復次菩薩持戒。能生六波羅蜜。是則名為尸羅波羅蜜。 |
復た次ぎに、菩薩の持戒は、能く六波羅蜜を生ず。是れ則ち名づけて、尸羅波羅蜜と為す。 |
復た次ぎに、
『菩薩』の、
『持戒』は、
『六波羅蜜』を、
『生じさせる!』ので、
是れを、
『尸羅波羅蜜』と、
『称するのである!』。
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云何持戒能生戒。因五戒得沙彌戒。因沙彌戒得律儀戒。因律儀戒得禪定戒因禪定戒得無漏戒。是為戒生戒。 |
云何が、持戒は、能く戒を生ずる。五戒に因りて、沙弥戒を得、沙弥戒に因りて、律儀戒を得、律儀戒に因りて禅定戒を得、禅定戒に因りて、無漏戒を得れば、是れを戒は、戒を生ずと為す。 |
何のように、
『持戒』は、
『戒』を、
『生じさせるのか?』、――
『五戒』に、
『沙弥戒』に、
『律儀戒』に、
『禅定戒』に、
是れは、
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沙弥戒(しゃみかい):沙弥十戒。『大智度論巻13(下)注:十戒』参照。
律儀戒(りつぎかい):具足戒。『大智度論巻11(上)注:具足戒』参照。
禅定戒(ぜんじょうかい):定と共に自然に生ずる戒。定共戒。律儀戒と共に有漏戒の一と為す。『大智度論巻13(上)注:定共戒』参照。
無漏戒(むろかい):無漏の慧に随って生ずる戒。「阿毘曇甘露味論巻上」に、「云何が無漏戒なる。正語、正業、正命なり」と云えるこれなり。『大智度論巻13(上)注:定共戒』参照。 |
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云何持戒能生於檀。檀有三種。一者財施。二者法施。三者無畏施。持戒自撿不侵一切眾生財物。是名財施。眾生見者慕其所行。又為說法令其開悟。又自思惟。我當堅持淨戒。與一切眾生作供養福田。令諸眾生得無量福。如是種種名為法施。一切眾生皆畏於死。持戒不害。是則無畏施。 |
云何が、持戒は、能く檀を生ずる。檀に三種有り、一には財施、二には法施、三には無畏施なり。持戒して自ら撿(しら)べ、一切の衆生の財物を侵さざる、是れを財施と名づく。衆生見れば、其の所行を慕い、又為に説法して、其れをして開悟せしめ、又自ら思惟すらく、『我れは、当に浄戒を堅持して、一切の衆生の与(ため)の供養の福田と作り、諸の衆生をして、無量の福を得しむべし』、と。是の如き種種を名づけて、法施と為す。一切の衆生は、皆死を畏るれば、持戒して害せざる、是れ則ち無畏施なり。 |
何のように、
『持戒』が、
『檀』を、
『生じさせるのか?』、――
『檀』には、
『三種』有り、
一には、『財施』、
二には、『法施』、
三には、『無畏施である!』。
『財施』とは、――
『持戒』は、
自らを、
『取り締まって!』、
一切の、
『衆生』の、
『財物』を、
『侵させない!』ので、
是れを、
『財施』と、
『称する!』。
『法施』とは、――
『衆生』が、
又、
又、
自ら、こう思惟する、――
わたしは、
一切の、
『衆生』に、
『衆生』に、
『無量の!』、
『福』を、
『得させよう!』、と。
是れ等のような、
『無畏施』とは、――
一切の、
『衆生』は、
『持戒』は、
是れは、
『無畏施である!』。
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撿(けん):しらべる/取り締まる( examine, check, inspect )。 |
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復次菩薩自念。我當持戒以此戒報。為諸眾生作轉輪聖王。或作閻浮提王。若作天王令諸眾生。滿足於財無所乏短。然後坐佛樹下。降伏魔王破諸魔軍。成無上道。為諸眾生說清淨法。令無量眾生度老病死海。是為持戒因緣生檀波羅蜜。 |
復た次ぎに、菩薩の自ら念ずらく、『我れは、当に持戒して、此の戒の報を以って、諸の衆生の為に、転輪聖王と作り、或いは閻浮提の王と作り、若しは天王と作って、諸の衆生をして、財に於いて満足せしめて、乏短する所無からしめ、然る後に仏樹の下に坐して、魔王を降伏し、諸の魔軍を破って、無上道を成じ、諸の衆生の為に、清浄の法を説き、無量の衆生をして、老病死の海を度せしむべし』、と。是れを持戒の因縁は、檀波羅蜜を生ずと為す。 |
復た次ぎに、
『菩薩』は、
自ら、こう念じる、――
わたしは、こうしなくてはならない、――
『持戒して!』、
此の、
『持戒』の、
『報』で、
諸の、
『衆生』の為に、
『転輪聖王』と、
『作り!』、
或いは、
『閻浮提の王』と、
『作り!』、
若しくは、
『天王』と、
『作って!』、
諸の、
『衆生』に、
『財』に、
『満足させ!』、
『乏短( 欠乏)』を、
『無くさせた!』ならば、
その後、
『仏樹の下』に、
『坐って!』、
『魔王』を、
『降伏』し、
『諸の魔軍』を、
『破って!』、
『無上道』を、
『成就し!』、
諸の、
無量の、
『衆生』に、
『老病死』の、
『海』を、
『渡らせよう!』、と。
是れは、
『持戒』の、
『因縁』が、
『檀波羅蜜』を、
『生じたのである!』。
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仏樹(ぶつじゅ):菩提樹( bodhi-tree )、梵語 bodhidruma, bodhi-vRkSa の訳、智慧の樹( The wisdom-tree )、釈迦牟尼仏がその下で覚りを開いた樹( the tree underneath which Śākyamuni Buddha attained enlightenment )の意。 |
