【經】佛告普明。欲往隨意宜知是時。爾時寶積佛以千葉金色蓮華與普明菩薩。而告之曰。善男子。汝以此華散釋迦牟尼佛上。生彼娑婆世界諸菩薩難勝難及。汝當一心遊彼世界 |
仏の普明に告げたまわく、『往かんと欲すれば、意に随いて、宜しく是の時なるを知るべし』、と。爾の時、宝積仏は、千葉の金色の蓮華を以って普明菩薩に与え、而も之に告げて曰わく、『善男子、汝は、此の華を釈迦牟尼仏上に散ずべし。彼の娑婆世界に生ずる、諸の菩薩には勝ち難く、及び難し。汝は、当に一心に彼の世界に遊ぶべし』、と。 |
『仏』は、
『普明』に、こう告げられた、――
『往こう!』と、
『思った!』ならば、
『意のままにせよ!』。
是れが、
『時だ!』と、
『知るがよい!』、と。
爾の時、
『宝積仏』は、
『千葉』の、
『金色』の、
『蓮華』を、
『普明菩薩』に、
『与える!』と、
こう告げて、言われた、――
善男子!
お前は、
此の、
『華』を、
『釈迦牟尼仏』上に、
『散らせよ!』。
彼の、
『娑婆世界』に、
『生まれた!』、
諸の、
『菩薩』には、
『勝ち難く!』、
『及び難い!』。
お前は、
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【論】問曰。佛何以言欲往隨意宜知是時。 |
問うて曰く、仏は、何を以ってか、『往かんと欲すれば、意に随いて、宜しく是の時なるを知るべし』、と言う。 |
問い、
『仏』は、
何故、こう言われたのですか?――
『往こう!』と、
『思った!』ならば、
『意のままにせよ!』。
是れが、
『時だ!』と、
『知るがよい!』、と。
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答曰。佛於弟子愛斷故。於弟子中心不著故。 |
答えて曰く、仏は弟子に於いて、愛断ずるが故に、弟子中に於いて、心著せざるが故なり。 |
答え、
『仏』は、
『弟子』に於いては、
『愛』が、
『断たれている!』が故に、
『弟子』中に、
『心』が、
『著さない!』からである。
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復次是菩薩未得一切智。未得佛眼故。心中少多有疑。謂釋迦牟尼佛功德大所益或勝。是故語言欲往隨意。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、未だ一切智を得ず、未だ仏眼を得ざるが故に、心中に、少多の疑有りて、謂わく、『釈迦牟尼仏の功徳大なるも、益する所は、或いは勝れん』、と。是の故に語りて言わく、『往かんと欲すれば、意に随え』、と。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
未だ、
『一切智』も、
故に、
『心』に、
こう思った、――
『釈迦牟尼仏』の、
或いは、
『利益( 働き)』は、
『わたしの方』が、
『勝るかもしれない!』、と。
是の故に、
『普明』に語って、こう言われたのである、――
『往こう!』と、
『思った!』ならば、
『意のままにせよ!』、と。
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復次是菩薩遙見釋迦牟尼佛身小。心生小慢言。彼佛不如是。故佛語。汝往莫觀佛身勿念世界。但聽佛說法。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、遙かに釈迦牟尼仏の身の小なるを見て、心に小慢を生じて言わく、『彼の仏は、是れに如かず』、と。故に仏の語りたまわく、『汝は往きても、仏身を観る莫かれ、世界を念ずる勿かれ。但だ仏の法を説くを聴け』、と。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
遙かに、
『釈迦牟尼仏』の、
『心』に、
こう言った、――
彼の、
『仏( 釈迦牟尼)』は、
是の、
『仏(香積)』に、
『及ばない!』、と。
故に、
『仏』は、
こう語られたのである、――
お前は、
『往っても!』、
彼の、
彼の、
『仏』の、
『世界』を、
『想像してはならない!』。
但だ、
彼の、
『仏』の、
『説かれる!』、
『法』のみを、
『聴け!』、と。
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復次是世界離娑婆世界極遠最在東邊。是諸菩薩聞釋迦牟尼佛所說諸法相。與寶積佛說諸法相正同。便言世界雖遠法相不異。增益大信心轉堅固。 |
復た次ぎに、是の世界は、娑婆世界を離るること、極めて遠く、最も東の辺に在り。是の諸の菩薩は、釈迦牟尼仏に説かるる諸法の相と、宝積仏の説く諸法の相と正しく同じきを聞かば、便ち『世界は遠しと雖も、法相は異ならず』、と言いて、大信を増益し、心転た堅固ならん。 |
復た次ぎに、
是の、
『世界( 多宝)』は、
『娑婆世界』を、
『極めて!』、
『遠く!』、
『離れており!』、
『最も!』、
『東の辺』に、
『在る!』が、
是の、
諸の、
『菩薩』は、
『釈迦牟尼仏』の、
『説かれる!』所の、
諸の、
『法の相』を、
『聞いて!』、
正しく、
『宝積仏』の、
『説かれる!』、
諸の、
『法の相』と、
『同じであった!』ならば、
こう言うだろう、――
『世界』は、
『遠くても!』、
『法の相』は、
『異ならない!』と。
そこで、
『大きな!』、
『信』を、
『増益し!』、
『心』が、
『益々!』、
『堅固になる!』のである。
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復次先世因緣故。雖遠處生應來聽法。譬如繩繫雀腳雖復遠飛攝之則還。 |
復た次ぎに、先世の因縁の故に、遠処に生ずと雖も、応に来たりて法を聴くべし。譬えば、縄を雀の脚に繋くれば、復た遠く飛ぶと雖も、之を摂すれば、則ち還るが如し。 |
復た次ぎに、
『先世』の、
『因縁』の故に、
『遠い!』、
『処』に、
『生まれた!』としても、
当然、
譬えば、
『縄』を、
『雀』の、
『脚』に、
『繋(か)ければ!』、
『雀』が、
『遠く!』まで、
『飛んだ!』としても、
『縄』を、
『摂( おさ)める!』だけで、
『雀』が、
『還ってくるように!』。
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復次是娑婆世界中菩薩。見普明遠來聽法。便作是念。彼從遠來。況我生此世界中而不聽法。如是種種因緣。是故佛言欲往隨意宜知是時。 |
復た次ぎに、是の娑婆世界中の菩薩は、普明の遠くより来たりて、法を聴かんとするを見るに、便ち是の念を作さん、『彼れは遠くより来たれり。況んや、我れは此の世界中に生じて、法を聴かざらんや』、と。是の如き種種の因縁ありて、是の故に仏の言わく、『往かんと欲すれば、意に随いて、宜しく是の時なるを知るべし』、と。 |
復た次ぎに、
是の、
『娑婆世界』中の、
『菩薩』は、
『普明』が、
『遠く!』より、
『来て!』、
『法』を、
『聴こうとする!』のを、
『見る!』と、
是の念を作すだろう、――
彼れは、
『遠く!』より、
『来て!』、
『法』を、
『聴こうとしている!』、
況して、
わたしは、
此の、
『世界』に、
『生まれた!』のに、
『法』を、
『聴かないことがあろうか?』、と。
是のような、
是の故に、
『仏』は、
こう言われたのである、――
『往こう!』と、
『思った!』ならば、
『意のままにせよ!』、
是れが、
『時だ!』と、
『知るがよい!』、と。
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問曰。諸佛力等更不求福。何故以華為信。 |
問うて曰く、諸仏の力は等しくして、更に福を求めたまわず。何の故にか、華を以って、信と為す。 |
問い、
諸の、
『仏』は、
『力』が、
『等しく!』、
更に、
『福』を、
『求められることはない!』のに、
何故、
『信( 手みやげ)』の、
『華』を、
『遣(おく)られた!』のですか?
