【經】過諸魔事 |
諸の魔事を過ごす。 |
諸の、
『魔』の、
『事(しごと)』を、
『過ごした!』。
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魔事(まじ):魔の仕事。『大智度論巻68釈魔事品』参照。
魔(ま):梵語maaraの音訳にして、具に魔羅といい、また悪魔と名づけ、殺者、奪命、能奪命者、或は障礙と訳す。人の生命を奪い、かつ善事を障礙する悪鬼神をいう。「長阿含経巻20忉利天品」に、欲界の衆生に十二種あるを説く中、十一に他化自在天、十二に魔天を置き、「過去現在因果経巻3」に、「第六天の魔王の宮殿」といい、「瑜伽師地論巻4」に、「また魔羅天宮あり、即ち他化自在天に摂す。然も処所は髙勝なり」と云えり。これ魔王は欲界第六他化自在天の髙処に住することを説けるものなり。また「普曜経巻6降魔品」等には、釈尊成道の時、魔王波旬(梵paapiiyas)が欲妃、悦彼、快観、見従の四女を遣し、嬈乱を企てたることを説き、「長阿含経巻2遊行経」には、阿難が魔王波旬に嬈乱せられて、仏の住世を請わざりしことを記し、「阿育王伝巻5」には、優婆鞠多が三種の死屍を以って花鬘を作り、これを魔の頂に結びしことを伝え、また「増一阿含経巻27」には、魔王波旬に色力、声力、香力、味力、細滑力の五力ありと云い、「仏本行集経巻25」には、魔軍に欲貪、不歓喜、飢渇寒熱、愛著、睡眠、驚怖恐畏、狐疑惑、瞋恚忿怒、競利争名、愚癡無知、自挙矜高、恒常毀他人の十二軍ありと為せり。これ等は魔王の名を波旬といい、種種の力を有し、また魔女魔軍等あり、常に仏及びその弟子等を嬈乱し、善事を妨礙せしことを記すものなり。蓋し梵語魔羅(梵maara)は「死す」の義なる語根(mR)より来たりし名詞にして、即ち「殺す者」の義なり。原、夜摩(梵yama)の思想に基づくものなるが如く、梨倶吠陀中には、夜摩はその倶生神たるヤミー(梵yamii)より「唯一の死すべき者(梵eka-martyu)」と呼ばれ、また人類最初の死者として人に冥土の道を教え、天界の最も遠き所に住し、常に「死(梵mRtyu、即ちmRより来たれる名詞)」を使者として人の生命を奪い、死者は彼の所に至りて夜摩に対面することを記せり。これ夜摩を以って死の神となせるものにして、即ち「殺す者」の義たる魔とその意相通ずるものあるを見るべく、彼の四魔の中の死魔は正しくこの義に基づくものなりというべし。然るに欲界六天の説起こるに及び、夜摩はその第三天に住すと定められ、別の仏教に於いては湿婆(梵ziva)を以って魔神となし、これを第六他化自在天上に置き、正法破壊の悪魔即ち天子魔と号するに至り、後また内観的に魔の義を解説し、終に煩悩魔、五陰魔等の四魔説を生じたるものなるが如し。「大毘婆沙論巻196」に、「諸の煩悩は善法を害するを以っての故に名づけて魔と為す」と云い、「大智度論巻5」に、「慧命を奪い、道法功徳の善本を壊す。この故に名づけて魔と為す」と云えるは、煩悩等を魔と名づけたるものにして、主として善法破壊を魔の義となせるものなるを見るべし。また「大智度論巻5、巻68」には、魔に煩悩魔、五衆魔、死魔、天子魔の四種あることを明し、その下に、「魔は秦に能奪命者と言う。死魔は実によく命を奪うといえども、余はまたよく奪命の因縁と作り、また智慧の命を奪う。この故に殺者と名づく」と云い、「瑜伽師地論巻29」に、「もしは死の所依、もしはよく死せしめ、もしは正しくこれ死、もしはその死に於いて障礙の事を作して超越せしめず。この四種に依りて死魔を建立す。謂わく已生已入現在の五取蘊に依るが故にまさにその死あり。煩悩に由るが故に当来の生を感じ、生じおわらば便ち死喪殞没あり。諸の有情の類は命根尽滅して殀喪殞没す。これ死の自性なり。善を勤修する者、死を超えんが為の故に正しく加行する時、彼の天子魔は大自在を得てよく障礙を為す、障礙に由るが故に、或は死法に於いてよく出でざらしむ」と云えり。これ五陰魔は死の所依、煩悩魔は当来の生を感じて死に至らしめ、死魔は正しく死の自性、天子魔は死を超えんとする者を障礙するが故に、共に魔と名づくることを明せるなり。この中、死を以って通じて魔の義となせるは、即ち夜摩の思想に基づくもとのと為すを得べきも、実には夜摩はただ死魔に当り、天子魔は湿婆の正法破壊を指し、煩悩及び五陰の二魔は更に天子魔の義より転じたるものとなすべきが如し。また「旧華厳経巻42」には、魔に十種の別ありとし、五陰に貪著するを五陰魔、煩悩のよく染汚し障礙するを煩悩魔、自ら憍慢なるを心魔、受生を離るるを死魔、憍慢放逸の心を起すを天魔、心に悔ゆることなきを失善根魔、味著するを三昧魔、彼に於いて著心を生ずるを善知識魔、諸の大願を出生すること能わざるを不知菩提正法魔と名づくと云えり。また「増一阿含経巻26」、「大品般若経巻13魔事品」、「大仏頂首楞厳経巻6」、「大毘婆沙論巻197」、「大智度論巻56、巻58」、「摩訶止観巻5上」等に出づ。<(望) |
