問曰。已知如是種種功德果報。云何名為戒相。 |
問うて曰く、已に是の如き種種の功徳と果報を知れり。云何が、名づけて戒相と為す。 |
問い、
已に、
是のような、
種種の、
何を、
『戒の相』と、
『言うのですか?』。
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答曰。惡止不更作。若心生若口言若從他受。息身口惡是為戒相。 |
答えて曰く、悪を止めて、更に作さざるなり。若しは心に生じ、若しは口に言い、若しは他より受くる、身口の悪を息む、是れを戒相と為す。 |
答え、
『悪』を、
『止めて!』、
更に、
『悪』を、
『作さない!』ことである。
『悪』が、
若しは、
『心』に、
『生じたり!』、
若しは、
『口』に、
『言ったり!』、
若しは、
『他人』より、
『受けた(唆された)!』とき、
『身』と、
『口』の、
『悪』を、
『息めた!』ならば、
是れを、
『戒の相』と、
『呼ぶのである!』。
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云何名為惡。若實是眾生。知是眾生發心欲殺而奪其命。生身業有作色。是名殺生罪。其餘繫閉鞭打等。是助殺法。 |
云何が、名づけて悪と為す。若し実に是れ衆生なるに、是れ衆生なりと知り、心を発して、殺さんと欲し、而も其の命を奪い、身業を生じて、作色有れば、是れを殺生の罪と名づけ、其の余の繋閉、鞭打等は、是れ助殺の法なり。 |
何を、
『悪』と、
『称するのか?』、――
若し、
『実』に、
是れが、
『衆生である!』とき、
是れを、
『衆生である!』と、
『知りながら!』、
『殺したい!』という、
『心』を、
『起こして!』、
其の、
『命』を、
『奪う!』と、
『身業( 殺業)』が、
『生じて!』、
『作色( 意図的な行為)』が、
『有る!』ので、
是れを、
『殺生の罪』と、
『称する!』。
其の他の、
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作色(さしき):意図より起りたる殺、盗等の行動。『大智度論巻13上注:表色』参照。
表色(ひょうしき):表出性の色/形態( expressive form )、梵語vijJapti- ruupa の訳、又作色と訳す、露出性の色(
disclosive form )の義、有相、有対、可見にして、心より起る行為、善悪倶に有るが、主として殺害、鞭打等の遮止すべき悪行をいう。◯無表色[把握されない色]に対す(
in contradistinction to avijñapti-rūpa (unapprehended form) )。有る行動を起こす意図を他人に明白にし、或いは観察できるようにする、例えば談話、又は身振りのような行動(
Activity that makes evident or observable by others the intention motivating
the action, such as speech acts or physical gestures )。有る種のダンス、又は有る威嚇的身振りに於いて、好例を見出だすことができよう(
A good example might be seen in a dance, or a menacing gesture )。無表色に於いては、其の意図は、他に対して隠されたままであり、又は観察不可能である(
The intention remains hidden from others or unobservable in avijñapti-rūpa
)。是のように、一般的には、例えば行く、坐る、取る、捨てる、曲げる、伸ばす等のような、位置、或いは動きの側面に関して言及する( Thus, in
general, it refers to positional or motive aspects, such as walking, sitting,
taking, refusing, bending, stretching, etc )。表業の同義語である。◯三色の一、他の二種は顕色、即ち青黃赤白、光影、明暗、煙雲塵露、虛空等の色、及形色、即ち有形の相、可見にして,長短、方圓、粗細、高下等の如き色である(
One of the three subcategories of form 色, the other two being color 顯色
and shape 形色 shape, long, short, etc )[三蔵法数巻11五蘊論,(1)顯色,即明顯可見之色,如青黃赤白、光影、明暗、煙雲塵露、虛空等色。(2)形色,即有形相可見者,如長短、方圓、粗細、高下等。(3)表色,即所行之事有相對之表相可見者,如行住坐臥、取捨、屈伸。]。◯心所法中には、その意図は分類されない(
In its classification as a mental factor, it does not have its own seeds
)。別に『大智度論巻13上注:表色』あり。 |
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復次殺他得殺罪。非自殺身 |
復た次ぎに、他を殺せば、殺罪を得、自ら身を殺すに非ず。 |
復た次ぎに、
『他』を、
『自ら!』の、
『身』を、
『殺しても!』、
『殺罪ではない!』。
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心知眾生而殺。是名殺罪。不如夜中見人謂為杌樹而殺者。 |
心に、衆生と知りて殺せば、是れを殺罪と名づけ、夜中に、人を見て、謂いて杌樹と為して、殺す者の如きにあらず。 |
『心』に、
是れは、
『衆生である!』と、
『知って!』、
『殺す!』ならば、
是れを、
『殺罪』と、
『称する!』が、
『夜』中に、
『人』を、
『見て!』、
是れは、
『杌樹である!』と、
『思って!』、
『殺した!』とすれば、
是れは、
『殺罪』と、
『同じではない!』。
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杌樹(ごつじゅ):枝葉を切り払い、幹のみ残せる樹。 |
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故殺生得殺罪。非不故也。 |
故(ことさ)らに生を殺せば、殺罪を得う、故ならざるに非ざるなり。 |
『故意に!』、
『衆生』を、
『殺せば!』、
『殺罪』を、
『得る!』が、
『故意でなければ!』、
『殺罪ではない!』。
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快心殺生得殺罪非狂癡。 |
心を快くして生を殺せば、殺罪を得、狂癡なるに非ず。 |
『心』を、
『快くして!』、
『衆生』を、
『殺せば!』、
『殺罪』を、
『得る!』が、
『心』が、
『狂癡であって!』、
『殺す!』のは、
『殺罪ではない!』。
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快心(かいしん):満足。
狂癡(ごうち):狂人と、癡人。 |
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命根斷是殺罪。非作瘡 |
命根を断ず、是れ殺罪なり、瘡を作るに非ず。 |
『命根』を、
『断つ!』ことが、
『殺罪であり!』、
『瘡( きず)』を、
『作る!』のは、
『殺罪ではない!』。
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命根(みょうこん):梵語 jiiviteendriya、即ち衆生の寿命。倶舎、唯識には、これを以って心不相応行法の一と為し、また倶舎七十五法の一、唯識百法の一と為す。過去の仰由り引生する所にして、衆生の身心在りて一期(此の世に受生してより、以って死亡に至る)相続する間に在り、煖(体温)と識とを維持する者にして、その体を寿と作す。これを言い換うれば、煖と識とに依りて一期の間、維持する者を、即ち称して命根と為す。<(佛)『大智度論巻61下注:命根』参照。 |
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身業是殺罪。非但口教敕 |
身業は、是れ殺罪なり、但だ口に教勅するには非ず。 |
『身業』が、
『殺罪である!』。
但だ、
『殺業』が、
『無く!』、
『口』で、
『教勅しただけ!』ならば、
『殺罪ではない!』。
