止制汝  不能遮于彼  惡人如衣黑  造惡不譏呵  鮮白上有點  猶如蠅腳等  世人皆共見  設諸賢智人  有少微細過  其喻亦如是  珂貝上黑點  人皆遠見之  若斷結使者  諸業皆潔淨  有如毛髮惡  人見如丘山  比丘復說偈言 天今利益我  為欲拔濟故  隨所見我處  數數覺悟我  天神說偈答言 汝不以錢財  而用市我得  又不破他國  虜掠見擒獲  損益汝自知  誰逐汝覺悟  汝今應自忖  諸有損益事』
云何呵味。當自覺悟。我但以貪著美味故當受眾苦。洋銅灌口噉燒鐵丸。若不觀食法嗜心堅著。墮不淨虫中。 云何が味を呵する。当に自ら覚悟すべし、『我れは、但だ美味に貪著するを以っての故に、当に衆苦を受け、洋銅を口に潅ぎ、焼くる鉄丸を噉うべし。若し食法を観ず、嗜心堅く著せば、不浄の虫中に堕せん』、と。
何故、
『味』を、
『呵るのか?』。
自ら、
『覚悟すべきである!』、――
わたしは、
但だ、
『美味』を、
『貪著するだけ!』だが、
是の故に、
『多くの!』、
『苦』を、
『受けなくてはならない!』、
謂わゆる、
『洋銅』を、
『口』に、
『潅(そそ)がれたり!』、
『焼けた!』、
『鉄丸』を、
『噉(くら)わなくてはならない!』。
若し、
『食う!』という、
『法(事実)』を、
『観察せず!』、
『貪る!』、
『心』が、
『堅く著すれば!』、
則ち、
『不浄な虫』中に、
『堕ちることになるのだから!』、と。
  洋銅(ようどう):梵語 kvathita- taamra の訳、溶けた銅( molten copper )の義。
  (し):たしなむ/貪る。愛好する( have a liking for )、貪求する/渇望する( have an insatiable desire for )。
  堅著(けんじゃく):堅く著す。
如一沙彌心常愛酪。諸檀越餉僧酪。時沙彌每得殘分。心中愛著樂喜不離。命終之後生此殘酪瓶中。 一沙弥の如し。心に常に酪を愛して、諸の檀越の、僧に酪を餉(おく)る時、沙弥は毎(つね)に残分を得、心中に愛著、楽喜して離れず。命の終れる後、此の残酪の瓶中に生ず。
例えば、
『一沙弥』は、
『心』に、
常に、
『酪( cream )』を、
『愛していた!』ので、
諸の、
『檀越』が、
『僧』に、
『酪を贈った!』時には、
毎(つね)に、
『殘った分』を、
『得ており!』、
『心』中に、
『酪』を、
『愛著し!』、
『楽喜して!』、
『心』が、
『酪』から、
『離れなかった!』ので、
『命』が、
『終った!』後には、
此の、
『残酪の瓶』中に、
『生まれた!』。
  (らく):クリーム( cream )、梵語 dadhi の訳、凝固したミルク/濃くて酸っぱいミルク[治療法と看做され、分離したホエーを含まないことを以って、酥 curd と区別される]( coagulated milk, thick sour milk (regarded as a remedy, differing from curds in not having the whey separated from it) )。
  檀越(だんおつ):梵語 daanapati 、施主と訳す、布施( daana )の主( pati )の意。
  (しょう):おくる。田畑へ食物を運ぶ( carry meal to the field )、食物と飲料とでもてなす/を供給する( entertain (with food and drink) )、贈る( present )。
沙彌師得阿羅漢道。僧分酪時語言。徐徐莫傷此愛酪沙彌。諸人言。此是虫何以言愛酪沙彌。答言。此虫本是我沙彌但坐貪愛殘酪故生此瓶中。師得酪分虫在中來。師言。愛酪人汝何以來。即以酪與之。 沙弥の師は、阿羅漢道を得て、僧の酪を分くる時には、語りて言わく、『徐(おもむ)ろに、徐ろに、此の酪を愛する沙弥を傷つくる莫かれ』、と。諸人の言わく、『此れは是れ虫なり。何を以ってか、酪を愛する沙弥と言う』、と。答えて言わく、『此の虫は、本は是れ我が沙弥なり。但だ坐して、残酪を貪愛するが故に、此の瓶中に生ぜり』、と。師、酪を得て分くるに、虫中に在りて来たる。師の言わく、『酪を愛する人、汝は、何を以ってか来たる』、と。即ち酪を以って之に与う。
『沙弥』の、
『師』は、
『阿羅漢』の、
『道』を、
『得ていた!』が、
『僧』が、
『酪』を、
『配分する!』時には、
こう言っていた、――
ゆっくりと!
ゆっくりとな!
此の、
『酪を愛する!』、
『沙弥』を、
『傷つけるでないぞ!』、と。
諸の、
『人』が、
こう言った、――
此れは、
『虫です!』が、
何故、
『酪を愛する!』、
『沙弥』と、
『言われるのですか?』、と。
『答えて!』、
こう言った、――
此の、
『虫』は、
本、
わたしの、
『沙弥であった!』が、
何もせず、
但だ、
『残った酪』を、
『貪って!』、
『愛していた!』が故に、
此の、
『瓶の中』に、
『生まれたのだ!』、と。
『師』が、
『酪』を
『得て!』、
『分け与えるごとに!』、
『虫』は、
『瓶の中』より、
『出て来た!』。
『師』は、
こう言った、――
『酪』を、
『愛する!』、
『人よ!』、
お前は、
『何うして!』、
『出て来たのかね?』、と。
そして、
之に、
『酪』を、
『与えた!』。
  (ざ):坐る/席に着く( sit, be seated )、罪を獲る( be punished )、罪を犯す( commit a crime )、滞留する( stay )、[建物等が]沈下する( sink )、防守する( guard )、置く( put )、[船、車等]に乗る( travel by )、何に因るが故にか( because )。
復次如一國王名月分王。有太子愛著美味。王守園者日送好果。 復た次ぎに、一国王の月分王と名づくるが如し。有る太子、美味に愛著すれば、王の守園者、日ごとに好果を送れり。
復た次ぎに、
例えば、
『一(ある)国王』を、
『月分王』と、
『称する!』が、
有る、
『太子』が、
『美味』に、
『愛著していた!』ので、
『王』の、
『守園者』が、
毎日、
『好果』を、
『送っていた!』。
園中有一大樹。樹上有鳥養子。常飛至香山中。取好香果以養其子。眾子爭之一果墮地。守園人晨朝見之。奇其非常即送與王。王珍此果香色殊異。太子見之便索。王愛其子即以與之。 園中に一大樹有り、樹上に鳥有りて、子を養い、常に飛んで香山中に至り、好香の果を取りて、以って其の子を養うに、衆子、之を争いて、一果地に堕つ。守園人、晨朝に之を見、其の非常なるを奇として、即ち送りて王に与う。王は、此の果の香と色との殊異なるを珍しとす。太子、之を見るに便ち索む。王は、其の子を愛すれば、即ち以って之に与う。
『園』中に、
『一大樹』が、
『有り!』、
『樹』上には、
有る、
『鳥』が、
『子』を、
『養っていた!』。
『鳥』は、
常に、
『飛んで!』、
『香山』中に、
『至り!』、
『香の好い!』、
『果』を、
『取り!』、
其の、
『子』を、
『養っていたのである!』。
多くの、
『子』が、
『果』を、
『争っている!』と、
『一果』が、
『地』に、
『墮ちた!』。
『守園人』が、
早朝、
此の、
『果』を、
『見つける!』と、
其の、
『非常である!』のを、
『不思議に思い! 』、
すぐに、
『王』に、
『送り届けた!』。
『王』は、
此の、
『果の香、色』が、
『異常である!』のを、
『珍しく思った!』が、
『太子』が、
之を、
『見て!』、
『欲しがる!』と、
『王』は、
『太子』を、
『愛していた!』ので、
即座に、
『太子』に、
『与えてた!』。
  (き):奇妙な/不思議な/風変わりな/異常な( curious, incredible, queer, peculiar )。
太子食果得其氣味。染心深著日日欲得。王即召園人問其所由。守園人言。此果無種從地得之。不知所由來也。太子啼哭不食。王催責園人仰汝得之。 太子は、果を食うて、其の気味を得、染心深く著して、日日に得んと欲す。王は、即ち園人を召して、其の所由を問う。守園人の言わく、『此の果に種無く、地によりて之を得れば、由りて来たる所を知らず』、と。太子啼哭して食わず。王、園人を催(うな)がし責む、『汝を仰ぎて之を得よ』、と。
『太子』は、
『果』を、
『食って!』、
其の、
『香気』や、
『美味』を、
『気に入り!』、
『染心』が、
『深く!』、
『著して!』、
毎日、
『食いたい!』と、
『思った!』。
『王』は、
そこで、
『園人』を、
『召して!』、
其の、
『由来』を、
『問うた!』。
『守園人』は、
こう言った、――
此の、
『果』は、
『類』が、
『無く!』、
『地』に、
『落ちていた!』のを、
『拾いました!』ので、
何処から、
『来たのか?』は、
『知りません!』、と。
『太子』は、
『大声』で、
『泣き叫んで!』、
『物を食わなくなった!』。
『王』は、
『園人』を、
『急き立てて!』、こう責めた、――
お前に頼む!
之を、
『得てくれ!』、と。
  気味(きみ):においとあじ。
  所由(しょゆ):由来。わけ。事理の因縁/由来。由りて来たる所。
  (しゅ):種子( seed )、種類/類( genus )、品種( race, breed )、種える( to plant )。
  啼哭(たいこく):大声で泣き叫ぶ。
  (さい):急き立てる/急がせる( expedite, urge, hasten, hurry )。
  (ぎょう):あおぐ。上向く( face upward )、称讃/敬慕する( admire )、依頼する( rely on )。
園人至得果處。見有鳥巢知鳥銜來。翳身樹上伺欲取之。鳥母來時即奪得果送。日日如是。鳥母怒之於香山中取毒果。其香味色全似前者。 園人は、果を得し処に至り、鳥の巣有るを見、鳥の銜(くわ)えて来たるを知り、身を樹上に翳(かげ)にして、伺いて之を取らんと欲す。鳥の母来たる時、即ち果を奪いて得て送る。鳥の母、之を怒りて、香山中に於いて毒果にして、其の香味色の、全く前に似たる者を取る。
『園人』は、
『果を得た!』、
『処』に、
『至って!』、
『鳥』の、
『巣が有る!』のを、
『見!』、
『鳥』が、
『果を銜(くわ)えて来る!』のを、
『知る!』と、
『樹上』に、
『身』を、
『隠して!』、
『果』を、
『取ろうと!』、
『伺い!』、
『鳥の母』が、
『来た時』に、
『果』を、
『奪い取って!』、
『毎日』、
是のようにして、
『送っていた!』。
『鳥の母』は、
之を、
『怒り!』、
『香山』中に於いて、
『毒果』を、
『取った!』。
其の、
『香も!』、
『味も!』、
『色も!』、
『前者に』、
『そっくりであった!』。
園人奪得輸王。王與太子。食之未久身肉爛壞而死。著味如是有失身之苦。如是等種種因緣。是名呵著味欲。 園人奪い得て、王に輸(おく)る。王は太子に与うるに、之を食うて未だ久しからざるに、身肉爛壊して死す。味に著すれば、是の如き身を失う苦有り。是の如き等の種種の因縁は、之を味欲に著するを呵すと名づく。
『園人』は、
『果』を、
『奪い取る!』と、
『王』に、
『送り!』、
『王』は、
『太子』に、
『与えた!』。
『太子』は、
『果』を、
『食って!』、
『程なく!』、
『身の肉』が、
『腐り爛れて!』、
『死んだ!』。
『味』に、
『著すれば!』、
是のように、
『身を失う!』という、
『苦』が、
『有る!』。
是のような、
種種の、
『因縁』は、
是れを、
『味欲に著する!』者を、
『呵る!』と、
『称する!』。
云何呵觸。此觸是生諸結使之火因。繫縛心之根本。何以故。餘四情則各當其分。此則遍滿身識。生處廣故多生染著。此著難離。 云何が、触を呵する。此の触は、是れ諸の結使の火を生ずる因にして、心を繋縛する根本なり。何を以っての故に、余の四情は、則ち各其の分に当るも、此れは則ち遍満せる身識なれば、生処広きが故に、多く染著を生じて、此の著は離れ難し。
何故、
『触』を、
『呵るのか?』、――
此の、
『触』は、
諸の、
『結使』の、
『火』の、
『因であり!』、
『心』を、
『繋縛する!』、
『根本だからである!』。
何故ならば、
『余の四情』は、
各、
其の、
『部分』に、
『相当するだけである!』が、
此の、
『触』は、
『遍満する!』、
『身識だからである!』。
『生じる!』、
『処』が、
『広い!』が故に、
『多く!』の、
『染著』を、
『生じる!』ので、
此の、
『著』は、
『遠離し難い!』。
何以知之。如人著色。觀身不淨三十六種則生厭心。若於觸中生著雖知不淨。貪其細軟觀不淨無所益。是故難離。 何を以ってか、之を知る。人の色に著するが如きは、身の不浄の三十六種を観ずれば、則ち厭心を生ずるも、若し触中に、著を生ずれば、不浄なりと知ると雖も、其の細軟を貪りて、不浄を観るも、益する所無し。是の故に離れ難し。
何故、
『触の著』は、
『遠離し難い!』と、
『知るのか?』、――
例えば、
『人』が、
『色』に、
『著しても!』、
『身』の、
『不浄』を、
『三十六種』に、
『観れば!』、
則ち、
『厭心』を、
『生じことになる!』が、
若し、
『触』中に、
『著』を、
『生じれば!』、
『身』は、
『不浄である!』と、
『知りながら!』、
其の、
『細滑』の、
『肌』を、
『貪る!』が故に、
『不浄』を、
『観察しても!』、
『無益である!』。
是の故に、
『離れ難い!』。
  三十六種不淨(さんじゅうろくしゅふじょう):三十六種不浄充満、乃ち1髪、2毛、3爪、4歯、5眵(めやに)、6涙、7涎、8唾、9屎(くそ)、10溺(いばり)、11垢、12汗、13皮、14膚(はだ)、15血、16肉、17筋、18脈、19骨、20髄、21肪(あぶら)、22膏(あぶら)、23脳、24膜、25肝、26胆、27腸、28胃、29脾、30腎、31心、32肺、33生蔵、34熟蔵、35赤痰、36白痰なり。<(丁)
復次以其難捨故。為之常作重罪。若墮地獄。地獄有二部。一名寒冰二名焰火。此二獄中皆以身觸受罪苦毒萬端。此觸名為大黑闇處。危難之險道也。 復た次ぎに、其の捨て難きを以っての故に、之が為に常に重罪を作して、若しは地獄に堕ちん。地獄に二部有り、一を寒氷と名づけ、二を焔火と名づく。此の二獄中は、皆、身の触を以って、罪を受け、苦毒万端たり。此の触を名づけて、大黒闇処と為し、危難の険道なり。
復た次ぎに、
『触』の、
『著』は、
『捨て難い!』が故に、
此の、
『著』の為に、
常に、
『重罪』を、
『作り!』、
若しは、
『地獄』に、
『堕ちるのである!』。
『地獄』には、
『二部』有り、
一を、
『寒氷』と、
『呼び!』、
二を、
『焔火』と、
『呼ぶ!』が、
此の、
『二獄』中には、
皆、
『身』の、
『触れる!』が故に、
『罪』を、
『受け!』、
『獄』中には、
『苦毒(酷毒)』が、
『万端である!』。
此の、
『触』は、
『大黒闇処』と、
『呼ばれる!』、
『危難の険道である!』。
復次如羅睺羅母本生經中說。釋迦文菩薩有二夫人。一名劬毘耶。二名耶輸陀羅。耶輸陀羅羅睺羅母也。劬毘耶是寶女故不孕子。耶輸陀羅以菩薩出家夜。自覺妊身。 復た次ぎに、『羅睺羅母の本生経』中に説けるが如し。釈迦文菩薩は、二夫人有り、一を劬毘耶と名づけ、二を耶輸陀羅と名づく。耶輸陀羅は、羅睺羅の母なり。劬毘耶は、是れ宝女なるが故に、子を孕まず。耶輸陀羅は、菩薩の出家の夜を以って、自ら妊身なるを覚ゆ。
復た次ぎに、
例えば、
『羅睺羅母』の、
『本生経』中に、
『説かれた通りである!』、――
『釈迦文菩薩』には、
『二夫人』が有り、
一を、
『劬毘耶』と、
『呼び!』、
二を、
『耶輸陀羅』と、
『呼んだ!』。
『耶輸陀羅』は、
『羅睺羅』の、
『母である!』が、
『劬毘耶』は、
『宝女である!』が故に、
『子』を、
『孕まなかった!』。
『耶輸陀羅』は、
『菩薩』の、
『出家した!』、
『夜に!』、
自ら、
『妊娠した!』ことを、
『覚った!』。
  羅睺羅母本生経:『根本説一切有部毘奈耶破僧事巻12』、『摩訶僧祇律巻17』等に詳しい。
  宝女(ほうにょ):梵語 kanyaa- ratna の訳、少女の宝石( "girl-jewel" )の義、素晴らしい乙女/可愛らしい少女( an excellent maiden, a lovely girl. )の意。
  劬毘耶(くびや):又瞿夷と称す。釈尊太子時の妃。『大智度論巻33(上)注:瞿夷』参照。
  耶輸陀羅(やしゅだら):釈尊太子時の妃、子羅睺羅の母。『大智度論巻33(上)注:耶輸陀羅』参照。
  妊身(にんしん):妊娠した身( a pregnant body )。妊婦。
菩薩出家六年苦行。耶輸陀羅亦六年懷妊不產。諸釋詰之。菩薩出家何由有此。耶輸陀羅言。我無他罪。我所懷子實是太子體胤。 菩薩は出家して六年苦行し、耶輸陀羅も亦た六年懐妊して生まざれば、諸釈、之を詰(なじ)る、『菩薩出家したもうに、何に由りてか、此れ有る』、と。耶輸陀羅の言わく、『我れに他の罪無し。我が懐く所の子は、実に是れ太子の体胤なり』、と。
『菩薩』は、
『出家してから!』、
『六年』、
『苦行された!』が、
『耶輸陀羅』も、
『六年』、
『懐妊したままで!』、
『出産しなかった!』。
『諸釈』が、
『耶輸陀羅』を、
『詰(なじ)って!』、こう言った、――
『菩薩』は、
『出家された!』のに、
何のような、
『理由』で、
此の、
『事』が、
『有るのか?』、と。
『耶輸陀羅』は、
こう言った、――
わたしは、
『六年』、
『懐妊していた!』が、
他に、
『罪』は、
『無い!』。
わたしの、
『懐いている!』、
『子』は、
『実に!』、
