云何瞋惱人中而得忍辱。當自思惟。一切眾生有罪因緣更相侵害。我今受惱亦本行因緣。雖非今世所作。是我先世惡報。我今償之。應當甘受何可逆也。譬如負債。債主索之應當歡喜償債不可瞋也。 |
云何が瞋悩する人中に、忍辱を得る。当に自ら思惟すべし、『一切の衆生は、罪の因縁有りて、更に相侵害す。我れ、今、悩を受くるも、亦た本の行の因縁なり。今世の所作に非ずと雖も、是れ我が先世の悪報なれば、我れ、今、之を償い、応当に甘受すべし。何んぞ逆らうべけんや。譬えば負債ありて、債主之を索むるが如し。応当に歓喜して、債を償うべし、瞋るべからず』、と。 |
何のように、
『瞋悩する!』、
『人』中に於いて、
『忍辱』を、
『成就するのか?』、――
自ら、こう思惟すべきである、――
一切の、
『衆生』は、
『罪』の、
『因縁』が、
『有って!』、
更に、
『相互に!』、
『侵害している!』。
わたしが、
今、
亦た、
『本』の、
『行い!』の、
『因縁である!』。
『今世』に、
『作した!』、
『行いではない!』が、
是れは、
『先世』の、
『悪業』の、
『果報』を、
わたしが、
今、
『償うのであり!』、
『甘受すべきである!』、
何うして、
『逆らってよいものか?』。
譬えば、
『負債』を、
『債主』が、
『求める!』のと、
『同じように!』、
『歓喜して!』、
『債』を、
『償うべきであり!』、
『瞋ってはならないのである!』。
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復次行者常行慈心。雖有惱亂逼身必能忍受。 |
復た次ぎに、行者は、常に慈心を行ずれば、悩乱する有りて、身に逼ると雖も、必ず、能く忍受す。 |
復た次ぎに、
『行者』は、
常に、
『慈心』を、
『行っている!』ので、
有る、
『悩乱する!』者が、
『身』に、
『逼った!』としても、
必ず、
『忍んで!』、
『受けることができる!』。
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譬如羼提仙人。在大林中修忍行慈。時迦利王將諸婇女入林遊戲。飲食既訖王小睡息。諸婇女輩遊花林間。見此仙人加敬禮拜在一面立。 |
譬えば羼提仙人の如し、大林中に在りて、忍を修め、慈を行ぜり。時に迦利王、諸の婇女を将いて林に入り、遊戯す。飲食既に訖(おわ)れば、王、小(しばら)く睡息するに、諸の婇女の輩、花林の間に遊びて、此の仙人を見、敬を加え、礼拜して、一面に在りて立つ。 |
譬えば、
『羼提仙人』は、こうであった、――
その時、
『迦利王』は、
諸の、
『婇女( 宮女)』を、
『将(ひき)い!』、
『林』中に、
『入って!』、
『遊び!』、
『戲れていた!』が、
『飲食』が、
『訖( おわ)る!』と、
小( しばら)く、
『睡眠して!』、
『休息した!』。
諸の、
『婇女の輩』は、
『花林の間』に、
此の、
『仙人』を、
『見る!』と、
『敬い!』を、
『加え!』、
『礼拜して!』、
『一面』に、
『立った!』。
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羼提仙人(せんだいせんにん):また忍辱仙と称す。
忍辱仙(にんにくせん):梵語 kSaanti- vaadi- RSi の訳。また羼提波梨 kSaanti- paala 、羼提和 kSaanti-
vaadin に作り、説忍、又は忍語と訳し、一にクンダカクマーラ kuNDaka- kumaara とも称す。釈尊因位に菩薩行を修せられし時の名。「賢愚経巻2羼提波梨品」に依るに、過去久遠劫の時、波羅㮈国に王あり、迦梨kaaliと名づく。時に一大仙人あり、羼提波梨と名づけ、五百の弟子と共に山林に在りて忍辱の行を修す。一日王は四大臣及び夫人婇女等を従えて山林に遊観し、疲極まりて睡息す。時に婇女等花林を観んと欲して遊行し、適ま羼提波梨が端坐思惟するを見、敬心を生じて衆花を其の上に散じ、前に坐して法を聴く、王覚めて之を知り、婇女等に戯れしかを疑い、怒りて仙人を責め、何事を修するかを問うに、忍辱を行ずと答えたるに依り、王は之を試みんと欲し、即ち剣を抜きて其の手脚耳鼻を裁断す。然るに仙人顔色変ぜず、猶お自ら辱を忍ぶと称す。王大いに驚きて曰わく、汝辱を忍ぶと云うも、何を以って之を証するやと。時に仙人答えて曰わく、我が至誠虚ならずんば、血当に変じて乳と為り、身当に還復すべしと。言い訖るに果たして其の身平復すること故の如し。時に仙人又王に告げて曰わく、汝は女色の故に刀を以って我が形を截つ、我れ後成仏せば、当に慧刀を以って汝の三毒を断つべしと。王乃ち懺悔し、後常に仙人を宮に請じて供養す。爾の時の仙人羼提波梨は今の釈尊、迦梨王及び四大臣は憍陳那等の五比丘なりと云えるこれなり。此の説話は有名にして、「巴梨文本生
khantivaadi- jaataka 」、「中本起経巻上転法輪品」、「出曜経巻23泥洹品」、「六度集経巻5」、「金剛般若波羅蜜経」、「鞞婆沙論巻9」、「大智度論巻14」等にも亦た皆之を出せり。但し巴梨文本生及び出曜経には王名を迦藍浮
kalaabu となし、また「大方便仏報恩経巻3論議品」には、過去毘婆尸仏像法の世に波羅㮈国大王の子に忍辱太子あり、性善にして瞋らざるが故に忍辱と名づく。一時王の病篤き時、大臣等姧計を設けて太子を除かんと欲し、不瞋の人の眼睛を得ば王の病を治すべしと称し、乃ち太子の骨を断じ髄を出し、其の両目を剜れることを記し、其の時の太子は即ち今の釈尊なりと云えり。これ亦た忍辱本生の別種の説話なりというべし。また「菩薩本行経巻下」、「僧伽羅刹所集経巻上」、「父子合集経巻5」、「大智度論巻26」等に出づ。<(望)
迦利王(かりおう):また歌利王と称す。
歌利王(かりおう):歌利 kaali は梵名。また哥利、迦利、迦梨、羯利に作り、或は kaliGga (迦陵伽、羯陵伽)、又は迦藍浮とも云う。闘諍、悪世、悪生、又は悪世無道と訳す。本生譚中に現るる王の名。「六度集経巻5」に、釈尊過去世に忍辱仙たりし時、此の王悪逆無道にして女色の事より仙人の肢体を割截したりと云えるものこれなり。その説話は菩薩の忍辱行満の例として有名なり。また「賢愚経巻2」、「出曜経巻23」、「金剛般若波羅蜜経」、「鞞婆沙論巻9」、「大智度論巻12、巻14」、「大唐西域記巻3」、「玄応音義巻1、巻3、巻21」、「慧琳音義巻10」等に出づ。
加敬(かきょう):敬いの動作を施す |
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仙人爾時為諸婇女讚說慈忍。其言美妙聽者無厭。久而不去。 |
仙人は、爾の時、諸の婇女の為に、讃じて慈と忍とを説く。其の言、微妙にして、聴く者に厭くこと無く、久しくしても、去らず。 |
『仙人』は、
爾の時、
諸の、
『婇女』の為に、
『慈』と、
『忍』とを、
『讃じて!』、
『説いた!』。
其の、
『言( ことば)』は、
『微妙で!』、
『聴く!』者には、
『厭きる!』ということが、
『無く!』、
『久しくしても!』、
誰も、
『去らなかった!』。
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迦利王覺不見婇女拔劍追蹤。見在仙人前立。憍妒隆盛。瞋目奮劍而問仙人。汝作何物。仙人答言。我今在此修忍行慈。 |
