問曰。菩薩欲得一切佛法。欲度一切眾生。欲滅一切煩惱。皆得如意。云何增益。精進而能得佛。譬如小火不能燒大林。火勢增益能燒一切。 |
問うて曰く、菩薩は、一切の仏法を得んと欲し、一切の衆生を度せんと欲し、一切の煩悩を滅せんと欲して、皆意の如きを得。云何が増益して精進し、能く仏を得る。譬えば、小火なれば、大林を焼く能わざるも、火勢増益すれば、能く一切を焼くが如しや。 |
問い、
『菩薩』は、
一切の、
一切の、
一切の、
『煩悩』を、
『滅しよう!』と、
『思っても!』、
皆、
『意のまま!』に、
『得られる!』のに、
何故、
益々、
『精進して!』、
そして、
『仏(菩提)』を、
『得ることができるのですか?』。
譬えば、
『小火』では、
『火勢』が、
『増益すれば!』、
一切を、
『焼くことができる!』のと、
『同じなのですか?』。
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答曰。菩薩從初發心作誓願。當令一切眾生得歡樂。常為一切不自惜身。若惜身者於諸善法不能成辦。以是故增益精進。 |
答えて曰く、菩薩は初発心より、心に誓願を作すらく、『当に一切の衆生をして、歓楽を得しめ、常に一切の為に、自ら身を惜まざるべし。若し身を惜まば、諸の善法に於いて、成辦する能わず』、と。是を以っての故に、増益して精進するなり。 |
答え、
『菩薩』は、
『初めて!』、
『心』を、
『発した!』時より、
『心』に、
『誓願』を、こう作している、――
一切の、
常に、
『一切』の為に、
自ら、
『身』を、
『惜んではならない!』。
若し、
『身』を、
『惜めば!』、
諸の、
『善法』を、
『完成することができないのだから!』、と。
是の故に、
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復次菩薩種種因緣呵懈怠心。令樂著精進。懈怠黑雲覆諸明慧。吞滅功德增長不善。懈怠之人。初雖小樂後則大苦。譬如毒食。初雖香美久則殺人。 |
復た次ぎに、菩薩は種種の因縁に、懈怠の心を呵して、精進に著するを楽しましむ。懈怠の黒雲は、諸の明慧を覆うて、功徳を呑滅し、不善を増長し、懈怠の人は、初には、小楽ありと雖も、後には則ち大苦あればなり。譬えば毒を食えば、初には香美なりと雖も、久しくすれば則ち人を殺すが如し。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
種種の、
『因縁』に於いて、
『懈怠』の、
『心』を、
『呵責して!』、
『精進』に、
『著する!』のを、
『楽しませる!』が、
『懈怠』の、
『黒雲』が、
諸の、
『明慧』を、
『覆って!』、
『功徳』を、
『呑滅して!』、
『不善』を、
『増長するからであり!』。
『懈怠の人』は、
初には、
『少しばかり!』、
『楽しむ!』が、
後になれば、
『大いに!』、
『苦しむからである!』。
譬えば、
『毒』を、
『食えば!』、
初には、
『香美であった!』としても、
久しくすれば、
『人』を、
『殺すようなものである!』。
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懈怠之心燒諸功德譬如大火燒諸林野。懈怠之人失諸功德。譬如被賊無復遺餘。 |
懈怠の心の、諸の功徳を焼くこと、譬えば、大火の諸の林野を焼くが如く、懈怠の人の、諸の功徳を失うこと、譬えば賊を被れば、復た遺余無きが如し。 |
『懈怠の心』が、
諸の、
『功徳』を、
『焼く!』のは、
譬えば、
『大火』が、
諸の、
『林野』を、
『焼くようなものであり!』、
『懈怠の人』が、
諸の、
『功徳』を、
『失う!』のは、
譬えば、
『賊』の、
『害』を、
『被れば!』、
もう、
何も、
『残らない!』のと、
『同じである!』。
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如偈說
應得而不得 已得而復失
既自輕其身 眾人亦不敬
常處大闇中 無有諸威德
尊貴智慧法 此事永以失
聞諸妙道法 不能以益身
如是之過失 皆由懈怠心
雖聞增益法 不能得上及
如是之過罪 皆由懈怠心
生業不修理 不入於道法
如是之過失 皆由懈怠心
上智所棄遠 中人時復近
下愚為之沒 如豬樂在溷
若為世中人 三事皆廢失
欲樂及財利 福德亦復沒
若為出家人 則不得二事
生天及涅槃 名譽二俱失
如是諸廢失 欲知其所由
一切諸賊中 無過懈怠賊
以是眾罪故 懶心不應作
馬井二比丘 懈怠墜惡道
雖見佛聞法 猶亦不自免 |
偈に説くが如し、
応に得べくして得ず、已に得て復た失う、
既に自ら其の身を軽んずれば、衆人も亦た敬わず。
常に大闇中に処すれば、諸の威徳有ること無し、