『太子の体(血筋)』の、
『胤(たね)である!』、と。
  体胤(たいいん):体は血筋、胤は世繼ぎの義。
諸釋言。何以久而不產。答言。非我所知。諸釋集議。聞王欲如法治罪。劬毘耶白王。願寬恕之。我常與耶輸陀羅共住。我為其證知其無罪。待其子生知似父不治之無晚。王即寬置。 諸釈の言わく、『何を以ってか、久しく産まざる』、と。答えて言わく、『我が知る所に非ず』、と。諸釈は集議して、王に聞き、如法に治罪せんと欲す。劬毘耶の王に白さく、『願わくは、之を寛恕したまえ。我れは常に耶輸陀羅と共に住すれば、我れ其の証為りて、其の無罪を知る。其の子の生るるを待ち、父に似たるや不やを知りて、之を治するも、晩きこと無し』、と。王即ち寛置す。
『諸釈』は、
こう言った、――
何故、
『久しく!』、
『産まないのか?』、と。
答えて、こう言った、――
わたしの、
『知った!』、
『事ではない!』、と。
『諸釈』は、
『集議して!』、
『王』に、
『奏聞し!』、
『如法』に、
『罪』を、
『罰しようとした!』。
『劬毘耶』は、
『王』に、こう白した、――
願わくは、
心を寛(ひろ)くして、
『耶輸陀羅』を、
『恕(ゆる)したまえ!』。
わたしは、
『耶輸陀羅』と、
『常に!』、
『いっしょに居ります!』ので、
わたしが、
『耶輸陀羅』の、
『証人』と、
『為ります!』し、
『耶輸陀羅』が、
『無罪である!』ことも、
『知っております!』。
其の、
『子』が、
『生まれる!』のを、
『待って!』、
『父』に、
『似ているかどうか?』を、
『知られてから!』、
『耶輸陀羅』を、
『罰されても!』、
『晩(おそ)くはありません!』、と。
『王』は、
心を寛くして、
『耶輸陀羅』の、
『罪』を、
『放置した!』。
  聞王(もんおう):王に奏上する。奏聞。
  (もん):聞く( hear )、~だと聴いている( be told, know )、受容れる( accept )、宣伝する( propagate )、奏上する/上級者に報告する( report )、名が聞える( well known )、乗ずる( take advantage of )、嗅ぐ( smell )、問訊する/挨拶を申し上げる( inquire, extend greetings to )、知識/見聞( knowledge )、伝聞/消息( information )、声望/威光( popurarity, prestige )。
  治罪(ちざい):罪を裁く。
  (じ):統治( administer, gavarn )、辦理/処理( handle, treat )、経営( manage )、治療( cure )、処罰( punish )、修築( build, construct )、研究( study )。
  寛恕(かんじょ):心をひろくして咎めないこと。
  寛置(かんち):心をひろくして放置すること。
佛六年苦行既滿。初成佛時其夜生羅睺羅。王見其似父愛樂忘憂。語群臣言。我兒雖去今得其子。與兒在無異。 仏の六年の苦行、既に満ちて、初めて仏と成りたもう時、其の夜、羅睺羅を生ず。王は、其の父に似たるを見て、愛楽し憂を忘れて、群臣に語りて言わく、『我が児は、去れりと雖も、今得たる其の子は、児在ると異無し』、と。
『仏』が、
『六年』の、
『苦行』が、
『満ちて!』、
『初めて!』、
『仏』と、
『成られた!』時、
其の、
『夜』に、
『羅睺羅』が、
『生まれた!』。
『王』は、
其れが、
『父』に、
『似ている!』のを、
『見て!』、
『愛楽し!』、
『憂』を、
『忘れ!』、
『群臣』に語って、こう言った、――
わたしの、
『児』は、
『家』を、
『去った!』が、
今、
其の、
『子』を、
『得ることができた!』。
『児』が、
『家』に、
『在る!』のと、
何の、
『異(ことなり)』も、
『無い!』、と。
耶輸陀羅。雖免罪黜惡聲滿國。耶輸陀羅欲除惡名。 耶輸陀羅は、罪と黜とを免ると雖も、悪声国に満つ。耶輸陀羅は、悪名を除かんと欲す。
『耶輸陀羅』は、
『罪』と、
『黜(罷免)』とを、
『免れた!』が、
『悪声(悪名)』が、
『国』に、
『満ちていた!』。
『耶輸陀羅』は、
『悪名』を、
『除こう!』と、
『思った!』。
  (ちゅつ):罷免/免職/降職( dismiss, demote, downgrade )。
佛成道已。還迦毘羅婆度諸釋子。時淨飯王及耶輸陀羅。常請佛入宮食。 仏は、道を成じ已りて、迦毘羅婆に還りて、諸の釈子を度せんとしたまえり。時に、浄飯王、及び耶輸陀羅、常に請ずれば、仏は宮に入りて食したまえり。
『仏』は、
『道』を、
『完成させる!』と、
『迦毘羅婆』に、
『還って!』、
諸の、
『釈子』を、
『済度された!』が、
その時、
『浄飯王』と、
『耶輸陀羅』とが、
常に、
『請うた(招いた)!』ので、
『仏』は、
『宮』に、
『入って!』、
『食事をされた!』。
是時耶輸陀羅持一缽百味歡喜丸。與羅睺羅令持上佛。是時佛以神力。變五百阿羅漢。皆如佛身無有別異。 是の時、耶輸陀羅は、一鉢の百味の歓喜丸を持して、羅睺羅に与え、持ちて仏に上(ささ)げしむ。是の時、仏は神力を以って、五百の阿羅漢を変じたまえば、皆、仏身の如くして、別異有ること無し。
是の時、
『耶輸陀羅』は、
『一鉢』の、
『百味の歓喜丸』を、
『手』に、
『持って!』、
『羅睺羅』に、
『与え!』、
『仏』に、
『捧げさせた!』。
是の時、
『仏』は、
『神力』で、
『五百の阿羅漢』を、
『変じられる!』と、
『五百の阿羅漢』は、
皆、
『仏』の、
『身』と、
『そっくりになり!』、
『仏』と、
『異なる!』所が、
『無かった!』。
  百味歓喜丸(ひゃくみかんきがん):小麦粉、酥、蜜等に百種の薬草を和して製する所の食物。『大智度論巻12下注:歓喜丸』参照。
羅睺羅以七歲身持歡喜丸。徑至佛前奉進世尊。是時佛攝神力。諸比丘身復如故。皆空缽而坐。唯佛缽中盛滿歡喜丸。 羅睺羅は、七歳の身を以って、歓喜丸を持し、径(ただち)に、仏前に至り、世尊に奉進した。是の時、仏は神力を摂(おさ)めたまえば、諸の比丘の身は、復た故(もと)の如く、皆、鉢を空(むな)しうして坐し、唯だ仏のみ、鉢中に、歓喜丸を盛満す。
『羅睺羅』は、
『七歳の身』に、
『歓喜丸』を、
『持って!』、
『真直ぐ!』、
『仏の前』に、
『至り!』、
『歓喜丸』を、
『世尊』に、
『奉進した!』。
是の時、
『仏』は、
『神力』を、
『摂(おさ)められた!』ので、
諸の、
『比丘』の、
『身』は、
『故(もと)に!』、
『復(もど)った!』が、
皆、
『鉢』を、
『空にして!』、
『坐っており!』、
唯だ、
『仏』の、
『鉢の中』にだけ、
『歓喜丸』が、
『山盛りであった!』。
  奉進(ぶしん):奉げ進める。奉げて前にさしだす。
耶輸陀羅即白王言。以此證驗我無罪也。耶輸陀羅即問佛言。我有何因緣懷妊六年 耶輸陀羅の、即ち王に白して言さく、『此の証を以って、我が無罪を験せり』、と。耶輸陀羅の即ち、仏に問うて言わく、『我れに何なる因縁有りてか、懐妊すること六年なる』、と。
『耶輸陀羅』は、
そこで、
『王』に白して、こう言った、――
此の、
『証拠』で、
わたしの、
『無罪』が、
『験(あか)されました!』、と。
『耶輸陀羅』は、
そして、
『仏』に問うて、こう言った、――
何のような、
『因縁』が、
『有って!』、
わたしは、
『六年も!』、
『懐妊していたのですか?』、と。
佛言。汝子羅睺羅。過去久遠世時曾作國王。時有一五通仙人來入王國。語王言。王法治賊請治我罪。王言。汝有何罪。答言。我入王國犯不與取。輒飲王水用王楊枝。王言。我以相與何罪之有。我初登王位。皆以水及楊枝施於一切。 仏の言わく、『汝が子、羅睺羅は、過去久遠世の時、曽て国王と作れり。時に有る一五通の仙人来たりて、王国に入り、王に語りて言わく、『王法は、賊を治す、請う、我が罪を治したまえ』、と。王の言わく、『汝に、何なる罪か有る』、と。答えて言わく、『我れは王国に入りて、不与取を犯せり。輒ち王の水を飲み、王の楊枝を用う』、と。王の言わく、『我れ、相与うるを以って、何の罪か、之に有らん。我れは、初めて王位に登りしより、皆、水及び楊枝を以って、一切に施せり』、と。
『仏』は、
こう言われた、――
お前の、
『子』の、
『羅睺羅』は、
過去の、
久遠世の時、
曽(かつ)て、
『国王』と、
『作ったのである!』が、
その時、
有る、
『一五通の仙人』が来て、
『王』に、こう言った、――
『王』の、
『法律』は、
『賊』を、
『罰するのである!』から、
どうか、
わたしの、
『罪』を、
『罰してほしい!』、と。
『王』は、
こう言った、――
お前には、
何のような、
『罪』が、
『有るのか?』、と。
答えて、こう言った、――
わたしは、
『王の国』に、
『入る!』と、
『不与取(窃盗)』を、
『犯した!』。
則ち、
『王』の、
『水』を、
『飲んで!』、
『王』の、
『楊枝』を、
『用いたのだ!』、と。
『王』は、
こう言った、――
わたしが、
それ等を、
『与えたのである!』。
それに、
何のような、
『罪』が、
『有るのか?』。
わたしは、
初めて、
『王位』に、
『登ってから!』、
常に、
『水』と、
『楊枝』とを、
『一切に!』、
『施してきたのだ!』、と。
  (ちょう):すなわち/たやすく。独断専行/専権( act personally in all affairs, decide and act alone )を表す。ただちに/すぐに( immediately )、毎次( always )、則( then )。
  五通仙人(ごつうせんにん):六神通の中、漏尽智証通を除く如意通、天眼通、天耳通、知他心通、知宿命通を具有せる仙人を云う。
  不与取(ふよしゅ):与えられざるに取る。偸盗。ぬすみ。
  (かい):みな、悉く/遍く/都べて/全て( all, every )。此に於いては「常に/毎( all the time, every time)」の意、即ち皆勤と言うが如し。
仙人言。王雖已施我心疑悔罪不除也。願今見治無令後罪。王言。若必欲爾。小停待我入還。王入宮中六日不出。此仙人在王園中六日飢渴。仙人思惟。此王正以此治我。 仙人の言わく、『王は、已に施すと雖も、我が心の疑悔の罪は除こらず。願わくは、今治せられて、後罪をして無からしめよ』、と。王の言わく、『若し必ず、爾せんことを欲せば、小(しばら)く停まりて、我が入りて還るを待て』、と。王は、宮中に入りて、六日出でず。此の仙人は、王の園中に在りて、六日飢渴す。仙人の思惟すらく、『此の王は、正に此れを以って、我れを治せり』、と。
『仙人』は、
こう言った、――
『王』は、
『施されたそうだが!』、
わたしの、
『心』は、
『疑悔の罪』が、
『除かれていない!』。
願わくは、
今、
『罰せられて!』、
後の、
『罪』を、
『無くされよ!』、と。
『王』は、
こう言った、――
若し、
何うしても、
『爾うしたい!』と、
『思うのであれば!』、
暫く、
『園』中に、
『停まって!』、
わたしが、
『宮』中に、
『入ってから還る!』のを、
『待て!』、と。
『王』は、
『宮』中に、
『入ったまま!』、
『六日』、
『出てこなかった!』ので、
此の、
『仙人』は、
『王の園』中に於いて、
『六日』、
『飢渴した!』。
『仙人』は、
こう思惟した、――
此の、
『王』は、
此の、
『六日』を、
『用いて!』、
わたしの、
『罪』を、
『罰したのだ!』、と。
王過六日而出辭謝仙人。我便相忘莫見咎也。以是因緣故。受五百世三惡道罪。五百世常六年在母胎中。以是證故。耶輸陀羅無有罪也。 王は、六日を過ぐして、出でて仙人に辞謝すらく、『我れは便ち、相忘れたり。咎めらるること莫かれ』、と。是の因縁を以っての故に、五百世に三悪道の罪を受け、五百世に常に六年、母胎中に在れば、是の証を以っての故に、耶輸陀羅には罪有ること無し。
『王』は、
『宮』中に、
『六日』を、
『過ごして!』、
『出る!』と、
『仙人』に、こう謝った、――
わたしは、
すっかり、
お前を、
『忘れていた!』、
『咎められるな!』、と。
是の、
『因縁』の故に、
『五百世』は、
『三悪道』の、
『罪』を、
『受け!』、
『五百世』は、
常に、
『六年』、
『母胎』中に、
『在るのだ!』が、
是の、
『証拠』の故に、
『耶輸陀羅』には、
『罪』が、
『無いのだ!』。
  辞謝(じしゃ):わびる。謝も辞もわびるの義。
是時世尊。食已出去。耶輸陀羅心生悔恨。如此好人世所希有。我得遭遇而今永失。世尊坐時諦視不眴。世尊出時尋後觀之遠沒乃止。 是の時、世尊は、食し已りて出でて去りたまえり。耶輸陀羅は、心に悔恨を生ずらく、『此の如き、好き人は、世に希有なる所なり。我れは遭遇するを得たるも、今は永く失えり』、と。世尊の坐する時には、諦視して眴(またた)かず、世尊の出づる時には、後を尋ねて之を観、遠く没して、乃ち止む。
是の時、
『世尊』は、
『食事をおえる!』と、
『宮』を、
『出て!』、
『去られた!』、
『耶輸陀羅』は、
『心』に、
『悔恨』を、生じた、――
此のような、
『好い人』は、
『世』に、
『希(まれ)に!』、
『有るだけだ!』。
わたしは、
『遭遇しながら!』、
此の、
『人』を、
『永久に!』、
『失った!』、と。
『耶輸陀羅』は、
『世尊』の、
『坐られた!』時には、
『眴(またた)きもせずに!』、
『じっと視つめ!』、
『世尊』の、
『出られる!』時には、
『後』を、
『眼を離さずに!』、
『観ており!』、
『遠くに!』、
『見えなくなる!』まで、
『止めなかった!』。
  悔恨(けこん):くやんでうらむ。
  好人(こうにん):好もしい人、夫を指す。
  (じん):たずねる/探る/探求する( look for, seek, search )、研究/探究/調査する( study, search, inquire into )、用いる( use )、継続する( continue )、追跡/追求する( pursue )。ついで/やがて( in a short instant, soon, after a little )。たずねる/沿って( along )。
  諦視(たいし):じっと見つめる。
心大懊恨。每一思至躄地氣絕。傍人以水灑之乃得蘇息。常獨思惟。天下誰能善為咒術。能轉其心令復本意歡樂如初。即以七寶名珠著金槃上以持募人。 心大いに懊恨し、一思の至る毎に、地に躄(たお)れて、気絶すれば、傍人、水を以って、之に灑(そそ)ぎ、乃ち蘇息するを得、常に独り思惟すらく、『天下に誰か、能く善く咒術を為し、能く其の心を転じて、本意に復(かえ)りて、歓楽すること初の如くならしめん』、と。即ち七宝、名珠を以って、金槃上に著(お)き、以って持して、人を募れり。
『耶輸陀羅』は、
『心』に、
『懊悩し!』、
『悔恨して!』、
『心』に、
『一思』の、
『至るごとに!』、
『脚』が、
『萎えて!』、
『地に仆れ!』、
『傍の人』に、
『水』を、
『灑(そそ)がれて!』、
ようやく、
『息』を、
『蘇らせることができたのである!』が、
常に、
独りで、こう思惟していた、――
『天下』の、
誰かが、
『咒術』が、
『善くできて!』、
彼の、
『人』の、
『心』を、
『転じることができ!』、
本の、
『意(こころ)』を、
『回復させて!』、
初のように、
『歓んだり!』、
『楽しんだりできないものだろうか?』、と。
そこで、
『七宝』や、
『名珠』を、
『金槃』上に、
『置く!』と、
その、
『金槃』を、
『手に持って!』、
『人を募った!』。
  懊恨(おうこん):なやんでうらむ。
  (ひゃく):あしなえ/たおれる。両足が萎える( lame )。
  金槃(こんばん):金属製の盆。
有一梵志應之言。我能咒之令其意轉。當作百味歡喜丸。以藥草和之。以咒語禁之。其心便轉必來無疑。耶輸陀羅受其教法。遣人請佛。願與聖眾俱屈威神。 有る一梵志、之に応じて言わく、『我れは、能く之を咒して、其の意を転じせしむべし。当に百味の歓喜丸を作りて、薬草を以って、之に和え、咒語を以って、之を禁ずべし。其の心は、便ち転じて、必ず来たること疑無し』、と。耶輸陀羅は、其の教うる法を受け、人を遣して仏を請ずらく、『願わくは、聖衆と倶に、威神を屈したまえ』、と。
有る、
『一梵志』が、
『耶輸陀羅』の、
『募集』に、
『応じて!』、
こう言った、――
わたしは、
其の、
『人』に、
『咒をかけて!』、
其の、
『意』を、
『転じさせることができる!』。
即ち、
『百味の歓喜丸』を、
『作って!』、
『薬草』と、
『和()えたなら!』、
『呪文』を、
『語って!』、
其の、
『人』に、
『施そう!』。
其の、
『心』は、
『たちどころに!』、
『転じて!』、
必ず、
『帰って来る!』こと、
『疑い無しである!』、と。
『耶輸陀羅』は、
其の、
『梵志』の、
『教える!』、
『法』を、
『受ける!』と、
『人』を、
『遣して!』、
『仏』を、こう請じた、――
願わくは、
『聖衆』と、
『いっしょに!』、
『威神』を、
『屈して!』、
『宮に来たまえ!』、と。
  (こん):耐える/任える( bear, endure )、[否定的構文に於いて]自制する( restrain oneself, contain oneself (used in negative construction) )、苦しめる( torment )、禁忌( taboo )、天子の宮殿( court )、禁令( prohibition )、魔術/咒術( sorcery )、禁止/制止する( prohibite )、監禁/拘禁する( imprison )、阻止/邪魔する( hinder )、咒術を施す( use incantation )、秘密/隠密の( in secret )、天子に属する( imperial )。