迦利王は覚めて、婇女の見えざるに、剣を抜いて蹤(あしあと)を追い、仙人の前に在りて立つを見る。憍妒隆盛すれば、目を瞋らせ、剣を奮いて、仙人に問わく、『汝は、何物をか、作せる』、と。仙人の答えて言わく、『我れは、今、此に在りて、忍を修め、慈を行ぜり』、と。 |
『迦利王』は、
『覚めた!』が、
『婇女』が、
『見えない!』ので、
『剣』を、
『抜いて!』、
『蹤(あしあと)』を、
『追ってゆく!』と、
『仙人の前』に、
『立っている!』のが、
『見えた!』。
『憍慢』と、
『嫉妒』が、
『むくむくと起り!』、
『目を瞋らせ!』、
『剣を奮って!』、
『仙人』に、こう問うた、――
お前は、
何のような、
『事』を、
『作していたのか?』、と。
『仙人』は答えて、こう言った、――
わたしは、
今、
此処で、
『忍』と、
『慈』とを、
『修行していた!』、と。
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物(もつ):万物/物品/産物/仕事/事情/他人/神霊( object, article, product, thing, affair, the
others, deities)。 |
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王言。我今試汝。當以利劍截汝耳鼻斬汝手足。若不瞋者知汝修忍。仙人言任意。王即拔劍截其耳鼻斬其手足。而問之言。汝心動不。答言。我修慈忍心不動也。 |
王の言わく、『我れ、今、汝を試さん。当に利剣を以って、汝が耳鼻を截(き)り、汝が手足を斬(き)るべし。若し瞋らずんば、汝が忍を修むるを知らん』、と。仙人の言わく、『意に任す』、と。王は、即ち剣を抜いて、其の耳鼻を截り、其の手足を斬りて、之に問うて言わく、『汝が心は動くや、不や』、と。答えて言わく、『我れ慈、忍を修むれば、心動かざるなり』、と。 |
『王』は、こう言った、――
わたしは、
今、
お前を、
若し、
『瞋らなければ!』、
お前が、
『忍』を、
『修めている!』と、
『知るだろう!』、と。
『仙人』は、こう言った、――
『王』は、
すぐに、
『仙人』に、
問うて、こう言った、――
お前の、
『心』は、
『動いたか?』、
『動かなかったか?』、と。
答えて、こう言った、――
わたしは、
『慈』と、
『忍』とを、
『修めている!』ので、
『心』が、
『動くことはない!』、と。
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王言。汝一身在此無有勢力。雖口言不動誰當信者。是時仙人即作誓言。若我實修慈忍血當為乳。即時血變為乳。王大驚喜。將諸婇女而去。 |
王の言わく、『汝が、一身は、此に在りては、勢力有ること無し。口に動かずと言うと雖も、誰か当に信ずべき者なる』、と。是の時、仙人の、即ち誓を作して言わく、『若し我れ、実に慈、忍を修むれば、血は当に乳と為るべし』、と。即時に、血は変じて乳と為るに、王は大に驚喜して、諸の婇女を将いて去る。 |
『王』は、こう言った、――
お前の、
『一身』は、
『口では!』、
『動かない!』と、
『言っている!』が、
誰が、
『信じるものか?』、と。
『仙人』は、
是の時、
『誓い!』を、
『作して!』、
こう言うと、――
若し、
わたしが、
『慈』と、
『忍』とを、
『実』に、
『修めていたならば!』、
『血』が、
『乳』に、
『変るだろう!』と、
即時に、
『王』は、
大いに、
『驚き!』、
『喜びながら!』、
諸の、
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是時林中龍神為此仙人雷電霹靂。王被毒害沒不還宮。以是故言於惱亂中能行忍辱。 |
是の時、林中の龍神は、此の仙人の為に、雷電、霹靂す。王は、毒害を被りて没し、宮に還らず。是を以っての故に言わく、『悩乱中に於いて、能く忍辱を行ず』、と。 |
是の時、
『林』中の、
『龍神』が、
此の、
『仙人』の為に、
『雷鳴を鳴らし!』、
『稲妻を光らせた!』ので、
『王』は、
『毒』を、
『被(こうむ)って!』、
『殺され!』、
『死んで!』、
『宮』に、
『還ることはなかった!』。
是の故に、こう言う、――
『悩乱される!』中にも、
『忍辱』を、
『行うことができる!』、と。
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雷電(らいでん):雷鳴と稲光( thunder and lightning )。
霹靂(ひゃくりゃく):落雷( thunderbolt, thunderclap )。 |
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復次菩薩修行悲心。一切眾生常有眾苦。處胎迫隘受諸苦痛。生時迫迮骨肉如破。冷風觸身甚於劍戟。是故佛言。一切苦中生苦最重。 |
復た次ぎに、菩薩は、悲心を修行するは、一切の衆生は常に衆苦有ればなり。胎に処すれば迫隘して、諸の苦痛を受け、生時には、迫迮して骨肉破るるが如く、冷風身に触るれば、剣戟よりも甚だし。是の故に仏の言わく、『一切の苦中に、生苦最も重し』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』が、
『悲心』を、
『修行する!』のは、
一切の、
『衆生』には、
『処胎の時』には、
『生時』には、
『圧搾されて!』、
『冷風』が、
『身』に、
『触れる!』、
『苦痛』は、
『剣戟よりも!』、
『甚だしい!』。
是の故に、
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迫隘(ひゃくえ):窮屈にさせられる( be narrowed )。
迫迮(ひゃくさく):圧搾される( be pressed )。
剣戟(けんげき):つるぎとほこ。
困厄(こんやく):困難。苦難。
生苦(しょうく):生時の苦痛( suffering of being born )、梵語 jaati- duHkha の訳。四苦の一(One of
the four kinds of suffering )。 |
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如是老病死苦種種困厄。云何行人復加其苦。是為瘡中復加刀破。 |
是の如く老、病、死苦、種種に困厄あり、云何が、行人にして、復た其れに苦を加えんや。是れを瘡中に、復た刀を加えて破ると為す。 |
是のように、
『衆生』には、
『行人』が、
何故、
是れでは、
『瘡』中に、
復た、
『刀』を、
『加えて!』、
『破るようなものである!』。
|
困厄(こんやく):苦悩[させられる]( distress, be distressed )、梵語 aabaadha, aabaadhika の訳、押し寄せる(
press towards )、虐待/困惑させる( molestation, trouble )、苦痛/苦悩( pain, distress
)、苦悩させられる/痛めつけられる( distressed, tormented )の義。 |