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【論】魔有四種。一者煩惱魔。二者陰魔。三者死魔。四者他化自在天子魔。 |
魔には四種有り、一には煩悩魔、二には陰魔、三には死魔、四には他化自在天子魔なり。 |
『魔』には、
『四種』有り、
一には、
二には、
三には、
四には、
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四魔(しま):梵語catvaaro maaraahの訳。即ち人の生命及び慧命を奪う四種の魔を指す。(一)蘊魔(梵skandha- maara):また陰魔、五陰魔、五蘊魔、五衆魔、身魔に作り、即ち色、受、想、行、識等の五蘊の積聚は生死の苦果を成じ、この生死の法はよく慧命を奪うなり。(二)煩悩魔(梵kleza-
maara):また欲魔に作り、即ち身中の百八等の煩悩はよく衆生の心を悩乱して、慧命を奪い菩提を成就する能わざるを致す。(三)死魔(梵mRtyu-
maara):よく衆生の四大を分散して死に至らしめ、修行者をして継続すること能わざらしむ。(四)天子魔(梵deva- putra- maara):また他化自在天子魔、天魔に作り、即ち欲界第六天の魔王は、よく人の善事を害し、賢聖の法を憎嫉す。種種の擾亂事を作して修行者の善根を破壊し、修行の継続を困難ならしむ。<(佛) |
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是諸菩薩得菩薩道故。破煩惱魔得法身故。破陰魔得道得法性身故。破死魔常一心故。一切處心不著故。入不動三昧故。破他化自在天子魔。以是故說過諸魔事。 |
是の諸の菩薩は、菩薩道を得たるが故に、煩悩魔を破り、法身を得たるが故に、陰魔を破り、道を得て、法性身を得たるが故に、死魔を破り、常に一心なるが故に、一切処に心著せざるが故に、不動三昧に入りたるが故に、他化自在天子魔を破る。是を以っての故に説かく、『諸の魔事を過ごす。』と。 |
是の、
諸の、
『菩薩』は、
『菩薩』の、
『法』という、
『道』を得て!、
常に、
一切の、
『処』に、
『心』が、
『著さない!』が故に、
『不動』という!、
『三昧』に、
『入る!』が故に、
則ち、
『他化自在天』という、
『魔』を、
『破る!』のである。
是の故に、
こう説く、――
諸の、
『魔』の、
『仕事』を、
『やり過ごした!』、と。
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法身(ほっしん):梵にdharma-kaayaと曰い、即ち法の身の意なり。また法仏、法身仏といい、或は自性身、法性身、如如仏、実仏、または第一身とも称す。二身の一、三身の一なり。即ち仏所説の正法、及び仏所得の無漏の功徳法、並びに仏の自性たる真如、如来蔵を指す。「増一阿含経巻1序品」に、「釈師世に出づるも寿極めて短し。肉体逝くといえども法身在り。まさに法の本をして断絶せざらしむ」と云い、「同巻44」に、「わが滅度の後、法はまさに久しく住すべし。(中略)われ釈迦文仏は寿命極めて長し。然る所以は肉身は滅度を取るといえども法身存在す」と云い、「仏垂般涅槃略説教誡経」に、「わが滅度に於いて波羅提木叉を尊重し、珍敬すべし。(中略)今より已後、わが諸の弟子展転してこれを行ぜば、則ちこれ如来の法身常住にして而も滅せざるなり」と云えり。これ仏所説の法蘊を法身と名づけ、その法の滅尽せざるを法身常住となせるものなり。また「大智度論巻24」に、「声聞人及び菩薩は念仏三昧を修するに、ただ仏身を念ずるのみに非ず。常に仏の種種の功徳の法身を念ずべし」と云い、また「同巻29」に、「生身の為の故に三十二相を説き、法身の為の故に無相と説く。仏身は三十二相、八十随形好を以って自ら荘厳し、法身は十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法の諸の功徳を以って荘厳す」と云えるは、これ仏の諸の無漏の功徳を立てて法身と為すべきことを説けるものなり。「鳩摩羅什法師大義巻1」に、「小乗部の者は、諸の賢聖所得の無漏の功徳を以って、謂わゆる三十七品及び仏の十力四無所畏十八不共法等を以って法身と為す。また三蔵経はこの理を顕示するを以ってまた法身と名づく。この故に天竺諸国には皆、仏には生身なしといえども法身なお存すと云う」云えるに依るに、小乗諸部に於いては仏の所説の三蔵及びその所詮の菩提分法、または仏所得の無漏の功徳法を以って法身と名づけたるを知るなり。