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敕(ちょく):目上が目下に命ずることば。命令。 |
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口教是殺罪。非但心生如是等名殺罪。不作是罪名為戒。 |
口に教うれば、是れ殺罪なり、但だ心に生ずるに非ず。是の如き等を殺罪と名づけ、是の罪を作さざるを、名づけて戒と為す。 |
『口』で、
『教えて!』、
『殺業』が、
『生じれば!』、
是れは、
『殺罪である!』が、
但だ、
『心』に、
『殺意』を、
『生じただけで!』、
『殺業』が、
『生じた!』としても、
『殺罪ではない!』。
是れ等を、
是の、
『罪』を、
『作さない!』ことを、
『戒』と、
『称する!』。
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若人受戒心生口言。我從今日不復殺生。若身不動口不言。而獨心生自誓。我從今日不復殺生。是名不殺生戒。 |
若し人、受戒して、心生じ、口に、『我れは、今日より、復た生を殺さず』と言い、若しは身動かず、口に言わずして、独り心生じて、自ら、『我れは、今日より、復た生を殺さず』と誓えば、是れを不殺生戒と名づく。 |
若し、
『人』が、
『受戒して!』、
『心』が、
『生じ!』、
『口』に、こう言うか、――
若しくは、
『身』は、
『動かず!』、
『口』には、
『言わなくても!』、
『心』に、
是れを、
『不殺生の戒』と、
『称する!』。
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有人言。是不殺生戒或善或無記。 |
有る人の言わく、『是の不殺生戒は、或いは善、或いは無起なり』、と。 |
有る人は、
こう言っている、――
是の、
『不殺生戒』は、
或いは、『善であり!』、
或いは、『無記である!』、と。
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問曰。如阿毘曇中說。一切戒律儀皆善。今何以言無記。 |
問うて曰く、阿毘曇中に説くが如きは、一切の戒、律儀は、皆善なりと。今は何を以ってか、無記を言う。 |
問い、
『阿毘曇』中などは、こう説いている、――
一切の、
『戒』と、
『律儀』とは、
皆、
『善である!』、と。
今は、
何故、こう言うのですか?――
『無記である!』、と。
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答曰。如迦栴延子阿毘曇中言一切善。如餘阿毘曇中言。不殺戒或善或無記。何以故。若不殺戒常善者。持此戒人應如得道人常不墮惡道。以是故或時應無記。無記無果報故。不生天上人中。 |
答えて曰く、迦旃延子阿毘曇中の如きは、一切は善なりと言うも、余の阿毘曇中の如きには、不殺戒は或いは善、或いは無記なりと言えり。何を以っての故に、若し不殺戒にして、常に善ならば、此の戒を持する人は、応に得道の人の如く、常に悪道に堕せざるべし。是を以っての故に、或いは時に、応に無記なるべし。無記は、果報無きが故に、天上、人中にも生ぜず。 |
答え、
『迦旃延子阿毘曇』中などは、
その他の『阿毘曇』中などには、
こう言っている、――
『不殺の戒』は、
或いは、『善であり!』、
或いは、『無記である!』、と。
何故ならば、
若し、
『不殺の戒』が、
『常に!』、
『善である!』ならば、
此の、
『戒』を、
『持つ!』、
『人』は、
『道』を、
『得た!』、
『人』と、
『同じように!』、 常に、
『悪道』に、
『堕ちることがない!』、
是の故に、
或いは、
時には、
『無記のはず!』であり、
若し、
『無記ならば!』、
『果報』が、
『無い!』が故に、
『天上』や、
『人中』には、
『生まれない!』。
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迦旃延子阿毘曇(かせんねんしあびどん):迦旃延の造、「八揵度阿毘曇」の異名。『大智度論巻2(上)注:八揵度阿毘曇』参照。 |
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問曰。不以戒無記故墮地獄。更有惡心生故墮地獄。 |
問うて曰く、戒の無記なるを以っての故に、地獄に堕すにあらず。更に悪心の生ずる有るが故に、地獄に堕するなり。 |
問い、
『戒』が、
『無記である!』が故に、
『地獄』に、
『堕ちるのではない!』。
更に、
有る、
『悪心』が、
『生じた!』ので、
是の故に、
『地獄』に、
『堕ちるのである!』。
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答曰。不殺生得無量善法。作無作福常日夜生故。若作少罪有限有量。何以故。隨有量而不隨無量。以是故知。不殺戒中或有無記。 |
答えて曰く、不殺生は、無量の善法を得、作無作の福、常に日夜に生ずるが故に、若しは少罪を作すも、有限有量なり、何を以っての故に、有量に隨いて、無量に隨わざればなり。是を以っての故に知る、不殺戒中にも、或いは無記有り。 |
答え、
『不殺生』は、
『不殺生』は、
『作( 外に表れた!)』と、
『無作( 外に表れない!)』との、
『福』が、
常に、
『日夜』に、
『生じて!』、
『無量である!』が故に、
若し、
『少罪』を、
『作した!』としても、
『有限であり!』、
『有量である!』、
何故ならば、
『少罪』は、
『有量』の、
『心』に、
『隨い!』、
『無量』には、
『隨わないからである!』。
是の故に、
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作無作(さむさ):戒律の語。新訳にはこれを表無表と謂い、旧訳にはこれを作無作と謂う。作とは、身口の造作の義なり、表とは、身口の表彰の義なり。成実論には、これを教無教と謂う、人の身口の作業を教示する義なり。また作を無作に対して有作とも称し、即ち有相と同義なり。「伝通記雑鈔巻5」に、「旧訳の経論には有作無作と云い、新訳の経論には安立非安立と云う。安立とは有作の義なり、非安立とは無作の義なり」と云えり。また、有作とは、猶「有為」と言うべし、謂わゆる因縁所生の法なり。無作とは、無因縁の造作を云う、無為と言うが如し。<(丁) |
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復次有人不從師受戒。而但心生自誓。我從今日不復殺生。如是不殺或時無記。 |
復た次ぎに、有る人は、師に従うて受戒せず、但だ心に生じて、自ら誓うらく、『我れは、今日より、復た生を殺さず』、と。是の如き不殺は、或いは無記なり。 |
復た次ぎに、
有る人は、
但だ、
『心』が、
『生じて!』、
自ら、こう誓うのみである、――
是のような、
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問曰。是不殺戒何界繫。 |
問うて曰く、是の不殺戒は、何なる界の繋なり。 |
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答曰。如迦栴延子阿毘曇中言一切受戒律儀。皆欲界繫。 |
答えて曰く、迦旃延子阿毘曇中の如きに言わく、『一切の受戒、律儀は、皆、欲界繋なり』、と。 |
答え、
『迦旃延子阿毘曇』中などには、
こう言っている、――
一切の、
『受戒』や、
『律儀』は、
皆、
『欲界』の、
『繋である!』、と。
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餘阿毘曇中言。或欲界繫或不繫。以實言之應有三種。或欲界繫或色界繫或無漏。殺生法雖欲界。不殺戒應隨殺在欲界。但色界不殺。無漏不殺遠遮故。是真不殺戒。 |
余の阿毘曇中に言わく、『或いは欲界繋、或いは不繋なり』、と。実を以って之を言わば、応に三種有るべし、或いは欲界繋、或いは色界繋、或いは無漏なり。殺生の法は、欲界なりと雖も、不殺戒は、応に殺に随うて、欲界のみに在るべし、但だ色界の不殺、無漏の不殺は、遠く遮するが故に、是れ真の不殺戒なり。 |
その他の、『阿毘曇』中などには、
こう言っている、――
或いは、
『欲界繋であり!』、
或いは、
『不繋である!』、と。
『実』を言えば、――
『不殺の戒』には、
『三種』、有るはずであり、――
或いは、
『欲界繋であり!』、
或いは、
『色界繋であり!』、
或いは、
『無漏である!』。
『殺生』という、
『不殺』という、
『戒』も、
『殺生』に、
『隨って!』、
『欲界』に、