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答曰。隨世間法行故。如二國王力勢雖同亦相贈遺。 |
答えて曰く、世間の法に随いて、行いたもうが故なり。二国の王の力勢同じと雖も、亦た相贈遺するが如し。 |
答え、
『世間』の、
『法( 習慣)』に、
『随って!』、
『行われた!』。
譬えば、
『二り!』の、
『国王』は、
『力勢』が、
『同じ!』であっても、
『互いに!』、
『贈物』を、
『遣りあう!』のと、
『同じである!』。
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復次示善軟心故以華為信。世間法中使從遠來必應有信。佛隨世法是故致信。 |
復た次ぎに、善軟の心を示さんが故に、華を以って信と為したもう。世間法中に、使が、遠くより来たれば、必ず応に、信有るべし。仏は世法に随うが故に、信を致したまえり。 |
復た次ぎに、
『心』が、
『善軟である!』と、
『示す!』為めに、
『信』として、
『華』を、
『遣られた!』。
『世間』の、
『法』中には、
『使者』が、
『遠く!』より、
『来た!』ならば、
必ず、
『信』が、
『有るはず!』である。
『仏』も、
『世間』の、
『法』に、
『随われた!』ので、
故に、
『信』を、
『遣られた!』。
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復次諸佛恭敬法故供養於法。以法為師。何以故。三世諸佛皆以諸法實相為師。 |
復た次ぎに、諸仏は、法を恭敬したもうが故に、法を供養し、法を以って師と為したもう。何を以っての故に、三世の諸仏は、皆、諸法の実相を以って、師と為したまえばなり。 |
復た次ぎに、
諸の、
何故ならば、
『三世の諸仏』は、
皆、
諸の、
『法の実相』を、
『師とされる!』からである。
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問曰。何以不自供養身中法。而供養他法。 |
問うて曰く、何を以ってか、自らの、身中の法を供養せず、他の法を供養したもう。 |
問い、
何故、
『自ら!』の、
『他!』の、
『仏』の、
『法』を、
『供養される!』のですか?
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答曰。隨世間法。如比丘欲供養法寶。不自供養身中法。而供養餘持法知法解法者。佛亦如是雖身中有法。而供養餘佛法。 |
答えて曰く、世間の法に随いたまえばなり。比丘の法宝を供養せんと欲するに、自ら身中の法を供養せず、余の法を持し、法を知り、法を解する者を供養するが如く、仏も亦た是の如く、身中に法有りと雖も、余の仏の法を供養したもう。 |
答え、
『世間』の、
『法(習慣)』に、
『随われた!』のである。
譬えば、
『比丘』が、
『法宝』を、
『供養しよう!』と、
『思う!』と、
『自ら!』の、
『他!』の、
『法』を、
『持( たも)つ!』者や、
『知る!』者や、
『解釈する!』者を、
『供養する!』ように、
『仏』も、
是のように、
『自ら!』の、
『他!』の、
『仏』の、
『法』を、
『供養される!』のである。
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問曰。如佛不求福德。何以故供養。 |
問うて曰く、仏の如きは、福徳を求めたまわざるに、何を以ってか、供養したもう。 |
問い、
若し、
『仏』が、
『福徳』を、
『求めない!』ならば、
何故、
『供養される!』のですか?
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答曰。佛從無量阿僧祇劫中。修諸功德常行諸善。不但求報敬功德故而作供養。 |
答えて曰く、仏は、無量阿僧祇劫中より、諸の功徳を修め、常に諸の善を行いたまえば、但だ報を求め、功徳を敬うが故に、供養を作したまわず。 |
答え、
『仏』は、
『無量阿僧祇劫』中に、
常に、
但だ、
『報』を、
『求めたり!』、
『功徳』を、
『敬われる!』が故に、
『供養』を、
『作されるのではない!』。
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如佛在時有一盲比丘。眼無所見而以手縫衣時針紝脫。便言。誰愛福德為我紝針。 |
仏の在(ましま)せる時の如し、有る一盲比丘、眼に見る所無きに、手を以って衣を縫う時、針より紝脱す。便ち言わく、『誰か、福徳を愛するや、我が為めに紝を針にさせ』、と。 |
例えば、
『仏』が、
『世』に、
『在(お)られた!』時のことである、――
有る、
『一り!』の、
『盲比丘』は、
『眼』には、
『何も!』、
『見えなかった!』が、
『手』で、
『衣』を、
『縫っていた!』時、
『針』より、
『糸』が、
『抜けおちた!』ので、
こう言った、――
誰が、
『福徳』を、
『愛する?』
わたしの為めに、
『針』に、
『糸を通せ!』、と。
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紝(にん):はたいと。針孔に通った糸。 |
参考:『撰集百縁経巻4(33)』:『尸毘王剜眼施鷲緣 佛在舍衛國祇樹給孤獨園。時諸比丘。安居欲竟。自恣時到。春秋二時。常來集會。聽佛說法。其中或有浣衣薰缽打染縫治。如是各各。皆有所營。時彼眾中。有一比丘。名曰尸婆。年老目瞑。坐地縫衣。不見紝針。作是唱言。誰貪福德。為我紝針。爾時世尊。聞比丘語。尋即往至。捉比丘手。索針欲貫。時老比丘。識佛音聲。白言。世尊如來。往昔三阿僧祇劫。修大慈悲。滿足六波羅蜜。具菩薩行。斷除結使。功德備足。自致作佛。今者何故猶於我所。求索福德。佛告比丘。由我昔來宿習不忘。故於汝所。猶修福德。時諸比丘聞佛世尊作是語已。即白佛言。如來往昔。於彼耆舊老比丘所。修何功德。願為解說。爾時世尊告諸比丘。汝等諦聽。吾當為汝分別解說。乃往過去無量世中。波羅奈國有王。名曰尸毘。治正國土。人民熾盛豐樂無極。時尸毘王常好惠施。賑給濟乏。於諸財寶頭目髓腦。來有乞者。終不吝惜。精誠感應。動天宮殿。不安其所。時天帝釋。作是念言。我此宮殿。有何因緣。動搖如是。將非我今命欲盡耶。作是念已。尋自觀察。見尸毘王。不惜財寶。有來乞者。皆悉施與。精誠感應。動我宮殿。物不安所。我今當往試其善心。為虛為實。即便化作一大鷲身。飛來詣王。啟白王言。我聞大王。好喜布施。不逆眾生。我今故來。有所求索。唯願大王。遂我心願。時王聞已。甚懷歡喜。即答鷲言。隨汝所求。終不吝惜。鷲白王言。我亦不須金銀珍寶及諸財物。唯須王眼。以為美膳。願王今者。見賜雙眼。時尸毘王。聞鷲語已。生大歡喜。手執利刀。自剜雙眼。以施彼鷲。不憚苦痛。無有毛髮悔恨之心。爾時天地。六種震動。雨諸天花。鷲白王言。汝今剜眼。用施於我。無悔恨耶。王答鷲言。我施汝眼。今者實無悔恨之心。鷲語王言。若無悔心。以何為證。王答鷲言。今施汝眼。無悔心者。當令我眼還復如故。作是誓已。時王雙眼。如前無異。鷲復釋身。讚言奇哉未曾有也。汝於今者。能捨難捨。為求釋梵轉輪聖王世俗榮樂。王答釋曰。我今不求釋梵及以轉輪世俗榮樂。以此施眼善根功德。使我來世得成正覺。度脫眾生。發是願已。時天帝釋。還詣天宮。佛告諸比丘。欲知彼時尸毘王者。則我身是。彼時鷲者。今老比丘是。由於彼時布施眼目不吝惜故。自致成佛。是故今者。猶於汝上。修於福德。尚無厭足。爾時諸比丘。聞佛所說。歡喜奉行』 |
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是時佛到其所語比丘。我是愛福德人。為汝紝針來。 |