大乗に於いても概ねこれ等の説を用うといえども、また別に仏の自性たる真如、浄法界を以って法身と名づけ、法身は即ち無漏、無為、無生、無滅と為す。「維摩経巻1弟子品」に、「諸の如来の身は、即ちこれ法身にして思欲の身に非ず。仏は世尊にして三界を過ぐと為す。仏身は無為にして諸数に堕せず」と云い、「同巻3見阿閦仏国品」に、「自ら身の実相を観るが如く、仏を観るもまた然り。われ如来を観るに、前際より来たらず、後際にさらず、今則ちじゅうせず」と云い、「大般涅槃経巻3金剛身品」に、「如来身とはこれ常住身、不可壊身、金剛の身にして雑食の身に非ず、即ちこれ法身なり。(中略)如来の身はこれ身に非ず、不生不滅不習不修なり」と云い、「仏性論巻3事能品」に、「法身とは即ち真如の理なり」と云い、「仏地経論巻7」に、「法身は清浄真如を以って体と為す。真如は即ち諸法の実性にして法に辺際なし。法身もまた爾り、一切法に遍じて処として有らざるはなく、なお虚空の如し」と云える、皆即ちその説なり。また「大方等如来蔵経」には、「一切衆生の貪欲恚癡諸の煩悩の中に如来智、如来眼、如来身あり」と云い、「究竟一乗宝性論巻31一切衆生有如来蔵品」に、「如来の法身は遍く一切の諸の衆生の身に在り」と云えるは、仏性如来蔵を以って如来の法身とし、一切の衆生もまた皆この性を有すと為すの説なり。また「勝鬘経顛倒真実品」に、「如来の法身はこれ常波羅蜜、楽波羅蜜、我波羅蜜、浄波羅蜜なり。仏の法身に於いてこの見を作す者は、これを正見と名づく」と云い、「大般涅槃経巻34」に、「法身は即ちこれ常楽我淨にして永く一切の生老病死を離れ、非白非黒非長非短、非此非彼非学非無学なり」と云い、「無上依経巻1菩提品」に、「ただ法身のみこれ常、これ楽、これ我、これ浄波羅蜜なり」と云い、また「究竟一乗宝性論巻3」に勝鬘経の文を解して「如来の法身は自性清浄にして、一切の煩悩障智障習気を離れたるを以っての故に名づけて浄と為す。この故に説きてただ如来の法身のみこれ浄波羅蜜なりと言う。寂静第一自在我を得るを以っての故に、無我の戯論を離れて究竟寂静なるが故に名づけて我と為す。この故に説きてただ如来の法身のみこれ我波羅蜜なりと言う。意生陰身の因を遠離するを得るを以っての故に名づけて楽と為す。この故に説きてただ如来の法身のみこれ楽波羅蜜なりと言う。世間涅槃平等証を以っての故に、故に名づけて常と為す。この故に説きてただ如来の法身のみこれ常波羅蜜なりと言う」と云う。即ちこれ等に由って如来の法身は非此非彼等の絶対清浄、絶対平等なる常楽我淨の境地を指すものと知るなり。<(望)『大智度論巻16下注:法身、法性生身』参照。
法性身(ほっしょうじん):梵語dharmataa-kaayaの訳。法性を証したる身の意。『大智度論巻16下注:法性生身』参照。 |
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復次是般若波羅蜜覺魔品中。佛自說魔業魔事。是魔業魔事盡已過故。是名已過魔事。 |
復た次ぎに、是の般若波羅蜜の覚魔品中に、仏の自ら、魔業、魔事を説きたまえり。是の魔業、魔事を尽く已に過ごせるが故に、是れを已に魔事を過ごすと名づく。 |
復た次ぎに、
是の、
『般若波羅蜜の覚魔品』中に、
『仏』は、
自ら、
『魔業、魔事』を、
『説かれている!』が、
是の、
是れを、
已に、
『魔』の、
『事』を、
『過ごした!』というのである。
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参考:『大品般若経巻13魔事品』:『摩訶般若波羅蜜經魔事品第四十六 爾時慧命須菩提白佛言。世尊。是善男子善女人發阿耨多羅三藐三菩提心。行六波羅蜜成就眾生淨佛國土。佛已讚歎說其功德。世尊。云何是善男子善女人求於佛道生諸留難。佛告須菩提。樂說辯不即生。當知是菩薩魔事。須菩提言。世尊。何因緣故。樂說辯不即生是菩薩魔事。佛言。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。難具足六波羅蜜。以是因緣故樂說辯不即生是菩薩魔事。復次須菩提。樂說辯卒起。當知亦是菩薩魔事。世尊。何因緣故。樂說辯卒起復是魔事。佛言。菩薩摩訶薩行檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜著樂說法。以是因緣故樂脫辯卒起。當知是菩薩魔事。復次須菩提。書是般若波羅蜜經時偃蹇驁慢。當知是菩薩魔事。復次須菩提。書是經時戲笑亂心。當知是菩薩魔事。復次須菩提。若書是經時輕笑不敬。當知是菩薩魔事。復次須菩提。若書是經時心亂不定。當知是菩薩魔事。復次須菩提。書是經時各各不和合。當知是為菩薩魔事。復次須菩提。善男子善女人作是念。我不得是經中滋味便棄捨去。當知是為菩薩魔事。復次須菩提。受持般若波羅蜜讀誦說若正憶念時偃蹇驁慢。