『在るはずである!』が、
但だ、
『色界』の、
『不殺』と、
『無漏』の、
『不殺』とは、
『殺生』を、
『遠く!』から、
『遮る!』が故に、
是れが、
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復次有人不受戒。而從生已來不好殺生。或善或無記是名無記。是不殺生法非心非心數法亦非心相應。或共心生或不共心生。 |
復た次ぎに、有る人は、受戒せざるも、生じて已来、殺生を好まざれば、或いは善、或いは無記なれば、是れを無記と名づく。是の不殺生の法は、心なるに非ず、心数法に非ず、亦た心相応に非ず、或いは心と共に生じ、或いは心と共に生ぜず。 |
復た次ぎに、
有る、
『人』は、
『戒』を、
『受けない!』が、
『生まれつき!』、
『殺生』を、
『好まない!』ので、
是れは、
或いは、
『善である!』か、
或いは、
『無記である!』ので、
是れを、
『無記』と、
『称するのである!』。
是の、
『不殺生』という、
『法』は、――
『心でもなく!』、
『心数法でもなく!』、
『心相応法でもない!』が、
或いは、
或いは、
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心(しん):心の本体、識の自相を云う。『大智度論巻11(上)注:五位、事理五法』参照。
心数法(しんじゅほう):心と相応して起こる受、想、思等の法。『大智度論巻11(上)注:五位、事理五法』参照。
心相応(しんそうおう):心と相応して起こる法。五法中より心不相応法と無為法とを除き、残りの色法、心法、心所法を云う。『大智度論巻5(上)注:心相応行』参照。
五法(ごほう):五位、事理五法とも称して、一切法を五種に分類す。即ち、一に色法、心法と心所法の所変、物質的なるものを云い、倶舎、唯識倶に、五根五境と法処所摂色(意識のみの対象)の十一を立つ。二に心法、また心、心王とも称す。心の本体、識の自相、五蘊の内の識蘊、主体的な心の働きを云い、倶舎には唯一の心王を立て、唯識には眼等の八種の心王を立つ。三に心所法、また心所、心数法とも称す。細々した心の働きを云い、上の八識と相応して起る、即ち受、想、思、触、欲、慧、念等を云う。倶舎には四十六を立て、唯識には五十一を立つ。四に不相応行法、また不相応、不相応法、不相応行とも称す。上の三法に従属せず、心とも色とも相応せざる働き、即ち、物が生じたり滅したりする力を云う。また、上の三法のある部分の位を仮りて設くる説もあり、それには得、非得、衆同分、命根、無想果、無想定等、倶舎には十四を立て、唯識には二十四を立つ。五に無為法、上の四法の実性にして因縁和合の所造に非ず、生滅せざるものを云い、択滅、非択滅、虚空等、倶舎には三を立て、唯識には六を立つ。 |
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迦栴延子阿毘曇中言。不殺生是身口業。或作色或無作色。或時隨心行或不隨心行。(丹注云隨心行定共戒不隨心意五戒)非先世業報。二種修應修。二種證應證。(丹注云身證慧證)思惟斷一切欲界最後得見斷時斷。凡夫聖人所得是色法。或可見或不可見法。或有對法或無對法。有報法有果法。有漏法有為法有上法。(丹注云非極故有上)非相應因。如是等分別是名不殺戒。 |
迦旃延子阿毘曇中に言わく、『不殺生は、是れ身、口の業にして、或いは作色、或いは無作色なり。或いは時に随心の行、或いは随心にあらざる行なり(丹注に云わく、随心行は定共戒なり、心意に隨わざるは、五戒なり)。先世の業報に非ず。二種の修を応に修すべく、二種の証を応に証すべし(丹注に云わく、身証、慧証なり)。思惟にて一切を断じ、欲界の最後に見断を得る時断ず。凡夫と聖人の所得にして、是れ色法の、或いは可見、或いは不可見の法、或いは有対の法、或いは無対の法、有報の法、有果の法、有漏の法、有為の法、有上の法なり(丹注に云わく極に非ざるが故に有上なり)。相応因に非ず』、と。是の如き等の分別、是れを不殺戒と名づく。 |
『迦旃延子阿毘曇』中には、
こう言っている、――
『不殺生』とは、――
『身』と、
『口』の、
『業であり!』、
或いは、
『作色(外に表れるもの)であり!』、
或いは、
『無作色(外に表れないもの)であり!』、
或るいは、
時には、
『心行(心の動き)』に、
『隨う!』が、
或いは、
『心行』に、
『隨わない!』、
『先世』の、
『業』の、
『報でなく!』、
『二種』の、
『修(得修、行修)』で、
『修めるべきであり!』、
『二種』の、
『証(身証、慧証)』で、
『証すべきであり!』、
『思惟道』で、
『一切が!』、
『断じられる!』が、
『欲界の最後』に、
『見断』を、
『得た!』時にも、
『断じられ!』、
『凡人』と、
『聖人』との、
『所得である!』。
是れは、
『色法であって!』、
或いは、
『可見である!』か、
或いは、
『不可見であり!』、
或いは、
『有対(五根の対象)の法である!』か、
或いは、
『無対(意根のみの対象)の法であり!』、
『有報の法であり!』、
『有果の法であり!』、
『有漏の法であり!』、
『有為の法であり!』、
『有上の法である!』が、
『相応因ではない!』、と。
是れ等のような、
『分別』、
是れを、
『不殺の戒』と、
『称する!』。
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作色(さしき)無作色(むさしき):新訳にいう表色、無表色なり。受戒の時、受者の身口を以って受戒の相を外に表すが如きを作色と云い、この表業を縁として満身の四大所造の色体を無作色と云う。
表色(ひょうしき):表示する色の意。自心を表示して他をして知らしむる一種の形色にして、即ち身の屈伸動作を云う。「大毘婆沙論巻122」に、「形の了すべくして顕に非ずとは、謂わく身表色なり」と云い、「瑜伽師地論巻1」に、「彼の所縁とは謂わく色にして有見有対なり。此れに復た多種あり、略説せば三あり、謂わく顕色と形色と表色なり。(中略)表色とは謂わく取捨屈伸行住座臥、かくの如き等の色なり。また(中略)表色とは謂わく即ち此の積集の色生滅相続し、変異の因に由り、先に生ぜし処に於いて復た重ねて生ぜずして異処に転じ、或は無間、或は有間、或は近、或は遠にして差別して生じ、或は即ち此の処に於いて変異して生ず。是れを表色と名づく」と云えるこれなり。これ有情の身が行住座臥屈伸動作することによりて種種の行状姿態を生ずるを表色と名づけたるなり。説一切有部に於いては、これを顕形二色の中の形色の所摂となすも、唯識家にては顕形二色の外に別に表色を立て、色に総じて三種ありとなすなり。また「成唯識論了義灯巻2末」に、唯色処中に於いてのみ表色を立て、声処中にはこれを別立せざる所以を明し、「問う、何故に色の中には別に表色を立て、声の中には何故に表色を立てざるや。答う、色法は顕現なり、故に別に表を立つ、声の相は知り難し、故に別に立てず。方円長短も類して亦た知るべし。また解す、色の中の形色は表に非ざるものあれば、色の中に別に表を立つ。声の中の情名は必ずこれ表なり、表に非ざるものなきが故に別に立てず」と云えり。これ形色中には表に非ざるものあるが故に別に表色を立つるも、声の中の有情名は皆表示あるが故に、声処中には別に表色を立てざるの意を明にせるなり。また「大毘婆沙論巻75」、「倶舎論巻1」、「顕揚聖教論巻1」、「成唯識論巻1」、「同述記巻2本」等に出づ。<(望)