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云何持戒生忍辱。持戒之人心自念言。我今持戒為持心故。若持戒無忍當墮地獄。雖不破戒以無忍故不免惡道。何可縱忿不自制心。但以心故入三惡趣。是故應當好自勉強懃修忍辱。 |
云何が、持戒は、忍辱を生ずる。持戒の人は、心に自ら念じて言わく、『我れ、今持戒するは、心を持せんが為の故なり。若し持戒すとも、忍無くば、当に地獄に堕つべし。破戒せずと雖も、忍無きを以っての故に悪道を免れず。何ぞ忿を縦(ほしいまま)にして、自ら心を制せざるべし。但だ心を以っての故に、三悪趣に入る。是の故に、応当に好んで自ら勉強して、忍辱を懃修すべし。 |
何のように、
『持戒』は、
『忍辱』を、
『生じるのか?』、――
『持戒の人』は、
『心』に、
自らを念じて、こう言う、――
わたしが、
今、
『持戒する!』のは、
『心』を、
『持(たも)って!』、
『忍ぶ!』為である。
若し、
『持戒しても!』、
『心』に、
『忍』が、
『無ければ!』、
『地獄』に、
『堕ちなくてはならない!』。
『破戒しなくても!』、
『心』に、
『忍』が、
『無い!』が故に、
『悪道』を、
『免れられないのだ!』。
何うして、
『心』に、
『忿(いきどおり)』を、
『縦(ほしいまま)にし!』、
自ら、
『心』を、
『制しないでいられよう?』、
但だ、
『心』の故に、
『三悪趣』に、
『堕ちるのに!』、と。
是の故に、
当然、
自ら、
『好んで!』、
『強いて!』、
『努力して!』、
『忍辱』を、
『修めなくてはならない!』。
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持(じ):保持する/取り締まる( hold, control )、梵語 √(dhR), dhara, dhaara の訳、持つ/運ぶ/維持・持続する/保持する/保存する/所有する/有する/使用する/雇う/実践する/忍ぶ(
to hold, bear (also bring forth), carry, maintain, preserve, keep, possess,
have, use, employ, practise, undergo )の義。
勉強(べんきょう):人に強いて為させる( force somebody to do something )の意。
懃修(ごんしゅ):修行に精進する( diligently cultivates )、(梵語 √(tap), aataapin の訳、自分自身を苦しめる/自己懲罰を忍ぶ/耐乏生活をする(
to torment one's self, undergo self-mortification, practise austerity )の義。 |
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復次行者欲令戒德堅強。當修忍辱。所以者何。忍為大力。能牢固戒令不動搖。復自思惟。我今出家形與俗別。豈可縱心如世人法。宜自勉勵以忍調心以身口忍心亦得忍。若心不忍身口亦爾。是故行者當令身口心忍絕諸忿恨。 |
復た次ぎに、行者は、戒徳をして、堅強ならしめんと欲すれば、当に忍辱を修むべし。所以は何んとなれば、忍を大力と為し、能く戒を牢固ならしめ、動揺せしめざればなり。復た自ら思惟すらく、『我れは今、出家して形は、俗と別なり。豈に心を縦にして、世人の法の如くなるべし。宜しく自ら勉励し忍を以って心を調え、身口の忍を以って、心も亦た忍を得べし。若し心忍ばずんば、身口も亦た爾り』、と。是の故に行者は当に身口心をして忍ばしめ、諸の忿恨を絶ゆべし。 |
復た次ぎに、
『行者』は、
『戒』の、
『徳( 力)』を、
『堅強にしたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『忍辱』を、
『修めなくてはならない!』。
何故ならば、
『忍』は、
『大力であり!』、
『戒』を、
『堅固にして!』、
『動揺させないからである!』。
復た、
自ら、こう思惟する、――
わたしは、
今、
『出家して!』、
何うして、
『世俗』の、
『人』の、
『法(慣習)のように!』、
『心』を、
『縦(ほしいまま)にできよう?』。
当然、
自ら、
『勉励して!』、
『忍』で、
『心』を、
『調え!』、
『身、口』の、
『忍』を、
『用いて!』、
『心』にも、
『忍』を、
『得なくてはならない!』。
若し、
『心』が、
『忍ばなければ!』、
『身、口』も、
亦た、
『忍ばないだろう!』、と。
是の故に、
『行者』は、
当然、
『身、口、心』を、
『忍耐させて!』、
諸の、
『忿恨』を、
『絶えさせなくてはならない!』。
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法(ほう):[ヒンズー教/仏教の]法/徳/守るべき軌範( dharma )、梵語 dharma の訳、文脈により種種の英語に訳される( Rendered
into English variously according to the context )、例えば真理/現実/事物/現象/要素/成分/精神的要素/特質である(