當知是為菩薩魔事。復次須菩提。若受持般若波羅蜜經時。親近正憶念時轉相形笑。當知是為菩薩魔事。復次須菩提。若受持般若波羅蜜經讀誦正憶念修行時共相輕蔑。當知是為菩薩魔事。若受持般若波羅蜜讀誦乃至正憶念時散亂心。當知是為菩薩魔事。若受持般若波羅蜜讀誦乃至正憶念時心不和合。當知是為菩薩魔事。須菩提白佛言。世尊。世尊說善男子善女人作是念。我不得經中滋味便棄捨去。當知是為菩薩魔事。世尊。何因緣故。菩薩不得經中滋味便棄捨去。佛言。是菩薩摩訶薩前世不久行般若波羅蜜禪那波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸羅波羅蜜檀那波羅蜜。是人聞說是般若波羅蜜。便從座起作是念言。我於般若波羅蜜中無記心不清淨。便從座起去。當知是為菩薩魔事。須菩提白佛言。世尊。何因緣故不與受記。聞說是般若波羅蜜時便從座起去。佛告須菩提。若菩薩未入法位中。諸佛不與受阿耨多羅三藐三菩提記。復次須菩提。聞說般若波羅蜜時。菩薩作是念。我是中無名字心不清淨。當知是為菩薩魔事。須菩提言。何因緣故是深般若波羅蜜中不說是菩薩名字。佛言。未受記菩薩諸佛不記名字。復次須菩提。是菩薩摩訶薩作是念。是般若波羅蜜中。無我生處名字若聚落城邑。是人不欲聽聞般若波羅蜜。便從會中起去。是人如所起念時念念卻一劫。補當更勤精進求阿耨多羅三藐三菩提。復次須菩提。菩薩學餘經棄捨般若波羅蜜終不能至薩婆若。善男子善女人為捨其根而攀枝葉。當知是為菩薩魔事。須菩提白佛言。世尊。何等是餘經。善男子善女人所學不能至薩婆若。佛言。是聲聞所應行經。所謂四念處四正勤四如意足五根五力七覺分八聖道分。空無相無作解脫門。善男子善女人住是中得須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果。是名聲聞所行不能至薩婆若。如是善男子善女人。捨般若波羅蜜親近是餘經。何以故。須菩提。般若波羅蜜中出生諸菩薩摩訶薩。成就世間出世間法。須菩提。菩薩摩訶薩學般若波羅蜜時。亦學世間出世間法。須菩提。譬如狗不從大家求食反從作務者索。如是須菩提。當來世有善男子善女人棄深般若波羅蜜而攀枝葉。取聲聞辟支佛所應行經。當知是為菩薩魔事。須菩提。譬如有人欲得見象見已反觀其跡。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。佛言。諸求佛道善男子善女人亦復如是。得深般若波羅蜜棄捨去。取聲聞辟支佛所應行經。須菩提。當知是為菩薩魔事。須菩提。譬如人欲見大海反求牛跡水。作是念。大海水能與此等不。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。佛言。當來世有求佛道善男子善女人亦如是。得深般若波羅蜜棄捨去。取聲聞辟支佛所應行經。當知是亦菩薩摩訶薩魔事。須菩提。譬如工匠若工匠弟子。欲擬作帝釋勝殿而揆則日月宮殿。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。如是須菩提。當來世有薄福德善男子善女人求佛道者。得是深般若波羅蜜便棄捨去。於聲聞辟支佛所應行經中求薩婆若。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。佛言。當知亦是菩薩魔事。須菩提。譬如有人欲見轉輪聖王見而不識。後見諸小國王取其相貌。如是言轉輪聖王與此何異。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。須菩提。當來世有薄福德善男子善女人求佛道者。得是深般若波羅蜜棄捨去。取聲聞辟支佛所應行經持求薩婆若。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。當知是為菩薩魔事須菩提。譬如飢人得百味食棄捨去。反食六十日穀飯。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。佛言。當來世有求佛道善男子善女人。得聞深般若波羅蜜棄捨去。取聲聞辟支佛所應行經持求薩婆若。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。當知是亦菩薩魔事。須菩提。譬如人得無價摩尼珠反持比水精珠。須菩提。於汝意云何。是人為黠不。須菩提言。為不黠。佛言。當來世有求佛道善男子善女人。得聞深般若波羅蜜棄捨去。取聲聞辟支佛所應行經持求薩婆若。是人為黠不。須菩提言。為不黠。當知是亦菩薩魔事。復次須菩提。是求佛道善男子善女人。書是深般若波羅蜜時。樂說不如法事。不得書成般若波羅蜜。所謂樂說色聲香味觸法。樂說持戒禪定無色定。樂說檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜。樂說四念處乃至阿耨多羅三藐三菩提。