無表色(むひょうしき):梵語 a- vijJapti -ruupa の訳。表示する能わざる色の意。また無作色、或は不更色と訳し、略して無表、無作、または無教と称す。七十五法の一。即ち身中に相続恒転して防非止悪若しくはこれに反する功能を有する無見無対の色法を云う。「入阿毘達磨論巻上」に、「無表色とは、謂わく能く自ら諸の心心所の転変差別を表するが故に名づけて表と為す、彼れと同類なるも而も表すること能わざるが故に無表と名づく。此れ相似に於いて遮止の言を立つ、刹帝利等に於いて非婆羅門等と説くが如し。無表の相とは謂わく心を表する大種の差別に由り、睡眠と覚と乱と不乱心、及び無心位に於いて善不善の色相続して転ずることあり、積集すべからず。是れ能く苾芻等を建立するの因なり」と云い、また「倶舎論巻1」に、「無表色の相は、今次ぎに当に説くべし。頌に曰わく、乱心無心等に随流して浄不浄なり、大種所造の性なり、此れに由りて無表と説く。論じて曰わく、乱心とは謂わく此の余の心なり、無心とは謂わく無想及び滅尽定に入るなり、等の言は不乱と有心とを顕示す。相似相続するを説いて随流と名づけ、善と不善とを浄不浄と名づく。諸得の相似相続に簡せんが為に、この故に復た大種の所造と言う。毘婆沙に説く、造はこれ因の義なり、謂わく生等の五種の因となるが故なり。立名の因を顕すが故に由此と言う、無表は色業を以って性となすこと有表業の如しと雖も、而も表示して他をして了知せしむるに非ず、故に無表と名づく」と云えるこれなり。これ無表は四大種所造にして、色業を以って性となすこと身語の有表業の如くなるも、これを表示して他に了知せしむる能わざるが故に無表と名づくることを説き、また此の無表に浄不浄の別あり、有心無心、睡眠及び覚時、並びに其の善不善と同性の不乱心、同性ならざる乱心の位にも常に相似相続して転ずることを示し、即ち善戒、悪戒の体にして、防非止悪若しくはこれに反する功能あるものなることを明にするの意なり。この中、無表に浄不浄の二種ありとは、善心等起の無表を浄とし、不善心等起の無表を不浄となせるものにして、即ち無記の無表なきことを顕す。「倶舎論巻13」に、「無表は唯善不善性に通じ、無記あることなし。所以は何ぞ、無記心の勢力は微劣にして、強業を引発して生ぜしめ、因滅する時も果仍お続起すべきこと能わざるを以ってなり」と云える即ち其の意なり。就中、善心等起の無表はこれを律儀と名づく、これ悪戒の相続を能く遮し、能く滅す。不善心等起の無表を不律儀と名づく、これ善戒の相続を能く遮し、能く滅す。また此の二に非ざるものを非律儀非不律儀と名づく。初の律儀に亦た別解脱律儀、静慮律儀、無漏律儀の三あり。別解脱律儀は謂わゆる欲界の戒にして、即ち作礼乞戒の身語表業に由りて得する無表を云う。これに苾芻、苾芻尼、正学、勤策、勤策女、近事、近事女、近住の八種の律儀あり。各尽形寿若しくは一日一夜を要期し、僧伽等に随って五、八、十、具の戒を受得す。「倶舎論巻14」に、「受戒の時、初の表無表は別別に種種の悪を棄捨す、故に初の別捨の義に依りて別解脱の名を立つ。即ち爾の時に於いて所作究竟すれば、業暢の義に依りて業道の名を立つ。(中略)第二念より乃至未だ捨せざる別解脱と名づけず、別解律儀と名づけ、業道と名づけず、名づけて後起となす」と云い、「順正理論巻2」に、「善心の等起を浄の無表と名づけ、相似相続を説いて律儀となす」と云えり。これ受戒の時、初刹那の表無表は別別に諸悪を棄捨するが故に別解脱又は根本業道と名づけ、第二念以後は唯無表のみ相似相続するが故に、但だ律儀又は後起と名づくることを説けるものなり。静慮律儀は謂わゆる色界の戒にして、即ち静慮地の心を得るに由りて得する無表を云い、無漏律儀は謂わゆる無漏戒にして、即ち無漏を得たる聖者の成就する所の無表を云うなり。此の静慮及び無漏の二は随心転の戒にして、唯静慮及び無漏の心と俱生し、別解脱律儀の如く乱心又は無心に転ずることなし。次ぎに不律儀は、謂わゆる悪戒にして、又悪律儀と名づけ、即ち不律儀の家に生在し、又は余家に生ずるも活命の為に要期して殺等の事を受くる時これを得す。非律非不律儀は又処中とも名づけ、即ち律儀の如く五、八、十、具の戒を受くるに非ず、また不律儀の如く活命を要期して悪戒を得するにも非ず、但だ用若しくは重行等に由りて得する無表を称したるものにして、その体は亦た善不善を出でざるなり。蓋し説一切有部に於いては無表は皆四大種の所造にして実色なりとし、これを十一種の色の中に摂するなり。就中、欲界の戒は、初念の無表は現在の大種を親所依として生ず、故にこの能造の大種には具さに生、依、立、持、養の五因の義あり。第二念以後の無表は過去の初念の大種を親転因とし、各現身の大種を疎依として随転すとなす。即ち輪を地に転ずるに手を親転因とし、地を随転依となすが如し。但し色界の戒は随心転なるが故に共に必ず同時の大種所造なり。無色界には大種なきが故に無表も亦た無し。「順正理論巻2」に、「諸師は咸くこの説を作す、諸の所造の色に二種の依あり、一に生起依、二に力転依なり。聖の無色に生ずるは力転依に由る、大種無きが故なり。無漏の無表は復た成就すと雖も、而も現行せず」と云えり。また説一切有部に於いて唯色を以って戒体となすに関し、「大毘婆沙論巻140」に、「何故に戒体は唯色なるや。答う、悪色の起こるを遮するが故なり。またこれ身語業の性なるが故に、身語二業は色を体と為すが故なり。問う、何故に意業は戒に非ざるや。答う、親しく悪戒を遮すること能わざるが故なり。問う、何故に悪戒は意業に非ざるや。答う、未離欲の者は皆不善の意業を成就す、彼れ豈に悉く犯戒、或は不律儀と名づけんや。この故に悪戒は意業に非ず。また善の意業も若しこれ善戒ならば、則ち応に一切の善を断ぜざる者は悉く律儀に住すと名づくべし。彼れ皆善の意業を成就するが故なり」と云えり。これ戒体は身語業の性なれば唯色を以ってその体と為すべく、若し意業を以って戒体とせば親しく悪戒を遮する能わず、また種種の難あることを明にせるなり。かくの如く説一切有部に於いては無表を以って実色となすも、成実家にはこれを非色非心として心不相応行蘊に摂し、経量部並びに大乗唯識家にては、その実有を認めず、強勝なる思の心所が善悪の表業を発して熏成する種子の上に仮立し、また「菩薩瓔珞本業経」等には心法を以って戒体とし、別に無表ありと言わず。その他古来異説する所少なからず。また「大乗義章巻7」には「成実論巻8九業品」の説に依り、無作に形俱、心俱、要期、悕望、作俱、従用、事在、異縁、助縁の九種の別ありとし、五戒出家戒等を形俱の無作、定道二戒等を心俱の無作、八戒等を要期の無作、期限を作さずして自ら悕心に従うを悕望の無作、善悪業を造作する時の如きを作俱の無作、橋梁等を作りて人の受用するに随って生ずるを従用の無作、塔厠等を造作して壊せざる間の善を事在の無作、書を以って口業を成ずるが如きを異縁の無作、他を教えて自ら罪福を得しむるが如きを助縁の無作となすと云えり。また「品類足論巻1」、「大毘婆沙論巻119、巻122」、「雑阿毘曇心論巻3」、「倶舎論巻15」、「順正理論巻35、巻36」、「成実論巻7、巻8」、「大乗成業論」、「成唯識論巻1」、「菩薩戒経義疏巻上」、「倶舎論光記巻13」、「大乗法苑義林章巻3末」等に出づ。<(望)
随心行(ずいしんぎょう):心行、即ち分別、思量に随って生起する法の意。『大智度論巻20(下)注:随心行』参照。
定共戒(じょうぐかい):定と共に生ずる戒の意。二戒の一、三戒の一、四戒の一、若しくは五戒の一なり。「優婆塞戒経巻7」に、「また復た戒を学と名づく、調伏心、智慧、諸根を学すれば、この故に学と名づく。善男子、或は時に、ある人は一戒を具足す、謂わゆる波羅提木叉戒なり、或は二戒を具し、定共戒を加う、或は三戒を具し、無漏戒を加う、或は四戒を具し、摂根戒を加う、或は五戒を具し、無作戒を具す。善男子、波羅提木叉は現在に得、定共戒は三世の中に得」と云い、「大智度論巻22」に、「念戒とは、戒に二種有り、有漏戒、無漏戒なり、有漏にも、また二種有り、一には律儀戒、二には定共戒なり」と云い、また「阿毘曇甘露味論巻上」に、「無教に三種あり、一には無漏、二には定共、三には戒律儀なり。云何が無漏戒なる、正語、正業、正命なり。云何が定共戒なる、禅を得て欲、悪法を離る。云何が戒律儀なる、受戒の時、善有漏の身口行を得」と云えるこれなり。また静慮生律儀とも名づく。初禅、二禅等の諸の禅定に入りて、則ち禅定と共に生じて、自然に防非、止悪の戒体にして、身口の所作の尽く律儀に契うを云う。「倶舎論巻14」に、「静慮生とは、謂わゆるこの律儀は、静慮より生じ、或は静慮に依る。若し静慮を得れば、定はこの律儀を成ず」と云い、「七十五法名目」に、「静慮律儀、また定共戒とも名づく、定と同時なるが故なり」と云えるこれなり。<(丁)
二種修(にしゅのしゅ):即ち得修、及び行修なり。『大智度論巻11(下)注:得修、行修』参照。
二種証(にしゅのしょう):即ち身証、慧証なり。丹注に依る。
思惟断(しゆいだん):また修道、思惟道とも称し、見道、無学道と共に三道の一。『大智度論巻2(上)注:見諦断、思惟断、巻3(下)注:三道』参照。
見断(けんだん):また見諦断、見道とも称し、修道、無学道と共に三道の一。『大智度論巻2(上)注:三道』参照。
有対法(うたいほう)、無対法(むたいほう):対象に拘束される法を有対、拘束されない法を無対と称す。『大智度論巻2(上)注:有対、無対』参照。
有上法(うじょうほう):最極に非ざる法なり。丹注に依る。
相応因(そうおういん):六因の一。同時相応の心心所法が更に互いに展転して因となるを云う。『大智度論巻32(上)注:六因』参照。 |
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問曰。八直道中戒亦不殺生。何以獨言不殺生戒有報有漏。 |
問うて曰く、八直道中の戒も、亦た不殺生なり。何を以ってか、独り、『不殺生戒は、有報、有漏なり』と言える。 |
問い、
『八正道( 無漏道)』中の、
何故、