  威神(いじん):重みがあって奥ゆかしいこと。威厳。
  聖衆(しょうじゅ):阿羅漢衆。
佛入王宮。耶輸陀羅即遣百味歡喜丸著佛缽中。佛既食之。耶輸陀羅冀想如願歡娛如初。佛食無異心目澄靜。耶輸陀羅言。今不動者藥力未行故耳。藥勢發時必如我願。 仏は、王宮に入りたまい、耶輸陀羅は、即ち百味の歓喜丸を遣して、仏の鉢中に著くるに、仏は、即ち之を食したまえり。耶輸陀羅は、願の如く、歓娯すること初の如くなるを冀想す。仏は、食したもうに、異なること無く、心目澄静たり。耶輸陀羅の言わく、『今動かざるは、薬力の未だ行かざるが故なるのみ。薬勢発する時には、必ず我が願の如くならん』、と。
『仏』が、
『王宮』に、
『入られる!』と、
『耶輸陀羅』は、
すぐに、
『人』を、
『遣して!』、
『百味の歓喜丸』を、
『仏の鉢』中に、
『入れさせた!』。
『仏』が、
此の、
『歓喜丸』を、
『食われる!』と、
『耶輸陀羅』は、
『期待して!』、こう想像した――
願い通りになれ!
『歓喜したり!』、
『娯楽したり!』して、
まったく、
『初めてのように!』、と。
『仏』は、
『食われた!』のに、
『異なる!』、
『様子』が、
『無く!』、
『心』も、
『目』も、
『静かに!』、
『澄んでいた!』ので、
『耶輸陀羅』は、
こう言った、――
今、
『動揺されていない!』のは、
『薬力』が、
『行き届かないだけだ!』。
『薬』の、
『勢力』が、
『発動した!』時には、
必ず、
わたしの、
『願い通りになるだろう!』、と。
  冀想(きそう):希望して想像する。
佛飯食訖而咒願已從座起去。耶輸陀羅冀藥力晡時日入當發必還宮中。佛食如常身心無異。 仏は、飯食し訖(おわ)りて、咒願し已り、座より起ちて去りたまえり。耶輸陀羅の冀(こいねが)うらく、『薬力は、晡時に日入れば、当に発して、必ず宮中に還りたもうべし』、と。仏は食すること、常の如くして、身心に異無し。
『仏』は、
『飯』を、
『食い已る!』と、
『咒願して!』、
『座』より、
『起って!』、
『去られた!』。
『耶輸陀羅』は、
『冀(こいねが)った!』、――
『薬』の、
『勢力』が、
夕方に、
『日』が、
『入れば!』、
『発動して!』、
必ず、
『宮』中に、
『還られるはずだ!』、と。
『仏』は、
此の、
『飯』を、
『食われた!』が、
常のように、
『身、心』に、
『異』が、
『無かった!』。
  飯食(ぼんじき):めしをくう。食事。
  咒願(しゅがん):呪願も同じ。唱呪回願の意。又祝願に作る。即ち食等を受くる時、施主の志す所に随って語句を唱え、以って祈願するを云う。「五分律巻18布薩法」に、「仏言わく、応に斉限を作して説法すべし。説法竟らば応に呪願すべし」と云い、「十誦律巻38」に、「僧食に飽満し已り、鉢を摂し手を洗いて呪願し、呪願し已りて上座より次第に地敷を却けて出づ」と云い、又「同巻41」に、「時に諸の比丘次第に入り、次第に坐し、次第に食し、次第に起ち、次第に去り、時に黙然として入り、黙然として坐し、黙然として食し、黙然として起ち、黙然として去る。諸の居士訶責して言わく、有余の沙門婆羅門は讃唄し呪願し讃歎す、沙門釈子は自ら言す、善く有徳を好むと。黙然として入り、黙然として坐し、黙然として食し、黙然として起ち、黙然として去る。我等は食の好不好を知らずと。諸の比丘云何がすべきかを知らず、是の事を仏に白す、仏言わく、今より食時に応に唄し呪願して讃歎すべしと。諸の比丘誰の応作なるかを知らず。仏言わく、上座の作と。爾の時、偸羅難陀は少学寡聞にして時に上座たり。仏言わく、若し上座能わずんば次に第二のもの応に作すべく、第二能わずんば第三のもの応に作すべく、是の如く次第に能くする者応に作すべしと」と云える是れなり。之に依るに食後の讃唄呪願は古くより印度婆羅門の間に行われたるものの如く、而して釈尊は之を採用し、沙門の法として制せられたるを知るべし。又「増一阿含経巻29」には呪願に六徳ありとし、即ち施主檀越は信根成就、戒徳成就、聞成就の三法を成就し、又施物の法は色成就、味成就、香成就の三法を成ずと云えり。呪願の文句に関しては「摩訶僧祇律巻34明威儀法」に種種の呪願文を列記し、其の中、亡人の為に福を施すには、「一切衆生類、有命皆帰死、随彼善悪行、自受其果報、行悪入地獄、為善者生天、善能修行道、漏尽得泥洹」と唱え、子を生み福を設くるには、「僮子帰依仏、如来毘婆施、尸棄毘葉婆、拘楼拘那鋡、迦葉及釈迦、七世大聖尊、譬如人父母、慈念於其子、挙世之楽具、皆悉欲令得、令子受諸福、復倍勝於彼、家家諸眷属、受楽亦無極」と誦し、若し新舎に入り供を設くるには、「屋舎覆陰施、所欲随意得、吉祥賢聖衆、処中而受用、世有黠慧人、乃知於此処、請持戒梵行、修福設飲食、僧口祝願故、宅神常歓喜、善心生守護、長夜於中住、若入於聚落、及以曠野処、若昼若於夜、天神常随護」と誦し、估客旅行せんと欲して福を設くるには、「諸方皆安隠、諸天吉祥応、聞已心歓喜、所欲皆悉得、両足者安隠、四足者亦安、去時得安隠、来時亦安隠、夜安昼亦安、諸天常護助、諸伴皆賢善、一切悉安隠、康健賢善好、手足皆無病、挙体諸身分、無有疾苦処、若有所欲者、去得心所願」と誦し、婦を娶り施すには、「女人信持戒、夫主亦復然、由有信心故、能行修布施、二人俱持戒、修習正見行、歓喜共作福、諸天常随喜、此業之果報、如行不齎糧」と誦し、出家人の為に布施するには、「持鉢家家乞、値瞋或遇喜、将適護其意、出家布施難」等と唱うべきことを説き、其の他、「大宋僧史略巻中」には、赴請に、「二足常安、四足亦安、一切時中、皆吉祥等」と云い、「禅苑清規巻1赴粥飯の條」には、斎時に「三徳六味、施仏及僧、法界人天、普同供養」、讃飯時に「施者受者、俱獲五常、色力命安、得無礙辯」と誦すべきことを記せり。又「雑談集巻5」、「南海寄帰内法伝巻1」、「成具光明定意経」、「過去現在因果経巻3、4」、「四分律行事鈔巻下三計請設則篇」、「盂蘭盆経」、「中阿含経巻41」、「雑宝蔵経巻6」、「普曜経巻7商人奉麨品」、「十誦律巻39」、「有部毘奈耶破僧事巻5、8」、「五分律巻25、42」、「四分律行事鈔資持記巻下三」、「釈子要覧巻上」等に出づ。<(望)
  晡時(ほじ):申の刻、今の午後四時頃。夕方。
諸比丘明日食時。著衣持缽入城乞食。具聞此事增益恭敬。佛力無量神心難測不可思議。耶輸陀羅藥歡喜丸其力甚大。而世尊食之身心無異。 諸の比丘は、明日、食時に、衣を著け、鉢を持して城に入り、乞食して、具(つぶさ)に此の事を聞き、恭敬を増益す、『仏力は無量にして、神心は測り難く不可思議なり。耶輸陀羅の薬と歓喜丸とは、其の力甚大なり。世尊は、之を食したまえるも、身心に異無し』、と。
諸の、
『比丘』は、
『明日』の、
『食時』に、
『衣を著け!』、
『鉢を持つ!』と、
『城』中に、
『入って!』、
『乞食しながら!』、
具(つぶさ)に、
此の、
『事』を、
『聞いて!』、
増々、
『恭敬』を、
『益すことになり!』、
こう言った、――
『仏』の、
『力』は、
『無量である!』が、
『神心(神秘的な心)』も、
『測り難く!』、
『不可思議である!』。
『耶輸陀羅』の、
『薬』や、
『歓喜丸』の、
『勢力』は、
『甚大である!』が、
『世尊』が、
『食われる!』と、
『身にも心にも!』、
『異』が、
『無かったそうだ!』、と。
諸比丘食已出城。以是事具白世尊。佛告諸比丘。此耶輸陀羅。非但今世以歡喜丸惑我。乃往過去世時。亦以歡喜丸惑我。 諸の比丘は、食し已りて城を出で、是の事を以って具に、世尊に白す。仏の諸の比丘に告げたまわく、『此の耶輸陀羅は、但だ今世にのみ、歓喜丸を以って、我れを惑わせるに非ず。乃往、過去世の時にも、亦た歓喜丸を以って、我れを惑わせり』、と。
諸の、
『比丘』は、
『食い已る!』と、
『城』を、
『出て!』、
是の、
『事』を、
具に、
『世尊』に、
『説明した!』。
『仏』は、
諸の、
『比丘』に、こう告げられた、――
此の、
『耶輸陀羅』は、
但だ、
『今世』のみ、
『歓喜丸』で、
わたしを、
『惑わせたのではない!』。
昔の、
『過去世』にも、
『歓喜丸』で、
わたしを、
『惑わせたのだ!』、と。
  乃往(ないおう):むかし。往時。昔日。
爾時世尊。為諸比丘說本生因緣。過去久遠世時。婆羅奈國山中有仙人。以仲春之月於澡槃中小便。見鹿麚麀合會。婬心即動精流槃中。麀鹿飲之即時有娠。滿月生子形類如人。唯頭有一角其足似鹿。 爾の時、世尊は、諸の比丘の為に本生の因縁を説きたまえり。過去、久遠世の時、婆羅奈国の山中に、仙人有り、仲春の月に澡槃中に、小便するに、鹿の麚麀の合会するを見るを以って、婬心即ち動きて、精槃中に流れ、麀鹿之を飲みて即時に娠有り、月満ちて子を生ずるに、形の類すること人の如く、唯だ頭に一角有りて、其の足は鹿に似たり。
爾の時、
『世尊』は、
諸の、
『比丘』の為に、
『本生の因縁』を、
『語られた!』、――
過去の、
『久遠世の時』、
『波羅奈国』の、
『山』中の、
有る、
『仙人』は、
『仲春の月』に、
『澡槃』中に、
『小便をしている!』と、
『鹿の雌雄』の、
『合会している!』のが、
『見えた!』ので、
『婬心』が、
『たちどころに!』、
『動き!』、
『精』が、
『澡槃』中に、
『流れた!』。
『雌の鹿』が、
之を、
『飲んで!』、
『妊娠し!』、
『月が満ちて!』、
『子』が、
『生まれる!』と、
『形』は、
『人の類』に、
『そっくりであったが!』、
唯だ、
『頭』に、
『一角』が、
『有り!』、
『足』が、
『鹿』に、
『似ていた!』。
  澡槃(そうばん):たらい。
  仲春(ちゅうしゅん):春三ヶ月の中の月、即ち陰暦二月。
  麚麀(かゆう):牡鹿と牝鹿。
  合会(ごうえ):あう。会合。牝牡相偶。
  麀鹿(ゆうろく):牝鹿。
  満月(まんがつ):子を孕んで月が満ちること、臨月。
鹿當產時至仙人菴邊而產。見子是人。以付仙人而去。仙人出時見此鹿子。自念本緣。知是己兒取已養育。及其年大懃教學問。通十八種大經。又學坐禪行四無量心即得五神通。 鹿は、産む時に当りて、仙人の菴辺に至りて産み、子の是れ人なるを見て、以って仙人に付して去る。仙人は、出づる時、此の鹿の子を見るに、自ら本縁を念じて、是れが己の児なるを知り、取り已りて養育し、其の年の大なるに及びて、懃めて学問を教うれば、十八種の大経に通じ、又坐禅を学んで、四無量心を行じ、即ち五神通を得たり。
『鹿』は、
『産む時になる!』と、
『仙人』の、
『庵の辺』に、
『至って!』、
『産み!』、
『子』が、
『人である!』のを、
『見ると!』、
之を、
『仙人』に、
『託して!』、
『去った!』。
『仙人』は、
『出かける!』時、
此の、
『鹿の子』を、
『見て!』、
自ら、
『本の縁』を、
『念じて!』、
是れが、
『己』の、
『児である!』のを、
『知り!』、
之を、
『取り上げて!』、
『養育した!』。
其の、
『年』が、
『長じる!』に、
『及んで!』、
懃めて、
『学問』を、
『教えた!』が、
やがて、
『十八種』の、
『大経』に、
『通じるようになり!』、
又、
『坐禅』を、
『学んだり!』、
『四無量心』を、
『行ったりした!』ので、
やがて、
『五神通』を、
『得ることになった!』。
  (ふ):引き渡す( hand over to, turn over to )、支払う/支給する( expend, pay )、委託/付託する/預ける( entrust )、塗る( apply )、符合( keeping with, fit )、権威に服す/附着する( submit to authority, stick to )。
  年大(ねんだい):年が長ずること。年小の対。
  十八種大経(じゅうはっしゅだいきょう):即ち四韋陀、六論、八論の総称であり、婆羅門の修めるべき十八種の学問を云う。『大智度論巻2下注:十八大経』参照。
一時上山値大雨。泥滑其足不便。躄地破其鍕持。又傷其足。便大瞋恚。以鍕持盛水咒令不雨。仙人福德諸龍鬼神皆為不雨。不雨故五穀五果盡皆不生。人民窮乏無復生路。 一時、山に上りて大雨に値(あ)うに、泥其の足を滑らせて便ならず、地に躄れて、其の鍕持を破り、又其の足を傷つくれば、便ち大に瞋恚し、以って、鍕持に盛れる水を咒して雨をふらしめず。仙人の福徳は、諸龍鬼神をして、皆雨をしてふらしめず。雨ふらざるが故に五穀、五果尽く皆生ぜず。人民窮乏するも、復た生路無し。
『一角仙人』は、
一時(ある時)、
『山』に、
『上って!』、
『大雨』に、
『値()い!』、
『泥』が、
其の、
『足』を、
『滑らせて!』、
『自由にならず!』、
『地』に、
『仆れて!』、
其の、
『水瓶』を、
『破り!』、
又、
其の、
『足』を、
『傷つけた!』ので
大いに、
『瞋恚した!』。
是の故に、
『水瓶』に、
『盛られていた!』、
『水』を、
『呪(のろ)って!』、
『雨』を、
『降らせないようにした!』。
『仙人』の、
『福徳』は、
諸の、
『龍』や、
『鬼神』たちに、
皆、
『雨』を、
『降らせないようにさせた!』ので、
『雨』の、
『降らない!』が故に、
『五穀』や、
『五果』が、
皆、
『尽く!』が、
『生育しなくなり!』、
『人民』は、
『窮乏した!』が、
他の、
『生活の路』も、
『無かった!』。
  鍕持(ぐんじ):梵語 kuNDikaa 、又軍持、君持、軍挻、軍遅、鍕持、君稚迦、捃稚迦等に作り、瓶、又は澡瓶と訳す。即ち千手観音の四十手中の持ち物の水瓶なり。<(望)
  (じゅ):呪の俗字。まじなう/祈る( pray )、のろう/呪詛する( curse )、呪文( spell )。
  五穀(ごこく):種種有るも、「陀羅尼集経巻3」には、「五穀と言うは、一に大麦、二に小麦、三に稲穀、四に小豆、五に胡麻」と云えり。
  五果(ごか):委細不明。蓋し「翻訳名義集巻3五果篇第三十二」に、「律に五果を明す、一に核果、棗杏等の如し。二に膚果、梨柰の如きは、是れ皮膚の果なり。三に殻果、椰子胡桃柘榴等の如し。四に檜果、字書は空外切なり。麁糠皮、之を檜と謂う。松柏の子の如し。五に角果、大小の豆等の如し」と云えるが如き是れなり。
  生路(しょうろ):活路/生計の手段/生活の資( means of livelihood )。
婆羅奈國王憂愁懊惱。命諸大官集議雨事。明者議言。我曾傳聞。仙人山中有一角仙人。以足不便故。上山躄地傷足。瞋咒此雨令十二年不墮。 婆羅奈国の王は憂愁し懊悩して、諸の大官に命じ、集まりて雨事を議せしむ。明者の議して言わく、『我れは曽て伝え聞く、仙人の山中に、一角仙人有り、足の不便なるを以っての故に、山に上りて地に躄れ、足を傷つくるに、瞋りて此の雨を咒し、十二年堕ちざらしむと』、と。
『婆羅奈国』の、
『王』は、
『憂愁し!』、
『懊悩して!』、
諸の、
『大官』に、
『命じて!』、
『集まらせ!』、
『雨の事』を、
『審議させた!』。
『世間』に、
『明るい者』が、
『意見を陳べて!』、こう言った、――
わたしは、
曽(かつ)て、
伝え聞いたことがある、――
『仙人山』中の、
有る、
『一角仙人』は、
『足』が、
『不自由である!』が故に、
『山』に、
『上って!』、
『地』に、
『仆れ!』、
『足』を、
『傷つけ!』、
『瞋って!』、
『呪った!』が故に、
此の、
『雨』を、
『十二年間』、
『降らさせないのだ!』、と。
  (ぎ):検討する/意見を交換しあう/相談する( discuss, exchange views on, talk over )、是非を論評する( comment on )、選択する( select, choose )、意見/判断/評価( opinion, view )、忖度/憶測( conjecture )。
王思惟言。若十二年不雨我國了矣。無復人民。王即開募。其有能令仙人失五通。屬我為民者。當與分國半治。 王の思惟して言わく、『若し十二年雨ふらざれば、我が国は了りなん。復た人民も無からん』、と。王は、即ち募を開く、『其れ能く仙人をして、五通を失せしめ、我れに属して民為らん者は、当に国の半ばを与えて治せしむべし』、と。
『王』は、
『思惟して!』、こう言った、――
若し、
『十二年』、
『雨』が、
『降らなければ!』、
わたしの、
『国』は、
『終ってしまうだろう!』。
復た、
『人民』も、
『居なくなるだろう!』、と。
『王』は、
すぐさま、
『募集』を、
『開始して!』、こう言った、――
其の、
有る者が、
『仙人』に、
『五通』を、
『失わせられて!』、
わたしに、
『属する!』、
『民ならば!』、
わたしは、
『国の半分』を、
『与えて!』、
『治めさせよう!』、と。
  (ぼ):広汎に召集する。徴募する/募集する( enlist, recruit, raise, collect )。
是婆羅奈國有婬女。名曰扇陀。端正無雙。來應王募問諸人言。此是人非人。眾人言。是人耳。仙人所生。婬女言。若是人者我能壞之。作是語已取金槃盛好寶物。語國王言。我當騎此仙人項來。 是の婆羅奈国の有る婬女、名を扇陀と曰い、端正なること無双なるもの、来たりて王募に応じ、諸人に問うて言わく、『此れは是れ人なるや、人に非ざるや』、と。衆人の言わく、『是れは人なるのみ。仙人の所生なり』、と。婬女の言わく、『若し是れ人なれば、我れ能く之を壊(やぶ)らん』、と。是の語を作し已りて、金槃に盛らるる好き宝物を取り、国王に語りて言わく、『我れ当に、此の仙人の頂きに乗りて来たるべし』、と。
是の、
『婆羅奈国』の、
有る、
『婬女』は、
