【經】佛告舍利弗 |
仏の舎利弗に告げたまわく、 |
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【論】問曰。般若波羅蜜是菩薩摩訶薩法。佛何以故告舍利弗而不告菩薩。 |
問うて曰く、般若波羅蜜は、是れ菩薩摩訶薩の法なり。仏は何を以っての故にか、舎利弗に告げて、而も菩薩には告げたまわざる。 |
問い、
『般若波羅蜜』は、
『仏』は、
何故、
『舎利弗』には、
『告げられた!』が、
而( しか)し、
『菩薩』には、
『告げられなかった!』のですか?
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答曰。舍利弗於一切弟子中智慧最第一。如佛偈說
一切眾生智 唯除佛世尊
欲比舍利弗 智慧及多聞
於十六分中 猶尚不及一 |
答えて曰く、舎利弗は、一切の弟子中の智慧最も第一なり。仏の偈に説きたまえるが如し、
一切の衆生の智は、唯だ仏世尊を除いて、
舎利弗の智慧、及び多聞を比せんと欲すれば、
十六分中の、猶尚お一にも及ばず。
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答え、
『舎利弗』の、
『智慧』は、
一切の、
『弟子』中に、
『最も!』、
『第一だから!』である。
例えば、
『仏』は、
『偈』で、こう説かれた、――
一切の、
唯だ、
『仏世尊』を、
『除いて!』、
『舎利弗』の、
『智慧』と、
『多聞』の、
『十六分の一』にも、
『猶尚お(とうてい)』、
『及ばない!』、と。
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参考:『雑阿含経巻22(593)』:『如是我聞。一時。佛住舍衛國祇樹給孤獨園。時。給孤獨長者疾病命終。生兜率天。為兜率天子。作是念。我不應久住於此。當往見世尊。作是念已。如力士屈申臂頃。於兜率天沒。現於佛前。稽首佛足。退坐一面。時。給孤獨天子身放光明。遍照祇樹給孤獨園。時。給孤獨天子而說偈言 於此祇桓林 仙人僧住止 諸王亦住此 增我歡喜心 深信淨戒業 智慧為勝壽 以此淨眾生 非族姓財物 大智舍利弗 正念常寂默 閑居修遠離 初建業良友 說此偈已。即沒不現。爾時。世尊其夜過已。入於僧中。敷尼師壇。於眾前坐。告諸比丘。今此夜中。有一天子。容色絕妙。來詣我所。稽首我足。退坐一面。而說偈言 於此祇桓林 仙人僧住止 諸王亦住此 增我歡喜心 深信淨戒業 智慧為勝壽 以此淨眾生 非族姓財物 大智舍利弗 正念常寂默 閑居修遠離 初建業良友 爾時。尊者阿難白佛言。世尊。如我解世尊所說。給孤獨長者生彼天上。來見世尊。然彼給孤獨長者於尊者舍利弗極相敬重。佛告阿難。如是。如是。阿難。給孤獨長者生彼天上。來見於我。爾時。世尊以尊者舍利弗故。而說偈言 一切世間智 唯除於如來 比舍利弗智 十六不及一 如舍利弗智 天人悉同等 比於如來智 十六不及一 佛說此經已。諸比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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復次舍利弗智慧多聞有大功德。年始八歲誦十八部經。通解一切經書義理。 |
復た次ぎに、舎利弗の智慧、多聞には、大功徳有り。年始めて八歳にして、十八部の経を誦し、一切の経書の義理に通達せり。 |
復た次ぎに、
『舎利弗』の、
『智慧』と、
『多聞』には、
『大きな!』、
『功徳(ちから)』が、
『有り!』、
『年』が、
『八歳になった!』、
『始め!』には、
『十八部』の、
一切の、
『経書』の、
『義理(意味)』に、
『通達していた!』。
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十八部経(じゅうはちぶのきょう):印度外道の経書に十八種の別あるをいう。『大智度論巻2下注:十八大経、同巻25上注:十八大経』参照。 |
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是時摩伽陀國有龍王兄弟。一名姞利二名阿伽羅。降雨以時國無荒年。人民感之。常以仲春之月一切大集至龍住處。為設大會作樂談義終此一日。自古及今斯集未替。遂以龍名以名此會。 |
是の時、摩伽陀国に龍王の兄弟の一には姞利と名づけ、二には阿伽羅と名づくる有り、雨を降らして以って時の国に荒年無ければ、人民之を感じて、常に仲春の月を以って、一切大いに集まりて龍の住処に至り、為めに大会を設けて、楽を作し、義を談じて、此の一日を終うること、古より、今に及ぶまで、斯の集まり未だ替らざれば、遂に龍の名を以って、此の会に名づけたり。 |
是の時、
『摩伽陀国』には、
『姞利( きり)』と、
『阿伽羅( あがら)』と、
『呼ばれる!』、
『龍』の、
『兄弟』が、
『有って!』、
『雨』を、
『降らしていた!』ので、
『当時』の、
『人民』は、
此の、
『龍王』に、
『感謝して!』、
常に、
『仲春( 旧暦2月)の月』に、
一切が、
『大いに!』、
『集まり!』、
『龍』の、
『住む!』、
『処』に、
『大会』を、
『設けて!』、
『音楽』を、
『奏でたり!』、
『義( 言葉の意味)』を、
『談じたり!』しながら、
此の、
『一日』を、
『終えた!』のであるが、
古( いにしえ)より、
『今』に、
『至るまで!』、
此の、
『集まり!』が、
『廃されることはなかった!』ので、
遂( つい)に、
『龍』の、
『名』を以って、
此の、
『会』を、
『呼ぶようになった!』。
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摩伽陀国(まがだこく):摩伽陀は梵名magadha、中印度の古国の名。『大智度論巻1上注:摩揭陀国』参照。
姞利(きり):梵名kRmi?、又はgiri?。龍王の名。
阿伽羅(あがら):梵名agala?、又はagra?。龍王の名。
替(たい):かわる。廃する。 |
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此日常法敷四高座。一為國王。二為太子。三為大臣。四為論士。 |
此の日の常法は、四高座を敷けり。一には国王の為め、二には太子の為め、三には大臣の為め、四には論士の為めなり。 |
此の、
『日』の、
『常法』として、
『四つ!』の、
『高座』が、
『敷かれた!』。
一には、
『国王の為め!』、
二には、
『太子の為め!』、
三には、
『大臣の為め!』、
四には、
『論士の為め!』である。
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爾時舍利弗以八歲之身。問眾人言。此四高座為誰敷之。眾人答言。為國王太子大臣論士。 |
爾の時、舎利弗の、八歳の身を以って、衆人に問うて曰く、『此の四高座は、誰が為めに之を敷く』、と。衆人の答えて言わく、『国王、太子、大臣、論士が為めなり』、と。 |
爾の時、
『舎利弗』は、
『八歳』の、
『身でありながら!』、
『衆人( ひとびと)』に問うて、こう言った、――
此の、
『四つ!』の、
『高座』は、
『誰の為に!』、
『敷かれたのですか?』、と。
『衆人』は答えて、こう言った、――
『国王』と、
『太子』と、
『大臣』と、
『論士の為めだ!』、と。
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是時舍利弗觀察時人婆羅門等。神情瞻向無勝己者。便昇論床結跏趺坐。眾人疑怪。或謂愚小無知。或謂智量過人。雖復嘉其神異。而猶各懷自矜。恥其年小不自與語。皆遣年少弟子傳言問之。 |
是の時、舎利弗は時の人、婆羅門等を観察し、神情もて瞻向するに己に勝る者無ければ、便ち論床に昇りて結加趺坐す。衆人疑怪して、或いは、『愚小にして無知なり』と謂い、或いは、『智量人に過ぎたり』と謂いて、復た其の神異を嘉すと雖も、猶お各、自矜を懐き、其の年小を恥じて、自ら与(とも)に語らず、皆年少の弟子を遣して、言を伝えて、之に問わしむ。 |
是の時、
『舎利弗』は、
その折の、
『人』や、
『婆羅門』等を、
『観察し!』、
『精妙な!』、
『心』で、
『眺めた!』が、
『自分』よりも、
『勝れた!』者は、
『無かった!』、
そこで、
『論義の座』に、
『昇って!』、
『結跏趺坐した!』。
『衆人』は、
『疑い!』、
『怪しんで!』、
或いは、
『愚かな!』、
『子供だから!』、
『知らないのだ!』と、
『謂い!』、
或いは、
而し、
猶お、
自らの、
『矜(プライド)』を、
『懐いて!』、
其れが、
『年少である!』のを、
『恥じ!』、
自ら、
『いっしょに!』、
『語ろうとせず!』、
皆、
『年少』の、
『弟子』を、
『遣(つかわ)し!』、
『言葉』を、
『伝えて!』、
『問わせた!』。
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神情(じんじょう):神妙なる心情。霊妙なる心。
瞻向(せんこう):臨み観る。
結跏趺坐(けっかふざ):梵語paryaGka、又はparyaGka-baddha(-bandha)等の訳。地に坐る時、両脚を交差させる仏教徒の坐法。跏趺は足の甲を股に懸くるの意、足首を累ね足裏を上に向けて斉える坐法をいう。『大智度論巻7下注:結跏趺坐』参照。
神異(じんい):神妙奇異。人間をこえるわざ。不思議。
自矜(じきょう):自ら矜持する。自負。
年小(ねんしょう):年が若い。年少。
年少(ねんしょう):年が若い。年小。
時人(じにん):その折の人。 |
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其答酬旨趣辭理超絕。時諸論師歎未曾有。愚智大小一切皆伏。王大歡喜即命有司。封一聚落常以給之。王乘象輿振鈴告告宣示一切十六大國六大城中無不慶悅。 |
其の答酬の旨趣、辞理超絶なるに、時の諸論師は未曽有なりと歎じ、愚智大小一切は皆伏すれば、王大いに歓喜し、即ち有司に命じて、一聚落を封じ、常に以って之に給せしむ。王、象輿に乗りて鈴を振りて吉を告げ、一切に宣示すれば、十六大国、六大城中に、慶悦せざる無し。 |
『舎利弗』の、
『答酬( 受け答え!)』は、
『旨趣( 意味)』も、
『辞理( 論理)』も、
『超絶していた!』ので、
その時の、
諸の、
『論師』たちは、
『未曽有である!』と、
『詠嘆し!』、
『暗愚の人』も、
『智慧の人』も、
『年長の人』も、
『年少の人』も、
一切は、
『皆!』、
『感服した!』。
『王』は、
『大いに!』、
『歓喜』して、
『官吏』に、
『命じ!』、
『舎利弗』に、
『一聚落』を、
『与えて!』、
常に、
『年貢』を、
『供給させる!』と、