勝手に、こう言うのか?――
『不殺生の戒』は、
『有報であり!』、
『有漏である!』、と。
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八直道(はちじきどう):八種の直に涅槃に趣く道の意、即ち八正道:正見、正思惟、正語、正業、正命、正方便、正念、正定をいう。『大智度論巻18上:八正道』参照。 |
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答曰。此中但說受戒律儀法。不說無漏戒律儀。 |
答えて曰く、此の中には、但だ受戒の律儀の法を説いて、無漏戒の律儀は説かず。 |
答え、
此の中には、
但だ、
『受戒』の、
『律儀』を、
『説いたのであり!』、
『無漏戒』の、
『律儀』を、
『説いたのではない!』。
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復次餘阿毘曇中言。不殺法常不逐心行。非身口業。不隨心業行。或有報或無報非心相應法或有漏或無漏。是為異法。餘者皆同。 |
復た次ぎに、余の阿毘曇中に言わく、『不殺の法は、常に心行を逐わず、身口の業に非ず、不随心の業行にして、或いは有報、或いは無報、心相応法に非ず、或いは有漏、或いは無漏なり』、と。是れを異法と為し、余は皆同じなり。 |
復た次ぎに、
その他の、『阿毘曇』中には、
こう言っている、――
『不殺の法』は、
常に、
『心行』に、
『随逐せず!』、
『身』と、
『口』の、
『業でもなく!』、
『心』に、
『隨わない!』、
『行業であり!』、
或いは、
『有報であり!』、
或いは、
『無報であり!』、
『心相応』の、
『法ではなく!』、
或いは、
『有漏であり!』、
或いは、
『無漏である!』、と。
是れが、
『迦旃延子阿毘曇』と、
『異なった!』、
『法(分)であり!』、
その他は、
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復有言。諸佛賢聖不戲論諸法。(丹注云種種異說名為戲也)現前眾生各各惜命。是故佛言。莫奪他命。奪他命世世受諸苦痛。眾生有無後當說。 |
復た有るいは言わく、『諸仏、賢聖は、諸法を戯論したまわず(丹注に云わく、種種の異説を名づけて、戯と為す)。現前の衆生は、各各命を惜めり。是の故に仏は、他の命を奪う莫かれ、他の命を奪わば、世世に諸の苦痛を受くと言えり』、と。衆生の有無は、後に当に説くべし。 |
復た、
有る人は、こう言っている、――
諸の、
現前の、
是の故に、
『仏』は、
こう言われるのである、――
『他』の、
『命』を、
『奪うな!』。
『他』の、
『命』を、
『奪えば!』、
『世世』に、
『衆生』の、
『有、無』については、
『後に!』、
『説くことになろう!』。
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問曰。人能以力勝人并國殺怨。或田獵皮肉所濟處大。令不殺生得何等利。 |
問うて曰く、人は、能く力の人に勝るを以って、国を併せて、怨を殺す。或いは田猟し、皮肉の済う所の処は大なり。不殺生せしめて、何等の利か得ん。 |
問い、
『人』は、
『人』より、
『勝れた!』、
『力』を、
『用いて!』、
『国』を、
『併合したり!』、
『怨賊』を、
『殺したりできる!』し、
或いは、
『田猟した!』、
『皮』や、
『肉』は、
『役立つ!』、
『処』が、
『大きい!』。
『不殺生させる!』ことで、
何のような、
『利』が、
『得られるのですか?』。
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済(さい):すくう。渡る/困苦の人に幇助を加える/補助する( cross a river, aid, help )。
田猟(でんろう):狩猟( hunt )、野生の鳥獣を捕捉すること。 |
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答曰。得無所畏安樂無怖。我以無害於彼故。彼亦無害於我。以是故無怖無畏。好殺之人雖復位極人王。亦不自安。如持戒之人。單行獨遊無所畏難。 |
答えて曰く、無所畏と、安楽と、無怖を得。我れは、彼れを害すること無きを以っての故に、彼れも、亦た我れを害すること無し。是を以っての故に、無怖、無畏なり。殺を好む人は、復た位人王に極まると雖も、亦た自らを安んぜず。持戒の人の如きは、単行、独遊して、畏難する所無し。 |
答え、
『無所畏』と、
『安楽』と、
『無怖』とを、
『得させられる!』。
謂わゆる、――
わたしは、
彼れを、
『害する(殺す)!』ことは、
『無い!』が故に、
彼れも、
わたしを、
『害する!』ことは、
『無い!』、と。
是の故に、
『恐怖する!』ことも、
『怖畏する!』ことも、
『無いのである!』、
『殺生』を、
『好む!』、
『人』は、――
たとえ、
『位』が、
『人王』に、
『極まった!』としても、
亦た、
『自らを!』、
『安んじられない!』が、
『持戒』の、
『人』などは、――
『単独で!』、
『遊行しても!』、
『畏れる!』ような、
『難儀』は、
『無い!』。
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畏難(いなん):困難を畏れる( be afraid of difficulty )。 |
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復次好殺之人。有命之屬皆不喜見。若不好殺。一切眾生皆樂依附。 |
復た次ぎに、殺を好む人を、有命の属は、皆見るを喜ばず。若し殺を好まざれば、一切の衆生は、皆楽しんで依附す。 |
復た次ぎに、
『殺生』を、
『好む!』、
『人』を、――
『命』を、
『有する!』、
『属』は、
皆、
『見る!』のを、
『喜ばない!』が、
若し、
『殺生』を、
『好まなければ!』、
一切の、
『衆生』は、
皆、
『楽しんで!』、
『従属する(なつく)!』。
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依附(えふ):附著する/付属物となる( become an appendage to )、依頼する/従属する( depend on, attach
oneself to )。 |
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復次持戒之人。命欲終時其心安樂無疑無悔。若生天上若在人中常得長壽。是為得道因緣。乃至得佛住壽無量。 |
復た次ぎに、持戒の人は、命の終らんと欲する時、其の心安楽にして、疑無く、悔無く、若しは天上に生じ、若しは人中に在りて、常に長寿を得れば、是れを道を得る因縁と為して、乃至仏を得れば、寿を住すること無量なり。 |
復た次ぎに、
『持戒の人』は、
『命』の、
『終ろうとする!』時にも、
其の、
『心』は、
『安楽』で、
『疑うことも無く!』、
『悔やむことも無く!』、
若し、
『天上』か、
『人中』に、
『生まれた!』としても、
常に、
『長寿』を、
『得る!』ので、
是れが、
乃至、
『仏』を、
『得る!』まで、
『寿』を、
『無量に!』、
『住めることができる!』。
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復次殺生之人。今世後世受種種身心苦痛。不殺之人無此眾難。是為大利。 |
復た次ぎに、殺生の人は、今世、後世に種種の身心の苦痛を受くるも、不殺の人は、此の衆難無ければ、是れを大利と為す。 |
復た次ぎに、
『殺生の人』は、
『不殺の人』には、
此の、
『衆難』が、
『無い!』ので、
是れが、
『大利である!』。
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復次行者思惟。我自惜命愛身。彼亦如是與我何異。以是之故不應殺生。 |
復た次ぎに、行者の思惟すらく、『我れは、自ら命を惜み、身を愛す。彼れも亦た是の如く、我れと何んが異る』、と。是を以っての故に、応に殺生すべからず。 |
復た次ぎに、
『行者』は、こう思惟する、――
わたしは、
自ら、
『命』を、
『惜んで!』、
『身』を、
『愛する!』。
彼れも、
亦た、
是の通りである!。
わたしと、
何が、
『異なろう?』、と。
是の故に、
『行者』は、
当然、
『殺生するはずがない!』のである。
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復次若人殺生者。為善人所訶怨家所嫉。負他命故常有怖畏為彼所憎。死時心悔當墮地獄若畜生中。若出為人常當短命。 |
