【經】爾時佛知一切世界若天世界若魔世界若梵世界。若沙門若婆羅門及天。若揵闥婆人阿修羅等。及諸菩薩摩訶薩。紹尊位者一切皆集 |
爾の時、仏は知りたまえり、一切の世界の若しは天世界、若しは魔世界、若しは梵世界、若しは沙門、若しは婆羅門、及び天、若しは揵闥婆、人、阿修羅等、及び諸の菩薩摩訶薩の尊位を紹(つ)ぐ者の一切が皆集まれりと。 |
爾の時、
『仏』は、こう知られた、――
一切の、
『世界』である!、
『天の世界』や、
『魔の世界』や、
『梵の世界』や、 『沙門』や、
『婆羅門』や、
『天』と、
『揵闥婆』や、
『人』や、
『阿修羅』等と、
諸の、
『菩薩摩訶薩』という、
『尊位』を、
『紹(つ)ぐ!』者との、
一切が、
皆、
『集まった!』、と。
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揵闥婆(けんだつば):梵名gandharva、また乾闥婆等に作り、香神と訳す。『大智度論巻3上注:八部衆、同巻25下注:乾闥婆』参照。
阿修羅(あしゅら):梵名asura、戦闘を事とする鬼類の一。六道の一。『大智度論巻25上注:阿修羅』参照。 |
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【論】問曰。佛神力無量。一切十方眾生。若盡來在會者。一切世界應空。若不來者。佛無量神力有所不能。 |
問うて曰く、仏の神力無量にして、一切の十方の衆生、若し尽く来たりて、会に在らば、一切の世界は、応に空(むな)しかるべし。若し来たらずんば、仏の無量の神力には、能わざる所有らん。 |
問い、
『仏』の、
『神力』が、
『無量であった!』としても、
若し、
若し、
尽くは、
『会』に、
『来なかった!』とすれば、
『仏』の、
『神力』は、
『無量である!』が、
『仏』には、
『出来ない!』ことが、
『有るとなりませんか?』。
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答曰。不應盡來。何以故。諸佛世界無邊無量。若盡來者便為有邊。又復十方各各有佛。亦說般若波羅蜜。如彼般若波羅蜜四十三品中。十方面各千佛現皆說般若波羅蜜。以是故不應盡來。 |
答えて曰く、応に尽くは来たるべからず。何を以っての故に、諸仏の世界は無量、無辺なればなり。若し尽く来たらば、便ち有辺と為らん。又復た十方の各各に仏有りて、亦た般若波羅蜜を説きたもう。彼の般若波羅蜜の四十三品中の如きは、『十方面に各千仏現われて、皆般若波羅蜜を説く』と。是を以っての故に、応に尽くは来たるべからず。 |
答え、
当然、
何故ならば、
諸の、
『仏』の、
『世界』は、
『無辺無量だから!』である。
若し、
尽くが、
『来た!』とすれば、
即ち、
『有辺ということになる!』。
又それに、
『十方』には、
各各の、
『仏』が、
『有り!』、
亦た、
『般若波羅蜜』を、
『説かれているから!』でもある。
例えば、
『般若波羅蜜四十三品』中には、こう説いている、――
『十』の、
『方面』の、
各各に、
『仏』が、
『現われて!』、
『見えていた!』が、
皆、
『般若波羅蜜』を、
『説かれていた!』、と。
是の故に、
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参考:『摩訶般若波羅蜜経巻12無作品第四十三』:『爾時佛神力故。三千大千世界中諸四天王天三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天梵身天梵輔天梵眾天大梵天。少光天乃至淨居天。是一切諸天以天栴檀華遙散佛上。來詣佛所頭面禮佛足卻住一面。爾時四天王天。釋提桓因及三十三天。梵天王乃至諸淨居天。佛神力故見東方千佛說法。亦如是相如是名字說是般若波羅蜜品。』 |
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問曰。若有十方諸佛皆說般若波羅蜜。十方諸菩薩何以故來。 |
問うて曰く、若し十方に諸仏有りて、皆般若波羅蜜を説かば、十方の諸菩薩は、何を以っての故にか、来たる。 |
問い、
若し、
『十方』に、
諸の、
『仏』が、
『有って!』、
皆が、
『般若波羅蜜』を、
『説かれている!』とすれば、
『十方』の、
諸の、
『菩薩』は、
何故、
『来たのですか?』。
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答曰。如普明菩薩來章中已說。與釋迦牟尼佛因緣故來。 |
答えて曰く、普明菩薩来たる章中に已に説けるが如く、釈迦牟尼仏との因縁の故に来たり。 |
答え、
『普明菩薩の来た章』中に、
已に、説いたように、――
『釈迦牟尼仏』との、
『因縁』が、
『有った!』が故に、
『来た!』のである。
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復次是諸菩薩本願故。若有說般若波羅蜜處。我當聽受供養。是以遠來欲以身力積功德故。亦以示諸眾生我從遠來供養法故。云何汝在此世界而不供養。 |
復た次ぎに、是れ諸の菩薩の本の願の故なればなり。若し般若波羅蜜を説く処有らば、我れは当に聴受して供養すべし、と。是れ遠く来たるを以って、身力を以って功徳を積まんと欲せんが故なり。亦た以って諸の衆生に、『我れは遠くより来たるは、法を供養せんが故なり。云何が汝は、此の世界に在りて、而も供養せざる』、と示せり。 |
復た次ぎに、
是れは、
諸の、
『菩薩』の、
『本』の、
『願だから!』である、――
若し、
是れは、
『遠く!』より、
『来る!』という、
『事』で、
『身』の、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『功徳』を、
『積みたい!』と、
『思ったから!』であるが、
亦た、
諸の、
『衆生』に、こう示したのでもある、――
わたしが、
『遠く!』より、
『来た!』のは、
『法』を、
『供養する!』為めであるが、
お前は、
此の、
『世界』に、
『居りながら!』、
何故、
『法』を、
『供養しないのか?』、と。
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問曰。佛於法不著。何以故。七現神力而令眾生大集。 |
問うて曰く、仏は法に著したまわざるに、何を以っての故にか、七たび神力を現わして、衆生をして大いに集まらしめたもう。 |
問い、
『仏』は、
『法』に、
『著されない!』のに、
何故、
『七たび!』、
『力』を、
『現して!』、
『衆生』を、
『大いに!』、
『集められた!』のですか?