『王』が、
『象の輿( こし)』に、
『乗って!』、
『鈴』を、
『振り!』、
『吉報』を、
『告げて!』、
『宣示した!』ので、
『十六大国』や、
『六大城』中には、
『慶悦しない!』者が、
『無かった!』。
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答酬(とうしゅう):受け答え。応答。
旨趣(ししゅ):意味。
辞理(じり):言葉使いと、論理のすじ。
有司(うし):官吏。古代、官を設け職を分くるに、各専司有るが故に有司と称す。
象輿(ぞうよ):象に載する所の輿。
告告:他本に従い告吉に改める。
十六大国(じゅうろくだいこく):『大智度論巻3上注:十六大国』参照。
六大城(ろくだいじょう):『大智度論巻9下注:六大城』参照。
慶悦(きょうえつ):祝い喜ぶ。 |
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是時告占師子名拘律陀。姓大目揵連。舍利弗友而親之。舍利弗才明見重。目揵連豪爽最貴。此二人者才智相比德行互同。行則俱遊住則同止。少長繾綣結要終始。後俱厭世出家學道作梵志弟子。 |
是の時、告占師の子を拘律陀と名づけ、姓は大目揵連なり。舎利弗は、之を友として親しめり。舎利弗は才明るくして重んぜられ、目揵連は豪爽にして最も貴し。此の二人は、才智相比(なら)び、徳行互いに同じければ、行けば則ち倶に遊び、住(とど)まれば則ち同じく止まる。少長繾綣とし、結要して終始するに、後に倶に世を厭い、出家学道して、梵志の弟子と作れり。 |
是の時、
『告占師( 婆羅門)』の、
『子』を、
『拘律陀』と、
『呼び!』、
『姓』は、
『大目揵連であった!』が、
『舎利弗』は、
此の、
『拘律陀』を、
『親友としていた!』。
『舎利弗』は、
『才智明晰』で、
『重んじられ!』、
『目揵連』は、
『豪毅爽快』で、
『高貴であった!』。
此の、
『二人』は、
『才智』も、
『徳行』も、
『同じぐらい!』であり、
『歩く!』時も、
『止まる!』時も、
『いっしょに!』、
『遊んでおり!』、
『若いとき!』も、
『長じてから!』も、
『終始』、
『纏わりついていた!』が、
後に、
いっしょに、
『世』を、
『道』を、
『学ぶ!』為めに、
『梵志の弟子』と、
『作った!』。
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告占師(ごうせんし):占って告げる師。占師。
拘律陀(くりだ):梵名kolidaに作り、また摩訶目伽連、大目乾連、目連等と称す。仏の十大弟子の一。『大智度論巻2上注:摩訶目伽連』参照。
見(けん):~らる。受け身の辞。
豪爽(ごうそう):豪毅爽快。
少長(しょうちょう):若き時と長じたる時。
繾綣(けんかん):纏わり付いて離れないさま。
結要(けつよう):腰を結びつけたような深い交際。 |
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情求道門久而無徵。以問於師。師名刪闍耶。而答之言。自我求道彌歷年歲。不知為有道果無耶。我非其人耶而亦不得。 |
道門を情求して久しくするも徵無く、以って師に問えり。師を刪闍耶と名づけ、之に答えて言わく、『我れより道を求めて、年歳を弥歴するも、道果の有りや無しやを知らず』、と。『我れは其の人に非ざるや』も、亦た得ず。 |
『道』の、
『門』を、
『心より!』、
『求めた!』が、
『久しく!』しても、
『徵(きざし)』すら、
『無かった!』ので、
それを、
『師』に、
『問うた!』。
『師』は、
『刪闍耶』と、
『呼ばれていた!』が、
『二人』に答えて、こう言った、――
わたしより、
『道』を、
『求めて!』、
『年歳』を、
『どれほど!』、
『過ぎようと!』、
『道果』が、
『有るのか?』、
『無いのか?』、
わたしの、
『知ったことではない!』、と。
亦た、
わたしたちは、
其の、
『人ではないということか?』と、
『問うても!』、
やはり、
『答え!』は、
『得られなかった!』。
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情求(じょうぐ):志して求める。志求。真心で求める。
弥歴(みりゃく):年月を重ねる。
刪闍耶(さんじゃや):具さには刪闍夜毘羅胝子saMjaya- vairaTiiputraに作り、六師外道の一。懐疑論、又は消極主義を標せるが如し。『大智度論巻3上注:六師外道』参照。 |
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他日其師寢疾。舍利弗在頭邊立。大目連在足邊立。喘喘然其命將終。乃愍爾而笑。二人同心俱問笑意。 |
他日、其の師は、疾(やまい)に寝(い)ね、舎利弗は、頭の辺に在りて立ち、大目揵連は足の辺に立てり。喘喘然として、其の命将(まさ)に終らんとするに、乃(すなわ)ち愍爾として笑うに、二人は心を同じうして、倶に笑意を問えり。 |
他の日、
其の、
『師』が、
『疾( やまい)』に、
『寝た!』ので、
『舎利弗』が、
『頭の辺』に、
『立ち!』、
『大目揵連』が、
『足の辺』に、
『立っている!』と、
『師』は、
ぜいぜいと、
『息』を、
『喘がせて!』、
今にも、
『命』が、
『終ろうとする!』時、
ようやく、
『哀れんで!』、
『笑った!』。
『二人』は、
『心』を、
『同じうする!』と、
いっしょに、
『笑い!』の、
『意味』を、
『問うた!』。
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喘喘然(ぜんぜんねん):ぜいぜいと喘ぐさま。
愍爾(みんじ):不憫に思うさま。哀れむさま。 |
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師答之言。世俗無眼為恩愛所侵。我見金地國王死。其大夫人自投火[卄/積]求同一處。而此二人行報各異生處殊絕。 |
師の之に答えて言わく、『世俗には眼無く、恩愛の為めに侵さる。我れは金地国の王死して、其の大夫人の自ら火[卄/積]に投ぜしを見る。同一の処を求むるも、此の二人は、行報各異なれば、生処も殊絶せり』と。 |
『師』は、
『二人』に答えて、こう言った、――
『世俗』には、
『眼』が、
『無い!』ので、
常に、
『恩愛(親親の情愛)』に、
『侵されている!』。
わたしには、
見えているのだ、――
『金地国』の、
『王』が、
『死ぬ!』と、
其の、
『大夫人( 王妃)』が、
自ら、
『火』中に、
『身』を、
『投じて!』、
『同一』の、
『処』に、
『生まれようとした!』のが。
此の、
『二人』は、
『行業』の、
『果報』が、
『異なっている!』ので、
『生まれる!』、
『処』も、
『異なっている!』のに、と。
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金地国(こんじこく):梵名svarNabhuumiに作り、西紀前三世紀、阿育王、華子城に於いて第三結集を行いし後、伝道師を各地に派遣せし時、鬱怛羅uttara、須那迦sonaka、二人の仏教を伝えし地として、名有る国なり。「賢愚経巻7」に、「一時仏、舎衛国祇樹給孤獨園に在り、その時、国王を波斯匿と名づく。時に于いて南方に国有り、名を金地と為し、その王を劫賓寧と字づく。王に太子有り、摩訶劫賓寧と名づく。その父崩背し、太子位を嗣ぐ、体性聡明、大力勇健、統ぶる所の国土は三万六千なり、云々」と云えり。また「善見律毘婆沙巻2」、「大智度論巻11」等に出づ。<(丁)
[(草-早)/積](しゃく):積聚せる薪。
行報(ぎょうほう):行業の果報。
殊絶(しゅぜつ):懸け隔たる。 |
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是時二人筆受師語。欲以驗其虛實。後有金地商人。遠來摩伽陀國。二人以疏驗之果如師語。乃憮然歎曰。我等非其人耶。為是師隱我耶。二人相與誓曰。若先得甘露要畢同味。 |
是の時、二人は、師の語を筆受し、以って其の虚実を験(ため)さんと欲するに、後に有る金地の商人、遠く摩伽陀国に来たれば、二人の疏を以って之を験すに、果して師の語の如くなれば、乃ち憮然として、歎じて曰わく、『我等は其の人に非ずや。是れ師の我れに隠したるや』、と。二人の相与(とも)に誓うて曰わく、『若し先に甘露を得たらん、要(かな)らず畢(つい)に味わうを同じうせん』、と。 |
是の時、
『二人』は、
『師』の、
『語』を、
『筆受して!』、
其の、
『虚実』を、
『験(ため)そう!』と、
『思った!』。
後に、
『金地国』の、
『二人』は、
此の、
『疏( 書付け)』を以って、
『師』の、
『言葉』を、
『験した!』が、
『果して!』、
『師』の、
『語った通りであった!』。
『二人』は、
がっかりして、こう言った、――
わたしたちは、
是れを、
『師』は、
わたしたちに、
『隠していたのだろうか?』、と。
『二人』は、
互いに誓いながら、こう言った、――
若し、
先に、
要( かな)らず、
皆、
『味わう!』のは、
『同じにしよう!』、と。
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疏(そ):箇条書き。書付け。
憮然(むねん):失意の状態。がっかりして。
畢(ひつ):みな。皆。 |
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是時佛度迦葉兄弟千人。次遊諸國到王舍城頓止竹園。二梵志師聞佛出世。俱入王舍城欲知消息。 |
是の時、仏は、迦葉兄弟と千人を度し、次いで諸国に遊び、王舎城に到りて、竹園に頓止したまえるに、二梵志師は、仏の世に出でたもうを聞きて、倶に王舎城に入り、消息を知らんと欲す。 |
是の時
『仏』は、
『迦葉兄弟』と、
『千人の弟子』とを、
『度される!』と、
次に、
諸の、
『国』に、
『遊びながら!』、
『王舎城』に到って、
『竹園』に、
『住(とど)まられた!』。
『二人』の、
『梵志師( 婆羅門師)』は、
『仏』が、
『世』に、
『出られた!』と、
『聞いて!』、
いっしょに、
『王舎城』に、
『入り!』、
『仏』の、
『消息』を、
『知ろうとした!』。
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迦葉兄弟(かしょうきょうだい):漚楼頻螺迦葉uruvilvaa- kaazyapa、那提迦葉nadii-k.、伽耶迦葉gayaa-k.の迦葉三兄弟。また三迦葉とも称す。本、事火外道を信奉し、その頭上に結髪すること螺髻形なれば、故にまた螺髪梵志jaTilaと称す。三兄弟は弟子千人を領して、摩竭陀国に住す、時に名望有る長老たるが故に、四方より帰信雲集せり。後に仏、種種の神通を示現して化度したまい、遂に仏弟子と成るに及び、火を祭る器具を皆尼連禅河に投ぜり。また「中阿含経巻11」、「普曜経巻8」、「中本起経巻上」、「仏所行讃巻4」、「五分律巻16」、「四分律巻32」等に出づ。<(佛)、『大智度論巻3上:迦葉三兄弟』参照。