as: truth, reality; thing, phenomenon, element, constituent, (mental) factor;
quality )。「dharma」の語は元と印度語の動詞語幹 √(dhR) より派生し、「保存する/維持する/保つもの」の意を有し、特に「人の活動を保存/維持するもの」の意を有する(
The word dharma is originally derived from the Indic root dhr, with the
meaning of 'that which preserves or maintains,' especially that which preserves
or maintains human activity )。◯仏教に於いては此の語は、広範なる意味を有すると雖も、主要な意味は、仏によって伝えられた、完全に真実に一致する教訓/学説である(
The term has a wide range of meanings in Buddhism, but the foremost meaning
is that of the teaching delivered by the Buddha, which is fully accordant
with reality )。従って真理/真実/真実の原理/法則でもあり( Thus, truth, reality, true principle,
law (Skt. satya) )、完全な宗教としての仏教を暗示する。法は、三宝の第二でもある( It connotes Buddhism
as the perfect religion. The Dharma is also the second component among
the Three Treasures (triratna) 佛法僧 )、そしてそれは法身という観念に於いて、西洋の「霊的」の意に近似している(
and in the sense of dharmakāya 法身 it approaches the Western idea of 'spiritual.'
)。◯それは一切の事物、或いは何か小/大、可見/不可見、真実/不実の事物、現象、真実、原理、方式、有形の物/抽象的な概念等の意味に於いて使用される(
It is used in the sense of 一切 all things, or anything small or great, visible
or invisible, real or unreal, affairs, truth, principle, method, concrete
things, abstract ideas, etc. )。◯法は、実体を有し、それ自身の性質を帯びるものとして説明され( Dharma is
described as that which has entity and bears its own attributes )、特性/特質/性質/要因等の意味に於いて、此の語は、一般に印度の学問的著述に於いて、認識可能な全般的体験の有らゆる詳細を述べることに使用されている(
It is in the sense of attribute, quality, characteristic quality, factor,
etc. that this term is commonly used in Indian scholastic works to fully
detail the gamut of possible cognitive experiences )。◯阿毘曇学派の説一切有部等は、七十五法を列挙し、一方瑜伽唯識派では体験的世界の事象を百種の現象[百法]として分類する(
Abhidharma schools such as Sarvâstivāda enumerated seventy-five dharmas
七十五法, while the Yogâcāra school categorized the events of the experiential
world into one hundred types of phenomena 百法 )。唯識は、二乗[声聞/縁覚]の修行者に於いては、是れ等の法に於ける自性の欠如が、正しく認識されていないと主張している(
Yogâcāras argued that the lack of inherent identity in these dharmas is
not duly recognized by the practitioners of the two vehicles 二乘 )。◯六種の認識される対象[六塵]中に於いて、法は、思考的意識[意識]の対象としての概念に等しい(
Among the six cognitive objects 六塵, dharmas are equivalent to 'concepts,'
being the objects of the thinking consciousness 意識 )。[漢語としての]法には、その他にも慣習/習癖/標準的習性/社会的秩序等の意味を有する(
Other meanings include: custom, habit, standard of behavior; social order
)。 |