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註:七現神力:蓋し以下の如し。一に、三昧王三昧を起ちて身の三十二相より各六百億の光を放つ。二に、一一の身の毛孔を挙げて光を放つ。三に、常光は遍く三千大千国土を照す。四に、長広の舌相は遍く三千大千国土を覆い、舌根より無量千万億の光を放ち、一一の光は千葉の宝華と成り、華上に化仏有りて六波羅蜜を説く。五に、師子遊戯三昧に入って三千大千国土を感動し、地を六種に震動せしむ。六に、常身を三千大千国土の衆生に示し、口より光を出して三千大千国土を照す。七に、普明菩薩に華を送らしめ、東方の諸仏の世界を華で満たす。 |
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答曰。是般若波羅蜜。甚深難知難解不可思議。是故廣集諸大菩薩。令新發意者心得信樂。譬如小人所語不為人信。貴重大人人必信受。 |
答えて曰く、是の般若波羅蜜は、甚だ深く、知り難く、解し難く、不可思議なればなり。是の故に、広く諸の大菩薩を集めて、新発意の者をして、心に信楽を得しめたまえり。譬えば、小人の語る所は、人に信ぜられざるも、貴重の大人なれば、人は必ず信受するが如し。 |
答え、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『甚だ深く!』、
『知り難く!』、
『解し難く!』、
『不可思議だから!』である。
是の故に、
広く、
諸の、
『大菩薩』を、
『集めて!』、
新に、
『意』を、
『発(おこ)した!』者の、
『心』に、
『信じる!』ことと、
『楽しむ!』こととを、
『得させられた!』のである。
譬えば、
『小人』の、
『語る!』所は、
『人』に、
『信用されない!』が、
『貴重』の、
『大人』の、
『語る!』所は、
『人』に、
必ず、
『信受される!』のと、
『同じである!』。
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問曰。何以故言若天世界若魔世界若梵世界。但應言天世界人世界則足。何以故。十號中言天人師。以是故應言天人而已。 |
問うて曰く、何を以っての故にか、『若しは天の世界、若しは魔の世界、若しは梵の世界』と言う。但だ応に、『天の世界、人の世界』と言わば、則ち足るべし。何を以っての故に、十号中に『天と人との師』と言えばなり。是を以っての故に、応に『天と人と』、とのみ言うべし。 |
問い、
何故、
こう言うのですか?――
『天の世界』や、
『魔の世界』や、
『梵の世界』、と。
但だ、
こう言えば、足るはずです、――
『天の世界』、
『人の世界』、と。
何故ならば、
是の故に、
当然、こう言うべきです、――
『天』と、
『人』のみだ!と。
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答曰。諸天有天眼天耳利根智慧多自知來。以是故言天世界。 |
答えて曰く、諸天には天眼、天耳、利根、智慧有りて、多く自ら来たるを知る、是を以っての故に言わく、『天の世界』、と。 |
答え、
諸の、
『天』には、
『天眼』や、
『天耳』や、
『利根』や、
『智慧』が、
『有る!』ので、
『多く!』が、
自ずから、
『来るべきである!』ことを、
『知っている!』ので、
是の故に、
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問曰。若天世界已攝魔梵。何以故別說若魔若梵。 |
問うて曰く、若し天世界なれば、已に魔と梵とを摂す。何を以っての故に、別に、『若しは魔、若しは梵』と説く。 |
問い、
若し、
何故、
別に、こう説くのですか?――
『魔や!』、
『梵が!』、と。
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答曰。天中有三大主。釋提婆那民二處天主。魔王六欲天主。梵世界中大梵天王為主。 |
答えて曰く、天中には三大主有り。釈提婆那民は二処の天主なり。魔王は六欲天の主なり。梵世界中には大梵天王を主と為す。 |
答え、
『天』中には、
『三( みた)り!』の、
『大主』が、
『有る!』。
則ち、
『釈提婆那民( 帝釈天)』は、
『四天王天』と、
『三十三天』との、
『二天処』の、
『主である!』。
『魔王( 他化自在天主)』は、
『大梵天王』は、
『梵世界( 梵身、梵輔、梵衆、大梵天の総称)』中の、
『主である!』。
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釈提婆那民(しゃくだいばなみん):梵名sakra kevaanaamindra、また釈提桓因に作る。即ち三十三天の主。『大智度論巻2上注:釈提桓因』参照。
梵世界(ぼんせかい):梵名brahma- loka、色界初禅に、梵身天、梵輔天、梵衆天、大梵天の四天あり、是の総称を梵世界と称す。又「大智度論巻10」に依れば、「梵を離欲清浄と名づく、今梵世界と言えば、已に総じて色界諸天を説けり」と云う、当に知るべし。『大智度論巻1上注:色界』参照。 |
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問曰。如夜魔天兜率陀天化樂天皆有主。何以但有三主。 |
問うて曰く、夜摩天、兜率陀天、化楽天には、皆主有り。何を以ってか、但だ三主のみ有る。 |
問い、
『夜摩天』や、
『兜率陀天』や、
『化楽天』などにも、
何故、
但だ、
『三り!』の、
『主』のみが、
『有るのですか?』。
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夜摩天(やまてん):梵名yaama、欲界第三天の名。『大智度論巻9上注:夜摩天』参照。
兜率陀天(とそつだてん):梵名tuSita、欲界第四天の名。『大智度論巻9上注:兜率天』参照。
化楽天(けらくてん):梵名nirmaaNarati、欲界第五天の名。『大智度論巻9上注:化楽天』参照。 |
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答曰。釋提婆那民依地住。佛亦在地住。常來佛所大有名稱人多識故。魔王常來嬈佛。又是一切欲界中主。夜摩天兜率陀天化樂天皆屬魔王。 |
答えて曰く、釈提婆那民は、地に依って住し、仏も亦た、地に在りて、住したまえば、常に仏所に来たれば、大いに名称有りて、人の多く識るが故なり。魔王は常に来たりて、仏を嬈(なやま)す、又是れ一切の欲界中の主にして、夜摩天、兜率陀天、化楽天は皆、魔王に属すればなり。 |
答え、
『釈提婆那民』は、
『地( 須弥山頂)』に、
『依って!』、
『住している!』が、
『仏』も、
『釈提婆那民』は、
常に、
『仏』の、
『居られる!』所に、
『来ており!』、
大いに、
『名称(名のあがること)』が、
『有る!』が故に、
多くの、
『人』に、
『識られている!』。
『魔王』は、
常に、
又、
是れは、
一切の、
『欲界』中の、
『主』として、
『夜摩天』や、
『兜率陀天』や、
『化楽天』が、
皆、
『魔王』に、
『属する!』からである。
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復次天世界則三界天皆攝是天中。一切欲界魔為主。是故別說。 |
復た次ぎに、天の世界とは、則ち三界の天にして、皆、是の天中に摂し、一切の欲界の魔を、主と為す。是の故に別に説けり。 |