竹園(ちくおん):即ち迦蘭陀竹園(梵名kaaraNDa- veNuuvana)、また竹園精舎とも称し、王舎城辺の精舎を指す。『大智度論巻3上注:竹園』参照。
頓止(とんし):駐留。停留。 |
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爾時有一比丘。名阿說示。(五人之一)著衣持缽入城乞食。舍利弗見其儀服異容諸根靜默。就而問言。汝誰弟子師是何人。 |
爾の時、一比丘の阿説示と名づくる有り、衣を著け、鉢を持して、城に入り、乞食す。舎利弗、其の儀服の異容たると、諸根の静黙たるを見るに、就(よ)りて問うて言わく、『汝は、誰が弟子にして、師は是れ何人ぞ』、と。 |
爾の時、
『阿説示』と、
『呼ばれる!』、
『一り!』の、
『比丘』が、
『有り!』、
『身』に、
『衣』を、
『著(つ)け!』、
『手』に、
『鉢』を、
『持つ!』と、
『城』に、
『入って!』、
『乞食していた!』。
『舎利弗』は、
其の、
『威儀』を、
『正した!』、
『服装(法服)』が、
『異容であり!』、
諸の、
『根( 眼耳鼻舌身意)』が、
『静黙である!』のを、
『見て!』、
『側に寄り!』、
『比丘』に問うて、こう言った、――
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阿説示(あせつじ):巴梨名assaji、梵名azvajit、 azvaka、また阿湿縛氏多、阿輸波踰祇多、阿湿縛伐多、阿首婆耆、阿輸波祇、阿捨婆耆、阿奢踰時、阿溼婆恃、阿奢婆闍、阿湿波誓、阿摂哆、阿闍都、阿輸実、阿湿薄迦、阿説可、阿湿婆、阿湿繋、跋智致、舎婆耆、頞脾、頞鞞、安陛、阿鞞、阿輸、阿摂等に作り、馬勝、馬星、馬師、または調馬と訳す。五比丘の一。威儀端正を以って名あり。「増一阿含経巻3」に、「我が声聞中第一比丘、威容端正行歩庠序たるは、謂わゆる馬師比丘これなり」と云えり。「仏本行集経巻25、巻34、巻48」等に依れば、初め阿若憍陳如等と共に悉多太子の苦行に親侍し、後これを捨てしが、鹿苑初転法輪に於いて帰仏し、証悟することを得たり。曽て王舎城竹園精舎に在りし時、一衣一鉢、城中に行乞せしに、その威儀進退頗る度に合せしかば、衆人これを見て、これ必ず釈種子ならんとし、歎賞措かず。時に舎利弗は久しく勤苦修道するも、なお心中の安慰を得ず。遇ま阿説示に邂逅して、その容止威儀の殊勝なるに服し、その師の誰なるか、その教の何なるかを問うに、彼れ即ち縁起法頌を説いて曰く、「諸法の因より生ずるもの、彼の法は因に随って滅す。因縁滅すれば即ち道なり。大師の説かくの如し」と。舎利弗これを聞いて遂に仏の許に至り、弟子の列に加われりと。また「大毘婆沙論巻129」に依るに、阿説示は嘗て室羅筏城誓多林に在りて、諸の四大種は何の処に滅するやを知らず。入定して次第に大梵天に至り、梵王に面してこれを問うに、彼れまたこれを知らず、而も矯乱答をなして師を衆外に引出せしことを記せり。これ諂、誑の二煩悩が初禅にも通ずる事例として諸論に引用せらるる所なり。また「仏所行讃巻3、巻4」、「過去現在因果経巻3、巻4」、「方広大荘厳経巻6、巻12」、「普曜経巻4、巻8」、「仏本行経」、「中本起経巻上」、「四分律巻32、巻33」、「五分律巻15、巻16」、「有部毘奈耶雑事巻27、巻30」、「大智度論巻11、巻18」等に出づ。<(望)
儀服(ぎふく):威儀を正した服装。比丘は城中に入るとき大衣を身に著けて威儀を正す。
異容(いよう):普通でない容子。
就(しゅう):つく。そばに行く。そばに寄る。 |
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答言。釋種太子厭老病死苦出家。學道得阿耨多羅三藐三菩提。是我師也。 |
答えて言わく、『釈種の太子、老病死の苦を厭うて、家を出で、道を学びて阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。是れ我が師なり』、と。 |
答えて、こう言った、――
『釈種』の、
『太子』が、
『老、病、死』の、
『苦』を、
『厭い!』、
『家』を、
『出て!』、
『道』を、
『学び!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得られました!』。
是れが、
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舍利弗言。汝師教授為我說之。即答偈曰
我年既幼稚 學日又初淺
豈能宣至真 廣說如來義 |
舎利弗の言わく、『汝が師の教え授くる、我が為めに之を説け』、と。即ち答えて偈に曰わく、
我が年既に幼稚なるも、学日又初めて浅し、
豈に能く至真を宣べて、広く如来の義を説かんや。
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『舎利弗』は、
こう言った、――
お前の、
『師』の、
『教え!』、
『授けた!』所を、
わたしに、
『説いてくれ!』、と。
そこで、『偈』を答えて、こう言った、――
わたしの、
『年』は、
『もとより!』、
『幼稚です!』が、
『学び!』の、
『日』も、
『初まったばかりです!』。
何うして、
『真実』を、
『宣べたり!』、
『如来の義』を、
『広く!』、
『説くことができましょう?』、と。
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既(き):すでに。おえる。もとより。訖。
至真(ししん):真のいたり。真実。 |
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舍利弗言。略說其要。 |
舎利弗の言わく、『略して、其の要を説け』、と。 |
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爾時阿說示比丘。說此偈言
諸法因緣生 是法說因緣
是法因緣盡 大師如是說 |
爾の時、阿説示比丘の此の偈を説いて言わく、
諸法は因縁により生じ、是の法は因縁なりと説き、
是の法は因縁により尽くと、大師は是の如く説きたもう。
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舍利弗聞此偈已即得初道。還報目連。目連見其顏色和悅迎謂之言。汝得甘露味耶。為我說之。舍利弗即為其說向所聞偈。 |
舎利弗は、此の偈を聞き已りて、即ち初道を得れば、還って目連に報ず。目連は、其の顔色の和悦なるを見て、迎えて之に謂って言わく、『汝、甘露味を得たりや。我が為めに之を説け』、と。舎利弗は即ち其れが為めに、向(さき)に聞きし所の偈を説く。 |
『舎利弗』は、
此の、
『偈』を、
『聞く!』と、
すぐに、
『初道』を、
『得た!』ので、
還って、
『目連』に、
『知らせた!』。
『目連』は、
『舎利弗』の、
『顔色』が、
『和み!』、
『悦ぶ!』のを、
『見ながら!』、
『迎えて!』、
『舎利弗』に、
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目連言。更為重說。即復為說。亦得初道。 |
目連の言わく、『更に為めに重ねて説け』、と。即ち復た為めに説くに、亦た初道を得たり。 |
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二師與二百五十弟子俱到佛所。佛遙見二人與弟子俱來。告諸比丘。汝等見此二人在諸梵志前者不。 |
二師は、二百五十の弟子と倶に、仏所に到れり。仏の遙かに二人の弟子と倶に来たるを見、諸の比丘に告げたまわく、『汝等、此の二人の、諸の梵志の前に在る者を見るや不や』、と。 |
『二り!』の、
『師( 舎利弗、目連)』は、
『二百五十』の、
『弟子』を、
『引き連れて!』、
『仏の所』に、
『到った!』。
『仏』は、
遙かに、
『二人』が、
『弟子』を、
『引き連れて!』、
『来る!』のを、
『見る!』と、
諸の、
『弟子』に、こう告げられた、――
お前たちは、
見たか?――
此の、
『二人』が、
諸の、
『梵志』を、
『引き連れて!』、
『来るのを!』、と。
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諸比丘言。已見。 |
諸の比丘の言わく、『已に見たり』、と。 |
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佛言。是二人者。是我弟子中智慧第一神足第一。弟子 |
仏の言わく、『是の二人とは、是れ我が弟子中の智慧第一と、神足第一の弟子なり』、と。 |
『仏』は、
こう言われた、――
是の、
『二人』とは、
わたしの、
『弟子』中の、
『智慧』が、
『第一』の、
『弟子!』と、
『神足』が、
『第一』の、
『弟子である!』、と。
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大眾俱來以漸近佛。既到稽首在一面立俱白佛言。世尊。我等於佛法中欲出家受戒。 |
大衆は、倶に来たりて、以って漸く仏に近づき、既に到りて稽首し、一面に在りて立ち、倶に仏に白して言さく、『世尊、我等、仏法中に出家し、受戒せんと欲す』、と。 |
『大衆』は、
揃って、
『来た!』が、
ゆっくりと、
『仏』に、
『近づきながら!』、
『仏の所』に、
『到り!』、
『稽首して!』、
『壁』の、
『一面』に、
『立つ!』と、
皆、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
わたし達は、
『仏』の、
『法』中に、
『出家し!』、
『戒』を、
『受けたい!』と、
『思います!』、と。
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佛言。善來比丘。即時鬚髮自落法服著身。衣缽具足受成就戒。 |
仏の言わく、『善く来たり、比丘』、と。即時に鬚髪を自ら落とし、法服を身に著けて、衣鉢具足し、成就戒を受く。 |
『仏』は、
『大衆』は、
即時に、
『髭( ひげ)』と、
『髪( かみ)』とを、
『自ら!』、
『落とし!』、
『法服』を、
『身』に、
『著け!』、
『衣』と、
『鉢』とを、
『具足し!』、
『成就戒( 具足戒)』を、
『受けた!』。