是の時、仏は、其所に到りて、比丘に語りたまわく、『我れは是れ福徳を愛する人なり。汝が為に紝を針にささん、来たれ』、と。 |
是の時、
『仏』が、
其の、
『処』に、
『来られて!』、
『比丘』に、こう語られた、――
わたしは、
お前の為めに、
『針』に、
『糸』を、
『通そう!』、
『針』と、
『糸』を、
『持ってこい!』、と。
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是比丘識佛聲。疾起著衣禮佛足白佛言。佛功德已滿。云何言愛福德。 |
是の比丘は、仏の声を識りて、疾かに起ち、衣を著けて、仏の足に礼し、仏に白して言さく、『仏の功徳は已に満ちたり。云何が、福徳を愛すと言える』、と。 |
是の、
『比丘』は、
『仏』の、
『声』を、
『識る!』と、
『疾か!』に、
『床』より、
『起ち!』、
『仏』の、
『足』に、
『礼して!』、
『仏』に白して、こう言った、――
『仏』の、
『功徳』は、
『満ちております!』のに、
何故、
『福徳』を、
『愛する!』と、
『言われる!』のですか?と。
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佛報言。我雖功德已滿。我深知功德恩功德果報功德力。令我於一切眾生中得最第一。由此功德。是故我愛。 |
仏の報(こた)えて言わく、『我が功徳、已に満ちて、我れは深く功德の恩、功徳の果報、功徳の力を知ると雖も、我れをして、一切の衆生中に、最も第一なるを得しむるは、此の功徳に由る、是の故に我れは愛す』、と。 |
『仏』は、
答えて、こう言われた、――
わたしの、
『功徳』は、
『満ちており!』、
わたしは、
深く、
『功徳の恩恵』や、
『功徳の果報』や、
『功徳の力用』を、
『知っている!』が、
わたしに、
一切の、
『衆生』中の、
『最も!』、
『第一にした!』は、
此の、
『功徳』に、
『由ってである!』。
是の故に、
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佛為此比丘讚功德已。次為隨意說法。是比丘得法眼淨肉眼更明。 |
仏の、此の比丘の為めに、功徳を讃じ已りて、次に為めに、意に随うて、法を説きたまえるに、是の比丘は、法眼の浄まると、肉眼の更に明るきを得たり。 |
『仏』が、
此の、
『比丘』の為めに、
先づ、
次いで、
『意のままに!』、
『法』を、
『説かれる!』と、
是の、
『比丘』は、
『法眼』が、
『浄められた!』ばかりか、
更に、
『肉眼』までが、
『明るくなった!』。
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復次佛雖功德已滿更無所須。為教化弟子故。語之言。我尚作功德汝云何不作。 |
復た次ぎに、仏の功徳は、已に満ちて、更に須(もと)むる所無しと雖も、弟子を教化したまわんが為めの故に、之に語りて言わく、『我れすら、尚お功徳を作す。汝は、云何が作さざる』、と。 |
復た次ぎに、
『仏』の、
『功徳』は、
已に、
『満ちており!』、
更に、
『須(もと)める!』所が、
『無い!』としても、
『弟子』を、
『教化する!』為めの故に、
『語って!』、こう言われるのである、――
わたしさえ、
『功徳』の、
『業』を、
『作している!』のだ、
お前は、
何故、
『作さない?』、と。
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如伎家百歲老翁而舞。有人呵之言。老翁年已百歲何用是舞。翁答。我不須舞。但欲教子孫故耳。 |
伎家の百歳の老翁の舞うが如きに、有る人、之を呵して言わく、『老翁は、年已に百歳なり。何に用いんとて、是れを舞う』、と。翁の答うらく、『我れは舞うを須(もち)いず。但だ、子孫に教えんと欲するが故なるのみ』、と。 |
例えば、
『伎家( 舞踏家)』の、
有る人が、
『呵( しか)って』、こう言った、――
『老翁』は、
『年』が、
『百歳にもなる!』のに、
是のように、
『舞うて!』、
『何うされるのか?』、と。
『翁』が、こう答えた、――
わたしには、
『舞うたとて!』、
『何うにもならない!』が、
『子』や、
『孫』に、
『教える!』為めに、
『舞うている!』のだ、と。
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佛亦如是。功德雖滿。為教弟子作功德故。而作供養。 |
仏も亦た是の如く、功徳、満つと雖も、弟子に教えて、功徳を作さしめんが為めの故に、供養を作したもう。 |
『仏』も、
是のように、
『功徳』は、
『満ちている!』が、
『弟子』に、
『教えて!』、
『功徳』の、
『業』を、
『作させる!』為めの故に、
『自ら!』、
『供養』を、
『作して!』、
『教えられる!』のである。
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問曰。若爾者佛何以不自遙散釋迦牟尼佛上。而遣人供養。 |
問うて曰く、若し爾らば、仏は、何を以ってか、自ら遙かに、釈迦牟尼仏上に散じたまわず、人を遣して供養したもう。 |
問い、
若し、
そうならば、
『仏』は、
何故、
『自ら!』、
遙かに、
『華』を、
『釈迦牟尼仏』上に、
『散かずに!』、
『人』を、
『遣して!』、
『釈迦牟尼仏』を、
『供養される!』のですか?
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答曰。為此間諸菩薩信普明故。 |
答えて曰く、此の間の諸の菩薩に、普明を信ぜしめんが為めの故なり。 |
答え、
此の、
『間( 娑婆世界)』の、
諸の、
『菩薩』に、
『普明』を、
『信じさせよう!』と、
『思われた!』のである。
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復次佛所遣使。水火兵毒百千種害終不能傷。道里懸遠欲令安隱故。 |
復た次ぎに、仏の遣さるる所の使は、水、火、兵、毒もて、百千種に害するも、終(つい)に傷つくる能わざるも、道里懸(はるか)に遠ければ、安隠ならしめんと欲したもうが故なり。 |
復た次ぎに、
『仏』に、
『遣された!』、
『使者』は、
『水』や、
『火』や、
『兵』や、
『毒』で、
『百千種』に、
『害した!』としても、
『傷つけることはできない!』が、
『道』の、
『里程』が、
『懸けはなれて!』、
『遠い!』ので、
『使者』を、
『安隠にさせよう!』と、
『思われた!』が故に、
『華』を、
『遣して!』、
『一心にさせられた!』のである。
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問曰。何故不以好寶深經若佛菩薩寶(言此寶諸天所不見能出種種妙物如摩尼珠寶故曰名佛寶)為信。而以蓮華蓮華小物何足為信。 |
問うて曰く、何の故にか、好宝、深経の、若しは仏菩薩の宝を以って(此の宝と言えるは諸天の見ざる所にして、能く種種の妙物を出すこと、摩尼宝珠の如きなるが故に曰いて、仏宝と名づく)信と為さず、蓮華を以ってしたもう。蓮華は小物なれば、何んが信と為すに足らん。 |
問い、
何故、
『好宝』や、
『深経』のような、
『仏、菩薩』の、
『宝』を、
『信』として、
『遣らず!』、
『蓮華』を、
『信』として、
『遣られた!』のですか?
『蓮華』のような、
『小さな!』、
『物』が、
何うして、
『信』として、
『遣る!』に、
『足る!』のですか?
