巻第十六(上)
釋初品中毘梨耶波羅蜜義第二十七
1.精進波羅蜜
2.三界五道の衆生
3.五道輪廻
4.餓鬼道
5.八大地獄
6.十六小地獄
home

大智度論釋初品中毘梨耶波羅蜜義第二十七(卷第十六)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


精進波羅蜜

問曰。云何名精進相。 問うて曰く、云何が、精進の相と名づくる。
問い、
何を、
『精進の相』と、
『呼ぶのですか?』。
答曰。於事必能起發無難。志意堅強心無疲惓所作究竟。以此五事為精進相。 答えて曰く、事に於いて、必ず能く起発して難無く、志意堅強にして、心に疲倦無く、所作を究竟す。此の五事を以って、精進の相と為す。
答え、
『事( work )』に於いて、
必ず、
『起発することができ(行動を起こし)!』、
『困難なこととせず(困難だと思わず)!』、
『意志が堅強であり(強い意志で)!』、
『心に疲倦すること無く(疲れ倦むことなく)!』、
『所作を究竟する!(作すべきことを究め尽くす)!』ならば
此の、
『五事』が、
『精進の相である!』。
  所作(しょさ):◯為されたこと/為されるべきこと( that which is (to be) done )、梵語 kriyaa の訳、作用;活動/振舞い/行動/行為/動き( Activity ; behavior, deed, function, action )、作為/作為/実行/~に従事する/業務/行動/行為/請け負うこと/活躍/仕事/労働( doing, performing, performance, occupation with (in comp.), business, act, action, undertaking, activity, work, labour. )等の義。◯身口意の三業(梵 triini- karmaaNi : The operation of the three modes of activity (thought, word, deed) )、◯(ごう) karman, karma は行動/行為/実践/業務( act, action, performance, business )、公職/特務/職業/義務( office, special duty, occupation, obligation )、宗教的な行動/儀式[犠牲、供物等]( any religious act or rite (as sacrifice, oblation ) )の義、必然的な結果を招来するものとしての以前の行動/[以前の生活に於ける行動による必然的な結果としての]運命( former act as leading to inevitable results, fate (as the certain consequence of acts in a previous life) )の意。『大智度論巻16上注:羯磨、同巻23上注:業』参照。
  羯磨(かつま):梵語 karma, karman 、又劔暮に作る。業、所作、事、辦事、又は辦事作法と訳す。即ち聖法を秉して前事を辦得し、必ず成済の功あるをいう。「四分律行事鈔巻上之一」に、「羯磨とは明了論疏に翻じて業となす。所作是れ業なれば、亦翻じて所作となす。百論には事と云う。若し義に約して求めば翻じて辦事となす。謂わゆる施造して法を遂げ、必ず成済の功あればなり」と云い、又「四分律刪補随機羯磨疏巻1」には、「古より今に至りて羯磨を翻じて辦事となすものあり、此の義なきに非ず。但だ功能を用いて往きて翻ずるのみ。能事乃ち多きも要は唯だ二あり。謂わく生善の事と滅悪の事となり。生善の極は受体に過ぎたるはなし。法和を作すに由りて便ち戒業を発し、量太虚に同じく、仏に共じ位を斉しうす。滅悪の大は懺重より高きはなし。若し過を洗わずんば生報便ち堕す。此の羯磨に由りて之を抜き、能く九百二十一億六十千歳の阿鼻の苦報をして、欻然として清浄ならしむ。豈に辦事に非ずや」と云えり。これ即ち羯磨の秉法によりて戒体を発得し、以って滅悪生善の事功を成辦するを云うなり。凡そ一切の羯磨を明すに必ず四法を具す可し、一に法、二に事、三に人、四に界なり。此の中、第一に法とは正しく羯磨の作法を云う。之に三種あり、謂わゆる心念法と対首法と衆法となり。就中初の二は別法、後の一は僧法なり。心念法とは独秉の法にして、事微小なるか、或は界に人なき時、自行成じて犯戒の事なからしめんが為に、独り自ら心を発して所作の事を念じ、口に内心の情を述ぶるを云う。心念の名に迷うて口説を加えざるは非法なり。「毘尼母論巻8」に、「必ず須く口言すべし、若し説くこと明了ならざれば作法成ぜず」と云える即ち其の意なり。次ぎに対首法とは元と心念の縁に非ず、及び界に僧なき時、此の坐の同法者に面対して、事を陳べて同じく秉法するを云う。衆僧法とは僧所秉の法にして、即ち四人以上秉法するを云う。「四分律刪補随機羯磨疏巻1」に依るに、「律本には但だ衆法に拠りて言をなす。今業を成じ事を辨ずるに約すれば、亦別人(四人以下)に通ず。故に別秉法も理として羯磨と称すべし。所以に十誦、四分咸な誠文あり。然るに律に但だ僧法を明して余を彰さざるはは、建業功強きこと大衆より高きはなければなり。故に偏に羯磨の名を受く。事を挙げ文に約すれば義皆通ず」と云えり。之に依りて別法も亦羯磨と称するを得と雖も、衆法は建業功強きが故に、諸律に多く唯之に就いて羯磨の名を立つることを知るべし。若し委曲に之を論ぜば総じて八種あり、謂わゆる初の心念に、但心念法と対首心念と衆法心念との三品あり。但心念とは唯自ら独り陳説するを云う。界に人あるも亦成ず。其の相に約するに三種あり、懺軽吉羅等これなり。対首心念とは本と対首の法なれども、界に人なきに由りて心念を開するを云う。相に約するに七種あり、説浄、受薬、受七日等これなり。衆法心念とは本と僧法なれども、亦界に人なきが故に心念を開するを云う。之に四種あり、説戒、自恣等これなり。次ぎに対首法に但対首法と衆法対首との二品あり。但対首とはこれ別法なるを以って僧用を開せず、界に衆あるも亦自ら成ずることを得。相に約するに総じて二十九種あり、受三衣及び捨受鉢等これなり。衆法対首とは本と僧法なれども、界に人なきが故に対首を開するを云う。之に四種あり、衆法心念に同じ。次ぎに衆僧法に単白法と白二法あり白四法との三品あり。但白法とは又白羯磨と名づく。事軽小なるか、或は常の所行、或はこれ厳制なれば、一説して僧に告ぐるに即ち法事を辦ずるを云う。之に三十九種あり、説戒、行鉢、剃髪等これなり。白二法とは白及び羯磨に通ずるが故に名づく。事一致に非ず参渉するに由りて、一白を以って事を牒して告げしらしめ、一羯磨して可否を量処し、前務を辦ずるを云う。之に五十七種あり、離衣、受日等これなり。白四法とは又一白三羯磨と名づく。受戒、懺重、治罰、滅諍等の如き、事大小に通じ、情乖升なるべきものは、一白にして告げ知らしめ、三法を以って量可するに非ざれば前事を辨得するに由なし。故に三羯磨を以って前の単白に通じて白四と名づく。之に三十八種あり。故に縁に就き相に約すれば、凡べて衆法に一百三十四羯磨あり。心念と対首(尼の二法を加う)とを合すれば、総じて一百八十三法(行事鈔巻上之一に一百八十四に作る)を成ずるなり。若し百一羯磨法に依らば、単白に二十四、白二に四十七、白四に三十あり。これ十誦律の所説なるも、必ずしも定数というに非ず。又四分律の所宗と自ら異あるが故なり。第二に事とは羯磨所被の事にして、之に亦三種あり、謂わゆる情事と非情事と二合事となり。此の三事に前の一百八十三法を摂尽す。凡そ羯磨を秉するには必ず此の三事を以って事実を明らめ、毫も錯渉なからしむるを要す。若し覆蔵罪を犯さざる者に覆蔵の羯磨を与えば、非法にして其の法を成ぜざるが如し。故に此の事縁はこれ有情事なりや、非情事なりや、将た有情と非情との二合事なりやを究めざるべからず。彼の突吉羅罪の責心悔を始め、波逸提、四提舎尼、偸蘭遮等の懺悔はこれ唯だ有情事なり。三衣の分別法、鉄鉢の守持法等はこれ唯だ非情事なり。若し夫れ薬守持法の如き、薬それ自身は非情事にして、病患は有情事なれば即ち二合事と云うべし。又捨堕罪懺悔の作法の如き、其の非情なる余長の物体を捨てて、後衆法対首の作法を行うが故にこれ亦二合事なりというべし。第三に人とは、之に三位あり、謂わゆる一人と二三人と僧人となり。凡そ法は人に随って其の体を分つ。即ち前の心念は一人の法なり。これ界に人なき時、方に此の法を成ず。若し一人もあらば即ち非法別衆と名づく。対首は二人面対して同じく法を秉す。又辺人あらば之に問うを要す。三十捨懺の如きは必ず辺人に問うべく、九十単堕は但対なるも妨げなし。即ち二三人の法なり。衆法は四人以上にして方に法を秉す、即ち僧人の法なり。界中に比丘あらば尽く集るを法とす。若し一人の集らざる者あらば即ち非法別衆を成ずるなり。第四に界とは即ち羯磨所秉の場所を云う。之に自然界と作法摂僧界との別あり。自然界とは自然に僧の住処たる境界を為せるものにして、即ち我が国の寺院の如きこれなり。又之を不作法界と名づく。彼の対首、心念の二法、及び一二三人の衆中の雑法、四人の自恣法等は並びに皆此の自然界に於いて秉することを得。作法界とは境域を局りて結界法を施したる三小三大の界及び戒場を云う。小界は同一界内に不同意の人ありて、法を呵するの難ある時、別に之を結界して受戒自恣説戒を行うを云う。これ一時の便宜に結せしものなれば、法事了らば即時に之を解かざるを得ず。「四分律巻35」に、「結し已りて即ち解す。久住の法に非ず」と云うは其の意なり。大界は僧の常行する所にして、人法二同の界を云う。普通に百二十里を以って定量(下品)とす。戒場は元と数数集めて僧を悩ますの恐れあるが故に、之を結することを許す。但だ説戒自恣等は之を除くなり。又「僧羯磨巻上」、「四分律巻33、巻39」、「摩訶僧祇律巻23」、「菩薩戒羯磨文」、「四分律行事鈔巻上之二、上之三」、「玄応音義巻14」、「慧苑音義巻上」等に出づ。<(望)
復次如佛所說。精進相者。身心不息故。譬如釋迦牟尼佛。先世曾作賈客主。將諸賈人入嶮難處。是中有羅刹鬼。以手遮之言。汝住莫動不聽汝去。 復た次ぎに、仏の所説の如し、精進の相とは、身心の息まざるが故なり。譬えば、釈迦牟尼仏の如し、先世に曽て、賈客主と作りて、諸の賈人を将い、険難処に入る。是の中に羅刹鬼有り、手を以って之を遮りて、言わく、『汝住まりて、動く莫れ。汝が去るを聴さず』、と。
復た次ぎに、
例えば、
『仏』は、
こう説かれている、――
『精進の相』とは、
『身』も、
『心』も、
『息(やす)まないからである!』、と。
譬えば、
『釈迦牟尼仏』の場合は、こうであった、――
先世に、
かつて、
『賈客主(隊商のリーダー)』と作り、
諸の、
『賈客』を、
『将(ひき)いて!』、
『険難の処』に、
『入った!』が、
是の中の、
有る、
『羅刹(悪鬼)』が、
『手』で、
『遮りながら!』、こう言った、――
お前たちは、
『住まって!』、
『動くな!』。
お前たちが、
『去る!』のは、
『許さないぞ!』、と。
  賈客主(こきゃくしゅ):梵語 saartha- vaaha の訳、隊商のリーダー/案内人、商人/貿易業者( the leader or conductor of a caravan, a merchant, trader )の義。
  賈客(こきゃく):梵語 saartha の訳、目的/仕事を持つこと( having an object or business )、商会の会員/富豪( a member of any company, a wealthy man )の意。
  羅刹(らせつ):梵語raakSasa、悪鬼の総名。『大智度論巻30上注:羅刹』参照。
  参考:『雑宝蔵経巻8(97)』:『大力士化曠野群賊緣  爾時佛在王舍城。於王舍城毘舍離二國中間。有五百群賊。頻婆娑羅王。慈仁寬善。以恩法治世。不害物命。即出募言。誰能往化五百群盜。使不作賊。當重爵賞。時有一力士。來應王募。往彼曠野。綏化群賊。即能令其不復作賊。既能調伏作大城池。而安置之。漸漸聚集。多人依附。遂成大國。其國人民。各作是言。我等今者。蒙大力士養育之恩。便共聚集。作是言要。從今已後。新取婦者。先奉力士。即到力士所。語力士言。我等作要。新取婦者。奉上力士。為二事故。一者欲得好子使似力士。二者以報力士之恩。力士答言。何用是為。眾人慇懃。即從其意。唯行此法。漸經多時。有一女人。不樂此事。於眾人前。裸立小便。眾皆呵言。汝無慚愧。云何婦女在眾人前。而立小便。女人答言。女人還在女前而裸小便。有何等恥。一國都是女人。唯大力士是男子耳。若於彼前。應當慚愧。於汝等前。有何羞恥。從是眾人。轉相語言。此女所說。正是道理。時舍利弗目連。共將五百弟子。經曠野中過。力士知之。請二尊者并五百弟子。安置止宿。供給衣食。過三日後。國中人民。聚集作會。飲酒過醉。詳共圍遶大力士舍。以火焚燒。力士問言。何故如是。眾人答曰。婦女初嫁。都經由汝。我等是人。不忍此事。故來燒汝。力士答言。我先不肯。汝等強爾。諸人不聽。便燒使死。垂欲命終。發誓願言。持我供養舍利弗目連功德因緣。生此曠野中。作大力鬼神。滅諸人等。作是語已。其命即斷。便於曠野。作化生鬼。放大毒氣。多殺人眾。往至中間。有智之人。共求鬼言。汝今自殺無量人民。食肉不盡。唐使臭爛。願聽我等。殺諸牛馬。日以一人。供給於汝。於是國中。皆共拔籌。人當一日。如是次第。到一長者拔須陀羅。須陀羅生一男兒。福德端政次應鬼食。長者念言。如來出世。拔濟一切苦惱眾生。唯願世尊。救護我子今日之厄。佛在王舍城。知長者心。即便來向曠野鬼神宮殿中坐。曠野鬼神。來見世尊。極大瞋恚。而語佛言。沙門出去。佛便出去。鬼適入宮。佛復還入。如是三返。至第四過。佛不為出。鬼作此言。若不出者。使汝心顛倒。當捉汝腳擲恒河裏。佛語之言。我不見世間若天魔梵有能捉我作如是者。曠野鬼言。如是如是。如來聽我使問四事。當為我說。一者誰能渡駛流。二者誰能渡大海。三者誰能捨諸苦。四者誰能得清淨。佛即答言。信能渡駛流。不放逸者能渡大海。精進能捨苦。智慧能得清淨。聞是語已。即歸依佛。為佛弟子。手捉小兒。著佛缽中。遂名小兒為曠野手。漸漸長大。佛為說法。得阿那含道。諸比丘言。世尊出世。甚為希有。如此大惡曠野鬼神。佛能降伏。作優婆塞。佛言。非但今日。過去世時。亦復曾於迦尸國比提醯國二國中間。有大曠野。有惡鬼名沙吒盧。斷絕道路。一切人民。無得過者。有一商主。名曰師子。將五百商人。欲過此路。諸人恐怖。畏不可過。商主語言。慎莫怖畏。但從我後。於是前行。到於鬼所。而語鬼言。汝不聞我名耶。答言。我聞汝名。故來欲戰。問言。汝何所能。即捉弓箭而射是鬼。五百放箭。皆沒鬼腹。弓刀器仗。亦入鬼腹。直前拳打。拳復入去。以右手託。右手亦著。以右腳蹋。右腳亦著。以左腳蹋。左腳亦著。又以頭打。頭亦復著。鬼作偈言 汝以手腳及與頭  一切諸物悉以著  餘人何物而不著  商主說偈而答言 我今手足及以頭  一切財錢及刀仗  唯有精進不著汝  精進若當不休息  與汝鬥諍終不廢  我今精進不休息終不於汝生怖畏  時鬼答言。今為汝等故。五百賈客。盡皆放去。爾時師子。我身是也。爾時沙吒盧。曠野鬼是也』
賈客主即以右拳擊之。拳即著鬼挽不可離。復以左拳擊之亦不可離。以右足蹴之足復粘著。復以左足蹴之亦復如是。以頭衝之頭即復著。 賈客主は、即ち右の拳を以って、之を撃てば、拳は即ち鬼に著き、挽くも離すべからず。復た左の拳を以って、之を撃てば、亦た離すべからず。右の足を以って之を蹴るに、足復た粘著し、復た左の足を以って之を蹴るに、亦復た是の如し。頭を以って之を衝けば、頭即ち復た著く。
『賈客主』は、
そこで、
『右の拳』で、
『鬼』を、
『撃()つ!』と、
『拳』は、
『鬼』に、
『くっ着いてしまい!』、
いくら、
『引っぱっても!』、
『離せなくなった!』、
それで、
『左の拳』で、
『鬼』を、
『撃つ!』と、
『拳』は、
亦たしても、
『離せなくなった!』。
『右の足』で、
『鬼』を、
『蹴る!』と、
『足』は、
復たしても、
『粘著した!』、
復た、
『左の足』で、
『鬼』を、
『蹴ったが!』、
これも復た、
『同じことであった!』ので、
『頭』で、
『鬼』を、
『衝()いた!』ところ、
『頭』も、
復た、
『くっ着いてしまった!』。
鬼問言。汝今如是欲作何等心休息未。答言。雖復五事被繫。我心終不為汝息也。當以精進力。與汝相擊要不懈退。 鬼の問うて言わく、『汝は、今是の如くなるに、何等を作さんと欲してか、心未だ休息せざる』、と。答えて言わく、『復た五事繋がると雖も、我が心は終に、汝が為に息まざらん。当に精進力を以って、汝に相撃たるるとも、要ず懈退せざるべし』、と。
『鬼』が、
問うて、こう言った、――
お前は、
今、
是のように、
何を、
『作そうとして!』、
『心』が、
『休息しないのか?』、と。
答えて、こう言った、――
このように、
『五事(両手、両足、頭)』が、
『繋がれていても!』、
わたしの、
『心』は、
終に、
『お前の為に!』、
『息まないぞ!』。
『精進の力』で、
お前に、
『撃たれたとしても!』、
わたしは、
『絶対に!』、
『退かないぞ!』、と。
  (ひ):こうむる。される。動詞の前に用いて受動を示す。
  (よ):あたえる。許可する( permit )。ために/~に( by )。受動の如し。
  (そう):あい。自称/他称の目的語を表す代名詞。
鬼時歡喜心念。此人膽力極大。即語人言。汝精進力大。必不休息放汝令去。 鬼の時に歓喜して、心に念ずらく、『此の人の胆力は、極めて大なり』、と。即ち人に語りて言わく、『汝は、精進の力大なれば、必ず休息せざらん。汝を放ちて、去らしめん』、と。
『鬼』は、
その時、
『歓喜して!』、
『心』に、こう念じた、――
此の、
『人』は、
『胆力』が、
『極めて大きい!』、と。
そして、
『人』に語って、こう言った、――
お前は、
『精進』の、
『力』が、
『大きい!』ので、
『心』は、
『絶対に!』、
『休息しないだろう!』。
お前を、
『放って!』、
『行かせることにしよう!』、と。
行者如是。於善法中初夜中夜後夜誦經坐禪求諸法實相。不為諸結使所覆身心不懈。是名精進相。 行者も是の如し、善法中に於いて初夜、中夜、後夜に誦経し、坐禅して諸法の実相を求め、諸の結使に覆われずして、身心に懈らざれば、是れを精進の相と名づく』。
『行者』も、
是の通りである、――
『善法』中に於いて、
『初夜、中夜、後夜』に、
『誦経し!』、
『坐禅して!』、
諸の、
『法』の、
『実相』を、
『求め!』、
諸の、
『結使』に、
『心』を、
『覆われず!』、
『身』も、
『心』も、
『懈(おこた)らなければ!』、
是れが、
『精進の相である!』。
  初夜(しょや)、中夜(ちゅうや)、後夜(ごや):各、昼夜六時の一。一日を昼夜六時に分け、昼の三時を晨朝、日中、日没と称し、夜の三時を初夜、中夜、後夜と云う。
  結使(けっし):三界に繋縛して驅使するの意、即ち煩悩の異名。『大智度論巻3下注:煩悩』参照。
是精進名心數法懃行不住相。隨心行共心生。或有覺有觀或無覺有觀或無覺無觀。如阿毘曇法廣說。 是の精進は、心数法にして、懃行、不住の相、心行に随い、心と共に生じて、或いは有覚有観、或いは無覚有観、或いは無覚無観と名づくること、阿毘曇法に広く説けるが如し。
是の、
『精進』は、
『心数法であり!』、
『勤勉に!』、
『行って!』、
『住まらない相であり!』。
『心( citta )』の、
『行( carita 動き)』に、
『追随し!』、
『心( citta )』と、
『共に!』、
『生じる!』ような、
或いは、
『有覚有観』とか、
『無覚有観』とか、
『無覚無観』という、
『三昧である!』と、
例えば、
『阿毘曇法』などには、
『広く!』、
『説かれている!』。
  (ごん):勤に同じ。勤勉。事を作すに力を尽くすこと( assiduous, diligent; industrious )。
  心数法(しんじゅほう):数多い心の働き。心所法とも称す。『大智度論巻14上注:心所法』参照。
  心行(しんぎょう):◯梵語 caitasika, citta- pracaara の訳、心所( mental factors )に同じ。精神作用/精神機能( The operations of the mind; mental functions )。◯梵語 citta- gocara の訳、精神の対象/心の活動の領域( Mental objects; the realm of the mind's operation )。◯梵語 citta- carita の訳、心の所作/行為( Acting, doing of mind )。
  (しん):心/知性( heart, mind )、梵語 citta の訳、看視する/監視する( Attending, observing )、思考する/反省する/想像する( Thinking, reflecting, imagining )、霊魂/動機/判断能力( Spirit, motive, sense. )の義、知能/知性/見解の場所としての心( The mind as the seat of intelligence, mentality, idea )の意。
  有覚有観(うかくうかん)、無覚有観(むかくうかん)、無覚無観(むかくむかん):三種の三昧。『大智度論巻7上注:覚観、三三昧、巻23下』参照。
於一切善法中懃修不懈。是名精進相。於五根中名精進根。根增長名精進力。心能開悟名精進覺。能到佛道涅槃城。是名正精進。四念處中能懃繫心。是精進分。四正懃是精進門。四如意足中。欲精進即是精進。六波羅蜜中名精進波羅蜜。 一切の善法中に於いて懃修して懈らざる、是れを精進の相と名づく。五根中に於けるを、精進根と名づく。根の増長せるを精進力と名づく。心の能く開悟せるを精進覚と名づけ、能く仏道の涅槃の城に到れば、是れを正精進と名づけ、四念処中に能く懃めて心を繋ぐは、是れ精進の分なり。四正懃は、是れ精進の門にして、四如意足中の欲と精進とは、即ち是れ精進なり。六波羅蜜中には、精進波羅蜜と名づく。
一切の、
『善法』中に於いて、
『勤勉に!』、
『修めて!』、
『懈らなければ!』、
是れを、
『精進の相』と、
『呼び!』、
『五根』中には、
是れを、
『精進根』と、
『呼び!』、
『根』が、
『増長すれば!』、
『精進力』と、
『呼び!』、
『心』が、
『悟り!』を、
『開く!』のを、
『精進覚』と、
『呼び!』、
『仏道』を、
『行って!』、
『涅槃の城』に、
『到れば!』、
是れを、
『正精進』と、
『呼び!』、
『四念処』中に、
『勤勉に!』、
『心』を、
『繋げば!』、
是れは、
『精進』の、
『分であり!』、
『四正懃』は、
是れが、
『精進』の、
『門であり!』、
『四如意足』中の、
『欲如意足』と、
『精進如意足』とは、
即ち、
『精進であり!』、
『六波羅蜜』中には、
即ち、
『精進波羅蜜』と、
『呼ばれている!』。
  五根(ごこん):信根、精進根、念根、定根、慧根の総称。『大智度論巻15下注:五根、五力』参照。
  精進覚(しょうじんかく):また精進覚支と称す、七覚分の一。『大智度論巻3下注:七覚分』参照。
  正精進(しょうしょうじん):八正道の一。『大智度論巻3下注:八正道』参照。
  四念処(しねんじょ):心を繋ける四種の対象。『大智度論巻15下注:四念処』参照。
  四正懃(ししょうごん):また四正勤、四正断と称す。『大智度論巻16上注:四正断』参照。
  四正断(ししょうだん):梵語catvaari prahaaNaaniの訳。四種の正断の意。三十七菩提分法の一科。即ち悪を遮断し善を生長せしめんが為に方便精勤するを云う。又四意断、四正勤、四正勝と云い、或は単に四断とも称す。一に未生悪令不生 anutpannaanaaM paapakaanaam akuzalaanaaM dharmaanaam anutpaadaaya cchandaM janayati、二に已生悪令永断 utpannaanaaM paapakaanaam akuzalaanaaM dharmaanaaM prahaaNaaya cchandaM janayati、三に未生善令生 anutpannaanaaM kuzalaanaaM dharmaanaam utpaadaaya cchandaM janayati、四に已生善令増上 utpannaanaaM kuzalaanaaM dharmaaNaaM sthitayebhuuyo-bhaavataayai asaMpramoSaaya paripuuNaaya cchandaM janayati なり。又第一を律儀断、第二を断断、第三を隨護断、或は防護断、第四を修断と名づく。「雑阿含経巻31」に、「四正断あり。何等をか四となす、一には断断、二には律儀断、三には隨護断、四には修断なり。云何なるを断断と為すや、謂わく比丘、已起の悪不善法を断ずるには欲を生じ、方便精勤して心に摂受する、これを断断と為す。云何が律儀断なる、未起の悪不善法を起さざるには欲を生じ、方便精勤して摂受する、これを律儀断と名づく。云何が隨護断なる、未起の善法を起すには欲を生じ、方便精勤して摂受する、これを隨護断と名づく。云何が修断なる、已起の善法を増益するには欲を生じ、修習方便精勤して摂受する、これを修断と名づく」と云い、「増一阿含経巻18」に、「若し無放逸の比丘は四意断を修す。云何が四となす、ここに於いて比丘、若し未生の弊悪の法は方便を求めて生ぜざらしめ、已生の弊悪の法は方便を求めて滅せしめ、若し未生の善法は方便を求めて生ぜしめ、已生の善法は方便を求めて増多ならしめ終に忘失せず。具足し修行して心意に忘れず。かくの如く比丘は四意断を修すべし」と云えるこれなり。これ方便精勤して已生の悪は永く之を断じ、未生の悪は生ぜざらしめ、又未生の善は之を生ぜしめ、已生の善は更に増上ならしめんとし、常に心に忘るべからざることを説けるものにして、即ち四皆勤を以って体とするなり。四正断の名義に関しては、「大毘婆沙論巻141」に、「問う、此の四は何に縁りて説いて正断と為すや。答う、此の四種能く正しく断ずるに由るが故なり。問う、前の二は爾るべし、後の二は如何。答う、初を以って名となすが故に失あることなし。或は此の四種は皆断の義あり、謂わく前の二は煩悩障を断じ、後の二は所知障を断ず。善法を修する時無知を断ずるが故なり、暫断永断倶に断と名づくるが故なり」と云い、又「倶舎論巻25」に、「何が故に勤を説きて名づけて正断と為すや。正しく断修を修習する位の中に於いて、此の勤力能く懈怠を断ずるが故なり。或は正勝と名づく、正しく身語意を持策する中に於いて此れ最勝なるが故なり」と云えり。以って其の趣旨を見るべし。又此の四正断は四善根位の中、主として煖位に於いて之を修す。倶舎論の連文に、「煖法の位の中には能く異品の殊勝の功徳を証して、勤の用勝れたるが故に正断増すと説く」と云える即ち其の意なり。又「雑阿含経巻26、巻30」、「中阿含巻21説処経、巻52周那経」、「集異門足論巻6、巻7」、「法蘊足論巻3正勝品」、「大毘婆沙論巻96」、「大智度論巻19」、「瑜伽師地論巻29、巻57、巻98」、「大乗阿毘達磨雑集論巻10」、「順正理論巻71」、「阿毘達磨蔵顕宗論巻25、巻34」、「大乗義章巻16末」等に出づ。<(望)
  四如意足(しにょいそく):また四神足とも称す。『大智度論巻5上注:四如意足』参照。
問曰。汝先讚精進。今說精進相。是名何精進。 問うて曰く、汝は、先に精進を讃じて、今は精進の相を説く。是れを、何なる精進とか名づくる。
問い、
あなたは、
先に、
『精進』を、
『讃じて!』、
今は、
『精進』の、
『相』を、
『説いた!』が、
是れは、
何という、
『精進』の、
『相なのですか?』。
答曰。是一切善法精進中相。 答えて曰く、是れ一切善法の精進中の相なり。
答え、
是れは、
一切の、
『善法』中に於いて
『精進する!』、
『相である!』。
問曰。今說摩訶般若波羅蜜論議中。應說精進波羅蜜。何以故。說一切善法中精進。 問うて曰く、今、摩訶般若波羅蜜を説く論義中なれば、応に精進波羅蜜を説くべし。何を以ってか、一切の善法中の精進を説く。
問い、
今は、
『摩訶般若波羅蜜』を、
『説く!』、
『論義中である!』から、
当然、
『精進波羅蜜』を、
『説くべきである!』。
何故、
一切の、
『善法』中の、
『精進』を、
『説くのですか?』。
答曰。初發心菩薩於一切善法中精進。漸漸次第得精進波羅蜜。 答えて曰く、初発心の菩薩は、一切善法中に於いて精進し、漸漸に次第に、精進波羅蜜を得ればなり。
答え、
『初発心』の、
『菩薩』は、
一切の、
『善法』中に、
『精進しながら!』、
少しづつ、
『次第に!』、
『精進波羅蜜』を、
『得るからである!』。
  漸漸(ぜんぜん):徐々に/ますます/ゆっくり/次第に/少しづつ/一歩づつ( gradually; increasingly; slowly; by degrees; little by little; step by step )。
問曰。一切善法中精進多。今說精進波羅蜜。已入一切善法精進中。 問うて曰く、一切の善法中には精進多し。今、精進波羅蜜を説かば、已に、一切の善法の精進中に入らん。
問い、
一切の、
『善法』中には、
『精進』が、
『多く!』、
『皆、悉く!』を、
『説くことはできない!』が、
今、
『精進波羅蜜』を、
『説いた!』ならば、
已に、
一切の、
『善法の精進』中に、
『入ったことになりませんか?』。
答曰。為佛道精進名為波羅蜜。諸餘善法中精進。但名精進。不名波羅蜜。 答えて曰く、仏道の為の精進を名づけて、波羅蜜と為す。諸余の善法中の精進は、但だ精進と名づけて、波羅蜜と名づけず。
答え、
『仏道』の為の、
『精進』を、
『精進波羅蜜』と、
『称するのであり!』、
その他の、
『善法』中の、
『精進』は、
『精進』とは、
『呼ばれても!』、
『精進波羅蜜』と、
『称されることはない!』。
問曰。一切善法中懃何以不名精進波羅蜜。而獨名菩薩精進為波羅蜜。 問うて曰く、一切の善法中に懃むるは、何を以ってか、精進波羅蜜と名づけず、独り、菩薩の精進を名づけて、波羅蜜と為す。
問い、
一切の、
『善法』中に、
『勤勉である!』ことは、
何故、
『精進波羅蜜』と、
『呼ばれず!』、
独り、
『菩薩』の、
『精進』のみが、
『精進波羅蜜』と、
『称されるのですか?』。
答曰。波羅蜜名到彼岸。世間人及聲聞辟支佛。不能具足行諸波羅蜜。是故不名為精進波羅蜜。 答えて曰く、波羅蜜を到彼岸と名づく。世間の人、及び声聞、辟支仏は、具足して、諸の波羅蜜を行ずる能わず。是の故に、名づけて精進波羅蜜と為さず。
答え、
『波羅蜜』とは、
『彼岸』に、
『到るということである!』。
『世間の人』や、
『声聞、辟支仏』は、
諸の、
『波羅蜜』を、
『具足して(完全に)!』、
『行うことはできない!』ので、
是の故に、
『精進波羅蜜』とは、
『呼ばれない!』。
復次是人無大慈大悲。棄捨眾生不求十力四無所畏十八不共法一切智及無礙解脫無量身無量光明無量音聲無量持戒禪定智慧。以是故是人精進不名波羅蜜。 復た次ぎに、是の人は大慈、大悲無く、衆生を棄捨し、十力、四無所畏、十八不共法、一切智、及び無礙解脱、無量の身、無量の光明、無量の音声、無量の持戒、禅定、智慧を求めず。是を以っての故に、是の人の精進を、波羅蜜と名づけず。
復た次ぎに、
是の、
『人』は、
『大慈、大悲』が、
『無い!』ので、
『衆生』を、
『棄捨し!』、
『仏』の、
『十力』、
『四無所畏』、
『十八不共法』、
『一切智』や、
『無礙解脱』も、
『無量の身、光明、音声』も、
『無量の持戒、禅定、智慧』も、
『求めることがない!』ので、
是の故に、
是の、
『人』の、
『精進』は、
『波羅蜜』と、
『呼ばれることがない!』。