尊貴なる智慧の法、此の事は永く以って失えり。
諸の妙なる道法を聞くも、以って身を益する能わず、
是の如きの過失は、皆懈怠の心に由る。
増益の法を聞くと雖も、上り得て及ぶ能わず、
是の如き過罪は、皆懈怠の心に由る。
生業を修理せずして、道法に入らず、
是の如きの過失は、皆懈怠の心に由る。
上智の棄てて遠ざかる所も、中人は時に復た近づき、
下愚は之に没せられて、猪の溷に在りて楽しむが如し。
若し世中の人と為れば、三事を皆廃失して、
欲楽及び財利と、福徳も亦復た没せん。
若し出家人と為れば、則ち二事を得ずして、
生天及び涅槃と、名誉の二を倶に失わん。
是の如き諸の廃失の、其の所由を知らんと欲すれば、
一切の諸賊中に、懈怠に過ぎたる賊は無し。
是の衆罪を以っての故に、懶心を応に作すべからず、
馬と井との二比丘は、懈怠にして悪道に墜ち、
仏を見、法を聞けりと雖も、猶お亦た自ら免れず。
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例えば、
『偈』に、こう説く通りである、――
『得るはず!』のものを、
『得ず!』、
『得た!』ものを、
『復た!』、
『失う!』、
既に、
自らの、
『身』を、
『軽んじた!』者は、
亦た、
『他人』にも、
『敬われない!』。
常に、
『大闇』中に、
『処在する!』者には、
諸の、
『威徳など!』、
『有るはずがない!』、
『尊貴すべき!』、
『智慧』という、
『法』も、
是の故に、
『永久に!』、
『失われる!』。
諸の、
『妙なる!』、
『道の法』を、
『聞きながら!』、
其れすら、
『身』を、
『益することはない!』、
是のような、
『過失』は、
皆、
『懈怠の心』が、
『起こすのだ!』。
『増益する!』、
『法』を、
『聞いた!』としても、
『天』に、
『上って!』、
『到達することはできない!』、
是のような、
『過罪』は、
皆、
『懈怠の心』が、
『起こすのだ!』。
『生業( 生活)』の、
『道』の、
『法』にも、
『入らない!』、
是のような、
『過失』は、
皆、
『懈怠の心』が、
『起こすのだ!』。
『上智』の、
『棄てて!』、
『遠ざける!』所も、
『中人』は、
『時に!』、
『近づき!』、
『下愚』は、
『豚』が、
『溷(かわや)』で、
『遊ぶように!』、
其の中に、
『没する!』。
若し、
『世間』中の、
『人』が、
『懈怠すれば!』、
『布施』や、
『持戒』や、
『忍辱』という、
『三事』を、
皆、
『廃失(廃棄)して!』、
『欲楽』や、
『財利』や、
『福徳』も、
亦た、
『没失するだろう!』。
若し、
『出家』の、
『人』が、
『懈怠すれば!』、
『禅定』と、
『智慧』という、
『二事』を、
『得られず!』、
『生天、乃至涅槃』と、
『名誉』という、
『二事』を、
『どちらも!』、
『失うだろう!』。
是のような、
諸の、
『廃失』の、
『理由』を、
『知ろうとする!』ならば、
一切の、
『諸賊』中に、
『懈怠の賊』に、
『過ぎた賊』は、
『無いのだ!』。
是の、
『多くの罪』の故に、
『怠惰な!』、
『心』を、
『起こしてはならない!』。
例えば、
『馬宿』や、
『井宿』のように、
『懈怠して!』、
『悪道』に、
『墮ちれば!』、
『仏を見て!』、
『法を聞いた!』としても、
もはや、
『自ら!』を、
『免れさせることはできない!』。
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猪(ちょ):豚。猪はブタ、豚は子ブタを指す。
溷(ごん):豚小屋、便所。かわや。
懈怠(けたい):ものうくして怠ける。精進に対す。
馬(め)、井(せい):仏弟子の馬宿、井宿(満宿)を指す。皆六群比丘の一。『大智度論巻10(上)注:六群比丘』参照。
生業(しょうごう):◯梵語 upapatii- saMvartaniiya- karman の訳、具現化する業( particularizing
karma )、来世の生に関し、例えば性格、智慧、地位等の詳細なる諸縁を決定する業、或いは満業、別報業に同じ。六道の別を分けるが如き一般的な縁を決定する引業(
aakSepakaM- karma )に対す( The karma that determines precise conditions in
one's rebirth, such as one's personality, level of intelligence, social
status, and so forth; same as 滿業 and 別報業, which contrast with directive