『扇陀』と、
『呼ばれており!』、
『端正である!』こと、
『双(なら)ぶ!』者の、
『無かった!』が、
『王』の、
『募集』に、
『応じる!』と、
諸の、
『人』に、
『問うて!』、こう言った、――
此れは、
『人ですか?』、
『人ではないのですか?』、と。
多くの、
『人』が、こう言った、――
是れは、
『人には!』、
『違いない!』が、
『仙人』の、
『生んだ!』、
『人だ!』、と。
『婬女』は、
こう言った、――
若し、
是れが、
『人ならば!』、
わたしには、
之を、
『破滅させることができます!』。
是のように、
『語る!』と、
『金槃に盛られた!』、
『好い宝物』を、
『取り!』、
『国王』に語って、こう言った、――
わたしは、
此の、
『仙人の項(うなじ)』に、
『騎()って!』、
『還って来ましょう!』、と。
  (に):而已に同じ。のみ。語末に有りて只/過ぎない/僅かに等と連用する( that is all )。
  (え):やぶる。崩壊する/崩壊させる( collapse )、破滅する/破滅させる( ruin )。衰亡( decline and fall )。害する/台なしにする/役に立たなくさせる( spoil )、打ち負かす( defeat )。好ましくない/劣悪な/邪悪な( bad, evil )。
婬女即時求五百乘車載五百美女。五百鹿車載種種歡喜丸。皆以眾藥和之。以眾彩畫之令似雜果及持種種大力美酒色味如水。服樹皮衣草衣。行林樹間以像仙人。於仙人菴邊作草庵而住。 婬女は、即時に五百の車乗に五百の美女を載せたると、五百の鹿車に、種種の歓喜丸を載せたるを求め、皆、衆薬を以って之に和え、衆彩を以って之に画き、雑果に似しめ、及び種種の大力の美酒の色味水の如くなるを持ち、樹皮の衣、草の衣を服(つ)け、林樹の間を行くこと、以って仙人を像(かたど)り、仙人の菴の辺に於いて、草庵を作りて住す。
『婬女』は、
即時に、こう求めると――
『五百の車乗』には、
『五百の美女』を、
『載せ!』、
『五百の鹿車』には、
『種種の歓喜丸』を、
『載せ!』、
『歓喜丸』は、
皆、
『多く!』の、
『薬』で、
『和えて!』、
『多く!』の、
『彩(いろどり)』で、
『画いて!』、
『雑果そっくり!』に、
『似せるように!』、と。
種種の、
『大力の美酒』で、
『色』や、
『味』が、
『水のようなもの!』を、
『持ち!』、
『樹皮の衣』や、
『草の衣』を、
『着けたり!』、
『林樹の間』を、
『歩いたり!』して、
『仙人』に、
『似せる!』と、
『仙人』の、
『庵の辺』に、
『草の庵』を、
『作って!』、
『住まった!』。
  (ぞう):かたどる。似る/似せる/相似する( resemble, be like, take after, similar, alike )、摸倣する( imitate )、見習う( follow the example of )、随順する( comply with )。彫像を彫る/肖像画を画く( sculpture a statue or draw a portrait )。形像/容貌( appearance, looks )、彫像( statue )、図像( portrait, picture )。法式( rule )。
一角仙人遊行見之。諸女皆出迎逆。好華好香供養仙人。仙人大喜。諸女皆以美言敬辭問訊仙人。將入房中坐好床蓐。與好淨酒以為淨水。與歡喜丸以為果蓏。食飲飽已語諸女言。我從生已來初未得如此好果好水。諸女言。我以一心行善故天與我。願得此好果好水。 一角仙人の、遊行して之を見るに、諸女、皆、出でて迎逆し、好華、好香もて、仙人を供養す。仙人は大いに喜び、諸女は、皆、美言、敬辞を以って、仙人を問訊し、将いて房中に入れて、好き床褥に坐せしめ、好き浄酒を与えて、以って浄水と作し、歓喜丸を与えて、以って果蓏と為す。飲食に飽き已りて、諸女に語りて言わく、『我れ、生まれてより已来(このかた)、初より未だ此の如き好果、好水を得ず』、と。諸女の言わく『我れ、一心に善を行ずるを以っての故に、天、我れに願を与え、此の好果、好水を得るなり』、と。
『一角仙人』が、
『遊行していて!』、
之を、
『見る!』と、
『諸女』が、
皆、
『出迎え!』、
『好い華』や、
『好い香』を、
『供養した!』ので、
『仙人』は、
『大いに!』、
『喜んだ!』。
『諸女』は、
皆、
『美言』や、
『敬辞』で、
『仙人』を、
『問訊する!』と、
『仙人』を、
『将(ひき)いて!』、
『房』中に、
『入れ!』、
『好もしい!』、
『床褥(bed)』に、
『坐らせ!』、
『好もしい!』、
『浄酒』を、
『浄水ですよ!』といって、
『与え!』、
『歓喜丸』を、
『果蓏()ですよ!』といって、
『与えた!』。
『仙人』は、
『食ったり!』、
『飲んだり!』して、
『飽きる!』と、
『諸女』に語って、こう言った、――
わたしは、
『生まれてより!』
『以来!』、
初めから、
此のような、
『好果』と、
『好水』は、
『得たことがない!』、と。
『諸女』は、
こう言った、――
わたしは、
『一心』に、
『善』を、
『行ってきた!』ので、
『天』が、
『願い!』を、
『叶えてくれ!』、
此の、
『好果』と、
『好水』とを、
『得られました!』、と。
  迎逆(ぎょうぎゃく):出迎える。
  美言(みごん):美しいことば。
  敬辞(きょうじ):敬った言いまわし。
  問訊(もんじん):近況を問い訊ねる。挨拶。
  床蓐(しょうにく):梵語 zayanaasana の訳、睡眠/休息する所( sleeping or resting place )。
  果蓏(から):木に生るを果と云い、蔓に生る瓜の如きを蓏(ら)と云う。
仙人問諸女。汝何以故膚色肥盛。答言。我曹食此好果。飲此美水故肥盛如此。 仙人の諸女に問うらく、『汝は、何を以っての故にか、膚色の肥えて盛んなる』、と。答えて言わく、『我曹(われら)は、此の好果を食し、此の美水を飲めるが故に、肥えて盛んなること、此の如し』、と。
『仙人』は、
『諸女』に、こう問うた、――
お前は、
何故、
『皮膚の色』が、
『肥えて!』、
『盛んなのか?』、と。
『諸女』は答えて、こう言った、――
わたし達は、
此の、
『好果』を、
『食い!』、
此の、
『美水』を、
『飲んでいる!』ので、
此のように、
『肥えて!』、
『盛んなのです!』、と。
  肥盛(ひじょう):肥えてさかん。
  我曹(がそう):われら。我等。
女白仙人言。汝何以不在此間住。答曰。亦可住耳。女言。可共澡洗即亦可之。女手柔軟觸之心動。便復與諸美女更互相洗。欲心轉生遂成婬事。即失神通天為大雨 女の仙人に白して言わく、『汝は、何を以ってか、此の間に在りて住せざる』、と。答えて曰わく、『亦た住すべきのみ』、と。女の言わく、『共に澡洗すべし』、と。即ち亦た之を可とす。女の手は柔軟にして、之に触るれば心動き、便ち復た諸の美女と、更に互いに相洗うに、欲心転た生じて、遂に婬事を成じ、即ち神通を失いて、天は為に大いに雨ふらす。
『女』は、
『仙人』に白して、こう言った、――
あなたは、
何故、
此の、
『間()』に、
『住まないのですか?』、と。
『答えて!』、こう曰った、――
別に、
ただ、
『住めばよいのだ!』。
『女』は、
こう言った、――
いっしょに、
『洗いましょう!』、と。
そこで、
亦た、
之を、
『許した!』。
『女』の、
『手』は、
『柔軟であり!』、
『仙人』に、
『触れる!』と、
『仙人』は、
『心』が、
『動いて!』、
復た更に、
諸の、
『女』と、
『互いに!』、
『洗いあうことになった!』。
『仙人』の、
『心』に、
『欲望』が、
『次々と!』、
『生じて!』、
遂に、
『婬事』を、
『成した!』ので、
即ち、
『神通』を、
『失い!』、
『天』は、
其の為に、
大いに、
『雨』を、
『降らすことになった!』。
  (やく):腋の本字、腋窩( armpit )。も亦た/又/亦復た( also, again, )。~も~も( both....and.... )。只/過ぎず/僅々( but, only )。
  澡洗(そうせん):澡は手をあらう、洗は足をあらう。行水。
七日七夜。令得歡喜飲食。七日已後酒果皆盡。繼以山水木果。其味不美更索前者。答言。已盡今當共行。去此不遠有可得處。仙人言。隨意。即便共出。婬女知去城不遠。女便在道中臥言。我極不能復行。仙人言。汝不能行者。騎我項上當項汝去。 七日七夜、歓喜と飲食を得しめ、七日已後は、酒も果も皆尽くれば、継ぐに山の水、木の果を以ってするも、其の味は美からず、更に前者を索(もと)む。答えて言わく、『已に尽く。今当に共に行くべし。此を去ること遠からずして、得べき処有り』、と。仙人の言わく、『意に随わん』、と。即便ち共に出づ。婬女は、城を去ること遠からざるを知り、女は、便ち道中に在りて臥せて言わく、『我れ極まれり、復た行く能わず』、と。仙人の言わく、『汝、行く能わざれば、我が頂上に騎れ、当に汝を項にのせて、去るべし』、と。
『七日、七夜』、
『歓喜させて!』、
『飲ませたり!』、
『食わせたり!』し、
『七日已後』、
『酒』も、
『果』も、
皆、
『尽きてしまう!』と、
『山の水』と、
『木の果』とを、
『用いて!』、
『継いだ!』が、
其の、
『味』は、
『不味かった!』。
『仙人』が、
更に、
前の、
『果』や、
『酒』を、
『要求する!』と、
答えて、こう言った、――
已に、
『尽きてしまった!』ので、
今から、
『いっしょに!』、
『行きましょう!』。
此(ここ)から、
『行けば!』、
『余り!』、
『遠くないところに!』、
『得られそうな!』、
『処』が、
『有ります!』、と。
『仙人』は、
こう言った、――
お前の、
『意』に、
『随おう!』、と。
そして、
いっしょに、
『庵』を、
『出た!』。
『婬女』は、
『城』が、
『遠くない!』ことを、
『知る!』と、
『女』は、
『道』中に、
『臥せて!』、こう言った、――
わたしは、
くたくたに、
『疲れました!』。
もう、
『一歩も!』、
『歩けません!』、と。
『仙人』は、
こう言った、――
お前が、
『歩けなければ!』、
わたしの、
『項の上』に、
『騎れ!』、
お前を、
『乗せて!』、
『行くことにしよう!』、と。
  (さく):太綱( large rope )。捜索する( search, try to find out )、尋求/探索する( seek )、要求/依頼する( demand, ask for )。
  (ごく):棟木( ridgepole )、最高位/君位( highest position, throne )、頂点/最高処( top )、極限( extremity )、南北両端/北極星( pole, Polaris )、最も/非常に( extremely, exceedingly, very )、至る/到達する( reach )、窮尽/竭尽する( exhaust )、探究する( study deeply )、懲罰/誅殺する( punish )、極点に到達する( reach the limit )、最高の( extreme )。
女先遣信白王。王可觀我智能。王敕嚴駕出而觀之。問言。何由得爾。女白王言。我以方便力故今已如此。無所復能。令住城中好供養恭敬之。足五所欲。拜為大臣住城少日。身轉羸瘦。念禪定心樂厭此世欲。 女は、先に信を遣して、王に白さく、『王、我が智能を観るべし』、と。王は勅して、駕を厳(よそお)わしめて出で、之を観て、問うて言わく、『何に由りてか、爾ることを得る』、と。女の王に白して言わく、『我れは、方便力を以っての故に、今已に此の如し。復た能くする所無ければ、城中に住せしめ、好く之を供養、恭敬して、五所欲を足らしめ、拜して大臣と為したまえ』、と。城に住まること少日にして、身転た羸痩し、禅定を念じて、心に楽しみ、此の世の欲を厭う。
『女』は、
先に、
『信(消息)』を、
『王』に、
『遣(おく)り!』、
『王』に白して、こう言った、――
王よ!
わたしの、
『智慧』と、
『能力』とを、
『御覧ください!』、と。
『王』は、
『勅して(命じて)!』、
『駕(乗り物)』を、
『厳(よそお)わせ!』、
之を、
『観る!』と、
『問うて!』、こう言った、――
何ういう、
『理由』で、
『爾のように!』、
『出来たのか?』、と。
『女』は、
『王』に白して、こう言った、――
わたしは、
『方便』の、
『力』を、
『用いた!』が故に、
今、
已に、
『此の通りです!』。
『仙人』は、
もう、
『雨を降らす!』、
『能力』が、
『無くなっています!』。
『城』中に、
『住めて!』、
之を、
『供養し!』、
『恭敬して!』、
『五欲』の、
『欲する!』所を、
『満足させ!』、
『拜して!』、
『大臣』と、
『為さいませ!』、と。
『仙人』は、
『城』に、
『住まった!』が、
『少日にして!』、
『身』が、
『次第に!』、
『痩せ衰える!』と、
『禅定(寂静の境地)』を、
『思い出しては!』、
『心』に、
『楽しみ!』、
此の、
『世間』の、
『欲』を、
『厭うようになった!』。
  (しん):誠実で正直( honest and sincere )、真実/不虚偽( true, sure )、信じる/信任する( believe, trust )、信用を守る( keep one's word, keep one's credit )、実証する( verify )、知る( know )、盟約( oath of alliance )、消息( message, information )、割り符/符契( sign )。
  厳駕(ごんが):駕は天子の乗り物。駕を装備する。
  智能(ちのう):智慧のはたらき。智識能力。
  羸痩(るいそう):弱って痩せる。
王問仙人。汝何不樂身轉羸瘦。仙人答王。我雖得五欲。常自憶念林間閑靜諸仙遊處不能去心。王自思惟。若我強違其志。違志為苦苦極則死。本以求除旱患。今已得之。當復何緣強奪其志。即發遣之。既還山中精進不久還得五通。 王の仙人に問わく、『汝は、何んが楽しまずして、身転た羸痩する』、と。仙人の王に答うらく、『我れは、五欲を得と雖も、常に自ら林間の閑静を憶念して、諸仙の遊処、心を去る能わず』、と。王の自ら思惟すらく、『若し、我れ強いて、其の志を違わば、志を違うは、苦と為りて、苦極まれば、則ち死せん。本は以って、旱患を除くを求むれば、今已に之を得たり。当に、復た何に縁りてか、強いて其の志を奪うべき』、と。即ち、之を発遣す。既に山中に還りて、精進し、久しからずして還(ま)た五通を得たり。
『王』は、
『仙人』に、こう問うた、――
お前は、
何故、
『楽しまないのか?』、
どんどん、
『身』が、
『痩せているようだが!』、と。
『仙人』は、
『王』に、こう答えた、――
わたしは、
『五欲』を、
『得たが!』、
常に、
自ら、
『林間』の、
『閑静な処』を、
『憶念していて!』、
『心』から、
『諸仙の遊処』が、
『去らないのだ!』、と。
『王』は、
自ら、こう思惟した、――
若し、
わたしが、
強いて、
此の、
『仙人』に、
『意志』を、
『違えさせれば!』、
『意志』を、
『違えた!』ことが、
『苦』と、
『為り!』、
『苦』が、
『極まれば!』、
『死んでしまうだろう!』。
本、
此の、
『仙人』に、
『求めた!』のは、
『旱患(旱魃の災)』を、
『除こうとしたから!』だが、
今は、
已に、
『除くことができた!』。
いったい、
何のような、
『因縁』の故に、
強いて、
其の、
『志』を、
『奪わねばならないのか?』、と。
そこで、
此の、
『仙人』を、
『釈放して!』、
『送り出した!』。
『仙人』は、
既に、
『山』中に、
『還る!』と、
『精進した!』ので、
やがて、
還()た、
『五通』を、
『得ることができた!』。
  旱患(かんげん):日照りのわずらい。
  発遣(ほっけん):派遣する/派出する/釈放する( dispatch, send, release)。
佛告諸比丘。一角仙人我身是也。婬女者耶輸陀羅是。爾時以歡喜丸惑我。我未斷結為之所惑。今復欲以藥歡喜丸惑我不可得也。以是事故知。細軟觸法能動仙人。何況愚夫。如是種種因緣。是名呵細滑欲。如是呵五欲 仏の諸比丘に告げたまわく、『一角仙人とは、我が身是れなり。婬女とは、耶輸陀羅是れなり。爾の時、歓喜丸を以って、我れを惑わせるに、我れは未だ結を断ぜざれば、之が為に惑わせらる。今復た薬と歓喜丸を以って、我れを惑わせんと欲するも、得べからざるなり』、と。是の事を以っての故に知る、細軟の触法は、能く仙人を動ずと。何に況んや、愚夫をや。是の如き種種の因縁は、是れを細滑欲を呵すと名づけ、是の如く五欲を呵するなり。
『仏』は、
『諸の比丘』に、こう告げられた、――
『一角仙人』とは、
是れは、
『わたしである!』。
『婬女』とは、
是れは、
『耶輸陀羅である!』。
爾の時、
『耶輸陀羅』は、
『歓喜丸』で、
わたしを、
『惑わせた!』が、
わたしは、
未だ、
『結』を、
『断じていなかった!』が故に、
『惑わせられた!』。
今、
復た、
『耶輸陀羅』は、
『薬』や、
『歓喜丸』で、
わたしを、
『惑わせようとした!』が、
『出来なかったのである!』、と。
是の、
『事』の故に、
こう知ることになる、――
『細軟の肌』に、
『触れる!』という、
『法』は、
『仙人』すら、
『動かすことができる!』、
況して、
『愚夫』は、
『言うまでもない!』、と。
是のような、
種種の、
『因縁』を、
『細滑の欲』を、
『呵る!』と、
『称し!』、
是のようにして、
『五欲』を、
『呵るのである!』。