  十力(じゅうりき):梵語daza balaaniの訳。(一)如来の十力。梵語daza tathaagata-blaani、又十神力とも云う。仏十八不共法の一科。即ち仏のみ成就する十種の智力を云う。一に処非処智力 sthaanaasthaana- jJaana- bala、二に業異熟智力 karma- vipaaka- jJaana- bala、三に静慮解脱等持等至智力 sarva- dhyaana- vimokSa- samaadhi- samaapatti- saMkleza- vyavadaana- vyutthaana- jJaana- bala、四に根上下智力 indriya- paraapara- jJaana- bala、五に種種勝解智力 naanaadhimukti- jJaana- bala、六に種種界智力 naanaa- dhaatu- jJaana- bala、七に徧趣行智力 sarvatra- gaaminii- pratipaj- jJaana- bala、八に宿住随念智力 puurva- nivaasiinusmRti- jJaana- bala、九に死生智力 cyuty- utpatti- jJaana- bala、十に漏尽智力 aasrava- kSaya- jJaana- bala なり。「雑阿含経巻26」に、「何等をか如来の十力と為す、謂わく如来は処非処を如実に知る、これを如来の初力と名づく。(中略)復た次ぎに如来は諸漏已に尽き、無漏にして心解脱し慧解脱し、現法に自ら身の作証を知り、我が生已に尽き、梵行已に立ち、所作已に作し、自ら後有を受けず。これを第十如来力と名づく。(中略)かくの如き十力は唯如来のみ成就す、これを如来と名づく」と云い、「大毘婆沙論巻30」に、「仏世尊は、十力四無所畏及び大悲と三念住等の不可思議無辺の功徳を成就し、用の差別に随って種種の名を立つ。且らく十種に於いて意力と名づく。云何が十となす、一に処非処智力、二に業報集智力、三に静慮解脱等持等至発起雑染清浄智力、四に種種界智力、五に種種勝解智力、六に根勝劣智力、七に遍趣行智力、八に宿住随念智力、九に死生智力、十に漏尽智力なり」と云えるこれなり。此の中、初に処非処智力とは、又智是処非処智力、或は是処不是力とも名づく。即ち如来は如実に理と非理との一切を知るを云う。二に業異熟智力とは、又知業報智力、知三世業智力、或は業報集智力とも名づく。即ち如来は如実に三世業報の因果を知るを云う。三に静慮解脱等持等至智力とは、又静慮解脱等持等至発起雑染清浄智力、知諸禅解脱三昧智力、或は禅定解脱三昧浄垢分別智力とも名づく。即ち如来は如実に一切の静慮と解脱との次第深浅を知るを云う。四に根上下智力とは、又知諸根勝劣智力、或は知衆生上下根智力と名づく。即ち如来は如実に衆生の信等の諸根の勝劣差別を知るを云う。五に種種勝解智力とは、又知種種解智力、或は知衆生種種欲智力とも名づく。即ち如来は如実に衆生の種種の意解を知るを云う。六に種種界智力とは、又是性力、或は性智力とも名づく。即ち如来は如実に衆生の諸の種姓及び其の行を知るを云う。七に遍趣行智力とは、又知一切至処道智力、或は至処道力とも名づく。即ち如来は如実に人天等の諸趣に至る道行の因果を知るを云う。八に宿住随念智力とは、又知宿命無漏智力、或は宿命智力とも名づく。即ち如来は如実に過去世の種種の事に於いて憶念知悉するを云う。九に死生智力とは、又知天眼無礙智力、或は宿住生死智力とも名づく。即ち如来は如実に天眼を以って衆生の死生の時、及び未来生の善悪趣、乃至善悪業の成就等を知るを云う。十に漏尽智力とは、又知永断習気智力、或は結尽力とも名づく。即ち如来は自ら諸漏悉く尽きて後有を受けざるを知り、又如実に他の漏尽を知りて謬らざるを云うなり。此の中、処非処智力は広く一切法を縁じ、世俗智乃至無生智等の十智を以って其の性となす。業異熟智力は唯苦集の法を縁じ、有漏縁なるが故に、十智の中、滅道の二智を除き余の八智を以って性となす。静慮解脱等持等至智力、根上下智力、種種勝解智力及び種種界智力の四は、苦集道の三諦の法を縁じ、有為縁なるが故に、滅智を除き余の九を以って性となす。遍趣行智力は、若し能趣の因を縁ずるは滅智を除き余の九を以って性となし、若し所趣の果を縁ずるは、総じて十智を以って性となす。宿住随念智力及び死生智力の二は世俗智を以って性となし、其の中、前者は過去の五蘊を縁じ、後者は色処を縁ず。漏尽智力は、若し但だ択滅を縁ずるは、道智苦智集智他心智を除きて余の六智を性となし、若し漏尽に依る身中所得の法を縁ずるは総じて十智を以って性となすなり。又此の中、宿住及び死生の二智は色界繋なるが故に四静慮を依地とし、余の八智は其の有漏なるは三界繋、無漏なるは不繋にして世俗に通ずるが故に、総じては欲界四静慮四無色未至中間の十一地に依り、唯無漏なるは欲界及び有頂を除き余の九地を依地とするなり。説一切有部に於いては、此の十力を以って四無所畏等と共に唯如来のみ成就する不共法とし、且つ十力は其の一一に四無畏を摂し、四無畏は亦其の一一に十力を摂し、総じて四十力四無所畏ありとなせり。但し十力の中には二乗に共ずるものあり、之に関し「大毘婆沙論巻30」に、「問う、宿住随念智と死生智は二乗にも亦有り、何故に唯仏にのみ力を建立するや。答う、前に説く不可屈の義等はこれ力の義なりと。二乗ありと雖も、而も此の義なきが故に力と名づけず。(中略)問う、二乗にも亦漏永尽の智あり、何故に力に非ざるや。答う、仏智は猛利にして速かに煩悩及び彼の余習を断ずるも、二乗には非ざるが故なり。復た次ぎに仏智は能く自他相続の諸漏永尽の時分を知りて謬たざるも、声聞独覚にはかくの如きの能なし」と云えり。以って其の義意を知るべし。又大小二乗所説の十力の義の不同に関し、「大乗義章巻20末」には体性、智行、心縁、知法、多少、常無常、得度の七義を挙げて其の異を辦ぜり。就中、体性不同とは、小乗の十力は妄識を体となし、大乗は八識真心を体となすを云い、智行不同とは、小乗の十力は十智を以って性とし、大乗は如実智を以って性となすと云い、心縁不同とは、小乗の十力は攀縁分別して知り、大乗は無縁にして而も普く知るを云い、知法不同とは、小乗の十力は四真諦等を了知し、大乗は如来蔵等の一切法を了知するを云い、多少不同とは、小乗は唯十力を宣説するも、大乗は十力乃至無量力を説くを云い、常無常不同とは、小乗の十力は其の性無常にして無余に入るに対し、大乗は力用に興廃あるも其の体常住となすを云い、得度不同とは、小乗の十力は樹下成道時の所得なるも、大乗は種性已上分に之を得し、仏に至りて成満すとなすを云うなり。又「法集名数経」には、此の中の第九死生智力を除き、第三に知衆生性智力を加えて十力となせり。是れ異説なり。又「増一阿含経巻43」、「仏十力経」、「決定義経」、「修行本起経巻下」、「大品般若経巻5」、「旧華厳経巻56」、「大方等大集経巻6」、「菩薩善戒経巻9住品」、「菩薩瓔珞本業経巻下因果品」、「阿毘曇甘露味論巻下」、「十住毘婆沙論巻11」、「大智度論巻24」、「菩薩地持経巻10建立品」、「瑜伽師地論巻49、巻50、巻79」、「倶舎論巻27」、「順正理論巻75」、「大乗阿毘達磨雑集論巻14」、「倶舎論光記巻27」等に出づ。(二)菩薩の十力。即ち十迴向中、第九無縛無著解脱回向位の菩薩の具有する十種の力用を云う。一に深心力 aazaya- bala、二に増上深心力 adhyaazaya- bala、三に方便力 prayoga- bala、四に智力 prajNaa- bala、五に願力 praNidhaana- bala、六に行力 caryaa- bala、七に乗力 yaana- bala、八に神変力 vikurvaNa- bala、九に菩提力 bodhi- bala、十に転法輪力 dharma- cakra- pravartana- bala なり。「旧華厳経巻39離世間品」に、「仏子、菩薩摩訶薩に十種の力あり。何等をか十と為す。所謂直心力とは、一切の世界に於いて染著することなきが故なり。深心力とは一切諸仏の法を壊せざるが故なり。方便力とは、菩薩の一切の行を究竟するが故なり。智慧力とは、一切衆生の諸の心行を知るが故なり。願力とは、一切衆生の願をして満足せしむるが故なり。行力とは、一切の未来際劫を尽くして断絶せざるが故なり。乗力とは、出生して普く一切の諸乗を現ずるも、大乗を転ぜざるが故なり。遊戯神通力とは、一の毛道に於いて一切の清浄世界を示現し、一切の如来世に出興するが故なり。菩提力とは、菩提を覚悟して、一切衆生の念と与に等しきが故なり。転法輪力とは、一句の法に於いて一切衆生の希望の諸根を説くが故なり。仏子、これを菩薩摩訶薩の十種の力と為す。若し菩薩摩訶薩此の力に安住せば、則ち一切諸仏の一切智無上の十力を得ん」と云えるこれなり。これ第九回向位の菩薩に十種の智力あることを説けるものなり。又「首楞厳三昧経」等に之と類似の十力の説あり。即ち彼の経巻下に堅固力、深信力、不忘力、無疲力、堅固大悲力、堅捨力、不壊力、堅受力、智慧力、信楽力の十力を説き、又「大智度論巻25」に、発一切智心堅深牢固力、具足大慈故不捨一切衆生力、不須一切供養恭敬利故具足大悲力、大精進力、禅定力、智慧力、不厭生死力、無生法忍力、解脱力、無礙智力の十力を出せるが如きこれなり。其の他又「法集名数経」には別に解脱力、拔苦力、観力、忍力、智力、断力、聞力、願力、円満力、愛力の菩薩の十力を出せり。又「新華厳経巻18、巻56」、「同疏巻52」、「翻訳名義集巻11」等に出づ。<(望)
  四無所畏(しむしょい):仏所有の十種の畏れざること。『大智度論巻5下注:四無所畏』参照。
  十八不共法(じゅうはちふぐうほう):十八種の共通ならざる法の意。即ち声聞縁覚に通ぜず、唯仏又は菩薩のみ有する十八種の功徳法を云う。(一)仏の十八不共法 aSTadazaaveNikaa buddha- dharumaaH と称す。即ち十力 daza balaani、四無所畏 catvaari vaizaaraadyaani、三念住 triiNi smRty- upasthaanaani、大悲 mahaa- karuNaaなり。「大毘婆沙論巻17」に、「一仏が十力、四無所畏、大悲、三念住の十八不共法等の無辺の功徳を成就するが如く、余仏も亦爾るが故に平等と名づく」と云い、「倶舎論巻27」に、「智所成の徳を今当に顕示すべし。中に於いて先づ仏の不共の徳を辯ぜば、且らく初成仏の尽智の位に不共仏法を修するに十八種あり。何をか十八と謂う、(中略)仏の十力、四無畏、三念住、及び大悲、かくの如きを合して名づけて十八不共法となす。唯諸仏のみ尽智の時に於いて修し、余の聖になき所なるが故に不共と名づく」と云えるこれなり。此の中、十力とは一に処非処智力 sthaanaasthaana- jJaana- bala、二に業異熟智力 karma- vipaaka- j.- b.、三に静慮解脱等持等至智力 dhyaana- vimokSa- samaadhi- samaapatti- j.- b.、四に根上下智力 indriya- paaraapara- j.- b.、五に種種勝解智力 nanaadhimukuti- j.- b.、六に種種界智力 naanaa- dhaatu- j.- b.、七に遍趣行智力 sarvatra- gaaminii- pratipaj- j.- b.、八に宿住随念智力 puurva- nivaasaanusmRti- j.- ab.、九に死生智力 cyuty- upapatti- j.- b.、十に漏尽智力 aasrava- kSaya- j.- b.なり。四無所畏とは一に正等覚無畏 samyak- saMbuddha- vaizaaradya (又はabhisaMbodhi- v.)、二に漏永尽無畏 aasrava- kSaya- (jJaana)- v.、三に説障法無畏 antaraayika- dharmaakhyaana- v.、四に説出道無畏 nairyaaNika- pratipad- aakyaana- v.なり。三念住とは一に於恭敬聴聞者住平等心 zuzruuSamaaNeSu samacittataa、二に於不恭敬聴聞者住平等心 azusruuSamaaNeSu s.、三に於恭敬聴聞与不恭敬聴聞者住平等心 zuzruuSamaaNaazuzruuSamaaNeSa s.なり。これ此の十八種は諸仏初成道の時、尽智の位に於いて修得する法にして、余の聖者には無き所なるが故に、之を仏十八不共法となすなり。即ち唯仏のみ独り十力を得て、諸惑の習気を除き、一切の境に於いて欲する所に随って能く知り、又四無所畏を得るが故に、説法に当りて怖畏する所なく、三念住を得るが故に歓慼の心を生ぜず、大悲を得るが故に一切の有情を縁じて三苦の行相をなすことを得るを明にするなり。蓋し此等の十力無所畏等は諸部の阿含に散説する所なるも、之を束ねて仏十八不共となせるは迦旃延子なるが如く、「大智度論巻26」に、「問うて曰わく、若し爾らば迦旃延尼子は何を以って十力、四無所畏、大悲、三不共意止を言って名づけて十八不共法と為すや。若し前説(般若の所説)の十八不共法はこれ真の義ならば、迦旃延尼子は何を以っての故にかくの如く説くや。答えて曰わく、ここを以っての故に迦旃延尼子と名づく、若し釈子ならば則ちこの説を作さず」と云えり。之に依るに此の説は主として説一切有部に於いて用いられたるものなるを知るべし。又「文殊師利問経巻下嘱累品」には、「十力四無畏大慈大悲大喜大捨を十八不共法と謂う」と云えり。これ三念住を除き、慈喜捨の三を加えたるものにして、一種の異説なり。又「雑阿毘曇心論巻6」、「瑜伽師地論巻50、巻79」、「摂大乗論釈巻19(無性)」、「順正理論巻75」、「阿毘達磨蔵顕宗論巻35」、「大乗阿毘達磨雑集論巻14」、「大乗義章巻20末」、「法界次第初門巻下之下」等に出づ。(二)般若経所説の仏十八不共法。一に諸仏身無失 naasti tathaagatasya skhalitaM、二に口無失 naasti ravitaM、三に念無失 naasti muSita- smRtitaa、四に無異想 naasti naanaatva- saMjJaa、五に無不定心 naasty a- samaahita- citaM、六に無不知己捨心 naasy a- pratisaMkhyaayopeksaa、七に欲無減 naasti chandasya haaniH、八に精進無減 naasti viiryasya haaniH、九に念無減naasti smRter haaniH、十に慧無減 naasti prajJaayaa haanniH、十一に解脱無減 naasti vimukterhaaniH、十二に解脱知見無減 naasti vimukti- jJaana- darzana- parihaaniH、十三に一切身業随智慧行 sarva- kaaya- karmajJaana- purvaMgamaM jJaanaanuparivarti、十四に一切口業随智慧行 sarava-vaak-karma j.- p.j.、十五に一切意業随智慧行 sarva- manas- karma j.- p.j.、十六に智慧知見過去世無礙無障 atiite'dhvany asaNgam apratihataM jJaana- darzanaM pravartate、十七に智慧知見未来世無礙無障 anaagate'dha.a.a.j.- d.p.、十八に智慧知見現在世無礙無障 pratyutpanne 'dha.a.a.j.- d.p.なり。「大品般若経巻5広乗品」に、「復た次ぎに須菩提、菩薩摩訶薩の摩訶衍とは十八不共法なり。何等をか十八となす、一に諸仏身無失、二に口無失、三に念無失、四に無異想、五に無不定心、六に無不知己捨心、七に欲無減、八に精進無減、九に念無減、十に慧無減、十一に解脱無減、十二に解脱知見無減、十三に一切身業随智慧行、十四に一切口業随智慧行、十五に一切意業随智慧行、十六に智慧知見過去世無礙無障、十七に智慧知見未来世無礙無障、十八に智慧知見現在世無礙無障なり」と云えるこれなり。「大智度論巻26」に此の十八種を以って真の仏十八不共法なりとし、前掲十力等の十八法は声聞辟支仏にも其の分あるが故に不共と名づけずと云えり。就中、初に諸仏身無失とは又如来無有誤失、或は単に身無失とも名づく。仏は無量阿僧祇劫已来、持戒清浄なるが故に身に於いて失なきを云う。二に口無失とは又無卒暴音と名づく。仏は無量阿僧祇劫已来、持戒清浄にして一切微妙の智慧を得、諸の煩悩を滅尽せるが故に、高声大声等の口に於いて諸の失なきを云う。三に念無失とは又無忘失念と名づく。仏は四念処等の甚深の禅定を修して心に散乱なく、念根力無尽なるが故に念に於いて失なきを云う。四に無異想とは又無異想心、或は無種種想とも名づく。仏は常に一切衆生に於いて分別なく、衆生を見ること猶お己身の如く、大悲を以って一切を度し、又衆生と諸法とを観じて不生不滅常浄の相を作し、不二の法門を行ずるを云う。五に無不定心とは仏は常に定心ならざるなく、心を摂して善法の中に住し、諸法実相の中に於いて退失することなきを云う。六に無不知己捨とは又無不知捨心、或は無不択捨とも名づく。即ち苦等の受に於いて念念の中に其の生住滅の相を覚知し、寂静平等に住するを云う。七に欲無減とは又志欲無退とも名づく。仏は一切の功徳を具足すと雖も、而も諸法に於いて志欲常に息まず、又衆生を度脱して厭足なきを云う。八に精進無減とは又精進無退とも名づく。即ち志欲増長し、衆生を度せんが為に種種の方便を行じて恒に息むことなきを云う。九に念無減とは又念無退と名づく。即ち念念の中に於いて皆三相を分別し、一法として念ぜざるものなきを云う。十に慧無減とは又智慧無減、或は慧無退とも名づく。仏は一切智慧を得、又三世の智慧無礙なるが故に、慧に於いて闕減なきを云い、十一に解脱無減とは又解脱無退とも名づく。仏は有為解脱無為解脱を得、一切煩悩の習都て尽きて余なきが故に、即ち解脱に於いて闕減する所なきを云う。十二に解脱知見無減とは仏は有為解脱無為解脱、時解脱不時解脱等の諸解脱の相を知見し、了了として闇障あることなきを云い、十三に一切身業随智慧行とは又一切身業智為前導隨智而転と名づけ、十四に一切口業随智慧行とは又一切語業智為前導隨智而転と名づけ、十五に一切意業随智慧行とは又一切意業前導隨智而転と名づく。此の三は仏が身口意の三業を造作するには、先づ得失を観察し、然る後智慧に随って行ずる故に過失あることなく、皆衆生を利益するを云う。十六に智慧知過去世無礙とは又知過去世無著無礙と名づけ、十七に智慧知未来世無礙とは又知未来世無著無礙と名づけ、十八に智慧知現在世無礙とは又知現在世無著無礙と名づく。此の三は仏の智慧が過去未来現在三世の事を知りて通達無礙なるを云うなり。「大智度論巻26」には此の中、身口無失、身口随智慧行はこれ色蘊の摂、無異想はこれ想蘊の摂、無不定心はこれ識蘊の摂、余は行蘊の摂にして皆四禅中に在りと云えり。又「賢劫経巻5」には此の外別に定無失を挙げて凡べて十九種となし、「瑜伽師地論巻79」、並びに「顕揚聖教論巻4」には亦定無減を加え、解脱無減と解脱知見無減を合して一となし、又「大乗阿毘達磨雑集論巻14」並びに「翻訳名義大集 mahaavyutpatti」には、解脱知見無減を除きて定無減 naasti samaadher haaniHを加え、「梵文法集名数経 dharma saMgaha」には、智慧知見未来世無礙無障を除き、亦定無減を加えて共に十八種となせり。又「光讃般若経巻7」、「放光般若経巻4」、「大般若経巻35、巻381、巻469、巻490」、「大方等大集経巻5、巻6」、「太子瑞応本起経巻下」、「大智度論巻48、巻88」、「法集名数経」、「大乗義章巻20末」等に出づ。(三)有余師所説の仏の十八不共法。「大智度論巻26」に、「我等は十八不共法を分別すること重数ならざるなり。何等か十八なる、一には諸法実相を知るが故に一切智と名づく。二には仏の諸の功徳相は解し難きが故に功徳無量なり、三には深心に衆生を愛念するが故に大悲と名づく、四には無比智を得るが故に智慧中に自在なり、五には善く心相を解するが故に定中に自在なり、六には度衆生の方便を得るが故に変化自在なり、七には善く諸法の因縁を知るが故に記別無量なり、八には諸法実相を説くが故に記別虚ならず、九には分別籌量して説くが故に言に失なし、十には十力成就を得るが故に智慧減ずることなし、十一には一切の有為法の中に但だ法聚の無我なるを観ずるが故に常に施捨を行ず、十二には善く時不時を知りて三乗に安立し、常に衆生を観ずるが故なり、十三には常に一心なるが故に念を失せず、十四には無量阿僧祇劫より深善の心なるが故に煩悩の習なし、十五には真浄の智を得るが故に能く如法に其の失を出すものあることなし、十六には世世に敬重して尊ばるるが故に能く頂を見るものなし、十七には大慈悲心を修するが故に、安庠として足を下し足下柔軟なり、衆生の遇う者は即時に楽を得。十八には神通波羅蜜を得るが故に、衆生の心を転じて歓喜し度脱せしむ。入城の時、神変力を現ずるが如し」と云えるこれなり。蓋し此の説は何人の所立なるや詳ならず。「大智度論の連文」に、「かくの如き十八不共法は三蔵中の説に非ず、亦諸余の経にも説かざる所なり。人ありこの法を求索するを以っての故に、諸の声聞論議師の輩、処処より讃仏の功徳を撰集す。言無失、慧無減、念不失の如きは、皆摩訶衍の十八不共法中より取り已りて論議を為す。無見頂、足下柔軟、かくの如く甚だ多きものありと雖も、十八不共法中に在るべからず。不共法は皆智慧を以って義となす」と云えり。又「十住毘婆沙論巻14十不共法品」には、飛行自在、変化無量、聖如意無辺、聞声自在、無量智力知他心、心得自在、常在安慧処、常不妄誤、得金剛三昧力、善知不定事、善知無色定事、具足通達諸永滅事、善知心不相応無色法、大勢波羅蜜、無礙波羅蜜、一切問答及記具足答波羅蜜、具足三転説法、所説不空、所説無謬失、無能害者、諸賢聖中大将、四不守護、四無所畏、仏十種力、無礙解脱の仏四十不共法を挙げ、「同巻11四十不共法中善知不定品」には、別に又常不離慧、知時不失、滅一切習気、得定波羅蜜、一切功徳殊勝、隨所宜行波羅蜜、無能見頂者、無与等者、無能勝者、世間中上、不従他聞得道、不転法者、自言是仏終不能到仏前、不退法者、得大悲者、得大慈者、第一可信受者、第一名聞利養、与仏同止諸師無与仏等者、諸師無有得弟子衆如仏者、端正第一見者歓悦、仏所使人無能害者、仏欲度者無有傷害、心初生時能断思惟結、可度衆生終不失時、第十六智得阿耨多羅三藐三菩提、世間第一福田、放無量光明、所行不同余人、百福徳相、無量無辺善根、入胎時、生時、得仏道時、転法輪時、捨長寿命時、入涅槃時能動三千大千世界、擾動無量無辺諸魔宮殿令無威徳皆使驚畏、諸護世天王釈提桓因夜摩天王兜率陀天王化楽天王自在天王梵天王淨居諸天等一時来集請転法輪、仏身堅固如那羅延、未有結戒而初結戒、有所施作勢力勝人、菩薩処胎母於一切男子無染著心、力能救度一切衆生の仏四十四不共法を説き、又「菩薩善戒経巻9畢竟地三十二相八十種好品」、並びに「瑜伽師地論巻49究竟瑜伽処建立品」には、三十二相、八十種好、四一切行浄、十力、四無所畏、三念処、三不護、大悲、無忌失、断煩悩習、一切智の仏百四十不共法を出せり。此等は前項婆沙及び般若経所説の十八不共法等を合集し、更に別種の法を追加せしものというべし。(四)この他に「宝雨経巻4」等には菩薩の十八不共法、「新華厳経巻56離世間品」等には菩薩の十不共法を説くことあり。又「翻訳名義大集」、「旧華厳経巻40」、「奮迅王問経巻下」、「大乗義章巻16」、「自在王菩薩経巻下」等に出づ。<(望)
復次菩薩精進不休不息一心求佛道。如是行者名為精進波羅蜜。如好施菩薩。求如意珠抒大海水。正使筋骨枯盡終不懈廢。得如意珠以給眾生濟其身苦。菩薩如是難為能為。是為菩薩精進波羅蜜。 復た次ぎに、菩薩は精進して休まず、息まず、一心に仏道を求むるに、是の如き行ずる者を名づけて、精進波羅蜜と為す。好施菩薩の如意珠を求めて、大海の水を抒(く)み、正に筋骨をして枯れ尽くさしむるまで、終に懈廃せず、如意珠を得れば、以って衆生に給して、其の身苦を済えるが如し。菩薩は、是の如く為し難きを能く為す、是れを菩薩の精進波羅蜜と為す。
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『精進して!』、
『休息せず!』、
『一心』に、
『仏道』を、
『求める!』ので、
是のように、
『行う!』ことを、
『精進波羅蜜』と、
『呼ぶ!』。
例えば、
『好施菩薩』などが、
『如意珠』を、
『求めて!』、
『大海の水』を、
『汲み!』、
『正しく!』、
『筋骨』を、
『枯れ尽くす!』まで、
終に、
『怠ることもなく!』、
『止めることもなく!』、
『如意珠』を、
『得ると!』、
『衆生』に、
『与えて!』、
其の、
『身苦』を、
『済(すく)ったように!』、
『菩薩』が、
是の、
『為し難き!』、
『事』を、
『為す!』こと、
是れが、
『精進波羅蜜である!』。
  参考:『仏本行集経巻31』:『爾時佛告諸比丘言。汝諸比丘。至心諦聽。我念往昔有一商主。入海採寶。而於海內。得一貴重摩尼之寶。其價正直百千兩金。得已忽然還墮海中。時彼商主。即持一杓。發大精進勇猛之心。抒大海水。欲令乾竭求摩尼寶。時海神天。見於彼人杓抒海水將置陸地。見已即作如是念言。此人愚癡。無有智慧。大海之水。無量無邊。其人云何以杓欲抒置於陸地。而彼海神。即說偈言 世間多有眾生輩  為貪財利種種為  我今見汝大愚癡  更無有人過汝者  八萬四千由旬海  今欲以杓抒令乾  困乏徒自喪一生  所抒未多命便盡  所抒之水如毛渧  此大海廣而甚深  汝今無智不思惟  耳璫欲取須彌作  爾時商主復向海神而說偈言 天神此為不善言  乃欲遮我乾竭海  神但定意正觀我  不久抒海當令空  仁住於此長夜停  是故心應大憂惱  我誓精勤心不退  必竭大海使令乾  我無價寶墮此中  是故要枯大海水  水若盡底還獲寶  得已當迴歸向家  時彼海神。聞是語已。心生恐怖。作如是念。此人如是精進勇猛。抒此海水。必當竭盡。時彼海神。如是念已。即還商主無價寶珠。還已而說。如是偈言 凡人須作勇猛心  負擔苦疲莫辭惓  我見如是精進力  失寶還得歸向家  爾時世尊而說偈言 精進處處得稱心  嬾墯恒常見大苦  是故勤發勇猛意  智人以此成菩提  佛告諸比丘。欲知爾時大商主者。即我身是。時彼商主入海。既得無價寶珠。得還復失。以勇猛心。求寶還得。今日亦然。以精進故。得阿耨多羅三藐三菩提七覺分道。時諸比丘。即白佛言。希有世尊。希有奇特。不可思議。一人獨自能降是等一切魔眾。作是語已。即各默然』
復次菩薩以精進力為首。行五波羅蜜。是時名為菩薩精進波羅蜜。譬如眾藥和合能治重病。菩薩精進亦如是。但行精進不能行五波羅蜜。是不名菩薩精進波羅蜜。 復た次ぎに、菩薩は、精進力を以って首と為し、五波羅蜜を行うに、是の時を名づけて、菩薩の精進波羅蜜と為す。譬えば、衆薬を和合して、能く重病を治すが如く、菩薩の精進も亦た是の如く、但だ精進を行いて、五波羅蜜を行う能わざれば、是れを菩薩の精進波羅蜜と名づけず。
復た次ぎに、
『菩薩』が、
『精進』の、
『力』を、
『首として!』、
『五波羅蜜』を、
『行う!』ならば、
是の時を、
『菩薩』の、
『精進波羅蜜』と、
『称する!』。
譬えば、
『多く!』の、
『薬』を、
『和合して!』、
『重病』を、
『治す!』のと、
『同じである!』。
『菩薩』の、
『精進』も、
是のように、
但だ、
『精進』を
『行うのみ!』で、
『五波羅蜜』を、
『行うことができなければ!』、
是の、
『精進』は、
『精進波羅蜜』と、
『称されることはない!』。
復次菩薩精進。不為財利富貴力勢。亦不為身不為生天轉輪王梵釋天王。亦不自為以求涅槃。但為佛道利益眾生。如是相名為菩薩精進波羅蜜。 復た次ぎに、菩薩の精進は財利、富貴、力勢の為にあらず、亦た身の為にあらず、天、転輪王、梵、釈天王に生ぜんが為にあらず、亦た自ら以って、涅槃を求めんが為にあらず、但だ仏道もて、衆生を利益せんが為なり。是の如き相を名づけて、菩薩の精進波羅蜜と為す。
復た次ぎに、
『菩薩』の、
『精進』は、
『財利の為でもなく!』、
『富貴の為でもなく!』、
『力勢の為でもなく!』、
亦た、
『身の為でもなく!』、
『天、転輪王、梵天王、帝釈天王』の、
『身』に、
『生まれる為でもなく!』、
亦た、
『自らに!』、
『涅槃』を、
『求める為でもなく!』、
但だ、
『仏道』を、
『求めて!』、
『衆生』を、
『利益する為である!』。
是の、
『相のような!』、
『精進』を、
『菩薩』の、
『精進波羅蜜』と、
『称する!』。
復次菩薩精進。修行一切善法大悲為首。如慈父愛子。唯有一子而得重病。一心求藥救療其病。菩薩精進以慈為首亦復如是。救療一切心無暫捨。 復た次ぎに、菩薩の精進は、一切の善法を修行する大悲を首と為す。慈父の子を愛するが如し。唯だ一子有りて、重病を得るに、一心に薬を求めて、其の病を救療するに、菩薩の精進は、慈を以って、首と為すことも、亦復た是の如く、一切を救療して、心に暫くも捨つること無し。
復た次ぎに、
『菩薩』の、
『精進』は、
『大悲』を、
『首として!』、
一切の、
『善法』を、
『修行することである!』。
譬えば、
『慈父』が、
『子』を、
『愛する!』のと、
『同じである!』。
『慈父』が、
唯だ、
『一人のみ!』、
『有る!』、
『子』が、
『重病』に、
『罹(かか)れば!』、
『一心』に、
『薬』を、
『求めて!』、
其の、
『病』を、
『救療するように!』、
『菩薩』の、
『精進』が、
『慈悲』を、
『首とする!』のも、
是のように
『一切』を、
『救療する!』まで、
『暫く!』も、
『捨てないのである!』。
復次菩薩精進。以實相智慧為首。行六波羅蜜。是名菩薩精進波羅蜜。 復た次ぎに、菩薩の精進は、実相の智慧を以って、首と為し、六波羅蜜を行う、是れを菩薩の精進波羅蜜と名づく。
復た次ぎに、
『菩薩』の、
『精進』は、
『実相』の、
『智慧』を、
『首として!』、
『六波羅蜜』を、
『行うことであり!』、
是れを、
『菩薩』の、
『精進波羅蜜』と、
『称する!』。
問曰。諸法實相無為無作。精進有為有作相。云何以實相為首。 問うて曰く、諸法の実相は無為、無作なり。精進は有為、有作の相なり。云何が実相を以って、首と為す。
問い、
諸の、
『法』の、
『実相』は、
『無為であり!』、
『作(行為)』が、
『無い!』が、
『精進』は、
『有為であり!』、
『作』が、
『有る!』。
何故、
『実相』を、
『首とするのですか?』。
  有為(うい)、無為(むい):『大智度論巻5上注:無為』参照。
  (さ):梵語kriyaaの訳。行為/実践/行動( doing、performing、act )の意。
答曰。雖知諸法實相無為無作。以本願大悲欲度眾生故。於無作中以精進力度脫一切。 答えて曰く、諸法の実相は無為にして無作なりと知ると雖も、本願の大悲の衆生を度せんと欲するを以っての故に、無作中に於いて、精進力を以って、一切を度脱す。
答え、
諸の、
『法』の、
『実相』は、
『無為で!』、
『作が無い!』と、
『知りながら!』、
『本願(昔の願)の時』の、
『大悲』が、
『衆生』を、
『度そう!』と、
『思った!』が故に、
『作の無い!』中に、
『精進の力』で、
『一切を!』、
『度脱するからである!』。
  本願(ほんがん):梵語 puurva- praNidhaana の訳、以前の誓い( Past vows )の義。菩薩の発菩提心時の誓願を指す。
復次若諸法實相無為無作如涅槃相。無一無二。汝云何言實相與精進相異耶。汝即不解諸法相。 復た次ぎに、若し諸法の実相にして、無為、無作なること、涅槃の相の如くんば、一無く、二無し。汝は云何が、実相と精進と相異なりと言う。汝は、即ち、諸法の相を解せず。
復た次ぎに、
諸の、
『法』の、
『実相』が、
『無為であり!』、
『作が無く!』、
譬えば、
『涅槃の相』と、
『同じだ!』とすれば、
『実相』中には、
『一も!』、
『二も!』、
『無い!』のに、
お前は、
何故、こう言うのか?――
『実相』は、
『精進』と、
『異なっている!』、と。
お前は、
諸の、
『法』の、
『相というもの!』を、
『理解していないのだ!』。