karma 引業, which determines more general conditions, such as the species
into which one is born. )、此の業は、一般的に欲望から生じるものとされ、一方、引業は無明/無智より生じるものとされている(
This karma is generally understood as being produced from desire, whereas
directive karma is produced from ignorance. )。◯梵語 karma, karman の訳、生計を立てる仕事(
The work that one does to make a living; one's livelihood )。
修理(しゅり):梵語 pratisaMskAraNa, pratisaMskR の訳。修復する( To repair; to fix something
that is broken )の義。
懶心(らんしん):嬾心に同じ。怠惰な心。 |
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如是等種種。觀懈怠之罪精進增長。 |
是の如き等の種種に、懈怠の罪を観て、精進増長す。 |
是れ等のように、
種種に、
『懈怠』の、
『罪過』を、
『観て!』、
『精進』を、
『増進させるのである!』。
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復次觀精進之益。今世後世佛道涅槃之利皆由精進。 |
復た次ぎに、精進の益を観るは、今世、後世の仏道、涅槃の利は、皆精進に由ればなり。 |
復た次ぎに、
『精進』の、
『利益』を、
『観てみれば!』、
『今世、後世』の、
『仏道』や、
『涅槃』の、
『利』は、
皆、
『精進』より、
『生じるのである!』。
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復次菩薩知一切諸法皆空無所有。而不證涅槃。憐愍眾生集諸善法。是精進波羅蜜力。 |
復た次ぎに、菩薩は、一切の諸法は、皆空にして、無所有なるを知りて、而も涅槃を証せず、衆生を憐愍して、諸の善法を集む、是れ精進波羅蜜の力なり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』が、
こう知りながら、――
一切の、
諸の、
『法』は、
皆、
『空であり!』、
『無所有である!』、と。
而も、
『涅槃』を、
『証することなく!』、
『衆生』を、
『憐愍して!』、
諸の、
『善法』を、
『集める!』のは、
是れは、
『精進』という、
『波羅蜜』の、
『力である!』。
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復次菩薩一人獨無等侶。以精進福德力故。能破魔軍及結使賊得成佛道。既得佛道。於一切諸法一相無相其實皆空。而為眾生說諸法種種名字種種方便。度脫眾生老病死苦。將滅度時以法身。與彌勒菩薩摩訶薩迦葉阿難等。然後入金剛三昧。自碎身骨令如芥子。以度眾生而不捨精進力。 |
復た次ぎに、菩薩は一人にして、独り等侶無く、精進の福徳の力を以っての故に、能く魔軍、及び結使の賊を破りて、仏道を成ずるを得、既に仏道を得れば、一切の諸法に於いて、一相無相にして、其の実は、皆空なるも、衆生の為に、諸法の種種の名字を説き、種種に方便して、衆生を老病死の苦より度脱し、将に滅度せんとする時には、法身を以って、弥勒菩薩摩訶薩、迦葉、阿難等に与え、然る後に金剛三昧に入りて、自ら身骨を砕き、芥子の如くならしめて、以って衆生を度して、精進の力を捨てず。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『一人であり!』、
『精進』という、
『福徳』の、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『魔軍』や、
『結使の賊』を、
『破って!』、
『仏』の、
『道』を、
『完成することができ!』、
既に、
一切の、
諸の、
『法』は、
『一相であり!』、
『無相であり!』、
其の、
『衆生』の為に、
種種の、
『方便』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『老病死の苦』より、
『度脱し!』、
将( まさ)に、
『滅度しようとする!』時には、
『法身( 法宝)』を
『弥勒菩薩摩訶薩、迦葉、阿難』等に、
『与え!』、
その後、
『金剛三昧』に、
『入り!』、
自ら、
『身の骨』を、
『砕いて!』、
『芥子のようにし!』、
其れで、