復た次ぎに、若し人、殺生すれば、善人の訶する所、怨家の嫉む所と為り、他の命を負うが故に、常に怖畏有りて、彼れの憎む所と為り、死する時には、心悔やみて、当に地獄、若しくは畜生中に堕ち、若し出でて人と為るも、常に当に短命なるべし。 |
復た次ぎに、
若し、
『人』が、
『殺生すれば!』、
『善人』には、
『叱られ!』、
『怨家』には、
『嫌悪され!』、
『他』の、
『命』を、
『負う!』が故に、
常に、
『怖畏』を、
『懐いて!』、
『彼れに!』、
『憎まれ!』、
『死ぬ!』時には、
『心』に、
若し、
『出て!』、
『人』と、
『為った!』としても、
常に、
『命』は、
『短い!』。
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嫉(しつ):ねたむ。嫉妬する/憎恨する( to envy, hate )。
訶(か):喧しく叱る/ののしる/悪態をつく( scold loudly, curse, abuse )。 |
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復次假令後世無罪。不為善人所訶怨家所嫉。尚不應故奪他命。何以故。善相之人所不應行。何況兩世有罪弊惡果報。 |
復た次ぎに、仮令(たとい)、後世に罪無くして、善人の訶する所、怨家の嫉む所と為らずとも、尚お応に故(ことさら)に他の命を奪うべからず。何を以っての故に、善相の人の、応に行うべからざる所なればなり。何に況んや、両世に罪と弊悪なる果報有るをや。 |
復た次ぎに、
若し、
『後世』に、
『罪』が、
『無く!』、
『善人』に、
『叱られず!』、
『怨家』に、
『嫉まれない!』としても、
尚お、
何故ならば、
『善相』の、
『人』は、
『殺生など!』、
『行うはずがない!』からである。
況して、
『今世』と、
『後世』に、
『罪』という、
『弊悪( 醜悪)な果報』とが
『有るので!』、
『尚更である!』。
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復次殺為罪中之重。何以故人有死急不惜重寶。但以活命為先。 |
復た次ぎに、殺を罪中の重しと為す。何を以っての故に、人に死の急なる有れば、重宝を惜まず、但だ活命を以って、先と為せばなり。 |
復た次ぎに、
『殺』は、
何故ならば、
『人』は、
『死』の、
『急(切迫)』が、
『有れば!』、
『高価な!』、
『宝も!』、
『惜しまない!』、
但だ、
『活命する!』ことのみが、
『優先する!』のである。
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重(じゅう):高価な。 |
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譬如賈客入海採寶。垂出大海其船卒壞珍寶失盡。而自喜慶舉手而言。幾失大寶。眾人怪言。汝失財物裸形得脫。云何喜言幾失大寶。答言。一切寶中人命第一。人為命故求財。不為財故求命。 |
譬えば、賈客の、海に入りて宝を採るが如し。大海に出づるに垂(なんな)んとして、其の船卒(にわ)かに壊れ、珍宝を失い尽くすも、自ら喜慶して、手を挙げて言わく、『幾(ほとん)ど大宝を、失わんとす』、と。衆人怪しみて言わく、『汝は、財物を失い、裸形にて、脱るるを得たり。何んが喜びて、幾ど大宝を失わんとすと言えり』、と。答えて言わく、『一切の宝中、人命は第一なり。人は、命の為めの故に財を求め、財の為めの故に命を求めず』と。 |
譬えば、こうである、――
『賈客』が、
『海』に、
『大海』に、
『出ようとする!』時、
其の、
『船』が、
『壊れて!』、
『宝』を、
『尽く!』、
『失ったのである!』が、
自らを、
『慶祝し!』、
『手』を、
『挙げて!』、
こう言った、――
ほとんど、
『大きな!』、
『宝』を、
『失うところであった!』、と。
『衆人』は、
怪しんで、こう言った、――
お前は、
『財物』を、
『失い!』、
『裸形』で、
『やっと!』、
『脱れられた!』のに、
何故、
『喜んで!』、こう言うのか?――
ほとんど、
『大きな!』、
『宝』を、
『失うところであった!』、と。
答えて、こう言った、――
一切の、
『宝』中には、
『人』は、
『命』の為めの故に、
『財』を、
『求める!』が、
『財』の為めの故に、
『命』を、
『求めるのではない!』、と。
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賈客(こきゃく):商人。
喜慶(ききょう):喜んでめでたいと思う。慶祝。
幾(き):ほとんど。もう少しで。 |
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以是故。佛說十不善道中殺罪最在初。五戒中亦最在初。 |
是を以っての故に、仏の説きたまえる十不善道中には、殺罪は最も初に在り、五戒中にも、亦た最も初に在り。 |
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若人種種修諸福德。而無不殺生戒則無所益。何以故。雖在富貴處生勢力豪強。而無壽命誰受此樂。 |
若し人、種種に諸の福徳を修するも、不殺生の戒無くんば、則ち益する所無し。何を以っての故に、富貴の処に在りて、生まれながらに勢力、豪強なりと雖も、寿命無ければ、誰か、此の楽を受けん。 |
若し、
『人』が、
種種に、
諸の、
『福徳』を、
『修めた!』としても、
而も、
『不殺生の戒』が、
『無ければ!』、
則ち、
『役立つ!』所が、
『無い!』。
何故ならば、
『富貴の処』で、
『生まれながらに!』、
『勢力』が、
『豪強だった!』としても、
『寿命』が、
『無ければ!』、
誰が、
『此の楽』を、
『受けるのか?』。
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以是故知。諸餘罪中殺罪最重。諸功德中不殺第一。 |
是の故に知る、諸余の罪中、殺罪は最も重く、諸の功徳中に、不殺は第一なり。 |
是の故に、
こう知る、――
諸の、
諸の、
『功徳』中には、
『不殺』が、
『第一である!』、と。
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世間中惜命為第一。何以知之。一切世人甘受刑罰刑殘考掠以護壽命。 |
世間中には、命を惜むこと、第一と為す。何を以ってか、之を知る、一切の世人は、刑罰、刑残、拷掠を甘受して、以って寿命を護ればなり。 |
『世間』中に、
『惜まれる!』のは、
『命』が、
『第一である!』。
何故、
これを知るのか?――
一切の、
『世人』は、
『刑罰』や、
『刑残』、
『拷掠』を、
『甘受してでも!』、 『寿命』を、 『護ろう!』と、
『思うからである!』。
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刑罰(ぎょうばつ):刑は身体を傷つけ、罰は鞭打つの意。
刑残(ぎょうざん):死刑に近き厳酷の刑罰。
考掠(こうりゃく):拷掠に同じ。打つ。 |
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復次若有人受戒心生。從今日不殺一切眾生。是於無量眾生中。已以所愛重物施與。所得功德亦復無量。 |
復た次ぎに、若しは、有る人、戒を受くるに心の生ずらく、『今日より、一切の衆生を殺さず』、と。是れ無量の衆生中に於いて、已に愛し、重んずる所の物を以って施与すれば、得る所の功徳も亦復た無量なり。 |
復た次ぎに、
若し、
有る人が、
『戒』を、
『受けて!』、
『心』を、
『生じたとする!』、――
今日より、
『一切の!』、
『衆生』を、
『殺さないぞ!』、と。
是れは、
已に、
『無量の!』、
『衆生』中に、
『愛され!』、
『重んじられる!』、
『物(命)』を、
『施与したことになり!』、
是の故に、
『得られる!』、
『功徳』も、
亦た、
『同じように!』、
『無量なのである!』。
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如佛說有五大施。何等五。一者不殺生是為最大施。不盜不邪婬不妄語不飲酒亦復如是。 |
仏の説きたもうが如し、『五大施有り、何等か五なる、一には不殺生、是れを最大の施と為す、不盗、不邪婬、不妄語、不飲酒も亦復た是の如し』、と。 |
例えば、
『仏』は、こう説かれた、――
『五大施』が有る、――
何のような、五か?