復た次ぎに、
『天の世界』には、
則ち、
『三界』の、
『天』は、
皆、
是の、
『天の世界』中に、
『含まれることになる!』が、
一切の、
『欲界』には、
則ち、
『魔』が、
『主である!』。
是の故に、
『別に!』、
『説かれた!』。
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復次魔常嬈佛。今來聽般若波羅蜜。餘人增益信故。 |
復た次ぎに、魔は常に仏を嬈せるに、今来たりて、般若波羅蜜を聴けば、余人は信を増益するが故なり。 |
復た次ぎに、
『魔』は、
常に、
『仏』を、
『嬈ましている!』のに、
今、
『来て!』、
『般若波羅蜜』を、
『聴いていた!』とすれば、
他の、
『人』の、
『信』が、
『増益する!』からである。
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問曰。色界中大有天。何以但言梵世界集。 |
問うて曰く、色界中には、大いに天有り。何を以ってか、但だ梵世界のみ集まると言う。 |
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答曰。上諸天無覺觀不喜散心。又難聞故。梵世界有四識易聞故。又梵世界近故。 |
答えて曰く、上の諸天には、覚観無く、喜ばざれば、散心にして又聞き難きが故なり。梵世界は四識有りて、聞き易きが故に、又梵世界は近きが故なり。 |
答え、
上の、
諸の、
『天』には、
『覚( 知覚)』も、
『観( 観察)』も、
『無く(第二禅以上)』、
『喜ばない( 第三禅以上)』し、
『散心( 第四禅)である!』ので、
又、
『法』を、
『聞き難い!』からである。
『梵世界』には、
『四識( 覚、観、喜、楽)』が、
『有って!』、
『聞き易い!』し、
又、
『梵世界』は、
『近い!』からでもある。
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参考:『阿毘達磨倶舎論巻2』:『論曰。繫謂繫屬即被縛義。欲界所繫具足十八。色界所繫唯十四種。除香味境及鼻舌識。除香味者段食性故。離段食欲方得生彼。除鼻舌識無所緣故』 |
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復次梵名離欲清淨。今言梵世界。已總說色界諸天。 |
復た次ぎに、梵を離欲清浄と名づく。今、梵世界と言えば、已に総じて、色界の諸天を説く。 |
復た次ぎに、
『梵』を、
『欲を離れて!』、
『清浄である!』と、
『呼ぶ!』ならば、
今、
已に、
『色界』の、
『諸天』を、
『総じて説く!』ことになる。
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復次餘天未有人民。劫初生時梵天王獨在梵宮寂漠無人。其心不悅而自生念。此間何以不生人民。 |
復た次ぎに、余の天には、未だ人民有らざるに、劫の初の生ずる時、梵天王は独り、梵宮に在りて、寂漠として、人無し。其の心は悦ばずして、自ら念を生ずらく、『此の間に、何を以ってか、人民を生ぜざる』、と。 |
復た次ぎに、
他の、
『天( 梵世界)』に、
『劫』に、
『梵天王』は、
独り、
『梵宮』中に、
『在った!』が、
『梵宮』は、
『寂漠として!』、
『無人であった!』ので、
其の、
『心』は、
『悦ばず!』、
自ら、念が生じた、――
此の、
『世間』には、
何故、
『人民』が、
『生まれないのか?』、と。
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寂漠(じゃくまく):静かで声の無いこと。 |
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是時光音天命盡者應念來生。梵王便自生念。此諸天先無隨我念故生。我能生此諸天。 |
是の時、光音天の命尽くる者、念に応じて来たりて生ず。梵王、便ち自ら念を生ずらく、『此の諸の天は、先に無く、我が念に随うが故に生ず。我れは能く、此の諸天を生ぜり』、と。 |
是の時、
『光音天』の、
『命』の、
『尽きた!』者が、
此の、
『念』に、
『応じて!』、
此の、
『梵天王』は、
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光音天(こうおんてん):梵名aabhaasvaraの訳。色界第二禅天中の第四頂天の名。『大智度論巻1上注:色界』参照。 |
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諸天是時亦各自念。我從梵王生。梵王是我父也。以是故但說梵世界。 |
諸天は、是の時亦た各自ら念ずらく、『我れは、梵王より生ぜり。梵王は、是れ我が父なり』、と。是を以っての故に、但だ梵世界のみを説く。 |
諸の、
『天』は、
是の時、
亦た、
各自に、
こう念じた、――
わたしは、
『梵天王』より、
『生まれた!』。
『梵天王』は、
わたしの、
『父なのだ!』、と。
是の故に、
但だ、
『梵の世界』のみを、
『説く!』のである。
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復次二禪三禪四禪天。於欲界見佛聽法。若勸助菩薩。眼識耳識身識皆在梵世界中取。以是故別說梵世界。 |
復た次ぎに、二禅、三禅、四禅天は、欲界に於いて、仏を見、法を聴き、若しは菩薩を勧助し、眼識、耳識、身識は、皆梵世界中に在りて取る。是を以っての故に、別して梵世界を説く。 |
復た次ぎに、
『二禅( 無覚、無観、有喜、有楽)』や、
『三禅( 無覚、無観、無喜、有楽)』や、
『四禅( 無覚、無観、無喜、無楽)』は、
『欲界』に於いて、
『仏』を、
『見たり!』、
『法』を、
『聞いたりして!』、
或いは、
『眼識』や、
『耳識』や、
『身識』は、
皆、
『梵世界(初禅=有覚、有観、有喜、有楽)』中に於いて、
『取る!』ので、
是の故に、
『梵世界』を、
『別にして!』、
『説くのである!』。
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問曰。何以故獨說諸沙門婆羅門。不說國王及長者諸餘人眾。 |
問うて曰く、何を以っての故にか、独り諸の沙門、婆羅門を説いて、国王、及び長者、諸余の人衆を説かざる。 |
問い、
何故、
諸の、
『沙門』や、
『婆羅門』のみを、
『説いて!』、
『国王』や、
『長者』や、
『その他の人々』を、
『説かない!』のですか?。
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答曰。智慧人有二分。沙門婆羅門。出家名沙門。在家名婆羅門。餘人心存世樂。是故不說。婆羅門多學智慧求福。出家人一切求道。是故但說沙門婆羅門。 |
答えて曰く、智慧の人に、二分有り、沙門と婆羅門となり。出家を沙門と名づけ、在家を婆羅門と名づく。余の人は、心が世楽に存り、是の故に説かず。婆羅門は多くが智慧を学んで福を求め、出家人は、一切が道を求む。是の故に但だ、沙門と婆羅門とのみを説く。 |
答え、
『智慧の人』には、
『二つ!』の、
『分』が、
『有り!』、
即ち、
『沙門』と、
『婆羅門』とである。
『出家』を、
『沙門』と、
『呼び!』、
『在家』を、
『婆羅門』と、
『呼ぶ!』。
『他の人』は、
『心』が、
『世間』の、
『楽』に、
『存る!』ので、
是の故に、
『説かない!』。
『婆羅門』は、
『沙門』は、