五蓋を除く

除五蓋者。復次貪欲之人去道甚遠。所以者何。欲為種種惱亂住處。若心著貪欲無由近道。 五蓋を除くとは、復た次ぎに、貪欲の人は、道を去ること甚だ遠し。所以は何んとなれば、欲は、種種の悩乱の住処なればなり。若し心、貪欲に著すれば、道に近づくに由無し。
『五種』の、
『蓋(妨害物)』を、
『除く!』とは、――
復た次ぎに、
『貪欲の人』は、
『道』から、
『甚だ遠く!』、
『離れている!』。
何故ならば、
『欲』は、
種種の、
『悩乱』の、
『住処だからである!』。
若し、
『心』が、
『貪欲』に、
『著すれば!』、
『道』に、
『近づく!』、
『方法が無い!』。
  五蓋(ごがい):智慧を妨げる五種の障礙( Five obstructions of wisdom )、梵語 paGcaavaraNa, paGca- niivaraNa の訳、五種の遮蔽物/障礙物( five shields or obstacles )の義。真実の心を遮蔽する五種の煩悩( Five kinds of affliction that block off the true mind: )、即ち、以下の如し、
  1. 貪欲(梵 raaga ) :欲望( desire )、
  2. 瞋恚(梵 pratigha ):激怒( wrath )、
  3. 睡眠(梵 middha ):怠惰( idolence )、
  4. 掉悔(梵 auddhatya- kaukRtya ):狂躁と後悔( agitation and remorse )、
  5. 疑(梵 vicikitsaa ):疑惑( doubt )。
如除欲蓋偈所說
 入道慚愧人  持缽福眾生 
 云何縱塵欲  沈沒於五情 
 著鎧持刀杖  見敵而退走 
 如是怯弱人  舉世所輕笑 
 比丘為乞士  除髮著袈裟 
 五情馬所制  取笑亦如是 
 又如豪貴人  盛服以嚴身 
 而行乞衣食  取笑於眾人 
 比丘除飾好  毀形以攝心 
 而更求欲樂  取笑亦如是 
 已捨五欲樂  棄之而不顧 
 如何還欲得  如愚自食吐 
 如是貪欲人  不知觀本願 
 亦不識好醜  狂醉於渴愛 
 慚愧尊重法  一切皆已棄 
 賢智所不親  愚騃所愛近 
 諸欲求時苦  得之多怖畏 
 失時懷熱惱  一切無樂時 
 諸欲患如是  以何當捨之 
 得諸禪定樂  則不為所欺 
 欲樂著無厭  以何能滅除 
 若得不淨觀  此心自然無 
 著欲不自覺  以何悟其心 
 當觀老病死  爾乃出四淵 
 諸欲難放捨  何以能遠之 
 若能樂善法  此欲自然息 
 諸欲難可解  何以能釋之 
 觀身得實相  則不為所縛 
 如是諸觀法  能滅諸欲火 
 譬如大澍雨  野火無在者
如是等種種因緣。滅除欲蓋。
欲蓋を除く偈に説く所の如し、
入道慚愧の人は、鉢を持して衆生を福す、
云何が塵欲を縦にして、五情に沈没せん。
鎧を著け刀杖を持し、敵を見て退走すれば、
是の如き怯弱の人は、世を挙げて軽笑せらる。
比丘を乞士と為し、髪を除きて袈裟を著け、
五情の馬は制せらる、笑を取るも亦た是の如し。

又豪貴の人の如く、盛服を以って身を厳い、
而も行きて衣食を乞えば、笑を衆人に取る。
比丘は飾好を除きて、形を毀ち以って心を摂む、
而も更に欲楽を求むれば、笑を取るも亦た是の如し。
已に五欲の楽を捨つるに、之を棄てて顧みざれば、
如何が還た欲を得て、愚の自ら吐を食うが如くならん。

是の如き貪欲の人は、本願を観るを知らず、
亦た好醜を識らずして、渇愛に狂酔す。
慚愧して法を尊重して、一切は皆已に棄つ、
賢智の親しまざる所と、愚騃の愛近する所と。
諸欲は求むる時苦にして、之を得れば怖畏多く、
失う時は熱悩を懐きて、一切に楽しき時無し。

諸欲の患は是の如し、何を以ってか当に之を捨つべき、
諸の禅定の楽を得れば、則ち欺かれざればなり。
欲楽は著して厭う無し、何を以ってか能く滅除せん、
若し不浄観を得れば、此の心は自然に無なればなり。
欲に著して自覚せず、何を以ってか其の心を悟らん、
当に老病死を観れば、爾して乃ち四淵を出づべし。