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復次是戒略說則有八萬。廣說則無量。我當云何能具持此無量戒法。唯當忍辱眾戒自得。 |
復た次ぎに、是の戒は、略説すれば則ち八万有り、広説すれば則ち無量なり。我れは当に、云何が能く此の無量の戒法を具持すべき。唯だ当に忍辱ならば、衆戒は自ら得べし。 |
復た次ぎに、
是の、
『戒』は、
『略説すれば!』、
『八万』、
『有り!』、
『広説すれば!』、
『無量である!』。
わたしは、
何のようにして、
此の、
『無量の戒法』を、
『具足して!』、
『護持すればよいのか?』、
唯だ、
『忍辱すれば!』、
『衆戒』は、
『自ら得られるはずだ!』。
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譬如有人得罪於王。王以罪人載之刀車。六邊利刃間不容間。奔逸馳走行不擇路。若能持身不為刀傷。是則殺而不死。持戒之人亦復如是。戒為利刀忍為持身。若忍心不固戒亦傷人。 |
譬えば、有る人、王に罪を得るに、王は、罪人を以って、之を刀車に載(の)するに、六辺の利刃、間に間を容れずして、奔逸し馳走して、行くに路を択ばざるが如きに、若し能く身を持てば、刀に傷つけられず、是れ則ち殺して死せざるなり。持戒の人も、亦復た是の如く、戒を利刀と為し、忍を身を持つと為す。若し忍心固からざれば、戒も亦た人を傷つく。 |
譬えば、こうである、――
有る人が、
『王』に、
『王』は、
『刀車』は、
『六辺( 前後左右上下)』に、
『利刃』が、
『植わっていて!』、
『隙間が無かった!』し、
『自由気ままに!』、
『走り回って!』、
『路を択ばなかった!』。
若し、
『身』を、
『持( たも)っていれば!』、
『刀』に、
『傷つけられない!』ので、
是れは、
『殺しても!』、
『死なないということである!』。
『持戒の人』も、
復た、是のように、――
『戒』は、
『利い!』、
『刀であり!』、
『忍』を、
『身』を、
『持つことだ!』とすれば、
若し、
『忍』の、
『心』が、
『堅固でなければ!』、
『戒』は、
『人』を、
『傷つけるだろう!』。
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間不容間(かんにかんをいれず):中間に空隙有るを允許せず。
奔逸(ほんいつ):自由気ままにする。
馳走(ちそう):疾く走る。 |
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又復譬如老人夜行無杖則蹶。忍為戒杖扶人至道。福樂因緣不能動搖。如是種種。名為持戒生羼提波羅蜜。 |
又復た譬えば老人、夜行するに杖無ければ、則ち蹶(つまづ)くが如し。忍を戒杖の人を扶けて道を至らしむと為せば、福楽の因縁は、動揺する能わず。是の如き種種を名づけて、持戒は、羼提波羅蜜を生ずと為す。 |
又復た、
譬えば、
『老人』が、
『夜』、
『行く!』のに、
『杖』が、
『無ければ!』、
『躓くように!』、
『忍』を、
『戒』の、
『杖とすれば!』、
『杖』は、
『人』を、
『扶けて!』、
『道』を、
『行き!』、
『着かせる!』ので、
『福楽』の、
『因縁』では、
『動揺させることができない!』。
是のような、
種種は、
『持戒』が、
『羼提波羅蜜』を、
『生じたのである!』。
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云何持戒而生精進。持戒之人除去放逸。自力懃修習無上法。捨世間樂入於善道。志求涅槃以度一切。大心不懈以求佛為本。是為持戒能生精進。 |
云何が、持戒は、精進を生ずる。持戒の人は、放逸を除去して、自ら力(つと)めて懃修し、無上法を習い、世間の楽を捨てて、善道に入り、涅槃を志求して、以って一切を度し、大心もて懈(おこた)らず、仏を求むるを以って、本と為す、是れを持戒は、能く精進を生ずと為す。 |
何のように、
『持戒』は、
『精進』を、
『生じるのか?』、――
『持戒の人』は、
『放逸』を、
『除去し!』、
自ら、
『努力して!』、
『修行』に、
『精進し!』、
『無上』の、
『法』を、
『修習して!』、
『世間』の、
『楽』を、
『捨て!』、
『善』の、
『道』に、
『入り!』、
『涅槃』を、
『求めよう!』と、
『志して!』、
一切の、
『衆生』を、
『度そう!』と、
『思い!』、
『大心』を、
『起こして!』、
『怠けず!』、
『仏』を、
『求める!』ことを、
『本とする!』ならば、
是れは、
『持戒』が、
『精進』を、
『生じさせたのである!』。
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力(りき):努力( effort )、体力( phisical strength )、力量( force, power )。 |
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復次持戒之人疲厭世苦老病死患。心生精進必求自脫。亦以度人。 |
復た次ぎに、持戒の人は、世苦、老病死の患を疲厭して、心に精進を生じて、必ず自ら脱るることを求め、亦た以って人を度す。 |
復た次ぎに、
『持戒の人』は、
『世間の苦』や、
『老病死の患』を、
『厭(いと)う!』ことに、
『疲れ!』、
『心』に、
『精進』を、
『生じて!』、
自ら、