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答曰。佛不須物。佛寶天寶尚亦不須。何況人寶。以不須故不遣。亦以佛自等有故不遣。深經亦爾。 |
答えて曰く、仏は、物を須めたまわず。仏宝、天宝すら、尚お亦た須めず。何に況んや、人の宝をや。須めざるを以っての故に、遣されず。亦た、仏は、自ら等しく有したもうを以っての故に、遣されず。深経も、亦た爾り。 |
答え、
『仏』は、
『物』を、
『須(もと)められない!』。
『仏』や、
『天』の、
況して、
『人』の、
『宝』など、
『須められるはずがない!』。
『仏』は、
自ら、
『須められない!』が故に、
『物』を、
『遣られず!』、
亦た、
『仏』は、
自らも、
『等しく!』、
『有する!』が故に、
『物』を、
『遣られない!』のであり。
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復次諸經於佛則無甚深。甚深之稱出自凡人。凡人所疑於佛無礙。凡人所難佛皆易之。 |
復た次ぎに、諸の経も、仏には、則ち甚深なる無し。甚深の称は、凡人より出づ。凡人の疑う所も、仏には無礙なり。凡人の難とする所も、仏には皆之易(たやす)し。 |
復た次ぎに、
諸の、
『経』も、
『仏』には、
『甚だ深い!』ものは、
『無い!』。
『甚だ深い!』という、
『称( ほめことば)』は、
『凡人』より、
『出た!』ものである。
『凡人』の、
『凡人』の、
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復次華香清妙宜為供養。如人獻贈必以異物。 |
復た次ぎに、華香の清妙なるは、宜しく供養さるべし。人の献贈するには、必ず異物を以ってするが如し。 |
復た次ぎに、
『華香』は、
『清妙』であり、
『供養する!』に、
『適している!』。
譬えば、
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問曰。何故正以蓮華不以餘物。 |
問うて曰く、何の故にか、正しく蓮華を以ってし、余物を以ってせざる。 |
問い、
何故、
正しく、
『蓮華であって!』、
『他の物ではない!』のですか?
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答曰。供養唯以華香幡蓋。華有二事有色有香。 |
答えて曰く、供養するには、唯だ華香、幡蓋を以ってす。華に二事有り、色有り、香有り。 |
答え、
『供養する!』のは、
『華』には、
『二つ!』の、
『事』が、
『有る!』、
謂わゆる、
『色』と、
『香』とである。
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問曰。餘華亦有香有色。何故唯以蓮華供養。 |
問うて曰く、余の華にも、香有り、色有り。何の故にか、唯だ蓮華を以って供養する。 |
問い、
他の、
何故、
唯だ、
『蓮華のみ!』を、
『供養する!』のですか?
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答曰。如華手經中說。十方佛皆以華供養釋迦文佛。 |
答えて曰く、華手経中に説くが如し。『十方の仏は、皆華を以って、釈迦文仏を供養す』、と。 |
答え、
『華手経』中に、こう説く通りである、――
『十方』の、
『仏』は、
皆、
『華』で、
『釈迦文仏』を、
『供養した!』、と。
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参考:『仏説華手経巻1』:『爾時網明白彼佛言。唯然世尊。我欲詣彼娑婆世界供養禮覲釋迦牟尼佛。及見彼土具足莊嚴諸菩薩眾。彼佛報言。汝自知時。當以一心遊于彼國。所以者何。彼諸菩薩威德難勝。一寶嚴佛以眾蓮華與網明言。汝以是華供養彼佛。并稱我意致敬問訊。少惱少病起居輕利氣力安耶。網明菩薩禮彼佛足右遶三匝。即與無數菩薩大眾前後圍遶。如大力士屈伸臂頃。於彼國土忽然不現。到此世界行詣竹園。頂禮佛足而白佛言。唯然世尊。我是網明。佛言善哉。今汝安隱。網明菩薩頭面禮已卻住一面。白世尊曰。一寶嚴佛問訊世尊。少惱少病起居輕利氣力安耶。以此蓮華奉上世尊。』 |
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復次蓮華有三種。一者人華二者天華三者菩薩華。人華大蓮華十餘葉。天華百葉。菩薩華千葉。 |
復た次ぎに、蓮華には三種有り、一には人の華、二には天の華、三には菩薩の華なり。人の華の大なる蓮華は、十余葉なり。天の華は百葉なり。菩薩の華は千葉なり。 |
復た次ぎに、
『蓮華』には、
『三種』有り、
一には、
『人の華』、
二には、
『天の華』、
三には、
『菩薩の華』である。
『人』の、
『華』は、
『大きな!』、
『蓮華』でも、
『十余葉!』、
『天』の、
『菩薩』の、
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彼世界中多有金色光明千葉蓮華。娑婆世界中。唯有化華千葉。無水生者。以是故遣是蓮華千葉金色。如上舌相中說。 |
彼の世界中には、多く金色の光明の千葉の蓮華有り、娑婆世界中には、唯だ化華の千葉なる有りて、水生の者無し。是を以っての故に、是の蓮華を遣りたまえり。千葉の金色は、上の舌相中に説けるが如し。 |
彼の、
『世界』中に、
『多く!』、
『有る!』のは、
『金色』の、
『光明』の、
『千葉』の、
『蓮華』である!が、
『娑婆世界』中に、
『唯だ!』、
『有る!』のは、
『化』の、
『千葉』の、
『蓮華』のみであり!、
『水』に、
『生じる!』者は、
『無い!』。
是の故に、
『千葉の金色』は、
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参考:『大智度論巻8』:『復次是諸光明變成千葉金色寶華。從舌相出此千葉金色寶華。光明徹照如日初出。問曰。何以故。光明中變化作此寶華。答曰。佛欲坐故。問曰。諸床可坐何必蓮華。答曰。床為世界白衣坐法。又以蓮華軟淨。欲現神力能坐其上令花不壞故。又以莊嚴妙法座故。又以諸華皆小。無如此華香淨大者。人中蓮華大不過尺。漫陀耆尼池。及阿那婆達多池中蓮華。大如車蓋。天上寶蓮華復大於此。是則可容結加趺坐。佛所坐華復勝於此百千萬倍。又如此華華臺。嚴淨香妙可坐。復次劫盡燒時一切皆空。眾生福德因緣力故。十方風至相對相觸能持大水。水上有一千頭人二千手足。名為韋紐。是人臍中出千葉金色妙寶蓮花。其光大明如萬日俱照。華中有人結加趺坐。此人復有無量光明。名曰梵天王。此梵天王心生八子。八子生天地人民。是梵天王於諸婬瞋已盡無餘。以是故言。若有人修禪淨行斷除婬欲。名為行梵道。佛轉法輪或名法輪或名梵輪。是梵天王坐蓮華上。是故諸佛隨世俗故。於寶華上結加趺坐。說六波羅蜜。聞此法者畢至阿耨多羅三藐三菩提。』 |
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問曰。佛何以令普明以華散佛上。 |
問うて曰く、仏は、何を以ってか、普明をして、華を仏上に散ぜしめたまえる。 |
問い、
『仏』は、
何故、
『普明』に、
『命じて!』、
『華』を、
『仏』上に、
『散(ま)かせられた!』のですか?