『衆生』を、
『度するのである!』が、
而し、
『精進』という、
『力』を、
『捨てることはない!』。
|
等侶(とうりょ):同じ仲間。等類。
魔軍(まぐん):即ち欲、憂愁、飢渇、渇愛、睡眠、怖畏、疑悔、瞋恚、利養虚称、自高蔑人等を云う。『大智度論巻15上注:偈』参照。
法身(ほっしん):仏所説の正法。『大智度論巻5下注:法身』参照。
金剛三昧(こんごうさんまい):最後に一切の煩悩を断ずるに、究竟の果を得る三昧。『大智度論巻4上注:金剛三昧』参照。 |
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復次如阿難。為諸比丘說七覺意。至精進覺意。佛問阿難。汝說精進覺意耶。阿難言說精進覺意。如是三問三答。佛即從坐起告阿難。人能愛樂修行精進。無事不得得至佛道終不虛也。如是種種因緣。觀精進利而得增益。 |
復た次ぎに、阿難の如きは、諸の比丘の為に、七覚意を説いて、精進覚意に至るに、仏の阿難に問いたまわく、『汝は、精進覚意を説けりや』、と。阿難の言わく、『精進覚意を説けり』、と。是の如く三たび問うて、三たび答うるに、仏の、即ち坐より起ちて阿難に告げたまわく、『人は、能く愛楽して、精進を修行すれば、事として得ざる無く、仏道に至るまで得て、終に虚しからず』、と。是の如き種種の因縁に、精進の利を観て、増益を得。 |
復た次ぎに、
例えば、
『阿難』が、
諸の、
『比丘』の為に、
『七覚意』を、
『説いて!』、
『精進覚意』を、
『説く!』に、
『至る!』と、
『仏』は、
『阿難』に、こう問われた、――
お前は、
『精進覚意』を、
『説いたのか?』、と。
『阿難』は、こう言った、――
是のように、
『仏』が、
『三たび!』、
『問われて!』、
『阿難』が、
『三たび!』、
『答えた!』時、
『仏』は、
『坐』より、
『起たれて!』、
『阿難』に、こう告げられた、――
『人』は、
『精進』を、
『愛し!』、
『楽しみながら!』、
『修行すれば!』、
『獲得できない!』、
『事』は、
『無い!』、
『仏の道』に、
『至るまで!』、
『獲得して!』、
『終りまで!』、
『虚しくはないのだ!』、と。
是のような、
種種の、
『因縁』に、
『精進』の、
『利』を、
『観れば!』、
『精進』を、
『増益することができる!』。
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七覚意(しちかくい):また七覚支、七覚分と称す。覚意を念、択法、精進、喜、軽安、定、捨七種に分類す。『大智度論巻3(下)注:七覚分』参照。 |
参考:『雑阿含経巻27(727):『如是我聞。一時。佛在力士聚落人間遊行。於拘夷那竭城希連河中間住。於聚落側告尊者阿難。令四重襞疊敷世尊鬱多羅僧。我今背疾。欲小臥息。尊者阿難即受教敕。四重襞疊敷鬱多羅僧已。白佛言。世尊。已四重襞疊敷鬱多羅僧。唯世尊知時。爾時。世尊厚襞僧伽梨枕頭。右脅而臥。足足相累。繫念明相。正念正智。作起覺想。告尊者阿難。汝說七覺分。時。尊者阿難即白佛言。世尊。所謂念覺分。世尊自覺成等正覺。說依遠離.依無欲.依滅.向於捨。擇法.精進.喜.猗.定.捨覺分。世尊自覺成等正覺。說依遠離.依無欲.依滅.向於捨。佛告阿難。汝說精進耶。阿難白佛。我說精進。世尊。說精進。善逝。佛告阿難。唯精進。修習多修習。得阿耨多羅三藐三菩提。說是語已。正坐端身繫念。時。有異比丘即說偈言 樂聞美妙法 忍疾告人說 比丘即說法 轉於七覺分 善哉尊阿難 明解巧便說 有勝白淨法 離垢微妙說 念.擇法.精進. 喜.猗.定.捨覺 此則七覺分 微妙之善說 聞說七覺分 深達正覺味 身嬰大苦患 忍疾端坐聽 觀為正法王 常為人演說 猶樂聞所說 況餘未聞者 第一大智慧 十力所禮者 彼亦應疾疾 來聽說正法 諸多聞通達 契經阿毘曇 善通法律者 應聽況餘者 聞說如實法 專心黠慧聽 於佛所說法 得離欲歡喜 歡喜身猗息 心自樂亦然 心樂得正受 正觀有事行 厭惡三趣者 離欲心解脫 厭惡諸有趣 不集於人天 無餘猶燈滅 究竟般涅槃 聞法多福利 最勝之所說 是故當專思 聽大師所說 異比丘說此偈已。從座起而去』 |
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如是精進。佛有時說為欲。或時說精進。有時說不放逸。譬如人欲遠行。初欲去時是名為欲。發行不住是為精進。能自勸勵不令行事稽留。是為不放逸。以是故知欲生精進。精進生故不放逸。不放逸故能生諸法。乃至得成佛道。 |