『脱れる道』を、
『求めよう!』と、
『決心し!』、
亦た、
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譬如野干在林樹間。依隨師子及諸虎豹。求其殘肉以自存活。有時空乏夜半踰城深入人舍。求肉不得屏處睡息不覺夜竟惶怖無計。走則慮不自免。住則懼畏死痛。便自定心詐死在地 |
譬えば、野干、林樹の間に在り、師子、及び諸の虎豹に依り隨いて、其の残肉を求め、以って自ら存活せしが如し。有る時、空乏すれば、夜半に城を踰え、深く人舎に入りて肉を求め、屏処を得ざるに、睡息して夜の竟るを覚えず、惶怖するも計る無く、走れば則ち自ら免れざるを慮り、住まれば則ち死の痛みを懼畏し、便ち自ら心を定め、死を詐りて、地に在り。 |
譬えば、
『野干( 狐)』が、
『林』の、
『樹の間』に、
『住み!』、
『師子』や、
『諸の虎豹』に、
『寄り添い!』、
『随従して!』、
其の、
『残肉』を、
『求めて!』、
自ら、
『生存し!』、
『活命していた!』。
有る時、
『空腹』で、
『畜え!』も、
『乏しかった!』ので、
『城』の、
『壁』を、
『踰えて!』、
深く、
『人家』に、
『屏処』を、
『得られないまま!』、
『休息し!』、
『睡眠して!』、
『覚めないまま!』、
『夜』が、
『明けた!』。
『野干』は、
『恐怖』で、
『立てるべき!』、
『策略』も、
『無く!』、
『走った!』としても、
『到底!』、
『脱れられないだろう!』と、
『慮り!』、
『住まった!』としても、
『死の痛み!』は、
『何れほどだろう?』と、
『畏れた!』。
そこで、
『心』を、
『定めて!』、
『死んだ振りをし!』、
『地に横たわった!』。
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野干(やかん):狐( fox, jackal )、梵語 悉伽羅 zRgaala の音訳、ジャッカル、若しくは狐に似た動物、夜鳴き叫ぶ( jackal, or an animal resembling a fox which cries in the night )。
空乏(くうぼう):空腹乏少、腹がへり、畜えが乏しいこと。
屏処(びょうしょ):秘密の場所( secret place )、梵語 gupta-pradeza の訳、身を隠すための屏風等で覆われた秘密の場所の意。
睡息(すいそく):睡眠と休息。
惶怖(おうふ):恐怖で不安になること。
懼畏(くい):鬼神等を怯え畏れること。 |
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眾人來見有一人言。我須野干耳即便截取。野干自念。截耳雖痛但令身在。 |
衆人来たりて見る。有る一人の言わく、『我れは、野干の耳を須(もと)む』と。即便ち截(き)り取る。野干の自ら念ずらく、『耳を截らるるは、痛しと雖も、但だ身をして在らしむ』。 |
『衆人』が、
有る、
『一人』は、こう言った、――
『野干』は、
自ら、こう念じた、――
『耳』を、
『切り取られる!』のは、
『痛い!』が、
但だ、
『身』は、
『大丈夫だ!』、と。
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次有一人言。我須野干尾便復截去。野干復念。截尾雖痛猶是小事。 |
次に、有る一人の言わく、『我れは、野干の尾を須む』、と。便ち復た截りて去る。野干の復た念ずらく、『尾を截らるるは、痛しと雖も、猶お是れ小事なり』、と。 |
次に、
有る、
『一人』は、こう言った、――
わたしには、
そして、
『尾』までも、
『切り取って!』、
『去った!』。
『野干』は、
またもや、こう念じた、――
『尾』を、
『切り取られる!』のは、
『痛い!』が、
是れは、
まだ、
『小事だ!』、と。
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次有一人言。我須野干牙。野干心念。取者轉多儻取我頭則無活路。即從地起奮其智力。絕踊間關徑得自濟。 |
次に有る一人の言わく、『我れは、野干の牙を須む』、と。野干の、心に念ずらく、『取る者は転(うた)た多く、儻(かりそめ)にも我が頭を取らば、則ち活路無し』、と。即ち地より起ちて、其の智力を奮い、間関を絶踊し、径(みち)に自ら済うを得たり。 |
次に、
有る、
『一人』は、こう言った、――
『野干』は、
『心』に、こう念じた、――
『取る!』者が、
『どんどん!』、
『多くなる!』。
若し、
『頭』を、
『取られた!』ならば、
もう、
『活きる路』が、
『無い!』、と。
そこで、
『地』より、
『起つ!』と、
其の、
『智、力』を、
『奮い起こして!』、
『難関』を、
『踊り踰え!』、
自らを、
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間関(けんかん):道が狭くて通りがたいさま。
絶踊(ぜつゆう):踊り越える。絶は越過の意。 |
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行者之心求脫苦難亦復如是。若老至時猶故自寬。不能慇懃決斷精進。 |
行者の心の、苦難を脱るるを求むるも、亦復た是の如し。若しは老の至る時ならんにも、猶お故(もと)のごとく、自ら寛(くつろ)ぎ、慇懃に、決断して、精進する能わず。 |
『行者の心』が、
『苦難』を、
『脱れよう!』と、