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答曰。供養法華香幡蓋。幡蓋應上乾香應燒。濕香應塗地。末香及華應散。 |
答えて曰く、供養の法は、華、香、幡蓋なり。幡蓋は、応に上(あ)ぐべし。乾香は、応に焼くべし。湿香は応に地に塗るべし。末香、及び華は、応に散くべし。 |
答え、
『供養』の、
『法』は、
『華』、
『香』、
『幡蓋』であるが、
『幡蓋』は、
『上げる!』のに、
『適し!』、
『乾香』は、
『焼く!』のに、
『適し!』、
『湿香』は、
『地に塗る!』のに、
『適し!』、
『末香』と、
『華』とは、
『散く!』のに、
『適する!』からである。
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問曰。何以不供奉而已而自散上。 |
問うて曰く、何を以ってか、供奉するのみならず、自ら上に散ずる。 |
問い、
何故、
『供奉する( ささげる)だけでなく!』、
自ら、
『上』に、
『散くのですか?』。
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答曰。手自供養是身業。軟言問訊是口業。能起身口業是意業。是三業得功德牢固。與佛道作因緣。 |
答えて曰く、手もて、自ら供養す、是れ身業なり。軟言もて、問訊す、是れ口業なり。能く身口の業を起す、是れ意業なり。是の三業もて、功徳の牢固なるを得て、仏道の与(ため)に因縁と作る。 |
答え、
『手』で、
『自ら!』、
『供養する!』のが、
『身業』である!、
『軟言( 優しいことば)』で、
『身業』と、
『口業』を、
是の、
『三業』は、
『功徳』が、
『牢固(堅固)になる!』ことを、
『得て!』、
『仏』の、
『道』を、
『行く!』為めの、
『因縁』と、
『作って!』、
『寄与する!』。
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問曰。何以言汝當一心敬慎。娑婆世界中諸菩薩難及難勝。 |
問うて曰く、何を以ってか、『汝は、応に一心に敬慎すべし。娑婆世界中の諸の菩薩には及び難く勝ち難し』と言う。 |
問い、
何故、こう言うのですか?――
お前は、
『一心』に、
『敬って!』、
『慎まなければならない!』、
『娑婆世界』中の、
諸の、
『菩薩』には、
『及び難く!』、
『勝ち難い!』のだから、と。
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答曰。佛辟支佛阿羅漢一切諸賢聖。皆一心敬慎。 |
答えて曰く、仏、辟支仏、阿羅漢、一切の諸の賢聖は、皆一心に敬慎なり。 |
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魔若魔民及內身結使。種種先世罪報皆是賊。近此諸賊故應一心敬慎。 |
魔若しくは魔民、及び内身の結使、種種の先世の罪報は、皆是れ賊なり。此の諸の賊に近づくが故に、応に一心に敬慎すべし。 |
『魔』や、
『魔』の、
『民』と、
『内』の、
『身』の、
『結使(煩悩)』と、
種種の、
『先世』の、
『罪報』は、
皆、
『賊である!』が、
此の、
諸の、
『一心』に、
『敬って!』、
『慎むべき!』である。
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譬如入賊中行不自慎護為賊所得。以是故言一心敬慎以遊彼界。 |
譬えば、賊中に入りて行くに、自ら慎んで、護らざれば、賊の得る所と為るが如し。是の故に言わく、『一心に敬慎して、以って彼の界に遊べ』、と。 |
譬えば、
『賊』中に、
『入って!』、
『行く!』とき、
自ら、
『慎んで!』、
『護らなければ!』、
『賊』に、
『取得される!』のと、
『同じである!』。
是の故に、
こう言うのである、――
『一心』に、
『敬い!』、
『慎んで!』、
彼の、
『世界』に、
『遊べ!』、と。
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復次以人心多散如狂如醉。一心敬慎則是諸功德初門。攝心得禪。便得實智慧。得實智慧便得解脫。得解脫便得盡苦。如是事皆從一心得。 |
復た次ぎに、人心の多く散ずること、狂うが如く、酔うが如きなるを以って、一心に敬慎なるは、則ち是れ諸の功徳の初門なり。心を摂して禅を得れば、便ち実の智慧を得。実の智慧を得れば、便ち解脱を得。解脱を得れば、便ち苦を尽くすを得。是の如き事は、皆、一心に従りて得るなり。 |
復た次ぎに、
『人』の、
『心』は、
『多く!』、
『散乱して!』、
まるで、
『狂っている!』か、
『酔ったよう!』であるので、
故に、
『一心』に、
『敬い!』、
『慎む!』ことは、
諸の、
『功徳』の、
『初門』である!。
『心』を、
『摂して( 取り締まって)!』、
『禅( 静慮)』を、
『得れば!』、
『実の智慧』を、
『得られる!』、
『実の智慧』を、
『解脱』を、
『得れば!』、
『苦』を、
『尽くすことができる!』。
是のような、
『事』は、
皆、
『一心』に、
『随従して!』、
『得られる!』のである。
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如佛般涅槃後一百歲有一比丘。名優波鞠。得六神通阿羅漢。當爾時世為閻浮提大導師。 |
仏の般涅槃後の一百歳の如きに、一比丘有り、優波鞠と名づけ、六神通を得たる阿羅漢なり。爾の時世に当りて、閻浮提の大導師と為す。 |
例えば、
『仏』の、
『般涅槃』の、
『一百年』後に、
『優波鞠』という、
『一り!』の、
『比丘』が、
『有り!』、
『六神通』を、
『得た!』、
『阿羅漢』であったが、
爾の、
『時』の、
『世』に於いては、
『閻浮提』の、
『大導師』であった!。
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優波鞠(うぱきく):付法蔵の第四祖の名。『大智度論巻10上注:優波毱多』参照。
優波毱多(うぱきくた):梵名upagupta、また憂波毱多、優波笈多、優波掘多、鄔波毱多、優波毱提、優波毱、憂波毱、優波崛に作る。近護、近蔵、または大護と訳す。付法蔵の第四祖。阿育王の帝師として知らる。摩突羅国毱多長者の子にして、性慈愍を好み聡慧にして辯才あり。商那和修その法器たるを見、因りて繋念の法を教え、もし不浄心を起さば黒石を左辺に著け、浄心を起さば白石を有辺に著くべきを以ってせしに、初めは黒石偏に多かりしも、次ぎに黒白相等しく、七日満つる所に及んで唯だ白石のみあり。和修即ち為に四聖真諦を宣説するに、時に応じて須陀洹果を逮得せり。次いでまた婬女婆須達多を度するに因んで、諸法苦空無常を観じ、時に応じて阿那含果を得、具戒を受け已りて即時に阿羅漢道を得たりと。時に阿育王は毱多が摩突羅国優留曼荼山那羅拔利阿蘭若処に在りて、衆の為に説法すと聞き、自ら往きて観んと欲す。毱多その居処の隘小なるを以って、衆を困苦せしめんことを恐れ、自ら一万八千の大衆と倶に舟行して花氏城に至り、王の為に説法し、且つ仏陀の旧跡を指示して悉く塔を起さしめ、また広く舎利弗、目連、大迦葉、阿難等の諸大弟子の塔をも供養せしめたりと云う。「阿育王伝巻3」には、仏は曽て摩突羅国に於いて阿難に対し、我が百年の後、此の国に憂波毱多と名づくるあり、禅法を教授すること声聞中最も第一たり、相好なしといえども化度すること我れの如しと宣せられたりと記せり。兎に角その教化の盛なりしは事実にして、多くの衆生を解脱せしめ、阿羅漢を得る者ある毎に長さ四寸の籌を投じ、後終に籌は積んで長三十六尺、広二十四尺の石室内に満つるに至れりと。化縁已に畢り、法を提多迦に付して滅度を取れり。「倶舎論光記巻5」には毱多に「理目足論」の著ありというも、事実詳ならず。蓋し北伝にはかくの如く毱多を以って付法蔵の第四祖とし、種種教化の事蹟を伝うるも、南伝には全くその名を録せず。これに関し近来の学者中には、「善見律毘婆沙巻1」等に阿育王の師として掲ぐる目犍連子帝須moggaliputta-tissaを毱多と同人とし、目犍連子帝須の名は、仏弟子大目犍連並びに舎利弗の姓なる帝須を併せ取りしものにして、即ち毱多が此の二大弟子の得を兼ぬるものとして世人に附したる敬称なるべしとするものあるに至れり。これ頗る興味ある推測なるも、未だ他にこれを確認すべき文献を見ず。また「雑阿含経巻23、巻25」、「阿育王伝巻4、巻5、巻6」、「阿育王経巻8、巻9、巻10」、「大悲経巻2」、「大荘厳論経巻9」、「賢愚経巻13」、「達摩多羅禅経巻上」、「有部毘奈耶雑事巻40」、「大智度論巻10、巻26」、「大毘婆沙論巻135」、「付法蔵因縁伝巻3、巻4」、「大唐西域記巻4」、「仏祖統紀巻5」、「翻訳名義集巻2」等に出づ。<(望) |