是の如き精進を、仏は、有る時には、『欲と為す』と説き、或る時には、『精進』と説き、有る時には、『不放逸なり』と説きたまえり。譬えば、人の遠く行かんと欲すに、初めて去らんと欲する時に、是れを名づけて、欲と為し、発(た)ち行きて、住まらざる、是れを精進と為し、能く自ら勧励して、行事をして稽留せざらしむ、是れを不放逸と為すが如し。是を以っての故に知る、欲は、精進を生じ、精進生ずるが故に放逸ならず、放逸ならざるが故に、能く諸法を生じて、乃至仏道を成ずるを得、と。 |
是のような、
『精進』を、
『仏』は、
有る時には、
『欲である!』と、
『説かれ!』、
有る時には、
『精進だ!』と、
『説かれ!』、
有る時には、
『不放逸だ!』と、
『説かれた!』。
譬えば、
『人』が、
『遠くへ!』、
『行こうとする!』時、
『初めて!』、
『去ろう!』、
『思った!』時、
是れを、
『欲』と、
『呼び!』、
『発( た)った!』後、
『行きながら!』、
『住まらない!』、
是れを、
『精進』と、
『呼び!』、
自らを、
『勧め!』、
『励まして!』、
『行く!』という、
『事』を、
『停滞させない!』ならば、
是れを、
『不放逸』と、
『呼ばれたのである!』。
是の故に、こう知ることになる、――
『欲』が、
『精進』を、
『生じるのであり!』、
『精進』が、
『生じた!』が故に、
『不放逸であり!』、
『不放逸である!』が故に、
諸の、
『法』を、
『生じることができ!』、
乃至、
『仏の道』まで、
『完成することができる!』、と。
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勧励(かんれい):すすめはげます。
稽留(けいる):とどこおる。とどまる。 |
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復次菩薩欲脫生老病死亦欲度脫眾生。常應精進一心不放逸。如人擎油缽行大眾中。現前一心不放逸故大得名利。又如偏閣嶮道若懸繩若乘山羊。此諸惡道以一心不放逸故。身得安隱。今世大得名利。求道精進亦復如是。若一心不放逸所願皆得。 |
復た次ぎに、菩薩は、生老病死を脱れんと欲し、亦た衆生を度脱せんと欲すれば、常に応に精進、一心、不放逸なるべし。人の油の鉢を擎(かか)げて、大衆中を行くが如く、一心と、不放逸とを現前するが故に、大いに名利を得。又偏閣、嶮道を若しは縄を懸け、若しは山羊に乗るに、此の諸の悪道も、一心と不放逸を以っての故に、身に安隠を得て、今世に大いに名利を得るが如く、道を求むるに、精進するも亦復た是の如く、若し一心にして、不放逸なれば、所願を皆得るなり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『生老病死』を、
『脱れよう!』と、
『思い!』、
亦た、
『衆生』を、
『度脱しよう!』と、
『思えば!』、
『常に!』、
『精進して!』、
『一心であり!』、
『不放逸でなければならない!』。
譬えば、
『人』が、
『油』の、
『鉢』を、
『擎(かか)げて!』、
『大衆』中を、
『行く!』時、
『一心』と、
『不放逸』とを、
『現前にして!』、
『行く!』が故に、
『大いに!』、
『名利』を、
『得るようなものである!』。
又、
『偏閣( 桟道)』や、
『嶮道』を、
『縄』を、
『懸けたり!』、
『山羊』に、
『乗ったりして!』、
『行く!』時、
此の、
『諸の悪道』を、
『一心』と、
『不放逸』とを、
『用いて!』、
『行く!』が故に、
『今世』に、
『道』を、
『求めて!』、
『精進する!』のも、
亦復た、
是のように、
若し、
『一心』と、
『不放逸』とを、
『用いれば!』、
『願う!』所が、
皆、
『得られるのである!』。
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現前(げんぜん):呈示される( to be manifested )、◯梵語 pratyakSa の訳、眼前に現れる/見える/知覚できる( present
before the eyes, visible, perceptible; )、明瞭/明白/直接的/実際的/現実的( clear, distinct,
manifest, direct, immediate, actual, real; )、視界に留める/識別する( keeping in view,
discerning; )、視覚的証拠/直接的知覚/感覚による理解( ocular evidence, direct perception,
apprehension by the senses; )等の義。◯梵語 abhimukha 阿毘目佉, pratyutpanna 般舟 の訳、立つ/現れる(
To arise, appear. )の義。人の前に現れる/人の眼前に現れる( To appear in front of one; to appear