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復次菩薩自念。我不應如諸餘人常隨生死水流。我當逆流以求盡源入泥洹道。一切凡人侵至則瞋。益至則喜。怖處則畏。我為菩薩不可如彼。雖未斷結當自抑制修行忍辱惱害不瞋敬養不喜。眾苦艱難不應怖畏。當為眾生興大悲心。 |
復た次ぎに、菩薩の自ら念ずらく、『我れは、応に諸余の人の如く、常に生死の水に随うて、流るべからず。我れは、当に流に逆らいて、以って源を求尽し、泥洹の道に入るべし。一切の凡人は、侵至れば則ち瞋り、益至れば則ち喜び、怖処には則ち畏る。我れは菩薩為れば、彼れの如くなるべからず。未だ結を断ぜずと雖も、当に自ら抑制し、忍辱を修行して、悩害を瞋らず、敬養を喜ばず、衆苦、艱難は、応に怖畏すべからず。当に衆生の為に大悲心を興すべし』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
自ら、こう念じる、――
わたしは、
諸の、
『余人』と、
『同じように!』、
常に、
『生死の水』に、
『随って!』、
『流れていてはいけない!』。
わたしは、
『流れ!』に、
『逆らい!』、
『生死の源』を、
『求め!』、
『尽くして!』、
『泥洹( 涅槃)』の、
『道』に、
『入るべきだ!』。
一切の、
『凡人』は、
『侵害』を、
『受ければ!』、
『瞋り!』、
『利益』を、
『受ければ!』、
『喜び!』、
『怖ろしい!』、
『処では!』、
『畏れる!』が、
わたしは、
『菩薩』として、
『彼れと!』、
『同じであってはならない!』、
未だ、
『結』を、
『断じていない!』が、
自ら、
『抑制して!』、
『忍辱』を、
『修行し!』、
『悩まされても!』、
『害されても!』、
『瞋らず!』、
『恭敬』や、
『供養』を、
『喜ばないようにすべきだ!』。
『衆苦』や、
『艱難』を、
『怖畏してはならず!』、
『衆生』の為に、
『大悲心』を、
『興さなくてはならない!』、と。
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復次菩薩若見眾生來為惱亂。當自念言。是為我之親厚亦是我師。益加親愛敬心待之。 |
復た次ぎに、菩薩は、若し衆生来たりて、悩乱を為さんとするを見れば、当に自ら念じて言うべし、『是れは、我が為の親厚なり、亦た是れ我が師なり。益々親愛を加え、敬心もて之を待たん』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
若し、
『衆生』が、
『来て!』、
『悩乱しようとする!』のを、
『見たならば!』、
自ら念じて、こう言わなくてはならない、――
是れに、
『わたし!』は、
『親愛され!』、
『厚遇されるのだ!』、
亦た、
益々、
之に、
『親愛』を、
『加えて!』、
『敬心』で、
『待つことにしよう!』、と。
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何以故。彼若不加眾惱惱我則我不成忍辱。以是故言。是我親厚亦是我師。 |
何を以っての故に、彼れ、若し衆悩を加えて、我れを悩さざれば、則ち我れは、忍辱を成ぜざればなり。是を以っての故に言わく、『是れ我が親厚にして、亦た我が師なり』、と。 |
何故ならば、
彼れが、
若し、
『衆悩』を、
『加えて!』、
『わたし!』を、
『悩まさなければ!』、
『わたし!』の、
『忍辱』が、
『成就しないからである!』。
是の故に、こう言う、――
是れは、
わたしを、
『親愛し!』、
『厚遇している!』し、
亦た、
『わたし!』の、
『師でもある!』、と。
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復次菩薩心知如佛所說。眾生無始世界無際。往來五道輪轉無量。我亦曾為眾生父母兄弟。眾生亦皆曾為我父母兄弟。當來亦爾。以是推之不應惡心而懷瞋害。 |
復た次ぎに、菩薩の心に、仏の所説の如きを知る、『衆生は無始なり、世界は無際なり、五道に往来して輪転すること無量なり。我れも亦た曽て、衆生の父母、兄弟と為れり。衆生も亦た、皆曽て我が父母、兄弟と為れり。当来も、亦た爾るべし。是を以って之を推すに、応に悪心にして、瞋害を懐くべからず』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『心』に、
『仏』の、
『説かれたように!』、知る、――
『衆生』は、
『無始であり!』、
『世界』は、
『無際であり!』、
『五道』に、
『往来して!』、
『輪転する!』ことも、
『無量である!』。
わたしも、
曽て、
『衆生』の、
『父母』や、
『兄弟であった!』し、
『衆生』も、
『未来』も、
亦た、
『爾うであろう!』。
是れを、
推せば、――
『衆生』が、
『悪心』で、
『瞋害』を、
『懐くはずがない!』、と。
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復次思惟。眾生之中佛種甚多。若我瞋意向之則為瞋佛。若我瞋佛則為已了。如說鴿鳥當得作佛。今雖是鳥不可輕也。 |
復た次ぎに、思惟すらく、『衆生の中に、仏種は甚だ多し。若し我れ、瞋意もて、之に向かえば、則ち仏を瞋ると為す。若し我れ、仏を瞋らば、則ち已に了(おわ)れりと為す。『鴿鳥、当に仏と作るを得べし』と説くが如く、今は、是れ鳥なりと雖も、軽んずべからず。』、と。 |
復た次ぎに、
こう思惟する、――
『衆生』中には、
『仏』の、
『種』が、
『甚だ多い!』。
若し、
わたしの、
『瞋意』が、
之に、
『向かえば!』、
則ち、
『仏』を、
『瞋ることになる!』。
若し、
わたしが、
『仏』を、
『瞋ったならば!』、
則ち、
わたしは、
『もう終りだ!』。
譬えば、
こう説かれている、――
『鴿鳥( はと)ですら!』、
『仏』に、
『作ることができるだろう!』、と。
今、
是れが、
『鳥であった!』としても、
『軽んずべきではないのだ!』、と。
|
鴿鳥(こうちょう):鳩の類。いえはと。やまはと。 |
参考:『大智度論巻11』:『佛告舍利弗。此鴿除諸聲聞辟支佛所知齊限。復於恒河沙等大劫中常作鴿身。罪訖得出。輪轉五道中後得為人。經五百世中乃得利根。是時有佛度無量阿僧祇眾生。然後入無餘涅槃。遺法在世是人作五戒優婆塞。從比丘聞讚佛功德。於是初發心願欲作佛。然後於三阿僧祇劫。行六波羅蜜。十地具足得作佛。度無量眾生已而入無餘涅槃。』 |
|
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復次諸煩惱中瞋為最重。不善報中瞋報最大。餘結無此重罪。 |
復た次ぎに、諸の煩悩中には、瞋最重なり、不善報中には、瞋報最も大なり、余の結には、此の重罪無しと為す。 |
復た次ぎに、
諸の、
『煩悩』中には、
『瞋』が、
『最も重く!』、
『不善の報』中には、
『瞋の報』が、
『最も大きい!』が、
他の、
『結』には、
此のような、
『重罪』は、
『無い!』。
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如釋提婆那民問佛。偈言
何物殺安隱 何物殺不悔
何物毒之根 吞滅一切善
何物殺而讚 何物殺無憂 |
釈提婆那民の仏に問うて、偈に言うが如し、