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成就戒(じょうじゅかい):涅槃を成就する戒の意。即ち具足戒なり。
具足戒(ぐそくかい):梵語鄔波三鉢那upasaMpannaの訳、原義は完成に向かっての意、涅槃に親近するの義なり。即ち比丘及び比丘尼の受くる所の戒にして、戒品具足し、沙弥所受の十戒等の如き未具足に非ざるが故に、この称あり。この戒を大別するに波羅夷paaraajika、僧残saMgha- avazeSa、不定aniyata、捨堕naiHsargika- paayattika、単堕paayattika、波羅提提舎尼pratidezaniiya、衆学zaikSadharma、滅諍adhikaraNa- zamathaの八種あり。然るに諸律にこれ等の戒数を説くことやや同じからず。就中、比丘戒に関し、四分律には波羅夷に四、僧残に十三、不定に二、捨堕に三十、単堕に九十、波羅提提舎尼に四、衆学に一百、滅諍に七を列ね、総じて二百五十戒とす。十誦律には衆学に一百七を立て、総じて二百五十七戒とし、五分律にては、単提に一を増し九十一となすが故に、総じて二百五十一戒あり。摩訶僧祇律には、単堕に九十二、衆学に唯六十六を立て、総じて二百十八戒とし、善見律毘婆沙にては、衆学を七十五となすが故に総じて二百二十五戒を成し、巴梨戒本には、単堕に九十二、衆学に七十五ありとなすを以って総じて二百二十七戒とし、西蔵戒本には、衆学に百七ありとなすを以って総じて二百五十七戒となるなり。また比丘尼戒に関し、四分律には、波羅夷に八、僧残に十七、捨堕に三十、単堕に百七十八、波羅提提舎尼に八、衆学に一百、滅諍に七を立て、凡べて三百四十八戒とし、十誦律には、衆学に一百七を立て、総じて三百五十五戒とし、五分律には、単堕に二百十を立て、総じて三百八十戒とし、摩訶僧祇律には、僧残を欠き、単堕に百四十一、衆学に六十四を立つるを以って総じて二百七十七戒あり。善見律毘婆沙及び巴梨戒本には、単堕に百六十六、衆学に七十五を立つるが故に、総じて三百十一戒あり。西蔵戒本には、僧残に二十、捨堕に三十三、単堕に百八十、波羅提提舎尼に十一、衆学に百十二を立つるが故に、総じて三百七十一戒あり。かくの如く具足して諸戒を受くるを以って、これを具足戒と名づくるなり。凡そこれ等の具足戒を受けんと欲する者は、少壮にして能く事に当るに堪え、身体強健にして諸根具足し、病患聾盲等の衆患なく、身器清浄にして、辺罪、犯比丘尼、賊住等の雑過なく、出家の相を具し、髪を剃り袈裟を被り、而して既に沙彌戒を受けたる者に限り、またその年齢は、満二十歳以上、七十歳未満をその本制となす。「四分律巻34」に、「年未だ二十に満たざる者には具足戒を授くべからず。何を以っての故にか、もし年未だ二十に満たざれば、寒熱、飢渇、風雨、蚊虻、毒虫を忍ぶに堪えず、及び悪言を忍ばず、もし身に種種の苦痛あれば忍ぶに堪えず、また持戒及び一食に堪えず、もし度して出家し具足戒を受けしむれば、まさに法の如く治すべし。阿難まさに知るべし、年二十に満たば如上の衆事に堪忍せん」と云い、また「善見律毘婆沙巻2」に阿育王子摩哂陀受具の事を記し「目揵連子帝須を和尚となし、摩訶提婆阿闍梨となりて十戒を授け、大徳末闡提阿闍梨となりて具足戒を与う。この時、摩哂陀年二十に満つ。即ち具足戒を受け、戒壇の中に於いて三達智を得、六神通を具し、漏尽き羅漢となる」と云えるに見てその制を知るべし。また「毘尼母経巻1」、「十誦律巻21」、「五分律巻16」、「摩訶僧祇律巻43」、「根本説一切有部百一羯磨巻1」、「薩婆多毘尼毘婆沙巻2」等に出づ。<(望) |
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過半月後佛為長爪梵志說法。時舍利弗得阿羅漢道。 |
半月を過ぎて後、仏は、長爪梵志の為めに法を説きたまい、時に舎利弗は、阿羅漢道を得たり。 |
『半月』が、
その時( その頃)、
『舎利弗』は、
『阿羅漢』の、
『道』を、
『得た(識った)!』。
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長爪梵志(ちょうそうぼんし):長爪は梵名diirgha- nakhaの訳。又摩訶倶郗羅mahaa- kauSThilaとも称し、大膝と訳す。舎利弗の舅(おじ)。本梵志たりしも、舎利弗に従って仏に帰順す。『大智度論巻1、巻3上注:長爪梵志』参照。 |
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所以半月後得道者。是人當作逐佛轉法輪師。應在學地現前自入諸法種種具知。是故半月後得阿羅漢道。 |
半月の後に道を得たる所以(ゆえ)とは、是の人は、当に仏を逐うて転法輪の師と作るべければ、応に学地に在りて、現前に自ら諸法に入り、種種に具に知るべし。是の故に、半月の後に、阿羅漢道を得たり。 |
『半月』後に、
『阿羅漢』の、
是の、
『人』は、
『仏』に、
次いで、
『転法輪』の、
『師』と、
『作らなくてはならない!』が、
当然、
『学地』に於いて、
『現前に( 現実に)!』、
諸の、
『法』の、
『実相』に、
『入ったり!』、
種種に、
『具体的に!』、
『知らなくてはならなかった!』ので、
是の故に、
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学地(がくじ):阿羅漢の位を無学地と称し、それ以外の須陀洹乃至阿那含の聖者を学地と称す。即ち三道中の見諦道、思惟道を云う。『大智度論巻3下注:三道』参照。 |
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如是等種種功德甚多。是故舍利弗雖是阿羅漢。佛以是般若波羅蜜甚深法。為舍利弗說。 |
是の如き等の種種の功徳甚だ多く、是の故に舎利弗は、是れ阿羅漢なりと雖も、仏は是の般若波羅蜜の甚深の法を以って、舎利弗の為めに説きたまえり。 |
是れ等のように、
種種の、
『功徳』が、
『舎利弗』には、
『甚だ多い!』ので、
是の故に、
『舎利弗』は、
『阿羅漢である!』が、
『仏』は、
是の、
『般若波羅蜜』という、
『甚だ深い!』、
『法』を、
『舎利弗』の為めに、
『説かれた!』のである。
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甚深(じんじん):甚だ深い。 |
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問曰。若爾者何以初少為舍利弗說。後多為須菩提說。若以智慧第一故應為多說。復何以為須菩提說。 |
問うて曰く、若し爾(しか)らば、何を以ってか、初の少しを、舎利弗の為めに説き、後の多くを、須菩提の為めに説きたまえる。若し智慧第一なるを以っての故なれば、応に為に多く説きたもうべし。復た何を以ってか、須菩提の為めに説きたまえる。 |
問い、
若し、
そうならば、
何故、
『初』の、
『少し!』を、
『舎利弗』の為めに、
『説き!』、
『後』の、
『多く!』を、
『須菩提』の為めに、
『説かれたのですか?』。
若し、
『智慧』が、
『第一である!』が故に、
『説かれた!』とすれば、
当然、
『舎利弗』の為めに、
『多く!』、
『説かれたはずです!』。
いったい、
何故、
『須菩提』の為めに、
『多く!』、
『説かれたのですか?』。
|
須菩提(しゅぼだい):梵名subhuuti、また須浮帝、須扶提、蘇部底、藪浮帝修、浮帝、蘇補底、或は須楓に作る。善現、善実、善吉、善業、或は空生と訳す。十大弟子の一。舎衛国婆羅門の子なり。「中阿含巻43拘楼痩無諍経」に、「須菩提族姓子は、無諍道を以って後に於いて法を知ること法の如し」と云い、また「大毘婆沙論巻179」、「大智度論巻53」等には、師は無諍三昧に住すること第一なりと云えり。帰仏の因縁に関しては、「撰集百縁経巻10須菩提悪性縁」の條に、師は舎衛国負棃婆羅門の子にして、名を負棃(bhuuti)と云い、また端正殊妙なるが故に須菩提と名づく。智慧聡明にして及ぶ者なし。初め悪性にして眼に見る所悉く瞋罵せざるはなく、遂に父母親属の厭患する所となり、家を捨てて山林に入る。時に山神あり、師を導いて祇洹に到り仏に謁せしむ。仏為に瞋恚の過患を説くに、師乃ち自ら悔責して罪咎を懺悔し、豁然として須陀洹果を得、尋いで阿羅漢果を証せりと云えり。これ仏に帰して瞋心を止め、遂に得道せしを以って、名づけて無諍第一となせしものなるべし。然るに唐法邃撰の「譬喩経巻1(経律異相巻13並びに玄応音義巻13所引)」には、舎衛国に大長者あり、鳩留と名づく。空中天に祈りて一男を設け、須菩提と名づく。色像第一、聡明にして辯才あり、貴賎に推敬せらる。一日食を索むるにその母、婢をして食器を洗いて空ならしめ、食なしと答う。然るに師その器を開くに、中に自然香美の百味の食あり、共に食して皆安隠なるを得たり。父母兄弟始めてその非凡なるを知り、尋いで仏菩薩大衆を請じて食を設くるに、師は自ら出家せんことを求め、父の許を得、仏に随って祇洹に赴き、即ち沙門となりて阿羅漢果を証せりと云い、また「法華経文句巻2上」には、師の生まれし時、家中の倉庫筺篋器皿一切皆空となりしに依りて空生と名づけ、空行を修せしが故に善業と名づくと云えり。これ等は師が解空第一と称せられしより起こりたる伝説なるべし。また「増一阿含経巻28」に依るに、仏は一夏忉利天に上り、尋いで閻浮里地に降下せられし時、師は適ま耆闍崛山中に在りて衣裳を縫えり。即ち座より起ちて仏を礼せんとせしが、その時思えらく、如来の形は何者なりや、世尊はこれ眼耳鼻舌身意とせんや、往きて見ん者はまたこれ地水火風とせんや。一切諸法は皆悉く空寂にして造なく作なし。諸法皆悉く空寂ならば、何者かこれ我なる。我れ今真の法聚に帰命すと。則ち還た坐して衣を縫う。時に世尊は、善業は先づ仏を礼せり、最初にして過ぐる者なし、空無解脱門はこれ礼仏の義なりと讃ぜられたりと云い、また「同巻6」には、釈提桓因が一日師の苦患を問いしに対し、師は一切の所有は皆空に帰し、我なく人なく寿なく命なく士なく夫なく形なく像なく男なく女なしと答えたることを記し、また「同巻3弟子品」には、「恒に空定を楽しみ、空の義を分別するは謂わゆる須菩提比丘これなり。志空寂微妙の徳業に在るはまた須菩提比丘なり」と云えり。これ等は師の解空の徳を嘆じたるなり。諸部の般若に皆師が般若波羅蜜を説けりとなせるは、即ちこの説に基づけるものなるを知るべし。また「阿羅漢具徳経」、「賢愚経巻6富那奇縁品」、「大智度論巻5、巻11」、「注維摩詰経巻3」等に出づ。<(望)
摩訶般若波羅蜜経:吉蔵の「大品経義略序」に、初の六品は仏自ら宗を開き、舎利弗を対告として上根の人の為に説き、第七三仮品以下の三十八品は須菩提に命じて中根の人の為に説かしめ、第四十五聞持品以下の四十六品は重ねて下根の諸天及び人の為に説けるものなりとなせり。<(望) |