三界五道の衆生

復次爾時菩薩觀三界五道眾生各失所樂。 復た次ぎに、爾の時、菩薩は、三界五道の衆生を観るに、各楽しむ所を失う。
復た次ぎに、
爾の時、
『菩薩』が、
『三界』と、
『五道』との、
『衆生』を、
『観察する!』と、
各が、
『楽しむ!』所を、
『失っている!』。
  五道(ごどう):また五衆とも称す。『大智度論巻16上注:五趣』参照。
  五趣(ごしゅ):梵語 paJca gatayaH の訳。五種の所趣の意。又五道、五悪趣、或は五有とも名づく。即ち有情の所趣の処に五種の別あるを云う。一に地獄(梵語那落迦 naraka )、二に鬼(梵語薛茘多 preta )、又餓鬼とも名づく。三に傍生(梵語底栗車 tiryaJc )、又畜生とも名づく。四に人(梵語摩莵賒 manuSya )、又人間とも名づく。五に天(梵語提婆 deva )、又天上とも名づく。「倶舎論巻8」に、「三界の中に於いて五趣ありと説く。即ち地獄等、自名の如く説くべし。謂わく所説の地獄と傍生と鬼と及び人と天と、これを五趣と名づく。唯欲界に於いて四趣の全あり、三界に各天趣の一分あり」と云えるこれなり。蓋し趣を単に所趣に約して解するは説一切有部の説なり。故に「大毘婆沙論巻172」に、「所往の義これ趣の義なり。これ諸の有情の応に往くべき所、応に生ずべき所、結生の処なるが故に趣と名づく」と云えり。これ即ち過去の善悪業に由りて招く所の異熟生の果体を称して趣と名づけたるなり。彼の部の意に依るに趣は善及び染に通ぜず。若し善染に通ぜば、地獄の趣は乃至他化自在天の業煩悩を成就し、乃至他化自在天は乃至地獄趣の煩悩を成就するが故に、諸趣互いに雑乱の失あるべし。故に唯異熟生の無覆無記を以って其の体と為すと云えり。然るに大衆部に於いては、之に反して趣の体を善染無記の三性に通ずとし、而も成就と現行との別を立て、地獄の趣は地獄趣の業煩悩に於いて成就し亦現行し、乃至他化自在天の業煩悩に於いては成就するも現行せず。乃至他化自在天は他化自在天の業煩悩に於いて成就し亦現行し、乃至地獄趣の業煩悩に於いては成就するも現行せず。故に雑乱の失なしとせり。又五趣に中有を摂するや否やに関し、「大毘婆沙論巻69」に両説あり、一説は中有は彼の趣に趣向するが故に即ち彼の趣の摂なりとし、一説は中有は所趣即ち所至処に非ざるが故に趣の摂に非ずとす。此の中、評家は後説を取る。大衆部亦之に同じ。若し「成唯識論巻3」に依らば、趣の言は能所趣に通ずとなし、能趣の業と惑と中有と亦相従して趣と名づくと云えり。又「倶舎論巻8」等に、五趣は有情数の摂なるが故に即ち外器に通ぜずと説くも、「成唯識論巻3」には、諸趣の資具も亦趣の名を得と云い、所趣に相従して器世間も亦趣と名づくることを得と為せり。以って諸部の異説を見るべし。又凡そ諸経論を按ずるに五趣六趣の両説あり、「大毘婆沙論巻172」に、「有余部は阿索洛を立てて第六趣と為すも、彼れこの説を作すべからず。契経に唯五趣ありと説くが故なり」と云い、「大智度論巻10」には、「仏亦分明に五道を説かず、五道と説くはこれ一切有部の僧の所説なり。婆蹉弗妬路部の僧は六道ありと説く」と云い、又「同論巻30」に、「問うて曰わく、経に五道ありと説く、云何ぞ六道と言うや。答えて言わく、仏去りて久遠に、経法流伝五百年の後多く別異あり、部部同じからず。或は五道と言い、或は六道と言う。若し五と説くも、仏経に於いて文を迴らして五と説く。若し六と説くも、仏経に於いて文を迴らして六と説く。又摩訶衍の中、法華経に六趣の衆生ありと説く。諸の義旨を観ずるに応に六道あるべし」と云えり。ここに依りて五道六道の説は元と諸部の異執に基づけるものなるを知るべし。五趣を五道と名づくることは、趣は因に対して果に名づけ、道は因に従えて名づく。即ち五趣能通の道の意なり。又五悪趣と名づくることは悪は有漏の意にして、即ち無漏の浄土に対するが故に総じて悪の称を立つ。又五有の称は有は因果不亡の義に取るなり。又「正法念処経巻18」、「無量寿経巻下」、「罪福報応経」、「集異門足論巻11」、「瑜伽師地論巻4」、「雑阿毘曇心論巻8」、「仏地経論巻6」、「順正理論巻21」、「大乗義章巻8」、「成唯識論述記巻4本」、「倶舎論光記巻8」等に出づ。<(望)
無色界天樂定心著。不覺命盡。墮在欲界中受禽獸形。 無色界の天は、定を楽しみ、心に著して、命の尽くるを覚らず、堕して欲界中に在りて、禽獣の形を受く。
『無色界』の、
諸の、
『天』は、
『定』を、
『楽しんで!』、
『心』が、
『定』に、
『著していた!』ので、
『命』の、
『尽きた!』ことすら、
『覚らなかった!』が、
『欲界』中に、
『堕ちる!』と、
『禽獣の形』を、
『受けた!』。
色界諸天亦復如是。從清淨處墮。還受婬欲在不淨中。 色界の諸天も、亦復た是の如く、清浄処より墮ちて、還って婬欲を受け、不浄中に在り。
『色界』の、
諸の、
『天』も、
是のように、
『清浄の処』より、
『不浄』中に、
『墮ちて!』、
還()た、
『婬欲』を、
『受けた!』。
欲界六天樂著五欲。還墮地獄受諸苦痛。 欲界の六天は、楽しんで五欲に著し、還って地獄に堕ちて、諸の苦痛を受く。
『欲界』の、
『六天』は、
『五欲』を、
『楽しんで!』、
『著していた!』ので、
還た、
『地獄』に、
『墮ちて!』、
諸の、
『苦痛』を、
『受けた!』。
見人道中。以十善福貿得人身。人身多苦少樂壽盡多墮惡趣中。 人道中を見れば、十善の福を以って、貿(か)えて人身を得るも、人身は苦多く、楽少なく、寿尽くれば、多くは悪趣中に堕す。
『人道』中を見てみれば、――
『十善』の、
『福』を、
『交換して!』、
『人身』を、
『得た!』が、
『人身』は、
『苦が多くて!』、
『楽が少なく!』、
『寿』が、
『尽きれば!』、
『多く!』が、
『悪趣』中に、
『墮ちる!』。
  貿(む):かえる。交換する( change )。
見諸畜生受諸苦惱。鞭杖驅馳負重涉遠。項領穿壞熱鐵燒爍。此人宿行因緣。以繫縛眾生鞭杖苦惱。如是等種種因緣故。受象馬牛羊獐鹿畜獸之形。 諸の畜生を見れば、諸の苦悩を受け、鞭杖に駆馳し、重きを負うて遠きに渉(わた)り、項領に穿壊して、熱鉄焼爍す。此の人の宿行の因縁は、衆生を繋縛して、鞭杖もて苦悩せしむれば、是の如き種種の因縁を以っての故に、象馬、牛羊、獐鹿、畜獣の形を受く。
諸の、
『畜生』を見てみれば、――
諸の、
『苦悩』を、
『受けながら!』、
『鞭』や、
『杖』で、
『駆使され!』、
『重荷』を、
『負うて!』、
『遠くへ行き!』、
『熱鉄の印』で、
『皮膚』に、
『焼爍される!』。
此の、
『人』の、
『宿世』の、
『行業』の、
『因縁』は、
『衆生』を、
『繋縛して!』、
『鞭杖』で、
『苦悩させたからであり!』、
是のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『象馬、牛羊、獐鹿』など、
『畜獣』の、
『形』を、
『受けるのである!』。
  駆馳(くち):馬に策うって、駈けさせること( push one's horse )、駆使( order about )。
  項領(こうりょう):くび、うなじ。
  穿壊(せんえ):孔をあける。
  焼爍(しょうしゃく):焼いてとかす。
  獐鹿(しょうろく):大小の鹿の類。
婬欲情重無明偏多。受鵝鴨孔雀鴛鴦鳩鴿雞鷖鸚鵡百舌之屬。受此眾鳥種類百千。婬行罪故。身生毛羽隔諸細滑。嘴距麤鞕不別觸味。 婬欲の情重く、無明偏に多きは、鵝鴨、孔雀、鴛鴦、鳩鴿、雞鷖、鸚鵡、百舌の属を受く。此の衆鳥の種類百千を受くれば、婬行の罪の故に、身に毛羽を生じて、諸の細滑を隔て、觜距麁硬として触、味を別たず。
『婬欲』の、
『情』が、
『重い!』か、
『無明』が、
『偏(ひとえ)に!』、
『多ければ!』、
『鵝鴨(アヒル)』、
『孔雀(クジャク)』、
『鴛鴦(オシドリ)』、
『鳩鴿(ハト)』、
『雞鷖(ニワトリ)』、
『鸚鵡(オウム)』、
『百舌(モズ)』の、
『属』を、
『受ける!』。
此の、
『衆鳥』を、
『受ければ!』、
『種類』は、
『百千である!』が、
皆、
『婬』を、
『行う!』、
『罪』の故に、
『身』に、
『毛羽』が、
『生えて!』、
諸の、
『細滑(皮膚)』を、
『隔て!』、
『嘴(クチバシ)』と、
『距(ケヅメ)』とは、
『ざらざらして!』、
『硬くなり!』、
『触(てざわり)』も、
『味』も、
『辨別できない!』。
  (へん):ひとえに。傾いた( leaning, slanting, inclined, tilted )。偏向。
  鵝鴨(がおう):アヒルの類。
  鴛鴦(えんおう):オシドリ。
  鳩鴿(きゅうごう):ハトの類。
  雞鷖(けいあい):ニワトリ、及びカモメの類。
  鸚鵡(おうむ):オウム。
  百舌(ひゃくぜつ):モズ。
  細滑(さいかつ):きめ細やかで滑らかな肌。
  觜距(しきょ):くちばしと、けづめ。
  麁鞕(そこう):ざらざらと粗く硬い。
瞋恚偏多。受毒蛇蝮蝎蚑蜂百足含毒之虫。 瞋恚偏に多きは、毒蛇、蝮蝎、蚑蜂、百足の含毒の虫を受く。
『瞋恚』が、
『偏に!』、
『多ければ!』、
『毒蛇』や、
『蝮(マムシ)』、
『蝎(サソリ)』、
『蚑(クモ)』、
『蜂(ハチ)』、
『百足(ムカデ)』など、
『含毒の虫』を、
『受ける!』。
  蝮蝎(ふくかつ):マムシとサソリ。
  蚑蜂(きほう):クモとハチ。
  百足(ひゃくそく):ムカデ。
  含毒之虫(がんどくのむし):毒蛇等の意。
愚癡多故。受蚓蛾蜣蜋蟻螻鵂鷖角鴟之屬諸騃虫鳥。 愚癡多きが故に、蚓蛾、蜣蜋、蟻螻、鵂鷖、角鴟の属、諸の騃なる虫鳥を受く。
『愚癡』が、
『多い!』が故に、
『蚓(ミミズ)』、
『蛾(カイコ)』、
『蜣(かぶと虫)』、
『蜋(セミ)』、
『蟻(アリ)』、
『螻(ケラ)』、
『鵂(フクロウ)』、
『鷖(カモメ)』、
『角鴟(ミミズク)』の、
『属である!』、
諸の、
『愚かな!』、
『虫、鳥』を、
『受ける!』。
  蚓蛾(いんが):ミミズとカイコ。
  蜣蜋(こうろう):カブトムシとセミ。
  蟻螻(ぎる):アリとケラ。
  鵂鷖(くあい):フクロウとカモメ。
  角鴟(かくし):ミミズク。
  (がい):おろか( stupid, foolish )。
憍慢瞋恚多故。受師子虎豹諸猛獸身。邪慢緣故。受生驢豬駱駝之中。 憍慢と瞋恚と多きが故に、師子、虎豹の諸の猛獣の身を受け、邪慢の縁の故に、生を驢猪、駱駝の中に受く。
『憍慢』と、
『瞋恚』とが、
『多い!』が故に、
『師子(ライオン)』、
『虎(トラ)』、
『豹(ヒョウ)』の、
諸の、
『猛獣の身』を、
『受け!』、
『邪慢』の、
『因縁』の故に、
『驢(ロバ)』、
『猪(ブタ)』、
『駱駝(ラクダ)』中に、
『生』を、
『受ける!』。
  師子(しし):ライオン。獅子。
  虎豹(こひょう):トラとヒョウ。
  驢猪(ろちょ):ロバとブタ。
  駱駝(らくだ):ラクダ。
慳貪嫉妒輕躁短促故。受獼猴哥玃熊羆之形。邪貪憎嫉業因緣故。受貓狸土虎諸獸之身。 慳貪、嫉妒、軽躁、短促の故に、獼猴、哥玃、熊羆の形を受け、邪貪、憎嫉の業の因縁の故に、猫狸、土虎の諸獣の身を受く。
『慳貪』と、
『嫉妒』と、
『軽躁』と、
『短促』の故に、
『獼猴(サル)』、
『哥玃(大ザル)』、
『熊羆(クマ)』の、
『形』を、
『受け!』、
『邪貪』や、
『憎嫉』の、
『業の因縁』の故に、
『猫(ネコ)』、
『狸(山ねこ)』、
『土虎( ? )』の、
『身』を、
『受ける!』。
  軽躁(きょうそう):落ち着かざる状。
  短促(たんそく):せわしい。
  獼猴(みこう):サルの類。
  哥玃(かかく):大ザル。
  熊羆(ゆうひ):クマの類。
  猫狸(みょうり):ネコの類。
  土虎(どこ):不明。
無愧無慚饕餐因緣故。受烏鵲鴟鷲諸鳥之形。 無愧、無慚の饕餐の因縁の故に、烏鵲、鴟鷲の諸の鳥の形を受く。
『無愧』、
『無慚』で、
『饕餐した!』、
『因縁』の故に、
『烏(カラス)』、
『鵲(カササギ)』、
『鴟(トビ)』、
『鷲(ワシ)』など、
諸の、
『鳥の形』を、
『受ける!』。
  饕餐(とうさん):美食をむさぼる。
  烏鵲(うじゃく):カラスの類。
  鴟鷲(ししゅう):トビとワシ。
輕慢善人故。受雞狗野干等身。 善人を軽慢するが故に、雞、狗、野干等の身を受く。
『善人』を、
『軽んじて!』、
『慢(あなど)る!』が故に、
『雞(ニワトリ)』、
『狗(イヌ)』、
『野干(ジャッカル)』等の
『身』を、
『受ける!』。
  野干(やかん):梵語 zRgaala 、ジャッカル( jackal )。狐の類。
  軽慢(きょうまん):軽んじてあなどる。
大作布施瞋恚曲心。以此因緣故受諸龍身。 大いに布施を作すも、瞋恚曲心なれば、此の因縁を以っての故に、諸の龍身を受く。
『大いに!』、
『布施』を、
『作す!』が、
『瞋恚して!』、
『心』が、
『曲がっていれば!』、
此の、
『因縁』の故に、
諸の、
『龍身』を、
『受ける!』。
  曲心(ごくしん):直心の対。へそ曲がり。
大修布施心高陵瘧苦惱眾生。受金翅鳥形。如是等種種結使業因緣故。受諸畜生禽獸之苦。 大いに布施を修むるも、心高ぶりて、陵虐し、衆生を苦悩すれば、金翅鳥の形を受く。是の如き等の種種の結使の業の因縁の故に、諸の畜生、禽獣の苦を受く。
『大いに!』、
『布施』を、
『修めて!』も、
『心』が、
『高慢で!』、
『陵辱し!』、
『虐待して!』、
『衆生』を、
『苦悩させれば!』、
『金翅鳥の形』を、
『受ける!』。
是れ等のような、
種種の、
『結使』による、
『業』の、
『因縁』の故に、
諸の、
『畜生』や、
『禽獣』の、
『苦』を、
『受けるのである!』。
  陵虐(りょうぎゃく):しのいで虐げる。陵辱と虐待。
  苦悩(くのう):苦しめなやます。