一には、
『不殺生』、
『不盗』、
『不邪婬』、
『不妄語』、
『不飲酒』も、
亦た、
是の通りである、と。
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復次行慈三昧其福無量。水火不害刀兵不傷。一切惡毒所不能中。以五大施故所得如是。 |
復た次ぎに、慈三昧を行えば、其の福無量にして、水火も害せず、刀兵も傷つけず、一切の悪毒の中(あ)つる能わざる所なるに、五大施を以っての故に得る所も是の如し。 |
復た次ぎに、
『慈三昧』を、
『行えば!』、
其の、
『福』が、
『無量であり!』、
『水』や、
『火』も、
『害せず!』、
『刀』や、
『兵』も、
『傷つけず!』、
一切の、
『五大施』の故に、
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復次三世十方中尊佛為第一。如佛語難提迦優婆塞。 |
復た次ぎに、三世、十方中の尊は、仏を第一と為すに、仏の難提迦優婆塞に語りたまえるが如し。 |
復た次ぎに、
『三世』の、
『十方』中に、
『尊ばれる!』者として、
『仏』が、
『第一である!』が、
『仏』は、
『難提迦優婆塞』に、こう語られている、――
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尊(そん):梵語 aarya の訳、非常に尊敬される人( a man highly esteemed )の義。
難提迦(なんだいか):梵名 nandika、釈氏長者名。また難提優婆塞、釈氏難提等と称す。「起世経巻10」に、「諸比丘、浄飯王は二子を生ず、一を悉達多と名づけ、二を難陀と名づく、白飯の二子は、一を帝沙と名づけ、二は難提迦なり、云々」と云う。また「雑阿含経巻30(855~858)」等に出づ。
泥梨(ないり):梵語 niraya、また泥黎、泥犁等に作り、地獄と訳す。<(丁) |
参考:『雑阿含経巻30』:『(八五五)如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。時。有難提優婆塞來詣佛所。稽首佛足。退坐一面。白佛言。世尊。若聖弟子於此五根一切時不成就者。為放逸。為不放逸。佛告難提。若於此五根一切時不成就者。我說此等為凡夫數。若聖弟子不成就者。為放逸。為不放逸。難提。若聖弟子於佛不壞淨成就。而不上求。不於空閑林中。若露地坐。晝夜禪思。精勤修習。勝妙出離。饒益隨喜。彼不隨喜已。歡喜不生。歡喜不生已。身不猗息。身不猗息已。苦覺則生。苦覺生已。心不得定。心不得定者。是聖弟子名為放逸。於法.僧不壞淨。聖戒成就亦如是說。如是。難提。若聖弟子成就於佛不壞淨。其心不起知足想。於空閑林中。樹下露地。晝夜禪思。精勤方便。能起勝妙出離隨喜。隨喜已。生歡喜。生歡喜已。身猗息。身猗息已。覺受樂。覺受樂已。心則定。若聖弟子心定者。名不放逸。法.僧不壞淨。聖戒成就亦如是說。佛說此經已。難提優婆塞聞佛所說。歡喜隨喜。從座起。禮佛足而去。(八五六)如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。時。有釋氏難提來詣佛所。稽首佛足。退坐一面。白佛言。世尊。若聖弟子於四不壞淨一切時不成就者。是聖弟子為是放逸。為不放逸。佛告釋氏難提。若於四不壞淨一切時不成就者。我說是等為外凡夫數。釋氏難提。若聖弟子放逸.不放逸。今當說。廣說如上。佛說此經已。釋氏難提聞佛所說。歡喜隨喜。從座起。作禮而去。(八五七)如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。前三月夏安居竟。有眾多比丘集於食堂。為佛縫衣。如來不久作衣竟。當著衣持缽出精舍。人間遊行。時。釋氏難提聞眾多比丘集於食堂。為佛縫衣。如來不久作衣竟。著衣持缽。人間遊行。釋氏難提聞已。來詣佛所。稽首禮足。退坐一面。白佛言。世尊。我今四體支解。四方易韻。先所聞法。今悉迷忘。聞眾多比丘集於食堂。為世尊縫衣言。如來不久作衣竟。著衣持缽。人間遊行。是故我今心生大苦。何時當復得見世尊及諸知識比丘。佛告釋氏難提。汝見佛.若不見佛。若見知識比丘.若不見。汝當隨時修習五種歡喜之處。何等為五。汝當隨時念如來事。如來.應.等正覺.明行足.善逝.世間解.無上士.調御丈夫.天人師.佛.世尊。法事.僧事.自持戒事.自行世事。隨時憶念。我得己利。我於慳垢眾生所。當多修習離慳垢住。修解脫施.捨施.常熾然施.樂於捨。平等惠施。常懷施心。如是。釋氏難提。此五支定若住.若行.若坐.若臥。乃至妻子俱。常當繫心此三昧念。佛說此經已。釋氏難提聞佛所說。歡喜隨喜。作禮而去(八五八)如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。前三月夏安居。時。有釋氏難提聞佛於舍衛國祇樹給孤獨園。前三月結夏安居。聞已。作是念。我當往彼。并復於彼造作供養眾事。供給如來及比丘僧。即到彼。三月竟。時。眾多比丘集於食堂。為世尊縫衣。而作是言。如來不久作衣竟。著衣持缽。人間遊行。時。釋氏難提聞眾多比丘集於食堂。言。如來不久作衣竟。著衣持缽。人間遊行。聞已。來詣佛所。稽首禮足。退住一面。白佛言。世尊。我今四體支解。四方易韻。先所受法。今悉迷忘。我聞世尊人間遊行。我何時當復更見世尊及諸知識比丘。佛告釋氏難提。若見如來.若不見。若見知識比丘.若不見。汝當隨時修於六念。何等為六。當念如來.法.僧事.自所持戒.自所行施。及念諸天。佛說此經已。釋氏難提聞佛所說。歡喜隨喜。作禮而去』 |
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殺生有十罪。何等為十。一者心常懷毒世世不絕。二者眾生憎惡眼不喜見。三者常懷惡念思惟惡事。四者眾生畏之如見蛇虎。五者睡時心怖覺亦不安。六者常有惡夢。七者命終之時狂怖惡死。八者種短命業因緣。九者身壞命終墮泥梨中。十者若出為人常當短命。 |
殺生には、十罪有り、何等か十と為す、一には、心に常に毒を懐きて、世世に絶えず。二には、衆生は憎悪して、眼に見るを喜ばず。三には、常に悪念を懐きて、悪事を思惟す。四には、衆生の之を畏るること、蛇虎を見るが如し。五には、睡時にも心怖れ、覚めて亦た安からず。六には、常に悪夢有り。七には、命終の時、狂怖して死を悪む。八には、短命の業の因縁を種う。九には、身壊れ、命の終われば、泥梨中に堕つ。十には、若し出でて、人と為れば、常に当に短命なるべし。 |
『殺生』には、
何のような、
『十か?』――
一には、
『心』に、
常に、
『毒』を、
『懐いて!』、
世世に、
『尽きることがない!』。
二には、
『衆生』は、
『憎悪して!』、
『眼』に、
『見る!』ことを、
『喜ばない!』。
三には、
常に、
『悪念』を、
『懐いて!』、
『悪事』を、
『思惟する!』。
四には、
『衆生』は、
之を、
『蛇』か、
『虎』を、
『見るように!』、
『畏れる!』。
五には、
『睡る!』時、
『心』が、
『怖れ!』、
『覚めても!』、
『不安である!』。
六には、
七には、
『命』の、
『終る!』時、
『狂い!』、
『怖れて!』、
『死』を、
『憎悪する!』。
八には、
九には、
十には、
若し、
『地獄』より、
『出て!』、
『人』と、
『為っても!』、
常に、
『短命である!』、と。
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絶(ぜつ):断、尽、極。 |
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復次行者心念。一切有命乃至昆虫皆自惜身。云何以衣服飲食。自為身故而殺眾生。 |
復た次ぎに、行者の心に念ずらく、『一切の、命有る、乃至昆虫まで、皆自ら身を惜む。何んが、衣服、飲食を以って、自らの身の為めの故に、而も衆生を殺さん』、と。 |
復た次ぎに、
『行者』は、
『心』に、こう念じる、――
一切の、
『命』を、
『有する!』者は、
乃至、
『昆虫まで!』、
皆、
何故、
自らの、
『身』の為めの故に、
『衆生』を、
『殺すのか?』、と。
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復次行者當學大人法。一切大人中佛為最大。何以故。一切智慧成就十力具足。能度眾生常行慈愍。持不殺戒自致得佛。亦教弟子行此慈愍。行者欲學大人行故亦當不殺。 |