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答曰。舍利弗佛弟子中智慧第一。須菩提於弟子中。得無諍三昧最第一。無諍三昧相常觀眾生不令心惱多行憐愍。諸菩薩者弘大誓願以度眾生憐愍相同。是故命說 |
答えて曰く、舎利弗は仏弟子中の智慧第一にして、須菩提は弟子中の無浄三昧を得ること最も第一なり。無浄三昧の相は、常に衆生を観るも、心をして悩ましめざれば、多くは憐愍を行じ、諸の菩薩は、大誓願を弘くして、以って衆生を度すれば、憐愍の相同じなり。是の故に命じて説かしめたまえり。 |
答え、
『舎利弗』は、
『須菩提』は、
『弟子』中の、
『無浄三昧を得る!』ことに於いて、
『最も!』、
『第一である!』。
『無浄三昧』の、
『相』とは、
常に、
『衆生』を、
『観察して!』、
『衆生』の、
『心』を、
『悩ませない!』ことであり、
『多く!』は、
『憐愍(哀れみ!)』を、
『行う!』ことであるが、
諸の、
『菩薩』ならば、
弘く、
『大誓願』を
『起して!』、
『衆生』を、
『度す!』ので、
『憐愍』という、
『相』は、
『同じである!』、
是の故に、
『須菩提』に、
『命じて!』、
『説かせられた!』。
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無諍三昧(むじょうさんまい):梵語araNa- samaadhi、空理に住して他と無諍なる三昧をいう。仏弟子中、解空第一の須菩提は最も空理を解す、故に弟子中の所得の無諍三昧に於いて最も第一となす。即ち、「大品般若経巻3勧学品第八」に、「その時、須菩提は仏に白して言さく、世尊、菩薩摩訶薩は檀那波羅蜜を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、褝那波羅蜜、般若波羅蜜を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし、眼乃至意を知らんと欲せば、色乃至法を知らんと欲せば、眼識乃至意識を知らんと欲せば、眼触乃至意触を知らんと欲せば、眼触因縁生の受乃至意触因縁生の受を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。(中略)舎利弗の須菩提に語らく、云何が心相の常浄と名づく。須菩提の言わく、もし菩薩、この心相は婬怒癡と不合不離、諸の纏流縛、若しくは諸の結使、一切の煩悩と不合不離、声聞、辟支仏の心と不合不離なりと知れば、舎利弗、これを菩薩の心相の常浄と名づくと。舎利弗の須菩提に語らく、この無心相の心有りや不や。須菩提の舎利弗に報えて言わく、無心相中に、有心相、無心相を得べしや不や。舎利弗の言わく、得べからず。須菩提の言わく、もし得べからずんば、まさにこの無心相の心有りや不やと問うべからず。舎利弗の復た問わく、何等かこれ無心相なる。須菩提の言わく、諸法の不壊、不分別は、これを無心相と名づく。舎利弗の復た問わく、須菩提、但だこの心のみ不壊、不分別なりや、色もまた不壊、不分別、乃ち仏道に至るまで不壊、不分別なりや。須菩提の言わく、もし能く心相の不壊、不分別を知れば、この菩薩は亦た能く色乃至仏道の不壊、不分別を知る。その時、慧命舎利弗は須菩提を讃えて言わく、善哉善哉、汝は真にこれ仏子なり、仏の口より生じ、見法より生じ、法化より生ず。法分を取りて財分を取らず、法の中に自ら信じて身に証を得。仏の所説の如く、無諍三昧を得たる中に汝は最も第一なり、実に仏の挙ぐる所の如し」と云えるこれなり。また「悲華経巻4、7」、「大乗悲芬陀利経巻1、3、7」、「小品般若経巻1」、「仏母出生法蔵般若波羅蜜多経」、「金剛般若経」、「旧華厳経巻9、16」、「大宝積経巻102」、「南本涅槃経巻15、30」、「北本涅槃経巻14、28」、「大方等大集経巻3、12」、「維摩詰所説経巻上」、「大智度論巻1、11、17、26、29、32、41、43、53、60、87、100」等に出づ。<(望) |
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復次是須菩提好行空三昧。如佛在忉利天夏安居受歲已還下閻浮提。 |
復た次ぎに、是の須菩提は、好んで空三昧を行ず。仏の、忉利天に在りて、夏安居し、受歳し已りて、還(ま)た閻浮提に下りたまえるが如し。 |
復た次ぎに、
『須菩提』は、
例えば、
『仏』が、
『忉利天』に於いて、
『夏安居し!』、
『受歳して!』、
還( ま)た、
『閻浮提』に、
『下られた!』のであるが、――
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夏安居(げあんご):雨期の三ヶ月を定住して過ごすこと。『大智度論巻2上注:夏安居』参照。
受歳(じゅさい):夏安居の終りに法臈(比丘としての年齢)に一を加うること。 |
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爾時須菩提於石窟中住自思惟。佛從忉利天來下。我當至佛所耶。不至佛所耶。又念言。佛常說。若人以智慧眼觀佛法身。則為見佛中最。 |
爾の時、須菩提は、石窟中に住して、自ら思惟すらく、『仏、忉利天より来たりて下りたもう。我れは当に仏所に至るべしや、仏所に至らざるべしや』、と。又念じて言わく、『仏は常に説きたまえり。若し人、智慧の眼を以って、仏の法身を観れば、則ち仏を見る中の最と為すと』、と。 |
爾の時、
『須菩提』は、
『石窟』中に、
『住まって!』、
自ら、こう思惟した、――
『仏』が、
『忉利天』より、
『下って!』、
『来られる!』。
わたしは、
『仏の所』に、
『至って!』、
『迎えるべきだろうか?』、
『仏の所』には、
『至らず!』に、
『迎えるべきだろうか?』、と。
又念じて、こう言った、――
『仏』は、
常に、こう説かれている、――
若し、
『人』が、
『智慧』という、
『眼』で、
『仏』の、
『法身』を、
『観る!』ならば、
『仏』を、
『見る!』中では、
『最も勝れている!』、と。
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法身(ほっしん):梵語dharma- kaaya、tathaagata- dharma- kaayaの訳。肉身の仏に対する語、即ち仏所説の法自体を云う。『大智度論巻5下注:法身』参照。 |
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是時以佛從忉利天下故。閻浮提中四部眾集。諸天見人人亦見天。座中有佛及轉輪聖王諸天大眾。眾會莊嚴先未曾有。 |
是の時、仏の忉利天より下りたもうを以っての故に、閻浮提中の四部の衆集まれば、諸の天は人を見、人も亦た天を見る。座中には、仏及び転輪聖王、諸天の大衆有りて、衆会を荘厳すること、先には未曽有なり。 |
是の時、
『仏』が、
『忉利天』より、
『下って!』、
『来られる!』が故に、
『閻浮提』中の、
『四部の衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)』が、
『集まり!』、
諸の、
『天』は、
『人』を、
『見ることになり!』、
『人』も、
『天』を、
『見たのである!』。
『座』中には、
『仏』や、
『転輪聖王』や、
『諸天の大衆』が、
『有って!』、
『多く!』の、
『会』を、
『荘厳した!』のであるが、
先より、
未だ、
『かつて!』、
『無かった!』ことである。
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須菩提心念。今此大眾雖復殊特勢不久停。磨滅之法皆歸無常。因此無常觀之初門。悉知諸法空無有實。作是觀時即得道證。 |
須菩提の心に念ずらく、『今の此の大衆は、復た殊特の勢と雖も、久しくは停まらず、磨滅の法は、皆、無常に帰す』、と。此の無常観の初門に因りて、悉く諸法の空にして、実有ること無きを知り、是の観を作せる時、即ち道の証を得たり。 |
『須菩提』は、
『心』に、こう念じた、――
今の、
此の、
『大衆』の、
『特殊な!』、
『勢力』でも、
『久しくは!』、
『停まらない!』。
『磨滅する!』、
『法』は、
皆、
『無常』に、
『帰するのだ!』、と。
『須菩提』は、
此の、
『無常観』という、
『初門』に、
『因って!』、
悉くを、こう知った、――
諸の、
『法』は、
『空であり!』、
『実』が、
『有った!』ことは、
『無い!』、と。
是れを、
『観た!』時、
『須菩提』は、
『道』の、
『証(確信)』を、
『得たのである!』。
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磨滅之法(まめつのほう):磨滅する事物の意。
道証(どうしょう):道を得たとはっきり悟ること。 |
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爾時一切眾人。皆欲求先見佛禮敬供養。有華色比丘尼。欲除女名之惡。便化為轉輪聖王及七寶千子。眾人見之皆避坐起去。化王到佛所已還復本身為比丘尼。最初禮佛。 |
爾の時、一切の衆人は、皆、先を求めて仏を見て、礼敬し、供養せんと欲するに、華色比丘尼有り、女名の悪を除かんと欲し、便ち化して転輪聖王、及び七宝、千子と為れば、衆人、之を見て、皆避けて坐より起ちて去る。化王、仏所に到り已りて、還(ま)た本の身に復(かえ)り、比丘尼と為りて、最初に仏を礼せり。 |
爾の時、
一切の、
『衆人』は、
皆、
『先』を、
『争って!』、 『仏』に、
『見( まみ)えて!』、
『敬礼し!』、
『供養したい!』と、
『思っていた!』が、
中に、
『華色比丘尼』が、
『有り!』、
『女』という、
『悪名』を、
『除きたい!』と、
『思っていた!』ので、
『転輪聖王』に、
『化して!』、
『為り!』、
『七宝』や、
『千子』も、
『化して!』、
『作った!』。
『衆人』は、
『華色比丘尼』の、
『化した!』、
『転輪聖王』や、
『七宝』や、
『千子』を、
『見る!』と、
皆、
『華色比丘尼』の、
『化した!』、
『転輪聖王』は、
『仏の所』に、
『到る!』と、
還( ま)た、
『本の身』に、
『復(もど)り!』、
『比丘尼』と、
『為って!』、
『最初に!』、
『仏』を、
『礼した!』。
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華色比丘尼(けしきびくに):具さに蓮華色比丘尼と称す。