是の故に、
但だ、
『沙門』と、
『婆羅門』のみを、
『説くのである!』。
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在家中七世清淨。生滿六歲皆受戒名婆羅門。是沙門婆羅門中。有道德智慧。以是故說。 |
在家中に七世にして清浄なれば、生じて六歳を満つるに、皆、戒を受けて婆羅門と名づく。是の娑門と、婆羅門中には、道、徳、智慧有れば、是を以っての故に説く。 |
『在家』中に、
『清浄』に、
『七世』を、
『過ごした!』者は、
『生まれて!』、
『満六歳になる!』と、
皆、
『戒』を、
『受けて!』、
『婆羅門』と、
『呼ばれることになる!』。
是の、
『沙門』と、
『婆羅門』は、
『道( 方法)』も、
『徳( 威力)』も、
『智慧』も、
『有る!』ので、
是の故に、
『説かれた!』。
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問曰。先已說天世界。今何以復說天。 |
問うて曰く、先に已に『天の世界』を説く。今は何を以ってか、復た『天』を説く。 |
問い、
先に、
今、
何故、
復たしても、
『天』を、
『説くのですか?』。
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答曰。天世界是四天王忉利天。魔是他化自在天。梵是色界。 |
答えて曰く、天の世界は、是れ四天王天、忉利天なり。魔は、是れ他化自在天なり。梵は、是れ色界なり。 |
答え、
『天の世界』とは、
『四天王天』と、
『忉利天(三十三天)である!』、
『魔の世界』とは、
『他化自在天である!』、
『梵の世界』とは、
『色界である!』。
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今說天是欲界中夜摩兜率陀化樂愛身天等。愛身在六天上。形色絕妙故言愛身。 |
今、『天』と説くは、欲界中の夜摩、兜率陀、化楽、愛身天等なり。愛身は、六天の上に在り、形色絶妙なるが故に『愛身』と言う。 |
今、
『天』と説かれたのは、――
『欲界』中の、
『夜摩』、
『兜率陀』、
『化楽』、
『愛身天』等である。
『愛身』は、
『六欲天』の、
『上』に、
『在り!』、
『形色』が、
『絶妙である!』が故に、
『愛身(ハンサム)』と、
『呼ばれている!』。
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愛身天(あいしんてん):梵名sudRza(sudRzはwell looking、handsomeの義)の訳、又善現天、善見天等に訳す。六欲天の上に在り、可愛身を有するが故に愛身天と称す。「大智度論巻10」に、「愛身は六天の上に在り、形色絶妙の故に愛身と言う」と云い、「経律異相巻1」に、「他化自在天第六 他化自在天宮もまた風輪の持つ所と為して虚空中に在り。王を自在に転た多の所化を集め自ら娯楽すと名づけ、愛身天と名づけ、欲界中に於いて独り自在を得、身長は十六由旬、衣は長さ三十二由旬、広さ十六由旬、衣の重さ半銖、寿は天の万六千歳より少し出でて多く減ず、食は下天の如し、また婚姻有り、暫く視て欲を成ず(楼炭経に云わく、ただ念ずれば便ち成ずと、三法度経に云わく、女と共に各深く染著し、相視て欲を成ず、もし一染せざれば成ぜず、ただ人間の如く相抱持するを楽しむのみ。他人の所化を見るが故に他化を言うが如し)その天、初めて生ずれば人の七歳の如し、自ら宿命を識る、布施、持戒を以って悪を棄つるが故なり。自然に飲食、衣服、玉女の事うること並びに前に同じ。光明に勝化楽有り。(長阿含経第二十巻に出で、また華厳、大智論、楼炭経に出づ)と云えり。蓋し、他化自在天王は魔王に非ざる時ありて、称して愛身天と名づくるが如し。 |
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問曰。何以但說揵闥婆。不說諸餘鬼神及龍王。 |
問うて曰く、何を以ってか、但だ揵闥婆を説いて、諸余の鬼神、及び龍王を説かざる。 |
問い、
何故、
但だ、
他の、
『鬼神』や、
『龍王』を、
『説かないのですか?』。
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答曰。是揵闥婆是諸天伎人隨逐諸天。其心柔軟福德力小減諸天 |
答えて曰く、是の揵闥婆は、是れ諸天の伎人にして、諸天に随逐し、其の心柔軟なるも、福徳力は、諸天に小減す。 |
答え、
是の、
『揵闥婆』は、
諸の、
『天』の、
『伎人(楽人)として』、
諸の、
『天』に、
『付き従っている!』。
其の、
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小減(しょうげん):少ない。 |
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諸鬼神。鬼神道中攝。龍王畜生道中攝。甄陀羅亦是天伎皆屬天。與天同住共坐飲食。伎樂皆與天同。 |
諸の鬼神は、鬼神道中に摂し、龍王は畜生道中に摂す。甄陀羅も、亦た是れ天の伎にして、皆天に属し、天と同じく住し、共に坐して飲食し、伎楽も、皆、天と同じうす。 |
諸の、
『鬼神』は、
『鬼神道(餓鬼道)』中に、
『含まれ!』、
『龍王』は、
『畜生道』中に、
『含まれる!』。
『甄陀羅』も、
『天』の、
『伎人として!』、
皆、
『天』に、
『属して!』、
『天』と、
『同居し!』、
『天』と、
『いっしょに!』、
『坐して!』、
『飲食し!』、
『伎楽( 音楽)』も、
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龍王(りゅうおう):梵名naagaの訳。八部衆の一。多く水中に住して雲を呼び、雨を起すと信ぜられたる蛇形の鬼類を云う。『大智度論巻25下注:龍』参照。 甄陀羅(きんだら):梵名kiMnara、また緊那羅に作る。八部衆の一、楽神なり。『大智度論巻3上注:八部衆』参照。 |
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是揵闥婆王名童籠磨。(秦言樹)是揵闥婆甄陀羅恒在二處住。常所居止在十寶山間。有時天上為諸天作樂。此二種常番休上下。 |
是の揵闥婆王を童籠磨と名づく。是の揵闥婆、甄陀羅は恒に、二処に在りて住し、常に居止する所は、十宝山の間に在り。有るいは時に天上にて、諸天の為めに楽を作す。此の二種は常に番休し上下す。 |
是の、
是の、
『揵闥婆』と、
『甄陀羅』とは、
恒に、
『天』と、
『地』との、
『二処』に、
『居住し!』、
恒に、
『住処』は、
『十宝山』の、
『間である!』が、
有るいは、
『時』に、
『天』上で、
諸の、
『天』の為めに、
『伎楽』を、
『作している!』。
此の、
『二種』は、
常に、
『交代で!』、
『休みながら!』、
『天』と、
『地』とを、
『上下している!』。