何以故。須菩提。是般若波羅蜜中無樂說相。須菩提。般若波羅蜜不可思議相。般若波羅蜜不生不滅相。般若波羅蜜不垢不淨相。般若波羅蜜不亂不散相。般若波羅蜜無說相。般若波羅蜜無言無義相。般若波羅蜜無所得相。何以故。須菩提。般若波羅蜜中無是諸法。須菩提。若有善男子善女人求菩薩道者。書是般若波羅蜜經時。以是諸法散亂心。當知亦是菩薩魔事。須菩提白佛言。世尊。是般若波羅蜜可書耶。佛言。不可書。何以故。般若波羅蜜自性無故。禪那波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸羅波羅蜜檀那波羅蜜。乃至一切種智自性無故。若自性無是不名為法。無法不能書無法。須菩提。若求菩薩道善男子善女人作是念。無法是深般若波羅蜜。當知即是菩薩魔事。世尊。是求菩薩道善男子善女人。用字書般若波羅蜜。自念我書是般若波羅蜜。以字著般若波羅蜜。當知亦是菩薩魔事。何以故。世尊。是般若波羅蜜無文字。禪那波羅蜜毘梨耶波羅蜜羼提波羅蜜尸羅波羅蜜檀那波羅蜜無有文字。世尊。色無文字受想行識無文字。乃至一切種智無文字。世尊。若求菩薩道善男子善女人。著無文字般若波羅蜜。乃至著無文字一切種智。當知是亦菩薩魔事。讀誦說正憶念如說修行亦如是。復次須菩提。求佛道善男子善女人。書是般若波羅蜜時。國土念起聚落念起城郭念起方念起。若聞毀謗其師起念。若念父母及兄弟姊妹諸餘親里。若念賊若念旃陀羅。若念眾女若念婬女。如是等種種諸餘異念。留難惡魔復益其念。破壞書般若波羅蜜。破壞讀誦說正憶念如說修行。須菩提。當知是亦菩薩魔事。復次須菩提。求佛道善男子善女人。得名譽恭敬布施供養。所謂衣服飲食臥床疾藥種種樂具善男子善女人書是般若波羅蜜經受讀誦乃至正憶念時。受著是事不得書成般若波羅蜜乃至正憶念。當知是亦菩薩魔事。復次須菩提。求佛道善男子善女人書般若波羅蜜。乃至如說修行時。惡魔方便持諸餘深經與是菩薩摩訶薩。有方便力者。不應貪著惡魔所與諸餘深經。何以故。是經不能令人至薩婆若故。是中無方便菩薩摩訶薩聞是諸餘深經。便捨深般若波羅蜜。須菩提。我是般若波羅蜜中廣說諸菩薩摩訶薩方便道。諸菩薩摩訶薩應當從是中求。須菩提今善男子善女人求菩薩道捨是深般若波羅蜜。於魔所與聲聞辟支佛深經中求方便道。當知亦是菩薩魔事』 |
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復次除諸法實相。餘殘一切法盡名為魔。如諸煩惱結使欲縛取纏陰界入魔王魔民魔人。如是等盡名為魔。 |
復た次ぎに、諸法の実相を除き、余残の一切の法を尽く名づけて、魔と為す。諸の煩悩の結使、欲、縛、取、纏、陰、界、入、魔王、魔民、魔人の如き、是の如き等を尽く名づけて、魔と為すなり。 |
復た次ぎに、
諸の、
余残の、
例えば、
諸の、
『煩悩』の、
『結使、欲、縛、取、纏』や、
『陰、界、入』、
『魔王、魔民、魔人』のような、
是れ等を、
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問曰。何處說欲縛等諸結使名為魔。 |
問うて曰く、何れの処にか、欲、縛等の諸の結使を名づけて、魔と為すと説ける。 |
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答曰。雜法藏經中。佛說偈語魔王
欲是汝初軍 憂愁軍第二
飢渴軍第三 愛軍為第四
第五眠睡軍 怖畏軍第六
疑為第七軍 含毒軍第八
第九軍利養 著虛妄名聞
第十軍自高 輕慢於他人
汝軍等如是 一切世間人
及諸一切天 無能破之者
我以智慧箭 修定智慧力
摧破汝魔軍 如坏瓶沒水
一心修智慧 以度於一切
我弟子精進 常念修智慧
隨順如法行 必得至涅槃
汝雖不欲放 到汝不到處
是時魔王聞 愁憂即滅去
是魔惡部黨 亦復沒不現
是名諸結使魔。 |
答えて曰く、雑法蔵経中に、仏は偈を説いて、魔王に語りたまえり、
欲は是れ汝が初軍、憂愁の軍は第二、
飢渴の軍は第三、愛の軍を第四と為す。
第五は眠睡の軍、怖畏の軍は第六、
疑を第七軍と為し、含毒の軍は第八なり。
第九軍は利養と、虚妄の名聞に著し、
第十軍は自ら高ぶりて、他人を憍慢す。
汝が軍等の是の如きは、一切の世間の人、
及び諸の一切の天に、能く之を破る者無し。
我が智慧の箭と、修定と智慧の力とを以って、
汝が魔軍を摧破すること、坏瓶を水に没するが如し。
一心に智慧を修めて、以って一切を度せんとする、
我が弟子は精進して、常に智慧を修めんと念ず。
随順して如法に行ぜば、必ず涅槃に至るを得ん、
汝が放つを欲せずと雖も、汝が到らざる処に到らん。
是の時、魔王聞きて憂愁し、即ち滅し去る。是の魔の悪部党も、亦復た没して現れず、と。是れを諸の結使の魔と名づく。 |
答え、
『雑法蔵経』中に、
『仏』は、
『偈』を説いて、
『魔王』に、こう語られた、――