五道輪廻

菩薩得天眼觀眾生輪轉五道迴旋其中。天中死人中生。人中死天中生。天中死生地獄中。地獄中死生天上。天上死生餓鬼中。餓鬼中死還生天上。天上死生畜生中。畜生中死生天上。天上死還生天上地獄餓鬼畜生亦如是 菩薩は、天眼を得て、衆生を観るに、五道を輪転し、其の中に迴旋すらく、天中に死して人中に生じ、人中に死して天中に生じ、天中に死して地獄中に生じ、地獄中に死して天上に生じ、天上に死して餓鬼中に生じ、餓鬼中に死して還た天上に生じ、天上に死して畜生中に生じ、畜生中に死して天上に生じ、天上に死して還た天上に生じ、地獄、餓鬼、畜生も亦た是の如し。
『菩薩』が、
『天眼』を得て、
『衆生』を、
『観察してみる!』と、
『五道』を、
『輪転しており!』、
『五道』中を、
こう旋回していた、――
『天』中に、
『死んで!』、
『人』中に、
『生れ!』、
『人』中に、
『死んで!』、
『天』中に、
『生れ!』、
『天』中に、
『死んで!』、
『地獄』中に、
『生れ!』、
『地獄』中に、
『死んで!』、
『天』上に、
『生れ!』、
『天』上に、
『死んで!』、
『餓鬼』中に、
『生れ!』、
『餓鬼』中に、
『死んで!』、
還た、
『天』上に、
『生れ!』、
『天』上に、
『死んで!』、
『畜生』中に、
『生れ!』、
『畜生』中に、
『死んで!』、
『天』上に、
『生れ!』、
『天』上に、
『死んで!』、
還た、
『天』上に、
『生れ!』、
『地獄』、
『餓鬼』、
『畜生』も、
亦た、
是の通りである。
欲界中死色界中生。色界中死欲界中生。欲界中死無色界中生。無色界中死欲界中生。欲界中死欲界中生。色界無色界亦如是。 欲界中に死して色界中に生じ、色界中に死して欲界中に生じ、欲界中に死して無色界中に生じ、無色界中に死して欲界中に生じ、欲界中に死して欲界中に生じ、色界、無色界も亦た是の如し。
『欲界』中に、
『死んで!』、
『色界』中に、
『生れ!』、
『色界』中に、
『死んで!』、
『欲界』中に、
『生れ!』、
『欲界』中に、
『死んで!』、
『無色界』中に、
『生れ!』、
『無色界』中に、
『死んで!』、
『欲界』中に、
『生れ!』、
『欲界』中に、
『死んで!』、
『欲界』中に、
『生れ!』、
『色界』と、
『無色界』も、
亦た、
是の通りである。
活地獄中死黑繩地獄中生。黑繩地獄中死活地獄中生。活地獄中死還生活地獄中。合會地獄乃至阿鼻地獄亦如是。炭坑地獄中死。沸屎地獄中生。沸屎地獄中死。炭坑地獄中生。炭坑地獄中死。還生炭坑地獄中。燒林地獄乃至摩訶波頭摩地獄亦如是。展轉生其中。 活地獄中に死して黒縄地獄中に生じ、黒縄地獄中に死して、活地獄中に生じ、活地獄中に死して還た活地獄中に生じ、合会地獄、乃至阿鼻地獄も亦た是の如し。炭坑地獄中に死して沸屎地獄中に生じ、沸屎地獄中に死して炭坑地獄中に生じ、炭坑地獄中に死して還た炭坑地獄中に生じ、焼林地獄乃至摩訶波頭摩地獄も亦た是の如く、展転して、其の中に生ず。
『活地獄』中に、
『死んで!』、
『黒縄地獄』中に、
『生れ!』、
『黒縄地獄』中に、
『死んで!』、
『活地獄』中に、
『生れ!』、
『活地獄』中に、
『死んで!』、
還た、
『活地獄』中に、
『生れ!』、
『合会地獄乃至阿鼻地獄』も、
亦た、
『是の通りであった!』。
『炭坑地獄』中に、
『死んで!』、
『沸屎地獄』中に、
『生れ!』、
『沸屎地獄』中に、
『死んで!』、
『炭坑地獄』中に、
『生れ!』、
『炭坑地獄』中に、
『死んで!』、
還た、
『炭坑地獄』中に、
『生れ!』、
『焼林地獄乃至摩訶波頭摩地獄』も、
亦た、
是のように、
其の中を、
『展転としている!』。
  活地獄(かつじごく):八大地獄の一。
  黒縄地獄(こくじょうじごく):八大地獄の一。
  合会地獄(ごうえじごく):八大地獄の一。
  阿鼻地獄(あびじごく):八大地獄の一。
  炭坑地獄(たんこうじごく):十六小地獄の一。
  沸屎地獄(ふっしじごく):十六小地獄の一。
  焼林地獄(しょうりんじごく):十六小地獄の一。
  摩訶波頭摩地獄(まかはづまじごく):八寒地獄の一。『大智度論巻13下注:八寒地獄』参照。
  展転(てんでん):多くの手、或は場所を通り抜ける( pass through many hands or places )。
卵生中死胎生中生。胎生中死卵生中生。卵生中死還生卵生中。胎生濕生化生亦如是。 卵生中に死して胎生中に生じ、胎生中に死して卵生中に生じ、卵生中に死して還た卵生中に生じ、胎生、湿生、化生も亦た是の如し。
『卵生』中に、
『死んで!』、
『胎生』中に、
『生れ!』、
『胎生』中に、
『死んで!』、
『卵生』中に、
『生れ!』、
『卵生』中に、
『死んで!』、
還た、
『卵生』中に、
『生れ!』、
『胎生』や、
『湿生』や、
『化生』も、
亦た、
是の通りである。
閻浮提中死弗婆提中生。弗婆提中死閻浮提中生。閻浮提中死還生閻浮提中。劬陀尼鬱怛羅越亦如是。 閻浮提中に死して弗婆提中に生じ、弗婆提中に死して閻浮提中に生じ、閻浮提中に死して亦た閻浮提中に生じ、劬陀尼、鬱怛羅越も亦た是の如し。
『閻浮提』中に、
『死んで!』、
『弗婆提』中に、
『生れ!』、
『弗婆提』中に、
『死んで!』、
『閻浮提』中に、
『生れ!』、
『閻浮提』中に、
『死んで!』、
亦た
『閻浮提』中に、
『生れ!』、
『劬陀尼』や、
『鬱怛羅越』も、
亦た、
是の通りである。
四天處死三十三天中生。三十三天中死四天處生。四天處死還生四天處。三十三天乃至他化自在天亦如是。梵眾天中死梵輔天中生。梵輔天中死梵眾天中生。梵眾天中死還生梵眾天中。梵輔天少光天無量光光音少淨無量淨遍淨何那跋羅伽得生。大果虛空處。識處。無所有處。非有想非無想處。亦如是。非有想非無想天中死阿鼻地獄中生。如是展轉生五道中。 四天処に死して三十三天中に生じ、三十三天中に死して四天処に生じ、四天処に死して還た四天処に生じ、三十三天乃至他化自在天も亦た是の如し。梵衆天中に死して梵輔天中に生じ、梵輔天中に死して梵衆天中に生じ、梵衆天中に死して還た梵衆天中に生じ、梵輔天、少光天、無量光、光音、少浄、無量浄、遍浄、阿那跋羅伽、得生、大果、虚空処、識処、無所有処、非有想非無想処も亦た是の如く、非有想非無相天中に死して阿鼻地獄中に生じ、是の如く展転して、五道中に生ず。
『四天処』に、
『死んで!』、
『三十三天』中に、
『生れ!』、
『三十三天』中に、
『死んで!』、
『四天処』に、
『生れ!』、
『四天処』に、
『死んで!』、
還た
『四天処』に、
『生れ!』、
『三十三天乃至他化自在天』も、
亦た、
是の通りである。
『梵衆天』中に、
『死んで!』、
『梵輔天』中に、
『生れ!』、
『梵輔天』中に、
『死んで!』、
『梵衆天』中に、
『生れ!』、
『梵衆天』中に、
『死んで!』、
亦た
『梵衆天』中に、
『生れ!』、
『梵輔天』や、
『少光天』や、
『無量光、光音、少浄、無量浄、遍浄』や、
『阿那跋羅伽、得生、大果』や、
『虚空処、識処、無所有処、非有想非無想処』も、
亦た、
是のように、
『非有想非無想天』中に、
『死んで!』、
『阿鼻地獄』中に、
『生れ!』、
是のように、
『展転として!』、
『五道』中に、
『生れる!』。
  阿那跋羅伽(あなばつらが):梵語 anabhraka、即ち無曇天と訳す、他本に従う。底本は何那跋羅伽に作る。
  得生(とくしょう):蓋し乃ち福生天なり。
  大果(だいか):蓋し乃ち広果天なり。
  参考:『阿毘達磨大毘婆沙論巻20』:『但由下品善引第四靜慮眾同分業生無雲天。既生彼已唯受彼下品善法異熟果。但由中品善引第四靜慮眾同分業生福生天。既生彼已唯受彼中品善法異熟果。但由上品善引第四靜慮眾同分業生廣果天。』
菩薩見是已生大悲心。我於眾生為無所益。雖與世樂樂極則苦。當以佛道涅槃常樂益於一切。云何而益。當懃大精進乃得實智慧。得實智慧知諸法實相。以餘波羅蜜助成以益眾生。是為菩薩精進波羅蜜。 菩薩の、是れを見已りて、大悲心を生ずらく、『我れは、衆生に於いて、為に益する所無し。世の楽を与うと雖も、楽は極まれば則ち苦なり。当に仏道の涅槃の常楽を以って、一切を益すべし。云何が益せん。当に大精進を懃めて、乃ち実の智慧を得べし。実の智慧を得て、諸法の実相を知り、余の波羅蜜を以って助成して、以って衆生を益せん』、と。是れを菩薩の精進波羅蜜と為す。
『菩薩』は、
是れを、
『見已る!』と、
『心』に、
『大悲』を、
『生じた!』、――
わたしには、
『衆生』の為に、
『益する!』所が、
『無い!』。
若し、
『世』の、
『楽』を、
『与えた!』としても、
『楽』は、
『極まれば!』、
『苦となる!』。
当然、
『仏道』の、
『涅槃』という、
『常楽』を、
『用いて!』、
一切の、
『衆生』を、
『益すべきだ!』。
何のようすれば、
『益すことになるのか?』、――
当然、
『大精進』を、
『勤めれば!』、
やがて、
『実の智慧』を、
『得るはずである!』、
『実の智慧』を、
『得て!』、
諸の、
『法の実相』を、
『知り!』、
その他の、
『波羅蜜』を、
『用いて!』、
『助成し!』、
『衆生』を、
『利益しよう!』、と。
是れが、
『菩薩』の、
『精進波羅蜜である!』。



餓鬼道

見餓鬼中飢渴故兩眼陷毛髮長。東西馳走若欲趣水。護水諸鬼以鐵杖逆打。設無守鬼水自然竭。或時天雨雨化為炭。 餓鬼中を見るに、飢渴の故に両眼陥りて、毛髪長く、東西に馳走す。若し水に趣かんと欲すれば、護水の諸鬼、鉄杖を以って逆(むか)え打つ。設(たと)い守鬼無くんば、水は自然に竭(つ)く。或は時に天雨ふらせば、雨は化して炭と為る。
『餓鬼』を、見てみると、――
『飢渴』の故に、
『両眼』が、
『陥(おちい)り!』、
『毛髪』が、
『長くて!』、
『東西』に、
『馳走しながら!』、
若し、
『水』に、
『趣こうとすれば!』、
『水』を、
『守護する!』、
『鬼』が、
『鉄』の、
『杖』で、
『迎え打ち!』、
設(たと)え、
『守護する!』、
『鬼』が、
『無くても!』、
『水』は、
『自然』に、
『尽き!』、
或るいは、
時に、
『天』が、
『雨』を、
『降らせても!』、
『雨』は、
『化して!』、
『炭になる!』。
  餓鬼(がき):梵語薛茘多 preta の訳。又閉戻多、閉麗多、閇黎多、鞞礼多、俾礼多、卑利多、辟茘多、弥茘多、薛茘に作る。訳して鬼と云うは、支那にて死者の霊を鬼と名づくるに取るなり。又或は梵語卑帝梨pitRを訳して鬼となす。又卑帝利、卑帝黎、卑帝梨耶に作る。父祖の義なり。これ蓋し印度にては嗣子なくして父祖の霊を祀る能わざる時は、其の霊は鬼界に堕して甚だしき苦悩を受くと信ぜられたるに由るなり。之を餓鬼と称するは祭祀せられざる幽魂の義をあらわすの意なり。五道の一、六道の一。鬼道、鬼趣、又は餓鬼道と称す。「立世阿毘曇論巻6」に、「云何が鬼道を名づけて閉多という。閻魔羅王を閉多と名づくるが故に、其の生は王と同類の故に閉多と名づく。復た説く、此の道は余道と往還し、善悪相通ずるが故に閉多と名づく」と云い、又「大毘婆沙論巻172」に依るに、「問う、何故に彼の趣を閉戻多と名づくるや。答う、施設足論に説くが如し、今時の鬼世界は王を琰魔と名づく。かくの如く劫初の時に鬼世界あり、王を粃多と名づく。この故に彼に往き彼に生ずる諸の有情類を皆閉戻多と名づく。即ちこれ粃多界中所有の義なり。これより以後皆此の名を立つ。有が説く、閉戻多はこれ仮名仮想なり。有が説く、増上の慳貪をもて身語意の悪行を造作増長するに由りて、彼に往き彼に生じ、彼の生をして相続せしむ。故に鬼趣と名づく。有が説く、飢渇増するが故に鬼と名づく。彼の積集せる飢渇を感ずる業に由りて、百千歳を経るも水の名を聞かず、豈に能く見ることを得んや。況んや復た触るることを得んや。彼の腹の大なること山の如く、咽は針孔の如きあり。飲食に遇うと雖も而も受くること能わず。有が説く、駆役せらるるが故に鬼と名づく。恒に諸天の為に処処に駆役せられて常に馳走するが故なり。有が説く、希望多きが故に鬼と名づく。謂わく五趣の中、他の有情の希望多き者に従うも、此れに過ぐることなきが故なり。此の因縁の故に由るが故に鬼趣と名づく」と云えり。「阿毘曇毘婆沙論巻7」亦之に同じ。此の中、閉多若しくは粃多と云うは、これ実に人間最初の死者にして、劫初に冥土の路を開きたる閻魔王の一名なり。即ち吠陀時代の神話に現われたるヤマ王 yama- raaja これなり。但し粃多は巴梨語pitaaの音訳にして、父又は祖父の義を有し peta は即ち粃多所有の義にして、梵語には之を pretaaH( preta の体格複数)と云う。前の婆沙の文に、粃多界所有の義なるが故に閉戻多と名づくと云うは其の意なり。故に諸経論に多く閻魔王界 yama- loka を餓鬼の本住所となし、或は之を薛茘多界 preta- loka、餓鬼世界等と称し、其の主を閻魔王となせり。「正法念処経巻16」に依るに、「諸の餓鬼を観ずるに略して二種あり、一は人中に住し、二は餓鬼世界に住す。餓鬼世界は閻浮提の下五百由旬に住す。長広三万六千由旬あり。及び余の餓鬼、悪道眷属其の数無量にして悪業甚だ多し。閻浮提に住するに近あり遠あり」と云い、又「大毘婆沙論巻172」には、「瞻部州の下五百踰繕那にして琰魔王あり、これ一切の鬼の本所住処なり。彼より流転して亦余処にも在り。此の洲の中に於いて二種の鬼あり、一は有威徳、二は無威徳なり。有威徳の者は、或は花林果林、種種の樹上、好山林中に住し、亦宮殿の空中に在るものあり。乃至或は余の清浄処に住し、諸の福楽を受く。無威徳の者は、或は廁溷糞壌水竇坑塹の中に住し、乃至或は種種雑穢の諸の不浄処に住し、薄福貧窮飢渇に苦しめらる。東毘提訶、西瞿陀尼にも亦此の二あり。北拘盧洲には惟だ大威徳の者あり。有が説く、全く無しと。(中略)四大王衆天及び三十三天中には大威徳鬼ありと雖も、諸の天衆と門を守り、防邏し、遵従して給使す。有が説く、此の瞻部州の西に於いて五百の渚あり、両行して住す。両行の渚の中に於いて五百城あり、二百五十城は有威徳鬼住し、二百五十城は無威徳鬼住す」と云えり。「優婆塞戒経巻17」、「阿毘曇毘婆沙論巻7」、「倶舎論巻11」、「阿毘達磨順正理論巻31」、「彰所知論巻上」等にも亦皆其の説あり。又其の種類に関しては諸経論の説同じからず。「大智度論巻30」に依るに、「鬼に二種あり、弊鬼と餓鬼となり。弊鬼は天の如く楽を受く。但し餓鬼と同住し、即ち其の主となる。餓鬼の腹は山谷の如く、咽は針身の如し。唯だ三事あり、黒皮と筋と骨となり。無数百歳飲食の名を聞かず。何ぞ況んや見ることを得んや。復た鬼あり、火口より出づ。飛蛾、火に投ぜば以って飲食と為す。糞、涕唾、膿血、洗器の遺余を食するあり。或は祭祀を得、或は産生不浄を食す。かくの如き等の種種の餓鬼あり」と云い、「雑阿毘曇心論巻8」には、餓鬼に化生又は胎生の者ありと云い、「瑜伽師地論巻4」には、由外障礙飲食、由内障礙飲食、飲食無有障礙の三種ありとし、「由外障礙飲食とは、彼の有情は上品の慳を習うに由るが故に、鬼趣中に生じて常に飢渇と相応し、皮肉血脈皆悉く枯槁して猶お火炭の如く、頭髪蓬乱し、其の面黯黒にして脣口乾焦し、常に其の舌を以って口面を舐略す。飢渇慞惶として、処処に馳走し、到る所の泉池は、余の有情の手に刀杖及び羂索を執りて行列守護するが為に趣くを得ざらしむ。或は強いて之に趣けば、便ち其の泉変じて膿血と成るを見、自ら飲むを欲せず。かくの如き等の鬼はこれを由外障礙飲食と名づく。由内障礙飲食とは、彼の有情は口或は針の如く、口或は炬の如く、或は復た頸に癭あり、其の腹寛大なり。此の因縁に由りて縦い飲食を得、他の障礙なきも、自然に若しは噉い、若しは飲むこと能わず。かくの如き等の鬼は、これを由内障礙飲食と名づく。飲食無有障礙とは、餓鬼あり、猛焔鬘と名づく。飲噉するに随って皆焼然せらる。此の因縁に由りて飢渇大苦未だ嘗て暫くも息まず。復た餓鬼あり、食糞穢と名づく。或は一分糞を食い溺を飲むあり。或は一分唯だ能く極めて厭悪すべき生熟臭穢を飲噉するあり。縦い香味を得るも食すること能わず。或は一分自ら身肉を割きて之を噉食するあり、縦い余の食を得るも竟に噉うこと能わず。かくの如き等の鬼はこれを飲食無有障礙と名づく」と云い、又「彰所知論巻上」には、外障、内障、飲食障、障飲食の四種を分ち、今と稍其の説を異にす。又「阿毘達磨順正理論巻31」には、無財餓鬼、少財餓鬼、多財餓鬼の三類を分ち、更に無財餓鬼に炬口、鍼口、臭口の三種、少財餓鬼に鍼毛、臭毛、癭の三種、多財餓鬼に希祠、希棄、大勢の三種ありとし、総じて三類九種を挙ぐ。就中、口常に猛焔を吐くを炬口と云い、腹大に咽頭針の如くして、上妙の食あるも喰らうことを得ざるを鍼口と云い、口中腐爛の臭を出し、自ら嘔吐を催して飲食し難きものを臭口と云い、身毛鍼の如くにして自他を悩まし、唯だ少しく不浄を食し得るものを鍼毛と云い、臭肌骨を爛し、腸腹を蒸すを臭毛と云い、咽に大癭を生じて熱疼あり、膿血湧き出でて堪え難きものを癭と云い、祠祀に往き他祭を饗くるもんを希祠と云い、人の棄つる所の不浄等を食するものを希棄と云い、多少の威徳ありて、樹林、山谷、霊廟、空宮等に住するものを大勢と云うなり。「正法念処経巻16」には具さに三十六種を列ぬ。一に迦婆離(鑊身)、二に甦支目佉(針口)、三に槃多婆叉(食吐)、四に毘師咃(食糞)、五に阿婆叉(無食)、六に揵陀(食気)、七に達摩婆叉(食法)、八に婆利藍(食水)、九に阿賒迦(悕望)、十に企吒(食唾)、十一に摩羅婆叉(食鬘)、十二に囉訖吒(食血)、十三に瞢娑婆叉(食肉)、十四に蘇揵陀(食香烟)、十五に阿毘遮羅(疾行)、十六に蚩陀邏(伺便「孔穴の義」)、十七に波多羅(地下)、十八に矣利提(神通)、十九に闍婆隷(熾燃)、二十に蚩陀羅(伺嬰児便)、二十一に迦摩(又迦摩両盧波に作る、欲色)、二十二に三牟陀羅提波(海渚)、二十三に闍羅王使(執杖)、二十四に婆羅婆叉(食小児)、二十五に烏殊婆叉(食人精気)、二十六に婆羅門羅刹、二十七に君荼火爐(焼食)、二十八に阿輸婆囉他(不浄巷陌)、二十九に婆移婆叉(食風)、三十に鴦伽囉婆叉(食火炭)、三十一に毘沙婆叉(食毒)、三十二に阿吒毘(曠野)、三十三に賒摩舎羅(塚間住食熱灰土)、三十四に毘利差樹中住、三十五に遮多波他(四交道)、三十六に魔羅迦耶(殺身)これなり。而して同経には広く此の三十六種餓鬼の業因業果の相を辨ぜり。「彰所知論巻上」に閻羅法王三十六眷属といえるものは、蓋し此の三十六種餓鬼を指せるものならん。又其の身量及び寿量に関しては、「五苦章句経」に九種の餓鬼あり、第一輩は身長一由旬なりと云い、「観仏三昧海経巻5」には、「其の身長大数十由旬あり。咽は針筒の如く、腹は大山の如し。東西に食を求め、銅を融かして咽に潅ぎ八千歳を経。乃ち苦を得畢りて、食唾鬼、食膿鬼、食血鬼中に生じ、罪畢りて又厠神睹狗に生じ、罪畢りて復た貧窮卑賎無衣食処に生ず」と云い、又「優婆塞戒経巻7」には、「人中の五百歳はこれ餓鬼中の一夜なり。かくの如く三十日を一月となし、十二月を一歳となし、彼の鬼の寿命五千歳なり、命亦定まらず」と云えり。又諸経論に多く慳貪嫉妬を以って此の趣の業因となせるも、「大智度論巻30」、「十地経論巻4」等には、下品の悪を作る者此の趣に生ずと云い、「業報差別経」には具さに十種の因を出し、一に身に軽悪業を行じ、二に口に軽悪業を行じ、三に意に軽悪業を行じ、四に多貪を起し、五に悪貪を起し、六に嫉妬、七に邪見、八に愛著資生して即ち命終し、九に飢に因りて亡し、十に枯渇して死す。ここに因りて餓鬼に生ずと云えり。又「分別業報略経」、「餓鬼報応経」、「辨意長者子経」等に出づ。<(望)
或有餓鬼常被火燒。如劫盡時諸山火出。 或は有る餓鬼は、常に火に焼かれ、劫の尽くる時、諸山より火出づるが如し。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
常に、
『火』に、
『焼かれて!』、
譬えば、
『劫』の、
『尽きる!』時、
諸の、
『山』から、
『火』が、
『出るようである!』。
或有餓鬼羸瘦狂走。毛髮蓬亂以覆其身。 或は有る餓鬼は、羸痩し狂走して、毛髪蓬乱とし、以って其の身を覆う。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
『痩せ衰えて!』、
『狂ったように!』、
『走りまわり!』、
『蓬(よもぎ)のように!』、
『乱れた!』、
『毛髪で!』、
其の、
『身』を、
『覆っている!』。
  羸痩(るいそう):痩せて弱い。
  蓬乱(ぶらん):蓬の如く乱れる。
或有餓鬼常食屎尿涕唾歐吐盪滌餘汁。或時至廁溷邊立伺求不淨汁。 或は有る餓鬼は、常に屎尿、涕唾、嘔吐、盪滌、余汁を食い、或は時に廁溷の辺に至りて立ち、伺いて不浄の汁を求む。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
常に、
『屎尿(糞尿)』、
『涕唾(つばき)』、
『嘔吐(へど)』、
『盪滌(掃除水)』、
『その他の汁』を、
『食い!』、
或は、
時に、
『廁溷(かわや)の辺』に、
『立って!』、
『伺いながら!』、
『不浄な!』、
『汁』を、
『求める!』。
  屎尿(しにょう):糞尿。
  涕唾(たいだ):涙とつば。
  盪滌(とうじょう):汚穢を洗いすすぐ。
  廁溷(しこん):便所。
或有餓鬼常求產婦藏血飲之。形如燒樹咽如針孔。若與其水千歲不足 或は有る餓鬼は、常に産婦の蔵血を求めて、之を飲み、形は焼樹の如く、咽は針孔の如し。若し其れに水を与うれば、千歳なりとも足らず。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
常に、
『産婦』の、
『不浄な血』を、
『求めて!』、
『飲み!』、
『形』は、
『焼樹のよう!』、
『痩せ細り!』、
『咽』は、
『針孔のように!』、
『細く!』、
若し、
其の、
『餓鬼』に、
『水』を、
『与えた!』ならば、
『千年』、
『与えつづけても!』、
『足ることはない!』。
  蔵血(ぞうけつ):臓血(不浄の血 dirty blood )。
或有餓鬼。自破其頭以手取腦而舐。 或は有る餓鬼は、自ら其の頭を破りて、手を以って脳を取りて舐む。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
自ら、
『頭』を、
『破り!』、
『脳』を、
『手で取って!』、
『舐めている!』。
 