何なる物をか、殺して安隠なる、
何なる物をか、殺して悔いざる、
何なる物か、毒の根にして、一切の善を呑滅する、
何なる物をか、殺して而も讃うる、
何なる物をか、殺して憂無き。
|
例えば、
『釈提婆那民』は、
『仏』に問うて、
『偈』で、こう言った、――
何のような、
『物ですか?』、
『殺しても!』、
『安隠なのは!』。
何のような、
『物ですか?』、
『殺しても!』、
『悔いないのは!』。
何のような、
『物ですか!』、
『毒』の、
『根であり!』、
一切の、
『善』を、
『呑滅するのは!』。
何のような、
『物ですか?』、
『殺しても!』、
『讃えられるのは!』。
何のような、
『物ですか?』、
『殺しても!』、
『憂が無いのは!』。
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釈提婆那民(しゃくだいばなみん):梵名 zakradevaanaam- indra 、また釈提桓因等に作り、略して帝釈と称す。三十三天の主。『大智度論巻3(上)注:釈提桓因』参照。
呑滅(どんめつ):丸呑みせるが如く滅し尽くす。 |
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佛答偈言
殺瞋心安隱 殺瞋心不悔
瞋為毒之根 瞋滅一切善
殺瞋諸佛讚 殺瞋則無憂 |
仏の答えて偈に言わく、――
瞋心を殺せば、心安隠なり、
瞋心を殺せば、心に悔いず、
瞋を、毒の根と為す、
瞋は、一切の善を滅す、
瞋を殺せば、諸仏に讃ぜらる、
瞋を殺せば、則ち無憂なり。
|
『仏』は、
『偈』に答えて、こう言われた、――
『瞋』を、
『瞋』を、
『瞋』は、
『毒』の、
『根である!』。
『瞋』は、
『瞋』を、
『瞋』を、
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菩薩思惟。我今行悲。欲令眾生得樂。瞋為吞滅諸善毒害一切。我當云何行此重罪。若有瞋恚自失樂利。云何能令眾生得樂。 |
菩薩の思惟すらく、『我れは、今、悲を行じて、衆生をして、楽を得しめんと欲す。瞋は、諸善を呑滅し、一切を毒害すと為す。我れは、当に云何が、此の重罪を行ずべし。若し瞋恚有らば、自ら楽の利を失わん。云何が能く、衆生をして、楽を得しめん』、と。 |
『菩薩』は、
こう思惟する、――
わたしは、
今、
『悲』を、
『行って!』、
『衆生』に、
『楽』を、
『得させようとしている!』が、
『瞋』は、
諸の、
『善』を、
『呑滅して!』、
一切を、
『毒害するものだ!』。
わたしが、
若し、
『瞋恚』が、
『有れば!』、
『衆生』に、
何うして、
『楽』を、
『得させられよう?』、と。
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復次諸佛菩薩以大悲為本。從悲而出瞋為滅悲之毒。特不相宜。若壞悲本何名菩薩。菩薩從何而出。以是之故應修忍辱。 |
復た次ぎに、諸仏、菩薩は、大悲を以って本と為す。悲より、瞋を出せば、悲を滅する毒と為し、特に相宜しからず。若し悲の本を壊せば、何んぞ菩薩と名づけ、菩薩は、何より出でん。是の故を以って、応に忍辱を修すべし。 |
復た次ぎに、
諸の、
若し、
『悲』より、
『瞋』を、
『出せば!』、
『瞋』は、
『悲』を、
『滅する!』、
『毒である!』から、
特に、
『宜しくない!』。
若し、
『悲』という、
『本』を、
『壊せば!』、
何を、
『菩薩』と、
『呼べばよいのか?』、
何から、
『菩薩』が、
『出るのか?』。
是の故に、
当然、
『忍辱』を、
『修めなくてはならないのである!』。
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若眾生加諸瞋惱當念其功德。今此眾生雖有一罪。更自別有諸妙功德。以其功德故不應瞋。 |
若し、衆生、諸の瞋悩を加うれば、当に其の功徳を念ずべし。今、此の衆生に、一罪有りと雖も、更に自ら別に、諸の妙功徳有り、其の功徳を以っての故に、応に瞋るべからず。 |
若し、
『衆生』が、
諸の、
『瞋悩』を、
『加えた!』としても、
其の、
『功徳』を、こう念じなくてはならない、――
今、
更に、
別に、
自ら、
諸の、
『妙功徳』が、
『有る!』ので、
其の、
『功徳』の故に、
『瞋るべきではない!』、と。
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復次此人若罵若打是為治我。譬如金師煉金垢隨火去真金獨在。此亦如是。若我有罪是從先世因緣。今當償之不應瞋也。當修忍辱。 |
復た次ぎに、此の人、若しは罵り、若しは打てば、是れを我れを治すると為す。譬えば金師、金を煉(ね)れば、垢は火に随うて去り、真金のみ、独り在るが如し。此れも亦た是の如し。若し、我れに罪有れば、是れ先世の因縁によれば、今、当に之を償うべく、応に瞋るべからず、当に忍辱を修すべし。 |
復た次ぎに、
此の、
『人』が、
若し、
『罵ったり!』、
『打ったり!』すれば、
是れは、
わたしを、
『治しているのである!』。
譬えば、
『金師』が、
『金』を、
『練れば!』、
『垢』は、
『火に随って!』、
『去り!』、
『真』の、
『金』のみが、
『残るように!』、
此れも、
亦た、
同じなのである。
若し、
わたしに、
『罪』が、
『有れば!』、
是れは、
『先世』の、
『因縁による!』、
『罪である!』、
今は、
『償うべきであり!』、
『瞋るべきではない!』、
当然、
『忍辱』を、
『修めるべきだ!』。
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復次菩薩慈念眾生猶如赤子。閻浮提人多諸憂愁少有歡日。若來罵詈或加讒賊。心得歡樂此樂難得恣汝罵之。何以故。我本發心欲令眾生得歡喜故。 |
復た次ぎに、菩薩は、衆生を慈念ずること、猶お赤子の如し。閻浮提の人には、諸の憂愁多く、歓(よろこび)有る日少なし。若しは来たりて罵詈し、或いは讒賊を加えて、心に歓楽を得ん、此の楽は、得難し、恣(ほしいまま)に、汝之を罵れ。何を以っての故に、我れ本、発心せしは、衆生をして、歓喜を得しめんと欲するが故なればなり。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
『閻浮提の人』は、
諸の、
『憂愁』が、
『多く!』、
『歓び!』の、
『有る日』は、
『少ない!』。
若し、
『来て!』、
『罵詈しよう!』と、
『讒賊を施そう!』と、
『心』に、
『歓楽』を、
『得るならば!』、
此の、
『楽』は、
『得難い!』。
お前は、
『恣(ほしいまま)に!』、
『罵れ!』。
何故ならば、
わたしが、
本、
『心』を、
『発(おこ)した!』のは、
『衆生』に、
『歓楽を得させたい!』と、
『思ったからなのだ!』。
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讒賊(ざんぞく):誹謗中傷して迫害する( slander, frame sb. up )。 |
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復次世間眾生常為眾病所惱。又為死賊。常隨伺之。譬如怨家恒伺人便。云何善人而不慈愍。復欲加苦苦未及彼先自受害。如是思惟不應瞋彼當修忍辱。 |