before one's eyes. )の意。◯梵語 agrataH, agratas の訳、前に( In front; before one;
in presence of )の義。何ものかに於いて、其れ自体が、其の有るがままに現れる( For something to appear
as it is in itself )の意。
偏閣(へんかく):桟道。
嶮道(けんどう):崖道の如く危険な道。 |
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復次譬如水流能決大石。不放逸心亦復如是。專修方便。常行不廢。能破煩惱諸結使山。 |
復た次ぎに、譬えば、水流の能く大石を決するが如く、不放逸の心も亦復た是の如し。専ら方便を修めて、常に行じて廃せざれば、能く煩悩と、諸の結使の山を破る。 |
復た次ぎに、
譬えば、
『水流』が、
『大石』を、
『断裂するように!』、
『不放逸』の、
『心』も、
是のように、
専ら、
『方便』を、
『修めて!』、
常に、
『行』を、
『廃しない!』ことで、
『煩悩』という、
諸の、
『結使』の、
『山』を、
『破壊するのである!』。
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決(けつ):断裂( break )。 |
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復次菩薩有三種思惟。若我不作不得果報。若我不自作不從他來。若我作者終不失。如是思惟當必精進。為佛道故懃修專精而不放逸。 |
復た次ぎに、菩薩には、三種の思惟有り、『若し、我れ作さずんば、果報を得ざらん』、『若し、我れ自ら作さずんば、他より来たらざらん』、『若し、我れ作さば、終に失われざらん』、と。是の如く思惟すれば、当に必ず精進し、仏道の為の故に、懃修専精して、不放逸なるべし』。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『三種』に、
こう思惟する、――
若し、
わたしが、
『作さなければ!』、
『果報』は、
『得られないだろう!』。
若し、
わたしが、
『自ら!』、
『作さないのであれば!』、
『他より!』、
『来なかっただろう!』。
若し、
わたしが、
『作せば!』、
終に、
『失うことはないだろう!』。
是のように
思惟すれば、――
必ず、
『精進して!』、
『仏の道』の為に、
『懃修し!』、
『専精し!』、
『不放逸のはずである!』。
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懃修(ごんしゅ):梵語 abhiyoga の訳、勤勉/精力的努力/粉骨砕身/堅忍/絶え間なき実践( application; energetic
effort, exertion, perseverance in, constant practice)の義。
専精(せんしょう):梵語 tiivra の訳、強力な/厳格な/猛烈な/熱烈な( strong, severe, violent, intense )の義、梵語精力を集中させる/悟りを得る為に全勢力を集中して修行する( to focus one's energies; To fully focus one's mind in practice (toward the attainment of enlightenment) )の意。 |
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如一小阿蘭若。獨在林中坐禪而生懈怠。林中有神是佛弟子。入一死屍骨中。歌舞而來。說此偈言
林中小比丘 何以生懈廢
晝來若不畏 夜復如是來 |
一小阿蘭若の如きは、独り林中に在りて坐禅し、而も懈怠を生ぜり。林中の有る神は、是れ仏弟子なれば、一死屍の骨中に入りて歌舞し、来たりて此の偈を説いて言わく、
林中の小比丘、何を以ってか懈廃を生ずる、
昼に来たりて若し畏れずんば、夜も亦た是の如く来たらん。
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例えば、
『阿蘭若( 空閑処)』の、
『一小比丘』などは、
独り、
『林』中に、
『坐禅していた!』が、
『懈怠』を、
『生じた!』。
『林』中の、
有る、
『神』は、
『仏』の、
『弟子であった!』ので、
『一死屍』の、
『骨』中に、
『入る!』と、
『歌舞しながら!』、
『来て!』、
此の、『偈』を説いた、――
『林』中の、
『小比丘』は、
何故、
『懈怠』と、
『廃退』の、
『心』を、
『生じるのか?』。
『昼』に、