参考:『付法蔵因縁伝巻3』:『‥‥爾時有一老比丘尼。年百二十。曾見如來。優波鞠多知彼見佛。欲至其所。尋遣使者告比丘尼。尊者鞠多欲來相見。時比丘尼即以一缽盛滿中油。置戶扇後。憂波鞠多到其所止。當入房時棄油數渧。共相慰問然後就坐。問言大姊。世尊在時諸比丘輩。威儀進止其事云何。比丘尼言。昔佛在世六群比丘。最為麤暴。雖入此房未曾遣我一渧之水。大德今者智慧高勝。世人號為無相好佛。然入吾房棄油數渧。以是觀之。佛在時人定為奇妙。憂波鞠多聞是語已。甚自悔責極懷慚愧。比丘尼言。大德不應自生恥恨。如佛言曰。我滅度後初日眾生勝二日者。三日之人益復卑劣。如是展轉福德衰耗。愚癡闇鈍善法羸損。況今大德去佛百年。雖復為作非威儀事。正得其宜何足為怪。爾時鞠多而問之言。姊見如來。其事云何。比丘尼曰。昔佛在世我年二十始欲行嫁。失一金釵墮深草中。求之不得。復以燈燭遍照推覓。求之至疲了無彷彿。正值如來遊行而過。金光晃耀如百千日。幽闇之處普皆大明。微細諸物而悉顯現。尋見我釵因即取之。以斯緣故吾得見佛。‥‥』 |
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彼時有一比丘尼。年百二十歲。此比丘尼年小時見佛。優波鞠來入其舍。欲問佛容儀。先遣弟子。 |
彼の時に一比丘尼有り、年は百二十歳なり。此の比丘尼は、年小(わか)き時、仏に見えたれば、優波鞠来たりて、其の舎に入り、仏の容儀を問わんと欲して、先に弟子を遣す。 |
彼の時、
『一り!』の、
『比丘尼』が有り、
『年』は、
『百二十歳』であった。
此の、
『比丘尼』は、
『年』の、
『少( わか)い!』時、
『仏』を、
『見たことがある!』ので、
『優波鞠』は、
『来て!』、
『仏』の、
『容儀』を、
『問おう!』と、
『思って!』、
先に、
『弟子』を、
『遣した!』。
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弟子語比丘尼。我大師優波鞠。欲來見汝問佛容儀。 |
弟子の比丘尼に語らく、『我が大師優波鞠、来たりて汝に見え、仏の容儀を問わんと欲す』、と。 |
『弟子』は、
『比丘尼』に、こう語った、――
わたしの、
『大師』の、
『優波鞠』は、
『来て!』、
『お前に!』、
『会われ!』、
『仏』の、
『容儀』を、
『問いたい!』と、
『思っていられる!』、と。
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是時比丘尼。以缽盛滿麻油著戶扇下試之。知其威儀詳審以不。 |
是の時、比丘尼は、鉢を以って、麻油を盛りて満て、戸扇の下に著(お)き、之を試して、其の威儀の以って詳審なるや、不やを知らんとす。 |
是の時、
『比丘尼』は、
『麻油』を、
『山盛りにした!』、
『鉢』を、
『扉』の、
『下』に、
『置いて!』、
『優波鞠』を、
『試し!』、
『優波鞠』の、
『威儀』は、
『心配り!』が、
『されているか、どうか?』を、
『知ろうとした!』。
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戸扇(こせん):排して入る扉。
威儀(いぎ):身の動作。行儀作法。
詳審(しょうしん):心配りの行きとどくこと。 |
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優波鞠入徐排戶扇麻油小棄。坐已問比丘尼。汝見佛不。容儀何似。為我說之。 |
優波鞠は入りて、徐(おもむろ)に戸扇を排(お)して麻油を小し棄(こぼ)し、坐し已りて、比丘尼に問わく、『汝は、仏を見るや不や。容儀は何に似たもう。我が為めに之を説け』、と。 |
『優波鞠』は、
『入りながら!』、
『徐( おもむろ)に!』、
『扉』を、
『排(お)して!』、
『麻油』を、
『少し!』、
『棄(こぼ)す!』と、
『坐って!』、
『比丘尼』に、こう問うた、――
お前は、
『仏』を、
『見たのか、どうか?』。
『仏』の、
『容貌』や、
『威儀』は、
何に、
『似ていられた?』、
わたしに、
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比丘尼答。我爾時年小見佛來入聚落。眾人言佛來。我亦隨眾人出見光明便禮。頭上金釵墮地在大闇林下。佛光明照之幽隱皆見即時得釵。我自是後乃作比丘尼。 |
比丘尼の答うらく、『我れは、爾の時年小きも、仏来たりて、聚落に入りたもうを見る。衆人の仏来たもうと言うに、我れも、亦た衆人に随いて出で、光明を見て、便ち礼せるに、頭上の金釵、地に堕ち、大闇林の下に在り。仏の光明、之を照らすに、幽隠皆見え、即時に釵を得れば、我れは、是れより後、乃ち比丘尼と作れり』、と。 |
『比丘尼』は、
こう答えた、――
わたしは、
爾の時、
『年』が、
『若うございました!』が、
『仏』が、
『来られて!』、
『聚落』に、
『入られる!』のを、
『見ました!』。
大勢の、
『人』たちが、
『仏』が、
『来られたぞ!』と、
『言うておりました!』ので、
わたしも、
『人』に、
『随って!』、
『出てみます!』と、
『光明』が、
『見えました!』。
そこで、
『お辞儀をいたしました!』ところ、
『頭』上より、
『金』の、
『釵(かんざし)』が、
『抜けて!』、
『地』に、
『堕ちたのでございます!』。
『真っ暗な!』、
『闇』の、
『林でございました!』が、
『仏』の、
『光明』が、
『照らします!』と、
『暗がり』が、
皆、
『見えました!』ので、
すぐに、
『釵』が、
『見つかりました!』。
わたしくは、
是の、
『時』より、
『後』、
やっと、
『比丘尼』と、
『作れたのでございます!』、と。
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優波鞠更問。佛在世時比丘威儀禮法何如。 |
優波鞠の更に問わく、『仏の在世の時、比丘の威儀、礼法は何如(いかん)』、と。 |
『優波鞠』は、
更に、こう問うた、――
『仏』の、
『世』に、
『在(ましま)した!』時、
『比丘』の、
『威儀』や、
『礼法』は、
『何うであった?』、と。
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答曰。佛在時六群比丘無羞無恥最是弊惡。威儀法則勝汝。今日何以知之。六群比丘入戶不令油棄。此雖弊惡知比丘儀法。行住坐臥不失法則。汝雖是六神通阿羅漢不如彼也。 |
答えて曰わく、『仏の在せる時、六群比丘は無羞無恥にして、最も是れ弊悪なりしが、威儀の法は、則ち汝の今日に勝れり。何を以ってか、之を知る。六群比丘は、戸に入るに、油をして棄(こぼ)れしめず。此れは、弊悪なりと雖も、比丘の儀法を知り、行住坐臥に、法則を失わず。汝は、是れ六神通の阿羅漢なりと雖も、彼れには如かざるなり』、と。 |
答えて、こう言った、――
『仏』の、
『在した!』時の、
『六群比丘』は、
『無羞』、
『無恥』で、
最も、
『弊悪(劣悪)でございました!』が、
『威儀』の、
『法』では、
『今日』の、