或有餓鬼形如黑山鐵鎖鎖頸叩頭求哀歸命獄卒。 或は有る餓鬼は、形黒山の如く、鉄鎖に頚を鎖(とざ)され、叩頭して哀を求め、獄卒に帰命す。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
『形』は、
『黒山』に、
『似ている!』が、
『鉄鎖』で、
『頚』を、
『繋がれ!』、
『叩頭して!』、
『哀れみ!』を、
『求めながら!』、
『獄卒』に、
『帰順している!』。
  叩頭(こうとう):礼法の一、頭を地にたたき着ける。
  (あい):哀れみ( pity )。
  帰命(きみょう):帰順に同じ。
或有餓鬼先世惡口。好以麤語加彼眾生。眾生憎惡見之如讎。以此罪故墮餓鬼中。如是等種種罪故。墮餓鬼趣中受無量苦痛。 或は有る餓鬼は、先世に悪口し、麁語を以って、彼の衆生に加うるを好めるに、衆生憎悪して之を見ること讎(あだ)の如し。此の罪を以っての故に、餓鬼中に堕す。是の如き等の種種の罪の故に、餓鬼趣中に堕し、無量の苦痛を受く。
或は、
有る、
『餓鬼』は、
『先世』に、
『悪口』を、
『作し!』、
『衆生』に、
好んで、
『麁語』を、
『加えた!』ので、
『衆生』は、
『憎悪して!』、
『讎(かたき)』を、
『見るようであった!』が、
此の、
『罪』の故に、
『餓鬼』中に、
『墮ちたのである!』。
是れ等の、
種種の、
『罪』の故に、
『餓鬼趣』中に、
『墮ちて!』、
『無量』の、
『苦痛』を、
『受けるのである!』。
  麁語(そご):梵語 paaruSya, paruSa- vacana の訳、粗野な話し方( coarse speech, harsh speech )の意。