『来た!』時、
『畏れていなければ!』、
『夜』にも、
『復た!』、
『来よう!』、と。
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阿蘭若(あらんにゃ):梵語 araNya、山林、曠野と訳し、坐禅に適する空閑処を云う。『大智度論巻3(上)注:阿蘭若』参照。 |
参考:『阿育王経巻10』:『鬼因緣 爾時摩偷羅國有一善男子。於優波笈多所出家。多喜睡眠。優波笈多為其說法。將至林中。在一樹下坐禪。而復睡眠。時優波笈多為令其畏。化作一鬼而有七頭。當其前手捉樹枝身懸空中。比丘見已即便驚覺生大怖畏。即從坐起還其本處。優波笈多令還坐禪處。時彼比丘白言和上彼林中有一鬼七頭。當我前手捉樹枝懸在空中。此甚可畏。優波笈多言。比丘。此鬼不足畏。睡眠之心是最可畏。若比丘為鬼所殺不入生死。若為睡眠所殺則生死無窮。比丘即還坐禪之處復見此鬼。畏此鬼故不敢睡眠。是時比丘精進思惟得阿羅漢果。乃至取籌置石室中』 |
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是比丘驚怖起坐內自思惟。中夜復睡。是神復現十頭口中出火牙爪如劍眼赤如炎。顧語將從捉此懈怠比丘。此處不應懈怠。何以故爾。 |
是の比丘の驚怖して坐より起ち、内に自ら思惟すらく、『中夜に、復た睡らば、是の神、復た十頭の、口中より火を出し、牙爪は剣の如く、眼の赤きこと炎の如きを現して、将従を顧みて語らん、此の懈怠の比丘を捉えよ、此の処は、応に懈怠すべからざるに、何を以っての故にか、爾ると』、と。 |
是の、
『比丘』は、
『驚き!』、
『怖れて!』、
『坐』より、
『起つ!』と、
『内心』中に、
自ら、こう思惟した、――
『中夜』に、
是の、
『神』は、
復た、
『十頭』を、
『現すだろう!』、――
『口』中より、
『火』を、
『出しながら!』、
『牙』と、
『爪』とは、
『剣のようだ!』、
『眼』は、
『赤くて!』、
『炎のようだ!』。
そして、
『将官』と、
『従者』を、
『顧みて!』、
こう語るだろう、――
此の、
此の、
『処』は、
『懈怠すべきでない!』のに、
何故、
『懈怠したのだ?』と、と。
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将従(しょうじゅう):将官と従者。 |
参考:『法句譬喩経巻1』:『昔佛在羅閱祇耆闍崛山中。時城內有婬女人。名曰蓮華。姿容端正國中無雙。大臣子弟莫不尋敬。爾時蓮華善心自生。欲棄世事作比丘尼。即詣山中就到佛所。未至中道有流泉水。蓮華飲水澡手。自見面像容色紅輝頭髮紺青。形貌方正挺特無比。心自悔曰。人生於世形體如此。云何自棄行作沙門。且當順時快我私情。念已便還。佛知蓮華應當化度。化作一婦人端正絕世。復勝蓮華數千萬倍尋路逆來。蓮華見之心甚愛敬。即問化人從何所來。夫主兒子父兄中外皆在何許。云何獨行而無將從。化人答言從城中來欲還歸家。雖不相識寧可共還。到泉水上坐息共語不。蓮華言善。二人相將還到水上。陳意委曲。化人睡來枕蓮華膝眠。須臾之頃忽然命絕。[月*逢]脹臭爛腹潰蟲出。齒落髮墮肢體解散。蓮華見之心大驚怖。云何好人忽便無常。此人尚爾我豈久存。故當詣佛精進學道。即至佛所五體投地。作禮已訖具以所見向佛說之。佛告蓮華。人有四事不可恃怙。何謂為四。一者少壯會當歸老。二者強健會當歸死。三者六親聚歡娛樂會當別離。四者財寶積聚要當分散。於是世尊即說偈言 老則色衰 所病自壞 形敗腐朽 命終其然 是身何用 洹漏臭處 為病所困 有老死患 嗜欲自恣 非法是增 不見聞變 壽命無常 非有子恃 亦非父兄 為死所迫 無親可怙 蓮華聞法欣然解釋。觀身如化命不久停。唯有道德泥洹永安。即前白佛願為比丘尼。佛言善哉頭髮自墮。即成比丘尼。思惟止觀即得羅漢。諸在坐者聞佛所說莫不歡喜』 |
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是比丘大怖即起思惟。專精念法得阿羅漢道。是名自強精進不放逸力能得道果。 |
是の比丘の大怖して即ち起ちて思惟し、専精して法を念じ、阿羅漢道を得たり。是れを自ら強いて精進し、不放逸の力もて、能く道果を得と名づく。 |
是の、
『比丘』は、
大いに、
『怖れて!』、
即座に、
『起きる!』と、
『思惟し!』、
『専精して!』、
『法』を、
『念じた!』ので、
『阿羅漢』という、
『道』を、
『得た!』。
是れを、
こう称するのである、――
自ら、
『強いて!』、
『精進すれば!』、
『不放逸の力』で、
『道の果』を、
『得ることができる!』と。
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復次是精進不自惜身而惜果報。於身四儀坐臥行住常懃精進。寧自失身不廢道業。譬如失火以瓶水投之。唯存滅火而不惜瓶。 |