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童籠磨(どうろうま):梵名druma、 即ち樹木の意。揵闥婆王の名。即ち「この揵闥婆王を童籠磨(秦に樹と言う)と名づく」と云えるこれなり。蓋し、「新華厳経巻1世主妙荘厳品」に、「また無量の乾闥婆王あり、謂わゆる持国dhRtaraaSTra 乾闥婆王、樹光drumakiMnaraprabha 乾闥婆王、浄目zucinetraratisaMbhava 乾闥婆王、華冠puSpadrumakusmitamakuTa 乾闥婆王、普音raticaraNasamantasvara 乾闥婆王、楽揺動妙目pramuditapralamhasunayana 乾闥婆王、妙音師子幢manojJarutasiMhadhvaja 乾闥婆王、普放宝光明samantaratnakiraNamuktaprabha 乾闥婆王、金剛樹華幢vajradrumakesaradhvaja 乾闥婆王、楽普現荘厳sarvavyuuharatisvabhaavanayasaMdarzana 乾闥婆王なり」と云えるを見れば、この乾闥婆王は甚だ多く、恐らくはこの内の一なりとも言いがたし。
十宝山(じゅうほうせん):「旧華厳経巻27十地品」に、「仏子、これ菩薩の十地なり、仏智に因るが故に而も差別有り、大地に因りて十大山王有るが如し。何等か十なる、謂わゆる、雪山王、香山王、軻梨羅山王、仙聖王、由乾陀山王、馬耳山王、尼民陀羅山王、斫迦羅山王、宿慧山王、須弥山王なり」と云えるこれなり。また同じく、この中に就き、「雪山王の如きは、一切の薬草集りてその中に在りて尽くすべからず、菩薩もまたかくの如く、歓喜地に住せば、一切世間の経書、技芸、文頌、咒術集り、その中に在りて窮尽すること有ること無し。香山王の如きは、一切の諸香集り、その中に在りて尽くすべからず、菩薩もまたかくの如く、離垢地に住せば、持戒頭陀、威儀の助法集り、その中に在りて窮尽すること有ること無し。軻梨羅山王の如きは、ただ宝を以って成り、諸妙華を集むるに、取りて尽くすべからず、菩薩もまたかくの如く、明地に於いて住せば、一切の世間の禅定、神通、解脱、三昧を集め、問うて尽くすべからず。仙聖仙王の如きは、ただ宝を以って成り、多く五通の聖人有りて窮尽すべからず、菩薩もまたかくの如く、焔地に於いては、衆生をして道に入らしむる因縁を集め、種種に問難して窮尽すべからず。由乾陀山王の如きは、ただ宝を以って成り、夜叉、大神を集めて窮尽すべからず、菩薩もまたかくの如く、難勝地に住せば、一切の自在、如意、神通を集め、説いて尽くすべからず。馬耳山王の如きは、ただ宝を以って成り、衆妙果を集めて、取りて尽くすべからず、菩薩もまたかくの如く、現前地に住せば、深き因縁の法を集め、声聞果を説いて窮尽すべからず。尼民陀羅山王の如きは、ただ宝を以って成り、一切の大力の龍神を集めて窮尽すべからず、菩薩もまたかくの如く、遠行地に住せば、種種の方便、智慧を集め、辟支仏道を説いて窮尽すべからず。斫迦羅山王の如きは、ただ宝を以って成り、心の自在なる者を集めて、窮尽すべからず、菩薩もまたかくの如く、不動地に住せば、一切の菩薩の自在の道を集め、世間の性を説いて窮尽すべからず。宿慧山王の如きは、ただ宝を以って成り、大神力の諸阿修羅を集めて、窮尽すること有ること無し、菩薩もまたかくの如く、善慧地に住せば、転た衆生の行智を集め、世間の相を説いて窮尽すべからず。須弥山王の如きは、ただ宝を以って成り、諸天神を集めて、窮尽すること有ること無し、菩薩もまたかくの如く、法雲地に住せば、如来の十力、四無所畏を集め、諸仏の法を説いて窮尽すべからず。この十宝山は、同じく大海に在り、大海水に因るも差別の相有り、菩薩の十地もまたかくの如く、同じく仏智に在りて、一切智に因るが故に差別の相有り」と云えるは、その十山の宝山たる所以を説き、並びに菩薩の十地に就いて説けるものなり。
番休(ばんきゅう):代わる代わる休む。 |
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人在四天下生。生有四種。極長壽乃至無量歲。極短壽乃至十歲。 |
人は、四天下に在りて生まれ、生に四種有り、極めて長寿なるは、乃至無量歳、極めて短寿なるは、乃至十歳なり。 |
『人』は、
『四天下』に、
『生まれる!』が、
『生( 生まれ方)』に、
『四種(卵生、胎生、湿生、化生)』、
『有り!』、
『寿命』の、
極めて、
極めて、
『短い!』者は、
『十歳』にも、
『至らない!』。
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阿修羅惡心鬥諍。而不破戒大修施福。生在大海邊住。亦有城郭宮殿。 |
阿修羅は、悪心もて闘諍するも、戒を破らず、大いに施福を修め、生じては大海の辺に在りて住し、亦た城郭、宮殿有り。 |
『阿修羅』は、
『悪心(にくむこころ)』で、
『闘諍する!』が、
而し、
『戒』を、
『破ることがなく!』、
大いに、
『施福』を、
『修めて!』、
『生まれながらに!』、
『大海』の、
『辺』に、
『居住しており!』、
亦た、
『城郭』や、
『宮殿』を、
『有している!』。
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是阿修羅王。名毘摩質多婆梨羅睺羅。如是等名阿修羅王。 |
是の阿修羅の王を、毘摩質多、婆梨、羅睺羅と名づけ、是の如き等を阿修羅王と名づく。 |
是の、
『阿修羅』の、
『王』を、
『毘摩質多』とか、
『婆梨』とか、
『羅睺羅』と、
『称する!』が、
是れ等を、
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阿修羅(あしゅら):梵名asura、 即ち六道の一、また八部衆の一にして常に戦闘を好む。『大智度論巻30上注:阿修羅』参照。
毘摩質多(びましった):梵名vimalacitra、 また毘摩質多羅、吠摩質呾利に作り、訳して浄心、綺画、宝飾等に為す。阿修羅王の名。乾闥婆の女を娶りて舎脂夫人を生じ、帝釈に嫁せば、即ち帝釈の舅なり。<(丁)
婆梨(ばり):梵名vaari、 また婆利、波利に作り、水の別名なり。<(丁)
羅睺羅(らごら):梵名raahula、 また羅睺、羅呵に作る。四大阿修羅王の一、羅睺阿修羅raahuasura 王なり。「増一阿含経巻3阿須倫品」に依るに、阿須倫(即ち阿修羅)の形は広長八万四千由旬、口は縦広千由旬なり。もし日を触犯せんと欲する時は、倍して十六万八千由旬の身を化し、日月の前に往くに日月王これを見て恐怖を懐き、また光明あらず。阿須倫の形は甚だ畏るべきが故なり。されど日月は威徳あるが故に、遂に阿須倫の為に捉らえられざることを記せり。これ謂わゆる羅睺羅阿修羅にして、印度にては日月蝕は、この羅睺羅阿修羅が日月を触犯せし結果なりと信ぜられたるが故なり。また「長阿含経巻20阿須倫品」に羅呵(即ち羅睺羅)阿須倫の住処等を詳説せる中、羅呵阿須倫城は須弥山の北、大海の水底に在り、縦広八万由旬にして七宝を以って合成せり。中に王の小城あり、名づけて輪輸摩跋吒と云う。その城内に講堂を立つ、七尸利娑と名づく。堂の周囲に四の園林あり、東を沙羅、南を極妙、西を睒摩、北を楽林と云う。羅呵阿須倫王、時にもし沙羅園に詣りて遊観せんと欲し、毘摩質多阿須輪王を念ずれば、毘摩質多即ち至り、波羅呵阿須輪王を念ずれば、波羅呵即ち至り、睒摩羅阿須輪王を念ずれば、睒摩羅即ち至りて共に相娯楽すと云い、「同経巻21戦闘品」には、羅呵阿須輪王は、忉利天、及び日月諸天が常に虚空に在りて、その頂上を遊行するを見て大瞋恚を起し、日月を取って自らこれを耳璫となさんと欲し、即ち捶打阿須輪、舎摩梨阿須輪、毘摩質多阿須輪、大臣阿須輪及び小阿須輪を具し、行く行く難陀等の龍王、伽楼羅鬼神、持華鬼神、常楽鬼神及び四天王を敗り、進んで天帝釈等と共に戦闘することを記せり。「起世経巻8」、「起世因本経巻8」、並びに「大楼炭経巻5」等に出す所もまた略ぼこれに同じ。また「起世経巻5阿修羅品」、「正法念処経巻18至巻21」、「雑阿含経巻40」等多数の経論に出づ。また羅睺羅、羅云、羅雲、羅吼羅、羅睺、曷羅怙、何羅怙羅、羅怙羅に作り、覆障、障月、執月と訳し、仏の嫡子をこれに由りて名づく。仏十大弟子の一。釈尊出家以前の子にして、妃耶輸陀羅yazodharaa