『欲』は、
お前の、
『初軍である!』、
『憂愁』の、
『軍』は、、
『第二である!』、
『飢渴』の、
『軍』は、
『第三である!』、
『愛』の、
『軍』は、
『第四である!』。
『睡眠』は、
『第五』の、
『軍である!』、
『怖畏』の、
『軍』は、
『第六である!』、
『疑』は、
『第七』の、
『軍である!』、
『含毒』の、
『軍』は、
『第八である!』。
『利養』と、
『虚妄の名聞』とに、
『自ら高くして!』、
『他人』を、
『憍慢する!』のは、
『第十』の、
『軍である!』。
お前の、
『軍』等は、
是の通りだ!、
諸の、
一切の、
『天』によっては、
『破られる!』ことが、
『無い!』が、
わたしが、
『智慧の箭』と、
『修定と智慧の力』とを以って、
お前の、
『魔軍』を、
『摧き破った!』時には、
まるで、
『泥瓶』が、
『水に没した!』ようだった。
一心に、
わたしの、
『弟子』も、
『精進して!』、
常に、
『智慧』を、
『修めよう!』と、
『念じている!』し、
『随順して!』、
『如法』に、
『智慧』を、
『修行している!』ので、
必ず、
『涅槃』に、
『至る!』ことが、
『できるだろう!』。
お前が、
『放そうとしない!』のは、
『分っている!』が、
お前の、
『手の届かない処』に、
『到るのだ!』、と。
是の時、
『魔王』は、
是れを聞いて、
『憂愁し!』、
『滅し去った!』。
是の、
『魔の悪部隊』も、
もう、
『見えなくなった!』。
是れを、
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憂愁(うしゅう):うれい。
飢渴(きかつ):うえとかわき。
眠睡(みんずい):梵語middhaの訳。睡眠とも称す。十纏の一。五蓋の一。不定地法の一。心をして闇昧ならしむる精神作用を云う。『大智度論巻7上注:十纏、同巻19下注:五蓋』参照。
含毒(ごんどく):毒をふくむ者、即ち毒蛇の如く、瞋毒を含む者の意なるが如し。又一切の煩悩は本より通称して毒と為すも、貪欲、瞋恚、愚癡の三種の煩悩は衆生の出世の善心を毒害すること最も甚だしきが故に、総じて特に三毒と称す。此の三毒は又身口意等三種の悪行の根源たるが故に、亦た三不善根と称して、煩悩の根本と為す。
摧破(さいは):くじきやぶる。
坏瓶(はいびょう):未だ焼いて陶器と為さざるかめ。
随順(ずいじゅん):すなおにしたがう。
部党(ぶとう):部隊。
不現(ふげん):あらわれず。見えなくなる。 |
参考:『大方広仏華厳経巻42』:『佛子。菩薩摩訶薩。有十種魔。何等為十。所謂五陰魔。貪著五陰故。煩惱魔煩惱染故。業魔。能障礙故。心魔。自憍慢故。死魔。離受生故。天魔。起憍慢放逸故。失善根魔。心不悔故。三昧魔。味著故。善知識魔。於彼生著心故。不知菩提正法魔。不能出生諸大願故。佛子。是為菩薩摩訶薩十種魔。應作方便速遠離之。佛子。菩薩摩訶薩。有十種魔業。何等為十。所謂忘失菩提心修諸善根。是為魔業。惡心布施瞋持戒者是為魔業。棄捨惡性懈怠眾生。輕慢厭惡亂心無智眾生。是為魔業。慳惜正法。訶責法器眾生。貪求利養為人說法。為非器人說深妙法。是為魔業。不聞波羅蜜。雖聞不修行。生懈怠心。不求深妙無上菩提。是為魔業。遠離善知識。親近惡知識。樂求二乘。於受生處。起離欲寂靜除滅之心。是為魔業。於菩薩所起瞋恚心。說其過惡斷彼利養。常求罪釁惡眼視之。是為魔業。誹謗正法。不聞契經。聞不讚歎。若有法師說法。不能恭敬下意自謙。我說是義彼說非義。是為魔業。學世間論。巧於文字。善於句味。手筆文誦樂說二乘。隱覆深法開演雜語。於非器所說甚深法。遠離菩提安住邪道。是為魔業。已度已安者。親近恭敬而供養之。未度未安者。永不親近恭敬供養。亦不教化。是為魔業。墮增上慢增長諸慢輕蔑眾生。不求正法真實智慧。諸根散亂難可化度。是為魔業。佛子。是為菩薩摩訶薩十種魔業。菩薩摩訶薩。應速遠離正求佛業。佛子。菩薩摩訶薩。有十種捨離魔業。何等為十。所謂親近善知識捨離魔業。不自尊舉不自讚歎。捨離魔業。信佛深法不生誹謗。捨離魔業。未曾忘失一切智心。捨離魔業。安住不放逸修習甚深法。捨離魔業。安住菩薩藏正求一切法。捨離魔業。常欲聽法樂聞深義心無疲倦。捨離魔業。歸依十方一切諸佛。捨離魔業。信心正念一切諸佛菩提樹。捨離魔業。一切菩薩出生善根皆悉不二。捨離魔業。佛子。是為菩薩摩訶薩十種捨離魔業。若菩薩摩訶薩。安住此業。則離一切諸魔業道。』 |
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問曰。五眾十八界十二入何處說是魔。 |
問うて曰く、五衆、十八界、十二入は、何れの処にか、是れ魔なりと説ける。 |
問い、
『五衆、十八界、十二入』は、
何のような、
『処』に、
是れが、
『魔である!』と、
『説かれている!』のですか?