『求める!』のも、
亦た、
是の通りである、――
若し、
『老い!』の、
『至る!』、
『時であっても!』、
猶お、
『故( もと)のまま!』、
『自ら!』を、
『寛がせていて!』、
『熱心に!』、
『精進しよう!』と、
『決断することがない!』。
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慇懃(おんごん):熱心に( zealous )、◯梵語 adhimaatra, tiivra 等の訳、過度に( excessive )の義、熱心に/丁寧に(
zealous, courteous )の意。◯梵語 punaH punaH の訳、繰り返された/もう一回、もう一回( Repeated, again
and again )の義、熱心に( zealous )の意。 |
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病亦如是。以有差期未能決計。死欲至時自知無冀。便能自勉果敢慇懃大修精進。從死地中畢至涅槃。 |
病も亦た是の如く、差(い)ゆる期有るを以って、未だ計を決する能わざるも、死の至らんと欲する時、自ら冀(ねがい)無きを知りて、便ち能く自ら、勉めて果敢に、慇懃に大いに精進を修め、死地中より、畢(つい)に涅槃に至る。 |
『病』も、
亦た、
是のように、
『治癒する!』時が、
『死』が、
『至ろうとする!』、
『時になれば!』、
自ら、
『冀( ねがい)』の、
『無い!』ことを、
『知り!』、
たやすく、
自ら、
『努力して!』、
『果敢になり!』、
『熱心になって!』、
『大いに!』、
『精進』を、
『修めることができ!』、
『死地』中より、
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果敢(かかん):勇敢に断固として( courageous and resolute )。 |
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復次持戒之法。譬如人射。先得平地地平然後心安。心安然後挽滿。挽滿然後陷深。 |
復た次ぎに、持戒の法は、譬えば、人、射るに、先に地を平らぐるを得、地平らかにして、然る後に心安んじ、心安んじて然る後に、満に挽き、挽き満ちて然る後に、深きに陥(おちい)る。 |
復た次ぎに、
『持戒の法』は、
譬えば、こういうことである、――
『人』が、
『箭』を、
『射る!』のには、
先に、
『地』を、
『平らにし!』、
『地』が、
『平らになった!』、
後に、
『心』が、
『安らかになり!』、
『心』が、
『弓』が、
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戒為平地定意為弓。挽滿為精進箭為智慧。賊是無明。若能如是展力精進。必至大道以度眾生。 |
戒を地を平らぐと為し、定意を弓と為し、満に挽くを精進と為し、箭を智慧と為し、賊は是れ無明なり。若し能く是の如く、力を展(の)べて精進すれば、必ず大道に至りて、以って衆生を度す。 |
此の中、
『戒』とは、
『地』を、
『平らげることであり!』、
『定まった!』、
『意志』が、
『弓であり!』、
『満月』に、
『挽く!』ことが、
『精進であり!』、
『箭』が、
『智慧であり!』、
『賊』は、
『無明である!』。
若し、
是のように、
『力』を、
『展開させて!』、
『精進すれば!』、
必ず、
『大道』に、
『至る!』ので、
それで、
『衆生』を、
『脱れさせることができる!』。
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復次持戒之人能以精進自制五情不受五欲。若心已去能攝令還。是為持戒能護諸根。護諸根則生禪定。生禪定則生智慧。生智慧得至佛道。是為持戒生毘梨耶波羅蜜。 |
復た次ぎに、持戒の人は、能く精進を以って、自ら五情を制し、五欲を受けず。若し心已に去らば、能く摂して還らしむれば、是れを持戒は、能く諸根を護ると為す。諸根を護れば、則ち禅定を生じ、禅定を生ずれば、則ち智慧を生じ、智慧を生ずれば、仏道を至るを得れば、是れを持戒は、毘梨耶波羅蜜を生ずと為す。 |
復た次ぎに、
『持戒の人』は、
『精進して!』、
自ら、
『五情( 眼耳鼻舌身)』を、
『抑制して!』、
『五欲( 色声香味触)』を、
『感受させない!』ので、
若し、
『心』が、
『去ってしまった!』としても、
『捕えて!』、
『還らせることができる!』、
是れが、
『持戒』が、
『諸根』を、
『護るということである!』。
『諸根』を、
『禅定』を、
『生じれば!』、
『智慧』を、
『生じることになり!』、
『智慧』を、
『生じれば!』、
『仏の道』を、
『極められる!』ので、
是れは、
『持戒』が、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『生じたのである!』。
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云何持戒生禪。人有三業作諸善。若身口業善。意業自然入善。譬如曲草生於麻中不扶自直。持戒之力能羸諸結使。 |
云何が、持戒は、禅を生ずる。人には、三業の諸善を作す有り。若し身口の業善なれば、意業は自然に善に入る。譬えば、曲草の麻中に生ずれば、扶けずして、自ら直きが如く、持戒の力は、能く諸の結使を羸(つか)れしむ。 |