の生む所なり。その生誕に関し、「仏本行集経巻55羅睺羅因縁品」、「衆許摩訶帝経巻6」、「有部毘奈耶破僧事巻5及び巻12」等に胎に在ること六年、成道の夜に生まるとなすも、「仏本行集経巻55」の一説には出家前二年に生まるとなし、「太子瑞応本起経巻上」には納妃の後六年とし、その他また同十年となすの説あり。尋いで仏成道後初めて迦毘羅城に帰還するのみぎり、十五歳にて出家す。舎利弗を和上となして彼れの沙弥となり、遂に阿羅漢果を成ず、十大弟子の中に在りては密行第一と為す。その名に就きて羅睺羅阿修羅王の障蝕月の時に生ずるを以っての故に羅睺羅と名づく。また六年、母胎に障蔽さるるが故に名づく、羅睺羅の就きを執りてこれを障蔽するに及ぶの義なり。<(望) |
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如說一時羅睺羅阿修羅王欲噉月。月天子怖疾到佛所。說偈言
大智成就佛世尊
我今歸命稽首禮
是羅睺羅惱亂我
願佛憐愍見救護 |
説の如し、一時、羅睺羅阿修羅王、月を噉(くら)わんと欲するに、月の天子怖れて、疾かに仏所に到り、偈を説いて言わく、
大智成就せる仏世尊に、
我れは今帰命して稽首礼せん、
是の羅睺羅我れを悩乱す、
願わくは仏憐愍して救護せられよ。
|
こう説かれている、――
ある時、
『羅睺羅』という、
『阿修羅王』が、
『月』を、
『噉(くら)おう!』と、
『思った!』。
『月』の、
『天子』は、
『怖れて!』、
『疾かに!』、
『仏の所』に、
『到り!』、
『偈』を説いて、こう言った、――
『大智』を、
『成就された!』、
『仏世尊よ!』、
わたしは、
是の、
願わくは、
仏よ!、
わたしを、
『憐愍して!』、
『救護してください!』、と。
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稽首礼(けいしゅらい):首を地に著くる礼儀。 |
参考:『別訳雑阿含経巻9(167)』:『如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時羅睺羅阿脩羅王。手障於月。時月天子。極大驚怖。身毛為豎。往詣佛所。頂禮佛足。即說偈言 如來大精進 我今歸命禮 能於一切處 悉皆得解脫 今遭大艱難 願作我歸依 世間之善逝 應供阿羅漢 我今來歸依 如來愍世間 使彼羅[目*侯]羅 自然放捨我 爾時世尊說偈答曰 月處虛空中 能滅一切闇 有大光明照 清白悉明了 月是世明燈 羅睺應速放 羅睺聞偈已 心中懷戰慄 流汗如沐浴 即速放彼月 時跋羅蒲盧旃。見阿脩羅王速疾放月。即說偈言 汝何故驚懼 速疾放於月 身汗如沐浴 掉動如病者 時阿脩羅復說偈言 我聞佛說偈 若不放月者 頭當破七分 終不見安樂 時跋羅蒲盧旃復說偈言 佛出未曾有 見者得安隱 阿修聞說偈 即時放於月』 |
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佛與羅睺羅而說偈言
月能照闇而清涼
是虛空中大燈明
其色白淨有千光
汝莫吞月疾放去 |
仏の羅睺羅の与(ため)に偈を説いて言わく、
月の能く闇を照らして清涼なること、
是れ虚空中の大灯明なり。
其の色は白浄にして千光有り、
汝月を呑むこと莫く疾かに放去せよ。
|
『仏』は、
『羅睺羅』に、
『偈』を説いて、こう言われた、――
『月』は、
『闇を照らして!』、
『清涼である!』、
是れは、
『虚空』中の、
『大灯明である!』。
其の、
『色』は、
『白く!』、
『浄く!』、
『千』の、
『光』が、
『有る!』、
お前は、
『月』を、
『呑まずに!』、
『解放せよ!』、と。
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放去(ほうこ):放はゆるしてはなつの意、去はすておくの意。釈放。放棄。 |
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是時羅睺羅怖懅流汗即疾放月。婆梨阿修羅王見羅睺羅惶怖放月。說偈問曰
汝羅睺羅何以故
惶怖戰慄疾放月
汝身流汗如病人
心怖不安乃如是 |
是の時、羅睺羅は怖懅し汗を流して、即ち疾かに月を放てり。婆梨阿修羅王、羅睺羅の惶怖して月を放てるを見て、偈を説いて問うて曰わく、
汝羅睺羅よ何を以っての故にか、
惶怖戦慄して疾かに月を放てる。
汝が身は汗を流すこと病人の如く、
心怖れて安からざるも乃ち是の如し。
|
是の時、
『羅睺羅』は、
『怖れて!』、
『汗』を、
『流しながら!』、
『即座に!』、
『月』を、
『放った!』。
『婆梨阿修羅王』は、
『羅睺羅』が、
『怖れて!』、
『月』を、
『放つ!』のを、
『見る!』と、
『偈』を説いて、こう問うた、――
お前!
羅睺羅よ!
何故、
『恐ろしさ!』に、
『振えながら!』、
『慌てて!』、
『月』を、
『放ったのか?』。
お前は、
『身』から、
『汗』を、
『流している!』が、
まるで、
『病人のようだ!』。
『心』も、
『怖れて!』、
『不安そうだ!』、と。
|
怖懅(ふご):おそれる。
惶怖(おうふ):おそれる。 |
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羅睺羅爾時說偈答曰
世尊以偈而敕我
我不放月頭七分
設得生活不安隱
以故我今放此月 |
羅睺羅の爾の時偈を説いて答えて曰わく、
世尊は偈を以って、我れに勅したまえり、
我れ月を放たずば、頭七分して、
設(たと)い生活を得とも安隠ならざらん、
以っての故に我れは今此の月を放てり。
|
『羅睺羅』は、
爾の時、
『偈』を説いて、こう答えた、――
『世尊』は、
若し、
わたしが、
『月』を、
『放たなければ!』、
わたしの、
『頭』は、
『七つ!』に、
『割れるだろう!』、
設( たと)い、
『生活できた!』としても、
『安隠ではあるまい!』。
是の故に、
わたしは、
今、
『此の月』を、
『放つのだ!』、と。
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婆梨阿修羅王說偈
諸佛甚難值 久遠乃出世
說此清淨偈 羅睺即放月 |
婆梨阿修羅王の偈を説かく、
諸仏には甚だ値い難し、久遠にして乃ち世に出づと、
此の清浄の偈を説きて、羅睺は即ち月を放てり。
|
『婆梨阿修羅王』は、
その様子を、
『偈』に、こう説いた、――
諸の、
『仏』には、
『甚だ!』、
『値(あ)い難い!』、
久遠にして、
ようやく、
『世』に、
『出られるのだから!』と、
此の、
『清浄な!』、
『偈』を、
『説きながら!』、
『羅睺』は、
『月』を、
『放ってやった!』、と。
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問曰。何以不說地獄畜生餓鬼。 |
問うて曰く、何を以ってか、地獄、畜生、餓鬼を説かざる。 |
問い、
何故、
『地獄』や、
『畜生』や、
『餓鬼』を、
『説かないのですか?』。
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答曰。地獄大苦心亂不能受法。畜生愚癡覆心不能受化。餓鬼為飢渴火燒身故不得受法。 |