『あなた』よりも、
『勝れていました!』。
何故、
『知ったか』、と申しますと、――
『六群比丘』は、
『戸』に、
『入る!』にも、
『油』を、
『棄すようなことはございません!』。
此れは、
『弊悪でございます!』が、
『比丘』の、
『威儀』の、
『法』を、
『知っておりました!』ので、
『行、住、坐、臥』に、
『法則』を、
『失うことはございませんでした!』。
あなたは、
『六神通』の、
『阿羅漢』なのに、
彼等には、
『及ばないのでございます!』、と。
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六群比丘(ろくぐんびく):梵語SaD- vargiika- bhikSuの訳。一群を成せる六人の比丘の意。また六衆苾芻に作り、単に六群とも称す。即ち仏在世の時、常に党を成して非威儀を事とし、為に多く制戒の因縁となりし六人の悪行比丘を云う。
一に難陀nanda、 二に跋難陀upananda、 三に迦留陀夷kalo-odaayin、 四に闡那chanda、五に阿説迦azvaka、 六に弗那跋punar-
vasuなり。この中、難陀はまた難途に、跋難陀は鄔波難陀に、闡那は車匿に作り、また阿説迦は阿湿婆に作り、馬宿、或は馬師と訳し、弗那跋は富那婆娑、或は補捺婆素迦に作り、満宿と訳す。「四分律巻6」に、「世尊はその時この因縁を以って比丘僧を集め、無数の方便を以って六群比丘を呵責し、(中略)六群比丘は癡人なり、多種の有漏処に最初に戒を犯ず」と云い、また「薩婆多毘尼毘婆沙巻4」に、「六群比丘とは一に難途、二に跋難陀、三に迦留陀夷、四に闡那、五に馬宿、六に満宿なり。云わく、二人は漏尽を得て無余涅槃に入る、一は迦留陀夷、二は闡那なり。二人は天上に生ず、また云わく二人は重戒を犯ず。また云わく犯ぜず。もし重を犯ぜば天に生ずることを得ざるなり。一は難途、二は跋難陀なり。二人は悪道に堕して龍中に生ず。一は馬宿、二は満宿なり。二人は善く算数陰陽変運を解す。一は難途、二は跋難陀なり。二人は深く射道に通ず、一は迦留陀夷、二は闡那なり。二人は音楽を善くし種種戯笑す、一は馬宿、二は満宿なり。二人は説法論議を善くす、一は難途、二は跋難陀なり。二人は深く阿毘曇を解す、一は迦留陀夷、二は闡那なり。二人は事事皆能くし、また説法論議に巧みに、また阿毘曇を解す、一は馬宿、二は満宿なり。また云わく、この六人は、法として通ぜざるものなく、三蔵十二部経に通達し、内は法の梁棟となり、外は仏法の大護となる。二人は多欲なり、一は難途、二は跋難陀なり。二人は多瞋なり、一は馬宿、二は満宿なり。二人は多癡なり、一は迦留陀夷、二は闡那なり。また云わく、三人は多欲なり、一は難陀、二は跋難陀、三は迦留陀夷なり。二人は多瞋なり、一は馬宿、二は満宿なり。一人は多癡なり、闡那これなりと。五人はこれ釈種子王種なり、難途、跋難陀、馬宿、満宿、闡那なり。一はこれ婆羅門種なり、迦留陀夷なり。六人は倶にこれ豪族にして共に相影響し、相与に友となりて仏教を宣通す」と云えるこれなり。これこの六比丘は共に豪族にして互いに相友となり、藝に通じ法に達するも貪瞋癡強く、為に多く犯戒し、屡仏の為に呵責せられたることを伝うるなり。四分律には「僧残法第十一以下八戒」、「捨堕法第一以下三戒」、「単堕法第二以下四十戒」、「提舎尼法第二戒」、「衆学法第一以下九十八戒」、総じて一百五十戒は六群比丘の非威儀に由りて制せられたるものとし、また別に難陀は「単堕法第二十二以下二戒」、跋難陀は「捨堕法第六以下十五戒」、「単堕法第三十七以下六戒」、「衆学法第九十五戒」、迦留陀夷は「僧残法第一以下四戒」、「不定法の二戒」、「捨堕法第五戒」、「単堕法第九以下八戒」、闡陀は「僧残法第七以下二戒」、「単堕法第十二以下五戒」、阿説迦及び弗那跋は「僧残法第十二戒」の立制の縁となれりと云えり。また「善見律毘婆沙巻14」には、馬師と満宿とを六群比丘中の上首なりとし、「十誦律巻14」、「摩訶僧祇律巻17」等には難陀、跋難陀を兄弟とし、「鼻奈耶巻2」には馬師、弗那跋を目揵連の弟子とし、目揵連が執杖梵志の為に打殺せられし時、この二比丘は瞋りてまた彼の梵志を殺せしことを記せり。但し六群比丘の名は諸伝によりて不同あり、「摩訶僧祇律巻7及び巻15」等には難陀、跋難陀を除きて三文陀達多、摩醯沙達多を加え、且つこれ等は提婆達多破僧の時、皆その伴党となれりと云い、巴梨文律蔵vinaya-
piTaka、及び本生jaataka等にはassaji(阿説迦)、punabbasu(弗那跋)、paNDuka、 lohitaka、 mettiya、
bhummajaの六師となせり。 また別に六群比丘尼あり、「四分律巻12」に、「時に六群比丘尼はかくの如き事を見て極めて大に歓喜す」と云えるこれなり。六群比丘に同じく常に非律儀を行じ、屡仏の譴責を蒙る。但しその名を伝えず。また「五分律巻2」、「善見律毘婆沙巻10」等に出づ。<(望) |
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優波鞠聞是語大自慚愧。 |
優波鞠は、是の語を聞いて、大いに自ら慚愧せり。 |
『優波鞠』は、
是のように、
『語る!』のを、
『聞いて!』、
大いに、
『自ら!』を、
『慚愧した!』。
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以是故言一心敬慎。一心敬慎善人相也。 |
是を以っての故に言わく、『一心に敬慎せよ。一心に敬慎するは、善人の相なり』、と。 |
是の故に、
こう言うのである、――
『一心』に
『敬って!』、
『慎め!』、
『一心』に、
『敬って!』、
『慎む!』のは、
『善人』の、
『相である!』ぞ、と。
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復次何以故言一心敬慎。是菩薩難勝難及難破難近。 |
復た次ぎに、何を以ってか、言わく『一心に敬慎せよ』、と。是の菩薩には、勝ち難く、及び難く、破り難く、近づき難ければなり。 |
復た次ぎに、
何故、
是の、
『菩薩』には、
『勝ち難く!』、
『及び難く!』、
『破り難く!』、
『近づき難い!』からである。
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譬如大師子王難勝難破。亦如白象王及龍王。如大火焰。皆難可近。是菩薩大福德智慧力故。若人欲勝欲破是不可得正可自破。是故言難近。 |
譬えば、大師子王には、勝ち難く、破り難きが如く、亦た白象王、及び龍王の如き、大火焔の如きにも、皆近づくべきこと難し。是の菩薩は、大福徳の智慧力の故に、若し人勝たんと欲し、破らんと欲するも、是れを得べからず、正しく自ら破るべし。是の故に言わく、『近づき難し』、と。 |
譬えば、
『大師子王』には、
『勝ち難く!』、
『及び難いように!』、
亦た、
『白象王』や、
『龍王』や、
『大火焔』などにも、
皆、
『近づこう!』とすれば、
『難しいように!』、
是の、
若し、
『人』が、
『勝とうとしたり!』、
『破ろうとしても!』、
『そうはならず!』に、
正しく、
是の故に、
こう言うのである、――
『近づき難い(及び難い)!』、と。
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問曰。一切大菩薩皆大功德智慧利根一切難近。何以獨言娑婆世界中菩薩難近。 |
問うて曰く、一切の大菩薩は、皆大功徳、智慧、利根ありて、一切は近づき難し。何を以ってか、独り、『娑婆世界中の菩薩には、近づき難し』、と言う。 |
問い、
一切の、
『大菩薩』は、
皆、
『大功徳』、
『智慧』、
『利根』があり、
一切は、
『近づき難い!』。
何故、
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答曰。實如所言。但以多寶世界中菩薩遠來。見此世界不如石沙穢惡。菩薩身小。一切眾事皆亦不如。必生輕慢。是故佛言一心敬慎。彼諸菩薩難近。 |