何のように、
『持戒』が、
『禅』を、
『生じるのか?』、――
『人』には、
諸の、
若し、
『身、口』の、
『業』が、
『善ならば!』、
『意』の、
譬えば、
『曲がった!』、
『草』が、
『麻』中に、
『生じれば!』、
『扶けなくても!』、
『自然に!』、
『真直ぐであるように!』、
『持戒』の、
『力』が、
諸の、
『結使』を、
『弱らせるのである!』。
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云何能羸。若不持戒。瞋恚事來殺心即生。若欲事至婬心即成。若持戒者雖有微瞋不生殺心。雖有婬念婬事不成。是為持戒能令諸結使羸。 |
云何が能く羸れしむ。若し持戒せずんば、瞋恚の事来たりて、殺心即ち生じ、若し欲事至れば、婬心即ち成ず。若し持戒すれば、微瞋有りと雖も、殺心を生ぜず、婬念有りと雖も、婬事を成ぜず。是れを持戒は、能く諸の結使をして羸れしむと為す。 |
何のように、
『弱らせるのか?』、――
若し、
『持戒しなければ!』、
『瞋恚すべき!』、
『事』が、
『起って!』、
『殺』の、
『心』が、
『生じ!』、
若しは、
『婬』の、
『事』が、
『有れば!』、
『婬』の、
『心』が、
『生じる!』が、
若し、
『持戒していれば!』、
『微瞋』の、
『事』が、
『有っても!』、
『殺』の、
『心』を、
『生じず!』、
若しは、
『婬』の、
『念』が、
『生じても!』、
『婬』の、
『事』は、
『成らない!』。
是れは、
『持戒』が、
『諸の結使』を、
『弱らせたからである!』。
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諸結使羸禪定易得。譬如老病失力死事易得。結使羸故禪定易得。 |
諸の結使羸るれば、禅定を得易し。譬えば老、病力を失わしむれば、死の事得易きが如く、結使羸るるが故に、禅定を得易し。 |
諸の、
『結使』が、
『弱れば!』、
『禅定』は、
『実現しやすくなる!』。
譬えば、
『老、病』が、
『力』を、
『失わせる!』ので、
『死』は、
『仕事』を、
『実現しやすい!』ように、
諸の、
『結使』が、
『弱まる!』が故に、
『禅定』を、
『実現しやすいのである!』。
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復次人心未息常求逸樂。行者持戒棄捨世福心不放逸。是故易得禪定。 |
復た次ぎに、人心、未だ息まざれば、常に逸楽を求む。行者、持戒して世福を棄捨すれば、心放逸ならず、是の故に禅定を得易し。 |
復た次ぎに、
『人』の、
『心』は、
未だ、
『息まない!』うちは、
常に、
『逸楽』を、
『求めている!』。
『行者』は、
『持戒して!』、
『世間』の、
『福』を、
『棄捨すれば!』、
『心』が、
『放逸でなくなる!』ので、
是の故に、
『禅定』を、
『実現しやすい!』。
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復次持戒之人得生人中。次生六欲天上。次至色界。若破色相生無色界。持戒清淨。斷諸結使得阿羅漢道。大心持戒愍念眾生是為菩薩。 |
復た次ぎに、持戒の人は、人中に生ずるを得、次に六欲天上に生じ、次に色界に至り、若し色相を破れば、無色界に生ず。持戒清浄にして、諸の結使を断ずれば、阿羅漢道を得、大心の持戒もて、衆生を愍念すれば、是れを菩薩と為す。 |
復た次ぎに、
『持戒の人』は、
『人』中に、
『生まれることができ!』、
次いで、
『六欲天』上に、
『生まれ!』、
次いで、
『色界』に、
『至り!』、
若し、
『持戒』が、
『清浄』で、
『諸の結使』を、
『断滅すれば!』、
『阿羅漢道』を、
『成就し!』、
『大心』の、
『持戒』は、
『衆生』を、
『愍念する!』ので、
是れは、
『菩薩である!』。
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復次戒為撿麤禪為攝細。 |
復た次ぎに、戒を、麁を撿(しら)ぶと為し、禅を、細を摂(おさ)むと為す。 |
復た次ぎに、
『戒』は、
『麁(身、口業)』を、
『取り締まり!』、
『禅』は、
『細(心業)』を、
『取り締まる!』。
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復次戒攝身口。禪止亂心。如人上屋非梯不昇。不得戒梯禪亦不立。 |
復た次ぎに、戒は、身口を摂め、禅は乱心を止む。人の屋に上るに、梯に非ざれば、昇らざるが如く、戒の梯を得ざれば、禅も亦た立たず。 |
復た次ぎに、
『戒』は、
『身、口』を、
『摂(おさ)め!』、
『禅』は、
『乱心』を、
『止める!』。
譬えば、
『人』が、
『屋根』に、
『上る!』に、
『梯でなければ!』、
『昇れない!』ように、
『戒』という、
『梯』を、
『得られなければ!』、
『禅』も、
亦た、
『成立しない!』。
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復次破戒之人。結使風強散亂其心。其心散亂則禪不可得。持戒之人。煩惱風軟心不大散。禪定易得。如是等種種因緣。是為持戒生禪波羅蜜。 |
復た次ぎに、破戒の人は、結使の風強く、其の心を散乱す。其の心散乱すれば、則ち禅を得べからず。持戒の人は、煩悩の風軟らかく、心大に散ぜざれば、禅定を得易し。是の如き等の種種の因縁は、是れを持戒は、禅波羅蜜を生ずと為す。 |