答えて曰く、地獄は大苦に心乱れて、法を受くる能わず。畜生は愚癡に心を覆われて、化を受くる能わず。餓鬼は飢渴の火に身を焼かるるが故に、法を受くるを得ず。 |
答え、
『地獄』は、
『大苦』に、
『心』が、
『乱れる!』ので、
『法』を、
『受ける!』だけの、
『力がない!』。
『畜生』は、
『愚癡』が、
『心』を、
『覆っている!』ので、
『化』を、
『受ける!』だけの、
『力がない!』。
『餓鬼』は、
『飢渴の火』に、
『身』を、
『焼かれる!』ので、
『法』を、
『受ける!』、
『機会がない!』。
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復次畜生餓鬼中。少多有來聽法者。生福德心而已不堪受道。是故不說。 |
復た次ぎに、畜生、餓鬼中にも、少多の来て法を聴く者有りて、福徳の心を生ずるのみにして、道を受くるに堪えず。是の故に説かず。 |
復た次ぎに、
『畜生』や、
『餓鬼』中にも、
『来て!』、
『法』を、
『聴く!』者が、
『少しは!』、
『有る!』が、
『福徳』の、
『心』を、
『生じるだけで!』、
『道』を、
『受ける!』には、
『堪えられない!』ので、 是の故に、
『説かない!』。
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問曰。若爾者揵闥婆阿修羅亦不應說。何以故。鬼神道中已攝故。 |
問うて曰く、若し爾らば、揵闥婆、阿修羅も、亦た応に説くべからず。何を以っての故に、鬼神道中に已に摂するが故なり。 |
問い、
若し、
そうならば、
『揵闥婆』や、
『阿修羅』も、
当然、
『説くべきではない!』。
何故ならば、
『鬼神道』中に、
已に、
『含まれている!』からである。
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鬼神(きじん):鬼を六趣の一となし、神を八部の通称と為す。威有るを鬼と云い、能有るを神と云う。「金光明経文句巻6」に、「鬼とは威なり、能く他をしてその威を畏れしむるなり。神とは能なり、大力の者は能く山を移し海を填め、小力の者は能く隠顕変化す」と云い、「金光明経巻3」には「鬼神品」と云い、「最勝王経巻9」には「諸天藥叉護持品」と云えるが如く、諸天藥叉yakSaの類は即ち鬼神なり。「釈摩訶衍論」に、「鬼并びに及び神、云何が差別す、身を障うるを鬼とし、心を障うるを神とす」と云い、また「長阿含経巻20」に、「仏の比丘に告ぐらく、一切の人民所居の舎宅に、皆鬼神有りて、空なる者の有ること無し。(中略)凡そ諸鬼神は、皆所依に随い、即ち以って名と為す。人に依るを人と名づけ、村に依るを村と名づけ、(中略)河に依るを河と名づくと。仏の比丘に告ぐらく、一切の樹木は極小なること車軸の如き者も、皆鬼神の依止有り、空なる者の有ること無し。一切の男子女子は初始めて生まれし時より、皆逐神有りて、随逐し擁護す、もしその死の時、彼の守護鬼はその精気を取り、その人は則ち死す」と云えるが如きものも、即ち鬼神なるべし。<(丁)『大智度論巻25下注:夜叉』参照。 |
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答曰。佛不說攝。今何以言攝。此是迦旃延子等說。 |
答えて曰く、仏は摂すと説きたまわず。今は何を以ってか、摂すと言う。此れは是れ迦旃延子等の説なり。 |
答え、
『仏』が、
『含まれる!』と、
『説かれない!』のに、
今は、
此の、
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迦旃延子(かせんねんし):梵名kaatyaayani- putra、 また迦旃延、摩訶迦旃延等と称す。仏の十大弟子の一、論議第一。「阿毘曇八揵度論」、「阿毘達磨発智論」の著者。『大智度論巻2上注:摩訶迦旃延』参照。 |
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如阿修羅力與天等。或時戰鬥勝天。揵闥婆是諸天伎。與天同受福樂。有智慧能別好醜。何以不得受道法。 |
阿修羅の力は、天と等しく、或いは時に戦闘して天に勝てり。揵闥婆は、是れ諸天の伎にして、天と同じく福楽を受け、智慧有りて、能く好醜を別つ。何を以ってか、道法を受くるを得ざる。 |
『阿修羅』は、
或いは、
『時として!』、
『戦闘すれば!』、
『天』に、
『勝つこともある!』。
『揵闥婆』は、
諸の、
『天』の、
『伎(楽人)として!』、
『天』と、
『智慧』が、
『有って!』、
『好醜』を、
『分別することができる!』、
何故、
『道』の、
『法』を、
『受けられない!』と、
『思うのか?』。
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如雜阿含天品中說。富那婆藪鬼神母。佛遊行宿其處。 |
『雑阿含天品』中に説くが如し、富那婆数なる鬼神母あり、仏、遊行して、其の処に宿りたまえり。 |
『雑阿含天品』中に、こう説く通りである、――
『富那婆数』という、
『鬼神』の、
『母がいた!』が、
『仏』は、
『遊行して!』、
其の、
『家』に、
『宿られた!』。
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富那婆数(ふなばす):梵名punarvasu、 また富那婆修、富那婆蘇に作り、星の名なり、唐に弗宿と云うべし。これを仮りて鬼神の名とす。「宝星陀羅尼経巻4」には「富那婆蘇(唐に弗宿と言う)星に生ずる者は、左脅下に於いて、まさに黒疵有れば、財穀具足すれども智慧少し」と云えり。 |
参考:『雑阿含経巻49(1322)』:『如是我聞。一時。佛在摩竭提國人間遊行。與大眾俱。到富那婆藪鬼子母住處宿。爾時。世尊為諸比丘說四聖諦相應法。所謂苦聖諦.苦集聖諦.苦滅聖諦.苦滅道跡聖諦。爾時。富那婆藪鬼母。兒富那婆藪及鬼女鬱多羅。二鬼小兒夜啼。時。富那婆藪鬼母教其男女故。而說偈言 汝富那婆藪 鬱多羅莫啼 令我得聽聞 如來所說法 非父母能令 其子解脫苦 聞如來說法 其苦得解脫 世人隨愛欲 為眾苦所迫 如來為說法 令破壞生死 我今欲聞法 汝等當默然 時富那婆藪 鬼女鬱多羅 悉受其母語 默然而靜聽 語母言善哉 我亦樂聞法 此正覺世尊 於摩竭勝山 為諸眾生類 演說脫苦法 說苦及苦因 苦滅滅苦道 從此四聖諦 安隱趣涅槃 母今但善聽 世尊所說法 時。富那婆藪鬼母即說偈言 奇哉智慧子 善能隨我心 汝富那婆藪 善歎佛導師 汝富那婆藪 及汝鬱多羅 當生隨喜心 我已見聖諦 時。富那婆藪鬼母說是偈時。鬼子男女隨喜默然』 |
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爾時世尊說上妙法甘露。女男二人啼泣。母為說偈止之
汝鬱怛羅勿作聲
富那婆藪亦莫啼
我今聞法得道證
汝亦當得必如我
以是事故知。鬼神中有得道者。 |
爾の時、世尊は上妙の法の甘露なるを説きたもうに、女、男二人、啼泣せり。母は為めに偈を説いて、之を止む、
汝鬱怛羅よ声を作す勿(な)かれ、
富那婆数も亦た啼(な)かず、
我れは今法を聞きて道の証を得たり、
汝も亦た当に必ず我が如きを得べし。
是の事を以っての故に知る、鬼神中にも道を得る者有るを。 |
爾の時、
『世尊』が、
『上妙の法』の、
『甘露』を、
『説かれる!』と、
『富那婆数』の、
『女( むすめ)』と、
『男( むすこ)』との、
『二人』が、
『声を挙げて!』、
『泣き出した!』。
『母』は、
『二人』の為めに、
『偈』を、
『説いて!』、
『泣く!』のを、
『止めさせた!』、――
お前!