蓮華色比丘尼(れんげしきびくに):蓮華色は梵名utpalavarNaaの訳。また蓮華鮮、専華色、華色とも訳し、或は梵漢併挙して優鉢羅色、嗢鉢羅色、優婆羅華とも称す。仏弟子の比丘尼なり。初め鬱禅国人に嫁して懐妊し、父母の家に還りて一女を産む。時にその夫来たりて蓮華色の母と私通するを見、母子一夫を同じくするを不倫となし、産む所の女を捨てて波羅捺城に至り、一長者に迎えられてその婦となる。後長者大に財宝を得、鬱禅国に至りて治生し、適ま蓮華色の産む所の女を見てこれを喜び、百千両金を与えて婦となし、共に携えて波羅捺国に帰る。蓮華色時にその女の生家父母等の名を問い、我が子なることを知り、再び母子一夫を共にするを歎じ、遂に家を捨てて羅閲城迦蘭陀竹園に至り、仏を拝し法を聞きて法眼浄を得、摩訶波闍波提の所に到りて出家し、遂に阿羅漢果を逮得せりと云う。これ「四分律巻6」、「五分律巻4」等に記する所なり。出家以後の事蹟に関し、「四分律巻19」、「十誦律巻19」等に、彼の尼は嘗て舎衛城に入りて行乞し、得る所の食を悉く比丘に与えて自ら取らざりしを以って、飢迫りて路傍に倒る。時に長者過ぎてこれを見、伴いて家に還り所須を供給す。仏これを聞き、諸比丘に対して親里に非ざる比丘尼より食を受くることを制せられたりと記し、また「毘奈耶巻6」、「十誦律巻6」、「有部毘奈耶巻19」等には、尼が嘗て安和林中樹下に於いて端身正坐せし時、五百の群賊あり、その威儀清浄なるを見て信心を生じ、高価の氎を以って一串の肉を裹み、樹上に懸著す。尼乃ち彼の肉を持して祇園中に到りて衆に与え、また好氎を六群比丘に施与し、自ら弊衣を著す。仏これを聞きまた比丘を集め、非親里の比丘尼より衣を得ることを制せられたりと云い、また「大智度論巻13」には、尼は六神通を得て貴人の舎に出入し、常に婦女に対して出家の法を讃ぜしことを記し、「増一阿含経巻28」、「雑阿含経巻23」等には、仏が忉利天に昇りて母の為に説法し、下天せられんとする時、尼は転輪聖王の身を化作し、空より来至して仏を迎え、尋いで本形に復して礼仏せりと云えり。後明を失したるが如く、「生経巻4比丘尼現変経」には、尼が舎衛城に住せし時、凶衆あり来たりて侵淩せんとせしにより、乃ち両目を脱して彼の掌中に著け、以ってその欲心を制したりと云い、「有部毘奈耶雑事巻32」にも亦た略ぼ同説を出し、これを王舎城の婆羅門となし、「大智度論巻14」、「有部毘奈耶破僧事巻10」等には、提婆達多が仏を害せんと企てし時、尼はこれを呵せしに依り、達多怒りて拳を以ってその頭頂を打ち、為に眼目出でて遂に死せりと云えり。また「阿羅漢具徳経」には、「能く善行を行じ、威徳過ぐるものなきは蓮花色苾芻尼これなり」と記し、「生経巻4」、「増一阿含経巻3」には神足第一なりとし、「毘尼母経巻5」には六通具足すと云えり。また「義足経巻下」、「増一阿含経巻4」、「雑阿含経巻45」、「別訳雑阿含経巻12」、「大宝積経巻1」、「四分律巻12」、「有部毘奈耶巻30」、「薩婆多部律摂巻14」等に出づ。<(望) |
参考:『法句譬喩経巻1』:『昔佛在羅閱祇耆闍崛山中。時城內有婬女人。名曰蓮華。姿容端正國中無雙。大臣子弟莫不尋敬。爾時蓮華善心自生。欲棄世事作比丘尼。即詣山中就到佛所。未至中道有流泉水。蓮華飲水澡手。自見面像容色紅輝頭髮紺青。形貌方正挺特無比。心自悔曰。人生於世形體如此。云何自棄行作沙門。且當順時快我私情。念已便還。佛知蓮華應當化度。化作一婦人端正絕世。復勝蓮華數千萬倍尋路逆來。蓮華見之心甚愛敬。即問化人從何所來。夫主兒子父兄中外皆在何許。云何獨行而無將從。化人答言從城中來欲還歸家。雖不相識寧可共還。到泉水上坐息共語不。蓮華言善。二人相將還到水上。陳意委曲。化人睡來枕蓮華膝眠。須臾之頃忽然命絕。[月*逢]脹臭爛腹潰蟲出。齒落髮墮肢體解散。蓮華見之心大驚怖。云何好人忽便無常。此人尚爾我豈久存。故當詣佛精進學道。即至佛所五體投地。作禮已訖具以所見向佛說之。佛告蓮華。人有四事不可恃怙。何謂為四。一者少壯會當歸老。二者強健會當歸死。三者六親聚歡娛樂會當別離。四者財寶積聚要當分散。於是世尊即說偈言 老則色衰 所病自壞 形敗腐朽 命終其然 是身何用 洹漏臭處 為病所困 有老死患 嗜欲自恣 非法是增 不見聞變 壽命無常 非有子恃 亦非父兄 為死所迫 無親可怙 蓮華聞法欣然解釋。觀身如化命不久停。唯有道德泥洹永安。即前白佛願為比丘尼。佛言善哉頭髮自墮。即成比丘尼。思惟止觀即得羅漢。諸在坐者聞佛所說莫不歡喜』 |
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是時佛告比丘尼非汝初禮。須菩提最初禮我。所以者何。須菩提觀諸法空是為見佛法身。得真供養供養中最。非以致敬生身為供養也。 |
是の時、仏の比丘尼に告げたまわく、『汝、初めて礼するに非ず。須菩提、最も初めに我れを礼せり。所以は何んとなれば、須菩提は、諸法の空を観ずればなり。是れを仏の法身を見ると為し、真の供養を得たり。供養中の最なるは、敬を生身に致すを以って供養と為すに非ず』、と。 |
是の時、
『仏』は、
『比丘尼』に、こう告げられた、――
お前が、
『初めて!』、
『礼したのではない!』。
『須菩提』が、
何故ならば、
『須菩提』は、
諸の、
是れは、
『仏』の、
『法身』を、
『見る!』という、
『真』の、
『供養』を、
『識った!』のである。
『供養』中の、
『最も!』、
『勝れた!』、
『供養』とは、
『生身』に、
『敬』を、
『致す!』ことを、
『供養』と、
『為すものではない!』、と。
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以是故言須菩提常行空三昧。與般若波羅蜜空相相應。以是故佛命令說般若波羅蜜 |
是を以っての故に言わく、『須菩提は、常に空三昧を行ずれば、般若波羅蜜の空相と相応す』、と。是を以っての故に、仏は命じて、般若波羅蜜を説かしめたまえり。 |
是の故に、
こう言ったのである、――
『須菩提』は、
常に、
『空三昧』を、
『行っている!』ので、
『般若波羅蜜』という、
『空相』と、
『相応する!』、と。
是の故に、
『仏』は、
『須菩提』に、
『命じて!』、
『般若波羅蜜』を、
『説かせられた!』のである。
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復次佛以眾生信敬阿羅漢諸漏已盡。命之為說。眾得淨信故。諸菩薩漏未盡。若以為證諸人不信。以是故與舍利弗須菩提共說般若波羅蜜。 |
復た次ぎに、仏は、衆生の阿羅漢の諸漏已に尽きたるを信敬するに、之に命じて為めに説かしむれば、衆に浄信を得しむるを以っての故なり。諸の菩薩の漏は未だ尽きざれば、若し以って証を為さば、諸人信ぜず。是を以っての故に、舎利弗、須菩提と共に般若波羅蜜を説きたまえり。 |
復た次ぎに、
『仏』は、
こう思われたのである、――
『衆生』は、
諸の、
『漏』の、
『尽きた!』、
『阿羅漢』に、
『命じて!』、
『般若波羅蜜』を、
『説かせた!』ならば、
『衆生』は、
諸の、
若し、
『菩薩』を、
『用いて!』、
『証(保証)』を、
『為した!』としても、
諸の、
『人』は、
『信じないだろう!』、と。
是の故に、
『仏』は、
『舎利弗』や、
『須菩提』と、
共同して、
『般若波羅蜜』を、
『説かれた!』のである。
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問曰。何以名舍利弗為是父母所作字。為是依行功德立名。 |
問うて曰く、何を以ってか、舎利弗と名づくる。是れ父母の作す所の字(あざな)と為すや、是れ功徳を行ずるに依って立つる名と為すや。 |
問い、
何故、
『舎利弗』と、
『呼ばれるのですか?』。
是れは、
『父、母』の、
『作った!』、
『字(呼び名)ですか?』、
是れは、
『功徳』を、
『行う!』に、
『依って!』、
『立てられた!』、
『名ですか?』。
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答曰。是父母所作名字。於閻浮提中。第一安樂有摩伽陀國。是中有大城名王舍。王名頻婆娑羅。有婆羅門論議師。名摩陀羅。王以其人善能論故。賜封一邑去城不遠。 |
答えて曰く、是れ父母の作す所の名字なり。閻浮提中の第一に安楽なるに、摩伽陀国有り。是の中に大城有りて、王舍と名づけ、王を頻婆娑羅と名づく。婆羅門の論議師有り、摩陀羅と名づく。王は、其の人の善く論を能くするが故に、一邑の城を去ること遠からざるを賜いて封ず。 |
答え、
是れは、
『父、母』の、
『作った!』、
『名字である!』。
『閻浮提』中に、
『第一』に、
『安楽な!』、
『摩伽陀』という、
『国』が、
『有る!』が、
是の中に、
『大城』が有り、
『王舍』と、
『呼ばれていた!』、
『王』を、
『頻婆娑羅』と、
『称した!』。
『摩陀羅』と、
『称する!』、
『婆羅門』の、
『論議師』が有り、
『王』は、
其の、
其の、
『人』に、
『城』から、
『遠くない!』、
『一邑』を、
『与えて!』、
『封じた!』。
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頻婆娑羅(びんばしゃら):梵名bimbisaara、摩竭陀国王の名。『大智度論巻3上注:頻婆娑羅』参照。
摩陀羅(まだら):舎利弗の祖父。 |
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是摩陀羅遂有居家婦生一女。眼似舍利鳥眼。即名此女為舍利。次生一男。膝骨麤大名拘郗羅。(拘郗羅秦言大膝也) |
是の摩陀羅は、遂に居家と婦と有りて、一女を生ず。眼の舎利鳥に似たれば、即ち此の女を名づけて、舎利と為す。次に一男を生じ、膝骨麁大なれば、拘郗羅と名づく。 |
是の、
『摩陀羅』は、
遂に、
『居家( 住居)』と、
『婦』とを、
『有して!』、
『一り!』の、
『女( むすめ)』を、
『生んだのである!』が、
『眼』が、
『舎利鳥』に、
『似ていた!』ので、
此の、
次に、
『一り!』の、
『男( むすこ)』を、
『生み!』、
『膝』の、
『骨』が、
『麁大(粗大)であった!』ので、
是れを、
『拘郗羅(大きな膝)』と、
『呼んだ!』。
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居家(こけ):梵語gRha- sthaの訳、家主、家を所有する者の義。又gRhaの訳、住居の義。
拘郗羅(くちら):梵名mahaa-kauSThila、大膝と訳す。舎利弗の叔父。長爪梵志と称す。『大智度論巻1上、巻3上注:長爪梵志』参照。
舎利鳥(しゃりちょう):梵名舎利zaariは鳥の名。また舎利弗の母を舎利と名づく。『大智度論巻2下注:舎利弗』参照。 |