八大地獄

見八大地獄苦毒萬端。活大地獄中諸受罪人各各共鬥。惡心瞋諍手捉利刀互相割剝。以槊相刺。鐵叉相叉。鐵棒相棒。鐵杖相捶。鐵鏟相貫。而以利刀互相切膾。又以鐵爪而相爴裂。各以身血而相塗漫。痛毒逼切悶無所覺。 八大地獄を見るに、苦毒万端たり。活大地獄中の諸の受罪の人は、各各共に闘い、悪心瞋諍して、手に利刀を捉り、互いに相割剥し、槊(ほこ)を以って相刺し、鉄の叉で相叉(さ)し、鉄の棒で相棒(う)ち、鉄の杖で相捶(う)ち、鉄の鏟で相貫き、而も利刀を以って互いに相切りて膾(なます)にし、又鉄の爪を以って、相爴裂し、各身血を以って、相塗漫すれば、痛毒逼切して、悶ゆるも覚る所無し。
『八大地獄』を見てみると、――
『苦毒(苦痛)』が、
『万端(種々雑多)である!』。
『活大地獄』中には、
諸の、
『受罪の人』が、
各各、
『共に!』、
『闘い!』、
『悪心』で、
『瞋恚し!』、
『闘諍し!』、
『手』に、
『利い刀』を、
『捉って!』、
互いに、
『割()いて!』、
『剥()ぎ合い!』、
『槊(ほこ)』で、
互いに、
『刺し合い!』、
『鉄の叉(フォーク)』で、
互いに、
『刺し合い!』、
『鉄の棒』で、
互いに、
『打ち合い!』、
『鉄の杖』で、
互いに、
『打ち合い!』、
『鉄の鏟(シャベル)』で、
互いに、
『貫き合って!』、
而も、
『利い刀』で、
互いに、
『切って!』、
『膾(なます)にし合い!』、
又、
『鉄の爪』で、
互いに、
『爴(つか)んで!』、
『裂き合い!』、
各、
『身』を、
互いに、
『血』に、
『塗(まみ)れさせ!』、
『痛み!』の、
『毒』が、
『切迫しても!』、
『悶えて!』、
『感覚』が、
『無い!』。
  苦毒(くどく):苛酷な苦痛。
  万端(まんたん):種々雑多( multifarious )。
  (さく):ほこ。
  (しゃ):フォーク( fork )。
  (ぼう):棍棒で打つ( beat with a stick )。
  (さん):シャベル( spade, shovel )。
  (かい):なます/なますにする。肉の薄切り/肉を薄切りにする。
  爴裂(かくれつ):つかんで裂く。
  塗漫(づまん):塗りまみれる。
  地獄(じごく):梵語㮈落迦 naraka の訳。又は niraya 。又泥羅夜、那梨耶、泥犁耶、或は泥犁に作る。地下の牢獄の意。五道の一。六道の一。即ち罪業に由りて感ずる極苦の処所を云う。「立世阿毘曇論巻6云何品」に、「云何が地獄を泥犁耶と名づくるや。戯楽なきが故に、憘楽なきが故に、行出なきが故なり。福徳なきが故に、不除離業に因るが故に中に於いて生ず。復た説く、此の道は欲界の中に於いて最も下劣と為し、名づけて非道と曰う。この事に因るが故に、故に地獄を説きて泥犁耶と名づく」と云い、又「雑阿毘曇心論巻8」に、「楽うべからざるが故に地獄と説く」と云えるこれなり。これ世の牢獄の如く、其の中に戯楽なく、又自ら出づることを得ず、人の欲せざる処なるが故に名づけて地獄となすの意なり。総じて八大熱地獄及び十六小地獄、並びに八寒地獄、孤地獄等あり。就中、八大熱地獄に関しては、「長阿含経巻19地獄品」に、「仏比丘に告ぐ、此の四天下に八千の天下ありて其の外を囲繞し、復た大海水あり、八千の天下を周匝し囲繞し、復た大金剛山あり大海水を遶る。金剛山の外に復た第二の大金剛山あり、二山の中間は窈窈冥冥たり。日月神天は大威力あるも、光を以って彼を照及すること能わず。彼に八大地獄あり、其の一地獄に十六の小地獄あり。第一の大地獄を想と名づけ、第二を黒縄と名づけ、第三を堆圧と名づけ、第四を叫喚と名づけ、第五を大叫喚と名づけ、第六を焼炙と名づけ、第七を大焼炙と名づけ、第八を無間と名づく。其の想地獄に十六の小地獄あり、小獄は縦広五百由旬なり。第一の小獄を名づけて黒沙と曰い、二に沸屎と名づけ、三を五百釘と名づけ、四を飢と名づけ、五を渇と名づけ、六を一銅釜と名づけ、七を多銅釜と名づけ、八を石磨と名づけ、九を膿血と名づけ、十を量火と名づけ、十一を灰河と名づけ、十二を鉄丸と名づけ、十三を釿斧と名づけ、十四を犲狼と名づけ、十五を剱樹と名づけ、十六を寒氷と名づく」と云い、又「倶舎論巻11」に、「此の瞻部州の下、二万を過ぎて阿毘旨大㮈落迦あり、深広は前に同じ。謂わく各二万なるが故に、彼の底は此を去ること四万踰繕那なり。其の中に於いて苦を受くること間なく、余の七大㮈落迦の苦を受くること恒に非ざるが如くに非ざるが故に無間と名づく。(中略)七㮈落迦は無間の上に在りて重累して住せり。其の七とは何ぞ、一には極熱、二には炎熱、三には大叫、四には号叫、五には衆合、六には黒縄、七には等活なり。有が説く、此の七は無間の傍に在りと。八㮈落迦の増に各十六あり、故に薄伽梵此の頌を説きて言わく、此の八の㮈落迦は、我れ説く甚だ越え難し。熱鉄を以って地と為し、周匝して鉄牆あり。四面に四門あり、開閉するに鉄扇を以ってす。巧みに分量を安布し、各十六の増あり、多百踰繕那なり。中に造悪の者を満つ。周徧して焔交徹し、猛火恒に洞然たりと。十六の増とは八㮈落迦の四面の門外に各四所あり。一に煻煨増kukuulaとは、謂わく此の増の中には煻煨あり膝を没す。有情彼に遊んで纔かに足下す時、皮肉と血と倶に燋爛して墜ち、足を挙ぐれば還って生じて平復すること本の如し。二に屍糞増kunapaとは、謂わく此の増の内には屍糞の泥満ち、中に於いて多く娘矩吒虫あり、嘴の利なること針の如く、身は白く頭は黒し。有情彼の遊ぶに皆此の虫の為に皮を鑽り骨を破り、其の髄を吥食せらる。三に鋒刃増asidhaaraaとは、謂わく此の増の内に復た三種あり、一に刀刃路は、謂わく此の中に於いては刀刃を仰ぎ布きて以って大道と為す。有情彼に遊び纔かに足を下す時、皮肉と血と倶に断砕して墜ち、足を挙ぐれば還って生じて平復すること本の如し。二に剱葉林は、謂わく此の林の上には純ら銛利の剱刃を以って葉と為す。有情彼に遊ぶに風葉を吹きて墜し、肢体を斬刺し骨肉零落す。烏駮狗あり齩掣して之を食う。三に鉄刺林は、謂わく此の林の上に利鉄の刺あり、長さ十六指なり。有情逼られて樹を上下する時、其の刺の銛鋒下上して鑱刺す。鉄嘴の烏あり、有情の眼晴心肝を探啄し、争い競うて食う。刀刃路等は三種殊なれりと雖も、而も鉄仗同じきが故に一の増に摂す。四に烈河増kSaara-nadiiとは、謂わく此の増は量広くして中に熱鹹水を満つ。有情中に入りて或は浮かび或は没し、或は逆に或は順に、或は横に或は転じ、蒸され煮られて骨肉糜爛す。大鑊の中に灰汁を満盛して麻米等を置き、猛火下に然ゆれば、麻等は中に於いて上下に廻転して挙体糜爛するが如し。有情も亦然り。設い逃亡せんと欲するも、両岸の上に於いて諸の獄卒あり、手に刀鎗を執りて禦捍して迴らしめ、出づることを得るに由なし。此の河は壍の如く、前の三は園に似たり。四面に各四の増あるが故に皆十六と云う。此れはこれ増上に刑害せらるる所なるが故に説いて増と名づく。本地獄の中に適に害せられ已りて重ねて害に遭うが故なり。有が説く、有情は地獄より出でて更に此の苦に遭う、故に説いて増となす」と云えり。これ等活 saMjiiva(即ち想)を第一、黒縄 kaala- suutra を第二、衆合 saMghaata(堆圧)を第三、号叫 raurava(叫喚)を第四、大叫喚 mahaa- raurava(大叫喚)を第五、炎熱 tapana(焼炙)を第六、極熱 pratapana(大焼炙)を第七、無間 aviiciを第八をし、此の八大地獄に各皆十六の小地獄ありとなせるものにして、即ち大小総じて一百三十六地獄ありとなすなり。「順正理論巻31」に八大地獄の名義を釈し、「楽間(まじ)わることなきを以って無間の名を立つ。所余の地獄の中には異熟の楽なしと雖も而も太だ過失なし、等流の楽あるが故なり。有説は隙なければ無間の名を立つ。有情少しと雖も而も身大なるが故なりと。有説は中に於いて苦を受くること無間なりと。(中略)若しは外、若しは内、自身他身より皆猛火を出して互相に焼害し、熱中の極なるが故に名づけて極熱と為す。火は身に随って転じ、炎熾周囲し、熱苦任え難きが故に炎熱と名づく。劇苦に逼られて大酷声を発し、悲叫して怨と称す、故に大叫と名づく。衆苦に逼られて異類悲号し、怨みて叫声を発するが故に号叫と名づく。衆多の苦具倶に来たりて身に逼り、合党して相残す、故に衆合と名づく。先づ黒索を以って支体を拼量し、後方に斬鋸するが故に黒縄と名づく。衆苦身に逼りて、数悶して死せるが如く、尋いで蘇して本の如くなるが故に等活と名づく。謂わく彼の有情は種種の斫刺磨擣に遭うと雖も而も彼れ暫く涼風に吹かるるに遇えば、尋いで蘇して本の如く、前の活に等しきが故に等活の名を立つ」と云えり。以ってその立名の所以を知るべし。但し「立世阿毘曇論巻8」には、此の中の等活と黒縄との間に別に又大巷地獄あることを説き、「大巷地獄は更生(即ち等活)と黒縄の二獄の中間に在り、其れに地獄あるを名づけて大巷と曰う。大市巷の如し。この中の罪人は或る時は仰眠し、或る時は覆眠し、或は臼中に置かれて鉄杵をもて舂擣せらる。或は罪人あり、脚より頸に至るまで分分に斬斫せられ、或は罪人あり、皮を褫がれて地に布き、還た其の肉を割きて以って皮上に積まる。復た罪人あり、剱を下せば手断じ、剱を挙ぐれば手生ず。この因縁を以って其の手を積める聚は猶お山の如く高し。脚耳鼻頭等の聚も亦山の如く高し。(中略)この地獄の人は頭は象頭の如く、身は人身に似たり。復た罪人あり、頭は馬頭の如く、身は人身の如し。復た罪人あり、頭は牛頭の如く、身は亦人に似たり。かくの如き等の類種種同じからず。この中の獄卒は諸の罪人を取り、駕するに鉄車を以ってし、昼夜焼燃して恒に光炎あり。赤鉄を枙となし、赤鉄を縄となす。この中の路地は一切皆鉄にして、長さ多由旬、広さ亦かくの如し。この中の獄卒は赤鉄の錐を執りて駆蹙し、来去に此の如き害を受く。上上品の苦堪任すべきこと難し」と云えり。若し之に依りて大巷を加えば凡べて九大熱地獄ありというべし。又寒地獄に関しては諸経論の説不同あり、「長阿含経巻19地獄品」に、「彼の二山の中間に復た十地獄あり。一を厚雲と名づけ、二を無雲と名づけ、三を呵呵と名づけ、四を奈何と名づけ、五を羊鳴と名づけ、六を須乾提と名づけ、七を優鉢羅と名づけ、八を拘物頭と名づけ、九を分陀利と名づけ、十を鉢頭摩と名づく。云何が厚雲地獄なる、其の獄の罪人自然に身を生ずること、譬えば厚雲の如くなるが故に厚雲と名づく。云何が名づけて無雲と曰う、其れ彼の獄中に罪を受くる衆生は、自然に身を生ずること猶段肉の如くなるが故に無雲と名づく。云何が呵呵と名づくる、其の地獄の中に罪を受くる衆生は、苦痛身を切り皆呵呵と称す、故に呵呵と名づく。云何が奈何と名づくる、其の地獄の中に罪を受くる衆生は、苦痛酸切にして帰依する所なく、皆奈何と称するが故に奈何と名づく。云何が羊鳴と名づくる、其の地獄の中に罪を受くる衆生は、苦痛身を切り、声語を挙げんと欲するも舌転ずること能わず、直(た)だ羊鳴の如くなるが故に羊鳴と名づく。云何が須乾提と名づくる、其の地獄の中は挙獄皆黒く、須乾提華の色の如くなるが故に須乾提と名づく。云何が優鉢羅と名づくる、其の地獄の中は挙獄皆青く、優鉢羅華の如くなるが故に優鉢羅と名づく。云何が俱物頭と名づくる、其の地獄の中は挙獄皆紅にして、俱物頭華の色の如くなるが故に俱物頭と名づく。云何が分陀利と名づくる、其の地獄の中は挙獄皆白く、分陀利華の色の如くなるが故に分陀利と名づく。云何が鉢頭摩と名づくる、其の地獄の中は挙獄皆赤く、鉢頭摩華の色の如くなるが故に鉢頭摩と名づく」と云い、又「立世阿毘曇論巻1地動品」に、「この寒地獄は一を頞浮陀と名づけ、二を涅浮陀と名づけ、三を阿波波と名づけ、四を阿吒吒と名づけ、五を嚘吼吼と名づけ、六を鬱波縷と名づけ、七を拘物頭と名づけ、八を蘇健陀と名づけ、九を分陀利固と名づけ、十を波頭摩と名づく」と云えり。これ寒地獄に総じて十処ありとなすの説なり。然るに「大毘婆沙論巻172」、「瑜伽師地論巻4」、「倶舎論巻11」等には皆唯八処を立つ。即ち倶舎論に、「復た余の八寒㮈落迦あり、其の八とは何ぞ。一に頞部陀 arbuda、二に尼刺部陀 nirarbuda、三に頞哳吒 aTaTa、四に臛臛婆 hahava、五に虎虎婆 huhuva、六に嗢鉢羅 utpala、七に鉢特摩 padma、八に摩訶鉢特摩 mahaa- padma なり。此の中の有情は厳寒に逼られ、身と声と変ずるに随って以って其の名を立つ。此の八は並びに瞻部州の下、前の所説の如き大地獄(即ち八大熱地獄)の傍に居る」と云えるこれなり。これ上の十寒地獄の中、須乾提、拘物頭、分陀利の三を除き、摩呵鉢特摩を加えたるものなるが如し。「倶舎論光記巻11」に八寒地獄の名称を釈し「頞部陀は此に皰と云う。厳寒身に逼りて其の身に皰を生ずるなり。尼刺部陀は此に皰裂と云う、厳寒身に逼りて身皰裂するなり。次の三は寒逼りて口に異声を出すなり。嗢鉢羅は此に青蓮華と云う、厳寒逼切して身変じて拆裂すること青蓮華の如し。鉢特摩は此に紅蓮華と云う、厳寒逼切して身変じて拆裂すること紅蓮華の如し。摩訶鉢特摩は此に大紅蓮華と云う、厳寒逼切して身変じて拆裂すること大紅蓮華の如し」と云えり。之に依るに頞部陀、尼刺部陀及び後の嗢鉢羅等の三は身相の異変に依り、頞哳吒、臛臛婆、虎虎婆の三は苦痛の声に依りて其の名を立つるものなるを知るべし。蓋し地獄は八熱地獄を根本とし、寒地獄は即ち其の従なるが如く、「増一阿含経巻36」、「大智度論巻16」等には唯八熱を大地獄とし、寒地獄を十六小地獄に摂せり。「増一阿含経巻36」に還活等の八大地獄を挙げ、其の下に「一一の地獄に十六隔子あり。其れを優鉢地獄、鉢頭地獄、拘牟頭地獄、分陀利地獄、未曽有地獄、永無地獄、愚惑地獄、縮聚地獄、刀山地獄、湯火地獄、火山地獄、灰河地獄、荊棘地獄、沸屎地獄、剣樹地獄、熱鉄丸地獄と名づく」と云い、「大智度論巻16」に、「かくの如き等の種種の八大地獄に復た十六の小地獄ありて眷属と為す。八寒氷と八炎火となり。其の中の罪毒見聞すべからず。八炎火地獄とは、一を炭坑と名づけ、二を沸屎と名づけ、三を焼林と名づけ、四を剣林と名づけ、五を刀道と名づけ、六を鉄刺林と名づけ、七を鹹河と名づけ、八を銅橛と名づく。これを八と為す。八寒氷地獄とは、一を頞部陀(少多孔あり)と名づけ、二を尼羅浮陀(孔なし)と名づけ、三を阿羅邏(寒にして戦くの声)と名づけ、四を阿婆婆(亦寒を患うるの声)と名づけ、五を睺睺(亦これ寒を患うるの声)と名づけ、六を漚波羅(此の地獄の外壁は青蓮花に似たり)と名づけ、七を波頭摩(紅蓮華、罪人は中に生じて苦を受くるなり)と名づけ、八を摩訶波頭摩と名づく。これを八と為す」と云えり。此の中、大智度論所説の八寒氷地獄は前引倶舎論所出の八寒地獄に全く同じく、又増一阿含経所説の中、優鉢、鉢頭、拘牟頭、分陀利等は、前引長阿含等の十寒地獄中の優鉢羅等に合するを見るべし。これ寒地獄を以って八大熱地獄所属の小地獄となすの説なり。又眷属の小地獄に関し、「正法念処経巻5以下巻15地獄品」には、活地獄及び黒縄地獄には、屎泥、刀輪、瓮熟、乃至空中受苦等の十六別処、合地獄には大量受苦悩処、割刳処、脈脈断処、乃至鉄火末処等の十六別処、叫喚地獄には大吼、普声、髪火流、乃至分別苦の十六別処、大叫喚地獄には吼吼、受苦無有数量、受堅苦悩不可忍耐、乃至十一炎等の十八別処、燋熱地獄には、大焼、分荼梨迦、龍旋、乃至金剛嘴蜂の十六別処、大燋熱地獄には一切方処、大身悪吼可畏処、火髻処、乃至木転等の十六別処、阿鼻地獄には烏口、一切向地、無彼岸常受苦悩、乃至十一焔等の十六別処ありと云い、又「観仏三昧海経巻5観相品」には、阿鼻地獄に十八の寒地獄、十八の黒闇地獄、十八の小熱地獄、十八の刀輪地獄、十八の剱輪地獄、十八の火車地獄、十八の沸屎地獄、十八の鑊湯地獄、十八の灰河地獄、五百億の剱林地獄、五百億の刺林地獄、五百億の銅柱地獄、五百億の鉄機地獄、五百億の鉄網地獄、十八の鉄窟地獄、十八の鉄丸地獄、十八の尖石地獄、十八の飲銅地獄ありとし、広く十八種小地獄の相を明せり。地獄の処所に関しては、前引「長阿含経巻19」並びに「大楼炭経巻2泥犁品」等に、大海の周囲を繞る大金剛山と第二の大金剛山との中間に在りと云い、「立世阿毘曇論巻1地動品」にも、「両界の中間は、其の最狭処は八万由旬にして下に在りて底なく、上に向うも覆うことなし。其の最広処は十六万由旬なり」と云えり。これ地獄を以って鉄囲山外に在りとなすの説なり。然るに「大毘婆沙論巻172」、「倶舎論巻11」等には瞻部州の下、二万由旬を過ぎて無間大地獄あり、余の七地獄は次第に其の上に重累し、或は傍布すとなせり。即ち大毘婆沙論に「問う、地獄は何の処に在りや。答う、多分は此の瞻部州の下に在り。云何が安立する、答う、有説は此の洲より下、四万踰繕那にして無間地獄の底に至る。無間地獄は縦広高下各二万踰繕那なり。次上の一万九千踰繕那の中に余の七地獄を安立す。謂わく次上に極熱地獄あり、次上に熱地獄あり、次上に大㘁叫地獄あり、次上に㘁叫地獄あり、次上に衆合地獄あり、次上に黒縄地獄あり、次上に等活地獄あり。此の七地獄は一一の縦広万踰繕那なり。次上の余に一千踰繕那あり。五百踰繕那はこれ白墡、五百踰繕那はこれ泥なりと。有説は此の洲より下、四万踰繕那にして無間地獄に至る。無間地獄は縦広高下各二万踰繕那なり。次上に三万五千踰繕那あり、余の七地獄を安立す。一一縦広高下各五千踰繕那なり。次上の余に五千踰繕那あり、千踰繕那は青色の土、千踰繕那は黄色の土、千踰繕那は赤色の土、千踰繕那は白色の土、五百踰繕那は白墡、五百踰繕那はこれ泥なりと。有説は無間地獄は中央に在り、余の七地獄は周廻囲遶す。今の聚落の大城を囲遶するが如しと。問う、若し爾らば、施設論の説当に云何が通ずべき。説くが如き瞻部州の周囲は六千踰繕那三踰繕那半なりと。一一の地獄は其の量広大なり、云何が此の洲の下に於いて相容受するを得べき。(中略)答う、此の瞻部州は上は尖り下は闊く、猶お穀聚の如し。故に容受することを得るなり」と云えるその説なり。又孤地獄及び辺地獄あり、上記大小の諸地獄に属せず。四洲の中、江河山辺、或は地下空中等に在り。又大地獄が有情の増上共業力の所引なるに対し、孤地獄等は各別業の所感にして、或は多或は一二等の有情の所止とせらるるなり。又須弥山世界は唯一種に止まらず、十方にも存すとなすが故に、随って他方の世界にも各亦地獄あり。「大智度論巻62」に、「若し此の間に火劫起こるも、其の罪未だ尽きざるが故に転じて他処に至り、十方世界の大地獄の中に罪を受く。若し彼の間に火劫起こらば復た展転して他方に至り、他方に火劫起こらば復た還って此の間の阿鼻地獄中に生じ、展転して前の如し」と云い、「倶舎論巻12」に、「乃至地獄に一の有情なき、爾の時を名づけて地獄已に壊すと為す。諸の地獄定受業ある者は、業力引きて他方の獄中に置く」と云える即ち其の説なり。又堕獄の業因に関しては「長阿含経巻19の偈」に、「身に不善業を為し、口意も亦不善なれば、斯れ想地獄に堕す。怖懼して衣毛竪つ。悪意もて父母、仏及び諸の声聞に向わば則ち黒縄獄に堕す。苦痛称るべからず。但だ三悪業を造り、三善行を修せざれば、堆圧地獄に堕す。苦痛称るべからず。瞋恚して毒害を懐き、殺生して血は手を汚し、諸の雑悪行を造らば叫喚地獄に堕す。常に衆の邪見を習い、愛網の覆う所と為り、斯の卑陋の行を造らば大叫喚獄に堕す。常に焼炙の行を為し、諸の衆生を焼炙せば焼炙地獄に堕し、長夜に焼炙を受く。善果の業と善果の清浄道を捨て、衆の弊悪の行を為さば大焼炙獄に堕す。極重の罪行を為さば必ず悪趣の業を生じ、無間地獄に堕し、罪を受くること称るべからず」と云い、又「仏為首迦長者説業報差別経」には、「復た十業あり、能く衆生をして地獄の報を得しむ。一には身に重悪業を行じ、二には口に重悪業を行じ、三には意に重悪業を行じ、四には断見を起し、五には常見を起し、六には無因見を起し、七には無作見を起し、八には無見を起し、九には辺見を起し、十には恩報を知らず。この十業を以って地獄の報を受く」と云い、「大智度論巻30」、「十地経論巻4」等には、上品の悪業を造る者は地獄に堕すと云い、此の他、諸経論に其の説更に甚だ多し。又獄中の罪人の寿量に関しては「倶舎論巻11」に、「四大王等の六欲天の寿を、其の次第の如く等活等の六㮈落迦の一昼一夜と為し、寿量は次第の如く亦彼の天に同じ。謂わく四大王の寿量の五百を等活地獄に於いて一昼一夜と為し、此の昼夜に乗じて月及び年を成じ、かくの如き年を以って彼の寿五百なり。乃至他化の寿万六千を炎熱地獄に於いて一昼一夜と為し、此の昼夜に乗じて月及び年を成じ、彼の寿は斯の如く万六千歳なり。極熱地獄の寿は半中劫、無間地獄の寿は一中劫なり。(中略)寒那落迦は云何なる寿量なりや。世尊は喩に寄せて彼の寿を顕して言わく、此の如く人間の佉梨二十にして摩揭陀国の一の麻婆訶の量を成ず。巨勝を置きて其の中に平満することあらんに、設い復た人ありて百年に一を除き、かくの如くして巨勝は尽くる期あること易きも頞部陀に生ずる寿量は尽くること難し。此の二十倍を第二の寿と為し、かくの如く後後は二十倍増す。これを八寒地獄の寿量と謂う」と云い、又「立世阿毘曇論巻7寿量品」には、「仏世尊説く、人中の二万歳はこれ阿毘止獄の一日一夜なり、此の日夜に由りて三十日をお一月と為し、十二月を一年と為し、此の年数に由りて多年他百年多千年多百千年、此の獄中に於いて熟業の果報を受く。この中の生に於いて最も極長なる者は一劫の寿命なり。人中の六千歳はこれ閻羅獄の一日一夜なり、此の日夜に由りて三十日を一月となし、十二月を一年と為し、此の年数に由りて多年他百年多千年多百千年、此の獄中に於いて熟業の報を受く」と云い、又「優婆塞戒経巻7業品」にも諸天の寿に比して八熱地獄の寿量を叙述する所あり。又「中阿含巻12天使経」、「雑阿含経巻48」、「起世本因経巻2」、「大般涅槃経巻19」、「優婆塞戒経巻7」、「四泥犁経」、「泥犁経」、「五苦章句経」、「集異門足論巻11」、「大智度論巻9、巻39」、「三法度論巻下」等に出づ。<(望)
宿業因緣冷風來吹。獄卒喚之咄諸罪人還活。以是故名活地獄。即時平復復受苦毒。 宿業の因縁の冷風来たりて吹き、獄卒、之を『咄(とつ)』と喚(よ)ぶに、諸の罪人、還た活くれば、是を以っての故に、活地獄と名づけて、即時に平復して、復た苦毒を受く。
『宿業』の、
『因縁』で、
『冷風』が、
『来て!』、
『吹いて!』、
『獄卒』が、
『罪人』を、
『咄(とつ)!』と、
『喚(よ)ぶ!』と、
諸の、
『罪人』が、
『還た!』、
『活きかえる!』ので、
是の故に、
『活地獄』と、
『称される!』が、
即時に、
『平常のように!』、
『回復すれば!』、
復た、
『苦の毒』を、
『受けることになる!』。
  (とつ):呼びかける声。おいこら。
此中眾生以宿行因緣好殺物命。牛羊禽獸。為田業舍宅奴婢妻子國土錢財故而相殺害。如是等種種殺業報故。受此劇罪。 此の中の衆生は、宿行の因縁を以って、物の命を殺すを好み、牛羊、禽獣を、田業、舎宅、奴婢、妻子、国土、銭財の為の故に、相殺害すれば、是の如き等、種種の殺業の報の故に、此の劇罪を受く。
此の中の、
『衆生』は、
『宿業の因縁』の故に、
『物()の命』を、
『殺す!』ことを、
『好み!』、
『牛羊、禽獣』を、
『田業』、
『舎宅』、
『奴婢』、
『妻子』、
『国土』、
『銭財』の為に、
『殺害した!』ので、
是れ等の、
種種の、
『殺業』の、
『報』の故に、
此の、
『劇しい罪』を、
『受けるのである!』。
  物命(もつみょう):衆生の命。物は我に対す、自分以外の事物の意。
  田業(でんごう):農業。
見黑繩大地獄中罪人。為惡羅刹獄卒鬼匠。常以黑熱鐵繩。拼度罪人。以獄中鐵斧教之斫之。長者令短短者令長。方者使圓圓者使方。斬截四肢卻其耳鼻落其手足。以大鐵鋸解析揣截。破其肉分臠臠稱之。 黒縄大地獄中を見るに、罪人、悪羅刹の獄卒の鬼匠と為り、常に黒き熱鉄の縄を持って、罪人を拼度し、以って獄中の鉄斧に之を教えて、之を斫(き)らしむ。長き者は短からしめ、短き者は長からしめ、方なる者は円ならしめ、円なる者は方ならしめ、四肢を斬截して、其の耳、鼻を却(のぞ)き、其の手、足を落とし、大鉄鋸を以って、解析し、揣截し、其の肉分を破りて、臠臠と之を称す。
『黒縄大地獄』中を見てみると、――
『罪人』が、
『悪羅刹(悪鬼)』の、
『獄卒の鬼匠(鬼の大工)』であり、
常に、
『黒い!』、
『熱鉄の縄』を、
『弾いて!』、
『罪人』に、
『度(目盛り)』を、
『付け!』、
『獄中の鉄斧』に、
『度』を、
『教えて!』、
『罪人』を、
『切断させる!』。
『罪人』の、
『長い!』者は、
『短く!』、
『短い!』者は、
『長く!』、
『四角い!』者は、
『円く!』、
『円い!』者は、
『四角く!』、
『罪人』の、
『四肢』を、
『切断させ!』、
其の、
『耳、鼻』を、
『取り除き!』、
其の、
『手、足』を、
『切り落として!』、
『鉄の大鋸』に、
『胴』を、
『解きほぐさせたら!』、
『度を測って切らせ!』、
其の、
『肉分』を、
『破らせて!』、
それを、
『刺身だ、刺身だ!』と、
『称していた!』。
  拼度(ひょうど):墨縄を弾いて、目盛りを付ける。
  斬截(ざんせつ):切り落とす。
  (きゃく):のぞく、取り除く( get rid of )。
  解析(げしゃく):解きほぐす。
  揣截(すいせつ):測って切る( measure and cut )。
  臠臠(れんれん):臠は薄切り肉( sliced meat )。
此人宿行因緣讒賊忠良。妄語惡口兩舌無義語枉殺無辜。或作姧吏酷暴侵害。如是等種種惡口讒賊故受此罪。 此の人の宿行の因縁は、忠良を讒賊し、妄語、悪口、両舌、無義語もて、無辜を抂殺し、或は奸吏と作りて、酷暴に侵害す。是の如き等の種種の悪口して讒賊するが故に、此の罪を得。
此の、
『人』の、
『宿行の因縁』は、
『忠実で!』、
『善良な!』、
『人』を、
『陥れて!』、
『残酷に傷つけ!』、
『妄語』や、
『悪口』、
『両舌』、
『無義語(綺語)』を用いて、
『無実の人』を、
『法を曲げて!』、
『殺す!』とか、
或は、
『奸吏(悪役人)』と、
『作って!』、
『冷酷、横暴』に、
『人』を、
『侵害した!』。
是れ等のように、
種種の、
『悪口』で、
『人』を、
『陥れ!』、
『傷つけた!』が故に、
此の、
『罪』を、
『受けたのである!』。
  讒賊(ざんぞく):讒は中傷する/陰口をする( slander, backbite )、賊は残酷に傷つける/殺す( cruelly indure or kill )。
  忠良(ちゅうりょう):忠実善良。
  無辜(むこ):罪が無い。無罪。
  枉殺(おうせつ):法を抂げて殺す。
  奸吏(かんり):悪役人。
  酷暴(こくぼう):残酷横暴。
見合會大地獄中。惡羅刹獄卒作種種形。牛馬豬羊獐鹿狐狗虎狼師子六駮大鳥鵰鷲鶉鳥。作此種種諸鳥獸頭。而來吞噉咬嚙䶩掣罪人。 合会大地獄中を見るに、悪羅刹の獄卒は種種の形を作す。牛、馬、猪、羊、獐、鹿、狐、狗、虎、狼、師子、六駮、大鳥、鵰鷲、鶉鳥、此の種種諸の鳥獣の頭を作して、来たりて罪人を呑噉し、咬嚙し、䶩掣す。
『合会大地獄』中を見てみると、――
『悪羅刹』の、
『獄卒』が、
種種の、
『形』を、
『作している!』。
『牛』、
『馬』、
『猪(ブタ)』、
『羊』、
『獐(ノロジカ)』、
『鹿』、
『狐』、
『狗(イヌ)』、
『虎』、