復た次ぎに、世間の衆生は、常に衆病の悩ます所と為り、又死賊常に、之に随って伺うと為す。譬えば、怨家の常に、人の便を伺うが如し。云何が、善人にして、而も慈愍せざる。復た苦を加えんと欲する。苦の未だ及ばざるに、彼れは先に自ら害を受けん。是の如く思惟すれば、応に彼れを瞋るべからず、当に忍辱を修すべし。 |
復た次ぎに、
『世間』の、
『衆生』は、
常に、
又、
『死』という、
『賊』が、
常に、
『附纏って!』、
『伺っている!』。
譬えば、
『怨家』が、
『人の機会』を、
恒に、
『伺っている!』のと、
『同じである!』。
何故、
『善人』が、
『慈愍せず!』に、
復た、
『苦』を、
『加えよう!』と、
『思うのか?』。
『苦』が、
彼れが、
是のように、
思惟すれば、――
当然、
『彼れを!』、
『瞋るべきでなく!』、
当然、
『忍辱』を、
『修めなくてはならないのである!』。
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便(べん):有利な機会( when it is convenient )。 |
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復次當觀瞋恚其咎最深。三毒之中無重此者。九十八使中此為最堅。諸心病中第一難治。 |
復た次ぎに、当に観ずべし、『瞋恚は、其の咎最も深く、三毒中には、此れより重き者無く、九十八使中には、此れを最も堅しと為し、諸の心病中には、第一に治し難し』、と。 |
復た次ぎに、
当然、こう観察すべきである、――
『瞋恚』は、
『三毒』中に、
『九十八使』中には、
『諸の心病』中には、
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九十八使(くじゅうはっし):また九十八随眠と称す。煩悩を、見道にて断つべき八十八の見惑、修道にて断つべき十の修惑に分類せしものなり。即ち、見惑に就いては、欲界の苦諦に関して、貪、瞋、癡、慢、疑、身見、辺見、邪見、見取見、戒禁取見。欲界の集諦、滅諦に関して、貪、瞋、癡、慢、疑、邪見、見取見。欲界の道諦に関して、貪、瞋、癡、慢、疑、邪見、見取見、戒禁取見。色界の苦諦に関して、貪、癡、慢、疑、身見、辺見、邪見、見取見、戒禁取見。色界の集諦、滅諦に関して、貪、癡、慢、疑、邪見、見取見。色界の道諦に関して、貪、癡、慢、疑、邪見、見取見、戒禁取見。無色界の苦諦に関して、貪、癡、慢、疑、身見、辺見、邪見、見取見、戒禁取見。無色界の集諦、滅諦に関して、貪、癡、慢、疑、邪見、見取見。無色界の道諦に関して、貪、癡、慢、疑、邪見、見取見、戒禁取見。修惑に就きて、欲界に、貪、瞋、癡、慢。色界に、貪、癡、慢。無色界に、貪、癡、慢。以上九十八の煩悩を云う。『大智度論巻7(上)注:九十八使』参照。 |
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瞋恚之人不知善不知非善。不觀罪福不知利害不自憶念。當墮惡道善言忘失。不惜名稱不知他惱。亦不自計身心疲惱。瞋覆慧眼專行惱他。如一五通仙人。以瞋恚故雖修淨行殺害一國如旃陀羅。 |
瞋恚の人は、善を知らず、非善を知らず、罪福を観ず、利害を知らず、自らを憶念せざれば、当に悪道に堕つべく、善言を忘失し、名称を惜まず、他の悩むを知らず、亦た自ら身心の疲悩を計らず、瞋、慧眼を覆えば、専ら他を悩ますことを行ず。一五通の仙人の如きは、瞋恚を以っての故に、浄行を修むと雖も、一国を殺害すること、旃陀羅の如し。 |
『瞋恚の人』は、
『善』も、
『非善』も、
『知らず!』、
『罪』も、
『福』も、
『観ず!』、
『利』も、
『害』も、
『知らず!』、
自らを、
『憶念しない!』ので、
『悪道』に、
『堕ちることになり!』、
『善い!』、
『言(ことば)』を、
『忘失し!』、
『名称( 名誉)』を、
『惜まず!』、
『他』が、
『悩む!』ことも、
『知らず!』、
自ら、
『身心』の、
『疲れ!』や、
『悩み!』を、
『計ることもなく!』、
『瞋』が、
『慧』の、
『眼』を、
『覆う!』ので、
専ら、
『他を悩ます!』ことのみを、
『行う!』。
例えば、
有る、
『五通の仙人』は、
『瞋恚』の故に、
『浄行』を、
『修めていた!』のに、
『旃陀羅のように!』、
『一国』を、
『殺害したのである!』。
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復次瞋恚之人。譬如虎狼難可共止。又如惡瘡易發易壞。 |
復た次ぎに、瞋恚の人は、譬えば虎狼の如く、共に止まるべきこと難し。又悪瘡の如く、発り易く、壊れ易し。 |
復た次ぎに、
『瞋恚の人』は、
譬えば、
又、
『悪瘡のように!』、
『発(おこ)りやすく!』、
『壊れやすい!』。
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瞋恚之人譬如毒蛇人不喜見。積瞋之人。惡心漸大至不可至。殺父殺君惡意向佛。 |
瞋恚の人は、譬えば毒蛇の如く、人は見るを喜ばず。瞋を積める人は、悪心漸く大となれば、至るべからざるに至り、父を殺し、君を殺し、悪意仏に向う。 |
『瞋恚の人』は、
『瞋を積む人』は、
『悪心』が、
次第に、
『大きくなり!』、
『至ってはならない!』ところまで、
『至る!』ので、
『父』や、
『君』を、
『殺し!』、
『悪意』を、
『仏にまで!』、
『向けるのである!』。
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如拘睒彌國比丘。以小因緣瞋心轉大分為二部。若欲斷當終竟三月猶不可了。佛來在眾舉相輪手遮而告言
汝諸比丘 勿起鬥諍
惡心相續 苦報甚重
汝求涅槃 棄捨世利
在善法中 云何瞋諍
世人忿諍 是猶可恕
出家之人 何可諍鬥
出家心中 懷毒自害
如冷雲中 火出燒身 |
拘睒弥国の比丘の如きは、小因縁を以って、瞋心転た大となり、分って二部を為す。若しは断を欲せんとするも、終(つい)に三月を竟(おわ)るに当って、猶お了(あき)らかにすべからず。仏、来たりて衆に在し、相輪の手を挙げて、遮りて告げて言わく、
汝諸の比丘よ、闘諍を起こす勿かれ、
悪心相続すれば、苦報は甚だ重し。
汝涅槃を求めて、世利を棄捨し、
善法中に在りて、云何が瞋諍する。
世人の忿諍するは、是れ猶お恕(ゆる)すべし、
出家の人が、云何が諍闘する。
出家の心中に、毒を懐けば自らを害す、
冷雲中に、火出づれば身を焼くが如し。
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例えば、
『拘睒弥国』の、
『比丘』は、
『小因縁』で、
『瞋心』が、
『どんどん!』、
『大きくなり!』、
『僧』が、
『二部』に、
『分かれて!』、
『是非』を、
『断じようとした!』が、
『三ヶ月』が、
『過ぎても!』、
まだ、
『決着できなかった!』。
『仏』は、
『来られる!』と、
『衆』中に於いて、
『千輻輪相』の、
『手』を、
『挙げて!』、
『諍論』を、
『遮られ!』、
『比丘』に告げて、こう言われた、――
お前たち、
諸の比丘よ!