復た次ぎに、
『破戒の人』は、
『結使』の、
『風』が、
『強い!』ので、
其の、
『心』を、
『散乱する!』。
其の、
『心』が、
『散乱すれば!』、
則ち、
『禅定』を、
『実現できない!』が、
『持戒の人』は、
『煩悩』の、
『風』が、
『軟らかく!』、
『心』の、
『散乱』も、
『大きくない!』ので、
『禅定』が、
『実現しやすい!』。
是れ等のような、
種種の、
『因縁』は、
是れは、
『持戒』が、
『禅波羅蜜』を、
『生じたのである!』。
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云何持戒能生智慧。持戒之人觀此戒相從何而有。知從眾罪而生。若無眾罪。則亦無戒。 |
云何が、持戒は、能く智慧を生ずる。持戒の人は、此の戒相の何によりてか、有るを観て、衆罪によりて生じ、若し衆罪無ければ、則ち亦た戒無きことを知る。 |
何のように、
『持戒』は、
『智慧』を、
『生じさせるのか?』、――
『持戒の人』は、
此の、
『戒の相』は、
何によって、
『有るのか?』を、
『観察して!』、
こう知る、――
『戒』は、
『衆罪』によって、
『生じる!』ので、
若し、
『衆罪』が、
『無ければ!』、
亦た、
『戒』も、
『無い!』、と。
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戒相如是。從因緣有。何故生著。譬如蓮華出自污泥。色雖鮮好出處不淨。以是悟心不令生著。是為持戒生般若波羅蜜。 |
戒相は、是の如く、因縁によりて有り。何の故にか、著を生ずる。譬えば、蓮華は汚泥より出づれば、色鮮好なりと雖も、出処不浄なるが如し。是の悟心を以って、著を生ぜしめず。是れを持戒は、般若波羅蜜を生ずと為す。 |
『戒相』は、
是のように、
『因縁』によって、
『有る!』のに、
何故、
『著』を、
『生じるのか?』。
譬えば、
『蓮華』は、
『汚泥』より、
『出る!』ので、
『色』が、
『鮮やかで!』、
『好もしくても!』、
『出処』が、
『不浄である!』のと、
『同じである!』。
是のような、
『悟心』を、
『用いれば!』、
『著』を、
『生じさせない!』が、
是れは、
『持戒』が、
『般若波羅蜜』を、
『生じたのである!』。
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復次持戒之人心自思惟。若我以持戒貴而可取。破戒賤而可捨者。若有此心不應般若。以智慧籌量心不著戒無取無捨。是為持戒生般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、持戒の人は、心に自ら思惟すらく、『若し我れ、以って持戒は、貴ければ取るべく、破戒は賎しければ、捨つべしとせば、若し、此れ有らば、心は般若に応ぜず。智慧を以って籌量せば、心は戒に著せず、取る無く、捨つる無し。是れを持戒は、般若波羅蜜を生ずと為す。 |
復た次ぎに、
『持戒の人』は、
『心』に、
自ら、こう思惟する、――
もし、
わたしが、
こう思えば、――
『持戒』は、
『貴い!』ので、
『取るべきである!』が、
『破戒』は、
『賎しい!』ので、
『捨てるべきである!』、と。
若し、
是のような、
『智慧』を、
『用いて!』、
『籌量すれば!』、
『心』は、
『戒』に、
『著することなく!』、
『戒』を、
『取ることも!』、
『捨てることも!』、
『無い!』。
是れは、
『持戒』が、
『般若波羅蜜』を、
『生じたからである!』。
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復次不持戒人雖有利智以營世務。種種欲求生業之事。慧根漸鈍。譬如利刀以割泥土遂成鈍器。 |
復た次ぎに、持戒せざる人は、利智有りと雖も、世務を営むを以って、種種に、生業の事を求めんと欲すれば、慧根漸く鈍なり。譬えば、利刀を以って、泥土を割れば、遂に鈍器に成るが如し。 |
復た次ぎに、
『持戒しない!』、
『人』は、
『利智』が有っても、
『世間』の、
『業務』を、
『営み!』、
種種に、
『生業の事』を、
『追求したい!』と、
『思う!』ので、
次第に、
『慧根』が、
『鈍くなる!』。
譬えば、
『利刀』でも、
『泥土』を、
『割(さ)いていれば!』、
やがて、
『鈍器』と、
『成る!』のと、
『同じである!』。
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若出家持戒不營世業。常觀諸法實相無相。先雖鈍根以漸轉利。如是等種種因緣。名為持戒生般若波羅蜜。如是名為尸羅波羅蜜生六波羅蜜。 |
若し出家して持戒し、世業を営まず、常に諸法の実相の無相なるを観ぜば、先に鈍根なりと雖も、以って漸く利に転ず。是の如き等の種種の因縁を名づけて、持戒は、般若波羅蜜を生ずと為す。是の如きを名づけて、尸羅波羅蜜は、六波羅蜜を生ずと為す。 |
若し、
『出家して!』、
『持戒し!』、
常に、
『諸法の実相』が、
『無相である!』ことを、
『観察していれば!』、
先には、
是れ等の、
種種の、
『因縁』を、
『持戒』が、
『般若波羅蜜』を、
『生じた!』と、
『称し!』、
是れ等を、
『尸羅波羅蜜』が、
『六波羅蜜』を、
『生じる!』と、
『称するのである!』。
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