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是婆羅門既有居家畜養男女。所學經書皆已廢忘又不業新。 |
是の婆羅門は、既に居家有りて、男女を畜養すれば、学ぶ所の経書を、皆已に廃忘し、又業新ならず。 |
是の、
『婆羅門( 摩陀羅)』は、
既に、
『居住する!』、
『家』が、
『有り!』、
『男』と、
『女』も、
『畜(たくわ)え!』、
『養っていた!』ので、
前に、
『学んだ!』、
『経書』を、
皆、
『棄てて!』、
『忘れてしまい!』、
又、
『業(学業)』を、
『新にすることもなかった!』。
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廃忘(はいもう):廃止忘却。 |
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是時南天竺有一婆羅門大論議師字提舍。於十八種大經皆悉通利。 |
是の時、南天竺に一婆羅門の大論議師有り、提舎と字(な)づけて、十八種の大経に皆悉く通利せり。 |
是の時、
『南天竺』に、
『一り!』の、
『婆羅門』の、
『大論議師』が、
『有り!』、
『提舎』と、
『呼ばれていた!』が、
是の、
『婆羅門』は、
『十八種』の、
『大経』に、
皆、
『悉く!』、
『通利していた!』。
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提舎(だいしゃ):梵名tiSya、吉兆、幸運等の義。舎利弗の父の名。 |
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是人入王舍城。頭上戴火以銅鍱腹。人問其故。便言我所學經書甚多恐腹破裂。是故鍱之。 |
是の人は、王舎城に入るに、頭上に火を載せ、銅を以って腹に鍱せり。人、其の故を問えば、便ち言わく、『我が学びし所の経書は、甚だ多く、腹の破裂するを恐れて、是の故に、之を鍱す。 |
是の、
『人』が、
『王舎城』に、
『入ってくる!』とき、
『頭』上には、
『火』を、
『載せ!』、
『腹』には、
『銅板』を、
『巻いていた!』ので、
『人』が、
其の、
『故(わけ)』を、
『問う!』と、
こう言った、――
わたしの、
『学んだ!』所の、
『経書』は、
『甚だ多い!』ので、
『腹』が、
『破裂する!』のを、
『恐れて!』、
是の故に、
『銅板』を、
『腹』に、
『巻いているのだ!』、と。
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鍱(しょう):板金。板金をまく。 |
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又問。頭上何以戴火。答言。以大闇故。 |
又、『頭上には、何を以ってか、火を載する』と問うに、答えて言わく、『大闇なるを以っての故なり』、と。 |
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眾人言。日出照明何以言闇。答言。闇有二種。一者日光不照。二者愚癡闇蔽。今雖有日明而愚癡猶黑。 |
衆人の言わく、『日出でて照明するに、何を以ってか闇と言う』、と。答えて言わく、『闇には二種有り、一には日光の照らさざる、二には愚癡の闇に蔽(おお)わる。今、日の明有りと雖も、愚癡は猶お黒し』、と。 |
『衆人』は、
こう言った、――
『日』が、
『出ていれば!』、
『照らして!』、
『明るい!』のに、
何故、
『闇だ!』と、
『言うのか?』、と。
答えて、言った、――
『闇』には、
今、
『日』が、
『有って!』、
『明るい!』だけに、
『愚癡』は、
『尚更!』、
『黒々としている!』、と。
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眾人言。汝但未見婆羅門摩陀羅。汝若見者腹當縮明當闇。是婆羅門逕至鼓邊打論議鼓。 |
衆人の言わく、『汝は、但だ、未だ婆羅門の摩陀羅を見ず。汝若し見ば、腹は正に縮んで、明も当に闇となるべし』、と。是の婆羅門逕(ただち)に、鼓の辺に至りて、論義の鼓を打てり。 |
『衆人』は、
こう言った、――
お前は、
まだ、
『婆羅門』の、
『摩陀羅』を、
『見ていないからだ!』。
お前が、
若し、
『摩陀羅』を、
『見たならば!』、
『腹』は、
『縮んでしまい!』、
『明( あかり)』も、
『闇となるだろうよ!』、と。
是の、
『婆羅門』は、
直ちに、
『鼓( たいこ)』の、
『辺(ほとり)』に、
『至り!』、
『論義』の、
『鼓』を、
『打ちならした!』。
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逕(きょう):ただちに、直。近道。 |
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國王聞之問是何人。眾臣答言。南天竺有一婆羅門名提舍大論議師。欲求論處故打論鼓。 |
国王の之を聞きて問わく、『是れ何人ぞや』、と。衆臣の答えて言わく、『南天竺に一婆羅門有り、提舎と名づくる大論議師なり、論処を求めんと欲するが故に、論鼓を打てり』、と。 |
『国王』は、
『衆臣』は、
答えて、こう言った、――
『南天竺』に、
『一り!』の、
『婆羅門』が、
『有り!』、
『提舎』と、
『呼ばれる!』、
『大論議師です!』が、
『論義』の、
『処( 対象)』を、
『求めよう!』と、
『思った!』が故に、
『論義』の、
『鼓』を、
『打ち鳴らしている!』のです、と。
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王大歡喜即集眾人而告之曰。有能難者與之論議。 |
王は大に歓喜して、即ち衆人を集め、之に告げて曰わく、『能く難ずる者有らば、之と論義せよ』、と。 |
『王』は、
大いに、
『歓喜して!』、
すぐに、
『衆人』を、
『集める!』と、
告げて、こう言った、――
『難ずる!』、
『力』の、
『有る!』者は、
此の、
『人』と、
『論義せよ!』、と。
|
難(なん):論難。論議してやりこめる。 |
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摩陀羅聞之自疑。我以廢忘又不業新。不知我今能與論不。僶俛而來。於道中見二特牛方相觝觸。心中作想。此牛是我彼牛是彼。以此為占知誰得勝。此牛不如便大愁憂而自念言。如此相者我將不如。 |
摩陀羅の之を聞いて自ら疑うらく、『我れは、廃忘するを以って、又業新ならざれば、我れ今、能く与(とも)に論ずるや、不やを知らず』、と。僶俛にして来たるに、道中に二特牛の相觝觸するを見て、心中に想を作さく、『此の牛は、是れ我れなり。彼の牛は、是れ彼れなり。此れを以って占と為し、誰か勝ちを得るを知らん』、と。此の牛如(し)かざれば、便(すなわ)ち大いに憂愁し、自ら念じて言わく、『此の相の如くんば、我れも将(まさ)に如かざるべし』、と。 |
『摩陀羅』は、
之を聞いて、自らを疑った――
わたしは、
『学問』を、
『棄てて!』、
『忘れてしまい!』、
『学問』の、
『業』も、
『新しくない!』ので、
わたしには、
今、
『論義』に、
『堪えられるかどうか?』も、
『分らない!』、
わずかの間に、
『論義』の、
『処』に、
『至った!』のであるが、
『道』中、
『二頭』の、
『牡牛』が、
『角を突きあわせている!』のを、
『見て!』、
『心』中、こう思った、――
此方( こちら)の、
『牛』が、
『わたしだ!』、
彼方( あちら)の、
『牛』が、
『彼れだ!』、
此れで、
『占って!』、
誰が、
『勝つのか?』を、
『知ろう!』、と。
果して、
此方の、
『牛』は、
彼方の、
『牛』に、
『及ばなかった!』ので、
大いに、
『愁い!』、
自らを念じて、こう言った、――
此の、
『相』の、
『通りならば!』、
わたしは、
『やっぱり!』、
『及ばないということか!』、と。
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僶俛(みんめん):わずかの間。俯仰の間。又はげみつとめる、勉強。
来(らい):くる。いたる、至。
特牛(とくご):牡牛。
觝觸(たいそく):角を突き合わせる。
将(しょう):まさに~べし、当。なお、尚。 |
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欲入眾時見有母人挾一瓶水正在其前躄地破瓶。復作是念。是亦不吉甚大不樂。 |
衆に入らんと欲する時、有る母人、一瓶の水を挟めるを見るに、正しく其の前に在りて地に躄(たお)れ、瓶を破れり。復た是の念を作さく、『是れも復た不吉なり』と。甚だ大いに楽しからず。 |
『摩陀羅』が、
『衆』中に、
『入ろうとする!』時、
有る、
『母人』が、
『一瓶』の、
『水』を、
『腋』に、
『挟んでいる!』のが、
『見えた!』が、
ちょうど、
其の、
『前』で、
『地』に、
『倒れ!』、
『瓶』を、
『割ってしまった!』。
『摩陀羅』は、
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躄(ひゃく):たおれる、倒。足がもつれて倒れる。 |
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既入眾中見彼論師。顏貌意色勝相具足。自知不如。事不獲已與共論議。論議既交便墮負處。 |
既に衆中に入りて、彼の論師を見るに、顔貌、意、色に勝相具足すれば、自ら如かざるを知る。事の獲(え)已らざるに、与共(とも)に論義す。論義既に交わり、便ち負処に堕つ。 |
『摩陀羅』が、
『衆』中に、
『入って!』、
彼の、
『論師』を、
『見た!』ところ、
彼れの、
『顔貌』にも、
『意欲』にも、
『顔色』にも、
『勝相』が、
『具足していた!』ので、
自ら、
『及ばない!』ことを、
『知った!』、
『摩陀羅』は、
『事』に、
『宜しき!』を、
『得ない!』まま、
『共に!』、
『論義した!』が、
『論義』が、
『交わった!』と、
『思った!』時には、
もう、
『負処』に、
『堕ちてしまった!』。
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顔貌(げんみょう):顔容。
意色(いしき):心と身。
勝相(しょうそう):勝者の相。
負処(ふしょ):勝負に負けること。 |
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王大歡喜。大智明人遠入我國。復欲為之封一聚落。 |
王は、『大智明の人、遠く我が国に入れり』と、大いに歓喜し、亦た之が為に、一聚落を封ぜんと欲す。 |