若し、
『闘諍』を、
『起こして!』、
『悪心』が、
『相続すれば!』、
『苦報』は、
『甚だ!』、
『重いのだから!』。
お前たちは、
『涅槃』を、
『求めて!』、
『世利』を、
『捨てる!』という、
『善法』中に、
『在りながら!』、
何故、
『瞋恚して!』、
『闘諍するのか?』。
『世人』が、
『忿怒して!』、
『闘諍する!』のは、
『分らぬでもない!』が、
『出家人』が、
『出家人』が、
『心』中に、
『毒』を、
『懐けば!』、
自らを、
『害することになろう!』、
譬えば、
『冷たい!』、
『雲』中ですら、
『火』が、
『出れば!』、
『身』を、
『焼くのだから!』、と。
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拘睒彌国(くせんみこく):また憍賞弥国と称す。『大智度論巻14(下)注:憍賞弥国』参照。
憍賞弥国(きょうしょうみこく):梵名 kauzaambii 、また憍餉弥、憍閃毘、俱睒弥、俱舎弥、俱参毘、拘参毘耶、拘尸弥、拘睒弥、拘剡弥、拘睒鞞、拘睒尼、拘苦毘、苦舎弥、苦藍尼、鳩睒弥、拘深、句参等に作る。不静、不甚静、蔵有等と訳す。また婆蹉(梵名
vatsaa )、越蹉、拔沙、嚩蹉等の称あり。「大唐西域記巻5」に、其の国勢を敍して「周六千余里、国の大都城は周三十余里あり。土称沃壌にして地利豊植に、粳稲多く甘蔗茂り、気序暑熱、風俗剛猛なり。典藝を学ぶことを好み、福善を樹うることを崇ぶ。伽藍十余所、傾頓荒蕪し、僧徒三百余人ありて小乗教を学す。天祠五十余所あり、外道寔に多し」と云い、また其の城内には鄔陀衍那王所造の刻檀仏像、具史長者旧園、世親の唯識論を作りし故塼室、無著の顕揚聖教論を作りし故基、及び場外に如来経行の処、髪爪窣堵波、並びに迦奢布羅城の護法が外道を伏せし故伽藍等の存せしことを記せり。蓋し憍賞弥は古代印度の有名なる都市にして、ラーマーヤナ
raamaayaNa には、クシャ kuza 王の王子クシャムバハ kuzambha の建設せし所とし、「中阿含巻55持斎経」、「長阿含巻5闍尼沙経」、「仁王般若波羅蜜経巻下受持品」等には、之を十六大国の一に数え、「大般涅槃経巻中」には、六大都市の一となせり。また「雑阿含経巻25」、「摩訶摩耶経巻下」等に、曽て此の国の比丘、持律の阿羅漢修羅他
sorata を殺害せしより諍論起こり、遂に仏法の滅亡を招けりと云えり。また「増一阿含経巻24」、「法句譬喩経巻1、巻2」、「雑宝蔵経巻8」、「義足経巻上」、「大方等大集経巻56」、「五分律巻6」、「十誦律巻30」、「善見律毘婆沙巻13」、「有部毘奈耶巻42」、「大毘婆沙論巻183」、「高僧法顕伝」、「翻梵語巻8」、「慧琳音義巻15、巻26」、「翻訳名義集巻7」等に出づ。<(望) |
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諸比丘白佛言。佛為法王願小默然。是輩侵我不可不答。佛念是人不可度也。於眾僧中凌虛而去。入林樹間寂然三昧。 |
諸の比丘の仏に白して言さく、『仏は、法王為れば、願わくは小(しばら)く黙然したまえ。是の輩は我れを侵して、答えざるべからず』、と。仏の念じたまわく、『是の人は、度すべからざるなり』、と。衆僧中に於いて、凌虚して去り、林樹の間の寂然三昧に入りたまえり。 |
諸の、
『比丘』は、
『仏』に白して、こう言った、――
『仏』は、
『法王です!』が、
願わくは、
『小(しばら)く!』、
『黙っていてください!』。
是の、
『輩』は、
わたしを、
『侵した!』のですから、
『答えない訳にはいかないのです!』、と。
『仏』は、
こう念じられると、――
是の、
『人』は、
『度しようがない(済いようがない)!』、と。
『衆僧』中より、
『凌虚として(雲を凌いで)!』、
『去られ!』、
『林樹の間』の、
『寂然三昧』に、
『入られた!』。
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凌虚(りょうこ):虚空を凌駕する。 |
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瞋罪如是乃至不受佛語。以是之故應當除瞋修行忍辱。 |
瞋の罪は、是の如く乃至仏語を受けず。是の故を以って、応当に瞋を除きて、忍辱を修行すべし。 |
『瞋』の、
『罪』は、
是のように、
乃至、
『仏』の、
『語(ことば)』すら、
『受けない!』。
是の故に、
当然、
『瞋』を、
『除いて!』、
『忍辱』を、
『修行すべきである!』。
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復次能修忍辱慈悲易得。得慈悲者則至佛道。 |
復た次ぎに、能く忍辱を修すれば、慈悲を得易く、慈悲を得る者は、則ち仏道に至る。 |
復た次ぎに、
『忍辱』を、
『修めることができれば!』、
『慈悲』が、
『得易く!』、
『慈悲』を、
『得た!』者は、
『仏の道』を、
『極められる!』。
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問曰。忍辱法皆好。而有一事不可。小人輕慢謂為怖畏。以是之故不應皆忍。 |
問うて曰く、忍辱の法は、皆好もしくとも、一事の可(よ)からざる有り。小人は、軽慢して、謂いて怖畏と為す。是の故を以って、応に皆は忍ぶべからず。 |
問い、
『忍辱』という、
『法』は、
皆、
『好もしい!』が、
有る、
『一事』のみは、
『宜しくない!』。
何故ならば、
『小人』が、
『軽んじ!』、
『慢(あなど)って!』、
こう謂うからだ、――
『怖畏している!』、と。
是の故に、
当然、
『何もかも!』は、
『忍ぶべきでない!』。
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答曰。若以小人輕慢謂為怖畏。而欲不忍。不忍之罪甚於此也。 |
答えて曰く、若し、小人の軽慢して、謂いて怖畏と為すを以って、忍ばざらんと欲すれば、忍ばざる罪は、此れより甚だし。 |
答え、
若し、
『小人』が、
『軽んじ!』、
『慢って!』、
『怖畏している!』と、
『謂う!』が故に、
『忍びたくない!』と、
『思う!』ならば、
『忍ばない!』、
『罪』は、
『怖畏する!』、
『罪』よりも、
『重い!』。
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何以故。不忍之人賢聖善人之所輕賤。忍辱之人為小人所慢。二輕之中。寧為無智所慢。不為賢聖所賤。 |
何を以っての故に、不忍の人は、賢聖、善人の軽賎する所にして、忍辱の人は、小人の慢る所と為せばなり。二軽の中には、寧ろ無智の慢る所と為るべく、賢聖の賎しむ所と為らざれ。 |
何故ならば、
『忍ばない!』、
『人』は、
『賢聖』や、
『善人』に、
『軽んじられ!』、
『賎しまれる!』が、
『忍辱する!』、
『二種』の、
『軽蔑』中には、
寧ろ、
『無智』に、
『慢られるべきであり!』、
『賢聖』に、
『賎しまれてはならない!』。
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何以故。無智之人輕所不輕。賢聖之人賤所可賤。以是之故當修忍辱。 |
何を以っての故に、無智の人は、軽からざる所を軽んじ、賢聖の人は、賎しむべき所を賎しめば、是の故を以って、当に忍辱を修すべし。 |
何故ならば、
『無智の人』は、
『賢聖の人』は、
『賎しむべき!』、
『人』を、
『賎しめるからである!』。
是の故に、