諸欲は放捨し難し、何を以ってか能く之を遠ざくる、
若し能く善法を楽しめば、此の欲は自然に息まん。
諸欲は解すべきこと難し、何を以ってか能く之を釈す、
身を観て実相を得れば、則ち縛されず。
是の如き諸の観法は、能く諸欲の火を滅す、
譬えば大澍雨に、野火の在る者無きが如し。
是の如き等の種種の因縁は、欲蓋を滅除す。
例えば、
『欲蓋を除く!』、
『偈』に、こう説く通りである、――
『道』に、
『入った!』、
『慚愧(恥有る!)の人』は、
『鉢』を、
『持って!』、
『衆生』に、
『福』を、
『授ける!』。
何故、
『五塵(色声香味触)』の、
『欲』を、
『縦(ほしいまま)にし!』、
『五情(眼耳鼻舌身)』に、
『沈没するのか?』。
若し、
『鎧』を、
『著けて!』、
『刀杖』を、
『持ちながら!』、
『敵』を、
『見て!』、
『退散すれば!』、
是のような、
『怯弱(怯懦疲弱)の人』は、
『世を挙げて!』、
『軽笑(軽蔑嘲笑)されるだろう!』。
『比丘』が、
『乞士』と為り、
『髪』を、
『除いて!』、
『袈裟』を、
『著ける!』のは、
則ち、
『五情』の、
『馬』を、
『制するためである!』が、
亦た、
『笑』を、
『取る(受ける)!』のも、
『是の故である!』。
又、
『豪貴の人のように!』、
『盛服(立派な服)』で、
『身』を、
『厳(よそお)いながら!』、
『歩いて!』、
『衣、食』を、
『乞えば!』、
『衆人(人々)』に、
『笑』を、
『取るだろう!』。
『比丘』が、
『飾好(美貌を飾る宝飾品)』を、
『除いて!』、
『形容』を、
『毀損する!』のは、
則ち、
『心』を、
『摂(おさ)める為である!』。
而も、
更に、
『五欲』の、
『楽』を、
『求めれば!』、
亦た、
『笑』を、
『取るだろう!』。
已に、
『五欲』の、
『楽』を、
『捨てた!』者は、
之を、
『棄てて!』、
『顧みないはずなのに!』、
何故、
『還()た!』、
『得ようとするのか?』。
譬えば、
『愚者』が、
『自分の吐(へど)』を、
『食うように!』。
是のような、
『貪欲の人』は、
『本の願』を、
『観る!』ことを、
『知らず!』、
『好、醜』を、
『別ける!』ことを、
『識らない!』が故に、
『渇愛(貪欲)』に、
『狂い!』、
『酔うている!』。
若し、
『慚愧して(恥じて)!』、
『法』を、
『尊重すれば!』、
已に、
『一切を!』、
『皆、棄てているはずだ!』。
謂わゆる、
『賢者』と、
『智者』との、
『親しまない!』所と、
『愚騃(愚昧)の者』の、
『愛し!』、
『近づける!』所を。
『諸欲』は、
『求める!』時には、
『苦であり!』、
『得た!』時には、
『怖畏』が、
『多く!』、
『失う!』時には、
『熱悩』を、
『懐く!』が故に、
一切に、
『楽しむ!』時が、
『無い!』。
『諸欲の患(わずらい)』は、
是の通りだ!、――
何故、
之を、
『棄てねばならぬのか?』、
諸の、
『禅定』の、
『楽』を、
『得れば!』、
則ち、
『欺かれないからだ!』。
『欲』の、
『楽しみ!』は、
『著して!』、
『厭きることがない!』、――
何故、
『滅除できるのか?』。
若し、
『欲』に、
『不浄』を、
『観ることができれば!』、
此の、
『心』は、
『自然に!』、
『無くなるだろう!』。
『欲』に、
『著して!』、
『自ら!』、
『覚らなければ!』、――
何故、
其の、
『心』を、
『悟れるのか?』。
当然、
自ら、
『老、病、死』を、
『観るべきだ!』、
爾うすれば、
ようやく、
『四淵(欲、有、見、無明)』を、
『出られるだろう!』。
『諸欲』は、
『放捨(放棄捨置)する!』ことが、
『困難だ!』、――
何故、
之を、
『遠ざけられるのか?』。
若し、
『善法』を、
『楽しんで!』、
『行うことができれば!』、
此の、
『欲』は、
『自然に!』、
『休息するだろう!』。
『諸欲』より、
『解放される!』ことは、
『困難だ!』、――
何故、
之から、
『釈放されるのか?』。
『身』を、
『観察して!』、
『実相』を、
『認めよ!』、
爾うすれば、
『縛られないだろう!』。
是のような、
『諸の観法』は、
『諸欲』の、
『火』を、
『滅することができる!』。
譬えば、
『大雨』が、
『澍(うるお)せば!』、
『野火』の、
『存在』が、
『無くなるように!』。
是れ等の、
種種の、
『因縁』は、
『欲蓋』を、
『滅除するものである!』。
  (ふく):幸運( blessing, happiness )、祭祀用の酒肉( sacrifice )、恵を授けて保護する( bless and protect )。
  慚愧(ざんき):はじいる。自ら恥じるを慚とし、人に向かって発露するを愧とする。「涅槃経巻19」に、「慚者は自ら罪を作さず、愧者は天に羞じず、是れを慚愧と名づく」と云えり。
  怯弱(こにゃく):臆病で弱いこと。いくじなし。
  乞士(こつし): 僧の別称。梵語比丘 bhikSu の義。上は諸仏に法を乞うて慧命を資益し、下は施主に食を乞うて色身を資益す。「大智度論巻3」に、「比丘を乞士と名づく。清浄活命の故に名づけて乞士と為す」と云える是れなり。蓋し士に、立派な人の義あればなり。
  取笑(しゅしょう):笑いを招く。人に笑われる。
  盛服(じょうふく):正装。
  衣食(えじき):衣服と食物。
  飾好(しきこう):[女子の]美貌を好と云う。好を飾る物。
  摂心(しょうしん):心を一処に収める。禅定。
  本願(ほんがん):根本の誓願。菩薩に有る無量世の願。
  賢智(けんち):賢聖の智慧。
  賢聖(けんじょう):外典には之を聖賢と謂い、内典には之を賢聖と謂う。賢とは善に和すの義、聖とは正に会すの義なり。善に和し、悪を離ると雖も、未だ無漏智を発せず、理を証せず、惑を断ぜず、凡夫の位に在る者を、之を賢と謂う。既に無漏智を発し、理を証して惑を断じ、次いで凡夫の性を捨つる者を、之を聖と謂う。見道前の七方便の位を名づけて賢と為し、見道以上を名づけて聖と為す。「大乗義章巻17本」に、「善に和すを賢と曰い、正に会すを聖と名づく。正とは理を謂うなり。理の偏邪無きが故に説いて正と為す。理を証して凡を捨つるを説いて聖と為す。(中略)位に就き分別するに、地前は並びに名づけて三賢と為し、地上の菩薩を説いて十聖と為す」と云い、「四教儀巻2」に、「賢と言うは、聖に隣るを賢と曰い、(中略)賢者を直善と名づく」と云える等は是れなり。<(丁)
  愚騃(ぐげ):智慧がないもの。愚癡。癡騃。
  四淵(しえん):又四流、四暴流と称し、人を沈没せしむる欲、有、見、無明の四煩悩を云う。『大智度論巻3下注:流』参照。
  善法(ぜんぽう):五戒、十善を世間の善法と為し、三学、六度を出世間の善法と為す。深浅異なりと雖も、皆理に順じて、己に益する法と為し、故に之を善法と謂う。<(丁)
瞋恚蓋者。失諸善法之本。墮諸惡道之因。諸樂之怨家。善心之大賊。種種惡口之府藏。 瞋恚蓋とは、諸の善法の本を失いて、諸の悪道に堕ちる因なれば、諸楽の怨家、善心の大賊、種種の悪口の府蔵なり。
『瞋恚蓋』とは、――
諸の、
『善法』を、
『失う!』、
『本であり!』、
諸の、
『悪道』に、
『堕ちる!』、
『因である!』。
諸の、
『楽事』の、
『怨家(仇敵)であり!』、
諸の、
『善心』の、
『大賊であり!』、
種種の、
『悪口』の、
『府蔵(倉庫)である!』。
  府蔵(ふぞう):くら。府は文書財貨を蔵する所、蔵は物を畜える所を云う。
如佛教瞋弟子偈言
 汝當知思惟  受身及處胎 
 穢惡之幽苦  既生之艱難 
 既思得此意  而復不滅瞋 
 則當知此輩  則是無心人 
 若無罪報果  亦無諸呵責 
 猶當應慈忍  何況苦果劇 
 當觀老病死  一切無免者 
 當起慈悲心  云何惡加物 
 眾生相怨賊  斫刺受苦毒 
 云何修善人  而復加惱害 
 常當行慈悲  定心修諸善 
 不當懷惡意  侵害於一切 
 若勤修道法  惱害則不行 
 善惡勢不並  如水火相背 
 瞋恚來覆心  不知別好醜 
 亦不識利害  不知畏惡道 
 不計他苦惱  不覺身心疲 
 先自受苦因  然後及他人 
 若欲滅瞋恚  當思惟慈心 
 獨處自清閑  息事滅因緣 
 當畏老病死  九種瞋惱除 
 如是思惟慈  則得滅瞋毒
如是等種種因緣。除瞋恚蓋。
仏の瞋る弟子を教えたもう偈に言うが如し、
汝は当に知りて思惟すべし、受身及び処胎は、
穢悪の幽苦にして、既に生ずれば艱難あるを。
既に思うて此の意を得るも、復た瞋を滅せざれば、
則ち当に知るべし此の輩は、則ち是れ無心の人なりと。
若し罪報の果無く、亦た諸の呵責無くとも、
猶お当応に慈忍すべし、何に況んや苦果の劇しきをや。

当に老病死を観ずべし、一切に免るる者の無しと、
当に慈悲心を起すべし、云何が悪を物に加えん。
衆生は相怨賊となりて、斫刺の苦毒を受く、
云何が修善の人にして、亦た悩害を加えん。
常に当に慈悲を行じ、心を定めて諸善を修すべし、
当に悪意を懐きて、一切を侵害すべからず。

若し勤めて道法を修むれば、悩害は則ち行わず、
善悪の勢の並ばざること、水火の相背くが如し。
瞋恚来たりて心を覆えば、好醜を別くるを知らずして、
亦た利害を識らず、悪道を畏るることを識らず。
他の苦悩を計らず、身心の疲を覚らざれば、
先に自ら苦因を受けて、然る後に他人に及ぼす。

若し瞋恚を滅せんと欲せば、当に慈心を思惟すべし、
独処に自らを清閑にし、事を息め因縁を滅せよ。
当に老病死を畏るべし、九種の瞋悩除こらん、
是の如く慈を思惟すれば、則ち瞋毒を滅するを得。
是の如き等の種種の因縁は、瞋恚蓋を除く。
例えば、
『仏』が、
『瞋る!』、
『弟子』を、
『教えて!』、
『偈』に、こう言われた通りである、――
お前は、
『思惟する!』ことを、
『知らねばならぬ!』、――
『受身』や、
『処胎』は、
『穢悪(穢汚)であり!』、
『幽苦(薄暗い苦)であり!』、
既に、
『生じれば!』、
『艱難である!』、と。
既に、
『思惟して!』、
此の、
『意味』を、
『理解した!』のに、
まだ、
『瞋』を、
『滅していなければ!』、
則ち、こう知ることになる、――
此の、
『輩』は、
『無心の!』、
『人である!』、と。
若し、
『罪』の、
『果報』が、
『無く!』、
諸の、
『呵責(責め苦)』が、
『無くとも!』、
猶お、
『慈心』を、
『生じて!』、
『忍ばねばならぬ!』、
況して、
『苦果』が、
『激烈ならば!』、
『言うまでもない!』。
『老病死』を、
『観れば!』、
一切に、
『免れる!』者は、
『無い!』。
『慈悲』の、
『心』を、
『起すべきなのに!』、
何故、
『悪』を、
『物(他人)』に、
『加えるのか?』。
『衆生』は、
互いに、
『怨賊となり!』、
『切ったり!』、
『刺したり!』の、
『苦毒(酷苦)』を、
『受けている!』のに、
何故、
復た、
『善を修める!』、
『人まで!』が、
『悩害』を、
『加えるのか?』。
常に、
『慈悲』を、
『行って!』、
『心』を、
『決定し!』、
諸の、
『善』を、
『修めねばならず!』。
『悪意』を、
『懐いて!』、
『一切を!』、
『侵害してはならぬ!』。
若し、
『勤めて!』、
『道の法』を、
『修めていれば!』、
『悩害』を、
『行うはずがない!』。
『善』と、
『悪』との、
『勢力』は、
『並立しないからだ!』、
例えば、
『水』と、
『火』とが、
『互いに!』、
『背きあうように!』。
若し、
『瞋恚』が、
『来て!』、
『心』を、
『覆えば!』、
『好、醜』を、
『別ける!』ことを、
『知らず!』、
『利、害』の、
『有る!』ことを、
『識らず!』、
『悪道』を、
『畏れる!』ことも、
『知らないだろう!』。
若し、
『他人』の、
『苦悩』を、
『計らず!』、
『身心』の、
『疲労』を、
『覚らなければ!』、
則ち、
先には、
『自らが!』、
『苦の因』を、
『受け!』、
後には、
『他の!』、
『人にまで!』、
『及ぼすだろう!』。
若し、
『瞋恚』を、
『滅しようとすれば!』、
『慈心』を、
『思惟せねばならぬ!』、
『独処』に、
自ら、
『清閑とし!』、
『事を息め!』、
『因縁』を、
『滅せよ!』。
『老病死』を、
『畏れて!』、
『九種』の、
『瞋悩』を、
『除かねばならぬ!』と、
是のように、
『慈』を、
『思惟すれば!』、
則ち、
『瞋恚の毒』を、
『滅することができよう!』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』は、
『瞋恚蓋』を、
『除くことになる!』。
  穢悪(えあく):汚くて好ましくない。
  幽苦(ゆうく):暗い所の苦しみ。
  艱難(かんなん):苦しみ。難儀。
  呵責(かしゃく):きびしくせめしかる。折檻する。
  慈忍(じにん):いつくしんでしのぶ。慈悲と忍耐。
  劇苦(ぎゃくく):劇しい苦痛。
  怨賊(おんぞく):うらみそこなう。怨んで害する。人を害し人の財を奪うもの。
  斫刺(しゃくし):斧で切ることと鉾で刺すこと。
  修善(しゅぜん):善を行じて身を修める。
  侵害(しんがい):おかしそこなう。人の財をおかして、身を損なう。
  勤修(ごんしゅ):つとめおさめる。力を労して修める。
  悩害(のうがい):なやませそこなう。人を悩ませて命を損なう。
  清閑(しょうげん):清く物しずか。
  (じ):祀りと営み。祭祀と営務。
  九種瞋悩(くしゅしんのう):瞋悩に九種の別有るを云う。即ち我れ、我が所愛、我が所憎に関して、過去、現在、未来の三時に瞋悩を生ずるを云う。「長阿含巻9十上経」、「三法度論巻2」等に出づ。
  参考:『長阿含巻9十上経』:『云何九退法。謂九惱法。有人已侵惱我。今侵惱我。當侵惱我。我所愛者。已侵惱。今侵惱。當侵惱。我所憎者。已愛敬。今愛敬。當愛敬。』
  参考:『三法度論巻2』:『問云何為恚。答恚者已親怨故。忿怒已故。親故怨故。忿怒者是三種恚。問云何恚愛處說。答恚者求惡求非愛耶。是已故四門中行親怨故。亦四門中行。問此云何。答為己及親未得樂求已得令不失。已得苦欲捨。未得不欲令得。如是己及親四種為怨。未得苦欲使得。已得欲令不捨。未得樂欲使不得。已得欲使速失。是謂為怨求惡是恚。是以愛處說恚無咎。問云何為己故答。為己故者。三時求不利。三時名過去未來現在。如所說。彼為我求不利。當求不利。今求不利生恚。是謂為己三時求不利生恚。問云何為親。答親亦如是。如為已三時求不利生恚。如是為親三時求不利生恚。問此云何。答如所說。若我親愛彼為此已求不利。當求不利。今求不利生恚。是謂親。問云何怨。答異怨家異。如所說。如我怨彼為此。已求利當求利今求利生恚。如是為怨求利。三時生恚。是謂九種恚。』
睡眠蓋者。能破今世三事欲樂利樂福德。能破今世後世究竟樂。與死無異。唯有氣息。 睡眠蓋とは、能く今世の三事なる欲楽、利楽、福徳を破り、能く今世、後世の究竟の楽を破れば、死と異無く、唯だ気息有るのみ。
『睡眠(怠惰)蓋』とは、
『今世』の、
『三事である!』、
『欲楽、利楽、福徳』を、
『破ることができ!』、
『今世』と、
『後世』の、
『究竟の楽(涅槃)』を、
『破ることができる!』ので、
則ち、
『死んでいる!』のと、
『異(ことなり!)』が、
『無く!』、
唯だ、
『気息のみ』が、
『有る!』。
  欲楽(よくらく):五欲の楽。
  利楽(りらく):他人を利益する楽。即ち「大堅固婆羅門縁起経巻上」に、「能く他人をして利益し安楽ならしむ、是の如き利楽は、是れを希有と為す」と云える是れなり。
  究竟楽(くきょうらく):涅槃の楽。
如一菩薩以偈呵眠睡弟子言
 汝起勿抱臭身臥 
 種種不淨假名人 
 如得重病箭入體 
 諸苦痛集安可眠 
 一切世間死火燒 
 汝當求出安可眠 
 如人被縛將去殺 
 災害垂至安可眠 
 結賊不滅害未除 
 如共毒蛇同室宿 
 亦如臨陣白刃間 
 爾時安可而睡眠 
 眠為大闇無所見 
 日日侵誑奪人明 
 以眠覆心無所識 
 如是大失安可眠
如是等種種因緣。呵睡眠蓋。
一菩薩の偈を以って睡眠せる弟子を呵して言えるが如し、
汝起きよ、臭き身を抱きて臥する勿かれ、
種種の不浄を、仮に人と名づく、
重病を得て、箭の体に入るが如し、
諸の苦痛集まるに、安(いづく)んぞ眠るべきや。