『狼』、
『師子(ライオン)』、
『六駮(ウマ)』、
『大鳥』、
『鵰鷲(ワシ)』、
『鶉鳥(ウヅラ)』、
此の、
諸の、
『鳥獣の頭』と、
『作って!』、
『来る!』と、
『罪人』を、
『呑込み!』、
『噛みつき!』、
『囓って!』、
『引っぱった!』。
  獐鹿(しょうろく):シカの類。
  六駮(ろくはく):ウマの類。
  鵰鷲(しゅうじゅ):ワシの類。( eagle and condor )。
  鶉鳥(じゅんちょう):ウズラ、キジの類。
  呑噉(どんたん):飲み込んで喰らう。
  咬嚙(こうこう):かむ。
  䶩掣(さいせい):䶩は齧の意に同じ。噛んで引きちぎる。
兩山相合大熱鐵輪轢諸罪人令身破碎。熱鐵臼中搗之令碎。如笮蒲桃亦如壓油。譬如蹂場聚肉成[卄/積]。積頭如山。血流成池。鵰鷲虎狼各來諍掣。 両山相合して、大熱鉄の輪、諸の罪人を轢き、身をして破砕せしむ。熱鉄の臼中に、之を搗きて砕けしむること、蒲桃を搾るが如く、亦た油を圧すが如し。譬えば蹂場の如く、肉を聚めて[(草-早)/積]を成し、頭を積みて山の如く、血流れて池を成すに、鵰鷲、虎狼、各来たりて諍いて掣(ひ)く。
『両(ふたつ)の山』が、
互いに、
『合わさり!』、
『大熱鉄の車輪』が、
諸の、
『罪人』を、
『轢(ひい)て!』、
『罪人』の、
『身』を、
『破砕し!』、
『熱鉄の臼』中で、
之を、
『搗()いて!』、
『砕く!』と、
まるで、
『葡萄』を、
『搾ったか!』、
『油』を、
『圧搾したようであった!』。
譬えば、
『洗濯場のように!』、
『肉』を、
『集めて!』、
『薪のように!』、
『積みかさね!』、
『頭』を、
『集めて!』、
『山のように!』、
『積み!』、
『血』が、
『流れて!』、
『池』を、
『成す!』と、
『鵰鷲』や、
『虎』や、
『狼』が、
『各、来て!』、
『肉』を、
『諍って!』、
『引っぱった!』。
  (りゃく):車でふみつぶす。
  (とう):臼でつく。
  (さく):しぼる。
  蒲桃(ふとう):葡萄。
  蹂場(にゅうじょう):蹈み洗いの洗濯場。
  聚肉(じゅにく):集められた肉。
  [(草-早)/積](しゃく):薪の堆積。
  諍掣(じょうせい):諍って引っぱる。
此人宿業因緣多殺牛馬豬羊獐鹿狐兔虎狼師子六駮大鳥眾鳥。如是等種種鳥獸多殘賊故還為此眾鳥獸頭來害罪人。 此の人の、宿業の因縁は、多く牛、馬、猪、羊、獐、鹿、狐、兔、虎、狼、師子、六駮、大鳥、衆鳥を殺し、是の如き等種種の鳥獣を、多く残賊せしが故に、還って此の衆の鳥獣の頭、来たりて罪人を害す。
此の、
『人』の、
『宿業の因縁』は、
『牛』、
『馬』、
『猪』、
『羊』、
『獐』、
『鹿』、
『狐』、
『兔』、
『虎』、
『狼』、
『師子』、
『六駮』、
『大鳥』、
『衆鳥』を、
『多く!』、
『殺した!』、
是れ等のような、
種種の、
『鳥獣』を、
『多く!』、
『残酷に殺し!』、
『残酷に傷つけた!』が故に、
還って、
此の、
『多く!』の、
『鳥』や、
『獣』の、
『頭』が、
『来て!』、
『罪人』を、
『害するのである!』。
  残賊(ざんぞく):残酷に損なう。残殺。
又以力勢相陵枉壓羸弱。受兩山相合罪。慳貪瞋恚愚癡怖畏故。斷事輕重不以正理。或破正道轉易正法。受熱鐵輪轢熱鐵臼搗。 又力勢を以って、相陵(しの)ぎ、羸弱を枉圧すれば、両山相合する罪を受く。慳貪、瞋恚、愚癡、怖畏の故に、事の軽重を断ずるに、正理を以ってせず、或は正道を破りて、正法を転易すれば、熱鉄の輪に轢かれ、熱鉄の臼に搗かるるを受く。
又、
『力勢』を、
『用いて!』、
『相手』を、
『凌ぎ!』、
『法』を、
『曲げて!』、
『弱者』を、
『圧迫した!』が故に、
『両の山』が、
『合わさる!』、
『罪』を、
『受け!』、
『慳貪』や、
『瞋恚』や、
『愚癡』や、
『怖畏』の故に、
『事』の、
『軽いか?』、
『重いか?』を、
『断じる!』のに、
『正理』を、
『用いず!』、
或は、
『正法』を、
『破り!』、
或は、
『正法』を、
『改変した!』が故に、
『熱鉄』の、
『車輪』に、
『轢かれ!』、
『熱鉄』の、
『臼』に、
『搗かれる!』、
『罪』を、
『受けるのである!』。
  (りょう):しのぐ。勢力で圧迫する。凌。
  枉圧(おうあつ):法を曲げて圧迫する。
  羸弱(るいにゃく):劣弱。
  転易(てんやく):改変。
第四第五名叫喚大叫喚。此大地獄其中罪人羅刹獄卒頭黃如金。眼中火出著赤色衣。身肉堅勁走疾如風。手足長大口出惡聲。捉三股叉 第四、第五を叫喚、大叫喚と名づけ、此れ大地獄なり。其の中の罪人の羅刹の獄卒は、頭の黄なること金の如く、眼中より火出で、赤色の衣を著け、身肉堅勁にして、走れば疾きこと風の如く、手足長大にして、口より悪声を出し、三股叉を捉る。
『第四』と、
『第五』とを、
『叫喚』と、
『大叫喚』と、
『称する!』
『大地獄である!』、――
此の、
『大地獄』中の、
『罪人』の、
『羅刹の獄卒』は、
『頭』は、
『黄』で、
『金のようであり!』、
『眼』中より、
『火』が、
『出て!』、
『身』に、
『赤色の衣』を、
『着け!』、
『身肉』は、
『強健で!』、
『力強く!』、
『風のように!』、
『疾く!』、
『走り!』、
『手、足』は、
『長く!』、
『大きく!』、
『口』より、
『悪声』を、
『出し!』、
『手』に、
『三股叉』を、
『捉る!』。
  叫喚(きょうかん):叫んで大声でわめく。
  堅勁(けんきょう):強毅不屈。勁は堅強有力( strong and powerful )。
  三股叉(さんこしゃ):三股の槍。
箭。墮如雨刺射罪人。罪人狂怖叩頭求哀。小見放捨小見憐愍。即時將入熱鐵地獄縱廣百由旬。驅打馳走足皆焦然。脂髓流出如笮蘇油。鐵棒棒頭頭破腦出如破酪瓶。斫剉割剝身體糜爛。 箭の堕つること雨の如く、罪人を刺射するに、罪人狂怖して、叩頭して哀を求むれば、小(しばら)く放捨され、小く憐愍さるるも、即時に将いて熱鉄地獄に入る。縦広百由旬、駆打して馳走せしむれば、足は皆焦然し、脂髄の流出すること蘇油を搾るが如く、鉄棒もて頭を棒つに、頭破れて脳の出づること、酪瓶を破るが如く、斫剉し割剥して、身体糜爛す。
『箭』が、
『雨のように!』、
『降る!』と、
『罪人』は、
『狂ったように!』、
『怖れ!』、
『頭』を、
『地に打ちつけて!』、
『哀れみを乞う!』ので、
『少しの間』、
『放置され!』、
『少しの間』、
『憐愍される!』が、
即時に、
『将いられて!』、
『熱鉄地獄』に、
『入れられる!』。
『縦広百由旬』の、
『熱鉄地獄』では、
『駆られ!』、
『打たれて!』、
『馳走する!』ので、
『両足とも!』、
『焼け!』、
『燋げて!』、
『脂、髄』が、
『蘇油』を、
『搾るように!』、
『流出し!』、
『鉄の棒』で、
『頭』を、
『撲られ!』、
『頭』が、
『破れて!』、
まるで、
『酪(クリーム)』の、
『瓶』が、
『破れたように!』、
『脳』が、
『出た!』。
『身』を、
『斧』で、
『ぶった切られ!』、
『骨』を、
『杖』で、
『へし折られ!』、
『頭』を、
『棒』で、
『割られ!』、
『皮』を、
『刀』で、
『剥がれて!』、
『身体』が、
『腐り!』、
『爛れる!』。
  刺射(ししゃ):箭を射て刺す。
  狂怖(ごうふ):狂い怖じける。
  駆打(くだ):追いかけて打つ。
  焦然(しょうねん):焼け焦げたるさま。
  蘇油(そゆ):エゴマの油。
  (らく):動物の乳汁を用いて作る半凝固の食品( cream, cheese, koumiss )。
  斫剉(しゃくざ):斫はぶった切ること、剉は折傷すること。
  割剝(かつはく):二つに割って、皮を剥ぐ。
  糜爛(びらん):骨の髄まで腐り爛れる( rotten to the core )。腐爛。
而復將入鐵閣。屋間黑煙來熏。互相推壓更相怨毒。皆言何以壓我纔欲求出其門以閉。大聲嗥呼音常不絕。 而して復た将いて鉄閣に入れ、屋間に黒煙来たりて熏し、互いに相推圧して、更に相怨毒し、皆、『何を以ってか我れを圧す』、と言い、纔(わず)かに、其の門を出づるを求めんと欲するも、閉づるを以って、大声嗥呼として、音常に絶えず。
やがて、
復た、
『将いられて!』、
『鉄閣』に、
『入る!』と、
『室内』には、
『黒煙』が、
『出て!』、
『熏す!』ので、
互いに、
『推し合い!』、
『圧し合い!』、
互いに、
『恨んで!』、
『憎み合い!』、
皆、
『何故、わたしを圧すのか?』と、
『言いながら!』、
僅かに、
其の、
『門』を、
『出ることだけ!』を、
『願い!』、
『門』が、
『閉じられる!』と、
『大声』に、
『咆吼し!』、
『叫喚して!』、
『音』が、
『常に!』、
『絶えることがない!』。
  鉄閣(てっかく):鉄の建物。
  屋間(おくけん):家の中。
  推圧(すいあつ):力を入れておす。
  (ざい):わずかに。僅々( just, only )。
  怨毒(おんどく):恨み憎む。怨恨( enmity )。
  嗥呼(ごうこ):野獣のように吼えて喚く。
此人宿行因緣。皆由斗秤欺誑非法斷事。受寄不還。侵陵下劣。惱諸窮貧令其號哭。破他城郭壞人聚落傷害劫剝。室家怨毒舉城叫喚。有時譎詐欺誑誘之。令出而復害之。如是等種種因緣故。受如此罪。 此の人の宿行の因縁は、皆斗秤を欺誑し、非法に事を断じて、寄を受けて還さず、下劣を侵陵して、諸の貧窮を悩まし、其れをして号哭せしめ、他の城郭を破りて、人の聚落を壊し、傷害し劫剥して、室家怨毒し、城を挙げて叫喚するに由る。有るいは時に、譎詐欺誑して、之を誘い、出でしめて、復た之を害す、是の如き等種種の因縁の故に、此の如き罪を受く。
此の、
『人』の、
『宿行の因縁』は、
皆、以下に由る、――
『斗(マス)』や、
『称(ハカリ)』を、
『欺誑(ゴマカシ)し!』、
『非法』に、
『事』を、
『裁断し!』、
『寄(委託物)』を、
『受けて!』、
『還さず!』、
『下賎』を、
『侵し!』、
『凌いで!』、
諸の、
『貧窮』を、
『悩まして!』、
『号哭させ!』、
『他』の、
『城郭』や、
『聚落』を、
『破って!』、
『壊し!』、
『人』を、
『傷つけて!』、
『殺害し!』、
『財産』を、
『劫(うば)って!』、
『剥ぎ!』、
『夫婦』は、
『恨んで!』、
『憎み合い!』、
『城』を、
『挙げて!』、
『叫喚し!』、
有る時には、
『悪賢く!』、
『欺し取ろう!』として、
『誘い出して!』、
その上、
『殺害する!』
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
此のような、
『叫喚地獄』の、
『罪』を、
『受けるのである!』。
  斗秤(とひょう):マスとハカリ。
  断事(だんじ):判決を下す。
  (き):委託、託附( entrust )。
  侵陵(しんりょう):他の領分を侵す。
  下劣(げれつ):力の劣る者。下賎( mean )。
  号哭(ごうこく):声を挙げて泣く。
  劫剥(ごうはく):さらい剥ぎとる。
  室家(しっけ):妻と夫。夫婦。家族。家庭。
  譎詐(けっさ):ずるい/悪賢い( cunning, crafty )。
  欺誑(ごこう):欺し取る/横領する( defraud, cheat, swindle )。
大叫喚地獄中人。皆坐熏殺穴居之類。幽閉囹圄或闇煙窟中而熏殺之。或投井中劫奪他財。如是等種種因緣。受大叫喚地獄罪。 大叫喚地獄中の人は、皆、穴居の類を熏殺し、囹圄に幽閉し、有るいは闇の煙窟中にて、之を熏殺し、或は井中に投げて、他の財を劫奪するに坐(よ)る。是の如き等の種種の因縁に、大叫喚地獄の罪を得。
『大叫喚地獄』中の、
『人』は、
皆、
『穴居の類(狐、狸、鼠等)』を、
『熏して!』、
『殺し!』、
『牢獄』に、
『幽閉し!』、
或は、
『闇い煙窟』中に、
『幽閉して!』、
之を、
『熏して!』、
『殺した!』か、
或は、
『井(イド)』中に、
『投げ込んで!』、
『他』の、
『財』を、
『劫奪したからである!』。
是れ等の、
種種の、
『因縁』の故に、
『大叫喚地獄』の、
『罪』を、
『受けるのである!』。
  (ざ):よる/因、由。~に由る( because )。又罪が定まる/罪を獲る( be punished )。
  熏殺(くんせつ):キツネ、タヌキ、ネヅミ等を煙で熏して殺す。
  囹圄(りょうご):牢屋。牢獄。ひとや。
  劫奪(ごうだつ):さらい奪う。
第六第七熱大熱地獄。中有二大銅鑊。一名難陀二名跋難陀(秦言喜大喜也)鹹沸水滿中。羅刹鬼獄卒以罪人投中。如廚士烹肉。人在鑊中腳上頭下。譬如煮豆熟爛。骨節解散皮肉相離。 第六と第七とは熱と大熱地獄なり。中に二の大銅鑊有り、一を難陀と名づけ、二を跋難陀と名づく。鹹(から)き沸水の満てる中に、羅刹鬼の獄卒、罪人を以って中に投ずること、廚士の肉を烹(に)るが如し。人、鑊中に在るに脚は上、頭は下となり、譬えば豆を煮て、熟爛するが如く、骨節解散し皮肉相離る。
『第六』と、
『第七』は、
『熱地獄』と、
『大熱地獄である!』、――
此の中に、
『二つ!』の、
『大銅鑊』が有り、
一を、
『難陀(喜ばせる!)』と、
『呼び!』、
二を、
『跋難陀(幸福に近づく!)』と、
『呼ぶ!』。
此の中に、
『沸いた!』、
『鹹水』を、
『満たし!』、
『羅刹鬼の獄卒』が、
『罪人』を、
『投げ込む!』が、
まるで、
『料理人』が、
『肉』を、
『煮るようである!』。
『人』は、
『銅鑊』中に於いて、
『脚』が、
『上になり!』、
『頭』が、
『下になり!』して、
譬えば、
『豆』を、
『煮て!』、
『煮崩れたように!』、
『骨』と、
『節』とが、
『ばらばらになり!』、
『皮』と、
『肉』とが、
『離ればなれになる!』。
  銅鑊(どうかく):銅の大釜。鑊は食物を茹でる/煮るための大釜。
  難陀(なんだ):梵語 nanda、喜び/喜ばせる/幸福( joy, delight, happiness )の義。
  跋難陀(ばなんだ):梵語 upananda 、難陀に近づく( near to happiness )の義。
  (げん)塩からいこと。
  沸水(ふっすい):沸き上がった水。
  廚士(ちゅうし):料理人。
  (ほう):にる/ゆでる( boil )。
  (しゃ):さすまた。フォーク。また突き刺すこと。
  熟爛(じゅくらん):熟は丁度良く煮えた状態( well cooked )、爛は煮すぎた状態( excessively boiled )。
知其已爛以叉叉出。行業因緣冷風吹活。復投炭坑中。或著沸屎中。譬如魚出於水而著熱沙中。又以膿血而自煎熬。從炭坑中出。投之焰床強驅令坐。眼耳鼻口及諸毛孔一切火出。 其の已に爛ずるを知り、叉を以って叉(さ)して出す。行業の因縁の冷風吹きて、活くれば、復た炭坑中に投じ、或は沸屎中に著(お)く。譬えば魚を水より出して、熱沙中に著くが如し。又膿血を以って、自ら煎熬す。炭坑中より出して、之を焔床に投じ、強いて駆りて坐せしむれば、眼、耳、鼻、口、及び諸の毛孔の一切より火出づ。
『獄卒』が、
其の、
『煮えすぎた!』のを、
『知って!』、
『叉(フォーク)』で、
『刺して!』、
『出す!』と、
『行業の因縁』の、
『冷風』が、
『吹いて!』、
『活かす!』ので、
復た、
『炭坑』中に、
『投げ入れ!』、
或は、
『沸いた!』、
『糞』中に、
『置く!』、
譬えば、
『魚』を、
『水』より、
『出して!』、
『熱い!』、
『砂』中に、
『置くようなものである!』。
又、
『膿』と、
『血』とで、
『自ら!』を、
『煎り煮し!』、
『炭』の、
『坑(あな)』より、
『出される!』と、
『焔』の、
『床』に、
『投げられ!』、
『眼』と、
『耳』と、
『鼻』と、
『口』と、
『諸の毛孔』の、
一切より、
『火』が、
『出る!』。
  炭坑(たんこう):石炭を燃やす坑。
  沸屎(ふっし):沸いた糞。
  熱沙(ねっしゃ):熱砂。
  煎熬(せんごう):いる。水分がなくなるまで煮詰める。
  焔床(えんしょう):石炭が燃え、焔を上げる床。
  強駆(ごうく):強いて追い立てる。
此人宿世惱亂父母師長沙門婆羅門。於諸好人福田中惱令心熱。以此罪故受熱地獄罪。或有宿世煮生繭。或生炙豬羊。或以木貫人而生炙之。或焚燒山野及諸聚落佛圖精舍。及天神等。或推眾生著火坑中。如是等種種因緣。生此地獄中。 此の人は宿世に、父母、師長、沙門、婆羅門を悩乱し、諸の好人、福田中を悩まして、心をして熱からしむ。此の罪を以っての故に、熱地獄の罪を受く。或は宿世に生ける繭を煮、或は生けるがまま、猪、羊を炙り、或は木を以って人を貫きて、生けるがまま之を炙り、或は山野、及び諸の聚落、仏図、精舎、及び天神等を焚焼し、或は衆生を推して、火坑中に著く。是の如き等の種種の因縁は、此の地獄中に生ず。
此の、
『人』は、
『宿世』に、
『父母』、
『師長』、
『沙門』、
『婆羅門』を、
『悩まして!』、
『心』を、
『乱し!』、
諸の、
『好人』や、
『福田』中を、
『悩まして!』、
『心』を、
『熱くさせた!』ので、
此の、
『罪』の故に、
『熱地獄』の、
『罪』を、
『受ける!』。
或は、
有る、
『人』は、
『宿世』に、
『生きた!』、
『繭』を、
『煮たり!』、
或は、
『猪』や、
『羊』を、
『生きたまま!』、
『炙ったり!』、
或は、
『木』で、
『人』を、
『貫いて!』、
『生きたまま!』、
『炙ったり!』、
或は、
『山野』や、
諸の、
『仏塔』や、
『精舎』や、
諸の、
『天神の祠』等を、
『焚焼させたり!』、
或は、
『衆生』を、
『推して!』、
『火』の、
『坑』中に、
『置いた!』ので、
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
此の、
『地獄』中に、
『生じるのである!』。
  生繭(しょうけん):生きた繭。
  仏図(ぶっと):仏陀の塔の意。図、或は塔は梵語窣堵波 stuupa の転訛なり。
  焚焼(ぼんしょう):盛に燃やす。
  火坑(かきょう):火の燃える坑。
見阿鼻地獄。縱廣四千里周迴鐵壁。於七地獄其處最深。獄卒羅刹以大鐵椎椎諸罪人。如鍛師打鐵。從頭剝皮乃至其足。以五百釘釘挓其身如挓牛皮。互相掣挽應手破裂。 阿鼻地獄を見るに、縦広四千里、鉄壁を周迴し、七地獄に於いて、其の処は最深なり。獄卒の羅刹、大鉄椎を以って、諸の罪人を椎(う)つこと、鍛師の鉄を打つが如し。頭より、乃至其の足まで皮を剥ぎ、五百の釘を以って其の身に釘うち、挓(ひろ)ぐること、牛皮を挓ぐるが如く、互いに相掣挽するに、手に応じて破裂す。
『阿鼻地獄』を見てみると、――
『縦広四千里』を、
『鉄』の、
『壁』が、
『周迴し!』、
『七地獄』よりも、
其の、
『処』は、
『最も深い!』。
『獄卒の羅刹』は、
『鉄の大槌』で、
『鍛冶屋』が、
『鉄』を、
『打つように!』、
諸の、
『罪人』を、
『打ち!』、
『頭』から、
『足』まで、
『皮』を、
『剥いで!』、
『五百』の、
『釘』を、
『打ちつけて!』、
『牛の皮』を、
『広げるように!』、
『広げる!』と、
『身』を、
『相互に!』、
『引っぱる!』ので、
『身』は、
『手に応じて!』、
『張り裂ける!』。
  阿鼻(あび):梵語 aviici、また阿鼻旨等に作る。無間と訳す。地獄の名。最も底に在り、最も酷烈なり。
  鉄椎(てつずい):鉄槌。椎は木槌( mallet )、又椎を用いて打撃する( beat with mallet )。
  鍛師(たんし):鍛冶師( forger )。
  (だ):広げる/展開する( to open out; to expand )。
  掣挽(せいめん):引く/引きずる/引っぱる( pull, drag, draw )。
熱鐵火車以轢其身驅入火坑。令抱炭出熱沸屎河驅令入中。 熱鉄の火車を、以って其の身を轢き、駆りて火坑に入れ、炭を抱えしめ、出して熱き沸屎の河に駆りて中に入らしむ。
『熱鉄』の、
『火の車』で、
其の、
『身』を、
『轢いて!』、
『駆り立て!』、
『火の坑』に、
『入らせる!』と、
『炭』を、
『抱かせ!』、
『火の坑』より、
『出す!』と、
『熱く沸いた!』、
『糞の河』中に、
『入らせる!』。
有鐵嘴毒虫。從鼻中入腳底出。從足下入口中出。豎劍道中驅令馳走。足下破碎如廚膾肉。利刀劍槊飛入身中。譬如霜樹落葉隨風亂墜。罪人手足耳鼻支節。皆被斫剝割截在地流血成池。 有るいは鉄嘴の毒虫、鼻中より入りて、脚底より出で、足下より入りて、口中より出づ。剣を竪(た)てたる道中に、駆りて馳走せしめ、足下破砕して、廚の肉を膾にするが如し。利き刀、剣、槊飛びて、身中に入ること、譬えば、霜樹の落葉の風に随いて乱れ墜つるが如し。罪人の手、足、耳、鼻、支節、皆斫、剥、割、截を被りて地に在り、流るる血は池を成す。
有るいは、
『鉄の嘴』の、
『毒虫』が、
『鼻の中』より、
『入って!』、
『脚の底』に、
『出!』、
『足の裏』より、
『入って!』、
『口の中』に、
『出る!』。
有るいは、
『剣』を、
『樹立した!』、
『道』を、
『駆り立てて!』、
『馳走させ!』、
『足の裏』が、
『ずたずたに!』
『裂けて!』、
『料理人』が
『肉』を、
『刺身にしたようになる!』。
有るいは、
『利い!』、
『刀』や、
『剣』や、
『槊』が、
『霜樹』が、
『葉』を、
『落とすように!』、
『風』に、
『随って!』、
『乱れ!』、
『墜ちる!』と、
『罪人』の、
『手』や、
『足』や、
『耳』や、
『鼻』や、
『支節』は、
皆、
『切られ!』、
『剥がれ!』、
『割られ!』、
『截()たれて!』、
『地』に、
『在り!』、
『血』が、
『流れて!』、
『池』を、
『成している!』。
  鉄嘴(てっし):鉄のくちばし。
  (さく):剣と長柄のほこ。
  (しゃく):たたき切る。
  (はく):皮をむく。
  (せつ):断ち切る。
二大惡狗一名賒摩二名賒婆羅。鐵口猛毅破人筋骨。力踰虎豹猛如師子。有大刺林驅逼罪人強令上樹。罪人上時刺便下向。下時刺便上向。大身毒蛇蝮蝎惡虫競來齧之。大鳥長嘴破頭噉腦。 二の大悪狗は、一を賒摩と名づけ、二を賖婆羅と名づく。鉄口猛毅にして、人の筋骨を破り、力は虎豹を踰えて、猛きこと四肢の如し。有る大刺林に、罪人を駆り逼りて、強いて樹に上らしむ。罪人の上る時、刺は便ち下に向き、下る時には刺は便ち上に向く。大身の毒蛇、蝮、蝎、悪虫競い来たりて、之を囓る。大鳥の長き嘴、頭を破りて脳を噉う。
『二の大悪狗』は、
一を、
『賒摩』と、
『呼び!』、
二を、
『賖婆羅』と、
『呼ぶ!』。
『猛々しく!』、
『強い!』、
『鉄の口』で、
『人』の、
『筋骨』を、
『破壊し!』、
『力』は、
『虎、豹』を、
『踰え!』、
『猛々しさ!』は、
『師子』と、
『同じである!』。
有る、
『大きな!』、
『刺』の、
『林』に、
『罪人』を、
『駆り立てて!』、
『逼り!』、
『罪人』に、
『強いて!』、
『樹』に、
『上らせる!』。
『罪人』が、
『上る!』時には、
『刺』は、
『下を向き!』、
『下る!』時には、
『刺』は、
『上を向く!』。
『大身』の、
『毒蛇』や、
『蝮(マムシ)』や、
『蝎(サソリ)』などの、
『悪虫』が、
『競って!』、
『来て!』、
『罪人』を、
『囓る!』。
『大鳥』が、
『長い嘴』で、
『頭』を、
『破り!』、
『罪人』の、
『脳』を、
『噉う!』。
  悪狗(あっく):悪むべき狗。
  賖摩(しゃま)、賖婆羅(しゃばら):狗の名。委細不明。蓋し物を喰らう音か。
  猛毅(みょうき):猛烈剛毅。猛烈につよい。
  駆逼(くひつ):追いかけてせまる。
入鹹河中隨流上下。出則蹈熱鐵地行鐵刺上。或坐鐵杙杙從下入。以鉗開口灌以洋銅。吞熱鐵丸入口。口焦入咽咽爛入腹。腹然五藏皆焦直過墮地。 鹹河中に入り、流に随いて上、下し、出づれば則ち熱鉄の地を蹈み、鉄刺の上を行く。或は鉄の杙(くい)に坐し、杙は下より入り、鉗を以って口を開き、洋銅を以って潅ぎ、熱鉄の丸を呑ます。口に入りて口焦げ、咽に入りて咽爛れ、腹に入りて腹然(も)え、五蔵皆焦げて、直ちに過ぎて、地に堕つ。
『鹹い河』中に、
『入れられて!』、
『流れのまま!』に、
『上ったり!』、
『下ったりし!』、
『出れば!』、
『熱鉄』の、
『地』を、
『蹈んで!』、
『鉄』の、
『刺の上』を、
『歩き!』、
或は、
『鉄』の、
『杙(くい)』に、
『坐って!』、
『杙』が、
『下』から、
『入る!』。
『鉗(ヤットコ)』で、
『口』を、
『開かれて!』、
『溶けた!』、
『銅』を、
『潅がれ!』、
『熱い!』、
『鉄丸』を、
『呑む!』。
『鉄丸』が、
『口』に、
『入れば!』、
『口』が、
『焦げ!』、
『咽』に、
『入れば!』、
『咽』が、
『爛れ!』、
『腹』に、
『入れば!』、
『腹』が、
『燃える!』。
『鉄丸』は、
『五蔵』を、
皆、
『焦がしながら!』、
『直通して!』、
『地に堕ちる!』。
  鉄杙(てつよく):鉄のくい。杙は牛馬を繋ぐくい。
  (かん):鉗子。金ばさみ。やっとこ。
  洋銅(ようどう):溶けた銅汁。
但見惡色恒聞臭氣常觸麤澀遭諸苦痛迷悶委頓。或狂逸唐突或藏竄投擲或顛匐墮落。 但だ悪色を見、恒に臭気を聞き、常に麁渋に触れ、諸の苦痛に遭いて、迷悶し委頓す。或は狂逸して唐突し、或は蔵竄して投擲し、或は顛匐して堕落す。
但だ、
『悪むべき!』、
『色』を、
『見て!』、
『臭い!』、
『気』を、
『嗅ぎ!』、
常に、
『麁渋(ザラザラ)』に、
『触れ!』、
『諸の苦痛』に、
『遭って!』、
『迷悶し!』、
『憔悴し!』、
或は、
『狂逸(奔放)になったり!』、
『唐突(無愛想)になったりし!』、
或は、
『穴に隠れたり!』、
『物を投げたりし!』、
或は、
『転覆したり!』、
『墜落したりする!』。
  委頓(いとん):疲乏/憔悴( tired, weary, exhausted )。
  麁渋(そじゅう):ざらざらした粗い感触。
  狂逸(ごういつ):気が狂って走り回る。奔放( unrestrained, untrammelled )。
  唐突(とうとつ):ぶっきら棒/無愛想( brusque )。
  蔵竄(ぞうざん):隠匿する。隠れる。
  投擲(とうちゃく):一定の目標に向って投げる( throw, cast, hurl )。
  顛匐(てんぷく):倒れふす。
此人宿行多造大惡五逆重罪。斷諸善根法言非法非法言法。破因破果憎嫉善人。以是罪故入此地獄受罪最劇。 此の人は、宿行に、多く大悪、五逆の重罪を造りて、諸の善根を断じ、法を非法と言い、非法を法と言いて、因を破り、果を破り、善人を憎嫉す。是の罪を以っての故に、此の地獄に入りて、罪の最も劇しきを受く。
此の、
『人』の、
『宿世の行業』は、
多く、
『大悪』や、
『五逆』の、
『重罪』を、
『造って!』、
諸の、
『善根』を、
『断ち!』、
『法』を、
『非法だ!』と、
『言い!』、
『非法』を、
『法だ!』と、
『言って!』、
『因、果』の、
『道理』を、
『破り!』、
『善人』を、
『憎悪し!』、
『嫉妒した!』。
是の、
『罪』の故に、
此の、
『地獄』に、
『入って!』、
『最も劇しい!』、
『罪』を、
『受けるのである!』。