答えて曰く、実に言う所の如し。但だ多宝世界中の菩薩の遠く来たりて、此の世界を見るに、石沙の穢悪にも如(し)かず、菩薩の身は小さく、一切の衆事、皆亦た如かずして、必ず憍慢を生ずるを以って、此の故に、仏の言わく、『一心に敬慎せよ。彼の諸の菩薩には近づき難し』、と。 |
答え、
実に、
『言われる通り!』だが、
但だ、
『多宝世界』中の、
『菩薩』は、
『遠く!』、
『来て!』、
此の、
『娑婆世界』を、
『見る!』と、
此の、
『世界』は、
『石』や、
『砂』の、
『穢らしい!』ことでも、
『多宝世界』に、
『及ばない!』し、
『菩薩』の、
『身』の、
『小さい!』ことでも、
『及ばない!』。
一切の、
『多く!』の、
『事』が、
皆、
『多宝世界』に、
『及ばない!』ので、
必ず、
『軽慢』を、
『生じる!』。
是の故に、
『仏』は、
こう言われたのである、――
『一心』に、
『敬って!』、
『慎め!』、
彼の、
『世界』の、
諸の、
『菩薩』には、
『近づき難い!』、と。
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復次樂處生人。多不勇猛不聰明少智慧。如鬱怛羅衛人。以大樂故無出家無受戒。諸天中亦爾。 |
復た次ぎに、楽処に生ずる人は、多く勇猛ならず、聡明ならず、智慧少し。鬱怛羅衛の人の、大楽を以っての故に、出家無く、受戒無く、諸天中も亦た爾るが如し。 |
復た次ぎに、
『楽処』に、
『生まれた!』、
『人』は、
『多く!』が、
『勇猛でもなく!』、
『聡明でもなく!』、
『智慧も少い!』。
例えば、
『鬱怛羅衛』の、
『人』は、
『大楽である!』が故に、
『出家する!』者も、
『受戒する!』者も、
『無い!』のと、
『同じ!』である。
諸の、
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鬱怛羅衛(うったらえ):梵語uttarakuru、須弥山の北の大洲。また北瞿盧洲と称す。『大智度論巻1上注:四洲』参照。 |
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是娑婆世界中是樂因緣少。有三惡道老病死。土地自活法難。以是故易得厭心。見老病死至心大厭患。見貧窮人知先世因緣所致心生大厭。以是故智慧根利。 |
是の娑婆世界中は、是れ楽の因縁少なく、三悪道、老病死有りて、土地は、自活の法難し。是を以っての故に、厭心を得易く、老病死を見ては、心に大いに厭患するに至り、貧窮の人を見ては、先世の因縁の致す所を知り、心に大厭を生ず。是を以っての故に、智慧根利なり。 |
是の、
『娑婆世界』中には、
『楽』の、
『因縁』が、
『少ない!』のに、
『三悪道』や、
『老病死』の、
『苦』が、
『有り!』、
『土地』は、
『自活の法(仕方)』が、
『難しい!』。
是の故に、
『厭心』を、
『得る!』ことも、
『易しい!』。
『老病死』を、
『見れば!』、
『心』は、
大いに、
『厭い!』、
『患うことになり!』、
『貧窮』の、
『人』を、
『見れば!』、
『先世』の、
『因縁』の、
『致す(招く)!』所を、
『知って!』、
是の故に、
『娑婆世界』中の、
『人』の、
『智慧』は、
『根本』が、
『利(利発)である!』。
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彼間菩薩七寶世界種種寶樹。心念飲食應意即得。如是生厭心難。是故智慧不能大利。 |
彼の間の菩薩は、七宝の世界、種種の宝樹、心に飲食を念ずれば、意に応じて、即ち得るも、是の如きは、厭心を生ずること難く、是の故に智慧は、大いに利なる能わず。 |
彼の、
『世界』の、
『菩薩』は、
『七宝の世界』や、
『種種の宝樹』や、
『心』に、
『飲食』を、
『念じる!』だけで、
『意』に、
『応じて!』、
『得られる!』ので、
是のようであれば、
『厭心』を、
『生じる!』ことが、
『難しく!』、
是の故に、
『智慧』は、
『大いに!』は、
『利発になれない!』。
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譬如利刀著好飲食中。刀便生垢。飲食雖好而與刀不相宜。若以石磨之脂灰瑩治垢除刀利。是菩薩亦如是。生雜世界中利智難近。如人少小勤苦多有所能。亦多有所堪。又如養馬不乘則無所任。 |
譬えば、利刀は好き飲食中に著かば、刀に便ち垢を生じ、飲食は好しと雖も、刀の与(ため)には相宜しからず、若し石を以って之を磨き、脂と灰もて瑩治すれば、垢除こりて、刀利きが如し。是の菩薩も亦た是の如く、雑世界中に生じて、利智なれば、近づき難し。人の少(わか)くして、小(すこ)しく勤苦すれば、多く能くする所有り、亦た多く堪うる所有るが如し。又馬を養うも、乗らざれば、則ち任うる所無きが如し。 |
譬えば、
『利い!』、
『刀』でも、
『好い!』、
『飲食』中に、
『着ければ!』、
『刀』に、
『垢(さび)』を、
『生じる!』ので、
『飲食』が、
『好く!』ても、
『刀』には、
『宜しくない!』のであり、
若し、
『石』で、
『刀』を、
『磨いたり!』、
『脂』や、
『灰』で、
『艶』を、
『出せば!』、
『垢』は、
『除かれて!』、
『刀』は、
『利くなる!』ように、
『菩薩』も、
是のように、
『粗雑な!』、
『世界』中に、
『生まれた!』が故に、
『利智であり!』、
『近づき難い!』。
譬えば、
『少( わか)い!』ときから、
『小( すこ)しでも!』、
『勤苦( 苦労)した!』ならば、
『能くする( できる)』所の、
『事』も、
『多くなり!』、
『堪えられる!』、
『仕事』も、
『多くなったり!』、
又、
『馬』を、
『養っても!』、
『乗らなければ!』、
『走る!』ことに、
『任(堪)えられない!』のと、
『同じである!』。
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瑩治(ようじ):光沢を出させる。 |
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復次是娑婆世界中菩薩。多方便故難近。餘處不爾。 |
復た次ぎに、是の娑婆世界中の菩薩は、多く方便するが故に、近づき難し。余の処は爾らず。 |
復た次ぎに、
是の、
『娑婆世界』中の、
『菩薩』は、
『多く!』の、
『方便をする!』が故に、
『近づき難い!』が、
余の、
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如佛說我自憶念宿世。一日施人千命度眾生故。雖諸功德六波羅蜜一切佛事具足。而不作佛。恒以方便度脫眾生以是事故。是娑婆世界中菩薩難近 |
仏の説きたもうが如し、『我れは自ら宿世を憶念するに、一日に人に千の命を施し、衆生を度するが故に、諸の功徳、六波羅蜜、一切の仏事を具足すと雖も、仏と作らず、恒に方便を以って衆生を度脱せり』、と。是の事を以っての故に、是の娑婆世界中の菩薩には、近づき難し。 |
例えば、
『仏』が、こう説かれた通りである、――
わたしは、
自ら、
『宿世』の、
『記憶』を、
『想いだしてみる!』と、――
『菩薩』として、
『一日』ごとに、
『衆生』を、
『度する!』為めに、
諸の、
『功徳』や、
『六波羅蜜』を、
『具足する!』等、
一切の、
『仏』としての、
『事(義務)』を、
『具足していた!』が、
『仏』と、
『作ることはなく!』、
恒に、
『方便』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『度脱していた!』、と。
是の、
『事』の故に、
是の、
『娑婆世界』中の、
『菩薩』には、
『近づき難い!』のである。
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