一切の世間は、死して火に焼かる、
汝は当に出づるを求むべし、安んぞ眠るべきや、
人の如きは、縛られ、将き去られて、殺さる、
災害の垂んとして至らんとするに、安んぞ眠るべきや。

結の賊滅せずして、害を未だ除かざれば、
毒蛇と共に、室を同じうして宿るが如し、
亦た陣に臨んで、白刃の間なるが如き、
爾の時、安んぞ可(よ)く睡眠せんや。

眠を大闇に、見る所無しと為す、
日日侵し誑して、人の明を奪う、
眠を以って心を覆えば、識る所無し、
是の如く大失あるに、安んぞ眠るべき。
是の如き等の種種の因縁は、睡眠蓋を呵すなり。
例えば、
『一(ある)菩薩』は、
『偈』で、
『睡眠する弟子』を、こう呵った、――
お前!
『起きよ!』、
『臭い!』、
『身』を、
『抱いて!』、
『臥せているな!』。
種種の、
『不浄』を、
仮に、
『人』と、
『呼べば!』、
譬えば、
『重病人』の、
『体』に、
『箭』が、
『入ったようなものだ!』。
諸の、
『苦痛』が、
『集まっている!』のに、
何故、
『眠っていられるのか?』。
一切の、
『世間』は、
『死んで!』、
『火』に、
『焼かれるのだから!』、
お前は、
『出世間』を、
『求めねばならぬ!』、
何故、
『眠っていられるのか?』。
譬えば、
『人』が、
『縛られ!』、
『引きずられて!』、
『殺されるように!』、
『災害』が、
『垂(なんな)んとして!』、
『至ろうとしている!』のに、
何故、
『眠っていられるのか?』。
若し、
『結の賊』を、
『滅することもなく!』、
『害』も、
『除かれないとすれば!』、
譬えば、
『毒蛇』と、
『いっしょに!』、
『同室に!』、
『宿るようなものだ!』。
亦た、
『陣』に、
『臨んで!』、
『白刃の間』に、
『宿るようなものだ!』、
爾の時、
何故、
『睡眠していられるのか?』。
譬えば、
『眠り!』とは、
『大闇(真っ暗闇)』中に、
何も、
『見る!』所が、
『無いということだ!』。
『眠り!』が、
日日、
『侵し!』、
『誑して!』、
『人の明(視力)』を、
『奪うのに!』、
『眠り!』が、
『心』を、
『覆えば!』、
『識る!』所が、
『無くなるというのに!』、
是のように、
『大いに!』、
『失うのに!』、
何故、
『眠っていられるのか?』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』は、
『睡眠蓋』を、
『呵るものである!』。
  臭身(しゅうしん):くさいからだ。
  仮名(けみょう):仮の名で呼ぶ。
  (あん):やすし。平和/静穏( peaceful, quiet, calm, tranquil )、安楽/安心( easy )、落ちついた/安詳な( composed )、安寧に( peaceful )、緩慢に( slowly )。安定させる( stabilize )、なだめる/安慰する( appease )、おく。安置する( arrange )。安心/満足する( be content with )、設置/安装する( install, fix )。いづくんぞ、どうして/豈に( how )、誰が/何が/何故/何処に( who, how, what, where )。
  (しょう):たすける/扶助する( support )、ともなう/随行/奉行する( follow )、送る/送迎する( send )、持つ/携帯する( bring )、導く/率いる( lead, quide )、随従する( be obedient to, submit to )、養う/供養する( provide for )、保養する( recuperate, rest, maintain )、表明する( express )、行く/進む( advance, go )、用いる/使用する( use )、まさに~せんとす/始まりそうだ( will, be going to )、必ず/必定( certainly )、即ち/ほとんど( just, nearly )、豈に/何故( does it mean )、もって/~を用いて( by, by means of )、若し/仮に( if )、はた/或は( or )。将軍( general )。統率する( command, lead )。
  結賊(けつぞく):結使の賊。煩悩を賊に喩う。
  (みょう):視力。
  大失(だいしつ):大きな過失。
掉悔蓋者。掉之為法破出家心。如人攝心猶不能住。何況掉散。掉散之人如無鉤醉象決鼻駱駝。不可禁制。 掉悔蓋とは、掉の法為(た)るや、出家の心を破る。人の如きは、心を摂(おさ)めても、猶お住むる能わず。何に況んや、掉散するをや。掉散の人は、鉤無き酔象、鼻を決したる駱駝の如く、禁制すべからず。
『掉、悔蓋』とは、
『掉( agitation=ソワソワすること )』という、
『法』は、
『出家』の、
『心』を、
『破る!』ので、
譬えば、
『人』が、
『心』を、
『一時的』に、
『摂(おさ)めたとしても!』、
猶お、
『心』を、
『住(とど)めることはできない!』、
況して、
『掉散(動揺)する!』、
『心』を、
『住められるはずがない!』。
『掉散する人』は、
譬えば、
『酔象』に、
『鉤』が、
『無いように!』、
『駱駝』の、
『鼻』が、
『切れたように!』、
『掉散する!』、
『人』を、
『禁制することはできない!』。
  掉悔蓋(じょうけがい):梵語 auddhatya- kaukRtya- aavaraNa の訳。又掉戯蓋、調戯蓋、掉挙悪作蓋等に作る。心の躁動(掉)、或いは己の作せる事に就き憂悩する(悔)は、皆能く心性を覆蓋して聖道を障うるが故に、之を蓋と謂う。
  掉散(じょうさん):掉は踔、或いは跳の義。跳躍散逸。
  決鼻駱駝(けつびらくだ):決には決壊、開く、傷つく等の義あり。通じて決鼻とは鼻壁に穴を開くるの義なるも、今駱駝に其の法なければ、蓋し駱駝の怒りて鼻孔を開けたるを云えるものなりや、或いは曽て其の風あり、然れども其の穴傷つき破裂して用を為さざるを云えるものならん。
如偈說
 汝已剃頭著染衣 
 執持瓦缽行乞食 
 云何樂著戲掉法 
 既無法利失世樂
偈に説くが如し、
汝は、已に頭を剃りて、染衣を著け、
瓦鉢を執持して、乞食を行ず、
云何が、楽しんで、戯掉の法に著する、
既に、法利無くせば、世楽をも失う。
例えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
お前は、
已に、
『頭』を、
『剃って!』、
『染衣』を、
『著け!』、
『瓦鉢』を、
『執持して!』、
『乞食』を、
『行っている!』のに、
何故、
『楽しんで!』、
『戯掉(心を動揺させる!)』の、
『法』に、
『著するのか?』。
既に、
『道の法』の、
『利』を、
『無くせば!』、
『世間』の、
『楽』すら、
『失うというのに!』。
  染衣(せんえ):法衣。俗人の白衣を好むところから、盗心を防ぐ為に色に染めて衣を製す。
  瓦鉢(がはつ):素焼きの鉢。
  戯掉(けじょう):戯れて心を躍らせる。
悔法者。如犯大罪人常懷畏怖。悔箭入心堅不可拔。 悔法とは、大罪を犯せる人の、常に畏怖を懐くが如し。悔の箭、心に入れば、堅くして抜くべからず。
『悔』という、
『法』とは、――
例えば、
『大罪』を、
『犯した!』、
『人』が、
常に、
『畏怖』を、
『懐くようなものである!』。
『悔』という、
『箭』が、
『心』に、
『入れば!』、
『堅くして!』、
『抜くことができない!』。
  悔法(けほう):所造の罪悪を悔やむなり。「成唯識論巻7」に、「悔とは謂わゆる悪作なり」と云えるこれなり。
如偈說
 不應作而作  應作而不作 
 悔惱火所燒  後世墮惡道 
 若人罪能悔  已悔則放捨 
 如是心安樂  不應常念著 
 若有二種悔  不作若已作 
 以是悔著心  是則愚人相 
 不以心悔故  不作而能作 
 諸惡事已作  不能令不作
如是等種種因緣。呵掉悔蓋。
偈に説くが如し、
応に作すべからざるを作し、応に作すべきを作さざれば、
悔悩の火の焼かれて、後世には悪道に堕ちん。
若し人罪を能く悔ゆれば、已に悔いて則ち放捨す、
是の如き心は安楽なれば、応に常に念著すべからず。

若しは二種の悔有り、作さざると若しは已に作すなり、
是の悔を以って心著せば、是れ則ち愚人の相なり。
心に悔ゆるを以っての故に、作さずと能く作すとにあらず、
諸の悪事已に作さば、無さざらしむる能わず。
是の如き等の種種の因縁は、掉悔蓋を呵すなり。
例えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
若し、
当然、
『作してはならぬ!』のに、
『作した!』とか、
当然、
『作さねばならぬ!』のに、
『作さなかった!』とすれば、
則ち、
『悔(くやみ!)』という、
『煩悩の火』に、
『焼かれて!』、
『後世』には、
『悪道』に、
『堕ちるだろう!』。
若し、
『人』が、
『罪』を、
『悔ゆることができれば!』、
已に、
『悔いた!』、
『罪』を、
『放捨することになり!』、
是のような、
『心』は、
『安楽である!』。
常に、
『罪』を、
『悔いて!』、
『念じるべきでなく!』、
『罪』を、
『悔いて!』、
『著すべきでない!』。
若しは、
『二種』の、
『悔』が有る!
未だ、
『作されない!』、
『悔』と、
已に、
『作された!』、
『悔』と。
是の、
『悔』に、
若し、
『心』が、
『著すれば!』、
是れは、
『愚人の相である!』。
『心』に、
『悔ゆる!』が故に、
『罪』を、
『作さないのでもなく!』、
『作すことができるのでもない!』が、
諸の、
『悪事』が、
已に、
『作されたとすれば!』、
『作されなくすることはできない!』。
是れ等の、
種種の、
『因縁』は、
『掉悔蓋』を、
『呵るものである!』。
疑蓋者。以疑覆心故。於諸法中不得定心。定心無故。於佛法中空無所得。譬如人入寶山。若無手者無所能取。 疑蓋とは、疑の心を覆うを以っての故に、諸法中に於いて、定心を得ず。定心無きが故に、仏法中に於いて、空しく無所得なり。譬えば、人の宝山に入るも、若し手無ければ、能く取る所無きが如し。
『疑蓋』とは、
『疑』が、
『心』を、
『覆う!』が故に、
諸の、
『法』中に、
『心』を、
『定めることができず!』、
『定まった!』、
『心』の、
『無い!』が故に、
『仏の法』中に、
『空しく!』、
『無所得なのである!』。
譬えば、
『人』が、
『宝』の、
『山』に、
『入っても!』、
若し、
『手』が、
『無ければ!』、
『取られる!』、
『宝』が、
『無いように!』。
如說疑義偈言
 如人在岐道  疑惑無所趣 
 諸法實相中  疑亦復如是 
 疑故不懃求  諸法之實相 
 是疑從癡生  惡中之弊惡 
 善不善法中  生死及涅槃 
 定實真有法  於中莫生疑 
 汝若生疑心  死王獄吏縛 
 如師子搏鹿  不能得解脫 
 在世雖有疑  當隨妙善法 
 譬如觀岐道  利好者應逐
如是等種種因緣故。應捨疑蓋。
疑義を説く偈に言うが如し、
人の岐道に在りて、疑惑すれば所趣無きが如く、
諸法の実相中に、疑えば亦復た是の如し。
疑うが故に、諸法の実相を懃求せず、
是の疑は癡より生じて、悪中の弊悪なり。