『王』は、
大いに、歓喜して、――
『大智明』の、
『人』が、
『遠く!』より、
わたしの、
『国』に、
『入ってくれた!』、と。
復たしても、
此の、
『人』を、
『一聚落』に、
『封じたい!』と、
『思った!』。
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諸臣議言。一聰明人來便封一邑。功臣不賞但寵語論。恐非安國全家之道。今摩陀羅論議不如。應奪其封以與勝者。若更有勝人復以與之。 |
諸臣の議して言わく、『一聡明なる人来たらば、便ち一邑を封ぜんに、功臣を賞せずして、但だ語論のみを寵せば、恐らく国を安んじ、家を全うする道に非ず。今摩陀羅は、論義如かず、応に其の封を奪いて、以って勝者に与うべし。若し更に勝つ人有らば、復た以って之に与えん』と。 |
諸の、
『臣』は、
審議して、こう言った、――
『一り!』の、
『一つ!』の、
『邑( むら)』に、
是の、
『人』を、
『封じる!』として、
若し、
但だ、
『論ずる!』、
『語(ことば)』のみを、
『寵愛する!』ならば、
恐らくは、
『国家』を、
『安全にする!』、
『道ではないだろう!』。
今、
『摩陀羅』は、
『論義して!』、
『及ばなかった!』のだから、
其の、
『封地』を、
『奪って!』、
『勝者』に、
『与えるべきだろう!』。
若し、
更に、
復た、
其の、
『封地』を、
此の、
『人』に、
『与えよう!』、と。
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王用其言即奪與後人。 |
王は、其の言を用いて、即ち奪いて後の人に与えたり。 |
『王』は、
其の、
『言(ことば)』を、
『用いて!』、
すぐに、
『摩陀羅』より、
『封地』を、
『奪い!』、
『後の人』に、
其の、
『邑』を、
『与えた!』。
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是時摩陀羅語提舍言。汝是聰明人。我以女妻汝。男兒相累今欲遠出他國以求本志。 |
是の時、摩陀羅の提舎に語りて言わく、『汝は、是れ聡明の人なり。我れは女を以って、汝に妻(めあわ)せ、男児も相累(わずら)わせん。今、遠く他国に出で、以って本の志を求めんと欲す』、と。 |
是の時、
『摩陀羅』は、
『提舎』に語って、こう言った、――
お前は、
『聡明な!』、
『人だ!』。
わたしの、
『女』を、
『お前に!』、
『妻(めあわ)せた!』なら、
『男児』も、
『お前を!』、
『患わすとしよう!』。
今は、
『遠く!』、
『他国』へ、
『出て!』、
『本』の、
『志』を、
『求めたい!』、と。
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累(るい):わずらわす。患。煩労。付託。 |
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提舍納其女為婦。其婦懷妊夢見一人。身被甲冑手執金剛。摧破諸山而在大山邊立。覺已白其夫言。我夢如是。 |
提舎は、其の女を納(い)れて、婦と為すに。其の婦、懐妊して夢に見るらく、『一人、身に甲冑を被(こうむ)り、手に金剛を執り、諸山を摧破して、大山の辺に在りて立つ』。覚め已りて、其の夫に白して言わく、我が夢は是の如しと。 |
『提舎』は、
其の、
『女』を、
『納(い)れて!』、
『婦とする!』と、
其の、
『婦』は、
『懐妊して!』、
『夢を見た!』、――
『一り!』の、
『人』が、
『身』には、
『甲冑』を、
『被(つ)け!』、
『手』には、
『金剛』を、
『執り!』、
諸の、
『山』を、
『摧(くじ)いたり!』、
『破ったりしていた!』が、
而し、
『覚める!』と、
其の、
『夫』に白して、こう言った、――
わたしの、
『夢』は、
『是の通りでした!』、と。
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金剛(こんごう):梵名 、巴梨名vajiraの訳。また伐闍羅、跋闍羅、跋折羅、嚩日囉、伐折羅、跋日羅に作る。即ち金中の最剛の義なり。経論中には常に金剛を以って武器及び宝石に比喩するも、ほぼ常に武器の譬喩に用う。金剛を以って武器の比喩と為すは、乃ちその堅固、鋭利にして、よく一切を摧砕し、且つ万物のよく破壊する所に非ざるに因る。また、即ち帝釈、及び密迹力士所持の武器を称して金剛杵と為すは、その何物にも破壊せられず、而も一切を摧破すること、なお金剛の如ければなり。故に経論中には、常に金剛堅固、金剛不壊、金剛身、金剛頂、金剛心と出でて、金剛の如き堅固なる菩提心等の比喩とす。<(佛) |
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提舍言。汝當生男。摧伏一切諸論議師。唯不勝一人當與作弟子。 |
提舎の言わく、『汝は、当に男を生むべし。一切の諸の論議師を摧伏して、唯だ一人に勝てず、当に与(ため)に弟子と作るべし。 |
『提舎』は、こう言った、――
お前は、
『男』を、
『生むだろう!』。
其の、
『男』は、
一切の、
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舍利懷妊。以其子故。母亦聰明大能論議。 |
舎利は懐妊するに、其の子を以っての故に、母も亦た聡明にして、大いに能く論義せり。 |
『舎利』が、
『懐妊する!』と、
其の、
『子』を、
『懐妊した!』が故に、
『母』も、
亦た、
『聡明となり!』、
『大いに!』、
『義』を、
『論じることができた!』。
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其弟拘郗羅與姊談論每屈不如。知所懷子必大智慧。未生如是何況出生。即捨家學問至南天竺不剪指爪。讀十八種經書皆令通利。 |
其の弟の拘郗羅は、姉と談論して、毎(つね)に屈して如かざれば、懐ける所の子の必ず大智慧あらん、未だ生ぜざるに是の如し、何に況んや、出生せんをやと知り、即ち家を捨てて学問し、南天竺に至りて、指の爪を剪(き)らず、十八種の経書を読みて、皆通利ならしむ。 |
其の、
『弟』の、
『拘郗羅』は、
『姉』と、
『談論する!』と、
毎( つね)に、
『屈して!』、
『及ばない!』ので、
こう知った、――
『姉』の、
『懐く!』所の、
『子』は、
必ず、、
『智慧』が、
『大きいはずだ!』、
未だ、
『生まれてもいない!』のに、
『是れほどでは!』、
況して、
『出生した!』ならば、
『何うなることか?』、と。
そこで、
『家』を、
『捨てて!』、
『学問し!』、
『南天竺』に至る!と、
『指』の、
『爪』も、
『切らずに!』、
『十八種』の、
『経書』を、
『読んで!』、
皆に、
『通利(明通鋭利)した!』。
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是故時人號為長爪梵志。姊子既生七日之後。裹以白疊以示其父。其父思惟我名提舍。逐我名字字為憂波提舍。(憂波秦言逐提舍星名) |
是の故に、時の人は号して、長爪梵志と為す。姉の子は、既に生まれて七日の後、白畳を以って裹(つつ)み、以って其の父に示す。其の父の思惟すらく、『我が名は提舎なり。我が名字を逐うを字(な)づけて、憂波提舎と為さん』、と。 |
是の故に、
当時の、
『人』は、
『拘郗羅』を、
『長爪梵志』と、
『呼んだ!』のであるが、
『姉』の、
『子』は、
『生まれて!』、
『七日目に!』、
『白畳( 白布)』に、
『包まれて!』、
其の、
『父』に、
『示された!』、
其の、
『父』は、
こう思惟した、――
わたしの、
『名』は、
『提舎である!』、
わたしの、
『名』を、
『襲って!』、
是れを、
『憂波提舎』と、
『呼ぶことにしよう!』、と。
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白畳(びゃくじょう):白い布。
憂波提舎(うぱだいしゃ):梵名upatiSya、幸運という人の子の名(Name of a son of tiSya)。 |
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是為父母作字。眾人以其舍利所生。皆共名之為舍利弗。(弗秦言子) |
是れを父母の作せる字と為す。衆人は、其の舎利の所生なるを以って、皆共に、之を名づけて、舎利弗と為す。 |
是の、
『憂波提舎』が、
『衆人』は、
其れが、
『舎利』より、
『生まれた!』ので、
皆、
一様に、
『舎利弗』と、
『呼んでいる!』。
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舎利弗(しゃりほつ):梵名zaariputra、舎利の子の意。 |
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復次舍利弗世世本願。於釋迦文尼佛所作智慧第一弟子。字舍利弗。是為本願因緣名字。以是故名舍利弗。 |
復た次ぎに、舎利弗の世世の本願は、釈迦文尼仏の所に於いて、智慧第一の弟子と作り、舎利弗と字づけんとなり。是れを本願の因縁の名字と為す。是を以っての故に、舎利弗と名づく。 |
復た次ぎに、
『舎利弗』の、
『世世』の、
『本願』は、――
『釈迦文尼仏の所』に於いて、
『智慧第一』の、
『弟子』と、
『作って!』、
『舎利弗』と、
『呼ばれたい!』ということであり、
是れが、
是の故に、
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問曰。若爾者何以不言憂波提舍。而但言舍利弗。 |
問うて曰く、若し爾らば、何を以ってか、憂波提舎と言わず、但だ舎利弗と言う。 |
問い、
若し、
そうならば、
何故、
『憂波提舎』と、
『言わないで!』、
但だ、
『舎利弗』と、
『言うのですか?』。
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答曰。時人貴重其母。於眾女人中聰明第一。以是因緣故稱舍利弗 |
答えて曰く、時の人は、其の母を貴重すればなり。衆(あまた)の女人中、聡明第一なれば、是の因縁を以っての故に、舎利弗と称せり。 |
答え、
当時の、
『人』は、
其の、
『母』を、
『貴び!』、
『重んじた!』からである。
多くの、
『女人』中に、
『舎利弗』の、
『母』は、
『聡明なる!』こと、
『第一であり!』、
是の、
『因縁』の故に、
『舎利弗』と、
『称した!』のである。
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