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復次忍辱之人。雖不行布施禪定。而常得微妙功德生天上人中。後得佛道。何以故。心柔軟故。 |
復た次ぎに、忍辱の人は、布施、禅定を行ぜずと雖も、常に微妙の功徳を得、天上、人中に生じて、後に仏道を得。何を以っての故に、心柔軟なるが故なり。 |
復た次ぎに、
『忍辱の人』は、
『布施』や、
『禅定』を、
『行わなくても!』、
常に、
『微妙』の、
『功徳』を、
『得て!』、
『天上』や、
『人中』に、
『生れ!』、
後には、
『仏』の、
『道』を、
『得る!』。
何故ならば、
『心』が、
『柔軟だからである!』。
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復次菩薩思惟。若人今世惱我毀辱奪利。輕罵繫縛且當含忍。若我不忍。當墮地獄鐵垣熱地受無量苦。燒炙燔煮不可具說。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『若し人、今世に我れを悩まして、毀辱し、利を奪い、軽んじ罵って、繋縛すとも、且く当に含忍すべし。若し我れ忍ばざれば、当に地獄に堕つべくして、鉄の垣、熱き地に無量の苦を受け、焼き、炙り、燔りて、煮ること、具に説くべからず。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
若し、
『人』が、
今世に、
わたしを、
『侮辱し!』、
『利を奪い!』、
『軽んじて罵り!』、
『繋いで縛った!』としても、
且く( 尚お)、
『含忍(忍受)しなくてはならない!』。
若し、
わたしが、
『忍ばなければ!』、
『地獄』に、
『堕ちなくてはならない!』。
『鉄の城壁』や、
『赤熱の地』で、
『無量の苦』を、
『受け!』、
『焼かれ!』、
『炙られ!』、
『燔(あぶ)られ!』、
『煮られて!』、
とても、
『説けないほどだ!』、と。
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含忍(ごんにん):耐える/忍受すること( to bear, endure )。
炙(しゃ):あぶる( toast )。
燔(ぼん):あぶる(roast )。 |
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以是故知。小人無智雖輕而貴。不忍用威雖快而賤。是故菩薩應當忍辱。 |
是を以っての故に知る、『小人、無智は軽んずと雖も、貴し。忍ばずして、威を用うれば、快しと雖も、賎し。是の故に菩薩は、応当に忍辱すべし。 |
是の故に、
こう知る、――
『小人』や、
『無智』が、
『軽んじても!』、
『貴く!』、
『忍ばない!』で、
『威』を、
『用いれば!』、
『快くても!』、
『賎しい!』、と。
是の故に、
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復次菩薩思惟。我初發心誓為眾生治其心病。今此眾生為瞋恚結使所病。我當治之。云何而復以之自病應當忍辱。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『我れは初めて発心して誓えり、衆生の為に、其の心の病を治さんと。今、此の衆生は、瞋恚の結使の病む所と為る、我れは当に之を治すべし。云何が復た之を以って、自ら病まんや、応当に忍辱すべし』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
わたしは、
初めて、
『菩提心』を、
『起こした!』時、
こう誓った、――
『衆生』の為に、
『心の病』を、
『治そう!』、と。
今、
此の、
『衆生』は、
『瞋恚』という、
『結使』を、
『病んでいる!』、
わたしは、
之を、
『治さねばならない!』、
何故、
復た、
此の、
『病』を、
自ら、
『病むことがあろう?』。
当然、
『忍辱せばならぬ!』、と。
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譬如藥師療治眾病。若鬼狂病拔刀罵詈不識好醜。醫知鬼病但為治之而不瞋恚。菩薩若為眾生瞋惱罵詈。知其為瞋恚者煩惱所病狂心所使。方便治之無所嫌責亦復如是。 |
譬えば、薬師の、衆病を療治するに、若し鬼狂病にして、刀を抜き、罵詈して、好醜を識らざれば、医は、鬼病なるを知りて、但だ為に之を治すも、瞋恚せざるが如し。菩薩の、若し衆生に瞋悩し、罵詈せらるるも、其の、瞋恚する者は、煩悩の病む所にして、狂心の使う所と為すを知り、方便して之を治し、嫌責する所無きも、亦復た是の如し。 |
譬えば、
『薬師』が、
『多く!』の、
『病』を、
『療治する!』のに、
若し、
『鬼狂病』で、
『刀』を、
『抜いて!』、
『罵り!』、
『好、醜』を、
『識別しなかった!』としても、
『医師』は、
『鬼病だ!』と、
『知り!』、
但だ、
『治してやるだけ!』で
『瞋恚することはない!』が、
『菩薩』が、
若し、
『衆生』に、
『瞋恚され!』、
『罵られても!』、
其の、
『瞋恚する!』者は、
『煩悩』に、
『病んでおり!』、
『狂心』に、
『使われている!』と、
『知り!』、
『方便して!』、
之を、
『治すのみ!』で、
『嫌ったり!』、
『責めたりする!』所が、
『無い!』。
亦た、
是れも、
『同じ事なのである!』。
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復次菩薩育養一切愛之如子。若眾生瞋惱菩薩。菩薩愍之不瞋不責。 |
復た次ぎに、菩薩は、一切を育養して、之を愛すること子の如し。若し衆生、菩薩を瞋悩するも、菩薩は、之を愍れんで、瞋らず責めず。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
一切の、
『衆生』を、
『育て!』、
『養って!』、
『子のように!』、
『愛する!』。
若し、
『衆生』が、
『菩薩』を、
『瞋って!』、
『悩ませた!』としても、
『菩薩』は、
之を、
『愍れんで!』、
『瞋ることもなく!』、
『責めることもない!』。
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譬如慈父撫育子孫。子孫幼稚未有所識。或時罵詈打擲不敬不畏。其父愍其愚小愛之愈至。雖有過罪不瞋不恚。菩薩忍辱亦復如是。 |
譬えば、慈父の子孫を撫育するに、子孫幼稚にして、未だ識る所有らず、或いは時に罵詈し、打擲し、敬わず、畏れず。其の父は、其の愚小なるを愍れんで、之を愛すること愈(いよいよ)至り、過罪有りと雖も、瞋らず、恚らざるが如し。菩薩の忍辱も、亦復た是の如し。 |
譬えば、
『慈父』は、
『子孫』を、
『撫育する!』が、
『子孫』が、
或いは、
時に、
『父』を、
『罵ったり!』、
『打ったり!』、
『投げたり!』して、
『父』を、
『敬うこともなく!』、
『畏れることがなくても!』、
其の、
『父』は、
其の、
『愚かで!』、
『小さい!』のを、
『愍れんで!』、
愈( いよいよ)、
『愛』が、
『極まる!』ので、
『過罪』が、
『有った!』としても、
『瞋ることもなく!』、
『責めることもない!』。
『菩薩』が、
『忍辱する!』のも、
亦た、
『やっぱり!』、
『是の通りなのである!』。