十六小地獄

如是等種種八大地獄周圍其外復有十六小地獄為眷屬。八寒冰八炎火。其中罪毒不可見聞。 是の如き等の種種の八大地獄は、其の外を周囲して、復た十六小地獄有りて、眷属と為す。八は寒氷、八は炎火にして、其の中の罪の毒は見聞すべからず。
是れ等のような、
種種の、
『八の大地獄』は、
其の、
『外』を、
『取り囲んで!』、
復た、
『十六の小地獄』が、
『有り!』、
『眷属となっている!』、
謂わゆる、
『八寒氷と!』、
『八炎火である!』が、
其の中の、
『罪』の、
『毒(苦痛)』は、
とても、
『見ていられず!』、
『聞いていられない!』。
  (どく):苦/苦痛( pain, suffering )。
八炎火地獄者。一名炭坑二名沸屎三名燒林四名劍林五名刀道六名鐵刺林七名鹹河八名銅橛。是為八。八寒冰地獄者。一名頞浮陀(少多有孔)二名尼羅浮陀(無孔)三名阿羅羅(寒戰聲也)四名阿婆婆(亦患寒聲)五名睺睺(亦是患寒聲)六名漚波羅(此地獄外壁似青蓮花也)七名波頭摩(紅蓮花罪人生中受苦也)八名摩訶波頭摩。是為八。 八炎火地獄とは、一には炭坑と名づけ、二には沸屎と名づけ、三には焼林と名づけ、四には剣林と名づけ、五には刀道と名づけ、六には鉄刺林と名づけ、七には鹹河と名づけ、八には銅橛と名づけて、是れを八と為す。八寒氷地獄とは、一には頞浮陀(少多の孔有り)と名づけ、二には尼羅浮陀(孔無し)と名づけ、三には阿羅羅(寒に戦(おのの)く声)と名づけ、四には阿婆婆(亦た寒を患う声)と名づけ、五には睺睺(亦た是れ寒を患う声)と名づけ、六を漚波羅(此の地獄の外壁は青蓮華に似たればなり)と名づけ、七には波頭摩(紅蓮花なり、罪人中に生じて苦を受くればなり)と名づけ、八には摩呵波頭摩と名づけて、是れを八と為す。
『八炎熱地獄』とは、
一を、
『炭の坑(トンネル)』と、
『呼び!』、
二を、
『沸いた屎(くそ)』と、
『呼び!』、
三を、
『焼けた林』と、
『呼び!』と、
四を、
『剣の林』と、
『呼び!』と、
五を、
『刀の道』と、
『呼び!』と、
六を、
『鉄刺の林』、
『呼び!』と、
七を
『鹹(から)い河』と、
『呼び!』、
八を、
『銅の橛(くい)』と、
『呼び!』、
是の、
『八である!』。
『八寒氷地獄』とは、
一を、
『頞浮陀(少しの孔が有る)』と、
『呼び!』、
二を、
『尼羅浮陀(孔が無い)』と、
『呼び!』、
三を、
『阿羅羅(寒さに戦(おのの)く声)』と、
『呼び!』と、
四を、
『阿婆婆(亦た寒さを患う声)』と、
『呼び!』と、
五を、
『睺睺(亦た是れも寒さを患う声)』と、
『呼び!』と、
六を、
『漚波羅(此の地獄の外壁は青蓮華に似ている)』、
『呼び!』と、
七を
『波頭摩(紅蓮花、罪人は中で苦を受ける)』と、
『呼び!』、
八を、
『摩呵波頭摩』と、
『呼び!』、
是の、
『八である!』。
  沸屎(ふっし):沸き立ちたる糞。
  鉄刺(てっし):鉄のとげ。
  (かん):塩辛い( briny, salty )。
  (けつ):くい( peg, short wooden stake )。
若破清淨戒出家法。令白衣輕賤佛道。或排眾生著火坑中。或眾生命未盡頃於火上炙之。如是等種種因緣。墮炭坑地獄中。大火炎炭至膝燒罪人身。 若しは清浄戒、出家法を破りて、白衣をして仏道を軽賎せしむ。或は衆生を排(お)して、火坑中に著(お)く。或は衆生の命の未だ尽きざる頃、火の上に於いて之を炙る。是の如き等の種種の因縁は、炭坑地獄中に墜ち、大火炎の炭、膝に至りて、罪人の身を焼く。
若しは、          ――炭坑地獄――
『清浄戒』や、
『出家法』を、
『破って!』、
『白衣』に、
『仏道』を、
『軽んじさせ!』、
『賎しめさせる!』とか、
或は、
『衆生』を、
『排()して!』、
『火の坑』中に、
『入れる!』とか、
或は、
『衆生』の、
『命』が、
『尽きていない!』のに、
『衆生』を、
『火』上で、
『炙る!』とかすれば、
是のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『炭坑地獄』に、
『堕ちる!』と、
『炭』が、
『大火炎を上げながら!』、
『膝』に、
『至り!』、
『罪人』の、
『身』を、
『焼く!』。
  白衣(びゃくえ):俗人の別称。天竺の婆羅門及び俗人は多く鮮白の衣を服するを以っての故なり。ここを以って沙門を称して、これを緇衣、或は染衣と謂う。「西域記巻2」に、「衣裳は裁製する所無きを服玩し、鮮白を貴び、雑彩を軽んず」と云い、道宣律師の「感通録」には、「白衣の俗服は、仏は厳しく制断す」と云い、「涅槃経疏巻14」には、「西域の俗は穿白を尚び、故に白衣と曰う」と云い、「遺教経」には、「白衣は受欲し、行道の人に非ず」と云い、「維摩経方便品」には、「白衣と為すと雖も、沙門の清浄律行を奉持す」と云い、「大智度論巻13」には、「白衣は五戒有りと雖も、沙門に如かず」と云えり。<(丁)
若沙門婆羅門福田食。以不淨手觸。或先噉或以不淨物著中。或以熱沸屎灌他身破淨命。以邪命自活。如是等種種因緣。墮沸屎地獄中。沸屎深廣如大海水。中有虫以鐵為嘴破罪人頭噉腦破骨食髓。 若しは沙門、婆羅門の福田の食を、不浄の手を以って触れ、或は先に噉い、或は不浄物を以って中に著き、或は熱沸せる屎を以って、他の身に潅ぎ、浄命を破りて、邪命を以って自活す、是の如き等の種種の因縁は、沸屎地獄中に墮つ。沸屎の深広なること大海水の如く、中に虫有り、鉄を以って嘴と為し、罪人の頭を破りて、脳を噉い、骨を破って、髄を食う。
若しは、          ――沸屎地獄――
『沙門』や、
『婆羅門』や、
『福田』の、
『食』に、
『不浄な手』で、
『触れる!』とか、
或は、
『先に!』、
『噉う!』とか、
或は、
『不浄な物』を、
『中に入れる!』とか、
或は、
『熱く沸いた!』、
『屎』を、
『他の身』に、
『潅ぐ!』とか、
或は、
『浄命』を、
『破って!』、
『邪命』で、
『自らを活かす!』とかすれば、
是のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『沸屎地獄』中に、
『堕ちる!』。
此の、
『沸屎』は、
『大海水のように!』、
『深く!』、
『広く!』、
『沸屎』中には、
『鉄の嘴』の、
『虫』が、
『有り!』、
『罪人』の、
『頭』を、
『破って!』、
『脳を噉い!』、
『骨』を、
『破って!』、
『髄を食う!』。
  浄命(じょうみょう):比丘の四種の邪命の法を離れたる清浄活命、これを浄命と謂う。即ち八正道中の正命なり。又清浄の心を以って生命と為す、これを浄命と謂う。「維摩経菩薩品」に、「正しく善法を行じて浄命に於いて起つ」と云い、「註」に、「肇曰わく、凡そ行ずる所善なれば、邪心を以って命と為さず」と云い、「不思議疏巻上」に、「浄命とは、少欲知足の行なり」と云えり。<(丁)
  邪命(じゃみょう):比丘の乞食を以って如法に自活せず、不如法の事を作して生活するを謂いて、邪命と為す。『大智度論巻13上注:邪命』参照。
若焚燒草木傷害諸虫。或燒林大獵為害彌廣。如是等種種因緣。墮燒林地獄中。草木火然以燒罪人。 若しは草木を焚焼して、諸虫を傷害し、或は林を焼いて大いに猟し、弥広に害を為す。是の如き等の種種の因縁は、焼林地獄中に墜ちて、草木の火然え、以って罪人を焼く。
若しは、          ――焼林地獄――
『草木』を、
『焼いて!』、
諸の、
『虫』を、
『害する!』とか、
或は、
『林』を、
『焼いて!』、
『大いに!』、
『狩猟し!』、
『広い範囲』に、
『害』を、
『為す!』とか、
是れ等のような、
種種の
『因縁』の故に、
『焼林地獄』中に、
『墮ちる!』と、
『草木の火』が、
『燃えて!』、
『罪人』を、
『焼く!』。
  弥広(みこう):広々とした( broad )。
若執持刀劍鬥諍傷殺。若斫樹壓人以報宿怨。若人以忠信誠告而密相中陷。如是等種種因緣。墮劍林地獄中。此地獄罪人入中。風吹劍葉割截手足耳鼻皆令墮落。是時林中有烏鷲惡狗來食其肉。 若しは刀剣を執持して、闘諍し、傷殺し、若しは樹を斫りて、人を圧し、以って宿怨に報じ、若しは人忠、信、誠を以って告ぐるに、而も密相中に陥(おとしい)る。是の如き等の種種の因縁は、剣林地獄中に墮つ。此の地獄の罪人、中に入りて風吹くに、剣葉は手、足、耳、鼻を割截して、皆堕落せしむ。是の時、林中に有る烏、鷲、悪狗来たりて、其の肉を食う。
若しは、          ――剣林地獄――
『刀剣』を、
『執持して!』、
『闘諍し!』、
『傷殺する!』とか、
若しは、
『樹』を、
『切断して!』、
『人』を、
『圧死させて!』、
『宿世』の、
『怨(あだ)』に、
『報いる!』とか、
若しは、
『人』が、
『忠義』や、
『信頼』や、
『誠実さ!』で、
『忠告してくれた!』のに、
『親密さ!』を、
『見せながら!』、
『陥れる!』とかすれば、
是れ等の、
種種の、
『因縁』の故に、
『剣林地獄』中に、
『堕ちる!』。
此の、
『地獄』中に、
『入る!』と、
『風』が、
『吹き!』、
『剣の葉』が、
『手、足、耳、鼻』を、
『切断して!』、
皆、
『地』に、
『堕ちる!』。
是の時、
『林』中の、
『烏、鷲、悪狗』が、
『来て!』、
其の、
『肉』を、
『食う!』。
  宿怨(しゅくおん):宿敵。
  (ちゅう):献身的/誠実/忠実( devoted, honest, loyal )。
  (しん):誠実/正直/真実/不虚偽( sincere, honest, true, sure )。
  (じょう):誠実/正直/真実/現実( sincere, honest, true, real )。
  密相(みっそう):親密( intimate )の相。
  (かん):人を罪に陥れる( frame up )。
若以利刀刺人。若橛若槍傷人。若斷截道路撥徹橋樑。破正法道示以非法道。如是等種種因緣。墮利刀道地獄中。利刀道地獄者。於絕壁狹道中。豎利刀令罪人行上而過。 若しは利刀を以って人を刺し、若しは橛、若しは槍もて人を傷つけ、若しは道路を断截し、橋梁を撥徹し、正法の道を破り、示すに非法の道を以ってす。是の如き等の種種の因縁は、利刀道地獄中に墮つ。利刀道地獄とは、絶壁の狭道中に於いて、利刀を竪て、罪人をして上を行きて過ぎしむ。
若しは、          ――刀道地獄――
『利刀』で、
『人』を、
『刺す!』とか、
若しは、
『橛(先の尖った棒)』や、
『槍』で、
『人』を、
『傷つける!』とか、
若しは、
『道路』を、
『断ち切ったり!』、
『橋梁』を、
『撤去したり!』して、
『正法』の、
『道』を、
『破壊して!』、
『非法』の、
『道』を、
『示す!』とか、
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『利刀道地獄』中に、
『堕ちる!』。
『利刀道地獄』とは、
『絶壁』の、
『狭道』中に於いて、
『利刀』を、
『直立させ!』、
『罪人』に、
『上を歩いて!』、
『通過させる!』。
  (けつ):棒杭。
  断截(だんせつ):切断。
  撥徹(はってつ):物をはじいて取り除く。
  (じゅ):長い物を地上に垂直に立てる( set upright )。樹立。竪立。直立。
若犯邪婬侵他婦女貪受樂觸。如是等種種因緣。墮鐵刺林地獄中。刺樹高一由旬。上有大毒蛇化作美女身。喚此罪人上來共汝作樂。 若し邪婬を犯し、他の婦女を侵して、受を貪り、触を楽しめば、是の如き等の種種の因縁は、鉄刺林地獄中に墮つ。刺樹の高さ一由旬、上に大毒蛇の化して美女の身を作す有り。此の罪人を喚ぶ、『上り来たれ、汝と共に楽を作さん』、と。
若し、          ――刺林地獄――
『邪婬』を、
『犯す!』とか、
『他人』の、
『婦女』を、
『侵す!』とかして、
『受(感覚)』を、
『貪り!』、
『触(美肌)』を、
『楽しめば!』、
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『鉄刺林地獄』中に、
『堕ちる!』。
『刺の樹』は、
『高さ!』が、
『一由旬あり!』、
『樹の上』の、
有る、
『大毒蛇』が、
『美女の身』を、
『化作して!』、
此の、
『罪人』を、こう喚ぶ、――
上に、
『来なさい!』、
お前と、
『いっしょに!』、
『楽しみましょう!』、と。
  (じゅ):感覚( sensation, feeling )、◯梵語 vedanaa の訳。苦痛( pain, agony )の義、即ち、楽受 sukha- vedanaa ( sensation of pleasure )、苦受 duHkha- vedanaa ( painful feeling )、捨受 upekSaa- vedanaa ( sensation of neither pleasure nor pain )の総じて三種の感覚( three sensations )の意。◯梵語upaadaanaの訳、又取と訳す、執著の義。the act of taking for one's self , appropriating to one's self. 自分の物にする行為、取る。執著する。十二因縁の一。◯梵語 upaadaaya の訳、受取る/取得する( receiving, acquiring )、~の助けを借りて/~を用いて/依存する( by help of, by means of, depending on )の義。◯梵語 samaadaana の訳、残さず全てを手に入れる/抱え込む/請け負う/結果を招く( taking fully or entirely, taking upon one's self. contracting, incurring )の義、容認する/容認( to accept, acceptance )の意。
  化作(けさ):梵語 abhinirmaaya の訳、超越的力を以って創造する( to create with supernormal power )、魔法で呼び出す( to conjure up )の意。
獄卒驅之令上。刺皆下向貫刺罪人。身被刺害入骨徹髓。既至林上化女還復蛇身。破頭入腹處處穿穴皆悉破爛。 獄卒、之を駆りて上らしむるに、刺は皆下を向きて、罪人を貫き刺し、身は刺の害を被りて、骨に入り、髄を徹す。既に林上に至るに、化女は、還って蛇身に復(かえ)り、頭を破りて腹に入り、処処に穴を穿ちて、皆悉く破れ爛る。
『獄卒』が、
『罪人』を、
『駆り立てて!』、
『上らせる!』と、
『刺』は、
皆、
『下を向いて!』、
『罪人』を、
『刺し貫く!』。
『身』に、
『被った!』、
『刺の害』は、
『骨に入って!』、
『髄まで徹る!』。
『林』上に、
『至れば!』、
『化女』は、
還()た、
『蛇身』に、
『復(かえ)り!』、
『頭』を、
『破って!』、
『腹』に、
『入り!』、
『処処に!』、
『穴』を、
『穿って!』、
『身』は、
皆、
悉く、
『破れて!』、
『爛れる!』。
  貫刺(かんし):刺し貫く。
  破爛(はらん):破れただれる。
忽復還活身體平復。化女復在樹下喚之獄卒以箭仰射呼之令下刺復仰刺。既得到地化女身復毒蛇破罪人身。 忽ち復た還って活くれば、身体平復し、化女は復た樹下に在りて之を喚び、獄卒は箭を以って仰射し、之を呼びて下らしめ、刺は復た仰刺す。既に地に到るを得れば、化女の身は毒蛇に復り、罪人の身を破る。
『罪人』が、
忽ち、
復た、
『活き還り!』、
『身体』が、
『平常に!』、
『回復する!』と、
『化女』が、
復た、
『樹の下』より、
『罪人』を、
『喚び!』、
『獄卒』が、
『箭』を、
『上向きに!』、
『射て!』、
『罪人』を、
『下らせ!』、
『刺』が、
復た、
『上を向いて!』
『刺す!』。
『罪人』が、
やっと、
『地』に、
『到る!』と、
『化女』は、
『身』を、
『毒蛇』に、
『復(もど)して!』、
『罪人』の、
『身』を、
『破る!』。
如是久久從熱鐵刺林出。遙見河水清涼快樂。走往趣之入中變成熱沸鹹水。罪人在中須臾之頃。皮肉離散骨立水中。獄卒羅刹以叉鉤出之。持著岸上。 是の如く久久にして、熱鉄の刺林より出づるに、遙かに河水の清涼、快楽なるを見、走り往きて之に趣き、中に入れば、変じて熱沸の鹹水と成る。罪人、中に在ること須臾の頃、皮肉離散して、骨水中に立つ。獄卒の羅刹、叉と鉤とを以って、之を出し、持ちて岸上に著く。
是のようにして、          ――鹹河地獄――
『長い長い!』、
『時間』が、
『過ぎ!』、
『熱鉄』の、
『刺の林』を、
『出る!』と、
遙かに、
『清涼にして!』、
『快適そうな!』、
『河水』が、
『見えた!』。
『河水』に、
『走って!』、
『趣き!』、
『水の中』に、
『入る!』と、
『河水』は、
『変じて!』、
『熱く沸いた!』、
『鹹い水』と、
『成った!』。
『罪人』は、
『水の中にいた!』、
『暫くの間』に、
『皮』と、
『肉』とが、
『離ればなれに!』、
『散らばって!』、
『骨』のみが、
『水の中』に、
『立っていた!』。
『獄卒の羅刹』は、
『叉(シャベル)』と、
『鉤( hook )』とで、
『罪人』を、
『水の中』より、
『出して!』、
『持上げ!』、
『岸の上』に、
『置いた!』。
  久久(くく):長時間の過ぎるさま( for a long long time )。
  須臾(しゅゆ):漢語、意は暫時に同じ。
此人宿行因緣。傷殺水性魚鱉之屬。或時排人及諸眾生令沒水中。或投之沸湯或投之冰水。如是等種種惡業因緣故受此罪。 此の人の宿行の因縁は、水性の魚鱉の属を傷殺し、或は時に人、及び諸の衆生を排して、水中に没せしめ、或は之を沸湯に投げ、或は之を氷水に投ぐ、是の如き種種の悪業の因縁の故に、此の罪を受く。
此の、
『人』の、
『宿世』の、
『行業』の、
『因縁』は、
『水性』の、
『魚鱉の属』を、
『傷つけて!』、
『殺す!』とか、
或は時に、
『人』や、
『諸の衆生』を、
『押して!』、
『水の中』に、
『沈める!』とか、
或は、
之を、
『熱湯の中』に、
『投げる!』とか、
或は、
之を、
『氷水の中』に、
『投げる!』とかの、
是れ等のような、
種種の、
『悪業の因縁』の故に、
此の、
『罪』を、
『受ける!』。
  魚鱉(ぎょべつ):魚とすっぽん。
若在銅橛地獄。獄卒羅刹問諸罪人。汝何處來。答言。我苦悶不知來處。但患飢渴若言渴。是時獄卒即驅逐罪人令坐熱銅橛上。以鐵鉗開口灌以洋銅。若言飢坐之銅橛吞以鐵丸入口。口焦入咽咽爛入腹。腹然五藏爛壞直過墮地。 若し銅橛地獄に在れば、獄卒の羅刹の諸の罪人に問わく、『汝は何処より来たる』、と。答えて言わく、『我れ苦悶して、来たる処を知らず。但だ飢と渇とを患うのみ』、と。若し、『渇く』と言わば、是の時、獄卒は即ち罪人を駆逐して、熱銅の橛上に坐せしめ、鉄の鉗を以って、口を開き、洋銅を以って潅ぐ。若し、『飢う』と言わば、之を銅橛に坐せしめ、鉄丸を以って呑ましむ、口に入りて口焦げ、咽に入りて咽爛れ、腹に入りて腹然え、五蔵爛壊して、直ちに過ぎて地に堕つ。
若し、          ――銅橛地獄――
『罪人』が、
『銅橛地獄』中に、
『在れば!』、
『獄卒の羅刹』は、
諸の、
『罪人』に、こう問う、――
お前は、
『何処から!』、
『来たのか?』、と。
『答えて!』、こう言う、――
わたしは、
『苦しみ!』に、
『悶えている!』ので、
何処から、
『来たのか?』を、
『知らない!』が、
但だ、
『飢え!』と、
『渇き!』とに、
『悩まされている!』、と。
若し、
『罪人』が、
『渇く!』と言えば、――
是の時、
『獄卒』は、
『罪人』を、
『追い立てて!』、
『熱銅』の、
『橛(くい)の上』に、
『坐らせ!』、
『鉄の鉗(やっとこ)』で、
『口』を、
『開いて!』、
『口の中』に、
『溶けた銅』を、
『潅ぎ!』、
若し、
『飢えた!』と言えば、――
『熱銅』の、
『橛の上』に、
『坐らせて!』、
『熱鉄』の、
『丸』を、
『呑ませる!』。
『鉄丸』は、
『口』に、
『入れば!』、
『口』が、
『焦げ!』、
『咽』に、
『入れば!』、
『咽』が、
『爛れ!』、
『腹』に、
『入れば!』、
『腹』が、
『燃え!』、
『五蔵』を、
皆、
『爛れさせ!』、
『壊しながら!』、
直通して、
『地』に、
『堕ちる!』。
  (げん):悩まされる( suffer from, worry )、災難/危難/困難( disaster, peril, trouble )。
此人宿行因緣劫盜他財以自供口。諸出家人或時詐病多求酥油石蜜。或無戒無禪無有智慧。而多受人施或惡口傷人。如是等種種宿業因緣。墮銅橛地獄。 此の人の宿行の因縁は、他の財を劫盗して、以って自らの口に供し、諸の出家人なれば、或は時に病を詐(たば)かりて、多く蘇油、石蜜を求め、或は戒無く、禅無く、智慧有ること無くして、而も多く人の施を受け、或は悪口して人を傷つく、是の如き等の種種の宿業の因縁に、銅橛地獄に堕つ。
此の、
『人』の、
『宿世』の、
『行業』の、
『因縁』は、
若しは、
『他人』の、
『財』を、
『劫盗して!』、
『自ら!』の、
『口』に、
『供与する!』とか、
諸の、
『出家人』ならば、
或は時に、
『病だ!』と、
『詐(いつわ)って!』、
『酥油(バター)』や、
『石蜜(氷砂糖)』を、
『求める!』とか、
或は、
『戒』も、
『禅』も、
『智慧』も、
『無い!』のに、
『人』の、
『布施』を、
『受ける!』ことが、
『多い!』とか、
是れ等のような、
種種の、
『宿世』の、
『行業』の、
『因縁』の故に、
『銅橛地獄』に、
『堕ちる!』。
  劫盗(ごうとう):脅して盗む。強盗。
  酥油(そゆ):乳製品の油脂。バター等。
  石蜜(しゃくみつ):梵語 zarkaraa, zarkara-madhu の訳、小石の砂糖( pebble sugar )の義。氷砂糖( crystal sugar )。
若人墮頞浮陀地獄中。其處積冰毒風來吹。令諸罪人皮毛裂落筋肉斷絕骨破髓出。即復完堅受罪如初。 若し人、頞浮陀地獄中に墮つれば、其の処は積氷の毒風来たりて吹き、諸の罪人をして、皮毛裂落し、筋肉断絶し、骨破れて、髄出でしむるも、即ち完堅に復りて、罪を受くること初の如し。
若し、
『人』が、
『頞浮陀地獄』中に、
『堕ちれば!』、
其の、
『処』は、
『積もった氷』より、
『毒風』が、
『来て!』、
『吹く!』ので、
諸の、
『罪人』は
『皮』が、
『裂かれ!』、
『毛』が、
『落とされ!』、
『筋肉』は、
『断ち切られ!』、
『骨』を、
『破られ!』、
『髄』が、
『出される!』が、
すぐに、
『完璧無缺』、
『堅強不壊』に、
『回復して!』、
『初のように!』、
『罪』を、
『受ける!』。
  完堅(がんけん):完全堅固。
此人宿業因緣。寒月剝人或劫盜凍人薪火。或作惡龍瞋毒忿恚。放大雹雨冰凍害人。或輕賤謗毀若佛及佛弟子持戒之人。或口四業作眾重罪。如是等種種因緣。墮頞浮陀地獄中。 此の人の宿業の因縁は、寒月に人を剥ぎ、或は凍れる人の薪と火を劫盗し、或は悪龍と作りて瞋毒、忿恚して大雹の雨を放って、氷凍して人を害し、或は若しは仏、及び仏弟子、持戒の人を軽賎して謗毀し、或は口の四業もて衆重罪を作す。是の如き等の種種の因縁は、頞浮陀地獄中に墮つ。
此の、
『人』の、
『宿世』の、
『行業』の、
『因縁』は、
若しは、
『寒月』に、
『人』を、
『剥ぐ!』とか、
或は、
『凍った人』の、
『薪、火』を、
『劫盗する!』とか、
或は、
『悪龍』と、
『作って!』、
『瞋毒し!』、
『忿恚し!』、
『大雹』を、
『放って!』、
『雨ふらし!』、
『氷で凍らせて!』、
『人』を、
『害する!』とか、
或は、
『仏』や、
『仏弟子』や、
『持戒の人』を、
『軽んじ!』、
『賎しんで!』、
『謗って!』、
『傷つける!』とか、
是れ等のような、
種種の、
『因縁』の故に、
『頞浮陀地獄』中に、
『堕ちる!』。
  瞋毒(しんどく):酷く瞋ること。
  軽賎(きょうせん):軽んじて賎しむ。
  謗毀(ぼうき):謗ってきずつける。
  口四業(くちのしごう):妄語、悪口、両舌、綺語。口の四悪業。
尼羅浮陀亦如是。頞浮陀少多有孔時得出入。尼羅波絕無孔罅無出入處。 尼羅浮陀も亦た是の如し。頞浮陀は少多の孔有りて、時に出入するを得るも、尼羅浮陀は孔罅絶無にして、出入する処無し。
『尼羅浮陀』も、
亦た、
『是れと同じである!』、
『頞浮陀』には、
『孔』が、
『少し!』有るので、
『時には!』、
『出入することもできる!』が、
『尼羅浮陀』は、
『孔』や、
『罅(ひび)』が、
『絶無であり!』、
『出入する!』、
『処』が、
『無い!』。
  孔罅(くけ):孔とひび。
  :尼羅波は、他本に従い尼羅浮陀に改む。
呵婆婆呵羅羅睺睺此三地獄。寒風噤戰口不能開。因其呼聲而以名獄。 阿婆婆と阿羅羅と睺睺の此の三地獄は、寒風噤戦して、口を開く能わず、其の呼ぶ声に因りて、以って獄に名づく。
『阿婆婆』と、
『阿羅羅』と、
『睺睺』という、
此の、
『三地獄』は、
『寒風』に、
『戦(おのの)いて!』、
『口を開けない!』ので、
其の、
『呼吸する!』時の、
『声』に、
『因って!』、
『地獄』の、
『名』に、
『用いる!』。
  :呵婆婆、呵羅羅は、既出の所に従って阿婆婆、阿羅羅に改める。
  噤戦(ごんせん):寒さや恐怖に振るえて声が出ないこと( to be shivering and scilent )。
  呼声(こしょう):呼吸の音( breathing sound )。
漚波羅獄中。凍冰浹渫有似青蓮花。波頭摩狀。如此間赤蓮花。 漚波羅獄中には、凍氷浹渫して、青蓮花に似たる有り、波頭摩の状は、此の間の赤蓮花の如し。
『漚波羅地獄』中には、
『凍った氷』の、
『波立つ様子』が、
『青蓮花』に、
『似ており!』、
『波頭摩地獄』の、
『様子』は、
此の、
『世間』の、
『赤蓮花のようである!』。
  浹渫(きょうちょう):水の流動する様子。
摩呵波頭摩。是中拘迦離住處。有智之人聞是驚言。咄以此無明恚愛法故。乃受此苦。出而復入無窮無已。 摩呵波頭摩、是の中は拘迦離の住処なり。有智の人、是れを聞きて驚きて言わく、『咄、此の無明を以って、法を恚、愛するが故に、乃ち此の苦を受け、出でて復た入ること、窮まり無く、已むこと無し』、と。
『摩呵波頭摩地獄の中』は、
『倶伽離(悪比丘の名)』の、
『住処である!』。
『有智の人』は、
是れを、
『聞く!』と、
『驚いて!』、こう言う、――
咄(とっ)!
此の、
『無明』が、
『法』を、
『愛したり!』、
『腹を立てたりする!』が故に、
やがて、
此の、
『苦』を、
『受けて!』、
『出たとしても!』、
『復た!』、
『入り!』、
『窮まる!』ことも、
『終わる!』ことも、
『無いのだ!』、と。
  拘迦離(くかり):梵名 kokaalika、提婆達多の弟子。『大智度論巻13下注:倶伽離』参照。
  (とつ):「とっ」という怒りの声( noise of rage )。
菩薩見此如是思惟。此苦業因緣皆是無明諸煩惱所作。我當精進懃修六度集諸功德。斷除眾生五道中苦。興發大哀增益精進。 菩薩は、此れを見て、是の如く思惟すらく、『此の苦業の因縁は、皆、是れ無明と、諸の煩悩の作す所なり。我れは当に精進して、六度を懃修し、諸の功徳を集めて、衆生の五道中の苦を断除すべし』、と。大哀を興発して、精進を増益す。
『菩薩』は、
此れを、
『見て!』、
是のように、
『思惟する!』、――
此の、
『苦報』の、
『行業』の、
『因縁』は、
皆、
『無明』と、
『諸の煩悩』に、
『作られた!』。
わたしは、
『精進して!』、
『六波羅蜜』を、
『勤勉に!』、
『修行しながら!』、
諸の、
『功徳』を、
『集め!』、
『衆生』の、
『五道』中の、
『苦』を、
『断除しなければならない!』、と。
是のように、
『大哀(大悲)』の、
『心』を、
『起して!』、
『菩薩』は、
『益々!』、
『精進するのである!』。
  興発(こうほつ):発起。おこす。
如見父母幽閉囹圄拷掠搒笞憂毒萬端。方便求救心不暫捨。菩薩見諸眾生受五道苦念之如父亦復如是。 父母の囹圄に幽閉され、拷掠、搒笞されて、憂毒万端たるを見るに、方便して救を求め、心に暫くも捨てざるが如く、菩薩は諸の衆生の五道の苦を受くるを見て、之を念ずること父の如くなること、亦復た是の如し。
例えば、
『父、母』が、
『牢獄』に、
『幽閉されて!』、
『拷問され!』、
『鞭打たれて!』、
『苦の毒』が、
『万端である!』のを、
『見たならば!』、
『方便して!』、
『救う!』、
『道』を、
『求め!』、
『心』に、
『暫くも!』、
『捨てないように!』、
『菩薩』は、
諸の、
『衆生』が、
『五道中の苦』を、
『受ける!』のを、
『見るにつけ!』、
此の、
『衆生』を、
『父』が、
『念じるように!』、
『念じる!』のも、
亦復た、
『是れと同じである!』。
  囹圄(りょうご):牢獄。ろうや。
  拷掠(こうりゃく):罪人に拷問を加える。
  搒笞(ぼうち):罪人を左右からむち打つ。


著者に無断で複製を禁ず。
Copyright(c)2016 AllRightsReserved