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答曰。莫拘羅山中。佛教弟子羅陀。色眾是魔。受想行識亦如是。 |
答えて曰く、莫拘羅山中に、仏は、弟子の羅陀を、『色衆は、是れ魔なり。受想行識も、亦た是の如し。』と教えたまえり。 |
答え、
『莫拘羅山』中に、
『仏』は、
『弟子の羅陀』を、こう教えられた、――
『色衆』とは、
『受想行識』も、
亦た、
是の通りである!と。
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莫拘羅山(まくらせん):また摩拘羅山に作る。山名。或は「十誦律巻16」に出る維耶離国摩俱羅山に同じか。『大智度論巻2上注:吠舍釐国』参照。
羅陀(らだ):弟子名。侍者。或は「十誦律巻16」に出る象守比丘に同じか。 |
参考:『雑阿含経巻6(第120経)』:『如是我聞。一時。佛住摩拘羅山。時。有侍者比丘名曰羅陀。爾時。世尊告羅陀言。諸所有色。若過去.若未來.若現在。若內.若外。若麤.若細。若好.若醜。若遠.若近。彼一切當觀皆是魔所作。諸所有受.想.行.識。若過去.若未來.若現在。若內.若外。若麤.若細。若好.若醜。若遠.若近。彼一切當觀皆是魔所作。佛告羅陀。色為常耶。為無常耶。答曰。無常。世尊。復問。若無常者。是苦耶。答曰。是苦。世尊。受.想.行.識亦復如是。復問。羅陀。若無常.苦者。是變易法。多聞聖弟子寧於中見色是我.異我.相在不。答曰。不也。世尊。佛告羅陀。若多聞聖弟子於此五受陰不見是我.是我所故。於諸世間都無所取。無所取故無所著。無所著故自覺涅槃。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。佛說此經已。羅陀比丘聞佛所說。歡喜奉行』 |
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復次若欲作未來世色身。是為動處。若欲作無色身。是亦為動處。若欲作有想無想非有想非無想身。是為一切動處。動是魔縛不動則不縛從惡得脫。此中說眾界入是魔。 |
復た次ぎに、若し、未来世の色身を作さんと欲せば、是れを動処と為す。若し、無色身を作さんと欲せば、是れも亦た動処と為す。若し、有想、無想、非有想非無想の身を作さんと欲せば、是れを一切の動処と為す。動とは、是れ魔の縛なり。不動は、則ち縛にあらずして、悪より脱るるを得たり。此の中に説かく、『衆、界、入は是れ魔なり。』と。 |
復た次ぎに、
若し、
『未来世』に、
『色界』の、
『身』に、
『作りたい!』と、
『思う!』ならば、
是れは、
『動く!』、
『処である!』。
若し、
『無色界』の、
『身』に、
『作りたい!』と、
『思う!』ならば、
是れも、
『動く!』、
『処である!』。
若し、
『有想処、無想処、非有想非無想処』の、
『身』に、
『作りたい!』と、
『思う!』ならば、
是の、
『動く!』のは、
『動かない!』のは、
『魔』に
『縛られていず!』、
『悪』より、
『脱れる!』ことが、
『できた!』のである。
是の故に、
此の中に、こう説くのである、――
『衆、界、入』とは、
是れは、
『魔である!』、と。
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自在天子魔。魔民魔人即是魔。不須說。 |
自在天子魔、魔民、魔人の、即ち是れ魔なること、説くを須(ま)たず。 |
『他化自在天子の魔』、
『魔の民』、
『魔の人』が、
『魔である!』ことは、
『説くまでもない!』。
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問曰。何以名魔。 |
問うて曰く、何を以ってか、魔と名づくる。 |
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答曰。奪慧命壞道法功德善本。是故名為魔。諸外道人輩言是名欲主。亦名華箭亦名五箭。(丹本注云五欲箭也)破種種善事故。 |
答えて曰く、慧命を奪い、道法と、功徳と、善本を壊れば、是の故に名づけて、魔と為す。諸の外道人輩の言わく、『是れを欲主と名づけ、亦た華箭と名づけ、亦た五箭(丹本の注に云わく、五欲の箭なり)と名づく。種種の善事を破るが故なり。 |
答え、
『魔』は、
『慧命( 智慧の命)』を、
『奪い!』、
『道法、功徳、善本』を、
『破壊する!』ので、
是の故に、
『魔』と、
『称する!』のであるが、
諸の、
『外道の人』等は、
こう言っている、――
是れを、
『欲望の主』と、
『称し!』、
亦た、
『華の箭(色欲の譬喩?)』と、
『称し!』、
亦た、
『五の箭(色声香味触の譬喩?)』と、
『称する!』、
何故ならば、
種種の、
『善事』を、
『破壊する!』からである、と。
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慧命(えみょう):梵語prajJaa-jiivaの訳。智慧の命の意。智慧に慧命無ければ、即ち名づけて智慧と為さざるに云う。『大智度論巻26下注:慧命』参照。