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復次菩薩思惟。若眾生瞋惱加我我當忍辱。若我不忍今世心悔。後入地獄受苦無量。若在畜生。作毒龍惡蛇師子虎狼。若為餓鬼火從口出。譬如人被火燒。燒時痛輕後痛轉重。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『若し衆生、瞋悩を我れに加えんとも、我れは当に忍辱すべし。若し、我れ忍ばずんば、今世には心に悔い、後に地獄に入りて、苦を受くること無量ならん。若しは畜生に在りて、毒龍、悪蛇、師子、虎狼と作り、若しは餓鬼と為りて、火を口より出さん。譬えば、人の火を被りて焼かるるに、焼くる時には痛むこと軽く、後に痛むこと転た重きが如し』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
若し、
『衆生』が、
わたしに、
『瞋、悩』を、
『加えようとも!』、
わたしは、
『忍辱しなければならない!』。
若し、
わたしが、
『忍ばなければ!』、
今世には、
『心』に、
『悔い!』、
後世には、
『地獄』に、
『入って!』、
『受ける!』、
『苦』は、
『無量だろう!』。
若しは、
『畜生界』に於いて、
『毒龍、悪蛇、師子、虎狼』と、
『作る!』か、
若しは、
『餓鬼』と、
『為って!』、
『火』を、
『口』より、
『出すことだろう!』。
譬えば、
『人』が、
『火』に、
『焼かれる!』と、
『焼く!』時の、
『痛み!』は、
『軽い!』が、
後に、
『痛み!』が、
『次第に重くなる!』のと、
『同じことだ!』、と。
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復次菩薩思惟。我為菩薩欲為眾生益利。若我不能忍辱。不名菩薩名為惡人。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『我れ、菩薩と為るは、衆生の為に益利せんと欲すればなり。若し我れ、忍辱する能わずんば、菩薩と名づけず、名づけて悪人と為す』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
わたしが、
『菩薩』と、
『為った!』のは、
『衆生』の為に、
『利益しよう!』と、
『思ったからである!』。
若し、
わたしが、
『忍辱できなければ!』、
『菩薩』と、
『呼ばれずに!』、
『悪人』と、
『呼ばれるだろう!』、と。
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復次菩薩思惟。世有二種。一者眾生數。二者非眾生數。我初發心誓為一切眾生。若有非眾生數山石樹木風寒冷熱水雨侵害。但求禦之初不瞋恚。今此眾生是我所為。加惡於我。我當受之。云何而瞋。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『世には、二種有り、一には衆生の数、二には非衆生の数なり。我れは、初めて発心して誓えるは、一切の衆生の為なり。若し非衆生の数たる、山石、樹木、寒風、冷熱、水雨の侵害有らば、但だ之を禦(ふせ)ぐことを求めて、初より瞋恚せず。今、此の衆生は、是れ我が為にする所なれば、我れに悪を加えんとも、我れは当に之を受くべし。云何が、瞋らん』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
『世界』には、
『二種』有り、
一には、
『衆生の数(類)』、
二には、
『非衆生の数である!』が、
わたしが、
初めて、
『菩提心』を、
『発して!』、
『誓った!』のは、
一切の、
『衆生』の、
『為である!』。
若し、
『非衆生』の、
『山石、樹木、寒風、冷熱、水雨』が、
『侵害した!』としても、
但だ、
『防禦するだけ!』で、
初めより、
『瞋恚することはない!』。
今、
此の、
『衆生』は、
わたしの、
『誓い!』の、
『原因ではないか!』、
わたしに、
『悪』を、
『加えた(施した)!』としても、
わたしは、
之を、
『受けなくてはならない!』、
何故、
『瞋ることがあろう?』、と。
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復次菩薩知從久遠已來。因緣和合假名為人無實人法。誰可瞋者。是中但有骨血皮肉。譬如累墼 |
復た次ぎに、菩薩の知るらく、『久遠より已来の因縁の和合を仮に名づけて、人と為す、実の人法無きに、誰か瞋るべき者なる。是の中には但だ、骨、血、皮、肉有るも、譬えば墼を累(かさ)ぬるが如し』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、こう知る、――
『久遠以来』の、
『人』という、
実の、
『法』は、
『無い!』のに、
『瞋られる!』、
『人』とは、
誰なのか?。
是の中には、
但だ、
譬えば、
『煉瓦』を、
『積み重ねた!』のと、
『同じである!』、と。
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墼(げき):煉瓦の未だ焼成せざるもの。 |
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又如木人機關動作有去有來。知其如此不應有瞋。若我瞋者是則愚癡自受罪苦。以是之故應修忍辱。 |
又、木人の、機関動作して、去る有り、来たる有るが如し。其の此の如きなるを知れば、応に瞋有るべからず。若し、我れ瞋らば、是れ則ち愚癡にして、自ら罪苦を受けん。是の故を以って、応に忍辱を修すべし。 |
又、
『木人』は、
『機関の動作』で、
『去ったり!』、
『来たり!』が、
『有るように!』、
其れも、
『此の通りである!』と、
『知れば!』、
『瞋る!』ことなど、
『有るはずがない!』。
わたしが、
若し、
『瞋った!』ならば、
是れは、
『愚癡であり!』、
自ら、
『罪苦』を、
『受けることになる!』。
是の故に、
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復次菩薩思惟。過去無量恒河沙等諸佛。本行菩薩道時。皆先行生忍然後修行法忍。我今求學佛道。當如諸佛法。不應起瞋恚如魔界法。以是故應當忍辱。 |
復た次ぎに、菩薩の思惟すらく、『過去の無量恒河沙に等しき諸仏は、本、菩薩の道を行ぜし時、皆、先に生忍を行じて、然る後に法忍を修行したまえり。我れは、今、仏道を学ばんことを求む、当に諸仏の法の如くなるべく、応に瞋恚を起こして、魔界の法の如くなるべからず。是を以っての故に、応当に忍辱すべし』、と。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
こう思惟する、――
『過去』の、
『無量恒河沙にも等しい!』、
諸の、
『仏たち!』も、
本、
『菩薩』の、
『道』を、
『行われていた!』時には、
皆、
先に、
『生忍』を、
『行って!』、
その後、
『法忍』を、
『修行された!』。
わたしも、
当然、
諸の、
『仏』の、
『法のように!』、
『求めなくてはならない!』、
『瞋恚』を、
『起こして!』、
『魔界』の、
『法のように!』、
『求めてはならないのだ!』。
是の故に、
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如是等種種無量因緣故能忍。是名生忍
大智度論卷第十四 |
是の如き等の種種、無量の因縁の故に、能く忍べば、是れを生忍と名づく。
大智度論巻第十四 |
是れ等のように、
種種の、
無量の、
『因縁』の故に、
『忍ぶことができれば!』、
是れを、
『生忍』と、
『称する!』。
大智度論巻第十四 |
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