善不善の法中に、生死及び涅槃は、
定実真に法有り、中に於いて疑を生ずる莫れ。

汝若し疑心を生ぜば、死王の獄吏に縛せられん、
師子の鹿を搏つが如く、解脱を得ること能わず。
世に在れば疑有りと雖も、当に妙善の法に随うべし、
譬えば岐道を観れば、利好者を応に逐うべきが如し。
是の如き等の種種の因縁の故に、応に疑蓋を捨つべし。
例えば、
『疑義を説く!』、
『偈』に、こう言う通りである、――
例えば、
『人』が、
『岐道(岐路)』に於いて、
『疑い!』、
『惑えば!』、
何処へも、
『趣()けない!』。
諸の、
『法』の、
『実相』中に、
『疑えば!』、
亦た、
『まったく!』、
『是の通りだ!』。
『疑う!』が故に、
諸の、
『法の実相』を、
『求めよう!』と、
『懃めない!』。
是の、
『疑(うたがい!)』は、
『悪』中の、
『弊悪()である!』。
『善、不善の法』中に、
『生死』と、
『涅槃』の、
『法』は、
『定んで有り!』、
『実に有り!』、
『真に有る!』。
是の、
『法』中に、
『疑』を、
『生じるな!』。
お前が、
若し、
『心』に、
『疑』を、
『生じれば!』、
『死王(閻魔王)』の、
『獄吏』に、
『縛られるだろう!』。
譬えば、
『師子』が、
『鹿』を、
『捕捉するように!』、
是の、
『縛』は、
『解脱できない!』。
『世』に、
『在れば!』、
『疑』が、
『有っても!』、
『妙善』の、
『法』には、
『随うべきだ!』。
譬えば、
『岐道』を、
『観て!』、
『利好な者』の、
『後を!』、
『逐うように!』。
是れ等の、
種種の、
『因縁』の故に、
『疑蓋』は、
『捨てねばない!』。
  岐道(ぎどう):分かれ道。岐路。
  弊悪(へいあく):わるい。弊は悪の義。
  死王(しおう):焔摩法王なり。人の死命を司るが故に死王と曰う。「無常経」に、「死王催して命を伺い、親属は徒に相守る」と云い、「大智度論巻17」に、「汝若し疑心生ぜば、死王の獄吏の縛すこと、師子の鹿を搏つが如し。」と云い、「南海寄帰内法伝巻2」に、「既に生の人の笑う所となるを被らずんば、豈に復た死王に怖れて瞋られんや」と云える是れなり。<(丁)
  (ひゃく):うつ/手で打つ。とらえる/捕捉する。
  (り):利い/鋭利な/全力を尽くす( sharp, be exert oneself )、快い/軽快な/敏捷な( quick, nimble )、幸運/順調な/故障のない/都合のよい( lucky, smoothly, without a hitch )、有利な( advantageous, beneficial, favorable )、重要な( important )。利益/利息/財利( advantages, interest, money )。上手にする/善くする( be good at )、[他人に]有利にさせる/善くする/益する( do good to )、[他人を]侵害する/差し押さえる/占有する( forcibly occupy, seize, hold )。
  (こう):女子の美貌な( beautiful )、善良/良好な( good, fine, nice )、友好/友愛な( friendly, kind )、健康な( in good health, get well )、容易な( be easy (to do), simple, likely )、完成した( complete, finished )、便利な/都合が良い( be easy to, be convenient for, suitable, fitting )。好む/愛好する( like, be keen on, be fond of )、容易に発生しやすい( be liable to )。
  利好(りこう):鋭利にして善良。
棄是五蓋。譬如負債得脫。重病得差。飢餓之地得至豐國。如從獄得出。如於惡賊中得自免濟安隱無患。行者亦如是。除卻五蓋其心安隱清淨快樂。 是の五蓋を棄つるは、譬えば、負債の脱るるを得、重病の差(い)ゆるを得、飢餓の地より豊国に至るを得るが如く、獄より出づるを得るが如く、悪賊中に於いて、自らを免済して安隠、無患なるを得るが如し。行者も亦た是の如く、五蓋を除却すれば、其の心は安隠、清浄、快楽なり。
是の、
『五蓋』を、
『棄てる!』のは、――
譬えば、
『負うた!』、、
『債務』を、
『脱れられたり!』、
『重い!』、
『病』を、
『差(いや)せたり!』、
『飢餓の地』より、
『豊んだ国』に、
『至ることができるように!』、
譬えば、
『地獄』より、
『出られたように!』、
譬えば、
『悪賊』中より、
自ら、
『免れて!』、
『救済し!』、
『安隠に!』、
『災難』が、
『無くなったように!』、
『行者』も、
亦た、
是のように、
『五蓋』を、
『除いて!』、
『却(しりぞ)ければ!』、
其の、
『心』は、
『安隠、清浄、快楽である!』。
  除却(じょきゃく):除き去る。
譬如日月以五事覆曀。煙雲塵霧羅睺。阿修羅手障則不能明照。人心亦如是。為五蓋所覆自不能利。亦不能益人。 譬えば、日月は、五事を以って、覆えば曀(かげ)にするが如く、煙、雲、塵、霧、羅睺阿修羅の手障(さ)うれば、則ち明照する能わざるも、人心も亦た是の如く、五蓋に覆わるれば、自ら利すること能わず、亦た人を益すること能わず。
譬えば、
『日、月』を、
『五事』で、
『覆えば!』、
『曀(かげ)になるように!』、
『煙、雲、塵、霧、羅睺阿修羅の手』で、
『日、月』を、
『遮れば!』、
『明く照らせない!』が、
『人』の、
『心』も、
是のように、
『五蓋』に、
『覆われれば!』、
自ら、
『利することもできず!』、
『人』を、
『益することもできない!』。
  羅睺(らご):梵語 raahu 、又羅護に作る、星の名なり。能く日月を障蔽し、蝕せしむるを以っての故に、印度の伝説に、之を阿修羅王と謂うなり。<(丁)
  羅睺阿修羅(らごあしゅら):梵語 raahuasura 、四種阿修羅王の一なり。具には羅睺羅阿修羅という。羅睺羅を執月と訳す。此の阿修羅王は帝釈と戦う時、能く其の手を以って日月を執り、其の光を障蔽するが故に名づく。「法華義疏巻1」に、「羅睺とは、此れを障持と云う、又吸気と云う。(中略)問わく、何故に修羅の手は月を障うる。答うらく、月は此れ帝釈軍の前鋒なり、故に手を以って之を障え、月を食わんと欲す。正法念処経に云わく、日月は放光して修羅の眼を障え、見えざらしむ。故に手を以って之を障うと」と云い、「大智度論巻10」に、「一時羅睺羅阿修羅王は月を噉わんと欲す。月天子怖れて疾かに仏の所に到り、偈を説かく、大智精進仏世尊、我れ今帰命稽首礼す。是の羅睺羅は我れを悩乱す。願わくは仏憐愍して救護されんことをと。仏の羅睺羅の与に偈を説いて言わく、月は能く暗を照らして清涼たり。是れ虚空中の天の灯明たり。其の色は白浄にして千光有り。汝は月を呑む莫かれ、疾かに放ち去れと。是の時羅睺羅は怖懅して汗を流し、即ち疾かに月波梨を放てり」と云い、「法華玄賛巻2」に、「羅睺は此には執日と云い、非天(阿修羅)と天と闘う時、将に四天王天は先に其れと戦わんとするに、日月天子、盛光明を放ちて非天の眼を射るに、此れを非天の前鋒と為し、手を以って日を執りて其の光を障蔽するが故に執日と云う」と云えり。<(丁)
  (あい):かげる。曇って暗くなる。
若能呵五欲除五蓋。行五法。欲精進念巧慧一心。行此五法得五支成就。初禪 若し、能く五欲を呵すればば、五蓋を除きて、五法を行ず。欲、精進、念、巧慧、一心、此の五法を行ずれば、五支を得て、初禅を成就す。
若し、
『五欲』を、
『呵ることができれば!』、
則ち、
『五蓋』が、
『除かれて!』、
『五法』を、
『行うことになる!』。
『欲、精進、念、巧慧、一心』という、
此の、
『五法』を、
『行えば!』、
則ち、
『五支(覚、観、喜、楽、一心)』を、
『得て!』、
『初禅』を、
『成就することになる!』。
  五支(ごし):覚観喜楽及び一心を具に成就して初禅を得るを云う。「中阿含巻58」を見よ。
  参考:『中阿含経巻58』:『復問曰。賢聖。初禪有幾支耶。法樂比丘尼答曰。初禪有五支。覺.觀.喜.樂.一心。是謂初禪有五支』
欲名欲。於欲界中出欲。得初禪 欲を、欲界中より出でんと欲し、初禅を得んと欲すと名づく。
『欲』とは、――
『欲界』中より、
『出よう!』と、
『欲して!』、
『初禅』を、
『得よう!』と、
『欲することである!』。
精進。名離家持戒。初夜後夜專精不懈。節食攝心不令馳散 精進を、家を離れて持戒し、初夜、後夜にも専精して懈らず、食を節し、心を摂めて、馳散せしめずと名づく。
『精進』とは、――
『家』を、
『離れて!』、
『持戒し!』、
『初夜』にも、
『後夜』にも、
『専精(努力)して!』、
『懈らず!』、
『食』を、
『節し!』、
『心』を、
『摂(おさ)めて!』、
『馳散させないことである!』。
  初夜後夜(しょやごや):深夜の4時間を除いた日没後の4時間と夜明け前の4時間。
  専精(せんしょう):もっぱら精進する。修行に余事を雑えないこと。
念。名念初禪樂。知欲界不淨狂惑可賤。初禪為尊重可貴。 念とは、初禅の楽を念じて、欲界の不浄、狂惑にして賎しむべく、初禅の尊重して貴ぶべしと為すを知ると名づく。
『念』とは、――
『初禅の楽』を、
『念じて!』、
『欲界』は、
『不浄、狂惑であり!』、
『賎しむべきである!』が、
『初禅』は、
『尊重して!』、
『貴ぶべきである!』と、
『知ることである!』。
巧慧名觀察籌量欲界樂。初禪樂輕重得失 巧慧とは、欲界の楽と、初禅の楽との軽重、得失を観察し、籌量すと名づく。
『巧慧』とは、――
『欲界の楽』と、
『初禅の楽』との、
『軽重、得失』を、
『観察、籌量することである!』。
  巧慧(ぎょうえ):巧みで聡い。或いは小才をいう。
  籌量(ちゅうりょう):はかる。計算。
一心。名常繫心緣中不令分散。 一心とは、常に心を縁中に繋けて、分散せしめずと名づく。
『一心』とは、――
常に、
『心』を、
『縁(一境)』中に、
『繋()けて!』、
『分散させないことである!』。
復次專求初禪放捨欲樂。譬如患怨常欲滅除。則不為怨之所害也。如佛為著欲婆羅門說。我本觀欲。欲為怖畏憂苦因緣。欲為少樂其苦甚多。 復た次ぎに、専ら初禅を求めて、欲楽を放捨すること、譬えば患怨を、常に除滅せんと欲すれば、則ち怨に害せられざるが如し。仏の著欲の婆羅門の為に説きたまえるが如し、『我れ、本欲を観るに、欲を怖畏と憂苦の因縁と為し、欲を楽少なく、其の苦は甚だ多しと為す』、と。
復た次ぎに、
『一心』とは、――
専ら、
『初禅』を、
『求めて!』、
『欲の楽』を、
『放捨することである!』。
譬えば、
『患、怨』は、
常に、
『滅除しよう!』と、
『思っていれば!』、
則ち、
『怨』に、
『害されないように!』。
例えば、
『仏』は、
『欲』に、
『著する!』、
『婆羅門』の為に、こう説かれた、――
わたしは、
本、こう観察した、――
『欲』とは、
『怖畏、憂苦』の、
『因縁(原因)である!』、
『欲』の、
『楽』は、
『少なく!』、
『苦』は、
『甚だ多い!』、と。
欲為魔網纏綿難出。 欲を、魔網と為す、纏綿として出で難し。
『欲』とは、――
『魔網である!』、
『纏綿として!』、
『出で難い!』。
  魔網(まもう):天魔、即ち六欲天主の網にして、人の種種の邪業なり。「無量寿経巻上」に、「魔網を壊裂して、諸の纏縛を解く」と云い、「大智度論巻8」に、「念有れば魔網に堕し、念無ければ則ち出づるを得」と云える是れなり。<(丁)
  纏綿(てんめん):まつわりつき、からみつくこと。
欲為燒熱乾竭諸樂。譬如樹林四邊火起。 欲を、焼熱と為す、諸楽を乾竭すること、譬えば樹林の四辺に火の起るが如し。
『欲』とは、――
『焼熱である!』、
諸の、
『楽』を、
『乾かし!』、
『竭()くして!』、
譬えば、
『樹林』の、
『四辺より!』、
『火が起きるようである!』。
欲為如臨火坑甚可怖畏。如逼毒蛇。如怨賊拔刀。如惡羅刹。如惡毒入口。如吞銷銅。如三流狂象。如臨大深坑。如師子斷道。如摩竭魚開口。諸欲亦如是甚可怖畏。若著諸欲令人惱苦。 欲を、火坑に臨むが如しと為す、甚だ怖畏すべし。毒蛇に逼るが如く、怨賊の刀を抜くが如く、悪羅刹の如く、悪毒の口に入るが如く、銷銅を飲むが如く、三流の狂象の如く、大深坑に臨むが如く、師子の道を断つが如く、摩竭魚の口を開くるが如く、諸欲も亦た是の如く、甚だ怖畏すべし。若し、諸欲に著すれば、人をして悩苦せしむ。
『欲』とは、――
譬えば、
『火坑』に、
『臨む!』ように、
『甚だ怖畏せねばならぬ!』。
譬えば、
『毒蛇』に、
『逼るように!』、
『怨賊』が、
『刀』を、
『抜くように!』、
『暴悪な!』、
『羅刹のように!』、
『悪毒』が、
『口』に、
『入るように!』、
『銷()けた!』、
『銅』を、
『呑むように!』、
『三本』の
『流れとなった!』、
『狂象の群のように!』、
『大きな!』、
『深坑』に、
『臨むように!』、
『師子』が、
『道』を、
『横断するように!』、
『摩竭魚』が、
『口』を、
『開けたように!』、
諸の、
『欲』も、
是のように、
『甚だ!』、
『怖畏せねばならぬ!』。
若し、
諸の、
『欲』に、
『著すれば!』、
『人』を、
『悩まし!』、
『苦しめるだろう!』。
  火坑(かきょう):灼熱の落し穴( fiery pit )。
  深坑(じんきょう):深い穴。
  銷銅(しょうどう):溶けた銅。
  三流狂象(さんるのごうぞう):狂象は自由に走る象の意。己の左右及び中央を流れる三本の河の如き狂象の大群。
  摩竭魚(まかつぎょ):摩竭は梵語 makara にして大魚と訳す。『大智度論巻7上注:摩竭魚』参照。
著欲之人亦如獄囚。如鹿在圍。如鳥入網。如魚吞鉤。如豺搏狗。如烏在鴟群。如蛇値野豬。如鼠在貓中。如群盲人臨坑。如蠅著熱油。如儜人在陣。如躄人遭火。如入沸鹹河。如舐蜜塗刀。如四衢臠肉。如薄覆刀林。如華覆不淨。如蜜塗毒甕。如毒蛇篋。如夢虛誑。如假借當歸。如幻誑小兒。如焰無實。如沒大水。如船入摩竭魚口。如雹害穀。如霹靂臨人。諸欲亦如是。虛誑無實無牢無強。樂少苦多。 著欲の人は、亦た獄囚の如く、鹿の囲に在るが如く、鳥の網に入るが如く、魚の鉤を呑むが如く、豹の狗を搏(う)つが如く、烏の鴟(ふくろう)の群に在るが如く、蛇の野猪に値(あ)うが如く、鼠の猫中に在るが如く、群るる盲人の坑に臨むが如く、蝿の熱油に著くが如く、儜人の陣に在るが如く、躄人の火に遭うが如く、沸きたる鹹河に入るが如く、蜜を塗れる刀を舐むるが如く、四衢の臠肉の如く、薄く覆える刀林の如く、華の不浄を覆うが如く、蜜を塗れる毒甕の如く、毒蛇の篋の如く、夢の虚誑なるが如く、仮借の当に帰するが如く、幻の小児を誑すが如く、焔に実無きが如く、大水に没するが如く、船の摩竭魚の口に入るが如く、雹の穀を害するが如く、霹靂の人に臨むが如く、諸欲は、亦た是の如く、虚誑、無実、無牢、無強にして、楽少なく、苦多し。
『欲』に、
『著する!』、
『人』は、――
亦た、
譬えば、
『牢獄』の、
『囚人のように!』、
『鹿』が、
『囲』に、
『在るように!』、
『鳥』が、
『網』に、
『入るように!』、
『魚』が、
『鉤』を、
『呑むように!』、
『豹』が、
『狗』を、
『搏()つように!』、
『烏』が、
『鴟(ふくろう)の群』に、
『在るように!』、
『蛇』が、
『野猪(いのしし)』に、
『値()うように!』、
『鼠』が、
『猫』中に、
『在るように!』、
『群がる盲人』が、
『坑』に、
『臨むように!』、
『蝿』が、
『熱い油』に、
『著()くように!』、
『儜人(柔弱な人)』が、
『陣』に、
『在るように!』、
『躄人(足萎えの人)』が、
『火』に、
『遭うように!』、
『沸いた!』、
『鹹河』に、
『入るように!』、
『蜜を塗った!』、
『刀』を、
『舐めるように!』、
『四衢(四辻)に落ちた!』、
『不潔な!』、
『臠肉(肉の小塊)のように!』、
『薄く!』、
『覆われた!』、
『刀林のように!』、
『華に!』、
『不浄』が、
『覆われているように!』、
『蜜を塗った!』、
『毒甕のように!』、
『毒蛇』の、
『篋のように!』、
『夢』の、
『虚誑のように!』、
『帰るはず!』の、
『仮借(借財)のように!』、
『幻』が、
『小児』を、
『誑すように!』、
『焔』に、
『実体』が、
『無いように!』、
『大水』に、
『没するように!』、
『船』が、
『摩竭魚の口』に、
『入るように!』、
『雹』が、
『穀物』を、
『害するように!』、
『霹靂(雷鳴)』が、
『人』に、
『臨むように!』、
諸の、
『欲』も、
亦た、
是のように、
『虚誑であり!』、
『実体が無く!』、
『堅牢でなく!』、
『強固でなく!』、
『楽は少なく!』、
『苦が多いのである!』。
  儜人(ねいにん):怯懦/軟弱な人。
  躄人(ひゃくにん):足萎えの人。
  鹹河(かんが):ソーダの河。
  四衢(しく):繁華街の四辻。
  臠肉(れんにく):小さな肉塊。
  仮借(かしゃく):借財。
  霹靂(ひゃくりゃく):雷鳴。
欲為魔軍破諸善功德。常為劫害眾生故。出如是等種種諸喻。呵五欲除五蓋行五法。得至初禪。 欲を魔軍と為し、諸の善功徳を破り、常に為に、衆生を劫害するが故に、是の如き等種種の諸喻を出して、五欲を呵り、五蓋を除き、五法を行じて、初禅に至るを得しむ。
『欲』とは、
『魔の軍であり!』、
諸の、
『善い功徳』を、
『破り!』、
常に、
『欲』の為に、
『衆生』は、
『劫奪、殺害される!』が故に、
是れ等の
種種の、
『諸の喻』を、
『出して!』、
『五欲を呵り!』、
『五蓋を除き!』、
『五法を行って!』、
『初禅』に、
『至らせるのである!』。
  劫害(こうがい):奪い害する。劫奪と殺害。


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