善本(ぜんぽん):梵語kuzala-muulaの訳。又善根とも称す。善の根本の義。即ち根となりて、他の善を生ずるに云う。『大智度論巻2上注:善根』参照。
華箭(けせん):不明。蓋し色欲に喩たるものなる乎。
五箭(ごせん):梵語paJcaayudhaの訳。五つの武器の義。色声香味触の五欲に譬える。 |
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佛法中名為魔羅。是業是事名為魔事。是何等魔事。如覺魔品中說。 |
仏法中には、名づけて魔羅と為し、是の業と、是の事を名づけて、魔事と為す。是れ何等か、魔事なる。覚魔品中に説けるが如し。 |
『仏法』中には、
是れを、
『魔羅』と、
『称する!』が、
是の、
『業』と、
『事』とを、
『魔事』と、
『称する!』のである。
是れが、
何のような、
『魔』の、
『事(仕事)』なのか?は、
此の中の、
『覚魔品(魔事品)』中に、
『説かれた!』通りである。
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魔羅(まら):梵語maara。魔に同じ。『大智度論巻5下注:魔』参照。 |
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復次人展轉世間受苦樂結使因緣。亦魔王力因緣。是魔名諸佛怨讎一切聖人賊。破一切逆流人事不喜涅槃。是名魔。 |
復た次ぎに、人は、世間を展転として、苦、楽を受くるは、結使の因縁にして、亦た魔王の力の因縁なり。是の魔を、諸仏の怨讎、一切の聖人の賊と名づくるは、一切の逆流の人事を破りて、涅槃を喜ばず、是れを魔と名づく。 |
復た次ぎに、
『人』が、
『世間』を、
『展転として!』、
『苦、楽』を、
『受ける!』のは、
『結使』の、
『因縁であり!』、
亦た、
『魔王の力』の、
『因縁でもある!』。
是の、
『魔』を、
諸の、
『仏』の、
『怨讎(かたき)である!』とか、
一切の、
『賢聖』の、
『賊である!』というのは、
一切の、
『逆流( 涅槃の道)』の、
『人事(修行)』を、
『破り!』、
『涅槃』を、
『喜ばない!』からであり、
是れを、
『魔』と、
『称する!』のである。
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逆流(げきる):生死の流れに逆らうの義。 |
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是魔有三事。戲笑語言歌舞邪視。如是等從愛生。縛打鞭拷刺割斫截。如是等從瞋生。炙身自凍拔髮自餓入火赴淵投巖。如是等從愚癡生。 |
是の魔に、三事有り、戯笑の語言、歌舞の邪視、是の如き等は、愛より生ず。縛打、鞭拷、刺割、斫截、是の如き等は、瞋より生ず。炙身、自凍、拔髪、自餓、入火、赴淵、投巌、是の如き等は、愚癡より生ず。 |
是の、
『魔』には、
『三事』有り、
『戯笑の言語、歌舞の邪視』、
『縛打、鞭拷、刺割、斫截』、
『炙身、自凍、拔髪、自餓、入火、赴淵、投巌』、
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戯笑(けしょう):梵語hasitaの訳。冗談を言って笑うこと。
邪視(じゃし):邪心を以って見つめること。
縛打(ばくだ):しばってうつ。
鞭拷(べんこう):むちでうつ。
刺割(しかつ):槍で刺し、刀で割く。
斫截(しゃくせつ):断ち切る。
炙身(しゃしん):身を火にあぶる。
自凍(じとう):自ら氷上に臥せる。
拔髪(ぱっぽつ):自ら頭髪を抜く。
自餓(じが):自ら食を断って餓える。
入火(にゅうか):焚焼する薪の中に飛び込む。
赴淵(ふえん):淵に身を投ずる。
投巌(とうがん):身を崖より投ずる。 |
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又大過失不淨染著世間皆是魔事。憎惡利益不用涅槃及涅槃道亦是魔事。沒大苦海不自覺知。如是等無量皆是魔事。已棄已捨是為過諸魔事 |
又大過失の不浄の、世間を染著するも、皆、是れ魔事なり。利益を憎悪して、涅槃、及び涅槃の道を用いざるも、亦た是れ魔事なり。大苦海に没して、自ら覚知せざる、是の如き等は無量にして、皆、是れ魔事なり。已に棄て、已に捨つる、是れを諸の魔事を過ぐと為す。 |
又、
『大過失』の、
『不浄』を以って、
『世間』を、
『染著する!』のも、
皆、
『魔』の、
『仕事である!』、
『利益』を、
『憎悪して!』、
『涅槃』や、
『涅槃の道』を、
『用いない!』のも、
『魔』の、
『仕事である!』、
『大苦』の、
『海』に、
『没しながら!』、
自ら、
『覚知しない!』のも、
『魔』の、
『仕事である!』。
是れ等の、
『無量』の、
『事』は、
皆、
『魔』の、
『仕事である!』が、
是れを、
是れを、
諸の、
『魔の事』を、
『過ごした!』というのである。
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