復た次ぎに、是の精進は、自ら身を惜まずして、果報を惜む。身の四義なる坐臥行住に於いて、常に懃めて精進し、寧ろ自ら身を失うとも、道業を廃せざること、譬えば、火を失するに、瓶水を以って之に投じ、但だ火を滅することに存して、瓶を惜まざるが如し。 |
復た次ぎに、
是の、
『精進』とは、
自ら、
『身』を、
『惜まない!』が、
而し、
『果報』は、
『惜むのである!』。
『身』の、
『四威儀である!』、
『坐、臥、行、住』に於いて、
寧ろ、
『身』を、
『失った!』としても、
『道の業』を、
『廃止しないのである!』。
譬えば、
『失火』には、
『瓶』の、
『水』を、
『投じることになる!』が、
唯だ、
『火』が、
『消える!』ことのみを、
『心配して!』、
『瓶』を、
『惜まない!』のと、
『同じである!』。
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存(そん):本義:生存;存在[ live, exist ]/慰労,慰問[ comfort, console, soothe]/訪問,問候[ visit,
express regards and concern for]/撫育,保護[foster, nurture, protect]/思念;懷念[
miss ]/関心, 関懐[ concern ]/儲存,保存,保全[store, preserve] |
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如仙人師教弟子說偈言
決定心悅豫 如獲大果報
如願事得時 乃知此最妙 |
仙人師の弟子を教えて、偈を説いて言うが如し、
心を決定して悦予すること、大果報を獲るが如くせば、
願事の如く得る時にして、乃ち此の最妙なるを知らん。
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例えば、
『仙人の師』は、
『弟子』に、
『教える!』時、
『偈』を、
『説いて!』、こう言う、――
『心』を、
『決定したら!』、
『大果報』を、
『得たように!』、
『悦楽せよ!』、
『願い事』が、
『叶った!』時、
ようやく、
此れが、
『最妙であった!』と、
『知ることだろう!』、と。
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悦予(えつよ):悦び楽しむ。悦楽。 |
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如是種種因緣。觀精進之利。能令精進增益。 |
是の如き種種の因縁に、精進の利を観て、能く精進をして増益せしむ。 |
是のように、
種種の、
『因縁』に、
『精進の利』を、
『観察して!』、
『精進』を、
『増益させるのである!』。
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復次菩薩修諸苦行。若有人來求索頭目髓腦盡能與之。而自念言。我有忍辱精進智慧方便之力受之尚苦。何況愚騃三塗眾生。我當為此眾生故。懃修精進早成佛道而度脫之
大智度論卷第十五 |
復た次ぎに、菩薩は、諸の苦行を修するに、若し有る人来たりて、頭目、髄脳を求索せば、尽く能く之を与え、而も自ら念じて言わく、『我れに、忍辱、精進、智慧、方便の力有れども、之を受くれば、尚お苦なり。何に況んや、愚騃なる三塗の衆生をや。我れは当に、此の衆生の為の故に、懃修精進して、早かに仏道を成じ、之を度脱すべし』、と。
大智度論巻第十五 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
諸の、
『苦行』を、
『修める!』が、
若し、
有る、
『人』が来て、
『頭、目』や、
『髄、脳』を、
『求索すれば!』、
『尽く!』を、
『与えることができ!』、
而も、
自ら、
『念じて!』、こう言うだろう、――
わたしには、
『忍辱』や、
『精進』や、
『智慧』や、
『方便』の、
『力』が、
『有る!』が、
此の、
『要求』を、
『受ければ!』、
やはり、
『苦しい!』、
況して、
『愚騃な!』、
『三塗の衆生』は、
『尚更であろう!』。
わたしは、
此の、
『衆生』の為に、
『懃修し!』、
『精進して!』、
早かに、
『仏』の、
『道』を、
『完成させ!』、
此の、
『衆生』を、
『度脱しなければならない!』、と。
大智度論巻第十五 |
愚騃(ぐがい):癡呆にして事理を知らざること。癡呆の人。 |
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