鬱怛羅よ!
『声』を、
『あげるな!』。
富那婆数も、
『泣く!』のを、
『止めた!』。
わたしは、
今、
『法』を、
『聞いて!』、
はっきりと、
『道』を、
『理解した!』。
お前も、
きっと、
『わたしのように!』、
『理解するだろう!』、と。
是の、
『事』の故に、
こう知ることができる、――
『鬼神』中にも、
『道』を、
『得る!』者が、
『有るのだ!』、と。
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女男(にょなん):娘と息子。
啼泣(たいきゅう):涙を流し声を挙げて泣きつづける。
鬱怛羅(うったら):鬼神の名。梵名uttara 、上位、高級(upper、superior)等の義。 |
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復次摩訶衍中。密跡金剛力士於諸菩薩中勝。何況餘人。如屯崙摩甄陀羅王揵闥婆王。至佛所彈琴讚佛。三千世界皆為震動。乃至摩訶迦葉不安其坐。如此人等云何不能得道。 |
復た次ぎに、摩訶衍中には、密迹金剛力士は、諸の菩薩中に於いて勝れり。何に況んや、余人をや。屯崙摩の如き、甄陀羅王、揵闥婆王は、仏所に至りて、琴を弾じて仏を讃うるに、三千世界は、皆為めに震動すれば、乃至摩訶迦葉も、其の坐に安んぜず。此の人等の如き、云何が道を得る能わざらん。 |
復た次ぎに、
『摩訶衍』中には、
『密迹金剛力士』は、
諸の、
『菩薩』中に、
『勝れている!』。
況して、
『他の人』は、
『言うまでもない!』。
『屯崙摩( 童籠磨)』などの、
『甄陀羅王』や、
『揵闥婆王』が、
『仏の所』に、
『至って!』、
『琴を弾じながら!』、
『仏を讃える!』と、
『三千世界』が、
皆、
『震動させられる!』ので、
『摩訶迦葉』のような、
『阿羅漢』までが、
其の、
『坐』に、
『安んじていられない!』。
此の、
『屯崙摩』等を、
何故、こう言うのか?――
『道』を、
『得る!』だけの、
『力がない!』と。
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密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし):梵名guhyapaada- vajra- saNDa、 即ち仏法を守護する夜叉神なり。また執金剛神、密迹金剛、金剛力士等に作る。
屯崙摩(とんろんま):梵名druma、 甄陀羅王の名。「大智度論巻10」に、「屯崙摩甄陀羅王、乾闥婆王は、仏の所に至り、琴を弾いて仏を讃ず」と云えり。『大智度論巻10下注:童籠磨』参照。 |
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如諸阿修羅王龍王。皆到佛所問佛深法。佛隨其問而答深義何以言不能得道。 |
諸の阿修羅王、龍王の如きは、皆、仏所に到りて、仏に深法を問い、仏は其の問に随いて、深義を答えたもう。何を以ってか、道を得る能わずと言う。 |
諸の、
『阿修羅王』や、
『龍王』などは、
皆、
『仏の所』に、
到って、
『仏』に、
『仏』は、
其の、
『問う!』に、
『随って!』、
『深い!』、
『義』を、
『答えられる!』。
何故、
こう言うのか?――
『道』を、
『得る!』だけの、
『力がない!』、と。
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問曰。於五道眾生中。佛是天人師不說三惡道。以其無福無受道分故。是諸龍鬼皆墮惡道中。 |
問うて曰く、五道の衆生中に於いて、仏は是れ天人の師にして、三悪道を説きたまわず。其の福無く、道を受くる分の無きを以っての故に、是の諸の龍、鬼は、皆悪道中に墮つればなり。 |
問い、
『天、人、餓鬼、畜生、地獄』の、
『五道』の、
『衆生』中に於いて、
『仏』は、
『天』と、
『人』との、
『師である!』から、
『餓鬼』、
『畜生』、
『地獄』の、
『三悪道』を、
『説かれなかったのだ!』。
『三悪道』の、
『衆生』は、
其の、
『福』が、
『無く!』、
『道』を、
『受ける!』為めの、
『福』の、
『分』も、
『無い!』が故に、
是の、
諸の、
『龍』や、
『鬼』は、
皆、
『悪道』中に、
『堕ちている!』からである。
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答曰。佛亦不分明說五道。說五道者是一切有部僧所說。婆蹉弗妒路部僧說有六道。 |
答えて曰く、仏は、亦た分明に五道を説きたまわず。五道を説く者は、是れ一切有部の僧の所説なり。婆蹉弗妒路部の僧は、六道有りと説けり。 |
答え、
『仏』は、
そもそも、
『五道』を、
『明らかには!』、
『分けて!』、
『説かれなかった!』。
『五道』の、
『説』は、
『一切有部』の、
『僧』の、
『説いた!』所であり、
『婆蹉弗妒路部( 犢子部)』の、
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一切有部(いっさいうぶ):小乗部派中、最も有力な一派の名。『大智度論巻1上注:説一切有部』参照。
婆蹉弗妒路(ばしゃふとろ):梵名vatsiputriiya、 また婆蹉富多羅等に作り、犢子部と訳し、小乗二十部の一。仏滅後二百年頃、説一切有部より派生せる小乗の一派なり。外道の如く実我を立つるにより小乗外道、内外道となす。『大智度論巻21下注:犢子部』参照。 |
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復次應有六道。何以故。三惡道一向是罪處。若福多罪少。是名阿修羅揵闥婆等生處應別。以是故應言六道。 |
復た次ぎに、応に六道有るべし。何を以っての故に、三悪道は、一向に是れ罪処なればなり。若し福多く、罪少きは、是れを阿修羅、揵闥婆等と名づくれば、生処は応に別なるべし。是を以っての故に、応に六道と言うべし。 |
復た次ぎに、
当然、
何故ならば、
『三悪道』とは、
『一向に( もっぱら)!』、
『罪報』の、
『処だから!』である。
若し、
『福』が、
『多く!』、
『罪』の、
『少ない!』者を、
是れを、
『阿修羅』とか、
『揵闥婆』と、
『呼ぶ!』とすれば、
『生まれる!』、
『処』も、
『別でなくてはならない!』。
是の故に、
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復次三惡道亦有受道。福少故言無。及諸菩薩紹尊位者如先說
大智度論卷第十 |
復た次ぎに、三悪道も、亦た道を受くる有り。福少なきが故に、無しと言う。及び諸の菩薩の尊位を紹ぐ者は、先に説けるが如し。
大智度論巻第十 |
復た次ぎに、
『三悪道』にも、
『道』を、
『受ける!』為めの、
『福』が、
『少ない!』が故に、
こう言うのである、――
『無い!』、と。
及び、
諸の、
『菩薩』の、
『尊位』を、
『紹ぐ!』者とは、――
先に、
『説いた通り!』である。
大智度論巻第十 |
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