復た次ぎに、行者は、当に大人の法を学ぶべし、一切の大人中には、仏を最大と為す。何を以っての故に、一切の智慧成就して、十力具足し、能く衆生を度して、常に慈愍を行じ、不殺戒を持して、自ら致して仏を得、亦た弟子に教えて、此の慈愍を行ぜしむればなり。行者は、大人の行を学ばんと欲するが故に、亦た当に不殺なるべし。 |
復た次ぎに、
『行者』は、
『大人』の、
『法』を、
『学ぶべきである!』が、
一切の、
何故ならば、
一切の、
『智慧』が、
『成就して!』、
『十力』が、
『具足し!』、
『衆生』を、
『度すことができて!』、
常に、
『慈愍』を、
『行い!』、
『不殺』の、
『戒』を、
『持って!』、
自らも、
亦た、
『弟子』に、
『教えて!』、
此の、
『慈愍』を、
『行わせるからである!』。
『行者』は、
『大人』の、
『行い!』を、
『学ぼう!』と、
『思うのである!』が故に、
当然、
『不殺でなければならない!』。
|
致(ち):いたす。招引/招致( present, cause )、送給( send, deliver )、努力( devote oneself
efforts to )。 |
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問曰。不侵我者殺心可息。若為侵害強奪逼迫。是當云何。 |
問うて曰く、我れを侵さざれば、殺心息むべし。若し侵害、強奪、逼迫せらるれば、是れを当に云何にすべし。 |
問い、
わたしを、
『侵害しなければ!』、
『殺心』も、
『息むでしょうが!』、
若し、
『侵害され!』、
『強奪され!』、
『逼迫されたら!』、
是れを、
『何うすればよいのですか?』。
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答曰。應當量其輕重。若人殺己先自思惟。全戒利重全身為重。破戒為失喪身為失。如是思惟已。知持戒為重全身為輕。 |
答えて曰く、応当に其の軽重を量るべし。若し人、己を殺さば、先に、自ら思惟すらく、『戒を全うするの利重しや、身を全うするを重しと為すや。戒を破るを失うと為すや、身を喪うを失うと為すや』、と。是の如く思惟し已らば、『戒を持つを重しと為し、身を全うするを軽しと為す』を知らん。 |
答え、
当然、
其の、
『軽い!』と、
『重い!』とを、
『量るべきである!』。
若し、
『人』が、
『己を!』、
『殺そうとする!』ならば、
先に、
是のように、思惟すれば、
こう知るだろう、――
『戒』を、
『持つ!』ことが、
『重く!』、
『身』を、
『全うする!』ことは、
『軽い!』、と。
|
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若苟免全身身何所得。是身名為老病死藪。必當壞敗。若為持戒失身其利甚重。 |
若し苟(いやしく)も免れて、身を全うすれば、身に何の得る所ぞ。是の身を名づけて、老病死の藪と為し、必ず当に壊敗すべし。若し戒を持たんが為めに、身を失うとも、其の利は、甚だ重し。 |
若し、
軽々しく、
『身』を、
『免れて!』、
『全うした!』としても、
『身』が、
何を、
『得るというのだろう?』。
是の、
『身』は、
『老、病、死』の、
『藪』と、
『呼ばれており!』、
必ず、
『腐敗して!』、
『破戒するものだ!』。
若し、
『持戒する!』為めに、
『身』を、
『失った!』としても、
其の、
『利』は、
『甚だ重いのである!』。
|
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又復思惟。我前後失身世世無數。或作惡賊禽獸之身。但為財利諸不善事。今乃得為持淨戒故。不惜此身捨命持戒。勝於毀禁全身。百千萬倍不可為喻。如是定心應當捨身。以護淨戒。 |
又復た思惟すらく、『我が前後に身を失うこと、世世に無数なり。或いは悪賊、禽獣の身と作り、但だ財利と、諸の不善事を為すのみ。今、乃ち浄戒を持せんが為の故に、此の身を惜まず、命を捨つるを得。持戒すれば、禁を毀(やぶ)りて身を全うするに勝ること、百千万倍にして、喩と為すべからず』、と。是の如く心を定めて、応当に身を捨てて、以って浄戒を護るべし。 |
又、こうも思惟するだろう、――
わたしは、
『前世』にも、
『後世』にも、
『身』を、
『失っており!』、
『世世』に、
『無量に!』、
『失っている!』。
或いは、
『悪賊』や、
『禽獣』の、
『身』と、
『作って!』、
但だ、
『財利』や、
諸の、
『不善事』を、
『為すのみであった!』が、
今、
ようやく、
『浄戒』を、
『持つ!』為めの故に、
此の、
『身』を、
『惜まず!』、
『命』を、
『捨てる!』、
『機会を得た!』。
『持戒』は、
『破戒して!』、
『身』を、
『全うする!』より、
『百千万倍』でも、
『喩(たとえ)られない!』ほど、
『勝れている!』、と。
是のように、
『心』を、
『定めたならば!』、
『身』を、
『捨てて!』、
『浄戒』を、
『護るべきである!』。
|
毀禁(きこん):禁戒をやぶる。破戒に同じ。 |
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|
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如一須陀洹人。生屠殺家年向成人。應當修其家業而不肯殺生。父母與刀并一口羊閉著屋中。而語之言。若不殺羊。不令汝出得見日月生活飲食。 |
一須陀洹の人の如し、屠殺の家に生まれて、年、成人するに向かいて、応当に其の家業を修むべきに、肯(あえ)て殺生せず。父母、刀と、並びに一口の羊を与えて、屋中に閉著して、之に語りて言わく、『若し羊を殺さざれば、汝をして出でて日月を見ること、生活、飲食することを得しめざらん』、と。 |
例えば、こうである、――
『一須陀洹の人』は、
『屠殺』の、
『家』に、
『生まれてた!』ので、
『年』が、
『成人』に、
『向う!』と、
其の、
『家』の、
『業』を、
『修めることになっていた!』が、
どうしても、
『殺生』を、
『納得しなかった!』。
『父母』は、
『刀』と、
『一頭の羊』を、
『与える!』と、
『小屋』の中に、
『閉じ込め!』、
語って、こう言った、――
若し、
お前は、
『小屋』を、
『出て!』、
『日の目』を、
『見られないばかりか!』、
『活きては!』、
『物』を、
『食わせないぞ!』、と。
|
向(こう):さきに、以前に。なんなんとす、近づく。むかう、臨む。
口(こう):量詞。いくつかの物品、家畜、人等に用いる。
肯(こう):うべなう。あえて~する。同意する/~する意志がある/承諾する( agree, be willing to, consent )。 |
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兒自思惟言。我若殺此一羊。便當終為此業。豈以身故為此大罪。便以刀自殺。父母開戶見。羊在一面立兒已命絕。當自殺時即生天上。 |
児の、自ら思惟して言わく、『我れ、若し此の一羊を殺さば、便ち当に終に、此れを業と為すべし。豈に、身を以っての故に、此の大罪を為さんや』、と。便ち刀を以って自殺す。父母、戸を開きて見るに、羊のみ、一面に在りて立ち、児は已に命絶え、自殺の時に当りて、即ち天上に生ぜり。 |
『児』は、
自ら思惟して、こう言った、――
わたしが、
若し、
もはや、
何うして、
此の、
『身』の為めに、
『大罪』を、
『犯せようか?』、と。
そこで、
『父母』が、
『戸』を、
『開いて!』、
『見てみる!』と、
『羊』のみが、
『壁際』に、
『立ちつくしており!』、
『児』は、
『自殺した!』時、
ただちに、
『天上』に、
『生まれたからである!』。
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児(に):児女の父母に対する自称。父母の児女に対する呼称。 |
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若如此者是為不惜壽命全護淨戒。如是等義是名不殺生戒。 |
若し、此の如くすれば、是れを寿命を惜まず、浄戒を護って全うすと為す。是の如き等の義は、是れを不殺生の戒と名づく。 |
若し、
此の、
『人のようにすれば!』、
是れは、
『寿命』を、
『惜まずに!』、
『浄戒』を、
『護って!』、
『全うしたのである!』。
是れ等のような、
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